大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(後編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(後編)「幸福」を考えたとき、まず始めに思い浮かぶのは、自分自身の心がほんわか満たされているようなイメージではないでしょうか。では、どんなときにそんな状態になるでしょうか。たとえば、「人のためにがんばって取り組んでいることを、『よくやっているね』『いつもありがとう』など、心から褒められ、感謝されたとき」、あたたかく充実した気持ちになるものではないでしょうか。でも、この喜びを「追求しすぎる」と、たいへんなことになります。たとえば「任務のためにムリやガマンをかさね、過労の果てに体を崩す」ということになってしまいます。どんな喜びも、依存の対象となることがあります。人に褒められる喜び、人に感謝される喜びもそうです。その喜びに依存しすぎると、心身の健康をすり減らしてまで働き、自分をダメにしてしまう結果につながります。「人のため」と「自分のため」のあいだを、私たちはゆらゆらとゆれ動きながら生きています。完全に自分のためだけに生きることも、完全に他人のためだけに生きることも、どちらも不可能です。おそらくそのあいだのどこかで、一番バランスのいいポイントを探して、私たちはあっちに振れ、こっちに振れと、試行錯誤を続けて生きていくのかもしれません。もとい、生まれたばかりのときや介護状態では「完全に人の世話になる」ことがありますし、子どもを育てるときや職場で一大事が起こったときなどは、「完全に自分を捧げる」ような場合もあるかもしれません。そうした極端な状態は、人生の全体を覆うのではなく、人生のひとつのシーンとして体験される場合がほとんどだろうと思います。働きすぎの状態が続き、大きく体調を崩してしばらく休み、生き方をガラッと変えた、という人のエピソードをしばしば見かけます。これはまさに、第6ハウス内での「幸福へのシフト」です。第6ハウスの対岸の12ハウスは「犠牲の部屋」ですが、第6ハウスは「管理の部屋」でもあります。自分が「毎日」をどのように配分して生きるか、ということは、自らある程度以上に管理できることです。もちろん、上記のように人生の局所では、管理や調整が全く不能になることもあるでしょう。ただ、そのあとで、あるいはその前に、「自分の生きる時間をどう配分するか」は、多少は考える余地があることが多いだろうと思います。生きるために働いているのに、その仕事のせいで死にそうになるのは、理不尽です。でも私たちの多くが、その理不尽の落とし穴に、かなり簡単に落ちます。そうならないためには、どうすればいいのか。「人から褒められ、感謝されること」に依存しすぎていないかどうか、確かめねばなりません。「人から叱られないために、嫌われないために行動する」ことも、行きすぎると同じ結果にたどりつきます。第6ハウス的な幸福は、「調整できる幸福」「工夫できる幸福」とも言えます。どの程度相手に与え、どの程度を自分に残しておくか、ということです。「自分のための自分」であることと「人のための自分」であることを両立させることも、幸福のための重要な条件です。働き方や仕事の内容を考えるとき、「何をするか」ではなく「何をしないか」が重要だ、という考え方があります。たとえば「テレビには出ない」と決めているミュージシャンがいます。「これは自分の仕事ではない」「これは自分の責任ではない」というふうに、日々の活動に「一線を引く」ことは、とても大事なことです。これは、第6ハウスのひとつのテーマだと思います。すなわち「何をするか」ではなく、「何をしないか」です。さらに、自分で決めたことが「やっぱり、何か違うぞ」と思えたなら、これを柔軟に変えることも大切です。第6ハウスは「調整の部屋」でもあります。つねに試行錯誤し、他者と調整しながら、お互いのニーズを満たして叶う幸福が、第6ハウスのテーマなのです。*********************~お知らせ~いつもご愛読いただき誠にありがとうございます。2020年2月~10月まで『石井ゆかりの幸福論』をお休みさせていただきます。楽しみにしてくださっていた読者のみなさま大変申し訳ありませんが、連載再開をお待ちください。よろしくお願い申し上げます。*********************プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2020年01月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(前編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(前編)「タイムスリップもの」のSFがお好きな方も多いでしょう。私も時々、自分が遠い過去の世界に飛ばされたとしたら…、と妄想するのですが、多分、生きていけない気がするのです。ある村にポンと放り出されたとして、そこにいる人々は私に「おまえはどこの誰か」「どこからきたのか」と尋ねるでしょう。運よく誰かに後見してもらえるようなことがなければ、怪しいヤツとして、村からはじき出されます。他の集落に向かっても、同じようなことが起こるでしょう。街に入るには旅券のようなものが要るかもしれません。後見者や旅券は、「縁」です。タイムスリップもののSFで、主人公は飛ばされた先で何かしら、運よく「縁」を手に入れます。運がなければ、縁なきものとして放り出され、餓死するしかないのです。「人間は社会的存在である」という言い方があります。血縁や地縁、身内としての愛情などの結び付きはその最たるものですが、仕事やお金を通して社会につながっている部分もあります。親として子を育てたり、親族の介護をしたりすることも、一つの「社会的結び付き」、つまり社会との「縁」と言えます。自分以外の人に対してなんらかの役割を得るとき、私たちは社会につながって、そこから、生きるための血流を受け取ることができる、というイメージです。社会で「役割」や「つながり」を得れば、その場所で暮らしていけます。それが得られないとき、タイムスリップで放り出されたときのごとく、私たちは路頭に迷います。「人の役に立ちたい」「必要とされたい」「責任を果たしたい」。これらは、多くの人が抱く気持ちです。単なる「願い」ではなく、生きていくための切実な心の叫び、と言ってもいいかもしれません。これらの願いが叶わないとき、私たちは社会との「縁」を失い、路頭に迷って、生きていけなくなるかもしれません。もとい、現代の日本では誰もが、憲法により「健康で文化的な、最低限度の生活」を保証されています。それでも、そうした制度に頼ることを恥じる人が少なくありません。実際「誰からも必要とされず、誰の役にも立っていない」という思いに傷ついて、死を選ぼうとする人さえいます。世の中から必要とされたい。他者の役に立ちたい。こうした思いから、私たちは社会に必要とされるべく(つまり仕事を獲得すべく)、ごく若いうちから勉強し、あるいは心身を鍛える努力を重ねます。「がんばる」ことは、この世界において、とても価値あることと見なされています。ですが、この「必要とされる」「役に立つ」ことを目指し、完遂した先には、何が待っているのでしょうか。ホロスコープで「役割・任務・就労条件」などを象徴するのが第6ハウスです。これは古くは「奴隷の部屋」でした。たとえば「逃亡した奴隷を探してほしい」などの依頼には、第6ハウスの様子を見たわけです。現代的には「就労関係」がここに当てはめられるのが面白いところです。また、「病気」もこの部屋の管轄で、現代的にも「健康状態」を見るときは、6ハウスを用います。「健康管理も仕事のうち」と言いますが、第6ハウスは継続的な労働の状態、ひいては生活のあり方や引き受けている任務の内容、任務のこなし方などを管轄しています。他者から自分に寄せられるニーズに応えることと、自分自身の心身のニーズに応えることは、強く結びついています。自分自身のニーズが満たされていなければ、他人のニーズに応えることができないからです。>>次回もお楽しみに(2020年1月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。公式モバイルサイト「石井ゆかりの星読み」
2019年12月25日こんにちは、婚活FP山本です。一般的には「年収が高いほどに幸福度も高い」と考えますね。年収が低い人ほど、そのように考えて年収を上げようと励むのが普通です。しかし、必ずしもそうとは言えないという声があることをご存じでしょうか?年収を上げて不幸になるなら本末店頭でしょうし、ぜひ前もって知っておきましょう。今回は、年収と幸福度の関係について基本や統計、筆者の見立てをお伝えします。あなたの人生に、お役立て下さいませ。年収と幸福度は比例関係ではない?まずは、冒頭の「そうとは言えない」の根拠についてお伝えします。これは2015年にアメリカの有名な教授が発表した内容ですが、結論からいえば「800~900万円以上は年収と幸福度が比例しにくくなる」というものです。ちなみにこれは具体的な調査結果に基づいています。逆にいえば、800~900万円までは年収が上がるほどに幸福度も高まる訳ですが……あなたはどう思いますか?ちなみに年収900万円を超える人は、日本では男性で9.8%、女性で1.3%です。まぎれもなく「勝ち組の層」とは言えるでしょうね。ひとまず、これはアメリカでの話ですから日本での関係は一概には言えません。しかしそれでも、数千万円を超える年収を狙おうとしている方は、参考にしておいた方がいい結果でしょうね。年収900万円で幸せ生活は頭打ち?あくまで調査結果は「比例しにくくなる」というものです。けして、それ以上は年収が上がるほどに不幸を感じる訳ではありません。しかし幸福度が上がらない、変わらないなら、あえて年収アップを狙わない方が良いという考えにも繋がるのではないでしょうか。年収を上げるということは、その代わりに「失うもの」もある訳ですからね。成功を夢見る方には酷な結果かもしれませんが、「幸せ生活の頭打ち」については理解しておきましょう。日本の内閣府が出したグラフや論文でも似た結果が次は日本の場合についてです。実は日本でも似た調査が内閣府によってされています。内閣府の令和元年「満足度・生活の質に関する調査」によると、「世帯年収2000~3000万円」までは相応に比例して満足度が上がりますが、それを超えると下がっていくというグラフ・論文結果です。具体的には、以下のような結果になります。100万円未満:5.01100万円以上300万円未満:5.20300万円以上500万円未満:5.68500万円以上700万円未満:5.91700万円以上1000万円未満:6.241000万円以上2000万円未満:6.522000万円以上3000万円未満 :6.843000万円以上5000万円未満:6.605000万円以上1億円未満:6.51億円以上:6.03世帯年収で2000~3000万円ということは、仮に夫婦共働きなら一人1000~1500万円でしょうか。ちなみに筆者感覚での年収1500万円というのは、「中流階級の最上位」という位置づけです。つまり、それを上回る上流階級になると、むしろ満足度が下がる事になります。世帯年収700万円程度の人と1億円以上の人の数字が変わらないというのは、興味深い結果ですね。ある意味で「普通が一番」ということなのかもしれません……。年収900万円は手取り650万~700万円アメリカの結果では年収900万円でしたが、これの手取り額は650~700万円程度です。ボーナスが3ヶ月分と考えれば手取り月収は43万円程度になります。一方、仮に日本では年収1500万円とするならば、手取り額は約1000万円、月収は70万円程度です。多くの方にとっては到達していない水準の年収ですが、上回る年収を狙っている方は注意が必要かもしれませんね。ひとまず、このような結果もしっかり参考にしておきましょう。年収が高いデメリットとは?次は、年収が高いデメリットについてお伝えします。まだ年収が低い人にはピンとこないかもしれませんが、年収が高くなると以下のようなデメリットも出てくるのが実情です。とにかく仕事が忙しくなる(家族との交流や家事・育児ができなくなる)高額なサービスを使う頻度が高まる(時間をお金で買い、支出が高まる)節約生活ができなくなる(生活水準は一度上がると簡単に下げられない)簡単にいえば、年収さえ高ければ、お金さえあれば幸せとは言えない……という事でしょうか。このような事情もありますから、先ほどの2つの統計も、私には実に納得できる結果といえます。無さ過ぎても困りますが、ありすぎても困るということを覚えておきましょう。満足度の低いお金持ちもかなり多い筆者の元には、実際に満足度の低いお金持ちも多く相談に来られます。一般の方にもイメージしやすい事といえば「相続」でしょうか。相続財産があるほどに相続税や分割でモメますよね。年収が高い裏側にある事情も踏まえて、今後を考えたほうが無難かもしれません。とはいえ、何をもって幸せなのかは人によります。「お金が全て」という価値観だって全然アリです。ただ、それでも裏側も見据えて「こんなはずじゃなかった」という人生だけは避けていきましょう。[adsense_middle]年収が低いメリットとは?今度は、年収が低いメリットについてお伝えします。「年収が低いことにメリットなどあるのか?」と思われるかもしれませんが、実は以下の通り、年収が高い方の裏返しがメリットです。時間的に融通が効きやすい(家族とも交流しやすく、家事育児もできる)余計なサービスを使わなくていい(時間的にも能力的にも自分でしやすい)節約生活が自然と身につく(生活水準を上げなくても耐えやすい)「年収が低い」も様々な水準があり、長時間労働やブラック労働、非正規労働の問題もありますから一概には言えません。しかしそれでも大局的に考えて年収の高い方と比べれば、十分なメリットといえます。何事も「考え方・捉え方次第」ですから、少し考えてみましょう。低いほうがいい訳ではないので注意をたまに勘違いする方もいるのですが、けして「年収は低いほうがいい」訳ではありません。高すぎても満足度が下がりやすい一方、一定水準までは低いほうが満足度も低いのが現実です。年収が低いと感じているのであれば、年収を上げる努力は大切といえます。ただ、年収が低いことにも一定のメリットもあるのが実情です。年収が低い方は盲目的に高い年収を求めがちですから、少し注意しておくことをおすすめします。直接的な相関関係より「変化」に警戒をここからは、年収と幸福度を考える際の注意点についてお伝えします。まず、直接的に「年収〇円が一番幸せ」などと相関関係を考えるのではなく、「年収や感情、考え方などの変化」に注意が必要です。どんなに年収が高くても、サラリーマンならクビや定年で年収が下がるのは最たる例といえます。また婚活では女性なら年収の高い男性を狙いがちですが、実際に結婚すると価値観が変わって「年収以外の理由」で離婚しがちです。趣味などに興味を失ったり持ったりして、元々の生活水準が変わることもありますね。もっとも、何らかの変化というのは避けて通れないのが現実です。このため、そのような変化も想定した上で幸福度・幸福感を考えた方が無難と考えていきましょう。必要に迫られてからでは手遅れ年収というのは簡単には上がらない一方、下がる時は急激に下がります。逆に生活水準は、上げる時には年収の範囲内で急激に上げられますが、下げようと思っても簡単には下がりません。「年収が下がったら生活水準も下げればいい」というのは、あまりに非現実的です。少なくとも、先ほどの変化への対処というのは、「必要に迫られてからでは手遅れ」といえます。周囲の目や現状に惑わされることなく、「自分の価値観」で幸せを考えましょう。「格差婚」も実は危険な結婚次は「格差婚」についてです。実は格差婚も、危険な結婚なのが現実といえます。一般的な女性は年収の高い男性との結婚を望みがちですが、女性側の年収が低いほどに以下の可能性に注意しましょう。浮気や略奪婚家事・育児の押し付けや不在離婚時の経済的な反動先ほども少し触れましたが、本当に年収だけで男性を選び、上記の理由で離婚した、離婚して不幸になった女性は極めて多いです。しかも大半の女性は「こんな人とは思わなかった」「こんな風になるとは思わなかった」と口を揃えます。盲目的に「年収が高い人と結婚したほうが幸せなはず」と考えた結果……でしょうね。必ずしも間違っているとは思いませんが、年収が高い人と結婚しても幸せとは限らない現実を、しっかり知っておきましょう。高年収男性にとってお金はプライドの源人間は、誰もが「自分の長所」で自分や他人を図りがちです。その方が、勝てて優越感に浸れますし、物事を優位に考えられますからね。このため、高年収男性なら「年収やお金」で図りがちです。だからこそ、格差婚の多くは年収の低い妻が虐げられやすい特徴があります。ただでさえ男性にとって年収とはプライドの源です。年収が高い男性ほど、亭主関白やモラハラに繋がりやすいといえます。そんな格差婚に幸せを求めるのが本当に正しい事なのか……じっくり考えてみましょう。[adsense_middle]幸福度が最も高いのは年収500万円×2?ここからは、筆者の見解をお伝えします。まず、筆者が考える幸福度が最も高く、また実現しやすい年収ラインは「500万円」です。最近の男性は年収300~400万円台が一番多いですから、その少し上のラインになります。最も労が少なく幸福感を味わえるでしょう。さらに結婚を考えると、女性の年収も500万円だと、ちょうどパワーバランス的に釣り合いが取れると考えます。女性の年収500万円というのは上位一割に入る水準ですが、男性との釣り合いを考えると仕方ない水準です。少しでも年収を上げるように励んでいきましょう。見方を変えれば、現代の結婚生活で幸福度を高めたい場合は、「女性の経済的努力が肝」と言えるかもしれません。男性にも努力を促す一方、女性も負けずにがんばって下さいね。男性に頼りたい女性は要注意女性がお金の面で男性に頼りたいと思うのは、一種の本能ですから、何らおかしい事ではありません。しかし現代は、その本能のまま動いても幸せになりにくい時代といえます。むしろ最近では、男性のほうが理性的に考えて年収の高い女性を婚活で狙っています。つまり結婚するためにも、今は女性の経済的努力が必須です。もちろん女性にとっても、年収を上げることは簡単ではありませんけどね。結婚して男性に頼ることを前提にしてきた女性には酷な話かもしれませんが、時代に合わせて自分を変えていきましょう。現在の幸せより生涯の幸せを考えよう最後に、肝心なことをお伝えします。結論からいえば、「現在の幸せより生涯の幸せを考えることが大切」です。簡単にいえば、最終的に老後破産したとしても「自分の人生幸せだったな」などと感じられるでしょうか?普通に考えれば、誰もが過去を後悔するでしょうね。幸福度をお金で考えるのなら、誰もが多く使ったほうが幸せを感じるはずです。安物より高級品のほうが嬉しいですよね。ですが、高級品を選ぶほうがお金の消耗も激しく、将来的に生活が苦しくなる可能性が高まります。あなたは、どんな人生を最後まで歩みたいですか?基本的に高い年収は永遠には続かず、お金にも限りがあります。つまりは幸福にも限度があるという事です。人間の欲望は無限大ですが、叶えられない程に不幸を感じます。ぜひ「追い求める幸せ」も計画的に考えていきましょう。お金がない幸せは非現実的だが……年収と幸福度に一定の関係があるのは事実です。そして人間は、「周囲よりも上か下か」で判断しがちといえます。周囲よりも下と感じて幸せと感じる人は滅多にいませんし、お金がない幸せは非現実的です。ただ、それは生涯スパンで考えることが大切ともいえます。将来的に周囲が老後破産している隣で普通に暮らせれば、それはそれで幸せなはずです。年収や目先の幸せも大切ですが、できれば将来の幸せも見据えてお金のことを考えていきましょう。年収と幸福度の関係に関するまとめ夢や幸せとは、叶えてしまえば何も感じなくなり、更なるものを求め飢えるものです。そう考えると、実は「年収や幸せを求めて励んでいる時」が一番幸せな瞬間なのかもしれません。幸福度を高めるために年収を高める努力に励む一方、今この瞬間の幸福も、ぜひ感じながら毎日を楽しんで頂けますと幸いです。
2019年12月15日台湾で制作され、世界各地の映画祭で絶賛を集めたアニメーション映画『幸福路のチー』が29日(金)から公開になる。本作は台湾で生まれ、やがてアメリカで暮らすことになる女性の人生を前景に、激動の台湾現代史を後景に描いた作品で、監督と脚本を手がけたソン・シンインは「台湾でこの映画の宣伝をしていると“この映画を台湾以外の外国の人が観て理解できるの?”って質問されたんですよ」と笑うが、彼女は制作時からこう信じてきた。「自分自身の個人的な体験や想いをしっかり作品に反映させることができたら、映画は普遍的なものになる」本作の主人公チーはアメリカで暮らす台湾の女性。ある日、彼女のもとに祖母が亡くなったとの知らせが入り、チーは故郷の幸福路に戻る。時が流れ、周囲の風景はすっかり変化してしまったが、この街には彼女の思い出がたくさんつまっている。空想が大好きだった幼少期、大好きな級友との出会い、必死になって勉強した受験期、理想とはかけ離れた最初の就職……彼女は自分のこれまでの人生を振り返る。ひとりの女性の成長を描く本作は当初、実写映画での制作を目指していたが、ある人のアドバイスを受けてアニメーションで描くことを決断。経験のないアニメ制作は困難の連続だったが、監督は自らスタジオを立ち上げて4年の歳月を投じて本作を完成させた。「アニメーションという手法を選択することで、アニメーションでしか描けない幻想的なシーンと、情感のある人間ドラマの両方が描けますから、両者の対比によって物語をより豊かに綴ることができると思った」という監督は、準備に時間をかけてからアニメーションづくりに臨んだ。「事前の準備は入念かつ綿密に行って、計画を立てていきました。脚本づくりには時間をかけて細部まで描き込み、読んだ人の頭にビジュアルがパッと浮かぶような脚本になるまでセリフも含めてキッチリと書き込んでいったわけです。その後の美術デザインやストーリーボードの作成にも時間をかけました。映画の設計の段階ではあえて少人数で作業するようにして、自分のビジョンがしっかりと作品に反映されるようにしました」その過程で彼女が重視したのは、台湾で生まれ育った自分が感じたことや経験した出来事を作品に盛り込むことだった。「私は小さい頃から様々な国の映画を観て育ちましたし、日本で暮らしたことも(彼女は京都大学で映画理論を学ぶために京都で暮らしていたことがある。なお、この頃の体験を基にした本『いつもひとりだった、京都での日々』が発売されている)、アメリカで暮らしたこともありますから、違う国の人たちと文化の壁をこえて付き合うことができるようになりました。それに私は日本の“朝ドラマ(連続テレビ小説)”が大好きなんですよ(笑)。日本の歴史や文化がわからなくてもドラマが楽しめますし、主人公に共感することができます。しかし、多くの朝ドラマは日本の女性の運命や人生を描いていて、その背景には日本の歴史や文化があって、舞台が日本でなければ成立しません。朝ドラマを観ていると、主人公は戦争の影響を受けたり、愛する子を失ったりします。『おしん』でも夫が戦争が原因で自殺してしまい、おしんの人生は大きく変わってしまいますよね。私がこの映画でやったことも同じです。私は『幸福路のチー』を描く上で、台湾で起こった事件や固有の出来事を排除せずに描くべきだと考えました」監督が語る通り、劇中には台湾の政治的な事情や現実に起こった事件や災害、学生や民衆の運動が描かれる。しかし、それらは作品の本質ではない。彼女は世界中の人に楽しんでもらうストーリーを語るために“あえて”固有の社会や歴史を描いた。「私たちが日本のアニメーションやピクサーのマネをしたら、きっとつまらない映画になってしまいます。日本のアニメ“風”の映画より、日本のアニメを観た方がいい(笑)。アメリカで勉強していた時に先生にこう言われました。“個人的な体験は物語なんだ。ローカルであることはユニバーサルなんだ。あなたは個人的な声を物語に反映させるべきだと思う。それこそがあなたの個性なんだから”って。私が目指したのは娯楽性と社会性の両方がある映画です。日本の“朝ドラマ”が大好きな理由もそこにあります」日本で毎朝、描かれる主人公のように、本作の主人公チーも様々な事件や出来事に翻弄され、周囲の人々に支えられ、助けられ、影響され、時に反発しながら自分の生きる道を見つけていく。それは台湾で生まれたからこそ描ける物語。同時に誰もがアクセスできる物語だ。「ひとりひとりはみんな違ってユニークな経験を持っています。だからこそ個人的な体験は普遍的なんです。ですから、この映画を観て、観客の方にも主人公のチーと同じように自分自身の内面を探検してもらいたいです。みんな違うから、この映画から受ける印象もきっとみんな違う……それがいちばん素晴らしいことだと思っています!」『幸福路のチー』11月29日(金) 新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開(C)Happiness Road Productions Co. Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
2019年11月28日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第5のテーマ、愛と創造について(前編)をお届けします。■5.愛と創造について。(前編)星占いの「ハウス」に沿ってお題を決めて書いている本稿ですが、今回は「愛と創造」がテーマです。星占いで「第5ハウス」と言えば恋愛のハウス、ということになっています。恋愛は占いの場で、もっともよく話題にのぼるテーマです。多くの人が恋に悩み、愛に傷ついて、占いに手を伸ばします。一般に、人が「占いをしたい」と思うのは、「自分の力ではどうにもならないと思えること」に直面したときだろうと思います。「自分の力ではどうにもならないこと」、その最たるものが恋愛です。意中の相手の心を自分の思い通りにできたら、どんなにいいでしょうか。でも、そうはなりません。そうはならないからこそ、恋愛が素晴らしい、と言うこともできるかもしれません。もし、自分の意思で他人の気持ちを自由自在に変えられるならば、「人から愛される」ことは、そんなに貴重なことだとは思えないはずです。自分の思い通りにはならないはずの「他者の心」が、自分という存在を強く求めてくれる、というところに、愛の神秘、愛の奇跡的な感動が生まれるのだと思います。恋の前では、人はどこまでも無防備です。とても傷つきやすくなりますし、感情は揺れ動き 、ほかのことが手につかないくらい、感情に支配されてしまうこともあります。こうしたとき、「占いをしたい!」という気持ちになるのは、当たり前です。星占いで「恋愛を見てください」と言われたら、まず第5ハウスの状態(とそのルーラー※)を見るはずです(人にもよりますが)。でも、実はほかにもいくつか、見るべきところがあります。まず第7ハウス、次に金星、火星、そして第8ハウスや第11ハウスも見たりします。さらに月と太陽、土星、などと、まあ複合的にどんどん見ていくわけですが、特にこの5・7・8・11の4つのハウスは、それぞれ担当が分かれています。第5ハウスは「与える愛」、第7ハウスは「パートナーシップ、結婚」、第8ハウスは「性愛」、第11ハウスは「受け取る愛」をそれぞれ、検討できる場所なのです。第5ハウスが「愛と創造の部屋」であることが、これで少し、ピンときます。愛は愛でも、第5ハウスの愛は「愛する」愛なのです。自ら生み出す愛、行動する愛、注ぐ愛が、第5ハウスの愛です。「愛するだけが愛でしょうか?愛されるのを望むのは、ワガママなのでしょうか?」と時々、質問されます。「愛されたい」という願いは、本当に多くの人が胸に抱いている、切実な願いです。ワガママ、ということではないと思います。でも、これだけ多くの人が「愛されたい」と思っているならば、裏を返せば「愛することのできる人」こそが求められている存在だとも言えます。愛情深い人、愛することのできる人を、みんなが待ち望んでいるのです。ならば、「愛することができる人」こそが、「必要とされる人」なのではないでしょうか。占いの場で問われるのは、「私はあの人に愛されますか?」「私を愛してくれる人が現れますか?」が圧倒的に多いように思います。とにかく「自分の思い通りにならない・コントロールできない」のは、自分の心ではなく、自分以外の他人の心のほうなので、そういう問いが前に来ます。でも、本当にそうでしょうか。誰かを好きになる、愛する、ということは、どんなに努力しても、なかなか、できることではありません。もとい「頑張って好きになる」「相手のいいところを見つけようとする」ことは、できます。でも、「辛抱してつきあってみたら、相手がいい人だということはわかったし、仲良くもなったけれど、でもどうしても、愛情を持つことができない」というのは、よくあることです。こう考えると、「頑張ってもできない」「コントロールできない」のは、本当は「自ら愛すること」のほうなのかもしれません。何かを好きになること、夢中になること、愛すること。これは、とても大変なことです。※ルーラー:占星術では、12星座それぞれが「王様」のような惑星を持っています。それを支配星という呼び方のほか、ルーラー、守護星とも呼びます。>>次回もお楽しみに(11月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年10月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第4のテーマ「帰るべき場所」と幸福(後編)をお届けします。■ 4.「帰るべき場所」と幸福。(後編)私たちは生まれてから成長し、成熟するに至るまで、「外の世界へ、もっと高い場所へ」と、植物が空に向かって伸びるように、ひたすら「ここではない、どこか」を目指します。ですが、そのもっとも力溢れる時間を生きた後で、今度は人生の下り坂にさしかかります。12ハウスの一番最後はもちろん「第12ハウス」なのですが、星占いの世界では不思議なことに、ここが「人生のゴール=死」とは設定されていないのです。この場所は自己犠牲や隠遁、隠れ場所などを意味します。第12ハウスの先にはなにがあるかというと、「第1ハウス」、即ち「始まりの場所」が位置しています。これは、たとえば長い間組織にあって仕事をして勤め上げ、定年を迎えて引退し、そこで肩書きのない「一個人」として新たな人生に再出発する、というイメージを思い浮かべると、なんとなく納得がゆきます。「一人の人間としてもう一度、生まれかわる」「新しい個性を生きなおす」ような展開が、ここに待っているのです。誕生し、成長し、成熟し、引退し、枯れて消えるのではないのです。少なくともホロスコープの仕組みにおいては、そうなっていません。人生を終えたかに見えた「引退」のあと、最終的な着地点の手前に不思議な「再生」が置かれています。生まれてからこの世を発見し、他者とコミュニケーションを交わして「自分」になる、「この世界」と「自分」とのつながりをもう一度ゼロから確かめるプロセス。私たちの老年期にはそのプロセスが待っているのかもしれません。最後にくるのが第4ハウスです。居場所、家、自分の人生全体を収める器のようなものが、そこに置かれています。居場所や家族は一般に、人を温め、守り、育ててくれる場所であり、いざというときに駆け戻れるような安心できる場所です。「家族のために」生きている、という人は決して少なくありません。ですがその一方で、「家」「家族」は、人を縛り、振りまわし、抑圧し、時には深く傷つけてくる世界となることもあります。逃げたくても逃げられない場所、「逃げたい」と思うことすら許されない世界。「家」によって傷ついた人は、世の中に驚くほどたくさんいます。生まれおちた「生家」を、私たちは選ぶことができません。でも、最終的に「帰り着く場所」は、少しは選択の余地があるようにも思われます。もちろん、人生の変転のなかで「ここにいることを余儀なくされる」「外に出ることができない」状態になる人もたくさんいます。ただ「生まれた場所」よりはわずかに、「選べる」部分はあるのではないかと思うのです。「最終的に帰り着く場所」は、自分の人生の終着地であり、人生の理想が注ぎ込まれる場所、といえるかもしれません。「終の棲家」に憧れ、あれこれと夢を思い描く人は少なくありません。将来こんな家に住みたい、いつかこんな場所で暮らしたい、という願いを叶えた人は、とてもうらやましがられます。私は(あちこちで書いていますが)、非常に引越の多い人生を送ってきました。生まれたその日が引越の日で、それからよんどころない事情で20回以上も引っ越してきました。夜逃げでもなければ趣味の引越でもなく、不思議なくらい「引っ越さなければならなくなる」人生だったのです。ですが40歳を越える頃から「最後にはどこにたどりつくのだろう?」という思いが湧いてきました。「終の棲家」があるとすれば、それはどこなのか。それは幸福な場所なのだろうか。この問いは、このところ年々、私の中で重みを増しています。それは単に「場所・建物」の問題だけに留まらず、「最終的にはなにをして、どう暮らしているのか」という、生活全体のイメージにつながります。つまりは「人生の最後」ということなのです。『椿姫』のように、ジェンのように(※前編参照:)、私たちは自分の人生において「最終的にたどり着く場所」がなんとか、美しく幸福なものになることを願ってやみません。金メダルを目指し、社会的成功を目指し、幸福な人と羨まれ、立派な人と尊敬されることを目指した後で、一人の人間として「最後に、本当に欲しいもの」はなんなのか。これは、人生の早い段階で準備できるものではないのかもしれません。でも、そのことを心の中で、常に探し続けることができるとしたら、はまらずに済む落とし穴もあるのかもしれません。「最後の最後が幸福であれば、人生の全体が幸福の光に照らし出される」「過去がどんなに辛くても、現在がどんなに苦しくても、最後の最後に幸福であれば、この苦しみや辛さが全て報われる」。この考え方は、私たちが今という時間を、未来に向かって絶え間なく生きようとする上で、決定的な希望です。『椿姫』のマルグリットも、最後の瞬間まで恋人アルマンを待っていたのです。生きている限り、次の瞬間には恋人がやってくるかもしれない、というその希望を胸に抱き、人生の幸福を目指して生きていたのです。自分にとっての最後の瞬間が「最後の瞬間である」ということを、私たちは知ることができるのでしょうか。それは死んでみるまで、だれにもわからないわけですが、少なくとも「幸福への希望」だけは、最後まで私たちにつきあってくれる可能性があるようです。>>次回もお楽しみに(10月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年09月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第4のテーマ「帰るべき場所」と幸福(前編)をお届けします。■4.「帰るべき場所」と幸福。(前編)「家」は、「帰るべき場所」です。私たちは自分の人生において、一体どこを目指しているのだろう、と考えると、この「家」という概念は、ひと味違ったイメージを帯びてきます。たとえば、人間が赤ん坊として生まれ、成長し、一人で世の中に出られるようになろうとし、世に出てなんとか社会的立場を獲得しようとし、多くの場合、自分なりの「成功」を目指して頑張ることになります。受験や就職、結婚や出産、昇進や独立など、人生の各段階において「目指すもの」はどんどん変わっていきます。5年前に目指したものと今目指しているもの、10年後に目指しているものは、たとえ同じ仕事をし、同じ立場にあったとしても、「完全に同じ」ではあり得ないでしょう。私たちは人生の中で、実に様々の細かいゴールを設定し続けます。そのゴールという点を、線で結ぶようにして生きている、と言えるかもしれません。では、そんな人生の物語は、最終的にどこにたどりつくのでしょうか。少なくとも星占いの世界では、それは「家」を扱う場所なのです。このコラムでは、星占いの「12ハウス」という技術を下敷きにして「幸福」について考えていますが、基本的に星占いの技術自体には触れないで稿を進めるつもりでした。「12ハウス」はあくまで、テーマ設定のためのヒントとして使うつもりだったのです。でも、この第4回、つまり「第4ハウス」を下敷きにする回について考えていたとき、どうしても他のハウスに触れたい気持ちになったので、少しその話をします(といっても、星占いの仕組みに全く興味がない・知識がない方でも、お楽しみいただける内容になっている、はずです!)。星占いの「第4ハウス」のテーマは、一般に「家」です。居場所、住処、家族、親、地元、などを司るのが第4ハウスとされています。ただ、第4ハウスにはこのほかに、ちょっと興味深い「担当分野」があるのです。それは、「死」「物事の最終的な結果」「本心」です。「死」は一般には第8ハウス、「結果」は第10ハウス、「本心」は(異論はありそうですが)第12ハウス的なテーマと言えそうです。「隠れた問題」というテーマも第4ハウスに関連づけられることがありますが、これも元々は第12ハウスマターです。つまり第4ハウスは、8、10、12ハウスという3つのハウスを分かち合っているようなところがあるわけです。特に第4ハウスが「死」と関連づけられたのはごく古い時代で、「第8ハウスが示すのは『周囲の人々の死』で、『自分自身の死』は第4ハウスで読む」という説もあります。成功を求め、愛を求め、仲間を求め、やりがいを求めて生きて生き続けた結果、最終的に到達する場所が、「死」です。死ぬ時にどんな気持ちでいるか、本当に欲しいものはなんだったのか、最後の瞬間、幸福でいられるか。第4ハウスが「家」であり「死」であり「最終的な結果」であり「本心」の場所である、ということが、こう考えると、とてもしっくりくるように感じられます。第4ハウスの「家」は、日々帰る場所であると同時に、人生という旅の最終的な「帰着点」でもあるわけです。以下は、以前noteに書いたコラムの一部を改稿したものです。「人生の終わり」が私たちにとってどんな意味を持つのか、ということについての、ある調査のお話です。*******************次の2つのシナリオを比べてみて下さい。“シナリオ1:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、30歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。シナリオ2:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、35歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の30歳までの人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。が、30歳から35歳までの最後の5年間は、そこそこ楽しいが、30歳までほどではなかった。”さて、どちらが「より幸せな人生」でしょうか。この2つのシナリオは、心理学者エド・ディーナーによる実験の素材です。実験の被験者は、上の2つのシナリオを読み、以下の質問に答えました。“「ジェンの人生を全体として見たとき、どのくらい好ましく感じますか?」「ジェンが人生で経験した幸せまたは不幸せの総量はどの程度だと思いますか?」”シナリオ2は、シナリオ1に、「そこそこ楽しい5年間」を足しただけのものです。ゆえに、幸せの「総量」は、2つのシナリオで一致するはずです。ですがなんと、被験者の回答では、シナリオ2のほうで「幸せの総量」が大幅に減らされていたのです(!)。“少しばかり幸せでない5年間を付け加えただけで、まともな人たちがジェンの人生の評価を大幅に下げるとは思っていなかった。だが私はまちがっていた。大半の人が、この5年間のせいでジェンの人生は台無しになった、という直感的な判断を下したのである。-ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(ハヤカワノンフィクション文庫)より”*******************「最後の瞬間に、幸福でいられるかどうか」。このことは、多くの人にとって人生全体の価値を左右する、大問題であるらしいのです。多くのドラマや物語にも、そのことはよく表れています。たとえば前掲書では、オペラの『椿姫』が例に挙げられています。高級娼婦ヴィオレッタと青年貴族のアルフレードは恋に落ちますが、アルフレードの父はヴィオレッタに別れるよう要請し、ヴィオレッタは恋人を思って身を引きます。事情を知らないアルフレードは激怒しますが、最後には事情がわかり、彼女のもとに駆けつけます。ヴィオレッタは病で死の床にありましたが、死の直前に最愛の人に再会が叶ったのでした。この物語は「ハッピーエンド」であり、最後に恋人の腕の中で死んでいけたヴィオレッタの生涯は「幸福だった」と感じる人が多いのだと言います。ヴィオレッタの人生を冷静に客観的に考えると、全体としてはかなり辛いものだったろうと思われるのです。娼婦として不名誉を背負って生きざるを得ない苦労、最愛の人と引き裂かれる苦悩、若くして病に倒れた苦しみなど、あまりいいところがありません。ですが、この物語に触れた人の多くが、最後のただ一瞬の逢瀬によって、彼女の人生の全体が光に照らされ、「彼女は幸福だった」と感じるのです。このオペラの原作小説、小デュマの『椿姫』では、エンディングが大きく異なります。ヒロインの高級娼婦マルグリットと青年貴族アルマンがその仲を引き裂かれるまでは同じですが、アルマンはマルグリットの死に際に間に合わないのです。マルグリットの生きている間には誤解の解けぬまま、二人は死に別れてしまうのです。こちらはまったくの「バッド・エンド」です。死に際の一時間が幸福だったかどうか、それだけで物語全体の印象が大きく変わってしまうのです。これは「物語の印象」だけの問題ではないのかもしれません。私たちの多くが抱く「人生観」と直結しているのかもしれません。すなわち「死に際が幸福な人生こそが、真に幸福な人生と言える」という人生観です。※ヴィオレッタ(オペラ版)=マルグリット(原作小説版)アルフレード(オペラ版)=アルマン(原作小説版)>>次回:4. 「帰るべき場所」と幸福(後編)(9月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年08月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」第3のテーマ“「知る」という幸福”の後編をお届けします。~ 3. 「知る」という幸福・後編~■生きるための知、純粋な知的好奇心私たちは社会生活を送り、自分を守るために、多くの知識や情報を必要とします。生活の基本を学び、世の中の仕組みを学び、仕事のやり方を学び、人との関わり方を学んで、私たちはやっと、この世界でなんとか生きられるようになります。これらは、幸福に生きるための「土台」のような学びです。さらにこの競争社会では、多くを知り、人を出し抜くようなアイデアを持つ者が勝利する、ということになっています。なにかを知らなければバカにされ、バカにされないために学ぶ、といった小競り合いがあちこちで起こっています。こうした競争の中で多くの人が疲れ、傷つき、人を信じられなくなって、孤独に陥っているようにも見えます。「学ぶ」ことは、この辺りまで来ると、幸福への道から大きく逸れています。一方で、私たちには「閉じられた箱の中に入っているものを、どうしても見たい」と感じるような「好奇心」が備わっています。「古代文明の謎」「古城の開かずの部屋」「この村の秘密」「徳川埋蔵金」などという言葉に、私たちは敏感に反応します。このときの「知りたい」という思いは、「マウントをとりたい」「ビジネスに役立てたい」などという思いとは関係がありません。純粋な楽しみのための読書、お気に入りの散歩道を歩く時間。その中にあるとき、私たちの魂は誰にも傷つけることのできない状態になっている、と悪魔は言います。そのような状態の魂は、誘惑も脅迫も受け付けないからです。仲野先生(※)は、「世界を知りたいと思うのは、その世界に生まれた自分自身を知りたいということでもあるだろう」とも言われました。自分が生きているとはどういうことか、死んだらどうなるのか、この世界はそもそも、なんなのか。私たちは「自分」について、よく知っているようで、肝心なことを知りません。それはまさに、大いなる謎です。自分自身と直接関係のある謎です。それを「知りたい」という思いを、誰もが心の片隅に抱えているのではないでしょうか。※仲野徹先生(大阪大学)『3. 「知る」という幸福・前編』にも登場誰にも命令も強制もされないのに、ちいさな子供が言葉を覚えるのは、なぜなのでしょうか。2つか3つの子が「これなあに?」「なんで?」ばかり繰り返すのは、なぜなのでしょうか。「ほめられたいから」ではないだろうと思います。「知りたい」という欲求は、私たちの中にもともと、食欲のように強く備わったものであるようです。どんなに食欲旺盛な人でも、お腹がいっぱいのときには、なにも食べたくないのが当然です。情報の大洪水のようなこの世の中で、私たちの「知りたい」という欲求は、お腹いっぱいなのにもっともっと食べさせられようとしているような、危機的な状況にあるのではないか、という気もします。なんでも読まなくちゃ、知らなくちゃ、と焦っているうちに好奇心自体が鈍磨し、摩滅してしまうとしたら、それは怖ろしいことです。最近の私は、悪魔が警戒する「純粋に自分を楽しませるためだけの読書、楽しみのためだけの散歩」を、もっと増やしたい、と思っています。C.S.ルイスの考えた「悪魔の意見」は、この点では、正しいような気がするのです。>>次回もお楽しみに(8月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年07月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第3のテーマ“「知る」という幸福”についてお届けします。■ 3. 「知る」という幸福・前編星占いの「12ハウス」のシステムに沿って、12のテーマから「幸福」について語る本コラムですが、第3ハウスは「学習・コミュニケーション」のハウスということで、当初は「語り合える相手がいる、という幸福。教養という幸福。」というタイトルを想定していました。ただ、これを書く段になって色々考える中、どうもこのタイトルに違和感が出てきました。先日『悪魔の手紙』(C.S.ルイス著)という本を読みました。ファンタジーの名作『ナルニア国物語』でおなじみの著者の作品で、「引退した老悪魔が、神様に対抗する手段を指南する書簡集」です。初めて人間を誘惑する若い悪魔に、熟練の老悪魔が手紙を送り、「やつ(神様)」を出し抜くにはどうしたらいいか、こまごまと教えてやるのです。手紙の中で老悪魔は、若手の失敗を注意します。「おまえがその人間に好きな本を読ませ、大好きなルートで散歩させたのは、大失敗だ」と言うのです。誰かに気の利いたことを言うために読む本とか、「ためになる本」を読ませるのは、魂を堕落させるのに有意義です。でも、純粋に楽しむためだけに本を読むのは、堕落を妨げるのです。悪魔によれば、未来のため、成長のため、自分を高め守るために学ぶのは、堕落への大事なルートなのです。一方、自分の心を純粋に楽しませるためだけの読書は、その人を強くし、堕落から守るものとなります。散歩もまたしかりです(実は、星占いの第3ハウスのテーマには、「散歩」も十分含まれます)。「ただ純粋に楽しむことこそが堕落で、『ためになる本』を読むことは、むしろその人を成長させ、強くするのではないか?」と思う人も多いと思います。少なくとも世間一般には、そう考えられています。成功のための本、気の利いたコメントをするための本、人に知識を自慢するための本、未来に備えるための本は、今も世の中に溢れています。学校でも「ためになる本」を読むことが大いに奨励されます。ですが、もし悪魔の言う通りなら、それこそが私たちを「弱くする」のです。これを読んで私は、はっとしました。というのも、以前インタビューをさせて頂いた、大阪大学の仲野徹先生の言葉を思いだしたからです。仲野先生の専門は病理学ですが、本当に広い分野に興味を持ち、あらゆる本を読み、世界中を旅して、つねに勉強を続けられています。私は仲野先生に「なぜそんなに、あらゆることを知りたい、と思われるんでしょうか」と質問しました。すると先生は「知ることが楽しいから」と答えられました。私は、「知ること」とは、色々な意味で辛いことだと思っていました。子供の頃は漢字が覚えられない、計算ができないことに苦しみました。受験勉強は好きになれませんでしたし、年号も英単語も、なかなかアタマに入らなくて困りました。新しいことを教わるときには「理解できなかったらどうしよう」と怖ろしく、物知らずなことを嗤われることが怖ろしく、社会に出ればわからないことだらけでまごまごしました。知っていることの中だけで生きて行けたら、どんなにいいだろう、と心から思いました。勉強すると、つぎつぎに「自分の知らないことがまだまだたくさんある」とわかるばかりで、どんどん不安になります(そう言えるほど勉強したというわけでもないのですが)。仲野先生が「知ることは楽しい」と言われたとき、私は、いまいちピンときませんでした。私には、「知の世界」は、怖ろしい世界だったのです。今でも「本を読まなくちゃ、あれもこれも読まなくちゃ」と焦りつつ、まわりに本をたくさん積んでいますが、ぜんぜん思うようには読めません。読んでもアタマに入らなくて、ページの上を目が上滑りすることもよくあります。この状態は小学校の頃から今に至るまで、ほとんど変わっていない気もします。これらはすべて、悪魔に言わせれば「堕落の道」なのです。一方、私は純粋な楽しみのための勉強や散歩を知らないか、というと、実はそれを、私はよく知っています。純粋に、楽しみのためだけに読む本が、私にもあります。無目的にどこまでも歩いて行く散歩を、私は何度も楽しんできたように思います。ただ、自分でそれらを「大事なこと」だと思ったことはありませんでした。好きなものを読んでいると、なにか怠けているような気がします。本当に読むべきものを読まずにラクをしているようで、後ろめたい気がしてしまいます。ですが「悪魔」は、それこそが自分を「堕落から救う道」だと言うのです。>>次回もお楽しみに~3. 「知る」という幸福・後編(7月26日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年06月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第2のテーマ「お金があれば、幸福になれるか?」についてお届けします。2.お金があれば、幸福になれるか?お金と幸福の関係は、もうあらゆるところで語り尽くされていて、今更私がここで何か付け加えることもないようにも思われます。ですが、「幸福」を語る上では、避けて通れないところでもあると思います。お金は、現代社会を生きていく上でどうしても必要なものです。お金がなければ生活できない、食べていけない、ということになります。キリストは「人は、パンのみにて生くるにあらず」と言ったそうです。そうなのです。「パンだけで生きていけるわけではない」のですから、「パンなし」では、やっぱり生きていけないのです。お金があれば幸福になれる、と考える人は少なくありません。お金がないときは特に「お金さえあれば!」と思えます。たくさんお金を持っている人でも「これでは足りない」と思い続けている、という話を聞きます。たとえば、20代の頃よりも30代のほうが給料は多くなったけれども、お金に対する心配はむしろ、強く大きくなった、という人がいます。持っているお金の多寡によらず、お金は「常に何となく足りない」ものなのかもしれません。「お金さえあれば幸せになれる」へのアンチテーゼも、古来、普遍的に語られ続けています。『ヴェニスの商人』や『クリスマス・キャロル』など、お金を持つ人々が決して幸福ではない、というハナシはずっと愛され続けています。サスペンスドラマなどでも、「根深い愛憎ゆえの凶行」と「金目当ての犯行」とは、おそらく同じくらいの割合なのではないでしょうか。他人に殺されるのはたいがい、お金持ちです。あまりハッピーではありません。最近では「ミニマリスト」「こんまりメソッド」など、物質的な条件に縛られないで生きることを模索する人々が増えてきているようにも思われます。生活の豊かさイコール、お金で買えるものをゆたかに持っていること、ではない、という考え方です。たくさんお金を稼いでも、時間が仕事で埋め尽くされて疲れ果て、日々に何の喜びも感じられないなら、それは幸福とは言えないでしょう。最低限の収入で営まれる真の幸福な生活とは何か、を考えるために、小屋に住んだり、できるだけお金を使わない生活を試みたりと、言わば「実験的生活」をしている人のルポルタージュをしばしば、みかけます。こう考えていくと、お金はとても妙なものです。なければ困るし、あっても困るのです。皆が欲しがるものなのに、悪いもののように言われるのです。お金持ちになりたい人がたくさんいる一方で、お金持ちは一般に悪党扱いされるのです。宗教的な考え方では、お金は大抵、悪とされます(で、寄付が求められます)。■お金と、危険と、死と。学校の授業で「お金とは社会を流れる血液のようなものである」と教わったことがあります。社会を生かし、財を動かし、新陳代謝を促すお金と血液の比喩は、さらりと納得できるものでした。しかし、最近別の意味で、この比喩に「なるほど」と思うこともあります。というのも、私たちは誰もが体の中に大量の血液を持っているのに、血液自体を目にすることは「非日常」なのです。いつでもここにあり、指先を温めているのに、それがちょっとでも表に出ると「さあ大変!手当てを!」となります。「血を見る」ことは、ゾッとするような怖いことなのです。昨年、海外でビルの上からお札を撒いた人がいて、ニュースになりました。お金を見ても「ゾッと怖くなる」ことは無いかもしれませんが、たとえば現金がその辺にポンと放り出されていたら、何となく落ち着かなくなります。「はやくしまったほうがいい」と感じるものではないでしょうか。この点でも、お金と血液は、ちょっと似ていると思うのです。私は、ディズニーランドのアトラクションの中で「カリブの海賊」がいちばん好きです。船に乗って眺めてゆく光景の中に、「洞窟の中で、金貨や財宝の山の上に座っているガイコツの海賊」というのがあります。おそらく飢えて死んでしまったのかなと思うのですが、それでも尚、彼は自分の戦利品である宝の山を守り続けています。あの光景は、滑稽でもあり、恐ろしくもあります。彼を見ると、悲しく切ない気持ちになることもあります。限りない満足と果てしない孤独、奪われることへの恐怖など、激しい感情が彼の中に渦巻いたことでしょう。その感情に窒息するかのようにして、彼は死んだのかもしれません。彼は幸福だったのでしょうか。もし「お金があれば幸福になれる」のであれば、彼ほど幸福な人間はいないでしょう。巨万の富の上に座って死んだのですから。そう思って見てみれば、確かに、幸福そうに見えないでもありません。でも、自分も彼のようになりたいかというと、そうは思えません。お金は、使えば消えてしまいます。でも、使わないでおいても、骸骨の守る金貨のように、意味をなさないのです。お金は、考えれば考えるほど、不思議なものです。■お金と、幸福と、「罪悪感」と。東日本大震災の時、普段とは違った光が、お金を照らし出しました。ひとつは「寄付」、もうひとつは「経済を回す」という言葉です。あの時は、多くの人が当たり前のように寄付をしました。海外からも寄付金が集まりました。被害を被った人々への共感、何とか助けたいという思いがそこに詰まっていたのは確かです。その一方で、「申し訳ない」という言葉を口にする人がいました。方や、全てを奪われて苦しんでいる人々がいる。その一方で、特に何も奪われなかった自分がいる。このことに「罪悪感を持った」人がいたのです。そこで、まるで負債を返済するかのような気持ちで、「寄付をした」という人がいました。寄付をすると、罪悪感が軽くなったのだそうです。勿論、被災地の人々は、被災しなかった人に罪悪感を持ってほしいなどと思わなかったはずです。でも、被災しなかった側では、自動的に罪悪感に苛まれた人がいたのです。そこでは、お金は確かに「正しいもの」として扱われていました。「経済を回す」という言葉もまた、多くの人が口にしたフレーズでした。これもまた、被災地ではない地域での言葉でした。大きな災害が起こったけれども、ほぼ普段通りの生活をし、普段通りに仕事をすることに、多くの人が違和感を持ったのです。「苦しんでいる人がたくさんいるのに、私たちは『普段通り』でいいのだろうか」。この問いの中で出てきた答えが、「普段通りに生活し、仕事をするということは、つまり世の中の経済活動をいつも通りに回していくことであり、間接的には被災地の人々の助けにもなるのだ」という考え方でした。「自分の生活・仕事」という狭い経済活動の範囲が、「世の中の経済」という視野へと、一気に拡大したのです。震災時、多くの人が「経済的な視野の広がり」を得たのではないかと私は想像します。お金はここでも「善」そのものでした。私たちは、幸福になろうとするとき、目に見えない他者への負債を抱えるものなのでしょうか。親が子どものためにお金を使うこと、介護のためにお金を使うことは、非難されることはほぼ、ありません。一方、自分のための贅沢は、人からもあれこれ言われますし、自分でも「これは贅沢かな」と罪悪感を抱かされたりします。他者のためにお金を使うことは善で、自分のためにお金を使うのは悪である、という考え方は、どうも「生きているということはそれ自体、なにかに・誰かに借りがある」というような考え方に繋がっているのかもしれません。「感謝」は、この世の中ではとても重要な思いとされています。「感謝を忘れないように生きています」「いちばん好きな言葉は『ありがとう』です」と言う人はたくさんいます。一方で、「ありがとう」が好きではない、という人もいます。お礼や感謝は「負債を精算したいという気持ち」に通じ、よそよそしく失礼な感じがする、というのです。昨年『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本が話題になりました。強く結びついた人間関係や共同体においては、「感謝の表現」は異質なものになることがあるようです。お金の問題が難しいのは、人が幸福になることや満たされることの土台に「善・悪」という概念が横たわっているからなのでしょうか。多くの人は満たされることを願っているわけですが、そのことが果たして「善いこと」なのかどうか、というところで、立ち止まらざるを得ないのかもしれません。「頑張った自分への御褒美」というフレーズがごく一般的に使われるわけですが、そもそも自分で自由にしてもいいお金であれば、好きに使っていいのです。「頑張った自分」というエクスキューズがどうして必要なのか。ここにもうっすらと、お金にまつわる倫理観のようなものの影が見えるのです。私たちが満たされることは、そんなに悪いことなのか。「過剰に満たされるのは善くない」という考え方もありますが、そこには自分の体や心を害する恐れがあるという意味の「良くない」に留まらないものが含まれています。私は個人的に、「そんなに申し訳ながる必要は、無いのではないか」と思っています。罪悪感というのは、確かに誠実で清らかな、人として正しい感情かもしれません。でも、本当に感じるべき罪悪感と、そうでもないものがあると思います。少なくとも「被災しなかったことへの罪悪感」は、私にはとてもよく理解できる感情なのですが、同時に、とても理不尽な感情でもある、と思えます。それは、被災した人々の苦悩への共感とは、別のものです。私たちはそんなにも、多くを「負って」しまうのか。満たされることに罪悪感を抱き、蕩尽する人々に嫌悪を感じる世の中は、なぜそうなっているのだろうか。幸福とお金の関係を考えると、どうしても私は、その疑問にたどりついてしまうのです。>>次回もお楽しみに(6月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年05月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、3月に行ったTwitterアンケートの結果について、石井さんのコメントをお届けします。■あなたにとって「幸福」とは?第1回目の公開後、ココロニプロロさん のtwitterアカウントで「幸福」についてのアンケートをお願いしました。ご回答くださった皆様、誠にありがとうございました!『#石井ゆかりの幸福論 』連載スタート!あなたは今、幸せですか?もし「いいえ」なら、何が足りないと思いますか?RTもしくはコメントをお寄せください!#ココロニプロロ— cocoloni_PROLO (@cocoloni_portal) 2019年3月25日4000以上のお応えを頂き、半数近くが「幸せです」を選ばれたのには少し驚きました。もっとも、「幸せ」の定義は人によって大きく異なります。また、このアンケートがタイムラインに流れた時間帯や、このアンケートが目に止まる方々が私かココロニプロロのフォロワーの方が大多数であること、また、そもそも「回答するかどうか」の判断がこの手前に含まれているなど、様々なバイアスがあります。『幸せじゃない人は心理的に「押したくもない」ってなりそう@TeteGift0727さん』(※Twitterの引用は全て原文ママ)というご意見もありましたが、たしかにそういう気持ちになる方もあるだろうと思います。ゆえに、これだけでわかることはそれほどないわけなのですが、それでも「幸せ」について様々な関心があり、ご意見がある、ということは、感じられる気がしました。■お金、健康、愛が足りない!コメントの中には「お金や愛などが足りない」との声が多く見られました。確かに、生活が安定していて孤独でない、ということは、幸福の最大の条件だと思います。『幸せではない方に入れました。他人の幸せを羨むのではなく喜ぶような心の余裕がないといくら周りがあの人は幸せそうだと思っても当人は幸せだとは思えなくて。そんな心の余裕は経済的余裕や健康な体があってこそ生まれると思っています。@bisco_mItSUyoさん』お金が欲しい、愛されたい、健康になりたいという望みは決して、利己的なだけのものではないと思います。自分以外の人も幸せになってほしい、でも、それを祈れるようになるには、自分自身の生活の余裕が必要だ、という意見は、納得できます。確かに、世の中には自分のことなど構わず、他人を気遣うことができる人もいます。私自身、そういう人に出会ったことがあります。その人は余命一週間ほどだった病床でも、世話をしに来た家族を気遣って、楽しませようと、冗談を言ったりしていました。ですがその人もまた、他者からの愛の記憶に守られていたのではないかと思います。受け取ったものの大きさ、与えるものの大きさは、客観的に量れるものではありません。人が別の人からどれだけの喜びや庇護を受け取ったのかは、当人にしかわかりません。与えた側さえ、それはわからないものだろうと思います。■自分のものの考え方・思い方『40過ぎてやっとこさ「幸せはなるものじゃなくて気づくもの」って意味が分かってきたような気がします……@Shuto_Kaito_Momさん』『10年ほど前「しあわせになれない理由は私にはなにひとつないのに、自分が自分をそうしたくないんだ」と気づき、長い旅をして、「しあわせ」の定義が変わりました。しあわせって調和なんだ。四方が合っている、wholeであるということ。実は常に成就していることで、ただ認識の問題なんだなって、今は。@atohchieさん』自分だけが幸せではいけないのでは、という思いを持たれる方もいらっしゃいました。『ただ、自分が幸せでもつらい人がいる状況が目に入った時、私だけが幸せではいけないのでは、と思っているフシがどこかあります。@havingfun724さん』「幸せである」と認めることを怖れるような思いを持つ方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。「幸せだ」と認めてしまうことが悪いことのような気がしたり、「幸せだ」と認めてしまったらもうそれ以上のものは手に入らないように感じたりする、ということもあるのかもしれません。たとえば、「これでおなかいっぱいです、満腹です」と言ったら、もうおかわりはもらえません。神様のような存在がいるとしたら、「まだまだ、おなかに余裕があります」と言っておきたい気がするわけです。満足することが、向上心を失わせる、と考える人もいます。あくなき努力を続けていくためには「まだまだ足りない」というハングリー精神が必要だという考え方です。こうした考え方を採る人にとっては、「幸福だ」と感じることは害悪となることもあるようです。「自分以外の誰かが幸福だからといって、その人に怒りを感じるのはばかげている、その人が私から何か奪ったわけでもないのに!」。これは、ある小説の中の一節です。この言葉はまるで正しいのですが、これを口にした人物は確かに、身近にいる人の幸福を妬んで、その人を遠ざけようとしていたのでした。この言葉は、自戒、反省の言葉であり、自嘲の言葉でもあったのです。私たちは他者の幸福を羨まずにはいられませんし、特に、自分が傷ついて苦しみや悲しみを抱え、不安に苛まれているときは、そうした思いを抱きがちです。それを知っている人々は、幸福なときでも、「自分が幸福だ」とは言わないようにします。無用の悪意から身を守るためです。「あなたは幸福ですか?」という問いの前で立ち止まり、口を閉ざしたくなるとすれば、それは「他の人々は幸福だろうか?」という問いが心の中に渦巻くからなのかもしれません。■幸福かどうかわからない。幸せになるための条件がわからない、何かが必要な気がするが、それが何かわからない、といったご意見も多かったように思います。『「いいえ」にしました。このところ「幸せ」についてずっと考えていたので思わずリプライしてしまいました。私の場合は幸せになりたいとは思っているものの自分が「どうしたら」や「何があったら」幸せを感じるかがはっきり認識できてないのが原因かなと思ってます。@love_toucanさん』『私は幸せかどうか分からない。何の不自由もなく生活できているのだから幸せなのかもしれないけど、幸せを感じる実感はなくて。分からないのでその他で。@neeze37さん』『恵まれているとは思うけれど、それがイコール幸せではない気がして。@naokosunsky1973さん』『何をしたらいいのか、何をしたいのか、歳をとるだけで先に光が見えない。@kakailuさん』幸せ自体の感じ方が時間によって変わる、というご意見もありました。『幸せだと思っていても後になってみると幸せではなかったと思う事もあるし、幸せじゃないと思っていても後になってみると幸せだった事もあり、「幸せと感じる事」には時間が経てば訂正が入ります!今の感想はあてにならないです。@horeisyouさん』幸せには常に「比較」がつきまといます。他人と自分の比較、過去と現在の比較、過去の2点間での比較などを通して「あの時は今よりは幸せだったな」「今にして思えばアレが幸せだったのかも」などと考えることも確かに、あります。「幸福」ということを、リアルタイムの感情・感覚として捉える方がいる一方で、ある種の価値判断・評価のようなものとして捉える方もいらっしゃるのだと思いました。また「自分は多分、幸福なんだろうと思う」というようなご意見もたくさんありました。これは、「感情や感覚ではよくわからないが、客観的に自分の生活を眺めると、いろいろな条件が調っているなあ」ということなのでしょう。「あたりまえだと思っていた条件を失って初めて、幸福だったのだとわかる」という言説は、ごく一般的なものです。だとすれば、私たちは「幸福」に関して、感情や感覚の上では、かなり鈍感だということなのかもしれません。少なくとも、そう自覚している方が少なくないんだな、という印象を受けました。「幸福ではない」を選んだ方のコメントの中で「お金が足りない」「仕事がない」というご意見がたくさんありました。次回、「幸福論」第2のテーマは、その「お金」についてです。>>次回もお楽しみに(5月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年04月25日第71回カンヌ国際映画祭で見事、脚本賞を受賞したイタリア映画『幸福なラザロ』。本作に関わった現代イタリア映画界を語る上で欠かせない存在で、日本のファンからは「イタリアの安藤桃子&安藤サクラ」との声も上がる“ロルヴァケル姉妹”の魅力を徹底解剖する!本作の監督を務めたのは、前作『夏をゆく人々』(’14)がカンヌ映画祭グランプリに輝き、世界が注目したイタリアの新しい才能、アリーチェ・ロルヴァケル。待望の新作となった本作は、2018年カンヌ国際映画祭で上映されるやいなや「異彩を放つ傑作!」と話題を呼び、世界各国から配給権のオファーが殺到。北米公開時には巨匠マーティン・スコセッシが絶賛し、映画完成後にプロデューサーに名乗りを上げる異例のバックアップをするなど、世界の著名人をも動かしてきた。1981年生まれのアリーチェは、養蜂で生計を立てる一家の夏を描いた自伝的作品である前作『夏をゆく人々』が長編映画2本目にしてカンヌでグランプリを獲得。その翌年には、ファッションブランド「MIU MIU(ミュウミュウ)」のショートフィルムシリーズ「女性たちの物語」の第9弾として「De Djess」を発表、同ブランドのデザイナーであるミウッチャ・プラダがいま一番インスピレーションを受けている存在のひとりとしてアリーチェを挙げるなど、ほかの世界的アーティストに刺激を与えている。一方、物語の後半に登場し、主人公の青年ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)と行動を共にすることになるアントニアを演じるのはアルバ・ロルヴァケル。ふたりはアリーチェが妹、アルバが2つ上の姉となる。主人公の少女の母親役を演じた『夏をゆく人々』に続いて『幸福なラザロ』と妹の監督作に続けて出演しているが、観客の視線を釘付けにさせてしまう圧倒的な存在感と変幻自在な演技力が持ち味。本作でも、都会の片隅で必死に生きながらラザロと再会し、日常や心に“揺らぎ”が生まれていく女性を好演する。昨年だけでも6作品に出演したアルバは、いまやイタリア映画界を代表する女優のひとりといっても過言ではない。日本では『幸福なラザロ』以外にも、『ザ・プレイス運命の交差点』(公開中)に神の存在を感じたいために妊娠を命じられる修道女という難しい役どころで出演しているほか、イタリア映画ファンにはお馴染みのGWの恒例行事「イタリア映画祭2019」では、自由奔放な母親を演じた『私の娘よ』、子育て、恋愛、仕事に奮闘するシングルマザーを演じた『ルチアの恩寵』と出演作が2本上映。映画祭のポスターにもその姿が登場しており、さながら“アルバ祭り”の勢いすら見せている。アリーチェは、姉・アルバについて「常に私の仕事にインスピレーションを与えてくれて、とても信頼している存在です」と語り、『夏をゆく人々』では4姉妹の長女を主人公に据えるにあたり、姉つまりアルバの視点で物語を捉えようとしていたことを公言している。この活躍著しい姉妹に対して、SNSでは「イタリアの安藤桃子&安藤サクラだ」と例える声も上がるほど。アルバとアリーチェの両方にインタビューをしたことのある翻訳家・ライターの岡本太郎氏は、「ふたりにはとても強い信頼感を感じさせます。顔は余り似ていませんが、ふたりの声を聞くとしゃべり方がそっくりなんです」と語り、性格面では女優のアルバには几帳面さを、監督のアリーチェには自由な知性を感じるという。アリーチェ監督作のカンヌ上映時には姉妹そろってレッドカーペットに登場してきたが、姉妹での来日はまだ実現していない。アルバも出演するアリーチェの次回作で、もしかしたら実現するのか、イタリア映画界を牽引する姉妹に引き続き注目していて。『幸福なラザロ』は4月19日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:幸福なラザロ 2019年4月19日よりBunkamuraル・シネマほか全国にて順次公開©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
2019年04月18日今回ご紹介するのは、4月19日から公開の映画『幸福なラザロ』です。メガホンをとったのは、世界から注目を集める新鋭アリーチェ・ロルヴァケル監督。以前、ペルルでも取り上げた『夏をゆく人々』を撮った女性監督です。2011年から始まった、ミュウミュウ(MIU MIU)のショートフィルムプロジェクト「女性たちの物語」シリーズにも参加している彼女のことを、名前だけは聞いたことがあるというペルル読者もいるのではないでしょうか? 本作は、ロルヴァケル監督がイタリアで実際に起きた事件をヒントに、無垢で純朴な青年・ラザロを主人公に描く寓話的でミステリアスなドラマ。2018年のカンヌ国際映画祭脚本賞受賞作品でもあります。 【ストーリー】小作人の所有が法律で禁じられた20世紀後半。イタリアの小さな村の農園に、タバコ栽培に従事する青年・ラザロと村人たちが暮らしていた。彼らは小作制度の廃止を隠蔽する農園主の侯爵夫人に騙され、社会と隔絶した生活を強いられていた。ところが侯爵夫人の息子が起こした誘拐騒ぎをきっかけに、村人たちは外の世界へ出て行くことに。ラザロはひとり村に取り残されるが、やがて街に出て、かつての村人たちと再会し……。 ■無垢な青年・ラザロが象徴するものとは?主人公の“ラザロ”という名前は、キリスト教の聖人と同じ名前。彼は新約聖書のヨハネ福音書に登場する人物で、キリストの奇跡によって死後4日目に蘇ったというエピソードが知られています。そして、本作の主人公・ラザロも、まるで聖人のような存在感をたたえています。文句を言わず黙々と働き、仲間から仕事を押し付けられても怒らないラザロ。邪険に扱われても、いつも穏やかに笑っています。彼は人を疑うことを知らず、周りから軽んじられても、自分が不当な扱いを受けているということにも気づいていません。こんなにも感情がないラザロは、もしかして人間ではなくゴーストなの?という疑念すら抱かせる姿に、観客は少しドキドキしながらも、映画の結末を見届けたいという気持ちになることでしょう。ラザロを演じるのは、高校在学中に監督にスカウトされたアドリアーノ・タルディオーロ。1,000人以上の中から発掘された新星です。無垢でいて、しかし心の奥では何を考えているか分からない瞳の演技は必見。デビュー作とは思えないほど、鮮烈な印象を残しています。 ■村から街へ。異なる世界で生きることになった者たちは“幸福”なのか。 映画の後半、村を離れたラザロは、先に出て行った村人を追うようにして、街へとたどり着きます。そこで再会するのは、かつて農園でともに暮らした仲間たち。なかでもラザロのことを気にかけていた村人のアントニアは、久々の再会に驚き、道端でラザロの足元に跪きます。こうして聖人のように仲間に迎え入れられるラザロ。 そこから、元村人たちの現在の暮らしぶりがどんどんと明らかになっていきます。お金をもらわず、農園主に搾取されていた生活から、彼らは労働の対価として賃金を得るようになっていました。しかし、収入は決して良くなく、時には詐欺まがいの商売でお金を稼ぐことも。さらにラザロは、農園主の息子・タンクレディにも再会します。昔の面影を残しながらも、すっかり没落したタンクレディ。お金も権力も失った彼ですが、お人好しのラザロは何とかタンクレディの力になろうと行動し……。 かつての小作人生活と、賃金を得て働く今の生活。果たしてどちらが幸せなのか?映画の後半に差し掛かると、観客はそんな思いを抱くのではないでしょうか。賃金をもらえても、社会に搾取される構造は小作人のときと変わらないのでは?と……。村人たちの生活を前半と後半で対比させ、リアルな描写で浮き彫りにする展開は、ロルヴァケル監督の力量を感じさせます。日常のドラマの中に、少しだけ現実離れした設定を取り込んでしまう手腕は、前作『夏をゆく人々』にも通じるものがあります。 ■物語を彩る、美しい映像も見どころ ほかにも見逃せないのは、デジタルではなくスーパー16mmフィルムで撮影された映像の美しさ。農園で村人たちが収穫する色鮮やかなタバコの葉。陽射しを浴びて汗を流しながら働く人々の姿。労働の合間に飲む、グラスに入ったコーヒー。小高い所から見下ろす村の風景など、ひとつひとつのショットが物語の世界観を支えています。また、劇中にときどき登場する“狼(オオカミ)”も、観客にさまざまな問いを投げかけるモチーフになっているので、鑑賞後それぞれが自分なりに解釈してみるとおもしろいかもしれません。 人間を超越したような青年・ラザロの姿を描いたこの物語は、まさに現代社会にも通じる普遍的な寓話といえます。映画祭で話題をさらった本作を、ぜひ劇場でお楽しみください。そして、こんな傑作を生みだす若き才能、アリーチェ・ロルヴァケル監督の今後にも期待が高まります。まだ日本ではなじみが薄い監督ですが、覚えておいて損はない注目株です。 ■『幸福なラザロ』(2018年/イタリア)4月19日(金)よりBunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル出演:アドリアーノ・タルディオーロ、アニェーゼ・グラツィアーニ、アルバ・ロルヴァケル、ルカ・チコヴァーニ、トンマーゾ・ラーニョ、ニコレッタ・ブラスキほか©2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
2019年04月15日台湾発の黒糖タピオカミルク専門店「幸福堂」が日本に初上陸。2019年7月6日(土)、東京・原宿竹下通りにオープン。幸福堂とは?「幸福堂」は、2008年に台湾にオープンした、伝統的な製法で作る黒糖タピオカミルク専門店。本場・台湾では、店頭でグツグツと黒糖とタピオカを煮込んでいるので、周囲には甘い幸せな香りが漂っているという。また2018年以降は、北米やアジア圏に進出し、現在世界中で60店舗以上のショップを構えている。そんな「幸福堂」のタピオカドリンクは、その美味しさのみならず、アートのような美しい見た目も人気の秘密。ピンクのタピオカに、ミルクや抹茶を重ねたドリンクや、ピンク×オレンジの彩り鮮やかなドリンクなど、美しいカラーコントラストを描くメニューを取り揃えている。なお同店の人気メニューは、リッチな味わいながらも甘すぎない王道の黒糖タピオカドリンク。日本でのメニューラインナップは、随時紹介する予定だ。店舗詳細幸福堂(コウフクドウ) 原宿竹下通り店住所:東京都渋谷区神宮前1-6-12オープン日:2019年7月6日(土)営業時間:9:30〜21:30
2019年03月21日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「いつか子どもが巣立つことが不安」という、はるっちさん(44歳・パート)に、心屋塾認定講師の野田和美さんからアドバイスをいただきました。■はるっちさんのお悩み今の生活に不満はなく、幸せなはずなのに、その幸せがいつかなくなるかもしれない…という不安で心が押しつぶされそうです。進学、就職、結婚などで、子どもはいつか巣立っていく。そうなったら、この家からいなくなるんだな。そんなことを考え出すと、さびしくなったり、不安になったりします。主人と2人になることが嫌なわけではありませんが、「子どもがそばにいてくれたらな…」という思いが心を支配してしまい、子離れができない自分が嫌になります。どのように心を切り替えたらいいのでしょうか。※一部、質問内容を編集しています。■心屋塾認定講師の野田和美さんよりはるっちさん、こんにちは。ご相談ありがとうございます。心屋塾認定講師の野田和美です。はるっちさんは、とても愛情深い方なのですね。お子さんのことを心から大切に育てていらっしゃるのでしょう。そんなはるっちさんだからこそ、お子さんが巣立つことを考えると、不安で心が押しつぶされそうになるのですね。ところで、はるっちさんは「子どもが巣立つと幸せはなくなってしまう」と考えていらっしゃるようですが、それは本当でしょうか。そう考えるということは「子育てをしていない自分は価値がない」と思っていないでしょうか。そして、「子どもがいてこそ自分の幸せがある」と無意識に思い込んでいないでしょうか。子育てをしていてもいなくても、はるっちさんの“人としての価値”には変わりはありません。そして、将来ご主人と2人きりの生活になってからも、ご主人のために尽くしても尽くさなくても、はるっちさんには価値があり、幸せな人なのです。つまり、はるっちさんは、ただそこにいるだけで、役に立つ立たないにかかわらず、人として価値があって幸せな人なのですよ。幸せを十分に受け取っていい人なのです。さて、そんなはるっちさんにひとつ、やってみてほしいことがあります。どんなときにご自身が「幸せ」を感じるのか、書き出してみてほしいのです。お子さんと一緒に過ごすとき?お子さんの話を聞いているとき?お子さんのために食事を作っているとき?お子さんの笑顔を見ているとき?お子さんの成長を見守っているとき?それとも、家族一緒に過ごしているとき?家族をサポートする自分でいるとき?どんなときに一番幸せと感じるでしょうか? 細かく書き出してみてください。そうすると、はるっちさんにとっての幸せの定義が明確になってきます。つまり「自分が大切にしていること」「心から喜びを感じること」がわかってきます。お子さんはいずれ、巣立っていくでしょう。それは近い未来なのか、まだまだ先なのかはわかりませんよね。そう、先の見えないことだからこそ不安になってしまうのです。見えない未来を心配し続けたら、ほとんどの人にとってそれは悩みになってしまうでしょう。では、こう考えを切り替えてはいかがでしょうか? 「どうなるかわからないこと」を想像して、心配してもしょうがない。そう考えることが、不安にならない一番のコツになります。「どうにかなる」「なるようになる」と力を抜いて、流れに身を任せてください。そして、「今このとき」を喜びや楽しさで満たしてください。はるっちさんの時間とエネルギーを、見えない未来のためにではなく、「今このとき」に使ってみてください。五感をたっぷり使って、十分に感じてみてくださいね。そうして、いろいろな感情を存分に感じ、幸せを存分に味わっていると、ある日突然「子離れしていいかな」と思える日がきっと来ると思います。あるいは「気づいたら子離れしていたわ!」というふうになるかもしれません。お子さんが結婚して独立しても、はるっちさんが母親ということは変わりありません。愛しいお子さんの成長を見守りながらも、今度はご自身を第一に愛おしく思い、ご自身の幸せについて向き合ってみてください。「今このとき」あなたがなにを見て、なにを聞いて、なにを感じているのか。それがはるっちさんを本当の幸せに導いてくれるはずです。はるっちさんが望む、幸せに満ちた未来を引き寄せていくと思います。なぜなら、はるっちさんの幸せはご自身にしかわからないからです。はるっちさんこそが、築くことができるものだからです。はるっちさんご自身の幸せを、心よりお祈りしています。 ・このカウンセラーのブログ (編集/外山ゆひら)
2018年08月23日6月1日に、話題のロマンティック・コメディ映画『50回目のファーストキス』が公開!こちらはリメイク版で、オリジナルはアダム・サンドラー×ドリュー・バリモア主演のハリウッド作品。日本では、2005年に公開されました。■毎日が最高のファーストタイムハワイのオアフ島で天文学者を目指しつつ、ツアーガイドとして働く大輔(山田孝之さん)は大変なプレイボーイ。観光客にまで手を出して問題を起こすものの、本人はまったく反省の色がありません。そんな大輔ですが、ある日カフェで知り合ったキュートな瑠衣(長澤まさみさん)に一目ぼれ、大輔のアプローチによって2人は翌日も会う約束をします。しかし次に会ったとき、瑠衣は大輔のことをまるで覚えていませんでした。実は、瑠衣は交通事故の後遺症により、事故以後の記憶がすべて1日でリセットされてしまう、短期記憶喪失障害だったのです。彼女が抱えている障害を知り、大輔が出した結論は「毎日恋に落ちる」でした。初対面から始まり、恋に落ちて、ファーストキスをする。瑠衣が毎日自分に恋してくれるように、大輔は何度もファーストデートを演出します。そんな日々を送る中で、瑠衣は自分の病気に気づいてしまい、さらに自分という存在が、大輔の夢を叶える障害になっているのではないかと思い悩むのです。そうして瑠衣は、ある決断をするのですが…。■「幸福」を得るために必要なこと大輔の頑張りによって、瑠衣は毎日幸せな「ファーストタイム」を過ごします。でも「幸せ」は、そうそう毎日感じられるものじゃないですよね。そもそも人は、何に「幸せ」を感じるのでしょうか?人が幸福を感じられるものとして、例えば地位や金銭といった「外的要因」と自由や愛情といった「内的要因」があります。経済的に豊かで社会的地位が高いと、生きていくのに十分な蓄えを持てるし、贅沢な暮らしが可能になります。けれど、恵まれている自分と恵まれていない人とを比べて、少しばかりの満足感を得られたとしても、それはあまり長続きしません。一方、自由や愛情は誰に理解されなくても自分にとって大きな喜びとなるものです。しかも方向性を間違えず努力する限り、その充足感は永く続いていくことでしょう。経済学者のロバート・フランクは、他者と自分を比べることによって満足感を得られるものを「地位財」、比較せずとも満たされるものを「非地位財」と称しました。「幸福」を得るために必要なのは「地位財」への執着ではなく、「非地位財」の追求なのです。幸福感を生み出す4つの要素継続した「幸福」を得るには「内的要因」に目を向けることが大事で、さらに以下の4つが「幸福感」を引き起こす重要なファクターとなります。慶應義塾大学の前野隆司教授が、『幸せのメカニズム実践・幸福学入門』(講談社現代新書)という著書で紹介している4つの要素を、噛み砕いて解説していきますね。1)やってみよう!と思う自己実現の意識人は成長することで喜びを感じ、頑張った自分を大切にしたいという意識に結びつきます。「誇り」は、幸せの土台を築くものです。2)ありがとう!を忘れない感謝の心人とのつながりを大切にし、常に愛情をもって接しましょう。誰かを大切にできる人が、他人に大切にしてもらえるのです。3)なんとかなるさ!という楽観への切り替えぐだぐだ考えていても仕方がないときって、ありますよね。誰かと交流をする際には、「なんとかなるさ」という思い切りが重要です。飛び込んで初めて可能性の扉が開かれることもあります。4)自分らしく!を忘れないマイペースの追求他者は他者、自分は自分。自分はどうしたいか、自分に何ができるのか。そこをしっかりと明確にして動くことで、ブレることなく筋を通せる人になれるでしょう。■まとめ幸せになるための心理学、ご理解いただけましたでしょうか。幸福感を得るのに、特別な何かは必要ありません。壁にぶつかったら、4つの要素が作用しているかシンプルに考えてみましょう。もしかしたら、欲や憶測に縛られて難しく考えているだけかもしれませんよ。ライタープロフィール黒木 蜜一般企業に勤めながら執筆した作品が日本文学館のオムニバス本に掲載され作家デビュー。古事記への造詣が深く、全国300ヶ所以上の神社紹介記事を執筆。現在、古事記の観点から紹介する神社コラム/恋愛コラムなども手がけている。Webサイト:黒木 蜜~中今の詩~記事一覧へ
2018年06月02日“自己肯定感”とは、自分は価値のある人間だと感じる心の感覚です。この自己肯定感は、幸福度と密接に関わっているようです。自分の価値を見出すには、モノを見る視点を変える必要があります。自己肯定感を高めて、幸福度をアップさせましょう!自己肯定感を高めるために…出典:byBirth「自己肯定感」とは、自分は価値のある人間だと感じる心の感覚です。価値のない人なんていないのに、私たちは大人になるにつれて自分の価値を見失っているような気がします。目標をクリアできなかったり、恋人に別れを告げられたり…。卵焼きが上手く焼けなかっただけでも、自己肯定感が下がっていくこともあるのです。この少々やっかいな自己肯定感は、幸福度と密接に関わっているといわれています。つまり、自分に価値を見出し、自己肯定感を高めることで、ハッピーな生活を手に入れることができるのです!誰が何と言おうと、あなたは価値のある人間です。それを認めて納得することが、幸せへの近道なのです。これ以上、できないなんて思わないで。「できる」を合言葉に、自己肯定感を高めて幸福度をアップさせましょう!1. 相手の好意を受け取る出典:byBirth心が疲れている原因は、人から“してもらえなかったこと”を数えているからかもしれません。自己肯定感を高めるために、今日から“してもらえなかったこと”ではなく“してもらったこと”を数えるようにしましょう。相手の好意を素直に受け取り、感謝することは、人間関係の基本です。しかし、それをないがしろにし、さらには私には何も与えてくれないのだと被害者意識を持ってしまってはいませんか?あなたのそばにある幸せに気付き、ありがとうを伝えることで一気に幸福度はアップするのです。2. 小さな成功を積み重ねる出典:byBirth成功といえば大きなもののように感じるかもしれませんが、例えば「毎朝、朝食をとる」「寝る前に10分読書する」など、些細なことでよいのです。とにかく、やればできると思うことができれば、自己肯定感は自然と高まっていくでしょう。大きな目標を達成するためには、小さな成功を積み上げ自信をつける必要があります。夢や目標を大きく持つことが悪いとは言いません。しかし、目標を達成できなかったという経験を何度も繰り返しているうちに、自己肯定感が低くなってしまったら元も子もありませんよね。大きな目標を掲げるなら、そこに到達するまでに必要な小さな成功を積み重ねましょう。小さな成功、すなわちスモールウィンには、少し頑張れば達成できる目標を設定しましょう。3. 音楽の力に頼る出典:byBirth悲しいときに悲しい音楽を聴くと、少し気持ちがすっきりしませんか?それは、音楽が自分の気持ちを代弁し、共感してくれているように感じるためです。音楽の力は、想像以上に大きなものです。リラックスしたいとき、奮い立たせたいとき、集中力を高めたいときなど、そのときの気持ちに合った音楽を聴くことで、自己の持つ最大限の力が発揮できるようになることもあるのです。どうしても気持ちが落ち込み、自分に自信が持てないときは、音楽の力に頼ってみてもよいかもしれません。4. 環境をコントロールする出典:byBirthいくらあなたが前向きに、自己を肯定して生きる道を模索していても、周りにネガティブな発言をする人がいると気持ちが引っ張られてしまうかもしれません。そういった人たちと距離を置き、環境をコントロールする力も必要なのです。自己肯定感を高めたいなら、あなたのことをやみくもに否定したり、罵ったりする人のそばにいるべきではありません。あなたのことを思って注意してくれているのか、そうでないのかを見極め、お互いに成長できると思える友人や上司のいる環境に身を置きましょう。あなたの価値は、ネガティブな人に簡単に左右されるモノではないはずです。しかし、環境が人を変えてしまうことがあることも覚えておきましょう。幸福度をアップさせるカギは「自己肯定感」にあった!出典:byBirth自己肯定感が低い人は、過去のトラウマを引きずっているケースが多いといわれています。例えば、親の愛情を十分に受けていなかったり、イジメにあったりすると、自己肯定感が極端に低くなり、代わりに自己否定感が高まります。自分の価値は、自分で決めるものです。他の誰かによって決められるようなヤワなものではありません。まずは今日を振り返り、してもらったことを数えてみませんか?「できる」を合言葉に、スモールウィンを積み上げましょう。そして、ハッピーに溢れた日々を生きるのです!
2018年05月08日新しい人間関係ができ始める季節は、どうしてもかわいい子、目立つ子に注目が集まります。それを目指して、「大学デビュー」や「社会人デビュー」のように、ファッションやメイクなど、自分磨きにさらに力を入れた、という人も多いかもしれません。でも、「モテる=幸せなこと」とは限りません。その理由をお話します。■◆モテる子がうらやましい?新しい環境での生活が始まり、はじめはみんな探り探り。でも慣れてくるにつれて、少しずつ人間関係ができていきます。そんな中で次第に浮き彫りになる、「モテ子ちゃん」の存在。まだお互いの性格などがよくわからない時期であればあるほど、目立つ子や見た目がかわいい子がちやほやされ、モテるようになりますよね。そんな様子を見て、「わたしももっとかわいければ」「もっとおしゃれだったら」そんなふうに、羨ましさや嫉妬心がメラメラと燃え上がることもあるでしょう。でも、モテることってそんなに良いことなのかな、って考えてみたことはありますか?モテる子の実態は、実はそんなに幸せなものでもなかったりして・・・・・・。■◆モテ=幸せとは限らないいつも誰かとつき合っていて彼氏が途切れない、しょっちゅう男性から告白されている、周りの男性がやたらと優しい。などなど、モテる子のイメージってとにかく華やかですよね。それに比べて自分は、遊ぶのはいつも彼氏のいない女の子同士、もちろん告白なんて縁がない、男性からは女の子として扱ってもらえない・・・・・・。なんて、羨む女の子も少なくありません。たしかに、外から見たモテる子ってちやほやされていて、とっても幸せそう。でも、本当にそれが幸せと言えるのでしょうか?筆者知人のモテ子ちゃんの様子を見ていると、必ずしも幸せとは言えないような気もしてきます。まず、彼氏がいるのにしょっちゅう男性から言い寄られています。自分のタイプに合わない男性も多いため、わずらわしく感じることも多いようです。また、男性と仲良くしようものなら、途端に彼氏とのケンカが勃発します。彼氏も、その子がモテることは承知しているので、常にピリピリしているようです。さらに、そういうタイプの女の子は同性から距離を置かれやすいです。表向きは「モテるからうらやましい~」なんて言いつつ、カゲでは・・・・・・なんて、女の子あるあるなケースも見られます。一方、そういったパターンとは違う悩みも。それが、「モテるからといって、好きな人から好かれるわけではない」というものです。意外と、ここで悩んでいるモテ子ちゃんも多いよう。100人の「その他男性」に好かれるよりも、たった1人の「好きな人」に愛されたい。それが叶わないのなら、モテになんて何の意味もないと思いませんか?■◆幸せとは、好かれたい人に好かれること「モテる子っていいな~」と羨んだり、嫉妬したりするのは、簡単なことです。でも、モテることと幸せが直結するかといったら、そうとは限りません。もしかしたら、ものすごくかわいくて性格も良くてモテモテなあの子は、「たった1人、大好きな人から愛されない」ことを思い悩んでいるのかもしれないのです。それに対して「モテるんだから、いいじゃん」なんてセリフは、何の意味も成しません。大切なのは、モテではなく、好かれたい人に好かれること。世界でたった一つのラブを手にできることが、何より幸せなことなんですね。(七尾なお/ライター)(ハウコレ編集部)
2018年05月06日《私、大川宏洋は2017年12月31日をもってニュースタープロダクションとのタレント契約を終了いたしました。そして、宗教法人幸福の科学の職員も今月いっぱいで退職させていただくことになりました。(中略)出来ることであれば、もっとニュースタープロダクションでの仕事を続けていきたかったです》 「宗教法人・幸福の科学」の総裁・大川隆法氏(61)の長男であり、副理事長も務めていた大川宏洋氏(28)。1月1日に投稿されたInstagramの文面からは、無念さがにじみ出ていた。 「’16年からは、映画製作などをしている教団系の芸能事務所『ニュースタープロダクション』の社長に就任し、自ら俳優や歌手としても活躍しています。’16年12月に開催された教団の祭典『エル・カンターレ祭』では歌も2曲披露し、大川総裁が激賞しました。教団の文化芸能方面を任されており、信者たちの人気も高かったのです」(幸福の科学の関係者) 今年初夏に公開予定の大川総裁製作総指揮の恋愛映画『さらば青春、されど青春。』では主演も務めている。ヒロインは昨年に出家宣言で話題になった女優・清水富美加(23、現・千眼美子)。一部週刊誌では、宏洋氏が清水の“婚約者”と報じられた。 幸福の科学を離れることになった宏洋氏だが、これは追放同然の処分だという。彼はInstagramを通じてこんな言葉も発信しているのだ。 《ニュースタープロダクションの皆様に、お別れのメッセージを贈らせていただきます。もう会って話すことも難しいでしょうし、グループLINEもすぐ消されてしまう可能性があるので……》 宏洋氏の教団追放について、前出の幸福の科学関係者が語る。 「芸能事務所『ニュースタープロダクション』の経営について、大川総裁と宏洋氏が衝突したと聞いています。宏洋氏は『教団のPRだけではなく、もっと自由に表現をしていきたい』と主張し、総裁を激怒させたのだとか……」 大川家の“家族追放”は、宏洋氏が初めてではない。総裁の前妻であり『幸福実現党』の党首も務めた大川きょう子さん(52)も、’12年に総裁と離婚すると、5人の子供たちとも会えない状況に……。きょう子さんに、大川総裁と宏洋氏の確執について話を聞いた。 「宏洋さんの幸福の科学退職については知りませんでした。“向こう”にとって私は死んだ人間同然ですから、いまは連絡もできないのです。ただ母の立場で言えるのは、宏洋さんがとてもナイーブで芸術家肌の人間だということです。仕事にも創意工夫をこらすタイプですし、それが余って、教団の枠からはみ出てしまったのだと思います」 さらに今回の確執について幸福の科学サイドの見解を聞くため、芸能事務所社長退任の理由などについての質問状を送った。すると広報担当者が次のようなコメントを寄せてきたが、父子の関係などについては、ふれられていなかった。 《大川宏洋氏は、現在も幸福の科学職員という立場に変わりはありません。また、大川宏洋氏は、今後も、初夏公開予定の映画「さらば青春、されど青春。」の宣伝活動に参加されると聞いております》 だが、前出のきょう子さんは、こうも語っていた。 「幸福の科学では、総裁よりも目立ったり、メディアで取り上げられたりすると、教団をクビになるというジンクスがあるのです。宏洋さんも、私たちの子供とは思えないほどのイケメンです。性格も良く、演技力もあり、最近人気が高まってきたので、大川総裁から嫉妬をされてしまったのではないかと思います」 女優・清水富美加との一連の報道も“嫉妬”の一因だったのだろうか。教団内外から注目される“父子確執”の行方は――。
2018年01月23日映画『わたしは、幸福(フェリシテ)』が、2017年12月16日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開する。主人公は「幸福」という意味の「フェリシテ」を名に持ち、一人息子のためにバーで歌を歌い生計を立てているシングルマザー。ある日、息子が交通事故にあい、手術のために大金を用意しなければいけなくなってしまった。早く息子を助けたいけれど、お金がない...焦燥と絶望から、歌うこともできなくなってしまったフェリシテが出会ったものとは。2017年ベルリン国際映画祭で銀熊賞、審査員対象を受賞した本作。9作品選ばれる、第90回アカデミー賞外国語映画賞ショートリストに選出された。監督のアラン・ゴミスは、今フランス映画界で最も注目されている監督の一人だ。カオスな街、アフリカ・コンゴで生き抜く一人のシングルマザーを通して、「紛争や貧困」といった側面ではないアフリカの"リアル"と"愛"を描き出した作品となっている。【作品情報】『わたしは、幸福(フェリシテ)』公開日:2017年12月16日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷&ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開監督・脚本:アラン・ゴミス出演:ヴェロ・ツァンダ・ベヤ、パピ・ムパカ、ガエタン・クラウディア、カサイ・オールスターズ他配給:ムヴィオラ© ANDOLFI – GRANIT FILMS – CINEKAP – NEED PRODUCTIONS - KATUH STUDIO - SCHORTCUT FILMS / 2017
2017年11月02日カラダと一緒に、心もとろけるようなセックスをするためには“幸福感”が重要なのだそう。心身が幸福で満たされると、快感は最上級に。医学博士の米山公啓さんと心理カウンセラーの塚越友子さんにお話しを伺いました。「男性はセックスの行為に集中し、ひたすら頂点に向かうだけですが、女性は違う。“自分は大切にされている”という感覚を得られるほど満足度が上がり、幸福を感じるのです。男性に大切に扱われている、求められているという状況は心がリラックスするので、感度も上がります」(米山さん)セックスで“全てが満たされた”と感じた時、絶頂感を得る。「相手の男性との一体感が得られ、絆を感じた時、心身が満たされる喜びを感じるのです」(塚越さん)満足度を“もっと”上げるには…?次の3点を意識してみて。リラックス、安心「女性はシチュエーションが気になりがち。そこで香りや照明など、自分がリラックスできる状況作りは、彼任せにせず率先して行いましょう」(米山さん)。「いきなりセックスをするのではなく、見つめ合ったり、軽いスキンシップを重ねて。そうすると相手に対する信頼感が増して、心を解放する準備が整います」(塚越さん)一体感、つながり「幸福を感じるホルモン“オキシトシン”は、触れ合ったり、カラダを密着させることで出やすくなります」(塚越さん)。相手の髪や指、頬などに優しく触れていると、ホルモン量も愛着度も増す。「幸福感に浸るセックスは、心の結びつきや愛情を感じ取れる内容だったかどうかが大事。挿入以外の行為を楽しんで」(塚越さん)求められ、認められるセックス中に名前を呼んだり、こちらから甘く優しい言葉をかけることで、心理的に呼応する効果が生まれ、相手も同様の態度をとってくれるようになる。「男性に求められ、認められることで、承認欲求が満たされます」(塚越さん)。「一人の女性として大切に扱われた、という感覚が幸福感をもたらすのです」(米山さん)米山公啓さん医学博士。専門は神経内科。診療を続けながら、作家としてミステリーやエッセイなど幅広く執筆。大脳生理学的に見た恋愛論も得意ジャンル。塚越友子さん心理カウンセラー。「東京中央カウンセリング」代表。薬を使わない臨床心理を実践している。現在、大学院において心理学の新たな研究にも没頭中。※『anan』2017年8月16・23日号より。写真・Getty Images取材、文・板倉ミキコ(by anan編集部)
2017年08月10日宗教法人「幸福の科学」に出家した女優の清水富美加(22)が、同団体グループが設立した新プロダクション「ARIプロダクション」に所属することが23日、分かった。幸福の科学が報道各社へFAXを通じ発表した。 発表によると、同プロダクションは幸福の科学の芸能企画部門として’16年から活動しており、大川隆法総裁の次女・大川愛理沙氏がコーディネーターに就任しているという。 清水は、20日にも教団を通じて芸能事務所・レプロエンタテインメントとの契約が終了したことを発表。「一連の騒動により大変なご心配とご迷惑をおかけいたしましたことを心よりお詫び申し上げます」と謝罪していた。 ネットでは「宗教団体の芸能企画部門って――」「(芸能の)仕事くるのかな?」とシビアな意見が寄せられている。
2017年05月23日幸福の科学への出家騒動で波紋を呼んでいる清水富美加(22)。実は、本誌は「清水さんが幸福の科学に“出家”するそうです。さらには団体での活動に専念するため、芸能界も完全引退するそうです」という話を受け、取材を進めてきていた。そこで幸福の科学に確認したところ、2月11日に「当教団の信者であり、出家することになりました」事実を認める回答が。その直後から本人がTwitterを開設し、取材陣が騒ぎ始めたのだった――。 清水といえば、今もっとも勢いのある女優の一人。08年に芸能界入りし、11年に本格的女優デビュー。15年にはNHK朝ドラ『まれ』でヒロイン・土屋太鳳(22)の同級生役を演じ大ブレークしている。そんな彼女が言う“出家”とは、幸福の科学の職員になって働くこと。幸福の科学に詳しいジャーナリストがこう語る。 「これまで所属事務所にも伏せていたそうですが、清水さんが幸福の科学の信者であることは幹部の間でも知られていました。ご両親ともに幸福の科学の信者で、幼いころから教えを固く信じていたそうです。そして彼女は今回、『女優よりもやりたいことが見つかった。これからは、幸福の科学のためだけに働いていきたい』と漏らしているそうです」 最近では仕事現場をドタキャンするなど、“異変”が起きていたという。 「事務所が本人の意向を無視して仕事をさせていたならまだしも、清水さんは最近も自身のTwitterで主演映画『笑う招き猫』の告知を行うなど熱心に仕事していました。彼女がどれだけ突発的に芸能界引退を申し出たのかがうかがえます。彼女のマネージャーは清水さんがブレークする前から二人三脚でやってきていました。『今まで一緒にやってきたのに、なんでこれからという時期に』と途方に暮れていることでしょうね」(テレビ局関係者) そこで本誌が幸福の科学に確認を申し込んだところ、冒頭のように出家の事実を認めるコメントが。またその経緯についてもこう補足した。 「清水富美加さんは子供のころから熱心な当会信者でした。折々に祈願や支部に参列し、仏法真理的価値観を子供のころから学ばれてきました。しかし、次第に主役級の仕事が振られる中で、必ずしも彼女の思想信条にかなっているとは言えない仕事が増えてきました」 そんな彼女は、1月に収録された『女優清水富美加の可能性守護霊インタビュー』(幸福の科学出版)をきっかけに今回の出家を決意したのだという。 「この経典をきっかけに富美加さんは、自らの天命が一人でも多くの人に光を伝え、真理を伝えて、人類救済にあたることにあると確信し、この度、出家される運びとなりました。従って、今月で事務所との契約は解除し、体調が回復しましたら、宗教家としての活動に移ってまいります」 また清水の所属事務所にも確認したところ、担当者は「仕事を休んだことは事実ですが、それ以上はお答えできません」と答えていた。15年4月の本誌インタビューで、清水は女優業についてこう語っている。 《高校時代はすごい反抗期で。母が飴で父がムチ、って感じで、もうケンカばっか。勉強したくない!高校行きたくない!って。でも、高校を卒業して、結局、いちばん困ったときに助けてくれたのはお父さんだったな、ってハッとして。この仕事は、“夢”というより、そのころ迷惑をかけちゃった人たちに、恩返しのためにやっているような感じかなぁ》
2017年02月14日宗教団体「幸福の科学」は12日、「女優・清水富美加氏の幸福の科学への出家について」と題したコメントを公式サイトで発表した。はじめに「このたび、テレビ、映画等で活躍し、日本を代表する若手女優の一人である女優・タレントの清水富美加氏(22歳)が、当教団に出家することになりました」と報告。清水は熱心な信者で、子供のころから「幸福の科学」の宗教行事には参加してきたそうで、宗教的価値観のもと「見て下さる方に元気や励ましを届けたい」という利他愛他の思いで芸能活動に打ち込んできたという。しかし、「人道的映画に出たいという強い希望を持っていたにも関わらず、最近は、人肉を食べる人種の役柄など、良心や思想信条にかなわない仕事が増え、断ると所属事務所から干されてしまう恐怖心との葛藤のなかに置かれていました」とし、「仕事を選択する自由も無い、一種の"苦役"(憲法で禁じられています)ともいえる就労環境のなかで、ついには心身の不調をきたすまでになりました。この2月には、医師による診断の結果、ドクターストップがかかり、現在は芸能活動を中断しています」と説明。さらに、「こうした動きと相前後して、同氏の「守護霊霊言」が収録公開され、『女優 清水富美加の可能性 守護霊インタビュー』として刊行されました。この収録・発刊をきっかけに清水氏は、自らの天命が『暗黒の海を照らす灯台の光となり、一人でも多くの人を救済していく』ことにあると確信し、『魂の救済のために24時間を捧げる』宗教者となるべく、出家を決意されるに到り、当教団としても宗教上の緊急救済の観点から受け入れを決めた次第です」と清水の決意を伝え、「体調が回復しだい、宗教活動に参画してまいります。どうか温かい目で見守っていただければ幸いです」と記している。
2017年02月13日安西慎太郎主演の舞台『幸福な職場~ここにはしあわせがつまっている~』 が、1月26日(木)に開幕する。その稽古場で、安西と作・演出のきたむらけんじに話を聞いた。舞台『幸福な職場』チケット情報本作は、劇団「東京フェスティバル」が2009年に初演し再演を重ねてきた、きたむらの代表作。全国初の心身障がい者雇用モデル工場となった日本理化学工業が初めて知的障がい者を雇用したときのエピソードをベースにしており、今作では知的障がいのある女の子・聡美のほのかな恋心という新たなエピソードが加わる。物語の舞台は昭和34年。大森(安西)は父親が病に倒れたため、急遽、チョークを製造する「蒲田理化学工業」の専務として働いていた。若造が上司になることを快く思わない久我(谷口賢志)や、大森に引き抜かれたものの作業に飽き飽きしている原田(松田凌)が働く工場には、先代に頼まれ住職(中嶋しゅう)も毎日顔を出す。そんなある日、近所の養護学校の教師(馬淵英里何)に頼み込まれ、知的障害者の聡美(前島亜美/SUPER☆GiRLS)が実習で働くことになり――。ストーリーから重い空気も想像していたが、稽古が始まってみると登場人物それぞれに奥深い魅力を感じ、心掴まれ、あっという間に物語に引き込まれた。安西は「(23歳の)僕自身より年上(28歳)で専務という役なんですけど、頑張って自分のランクを上げて年上を演じて、果たして魅力的になるんだろうかと思って。だったら若く見えたとしても会社を守る想いが強いところが見えればいいのかなって」。するときたむらは「すごく頼れる専務になってます。この感じが伝わるとお客さんもいい会社だねって物語の世界に入っていけるんじゃないかな」。稽古場では、キャストがきたむらに芝居のアイデアを出したり、台詞の背景を確認したりする姿も多く見られ、活気が溢れる。きたむらの演出について安西は「きたむらさんは役者の言葉を受け止めてくれるし、ダメ出しもどうやったらちゃんと役者の身体に入っていくかをすごく考えて話してくださる方。そこを諦めないでずっとやってくれるのでありがたいです。きたむらさんについていけば大丈夫だなって信頼させくれます」。きたむらも稽古は「順調すぎるくらい順調」と話し、「キャストの皆さんが本を深く読みこんでくれて、細かいところを丁寧に作っていくような作業をしています。コミュニケーションを取りながらいい形に向かっています」と笑顔。「安西さんの座組っていうやさしい雰囲気が出てます」(きたむら)という本作。公演は1月26日(木)から29日(日)まで、東京・世田谷パブリックシアターにて。取材・文・写真:中川實穗
2017年01月25日スリー(THREE)から11月2日、2016年のホリデーコレクションが生産数量限定で発売された。現在伊勢丹新宿店、日本橋三越本店、銀座三越を始めとする各店で展開されている。一年の締めくくり、幸福感に満ちたカウントダウンを迎えられるようにと願いを込めて、星屑のような輝きを散りばめたコレクションが贈られる。立体感とフレッシュなみずみずしさで唇へジューシーにとどまる「シマング リップジャム」はその名の通り、ジャムのようなこっくりとしたテクスチャーが人気で、今やブランドリップの代名詞。今年のホリデーコレクションには、「LIL’ STAR」、「LIBERATE THE HEARTBEAT」、「UNFILTERED HEART」と全3色の限定カラーが登場。頬にも唇にも使える新質感の「エピック ミニ ダッシュ」にも、ホリデー限定でピュアなピンク「JOY U BRING」と、気品高いローズ「O MY SOUL」の2色が登場。幸福に染まった唇と頬の仕上げには、輝くライナーを目元に引いて、きらめく星屑メイクが完成。※本記事は (引用元: をもとに執筆を行っております。※一部に定番品も含みます。
2016年11月22日ストレス軽減のエクササイズとして注目されている「マインドフルネス」。“今、ここで起きていることに意識を向ける”ことで、不安が少なくなり、集中力や幸福感が高まるといわれています。この心のエクササイズを日常的に行うことで、「仕事やプライベートでの充実をはかろう」と社員研修に取り入れたのが、化粧品メーカーの株式会社エフティ資生堂です。マインドフルネスとは何か、どうすればマインドフルネスを生活に取り入れられるのかを学ぶべく、資生堂本社(東京・汐留)で開催された「マインドフルネス研修」に参加しました。現代人の集中力は金魚以下!?現代人を襲う”心ここにあらず”状態もともと仏教に由来する「瞑想法」を意味する言葉だったため、”瞑想”という難しそうなイメージを持たれがちな「マインドフルネス」。でも実は、「ランチを味わって食べる」「目の前の景色を楽しむ」こともマインドフルネスのひとつなのだそう。「マインドフルネスの反対は、”心ここにあらず”の状態です。スマホやパソコン画面を見ながらご飯を食べたり、キレイな夕日を眺めながら、つい仕事のことを考えてしまったり。複数の業務をこなしながら、慌ただしく時間だけが過ぎていくけれど、何をしていたか記憶がない……なんて経験がある方もいるのではないでしょうか。これらは、情報過多のなかでマルチタスクを課される私たち現代人が、日常的についやってしまうこと。常に注意が散漫で、ほっとする時間を持てなくなっているのです」そう話すのは、研修講師の西本真寛(まさひろ)先生。組織の健康づくりやメンタルヘルスを研究する株式会社Campus for Hのリサーチマネージャーとして活躍している、マインドフルネスの専門家です。「現代人は”今ここにあるもの”に集中する時間が8秒しかもたない、という研究結果があります。スマホの普及などによって、情報量に反比例するように私たちの集中力は低下しており、意思決定疲れを起こしているのです。ちなみに、金魚が集中できる時間が9秒なので、人間の方が1秒短いということです。毎日何十、人によっては何百のメールをやりとりするだけで、人の意思決定量のキャパシティを越え、集中力はどんどんすり減ってしまうのです」(西本先生)マインドフルネスは減っていく集中力を高め、心の充足感、幸福感を高めるストレス解消法のひとつとして、近年世界中で注目されています。車に操縦の仕方があるように、脳にも操縦の仕方があるはず。そんな考え方から、”意識を現在に向ける”トレーニング法が、アスリートのメンタルトレーニングや、今回のような企業研修にも取り入れられ始めています。毎日の美容ケアタイムを活用!ちょっとした時間で心の疲れを癒す工夫では実際に「マインドフルネス」を体験するには、どうすればいいのでしょうか。研修では、「遠い過去」「近い過去」「現在」「近い未来」「遠い未来」と書かれたシートを使い、「現在」を指さしながら、思考を現在に留まらせるように3分間意識を集中するワークショップを行いました。実際に「現在」を指さし、今のことに集中しようと取り組んでみましたが、ついつい「研修が終わったら、あのメールに返信しよう」「コーヒーを買いにいこうかな」などと「近い未来」のことを考えてしまいます。そのたびに「今のことに意識を向けなくちゃ」と自分を戒めて、葛藤しているうちに3分間があっというまに終わってしまいました。「私たちは日常的に、複数のことを同時に考える”拡散思考”をしているので、今だけに集中するのはなかなか難しいんです。そこでまずはマインドフルネスの基礎トレーニングである、”呼吸”から入るのがオススメです。姿勢を正し、呼吸を整え、他のことを考え始めてしまったら、また呼吸に意識を戻す。それを毎日、朝や寝る前、通勤時間などに継続的に行うことで、ストレスや疲労が少しずつ和らいでいきます。集中力や記憶力、想像力が高まり、自由なアイデアが生まれやすくなるなど、仕事でのパフォーマンスアップにもつながります」(西本先生)西本先生がすすめる、今日からできるマインドフルネスの方法には次のようなものがあります。(1)メールの送信前に、ゆっくり呼吸をする。吐くときにリラックスするので、吸う時間より吐く時間を長くする。(2)移動のときはスマホを見ず、意識を”今”に向けて瞑想する(3)ながら食べはせず、ランチに集中してゆっくり味わう(4)洗顔や化粧水をつける美容ケアの時間を、マインドフルネスに使う西本先生がとくに注目するのは、毎日の美容ケアタイム。洗顔やスキンケアは毎日欠かさず行うので、マインドフルネスを取り入れやすいのだとか。「手のひらから伝わる肌の温かさ、柔らかな感触を味わいながらお手入れをするので、心もリラックスしやすいんです。まずはお風呂に入って、思考をオフにする。洗顔料を泡立てることに意識を集中したら、泡のなかに顔をうずめるようにして洗ってみてください。30秒ほどのマインドフルネスでも、心がすっとするのを実感するはずです」(西本先生)約90分の研修に参加した社員は25人ほど。そのうちのひとり、株式会社エフティ資生堂の山ノ井さんは「仕事と1歳の子どもの子育てに追われてバタバタな毎日に、マインドフルネスを取り入れられたら」と、研修に興味を持ったのだそう。「マインドフルネスのために時間を作らなくちゃ、と思っていたのですが、毎日のスキンケアの時だけ意識を”今”に向けるだけでもいいんだ!という発見がありました。それなら今夜からでも始められますね」(山ノ井さん)自分のライフスタイルに簡単に取り入れられる「マインドフルネス」。心休まる時間が足りないな……と思ったら、まずはスキンケアに意識を集中することから始めてみませんか?
2016年11月01日伊勢丹新宿店本館とメンズ館で「TOKYO MEN’S FES 2016」が9月25日まで開催中。2003年のメンズ館開店時のスローガン「男である、幸福。」をさらに発展させ、「男である100の幸福。」をテーマに、まったく新しい“男であること”の楽しみ方を、さまざまなモノ・コトで提案するフェスだ。>>「TOKYO MEN’S FES 2016」攻略法 !!TOKYOと銘打っているだけに、数多くの雑誌や有名セレクトショップも巻き込んだ一大イベントとなっている。人気雑誌『SENSE』や『Begin』、独自のストリート性で知られる人気セレクトショップの「GR8」や、気鋭のデザイナーズブランドを揃える「リステア」なども賛同。本館6階、7階のフェス会場にブースを構え、独自にセレクトしたアイテムや限定品や先行品も含め販売する。実際に100の幸福キーワードに基づいたアイテムの販売やイベント、ワークショップなども展開される。例えば、“甘いものが好き、と堂々と言える幸福。”というワードを元に、本館地下一階では男性に嬉しいスイーツを紹介。100個のワードに100のアイテムが紐付けられているので、それを辿りながら楽しむというのもアリだ。メインとなるのは本館の6階、7階。セレクトショップのブースやフェイシャルエステが受けられるブース、シューケアや素材にこだわったコーヒーがいただけるコーヒースタンドも展開。男性ひとりはもちろん、カップルで趣いても一日中楽しめる、内容盛りだくさんなフェスティバルとなっている。
2016年09月21日不幸そうな人ってどんどん負の連鎖を招いてしまうもの・・・。一方幸せな人は、どこまでも幸せを掴んでいくのです。どうせなら幸せになりたい!!表情から、「幸福顔」に変えるには?!ハイライトで明るさを顔色の明るさは、「幸福さ」の重要ポイント!頬の高い位置・目の下の▽ゾーン・そして、眉間にハイライトを入れて、明るく見せましょう。チークで血色感をプラスする顔色の悪い人って、幸薄顔の典型。チークで血色感を必ず補って!!ネイルを綺麗にしてテンションを上げる指先のおしゃれは、メイクや服と違って唯一肉眼で確認できるため、ここが綺麗だと女としての気分が上がるのです。何もネイルアートをする必要はありません。仕事柄自爪の方も、形を整えたりネイルオイルで輝かせるなど、指先を綺麗に保ちましょう。心も潤わせるつもりでツヤを出す肌や髪、唇が渇いていると、心も渇いて見えるもの。内側から潤わせる気持ちで、それらにツヤを出しましょう。ハッピーオーラをまとうと幸せがぐんぐん引き寄せられるもの。まずは見た目から、幸せ顔にしていきましょう。
2016年09月07日フィールドでひときわ輝く彼を見ると、幸せ感が一気に急上昇!実際、スポーツ観戦をして感動を共有することは、幸福度アップに繋がるのだそう。早稲田大学スポーツ科学学術院助教の押見大地さんに詳しくお話しを伺いました。「幸福感は、物理的消費や経験的消費から生まれます。スポーツ観戦は後者で、経験が横に広がり、人とのコミュニケーションが増えることでより幸せになれるんです」(早稲田大学助教・押見大地さん)例えば、同じユニフォームを着て応援したり、会場で知らない人たちと共感することも経験のひとつ。経験から生まれた幸福感は、物理的消費からの幸福感に比べ、長く持続するという研究結果もあるそう。「スポーツ観戦が他のエンターテインメントと大きく違う部分が、不確実性。ハラハラドキドキしている最中、人間は緊張状態になります。良い結果が出てこの緊張が緩和されるとそれが感動へと繋がる。マイナスからプラスへ、一気に感情が動くことで幸福度が高まるのです」さらに感動経験には私たちをポジティブ思考にしてくれる効果があり、特に一体感を感じられるスポーツ観戦にはその要素が多い。また熱狂度に比例して幸福度も上がるそう。「競技や選手に対する知識が多いほど感情移入ができて、勝敗関係なく感動できるという人も多いはず。特に女性は男性より選手への愛着が強い傾向も。下調べで知識を深めカッコいい選手を目指して観戦することで、感動値もさらに上昇。また生で選手を見ることもテレビ観戦とは違う満足感を得られるポイント。そして最も大切なのはスポーツ観戦で得た喜びを他者とシェアすること。より幸せな気持ちになれるはずです」そこで、今、最も気になるカッコイイアスリートの中から、思わず熱く応援したくなるサッカーU‐23代表のイケメン、大島僚太選手と矢島慎也選手をご紹介します。6月に行われたキリンカップに初招集され、ますます活躍の場を広げる大島僚太選手。「普段の練習をしっかりしていれば試合でいいプレーができると思っているので、あまり緊張はないですね」と、頼もしい発言。練習終わりには、サポーターに笑顔で応える姿も好印象。女性にはどう応援されたか尋ねると、「頑張ってね、くらいがいいですね。あまり要求されすぎるとプレッシャーになっちゃうんで(笑)」いつも持ち歩く大切なものは?「僕すごく乾燥肌なんですよ。だから絶対に忘れないのがハンドクリーム。練習場にも置いているし、家用、持ち運び用ってあります。サポーターの方にいただいたものも使ってますよ。最近は好物の甘いものをいただくことも。チョコとか地元のうなぎパイとか。うれしいですね」インドア派の大島選手の気になるお部屋は、「多少汚れていても大丈夫だけど、掃除を始めると止まらなくなっちゃう」そうで、いつもキレイ。本人いわく、ほどほどの几帳面。では、気になる恋愛面は?「優柔不断なので、意志のある女性がいい。行きたい場所やしたいことを提案してほしいんです。誘われたら外デートも喜んで行きますよ」ハニカみながら返答。試合中の強い眼差しとのギャップも魅力です。大事な局面で好プレーを見せ、会場を沸かしてくれる矢島慎也選手。“一体感”を大切にする彼は、同世代の選手について、「いつも刺激をもらえる」と楽しそう。仲良しの大島選手と同じくインドア派。家では漫画を読んだり、テレビを見るのがお決まりの過ごし方。「スポーツ観戦はずっと好きですね。あとはバラエティとアニメをよく見ています。最近は『マツコ会議』にハマっていて。マツコ・デラックスさんに会ってみたいな」現在は岡山で一人暮らし中。だいぶ慣れたというその生活は、「家に一人でいると、自然とテレビに話しかけちゃって。『それはねぇだろ!』とか、突っ込んでたり(笑)。あと自炊はできないので、基本は外食ですね。好きなものは特にないんですが、固形のトマトが苦手で。ソースとかなら大丈夫なんですけど」女性に声をかけられるのも苦手で、「集中しているときはそっとしておいて」と笑う。ということは、恋愛面では受け身のタイプ?「消極的ではないけど、積極的でもないかな。好きな人ができたら、押して引きますね。成功率?するときとしないときが…(笑)」照れた、と思ったら、次には大好きな漫画について無邪気に語る。そんな彼から今後も目が離せない!◇押見大地さん早稲田大学スポーツ科学学術院助教。スポーツによる感動研究を行う。共著に『Jリーグマーケティングの基礎知識』が。◇おおしま・りょうた'93年、静岡県生まれ。川崎フロンターレ所属のMF。「柔よく剛を制す」は、高校時代の監督に言われて以来、ずっと大切にしている言葉。◇やじま・しんや'94年、埼玉県生まれ。ファジアーノ岡山所属のMF。好きな言葉は、バスケ漫画『あひるの空』の中で一番好きなセリフ。「できるできないじゃねーやるかやらねーかだ!!」※『anan』2016年7月20日号より。写真・小笠原真紀ヘア&メイク・矢口憲一取材、文・野村紀沙枝
2016年07月13日