お笑いコンビ・サンドウィッチマンの富澤たけし(49)が24日、自身のブログを更新。相方・伊達みきお(49)の姪っ子が声優の伊達さゆり(21)であることが“公表”されたことを受け、改めてブログで思いをつづった。初公となったのは、23日放送のニッポン放送『サンドウィッチマン ザ・ラジオショーサタデー』(毎週土曜後1:00)でのこと。ゲスト出演したさゆりと最初のうちは“あえて”他人行儀な会話をしていたが、富澤が「もういいわ…(笑)。お前ら、親せきじゃん!」と切り出すと、みきおが「ハッキリいって、姪っ子ですよ」と打ち明けた。さゆりは、自身の弟の娘で「赤ちゃんの時から知っているから」とみきお。番組ではお互いの呼び方も明かすなど、終始和やかなトークが行われた。一夜明け、ブログを更新した富澤は「昨日はラジオのゲストに声優の伊達さゆりちゃんが来てくれて、相方の姪っ子であることをやっと公表することができました!」とスッキリした様子で、さゆりの写真をアップ。富澤とみきおは、仙台商業高校出身の“同級生コンビ”とあって「小さい頃から面識はあるので、さゆがこうして芸能界で活躍しているのが不思議な感じ」「相方の弟の子供、というかその弟が中学生の頃から知ってるから、あれからそんなに経ってんの!?と変な感じです」と感慨深げにつづった。コメント欄には「ラジオでの重大発表、大変びっくりしています 伊達さんの姪っ子だったなんて」「ラジオを聴いて感動しました」「凄いですね」「本当にビックリよ!」「とてもキレイな姪っ子さんですね これからの活躍に期待大です」など、さまざまな反応が寄せられている。
2024年03月25日2023年5月10日、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』の富澤たけしさんがブログを更新。草野球が原因で、あばら骨を骨折してしまったことを明かしました。『サンドウィッチマン』富澤たけし、草野球であばら骨を骨折プロ野球球団『北海道日本ハムファイターズ』OBとの野球のイベントへの参加を控えていた富澤さんは、準備運動を兼ねて草野球をすることにしたのだとか。「ケガをしないように、今のうちに身体を温めておこう」と思った、富澤さん。しかし、皮肉にもその判断によって、ケガをすることになってしまったのです…。富澤さんは骨折の経緯について、このように説明をしました。ライトオーバーの短打を放ち、一塁でリードを取るとピッチャーの伊達から鋭い牽制が2回ありました。頭からスライディングで帰塁した時に『アバラが痛い…!』と感じましたがそのまま続行。まぁ2〜3日すれば治るだろうと、その後のイベントを終えるとアバラの痛みと水の溜まったヒザの痛みもどんどん悪化。咳や笑うとアバラが痛い。世は連休で病院も休みだったりなかなかスケジュールも合わずで病院にも行けず。やっと病院に行くと先生が、『結果から言うと、折れてますね』サンドウィッチマン 富澤たけしオフィシャルブログーより引用富澤さんは、実際のレントゲンも公開。あばら骨が折れていたことを知った時は、「そりゃ痛いわけだ!」と納得したといいます。ケガをしないために行った草野球が原因でケガをするという、なんとも本末転倒な展開。その後富澤さんは、ヒザに溜まった水を太い注射で抜くなど、散々な目に遭ってしまったようです…。よほど痛かったのでしょう。治療後の富澤さんの表情からは「もうこりごりだ…」という声が聞こえてきそうですね。今回のエピソードを経て、富澤さんは世の中の同年代に向けて、「オジサンのみなさん、間違いなく身体は衰えていってますよ!気を付けましょう!」と注意喚起を行ったのでした。2023年5月現在、富澤さんは49歳。同年代の人は、「自分はまだまだ大丈夫」とは思わず、くれぐれもお気を付けください…![文・構成/grape編集部]
2023年05月11日お笑いコンビ『サンドウィッチマン』の伊達みきおさんは、2023年1月20日のPCR検査で、新型コロナウイルス感染症の陽性と診断されたのち、休養して同月27日に復帰しました。相方の富澤たけしさんも、同月21日に陽性が判明したため休養に。同月29日に無事復帰したことをブログで公表するとともに、魚類学者であり、タレントとしても活躍する、さかなクンに向けた感謝の言葉をつづりました。すギョい行動力!さかなクンらしい贈り物富澤さんの休養中、お見舞いに直接は行けないものの気持ちを届けたかった、さかなクン。魚をさばく時に使える包丁などの5点セットのほか、みりん干しやワカメ、おすすめの魚も送っていました。富澤さんが、さかなクンから届いたメールを見ると、そこにはこんなメッセージが…。『おはようギョざいますギョ体調良くなられて嬉しいです・富澤さまのお魚探しに、今漁船です明日ギョ発送して…』いや、メールでも『ギョ』の数!!さかなくんの優しさに感謝です!富澤たけしオフィシャルブログーより引用魚は、雨の日にもかかわらず、さかなクンが自ら漁船に乗り込み、捕ってきたものだったのです!相手のためを想うからこそ、自分の手で捕ってくるとは、さすがさかなクンですね!さかなクンの行動力と優しさに、このような反響が上がっています。・お魚も包丁も立派!・さかなクンの優しさたるや…。真っ直ぐな方ですね。・あちこち走り回って集めた、文字通りの『御馳走(ごちそう)』だなぁ。健康のためには栄養のある食事が大事。さかなクンから届いた魚は、病み上がりの身体を完全復活させる一助となったことでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年01月31日アプリ版「ぴあ」の表紙をデザインしている及川先生のイラスト制作過程を「making of」として公開。今月はサンドウィッチマンの富澤たけしさんが単独で登場です。イラスト
2022年10月09日人気お笑いコンビ『サンドウィッチマン』の富澤たけし(とみざわ・たけし)さんは、相方の伊達みきおさんとともに数々のテレビ番組で活躍しています。プライベートでは2009年に一般の女性と結婚。現在はよき夫、父親としての一面が注目されることも。そんな富澤たけしさんの高校時代の卒業アルバムや、バラエティ番組で見せた『十番勝負』、お笑いコンビ『フットボールアワー』の後藤輝基(ごとう・てるもと)さんとのエピソードなど、さまざまな情報を紹介します!富澤たけしの嫁はどんな人?2009年に、約3年間交際を続けていた女性との結婚を報告した富澤たけしさん。2人は知人の紹介で知り合い、プロポーズは妻からだったそうです。しっかり者の妻ですが、少し天然な一面も…。富澤たけしさんは2010年3月17日のブログで、妻の『迷言』を紹介しています。テレビでアクションシーンの映像が流れていた。妻はそれを見ながら『インスタントマンって大変だねー』と、言ってきた。大変なのはスタントマンと旦那さんだ…。富澤たけしオフィシャルブログーより引用妻のいい間違いに、なんだか癒やされてしまいますね。そんな妻のことが大好きな富澤たけしさんは、以前出演したバラエティ番組で「1日にメールを50通以上も送る」と明かし、予想の斜め上をいくラブラブぶりを公表。さらに、家では妻を『さえにゃん』と呼んでいることも暴露しました。富澤たけしは父としても奮闘中息子の『願いごと』にうるっとする富澤たけしさんは2011年4月に長男の誕生をブログで報告。「まだ自覚はない」といいつつも、初めて父になった喜びをかみしめています。そして2015年6月9日には次男が誕生。ブログでは「男の子が2人とにぎやかで大変そうですが、『6月9日』だけに『ロック』、きちんと『戸締りのできる』人間に育てていけたらと思っています!」とユーモアたっぷりにつづっていました。そんなある日、幼稚園児になった長男が、願いごとを記した七夕の短冊を持って帰ってきたといいます。そこに書かれていたのは『おわらいげいにん』という言葉。これを見た瞬間、富澤たけしさんは「うるっとしてしまった」といい、父親としての素直な気持ちをつづっています。ガキんちょが幼稚園で七夕の短冊に願い事を書いてきた。「おわらいげいにん」将来、父と同じ仕事に就きたいと思ってくれる事にうるっとした。その反面、世にでることも大変で、ほんの一握りの人しか食べていけないこの厳しい世界を選ばせたくないなぁ、という複雑な思いがあとからやってきた。でも、お前の人生だからお前の自由だ。何になろうが、一人前になってくれたらそれでいい。それがパパの願い事。富澤たけしオフィシャルブログーより引用富澤たけし、卒アルの『バット』が伝説に富澤たけしさんは2018年2月2日のブログで、自身がプロデュースしたグッズを販売する通販サイト『tt-shop』を開設したことを報告しています。これまでライブツアーでしか購入できなかったグッズの中には、高校の卒業アルバムの写真をプリントしたTシャツが。当時の富澤たけしさんはラグビー部であったにも関わらず、野球のバットを持ち、髪型をリーゼントにしていかつい表情を決めています。そんな伝説の写真がプリントされたグッズが買えるとあって、ファンは大喜び。Tシャツはまたたく間に売り切れ状態になりました。そして2020年3月18日のブログでは、売り切れに感謝するとともに再入荷を報告。最後に「卒業するみなさん、卒業アルバムはちゃんと撮りましょうね!」とお茶目に呼びかけています。富澤たけし、汗対策をブログで語る富澤たけしさんは汗っかきな体質で、特にライブ中は照明の熱で苦労するそうです。2017年7月27日に更新したブログでは「どうにか暑さ対策ができないものか?」とつづり、ある名案を思いついたことを報告しています。そんなわけで何かライブ中に暑さ対策はないものか?と毎年考えているが、「今年はネタの合間にかき氷を食べて中から冷やしたらどうか?」と思いつき、コンパクトで持ち運べる高さ30センチぐらいのかき氷マシーンを購入してみた。富澤たけしオフィシャルブログーより引用「外側からがダメなら、内側から冷やそう!」と、持ち運べる『かき氷製造機』を導入。オススメの味を紹介しつつ、「今年はかき氷で単独ライブツアーを乗りきりたいと思います!」とやる気を見せました。『富澤たけし十番勝負』とは?富澤たけしさんは相方の伊達みきおさんとともに、バラエティ番組『サンドのぼんやり~ぬTV』(東北放送)に出演しています。2015年6月5日の放送では、企画『富澤たけし十番勝負』に挑戦。富澤たけし十番勝負予告編ここではヌンチャクでピンポン玉を打ち返す『ヌンチャク卓球』や『目隠しで真剣白刃取り』、『高下駄を履いて長縄跳び』といった無理難題に挑みました。すると視聴者から「面白かった!」という声が殺到し、その後、同企画は数度にわたって放送されています。富澤たけしが後藤輝基とコンビを組む?富澤たけしさんは2011年1月1日に放送されたバラエティ番組『ザ・ドリームマッチ2011!』(TBS系)に出演。同番組は人気お笑い芸人たちをシャッフルし、一夜限りのコンビを結成して新ネタを披露するという内容になっています。この時、富澤たけしさんは先輩であるお笑いコンビ『フットボールアワー』の後藤輝基さんとコンビを組むことに。すると、見事優勝を果たし、その喜びをブログにつづっています。そして今回の後藤さんとのネタでは前半に『設定に入らない漫才』に挑戦してみました。普段やらないことをやるのは自分の中で凄く勇気のいることで、こういう機会だからこそできたりします。時間のない中でもがき、苦しみながら逃げずにチャレンジしたことが優勝という形で評価してもらえたことは純粋に凄く嬉しいです。ガキの頃は貰ったことないのに、30歳を過ぎてからトロフィーを貰うことが増えるとは驚きです。富澤たけしオフィシャルブログーより引用お笑いだけでなく、最近では俳優としての活躍も目立つ富澤たけしさん。さらなる活躍から目が離せません!富澤たけし プロフィール生年月日:1974年4月30日出身地:宮城県血液型:AB型身長:1703所属事務所:グレープカンパニー1998年に漫才コンビ『サンドウィッチマン』を結成。お笑いで人気を得る中、相方の伊達みきおとともに『みやぎ絆大使』や『東北楽天ゴールデンイーグルス応援大使』、『ベガルタ仙台仙台市民後援会名誉会員』など地元に根付いた活動も行なっている。テレビではバラエティ番組『帰れまサンデー・見っけ隊』(テレビ朝日系)や冠番組『サンドのぼんやり~ぬTV』に出演。近年は俳優としての活躍も目立ち、2018年放送のドラマ『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)では名演技を見せている。[文・構成/grape編集部]
2020年06月09日お笑いタレントのビートたけしが27日、東京・浅草の東洋館で開催されたお笑いコンテスト「たけしが認めた若手芸人 ビートたけし杯『お笑い日本一』」に登場。審査員を務めたお笑いコンビ・ナイツをべた褒めした。同コンテストは、たけしの「つまらない奴が審査しても面白くない、その日一番ウケた奴に賞を贈る」という考えのもと、真の若手芸人日本一を決める大会。観客、放送作家の高田文夫氏、お笑いコンビのナイツが審査を務めた。2回目の開催となった今回は、グランプリも準グランプリも該当なしという結果に。たけしは「面白い部分もあるけど、現場としてまるっきりウケてなかった」と話した。大会後の囲み取材では、たけしがナイツについて「ナイツがいなかったら東京の漫才は終わってたよ。関西に張り合えるのはこのグループしかいない。今一番だよ」と絶賛し、「この間の『THE MANZAI』、一番だと思った。ナイツが一番良かった」と感心。塙宣之も土屋伸之も、恐縮しながら聞いていた。また、塙は「2002年に漫才協会に入って、内海桂子の弟子になって17年になるんですけど、たけしさんの番組で初めて共演したときに、袖で『絶対解散しちゃダメだよ。漫才やり続けなきゃいけないよ』って言われた言葉があったので、ずっと漫才を頑張っている」と打ち明け、「これからも、おぼん・こぼんみたいにならないように、仲良く一生懸命頑張っていきたいと思います」と笑いを誘った。
2020年01月27日お笑いタレント・ビートたけしが認めた若手芸人をたけし自ら表彰するお笑いコンテスト「たけしが認めた若手芸人 ビートたけし杯『お笑い日本一』」の第2回大会が27日、東京・浅草の東洋館で開催され、今回はグランプリも準グランプリも該当者なしという結果となった。同コンテストは、たけしの「つまらない奴が審査しても面白くない、その日一番ウケた奴に賞を贈る」という考えのもと、真の若手芸人日本一を決めるもの。観客、放送作家の高田文夫氏、お笑いコンビのナイツが審査を務めた。関東圏内に所在する芸能事務所または区内演芸場等の推薦を受けた芸歴10年以下の若手がエントリーし、1次審査(映像審査)、2次審査(実演審査)を経て、8組が本戦に出場。おせつときょうた、オッパショ石、ザ・パーフェクト、ザ・マミィ、バオバブ、バジトウフー、マリオネットブラザーズ、まんじゅう大帝国がネタを披露した。8組とも全力で挑戦したが、たけしは「一番考えないといけないのは、我々はお金をとって芸を見せる。お客が笑わないというのはその価値がない。お客さんを見て合わせないといけないが、稽古したネタをそのままやってしまっている」と指摘し、「というわけで、優勝者なし。準優勝もなし」と発表。「面白い部分もあるけど、現場としてまるっきりウケてなかったからこれは失格だろう」と加え、優勝賞金30万円について「我々がもらいます。俺はかみさんにとられちゃったんだよ」と離婚をネタに笑いを誘った。
2020年01月27日タレント・ビートたけしが「オフィス北野」から退社・独立した騒動について、同事務所に所属するたけし軍団の水道橋博士、つまみ枝豆らが1日、それぞれのブログで「軍団一同」名義の声明文を発表。オフィス北野の森昌行社長の経営に「明らかな違法行為」や「完全な裏切り行為」があり、独立に至ったと明かした。ビートたけし「報道されている、師匠・北野武氏の独立について」と題した投稿で、「幾つか事実関係についての確認、師匠が独立に至った経緯について、我々、たけし軍団の認識をご報告申し上げます」とし、まず「オフィス北野は1988年、たけし&たけし軍団の新会社として設立されました。芸能事務所ではありますが、師匠は芸に徹するため、経営、財務については森昌行社長を信用され、全面的に任せておりました」と説明。そして、「が、数年前、師匠が保有する別会社の株式に関する疑義が発生した際に、師匠が不審に思い、事情を調査したところ、明らかな違法行為がありこの出来事をきっかけにして、オフィス北野の経営も、改めて確認されたいと申し出たところ、その結果は思わぬ方向に波及してしまったことが、今回の騒動の引き金になっております」と明かした。続けて、発覚した事案として「師匠が知らない間に、森社長が、何時の間にか、オフィス北野の筆頭株主になっていた」「森社長をはじめ、会社の役員報酬の金額が師匠にとっては容認できない水準になっていた」という2点を告白。その際、森社長は、師匠との協議を重ねて、信頼を失ってしまうような行為をしてしまったことを平に陳謝し、「今後は信頼を回復するために頑張りますので再度チャンスを下さい」と申し入れ、たけしが受け入れたという。だがその後、オフィス北野が赤字に転落し、たけしが経営に関する問題点として、「株式の移動に関する手続きの不備」や「役員報酬の水準に関する不満とその決定に関する手続きの不備」などを指摘。森社長は不備を認め、改善を約束するも、その作業工程が遅れ、今年3月にたけしが独立の意向を示したという。「これが、世を騒がした、ビートたけし独立の経緯です」と記した。そして、「せっかく一度は、互いの信頼回復の機会がありながら、結果的に、森社長が師匠の信頼を裏切ってしまう形になってしまったことは、たけし軍団一同、師匠に対し申し訳ない気持ちでいっぱいです」とし、また、「森社長から、2度にわたり師匠の信頼を裏切ってしまったことへの謝罪を受け入れ、今後は、たけし軍団、オフィス北野に所属するタレントのために経営を続けて取り組んでいきたい、とのことで、たけし軍団は、新事務所に移籍することなく、オフィス北野に居残り、出直しすることに至りました」と事務所残留を決めた思いも明かした。さらに、「更に、師匠と弟子の関係、及び絆は、事務所を違えることになっても、変わらず継続中であることを強く申し上げます」と、たけしとの関係に変わりはないとつづった。
2018年04月02日ビートたけし(71)の独立で、たけし軍団はさらに絆を固く結んだようだ――。 同軍団は83年に結成。北野のもとに弟子入りした人物らによって構成されており、それぞれが「オフィス北野」に所属している。 北野がオフィス北野から独立するとわかったのは3月13日。その翌日14日、“たけし軍団の番頭格”とも呼ばれる最年長のガダルカナル・タカ(61)は「とびっきり!しずおか」(静岡朝日テレビ)に出演し、「我々は残ります」と明言。「我々」ということもあり、残留は団員の総意であるようだ。 「軍団が一緒にいくと、結果は(これまでと)一緒。たけしさんが少しでも楽に自分のペースで仕事ができるように、我々は残って今まで通りの仕事をする」 さらに「軍団の絆は『変わらない』」とタカは話しており、今後も“師匠と弟子”という関係が続くことを示唆している。 タカと同様に軍団の古株であるダンカン(59)も14日、サンケイスポーツの電話取材に応じ「たけし軍団との絆は変わらない」とコメント。北野が仕事場で団員に仕事を与えるようスタッフに売り込んでいたことを回想し、「殿は『オレが退くことで、軍団のマネジメントに力が入るのでは』と考えて退社したのかも」と分析していた。 団員の間でも独立のウワサは1カ月前から流れていたという。スポーツ報知によると独立報道の直前、北野はたけし軍団を連れて12日から1泊2日の日程でテレビ番組のロケを行った。撮影を終えた12日夜には、旅館で宴会を催したそうだ。北野は「お前ら、飲んどけ飲んどけ」と酒を勧め、いつも以上に親身に振る舞っていたという。 一夜明けた13日にはついに「オレはもう新しい会社に移るけど、お前らは今のまま残って頑張れ」と北野は初めて“独立”を口にした。続けて「オフィス北野軍団」に改名するよう進言もあったという。 86年のフライデー襲撃事件では、11人の団員を連れ「フライデー」編集部に乗り込んだ北野。警察に連行される際、「お前らの面倒は一生見るから」と団員に言ったとされるが――。面倒を見てきた“殿”が下した決断に、軍団は感謝を込めてエールを送ったようだ。
2018年03月16日サンドウィッチマンが3月2日、東日本大震災のための「東北魂義援金」に寄せられた948万5,255円を届けるため宮城県庁を訪れた。 同義援金を通じて集まった総額は、現時点で4億円以上。伊達みきお(43)は「振り込んでくれたり、チャリティーグッズを買ってくれた全国の人の思いをしっかり持ってきました」と語った。相方の富沢たけし(43)も「震災孤児のためにもしっかり使ってほしい。子供たちの成長はまだまだこれからですから」と使い道の展望を述べた。 震災当日は気仙沼市にいたと震災発生から5日後、同義援金口座開設を発表した会見で2人は明かしている。 「でっかい地震は何度か経験してますけど、あんな地震は初めて。2分くらいその状況(立つことも困難なほどの地震)が続いて、そのあと建物からいっぱい人が出てきてガラスが割れる音がして、悲鳴がいっぱい聞こえて、気仙沼市のサイレンが鳴りまして」(伊達) 選択肢を誤っていれば、津波に飲まれる可能性もあったという2人。復興に向け行動を起こすことを「使命」と感じたそうだ。しかしその取り組みに「売名行為」「震災芸人」と揶揄されることもしばしばあったと昨年3月、ラジオで明かしていた。 「ただ、僕らはあの津波を目の当たりにしたわけですよ。芸人ではなく宮城県民として生き残った僕らはやるしかないでしょ、と。『サンドウィッチマンを見たら東北の大震災を思い出す』って声もあるとも言われたんですよ。そしたら富澤が『もっと面白けりゃ大丈夫じゃない?』って」(伊達) 宮城県民としての、そして芸人としての矜持から“覚悟”は生まれたようだ。2人は「自分たちにできること」を模索し、行動に移していく。義援金を募ることもそうだが、被災地を含め“東北で仕事をする”ということを意識して取り組むようになったと冒頭の会見では明かしていた。 「僕らが頑張れば仙台でも(みんなが)ロケとかやってくれるじゃないですか。そしたら、どんどん仙台がメジャーになっていくし」(富沢) しかしそれは自分たちのためでもあるようだ。16年6月、ラジオで語っている。 「(被災地に)行かない時期が2カ月くらいあったりすると、ちょっとだけ自分の中でも風化しているんですよ。2カ月行かないだけで、あれ最近行ってないな、そういえばちょっと忘れてた時があるなと思うんですよ。そういう時は、次の月は必ず行ったり」(伊達)
2018年03月04日「アートたけし展」が、松坂屋名古屋店にて2017年9月30日(土)から11月18日(土)まで開催される。漫才師として一時代を築き、「コマネチ!」など伝説のギャグを次々と生み出してきたお笑い芸人「ビートたけし」。今では、俳優として、『アウトレイジ』などを手掛ける映画監督としても名を馳せ、「世界のキタノ」とも呼ばれる存在だ。漫才、お笑い、コメンテーター、司会者、俳優、映画監督、作家、歌手など、枚挙に暇もない程の様々な顔をもつ彼の出発点。それは、脳内に浮かぶ様々な一枚のビジュアルだという。「映画を撮るときは、まず1枚の絵もしくは写真が頭に浮かんで、そこからストーリーを作っていく」という北野の制作秘話は有名。また、「コマネチ!」も、あのポーズ=北野武の脳内に浮かんだ1枚のビジュアルといえる。本展覧会では、北野武の最も素に近い世界=「絵画」約100点を一堂に会する。 彼自らが手を動かし、ただただ「楽しいなぁ!」と夢中になり、無心で表現した世界が繰り広げられる。また、同展は、北野の希望により展示はノンコンセプト、作品はノンタイトル。「ビート」でも「キタノ」でもない第三の“たけし”、「アートたけし」の作品の数々を堪能できることだろう。【詳細】会期:2017年9月30日(土)~11月18日(土) 50日間(会期中無休)開場時間:10:00~19:30(最終日は18:00閉館、 入館は閉館30分前まで)会場:松坂屋名古屋店南館7階 松坂屋美術館住所:愛知県名古屋市中区栄3-16-1入館料:一般 1,200円、 高・大学生 800円、 小・中学生 500円(税込)※未就学児童無料
2017年10月01日ビートたけしのアート作品の展覧会ビートたけしの「 アートたけし展」が16年2月25日から16年3月7日まで、松屋銀座にて開催される。ビートたけしにとって「絵を描くこと」は、唯一の無心で没頭できる最高の遊びだという。同展は「オイラの絵とか並べて展示してみたら、見て喜んでもらえたりするかなぁ?」というビートたけし自身の発案によって開催が決まった。会場全体にビートたけしならではのエッセンスをちりばめ、カオスのなかにも独特のウィットに富む雰囲気があふれる展示空間を演出し、ビートたけしの脳内に花火のように鮮やかにひらめいた素材、色彩豊かな景色の数々がのぞき込める展示となる予定だ。出展作品は、版画・絵画・半立体作品など約100点で、そのほとんどが初公開のもの。四角い絵を並べるだけにはとどまらず、「四角い平面」をビートたけしがどのように展示するのかも見どころのひとつとなっている。【イベント情報】「 アートたけし展」会場:松屋銀座8階イベントスクエア住所:東京都中央区銀座3-6-1会期:16年2月25日~3月7日時間:10:00~20:00(入場は閉場の30分前まで。最終日は17時閉場。)料金:大人1,000円(700円)、高大生700円(500円)、中学生500円(400円)、小学生300円※()内は前売料金、2月24日まで販売。発売日、発売場所未定
2015年12月26日オフィス北野、 テレビ朝日、 朝日放送、 ViViAテレビ朝日映像は、タレント・ビートたけしのアート作品を展示する「アートたけし展」を開催する。会期は2016年2月25日~3月7日。開場時間は10:00~20:00(入場は30分前まで。 最終日は17:00閉場)。会場は東京都・松屋銀座 8階イベントスクエア。入場料は大人1000円、高校・大学生700円、中学生500円、小学生300円(大人~中学生は前売り料金あり/2月24日まで発売予定。同展は、タレント「ビートたけし」、映画監督「北野武」とも異なる、"絵描き"としての一面を「アートたけし」と名付け、披露するもの。2010年にカルティエ現代美術財団(フランス・パリ)、2012年に東京オペラシティ アートギャラリー(東京・初台)で「絵描き小僧」展を開催して以来のアート展となり、ビートたけし自身が発案したことで開催が決定したものであるということだ。展示内容は、版画、絵画、立体などで、その大半が初公開となる約100点の作品を公開予定。同展の後援を美術出版社が務め、広報事業全般の支援を行うとのことだ。なお、松屋銀座での開催後も全国を巡回予定。発表されているところでは、2016年3月中旬:阪急うめだ本店、2016年4月29日~6月5日:みやざきアートセンター、2016年夏:金沢21世紀美術館 市民ギャラリー、2016年9月2日~10月10日:福岡アジア美術館、2017年春:長崎県美術館、2017年秋:名古屋となっており、このほかにも全国で開催を検討している。
2015年12月24日「マダム・タッソー東京」にこのたび、ビートたけしの等身大フィギュアが展示されることとなり、10月15日(水)、たけしさんも出席してお披露目式が開催された。コメディアン、そして映画監督など多彩な活動による芸能・芸術分野での功績が認められる形で今回、フィギュアが制作されることになり、6か月の制作期間と2,000万円が費やされた。「まさか自分が(等身大フィギュアに)なるとは思ってなかった」というたけしさん。最初に話が来たときは「嬉しいの半分、ただ(制作のために)どう考えてもコマネチの姿で何時間も立ってないといけないんだろうなと思った」とふり返る。たけしさんの予想通り、お披露目されたフィギュアのポーズはコマネチ!たけしさんは計測のためにこのポーズで7時間を過ごしたとのこと。「名誉なことだけど、死んでもコマネチの格好でオレがいるというのは、恥ずかしい歴史を残す可能性もあるなと…」と笑う。「3・2・1」のカウントダウンでお披露目となったフィギュアを見て、たけしさんは「イヤな野郎だな…。道で会ったらイヤだな」。「女だったら絶対に付き合わない!死んでもイヤ。射的場で出てきたらバンバン撃たれそう」などと自分の姿に罵詈雑言を浴びせつつ、「よく作ったな、と笑うしかない。まあ名誉なことだしありがたい」と喜びも口にしていた。この喜びを誰か一人に伝えるなら?という質問には「いろいろモメそうなので一人を選ぶのはやめといた方がいい」と苦笑い。「おフクロとか父ちゃんとか言いたいところだけど、2人ともくたばったし…。芸人として出発した浅草の、売れてない時代のみなさんには感謝したい。ここまでのぼりつめたと」といつもの毒舌を交えつつも、感謝を口にしていた。(text:cinemacafe.net)
2014年10月15日