「(松田)優作、(原田)芳雄さん、根津(甚八)さん、菅原(文太)さん、蜷川(幸雄)さん、桑名(正博)さん、ジョン・レノンさん。みんな長生きしない人ばっかりで……。コンサートの当日、彼らに降りてきてほしいですね。客席のどこかに座ってくれないかな。席をつくろうかなと思うくらいですよ、名前をつけてね。ほかのお客さんを怖がらせてしまうかもしれないけど(笑)」低音が響く渋い声。白いジャケットに黒のシャツとパンツというモノトーンの色合いが実に似合う。宇崎竜童さん(75)が、4月29日、有観客で、妻で作詞家の阿木燿子さん(75)プロデュースで「宇崎竜童コンサート〜風のオマージュ」(東京国際フォーラム・ホールC)を開催する。天国の盟友ら9人(冒頭の8人に加え自身の同級生も)につくった楽曲を披露する内容。“その人に宛てた、もしくはその人が歌うことを思って書いた曲”の数々を歌うとともに、彼らにまつわるエピソードなどを語る予定だ。今回のコンサート用に新曲『風のオマージュ』も書き下ろした。「僕の気持ちに寄り添って、阿木が書いてくれた詞です。いい言葉を生んでくれるな、と思います。曲のクオリティを、詞が何倍にも膨らまして、奥深くしてくれる」夫婦が尊敬し合い、高め合って半世紀。2人がつくった『横須賀ストーリー』が、伝説の歌手・山口百恵さんの新境地を開いたエピソードはあまりにも有名。先ごろNHKで百恵さんの引退コンサートが放送され再び話題に上がっているということで、百恵さんとの思い出話を聞くとーー。「あのころ僕はカメラに凝っていて。百恵さんの引退コンサートのとき、『客席じゃなくカメラマン席にしてくれる?』って頼んでね。だから撮ることに専念していて、肉眼で百恵さんの姿を見た記憶がないんです。最後の曲が終わって、百恵さんがマイクを置くときに、初めて肉眼で見て、すっごい残念な気持ちになりました(笑)」夫妻が百恵さんに書いた曲は5年間で69曲。「1曲1曲大変でした。必ずヒットしなきゃいけないんですから」と話すが、それだけの曲をつくりながらも私的な交流はまったくなかったそうだ。「電話番号も知らないし、そもそも個人的に飯食おうとか、マネージャーを通さずに会うのはルール違反だと思っていますから。ただ、一回だけ『阿木さんと宇崎さんにごちそうしたい』と言われて、西麻布のイタリアンでおごってもらったことがありました。マネージャーも連れず、彼女おひとりでいらっしゃって。僕と妻と百恵さん。お金を払ったのは百恵さん(笑)。ワインをテイスティングしていましたから、百恵さんも20歳になっていたころでしたね」百恵さんが引退の決意を表明したのは21歳になってまもなく。この食事は“最後のお礼に”という気持ちがあったのかもしれない。引退から30年後にも、夫妻と百恵さんは久しぶりに会い食事をともにする機会があった。そのとき宇崎さんは、最初に自分たち夫妻に曲を依頼したのは誰だったのかを百恵さん本人に聞いている。「『ああ、私が言い出したことです』と百恵さんから直接、聞きました。すごいなと思ったのが、当時17歳ほどの少女がマネージャーにそういうふうに頼んで、マネージャーも“わかった”と聞いて本当に僕たちにオファーしてくれて。セルフプロデュース能力がやっぱり只者ではないですよね。さだまさし、谷村新司が百恵さんの曲をつくったときは、僕、外されたと思いましたけど(笑)。さださんについては、あれも百恵さんのオファーだったんじゃないかと僕は勝手に思っています。僕と百恵さんが一緒にやっていたラジオがあったんですが、そこで百恵さんが“さださんって面白いですね。『雨やどり』笑っちゃいました”というような話をしていて。その直後ですから、『秋桜(コスモス)』は」’14年には、百恵さんの長男・三浦祐太朗が宇崎さん夫妻の手掛ける舞台『フラメンコ曽根崎心中』のシンガーに選ばれている。「シンガーを探しているときに、阿木が若手のCDや音源を端から聴いていって、“この人いいんじゃない。誰?”ってスタッフに聞いたら、それが祐太朗くんだった。あの舞台のときは、百恵さんも『見たい』と言ってくれたのでご招待しました。それまで祐太朗くんのライブも見たことがなかったそうです」以後、百恵さんとは、年賀状のやりとりが続くのみだという。「あのね、親しくなってはダメなんですよ。曲を何曲書こうが、仕事相手とは絶対的な距離を持ちます。その人に向かって『これでもか』みたいなものをぶつけないと、よい作品は書けない。優しくなってしまうとダメなんです。百恵さんは、僕がぶつけた曲で想像を超えてきた完全なプロ。10代から20歳そこそこですごいです」才能と才能のぶつかり合いが名曲を生み、未来へと歌い継がれていくのだろう。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月15日世間を騒然とさせたお笑い芸人の有吉弘行(46)とフリーアナウンサーの夏目三久(36)の大物カップルの結婚。「自炊にハマっている」などと、有吉はことあるたびに独身生活を謳歌しているような発言をしてきたが、本誌が先週号でも報じたように、2人はおよそ3年前から同棲していたという。「かつては大物芸能人の交際は、どんなに隠していても必ず噂が立つものでした。過去に2人の交際報道がありましたが、双方が強く否定したこともあり、完全に“なかった”ことになっていた。それだけに、今回の結婚は寝耳に水。まったくノーマークでした」と語るのは、芸能レポーターの菊池真由子さん。「山口百恵さんや松田聖子さんもそうだったように、大物芸能人のカップルといえば、マスコミの熱愛報道により交際が発覚し、大々的な婚約会見をして、派手な披露宴をしたものでした。ところが最近は、ひそかに交際を重ね、突然、FAXで結婚を報告しておしまいというパターンが増えています。恋愛や結婚は“商品”にしない。仕事とプライベートを峻別するという世の流れが、芸能界にも影響していると思います」人知れず逢瀬を重ね、自らが結婚を報告するーー。そんな「秘め愛婚」が急増している。「松坂桃李(32)と戸田恵梨香(32)との結婚は典型的な「秘め愛婚」だと菊池さんは続ける。「恋愛も開けっぴろげで、自由気ままに生きていた印象が強い戸田さんですが、松坂さんとだけは2年あまりも人知れずに交際を続けていました。人気俳優同士ですから、CMのスポンサーやテレビ局などへの根回しが終わらないうちに、交際や結婚がマスコミにスッパ抜かれたらお互いが困るという共通認識もあったのでしょう」2人が同じマンションで暮らしていたことも、誰にもバレなかった要因。芸能記者はこう語る。「最近の高級マンションはセキュリティが完璧。地下駐車場からそのままエレベーターで、内廊下を通って部屋に行けるという造りが多い。車で別々に入ってしまえば、一緒にいるところを確認することは不可能。いまの人気芸能人の多くは、こういうタイプのマンションに住んでいます。有吉さんと夏目さんが同棲しているのもそうです」外で会わなければ、誰にも目撃されることはない。「秘め愛婚」を成就させたカップルは、もちろんその点も注意は怠らない。’15年に電撃結婚した山本耕史(44)と堀北真希(32)は、初めて外でデートしたのは結婚当日だったと明かしている。「ノーマーク婚だった山里亮太さん(44)と蒼井優さん(35)は結婚会見でデートについて聞かれて、1度だけ土手を2人で歩いたと明かしていました。1度きりのデートでしかも土手……。2人を見かけても、誰も山ちゃんと蒼井優だとは思わないでしょう」(菊池さん)小泉進次郎(40)と滝川クリステル(43)は、当時の安倍晋三首相に結婚報告したときが、初めて2人一緒に外出したときという徹底した隠密交際だった。有吉と夏目も、マンションの一室でひそかに愛を育んだに違いない。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月15日《山口達也さんの映像をそのまま使い、5人を強調する演出をしたスタッフとメンバーに拍手です》《鉄腕DASHの過去映像の中で、山口達也さんがハッキリ映っていたのがうれしかったです》《DASHスタッフさん、達也の入った映像もたくさん流してくださってありがとうございます》3月28日、TOKIOの冠番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)に元メンバー・山口達也氏(49)の出演する過去映像が流れた。冒頭のコメントは、彼の“再出演”に対する喜びの声だ。’18年2月、泥酔した山口氏は女子高生を自宅に呼び出して、わいせつ行為をはたらいたとして書類送検。後に、ジャニーズ事務所との契約を解除。事実上の芸能界引退となった。「山口さんは事件後、心療内科専門病院で双極性障害(躁うつ病)と診断され療養生活を送りました。退院後は東京郊外にある家賃7万円ほどの賃貸マンションに移り、断酒も決意。週に数日、近くのお寺で読経や写経、境内の掃除などに取り組んでは自分を見つめ直していたそうです。前の奥さんや2人の息子さんがハワイに住んでいるため、友人から移住を勧められたこともあったそうです。それでも山口さんは『家族に申し訳ないし、俺は日本で頑張ってみるよ』と断ったと聞いています」(山口の知人)しかし昨年9月22日、酒気帯び運転で現行犯逮捕された山口氏。再び、飲酒によって苦境に立ってしまった。「事務所を退所して以降、山口さんはメンバーと一切連絡を取っていなかったそうです。しかし、ジャニー喜多川さん(享年87)が亡くなったことをキッカケに少しずつ連絡を取るように。そして“TOKIOにいつか戻りたい”という思いを抱き続けていました。ですが逮捕の2ヵ月前、長瀬智也さん(42)がジャニーズを退社すると発表しました。報告を受けた山口さんは、“自分の思い描いていた居場所がなくなってしまうのでは……”と次第にふさぎ込むように。そして、再びお酒を飲むようになっていったそうです」(芸能関係者)■ベースを封印し、“何者でもなかったころの自分”に逮捕の前日となる9月21日は、奇しくもTOKIOのデビュー記念日だった。「メンバー全員が大切にし、山口さんも忘れるはずのない1日です。TOKIOでの日々を思い出しながら、一人で飲んでいたのかもしれません」(音楽関係者)そんな彼は今、ベースを封印しているという。本誌は昨年10月、彼の愛器が貸し倉庫に運び出されていく様子を目撃している。「TOKIOが結成されたのは、ギターを弾いていた城島茂さん(50)とベースの山口さんが出会い『バンドをやろう!』と意気投合したことがキッカケ。つまり、山口さんのベースはグループにとっての原点なんです。しかし山口さんは今、ベースと距離を置いています。そうして、“何者でもなかったころの自分”に立ち返ろうという思いがあるのかもしれません」(前出・山口の知人)まっさらな気持ちで立つ現在地。山口氏はテレビに映る自身の姿をどう見つめただろうか。
2021年03月31日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやった歌やドラマの話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「松田聖子さんは、デビュー曲『裸足の季節』(’80年)が資生堂のCMソングに起用されたときから、その歌唱力の高さが注目されていました。アイドル路線の王道を歩み、“ぶりっ子”の代名詞も生んだ、その注目度と人気の高さは、歌のうまさがあってのことです」そう語るのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。現在のようなデジタル技術もなく、歌番組の生中継では、移動中の新幹線のホームなど、ごまかしのきかない状況で歌わなければならない’80年代アイドルは、歌唱力が高いといわれる。なかでも聖子が圧倒的な存在になったきっかけの1つが、初のバラード曲『赤いスイートピー』(’82年)だ。「『赤いスイートピー』は当時、存在せず、同曲のヒットにより品種改良が進んだといわれているほど、社会にインパクトを与えました」感情を込めて歌う曲だからこそ、聴き手の想像力をかき立てる。「恋する少女の、大人への成長が描かれている曲。聖子さんは’81年に郷ひろみさんとの交際報道(’85年に破局)があったため、聖子さんの恋心を、ファンが曲を通して見守っている印象もありました」カラオケでも人気の曲だが、実際に歌ってみると、その難しさを実感するという。「低音から高音まで、非常に幅広い音域の声を出さなければなりません。とにかく高音に目が行きがちですが、聖子さんは、山口百恵さんのような“低音を聴かせる歌手”でもありました」聖子の新たな魅力を引き出したのは、松本隆(作詞)、呉田軽穂(松任谷由実・作曲)だ。「B面の『制服』もこの2人によるもの。曲をイメージして、卒業式に好きな男子の制服の第二ボタンをもらいたいなど、恋心を友人と打ち明け合い、盛り上がった女子も多いのではないでしょうか」『赤いスイートピー』は聖子自身にとっても、特別な思い入れがある曲なのかもしれない。「沙也加さんがステージに上がったデビュー30周年の記念コンサートでも、親子で共演したCMでも、この曲が採用されました」現在、’80年代当時の高音を出すことは難しいが、年齢を重ねた聖子の声は、別の意味で魅力的だ。「’18年、紅白歌合戦で『風立ちぬ』などを歌ったときはだいぶキーを下げて話題になりましたが、昨年の『瑠璃色の地球 2020』では、厳しいレッスンをしなければとても出ないような高音を披露。昔以上に高いプロ意識を感じます」聖子はまだまだ進化中なのだ。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月20日NHK総合で再放送され、大反響を巻き起こした、伝説のファイナルコンサート。その当日に関わった人々に総力取材すると、舞台やテレビでは決して見ることのできない山口百恵さんの様子が明らかに。そこには、青春を駆け抜けて、いま嫁ごうとする、ごく普通の21歳の女性の素顔があった――。引退コンサートと翌日のテレビ出演を済ませると、その後11月19日の東京・赤坂の霊南坂教会での結婚式以降は、表舞台に立つことのなかった百恵さん。あれから40年以上が過ぎた。働き方も恋愛観も、社会を取り巻く環境が大きく様変わりするなかで、その歌声とともに、大きな仕事をなげうって愛する人のもとに嫁ぐという生き方が、ずっと変わらずに支持され続けるのはなぜだろう。その答えは、すべて引退ライブに込められていた。コンサート当日の午後1時50分、目黒の自宅を出た百恵さんが会場となる日本武道館に入ると、すぐにリハーサルが始まった。コンサートの開演前に楽屋を訪れたという親友の小柳ルミ子(68)は、「10畳ほどの和室の楽屋では、百恵がメークをする傍らで、お母さまも取り乱す様子もなく座っていらっしゃいました。私のほうが諦めきれず、『引退を撤回して』と言うと、百恵はきっぱり『もう決めたから』って。ホリプロの堀威夫社長(当時)が顔を出したときも微動だにせず、淡々とメークを続けた百恵。生い立ちもあるのかもしれませんが、いつも肝の据わった人でした」1万人のファンの熱気に包まれた会場では「百恵ちゃん、お幸せに!」「友和さんと末長く!」の横断幕も。そして午後6時10分。オープニングのインスト曲に続いて、ゴールドのワンピースを着た百恵さんが登場すると、会場はいきなり、「百恵ちゃーん!」「モモエ!」の大歓声、いや絶叫で熱気に包まれた。1曲目は、『This is my trial(私の試練)』。その後は、『プレイバックPart2』や『イミテーション・ゴールド』などヒット曲に続き、11曲目には「私の原点」と話していた横須賀をテーマにした『横須賀ストーリー』。2曲目からここまですべて阿木燿子の作品であり、百恵さん自身、「かわいい私の分身たち」と紹介している。この曲ができたときのことを、デビュー直後からプロデュースを手掛けた、音楽プロデューサーの川瀬泰雄さん(74)は、「最初に阿木さんの詞を見たときのことを、百恵は何かの本に『私の歌が出来た』と書いていました。同じ女性として、初めて大きな共感を抱いた様子で、この曲から歌のヒロインが憑依するようになりました」オリコン1位にも輝いた自身最大のヒット曲であり、間違いなく代表曲の一つ。百恵さんとコンサートの構成を練った演出家の宮下康仁(70)さんはこう語った。「『横須賀ストーリー』がなかったら、彼女は、まったく違った歌手人生を送っていたとも思うし、本人もそう語っていますね。この曲でアイドルの殻を脱ぎ捨て、一人の女性として歩み始めた。引退コンサートの大きな柱が、この曲。ファンの女性たちにも絶大なる支持を受けたことを考えると、あの日の武道館は日本女性の生き方をも変えたと思うんです」「コンサートと結婚式を終えたら、新婚旅行に行く前に髪の毛を切りたいんです」百恵さん本人から、ヘアメークの司さとしさん(72)のもとにこんなリクエストが届いていたのは、結婚と引退が決まった直後のこと。そして挙式を終えた翌日の11月20日早朝、この約束を果たすため、司さんは新婚ホヤホヤの友和・百恵夫妻が宿泊していたホテルのスイートルームを訪れた。「ほんとに、いいの?」「はい、バッサリ切ってください!」司さんは、万感の思いを込めてハサミを手に取ったという。「『バッサリ』って。そんなときも、潔い人でした。カットしながら、彼女の全身を通じて、“山口百恵”から“三浦百恵”になるんだという覚悟を感じました。ショートカットになった百恵さんは、『じゃ、行ってきます』と部屋を出て、友和さんと2人仲よくハワイへの新婚旅行に。そのとき初めて『あっ、終わったんだ』と思えました」宮下さんは、宝物だというコンサートの古い台本を、改めて手に取りながら、「山口百恵という歌手は、歌や芸能活動を通じて、自立した女性像を示した原点だったように思います。だから、40年たっても、みんなの思いが消えないんですね」その場所がどこであれ、自分が信じて選んだ道であれば、たとえスポットライトはなくても、人は輝きながら歩んでいける。百恵さんの凜とした生きざまは、そして歌声は、混迷するいまに、ときに生きあぐねる私たちにメッセージを送り続けてくれる――。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月18日〈みなさん、どうもありがとうございます。みなさん、本当にどうもありがとう。私が選んだ結論、とてもわがままな生き方だと思いながら、押し通してしまいます。8年間、一緒に歩いてきたみなさんが『幸せに』って、そう言ってくれる言葉がいちばんうれしくて。みなさんの心を裏切らないように精いっぱいさりげなく生きていきたいと思います。いま、みなさんに『ありがとう』っていう言葉をどれだけ重ねても、私の気持ちには追いつけないと思います。本当に、私のわがままを許してくれて、ありがとう。幸せになります〉80年10月5日に行われた「山口百恵ファイナルコンサート」で、ラストソングとなった『さよならの向う側』の前に百恵さんが語った全文だ。ときに涙も交えての感動的なトークだったが、実はすべて“アドリブ”だった。コンサートの構成を担当した演出家の宮下康仁さん(70)は、それを手に懐かしげに当時をふり返る。「台本作りでは百恵さんと何度も打ち合わせしましたが、あの箇所には、“最後の語りを”とあるだけ。実際のところ、当日はコンサートもクライマックスを迎えるなか、込み上げてきた自分の思いを、そのまましゃべったんだと思います」昨年10月のNHK BSプレミアムに続き、今年1月30日にNHK総合でこの引退コンサートが再放送された直後、雑誌はじめマスコミはこぞって当時の百恵さんの輝かしい活動ぶりを報じ、ツイッターでも「百恵ちゃん」がトレンドランキングを独占。当時は“百恵”“ねえさん”と呼び合う親友として知られていた小柳ルミ子(68)も、もちろんNHKの放送を見たと話す。「ずっと泣きながら見ていて、改めて思いました。あえて当時と同じ呼び方をさせてもらいますが、いまでも『百恵が大好き』だと!」〈みなさん、いつかこのステージがみなさんのなかで思い出と呼べるそんなときがきたら、そっとふり返ってみてください。このほんの数時間、このなかの込められた1曲1曲の歌、みなさんの思い、私の思い、すべてを思い出してください。思い出だけは消えることなく、いつも残り、そして、いつでも蘇るものだと思います〉まさしく今回の40年ぶりの“再会”を予言するような言葉は、26曲目の『不死鳥伝説』の前。宮下さんは「すごいよね」と驚嘆しながら三たびこう繰り返した。「ここも、台本にはまったく書いていないわけで、まさしく彼女の言葉です」その後、ラスト前の『歌い継がれてゆく歌のように』を、涙とともに歌い終えた百恵さんがステージから去り、再び登場したとき、会場のあちこちから、ファンの女性たちのうっとりするようなため息が洩れ聞こえた。いよいよファイナルとなる舞台上には、ウエディングドレスを思わせる純白の衣装と同色の髪飾りを身にまとった百恵さんがいた。純白のドレスで、「幸せになります」とのラストメッセージを残した百恵さんは、全28曲を歌い終えると、白いマイクをステージ中央に置いて、人々の前から立ち去った。野口五郎(65)は、そのシーンを鮮明に覚えていた。「僕の隣の席は、(西城)秀樹でした。彼女がマイクを置いたとき、僕や秀樹だけでなく、アーティスト席の全員が、客席のファンの方たちより率先して、スタンディングオベーションをしたんです」ファンの多くが、茫然としたまま観客席から立ち去れないでいるころ、バックステージでは、もう一つの別れのドラマが続いていた。最後の舞台をやり終え戻ってきた百恵さんを、アン・ルイスや岩崎宏美、阿木燿子らが迎える。証言するのは、小柳ルミ子。「ステージ裏では、ふだんは人前では泣かない百恵も、さすがに泣いていて。みんなでハグし合いながら、しばらく泣いていました。私は年上ですが、大きな宝物をなくしたような気持ちだったんです」その後、武道館のレストランで、報道陣をシャットアウトした打ち上げが行われた。小柳が続ける。「事務所は違う私ですが、百恵本人から『ねえさん、出て~』とせがまれて、参加しました。すると、あの気丈なはずの百恵が、ずっと私の手を握って離さないんです。最後の最後まで無事に終えるのを見守って、という意味だったのかもしれません。ただ、もう百恵に涙はありません。すでに歌手・山口百恵ではなく、“奥さんになるんだ”という気持ちに切り替わっていたのでしょう。私は、この場で、友和さんに百恵のことを、『ほんとにいいコだから頼むよ』と告げたことを覚えています」阿木燿子の音頭で乾杯を終えると、百恵さんも挨拶に立つ。「昨日の夜はなかなか実感を持てませんでしたが、でも若さですね、今朝はすっきりした気分で朝を迎えました。今日までほんとうにありがとう。私は幸せでした」その後も関係者やスタッフの一人ひとりに挨拶をし、感謝の思いを述べながらビールを注いでまわる姿があったという。パーティが終わり、その日初めての安堵の表情をした百恵さんが友和の愛車で帰っていくと同時に、長かった一日が終わった。そして私たちは、彼女の残した言葉どおり、「80年10月5日」を、その名曲の数々とともに、いつまでも記憶し続けることになる――。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月18日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「モノマネ番組とかで、中森明菜さんの『十戒(1984)』(’84年)や『TATTOO』(’88年)の歌マネをさせてもらったりしています。藤井隆さんの歌イベントでは、明菜さんの曲の振付が完璧な素人さんが毎回観覧に来ていたから、その人にステージに上がってもらってコラボしたり。’14年に『紅白』に出場したときに『日本では低気圧のほうが大変だということで……』みたいに、ちょっとハスキーで、徐々に聞こえるか聞こえないかの声の大きさになる、しゃべり方が特徴なんですね」明菜愛が強すぎて、ついモノマネしたくなるというのが、お笑いタレントの椿鬼奴さん(48)。デビュー当時のシングル盤レコードを手に取りながら、’80年代を振り返る。「じつはレコードは持っていなかったんです。小学生のころはわりと裕福な生活だったんですが、自分で使えるお金は、もらえなかったんですよね」小学生時代は、渋谷駅の隣にある高級住宅街・代官山のマンション住まい。お正月などの特別なときは、バブル時代、テレビ業界人御用達だった六本木の高級料理店「瀬里奈」に行くほど、ハイソな暮らしぶりだった。「お着物姿の女性がたくさん働いていて、子どもながら“すごく高いんだろうな”って、肌で感じていました。まあ、支払いは父というよりは、会社の経費だったみたいですけど(笑)」その父は厳しくて、鬼奴さんは自由にテレビを見せてもらえなかったという。「『3年B組金八先生』(’79年〜・TBS系)すらダメで、弟と一緒になんとか見る権利を得られたのは『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)だけ。ふだんはNHKか巨人戦ばかりでした。おかげでキャッチャーの山倉和博さん(’78年入団)のファンになって。チェッカーズの(武内)亨さんに似たイケメンだったので“巨人の亨”と呼んで、プロ野球チップスを買ってカードを集めていました」中森明菜の存在は、父親の帰りが遅いとき、こっそり見ていた『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)で知った。明菜は’81年『スター誕生!』(’71〜’83年・日本テレビ系)で、山口百恵の『夢先案内人』を熱唱。11社からスカウトの声がかかり、’82年に『スローモーション』でデビュー。「クラスの友達の間で、聖子派か明菜派か、どちらか決めなきゃいけないみたいな雰囲気って当時、ありましたよね。私は、聖子ちゃんのようなキラキラしている王道アイドルを直視できなくて……。それより(セカンドシングル)『少女A』のジャケットの、不機嫌な感じの明菜ちゃんが好きでした。陰があって多くを語らない、クールな明菜ちゃんの派閥に加わったんです」子どもがカラオケに行くような時代ではなかったので、歌うのはだいたいアカペラ。「歌番組をカセットテープに録音して、勉強時間や寝るときに聴いて覚えていました。カセットテープもなかなか買ってもらえなかったから、1本のテープに何度も重ね録りするんですが、上から録音した曲が長くて、前に録ってあった次の曲のイントロ部分が消えちゃったりして」「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月28日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「’82年、“ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)”というキャッチフレーズでデビュー。ファーストシングル『スローモーション』(’82年)こそ、聖子ちゃんをほうふつさせる“かわいい路線”でしたが、セカンドシングル『少女A』(’82年)以降、『禁区』(’83年)『十戒(1984)』(’84年)などは、キャッチフレーズどおりの大人っぽいセクシーさとともに、不良っぽさも満載でした。それまでの『休日の予定はお菓子作りで、趣味はぬいぐるみ集め』といった、典型的なアイドル像をガラリと塗り替えたのです」そう語るのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。明菜は’81年『スター誕生!』(’71〜’83年・日本テレビ系)で、山口百恵の『夢先案内人』を熱唱。11社からスカウトの声がかかり、’82年に『スローモーション』でデビュー。圧倒的人気を誇った松田聖子に『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)などのランキング争いで明菜が挑み、ついには追い抜くというバトル的要素も、ファンを熱くした。「どうしても聖子ちゃんのぶりっ子路線を受け入れられない女子が、“明菜派”となって応援しました。正統派の松田聖子さんと田原俊彦さん、不良っぽい明菜さんと近藤真彦さん、という対比が鮮明だったのです」しかし、明菜は不良っぽいだけではない。「アイドル番組ではコントに参加し、歌番組のトークコーナーでは、10代の少女らしく、かわいらしくしゃべる姿も見せました。ただ、ひとたびステージに上がり、前奏が始まると、別人のように表情が一変する。そのギャップも魅力となったのです」明菜自身の意見を取り入れた衣装、ヘアメークなどへのこだわりにも、牛窪さんは注目している。「男性ではジュリー(沢田研二)の存在が際立ちましたが、女性アイドルでこれほど自己プロデュース力を発揮したのは、明菜さんが初めてではないでしょうか。とくに『DESIRE−情熱−』(’86年)に、卓越したセンスを感じました」一方、近藤真彦宅での自殺未遂事件(’89年)では、芸能人生の危機が訪れたがーー。「歌手としてだけではなく、そうした人間的な弱さも含めた“中森明菜”という存在に、人々は心から声援を送りました」その後も、歌に対して真摯に向き合う明菜は、40代、50代となったファンの心を、いまもずっとつかみ続けている。「10代のときに気づかなかった明菜さんのプロ意識の高さに、社会に出てから『そうか!』と気づく人も多かったはず。いち人間として尊敬されているからこそ、女性だけでなく、根強い男性ファンも多いのではないでしょうか」「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月28日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「クラスの友達の間で、聖子派か明菜派か、どちらか決めなきゃいけないみたいな雰囲気って当時、ありましたよね。私は、聖子ちゃんのようなキラキラしている王道アイドルを直視できなくて……。それより(セカンドシングル)『少女A』のジャケットの、不機嫌な感じの明菜ちゃんが好きでした。陰があって多くを語らない、クールな明菜ちゃんの派閥に加わったんです」そう’80年代を振り返るのは、お笑いタレントの椿鬼奴さん(48)。中森明菜は’81年『スター誕生!』(’71〜’83年・日本テレビ系)で、山口百恵の『夢先案内人』を熱唱。11社からスカウトの声がかかり、’82年に『スローモーション』でデビュー。「モノマネ番組とかで、中森明菜さんの『十戒(1984)』(’84年)や『TATTOO』(’88年)の歌マネをさせてもらったりしています。藤井隆さんの歌イベントでは、明菜さんの曲の振付が完璧な素人さんが毎回観覧に来ていたから、その人にステージに上がってもらってコラボしたり。’14年に『紅白』に出場したときに『日本では低気圧のほうが大変だということで……』みたいに、ちょっとハスキーで、徐々に聞こえるか聞こえないかの声の大きさになる、しゃべり方が特徴なんですね」明菜ファン同士のつながりは、大人になった今も生まれているという。「番組でミッツ・マングローブさん(45)とご一緒したとき、ミッツさんのご自宅の様子を撮影したVTRが流されたんです。それがすごく退廃的なイメージで、かかっていたBGMが『SOLITUDE』(’85年)。私もすごく好きな曲なんですが、明菜さんの曲のなかでこれを一番にあげる人は、まわりにいなかったので、『しぶくていいっすね』とミッツさんに話しかけたんです」これをきっかけに、ミッツさんとは“明菜談義”をする仲に。「当時、ミッツさんが経営していたお店に行って、『どの歌がいい?』から始まり、『明菜ちゃんって、どういう性格だと思う?』なんて勝手に2人で妄想しながら、一緒に歌ったりしていました」さらにパチンコ好きな鬼奴さんは、「CR中森明菜歌姫伝説」(’14年)にも、どハマり。「パチンコ台の液晶画面に登場する明菜さんは、通常だとアニメなんですが、アツいリーチがかかると、実写になってカットインしてくるんです!それを見るのが楽しくて、つい続けてしまいました。相性もよくて、けっこう勝率は高かったですね」’16年末にはミッツから「明菜ちゃんが、いよいよ7年ぶりに公の場に。ディナーショーをやる」と緊急招集をかけられた。「テレビやパチンコ台でしか見たことがない明菜ちゃんを目の当たりしたので、“実在するんだ”って、オープニングから大号泣。新譜に加えて、そのころ発表していた洋楽カバーアルバムからも歌われたし、往年のヒット曲メドレーもあって、本当に豪華でした」MCでは、’14年に出場した『紅白歌合戦』についても触れ……。「『声ちっちゃいって言われたり、モノマネされたり……』って。一緒に見に行ったミッツさん、友近さん、それに私の全員がモノマネしていたので“わー、私のことかも”って興奮してしまいました(笑)」その翌年のディナーショーでは、明菜が「椿鬼奴さんが私をマネしている」とネタにしていることを、ネットニュースで知ったという。「怒っていらっしゃると困るんですが……。でも“認識してもらえている”と思うと、それだけで幸せ。ディナーショーがまた復活したら、絶対に行きたいです!」明菜は鬼奴さんにとって、まさに“永遠のアイドル”なのだ。「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月28日「つい一昨日までも、このスタジオで、4月から始まる月9ドラマのテーマ曲などの録音をしてました。本来、4月放映ならば3月でも間に合うのですが、僕ら音楽の仕事も、コロナで予定がガタガタになっています」1月最後の日曜の午後。機材がズラリと並んだ東京・市谷の録音スタジオで、自身の近況を語り始めたのは服部隆之さん(55・隆は旧字)。『王様のレストラン』『のだめカンタービレ』(フジテレビ系)といった名作ドラマやNHK大河ドラマ『新選組!』、そして映画『HERO』などのテーマ曲を手がけた、当代きっての作曲家・編曲家だ。最近では、多くの流行語を生み出し、昨年の年間視聴率トップとなったドラマ『半沢直樹』(TBS系)で、血がたぎるストーリーを音楽でさらに熱く盛り上げてくれた。「僕はふだんから自宅の地下2階の仕事部屋で、ときには10日間も籠って、曲を作っているのですが、さすがに60代を前にして、健康には気をつけています。祖父も親父も、亡くなる前には大病していますから」隆之さんの祖父は、『東京ブギウギ』『青い山脈』などの曲で戦後のわが国を元気づけ、「日本歌謡界の父」とも称された服部良一さん。父は、『ミュージックフェア』(フジテレビ系)の音楽監督や『ザ・ベストテン』(TBS系)のテーマ曲はじめ生涯に6万曲以上を手がけた服部克久さん。つまり、隆之さんは、「華麗なる作曲家ファミリー」である服部家の3代目だ。服部隆之さんは65年11月21日、渋谷区で父・克久さんと母・時子さんとの間に生まれた。「6歳から、先生についてピアノを始めましたが、その年ごろの男の子にとってね、ピアノってつまんないですよ(笑)。祖父の誕生日とクリスマス、正月には親戚が集まって『歌唱コンクール』が開催される。歌い手は僕と妹やいとこたち。服部克久が審査員、服部良一が審査委員長ですから、たしかにスゴイ(笑)。でも、音楽一家らしいエピソードは、逆にそれくらい。祖父とは別に暮らしていて、ふだんはそんなに交流はなかったんです」一方、父の克久さんは前述の音楽番組に加えて、郷ひろみや山口百恵らトップスターのショーの音楽作りなどに慌ただしく過ごす日々。「父は、『最近、サボってるらしいな』とソフトな口ぶりでしたから、そのゆるさが僕にはありがたかったですね。ただし僕も音楽自体は好きで、中高ともブラスバンドをやり、仲間とバンドも組んでましたから。音楽を決定的に嫌いにならずにすんだのは、『家業を継げ』と強制されなかったことが大きい」高校を2年で中退し、フランス留学に踏み切ったのも父親の影響だった。この留学を決心した時点で、ひそかに「真剣に音楽でやっていこう」と決めていたそうだ。「背中を押してくれた親父との会話が2度あったんです。1度目は中3のとき。『俺と同じ仕事をやってくれたらうれしい』と」そして2度目は、まさに明日からパリ留学が始まるという前夜、場所はイタリアだった。「家族が夏休みを利用して、ちょうど欧州旅行に来てました。2人で白ワインを飲んでいると、親父がふと口にしたんです。『商業音楽をやるというのはな、自分のスキルとテクニックを切り売りしてお金に換えることだ』。留学で頭でっかちになって、僕がクラシックとポップスに優劣をつけるような考えに陥るかもしれない。音楽に優劣はないし、また奇麗事でもすまない。『心して取り組めよ』という意味だったと思います。きっと親父自身、30年ほど前のパリで、同じような経験があったのでしょう」5年間のパリでの生活を終えて帰国した隆之さんを、いきなりビッグな初仕事が待っていた。89年1月発売のさだまさしさん(68)の『夢の吹く頃』で、アレンジを任されたのが、隆之さん。「七光り、いや、祖父からだから十四光りですよね(笑)。でも、この七光りは、僕にとっては、非常にナチュラルなものになっちゃうんです。だって親父の克久がもうすでに服部良一の息子で、『父親の名前をおおいに利用させてもらった』なんて公言してる。僕自身、さださんのあとにも谷村新司さん、さらに『夜のヒットスタジオ』の音楽監督など、普通の新人ではありえない。そうやってデビュー直後からいろんな仕事をいただけたけど、うまくいけば『さすが服部先生のご子息ですね』となり、ダメなら『ご子息なのに』と言われるだけ。いつか、七光りも気にならなくなってました」そして、13年7月放送のドラマ『半沢直樹』の音楽を担当することになる。最初の依頼は放映の1年ほど前で、TBSの名物ディレクターの福澤克雄さんからだった。「新ドラマの主人公は銀行員で正義感が強く、汚職や悪に敢然と立ち向かうキャラクターであり、主演は堺雅人さん。そうした基本情報をお聞きして、そこからイメージを膨らませます。 曲作りに際して僕が思い描いたのは、風車に立ち向かうドン・キホーテ。いや、もっともっと熱い男像を、音楽に込めました」その結果こそ、あの波乱が巻き起こる予感でワクワクするような名曲だったのだ。(撮影:田山達之)「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月23日令和の山口百恵ブームが止まらない。1月31日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』(NHK総合)は再放送ながら8.6%という高視聴率を記録。往年のファンだけでなく、若者も魅了し、放送時にTwitterのトレンドでも関連ワードが1位に入る事態となった。さらに、09年に発売した引退コンサートを収録したDVDが2月15日付のオリコン週間DVDランキングで10年7カ月ぶりにトップ10入り。18年発売のBlu-ray版も自身初となるトップ20入りし、令和になった今も“伝説”を更新し続けている。引退コンサートが行われた80年10月5日、本誌も開演前から終演後まで現地で徹底取材を敢行。そこでの秘蔵エピソードを写真とともに振り返りたい――。■「友和さんと末永く!」会場を埋め尽くした横断幕約1万人の観客が目撃した百恵の引退コンサート。百恵の最後の舞台とあって、即完売するプラチナチケットに。惜しくもチケットを手に入れることができなかったファンも、会場に詰めかける事態となった。また会場外には親衛隊の面々や、百恵グッズを売るファンが集い、開演前から異様な雰囲気に。会場の中では有志のファンによる「友和さんと末永く!」「百恵ちゃん幸せになって!」といった横断幕がいたるところにかけられる熱気。公演中はほとんど席を立つことなく、百恵の最後の雄姿を見守っていた。■最後の舞台を見届けにきた豪華すぎるゲストたち同時代を生きた芸能人からも愛された百恵。当然、引退コンサートには親交のあった多数の芸能人も駆け付けた。和田アキ子(70)、岩崎宏美(62)、小柳ルミ子(68)、谷村新司(72)といった錚々たる顔ぶれが一堂に会したことからも、以下に百恵の存在が大きかったかわかるだろう。また、故人となった森光子さん(享年92)や西城秀樹さん(享年63)の姿もあった。涙ながらにラストの『さよならの向う側』を歌い上げ、マイクをステージに置いてファンの前から姿を消した百恵。そんな百恵を出迎えたのが、夫の桑名正博さん(享年59)とともに訪れていたアン・ルイス(64)だった。すべての人から愛されたまさに“伝説の最後”となった――。
2021年02月21日「百恵さん本人は口数が少なくて、僕ら自身もとても緊張してたといました。これまでいろんなインタビューで聞かれたのですが、実は百恵さんとどんな話したかなとかという記憶もあまりないくらいなんです」当日の様子をこう振り返るのは演出家の宮下康仁さん。宮下さんは山口百恵が80年10月5日に行った引退コンサートで、構成を担当していた人物だ。引退コンサートの様子をおさめた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』(NHK総合)が1月31日に再放送され、8.6%という異例の高視聴率を記録。引退から41年経てもなお、色あせる様子はない。伝説的なエピソードばかりが取り上げられがちな百恵だが、一人の歌手としてもその実力は規格外だったと宮下さんはいう。「百恵さんはやっぱり歌が何よりすばらしい。今、いろんなアーティストさんが『秋桜』や『いい日旅立ち』をカバーしているけど、敵う人はいないと思ってしまいます。そういうことを考えると、本当にすごかったんだなと」引退コンサートでは曲目選びから舞台の構成まで企画段階から関わったという百恵。“演出家”としても百恵の才能は図抜けていたようだ。「衣装に関しては百恵さんが全部自分で決めてきて、僕らスタッフは一切タッチしなかったんです。当時のアイドルは演出家にすべて委ねるのが普通だったのですが、百恵さんは“最後は自分で”ということでいろいろ決めたのでしょう。引退コンサートには百恵さんがすべてのメッセージを込めて作ったのだと思います」やはり引退コンサートで特に印象的なのが、ラストとなった『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終えた後、百恵がステージ中央にマイクを置いて去っていったことだろう。一部では、振付師が考案したともいわれている伝説の“マイクパフォーマンス”だが、宮下さんは“演出じゃない”と語る。「僕らがこうしろみたいに言った覚えがないんです。だから、僕らスタッフも“まさかステージ上に置いていくとは”という感じで、驚いた記憶があるんですね。よく“演出がそうさせたんですか?”と聞かれるのですが、『そうじゃない』と常に答えています。あれは“百恵さん自身の最後の気持ちだ”と、僕は今も思っていますね」最後に宮下さんは、今も消えることのない百恵への思いをこう口にする。「約50年、この世界にいますが、やっぱり本当に出会えてよかったと思います。百恵さんは年下ですが、本当に尊敬してます。僕が“今までに誰が一番印象に残ったんですか?”と聞かれたときに必ず、『百恵さんとユーミンです』と答えています。僕は2人がいちばん大好きです。本当に一緒に仕事ができて、40年経っても輝いてる百恵さんは自分の誇りです」
2021年02月20日1月30日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』(NHK総合)の視聴率が8.6%と高視聴率を記録するなど、今も日本中から愛される山口百恵(62)。73年にデビューしてから次々とスターダムを駆け上がり、78年の『第29回NHK紅白歌合戦』では10代で紅組のトリを務めるなど日本を代表する歌手に。この記録は未だ破られていない。しかし人気絶頂の80年3月、三浦友和(69)との婚約を突如発表し、芸能界引退も決断。冒頭の番組で放送された日本武道館でのコンサートをもって、表舞台から去っていったのだ。引退後は山口百恵ではなく“百恵さん”として、第2の人生をスタート。84年に長男・三浦祐太朗(36)、翌年には次男・三浦貴大(35)を出産。友和はもちろん、祐太郎は歌手、貴大は俳優業でそれぞれ活躍するなど、母親として家族の芸能活動を支えてきた。そこで本誌が目撃してきた百恵さんの姿を写真とともに今振り返りたい――。■数少ない公の場!原監督の結婚式に夫婦で出席引退後、幾度となく復帰説が囁かれた百恵さん。メディアの出演依頼もすべて固辞してきたが、報道陣の前に姿を現すことも。そんな貴重な機会の一つが、86年に行われた原辰徳(62)の結婚式だ。当時、読売ジャイアンツで不動の4番を誇っていた原とプライベートでも親交のあった友和と百恵さん。全身黒のシックな装いで出席した百恵さんは、友和とともに笑顔で報道陣の前に。百恵さんが公の場に久しぶりに現れるとあって、報道陣も殺到した大賑わいの結婚式となった――。■長男夫妻の正月帰省を笑顔でお見送り引退後の百恵さんの日常を彩った趣味がキルト制作。87年ごろからキルト制作をはじめ、キルト作家の鷲沢玲子氏に師事し、19年には作品集を販売するまでに。そんな百恵さんが手塩をかけて作ったリングピローを渡した相手が長男の祐太朗だ。昨年6月に祐太朗は声優・牧野由依(35)との結婚を発表。その際、発表した妻との2ショット写真では、百恵さんからもらったリングピローが大切に抱えられていた。牧野と頻繁にLINEをするなど、嫁姑関係も良好な百恵さん。そして本誌は今年1月、実家に帰省した祐太朗と牧野の姿を目撃。祐太朗夫婦の帰り際、百恵さんは玄関口まで笑顔で2人を見送っていた。
2021年02月11日1月30日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』(NHK総合)の視聴率が8.6%と高視聴率を記録するなど、今も日本中から愛される山口百恵(62)。73年にデビューし、次々とスターダムを駆け上がった百恵だが、80年3月に突然の芸能界引退を公表する。その契機となったのが、三浦友和(69)との結婚だ。74年の主演映画『伊豆の踊子』での共演以来、親交を深め次第に惹かれていった2人。79年10月にはリサイタル中に友和との“恋人宣言”を行い、世間に衝撃を与えた。そして、翌年3月には婚約会見を行い、引退興行を行うと発表した。その締めくくりが、冒頭の番組でも放送された日本武道館での引退コンサートだ。コンサートの企画からかかわった百恵は全30曲を披露。最後には、マイクをステージ中央に置いて去っていくという“伝説”を残して表舞台から去っていった。■1,800人が出席した“伝説の披露宴”引退コンサートから約1カ月後の、80年11月19日に百恵と友和は結婚式を執り行った。披露宴の会場となった東京プリンスホテル・鳳凰の間には約1,800人の招待客が出席。仲人を故・宇津井健さん(享年82)が務め、メイン司会は故・岡田真澄さん(享年70)、サブ司会に徳光和夫(79)という超豪華な面々が顔を揃えた。また披露宴の様子はテレビで生中継され、平均視聴率30%という驚異的な数字も記録していた。■空港にマスコミが殺到!超厳戒態勢の新婚旅行日本中の祝福を受けて新たな人生をスタートさせた百恵と友和だが、なんと披露宴の翌日に新婚旅行を敢行!2人が選んだハネムーンの行き先はハワイ。20日の出発日には披露宴の興奮も冷めやらぬマスコミ各社が空港に殺到することに。空港内で即席の会見が行われる事態となった。厳戒態勢のままハワイへ旅立った2人だが、マスコミ各社も現地へ大挙して追跡する。一生に一度の新婚旅行を守るべく、友和の事務所は“驚きの一手”を打つ。当時を知る芸能リポーターはこう語る。「ハワイにはマスコミが何十社も潜入していたので、すべての追跡から逃れるのはなかなか難しい。そこで友和さんの事務所は、マスコミ各社に『最終日に取材する場を設けるからそれまではそっとしておいてほしい。もし一社でも破ったら、取材はなしにします』と事前に告げたんです。2人の貴重な新婚旅行を正式に取材することができるわけですから、これにはさすがに各社も従いましたね」マスコミ対策も“伝説的”だった百恵と友和夫妻だった――。
2021年02月07日昭和を代表する伝説の歌姫・山口百恵(62)。1月30日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』(NHK総合)の視聴率が8.6%を記録した。昨年10月に同番組がNHK BSプレミアムで放送されるやいなや、大反響となった。そして、NHK総合に移す形で今回の再放送が実現し、異例の高視聴率となったのだ。芸能界を引退してから41年経った今も、日本中の人々を魅了し続ける山口百恵。本誌はデビュー当時から現在にいたるまで、数々の“百恵伝説”を目撃してきた。わずか7年半の芸能生活となった百恵だが、現役時代の彼女を支えた“キーパーソン”との思い出を写真とともに振り返りたい。■先輩・和田アキ子との絆72年12月にオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)で注目を集め、73年にデビューを果たした百恵。そんな百恵の頼れる先輩として君臨していたのが、68年に同じ事務所からデビューした和田アキ子(70)だ。百恵のデビュー作となった映画『としごろ』では和田が主演を務め、右も左もわからない百恵を支えていたという。本誌も事務所のパーティで和田が百恵にケーキを食べさせる“愛の指導”を目撃している。■百恵を変えた夫・三浦友和との出会いデビューから破竹の勢いでブレイクしていった百恵。そんななか、74年に運命の出会いを果たす。将来の伴侶となる三浦友和(69)だ。同年、百恵が主演した映画『伊豆の踊子』で友和が相手役を務めると、次々と他の映画でも共演していき“ゴールデンコンビ”と呼ばれるまでに。次第に百恵も共演相手ではなく、友和を一人の男性として意識していくことに。80年9月に刊行された自叙伝『蒼い時』(集英社刊)で百恵は友和へのビビッドな気持ちをこう綴っている。《晴海埠頭のロケーションがあった時だった。彼の胸に顔を埋めるシーンで、厚手のセーターを通して、私の耳に響いてくる彼の鼓動を聞きながら、「この鼓動を特別の意識を持って聞くことのできる女性に……私がなれたら」と思った。それは、まぎれもない、恋の実感だった》
2021年02月06日昨年10月にNHK BSプレミアムで放送されるやいなや反響が殺到し、1月30日にNHK総合で異例の再放送が行われた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』。わずか7年半の活動で芸能界を引退した山口百恵だが、その“伝説”は今も決して色あせていない。引退コンサートでは企画会議から携わったという百恵。なかでも、選曲には強いこだわりを見せていたという。当時、構成を担当した演出家の宮下康仁さんはこう明かす。「宇崎竜童さん(74)、阿木燿子さん(75)夫妻と初めてタッグを組んだ『横須賀ストーリー』ができたとき、百恵ちゃんが『宮さん、聞いて!次、すごい歌ができたから』って言うんです。百恵ちゃんはそこから変わっていきましたね。引退コンサートで百恵ちゃんが『とにかく私はこの1曲が歌えればいいの』と言っていたのも、宇崎さん夫妻が提供した『曼珠沙華』でした」その選曲を巡って、百恵ファンの間で噂されている“都市伝説”がある。往年のファンは言う。「引退コンサートで百恵さんは、デビュー曲から最新曲まで網羅した全30曲を披露しました。でもその裏で、ベスト盤的な選曲を求めた総合演出のTBS・山田修爾プロデューサーに対して’80年発売のアルバム『メビウス・ゲーム』の曲目を中心に構成したかった百恵さんが猛反発していたそうなんです」宮下さんは噂を「それは本当です」と認めたうえで、“開催危機”があったことまで明かしてくれた。■「私の友達をなんだと思ってるの!」百恵が激怒した理由「百恵ちゃんは、『横須賀ストーリー』より前の歌はあまり歌いたくなかったんです。ですから当初、デビュー当時の曲はまったく入っていませんでした。そこでTBS側が百恵ちゃんと親しい人を介して説得しようとしたんです。すると百恵ちゃんを『私の大事な友達をなんだと思ってるの!』と余計に怒らせてしまって。百恵ちゃんは『もう放送はいらない』とまで言ったんです。最終的に私がなんとか説得して百恵ちゃんも『わかった』ということで収まりました」語り草となっているのがやはり最後。ラスト1曲の『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終え、深々とファンにお辞儀をし、ゆっくりとマイクをステージ中央に置く百恵。そして、悠然と客席を見回して、静かにステージから去っていった。この間、約150秒で百恵は永遠に人々の記憶に刻まれることとなったのだ。その場で目撃していた盟友・野口五郎(64)はそのときの様子を本誌にこうコメントする。「ラストコンサートの隣の席は(西城)秀樹でした。彼女が最後にマイクを置いたとき、僕も秀樹もアーティスト席の皆が、客席のファンの方たちより率先して、スタンディングオベーションをしたように僕は記憶しています」この“伝説の150秒”にも百恵の強い意思が込められていたのではないかと、宮下さんは言う。「よく『演出でマイクを置かせたのですか?』と聞かれるのですが、常に『そうじゃない』と言ってるんです。やっぱり百恵ちゃんの“最後の気持ち”だと私は思うんです。彼女のメッセージをあの舞台に込めて作っていたのでしょう。とにかく21歳にして心から尊敬できる女性でした」令和になった今も、百恵は日本の“夢先案内人”として導き続けていくことだろう――。「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月03日《“山口百恵”という時代を作ってきた彼女の最後のステージ。同じ時間を共に出来たよろこびを感じながら武道館にいました。その存在感と圧倒的なオーラは今でも心の中にしっかりと残っています。その潔い去り方と共に彼女の存在は「永遠」になったと思います》本誌にこうコメントを寄せたのは、名曲『いい日旅立ち』の生みの親である谷村新司(72)。1980年に芸能界を引退してから41年。山口百恵(62)が令和に“奇跡の復活”を果たした。昨年10月にNHK BSプレミアムで放送された『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』が1月30日にNHK総合で再放送されたのだ。これは百恵の最後の舞台となった引退コンサートを収録したもの。往年の歌手のコンサート映像をBSから総合に移して再放送するのは極めて異例のこと。NHKの広報担当者は、こう明かす。「百恵さん最後のコンサートの再放送を希望される方々のお問い合せを200件あまり頂きました。20代以下の方も含めて、幅広い世代の方々からございまして、全世代の方々からお問い合わせを頂いたという形です」引退から41年たった今も人々の心をつかんで放さない百恵。令和の若い世代をも魅了する彼女の魅力について、当時、レコード会社で百恵の担当を務めた音楽プロデューサーの酒井政利さんはこう語る。「初めて百恵さんに接した若い人も彼女の表現力、品性に感銘を受けたのでしょう。素晴らしいものは時代を超えて伝わりますから」■久米宏を大慌てさせたハプニング’73年にデビューし、瞬く間にスターダムを駆け上がった百恵。しかし人気絶頂の’79年10月、ご存じ、三浦友和(69)と突然の“恋人宣言”。’80年3月には三浦との婚約を発表し、芸能界引退も宣言した。そして迎えた“最後のステージ”が10月5日に行われた日本武道館でのコンサートだった。酒井さんは当日の様子を興奮気味にこう振り返る。「あのときの百恵さんはいつも見ている何倍ものオーラがあふれ出していました。彼女は今、全身全霊を観客にぶつけて、さよならを告げているんだなと感じました」その様子はテレビでも生中継され、視聴率27%を記録。舞台裏で起こったハプニングを明かしてくれたのは引退コンサートの構成を担当した演出家の宮下康仁さんだ。「TBSで中継していたのですが、割とすらすら進んで予定より30分早く終わってしまったんです。司会の久米宏さん(76)が大慌てでつないでくれたのですが、終わったあとに『大変だったよ!』と笑いながらぼやいていました」百恵の伝説的な芸能生活を象徴するように“駆け抜けた”コンサートだったのだ。「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月03日2021年1月20日、お笑いコンビ『爆笑問題』の田中裕二さんが病院へ救急搬送され、前大脳動脈解離によるくも膜下出血、脳梗塞と分かりました。田中裕二、くも膜下出血と脳梗塞で休養1か月ネット上で心配の声相次ぐ同日午前2時頃、ラジオの収録を終えた田中さんは頭痛を訴えたため、妻でタレントの山口もえさんが119番通報したといいます。山口もえ、夫の緊急事態への対応に称賛の声同月21日放送の、情報番組『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)では、田中さんの緊急入院について取り上げました。番組内で、脳神経外科医は「くも膜下出血や脳梗塞のような病気は、早期発見・早期治療が非常に重要。緊急手術を要する場合が多い」と話します。入院前に仕事で田中さんと会っていた、番組コメンテーターの杉村太蔵さんは、山口さんの対応についてこう話しました。(田中さんの様子は)全く変わりなかった。もえさん、本当によく119番かけたなと思って。「夜遅いから、ひと晩様子見ようかな」と思っていたら最悪のことが起きていたかも。よく勇気を出して119番通報をしてくれたなと思います。情報ライブ ミヤネ屋ーより引用サンケイスポーツによると、山口さんは「救急車を呼んだ時は気が動転した」と明かしています。きっと緊迫した状況の中、必死に気持ちを落ち着かせて119番通報をしたのでしょう。また、山口さんは119番とともに田中さんの所属事務所の社長、太田光代さんにも連絡をいれたといいます。ネット上では、田中さんの緊急搬送について、このような声が上がっています。・田中さん、無事で安心しました。山口さんの連絡が少しでも遅かったら、どうなっていたか分からないですもんね…。・突然の事態でも、119番通報と社長への連絡を忘れないなんて…すばらしい対応。・私も昔、母の容態が急変し救急車を呼んだことがあります。山口さんの冷静な対応は、なかなかできないことだと思います。現在、会話も食事もできているという田中さん。119番通報がもう少し遅くなっていたら、大事に至っていたかもしれません。身近にいる人の異常を察知したら、緊急性が高い場合は迷わず救急車を呼ぶことが大切ですね。[文・構成/grape編集部]
2021年01月22日いまだ感染拡大し続ける新型コロナウイルス。2020年はその影響で“巣ごもり期間”が長くなり、以前よりともに過ごす時間が増えた夫婦も。なかには、そのストレスで離婚を考える人も少なくないとの声も……。そこで本誌が目撃してきた、芸能界きってのおしどり夫婦10組を紹介。円満夫婦の生活を改めて振り返りたい。横浜・みなとみらいに訪れた歌手の絢香(33)と水嶋ヒロ(36)夫妻。友人らとのディナーを終え、車に乗り込もうとしたところ、水嶋は絢香を気遣い彼女の背中に手を添える。すると友人が視線をそらした隙に、絢香は後ろ手で夫の指先をギュッと握りしめていた。「バセドー病で闘病生活を送っていた絢香さんは当時、活動再開を発表したばかりでした。水嶋さんは『仕事を減らしてでも一緒にいてあげたい』『不要なストレスを妻に与えたくない』とたびたび話していましたし、絢香さんが回復したのは、ひとえに水嶋さんの支えがあってこそだと思います」(夫婦の知人)当日は、山口百恵さん(61)が歌手として最後に生テレビ出演した日から数えて35年目。百恵さんは三浦友和(68)とともに都内有名デパートの地下食品街に訪れていた。吟味して食材を買い込んでいく百恵さんの横で、友和は両手に3つもの買い物袋を提げながらも黙ってフォロー。まさに“理想の夫婦”そのものだった。自宅から1.5キロ離れた公園で子供をあやしていた山田優(36)と小栗旬(38)夫妻。ベビーカーを持ってきておらず、ずっと小栗が愛娘を抱えていた。自宅まで歩いて帰る際にも、小栗はずっと抱っこーー。実はこれ、山田直伝のダイエット法だとか。「山田さんは幼い子供を抱えて歩くことで、産後太りが解消されたといいます。当時、小栗さんは映画『ミュージアム』を撮影していました。殺人犯の役で、減量が必要だったため山田さんのダイエット法を実践していたそうです」(映画関係者)。前年の8月に菅野美穂(43)が第一子となる長男を出産。当日は初めて迎えたこどもの日だった。当時、大河ドラマ「真田丸」(NHK総合)の撮影で多忙な日々を送っていた堺雅人(47)は喫茶店で役作りの予習。その後、菅野とともに公園へ。すると赤ちゃんを抱っこひもで支えるなど、“抱っこ係”を率先して行うほどのイクメンぶり!その後、夫婦はスーパーで柏餅を購入していた。菅野がレジで会計をしている間、堺は鏡の前で赤ちゃんをあやしながら「バァ~ッ!」と笑いかけるシーンも。さらに店を出て菅野が堺に寄り添うと、堺は彼女の背中をポンと叩き、笑顔を見交わしていた。イタリアンレストランでランチを堪能した堀北真希(32)と山本耕史(44)夫妻。その後、近くの公園へ出向いた。有名人夫婦であるにも関わらず、ママ友たちと笑顔で語り合う2人。しばらくすると山本は我が子と一緒に滑り台で遊び始め、堀北はその様子を満面の笑みで眺めていた。夫妻は日が暮れるまで、我が子とたっぷり公園で遊んでいた。榮倉奈々(32)の30歳の誕生日当日、彼女は賀来賢人(31)とその両親ともに都内の人気焼肉店へ。榮倉は前年6月に第一子を出産したばかりだった。「賀来さんのご両親は嬉しそうに子供をあやしていました。また、榮倉さんはモデル体系からは想像つかないほど焼肉を口いっぱいに頬張ってましたね」(居合わせた客)。週末で人通りが多い銀座。にもかかわらず、堂々と夫婦水入らずデートを楽しむ北川景子(34)とDAIGO(42)夫妻。当時、結婚3年目でもラブラブで、2人して宝飾店へ。そこでパワーストーンを購入していた。「その年は北川さんが、翌年はDAIGOさんが本厄でした。仕事もプライベートも支障が出ないよう、夫婦一緒に開運のパワーストーンを探しに行ったようです。子宝の願いもあったといいます」(2人の知人)その2年後となる今年9月、北川は女児を出産。夫婦の願いは見事かなった。蒼井優(35)と南海キャンディーズ・山里亮太(43)の2人はカーシェリング用の駐車場へ。そこで車を選ぶと、蒼井の運転で商店街にあるそば店へと車を走らせた。食事を終えて店から出てきた2人だが、山里は通行人とすれ違うたびに手で口元を隠す“警戒モード”。すると、「私が隠してあげる!」とばかりに蒼井が山里の顔に手をかざし、からかうシーンも。さらに蒼井が、山里の肩に手をまわしながら歩くラブラブぶり!最後には山里の腕にそっと手をまわしていた。真夏の公園、向井理(38)の姿が。向井は慣れた様子で園内に入っていくと、子供と追いかけっこをしたり、ブランコで遊んだり。のちに国仲涼子(41)が下の子を連れて現れると、公園を出た向井一家。帰り道、国仲が何かを話しかけると、向井がそれにうなずくという何気ない夫婦シーンもあった。結婚25年目の山口智子(56)と唐沢寿明(57)夫妻。山口の56回目の誕生日、2人は小さなすし店へ。ディナーを楽しみ店を出ると、山口はお酒も入って上機嫌な様子。自然と唐沢に腕を絡ませると、そのまま肩を寄せ合いながら2人は夜の街に消えていった。「結婚以来、誕生日は2人きりで祝うことが夫婦のルールです。唐沢さんは毎年この時期、山口さんからリクエストを聞いては誕生日ディナーのお店をチョイスするといいます」(山口夫妻の知人)
2020年12月27日「12月31日まで何が起きるか分からない。視聴者の皆さんの期待が高いアーティストに対しては、可能性は探っていきたい」12月9日、囲み取材でそう語ったのは「第71回 NHK紅白歌合戦」の制作統括・加藤英明チーフプロデューサーだ。今回の正式な出場歌手は紅白合わせて42組(紅組20組、白組21組)。14日にはさだまさし(68)が13年ぶりに特別企画「今こそ歌おう みんなでエール」コーナーで出演することが発表された。「実は『紅白』の制作側は今回、さだまさしさんだけではなく、大物国民的歌手にも出演依頼しています。それが、もし登場となれば94年以来となる、沢田研二さん(72)なのです」(NHK関係者)沢田といえば17回の『紅白』出場を誇る大ベテランだ。「78年には山口百恵さんが紅組のトリ、沢田さんが大トリを務めました。しかしながら、94年の出場を最後に、“曲を出場者全員で歌うことに違和感を感じるようになった”という理由もあって、『紅白』出場を辞退されるようになったのです。“ソロ歌手”としての矜持だったといいます」(音楽関係者)確かにアーティスト気質の強い沢田。18年10月17日にはさいたまスーパーアリーナでのコンサートを“ドタキャン”したことが記憶に新しい。翌日の会見では「事務所とイベント会社には9,000人の集客と聞いていたが、リハーサルでモニターを見たときに異変に気付き、実際には7,000人しか集まらないことを知った」と説明していた。そんな沢田だけに、一度決めた『紅白』不出場の決断を覆すことはなさそうだが…。「制作側も沢田さんの思いを知っているだけに、数年前から水面下で話し合いを続けてきました。実は今月4日に、その“交渉”の一環として、全80曲以上、約5時間にもおよぶNHK映像の集大成DVD『沢田研二BEST OF NHK』を発売したんです。もちろん、過去の『紅白』の出演映像も収録されています。特に今年はコロナ禍にあり、『今こそ歌おう みんなでエール』というコンセプトを丁寧に説明しているそうです」(NHK関係者)実際、コロナの影響で沢田の公式サイトは8月から休止状態。沢田のライブも1月の正月ライブ以降、開催されていない。「今年の『紅白』は感染対策を徹底し、初の無観客開催となります。沢田さん自身、現状では歌うことに積極的になれない面はあるようです。しかし、制作側は、朝ドラ『エール』に志村けんさんが出演していたこともあり、映画『キネマの神様』で志村さんの代役を務め上げた沢田さんに“天国の志村さんのためにも”と粘り強く交渉しているそうです」(前出・音楽関係者)沢田の事務所に今年の『紅白』出場について問い合わせたが、締切日までに返答はなかった。盟友・志村けんさんのために、四半世紀ぶりに沢田がサプライズ登場することはあるのかーー。
2020年12月15日「僕もうれしいです。ああいう父母みたいな仲のいい夫婦になれたら本当にいいな、と僕らも思っているので」誇らしげにこう語るのは三浦友和(68)と百恵さん(61)の長男で歌手の三浦祐太朗(36)。友和&百恵さんは明治安田生命が行っている「理想の有名人夫婦ランキング」で15年連続1位に輝き、殿堂入りを果たしたのだ。11月下旬、パーソナリティを務めるラジオ番組の生放送後に両親の快挙について語ってくれた祐太朗だが、彼自身も今年6月に人気声優・牧野由依(34)と結婚したばかり。幸せな新婚生活を送っているようだ。「祐太朗さんのラジオ番組に牧野さんが出演したことで出会い、交際に発展。もともと祐太朗さんがアニメオタクだったこともあり由依さんにはベタぼれ。共働きではありますが、合間をぬって定期的にデートをしては2人の時間を作っていますよ」(祐太朗の知人)本誌も8月、仕事終わりに自宅近くのすし店でデートする2人の姿を目撃している。結婚後も着実に絆を強めている祐太朗だが、目標にしているのはやはり11月に結婚40周年を迎えた偉大な両親だ。「百恵さんは人気絶頂だったにもかかわらず、結婚を機に芸能界から完全に身を引いて主婦業に尽くしてきました。友和さんもそんな百恵さんへ感謝を常に伝えていますし、結婚してから1度も夫婦げんかをしたことがないそうです。また月に1回は必ず2人でデートに出かけるという結婚当初からの夫婦ルールもいまだ健在。祐太朗さんが奥さんと2人きりで食事に出かけているのは、間違いなくそんな百恵さん夫婦の影響でしょう」(芸能関係者)8月31日に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際、祐太朗はこう語っていた。「『夫婦げんかは犬も食わない』と父がよく言っているので、その教えを忠実に守っていますね」結婚を機に芸能界から身を引いた百恵さんと、結婚後も精力的に仕事を続ける牧野。立場の違う2人だが、嫁姑仲は良好なようだ。「昔から子供の判断を尊重してきた百恵さんですから、働きながら家庭を支える由依さんのことも応援しているそうです。由依さんとよく連絡を取り合っていて、今ではLINEのスタンプを送り合う仲だと祐太朗さんも話していました」(前出・祐太朗の知人)今も寄り添い続ける両親の背中を追う祐太朗。しかし、かつては“百恵さんの息子”と呼ばれることへの葛藤を抱いていた。「歌手デビュー当時の祐太朗さんは、“七光り”と呼ばれることを嫌い、三浦という姓を隠して活動していました。大きすぎる両親の存在がプレッシャーになっていたそうです。しかし、年を重ねるにつれ両親のすごさを実感し、最近では百恵さんのカバーアルバムも発売。“百恵さんの息子”としての覚悟ができたのでしょう」(音楽関係者)今回、目撃した祐太朗の左手薬指にはきらりと光る結婚指輪が。実は、この指輪にも両親との絆が宿っているという。「祐太朗さんの結婚に際して、百恵さんは両家のイニシャルである“M”の文字がデザインされた純白のリングピローを手作りしてプレゼントしました。また、百恵さん夫婦は結婚10周年ごとにペアリングを作って贈っています。そんな姿を見て育った祐太朗さんにとって指輪というのは“家族愛”を象徴するものなのでしょう」(前出・芸能関係者)そして、祐太朗が両親から受け継いだものがもう1つあった。「10月20日に祐太朗さんは生まれ育った国立市の観光大使に就任しました。『国立の“落ち着き”と“品”というよさを発信できたら』と意欲を見せています。友和さんも地元への思いは強く、今年は国立市のシルバー人材センターの設立40周年を祝う記念冊子に登場して『しみじみいい所だよねって思うわけです』と“郷土愛”を語っていました。祐太朗さんとしては、これからは“父に続き、僕も国立を盛り上げていく”という思いなのでしょう」(前出・祐太朗の知人)最後に記者が祐太朗の“理想の夫婦像”について尋ねると、顔をほころばせながらこう語った。「両親が僕ら夫婦の手本ですから。本当に仲よしなんです」両親から“2つの愛心”を継承した祐太朗。祐太朗夫婦が、令和の「理想の夫婦」としてランキング入りする日を両親も願っているはずだーー。「女性自身」2020年12月15日号 掲載
2020年12月03日2020年11月29日放送の、情報番組『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ系)に、タレントの山口もえさんが出演しました。山口さんは、同年8月に新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)に感染。山口さんの感染発覚後、夫である、お笑いコンビ『爆笑問題』の田中裕二さんの感染も判明したため、子供たちとともに一家で入院していました。その後、家族全員無事に回復し、退院したものの、山口さんはコロナウイルスに感染したことが原因で精神的にダウンしてしまったのだそうです。8月の終わりに(コロナウイルスを)発症しまして、熱が出ました。熱は37度8分くらい。それで入院しました。でも私は、(コロナウイルスに)かかってしまったことに精神的にダウンしてしまって。「なんでかかってしまったんだろう」「夫の仕事にも穴を空けてしまった」「子供が学校で、もしいじめにあったらどうしよう」とか…。そういう精神的なもののダメージが大きくて。ご飯も食べられず、飲めず、眠れず…。心理カウンセリングを受けていました。お医者さんがおっしゃっていましたけど、今回かかった方には、精神的につらくなる方が多くて。(身体は)元気になったけれども、仕事に復帰できなかったりだとか、その地域に住み続けられなかったりだとか。そういうことが問題だっておっしゃっていました。そこまで言って委員会NPーより引用コロナウイルスの症状自体は重いものではなかったものの、かかってしまったこと自体を気に病んでしまったという、山口さん。山口さんの経験談を受け、同番組の司会を務める、ニュースキャスターの辛坊治郎さんは「コロナウイルスに関しては、異常なことが起きている」とし、また「患者や医療従事者などへの差別や偏見は、マスコミの問題が非常に大きい」とコメントしています。山口さんのエピソードに、視聴者からはさまざまな声が上がりました。・山口さん、無事に回復したというニュースを聞いてほっとしていましたが、精神的にダウンしていたことは知りませんでした。・確かに、コロナウイルスにかかることも怖いけど、その後の周りの目も怖い。・感染対策を徹底していた人ほど、当事者になってしまった時に自分のことを責めてしまいそう。対策を怠った人だけがかかる病気ではないことを、改めて意識して差別をなくしたい。コロナウイルス感染者には、感染経路がはっきりしていない患者もいます。中には、山口さんのように徹底的に気を付けていたにも関わらず、感染してしまったという人もいるかもしれません。誰もが感染する可能性があるからこそ、感染してしまった人のことを差別することのないよう、改めて気を付けたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年11月29日11月20日公開の映画『家なき子 希望の歌声』の公開直前イベントが16日、都内で行われ、山口もえ、熊谷俊輝が出席した。フランスの作家エクトール・アンリ・マロが19世紀に発表し、日本でも3度にわたりアニメ化されて親しまれてきた児童文学の金字塔『家なき子』を完全映画化。原作にはない澄みきったレミの歌声と豊かな音楽性、そして壮大に広がる南フランスの美しい風景、波瀾万丈のレミの冒険にハラハラしつつ、人と人との心の通い合い、胸を締めつける別れと出会い、そしてレミの何があってもひたむきに前へ進み続ける姿を描く。公開を目前に控えたこの日は、日本語吹き替え版で主人公のレミを担当した熊谷俊輝と、その熊谷と年齢が同じ子どもを持つ山口もえが登壇してトークショー。本作について山口が「南フランスの素晴らしい景色に見ているだけでフランスの香りがしそうで、素敵な映像で作られています」と感動した様子で、「中を覗くとレミが大変なんです。こんな大人になりたくないと思う大人から素敵な大人までフルコースで味わえます。短い間にいろんな人の人生を描いているので、あっという間に観てしまうぐらい濃厚な作品になっています」と絶賛。主人公・レミの日本語吹き替えを担当した熊谷とはこの日が初対面で、「すごく上手でした。レミにピッタリな方だなと思いました。あまりに可愛くてどうやったらこんな子に育つんだろうと、後でお母さんに聞こうかと思います。うちも13歳の子(長女)がいるんですが、全然違います。本当に可愛いです」と語った。8月に夫・田中裕二とともに新型コロナウイルスに感染した山口。それについては一言も触れなかったが、感染者の急増が予想されるこの冬でオススメの体調管理を問われて「これから寒くなってきますので、生姜をすり落としてお味噌汁に入れたり葛湯に生姜を入れて飲んだりと、とにかく身体をポカポカするようにしています。映画で香りを嗅ぐシーンがありましたが、香りって癒やしの効果があるので、私はリラックスしたかったり深い眠りに入りたい時はアロマを焚いたりします。香りの効果も是非皆さんにやってもらいたいですね」と話した。また、ステイホームでの自宅の過ごし方について、「家庭菜園でハーブやミニトマトを育てたり家族で受粉を助けたりしたりと野菜を育ててます。あとは家族でダンスを踊ったりしてました。クラップダンスで言うんですか? 家族みんなでお風呂の前に5セットやっていました。運動不足だから頑張って踊りましたが、成果は夫を見ていただけたら分かると思います(笑)」と苦笑いを浮かべていた。映画『家なき子 希望の歌声』は、11月20日より全国公開。
2020年11月16日トップアイドルで、作家で、人気番組のMC。華やかな肩書を得ても、いたって謙虚で誠実。剣道一筋の生活から一転、夢を叶えた高山一実さんがアイドルになって9年間で見てきた世界とは。アイドルとして輝くすべを模索してきたけど深く考えるの、もうやめました。ここ数年、アイドルの枠を超えた活躍を見せる高山一実さん。穏やかでちょっとおとぼけ、かつ凛とした輝きを放つ“かずみん”に迫ります。――今年はコロナ禍の影響が大きかったと思いますが、ご自身のなかで変化や気づきはありましたか。高山:26歳という自分の年齢を俯瞰して、今後を考えるきっかけになりました。今の状況でこれをするためには何が必要かとか、毎日あれこれシミュレーションして。乃木坂46に入って9年なのですが、年々居心地が良くなってきていて、無意識のうちに挑戦やリスクを避けていたなあとも気づきました。――そういう意味では、『Qさま!!』のMCになったのはいいタイミングだったかもしれませんね。半年ほど経ちましたが、感想を聞かせてください。高山:もともと私はクイズが大好きで『Qさま!!』は憧れの番組だったんです。だから最初の収録がもう、本当に感動して。出演者のみなさんの空気感、スタッフさんの熱量、作問システム、リハーサル風景…、すべてが想像以上でした。でも問題は2回目から。いろいろ考えすぎるようになってしまったんです。私のクイズに関するコメントはクイズファンからしたら「知ったかぶり」になるかもとか。各チームや対戦の見どころを伝える時は、たくさん出演者の方がいるなかで、どなたかに絞って話すのは失礼かなとか…。年上の方がほとんどなので、上から目線にならない言葉選びも難しくて詰まってしまうことがあって。――MCの立ち位置もですし、「好き」ゆえの難しさがありそうです。高山:もう純粋に「好き」だけじゃない気持ちです。クイズの世界は本当に奥が深くて、知れば知るほど魅力を感じます。まだ反省ばかりだけど、チャレンジしながら成長していけたらと思っています。あと『Qさま!!』をやらせていただいて気づいたことがあって。クイズに関わる人はクイズに詳しいほど、そしてそれを語るほどレジェンドになるんです。でも、アイドルはそうじゃないなあと。――どういうことでしょう。高山:たとえば、求められる要素を知り尽くしているアイドルがいても、その人が人気が出るとは限らないし、詳しいと語るほど「でも自分は売れてないよね?」みたいに突っ込まれると思うんです。知っていることが必ずしも武器にならないというか。――なるほど。では高山さんは「こうしたら人気が出る」みたいなことはあまり分析しない?高山:アイドルとして輝くには何をしたらいいか、ずっと考えながらやってきたので、ある程度はわかっています。でもわかったところで「自分にこれはできない」というのが結局出てきてしまうから、深く考えるのはやめました(笑)。昭和のアイドルは設定が細かく練られて好きな色まで決まっていたと聞いて、その時代がうらやましいと思ったこともあるんです。でもよくよく考えると、私は演技ができないし、本音が言葉にも態度にも出ちゃうから、キャラ設定を守れないだろうな、とか。――キャラといえば、高山さんはオーディションからかなり目立っていたと聞きました。巧みなトークで笑いをとったり、急に俳句を詠んで驚かせたり…。高山:あはは。私は変わったことをするのが昔から好きで。本当は、山口百恵さんや道重さゆみさんのようなアイドルに憧れていたんですけど、大人数のグループを考えた時、自分は王道でいっても無理かなというのもあって。オーディションの時は、周りと違うことをしようとしか考えていなかったですね。「この中の誰かがアイドルになるんだ!」と思ったら、ミーハー心がうずいて、みんなが自己PRの練習をしているなか話しかけに行って写メを撮ったり。ひとりだけおかしかったと思います(笑)。――その気負いのなさもよかったのかもしれませんね。高山:でも最初はそういうことを好きでやっていたのに、過剰になってしまった時期があって。本当はやりたくないのに、目立つために不本意だけどやる、みたいな。その時期は全然楽しくなかったし、うまくいかなかったですね。――今は素に近いですか?高山:そう思います。でも素に近いからこそ、振る舞いを批判するようなコメントを目にすると、けっこう傷つきます。キャラを演じていない分、本来の自分にダメ出しされた気になって落ち込んでしまうんですよね。たかやま・かずみ1994年2月8日生まれ。千葉県出身。1期生。最新の25thシングルまで、通算選抜回数トップを誇る乃木坂46の中心メンバー。2018年に『トラペジウム』で小説家デビューし20万部を記録。番組で乃木坂一のやさしい人に選ばれ、また滑舌の悪さをいじられる愛されキャラでも。今春からクイズ番組『Qさま!!』のMCに就任。レイヤードワンピース[WEBストア限定]¥24,000(ラグナムーン/ラグナムーン ルミネ新宿 TEL:03・3344・3223)左耳イヤカフ¥20,000右耳イヤカフ¥13,000(共にe.m./e.m.表参道店 TEL:03・5785・0760)※『anan』2020年11月11日号より。写真・小笠原真紀スタイリスト・高垣鮎美(LOVABLE)ヘア&メイク・江原理乃インタビュー、文・熊坂麻美(by anan編集部)
2020年11月09日2020年10月26日に放送されたバラエティ番組『FNSドラマ対抗 お宝映像アワード』(フジテレビ系)に、俳優の山口智子さんが出演。番組の中で、占い師のゲッターズ飯田さんに占ってもらった際の会話が反響を呼んでいます。山口智子が夫・唐沢寿明の耳元でささやいた言葉山口さんといえば、夫であり俳優の唐沢寿明さんと、おしどり夫婦として有名です。番組内で、ゲッターズ飯田さんは、山口さんだけでなく唐沢さんの性格も占ってみることに。占いの結果、ゲッターズ飯田さんが唐沢さんの性格を「答えが出ない話が好き」「小学生みたいな人」と評すると、山口さんは笑いながらうなずき、こう答えました。私は、彼のこと「小3」って呼んでますから。FNSドラマ対抗 お宝映像アワードーより引用さらに、ゲッターズ飯田さんが「唐沢さんは、耳元でささやかれるとめちゃくちゃ弱いですよ」と告げると、山口さんは「えっ!?本当に?」と驚き、ハッとしたような表情になります。えっ!本当に?今朝も耳元でささやいてきましたよ。FNSドラマ対抗 お宝映像アワードーより引用ゲッターズ飯田さんが「何をいったんですか?」と尋ねると、山口さんは恥ずかしそうに、くぐもった声でこう答えました。…愛してるよ、って。FNSドラマ対抗 お宝映像アワードーより引用山口さんの発言に、スタジオにいる共演者たちは「えー!」「そんな風にいうんだ!」とざわつきます。番組を見た視聴者からは、次のような反応が寄せられました。・やばい…もう、2人の関係が好きすぎる。永遠の憧れ。・この夫婦は、何年経ってもお互いを好きなのが伝わってくる。理想でしかない…。・まるでドラマの世界。山口さんに「愛してるよ」とささやかれる唐沢さんが、うらやましい。一緒にいる時間が長くなるほど、お互いの存在が『当たり前』のように感じてしまい、感じていることや想いを伝えにくくなるものです。相手に対する感謝や愛情を、素直に口にすることの大切さを実感させられますね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月27日2020年9月22日、アイドルグループ『TOKIO』の元メンバーである、山口達也氏が飲酒運転で逮捕されました。山口氏は、同月24日には釈放され、家宅捜索が行われています。同月29日に放送された、情報番組『バイキングMORE』(フジテレビ系)では、独自に元妻からのメッセージを紹介。「素晴らしいコメントだと思う」といった声が寄せられています。「何かの形で世の中に貢献できれば」山口氏の元妻は、『バイキングMORE』の取材に対し、心境と取材に応じた理由を明かしました。私の方からお伝えすることは何もございませんが、ただ、このような形で世間をお騒がせしておりますことは、大変申し訳なく思っております。全く、事実無根のことがインターネット記事やテレビで報道されたり、それを見た方がそれを元に憤慨されたり心を痛めたり、コメントされてること。本当に正直、胸が痛くやるせない気持ちです。沢山取材の申し込みをいただきましたが、もし、何か私からお話させていただけるのであれば…この出来事に対してではなく、これから大人になっていく全ての子供たちのために、次から次へと情報が溢れる時代の中で、誰かを批判したり自分と他人を比べ常に優劣を測り、不安と安心を行き来する生き方ではなく、自分と他人を肯定し合える考え方や、誰もが互いを励まし合える未来になる様な事として、自分の今までの経験を元に、2人の息子を持つ母親として、何かの形で世の中に貢献できればと思います。改めて世間をお騒がせしたことに対してお詫びいたします。バイキングMOREーより引用2020年9月現在、山口氏とは夫婦関係になく、この一件についても謝罪しなければならないわけではありません。しかし、元妻の立場から謝罪し、世の中への貢献を考えてコメントを寄せたといいます。また、お酒での失敗については「世の中に知識や環境が整わないと治らない」と訴えました。アルコールだけではなく心身の病気は、職業や立場など関係なく、世の中にその知識や環境が整わないと治らないと感じていますし、人々の批判や臆測よりも、ご本人や様々な立場にいらっしゃるご家族などへの理解が必要だと感じます。バイキングMOREーより引用このコメントを受けて、司会の坂上忍さんは「これは、僕らも重く受け止めないといけない言葉だと思います」とコメント。また、コメンテーターとして出演した、タレントのミッツ・マングローブさんは「元妻としても母親としても両方の立場で愛情にあふれたコメントをしてくださったなと思った」と感想を述べました。ネットでは、元妻のコメントに称賛の声が寄せられています。・グッとこみ上げるものがあった。このコメントがすべてだと思う。・もう夫婦の関係ではないし、謝る必要はないと思う。・とても共感した。でも、一般人なんだしそっとしておいてあげてほしい。飲酒運転は、時に人の命を奪いかねない危険な行為で許されるものではありません。しかし、1人ではお酒を断てない場合、近くで見守ってくれる人がいれば大きく変わるでしょう。そのような環境をどのようにしたら作ることができるのかを考えていきたいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月29日2020年9月現在、アイドルグループ『TOKIO』の元メンバーである山口達也(やまぐち・たつや)さんの元妻について気になっている人が多いようです。そんな山口達也さんの元妻のインスタグラムや容姿、現在ハワイに住んでいるということ、馴れ初めなど、さまざまな情報をご紹介します。山口達也の元嫁はハワイ在住インスタの写真を見ると?山口達也さんの元妻は高沢悠子(たかさわ・ゆうこ)さんといい、以前はモデルとして活動していました。2人は2008年に結婚。同年5月に第1子長男、2010年9月に第2子次男が生まれています。しかし、2016年8月5日に離婚していたことを、山口達也さんが当時所属していたジャニーズ事務所を通して発表。同日に山口達也さんは会見を開き、以前から離婚の話し合いを妻と始めていたと明かしています。離婚の原因について、山口達也さんは「自分が未熟で幼稚だった」と告白しました。離婚成立後、高沢悠子さんは2人の息子を連れ、ハワイに移住。現地ではビューティーサロンをオープンさせるなど、起業家として活躍しているようです。そんな高沢悠子さんはインスタグラムのアカウントを開設しており、美しい姿を公開しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る Valentines❤️❤️❤️ 笑大郎から 嬉しいーー パソコンでデザインして3Dプリンターみたいなのでつくるあれです←私全然分かんない感じの #valentine #fablab#長男#hawaii #手作り yuko takasawa (@believeoao)がシェアした投稿 - 2019年 2月月12日午後5時06分PST この投稿をInstagramで見る deep breathing in Hawaii 今日は山羊座の満月 #fullmoon#deepbreath #hawaii#hawaiilife#海外#子育て#男の子#男の子ママ#40s#40style#mom#shoandricky#boys#skateboard#dance#hiphop #cooking#health#beauty#happy#smile yuko takasawa (@believeoao)がシェアした投稿 - 2019年 7月月16日午後7時02分PDT小麦色に焼けた肌に、明るい笑顔がとても素敵な女性ですね。2020年1月24日の投稿では、オリジナルTシャツの売り上げを貧しい国の子供たちに寄付する活動を始めたと報告。 この投稿をInstagramで見る 自分好みのTシャツに出逢えるって難しくないですか? 首周りのデザインだったり、袖の長さだったり、好みのゆとりだったりと本当にTシャツは難しい だったら、この際自分で作ってしまえばいいかなぁと限られた枚数ですが、2月から販売いたします‼︎ 1枚$35です こちらも売り上げを様々な国の子供たちの食糧寄付にしたいと思ってます。 詳細はInstagramにてご報告させてください #手作り#tシャツ#tshirt #hawaii#hawaiilife#海外#子育て#男の子#男の子ママ#40s#40style#mom#shoandricky#boys#skateboard#dance#hiphop #cooking#health#beauty#happy#smile yuko takasawa (@believeoao)がシェアした投稿 - 2020年 1月月24日午前12時07分PSTこの投稿を見たファンは「ぜひ、協力させてください!」「素晴らしすぎる」とたくさんのエールや称賛の声を寄せています。このほか、2人の息子についての投稿もたくさんあり、1人の母親としてその成長を優しく見守っています。 この投稿をInstagramで見る Rikimaru tooth was chipped! #転んで#歯が欠ける#永久歯#前歯#歯医者さん#ここの#歯医者さんは#独自の#保険があります#とは言え#日本みたいに行かないんだから#2人とも#顎の傷#前歯#お揃い#何でよ#やんちゃ## yuko takasawa (@believeoao)がシェアした投稿 - 2019年 2月月4日午前12時03分PST この投稿をInstagramで見る pool♂️ #鮫バッドマン#ただただ#寒い#冷たい#でも#空いてる#wetnwildhawaii #ここの#フレンチフライ#いつも人気 yuko takasawa (@believeoao)がシェアした投稿 - 2019年 1月月5日午後8時25分PST2020年9月21日には、同月15日に44歳を迎えたことを報告。40代には見えない抜群のボディスタイルを披露し、フォロワーを驚かせています。 この投稿をInstagramで見る 私事ではございますが 先日9月15日に44歳になりました。 健康に産んで育ててくれた 両親へ感謝の気持ちと 今まで私に関わってくださった 皆さんへ 心から感謝の思いでいっぱいです。 そして、2日後の9月17日 力丸も10歳の誕生日を迎えました。 彼のいつも明るく天真爛漫で 何をも楽しむ姿や 人を楽しませる事を常に考えてる 人思いな優しさを 母として誇りに思いながら 感謝の思いで誕生日を過ごしました。 あらためて この場をお借りして Instagramをいつも観てくださってる皆さん。 お祝いのメッセージや 日頃から沢山のメッセージ。 本当にありがとうございます。 いつもいつも 沢山の幸せを頂いてます。 これからも 私らしくInstagramを続けて参りますので 何卒よろしくお願い致します。 本当に感謝‼︎感謝‼︎です。 ありがとうございました。 yuko takasawa (@believeoao)がシェアした投稿 - 2020年 9月月20日午後12時27分PDT山口達也と元嫁の馴れ初めは?山口達也さんと高沢悠子さんは、1999年10月頃に行われた鍋パーティーで知り合っています。そこから意気投合した2人は交際に発展。2007年末には高沢悠子さんが第1子を妊娠しました。そして2008年3月8日に婚姻届を提出。ちなみに婚姻届には、タレントで歌手のピーターこと池畑慎之介(いけはた・しんのすけ)さんが証人のサインをしています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 池畑慎之介さん 長い間ずっと見守ってくださって、本当にいつも感謝の気持ちでいっぱいです。 先日、短い滞在中でお忙しい中、サロンに来てくださいました。 お写真はお出し出来せませんが、石川秀美さんもご一緒に 本当にありがとうございます。 #池畑慎之介#さん#ピーター#さん#youandibeautylounge#bodymassagehawaii#hawaiilife#海外#子育て#男の子#男の子ママ#40s#40style#mom#shoandricky#boys#skateboard#dance#hiphop #cooking#health#beauty#happy#smile yuko takasawa (@believeoao)がシェアした投稿 - 2019年10月月2日午後7時19分PDTその日の夜に行われた東京・日本武道館公演のステージ上で山口達也さんは「私、山口達也は結婚いたしました」「子供が生まれます」とサプライズ発表を決行。それを見守っていた約1万3000人のファンを驚かせました。山口達也の元嫁の人柄は?北斗晶が語る高沢悠子さんについて、タレントの北斗晶(ほくと・あきら)さんが自身のブログで紹介しています。2014年12月9日に『アイドルの妻』と題し、ブログを更新した北斗晶さん。「近頃ね、TOKIO・山口達也くんの奥さんと仲よくしていてね」とつづり、その人柄を褒めています。近頃ね、TOKIO山口達也 君の奥さんと仲よくしててねLINEでバカな事をやりとりしたり長電話して、くだらない事をおしゃべりしたり今度、スコーンを一緒に焼こうって約束してね本当に普通のママ友として楽しくやってるんだけど…彼女の作るスコーンは、あたしの長い人生の中で食べたスコーンの中で、1番美味しかったわ素朴な優しい味なのよ~彼女は、アイドルの奥さんなのに…全くそんな感じじゃなくて入れ物がなかったから、これですみませんと…回転寿しの持ち帰りみたいなパックでスコーンをくれた時はこれが彼女のかわいさだと思ったわ北斗晶オフィシャルブログーより引用このほかにも手作りのパンやリースを高沢悠子さんが送ってくれたといい、北斗晶さんは一家全員で大喜び。「一生懸命作った物を送ってくれる真心が素晴らしい」とべた褒めし、夫を影で支えているからこそできる気遣いだと絶賛しています。彼女が、真心を込めてスコーンや手作りリースを作って送ってくれるのも、全ては旦那の為なんだよね~何かを買って送るのは簡単なことだけど、手間暇かけて一生懸命作った物を送ってくれる、その心がねなんとなく、あたしには分かるんだ~北斗晶オフィシャルブログーより引用さらに、北斗晶さんは高沢悠子さんのことを「きれいだけど素朴な子で、会った人はみんなが好きになる」と評価。「まれに見るいい子だわ」とつづり、あらためてその人柄のよさを褒めています。高沢悠子さんにはこれからも子供たちと幸せな日々を過ごしながら、活躍してほしいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月25日1年365日、すべての誕生日に設定されている花を『誕生花』と呼びます。誕生日プレゼントとして贈ったことがある人も少なくないでしょう。また、大きなくくりとして、12か月の各月ごとにも代表的な花が定められています。10月を代表する誕生花は『バラ』『ガーベラ』『コスモス』の3種類です。それぞれがどのような花言葉を持っているのかをご紹介します。10月の誕生花は3種類どんな花言葉があるの?花言葉は、一つひとつの花が持つ象徴的な言葉。愛情を示すものもあれば、別れを暗示するものなどもあります。花の色によっても花言葉の意味が変わってくることも。今回は、大まかなくくりで花言葉をご紹介します。10月の誕生花①:バラ花束の王道といえばバラ。花に興味を持っていない人でも知っている、有名な花です。オレンジのバラただ、10月の誕生花のバラは、オレンジ色のバラだといわれています。オレンジ色のバラが持つ花言葉は『絆・誇り・情熱・熱望・信頼・すこやか』といった前向きな印象。恋人だけでなく、あこがれている人や友達にプレゼントしてもよさそうです。10月の誕生花②:ガーベラ公園の花壇などで見かけることも多いガーベラ。名前は知らなくても、一度は目にしたことがあるでしょう。ガーベラガーベラは、黄色やオレンジ、赤やピンクなど、さまざまな色の花を咲かせます。手ごろな値段なので、花束にもしやすいでしょう。ガーベラが持つ花言葉は『希望・前進・愛・親しみ・美しさ』などです。友達というよりも、恋人など異性にプレゼントするほうが喜ばれるかもしれません。10月の誕生花③:コスモスこちらのコスモスも、公園などで群生している姿を見かけることがある花です。コスモスを漢字では『秋桜』と書きます。歌手の山口百恵さんのシングル曲『秋桜』で、この名前になじみ深い人も少なくないでしょう。コスモス花言葉は『純心・謙虚・調和・平和・乙女の真心・少女の純潔』といった年若い女性をイメージさせるものが多いようです。白やピンク、赤や紫など、多くの色を持つコスモス。ただし、プレゼントをする時は、茶色や濃い紫は避けたほうが無難でしょう。茶色のコスモスはあまり見かけることがありませんが、その示す花言葉はなんと『恋の終わり』。相手が花言葉を知っていた場合は、気まずくなってしまうかもしれません…。さまざまな意味を持つ、10月の誕生花。シチュエーションなどを考えて、うまく選んでプレゼントすれば、喜んでもらえるかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月24日TOKIOの元メンバー・山口達也容疑者(48)が9月22日、酒気帯び運転の疑いで現行犯逮捕された。各メディアによると、山口容疑者はバイクの運転中に信号待ちをしている乗用車に追突。けが人は出ていないが、基準値を超えるアルコールが検出された。調べに対して「酒を飲んでバイクを運転し、事故を起こしたことに間違いありません」と認めているという。山口容疑者は18年4月、未成年への強制わいせつ容疑が発覚。のちに書類送検となり、同年5月にはジャニーズ事務所を契約解除となっている。「山口容疑者は離婚問題などで環境が変化したことから、精神的に弱ってしまったそうです。その治療をするため、カウンセリングに通っていました。離婚は16年8月に成立。その後は回復しましたが、飲酒量を調整するために通院はしていたそうです。そんななか事件を起こしてしまって……」(スポーツ紙記者)当時、山口容疑者は会見を開き「私の身勝手な件で彼らがどれほどつらい思いをしているのかを考えると、どうしていいか分からない」とTOKIOの他メンバーへの謝罪の言葉を口にしている。いっぽうで、メンバーのショックは相当なものだったようだ。リーダーの城島茂(49)と松岡昌宏(43)は山口容疑者と特に縁が深かったため、我がことのように彼の過ちを受け止めていたという。「城島さんは『俺のせいだね。(山口の状態を)わかっていたのに、俺がちゃんと見ていなかった……』と悔しさをあらわにしたそうです。松岡さんは山口容疑者の精神状態を気にして、『何をしでかすかわからないから、必ずご家族がついてケアしてもらうようにしてほしい』と事務所関係者に頼んだといいます」(テレビ局関係者)また山口容疑者は、仕事の関係者たちに“謝罪メール“を送っていた。「そこには事件の被害者に対して『一生をかけて償っていきたい』と書かれていました。さらに自分の子供たちのためにも“これから何ができるのか”を日々考えているとつづられていました。昨年は週刊誌の取材にも応じていましたし、落ち着きを取り戻したのかなと思っていたのですが……」(別のテレビ局関係者)しかし、今回の逮捕――。彼の未来は、また曇ってしまった。
2020年09月23日2020年9月22日、アイドルグループ『TOKIO』の元メンバーである山口達也氏が、飲酒運転で現行犯逮捕されました。産経ニュースによると、山口氏は22日の午前9時半頃、酒気帯びの状態でバイクを運転し、信号待ちで停車中の乗用車に追突する事故を起こしたとのこと。駆け付けた警察官が山口氏の呼気検査をしたところ、基準値を超えるアルコールが検出されたそうです。デーブ・スペクター「もっと悲惨な事故になる可能性があった」同月23日、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)では、山口氏について報道。MCの伊藤利尋アナウンサーから、事故当時の山口氏の状況について問われたコメンテーターのデーブ・スペクターさんは、次のように語ります。分かりませんけど、これくらい(お酒を)飲んでて、初めての運転ではない可能性もあるんですよね。また残念といわなきゃいけないっていうのは、非常に惜しいですよね。会うと本当にいい人で親切なんですけれども、こういう過ちとかいろいろ過去にあったものがあってある程度(時間が)経つと(芸能界への)復帰は可能は可能なんですけど、これでまた先延ばしになった。もう1点はですね、ある意味ではラッキーだと思うのは、この程度の事故で済んだんですよ。これだけのハーレーの重さを考えると、普通飛ばすし、もっと悲惨な事故になる可能性があったわけですから。これこそもう1回お酒をちゃんと辞めないといけないという、ある意味では大事なきっかけにもなると思うんですよね。とくダネ!ーより引用「運転していた『ハーレーダビッドソン』の重さを考えると、もっと悲惨な事故になっていた可能性があった」と述べ、「もう一度お酒を辞めるきっかけになったのでは」と語った、デーブさん。さらに、一部で『アルコール依存症』である可能性が指摘されている山口氏に対し、デーブさんはこう付け加えます。『アルコール依存症』は病気であることはもう立証されています。これはもう慢性的なものであって、治らない一生。だからこそ、何度も断酒して繰り返すこと自体は計算済みなんです。残念だけど。もちろんキッパリ辞められる人もいるんです。で、いろんな更生施設、立派なところが日本にもあって、本当に辞められる人はいるんですけど。何度も何度もかかって、成功率は意外に高いんですけど、また飲み始めたことを批判されるとますますやる気がなくなってしまうわけですから。途中からやっぱり脳とか身体とかが求めるようになるわけですから、病気は病気なんですよ。だから意思が弱いっていうのは…もう1回頑張ってやめようっていう意思がもちろん必要なんだけれども、病気であることは大前提として考えないといけないと思う。とくダネ!ーより引用デーブさんは、万が一山口氏がアルコール依存症だった場合、「病気であることを大前提として考えるべき」とし、「酒をふたたび飲み始めたことを、意思が弱いと決定付けて批判するのはよくない」と語りました。デーブさんの意見に、視聴者からは納得の声が上がっています。・デーブさんの意見に賛成です。・確かに。もし病気であれば、そう簡単に辞められるわけではないな…。・万が一『アルコール依存症』だった場合、本人が我慢すればとか、意思が強ければとかの問題ではないですよね…。しかし、どういう状況であれ、酒気帯び運転は違反行為です。アルコールを摂取して運転すると、正常な判断ができなくなり、思わぬ事故につながりかねません。場合によっては、人の命を奪う可能性も。大切な人々や他人の人生を左右しかねないことを自覚し、行動を改める努力をし続けなければならないでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年09月23日