風の強い日に、小学3年生の子どもを乗せて運転中に起きた出来事です。私のお気に入りが……強風にワクワクした子どもが突然窓を全開にオープン! 車内に強風が押し寄せ、助手席のヘッドレストに掛けていた私のジャケットが窓の外に……。サイドミラーには、遥か遠くに飛んでいくお気に入りの私のジャケットが映り、思わず叫んでしまいました。子どもも小学3年生なので窓を開けるとどうなるか理解していると思い、車の窓のチャイルドロックをしていませんでした。やはり、チャイルドロックをするべきだと痛感しました。子どもは何を突然するか未知数ですね。 ◇ ◇ ◇ 窓から身を乗り出さない、手を出さない、物を落とさないなどの基本的なマナーや安全性を理解していても、悪気なくやった些細なことで、まさかのことが起こることを学びました。窓から物が出ていく可能性を考えて、荷物は置くべき所を考えるようになりました。 作画/まげよ著者:金子 容子30代、2児の男児を育てる母。パートで働き、子どもの習い事の送迎に毎日奔走中。
2024年04月16日タレントの小倉優子(40)が10日までに自身のインスタグラムを更新。大学2年生になり、通学時のコーディネートを紹介した。小倉は「今週から大学二年生がスタートしました」と報告。「可愛いお友達に久しぶりに会えて、若いお友達の話に『知らなかった~!!』と何回言ったんだろう笑」とコメント。「大学二年生も楽しみたいと思います」「可愛いお友達に癒されています」と意気込んだ。添えられた写真は“プチプラコーデ”でそろえたデニムにカーディガンを合わせたスニーカースタイル。「今日は強風でお気に入りの傘が折れた~ 雨なのに白いスニーカーで通学してしまった!」とコメントしており、この投稿に「デニムパンツもお似合いでめっちゃ素敵です」「相変わらずスタイル良いですね」「三人出産したとは信じられないです」「学業やお仕事や子育て頑張って下さい」「プチプラコーデ、有難いです!真似しやすくて、うれしい」などの声が寄せられた。
2024年04月10日わが家には小学3年生の長男と年長の次男、2歳の長女の3人の子どもがいます。これは長男が小学2年生、次男が年少、長女が1歳のときのお話しです。長女が特に好きなのは、長男に絵本を読んでもらうこと。長男がふざけて大げさに読むのが長女にとっておもしろいようです。一方で長男は「自分の行動で長女が喜んでいるのがうれしい」のだそう。ある日、小学校から帰宅した長男が宿題をしていると……。机に向かう兄と遊んでほしい長女長男は下の2人よりも大きいとはいえ、まだ小学2年生。宿題を始めるのも、終わらせるのも、親のサポートが必要です。長男が宿題をしている間、次男にお絵かきや、ひらがなの練習を一緒にするように誘っています。次男とは「プリントやドリルをやりきったら、動画を見てもいい」という約束をしているので、自ら進んで机に向かってくれます。 問題は、1歳の長女です。長男のことが大好きな長女は、遊んでほしくて仕方がない様子。長女は机に向かう長男に絵本やおもちゃを持ってきては、「宿題が終わってから遊ぼうね」と言われ、そのたびに不機嫌になっていました。 私がお絵かきやシール遊びなどに誘えば、ときどきは一緒に机に向かってくれますが、すぐに飽きてしまいます。長男と次男の勉強も見たい、しかしその間、長女の相手はどうしよう……と日々悩んでいました。 とうとう長男が爆発!ある日、長女がおもちゃで遊び始めたタイミングを見計らって、長男と次男と私で机に向かいました。その日の長男の宿題は、親子で同じ文を読み、それぞれが感想文を書くというものでした。 そのうちに、長女が絵本を持って長男のもとにやってきました。いつもなら私が代わりに絵本を読んであげて時間を稼ぐのですが、その日はどうしても長男に読んでほしかったようで、泣きだしてしまう長女。 泣きわめく長女をなだめようと私が抱っこしてあやしましたが、なかなか泣き止みません。とうとう、集中して感想文を考えていた長男が「うるさい! 静かにしてよ!」と怒ってしまいました。 次男のやさしさに涙……怒りだした長男と泣きわめく長女。勉強時間のあとには夕食の準備もあるし、どうしたらいいか困っていた私は、長男に「別の部屋でひとりで集中してきたらどうか」と提案しました。しかし、ひとりで宿題をしている中、弟と妹が遊んでいるのが嫌なのか、受け入れてもらえません。 そのとき、ひらがなを書く練習をしていた次男が「僕が絵本を読むから、その間に宿題を終わらせてよ」と言いながら立ち上がったのです。 私は次男はまだひらがなを一文字ずつしか読めないと認識していたので、絵本を読んであげられるとは思っておらず、とても驚きました。長男も驚いていましたが、私に促されると、すぐに宿題に戻りました。 そして次男のまさかの申し出に、機嫌を直した長女。文章を間違えながらではありましたが、長男のまねをしながら長女に絵本を読んでいる次男の姿を見て、目が潤んでしまう私。 絵本を読み終えたあと、「明日は一緒にお絵かきしようね」と長女を誘ってくれている次男のやさしさにも心を打たれました。次男のおかげもあり、無事に宿題を終えた長男。夕食の準備をしている間に、長女には「さっきはごめんね」と言い、次男には絵本の読み方を教えてくれていました。 年が離れている子どもたちを育てているからこそ出てくる、上の子の勉強時間と下の子の対応の両立。1人が遊んでいれば「遊んでいてずるい」となってしまうので、なるべく長女を机に誘うようにして対応しています。しかし、次男のひらがなを読むという経験を育てるためにも、ときどき絵本を読んでもらうようにお願いしてみるのもいいかな、と思った出来事でした。 著者:安藤 はるか小3、年長の男の子と2歳の女の子のママ。カラーセラピストとしてお悩み相談のサービスを運用中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月07日3歳でASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けたハジュ現在小学3年生、特別支援学級に通う長男のハジュは、3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けました。1歳を過ぎた頃から、乳児健診での様子や長女の時と比べて、ハジュの成長に「なにか変だぞ……?」と思い始めました。そして、1歳半健診で心理士さんからすすめられたグループ療育に通いつつ、幼稚園に入園し、3歳を過ぎた頃にやっと自分の言葉を話し始めました。そのような中で、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けた時には、ショックというよりも「ああ、なるほど!」と、むしろ私のなかで合点がいったという感じでした。そんなハジュの成長の中で欠かせない『相棒』のお話をしたいと思います。ぬいぐるみの、『いつもちゃん』ハジュが1歳の頃に、おばあちゃんが手づくりしてくれた軍手でできたぬいぐるみ。顔はフエルトと刺しゅうで描かれており、とても味のある表情で、子どもの小さな手にちょうどフィットする大きさと形でした。もらった瞬間からハジュはそのぬいぐるみが大のお気に入りになり、片時も離そうとはしませんでした。寝ても覚めても、どこへ行くにもいつも一緒。お風呂に入る時ですら離れたくない!と、ハジュがいつも持っているので、そのぬいぐるみを『いつもちゃん』と呼ぶようになりました。『いつもちゃん』がいれば、ハジュの癇癪やパニックが落ち着く時もあり、『いつもちゃん』は私にとっても、育児中の心強い相棒でもありました。Upload By スパ山幼稚園には持っていけないのよ……『いつもちゃん』と片時も離れることなく、3歳になったハジュ。いよいよ幼稚園に入園することになりました。しかし、さすがに幼稚園にぬいぐるみは持っていけない……。ほかのお友達とのトラブルの原因になってしまうし、もしなくしたりでもしたら大事件!さあ困った。私はまずハジュの説得から始めました。ハジュは、耳で聞いたことより目で見たことのほうがよく伝わったので、絵に描いて紙芝居のように伝えてみることに。そして、いつもちゃんの家や布団をつくっておままごとをして、少しずつ離れられるような練習をしました。しかし、結果は撃沈。絶対に手を放しませんでした(泣)。むしろ、「お母さんは、いつもちゃんに何か良からぬことをしようとしている……?」とハジュに不信感を抱かせてしまいました。Upload By スパ山ぬいぐるみについて、思い切って園長先生に相談入園予定の幼稚園で行われた入園前面談の際に園長先生に思い切って相談してみることにしました。2歳から幼稚園のプレ教室に参加していたので、ハジュの様子や『いつもちゃん』のことも園長先生は知ってくれていました。園長先生に、どうしたらぬいぐるみを家に置いて離れられるのかと相談したところ、「置いてこなくてもいいですよ。一緒に登園して、帰りまで職員室で預かっておきます」と言ってくれたのです!優しい配慮をしていただいて、もうこれで安心!と思ったのですが、そんな一筋縄ではいかないのがハジュです。登園後、いくら説得されようとも、絶対に『いつもちゃん』を離そうとはしません。1歳から肌身離さず持っていた相棒ですし、そう簡単にはいくわけもなく……。「初めての幼稚園生活、ハジュにとっての安心材料である『いつもちゃん』と離れたくないのは、当たり前なのでは……?」という思いが私の頭をかすめましたが、ほかの園児たちも、『いつもちゃん』の存在に気づき始めていました。トラブルになってはいけないと思うあまり焦ってしまい、周りの大人たちがあの手この手で、『いつもちゃん』を職員室に置いてもらおうと説得したので、ハジュは『いつもちゃん』にますます執着するようになってしまいました。私も、インターネットやSNSなどを活用したり、発達センターや主治医の先生に相談したり、幼稚園の先生方も何度も話し合ってくれて、対策を考えてくれました。楽しいはずの幼稚園生活が、『いつもちゃん』についての説得により職員室の中で1日が終わってしまうのはもったいないし、どうしよう……と毎日頭を抱えていました。あきらめた?いや、シフトチェンジ!あらゆる方法を試してみても、ハジュの警戒心は強くなるばかりで、この攻防戦にだんだん大人たちも疲れが見え始めました。万策尽きるとはこのことで……何度目かの園長先生と担任の先生との作戦会議の中で、「いつもちゃんを引き離そうとするのを、もういっそやめてみよう!」と「押してダメなら引いてみよう」作戦を試してみることになりました。Upload By スパ山同じクラスの子どもたちには、先生と私から、『いつもちゃん』はハジュの大切なものだと伝えました。ハジュと同じように大切なものと離れるのを我慢して登園している子はほかにもいるんじゃないか、「うちの子だけこんなことしていいのかな……」と、さまざまな考えが頭をグルグルしましたが思い切って保護者の方にも、ハジュと『いつもちゃん』のことを知ってもらうことにしました。ぬいぐるみの『いつもちゃん』と一緒に幼稚園周りの皆さんの協力のおかげで、『いつもちゃん』と一緒に過ごせるようになったハジュは、やっと幼稚園生活を楽しめるようになりました。そんなある日、担任の先生のエプロンのポケットの中に、ハジュが『いつもちゃん』を自分で入れたと聞きました。ほんの数秒でしたが、ハジュが自分から『いつもちゃん』を手放したのです。先生のエプロンがとても気に入ったようで、その年の運動会にはいつもちゃんをその先生に預けて参加することができました。Upload By スパ山小学3年生になったハジュと『いつもちゃん』の今は……結局、小学校に入学してもハジュは『いつもちゃん』と離れることはなく、一緒に登校していました。それが、3年生に進級したその日に、突然「いつもちゃんは今日からねんねして待っていてね」と、自分の布団に寝かせて登校したのです!ハジュいわく、「ハジュは3年生のお兄ちゃんになったから」とのこと!私も先生もクラスメイトたちも、急なハジュの決断にびっくり!逆に私のほうが「いつもちゃん、いなくて大丈夫なの?」とオロオロしてしまいました。もうすぐ4年生に進級するハジュですが、毎朝「いつもちゃん、待っててね」と優しく布団に寝かせて、帰ってきたら「いつもちゃん、ただいま」とギュッと抱っこしています。周りを巻き込んで申し訳ないと思ったこともありますが、みんなが協力して見守ってくれたからハジュが自分でこのような選択を見つけられたんだと思います。今これを書いている横で『いつもちゃん』を抱っこしているハジュを見て、「あの時、勇気を出してたくさんの人に知ってもらってよかったな」と、思っています。Upload By スパ山執筆/スパ山(監修:初川先生より)ハジュくんの大切な相棒、ぬいぐるみの『いつもちゃん』と幼稚園生活、その後についてのエピソードをありがとうございます。どこに行くにも持っていく、寝る時も一緒に過ごすようなとても大切なぬいぐるみやタオルがあるお子さんは多いですね。スパ山さんが最初にされたように、園生活では持っていけない(持っていかないほうが大切にできる)と説明したり、紙芝居のように目で見て理解できるように伝えたり。そうした工夫でお子さんの同意を得る方法がまずありますね。それでうまくいくならそれで良いと思いますが、そこで納得しない、あるいはむしろ意固地になってしまうような場合は、スパ山さんがされたように園や学校の先生に相談するのが良いですね。どうにかして持っていかないで済むような方策を考える方向もありますが、今回のように周りのお子さんらにも説明して、持っていく方向もあります。園や学校の先生とよくご相談いただければと思います。ハジュくんは持っていってよい事となり、ハジュくんのペースで『いつもちゃん』と離れるプロセスができました。「3年生のお兄ちゃんになったから」と自ら機をとらえて離れ始めたのはとても成長を感じますね。さて、大切なぬいぐるみなどを家に置いておくことはできるけれど、寝る時はそれがないと不安だというお子さんもいると思います。そうしたお子さんが小学校高学年になって移動教室(宿泊を伴う行事)の際に、ただでさえ保護者と離れて寝なければならないのに大切なぬいぐるみもないなんて……!と、とても不安に感じる場合もあります。その場合も同様に担任の先生とご相談していただければと思いますが、「ぬいぐるみを家においておけるよう本人が納得する(家の中でも離れる練習をしてみるなど)」「ぬいぐるみを写真に撮って、写真を持っていく(お守りなどの形にする、アクリルキーホルダーにするなどさまざまアレンジできます)」「ぬいぐるみを持っていく」などいろいろな方法があると思います。どうしたら安心して過ごせるかと現実的に可能な方法はどこかというところで接点を見つけられると良いでしょう。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月04日進級時の引継ぎは、かつてないほどスムーズだった以前の記事でも書きましたが、4年生から5年生への進級時は、新しい担任の先生との引継ぎがかつてないほどスムーズにいきました。理由としては、・通級指導教室に行き始めたことで、個別指導計画が作成されていた・通級指導教室の先生と新しい担任の先生の連携がうまくいっていた・新しい担任の先生が、場面緘黙について調べてくれていたという感じだと思います。毎年、どこから説明しようか、どこまで配慮を求めていいのか……と、気を遣いながら新しい担任の先生との面談に挑んでいましたが、次女の特性や場面緘黙について先生に予備知識があることで、とても連携が取りやすく感じました。新学年開始時から担任の先生がいろいろ配慮してくれていた進級から1ヶ月半ほど経った頃、担任の先生と私との間で面談を実施したのですが、それまでにも先生は次女に対していろいろと配慮をしてくださっていました。例えば、次女がみんなの前で発言や発表等をする時はその都度どうしたいか確認してくれていたり、次女が積極的にクラスメイトの輪の中に入れるような関わりをしてくれていたりしました。Upload By まりまり家での次女の様子もポジティブに見えた先生の関わりもあって、次女も、何かできた時などには、「自己紹介でちゃんと声出して言えたよ!」とか「今日友達にありがとうって言えた!」など、その都度私に報告してくれていました。Upload By まりまりできたりできなかったりはあるものの、先生に応えるように、次女なりに頑張っているのが分かり、私もうれしく思っていました。今年は環境も良いし大丈夫かも!そういった担任の先生との関わりや、その前の学年から開始した通級指導教室での支援もあり、次女の頑張っている姿を見ながら「今年は学校のサポートも充実しているし、次女も頑張っているし、いろいろ大丈夫かも!」と、私はホッとしていました。Upload By まりまり校外学習を経て……そうして環境にも恵まれて頑張っていた次女ですが、5年生の5月頃に宿泊を伴う校外学習(1泊2日)があり、その後から急に学校に行けなくなってしまいました。いじめなど嫌なことがあったという訳ではなかったのですが、朝起きると「疲れた」「だるい」と言って起き上がれなくなってしまったのです。Upload By まりまり現在6年生の次女ですが、この時のことを改めて聞いても、特に理由はなくてとにかく疲れてだるかったのだそうです。それから次女は少し学校をお休みして、その後はしばらく五月雨登校が続きました。今考えると……次女が休み始めたきっかけは校外学習でしたが、今考えると、進級してしばらくの間頑張りすぎていたんじゃないかな?と思います。次女はもともと、自分でも気づかないうちに無理をしてしまうという傾向があります。Upload By まりまりこの時は、進級時の環境が良かったことで私も安心し、次女の変化に期待もしてしまいましたが、もう少し、次女の様子を注意深く見て、積極的に休ませてあげるなどできれば良かったのかもしれないと、今は思っています。執筆/まりまり(監修:新美先生より)学校は、年度ごとに担任が替わることがあり、担任が替わったときに、どれだけ新旧担任間で引継ぎをしてくれているのか、新しい担任に保護者からどこまで改めて情報を伝えるのがよいのかは毎年本当に悩みますね。サポートブックなどのツールもありますが、そういうものを使うべきかどうかも迷います。エピソードにあるように、通級指導教室に在籍になり、個別の支援計画が作成されたことにより、新しい担任にも支援情報が引き継がれ、年度スタートから必要な支援・配慮が行われたことはうれしかったですね。支援や配慮があったとしても、学年が上がってくることで、お子さんが気を遣いすぎる場面、頑張りすぎる場面が増えるなどもあったのかもしれません。学校を数日休んだり、五月雨登校ぐらいの距離感で通うことが許容されたことで、それ以上疲れをため込みすぎなくてよかったと言えるのかもしれませんね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年03月31日小学5年生のころ、思春期を迎えていた私は、素直に親と話すことができなくなっていました。そんなとき、あることを隠し通そうとして……。 親に話すのが恥ずかしい私は小学5年生で初潮を迎えたのですが、恥ずかしさから親に話すことができませんでした。そのため、自宅のトイレに置いてある生理用ナプキンを使ったら生理になったことが親にバレてしまうと考え、私は「家にある物でこっそりナプキンを作ること」を思いつきました。 使った物は、トイレットペーパーとガムテープです。トイレットペーパーを折りたたんで、ガムテープでパンツに固定するという、超簡易型ナプキン。この「自作ナプキン」を作ったときは、我ながら天才だと思いました。 自作ナプキンを使った感想実際、自作ナプキンを使ったところ、パンツが汚れることもなく誰にも生理がバレなかったため、なかなか万能でした。しかし、夏場などの汗には弱く、トイレットペーパーが溶けてボロボロになってしまうことが。体育の授業中にポロッとトイレットペーパーのカスが地面に落ちたときは、とても焦りました……。 それでもなんとか生理期間を乗り切り、小学生時代は自作ナプキンを使い続けていた私。中学生になるころには、親にバレる恥ずかしさがなくなり、「生理がきた」と伝えてナプキンを使うようになりました。ナプキンの使い心地がとてもよかったので、恥ずかしがらずにもっと早く親に報告すればよかったと後悔しました。 生理になっていると親にバレるのが恥ずかしく、小学生のころの私は「自作ナプキン」を使って過ごしていました。今振り返れば、自作ナプキンを使っていたことのほうが、恥ずかしく思えます。けれど、必死になって隠していたことも、今となっては思春期ならではの笑えるいい思い出となっています。 ※すべて個人の感想です。デリケートゾーンのトラブルにもなりますので、市販の生理用品を使用しましょう。 著者/匿名作画/ふるみ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ふるみ
2024年03月27日新生児の頃、長男がおとなしかった理由は……長男は生後1ヶ月の頃、先天性甲状腺機能低下症と診断されました。成長に大切なホルモンが正常に出ていないと医師に話をされました。あまり泣かずよく寝ており、「おとなしい子だなぁ」と感じていましたが、それは先天性甲状腺機能低下症の影響であると説明を受けたのでした。治療を開始し症状は安定しましたが、発育について私はとても心配していました。しかし歩行や発語の遅れは特に感じず、身長や体重などの成長も順調でした。1番初めに覚えた違和感……同じ場所を行ったり来たり常同行動が始まった1歳半の頃心配をしながらも長男は順調に成長していきました。そのような日々のなかで、私が1番最初に長男の行動に違和感を覚えたのは、だいぶ走れるようになった1歳半過ぎの頃でした。「特定のお気に入りの物を持ち、同じ直線を行ったり来たり走る」という常同行動が目につくようになったのです。 男の子がよくヒーローの世界などに入り込み、走ったり戦ったりすることは聞いたことはありましたが、そんな要素もありつつ、でも何か違うような……。しかしまだ幼いこともあり、よくある子どもの行動かもしれないと様子を見ていました。 しかし、2歳になるとその常同行動を1日に何度もやり、多いときは1日の半分以上走っているということもよくありました。夫も若干何か感じていたようで、当時何度か夫婦で話をしましたが、本人がとても楽しそうなので、なんとなく「これは長男にとって大切な時間なのかもしれない」と、2人で納得していました。行ったり来たり走っている時も声をかければ切り替えもできていたし、特に誰かを傷つけたり迷惑をかけるということもなかったので深く考えすぎないように見守っていました。Upload By ねこじまいもみ2歳頃、保育園での息子の様子は長男は2歳で保育園に通い始めました。登園時に泣くこともありましたが、徐々にすんなりと通えるようになりました。保育園ではおままごとのフライ返しがお気に入りだったようで、お迎えに行くとそれを持って1人で部屋の隅をちょこちょこと走っている姿を毎日毎日見かけました。保育士さんに「1人でいつもよく走っていますか?この行動について何か感じたりしますか?」と尋ねたことがありました。保育士さんは「みんなで取り組む時はちゃんと参加していますよ。受け答えも切り替えもきちんとできてますし、問題行動もありませんよ。本人も楽しそうに過ごしているので、私からは特に何も感じないですよ」とおっしゃってくださいました。Upload By ねこじまいもみ集団行動が苦手なのかもしれない……。でも、発達障害と結びつけるのも……しかし後から思えば、集団行動の苦手さもあり、集団を避けていたのもあるのかなぁと感じています。なぜなら、 長男は3歳の時、2つ上の長女と一緒にダンスの習い事をしていたのですが、長男はあまり取り組むことはなく体育館の隅っこでずっと同じところを行ったり来たり走っていることが多く見られました。そして、私が声をかけても逃げてしまい、なかなか取り組むことができませんでした。その時もダンスの先生に「小さい子だと最初はやらないことも多いですよ。でも、だんだんとやるようになってくると思うから大丈夫!」と言われました。たしかに気分で取り組んだり、発表会などはきちんとできていたのですが、長男の様子を見ていた私は、ダンスの習い事を一旦辞める選択をしました。この習い事先での様子も、私の中ではずっと抱いて長男の違和感で、集団行動が苦手なのではないかと気づいてゆく出来事の一つでした。 しかし、園や習い事でも集団行動ができている時もあり、発達障害に結びつけて良いものか当時は本当に分かりませんでした。そしてこの常同行動が、就学後、長男にとって学校がつらい場所となっていく原因の一つとなるのですが、それは、また別の機会に詳しく書いていこうと思います。小学3年生なった長男、常同行動はどうなったかというと……小学3年生になった今も長男はこの常同行動をしますが、主に自宅だけです。 年齢が上がるとともにやってはいけない場面を自分なりに理解したり、人の目を気にしてやらなかったりと、変化しているようです。でも、この行ったり来たりする行動は、長男にとって楽しい時間であり、大切なんだと今は自分で言っています。また、トランポリンも好きで家で頻繁に跳んでいます。長男にはストレス発散になっているようで、 常同行動と同じくらいスッキリすることなのだと聞いて、私も長男にとっての常同行動がどのようなものなのか、理解できたような気持ちになりました。Upload By ねこじまいもみ執筆/ねこじまいもみ(監修:初川先生より)長男くん2歳の時に覚えた違和感、常同行動についてのエピソードをありがとうございます。違和感がありつつも常同行動をやめさせたり、集団活動が苦手そうだなと感じつつも集団活動にちゃんと参加しなさいと強く促したり、そうした働きかけをせずにいてくださったこと、長男くんにとってどれほど救われたかと思います。子育ての中で、「……あれ?」という違和感を感じることは多かれ少なかれあると思います。その際に、自分の思いや思い込み(○歳なら普通こうするもんでしょ!)でお子さんの言動を“変えよう”とするのではなく、お子さんの様子を観察し、どうしてこういう言動が出ているのか考えたり、園の先生方はじめ相談できる人に相談したり。そうした動きが初発であることがとても良いと感じます。集団行動自体は取れていても、あまり得意そうではないから、習い事として(つまり園生活プラスアルファとして)続けることを止められたという判断にもつながったのですね。苦手そうなことを日常生活にプラスしてまでやるかどうかはよく考えたいところです。特に、嫌だ、苦手だという表出が少なく、やろうとしたらできるけれどすごく疲れる、あるいはかなり時間が経ってからそのつらさが出てくるタイプのお子さんもいるので、そのあたりの細やかな見取りは長男くんにとってとても助かったと思います。常同行動のその後についてもありがとうございます。成長とともに出し方が変わってくる様子があるのですね。人によってはコンディションによって出方が変わったり、あるいは変わらなかったりということもあると思います。お子さんにとって常同行動によって得ているもの(安心、スッキリなど)は何か、あるいはどんなときにそれが出やすいか(不安、緊張など)をよく観察しておけると良いだろうと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月22日「騒がしくてすみません……」謝ってばかりだった私が変わった3回の転機わが家には特別支援学級に通う小学校3年生の息子がいます。診断は重度知的障害(知的発達症)とASD(自閉スペクトラム症)ですが、ADHD(注意欠如多動症)とLD・SLD(限局性学習症)の傾向もあります。息子が2歳頃は、大きい声で迷惑をかけないようにしないと気を張り、「すみません……騒がしくして……」と周りにあやまってばかりでした。そんな中、息子が3歳、4~5歳、6~9歳の頃、育児の転機を経験しました。Upload By ユーザー体験談3歳の頃訪れた転機は「母」3歳の頃、1ヶ月ほど母、息子、私の3人で一緒に暮らしたことがありました。それまでも年に1、2回は帰省していましたが、長期間一緒に暮らすのは産まれてすぐの時以来でした。この頃の息子は、癇癪を起こすとジャンプしたり、壁を叩いて大きな音を出したり、大声を出したり。でも、注意すると逆効果でますます癇癪を起こしてしまうので、「おいで」と膝に座らせてお話をしたり、別の話題で気持ちを切り替えさせたり、物を投げそうな時は「こっちだったらいいよ」とタオルを渡したりしていました。お気に入りのラムネを準備しておいて、おやつ時間にして切り換えタイミングにしたりもしていました。母へは「息子に手がかかって大変だ」という話はよくしていたのですが、実際に目の当たりにしてびっくりしたのでしょう。「本当にこの生活は大変よ。全部一人でやってるんだもん」と分かってくれました。Upload By ユーザー体験談それからは、家族などで外出や外食の話題が出た際に、私が「いやぁ、食べるもの限られてるし、まだオムツだし、温泉一緒に入れないし、バス乗れないし……」などと話していると、母が「ほんとよ!この子連れていくのは大変だと思うわ。一緒に生活してみてよく分かった!」と味方をしてくれるようになりました。自分の口からいくら伝えても理解してもらえないときがあったのですが、第三者である母による、実際に経験したうえでの言葉は伝わりやすかったのだと思います。家族や親戚へ説明するのはなかなかの負担だったのですが、母が担ってくれるようになり、また一緒に面倒を見てくれるたことで、とても救われました。「彼はこのままでいい」という自由を与えてくれた海外生活2回目の転機は、年少の時から2年間海外赴任帯同で息子も連れて行ったことでした。それまで日本で通っていた幼稚園では、椅子に座らず歩きまわる息子をほぼ放置。歯磨きやお弁当箱の片づけについて、教えられた通りにこなす息子に笑顔はありませんでした。そんな環境のあと、海外で入った保育園に驚き!園中の先生が無理なく、しかし教えるべきことはしっかり教えながら息子に寄り添って下さいました。お迎えに行くと、園長先生のオフィスで先生の膝に座って一緒にパソコンでお絵描きしていたり、先生が仕事をする横に座って窓の外を眺めたりしていたこともあり、日本で通っていた幼稚園では考えられない「彼はこのままでいい」という自由を与えてくれました。個を大事にする、みんなと同じでなくてもいい、子どもらしさを大切にしようというおおらかさがあって救われました。Upload By ユーザー体験談この時、私自身が本当の意味で障害受容ができたと思います。周りの人に積極的に息子の障害のことを話して理解を求めたり、それでも息子のこんなところがすごいということを伝えるようになりました。放課後等デイサービスでどんどん成長した息子3回目は日本に帰国したあとに療育手帳を取得し、小学校の特別支援学級と放課後等デイサービスに通えるようになったことです。特に放課後等デイサービスはとても良い施設と出合え、明るい先生たちのご指導で困りごとが改善していき、いろいろなことができるようになりました。とても根気強く、スモールステップで対応してくださったので、息子は毎日学校と放課後等デイサービスを楽しみにし、どんどん成長していきました。スタート当初はおやつも1種類しか食べられなかったので持参していたのですが、好きなおやつの日を挟みながらいろいろな種類に挑戦させてくれ、息子が気に入る新しいおやつ(バウムクーヘン)を見つけてくれました。全員で取り組むダンスに参加したくない場合は、決まった場所に座って見るなどルールを作って許すなど、無理をさせ過ぎず、かといって自由にさせ過ぎない。ちょっと頑張る日もつくるという、ちょうどよいバランスをはかりながら、支援に取り組んでくれています。おかげで、最近ではお友達との交流もできるようになり、施設内や送迎の車内でも、声を掛け合いながら楽しそうに遊んでいる様子も見られるそうです。土曜日にはいろいろな公園や施設に連れて行ってくれるのですが、3年生になったくらいからは、放課後等デイサービスで行って楽しかった場所をママともいきたいと、日曜に私を連れて紹介してくれます。思い出や感情を分かち合いをしたいというところまで成長してくれたんだな~と日々感動しています。Upload By ユーザー体験談私だけで抱え込む必要はないこれらの3つの転機は、自分だけで子育ての悩みを抱え込む必要がないことを実感させてくれました。両手を広げて迎え入れてくれる存在は、息子にとっても、私にとっても、安心して息をつける時間を作ってくれています。息子が周りのたくさんの方に愛情を注いでくださっている分、息子の笑顔も増え、私も救われているということに、この文章を書きながら改めて気づきました。今後は、息子と一緒に新しい地へ旅行をして、一緒に新しい体験をしたいなと思っています。まだ将来のことは正直よく見えないところがありますが、楽しい思い出をたくさん作って、楽しい記憶でいっぱいの人生にしてあげたいです。イラスト/マミヤエピソード参考/おかんレベル9(監修:鈴木先生より)日本と海外では教育の仕方が全然違います。私自身も小学校の3年間は米国の地元の小学校へ通っていました。生活指導は厳しかったですが、宿題はなく、昼はランチボックス持参で外の芝生の上でみんなとランチしていました。帰国すると、毎日宿題があり、昼は給食当番まであり、みんなと同じ給食を黒板に向かって食べるという殺風景なランチになってしまいました。日本にいると普通だと思っていることが、もっと広い目で見たら当たり前ではないかもしれません。これからもどんどん新しい地へ旅をして新しい体験をするべきだと私も思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年03月14日学校からの連絡がない日はない!問題行動が多かった息子現在高校1年生、16歳の息子は小学1年生の時にASD(自閉スペクトラム症)、中学1年生ででLD・SLD(限局性学習症)と診断されました。小学校1、2年生の時はとにかく問題行動が多かった息子。学校からの連絡がない日はない……というほどでした。息子はほかのクラスメイトと一緒に同じ行動ができませんでした。例えば、図工の課題の絵は描かず、自分の好きな車の絵を描いていました。また、息子は冬になると頬が赤くなりやすかったのですが、それをからかわれ、頬が丸く赤いキャラクターのあだ名をつけられました。息子はそれがいやでたまらず、その名で呼ばれると相手を追いかけ回し、殴りかかることも……。一旦落ち着いてもフラッシュバックで思い出してしまうと、その時お友達は何もしていないのに、再び殴りかかります。また、担任の先生が「静かにして」と言っているのにクラスメイトが静かにならないからと、相手に暴言を吐くことも。さらには、机や椅子を投げ飛ばしたといった連絡もありました。Upload By ユーザー体験談毎日毎日申し訳ないと謝罪し、どうすればいいのか先生と相談しました。そして通常学級に所属しつつも、特定の教科だけ特別支援学級に通うという特例を提案いただき、息子は算数と国語の時間だけ、特別支援学級に通うことになりました。そこで特別支援学級の先生からも見守っていただく形になりました。※通常学級在籍の場合、個別の支援は「特別支援教室」もしくは「通級指導教室」で行われます。もしくは特別支援学級に在籍し、特定の科目を交流級にて受ける形をとります。この体験談のお子さんについては、学校の判断により、通常学級に在籍しながら一部の科目について特別支援学級で受けています。「そんなに暴れて警察官になれるのかな?」特別支援学級の先生の言葉にハッとした息子2年生のある日の休み時間のことです。息子には聴覚過敏があり、休み時間などのガヤガヤする時間帯にはイヤーマフを使用しているのですが、クラスメイトが息子のイヤーマフを取り上げてからかってきたのだそうです。これに息子は怒り暴れ出し、そして手も足も出てしまい……。クラス担任だけでは抑えられなかったため、急ぎ特別支援学級の先生を応援に呼んで二人がかりで抑えたそうです。そこで特別支援学級の先生は息子にこういいました。「そんなに暴れて警察官になれるのかな……?お友達を『ぶっ飛ばす』なんて言う人が警察官だったら、困っている人が怖がっちゃうよね…?」Upload By ユーザー体験談実は息子のこの頃の夢は警察官でした。幼少期から働く車が大好きで、警察の24時間を追ったドキュメンタリー番組を熱心に見ていた息子。生真面目な性格で曲がったことが大嫌い、悪い人を捕まえるという正義に憧れていました。そして警察官は夜もみんなを守って、怒らず優しいイメージがあったようで、その姿は息子の目標だったのです。先生にそういわれた息子はハッとしたようでした。そしてその日の夜、私に「ぼくもみんなと同じように怒らないようになりたい」と何とも切ない表情で言い出したのです。変わりたいと思う息子の気持ちを聞いた私は、心の底から、何とかしてあげたいと思いました。そして学校の先生、主治医と相談しながら、3年生に上がる前から薬の内服を開始することにしたのです。Upload By ユーザー体験談「自己抑制ができるようにしたい」息子の憧れる「警察官」像に近づくために……それからの息子は、問題行動が全くなくなったとは言えませんが、薬のおかげもあり大分落ち着きました。よかったと思っていたのですが、5年生に上がる前のある日、息子が服薬をしなくても自己抑制ができるようになりたいと言い出したのです。薬を飲んでもいいんだよと言っても、息子に思い描く理想の警察官は薬は飲まないイメージだそうで、意志は固く……(こだわりの特性が出ていたのだと思います)。主治医の先生に相談すると、息子1人だけではどうにもならないことが多く周りの協力が必要不可欠であること、そして「小学生で自己抑制ができるようになるのは難しい。中学生でもできるかどうか……」と言われました。かなり難しいことだと分かりながらも、息子の思い、私の思い、主治医の先生の助言を学校の支援会議で相談しました。すると先生方は、大変なことだと分かりながらも息子の望みを叶えたいと言ってくださったのです。それから一致団結して息子に関わってくださいました。Upload By ユーザー体験談先生方の全力のサポート。そして息子の夢には変化が……特別支援学級の先生は特に率先して動いてくれました。息子がイライラしていたら”深呼吸してその場から離れる”という対応方法を根気強く指導してくれました。息子の通っていた小学校は、特別支援学級の在籍人数が4人だったこともあり、手厚くサポートしてもらえたのもよかったのだと思います。保健の先生や教頭先生は、姿を見かけたら声を掛けてくれ、「困っていることはないかい?」と気にかけてくれました。担任の先生や学年主任は、息子がクールダウンできるような一室を設けてくれ、落ち着きたいときは休んできていいよと言ってくれました。歴代の担任の先生方も声をかけてくれたり、息子の表情を見て察してくれたりと、息子にとってありがたい対応をしてくださいました。そして息子は少しずつですが、自己抑制ができるようになっていったのです。小学6年生になった息子は1年生の時とは比べものにならないくらい成長しました。それも先生方の支援のおかげです。そしてそんな素敵な環境下で成長し、高校生になった息子の現在の夢は、警察官ではなく発達障害児に関わる仕事に就く事、できるなら特別支援学級の先生に変わりました。今もその夢に向かって頑張っています。息子を支えてくれたみなさんに本当に感謝しています。イラスト/海乃けだまエピソード提供/しのっぺ(監修:鈴木先生より)自閉スペクトラム症に併存する易刺激性のあるお子さんは導火線が短いので、すぐカッとなりやすい特性があります。そういうお子さんには感情コントロールプログラムを当クリニックではお勧めしています。怒りを鎮める方法や不安を和らげる方法を学ぶプログラムです。また、SST(ソーシャルスキルトレーニング)も必要になります。SSTは一般のお子さんも勉強になるので、道徳やHRなどクラス全体で学ぶ方式がいいかと思います。先生方の全力サポートのできる、校内連携がしっかりとしている学校なら投薬なしでも行けるのですが、ほとんどの学校は連携が困難な状況です。教育だけでなく、医療とも連携してより良いサポートを追求し続けることが重要なのです。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年03月13日南野ななみさんは、3人の男の子を育てるママ。長男・ひかる君が小学校へ入学てすぐのころ、南野さんはあることを心配していました。それは、ひかる君が1人で登下校すること。毎日、ソワソワしながら登下校の時間帯を過ごしていました。 母は心配でたまらない! 小学校に入学したひかる君が、無事に登下校できるのか不安でたまらない南野さん。 それもそのはず、つい最近まで園児だった子どもを1人で歩かせるなんて…。と、頭を抱えるほど心配で、そわそわと帰りを待つ毎日が続きます。 そして、事故に遭わないようにと祈る日々を送るのでした。 ◇ ◇ ◇ 緊急車両が通るたびにドキドキしてしまう南野さん。「もしかして、うちの子では」と心配になる気持ちもわかりますよね。集団での登下校がある小学校でも、少し前まではママと離れて道路を歩くなんてなかったから心配!と、思うママも多いと思います。これからどんどん親から離れる時間が多くなっていくので、ゆったりとした気持ちで子どもの成長を見守っていきたいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 南野ななみ
2024年03月07日中学生からスポーツブラ、高校生からホックタイプのブラを付ける女の子が増加アツギが実施したグループインタビューの様子普段ブラジャーを着用しているか尋ねたところ、小学生の67%、中学生・高校生の95%が「着用している」と答えました。小学生は、4年生では41%ですが、5年生で75%、6年生で84%と学年ごとに着用率が上昇しています。着用しているブラの種類では、小学生ではキャミソールやタンクトップ、カップ付インナーが主流ですが、中学生からスポーツブラの使用、高校生からホックタイプの使用が増えています。バストの成長に合わせて、さまざまなタイプのブラジャーが着用されていることがわかりました。「好きな」「着けたい」「着けてみたい」ブラジャーの素材を尋ねると、最も多い回答は「汗を吸う素材」(49%)でした。ブラジャーの不満点を複数回答で聞いてみると、「蒸れやすい」(27%)が最も多く、2位は「肩ひもが落ちてくる、ずれやすい」(22%)となりました。部活や体育の授業のときに、普段と違うブラジャーを付けるか聞くと、「同じブラジャーをしている」(89%)が圧倒的でした。ブラジャーの使い分けを積極的にしていないことがわかります。欲しいブラジャーの機能を複数回答で尋ねると、「運動・スポーツをするときにも着けられる」(49%)が最も多く、「吸汗機能」(47%)、「速乾機能」(38%)と続きました。この結果を受け、同社ではグループインタビューを実施。子どもの生の声を反映した「Hijuni/ハイジュニ」のベーシックラインをリニューアルしました。「Hijuni/ハイジュニ」は、初めてブラジャーを購入する子どもや保護者にも、今どれを身に着けるのが最適なのか、分かりやすく選びやすい商品展開が特徴。バストトップの周りがふくらみはじめた段階では「ステップ1」のかぶりタイプのハーフトップを、バスト全体がふくらみ始めた段階は「ステップ2」としてノンワイヤーブラを、バスト全体が丸みをおびる段階は「ステップ3」のソフトなワイヤーブラと、子どもの成長に合わせて選ぶことができます。Hijuni/ハイジュニ(全9型展開)ステップ1:ハーフトップ3型/1,430円ステップ2:ノンワイヤーブラ3型ハーフトップ1型/1,430円 ペアショーツ1型/770円ステップ3:ワイヤーブラ1型/1,650円同商品はスーパーマーケット、衣料品専門店、アツギオンラインショップで購入できます。調査概要調査対象:小学4年生~中学3年生の女の子(保護者による代理回答)、高校1年生~3年生調査地域:全国調査方法:インターネットリサーチ調査時期:2023年7月27日(木)~7月28日(金)有効回答数:960名アツギ(マイナビ子育て編集部)
2024年03月05日小1から行き渋り、小3で母子登校できるようになったけど現在小学6年生のわが家の長女『姉子』は、小学2年生の時にASD(自閉スペクトラム症)と母子分離不安と診断され、小学4年生の時に知的ボーダー、場面緘黙と医師から言われています。姉子は、赤ちゃんの頃から繊細なところはあったものの、幼稚園の時は楽しく園生活を送っていました。しかし、小学校へ入学するとすぐに、登校前に泣き出したり、腹痛や頭痛を訴えたりして、行き渋りをするように。そして、1年生の時の個人懇談で担任の先生から発達検査を受けることをすすめられ、すぐに発達支援センターへ相談に行き、2年生になってすぐWISCを受けました。結果はかなり凸凹があり、これまで相当しんどい思いをしてきたことが分かりました。でも、検査を受けたことで姉子の特性や困り事を知ることができたので、「上手にサポートできれば学校生活も楽しめるかもしれない」と、前向きにとらえていたところで、まさかの転勤。さらにコロナ禍で環境が大きく変わったことにより、転校先で姉子はまた行き渋るように……。転校先の学校では、別室登校や母子登校など姉子のペースでスモールステップを繰り返し、学校にいる時にも少しずつ笑顔が見えるようになってきました。しかし……。登校できるようになってきた矢先の転勤、転校姉子が3年生になり、転校先の学校にもやっと慣れてきたところで、またしても転勤!霧の中でなんとか小さな光を見出して進んでいた道の前に、まるで高い壁ができたような気分でした。当然と言えば当然ですが、姉子の心はスタートラインに戻ってしまいました。前の学校の時と同じように母子登校でスモールステップで……とやってみましたが、そう簡単には行かず、また家にこもるようになりました。そこで、私から姉子への登校刺激やアプローチを一旦全部ストップしてみました。学校には行かないけれど先生方や相談機関とは密に繋がり続けて、相談先はしっかり確保することを意識しました。学校の支援に関する情報は集めておいて、いつでも動ける状態を保ちつつ、「お母さんと一緒に好きなことをしようよ」という生活に変えてみることにしたのです。Upload By スパ山「お母さんと好きなことをしようよ」という生活にしてみると一緒にゲームをしたり、お菓子づくりをしたり、おしゃれなカフェに行ったり。そして、頃合いを見て、学校行事のお便りをさりげなく貼っておくなどして時々ほんの少~し匂わせていきました……(笑)。すると、姉子が給食の献立を見て「え~、おいしそう」と話したのです。学校について姉子から触れてくれたことに飛び上がるほどうれしかったのですが、そこは落ち着いて「ほんとだね~おいしそうだね~」とだけ答えました。姉子が完全に学校を拒否してるのではないと分かって私は安心しました。Upload By スパ山大きなきっかけは、弟の特別支援学級への入学その年の秋頃、ASD(自閉スペクトラム症)がある弟が新1年生として、姉子と同じ小学校の特別支援学級へ入学することが決まりました。そして、入学前に弟と私で特別支援学級を見学しに行くことになりました。しかし、当日、夫の仕事の都合がつかず、姉子とまだ小さい次女と2人だけで留守番をさせるのも心配だったので、結局姉子も次女も一緒に連れて行くことに。放課後の誰もいない時間に、私と子どもたち3人で見学に行きました。姉子にとっては数ヶ月ぶりの学校です。どうなるかとハラハラしていたら、「ここが靴箱だよ」「廊下は走らないんだよ」と弟と妹に教えてあげるなど、お姉さん風を吹かせ始めたのです。拍子抜けしてひっくり返りそうでした(笑)。特別支援学級の先生方もとても優しく、私たちが安心して見学できるように細やかな配慮をしてくださいました。最初は少し不安そうにしていた姉子ですが、帰る頃には先生とすっかり仲良くなって「また遊びに来てね」と言われ「うん!」と答えていました。その光景を見た時に、「姉子も特別支援学級の教室ならもしかして通えるのでは……?」と私は思ったのでした。Upload By スパ山不登校の娘、特別支援学級への転籍に向けて。母、動きます!私は、学校をお休みしていた間にもしっかり繋がっておいた相談機関に行き、見通しが立たないことを不安がる姉子に、しっかり伝えられるように特別支援学級の情報を集めました。学校にも相談に行き、特別支援学級への転籍について話し合いました。そして、弟の2回目の特別支援学級見学の時、姉子に「また一緒に行く?」と聞いてみたら、「うん!」と笑顔つきで返事が返ってきたのです。そこで、慎重に慎重を重ねてゆっくりと、明るい雰囲気を保ちつつ、希望すれば特別支援学級に姉子も弟と一緒に通うこともできると話しました。姉子の反応は「へ~」という感じでしたが、表情は明るかったです。Upload By スパ山小4への進級目前、娘が登校の意思を。そして、特別支援学級へと転籍弟の入学式の少し前、姉子が急に登校の意志を示しました。驚いた私は思わず「へ!?どこに!?」と聞いてしまいましたが、姉子は「○○学級(特別支援学級)に」とにっこりして答えてくれました。こうして、4年生に進級すると同時に姉子は特別支援学級へ転籍することになりました。霧がかかって壁に阻まれていた道がまた見えたようでした。そこからは以前培ったスモールステップで、焦らず諦めずゆっくりゆっくり、2年の母子登校を経ながら学校生活を取り戻していきました。Upload By スパ山6年生になった今は6年生になった現在は、母子分離不安の症状も落ち着いて、私がいなくてもほとんどの時間を特別支援学級の教室で過ごしています。また、通常学級へ交流に行ったり、調子の良い時は、3年生になった弟と1年生の妹と一緒に3人で下校したりすることもあります。委員会やクラブ活動に参加したり、下級生の面倒をみたりしているそうで、その成長っぷりに私は驚かされています。姉子のおかげで、私もたくさんの発見と学びがあり、めちゃくちゃ反省もしました……。姉子が疲れているときは「休もうよ、大丈夫だよ」と、必要以上の不安を感じることなくどっしり構えることができるようにもなりました。もしまた進む道が見えなくなっても、壁がドーンと現れたとしても、「想定内だ」と、心づもりしておき、いつでも子どもたちをサポートできるように見守っていきたいと思っています。執筆/スパ山(監修:藤井先生より)スパ山さんがお子さん3人を育てながら、転勤を繰り返し、試行錯誤されていた様子が伝わってきました。不登校のお子さんにどのように接したら良いか分からない、という方への希望のメッセージですね。読ませていただき、ありがとうございます。今では特別支援学級に行くことができるようなった姉子さんは、スパ山さんの母子登校2年のサポートがあり、弟さんの入学などをきっかけに、学校は行っても大丈夫かもという安心に繋がっていたのだと思います。これからまた環境の変化があるかとは思いますが、休んでも大丈夫だった今回の経験が、これからの姉子さんの成長を支えていくものになると思いました。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月04日小学生の息子さんを育てる、母親のYasuko Yamada(pooh2risuyy624)さん。息子さんの宿題の解答をInstagramへ投稿すると、「最高。センスしかない!」「大笑いした」などのコメントが相次ぎ、反響を呼びました。2021年7月当時、小学4年生だったという息子さん。「『うかがう』という言葉を使って文章を作りなさい」という問題に対する息子さんの解答をまずはご覧ください。ママが、僕のいたずらにいつ気付き、いつ赤鬼(青鬼)になるか、様子をうかがう。緑鬼、黄色鬼などございます。ご自由にどうぞ。いや、鬼の種類ありすぎッ…!どうやら息子さんにとって母親の喜怒哀楽は、色とりどりの鬼に見えているようですね…。息子さんの文章のセンスは、小学3年生の時からすでに研ぎ澄まされていた模様。当時の宿題の解答もご覧ください。ママが美しそうに見えるが、実際、どうなのだろうか。この解答に対し、母親は「絶対、ママにケンカ売ってるな…」とポツリ。素直に美しいとは認めない姿に、ジワジワと笑いがこみあげます!さらに、別の問題では小学3年生らしからぬ珍解答が爆誕。野菜のセールが終わると聞いて、はっとした。主婦かッ!まるでベテラン主婦のような解答に、思わずツッコミを入れたくなった人も多いはず。言葉の使い方は合っているのですが、ユーモアのある解答に、採点をした先生も笑ったに違いありません。これらの珍解答には「大笑いしました。お腹痛いです!」「セールを気にする息子さんがかわいい」「疲れが吹き飛ぶ面白さ。元気が出た!」などの声が続出しました。多くの人を元気にした、息子さんの珍解答。『鬼』といいつつも、心の中では母親のことを大好きな様子が伝わってきますね!grape HIT(グレイプ ヒット)ウェブメディア『grape』で、過去に多くの共感を得た記事や反響の大きかった投稿を再構成してお届けしています。[文・構成/grape編集部]
2024年03月03日SNSでアラフォーママの大人カジュアルコーデを公開するmidopeiさん。中学1年生、小学3年生、2歳の3兄弟ママであり、現在第4子を妊娠中。ブログでは、子どもたちとの日常から、購入品やコーディネートなど幅広く発信している。■『ユニクロ』バズり中のパンツに新色が登場3日に更新したブログでは「妊娠37週に入りいい加減マタニティコーデにも飽きてきまして」とつづり『ユニクロ』を訪れたことを報告。「ちょっとちょっと!あのバズりパンツに新色出てるやんーー!!」と興奮気味でコメントし「こりゃ買うしか無いでしょう」と購入した「ウォッシャブルニットリブパンツ」の写真を公開した。■3本も購入同ブログでは続けて「春を匂わせるようなオリーブっぽいグリーン」「手持ちのアイテムとも合わせやすそうだったので即購入しました」と説明し「1番最初に買ったチャコールグレー」と「アイボリーも気に入ってよく履いています」とコメント。「そうかれこれ3本目!!なのですよ」「マタニティ用ではないのに柔らかニットの伸びが良すぎて臨月まで履けちゃう」と気に入っている理由を述べた。「楽ちんだから産後にもぴったりやんね」「入院バッグにも入れておこう!」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年02月29日次女の場合、場面緘黙について知らない担任の先生がほとんどだった場面緘黙疑いの1年生、診断された2年生から6年生の今まで、5名の担任の先生にお世話になってきた次女。その中で、場面緘黙について知っていた先生は、1年生の時の担任の先生だけでした。この先生に、次女が学校で、クラスメイトと話せなかったり、動けなくなったりしてしまうこともあると教えていただき、スクールカウンセラーと面談をすることになりました。そこで次女は場面緘黙疑いとなり、その後の支援を始めていくきっかけになったので、その時の担任の先生にはとても感謝しています。その後次女は転校し、現在の学校では、場面緘黙について知っている先生はいませんでした。進級時の引き継ぎは……?次女が場面緘黙と診断された2年生の時、場面緘黙のことは担任の先生にお伝えし、進級時に学校へ提出する書類にも記載していました。しかし、3年生になって新しい担任の先生とお話ししたところ、場面緘黙についてご存じではありませんでした。たまたまかな……?と思いましたが、4年生への進級時も新しい担任の先生は次女の場面緘黙について知らず、ここでやっと、「私のほうでなにかアクションを起こさないと、特性などについて自動でうまいこと引き継がれるわけじゃないのか……!」ということに気がついたのでした。Upload By まりまりUpload By まりまりその都度、担任の先生に私のほうから説明していたこの頃は通級指導教室(ことばの教室)なども利用していなかったので、学校とのやり取りは、ほぼ担任の先生のみと行うといった感じでした。そのため、進級時には、場面緘黙についての説明や、前年はどう配慮していただいていたか、今後どうしていきたいかなど、私のほうから担任の先生に直接お伝えし、相談する必要がありました。……が、これがなかなか気をつかうものでした。どの程度お願いして良いのか、無理なことを言っていないか、先生はどのくらい理解があるのか、どう思っているのか、うるさい親と思われていないか……。Upload By まりまりなんとか、継続した支援にできないものかな……と思っていました。引き継ぎ問題、解決の糸口は……この引き継ぎ問題が、通級指導教室(ことばの教室)を利用し始めたことで、一気に解決しました!ことばの教室の利用時に、学校側で(保護者と相談のもと)個別指導計画を作成してくれました。そこには本人・保護者・担任の願いや年間指導目標、目標達成のための学習活動、その達成の状況や所見などが記載され、共有されます。最初見た時に、個別指導計画の存在を知らなかったので、こんなことしてくれるんだ!と驚きました(と同時に、もっと早くこれに出合えていれば……!とも思いました……)。さらに、ことばの教室の担当の先生からは「進級時、新しい担任の先生に、保護者の方から特別伝えておきたいことはありますか?」と聞いていただいて、今まで自分でやっていたことを考えると、本当に助かるな~とありがたさしかなかったです。Upload By まりまり通級指導教室(ことばの教室)に通い始めてからの進級次女が4年生の終わりから通級指導教室に通い始めて、5年生の進級時。新しい担任の先生も、次女の担任になるまでは場面緘黙について知らなかったそうですが、個別指導計画による引き継ぎだけでなく、事前に通級指導教室の先生と直接話してくださっていて、場面緘黙に関する知識がある状態でお話できたのでとてもやりやすかったです。Upload By まりまり毎年進級の時には、「またいろいろ言わなくちゃいけない……」「かなり気をつかうな……」と負担を感じていましたが、進級時に連携をしていただけるようになったおかげで、このストレスから解放されました。また、今までの担任の先生がやってきてくださったことや、次女の状態を正確に次の担任の先生へ伝えられるようになったので、私にとっては良いことしかありませんでした。その後、5年生から6年生時の進級は、担任の先生が変わらなかったので、さらに助かる状況でした……!このように切れ目のない支援を積み重ねてこられたおかげで、中学進学時にもとても役立ちそうで良かったです。執筆/まりまり(監修:藤井先生より)年度変わりの今の時期、来年度の先生にどのようにお子さんのことを引き継いだら良いのか、と悩まれている親御さんのヒントになるコラムをありがとうございます。就学前には、教育委員会に就学相談を受け、その際に就学支援シートを提出されてお子さんの様子を引き継がれる方もいます。次女さんの場合は、通級指導の先生作成の個別指導計画と、通級指導の先生と担任の先生が直接話されたのが良かったのですね。通級指導教室(東京都など一部の自治体では特別支援教室)・特別支援学級の先生、スクールカウンセラー、支援コーディネーターの先生と連携をとるのも良い方法です。また、医学的な配慮が必要な場合には、主治医意見書を学校に提出し、それを通じて学校と対話をするのも良いと思います。環境が変わっても、切れ目ないサポートがあるとお子さんも安心して過ごせますね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年02月29日もうすぐ小学5年生になる息子。5年生から家庭科の授業が始まります。息子は、幼稚園の時に使っていたエプロンを持っていましたが、もちろん今ではサイズアウト。それ以来、あまり使用の機会がなかった為、ずっと用意していませんでした。家庭科の授業といえば、調理実習。必要となるのが、エプロンと三角巾。ということで、今回息子用に“kukka ja puu キッズエプロン 3点セット”を準備しました。娘(4歳)には、同シリーズの「ピンク」を購入済みなので、念願の”兄妹”お揃いがかなって、母的には大満足です。 【関連コラム】娘(当時3歳)がエプロンを着用した時の様子はこちら。小学生男子は、シンプル&落ち着いたカラーがお好み。▲巾着付きなのが嬉しい。学校や幼稚園にも持って行きやすい息子に自分の持ち物を選ばせると、黒・紺・グレーといった色味のものばかり(今朝も全身真っ黒で登校していきました)。私も「シンプル」が好みだけれど、まだ10歳の息子には「地味だなぁ〜」と思うことも。kukka ja puuのエプロンは、落ち着いた色味ながらも、ポケットの配色がアクセントになって遊び心を感じるデザインがオシャレなんです。息子の趣味にも、母の趣味にもぴったり。息子も(文句を言わず笑)気に入って着てくれました!2サイズ展開で、お揃いが叶う息子(小学4年生/10歳)は、現在身長141cm。サイズ「130-160」、カラー「チャコール」をチョイスしました。首紐はボタンで2段階調節が可能。今は短くして着用して、膝丈ですが、調節すれば長く使えそうです。ちなみに、娘(年小/4歳/身長104cm)が着ているのは、サイズ「100-120」カラーは「ピンク」です。幼稚園の食育イベントの時や、家でお手伝いをしてくれる時に、いつも着ています。ゴム仕様で着脱がラク!基本的に、面倒臭がりの我が息子。自分で結べないわけではないですが、スニーカーの靴紐が解けていても「面倒臭かったから…」と言って、そのまま下校してきたりします。母的には「え?」という感じですが。そんな息子にも、kukka ja puuのエプロンはぴったり。首紐、腰紐ともに、2段階調節可能な上、ボタンを留めたまま着脱できるゴム仕様だから、毎回結ぶ必要がありません。三角巾も同様にゴム仕様なので、スッポリ被ればオッケー。調理実習の準備の際に、モタついたりしません。実際に使ってみました!普段はキッチンに立つことの少ない息子ですが、今後の調理実習に向けて、エプロンを着けて「焼きそば作り」にチャレンジしてもらいました!▲野菜を切る手つきにヒヤヒヤしますが、そっと見守ります。▲豪快に炒めます!油も野菜も飛び散るので、服が汚れるのを防ぐためにも、エプロン必須ですね。▲美味しくできました!いかがでしたか?小学校高学年にもぴったりな、シンプルだけど使い心地もちゃんと良いエプロン。入学や進級の贈り物にもオススメですよ。 【ご紹介したアイテム】エプロン・三角巾・収納用巾着袋の3点セット。シンプルデザインだから、調理実習などの学校行事にもおすすめ。2サイズ展開なので、未就学児から小学校高学年くらいまで対応。⇒ kukka ja puu キッズ エプロン 3点セット/クッカヤプー 伊地知智美夫と6歳差の兄妹との4人暮らし。家族で囲む毎日の食卓を大切に。丁寧で、肩の力を抜いたシンプルライフが理想です。
2024年02月28日夫と小学3年生の娘との3人暮らし。共働きのため、なかなか娘と過ごす時間が取れないのが私の悩みでした。娘がだんだん難しい年ごろになっていくため、その前に親としてしっかりコミュニケーションを取っておきたいと思っていました。しかし、自分勝手な夫は、夫と娘だけお休みという日に部屋にこもって断捨離に励み、ひとりでリサイクルショップにでかけるなど、娘との貴重な時間を無駄にしてしまうこともしばしば。 私は夫に注意をしていたのですが、遊園地の約束があるから大丈夫と言ってまったく気にしていませんでした。夏休み1番の思い出が…夫と娘が遊園地へ遊びに行く日。夏休み1番の思い出にするんだと、夫は張り切ってでかけていきました。娘は、最近買ってあげた携帯電話をしっかり持ってでかけました。娘は仕事で行けない私にたくさん写真を送るんだと、出発前に笑顔で話してくれました。 娘からの写真は、私に元気を与えてくれます。お礼の返信とともに、帰りに買ってきてほしいものをリクエスト。「帰りパパと買い物お願いね!」 その後、娘から何度も着信が入りました。仕事が忙しくて手が離せなかった私がやっと電話に出ると、思いもよらない事態が……。「ママと離れたくない。私のこと捨てないで」「え?」娘の言っていることがわからず、落ち着かせて話を聞いてみたところ、とんでもないことを言い出したのです。 お昼過ぎに遊園地を後にした夫と娘は、なぜか今どこかのおうちにいて、娘はこれからそこに住むと聞かされたようなのです。私が娘を嫌いになったから離れて暮らすことになった、この人が新しいママだよと、女性を紹介されたと娘は言いました。 しかし夫とその女性は言い争いになり、今はどこか別の場所へ出かけて話をしているよう。私は状況を何となく察し、娘にはそこから離れるよう伝え、携帯電話で連絡を取り合いながら、娘を無事保護しました。クズ夫はこちらから捨てるべし数時間後、夫から連絡が入りました。娘と遊園地ではぐれてしまい、連絡もつかないので、GPSを使って居場所を探してほしいと言うのです。私が娘と今一緒にいること、娘を保護するに至った経緯を丁寧に説明したところ、すっとぼける夫。 しかし、夫は逃げられないと思ったのか、正直に話し始めました。私よりも好きな女性ができた夫は、すこし前から離婚を考えていたそうです。自分都合の離婚なので娘は私の元へ置いていくつもりだったらしいのですが、久しぶりに娘と遊んで手放すのが惜しくなったとのこと。勢いで不倫相手の家へ娘を連れて行ったところ、相手が怒り出してしまい、なだめることに精一杯になってしまったようです。よって娘から目を離すことになってしまったと……。 断捨離に励んでいたのも、不倫相手との生活を考えてのことだったよう。リサイクルショップに行くと言って、いそいそと荷物を不倫相手宅へ運んでいたことも白状しました。 家族の心を振り回さないで!その後、私たちは即離婚。娘と穏やかな生活を始めました。しかし1カ月後、元夫がまたフラフラ現れて復縁を迫ってきたのです。不倫相手に振られたと風の便りで聞きましたが、本当だったよう。 しかも話を聞けば、養育費の支払いと不倫相手と折半するはずだった新居の家賃が夫負担になっているそうで、お金に困って私たちのところにやってきたというわけです。 私が何度も復縁を断ると、元夫は娘を連れ去ろうとまでし、警察のご厄介になりました。怖い思いをした娘は元夫との面会を拒否するようになったため、しばらく夫は大人しくしてくれることでしょう。私と娘の心落ち着く生活が続くことを願います。 自分勝手な欲望のために、娘まで巻き込むなど許されることではないですよね。娘さんにとっても、ショックな出来事だったはず。元夫には自分の行動を反省し、妻と娘の元に現れて不安にさせるのではなく、遠くから2人の幸せを願ってほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年02月28日SNSでアラフォーママの大人カジュアルコーデを公開するmidopeiさん。中学1年生、小学3年生、2歳の3兄弟ママであり、現在第4子を妊娠中。ブログでは、子どもたちとの日常から、購入品やコーディネートなど幅広く発信している。■『コストコ』購入品21日に更新したブログでは「出産前に久しぶりに」と切り出し、会員制倉庫型スーパー『コストコ』を訪れたことを報告。「お目当てはまずコレ!」とつづり、ふき取り式のクレンジングウォーター「ビオデルマ」の「サンシビオ」を紹介し「コレ大好きなんですよね〜」「帰宅してとにかく早くメイク落としたい時やこれから産後でしばらくは日焼け止めオンリーの生活だからさっと拭くだけ」「おすすめ!」とコメントした。■「やはりコストコは安いですね!!」同ブログでは続けて「あとは子供達も大好きなダウニーズのハニーバター」を購入したことを明かし「朝食の食パンにコレ塗って…すぐ無くなります」「2個セットだけどもう一箱買っておけばよかったかな」とコメント。さらに「妊娠中でもそうでなくても我が家はルイボスティーを飲んでいます」と述べ「CARMIEN」の「オーガニックルイボスティー」を紹介。「バレンタイン前だった事もありリンツのリンドールも」「やはりコストコは安いですね!!」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年02月27日昔はやさしくて働き者だった父ですが、年齢を重ねる度に亭主関白になり、私たち家族は少々うんざりしていました。小学1年生と3年生の息子たちは、「おじいちゃんは、いつも命令してばかりで怖い」「おじいちゃんの家に行きたくない」と父を恐れています。 命令ばかりの父に、幼馴染の娘が…ある日、わが家と家族ぐるみで仲良くしていた幼馴染Aちゃんから、3歳の娘を連れて帰省するという連絡が。そこで私は、Aちゃんの娘と息子たちの顔合わせもかねて、Aちゃんを実家へ招きみんなで集まることにしました。普段は亭主関白な父ですが、Aちゃんの娘にはすっかりメロメロの様子。 昼食の時間になり、父はいつものように母や私に「醤油」「皿」と父が望むものを取ってくるように指示をし始めました。すると、その姿を見たAちゃんの娘が「ねぇ、どうしておじちゃんは自分で動かないの?」とひと言。さらにAちゃんも「そうだよ、昔はすごく良いパパってかんじだったのに!」とガツンと言ってくれたのです。2人の言葉に、母と私は内心「よく言ってくれた!」と心の中で拍手! Aちゃん親子の言葉が響いたのか、父はその日を境に昔のようにやさしくなりました。母もビックリした様子で、「Aちゃんたちのおかげだね」と喜んでいます。それからは、息子たちが父を恐れることもなくなりました。今の父は、孫にとても好かれるやさしいおじいちゃんです。 作画/Pappayappa著者:田中 里奈
2024年02月27日「寒いよー、おなかすいたよー」と、真冬の近所の公園で言っていたのは、当時2歳の娘とよく遊んでくれていた小学3年生と1年生の姉と弟のきょうだい。「お昼ごはんを食べていないの?」と私が声をかけると、「食べていない。お母さんは寝ている」と言いました。薄い長袖1枚だけを着ている2人。私は育児放棄ではないかと疑い、それからその姉弟を気にかけるようになったのです……。 親は日中に寝ている?その姉弟はとても人懐っこくてよく笑い、一見、どこにでもいる小学生の姉弟のように見えました。しかし、よく見ていると公園にいる大人に誰でも話かけたりして、甘えたがる様子が伺えました。もしかして家で親に甘えられていないのかな、と感じる私。 夕方の公園で娘がその姉弟と一緒に遊んでいるときに「お母さんは家にいるの?」と聞くと、「いるよ。寝てるけど」という返事がほとんど。しかし、その姉弟からの家庭環境に対するSOSはないので、私は気にかける程度に留めていました。 初めて姉弟の母親と対面そんな日々が流れ、娘が4歳になったある日のこと。ショッピングモールのフードコートで食事をしていたときです。あの姉弟が少し離れた席から「Aちゃーん!(娘の名前)」と呼んでいるではありませんか。その横には姉弟のママと見られる人も。私は今まで姉弟が娘と遊んでくれたお礼を伝えるために席を立ち、どんな人か不安を抱えながら近づいていきました。 私が「いつも遊んでくださりありがとうございます」というと、姉弟のママは「こちらこそありがとうございます!」と満面の笑み。続けて「私、常夜勤の仕事で日中は寝ていて、公園に全然一緒に行けなくて。いつも遊んでいる話を聞いています」と明るい表情で教えてくれました。 私は、夜勤のために日中寝ているのは仕方ないことだと納得。育児放棄ではなくてよかった……とホッとしました。「もし日常で困ったことがあれば声をかけてください」と伝えた私。せっかく子どもたちが仲良くなったので、これからはその方とママ友としてお付き合いしていこうと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラスト/まげよ著者:下園ひかり
2024年02月19日こんにちは!おにぎり2525です~。今回は、まさかの反抗期を迎えた小3息子についてです!■プチ反抗期中の小3息子■あっけらかんと答える息子の姿に…まだまだ好きって言ってくれて、ママうれしいです!!反抗期は子どもの成長の証でもあると思うのですが…どうか可愛いまま、反抗期を迎えてほしい!!(それは反抗期とはいえないか 笑)
2024年02月09日小学校入学と同時に始まった行き渋り現在小学6年生のわが家の長女『姉子』は、赤ちゃんの頃から繊細なところはあったものの、幼稚園の時は楽しく園生活を送っていました。しかし、小学校へ入学するとすぐに、登校前に泣き出したり、腹痛や頭痛を訴えたりして、行き渋りをするように。また、ある日突然チックの症状が出るようになりました。そして、1年生の時の個人懇談で担任の先生から発達検査を受けることをすすめられ、すぐに発達支援センターへ相談に行き、2年生になってすぐWISCを受けました。結果はかなり凸凹があり、これまで相当しんどい思いをしてきたことが分かりました。行き渋りやチックは姉子が出していたSOSだったのです。私は姉子に申し訳ない気持ちでいっぱいで、今まで気づかなかった自分をすごく責めました。でも、発達検査を受けたことで姉子の特性や困り事を知ることができたので、「上手にサポートできれば学校生活も楽しめるかもしれない」と、私は前向きにとらえるようにしました。しかし、転勤族のわが家は突然引っ越しが始まります。発達検査を受けた年と同じ2年生の夏、姉子は都心部の小学校に転校することになりました。突然の転校でさらに行き渋るように環境の変化でストレスを受けやすい姉子はますます学校を行き渋るようになりました。さらにコロナ禍で、何とか登校できても、誰とも会話できず、転校したばかりなのに友達をつくることもできません。Upload By スパ山この頃の姉子は本当につらそうで、外出すらできなくなり……。私も「こんな状態になってまで学校に行かなくてもいいのではないか」と思うようになっていました。と同時に、ここで「休んでいいよ」と言ってしまったら、「この先も何かあったらすぐあきらめるようになるのではないか」という底知れぬ不安や、「ほかの子は学校に行っているのに……うちも頑張って行けるようにならなくては」、という気持ちのはざまで揺れて本当に悩みました。Upload By スパ山母子分離不安と自閉スペクトラム症だと診断を受ける行き渋りについて、担任の先生とスクールカウンセラーさん、そして私たち母子で何度か相談していく中で、ある日姉子がポツリと「学校に行っている間、お母さんと離れるのがさみしい」とこぼしました。発達の凸凹があるから登校に不安があるのだと思っていた(もちろんそれもあるのでしょうが)私は驚きました。もう小学生だし、まさか母親と離れるとさみしいなんてことあるはずがないと思い込んでいました。そして、通院していた児童精神科で「母子分離不安」の診断を受けたのです(自閉スペクトラム症もこの時に診断されました)。Upload By スパ山スモールステップを繰り返し、約1年かけて母子登校できるようになんでだろう?どうしたらいいんだろう?と、深い霧の中にいた状態だった私たちにとって、少しだけ進む道が見えてきた瞬間でした。姉子は医師の指導のもと投薬治療を始めました。そして、私と一緒に家で授業の時間割を合わせて用意をする、一緒に学校までまで行って校門にタッチして帰る、登校して先生にプリントをわたす、といったスモールステップを地道に続け、約1年かけてやっと別室に母子登校できるようになりました。(「母子登校」とは、保護者が付き添い、子どもと一緒に登校することです。学校に行くことに不安を感じたり、不登校になってしまった場合に、通常登校へ戻るための支援策として姉子が通っていた学校では取り入れてありました)。Upload By スパ山2年間の母子登校で娘に笑顔が私は、毎朝姉子と一緒に登校し、教室の隣の部屋で課題のプリントなどをしながら一緒に過ごし、給食を食べているのを見守り(コロナ禍だったので、関係者以外の飲食は禁止でした)一緒に下校していました。最初は数十年ぶりに小学生になったような気持ちでいた私でしたが、学校なので家にいるように横になったりスマートフォンを見たり、のんびり休憩できる時間もなく……。ずっと姉子のそばにいなければならないので、常に緊張状態で、しんどくなった時もありました。それに、お昼ごはんは帰宅するまで食べられなかったので、朝ごはんを食べ忘れるともう大変!お腹の音が鳴りっぱなしで……食いしん坊の私にとって、これはかなりつらい経験でした(だからといって痩せたりはしませんでした。不思議だなあ?(笑))。Upload By スパ山そんな中で、クラスメイトや先生方にもとても温かく接していただきました。そして、姉子にもだんだん笑顔が見えるようになってきた時には「母子登校をやってきてよかったな」と、涙が出そうでした。こんな日々が結局約2年続きましたが、またその話は別の機会に書きたいと思います。執筆/スパ山(監修:新美先生より)分離不安症(母子分離不安症)は、愛着の対象(=安全基地、主には母親)から離れることを年齢に不相応に極端に怖がるような状態です。もともと繊細で不安を抱きやすい性質のお子さんに起きやすく、大きな環境の変化や、その環境(園・学校など)が合わずお子さんが不安を抱きやすい状況が続くと分離不安の症状が出やすくなります。学校に行くと分離不安となり、保護者から離れられない場合、対処法としては大きく分けて3つあります。(1)お母さんなどが一緒に登校する(母子登校、付き添い登校と言われることもあります)。(2)学校が大きい不安の対象になっているなら、学校の環境を本人が不安に感じないように工夫する(3)学校以外に本人が大きな不安を抱かなくても行ける場所を探す(例えばフリースクール、ホームスクーリングなど)といったことが考えられます。正直、母子登校は記事にもあったように保護者の方の負担もとても大きいと感じています。それでもスパ山さん親子は、かなり長い期間をかけて、また別室登校と言った形式で(2)の学校自体がお子さんに負担のないやり方の工夫などもしながら、だんだんと姉子さんに学校でも笑顔が見られるようになってきたという、母子登校をやってよかったと思えるところまで行きついたということですね。簡単には語れない2年間だったのではないかと思いますが、本当にお疲れ様でした。スパ山さんも姉子さんも本当によく頑張られましたね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年02月05日年末年始に体調を崩す次女が4年生の年末のことです。急に、動けないほどの胃痛を発症してしまいました。それまでも「胃が痛い」と言うことはあったのですが、こんなに痛がることはなく、すぐに病院に連れて行くことに。結局原因は分からず、お薬をいただいて痛みは軽くなったのですが、年末年始はほとんど食べられない状態がずっと続いて、クリスマスやお正月のご馳走を楽しみにしていた次女は、とても落ち込んでいました。その後、年が明けて学校が始まったある日。夕方、私が仕事から家に帰ると、そこにいたのは顔の腫れた次女。何事かと思ったら、全身がかゆいとのことで、体中にかなりの湿疹が出ていました。何かのアレルギーかと思って、すぐに病院に連れて行きましたが、原因不明の蕁麻疹(じんましん)とのことでした。こちらもお薬で軽快しましたが、しばらくは全身がかゆい状態が続いていました。Upload By まりまりどちらも原因は不明で医師からは……この立て続けに起こった体調不良ですが、どちらも医師からは、原因は分からず、「ストレスからきているのかもしれません」と言われました。「思い当たることはありませんか」と聞かれて、思い当たることしかありませんでした……。Upload By まりまりストレスの原因は?次女的には無理をしているつもりはない思い当たることとして、ちょうどその頃から通級指導教室が始まったこと、ずっと次女のカウンセリングを担当してくれていた臨床心理士さんが辞めてしまい新しい方に変わったこと、とても好きだったクラスからの進級への不安などがありました。以前、小学校入学時にもストレスから身体に症状が出ていたので、また違うかたちで出てきたのかもと思いました。ただ、次女本人にストレスの原因になっていそうなことについて聞いても、「大丈夫」「つらいことはない」「何がストレスになっているか分からない」という感じで、傍から見ていると、環境が変わって負担に感じているのは分かるのに、次女自身は、自分の状態がよく分かっていない様子でした。Upload By まりまり以前、心理士さんから聞いた言葉を思い出した以前心理士さんに、「次女には場面緘黙があるけど、好奇心旺盛でいろいろやりたがって疲れすぎてしまうことが多いので、どう対応したらよいか」と相談したことがありました。今後次女は、そういうものを自分でコントロールしていかなくてはいけないけれど、親としてはどう対応していったら良いのか難しかったのです。そこでは、心理士さんから・もちろん自分でいろいろ経験して、自分で分かるのが一番良い・ただ、今は小学生だし、自分で分かるのが難しい部分もある・近くにいる保護者としては、その時の次女の気持ちを聞いて、フィードバックしていくことで、次女自身の理解を促すというようなアドバイスを受けました。そうすることで、次女が自分の気持ちを言語化して、自分の気持ちや身体の状態を自分で考えられるようになるきっかけになるとのことでした。なので、その後から、なるべくそれを意識して次女と話していくことにしました。Upload By まりまり次女と自分の状態について言語化していく次女はまだ、自分の状態に気づくことに手助けが必要だと分かったので、この間に起こった変化と、それにあたっての次女の気持ちを話し合いました。そこで、いろいろ変化がある時はつらい気持ちになってそれがストレスになること、そういう時は無理をしないで休むことも必要だと話しました。そういうことを積み重ねて、次女が自分自身の身体や心の調子を分かって、少しでもうまくコントロールしていけるようになったらと思っています。Upload By まりまり執筆/まりまり(監修:新美先生より)ストレスが影響して、身体に不調をきたしている、いわゆる心身症の状態だったと思います。頭痛や腹痛、アレルギー疾患(蕁麻疹も含みます)や、自律神経の不調など、ありとあらゆる病気が、ストレスに大きな影響を受けます。心身症の多くの場合、ご本人はストレスを自覚していなかったり、大したことがないと気にしていなかったり、否定していたり、もっと頑張りたいと思っていたりします。ご本人がストレスをストレスと意識していないからこそ、体が症状で悲鳴を上げている状態とも言えます。子どもに心身症症状が出ている場合は、大人のほうでストレスの原因となっていることを探して環境調整したり、ご本人がストレスを自覚してストレスを避けたり上手に付き合ったりできるようなサポートが必要です。記事ではまさに、お子さんご本人が自分の状態に気づいてコントロールできるようになるよう、話し合ってサポートしたことが書いてありました。すぐには自覚できなくても、そこに焦点を当てていくことで、徐々に実感して対処法を身につけていけるようになるとよいですね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年01月31日2024年1月29日に報じられた、漫画家である芦原妃名子(あしはら・ひなこ)さんの急逝。芦原さんは同月28日から行方不明になり、翌29日、栃木県内で亡くなっているのを発見されたといいます。亡くなる数日前には、2023年にドラマ化された自著『セクシー田中さん』の制作上の事情について、X(Twitter)で明かしていた、芦原さん。行方をくらませた日の昼、Xに「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」と書き残し、これまでの投稿のほとんどを削除していました。警察は今後、死因や経緯について調査を進めるとのことです。芦原妃名子さん逝去受け、小学館がコメントを発表逝去が報じられた翌30日、株式会社小学館(以下、小学館)がウェブサイトを更新。芦原さんは1994年に同社の漫画雑誌『別冊少女コミック』でデビューして以来、『砂時計』や『Piece』『Bread & Butter』など、数多くの作品を小学館で刊行してきました。小学館は、芦原さんの訃報を受け、このように想いを明かしています。漫画家の芦原妃名子先生が、逝去されました。『砂時計』で第50回、『Piece』で第58回小学館漫画賞を受賞され、2017 年からは7年にわたり「姉系プチコミック」で『セクシー田中さん』をご執筆いただいておりました。先生の生前の多大なご功績に敬意と感謝を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。先生が遺された素晴らしい作品の数々が、これからも多くの皆様に読み続けられることを心から願っております。小学館ーより引用長きにわたって、小学館の作家として活躍してきた芦原さん。あまりにも突然の逝去に、小学館側も深い悲しみに暮れているようです。同社は、多くの人の心を揺さぶった芦原さんの作品を称賛し、「今後も、多くの人に読まれるような作品であってほしい」と、漫画家に対する最大の敬意を示しました。作品は、多くの漫画家にとって我が子同然に大切なもの。作品がより多くの人に届くことは、芦原さんの望みでもあるはずです。訃報に対し、ネットからは「芦原さんの作品が大好きです」という声が相次ぎました。今後も芦原さんの作品は、たくさんの人の心に響くことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年01月30日未来のスターを発掘するオーディションイベント「スタースカウト総選挙2023 in Winter」のグランプリが、応募総数29,652名の中から大阪府の小学六年生12歳の小西 美結(みゆ)さんに決定いたしました。グランプリ 小西 美結さん美結さんは、同時にミクチャ賞も受賞。ライブ配信においても「人の心」を掴むことができる彼女が3か月以上にわたるオーディションを有終の美で結んだ!準グランプリ 千原 祐来さん準グランプリ 尾留川 陽(びるかわ はる)さん準グランプリ 上 千原 祐来(ゆら)9歳 小学生3年生 大阪府出身準グランプリ 下 尾留川 陽(びるかわ はる)16歳 高校1年生 愛知県出身努力してできないことをできるようにしてきたという尾留川さん、パフォーマンス審査では堂々とダンスを披露し、大手事務所の新人開発担当の目線をくぎ付けにしました。千原さんはこれまで、水泳や体操など体を動かすことが大好きで、今は洋服などを季節に合わせて考えるのが楽しくなってきたとのこと、今後は小学生向けファッション誌ニコプチの専属モデルを目指したいとのことで、2022年in Summerの同じく準グランプリの山本 初華(やまもと いちか)さんのように千原さんの姿を雑誌やテレビで見かける日も近い!花咲 暖さんと成瀬 瑠南さんトークショー「スタースカウト総選挙(略称:スタ選)」は、芸能界を目指す「未来のスター」を発掘するオーディションイベントとなり、30社以上の大手芸能事務所が参加しドラフト型で所属が決定します。今回で12回目の開催となり、これまでに数多くのスタ選ファイナリストが大手芸能事務所に所属しています。例年12月に行われる冬のスタ選が今回は1月に開催!そのため、2023inWinterと称し、今年2024年度も2度の開催が予定されています。今回、2020年度のグランプリ、花崎 暖(はなさき のん)さんと同年準グランプリの成瀬 瑠南(なるせ るな)さんが登壇され、スタ選での受賞後にどのように世界が変わったのかトークショーが行われました。花崎さんは2024年2月9日公開の映画「レディ加賀」において主演小芝風花さんの少女期を演じ、成瀬さんは2023年12月17日まで放送されていた朝日放送のABCドラマ「たとえあなたを忘れても」に出演、今回のスタ選の出場者にとって貴重なエピソードを語ってくれました。今回のスタ選出場者も、どの事務所に所属をするのか?今後の活躍が期待されます。次回の開催は夏となり、既にエントリー受付が開始、既に数多くの応募者がエントリーしています。3rdステージ 質疑応答の様子2024年1月28日(日)TakaraOsakaでファイナルステージが開催今回から初の試みとなる、プロダクションからの投票で2ndステージへの進出54名。2ndステージでは特技を披露していただきました。グランプリの小西 美結さんは特技のダンスを披露。その中から、さらに投票で11名に絞られ3rdステージへ進出。3rdステージでの審査は質疑応答となりました。芸能界において目指したいジャンルとその理由など、緊張しながらステージで答えているファイナリストの今後が楽しみです。授賞式の後は、プロダクションとの面談が行われました。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年01月30日するどい観察力をもつ子供は、大人が思っている以上にさまざまな言葉を知っているもの。「そんな言葉どこで覚えたの!?」と、親を驚かせることも珍しくありません。小3が考えたウサギのセリフが?冴島オンティーヌ依子(@ontine9neo)さんは、小学3年生の子供が取り組んだドリルの解答を見て、こう思ったといいます。「お子の答えが小3じゃなくて中年」問題は、イラストの吹き出しに合った言葉を入れるというもの。腰を下ろすウサギと、手を差し出すカエルのイラストが描かれており、「だいじょうぶ?」「ありがとう」というやりとりの例文が示されているのですが…。X(Twitter)に投稿された、冴島さんの子供の解答をご覧ください!カエル「だいじょうぶ?」ウサギ「だいじょうぶじゃない、こしやった」なんと、ウサギが腰を痛めて立ち上がれない状況に…!「腰やった」というリアルな返答はまるで、年齢とともに身体の節々を痛めやすくなる中年同士の会話のよう。「大丈夫じゃない」といいながら、やれやれといった表情でほほ笑むウサギに、じわじわと笑いがこみ上げます…。冴島さんの子供はきっと、腰を痛めた大人の会話をどこかで耳にしたのでしょう。小学3年生が生み出した『中年同士のリアルな会話』は、多くの人のツボにはまったようです。・めっちゃ笑った。確かに、腰やってるな。・面白すぎる。状況を読み解く力がすごい!・これは…身近な方が腰を痛めている気配がする。子供の回答を見た冴島さんも「この姿勢から立ち上がるのは、大変だろうな」とウサギに同情した様子。この後、カエルに手を引かれて整形外科に行く様子が目に浮かびますね…。[文・構成/grape編集部]
2024年01月27日SNSでアラフォーママの大人カジュアルコーデを公開するmidopeiさん。中学1年生、小学3年生、2歳の3兄弟ママであり、現在第4子を妊娠中。ブログでは、子どもたちとの日常から、購入品やコーディネートなど幅広く発信している。■990円に値下げされていたアイテム19日に更新したブログでは、先日『ユニクロ』にベビー用品を買いに行った際に「またまた目ざとく見つけた」という値下げアイテムを紹介。「もちもちっとしたなめらかな肌触りで着心地の良い」というキッズ用の「スフレヤーンセーター」が「もともと1990円なんだけどお値下げでなんと990円」になっていたと明かした。■大人も着られるキッズサイズ同ブログでは続けて「大人の商品も今までによく買っていますがキッズも侮れないのよ!」とコメントし、子どもと「リンクコーデも出来るしね」「150cmや160cmなら大人でも着られるからお値段もお手頃だしおすすめ」とつづった。また「『ウォッシャブルニットリブパンツ』を合わせても絶対可愛いよね」とコーディネートを紹介し、ブログを締めくくった。
2024年01月26日SNSでアラフォーママの大人カジュアルコーデを公開するmidopeiさん。中学1年生、小学3年生、2歳の3兄弟ママであり、現在第4子を妊娠中。ブログでは、子どもたちとの日常から、購入品やコーディネートなど幅広く発信している。■『ユニクロ』ワゴン戦利品6日に更新したブログでは「皆さんユニクロのワゴンって見ます??」と問いかけ「私は目ざとく見るタイプ」とコメント。『ユニクロ』を訪れ「見つけた瞬間ラッキー!!ってなった」というワゴン戦利品「ウルトラストレッチマタニティレギンスパンツ」を紹介した。■990円で購入したマタニティレギンス同ブログでは「正直マタニティウェアは買いたく無い」と思っていたというが「もう臨月並みのお腹」になってきたため「あと1か月半くらいのマタニティライフだと思うのですが毎日のコーデも限界だし990円なら!と2本買いました」とつづった。「レギンスパンツだからちょっとピタピタだけどね」「ブーツインしやすくて私は気に入ってます」とコメントし、ブログを締めくくった。
2024年01月18日わが家には小学3年生の長女と、もうすぐ1歳になる次女がいます。長女はひとりっ子生活が長かったこともあり、次女を妊娠したことをなかなか受け入れることができませんでした。そんな長女の姿を心配していた私と、長女の心の成長をご紹介します。 待望の第2子、妊娠判明長女が小学2年生のとき、待望の妊娠が判明しました。うれしいのはもちろんですが、ひとりっ子生活の長かった長女がどんな反応をするのかが何よりも気になりました。夫にその話をすると、「そりゃうれしいんちゃう」と、のんきな言葉が返ってきました。一方私は、精神年齢が高くプチ反抗期な長女のことが心配でした。 そして私のつわりが始まったこともあり、妊娠2カ月のときに長女へ妊娠の話をすることに。すると、「ふ~ん」と気のない返事のあとにしくしく泣いたかと思うと、その声がだんだん大きくなり、「いやー!!ずっとママとパパと3人がいい!!」と泣きわめいてしまいました。想像以上に妊娠を嫌がる長女の姿に、私は先が思いやられました。 長女の受け入れ体制が整った日妊娠を長女に伝えてから、こちらからは妊娠や赤ちゃんを匂わせる話はしないよう気を付けました。長女は私の少し大きくなったおなかを見ても、「食べ過ぎやね」と言ってくるので、「そうやね」と返すこともありました。いつもなら私がつらそうにしていると「大丈夫?」と声をかけてくれますが、私がつわりでつらそうにしていても長女は気付かないふりをしていました。 しかし、妊娠7カ月を過ぎたころ。長女が「○○ちゃん(クラスメイト)って4人きょうだいなんやって~。私もきょうだいおるか聞かれたから、一応おるって言っといた」と少し照れたように言ったのです。もう私は大声で叫びたいくらいうれしかったのですが、冷静を装いながら「そうなんや~」と答えました。長女の心のなかでいろいろな気持ちを消化し、赤ちゃんを受け入れられるようになったんだな~と思った瞬間でした。 ついに出産!長女の反応は……?その後は長女から赤ちゃんの話をしてくるようになりました。おなかの赤ちゃんが妹だとわかり、「私の服を貸してあげる」「一緒にままごとをしてあげる」と言ってくれるなど。さらには名前を考え、おなかに話しかけてくれることもあり、次女が生まれてくるのをとても楽しみにしている様子でした。また、私の体がつらいときは、料理、洗濯、おつかいなどお手伝いをたくさんしてくれたので、大変助かりました。 そして無事に出産し、退院後初めて長女が次女と顔を合わせたとき。接し方がわからないのか、長女は次女に近づこうとしませんでした。ひとりっ子生活が長かった分無理もありません。こちらも自然に長女から動き出すのを待ちました。2時間ほど経ったとき、長女が何も言わずお気に入りのブランケットを次女にかけてあげていました。夫と顔を見合わせ、静かに喜びました。 今では長女が次女のお世話をよくしてくれるので、とても助けられています。これは歳の差育児ならではだと思います。ただ、歳の差があると、心のケアがとても重要だと感じました。わが家の場合は、長女を見守ることで、長女が自ら次女を受け入れられるようになってくれました。この1年で、長女の心は大きく成長したと感じました。 作画/山口がたこ監修/助産師 松田玲子著者:石井ゆうき8歳と0歳の女の子のママ。長女の反抗期に悩まされながらも、姉妹の戯れに日々癒され中。秘書として働いており、現在は育休中。1人目出産直後に夫が転職に失敗し、夫が転職に失敗したことを機に、お金にまつわることに興味を持ち、FP2級の資格を取得。家計管理・資産運用に生かしている。
2024年01月18日こんにちは!おにぎり2525です。皆さん、新年明けましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いします~■2024年の目標は?■超シンプルな息子の目標!身長も体重も標準より上なので、もう少し緩やかでもママは大丈夫!!毎年服のサイズアウトで、買い替えが大変なんです!!(笑)とりあえず身長は伸びても、体重は増えないように管理を気をつけたいです。
2024年01月12日