東京オリンピック・パラリンピックの文化・教育委員会の委員を務めており、開会式にも出演するといわれている市川海老蔵(41)。そんな彼が、ひそかに動きだしていた。10月23日に行われた内閣総理大臣夫妻主催の晩さん会後、五輪開会式総合統括の狂言師・野村萬斎(53)と打ち合わせを行っていたという。「海老蔵さんは萬斎さんに『東京五輪の大舞台で宙乗りを披露できないか』と提案しています。そしてさらに、息子の勸玄くんとの共演を希望しているんですーー」(梨園関係者)海老蔵は、2年前の七月大歌舞伎でも勸玄くん(6)との親子宙乗りを披露していた。そんな海老蔵にとって、今回の提案には“特別な思い入れ”があるという。というのも、“親子宙乗り”は亡くなった妻・小林麻央さん(享年34)が楽しみにしていた演出だからだ。「麻央さんのがん闘病中、海老蔵さんは息子の勸玄くんに『親子で宙乗りを成功させて、お母さんを勇気づけよう!』と提案したそうです。当時、勸玄くんはまだ4歳。大技の練習はかなり大変だったでしょうが、めげることなく励んでいたといいます。そんな息子の晴れの舞台が訪れる日を、麻央さんは誰よりも心待ちにしていたそうです」(芸能関係者)だが厳しい闘病の末、麻央さんは’17年6月に天国へと旅立ってしまった。七月大歌舞伎が行われる11日前のことだった。「悲しみがまだ癒えぬなか、海老蔵は勸玄くんと舞台に立ちました。そして見事な親子での宙乗りを初披露したのです。客席の10m上を飛ぶ大がかりな演出でしたが、勸玄くんはまったく臆することなく客席に手を振っていました。4歳での挑戦は史上最年少。にもかかわらず、勸玄くんはあまりにも堂々とした演技をみせてくれました。直前に麻央さんが亡くなった悲しみなど、いっさい見せず……。客席からはすすり泣く声も聞こえてきました」(前出・芸能関係者)当日、海老蔵は自身のブログを更新。化粧を落とした勸玄くんの写真とともに、《よくやったそばにママいたね、と互いに話しました》とつづっていた。そこには「亡くなった妻に息子の晴れ姿が届いていてほしい」という海老蔵の願いが込められているようだった。そんな特別な宙乗りを、五輪の場で披露しようとしているという海老蔵。今年6月には、麻央さんの遺志を継ぎ取り組んでいる植樹プロジェクト「ABMORI2019」に勸玄くんや長女・麗禾ちゃん(8)と参加。東京オリンピック開会式について聞かれた際、彼は「必要とされるならば、出たいという気持ちはある」とコメントしている。このイベントの舞台裏で、海老蔵は五輪への思いを明かしていたという。「海老蔵さんは6~7人の関係者と話していたのですが、そこで東京オリンピックの話になったんです。そのとき、彼は『勸玄と宙乗りできたらいいな……』と語っていました。麻央さんがとても楽しみにしていた演出ですからね。海老蔵さんの話を聞いて、胸が熱くなりました」(植樹祭参加者)
2019年11月15日イギリス公共放送のBBCが発表する「今年の100人の女性(100 Women)」に、日本から2人の女性が選出された。うち1人は女性のハイヒールや歩きづらい靴の強要に言及した、グラビア女優でライターの石川優実(32)さんだ。石川優実さんはSNSで#KuToo(クーツー・靴と苦痛をかけたもの)というハッシュタグを作り、多くの賛同者を得た。その内容はかかとの低い靴より歩きづらく、時に怪我にもつながることもあるヒール靴が勤務中や様々なシーンで推奨されるというマナーに異議を唱えたものだ。たとえ履きたくなくともシーンによって履かなくてはならない風潮はおかしい、個人の好きなものを履けばいいのではという考えである。1人のツイートから始まった運動は、瞬く間に数万単位で拡散された。ツイッター上では同じ苦しみや疑問を持つ人々の賛同や多くの意見であふれ、署名活動にもつながるなど大きな問題提起となった。今回の選出にあたり、石川さんには続々と歓喜のコメントが集まっている。《おめでとうございます!素晴らしい》《いろんな意見があったけれど、これからも負けずに頑張ってほしい》《単なる靴や足の健康問題ではなく、ジェンダーの問題だと訴えたことが評価されたのかなと思う》「今年の100人の女性」のコンセプトは、その年ごとに世界に大きく影響や感動をもたらした女性を各国各界から選ぶというもの。過去には2016年に元アナウンサーの小林麻央さん(享年34)、そして2017年には女子テニスの伊達公子さん(49)が選ばれている。今年は石川さんの他に、女子相撲で活躍する大学生の今日和さん(22)も選出されている。ツイッター上で《BBCが選ぶ2019年の100Womenにノミネートしていただきました。これは多分すごいことだと思う!笑》とコメントした石川さんの活動に、今後も注目が集まりそうだ。
2019年10月17日梅雨晴れとなった7月上旬の昼下がり。都内の住宅街を談笑しながら歩く夫婦がいた。小林麻耶(40)と夫の國光吟氏(36)だ。サングラスにハーフパンツ姿など初夏らしいラフな服装に身を包んだ2人は、そろって同じマンションに入っていく。そこは、麻耶が独身時代から実母と同居している実家。夫は新居での生活ではなく、妻の実家で暮らす“マスオさん同居”を始めていたのだ。2年前の6月22日、妹の小林麻央さん(享年34)を乳がんで亡くした麻耶。その後、18年7月に4歳年下の國光氏と交際0日での電撃結婚を発表。翌8月には芸能界引退が報じられ、立て続けの急展開にファンの間で衝撃が走った。しかし、麻耶は今年5月末に突如として芸能界復帰を宣言。約9カ月間の“充電期間”を経て、生島ヒロシ(68)が代表を務める生島企画室への所属を発表した。夫の國光氏も芸名を「あきら。」とし、麻耶とともに同事務所に所属。公私ともに二人三脚で活動していくこととなった。喪失から、徐々に立ち直っているように見える麻耶。だが、今年2月18日のブログでは《悲しみは全く消えていません。乗り越えられていません》と、いまだ悲痛な気持ちを抱えていると打ち明けていた。失った妹は、二度と帰ってはこない――。そんな癒えることのない悲しみに襲われながらも、麻耶が再出発を決意できた陰には“献身年下夫の支え”があった。「つねに“妻ファースト”な國光さんのおかげで、麻耶さんの心はだんだん回復していきました。けれど、彼女には悩みがありました。それは、麻耶さんのお母さんのことです。2人はずっと、麻央さんが大変だったときからつねに助け合って暮らしていました。しかし結婚して家を出ると、お母さんは1人になります。仕事復帰すると、さらに親子の時間は減ってしまうでしょう。麻耶さんはそれを不安に思っていました。そんなとき、國光さんは麻耶さんの実家でお義母さんと3人で暮らすことを提案したんです。そんな國光さんの選択があったからこそ、麻耶さんも少しずつ前を向いて歩き始めることができたのです」(芸能関係者)2人きりの結婚生活よりも、麻耶と義母が安心できる環境を優先した國光氏。その決意の姿を、本誌は目撃している。7月下旬。前出のマンションから麻耶が出てきた。外は肌寒く、雨が降っている。そんな彼女の横には、やはり國光氏がしっかりとついていた。車道側を歩く國光氏は、優しい表情で麻耶と会話している。マスオさん生活の負担を感じさせない夫に、隣を歩く彼女は満面の笑みを見せていた――。
2019年07月25日フリーアナウンサーでタレントの小林麻耶さん(39)が生島ヒロシ企画室に所属し、芸能活動を再開するとブログで公表しました。麻耶さんといえば妹・麻央さんの死去に始まり休業や引退、そして結婚に芸能界への突然の復帰と目まぐるしくいろんなことがありました。その時々で応援する声や批判の声があるわけですが、今回の復帰に際しても「結局注目されたい欲が止められなかったんだ」といった声も多数集まっています。仮に注目されたい欲からくる復帰だとしても「それは天性のタレント性なので良いんじゃないかな」とは思うのですが……。ま~やはいったい、どこへ向かっていくのでしょう。■スピ全開のま~や!あなたは一体ナニモノなの?麻耶さんといえば、実は結婚をしたころを境に「スピリチュアルキャラ」のアピールが増え始めています。たとえばパワースポットとして名高いイビザ島でヨガを体験したり、明治神宮内での不思議な光を投稿したりしています。そして今回の復帰に際しても「事務所に所属し仕事をしたいと思いながらお茶をしていた時、偶然目の前を通られたのが生島ヒロシさんでした」とまるでシンクロニシティ(導かれたような意味のある偶然の一致)を示唆するような投稿が……。最近の彼女のブログをみると、ほぼ毎日「◯月◯日生まれの人」といった誕生日占い的なメッセージが書かれています。筆者も個人的にはスピリチュアルや神社が好きなタイプではあります。ただ彼女のスピリチュアル好きアピールには、なぜかモヤモヤしてしまう人もいるようです。その正体はおそらく“スピリチュアルが好き”という片鱗は出しつつも、何をどう伝えたいのかが全然分からないからなのだろうなと思ったりします。アナウンサーなのかタレントなのか謎であり、一般人に戻りたいといった次の瞬間にはやはり芸能界復帰。夫は一般人だからと公表を差し控えたと思ったら、気づいたら顔出してテレビ共演。繊細で揺れ動きやすいタイプなだけかもしれませんが、注目される存在としてはスキが多く、今回の復帰もまた批判にさらされるだけなのでは……と思えてならないのです。■アナウンサー?タレント?夫婦売り?小林麻耶の目指す道麻耶さんはもともとTBSのアナウンサーでした。実力は折り紙付きですし、タレント性もある。とはいえ、今回の復帰後は一体何をしたいのでしょう。アナウンサー?タレント?夫婦タレント?はたまたライフスタイルプロデューサー的な存在になりたいのか。そこがまず見えてこないと批判を浴びる“ぶりっ子キャラ”は払拭できず、また心ない言葉に傷つくような気がしてなりません。とはいえ今度は旦那様が守ってくれるのかなあ……それならそれで良いのかも。今回の芸能界復帰が、彼女の人生にプラスになるのか否か。それはまだ分かりませんが、いつかスピリチュアルタレントになる日もあるのか?迷走するま~やの今後が、まだまだ楽しみでなりません。(文・イラスト:おおしまりえ)
2019年06月12日昨年8月に引退を発表した小林麻耶アナ(39)が5月31日にブログを更新。芸能活動を再開すると宣言した。小林アナは昨年7月に4歳年下男性との結婚を発表。所属事務所とのマネジメント契約終了報告とともに、芸能界引退が報じられた。しかし先月30日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では引退の真相について「心身の状態が悪くなって事務所は辞めたものの、引退するつもりはなかった」と明かしていた。ブログでは、事務所後に引退報道が流れたものの「体調が悪かったので引退でも仕方ないかなと思っていました」と改めて説明。そのうえで「体調が良くなった今、仕事をしていきたいと思います」と復帰を宣言した。「引退宣言後も小林アナはSNSを継続。一般人としか紹介していなかった、夫で整体師の國光吟さん(35)との2ショット写真を公開するなど何かと話題になっていました。先月30日の番組にも夫と一緒に出演し、反応も上々でした」(芸能記者)さらに2日放送のAbemaTV「7.2新しい別の窓」では、國光さんとの結婚式の模様を放送するという。「大学在学中から女子大生タレントとして活動。TBSを経てフリーに転身など、すでに人生の半分ほどは一般人とはかけ離れた華やかな世界で生きてきました。体調が戻った今、やはり芸能界こそが彼女の居場所だと考えたのでしょう。今後は夫とともに、“夫婦セット売り”がさらに増えそうです」(前出・芸能記者)
2019年06月01日元フリーアナウンサーの小林麻耶さん(39)が2月18日、自身のブログにて音声も投稿できる「こえのブログ」を投稿。’17年6月に亡くなった妹・麻央さん(享年34)への思いを語った。麻耶さんは「結婚してから幸せな時なのにすみませんというコメントが何人もの方から来ていて、ああどうしようそんなことを思わせてしまっていると思っていた」と結婚後に読者から寄せられるコメントの変化が気になっていたと明かした。そして、「もちろん結婚してすごく幸せな時間は増えましたし、笑うことも増えました」と新婚生活は順調だとしつつも「妹を亡くした悲しみは全く消えていません。乗り越えられていません」と胸中を告白。以前は悲しみを乗り越えようと努力していたという麻耶さん。「乗り越えられることはないと思うので乗り越えなくていいというふうに思うようにしました。自分に許可をしたんです」と現在は無理せずに感情を受け入れるようにしていると話している。続けて、「私がすごくつらかった時に、私のことを知らない人が何かアドバイスしてくれたらすごく気が楽になったり、気持ちを言える人がいたらいいなと思ったので、そういう存在に私はなりたいんです」と読者の悩み相談に答え続けている理由を明かした。最後は「だから親戚のまやちゃん、まやさんでもいいですけど、そうして私のことを見ていただけたらうれしいです」と語りかけた。読者からは「どんだけ優しいの」「素直な気持ちを言ってくださってありがとうございます」「こえのブログを聞いて泣きそうになりました」といった反応があがっている。
2019年02月19日歌舞伎俳優の市川海老蔵が、2018年に注目されたブログに贈られる「BLOG of the year 2018」の最優秀賞に選出され8日、都内ホテルで行われた授賞式に登壇。2017年6月に乳がんで亡くなった妻・小林麻央さんも「BLOG of the year 2016」の最優秀賞を受賞しており、「妻と同じ賞をいただけたことは本当にうれしいことだと思います」と喜んだ。海老蔵は、受け取った金のトロフィーを見ながら、「実はもう1個あるんですよ。妻が受賞していたのでうちに1個あり、とった気でいました」と話し、「並べて家に飾れることが一番うれしいです」と笑顔を見せた。そして、ブログについて「日々何気なく自分のことや子供たちのこととか、思いをつづらせていただいていて、一番大事だなと感じているのは、書いたものが将来残っていく。私が何十年後かにいなくなっても、子供や家族が、私がどういう生活を送っていたのか、どんなことを考えていたのか、後にもわかるのことが続けている価値があるのではないかと感じています」と続ける意味を熱く説明。「今日はこのような賞を、私も妻と同じ賞をいただけたことは本当にうれしいことだと思います」と語った。「BLOG of the year」は、著名人から一般の方まで、「Ameba」の中でその年に最も注目されたブログを表彰するアワード。2006年に日本記念日協会から認定を受け、2月6日を“ブログの日”に制定し、その年より2月6日“ブログの日”の前後に受賞者を発表してる。2018年度は、最優秀賞は市川海老蔵、優秀賞は俳優の稲垣吾郎、タレントで女優の岡田結実、日本テレビ系ドラマ『今日から俺は!!』、元モーニング娘。の工藤遥、タレントの杉浦太陽、アイドルグループ・NMB48、元『あいのり』出演者でブロガーの桃の7組が選出され、『今日から俺は!!』は代表して鈴木伸之、NMB48は代表して川上千尋、川上礼奈、谷川愛梨が授賞式に登壇した。司会はお笑いコンビのニッチェが務めた。
2019年02月08日《この角度、麻央かな?とふと思う。楽屋入りでございます》新春、長女・麗禾ちゃん(7)の後ろ姿をブログで公開してこうつぶやいた市川海老蔵(41)。現在、海老蔵は東京・新橋演舞場『初春歌舞伎公演』に、麗禾ちゃんと長男・勸玄くん(5)とともに親子3人で初共演している。麗禾ちゃんは小学1年生だ。「舞台の稽古で多忙でしたが、冬休みの宿題も遅れることなく提出していました。平日は学校に通ってから劇場に来ています。麻央さんに似て、学校の成績も優秀なんです」(後援会関係者)公演中の海老蔵一家が特に気を配っているのは2点。風邪をひかないこと、そして怪我しないこと。「公演時の海老蔵さんには“定番”メニューがあります。朝はステーキ、サーモンに山盛りサラダ。昼は鶏だんご鍋。毎日『風邪の予防にはねぎがいいから!』と、山ほど鍋に入れて楽屋で子供たちと一緒に食べています。 子供たちが出番を終えてひと足先に自宅に帰ると、麗禾ちゃんが手料理を用意してくれる日もあるようです。卵焼きを作ったり、料理は本当に好きみたいですよ。“少しでも麻央さんの代わりを”という意思があるんだと思います」(歌舞伎関係者)海老蔵は親子3人で同じ舞台に立つことに感無量だという。「子供たちは2人とも本当にお芝居が大好き。ほかの人のせりふも自然に体に入っていて、帰宅後も海老蔵さんの前で“歌舞伎ごっこ”をしています。麗禾ちゃんが勸玄くんのせりふを言って、役を交代して演じる日もあるそうです」(前出・歌舞伎関係者)海老蔵の今の悩みは勸玄くんの体力。昼の部を終えて食事をした勸玄くんが昼寝をして、そのまま熟睡して起きない日があるという。「弟子たちが必死で『坊ちゃん、坊ちゃん!』と起こしています。勸玄くんの目の下のクマが消えないようで、海老蔵さんも“さすがに疲れているのかな”と心配していました」(前出・後援会関係者)海老蔵は子供2人の歌舞伎の実力を認め、“自分の幼少期をもう超えている”と感じているそうだ。「初日に衣装をまとった子供たちを見た海老蔵さんは“つくづく麻央さんに見せたかったな”と感じ入っていたそうです。初日を終えた勸玄くんも『ママもお空で見てたよね!』とほほ笑んでいました。楽屋の床の間には麻央さんの笑顔の写真が飾られており、子供たちは、お母さんの見守るなか、鏡台を仲よく並べて一緒に支度をしています」(前出・歌舞伎関係者)麻央さんの遺影が、親子3人共演の最大の活力源のようだ――。
2019年01月16日「EXILE」のAKIRAと小林直己(「EXILE/三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE」)が、日本の魅力を海外に発信するジャパン・ハウスとのコラボ「ショートショート フィルムフェスティバル in ハリウッド」(共催:在ロサンゼルス日本国総領事館)のアンバサダーに就任したことが分かった。本イベントは、米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」(SSFF&ASIA)が映画祭20周年を迎えたことを記念し、現地時間の1月17日、ロサンゼルスのTLC チャイニーズシアターにて開催。現地では、「SSFF&ASIA 2018」のグランプリ作品(ジョージ・ルーカス アワード)に輝いた『カトンプールでの最後の日』や、第90回米国アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞の辻一弘を追ったドキュメンタリー作品『The Human Face』。LDHと「SSFF&ASIA」によるコラボレーション企画『ウタモノガタリ -CINEMA FIGHTERS project-』の一篇『カナリア』。河瀬直美監督&脚本、別所哲也が主演する『嘘 -LIES-』などの上映が行われる。そして今回アンバサダーに就任した2人は、「SSFF&ASIA」代表の別所哲也や様々なセレブリティと共に、レッドカーペットやイベントを彩ることに。AKIRAさんは「この度は、LAでのショートショート フィルムフェスティバル&アジアの開催に際して、アンバサダーとして就任させていただいた事、また、映画の原点でもあるハリウッドで開催されるこの映画祭に参加させていただける事を光栄に思います」とコメント。小林さんも「ショートフィルムの魅力をお伝えできるよう尽力しつつ、また、自分も映画に携わる俳優の一人としても、日本を発信するJAPAN HOUSEの皆さんとともに、ハリウッドにおいてショートショート フィルムフェスティバル&アジアを盛り上げていけたらと思います」と話している。(cinemacafe.net)
2018年12月18日市川海老蔵(41)が41歳の誕生日を迎えた12月6日の午後5時半ごろ。長女の麗禾ちゃん(7)、長男の勸玄くん(5)と海老蔵の3人がビル内のステーキハウスに入店するやいなや、「お誕生日おめでとう!」という歓声が店外まで聞こえてくる――。この日、終日オフだった海老蔵は、子どもたちから“帰宅禁止令”を言い渡されたという。「子どもたちがサプライズパーティを計画していたんです。2人の子どもたちは“お仕事で忙しいパパを祝ってあげたい”とおばあちゃんに相談。お店やプレゼントの手配をしてもらいながら、当日は麗禾ちゃんからはケーキを、勸玄くんからはバースデーソングのプレゼントをしてあげたといいます」(市川家の知人)宴もたけなわになったころ、海老蔵は20人余りの参加者にむけて、「これからも麗禾、勸玄共々よろしくお願いいたします」と挨拶をしていた。約3時間の誕生日会を終えて店から出てきた海老蔵は、目に涙をためていた。そんな一家は、1月3日から東京・新橋演舞場で行われる「初春歌舞伎公演」で親子3人の初共演を控えているが――。「麗禾ちゃんはデッキが壊れてしまうほど公演のDVDを何度も見ていました。それほど歌舞伎に憧れているんです。ただし、女性は歌舞伎役者になれません。昨年7月の公演で、弟の勸玄くんが海老蔵さんと一緒に“宙乗り”を披露しました。それを見た麗禾ちゃんは『今度は私も一緒に出たい!』と舞台への思いを強くしたといいます」(梨園関係者)そこで海老蔵は、子どもたちが出演できる舞台を演目選びから必死で考え、準備してきたという。「女性でも子役なら舞台にあがれますからね。過去には波乃久里子さん(73)や松たか子さん(41)も歌舞伎の舞台に立ちました。梨園ではやはり、長男の勸玄くんが何かと優遇されます。でも、海老蔵さんは父親として『2人を平等に育てたい』と考えています。それは、小林麻央さん(享年34)と共に築いてきた教育方針だそうです。だからこそ麗禾が出られるうちに、もっと舞台に出してあげたいのでしょう。2人はいま、猛稽古中だといいます」(前出・梨園関係者)天国の母への思いを胸に、麗禾ちゃんが立つ貴重な舞台――。今度は海老蔵がデッキを壊すほど繰り返し見ることになるだろう。
2018年12月12日「今でも、がん=死とイメージする人は少なくありません。しかし確実に、がんと共に生きていく時代が近づいています」とは、医療ガバナンス研究所理事長で腫瘍内科の上昌広医師。国立がん研究センターが9月11日、がん患者の「3年生存率」を初めて公表した。写真の表は、日本人に多い「5大がん」のステージ別のデータだ。上医師が解説する。「これは11年にがんと診断された全国約30万人のデータから算出したもので、がん全体の3年生存率は71.3%にものぼることが分かりました。これまでは約10年前に診断されたがん患者の5年生存率が一般的だったので注目を集めています。3年生存率の公表には、5年分のデータが揃うのを待たずして、最新治療を受けた患者の状態を把握するためのデータが算出できるという利点があるのです」今回公表されたデータのなかで、とりわけ3年生存率が高いのが乳がんだ。ステージ1では100%、全体でも95%を超えている。だが気がかりなのは、もっとも助かりやすい乳がんであっても、がん細胞がほかの部位に転移するステージ4になると生存率が54.4%に急落してしまうことだ。熊本大学乳腺内分泌外科の岩瀬弘敬教授は“生死を分ける境目”をこう語る。「まず、転移した部位がどこかによって生存率の明暗が分かれます。リンパ節や骨ならば3年後も70%以上の生存率が見込めますが、肝臓や肺などほかの臓器に転移した場合は3年後で50%を切ってきます。また進行が速いか遅いかというがんの性質によっても変わります。ステージ4と一口に言っても、小林麻央さん(享年34)の場合は発症してから亡くなるまでが短かったので進行の早いがんだったと考えられます。半面、再発しても10年以上生きている人も少なからずいます。とはいっても、やはり早期発見がもっとも大切です」女性の11人にひとりがかかるといわれる乳がんは、がんのなかでも唯一、自分で発見できる病気。乳がんで死なないためには、日常生活のなかでいかに自分の体をケアするかが重要だ。女性のがんのなかで最も死亡者が多いのが、大腸がん。ステージ4になると一気に生存率が下がり、30・3%になる。だが、東京女子医科大学病院がんセンター長の林和彦医師は「ステージ4でも絶望的になってはいけない」と語る。「ステージ4のがんは以前までは“末期がん”と呼ばれていましたが、今の医療現場ではもうそんな言葉は使われていません。医療の進歩により、ステージ4で転移がある進行がんでも、薬物療法でがんを縮小させたり、症状を抑えたりすることが可能になりました。その結果、ステージ4から3に下がることもあります。もはや、ステージ4は“死の境目”ではないのです」3年生存率のデータをひも解くことで見えてきた、がんに克つ希望。しかし、東京医療保険大学の副学長で外科医の小西敏郎教授は“3年生存率データへの過信”にこう警鐘を鳴らす。「3年生存率といっても、がんの部位ごとに治るまでの期間が異なります。つまり、“3年生きたからがんが治った”と安心してしまうのはとても危険です。たとえば、胃がんや大腸がんは5年が判断の目安。乳がんの場合は10年以上経ってから再発することがいくらでもあるので油断できません」06年に胃がん、09年に前立腺がんを経験している小西教授。2度の生還から“がんに克つ境目”を知る小西教授の話には生存率を上げるヒントが多い。「今は、私のように何種類ものがんにかかる時代。よく陥りがちなのが、1度がんになったときの担当医に定期的に経過を診てもらっているから安心だと思い込んでしまうこと。専門医は他のがんに気がつかないことも多いのです。私は体全体のがん検診を受け続けたことで、前立腺がんを早期発見することができたのです」がんの啓蒙活動を行っている、東京大学医学部附属病院・放射線科の中川恵一准教授は最後に言う。「実は先進国のなかで、がんで命を落とす人が増えている国は日本だけなんです。がん検診受診率の低さが主な理由といえます。また、がんのことを知らずに効果のあやしい代替医療や民間医療に走る患者が多いのが現状です」「がんに克つ」には、まずは早期発見。ステージ3や4でも過度な不安を抱かず、冷静な判断で適切な治療を選ぶことが重要なのだ。
2018年09月20日小林麻耶(39)が8月3日、自身のブログで引退を発表。麻耶といえば、先月24日に一般男性と入籍したばかりだ。同ブログ記事で「私、小林麻耶は8月3日をもって所属事務所(株)セント・フォースとの契約が終了致します」と報告。「今後は大好きなメディアの仕事を離れ、全身全霊、家族のために日々たくさん働きたいと思います」としている。また結婚や退所は突然の決定だったようで、今年11月に出版される予定の自著「しなくていいがまん」について「全く想像もしていなかったことが起きたので 今、書き直しをしている最中です」と明かしている。交際期間が半年未満というまさに電撃婚。彼女をよく知るテレビ局関係者は本誌の8月14日号で「今年の5月にはもう結婚が決まっていたそうですが、そんな素振りはまったくありませんでした」とし、驚きを表している。また入籍日である7月24日は麻耶が熱心な数秘術にちなんでいるようだ。前出の本誌で占い師のLove Me Doさんは「2+0+1+8+7+2+4=24→2+4=6」とし、「『6』という数字にはサポートする・奉仕する・尽くすという意味があります」と説明している。引退を機に“将来”のサポートに専念するというが、それはあまりに急な方向転換だったようだ。
2018年08月03日《私、小林麻耶は7月24日に入籍致しました》7月26日、公式ブログで結婚を発表した小林麻耶(39)。自身も今回の電撃婚を“ミラクル”と表現しているが、「本当に予想外だった」と話すのは麻耶をよく知るテレビ局関係者だ。「お相手が一般男性ということもあって、麻耶さんサイドは事前に情報が漏れないように細心の注意を払っていたようです。今年の5月にはもう結婚が決まっていたそうですが、そんな素振りはまったくありませんでした」市川家の知人によると、お相手は優良企業に勤める会社員ということだが、交際期間は半年未満という超スピード婚だったという。そんな2人の入籍日は7月24日。麻耶の誕生日は7月12日のため、なぜこの日を選んだのか疑問の声も上がっているのだが――。「麻耶さんが資格を取るほどにハマっている“数秘術占い”で入籍日を導き出したといいます。数秘とは自分の誕生日をもとに“運命数”を導き出し、運勢を占うものです」(前出・テレビ局関係者)2018年7月24日の運命数は、「2+0+1+8+7+2+4=24→2+4=6」。占い師のLove Me Doさんはこう解説する。「『6』という数字にはサポートする・奉仕する・尽くすという意味があります。見返りを求めない、深い愛情や絆。試練を乗り越えてお互いに成長するという意味もあるので、お2人にぴったりの結婚記念日と言えるでしょう」《たくさんの愛と光に満ち溢れた生活を送っていきたいと思っています》と、ブログにつづっていた麻耶。素敵な家庭を築いてほしい!
2018年08月02日《私、小林麻耶は7月24日に入籍致しました。お相手は4歳年下の優しい男性です》7月26日、公式ブログで結婚を発表した小林麻耶(39)。最愛の妹・小林麻央さん(享年34)の逝去から、13カ月が経つ。麻耶はこれまで、麻央さんの残した長男・勸玄くん(5)と長女・麗禾ちゃん(7)の“母親代わり”として奮闘してきた。この子たちのママは私しかいない――。そうした重圧のなかで、彼女は自ずと自分の幸せを後回しにしてきたのだという。「幼稚園の行事に参加したり、習い事などの送り迎えのためにペーパードライバー講習を受けたりと、麻耶さんは率先して子供たちの世話をしてきました。まだ自分もショックから立ち直れていないのに、『子どもたちが元気でいてくれれば私のことは二の次でいい』と、頑張り続けてきたんです。そうは言いつつも、仲の良い友人家族を見て『やっぱり結婚っていいな……』と漏らすこともあったそうです」(芸能関係者)そんな揺れる女心を抱えた彼女を支える意外な人物がいた。市川海老蔵(40)の母・希実子さん(65)だ。「多忙な海老蔵さんに代わって孫たちの面倒を見てくれている麻耶さんに、海老蔵さんの母・希実子さんはとても感謝しているんです。でも同時に頑張りすぎてしまう麻耶さんをずっと心配していました。『あなたにもちゃんと幸せを掴んでほしい』と、希実子さんは麻耶さんのためにお見合いをセッティングしてあげたそうです。具体的には昨年12月から今年2月までに、何人かの男性を紹介したと聞いています」(市川家の知人)一部報道では海老蔵と麻耶の再婚も取沙汰されてきたが、そのことも希実子さんの“婚活サポート”を後押ししたのだという。「海老蔵さんの團十郎襲名は東京五輪前の19年に予定されているそうです。そうした大事な時期に麻耶さんとの関係を面白おかしく報道されることに対して、成田屋の後援者たちは当然快く思っていませんでした。海老蔵さんも麻耶さんも“再婚説”が報じられるたびに困っていて……。それを案じた希実子さんが『これ以上麻耶ちゃんを振り回すのは良くない!』と奮起したのだと思います」(梨園関係者)希実子さんの努力の甲斐あって実った、麻耶のゴールイン。彼女を射止めた男性とはどのような人物なのだろうか。「希実子さんは麻耶さんに“とっておきの男性”を紹介していたそうです。成田屋の後援者の子息が多く、どの男性もお金持ちで将来有望な好青年だったとか。その中から最終的に麻耶さんが選んだ人なので、最高の結婚相手だったのは言うまでもありません」(前出・市川家の知人)そんな素敵な男性と手を取り合って、今後は自分自身の幸せも追い求めてほしい――。
2018年07月31日「お相手が一般男性ということもあって、麻耶さんサイドは事前に情報が漏れないように細心の注意を払っていたようです。今年の5月にはもう結婚が決まっていたそうですが、そんな素振りはまったくありませんでした。亡き妹さんのことを思い出して突然泣き出してしまうなど精神的に不安定な状態が続いていたので、正直意外でしたね」(麻耶をよく知るテレビ局関係者)7月26日、公式ブログで《妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので、天国でみかねた妹からの最高のプレゼントだと感じています》と結婚を発表した小林麻耶(39)。最愛の妹・小林麻央さん(享年34)の逝去から、13カ月が経つ。麻耶はこれまで、麻央さんの残した長男・勸玄くん(5)と長女・麗禾ちゃん(7)の“母親代わり”として奮闘してきた。この子たちのママは私しかいない――。そうした重圧のなかで、彼女は自ずと自分の幸せを後回しにしてきたのだという。「幼稚園の行事に参加したり、習い事などの送り迎えのためにペーパードライバー講習を受けたりと、麻耶さんは率先して子供たちの世話をしてきました。まだ自分もショックから立ち直れていないのに、『子どもたちが元気でいてくれれば私のことは二の次でいい』と、頑張り続けてきたんです。そうは言いつつも、仲の良い友人家族を見て『やっぱり結婚っていいな……』と漏らすこともあったそうです」(芸能関係者)“結婚できないキャラ”といわれ、39歳まで独身を貫いた彼女を射止めた男性とはどのような人物なのだろうか。「優良企業に勤める、真面目な会社員だと聞いています。交際期間も半年未満の“スピード婚”だったそうですが、短期間ながらも順調に愛を育んでいったのでしょう」(市川家の知人)とはいえ、最初は結婚に消極的だったという麻耶。そんな彼女が結婚を決意したのは彼からの“思いがけないひと言”だった。「交際当初はどちらかと言うと、彼の方から麻耶さんにアプローチしていたんです。麻耶さんも徐々に気持ちを開いていったのですが、なかなか結婚には踏み切れませんでした。でもある日、いろんなことを1人で抱え込んでしまう麻耶さんに『もう頑張らなくていいんだよ』という言葉をかけたそうです。それを聞いて、麻耶さんは号泣。いままでの不安が一気に解れたのでしょう。『この人となら大丈夫』と、プロポーズを快諾したといいます」(前出・市川家の知人)麻耶の幸せをだれよりも願っていた麻央さんは、きっと天国で微笑んでいることだろう――。
2018年07月31日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が29日、自身のブログを更新し、昨年6月に亡くなった妻・小林麻央さん(享年34)の姉であるフリーアナウンサーの小林麻耶(39)の結婚を祝福した。海老蔵は「おはようございます」と題した投稿で、「千穐楽の朝です」と書き出し、「麻耶さんの結婚は当然おめでたいし嬉しいことです」と祝福。27日に麻耶がブログで結婚を発表してから、海老蔵はその件について触れていなかったが、「あまり私から発信する事でもないかなと少し控えていました」と説明した。麻耶はブログで、「私、小林麻耶は 7月24日に入籍致しました。お相手は4歳歳下の優しい男性です」と報告。「結婚はしないと思っていた私がまさかの結婚をすることになったこのミラクルは、妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので天国でみかねた妹からの最高のプレゼントだと感じています」と記し、周囲の人たちやブログ読者への感謝もつづっていた。
2018年07月29日小林麻耶(39)が7月27日、自身のブログ上で結婚を発表した。お相手は「4歳歳下の優しい男性」で、結婚について「このミラクルは、妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので天国でみかねた妹からの最高のプレゼントだと感じています」とつづるなど最愛の妹・麻央さん(享年34)に感謝の思いを伝えている。麻耶といえば、「結婚できないキャラ」として取り上げられることが多かった。もともと結婚願望は強かったが、16年5月に発売された著書「まや道」では「結婚が怖い」としてこんな“トラウマ”も明かしていた。「妹家族や友だち家族を見て『結婚っていいな』と思っていたのに、深層心理では結婚することに恐れがあったのです」同書では梨園妻となった麻央さんと独身の自分を比較する箇所もあり、結婚への焦りもあったようだ。同書の出版直前には過呼吸となり、病院へ緊急搬送。休養モードのさなか、17年6月には麻央さんの死という悲しいできごともあった。そうしたなか、本誌では姪の麗禾ちゃん(7)や甥の勸玄くん(5)を支える麻耶の姿をたびたび目撃してきた。“母変わり”の奔走をすることで、麻耶もまた元気を取り戻していった。そして麻央さんの一周忌を機に、自身の幸せを見つめ直したようだ。今年6月に「今夜くらべてみました2時間SP」(日本テレビ系)へ出演した小林は、今後の番組出演についてこう答えている。「妹の一周忌が終わったので、いつまでも暗い気持ちでいるのはよくない。前を向いて歩いて行こうと思います」これからは夫婦二人三脚で、歩んでほしい!
2018年07月27日昨年6月22日に乳がんのため亡くなった小林麻央さん(享年34)のブログ「KOKORO.」の英訳版が、命日であるきょう22日19時21分に最後の投稿を迎えた。小林麻央さん夫の歌舞伎俳優・市川海老蔵は、英訳版の最後の投稿後に自身のブログを更新し、「先程英訳のオレンジジュース、投稿終わりました。麻央の誕生日の7月21日にちなんで7時21分の投稿も今日で最後です」と報告。「ありがとうございました。麻央もきっと最後まで読んでいただき様々な事を皆さまが各々感じていただけて喜んでいると思います」とつづり、「私のブログはまだまだ終わりませんのでよろしくお願いします。あはは」とユーモアを交えて呼びかけた。麻央さんの英訳版ブログは、昨年6月30日に「Being myself」というタイトルで初投稿。2016年9月1日に麻央さんが初めて投稿した「なりたい自分になる」というタイトルの投稿を英訳したものだった。当時、海老蔵は「まおのことやブログに、日本だけでなく海外の方も関心を持っていただいていると聞きました。世界中の私たちと同じように乳がんで苦しんでいらっしゃる方やそのご家族の力に少しでもなれたらとまおが綴った日々のブログを英語に訳して世界中の方に 読んでいただければと思いました」と説明し、「世界の方々へ麻央の想いが届きますように…」と思いを込めていた。
2018年06月22日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が、妻・小林麻央さん(享年34)が亡くなってから1年となる22日、自身のブログを更新し、麻央さんとの思い出を振り返った。市川海老蔵海老蔵は、この日最初のブログで「今日です。一年が経ちました」と報告し、「おはようございます」とあいさつ。「今日も多くの方々が幸せで愛を感じる素敵な1日でありますように」と記した。そして、麻央さんのブログの記事を引用してブログを何度も更新し、昨年3月29日の「血液検査」と題した記事も紹介。麻央さんは「血液検査の結果、思っていたより悪かった。身体によいことしかしてないのに何故だろう。がびちょーーーーんっ!!と言ってみる。気が明るくなった。有難い言葉だ」とつづっていた。海老蔵は「ガビンチョーンよく口にしてました」と振り返り、「深刻な時も麻央のガビンチョーンに私自身も何回も助けられました。そして麻央のガビンチョーン。可愛かったです」と懐かしんだ。
2018年06月22日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が22日、自身のブログを更新。昨年6月22日に妻・小林麻央さん(享年34)が亡くなって1年が経ったことを報告した。市川海老蔵海老蔵は「今日です。一年が経ちました」と書き出し、「おはようございます」とあいさつ。「今日も多くの方々が幸せで愛を感じる素敵な1日でありますように」とつづった。麻央さんが亡くなった際、麻央さんから教わったものは「愛」であり、「今後も教わり続ける」と語っていた海老蔵。日々のブログで麻央さんから受け継いだ「愛」を感じるが、この日も愛あふれるメッセージを送った。きのう21日には「明日は麻央が旅立ってから一年です」と空の写真を添えて投稿。「去年の明日もこんな空に似ていましたが、もっと赤くピンクに染まっていました」と麻央さんが亡くなった当日の空を振り返り、「六月の空ってこうなのだなと去年今年で知りました」とつづっていた。
2018年06月22日歌舞伎俳優の市川海老蔵が10日、自身のブログを更新し、昨年6月22日に亡くなった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34歳)の一周忌法要にあたる「一年祭」を行ったことを報告した。市川海老蔵海老蔵は10日の午後、「行ってきます」と題してブログを更新し、黒いネクタイ姿で車に乗っている写真を公開。「今日は一年祭です」と明かしていた。その後、「一年祭」と題した投稿で、「滞りなく無事に終わりました」と報告。「まだまだ悲しみは癒えませんが麻央が残してくれた2人の子供と懸命に生きていきたい。そう思いました」と心境をつづった。
2018年06月10日「麻央さんの命日である6月22日、海老蔵さんはご家族だけでお墓参りに行くつもりだそうです。さらに、仏教の一周忌にあたる一年祭も27日以降に予定しています。梨園のそうそうたる方々が出席するでしょう」(歌舞伎関係者) 小林麻央さん(享年34)が亡くなってまもなく1年がたつ。夫の市川海老蔵(40)は長女の麗禾ちゃん(6)や長男の勸玄くん(5)を育てながらも市川宗家の当主として多忙な日々を過ごしている。 そんななか、驚きのニュースが伝えられた。『女性セブン』4月26日号で、海老蔵が麻央さんとの思い出の自宅を売却しようとしていると報じられたのだ。たしかに海老蔵自身も、3月28日付けのブログでこう綴っていた。 《なんとなく引っ越そうかな、と思う朝でございます》 闘病中だった麻央さんのため、生活しやすい賃貸マンションに引っ越していた海老蔵。売却が報じられたのはこのマンションではなく、麻央さんとの結婚にあたって購入した地上2階、地下1階の約2億円の豪邸だという。だが、別の歌舞伎関係者は本誌にこう語る。 「記事では“不動産会社勤務の知人に価格などを相談している”と書かれていました。でも実は海老蔵さん、最終的に売却を拒否したんです。海老蔵さんが都内の一等地にこの自宅を購入したのは10年前。今売ればかなりの高値がつくはずです。実際、買い手も出てきていたといいます。それでも彼は『売らない』と決めました」 いったいなぜなのか。そこには、麻央さんへの思いがあったという。 「一年祭の前に売却することに、実母の季実子さん(65)が反対するという考えもあったのでしょう。でもそれ以上に『麻央さんとの思い出がたくさんつまった家を手離せない』という思いが強いようです」(前出の歌舞伎関係者) 一家が現在暮らしているマンションでも、こんな光景が見られている。 「海老蔵さんは今も家のところどころに麻央さんの写真を飾っているそうです。麻央さんのことを子供たちが忘れてしまわないようにという思いがあるようです。子供たちも『このアニメ、ママと見たよね』と麻央さんとの思い出を口にすることがあるといいます。だから海老蔵さんは『子供たちがもう少し大きくなるまでは、あの家をそのままに』と考えているのかもしれませんね」(前出の歌舞伎関係者) 7月5日から始まる東京・歌舞伎座での座頭公演に勸玄くんとともに出演する海老蔵。その活躍ぶりを、麻央さんは今も空から見守っている――。
2018年06月05日「私があまりに明るく病気のことを話すので『すごいね』と言われますけど、私を見てみなさんが前向きになっていただけたらいいなと思います」 乳がんのため、左乳房全摘とリンパ節切除の手術を受けたことを4月13日、自身のブログで公表した、元SKE48でタレントの矢方美紀(25)。4月2日に無事、手術を終え、仕事を再開したばかりの矢方が、乳がん発覚からの激動の日々を明かした――。 「きっかけは、昨年12月。テレビで乳がんの特集を見て、自分もチェックしてみたら、左の胸にポコッとした“しこり”があったんです。正直、乳がんというのは小林麻央さんが亡くなった病気ということしか知らなかったので、もっと調べてみようと。麻央さんの報道がなければ、調べようとも思わなかったでしょうね」 決心して病院を訪れたのは、新年間際の昨年末だった。 「病院に行って精密検査を受けると、検査結果は乳がんかどうか“半々”ということでした。年明けにさらに詳しく検査した結果が、“乳がん”だったんです。宣告された瞬間、受け入れられない気持ちが強かった。まさか自分ががんになるとは思ってもいなくて。自覚症状もないし、“本当に私が乳がん?”と」 まさかの“乳がん宣告”を受け入れられず、呆然となった矢方。後日、別の病院で改めて検査すると、リンパ節への転移の可能性も告げられた。当初、受け入れられなかった矢方だが、しだいに闘病に向けて“心の整理”がついていったという。 「先生から『矢方さんと同じように20代で乳がんになってしまう人もいるけど、みなさん前向きですよ』と言われました。そう言われて、手術後の人を待合室などで見かけると、普通に歩いて生活されているんです。その姿を見て、少しずつ受け入れられるようになりました。“病気になってしまったからには治さなきゃいけないんだ”って」 だが“左乳房全摘”を決断するまでには、25歳の未婚女性として心は大きく揺れ動いた。 「手術なしで治療をする方法もあったのですが、年齢が若く、再発率や将来を考えると『全部、取ったほうがいい』ということになりました。自分では“全部なくなるのは嫌だ!”という気持ちがありました。それでも“全摘”を決断したのは、取っても“再建”できることを知ったのと、“全摘”しても多くの方が前向きにされていることを知ったから。私は今後の人生のほうが長いので、リンパ節を含む悪い部分を“取ってから作る”ほうが納得できると思いました」 手術を前に病院通いをしながら仕事を続けていた日々は、孤独で重苦しいものだった。 「家に帰って1人になると、落ち込んでいましたし、寝る前には泣いていました。お風呂に入って自分の胸を見て“これがなくなるの?”って……。毎日、“なんでこうなってしまったの!?”と悲しくて。診断から手術までの3カ月が、いちばん辛かった」 そして4月2日、矢方は4時間にもわたる手術に臨んだ。 「手術が終わり、初めて胸を見たとき“ない!”って。今まで見てきた景色と違っていました。やっぱり、“あるものがない”という違和感が……。思った以上に傷が大きかったのも、とてもショックでした」 10日間の入院中、リンパ節切除の影響で手が上がらなかったり、痛みもあった。が、術後の身だからこそわかる、新たな“気づき”が――。 「病室から楽しそうにお花見している人たちを見ていたら、“普通って素敵だな”と思いました。また、入院しているみなさんが、生きるために本当に一生懸命に立ち向かっている。その姿を見ていて、私は胸がなくなったけど“生きる”という大きな目標へ前向きに頑張れる!と思えたんです」 手術から1カ月あまり。晴れて芸能活動も再開したが、今後も長期間の治療を続けねばならない。 「これからのことですか……。私、結婚できるかな。胸もないし、病気とつきあってかないといけないし。でも、こんな私を通じて、がんが決して他人事じゃないと女性たちに気付いてもらえたら嬉しい。がんに立ち向かう私の存在が、少しでも“希望”になれたらいいなと思います」 25歳の女性には重すぎる試練を経験した、矢方。それでも前だけを見つめて歩き出した姿は、まぶしいほど輝いている。
2018年05月25日音楽プロデューサーの小林武史らが出演するコンサート「小林武史:交響組曲『円奏の彼方(Beyond The Circle)』~based on 柴田南雄『ゆく河の流れは絶えずして』~」が、7月28日・29日に開催することが決定した。15日よりチケット先行受付もスタートしている。同コンサートは、小林の他、安藤裕子・桐嶋ノドカ・Salyu・TOKUなど個性豊かなアーティストが出演。指揮者・寺岡清高率いるオーケストラととも音楽を奏でる。また小林は、世界最大級の国際芸術祭「大地の芸術祭2018 オープニングコンサート」のために、8楽章からなる交響組曲を新たに書き下ろす。この交響組曲は、日本の音楽に偉大なる足跡を残した作曲家・柴田南雄氏の「ゆく河の流れは絶えずして」をベースにしたもの。「ゆく河の~」は鴨長明の随筆「方丈記」をもとに、日本の音楽家の回顧を試みるものとして作られたと言われている。小林は「柴田南雄さんの作品をあらためて観て、ある種の"触媒"のようなあり方を感じたんです。柴田南雄という人にはインスピレーションを表現する天才的な表現者の部分もあるのですが、日本/欧米、日本/アジアなどを世界を相対化して考えた音楽の研究者という"知"の側面があった」と評する。「ゆく河の~」については「僕らの時代はいよいよAI が登場するまでになって、でも一方では東日本大震災のように自然の前ではまだ無力であることを思い知らされたりもする。そんな"無常"という大きなベクトルのなかで鴨長明が感じたこと、それを継いで柴田南雄さんが作った交響曲」と語っていた。
2018年05月17日3月から好天が続いたために、すでに桜は散ってしまっていた東京都内。だが都営バスでのなかでは、4つの笑顔の花が咲いていた。バスに乗っていたのは、篠原涼子(44)・市村正親(69)夫妻と2人の息子たち。4月上旬のこの日は、6歳になる次男の入学式だったのだ。 4年生となった長男(9)と新入学の次男が通う学校は、芸能人たちにも大人気の名門私立小学校。篠原一家と前後して現れたのは、長谷川京子(39)とポルノグラフィティ・新藤晴一(44)夫妻と、長女(6)。実は篠原と長谷川は、芸能界でも同じママ友グループに入っている。 「昨年5月に井川遥(41)がテレビ番組で、仲の良いママ友として、篠原涼子、長谷川京子、そして板谷由夏(42)の名前を挙げて話題になりました」(テレビ局関係者) 本当なら、篠原や長谷川とも同級生ママになるはずだった小林麻央さん(享年34)は昨年6月に逝去している。夫・市川海老蔵は『源氏物語』公演のため、福岡に滞在しており、長女・麗禾ちゃん(6)の入学式には、麻央さんの母親が付き添っていた。 入学式終了後も、帰宅にはバスを利用したという篠原・市村一家。 「入学式の日、市村さんは次男に“将来の夢”を聞いたのですが、彼は『歌舞伎役者になりたい』と答えてお父さんを驚かせたそうです。篠原さんは息子さんたちを市村さんの出演している舞台にはすべて連れていくことにしています。そのほかにも歌舞伎なども見せる機会もあるそうですから、『歌舞伎役者』と答えたのもそのせいかもしれませんね」(市村の知人) この日、市村と海老蔵は“同級生パパ”となった。もしかしたら将来、海老蔵のもとに市村の次男が“弟子入り”したりすることもあるのだろうか。
2018年04月12日フリーアナウンサーの小林麻耶(38)が4月10日、自身のブログを更新。昨年6月にがんで亡くなった妹・麻央さん(享年34)に思いをはせ、「妹ではなく、私を召せばよかったと思う」と吐露。ファンから心配のコメントが寄せられている。 麻耶はブログで、「昨日、NHKのニュースで19歳でがんのため余命半年を宣告された山下弘子さんのVTRが放送されていました」と、生命保険会社のCMにも出演していた山下弘子さんが、3月25日に肝臓がんのため25歳で亡くなったことついて言及した。 そして「結婚して幼い子供が2人もいる妹と独身の私。神様がいるならば、妹ではなく、私を召せばよかったと思うのです」と複雑な心境を告白。しかし、山下さんが伝え続けた“今を生きる”というメッセージから「生かされているこの命を最大限輝かすためには『今を生きる』しかないですね」と記事を結んだ。 読者からは「あまり自分を責めないでください」「そんなこと絶対に思ったらダメです!」「大丈夫ですか?自分を大切にしてください」といった心配の声が寄せられている。
2018年04月10日前回に続き、小林さんの文房具コレクションをご紹介。レトロで可憐なパッケージが素敵な空き缶は彼女のイメージにもぴったり。いただきもののお菓子の箱もつい集めてしまうと笑う。 書くことで永遠に生き続けられると気づけた。この世界を目指すきっかけは、幼少期に読んだある1冊の本だったと小林さん。 「小さい頃に、アンネ・フランクの『アンネの日記』を読んだんです。本の中で、彼女が作家かジャーナリストになりたいと書いてるんですが、10歳の私には、こんなにかっこいいお姉さんがいるんだと衝撃的で。そのときから私も作家になりたいと思っていました。〝私の望みは、死んでからもなお生き続けること〟と彼女は書いているんですが、書くことによって〝そうか! 死なないんだ〟ということが初めてわかって。作家を志すきっかけがこの1冊でした」 テンプレートを使ったドローイング風景。和紙、Gペンやインクも、小林さんの大切なパートナーだ。 自宅にあったこの『アンネの日記』が、彼女の運命を変えていくことに。 「しばらくそのことは忘れていたんですが、私が30歳を過ぎて父が80歳の誕生日を迎えた時に、その父が16〜17歳の頃につけていた日記をたまたま見つけて。それがちょうど戦時中の日記で、そこでアンネ・フランクと父が同じ年の生まれだったことに気づきました。そこで、アンネの日記と父の日記を持って旅をしてその二冊の同じ日の日記を読みながら、私自身も日記を書き記した本が『親愛なるキュリーたちへ』です。作家になりたい、何かを書きたいという私にとって、大きな転換点でしたね」 近年は、目には見えない放射能を題材にした作品も多く、膨大な知識も必要になる。一体何が、彼女の興味を駆り立てるのだろうか。 「よく社会的なことが好きと思われがちですが、なぜ自分が今を生きているのかを知りたいだけなんです。この時代のこの場所でこんな風に生きているということが、私にとってすごく不思議なことで。自分の半径5メートルくらいのことを突き詰めていくと、家族のことだったり、過去のことを考えざるを得なくなっていきます。戦争のこともですし。今につながる時間の中で何があったのかを調べる過程が続いているだけなんですよね。歴史に興味があるのではなくて、なぜ今があるのかっていうことへの疑問ですね。そういう目に見えないことを見たい、どうやったらそれを紙の上に描きつけられるんだろうといつも考えています」 小林さんの仕事デスクには、今まで手がけた作品が並んでいた。 この目に見えないものに興味が湧き始めたのは、ごく最近のことだという。どうやったら紙の上で表現できるのか、それを探りながら描くことはとても楽しいと小林さん。以前は、夜遅くまで仕事することも、土日に作業することも多かったというが、約2年前の出産を機にその生活は一変。お子さまを保育園に預けるようになってからも、今の生活のリズムを掴むまでには約1年かかったという。 「10ヶ月くらいの時から入園できたんですが、保育園の先生方のありがたさを、本当に実感しています。だいたい朝8時半〜9時くらいで保育園に連れて行き、お迎えに行く18時までが仕事の時間です。もう、すぐに時間が過ぎていってしまいます(笑)。やっぱり気持ちは焦りますね。時間の作り方も、まだわからないことがたくさんあって。いつも時間が足りないと感じていて、もっともっとやりたいという気持ちもあります。放射能の名付け親でもあるマリ・キュリーとか、子どもを2人も育てながらいったいどうやって研究を続けたんだろう、すごすぎる……とか考えたり。特に小説やマンガが佳境をむかえたときや展覧会前などは、家がカオスな状態に(笑)。そんなときは、〝でも、みんながみんなノーベル賞2度も受賞するような科学者級じゃないんだから!全部完璧じゃなくても、まあいいか〟っていう気持ちで過ごすようにしています」 優しい空気を纏っている小林さんのイメージからは、想像できない意外な一面。こんな風にときには力を抜くことも、働く女性には大切なことなのかもしれない。女性から憧れる対象である小林さんだが、ご自身の憧れる女性像とは? 「賢く、美しい女性ですね。10歳のときに出合ったアンネ・フランクがまさにそう!本がすごく好きなので、憧れる女性像も本の中の人物であったり、女性の作家さんだったり。その時々で変わっていますが、賢く美しい女性にはいつも憧れています」 自宅は本だらけという小林さん。タイトル買いをしたり、自分の好きな本をオススメしている方の推薦本をこまめにチェックしたりしているそう。そこで、彼女のオススメの本をいくつか教えてもらった。 「池田澄子さんという俳人の方で、『思ってます』という句集がおすすめです。あたりまえにある日常から、一気に過去や宇宙や魂へつながるような句に、いつも心打たれます。他にも、津島佑子さんの絶筆である小説『狩りの時代』や、ジュリー・オオツカさんの『屋根裏の仏さま』という、20世紀初頭に写真だけを見てアメリカ大陸へ渡っていった〝写真花嫁〟を題材にした小説も面白いですよ」 先頃まで、軽井沢ニューアートミュージアムで行われていた『Trinity展』では、初めてガラス作品に挑戦した。美しさに惹かれるというウランガラスで作ったドルマーク。 今描きたいのは、目に見えないこと。最後に、小林さんの今後の活動について率直に語ってもらった。 「コミックと小説、展示という表現で、目に見えない歴史のようなものを、今の私が生きているところから繋がっているように描いていけたらと思っています。特に、コミック『光の子ども』でも題材にしている放射能は、良いとか悪いと言った時点で、何か見えなくなってしまうものが大きいと思うんです。私は、そこからこぼれたものを見たいという気持ちなんですよね。 放射能って、それこそ発見された当時は夢みたいなエネルギーだったと思うし、それと同時にすごく恐ろしいものでもあって。でも、私たちは綺麗なモノに、心から惹かれていきますよね。例えば、ガラスにウランを少し混ぜると蛍光グリーンに光るんですけど、その姿がすごく綺麗なんです。当時は、電力や火力でもない光り輝く何かってすごくレアな存在で。それを見たときの感動たるや、すごいことだったんじゃないかと思っていて。自分自身もそこに惹かれちゃうなっていうのがわかるから、それを含めて描いていきたいと思っています。美しさと恐ろしさが一体化したものへ、一番興味が湧いています。 もう、勝手なミッション感ですね(笑)。描きたいっていう気持が大きすぎて、それは多分一生解決しないことだから、自分の中で見えないゴールに向かって励むという感覚です。自分が知りたい、納得できないことを解決したいという気持ち。それを誰かに観てもらえたり、読んでもらえたりして、その人にとってこういう見方もあるんだなって思っていただけたら嬉しいですね」 小林さんの原動力は、純粋に〝見えないモノを知りたい〟という気持ち。文字だけ並ぶと少し仰々しく感じるかもしれないけれど、それは私たちが日々感じている気持ちとなんら変わらないのかもしれない。クリエイターとして、そして母としてもますますパワーアップするであろう彼女の今後の活動も見逃せない。 【Profile】小林エリカ(こばやし・えりか)漫画家・作家・アーティスト。著書に、アンネ・フランクの日記と実父の日記をモチーフにした小説『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、小説『彼女は鏡の中を覗きこむ』(集英社)など多数。今年の春には、第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補になった小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)の文庫が発売に。連載も多数で、現在WEB『MilK JAPON』では「おこさま人生相談室』、雑誌『&Premium』では「文房具トラベラー』を担当中。放射能の歴史をめぐるコミック『光の子ども』は、リトルモアWEBで不定期連載。コミック本『光の子ども1,2』(リトルモア)も発売中。
2018年03月23日歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が3月12日に放送されたテレビ朝日系『徹子の部屋最強夢トークスペシャル』に出演。妻・小林麻央さん(享年34)が17年6月22日に亡くなる直前に送った最後のLINEについて明かした。 麻央さんが旅立った日は舞台や撮影などで忙しかったと回顧した海老蔵。「麻央が逝くのが夕方から夜にかけてでした」と話し、「そのときに最後のLINEをしました。なんでこんなLINEを送ったのか分からないけど、“愛してるよ。結婚してください”と。それが彼女との最後のやりとりだったんです」としみじみ振り返った。 また、以前出演したドキュメンタリー番組で、現在でも麻央さんにLINEを送っていると明かしていたが、最近麻央さんから返信が届いたと告白。「びっくりしました。誰かがやったに決まってるのに、すべての思考が止まりました」とパニックになったという。 返信を送ったのは娘・麗禾ちゃんだったそうで、海老蔵の「麻央げんき?」というLINEに対し、ハートマークが送られてきたという。海老蔵は「文面が明らかに麗禾でした。もうドキっとした麗禾と返しました」と親子の微笑ましいエピソードを披露した。
2018年03月13日歌舞伎俳優の市川海老蔵が12日、自身のブログを更新。昨年6月に亡くなった妻・小林麻央さんとのバレンタインにまつわるエピソードを明かした。市川海老蔵海老蔵は、麻央さんが昨年2月14日に投稿した「バレンタイン」と題したブログの英訳をリブログ。麻央さんはこの投稿で、「主人にはいちごのチョコレートフォンデュをしたかったのですが、今年はチョコレートを溶かすこともあきらめてしまいました。でも、昨夜、娘と一緒に手紙を書きました」などとつづっていた。海老蔵は「今年のバレンタインは麻央にチョコレート買おうそう思いました」と書き出し、「チョコレート好きでしたから去年は麻央からチョコレート貰いました珍しく全て食べた記憶が御座います」と昨年のエピソードを告白。「普段は少し残しておくと化石となって現れるのですが笑笑とっておけば良かったと後悔してます。残しとけば良かったな、、」と後悔を打ち明けた。
2018年02月13日2月8日、元SMAPの稲垣吾郎(44)が8日、自身のアメブロを更新。2017年に最も活躍したアメーバブロガーを表彰する『BLOG of the year 2017』で最優秀賞を受賞したことを報告した。 稲垣はブログで《「BLOG of the year 2017」最優秀賞を受賞いたしました》と報告。「去年の11月にブログを始めさせていただき、わずか3カ月でこのような賞を頂けるのは読者の皆様のお力と愛情以外の何物でもありません・・心より感謝申し上げます」とファンにお礼を述べた。 また、《「新しい地図」スタート以来SNSを通じてNAKAMAの皆様とよりリアルに通じ合え、その時心に芽生えたほやほやの気持ちや言葉をスピーディーに交換し合えるこのシステムはもはや欠かせないものになりましたね。たくさんのコメントを励みに毎日楽しく過ごしております》とファンとのコミュニケーションの大切の場であると伝えた。 『BLOG of the year 2017』は、2月6日「ブログの日」にちなみ、2017年に最も活躍したアメーバブロガーを表彰するアワード。稲垣は2017年11月のブログ開始から約2ヶ月半で読者が50万人を超えたことが大きく評価されたとみられる。 また、『BLOG of the year 2017』の最優秀賞は稲垣のほか、アレクサンダー(35)&川崎希(30)夫妻が受賞。特別栄誉賞は小林麻央さんに贈られた。
2018年02月08日