ネットで拡散された“恫喝動画”が波紋を呼び、9月29日に和菓子の老舗「元祖くず餅 船橋屋」の社長職を辞任した8代目当主・渡辺雅司氏。渡辺氏は’93年、銀行員から家業である「船橋屋」の専務に転職。そして’08年、自身の父親の後を継いで「船橋屋」8代目社長となった。その手腕がメディアでも取り上げられることとなり、’18年11月には経済人を特集する番組『カンブリア宮殿』(テレビ東京)に出演。その翌年には、マネジメントに関する著書も出版している。そんな渡辺氏だが“恫喝動画”では自身が信号無視をするような形で、別の車と衝突。さらに事故相手に対して「どっからお前出て来てんだ、この野郎!」「えっ?じゃねーだろが、この野郎が!てめぇ、何まず曲がって来てんだよ」と逆ギレ。事故相手が「いや、青(信号)でしたよ」と説明すると、「青じゃねぇから、俺がここ来てんだよ。おめぇが左に、おい!」と叫びながら言い返し、動画には、渡辺氏が事故相手の車を蹴ったとされる音も収録されていた。「動画は9月9日、SNSにアップされのちに削除されましたが、SNSでは転載されたものが次々と拡散されることに。次第に『この野郎!』などとキレた男性に対して、『船橋屋の渡辺雅司社長では』との指摘が相次ぎました」(広告関係者)この事態を受け、船橋屋は9月27日、公式サイトでコメントを発表。「事故並びに現場での対応は概ね事実」と認め、「お相手の方との和解・示談は既に成立しております。本来であれば、一日も早くお知らせをすべきところ、示談・和解に向けた話し合いを進めることを優先しており、ご報告が遅くなりましたこと、併せてお詫び申し上げます」としていた。そして、渡辺氏は同月29日に辞任。新たに神山恭子氏が同社の代表取締役社長に就任した。■「株式会社船橋屋の株式は渡辺個人は保有しておりません」ところが当時、渡辺氏は何の声明も発表しなかったためネットでは《本人は雲隠れせずに会見を行ったらどうでしょうか?》《社長なら会見開いて自らの口で説明なり謝罪したらどうだ》と批判の声が上がっていた。また渡辺氏は同社の跡取り息子であり、Twitterではネットニュース系インフルエンサーが《なお同社株は渡辺社長がガッツリ保有》とも投稿していた。そのため《一族経営だから株の半分以上はもってるだろうし社長を退いても結局経営には口出しをできる》《社長は辞任したけど株は保有したままだから影響力は変わらないって話》など同社と渡辺氏の関係性を疑問視する声も相次いでいた。そこで、本誌は「船橋屋」に渡辺氏との現在の関係について取材した。すると、広報担当者はこう明かした。「既に神山への引き継ぎも終えましたので、現在渡辺は船橋屋の経営には関与しておりません。また、株式につきましては一部で渡辺個人が保有している旨の記事がございましたが、株式会社船橋屋の株式は渡辺個人は保有しておりません」さらに渡辺氏の“ノーコメント辞任”を批判する声について、見解を求めたところ「渡辺が起こした事故とその現場での対応につきましては、多くの方から厳しいご意見を頂き、その中には今回、頂いているようなご意見もございました」といい、「これらのご意見は全て真摯に受け止め、コーポレート・ガバナンスの強化並びにコンプライアンス教育の徹底などを進めて参りたい、とそのように考えております」と答えた。渡辺氏と完全に訣別した様子の「船橋屋」。新たな船出を応援したい。
2022年12月07日ネットで拡散された“恫喝動画”が波紋を呼んでいる、和菓子の老舗「元祖くず餅 船橋屋」の8代目当主・渡辺雅司氏。9月28日に社長職を辞任することとなったが、依然として物議を醸している。渡辺氏は’93年、銀行員から家業である船橋屋の専務に転職。そして’08年、自身の父親の後を継いで船橋屋の8代目社長となった。その手腕がメディアでも取り上げられることとなり、’18年11月には経済人を特集する番組『カンブリア宮殿』(テレビ東京)に出演。その翌年には、マネジメントに関する著書も出版している。ところが9月8日、その前月に起こした事故におけるドライブレコーダーの動画がSNSで拡散されることに。動画で渡辺氏は信号無視をしたとみられるものの、事故相手に対して「どっからお前出て来てんだ、この野郎!」と逆ギレ。事故相手が「いや、青(信号)でしたよ」と説明すると、渡辺氏は「青じゃねぇから、俺がここ来てんだよ。おめぇが左に、おい!」と叫びながら言い返していた。また動画には、渡辺氏が事故相手の車を蹴ったとされる音も収録されていた。「当初はこの逆ギレ男性が誰なのか定かではなかったものの、動画が拡散されるうちに『渡辺氏では?』との指摘が相次ぐことに。そして9月27日に『J-castニュース』が配信した記事で、船橋屋は『動画に映っておりますのは、渡辺本人でございます』と認め、『100%渡辺の過失で示談・和解が成立しております』とコメントしました」(広告関係者)さらに船橋屋は27日、同件について公式サイトでも声明を発表した。そこには「本来であれば、一日も早くお知らせをすべきところ、示談・和解に向けた話し合いを進めることを優先しており、ご報告が遅くなりましたこと、併せてお詫び申し上げます」と謝罪の言葉が綴られている。渡辺氏が社長職を辞任したのは、その翌日のことだった。■「社長なら会見開いて自らの口で説明なり謝罪したらどうだ」自身の社長就任当時について、「何か指導をする時は、論理的に説明するのではなく、『バカヤロウ』と怒鳴り、時には手が先に出る」(『LEADERS online』’18年10月24日)と回想していた渡辺氏。「私は『自分のやり方が正しい』と信じていたし、『お前らはダメなんだ』としょっちゅう罵倒していて、周りから見たら『暴君』だったでしょうね」(「週刊エコノミストOnline」’20年5月11日)とも語っており、もともと“パワハラ体質”だったようだ。そして騒動のさなかでも、そんな渡辺氏を擁護するような動きが船橋屋にあったという。「『FRIDAY』によると船橋屋は、渡辺氏の恫喝動画が騒動になったことについて、社内メールで『疑いたくはありませんがお客様に扮してメディア担当者が取材している可能性もございます。お客様に失礼に当たらないように対応しつつも本件に関してコメントしないことが重要です』などと情報漏洩を防ぐように釘を刺していたといいます。また、もともと船橋屋は渡辺氏の家業。そのため、辞任についても『形だけの辞任だろう』と白けたような声も上がっています。ネットでは渡辺氏が電撃辞任について会見を開き、自らの言葉で謝罪するよう求める声が相次いでいます」(前出・広告関係者)実際Twitterでは「会見を開くべき」という声が、こう上がっている。《辞めるのなら謝罪会見が必要と思うけどな。今回の件は被害者はもちろん従業員や取引先など各方面へ多大な迷惑を掛けてるから。ただ逃げただけで最悪》《本人は雲隠れせずに会見を行ったらどうでしょうか?》《社長なら会見開いて自らの口で説明なり謝罪したらどうだ》さらに、《美味しくて買ってましたけど当面は不買します》《死んだ婆ちゃんが好きだった船橋屋よ、さようなら!》と船橋屋に対する不買運動も起こっているが――。船橋屋は、信頼を回復させることはできるだろうか?
2022年09月30日■令和の代に、改めて考えたい「御朱印」の意味令和元年、おめでとうございます。この時代も、平和で素敵な世の中にしていきましょうね。さて、近年の御朱印ブームの勢いには、本当に目を見張るものがあります。私もこれまでに、巫女として「御朱印」にまつわるさまざまな記事や、神社のご紹介記事などを書いてまいりました。ご存知の方も多いかもしれませんが、令和元年になろうという10連休の折には、各地の神社へたくさんの方がお詣りをされて、さまざまな出来事があったようです。『「令和」時代を迎える前に知っておきたい「元号」のお話』という記事でも触れました通り、天皇陛下の「御代替わり」となる改元は、全国各地の神社にとっても大変に重要なタイミングでした。この節目を迎えるとき、日頃の感謝と次の時代の安寧を祈念するために、お詣りへと出かけられた方も多かったことでしょう。そして「令和」を迎えて、多くの神社が「奉祝(ほうしゅく=祝いたてまつること)」の意味を込めて、期間限定の御朱印をお分かちしておられました。昨今、御朱印は「多くの方が神社仏閣に親しんでいただけるように」という願いを込めて、それぞれが趣向を凝らしていることもあり、大変な人気が出てまいりましたね。そこで、多くの方が記念すべき参拝の証にと、その特別な御朱印を求めて各地の神社で長い列を作ったようです。とある神社では、なんと御朱印を書いていただくのに10時間待ち、という瞬間もあったのだそうですから驚きです!■御朱印ブームの裏側に潜む哀しみ御朱印とは、言わば「一期一会」の出会いです。どれだけ長時間並んだとしても、いただいて帰りたい!という想いが皆様にあったのでしょう。長蛇の列に並ばれた方々はもちろん、御朱印の対応をされた神職の方々も、本当に大変だったことと思います。ただその後に待っていたのは、多くの神社関係者を嘆かせる出来事でした……。その御朱印や御朱印帳が、大手フリマアプリ上で、高値で転売されてしまっていたのです。この衝撃的な現実は、多くのニュースサイトやSNSでも話題となりましたね。私もそのことを知り、御朱印が持つ本来の意味や神様の御心を想うと、切ない気持ちにならずにはいられませんでした。Benny Marty / Shutterstock.com私も「巫女」そして「ライター」として過ごす中で、御朱印にまつわる多くのエピソードを見聞きしてまいりました。「もっと、上手に書いてほしかった」「こんなにシンプルなものではつまらない」「インターネットで見たのと、同じものがほしい」「こっちはお金を払っているのだから、お客さんなのに」このような哀しい言葉を受けて、ショックを受ける神職の方も、各地の神社で増えている現実があります。御朱印を求めてお越しになる方の混乱が著しい神社においては、職員に「対応が悪い!」と罵声を浴びせ、あたかもサービス業であるかのような、謝罪や即時の改善を求める方までおられたそうです。このままでは、御朱印について誤解されている方が増えてしまうばかりでなく、純粋に神様と心を通わせたいと神社へお詣りして御朱印をいただく方や、懸命に神様のために神社を守り奉仕をされている神職の方にまで、哀しみが広がりかねません。今一度、皆様とともに「御朱印」とは何かを考えながら、心を神様の方向へ向けていただけたらと願い、私はひとりの巫女として5つのことをお伝えしたいと思いました。■御朱印帳を持つ方に伝えたい5つのこと1.神様とあなたの「ご縁」の意味を心に留める御朱印は本来、あなたが神社に参拝して、神様と心を通わせた「繋がりの証」としていただくもの。ですから、仮に転売されているものを買ってきたとしても、それは「御朱印」の真の意味からは外れてしまっていることになります。「御守り」を大切な方に贈ることはあるので、同じように捉えてしまう方もおられるのかもしれませんが、本来の御朱印の意味を知れば、それは「神様と私」のご縁を示すものだとご理解いただけるはず。御朱印帳を開いて、いただいた御朱印を眺めながらそのご縁を思い出し、神社に想いを寄せてみてください。その瞬間、あなたはたしかに、神様と心を通わせているのです。2.神社でそのときの「心」と「出会い」を慈しむ私が個人的に危惧しているのは、御朱印に人気が出るあまり、「御朱印をいただくための参拝」になってしまう方が増えてしまわないか……ということ。神社での過ごし方は、それぞれによって違いますが、「御朱印」をいただくだけで終わらせてしまうのではなく、その瞬間の「自らの心」や「境内でのあらゆる出会い」にも、丁寧に目を向けていただきたいのです。たとえば、その日はどんなお天気でしたか?迎えてくれた自然の姿は、どんな様子でしたか?その時、あなたは心にどんな想いを抱えていましたか?境内で出会った人や生き物たちと、どんな交流をしましたか?神社という「神様のおひざもと」で過ごす時間を、心から慈しんでいただけたらうれしいです。3.かたちあるものの「ありさま」に執着しすぎない御朱印は通常、神職をはじめとする、神社関係者が書いています。神様のお手伝いとしてお書きしているも同然なので、もちろん心を込めて、皆様へとお渡ししていることでしょう。ただ、人間の書く(押印する)ものですから、字の上手い下手があったり、場合によっては書き損じなども生まれたりすることもあります。大切な御朱印帳だからこそ、「完璧に」美しいものにしたい、というお気持ちも、もちろんわかるのですが……。しかし、その「出来不出来」で、神様とあなたとのご縁の質が左右されるわけではありません。神様は、あなたの「心」を見つめていますから、どんな「ありさま」の御朱印であっても、関係ないのです。どうかそれを原因に、神様の前で腹を立てて怒鳴ったり、その神社を嫌いになったりするようなことがないことを願っています。4.神様からの「授かりもの」を私欲のために利用しないこの世で生きるためには、もちろんお金が必要です。ただ、目には見えない神様と向き合うとき、その「欲」は、ぜひ脱ぎ捨てていただきたいのです。今回の御朱印のように、「かたちある」もので「限定」の、多くの方が「素敵だなと思う」ものには、大変な価値が生まれるものでしょう。それを「好都合な商売」であると考えてしまう方も、いらっしゃるのかもしれませんが……。神様から授かったものである「御朱印」を、「お金」というものに代える行為は、その意味を大きく貶めてしまいます。世の中には、決して「お金には代えられないもの」がたくさんありますよね。あなたがいただいた「御朱印」も、そのひとつなのです。5.すべての人が、互いに思いやりの「心」を持つ立場は関係なく誰であっても等しく同じことなのですが、私たちはともに同じ時代と場所を生きる中で、互いを思いやりながら過ごしていきたいものです。特に、神社はとても「神聖な場所」。神様のお住まいであり、神様のお庭であり、神様のための場所なのです。その中で、自分の都合や主張ばかりを押し付け合うようなことは、その大切な場所を穢すことになってしまいます。「神職」というのはまず第一に、神様のためにお仕えするという役割を担っています。そしてもちろん、すべての人にとって神社が「神様を感じることのできる場所」になるように、参拝者の方とのご縁を繋ぐ役目も担います。そのお役目を、神職はもちろんのこと、ご参拝の皆様にもご理解いただけたらと思います。双方が思いやりと感謝の気持ちを失くすことなく、笑顔で神様の前にいられたなら、神様はきっと、それを一番よろこばれることでしょう。■神社を愛し、御朱印集めを楽しむ皆様へ神道の世界には、明確な「正解」や「不正解」というものがありません。しかしだからこそ、それぞれの心が「その本質」を感じ取り、神様という目には見えない存在と「どのように向き合うべきか」を、問い続けなくてはならないのだと思います。御朱印の内容には、それぞれの神社による想いや願い、工夫が込められているものです。「印」と「日付」のみのシンプルなものから、色とりどりの個性あふれるもの、さまざまなかたちがあります。私は、それが「神様」と「人」との心を結ぶものであれば、どれも素晴らしい価値があると考えています。神社側も参拝者側も同様に、決して「私利私欲」のために利用してはならない、尊いものなのです。twoKim images / Shutterstock.com神様にお仕えする者としても、「御朱印」を通じて神社という場所に親しみ、神様と心から向き合ってくださっている方が広がっていることは、とてもうれしく感じています。神社に興味を抱き、心を通わせるきっかけが、きっとそれぞれの方にあるはず。神様と自分との絆の証が刻まれた御朱印帳を宝物にしながら、また新たに素敵な出会いを楽しみにされている皆様、ありがとうございます。これからさらに、神社を愛し、御朱印の意味を理解して、神様とのご縁を生涯大切にしてくださる方が増えてゆきますように。そのすべての方が、心豊かに楽しく神社へ足を運び、神様と向き合うことができますことを、心から願っています。画像/Shutterstock
2019年05月13日