’78年4月に結婚してから、ほぼ40年。12月8日、野村克也氏(82)の愛妻・野村沙知代さんが逝去した。享年85。タレント活動も行い、 “サッチー”の愛称でも知られていた沙知代さん。毒舌家でもあり、夫の野村さんに対しても厳しい物言いをしていたが、常に深い愛情を注ぎ、守り続けた。 3年前の’14年秋には、野村さんは体調を崩している。仕事をマネージメントしている会社が入院を認めているにもかかわらず、沙知代さんは、本誌の取材にこう主張し続けた。 「病気なんて、とんでもない!(仕事をキャンセルしたのは)イヤだったから断っただけ!」 いま振り返ると、夫の体調不良を“絶対に”信じたくないという強い思いもあったのではないだろうか。 その後、沙知代さんの看病もあり、野村さんは回復した。だがそのいっぽう、どちらかといえばふっくらした顔立ちだった沙知代さんは、この1年ほどで急速に痩せていた。野村夫妻の知人も1カ月ほど前に、沙知代さんに会って驚いたという。 「都内のホテルのレストランでお茶を飲んでいました。服装の趣味も変わったのか、地味な感じになっていて、すごくやせていたので、最初は別人かと思いました。でも挨拶をしたら、やっぱりサッチーで……。レストランにいた人たちも、ほとんど気づいていなかったと思います」 ’09年に東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を退任してから8年、野村さんは80代になっても「もう一度監督を!」と考えていたという。9月にはインタビューでこう語っている。 《優勝して、ベンチで『監督!』と、声をかけたら死んでいた。それが理想だ》 野村さんの夢は、沙知代さんの夢でもあった。 「野球関係者やテレビ局関係者など顔見知りたちに、『(夫に)監督をさせてあげたいけど、何とかならない?』と奔走していました」(野村夫妻と親しい野球関係者) 「もう一度、夫をグラウンドで見たい」、そんな最後の夢を抱きながら、沙知代さんは旅立った。
2017年12月14日12月8日に虚血性心不全のためこの世を去った野村沙知代さん(享年85)。1日がたった今も、その突然の死を悼む声があふれている。 「サッチー」の愛称で親しまれ、辛口な発言で芸能界のご意見番となっていた沙知代さん。99年には浅香光代(89)との確執から批判合戦へと発展。「ミッチーサッチー騒動」と呼ばれ、連日ワイドショーを賑わせた。 96年には「笑っていいとも!」(フジテレビ系)にレギュラー出演するなど一世を風靡したが、近年ではあまりテレビで見かけることもなくなっていた。だがTwitterでは、彼女の辛口発言や騒動を懐かしむ声が多くあがっている。 ≪ミッチーサッチー騒動が懐かしい≫≪うわー!毒舌!!とは思っていたけどバラエティでは面白かったな~≫≪残念だな。ああいう人はなかなかいない≫ たしかに沙知代さんのような超辛口のご意見番は、最近ではテレビから姿を消しつつある。かつては浅香光代や細木数子(79)など“バランスブレーカー”のような存在がテレビにいて、予定調和ではないガチンコ対決を生み出していた。 「もちろん昔の辛口ご意見番がテレビに出なくなったのは年齢的な面もあるでしょうが、世の中の変化も大きいと思います。最近は何かあったらすぐクレームが殺到するので、テレビ局としても起用しづらくなりました。今は辛口タレントといっても、どこかでバランスを取っていますからね。今回の訃報を受け、局内でも昔の大らかさを懐かしむ声が聞こえてきています」(テレビ局関係者) 沙知代さんは09年の本誌で「人間は呼ばれているうちが華なのよ。声がかからなくなったらおしまいなの。そうならないよう、死ぬまで呼んでもらえるように私も頑張るから」と語っていた。 彼女は晩年、今のテレビ番組をどう見ていたのだろうかーー。
2017年12月10日ヤクルト、阪神、楽天などで監督を務めた野村克也氏(82)の妻・野村沙知代さんが12月8日、都内の病院で死去した。享年85。 「サッチー」の愛称で親しまれ、タレントとしても活躍した沙知代さん。辛口な発言で知られていた彼女だが、私生活では克也氏を内助の功で支え続ける良妻だった。94年には「ナイスカップル賞」に選ばれ、克也氏とともに“球界のおしどり夫婦”と呼ばれていた。 克也氏はかつて女性自身09年7月21日号で、沙知代さんについてこう語っている。 「うちの奥さんは、家では何もしないように見えるけど、料理が得意でね。最近は、僕に対する愛情が冷めたのか、得意中の得意のローストビーフを全然作ってくれなくなったなぁ」 そうボヤく克也氏に対し、沙知代さんは「食べさせてあげるね、こんど。でも、子供たちがいたころは作りがいがあったけど……」と返答。すると克也氏は「ローストビーフは手が込んでいるから愛情を感じるんだよなぁ」と振り返っていた。 そのほか卵を使ったコンチネンタル朝食なども、克也氏の好物だった。沙知代さんは冷蔵庫にあるもので手際よく作ってくれることが多かったという。 「きのう(12月7日夜)も、レストランでいっしょに食事をした。本当に元気だったんだよ……」 妻の急逝を受けて、克也氏はそう語っている。最後まで沙知代さんと食卓をともにした克也氏。彼が愛してやまなかったのは、沙知代さんといっしょに食べる料理だった――。
2017年12月09日12月8日にこの世を去った野村沙知代さん(享年85)。辛口コメントとともに「サッチー」の愛称で親しまれたが、元プロ野球監督の野村克也氏(82)とは球界きっての“おしどり夫婦”として知られていた。 そんな2人が、女性自身09年7月21日号の対談でなれそめについて語っていた。夫婦漫才のような掛け合いのなかで明かされたのは、ふたりの“意外な出会い”だった――。 ■ 夫人あなたと出会ったのは70年(昭和45年)だけど、当時私は野球をまったく知らなかったから、最初「この人、何者だろう……」と思ったの。「お仕事は何をなさっているの?」と聞いたら、「雨が降ったら商売になりませんわ」と言うから、「ああ、工事現場の監督なのか……」と。ジバンシィのシャツを着ているから最近はあの業界も景気がいいのね、と思ったわ。 監督出会ったときは精神的にまいっていた時期でね。別れた前の女房とは話し合いの最中で、離婚届に絶対サインしないと言われて……。 夫人奥さんとは別居していましたからね。 監督だから帰る家もなくて、知り合いの家で寝泊まりしていた。離婚調停のまっただなかで、精神的に非常に弱っていたときに会ったから「世の中には、えらい活発な女性がいるもんやな」と思ったね。それと、名刺を見てびっくりしたよ。肩書に「取締役社長」と書いてあって。「どういう会社です?」と聞いたら、ボウリング関係の会社だ、と。当時はボウリングが大ブーム。すごい女性だなと思ったけど、ワクワクもドキドキもしなかったな。 夫人あら、そうなの? 監督若いコだったらワクワク、ドキドキしただろうけどもうおばさんだったからね。 夫人失礼ねぇ。あのときは、まだ37~38(歳)よ。 監督それが不思議な縁で結ばれて……。幸か不幸か。 夫人よく言うわよ(笑) ■ 結局、最後まで克也氏と寄り添い続けた沙知代さん。出会いからずっと元気づけてくれた妻について、克也氏は「いい奥さんでした」と語っているという――。
2017年12月09日元プロ野球監督の野村克也氏(82)の妻・野村沙知代さんが12月8日、亡くなった。85歳だった。 歯に衣着せぬ物言いや浅香光代(89)との“ミッチーvsサッチー”騒動など、お騒がせタレントとしても親しまれていた沙知代さん。『悪妻こそ、良妻』『夫の転がし方』といった著書を出版するなど、恐妻キャラとしても知られていた。 いっぽう1994年には「ナイスカップル賞」に選ばれるなど、“球界のおしどり夫婦”と呼ばれた野村夫妻。2009年7月には、夫婦そろって本誌での対談取材に応じていた。そこでは恐妻ぶりとともに、沙知代さんの本音が――。 「ときどき僕の携帯電話を壊すのがたまにきず」 対談で沙知代さんの“恐妻ぶり”をこうボヤいた克也氏。これに対し沙知代さんは「私に内緒で買うから」と憤慨。克也氏が内緒で買った携帯電話をたまたま見つけたところ電話が鳴り、女の声がしたために電話を折って庭に捨てたという。 「いま持っている携帯電話は6台目。ものすごい力でバチン、グシャとやるからね。すごいやきもちというか……」 そんな克也氏のボヤきにも「やきもちじゃなくて、不愉快なのよ!」とサッチー節で一蹴していた。あきれた克也氏が「僕のどの辺にひかれているわけ?」と聞くと、沙知代さんは「何もひかれてないわよ」と跳ねのける。だがその後で「健康で、よく働いてくれるところね。一家の主は健康で、よく働いてくれる――これが奥さんにとっては最高のプレゼントだから」とも答える優しさもあった。 そして沙知代さんはこうも語っていた。 「男の人は休んじゃだめだから。死ぬまで体を動かして、働いていないと!人間は呼ばれているうちが華なのよ。声がかからなくなったらおしまいなの。そうならないよう、死ぬまで呼んでもらえるように私も頑張るから、あなたも頑張ってくださいね」 その言葉通り、克也氏は82歳となった今でも「S1」(TBS)などスポーツ番組の解説者として活躍している。最期まで「悪妻こそ、良妻」を貫いていたに違いない――。
2017年12月09日