特定非営利活動法人NPO birthがコンソーシアムの一員として参加しております都立野山北・六道山公園の指定管理者である狭山丘陵パートナーズでは、地域の生物多様性を高める取組として湿地再生プロジェクトを行っています。その成果として、令和5年8月、東京都では絶滅したと思われていた植物「ヤナギスブタ」の復活が確認できたことをご報告いたします。確認されたヤナギスブタヤナギスブタの花掘削前の様子掘削後の様子1. 経緯今回、生育を確認した場所は、都立野山北・六道山公園の谷戸に位置し、過年度から自然環境の復元に取組んできた湿地です。生育確認前の湿地は、度重なる大雨の影響で土砂が流入し、陸生植物が繁茂する状況となっていました。そのため、令和5年1月、湿地再生の取組として、土砂の掘削を行ったところ、東京都絶滅種である「ヤナギスブタ」の復活を確認することができました。ヤナギスブタは水田などの浅い水域に生息する一年生の水生植物です。耕作放棄や農薬の使用により全国的にも減少しており、東京都では1990年代の町田市の記録を最後に、姿を消していました。今回、本種を確認した場所は60年ほど前まで水田として利用されていました。当時は、ヤナギスブタが生育しており、その種子が土中に保存され、私たちが実施した掘削によって発芽したと考えられます。その後、このヤナギスブタは、無事、開花し、結実を確認しています。ヤナギスブタの他にも、狭山丘陵では初確認のミズオオバコ(東京都RDB2023:絶滅危惧IA類(CR))を発見することができました。さらに、狭山丘陵では確認記録が少ないサワトウガラシやフラスコモ属の一種が確認されています。狭山丘陵初確認のミズオオバコフラスコモ属の一種掘削作業の様子2. 今後の取組今回の取組は、私たちが3つの都立公園グループ(狭山丘陵、武蔵野、多摩部)で展開している「湿地再生プロジェクト」のひとつであり、都内の湿地再生および希少種保全に大きく貢献するものです。また、水生植物は、それ自体に絶滅危惧種が多く貴重なものですが、両生類や昆虫等に棲み家や産卵場所を提供したり、池の水質を維持するなど、生物多様性の回復には欠かせません。今後は現地を安定した生育地として維持すると共に、異なる湿地でも掘削による再生作業を行い、生物多様性の向上に取組んでいきます。3. 参考ヤナギスブタ(トチカガミ科スブタ属)学名 :Blyxa japonica (Miq.) Maxim. Ex Ascherson et Gurke分布 :本州以南の水田,ため池,水路などに生育する一年生の水生植物である希少性:東京都レッドデータブック2023:絶滅(EX)■都立野山北・六道山公園の位置都立野山北・六道山公園の位置 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年11月28日次世代スーパーフード「ウチワサボテン」のバウダー配合綿半パートナーズ株式会社は9月28日、良質なたんぱく源であるパン酵母由来のプロテインに、次世代スーパーフード「ウチワサボテン」のパウダーを加えた「酵母プロテイン」を発売した。「酵母プロテイン」は、ホエイプロテインよりも緩やかに持続的に吸収され、血中アミノ酸量を維持するという特徴がある。配合のウチワサボテンは、砂漠で育つ強い生命力がある注目の次世代スーパーフード。ビタミンCや数種類のビタミンB・E、カルシウム、カリウム、その他のミネラルを豊富に含み、美と健康を支援する。同社では、サボテンの本場メキシコからウチワサボテンのバウダーを輸入している。新商品のフレーバーは、ココア風味とミルクティーの2種類。特にミルクティー味は開発者が飲みやすさにこだわって開発した自信作という。大容量・低価格で毎日飲める!同商品は毎日飲めるよう、他社のプロテイン飲料よりも大容量かつ低価格とし、3kgサイズの場合で1杯あたり約89.8円(参考小売価格より算出)を実現した。「酵母プロテインココア風味」・「酵母プロテイン ミルクティー」は、各1kg入り、3kg入りの2種類。販売先は、ECサイトの場合は、わたネット、Amazon。販売店舗は、綿半スーパーセンター・綿半ホームエイド・綿半フレッシュマーケット・ほしまんの各店舗、ウェルネスライフ佐久中央店。(画像はプレスリリースより)【参考】※綿半ホールディングス株式会社ニュースリリース
2023年10月07日地域創生事業およびプロモーション事業を展開する、株式会社イノベーションパートナーズ(本社・東京都港区、代表取締役社長:本田 晋一郎 以下「当社」)は、芝浦工業大学 デザイン工学部 デザイン工学科の演習授業として、同大学デザイン工学部デザイン工学科 蘆澤 雄亮 教授と連携し、6月8日(木)から7月20日(木)の期間8回にわたり、新規ビジネスデザインを考案する産学連携課題解決型授業を行います。当社グループである株式会社日比谷花壇のフラワービジネスを事例にしながら、学生たちに、フラワービジネスの課題を分析してもらい、イノベーションを生み出す新たな事業の提案を行っていただきます。同授業の指導教官である蘆澤 雄亮 教授とともに、地域創生事業ならびにプロモーション事業において地域やサービスの固有の価値を再定義し、新たな事業や雇用を創出してきた当社から、実践的なアドバイスを行うことで、地域・ビジネスの現場にある課題に向き合い、提案を磨き上げ、より実践的なデザイン力を学生たちに身につけてもらおうというのが狙いです。当社は、2020年に佐賀県嬉野市の老舗温泉施設である和多屋別荘に自社のサテライトオフィスを設置したことを皮切りに、佐賀県嬉野市、多久市、有田町、新潟県妙高市、愛知県蒲郡市をはじめとして、各地域の事業者と連携し、旅館やホテルへのサテライトオフィス誘致やワーケーション事業などにより、旅館やホテルの新たな価値を生み出しながら、各地域の関係人口の増加、交流人口の創出にむけた事業を推進しています。芝浦工業大学 デザイン工学部 デザイン工学科との演習授業スケジュール:【1】事前準備歴史・販路・技術情報・業界動向・統計資料、現地調査他【2】6月8日(木)「イントロダクションレクチャー+リサーチとディスカッション」【3】6月15日(木)「リサーチ結果の分析、再リサーチ、ビジネスアイデアの展開」【4】6月22日(木)「ビジネスアイデアの展開、プロトタイプ制作、フィジビリティ検証」【5】6月29日(木)「中間発表とアイデアの再検証」【6】7月6日(木)「フィジビリティ・スタディとプレゼンテーション資料の作成」【7】7月14日(木)「フィジビリティ・スタディとプレゼンテーション資料の作成」【8】7月20日(木)「最終プレゼンテーション」※課題解決型授業(PBL)とは課題解決型授業(PBL)は、従来のコンペ形式とは異なり、実際にある会社のRe-Brandingや、既に運営されている事業を理解し、課題を見つけ解決策を立案する授業です。学生の皆さんが実際にプロジェクトの一員となり、より実務的な視点で経営戦略を学び、新規事業を企画することで、ビジネスを組み立てるプロセスの体験ができる新しい試みで、世界的にも注目されている授業方法です。■株式会社イノベーションパートナーズ 会社概要代表取締役社長: 本田 晋一郎会社設立: 2018年12月5日事業内容:地方創生事業、プロモーション事業ほか公式サイト: 所在地:本社グローバルヘッドオフィス 東京都港区南麻布1-6-30嬉野温泉アジアヘッドオフィス 佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙738 和多屋別荘内ARITAクリエーターハウス 佐賀県西松浦郡有田町赤坂丙2351番地169アリタセラ内多久インキュベーションセンター 佐賀県多久市北多久町大字小侍4644-1 TAQUA内新潟ウェルビーイングステージ 新潟県妙高市両善寺1966 ロッテアライリゾート内ネスト棟3F 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年06月08日2年越しの念願がかなった留学生の喜び千葉県マスコットキャラクター「チーバくん」のグローバルパートナーズに、千葉科学大学危機管理学部4年の張澤琳さんが就任し4月20日に千葉県庁にて就任式が行われました。張澤琳さんは、人の役に立ちたいという思いで千葉科学大学危機管理学部に学び、自分の思いの一つとして、グローバルパートナーズになりたくて、3年の時から応募していたという。今年、パートナーズに選ばれて「本当にうれしい。頑張ります」と笑顔で語っていた。「チーバくん」は、「千葉県に住む不思議ないきもの。好奇心旺盛でいろいろなことに挑戦するのが大好き。未知のものに立ち向かうときほど勇気と情熱がわき、からだが赤く輝く。食いしん坊でいたずら好きな面も。」(千葉県ホームページより)というプロフィールで、横から見た形が千葉県に似ているキャラクター。「グローバルパートナーズ」とは、千葉県ホームページによると「千葉県では、「国籍や言語、文化、習慣等にかかわらず全ての県民が共に安心して暮らし、活躍できる県づくり」を進めています。そこで2020年度から、外国人住民の視点を県施策に活かすとともに、災害時などの多言語での情報発信に協力していただく「チーバくんグローバルパートナーズ※」事業を実施しています。チーバくんパートナーには、県施策についての意見聴取や情報発信等の協力、県の様々な行事等への参加を通じて、暮らしやすい県づくりに関わっていただきます。※令和5年度から、活動内容を分かりやすくするため、従来の「チーバくんパートナー」から名称を変更しました。」(千葉県ホームページより)とある。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年04月21日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。埼玉の夫の実家に居候して約1週間。義母の疲労が目立ってきました。慣れない息子一家(私たち)との生活が、頑張り屋の義母の負担になっているように見受けられました。 夫の会社は震災で建物自体が立ち入り禁止になっており休業中。私も仕事を休んでいたのですぐに帰る必要はなかったのですが、義実家への負担を減らすためにも、そろそろ茨城の自宅へ帰ることにしました。これから私にできること 余震によるダメージや火災、泥棒などの心配もしていましたが、自宅は無事でした。水道の漏水が見つかって数万円の出費があったものの、大ごとにはならずに済みました。そして今度は、まだ被災地で困っている人たちのために自分にできることはないのか、考え始めました。 ここまでが2011年当時に私が描いた漫画です。 あれから、10年。復興へ向けての支援をどれだけできてきただろかと、自問せずにはいられません。また、自分の漫画を読み返し、いろいろなことを忘れていることに驚きました。 今の私にできること。そしてこれからの私にできること。あの時の気持ちと体験を忘れることなく、自分にできる備えや支援を真剣に考えること。それが私にとって一番必要なことだと、今、強く思っています。 震災から10年を振り返って、自分は何ができたかを自問自答された和田さん。10年たった今もなお、大変な思いをされている方もいる、そしてこれからも震災は起こる、そのことを胸に私たち一人ひとりも今一度しっかりと受け止め考え、自分ができることをおこなうことが大切だと痛感しました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月08日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。夫の持病の薬が切れたことをきっかけに、茨城から夫の実家のある埼玉に避難することを決めた私たち。というのも、ネットで高速バスについての情報を得たばかりでした。 避難することを決めるも複雑な気持ちに…出発の前夜は落ち込みました。実家の家族や友だちを残して避難すること。夫の実家まで無事たどり着けるかわからないこと。いつ戻ってこられるのか、元の生活に戻れるのかわからないこと。余震や原発の状況。いろんな不安がありすぎて、自分でも何にヘコんでいるのかよくわからないなあ、と思いながら荷造りをしました。 このときは、まるで違う世界に突然来てしまったような衝撃で、しばらく呆然と雑踏を見つめてしまいました。被災地以外の場所では、計画停電などの不便はあるとはいえ、普段と変わらずに生活できている。そのギャップを目の当たりにして、何とも言えない気持ちになりました。 あれから10年。今送れている「普通の生活」が、決して当たり前のものではないことを忘れてはいけない。あのときの自分の気持ちを思い出して、改めてそう思いました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月05日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。震災直後、物流がストップし、他県の親族から物資を送ってもらうことができなくなってしまいました。電気は復旧したものの、水道は止まったまま。少し離れた場所に給水車が来ていると聞いて向かったのですが……。 近所で家事が発生!? 水がなかなか手に入らず、途方に暮れていたところ…… 友人からもらった井戸水は、一滴も無駄にしないよう、大切に大切に使った覚えがあります。あれから10年、今はジャージャー雑に使ってしまっている水道水。当時の私が見たら、きっと怒るだろうなあ……とふと思います。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月03日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。東日本大震災が発生し、私の住むエリアでは電気と水の供給がストップ。翌朝手に入れた号外で、想像以上に深刻な規模の地震と津波が発生したことはわかったものの、家族4人で1日1日をなんとか乗り切るしかありませんでした。 電気も水もない生活は……? ※断水、停電など非常時に、トイレのタンクに水を入れると製品によっては水が流れなくなる可能性がありますので、ご注意ください。 トイレは大きな問題でした。臭いがひどいだけでなく、電気がつかないので夜は子どもたちが怖がって入れず、おむつをつけて寝かせるようにしていました。せっかくはずれた長女のおむつが復活。おむつもたくさんストックしているわけではなかったので、いつまでもつか不安でした。 電気がついて、やっと情報収集できるように。状況はますます深刻になっていましたが、私と夫の実家と連絡が取れ、ひとまずみんな無事なことがわかりました。 地震とそのあとの原発事故の影響で、宅配便や郵便などの物流が止まってしまい、ほかの地域から必要なものを送ってもらうことができなくなりました。電気は復旧したものの、水道は使えないまま。食料と飲料水の確保が最優先事項になり、「次の食事に子どもたちに何を食べさせるか」に頭を悩ませる日々が続きました。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2023年03月02日明治学院大学は2018年度からUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)難民高等教育プログラムに参加しています。この度難民映画祭パートナーズとして、2023年3月8日(水)に、ドキュメンタリー映画『カオスの行方~安住の地を求めて』の上映会を横浜キャンパスで開催します。紛争、迫害、そして人道危機から逃れてきた難民、避難民など、UNHCRの支援対象者数は世界で約9,470万人に達し、第二次世界大戦後、過去最高を記録しました。映画上映会を通して難民問題について、私たちにできることを考えていきます。『カオスの行方~安住の地を求めて』より■映画『カオスの行方~安住の地を求めて』について原題 :IT WILL BE CHAOS監督 :Lorena Luciano, Filippo Piscopo製作国 :アメリカ、2018年あらすじ:難民問題に焦点を当て、輸送中の人々の生活を集中的に描いた作品。イタリアのランペドゥーサ島で難破しながらも生き延びたエリトリア人男性、そして、シリアの紛争を逃れヨーロッパを目指すもののトルコで足止めされた家族。命がけの避難の旅は、難民となった人たちの苦悩だけでなく、それぞれのおかれた状況の複雑さと、地元民とよそ者との間の高まる緊張感をあぶりだしていく。逆境におかれた人間が這い上がり生き抜いていく、その力を見事にとらえたドキュメンタリー。■プログラム詳細日時 :2023年3月8日(水) 13:00から15:00(開場12:45予定)映画上映後、阿部 浩己教授(国際学部教授・国際平和研究所所長)による解説・コメントを予定場所 :明治学院大学横浜キャンパス 9号館2階921教室参加費:無料申込み:申込不要です。直接会場にお越しください。後援 :国連UNHCR協会 ■上映会に関するお問い合わせ先明治学院大学国際平和研究所(PRIME)E-mail: prime@prime.meijigakuin.ac.jp TEL : 03-5421-5652□■明治学院大学について■□創設者は“ヘボン式ローマ字”の考案や和英・英和辞書『和英語林集成』の編纂、聖書の日本語訳完成などの業績があるJ.C.ヘボン博士。明治学院の淵源となる「ヘボン塾」が横浜に開かれた1863年を創設年としています。建学の精神である「キリスト教による人格教育」と学問の自由を基礎とし、ヘボン博士が貫いた“Do for Others(他者への貢献)”を教育理念としています。広く教養を培うとともに、各学部学科において専門分野に関する知識・技能および知的応用能力を身につけた人間の育成を目指します。2023年に創立160周年を迎え、2024年には本学初の理系学部「情報数理学部」を設置予定です(仮称・設置構想中)。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年02月21日震災後の福島県楢葉町・実在する障がい者施設をモデルにした舞台『なくなるカタチとなくならないキモチ』10月下北沢・横浜・大阪3都市公演!!南野陽子主演の舞台が下北沢駅前劇場で南野陽子が、震災と障がいをテーマにした作品に主演。クラウドファンディングは2日で1000%を達成!80年代にはトップアイドルとして一世を風靡し、女優としては日本アカデミー賞主演女優賞も受賞している南野陽子。その南野陽子主演の舞台『なくなるカタチとなくならないキモチ』を、障がい者に寄り添う舞台を作り続けてきた「横浜桜座」(一般社団法人グランツ)が上演します。初日は10月7日、下北沢・駅前劇場にて。その後、横浜(ラポールシアター)、大阪(インディペンデントシアター2nd)と3都市での上演を予定しています。この作品は、・物語が震災後の福島県楢葉町にある実在の障がい者施設「ふたばの里」をモデルにしていること・スーパーアイドルで大女優の南野陽子が下北沢駅前劇場のような100人規模の小劇場の舞台に立つこと・横浜桜座という、プロの俳優と障がいのある俳優が一緒に舞台を創る劇団の作品であること・脚本・大西弘記(TOKYOハンバーグ)演出・磯村純(劇団青年座)という実力派の描くエンターテインメント作品であること・クラウドファンディングが2日で1000%達成という快挙を成しとげ、今も継続中であることなどが大きな話題を呼んでいる作品です。また、この作品には、「エンターテインメントを通じて障がい者への理解を深めてもらいたい」「舞台に足を運べない人にも舞台の感動を届けたい」「それらを通じて、演劇をもっとバリアフリーにしたい」といった目的もあります。ひとりでも多くの方に、この作品のことが届くよう願っています。障がいがある方に寄り添う舞台を作り続ける「横浜桜座」横浜桜座は2013年より、プロの俳優と障がいのある俳優が一緒になって、障がいのある方に寄り添う舞台を創りあげてきた劇団です。その運営をする一般社団法人グランツの代表理事飯田浩志は、数年前、障がい者のある方がスポーツで自己表現をする姿を見て大きく心を揺さぶられたという経験が忘れられないと言います。日々自分の命と向き合いながら、己の人生をかけて信じた道を純粋に突き進む人々の姿を目の当たりにし、舞台芸術の世界でも、障がいのある方が輝く場所を創りたいと思うようになり創設したのが、劇団『横浜桜座』です。一般社団法人グランツ : あらすじ2011年3月11日。未曾有の被害となった東日本大地震。そして福島第一原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた人たちの中に、障がいのある人たちも、もちろん故郷に追われていました。それから数年がたち、福島県楢葉町が避難解除になり、障がい者施設で働いていた早見千絵は真っ先に施設に戻り、障がいのある人たちが帰ってくる場所を用意していました。2015年9月。そんな彼女をジャーナリストの甲本郷道が取材に訪れる事からこの物語は始まります。主役の早見千絵を演じるのは南野陽子さん。震災前後の福島の障がいのある家族とそのコミュニティの物語を、TOKYOハンバーグの大西弘記が書き下ろし、青年座の磯村純がハートウォーミングに料理します。南野陽子さんと「横浜桜座」との出会い南野陽子さんと横浜桜座の出会いは2021年3月。第3回横浜桜座プロデュース公演を南野さんが観に来てくださったのがきっかけです。「なくなるカタチとなくならないキモチ」は、福島の福祉作業所を舞台に、震災・原発事故を通じて障がい者がどのような環境の中を生き抜いてきたのかを描いた作品です。モデルとなった障がい者施設『ふたばの里』を立ち上げた早川千枝子さんのところに通い取材を重ねるうちに、南野さんにこの舞台に出演していただけないだろうか…という想いが大きくなっていきました。もともと様々なボランティア活動などもされている南野さんに「一緒にこの舞台を創っていただけないか?」とオファーをしたところ、「ぜひやってみたい」と快諾していただけました。南野陽子さんと横浜桜座全ての人にエールを!!「なくなるカタチとなくならないキモチ」制作のために、福島県楢葉町にある障がい者施設「ふたばの里」に何度も足を運んで取材を重ねました。そこで見聞きした話はあまりにも衝撃的で、震災についてや原発事故について、少しでも勉強して、気持ちはそこで暮らしていた方に寄り添っていたつもりでいても、これまで公に語られていなかった事実や、そこで暮らす当事者でしか分かり得ないことがたくさんあるのだと、改めて思い知らされました。そしてこの物語の主人公を、普段から福祉に目を向けていらっしゃる南野陽子さんが演じてくださることに大きな意義を感じます。小劇場の、手が届きそうなくらい近い距離となる舞台での南野さんの演技をぜひ観ていただきたいと思います。お客様がチケットを買った瞬間から、舞台を観に行く事にワクワクが止まらない。そして観劇後はそれまで見ていた景色が少しだけ違って見える。そんな素敵な体験となるよう舞台を創ってまいります。さまざまな思いで日々を過ごしているすべての人に、今回の舞台を通して、エールを送りたい。そんな想いを今回の舞台に込めました。▼今回の公演のモデルとなった障害者施設「ふたばの里」と早川さんの記事NHK 福祉情報サイト「ハートネット」より【特集】東日本大震災 原発被災地は今(2)障害者が安心して戻れる場所を作りたい - 記事 | NHK ハートネット : 【特集】消えない不安原発事故10年・置き去りのままの障害者 - 記事 | NHK ハートネット : クラウドファンディングに挑戦中!物理的な配慮だけじゃない、 心のバリアフリーも目指した演劇を実現したい。横浜桜座の公演は、上演の際に音声ガイドや字幕などを用意し、どんな障がいのある方でも観劇ができる「バリアフリー演劇」を実現しています。一般的な舞台にかかる経費に加え、音声ガイドや字幕制作の費用も必要となります。 そして、劇場で生の演劇を見たくても見ることのできない障がい者の方もたくさんいらっしゃいます。今回の公演では本公演を収録した『DVD』、出演者を身近に感じられるコメントや稽古の様子、スタッフの作品への想いなどを掲載した『パンフレット』を制作し、「演劇に興味のある障がい者の方たちへ、ひとりでも多く届けたい。」「障がい者や福島の現状を、少しでも多く知ってもらいたい」という想いからクラウドファンディングにチャレンジ中です。パンフレットやDVDだけでなく、障がい者施設「ふたばの里」を支援できるリターンもご用意しています。ぜひ応援をお願いいたします。▼クラウドファンディングの応援はこちらから!!プロの役者と障がい者とで創る「障がいのある人に寄り添う演劇」を多くの人に届けたい : 第4回横浜桜座プロデュース公演情報『なくなるカタチとなくならないキモチ』公演メインビジュアル劇作:大西弘記(TOKYOハンバーグ)演出:磯村純(劇団青年座)■出演■南野陽子白幡大介(文化座)館野元彦(銅鑼)甲津拓平(流山児★事務所)井上夏葉(青年座)萬谷真之北澤小枝子(HANATOMO 演仕屋)三浦拓真(青年座)笠井幽夏子末次由樹仙名翔一中川涼香(文学座)飯田浩志(グランツ)藤夏子(青年座)千葉昇司高後楓(東京・横浜公演)横浜桜座(東京・横浜公演)南保大樹(東演)■スタッフ音楽/印南俊太朗舞台美術/根来美咲照明/鷲崎淳一郎(ライティングユニオン)音響/坂口野花(TEO)舞台監督/赤坂有紀子演出助手/中花子衣装/高木渚鑑賞サポート/舞台ナビLANP字幕製作/字幕サークル『まじっく』(横浜公演)宣伝美術/徳永健(クラウドボックス)宣伝写真/たかはしじゅんいち宣伝メイク/得字マキ宣伝スタイリスト/千葉良(オーガスト・インターナショナル)制作協力/株式会社星企画制作統括/加藤昌史プロデューサー/飯田浩志共催/社会福祉法人横浜市リハビリテーション事業団(横浜公演)製作/一般社団法人グランツ■チケット【発売中】前売り当日共 一般 6,000 円(税込)障がい割3,000円(横浜公演のみ・介助者1名まで同額)ユース割3,000円(20歳以下・来場時身分証持参)■グランツ受付全てのチケットのご予約承ります‼️メール ticket.sakuraza@gmail.com 電話 050-3628-3018■イープラス一般チケットのみ 公演スケジュール■東京公演下北沢駅前劇場10月7日(金)19時8日(土)14時19時9日(日)14時10日(祝)14時11日(火)休演日12日(水)14時19時13日(木)14時14日(金)14時◇15日(土)14時◇19時16日(日)14時※日時指定・全席指定席 受付は開演の 60 分前、開場は 30 分前)※全公演 車椅子席あり 耳の不自由な方でご希望の方には台本貸与◇マークの回は音声ガイドあり(利用は無料。目の不自由な方向け。他の方でも利用可)【アクセスマップ】 ■横浜公演横浜ラポールラポールシアター10月18日(火)18時19日(水)13時※日時指定・全席指定席 受付は開演の60分前、開場は 30分前※全公演 車椅子席あり※全公演字幕・音声ガイドあり(利用は無料)【アクセスマップ】 ■大阪公演インディペンデントシアター210月21日(金)19時22日(土)14時◇19時23日(日)13時※日時指定・全席指定席 受付は開演の60分前、開場は 30分前※全公演 車椅子席あり※耳の不自由な方でご希望の方には台本貸与◇マークの回は音声ガイドあり(利用は無料。目の不自由な方向け。他の方でも利用可【アクセスマップ】 ▼公演公式ホームページ第4回横浜桜座プロデュース公演|なくなるカタチとなくならないキモチ|一般社団法人グランツ : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月17日日本の林業再生・木材流通適正化を図る「森林再生プラットフォーム」を展開する森林パートナーズ株式会社(本社:東京都目黒区、代表:伊佐 裕/伊佐ホームズ株式会社 代表取締役社長、以下 当社)では、地域工務店の全国組織、一般社団法人JBN・全国工務店協会(本部:東京都中央区、会長:大野 年司、以下JBN)が国土交通省令和3年補正予算「安定的な木材確保体制整備事業」※に提案し、2022年6月14日に承認された「国内木材供給サプライチェーン構築事業」に全面的に参画します。当社は、この「国内木材供給サプライチェーン構築事業」を、事業主体であるJBNの協力のもと、本年度は、東京都・埼玉県、熊本県の2地域で実施・推進いたします。これを皮切りに「森林再生プラットフォーム」を3年後に5都道府県での展開をめざし、国内の森林資源の保全、国内木材の健全な流通促進を図ります。※国土交通省令和3年補正予算「安定的な木材確保体制整備事業」 新型コロナウイルスの蔓延、ロシア・ウクライナ情勢の影響により、世界的な木材不足「ウッドショック」が発生しており、日本国内でも外国産材、特に建築用の木材の不足、価格高騰など大きな問題となっております。本来であれば日本国内の森林面積、森林資源量からすると、外国産木材が不足しても国産材で賄うことがある程度可能なはずですが、長年日本では国内における木材流通の供給体制の不備、また供給元である国内林業の低迷などの問題が解決されておらず、国内木材の健全な活用、流通が滞っており、木材供給量と価格の不安定化を招いています。当社が展開する「森林再生プラットフォーム」は、こうした問題を解決すべく、地域の工務店が地域の生産者(山元)から直接良質な木材を適正価格で購入することを起点に、山元、製材所、プレスカット工場、工務店が地域ごとにその事情にあわせた国内木材の流通システムのプラットフォームを構築するというもので、良質かつ適正価格の国内材を消費者に供給するとともに、山元にも利益を還元し森林の保全をめざす事業です。国産木材の活用、その安定供給の体制を構築するための国土交通省の整備事業として、JBNの「国内木材供給サプライチェーン構築事業」が承認され、本事業に当社のこの国産木材流通システム「森林再生プラットフォーム」が採用されました。JBNの協力のもと当社では、このシステムの構築を本年度は先ず東京都・埼玉県において「森林プラットフォームのDX化事業」として、更に熊本県において「地域型木材サプライチェーンと木造応急仮設住宅供給網構築事業」として実施・展開します。国内木材安定供給、国内林業の復活のためには、地域に即したプラットフォームの構築を積み上げていくことが肝要と考えます。本事業は先ず東京都・埼玉県、熊本県を足掛かりに、国土交通省の整備事業の他社、他事業とも連携して実績を作りながら、全国での国内木材の安定供給と需要拡大をめざします。1.森林再生プラットフォーム構築の背景本来なら日本国内の森林面積、森林資源量から推量すれば、外国産木材が不足しても国産材で賄うことが可能なはずですが(1)国内における木材流通の供給体制とそこに必要な設備の不備(2)木材の供給元である国内林業の低迷などが主な原因・課題となり、国内材の供給不足と価格高騰を招いています。国内木材の問題は戦後一貫して山積してきた課題であり、外国産木材に依存せず安定的かつ良質な国内木材を供給できる体制をつくるには以下、2つの機能が必要と考えます。(1)建築業者、生産者、木材加工業者が一体となり、国内林業を活性化し安定的に木材を出荷できる体制を整え、木材需要と生産情報を情報共有する機能をつくること(2)木材不足が発生するなど安定流通に支障をきたすような時に対応できるための補完機能この2つの機能によって、国内木材の安定的な供給を実現し、国内林業の復活をめざすのが、「森林再生プラットフォーム」です。2.森林再生プラットフォームの概要2017年に当社が立ち上げた「森林再生プラットフォーム」は参画する工務店、製材・加工工場、物流、木材供給者がリアルタイムで情報共有できるシステムです。工務店の需要情報に基づき適正な価格で製材・加工を行うほか、生産木材ごとにIC・タグ・QRコードを付与、生産者の氏名や原木の品質、加工後の製品寸法や強度等の情報を管理でき、消費者へのトレーサビリティを確保していることも特徴です。また、受注、発注側双方の需要予測が立てやすく、安定供給を容易にすることが可能です。さらに、サプライチェーンにおいて全国展開することにより、複数のネットワークが構築でき、需要と供給の急なアンバランスにも対応できる柔軟性を持ち合わせます。森林プラットフォーム概要図3.国土交通省「安定的な木材確保体制整備事業」に基づく森林再生プラットフォーム活用概要(1)東京都・埼玉県実施概要・正式名称:森林プラットフォームのDX化・申請者 :実施統括:一般社団法人JBN・全国工務店協会・実施運営:森林パートナーズ株式会社・参画企業:東京・埼玉の中小工務店3社、製材事業者、原木供給者5社・団体・事業概要:地域の工務店、製材事業者、原木供給者が一体となった木材供給サプライチェーンシステムとプラットフォームの構築とDX化・事業展開:2022年3月より本事業に関する説明会を実施しており、東京都・埼玉県の参画事業者と地域諸条件との体制整備、設計から加工、建築、および全体の受発注における決済システム・キャッシュレス化、トレーサビリティを確立し、生産から建築まで一貫したDX化を実現します。(2)熊本県実施概要・事業名 :「地域型木材サプライチェーンと木造応急仮設住宅供給網構築事業」・申請者・実施統括:一般社団法人JBN・全国工務店協会・実施運営 :森林パートナーズ株式会社・参画企業 :熊本の中小工務店3社、製材事業者、原木供給者2団体・事業概要 :地域の工務店、製材事業者、原木供給者が一体となった木材供給サプライチェーンシステムとプラットフォームの構築・事業展開 :2022年3月より熊本県事業者への説明会を実施、参画事業者との体制確認や、熊本震災・豪雨災害を機に需要の安定かつ緊急供給が急務の木材仮説住宅の提供体制確立のための調査、体制作りをすすめます。■一般社団法人JBN・全国工務店協会 概要代表 : 会長(代表理事) 大野 年司所在地 : 東京都中央区八丁堀3-4-10 京橋北見ビル東館 6階加盟社・団体: 47都道府県3,000社の地域工務店が加盟主な事業概要: 人材の育成(大工・現場監督・設計等)、工務店の受注促進に必要な研究開発、次世代の若き経営者に必要な知恵と知識の享受、地域工務店の全国組織として国、県への協力と要望、災害時に応急仮設・復興住宅建設URL : ■伊佐ホームズ株式会社 概要商号 : 伊佐ホームズ株式会社[ISA homes Co.,Ltd.]代表 : 代表取締役社長 伊佐 裕本社所在地: 〒158-0095 東京都世田谷区瀬田2丁目26番7号資本金 : 5,000万円事業概要 : ・戸建住宅(注文住宅、別荘、企画住宅、事務所)の設計、施工・特殊建築物(美術館、社寺・庫裡、茶室、旅館、店舗、デザイナーズレジデンス)の設計、施工・リフォーム、リノベーション・不動産のコンサルティング及び仲介、賃貸及び管理・家具、インテリア用品、工芸品等の販売URL : ■森林パートナーズ株式会社 概要商号 : 森林パートナーズ株式会社役員 : 代表取締役会長 伊佐 裕(伊佐ホームズ株式会社 代表取締役社長)取締役社長: 小柳 雄平(伊佐ホームズ株式会社)本店所在地: 〒152-0021 東京都目黒区東が丘2-13-25設立年月日: 2017年6月30日資本金 : 2,000万円株主構成 : 伊佐ホームズ、工務店、プレカット工場、製材所、山元の事業者事業目的 : 1.国民的課題である森林の維持・再生と、地域材の活用促進のための事業を行う2.地域工務店と林業・木材加工業の連携による6次産業化を実現するため、「森林再生プラットフォーム」を提供する新木材流通コーディネート事業を行うURL : <本件の事業関係に関する一般のお問い合わせ先>森林パートナーズ株式会社担当: 小柳TEL : 090-2305-5439Mail: koyanagi@shinrin-p.com 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年06月28日2011年3月11日に起きた東日本大震災による衝撃は人間だけでなく、動物たちをも襲った。福島第一原発の付近の住民は、着の身着のまま、震災翌日から避難所を転々とする生活に一変し、多くのペットたちがやむなく後に残された。一方、ペットを救済するボランティアたちは、避難区域の動物たちの保護に努める。その中で見つかった人懐っこい一頭の犬の余命が一か月と診断され……。そんなひとつの実話からアニメ映画『とんがり頭のごん太 -2つの名前を生きた福島被災犬の物語-』が生まれた。フジテレビ系『踊る大走査線』やテレビ朝日系『科捜研の女』など、俳優として活躍中の斉藤曉さん(68)は、福島県郡山市出身。ごん太の飼い主である富田清さんの声優を担当した。斉藤さんに心境を聞いてみた。震災当時、故郷福島のために何かしたい気持ちがありつつ、何もできなかったと斉藤さんは振り返る。「震災時、私は都内にいました。尋常じゃない揺れに驚きました。その後、テレビで流れる津波や福島第一の原発事故の映像をまったく信じられない思いで見ていましたが、郡山の老人ホームに入っていたおふくろに電話がつながらなくて、ずいぶん心配しました。震災直後に福島から私の近所にある体育館に逃れて来た方もたくさんいらして、私に何かできることはないかと思って足を運んだのですが、目の前で泣いているおばあさんや、茫然としている女性を見ていて、僕にできることなんて、何もないんです。あの時の無力感といったら……」福島県は津波による被害だけでなく、放射能による被害も甚大だった。さまざまな問題が膨らんでいく故郷を見ながら、何もできないもどかしさを斉藤さんは、以来感じていたのだという。それから10年が経ち、『とんがり頭のごん太』の声優の依頼が入った。原発事故で避難した富田一家が、愛犬「ごん太」を連れていけず、離れ離れになってしまう。ペットを救済するボランティアの女性、吉野由紀がごん太を見つけるのだが、健康診断の時にごん太の余命が短いことがわかる。由紀は必至に飼い主を探し、ごん太は奇跡の再会を果たす、というストーリーで、動物の純粋さや混乱の中、運命を惑わされた人たちの物語が描かれている。「こんなことが本当にあったんだと驚きながらも、犬のごん太から勇気をもらえる筋書きになっています。『全編福島弁でやってください』と言われたのもとても嬉しかったです。肩の力を抜いてのびのびと楽しく仕事をさせていただけて、僕にとってはまたとない機会でした」この作品にかかわれたことで、10年経ってようやく故郷福島のために何かができた気がしているのだという。「“普通の生活”の大切さを実感しますよね。この作品は実話にアレンジを加えてアニメにしていますが、ある意味で記録だと思います。みなさんの苦労を初めて知ることができました。日本だけでなく、世界中の人にも見てもらいたいと思っています」『とんがり頭のごん太 -2つの名前を生きた福島被災犬の物語-』は5月28日からフォーラム福島で先行上映が始まり、6月3日~9日ヒューマントラスト渋谷などで劇場公開が予定されている。原案本『福島余命1カ月の被災地犬 とんがりあたまのごん太』(光文社)が発売中。(取材・文:田中響子)
2022年05月25日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。埼玉の夫の実家に居候して約1週間。義母の疲労が目立ってきました。慣れない息子一家(私たち)との生活が、頑張り屋の義母の負担になっているように見受けられました。 夫の会社は震災で建物自体が立ち入り禁止になっており休業中。私も仕事を休んでいたのですぐに帰る必要はなかったのですが、義実家への負担を減らすためにも、そろそろ茨城の自宅へ帰ることにしました。これから私にできること 余震によるダメージや火災、泥棒などの心配もしていましたが、自宅は無事でした。水道の漏水が見つかって数万円の出費があったものの、大ごとにはならずに済みました。そして今度は、まだ被災地で困っている人たちのために自分にできることはないのか、考え始めました。 ここまでが2011年当時に私が描いた漫画です。 あれから、10年。復興へ向けての支援をどれだけできてきただろかと、自問せずにはいられません。また、自分の漫画を読み返し、いろいろなことを忘れていることに驚きました。 今の私にできること。そしてこれからの私にできること。あの時の気持ちと体験を忘れることなく、自分にできる備えや支援を真剣に考えること。それが私にとって一番必要なことだと、今、強く思っています。 震災から10年を振り返って、自分は何ができたかを自問自答された和田さん。10年たった今もなお、大変な思いをされている方もいる、そしてこれからも震災は起こる、そのことを胸に私たち一人ひとりも今一度しっかりと受け止め考え、自分ができることをおこなうことが大切だと痛感しました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月11日2018年度からUNHCR難民高等教育プログラムに参加している明治学院大学は、UNHCR WILL2LIVE Cinema 学校パートナーズ参加校として、2022年3月22日(火)に、ドキュメンタリー映画『女を修理する男』上映会をオンラインで開催します。コンゴで性暴力被害女性の治療を命がけで続け、2018年にノーベル平和賞を受賞したデニ・ムクウェゲ医師の活動を紹介する映画です。上映会は11月に続き、今年度第2回目の開催です。上映後、華井 和代氏(東京大学未来ビジョン研究センター講師、NPO法人RITA-Congo共同代表)、ジャンクロード・マスワナ氏(立命館大学経済学研究科教授)をお迎えし、運営に携わっている学生委員とのトークセッションを企画しています。一般公開のイベントとして、多くの方のご参加をお待ちしています。UNHCR WILL2LIVE Cinema学校パートナーズ 明治学院大学オンライン上映会&トークUNHCR WILL2LIVE Cinema 学校パートナーズ 明治学院大学『女を修理する男』上映&トーク日時 : 2022年3月22日(火) 14:00~17:30会場 : Zoomによるオンライン開催作品 : 『女を修理する男』 原題 : La Colere d'Hippocrate監督 : ティエリー・ミシェル概要 : ベルギー/2015年/112分/ドキュメンタリー申込方法 : 下記サイトからお申し込みください。当日まで可能です。(映画の権利の関係上、ご参加は国内在住の方に限ります。) 参加費 : 無料定員 : 上限はなく、皆さんにご参加いただけます。トーク言語 : 日本語、英語(逐次通訳あり)タイムテーブル: 14:00~14:03 開会挨拶・趣旨説明14:03~15:55 映画上映『女を修理する男』(112分)16:00~17:25 トークゲスト:華井 和代(東京大学未来ビジョン研究センター講師、NPO法人RITA-Congo共同代表)ジャンクロード・マスワナ(立命館大学経済学研究科教授)17:25~17:30 閉会挨拶主催 : 明治学院大学後援 : 国連UNHCR協会お問い合わせ先: 明治学院大学国際平和研究所(PRIME)Tel : 03-5421-5652E-mail : prime@prime.meijigakuin.ac.jp URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年03月10日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。夫の持病の薬が切れたことをきっかけに、茨城から夫の実家のある埼玉に避難することを決めた私たち。というのも、ネットで高速バスについての情報を得たばかりでした。 避難することを決めるも複雑な気持ちに…出発の前夜は落ち込みました。実家の家族や友だちを残して避難すること。夫の実家まで無事たどり着けるかわからないこと。いつ戻ってこられるのか、元の生活に戻れるのかわからないこと。余震や原発の状況。いろんな不安がありすぎて、自分でも何にヘコんでいるのかよくわからないなあ、と思いながら荷造りをしました。 このときは、まるで違う世界に突然来てしまったような衝撃で、しばらく呆然と雑踏を見つめてしまいました。被災地以外の場所では、計画停電などの不便はあるとはいえ、普段と変わらずに生活できている。そのギャップを目の当たりにして、何とも言えない気持ちになりました。 あれから10年。今送れている「普通の生活」が、決して当たり前のものではないことを忘れてはいけない。あのときの自分の気持ちを思い出して、改めてそう思いました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月08日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。震災直後、物流がストップし、他県の親族から物資を送ってもらうことができなくなってしまいました。電気は復旧したものの、水道は止まったまま。少し離れた場所に給水車が来ていると聞いて向かったのですが……。 近所で家事が発生!? 水がなかなか手に入らず、途方に暮れていたところ…… 友人からもらった井戸水は、一滴も無駄にしないよう、大切に大切に使った覚えがあります。あれから10年、今はジャージャー雑に使ってしまっている水道水。当時の私が見たら、きっと怒るだろうなあ……とふと思います。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月06日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。東日本大震災が発生し、私の住むエリアでは電気と水の供給がストップ。翌朝手に入れた号外で、想像以上に深刻な規模の地震と津波が発生したことはわかったものの、家族4人で1日1日をなんとか乗り切るしかありませんでした。 電気も水もない生活は……? ※断水、停電など非常時に、トイレのタンクに水を入れると製品によっては水が流れなくなる可能性がありますので、ご注意ください。 トイレは大きな問題でした。臭いがひどいだけでなく、電気がつかないので夜は子どもたちが怖がって入れず、おむつをつけて寝かせるようにしていました。せっかくはずれた長女のおむつが復活。おむつもたくさんストックしているわけではなかったので、いつまでもつか不安でした。 電気がついて、やっと情報収集できるように。状況はますます深刻になっていましたが、私と夫の実家と連絡が取れ、ひとまずみんな無事なことがわかりました。 地震とそのあとの原発事故の影響で、宅配便や郵便などの物流が止まってしまい、ほかの地域から必要なものを送ってもらうことができなくなりました。電気は復旧したものの、水道は使えないまま。食料と飲料水の確保が最優先事項になり、「次の食事に子どもたちに何を食べさせるか」に頭を悩ませる日々が続きました。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月05日東日本大震災が起こったのは、私が都内の保育園に就職し1年が経とうとしていたとき。保育園で泊まりがけで子どもたちのお世話をし、帰宅困難になった保護者を待っていた時間は、子どもを持った今の私には大きな糧となっています。地震発生から無事に子どもたちを保護者に引き渡すまでの体験と、私の今の生活に生かされている教訓を紹介します。 普段より少し大きい地震…のはずが地震が起こったとき、保育園で勤務していた私は、お昼寝明けの子どもたちの保育中。いつもと変わらずおやつの準備を始めようと思っていたとき、感じるか感じないかくらいの揺れがあり、先輩保育士の指示で保育室内の窓を開けました。 しかしその後揺れがどんどん大きくなり、寝ていた子どもたちを急いで起こし、皆で一か所に集まりました。普段より少し大きい地震がきたな……くらいにしか思っていなかった私は、その後夜通しの保育になるとは想像もしていなかったのです。 不安のなかでの保育揺れが大きく余震も長く続くので、ただ事ではないと、保育士一同テレビで情報を確認しました。すると衝撃の被害状況が明らかになり、胸がざわついたことを覚えています。 子どもがいる職員は帰宅し、私も遠方に住む両親に連絡をしたのですが通信が混み合っていて繋がらず、不安が続くなかでの保育となりました。交通も止まり、保護者のなかには帰宅困難となる人もいて、同様に帰宅困難になった職員で保育を継続し、ついに夜通しとなりました。 大事な子どもと再会できた喜び夜になると次第に通信が安定してきて家族の安否を確認でき、やっと安心して保育に身が入ったというのが正直なところ。私たち保育士は子どもたちと一緒に夕飯を食べ、眠くなった子から寝かしつけをして保護者の帰宅を待ちました。 帰宅困難になった保護者が続々と子どもを迎えにきたのは22時ごろ。10km以上も離れた職場から歩いてきた人もおり、やっと迎えにくることができた安堵感がにじみ出ていました。最後に迎えにきた保護者は翌朝の8時ころ。疲れ果てた表情でわが子を抱きしめていた姿が印象的でした。 災害時保育から生かしたこと当時私には子どもがいませんでしたが、家族と連絡が取れない状況はとても不安でした。子どもを必死の思いで迎えにきた保護者も同じような気持ちだったことと思います。今は娘を育てている身として、日ごろから災害時の安否確認方法を確保しておくべきだと感じました。 そこで、NTTの災害伝言ダイヤルや携帯キャリアの災害時伝言板の使い方を確認し家族にメッセージをテスト送信するなど、いざというときにすぐに使えるようにしています。また、大事な子どもを守るために、自分も子どもも安全に避難できるような準備もしっかりと。家の中の安全な場所の確認、地域の避難場所の確認、出口付近に避難用具の設置をし、定期的に見直しをしています。 東日本大震災当時、都内では交通機関が停止し大勢の人が歩いて帰宅したようですが、今は二次災害の防止のために災害発生直後の移動は控えるように言われていることと思います。そのため、なおさら家族との連絡手段の確保をしっかりおこない、災害時に離れていたとしても、お互い安心安全に避難できるようにしたいと思っています。 監修/助産師REIKO著者:斎藤ますみ1児の母。保育士として働く傍ら、自身の出産・子育て経験をもとに、妊娠・出産・育児に関する記事を中心に執筆している。
2021年03月30日●『未来のカケラ』は「できること」を与えてくれた2011年3月11日に発生した未曾有の災害・東日本大震災から10年。マイナビニュースでは、この震災に様々な形で向き合ってきた人々や番組のキーパーソンにインタビューし、この10年、そしてこれからを考えていく。震災から5年後の2016年に制作されたショートフィルム『未来のカケラ / Pieces of the Future』(国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル&アジア制作)。政府広報室が実施した東北支援キャンペーン「東北を元気にする作文 短編映画化プロジェクト」の最優秀作品に選ばれた、岩手県在住・岩間壮太さん(当時小学5年生)の作文「震災から4年と半年(感謝を忘れない)」を原作に、施工依頼のあった「物置」と見習い大工が向き合う姿を描いている。この見習い大工・壮太を演じた須賀健太(26)は今年3月11日、Twitterに「震災から5年のタイミングで出演させて頂いた『未来のカケラ』そこからまた5年…あの時も岩手の皆さんは『忘れて欲しくない』と仰っていました。自分なんかが言うのはおこがましいけど、この先も忘れないように考え続けたいです。一緒に」と投稿した。これまでも度々同作を取り上げていたが、そこにはどのような思いがあったのか。本人を取材すると「僕は何もできなかった」と切り出し、当時から今でも抱え続けている葛藤、そして“未来のカケラ”について胸の内を明かしてくれた。○■あのとき何かできていれば――『未来のカケラ / Pieces of the Future』のオファーを受けて、率直にどう思われましたか?東日本大震災が発生した直後、僕は何もできなかった。そういうとちょっと大げさに聞こえるかもしれないんですけど、やったのはニュースを見ることぐらいで、ボランティアとかそういう具体的な行動に移すことはできませんでした。毎年3月11日が近づくと、「あのとき何かできていれば、今の自分はちょっと違っていたかもしれない」と後悔する日々。『未来のカケラ』はそんな自分にとって、「できること」を与えてくれた貴重な機会でした。覚悟は必要でしたが、お話を頂いてすぐに返事をさせていただきました。原作となった岩間壮太さんの作文を読ませて頂いて、「建築」に対する意味合いや印象が大きく変わりました。それまでの自分は、建物に対して何も考えていなかった。同じ国に住んで同じように過ごしているはずなのに、1つの経験によってここまで違いが出てしまうものなのかと。当時小学5年生で書かれていた作文ということもあって、ハッとさせられました。お芝居の上ではあるんですけど、そういうこともしっかりと届けないといけない。当時、そう思った記憶があります。――「建築」について改めて考えることは、日常の中でそこまでないですよね。岩間さんは改めて作品を観て、「物が壊れたとしても残り続ける『思い』の強さを感じました。ただ、記憶という物は時間と共に薄れていくものでもあり、それを止めておく『物』の大切さも同時に感じることができました。そのような面でも、長い間そこに有り続ける建築物は重要」と実感したそうです。身の回りにある多くの建物。そこに建っていることは、よくよく考えると「普通」ではないんです。東日本大震災から10年を迎え、壮太さんがおっしゃっているように、自分も建物に対する意識が変わったなと感じました。5年前、電車に乗って東京から撮影地の岩手県大槌町が近づくにつれて、地面に散らばったままの破片や木材とか、地震の影響と思われる痕跡がどんどん増えていって。更地になってきれいに整備された場所を見ても、「とてつもないことが起きたんだ」ということは、震災から5年経っても十分伝わりました。ニュースで取り上げられる現地の様子を見ても、どこか自分にとっては「映像の先のもの」だったことが分かったというか。『未来のカケラ』に出演させて頂くにあたって、大槌町のロケを通じてそこを肌で感じることができたのは大きかったです。●本当の意味での「忘れない」とは――須賀さんのTwitter投稿によると、現地の人は「忘れてほしくない」とおっしゃっていたそうですね。どのようなタイミングで聞いたか覚えていますか?撮影期間中、町を挙げて応援してくださっていて。空き時間は現地の方々とお話しする機会も多かったですし、夜はおいしい海鮮料理を用意してくださいました。本当に温かい方ばかりで、「来てくれてありがとう。作品を通して人々の目に触れることがうれしい」とおっしゃっていて、「忘れてほしくない」というのも交流の場で聞いた言葉だったと思います。人間、誰でも忘れていく。毎年、この時期になるとニュースでは特集が組まれているし、目に留まる機会は増えますが、「またこの時期が来たんだ」と感じることも、忘れているに等しいんじゃないかと身をもって感じます。だからといって、僕含めて何ができるんだといったら、それはまた難しい話でもあるんですけど……現在進行系でその土地で生活している人たちがいる。撮影から5年が経ちましたが、そういうことを強く感じます。本当の意味で、「忘れない」とはどういうことなのか。この作品を通して、自分も考え続けていきたい。今生まれた子たちは、当たり前ですけど震災を知らない世代です。そういう子たちにも届いたらいいなと、5年前は漠然とそんなことを思っていました。何もできずに悶々としていた自分にとっては、自己満足なのかもしれないですけど、震災に関わるお仕事を役者という自分のフィールドでできたことが何よりもありがたかった。伝えることが仕事で、演じることも仕事。でも、キャスターさんや記者さんとは違う伝え方です。なかなかそんな機会は頂けないと思いますので、僕を選んで頂いて……でもこれは僕の感覚での「良かった」でしかないので難しいんですけど……。僕としては、関わることができて良かったです。○■「当事者ではない僕」の向き合い方――俳優でしか関われない仕事ですね。現地に行って撮影していた時期、振り返ってみると町全体で盛り上げてくださって、「来てくれてありがとう」と感謝までしてもらえた。「芝居するの照れちゃうなぁ」とか言いながら(笑)、エキストラでも参加して頂き、朝から晩までの撮影にも協力してくださいました。そして、夜はみんなで宴会。あの時間はすごく……輝かしい時間だったというか。その時に、「強さ」をすごく感じたんです。実は……僕自身も現地に行くまでは、言い方が悪く聞こえてしまうかもしれませんが、まずは「気を使うこと」を意識していました。「震災のことで傷つけてしまうようなことを言わないように」とか、「どこまで聞いていいんだろう」とか考えながら行ったんですけど、現地の方々と交流すると、みなさんすごく強くてたくましくて前向きで。そして何より、僕たち以上にその作品が出来上がることを楽しみにしてくれて、そこの良い意味でのギャップが、僕はうれしかった。現地に行くことの大切さを改めて感じた瞬間でもありました。それからすごく覚えているのが、撮影の待ち時間があって現地の方が津波の映像を見せてくださったんです。それは町が飲み込まれていく瞬間を撮った、編集されていない映像でした。うまく表現できないんですけど……あの映像は忘れられません。でも、ここから目をそらしちゃダメだなとその時すごく思って。それをみんなに見てほしいというわけではなくて、それを見た「当事者ではない僕」の、作品を通して伝えられることの質が変わったと思います。それも貴重な体験でした。――当時の須賀さんは21歳頃ですよね。俳優としてどのような時期だったんですか?役者として、今後の自分はどうなっていくのかなという不安を抱えた時期だったような気がします。その頃は頻繁に舞台に出させてもらっていて、仕事の幅を広げていきたいと思っていた時期でもあったので、何よりも映像の仕事を頂けたことがうれしかったです。――2016年2月22日に投稿されたブログでは、「大槌お宝マップ」の文面を紹介し、「この想いこそが未来のカケラだろうと僕は思い、演じさせて頂きました」と書かれていました。須賀さんにとっての“未来のカケラ”とは?「本当の意味で忘れないでいること」が、僕たちができる“未来のカケラ”なのかなと思っています。冷たく聞こえてしまうかもしれないんですけど、僕は「当事者」ではないし、そこを変えることはできない。100%理解することはできないと思うんです。でも、そこに寄り添って考え続けることはできる。僕の世代は、震災発生当時に「何もできなかった」と実感した人も多かったと思います。そんな僕ら世代が忘れないでいることが、次の世代に対して繋げていけること。そういう意味でも、すごく大事な世代だと思います。実は、現地のコーディネーターさんと個人的に今でも連絡を取り合っていて。舞台も観に来てくださって、海鮮を送ってくださったこともありました。僕は本当に良い思いしかさせてもらってないんですけど、その繋がりも大切というか。僕がこの作品に出ていなかったら、その方とも繋がれていなかった。人対人として連絡を取り合っている瞬間が、僕はすごく好きです。頻繁に連絡を取っているわけでもないんですけど、年に数回のそういう瞬間は人と人との繋がりを感じることができるので、僕にとってはこれも、大切な“未来のカケラ”なのかなと思います。東日本大震災から5年というタイミングでこの作品と出会って、今年は震災から10年という節目。震災に触れてもらえる機会の1つであり続けるように、僕はこの先もずっとこの作品を話題にして、考え続けていきたいと思います。■プロフィール須賀健太1994年10月19日生まれ。東京都出身。ドラマ『人にやさしく』(02)で注目を浴び、2006年には映画初主演作『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』で第30回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主な出演作に、『ALWAYS 三丁目の夕日』全シリーズ(05~12)、『スイートプールサイド』(14)、『学校のカイダン』(15)、『獣道』(17)、『江戸前の旬』(18)(19)、『凛-りん-』(19)、『遮那王 -お江戸のキャンディー3-』(19)。2021年1月期のドラマ『青のSP ―学校内警察・嶋田隆平―』(カンテレ・フジテレビ系)に出演した。
2021年03月26日東日本大震災の実録第8話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。埼玉の夫の実家に居候して約1週間。義母の疲労が目立ってきました。慣れない息子一家(私たち)との生活が、頑張り屋の義母の負担になっているように見受けられました。 夫の会社は震災で建物自体が立ち入り禁止になっており休業中。私も仕事を休んでいたのですぐに帰る必要はなかったのですが、義実家への負担を減らすためにも、そろそろ茨城の自宅へ帰ることにしました。東日本大震災の実録第8話 余震によるダメージや火災、泥棒などの心配もしていましたが、自宅は無事でした。水道の漏水が見つかって数万円の出費があったものの、大ごとにはならずに済みました。そして今度は、まだ被災地で困っている人たちのために自分にできることはないのか、考え始めました。 ここまでが2011年当時に私が描いた漫画です。 あれから、10年。復興へ向けての支援をどれだけできてきただろかと、自問せずにはいられません。また、自分の漫画を読み返し、いろいろなことを忘れていることに驚きました。 今の私にできること。そしてこれからの私にできること。あの時の気持ちと体験を忘れることなく、自分にできる備えや支援を真剣に考えること。それが私にとって一番必要なことだと、今、強く思っています。 震災から10年を振り返って、自分は何ができたかを自問自答された和田さん。10年たった今もなお、大変な思いをされている方もいる、そしてこれからも震災は起こる、そのことを胸に私たち一人ひとりも今一度しっかりと受け止め考え、自分ができることをおこなうことが大切だと痛感しました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月12日東日本大震災の実録第5話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。夫の持病の薬が切れたことをきっかけに、茨城から夫の実家のある埼玉に避難することを決めた私たち。というのも、ネットで高速バスについての情報を得たばかりでした。 東日本大震災の実録第5話出発の前夜は落ち込みました。実家の家族や友だちを残して避難すること。夫の実家まで無事たどり着けるかわからないこと。いつ戻ってこられるのか、元の生活に戻れるのかわからないこと。余震や原発の状況。いろんな不安がありすぎて、自分でも何にヘコんでいるのかよくわからないなあ、と思いながら荷造りをしました。 このときは、まるで違う世界に突然来てしまったような衝撃で、しばらく呆然と雑踏を見つめてしまいました。被災地以外の場所では、計画停電などの不便はあるとはいえ、普段と変わらずに生活できている。そのギャップを目の当たりにして、何とも言えない気持ちになりました。 あれから10年。今送れている「普通の生活」が、決して当たり前のものではないことを忘れてはいけない。あのときの自分の気持ちを思い出して、改めてそう思いました。 無事に夫の実家にたどり着いた和田さん一家ですが、避難先で和田さんの心は重くなってしまいます……。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月09日東日本大震災の実録第3話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。震災直後、物流がストップし、他県の親族から物資を送ってもらうことができなくなってしまいました。電気は復旧したものの、水道は止まったまま。少し離れた場所に給水車が来ていると聞いて向かったのですが……。 東日本大震災の実録第3話 水がなかなか手に入らず、途方に暮れていたところ…… 友人からもらった井戸水は、一滴も無駄にしないよう、大切に大切に使った覚えがあります。あれから10年、今はジャージャー雑に使ってしまっている水道水。当時の私が見たら、きっと怒るだろうなあ……とふと思います。 なかなか復旧しないライフライン、次回はついに和田さんがある決意をします。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月07日東日本大震災の実録第2話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。東日本大震災が発生し、私の住むエリアでは電気と水の供給がストップ。翌朝手に入れた号外で、想像以上に深刻な規模の地震と津波が発生したことはわかったものの、家族4人で1日1日をなんとか乗り切るしかありませんでした。 東日本大震災の実録第2話 ※断水、停電など非常時に、トイレのタンクに水を入れると製品によっては水が流れなくなる可能性がありますので、ご注意ください。 トイレは大きな問題でした。臭いがひどいだけでなく、電気がつかないので夜は子どもたちが怖がって入れず、おむつをつけて寝かせるようにしていました。せっかくはずれた長女のおむつが復活。おむつもたくさんストックしているわけではなかったので、いつまでもつか不安でした。 電気がついて、やっと情報収集できるように。状況はますます深刻になっていましたが、私と夫の実家と連絡が取れ、ひとまずみんな無事なことがわかりました。地震とそのあとの原発事故の影響で、宅配便や郵便などの物流が止まってしまい、ほかの地域から必要なものを送ってもらうことができなくなりました。電気は復旧したものの、水道は使えないまま。食料と飲料水の確保が最優先事項になり、「次の食事に子どもたちに何を食べさせるか」に頭を悩ませる日々が続きました。 食べ物にも困り、途方に暮れる和田さん一家ですが、次回さらに驚くことが起こります。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月06日震災直後の2011年5月の開催から10年。ついに「がんばろう日本!スーパーオーケストラ」が最終回を迎える。東日本大震災で保護者を亡くした震災遺児の学業継続を支援する「毎日希望奨学金」のためのこのチャリティーコンサートは、全国の交響楽団などで活躍する演奏家たちが毎年一夜限りの「夢の楽団」を結成し、音楽を届けてきた。本公演は、新型コロナウイルスの影響で延期となって1年越しのコンサートでもあり、出演者たちの意気込みは例年以上だ。ピアノの實川風さんは、この新型コロナ禍で「客席に生の音を届けることのできる喜びや大切さを、以前よりも強く感じます」と話す。だからこそ「震災から10年という中でのコロナ禍に、被災地のみなさんはさらに大変な日々を過ごされているのではないかと思います。少しでも日々のパワーにつながる演奏をお届けしたいと思います」と気持ちを新たに演奏に臨む。バイオリンの辻彩奈さんは、演奏曲であるブルッフのスコットランド幻想曲に触れながら、「特に光が差してくるような美しいメロディーの第3楽章が、新型コロナの感染拡大によって制限ある世の中で生きる私たちの心に寄り添ってくれると思います。聴いてくださる方の心に届くような演奏を目指したい」と話す。そして、指揮を執る山下一史さんは「音楽に癒やしがあるかどうかは今もわかりませんが、作曲家が曲に込めた思い、それを演奏する演奏家の思い、聴衆の思いがつながった絆が、音楽に力を宿らせることはできます。新型コロナの恐怖が収まらない中、会場に足を運んでくださいとはなかなか言えませんが、この渦中にある我々だからこそ、震災に思いをはせることには特別な意味があります」と力を込める。コンサートは、ライブ配信でも、アーカイブ配信でもお楽しみいただける。アーカイブ配信は3月9日23時59分まで。指揮、ソリスト、そしてスーパーオーケストラが一体となった演奏をぜひお楽しみに。
2021年02月26日東日本大震災から10年という節目の年となる2021年。震災の教訓を未来へ伝えるために、“震災の記憶”、“その後の人々が生んだ絆”、 “未来への課題”の3つをテーマに掲げた特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』が日本科学未来館にて開催される。展示は3つのゾーンによって構成。まず「ZONE1」では、地震発生から72時間のNHKニュース映像を時間を追って公開。さらに、震災で失われた街や集落を全国の建築学生の協力により1/500サイズの模型で復元するプロジェクトの紹介や、東京電力福島第一原子力発電所の事故の記録とその影響を、避難者の証言などを交えて紹介するコーナーなどで、震災発生当時の状況を追体験し、あのとき、何が、どのように起こったのかを見つめ直す。地震発生から72時間©NHK東日本大震災復興支援「失われた街」模型復元プロジェクト「ZONE2」では、NHK復興支援ソング「花は咲く」や「SEIMEI」の演技で着用した羽生結弦選手の衣装や、復興支援チャリティーの一環としてネットオークションに出品されたレディー・ガガの直筆サインとメッセージが記されたティーカップといった復興にまつわるストーリーをもった品々や、復興のあゆみを社会の出来事を交えたニュース映像で東北の10年におよぶ復興のあゆみを振り返る。羽生結弦選手©NHKレディー・ガガさんのティーカップ最後の「ZONE3」では、毎年のように国内各地で頻発する自然災害や、それに伴う複合災害時に迫られる様々な選択を仮想空間で体験できるコーナーや、新たな避難所の形など、これからの防災について考えていく。防災クロスロード(イメージ)監修:矢守克也(京都大学防災研究所) ※「クロスロード」はチーム・クロスロードの著作物で登録商標です。飛沫感染防止用テント提供:流山市大きな自然災害が頻発し、首都直下地震などの発生も懸念され、さらにコロナ禍により避難行動の変容も迫られている昨今。東日本大震災の記憶と改めて向き合い、今、私たちに必要な防災や減災について考え直す好機となるだろう。【開催概要】特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』会期:3月6日(土)~3月28日(日)※3月9日(火)、3月16日(火)は休館時間:10:00~17:00(入場は閉館30分前まで) ※入場無料・事前予約制会場:日本科学未来館 1階 企画展示ゾーン公式HP: www.nhk.or.jp/event/art2020/
2021年02月18日2021年3月11日、東日本大震災は丸10年の節目を迎えます。震災によって、1万5千人以上の尊い命が犠牲となり、多くの人たちが家や故郷を失いました。直接被災をしていない人たちにとっては、東日本大震災は『過去に起きたこと』になりつつあるかもしれません。しかし、被災者や大切な人を失った遺族たちにとって、震災は今もこの先も続く、現実なのです。『震災がもたらした悲しみ』被災地の写真スタジオで働いていた、あいしま(@setup_setup)さんは、震災後に遺影写真を作成する仕事をしていました。これまで当時の経験を自分の胸にしまっていましたが、震災から10年を機に、漫画に描くことを決めたといいます。あいしまさんが、決して忘れることができない光景とは…。(4/4) pic.twitter.com/OGod9BoCTX — あいしま@原稿中 (@setup_setup) February 11, 2021 父親の遺影とともに入学の記念写真を撮った女の子、親子の遺影写真、七五三の写真を撮った後震災で亡くなった女の子…。亡くなった人や残された遺族、つらい想いをしている子供たちの顔を思い出すたび、あいしまさんは涙をこらえることができないといいます。何年経ったとしても、被災者の人たちが抱える悲しみが風化することはないのでしょう。読者からは、たくさんの反響が寄せられました。・つらくて泣いてしまった。生きている姿を写せるって、とても幸せなことなんだと思う。・こんなに悲しい写真はない。子供たちの表情が、少しでも戻っていることを願うばかり。・こうやって個人のエピソードを読むと、報道で見た映像以上に悲しい出来事だったんだなと感じる。・大切な人が次の日も生きている保証なんてない。どうかみんなが、大事な人にその気持ちを伝えられますように。あいしまさんは、被災地に住んでいた当事者として「3月11日は、家族やパートナーと防災について考え、話してほしい」と最後につづっています。災害はいつどこで起こるか、誰にも分かりません。万一の時に生き延びて、大切な人と再会できるように、普段から防災意識を高めておくことが大切でしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年02月12日今思えば、数分であっても子どもだけを家に残して外出するということはよくないことだと深く反省しているのですが、娘が2歳になったころ「数分なら大丈夫だろう」と娘を部屋に残してゴミ出しに行っていた私。そんななか、遠方に住むママ友が震災被害にあってしまい……。当時の様子についてママ友から教えてもらい、わが身を振り返った体験談をご紹介します。 周りもしているから大丈夫!?私の家族は、夫と娘の3人暮らし。家事は主に私がしていますが、夫はゴミ出し担当です。夫は残業が多いため、疲れているのにゴミ出しをお願いして申し訳ない……という思いが私にはありました。あるとき友人との会話の中で、本当はいけないことだとわかっていても、ゴミ捨てなどの用事のときは一瞬、子どもを部屋に残して近所で用事を済ませている人がいるが少なくないことを知ったのです。 その現実を知り、自分が神経質過ぎたのかと思い、2歳を過ぎたころの娘に「お母さん、すぐ戻るからテレビを見ていてね」と伝えたうえでゴミ出しをするように。徒歩1分の距離ですが、私は駆け足でゴミ出しをするようになりました。 ヒヤリ…ママ友の震災体験そんなある日、日本で大きな地震が発生。わが家に影響はなかったものの、友人が住む地域のため心がざわつきました……。ひとまず私は友人の無事を確認し、ひと安心。被災地が落ち着いたころ、友人が地震当日の様子を教えてくれたのです。当時、友人は1歳の娘さんと自宅で過ごしていました。 カウンターキッチンで作業をしながら、リビングで遊ぶ娘さんを見守る友人。そのとき、地震が発生。娘さんの上に棚が倒れかかり、友人は「〇〇ちゃん!」と叫びながら慌てて娘さんを抱きかかえ、事なきを得た……ということでした。 一番大切なものは私は友人家族が無事でよかったと思うと同時に、自分の身にも起こりうるリアルな体験談にゾッとしたのを覚えています。週に数回、数分だけのゴミ出し。いざというときに私は娘を守れるのだろうか?と自分に問いかけました。私は「子どもと暮らすとはどういうことか」について、改めて考えさせられたのです。 一番大切な命を守るために、安全が確証できないことをしないこと。その考えのうえで、部屋に娘をひとりにしないことを夫婦間で決めました。また、寝室に懐中電灯や予備のメガネ、スリッパなどを置き、防災対策をとるように。避難先や緊急連絡先など、いざというときのことについて家族で話し合うきっかけになりました。 少しでも夫の負担を減らしたいという思いから始めたゴミ出し。数分なら大丈夫と思い、娘をひとりにしていましたが、友人の震災体験を聞き、本当に大切なものは何かに改めて気づかされました。また、日ごろの防災意識を高める機会も与えてくれました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO 著者:坂本ひろ子1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年12月13日2016年4月に発生した熊本地震。最大震度7の地震により、熊本県のシンボルである熊本城は甚大な被害を受けました。熊本城は復旧・復元に向けて寄付を募り、2020年6月末までに総額44億円が集まっています。同年11月2日には、『熊本城災害復旧支援金』に個人として最高額の寄付があり、人々の注目を集めました。熊本城のため1億円の寄付!『熊本城復元整備基金』に寄付をしたのは、熊本市在住の女性。なんと個人で1億円を寄付したとして、熊本県熊本市の大西一史市長が感謝の言葉をTwitterに投稿しました。昨日熊本市在住の浅野敦子さんが熊本城復元整備基金に個人としては最高額の1億円を寄付して頂きました。本当に有難いことです。熊本市を代表して御礼を申し上げるととともに感謝状を贈呈させていただきました。貴重な浄財を熊本城の復旧のために大切に活用させていただきます。有難うございました。 pic.twitter.com/kKWG9HGMLi — 熊本市長 大西一史 (@K_Onishi) November 3, 2020 1億円の寄付は、並大抵のことではありません。大西市長は女性に感謝状を贈呈。ネット上では、女性の決断に称賛の声が相次いでいます。・ご厚意に感謝いたします!・熊本市民として御礼申し上げます。・とてもかっこいい!マネできないけど、私も熊本城を未来に残すためにできることをしていきたい。熊本城は『熊本城災害復旧支援金』のほかに、城主の証が発行されるなど特典が付く『復興城主』制度の寄付も受け付け中。多くの人の想いによって復旧・復元が進む熊本城の姿は、胸に迫るものがありますね。[文・構成/grape編集部]
2020年11月05日11月13日(金)に公開されるアニメーション映画『日本沈没2020 劇場編集版 -シズマヌキボウ-』の本予告が公開された。小松左京の大ヒット小説『日本沈没』を初めてアニメ化し、突然の大震災に襲われる日本の姿を描いた本作。『夜は短し歩けよ乙女』『DEVILMAN crybaby』で知られる湯浅政明監督が挑んだ『日本沈没2020』は今年7月にNetflixで配信され、世間の注目を浴びた。配信版では、“国が失われゆく人々のアイデンティティ”という1973年に刊行された原作のテーマを残しながらも、2020年現在の日本を舞台に、ごく普通の家族の目線で未曾有の事態を描く設定を採用。アニメならではのファンタジー性と冷静な視点を交えた本作は、コロナ禍の今にも繋がる内容で連日更新される国内視聴ランキングのNo.1を記録した。そして、全10話の配信版のストーリーを湯浅監督の手による編集で再構築し、1本の映画作品にテーマを凝縮して描き出した『日本沈没2020 劇場編集版 -シズマヌキボウ-』が11月13日に公開される。配信版の予告では、大災害に巻き込まれる主人公の武藤家を中心としたサバイバルが描かれていたが、劇場編集版の公開に向けて新たに編集された今回の予告では、湯浅監督が本作を通じて真に描きたかったという“祖国が沈んだ後の日本人の心”というテーマを凝縮した映像となっている。日本が沈んだ後の物語に焦点を当て、前半では危機に直面した衝撃的な日本の姿や、目を覆いたくなる“恐怖と脅威”の数々を目の当たりに。後半にかけては一転、絶望的な状況の中、それでも立ち上がり、再生に向かって進もうとする人々の姿から“生きる”という力強いメッセージが伝わってくる。配信時、ハードな内容ゆえにSNSを中心に議論が巻き起こった本作。今回の予告の中にも視聴者の様々なコメントがちりばめられ、最後に「貴方はこの作品をどう受け止めるか?自分の目で確かめて欲しい」と問いかけてくる。湯浅監督が「意図した所へたどり着かない視聴者の方も多く見受けられました」と語る『日本沈没2020』の劇場編集版を自身の目で確かめてほしい。『日本沈没2020 劇場編集版 -シズマヌキボウ-』本予告『日本沈没2020 劇場編集版 -シズマヌキボウ-』11月13日(金)全国ロードショー
2020年08月27日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「震災への備え」です。熊本地震から3年。震災への備えはできていますか?4月14日で熊本地震から丸3年になります。政府の地震調査委員会によると、今後30年以内のM7~7.5規模の地震の発生率は、青森県東方沖・岩手県沖北部で90%以上、宮城県沖が90%、茨城県沖は80%。M7の地震が発生する確率が50%以上の海域には、房総半島沖や相模湾も含まれます。また、南海トラフではM8~9の地震が起きる確率が70~80%といわれています。日本全国北から南まで、大地震が起こる可能性が高いのですが、みなさん備えはできていますか?東京都は、直下型地震が起きた際は、会社にとどまるようにという「帰宅困難者対策条例」を出しています。交通インフラが止まり、多くの人が移動すると混乱が起き、二次災害が起きたり、緊急車両が通れなくなるのを防ぐためです。しかし、東京商工会議所が会員企業を対象に調査したところ、1127社から回答があり、この条例を認知している企業は62.9%、従業員数10~29人の会社では43.9%でした。会社にとどまるからには、全従業員分の3日以上の備蓄が必要になりますが、それを備えている企業は半分にも満たないことがわかりました。東日本大震災時の数から推定すると、約380万~490万人の帰宅困難者が発生するといわれています。現状では、帰宅はできず、会社にとどまっても備蓄がないケースがほとんどになるでしょう。自分の身は自分で守るしかありません。水や非常食、充電器などは通勤時にも常備しておいたほうが安心です。リサーチ会社によると、災害の備えについて、20代の女性の3割は何もしておらず、逆に60代女性では準備をしていないのは1割のみでした。とにかく、自宅には1週間分の食料と飲料水、電気(電池や電源)、トイレの確保が必須です。また、家族や大切な人との連絡手段、落ちあう場所を決めておきましょう。携帯はしばらく繋がらなくなると思っておいたほうがいいです。直接落ちあえる場所を必ず確認しておきましょう。また、自宅からだけではなく、職場からの避難場所も確認しましょう。普段使っている道が使えなくなる可能性もあるので、3つくらいのプランを考えておくことも大事です。堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2019年4月17日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2019年04月16日