(画像:THE FACT JAPAN) 1月30日、『2018年平昌冬季オリンピック、パラリンピック』の開催地である江原道の観光広報大使を務める俳優で歌手のチャン・グンソク(30)が29日に江原道・春川市で行われた聖火リレーに参加したと韓国メディアTVREPORTが報じた。 この日、江原道春川で『2018年平昌冬季五輪聖火リレー』のイベントが行われ、チャン・グンソクは、聖火リレー最後の走者として登場したという。何よりもチャン・グンソクは、今回の五輪広報大使として活動しているため、より意味を深めたと伝えている。 チャン・グンソクは自身のInstagramに「あいにくこんな寒い日、あんなに長く待ってくれて応援しに来てくれたウナギたち。忘れないよ。ありがとう。ところで、この帽子簡単じゃないね。行くぞ」というコメントと共にグンソクが聖火リレー用のユニフォームを来て微笑でいる写真を投稿。 これに対しグンソクのinstagramには「グンちゃんお疲れ様笑顔ステキでカッコ良かった」「聖火ランナーおつかれさま。ありがとう笑顔が大好き」「グンちゃんおつかれさまにほんからおうえんしてたよ」「おつかれさまでしたLiveで見たかったけど…親分、今日は、ほこらしかったよ」など日本からも応援メッセージが続々届いている。
2018年01月30日女優の綾瀬はるかとバンクーバー五輪フィギュアスケート男子銅メダリストの高橋大輔が30日、都内で行われた「コカ・コーラ」平昌2018冬季オリンピック応援キャンペーンPRイベントに出席。会場に設置されたリンクでスケートを披露した。現在放送されている同キャンペーンのテレビCMで共演した2人。綾瀬はフィギュアスケート選手、高橋はコーチ役として登場したが、高橋は綾瀬のフィギュアスケート衣装について「綾瀬さんはおきれいなのでフィギュアスケーターにいそうだなと。まったく違和感がなかった」と太鼓判を押した。そして、会場に設置されたリンクに降りて2人でスケートを披露。「幼少期のころに家族や友達とたまに滑りに行ったりするくらいですが、少しあります。25年くらい前の話」と幼い頃にスケート経験があると話していた綾瀬は、その時の感覚が体に残っていたのか、最初からしっかり滑り出し、高橋は「うまい」と驚いた。2人で手をつないで息の合ったスケートも披露し、リンク中央で元気いっぱいにポーズ。「面白い」と大満足の綾瀬は、「上にくるくるんって回ってキャッチされたい」という易度の高い要望も口にし、高橋は「僕もやったことがない。次までに練習しておきます」と笑った。リンクから退場する際には、綾瀬がスピードを出そうとしてつまずき、壁に突っ込むハプニングも。会場は笑いに包まれ、綾瀬は「帰り際がスマートじゃなくて」と反省。高橋は「あの怖いもの知らずさはフィギュアスケートにも必要なので、フィギュアスケートでもトップにいかれたと思います」「体感がしっかりしていて素晴らしい」「僕よりうまい」と大絶賛だった。
2018年01月30日女優の綾瀬はるかとバンクーバー五輪フィギュアスケート男子銅メダリストの高橋大輔が30日、都内で行われた「コカ・コーラ」平昌2018冬季オリンピック応援キャンペーンPRイベントに出席した。現在放送されている同キャンペーンのテレビCMで共演した綾瀬と高橋だが、CM撮影は別々に行われ、この日が初対面。高橋が「光栄です」と照れながらあいさつすると、綾瀬も「こちらこそ光栄です」とおじぎした。綾瀬は、高橋について「表現力の深さは、お芝居と似ているのかなと思って見入ってしまう。表現力の豊かさを感じてすごい刺激をいただいています」と印象を告白。一方、高橋は「テレビの中の人という感じで、今お会いしてるんですけど実感が湧かない。本当に会えてるのかなと。テレビ以上に笑顔が素敵で、生まれてよかったなと、生きててよかったなと思っています。癒やされます」とメロメロの様子だった。会場にはスケートリンクが設置され、2人で手をつないで滑りを披露すると、高橋は「手もつなげた。こんなことできる人はいないです。ありがとうございます」と大感激。また、綾瀬に氷入りコカ・コーラを用意してもらうと、「今まで飲んだコーラの中で一番おいしい」と喜んでいた。
2018年01月30日平昌五輪に初めて姉妹そろって出場する、スピードスケート・女子チームパシュートの髙木菜那選手(25)と美帆選手(23)。 ふたりは、’17年12月8日、米国ソルトレークシティで行われたW杯第4戦女子チームパシュートのメンバーとして滑走。世界記録を更新し、優勝している。11月10日のW杯オランダ大会以来、日本の女子チームパシュートは、わずか1カ月で3度も世界記録を塗り替え、一躍、平昌五輪の金メダル候補に躍り出た。そのどのレースでも、チームメンバーとして滑ったのが髙木姉妹だった。 8年前のバンクーバー五輪は、中学生だった美帆が代表入り。4年前のソチ五輪は、菜那だけが出場している。 チームパシュートは、3人で1チームを編成。先頭の選手が入れ代わりながらチームで滑り、最後にゴールした選手の記録で競い合う。姉妹なら、リズムを合わせる点で有利に思える。しかし、菜那は身長155cm、美帆は164cmと体格差があり、おまけに性格は正反対。 高木姉妹の故郷は、北海道中川郡幕別町。清水宏保、島崎京子、長島圭一郎など、五輪のスピードスケート選手を輩出した十勝地方にある町だ。菜那は’92年7月2日、美帆は’94年5月22日生まれ。5人家族で、父・愛徳さん(60)は農機メーカー、母・美佐子さん(55)は介護施設で働き、長男・大輔さん(27)は中学校教諭をしている。 両親ともに、スケート選手の経験はなく、最初にスケートを始めたのは、清水宏保選手の長野五輪金メダルに触発された兄の大輔さんだった。すると、小学1年の菜那が「やってみたい」と言いだして、末っ子の美帆も5歳からヨチヨチと滑り始めた。 とはいえ、姉妹は、スケート一筋だったわけではない。小、中学時代は、冬はスケート、夏は少年団でサッカーをし、ヒップホップダンス教室にも通っていた。 高木家の主な教育方針は、(1)子どもがやりたいと言ったことは極力やらせる。(2)自分で決めたことに責任を持たせる。(3)親は口を出さず、コーチにいったん託したら、信頼して任せるの3つ。 娘たちを信じて、ひたすら見守る両親の大きなまなざしのなかで、姉妹は個性豊かに成長した。 「負けず嫌いで、勝負にこだわる闘争心が誰よりも強かったのが菜那。美帆は、さばさばした性格です」 そう語るのは、姉妹が通った帯広南商業高校スケート部の東出俊一監督。感情をストレートに表現する正直すぎる姉と、常に飄々として、一人で努力し続ける真面目な妹。性格の違いは誰の目にも明らかだった。愛徳さんは当時をこう振り返る。 「スケートの成績は、美帆ばかりが取り沙汰されますが、お姉ちゃんも速かったんですよ。小学校のときは、十勝の試合では常に表彰台の真ん中でした」 しかし、美帆はそれ以上に速かった。小6ですでに、2歳上の姉の記録を抜いていた。 「小学校までは学年別ですが、中学生になると、菜那と美帆が一緒に競い合うレースが多くなります。そのときは、どう声をかけていいのかわかりませんでした」(愛徳さん) 中1の妹のほうが、タイムも順位も、中3の姉より上。 「それからは、妹の存在が、お姉ちゃんのコンプレックスになったでしょうね」(愛徳さん) ’09年12月30日、バンクーバー五輪の代表選考会で、中学3年生だった美帆は1,500mで優勝する。日本スピードスケート史上最年少の15歳で、五輪代表に選ばれた。日本中が美帆を「シンデレラガール」と、騒ぎ立てた。 当時、菜那は高校2年生。家族の前では、愚痴も言わず、明るくふるまっていたが、前出の東出監督には、隠さず本音を漏らしていた。 「五輪選手に支給されるブレザーやジャージ、靴や手袋などが宅配便で送られてきたとき、美帆がいなくて、菜那が受け取ったようなんです」(東出監督) 帰ってきた美帆が、段ボール箱を開け、無邪気に「うわ~っ」と喜んで、ブレザーを着、ウエアや帽子を体に合わせる。それを菜那はジッと見ていた。 「あとで菜那は、私に言いましたよ。『燃やしてやろうと思いました』って。もちろん冗談でしょうが(苦笑)」(東出監督) バンクーバーには、両親と菜那の3人で応援に行った。菜那は「美帆~っ」と旗を振って声援を送りながら、「心の中で『転べ』とか、『ラップ、落ちろ』と思っていたんですよ」と、東出監督に話したという。 「妹に、そんな気持ちになるなんて、仮に思っても、言わないものです。でも、菜那は言ってしまう。しかも、堂々と。それがあの子の強さでもある。菜那のジェラシーは並じゃない。彼女の原動力は美帆への嫉妬心だったんです」(東出監督) バンクーバー五輪で、美帆は成績を残せなかった。1,000mで最下位、1,500mは23位。そんな妹を見て、変わったのは菜那だったと、東出監督は言う。 「バンクーバーで、菜那は大きく変わりました。それまで、美帆ばかり見てきたけれど、五輪には妹よりもっと強い選手が当たり前にいた。美帆を目標にしてもしょうがないと思ったんじゃないでしょうか」(東出監督) それから時を経て、21歳になった菜那は、妹について、「去年ぐらいから、美帆は美帆だし、自分は自分と考えるようになって、一人の選手として妹を捉えられるようになりました」と話すようになっていた。 バンクーバーとソチ、2つの五輪を経て、互いの強みも弱点も、認め合えるようになった髙木姉妹。ふたりそろってチームパシュートの主力選手となったこの4年間で、高木姉妹の絆はさらに強まった。それに呼応するように、記録も伸び続けている。平昌五輪は目前、期待は膨らむ。 「美帆も菜那と一緒なら、気を使わなくて済む。特に菜那は人について滑るのが上手。しかもレースで転んだことがないんです。どんどん引っ張っても、菜那なら意地でもついてこられる。その安心感は、美帆にとって大きいでしょう」(愛徳さん) ふたりの初めての金メダルは、姉妹でつかむ!
2018年01月27日タレントの小島瑠璃子と元プロテニス選手でスポーツキャスターの松岡修造が24日、都内で行われた平昌五輪(2月9日開幕)の日本代表選手団壮行会に参加した。応援サポーターの小島と応援団長の松岡は、MCのフリーアナウンサー・平井理央と共に登場。登場するやいなや松岡が「頑張れ!」と叫び、期待していた反応が得られないと、「今日ものすごい大事な日なんだ。選手に思いを伝えなきゃいけない。『頑張れ!』って言ったら『ニッポン!』って合わせないと始まらないんだよ」と熱弁し、「もう1回」と最初からやり直すことに。そして再度入場からやり直すと、今度は「頑張れ!」「ニッポン!」と、会場に集まった約5,000人の来場者と心を一つにした応援に成功。松岡の熱血ぶりに、小島と平井は「ちょっと待ってください、待ってください」「どうされました!?」「やり直しですか!?」と圧倒された様子だった。松岡は「松岡"応援する"造です」とあいさつも気合十分で、「今日の時間、ここはみんなの思いを共有して応援する大事な場所です。心を一つにやっていきましょう」と呼びかけ。そんな松岡の熱さに圧倒されつつ、小島も「選手たちにエールを届けて平昌で頑張ってほしいです」と力強く語った。そして、選手団が入場する前に松岡の仕切りで応援コールを練習し、選手団入場後に「冬を! 燃やせ! 頑張れ! ニッポン!」と会場一体となって応援。歌手のAIも登場し、「キラキラ」「ハピネス」の2曲を披露して、歌で選手たちを勇気づけた。松岡は「僕の願いは、ベストを尽くしてほしい、出し尽くしてほしい。できるっていうのは信じるっていう心が入っている。その思いも感じながら戦ってください」とメッセージ。小島も「いろんな方の気持ちを背負っていると思いますが、何よりも練習してきた自分のために戦ってください。その姿を見て私たちは力をもらい勇気をもらいます。まずはご自身の納得のいく試合ができるように頑張ってください。日本から全力で応援しています」と笑顔でエールを送った。
2018年01月25日韓国・平昌(ピョンチャン)での冬季五輪開催までもう残りわずかになってきましたね!日本の代表選手を見ていると「どうやったらこんなに1つの競技を極めることができたんだろう?」「何歳くらいから始めたのだろう?」など、気になるものです。子どものスポーツに、力を入れたいママならなおさら気になるところかもしれません。そこで、今回はヨガインストラクターの筆者が、子どもに体験させてみたいおすすめのスポーツをご紹介したいと思います。▼「幼児期の外遊び経験」が運動能力に関係する?今では早期の英才教育などもかなりメジャーなものになっていますが、人間の土台作りで一番大切なものは、“強い体作り”ではないかと筆者は個人的に思っています。体がしっかり作られているからこそ、勉強にも積極的にチャレンジできるのではないでしょうか。スポーツ庁発足後初の調査となった平成28年度『体力・運動能力調査』でも、幼児期の外遊びの実施状況と現在(10歳)の運動・スポーツ実施状況には大きな関係があることが報告されています。入学前の外遊びの実施頻度が高いほど、現在の運動・スポーツ実施状況が高く、この傾向は6~11歳のすべての年齢で見ることができるそうです。新体力テストの実施においても、やはり外遊びを頻繁にしていた子どもほど点数が高く、外遊びが少ないと点数が低い、という傾向があるようです。子どもの運動能力を高めるためには、幼児期にどれだけ体を動かしたかが、とても重要になってくると言えそうです!関連記事:スポーツ選手は未就学児から始めている!? 「人気の習い事ランキング」▼体験させてみたい!スポーツ別「はじめるのにオススメの年齢」(1)フィギュアスケートこの時期ならではのウィンタースポーツ!氷の上でぐらぐらするからこそ、バランス感覚も良くなりそうです。日本フィギュアスケーティングインストラクター協会のホームページによると、スケートは3~4歳頃から始めることができるようです。最初は、商業施設などにたまに期間限定で冬に設置されているスケート場で、遊び感覚でチャレンジしても良いかもしれませんね。 (2)スキー・スノボこちらもこの時期だからこそできるスポーツですが、都会に住んでいると、なかなか日常的には体験することは難しいかもしれません。来月の3連休などを利用して、スキーが体験できる場所に、旅行を兼ねて行くのも良いかもしれません。モンデウス位山スキー・スノーボード学校のホームページによると、こちらは満4歳からスクールに入校できるようです。関連記事:想定以上…!? 我が子を「プロスポーツ選手に育てるのに必要な費用」をFPが算出! (3)ヨガヨガの仕事をしている筆者は、「幼少期からヨガをしていたら心も体も強くなるだろうな」と強く感じます。キッズヨガは、たくさんのポーズをとって柔軟性を身につけたり筋力を向上させることができるので、楽しみながら体作りができます。また、クラスの最初と最後に静かな時間を作り、自分自身と向き合う時間をもち、呼吸や瞑想にチャレンジすることも心の発達にとても生きることだと思います。キッズヨガのクラスは3~4歳頃から受けることができるスクールが多いように思います。 (4)空手空手は全身を使うスポーツであり、体力だけでなく礼儀も自然と身につき、体も心も強くなります。小さい頃から始めると、とてもしっかりした子に育ってくれそうな気がします。代官山カラテスクールのホームページを見ると、こちらは対象年齢4歳~のようです。 スポーツはもちろん、外遊びも幼児期にはとても重要なことが分かりました。子どもが楽しんで取り組めるスポーツに出逢えるよう、何が向いているのか様々なものを体験させてあげると良いかもしれませんね。関連記事:想定以上…!? 我が子を「プロスポーツ選手に育てるのに必要な費用」をプロが算出! 【参考・画像】※ Pressmaster, FamVeld , Satyrenko / Shutterstock※ 平成28年度体力・運動調査結果-スポーツ庁※ 日本フィギュアスケーティングインストラクター協会※ モンデウス位山スキー・スノーボード学校※ 代官山カラテスクール
2018年01月23日ソチ五輪で悲願のメダルを日本にもたらしたノルディック複合のエース渡部暁斗さん。同じく平昌を目指す、スキー・ハーフパイプ選手である妻と二人三脚で支え合いながら、さらなる高みへの飛翔を目指すキング・オブ・スキーの素顔に迫った──。◇◇◇ノルディック複合・ソチ五輪銀メダリスト渡部暁斗さん2014年2月12日に行われたソチ五輪・ノルディック複合ノーマルヒル(旧70m級)。前半のジャンプで2位につけた日本のエース・渡部暁斗(北野建設)は後半のクロスカントリーで逆転金メダルに挑んだ。1番スタートは同い年で10代のころからしのぎを削ってきたライバル、エリック・フレンツェル(ドイツ)。彼との差はわずか6秒。「正直、20秒くらいあいてもしょうがないと思っていたので6秒は上出来だった」と渡部は述懐する。ソチのコースは林を切り開いて作られたため、幅が規定ギリギリしかなく、狭い中に何人もの選手がひしめく状態になる。カーブも非常に多く、前の選手を抜くポイントがほとんどない。高度な技術を要求される世界屈指の難コースだ。ここを4周走って勝負を決める形だが、渡部は1周目から宿敵にピタリとつき、チャンスをうかがった。3位以下に20秒差をつけて2周目に入ると、その後は一騎打ちに。抜きつ抜かれつを繰り返しながら迎えたラスト4周目、渡部が一気に前に出る。日本中の期待も大きく膨らんだ。が、ゴール目前のスタジアム勝負になったところでフレンツェルがスパート。そのままゴールに飛び込む。渡部は4秒差の2位に入った。「彼は僕が最後のスプリントに弱いことをわかったうえで、わざとペースを落とし、余力を保ってきた。僕は追いつかれたくないから懸命に引っ張ったけど、最後に逆転されてしまった。その心理戦こそ、クロスカントリーの醍醐味なんです」と渡部は笑みをのぞかせた。日本のノルディック複合に20年ぶりのメダルをもたらした安堵感とライバルに敗れた悔しさ……。その両方を抱えながら、彼はこの3年半、休むことなく前進を続けてきた。荻原健司(北野建設スキー部部長)・次晴(タレント)兄弟も成し得なかった’11~’17シーズンのワールドカップ(W杯)6年連続表彰台という偉業も達成。次に見据えるのは、もちろん2018年平昌五輪の頂点だ。「僕はもう1つ上のレベルに上がった自分を見たいという好奇心が人一倍強いんです。ジャンプもクロカンも着実に進化して最後の鍵穴をあけるところまで来ている。その鍵をあけることができたら、平昌の金メダルに手が届く。今はそんな気がしています」そうやって新たなものを追い求めるのが渡部暁斗の生き方。どこまでも自分らしく自然体で4度目の大舞台に向かおうとしている。■長野五輪で日本ジャンプチームの金メダルを目撃して八方尾根を筆頭に日本有数のスキー場が連なる長野県白馬村。この地に渡部暁斗が生を受けたのは、日本がバブル絶頂期に突入しつつある’88年5月だった。3つ下の弟・善斗とともに逞しく育った彼にとって、スキーは「日常的な遊び」の延長。通っていた白馬北小学校に5、10、15mの3種類のジャンプ台が設置されていたこともあり、宙を舞い始めたのも早かった。大きな転機が訪れたのは小学校3年の2月。地元で開催された’98年長野五輪だ。日本ジャンプチームはラージヒル(旧90m級)団体で金メダルを獲得。原田雅彦(雪印監督)の号泣シーンは今も人々の脳裏に焼きついている。暁斗少年は、その現場にいたのである。「ブレーキングゾーンというジャンプした選手が着地して止まる枠の前にいたんですけど、雪がすごくて何も見えなかった(苦笑)。それでも歓声と熱気はすごかったですね。白馬のジャンプ競技場にあんなに人が入ったのは後にも先にもあの時だけ。その印象は今も鮮明に残っています」子ども心にスイッチが入ったのか、彼は小4に上がった同年4月に白馬村スキージャンプ少年団に入り、本格的に競技を始める。白馬中学校に入った時点ではジャンプ専門の選手になることを夢見ていた。が、スキー部ではジャンプのみならず、クロカンにも取り組むことが決まっていて、渡部もあまり気が進まない中、雪上を走り始めた。「そのころは週末に飛ぶジャンプが楽しみでやってたようなもんです。クロカンは中学生が5km、高校生になると今と同じ10kmになるんですが、中学生の初めはすごく遅かったし、きつかった(苦笑)。でも学年が上がるにつれて速くなっていったんで、白馬高校に進んだ時、自ら複合を選びました」兄の背中を追うように善斗も同じ複合の道へと進んだ。「暁斗が高校生の時は自分が中学生と常に別のカテゴリーにいたので、それぞれの場所からお互いを見るような関係でした。僕自身は兄という感覚はほとんどない。両親も応援してくれましたが、競技のことはわからなかったので口は出さなかった。自由にやりたいようにやれる環境でした」と弟は当時を語る。家族のバックアップを受け、トントン拍子にスターダムにのし上がった渡部は高2だった2006年、トリノ五輪代表に選ばれる。’05-’06シーズンはW杯よりレベルの下がるコンチネンタルカップ(当時はW杯B)を転戦していたのだが、成績が急上昇し、五輪代表枠に滑り込む格好となった。「トリノへ行ったらテレビで見ていたような人たちが周りにいて、同じ会場で競技ができることがうれしくてたまらなかった。成績は個人スプリント19位。“まあいいんじゃないか”という感じで見物的な感覚だった。日本勢のメダルは女子フィギュアの荒川静香さんの金1つ。全体が沈んだムードだったのに、僕ひとりでへらへらしてました」と苦笑する。高校生で五輪に出れば、そういう感覚になるのもやむをえないだろう。■手首の骨折から恐怖心が生まれて「手はすぐに治ったけど、無意識にかばうせいで、ジャンプのバランス感覚がおかしくなり、次第に恐怖心が生まれていったんです。負傷後の2シーズンは全くダメでしたね。彼が真の意味でアスリートの苦労を知るのはその先のこと。最初の大きな挫折は高3の時の手首骨折である。’06-’07シーズンを棒に振り、早稲田大学に進学後も不振が続く。“ジャンプがダメならクロカンで何とかしなきゃいけない”と考えた。世界を回るようになってクロカンのうまい選手を見ると、彼らは緩急のつけ方が非常に長けている。そういう選手の技術やリズムのとり方をまねしながら、ガムシャラなレースを繰り返していくうちに自然と走力は上がりました」’92年アルベールビル、’94年リレハンメル両五輪で団体金、’94年個人銀メダルをとった河野孝典・全日本複合チームヘッドコーチとの出会いも大きかった。「河野さんが“身体が小さくてパワーのない選手が世界に通じる走りをするにはテクニックの改善をするのが一番早い”とアドバイスをしてくれたのも大きかった。2人でいろんな動画を見ながら、いかに力を使わずにスキーを滑らせるかを熱心に研究しました。一番参考になったのが、バイアスロンの走り方。バイアスロンの選手は銃をブラさずにスーッと走る。それに近づこうとしたんです。荷重のかけ方、足のさばき方といった細かい部分も見直したことで一気に成績が上がり、’09年世界選手権の団体金メダルもとれた。2度目の五輪だった2010年バンクーバーは個人ノーマルヒルこそ21位と出遅れたけど、ラージヒルは9位。前回より順位が上がりました」と渡部は急成長した大学時代を述懐する。■最高のライバルとの死闘早稲田時代には人生を大きく左右する出会いがもうひとつあった。それが同期の妻・由梨恵さん(28)だ。彼女もまたフリースタイルスキー・ハーフパイプで平昌五輪有力候補のトップアスリートである。「暁斗と付き合い始めたのは大学3年の時。同期はみんな仲がよくて、彼も仲間のひとりでした。世界選手権で団体金メダルをとったころでしたけど、プライベートではあまり競技の話はしなかったですね」と由梨恵さんは笑う。2011年に渡部はかつて荻原兄弟がそろって在籍し、同じ白馬村出身のモーグル選手・上村愛子さんも所属していた北野建設へ入社。長野市に居を構えた。同じころ、アルペンスキーからスキー・ハーフパイプへ転向した由梨恵さんは、東京でアルバイトをしながら練習する環境を選んだが、体調を崩してしまう。そこで渡部から意外な申し出があったという。「“ウチの実家に来ればいいんじゃない”と言ってくれたんです。暁斗は長野、善斗も東京にいて白馬にいるのはご両親だけだし、部屋が空いているから……ということで、私自身には本当にありがたい話でした。ご両親も暁斗の彼女とかそういうことは関係なしに温かい目で見守ってくれました。白馬のお土産屋さんでアルバイトもしましたが、“家賃も生活費は一切いらないよ”と言ってサポートしてくださった。1年後には暁斗のいる長野市へ行って、ユニクロでアルバイトしながらひとりで暮らしましたが、彼とご両親の存在があったから今まで競技を続けてこれたと思います」と、由梨恵さんはしみじみ語る。当時の彼女は全日本スキー連盟(SAJ)強化選手でありながら、活動費や遠征費は自己負担。恵まれた環境にいる自分とは異なる形で努力する由梨恵さんの存在も励みに、渡部は世界トップを目指した。W杯総合ランキングは’11-’12シーズンの2位を皮切りに’12-’13、’13-’14シーズンが3位と表彰台をキープ。’09-’12年にかけてW杯3連覇を果たしたジャゾン・ラミ=シャプイ(フランス)やフレンツェルら世界トップに肩を並べた。自信を深めた彼は’13年春に「ソチでは金メダルをとる」と宣言。自らにプレッシャーをかけることで、有言実行を果たそうとしたのだ。同じころ、由梨恵さんが左ひざ前十字じん帯断裂の重傷を負ってソチを断念したことも、渡部を奮起させる材料になったに違いない。冒頭のとおりソチの最高成績は2位。渡部がゴールした瞬間、テレビで解説していた荻原次晴氏が号泣するほど、ノルディック複合界にとっては悲願のメダルだった。最大目標の金メダルには手が届かなかったものの、フレンツェルという尊敬できる選手との死闘を彼は前向きにとらえていた。「フレンツェルは勝負強さで勝てる選手。ひとつのレースの流れを見て、どこで勢いをつけるか、波に乗るかを的確にかぎ分けられる。そのうえ礼儀正しく正々堂々と戦う姿勢やメンタルも素晴らしい。本当に王者にふさわしいリスペクトすべき存在だと思います」と渡部は心からの敬意を表している。最高のライバルと持てるすべてを賭けて戦える機会を得られる競技者はそうそういない。清々しく晴れやかな思いもあったはずだ。■国際電話でプロポーズ。夫婦で五輪へ歴史的出来事を体験した翌日、渡部は由梨恵さんに1本の電話をかけた。「結婚してくれないか」「はい」彼女は思わず、そう答えていた。「本当は日本に帰ってメダルを私に見せながらプロポーズしようと思ってたみたい(笑)。でも暁斗はソチの後もワールドカップ転戦でしばらく日本には帰れなかった。それで“とりあえず電話で”ということになったようです。それまでも会えないことが多くて、最長で5か月という時もあった。私が“会いたい”と言ったら“お互い好きなことをやってるのに(競技と自分の)どっちもとりたいというのは贅沢だ”って諭されたこともありました。それくらい冷静な暁斗が結婚を決意してくれた。それが何よりもうれしかったですね」と由梨恵さんは微笑んだ。’14年9月に結婚式を挙げ、二人三脚で4年後の平昌へと進み始めた渡部夫妻。夫のほうは家事をこなしてくれるパートナーができて競技により邁進できるようになった。が、妻は活動費捻出のため結婚前同様にアルバイトを続け、主婦業と練習も掛け持ちしていたから、どうしてもアスリートとしての時間が不足する。約1年が経過したある日、多忙すぎる様子を見かねた夫がこんな提案をした。「今のままでは(五輪を目指すのは)ムリだよね。スキー1本でやったらどう。ご飯さえ作ってくれれば、遠征費は出すよ」これを機に由梨恵さんはアルバイトをやめ、’15-’16シーズンから練習に集中。成績が格段に上向いた。’16-’17シーズンは東京と長野を行き来してトレーニングにいそしみ、「’16-’17、’17-’18シーズンのワールドカップで12位以内3回、10位以内2回、8位以内1回」というSAJの平昌派遣基準を1年でクリアするまでになった。そして五輪を翌年に控えた2017年5月、由梨恵さんは日本オリンピック委員会(JOC)の就職支援を活用して、ルネッサンスキャピタルグループと契約。東京に拠点を移してラストスパートをかけている。2人で過ごせるのはオフシーズンの週末だけになったが、渡部のポジティブシンキングはどんな時も変わらない。「2人がお互いに理解し、リスペクトしあいながら暮らすことで、人としての器も広がったかなと感じます。今は一緒にいられるのが年間100日もないけど、これが永遠に続くわけじゃないですからね。たまに僕が食事を作ることもあります。最近のブームは無水鍋で作ったカレー。簡単だし、奥さんも喜んでくれてます」と彼は目を細める。■冬冬冬夏!毎日でもスキーをしていたいともに高みを目指す妻に刺激をもらいながら渡部は着々と金メダルへと邁進している。「ソチからの3年半ですべてが変わった。自分自身が別人のレベルに達している」と本人が言い切るほどの変化があったという。精力的に取り組んだのがトレーニングの改善。ソチの直後からロードバイク、マウンテンバイクを導入。クロカンにつながる持久力のベースアップを図った。さらに身体の使い方、筋肉の動かし方も根本から見直そうとヨガやピラティス、TRX(ファンクショナルトレーニング)などにもチャレンジ。細かい部分までメンテナンスをして、より大きなパワーを出せるように仕向けてきた。「僕は“変わることへの好奇心”がすごく旺盛なんで、ホントにいろんな練習に手を出しました。身体能力の数値自体はそんなに変わっていないけど、自分の持てる力をより効果的に使えるようになった。意図しているわけじゃないけど、五輪前の2年間は毎回いいサイクルできている。今回も2017年2月のW杯札幌大会、3月のオスロ大会の個人ラージヒルで優勝し、その間に行われたフィンランド・ラハティでの世界選手権の同種目で銀メダルをとれた。それは自分にとってすごくいいことですね」と平昌を1年後に控えた2017年春、彼は目を輝かせた。迎えた2017年夏。渡部は勝負の半年間をどう過ごすべきか思いを巡らせていた。北野建設には横川朝治監督と荻原健司部長、全日本にも河野コーチといった指導者はいるが、トレーニングの流れとメニューを自ら考え、実践するのが渡部流。自らアクションを起こせる選手こそが強い。それが彼の哲学である。「オフシーズンは週6日、合計10時間練習するのが基本。長い日は3時間やって、ほかの日を少なくするとか、無計画計画(笑)。すべて自分で判断します。すべてコーチの指示に従うというのは僕は好きじゃない。一般社会でもそうですけど、自己判断できる人間じゃないと結果は残せない。自分に何が必要かを考え、掘り下げる作業が大事だと思ってます」頭を使う作業が行きすぎて7月上旬に地元・白馬で行われたサマージャンプ大会のクロカン競技中に熱中症でダウンするというアクシデントに見舞われたが、それもひとつの経験と前向きにとらえている。多少の困難があってもくじけないのは、根っからスキーが好きだから。五輪もW杯も「遊びの延長」という意識があるからこそ、渡部は常に前進を続けていられるのだ。「五輪のためにスイッチを入れる選手ってたくさんいますけど、僕にはその感覚がわからない。いつも自然体だからスイッチがいらないというか、毎日でもスキーをしていたいんですよ(笑)。四季も“冬冬冬夏”くらいがちょうどいい。マウンテンバイクもやってるから夏も好きだけど、雪が解ける春とか降らない秋はいらない。引退したらノルウェーとか北欧に住めってことですかね」と本人は冗談まじりに話したが、そのくらいジャンプとクロカンが生活の一部になっている。夏場には、地元・八方尾根で1時間半かけて約1000mの高さをローラースキーで上がっていくという想像を絶するハードメニューを日常的にこなしていた。高い負荷をかけているのに心拍135~140を維持して平然とやってのけるのが渡部のすごさ。連日、ともに走っている弟・善斗も「暁斗は強い」と、しみじみ口にしていたほどだ。「暁斗の安定した強さは本当に参考になります。でも複合選手としてまだ世界一ではない。それを彼自身もよく理解し試行錯誤を重ねているから進化できる。身近にいる暁斗が“さらに上がいる”と思わせてくれるのは非常にありがたいこと。それぞれが理想とする選手像を突き詰めていく中で、複合を面白いと思って見てもらえるような影響力のある選手になれたらいいですね」と自らも世界トップを目指す弟も兄に敬意を表している。こうして苦しみを厭わず、好きなものをトコトン追求し続けた先に、平昌の金メダルがあれば、まさにベストだろう。■侍の矜持で真のキング・オブ・スキーに「暁斗はまずスキーが抜群にうまい。デコボコの斜面をスムーズに滑れるのも操作が巧みだから。足裏感覚にも長けているので、雪の感覚をつかみながら進める。そこは白馬という雪国で育った優位性でしょう。加えて素直さ、まじめさ、純粋さ、努力家という人間的長所がある。彼を見ていると、僕の全盛期のはるか先を行っているなと実感します。その可能性は十分だとノルディック複合のレジェンド・荻原健司部長は太鼓判を押す。実際、自分は五輪の団体金、W杯の個人総合の金、世界選手権の個人・団体の金をとりましたけど、五輪の個人のメダルだけはとれなかった。前回銀メダルを暁斗がとってくれた時は心底、うれしかったですけど、次に金をとれれば、彼の言う“五輪の頂点に立つための鍵”がやっと開くんだと思います。それを一緒に探す作業ができるのは本当にありがたいこと。勝負はラスト半年だと思います」荻原健司部長の描くシナリオは、まず’17-’18シーズンにうまく入ること。「W杯序盤の1、2戦で表彰台に上り、じわじわと調子を上げていって、2月を迎えられたら理想的です。平昌直前には地元・白馬でW杯があるので、そこで勝って弾みをつけて本番に入り、長い間、勝てなかったフレンツェルを倒してくれればいい。僕らノルディック複合関係者にとって五輪の個人金メダルは絶対にクリアしなければならないハードル。暁斗ならやってくれると信じてます」と、かつてキング・オブ・スキー(W杯王者のみに与えられる称号)に君臨した男は後輩に夢を託す。「1位と2位はほんのちょっとの差だけど、負け癖がついているのかな……。運とか才能とか足りないものはいろいろあるんだろうけど、何とか脱しないといけないですね。だからといって、僕は誰かの後ろでエネルギーを温存しながら戦うといった姑息な作戦はとりたくない。レース展開はもちろんジャンプ次第ですけど、僕は“フェアな試合をする”っていうポリシーを頑なに守ってるんです。前に出て引っ張ると風よけに使われるんで、すごく負担にはなるんですよ。そういうマイナス面があるから、どの選手も前に出たがらない。でもフェアに勝負するために、自分が前を引っ張っていくのが大事なんです。“お前、バカだな”とか“もっと後ろに引けよ”とか“下がって体力温存してたら勝てたかもしれないのに”とよく言われるけど、自分が納得するレースをして勝ち切る。それが僕の考える真のチャンピオン。自分が五輪金メダルやW杯総合優勝をまだ手にできていないのは、その地位にふさわしい選手になれていないから。自分らしさを貫いて、平昌の表彰台の一番高いところ、そして『キング・オブ・スキー』を狙います」まさに『白馬の侍』ともいうべき渡部暁斗の矜持……。それを妻・由梨恵さんはよく理解している。「暁斗には理想とするレース内容がある。表彰台に上がれても、いいレースじゃなかったケースもあったと思います。だから私は“今日はいいレースができた”と彼が笑顔で言う時が一番うれしい。それが平昌だったら本当に最高ですよね」力強い戦友である妻と手を取り合って、迎える4度目の五輪。はたして、そこには何が待っているのか……。エース・渡部暁斗の一挙手一投足から目が離せない。取材・文/元川悦子撮影/齋藤周造元川悦子(もとかわ・えつこ)◎1967年、長野県松本市生まれ。サッカーを中心としたスポーツ取材を主に手がけており、ワールドカップは’94年アメリカ大会から’14年ブラジル大会まで6回連続で現地取材。著書に『黄金世代』(スキージャーナル社)、『僕らがサッカーボーイズだった頃1・2』(カンゼン)、『勝利の街に響け凱歌、松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか
2018年01月03日(写真:アフロ) 連覇のかかる’18年2月の平昌五輪を前に、男子フィギュアスケート・羽生結弦選手(23)は今また、かつてないほど大きな試練に直面している。11月9日、NHK杯の公式練習で右足関節外側靱帯損傷のケガを負い、大会を欠場した。 12月14日には、日本スケート連盟を通じ、羽生自身がコメントを発表。靱帯だけでなく、腱と骨にも炎症があり、いつから練習が再開できるか決まっていない状況だという。 全日本選手権は五輪代表を決める最終選考会でもあるが、羽生は欠場しても、これまでの実績で五輪出場は確実だ。とはいえ、五輪連覇には黄信号がともってしまった。 ’08年から彼の取材を続けるスポーツライター・野口美惠さんはこう語る。 「今シーズンが始まる前の羽生選手は、表情や体つきなどから、夏の間に充実した練習をこなして、しっかり仕上げてきた自信が見えました。GPシリーズのロシア杯、NHK杯で見つけた課題を修正し、全日本選手権ではある程度、完成した演技をして、五輪本番を迎える。それが、2つ目の金メダル獲得のために綿密に計画されたスケジュールでしたが、ケガで崩壊してしまった。羽生選手にとって大きな誤算です」(野口さん) ソチ五輪金メダル、世界選手権は2度、優勝。GP(グランプリ)ファイナル4連覇と、次々に記録を塗り替え、世界歴代最高点をも更新し続けてきた羽生。彼はこれまで幾度となくケガや病気に見舞われながら、その壁が高く、試練が大きいほど、乗り越え、進化してきている。 ソチ五輪以降、男子フィギュアスケートは“新4回転時代”に突入し、年々、ハイレベルな競技になってきている。4回転ジャンプは当たり前。1つのプログラムで数種類の4回転を跳び、コンビネーションにしなければ、メダル獲得は難しい。加えて、ステップやスピンでも、GOE(出来栄え点)で加点がつく完璧な演技が求められる。 トップを走る羽生は、より高い技術と完璧な表現をストイックに追求することで、常にケガや病気、アクシデントに遭遇した。オリンピック後は毎年のように、この試練に直面することになる。 ’14年10月、GPシリーズ中国杯の試合直前の6分間練習で、中国のハン・ヤン選手と激突。ブライアン・オーサーコーチも止めるなか、頭に包帯、顎にばんそうこうという姿で演技した。ジャンプで5回も転倒し、会場から悲鳴が上がったが、最後まで滑りきり、銀メダル。 その時期、羽生が口にした言葉は印象的だ。 「たくさん乗り越える壁をつくっていただいて、こんなに楽しいことはない。自分が弱いということは、強くなれる可能性があるということ。壁を乗り越えた先にある景色はいいものだと思っています」 壁を恐れない強さを身につけた羽生は、その後のGPファイナルで4回転ジャンプを次々に決め、金メダルを獲得。続く全日本でも3連覇を果たした。ところが、その直後に、尿膜管遺残症と診断され、開腹手術を受ける。’15年3月の世界選手権は出場が危ぶまれたが、気迫の滑りで2位に入った。 野口さんは次のように話す。 「この試合の後、羽生選手は『追い込みすぎて疲れたら、調子が下がるのは当たり前。自分のさじ加減を考えるきっかけになったな。失敗しないと気付けないことはたくさんある』と、すぐに新たな課題を見つけていました。『ミスしたことは、成長への糧になる』それが、彼のプラス思考。壁を乗り越える力なんです」 そして、こう続ける。 「彼のレベルまでいけば、あえて新しいものに挑戦するより、同じジャンプ構成のまま、より演技に磨きをかけていい点数をキープすればいい。でも、彼はあくまで挑戦したい。挑戦しすぎるんです。彼には、進化するためには、苦しい時期があるのが当然という考え方があるんですね。ネイサン・チェン(アメリカ)が4回転を5種類跳んだという情報を耳にすると、楽しくてしょうがない。まだまだ、自分にはやることがあるとワクワクしてしまうんです」(野口さん) 世界選手権で2度の銅メダルを獲得、現在はフィギュアスケートの解説者を務める本田武史さんは、羽生が今回のケガをする場面に遭遇していた。 「ちょうどあの日、僕は目の前で見ていた。ジャンプで跳び上がった瞬間、合ってないぞと思いました。普通は回転をやめますが、羽生選手はそのまま行ってしまったので、転んではいけない方向に転んでしまった。全日本に出たい気持ちもわかるが、五輪で100%を出すことを考えて、足と相談してほしいと思います」(本田さん) 本田さんと羽生は、ともに仙台市内の「泉DOSCアイスアリーナ」に通った間柄。仙台時代には接点はなかったが、東日本大震災後のアイスショーで、同じリンクを滑った。 「あのころ羽生選手は東神奈川にいて、すごい数のアイスショーに出ていました。お客さんの前で、緊張感をもって滑る経験を積んで、練習時間も練習場所もない逆境を克服したんです。彼はマイナスをマイナスと考えていなかった。どうしたら、できるのか。そればかりを考えていました」(本田さん) 《逆境はプラスだ》という考え方が、彼のなかに芽生えたのは、このころだ。泉DOSCで、羽生を指導した都築章一郎さんは言う。 「アイスショーが、リハビリになったと思います。横浜のリンクで練習して、ショーで確かめる。その半年間でした。震災で、生と死について、強く感じたと思うし、それを乗り越えて、競技している。結弦は、天真爛漫に動いていた少年時代より、強い信念をもってスケートをするようになりました」(都築さん) 最後に、数々の危機を乗り越えてきた羽生を見て本田さんは思う。 「『不可能という文字はない』それは、羽生選手の生き方」
2017年12月30日日本スケート連盟が12月24日、来年2月の平昌五輪に出場するフィギュアスケートの代表を発表した。 男子は男子は右足負傷の回復が間に合わず全日本選手権を欠場した羽生結弦選手(23)、同選手権優勝の宇野昌磨選手(20)、同選手権2位の田中刑事選手(23)に。女子は同選手権4連覇を達成した宮原知子選手(19)、同2位の坂本花織選手(17)が選ばれた。 「羽生選手が欠場しても五輪の代表争いには視聴者の関心が高かったようで、全日本選手権は23日にフジテレビ系で放送された女子フリーの平均が14.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)、24日放送の男子フリーは11.8%を記録しました。もし羽生選手が出ていれば男子の方はもっと数字が跳ね上がったはずです」(スポーツ紙の五輪担当記者) すでに平昌五輪のフィギュア中継局は決定済み。前回14年のソチ五輪から導入された団体戦はNHK、フジテレビ、日本テレビが放送権を獲得。男子の個人はTBSとNHK、女子の個人はテレビ朝日とNHKがそれぞれ中継する。 「国民の関心は高い五輪だが、やはり五輪の個人2連覇がかかった羽生選手が出るか出ないかでは大違いです。代表が正式決定して中継の責任者は胸をなで下ろしています。ケガの影響もあって団体戦には出るか分からないので、団体戦の放送権を獲得した局は天に祈るしかないでしょう」(NHK関係者) ソチ五輪で羽生選手が金メダルを獲得した男子フリーはフジが中継。午後11時台から午前4時台の放送にもかかわらず平均16.6%、瞬間最高23.1%を記録した。平昌ではどこまでこの数字を更新するかが注目される。
2017年12月27日映画「未成年だけどコドモじゃない」の初日舞台挨拶が12月23日行われ、W主演を務める平祐奈(19)とSexy Zoneの中島健人(23)が登壇した。 平は初日を迎えて緊張しつつ「うれしいのと同時に緊張して。昨日は、電車は乗り間違えるしシャンプー2回しちゃうし歯磨き粉で顔洗おうとしちゃうし」とコメント。しかし中島から「緊張してるの、愛梨ちゃん?」と姉の名前を言われ、すかさず「祐奈だよ!」と鋭い切り返しを見せ、場内を沸かせた。 そんな平のアドリブ力に、ファンからは《平祐奈ちゃん面白いし可愛いし》《天真爛漫なとこすきーー》とのコメントが。また映画の内容を踏まえて《平祐奈ちゃんのコメディエンヌぶりはなかなかのもの》などの声も挙がっていた。 2017年は出演映画が9本公開され、大躍進の一年となった平。バラエティの女王である姉からはその美貌だけでなく、ユーモアさを引き継いでいるようだ。 11月にひらかれた同作の完成披露試写会に登壇した際も「トキメキがたくさん詰まっていて、お尻が浮いていく感覚でした」「胸が弾みすぎて、お尻が上がってきちゃって(笑)。皆さん気を付けて。お隣の人と腕を組んで見てください!」と語りファンの笑いを誘った。 「中島さんが撮影中にアドリブを入れても、平さんはいつも自然な形で返していたそうです。姉の平愛梨さんはバラエティ番組でのコメントに定評があることで知られていますが、祐奈さんもそれ以上の逸材だと評判になっていますよ」(芸能関係者) 2018年3月に公開予定の映画「honey」でも主演を務める平。来年もその魅力を発揮しそうだ。
2017年12月25日女子スキージャンプ選手の高梨沙羅が21日、東京・銀座のニコラス・G・ハイエックセンターで行われた「オメガ オリンピック ワールドワイド キャンペーン記念 時計贈呈イベント」に登場した。「オメガ オリンピック ワールドワイド キャンペーン記念 時計贈呈イベント」に登場した高梨沙羅2018年2月9日に韓国・平昌で行われる第23回オリンピック冬季競技大会でオフィシャルタイムキーパーを務めるオメガは、同大会での活躍が期待される世界的ジャンパーの高梨沙羅に時計「シーマスター アクアテラ"ピョンチャン2018"リミテッド エディション」を贈呈。その贈呈式に高梨が登場し、平昌オリンピックの抱負などを語った。贈呈されたオメガの時計について高梨は「こんなに素晴らしい時計をしたことがないので、ちょっと緊張しています(笑)。オリンピックに向かうまでの時間を刻んでいると思うと気持ちが引き締まりますね」と姿勢を正し、「自分のモチベーションを上げるためにも時計を見て過ごしたいと思います」と笑顔。その高梨は、平昌オリンピックまで残り1カ月ちょっとなったが、「いよいよオリンピックが迫っているな、という気持ちです。ワールドカップが始まってオリンピックまで残りわずかなので、自分のやるべきことに集中してトレーニングをしたいと思います」と現在の心境を明かしつつ、「オリンピックに向けて金メダルを獲るために練習してきました。応援してくださる方に結果で恩返しができるように頑張って練習をし続けていきたいと思います」と力強く語った。初めて参加した2014年のソチ五輪は、4位に終わった高梨。「4年前は初めてのオリンピックでしたので、オリンピックに挑戦するワクワク感やドキドキ感を感じていました。今はあれから4年が経ち、オリンピックの代表選手に選ばれるためにやってきたので、ソチの失敗もあり、その悔しさを跳ね返す気持ちが強いです」とソチ五輪との変化を述べ、「目の前のことをしっかりやることがオリンピックにつながると思うので、今できることを精一杯やっています。自信は4年前よりもしっかり持っている自負はあるので、自分の気持ちを強く持っていることは間違いないと思いますね」と自信を見せていた。
2017年12月22日開場20周年を迎えた世田谷パブリックシアターによる日韓文化交流企画、イプセン作『ペール・ギュント』が12月8日に本公演が開幕した。平昌五輪の開・閉会式の総合演出家として注目される韓国演劇界の鬼才ヤン・ジョンウンの指揮のもとに、日韓20名のキャストが集結。ヤン自身が芸術監督を務める劇団旅行者(ヨヘンジャ)の代表作のひとつである本作を、日本人スタッフとともに再構築した舞台である。「彼のペールが見てみたい」というヤンの熱望により主人公を担う浦井健治を中心に、磨かれた身体性や言語表現の妙で想像力を刺激するヤン独自の世界観に、さらに熱の加わった豊潤な劇空間が誕生した。舞台『ペール・ギュント』チケット情報母親と恋人を故郷に残し、自分探しの旅に出て世界をさまようペール。その冒険譚の幕開きから、観客を瞬時に現実から解き放し、物語へと強く吸引する神秘的な空気が広がっていた。スローモーションからシャープなムーブメントへ、またリズミカルなステップと、俳優の体が雄弁に駆け回り、日本語と韓国語(字幕あり)の台詞が飛び交うシーン展開は、ある時はクレヨンで塗られた素朴な絵本の挿絵に、ある時はポップなコミックになり、さらに荘厳な宗教画を見たかのような胸打つ瞬間も訪れる。世界中で奔放な体験を繰り返すペールの旅の同伴者となり、トーンの変化する空間を浮遊する興奮が味わえるのだ。また国広和毅と関根真理の演奏による音楽が、より物語の寓話性を引き出す効果をあげている。虚栄心に満ち、非情で、実のところ臆病な男という異質の主人公ペールを、浦井が天真爛漫に欲望をさらけ出し、思い切りの良い表現で魅力的に立ち上げていた。故郷を飛び出した頃の無邪気な顔を、冒険を経て策士の面構えに巧みに変化させていく。それでもペールの根本には無垢な魂があることを信じさせる、稀有なたたずまいを持った俳優である。母オーセを演じるマルシアは、小気味良く爆発させる明るさによって情の深さや空しさを痛切に伝えてくる。ユン ダギョンが扮したペールを誘惑する“緑衣の女”は、昆虫のようなユニークな風貌と独特な動きに目を奪われた。また、イプセンの戯曲では船のところを飛行機に替えたシーンは、ペールがいきなり現在を飛び越えて未来を旅しているようにも感じられて面白い。そこに“見知らぬ乗客”として現れるキム・デジンの、得体の知れない不気味な存在感が光る。長い年月をかけ、さまざまな場所で己の生の爪痕を残してきたはずのペールが、旅の果てに「自分自身だったことなど、ただの一度もない」と指摘され、嘆く。その絶望を最後に受けとめる恋人ソールヴェイを、趣里が好演。神々しさすら感じる力強い声が耳に残った。開幕前は日韓の俳優が表す情緒の違いを楽しみにしていたが、国籍の見分けがつかないほどに呼吸を合わせた、ヤン・ジョンウンの“チーム力”で構築された世界があった。濃厚なワークショップを重ねた所以だろう。俳優のみならず精鋭クリエイター陣によるスタッフワークの渾身をも隅々まで感じ取れる、圧巻の思想劇だ。東京公演は12月24日(日)まで。取材・文:上野紀子
2017年12月12日東出昌大「G1前には、スポーツ新聞は前日から買って読んでいます。専門誌を買うこともありますよ」あるスポーツ誌のインタビューで、競馬への思いを熱く語っていた東出昌大。小学生のときに始めた競走馬育成ゲーム『ダービースタリオン』がきっかけで、それ以来、大の競馬ファンだという。「彼の競馬への思いは小学生の頃からで、当時からトウカイテイオーやオグリキャップのビデオを見ていたそうです。それからグラスワンダー、エルコンドルパサー、サイレンススズカ、もちろんディープインパクト、オルフェーヴルも好きですし、最近ではジャスタウェイが好きだそうです。調教やタイムだけでなく、血統にも詳しいので、競馬の話をしたら止まりません。馬券も国内はもちろん海外のレースも購入するほどのファンです」(スポーツ紙記者)昨年12月25日に開催された『第61回 有馬記念』は妻で女優の杏と誕生したばかりの赤ちゃんを連れて、中山競馬場で観戦した。2人は2015年に結婚し、翌年の5月に双子の女児が誕生。そして今年11月上旬には第3子となる男児が誕生したばかり。「東出くんと杏ちゃんの子育ては、まさに“格闘”です。家事と育児の分担といったレベルではなく、とにかく料理からお掃除、買いだしから洗濯すべて夫婦で協力しています。杏ちゃんの妊娠中もなるべく負担にならないように、仕事が終わると真っ直ぐ帰宅していました」(芸能プロ関係者)そんな東出の趣味といえば競馬に加えて剣道、落語、将棋がある。「父親が剣道の先生でしたから、小さい時からしっかり鍛えられて三段の腕前。自宅では今でも素振りをしています。その影響もあって“子どもには剣道を教えたい”と言っていました。でももう一つ、叶えたいことがあるそうで、それが“自分の子がジョッキーになって、その子が騎乗するお馬を応援すること”。そんなことをよく話していました」(前出・同関係者)12日は京都競馬場で3歳以上の女王を決めるG1『エリザベス女王杯』が行われる。次に家族揃って競馬場へ行くのはいつになるのか――。<取材・文/小窪誠子>
2017年11月12日(写真:アフロ) 来年2月に開催される「平昌オリンピック」(韓国)シリーズを前に、オリンピック連覇のかかる羽生結弦(22)が、テレビのインタビューで、「全員がノーミスをした中で、自分もノーミスをして圧倒的に勝ちたい」と闘志を語った。 今月20日には、グランプリシリーズ初戦のロシア杯が開幕。グランプリファイナル5連覇を目指す羽生が登場し、最大のライバル・アメリカのネイサン・チェン(18)と激突したばかり。 今回、本誌では、男子フィギュアスケートのオリンピックシーズンの見どころを、元フィギュアスケーターで解説者の佐野稔さんと、スポーツライターの折山淑美さんが徹底解説してくれた。 「もはや4回転を何種類、ショート+フリー合わせて何回跳ぶか、で勝負がつく時代です。4回転と3回転のコンビネーションも必須。種類と数では、アメリカのネイサン・チェンが5種類、宇野(昌磨)、金博洋、ヴィンセント・ゾウが4種類と続きます。現在3種類を跳ぶ羽生くんですが、公式練習ではすでに成功している4回転ルッツを、本番でどう成功させるかに注目です」(佐野さん) さらに佐野さんはこう続ける。 「フィギュアではもちろん、ジャンプだけでなく、芸術面での完成度も求められるので、総合面で羽生くんにかなう選手はいない。羽生くんは、’15年のグランプリファイナルで世界歴代世界最高のトータル点となる330.43をたたき出しました。得点には、『技術の基礎点』、『GOE』と呼ばれる出来栄えを評価する点、そして『演技構成点』の3つがあります。このときのフリー『SEIMEI』の演技構成点は100点満点の98.56点。そこまで出した人はいまだかつていません。またオリンピックの審査員はほぼ海外の人なので、メード・イン・ジャパンの作品『SEIMEI』は審査員にはエキゾチックに映り、高評価のはず。自らの記録を超えて66年ぶりの金メダル連覇を成し遂げてほしい」(佐野さん) 折山さんも羽生の選曲に“完成度の高いもので勝負する”意志を感じるという。 「私はショートの演目『バラード第1番』の静かな音で跳び上がり、ふわっと着氷する、彼のトリプルアクセルが好きです。しなやかな美しさのあるスケーティングは、GOEの出来栄え点も取れます。羽生がノーミスなら、断トツに強いでしょう」(折山さん) ただ羽生の調子が悪かったときは、320点あたりで優勝争いが混沌としそうと折山さん。 「その場合、319.84点で世界歴代2位の宇野がノーミスなら羽生に競っていける。4回転は4種類を跳べます。コーチの樋口(美穂子)さんの振付で演技に力強さが加わり、演技構成点も上がっています」(折山さん) 羽生が4回転ルッツを鮮やかに決めて、宇野も4種類を跳んで、日本勢のワンツーフィニッシュを見届けたい!
2017年10月28日椎名林檎と「Perfume」が、10月28日(土)放送の「内村五輪宣言!~TOKYO2020開幕1000日前スペシャル~」に出演することが決定した。「内村五輪宣言!」は、「東京オリンピック・パラリンピック大会」までちょうど1,000日前となる2017年10月28日に、司会・内村光良を迎え放送する特集番組。2020年に向けてすでに動き出しているアスリートやアーティスト、そして町の人々の様々な取り組みなどを取り上げていく。すでに、ゲストには北島康介、澤穂希、吉田沙保里や、コーナーゲストとして塚原直也、米田功、プレゼンターには「オードリー」、澤部佑、渡辺直美。さらにアーティストとしては「ゆず」が決定していたが、加えて今回椎名さんと「Perfume」の参加が決定。この2組のアーティストたちは、夜の東京をテーマにスペシャルパフォーマンスを披露!椎名さんは、昨年リオ・デジャネイロ パラリンピック閉会式のフラッグ・ハンド・オーバーセレモニーのためにリメイクした曲「東京は夜の七時」を、浮雲/小雨/林檎によるスペシャルユニット「HUMAN ERROR」でテレビ初披露。さらに、今春トータス松本との初共演が話題となった「目抜き通り」も披露される。そして「Perfume」は、ドラマ「東京タラレバ娘」の主題歌となった「TOKYO GIRL」を歌唱。番組では、NHK2020情報サイトとツイッター(#nhk1000days)で「1000日後、どんな自分になりたいですか?」というテーマでメッセージを募集。全国から集まったメッセージによって、「Perfume」のスペシャルパフォーマンスが完成するという。映像演出は、長年「Perfume」の映像を手掛け、リオ・デジャネイロ オリンピオック閉会式のフラッグ・ハンド・オーバーセレモニーにも参加していた「ライゾマティクス」の真鍋大度チーム。東京オリンピックの1,000日前、2020年に向けて期待が高まる夜の東京を最新のテクノロジーを駆使した映像が彩る。「内村五輪宣言!~TOKYO2020開幕1000日前スペシャル~」は10月28日(土)19時30分~総合テレビにて放送。(cinemacafe.net)
2017年10月20日(写真:アフロ) シニアデビュー戦となる「USインターナショナルクラシック」に出場し、断トツの成績で優勝した本田真凛(16)。一躍“ポスト浅田真央”として注目を集め、平昌五輪出場を期待する声も高まっている。 真凛といえば本田きょうだいの次女としても有名。長男の太一(19)、ドラマ『家政婦のミタ』(日本テレビ系)でブレークした三女の望結(14)、さらに四女の紗来(10)もフィギュア選手というフィギュア一家に育った。 「望結ちゃんは女優だけあって、その表現力が真凛ちゃん以上。紗来ちゃんはジャンプ力に恵まれていて、真凛ちゃんが『紗来がシニアに上がってきたら引退する』と言うほどの才能の持ち主です」(前出・スケート関係者) そんなきょうだい4人の総監督が、父親の竜一さんだ。 「お父さんは会場でもかなり目立つ存在で、メディアとの付き合いも上手。『今度、真凛が表彰されるから取材に来てよ』とさりげなく子どもの活躍をアピールするなど、マネージャー的な役割も果たしています」(前出・スケート関係者) そして竜一さんが、子供たちに施してきた“英才教育”は驚くべきものだった。彼の著書『本田家流子育てのヒント』(プレジデント社)には、こんな記述がある。 《どうすればもっと、子どもたちのもっている“可能性”を伸ばしてあげることができるか、そのために何ができるかと常に考えてきました。(中略)良いと思ったことはどんどん取り入れ、結果が出ることは続けてきました》 実際、真凛は2歳から始めたフィギュアに専念するようになるまで、数々の習い事に挑戦してきた。 「お父さんはいつも子供たちの習い事に奔走していましたね。車には仮眠用の布団までのせて、朝6 時から日付のかわるころまで送迎していました」(本田家の知人) だが、大変なのはそれだけではない。トップクラスのフィギュア選手を育成するためには、少なく見積もっても年間300万円の費用が必要だと言われている。それが4人も……。なぜ、それほどの費用をかけることができたのか? 「実は、真凛ちゃんは超がつくお嬢様。おじいさんが会社を4つも経営しているんです。4社合わせた年商は20億円を超えるといいます。竜一さんが子どもたちの教育に専念できているのは、おじいさんの計らいです。以前おじいさんが『孫たちには年間1人1千万円もかかるんや』と漏らしていました」(祖父の知人男性) この祖父こそが、英才教育を金銭面で支えていたのだ。そして祖母もまた、真凛たちをサポートしてきたという。本誌は京都市内にある祖父母の自宅を訪れた。チャイムを鳴らすと、祖母が取材に応じてくれた。 ――真凛ちゃんのシニア大会優勝おめでとうございます。 「真凛の父親から『優勝できたよ、ありがとう』と報告があって、喜んでいたところです」 ――平昌五輪への出場も期待されていますが。 「出られたら嬉しいですけど、あの子が元気に滑ってる姿を見てるだけで幸せです」 表彰台で見せる最高の笑顔が、ここまで支えてくれた祖父母への“恩返し”になることだろう――。
2017年10月02日1年前、リオ五輪の団体総合で3大会ぶりの金メダルを獲得し、日本中を歓喜の渦で包んだ体操男子。その偉業の立役者である内村航平選手と白井健三選手の二人が、10月の世界体操で頂点を目指して対峙する。「夏季五輪のない年に毎年開催される世界体操、団体戦の実施がない今年の注目は、何といっても個人総合。前人未到6連覇中の絶対王者・内村選手と、ゆか・跳馬のスペシャリストからオールラウンダーに成長し、個人総合初出場となる白井選手が、世界を舞台に初めて共に戦います」そう見どころを語ってくれたのは、大会の中継を手掛けるテレビ朝日の小林麻衣子プロデューサー。実は、今回の二人の戦いには、単純なメダル争い以上の意味があると言う。「内村選手は、自分の次に日本の体操を引っ張っていく存在として、白井選手にかける気持ちがとても強い。今回も一緒に戦うことで、6種目をどうやりきるのか、背中で伝えたいと思っているようです。一方の白井選手にとっても、『6種目できなければ体操選手じゃない』という内村選手の言葉が、個人総合に挑戦するきっかけに。本人も言っているように、まさに“師匠と弟子”のような関係です。東京五輪に向けた、日本の“エース継承”が、二人の中では始まっているのかもしれません」体操界の未来を見据えた熱いドラマに、いやがうえにも期待は高まる。「勝って当たり前のように思われる内村選手ですが、リオで接戦を演じたウクライナのベルニャエフ選手の存在もあり、今回は盤石とは言えません。ぜひ皆さんで応援をして、しっかり結果を見届けてほしいです」“0. 099点差”に涙を呑んだウクライナの英雄が、打倒内村に燃える!今大会、日本勢の強力なライバルになるのが、リオ五輪で内村選手に次ぐ銀メダルに輝いたベルニャエフ選手。「高難度の技を誰よりも多く取り入れた“世界一難しい演技”が武器。リオ決勝での点差、0.099点は、着地の足が一足分ずれた程度。今回も全く油断はできません」第47 回世界体操競技選手権大会は、10月2日~8日にカナダ・モントリオールで開催。テレビ朝日系にて6 日(金)の男子個人総合決勝をはじめ、各種目の決勝の模様を中継。詳細はHPを参照。※『anan』2017年10月4日号より。(C)Laci Perenyi/アフロ(by anan編集部)
2017年09月28日オータムクラシックで今季のプログラムと衣装を初披露した羽生フィギュア界の絶対王者・羽生結弦の’17 -’18 シーズンが幕を開けた。今季は’18年2月に開幕する平昌冬季オリンピックを控え、66年ぶり2人目の“五輪連覇”に挑む。その初戦はカナダのモントリオールで行われたオータム・クラシック。GPシリーズの第1戦ロシア杯(10月20日開幕)の前哨戦とはいえ、今季を占う大切な一戦だ。「ショートプログラム(SP)は右ひざの違和感のため、4回転ループをサルコウに変更。でも、ミスのない完璧な滑りでした」(スポーツ紙記者)ジャンプの出来栄え点(GOE)はほぼ満点。構成を落としながらも、112・72点でSP世界最高を更新した。「羽生選手は現地での練習で右ひざに軽い違和感を覚えて、ブライアン・オーサーコーチの指示で4回転ループを封印。彼の見立ては、ずばり練習疲れ。確かに五輪連覇の偉業に向け、練習の質も量も例年以上です。8月30日の報道陣向けの公開練習も抜群の動きでしたよ」(同スポーツ紙記者)フィギュアスケート解説者の佐野稔氏も、「今シーズンの羽生くんの仕上がりのよさは、公開練習からもすごく伝わってきた」と、状態のよさを認める。ただ、4回転ループ封印の羽生に比べて、若武者の宇野昌磨は初戦のロンバルディア杯で、実戦で初めて4回転サルコウを決めたばかりか、5本の4回転ジャンプをすべて華麗に着氷。SPの104・87点だけでなく、フリーでも214・97点の自己ベストをマークし、トータル319・84点の圧巻パフォーマンスで2連覇を達成した。ライバルたちも4回転を次々に成功させている「とにかく今回は4回転サルコウの成功が大きい。4回転ループこそ、もう少しという印象でしたが、4種類の4回転をきっちり決めて319点を叩き出した事実がすごいことです。宇野くんの強みは、新しいジャンプを次々に習得している点であり、非常に大きなアドバンテージを得たと思いますね」(佐野氏)宇野だけでなく、米国のネイサン・チェンもまた、あっという間に5種類の4回転を成功させている。羽生は基礎点の高いルッツやフリップを実践の武器に加えず、今季もトゥーループ、サルコウ、ループで挑むという。不安はないのだろうか。「まったく心配ない。宇野くんの319点を見て、羽生くんも黙っちゃいないでしょう(笑)。彼はきっちりと3種類の4回転ジャンプの精度を上げてきています。ひとつひとつのジャンプの出来栄え点をどれだけとれるか、完成度の高いプログラムを作ってきている。’15年のGPファイナルでは、2種類の4回転ジャンプをSP2本、フリーで3本決めて、世界最高得点330・43をマークしている。出来栄えと技術ではほかを圧倒しているんです」(佐野氏)確かに羽生を追いかける若手が4回転の種類や数を増やしても、超えるどころか肉薄できない現実。逆に、彼が五輪用に用意する今季のプログラムでは4回転は3種類で、SPとフリーで7本を予定し、フリーの基礎点は当時より約10点アップ。演技後半に4回転コンビネーションを2本入れてくる点に注目が集まる。「後半のコンビネーションは基礎点が1・1倍になるので重要ですが、体力的にはすごくしんどい。だから苦しい練習を積んできたと思う。五輪連覇を狙う男としては、やらなくてはいけないことだし、そのカッコいいことが実に似合うよね(笑)」(佐野氏)追いかける宇野昌磨の成長ぶり常に高みに挑み続ける羽生。その背中を見続けてきた宇野も、パフォーマンスを一気に跳ね上げている。「昌磨は“ユヅくんがいるから追いかける気持ちでいられる”って、常に話していますよ。どんなに高得点をとってもチャレンジャーでいられるし、また、ファンからのプレッシャーを感じないですむのも、羽生くんという“絶対王者”が身近にいるからでしょうね」(スケート連盟関係者)宇野の成長ぶりには、辛口の佐野氏の頬も緩む。「宇野くんが改善すべきところ?ないですね(笑)。それくらい、いい!試合後のコメントを聞いていても、非常に自分自身を冷静に見つめている。自己分析も鋭いし、明確です。世界歴代2位の319点にも満足せず“ちょっとばらばらだ”と、先のことをしっかりと見つめていた。やはり羽生くんから学んだんだと思います。身近に金メダリストというお手本がいることは大きいですよ」練習の虫で、研究熱心なところも、2人の共通項だ。「宇野選手のスケート靴のブレード(刃)は、ほかの選手と違って、左足はトゥーループのためにかなり内側についており、逆に右足はループが抜けないようにすごく外側につけているんですよ。常識では考えられないことなんですが、4回転を成功させるためにこんな工夫もしているんです」(フィギュア関係者)若き挑戦者が着々と追ってくる中、絶対王者もまた、熱い気持ちをたぎらせる。「羽生選手は’15年の世界最高得点のイメージを持って五輪に臨みたいようです。だからこそ、その当時のSP『バラード1番』、フリーは野村萬斎が演じた映画『陰陽師』の劇中曲『SEIMEI』の再演を決めた。“新鮮味がない”といった意見もある中、慣れるまでの過程を省けることによって演技を成熟、つまり完成度にこだわった。鼓や笛の音が溶け込む和風調で、’15年当時も欧米のジャッジの反応を危惧する声があったが、思いのほか好評価だったので、満を持して勝負の年に持ってきたのでしょう」(スポーツライター)そのこだわりこそが羽生らしさなのかもしれない。それは過去の『ゆづ語録』からも見てとれる。ソチオリンピックの帰国会見で、日本人像について聞かれたときは、「日本的な文化の素晴らしさを再認識しています。日本国民として恥ずかしくないか、日本人として胸を張っていられるのか、それが一番大事なのではないかと思います」また、故郷の東北に対する思いについては、「被災地のことだけは忘れないでほしいと思います。その思いを伝えるためにもスケートをしています。スケートをやっていて本当によかったと思える瞬間です」と、熱く語ったこともあった。『SEIMEI』を再び演じることについては、佐野氏も太鼓判を押す。「僕は大賛成ですよ。衣装も和風な感じだけに海外のジャッジも含め、見ている外国の方々がエキゾチックに感じるでしょうからね。この曲を滑れるのは彼しかいない」宇野もまた、フリーの『トゥーランドット』は再演だ。しかし、その表現力こそが五輪までの課題だという。「本人も反省し“プログラムがつながっていない”と語っていたが『トゥーランドット』はもっと点数を積み上げられる楽曲です。ジャンプとジャンプの間のトランディションと呼ばれる部分や演技に関しては、まだ伸びしろはある。羽生くんの最大のライバルは宇野くんですよ。申し訳ないですが平昌の金と銀は日本がいただきますよ!」(佐野氏)慣れ親しんだ楽曲での新プログラム、テクニックの完成度、そしてフィギュアスケートへの情熱。この3つがそろったからこそ、メダルへの期待は膨らむばかりだ。
2017年09月27日東出昌大撮影/伊藤和幸夫となり父となった東出昌大(29)。子どもの話になると目尻を下げ、笑顔を見せる――。東出といえば、前クールのドラマ『あなたのことはそれほど』で不倫した妻に嫉妬狂いする夫を演じ、その“怪演”が話題になったばかり。「民放のドラマを1クールしっかりやるというのが久しぶりだったんですが、配役のバランスも絶妙で、反響がすごかったですね。道を歩いていても急に役名の“涼太”って呼ばれたりして(笑)。テレビってすごいなってあらためて思いました」そんな彼がまたもや“怪演”を見せると話題の映画が『関ヶ原』だ。タイトルどおり、天下分け目の合戦を描いた大作で、東出は西軍として参戦する小早川秀秋を演じている。東軍に寝返り、いわゆる“裏切り者”として語られることの多い小早川。だが、今回は“義を貫こうとする武将”として描かれる。「小早川って小柄で華奢で愚鈍で色白のナマッチョロイ男の子っていうイメージがあったんです。僕はこのタッパ(身長189cm)だけでも大きい。だからお話をいただいたときは正直驚きました。でも台本を読んだら“そうきたか”って。そこにはこれまでとは違う小早川が描かれていたんです」出演オファーから撮影に入るまで数か月。その間、文献を読み込むなど下準備に勤(いそ)しんだ。「合戦絵巻にはよく出てくる小早川も、彼について専門的に描かれている本が“これだけか”っていうくらい数冊しかないことに驚きました(笑)。でも、その限られた情報の中でも僕の小早川像というものがどんどん塗り替えられていって。新しい彼の姿に期待していただければ!」“この夏の勝負を賭けた作品”と意気込む東出だが、そうなるのも無理はない。彼は大の歴史好きとして知られ、博識ぶりには驚くばかり。「もう“歴史好き”の粋を超え、週刊女性さんの読者の方からしたら、煙たいくらいマニアなので(笑)。槍同士で(突くのではなく)叩いたり、母衣(※)が出てくるとか、撮影でもマニアックな部分を見ては喜んでいました」そんな彼も“昔は歴史が大嫌いでした”と意外な一面も。「社会や歴史の授業を毛嫌いしていましたね。父親が歴史好きだったんですが、1度“なんで歴史なんて勉強しなきゃいけないの?昔のことじゃん”って言ったことがあって。そしたら“バカか!”って言われたのを覚えています(笑)」そこから脱却したきっかけは、父親が愛読していた書籍だった。「20歳前後かな。ちょうどそのころ、今は亡き父の病気が発覚したときでした。父は日ごろ何を考えているんだろうって疑問に思って、父の書棚にあった司馬遼太郎とか藤沢周平作品を手にとってみたんです。本を読んでいくうちに、“あぁ、これはドラマなんだな”って。そこには今と変わらない人間の営みやドラマがあって、日本を揺るがす土壇場においてもすごい人間くさいことを言い合っていたりしていて。そういうところに惹かれ、どんどん好きになっていきました」父親からたくさんのものを受け継ぐ中で、“話し方”についても教えがあった。東出の言葉遣い、話し方はとても丁寧で優しく、思わず引き込まれる。その旨、本人に伝えると――。「いやいや、畏れ多いです。もともと剣道をやっていて、父も剣道の師範だったんですが、“ほかの先生と話すときにしっかりしなさい”って幼少のころからよく言われていました。今もこういった受け答えのときには言葉遣いに気をつけますが、友達と会えば“マジで”とか“~じゃん”とか普通に言ったりもします」そんな砕けたところも見てみたい!「入り口を間違えたのかな(笑)。朝ドラの『ごちそうさん』のときに堅く入っちゃったからもう後戻りできないというか……。今、急に砕けて(今回演じた)小早川の影響で“ご乱心”って言われても困っちゃいますからね(笑)」※母衣…鎧の背につけられた布のこと。流れ矢を防ぐものとして用いられた■冬より夏が好き!「夏を乗り切る方法?逆に教えてもらいたいです(笑)。でも僕、暑いのが好きで。夜がすごく気持ちいい季節じゃないですか。ハイボールを飲んだり、焼酎のソーダ割りもすごくおいしいので、暑さにめげず“暑い!”って夜に大声出して飲むのが、またいいんじゃないかなって思います」<出演情報>映画『関ヶ原』出演/岡田准一、有村架純、平岳大、東出昌大/役所広司ほか。8月26日(土)全国公開
2017年08月24日平昌冬季五輪まであと半年となった8月9日。カナダ・トロントで羽生結弦(22)の今季フリープログラムが発表された。 それは2シーズン前と同じ『SEIMEI』。再演プログラムで平昌五輪に挑むという決定にフィギュア関係者からは驚きの声が上がっていたが、この日の公開練習で関係者を注目させるものがもう1つあった。 「手袋が、いつも使っている黒の無地のものではありませんでした。黒地にゴールドで、氷と水の妖精のイラストが描かれたものに変えられていたのです。『アイスリンク仙台』のキャラクターショップで売られている、定価799円のアクリル製の保温用手袋でした」(フィギュア関係者) 羽生は4歳のときから、母に連れられてこのリンクを利用してきた。そのため彼は、これまで折に触れてリンクや地元への寄付を続けてきたのだ。総額は3千万円以上にのぼるという。『アイスリンク仙台』の関係者はこう語る。 「ここの送迎用バス2台は、羽生選手が寄付してくださった『蒼い炎』の印税で購入することができました。このリンクには顔見知りの子どももいますから、シーズンオフになると様子を見に、顔を出してくれていますよ」 新シーズン最初の公開練習に大切なリンクの手袋をつけて臨んだ羽生。故郷へ特別な思いを抱いている彼にとって、その手袋には大きな意味があった。 「故障明けの大会や優勝が懸かった演技の午前練習など、これまでも羽生選手は重要な節目にこの手袋をよく着けていました。今回のプログラム決定に際して、彼の心は大きく揺れました。そんな自分を奮い立たせるために、そして『僕はいつでも故郷・仙台のことを忘れない!』というメッセージを込めて、手袋をつけたのかもしれませんね」 自分を支え、育ててくれた故郷の人たちに、今度は自分が五輪連覇で恩返しを――。羽生はそんな思いを799円の黒手袋に込めていたのだ。
2017年08月24日「“不器用さ”というところでは、たぶん負けません」と笑って話す東出昌大。見上げるほどの長身と端正な顔。抜群のルックスを誇る東出さんなのに、愚直なまでにひたむきでちょっと垢抜けない男を演じると、恐ろしくはまる。「不器用」という自覚ゆえ、役に懸命に寄り添おうとする本人の想いが、お芝居を通して透けて見えるのかもしれない。新作映画『関ヶ原』では、小早川秀秋役に挑んだ。「関ヶ原の戦いを決した裏切り者」として語られることの多い秀秋だが、本作ではそんな通説を覆し、「義」を重んじて苦悩する、一人の不遇な青年武将として描かれる。もともと司馬遼太郎作品のファンで、同氏による原作小説も読んでいたという東出さん。「原田(眞人)監督から、『今回の小早川像は、(通説から)変えようと思ってる』というメッセージをいただいたんです。読んでみたら、本当にいままでにない小早川像だったので、すごい挑戦だなと思いました」と台本を受け取ったときの感想をふり返る。秀秋は、一時豊臣秀吉の養子になるも、秀吉に実子が生まれたため、小早川家に養子に出される。さらに朝鮮出兵の際に秀吉の不興を買って冷遇を受け、後に徳川家康に懐柔されて石田三成を憎むように。関ヶ原の合戦には、三成率いる西軍として参戦するのだが…。「今回の台本では、秀秋は自身の境遇を呪ってたんじゃないかなと思いました」と話す東出さん。「兄と慕った豊臣秀次も、いわれのない謀反の罪で斬首されている。『明日は我が身』と自分のことでいっぱいいっぱいだった当時10代の秀秋が、『秀吉だって、家康だって、どうせ自分のことばかり。大人なんてみんなそんなもんだ!』って思い込んでいたとき、自分を初めて武将として見てくれたのが三成だった。『あなたを武将として見込むから、打って出てくれ』と言ってくれた三成の“義”に答えられなかったことに、関ヶ原後の秀秋は気づくんです」。原田監督の現場はとにかく緊張感があって厳しいことで有名だ。本読みの段階から東出さんが監督に言われ続けたのは、「セリフっぽいしゃべり方をするな」ということ。時代劇という形式以上に、感情の動きが優先された。俳優になる前の東出さんは、感情をあまり表に出さないタイプだったという。「以前は感動する映画なんかを見ても泣くまいとしていたんですけど、役者になってから、感動したときは涙が自然と出てきたり、逆に意識して泣くことを試してみるようになりました。この仕事に就かなかったら絶対やってこなかったことだと思います」。俳優デビューから5年。まだ5年?と思うほど、さまざまな作品で求められてきたのは、仕事に向き合う東出さんの、そんな真摯な態度と決して無関係ではないはずだ。5年間駆け抜けてきて、いま、俳優の仕事は楽しいですか?と質問をぶつけてみた。「おおお!ド直球ですね」と笑ったあと、「うーん…半々です」と繕わない心境を教えてくれるのが「不器用」を自称する東出さんらしい。ここで「楽しい」と言わせないのは、新しい役に挑む度に直面するプレッシャーだ。「でも、“喉元過ぎれば熱さ忘れる”というか(笑)。怖いもので、その苦しさって、過ぎると忘れてしまうんです。“やるしかない!なるようになるっしょ!“という柔軟さが、以前よりは出てきたかなと思います」。『関ヶ原』に対する考察からも、役に対して事前にかなり研究していることが伝わってくる。プレッシャーを感じるがゆえに、準備をおろそかにしないのだろう。「以前は“頭でっかちになりすぎたな”とか、“そんなに思い詰めなくてもいいのに”って自分でも感じていたんですけど、近頃はちょっと肩の力が抜けてきた部分はあります。それでもまだ、敬愛する監督たちに『今後、役者としてどうしていったらいいと思いますか?』と聞くと、『もっと楽にやっていいよ』って言っていただくことが。まだ頭でっかちな部分もあるし、それだけで満足して、もっと本質を探りにいかなければいけないのに、できていない自分もいる。まだまだ逃げの姿勢があるのかなって、ふと思ったりします」。(text:Rie Nitta/photo:You Ishii)
2017年08月14日いい表情をしている東出昌大放送中のTBS系ドラマ『あなたのことはそれほど』に「涼太」役で出演している、東出昌大の“怪演”が話題だ。第4話では、波瑠演じる不倫妻「美都」の誕生日祝いを兼ねた結婚記念日に、すべてを知ったうえで、それでも永遠の愛を笑顔で誓う涼太の狂気にゾワゾワ。“第2の冬彦さん”との声も。’92年に同局系列で放送された『ずっとあなたが好きだった』で、妻に逃げられるマザコン夫「冬彦」を演じた佐野史郎。「んん~」と下唇を突き出して唸る姿はお茶の間を凍りつかせ、流行語に選出される社会現象にもなった。その佐野も自身のツイッターで、東出の冬彦さんぶりに《噂は届いております》と、活躍を気にかけている様子。「好青年役のイメージが強い東出さんですが、新境地との呼び声も高く、イケメン俳優から演技派へと飛躍する役になりそう。3児の父親として頑張らなくてはいけないですからね」(テレビ誌記者)昨年、杏との間に生まれた双子も1歳の誕生日を迎えて、さらに今夏には第3子出産を控えている。大黒柱として仕事に熱が入っているようだ。「今までに経験のない役柄なので入念な役作りをして臨んでいます。もともと読書家の東出さんですが、最近は漫画原作の作品が多いだけに読む機会も増えたそう。筋金入りの漫画好きの杏さんの影響もあるのでしょう。『あなそれ』を何度も読み込み、自分なりの涼太像を作り出したようです」(テレビ局関係者)原作でも、涼太が目を見開いて美都のスマートフォンを盗み見する描写があるのだが、「見開いて瞬きをしないのはもちろん、瞼や涙袋など目の周りをピクピクと動かすなどとにかく目の演技にこだわった。自宅でも役に入り込んで本読みをするものだから、相手を務めてもらっている杏ちゃんから“怖い、怖い!子どもが泣くから”と引かれているみたいで(苦笑)。でも、その様子に東出くんは“ヨシッ”と、こぶしを握っているのだとか」(芸能プロ関係者)女優が本気で怖がる“会心”の役作りに手ごたえを感じたようだ。一方の現場では、「波瑠ちゃんとは朝ドラ話で打ち解けていました。美都の不倫相手役の鈴木伸之くんとは、これまで2度の共演経験があるので、“でっくん”“のぶ”と呼び合う仲。父親役でもある彼に赤ちゃんの抱っこやあやし方など、イクメン演技を施していました」(ドラマ制作スタッフ)また劇中で、美都から暗に「柴犬くん」と呼ばれている涼太。こんなウラ話も。「原作では“小熊ちゃん”なんですが、東出さんは大柄ですからね。飼い主に忠実であることから“柴犬”に変更されました。そうしたら杏さんが長年飼っている愛犬が偶然にも柴犬だったそうで、東出さんも“性格はよく知っています”と。まさか自宅で“柴犬くん”とは呼ばれていないとは思いますが(笑)」(前出・ドラマ制作スタッフ)夫婦仲をリードしているのは、いったいどっち!?
2017年05月19日3月29日からフィンランドで行われる世界選手権。羽生結弦(22)は2月、平昌五輪のリハーサルともいわれた四大陸選手権に出場。そこで5歳年下のネイサン・チェン(17)に後塵を拝しただけに、今大会ではリベンジ魂に火がついているという。そんな彼の燃える闘志を支えているものが2つあった。前出のフィギュア関係者がこう明かす。 「2月14日、四大陸選手権の公式練習後に羽生選手は他の選手たちと帰りのバスに乗り込もうとしていました。そのとき彼は『ちょっと待って!』と言うやリュックからスマホを取り出し、会場となる江陵アイスアリーナの写真を撮り始めたそうです。奇しくも敗北の象徴となってしまったそのスマホ写真を、彼はいつも見られる状態にして持ち歩いています。そして辛いときに眺めることで『もう負けない』と自らを奮い立たせているそうです」 それだけ思いが強いのは、この江陵アイスアリーナが平昌五輪の会場でもあるから。そして“屈辱の現場写真”とともに、羽生の心を奮い立たせているのがもうひとつあるという。 「四大陸選手権の表彰式後、羽生選手のもとにネイサン・チェンのコーチであるラファエル・アルトゥニアン氏が寄って来てきたそうです。彼は因縁のライバルのコーチであり、そして羽生選手のコーチであるブライアン・オーサー氏と犬猿の仲。そんなアルトゥニアン氏が『君のジャンプは本当に美しい!』と言って握手を求めたのです。そして『サインをしてくれ!』と言ってサインペンを差し出してきたそうです」(別のフィギュア関係者) ライバル陣営から思いがけずかけられた言葉もまた、羽生の魂に火をつけることになったようだ。 「アルトゥニアン氏はジャンプを教えるスペシャリストのような存在。そんな彼がわざわざ敵のもとを訪れ、ジャンプを絶賛した。そのことに羽生選手は『自分がやってきたことは間違っていなかった』と確信したといいます。羽生選手が四大陸選手権に出場したのは『五輪本番を見据えてリンクの状態を確認したい』という理由からで、コンディションは万全ではありませんでした。しかし世界選手権では違います。彼は『今度は絶対勝つ。ネイサンに負けない』と自信をうかがわせるような発言もしているそうですから、再び絶対王者としての姿をみせてくれるのではないでしょうか」(前出・別のフィギュア関係者) 屈辱の現場写真と敵コーチからの言葉――。その2つを胸にしのばせ、羽生は静かな闘志を燃やし続けている。
2017年03月24日中川大志と平祐奈が3月8日(水)、都内で行われた共演作『ReLIFE リライフ』の完成披露試写会に出席し、突然運び込まれた“卒業証書ケーキ”に感激。平さんは「こんな素敵なサプライズ、うれしいです」と大粒の涙を流していた。ともにこの春、高校を卒業する中川さんと平さん。実は13歳の頃から、毎年のように共演してきたといい「この作品が学生として出演した最後の作品になる」(中川さん)、「大志くんはいつも落ち着いているので、(年齢を)サバ読んでいるじゃないかって思っていたけど、今回は少年っぽい一面も見られた」(平さん)。また、平さんは大学合格を報告し、「ちょうど撮影が、受験勉強の時期と重なったが、恵まれた環境で皆さんに支えていただいた」と感謝を述べていた。人気マンガアプリ「comico」に連載中の同名コミックを実写映画化。大学院を卒業後、すぐに就職先を自主退社し、バイト生活を送る27歳の海崎新太(中川さん)は、“リライフ研究所”の職員と名乗る謎の男から、「見た目だけ若返り、1年間高校生活を送る」実験の被験者にならないかと誘われる。新太は、謎のカプセルを飲み、2度目の高校生活を始める。完成披露試写会には中川さんと平さんをはじめ、研究所の職員を演じる千葉雄大、池田エライザ、岡崎紗絵、古澤健監督が登壇。現在18歳の中川さんは、「まさか自分が27歳を演じるなんて。自分なりの想像力を働かせながら、役を作っていった」といい、片や撮影時27歳の千葉さんは「大志くんに『27歳ってどんなですか?』って聞かれたけど、あまり参考にならなかったみたいで…。お役に立てず、すみません」と申し訳なさそうな表情だった。ヒロインを演じる平さんは、「真面目で他人に興味がなくて、コミュニケーションが下手。私とは真逆の役なので、笑顔を封印していたら、変な疲労で肩が固まった。(演じるのが)難しい女の子でしたね」とふり返っていた。『ReLIFE リライフ』は4月15日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ReLIFE リライフ 2017年4月15日より全国にて公開(C) 2017 「ReLIFE」製作委員会,(C) 夜宵草/comico
2017年03月09日『写真・AFLO』 韓国・江陵の四大陸選手権で僅差の銀メダルに終わった羽生結弦(22)。平昌五輪の前哨戦となる大事な大会での敗北だったが、その健闘ぶりに会場からは惜しみない拍手が送られていた。そんな会場で、“ひときわ目を引く光景”が。実は今大会には、中国から多くの“ユヅリスト”たちが駆けつけていたのだ。 「日本の国旗や日本語の応援プラカードが並ぶなかで、『加油羽生!』(がんばれ羽生!)などの中国語のメッセージもたくさん混ざっていたそうです。というのも、実はいま中国では羽生選手がアイドル的な人気。非公式のファンクラブも数多く存在しているそうで、今大会も中国から韓国まで100人ほどが押し寄せたといいます」(フィギュア関係者) この羽生ブームのきっかけは、15年3月に上海で行われた世界選手権だった。現地メディアに報じられた彼の姿が女性たちの心を鷲掴み!そこから一気に人気者となったようだ。だがいま、その中国人ファンたちの応援マナーが問題視されているのだという。 「彼女たちは公式練習のときからハイテンションで応援していましたが、その声がものすごく大きくて……。日本人ファンの間では『羽生選手が不快に感じることはやらない!』という暗黙のルールがあるのですが、彼女たちはそんなこともまったくお構いなし。羽生が宿泊するホテルの前にまで押し寄せたかと思えば、夜遅くまで出待ちを続ける人も。羽生選手も困惑を隠せないでしょう」(スポーツ紙記者) 急騰する中国での羽生人気。そこに目を付けたのが、現地企業だ。中でもある大手企業では驚きの“爆ギャラ”を用意して“囲い込み”をもくろんでいるという。 「いま中国企業の間では、羽生選手の争奪戦が起き始めています。羽生選手はすでに日本国内で複数社とスポンサー契約を結んでいますが、彼らはお金を積むことで自社企業のCM起用をもくろんでいるといいます。なかには『1億円のギャラを出してもいいから、何としてもCM契約を!』と息巻いている企業もあるそうです」(広告代理店関係者)
2017年03月02日『写真・AFLO』 2月14日から韓国ではじまった四大陸選手権。“平昌五輪への前哨戦”とも言われているが、日本スケート連盟は羽生結弦(22)の出場に消極的だったという。 「連盟は今大会に急いで出場させるのでなく、3月の世界選手権での復帰を考えていました。しかし、彼自身がこの大会への出場を強く希望したそうです。というのも今回の四大陸選手権が開催される『江陵アイスアリーナ』は、来年開催される平昌五輪の本会場でもあります。羽生選手は『五輪のリンクがどんなものか、今のうちに確かめておきたい』と主張したのです」(フィギュア関係者) 早くも来年の“平昌五輪モード”へと突入している羽生。そんな彼がいま直面しているのが、“異例の午前試合”という問題だ。 「昨年11月に平昌五輪の大会組織委員会が発表した競技日程案では、フィギュアの試合時間が“午前開催”になっています。あくまで日程案なのでこれから変更される可能性もありますが、今のままだと男子ショートプログラムは来年2月16日の午前10時、フリーは17日の午前10時に行われる見通しです」(スポーツ紙記者) 通常、フィギュアスケートの試合は夜に行われることがほとんどだ。 「これまで羽生選手は、20時から21時ごろにピークの状態を持ってくるという調整をしてきました。しかし午前10時に試合が行われるとなると、そのサイクルを10時間早めなければなりません。つまり夜中に起きて練習しなければ間に合わないのです」 そんななか、羽生自身もすでに調整に動き始めているという。 「彼はもともと『朝が弱いんですよ』と周囲に漏らしているらしく、午前試合はいわば“天敵”。そのため週に2回ほど午前4時から練習し始めるなどの調整を開始したそうです。ただそうなると、起床時間は午前3時やもっと早くなることも。これには、さすがの彼も弱音を漏らしているといいます」(フィギュア関係者) 実際、カナダ・トロントにある練習場では羽生のこんな弱々しい姿が目撃されていた。 「知り合いの小学生が『今朝、リンクでユヅに会えたんだ』と教えてくれました。どうやら彼は夜中のうちから練習していたらしく、『眠い、眠い』とつぶやいていたそうです」(別のフィギュア関係者) 羽生の前に現れた“意外な天敵”。五輪連覇に向けて、過酷な調整は続く――。
2017年02月17日女優の平祐奈(18)が30日、自身のブログを更新し、サッカー日本代表の長友佑都選手(30)と結婚した姉の平愛梨(32)を祝福した。祐奈は「昨日は1月29日!肉の日!姉が入籍しました。平愛梨から長友愛梨へと。。きゃーーーあいちゃーーん!」と報告。「すごく不思議な感じでもすごく嬉しい!私まで幸せな気持ちです」と喜んだ。当日は家族で焼き肉店にてお祝いをしたそうで、そこで愛梨へのサプライズを実行という。京都で撮影があって行けないと伝えていた祐奈が、店のテーブルの下に隠れていて突然「わぁ!おめでとうーー!」と飛び出すというもので、「泣いて喜んでくれましたやったねーーん!」と大成功だったようだ。そして、「私は4人兄が居て、姉は1人。姉が結婚するというのがすごく不思議な気持ち。この気持ち、文字では表せないでも本当に心から嬉しいです!本当によかったぁ。心からおめでとうーーー!愛ちゃん」と愛梨への思いをつづった祐奈。「これからは長友さんって呼ばなきゃね」と続け、最後は「めでたーーーいら!ごきげんよう」と締めくくった。
2017年01月30日10年ぶりの復活を果たすシリーズ最新作『デスノート Light up the NEW world』の初日舞台あいさつが10月29日、東京・新宿ピカデリーで行われ、東出昌大、池松壮亮、菅田将暉、佐藤信介監督が出席した。舞台あいさつ その他の写真キラこと夜神月と天才探偵Lの死闘から10年後、デスノート対策本部の捜査官(東出)、Lの遺伝子を継ぐ竜崎(池松)、キラの信奉者であるサイバーテロリスト(菅田)の天才3人が、地上に舞い降りた6冊のデスノート争奪戦に身を投じる。2006年に公開された実写版『デスノート』は前後編合わせて興収80億円を突破する大ヒットシリーズだけに、本作で主演を務めた東出は「プレッシャーもありました。超えることが難しい、偉大な前作の誇りと覚悟を受け継いで、スクリーンに存在しなければいけないと思った」と本音を告白。それだけに念願の公開初日を迎え「肩の荷が降りました」と安どの表情を浮かべていた。一方、佐藤監督も「伝説の10年後を描くプレッシャーがあった」といい、「素晴らしいキャストに恵まれ、一緒に船に乗り、最後までたどり着いてくれた。今を生きる『デスノート』が作れた」と誇らしげ。主演の東出については「まさかの役柄を豪放磊落(ごうほうらいらく)に演じてくれた。最初は静かになり過ぎるかなと思ったが、こんなに骨太な人だとは」と存在感を絶賛していた。3人の主要キャラクターがしのぎを削る内容にちなみ、「これは『誰にも負けない』と言えることは?」の質問に、東出は「代謝は負けないです。汗をすごくかくので」と珍自慢。池松と菅田がそれぞれ「起きてから、立ち上がるまでのスピード」、「3人のなかで一番白が似合う」と語ると、東出は菅田のコメントを受けて、「先日、雑誌のグラビアで真っ白な衣装を着たんですが、ビックリするくらい似合わなかった」と明かしていた。『デスノート Light up the NEW world』公開中取材・文・写真:内田 涼
2016年10月29日こんにちは、ライターの月極姫です。日本時間の2016年8月22日、リオ五輪の閉会式で行われたフラッグ・ハンド・オーバーセレモニーでは、来る2020年の東京五輪を紹介する8分間余りのプレゼンテーションが披露されました。幻想的なダンスショーから始まり、会場に「安倍マリオ」を登場させるという度肝を抜くパフォーマンスに、会場からは大歓声。サバンナの高橋さんがTwitterで大絶賛するなど、放送直後からネット上でもさまざまな反響を呼びました。このパフォーマンス、子育て世代であるパピマミ読者のみなさんはどのように評価しているのかな?とふと疑問を抱き、アンケートを実施してみました。●リオ五輪閉会式の引き継ぎセレモニーの演出についてどう思いましたか?・1位:映像、音楽、ダンスともに完成度の高いものだったと思う……74%(68人)・2位:まあまあの出来だったと思う……22%(20人)・3位:あまり完成度が高いとは思えなかった……4%(4人)※有効回答者数:92人/集計期間:2016年8月29日〜2016年8月31日(パピマミ調べ)このように、回答者の9割以上がプラスの評価をしている という結果が出ました。性別、世代に関わらず、このたびのパフォーマンスは高評価を得たようですね。そして今回音楽監修を手掛けていたのが、音楽家の椎名林檎さん。林檎さんといえばデビュー当時から強烈な個性が際立ち、ある意味「とっつきにくい」印象を抱いている方もいるかもしれません。今回は、そんな林檎さんの魅力にパピマミ世代ならではの視点で迫ってみましょう。●椎名林檎の魅力(1)揺るぎない実績林檎さんとほぼ同時期にデビューした歌手といえば、aikoさん、浜崎あゆみさん、親友でもある宇多田ヒカルさんなどいずれも大物揃い。これら“同期”のアーティストの皆さんは、アルバムセールスやツアー動員数ではいずれも引けを取らない実力者ばかりですが、オリンピック、FIFAワールドカップといった国際的なイベント、いわゆる“大舞台”でのお仕事が多い という点で、林檎さんは群を抜いています。とりわけ東京五輪への思い入れはインタビューなどでもたびたび言及しており、かねてから深い関心を寄せていたことがうかがえます。全世界にクールモダンな東京を印象付けた五輪プレゼンテーションは、長年の構想が結実したものなのかもしれませんね。非凡な女性ならではのゴシップも幾度かありましたが、同時にそれらを払拭するに十分な実績を見せつけてくれるのが林檎流といえるでしょう。●椎名林檎の魅力(2)独特の歌唱法と歌詞の世界語感の良さは万人ウケするのだけれど、歌詞を理解しようとするとひと筋縄ではいかない!そんな独特な歌詞の世界も、林檎さんの魅力を語る上でかなり重要な要素です。多くの曲は林檎さんご本人から歌詞の“解説”があったわけではなく、長年のファンのあいだでもいまだに「謎」とされている部分もたくさん。聴き手が自分なりの解釈で楽しむしかない、という側面もあります。たとえば、2014年に発売された『NIPPON』という曲では、「死の匂い」「あの世に持ってくさ」というフレーズが登場。これに関して、「縁起が悪い」「不謹慎」などという批判もささやかれましたが、林檎さんは初期のころからたびたび「常に死を意識しながら活動している 」ということをはっきりと述べられています。**********『死ぬことにほんとうに向き合うことを、常日頃、何かと自分で考えられる人間に自分がなりたくて』(ロッキングオンジャパン/2003年2月25日号より)********************『仏教的な考えのもとに生きていたら、誰でもそうなんじゃないですかね。(中略)いつでもすぐ横に死がある、という意識を持っているのが通常だと思うんですよね』(with newsインタビュー/2014年11月)**********『NIPPON』の歌詞にしても、“命がけの勝負”を経験したことがある者にとっては何ら不思議ではない表現なのですが、言葉尻だけを捉えての曲解も結構多いようですね。また歌い方については、活動時期に伴って変遷が見られます。デビュー当時~ソロ活動を行っていた初期のころは、江戸弁のべらんめぇ口調、もしくはイタリア歌曲における「R」の発音を思わせるような巻き舌が目立ち、「巻き舌の歌姫 」なる呼称も生まれました。この巻き舌歌唱は『歌舞伎町の女王』(1998年)、『罪と罰』(2000年)などに顕著に表れていましたが、「東京事変第2期」と呼ばれる2005年あたりの作品から影を潜めています。これについてはファンのあいだでも、「巻き舌をやめたのは適切だった」「変わらないで欲しかった」など意見が分かれるようで、「林檎と言えば巻き舌」というこだわりを持ち続けているファンもいるようです。しかし現在の林檎さんの楽曲を聴くかぎり、音楽家として進化する上で必要な改革だったのかもしれませんね。●椎名林檎の魅力(3)羨望と嫉妬の的。ミステリアスな美貌とスタイル楽曲のイメージに合わせて、ビジュアルにおいても多面性を発揮する林檎さん。日本的な美も兼ね備えた端正な顔立ちは、化粧品のCMに登場した際にも羨望の的となりました。音楽家でありながら、一流モデルと比較しても遜色のない美貌とスタイルを生かし、『Switch』や『Gb』などの音楽雑誌だけでなく、多くのファッション誌の表紙を飾っています。しかしこの才色兼備ぶりに関して、同性からのリアルな声を拾うと心中は複雑なようです。●女性からの否定派意見『確かに美人だけどあの色っぽさが正直苦手です。旦那を取られてしまいそう 。家庭を守る主婦にとっては、ああいうのは脅威だと思いますよ』(北海道/30代・専業主婦)『椎名さんが作る音楽は好きなんだけど。セクシーを前面に出さない方がいい と思う』(福島県/20代・生保会社勤務)『歌詞が文学的で、林檎さんの知性を感じられてすごく好きなんですが。ご本人はビジュアル的にもっと控えめキャラであって欲しかった。何というか、きらびやか過ぎ 』(長野県/40代理学療法士)大胆さ、セクシーさ、前衛的な衣装についていけなかったり、ご回答者には申し訳ないですが、軽い嫉妬も含まれているようなコメントが目立ちます。●女性からの肯定派意見『素直に憧れる。30代後半、経産婦であのスタイルと顔は、いくら芸能人でも奇跡といって良いレベル。もし自分の彼氏を横取りされても、仕方ないなと思える 領域にいます(笑)』(大阪府/30代・販売員)『髪形もあらゆる長さとスタイルに挑戦しているけど、「これは似合わないな」と思ったことが一度もない。結局は整いまくった顔立ちのなせる技だよね』(東京都/40代・美容師)『ゴテゴテにメイクしているわけでもなく、もとが良いのでしょう。和服もとても似合うし、海外に出しても恥ずかしくない美人 』(北海道/40代・英語教室講師)女心は複雑なもので、このように評価は二分するようです。では男性諸氏は、林檎さんの容姿についてどう思っているのでしょうか。●男性の意見『どこの国の誰が見ても、10人いたらほぼ10人が「美人」と評価するであろう顔』(愛知県/30代・会社経営)『安室ちゃんもそうだけど、年々衰えるどころかキレイさを増している。僕はデビュー当時キツそうな印象を抱いてたので、今の方がキレイと感じる』(北海道/40代・ホテル勤務)『自分はデビュー当時からの愛好家で、林檎女史の音楽をこよなく愛する林檎班(椎名林檎のファンクラブ)班員です。林檎女史があれほど美人じゃなかったら?と冷静に考えると、ここまで熱狂的に好きだったのだろうか。やっぱり、あの美貌も含めての総合芸術 なのだと思う。ちなみに林檎女史のあの非の打ちどころのないスタイルも、まさに自分の理想です』(北海道/50代・広告代理店勤務)男性からの評価も絶大のようです。30代後半という年齢を感じさせない美しさは、いつまでもきれいでいたいママたちのお手本にもなりそうですね。●椎名林檎の魅力(4)唯一無二の音楽性前述した『歌舞伎町の女王』や『幸福論』(1998年)、『ここでキスして』(1999年)などは、すべてデビューして間もない林檎さんが10代のころに書き上げた作品です。とても高校を中退したばかりの女の子が作る作品とは思えない世界観と完成度に、聴衆は度肝を抜かれ、同業者は危機感を抱く……まさに閃光のような登場でした。そんな天才少女から大人の女性へ、さらなる進化を遂げた林檎さんが、現在楽曲を作る上でこだわっていることとは何なのでしょうか?林檎さんは東京事変時代のラジオ番組で、『常に“商品”を作らなければ、と意識している』と述べられています。ともすれば「サブカル的な」「個性的な」という形容が付きまとう中、林檎さんご本人は“普遍性 ”を意識して楽曲作りに当たっておられるようです。こうした“芸術性”と“普遍性”の両立については他のインタビューなどでもたびたび口にしておられますが、相反するものをどちらも生かすなんて至難の業。凡人には想像もつかないストレスになりそうですが、そうした苦闘を経て生み出した作品が今の林檎さんの地盤となっているのでしょう。現在2児の母でもあり、リオ閉会式後のインタビューでは大人の落ち着きとたおやかな美しさも光っていた椎名林檎さん。今後はますますファン層を広げていきそうですね。【参考文献】・『1998年の宇多田ヒカル』宇野維正・著・『ROCKIN’ ON JAPAN』2003年2月25日号【参考リンク】・【アンケート結果】リオ五輪閉会式の引き継ぎセレモニーの演出についてどう思いましたか? | パピマミ()●ライター/月極姫(フリーライター)
2016年09月08日クリニカルサロン シーズ・ラボは8月1日~21日、「リオ五輪応援キャンペーン」を開催する。同キャンペーンは、8月5日から始まるリオデジャネイロ五輪にあわせて開催。期間中に専用フォームから応募すると、抽選で通常30万円の「全身ゴールドエステ」が当たる。全身ゴールドエステでは、金のほかショウガ根エキス、アロエベラ葉エキス、加水分解コラーゲンなど約30種類もの天然有効成分を配合したパックで全身をトリートメントする。特にキャビアエキスは、肌のハリと潤いを与える効果が高いとのこと。日焼け後の美白や乾燥対策にも効果が期待できるという。同社は、2年前のソチ五輪においても、男子フィギュアスケートで羽生結弦選手が金メダルを獲得した翌日、先着10名に「金づくしエステ」(当時は顔のみ)をプレゼントする企画を実施した。今回は「金づくしエステ」よりバージョンアップし、日本人選手が獲得した金メダルの数と同じ人数分に抽選でプレゼントする。応募は同社の公式サイトのキャンペーンサイトで受け付ける。なお、応募者は当選後1カ月以内に来店可能であることが条件となる。当選者には直接電話で連絡するとのこと。
2016年07月27日