以前は自然と妊娠できるものだと思っていました。しかし、なかなか妊娠せず、妊活を始めたところ……妊娠が判明したのは意外な時期でした。私たちが赤ちゃんを授かるまでの道のりをお話しします。 感じ始めた焦り…同棲を経て入籍し、毎日楽しく幸せに過ごしていた私たち。いつ赤ちゃんできてもうれしいよねと話していましたが、気付いたらもう半年。 そうだ、赤ちゃんができるタイミングってあるんだなと基礎体温を測り始めました。アプリに毎日記録をして、ネットでいろいろ調べて、食べ物なども気をつけて……そんなことをしているうちに段々焦っている自分に気付きました。 妊活は一旦休憩!妊活を開始して2年。毎月生理がくるたびに悲しい気持ちになっていました。婦人科にも相談に行き、これからは検査もして本格的に通院しながら妊活したほうがいいのかと悩みました。そんな私に、夫は「今のうちに2人でもっといろいろなことを楽しもうよ」と励ましてくれました。 夫の言葉に、頑張り過ぎていたのかな?と思い、基礎体温を測るのも妊娠のことを考えるのもやめました。諦めたのではありません。ちょっと休憩しようと思ったのです。ちょうどそのころ、私の母親に「そろそろ孫ちゃんかな〜」なんて言われていたので、「私たちずっと2人でもいいかな〜」と話したのを覚えています。 それからは、夫と毎週遊びに行ったり、これから何して楽しもう?とたくさん計画を立て始めました。 ビックリ! 意外だった妊娠判明楽しみが増えてきたなとルンルンしていた翌月、そういえば生理がきていないことに気づきました。妊活を休憩したのでアプリを開くこともなく、生理予定日から1週間遅れていたことにも気付いていなかったのです。 買い溜めてあった妊娠検査薬で結果を見てビックリ! しっかり線が入っていました。とてもとてもうれしかったのですが、妊活を休憩した矢先の妊娠に拍子抜けし、喜び方がわからず2人でえっ? えっ?と何度も確認しました。 結局私が2年以上妊娠できずにいたのは、今月こそ、今月こそと焦っていたことによるストレスが原因だったように感じます。妊活は場合によって検査や治療が必要な場合もありますが、自分で自分を苦しめていることもあるのだなと思いました。妊活を休憩したことによって気持ちも体ものんびりしたタイミングで授かった長男はのんびり屋さん。なんだか運命を感じます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:桐谷 多美2歳、0歳の二児のママ。現在育休中で、まだまだ慣れない育児に毎日奮闘中。
2021年06月09日38歳で結婚した私。「年齢的に早めに妊活したほうがいいよね」と夫と話し、妊活を始めたものの、なかなかよい結果が出ないままでした。あるとき「今回もダメだったかぁ」と残念会をした翌朝のこと、まさかの出来事が起きたのです。 その日のうちに私たちは産婦人科へ。すると、エコーで胎嚢が見え、「妊娠5週目です」と言われました。出血のことも話しましたが、特に原因はわかりませんでした。 その後、残念会でお酒を飲んでしまったことを思い出し、罪悪感を感じましたが、「過ぎてしまったことは仕方ない!」と思いなおし、その後は控えるようにしました。そうして誕生した娘はもう1歳に。元気に育ってくれています! よく聞く妊活は女性が頑張っている印象がありましたが、男性も頑張らないとうまくいかないなと思いました。 夫はたとえ朝忙しくても、時間に余裕がない日でも頑張ってくれました。 だからこそ、私は「本当に子どもが欲しいと思ってくれているんだな」と思えましたし、夫婦の大切なスキンシップの時間にもなったので、妊活中も心は安定していました。今となっては夫婦の気持ちを合わせる良い機会だったと思っています。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 原案/小森風子さん作画/まっふ
2021年05月30日2021年4月に、第1子の妊娠を発表した、タレントの南明奈さん。お笑いコンビ『よゐこ』で夫の濱口優さんとの間に子供をもうけるまでに、妊娠活動(以下、妊活)をしていたことを、YouTubeの動画で明かしました。2018年に結婚した濱口さん夫婦は「いつでも赤ちゃんが来てほしい」という風に感じていたそうです。しかし、なかなか授からなかったため、産婦人科へ行き、さまざまな検査を受けたところ、右の卵巣に『子宮内膜症』が見つかります。しばらくは医師の指示に従い、薬を服用していた南さんですが「このままでは変わらない」と感じたたため、不妊治療専門のクリニックに転院。そこで左の卵管がつまっていることに気付き、卵管を通すための手術を受けました。その後も、薬を服用しながら、タイミングを計るも、一向に授かる気配がなかったそうです。南さんは、当時の心境をこう明かしました。そうか。「自然では難しいのかもしれない」と思って。こうなったら、来月からステップアップしよう。人工授精。「来月からそうしよう」って思っていたんですね。だからその前の月は、私はなんかもう「ステップアップ決めてるから、いいかな今月は」という気持ちがあった。おうちのまさるーより引用人工授精という手段にステップアップを考えていた南さんは、自然妊娠を諦めていた月に、第1子を授かったのです。南さんは「内心諦めていたからこそ、気持ち的にリラックスしていたのかもしれない」と振り返りました。妊活当初から、ずっと「自分も一緒に病院に行って、検査するよ」といっていたという濱口さん。南さんの希望で、ステップアップ予定だった月に、一緒に病院へ行くつもりだったそうです。南さんはこれまでを振り返り、涙を浮かべながら、妊活中に気を付けていたことを次のように語りました。もちろん妊活中って、大変な思いもあって。いろいろ「くう」って思っちゃったりっていう気持ちもあると思うけど。やっぱり夫婦で笑顔で過ごすことが、大事かなと、そんな風にも思います。おうちのまさるーより引用感極まった南さんの言葉を受けて、濱口さんは「男側からしても、これは女性だけの問題じゃないから。ここは夫婦の問題で、夫婦で乗り越えていかなあかんことやからね」とコメントしています。「この動画が1人でも多くの女性や夫婦に、1つの意見として参考になったら嬉しいです」と語る南さん。動画に対し、ネット上ではさまざまな反響が寄せられています。・プライベートなことを話してくれてありがとうございます。妊活中でつらかったので、すごく勇気が出ました。・濱口さんの「女性だけの問題じゃない」という言葉に嬉しくなりました。心に寄り添ってくれるパートナーの存在は励みになるので…。・南さんの涙に、もらい泣きしました。濱口さんの優しさにもグッときます。こんな夫婦のもとに産まれてくる赤ちゃんは幸せですね。これまで数々の検査や治療を乗り越えてきた南さんにとって、妊娠の発覚は、大きな喜びとともに、安堵をもたらしたことでしょう。妊活を「夫婦で乗り越えること」と考え、不安な心に寄り添い続けた濱口さんの存在は、励みになったに違いありません。[文・構成/grape編集部]
2021年05月26日妊活をおこなうにあたっては、女性だけでなく男性側の協力も必要だと言えます。なぜなら、妊娠できない原因は男性側にある可能性もあるからです。妊活がなかなかうまくいかない場合は、男性側の生活習慣や食事・サプリで摂取する栄養素を見直してみると良いでしょう。そこで、この記事では妊活に取り組んでいる人に向けて、男性不妊の概要と男性が気を付けたほうが良いことなどを紹介します。 男性不妊とは? 男性器と精子の役割妊娠するためには、女性の卵巣内にある卵子と男性器から放出される精子が出合わなければいけません。男性器は主に睾丸と陰茎から成り立っています。睾丸は男性の生殖腺であり、男性ホルモンや精子を作り出す器官です。作り出された精子は勃起した陰茎が射精をおこなったときに放出されます。陰茎は精子を女性の腟内に送り込むための交接器官の役目を持っているのです。 射精された精子は腟内を泳ぎながら卵管を目指します。一般的に一度の射精で数億もの精子が放出されますが、卵管にたどり着けるのはそのうちの100万分の1に過ぎません。つまり、精子に特段の異常がないケースでも卵子の周囲までたどり着けるのは、およそ100程度なのです。そのため、精子の動きが鈍かったり、精子数が少ない状態で射精したりすると、妊娠する確率はさらに低くなります。また、放出される精子は卵子に到達すれば必ず受精するというわけでもありません。 卵子に到達した精子は受精するために、卵子内に侵入を試みます。そのため卵子に近づくと先体反応と呼ばれる形状に変わらなければいけないのですが、うまく形状を変えられない奇形精子が多いと受精がスムーズにできません。精子は数が多ければ多いほど卵子まで到達する可能性は高くなりますが、質が悪いと結果的に受精できないケースもたくさんあるのです。無事に受精できた場合は、卵子はその他の精子を侵入させないために、卵子の殻を厚くします。そして卵子は雌性前核を形成し、雄性前核となった精子と一緒に細胞分裂を繰り返して子宮内膜に着床し、赤ちゃんになっていきます。 つまり、男性不妊と言われるものの症状は大きく分けて2つです。1つ目は精子が放出されない(作られない)症状で、「無精子症」や「乏精子症」などが挙げられます。2つ目は「精子無力症」などの精子の運動効率が悪い症状です。精子の数は正常な人と変わらないのですが、運動効率が悪いため卵子まで到達することができず、結果的に妊娠できません。これらの症状は造精機能障害と呼ばれ、ほとんどの男性不妊の原因です。造精機能障害は先天的に病気を持っている人もいますが、後天的になるケースもよくあります。後天的に発症するケースの原因は人それぞれ違いますが、ストレスやアルコール、喫煙といった生活習慣が大きな影響を与えているケースも珍しくありません。 妊活のために男性が気を付けたいこと先天的に造精機能障害にかかっている場合は、病院で治療を受ける必要があります。しかし、後天的に造精機能障害になった場合は生活習慣が影響しているケースも多いので、日常生活を見直すだけで症状が改善する可能性はゼロではありません。 男性不妊の原因となりやすい生活習慣で、まず挙げられるのは「喫煙」です。喫煙をするとニコチンの作用で血管が収縮し、脳や皮膚といったさまざまな場所で血流を悪化させます。結果的に男性の精子の運動効率を悪化させてしまう恐れが高くなるので、妊活中はできるだけ喫煙を控えたほうが良いでしょう。また、陰茎が勃起するためには、血液が陰茎に集まらなくてはいけません。喫煙をして血流が悪くなると、陰茎が満足に勃起しなくなる「ED(勃起不全)」にかかることもあるので気を付けましょう。 妊活のために男性が気を付けておきたい2つ目の項目は「過度なアルコールの摂取」です。実際に何人もの研究者がアルコールが精子に与える影響を取り上げており、過度なアルコールの摂取が悪影響を与えることを証明しています。適度な量ならばそれほど問題はありませんが、毎日飲むようだと精子の量が減ったり、質が悪くなったりするので週に2日程度は飲まない日を設定しましょう。なお、アルコールと同じ飲み物では、カフェインを豊富に含むコーヒーの悪影響を心配する人も多いでしょう。しかし、結論からいうとコーヒーが精子に悪影響を与えるという科学的な証拠は見つかっていません。むしろ、適度に飲むことでコーヒーに含まれる抗酸化作用でアンチエイジングには効果的です。飲み過ぎには注意しながら摂取してみると良いでしょう。 男性が気を付けておきたい最後の項目は「薬の影響」です。特に注意するべきなのは、ドラッグストアなどで販売されている男性用育毛剤だと言えます。男性の薄毛の原因の1つとして、男性ホルモンの影響が挙げられます。男性用育毛剤に含まれている「フィナステリド」という成分には、薄毛の原因となる男性ホルモンを押さえる働きがあるのです。しかし、睾丸では男性ホルモンと同時に精子も作っています。つまり、男性ホルモンを作る働きが鈍ることで、精子を作る働きも鈍ってしまうのです。結果的に精子の量が減ってしまい、妊活に影響が出るケースがあります。医師から薬を処方してもらうときはもちろん、市販の薬を購入するときも気を付けなければいけません。 妊活のためにサプリや食事などでとりたい栄養素は?脂質や糖質の多い食生活ばかりを送っていては、栄養バランスが崩れて精子の量や質に悪影響を与えます。ビタミンやたんぱく質なども含めたバランスの良い食生活を心がけましょう。妊活のために男性が食事やサプリで摂取しておきたい栄養素としては「オメガ3脂肪酸」が挙げられます。オメガ3脂肪酸はナッツや魚類に多く含まれ、良い精子を作るために効率良く働いてくれる栄養素です。また、海苔やわかめといった海藻類に多く含まれる「葉酸」は精子のDNAが損傷することを防いでくれる効果が期待できます。 そのほかにも、精子数の増加に役立つ「亜鉛」は貝類や牛肉からたくさん摂取することが可能です。具体的な料理名でいうと魚介類やナッツ、チーズなどがふんだんに使われる「地中海料理」は男性不妊に効果的だと言えます。魚介類を摂取することでオメガ3脂肪酸と葉酸、亜鉛のすべてを効率よく吸収できるので、普段は肉好きだという男性も妊活中は魚介類を中心とした食生活を送ってみましょう。ただし、共働き世帯など、日常生活で忙しい夫婦の場合は毎日手のかかる魚介類料理を作るのも大変です。そのようなときは、無理せずサプリで不足した栄養素を補うようにすると良いでしょう。 一方、精子量が減る食事として妊活中は敬遠しておいたほうが良い食事は、高脂肪の肉類やお菓子、加糖飲料が挙げられます。これらの食事をたくさん食べてしまうと、精子量の減少や活動効率の悪化といった妊活にとっては悪影響を与える可能性があるので、食べ過ぎには気を付けましょう。ただし、あまり我慢しすぎてストレスが溜まってしまうと、精子数や質に悪影響を与えるかもしれません。どうしても我慢できなかったときは無理せず食べて、足りない栄養素をサプリで補う方法を取り入れるのも方法の1つです。 まとめ男性不妊は後天的なものの場合、生活習慣が影響している可能性があります。喫煙や飲酒といった日常生活を見直して、妊活に取り組んでみるとよいでしょう。また、精子数の増加や活動効率を向上させるためには、葉酸や亜鉛といった栄養素を摂取すると効果的です。サプリや食事を見直して、妊活に励んでみてはいかがでしょうか。 イラスト/sawawa監修者:医師 三鷹レディースクリニック院長 天神尚子 先生日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。
2021年05月22日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。夫に内緒で検査を行うと、「単角単頚」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形だと発覚。果たして、妊娠は叶う……!?新たな不妊専門クリニックへ、医師の言葉が励みに考え方を変えれば、妊娠の可能性がゼロではないということでもあった。きっと今の医療の技術でなんとかなる。妊活に非協力だった夫は、検査結果を聞いて「これからはやれることは一緒に頑張ろう」と協力を誓ってくれた。 新たに職場近くの不妊治療専門のクリニックへ通うことになった。最初の受診から紹介を繰り返し、5軒目にたどり着いたクリニックだった。そこで出会った50代の女性医師は「まだまだよ!」と明るく励ましてくれた。 「これまでの検査結果がすべてじゃないから。あせらないで。一般的な治療を始めるわよ」と。 その明るさがうれしかった。「先生との相性がいい!ここは当たりかも!」と直感した。この医師との出会いが、うつむきがちだった夏美さんの考え方を変えてくれた。 夫がすぐには検査を承諾してくれず……治療を始めるにあたって、夫の検査が必要になった。夏美さんが住む東京都では、不妊検査や治療にかかる費用の一部に対し、助成金が出る(対象者のみ。詳しくは「東京都福祉保健局」へ)。夏美さん夫妻の場合、夫も検査を受ければ約5万円の助成金が出る。夫は子作りに協力するとは言ったものの、いざ自分の検査となると、なかなか一歩が踏み出せない。「1週間考えさせてくれ」 夫なりに考えた末、検査を受けることを決断。夫側に問題はなかった。 医師と夫の言葉で吹っ切れた未来像でもすぐには授からない。わかってはいたが、現実を目の当たりすると落ち込む。夫に泣きすがると、非協力的だと思っていた夫から思いもしなかった心のうちを聞いた。 「俺は子どもが欲しくて夏美と結婚したんじゃなくて、夏美と一緒にいたいから結婚した。最終的に子どもができなくても俺は良いけど、夏美が子どもを望むなら一緒に病院に行こう」 はっとさせられた。子どもが欲しくて、頭がいっぱいになっていた。 「そっか。この人と結婚したいから結婚したんだったよな。このまま2人の生活もいいな」と素直に思えた。 医師の明るい励ましと、夫の言葉のおかげで、夏美さんは吹っ切れるようになった。荒んでいた心はポジティブに。「このまま2人暮らしなら、豪華な旅行も行けるかも」と新たな未来を思い描けるようになった。 休日は2人で鎌倉の海へドライブに行き、神社を巡っては2人の幸せな未来を願った。でも諦めたわけではなかった。「最後の1回」という条件付きで、子授けで有名な神社で祈祷してもらったり、ネットで調べた真偽不明のおまじないをこっそり試したり。 でも、どんな生き方になっても、行く先の道には明るい未来が待っている気がした。奇跡の妊娠で医師や看護師も拍手、無事に出産そろそろ人工授精も視野に入れていた矢先のこと。生理が3週間来ていないことに気づいた。強めの花粉症の薬を飲んでいたので、そのせいだと思っていた。一本だけ残っていた検査薬を試すと、陽性反応が出た。 「びっくりして家で思わず叫んじゃいました。すぐに検査薬を、スマホで写真を撮って、夫や母に送っちゃいました」 クリニックで調べてもらうと、既に胎嚢が確認できた。 「先生も看護師さんたちも、拍手して喜んでくれたんです。本当にうれしくてうれしくて。しばらくにやにやが止まりませんでした」 その後、大学病院に転院。子宮が小さいことから懸念されていた妊娠経過も順調だった。小さかった子宮は一般の妊婦と同じように膨らみ、立派に命を育んだ。 2020年11月、逆子による予定帝王切開で、約2,600グラムの元気な女の子を出産。産後も順調に過ごしている。妊活から2カ月で不妊の検査と治療を開始し、治療から4カ月で授かった夏美さん。 「私の場合は、早めに検査して本当によかったです。それからいい先生との出会いも大きかった。夫の言葉で気持ちを前向きに切り替えられたことも良かったと思います」と振り返る。 現在、生後4カ月のわが子の寝顔に癒される日々を送っている。 「すやすや気持ちよさそうに眠ってる顔を見ていると、力が湧いてきます。育児が大変でもがんばれるなって。2人目も授かったらうれしいけど、あせらないでやっていこうかな」 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月30日私が妊活中だったときの話です。当時の私は、妊娠の超初期症状、そして妊娠検査薬についてインターネットで調べまくっていました。そんなとき、トイレに行くと生理のような出血が。「またダメか……」と思ったのですが、翌日検査すると……! インターネットの情報だけではわからないことが多いんだなと感じた出来事です。 現在は無事に出産し、毎日育児を頑張っています! このことで私は、生理も、妊娠も、出産もとても個人差が激しいものだと改めて感じました。インターネットで何でも検索できるのは便利ですが、すべて鵜呑みにせず、わからないことや不安なことはお医者さんに診てもらったほうが確実ですし、安心できるなと思いました。これから育児でも悩むことがたくさんあると思いますが、頑張っていきたいと思います! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO--------原案/やぎめいさん作画/モリナガアメ
2021年04月29日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。果たして……?妊活から2カ月、夫に反対されながらも1人で産婦人科へ夫の理解を得ることは容易ではなかった。妊娠はそんな簡単なものじゃない。正しい情報を集めていた夏美さんは、強く反論したかった。しかしぐっと言葉を飲み込み、その場はそれきりの話し合いで終わらせた。 「反論したかったけど、これから先、夫婦関係が気まずくなってしまう方が危険だと思って。悔しかったけど引き下がりました。でもわたしが安心したかったので、1人で産婦人科へ行きました」 一歩目は踏み出しやすかった。向かったのは、生理痛で10年近く通っていたかかりつけの産婦人科クリニック。主治医は顔なじみのおばあちゃん先生だった。話しやすく、生理の状態も知ってくれていた。まずはタイミング法を試しながら、検査を進めることになった。 気絶しそうな人生最大の痛みを味わうことに通常、不妊治療の検査は男女ともに行われる。日本生殖医学会によると、女性側は①内診・経膣超音波検査、②子宮卵管造影検査、③血液検査が一般的な検査とされている。 夏美さんの場合、第一段階として行われた検査の一つが「通水検査」だった。子宮内にカテーテルをいれて生理食塩水を注入し、卵管の通り具合を調べる検査だ。一般的に麻酔を使用しない検査で、「多少の痛みは伴います」と説明を受けて臨んだのだが、ここで人生最大の痛みを味わうことになる。 激痛どころじゃない、気絶しそうな痛みだった。 「究極の痛みで、便が漏れてしまいそうなほどでした。寒くて怖くて……。顔面蒼白になってしまいました」 カルテに書かれた「不妊症」の文字、頭が真っ白に ここで夏美さんの“嫌な予感”は確信に変わったという。わたしの体に何かが起きているーーー。 普通の検査でこれほど壮絶な痛みを感じるなんて、きっと体に何か原因があると直感したという。その日は何も診断が出ず、結果が出るまで1週間を待った。翌週、結果を聞きに訪れた診察室で、予想だにしない言葉が医師の口から出た。 「片方の卵管が見えません。通りが悪すぎるから、ちゃんとしたところで調べないと」 不妊治療専門のクリニックを紹介され、卵管の造影検査をすることになった。同学会によると、子宮卵管造影検査とは、「X線による透視をしながら子宮口から造影剤を注入し、子宮の形や卵管が閉塞していないかを見る検査」のこと。さらに子宮の形態を詳しく調べるため、総合病院で子宮のMRI検査も受けた。1人で検査結果を聞きに行くと、医師のカルテには「不妊症」の文字。 震えた。 不妊症の原因が明らかに!思わぬ事実が発覚説明の前から頭が真っ白になった。医師は淡々と説明した。 「普通の人は卵管が2つあって、子宮は鶏の卵くらいの大きさがあるけれど、あなたの場合は卵管が1つしかありません。子宮は半分くらいの大きさでとても小さいです。もし妊娠できたとしても、体が異物だと思って流してしまう可能性があります。 妊娠したあとも大変だから、大きな病院で診てもらってください。まずは妊娠しないと話が進まないから、不妊治療専門クリニックに紹介状を書きますね」 夏美さんの子宮は「単角単頚(たんかくたんけい)」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形で、通常の半分の大きさで小さく、片側に寄っており、2つあるはずの卵管が1つしかなかった。長年悩まされた生理痛の原因でもあった。 病院の帰り道はふらふらだった。本当は誰かにしがみつき、声を出して泣きたいくらいだった。 ポケットに、飴が1粒入っていた。袋を開ける手と飴をなめる口が、小刻みに震えていた。これからどうしよう。 込み上げる涙と一緒になめた飴の甘みが、これでもかというくらい心にしみた。とりあえず夫にLINEを送った。 「家でちゃんと聞きます。とりあえずおつかれさま」 短い文章から、夫の動揺も伝わってきた。 ◇ ◇◇ 夫に内緒で行った産婦人科。そして発覚した子宮奇形。まずは妊娠のために、不妊治療専門の病院へ通うことになった夏美さん。 次回、不妊治療の結果が明らかに! 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月29日「仲良く夫婦生活を送っていれば、赤ちゃんは自然に授かるだろう」。妊娠についてそう考えている人は少なくありません。しかし、健康な夫婦でも排卵1回あたりの自然妊娠率は約20-30%程度と言われています。若くて健康でも1年の排卵のチャンスはたった12回。 不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 自然な妊娠を望む年上夫は非協力的。気持ちのすれ違いに涙「あぁ、疲れた」 その日、夫は仕事から帰るなり、大げさに疲れをアピールしてきた。その日、というのは妊娠しやすいタイミングの日。ネットや妊活アプリで調べ、予め伝えておいたが、明らかに拒絶していることが伝わってきた。 「今日もだめか……」 夏美さんは、疲れた夫を責めることもできず、すれ違う気持ちを抱えて1人静かに泣いた。 現在、生後4カ月の女の子を育てる夏美さん。絶望と希望の間でさまよった不妊治療期間を経て、今は穏やかな日々を送っている。 27歳の時に13歳年上の夫と結婚。夫の年齢も気にして、結婚前から「すぐに子どもは作ろうね」と語り合い、ハネムーンから妊活をスタート。ところが2カ月経ってもいつも通りに生理が来る。 「そのころは妊娠に関する知識がなくて、すぐに授かると勝手に思っていたんです」と夏美さん。同じ時期に結婚した同僚たちは、次々に妊娠を報告していた。 夫にいいタイミングを伝えるも「そういうのは自然にできるものだから。欲しい欲しいと思うと逆に妊娠できないよ」と非協力的な言葉が……。夫とのタイミングが合わず、日に日に焦りは増していった。 寝込むほどの生理・・・もしかしからできにくい?と不安に毎回、生理は苦痛でたまらなかった。腹痛、腰痛、頭痛に加えて多量の出血。学生時代は寝込むほどだった。実家近くの産婦人科クリニックに長年通い、痛みを緩和するための低容量ピルを処方してもらっていた。妊活に備えてピルの服用はやめていたが、市販の痛み止めに頼りすぎることも。 人より重い生理が気になってネットで調べると、不妊と結びつく情報がいくつか引っかかった。「もしかしたら、自分は赤ちゃんが授かりにくいのかもしれない……」。胸がざわざわした。 日本産科婦人科学会では、不妊を定義する期間として、「1年間が一般的」と定義している(妊娠を望む健康な男女の間に授からない期間)。しかし問題が考えられる場合は、すぐに治療を開始するよう勧めている。 頭に浮かんだ「不妊治療」の文字、しかし夫は……夏美さんの頭には、妊活から2カ月の時点で「不妊治療」の文字が浮かんだ。妊娠するチャンスは1回の排卵でたった数日間しかない。排卵は月に1回、1年で考えるとたった12回だ。このままではあっという間に年を重ねてしまいそうな気がした。 ところが赤ちゃんは誰もが自然なタイミングで授かると思い込んでいる夫。ネットの書き込みでも、夫と同じ意見を多く見かけた。通院したいと相談すると、予想通りの反応が返ってきた。 「行く必要はないよ。自然に任せたいんだ」◇◇◇妊活には非協力で、しかも不妊治療の検査へは「行く必要がない」と言う夫。果たして、夏美さんの妊活はどうなるのでしょうか。 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月28日私が31歳、不妊治療をしていたときのことです。私は普段、生理は7日で終わるのですが、そのときは8日目にまた出血がありました。生理痛のように下腹部もだんだん痛くなり、ついには冷や汗や吐き気まで……。激痛でのたうち回り、気づけば病院に救急搬送されたのです。不妊治療にはこんなリスクもあるんだと知った出来事です。 不妊治療は、精神的にも肉体的にもしんどいものです。そして、まさか自分にもこのような副作用が起きるとは思っていませんでした。 ちなみに、そのときに飲んでいた排卵誘発剤は服用をやめて、別の薬を処方してもらうことになりました。そして、今では第一子を妊娠中です。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO--------原案/たなかまさぽんさん作画/コジママユコイラスト制作者:イラストレーター コジママユコマンガ作家、イラストレーター。北海道出身、現在は関東で夫と二人暮らし。WEBを中心に、自身の経験を元にしたマンガを発表しています。女性向けメディアでイラストレーターとしても活動中。
2021年04月26日この話は、作者ババレオさんに寄せられたエピソードを漫画化しています。ちょっと変な夢を見たというエミ。その後エミに起きたこととは…。次回へ続く
2021年04月18日13年間2人目不妊だった私。10年ほど日本で不妊治療を受けましたが、授かることができませんでした。人工授精までしか受けたことがなかったのですが、移住先のドイツで高度不妊治療を受け、双子を授かることができるまでの体験談です。 ドイツの文化に従う私たち夫婦は日本で何度も不妊の検査を受けましたが、異常が見当たらない原因不明の2人目不妊でした。原因不明なままで高度不妊治療に踏み切るのは、お金の問題もあり難しいだろうと抵抗がありました。その後、移住先であるドイツのクリニックで、私が35歳を過ぎたので最後のチャンスと、人工授精を受ける目的で診てもらったのです。初めてクリニックを受診したときに、「なぜ今まで欲しいと思っていたのに人工授精止まりだったのか」「子どもを授かりたいという意思はあるか」ということを聞かれました。 ドイツ人は意見をはっきり伝えることが一番大事という考えが基本にあります。初診で担当医の思わぬ質問に戸惑いましたが、夫婦で授かりたい思いはあったのでその旨を伝えました。 ドイツ不妊治療の助成金ドイツで不妊治療をする場合、40歳までの女性に対して不妊治療3回まで約半分を公的保険でカバーしてもらえます。ドイツの保険会社は多くあり、加入している保険会社によってさまざまですが、たいていの会社は女性が40歳までであればそのような補助を受けることができます。 不妊治療を受ける際に必要な薬代も若干の補助は出ますが、多くはありません。日本よりも不妊治療を受けやすい環境(※1)ではありますが、お金の面はそこまで手厚く補助してもらえるものではありませんでした。 (※1)現在、日本における不妊治療への助成は拡充されています。 検査から治療まで大急ぎ!検査で時間を取っていてはもったいないということで、治療を決めたその日から検査を開始。担当医は私たち夫婦がとても長い期間、検査や治療を受けているにもかかわらず結果につながっていない現状を見て、顕微授精が適切な治療だと示しました。 顕微授精は日本では最も高額で、受けることが難しい治療だと思っていた私は驚きました。人工授精を何度か受けてから考え直そうかなどさまざまな思いがありましたが、治療や薬の指示など、医師や看護師さんが淡々とすべき役目をこなしているという印象を受け、今回の治療に希望をかけてみようと決断。 最初は戸惑いましたが、これもドイツ文化です。やることをやっていれば成果に近づけるという医師の助言・ドイツシステムのもと治療をすすめました。 3回目の顕微授精で授かれた1回目は授精卵が着床したものの妊娠9週で育たなくなり、稽留流産、掻爬手術を受けました。2回目では着床せず。保険補助が最後となる3回目。これで治療はやめる予定で顕微授精をおこないました。2個の受精卵を戻し、無事着床。そして、その後双子を出産しました。顕微授精を受ける際、体を多くの薬でコントロールし、心が折れそうになるようなこともありました。また流産したときも、治療を続けるべきなのかと夫婦で何度も話し合いました。双子を授かることができたことは奇跡だったと思います。不妊治療を受けることはどのくらいの期間、いくらかかるのかなど不明点が多いことが私たち夫婦にとって不安材料でした。 ドイツの不妊治療は、お金のサポートは多くはありませんが制度として整っていますし、明確な治療指示によってスムーズに治療を受けることができました。日本でもクリニックによっては明確な治療指示を受けられたのかもしれませんが、10年以上悩んでいた2人目不妊が1年半のドイツ不妊治療によって双子の命を授かることができたので、私たち夫婦は満足しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:久保田恵美双子を含む3児の母。第4子を妊娠中。幼稚園、小学校教諭の免許を取得。現在はドイツに住み、子育てをしながら育児や教育に関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月17日私が妊活に行きづまったとき、友人に頼んだ3つのことがあります。ジンクスなので、信じるかどうかはその人の気持ちによりますが、私には友人の気持ちがうれしく、心の支えになりました。そんな3つのジンクスをご紹介します。 1.陣痛中に赤富士の絵を描いてもらう「陣痛中の妊婦さんに赤富士を描いてもらい、それを飾っておくと子宝に恵まれる」と聞いて、私も妊娠中の友人に頼みました。陣痛中に、赤のペンで富士山と太陽を描いてもらいました。 陣痛中に絵を描くなんて、とても大変ですよね。そのお願いを受け入れてくれた友人に感謝です。もらった赤富士は、寝室に飾っておきました。 2.妊婦さんにおにぎりを握ってもらう2つ目は「妊婦さんにおにぎりを握ってもらって食べると妊娠する」というジンクスです。飲食店で働いている友人が妊娠したとき、すぐに頼みに行きました。ランチに行ったときに頼んだので、妊娠中の友人は握ったおにぎりを注文したランチに添えてくれました。 その後、一緒にランチを食べた友人が先に妊娠し、その友人も私におにぎりを作って持ってきてくれました。友人の気持ちが私にとってはとてもうれしかったです。 3.妊婦さんの上をまたぐ「妊婦さんをあおむけに寝かせて、その上をまたぐと妊娠する」というジンクス。このジンクスを実行するときは、さすがに勇気が必要でした。「やろうよ!」と言ってくれた友人がいたのですが、人をまたぐなんて……と、ちょっと気が引けました。 でも結局は、その場にいた妊活中の女性みんなでさせてもらうことに。列になって妊婦さんをまたいでいくのはちょっと滑稽でしたが、みんな笑顔になれて楽しかったです。「やろうよ!」と言ってくれた友人に感謝です。 妊活をしていて、なかなか赤ちゃんを授からないと落ち込むこともあります。そんなときはちょっと気分を変えて、ジンクスなどを試してみるといい気分転換になりました。 監修/助産師REIKOイラスト/ののぱ著者:藤川智子結婚前は小学校教員、現在は幼児への音楽教育を指導している音楽ママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2021年04月08日28歳のときに不妊治療で第一子を授かり、出産した私。第一子である娘が1歳を過ぎたころから第二子の不妊治療を始めたのですが、治療を受けるなかで失敗したと思うことがいくつかあります。今回はその失敗体験を紹介します。 不妊治療の記録をすべて捨てた待望の第一子は、タイミング法を3回したあとの人工授精3回目で授かりました。おなかの赤ちゃんは順調に育ってめでたく出産となったのですが、産後2カ月が経ったあとに急きょ夫の転勤で引越しをすることに。 引越し後は見知らぬ土地で子育てをしながら片付けにハマり、勢い余って第一子の不妊治療に関する書類をすべて捨ててしまったのです。第二子の治療は引越し先の病院で受けたため、過去の資料が一切なくて困ったのを覚えています。 領収書の管理がいいかげん第一子の不妊治療では人工授精3回目で娘を授かることができたので、治療にかかる費用はそこまで高額にならず、助成金の申請はおこないませんでした。 けれど、第二子の不妊治療では10回を超える人工授精をおこなっても子どもを授かることができませんでした。治療費も高額になったため助成金申請をしようとしたところ、領収書がいろいろな場所に保管してあったり日付通りでなかったりして大変な手間が。領収書の管理はきちんとしておく必要があると痛感しました。 妊娠に対する考えが甘かった不妊治療当初から「自然妊娠をする確率はほぼゼロで体外受精でも難しい」 と先生から言われていましたが、娘を3回目の人工授精で授かったので次も思っているよりも簡単に妊娠すると考えていました。 ところが、人工授精12回、体外受精を1回おこなったものの、未だに妊娠に至っていません。私も夫も年齢はどんどん高くなり、体も衰えていくなかでどこまで治療を続けるのかまだ決めていません。出費は増え続ける一方なので、子どもが授からなかった場合にいつ諦めるのかを考えなくてはならないなと思っています。 不妊治療をしていると、まだ見ぬ未来の赤ちゃんと会える日を楽しみに気持ちが前向きになる一方で、現実的に考えなくてはならないことがたくさんあり、気持ちが後ろ向きになることもあります。それでも、後悔のないように納得のいくまで治療に取り組んでいきたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラスト/manami.koiso 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年04月07日ベビーカレンダーご覧のみなさん、こんにちは! 2019年8月に女の子を出産し、初めての育児に日々奮闘中のかめこです。 第2話は、妊活について、ひとりでずっと空回りしていたころのお話です。 結婚当初、けいさんは「2年くらいは2人で過ごそう!」と妊活しない宣言をしていました! なぜに!?それでも、もしかしたら!という淡い期待を私は捨てきれなかったのですが、現実はそんなに甘くありませんでした……。 著者:イラストレーター かめこ2019年8月に女の子を出産し、家族が増えて一層賑やかになりました。はじめての育児は分からないことだらけで日々奮闘中です!赤ちゃんが産まれるまでの家族とほのぼの妊娠ライフをブログにて更新しています。
2021年04月02日私には小学校と幼稚園に通う子どもたちがいます。東日本大震災が起こった10年前、私は妊活中でしたが、震災のさまざまなショックで生理が止まってしまい……。そのときの体験談と、その体験を今の子育てにどう生かしているかをお伝えします。 熱を出して寝込んでいた私東北地方太平洋沖地震が起きた10年前、私は東京に住んでおり通勤に1時間かかる会社に勤めていました。結婚4年目だったので、そろそろ子どもが欲しいねと妊活をスタートさせたところでした。 そんなある日、高熱を出し仕事を休んで自宅のベッドで寝ていた私は、突然激しく揺さぶられたような衝撃に驚き、目を覚ましたのです。それと同時に、自宅で仕事をしていた自営業の夫が寝室に飛び込んできて、「起きて! トイレに避難しよう!(※)」と叫びました。高熱と揺れにフラフラしながら、壁をつたってなんとかトイレまで移動したのを覚えています。 (※)家の構造によっては、トイレが安全な場所であるとは限りません。また、揺れによりドアが歪んで開かなくなり、閉じ込められてしまう危険性もあるので注意が必要です。 テレビから流れてくる衝撃の映像に震え激しい揺れがおさまったのでトイレから出て、事態を把握しようとまずテレビをつけました。そしてはじめに目に飛び込んできたのは、爆発し、激しく炎上している石油コンビナートの映像でした。 次々と流れてくるニュースが、馴染みのある地名の映像でありながら現実とは思えない光景で、頭が真っ白になり、何これ?と、ショックでしばらく何も言えず立ち尽くして震えていたあの時間は、忘れられません。 その後、断続的に起こる余震に恐怖を感じながらも我に返った私は、夫と一緒に家の中を点検し、落ちた小物や割れた食器を片付けながら次の揺れに備えました。 精神的な不安で生理がストップその後、都内と近県に住んでいた両親や親戚、会社の同僚の安否を確認しホッとしたのも束の間……物流が乱れ、買い占めが起こり、自宅付近のお店の棚から商品がなくなりました。計画停電もありました。日常は取り戻したものの、しょっちゅう余震があって緊急地震速報が鳴り、精神的に落ち着かない不安な日々が続いたのです。 そして気が付くと、生理が3カ月きていませんでした。震災の日から妊活もストップしていたので、妊娠による体の変化ではないことは明らかでした。以前からストレスで生理が止まることはあったので、夫と話し合い、体が自然に戻ることを待つとともに、落ち着くまで妊活はストップすることにしたのです。 転職、妊活再開、そして出産その後も仕事は続けていましたが、震災当日に出勤していた同僚が帰宅困難者となりオフィスに泊まったり、何時間もかけて歩いて帰宅した話などを聞いたりしていたので、妊活の再開も視野に入れて自宅から近い職場に転職することにしました。 そして、6カ月ほど経ったころにようやく生理が再開。同じ年の暮れに妊娠が判明しましたが、もしものことを考えて自宅から一番近い病院でお産することに決めました。引き続き余震は起こっていましたし、胸を痛めるニュースが流れている状況で、常に不安を感じていたように思います。 電力不足で駅のエスカレーターやエレベーターが止まっていることもあり、大きくなるおなかで階段を上り下りすることも負担でしたが、避難所や仮設住宅で長く生活している人たちのことを思い、踏ん張りました。翌年の夏に無事出産したときも、震災の当日とその前後に出産した妊婦さんの状況を想像すると、なんとも言えない気持ちになりました。 子どもたちが大きくなった今、幼稚園や小学校で避難訓練や引き取り訓練がおこなわれますが、そのたびにあの日の話をして訓練に真剣に向き合っています。同時にいざというときの待ち合わせ場所や、非常用持ち出し袋の中身の確認、できるだけ徒歩で行ける学校や習い事にすることなども話し合っています。震災の体験を忘れず、未来に生かしていきたいです。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年03月10日■前回のあらすじ突然子どもが欲しいと言い出したU。妊活をスタートしたものの、一向に変わらない生活で…。結婚して1年と半年ほどたっていました。そして、私たちのレス解消法は、話し合いもメールでもコミュニケーションでもなく、簡潔なものでした。妊娠していないことが分かったときの反応を見て、これでできなかったら頑張るのをやめよう、もう離れよう…と初めて「離婚」という2文字が浮かび始めました。次回へ続く
2021年03月10日こんにちは、心理カウンセラーの佐藤栄子です。これまで、子育てや夫婦関係、ママ友トラブルや自分のココロの在り方についてなど、さまざまなテーマを心理カウンセラーの立場で取り上げてまいりました。そういった記事に寄せられた「もっと深掘りした内容が知りたい」「個々のケースで対応は変わるの?」といった皆様のお悩みにお答えする連載「ココロで読み解く『ママのお悩み相談室』」。今回は、 「2人目妊活 夫が消極的なのはどうして? 諦める前にできること」 という記事に寄せられたお悩みです。記事では、出産にはリミットがあることを意識して夫の本音を聞きましょうとお話ししましたが、今回はまさしく「2人目の子どもを渋る夫」を持つ方からのお悩みです。■質問:妻の体型変化を理由に2人目妊活を拒む夫年齢的なタイムリミットも近いことから、出産からまだ数カ月ですが、2人目妊活を考えています。しかし、今のタイミングでもう一人欲しいと伝えても夫はのり気ではありません。今まで私の体型について何も言わなかった夫が最近、産後の母親らしくなった体つきを理由に妊活に協力してくれません。もう私は母親になったから、産後レスになっても仕方ないのでしょうか?■回答:無神経な言葉の裏に夫の本音が隠れているのかもお子様のご誕生おめでとうございます。初めての育児、慣れないことがたくさんあって大変な毎日と思います。実家が近いなど、ほかの人の手がすぐに借りられる状況にいなければ、赤ちゃんのお世話に全集中力を注がなくてはならず、自分自身のケアはもちろん、子ども以外のことはすべて後回しになってしまうのは仕方ないことですよね。ご相談者様は出産後まだ数カ月とのことですから、今は睡眠時間を削っての授乳が必要な時期ですし、何をさておいてもご自身の健康第一に考えていただきたいと思います。体型が出産前とどう変わっていても、それを気にする余裕がないのは当然でしょう。ご相談を拝読すると、夫はご相談者様の現在の体型にネガティブな反応をしているようですね。たとえそれが本音であったとしても、赤ちゃんのお世話に24時間を使わざるを得ない状況の妻に対して今言うべきことではありません。もしかすると夫はあまり深く考えず軽い気持ちで言っているかもしれません。デリカシーのない発言に対しては、「この大変な時期にそういう話をされるのはイヤな気持ちになるからやめてほしい」とはっきり伝えてもいいと思います。■子どもが生まれても「夫婦だけだった生活」にしがみつく夫よく言われることですが、男性は女性よりも「子どもがいる生活」を想像しづらい傾向があります。そのため、いざ子どもが生まれて実生活が一変することにとまどったり、以前と同じ生活スタイルを変えようとしない夫が多いのでしょう。ご相談者様の夫も、子どもにかかりきりの妻が髪もとかさず、ゆっくり食事をする余裕もなく毎日バタバタと過ごしているのを見て、今までの妻とのギャップを感じているのかもしれません。体型を含めた妻の変化がそのまま、子どものいる生活への変化の象徴と夫の目には映っているのだと思います。だからといって妻の体型を批判していいことにはなりません。女性側からしてみれば、できるなら自分自身のケアだってしたいのは当然です。しかし、そんな時間的精神的余裕がない状態で子育てに頑張っているのに、そのうえ夫の無神経な言葉に傷つけられるのは我慢できないでしょう。そんな夫には「わかった! これからダイエットのために週末ジムに通うことにするから、その間はあなたが赤ちゃんのお世話してね!」と宣言してみるのはいかがですか? もしくは「そんなに私の体型が気になるって言うなら、これから食事はダイエットメニューにするね」といって手抜き料理しか出さないというのもいいでしょう。その宣言を聞いたらほとんどの夫はうろたえるでしょう。ちなみに、これはあくまでも、夫のデリカシーのない言葉がどれほど妻を傷つけるか、子育てを「自分ごと」としていないゆえの想像力のなさを夫に少しでもわかってもらうことが目的なので、実際にジムに行ったり食事制限をしたりする必要はありません。夫が本当に妻の体型「だけ」に不満があるのなら、妻の宣言に異論は唱えないでしょう。もし、夫が「そこまで協力できないよ」と言うのなら、夫の本音は別のところにあると考えた方がいいでしょう。■夫の本音を聞いてみる「思いやりなのか不安なのか?」ご相談者様は「第二子妊活に夫が協力的ではないのは、もう私を女性として見られないからでは?」と不安になっていますが、妻の体型が原因と夫が言う裏には別の理由があるように私は感じます。ご相談者様自身がどうこうというより、夫はまだ子どもが第一となる生活の変化に対応できていないのではないでしょうか。そのため、子ども一人でも十分受け止めきれていないのに、さらにもう一人子どもが増えたらどうなるんだろうと不安に思っているようにもうかがえます。また、妻の様子や体型変化を見て、子育てはいろいろな意味で妻に大きな負担をかけているのではないかと心配していたり、単純に「自分にかまってくれなくなった」ことへの不満を2人目妊活拒否で遠回しに伝えたいのかもしれません。いずれにしても、この状況で第2子をつくることにのり気ではないということは、子どもがいる生活の変化に何かしらの不安や不満を抱いていて、妻の体型に責任を押し付けることで本音を隠してしまっているように感じます。出産前との変化に気づかなかったり、無関心で何も言わない夫よりはましかもしれませんが、妻は夫にきっぱりと次の3つを伝えるべきでしょう。・体型に不満を言われるのは不快だしつらいこと・自分はもう一人子どもが欲しいけれど、年齢的なタイムリミットが近いこと・体型が戻れば2人目を検討できるのか、そうでないなら本当のネックは何なのか?率直に上記の3つを話して、夫の本音を聞いてみることをおすすめします。2人目が生まれることで妻の負担や自分の負担がさらに大きくなることを心配しているのか、自分への関心が薄くなっていることが寂しいのか、そもそも子どもを持つこと、親になることが不安なのかなど聞き出すことができれば、今後の対応や解決策が明確になります。もし、子どもを持つのは賛成なのだけど、どうしても女性として見ることができなくなったというのなら、医療の力を借りるなどの方法もあります。時間が限られてくるなか、夫とよく話しあって、納得のいく選択をしてほしいと思います。これからも皆さんのお悩みに答えていきたいと思います。お気軽に、下の読者アンケートにお寄せください。お待ちしております。 エキサイトお悩み相談室で佐藤先生に相談する
2021年03月05日5.5組に1組――。不妊に悩む夫婦の割合です。晩婚化が進み、現実にはさらに高い割合とも言われています。いまや、赤ちゃんが授からない悩みは、特別なことではなくなっています。 世界保健機関(WHO)によると、不妊に悩むカップルの半数は男性側に原因があるといいます(※1)。とはいえ、心も体も女性の負担が大きい不妊治療。でも、医療技術は日々進歩しています。ベビーカレンダーの独自調査とともに、不妊治療を乗り越えた女性の物語をお届けします。 ▲ベビーカレンダー独自の調査によると、子どもをもつ2,868名の女性のうち、不妊治療をしたことがある割合は約35%(990名)。3名に1名は不妊治療を経験していた。 夫の一言に落胆、互いにたまるストレス「え。今日何もしてへんの?」 帰宅した夫が、開口一番言い放った言葉に、安藤かなさん(33・仮名)は落胆した。この日は仕事を休んで不妊治療の処置を受けた。治療内容は顕微受精のための採卵。何週間かホルモン注射を打って育ててきた卵子を、卵巣に針を刺して採取する。麻酔もしたので、帰宅後は何も手に付かず横になっていた。 「きつい一言でした。私が今日どんだけ大変な思いをしたか、わかってるはずだよねって。でも今思えば、夫もストレスがたまっていたんだと思います」 かなさんは現在、0歳と4歳の育児に奮闘する。1人目は不妊治療の末に授かり、2人目は自然妊娠で授かった。命が宿るということは、医療の手が介入しようとしまいと、奇跡の連続だと実感する日々だ。 どうして自分だけ……まぶしく映った「産休育休」23歳で結婚。子どもはすぐにでも授かりたいと思っていた。ところが結婚の翌年の夏、突然の出血で子宮外妊娠(受精卵が子宮内膜以外の場所で着床すること)が発覚。緊急の腹腔鏡手術(お腹に数か所の小さな穴をあけ、カメラや手術器具を使って手術を行う方法)を受けた。 奇跡的に卵管摘出には至らなかったが、小さな傷口が4〜5カ所お腹に残った。約1カ月間入院した大学病院の産婦人科病棟は、お腹の大きい妊婦ばかり。元気な赤ちゃんの声も聞こえてきた。早く妊娠しなければという焦りが込み上げると同時に、「どうして自分だけ」と卑屈な感情が湧いた。 「あの時のみじめな思いがきっかけで、どうしても自分の子どもが欲しいってこだわり始めました。職場の先輩たちが『産休』『育休』をとる姿が、まぶしく見えるようになりました」 その後、2年間自然妊娠を待ったがかなわず、不妊治療を開始した。 タイミング法で結果出ず、自己嫌悪に日本産科婦人科学会は、子どもを望む夫婦が夫婦生活を1年続けても妊娠しないことを「不妊」と定義する。年齢や病気などで妊娠しにくい場合は、すぐに治療を開始することも。かなさんは年齢的な余裕はあったものの、2年が経過したので不妊治療に踏み切った。ゴールの見えない2人旅の始まりだった。 初めは近くの産婦人科クリニックの門を叩いた。卵子が20代から劣化するというグラフを見せられ、ショックを受けた。「まずは基礎体温を付け、タイミング法でやってみましょう」という医師の助言に従った。 毎月何本も妊娠検査薬を使い、ちょっとした変化があるたび、インターネットで情報をかき集めた。しかし半年経っても毎月生理はやって来る。妊婦で混み合うクリニックの待合室。人の幸せが喜べない……。穏やかなオルゴールBGMを聴きながら、かなさんはこぶしを握った。 「私はなんてひどい人間なんだろうって自己嫌悪に陥りました。その状況が耐え難くて、専門のクリニックに移ることにしたんです」 専門クリニックで治療開始夫が原因で「妊娠の可能性1%」 不妊の原因はさまざまだ。病気や体質、精神的ストレスのほか、原因が見つからない場合もある。男性、女性、または両方が問題を抱えていることもある。原因の半数は男性側にある。(※1) 紹介された不妊治療専門のクリニックでは、夫婦2人の血液や卵巣、精巣など、生殖に関する器官の検査から始まった。 検査結果を聞きに行くと医師は告げた。 「旦那さんのこのデータから見ると、妊娠の可能性は1%です」 夫の精子は数が少なく、動きも活発ではなかった。かなさんにもホルモンの出方などに問題があった。「つまり、毎月ベストタイミングで子作りをしても8年後にできるかできないかといったところですね」と医師は続けた。0%じゃないんだね、と励まし合った。すぐに治療に取り組もうと、二人で決意した。 「実現するかどうかわからない自然妊娠を待つのではなく、2人ともサラリーマンである今、経済的に余裕のあるうちに積極的に治療に取り組んでみようって決めました」 データから成功を願うもかなわなかった人工授精不妊治療は、タイミング法、人工授精、体外受精・顕微受精の順にステップアップする。かかる費用も段階を追うごとに高額になる。夫婦が次に選んだ治療は、人工授精だった。 「データ的には人工授精でも厳しいとは言われていたんですが、授かったらそれはそれでラッキーだね、ということになりました」 だが3回試したものの、成功はしなかった。 どうして自分だけーーー。 再びこの言葉が襲いかかってきた。治療前にクリニックで見せてもらったデータが頭をかすめる。20代の人工授精の妊娠率を示したあのグラフ。「あぁ、私はまたグラフの“成功”の割合から外れるんだなぁって。ひどく落ち込みました」 高額な顕微受精へ精神的に追い詰められ医師に促され、すぐに顕微授精に切り替えた。顕微受精とは、顕微鏡下で卵子に直接精子を注入し、体外受精する方法のこと。かなさんは人工授精の時からホルモン注射は打っていたが、顕微授精となると何個も卵子を育てる必要があるため、注射の量も期間も種類も増えた。この頃、かなさんは“妊娠=成功”という考えで凝り固まっていた。 「当時は本も読めなくなっていましたし、休みの日も妊娠のことばかり考えていました。うつの一歩手前だったかもしれません」と振り返る。どんどんのめり込む妻を、夫は何度もたしなめた。 「もうやめようよ」「そんなに急がなくてもいい」「二人でも楽しいことはたくさんある」「仕事の環境を変えてみたら?」「養子っていう方法もあるよね」「子どもが欲しいからじゃなくて、俺と一緒になりたいから結婚したんだよね?」 しかしどの言葉も耳をすり抜けていった。 初めての顕微受精。結果、いくつか状態の良い受精卵ができ、より良い受精卵を選んで体内に戻した。かなさんの場合、顕微受精に向けた事前の検査やホルモン治療、薬代もひっくるめると、1回の顕微受精で約100万円かかった。あとは順調な経過を待つだけだった。 私のせいで……電車で涙が止まらなかった初期流産 その日から次の受診日まで、意味がないとわかっていても過剰に安静を心掛けた。「通勤の電車が揺れすぎじゃないか」と無駄に精神をすり減らした。 受診日、妊娠が確認できたものの「少し成長が遅いかな?まだ安心はできません」と、翌週の受診まで判断は待つことに。結果は、心拍確認できず初期流産だった。帰りの電車で一人、涙が止まらなくなった。 「自分がとてもかわいそうに思えてきて。子宮外妊娠したときのことも思い出して、なんで自分ばっかりって……。冷静に考えると流産なんて普通にあることなんですが、最新の医療でも私はだめなの?って落ち込みました。ただただ本能的に、子どもが育てられないのかという悲しみでした」 日本産科婦人科学会によると、年齢により流産率は大きく異なる。医療機関で確認された妊娠のうち、流産が起こる確率は20代で15%前後だが、40歳以上で50%以上と、決して少なくない。原因のほとんどが染色体異常だ。 かなさんの場合、流産が偶然だったのか母体に原因があったのかを調べるため、手術で組織を取り出し検査した。結果、受精卵の染色体には問題はないと判明した。妊娠を継続しにくい「不育症」の可能性をいくつか指摘された。 「悪気はないとわかってはいましたが、そのときに先生が『男の子だったんだね』とおっしゃって。私の体がポンコツなせいで、この男の子は育つことができなかったんだ!と考えてしまって、さらにつらくなりました」 注射と食事制限で体質を改善心拍確認、出産へ不育症への対策が始まったが、負担は想像以上だった。糖尿病予備軍とされ、注射を12時間おきに毎日打つこと、1日1食は炭水化物ゼロ、さらにほかの2食については、食後に血糖値を下げる薬を飲むことが課せられた。 食事制限で目に見えてやせたため、会社の人たちにも不妊治療のことを伝え、毎日の注射は更衣室で打たせてもらった。体質が改善してきたところで、2個目の受精卵を体に戻した。 2回目の移植では、心拍が確認できた。しかし安堵と不安がマーブル状に入り組んだ。 「心拍が確認できても、また流産の悲しみが待っているのではという気持ちがずっとありました。生まれるまで心からの安心はできませんでした」。妊娠8カ月まで、血糖値の薬は飲み続けた。 妊娠の経過は良好だった。不妊治療からおよそ3年経った28歳の春、元気な男の子を出産した。 やっと会えた……。 立ち会った夫の目は、うるんでいた。治療を通して夫とぎくしゃくしたこともあったが、負の感情もぶつけ合い、より深く互いを知ることができた。2人は、ただただ純粋な喜びに包まれた。 タイミング法、人工授精、顕微受精に費やした治療費は200万円を超えた。 「今は『あの子は高級な子やからな〜』って夫婦で冗談を言うこともあります。まさかこんな幸せな日が来るなんて。医療に感謝です。医療の進歩があったから、この子に会えたんだと思います」 ▲不妊治療をしたことがある人のなかで、赤ちゃんを授かるまでにかかった金額は「50万円以下」が半数以上。一方、200万円以上かかった人は全体の約18%と多額の不妊治療費を負担している実態が見える。 2人目の夢を吹っ切れた直後の奇跡 母になって2年が経ち、かなさんはいろいろ吹っ切れるようになっていった。2人目は欲しかったが、夫は1人で十分だと言った。夫と息子の家族3人で生きて行こうと決めた。 年間5万円かけ凍結保存してきた受精卵。愛おしかったが、サヨナラする決断をした。仕事を辞め、友だちと飲みに行くようにもなった。すると半年後、体調に異変が。2人目の命が自然妊娠で宿ったのだ。 「これまで何十本使ったかわからない検査薬で、初めて陽性が出たんです。お世話になった先生たちは『奇跡だ!』っておっしゃいました」 ▲第一子出産後も受精卵(胚)の凍結保存を更新した時の領収書「凍結保存した受精卵にも愛着がありました」 浅田レディースクリニックの浅田義正院長はこう言う。 「体外受精後の自然妊娠は数百人に1人というデータがあり、安藤さんは特殊な事例です。不妊治療にはいろいろな方法があります。不妊の原因も、施設も、医師も、成績もいろいろ。不妊治療にスタンダードも、ガイドラインもまったくありません。 中にはつらい思いを続けて、努力しても妊娠できずに自分を責める人もいますが、本来、医療である不妊治療は痛い、つらいものであってはいけないと思っています。しかし、妊娠は努力すれば必ず100%妊娠できるというものでもありません。 結果が悪くても決して自分を責めないでくださいね。そして少しでも痛みや苦しみを感じず治療できる環境を選んでください」 安藤さんは昨年、無事女の子を出産した。きょうだい並んで眠る姿、妹の手に愛おしそうに触れる息子を見て思う。あのまま2人目や仕事を吹っ切れずにストレスを抱えて生きていたら……。きっと目の前にある光景は見られなかっただろう、と。 もしも当時の自分に会えるとしたら、掛けてあげたい言葉がある。「あんまり自分を精神的に追い込んじゃだめだよ。パートナーのことも大切にしてあげて。治療の痛みに耐えた先には、幸せな未来が待ってるんだから」 (※1)厚生労働省 不妊治療と仕事の両立サポートハンドブック※不妊治療費は病院や患者の状態によって異なります【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)〜2月3日(水)調査件数:2,868名 取材・文/大楽真衣子 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月05日日本は世界で最も体外受精の実施件数が多いのに、1回の採卵あたりの出産率は世界最下位―2016年に国際生殖補助医療監視委員会〈ICMART〉が世界60ヵ国を調査したレポートからわかったのは、衝撃的な現実でした。そうしたなか、2020年の菅内閣誕生で不妊治療の保険適用が動き出すなど、不妊治療への世間の注目はますます高まっています。 しかしショッキングな現実が明らかになったものの、決して日本の不妊治療の技術すべてが劣っているわけではありません。赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える世の中になるために、日本の不妊治療の仕組みは、一人ひとりの意識はどうすべきなのか? 日本における顕微授精の草分け的存在の浅田レディースクリニック理事長・浅田医師にお話を伺いました。 出産率6.2%、日本の不妊治療の実態日本の体外受精の出産率は世界最下位―その裏付けとなるのは、ICMARTが発表した下記のレポートです。 ※ICMARTが2016年に発表したレポートより、2010年の60ヵ国・地域のデータから抜粋して作成。顕微授精、体外受精を合わせた数値。参考:『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(講談社ブルーバックス 著:浅田 義正、河合 蘭) 浅田医師(以下、カギカッコはすべて浅田医師の発言):「日本の体外受精からの出産率は、世界でダントツの最下位なんです。採卵件数に対しての出産率が非常に低く、1回の採卵あたりでは出産率6.2%。これは、世界平均20.1%の3分の1にも満たない数値です」 なぜ、日本の不妊治療はこんなにも成績が悪いのでしょうか。その理由は2つ考えられると、浅田医師は語ります。 「まずはそもそも晩婚化が進み、不妊治療を始めるタイミングが遅く、卵子の老化が進んでしまっているからです。もうひとつ、世界では推奨されていない『自然周期採卵』を推奨する風潮も原因だと考えられます」 自然周期採卵とは、体外受精において排卵誘発剤を使わずに採卵する方法。日本ではこの自然周期採卵を“体にやさしい”として推奨するクリニックも多いのです。 しかし浅田医師は「体外受精で自然周期採卵を推奨するのは日本だけ」だと語ります。 「イギリスの不妊治療に関するガイドラインでは、自然周期採卵を患者に勧めてはいけない、とはっきり書いてあるんです。統計的に排卵誘発剤を使って複数の卵子を採卵したほうが妊娠しやすいことは明らかな一方、自然に排卵する卵子はたった1個しかないんですから」 こうした現状を招いてしまうのも、「クリニックごとにバラバラな治療実態」が問題だと浅田医師は指摘。「医師としては、クオリティや品質が統一された生殖医療システムを作っていかなければならない」と語ります。 菅内閣が打ち出す不妊治療の保険適用の課題とは世界と比べ不妊治療の成績が芳しくない現状があるなか、2020年には菅内閣が誕生し「不妊治療の保険適用」が表明された日本。このことについて浅田医師はどう考えているのでしょうか。 「患者さんの費用負担が減ることについては、私は大賛成です」としながらも、課題は多いと語ります。 「まずは不妊治療で現状使用している薬剤や機械を保険適用にするために、治験や手続きのための莫大な時間と費用がかかる点です。 保険適用にするためには使用する薬剤の承認を得ることが必要で、たとえ『明日から体外受精を保険適用にします』ということになっても、保険適用で使用できる薬剤がほとんどなく、事実上治療ができない非常事態になってしまうんです」 さらに、現状の薬が無事に保険適用の承認を得られても、「今後新しい薬が出るたびに承認を得なければならず、不妊治療の技術の進歩に保険が追いつかなくなる可能性もある」と指摘します。 しかし課題がある一方、先ほど問題点として挙げられた「クリニックごとのバラバラな治療実態」については改善が期待されると言います。 「保険適用の過程で、クリニックごとの成績開示の必要性が生じれば、施設のレベル統一につながる可能性もあります。アメリカではクリニックごとの妊娠率・出産率はすべて公開されていますが、日本では日本産婦人科学会に登録して成績を全部出しているクリニックもあれば、登録すらしていないクリニックもある。 今まではこうした現状を議論する場もなかったので、実態が明らかになったのは一歩前進だと思います」 家族を考える、すべての人に伝えたいこと体外受精の成功率が世界最下位というショッキングな現状がありつつも、不妊治療の保険適用をきっかけに制度が見直されつつある日本。枠組みが変わろうとするなか、個人としてはどのような意識を持てばよいのでしょうか。 実際に不妊治療をおこなうカップルはもちろん、不妊治療についてあまり知らない方も含め、将来的に赤ちゃんを迎えたいと願うすべての人に対し、浅田医師からこのようなメッセージがありました。 「まずは正しい知識を持ってほしいですね。妊娠するための女性の体の仕組みや、卵子の老化について。また、今回お話した世界と比較した日本の体外受精の成績や、自然周期採卵を推奨しているのは日本だけ、といったことを知っていれば、どういった方針を持つクリニックに行くべきなのかも判断でき、誤った情報にもまどわされないと思います」 不妊治療というものが日本でも制度から見直され始め、大きな一歩を歩み始めた今。 この時代のうねりのなかで、不妊治療に関する正しい知識を男女問わず世の中の人が当たり前に持ち、制度と意識の両方が変われば日本の不妊治療の成功率も大きく変わるはず。そして赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える、そんな世の中になっていけると願っています。 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。著者:ライター 平 理沙子Webライター。ITスタートアップ企業での広報なども経験あり。東京大学卒業後、新卒で娘を出産した一児の母。フェムテックやジェンダー、現在在住するシンガポール情報などを中心に執筆活動をしている。
2021年03月01日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げるなど、さまざまな分野で活躍しています。2年間の治療をお休みしていた大山さんですが、あることをキッカケに不妊治療を再び始めることになります。前回の治療時に比べて、どういう風に気持ちの持ち方や取り組み方が変わったのか。また、コロナ禍での妊娠ということで妊娠中に気を付けていたこと、不妊治療が保険適応されるかもしれないという今、大山さん自身が思うことなどを答えてもらいました。 「もう待てない…」と思い、治療を再開ー不妊治療をやめてから2年後に、再度治療をしようと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか。 大山さん:当時は2020年の東京オリンピックが終わってから、不妊治療のことを考えようと思っていました。でも、オリンピックが延期になったときに、これ以上は待てないと思ったんです。それまでは仕事も忙しくて治療にも通えなかったので、“今ではないな”と思っていたんですよね。でも、コロナ禍で仕事がなくなり、時間が出来たときに、今なら治療に専念できると思ったんです。もちろん、コロナ禍で妊娠することに対しての不安はありましたが、“今しかない”とも思いました。 ー時間があることで、精神的にも余裕を持てたのかもしれないですね。 大山さん:そう思います。2年前は藁にもすがる思いで、できることは何でも取り組んでいました。今思うと、自分にプレッシャーをかけすぎていたのかもしれません。年齢に対しても焦っていましたし……。でも今回は、「子どもができたらいいな」くらいの感覚で取り組めたことが、良い結果につながったような気がします。 大好きな先輩の妊娠! 「私も続きたい」という願いが叶うー不妊治療をするときに、大山さんが気を紛らわせるためにしていたことはどんなことでしたか? 大山さん:1人で抱え込むことが1番つらいことなので、同じ環境下にいた仲のいい先輩とお話をして、苦しさを共有できたことはすごく救いになりました。その先輩は、同じくらいの時期に体外受精にステップアップして、お子さんを授かることができたんです。そのときの先輩の妊娠は、心から喜ぶことができました。その成功体験を見ていたからこそ、私も続きたいなと思っていました。 ーいざ、妊娠をしたときの旦那様の反応はいかがでしたか? 大山さん:旦那さんにはLINEで「陽性だった」と伝えたら、「すごいじゃん」と返ってきました(笑)。不器用で分かりづらさはあるんですが、妊娠をしてから家事を積極的にやってくれますし、支えてくれていることは伝わりました。 ー今改めて、旦那様にどんな言葉をかけたいですか? 大山さん:はじめは積極的ではなかったかもしれないけど、不妊治療に付き合ってくれたことに対して感謝しています。また、だいずと出会うきっかけを作ってくれたことに対してもありがとうと伝えたいです。 ーこれからだいずくんと双子ちゃんたちが遊ぶ姿が見られるのが楽しみですね。ちなみに、コロナ禍での妊婦生活ではどんなことに気を付けていましたか? 大山さん:移動はできるだけタクシーや、旦那さんに送ってもらうようにしていました。また、公共の乗り物を出来るだけ避けて、人と触れ合わないように気を付けていました。ただ、心配過ぎても良くないと思うので、緊急事態宣言が出ていないころは、感染対策をきちんとおこなった上で友達とランチに行くなど、気分転換をするようにしていました。 自分の納得のいくまで治療が受けられる世の中に…ーさて、現在は不妊治療が保険適用化されるような話題が出てきています。経験者として大山さんはどのように思いますか? 大山さん:不妊治療は本当にお金がかかります。その金銭的なところで諦めてしまう人もたくさんいると思うんですが、それってすごくつらいことだと思うんですよね。だからこそ、今後は金銭的な部分で不妊治療を諦める人が出てこないような社会を作ってほしいと思います。さらに、子どもを望む方が自分の納得がいくまで治療できるような環境や制度は、しっかりと整えて欲しいと思っています。今、保険適応という言葉が出てきていますが、パフォーマンスではなく本気で取り組んでほしいですね。 ーただ、不妊治療は1人ひとりの状態に合わせて必要なオプションを付けるなど、それぞれに合った治療方法が受けられるようにしているそうですが、保険適用化することで、自分に合った治療が受けられなくなるかもしれないなど、ネット上では反対の意見も出てきているようですが……。 大山さん:そこは大きな課題だと思います。1人ひとりにあった治療がちゃんと出来なくなってしまったり、最先端のものは保険適応が難しいと聞いたりもするので、本気で子どもを望んでいる方に、ちゃんと子どもが授かれるような社会を確立してほしいです。 ーありがとうございました。では最後にメッセージをお願いします。 大山さん:子どもが欲しくても、なかなか授かることができず苦しんでいる人がたくさんいるということを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいですね。さらに、それと同時に子どもを望まない人生も尊重されるべきだと思っています。子どもを持つ、持たない、結婚する、しないなど、どんな選択をしても、それはすべて尊重されるべきだし、お互いのことを思いやることができる社会になることを心から願っています。 1つ1つの質問に対して真摯に向き合ってくださり、ご自身の言葉でしっかりとインタビューに答えてくれた大山加奈さん。この度はリモート取材にてご協力くださり、誠にありがとうございました! また、取材日から1カ月後の2月19日に双子の女の子を無事にご出産されましたこと、本当におめでとうございます! 家族が増えて、これからますますご家庭が賑やかになるかと思いますが、お体に気を付けながら子育てを頑張ってください! PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月28日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げるなど、さまざまな分野で活躍しています。また、2021年2月19日に双子の女の子産を出産し、念願だったママになりました。不妊治療を開始したものの、思うように結果が出なかったという大山さん。そこで、思い切って体外受精に踏み込むことを決意します。今回はそのときの大山さんの心情の変化を中心にお話を伺いました。また、周囲の言動でつらかったことや、働き盛りの時期に仕事を休むということへの後ろめたさ、子どもができないことに対して考え方が変わるキッカケとなった愛犬との出会いについても話してくれました。 経済面・精神面で負担が大きいとされる人工授精に挑戦ー具体的にはどのような内容の不妊治療をされていたのでしょうか? 大山さん:最初は、自然な形で授かりたいという想いが強かったんです。なので、タイミング療法(※1)を試していた時期も長かったですね。ただ、先生からは「早く人工授精(※2)にステップアップしたほうが良い」とアドバイスをしていただいていました。でも、なかなか妊娠することができず、年齢を重ねてきてしまっただけでなく母親にガンが見つかり、早く子どもの顔を見せたいという気持ちが溢れ、体外授精(※3)にステップアップすることを決意しました。 (※1)タイミング療法:正確な排卵日を予測し、医師が性行為をおこなうタイミングを指導することで、妊娠へと導く療法。 (※2)人工授精:細い管を使い、事前に採取しておいた精子を子宮腔内に注入する治療法。タイミング療法で妊娠しなかったという人の次のステップとされている。 (※3)体外受精:卵子と精子を採取し、培養液内で受精させ体内に戻す方法。タイミング療法や人工授精と比べると金額が高く、体への負担も大きいとされている。 ー体外授精にステップアップすると決意するのは、簡単なことではないですよね。 大山さん:はい。まず引っ掛かったのは経済面のことでした。体外受精だと1回の治療は何十万とかなりの高額なので、そのことを考えると気軽に出せる金額ではないです。また、その金額を出したからって子どもを授かれる保証があるわけでもないですからね。さらに、体への負担も大きいと聞いていたので、“仕事をしながら体外受精にステップアップすることは可能なのか”ということはすごく気になっていました。大事な仕事のときに、ちゃんと仕事と向き合えなかったらそれこそ大変ですからね。 ー実際にお仕事と治療の両立をされてみていかがでしたか? 大山さん:私の仕事が1番少ない年度初めの4月に合わせて、初めての体外受精に臨みました。その当時は、精神面の浮き沈みが激しかったですね……。また、仕事と両立するために通院回数を減らそうと、排卵を促すための排卵誘発剤を自分で打つ「自己注射」というものを取り入れたのですが、昔から注射が苦手だった私は、“なんでこんなことをしなくちゃいけないんだろう”と思いながら、ときには涙を流しながら注射を打つこともありました。そこでメンタルはかなり削られました。 ー旦那様は不妊治療についてあまり賛成ではなかったと伺いましたが、どのように2人で話し合って治療を進めていったのでしょうか? 大山さん:不妊治療の話し合いもしっかりとおこなう感じではなく、「やりたいようにやれば良い」という感じだったので、私から「こうしたいと思う」ということを伝えていくことが多かったです。 ー実際に体外受精に挑戦したのはどのくらいだったのでしょうか? 大山さん:そのときは1度だけですね。でも、採れた卵がほぼ使えない卵だったんです。かろうじて1個だけ、他のクリニックなら廃棄してしまうようなものがあって、それを受精させて戻したんですけど、やっぱりダメで……。きっと、また採卵をしても同じ結果になるんじゃないかと思ったのと同時に、もう疲れちゃったんです。そこで一度、治療を終わりにする決意をしました。ちょうど仕事も忙しくなってきたころだったので、仕事を取ったというのもありますね。 周りの何気ない発言に傷ついてきたことも…ー不妊治療中につらかったことなどはありましたか? 大山さん:仕事では子どもと関わることも多くて、質問コーナーでストレートに「子どもはいますか?」って聞かれることがあったんです。ほかにも、「きっと加奈ちゃんならいいお母さんになれると思う」と言われたことも……。その質問や発言には悪気がないのは分かっていましたが、ちょうど治療がうまくいかなかったり、気持ちも落ちていたときだったので余計につらかったです。また、ある食事会では、子どもができないことを冗談交じりに茶化されたことがありました。そのときは思わず涙が出てしまい、とても傷つきました。 ーすごく難しい問題ですよね。 大山さん:そうですね。やっぱり、当事者じゃないとその言葉がどれだけ鋭いものかって難しいと思うんです。それは不妊だけではなく、どんな場所でも同じなので、発言は軽々しくしてはいけないなと改めて感じました。 愛犬との出会いにより、気持ちと体に変化が…出典:大山加奈さんのInstagramより(左側は飼い始めたころ(2018年5月)のだいずくん)、右側は2020年12月のだいずくん) ー不妊治療を休んだ当時は、どんな心境でしたか? 大山さん:不妊治療を休むことになってから、愛犬である“だいず”を飼い始めたんです。それからは、治療のことや子どものことをあまり考えなくなったんです。それよりも、このだいずを育てていくことに幸せを感じて、次第に“この子がいればいいや”と思うようになりました。すごく心がラクになりましたし、純粋に毎日が楽しく感じられるようになったんです。それまでは、生理が来るたびに苦しい気持ちになっていたので、久しぶりに幸せだと思えた期間でした。 ーだいずくんが心を癒してくれたんですね。 大山さん:はい。だいずが来てから、精神的にも落ち着きましたし、健康になった気がします。もともとストレスを抱えてしまうタイプで、不眠症も患っていたのですが、それも治ったんですよ。毎日だいずのお散歩に行かなくちゃいけないので、朝寝坊も夜更かしもしなくなりました。そのおかげで心身ともに健康になりました。だいずには、心から感謝をしています。 そのころのことを思い出したのか、だいずくんの話をし始めた途端、大山さんの表情もやわらかく、その場の空気も温かいものへと変わっていくのを感じました。さて、大山加奈さん独占インタビューの最終回は、不妊治療の再スタートについてやコロナ禍での妊娠・出産について答えてもらいます。ぜひ最後までお付き合いください。 <第3回に続く> ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。また、病院や治療方法などにより、金額が異なる場合があります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月27日「2人目妊活レポ」最終話。無事2人目妊活に成功したまきこんぶさんご夫妻。2人目妊活後日談!気になる2人目以降どこでするんだ問題……!2人目以降、夜どこでするんだ問題。まきこんぶさんご夫婦の場合は……。 「2人目妊活レポ」最終話 「2人目以降どこでするんだ問題」について、インスタのフォロワーのみなさんにご回答いただきました! 答えとともにエピソードも添えてくださった方がたくさんいて、笑ったり勉強になったり楽しませていただきました。 個人的に1番おもしろかった?場所は「キッチン」ですかね……(笑)。 意外と4票あったのにも驚いた!!! いやぁ〜……いいですねぇ♡ みなさんが妊活でもそうでなくても、夫婦の営みをいかに子どもにバレないか気をつけながら、ありとあらゆる場所やタイミングを探して努力して挑んでいることを知り、なんだか胸が熱くなりました……! これからもみなさん頑張っていきましょうね! 以上で妊活レポを締めたいと思います!ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!!! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:イラストレーター まきこんぶ心に余裕のないヒステリックなワーママ。牛乳多めのカフェオレと焼き立てパンがあればだいたい機嫌が直る。何気ない日常をテンション高めで漫画にしてブログやInstagramにUPしている。ナルシストで家庭的な夫・『オタッキー』と内弁慶外地蔵な娘・『こはさん』、食欲が9割の息子・『あん太くん』との4人暮らし
2021年02月25日「2人目妊活レポ」12話。2人で「妊活しよう」と決めたのに、「明日やろう」と言った夫の心境とは……?「明日やろう男」のなぜ夜してくれなかったのか……心境を赤裸々に語ります! 「2人目妊活レポ」12話 妊活レポが完結したので、2人目妊活赤裸々後日談を少しだけ……。 「明日やろう男」の心境はこんな感じでした……。 最近マジでこはさんと恋人同士のようにイチャイチャしてるから、「なんかよくわからんけど私の立場はどうなるの!?」って聞いてます。 やっぱ子どもがいると、どうしても愛が偏っちゃいますよね……。 え、でも待って? 私もおんなじだからね!?こはさんラブでその気になれなかったからね!? でも妊活はまた別のモチベーションやろおおおお!!! こんにゃろう!!! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター まきこんぶ心に余裕のないヒステリックなワーママ。牛乳多めのカフェオレと焼き立てパンがあればだいたい機嫌が直る。何気ない日常をテンション高めで漫画にしてブログやInstagramにUPしている。ナルシストで家庭的な夫・『オタッキー』と内弁慶外地蔵な娘・『こはさん』、食欲が9割の息子・『あん太くん』との4人暮らし
2021年02月24日息子が1歳を過ぎ、そろそろ2人目を考えるようになったころ、正直そんな余裕がないくらい育児に悩まされていました。でも、年の差が近いきょうだいが欲しい気持ちはあります。理想は2歳差でした。今回は、私の2人目妊活エピソードをお伝えします。 そろそろ2人目を考えなければ…当時、息子は1歳3カ月。夜泣きはひどく、1時間以上まとまって眠ることが少ない状況でした。出産してから1年以上も睡眠不足が解消されていません。 そんななか、そろそろ2人目を考えるタイミングに。息子と同い年の子どもを持つママは次々と妊娠していきました。2歳差を好むママが多かったように思います。私もそうだったので、焦りを感じていました。 2歳差が理想だけど、もう半年もない!2歳差の子を産むには、いつまでに妊娠すれば間に合うのだろうと計算したところ、息子が1歳11カ月になるころには妊娠をしている必要があるとわかりました。本格的に妊活を開始したのは息子が1歳6カ月ごろ。もう半年もありません。 また、「女の子」が欲しかったため、産み分けにもチャレンジ。基礎体温表や排卵検査薬を使い、計画的に妊活をしました。ところが思うように妊娠できませんでした。 焦れば焦るほど妊娠できない年の差を意識するがゆえに、妊娠できないことに焦りを感じました。あっという間に息子は2歳になり、2歳差は不可能に。息子が2歳になってから妊娠し、年の差は3歳になりました。 2歳差が理想だった理由は、学校の卒入学が重ならないなど、メリットを感じていたからです。でも、今振り返れば、年の差はそこまで気にする必要はなかったかもしれません。 2人目は欲しいけれど、思うように妊娠できないと悩む方もいると思います。今振り返ると、あまり構えすぎないことも妊活するうえで大切だったかもと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2021年02月20日メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラーのカトウ ヒロコさんが、不妊治療中・妊活中の友人の心を軽くする方法についてお話ししています。 「妊娠したい」と考えたとき、妊娠するということがこんなにも奇跡的なことだとは思っていなかった方も多くいらっしゃると思います。すんなり妊娠する方もいらっしゃる一方で、子どもが欲しくてもなかなかできない方もいます。 自分は子どもを授かることができたけれど、友人はなかなかできずつらそうにしているとき、どのように接するのがベターなのでしょうか。 相手にとっては、どう言っても“わかりあえない人”自分の努力ではどうにもならないことが多々あるのが妊娠です。妊活中の方にとっては、頑張りがなかなか実を結ばず、悩ましい日々を送っていらっしゃる方も多くいます。そんな悩んでいる姿を見て、友人を励ましてあげたいという気持ちが湧き上がることもたくさんあるでしょう。 けれど、もしあなたにすでにお子さんがいたり、妊娠中だったりしたら、何を言っても多くの場合、相手は“あなたにはもう子どもがいるんだからいいじゃない”“妊娠できたあなたには私の気持ちはわからない”と少なからず思ってしまいます。 アドバイスはやめておいたほうがいいもし、あなたも妊活をして子どもを授かったとしても“こうしたらいいよ”というアドバイスはやめておいたほうがいいかもしれません。相手はあなた以上に自分の状況や体調を考えているはずです。 考えていることにアドバイスされてしまうと、“そんなことわかっている”と思われたり、最悪の場合“なんて上から目線なの”と気分を害されてしまうこともあるかもしれません。 相手から、“あなたのときはどうだった?”と尋ねられれば、アドバイスとしてではなく、状況を説明するに留めましょう。妊活は時としてとてもセンシティブな問題です。人の神聖な領域に踏み込んでしまわないよう気を付けましょう。 話を聞くだけでOKどんなにあなたが親切心で心配していても、相手の状況を完全に理解することは不可能です。これは、妊活中に限らず、つらいときにその人とまったく同じ立場になるのは不可能なわけで、相手もあなたが心から心配してくれていることは理解しているでしょう。 友人が悩んでいて話を聞いてほしそうであれば、助言などはしようとせず、ただ寄り添って話を聞いてください。それだけで、あなたの気持ちは相手に伝わるはずです。 友人が悩んでいるからといって、腫れ物に触るような対応も避けましょう。せっかく一緒にいるのであれば、楽しい時間をお互いに過ごせるようにすることが一番の励ましになるのではないでしょうか。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2021年02月15日不妊治療を始めて3年過ぎたあたりから、子どもを授かりたいと思う願望が義務のように変化していき、妊娠に対する感覚が徐々に麻痺し始めていました。ついに、私たちは精神的な余裕が完全になくなってしまいました。そして、治療へ真剣に向き合うことが怖くなり、できなくなってしまいました。 治療法を変えても、結果は出ず一度転院して新たに通い始めた病院で3年近く人工授精を続け、不妊治療期間が約5年過ぎていました。しかし、毎月決まった時期に儀式のように病院へ行き、医師から妊娠していない事実を聞くと、妻だけでなく自分の努力が無駄に感じてしまい、夫婦共々どんどん落ち込んでいきました。 さらに、医師のすすめで体外受精・顕微受精を数回試しましたが、1回につき約40万円の出費になるため、長期的に継続して治療することは断念せざるを得ませんでした。そして、医師と会話することすら嫌気がさしてしまって、また転院することにしました。 2度目の転院にして、最後の病院次の病院でできなかったらあきらめよう、と夫婦で決めていました。年齢と負担だけが増えていって、本来の目標を失いかけていたからです。 次に決めた病院では、お金も精神的負担もかけたくなかったので、タイミング療法のみで治療を再開しました。ここの診療方針は、上の子どもが一緒に行くことも自由、なんとなく決められた日程での診察というのんびりとした環境で、私たちはそのおかげである程度平常心を取り戻していきました。 しかし同時に、妊娠することへのこだわりも徐々に薄れていきました。もうここが私たちの不妊治療の限界だと感じていたからです。 ストレスが減り、そして…最後の病院は、負担を感じることがほとんどなく、通院することができました。電車でひと駅の距離にあることや、繁華街にあるため、寄り道して気を紛らわすこともできたことなども要因だったと思います。 あまりストレスを感じずに治療を続けた結果、最後の病院へ通院して半年、不妊治療開始から約6年目でようやく妊娠することができました。正直、喜びよりも驚きのほうが大きかったです。 今思えば私も妻も、経済的な不安も含む精神的な不安が赤ちゃんを授かることができなかった1番の原因だったように思います。自分が頑張りすぎると、妻にとって負担になります。逆の場合も同じです。妻のため、夫のためと思ってしている行動が、かえって相手を苦しめていたのかもしれません。 改めて感じること次女が無事生まれ、今、冷静に振り返って考えると、私たちは不妊治療を体験できて本当によかったと思います。 真剣に家族揃って同じ目標に向かって取り組み、家族の結束が一層深まりました。さらに、不妊治療に予想外に時間がかかったおかげで8歳差の姉妹になりましたが、長女が本当によくかわいがってくれており、楽しんで子育てに参加してくれています。 妻はもちろんですが長女も頑張って協力してくれたおかげで、子どもを授かることができたのだと私は感じています。 ゴールが見えないまま、どこまで続ければいいのか不安を感じながら治療を続けることが、ここまでつらいとは正直思っていませんでした。ただ、子どもを授かることができ、さらに家族で苦難を乗り越えることができたという充実感も得ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月14日何もかも手探り状態で始めた不妊治療ですが、小さな疑問や不安が少しずつ大きくなっていきました。自分たちに合う治療・病院とはなんだろうと考え続けても、答えが見つかりそうにない時期が続き、約2年が経過していました。 最初の転院原因が特定されないままに始めた不妊治療のため、タイミング療法をずっと続けていました。ただ、時間が経つにつれ、通院当初は気にならなかった片道約1時間の通院時間も負担に感じ始めました。今までの生活リズムも徐々に狂い、夫婦間の衝突も次第に増えていった結果、自宅から15分くらいで通院できる病院に転院することにしました。 次の病院は、地元では有名な不妊治療専門院に決めました。そこは院長先生がメディアにも度々露出して有名なので人気もあり、治療費も今までの病院と比べて割高でした。 毎週診察があり、1回の診察で約1万円、人工授精で約2万円、何かイレギュラーな診察があると、また数万円といった費用がかかりました。しかし、通院時間短縮や妊娠確率が上がるならと思い、その病院へ通院することにしました。 精神的な余裕がなくなっていった有名な病院だけあって、事前に大きな会場でいろいろな分野の先生から説明があり、大学のセミナーのような規模でした。ただ、ここでの説明は、私の予想と反して確率やリスクといった現実的な話ばかりでした。 私は、妊娠・出産は非常に神秘的で尊いものだと考えていたので、先生たちの生物学的な話が妊娠に対する神秘から離れていくように感じてどうしても受け入れられませんでした。うれしいはずの妊娠を前に、どんどん自分のなかに暗く不安なものを感じ始めました。 今思えば、2年続いた不妊治療でのストレスの結果、私は精神的に余裕がほとんどなく、自分本位の考え方になっていたのかもしれません。 ゴールが見えない不安の連続の毎日精神的な不安に加え、なかなか結果が伴わない状態が続いたため、この病院での治療は順調には進みませんでした。それでも、なんとか子どもを授かりたいという思いから通い続けていたのですが、2年の通院期間が過ぎたあたりから、この病院に対して不信感が芽生え始めました。 治療費だけがかさんでいき、いつまで経っても結果が出ないため、「病院側はきちんと治療しているのか?」と、病院に責任があるようにも感じ始めていました。さらに私自信の被害妄想は膨れ上がり、院内で笑い声が聞こえるたびに自分が笑われているのではないかと感じるほど、精神的に滅入っていました。 次の段階の治療へ治療内容は、この病院をきっかけにタイミング療法から人工授精へと変わっていました。医師の説明だと、治療法で飛躍的に確率が上がるわけではないと念を押されていたのですが、現状を変えたい、少しでも確率が上がるのでは、という思いで挑戦しました。 人工授精は、私の負担もさらに増大します。その病院では、朝6時に精子を病院に持ち込まなくてはなりません。そのため、不妊治療にかける時間も一気に増えました。病院によると思いますが、禁欲はもちろん、食生活から運動まで、いろいろと指示があり、妊娠のためと理解しているつもりでしたが、毎日が楽しめなくなってきていました。 自分たちが若くないため、育児できる体力や経済力を考慮すると、時間がないことが一層焦りを生んでいました。さらに、治療に時間がかかるほど経済的負担も大きくなっていくことも不安要素の原因にもなっていきました。 次回は2回目の転院・抱えていたプレッシャーについてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月12日私は第1子を不妊治療で授かり、現在は第2子不妊治療中です。不妊治療をしていると薬の服用やホルモン注射、度重なる通院などにより精神的にも肉体的にも疲れ、ささいなことでも苛立ってしまうことがあります。今回は、私が不妊治療をするなかで言われてイラッとした言葉があるので、いくつかご紹介します。 「諦めたら赤ちゃんが来るってよく言うよね」この言葉は、不妊治療をしていることを相手に伝えると大抵の人に言われる言葉です。言っている人はおそらく励ますつもりで言ってくれているのでしょうが、治療の最中であるとなかなか素直に受け入れられないのです。 もちろんその場では「 そうですよね!」 と答えますが、心の中では「 その諦めがつかないから治療をしているんです。諦めて赤ちゃんが来なかったらきっと後悔するんです」 と叫んでいます。相手が不妊治療を経験して赤ちゃんを授かった人であればまた受け止め方が違うのですが……。 「少し休んでみたらいいんじゃない?」これは夫に言われてすごくイラッとした言葉です。 1年間で子どもを授かることのできるチャンスは12回程度しかありません。だからこそ、今休んだらそのチャンスを1回捨てることになると感じてしまうのです。ゆったりとした気持ちのほうが妊娠しやすいのかもしれないと思いつつ、先の見えないトンネルを早く抜けて赤ちゃんを授かりたいと思ってしまうのです。 夫婦で治療に対する考えを伝え合うことの大切さを感じたきっかけとなった言葉でもあります。 「そんなに怒るから赤ちゃんが来ないんだよ」この言葉を言われたときの衝撃は、今でも忘れられません。一瞬何を言われたのかわからず、理解してから湧き上がる怒りに我を忘れるほどでした。実はこれ、3歳の娘に言われた言葉なのです。ついついイライラしてしまっている自分を自覚していたからこそ、言われたときは怒って娘に当たり散らしてしまいました。 その後、「この言葉は本当に傷つくし悲しくなる言葉だからもう言わないで」と娘に伝えましたが、それだけ私が怒っていたのだなぁと反省しました。 不妊治療をしていると、自分ではコントロールできないような怒りや悲しみに振り回されることがあります。それでも、周りの人の言葉をネガティブに捉えるのではなくポジティブに捉えて、かわいい赤ちゃんを授かることができるように頑張りたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年02月11日不妊治療が始まると、生活のすべてを治療のために調整しなければなりませんでした。これは事前に納得していたはずなのに、いざ治療のための調整となると、精神的にも肉体的にも、想像以上の負担を強いられるようになりました。 いよいよ治療初日なんとか治療する日程を調整し、初めて病院に行きました。不妊治療の検査は何をするのか想像もつかず、不安でいっぱいでした。 診察が始まり、軽い問診のあとに妻とは別室へ連れて行かれ、精子検査を初めて経験しました。小さな個室に入り、看護師さんに説明をされたのですが、説明があまり頭に入ってこないくらい部屋の様子に驚きました。 部屋の中にあったのは、小さなソファ、小さなテレビモニターと、選んだ人の性癖がわかるようなDVDの数々です。まるで漫画喫茶の個室をアダルトな雰囲気にした上、DVDのみをずらっと並べた感じです。病院内にこんなスペースがあることにびっくりしました。 初めての精子検査妻と看護師さんがドアの向こうで待っていると思うと、一刻も早くこの空間から出たい気持ちで、すぐに作業に移りました。 好みのジャンルでもないDVDの力を借り、ありとあらゆる想像力を働かせたのですが、精神的な影響もあって思うように捗りません。なかなかスムーズに作業できないことが、余計に恥ずかしく、より一層作業を遅らせてしまいました。 なんとか採取できたのですが、容器から伝わる温もりがとても生々しく、すぐには渡すことができませんでした。 不妊の原因は不明のまま私と妻はいろいろと検査をしたのですが、私の精子は正常、妻の卵子も年齢と比較するとかなり良い状態であるとの診断を受け、結局不妊の原因は特定できませんでした。 とりあえず、しばらくは通院をすることにしたのですが、通院する日程を決めることが大変でした。初診のときと同じく、仕事の調整・祖母の時間調整に加えて、排卵日など妻の状態も配慮しなくてはいけなくなりました。 このあたりから毎日診察日のために行動をしなければならなくなり、日常生活に徐々に影響が出始めました。 だんだん小さな衝突が増えるすぐに結果が出ないことは最初から理解していたとはいえ、終わりが見えない状態が続くと、私は日に日に疲弊していきました。妻の負担も目に見えてわかり、この時期から小さな喧嘩が増え始めました。私も家事の負担を少しでも減らそうと努力していたのですが、すべてを補うことができません。 小さな喧嘩から始まり、言い争いも激しくなると、結局は不妊治療の話になり、毎日がその繰り返しでした。 治療を始める前に、夫婦でお互い励まし合い治療に向き合うことを充分に話し合いました。しかし、頭では理解していても、今までの生活リズムに影響が出始めると、想像以上に治療に負担を感じました。 次回は人工授精についてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月07日私は、過去に原因不明の続発性不妊症で不妊治療を約6年間経験しました。自分には関係ないと思っていた治療でしたが、調べてみると経済的にも精神的にも負担の大きな治療だと初めて知りました。夫婦で話し合い、負担は納得しているつもりだった治療も、実際に始まるとイメージしていたものとは違うさまざまな経験をしました。 不妊治療を始めるきっかけ私たち夫婦が不妊治療を始めたのは、私が35歳、妻が32歳のときでした。私たちはすでに子どもを1人授かっており、そろそろ2人目が欲しいなと話していたのですが、なかなか授かることができませんでした。 長女を計画通り授かることができたので、2人目も欲しいタイミングで授かるものとばかり思っていたので不思議に感じていました。自然妊娠がなかなかできないので、ネットなどで情報を集めると、続発性不妊症という言葉が目にとまりました。続発性不妊症というのは、以前に妊娠したことがあり、その後妊娠しない場合を言うそうです。 さらに続発性不妊症について情報を集めると、私たちがその言葉に該当することがわかりました。そのとき、初めて私たちは不妊治療が必要なのだと認識しました。 不妊治療を始める前に私たちは、それまで不妊治療についての知識がほとんどありませんでした。ただ、「金銭的に大変」「女性は精神的にも負担が大きい」などマイナスなイメージだけ持っていました。そこで、具体的に金額がいくらかかるのか、どのような治療法なのか、精神的負担とは何かなどの情報を本やネットを通じて、事前にできるだけ調べました。 やはり、そこにあった情報は精神的、金銭的負担が大きいことや、夫婦の協力・理解が必要だということでした。私たちは、長女を含めて3人で話し合い、やはり子どもを授かりたいこと、無理なら治療を中断することを確認し、不妊治療を始めることを決意しました。 病院選びも難航まず、不妊治療をおこなっている病院選びを始めましたが、この作業が意外と難航しました。妻が、近所の病院だと誰かに知られてしまうのが嫌だということで、少し遠い病院に決めました。 しかし、その病院へ通うことで、私たちの予想していなかったハードルがありました。不妊治療をおこなっている病院ではよくあることですが、子連れ厳禁だったのです。そのため、祖母に長女を預かってもらう日程と私が仕事を休める日程を調整し、病院に予約を入れなければなりません。私は治療を始める前段階で、いろいろと戸惑うことがあり、徐々に先行きに不安を感じ始めていました。 私には関係ないと思っていた不妊治療でしたが、気軽な気持ちで始めました。おそらく、1人子どもがいるので2人目もすぐにできるだろうと、心のどこかで過信していたように思います。 次回は初めての精子検査についてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月05日