■これまでのあらすじ生後4ヶ月の娘・メメを育てるまろは、娘がミルクを飲まないことに悩んでいた。というのも、3ヶ月健診で痩せすぎと言われてしまった上に、娘がミルクを好まないのに自分の母乳が思うように出ていないので、このまま栄養失調になってしまうのではないかと心配なのだ。そんな中、夫からミルクはあきらめて「母乳に専念してみたら?」と助言されたまろは反発。しかし、夫も娘のことを思っての言動なのだと思い直し、自分が娘の求めるもの(母乳)より自分の安心(ミルク)を優先していたのだと自己嫌悪に陥るのと同時に、ある人物が「何かあったらいつでも…」と言ってくれたことを思い出す。まろは早速、その人に連絡することにするが…。■母乳外来へ連絡■悩みを助産師に打ち明けると…■早速受診することに!まろが「何かあったらいつでも…」と言われた人物とは、産院の神田さんという助産師でした。まろが妊娠中に切迫早産で入院したとき、さらに出産のときも、この助産師にお世話になったのです。「今から母乳が出るようにすることって可能ですか…?」すがるような気持ちで質問し、退院してからの出来事を順を追って伝えるのでした。すると、助産師から早速今日の午後来るように言われ病院へ。まず最初に娘に授乳するよう言われ、授乳室へ入るまろ。しかしそこで娘が授乳に対するこだわりが強く、いつもの場所でしか飲まないことを思い出すのでした。次回に続く「謎の痛みで救急外来に駆け込んだ話」(全66話)は12時更新!この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2024年09月14日■これまでのあらすじ小さめに生まれた娘のメメを母乳とミルクの混合で育てることにしたまろは、育児に特にこだわりはなく、「ただこの子が元気に育ってくれれば何でもいい」と思っていた。生後1ヶ月を過ぎると混合育児の成果も出たようで、娘はすくすく育ち大きくなっていた。少し安心したまろは、「このまま順調にメメは成長し、育児もきっと順調に進んでいくのだ」と信じて疑わないのだが…!?■母乳の方がいい!?■母乳ちゃんと出てる…?■元気だから大丈夫!?生後2ヶ月頃から、メメはミルクを飲まなくなり、代わりに母乳をほしがるようになりました。その様子を見た夫は、「母乳とミルクの違いがわかるんだな。メメにとってお母さんの母乳が一番なんだな」と感心しきり。しかし、まろは素直に喜べませんでした。もともと自分は母乳の出が良くないと知っていたので、メメがミルクを飲まないことが心配だったのです。さらに最近では、母乳の出がますます悪くなっているように感じていました。気にしすぎかもしれないけれど、メメがほっそりしてきたように思えて…。そんなまろに、夫は「大丈夫だよ、こんなに元気なんだし」とやさしく声をかけます。「そうかもしれない」と前向きに考えようとするまろでしたが、3ヶ月健診で、まろの心配がただの気のせいではなかったことがわかるのです…。次回に続く「謎の痛みで救急外来に駆け込んだ話」(全66話)は12時更新!この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2024年08月31日母乳育児からミルク育児に移行したママの体験談です。出産後、ママも赤ちゃんもいろいろなことが初めての状態。育児への自信をなくした時期を経てミルク育児で元気に育つ娘が、育児への自信をつけてくれたという話です。初の出産と育児をとても楽しみにしていた私。赤ちゃんを産むというのは大変ながらも、そのあとの子育て、特に母乳をあげることをとても楽しみにしていました。しかし、その楽しみは毎日涙を流す育児の始まりだったのです。じょうずに母乳をあげられなかった私。なかなかおっぱいを吸えない娘。周りの人からは、「なぜ母乳で育児ができないのか」と言われる毎日。母乳から育児用ミルクで育てることを決めた、私の育児体験談です。 母乳で子育てするものだと思っていた私の出産前の子育てイメージだと、出産後すぐに自然と胸が張り母乳が出て、赤ちゃんも本能で母乳を吸えるようになるものだと思っていました。しかし実際は、出産後すぐには私の胸が張ることはありませんでした。 2日後ぐらいにようやく胸が張り始め、母乳が作られているのを体で感じ、次は娘に吸ってもらうだけ!と思っていました。これも本能で赤ちゃんはできるものだと思っていた私は、母乳さえ出ればあとは大丈夫、“母乳で子育てができる”と期待していたのでした。 周りから押しつけられる理想の育児私は里帰り出産で、出産後2カ月ほど実家で過ごしていました。実家にいる祖母は3人の子どもを、母は私と兄を、義姉は甥っ子にあたるひとり息子をそれぞれ母乳で育てました。そのため、母や祖母は、母乳育児以外の子育てなんてありえない、という考えだったのです。 母乳は出ていたのですが、乳首が短く外側を向いていたため、舌に乳首が当たらず母乳をじょうずに吸えなかった娘。育児用ミルクにせざるを得ない状況に。搾乳をしていましたが、だんだんと母乳が出なくなってしまいました。そんな中、「なぜミルクなのか、母乳ではないなんてありえない」と母や祖母に言われ続けたのでした。 私の考えを変えたのは娘の存在街中で母親より少し上の世代の方に、母乳かミルクかを聞かれることがあります。「ミルクです」と答えるたびに母乳ではない私には劣等感が生まれ、もう母親失格なのではないかと思うように……。そんな私を変えたのは、生後半年を迎えたかけがえのない娘の存在でした。 育児用ミルクで育った娘は身長も体重の増え方も順調、風邪ひとつひかず病院にお世話になることもほぼなく、とても元気に育っています。そんな娘の姿を見ているうちにミルク育児でも私に自信が生まれてきました。 当時母乳育児にこだわっていた私ですが、育児用ミルクでも日々元気に育っていく娘の姿を見るうちに育児への自信もついてきました。母乳でも育児用ミルクでもそれぞれ良いところがたくさんありますが、一番はママとして私が無理のない子育てをすることが大切なのではないかと思っています。現在2歳の娘は今でも風邪もひかず元気に育っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/さくら著者:渡邉香澄0歳、2歳の年子姉妹のママ。ベビーマッサージセラピスト・幼児食インストラクター・上級幼児食インストラクターの資格を取得。ベビーマッサージ教室を運営中。ベビーマッサージセラピストをしつつライター業も兼業。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月20日「赤ちゃんは母乳で育てましょう」と、出産前から、家族、友人、さまざまな人から言われていました。免疫力を高めて感染症などにかかりにくくなるなど、母乳育児の良さを聞いていたので、私も母乳育児を頑張ろうと期待に胸をふくらませていたのですが……。思うようにはいかない母乳育児…待望の第1子の娘を出産後、口をパクパクさせながら懸命に泣く娘を見たとき、私は母乳育児を頑張ろうという気持ちが大きく湧き上がりました。出産した病院で授乳指導を受け、母乳をあげ始めましたが胸は張らず、授乳指導をしてくれた助産師さんには「母乳が生成されにくい体質かもね」と言われてしまいました。母乳が出ていないせいか娘はうまく哺乳できず、娘の泣き声で母乳が出ないことを責められているように感じてしまい、さっそく行き詰まった私。 そして、娘が生後2カ月になったときには、母乳と育児用ミルクの混合となりました。周りの友人は母乳育児が順調な人が多く、胸が張って痛いから寝ていた赤ちゃんを起こしてまで母乳を飲んでもらった話を聞いてはため息をつきそうになりました。なんで私は母乳が出ないんだろう、そんな気持ちを常に持ち続けていました。 見知らぬおばあさんに母乳育児か聞かれてその後、娘はすくすくと成長し、外にお散歩へ行くようになりました。生後4カ月になったある日、娘をベビーカーに乗せてバスに乗ったとき、隣に座っていたおばあさんが「赤ちゃんかわいいわね、この子、母乳よね?」と突然話しかけてきました。気の利いた相づちが苦手で、またバスの中で娘が泣き出さないか気を張っていたため、混合で母乳もあげていたので私は「はい」と言葉少なめに返事をしたのです。 すると、そのおばあさんは「母乳が一番よ! ミルクはなるべく使わないでね。私も4人母乳で育てたから、母乳で育ってる子は見るとわかるの。母乳の子のほうが健康に育つわよ」と言い、次の停留所でバスを降りて行きました。 赤ちゃんを見て完母かわかるの?見知らぬ人から突然、母乳で育てた子のほうが健康に育つときっぱり言われ、母乳の出が良くないことがまた気になり、重たい気持ちになってしまいました。その後、私もバスから降り、ベビーカーを押して歩きながらもおばあさんの言っていたことが頭から離れずにいました。 そういえば、おばあさんが母乳かどうか見るだけでわかると言っていたけれど、それってあり得るの? あるとしたらすごい特殊能力……。けれども、その特殊能力をもって完母と思われた娘は、実は母乳と育児用ミルクの混合。つまり、4人母乳で育てた大先輩であっても結局、完母か混合かの見分けはつかないということなのです。 ベビーカーに目をやると、娘がニコッと笑顔で私を見上げていました。新生児のときから大きく成長した娘を改めて見ていたら、母乳か育児用ミルクどちらが良いと決めるのではなく、娘の成長には両方が必要だっただけ、という気持ちになった私。それからはすっきりとした気持ちで、娘の成長により一層喜びを感じるようになりました。 著者:山下かおる子13歳と10歳の2児の母。両実家は遠方、夫婦共働きの完全ワンオペ育児継続中。趣味はヨガと英会話とイラストで、現在デジタルイラストを勉強中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月08日息子が生まれて間もないころ、家の近くを抱っこして散歩していると、年配の女性から「母乳で育てているの?」とよく聞かれました。いきなり失礼な…!私はあまり母乳の出がよくなかったので、「ミルクです」と答えると、「ああ~ミルクはよくないよ。私なんか4人子どもがいるけど全員に母乳で育てたわ。」と得意気に言われました。最初は黙って話を聞いていましたが、会うたびに何回も同じ話をされてムカつくやら悲しいやらで気持ちが沈みました。それ以降は、会ってもさらっと挨拶だけで通り過ぎるようにして、極力関わらないように心がけていました。 ◇◇◇ あまり会話をしなくなってからは、ストレスも少なくなったし、他人の言葉を気にする必要はないと思えるようになりました。もし自分が年をとっても、自分の育児を押し付けたりすることはしないようにしたいと感じました。 作画/まげよ著者:瀬上綾香30代、2歳の息子を育てる母。夫婦でカフェを経営しています。趣味はラジオを聴くことです。
2024年05月03日出生後すぐ、母乳を吸うのがじょうずだと病棟助産師さんに褒められてきた娘。しかし退院後は母乳を嫌がるようになりました。母乳育児をしたかったのに…生後2週間健診のときは、外来担当のご年配の助産師さんが担当となり、授乳について相談しました。すると「ママ、それはね母乳がおいしくないから飲まないのよ!」と辛辣な返答をくらいました。初めて出産した相手に、産後メンタルを配慮することのない言い方と言葉の選び方をするなんて……。初対面の助産師さんに言われるとは思いもしませんでした。とても傷付き、その日を境に母乳をやめるすることにしました。 その後、健診でまた同じ助産師さんに見てもらうことに。そして、「突然吸うようになる子もいるから吸わせてみようか」と、授乳をすすめられました。とりあえず言われる通りに咥えさせると、案の定嫌がって飲みません。すると、娘に対して「下手ねぇ!」と。 母の私からすると、しばらく育児用ミルクのみだったので吸うのを嫌がっているだけに見えました。なのに第一声が下手とは……。母乳育児をしたかったのですが、当たる助産師さんによってうまくいく場合とうまくいかない場合があるんだろうなと痛感した瞬間でした。 ◇ ◇ ◇ せっかく母乳育児をしたいと思っていたのに、産後のメンタルが不安定な時期に辛辣なことを言われてショックですよね。 助産師にもハッキリモノを言う人、じっくり話を聞いてくれる人など、いろいろなタイプの人がいるので、合う・合わないは出てくるかもしれません。 病院以外でも母乳外来をおこなっている助産師もいるので、調べてみるのも1つの手段です。 母乳育児では、赤ちゃんは大きな口を開けなければならなかったり吸う力や必要だったり、ママは母乳を出すため頻回授乳を頑張ったりと2人の頑張りが必要です。しかし、頑張り過ぎる必要はありません。ママが笑顔でいることが1番大切です。どうか、頑張りすぎずママに合った育て方で育児を楽しんでほしいですね。 作画/いずのすずみ 著者:りぃじゅ30代、4,202gのベビーを初めて出産。私は4,120gで生まれました。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月25日第1子となる息子は生後6カ月ごろ夜泣きが始まり、ぐっすり眠れない日々が4カ月以上続きました。睡眠不足が引き起こすイライラで、息子にやさしく接してあげることができない自分が嫌になり、私は自暴自棄に……。そんなときに、ネットである方法を知った私は藁にもすがる思いでさっそく試してみることに。今回はそのときの経験をお話しします。 夜泣きで睡眠不足…誰か助けて!第1子となる息子は、生まれたときから完全母乳育児。生後6カ月ごろから夜泣きが始まり、夜中に泣くたびにおっぱいを飲ませていました。息子は飲んでいるというよりも、おっぱいをくわえることで安心して再び寝ていたように思います。それでも起きる回数は日ごとに増していきました。 私は睡眠不足でイライラし息子を怒鳴ったり、日中に外に出る気力がなく1日パジャマで過ごす日が多々あったり……。まともな生活ができないなんてダメな母親だと涙を流す日が続きました。現状を変えたくて、何かできることはないかとネットで検索魔になっていたときに、ある言葉と出合ったのです。 夜泣き対策には断乳がいい?検索して知った「断乳」という文字。おっぱいがないと眠れない息子から取り上げるなんて考えたこともなく、これは息子にとってかわいそうなことなのでは?と悩みました。それでも状況を変えたくて挑戦することに。私がおこなったのは、息子が夜中どんなに泣いてもおっぱいをあげずひたすら抱っこひもであやすというもの。数日は眠れないことを覚悟し、心を鬼にするつもりで試しました。初日は1時間以上あやし続けましたが、おっぱいをあげなくても再び眠りにつくことができた息子。夜間に2度ほど起きましたが、それまでひと晩に5回以上は起きていた私にとっては訳なく思えました。 断乳チャレンジの末…断乳にチャレンジしてわずか3日。私と息子は約4カ月ぶりに、夜中に1度も起きることなく朝を迎えたのです。あのときの朝の日差しのまぶしさは今でもよく覚えています。その後、夜間の授乳をすることも夜泣きに悩まされることもありませんでした。 睡眠をしっかり確保できるようになった私は、体力的にも精神的にも余裕が持てるようになり、息子を怒鳴るようなことはなくなりました。つたい歩きから歩き始めの時期の息子の成長を笑顔で見守ることができ、子育ての中でも苦労を乗り越えた印象的な出来事となっています。 「断乳」とは、赤ちゃんではなくママの意思で授乳をやめること。断乳について調べると、「かわいそう」という言葉が目につきます。実際に私もかわいそうなことなのかと思ってしまいましたが、夜間断乳をしたことで私も息子もしっかりと睡眠をとれるようになりました。それが日々の子育てへの心の余裕につながったので本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/あさうえさい著者:樋山ゆり菜監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月26日子どもが生まれたら母乳で育てたいと考えていた私。先輩ママたちから母乳のトラブルは起きやすいと聞いていたので情報を集め、助産師さんに相談して自分で乳頭マッサージをおこなうなど、出産前から自分なりに母乳育児の準備をしていました。準備はバッチリだと思っていたのですが、実際に授乳を始めると思いがけないトラブルに次々と見舞われてしまったのです。 乳首が切れて授乳できない事態に初めての母乳トラブルは想像以上に早くやってきました。出産後、まだ入院中のことです。授乳する際、子どもの頭を支えて自分の乳首をくわえさせられず、子どもの吸いつきが浅くなってしまい、乳首に傷ができてしまいました。授乳するたびに傷の痛みは強くなり、私は授乳がつらくなってしまったため助産師さんに相談。 すると、馬油を乳首に塗ってラップで覆うと傷が良くなると教えてくれました。乳首の保護をおこないつつ、正しい飲ませ方を助産師さんに指導してもらいながら頑張っていると、次第にうまくできるようになり傷も回復していきました。 乳首に白斑ができる子どもが生後3カ月のころ、乳首の先に白いかたまりができました。少し痛みもあったので助産師さんに診てもらうと、白いかたまりは白斑と判明。マッサージをしてもらうと白斑は取れました。助産師さんによると、白斑が再びできないようにするには、子どもにしっかりと母乳を吸ってもらうことが一番とのこと。 また、私の乳腺は数が多いけれど1本1本が細くてつまりやすいので、もしまたつまったら自分でマッサージをして母乳を搾り出すと良いと教わりました。助産師さんに診てもらうことで自分の乳房の状態を知り、対処できるようになりました。 旅行先でおっぱいがカチカチに!子どもが1歳のころ、家族旅行に行く機会がありました。1日観光をしてホテルに戻り、私は眠りにつきました。真夜中、ふと目が覚めるとおっぱいに痛みを感じたのです。おっぱいを触ってみるとカチカチに硬くなっていました。どうやら授乳間隔が空きすぎて、おっぱいが張ってしまったようでした。 私は慌てて子どもを起こして母乳を吸ってもらおうとしましたが、その日は旅行で疲れたのか子どもはまったく起きる気配がありません。仕方がないので私は自分でマッサージをしましたが、予想以上におっぱいが張っていて搾ると激痛が走るのです。私は痛みに耐えながらマッサージをしてなんとか夜を越しました。 私の場合、授乳期間は1年ほどでしたが、度々トラブルは起きました。しかしその都度、助産師さんにマッサージをしてもらったり、アドバイスを受けたりすることでトラブルを乗り越えることができました。専門家の助けを借りながらおっぱいケアがしっかりでき、満足いく母乳育児ができたと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/Michika著者:小林 睦監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月22日母乳ジュエリーを知っていますか? 母乳ジュエリーとは、母乳を特殊加工して作るアクセサリーのこと。自身の母乳を使って作るため、世界にひとつのオーダーメイドです。子育て中の母乳が出ている限られた期間しか作れない貴重なものであることは事実ですが、抵抗を示す人もいるようでーー。母乳ジュエリーとは?母乳ジュエリーとは、特殊な加工を加えた母乳を使って作る指輪やネックレスのこと。やさしい白色をした、まさに“乳白色”のストーンに加工されますが、母乳を加工しているとは誰も思わないでしょう。 ネックレス指輪、ブレスレッドなど、クエリエイターやお店によってデザインはさまざま。シルバーやゴールドなど、素材によって異なるものの、概ね1〜3万円程度が相場のようです。 母乳ジュエリーの母乳は、もちろんオーダー主のものを使用します。そのため、オーダー後に搾乳した母乳を母乳バッグや容器に入れて指定の宛先に郵送する必要があります。 母乳ジュエリー作ってみたい?では、母乳ジュエリーはどのくらい注目されているのでしょう。 ベビーカレンダーの投票機能を使ったアンケートによると、母乳ジュエリーに興味がある人と抵抗がある人の割合は、ほぼ同程度。残りの25%は作るか作らないか、悩ましいと言う回答結果でした。 母乳ジュエリーは赤ちゃんの胎毛筆のようにまだ馴染みがないこともあってか「抵抗がある」と考える人も一定数いることがわかりました。今しかない思い出を残すために…しかし、母乳ジュエリーを実際に作った人、作ろうか悩んでいる人の声をSNSで検索してみると 「授乳中の幸せや苦労などの思い出を残したいかも……」「母乳がでなくなる日がくるのかと思ったら、母乳ジュエリーを作る気持ちがわかってきた」「卒乳が近づくと、はじめは否定的だった母乳ジュエリーを真剣に考えるようになった」という、母乳ジュエリーに興味を持つ生の声を複数見つけました。また、実際に作った人の、満足度の高いコメントもチラホラ。 長い子育て期からみるとほんの一瞬である授乳期間。終わりが近づくにつれて、寂しさや名残惜しさを感じ記念に残したいという気持ちが強くなることが予想できます。 母乳ジュエリーは、わが子を育んだ母乳を子育ての記念として残す新しいカタチなのかもしれませんね。
2024年03月06日2歳と生後5カ月の子どもを育てている私。2人とも完全母乳で同じように育てており、長男のときは産後9カ月ごろに生理が再開しました。今回も「生理が再開するのはまだだな」と余裕を持っていたところ、体に異変が……。その2週間後にまさかの生理が! あまりの体の変化に驚いた生理再開の体験談です。1人目のときは産後9カ月で再開長男のときはなかなか生理が再開せず、2人目を希望していた私は「いつ生理が再開するんだろう」と心配していたほど。長男は生後10カ月で断乳をするまで夜間におっぱいを欲しがり、私自身いつも不眠で相当疲れていたと思います。 生後7カ月でようやく夜間に1回の授乳で済むようになり、少し気持ちに余裕が出てきた産後9カ月ごろに生理が再開しました。「産後、生理が再開するまでとても時間がかかるんだな」と思ったことを覚えています。 2人目の産後は予想外の早さ!?長男のときの経験から、「生理なんてまだまだ関係ない」と余裕を持っていた私。ある日、次男の授乳中に両乳首の鈍痛に気づいたのです。私は「乳腺炎かな?」と少し不安になっていたころ、右下腹部痛も感じたのです。 「あれ? 排卵してる? まさか……完全母乳でこんなに早く生理が再開するはずない」と思い、知らないうちに症状が消えていたので、そのまま忘れていました。しかし、その2週間後にトイレで生理に気づきビックリ! あの症状はやはり排卵だったのかもと驚きました。 完全母乳でも生理はくる振り返ってみると、次男は生後3カ月ころには朝までぐっすり眠ることも多く、夜間授乳はほとんどしていませんでした。また、私自身一度育児を経験しているので、心身のストレスも少なかったと思います。 生理が産後4カ月で再開したことを、助産師の姉に相談してみました。姉は「産後の生理再開は個人差がすごくあるから早くても問題ないよ。ただ、もう妊娠できるから避妊はしないとね」と返答が。私は「もう妊娠する可能性があるんだ。注意しなきゃ」と改めて感じたのです。 妊娠中も長男と次男の妊娠経過や体の症状がまったく異なるように、同じように育てていても産後の体の回復も違うことを改めて学びました。私の場合は、完全母乳でも産後4カ月で生理が再開し、体が妊娠前の状態に着実に戻っていることがわかりうれしかったです。しかし、あまりの体の回復の早さに驚き、今度は妊娠しないように注意しなければ……と思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2024年02月27日昼間は抱っこじゃないとほとんど寝てくれない生後8カ月の娘。哺乳びん拒否があり、完全母乳だったため、昼間も夜間も頻回授乳で、私は常に寝不足気味……。ある日の日中、珍しく添い乳のあと眠りに入ってくれたので、私も一緒に休息しようと思ったら、そのまま深い眠りについてしまいました。そのときに起こった、とても焦った出来事についてお話しします。昼間も夜間も頻回授乳で常に寝不足これは、私が第1子の娘を育てていたときのお話です。母乳の出こそ順調だったものの、頻回授乳がつらかったため、何度か育児用ミルクを試しましたが哺乳びん拒否でまったく飲んでくれず、完全母乳で娘を育てていました。 初めての育児ということもあり、毎日娘のお世話をするだけで精いっぱい。娘は日中も抱っこではないと寝てくれず、夜間も長く寝てくれて3時間程度だったので、日中にもなるべく休息を取るようにしていました。 日中に珍しく添い乳で入眠夜間授乳は起き上がるのがつらいので、ほとんど添い乳にしていました。日中の授乳はほとんど座ってしていたのですが、娘が生後8カ月のころ、あまりの眠気に起き上がることができず、ソファで添い乳を試してみることに。 背もたれ側に私が横になり、添い乳をするとそのまま娘は寝てしまいました。「ラッキー! 私も少し休もう」と授乳をやめて目をつむりました。その際、娘の体を自分にぴったりと寄せて腕枕をし、落ちないように反対の腕でガードしていたのですが……。 ドサッ! という音と娘の泣き声私はそのまま眠りについてしまったようで、ドサッ!という音と娘の泣き声で目が覚めました。慌ててソファの下に目を向けると、うつぶせになっている娘。すぐに抱きかかえ、外傷がないことを確認し、かかりつけの病院に電話しました。 小児科の看護師さんからは「すぐに泣いて、今泣き止んでいるなら大丈夫。嘔吐したりしないか気をつけて見てあげてね」と言われました。次の日までは心配しながら娘の様子を見ていましたが、体調に変化はありませんでした。 ちょっとの休息のつもりが、私が深い眠りに入ってしまい、娘にけがをさせてしまうところでした。幸い、娘は何ともなかったものの、あのときのドサッ! という音は、今も忘れられません。私のせいで娘に痛い思いをさせてしまったことを反省し、この件以降はいくら眠くても、日中も添い乳するときは布団に移動してからするようになりました。 ※赤ちゃんが窒息してしまう恐れがあるため、添い乳中に眠ってしまわないようご注意ください。また、転落の危険性があるため、赤ちゃんをソファに寝かせないようにしましょう。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな15歳女の子と5歳と1歳の男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2024年02月22日出産予定日より2週間以上早く息子を出産しました。しかし、なかなか母乳が出ず……。さらにおっぱいがくわえづらいのか、直接授乳もできませんでした。産後ひと月弱は搾乳した母乳をあげていました。貴重な母乳を残されることがつらかったとき、子どもが3人いる姉からまさかの言葉が!?できるだけ母乳育児を希望していたけど…私は出産予定日より2週間以上早く出産し、小柄で生まれた息子には、極力母乳をあげることを考えていました。 退院後、「欲しがるときに欲しがる分」を実践していたものの、おっぱいをうまくくわえることができず、授乳のたびに泣いてしまう息子。泣かれるくらいならと、搾乳した母乳を哺乳びんであげるようにしていました。 1回の飲む量がわからず、残される母乳最初の2〜3週間、息子が飲める量は、日齢の哺乳量の目安には満たない量でした。60ml飲んだかと思えば、40mlしか飲まないなど、飲みムラが多かったと思います。 赤ちゃんあるあるとは言いますが、産後の精神状態では「搾乳した母乳が残されて、捨てるなんてもったいない」という思考になっていて、気づくと涙が出ていました。 育児の先輩である姉に相談すると…ある日、3児の母である姉に相談すると、「残された母乳は捨てないで飲んじゃえ! 次の母乳の栄養にって思えばいいんだよ」と言ってくれました。その言葉を聞いて、「無駄にならない!」と考えることができるように。 その日から私は、搾乳した母乳を息子に与えた際に残されても「母乳の味を確認しよう」と、ポジティブな気持ちでいられるようになったので、とても救われました。 もともと私は、育児用ミルクをあげることに抵抗はありませんでしたが、いつの間にか母乳信仰の思考に陥っていました。しかし、赤ちゃんからすればおなかが満たされるかが大事だと思いますし、くよくよ悩みすぎても母乳は出づらくなってしまうと聞きます。 お世話をしていても、私の不安が赤ちゃんにも伝わってしまい、良いことはないのではないかと思いました。今は「夫にもお世話を任せるなら、育児用ミルクも飲めないとね!」と気楽なスタンスで過ごしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/ななぎ著者:たなか かな
2024年02月05日「すべてを手にした男」レブロン“キング”ジェームズの完全なる肖像株式会社カンゼンは、二一世紀最高のバスケットボール選手の完全なる肖像『LeBron』(ジェフ・ベネディクト 著、塚本清彦 監修、高野鉄平 訳 )を2月8日に刊行いたします。邦訳がついに刊行です。『LeBron』書影「すべてを手にした男」レブロン“キング”ジェームズの完全なる肖像我々はレブロン“キング”ジェームズのことをまだ何も知らなかった――。二一世紀最高のバスケットボール選手の完全なる肖像を、米国のベストセラー作家が徹底的なリサーチと二五〇以上のインタビューに基づき、鮮明に描き出す。各紙絶賛の嵐!!「優れたスポーツライティングであるだけではなく、鮮烈な文学ジャーナリズムでもある」――『ロサンゼルス・タイムズ』「感動的。才能、個性、勇気、そして運命に満ちており、夢中になって読める年代記」――『ウォール・ストリート・ジャーナル』「レブロン伝の決定版。現代アスリートの存在意義を彼がどれだけ変えたかがわかる」――『AP通信』サンプルページ『LeBron』中ページ①『LeBron』中ページ②『LeBron』中ページ③CHAPTER01一体何が起こった?CHAPTER22史上最高目次『LeBron』CHAPTER01一体何が起こった?CHAPTER02グロ&ブロンCHAPTER03ボールをパスすればCHAPTER04私たちだけがすべてCHAPTER05一年生CHAPTER06米国で一番曲がりくねった道CHAPTER07その若者CHAPTER08違っているコートCHAPTER09車に乗ってCHAPTER10ハスラーCHAPTER11ゴールデンタイムCHAPTER12大逆転CHAPTER13優等生CHAPTER14部屋の中でCHAPTER15盛り上がってきたCHAPTER16プレッシャーCHAPTER17恨みはないCHAPTER18十分な年齢CHAPTER19たかがバスケットボールCHAPTER20四人のレブロンCHAPTER21孤独なキャバリアーCHAPTER22史上最高CHAPTER23来るべき王国CHAPTER24ファッションCHAPTER25ビーツCHAPTER26奇跡では足りずCHAPTER27レブロンの夏CHAPTER28ヘッドバンドを巻いたヘスター・プリンCHAPTER29本当に暗い場所CHAPTER30テイクオーバーCHAPTER31しっかり掴んでCHAPTER32恨みを抱く資格CHAPTER33パワーバランスの破壊者CHAPTER34解放CHAPTER35ビリーブランドCHAPTER36ろくでなしCHAPTER37すべてを手にした男エピローグ謝辞監修者あとがきプロフィール【著者】ジェフ・ベネディクト(Jeff Benedict)ノンフィクション16冊を著したベストセラー作家で、テレビ・映画プロデューサーとしても活躍。ロバート・クラフト、ビル・ベリチック、トム・ブレイディ率いるニューイングランド・ペイトリオッツの内幕を描いた『The Dynasty』は2020年に出版されると瞬く間に『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラーに。18年にはベストセラー1位となった『Tiger Woods』を共同執筆。また、自著『Poisoned』を原作としてNetflixで放映されるドキュメンタリーの製作総指揮を務めている。『スポーツ・イラストレイテッド』誌、『ロサンゼルス・タイムズ』紙、『ハートフォード・クーラント』紙で特集ライターを務めた他、『ニューヨーク・タイムズ』紙にエッセイを掲載。『60ミニッツ』『CBSサンデーモーニング』『HBOリアルスポーツ』『ディスカバリーチャンネル』『グッドモーニングアメリカ』『2020』『48アワーズ』『NFLネットワーク』『NPR』などでも記事が紹介された。妻と4人の子どもとともに米国コネチカット州に在住。【監修者】塚本清彦(つかもと・きよひこ)1961年2月26日生まれ、兵庫県出身。バスケットボールコメンテーター、日本バスケットボール協会公認コーチ。中学校からバスケットボールを始め、育英高校、明治大学、日本鋼管でポイントガードとして活躍。日本リーグ優勝2回、 全日本実業団選手権優勝2回、93-94シーズンにベスト5を受賞。現役引退後はプロ、大学、高校などでコーチを務め、多くのBリーガーを指導。解説者としても現在、NBA Rakuten「NBA中継」などを担当し、NBA取材歴は30年を超える。八村塁が指名された2019年のNBAドラフトも現地で取材し、日本人として最初にインタビュアーを務めた。【訳者】高野鉄平(たかの・てっぺい)1976年、福岡県生まれ。ライター、翻訳者。ウェブメディアや雑誌・書籍などで主にスポーツ関連のメディア業務に携わる。訳書に『ポジショナルフットボール教典 ペップ・グアルディオラが実践する支配的ゲームモデル』『組織的カオスフットボール教典 ユルゲン・クロップが企てる攪乱と破壊』(ともに小社)、『ニッポンとサッカー 英国人記者の取材録』(ベースボール・マガジン社)など。書誌情報書名:『LeBron』ISBN:978-4-86255-711-7著者:ジェフ・ベネディクト監修者:塚本清彦訳者:高野鉄平ページ数:688P判型:A5判定価:3,520円(本体3,200円+税)発売日:2024年2月8日出版社:カンゼンAmazon : Rakutenブックス : 商品ページ : 【この件に関する問い合わせ先】株式会社カンゼン宣伝プロモーション部担当:伊藤真TEL:03-5295-7723MAIL: ito@kanzen.jp 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年02月01日現在2人の子どもを育てています。第1子である娘の1カ月健診は、娘との初めての外出でした。しかも検査などに時間がかかったために長時間の外出となったのですが、その間に必須の授乳で意外な問題に直面してしまったエピソードです。長時間かかった1カ月健診娘は生後すぐに心雑音があることを指摘されていました。すぐに手術などが必要ではなかったものの、家で経過を観察し、1カ月健診でレントゲンなどの検査を受けることになっていました。 そのため、娘の1カ月健診の日は、私の産後1カ月健診、そして娘の心臓の検査2つを受けることに。大きな病院で待ち時間もとても長く、最終的にすべてが終わるまで6時間ほどかかりました。 初めての外での授乳! アレがない!その間にどうしてもおこなわなければいけなかったのが、授乳。完全母乳で育てていたので育児用ミルクなどは持ってきていません。病院に行く前にたっぷり授乳はしてきましたが、長い待ち時間のなかで娘がおなかを空かせて泣き始めました。事前に病院の授乳室の場所は把握していたので、「ちょっと授乳してきます」と受付の方に伝え、意気揚々と授乳室へ。 これが退院後、家以外での初めての授乳です。授乳室というのも初体験で少しワクワク。たどり着いた授乳室には、広いスペースに椅子がいくつか並んでいるだけでした。思わず私は「アレ?」と思い、授乳室の外にもう一度出てあるはずの物を探しました。そこには私があると思っていた「授乳クッション」がありませんでした。 テンパりながらなんとか終えるそれまで家での授乳は授乳クッションが必須でした。当然、病院の授乳室にも授乳クッションがあるものと思い込んでいたのです。しかし私が行った病院では授乳クッションが置いてありませんでした。「え、授乳クッションなしで授乳ってどうやればいいの?」とさっきまでのワクワク感はどこへやら。 ドキドキしながらとりあえず椅子に座りました。そして、長女と同じくらいの月齢の子に授乳クッションなしでおっぱいをしているママをチラリと見ました。その授乳室は個々を隔てるカーテンなどもなく、他の人の授乳も丸見え。授乳中に盗み見るようで申し訳ないと思いながらも、そのママの授乳の仕方をマネさせてもらい、なんとか長女の授乳を終えることができました。 病院の授乳室には、当然のように授乳クッションがあると思い込んでいた私。今の私からすれば、「どんなあげ方でも赤ちゃんがおっぱいを飲めればそれでいいじゃない」と思いますが、新米ママだった当時は必須の授乳クッションがないという状況に戸惑うばかりでした。もう少し気楽に考えていればよかったなと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2023年11月15日これは生後9カ月の娘を連れて、スーパーで買い物をしていたときのお話です。子どもを連れていると、知らない人からもよく声をかけてもらえるのですが、ある日、思いもよらない言葉をかけられ、ショックで落ち込んでしまいました。買い物中に見知らぬ人からお説教!?わが家には、3歳の息子と生後9カ月の娘がいます。この日も、2人を連れていつものスーパーに買い物へ。そのときも食材はもちろん、娘の育児用ミルクやベビーフードも多めにカゴに入れていました。 すると突然、見知らぬ70代ぐらいの女性が買い物カートを覗きこんできて、私に「これだから今の若い人は。ミルクとかベビーフードに頼りすぎだよね。なんだかラクそうでいいわね。私たちが若いころは……」と、とうとうと昔話を始めました。私はとりあえず愛想笑いで相づちを打ちながらその場をやり過ごしました。 しまいには、「あなた、完全母乳じゃないの? あら、子どもがかわいそうね。お嬢ちゃん、くれぐれもいい大人になるのよ」と言って、子どもたちに手を振り去って行ったのです。思いもよらぬ出来事にすごくショックを受けました。 私は娘が生後5カ月ぐらいのとき、母乳が出なくなったのです。産院で、助産師さんや先生にも相談しましたが、「育児用ミルクと離乳食、ベビーフードをうまく使って栄養がとれていたら大丈夫。母乳じゃなくてもたくさん抱っこしていたら、必ず母親の愛情は伝わるよ」とアドバイスをもらいました。 あとから考えると声をかけてきた女性も、昔、育児が大変だったことを誰かに話したかっただけなのかもしれません。言われた言葉は傷つきましたが、昔と今では育児の方法や常識も違うし、どの時代でもママは頑張っているのだと思った出来事でした。 イラスト/ミロチ著者:なかまる あゆみ
2023年10月01日私は息子を完全母乳で育てていました。ただ、母乳を飲んだあとにゲップをさせても、飲みっぷりがいいのでよく吐き戻しをしてしまっていました……。義母からの衝撃的な言葉助産師さんにも相談をしましたが、吐き戻しはする子はするし、私の母乳の出がいいこと、赤ちゃんの飲み方がうまいこともあって、よく飲んでいる証拠だから心配ないと言われました。 しかし、吐き戻しをする息子を見ている義母は、「あなたの母乳に問題あるのよ! まずいのよ!」「ろくなものを食べていないから母乳の質が悪いのよ!」などと勝手なことを言ってきたのです。産後はストレスをためやすい時期なのに、傷つくようなことを何度も義母に言われて悲しい気持ちになりました。 ◇◇◇ 助産師さん曰く、月齢にもよりますが、赤ちゃんは胃の入り口の筋肉が未発達であったり、胃がとっくりのようなまっすぐの形をしているため、吐きやすい構造なのだそうです。さらに満腹中枢が未発達のため必要以上に飲むことがあり、その場合は吐いて調整するのだとか。お義母さんの心ない言葉には傷ついてしまうと思いますが、できるだけ気にせずに赤ちゃんとの授乳タイムを楽しんでほしいですね。お義母さんとの関わりにあまりにもストレスを感じる場合は、旦那さんや友人に相談してみるのも良いかもしれませんね。 作画/いずのすずみ著者:吉野みほこ3人の子どもを育てるママです。結婚をしてからは、義母と同居をしています。
2023年09月29日メデラ株式会社は、授乳中やさく乳中に片胸からあふれる母乳をしっかりと受け止める「シリコン母乳コレクター」について、一部ECサイトで先行販売を行っておりましたが、実店舗におきましても2023年9月下旬より正式に販売開始いたします。また、実店舗での正式販売に先立ちまして、2023年8月25日(金)より全国のアカチャンホンポにて先行販売も開始いたします。自然とあふれる母乳もしっかり受け止め、無駄にすることなく大切に保存授乳中に反対側の胸から母乳があふれる体験をされているお母さまの中には、「母乳パッドに吸収させる」「タオルで押さえる」といった対処をされているケースが多くみられます(*)。メデラの「シリコン母乳コレクター」を使用いただくことで、自然とあふれる母乳もしっかり受け止め、無駄にすることなく大切に保存することができるようになります。また、おっぱいが張って、ほんの少し圧を抜きたいときにも使用することができます。*メデラ調べ。授乳中やさく乳中に、もう片方の胸から母乳が溢れて困ったことがあるお母さま61名へのアンケート結果。(2023年5月、7月)使用中は同梱のストラップをご使用いただくことで、コレクターの落下を防ぎます。また、母乳を集めたあとも、こぼれないよう2重のフタでしっかりガード。底面についた吸盤で、ボトルの転倒を防止します。パーツも少なくお手入れも簡単です。メデラのシリコン母乳コレクターは、お母さまの母乳一滴一滴を大事にします。なお、SNSで募集しました本製品のモニターの皆様からも好評をいただいております。【SNSでのお母さまの声】・これ!6年前から求めていたのはこれです。・搾乳したり、娘が飲み始めると反対のおっぱいがジーンと痛くなってダラダラ母乳が漏れてきて授乳パットがびしょ濡れになったり、パッドがズレてて服まで濡れる事件がよく起こるんだけど、それを解決してくれたのがコレ!!こんなに出てたの!?って驚いた!使い方も簡単だから嬉しい。・授乳し始めたら、片方のおっぱいがチクチクし始めてじわ~っと溢れ出て母乳パッド一気にボタボタに…「もったいな~」ってなってた私←その悩みを解消してくれたのが、このシリコン母乳コレクターでした。・パーツは全て食洗機にかけていいのが〇洗うの面倒だったから、これは嬉しいーーー■概要新製品名称:シリコン母乳コレクター希望小売価格:1,980円(税込)実店舗先行販売開始日:2023年8月25日(金)先行販売取り扱い店舗:アカチャンホンポ実店舗正式販売開始日:2023年9月下旬より順次取り扱い店舗:全国のベビー用品専門店、ECサイトなど、メデラ取り扱い店舗・サイトにて順次販売を開始いたします。※お取り扱いの無い店舗もございます。※一部、ECサイトでは2023年4月より先行販売を開始しております。(画像はプレスリリースより)【参考】※公式サイト
2023年08月28日メデラ株式会社(本社:東京都渋谷区、代表取締役:Jarrod Percy、以下メデラ)は、授乳中やさく乳中に片胸からあふれる母乳をしっかりと受け止める「シリコン母乳コレクター」について、一部ECサイトで先行販売を行っておりましたが、実店舗におきましても2023年9月下旬より正式に販売開始いたします。また、実店舗での正式販売に先立ちまして、2023年8月25日(金)より全国のアカチャンホンポにて先行販売も開始いたします。授乳中に反対側の胸から母乳があふれる体験をされているお母さまの中には、「母乳パッドに吸収させる」「タオルで押さえる」といった対処をされているケースが多くみられます(*)。メデラの「シリコン母乳コレクター」を使用いただくことで、自然とあふれる母乳もしっかり受け止め、無駄にすることなく大切に保存することができるようになります。また、おっぱいが張って、ほんの少し圧を抜きたいときにも使用することができます。シリコン母乳コレクター アイコン付き使用中は同梱のストラップをご使用いただくことで、コレクターの落下を防ぎます。また、母乳を集めたあとも、こぼれないよう2重のフタでしっかりガード。底面についた吸盤で、ボトルの転倒を防止します。パーツも少なくお手入れも簡単です。メデラのシリコン母乳コレクターは、お母さまの母乳一滴一滴を大事にします。なお、SNSで募集しました本製品のモニターの皆様からも好評をいただいております。【SNSでのお母さまの声】・これ!6年前から求めていたのはこれです。・搾乳したり、娘が飲み始めると反対のおっぱいがジーンと痛くなってダラダラ母乳が漏れてきて授乳パットがびしょ濡れになったり、パッドがズレてて服まで濡れる事件がよく起こるんだけど、それを解決してくれたのがコレ!!こんなに出てたの!?って驚いた!使い方も簡単だから嬉しい。・授乳し始めたら、片方のおっぱいがチクチクし始めてじわ~っと溢れ出て母乳パッド一気にボタボタに…「もったいな~」ってなってた私←その悩みを解消してくれたのが、このシリコン母乳コレクターでした。・パーツは全て食洗機にかけていいのが〇 洗うの面倒だったから、これは嬉しいーーー■概要新製品名称 :シリコン母乳コレクター希望小売価格 :1,980円(税込)実店舗 先行販売開始日:2023年8月25日(金)先行販売取り扱い店舗 :アカチャンホンポ実店舗 正式販売開始日:2023年9月下旬より順次取り扱い店舗 :全国のベビー用品専門店、ECサイトなど、メデラ取り扱い店舗・サイトにて順次販売を開始いたします。※お取り扱いの無い店舗もございます。※一部、ECサイトでは2023年4月より先行販売を開始しております。シリコン母乳コレクター 使用イメージこれからも当社では、お母さまの母乳育児にご活用いただける製品の開発に努めてまいります。*メデラ調べ。授乳中やさく乳中に、もう片方の胸から母乳が溢れて困ったことがあるお母さま61名へのアンケート結果。(2023年5月、7月)■メデラ株式会社についてメデラ株式会社は、1993年にMedela Holding AG(本社:スイス)の100%子会社として東京に設立されました。赤ちゃんとお母さまの健康、母乳育児をサポートすることを使命とし、研究に基づいた乳房に負担の少ない電動さく乳器、特殊授乳製品を含む母乳育児サポート製品を開発・展開しています。メデラの病院グレードの電動さく乳器「シンフォニー」は、国内の病院・産院で最も多く採用されているさく乳器です(*)。また、個人向けのさく乳器として「スイング・マキシ」、「ソロ」、「ハーモニー」を展開しています。*病院グレードのさく乳器において。2022年1月時点。所在地 : 東京都渋谷区笹塚2-26-2 13F代表取締役: Jarrod PercyURL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年08月24日初めての出産後、母乳がよく出た私は、大きな問題なく完全母乳育児をしていました。ところが、息子が生後8カ月ごろの授乳中、胸に激痛が走ります。息子が生え始めの歯で噛んできたのです! たまたまかな? と思いきや、その後は毎回噛むようになり、日を追うごとに傷や痛みが悪化していきました。私は恐怖の授乳時間を打開すべく、ある方法を試みました。 お願いだから噛まないで!尊い授乳が恐怖の時間に… 第1子を出産後、母乳がよく出た私は、完全母乳育児をしていました。夜中の授乳や搾乳などに疲れることもありましたが、おっぱいに関する悩みはゼロに等しいほど。しかし、息子が生後8カ月ごろの授乳時、突然痛みに襲われました。息子の生え始めの歯で噛まれたのです。授乳を中断することで泣かれたり、飲まなくなったりされるのは嫌だったので、私はちくびの痛みを堪え、授乳を続行しました。しかし、再度噛まれると痛みに耐えられず、さすがに授乳を中断。「痛いから噛まないでね」という思いは届かず、その後の授乳でも噛むようになってしまいました。 噛み癖が治ることはなく、日を追うごとに悪化する傷はとうとう出血するまでに。搾乳して哺乳びんで飲ませる方法もありましたが、おっぱいを飲む息子の姿に愛おしさを感じ、直接の授乳をやめたくありませんでした。とはいえ、いつ噛まれるか予測できずそわそわ。突然噛まれては激痛に耐えるのも限界です。 噛み癖の原因を調べると、「遊んでいる」「歯が生え始めて歯茎がかゆい」「空腹ではない」などがありました。早速、息子に歯固めのおもちゃを与え、乳頭のケアオイルで胸周辺を保湿し、柔らかく保つことに専念。 すると、対策したかいがあったのか、1カ月程で息子の噛み癖が解消! ちくびの傷も徐々に治り、以前のように直接授乳ができるようになりました。現在は、痛みも傷もないため「そんなこともあったね」と思えますが、無事卒乳するまで完全母乳育児ができてうれしかったです。 作画/becomachi85著者:上川ようこ
2023年05月29日もともと母乳育児に憧れを持っていた私は、「絶対に母乳で育てるぞ」という強い思いを持つようになったのですが、現実は理想とはほど遠く……。そんな授乳に疲れ果てていたときに、友人のひと言が私を救ってくれたのです。母乳育児の現実を知る…母乳育児に憧れ、子どもは絶対に母乳で育てたいと強く思っていた私。しかし、母乳育児の現実は過酷でした。まず、慣れない体勢で腰や首、肩が痛くなりました。そして私は母乳が出にくく、頑張って吸わせたあとに赤ちゃんの体重を測ると、なんと2gしか増えていなかったのです。 それでも吸わせないと母乳が出なくなるし、育児用ミルクを足し過ぎると赤ちゃんがおっぱいを吸ってくれなくなると本に書いてあったので、とにかく必死でした。母乳が足りないせいで授乳間隔も2時間半、2時間とどんどん短くなり、乳首が切れて痛みも強くなるばかり。寝不足も重なり、授乳時間は私にとって苦痛な時間になってしまいました。 私を救った友人のひと言そんなある日、友人に母乳育児の大変さを話したときのことです。友人から言われてハッとしました。 「母乳とミルク、どっちで育ったかとか、大人になってから関係ある?」 この言葉に、大事なのは母乳か育児用ミルクかということではなく、きちんと授乳して育てるということだと気付かされた私。 それからは思い切って育児用ミルクを足すようにしました。すると、赤ちゃんはしっかり寝てくれるようになり、私も睡眠をとると母乳の出が良くなったのです。両親に預けるときも、育児用ミルクがあるので授乳時間を気にせずに出かけることができました。 その友人は保育園に赤ちゃんを預けるため、哺乳びんに慣れさせる必要があり、大変だったそうです。完全母乳だったときは育児用ミルクを作る手間は省けますが、母親しか授乳できないというデメリットもありました。しかし、母乳でも育児用ミルクでも、自分に合った授乳法を見つけることで、授乳も苦痛ではなく幸せな時間となることを学んだ出来事でした。 監修/助産師 松田玲子イラスト/ななぎ著者:桃野ゆか
2023年05月28日「赤ちゃんは母乳で育てましょう」と、出産前から、家族、友人、さまざまな人から言われていました。免疫力を高めて感染症などにかかりにくくなるなど、母乳育児の良さを聞いていたので、私も母乳育児を頑張ろうと期待に胸をふくらませていたのですが……。思うようにはいかない母乳育児…待望の第1子の娘を出産後、口をパクパクさせながら懸命に泣く娘を見たとき、私は母乳育児を頑張ろうという気持ちが大きく湧き上がりました。出産した病院で授乳指導を受け、母乳をあげ始めましたが胸は張らず、授乳指導をしてくれた助産師さんには「母乳が生成されにくい体質かもね」と言われてしまいました。母乳が出ていないせいか娘はうまく哺乳できず、娘の泣き声で母乳が出ないことを責められているように感じてしまい、さっそく行き詰まった私。 そして、娘が生後2カ月になったときには、母乳と育児用ミルクの混合となりました。周りの友人は母乳育児が順調な人が多く、胸が張って痛いから寝ていた赤ちゃんを起こしてまで母乳を飲んでもらった話を聞いてはため息をつきそうになりました。なんで私は母乳が出ないんだろう、そんな気持ちを常に持ち続けていました。 見知らぬおばあさんに母乳育児か聞かれてその後、娘はすくすくと成長し、外にお散歩へ行くようになりました。生後4カ月になったある日、娘をベビーカーに乗せてバスに乗ったとき、隣に座っていたおばあさんが「赤ちゃんかわいいわね、この子、母乳よね?」と突然話しかけてきました。気の利いた相づちが苦手で、またバスの中で娘が泣き出さないか気を張っていたため、混合で母乳もあげていたので私は「はい」と言葉少なめに返事をしたのです。 すると、そのおばあさんは「母乳が一番よ! ミルクはなるべく使わないでね。私も4人母乳で育てたから、母乳で育ってる子は見るとわかるの。母乳の子のほうが健康に育つわよ」と言い、次の停留所でバスを降りて行きました。 赤ちゃんを見て完母かわかるの?見知らぬ人から突然、母乳で育てた子のほうが健康に育つときっぱり言われ、母乳の出が良くないことがまた気になり、重たい気持ちになってしまいました。その後、私もバスから降り、ベビーカーを押して歩きながらもおばあさんの言っていたことが頭から離れずにいました。 そういえば、おばあさんが母乳かどうか見るだけでわかると言っていたけれど、それってあり得るの? あるとしたらすごい特殊能力……。けれども、その特殊能力をもって完母と思われた娘は、実は母乳と育児用ミルクの混合。つまり、4人母乳で育てた大先輩であっても結局、完母か混合かの見分けはつかないということなのです。 ベビーカーに目をやると、娘がニコッと笑顔で私を見上げていました。新生児のときから大きく成長した娘を改めて見ていたら、母乳か育児用ミルクどちらが良いと決めるのではなく、娘の成長には両方が必要だっただけ、という気持ちになった私。それからはすっきりとした気持ちで、娘の成長により一層喜びを感じるようになりました。 著者:山下かおる子13歳と10歳の2児の母。両実家は遠方、夫婦共働きの完全ワンオペ育児継続中。趣味はヨガと英会話とイラストで、現在デジタルイラストを勉強中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年05月07日基本的にとてもやさしくて、夫婦関係に立ち入らないように気をつけてくれている義母ですが、悪気のない失言が時々……。不安定なメンタルの産後には、ささいな言葉に傷ついたり苛立ったりしました。そのときのことは娘が5歳になった今も忘れられません。よく泣くうえに泣き声の大きい娘第1子の娘は、生後3カ月くらいまで抱っこしている間以外、ずっと泣いているような子でした。やっとベッドに寝かせても、ちょっとした物音でびっくりして大泣きしながら起きてしまいます。里帰り中は実家の両親が娘を抱っこしてくれて、「この子は繊細な子だなぁ」と感心していたこともありました。 生後2カ月で里帰りを終えた私は、義父母と同居していることもあり、娘を泣かせてはいけないと思ってずっと抱っこをしてヘトヘトでした。だんだんと泣き声がストレスになり、泣きそうになるのを察知して泣く前に抱き上げるほどに。 偶然聞こえた義母の言葉に涙完全母乳だったこともあり、夜間もまともに眠れませんでしたが、義母を含め周りには明るく振る舞っていました。 ある日、義母とお隣さんが話している声が偶然聞こえたときのこと。義母が「すごく泣くから虐待かと思っちゃう」と言っているのを聞いてしまいました。虐待なんてするわけないのに、と涙が止まらなくなりました。 今思えばささいなことも産後の私には…義母にとっては、気心知れたお隣さんとの笑い話だったと思います。頭では本当に自分が疑われているわけではないとわかるのですが、産後の寝不足でメンタルの不安定な私にはキツい言葉でした。そのときは堪らず夫に打ち明け、夫は一緒に腹を立ててくれました。どんどん被害妄想が膨らみそうなので、ひとりで抱え込まなくてよかったです。 ただ、傷ついた思いは今でも消えていません。義父母は身近で力になってくれる存在には変わりないのですが、なんとなく距離を置くことが増えました。最近では、用があるときは夫と娘を伝書鳩のように使って間へ入ってもらうようにしています。 いつも協力的でやさしく接してくれる義父母ですが、産後眠れずに娘を抱っこし続けメンタルの弱りきった私は、義母のささいな言動に深く傷ついてしまいました。娘が5歳になってようやく、あのとき義母は悪気なく私たちを話のネタにしただけ、と受け止めることができるようになりました。 イラストレーター/miyuka著者:コイデ フサコ娘が1歳のときから現在4歳まで正社員ワーママを頑張ったものの、心身共に限界を感じて10年勤めた会社を退職。娘にとってお母さんの代わりはいないこと、お母さんの自由時間の大切さを痛感している。
2023年04月06日今回の内容は、辛い描写があります。不安を感じる方は閲覧をお控えください。■前回のあらすじ入院して陣痛促進剤を入れたら早速陣痛がやってきて…。しかし25時間陣痛に苦しむも赤ちゃんは降りて来ず、子宮口も開かないため、帝王切開で出産。産後すぐ握手させてもらうが、赤ちゃんの手が冷たいことに驚き…。■退院と言われて胸騒ぎが…■私は頑張れていない!?暗い、暗い、暗い! でもこの時が一番気持ちが不安定で…。ミルクをあげるのにすごく時間がかかっていたんですが、大量に吐くようになってからはミルクの時間が苦痛でその時間が来るのがすごく怖かった記憶があります。あと、途中お医者さんにきついことを言われているような表現をしていますが、私もちゃんと「噴水のようにミルクを吐くんです。授乳に1時間もかかるんです」と伝えられていなくて…。お医者さんからしたら、母乳出ないのに完母で頑張ろうとしてるんじゃないかと思われていたかな、と。なぜかこの時は忙しいお医者さんの手を煩わせてはいけないという思いが強くて言えなかったのです。いやいや言えよー!次回は病気発覚のきっかけとなった出来事を描いていきます。次回に続く「娘と心疾患のお話」(全18話)は12時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2023年03月02日里帰り出産のため、実家で生後1カ月の子どもの育児をしていたときのことです。出産したら母乳は自然に出るものだと思っていた私ですが、母乳育児はなかなか軌道に乗りませんでした。苦戦しているところに夫から届いたLINEには、私が「母乳育児に固執しすぎて育児ノイローゼになっている」と書かれていました。このLINEがきっかけで、ミルク育児をすすめる夫と大喧嘩をした体験談です。 完母でなくても良い、母乳育児がしたい私が入院した産院は、母乳育児を推奨していました。入院中に助産師さんから授乳方法の指導を受け、懸命に練習した私。ところが、同じ時期に入院した周りのお母さんたちがうまく授乳できるようになっていく中、私はなかなかできるようになりませんでした。 結局、子どもが生後1カ月を過ぎても母乳育児は軌道に乗らず、半分ぐらいは育児用ミルクを与えていました。完母でなくても良いとは思っていましたが、可能な限り母乳育児がしたかった私。そこで私は、助産師さんや保健師さんに相談したり、インターネットや本で情報を収集したりしながら授乳の練習を重ねました。 ミルク育児派の夫と怒鳴り合いの大喧嘩に里帰り出産だったため、私と子どもは1カ月健診が終わるまで実家で過ごす予定でした。1カ月健診を終えた私と子どもは、そろそろ夫が待つ家に戻る時期に。しかし、私は産後の肥立ちが悪く産科への通院が必要だったこともあり、もう1カ月実家にいさせてほしいと夫に伝えました。 すると、深夜0時過ぎに夫から怒りのLINEが。そこには、私が「母乳育児に固執しすぎて育児ノイローゼになっている」など、私への不満が60件ほど書き込まれていました。最初はショックを受けた私ですが、徐々に悲しみが怒りの感情へと変わっていき、ついに電話で夫と怒鳴り合いの大喧嘩に。 距離を置き、冷静になる夫と私夫との大喧嘩を機に、もうしばらく実家で過ごすことに決めた私。距離を置くことで、お互い落ち着きを取り戻すことができました。後日夫の話を聞くと、夫には「自分が育児をしたい」という気持ちが強かったことがわかりました。夫には、自分が子どもに育児用ミルクを与えている間、私に休んだり、リフレッシュしたりしてほしかったという思いもあったようです。 夫の気持ちを知った私は、ミルク育児に切り替えたほうが良いかと悩みました。しかし、できるだけ母乳で育てたいという私の気持ちは変わりませんでした。そうこうしているうちに、生後3カ月になった子どもが突然哺乳びんを拒否するように。自然と完母に移行しました。 夫には理解されなかった母乳育児。それでも、母乳育児を通じて子どもと触れ合える時間は私にとって幸せでした。夫との口論でヒートアップしそうなときは一度距離を置き、冷静になってから淡々と主張を伝え合うことで、落ち着いて話し合いができるようになりました。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/そら著者:武田 ゆうか2歳女児の母。1987年生まれのミレニアル世代。小さいころから本と歌が好き。就職活動に失敗し、それまで無縁だったIT業界で社会人生活をスタート。20代で結婚し、子どもを授かるも、夫のモラハラに苦しんでいる。
2023年02月18日2歳と生後5カ月の子どもを育てている私。2人とも完全母乳で同じように育てており、長男のときは産後9カ月ごろに生理が再開しました。今回も「生理が再開するのはまだだな」と余裕を持っていたところ、体に異変が……。その2週間後にまさかの生理が! あまりの体の変化に驚いた生理再開の体験談です。1人目のときは産後9カ月で再開長男のときはなかなか生理が再開せず、2人目を希望していた私は「いつ生理が再開するんだろう」と心配していたほど。長男は生後10カ月で断乳をするまで夜間におっぱいを欲しがり、私自身いつも不眠で相当疲れていたと思います。 生後7カ月でようやく夜間に1回の授乳で済むようになり、少し気持ちに余裕が出てきた産後9カ月ごろに生理が再開しました。「産後、生理が再開するまでとても時間がかかるんだな」と思ったことを覚えています。 2人目の産後は予想外の早さ!?長男のときの経験から、「生理なんてまだまだ関係ない」と余裕を持っていた私。ある日、次男の授乳中に両乳首の鈍痛に気づいたのです。私は「乳腺炎かな?」と少し不安になっていたころ、右下腹部痛も感じたのです。 「あれ? 排卵してる? まさか……完全母乳でこんなに早く生理が再開するはずない」と思い、知らないうちに症状が消えていたので、そのまま忘れていました。しかし、その2週間後にトイレで生理に気づきビックリ! あの症状はやはり排卵だったのかもと驚きました。 完全母乳でも生理はくる振り返ってみると、次男は生後3カ月ころには朝までぐっすり眠ることも多く、夜間授乳はほとんどしていませんでした。また、私自身一度育児を経験しているので、心身のストレスも少なかったと思います。 生理が産後4カ月で再開したことを、助産師の姉に相談してみました。姉は「産後の生理再開は個人差がすごくあるから早くても問題ないよ。ただ、もう妊娠できるから避妊はしないとね」と返答が。私は「もう妊娠する可能性があるんだ。注意しなきゃ」と改めて感じたのです。 妊娠中も長男と次男の妊娠経過や体の症状がまったく異なるように、同じように育てていても産後の体の回復も違うことを改めて学びました。私の場合は、完全母乳でも産後4カ月で生理が再開し、体が妊娠前の状態に着実に戻っていることがわかりうれしかったです。しかし、あまりの体の回復の早さに驚き、今度は妊娠しないように注意しなければ……と思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2023年01月07日初めての出産をした当時の私は、おっぱいケアや母乳育児についてほとんど無知の状態でした。授乳とは、赤ちゃんがおっぱいを好きなだけ吸うものと勝手に考えていたのですが、いざ授乳をしてみるとうまくいかない。そこで初めて、赤ちゃんはおっぱいを吸うのがヘタな子もいるし、搾っても母乳がピューピュー出るわけではないと知ったのです。これから始まる授乳生活に対して呆然としてしまった私を助けてくれたのは、助産院のおっぱいマッサージでした。滞在型産後ケアの助産院を利用当時私が住んでいた自治体では、産後ケア事業として滞在型のプログラムを実施していました。私はそのプログラムを出産1週間後から5泊利用。民家を改築した一戸建の助産院にお世話になりました。滞在中は個室があてがわれ、ただただのんびりと赤ちゃんと過ごすだけ。何かあったときや食事のときに助産師さんが様子をうかがってくれるので、不安になることもありませんでした。幸い滞在した助産院は家の近くだったので、朝晩に夫が来てくれて、そのタイミングで食事をとることもありました。 初めてのおっぱいマッサージ滞在中、1日1回は助産師さんと私と赤ちゃんの都合の良いタイミングを見計らっておっぱいマッサージの時間がありました。私の片方の乳首がやや陥没気味で、おっぱいが張ってしまうと赤ちゃんがうまくくわえることができずに困ることが多々ありました。 しかし、おっぱいマッサージを受けると適度に張りが緩み、授乳がスムーズになるのです。他にも赤ちゃんの吸い方にムラがあるとできるおっぱいのしこりのようなものも流してもらったり、しこりができないようにするためには授乳のたびに抱き方を変えたほうがいいとアドバイスをもらったりしました。 終了後も「おっぱい」の相談ができる滞在6日目。私と赤ちゃんはずいぶんとスムーズに授乳ができるようになっていました。私は「これならやっていけるかもしれない」と少し自信を持って助産院をあとに。その後も私は1〜2週間に1回はその助産院に行き、おっぱいマッサージを受け、相談をしたりアドバイスを受けたりしました。 私は初めての子育てで、授乳やおっぱいのことは実母にも話づらいと感じていました。助産院でおっぱいマッサージを受けていたことで、抵抗なく相談できる場があってよかったと感じています。 はじめは授乳がうまくいかなくて大変だったという話は、あとからいくつも聞きました。私は意図していなかったとはいえ、自治体の産後ケア事業プログラムを利用しておっぱいマッサージを受けられたことは幸いだったと思っています。大変なことも多い子育て。利用できるものはどんどん使うべきだと思いました。監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2022年11月27日私は第2子を出産した際、持病で服薬していたため、子どもに母乳をあげられませんでした。病院の方針など身近なところで完全母乳を推奨する声を耳にするたび、母乳を飲めない子どもがふびんで仕方ありませんでした。1人目の子育て中にパニック障害を発症私は1人目の子どもが2歳のときに、仕事などのストレスからパニック障害を発症しました。服薬治療をおこなっていたのですが、2人目を考えたときに薬を中止することができず、減薬という方法で妊娠に臨みました。 そして、パニック障害の治療を続けながら不妊治療も並行しておこない、第2子を妊娠することができました。 薬の効果が切れる時間を狙って母乳をあげる産後の母乳については、心療内科の先生と産婦人科の先生の双方に相談をしました。赤ちゃんへの薬の影響を考え、薬の効果が切れる時間帯にだけ母乳をあげるという方針に決めました。 その薬の効果が切れる時間帯は、1日のうちでたった一度のみ。あとの時間はすべて育児用ミルクを与え、母乳は搾って捨てていました。1日に一度きりでしたが、母乳を飲んでいる赤ちゃんの姿が愛おしく、母乳をあげている時間は至福の時でした。 体調が悪化して母乳は完全中止に…産婦人科を退院後、パニック障害の症状が悪化してしまい、薬の量と回数を増やすことになりました。その結果、母乳をあげられる時間帯はなくなり、赤ちゃんが生後1カ月のうちに母乳をやめることになったのです。 当時は母乳をあげられない自分が悔しく、また赤ちゃんに申し訳ない気持ちから、毎日のように泣いていました。母乳をあげられない自分を“ダメな母親”だと責め、産後うつにまで陥りました。一方で、育児用ミルクでの子育ては何の問題もなく、むしろ飲んだ量がわかったり、腹持ちがよかったりといったメリットも多かったです。 育児用ミルクで育てたことに後悔はありませんが、第2子が小学生になった今でも、もっと母乳をあげたかったなぁと、ふと思うことがあります。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2022年11月22日現在2人の子どもを育てています。第1子である娘の1カ月健診は、娘との初めての外出でした。しかも検査などに時間がかかったために長時間の外出となったのですが、その間に必須の授乳で意外な問題に直面してしまったエピソードです。長時間かかった1カ月健診娘は生後すぐに心雑音があることを指摘されていました。すぐに手術などが必要ではなかったものの、家で経過を観察し、1カ月健診でレントゲンなどの検査を受けることになっていました。 そのため、娘の1カ月健診の日は、私の産後1カ月健診、そして娘の心臓の検査2つを受けることに。大きな病院で待ち時間もとても長く、最終的にすべてが終わるまで6時間ほどかかりました。 初めての外での授乳! アレがない!その間にどうしてもおこなわなければいけなかったのが、授乳。完全母乳で育てていたので育児用ミルクなどは持ってきていません。病院に行く前にたっぷり授乳はしてきましたが、長い待ち時間のなかで娘がおなかを空かせて泣き始めました。事前に病院の授乳室の場所は把握していたので、「ちょっと授乳してきます」と受付の方に伝え、意気揚々と授乳室へ。 これが退院後、家以外での初めての授乳です。授乳室というのも初体験で少しワクワク。たどり着いた授乳室には、広いスペースに椅子がいくつか並んでいるだけでした。思わず私は「アレ?」と思い、授乳室の外にもう一度出てあるはずの物を探しました。そこには私があると思っていた「授乳クッション」がありませんでした。 テンパりながらなんとか終えるそれまで家での授乳は授乳クッションが必須でした。当然、病院の授乳室にも授乳クッションがあるものと思い込んでいたのです。しかし私が行った病院では授乳クッションが置いてありませんでした。「え、授乳クッションなしで授乳ってどうやればいいの?」とさっきまでのワクワク感はどこへやら。 ドキドキしながらとりあえず椅子に座りました。そして、長女と同じくらいの月齢の子に授乳クッションなしでおっぱいをしているママをチラリと見ました。その授乳室は個々を隔てるカーテンなどもなく、他の人の授乳も丸見え。授乳中に盗み見るようで申し訳ないと思いながらも、そのママの授乳の仕方をマネさせてもらい、なんとか長女の授乳を終えることができました。 病院の授乳室には、当然のように授乳クッションがあると思い込んでいた私。今の私からすれば、「どんなあげ方でも赤ちゃんがおっぱいを飲めればそれでいいじゃない」と思いますが、新米ママだった当時は必須の授乳クッションがないという状況に戸惑うばかりでした。もう少し気楽に考えていればよかったなと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2022年11月20日私には3人の子どもがいて、第3子は初めて母乳と育児用ミルクの混合育児をしています。直接母乳をするたびにやってくる、虚無感や焦燥感とおなかの痛み。「みんな我慢しながら母乳あげているんだから、自分も我慢しなきゃ……」。そう思っていました。どうしても授乳の時間がつらい…私には、13歳、4歳、生後1カ月の子どもがいます。上の子たちのときからそうだったのですが、私は子どもに母乳をあげるたびに気持ちがずーんと沈んだり、悲しくなったり、切なくなったり、焦燥感や虚無感があったり、おなかが痛くなったりして、泣きながら授乳していたこともしょっちゅうでした。 ホルモンの関係でみんなそうなるものだと思っていたので、授乳の時間がくるのは憂うつでしたが、我慢して母乳を与えていました。ですが、先日母乳外来に行った際に、私のように母乳をあげるときに症状が出るものを「ディーマー(不快性射乳反射)」と言うことを知ったのです。 NICUの看護師さんでも知らないディーマーとは?ディーマーとは、授乳が引き金になって起こる生理的な反射現象で、不快感や絶望感、切なさを感じたり気持ちが悪くなったりすることだそうです。私は今回3人目の育児中ですが、ディーマーという言葉は初めて知りましたし、3人目の子が入院していたNICUの看護師さんにも「初めて聞きました」と言われました。 一般的には90秒から数分で症状が落ち着くことが多く、子どもが生後3カ月になるころには症状が消失する方もいれば、授乳期間中ずっと続く方もいるそうです。 我慢しなくていいんだ!母乳外来の助産師さんには「ディーマーがあったら授乳がつらいでしょう。上の子たちのときは、頑張ったんだね。無理しなくていいんだよ」と言われました。直接母乳を与えるたびに起きる不快な症状は、みんなが経験するものだと思っていたのですが、そうでないとわかり、「無理して我慢しなくていいんだ」と思えるように。 そこから直接母乳をあげることはやめました。私の場合、搾乳だと症状は出現しないので、今は搾乳器で搾った母乳と育児用ミルクを交互にあげています。手間はかかりますが、授乳の時間が苦痛ではなくなり、穏やかな気持ちで授乳することができています。 今まで、授乳のたびに起きる苦痛な症状を我慢しながら直接母乳をあげていました。しかし、今回ディーマーという言葉を初めて知り、直接母乳をあげることはやめ、搾乳と育児用ミルクの混合育児をしています。直接母乳をあげていたときには、授乳時間が近づくたびに憂うつで仕方なかったのですが、今は穏やかな気持ちで授乳時間を迎えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:吉川 みきな14歳女の子と4歳男の子、0歳の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年10月19日フランスで出産し、母乳で育てたいと思っていた私。2年前に長男を完全母乳で育てていたので、2人目も母乳に関してはまったく心配していませんでした。しかし、産後予想以上に母乳分泌が悪く、次男の体重減少が著しいため、通常自然分娩は3日で退院できるはずが退院延期に。まさかの出来事に慌てた私は、その日から次男の体重を増やすため母乳分泌促進のため奮闘しました。そんな私の体験談です。 あれ? 次男の体重が…私は妊娠40週で3,410gの第2子となる元気な男の子を出産。母子同室だったので、次男が泣いたときや3時間間隔で授乳していました。しかし、次男はあまり母乳を欲しがらず、羊水をたくさん飲みこんでいたのか吐くことが多かったのです。助産師さんに聞くと、「生後数日間は羊水を吐くのは普通。吐ききったほうがいいのよ」と助言をもらいました。 私は「授乳しても吐くなら頻回に授乳しないほうがいいのかな」と勝手に解釈し、次男が5~6時間寝ている間も授乳しないで様子をみていました。すると、産後2日目、次男の体重が300gも減っていたのです! ついに退院延期その日から私は助産師さんの指導のもと、昼夜関わらず頻回授乳し、授乳後に搾乳をして、助産師さんによる母乳マッサージも受けました。しかし、次男は空腹で泣き叫び、出ないおっぱいを必死で吸い続けた結果、体力がなくなりおっぱいをくわえても眠ってしまうようになったのです。 体重の増えも悪く、退院延期に。育児用ミルクを使って次男の体力を回復しながら母乳育児を進める方向になりました。私は激しく落ち込み、悲しくなって泣いてしまいました。 救われた助産師さんの言葉そんな私に助産師さんが「出ないのは当然。赤ちゃんが満足に飲めるくらい出始めるまでに約1週間はかかるものよ」と声をかけてくれ、救われたような気持ちに。 「息子の体重を増やせるのは私しかいない!」と思い、育児用ミルクを併用しながら授乳を続けました。その結果、翌日次男の体重は200gも増えて無事に退院することができました。退院後は母乳が出始め、今は母乳分泌もよく安定して次男の体重も増えています。 母乳育児に関して何も心配していなかった私は、予想外の出来事に驚きました。しかし、私の場合は助産師さんに助けてもらいながら母乳分泌促進の努力をしたためか、次男が生後2カ月目になる今でもトラブルなく母乳育児を続けられています。出産・育児は毎回同じではないこと、母乳が出ることが当たり前ではないことを改めて学ぶ機会となりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKOイラストレーター/まっふ著者:岩見 エリ2男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2022年10月10日