インペリアル・エンタープライズ株式会社(所在地:東京都荒川区、代表取締役社長:原 良郎)は、桂正和画業40周年を記念して「高精細版画作品 電影少女ーあいー」を、PREMICOオンラインショップで販売開始いたしました。電影少女“あい”の繊細かつ美麗な原画を、「ピエゾグラフ」でみずみずしく再現『ウイングマン』 『電影少女』 『I”s』 など数多くの名作を生み出してきた漫画家・桂正和先生の画業40周年を記念して、『電影少女』のヒロイン・天野あいの高精細版画作品が登場しました。原画は小説版のカバーにも使われた、“和”テイストを意識した“あい”の姿。鮮やかな配色のコスチュームをまとった無邪気なヒロインを、高精細な複製技法「ピエゾグラフ」を用いて、原画のタッチやこだわりの色彩まで忠実に再現しました。限定400部。透明感あふれる世界観をいっそう際立てるシャンパンシルバーの額装入り。桂正和先生の正式な監修を受けた作品であることを示す作品保証書が付属します。2022年4月1日(金)より、PREMICOオンラインショップにて販売開始いたしました。商品特設ページ: 桂正和画業40周年記念 高精細版画作品 電影少女ーあいー桂正和先生の原画の繊細なタッチや鮮やかな色彩も、ピエゾグラフと呼ばれる高度な複製技法によりキャンバスへ忠実に再現。透明感あふれる世界観が際立つシャンパンシルバーの額縁で、感動が鮮やかによみがえります。桂正和先生の正式な監修を受けた作品であることを示す作品保証書(奥付)が額裏に貼付されます。保証書には限定400部のエディションナンバーが記載されます。絵画の大きさは、縦57.5×横48.5 cm(額装込み)。やわらかな微笑みをたたえ、まっすぐにこちらを見つめる“あい”のいきいきとした姿を、日々心ゆくまでご鑑賞いただけます。■商品情報商品名:桂正和画業40周年記念 高精細版画作品 電影少女ーあいー価格 :89,800円(税込98,780円)限定数:400発売日:2022年4月1日(金)発売元:インペリアル・エンタープライズ株式会社 PREMICO(プレミコ)URL : (c)桂正和/集英社■商品仕様材質:本紙=ポリエステルキャンバスにピエゾグラフ 額=合成木製MDF、シルバーフィルム仕上げサイズ(約):画寸=縦43×横34cm 額寸=縦57.5×横48.5×厚さ4cm重さ(約):2.8kg生産国:日本■PREMICO(プレミコ)についてPREMICO は、“プレミアムな価値を持つ限定版コレクターズアイテム”をコンセプトに誕生したブランドです。アニメキャラクターやスポーツ選手などの公式アイテムを通じ、夢や感動といった目に見えない大切な宝物をお届け。ここでしか手に入らない商品を販売しています。PREMICO オンラインショップ: ■会社概要会社名:インペリアル・エンタープライズ株式会社所在地:東京都荒川区東日暮里5-7-18 コスモパークビル代表者:代表取締役社長 原 良郎設 立:昭和57年(1982年)9月1日資本金:100,000千円URL: 事業内容:通信販売■お問い合わせ先<商品内容等> フリーダイヤル:0120-989-808(9:30~17:00/土日祝休)<ご注文専用番号> フリーコール:0120-247-417(6:00~21:00/無休)※本リリースに記載しております内容は、発表日現在の内容となります。予告なしに内容が変更される場合があります。予めご了承ください。※製品の仕様や外観は、改善のため予告なく変更することがあります。※限定数に達した場合、販売を終了させていただきます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年04月01日ロシア作品シリーズ<ロシアの玉手箱>第12回「深みと眩しさと」『有森博ピアノリサイタル』が2022年5月14日 (土)に東京文化会館小ホール(東京都台東区)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 公式ホームページ 【曲目】プロコフィエフ:ピアノソナタ第5番 ハ長調 作品135(改訂版)スクリャービン:12の練習曲 作品8タチアナ・ニコラーエワ:24の演奏会用練習曲 作品13より第1番 ハ長調、第2番 ホ短調レフ・オボーリン:ピアノソナタ 変ホ長調 作品3有森博プロフィール1992年東京藝術大学大学院修了。その後モスクワにて研鑽を積み現在に至る。これまでに野上登志子、水本雄三、小林仁、ナターリャ・スースロワの各氏に師事。1990年第12回ショパン国際ピアノコンクール最優秀演奏賞。1991年岡山県芸術顕彰を受賞。1992年第5回シドニー国際ピアノコンクール第4位。1994年第10回チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門入賞。1996年から2000年にかけてラフマニノフのピアノ作品全曲演奏会を成し遂げ、2001年にはプロコフィエフのピアノソナタ全曲演奏会を成功させるなど、ロシア作品に積極的に取り組む活動を展開し、ロシア音楽のエキスパートとして高い評価を受ける。1995年、2001年に小澤征爾指揮新日本フィルと協演の他、日本フィル、東京シティフィル、読売日響、九響、関西フィル、山形響、仙台フィル、神奈川フィル、東フィル、ワルシャワフィル、ポーランド放送響などの内外の主要オーケストラ、著名指揮者との協演を重ねる。2004年には小澤征爾指揮サイトウキネンオーケストラのメンバーとしてヨーロッパ6カ国ツアー及び日本公演に参加。これまでにソロアルバムで19枚のCDがリリースされ、カバレフスキーとラフマニノフの全曲録音が進行中。「展覧会の絵」、「チャイコフスキーにつつまれて」、「ロシアバレエの誘惑」、「メトネルの時間」、「ラフマニノフ変奏曲集」、「音楽の玉手箱2~露西亜秘曲集」ほか、その多くが特選盤に推薦されている。現在、国内外での活発な演奏活動の他、ロシア作品によるリサイタルシリーズを、東京文化会館(「ロシアの玉手箱」)、エスパスホール(「ロシアピアニズムの系譜」)にて行っている。東京藝術大学教授。大阪音楽大学特任教授。桜美林大学客員教授。公演概要ロシア作品シリーズ<ロシアの玉手箱>第12回「深みと眩しさと」『有森博ピアノリサイタル』開催日時:2022年5月14日 (土)13:30開場/14:00開演会場:東京文化会館小ホール(東京都台東区上野公園5-45)■出演者有森博(ピアノ)■チケット料金一般:4,000円学生:2,000円(全席自由・税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月10日インペリアル・エンタープライズ株式会社(所在地:東京都荒川区、代表取締役社長:原 良郎)は、桂正和画業40周年を記念して「ウイングマン オフィシャルウォッチ」を、PREMICOオンラインショップで販売開始いたしました。ドリムノートを開けば、憧れのヒーロー『ウイングマン』が躍動する――『ウイングマン』 『電影少女』 『I”s』 など数多くの名作を生み出してきた漫画家・桂正和先生の画業40周年を記念して、『ウイングマン』の世界観を表現したオフィシャルウォッチが誕生しました。異次元空間を想起させる深いブルーの文字盤に広がるのは、少年時代に憧れた愛と正義の世界。ウイングマンのマスクや翼の立体意匠、クロムレイバーの時分針など、あの頃の感動が蘇るアイテムを盤上に散りばめながら、クロノグラフとしての造形美にもこだわり抜いた、まさに夢の逸品。桂正和先生のデザイン監修により、『ウイングマン』の世界観がスタイリッシュに再現された限定版です。限定1000点、裏蓋にエディションナンバーを刻印。「ドリムノート」型の特製ボックスに収めてお届けします。2022年2月21日(月)より、PREMICOオンラインショップにて販売開始いたしました。商品特設ページ: 桂正和画業40周年記念 ウイングマン オフィシャルウォッチストップウォッチ機能を搭載し、盤上にストップウォッチ分計・24時間表示・ストップウォッチ秒計の3つのインダイヤルを装備。3時・9時の位置に並ぶインダイヤルは、ウイングマンが「デスボール」を発射する時に開くソーラーガーダーの胸元部分がモチーフ。異次元空間を想起させるワイヤーフレームが描かれた盤上に、ウイングマンのマスクと翼、ロゴを立体加工。ソーラーガーダーのランプに着想を得た青・黄・赤の配色でエネルギッシュなイメージに仕上がっています。時針・分針は長剣「クロムレイバー」をデザイン。裏蓋にはウイングマンの姿と限定の証であるエディションナンバーが刻印されます。物語のきっかけにして夢のノート「ドリムノート」型の特製ボックスに収めてお届けします。ボックスを開くと、蓋裏に桂正和先生のサインの箔押しが施されています。■商品情報商品名:桂正和画業40周年記念 ウイングマン オフィシャルウォッチ価格 :39,800円(税込43,780円)限定数:1000発売日:2022年2月21日(月)お届け:2022年4月下旬 発送予定発売元:インペリアル・エンタープライズ株式会社 PREMICO(プレミコ)URL : (c) Masakazu Katsura /SHUEISHA■商品仕様材質 :ケース・裏蓋・バンド=ステンレススチール 文字盤=真鍮 風防=ミネラルガラスケースサイズ(約):縦47.5×横45.5×厚さ9.6mm手首回り(約):S=16cm、M=18cm、L=20cmムーブメント:MIYOTA製クオーツ(日本製)精度 :月差±20秒以内防水性能 :5気圧防水保証 :1年間品質保証生産国:中国■PREMICO(プレミコ)についてPREMICO は、“プレミアムな価値を持つ限定版コレクターズアイテム”をコンセプトに誕生したブランドです。アニメキャラクターやスポーツ選手などの公式アイテムを通じ、夢や感動といった目に見えない大切な宝物をお届け。ここでしか手に入らない商品を販売しています。PREMICO オンラインショップ: ■会社概要会社名:インペリアル・エンタープライズ株式会社所在地:東京都荒川区東日暮里5-7-18 コスモパークビル代表者:代表取締役社長 原 良郎設 立:昭和57年(1982年)9月1日資本金:100,000千円URL: 事業内容:通信販売■お問い合わせ先<商品内容等> フリーダイヤル:0120-989-808(9:30~17:00/土日祝休)<ご注文専用番号> フリーコール:0120-247-417(6:00~21:00/無休)※本リリースに記載しております内容は、発表日現在の内容となります。予告なしに内容が変更される場合があります。予めご了承ください。※製品の仕様や外観は、改善のため予告なく変更することがあります。※限定数に達した場合、販売を終了させていただきます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年02月21日老若男女問わず愛された田村正和さん(享年77)が鬼籍に入ってから約2カ月。田村さんのキャリアを代表する作品の一つが『古畑任三郎』(フジテレビ系)だ。「第2、第3シーズンの平均視聴率は25%超を記録するなど国民的ドラマに。’06年の『ファイナル』でひとまず完結となりましたが、実は第4シーズンを制作する計画がありました。田村さんもさらなる続編制作に前向きだったそうですが、体力的な理由もあって実現にはいたりませんでした。昨年には、キャストを一新した『2代目古畑』の制作をフジが計画しているという報道もあり、主演候補の一人としてオダギリジョーさん(45)の名前が挙がっていました」(テレビ局関係者)今も続編を望む声が絶えない『古畑』。フジテレビに『2代目古畑』計画について尋ねると、「そのような事実はございません」との回答が。しかし、あるフジテレビ関係者はこう語る。「田村さんの訃報から3日後に追悼番組として『古畑』が放送され、13%超えの高視聴率を記録。再放送としては異例の数字です。この結果を受けて、上層部でも『2代目古畑』の制作が水面下で本格的に検討され始めたと聞いています」『古畑』の脚本を手掛ける三谷幸喜(59)もかねて続編を熱望していた一人だ。昨年、三谷は田村さんにこう“ラブコール”を送っている。《条件が揃えば、僕はいつでも映像版「古畑」の新作を書く準備は出来ていますよ、田村さん》(’20年5月28日『朝日新聞』夕刊)田村さん主演での続編はかなわぬ夢となったが、「2代目古畑」として白羽の矢が立った俳優がいるという。阿部寛(56)だ。「阿部さんは’11年の映画『ステキな金縛り』で三谷作品に初参加。三谷さんならではの脚本と演出にほれ込み、“いつかまた参加したい”と考えていたそうです。三谷さんも法廷でタップダンスを踊る型破りな弁護士を完璧に演じきった阿部さんを『日本を代表するコメディアン』と絶賛。アドリブ力にもたけた阿部さん主演の作品を描きたいとずっと考えていたといいます。そんな関係性からフジ社内でも、“もし『2代目古畑』が実現するとしたら阿部さんを”と推す声が強いそうです」(前出・フジテレビ関係者)正統派の二枚目から三枚目まで演じてスターとなった田村さん。阿部にも通ずるだけに、古畑ファンとしては期待したいところだが。
2021年06月02日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が先月28日、YouTubeチャンネル『宮迫ですッ!【宮迫博之】』で、動画「田村正和さんに感謝の気持ちをお伝えさせてください」を公開。4月3日に心不全で亡くなった俳優・田村正和さんの知られざる人柄について語った。1999年に放送されたドラマ『美しい人』(TBS系)で、田村さんと共演した宮迫。台本の読み合わせで、共演者の柳沢慎吾が、セリフにあった「最中」という漢字を“もなか”ではなく、“さいちゅう”と読み間違えたそうだが、「芸人魂で、一瞬ツッコもうかと思ったんですけど、そんな空気じゃないんですよ。初めての本読みだから、ものすごい緊張感なんです」というエピソードを披露。その後、主演の田村さんのセリフにも、「最中」が登場したため、「被せてわざと“さいちゅう”って言ってくれるんじゃないかって、ものすごい期待して。なんとなくみんなも期待してた」というが、田村さんは、柳沢に被せることなく、“もなか”と発言。「大スターの役者さんが、被せなんかせーへんかって。周りの人も一瞬、そりゃあ言わないよねっていう空気になった」そうだが、「その瞬間、ちょっと間を置いて『……“さいちゅう”って言った方が良かった?』って。うわー! おしゃれー! って。おしゃれな笑いの取り方で。素敵やろ?」と、懐かしそうに振り返った。チャーミングな一面をのぞかせた田村さんだったが、ドラマ撮影中も、「僕のことを、現場に行くたびにイジってくれた」と言い、「最高に素敵な方やったんですよ。本来なら、俺みたいな若手の芸人が声をかけられるような人じゃないのに、すごくそこを開けてくれるんですよ」「おしゃれで素敵な人で、どんだけ憧れても、あんな人にはなられへん」と、分け隔てなく接してくれた田村さんに感謝。打ち上げの飲み会でも親交を深めたことを明かしつつ、最後は、「本当に残念なのは、どんな形でもいいから、お仕事を一緒にしたかった」と神妙に語っていた。
2021年06月02日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が先月28日、YouTubeチャンネル『宮迫ですッ!【宮迫博之】』に出演。4月3日に心不全で亡くなった俳優・田村正和さんとのエピソードを明かした。この日公開された動画「田村正和さんに感謝の気持ちをお伝えさせてください」で、田村さんとの思い出を振り返った宮迫。1999年に放送されたドラマ『美しい人』(TBS系)で、田村さんと共演した宮迫は、「連ドラが初めてで、すごく緊張してて。若手のお笑い芸人が連ドラに出ることが、ほぼほぼなかった時代なので、周りに知り合いも友達もいなかった」と話し、「初めての顔合わせのときに、そうそうたる出演者のみなさんがいる中で、誰とも口をきかない状態で端っこの方にいたんです」と、当時の撮影現場を回顧。慣れない環境で人見知りをしていた宮迫が、リハーサル室に置いてあった椅子に座ると、「なんか周りがヒソヒソ不穏な空気が流れてた」と言い、「当時はまだ尖ってた時代でもあったので、『芸人が場違いな場所にいる』みたいなことを言われてんやろうなと思って」と、誰とも目を合わせずうつむいていたそう。しばらくして、人の気配を感じて顔を上げると、主演の田村さんが目の前に立っており、「おはようございますも言えないくらいビックリして。だって、子供の頃から観てたスーパースターが立ってるわけですよ」と、突然のことに大焦り。すると、田村さんが「それ、僕の椅子」と笑顔で話しかけてきたそうで、「僕、現場のルールを知らなかったんですけど、“田村チェア”っていう田村さんの特別な椅子がどの現場にも置かれてたんです」「『すみません! 僕、全然知らなくて……』って言ったら、『構わない。ただ、僕の椅子に座ってた人は初めてだよ』って。初対面がそれやったんです」と述懐。何も知らずに、“田村チェア”に座ってしまった宮迫だったが、「優しいフォローをしていただいて。その場も盛り上がって、ちょっと俺も打ち解けた感じになって」と、田村さんの優しさに大感激したことを打ち明けていた。
2021年06月01日5月18日に逝去が公表された田村正和さん(享年77)。いまも多くの友人・知人たちが、名優の死を悼み、生前のエピソードを語り続けている。スターは私生活を見せるべきではないという美学を貫いたことから、“人前で食べる姿を見せることは決してなかった”という伝説まで残した田村さん。だが、30年ほど前から交流してきた仕事関係者はこう語る。「実は『正和会』という親睦会を年に数回開催していたのです。正和さんがドラマで仕事をした監督やカメラマンなど、気心の知れた関係者を招いて食事をする会合でした。その会場としてよく指定していたのが『南国酒家』でした」南国酒家は、原宿に本店がある老舗中華料理店。田村さんの一人娘であるAさんは、’01年に南国酒家グループ社長(当時)の子息と結婚し、現在は社長夫人となっている。田村さんは、かつて週刊誌の対談で娘・Aさんとの関係について次のように語っていた。《子供とはあまりつき合わないですね。子供が嫌いだから。とにかくぼくはうるさいのが一番いやだから。(中略)子供って奥さんが面倒みるものでしょ?じかに接するのは母親で、父親っていうのは遠い所から見守るものだと思う》(『ヤングレディ』‘76年4月12・19日合併号)前出の仕事関係者が続ける。「取材などでは“家族には関心がない”というスタイルを見せていましたが、本当はお嬢さんのことを溺愛していました。私にも娘がいたもので、『いくつになっても可愛いから甘やかしてしまう』といった話をすると、田村さんもしみじみと『本当は誰のところにも嫁がせたくなかったんだけど、いまでは良かったと思っているよ』と語ってくれました。娘婿さんのことも可愛がっていて、だから彼がいる南国酒家の原宿店に仕事関係者たちを招いていたのだと思います。田村さんは『ここのものはなんでも美味しいんだよ』と言っていて、本当に美味しそうにラーメンをすすっていた姿が忘れられません」南国酒家のHPによれば、『水菜、チャーシュー入りネギつゆそば』『野菜入りあんかけつゆそば』といった麺類は1400円(税・サ別)からあった。スターであることを忘れ、“愛娘の嫁ぎ先”でラーメンを味わうひとときは、田村さんにとって至福の時間だったことだろう。
2021年05月30日最後まで、スターの姿勢を崩さなかったーー。4月3日、急性心不全のため亡くなった田村正和さん(享年77)。その訃報は、葬儀をすべて終えてから公表され、田村さんの旅立ちは静かなものだった。日本映画界創成期の名優・阪東妻三郎の三男として生まれ、兄弟とともに俳優として活躍した。ダンディーを絵に描いたような人なのに、ドラマ『古畑任三郎』シリーズではちゃめっ気たっぷりな警部補を演じ、10年以上続く大ヒット作に。年を重ねるほどに魅力も増していったが、プライベートは一切公表せず、鉄壁のガードを貫いた。本誌では、田村さんの当たり役だったドラマ『眠狂四郎』の撮影現場に、’72年、’89年と2度にわたり密着。黒のロングコートにスカーフを合わせたおしゃれな私服姿で撮影所に入ってきたり、撮影の合間も物憂げな表情で椅子に座っていたりと、大人の男の色気を感じさせる人だった。【’72年】ドラマ『眠狂四郎』京都ロケ初めて眠狂四郎を演じたのは29歳のとき。当時その美しさが話題に。【’89年】ドラマ『眠狂四郎』撮影密着45歳で2度目の『眠狂四郎』を演じる現場に密着。撮影所へ笑顔で入っていく田村さん。現場にケーキを差し入れるなどの心配りも。【’93年】ドラマ『ローマの休日』イタリアロケあの名作のリメークドラマ撮影のためローマへ。安田成美(54)演じるヒロインとバイクに乗って。田村さんと共演した女優は、こう思い出を振り返る。「一緒に焼き肉屋さんに行っても、私の分ばかり焼いて食べさせてくれて、自分の分は後回し。レディファーストで優しくて、ふだんでも『田村正和』していてカッコよかったです」また、ドラマ関係者は次のように語る。「地方ロケだと、田村さんから『ホテルのカーペットやバスタブを赤にしてほしい』、と要望があったりして、作品はもちろん、現場への気持ちの持っていき方にまでこだわる完璧な人でしたね」俳優の美学を体現したスター・田村正和さんの姿は、私たちの中に輝き続けている。
2021年05月30日4月3日に亡くなった俳優・田村正和さんを偲んで、田村さんの代表作「古畑任三郎」シリーズの第3弾が、5月24日(月)よりカンテレにて放送されることが決定した。「古畑任三郎ファイナル~ラスト・ダンス~」の放送に続き、今回急遽放送が決定したのは、1999年4月13日から放送された田村さんが古畑任三郎を演じる「古畑任三郎」シリーズ第3弾。古畑任三郎が犯人たちの難解なトリックを卓越した推理力で解いていく大人気ドラマシリーズは、毎話登場する犯人=豪華ゲストたちの対決が見どころとなっており、この第3弾では、真田広之、大地真央、津川雅彦、市村正親、福山雅治、江口洋介らが出演している。「古畑任三郎」(シリーズ第3弾)は5月24日(月)~6月7日(月)、15時45分~カンテレにて(関西ローカル)放送。(cinemacafe.net)
2021年05月21日俳優の田村正和さんが亡くなっていたと5月18日に発表された。77歳だった。数々の作品で名演を残してきた田村さん。その中でも’94年から放送され、10年以上続いた主演ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ)は代表作の一つと言えるだろう。「同作は、田村さん演じる警部補・古畑任三郎が巧みに犯行を解明していくというストーリー。田村さんの存在感はもちろんのこと、犯人を追い詰めていく展開やユーモラスなやりとりも人気の秘訣でした。また犯人役に中森明菜さん(55)や明石家さんまさん(65)、さらにSMAPといった豪華キャストが登場したことも話題に。第3シリーズまで放送され、視聴率20%以上は当たり前。最高で34.4%を記録しました」(テレビ局関係者)そんな同作の脚本を務めたのが三谷幸喜(59)だ。昨年に三谷が『朝日新聞』で寄稿した小説『一瞬の過ち』に、古畑任三郎が刑事役で登場。大きな反響を呼び、いまだ根強いファンがいることを証明した。「三谷さんの書いた脚本を見て、田村さんは古畑任三郎のイメージを膨らましていったそうです。そのため三谷さんは『古畑任三郎は僕と田村さんの共作だ』と話していました。名キャラクターを一緒に編み出してくれて、感謝しきりともいいます」(前出・テレビ局関係者)いっぽう、田村さんは三谷をリスペクトしていたという。「田村さんのマネージャーは当初、刑事ものに難色を示していました。ところが脚本を読んだ田村さんは、『これは面白い!ぜひやりたい』と即答したんです。撮影中も『よくこんな面白い本が書けるな』と感心しきりでした。また『三谷くんが僕の新しい魅力を引き出してくれた』と喜んでいましたね」(前出・テレビ局関係者)名作を作り上げた“同志”である2人。その絆は永遠だ。
2021年05月20日2021年4月3日に心不全のため亡くなった、俳優の田村正和さん。往年のスター俳優の訃報に多くの人が悲しみました。田村さんといえば、数々の名作ドラマに出演。中でも、刑事ドラマシリーズ『警部補・古畑任三郎』(フジテレビ系)は幅広い世代に大人気です。急きょ『古畑任三郎』再放送フジテレビは、追悼特別番組として『新春ドラマスペシャル古畑任三郎ファイナル』を2日間にわたって急きょ放送することを決定。『フェアな殺人者』前編を2021年5月20日、『フェアな殺人者』後編を同月21日、『ラスト・ダンス』を同日20時から放送します。『フェアな殺人者』は、元プロ野球選手のイチローさんが出演しており、『ラスト・ダンス』は俳優の松嶋菜々子さんが出演。『フェアな殺人者』は、瞬間最高視聴率29.6%、『ラスト・ダンス』は32.8%を出すほど注目が集まった作品です。田村さん演じる、古畑任三郎を目に焼き付けたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年05月20日俳優の田村亮が18日、公式サイトを更新。同日に訃報が報じられた兄で俳優の田村正和さんについてコメントを発表した。「兄 田村正和が天国に旅立ちました」と報告した亮は、「4月3日、正和兄貴の奥さんからの突然の知らせで一瞬何の事か理解できず茫然としました。私の妻が3カ月ほど前に兄の奥さんと話をした時も兄は元気で散歩していると聞いていたのに……」と、当時の心情を吐露。続けて「兄は幸せな人生を送ったと思います。仕事でもプライベートでも何事も自分のライフスタイルを崩さず全うしたと思います」と自身の思いをつづり、「葬儀も派手にせず静かに見送ってくれと家族に言っていたそうです」と、正和さんの生前の言葉を明かした。そして最後に「生前、兄に関わって下さった方々に、私からも心より厚く御礼申し上げます。合掌」と、関係者に向けて感謝の意を表しながら追悼した。
2021年05月19日俳優・田村正和さんの訃報を受け、フジテレビ系ドラマ『古畑任三郎』シリーズで共演した俳優の石井正則が19日、追悼コメントを発表した。19日に自身のツイッターを更新した石井は「一報を聞いた時、その場で動けなくなりました。2~3時間そのままでいたみたいです」と、田村さんの訃報を知った際の状況を説明。続けて「『古畑任三郎』で、田村さんと過ごした時間は、自分の礎です」と記し、「今はまだとても動けそうにありませんが、古畑さんの部下として、これからもしっかり動けるよう努めて参ります。ですので、ゆっくり休まれてください。古畑さん。ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えた。そして最後に「田村正和さんのご冥福を心よりお祈りいたします」と哀悼の意を表した。田村さんが主人公・古畑任三郎役を演じた人気ドラマ『古畑任三郎』。石井は同作で、古畑をサポートする刑事・西園寺守役を演じていた。
2021年05月19日フジテレビでは、4月3日に亡くなった俳優・田村正和さんを偲び、5月20日・21日の2日間に渡って追悼特別番組として代表作のひとつ「古畑任三郎」が放送される。本シリーズは、田村さん演じる古畑任三郎が、犯人たちの難解なトリックを卓越した推理力で解いていくドラマで、毎話登場する豪華ゲストが演じる犯人たちとの対決が大きな見どころだ。1994年、「警部補・古畑任三郎」としてスタートし、連続ドラマとして3シーズン続いたほか、数々のスペシャル・スピンオフなど12年間にわたって愛され続けた本シリーズから、今回はラストとなる2006年1月放送の「新春ドラマスペシャル古畑任三郎ファイナル」のうち2編。イチローが“イチロー選手役”で出演し、宿泊する都内某ホテルの地下駐車場に停めてあった盗難車の中から男の死体が発見されることから物語が展開する「フェアな殺人者」前編&後編。松嶋菜々子が、売れっ子の作家の加賀美京子こと大野かえでともみじ、双子を2役演じる「ラスト・ダンス」を放送する。(cinemacafe.net)
2021年05月19日田村正和さん(享年77)が4 月3日に心不全のため都内の病院で亡くなっていたと、5月18日に報じられた。田村さんの死を悼む声が広がっている。‘61年に映画『永遠の人』でデビューした田村さん。平成に入ってからは三谷幸喜氏(59)が脚本を手がけ、田村さんが刑事役を演じた『古畑任三郎』(フジテレビ系)が大ヒット。‘94年4月にシーズン1が放送され、10年以上続く人気長寿シリーズとなった。田村さんのクセのある口調や独特な仕草は瞬く間に人気を博し、社会現象になるほどだった。‘96年4月には木村拓哉(48)が『SMAP×SMAP』(関西テレビ、フジテレビ)で、「古畑拓三郎」としてパロディ化。そのことによって、作品や田村さんの役柄はいっそう知名度を上げた。そんな木村は‘96年1月に放送されたシーズン2で、犯人の爆弾魔としてドラマ初出演を果たしていた。この回で田村さんは、稚拙な犯行動機を挙げた木村の頬をスパーンと平手打ちしたのだ。田村さん演じる古畑は温厚なキャラクターなだけに、この演出は視聴者をあっと驚かせた。田村さんの訃報を受けて、SNSではこの“ビンタ回”を懐かしむ声が上がっている。《やっぱり古畑任三郎が好き。中でもキムタクに裏平手打ちした回はキャラ的にも展開的にもびっくりしたし最高でした。田村正和さん、安らかに…》《古畑任三郎シリーズ、大好きで見てましたキムタクが犯人役の時、普段温厚な古畑さんが、キムタクにビンタした回が特に印象に残ってます》そんな木村は‘15年12月放送の『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』(TOKYO FM)で、田村さんと『古畑任三郎』で共演したことを振り返っている。“ビンタ回”は田村さんが唯一犯人に手を挙げた回だったと明かし、「僕は名誉に思っている」と述懐。そして田村さんについて、「僕大好きなんです」「またチャンスがあったらご一緒したい」と語っていた。■田村さんに学んだ“プロ魂”『HERO』(フジテレビ系)や『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日系)、『教場』(フジテレビ系)など数々の主演作品で活躍する木村だが、役者としての“プロ魂”は田村さんに触発されてきたようだ。「ほぼNGを出さない田村さんは、撮影現場に台本を持ち込まないことでも知られています。木村さんが’99年1月放送の『古畑任三郎スペシャル』にSMAP全員で参加した際も、田村さんは台本10ページ以上もあるシーンを滞りなく演じ切ったといいます。その様子を間近で見ていた木村さんは、『自分もこうなりたい!』と強く刺激を受けたそうです。様々な作品で座長を務める木村さんですが、“田村さんの教え”を受け継いでいるようです。『HERO』で木村さんと共演した吉田羊さんも、『木村さんは共演者のセリフだけでなく、動きも把握している』と感心していました。最近では映画『ハウルの動く城』で声優を務めた木村さんですが、鈴木敏夫プロデューサーは『アフレコで台本を持たずに最後まで演じ切っていた』と驚くほどです。影響を受けるほど、田村さんの存在は大きかったようですね」(テレビ局関係者)田村さんの教えを胸に抱き、木村は歩み続けるだろうーー。
2021年05月19日人気ドラマシリーズ『古畑任三郎』(フジテレビ系)などで知られる俳優の田村正和さんが4月3日、心不全で亡くなった。77歳だった。ドラマへの出演は、18年放送の「眠狂四郎The Final」(フジテレビ系)が最後となった田村さん。晩年は表舞台から姿を消し、隠居生活を送っていた。その傍らで田村さんを支え続けていたのが、3歳年上の妻・和枝さん(80)だ。田村さんは、70年に銀座の一流テーラーの娘である和枝さんと2年の交際を経て結婚。出会いは友人宅のパーティーで、そのときすでに結婚の予感があったという。70年9月に本誌が取材した際、2人は互いの第一印象についてこう語っている。「無心にゲームしてる彼がクールで純情そうで」(和枝さん)「彼女は初対面から親切で気がついて」(田村さん)結婚式は両家の親族11人と、父親代わりだった木下恵介監督のみという芸能人としては質素なものだった。それは田村さんの、「母の心臓が悪いので負担をかけないように」という配慮からだった。プライベートについてはほとんど明かしてこなかったが、妻との関係については「夫婦って、お互いにいるかいないかわからないんだけれど、いないと大変困る。でも、そばにいると、いて当然と思う。そういうもんじゃないですか」と語っている。19年に本誌が取材した際にも「夕方になったらカミさんと食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る。健康的な毎日ですよ」と夫婦の時間を満喫しているそぶりを見せていた田村さん。葬儀・告別式は和枝さんが喪主を務め、ひっそりと家族で見送ったという。その旅立ちは、穏やかなものだったに違いない――。
2021年05月19日歌手で俳優の泉谷しげるが19日、オフィシャルブログを更新。18日に訃報が伝えられた田村正和さんとの思い出をつづった。投稿冒頭、泉谷は「田村正和さんの訃報には驚くしかなかった」と率直な思いを吐露。テレビドラマの共演経験が何度かあったそうで、「その頃は乱暴者キャラで生意気だったオイラだったもんで、田村正和の"孤高"な振る舞いが理解できず、気分は勝手に“一触即発"だったかも(笑) 」と振り返った。続けて、「それにしても正和センパイの演技の素晴らしさったら〜とにかく、読めない! どう来るかわからない〜素晴らしすぎ!」と絶賛。「演技することに対して興味持ってなかったオイラを、大袈裟に目覚めさせてくれた人でもあった」と、役者として大いに影響を受けたことを明かした。また、「色男だが痩せてて声は小さいが、オフでは意外と男らしいところも」と語る泉谷。「オイラが、ロケ弁当が冷えてて美味しくない〜とブーたれてると『出されたモノはありがたく黙って食え!』と正和センパイに怒られてしまったではないか……」と、2人の関係性がうかがえる共演秘話も披露した。そして「オイラは“天才”と共演してたことに気づき〜愕然としたもんさ」と改めて田村さんを讃え、最後は「『古畑任三郎』に出たかったな…」と漏らしながら、「本当に心よりの哀悼を」と追悼した。
2021年05月19日2021年5月18日、俳優の田村正和さんが同年4月3日に心不全のため死去したことが分かりました。77歳でした。サンケイスポーツによると、葬儀・告別式は親族で既に行ったとのこと。田村さんは、俳優・阪東妻三郎さんの三男として生まれ、兄弟ともに俳優という芸能一家で育っています。1961年にデビューして以来、映画やテレビドラマでさまざまな役をこなし、注目を集めました。1994年からスタートした刑事ドラマシリーズ『警部補・古畑任三郎』(フジテレビ系)では、主役の古畑任三郎役を熱演。独特な存在感を放ったキャラクターが人気を呼び、田村さんの代表的な作品の1つになりました。ネット上では田村さんの訃報を受け、追悼するコメントが相次いでいます。・長きに渡り楽しませていただき、ありがとうございました。ゆっくり休んでくださいね。・時の流れを感じますね。独特な雰囲気でとても素敵な俳優さんでした。・さびしくなります。『パパはニュースキャスター』を子どもの時に楽しく見ていました。田村さんの存在は作品を通して、人々の心に永遠に生き続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2021年05月19日5月18日、俳優の田村正和さんが4月3日に心不全で東京都港区の病院で亡くなっていたことがわかった。77歳だった。田村さんは’61年に映画『永遠の人』でデビュー。80年代には、『眠狂四郎』(関西テレビ、東映)や『鳴門秘帖』(NHK)といった時代劇ドラマで存在感を発揮。平成に入ってからは、人気シリーズ『古畑任三郎』(フジテレビ系)や『協奏曲』(TBS系)、『そうか、もう君はいないのか』(TBS系)など多くの作品で人気を博した。しかし’16年3月放送の『松本清張ドラマスペシャル・地方紙を買う女~作家・杉本隆治の推理』(テレビ朝日系)に出演以降、田村さんは表舞台から姿を消していた。そのため、健康状態を不安視する声が上がっていたのだ。本誌は’17年4月、そんな田村さんの“激やせ”ぶりを報じている。当時、自宅近くでウォーキングに励んでいた田村さんを目撃。スポーツウェア越しでもわかるほど、その姿は痩せ細っていた。田村さんは記者の直撃に苦笑しつつも、こう語ってくれた。「よく言われる。体重も下がったしね。今は52kgぐらいかな。歳を取ると、やせる人と太る人がいるでしょう。俺はやせたんだよね」’18年2月に放送された『眠狂四郎 The Final』(フジテレビ系)が遺作となってしまった田村さん。その撮影は、病と闘いながら挑んだという。「田村さんにとって大切な代表作なだけに、『最後の作品にする』と意欲を持って撮影に臨んでいたといいます。役者としてプロ意識が高い田村さんは、『俳優をやっている間は体にメスを入れたくない!』と撮影期間中は手術を拒んでいたようです。撮影が終わったことで、ようやく手術を決断したといいます。奥さまを安心させたいという気持ちもあったのでしょう」(田村の知人)田村さんは’19年6月、本誌に心臓手術を受けたことを明かしている。その日も田村さんは、午前中からウォーキングに励んでいた。記者が体調について訊ねると、快くこう答えてくれた。「う~ん、それは普通かな。前に心臓を悪くして、手術もしたからね。だから無理はできないんです。生きるうえで、体はいくつになっても大切だからね」穏やかな老後を過ごしていた田村さんは、“死生観”についてもこう語ってくれた。「僕はもう、やり切ったから『静かに死にたい』っていう感じかな」そして「あとは静かにフェードアウトするだけだね」と役者としての再起を否定し、こう続けた。「映画もテレビもやったし、舞台もやった。昭和から始まって、平成まで。もう十分じゃないかな。令和はまだだけれどね。フフフ」およそ半世紀にわたって、役者人生を全うした田村さん。その活躍は多くの人々の心に刻まれている――。
2021年05月19日フジテレビ系の人気ドラマシリーズ「古畑任三郎」などで知られる俳優の田村正和(74)が発売中の写真週刊誌「フライデー」で"引退宣言"し、話題になっている。 同誌によると、田村は周囲のごく一部に対し引退する意向を告白。今月中旬には、田村の功績を労う食事会が都内で行われたという。 同誌は日課の早朝ウォーキングに出かける田村を直撃。すると田村は「自分の中で辞めてもいいかなと思った」「自分としては、もう十分にやったなと」と事実上の引退宣言。 引退を決断したきっかけは今年2月放送の主演ドラマ「眠狂四郎The Final」(フジテレビ系)。完成試写を見て「これじゃダメだな」と思ったという。 「ここ数年は年に1本単発のドラマに出演するぐらい。父が名優・阪東妻三郎というサラブレッドの田村さんは、父を9歳でなくし10代後半から仕事に打ち込んできました。それもあって、もう十分やったという気待ちになられたのでしょう」(テレビ局関係者) 出演作品をしぼったこともあり、圧倒的に露出が減っていた田村。ここ数年は体調不良説も飛び交っていた。 「13年には死亡説が流れ、自宅に報道陣が集結。結局これはデマでしたが、以前のように声を張り上げるのが困難になっていたようです。インタビューでは近づかないと声が聞き取れないと、周囲も体調を心配していました」(芸能記者) そうしたなか、ひっそりと身を引いたのは田村の流儀だったのだろう。
2018年04月25日約半世紀ぶりに帰ってくる田村正和による時代劇、「眠狂四郎」シリーズ総決算となる「眠狂四郎 The Final」が、2月17日(土)に放送されることが決定。今作には、時代劇初挑戦となる女優・吉岡里帆が出演することが明らかになった。■ドラマスペシャル「眠狂四郎 The Final」って?「眠狂四郎」は、柴田錬三郎の豪剣小説の主人公。これまで幾度となく映画やテレビでシリーズ化され、何人もの名俳優たちが眠狂四郎を演じてきた。田村さんは、1972年~73年の連続ドラマで主人公を演じ、今回フジテレビ系の制作としては、およそ半世紀の時を経て「田村正和×眠狂四郎」が復活を果たす。今作では、複雑な生い立ちを持ち伝説の剣を操る孤高の眠狂四郎(田村正和)が、江戸に戻り自らの出生や運命に立ち向かい、さらに、シリーズ史上最強の敵となる狂四郎と同じ円月殺法を使う妖術の使い手、加賀美耀蔵(椎名桔平)が立ちはだかる!果たして、狂四郎は最強の敵を前にして、自らの残酷な運命を切り開けるのか…というあらすじ。「メディカルチーム レディ・ダ・ヴィンチの診断」「カルテット」「ごめん、愛してる」などに出演し、現在放送中のドラマ「きみが心に棲みついた」では連続ドラマ初主演を務め、いまテレビで見ない日はないほど引っ張りだことなっている若手女優・吉岡さん。今回吉岡さんが演じるのは、武家の娘・操。彼女はある日突然、狂四郎の前に現れ、狂四郎のことを「父上」と呼び皆を驚かせる美しく快活な娘。狂四郎を慕うが、本当の娘なのか、その正体は…?■吉岡里帆、田村正和との初共演に喜びいっぱい!「私の中では“生きるレジェンド”」時代劇初挑戦、田村さんとは初共演となる吉岡さん。出演決定時は、「私の祖父母が時代劇好きで、父が歴史好きなこともありつつ、私自身やっと念願の時代劇に出演できるという喜びでいっぱいです。また京都で撮影出来るのもうれしかったです。私は撮影所の近くの太秦で育ち、18歳のころ、エキストラとしてお世話になったこともありました。そのときは“いつかちゃんとセリフを言いたいな”と憧れていたので、自分のセリフを持って、自分の役を担って帰って来られてとてもうれしいです」と感無量の様子。田村さんとの共演については、「とても驚きました。田村さんは、私の中では“生きるレジェンド”と言いますか、“本当に実在されるんだろうか?”と思うくらいの銀幕スターという存在です。そんな田村さんのお芝居をそばで見られること、眠狂四郎として存在していらっしゃるお姿を拝見できることは、役者としてとても貴重な経験で、一生忘れることのない時間を過ごしているんだろうなとかみ締めています」とコメント。いままでの時代劇ではあまり見ない、新しい風が吹くような女性ととらえて演じたと言う吉岡さん。「やはり時代劇の所作はとても難しく、先生に横について頂き、1シーン、1シーン丁寧に撮影しました。仕草やそぶりは役の延長線上にないといけないと思っているので、表現がとても難しかったのですが、微妙な機微やニュアンスは撮影しながら日本人が忘れかけている仕草やあり方を学ばせていただきました」と時代劇に初挑戦した感想を明かし、「この作品は、当時の宗教や差別のある世界で生きてきた人たちの“叫び”や言葉にして発せられなかった繊細な思いが詰まっている切なく、そして求心力のある作品です。狂四郎が長年抱えてきた想いが今作でこぼれ落ちるのではないかと操からみていて思います。ぜひ見て下さい」とアピールしている。なお、本作には田村さんと吉岡さんのほかにも、八嶋智人(金八役)、津川雅彦(松平主水正役)、名取裕子(文字若役)、椎名桔平(加賀美耀蔵役)らが出演している。ドラマスペシャル「眠狂四郎 The Final」は2月17日(土)21時~フジテレビにて放送。(cinemacafe.net)
2018年01月22日賀来千香子、有森也実、菊池桃子、森口瑤子、田中美奈子といった女優陣が、"アラフィフ"たちの恋愛をドラマ化する関西テレビ・フジテレビ系特番『ラブドラマバラエティー 50キュン恋愛物語』が、11日(22:15~23:39)に放送される。この番組では、80年代から90年代前半に全盛を迎えたレンディドラマを見ていた世代が、最近"キュン"とした恋愛エピソードをドラマ化。当時、劇中で活躍していた役者陣が演じ、挿入歌にも、サザンオールスターズ、久保田利伸、DREAMS COME TRUE、YMOといった、当時のヒット曲が使用される。賀来は、夫と離婚したばかりの中で、密かに思いを寄せていた大学時代のテニスサークルの後輩・博(石黒賢)と20年ぶりの再会を果たす「君とテニスに恋してた」に出演。「撮影を通してキュンキュンさせていただきました。台本を読んだ時から、読みキュン」と、ときめいた様子だ。有森は、離婚後、一人暮らしの部屋を熱心に探してくれる営業マンと出会う「東京部屋ストーリー」。「懐かしい思いと気恥ずかしい思いとが入り混じっていました」と、演技を振り返る。ほかにも、菊池は夫からの予想外のサプライズ、森口はボーカルトレーナーとの恋、田中は14歳年下の独身男性に好意を抱く役柄を熱演。スタジオでは、木村佳乃と渡辺直美をMCに、若者ゲスト(大島優子、佐野ひなこ、滝沢カレン、ゆうたろう)と、アラフィフゲスト(田中美奈子、ヒロミ、八嶋智人、YOU)が、心に刺さるシーンや、共感できるシーンなどを検証していく。
2016年10月04日2016年春の就航を目指していたエアアジア・ジャパンは、就航を2016年夏以降に遅らせることを検討している。同社は日本に再進出した2014年7月時点では2015年6月の就航を目指していたが、A320初号機を受領した2015年10月には就航時期を2016年春に定め、このほどさらに夏以降へと延期する見通しとなっている。同社の広報によると、延期の理由に関しては時期も含めて現在調整している就航案内会にて説明するとしている。また、2月に受領を予定していた2号機のA320についても受領時期を延期し、蜷川実花デザインとなる3号機についても受領時期を延期する見通しとなっている。同社は2015年10月の段階では、A320を2機そろえ、中部国際空港(セントレア)をハブとして新千歳・仙台・台北の3路線同時開設で就航し、国内・国際に路線をはりながら年間5機ずつ増やしていくことを計画していた。その後、同年の12月1日に代表取締役社長兼CEOの小田切義憲氏に代わり、代表取締役会長に井手隆司氏(前スカイマーク代表取締役会長)、取締役CEO(最高経営責任者)に秦修氏(前エアアジア・ジャパン株式会社執行役員兼CFO)、CFO(最高財務責任者)に有森正和氏(前スカイマーク代表取締役社長)が就任。2月15日に名古屋で開催される中部空港第2滑走路に関する総会にて、井手氏が同社の代表取締役会長として初めて講演(演題: 就航エアラインが地域に望むこと)を行う予定となっている。
2016年02月11日●日本では「航空運送事業許可=就航」にならないわけ2015年末、エアアジア・ジャパンは突然のCEO交代を発表した。航空業界には、「2016年春の就航を目指しているのに、オペレーションのプロである小田切義憲氏がいなくなって大丈夫なのか」と思った人も多いはずだ。果たしてエアアジアグループCEOのトニー・フェルナンデス氏の決断は吉と出るのか、"離陸"への課題を整理してみた。○日本ならではの"仮免許"を理解できず今回のCEO交代は、日本での開業準備が遅れ就航開始のめどが立たないことに業を煮やしたマレーシアのエアアジア本社が、「なぜAOC(航空運送事業許可)が出ているのに就航開始にこんなに手間取るのか」と航空局交渉を取り仕切っている小田切氏に激怒し、今回のトップ交代につながったと言われている。しかし、エアアジア本社は今の日本ではAOCが"仮免許"でしかないことをきちんと理解していなかったようだ。2014年7月に新生エアアジア・ジャパン設立当初、就航は2015年6月を予定していたが、AOCを取得できたのは2015年10月になってからである。アジア各国では「AOC=就航開始」という図式が出来上がっており、日本でもスカイマークのような新興航空会社が立ち上がった頃は同様の位置付けで、AOCが下りれば程なく就航を迎えられた。しかしその後、日本もLCC(低コスト航空会社)時代に入り、当局による事業審査の基準やプロセスに強度の変化が出てきた。日本でも新興航空会社が立ち上がった時代、つまり、「AOC=就航開始」となっていた時代は、LCCに対して行われたような「リスク管理のための安全弁や補強措置を要求しつつも経営が重たくなることには一定程度配慮する」というような比較的シンプルな審査承認ではなかった。つまり、機体メーカーのマニュアルを踏襲するだけでなく、"JCAB(航空局)コスト"とも言われた審査現場前線での非常に厳しい詰問をクリアしなくてはならなかった。LCC時代に入ってからはいったん、審査プロセスに緩和の変化が見られた。対象LCCであるピーチ・アビエーション(以下、ピーチ)、ジェットスター・ジャパン、エアアジア・ジャパンには全て、ANAまたはJALが生産体制面の支援をすることを言明し、整備・運航の折衝に長けた人材を送り込みもしていた。そのため当局としても、「大手の後押しがあるなら大丈夫だろう」という認識に立って行われたという側面がある。大手エアライン側からも、「今までのような仔細・厳格な審査が続けば就航に時間がかかりすぎ、LCCの経営に支障をきたす」との当局への働きかけがあったとも聞く。しかし、同じLCCでも春秋航空日本のように日本の大手が支援・関与しないケースについては、当局審査は以前の厳しさに立ち返ってきているように見え、AOCが"仮免許"の位置づけであることがより鮮明になってきた。大もとの事業許可(AOC)は、事業会社としての資金面・機材面の信頼性がある程度担保されれば早い段階で下りるのだが、いざ実運航に直結する規程・社内管理など細部の運用に関わる事項については、規程の様々な項目の折衝で厳しい審査の目が向けられるのだ。○実務審査に厳然と残る大きな壁以前から特に手ごわい審査とされているのは、「整備管理規程」と「運航管理規程」の審査だ。例えば、「運航整備士を本来必要ない地方基地の出発前点検にも配置する(させられる)のか」「整備会社への重整備外注にあたってどのような管理体制を敷くのか、それを実行できるスタッフはいるのか」「技術部長は大手の経験何年以上のものであることを条件にする(させられる)のか」「乗員の機種移行訓練では実機での飛行を最低何回行うのか」などといった、整備や運航の業務実施の細目に関する規程である。当局が「これならちゃんと安全に運航を行える」と認めてくれるまで交渉を詰めていかなければならず、航空会社にとっては大変な労力・スキル・交渉力を要するものだ。つまり、航空会社はできるだけコストをかけない方式にしたいと考え、当局は何かあった時に審査不備を指摘されないよう(何かが起こらないよう、と当局は言う)できるだけ確実・安全な方式を要求する。このせめぎ合いが少なくとも1年は続く。これを乗り切るためには、技術やオペレーションのエキスパートが必須なだけでなく、品質保証や安全審査というニッチだが航空会社の安全管理に必須の分野の熟練要員も必要なのだ。ここがそろわないと、いくらAOCがあっても就航のめどは立たない。現在のエアアジア・ジャパンが就航に必要な人材を確保できていなければ、審査は延々と続くことになる。トニー氏がここまで認識していたかといえば疑わしい。エアアジア・ジャパンがANAと合弁会社で日本市場に初上陸した際、会社設立から約1年後の2012年8月に就航を果たした。創業から就航までがスムーズに進んだのは、パートナーのANAが有する経験と当局への与信に助けられたものであることをトニー氏は自覚していなかったと思われる。エアアジア・ジャパンは小田切氏に代わって、スカイマークの前経営トップである井手隆司氏と有森正和氏を招聘(しょうへい)した。「航空の専門家を入れ経営体制を強化」としたエアアジア・ジャパンではあるが、当局の技術・運航部門との今後の許認可面の折衝がスムーズに進むか、まだ課題は多いように思われる。●就航までに必要な70億円の調達に親会社のエアアジアも課題あり○事業計画と資金に問題は?現在エアアジア・ジャパンは中部空港(セントレア)を拠点に、札幌/仙台/台北にA320を2機使用して運航するとしている。国内2路線は大手のほか、エアドゥやアイベックスエアラインズとも競合するし、台北は日本のLCC2社(ピーチ、バニラエア)が成田から就航する激戦地である。格安運賃で新規需要を創出するというLCC方式は当初は機能するだろうが、既存エアラインの半額以下、時に破格のバーゲン運賃を提供してまずは消費者の注目を得て知名度を上げていく手法を当初は取らざるをえず、採算は二の次となろう。この場合、問題は資金が持つかだ。エアアジア・ジャパン設立時の資本金は20億円だが、日本における新規航空会社設立の歴史を見ても、就航までに最低60億~70億円を集めることが必要だ。それは既存株主の増資で行うしかないが、親会社であるエアアジアの経営状況が良くない。直近期は辛うじて収支はトントン持ちこたえたが、実質は赤字でキャッシュフローは厳しいと言われる。ここにきて、各国でジョイントベンチャーを展開するエアアジアのビジネスモデルに陰りが見え、順調に伸びているタイ・エアアジア以外は長距離のエアアジア Xを含め業績が芳しくなくエアアジア本社に、どれだけ日本への増資余力があるのか注目される。エアアジア・ジャパンの主要株主である楽天への出資要請も行われているようだが、本国・マレーシアからの出資がない中では他社が応じるとは考えにくく、当面はエアアジア本社からの資金でつなぐと見るのが妥当な線と思われる。しかし、事業開始が遅れるほど機材のリース料(1機月額4,000万円超)、人件費(開業要員の250人がそろえば月額1億円)、乗員訓練費などが次々とキャッシュアウトしていく。加えて、開業できたとしても当面は赤字事業にならざるを得ないだろうから、資金繰りは早晩再び大きな問題となってエアアジア本社にのしかかる可能性が大きい。ただ、今は原油価格低落と円高局面という日本の航空業界にとっての僥倖(ぎょうこう)がある。井手・有森両氏が今後、"守備範囲"である資金調達でどのような手腕を発揮するのか見守りたいところだ。○中部でピーチの成功を再現できるのか一度、他社に目を移してみよう。国内LCCで成功を果たしているピーチを見てみると、早々にLCCターミナルを作り同社が関空をハブとして急速な拡大を行える環境を整えた関空運営会社の全社的支援体制、そして何より、その事業拡大を支え得た関西経済圏の"地力"という背景がある。LCCが成り立つには、東南アジア各国のLCCが拠点とする都市と同様、「安い運賃が提供されれば、その事業計画を支えるに足る新規需要が創出される」ことが不可欠なのである。同時に、昨今の航空の成長を支えるインバウンド旅客を惹きつける要素があるかも決め手になる。関空で言えば、京都だけではない関西の観光資源のことである。名古屋・中部圏にどれだけの新規需要が眠っているのか、また、エアアジア・ジャパンがそれを掘り起こせるのか。「LCCターミナルの建設」を言明したセントレアの支援、そして、中部経済圏の民力と吸引力が、エアアジア・ジャパンの浮沈を握っていると言えそうだ。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2016年01月22日エアアジア・ジャパンは12月1日より経営体制を改め、代表取締役社長兼CEOの小田切義憲氏は経営に参画するアドバイザーに退くことを発表。代表取締役会長に井手隆司氏(前スカイマーク代表取締役会長)、取締役CEO(最高経営責任者)に秦修氏(前エアアジア・ジャパン株式会社執行役員兼CFO)、CFO(最高財務責任者)に有森正和氏(前スカイマーク代表取締役社長)が就任した。今回の新経営体制に関しては、2016年春以降の日本国内就航に向けた強化としている。井手氏と有森氏はいずれもスカイマークの取締役を歴任した人物で、秦氏は2013年にエアアジア・ジャパンに参画してからCFOを務めてきた。今回の経営体制の強化に関しエアアジアグループCEOのトニー・フェルナンデス氏は、「経営体制が強化されたエアアジア・ジャパンは、日本のみなさまだけでなく、エアアジア・ジャパンの全てのお客さまに安全で快適な空の旅を提供してくれるものと確信しております」とコメントしている。また、エアアジア・ジャパン取締役の三木谷浩史氏(楽天代表取締役会長兼社長)も、「日本市場での成功を確信しています」と話している。
2015年12月01日民事再生手続き中のスカイマークは9月1日、8月5日に東京地方裁判所より認可決定された再生計画に対して、8月31日付けで認可決定が確定された。今後のスケジュールとともに発表された新体制では、代表取締役会長にインテグラルの佐山展生代氏が、代表取締役社長に日本政策投資銀行の元・取締役常務執行役員である市江正彦氏が就任する。新体制にあたり、現職の井手隆司会長と有森正和社長は辞任する。佐山会長と市江社長のほか、専務取締役にはANAグループのOCS元社長の矢口秀雄氏、専務取締役執行役員にはスカイマーク執行役員の本橋学氏、取締役執行役員にはインテグラルの西岡成浩氏、取締役にはANA整備センター副センター長付主席部員の増川則行氏が就任する予定となっている。監査役には、常勤監査役にスカイマーク常勤監査役の坂木公禎氏と三井住友銀行顧問の谷村大作氏、社外監査役に内閣府中央交通安全対策会議の専門委員などを務める山内弘隆氏が就任する。今後のスケジュールとしては、9月29日に100%減資とスポンサーによる増資を行い、臨時株主総会を開催して役員選任等を実施する。そして、11月30日には基本弁済を実施する。なお、追加弁済の実施時期は未定となっている。
2015年09月02日スカイマークは3月18日、執行役員を2人新任し、現状の4人に加えて6人体制にすることを発表した。同社は2月の取締役会において、井手隆司氏(代表取締役会長)ら取締役4人に加えて執行役員4人を新任したが、3月の取締役会で執行役員として新たに経営企画室担の本橋学氏と、安全推進委員会事務局長の兼子学氏が加わることとなった。現在、取締役には井手隆司氏(代表取締役会長)、有森正和氏(代表取締役社長)、松尾愛一郎氏(取締役執行役員)、鈴木圭太氏(取締役執行役員)が、執行役員には田上馨氏、寺田成利氏、仙北谷茂氏、小野輝雄氏、本橋学氏、兼子学氏が担っている。
2015年03月19日スカイマークは3月2日、安全の維持・向上を図りつつ、選ばれる航空会社を目指すべく、「経営・安全改革会議」を設置したことを発表した。「経営・安全改革会議」は新生スカイマークとしての全社的な取り組み方針について議論・周知するとともに、各委員会運営の監督を行う会議で、スカイマークから代表取締役会長の井手隆司氏と代表取締役社長の有森正和氏、インテグラルから代表取締役の佐山展生氏、代表取締役の山本礼二郎氏がメンバーになっている。改善すべき課題の抽出やそれに対する解決策について、事業改善委員会、サービス向上委員会、営業推進委員会、職場環境改善委員会と、4つの委員会において部門横断的に議論する。また、安全管理体制の継続的な改善を目的に常設されている独立機関の安全推進委員会は、全委員会を安全面から監督するという。スカイマークは「経営・安全改革会議」設置にともない、「全社一丸となって、新生スカイマークを創り上げていく所存でございます」とコメントしている。
2015年03月04日スカイマークは2月17日、取締役会において執行役員の選任及び取締役・執行役員の担当職務について決議した。取締役は4人で、井手隆司氏(代表取締役会長)は安全推進委員会委員長と取締役会議長、有森正和氏(代表取締役社長)は監査室担当、松尾愛一郎氏(取締役執行役員)は安全統括管理者・生産部門管掌役員・整備部門担当、鈴木圭太氏(取締役執行役員)は管理部門管掌役員をそれぞれ担当する。また、執行役員の4人はいずれも新任で、田上馨氏は経理部担当、寺田成利氏は総務人事部担当、仙北谷茂氏は空港管理部担当、小野輝雄氏はクルー管理部/訓練審査部担当となる。
2015年02月18日民事再生法の適用を申請したスカイマークは1月29日、都内の本社で記者会見を開き、経営破綻についての謝罪とともに経営効率化のため2月から12路線を減便、A330による運航を中止することを発表した。記者会見には1月28日に辞任した西久保愼一氏に代わり、井手隆司会長と有森正和社長が謝罪とともに今後の運営について説明。2月からは席数が多くリースなどのコストががかかるA330の運航を中止する。そのため、新千歳~仙台/茨城/中部/神戸、中部~那覇、神戸~米子/那覇、福岡~仙台/茨城/那覇、那覇~宮古/石垣の12路線で便数を減らし、1日152便から曜日により1日126~128便に減る見通しとなっている。那覇~宮古線/石垣線に関しては、3月29日から運休となる。
2015年01月29日