宿泊施設「ヴィラ ミッシェル(Villa Michael)」が、静岡県伊東市川奈の川奈ステンドグラス美術館内に2023年7月1日(土)にオープン予定。“泊まれるステンドグラスミュージアム”が静岡に静岡県伊東市川奈に位置する「川奈ステンドグラス美術館」の館内に、宿泊施設「ヴィラ ミッシェル」がオープン。英国式石造建築が重厚な雰囲気を醸すミュージアムの1階を改装し、1日1組限定でホテルステイを提供する。英国様式のクラシカルな部屋客室に入ると、まるでミュージアムで暮らしているかのような心地にさせてくれる、クラシカルなインテリアがお出迎え。アンティーク家具や調度品、英国様式の建築が、贅沢なひと時を与えてくれる。自然豊かなロケーション&グルメもさらに、ウッドデッキのプールの先には水平線や豊かな緑が広がるという、自然に囲まれたロケーションも魅力的。周囲には美術館だけでなく、ミッシェルガーデンコートやショップ、レストランカフェがあり、自然・アート・グルメを楽しむことができる。開業記念サービス、ミュージアム入館無料なお開業記念キャンペーンとして、ウェルカムドリンクやプール・ジャグジー・足湯といったサービスを用意。川奈ステンドグラス美術館への入場も無料で、1800年代のヨーロッパアンティークステンドグラス等を鑑賞できる。【詳細】ヴィラ ミッシェルオープン予定日:2023年7月1日(土)場所:川奈ステンドグラス美術館内住所:静岡県伊東市川奈1439-1宿泊料:1泊 4名 11万円~ / 1名 27,500円※1日1組限定。※コース料理はオプションで事前予約制のため、予約の際に申しつけ。※2023年6月現在、予約受付中。【先行予約受付】TEL:0557-37-5155
2023年06月18日女優・歌手として活躍し、日本で初めての肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を設立した宮城まり子さんが、3月21日早朝に亡くなった。93歳だった。訃報を受け、上皇ご夫妻は22日に宮内庁上皇職を通じて学園に弔意を伝えた。障害者福祉を熱心に支援されてきた上皇ご夫妻は、宮城さんと40年以上にわたる交流があった。「亡くなる直前まで施設の子どもたちを気にかけていました」と、都内の病院で宮城さんの最期を看取った学園の教諭・梅津健一さんが明かす。宮城さんが亡くなる3日前には、「ねむの木学園」から2人の生徒、としみつさんとつとむさんがお見舞いにやってきた。「静岡で8月にするコンサート、ちゃんとやらなきゃね」彼らにそう語りかけたのが、梅津さんが聞いた宮城さんの最後の言葉だった。彼ら2人は美智子さまとも縁があるのだという。「’14年3月に横浜で開催した学園の美術展で、美智子さまに3枚の絵をお求めいただきました。それが、としみつくんの『雪だるまの赤ちゃんエーンエーン』と『涙の木』、つとむくんの『ガムラスタン通り』だったのです」実は’94年に初めて「ねむの木学園」を訪問されたとき、『雪だるまの赤ちゃん~』を気に入られていたという。20年間も、この作品を思い続けていらっしゃったのだ。’14年の美術展後、宮城さんは本誌にこう語っていた。「としみつくんとつとむくんは絵のほかにも音楽や茶道も大好きで、兄弟のように仲よしなの。いまや、ねむの木学園を代表するアーティストです」学園の子どもたち70人と職員で宮城さんとの「お別れ会」が催されたのは、3月27日。としみつさんは子どもたちを代表してお別れの言葉を述べ、つとむさんは総合司会を務めた。“私はねむの木のお母さん。皇后さまは日本のお母さんなのよ”宮城さんは、子どもたちにそう説き聞かせていたという。「美智子さまが個人的に2人の絵を高く評価してくださったことを、宮城先生はとても喜んでいました。としみつくんとつとむくんにとって絵を描くことへの励みにもなったのだと思います」(梅津さん)美智子さまとまり子さん、2人の“母”の思いは、子どもたちの心の中で輝き続ける――。「女性自身」2020年4月14日号 掲載
2020年04月03日「数日間昏睡状態が続き、静かにスーッと息を引き取りました」美智子さまと親交の深かった「ねむの木学園」の園長・宮城まり子さんが3月21日早朝、93歳で亡くなった。都内の病院で宮城さんの最期を看取った学園の教諭・梅津健一さんが明かす。「宮城先生は20年前に血液がんを患いました。それが2年前から再発して、今年の2月、急激に体調が悪化してしまったのです。東京の病院に入院したのですが、亡くなる直前まで施設の子どもたちを気にかけていました」女優・歌手として活躍してきた宮城さんが、日本で最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立したのは’68年。それから半世紀以上にわたって、障害児教育に人生を捧げてきた。21日の夕方、静岡県掛川市の学園に戻った梅津さんは、4歳から79歳の“子どもたち”70人を大教室に集めて「今朝早く、まり子お母さんはお空に向かってお出かけになりました」と、宮城さんの逝去を報告した。「教室の窓から夕日に染まりかけた空を見やりながら、静かに涙を流す子、黙って身じろぎもしない子、大声で泣き叫ぶ子と……。さまざまでした」上皇ご夫妻も学園に弔意を伝えられた。美智子さまと宮城さんとの出合いは、実に44年前までさかのぼる。’76年に東京で開催された第1回「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」を美智子さまがご覧になったときが初対面だった。その直後に美智子さまのお招きで、宮城さんが東宮御所に参内。一方で、美智子さまも何度も美術展に足を運ばれ、上皇陛下とご一緒にねむの木学園も訪問されている。「児童福祉や障害者福祉を熱心に支援されてきた美智子さまは、宮城さんをとても敬愛されていました」(宮内庁関係者)美智子さまは’18年11月にも「ねむの木学園」を訪問されている。それは天皇皇后両陛下として最後の私的ご旅行となった。宮城さんには、女官を通じて電話でご訪問の連絡があったという。そのときの心境を宮城さんは「その瞬間『うれしい~!』と、受話器を握ったまま泣きだしてしまいました」と本誌に語っていた。しかし、そのころすでに血液がんは再発しており、宮城さんは入退院を繰り返す生活をしていた。「車いすの宮城さんに美智子さまが寄り添われて、園内をゆっくりと見て回られました。宮城さんの体調悪化を美智子さまはお感じになっていたのではないでしょうか」(皇室担当記者)ただ、その後も宮城さんはつらい闘病のなか、学園の行事や活動に積極的に関わっていた。’19年10月には、学園の運動会開催を知らせる手紙が本誌編集部にも届いていた。《私もお医者様には叱られるけれど、毎日演出席で座っています。今年で終わりになるのかなと心の中はグルグルしていますが病名は血液内科で腫瘍つまりガンですとおっしゃいました。すぐ浮かんだのは「シビアなことをおっしゃいますナ」といった、吉行淳之介の言葉でした。でも私は大丈夫(中略)でもつらいです。クヤシイナー》長年にわたり私生活のパートナーだった作家の故・吉行淳之介さんの言葉や思い出を支えに、闘病を続けていた宮城さん。梅津さんによれば、関係各所に送っていたこの手紙は、上皇ご夫妻には届けていないという。前出の宮内庁関係者は、「以前は美智子さまと宮城さんが直接電話でお話になることも多かったようです。御代替わりの前後には、美智子さまも体調を崩されていることがたびたび報道されました。宮城さんもお見舞いの言葉をお伝えになっていたのではないでしょうか」手紙に綴っていたように、もう子どもたちのために尽くすことができなくなるかもしれない悔しさも、美智子さまへの“お別れの電話”で語っていたのだろうか――。「女性自身」2020年4月14日号 掲載
2020年04月03日歌手で女優の宮城まり子さんが3月21日に死去した。各紙によると死因は悪性リンパ腫で、93歳だったという。55年に発表された「ガード下の靴みがき」などのヒット曲で知られる宮城さんは「NHK紅白歌合戦」にも計8回出場した。58年には日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」で声優を務め大きな話題に。そのいっぽうで68年、肢体の不自由な子どもたちの養護施設「ねむの木学園」を自ら設立。長年、園長を務めてきた。「ねむの木学園の設立当初、日本には福祉の精神が根付いてませんでした。今でこそ『障害の有無に関係なく、違う者同士で認め合おう』という考えが共有されていますが、宮城さんはそんな理念を半世紀以上も追い求めてきました。いわば障害者福祉のパイオニア的存在です」(全国紙記者)本誌は17年4月、宮城さんに取材をしている。宮城さんは取材で小学校の特別支援学級を訪ねた際、知的障害のある子の教育がないがしろにされていることに疑問を覚えた。また脳性麻痺を持つ少女を演じた縁で、親に捨てられるなどして生活の場や学校教育も与えられていない障害児がいるという悲しい現実も知っていた。そこで「だったら、私がこの子たちのお家を建てよう」とねむの木学園の設立を決意したという。その思いをサポートしたのが作家・吉行淳之介さん(享年70)だ。「昨日今日、言い出したらやめなさいって言うけど、ずっと思い続けていたみたいだから、いいでしょう」と応援してくれた吉行さんはねむの木学園の名付け親であり、学園の理事も引き受けてくれた。2人は籍を入れず、事実婚状態だった。宮城さんは「淳ちゃんと私はとてもいいコンビでした」と回想しながらも、「もし“淳ちゃんの妻”になっていたら、ねむの木学園は続けられなかったと思います」「淳ちゃんの子供を産んでいたら、私たちのベタベタしない、兄妹みたいな、互いを思いやる関係は成り立たなかったでしょう」と明かしていた。「宮城さんは園児たち一人一人に向き合っていました。また礼儀を学ぶために茶道も取り入れるなど、独自の教育方針で常に『何がいいのか』を自問自答。その思いは並々ならぬものでした。また宮城さんにとって吉行さんは初恋の人でもありました。その思い出を糧に、最後まで子供たちを見守り続けたのです」(前出・全国紙記者)産経新聞によると上皇ご夫妻も宮内庁上皇職を通じ、ねむの木学園に弔意を伝えられたという。ネットでは、宮城さんの功績を讃える声が上がっている。《ねむの木学園の展覧会や映画で活動を知り、障害に対する見方を様々に変えてくれた方です》《世の中に尊敬すべき役者がいるとすれば、彼女を指すのでしょう 優しさと強さを併せ持った素晴らしい方でした》《上皇様ご夫妻のご弔意が故人の人柄と業績を物語っておられると感じました。ご冥福をお祈りいたします》
2020年03月24日普通のおばあちゃんなのに、なぜか応援したくなる。おざわゆきさんの『傘寿まり子』は、そんな80歳のおばあちゃんを描いた作品です。ひょっとしたら、現代に生きるおばあさんのことを誤解していたかもしれない。おざわゆきさんの『傘寿まり子』を読むと、反省の意味も込めてそんなふうに思ってしまう。「私の周りには母を含めて高齢の方がわりと多く、仲間みたいな感じで接していたので想像しやすかったんです。今のおばあさんは昔と違ってどんどんおしゃれになっていますし、気持ちも若くなっている。そういう意味でも、より多くの方が興味を持ちやすいテーマかなと思いました」おざわさんいわく「達観しつつ、欲もある」のが現代のおばあさん。「80代にもなると、高齢者という意識を持ち始めてから長い年月が経っています。人生どうなるかわからない不安を散々経験しながら、かといって自分のやりたいことも捨てきれないんじゃないかって思うんです」80歳で作家のまり子さんは、4世代同居で居場所がなくなり、家出を決行。一応仕事があるので、ひとりでも暮らしていけると高をくくっていたが世間はそう甘くない。それでもめげずに自らの足で立っていこうとするのだが、見ず知らずの人を無闇に信じることが難しい世の中でバカ正直なくらい人を信じ、結果、人とつながっていく様が気持ちいい。「絶望的な状況に陥ったとしても、それを真正面から受け止めず、うまい具合に回避して、自分なりに解決できる方法があるかもしれない。まり子さんはひとつずつこういうふうにやり過ごしているんだ、と思ってもらえるように描いています」聖人でもスーパーおばあちゃんでもないまり子さんを応援したくなるのは、希望的観測も含め未来の自分と重ね合わせてしまうからなのか。「たとえば30年後の私は、今の私がシフトするだけで中身は変わっていない気がします。高齢者という名前になっても私は私であり、最後の瞬間まで自分の人生なんですよね」『傘寿まり子』80歳のベテラン作家・まり子さんが、家出をしてネットカフェに居座ったり、初恋の人と同棲をしたりしながら、人生を切り拓いていく勇気溢れる物語。講談社各580円おざわゆきマンガ家。母親の戦争体験をモチーフにした『あとかたの街』(全5 巻)と『凍りの掌 シベリア抑留記』で第44回日本漫画家協会賞コミック部門大賞を受賞。※『anan』2017年8月2日号より。写真・水野昭子(本)インタビュー、文・兵藤育子(by anan編集部)
2017年08月01日キュートなルックスと抜群のスタイルを兼ね備えたグラビアアイドルの川奈栞さん。「妄想したり、コスプレしたりするのが大好きなんです!」とニッコリ笑う彼女だが、実は英語の資格をいくつも持ち、英会話も流ちょうに話せる才女。そんな彼女に英語を身に付けるコツや、その魅力について聞いてみた。―川奈さんにとって英語ってどんな存在なんですか?英語は、今の「私」を作ったすべてかもしれません。父の転勤で、3歳からサンフランシスコに住んでいました。それから高校生まで約10年間日本とサンフランシスコを行ったり来たりしていました。高校3年生のとき帰国して、自分の英語力を試してみたくて、TOEICや英検準1級、国連英検B級など、英語の資格取得に挑戦しました。試験はすごく難しかったけど、今思うと自分のためになりました。勉強してよかったです。グラビアをやっているのも、大学生のときに英語のコンパニオンのアルバイトしていたときにスカウトされましたし、今こうやって取材をしてもらっているのも、英語のおかげです。新しい出会いをたくさん持ってきてくれる「英語」に感謝しています。―英語が話せて良かったと思うことを教えてくださいグラビアの撮影で海外に行くと、周りのスタッフに「通訳して」って頼ってもらえるのがうれしいです。南の島に行くことが多いのですが、現地の人とコミュニケーションがとれるのが面白い。あと、通訳のお仕事ができることですね。例えば、2008年に元千葉ロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督のCM撮影に同行させていただきました。現場の指示などを監督に通訳するお仕事だったんですけど、いろいろなお話しをさせていただいて本当に楽しかったです。あとは、いろいろな国に旅行に行っても困らないことです。父が歴史好きなので、家族で世界遺産ツアーに出かけています。だから私も、世界遺産が大好きになっちゃいました。英語が話せると、現地の人から深いお話が聞けたり、いろいろなことを学んだりできるからすごく得をした気分になれます。今まで見た世界遺産の中で、印象に残っているのは中国の万里の長城です。今度は、ぜひマチュピチュに行きたいです。―ブログの「妄想劇場」を拝見すると、様々な妄想をされていますが、妄想するときも英語で考えたりするんですか?ブログの「妄想劇場」はもう4年以上も続けているんですけど、毎日、朝7時に更新してます。朝5時に起きて、衣装に着替えて、セルフタイマーを使って自分で写真を撮影してっていうのを毎朝やっています。朝早く更新するのは、ファンの方に、私のブログを見てハッピーな気分で学校や会社に向かってほしいからです。でも、最近はスマートフォンとかで見てくれる人が多いから、通勤・通学中に大きな画面で私の大胆な写真があると恥ずかしいみたいです……。妄想は、日本語かなあ(笑)。でも、もし英語で誘われたら、きっと英会話が上手になるかもしれません。例えば、「I wanna go out with you.」ってデートに誘われたら、なんて返事をしようかなって思いませんか?他にも、町で出会った子がハンカチを落としたらその子に何て言って声をかけようかなって想像するんです。そういうワクワクする“出会い妄想”を考えると、モチベーションもアップするし、楽しく勉強できると思います。―ブログの中の写真もご自身でやられてるんですよね?はい。ローアングルのリクエストが多いので、写真もいろいろ工夫しています。ちなみに衣装は全部自分のものなんですよ。中でもお気に入りのコスプレは制服系かな。受付嬢のコスプレで、ちょっとハダけてるのとか、脱ぎかけなんかが好きなんです。私、脳内は中三男子だから(笑)。―最後に、これから英語を身に付けたいと思っている読者にメッセージをお願いします!「間違った英語を使ったらどうしよう?」と考えて黙ってしまうよりも、なんでもいいから話すことが大切だと思います。英語で話しかけられたら、日本語に変換せずに、すぐに英語の脳を使えるよう、何度も英語でアウトプットしてみてください。いざとなったら、答える単語をあらかじめ準備しておくのもおススメです。あとは、英語しかない環境を作ると、言葉のニュアンスが体感できるから身に付きますよ。例えば、私自身も、普段からCSテレビを見たりして常に英語に触れるようにしています。特に海外ドラマで話されている英語は発音がきれいなので、聞き取りやすいです。リスニングや単語量に自信がない人は、海外の子ども向け番組を見るのもよいですね。英語の勉強のきっかけってなんでもいいと思うんです。「英語を身に付けて女の子にモテたい!」とか「英語でこんなフレーズが言えたらカッコイイから!」とか、自分がワクワクするような目標をつくってみてください。そうやって、英語が話せたら何ができるかな?って妄想を膨らませて、楽しみながら英語を身に付けましょう! 私も応援しています!■お話を伺った人川奈栞。青山学院大学・英米文学科卒業、TOEIC800点、英検準1級、国連英検B級の資格を持つ知的派グラビアアイドル。趣味はフルートとジムで体を動かすことで、好きな食べ物は焼き鳥。好きな男性のタイプは動物好きな人。公式ブログ「しおりの妄想劇場」では、自ら考えた妄想をコスプレして再現するなど、セクシーなショットが満載。デジタル写真集は、「ぷるりんシオリン★ふんわりヒップ」「ぷるりんシオリン★やわらかヒップ」が発売中。4/27発売のソロDVD「スケスケ助っ人」は、amazon女性グラビアDVDランキング1位獲得。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年06月11日