「女性ロックバンド」に革命を起こしたチャットモンチー。彼女たちの曲に詞も提供したことのある作家・西加奈子さんが思う、7月の「完結」を迎えたラスト武道館ライブのこと、彼女たちのこと。「私は生きている」文・西 加奈子チャットモンチーはすごいバンドだ。私が知った時にはもうすごかったし、彼女らはデビューの時からすごかった。ちょっと怖くなるくらい格好いい演奏と、とても切実なボーカル。可愛らしい容貌を裏切るバンドだと散々言われてきただろうけど、私はバンドとしての彼女たちを「可愛い」と思ったことは一度もない。いつも、いつだって、ずっと格好良かった。なんだったら「北斗の拳」のラオウの集まりみたいに思っていた。彼女たちの音楽には、ずっと全力で応援されているような気持ちになった。その一方で圧倒的すぎて置いてきぼりにされているような気持ちにもなった。私のためだけに叫んでくれているようにも思えたし、自分たちのためだけに叫んでいるようにも見えた。とにかくどんな感想も想いも矛盾しなかった。自分が感じたことを、全部信じることができた。唯一共通点があったのは、彼女らの演奏を聞くと、いつもお腹いっぱいおにぎりを食べた後のような、とてもシンプルな幸福を感じることだった。彼女たちの潔い佇まいと、それは無関係ではないはずだ。どれだけ高度な演奏をしても、複雑な楽曲を披露しても、彼女たちの姿勢はシンプルだった。自分たちがいいと思う音楽を奏でる。つまり真っ向勝負をしていた(やっぱりラオウだ!)。おにぎりが私たちを生かしてくれているように、彼女たちの音楽に「生かされている」と思うことは多々あった。表現というものは、いつだって食べ物の救いよりは遅い。圧倒的に遅い。表現それ自体が物理的に人の命を救うことはないと、表現する人間ならみんな分かっている、はずだ。でも、私にとってチャットモンチーは限りなくおにぎりなのだった。なんかもう、ものすごく生きることに直結させてくれる音なのだった。そんなチャットモンチーが「完結」する。メンバーの脱退や変化を繰り返し、それでもチャットモンチーはずっとそこにあり続けるだろうと思っていた。勝手に私の常食にしていた、おにぎりが、なくなる?寂しくてめまいがしたけれど、彼女たちが「解散」という言葉を使わないこと、そこに何かすごく意味があるような気がした。これは絶対に目撃せねば、と思った。それで武道館へ行った。武道館のチャットモンチーは、いつもと変わらなかった。「CHATMONCHY MECHA」「たったさっきから3000年までの話」ラオウ的真っ向勝負をして、私たちみんなの口に、おにぎりを放りこんでくれた。「the key」「裸足の街のスター」演奏が終わるたびに、私の体はあたたかなもので膨らんだ。ああ、これがチャットモンチーだ。最初から私はずっと泣きそうで、結局泣いてしまって、すごく泣いて、その時思っていたことは「チャットモンチーを見れなくなるなんて嫌だ」ではなくって、「ありがとうチャットモンチー」なのだった。「私を生かしてくれて、ありがとう!」最近、みんな「ちょっとだけ死のう」としているように思う。本当に死にたいんじゃない。それどころか生きたくてたまらない。だから、自分が「本当に生きている」ことを実感したくて、ちょっとだけ死のうとしているように思うのだ。例えば分かりやすく手首をちょっと切ってみるだけじゃない。痛みを感じ、流れる血を見て「生きている」と思うのではなく、インターネットに誰かの悪口を書いたり、悪いお酒を飲んで酩酊したりして、チクチクと自分の心を刺すのだ。そうして見えない血を流して、それで「生きている」と思う。チャットモンチーの音楽は、「ちょっとだけ死ぬ」必要なんてないんだよ、と言ってくれていた。そんなことしなくても、自分を傷つけなくても、あなたは生きている。まごうことなく、完全に、全身全霊で生の只中にあるから、だから生きているんだよ。そう、叫んでくれていた。「砂鉄」「クッキング・ララ」「惚たる蛍」「染まるよ」私は生きている。「majority blues」「ウィークエンドのまぼろし」「例えば、」生きて、歌を歌う。「東京ハチミツオーケストラ」「さよならGood bye」「どなる、でんわ、どしゃぶり」熱狂する。「Last Love Letter」「真夜中遊園地」「ハナノユメ」体中を血がぐるぐると回る。それは、痛みを覚えるための血じゃない。生きている、それはもう圧倒的に生きている証拠の血が流れるのだ。「シャングリラ」「風吹けば恋」「サラバ青春」7月4日の武道館、私たちはみんなで生きていた。みんなで、ちっとも死なずに生きていた。チャットモンチーのへその緒に、みんなで繋がっていた気分だ。確かに彼女たちは「完結」した。そしてそれは同時に、生まれ直す行為だった。圧倒的に生きたまま生まれ直す行為。彼女たちの音楽が、その粒が私たちの体に入り込み、血になって、骨になって、細胞になって、心になった。そういえば武道館に下がった垂れ幕には、大きな字でこう書かれていたではないか。「Every day is your birthday」新しい誕生日おめでとう、私たち。新しい誕生日おめでとう、チャットモンチー。にし・かなこ作家。1977年生まれ、エジプト、大阪育ち。『サラバ!』(小学館)にて直木賞受賞。最新刊に『おまじない』(筑摩書房)。チャットモンチーの楽曲「例えば、」では、作詞を担当した。チャットモンチー2004年、地元徳島県にて結成。幾度かのメンバーチェンジを経て、橋本絵莉子(Vo、G)、福岡晃子(Ba、Dr)、高橋久美子(Dr)の3人での活動を始める。2005年、ミニアルバム『chatmonchy has come』にてメジャーデビュー。以降、テレビアニメ『働きマン』のエンディングテーマに抜擢された「シャングリラ」をはじめ、数々のヒット曲を世に出す。’11年の高橋の脱退以降は、サポートを迎えつつ2人体制で活動。’18年7月4日の日本武道館ライブ、そして同21日・22日の「徳島こなそんフェス」をもって「完結」。※『anan』2018年9月12日号より。写真・古溪一道上山陽介(by anan編集部)
2018年09月07日2011年英国で初演、ローレンス・オリヴィエ賞で3部門を受賞した名作ミュージカル『TOP HAT』が2015年の来日版に続き、待望の日本人キャストで上演される。演出は英国のオリジナル版を手がけたマシュー・ホワイト、振付・衣装・セットもオリジナル版を踏襲する。勘違いが招く恋の大騒動を描いた本作は、1936年公開の同名映画を舞台化したもの。デュエット・ダンスが見もので、映画版でフレッド・アステアが演じた主人公ジェリーをV6の坂本昌行、ジンジャー・ロジャースが演じたヒロイン、デイルを多部未華子が演じる。公演に先駆け多部が来阪し、「念願のミュージカル作品」への意気込みを語った。ミュージカル「TOP HAT」チケット情報小学5年生で観たミュージカル『アニー』に感銘を受け芸能界へ。いつかはミュージカルにとの思いはあったが、現実には「歌もダンスも得意じゃない…」と幾度かのオファーにも二の足を踏む時期が続いた。「今回お話をいただいて、やる前からできませんと断って20代を終えるのは嫌だな」と思い直した。やれることはやってみたいと一念発起、約2か月間仕事をセーブして課題曲を猛特訓。年始に英国で行われたオーディションに挑戦し、見事合格した。演出家には、デイル役は「自立したかっこいい女性」など、演じるうえでのヒントを貰った。特に課題曲のタップシーンは思い入れが強いとも。「最初は、ジェリーに対してツンツンしているのに、だんだんと波長が合って、戸惑いながらも愛に変わっていく。一曲の中にデイルの気持ちが詰まっているんだよと教わって。ひとつひとつの振りにも意味があることを初めて知って、とても楽しかったです」。ダンスは不安だが振付はすべて頭に入っている。「単に踊るだけでなく、感情を乗せた踊りができればいいかな。坂本さんは経験豊富ですし、早く稽古を重ねて波長が合えばいいなと思います」。これを機にミュージカルへの出演が増えそう?「生意気なことを言えば、今のミュージカル界と映像界には境界線があると勝手に感じていて。きっと『TOP HAT』でも、なぜ私がヒロインに?と思っている人も少なくないと思います。今は私みたいにどちらもやりたいと思う俳優が本当にどちらの作品にも挑戦できる環境になればいいなと思う夢はあります。そうすればもっといろんな人と出会えるし、可能性が広げられる」。ミュージカルの魅力は「なぜか心が震えて感動して、前向きになれる」。そんな無条件の喜びをこの作品でも伝えたいと微笑む。「劇場で感じたハッピーな気持ちが翌朝まで続くような素敵な作品にしたい。興味を持っていただければうれしいです」。公演は、11月5日(月)から25日(日)まで東京・東急シアターオーブ、12月1日(土)から5日(水)まで大阪・梅田芸術劇場メインホールにて上演。チケットは7月14日(土)10:00より一般発売開始。取材・文:石橋法子
2018年07月13日結婚式や2次会のパーティーって意外と出会いのチャンスが多いもの!上手に自分をアピールできれば、素敵な男性に巡り合える可能性大なんです。今回は効果的なパートナー探しの秘訣、3つの「べからず」を伝授するとともに、実際に出会いがあった女性の体験談をご紹介します。[1] 余興、受付の依頼は断るべからず式に出席しているだけでは、なかなか新郎側のゲストの記憶には残らないもの。その点、余興やスピーチを行えば、出席者の男性に覚えてもらえます。うまくいったら「歌よかったです」なんて話しかけられることも。特に、新郎側の友人と話すチャンスが多い受付役はぜひとも引き受けたいところ。友達に何らかのお役目を依頼されたら、断らずに快諾することをおすすめします。◎余興でパートナーをゲット化粧品会社に勤めるA美さん(28歳)は、大学からの親友の結婚式にて、女子3人で余興を行うことに。本人は気乗りしなかったけど、後の2人はノリノリ。新婦が大ファンだという氣志團の「マブダチ」を歌うことになったのだとか。やるからにはいいモノをプレゼントしよう、と当日は学ランにハチマキで登場。学生時代からの思い出の写真をプロジェクターで流しながら、一生懸命歌いました。その結果、スタンディングオベーションが出るほどの盛り上がりに。「感動した」「学ランかわいかった」と新郎の友人が次々と挨拶に来てくれたそうです。その中の1人とLINEを交換し、今とってもいい感じとのこと。[2] 2次会のチャンスは逃すべからず披露宴で男性と話せなかった…と落胆しないで。出会いのチャンスは2次会にだってあるんです。会場では笑顔を絶やさず、目が合った人には軽く会釈するように心がけましょう。すると、男性のほうから「いい式でしたね」なんて話しかけてくれる可能性もあります。もし、幹事を頼まれたら快く引き受けるといいでしょう。新郎側の幹事と話す機会も増えるので、気の合う相手なら意気投合して恋に発展…みたいなこともあるかもしれません。◎2次会でパートナーをゲット結婚する友人にそれとなく「私も彼氏欲しい」とアピールしていた会社受付のB子さん(27歳)。披露宴の最中、高砂席にお酒をつぎに行くと新婦から「男性側で、誰か気になる人いる?」と聞かれたので、「スピーチした彼が素敵だった」と答えました。すると、2次会の余興で開催されたクイズ大会で、なんとその彼とペアに!クイズ大会が終わってもふたりで会話が弾み、LINEを交換。幾度かのやり取りの末、食事に行くことになったそうです。[3] 当日収穫がなくても、諦めるべからず披露宴でも2次会でも、さらに3次会でも収穫なし…。ですが、ゲームセットはまだ早い!その後にだってちゃ~んと望みはあります。「あんまりちゃんと祝福できなかったから…」とお祝いパーティーを開いて新郎友人を呼んでもらうもよし、ストレートに「いい人がいたから紹介してほしい」と言うもよし。人って、自分が幸せなときは周りに優しくなれるし、他の人の幸せを願う余裕もあるもの。まさに幸福の絶頂にいる新郎新婦に協力をしてもらう…これって成功率、高いですよ。また、意外と使えるのがSNS。新郎新婦がタグ付けされている式当日の写真がアップされていたら「私も出席してました。素敵な式でしたね」などとコメントを残してみるのはどうでしょう?ひょっとしたら友達申請してもらえて、つながりを持てるかもしれません。◎披露宴後にパートナーをゲット友人の結婚式の2次会で幹事をした歯科衛生士のC恵さん(30歳)。同じく幹事をしていた新郎の友人に好感を持ったものの、当日は忙しく、連絡先交換はもちろん、あまり話もできずに終わったそうです。そのことを後日、新婦に愚痴ったら「じゃあお疲れさま会を開いてあげる」と、その彼を含めた数人と食事会を開催してくれたとか。友人の計らいで、気になる彼と隣の席になり、めでたく連絡先を交換。すぐに彼から「今度は2人で会いませんか」と連絡が!幸せのおすそ分けに預かって愛にあふれた結婚式は、出会いの宝庫。アンテナをしっかり張り巡らせて、チャンスを逃さず、ものにしましょう。ただし、新郎新婦を祝福する場だということはお忘れなく。花嫁さんより目立ったりしたら、ヒンシュクものですよ!
2018年05月04日今年も3月8日のインターナショナルウーマンズデイ(International Women’s Day)には、人々に改めて「女性の権利」を考えさせようとする動きがみられた。それと同時期に、ムスリム女性の権利を考える#MuslimWomensDayというハッシュタグがSNS上で多く使われていたのをご存知だろうか?そんなムスリム女性の苦悩をラップで訴える、ヒジャービー(ヒジャブを被った子)のラッパーが#MuslimWomensDayと同じ今年3月にデビューした。「インターナショナルウーマンズデイ」と「ムスリムウーマンズデイ」インターナショナルウーマンズデイに合わせて#MuslimWomensDay(ムスリムウーマンズデイ)のハッシュタグがSNSのトレンド入りをしていた。これは、ひとくちに「女性の権利」と言ってもその女性が住んでいる国など置かれている環境によって、どの程度の権利を享受できるかが異なることを意味している。例えば多民族国家として知られるアメリカでは、トランプ大統領就任後、人種や宗教間の軋轢が深まった。そして残念なことにイスラム圏の一部に住む人々のアメリカ入国が制限されたり、彼らに対するヘイトクライムの数が増えたりしている。その際にターゲットにされやすいのがヒジャブを被るなどムスリムだと明らかな装いをしているムスリムの女性たちなのだ。彼女たちは、他の宗教を信仰する女性たちと同じ権利を享受できていない。そんなムスリムの女性たちが声をあげたのが#MuslimWomenDayだった。属する人種や宗教グループにより人々はそれぞれ異なる苦悩を抱えているが、彼女たちがそこで訴えたのはヒジャブを被っているから浴びされる暴言など「ムスリム女性特有の苦しみ」である。(参照元:The Huffington Post①, ②)ラップで“ヒジャービー”が声を上げるヒジャービーとは「ヒジャブを被った子」という意味だ。そんなヒジャービーのモナ・ヘイダー(Mona Haydar)は今年3月にラッパーとしてデビューした。彼女は詩人でアクテビィスト、持続型農業の実践者、瞑想者、堆肥愛好者、山好き、ソーラー発電好き、神の熱心な信者というエネルギーに溢れた女性だ。(参照元:M O N A ::: H A Y D A R)ヒジャブを被っているだけでなく、妊娠しながらもラップしているという点で彼女は珍しい存在かもしれない。彼女が発表した楽曲「ヒジャービー」で訴えたのは、ヒジャービーが直面する苦悩やステレオタイプだ。Yo 君はどんな髪してんの、いい髪してるんだろなWhat that hair look likeどんな髪してんのBet that hair look niceいい髪してるんだろなDon’t that make you sweat?汗かかないの?Don’t that feel too tight?きつくないの?Yo what yo hair look likeYo 君はどんな髪してんのBet yo hair look niceいい髪してるんだろなHow long your hair is髪はどのくらい長いの まずはどんな人種や宗教の女性でも受けることのある“キャットコーリング”(男性が女性にやじを飛ばされる嫌がらせ)について歌われているが、ヒジャービーが非ムスリムの男性から受けるものは「性差別的」なだけでなく「宗教差別的」なやじであるのが特徴のようだ。キャットコーリングは女性を蔑んだ行為だが、女性のなかでもマイノリティのヒジャービーたちは自分の信仰する宗教に対するものを合わせた二重の嫌がらせを受けているのだ。彼女たちにやじを飛ばす男性たちには「ヒジャブで隠れた髪」がどんなものか興味本位で聞いているだけだと反論されそうだが、相手の気持ちを考えない言葉をかけること、そしてやじを飛ばすこと自体が嫌がらせである。ムスリムはエジプトからカナダまで世界中にいるムスリムにはどんな人たちがいるのだろうか。モナが次に歌っているのは彼女たちがどれだけクールなのか、そして彼女の同胞であるヒジャービーたちやイスラム教徒が世界中にいるということだ。彼女たちが西洋の国ではマイノリティであっても、彼女たちの仲間はあらゆるところに存在している。そして、ムスリムといえばヒジャービーの女性たちが注目されがちだが、彼女たちがムスリムの全てでないことを訴えているようだ。You’re just jealous of my sistersあなたは私の姉妹たちを羨んでるだけThese Mipsters, These hippiesミップスター(おしゃれなムスリム)たち、ヒッピーたちThese Prissies, These Sufisプリシーたち、スーフィーたちThese Dreddies, These Sunnisドレッドの人たち、スンニ派の人たちThese Shii’s, Yemenisシーア派の人たち、イエメン人たちSomalis, Libnanis, Pakistanisソマリア人、レバノン人、パキスタン人These Soories, Sudanisソーリーたち、スーダン人Iraqis, Punjabies イラク人、パンジャーブ人Afghanis, Yazeedisアフガニスタン人、ヤジディ教徒Khaleejis, Indonesiansカーリージーを被る人、インドネシア人Egyptians, Canadiansエジプト人、カナダ人Algerians, Nigeriansアルジェリア人、ナイジェリア人Americans, Libyansアメリカ人、リビア人Tunisians, Palestiniansチュニジア人、パレスチナ人Hidden beyond the Mekong in Laosラオスのメコン川を越えたところのムスリムたちSenegalese and Burkina Fasoセネガル人とブルキナファソ人 ラップでムスリムを嫌う者を圧倒するという方法モナがこの楽曲に込めた最も強いメッセージは何だろうか。それは、「勝手な偏見を持ってくる他人にとやかく言われてもヒジャブを被り続ける」ということかもしれない。ヒジャービーたちに他の人を気にせずにうろついてと呼びかけているのだ。あなたが嫌ったって私はヒジャブを巻くそれでも私はヒジャブを巻くヒジャブを巻くAll around the world世界はLove women every shading全ての肌の色の女性が好きbe so liberated私たちはとても自由All around the world世界はLove women every shading全ての肌の色の女性が好きpower run deep私たちには大きな力があるSo even if you hate itあなたが嫌ったってI still wrap my hijabそれでも私はヒジャブを巻くWrap my hijabヒジャブを巻くWrap my hijabヒジャブを巻くWrap, wrap my hijab巻くヒジャブを巻くKeep swaggin my hijabis私のヒジャービーたち、ヒジャブでうろつき続けてSwag-Swaggin my hijabis私のヒジャービたち、うろついてSwaggin my hijabis 私のヒジャービーたち、うろついてSwag-swaggin my hijabis私のヒジャービーたち、うろついてフェミニストの星を作る女性を憎む人は追放されるMake a feminist planetフェミニストの星を作るWomen haters get banished女性を憎む人は追放されるCovered up or not don’t ever take us for grantedヒジャブを被っていてもそうでなくても私たちには力がある※動画が見られない方はこちらモナのラップを聞いたり歌詞を読んだりして何を思っただろうか。自分たちを偏見の目で見る社会に対し、力強くてかっこいい音楽で「私たちは屈しない」という声明を出す彼女から学べるのは、相手を圧倒させるという方法だ。彼女のラップのような、自分や自分の属するグループにしかない「かっこよさ」を見せつけるアクティビズムこそ、最もパワフルで人に響かせることができるのかもしれない。そして、これが「ヒジャービー」について何も知らない日本人にとっても、彼女たちの直面する問題を知るきっかけになるといい。Lyrics and photos from Hijabi by MonaText by Shiori KirigayaーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!賛否両論。米プレイボーイの誌面を飾った若きイスラム女性の“攻め”の生き様。 「ムスリム(イスラム教徒)」と聞いて何を想像するだろうか。「ヒジャブ」と呼ばれる頭と首を覆うイスラムの伝統的なスカーフを被る女性たちや、一日に幾度かのお祈りをする姿、はたまた“イ...
2017年04月21日世の中には、女性が突破できていない“ガラスの天井”がある。そんな天井を壊す女の子がニューヨークのウォール街に現れた。Photo byAngie Chambe「ガラスの天井(glass ceiling)」という表現を聞いたことがあるだろうか?これは、女性が組織内での昇進を目指したときに打ち当たる、目に見えない障壁ことだ。最近では性別だけではなく、人種やセクシュアリティ、年齢や宗教的にマイノリティの人々に対しても使われている。女性の昇進をめぐる障壁は世界で未だに取り除かれていない。2015年にはアメリカの証券取引所に上場する代表的な500企業のうち、12%が女性をCEOとしていたが、2016年には4.2%にまで下がった。(参照元:The Independent)また、日本に関しても2015年の時点で全国にある企業のうち7.5%が女性の社長によって運営されているに過ぎない。(参照元:帝国データバンク)それから、昇進だけではなく賃金面で男性との差があることが同じく問題だ。2015年、アメリカでフルタイムで働く女性は、平均して男性の80%の賃金しかもらえていない。(参照元:AAUM)日本の場合は、2016年で男性の73%程度だ。だが、これでも賃金格差は縮小しているのだという。(参照元:朝日新聞デジタル)このような格差の消えない状況のなかで、話題になっている「少女像」がニューヨークのウォール街に存在する。その名も「恐れを知らない少女(The Fearless Girl)」。人々は彼女と写真を撮り、#SheMakesADifference(彼女が違いを生む)というハッシュタグとともにSNSに投稿しているようだ。Photo byBryan & Megan Jacksonこの少女像を制作したのは、彫刻家のクリスティン・ビスバル。「女性の取締役を増やしたい」という願いから、パブリック・アートのプロジェクトとして、資産運用を行なう企業のステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズと共同で「世界女性デー(International Women’s Day)に合わせてウォール街に設置された。(参照元:CNN)これは4月2日までの期間限定で設置される予定だったが、「永久的に残して欲しい」という多くの声により、少なくとも2018年の2月までは同じ場所で見ることができる。(参照元:CNN)Photo byBryan & Megan JacksonPhoto byDeanna Zandtこの少女像にどんな期待ができるだろうか。ウォール街という金融の中心地に「目に見える」恐れを知らない少女の姿があることで、女性の昇進が可能なものだと人々に教えられるかもしれない。Photo byScott Beale<少女像に向かい合う水牛像>少女像を実際に見に行ってみると、向かいに「水牛の銅像」が置かれており、その水牛を前にしても恐れを知らない彼女に勇気づけられるであろう。Text by Shiori KirigayaーBe inspired!この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!賛否両論。米プレイボーイの誌面を飾った若きイスラム女性の“攻め”の生き様。 「ムスリム(イスラム教徒)」と聞いて何を想像するだろうか。「ヒジャブ」と呼ばれる頭と首を覆うイスラムの伝統的なスカーフを被る女性たちや、一日に幾度かのお祈りをする姿、はたまた“イ...
2017年04月01日テクノポップバンド・プラスチックスの中西俊夫さんが25日、亡くなった。61歳。同日、中西さんの公式Facebookページで発表された。プラスチックスは1976年、イラストレーターの中西さん、スタイリストの佐藤チカ、グラフィックデザイナーの立花ハジメを中心として結成。幾度かのメンバー交代を経て、1979年のデビュー時には3人に加え、後にプロデューサーとして名をはせた故・佐久間正英さんと作詞家の島武実が集まった。結成40周年を迎えた昨年には再結成し、アーカイブ本の発刊やオリジナルアルバムのリマスター盤発売、そしてブルーノート東京でのライブも行っていた。しかし昨年、食道がんであることが判明し、入院療養中だったが、25日午後12時6分に死去。通夜は近親者で3月5日、告別式は翌6日に東京・桐ヶ谷斎場で行われる。ファンのためには、あらためてお別れの会を行うことが予定されている。なお、今月28日に東京・渋谷のHot Butterred Clubでのイベントは予定通り開催。制作を進めていたシングル「Children of The Radiation」の送付は延期の上、3月中を予定している。
2017年02月26日「ムスリム(イスラム教徒)」と聞いて何を想像するだろうか。「ヒジャブ」と呼ばれる頭と首を覆うイスラムの伝統的なスカーフを被る女性たちや、一日に幾度かのお祈りをする姿、はたまた“イスラム過激派”かもしれない。残念ながら、約3000万人ものムスリム人口(参照元:Pew Research Center)を抱えるアメリカでも、ムスリムに対する理解はこれくらいなのだ。そんななか、あるムスリム女性がプレイボーイに載ることになった。民放初のヒジャーブを被ったキャスターを目指してムスリムのアメリカ人でヒジャブを被るジャーナリストのノアール・タグーリ、22歳。学校には通学せず、家庭に拠点を置いて学習を行うホームスクーリングで高校の勉強をしながらローカル新聞で働き、16歳で大学に入学した彼女。ハフポストライブのレギュラーゲストを務めたのちハフポストブロガーを経て、ニュースショーのキャスターを目指していた。その理由は、ヒジャブを被った民放のキャスターがアメリカには存在しなかったからだ。そして映画のような話だが、18歳になって数日後のこと、タグーリが大学での詩の朗読パフォーマンスを終えると、いきなり舞台に上がってきたCBSラジオのディレクターに「ジャーナリズムと報道の専攻なの?ワシントンでインターンしないか」と直接誘われ、彼女の新たなキャリアは始まった。(参照元:
2017年01月25日●プラスチックスの40年間1970年代末から80年代初頭にかけて精力的に活動したテクノポップバンド・プラスチックスが2016年、結成40周年を迎え再結成し、初の公式アーカイブ本『PLASTICS 情報過多 -TOO MUCH INFO-』(発売中 3,800円税別 徳間書店)を刊行。それを記念したトークイベントが5日、都内で行われ、中西俊夫らメンバー3人が登壇した。「Too Much Information」。これは、バンドの1stアルバム『WELCOME PLASTICS』(80年)に収録されている楽曲のタイトルで、その中では、情報に埋め尽くされ記号化していく世界都市・東京の様子がシニカルに歌われていた。それとよく似た副題が冠されたアーカイブ本は、当時の雑誌記事のスクラップなどで、彼らが"どう語られてきたか"、そして現在のメンバーのインタビューや著名人のコメントなどで"今、どう語るか"といった主に2つの視点で構成されている。しかしトークで中西自身も語っているように、バンドはこれまで数度、散発的に再結成公演を行ってきてはいるものの今年に至るまで、活動の空白期間は短くない。そのため、ここであらためて、彼らの活動歴を振り返りたい。○バンドのこれまでと現在プラスチックスは1976年、イラストレーター・中西、スタイリスト・佐藤チカ、グラフィックデザイナー・立花ハジメを中心として結成。幾度かのメンバー交代を経て、1979年のデビュー時には3人に加え、後にプロデューサーとして名をはせた故・佐久間正英さんと作詞家・島武実が集まった。もともとプロのミュージシャンだったのは佐久間さん1人というアマチュア精神を押し出したバンドは、リズムマシン・CR-78による軽快なドラムやシンセサイザーなどのチープな電子音を基調としたテクノポップサウンドを構築する。"ヘタウマ"な演奏と皮肉っぽくも軽く見せた姿勢で評価を獲得し、ザ・スミスやアズテック・カメラといったバンドが在籍した英国の名インディーレーベル、ラフ・トレードからデビュー。逆輸入的に日本でも話題となるとP-MODELやヒカシューと共に"テクノポップ御三家"として、並び評された。以降も、海外ではB-52’sやラモーンズなど名だたるアーティストと共演。国内でも音楽番組など多数のメディアに登場した。1981年、デビューからわずか2年で解散してしまったが、その都市的でシニカルな"キッチュ"に満ちた感覚は、その後もピチカート・ファイヴや、現在ではポリシックス、きゃりーぱみゅぱみゅなどにも受け継がれていると言えよう。そんなプラスチックスの40周年となる今春は、アーカイブ本のほか、さまざまな企画が進行している。4月には、3枚のオリジナルアルバムのリマスター盤をデラックス・エディションとして再発。トーキング・ヘッズの前座を務めた米国・ニューヨークでのパフォーマンスを収めたライブ盤『We Love You Oh No! PLASTICS Live in Central Park NYC 1981』もリリースされた。5月10日には、ブルーノート東京で2部公演を開催する。●トークイベントで明かされたメンバーの思いトークイベントに登場したのは、中西、立花、島の3人。セックス・ピストルズのシャツを着込んだ中西をはじめ、ラフな装いでひょうひょうとした雰囲気を醸し出しているが、全員還暦を迎えていることもあり、テクノポップの立役者であったバンドの一員たる貫禄を見せた。○「あっと言う間」の40年と再発されたオリジナルアルバム3枚「40周年って言っても、実質上(活動していたのは)4年くらいで、後の35、6年はほとんど何もやってないからね」と笑う中西。「あっと言う間に時間がたってしまって、いっぱい人も死んでね…」と、始まりから佐久間さん(2014年に逝去)を思わせる発言を繰り出すと、島も「再結成も2、3回しかないから、4年と2日って感じだよね」と口をそろえる。初となるリマスター盤の発売は昨年、捨てようとしていたカセットテープを聴き返したところ、「再発したい」という思いが強くなったことで、実現に至った。おのおのが特に気に入っているアルバムは、立花は悩みながらも決められず「全部」、中西も「全部だよね」としつつ「強いて言うと『WELCOME PLASTICS』かな」と回答。島が「僕も同じだけど、2枚目(『ORIGATO PLASTICO』)をこないだ聴いてビックリした」と話すと、中西が当時を振り返り「いきなりホワイトアルバム(ザ・ビートルズの10枚目となったアルバムの通称)になっちゃったからね。皆けんかしてるし」と苦笑した。○タイトルミスのライブ盤と島の"几帳面さ"でできたアーカイブ本一連のアニバーサリー企画は、中西によると「島ちゃんがセントラルパークのテープを発見してからの話」。しかし、そのパフォーマンスを収めたライブ盤にミスが発覚した。これに中西は「誰も気がついてないんだけど」と前置きしながら、「(タイトルに)"81"ってあるじゃん。ライブは80年だった」と明かす。テープを掘り出した島も「それが分かった時はすごい焦って」と打ち明け、中西が「Facebookで(告知した時)も誰か気付くかと思ったんだけど、そうでもなくて。すいませんでした」と謝罪。司会から「拡散しちゃって良いんですか?」と問われると、「公表しちゃったんで良いですよ」といたずらに笑ってみせた。一方、初のオフィシャル書籍となったアーカイブ本について、中西は「もっと早く出したかった。何でこんな時間がかかったんだろう…」とコメント。そこで思い出したように「島ちゃんが(資料を)ためこんでたからだ。それを一気に放出したからこんなことに」と話題を振ると、島は「一度も捨てることができなくて…ずっと持ち歩いてた」と告白。舞台上で初めて同誌を読み始めた立花に「しゃべれよ」とツッコミを入れつつ、中西は「うれしいね。当時からインタビューで『写真集出したい』とも言ってたから」と補足した。当時の雑誌記事も掲載されていることには、中西も「チカさんの(出身の)長野の新聞とかね(笑)。よく持ってたね」と感心。それを受けて島は「小さい記事まで全部ファイルに詰めてた。まだまだあるんですけど、出そうと思えば2冊目も」と発言し、観客だけでなくメンバー2人をも驚かせた。そんな島の几帳面さはリマスター盤の特典であるDVDの映像も、VHSに収めていたほどだ。○それぞれのメンバーへの思いその場で一通り読み終えた立花は、同誌内のインタビューで「島ちゃんがすごい僕のこと褒めてくれててうれしかった」と喜びを口にする。島は、「バンドからソロまで(各メンバーの印象は)変わらない」としながら、通読してみると佐藤の語り口が「面白い」など新たな発見もあったようで、「こうして今があるんだなってね」としみじみ。「佐久間くんのインタビューがあれば良かったんだけど、まあ彼はいろんなとこでしゃべってたので」とその不在を惜しみながら、立花には「すごいマジメ…真面目ですね」と称賛を重ねた。そんな2人をよそに、「僕は全部想定内」と中西。メンバーの発言に驚きはなかったというが、著名人として布袋寅泰から寄せられたコメントの「中西さんの目は笑ってなかった」という一文には「ちょっとウケました。『どんだけ怖がられてたんだ』って」とツッコミを入れた。○「ちゃんとやんないとこの先、生きていけない」 - 意気込みの再結成ライブ40年目にして最長の舞台となる再結成ライブについて、中西は「2部のステージなんで(オリジナルの曲を収録しているアルバムは)2枚しかないから1、2回しかやってなかった曲も全部やらないと」と身構えながらも、「集大成的なものにしようかな」と気合十分。立花も「楽しみにしてます。ちゃんとやんないとこの先、生きていけない」と強い意気込みを語った。そんな3人も最年少だった中西が今年還暦となり、全員が60歳超え。「なってしまった。意外とくるもんだな」と感慨を語ると、立花は「なった時にはあんまり…その翌々年に誕生日祝いを皆がやってくれて。それはすごいうれしかった」と振り返る。これに、中西はすかさず「この人、イケズで『還暦のパーティーなんかやんない』って言ってたら本当にスルーされたから、2年後にサプライズでだけどね」と裏側をポロリ。続けて、「でも下手に派手にやると早死にしちゃうからね。まーちゃんみたいに」と佐久間さんをしのぶと、島も「そうねぇ…佐久間くんは派手にやったよねえ」と懐かしんだ。デビュー40周年となったプラスチックス。再結成ライブは10日、ブルーノート東京で2部構成で実施する。なお、それ以降の活動継続も明かしているが、夏フェスなどへの出演については、中西いわく「ちょっと秘密」とのこと。黎明期のテクノポップを支えたそのサウンドに、あらためて耳を傾けたい。
2016年05月09日「スーパー戦隊」シリーズの最新作となる『動物戦隊ジュウオウジャー』のお披露目イベント「プレミア発表会」および製作記者会見が23日、東京ドームシティ・プリズムホールで行われ、シリーズ40作目にあたる最新ヒーローの門出を祝福すべく、歴代「レッド」戦士たちが大集合した。1975年4月、『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』で知られる漫画家・石ノ森章太郎氏が原作を務めた特撮TVドラマ『秘密戦隊ゴレンジャー』の放送が開始された。それまで変身ヒーロー(仮面ヒーロー)は一人で悪と戦うのが基本スタイルだったが、『ゴレンジャー』では赤、青、黄、桃、緑の5色に色分けされたヒーローがチームプレーで戦う「集団ヒーロー」として、子どもたちから大人気を集めるヒット作となった。熱血漢でリーダーのアカレンジャー、クールでメカの操縦に長けたアオレンジャー、カレー好きの力持ちで無線機の専門家・キレンジャー、紅一点にして爆弾のプロフェッショナル・モモレンジャー、最年少で身軽なミドレンジャーと、5人の強烈な個性がさまざまな局面で発揮され、クライマックスに5人そろい踏みで「5人そろってゴレンジャー!」と名乗りをあげるシーンが大いに受け、番組は約2年間ものロングラン放送を成し遂げた。『ゴレンジャー』の好評を受け、同じく石ノ森氏原作で『ジャッカー電撃隊』(1977年)が作られたあと、シリーズは一度中断。しかし1979年に、八手三郎氏原作で「集団ヒーロー+巨大ロボット」という盛りだくさんなフォーマットを取り入れて製作された『バトルフィーバーJ』がヒットし、続く『電子戦隊デンジマン』(1980年)で再びシリーズの流れができあがった。以来、現在まで基本1年に1作のペースで絶え間なく作品が作られ、今回の『ジュウオウジャー』でついに40作を数えるに至る。今年は、日本を代表する特撮ヒーローの雄「仮面ライダー」シリーズが45周年、そして円谷プロの「ウルトラマン」シリーズが50周年という節目を迎えるメモリアルイヤーだが、両シリーズには幾度かの「空白期間」が存在し、世代によっては子ども時代にオンタイムでそれぞれのヒーローを体験していない人たちもいたりする。その点、「スーパー戦隊」は約40年もの間、切れ目なく放送されている強みがある。現在、社会に出て活躍している20~40代の大人たちにとって、少なくとも一つくらいは子ども時代に見て強烈な印象を受けた「思い出の『戦隊』ヒーロー」が存在するといっても、決して過言ではないだろう。『ジュウオウジャー』製作会見および23日、24日に催された恒例の「新番組プレミア発表会」の舞台には、アカレンジャー(『秘密戦隊ゴレンジャー』)からアカニンジャー(『手裏剣戦隊ニンニンジャー』)までの歴代39作の「レッド戦士」が登場。子どもを連れて会場に来ていたお父さん、お母さんたちが自分の子ども時代に憧れた戦隊ヒーローを見つけると、興奮気味に拍手を送る光景も見られた。歴代レッド戦士は、それぞれの決めポーズと共にステージに現れ、勇ましく名乗りを上げながら次々に整列していく。「スーパー戦隊」シリーズでは、デンジレッド(『電子戦隊デンジマン』/1980年)やレッドワン(『超電子バイオマン』/1984年)、レッドマスク(『光戦隊マスクマン』/1987年)、レッドレーサー(『激走戦隊カーレンジャー』/1996年)など各メンバーの名前にパーソナルカラーが入るのがポピュラーなネーミングパターンとして挙げられる。しかし、『ジュウオウジャー』ではジュウオウイーグル、ジュウオウシャーク、ジュウオウライオン、ジュウオウエレファント、ジュウオウタイガーと、色でなくモチーフとなった動物の名前がメンバーにあしらわれている。動物ネーミングの元祖は、第5作『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)のバルイーグル(シャーク、パンサー)で、このパターンは『超獣戦隊ライブマン』(1987年)のレッドファルコン、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)のレッドホークなどに継承されていく。ほかにも、トランプのカードをモチーフにしたスペードエース(『ジャッカー電撃隊』)、世界の5大陸を代表する戦士として、国名・地域名を盛り込んだバトルジャパン(『バトルフィーバーJ』)、伝説獣のチェンジドラゴン(『電撃戦隊チェンジマン』/1985年)、古代の恐竜や哺乳類をモチーフにしたティラノレンジャー(『恐竜戦隊ジュウレンジャー』/1992年)、電車モチーフならではのトッキュウ1号(『烈車戦隊トッキュウジャー』/2014年)など、各戦隊の特性により多種多様なネーミングパターンが考案されている。地球の平和を守るため、仲間との友情と団結を最大の武器にして巨大な悪と戦った歴代39スーパー戦隊。その思いを託され、いよいよ戦いの舞台に立つことになったジュウオウジャー5人の活躍に、大きな期待が寄せられる。(C)2016 テレビ朝日・東映AG・東映(C)テレビ朝日・東映AG・東映(C)石森プロ・テレビ朝日・東映AG・東映(C)東映(C)石森プロ・東映
2016年01月25日2人組テクノユニット・電気グルーヴの約25年に及ぶ活動を追った、初のドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』(12月26日公開)のキービジュアルが8日、公開された。本作は、初ライブや数々の記録映像、当時を振り返るメンバーのインタビュー、最新のライブシーンなどで構成。かつて電気グルーヴのメンバーであった砂原良徳とCMJK、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、スチャダラパー、山口一郎(サカナクション)、小山田圭吾といったアーティストの出演も決定している。メガホンを取るのは、これが初のドキュメンタリー映画となる大根仁監督。映画『モテキ』(11年)やテレビ東京系ドラマ『まほろ駅前番外地』(13年)などを手がけたことで知られる一方、音楽シーンやサブカルチャーにも造詣が深いことから、メンバーたっての希望で監督に起用された。「男前な電気グルーヴの映画にしようと思った」と語った大根監督。それを表すかのように、公開されたキービジュアルは、2人のシリアスな表情が印象的な写真を基調としている。毎度おどけながらも凝ったアートワークでも注目を集めている電気グルーヴとしては珍しく、ストレートなデザインに仕上がった。映画タイトル下には、"電気グルーヴとは、果たして何者なのか?"という挑戦的なキャッチコピーが描かれている。電気グルーヴは、前身バンド・人生(ZIN-SAY!)を経て、1989年に結成。幾度かのメンバーチェンジを重ねて、現在は、コンポーザーでありDJとしても国内外から高い評価を受けている石野卓球とTVや映画などの俳優業でも知られるピエール瀧の2人で活動している。結成時からテクノやニューウェーブを基調とした楽曲と奇想天外なパフォーマンスで話題を集め、90年代には「N.O.」(94年)や「Shangri-La」(97年)などでシングルヒットを記録した。その後、活動休止期間を設けながらも、コンスタントにアルバムをリリース。2014年のFUJI ROCK FESTIVALのGREEN STAGEでは、邦楽アーティスト唯一のヘッドライナークラスとして出演を果たした。(c)2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
2015年10月08日2人組テクノユニット・電気グルーヴの約25年に及ぶ活動を追った、初のドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』の公開日が12月26日に決定し、2週間限定の年越し上映となることが16日、わかった。本作は、初ライブや数々の記録映像、当時を振り返るメンバーのインタビュー、最新のライブの模様などで構成。かつて電気グルーヴのメンバーであった砂原良徳とCMJK、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、スチャダラパー、山口一郎(サカナクション)、小山田圭吾といったアーティストの出演も決定している。メガホンを取るのは、これが初のドキュメンタリー映画となる大根仁監督。映画『モテキ』(11年)やテレビ東京系ドラマ『まほろ駅前番外地』(13年)などを手がけたことで知られる一方、音楽シーンやサブカルチャーにも造詣が深いことから、メンバーたっての希望で監督に起用した。公開日となった12月26日は、DJとしても国内外から高い評価を受けているメンバー・石野卓球の48歳の誕生日。公開劇場は、新宿バルト9をはじめ、同ユニットの地元・静岡を含む全13劇場で、2週間限定の年越しロードショー。特典付き全国共通前売り券(特典内容は近日発表)は、10月23日より劇場およびプレイガイドにて一斉発売される。価格は1,500円(税込)。電気グルーヴは、前身バンド・人生(ZIN-SAY!)を経て、1989年に結成。幾度かのメンバーチェンジを重ねて、現在は、石野とTVや映画などの俳優業でも知られるピエール瀧の2人で活動している。結成時からテクノやニューウェーブを基調とした楽曲と奇想天外なパフォーマンスで話題を集め、90年代には「N.O.」(94年)や「Shangri-La」(97年)などでシングルヒットを記録した。その後、活動休止期間を設けながらも、コンスタントにアルバムをリリース。2014年のFUJI ROCK FESTIVALのGREEN STAGEでは、邦楽アーティスト唯一のヘッドライナークラスとして出演を果たした。(c)2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
2015年09月17日