男性も、思わずひとめ惚れしてしまう瞬間があるようです。その相手は、いったいどのような女性でしょうか?血液型別に、男性がひとめ惚れしてしまう女性を占います。■ A型の男性【芯がある女性】A型の男性は、ひとめ惚れをしたとしても、自分の感情にウソをついてしまう場合もあるようです。心の底では思っていたとしても、湧き起こるネガティブな感情にフタをしてしまうこともあるのでしょう。そんな彼は、男性を立てることができる「大和撫子タイプ」に恋に落ちる可能性が。彼は自分に自信をつけてくれる女性に弱いのかもしれません。■ B型の男性【尊敬してくれる女性】B型の男性は、じつはひとめ惚れ体質といっても差し支えないかもしれません。というのも、周囲をよく観察しているところがあるからです。フィーリングや空気感、そして息遣い……、こういった要素から、相手と自分に流れる運命を感じ取る傾向もあるのでしょう。ただ、それは思い込みであることも少ないようです。そんな彼の理想の相手は、自分を特別扱いしてくれる女性と言えるでしょう。彼の意見や考えを尊重してくれる人なら、アッと言う間に恋に落ちてしまうかも。■ O型の男性【包容力のある女性】O型の男性は、ひとめ惚れと本気の恋の区別があまりつかないかもしれません。なぜなら、常に真っ向勝負で恋をしているからです。彼はかなりのリアリストであるため、相手をよく観察して、自分と本当に合う相手かどうかをしっかり見極めます。そんな彼がひとめ惚れし、直感的に好きになってしまう相手は、彼の能力を認めてくれて社会で活躍することを応援してくれるような女性。包容力のある性格なら、即告白してくれるかもしれません。■ AB型の男性【理解してくれる女性】AB型の男性がひとめ惚れをすることは、あまりないかもしれません。ただし、だからこそひと目で恋に落ちたときは、電撃が走ったかのようなショックを覚えるようです。まるで自分というパズルに、感激の波にさらわれるのでしょう。そんな彼にとっての運命の相手は、自分の感性を理解してくれる女性なのかも。独特の感性を理解してくれる女性に「ドキッ!」とするようです。■ とてもロマンチックな「一目惚れ」一目惚れって、とてもロマンチックなことと言えます。一目見て「この人だ!」と思ったということでしょうから。彼の一目惚れに気づいたとき、あなたも何かリアクションを取ってみても良いでしょう。(脇田尚揮/占い・心理テストクリエーター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年08月11日2021年8月6日に放送された、バラエティ番組『人志松本の酒のツマミになる話』(フジテレビ系)でお笑いコンビ『フットボールアワー』の後藤輝基さんが明かしたトークに反響が上がっています。テレビなどの仕事が多い後藤さんは、毎日のように移動にはタクシーを使用しているそうです。その際、衝撃的なタクシー運転手に出会ったのだとか。後藤輝基、タクシー運転手の衝撃発言に思わず聞き返す東京の赤坂見附から青山通りを通って目的地に向かおうとした後藤さんは、タクシーに乗り込むと「表参道を右に曲がってください」と告げました。すると、タクシー運転手は…。「表参道…?どこでしたかね…」表参道は、後藤さんがタクシーに乗った道沿いにあるのですが、タクシー運転手はいまいちピンと来ていない様子。東京でタクシー運転手をしていれば知っているはずのルートだったため、後藤さんが「表参道、分からないですか?」と聞くと…。「表参道、分からないですか?」って、俺いうたん。ほな、運転手さん「そうですよね…タクシーの運転手で表参道がどこにあるか分からないってダメですよね。やっぱダメだ。今日でもう僕運転手辞めます」(っていってきた)。「イヤイヤそういう意味でいっているんじゃ」「だって表参道知らないんですよ、僕!?」「辞めるとは…」「だっておかしいでしょ、東京で運転手やってて表参道知らないっておかしい。お客さんのいう通りだ。今日で辞めますよ」人志松本の酒のツマミになる話 ーより引用なんと、後藤さんの指摘を受けてタクシー運転手は「今日で辞める」といってきたのです。必死にフォローをする後藤さんですが、タクシー運転手は「辞める」の一点張り。この話を聞いたお笑いコンビ『ダウンタウン』の松本人志さんは、「その人、ズルいっていうか、なんか辞め時を探しててそれを後藤に押し付けてるよね」と見解を示しました。後藤さんはその後、運転手をなだめて「続けてくださいね」と言葉を残して降りていったのだとか。【ネットの声】・励ます後藤さんが優しいと思う。・面白いな、その運転手。乗りたくはないけど。・やっぱり後藤さんはかっこいい。タクシー運転手が後藤さんのフォローによって、めげずに道の勉強をしながら今も続けてくれているといいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年08月08日歌手の後藤真希が、ポップスピアニスト・ハラミちゃんとのコラボ企画第2弾として「飾りじゃないのよ涙は」のカバー動画を、5日20時にYouTube公式チャンネル『ゴマキのギルド』で公開した。7月28日には、コラボ企画第1弾として『ゴマキのギルド』で人気ゲーム『モンスターハンターライズ』(カプコン)の挿入歌「カムラ祓え(はらえ)歌」を、ハラミちゃんの公式YouTubeチャンネル『ハラミちゃん〈harami_piano〉』で後藤のデビューシングル「LOVEマシーン」を公開。視聴者から「歌声がキレイすぎる」「高音も低音も出るのすごい」とコメントが寄せられ、動画内ではハラミちゃんが「低い音から高い音まで出る方なんだということにびっくりしましたし、生で聴いているとアルファ波のようなものが出ているのか気持ちよくなっちゃって」と後藤の歌声を絶賛していた。第2弾として新たに配信するのは、これまでも多くのアーティストにカバーされてきた中森明菜の人気歌謡曲「飾りじゃないのよ涙は」。後藤が色気のある低音ボイスで力強く歌い上げ、ハラミちゃんがダイナミックで躍動感のある音色を楽しそうにピアノで奏でている。あわせて『ハラミちゃん〈harami_piano〉』ではモーニング娘。の「恋愛レボリューション21」を配信する。
2021年08月05日歌手の後藤真希が、10年ぶりとなる有観客ソロライブ「後藤真希LIVE 2021(仮)」を11月28日に大阪・ビルボードライブ大阪で、12月5日に神奈川・ビルボードライブ横浜で開催することが5日、分かった。公式YouTubeチャンネル『ゴマキのギルド』での「歌ってみた動画」が反響を呼んでいる後藤。中でも「LiSA-『炎』/ 後藤真希が歌ってみた(homura)」は再生回数560万回を超え、「ぜひ生でごっちんの歌聞きたい!」「もっと歌ってほしい!」などのコメントが寄せられていた。今回のライブでは自身の楽曲に加え、カバー曲披露の可能性も。チケット販売についての詳細情報は公式SNS等で後日発表となるが、公式ファンコミュニティサイトOPENREC.tv「GoTo channel」会員には先行販売が行われる予定だ。
2021年08月05日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第14回は、つい他人と比べてしまうことについて、きしもとさんが持論を展開します。第14回『みんな頑張ってて、みんな怠けてる。』梅雨なのに何日か気持ちのいい晴れた日が続くことを梅雨の中休みというらしい。カラッといい天気だったので、7歳の友人を誘って少し遠い普段行かない公園に行くことにした。宿題を持ってきたので公園へ行く前に済ませることに。二桁の足し算をする横で応援しながら、学校楽しい?なんの授業が好き?と、邪魔もしていた。邪魔されているのに律儀に「国語と道徳が嫌いかなー」と答えてくれたので理由を聞いてみると、道徳の授業で聞いたらしい物語を話してくれた。サルくんがロボットを作って学校に持ってきました。みんなが「すごーい」と言ってサルくんの周りに集まってるのを見て、クマくんは「僕も作ったことがあるよ」と言いました。そしたら、みんなから「持ってきて見せてよ」と言われました。クマくんは急にお腹が痛いと言ってどっかに行ってしまいました。クマくんの気持ちはどんなだったでしょうか?伝聞調ではあるけれど、しっかり話を聞いて理解しているのが分かる。伝わるように話をしてくれたのを聞いて、むしろ国語得意なんじゃないかと思ったが、得意だからといって好きだとは限らないか、と思い直す。ほんでほんで?って続きを聞くと、「どう思うか聞かれてんけど、うまく答えれへんかってん」と、その時のことを思い出すのかしょんぼりしている。「どう思ったの?」と尋ねると「ズルイと思ったって思ってん」と小さな声で自信なさげに応えてくれた。的外れな答えとは思わない。「みんなにすごいなーって言われてるサルくんをクマくんはズルいって思ったんか」と、言葉を補足しながらその「ズルい」の意味を汲み取ろうとしてみる。自身が友達をみて「ズルい」と思うことがあるのかもしれないな、と学校生活を想像する。その「ズルい」が、羨ましいなのか妬ましいなのかは分からないけれど、自分にとって知っている感情で、それがその言葉なのだろう。「あの子だけズルいなーって思うことあるもんなあ。クマくんもサルくんみたいにみんなからすごいって思ってもらいたかったんかもしれへんなあ」と、何かの答えに誘導するわけではなく、例えば映画を観ながらヒロインの心情を考察するくらいの気軽さで、話してみた。「うんうん、そやろそやろ」と頷いてくれる。「けど、みんなの答えは違っててな」と、また急にトーンが下がる。「自分だけ間違えてると思って泣きそうになってん」と。発表してみんなから非難を浴びたんだろうか。発表する前にみんなの答えを聞いて自分は間違っていると思って自信をなくしたんだろうか。「それは辛いなあ、けど間違ってないと思うで」と伝えると、「あ、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ!」と急にケロっとするので、思わず吹き出してしまった。泣きそうになってないんかい!とツッコミながら、けれど、と思う。具体的な辛さは分からないけれど、その泣きそうになるっていう気持ちは分かるような気がする。僕も同じような思いになったことが、いつかあったかもしれない。自分の感じたことや考えたことは間違っているかもしれない。みんなとは違うかもしれない。みんなは分かっているはずなのに自分は分かってないかもしれない。そんな漠然とした不安で苦しくなることがある。答えのないものを答えられるか試されているような、自分の考えがあるのか試されているような。正解がないというのなら答えさせないでおくれよ、と愚痴りたくなる。夕方18時前に電話がなる。僕が体調を崩してから、ドイツにいる友人がほぼ毎日同じ時間に電話をかけてきてくれる。少しだけ世間話をした後で将棋のネット対戦を3局だけ楽しんで、ではまたと電話を切る。だいたい僕がうっかり飛車を取られてそのまま負ける。心配してくれているのと、息抜きなのと、将棋で僕をぶちのめしたいのと3:3:3くらいの割合だろう。残りの1割はなんだろうな。その日電話に出ると、開口一番「よくない話があったんだけど聞いてくれる?」と、尋ねられた。海外映画では「いい話と悪い話どっちが先に聞きたい?」というような台詞を聞くけれど、日本では先に断ることってあまりないよなあと、どうでもいいことを思いながら「聞こうか」とそれっぽい返事をする。「ドラッグストアに石鹸とスマホ用のプリペイドカードを買いに行ったんだけど、買うもの2つだけだからメモせずに行ったのね」ドイツのドラッグストアはコンビニみたいな感じなのかな、と想像する。「で、プリペイドカードはすぐ見つかって、あと、最近おじさんになってきたからか肌荒れひどいしYouTubeでビタミン入りの美容液がいいって見たのを思い出して、せっかくドラッグストアに来たからと思って買ったんだよね」急におじさんのお肌事情の話に飛ぶ。お肌にはビタミンがいいのか。ビタミンてのは何にでも効くんだな、YouTubeはなんでも教えてくれるんだなと、またどうでもいいことを考える。「買うもの2つだから満足して帰ってきたんだけど、家に着いて手を洗おうとした時にさ」と話したところで、「あ、石鹸」と、思わずオチを言い当ててしまった。これもまた映画っぽいやりとりだなとくだらないことを考えていると「ほんま自分が嫌になるわ〜」と、オチを横取りされたことを気に留めずに自身の失態に落ち込んでいる。「あるよなあ」と共感する。「あるんや」と意外そうだったので、そんなきっちりしてるように見えるのかな?と思いながら「うん、毎日のようにあるで。毎日というか、1日に何度も」と返すと、「俺はたまにでこれだけ落ち込んでるのに、それが毎日なんて、生きてるの嫌になれへん?」と心配された。ものすごい勢いで失礼なことを言うな。「けど安心したわ」と続けたので、失礼には目を瞑ることにした。ダメな自分と同じような姿を他の人にも見えたら安心する、その気持ちはとても分かる。それは、蔑んだり見下したりするという意味ではなくて、この人も完璧じゃないんだと思えて、同じ人間なんだと思えるからだ。自分は人と比べてできていないなあ、と思うことはよくある。僕はとくに、よく忘れ物をするし、優柔不断だし、うっかりミスもする。大人になってもできないことだらけだ。だから、きっちりしてる人と話す時はいつも心なしか緊張する。ズボラだとか雑だとかダメなやつだとか思われてるんじゃないかと不安になる。逆に、きっちりしている人からすれば、ゆるい人と話すときには、「柔軟で臨機応変に対応できる人との会話は緊張する」と思っているかもしれない。いや、それは都合よく考えすぎか。僕はいつもどこかで、自分はダメだなあと思っている気がする。ただ人と比べてダメだなあと思うだけならいいんだけど、しんどいのは自分が頑張りたいのに頑張れない時だ。これじゃダメだと分かっているのにできなくて情けなくて、でもどうしたらいいか分からなくて頑張れない自分を責めてしまう。こんな風にできたらいいなって前向きに思えたらいいけれど、それじゃダメだぞ、としっかり後ろ向きに考えてしまう。几帳面できっちりしているのと、ズボラで優柔不断なのとだったら、どっちがいいだろう。感情的な人と理性的な人とどっちがいいだろう。自分がなれない「それ」になろうとすることはいいことかもしれないけれど、その前に「それになれない自分」を責めてしまって潰れてしまいそうになる。「自分を責めちゃダメだよ、自分はそのままでいいって思おうよ」って言葉で、さらに自分を責めて抜け出せなくなっていく。どちらが善くて、どちらが悪いって思ってしまうけど、きっと本当はどちらも悪くない。その人はたまたまきっちりしていて、僕はたまたま忘れっぽいだけ。ズボラなことで誰かに迷惑をかけることもあれば、きっちりしていることで誰かを傷つけることもあるかもしれない。几帳面なことで助かる人がいるかもしれないし、ゆるいからこそ救われる人もいるかもしれない。都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにしようと思う。できている人とできていない人を分けて「できている人が正しくて、できていない人が間違ってる」ってしてしまうのは、とってもしんどいもの。こんな人間でいたいな、と思うことがある。子どもと関わる時にこんなことに気をつけたいな。と思うことがある。けれどできなくて、自分はできないなあって思ってしまう。もしかしたら、みんなが「自分はダメだなあ」と思っているかもしれない。そんなふうに思ってみると、少し気持ちが楽になる。みんな頑張ってて、みんな怠けてて、みんな自分はこんなんじゃダメだって思ってて、頑張りたいけど頑張れなくて、みんな怠けてて、みんな頑張ってる。やっぱりそれも都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにする。余談ですが無事宿題を終わらせて、少し離れた広い公園へ来た。芝が傾斜になっていて、その芝を上下に挟むように細い歩道がある。子ども連れが数組レジャーシートを広げている。「そういえば小さい頃ここで転けたことあるねんで」と、芝を指差し、スマホに保存されている動画を見せてあげる。当時2歳の友人の手を握って芝の坂道を登っているときに、僕の方が足を滑らせて転んでしまい、その勢いで一緒に転んで大泣きしてしまったのだ。大の大人がひっくり返る動画を見て声を出して笑ってくれたので、どさくさに紛れて「ごめんね泣かして」と7歳になった本人に改めて謝罪した。「悪くないよ!」と返ってきた。「でも、巻き込んじゃったからさ、悪いのは悪いねん」と説明しても、「悪くないってば!」と強めに返してくる。気を遣わせてしまったかなと思いながら、身軽に大型遊具を登るのを離されないように追いかける。なんて言えばいいか分からないから「許してくれてありがとね」と伝えた。すると「好きな人のこと悪いって言いたくないし、自分が悪いんやって思ってほしくないもん」と小さな声で言うのが聞こえた。大事な人のことを悪いって言いたくないし、大事な人には自分が悪いって思ってほしくない。こんなにシンプルなことを、僕は言葉にされてようやくなにより大切なことだと気づく。優しさとか慈しみとか凡庸な言葉しか浮かばない。分かっているのに、僕はあなたに自分が悪いって思わせているかもしれない。分かっているのに、僕は自分で自分のことを悪いって思ってしまっているかもしれない。また自分はダメだなあって思いそうになっている。けれど、君がそう言ってくれるなら、自分で自分のことを悪いって思わないことにするよ。長いローラーすべり台を滑り降りながらそんなことを思って泣きそうになった。いや、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年06月27日お笑いコンビ・フットボールアワーの岩尾望が9日、公式YouTubeチャンネル『ざっくりYouTube』に出演。動画「【岩尾×後藤】12年ぶりの2人きりトーク【楽屋トーク】」内で、相方の後藤輝基とコントをしなくなった理由を明かした。以前、フットボールアワーとしてではなく、1人でコントライブを定期的に開催していた岩尾。「コントを自分で作って、後輩の役者をやってる子とかにやってもらったりするわけ。俺がボケてツッコんでっていう感じではないお話っぽいコントを書いたりするから、(後藤と)それ一緒にやる感じじゃないなと思って」と、その経緯を説明した。現在はコロナ禍など諸事情が重なり中断しているが、今後もコントライブは開催していきたいと考えている。しかし、それはあくまでも岩尾個人で。「フットボールアワーでというより、後藤とやる感じちゃうんかなと思ったのは『アメトーーク』の“相方のツッコミ最高〜芸人”」だと言い、その当時のことを振り返っていく。それは番組内で、コンビ間のツッコミをシャッフルするコーナーがあり、東京03のコントにツッコミとして後藤が入ったときのこと。岩尾は「飯塚(悟志)さんの代わりに『金を出せ!』みたいに入っていくねんけど、03のところにお前が入ってきた途端、急に『花月(吉本興業の劇場)やなあ」と思って」と回顧。「(東京)グローブ座でやってる東京03にお前加わった瞬間、『うわ……花月やもう』って」「もうコントとか合えへんのや」と、後藤のコントに違和感を覚えた瞬間があったことを明かした。
2021年06月12日数多くの有名お笑いタレントを輩出している、吉本興業。公式のInstagramでは、タレントたちの若かりし頃の写真や、履歴書の証明写真などを公開しています。2021年5月2日、お笑いコンビ『フットボールアワー』のツッコミ担当、後藤輝基さんの若かりし頃の写真を公開し、多くの反響が寄せられました。27年前のフット後藤、現在の姿とのギャップが話題に鋭いツッコミと軽快なトークが持ち味で、テレビ番組のMCを務めるなど活躍中の後藤さん。今でこそツッコミのイメージが強いですが、後藤さんはかつて『エレキグラム』というコンビで、ボケを担当していたのだとか。ボケ担当だった、後藤さんの27年前の姿がこちらです!※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 【公式】吉本興業(@yoshimoto.official)がシェアした投稿 尖ってる…!!履歴書の証明写真というこの写真には、キリッとした目つきと顔周りはシュッとしている、後藤さんの姿が。現在の柔らかい印象とは大きく違いますね。服装や髪型も相まって、まるでアイドルグループのメンバーにいそうです。一瞬、同一人物か迷ってしまうほどのギャップに、ネット上ではこのような反応がありました。・かっこいい…。普通にタイプです!・アイドルグループ『A.B.C-Z』の河合郁人くんみたい!・え、本当に同じ人!?尖っていた時期もかっこいいですね。27年前の姿で、かつボケ担当だったと思うと、ギャップに驚いてしまいますね。今も昔も、存在感のある後藤さん。これからもたくさんの笑いを届けてくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2021年05月03日フレンズが4月30日、昨年末より活動休止をしていたメンバー・ひろせひろせ(MC / Key)の脱退を発表した。配信がスタートした新曲「急上昇あたしの人生」のミュージックビデオも公開されている。この脱退の発表により、今後はえみそん(Vo)、三浦太郎(Cho/Gt)、長島涼平(Ba)、関口塁(Dr)の4人でバンドは継続。そして新体制となったフレンズの初の新曲となる本MVでは、えみそんが初めてMVの監督を務めている。自らが企画立案しアイデアに溢れた演出で、疾走感ある楽曲の世界観を見事に表現。音楽のみならず多彩な才能を発揮し、これからのバンド活動に期待が膨らむ見応えのある内容だ。楽曲自体は、ひかりTVオリジナルドラマ『取り立て屋ハニーズ』の主題歌として好評配信中。新ビジュアルも、これからも様々な形で楽しませてくれる予感のする、爽快なメンバーの姿が印象的なものだ。新たなフェイズを迎えたフレンズの今後の更なる飛躍を期待しよう。■リリース情報『急上昇あたしの人生』4月30日(金)配信リリース■公演情報「フレンズワンマンツアー “UNO!”」5月29日(土)会場:愛知・THE BOTTOM LINE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:305月30日(日)会場:大阪・Banana Hall1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:306月5日(土)会場:東京・duo MUSIC EXCHANGE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:30※各回90分程度の公演を予定。料金(税込):全自由¥5,000※未就学児入場不可※お一人様2枚まで※ドリンク代別途必要※政府指定のガイドラインに沿った形での開催。※オンライン配信の予定なし
2021年04月30日芸能事務所のエイベックス・マネジメントが13日、元モーニング娘。でタレントの後藤真希が新型コロナウィルスに感染したことを報告した。同社は公式サイトを通じ、「当社所属の後藤真希が新型コロナウイルスに感染していることが判明いたしましたので、ご報告をさせていただきます」と発表。「4月11日に発熱等の症状があったため4月12日にPCR検査を実施したところ、本日4月13日に医療機関より新型コロナウイルスに感染しているとの連絡がありました」と経緯を説明した。「現在、本人は軽症ではありますが、今後も保健所、医療機関等の指導の下、治療に専念してまいります」とし、ファンや関係者に向けて「いつも応援して下さっている皆様、仕事関係者の皆様には多大なるご迷惑とご心配をお掛けしますことを、心よりお詫び申し上げます」と記している。
2021年04月13日今回ご紹介するのは、『きかんしゃトーマス』の劇場版最新作『きかんしゃトーマス おいでよ! 未来の発明ショー!』。ゲスト声優として参加した賀来賢人さんと後藤淳平さんにお話をうかがいました。【イケメンで観るドラマ&映画】vol. 78「大切なメッセージを伝えている作品です」イギリスで原作となる絵本が誕生してから昨年で75年、日本でTVアニメの放映がスタートしてから30年。根強い人気を誇る『きかんしゃトーマス』シリーズの劇場版最新作は、発明と進化でより良い未来を目指す物語を描いた『きかんしゃトーマス おいでよ! 未来の発明ショー!』です。舞台は、トーマスたちが暮らすソドー島で催される、未来の発明ショー。発明家たちが、ダンスする巨大ロボットや自動ミルクシェイクマシーンなどを披露する姿にみんながワクワク!ところが、楽しい発明品の数々に目を奪われているすきに、発明家ルースが手掛けた空飛ぶ車の設計図が何者かに盗まれてしまいます。トーマスと仲間たちは、力を合わせてこの大騒動に立ち向かいます。ゲスト声優として、日本から来た世界最速を誇る超特急のケンジ役に賀来賢人さん、怪しげな2人組を乗せたきかんしゃサニー役に後藤淳平さんが参加。物語を盛り上げます。ーーゲスト声優のオファーをいただいたときに、どう思いましたか?賀来さん『きかんしゃトーマス』シリーズは、僕自身が子どものころに観ていましたし、誰もが知っている素晴らしい作品です。オファーをいただいてすぐに飛びつきました。後藤さん僕は常日頃、自分の子どもに自慢できるような仕事をしたいと思っているんです。だから僕もオファーに飛びつきました。『きかんしゃトーマス』のゲスト声優のお仕事以上に、自分の子どもに自慢できる仕事はないだろうと。ーー後藤さんは、賀来さんの主演作『今日から俺は!!』がお好きだそうですね。実際に、賀来さんとお会いした印象は?後藤さん“今日俺”のキャラとは全く違う、優しい方だなと思いました。パパ同士ですから、おすすめの公園など、パパトークもさせていただき、楽しかったです。ーーもし、おふたりが同じ公園にいらしたら、ちょっとした騒動になりそうですね(笑)。後藤さん僕は景色に溶け込むタイプだと思います(笑)。賀来さんもしかしたら、どこかの公園でニアミスしているかもしれません。ーー声の演技で心がけたことは?賀来さん監督さんといろんな方法を試した結果、ケンジの表情をマネながら発声するやり方がしっくりと来て。声優のお仕事の新たな魅力を発見しました。良い経験をさせていただきました。ーーお気に入りのシーンは?賀来さんケンジがパニックになるシーンです。声だけでなく、動きもつけながら全力で演じました。妄想するシーンも好きです。ケンジの新しい一面を出そうと、楽しみながら演じました。ーー後藤さんは、笑うシーンで苦労されたとか。後藤さん最初に僕が陰湿な笑い方をしてしまって。監督に「そうじゃないんですよ」とダメ出しされてしまいました。賀来さん笑い声は難しいですよね。ーー賀来さんも後藤さんも演じるキャラクターにすごく似ていて、驚きました。賀来さん今回、そういうオファーだったんですかね?(笑)うっすら似ている方を探したという。後藤さんもし、そういう理由でしたら、超ラッキーですよね(笑)。ーーもし、後藤さんのお子さんが本作をご覧になって、「ケンジが一番かっこよかった!」と言ったら?後藤さんその点は大丈夫です。「なんでサニーじゃなくてケンジやねん!」なんて、ジェラシーはありません(笑)。ーー最後に、『きかんしゃトーマス』シリーズの魅力と、本作の見どころを教えてください。後藤さんきかんしゃという人気の乗り物に顔をつけたら、愛されますよね。もしかしたら、現実の世界でも電車同士が喋っているのかもしれない、乗り物にも感情があるかもしれない、なんてことを想像しながら観ると、より楽しめると思います。僕が演じたサニーの見どころで言えば、サニーは誰かの役に立ちたい気持ちから、初めてのことに挑戦していきます。サニーが勇気を出して挑戦する姿を見ていただきたいです。賀来さんトーマスたちは、よそ者であるケンジを当たり前のように仲間として受け入れ、助け合いながら問題を解決していきます。子どもから大人まで楽しめるエンタメでありながら、大切なメッセージを教えてくれる、素敵な作品です。ぜひ家族一緒に、映画館で楽しんでいただきたいです。インタビューのこぼれ話トーマスにちなんで、乗り物の思い出を聞くと「新幹線で、憧れの長渕剛さんの2列前に座ったことです。恐れ多くて声を掛けることはできませんでしたが、そのとき、相方の福徳は長渕剛さんのすぐ後ろの席に座っていたんです。正直、うらやましかったですね」(後藤さん)、「たまたま、通路をはさんだ隣の席に友人がいて。東京から福岡まで移動する間、なごやかに世間話をしたことを覚えています」(賀来さん)。Information『きかんしゃトーマス おいでよ! 未来の発明ショー!』3月26日(金)より全国公開ゲスト声優:賀来賢人(ケンジ)、後藤淳平(サニー)配給:東京テアトル© 2021 Gullane(Thomas)Limited.© 2021 HIT Entertaimment Limited.文・田嶋真理 スタイリスト・小林新(賀来賢人さん)中村陽子(後藤淳平さん)ヘアメイク・西岡達也(賀来賢人さん)タカダヒカル(後藤淳平さん)文・田嶋真理 スタイリスト・小林新(賀来賢人さん) 中村陽子(後藤淳平さん) ヘアメイク・西岡達也(賀来賢人さん) タカダヒカル(後藤淳平さん)
2021年04月09日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。子供の成長は、とても喜ばしいもの。ですが結果だけに目がいってしまい、大切なものを見落としてしまっているかもしれません。第13回『すこしずつ、変わっていくだけ。』こないだ、ピーマンを生で食べた。7歳になった友人と食事をしている時に、学校の給食でピーマンが出るとテンションが下がるという話になった。面白半分で「そういえば、こないだピーマンを生で食べてんけど、意外とこれが美味しくて」と話をすると「食べてみたい!」と言い出した。間違いなく好奇心だけで言っている。その好奇心を取りこぼさないように冷蔵庫からピーマンを取り出し、手渡して種をとる方法を教えてあげた。流水で洗って塩をかけると、嫌いだと言っていたのに好奇心の方が勝ったのか勢いよくかぶりついた。パリッと“美味しそうな”音が鳴る。もぐもぐと味わいながら笑顔になったので「おいしい?」と尋ねると、表情を歪ませてお皿に吐き出した。美味しいのは音だけだったらしい。苦い後味を紛らわすために白米を口いっぱいに含む。「出しちゃったけどさ、学校のみんなには食べたって言おう」と笑っていた。「味はどうでしたか?」という質問には「まずかったです!」と元気に答えたのに、しばらくしてから「もう一回食べてみる」と言い出した。クセになるのだろうか。せっかくなので次はマヨネーズをかけてみることにした。すると、さっきより苦味が少ないのか、一口食べて「これはイケる」とばかりに追いマヨネーズ。二口三口と食べ進め、「食べてみて?美味しいわ」と嬉しそうに勧めてきた。それから面白くなって、ケチャップやソースでも試してみた。「ケチャップが美味しいって思ったけど、やっぱりマヨネーズが一番やわ。そのままで食べるのは苦いので0点です!」と、ゲラゲラと笑いながら、結局1人でまるまる一個食べてしまった。僕はピーマンを見るたびにその時のことを思い出しては、パリパリッという心地いい音とゲラゲラと笑う声が耳に蘇ってつい口元が緩む。ピーマンは子どもの嫌いな食べ物の代表格だ。子どもの舌は苦味を感じやすいから無理に食べさせることはないと聞いたことがある。好き嫌いが多くて不安だという子育て中の悩みはよく聞くけれど、ピーマンに限らず嫌いなものを無理に食べることはない。好き嫌いはよくない、という価値観は根強いけれど、無理に食べさせようとすることで、逆に食べること自体が嫌いになっては元も子もない。まず食べることを楽しむことができたら、いつか食べられるようになるかもしれない。もちろん食べられるようにならないかもしれないけれど、ピーマンを食べられなくても生きてはいける。嫌いなものを克服できた。それはきっと本人にとって喜びだろうし、大人にとっても何か成長の瞬間に立ち会ったようで嬉しく感じる。だけどなぜだか、この生ピーマンを食べた話を「苦手を克服した話」にすると、違和感がある。なんでだろうと考えて出た答えは単純明快で、僕が伝えたいと思ったのはその子が苦手を克服したことではなくて、まずそうな顔をしたり美味しそうな顔をしたりして笑い合ったその時間なのだ。ただ楽しく食事をした。いろんな調味料を出してきて、半分遊びみたいだから行儀が悪いかもしれないけれど、とにかく楽しかった。それを伝えたいのに「苦手を克服した」というレンズ越しに見ると、途端にそのおもしろさが見えなくなる。できなかったことができるようになった。それがとてもいいことのように感じる。もちろん、いいことなんだろうけれど、そればかりに目がいってしまって大切なものを見落としてしまっている。そんなことって意外と多くあるかもしれない。同僚が「去年やんちゃだった子が、今年に入ってから落ち着いて過ごしているんです」と話していた。何気なく「成長ですね」と答えた。すると「本当にそれが成長なんですかね」と返ってきた。僕の言葉への批判という感じではなかった。自問するように「大人しく過ごせるようになった、トラブルを起こさなくなったということが成長なんですかね」と考えを巡らせているようだった。何年か前に訪問した保育園での出来事を思い出す。子どもたちが整列して朝の会をしていた。その横で、ひとり、でんぐり返りをしている子がいた。僕が笑って見ていると、それに気づいて嬉しそうにまたでんぐり返しを見せてくれた。周りの子どもたちがその子に「ちゃんと並びや!」と注意をしているのを聞いて、僕も空気を読んで、みんなと一緒に並ぶよう促した。その後も何度かそんな場面があり、その子はじっとしていたりみんなと同じ行動をすることが苦手なんだろうということが見て取れた。別の日に、体育館のようなところで音楽会の予行演習があった。本番を想定して舞台に上がって演奏していて、緊迫した雰囲気が漂っていた。その子はというと、でんぐり返しはしていなかった。普段の姿とは別人のように、かしこまって楽器を演奏していた。その時の僕は、どんなことを感じたんだっけ。「やればできる子なんだ」とか、その子の良い姿を見たような気がしたのだと思う。演奏の途中でその子がトイレに行きたいと言ったので僕が付き添った。手を洗うその子に、僕は「上手に演奏してたね、楽しかった?」と尋ねた。するとその子は、少しムッとしたような顔で「楽しいとかちゃうねん」と答えた。予想もしない返事で戸惑ってしまった。「頑張ってんねんから、楽しいとか言わんといて」と言われた。この言葉を聞いて、「協調性が育まれている」とか「責任感を持っている」なんて的外れなことを思いたくなったけれど、それはさすがに自分のエゴだと思い直す。僕は「やればできる子」なんて言葉を使って、その子のしんどさを見ようとすらしていなかった。自由奔放に見えていたその子は、みんなの中で普通になるために頑張っていたのだ。やればできるのではなく、やるしかなかったのだ。成長したように見えるその姿は、追い込まれて苦しみながらギリギリで頑張っていることなのかもしれない。逃げ道を無くして克服することは成長ではない。ましてやその頑張りを求めて喜ぶなんて、なんだかおかしいような気がしたのだった。毎日わがままを言っていた子が、ある日を境に何も要求をしなくなったとして、そんな時に僕は、聞き分けが良くなったとか自制が効くようになったとか、勝手に成長だと思ってしまう。けれど、その実は「言っても無駄だと悟ったから」かもしれない。自分の思いを伝えるエネルギーがなくなったからかもしれない。社会では、言っても無駄だからと諦めて黙ることを、「大人になる」と表現する。けれど、それは成長して大人になったのではなくて、身を守る術を身につけただけだ。僕は子どもの何を見ているんだろう。できているように見えるその姿は、みんなから外れないように、こぼれないように、少しでも普通になるために必死にしがみついているのかもしれない。僕自身がまさにそれで苦しんでいるのに、子どもの姿となると、みんなと同じようにできて、トラブルを起こさないでいられるようになったそれを、成長だと感じてしまう。学校に行けるようになった。ピーマンが食べられるようになった。友達と仲良く過ごせるようになった。落ち着いて話が聞けるようになった。聞き分けが良くなった。じゃあそれで、その子は生きやすくなったんだろうか。それで一つ問題が解決したように感じるけれど、その子のしんどさは「できなかったことができるようになった」という姿に隠れただけで、ずっと深くに残ったままかもしれない。子どもの育ちを見守って、その育ちに喜びを感じる立場だからこそ、その成長した姿に喜びを感じる。それは悪いことではないけれど、それと同時に、無理していないだろうか、しんどさを抱えさせていないだろうかと、見えない部分にも目を向けていられたらと思う。できなかったことができるようになって生きやすくなることもあれば、しんどくなることもきっとある。僕がほんとうに大切にしたいことは、できなかったことができるようになることではない、もっとほかの何かだ。見栄えのするものに覆われてしまってその大切にしたいことが見えなくなる前に、ちゃんとそれに気づけるようにしていたいな。去年と今年を比べて、先月と今月を比べて、昨日と今日を比べて、子どもができるようになったことは、きっとたくさんある。その分、サボるようになったとか片付けをしなくなったとか、やらなくなったこともきっとある。その度に、一喜一憂する。「成長というよりも、変化しているだけなんですよね」とその同僚は言った。昨日と比べてしまうけれど、日々の姿がその子の姿で、それは成長でもなく後退でもない。ただ、移り変わっているだけなのだと。僕はどこかで、子どもの育ちは右肩上がりで、多少の浮き沈みがあったとしても、伸びていくもの。そんな風に思っていたのかもしれない。できるようになることも、できなくなることもある。その変化の中で、その時のその子が生きやすくなる方法を、その都度見つけていけたら。それは、見栄えしなくて不安になるかもしれないけれど、そうやってとどまることなく心配事が見えている方が、いいのかもしれない。子どものしんどさに気づけなくなるよりかは、もしかしたらその方がいいのかもしれない、なんて思う。余談ですが手巻き寿司の正解ってなんだろう。シンプルに刺身だけを巻くのもいいし、胡瓜や大根を添えて巻くのも飽きない。何も考えずに目についたものを乗せて、巻ききれず溢れそうになったのにかぶりつくのも、何味かわからないけれど美味しい。大葉なんか入れると最高だ。そういえば、僕は子どもの頃から、シソ(いわゆる大葉)が嫌いだった。独特の香りが苦手で、素麺つゆに間違え入れて勢いよくすすってしまい、勢いよく吐き出したことがある。シソはシソでも、ばあちゃんが作るシソジュースだけ飲めた。原液を水で薄めて飲むんだけれど、きれいな薄い紫色でシソ独特の香りがしない。大人になっても嫌いだったんだけれど、いつからか食べられるようになっていて、気づいたら好物になっていた。今では素麺にも手巻き寿司にも欠かせない。僕はシソのことを好きになってよかったって思うけど、だからと言ってシソが苦手な人に勧めたりはきっとしない。苦手なものは、苦手なままでいい。もし、いつかそれを好きになったなら、それは「克服した」のではなくて、ただ「きらい」が「すき」に変わっただけなんだろうなって思う。苦手なままなら、それは成長していないのではなくて、ただ、そのままなだけ。克服するのではなくて、おもしろそうだから試してみる、そんな感じで楽しめるのなら、嫌いなものも試してみようかなって思えるのかもしれない。例えばやったことない組み合わせで手巻き寿司にしてみて、色んな味を試してみるように、あんまり美味しくなくても食べられるようにならなくても、それでもいいかって思えるような気がする。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年04月09日●2人の子供とは「友達のような関係になれたら」「きかんしゃトーマス」シリーズの劇場版最新作『映画 きかんしゃトーマス おいでよ! 未来の発明ショー!』で、声優初挑戦を果たしたお笑いコンビ・ジャルジャルの後藤淳平。悪だくみに巻き込まれてしまう機関車・サニーの葛藤を、見事に演じている。2児の父親でもある後藤だが、本シリーズは「親子2世代にわたって観ている」そうで、「子供たちが喜ぶ仕事ができるのは、うれしいですね」とにっこり。「子供が生まれてからは特に、妻に感謝することばかり」という彼が、子育てのモットーを語った。■「子供たちが喜ぶ仕事ができるのは幸せ」未来の発明ショーのために、世界中の発明家たちがソドー島に大集合。トーマスがショーを盛り上げようと奮闘する中、思わぬ大騒動が巻き起こる様を描く本作。後藤は、発明品を盗み出そうとする2人組バズ&バーニーに連れられて、ソドー島にやってきた機関車・サニーを演じている。初声優のオファーを受けて、後藤は「僕も幼い頃は、学校行く前によく『きかんしゃトーマス』を観ていました。今回のお話をいただいて『ヨッシャー!』と思いながら、なんで僕を選んでくれたんやろうと意外にも感じました」と驚きもあった様子。「うちの子も観ていて、僕が『きかんしゃトーマス』の映画に出ることを話したら、ものすごく喜んでくれました。そういう仕事ができるのは、幸せですね。家には、トーマスのプラレールもありますよ! おもちゃ箱に入れておいたら、スイッチを切り忘れていたプラレールから、夜中に急に汽笛が鳴ってびっくりしたりして」と目尻を下げる。サニーは、悪だくみに巻き込まれながらも、本当は誰かの役に立ちたいと葛藤している機関車。後藤は「人間味があるなと思いました」とサニーの印象を吐露する。「サニーは“役に立ちたい、信頼してほしい”と思っているのに、その思いが先走ってしまって、逆に信用を失ってしまうようなところもあって。“自分のやっていることがうまく伝わらない”というもどかしさって、きっと誰もが経験しているものだと思います」と語り、「僕も芸人としてデビューして間もない頃は、なかなか結果を出せなくて。“こんなに面白いことをやっているのに、どうして気づいてくれないんだろう。なんで売れないんだろう”と、もどかしく思っていました。そういった気持ちとサニーの思いは、少し重なる部分があるなと思いました」と共感しきり。「僕の場合は、誰かと比べないことが大事なんだなと気づいてから、そのモヤモヤが少し晴れてきたような気がします。あとは、どんなに“しょうもない”と思えることでも、やり続けていたら、いつか形になるものなのかなと思っています」と継続の重みを噛み締める。■「子供がすくすくと育っているのは妻のおかげ」父親目線で観ると、改めて本シリーズの魅力を実感することもあったという。後藤は「“なにかを勉強しよう”と思わぬうちに、自然といろいろなことが学べるのが『トーマス』のいいところだと思います。子供と一緒に観るには、最高やなと思います」とコメント。「たとえば本作では、サニーが仲間の機関車を助ける場面があります。あそこは僕もすごく感動しました。また、悪いことをしてしまったら、きちんと謝る機関車もいる。普遍的なことや、大事にしたいことがたくさん描かれているなと思いました」としみじみと語る。2人の男の子の父親である後藤にとって、子育てのモットーにしていることはどんなことだろうか。すると、「2人とも男の子なので、友達のような関係になれたらいいなと思っています。威厳のある父親というよりは、同じ目線で話せる関係でいたいなと。次男はまだ5歳ですが、僕のことを『淳平』って呼ぶんですよ(笑)。僕も『今日は仕事行くの、面倒くさいな』とか、あえてダメな部分も見せるようにしています。そうすることで、思春期や反抗期になっても、なんでも相談してくれる関係になれたらいいなと思っています」と理想は“友達のような関係”だという。「僕も含めて、家に3人の男の子がいる感じかもしれないですね」とも明かし、「叱るときには、妻がきちんと子供を叱ってくれる。僕が友達のような立場でいられるのも、完全に妻のおかげですし、2人がすくすくと育っているのは、すべて妻のおかげ。家族にとって、絶対的な存在です。なかなか口に出して感謝を伝えられていないので、もっと『ありがとう』と言わないとダメですね」と照れくさそうに話す。●子供が誕生したタイミングで働き方を実行■「一つ一つのクオリティは確実に上がった」彼らにしかない独創的な発想力と世界観で、観客を魅了し続けているジャルジャル。子供が生まれた時期と同じくして、働き方にも変化があったという。「子供が生まれたからというわけでもないんですが、ちょうど同じくらいのタイミングで、健康的なスケジュールで働くことを心がけるようになりました。忙しくてバタバタしているよりも、なるべく夜中までは働かないようにして、休みもきちんと取る。相方の福徳(秀介)も同じ考え方なんですよ」。さらに「25、6歳くらいまでは、めちゃくちゃ忙しかった」と述懐。「1日を乗り越えるのがやっとというような、スケジュールで働いていましたね。明日のスケジュールもわからないような状態で、そうすると心の余裕もなくなってしまう。でもそういった経験があったからこそ、“これはちょっと考え方を変えなければいかんな”と気づくことができた。きちんと休みを取るようになってからは、もっとネタの細かいところまでこだわるようになったと思いますし、一つ一つのクオリティは確実に上がったような気がしています」と働き方改革をしたことで、「今すごく楽しいし、充実しています」と笑顔を見せる。演じたサニーは「誰かの役に立ちたい」と奮闘するが、後藤もお笑い道を邁進することで「いつの間にか誰かの役に立っていた」と思える瞬間があると、うれしそうに話す。「基本的には、“福徳と2人でなにかやる”ということが楽しくてやっているんですが、その結果、『YouTubeの配信、いつも楽しみにしています』とか、『これがあるから、毎日頑張れます』とコメントしてくれる方もいます。『ジャルジャルさんを知って、ライブに行ったことで救われた』というお手紙をもらったこともあります。めちゃくちゃうれしかったですし、本当にやっててよかったなと思いました」と“笑いの力”を実感し、「これから年齢を重ねても、“その年齢だからこそできるネタ”というのがあると思います。笑ってくれる人たちがいるということもやりがいに、これからも楽しんでいきたいです」と力強く語っていた。『映画 きかんしゃトーマス おいでよ! 未来の発明ショー!』は3月26日より公開。■後藤淳平1984 年3月20日生まれ、大阪府出身。2003年にお笑いコンビ・ジャルジャルを結成。2007年「NHK 新人演芸大賞演芸部門」大賞。2013年「ABC お笑いグランプリ」優勝、2020 年「キングオブコント2020」優勝。三谷幸喜監督の『記憶にございません』(19)に出演するなど、俳優としても活躍している。
2021年03月27日お味噌汁や煮物などの料理でおなじみの食材『お麩』。調理する時は、水で戻して使うことが多いですよね。イラスト料理研究家のぼく(@boku_5656)さんは、煮物にお麩を入れる際、『あるひと手間』を加えると、絶品な食感になるとおすすめしています。お麩を「もちもちプルプル」にする方法Twitterに投稿されたレシピは、以下の通り。まず、お麩を水で戻した後、軽くしぼって卵液を十分に吸わせましょう。卵液を吸わせたお麩を、フライパンで揚げ焼きします。揚げ焼きしたお麩を煮物に入れれば、もっちもちプルップルな食感になるとのこと!お麩、水で戻してそのまま煮物に入れるんじゃなくて水で戻して絞って卵を充分に吸わせ、フライパンで揚げ焼きしてから煮物に使ってみて…めっちゃ美味いから…もっちもちのプルップルだから… pic.twitter.com/S5rGNKHv8O — ぼく◓イラスト料理研究家 (@boku_5656) March 8, 2021 熱々のお麩をひと口食べれば、プルッとした食感とジュワーッと染み出す煮汁のうま味がたまりません!ぼくさんいわく、沖縄県のお麩を使った定番の炒め物『フーチャンプルー』も、同様に卵をお麩にまとわせて作るそうですよ。投稿を見た人たちからは「おいしそう」といった声が多数寄せられています。・あ~おいしそう!ネギと一緒に甘辛く煮付けて丼にしてもいいですね。・「もちもちプルプル」なんて最高の食感。試してみます!・これは天才の発想…。早速お麩を買ってきます。お麩はヘルシーな上、料理にボリュームも出るので便利な食材です。夕飯のおかずに悩んだら、試してみてはいかがでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2021年03月09日俳優の賀来賢人とお笑いコンビ・ジャルジャルの後藤淳平が8日、都内で行われた『映画 きかんしゃトーマス おいでよ! 未来の発明ショー!』(3月26日公開)の公開アフレコイベントに出席した。「きかんしゃトーマス」シリーズの劇場版最新作となる本作。賀来は、新登場のキャラクターである日本からきた世界最速の超特急・ケンジの声を、後藤は、2人組バズ&バズーの悪だくみの仲間ながらも本当はみんなの役に立ちたいと願う機関車・サニーの声を演じた。賀来は「小さい頃から『トーマス』を見て育ちましたし、子供ができてまた『トーマス』を見る機会があって、その矢先にオファーをいただいて、ケンジの顔が僕に似ているなと。見れば見るほど運命なんじゃないかと思い、オファーを受けさせていただきました。ケンジにすごい親近感があって」とオファーを受けた心境を告白。後藤も「『トーマス』は僕も通ってきていますし、子供も通ってきて、親子2世代でお世話になっているので、アフレコに参加させていただけるというのは本当に幸せなことです。ありがとうございます」と本作参加の喜びを語った。賀来と後藤はこの日が初対面となったが、賀来は「テレビで活躍されていて、番組も見ていたので、初めましてな感じがしない。勝手に会ったことあるくらいな」と親近感を語ると、後藤は「うれしい」とにっこり。そして、後藤が「僕もドラマや映画で見させてもらっていて、息子も大ファンなので、僕が『トーマス』に出ることと同じくらい、賀来さんとパパが一緒に仕事するということで子供はテンション上がっていました。『今日から俺は!!』は全部見て、映画も見て」と明かすと、賀来は「ありがたいです」と喜んでいた。
2021年02月08日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。「つらい環境でも耐え忍べば報われる」という意味を持つ『石の上にも三年』という、ことわざ。ですが、長く続けることよりも難しいのは…。第12回『石の上にも、三日坊主。』始めることと続けることって、どちらが難しいんだろう。興味を示したけれど輪に入らずに、あそびに参加しない子がいる。そのあそびに興味がないのかといえばそうではなく、観戦しながら一緒に楽しんでいるので仲が悪いというわけでもない。むしろやりたそうにはしているけれど、誘ってみると「やったことないから」と断られる。「教えるよ」と声をかけても頑(かたく)なで、あまりしつこく誘うと逆に離れてしまうので、一歩を踏み出すきっかけを見逃さないように見守るくらいしかできない。保護者の方にお話しすると、家では興味深げにそのあそびについて話しているらしい。やってみたい気持ちはあるようだ。じゃあ、なんでやらないんだろう。やってみたいのにやらない。どうしてだろうって考えてみる。無理にそのあそびをさせたいわけではない。したいならしたらいいし、したくないならしなくていい。「見ているだけ」も、その人の楽しみ方だ。サッカーをしたことがなくても観戦は楽しめるし、経験者よりも劣っているということもない。実際にプレーしている人と見ている人、そこに優劣はないのだから。ただ、なにかが足枷になっていて一歩を踏み出せないのであれば、その足枷を外してあげたいなと思う。もちろん、その子と自分は違う人間だし場面も違うから、正しい答えが出るとは限らない。けれど、分かるわけないからといって開き直ってしまったら、分からないままだ。想像したり思いを馳せたりしていれば、すこしでもなにかのヒントが見つかるかもしれない。5年くらい前、友人に誘われてボルダリングを始めた。室内の壁に打ち付けられた、岩のでっぱりやくぼみを模した“ホールド”というものを登っていくスポーツクライミングと呼ばれるものだ。初日はペットボトルの蓋も開けられないくらい腕がパンパンになったんだけど、何度か通っていると筋肉痛も心地よく感じるようになり、日ごとに登れるようになっていった。競技自体も楽しいんだけれど、目に見えて自分の成長が感じられるのも嬉しかった。大人になってのびしろを感じる機会って少ないもんね。ある程度技術がついてきたあたりから、初めは見えなかった面白さを感じるようになってきて、一層楽しめるようになった。そのものの本質的な面白さがわかるまでには時間かかる。あそびもスポーツも仕事も同様だろう。時間をかけてこそ見えてくるものは確かにあるよね。三日坊主という言葉がある。物事が続かないことを揶揄(やゆ)する言葉だ。逆に、辛抱強くいればうまくいくかもしれないという意味として、石の上にも三年ということわざがある。初めは冷たい石の上でも、長く座り続ければいずれ温かくなるということだ。継続は力なりというように、三日で辞めるより続けられた方がきっといい。途中で投げ出さずに粘り強くやり抜くことって、何かを成し遂げるためだけではなく、楽しむためにもとても大切なことだろう。子どもたちにも、やり始めたことは途中で投げ出さずにやり抜いてほしいと思う。今は面白さを感じなくても、続けていれば楽しくなってくるよって。根気強く続けた先に見える面白さや追求することの楽しさを知ってほしい。壁にぶち当たっても乗り越えてほしい。そのときに味わう達成感は格別だ。けれど、と少し考えてみる。何気なく腰掛けて、なんとなく座っていただけなら三年座っていられるかもしれない。けれど、あらかじめ石が温かくなるまでは何年もかかりますよ、と言われていたら、そんな石には座らないんじゃないだろうか。どうしても座らなきゃいけない状況はあるかもしれない。そんな人にとっては、「いつか温かくなるかもしれない」という見通しがあれば安心する。だけど、それは座り続けるための理由ではなく、あくまでも我慢を続けるための慰めだ。そうやってやっとのことで温まったお尻に感じるのは、きっと達成感ではなく、辛かったことから解放された安堵だろう。少し走ってみようかなと思ったときに、遠くにあるゴールにたどり着くまで走り続けないといけないとしたら、ましてや、周りのみんなはその道のりを悠々と走っているのを見たら「今回はやめておこうかな」と、スタートを切ることさえしないんじゃないか。そうしたら、そのまま「興味はあるけれどやっていないリスト」に追加されることになる。続けたら花が咲き、実がなるかもしれないけれど、そもそも始めなかったら芽さえも出ない。なんとなく始めてみて、一歩ずつ進んで、気づいたら遠くまで来ていた。座っていたらいつの間にか温くなっていた。それくらいでいいのなら、最初の一歩も気軽に踏み出せそうな気がする。どうして僕はその面白さを知れるくらい続けられたんだろう、と考えた時に思うのは、同じように下手くそな友人がいたからではないだろうか、ということ。もちろん、上手い人に憧れて鍛錬して上達する人もいるだろうけれど、自尊心の低い僕の場合は、周りの人たちが板チョコのような薄さのホールドを掴んで身軽に登っているのを見て、憧れよりも惨めさを感じた。僕だけが、バナナみたいなデカいホールドに不格好にしがみ付いている。身軽さなんて微塵もなく、ナマケモノのように壁にへばりついて腕をプルプルさせたあげく引力に負けてマットの上に落下する。初心者なんだから当たり前だし、恥ずかしがって楽しめないのはもったいない。そんなこと分かっているけれど、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。だから僕は、慣れるまではひとりで行けなかった。一緒に通う、同じタイミングで始めた同じように下手くそな友人がいたから、その恥ずかしさが紛れていた。自分より下手だから安心できるのではない。「失敗しても大丈夫だ」と思えるから安心できるのだ。持つべきものは偉そうに教えてくれる熟練の友ではなく、共に失敗する未熟な友だった。そんなことを思い出しながら思う。興味を持ったあそびに参加しないその子は、新しいことに挑戦することが嫌というよりは、「みんなができていて自分だけできない」のが嫌なんじゃないだろうか。「失敗するかもしれない」という気持ちが足枷となっているんじゃないだろうか。なんとなく始めて、なんとなく覚えて楽しんでいる間に上達することってある。特に幼少期はそういうことが多いだろう。自分が人よりも劣っているかも、そんなことを思うとはじめの一歩は踏み出せない。大人なら子どもよりも上手にこなして「やってみなよ、教えてあげるよ」って、色んなことを教えてあげたい。けれど、未熟な友として共に失敗しながら成長していくのも良いのかもしれない。簡単に投げ出したり、逃げ出したりしないでほしい。けれど、途中で辞めることを「悪いこと」にしてしまっては、その経験はきっと「あの時も投げ出してしまったし、今回もどうせ続かないからやめておこう」になる。投げ出さないように嫌なことに耐えて育つのは、根気強さではなく我慢強さだ。根気強さや粘り強さはきっと、「もう少し続けたら面白くなるんじゃないかな」という期待のもとにあるんじゃないかな。それはきっと、与えられるものではなく、気軽に始めてたまたま続いた、そんな経験の積み重ねから生まれるんだろう。だから、途中で投げ出さずに続けてほしいなら、途中で辞めても大丈夫って思いたい。いつ立ってもいいからこそ、気負わずに安心して座り続けられるのだ。身になりかけたものを途中でやめそうになったときに「もったいないな」って思ったりもする。こんなに勉強してきたのに生かせないのはもったいないな。この資格取ったのに、別の仕事するなんてもったいないな。ここまで原稿書いたのに、ボツにするのはもったいないな。そんなことを大人になっても、いや、大人になったからこそ思ったりする。きっと、これまでそれに注いできた時間が無駄になるようで嫌なんだと思う。けれど、これまでの時間はこれまでの時間で、これからの時間はこれからの時間だ。ちなみに、これまで注ぎ込んだものを無駄にしたくない!という思いで損をすることが分かっていてもそれを続けてしまうことを、コンコルド効果っていうらしい。博打好きの同僚が教えてくれた。博打と一緒にするなよ、と思うけれど、同時に納得もしてしまう。未来のためにやってきたことを間違いにしないために、これからを犠牲にしているならそれは、未来ではなく過去のために生きているということになる。きっと誰だって、失敗するのは嫌だ。けれど、それが失敗じゃないとしたらどうだろう。「やるなら途中で投げ出しちゃダメだよ」「どうせ続かないんだからやめときなよ」って言葉は減るかもしれない。飽きたなら途中で辞めればいい。しんどければ逃げればいい。簡単に投げ出せばいい。そんなことを言葉にするのは憚られるけれど、それが許されるなら、大人も子どもも、少し肩の荷が降りるような気がする。甘いんじゃないだろうか。その子のためにならないんじゃないだろうか、と思ってしまうかもしれない。途中で辞めてしまう子を見て、歯痒い気持ちになるかもしれない。けれどそれは失敗じゃないし、無駄なんかじゃないとすれば、育んでいるものに目を向けられる。新しいことに挑戦できた。別のことに興味を持てた。できない自分を受け入れられた。全部大成功だ。何にも見つからなくても、自分の気持ちに正直になれた、無理しなかった、だけでも十分だ。それを失敗にしなければ、次の挑戦ができるかもしれない。気軽に、なんとなく興味を持って、なんとなく始められるかもしれない。そんな一歩が積み重なって、気づいた頃にどこか遠くまで来ているかもしれない。もちろん、どこにも辿り着かないかもしれないけれど、それはそれでいいじゃない。活発な子に育ってほしいなら、元気がなくてもいいよって言ってみる。なんでも食べる子に育ってほしいなら、無理して食べなくてもいいよって言ってみる。強い子になって欲しいなら、泣いてもいいよって言ってみる。今と未来は地続きだけれど、今のこの時間を、未来の何かにつなげるために無理しなくていい。「こんなんじゃダメだ」ではなく、「できなくても大丈夫」って安心できたなら、どこかの何かのきっかけでなんとなく「もう一歩踏み込んでみようかな」って思えるのかもしれない。余談ですがこの連載コラムは、月2本くらい書くつもりでスタートした。次第に月1本くらいのペースになっていった。1月から始まり12月にちょうど第12回の原稿を書き始めた。三日坊主の自分が月一を継続したと喜んでいたら、八割方書けたくらいで手が止まってしまい、結局予定より2ヶ月遅れた。初めは、「続けられるか分からないけれどとりあえずこの一本を」と書いていたのに、過去に積み上げたものや達成しそうな何かを見た途端、身動きが取れなくなったのだ。けれど、書いた。今までのものなんて忘れて、次のことも考えないで、目の前のことだけ考えて、ちゃんとできた。えらいな、自分。結局、ボルダリングは2年ほど続けたけれど、引っ越してアクセスが悪くなったことで足が遠のき、そのまま辞めることになった。せっかく鍛えたのだから衰えないようにと通い始めたフィットネスジムは、2、3回通って飽きてしまった。かと言って一度始めたのに途中で辞めるのもなんだかやはりダメな気がして「今月は月謝も払ったし…」と先延ばしにし続けていたら、結局1年間ほとんど通わないのに毎月月謝が引き落とされていた。これがコンコルド効果か、と無表情で納得した。始めたいけれどきっかけがない、ということもあれば、続けたいけれど途切れてしまうこともある。やめたいのにダラダラと続けていることもある。三日坊主が石の上に座っているのを想像してみる。ただの坊主なら修行っぽいけれど、三日坊主が座り続けているのならば、よほど居心地のいい石だろう。そんな石が見つかればいいなって思う。いつか見つかるかもしれないから、そんな石が見つかるまでは、少し冷たいお尻ももう少し我慢してみようかな、なんて誤魔化してみたりする。座っているのがしんどいならば、寝転んででもへばりついてでも居心地いい姿勢を見つけてやろうか。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年02月06日2020年に社会現象を巻き起こした、漫画『鬼滅の刃』。アニメ化や映画化されたこともあり、本編が完結した2021年2月現在も、幅広い世代から人気を集めています。後藤真希の『画力』に驚愕!2021年2月4日、タレントの後藤真希さんがInstagramを更新。後藤さんは、『鬼滅の刃』に登場するキャラクターの中でもっとも好きだという、『伊黒小芭内(いぐろ・おばない)』を描いたそうです。ファンを驚かせた、作品をご覧ください。 この投稿をInstagramで見る 後藤真希(@goto_maki923)がシェアした投稿 …うますぎる!!!特徴的な髪型や目の色、常に首元に巻き付いているヘビの『鏑丸(かぶらまる)』まで、忠実に描かれています!鉛筆とボールペンを使ったのでしょうか。思わず目を奪われる画力ですね。ちなみに、後藤さんは同年1月29日にも、『鬼滅の刃』の登場キャラクターである『竈門禰豆子(かまど・ねずこ)』や『胡蝶しのぶ(こちょう・しのぶ)』の絵を描いていたようです。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 後藤真希(@goto_maki923)がシェアした投稿 こちらの絵はボールペンのみで描いたとのこと。各キャラクターの特徴を見事にとらえた、素敵な作品ですね。後藤さんの絵を見た人からは、「いい意味で意外」「すごく上手」「ほかのキャラも描いてほしい」など、驚きの声が上がりました。現在2児の母親でもある、後藤さん。もしかしたら、子供にお願いされて描いた作品なのかもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2021年02月05日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが30日、一般女性との結婚を発表した草なぎ剛をツイッターで祝福した。草なぎはこの日、婚姻届を提出。所属事務所を通じ、「これからも、今までと変わらぬスタンスで仕事を続けていきたいと思っておりますので、皆様にも応援していただけるよう、日々精進してまいります」とコメントを発表した。天野は相方・ウド鈴木と共に撮った思い出のスリーショットをアップし、「うぉー、今つよぽん結婚!」と興奮。「こんな嬉しいサプライズは、なんぼあってもいいですからね」と喜び、「本当におめでとう」とメッセージを送った。天野が投稿した写真は、昨年11月に草なぎが行ったライブイベント「草なぎ剛のはっぴょう会」後の一枚。当時のブログでは会場まで足を運んだことを明かし、「歳をとると、失敗を恐れたり、なるべく恥をかきたくないという気持ちが強くなり、次第に自分で挑戦を諦めたり、限界を決めたりしてしまうものだ」「しかし、つよぽんにはそれがない」「その姿を見ていたら人生を楽しんで生きてるかい?とお尻を叩かれたような気持ちになったりした」と感想をつづっていた。
2020年12月30日歌手の後藤真希が19日、自身の公式YouTubeチャンネル「ゴマキのギルド」で、モーニング娘。時代に後輩ができた際の心境を語った。「【モッパン】韓国料理食べながらゆきりんとNGなしの質問コーナー」と題して公開された動画には、AKB48の柏木由紀も出演。モー娘。3期の後藤は、4期の辻希美、加護亜依らが加入する際、「私は絶対、4期と仲良くならない」と決めていたという。後藤は「私が3期生で入ったばっかりで半年も経ったか経たないかぐらいのときに(4期の)オーディションが行われて、『私っていったい何だったんだろう』と思った」と言い、「絶対仲良くならないからって決めてたのに、初めて会った日に即効、自分が1番最初に仲良くなっちゃって。私の意志弱い、みたいな(笑)」と述懐した。そして後藤は、「私、すごいお世話したいんだなって。辻・加護とかはすごい子どもだったから、本当にとんでもないことをいっぱいやるわけ。そういうのを母親の感じで注意したり、一緒に面白いことをやったり。後輩が入ってくると成長するなと思った」と振り返った。
2020年12月25日歌手の後藤真希が19日、AKB48・柏木由紀の公式YouTubeチャンネル「ゆきりんワールド」にゲスト出演し、モーニング娘。時代について語った。後藤は、9月30日放送の『テレ東音楽祭 2020秋』で、柏木含むAKB48メンバーと初コラボ。センターポジションに就き、ヒット曲メドレーを披露した。「【コラボ】後藤真希さんに聞きたいこと全部聞いてみた!!」題して公開された動画で、後藤は「世間の人たちがちらほらと、『モーニング娘。の中でセンターだ』と言っているのは聞くんだけど、自分でセンターって意識したことが1回もないし、なったことも1回もないと思っていた」と説明した。柏木が「えぇ!? 絶対センターですよね?」と驚くと、後藤は「恋のダンスサイト」のジャケット写真を例に挙げ、「真ん中で笑った顔でいる気がするんだけど、たまたまあの位置があたしの位置だっただけで。別にセンターという意識はまったくなかったから、(『テレ東音楽祭 2020秋』での)AKB48さんたちとのコラボで、初めて『私、センターってやつをやるんだ』みたいになった」と語った。さらに柏木が「そのときのモーニング娘。さんって『センターが誰々』と言われなかったんですか?」と聞くと、後藤は「言われない。『ザ ピ~ス!』の時に初めて『今回は石川梨華を盛り上げたいから安倍(なつみ)と後藤、サポート頼むよ』と言われたぐらいで、そういうのない」と答えていた。
2020年12月25日歌手の後藤真希が6日に自身のYouTube公式チャンネル『ゴマキのギルド』で、「残酷な天使のテーゼ」歌唱動画を公開した。後藤は11月1日に、アニメ『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の主題歌であるLiSAの「炎」歌唱動画をUP。現在290万回を超える再生数を記録するなど大きな話題になっている。今回は“後藤真希が歌ってみた”企画の第2弾となり、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニングテーマで、シングル発売から25年が経った今でも国内外問わず多くの人に愛されてる高橋洋子の楽曲「残酷な天使のテーゼ」をセレクト。視聴者からは既に400件近くのコメントが寄せられており「歌がやっぱ上手い…」「ちゃんと後藤真希の歌になってるからすごい」「歌の上手さもそうだけど、声質が最高なんだな」「包容力ある歌声」と、歌唱力や透き通った歌声を褒める声から、「歌ってるときの表情がデビューの頃からずっと好き」「歌い終わった後の笑顔マジ最高」など、表情や表現力魅力についての反響も。また「超超超超良い感じの歌い方」「16ビートが身体に染み付いてるの見ると泣ける」と、ファンならではのコメントも見られた。後藤は20日、デビュー20周年を記念した初のオンラインイベントを行う。
2020年12月07日お笑いコンビ・フットボールアワーの後藤輝基が2日、YouTubeチャンネル「ジュニア小籔フットのYouTube」に公開した動画に出演。霜降り明星・粗品とのエピソードを披露した。「『風が吹けば桶屋が儲かる』のシステムでエピソードトークに挑戦」と題して公開された動画で、後藤は幼少期に憧れていた人物に芸能界に入ってから会えるようになったが、憧れていたことを伝えられず、ある程度関係性ができてから「あの番組観ていました」などとやっと言えると明かした。しかし、「時代変わりました」と後藤。「ある特番で、司会やったんですよ。で、メイク室に行ったら、そこに座っていたのが、霜降り明星の粗品。あんまり接点ないんですよ。何回か共演はしたけど、ガッツリしゃべったことはほぼない」と述べ、「メイク終わった粗品がどっかに行ったんですよ。で、1~2分後にメイク終わったはずの粗品がメイク室来たんですよ」と回顧した。そして「(粗品が)『後藤さんちょっといいですか? 好きです』って言ってきたの。僕、ドキッとして。そんなことないじゃないですか。メイク中に好きですって」と振り返り、「『どうしてん?』って言ったら、『フットさんの漫才、ずっと見てたんです。おしゃべりする機会もなかったので、せっかくなので言いに来ました』って」と話した。続けて、「『1回戻って言いに来るって、よっぽどやな! そうかそうか、ありがとう!』って、懐広い先輩みたいな言い方して。で、鏡見たらメイクさんが困るくらい、顔、真っ赤っかになってた(笑)。うれしいというか恥ずかしいというか」と述べ、「変わりましたよ、時代は。そんなこと俺らの時代はなかったから。そういうのは伝えていかなダメなんですよ」と説いていた。
2020年12月06日ぴあが毎号特別編集にて、演劇&ミュージカルの最新情報を発信するフリーマガジン『ステージぴあ関西版』。生活の豊かさを求める“大人のリスナー”に向け、常にクオリティーの高い情報を提案する『FM COCOLO 765』。毎週金曜放送されているFM COCOLO DJ加美幸伸の人気プログラム「THE MAGNIFICENT FRIDAY」では、このふたつがコラボレーションしてお届けしている演劇専門コーナー「ステージぴあSPOT-LIGHT(スポットライト)」をオンエア中だ。同コーナーでは、毎週おすすめの作品にスポットライトを当て、出演者や作・演出家などにインタビューしたり、時にはチケット先行受付やモニター招待などリスナーにお得な情報も発信。演劇フリークからビギナーまでが楽しめる耳寄りな情報をたっぷりとお届けしているが、12月の1か月間は、8月に大好評を博したラジオドラマ企画の第2弾を実施。前回は関西人気4劇団によるオリジナルラジオドラマを放送したが、今回は’80年代以降の演劇シーンを賑わし、今も活躍する“大人の”演劇人をフィーチャーする。第1週のわかぎゑふ脚本作品からスタートし、升毅、後藤ひろひと、高泉淳子が“ラジオ”をキーワードにオリジナルドラマをお届け。お聞き逃しなく!【番組概要】■FM COCOLO「THE MAGNIFICENT FRIDAY」ステージぴあ SPOT-LIGHT毎週金曜日15:20~15:40オンエア!DJ:加美幸伸<ラインアップ>●12月4日(金)わかぎゑふ(脚本)●12月11日(金)升毅(出演)●12月18日(金)後藤ひろひと(脚本・出演)●12月25日(金)高泉淳子(脚本・出演)
2020年12月01日2021年3月4日(木)~3月14日(日)に、東京・大手町三井ホールにて上演される舞台「元号男子」のメインビジュアルが公開された。本作は、志島とひろによる元号を擬人化した作品を舞台化したもの。時代とともに生まれた大正、昭和、平成、令和の4人の元号男子が一つ屋根の下で暮らす模様を描いている。脚本・総合演出を川尻恵太、演出を白鳥雄介が担当。大正役の和合真一、昭和役の校條拳太朗、平成役の平賀勇成、令和役の大薮丘を中心に、若手俳優たちが活躍する。今回公開されたビジュアルのイラストは、原作者の志島が手がけた。背景はイラストレーターの村カルキによるもの。魅力的なキャラクターはもちろん、美しく描かれた背景も注目してほしい。なお、和合、校條、平賀、大薮のキャスト4名のサイトにて、チケット先行受付を実施中。申し込み締め切りは12月7日(月)23:59となっている。【公演概要】舞台「元号男子」公演日:2021年3月4日(木)~3月14日(日) / 全15公演会場:大手町三井ホール(東京都千代田区大手町 1-2-1 Otemachi One 3F)チケット代:全席指定9,800円(特製 A4 タペストリーつき / ランダム)※本公演のチケットは電子チケットとなります。ご注意ください。キャスト先行:2020年11月20日(金)10:00~12月7日(月)23:59大正役・和合真一 FC: 昭和役・校條拳太朗 FC: 平成役・平賀勇成 ニコニコチャンネル: 令和役・大薮丘 FC: ※詳細は各サイトでご確認ください。公演に関するお問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(平日12:00〜15:00)公式サイト:
2020年11月27日お笑いコンビ・千原兄弟の千原ジュニア、フットボールアワーの後藤輝基が11日、YouTubeチャンネル「ジュニア小籔フットのYouTube」に公開された動画に出演。他番組のロケに遭遇した経験を語った。「【車中トーク】YouTube社長から4人に届いた手紙とは!?【開封動画】」と題して公開された動画で、後藤は「あれどうします? 完全にプライベートで外出かけてて、向こうでロケをやっていると。その時にどんな感情になります?」と切り出した。後藤は1年ほど前に、ベビーカーを押していたところ、たまたまテレビ朝日系番組『じゅん散歩』の収録現場に遭遇したという。「そのまま通り過ぎるのもな、でも横に避けていくのも…ちっさい男やのうと。もし何かあったときには、スイッチ入れて『たまたまここ来たんですよ!』みたいなことを言われへんのかという葛藤で、ベビーカーの持つところをギュッと握りしめるみたいな(笑)。あそこで何かはかられてるような気がする」と述懐した。それを聞いてジュニアは、「中華街で『じゅん散歩や!』ってなって。以下同文やわ(笑)」と苦笑いし、「やっぱり向こうも面倒くさいと思うで。裏被ってないかとか、事務所通して電話せなアカンとかなるやん」と語った。さらにジュニアは「ハワイに行ったらさまぁ~ずさんがロケしてて、後輩も『さまぁ~ずさんロケしてますよ!』って背中グイグイ押してくるねんけど、『ちょっとやめとけお前…』って(笑)」と振り返った。そして後藤が「そのときって、俺が小さいみたいになることもあるじゃないですか。いかへんかったから。あれもうたまらんわ」と嘆くと、ジュニアは「でも、これ(『ジュニア小籔フットのYouTube』のロケ)やってるときは(芸能人を)絶対捕まえるけど。肩組んで『何してんねん!』って」と笑っていた。
2020年11月17日30代40代の大人かわいいショートボブ30代40代の大人かわいいショートボブスタイリング剤を付けてマジックカーラーで横だけ巻いてショートの横にボリュームを出すとちょっと雰囲気が変わります。ケートke-to.beautyhair30代40代の大人かわいいショートボブを見る櫛やブラシでお風呂上り乾かす前に梳かす。お風呂上りは髪が洗った後で毛が色々な方向を向いています。シャンプーで頭皮を綺麗にしている状態で髪を整えてあげると頭皮の穴は多少緩くなっているので、整いやすくなっています。お風呂から上がった後に毎日梳かしてあげると扱いやすくなりやすいです。30代40代大人かわいいショートボブ30代40代大人かわいいショートボブ30代40代の方におすすめのショートボブ前髪も厚すぎないので今っぽく感じます。でも、落ち着きもある大人かわいいショートボブのヘアスタイルです。ケートke-to.beautyhair30代40代大人かわいいショートボブを見るお風呂上りにタオルで髪をふき取る時は優しく。ガシガシとタオルでふいてしますと髪が絡まっていたりして、髪が痛みやすくなってしまうかもしれません。抑えて毛を優しく拭きっとってあげると後々の髪のダメージに違いが出るかもしれませんね。ショートヘアショートボブヘアスタイルショートヘアショートボブヘアスタイルナチュラルなショートカットスタイル。乾かした後にアイロンを巻いてもスタイリング剤つけても大丈夫です!ケートke-to.beautyhairショートヘアショートボブヘアスタイルを見るシャンプーで洗う前にしっかり濡らす。シャンプーで洗う前の肌は髪が邪魔したり頭皮までシャワーが届きにくいです。頭皮にシャワーヘッドを当てて頭皮を動かすように当てると濡れるのが早くなったりします。頭皮もそうですが髪もしっかり濡れていないとシャンプーがうまく伸びずしっかり全体を洗浄出来なくなってしまうのでしっかり濡らす事は大切です。ミディアム風ショートボブヘアスタイルミディアム風ショートボブヘアスタイルハネ感とフンワリ感でひし形シルエットを作っています。ロングからショートにしたい方が入りやすいスタイルです。表面にレイヤーが入っているので、おしゃれを楽しみたい方は特におすすめです。ケートke-to.beautyhairミディアム風ショートボブヘアスタイルを見るブローをする。先程頭皮を整える話がありましたが、髪も整えると髪も癖が多少つきますのでお勧めです。ちょっと慣れが必要かもしれないので何かわからない事があったら担当の美容師さんに相談してみると良いかもしれませんね。意外と1日1日が大切だったりします。髪が扱いやすくなるとセットも楽になってくるかもしれませんね。皆様のヘアライフに幸せが訪れますように。ケートke-to.beautyhairケート ke-to.beautyhair三軒茶屋美容室美容院ヘアサロン個室【二名様で入れるお部屋もございます。施術を二名様とも行わせていただける場合は、順番の施術となります。宜しくお願い致します】オーガニックカット、カラー、パーマ月曜日、火曜日、金曜日、土曜日、日曜日ヘッドスパ担当者固定出勤日水曜日ヘッドスパはMikaのみの対応になります。メニュー税抜カット5500円話が苦手な方は、必要以上お話なしサイレントカット5500円前髪カット1000円2ブロックのバリカンのみ1000円学生カット4000円小学6年生までキッズカット3000円オーガニックカラー7000円ショートリタッチカラー4500円ロングリタッチカラー5500円オーガニックパーマ7000円トリートメント3500円からクイックヘッドスパ5000円美髪ヘッドスパ10000円美髪+育毛ヘッドスパ13000円オンラインショップにて現在オープン記念期間につき自社では取り扱いのない様々な美容商材【シャンプー、トリートメント、ワックス、スプレーなど】15%オフの物の取り扱いも行っております。お気軽にお問い合わせください。 この投稿をInstagramで見る KOJI (@kawai.koji1)がシェアした投稿 - 2020年 7月月6日午前2時38分PDT
2020年11月05日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。まだ感情のコントロールが苦手で、癇癪(かんしゃく)を起こしてしまう子どもたち。他人の苦しみや欲求は、どうすれば理解できるのでしょうか。第10回『同情するならお湯をくれ。』「怒りたくて怒ってるんじゃないよ」と言われて「なら怒らなければいいじゃないか」と思ったことがあるのは僕だけではないだろう。学校からの帰り道、歩きながらノートを広げている子がいた。「危ないからノートしまって歩きなよ」と声をかけると「だってー」と返してきた。「危ないことは危ないからやめてね」と口答えを制した。理由があろうと危ないことは危ないのだ。しばらく歩いたところでお茶を飲みながら、またノートを広げていた。「しまっときって言うたやろー!」と少し語調を強めると、注意されて落ち込むというよりも楽しみを邪魔されたというような表情をした。心配していることを伝えるつもりで言い訳のように「怪我したらあかんからな。ほんで、暑いから水分しっかり取ってな」と言うと「だから飲んでてんやん」と言い返してきた。なんだかやけに反抗的だなと思いながら視線を落とすと、広げたノートに地図のようなものが書かれているのが見えた。スタートらしき場所には「がっこう」と記されており、路線図のようにいくつかの四角を線で繋げていて、ところどころに手書きの星マークがつけられていた。双六のようにも見える。「なに見てたの?」と、指摘としてではなく興味本位で尋ねた。「帰り道に暑くてお茶飲まなあかんから、飲むポイントを書いてんねん、いまここ」と言って[学校]と[学童]の間にあるチェックポイントの一つを指した。「真夏の水分補給」も子ども達に指導している交通ルールと同じく大切なことだ。それを自分たちで工夫して実践できるようにしていることに感心しながらも「いいことやけど、危ないからノート広げて歩くのはやめような」と伝えた。しばらくしてから、「おもろいなあ」とそのノートのことを思い出していた。自分たちで相談して書いたんだろうか。決められためんどくさいことも、あそびに昇華してるなんてすごいじゃないか。「いいことやけど」ってなんやねん。ただただめっちゃおもしろいやん。「いいことや」って取ってつけたように言ったけど、あの子たちには「怒られた」ってことだけが残っているんじゃないかと少し後悔した。自分で自分に「怒りたくて怒ったんちゃうねん」と言い訳した。「なら怒らなければいいじゃないか」と子どもの頃のぼくが顔を出す。危ないことは危ないからやめてもらわなきゃいけない。けれど、もっとほかに伝え方があったんじゃないか、間違いを指摘することをそんなに焦らなくてもいったん話を聞くことくらいはできたんじゃないか、と何度も考えていた。思い通りにいかないときに癇癪を起こしてしまう子がいる。諭すように話したり、思いに寄り添うように声をかけたりしてみても全く応じることはなく、言葉をかければかけるほど興奮したり、脱力して床に寝そべり駄々をこねたりする。腫れものを触るように接していき、癇癪玉が爆発したら最後「鎮まりたまえ!」と災難が過ぎ去るのを待つようになだめ、根負けして思い通りにさせるか、そうでなければ開き直って強引に言うことを聞かせるしかない。その子は好きなあそびを中断されるたびに駄々をこねた。みんなで遊んでいるときには機嫌よく過ごしているけれど、終わってしまったり中断されると手をつけられなくなっていた。ある日、その子は好きなあそびをせずに一人で過ごしていた。ひとりでのんびり過ごしているのかといえばそうではなく、かと言って別のあそびに夢中になっている訳でもなさそうで、あえてそのあそびから離れているように見えた。何かあったのか尋ねてみると、その子は少し黙ってから「もう、ああなるの嫌やねん」と小さく言った。「ああなるの」とは「キーーーッ!」ってなること、つまり「癇癪を起こしてしまうこと」だ。「思い通りにいかないことがあったら癇癪を起こす子」ぼくはそんな風にその子のことを見ていた。思い通りにいかないことを押し通そうとする姿は、半ばわがままにも見えた。その子にも制御ができないのだ、とそのときに初めて気が付いた。本人が苦しんでいるなんて思ってもいなかった。癇癪を起こさないようにしたり、それを鎮める方法を話し合いもした。けれど、それは「その子がしんどいから」ではなく、「僕たちがしんどいから」やっていた。その子が癇癪と戦っているのに、僕とも戦わなきゃいけないなんてそりゃあしんどい。僕には見守るか支えるしかできなかったのだ。もしかしたら、わがままな姿や怠慢に見える姿が、ただ気に食わなかったのかもしれない。誰も困りはしないのに何故だか許せない、そんな感情ってあるんだよね。その子が感情をコントロールできなくて、うまく表現できなくて苦しんでいるかもしれない。それを分かっていても、それでもやっぱり「自分の言う通りにしたいだけじゃないか」とか「ただのわがままなのではないか?」と感じてしまう自分がいる。考えてみれば、その子が癇癪を起こさずに言うことを聞いて欲しい、と望んでいる僕の考えも、自分の思い通りにしたいというわがままだよね。僕たちはなんで、人がわがままに振る舞っていたりサボっているように見えたりするのが許せないんだろう。たとえば危険があるとか誰かの迷惑になるとかなら分かるけれど、誰に迷惑をかけるわけでもないのに、手を抜いていたりサボっていたりズルをしていたりすると許せない。気に食わないな、と思うだけなら勝手だけれど、「その子のためにならない」というもっともらしい理由をつけて厳しくしてしまうこともある。親を甘やかしたらいけないという価値観も、保育や教育の業界から聞こえてきたりする。「気に食わない」だけで批判するのは理不尽だって誰でも分かるけれど、それが「教育」とか「当たり前」という仮面を被ってたら、そういうものなのかもと思ってしまう。しんどい人は救われるどころかさらに追い込まれていく。しんどいのなら、甘えてもいいんじゃないのかな。なんで、甘えたり手を抜いたりすることが許せなくなってしまうんだろう。あ、例えば、狩りで生きてきた時代には、サボってしまったら生死に関わるから本能的に「サボるのは許せない」と感じるのかもしれないな。とか適当なことを考えてみたけれど、「サボりたい」「休みたい」も生きるために必要な心の声じゃないか。「何個しんどかったら帰れるんですか?」中学校に勤めている友人が、保健室で生徒に聞かれたらしい。熱は無いけれどアトピーの調子が悪いし具合もよくないので帰りたい。けれど、サボりだと思われて帰らせてもらえないとのこと。甘やかしてクセになってもいけないし、だからって子どものしんどさに寄り添えないのもつらいものだ。僕は子どもの頃からアトピーなんだけれど、痒いとか痛いとかだけでなく、向けられる視線やかけられる言葉に傷付いたり、自分は頑張りたいのに頑張れないしんどさもある。学童でも身体が痒くて目の前の宿題に集中できない子がいて、それを見て「集中力がないな」と思ってしまいそうになる。けれど、絶対に「集中しなよ」と声をかけることはしない。だって、集中できるならしてるもんね。痒いから集中できなくて、集中できないからまたイライラして掻いちゃって、終わりが見えなくてボーッとしてしまうんだ。荒れた肌は見た目も良くないし、フケが服についたりするから清潔感がないとか言われる。清潔にしていないとすぐに悪化するから、一度来た服を洗わずに着ることはないしシーツだってしょっちゅう洗う。その辺の清潔感のあるイケメンよりも、きっと清潔であることを心がけているけれど、見た目の清潔感は伴わない。食生活が良くないんじゃないかとか生活習慣が悪いんだよって言われることもある。怠慢だから、サボっているからだよと病気をその人のせいにしたがる。しんどくてエネルギーを使いすぎて、いつもなら容易にできることが、ガス欠でできないこともある。当たり前にできるべきことができていないから、またやっぱりサボってるって思われる。その人のしんどさはその人にしか分からない。同じ痛みでも、平気な人もいれば、動けないくらい苦しむ人もいる。その人にしかその苦しみはわからない、という至極当たり前のことを忘れて、苦しむ人が弱いのだと、それを悪いことのようにしてしまう。忍耐力が足りない?みんな我慢してる?その事実があったとしても、それでしんどさはなくならないのに。病気に限らない。健康でも、その時の環境や状況でしんどい人はきっとたくさんいる。家族がケガをしたり、飼っている猫が病気だったり、失恋したり、推しが引退したり。病気だからとか障害だからとかではなくて、なにもなくてもそのしんどさに目を向けていたい。「そんなことくらいで」なんて他人が言っちゃいけないんだよね。みんなは大丈夫なのに自分がしんどくても、「そんなことくらいで」って自分で思ってしまうことも、もうやめたい。みんなしんどいことは嫌なはずだよ。そのしんどさから逃げたり解放されることを望んだりするのって悪いことじゃないはず。みんながしんどくなくて、みんながサボれる社会の方が断然生きやすいやんか。「なぜしんどいか」なんて関係なくて、そこにしんどさがあるのなら、それをまずは解消したい。甘えてなにがいけないんだろう。弱くてなにがいけないんだろう。教育というモノを言い訳に、育てるという名目のもとに、その子のしんどさを否定してはいないだろうか。まっとうに生きる。勤勉に生きる。それが幸せになるためではなく、ちゃんとした大人として見られるためなのであれば、もうそれにならなくてもいいやって思うの。ちゃんとした大人、を目指すなら、人のしんどさを自分の尺度で測らずに、想像したり寄り添える大人でありたいと思う。「正しいこと」よりも先に「生きやすいこと」を大事にしてみようよって思う。他人が大切にしているものを否定しないのと同じように、他人のしんどさを否定しない。それができたならきっと、自分の大切にしているものもしんどいことも、自分で否定しないでよくなるんだと思う。子どもの育ちを見守る立場である僕が、こんな風にサボることを肯定したら、それで不安になる人もいるかもしれない。けれど、ぼくははっきりと言いたい。一個でも十分しんどいよ。みんながしんどくないことでも君がしんどいのならしんどいんだよ。休んでいいんだよ。手を抜いていいんだよ。苦しみを我慢して厳しくされた分だけ辛抱強くはなるかもしれない。けれど、その分相手にもその強さを求めてしまうのであれば、自分のしんどさに気づいて誰かに甘えられるほうが、その誰かもまた誰かに甘えていけるほうが、みんながしんどくないんじゃないかな。少なくとも、相手には相手のしんどさがあることを知れるから、強さを求めて追い込んだり傷付けたりすることは減るだろう。みんなが強いことを望んで傷つけ合うよりも、弱さを認め合って支え合えたら。甘いと言われようと、僕はそうありたいと思うのだ。余談ですが別の日の帰り道に、「泥棒って、ご飯食べてるんかなあ」と尋ねてきた。不意に問われたその意図が分からなかったので、なるべく断定するような答えにならないように「どうやろうなあ」と返すと「食べてないんやったら、カップラーメンにお湯入れてあげたいわ」とその子は言った。ただカップラーメンをあげたい、ではなく「お湯入れてあげたい」という具体的な優しさが、哀れみとか同情ではなくその子の本当の思いであることを感じさせた。「泥棒ってお金ないんやろ、だからカップラーメンに」と繰り返す。生まれながらに悪い人、ではなく、お金がないから悪いことをしてしまう。そんなふうに考えられる人がどれだけいるだろう。悪い人の代名詞である泥棒だけれど、その子にとっての泥棒は悪い人ではなく困っている人なのだ。犯罪を犯すのはその人のせいで、貧乏なのは自己責任だと叩かれるこの社会で、この子は泥棒のカップラーメンにお湯を入れてあげたいと言っている。それを聞いてぼくが抱いた感情を、なぜだろう、うまく言い表せられない。考えを巡らせすぎたのだろうか、「あーーー」と叫んで「あかん、ほんまに泥棒にお金配りたくなってきた」と泣きそうな顔で呟いた。もしぼくが泥棒なら、って少し想像したら、泥棒でもないぼくが何故か救われたような気持ちになった理由が分かった気がした。ぼくが泥棒だったなら。きっと、そのもらったお金でカップラーメンを買うだろう。ビールを飲んだり美味しいお肉も食べたいけれど、餃子やお寿司も食べに行きたいけれど、でもきっとカップラーメンを買うだろう。そして、その子がお湯を入れてくれるのを待つのだ。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年10月27日元『モーニング娘。』でタレントの後藤真希(ごとう・まき)さんが、2020年10月6日にインスタグラムを更新。大人っぽい秋のメイクとネイルを公開しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 秋メイクに秋ネイル♡ 最近のメイクの中で1番テキトーに仕上げたものの、それぞれのパーツにそれなりにカラーをのせてるからパキッとした感がある…。 ネイルの仕上げはマットコーティングをしてあります。 艶が程よく消えていて良きでした♡ #秋ネイル #秋オレンジメイク #眉毛赤オレンジ #口元暗め赤オレンジ #マットネイル #チェックジャケット #目元ピンポイントラメ #10月9日なにやらギルドチャンネルで発表します #オウキチャンネルではNiziU踊ってみたよ #みてねー 後藤真希 (@goto_maki923)がシェアした投稿 - 2020年10月月6日午前3時45分PDT「最近のメイクの中で1番テキトーに仕上げた」といいつつも、その腕前はまさにプロ!オレンジブラウンのシャドウやリップを駆使し、大人かわいい秋メイクを完成させています。また、ネイルもくすんだグリーンや赤を使用したこだわりの仕上がりに。後藤真希さんのセンスのよさに脱帽です…。この投稿を見たファンは「いいオンナ感…」「見惚れてしまいました」と絶賛。「真似したい!」「ぜひ、やり方を教えてください!」といったリクエストの声も寄せています。・美が際立っている!・秋メイク、似合ってますね。ネイルも最高です。・相変わらずの美しさ!やり方を動画で解説してほしい…。後藤真希のインスタには美しすぎる写真が満載!後藤真希さんはインスタグラムに仕事のオフショットやプライベート感満載の写真を投稿しています。そして、アイドル時代から変わらぬスタイルや美貌に驚く人が続出!投稿があるたびに「美しい」と注目されています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 撮影でした♡ スタッフの皆様に頂いたケーキと花束!!! 連日お祝いしていただけて幸せ者です…。 ありがとうございました。 #花束 #苺たっぷりbirthdayケーキ #唐突なポーズ #全身鏡みたら何故かこうなった #ナチュラルメイク #歳を重ねるとナチュラル傾向へ #888888!!!!!! #おめでとうのコメント数に目がまん丸 後藤真希 (@goto_maki923)がシェアした投稿 - 2020年 9月月24日午前4時36分PDT この投稿をInstagramで見る 誕生日を迎えた今日♡ 35歳になりました! 沢山のメッセージをありがとうございました♡ そして、今日はAKB48のみなさんとの合同リハでした! 誕生日をお祝いしてくれました〜っっっ!! とっても豪華な誕生日でした! ありがとうございます♡ #誕生日 #AKB48の皆さん #35歳になっちまいました #私服じゃないよレッスン着 #現役アイドルに混ざってみた #ケーキが可愛い #テレ東音楽祭リハ 後藤真希 (@goto_maki923)がシェアした投稿 - 2020年 9月月23日午前4時48分PDT この投稿をInstagramで見る 寒がりだからかな?このくらいのニット? これニットだよね??? 私には丁度良い〜♪ #秋服 #秋コーデ #多分ニット #ニットじゃなきゃ何? #寒くなってきた #テレ東音楽祭に出演します #リールにもアップしたよ #みてね♡ 後藤真希 (@goto_maki923)がシェアした投稿 - 2020年 9月月17日午前4時42分PDT この投稿をInstagramで見る JEANASISの新しいボトムスが涼しくてgood♡!!!! 他にも新作getしたからまた今度♪ 髪の毛大分伸びてきたよ。頑張って伸ばしてます。 #jeanasis #新作アイテム #ニットパンツ @jeanasis_official 後藤真希 (@goto_maki923)がシェアした投稿 - 2020年 7月月20日午前2時22分PDT後藤真希ってどんな人?後藤真希さんは、1999年8月に行われた『モーニング娘。』のメンバー追加オーディションに合格し、芸能界デビュー。翌月にリリースされた大ヒットシングル『LOVEマシーン』ではセンターを務め、大型新人として注目を集めました。その後も『モーニング娘。』の中心メンバーとして活躍し、トップアイドルとしての地位を確立。2002年に『モーニング娘。』を卒業した後も、『ハロー!プロジェクト』のメンバーである松浦亜弥さんや藤本美貴さん、安倍なつみさんとともに歌手活動を続けています。同時に女優業も行い、映画『青春ばかちん料理塾』では主役に抜擢。大河ドラマ『義経』(NHK)にも出演するなどマルチに活躍していました。そんな中、2010年1月に母である時子さんが自宅の3階から転落し、死去。それからはほとんど活動できない日々が続き、2012年1月に正式に活動休止を発表しました。そして2014年6月に本格的に芸能界に復帰。同年に、3歳年下の一般男性と結婚し、翌年に女の子を出産しました。2017年には2人目の子供である男の子を出産し、現在は2児の母親として育児と仕事を両立しながら活動しています。後藤真希さんのさらなる活躍に注目ですね!後藤真希の夫との結婚生活と、弟の活動に驚き![文・構成/grape編集部]
2020年10月07日永瀬正敏と「私立探偵 濱マイク」シリーズなどで長らくタッグを組んできた林海象監督の7年ぶりの新作映画『BOLT』が、12月11日(金)より公開決定。第22回上海国際映画祭パノラマ部門正式招待、京都国際映画祭2019に特別招待され、劇場公開が待ち望まれていた本作から、予告編とともに林監督のコメントが到着した。本作は、2015年から2017年にかけて製作された『BOLT』『LIFE』『GOOD YEAR』の3つのエピソードで構成された人間ドラマ。ある日、日本のある場所で大地震が発生。その振動で原子力発電所のボルトがゆるみ、圧力制御タンクの配管から冷却水が漏れ始めた。高放射能冷却水を止めるため、男は仲間とともにボルトを締めに向かう。この未曾有の大惨事を引き金に、男の人生は大きく翻弄されていく――。監督は、『夢みるように眠りたい』『我が人生最悪の時』『彌勒 MIROKU』などを手掛けてきたほか、プロデューサーとしても活躍する林海象。主演は、「私立探偵 濱マイク」をはじめ林監督と何度もタッグを組んできた盟友、永瀬正敏。そのほか、佐野史郎、金山一彦、後藤ひろひと、大西信満、堀内正美、月船さららが脇を固め、佐藤浩市が声の出演を果たした。予告編では、永瀬さんをはじめとする男たちが防護服に身を包み、高放射能冷却水をくい止めるために奮闘する様子が描かれている。現代美術家・ヤノベケンジが香川・高松市美術館に創り上げた巨大セットや防護服などの近未来的なデザインにも注目だ。監督&脚本:林海象からコメント到着撮影から完成まで七年もかかってしまった。二年に一本くらいのペースでそれぞれの章を撮影していたので、久しぶりの新作という感じは自分ではしないが、前作『彌勒MIROKU』から確かに七年経っている。東日本大震災の翌年に、京都である写真展があった。福島第一原発の作業員の方が、内部の現状を写真にとり写真を公開しているものだった。その時、その方から「大地震で原発内部のボルトの多くが緩み、それを閉めに行った。高濃度の汚染があるため、ボルトを締める回数は必ず一回と決められ、一つボルトを締めるのにのべ数百人の人間が必要だった」という話をきいた。いつかその話を映画にしてみたいと思った。それがこの『BOLT』を作るきっかけであるが、原発内の描写や防護服など低予算自主映画には高いハードルがあった。それを救ってくれたのが現代美術作家のヤノベケンジ氏だ。高松市美術館の中に『BOLT』のセットを組んでくれるというのだ。美術館で撮影風景を観客に公開しながら映画を撮っていく、という前代未聞の撮影方式が行われた。そしてこの三本が完成できたのは、主演 永瀬正敏さんのおかげである。お二人と、長年携わってくれたスタッフ、キャスト、そして何より学生たちに大いなる感謝を述べたい。やっと公開できる。『BOLT』は12月11日(金)よりテアトル新宿ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2020年09月23日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。保育の授業である質問をされた、きしもとさん。これを読んでいるあなたにとって『子供』とはなんですか?第9回『ちょっとずつやさしくて、ちょっとずつかなしい。』「子ども」を一言であらわすとなんという言葉を思い浮かべますか?保育の授業でそんな質問をされた。はしの席から一人ずつ「かわいい」とか「純粋」とか答えている中で、ある男が「邪悪」と答えた。その言葉は一際目立っていて、ぼくは「たしかに子どもには邪悪な一面もあるかもしれないな、おもしろい視点だなあ」と感心していた。一方、教壇でその質問をした先生は憤怒していた。憤怒なんて言葉を初めて使ったけれど、大げさではなく噴火する勢いで声を荒げて怒っていた。「子どもに悪の心なんてありません!」と。その男の言葉が宙ぶらりんになっていた。なんで「邪悪」と言ったのか、どんな想いや考えがあるのか聞こうとしないその姿勢はいかがなものかと思ったが、必要以上に怒られている当の本人は言い返すことはなく「そんな変なこと言った?」と困惑していた。どこかに隠れてしまったその男の本心を知りたくて、授業が終わってからどういう意味でその言葉を使ったのかを尋ねた。「子どもって悪気なく嫌なこととかするやん?人叩いたり悪口言ったりさ」と、いまだ怒られたことに納得しない表情で話してくれた。「それ、無邪気ちゃうん」と尋ねると「あ、それやわ!」と合点がいったようだった。まわりが子どものキラキラしている姿ばかりを言っている中でその視点を提起したのは素晴らしいなという尊敬の気持ちと、どんな言い間違いしてんねんアホやなという気持ちが入り混じり、「じぶん邪悪やな」と返すと、どう受け取ったかわからないけれど「ほんまや、邪悪やわー」と笑っていた。子どもの言葉と向き合うときに「子どもの言動をどこまで注意したらいいかわからない」という相談を受けることがある。小学生にもなると、どこで覚えたのか耳を塞ぎたくなるような暴言を、たとえば「しね」とか「ころすぞ」とか言うような言葉を軽はずみに使うようになる。そんな言葉を子どもから聞くと、ヒヤリとする。純粋無垢だったはずのその子が、悪に染まっていくようで不安になる。純粋なまま育ってほしい一心でその言葉を禁止したり、その言葉を使ったその子を咎めたりしてしまうけれど、子どもが本当に殺意を持ってその言葉を使っているのかと言えばきっと大体がそうではない。「きらい!」であるとか「むかつく!」であるとか、関西人の使う「あほか!」くらいの軽いノリの時もあるのかもしれない。どこで覚えたのかと書いたけれど、思い当たる節はいくつもある。テレビやネット動画だけでなく、日常で大人も使っていたりする。それこそ軽いノリで。自分の思いを言葉にしようとしたというよりは、まだ語彙の少ない中で相手を攻撃したり、自分のイライラする感情を表す言葉として、どこかで見聞きしたその乱暴な言葉を使うこともあるだろう。ぼくはそんなとき、自分が嫌だなって思ったことなら、それをそのまま伝えるようにしている。子どもの育ちのために、とか躾のためにとかは考えず、ひとりの人としてどう感じたかをそのまま伝える。言われたことが嫌だったなら、「傷ついたよ」と伝えればいい。誰かを傷つけるようなことをしていたら「見ていて気分が悪いよ」と自分の気持ちを話せばいい。必要以上に断罪はしない。表現の方法を間違えているだけだから、その言葉を肯定はしなくても否定もしない。否定したり禁止するということは、その子の感情に蓋をするということかもしれないからね。整理できない思いがあるのならそれを使わないようにするのではなく、その思いを表す言葉を知ることや、その感情との向き合い方を知ることの方が必要だろう。あわせて、その言葉の本心を理解しようとしてくれる存在と、受け止めてもらう経験も。それでもやっぱり根っこの感情が本当に「殺したい」のであれば「死ね」という言葉で正しいんだろうし、もしそうならば、その言葉を他人が否定することはできない。僕たち大人も自分の思いや感情を普段からちゃんと言葉にしているだろうか。そう考えたら、できていることの方が少ない気がする。「仕事いきたくなーい」ってよくいうけど、みんなは言わないかもしれないけど僕は言うんだけど、本当に仕事に行きたくないかといえば実はそうではなく「もうちょっとゆっくり寝たーい」とか「のんびり映画見てすごしたーい」とかだったりする。「細かい雑務がめんどくさーい」とか「あの上司と顔合わせたくなーい」とかかもしれないし、言葉にできなくてなんとなく言っていることだってきっとある。その感情をそのまま言葉にするのって実は難しくって、複雑に絡み合った感情を何か言葉にしたくて目の前のことにそのまま表出したりする。自分の感情をうまく言葉にできないだけでなく、自分の感情自体を正確に理解することもままならないときもある。子どもに「あっちいって!」とか「きらい!」とか「死ね!」と理不尽に言われたときに、本当はチクっと傷ついているのに、どうしてか怒ってしまったり。そもそも、感情を正確に言葉にすることなんかできるのかな。なんだかルンルンしている気持ちを「楽しい」という言葉にするから「楽しい」になる。そもそもルンルンってなんの音かわからないけれど、楽しいという言葉よりもルンルンの方が伝わることもあるかもしれない。もやもやしている気持ちを「悔しい」とか「むかつく」とかいう言葉にするからその感情が形になる。どの言葉にするのか適切な言葉をまだ知らないから、その感情からまっすぐ「死ね」とか「きらい」いう過激な言葉になるんじゃないか。その「死ね」や「きらい」は、「悲しい」かもしれないし「寂しい」かも「痛い」かも「虚しい」かもしれないし、「もやもや」とか「いらいら」とかかもしれないし、この世界の言葉にはない感情なのかもしれない。そんなときに、あなたはそんなこと言う子じゃないって言われたら、そんな思いを持つことはいけないことだって否定されてその思いに蓋をされたら、ぎゅーっと苦しくなる。それはきっと大人も同じだ。たとえばなにかお願い事をされたときにも、大人だから付き合ってあげないとって思わなくても、自分がそれをしたくないのなら断ってもいいのだ。ぼくは仕事だから子どもにお願いされたらよほど無理なことじゃなければ断らないようにしているけれど、仕事じゃないならその断る理由が「疲れた」とか「めんどくさい」でも悪いことではないと思う。ただ、そのときに「断られることも覚えないと」だとか「思い通りにいかないときの折り合いの付け方を学ぶ」とか、その子の育ちのためになりそうな理由を探しそうになるんだけれど、それは必要はない。むしろ、「相手のため」という言い訳は本質を隠すし、本心でもない。自分を守るために相手を引き合いに出す必要はない。相手のためではなく、自分のために自分を守ればいい。「いまは私が使っているから貸したくない」「疲れているから応えられない」ときちんと伝えればいい。「それはやめてね」「傷つくからね」そうやって伝えるだけでいいんだと思う。それでその子のなにかが育つとか考えるのは少し傲慢なんだ。意見の表明をして相手はそれを受け止めた。できる限り自分の本心に近い部分を伝えて、できる限り相手の本心に近い部分を受け取る努力をした。ただそのやりとりが人と人との関係なんだと思う。優しい人だねと言われたら、「そうなのかな」と思うと同時に、期待に応えようと思う。強い人だねと言われたら、弱音を吐いてはいけないような気がする。本が好きだもんね、勉強好きだもんね、優しいもんね、子どもが好きだもんね。その言葉に励まされることもあるし、道を踏み外しそうになるのを踏みとどまらせてくれることもある。けれど、その言葉が呪いとなることもきっとあるんだろう。期待に応えたいという思いとあわせて「そうある自分に価値がある」と思ってしまっていたりもする。言いかえればそれは、期待を裏切らないように、価値がないと思われないように、ということ。自分の役割に徹していると、自分の気持ちが疎かになる。そんな自分の気持ちをなおざりにしていることに気づいていなかったりもする。大人だから、子どもの言うことには傷ついたりしない。親だから、めんどくさいこともきちんとやる。長男だから下の子に優しくする。上司だから、部下だから…それぞれの立場でそれぞれの役割を演じるために、ときに頑張りすぎたりする。それってやっぱりしんどい。だから、優しくない自分もいて良いんじゃないかな。頑張れない自分も、意地悪な自分も、ネガティブな自分も、期待を裏切る自分も。「相手はどんな言葉を望んでいるんだろう」それを考えることはきっと優しさなんだけれど、本当の思いを伝えることでお互いが救われることもきっとある。それは、自分を大切にするということでも、相手を大切にすると言うことでもあるよね。子どもも同じだ。ぼくたちが抱く「子どもは純粋であってほしい」とか「子どもに邪悪なところなんてない」という期待が、子どもも大人もおいつめてしまう。自分にどんな役割があったとしても、自分がしたくないことやできないことは「したくない」と言っていい。それは、自分もひとりの人間であるという、自分が自分であるということ。命を危険に晒すとか突き放すのでなければ、相手を故意に傷つけたりするのでなければ、大人も子どもも一人の人間だ。子どもに対してだけでなく家族にでも友人にでも職場でもそうなんだと思う。当たり前にそれを我慢する必要はない。そんなこと言ったらできる人にしわ寄せがいくとか、みんなわがままになってしまう、と言われるかもしれない。「それはしたくないな、嫌だな」と思っても、それを伝えても、結局はやらなきゃいけないことはある。けど、だからって黙ってなきゃいけないとは思わない。部屋の掃除をしたくないし、洗い物がめんどくさい。だからって「掃除めんどくさーい!やりたくなーい!」と言っちゃダメかといえばそんなことないはずなんだよ。いい大人なんだから掃除するの当たり前でしょう。文句なんか言わずにやれよ。なんて言わないでほしいし、自分が自分をそうやって追い込むのももうやめたい。「めんどくさいよね、明日にしよっか」「まあでもやろっか」「だれかにたのもっか」でいいんじゃないかな。絶対に手を抜けない消毒とかもさ、やるのが当たり前でしょうではなく「めんどくさいよね、けどやらなきゃね」って自分で自分を慰めながらやってる。伝えることって立場によってはとても勇気のいることだから、言えないことが悪いことだということではなくて、自分を大切にするために、自分を追い込む必要なんてないってこと。近しい人に話したり、帰って独り言でも、SNSに吐いてもいい。「ほんとは嫌だったんだよね」「悲しかったんだよね」「むかつくんだよね」とほんとの気持ちを言葉にするだけで、自分の気持ちを大切にできるような気がする。その言葉が少し乱暴でもいいのかもしれない。もしかしたら相手も自分の感情を正確に言葉にはできていなくて、悲しませるつもりはなくて、まっすぐ正確に言葉にすれば関係が良くなることだってきっとあるんだろう。もちろんそんな簡単なことではなくて悪化することだってあるけどね。自分が誰かのその心の言葉を聞いたときに、「なら代わりにぼくがやりますね」って言うかもしれないし、「キツイですよね」って共感するだけかもしれない。けれど「あなたはこうなんだから」「あなたの役割なんだから」「あなたが言ったんだから」って、その思い自体を批判して突き放さなしたりしないように気をつけていたいなと思う。自分の思いや価値観は、人を叩くためのものではなく自分を守るためのものだ。そうやって考えるだけで、少なくとも自分の言葉で誰かが傷つくことはあっても攻撃するという事は減るのかもしれない。僕の文章も、誰かの心に突き刺さる言葉としてではなく、そこらに生えている草花を眺めるような、たまに気になったら摘むような、そんな感覚で読んでもらえていたら嬉しいなと思う。余談ですが子どものころ、たまに会いに来てくれるじいちゃんは、いつもアンパンを買ってきた。ぼくの2つ上の兄の好物だったからだ。じいちゃんがアンパンを買ってくるたびに、ぼくの中でアンパン好きの兄ちゃんというイメージが確立されていき、兄のなかでも「自分はアンパンが好きだ」という意識が強化されているようだった。兄の喜ぶ姿を見てじいちゃんは「やっぱり好きなんだな」と満足げにまたアンパンを買ってきた。そのままいけば相当なアンパン好きになるんだろうと期待できたが、意外にもそうはならなかった。ある日当たり前のようにアンパンを取ってあげたら、「おれ、あんまりアンパン好きちゃうかも」と遠慮気味に兄は言ったのだ。「自分は本当にアンパンが好きなのか、君はアンパンが好きだねと周りに言われるからそんな気がしていたのか、本当は好きじゃないんじゃないか」そんな葛藤があったかは知らない。自分が本当に好きなのはアンパンではなくアンパンが好きな自分なんじゃないかなんて悩む姿を想像すると微笑ましいけれど、当時の幼いぼくはなにか不安な気持ちになった。たしかに好きだったはずなのに飽きてしまったんだろうか、もともと好きじゃなかったんだろうか、じいちゃんはどんな気持ちになるんだろうかと、誰も悪くないのに、寂しいような切ないような言葉にできない気持ちになっていた。その事実がじいちゃんの耳に入ったのかはわからない。そのあとじいちゃんが変わらずアンパンを買ってきていたか、買ってこなくなったのかも覚えてないくらい曖昧な記憶だ。けれどたまに、嬉しそうにアンパンを買ってきたじいちゃんと、突如アンパンに別れを告げた兄を思い出す。みんなが優しいのになぜか悲しい。なんだか少し切ないけれど、誰かひとりがしんどいではなく、みんなが優しいからみんなが少しずつ悲しいのなら、そのほうがいいのかもしれない。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年09月13日元モーニング娘。でタレントの後藤真希が9日、自身のインスタグラムでモー娘。時代の写真を公開し、話題を呼んでいる。後藤は「今日はLOVEマシーンでデビューした大切な日!懐かしい写真掘り出してみた!いつもありがとう!」と、自身のデビュー日であることを報告し、ファンに感謝。文章とともにモー娘。時代の写真を投稿した。この投稿に、ファンから「おめでとうございます!どの写真みても、あ!あの頃だ!ってすぐ分かっちゃいます笑」「私にとっての永遠のアイドルはごまきだけです!大好きです!おめでとうございます!」「真希ちゃんデビュー21周年おめでとうo(^▽^)oエモ過ぎる写真ばっかりで泣ける!」「かわいすぎる」など、多くのコメントが寄せられている。後藤は1999年の9月9日にデビューしてから、今年で21年目を迎える。2002年にモーニング娘。を卒業し、その後はソロで活動。現在34歳となった後藤は、アパレルのプロデュースや美容商材の広告など30代等身大のライフスタイルを提案し、活動を続けている。また、最近では自身のYouTubeチャンネル『ゴマキのギルド』にてゲーム実況動画を公開し、注目を集めている。
2020年09月10日