タリーズコーヒー(TULLY’S COFFEE)初となる、ブリュワリーを併設した新店舗が静岡・富士宮に誕生。タリーズ初“ブリュワリー”併設した新店舗今回タリーズコーヒーの新店舗がオープンするのは富士山の麓、富士宮。富士山の湧き水を使用したクラフトビールを提供するブリュワリー「Mt. Fuji Brewing」内に、タリーズコーヒー初のブリュワリー併設店舗として誕生する。本格コーヒーやビールとともに特別なひと時を店内に入ると、手前にクラフトビールサーバー、奥にはエスプレッソマシンがずらり。本格的なコーヒーや自家醸造のクラフトビールを存分に楽しむことができる。さらに、「Mt. Fuji Brewing」では、レストランバーガーなどこだわりのメニューも用意しており、ランチ、ディナーともに、フードのラインナップが豊富なのも嬉しい。開放感溢れる富士山麓の絶好ロケーションまた開放感あふれる絶好のロケーションも魅力。ガラス張りの店内からは、富士山本宮浅間大社や神田川を一望することができる。【詳細】タリーズコーヒー 富士宮店オープン日:2021年4月2日(金)住所:静岡県富士宮市大宮町4-5営業時間:9:00~21:00TEL:0544-25-6888
2021年05月20日B級グルメ王者の名をほしいままにした「富士宮やきそば」を見るまでもなく、静岡県はご当地グルメの宝庫だ。今回は、浜松地方で昔から親しまれている「遠州焼き」にスポットを当ててみたい。最初に説明しておくと、遠州とは、かつての遠江国(とおとうみのくに)。大井川から西の地域で、遠州焼きは特に浜松方面で愛されている食べ物で、ご当地グルメの中ではいわゆる「粉もん属」に分類される。要するにお好み焼きだ。まずは食べてみよう。と、浜松市内で遠州焼きを提供する「柿ノ木茶屋」というお好み焼き店さんに立ち寄った。ここの店には、「遠州焼き」という商品は存在しない。あるのは「お好み焼き」だけだ。どういうことかというと、全てのお好み焼きが遠州焼きということだ。作り方を見てビックリしたのは、生地がすごく薄焼きだということ。だから、焼き時間がすごく短い。生地の時点で、黄色い粒粒がほのかに見える。これがタクアンか。数分で焼き上がり、コテでペタンペタンと三つ折りに。それをさらに上からザクザクと切り分けていく。ものの5分で「はい、お待ちどうさま」と、目の間に登場してきた。早い!さすが元・駄菓子屋メニューだ。ひと口食べてみると、生地は薄いのに実にふんわりした食感。ネギの甘さとショウガのピリッとした刺激に加え、あっさり風味のソースゆえか、「意外と和風だなあ」という印象だ。お好み焼きというよりはネギ焼きだ。そこに、タクアンの自然な甘さとシャキシャキした歯ごたえが加わる。おいしいのはもちろん、「食べ飽きない」味わいだ。ちなみに、1人前に使うタクアンは「大さじ1杯くらい」だそう。何よりも手軽なのがいい。おやつにもいいし、ご飯にもなる。もちろんビールのお供にもいい感じだ。「うちの遠州焼きは、皆さんあっさりしてると言ってくれますよ」と言うのは、おかみさんの小林真澄さん。ご主人のお母さんが営んでいた駄菓子店が前身で、小林さんは嫁入り後に店を引き継いだそう。「私も浜松の出身じゃないから、初めて遠州焼きを食べた時はビックリしましたよ」と屈託ない笑顔を見せる。なぜ遠州焼きにタクアンが入っているかというと、戦後のモノ不足が原因だったという説が有力だ。浜松市の北部に三方原(みかたはら)という土地があり、ここでは大正時代からジャガイモの裏作として大根が盛んに作られていたため、タクアンが豊富にあったのだ。戦後に食材が入手しづらかった時代、手軽で日持ちするタクアンを入れてお好み焼きにしたのが始まりだという。とはいえ小林さんは、「ルーツはいろんなことをいう人がいるから、ホントのことは分からない。冷蔵庫の中にあったものを適当に入れて焼いたら、いつの間にか遠州焼きになったんじゃないかな~?」とこれまた屈託ない。遠州焼きは浜松市内の限られた店でしか食べられない、守るべきスーパーローカルフード。しかしその発祥と言われている駄菓子店は、ここ数年でバタバタと廃業しているのが現状だ。B級グルメブームが後押しし、東京でも提供する店が出てきた一方で、昔ながらの遠州焼きの店は確実に減ってきている。ともあれ、ベースはお好み焼きなので、家でも簡単に作れるのがこの遠州焼きのいいところ。浜松になかなか行けない人は、まずは家庭内お好みパーティーで、そのうまさを体感してみてはいかがかな?●information柿ノ木茶屋浜松市元浜町234 【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月26日オレンジ色をしたのぼり旗―この旗が立っている店なら、静岡県内のどこでも「富士宮やきそば」を味わうことができる。この色の旗がたなびくのは、時に駄菓子屋だったり、喫茶店だったり、居酒屋だったり。中華料理店だったり、タバコ屋だったりもする。今や道を挟んだ向かい同士で2本の旗が立つ光景も珍しくないほどの盛況ぶり。それが、富士宮やきそばの人気の証明だ。現在、市内には130件、富士宮やきそばを出す店があり、店舗数は年々増加中だと聞く。さらに、この地区では、ラードを絞った後に残る豚の脂身「肉カス」需要の増加で、ラードが余るという現象まで起こっているらしい。富士宮やきそばといえば、第1回・第2回と立て続けにB1グランプリを獲得し、一躍全国区となったB級グルメの代表格。特徴は硬い蒸し麺。具は肉カスとキャベツ、ネギ、イワシの削り粉。ラードで炒め、あっさりとしたソース味でまとめてある。コシのある蒸し麺の弾力感に加え、歯ごたえのある新鮮な地元キャベツがふんだんに盛り込まれ、素朴であったかいおいしさ。店によって、紅しょうがを載せたり、上に目玉焼きを1つ載せて食べたりと、味わい方も様々だ。作り方はあまり普通の焼きそばと変わらない。では何が違うのだろうか?「富士宮やきそば学会」事務局を取材した。まず、取材を通して知った驚愕の真実。富士宮やきそばは1999年までこの世に存在しなかったというのだ。あの昭和テイスト満載の焼きそばがまさかと思うがこれは本当のこと。1999年以前にも、「コシのある硬い麺」など似た特徴をもつ焼きそばは富士宮にあり、市民に親しまれていた。でもそれは「普通の焼きそば」だったと語るのは、「富士宮やきそば学会」の小林さんだ。ルーツを戦後まで戻そう。このエリアの焼きそばは、戦後、皆がまだ貧しい頃に生まれた。独特の麺は、ゆでずに蒸したもの。水分が少ないため長持ちする。そのため、冷蔵庫のない時代に重宝したという。また、食の貧しかった時代にただ同然で入手できた、肉カスやイワシの削り粉もありがたい存在だった。これらによって昭和20年代、この地区に多かった製糸工場の女子工員や学校帰りの子どもたちの空腹感を満たす最適なメニューとして、焼きそばが登場した。その後も地域の人々によって、このレシピは愛され守られてきたという。そして、極貧から生まれたこの焼きそばに注目が集まったのが、今から約13年前のこと。富士宮の町おこしに使える商品が何かないかと探していた。その時に僕たちの「焼きそば」とよその「焼きそば」には、かなり違いがあると気付いたことから始まったという。この地域の焼きそばを「富士宮やきそば」と名付け、20人ほどのメンバーで「やきそばG麺」を結成。雨の日も晴れの日も労苦を惜しまず、市外のイベントに出掛けては富士宮やきそばを焼くという出張プロモーション「ミッション麺ポッシブル」を始めた。富士宮やきそばのオレンジの旗には、う宮~(うみゃー=静岡県の方言でうまいの意味)の文字も見える。宮は富士宮の宮だ。・・・もうお気付きだろう。「富士宮やきそば」の周辺は、しょーもない親父ギャグであふれかえっている。「徹底的にバカバカしくやろう」というのが「富士宮やきそば学会」代表の渡辺英彦さんのポリシーなのだという。しかも、ダジャレパワーをさく裂させているのは、「富士宮やきそば学会」のメンバーだけじゃない。富士宮市の農協まで、2008年に巨大農産物直売所を「う宮~な」という名でオープン。富士宮は畜産も盛んな地域だが、養豚業ではランドレース種、ヨークシャー種、バークシャー種を掛け合わせた豚に、それぞれの頭文字(LYB)から「ルイビ豚」と命名。それまでシリアスだった農業関係者へダジャレセンスが飛び火したことで、町起こしから地域起こしへ爆発的な進化を始めた富士宮市。さらに、浅間神社の前にある屋外フードコートお宮横丁には、「ポーク神社」という豚肉を味わえる店も開店した。こうなると親父ギャグはその勢いを抑えることはできない。「ふじのみやニジマス学会」が開発した缶詰には「鱒財缶(そんざいかん)」、緑茶入りの皮でマスを包んだギョーザには「餃THE鱒(そうざます)」。という商品名が付けられたのだ…。話を富士宮やきそばに戻そう。活動と同時に商標登録などあの手この手を駆使して、今日のポジションを文字通り一から築き上げていった、オレンジ旗が目印の富士宮やきそば。戦後、クズ肉を使って子供たちの飢えをしのいだこの焼きそばは、時代を経て、地域の人びとの団結の元で輝ける成功例になった。結果、それまで富士宮市など見向きもしなかったハトバスまでがツアーで参加。9年間で439億円もの経済波及効果をもたらしたという。これにより、富士宮市がこれまでに例をみないほど活気付いてきた。10年ほど前からは商店街の店舗を使って、プロのアーティストや市内の子供たちの作品を展示する、まちなかアートギャラリーも始まった。浅間大社の参道を灯ろうで幻想的にライトアップする「表富士燈回廊」、「富士宮あかり絵」という催しも近年始まったイベントだ。富士宮やきそばと普通の焼きそばの違い―それは、戦後から地域に根付いていた食文化を豊かな今の時代に再発掘。そして、ダジャレとアイデアを駆使しながらアピールし続けてきた富士宮の人々の、町を想う心意気にあるのかもしれない。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月28日