大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)必要なものを、必要なだけ受けとる。リスクは最低限に抑える。いつも冷静に、自分の欲望に振り回されることなく、自分の損得をきちんと考えて行動する。こうした態度は確かに、大人として望ましい生き方です。ただ、ここには、ある視点が欠けています。それは、人間を生かしている「生命力」の視点です。幼い子が力の限り、長い時間泣き叫びます。じっとしていることができず、常に走り回っている子供がいます。若いときは何でも大笑いし、大興奮し、妄想を膨らませ、バカなことをたくさんしでかします。大人になってからも突如、自分の燃えるような衝動を抑えられない瞬間が訪れます。損をすると半ばわかっているのに自分の全てを賭けてしまう人がいます。ちょっとした好奇心から、違法なものに手を出してしまう人がいます。愛したものにのめり込み、没頭し、耽溺し、おぼれこんで生活が破綻する人もいます。明日早起きしなければならないとわかっているのに、深夜になってもゲームをやめられない、本を閉じられない、ドラマを見ずにいられない、といった経験に、心当たりはないでしょうか。カッとなって怒鳴り散らして後悔したり、勢いで告白してやっぱり後悔したり、職場で号泣して後悔したり、上司を殴りつけて後悔したり、といったことは、珍しいことではありますが、現実問題「よく見る光景」です。こんなふうに、私たちは自分で思う以上に、限りなく激しいエネルギーを生きています。若いときほどそれはむきだしに表れます。一方、大人になってうまく制御できるようになったと思えた瞬間、びっくりするような内なる荒波に飲み込まれてしまうことも、よくあるのです。人生の「出入り口」のリスクの問題は、私たちのこうした「生命力」に直結しています。なぜなら、外界との「出入り」が発生するのは、私たちが生きているためだからです。死んだら、呼吸も、食事も、すべての「出入り」が止まります。私たちは冷たくなり、もう、エネルギーの激しい燃焼と、それにともなう「出入り」は起こらないのです。もとい、人生にはもうひとつの「出口」があります。それは「出産・育児」です。自分の生命力は、自分という個体の中ではかならず終わりますが、新しい人間に燃え移って、継承されていきます。一人の人の人生から、もう一つ別の新しい人生が「放出される」のです。子供を生み育てることもまた、大きなリスクを引き受ける営為です。でも、私たちの内なる激しい生命力は、そのリスクを負って、命を次世代につなげていきます。こうして考えてみると、「幸福」とは、かなり複雑なものであることに気づかされます。というのも、多くの人が「しあわせになりたい」と願うとき、最初に念頭に置くのは、自分自身の幸福であるはずです。ですが、「自分の幸福とは何か」を考えていくと次第に、愛する人や子供の幸福が最大の条件となることは、珍しくありません。さらに、「幸福とは何か?」という問いの答えが「苦しみや悲しみが訪れないこと」となる場合もあります。これは、ここまで長々と述べてきた「ゲートの開閉」の問題です。喜びやゆたかさが私たちの生活に入ってくるとき、責任や義務、罪悪感などが一緒に流れ込んでしまうことも、よくあります。幸福は、自分一人だけの世界では、完結しないのです。私たちの人生は、常にいくつもの「出入り口・ゲート」によって、外界と繋がっています。ゆえに、私たち自身の幸福を考えるときはいつも、その出入り口から出入りするものに考えが及ぶのです。出入りするものは、完全にはコントロールできず、出入りの際には常にリスクが伴います。そのリスクが現実のものとなったとき、多くの人が自分を責めますし、他人が自分を責めてくることもあります。でも本当は、それを「責める」ことは、ナンセンスなのです。ゲートの開け閉めを失敗して、受け入れるべきではないものを受け入れてしまう経験を、ほとんど全ての人が持っているはずです。一方、ゲートの開け閉めの賭けに運良く勝っただけなのに、「自分は自力で成功したのだ」と信じ切っている人は、少なくありません。時限爆弾の青い線と赤い線のどちらを切るか、ノーヒントで決めなければならないような瞬間を、私たちは人生の中で、けっこうしばしば、経験しているのです。そこで爆弾をバクハツさせてしまったとして、その人の責任を問えるでしょうか。法的にはもちろん、そこがしばしば、問われます。裁判の場では、それこそが「争点」になります。でも、私たちが自分個人としての人生や幸福を考える場合は、どうでしょうか。あるいは、自分にとってごく大切な人の人生について考えるときは、どうでしょうか。かけがえのない大切な人が、赤か青か、間違ったほうを切ってしまったなら、私たちは基本的に、全力で相手をサポートしようと思うはずです。自分もまた、同じ目に遭わないとも限らないことが、わかるからです。幸福がもし、人間の心の中に生まれるものだとするなら、私たちが幸福になるにはまず、「ゲートの開け閉めの失敗について、自他を責めるのをやめる」ことが必要なのかもしれません。人生には、誰のせいでもないことが、たくさんあります。新型コロナウイルスに感染した人を責めるのがナンセンスであるのと同じように、そこで犯人捜しをするのは、無意味なのです。もちろん、たくさんの警告を受けながらも「自分だけは大丈夫」「このくらいは大丈夫だろう」といった無根拠な自信で行動し、感染してしまった人々に、医療従事者の方々などが苛立ちを感じるのは当然だと思います。ただ、失敗は誰にもあります。それをどのように反省し、他の人々への教訓とするかは、また別の問題と言えるでしょう。ひとつだけたしかなのは、「リスク管理」と、「失敗した人を直接的に非難する」こととは、別のことだという点です。世の中には、取り返しのつかない失敗というものも、存在します。人間は、そういう失敗を「する」のです。「絶対にやってはならない!」と声を上げるのも大切ですが、「そもそも、人間とは、そういうことをする生き物なのだ」というところから思考を始めるほうが、近道なのではないかと思うのです。いいことも悪いことも「誰のせいでもなく」起こります。そのことを引き受けてどう生きるか、ということが、第8ハウスの幸福のテーマなのではないかと、私は思っています。>>次回もお楽しみに(2021年3月25日更新)
2021年02月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」が11月から連載再開! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)人間のからだには様々な「門」「出入り口」があります。口や鼻の穴、目や耳、汗腺や尿道、肛門、膣など、私たちの身体にはたくさんの入り口や出口があって、外界と常になにかしら、やりとりしています。この「口」がふさがってしまうと、命が危険にさらされます。それに似て、生活・人生にも、様々な出入り口があります。たとえば「がま口」がそうです。お金が入ってくる口と、出て行く口です。性交によって「他者を受け入れる」ことも「ゲート」のテーマです。「入学」「入門」「入居」など、どこかに自分を丸ごと預けるような「入り口」もあります。一方、古来「脱出」「出奔」「脱獄」「家出」など、穏やかでない「出口」の使い方もあります。「コロナ禍」で私たちは、マスクで口を塞ぎ、ウイルスの出入りに常に気を配る状態になりました。出口や入り口は、出入りしてほしくないものが出入りしてしまう危険をはらんでいます。しっかり閉めておかなければ、望ましくないものが入ってきますし、中からどんどん大事なものが流出してしまう場合もあります。とはいえ、閉めっぱなしでは使えないのです。どんなにマスクをして気をつけていても、食事をするときには、マスクを外さなければなりません。マスク自体、呼気と吸気を通すように作られていなければ、私たちは窒息死してしまいます。星占いで用いる第8ハウスは、ホロスコープの「出入り口」のような場所です。その対岸の第2ハウスもまた、ゲートです。実際、古く第2ハウスは「ハデスの門」などと呼ばれました。金庫も財布もきちんと閉めておかなければなりませんが、開かなければ用をなしません。厳重に管理されなければならない「ゲート」のイメージは、古くから星占いの世界に刻み込まれていたようです。私たちの人生は、外界に向かって開かれなければなりません。でも、無防備に開かれっぱなしの状態では、容易に傷つけられ、大切なものを奪われてしまいます。人生の玄関、人生の裏口、人生のがま口。こうしたものを、危機感をもって管理する姿勢を、誰もが持っています。ただ、その危機感の「強弱」は、人によって振り幅が大きいものでもあります。警戒心の強い人もいれば、ユルユルの人もいるのです。また、経験によって、その管理運用の方針は大きく変わります。たとえば、子供の頃の経済的な環境は、大人になってからのその人の経済活動を大きく左右します。性的な問題で傷を負わされた人は、その後長く、「ゲートを閉ざした状態」になることは珍しくありません。外界に向かってデリケートな部分を「ひらいた」とき、私たちは傷を負うリスクを引き受けることになります。そして、実際に、傷を負ってしまうことがあるのです。これは、若いうちだけでなく、いくつになっても起こりえます。ゲートから何が入ってきて、何が出て行くのか。私たちは、ゲートの開け閉めだけはある程度自分でできますが、「門をたたいてくる相手」を、管理することはできません。どんな人に愛を告白されるのか、いつどんな人がオレオレ詐欺の電話をかけてくるのか、自分を口説いている相手は本気なのか遊びなのか、そうしたことを「コントロール」することはできないのです。「何が来るか」ということ自体は、制御不能なのです。私たちにできることはただ、「ゲートを開くかどうか」の判断だけです。オレオレ詐欺の被害に遭った人や、性犯罪の被害者などに「警戒が足りなかった」「やられるほうが悪い」という言葉を投げかける人がいます。「自分さえしっかりしていれば大丈夫」「他の人が引っかかっても、自分は冷静で賢いから、決して引っかからない」と考える人は、驚くほどたくさんいます。でも現実には、そうではありません。人生の「ゲート」を自ら開くとき、私たちは一様にリスクを負うのです。そして、人生の「ゲート」を開かないときも、私たちは人生のチャンスを逃し、ひとりぼっちで苦しみながら生きることになるリスクを負うのです。リスクは、どちらにも存在します。「ノーリスク」で生きることはできないのです。第8ハウスから「幸福」を考えたとき、まず「リスク」というテーマが浮かびます。自分の人生に何を容れ、何を拒絶するか、という判断がそこにあるからです。たとえば、親族からの莫大な遺産を、あえて「受けとらない」という判断をする人がいます。全額を寄付したり、誰かに譲ったりする人は、少なくありません。「受けとることによる、なんらかのリスク」を回避するための判断だったのでしょう。厳しい親の言うことを聞いて、恋愛を一切拒否して育ち、大人になった人がいます。既に十分いい大人になってしまってから、この人は親に「早く結婚しなさい」と言われ、激しい戸惑いと怒りを感じたそうです。一切のリスクを回避するために、「ゲート」を完全に閉ざして生きてきたため、それをどのように開けばいいのか、わからなくなってしまった、ということなのだと思います。ゲートの開き方は、経験によって学び取られなければならないのです。一方、育った環境からの影響で、自尊心が非常に低く、「何でも受け入れてしまう」という人もいます。人からの「求め」や人からの褒め言葉を、渇いた人が塩水を飲むように、ずっとごくごく飲み続けてしまうのです。渇きはおさまらず、心には痛みが蓄積していきます。ゲートが開きっぱなしで、「受け入れることのリスク」が一切回避されないまま、傷つき続けてしまう人は、決して少なくありません。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年2月25日更新)
2021年01月25日「幸福になるために必要不可欠なものは、なんだと思う?」そう聞かれたら、あなたならどのように答えますか。漫画家の竹内絢香(@ayakatakeuchi56)さんは、イギリスのマナー講師からこの質問を投げかけられたといいます。愛、家族、友達、お金…すべて「違う」という講師。答えを聞くと…。突然「幸福になるために必要不可欠なものは❓️」と聞かれて考えたことです pic.twitter.com/bLYPEPkDrx — 竹内絢香 (@ayakatakeuchi56) January 15, 2021 幸福になるために必要不可欠なもの、それは『健康』。竹内さんは、当時「気付かなかった」と笑う程度だったというものの、心身の健康を崩してその言葉の意味を理解したそうです。確かに、健康でなければ幸せを感じることはできないでしょう。身体や心の不調を見て見ぬふりや、ごまかすことで健康はすぐに失ってしまいます。竹内さんは、自分の体調にウソをつかず疲れていたらすぐに休むよう意識するようになったのだとか。漫画を読んだ人たちからは、共感の声が寄せられていました。・自分に優しくしたいと思いました。・健康であることが幸福なのかもしれない…。・健康は大事。早めにケアしないとね。新型コロナウイルス感染症が流行する中では、より健康でいられることが幸せと実感する機会が多いかもしれません。自分の体調の変化を見落とさないよう、身体を大切に健康に気を付けて過ごしたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年01月16日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第7のテーマ「パートナーシップ」と幸福。(後編)をお届けします。▼ 7.「パートナーシップ」と幸福。(前編)はこちら■7.「パートナーシップ」と幸福。(後編)「私は結婚に向いていない」「結婚に興味がない」と言いつつ占いを求める人の言う「結婚」は、「世間的に言う結婚」のことだろうと思います。「世の中一般にイメージされるような『結婚』」「保険やハウスメーカーのCMに出てくるような、ステレオタイプの『結婚』とその役割概念」に、「興味がない」のでしょう。「自分に何らかの形で『合う』と思える誰かと、人生の一部を共有して、助け合って生きていく」ということなら、もしかしたら、「興味がある」と感じられるかもしれません。心の片隅にそうした関心、あるいは仮説があるからこそ、こうしたご質問を寄せられたのではないかと思うのです。もちろん、全ての方がそうだというわけではないと思います。ご相談にはそれぞれ、共通する部分がある一方で、まったく誰のものとも重ならない、とても深いものが含まれているからです。たとえば「同性愛でなくとも同性同士で結婚できる世の中になるべきだ」という考え方があります。これは、結婚制度というものを考える上で、とても大事な発想だと思います。パートナーシップとは、ただ、人が人と、協力し合って生きていくことです。そのことに、部外者が何の意見をはさめるものでしょうか。パートナーシップは、「創造」されねばならないのです。どこかにあるテンプレートに、無自覚に自分をはめ込むような「結婚」は、危険なのです。サイズも見ず、試着もせずに、かたい革靴を買うようなものです。パートナーを得ても、ちっとも幸福になれない人もいます。いわゆる「モラハラ」や「DV」「ワンオペ育児」など、パートナーによって不幸になる人も、たくさんいます。その一方で、パートナーと生きていることがなにより幸福だと感じる人もいます。この違いは、どこにあるのでしょうか。パートナーシップを結ぶことで幸福になるには、おそらく、いくつかの条件が必要なのだろうと思います。そして、その条件もまた、全ての人に当てはまるというものではないでしょう。「誰にでもぴったり合う靴」が存在しないのと同じです。ただ、こんなことを私は想定します。パートナーシップによって幸福になる条件のひとつ、それは、お互いの関係の中で、「缶詰が開く」体験があることです。人の心の中には、固く閉じている場所がたくさんあります。でも、閉じた場所の中に格納されたものは、そのままでは成長しないのです。ナカミが腐敗して膨張し、どうにもならなくなることもあります。そして、その「閉ざされた場所」「缶詰」を、一人で開けることは、なかなか難しいのです。ある人と出会い、生きる時間を共有する中で、その「缶詰」のようなものが開きます。中にはそもそも「隠しておきたかったもの」「触れたくなかったもの」が入っているので、ちょっと困った事態になる場合も、よくあります。自分一人では状況を収拾できず、出会えたその人に手をかしてもらうことになります。そのとき、幸福に向かうためのパートナーシップが結ばれます。白雪姫のガラスの棺が壊れる瞬間、鉢かづき姫のかぶった鉢が壊れる瞬間、シンデレラの片方の靴が脱げてしまう瞬間などは、まさに、「缶詰が開く」瞬間です。これらは初潮や破瓜のメタファーだと解釈されることも多いようです。でも、それ以外にも「バランスが崩れる」「缶詰がふくれてはじける」瞬間は、人生の中でたくさんあります。私たちが成長を重ね、他者と巡り会ったとき、なんらかのきっかけで、心の中で閉ざされていた部分が開かれます。それは一見、トラブルのように見えることもしばしばです。ですがその瞬間にこそ、奇跡のような「関わり」が生じ、新しい人格と関係性が生まれ出すのです。こうした体験は、人生の中でたった一度のことではなく、何度も繰り返されていくことなのではないでしょうか。「美女と野獣」で野獣の顔から王子の顔に変わる瞬間や、おやゆび姫が死にそうなツバメを介抱するくだりなどは、「一人では収拾できなくなった状況を、助けてもらう」体験に重なります。内なる弱さや醜さが現れ出ても、それに向き合ってくれる「誰か」が現れたとき、私たちは相手を初めて、「もう一つの自分の生命」として認識し始めるものなのかもしれません。そんなことは怖くてできない、と思われるでしょうか。でも、時々「心の機が熟す」と、そんなことが自然に起こる場合も、少なくないようです。>>次回もお楽しみに(2021年1月25日更新)
2020年12月25日『現代能楽集Ⅹ『幸福論』~能「道成寺」「隅田川」より』がシアタートラムにて開幕。初日を無事に終え、舞台写真と作家・演出家・出演者のコメントが到着した。本作は、能・狂言を土台に現代演劇を創造する人気シリーズ「現代能楽集」の第10弾。今回は演劇賞を立て続けに受賞している、気鋭の劇作家・演出家の瀬戸山美咲と劇作家の長田育恵がタッグを組み、今を生きる私たちのための現代演劇を創作した。「道成寺」では父と母、息子の3人で暮らす幸せな家族がさらなる幸福を激しく求めた結果の悲劇、「隅田川」では運命的に出逢った3世代の女たちが、誰の目も届かない社会の片隅でありえるかもしれない物語を紡ぎ出す。出演するのは、瀬奈じゅん、鷲尾真知子、相葉裕樹といった豪華な顔ぶれ。彼らは異なる役で、それぞれの幸福論を立ち上げる。『現代能楽集Ⅹ『幸福論』~能「道成寺」「隅田川」より』は、シアタートラムにて12月20日(日)まで上演中。<初日コメント>初日を終えた現在の心境(11月29日)◆長田育恵 / 作(弐「隅田川」)開幕いたしました。炎のごとく、内からたぎるような「道成寺」。水のごとく、深度を増していく「隅田川」。能の物語を借りて描き出す2020 年の現在地は、生々しくも、どこか目に見えないものを信じられるような不思議な力に満ちています。この企画だからこその劇空間、ぜひ多くの方にご覧いただきたいです。今、ご自身を慈しみ、ここから次の一歩を踏み出すための静かな力となりましたら幸いです。◆瀬戸山美咲 / 作(壱「道成寺」)・演出初日を終えて、さまざまな時代、さまざまな局面で人の想いを鎮めてきた能の持つ力を改めて感じています。今年の終わりにふさわしい作品になっていると思います。たいへんな困難の中、劇場に足をお運びいただく皆様に本当に感謝します。何もない空間に世界を立ち上げていく6人の俳優たちの姿を是非観にいらしてください。◆瀬奈じゅん / 安藤千佳役(壱「道成寺」)・真鍋夏帆役(弐「隅田川」)本日、初日を迎えました。舞台は、芝居は、お客様と共に作り上げていくものだと、改めて実感した初日です...。足をお運びいただき、誠にありがとうございました。千秋楽までもっともっと深めて参ります。シアタートラムでお待ちしています!!◆相葉裕樹 / 橘清史郎役ほか(壱「道成寺」)・ハヤシ役ほか(弐「隅田川」)無事に幸福論の初日が開きホッとしています。約半年ぶりにお客様と同じ空間、同じ時間を共有する事ができとても幸せでした。演じていく中で日ごとに感情の揺れ方や感覚が変化していくと思います。千秋楽まで「幸せとは何か?」「生きるとは何か?」「愛情とは何か?」あらゆる感情を探し続けたいと思います。是非また劇場にお越し下さい。◆清水くるみ / 奥野あんず役ほか(壱「道成寺」)・谷口彩佳役(弐「隅田川」)もうすでに色々な意見をいただいていて、改めて演劇ってナマモノだなと感じています。千秋楽まで変わり続ける舞台でありたいし、その中でたくさん吸収していきたいです。正解があるのか分からない、人生みたいな道のりを、3週間、もがき進んでいきたいと思っています。感染対策ばっちりの劇場で、お待ちしております!◆明星真由美 / 橘真姫役(壱「道成寺」)・吉田翠役(弐「隅田川」)どこか皆である目指したゴールに到達できたような達成感のある良い初日だったように思います。でも特に『道成寺』は旅の入り口に過ぎないと。最初この台本を読んだ時、作品の世界観を表現する方法がいく通りもある気がしました。それはお客様が「どんな視点で我々登場人物を見るか」によってストーリーが変化する可能性があるなと。とてもチャレンジングですが、お客さんの呼吸を感じながら演じられたらと思っています。『隅田川』は、誰かの傷と、誰かの傷が出会うことによって、浄化が始まる物語だと私は解釈しています。それって、全ての出会いにも言える事で、この世界が回り続けている理由みたいなものですよね。今日の1ステージと、来てくださったお客様との『交換』は1度きりのもので、映像配信では成されないものだと私は信じています。最後まで奇跡が起きますように。◆高橋和也 / 橘清役(壱「道成寺」)・酒々井直人役(弐「隅田川」)稽古期間も劇場入りしてからも常に緊張を強いられる状況の中、奇跡のように幕が開いた。いつもなら皆で乾杯し、喜びを分かち合う時だが今はそれも無い。芝居をする為だけに僕等は集まり、そしてそれぞれうちに帰る。それでも、この作品に出演できて本当に良かったと心から思います。尊い経験をさせて頂きました。ありがとう!◆鷲尾真知子 / 白河安子役(壱「道成寺」)・向坂悦子役(弐「隅田川」)今年の二月に世田谷パブリックシアターにて出演した「メアリ・スチュアート」の後、世の中が一変しました。今日シアタートラムの舞台に立てた事を幸せに感じています。行動の不自由を感じている中、劇場に足を運んでくださったお客様に感謝申し上げます。スタッフキャストそしてお客様と一体になり幕があきました初日の高揚感は一入(ひとしお)でした。明日から「すべての事に」甘える事なく、緊張感をもって、千秋楽まで舞台を務めます。【公演概要】『現代能楽集Ⅹ『幸福論』~能「道成寺」「隅田川」より』11月29日(日)~12月20日(日)会場:シアタートラム
2020年12月01日カンヌ映画祭で主演のエミリー・ビーチャムが女優賞に輝いた映画『リトル・ジョー』が17日(金)から公開になる。本作は、人を幸福にする新種の植物の登場によって人々が変化していく様を描いているが、脚本と監督を手がけたジェシカ・ハウスナーはこう語る。「もし、私たち全員が何かに乗っ取られてしまったとしたら、実は最も平和になるのかもしれませんよ」。この映画が描くのは観客への挑発か? 真摯な問題提起か? それとも? 監督に話を聞いた。本作の主人公アリスは、バイオ企業で働く研究員。離婚し、息子のジョーと暮らしながら仕事優先の生活を送っており、現在は“人間を幸せにする”効果のある新種の花の開発に力を注いでいる。アリスは完成した花を会社にだまって自宅に持ち帰り、息子に渡したところ、息子はその花を“リトル・ジョー”と名付けて世話をし始める。しかしある日、アリスは息子の様子が以前とは少し違うことに気づく。さらに研究所の同僚にも変化が訪れていた。そこでアリスは、この花の花粉を吸い込んだ人間に何らかの変化がおとずれたのではないかと推測する。次々と変化していく周囲の人々、成長して真紅の花を咲かせる新種の植物。アリスの中にある違和感はさらに大きくなっていく。植物は生存のために周囲の環境や動植物を利用するように進化することがある。蜜に誘われた虫が花粉を運び、風が種子をつけた綿毛を遠くまで運んでいく。もし、植物が生存のために“人間”を利用することがあるとしたら? 本作はそんなSF的な設定の物語が描かれるが、その中心になっているのは植物ではなく人間のドラマだ。植物の存在によって“幸福”を手にする人間、いつしか変化してしまった相手に対する違和感……。ハウスナー監督は「この映画の最初のインスピレーションは『ボディ・スナッチャー』の存在だった」と振り返る。「私は以前からSFやホラーが好きでした。それに私は何よりも『ボディ・スナッチャー』が描く哲学に魅了されていたんです」ジャック・フィニイの小説『盗まれた街(ザ・ボディ・スナッチャー)』は1956年、1978年、そして2007年に映画化されており、いずれも未知の生命体によって人間が乗っ取られる恐怖を描いている。ある日、見知った人が変化している気がする。どこかおかしい。違和感を感じる。そして、その恐怖はどんどん広がっていく。「あの作品は、私たちは自分が知っていると思っている人のことを、本当に知っていると言えるのだろうか? ということを描いていました。それは自分自身にもあてはまります。私たちはどこまで自分のことを理解して、自分は自分自身なのだと認識できるだろうか? そんなことに私は魅了されたんです。というのも、人生の中では予想外のことが起きて、自分の新たな一面を発見して驚いたりすることがあるからです。それに、この映画には病気のためにある薬を服用している人が出てくるのですが、ある種の薬は服用することで性格などに変化が見られることがあります。そんな時、私たちは違和感を感じるわけです。それはジェスチャーとか声とかのちょっとした変化なんですけど、私たちは“あれ?何かが違う”とザワザワしたものを感じます。私たちは誰しもが自分は本物の自分であるとは言い切れない。こうして取材を受けている時の私と、帰宅して子どもと話す時の私も違うだろうし……では本物の私は一体、誰なのか? ということですよね」人間は誰しも変化する。成長するし、身体の細胞は入れ替わるし、状況によってキャラクターや言葉づかいを変える。しかし、それを上回る大きな変化が外部からもたらされたとしたら? この映画はそんな状況を描きながら、そこで起こる変化を必ずしも“侵略”や“恐怖”として描いていない。何せ、新種の花は人間を幸福する花だ。この物語では、変化した人間は結果的に明るく幸福になり、変化した方が良かったのでは? と思わせる余地を含んでいる。「そのことは意識して描いています。もし、『ボディ・スナッチャー』を新たに映画化するなら、全員が乗っ取られるハッピーエンドのバージョンを提案したいですね(笑)。もし、私たち全員が何かに乗っ取られてしまったとしたら、戦争も起きないし、温暖化もなくなるのかもしれない。実は最も平和になるのかもしれませんよ」ハウスナー監督はそう語る一方で、映画の中に登場するキャラクターが劇中で何らかの“罪悪感”を抱いている様を描いている。主人公のアリスは仕事に熱中するあまり、息子の面倒をちゃんと見ることができていない罪悪感を抱いている。本当は息子と一緒にいたい。でも仕事のことを考えると息子との時間は短くなっていく。つまり、新種の花の周囲の人々は“変わりたいと思っていないのに変わってしまう”存在で、アリスは“変わりたいのに変われない”存在だ。「この物語ではアリスは息子に対して罪悪感を感じていて、同時に新種の花を生み出したのも彼女です。通常、自分の行動が周囲に何かしらネガティブな反応を引き出した場合に罪悪感が生まれると思うのですが、この物語で描かれるアリスの罪悪感はすべて彼女の“頭の中”で起こることなんです」ハウスナー監督が語る通り、本作は物語が進み、周囲の人が変化していっても、花粉と変化の関係は明確には描かれない。そしてその変化が本当に“幸福”なのかも。「もしかしたら、罪悪感というものはそもそも不要なものなのかもしれないですよね。もし、罪悪感を完全に捨て去って解放されたとしたら、みんながハッピーになれるかもしれない」あなたは幸福になることができる花があるとして、それを手にするだろうか? みんなが誰かに乗っ取られて得られる平穏を平和と呼べるだろうか? 罪悪感を捨て去ることが幸福だと思えるだろうか? 映画『リトル・ジョー』はスリリングなドラマで観る者を物語に引き込みながら、最後の最後まで観客を挑発し、問いを投げかけ続ける。『リトル・ジョー』7月17日(金) 全国順次ロードショー
2020年07月15日家庭教育の話題としても耳にすることが増えている「アドラー心理学」。そもそも、アドラー心理学とはどんなもので、子育ての場面ではどのように生かせるのでしょうか。そのポイントを、株式会社子育て支援代表取締役であり、日本アドラー心理学会/日本個人心理学会の正会員でもある熊野英一さんが教えてくれました。熊野さんは、アドラー心理学の考え方を生かすことにより、親子間のコミュニケーションが格段にスムーズになると言います。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人一般人でも実践的に使えるアドラー心理学アドラー心理学は、心理学の一分野です。その創始者であるオーストリアの心理学者、アルフレッド・アドラーは、フロイト、ユングと並ぶ心理学の3大巨頭ですが、日本ではほかのふたりと比べて少しマイナーな存在でした。それが大きく変わったのが、2013年。アドラーの教えを伝える書籍『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社/岸見一郎・古賀史健 著)が大ヒットしたことで、日本にもアドラーの名が知れわたったのです。もちろん、アドラー心理学が注目を集めるようになった要因は、書籍のヒットだけではありません。なにより、その使い勝手の良さが大きかったと思います。アドラー心理学は、非常にシンプルでわかりやすい理論のため、子育てのほか、夫婦関係や職場での人間関係など、さまざまな対人関係に適用しやすいのです。では、アドラー心理学とは具体的にどういうものなのでしょうか。アドラーは、簡単に言うと、「どうすれば人は仲良くできるのか」ということを追求した人です。アドラー以前の心理学は、基本的に、心の問題を抱えている人を精神分析したりトラウマなど心の闇をまさぐったりして、「問題の原因を解明していく」というスタンスでした。でも、それでは即座に問題を解決することは難しい。いままさにけんかしている目の前の人とどうすれば仲直りできるのか、これから仲良くできるのか――。アドラーはそこにフォーカスしました。だからこそ、心理学について特別に学んでいない人たちであっても実践的に使える心理学として、アドラー心理学の注目度がどんどん増しているのだと思います。「子育ての最終目標」とは「子どもを自立させる」ことそのアドラー心理学の観点から、「子育ての最終目標」とは「子どもを自立させる」ことだと私は考えています。普通に考えると、親は子どもより長く生きることができません。そうであるなら、子どもが親から離れて自活し、自らの幸せをつかめるような人間に育てること、すなわち自立させることが親の役割だと言えます。また、自立に加えて、もうひとつの大事なキーワードが、アドラー心理学の専門用語で「共同体感覚」と呼ぶものです。わかりやすく言うと、「公共心」とか「思いやり」になるでしょうか。どんな人間にとっても自分は大事ですから、必要以上に自分を犠牲にする必要はありません。その一方で、社会生活を営む人間としては、「自分さえよければいい」という考え方はNGでしょう。自分を大事にして自らの幸せを追求しながらも、困っている他者に対して手を差し伸べることができる感覚――。共同体感覚を誰もがもっていたとしたら、その社会はきっとハッピーであるはずです。そういう点では、自分も他者も大事にできる共同体感覚をもっている人間が、自立している人間だと定義できるかもしれません。もちろん、アドラー心理学を学んだ経験がない人でも、親であれば誰もが「子どもに自立してほしい」「自分も他人も思いやれる人になってほしい」と願うものでしょう。ところが、実際の子育てとなると、さまざまな問題に直面します。その筆頭が、子どもに対する「イライラ」や「怒り」の感情ではないでしょうか。親は子どもを愛しているからこそ、イライラしてしまうでは、イライラや怒りとはなにか?それらは、心理学的には「二次感情」と呼ばれるものです。でも、二次感情以前に別の感情である「一次感情」があります。それらが増大して沸点に達した結果、イライラや怒りになるのです。代表的な一次感情は、「落胆」「心配」「不安」「寂しい」「悲しい」の5つ。「いい子に育ってほしい」と期待しているから落胆がある。「健康でいてほしい」と願うから心配するし不安にもなる。子どもと離れると寂しいし、子どもと愛し合えなくなったら悲しい。どれも親が子どもに対してもちやすい感情ですよね。つまり、これらの感情は親としての子どもへの愛情とセットのものです。親はみんな子どもを愛しています。だからこそ、一次感情が膨らんでイライラや怒りを抱えてしまうのです。つまり、親が子どもに対してイライラや怒りを覚えるのは当然のこと。問題は、親の気持ちの伝え方にあるのです。二次感情のイライラや怒りをそのままぶつけるから、親子関係がうまくいかなくなる。そうではなく、冷静に一次感情を伝えることを考えましょう。親子間に欠かせない「共感」は、「同意」とはまったくの別物そして、それ以前に子どもの話をきちんと聞くことを心がけてください。その際のキーワードとなるのが、「共感ファースト」。まずは子どもの話を聞いて、その思いに共感することが重要なポイントです。ただ、注意してほしいのは、「共感」と「同意」はまったく別物だということ。「共感=同意」だと考えると、すべて子どもの言いなりになるしかありません。それではやはり、親としては納得できない。「同意できないから、私は共感もしない」と考えてしまい、きちんと子どもの話を聞いてあげられなくなり、親子間の衝突が起きるのです。同意しなくてもいいのです。でも、まずは共感してみましょう。たとえば子どもが友だちに暴力をふるったとします。その行為自体はいいものではありませんから、絶対に同意はできないでしょう。でも、その行為の裏には、暴力をふるってでも守りたかった自分の正義があったのかもしれない。その本心をきちんと聞いて共感してあげないことには、子どもはいつまでたっても「どうしてわかってくれないんだ!」と親に対して不信感を募らせるだけです。でも、親がしっかり子どもの話を聞いて共感してくれたら、「お父さん、お母さんは、自分のことを本当にわかろうとしてくれているんだ」と子どもは思いますよね。そうすれば、そのあとのコミュニケーションもスムーズになる。「あなたの気持ちはよくわかった、でもやっぱり暴力はよくないと思う」と同意できないことを伝えても、自分に共感してくれた親の言葉になら、子どもは素直に耳を傾けてくれるはずです。『アドラー式働き方改革 仕事も家庭も充実させたいパパのための本』熊野英一 著/小学館(2018)■ 株式会社子育て支援代表取締役・熊野英一さん インタビュー記事一覧第1回:「○○ファースト」がポイント!アドラー心理学で親子間のコミュニケーションがうまくいく第2回:大事なのは我が子を無条件で信じる「信頼」。「信用」しかできないのはとても危険(※近日公開)第3回:子育てでは“ほめないこと”が大切なわけ。アドラー流・子どもを「ほめずに勇気づける」方法(※近日公開)第4回:つい叱りたくなるときでも、親は「インタビュアー」になれば落ち着いて我が子に向き合える(※近日公開)【プロフィール】熊野英一(くまの・えいいち)1972年1月22日生まれ、フランス・パリ出身。株式会社子育て支援代表取締役。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。メルセデス・ベンツ日本人事部門に勤務後、米国Indiana University Kelley School of Businessに留学(MBA/経営学修士)。製薬企業イーライ・リリー米国本社及び日本法人を経て、保育サービスの株式会社コティに統括部長として入社。約60の保育施設の立ち上げ・運営、ベビーシッター事業に従事。2007年、株式会社子育て支援を設立し、代表取締役に就任。日本アドラー心理学会/日本個人心理学会正会員。主な著書に『アドラー式子育て 家族を笑顔にしたいパパのための本』(小学館)、『アドラー子育て・親育て 家族の教科書 子どもの人格は、家族がつくる』(アルテ)、『アドラー子育て・親育て 育児の教科書 父母が学べば、子どもは伸びる』(アルテ)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2020年06月12日幸せになりたい――。人間の究極の願いかもしれません。それこそ子を持つ親なら、我が子には絶対に幸せな人生を送ってほしいと願うでしょう。そこで、「幸福学」の第一人者である慶應義塾大学大学院教授・前野隆司先生に、親子そろって幸せになる方法を教えてもらいました。まずは、そもそも幸福学とはどんな学問なのかというお話からはじめてもらいます。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)他人と比較できるもので得られる幸せは長続きしないわたしの専門のひとつである「幸福学」を、まだ知らない方もおられるかもしれません。幸福学が世界的に広まりはじめたのは1980年代になってからです。ただ、「人はいかにすれば幸せになれるのか?」ということについては、2500年くらい前から哲学者や宗教学者が研究をしてきました。そこに科学の視点が入り、さまざまな説にエビデンスがもたらされ、幸福学という学問として確立されたのが1980年代以降ということなのです。心理学・統計学ベースの幸福学は、哲学でも宗教学でもありませんから、「人の幸せはなにか?」という根本的な問いを扱うものではありません。幸福学の研究では、その問いはさておき、研究対象の人たちにはそれぞれの主観で自分が幸せかどうかを問います。そして、「幸せだ」と答えた人たちにはどういう共通項があるのかを研究し、「人はいかにすれば幸せになれるのか?」という問いに答えを導くのです。また、そういった基礎研究に加えて、応用分野もある。たとえば、基礎研究によってわかった人が幸せになる仕組みを、企業経営やそれこそ子育てなどに応用し、幸せになる方法を広めることも幸福学の範疇に含まれます。さて、その幸福学の研究が進んだことで、ひとつの大きな事実が見えてきました。その事実とは、「お金やモノ、地位など他人と比較できるもので得られる幸せは長続きしない」ということです。たとえば、ある人が昇進して給料が上がったとします。もちろん、その瞬間はうれしいし、幸せを感じるでしょう。でも、もっと給料をもらっている人は世界にはいくらでもいる。上を目指せばきりがありません。そのことに気づき、せっかく給料が上がって得た幸せも、結局は長続きしないのです。長続きする幸せを得るために必要な「幸せの4つの因子」では、長続きする幸せを得るにはどうすればいいのでしょうか?それは、「心と体をいい状態にすることで幸せになる」ということです。そのうち、心の状態に着目すると、幸せな心の状態というものは数え切れないほどあります。それらを因子分析という手法によって整理したところ、4つにわけることができました。つまり、心がその4つの状態にあれば、強い幸福感を得られるというわけです。それらを、わたしは「幸せの4つの因子」と呼んでいます。【幸せの4つの因子】「やってみよう」因子「ありがとう」因子「ありのままに」因子「なんとかなる」因子では、子育て中の親と子どもはどうすれば幸せになれるのでしょうか?4つの因子それぞれをベースにお話しましょう。まずは「やってみよう」因子から。いまの子どもたちの多くは幼いときからたくさんの習い事をしたり、塾に通ったりしています。なかには、「通わされている」といったほうがいい子どももいるでしょう。これが大問題。やりたくもないことをやったところで幸せを感じられるでしょうか?答えは考えるまでもなく「ノー」ですよね。人は、自分の意志で「やってみよう」と思うことをやることで幸せを感じられるからです。親であるみなさんに注意してほしいのは、親自身も「やってみよう」と思っていなければならないということ。「自分は英語が苦手だったから」と、子どもを英語塾に通わせているだけでは、親の「やってみよう」が足りません。「幸せは伝染する」ものですから、親も「やってみよう」ということが日常になければならない。つまり、親は親、子は子で、それぞれが好きなことをやることで互いに幸せが伝染し、親子そろって幸せになれるのです。子どもに感謝し、子どものありのままを認めるふたつ目は「ありがとう」因子です。イメージしやすいことだと思いますが、感謝の気持ちを忘れない人は周囲といい人間関係を築けるので、当然、幸せを感じることができます。ところで、みなさんは子どもに感謝していますか?あるいは、夫や妻に感謝しているでしょうか?子育ては本当に大変なものです。協力が足りないパートナーや駄々をこねる子どもに対して、ついイライラしてしまうこともあるでしょう。でも、それでは幸せはあなたから逃げてしまいます。「わたしのパートナーでいてくれて、わたしの子どもに生まれてくれてありがとう」という気持ちを忘れず、日常的に「ありがとう」と口にするようにしてください。3つ目は「ありのままに」因子です。この因子を潰してしまうのは、「他人との比較」です。このことにも、「やってみよう」因子と同じように、いまの子どもがたくさんの習い事をしていることが悪影響を与えていると感じています。子どもが習い事をしていると、親としてはどうしても他の子どもと我が子の出来を比較してしまいがちです。そうして他人と比較されてばかりいる子どもが幸せを感じられるはずもありません。そもそも、子どもの生育には非常に大きな個人差がありますし、親の希望でやらせている習い事が、その子が得意なことではないかもしれません。親の勝手な理想の子ども像を我が子にあてはめるのではなく、我が子の「ありのまま」を受け入れ、また子ども自身にも「ありのままの自分でいいんだ」と思わせてあげましょう。失敗した子どもに「グッジョブ!」と声をかけるアメリカ人最後は「なんとかなる」因子です。「自信がない」「どうせ自分には無理」とネガティブ思考でチャレンジを恐れる人と、「なんとかなる」とポジティブに考えてさまざまなことにチャレンジしていく人ではどちらが幸せになれるでしょうか?答えはもちろん後者です。そして、子どもをポジティブ思考にするために重要となるのは、親の言葉かけです。ここで、わたしがアメリカに住んでいたときに妻から聞いたエピソードをお話しましょう。その日、妻はまだ幼かった子どもを公園で遊ばせていました。すると、アメリカ人の子どもが転んでしまった。その子の親は、どんな声をかけたと思いますか?日本人なら、「大丈夫?」と心配し、「だから気をつけなさいっていったじゃない」なんて小言をいってしまうかもしれません。ところが、アメリカ人のその母親は、間髪入れずに「グッジョブ!」といったのだそうです。驚きですよね。アメリカ人は、子どもがなにかにチャレンジして失敗するたび、「グッジョブ!」「ナイストライ!」と声をかける。それを何度も繰り返すのですから、仮にもともとは引っ込み思案の子どもだったとしても、どんどんポジティブになっていくはずです。民族性というところもありますから簡単ではないかもしれませんが、みなさんも、もっと前向きな言葉を子どもにかけてあげることを意識してはどうでしょうか。『「幸福学」が明らかにした 幸せな人生を送る子どもの育て方』前野隆司 著/ディスカヴァー・トゥエンティワン(2018)■ 慶應義塾大学大学院教授・前野隆司先生 インタビュー記事一覧第1回:“他人との比較”で得た幸せは長続きしない。「幸福学」で分かった、親子で幸せになる方法第2回:目的もなく東大に入っても意味はない。本当に輝けるのは、いい意味での「オタク」だ!(※近日公開)第3回:「子どもは宝物だ」という思考が危うい訳。子を思うなら親は“自らの幸せ”を追求すべき(※近日公開)第4回:子育てでイライラした時どうすれば?幸福学の権威が教える「幸せ体質な親」の目指し方(※近日公開)【プロフィール】前野隆司(まえの・たかし)1962年1月19日生まれ、山口県出身。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)教授。1984年、東京工業大学工学部機械工学科卒業。1986年、東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。同年、キヤノン株式会社に入社。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、慶應義塾大学理工学部教授、ハーバード大学客員教授等を経て、2008年より現職。2017年より慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼任。研究領域は、幸福学をはじめ、ヒューマンロボットインタラクション、認知心理学、脳科学、心の哲学、倫理学、地域活性化、イノベーション教育学、創造学と幅広い。主宰するヒューマンラボ(ヒューマンシステムデザイン研究室)では、「人間に関わる研究ならなんでもする」というスタンスで、さまざまな研究・教育活動を行っている。『感動のメカニズム 心を動かすWork&Lifeのつくり方』(講談社)、『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社)、『古の武術に学ぶ無意識のちから 広大な潜在能力の世界にアクセスする“フロー”への入り口』(ワニブックス)、『幸せな職場の経営学 「働きたくてたまらないチーム」の作り方』(小学館)、『ニコイチ幸福学 研究者夫妻がきわめた最善のパートナーシップ学』(CCCメディアハウス)、『AIが人類を支配する日』(マキノ出版)など著書多数。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2020年03月11日人は友だちから恋愛対象になることがあります。相手が好きだけど友達だと思われているだろうと諦めてしまうのではなく、友だちから恋人に変わるサインを見逃さないようにしましょう。二人きりで遊ぶ回数が増えているいつもは複数人で遊んでいたのにも関わらず、二人で遊ぼうと誘われたり、二人きりで遊ぶ回数が増えているとき、相手が友だちとしてではなく、恋愛対象として見てる可能性が高いです。また、グループラインがあるのに、個人のラインで連絡をとる事が増えたという場合も同じく、好意をもっている可能性があります。恋愛に関する質問が多い会話の中で恋愛に関する質問が多いときも、恋愛感情が入り混じっている可能性が高いです。恋愛事情で困っていることはないのか、恋をしているのか、恋愛に進展はあるのかなど心配しているような会話は、相手のことを心配しているというよりも、誰かにとられてしまっていないか、誰のことが好きなのかを把握したいため、質問してきている可能性が高いです。見た目に関することを褒めてくる今までは褒めてきたことなどなかったのにも関わらず、急にその日の服装やメイクや髪型などを褒めてきたとき、友だちとして見ているのではなく、異性として恋愛感情を持って見ているという可能性が高いです。また更に、露出が多い服などに文句を言ってきたり、似合わないと否定してきたときも、好きのサインである可能性が高いと判断できます。部屋に泊まりに来る急に家に遊びにきたり、なんだかんだ帰ることなくそのまま泊まっていくというようなことが増えるのは好きのサインである場合があります。また、異性の家に泊まる、泊まることを許すということは、ただただ友だちという関係ではなく、友だち以上恋人未満の関係となっています。お互いに居心地がよいと感じ、友だちとしてではなく、自然に恋人同士になるということも多いです。旅行の話しをしてくる今まで一緒に旅行に行こうなどという話をしていなかったのにも関わらず、急に積極的に旅行に行くような話をしてくるときは、好きのサインである可能性が高いです。一緒に旅行に行くことで、二人の距離を縮めようとしているのです。
2020年02月02日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(後編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(後編)「幸福」を考えたとき、まず始めに思い浮かぶのは、自分自身の心がほんわか満たされているようなイメージではないでしょうか。では、どんなときにそんな状態になるでしょうか。たとえば、「人のためにがんばって取り組んでいることを、『よくやっているね』『いつもありがとう』など、心から褒められ、感謝されたとき」、あたたかく充実した気持ちになるものではないでしょうか。でも、この喜びを「追求しすぎる」と、たいへんなことになります。たとえば「任務のためにムリやガマンをかさね、過労の果てに体を崩す」ということになってしまいます。どんな喜びも、依存の対象となることがあります。人に褒められる喜び、人に感謝される喜びもそうです。その喜びに依存しすぎると、心身の健康をすり減らしてまで働き、自分をダメにしてしまう結果につながります。「人のため」と「自分のため」のあいだを、私たちはゆらゆらとゆれ動きながら生きています。完全に自分のためだけに生きることも、完全に他人のためだけに生きることも、どちらも不可能です。おそらくそのあいだのどこかで、一番バランスのいいポイントを探して、私たちはあっちに振れ、こっちに振れと、試行錯誤を続けて生きていくのかもしれません。もとい、生まれたばかりのときや介護状態では「完全に人の世話になる」ことがありますし、子どもを育てるときや職場で一大事が起こったときなどは、「完全に自分を捧げる」ような場合もあるかもしれません。そうした極端な状態は、人生の全体を覆うのではなく、人生のひとつのシーンとして体験される場合がほとんどだろうと思います。働きすぎの状態が続き、大きく体調を崩してしばらく休み、生き方をガラッと変えた、という人のエピソードをしばしば見かけます。これはまさに、第6ハウス内での「幸福へのシフト」です。第6ハウスの対岸の12ハウスは「犠牲の部屋」ですが、第6ハウスは「管理の部屋」でもあります。自分が「毎日」をどのように配分して生きるか、ということは、自らある程度以上に管理できることです。もちろん、上記のように人生の局所では、管理や調整が全く不能になることもあるでしょう。ただ、そのあとで、あるいはその前に、「自分の生きる時間をどう配分するか」は、多少は考える余地があることが多いだろうと思います。生きるために働いているのに、その仕事のせいで死にそうになるのは、理不尽です。でも私たちの多くが、その理不尽の落とし穴に、かなり簡単に落ちます。そうならないためには、どうすればいいのか。「人から褒められ、感謝されること」に依存しすぎていないかどうか、確かめねばなりません。「人から叱られないために、嫌われないために行動する」ことも、行きすぎると同じ結果にたどりつきます。第6ハウス的な幸福は、「調整できる幸福」「工夫できる幸福」とも言えます。どの程度相手に与え、どの程度を自分に残しておくか、ということです。「自分のための自分」であることと「人のための自分」であることを両立させることも、幸福のための重要な条件です。働き方や仕事の内容を考えるとき、「何をするか」ではなく「何をしないか」が重要だ、という考え方があります。たとえば「テレビには出ない」と決めているミュージシャンがいます。「これは自分の仕事ではない」「これは自分の責任ではない」というふうに、日々の活動に「一線を引く」ことは、とても大事なことです。これは、第6ハウスのひとつのテーマだと思います。すなわち「何をするか」ではなく、「何をしないか」です。さらに、自分で決めたことが「やっぱり、何か違うぞ」と思えたなら、これを柔軟に変えることも大切です。第6ハウスは「調整の部屋」でもあります。つねに試行錯誤し、他者と調整しながら、お互いのニーズを満たして叶う幸福が、第6ハウスのテーマなのです。*********************~お知らせ~いつもご愛読いただき誠にありがとうございます。2020年2月~10月まで『石井ゆかりの幸福論』をお休みさせていただきます。楽しみにしてくださっていた読者のみなさま大変申し訳ありませんが、連載再開をお待ちください。よろしくお願い申し上げます。*********************プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2020年01月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(前編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(前編)「タイムスリップもの」のSFがお好きな方も多いでしょう。私も時々、自分が遠い過去の世界に飛ばされたとしたら…、と妄想するのですが、多分、生きていけない気がするのです。ある村にポンと放り出されたとして、そこにいる人々は私に「おまえはどこの誰か」「どこからきたのか」と尋ねるでしょう。運よく誰かに後見してもらえるようなことがなければ、怪しいヤツとして、村からはじき出されます。他の集落に向かっても、同じようなことが起こるでしょう。街に入るには旅券のようなものが要るかもしれません。後見者や旅券は、「縁」です。タイムスリップもののSFで、主人公は飛ばされた先で何かしら、運よく「縁」を手に入れます。運がなければ、縁なきものとして放り出され、餓死するしかないのです。「人間は社会的存在である」という言い方があります。血縁や地縁、身内としての愛情などの結び付きはその最たるものですが、仕事やお金を通して社会につながっている部分もあります。親として子を育てたり、親族の介護をしたりすることも、一つの「社会的結び付き」、つまり社会との「縁」と言えます。自分以外の人に対してなんらかの役割を得るとき、私たちは社会につながって、そこから、生きるための血流を受け取ることができる、というイメージです。社会で「役割」や「つながり」を得れば、その場所で暮らしていけます。それが得られないとき、タイムスリップで放り出されたときのごとく、私たちは路頭に迷います。「人の役に立ちたい」「必要とされたい」「責任を果たしたい」。これらは、多くの人が抱く気持ちです。単なる「願い」ではなく、生きていくための切実な心の叫び、と言ってもいいかもしれません。これらの願いが叶わないとき、私たちは社会との「縁」を失い、路頭に迷って、生きていけなくなるかもしれません。もとい、現代の日本では誰もが、憲法により「健康で文化的な、最低限度の生活」を保証されています。それでも、そうした制度に頼ることを恥じる人が少なくありません。実際「誰からも必要とされず、誰の役にも立っていない」という思いに傷ついて、死を選ぼうとする人さえいます。世の中から必要とされたい。他者の役に立ちたい。こうした思いから、私たちは社会に必要とされるべく(つまり仕事を獲得すべく)、ごく若いうちから勉強し、あるいは心身を鍛える努力を重ねます。「がんばる」ことは、この世界において、とても価値あることと見なされています。ですが、この「必要とされる」「役に立つ」ことを目指し、完遂した先には、何が待っているのでしょうか。ホロスコープで「役割・任務・就労条件」などを象徴するのが第6ハウスです。これは古くは「奴隷の部屋」でした。たとえば「逃亡した奴隷を探してほしい」などの依頼には、第6ハウスの様子を見たわけです。現代的には「就労関係」がここに当てはめられるのが面白いところです。また、「病気」もこの部屋の管轄で、現代的にも「健康状態」を見るときは、6ハウスを用います。「健康管理も仕事のうち」と言いますが、第6ハウスは継続的な労働の状態、ひいては生活のあり方や引き受けている任務の内容、任務のこなし方などを管轄しています。他者から自分に寄せられるニーズに応えることと、自分自身の心身のニーズに応えることは、強く結びついています。自分自身のニーズが満たされていなければ、他人のニーズに応えることができないからです。>>次回もお楽しみに(2020年1月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。公式モバイルサイト「石井ゆかりの星読み」
2019年12月25日こんにちは、婚活FP山本です。一般的には「年収が高いほどに幸福度も高い」と考えますね。年収が低い人ほど、そのように考えて年収を上げようと励むのが普通です。しかし、必ずしもそうとは言えないという声があることをご存じでしょうか?年収を上げて不幸になるなら本末店頭でしょうし、ぜひ前もって知っておきましょう。今回は、年収と幸福度の関係について基本や統計、筆者の見立てをお伝えします。あなたの人生に、お役立て下さいませ。年収と幸福度は比例関係ではない?まずは、冒頭の「そうとは言えない」の根拠についてお伝えします。これは2015年にアメリカの有名な教授が発表した内容ですが、結論からいえば「800~900万円以上は年収と幸福度が比例しにくくなる」というものです。ちなみにこれは具体的な調査結果に基づいています。逆にいえば、800~900万円までは年収が上がるほどに幸福度も高まる訳ですが……あなたはどう思いますか?ちなみに年収900万円を超える人は、日本では男性で9.8%、女性で1.3%です。まぎれもなく「勝ち組の層」とは言えるでしょうね。ひとまず、これはアメリカでの話ですから日本での関係は一概には言えません。しかしそれでも、数千万円を超える年収を狙おうとしている方は、参考にしておいた方がいい結果でしょうね。年収900万円で幸せ生活は頭打ち?あくまで調査結果は「比例しにくくなる」というものです。けして、それ以上は年収が上がるほどに不幸を感じる訳ではありません。しかし幸福度が上がらない、変わらないなら、あえて年収アップを狙わない方が良いという考えにも繋がるのではないでしょうか。年収を上げるということは、その代わりに「失うもの」もある訳ですからね。成功を夢見る方には酷な結果かもしれませんが、「幸せ生活の頭打ち」については理解しておきましょう。日本の内閣府が出したグラフや論文でも似た結果が次は日本の場合についてです。実は日本でも似た調査が内閣府によってされています。内閣府の令和元年「満足度・生活の質に関する調査」によると、「世帯年収2000~3000万円」までは相応に比例して満足度が上がりますが、それを超えると下がっていくというグラフ・論文結果です。具体的には、以下のような結果になります。100万円未満:5.01100万円以上300万円未満:5.20300万円以上500万円未満:5.68500万円以上700万円未満:5.91700万円以上1000万円未満:6.241000万円以上2000万円未満:6.522000万円以上3000万円未満 :6.843000万円以上5000万円未満:6.605000万円以上1億円未満:6.51億円以上:6.03世帯年収で2000~3000万円ということは、仮に夫婦共働きなら一人1000~1500万円でしょうか。ちなみに筆者感覚での年収1500万円というのは、「中流階級の最上位」という位置づけです。つまり、それを上回る上流階級になると、むしろ満足度が下がる事になります。世帯年収700万円程度の人と1億円以上の人の数字が変わらないというのは、興味深い結果ですね。ある意味で「普通が一番」ということなのかもしれません……。年収900万円は手取り650万~700万円アメリカの結果では年収900万円でしたが、これの手取り額は650~700万円程度です。ボーナスが3ヶ月分と考えれば手取り月収は43万円程度になります。一方、仮に日本では年収1500万円とするならば、手取り額は約1000万円、月収は70万円程度です。多くの方にとっては到達していない水準の年収ですが、上回る年収を狙っている方は注意が必要かもしれませんね。ひとまず、このような結果もしっかり参考にしておきましょう。年収が高いデメリットとは?次は、年収が高いデメリットについてお伝えします。まだ年収が低い人にはピンとこないかもしれませんが、年収が高くなると以下のようなデメリットも出てくるのが実情です。とにかく仕事が忙しくなる(家族との交流や家事・育児ができなくなる)高額なサービスを使う頻度が高まる(時間をお金で買い、支出が高まる)節約生活ができなくなる(生活水準は一度上がると簡単に下げられない)簡単にいえば、年収さえ高ければ、お金さえあれば幸せとは言えない……という事でしょうか。このような事情もありますから、先ほどの2つの統計も、私には実に納得できる結果といえます。無さ過ぎても困りますが、ありすぎても困るということを覚えておきましょう。満足度の低いお金持ちもかなり多い筆者の元には、実際に満足度の低いお金持ちも多く相談に来られます。一般の方にもイメージしやすい事といえば「相続」でしょうか。相続財産があるほどに相続税や分割でモメますよね。年収が高い裏側にある事情も踏まえて、今後を考えたほうが無難かもしれません。とはいえ、何をもって幸せなのかは人によります。「お金が全て」という価値観だって全然アリです。ただ、それでも裏側も見据えて「こんなはずじゃなかった」という人生だけは避けていきましょう。[adsense_middle]年収が低いメリットとは?今度は、年収が低いメリットについてお伝えします。「年収が低いことにメリットなどあるのか?」と思われるかもしれませんが、実は以下の通り、年収が高い方の裏返しがメリットです。時間的に融通が効きやすい(家族とも交流しやすく、家事育児もできる)余計なサービスを使わなくていい(時間的にも能力的にも自分でしやすい)節約生活が自然と身につく(生活水準を上げなくても耐えやすい)「年収が低い」も様々な水準があり、長時間労働やブラック労働、非正規労働の問題もありますから一概には言えません。しかしそれでも大局的に考えて年収の高い方と比べれば、十分なメリットといえます。何事も「考え方・捉え方次第」ですから、少し考えてみましょう。低いほうがいい訳ではないので注意をたまに勘違いする方もいるのですが、けして「年収は低いほうがいい」訳ではありません。高すぎても満足度が下がりやすい一方、一定水準までは低いほうが満足度も低いのが現実です。年収が低いと感じているのであれば、年収を上げる努力は大切といえます。ただ、年収が低いことにも一定のメリットもあるのが実情です。年収が低い方は盲目的に高い年収を求めがちですから、少し注意しておくことをおすすめします。直接的な相関関係より「変化」に警戒をここからは、年収と幸福度を考える際の注意点についてお伝えします。まず、直接的に「年収〇円が一番幸せ」などと相関関係を考えるのではなく、「年収や感情、考え方などの変化」に注意が必要です。どんなに年収が高くても、サラリーマンならクビや定年で年収が下がるのは最たる例といえます。また婚活では女性なら年収の高い男性を狙いがちですが、実際に結婚すると価値観が変わって「年収以外の理由」で離婚しがちです。趣味などに興味を失ったり持ったりして、元々の生活水準が変わることもありますね。もっとも、何らかの変化というのは避けて通れないのが現実です。このため、そのような変化も想定した上で幸福度・幸福感を考えた方が無難と考えていきましょう。必要に迫られてからでは手遅れ年収というのは簡単には上がらない一方、下がる時は急激に下がります。逆に生活水準は、上げる時には年収の範囲内で急激に上げられますが、下げようと思っても簡単には下がりません。「年収が下がったら生活水準も下げればいい」というのは、あまりに非現実的です。少なくとも、先ほどの変化への対処というのは、「必要に迫られてからでは手遅れ」といえます。周囲の目や現状に惑わされることなく、「自分の価値観」で幸せを考えましょう。「格差婚」も実は危険な結婚次は「格差婚」についてです。実は格差婚も、危険な結婚なのが現実といえます。一般的な女性は年収の高い男性との結婚を望みがちですが、女性側の年収が低いほどに以下の可能性に注意しましょう。浮気や略奪婚家事・育児の押し付けや不在離婚時の経済的な反動先ほども少し触れましたが、本当に年収だけで男性を選び、上記の理由で離婚した、離婚して不幸になった女性は極めて多いです。しかも大半の女性は「こんな人とは思わなかった」「こんな風になるとは思わなかった」と口を揃えます。盲目的に「年収が高い人と結婚したほうが幸せなはず」と考えた結果……でしょうね。必ずしも間違っているとは思いませんが、年収が高い人と結婚しても幸せとは限らない現実を、しっかり知っておきましょう。高年収男性にとってお金はプライドの源人間は、誰もが「自分の長所」で自分や他人を図りがちです。その方が、勝てて優越感に浸れますし、物事を優位に考えられますからね。このため、高年収男性なら「年収やお金」で図りがちです。だからこそ、格差婚の多くは年収の低い妻が虐げられやすい特徴があります。ただでさえ男性にとって年収とはプライドの源です。年収が高い男性ほど、亭主関白やモラハラに繋がりやすいといえます。そんな格差婚に幸せを求めるのが本当に正しい事なのか……じっくり考えてみましょう。[adsense_middle]幸福度が最も高いのは年収500万円×2?ここからは、筆者の見解をお伝えします。まず、筆者が考える幸福度が最も高く、また実現しやすい年収ラインは「500万円」です。最近の男性は年収300~400万円台が一番多いですから、その少し上のラインになります。最も労が少なく幸福感を味わえるでしょう。さらに結婚を考えると、女性の年収も500万円だと、ちょうどパワーバランス的に釣り合いが取れると考えます。女性の年収500万円というのは上位一割に入る水準ですが、男性との釣り合いを考えると仕方ない水準です。少しでも年収を上げるように励んでいきましょう。見方を変えれば、現代の結婚生活で幸福度を高めたい場合は、「女性の経済的努力が肝」と言えるかもしれません。男性にも努力を促す一方、女性も負けずにがんばって下さいね。男性に頼りたい女性は要注意女性がお金の面で男性に頼りたいと思うのは、一種の本能ですから、何らおかしい事ではありません。しかし現代は、その本能のまま動いても幸せになりにくい時代といえます。むしろ最近では、男性のほうが理性的に考えて年収の高い女性を婚活で狙っています。つまり結婚するためにも、今は女性の経済的努力が必須です。もちろん女性にとっても、年収を上げることは簡単ではありませんけどね。結婚して男性に頼ることを前提にしてきた女性には酷な話かもしれませんが、時代に合わせて自分を変えていきましょう。現在の幸せより生涯の幸せを考えよう最後に、肝心なことをお伝えします。結論からいえば、「現在の幸せより生涯の幸せを考えることが大切」です。簡単にいえば、最終的に老後破産したとしても「自分の人生幸せだったな」などと感じられるでしょうか?普通に考えれば、誰もが過去を後悔するでしょうね。幸福度をお金で考えるのなら、誰もが多く使ったほうが幸せを感じるはずです。安物より高級品のほうが嬉しいですよね。ですが、高級品を選ぶほうがお金の消耗も激しく、将来的に生活が苦しくなる可能性が高まります。あなたは、どんな人生を最後まで歩みたいですか?基本的に高い年収は永遠には続かず、お金にも限りがあります。つまりは幸福にも限度があるという事です。人間の欲望は無限大ですが、叶えられない程に不幸を感じます。ぜひ「追い求める幸せ」も計画的に考えていきましょう。お金がない幸せは非現実的だが……年収と幸福度に一定の関係があるのは事実です。そして人間は、「周囲よりも上か下か」で判断しがちといえます。周囲よりも下と感じて幸せと感じる人は滅多にいませんし、お金がない幸せは非現実的です。ただ、それは生涯スパンで考えることが大切ともいえます。将来的に周囲が老後破産している隣で普通に暮らせれば、それはそれで幸せなはずです。年収や目先の幸せも大切ですが、できれば将来の幸せも見据えてお金のことを考えていきましょう。年収と幸福度の関係に関するまとめ夢や幸せとは、叶えてしまえば何も感じなくなり、更なるものを求め飢えるものです。そう考えると、実は「年収や幸せを求めて励んでいる時」が一番幸せな瞬間なのかもしれません。幸福度を高めるために年収を高める努力に励む一方、今この瞬間の幸福も、ぜひ感じながら毎日を楽しんで頂けますと幸いです。
2019年12月15日気になっている男性が自分のことを「気になる」状態から「好き」な状態にステップアップさせるにはどのような行動心理学を利用したらよいでしょうか。タッチングを行うこと男性の気持ちを変化させるための行動し魅力の1つは、タッチングを行うことです。男性は、女性からタッチングをされるとその人を強く意識してしまう可能性があるからです。特に、気になる女性からタッチングをされたら好きになってしまう可能性があるでしょう。そのため、2人でいるときや居酒屋などに複数で行く場合には隣に座り、タッチングをすると良いです。ただ、タッチングをする場合は腕などをさりげなく触るのが効果的です。あえて男性の右側に座る2人きりになった場合には、食事をするようなことがあるかもしれません。この場合多くのカップルは、対面して座ることになりますが実は横に座った方が相手の心理を動かすことが可能になります。行動心理学的に言えば、男性の右側に座ることで相手の気持ちを本気にさせることが可能になります。何故かと言えば、人間の顔の左側は感情を司るとされているからです。女性が男性の右側に座れば、女性の顔の左側の顔が見えるため、感情を伝えることが可能になります。時折顔を覗き込む男性の気持ちを気になるから好きに変えるための方法としては、相手の顔を覗き込むと良いでしょう。男性は、女性に顔を覗き込まれるとタッチングと同じように感情が高ぶり、好きになってしまう可能性があります。ただ、覗き込む時は笑顔で覗き込みましょう。後は、あまり頻繁に覗き込みすぎないことです。時折覗き込むように、相手の視界に顔を入れるのが成功する秘訣になります。相手の行動や言葉を真似する相手の行動や言葉を真似することで、相手の気持ちを気になるから好きに変えることが可能になります。人間は、自分と似たような行動をする人や似たような言葉を発する人に感情移入をします。これをミラーリングといいますが、時折相手の言葉を真似したり、仕草を真似すると自然と相手の気持ちも変わってくるでしょう。ただ、この方法を使う場合にはあまりやりすぎると逆効果になりますので注意が必要です。
2019年11月28日台湾で制作され、世界各地の映画祭で絶賛を集めたアニメーション映画『幸福路のチー』が29日(金)から公開になる。本作は台湾で生まれ、やがてアメリカで暮らすことになる女性の人生を前景に、激動の台湾現代史を後景に描いた作品で、監督と脚本を手がけたソン・シンインは「台湾でこの映画の宣伝をしていると“この映画を台湾以外の外国の人が観て理解できるの?”って質問されたんですよ」と笑うが、彼女は制作時からこう信じてきた。「自分自身の個人的な体験や想いをしっかり作品に反映させることができたら、映画は普遍的なものになる」本作の主人公チーはアメリカで暮らす台湾の女性。ある日、彼女のもとに祖母が亡くなったとの知らせが入り、チーは故郷の幸福路に戻る。時が流れ、周囲の風景はすっかり変化してしまったが、この街には彼女の思い出がたくさんつまっている。空想が大好きだった幼少期、大好きな級友との出会い、必死になって勉強した受験期、理想とはかけ離れた最初の就職……彼女は自分のこれまでの人生を振り返る。ひとりの女性の成長を描く本作は当初、実写映画での制作を目指していたが、ある人のアドバイスを受けてアニメーションで描くことを決断。経験のないアニメ制作は困難の連続だったが、監督は自らスタジオを立ち上げて4年の歳月を投じて本作を完成させた。「アニメーションという手法を選択することで、アニメーションでしか描けない幻想的なシーンと、情感のある人間ドラマの両方が描けますから、両者の対比によって物語をより豊かに綴ることができると思った」という監督は、準備に時間をかけてからアニメーションづくりに臨んだ。「事前の準備は入念かつ綿密に行って、計画を立てていきました。脚本づくりには時間をかけて細部まで描き込み、読んだ人の頭にビジュアルがパッと浮かぶような脚本になるまでセリフも含めてキッチリと書き込んでいったわけです。その後の美術デザインやストーリーボードの作成にも時間をかけました。映画の設計の段階ではあえて少人数で作業するようにして、自分のビジョンがしっかりと作品に反映されるようにしました」その過程で彼女が重視したのは、台湾で生まれ育った自分が感じたことや経験した出来事を作品に盛り込むことだった。「私は小さい頃から様々な国の映画を観て育ちましたし、日本で暮らしたことも(彼女は京都大学で映画理論を学ぶために京都で暮らしていたことがある。なお、この頃の体験を基にした本『いつもひとりだった、京都での日々』が発売されている)、アメリカで暮らしたこともありますから、違う国の人たちと文化の壁をこえて付き合うことができるようになりました。それに私は日本の“朝ドラマ(連続テレビ小説)”が大好きなんですよ(笑)。日本の歴史や文化がわからなくてもドラマが楽しめますし、主人公に共感することができます。しかし、多くの朝ドラマは日本の女性の運命や人生を描いていて、その背景には日本の歴史や文化があって、舞台が日本でなければ成立しません。朝ドラマを観ていると、主人公は戦争の影響を受けたり、愛する子を失ったりします。『おしん』でも夫が戦争が原因で自殺してしまい、おしんの人生は大きく変わってしまいますよね。私がこの映画でやったことも同じです。私は『幸福路のチー』を描く上で、台湾で起こった事件や固有の出来事を排除せずに描くべきだと考えました」監督が語る通り、劇中には台湾の政治的な事情や現実に起こった事件や災害、学生や民衆の運動が描かれる。しかし、それらは作品の本質ではない。彼女は世界中の人に楽しんでもらうストーリーを語るために“あえて”固有の社会や歴史を描いた。「私たちが日本のアニメーションやピクサーのマネをしたら、きっとつまらない映画になってしまいます。日本のアニメ“風”の映画より、日本のアニメを観た方がいい(笑)。アメリカで勉強していた時に先生にこう言われました。“個人的な体験は物語なんだ。ローカルであることはユニバーサルなんだ。あなたは個人的な声を物語に反映させるべきだと思う。それこそがあなたの個性なんだから”って。私が目指したのは娯楽性と社会性の両方がある映画です。日本の“朝ドラマ”が大好きな理由もそこにあります」日本で毎朝、描かれる主人公のように、本作の主人公チーも様々な事件や出来事に翻弄され、周囲の人々に支えられ、助けられ、影響され、時に反発しながら自分の生きる道を見つけていく。それは台湾で生まれたからこそ描ける物語。同時に誰もがアクセスできる物語だ。「ひとりひとりはみんな違ってユニークな経験を持っています。だからこそ個人的な体験は普遍的なんです。ですから、この映画を観て、観客の方にも主人公のチーと同じように自分自身の内面を探検してもらいたいです。みんな違うから、この映画から受ける印象もきっとみんな違う……それがいちばん素晴らしいことだと思っています!」『幸福路のチー』11月29日(金) 新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開(C)Happiness Road Productions Co. Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
2019年11月28日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第5のテーマ、愛と創造について(前編)をお届けします。■5.愛と創造について。(前編)星占いの「ハウス」に沿ってお題を決めて書いている本稿ですが、今回は「愛と創造」がテーマです。星占いで「第5ハウス」と言えば恋愛のハウス、ということになっています。恋愛は占いの場で、もっともよく話題にのぼるテーマです。多くの人が恋に悩み、愛に傷ついて、占いに手を伸ばします。一般に、人が「占いをしたい」と思うのは、「自分の力ではどうにもならないと思えること」に直面したときだろうと思います。「自分の力ではどうにもならないこと」、その最たるものが恋愛です。意中の相手の心を自分の思い通りにできたら、どんなにいいでしょうか。でも、そうはなりません。そうはならないからこそ、恋愛が素晴らしい、と言うこともできるかもしれません。もし、自分の意思で他人の気持ちを自由自在に変えられるならば、「人から愛される」ことは、そんなに貴重なことだとは思えないはずです。自分の思い通りにはならないはずの「他者の心」が、自分という存在を強く求めてくれる、というところに、愛の神秘、愛の奇跡的な感動が生まれるのだと思います。恋の前では、人はどこまでも無防備です。とても傷つきやすくなりますし、感情は揺れ動き 、ほかのことが手につかないくらい、感情に支配されてしまうこともあります。こうしたとき、「占いをしたい!」という気持ちになるのは、当たり前です。星占いで「恋愛を見てください」と言われたら、まず第5ハウスの状態(とそのルーラー※)を見るはずです(人にもよりますが)。でも、実はほかにもいくつか、見るべきところがあります。まず第7ハウス、次に金星、火星、そして第8ハウスや第11ハウスも見たりします。さらに月と太陽、土星、などと、まあ複合的にどんどん見ていくわけですが、特にこの5・7・8・11の4つのハウスは、それぞれ担当が分かれています。第5ハウスは「与える愛」、第7ハウスは「パートナーシップ、結婚」、第8ハウスは「性愛」、第11ハウスは「受け取る愛」をそれぞれ、検討できる場所なのです。第5ハウスが「愛と創造の部屋」であることが、これで少し、ピンときます。愛は愛でも、第5ハウスの愛は「愛する」愛なのです。自ら生み出す愛、行動する愛、注ぐ愛が、第5ハウスの愛です。「愛するだけが愛でしょうか?愛されるのを望むのは、ワガママなのでしょうか?」と時々、質問されます。「愛されたい」という願いは、本当に多くの人が胸に抱いている、切実な願いです。ワガママ、ということではないと思います。でも、これだけ多くの人が「愛されたい」と思っているならば、裏を返せば「愛することのできる人」こそが求められている存在だとも言えます。愛情深い人、愛することのできる人を、みんなが待ち望んでいるのです。ならば、「愛することができる人」こそが、「必要とされる人」なのではないでしょうか。占いの場で問われるのは、「私はあの人に愛されますか?」「私を愛してくれる人が現れますか?」が圧倒的に多いように思います。とにかく「自分の思い通りにならない・コントロールできない」のは、自分の心ではなく、自分以外の他人の心のほうなので、そういう問いが前に来ます。でも、本当にそうでしょうか。誰かを好きになる、愛する、ということは、どんなに努力しても、なかなか、できることではありません。もとい「頑張って好きになる」「相手のいいところを見つけようとする」ことは、できます。でも、「辛抱してつきあってみたら、相手がいい人だということはわかったし、仲良くもなったけれど、でもどうしても、愛情を持つことができない」というのは、よくあることです。こう考えると、「頑張ってもできない」「コントロールできない」のは、本当は「自ら愛すること」のほうなのかもしれません。何かを好きになること、夢中になること、愛すること。これは、とても大変なことです。※ルーラー:占星術では、12星座それぞれが「王様」のような惑星を持っています。それを支配星という呼び方のほか、ルーラー、守護星とも呼びます。>>次回もお楽しみに(11月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年10月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第4のテーマ「帰るべき場所」と幸福(後編)をお届けします。■ 4.「帰るべき場所」と幸福。(後編)私たちは生まれてから成長し、成熟するに至るまで、「外の世界へ、もっと高い場所へ」と、植物が空に向かって伸びるように、ひたすら「ここではない、どこか」を目指します。ですが、そのもっとも力溢れる時間を生きた後で、今度は人生の下り坂にさしかかります。12ハウスの一番最後はもちろん「第12ハウス」なのですが、星占いの世界では不思議なことに、ここが「人生のゴール=死」とは設定されていないのです。この場所は自己犠牲や隠遁、隠れ場所などを意味します。第12ハウスの先にはなにがあるかというと、「第1ハウス」、即ち「始まりの場所」が位置しています。これは、たとえば長い間組織にあって仕事をして勤め上げ、定年を迎えて引退し、そこで肩書きのない「一個人」として新たな人生に再出発する、というイメージを思い浮かべると、なんとなく納得がゆきます。「一人の人間としてもう一度、生まれかわる」「新しい個性を生きなおす」ような展開が、ここに待っているのです。誕生し、成長し、成熟し、引退し、枯れて消えるのではないのです。少なくともホロスコープの仕組みにおいては、そうなっていません。人生を終えたかに見えた「引退」のあと、最終的な着地点の手前に不思議な「再生」が置かれています。生まれてからこの世を発見し、他者とコミュニケーションを交わして「自分」になる、「この世界」と「自分」とのつながりをもう一度ゼロから確かめるプロセス。私たちの老年期にはそのプロセスが待っているのかもしれません。最後にくるのが第4ハウスです。居場所、家、自分の人生全体を収める器のようなものが、そこに置かれています。居場所や家族は一般に、人を温め、守り、育ててくれる場所であり、いざというときに駆け戻れるような安心できる場所です。「家族のために」生きている、という人は決して少なくありません。ですがその一方で、「家」「家族」は、人を縛り、振りまわし、抑圧し、時には深く傷つけてくる世界となることもあります。逃げたくても逃げられない場所、「逃げたい」と思うことすら許されない世界。「家」によって傷ついた人は、世の中に驚くほどたくさんいます。生まれおちた「生家」を、私たちは選ぶことができません。でも、最終的に「帰り着く場所」は、少しは選択の余地があるようにも思われます。もちろん、人生の変転のなかで「ここにいることを余儀なくされる」「外に出ることができない」状態になる人もたくさんいます。ただ「生まれた場所」よりはわずかに、「選べる」部分はあるのではないかと思うのです。「最終的に帰り着く場所」は、自分の人生の終着地であり、人生の理想が注ぎ込まれる場所、といえるかもしれません。「終の棲家」に憧れ、あれこれと夢を思い描く人は少なくありません。将来こんな家に住みたい、いつかこんな場所で暮らしたい、という願いを叶えた人は、とてもうらやましがられます。私は(あちこちで書いていますが)、非常に引越の多い人生を送ってきました。生まれたその日が引越の日で、それからよんどころない事情で20回以上も引っ越してきました。夜逃げでもなければ趣味の引越でもなく、不思議なくらい「引っ越さなければならなくなる」人生だったのです。ですが40歳を越える頃から「最後にはどこにたどりつくのだろう?」という思いが湧いてきました。「終の棲家」があるとすれば、それはどこなのか。それは幸福な場所なのだろうか。この問いは、このところ年々、私の中で重みを増しています。それは単に「場所・建物」の問題だけに留まらず、「最終的にはなにをして、どう暮らしているのか」という、生活全体のイメージにつながります。つまりは「人生の最後」ということなのです。『椿姫』のように、ジェンのように(※前編参照:)、私たちは自分の人生において「最終的にたどり着く場所」がなんとか、美しく幸福なものになることを願ってやみません。金メダルを目指し、社会的成功を目指し、幸福な人と羨まれ、立派な人と尊敬されることを目指した後で、一人の人間として「最後に、本当に欲しいもの」はなんなのか。これは、人生の早い段階で準備できるものではないのかもしれません。でも、そのことを心の中で、常に探し続けることができるとしたら、はまらずに済む落とし穴もあるのかもしれません。「最後の最後が幸福であれば、人生の全体が幸福の光に照らし出される」「過去がどんなに辛くても、現在がどんなに苦しくても、最後の最後に幸福であれば、この苦しみや辛さが全て報われる」。この考え方は、私たちが今という時間を、未来に向かって絶え間なく生きようとする上で、決定的な希望です。『椿姫』のマルグリットも、最後の瞬間まで恋人アルマンを待っていたのです。生きている限り、次の瞬間には恋人がやってくるかもしれない、というその希望を胸に抱き、人生の幸福を目指して生きていたのです。自分にとっての最後の瞬間が「最後の瞬間である」ということを、私たちは知ることができるのでしょうか。それは死んでみるまで、だれにもわからないわけですが、少なくとも「幸福への希望」だけは、最後まで私たちにつきあってくれる可能性があるようです。>>次回もお楽しみに(10月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年09月25日あなたは、恋愛に心理学を取り入れたことがありますか?テレビや雑誌でよく特集されている恋愛心理学。「本当に効果あるの?」と半信半疑の人も多いかもしれません。でも実は、心理学は賢く使うと現実の恋愛でも役に立つのです。そこで今回は、怖いくらい効果が見込めると言われている恋愛に使える心理学を紹介していきます。1. 9割の男性を操れる?!近接と類似性の要因「近接の要因」とは、物理的に近い男女が結びつきやすいという心理学です。・毎日顔を合わせている社内の同僚と恋に落ちる・遠距離の彼よりも近所の男性に惹かれてしまうこのようなことは、もはや日常茶飯事です。人は、物理的に近い相手に好感を抱きやすいのです。また、類似性の要因とは、自分と似ている相手に好感を抱きやすい心理学のこと。こちらは説明の必要はないでしょう。たとえば、あなたの隣の席に座っている同僚が、あなたと全く服の趣味が同じだとします。そうすると、恐ろしいほど強力に引かれる可能性が高いのです。・近い場所にいる・自分と似ているこの条件を満たしているだけなのに。この2つの心理学を現実の恋愛に応用するなら、こんな感じです。【近接の要因】・合コンや飲み会では、なるべく彼の近くに座る・行き帰りの時間を彼に合わせてみる・遠距離片思いは極力避ける【類似性の要因】・彼と服の好みを合わせてみる・彼の趣味に興味を持ってみる・自分の趣味を共有してみる※近接の要因は、やり過ぎると逆効果になることがあるため、注意してくださいね。2. ツンデレ男性に効果テキメン?!返報性の法則「返報性の法則」とは、好意を持たれた相手に対しては、自分も自然と好意を持ってしまう心理を指します。たとえば、何とも思っていなかった男性に、「〇〇さんといると落ち着くんだよね、話しやすいって言われない?」と言われると、それを言われた瞬間から、なんだかその人に妙な親近感や親しさ・好感を持ってしまうのです。誰しも、自分を好きと言って入れる相手に対して、良い感情を持ちやすいのでしょう。この返報性の法則は、ツンデレ男性に使うと、効果テキメンです。ツンデレ男性は、相手を好きだと思っても、それが態度に出ることは少ないです。態度に出たとしても「好きなのに冷たくする」など、分かりにくい言動です。そんなツンデレ男性に、分かりやすく好意を伝えると、返報性の法則が働き、良くも悪くもとても分かりやすい反応に繋がるのです。ツンデレ男性が、ツンツンしているのは、基本照れ隠しのことが多いです。そのため、ツンデレ男性の方が普通の男性よりも、褒められたい欲求が強いですし、好意をどんどん伝えて欲しいと思っていると言われているほどです。3. 草食男性が惚れる?!自己開示の法則「自己開示の法則」とは、自分が心を開けけば開くほど、相手も同じように心を開きやすい心理のことです。自分が出した情報と同じ量を相手も出しやすのです。これを現実の恋愛に使うなら、自己表現が苦手な草食系の男性がおすすめです。内心もっと深い話をして親しくなりたいのに、それを自分から実行できない。そんな草食男性と親しくなるには、どんどん自分から自己開示するのです。そうすることで、相手も心を開きやすい環境を意図的に作ることができるでしょう。まとめ効果を得やすい恋愛心理学は、この3つです。・「近い」と「似てる」を賢く使う類似性と近接の要因・ツンデレ男性の心理を逆手に取った返報性の法則・草食男性の心を開かせる自己開示の法則どれもどこかで聞いたことがある心理学かもしれません。ただ、聞いたことがあるだけで、実際に活用出来ている女性はとても少ないです。心理学は、使い方次第で恋愛にとても効果的です。あなたがやりやすいものからチャレンジしてみてくださいね。
2019年09月20日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第4のテーマ「帰るべき場所」と幸福(前編)をお届けします。■4.「帰るべき場所」と幸福。(前編)「家」は、「帰るべき場所」です。私たちは自分の人生において、一体どこを目指しているのだろう、と考えると、この「家」という概念は、ひと味違ったイメージを帯びてきます。たとえば、人間が赤ん坊として生まれ、成長し、一人で世の中に出られるようになろうとし、世に出てなんとか社会的立場を獲得しようとし、多くの場合、自分なりの「成功」を目指して頑張ることになります。受験や就職、結婚や出産、昇進や独立など、人生の各段階において「目指すもの」はどんどん変わっていきます。5年前に目指したものと今目指しているもの、10年後に目指しているものは、たとえ同じ仕事をし、同じ立場にあったとしても、「完全に同じ」ではあり得ないでしょう。私たちは人生の中で、実に様々の細かいゴールを設定し続けます。そのゴールという点を、線で結ぶようにして生きている、と言えるかもしれません。では、そんな人生の物語は、最終的にどこにたどりつくのでしょうか。少なくとも星占いの世界では、それは「家」を扱う場所なのです。このコラムでは、星占いの「12ハウス」という技術を下敷きにして「幸福」について考えていますが、基本的に星占いの技術自体には触れないで稿を進めるつもりでした。「12ハウス」はあくまで、テーマ設定のためのヒントとして使うつもりだったのです。でも、この第4回、つまり「第4ハウス」を下敷きにする回について考えていたとき、どうしても他のハウスに触れたい気持ちになったので、少しその話をします(といっても、星占いの仕組みに全く興味がない・知識がない方でも、お楽しみいただける内容になっている、はずです!)。星占いの「第4ハウス」のテーマは、一般に「家」です。居場所、住処、家族、親、地元、などを司るのが第4ハウスとされています。ただ、第4ハウスにはこのほかに、ちょっと興味深い「担当分野」があるのです。それは、「死」「物事の最終的な結果」「本心」です。「死」は一般には第8ハウス、「結果」は第10ハウス、「本心」は(異論はありそうですが)第12ハウス的なテーマと言えそうです。「隠れた問題」というテーマも第4ハウスに関連づけられることがありますが、これも元々は第12ハウスマターです。つまり第4ハウスは、8、10、12ハウスという3つのハウスを分かち合っているようなところがあるわけです。特に第4ハウスが「死」と関連づけられたのはごく古い時代で、「第8ハウスが示すのは『周囲の人々の死』で、『自分自身の死』は第4ハウスで読む」という説もあります。成功を求め、愛を求め、仲間を求め、やりがいを求めて生きて生き続けた結果、最終的に到達する場所が、「死」です。死ぬ時にどんな気持ちでいるか、本当に欲しいものはなんだったのか、最後の瞬間、幸福でいられるか。第4ハウスが「家」であり「死」であり「最終的な結果」であり「本心」の場所である、ということが、こう考えると、とてもしっくりくるように感じられます。第4ハウスの「家」は、日々帰る場所であると同時に、人生という旅の最終的な「帰着点」でもあるわけです。以下は、以前noteに書いたコラムの一部を改稿したものです。「人生の終わり」が私たちにとってどんな意味を持つのか、ということについての、ある調査のお話です。*******************次の2つのシナリオを比べてみて下さい。“シナリオ1:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、30歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。シナリオ2:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、35歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の30歳までの人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。が、30歳から35歳までの最後の5年間は、そこそこ楽しいが、30歳までほどではなかった。”さて、どちらが「より幸せな人生」でしょうか。この2つのシナリオは、心理学者エド・ディーナーによる実験の素材です。実験の被験者は、上の2つのシナリオを読み、以下の質問に答えました。“「ジェンの人生を全体として見たとき、どのくらい好ましく感じますか?」「ジェンが人生で経験した幸せまたは不幸せの総量はどの程度だと思いますか?」”シナリオ2は、シナリオ1に、「そこそこ楽しい5年間」を足しただけのものです。ゆえに、幸せの「総量」は、2つのシナリオで一致するはずです。ですがなんと、被験者の回答では、シナリオ2のほうで「幸せの総量」が大幅に減らされていたのです(!)。“少しばかり幸せでない5年間を付け加えただけで、まともな人たちがジェンの人生の評価を大幅に下げるとは思っていなかった。だが私はまちがっていた。大半の人が、この5年間のせいでジェンの人生は台無しになった、という直感的な判断を下したのである。-ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(ハヤカワノンフィクション文庫)より”*******************「最後の瞬間に、幸福でいられるかどうか」。このことは、多くの人にとって人生全体の価値を左右する、大問題であるらしいのです。多くのドラマや物語にも、そのことはよく表れています。たとえば前掲書では、オペラの『椿姫』が例に挙げられています。高級娼婦ヴィオレッタと青年貴族のアルフレードは恋に落ちますが、アルフレードの父はヴィオレッタに別れるよう要請し、ヴィオレッタは恋人を思って身を引きます。事情を知らないアルフレードは激怒しますが、最後には事情がわかり、彼女のもとに駆けつけます。ヴィオレッタは病で死の床にありましたが、死の直前に最愛の人に再会が叶ったのでした。この物語は「ハッピーエンド」であり、最後に恋人の腕の中で死んでいけたヴィオレッタの生涯は「幸福だった」と感じる人が多いのだと言います。ヴィオレッタの人生を冷静に客観的に考えると、全体としてはかなり辛いものだったろうと思われるのです。娼婦として不名誉を背負って生きざるを得ない苦労、最愛の人と引き裂かれる苦悩、若くして病に倒れた苦しみなど、あまりいいところがありません。ですが、この物語に触れた人の多くが、最後のただ一瞬の逢瀬によって、彼女の人生の全体が光に照らされ、「彼女は幸福だった」と感じるのです。このオペラの原作小説、小デュマの『椿姫』では、エンディングが大きく異なります。ヒロインの高級娼婦マルグリットと青年貴族アルマンがその仲を引き裂かれるまでは同じですが、アルマンはマルグリットの死に際に間に合わないのです。マルグリットの生きている間には誤解の解けぬまま、二人は死に別れてしまうのです。こちらはまったくの「バッド・エンド」です。死に際の一時間が幸福だったかどうか、それだけで物語全体の印象が大きく変わってしまうのです。これは「物語の印象」だけの問題ではないのかもしれません。私たちの多くが抱く「人生観」と直結しているのかもしれません。すなわち「死に際が幸福な人生こそが、真に幸福な人生と言える」という人生観です。※ヴィオレッタ(オペラ版)=マルグリット(原作小説版)アルフレード(オペラ版)=アルマン(原作小説版)>>次回:4. 「帰るべき場所」と幸福(後編)(9月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年08月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」第3のテーマ“「知る」という幸福”の後編をお届けします。~ 3. 「知る」という幸福・後編~■生きるための知、純粋な知的好奇心私たちは社会生活を送り、自分を守るために、多くの知識や情報を必要とします。生活の基本を学び、世の中の仕組みを学び、仕事のやり方を学び、人との関わり方を学んで、私たちはやっと、この世界でなんとか生きられるようになります。これらは、幸福に生きるための「土台」のような学びです。さらにこの競争社会では、多くを知り、人を出し抜くようなアイデアを持つ者が勝利する、ということになっています。なにかを知らなければバカにされ、バカにされないために学ぶ、といった小競り合いがあちこちで起こっています。こうした競争の中で多くの人が疲れ、傷つき、人を信じられなくなって、孤独に陥っているようにも見えます。「学ぶ」ことは、この辺りまで来ると、幸福への道から大きく逸れています。一方で、私たちには「閉じられた箱の中に入っているものを、どうしても見たい」と感じるような「好奇心」が備わっています。「古代文明の謎」「古城の開かずの部屋」「この村の秘密」「徳川埋蔵金」などという言葉に、私たちは敏感に反応します。このときの「知りたい」という思いは、「マウントをとりたい」「ビジネスに役立てたい」などという思いとは関係がありません。純粋な楽しみのための読書、お気に入りの散歩道を歩く時間。その中にあるとき、私たちの魂は誰にも傷つけることのできない状態になっている、と悪魔は言います。そのような状態の魂は、誘惑も脅迫も受け付けないからです。仲野先生(※)は、「世界を知りたいと思うのは、その世界に生まれた自分自身を知りたいということでもあるだろう」とも言われました。自分が生きているとはどういうことか、死んだらどうなるのか、この世界はそもそも、なんなのか。私たちは「自分」について、よく知っているようで、肝心なことを知りません。それはまさに、大いなる謎です。自分自身と直接関係のある謎です。それを「知りたい」という思いを、誰もが心の片隅に抱えているのではないでしょうか。※仲野徹先生(大阪大学)『3. 「知る」という幸福・前編』にも登場誰にも命令も強制もされないのに、ちいさな子供が言葉を覚えるのは、なぜなのでしょうか。2つか3つの子が「これなあに?」「なんで?」ばかり繰り返すのは、なぜなのでしょうか。「ほめられたいから」ではないだろうと思います。「知りたい」という欲求は、私たちの中にもともと、食欲のように強く備わったものであるようです。どんなに食欲旺盛な人でも、お腹がいっぱいのときには、なにも食べたくないのが当然です。情報の大洪水のようなこの世の中で、私たちの「知りたい」という欲求は、お腹いっぱいなのにもっともっと食べさせられようとしているような、危機的な状況にあるのではないか、という気もします。なんでも読まなくちゃ、知らなくちゃ、と焦っているうちに好奇心自体が鈍磨し、摩滅してしまうとしたら、それは怖ろしいことです。最近の私は、悪魔が警戒する「純粋に自分を楽しませるためだけの読書、楽しみのためだけの散歩」を、もっと増やしたい、と思っています。C.S.ルイスの考えた「悪魔の意見」は、この点では、正しいような気がするのです。>>次回もお楽しみに(8月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年07月25日みなさんはなぜ美男美女同士がカップルとなることが多いと思いますか。実はこれ、”マッチング仮説”のためだといわれています。マッチング仮説とは「人は無意識のうちに自分と釣りあっている相手に恋をする」という心理学的な仮説のことです。この仮説の詳細を知ることで、自分のこれからの恋に生かせるかもしれませんよ。さっそくマッチング仮説とはどのようなものか見ていきましょう。マッチング仮説は容姿以外でもマッチング仮説とは本来、人は身体的な魅力が釣りあった相手をパートナーに選ぶ、というものです。見た目に釣りあいが取れている美男美女のカップルや、高身長同士のカップルが成立しやすいのはこの仮説のためです。しかし見た目の釣り合い以外に、社会的地位や経済力、賢さなどの魅力的な部分もマッチング仮説に当てはまるといわれています。そのため、経済力の優れたIT社長と美人で美しい芸能人といった一見見た目が釣りあっていないカップルも成立しやすいようです。マッチング仮説の裏にある心理自分と相手の外見的魅力が釣りあっていない場合、相手から拒絶されるのではないかという恐怖が生まれますが、それがマッチング仮説の裏にある心理です。自分よりずいぶん外見が魅力的な人には断られる可能性が高い恋はあきらめて、自分と同じくらいのレベルの相手を妥協して選ぶ心理が、普通は人間には働きます。しかし、外見以外に社会的地位や経済力などは人に自信をもたらします。そういった自信に満ち溢れた人は、断られるのではないかという恐怖心が薄くなります。自分はこれだけ成功しているのだからと自信を持ち、外見的特徴に優れた人にもどんどんアタックします。大切なのは自己評価時々まったく釣りあっていないカップルに出会うことがありますが、それは片方の自己評価が低いことが原因であることが多いです。優れた容姿を持っていても、社会的に成功していも、自己評価を極端に低くしている人がいるものです。逆を考えると、自己評価が高ければ外見的に釣りあってなさそうな相手にもチャレンジすることができるのです。断られることを怖がらない人は逆に魅力的に映ったりして、一見釣りあっていない相手でも恋愛が成就することがあるのです。マッチング仮説は相応しい相手を選ぶときに合理的自分と外見的なバランスが同じくらいの相手であれば、共感するポイントも増えてきます。マッチング仮説を利用すれば、自然と自分に相応しい相手と出会うことになるので、パートナーを選ぶ際には頭に入れておくと恋愛も成就しやすくなるでしょう。また、相手が失恋したばかりだと自尊心は傷つき自己評価も低くなりやすく、普段ならアプローチしない相手でもアタックしてみるといい結果が得られるかもしれません。
2019年07月08日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第3のテーマ“「知る」という幸福”についてお届けします。■ 3. 「知る」という幸福・前編星占いの「12ハウス」のシステムに沿って、12のテーマから「幸福」について語る本コラムですが、第3ハウスは「学習・コミュニケーション」のハウスということで、当初は「語り合える相手がいる、という幸福。教養という幸福。」というタイトルを想定していました。ただ、これを書く段になって色々考える中、どうもこのタイトルに違和感が出てきました。先日『悪魔の手紙』(C.S.ルイス著)という本を読みました。ファンタジーの名作『ナルニア国物語』でおなじみの著者の作品で、「引退した老悪魔が、神様に対抗する手段を指南する書簡集」です。初めて人間を誘惑する若い悪魔に、熟練の老悪魔が手紙を送り、「やつ(神様)」を出し抜くにはどうしたらいいか、こまごまと教えてやるのです。手紙の中で老悪魔は、若手の失敗を注意します。「おまえがその人間に好きな本を読ませ、大好きなルートで散歩させたのは、大失敗だ」と言うのです。誰かに気の利いたことを言うために読む本とか、「ためになる本」を読ませるのは、魂を堕落させるのに有意義です。でも、純粋に楽しむためだけに本を読むのは、堕落を妨げるのです。悪魔によれば、未来のため、成長のため、自分を高め守るために学ぶのは、堕落への大事なルートなのです。一方、自分の心を純粋に楽しませるためだけの読書は、その人を強くし、堕落から守るものとなります。散歩もまたしかりです(実は、星占いの第3ハウスのテーマには、「散歩」も十分含まれます)。「ただ純粋に楽しむことこそが堕落で、『ためになる本』を読むことは、むしろその人を成長させ、強くするのではないか?」と思う人も多いと思います。少なくとも世間一般には、そう考えられています。成功のための本、気の利いたコメントをするための本、人に知識を自慢するための本、未来に備えるための本は、今も世の中に溢れています。学校でも「ためになる本」を読むことが大いに奨励されます。ですが、もし悪魔の言う通りなら、それこそが私たちを「弱くする」のです。これを読んで私は、はっとしました。というのも、以前インタビューをさせて頂いた、大阪大学の仲野徹先生の言葉を思いだしたからです。仲野先生の専門は病理学ですが、本当に広い分野に興味を持ち、あらゆる本を読み、世界中を旅して、つねに勉強を続けられています。私は仲野先生に「なぜそんなに、あらゆることを知りたい、と思われるんでしょうか」と質問しました。すると先生は「知ることが楽しいから」と答えられました。私は、「知ること」とは、色々な意味で辛いことだと思っていました。子供の頃は漢字が覚えられない、計算ができないことに苦しみました。受験勉強は好きになれませんでしたし、年号も英単語も、なかなかアタマに入らなくて困りました。新しいことを教わるときには「理解できなかったらどうしよう」と怖ろしく、物知らずなことを嗤われることが怖ろしく、社会に出ればわからないことだらけでまごまごしました。知っていることの中だけで生きて行けたら、どんなにいいだろう、と心から思いました。勉強すると、つぎつぎに「自分の知らないことがまだまだたくさんある」とわかるばかりで、どんどん不安になります(そう言えるほど勉強したというわけでもないのですが)。仲野先生が「知ることは楽しい」と言われたとき、私は、いまいちピンときませんでした。私には、「知の世界」は、怖ろしい世界だったのです。今でも「本を読まなくちゃ、あれもこれも読まなくちゃ」と焦りつつ、まわりに本をたくさん積んでいますが、ぜんぜん思うようには読めません。読んでもアタマに入らなくて、ページの上を目が上滑りすることもよくあります。この状態は小学校の頃から今に至るまで、ほとんど変わっていない気もします。これらはすべて、悪魔に言わせれば「堕落の道」なのです。一方、私は純粋な楽しみのための勉強や散歩を知らないか、というと、実はそれを、私はよく知っています。純粋に、楽しみのためだけに読む本が、私にもあります。無目的にどこまでも歩いて行く散歩を、私は何度も楽しんできたように思います。ただ、自分でそれらを「大事なこと」だと思ったことはありませんでした。好きなものを読んでいると、なにか怠けているような気がします。本当に読むべきものを読まずにラクをしているようで、後ろめたい気がしてしまいます。ですが「悪魔」は、それこそが自分を「堕落から救う道」だと言うのです。>>次回もお楽しみに~3. 「知る」という幸福・後編(7月26日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年06月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第2のテーマ「お金があれば、幸福になれるか?」についてお届けします。2.お金があれば、幸福になれるか?お金と幸福の関係は、もうあらゆるところで語り尽くされていて、今更私がここで何か付け加えることもないようにも思われます。ですが、「幸福」を語る上では、避けて通れないところでもあると思います。お金は、現代社会を生きていく上でどうしても必要なものです。お金がなければ生活できない、食べていけない、ということになります。キリストは「人は、パンのみにて生くるにあらず」と言ったそうです。そうなのです。「パンだけで生きていけるわけではない」のですから、「パンなし」では、やっぱり生きていけないのです。お金があれば幸福になれる、と考える人は少なくありません。お金がないときは特に「お金さえあれば!」と思えます。たくさんお金を持っている人でも「これでは足りない」と思い続けている、という話を聞きます。たとえば、20代の頃よりも30代のほうが給料は多くなったけれども、お金に対する心配はむしろ、強く大きくなった、という人がいます。持っているお金の多寡によらず、お金は「常に何となく足りない」ものなのかもしれません。「お金さえあれば幸せになれる」へのアンチテーゼも、古来、普遍的に語られ続けています。『ヴェニスの商人』や『クリスマス・キャロル』など、お金を持つ人々が決して幸福ではない、というハナシはずっと愛され続けています。サスペンスドラマなどでも、「根深い愛憎ゆえの凶行」と「金目当ての犯行」とは、おそらく同じくらいの割合なのではないでしょうか。他人に殺されるのはたいがい、お金持ちです。あまりハッピーではありません。最近では「ミニマリスト」「こんまりメソッド」など、物質的な条件に縛られないで生きることを模索する人々が増えてきているようにも思われます。生活の豊かさイコール、お金で買えるものをゆたかに持っていること、ではない、という考え方です。たくさんお金を稼いでも、時間が仕事で埋め尽くされて疲れ果て、日々に何の喜びも感じられないなら、それは幸福とは言えないでしょう。最低限の収入で営まれる真の幸福な生活とは何か、を考えるために、小屋に住んだり、できるだけお金を使わない生活を試みたりと、言わば「実験的生活」をしている人のルポルタージュをしばしば、みかけます。こう考えていくと、お金はとても妙なものです。なければ困るし、あっても困るのです。皆が欲しがるものなのに、悪いもののように言われるのです。お金持ちになりたい人がたくさんいる一方で、お金持ちは一般に悪党扱いされるのです。宗教的な考え方では、お金は大抵、悪とされます(で、寄付が求められます)。■お金と、危険と、死と。学校の授業で「お金とは社会を流れる血液のようなものである」と教わったことがあります。社会を生かし、財を動かし、新陳代謝を促すお金と血液の比喩は、さらりと納得できるものでした。しかし、最近別の意味で、この比喩に「なるほど」と思うこともあります。というのも、私たちは誰もが体の中に大量の血液を持っているのに、血液自体を目にすることは「非日常」なのです。いつでもここにあり、指先を温めているのに、それがちょっとでも表に出ると「さあ大変!手当てを!」となります。「血を見る」ことは、ゾッとするような怖いことなのです。昨年、海外でビルの上からお札を撒いた人がいて、ニュースになりました。お金を見ても「ゾッと怖くなる」ことは無いかもしれませんが、たとえば現金がその辺にポンと放り出されていたら、何となく落ち着かなくなります。「はやくしまったほうがいい」と感じるものではないでしょうか。この点でも、お金と血液は、ちょっと似ていると思うのです。私は、ディズニーランドのアトラクションの中で「カリブの海賊」がいちばん好きです。船に乗って眺めてゆく光景の中に、「洞窟の中で、金貨や財宝の山の上に座っているガイコツの海賊」というのがあります。おそらく飢えて死んでしまったのかなと思うのですが、それでも尚、彼は自分の戦利品である宝の山を守り続けています。あの光景は、滑稽でもあり、恐ろしくもあります。彼を見ると、悲しく切ない気持ちになることもあります。限りない満足と果てしない孤独、奪われることへの恐怖など、激しい感情が彼の中に渦巻いたことでしょう。その感情に窒息するかのようにして、彼は死んだのかもしれません。彼は幸福だったのでしょうか。もし「お金があれば幸福になれる」のであれば、彼ほど幸福な人間はいないでしょう。巨万の富の上に座って死んだのですから。そう思って見てみれば、確かに、幸福そうに見えないでもありません。でも、自分も彼のようになりたいかというと、そうは思えません。お金は、使えば消えてしまいます。でも、使わないでおいても、骸骨の守る金貨のように、意味をなさないのです。お金は、考えれば考えるほど、不思議なものです。■お金と、幸福と、「罪悪感」と。東日本大震災の時、普段とは違った光が、お金を照らし出しました。ひとつは「寄付」、もうひとつは「経済を回す」という言葉です。あの時は、多くの人が当たり前のように寄付をしました。海外からも寄付金が集まりました。被害を被った人々への共感、何とか助けたいという思いがそこに詰まっていたのは確かです。その一方で、「申し訳ない」という言葉を口にする人がいました。方や、全てを奪われて苦しんでいる人々がいる。その一方で、特に何も奪われなかった自分がいる。このことに「罪悪感を持った」人がいたのです。そこで、まるで負債を返済するかのような気持ちで、「寄付をした」という人がいました。寄付をすると、罪悪感が軽くなったのだそうです。勿論、被災地の人々は、被災しなかった人に罪悪感を持ってほしいなどと思わなかったはずです。でも、被災しなかった側では、自動的に罪悪感に苛まれた人がいたのです。そこでは、お金は確かに「正しいもの」として扱われていました。「経済を回す」という言葉もまた、多くの人が口にしたフレーズでした。これもまた、被災地ではない地域での言葉でした。大きな災害が起こったけれども、ほぼ普段通りの生活をし、普段通りに仕事をすることに、多くの人が違和感を持ったのです。「苦しんでいる人がたくさんいるのに、私たちは『普段通り』でいいのだろうか」。この問いの中で出てきた答えが、「普段通りに生活し、仕事をするということは、つまり世の中の経済活動をいつも通りに回していくことであり、間接的には被災地の人々の助けにもなるのだ」という考え方でした。「自分の生活・仕事」という狭い経済活動の範囲が、「世の中の経済」という視野へと、一気に拡大したのです。震災時、多くの人が「経済的な視野の広がり」を得たのではないかと私は想像します。お金はここでも「善」そのものでした。私たちは、幸福になろうとするとき、目に見えない他者への負債を抱えるものなのでしょうか。親が子どものためにお金を使うこと、介護のためにお金を使うことは、非難されることはほぼ、ありません。一方、自分のための贅沢は、人からもあれこれ言われますし、自分でも「これは贅沢かな」と罪悪感を抱かされたりします。他者のためにお金を使うことは善で、自分のためにお金を使うのは悪である、という考え方は、どうも「生きているということはそれ自体、なにかに・誰かに借りがある」というような考え方に繋がっているのかもしれません。「感謝」は、この世の中ではとても重要な思いとされています。「感謝を忘れないように生きています」「いちばん好きな言葉は『ありがとう』です」と言う人はたくさんいます。一方で、「ありがとう」が好きではない、という人もいます。お礼や感謝は「負債を精算したいという気持ち」に通じ、よそよそしく失礼な感じがする、というのです。昨年『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本が話題になりました。強く結びついた人間関係や共同体においては、「感謝の表現」は異質なものになることがあるようです。お金の問題が難しいのは、人が幸福になることや満たされることの土台に「善・悪」という概念が横たわっているからなのでしょうか。多くの人は満たされることを願っているわけですが、そのことが果たして「善いこと」なのかどうか、というところで、立ち止まらざるを得ないのかもしれません。「頑張った自分への御褒美」というフレーズがごく一般的に使われるわけですが、そもそも自分で自由にしてもいいお金であれば、好きに使っていいのです。「頑張った自分」というエクスキューズがどうして必要なのか。ここにもうっすらと、お金にまつわる倫理観のようなものの影が見えるのです。私たちが満たされることは、そんなに悪いことなのか。「過剰に満たされるのは善くない」という考え方もありますが、そこには自分の体や心を害する恐れがあるという意味の「良くない」に留まらないものが含まれています。私は個人的に、「そんなに申し訳ながる必要は、無いのではないか」と思っています。罪悪感というのは、確かに誠実で清らかな、人として正しい感情かもしれません。でも、本当に感じるべき罪悪感と、そうでもないものがあると思います。少なくとも「被災しなかったことへの罪悪感」は、私にはとてもよく理解できる感情なのですが、同時に、とても理不尽な感情でもある、と思えます。それは、被災した人々の苦悩への共感とは、別のものです。私たちはそんなにも、多くを「負って」しまうのか。満たされることに罪悪感を抱き、蕩尽する人々に嫌悪を感じる世の中は、なぜそうなっているのだろうか。幸福とお金の関係を考えると、どうしても私は、その疑問にたどりついてしまうのです。>>次回もお楽しみに(6月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年05月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、3月に行ったTwitterアンケートの結果について、石井さんのコメントをお届けします。■あなたにとって「幸福」とは?第1回目の公開後、ココロニプロロさん のtwitterアカウントで「幸福」についてのアンケートをお願いしました。ご回答くださった皆様、誠にありがとうございました!『#石井ゆかりの幸福論 』連載スタート!あなたは今、幸せですか?もし「いいえ」なら、何が足りないと思いますか?RTもしくはコメントをお寄せください!#ココロニプロロ— cocoloni_PROLO (@cocoloni_portal) 2019年3月25日4000以上のお応えを頂き、半数近くが「幸せです」を選ばれたのには少し驚きました。もっとも、「幸せ」の定義は人によって大きく異なります。また、このアンケートがタイムラインに流れた時間帯や、このアンケートが目に止まる方々が私かココロニプロロのフォロワーの方が大多数であること、また、そもそも「回答するかどうか」の判断がこの手前に含まれているなど、様々なバイアスがあります。『幸せじゃない人は心理的に「押したくもない」ってなりそう@TeteGift0727さん』(※Twitterの引用は全て原文ママ)というご意見もありましたが、たしかにそういう気持ちになる方もあるだろうと思います。ゆえに、これだけでわかることはそれほどないわけなのですが、それでも「幸せ」について様々な関心があり、ご意見がある、ということは、感じられる気がしました。■お金、健康、愛が足りない!コメントの中には「お金や愛などが足りない」との声が多く見られました。確かに、生活が安定していて孤独でない、ということは、幸福の最大の条件だと思います。『幸せではない方に入れました。他人の幸せを羨むのではなく喜ぶような心の余裕がないといくら周りがあの人は幸せそうだと思っても当人は幸せだとは思えなくて。そんな心の余裕は経済的余裕や健康な体があってこそ生まれると思っています。@bisco_mItSUyoさん』お金が欲しい、愛されたい、健康になりたいという望みは決して、利己的なだけのものではないと思います。自分以外の人も幸せになってほしい、でも、それを祈れるようになるには、自分自身の生活の余裕が必要だ、という意見は、納得できます。確かに、世の中には自分のことなど構わず、他人を気遣うことができる人もいます。私自身、そういう人に出会ったことがあります。その人は余命一週間ほどだった病床でも、世話をしに来た家族を気遣って、楽しませようと、冗談を言ったりしていました。ですがその人もまた、他者からの愛の記憶に守られていたのではないかと思います。受け取ったものの大きさ、与えるものの大きさは、客観的に量れるものではありません。人が別の人からどれだけの喜びや庇護を受け取ったのかは、当人にしかわかりません。与えた側さえ、それはわからないものだろうと思います。■自分のものの考え方・思い方『40過ぎてやっとこさ「幸せはなるものじゃなくて気づくもの」って意味が分かってきたような気がします……@Shuto_Kaito_Momさん』『10年ほど前「しあわせになれない理由は私にはなにひとつないのに、自分が自分をそうしたくないんだ」と気づき、長い旅をして、「しあわせ」の定義が変わりました。しあわせって調和なんだ。四方が合っている、wholeであるということ。実は常に成就していることで、ただ認識の問題なんだなって、今は。@atohchieさん』自分だけが幸せではいけないのでは、という思いを持たれる方もいらっしゃいました。『ただ、自分が幸せでもつらい人がいる状況が目に入った時、私だけが幸せではいけないのでは、と思っているフシがどこかあります。@havingfun724さん』「幸せである」と認めることを怖れるような思いを持つ方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。「幸せだ」と認めてしまうことが悪いことのような気がしたり、「幸せだ」と認めてしまったらもうそれ以上のものは手に入らないように感じたりする、ということもあるのかもしれません。たとえば、「これでおなかいっぱいです、満腹です」と言ったら、もうおかわりはもらえません。神様のような存在がいるとしたら、「まだまだ、おなかに余裕があります」と言っておきたい気がするわけです。満足することが、向上心を失わせる、と考える人もいます。あくなき努力を続けていくためには「まだまだ足りない」というハングリー精神が必要だという考え方です。こうした考え方を採る人にとっては、「幸福だ」と感じることは害悪となることもあるようです。「自分以外の誰かが幸福だからといって、その人に怒りを感じるのはばかげている、その人が私から何か奪ったわけでもないのに!」。これは、ある小説の中の一節です。この言葉はまるで正しいのですが、これを口にした人物は確かに、身近にいる人の幸福を妬んで、その人を遠ざけようとしていたのでした。この言葉は、自戒、反省の言葉であり、自嘲の言葉でもあったのです。私たちは他者の幸福を羨まずにはいられませんし、特に、自分が傷ついて苦しみや悲しみを抱え、不安に苛まれているときは、そうした思いを抱きがちです。それを知っている人々は、幸福なときでも、「自分が幸福だ」とは言わないようにします。無用の悪意から身を守るためです。「あなたは幸福ですか?」という問いの前で立ち止まり、口を閉ざしたくなるとすれば、それは「他の人々は幸福だろうか?」という問いが心の中に渦巻くからなのかもしれません。■幸福かどうかわからない。幸せになるための条件がわからない、何かが必要な気がするが、それが何かわからない、といったご意見も多かったように思います。『「いいえ」にしました。このところ「幸せ」についてずっと考えていたので思わずリプライしてしまいました。私の場合は幸せになりたいとは思っているものの自分が「どうしたら」や「何があったら」幸せを感じるかがはっきり認識できてないのが原因かなと思ってます。@love_toucanさん』『私は幸せかどうか分からない。何の不自由もなく生活できているのだから幸せなのかもしれないけど、幸せを感じる実感はなくて。分からないのでその他で。@neeze37さん』『恵まれているとは思うけれど、それがイコール幸せではない気がして。@naokosunsky1973さん』『何をしたらいいのか、何をしたいのか、歳をとるだけで先に光が見えない。@kakailuさん』幸せ自体の感じ方が時間によって変わる、というご意見もありました。『幸せだと思っていても後になってみると幸せではなかったと思う事もあるし、幸せじゃないと思っていても後になってみると幸せだった事もあり、「幸せと感じる事」には時間が経てば訂正が入ります!今の感想はあてにならないです。@horeisyouさん』幸せには常に「比較」がつきまといます。他人と自分の比較、過去と現在の比較、過去の2点間での比較などを通して「あの時は今よりは幸せだったな」「今にして思えばアレが幸せだったのかも」などと考えることも確かに、あります。「幸福」ということを、リアルタイムの感情・感覚として捉える方がいる一方で、ある種の価値判断・評価のようなものとして捉える方もいらっしゃるのだと思いました。また「自分は多分、幸福なんだろうと思う」というようなご意見もたくさんありました。これは、「感情や感覚ではよくわからないが、客観的に自分の生活を眺めると、いろいろな条件が調っているなあ」ということなのでしょう。「あたりまえだと思っていた条件を失って初めて、幸福だったのだとわかる」という言説は、ごく一般的なものです。だとすれば、私たちは「幸福」に関して、感情や感覚の上では、かなり鈍感だということなのかもしれません。少なくとも、そう自覚している方が少なくないんだな、という印象を受けました。「幸福ではない」を選んだ方のコメントの中で「お金が足りない」「仕事がない」というご意見がたくさんありました。次回、「幸福論」第2のテーマは、その「お金」についてです。>>次回もお楽しみに(5月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年04月25日恋愛で心理学という言葉を使うと、恋の駆け引きのイメージを持つ人もいるようです。実際に使える心理学の中で、たとえば自分を魅力的に見せるものはあるのでしょうか。共通点はお互いに近づけるきっかけになる「ミラーリング効果」恋愛に効果的な心理学の利用方法でよく耳にするのが、「ミラーリング効果」です。これは恋愛だけではなく初対面の人と親しくなるためにも使える心理学として有名です。相手と親しくなるには「共通点」を見つけることが近道だと言われています。同じ地方出身であったり、同じ年代であったりすることはどこか安心を感じさせるものがありますよね。ミラーリング効果は「相手の仕草を真似することで共通点を作ってしまおう」というものです。相手と表情、声色などを近づけることで共通のものがあると感じさせるのです。相手が笑えば笑い、楽しそうにしていれば一緒に楽しそうにするなど小さなことをほんの少しだけ取り入れてみると良いでしょう。名前を呼んで意識してもらう恋愛中は相手の名前を呼ぶのもどこか照れが入ってしまい、なかなか呼ぶことが出来ない!という人もいます。しかし、より相手に親しみを持ってもらえると言われたらやってみたくなりませんか。名前を呼ぶと「自分のことを大切に思ってくれている」という魔法がかかるのです。ただ「おはよう」と声をかけられるよりも、「◯◯さん、おはよう!」と名前を呼ばれた方がより親しみを感じませんか。年上の方へ仕事で接するときは「これをどう思いますか」とそのまま訊くよりも、「◯◯さんはどう思いますか?」と名前をつけて訊かれる方が距離を近いと感じてもらえるようになります。やりすぎはよくありませんが、おすすめの方法です。相手に選択肢を与えてデートにOKをもらおう距離が近づいたような気がしたら、思い切ってデートに誘ってみましょう!ここでも恋愛心理学を利用することが出来ます。でも急にデートに行きませんかなんて言えない!そんなときには食事に誘ってみるのもいいでしょう。ランチを一緒にするのもいいですよね。デートのお誘いで恋愛心理学を利用するなら「ダブルハンド」という方法があります。これは相手に対し2つの選択肢を与えることで、デートの誘いにOKをもらいやすくする方法です。たとえば「食事に行こう」では断られる可能性もありますが、「今度の土曜日、ランチかディナーに行かない?」とするのです。このように相手に選んでもらうことをおすすめします。
2019年04月19日第71回カンヌ国際映画祭で見事、脚本賞を受賞したイタリア映画『幸福なラザロ』。本作に関わった現代イタリア映画界を語る上で欠かせない存在で、日本のファンからは「イタリアの安藤桃子&安藤サクラ」との声も上がる“ロルヴァケル姉妹”の魅力を徹底解剖する!本作の監督を務めたのは、前作『夏をゆく人々』(’14)がカンヌ映画祭グランプリに輝き、世界が注目したイタリアの新しい才能、アリーチェ・ロルヴァケル。待望の新作となった本作は、2018年カンヌ国際映画祭で上映されるやいなや「異彩を放つ傑作!」と話題を呼び、世界各国から配給権のオファーが殺到。北米公開時には巨匠マーティン・スコセッシが絶賛し、映画完成後にプロデューサーに名乗りを上げる異例のバックアップをするなど、世界の著名人をも動かしてきた。1981年生まれのアリーチェは、養蜂で生計を立てる一家の夏を描いた自伝的作品である前作『夏をゆく人々』が長編映画2本目にしてカンヌでグランプリを獲得。その翌年には、ファッションブランド「MIU MIU(ミュウミュウ)」のショートフィルムシリーズ「女性たちの物語」の第9弾として「De Djess」を発表、同ブランドのデザイナーであるミウッチャ・プラダがいま一番インスピレーションを受けている存在のひとりとしてアリーチェを挙げるなど、ほかの世界的アーティストに刺激を与えている。一方、物語の後半に登場し、主人公の青年ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)と行動を共にすることになるアントニアを演じるのはアルバ・ロルヴァケル。ふたりはアリーチェが妹、アルバが2つ上の姉となる。主人公の少女の母親役を演じた『夏をゆく人々』に続いて『幸福なラザロ』と妹の監督作に続けて出演しているが、観客の視線を釘付けにさせてしまう圧倒的な存在感と変幻自在な演技力が持ち味。本作でも、都会の片隅で必死に生きながらラザロと再会し、日常や心に“揺らぎ”が生まれていく女性を好演する。昨年だけでも6作品に出演したアルバは、いまやイタリア映画界を代表する女優のひとりといっても過言ではない。日本では『幸福なラザロ』以外にも、『ザ・プレイス運命の交差点』(公開中)に神の存在を感じたいために妊娠を命じられる修道女という難しい役どころで出演しているほか、イタリア映画ファンにはお馴染みのGWの恒例行事「イタリア映画祭2019」では、自由奔放な母親を演じた『私の娘よ』、子育て、恋愛、仕事に奮闘するシングルマザーを演じた『ルチアの恩寵』と出演作が2本上映。映画祭のポスターにもその姿が登場しており、さながら“アルバ祭り”の勢いすら見せている。アリーチェは、姉・アルバについて「常に私の仕事にインスピレーションを与えてくれて、とても信頼している存在です」と語り、『夏をゆく人々』では4姉妹の長女を主人公に据えるにあたり、姉つまりアルバの視点で物語を捉えようとしていたことを公言している。この活躍著しい姉妹に対して、SNSでは「イタリアの安藤桃子&安藤サクラだ」と例える声も上がるほど。アルバとアリーチェの両方にインタビューをしたことのある翻訳家・ライターの岡本太郎氏は、「ふたりにはとても強い信頼感を感じさせます。顔は余り似ていませんが、ふたりの声を聞くとしゃべり方がそっくりなんです」と語り、性格面では女優のアルバには几帳面さを、監督のアリーチェには自由な知性を感じるという。アリーチェ監督作のカンヌ上映時には姉妹そろってレッドカーペットに登場してきたが、姉妹での来日はまだ実現していない。アルバも出演するアリーチェの次回作で、もしかしたら実現するのか、イタリア映画界を牽引する姉妹に引き続き注目していて。『幸福なラザロ』は4月19日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:幸福なラザロ 2019年4月19日よりBunkamuraル・シネマほか全国にて順次公開©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
2019年04月18日今回ご紹介するのは、4月19日から公開の映画『幸福なラザロ』です。メガホンをとったのは、世界から注目を集める新鋭アリーチェ・ロルヴァケル監督。以前、ペルルでも取り上げた『夏をゆく人々』を撮った女性監督です。2011年から始まった、ミュウミュウ(MIU MIU)のショートフィルムプロジェクト「女性たちの物語」シリーズにも参加している彼女のことを、名前だけは聞いたことがあるというペルル読者もいるのではないでしょうか? 本作は、ロルヴァケル監督がイタリアで実際に起きた事件をヒントに、無垢で純朴な青年・ラザロを主人公に描く寓話的でミステリアスなドラマ。2018年のカンヌ国際映画祭脚本賞受賞作品でもあります。 【ストーリー】小作人の所有が法律で禁じられた20世紀後半。イタリアの小さな村の農園に、タバコ栽培に従事する青年・ラザロと村人たちが暮らしていた。彼らは小作制度の廃止を隠蔽する農園主の侯爵夫人に騙され、社会と隔絶した生活を強いられていた。ところが侯爵夫人の息子が起こした誘拐騒ぎをきっかけに、村人たちは外の世界へ出て行くことに。ラザロはひとり村に取り残されるが、やがて街に出て、かつての村人たちと再会し……。 ■無垢な青年・ラザロが象徴するものとは?主人公の“ラザロ”という名前は、キリスト教の聖人と同じ名前。彼は新約聖書のヨハネ福音書に登場する人物で、キリストの奇跡によって死後4日目に蘇ったというエピソードが知られています。そして、本作の主人公・ラザロも、まるで聖人のような存在感をたたえています。文句を言わず黙々と働き、仲間から仕事を押し付けられても怒らないラザロ。邪険に扱われても、いつも穏やかに笑っています。彼は人を疑うことを知らず、周りから軽んじられても、自分が不当な扱いを受けているということにも気づいていません。こんなにも感情がないラザロは、もしかして人間ではなくゴーストなの?という疑念すら抱かせる姿に、観客は少しドキドキしながらも、映画の結末を見届けたいという気持ちになることでしょう。ラザロを演じるのは、高校在学中に監督にスカウトされたアドリアーノ・タルディオーロ。1,000人以上の中から発掘された新星です。無垢でいて、しかし心の奥では何を考えているか分からない瞳の演技は必見。デビュー作とは思えないほど、鮮烈な印象を残しています。 ■村から街へ。異なる世界で生きることになった者たちは“幸福”なのか。 映画の後半、村を離れたラザロは、先に出て行った村人を追うようにして、街へとたどり着きます。そこで再会するのは、かつて農園でともに暮らした仲間たち。なかでもラザロのことを気にかけていた村人のアントニアは、久々の再会に驚き、道端でラザロの足元に跪きます。こうして聖人のように仲間に迎え入れられるラザロ。 そこから、元村人たちの現在の暮らしぶりがどんどんと明らかになっていきます。お金をもらわず、農園主に搾取されていた生活から、彼らは労働の対価として賃金を得るようになっていました。しかし、収入は決して良くなく、時には詐欺まがいの商売でお金を稼ぐことも。さらにラザロは、農園主の息子・タンクレディにも再会します。昔の面影を残しながらも、すっかり没落したタンクレディ。お金も権力も失った彼ですが、お人好しのラザロは何とかタンクレディの力になろうと行動し……。 かつての小作人生活と、賃金を得て働く今の生活。果たしてどちらが幸せなのか?映画の後半に差し掛かると、観客はそんな思いを抱くのではないでしょうか。賃金をもらえても、社会に搾取される構造は小作人のときと変わらないのでは?と……。村人たちの生活を前半と後半で対比させ、リアルな描写で浮き彫りにする展開は、ロルヴァケル監督の力量を感じさせます。日常のドラマの中に、少しだけ現実離れした設定を取り込んでしまう手腕は、前作『夏をゆく人々』にも通じるものがあります。 ■物語を彩る、美しい映像も見どころ ほかにも見逃せないのは、デジタルではなくスーパー16mmフィルムで撮影された映像の美しさ。農園で村人たちが収穫する色鮮やかなタバコの葉。陽射しを浴びて汗を流しながら働く人々の姿。労働の合間に飲む、グラスに入ったコーヒー。小高い所から見下ろす村の風景など、ひとつひとつのショットが物語の世界観を支えています。また、劇中にときどき登場する“狼(オオカミ)”も、観客にさまざまな問いを投げかけるモチーフになっているので、鑑賞後それぞれが自分なりに解釈してみるとおもしろいかもしれません。 人間を超越したような青年・ラザロの姿を描いたこの物語は、まさに現代社会にも通じる普遍的な寓話といえます。映画祭で話題をさらった本作を、ぜひ劇場でお楽しみください。そして、こんな傑作を生みだす若き才能、アリーチェ・ロルヴァケル監督の今後にも期待が高まります。まだ日本ではなじみが薄い監督ですが、覚えておいて損はない注目株です。 ■『幸福なラザロ』(2018年/イタリア)4月19日(金)よりBunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル出演:アドリアーノ・タルディオーロ、アニェーゼ・グラツィアーニ、アルバ・ロルヴァケル、ルカ・チコヴァーニ、トンマーゾ・ラーニョ、ニコレッタ・ブラスキほか©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
2019年04月15日台湾発の黒糖タピオカミルク専門店「幸福堂」が日本に初上陸。2019年7月6日(土)、東京・原宿竹下通りにオープン。幸福堂とは?「幸福堂」は、2008年に台湾にオープンした、伝統的な製法で作る黒糖タピオカミルク専門店。本場・台湾では、店頭でグツグツと黒糖とタピオカを煮込んでいるので、周囲には甘い幸せな香りが漂っているという。また2018年以降は、北米やアジア圏に進出し、現在世界中で60店舗以上のショップを構えている。そんな「幸福堂」のタピオカドリンクは、その美味しさのみならず、アートのような美しい見た目も人気の秘密。ピンクのタピオカに、ミルクや抹茶を重ねたドリンクや、ピンク×オレンジの彩り鮮やかなドリンクなど、美しいカラーコントラストを描くメニューを取り揃えている。なお同店の人気メニューは、リッチな味わいながらも甘すぎない王道の黒糖タピオカドリンク。日本でのメニューラインナップは、随時紹介する予定だ。店舗詳細幸福堂(コウフクドウ) 原宿竹下通り店住所:東京都渋谷区神宮前1-6-12オープン日:2019年7月6日(土)営業時間:9:30〜21:30
2019年03月21日彼からのプロポーズを期待して待っているのに、なかなかアプローチがないと不安になってしまいますよね。ここでは、彼にプロポーズを促すとっておきの心理テクニックを紹介します。ウィンザー効果ウィンザー効果とは、本人から直接伝えるよりも、第三者の声を利用したほうが相手に影響を与えることができるという心理テクニックです。例えば、レビューや口コミなどがこれにあたります。気になっている商品の口コミが良いと、「これは信用できる商品だ」と思いますよね。自分から「わたしと結婚したほうがいいよ」と彼に伝えるよりも、複数の友人にお願いして、「彼女と結婚したほうがいいよ」と伝えてもらうことで、彼もその気になってくれるかもしれません。ピグマリオン効果ピグマリオン効果とは、「人は誰かに期待されると、期待された通りに振る舞う傾向がある」という人間の特性を利用した心理テクニックです。彼がそもそもあなたの結婚願望に気付いていないのであれば、きちんと結婚の意思を伝えることも重要です。また、彼のほうに何らかの事情があって結婚の障害になっている場合には、ピグマリオン効果を利用して、彼に問題を解決してもらいましょう。あなたが彼からのプロポーズを期待していることが分かれば、彼もあなたの気持ちに応えるべく、プロポーズまでの道筋を考え始めるでしょう。カタルシス効果カタルシスは「精神の浄化」を意味する言葉です。抑圧されていた感情を発散することで、精神の回復を得ることをカタルシス効果と言います。日常生活で小さな不満やストレスが溜まると、精神的にも落ち込んできますよね。それは彼も同じです。彼のネガティブな感情をあなたが聞き出してあげることで、彼はカタルシス効果を実感し、ますますあなたに夢中になるはず。彼の話を否定せず、彼の弱さを受け入れることで、あなたは彼にとってたった1人の女性になることができます。
2019年03月10日心理学にも詳しい、インテリアコーディネーターの深澤将さん。片付けにまつわる記事には、心理学から見た考察が含まれ、毎回ドキッとさせられます。大掃除を前に、心理学を応用した”魔法の片付け”のヒントをチェックしておくと、面倒な作業もサクサク進みそうです。3本まとめてご紹介しますので、ぜひこれからの大掃除や片付けにお役立てください!■ 1.片付け前の「よし、やるぞ!」は言わない方が良い?CORA / PIXTA(ピクスタ)片付けをするとき、「よし、やるぞ!」と気合いを入れてから取り掛かるのは、実はあまり良くないそうです。イリノイ大学の研究者、イブラヒム・シネイ氏の実験では、問題を解く前に「よし、やるぞ!」と気合を入れたグループよりも「本当にできるだろうか?」と自問自答して始めたグループの方が1.5倍も多く問題を解くことができたのだとか。「気合いを入れる」「決意を固める」という行為は、心理学的にみると、実はまったく無意味なようです。では、片付けを行うとき、どのようにすればうまくいくのでしょうか。脳のメカニズムを分かりやすく解説しながら、誰にでも簡単にできる効率アップの方法をお伝えします!詳しくは記事をチェック!片付けの前に気合いを入れちゃダメ!? 心理学を応用した片付け習慣・その5■ 2.「片付けをしよう」を行動に結び付ける魔法の法則yukiotoko / PIXTA(ピクスタ)片付けをしようと思っても「やる気はあるのに、なぜかできなかった」という経験をしたことはありませんか?ダイエットをしているのにレストランでデザートを頼んでしまった、運動のために階段を上ろうと決めたのにエレベーターを使ってしまった……なんて行動にも共通していることですが、「やろうと思っていることを行動に移せなかった」のには、実は理由があるんです。それは「忘れていた」から。アリゾナ州立大学の名誉教授で心理学とマーケティングの学者、ロバート・チャルディーニ氏は、これについて「行動するのに適切なタイミングを逃しているだけ」と分析します。タイミングを作り出し、確実に片付けを行動に移すことができる魔法の法則とは?!詳しくは記事をチェック!「やる気はあるのに、できない!」の意外な理由とは?心理学を応用した片付け習慣・その8■ 3.片付けがいつも時間オーバーになる理由とは?Ushico / PIXTA(ピクスタ)大掃除や片付けを行う前は「どれくらい時間がかかるか」を想定して動きますよね。しかし「このくらいの時間で終わるだろう」と思っても、いざ始めてみると時間が足りないということがよくあります。時間内に作業が終わらないと、焦る気持ちやうんざりした気分がふくらみ、片付けへのモチベーションが低下してしまいます。この「予想時間」というのは、とても曖昧なもの。Ushico / PIXTA(ピクスタ)人は無意識に都合の良い条件で考えてしまい、希望的観測を目標設定にしてしまう傾向があるのだとか。片付けをする前に「このくらいの時間で終わるだろう」と考えた時間は、実は「ベストな条件下での最短時間」であり、実際はもっとかかる可能性が高いのです。計画通りに片付けを終わらせるために、時間設定をどのように考えればよいのか、心理学の観点からヒントをお届けします。詳しくは記事をチェック!片付けが予測した時間内に終わらない理由!心理学を応用した片付け習慣・その17
2018年12月29日アドラー心理学を元に、夫婦仲の改善方法や子育てのコツなどを連載中の熊野英一さん。熊野さんは、アドラー心理学を用いた子育て事業をメインに行なっているコミュニケーションのプロ。そんなアドラー心理学や子育てに精通している熊野さんとは、一体どんな方なのでしょうか。そこで、熊野さんの経歴や現在の事業内容などを通して、「アドラー心理学」を知ったきっかけを伺いました。華やかなキャリアの会社員時代●華やかなキャリアだった会社員時代ー今までの経歴を教えていただけますか?仕事は、最初にメルセデスベンツで人事を担当し、そのあとにMBAを取りにアメリカへ行って、そのままアメリカの製薬会社のイーライリリーでマーケティングを担当。次に国内の企業での保育サービスの統括を経験し、その保育の経験を元に独立しました。プライベートは、メルセデスベンツ時代に同じ部署の女性と結婚し、2人の息子がいます。今は離婚していますが、家族みんな仲良しですよ。アドラー心理学のおかげかもしれません。●独立準備のために保育の仕事をするが…ー外資系から保育への転職理由は何ですか?メルセデスベンツもイーライリリーも、スマートな会社でした。でも、ワクワクしなかったのも事実です。学生時代から独立したいという意思もあり、保育の仕事で起業を考えていました。そんなときに、知り合いから保育の仕事のオファーをいただき、引き受けました。でも、思っていた以上に保育の世界は厳しかった。論理的な思考をしても解決できない問題ばかりで、もう頭がパンクしそうになりましたね。激務のおかげで激ヤセするし、家族の時間は減っていくし、あの1年半は本当に辛かったです。知ってますか?足って痩せるんですよ。履いていた靴がパカパカになるんですよ…。●問題ばかりの保育の世界を変えたいー会社を辞めて独立したきっかけは何ですか?私が働いていた会社が、他の会社に吸収されることになりまして、そのタイミングで私も辞めました。辞めたときは、次の会社も決まっていなくて、妻に怒られて関係が悪くなったのを覚えています。ただ、もう会社員をやる気にはなれなくて、学生時代から思い描いていた独立を決意したんです。事業内容は、もちろん「子育て」関連です。保育の世界で働いていた身として、必ず役に立てると思いました。事業に行き詰まっていたときにアドラーに出会う●保育の仕事を通して感じた問題点ー現在の事業内容を教えていただけますか?私の行なっている事業は、大きく分けて「子育て」と「親育て」の2つです。企業や団体への講演会やコンサルを行なったり、待機児童問題への対策などがメインの仕事です。目標だった本の出版もできて、嬉しい限りです。今の事業を行おうと思ったきっかけは、前の会社で60近い保育施設の立ち上げや運営を携わったことで、日本の子育ての問題を肌で感じていたからです。「もっとみんなを笑顔にしたい」と純粋に思っていました。パパ向けに書かれた熊野さんの2冊の著書●アドラーに出会って考え方が変わったー最初からアドラーを活かしていたんですか?アドラーに出会ったのは、独立して数年後ですね。ありがたいことに今は事業も安定していますが、最初はものすごい大変でした。離職する従業員も多いし売り上げも上がらないし。そんなときに「アドラー心理学」に出会ったんです。読んだときは、「素晴らしい。大切なのはこれだ!」と興奮していましたね。そこからアドラーを事業に取り入れるようになり、従業員もお客さんも喜んでくれる方が増えるようになっていきました。●アドラーを通じてハッピーになる人が増えてほしいーどのようにアドラーを取り入れましたか?先ほど「親育て」という事業をやっていると言いましたよね。簡単に説明すると、アドラー理論を通して、ママやパパの成長を促す研修サービスのようなプログラムを用意しています。もちろん子育てにもアドラーを活かしていますが、親育ての一環であるカウンセリングを受けてくれた夫婦などが、少しずつ変わっていく姿は何度見ても感動的です。会社のURLにも「ハッピー」という言葉を入れたように、これからもアドラーを通じて、みんなをハッピーにしていきたいと考えています。パピマミ読者のパパ・ママへメッセージー最後に、パピマミ読者のパパとママへ一言ずつアドバイスをいただけますか?●パパは、伝え方を組み立てる意識を持とうパパたちは、本当にみんな頑張っていると思います。いい加減に考えている人はまず見かけません。だけど、伝え方が下手なパパが多いのも事実です。奥さんに自分の想いを懸命に伝えるのは大事だけど、伝わらないと意味がないんですよね。今まではコミュニケーションを見よう見まねでやっていたと思うんですけど、まずは基本的な使い方を磨いていきましょう。どんな癖があるのか、どんな思い込みを持っているのか、伝え方のズレを認識することが大切です。未来志向を持ちながら、改善意識を持ってみてください。まだピンと来なくても大丈夫。これから、少しずつ理解していきましょう。●ママは、相手を理解しようとする姿勢を持とう多くのママは、パパに対して「自分を理解してほしい」と強く願っています。そもそも、自分を理解してくれない人と分かり合おと思えませんよね。その気持ちもわかります。だけど、そのまま自分本位で考えていても、相手は変わってくれません。「自分を理解してくれない!」と嘆くのではなく、「先に相手に歩み寄れば、相手も歩み寄ってくれるはず」と考えて、こちらから理解する努力をしてみませんか?どちらかが先に歩み寄らなければ、夫婦仲は好転していきません。あなたから歩み寄る勇気を持ってみましょう。ー本日は、ありがとうございました。----------【熊野英一さんプロフィール】アドラー心理学に基づく「相互尊敬・相互信頼」のコミュニケーションを伝える<親と上司の勇気づけ>プロフェッショナル。「ほめない・叱らない!アドラー式勇気づけ子育て各種講座」「アドラー心理学に基づく部下の自立を促すイクボス養成講座」等のテーマで講師を務める。株式会社子育て支援代表取締役。フランス・パリ生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。 メルセデス・ベンツ日本にて人事部門に勤務後、米国Indiana University Kelley School of Businessに留学(MBA/経営学修士)。●文/パピマミ編集部●アイキャッチの似顔絵/エイイチ
2018年12月11日