鹿児島で自園自製の日本茶を取り扱う合同会社末吉製茶工房(所在地:鹿児島県曽於市、代表:又木健文)は、地球にも身体にも優しいサステナブルな新商品「本格日本茶ヴィーガン・ソルベ」2種類を、2022年9月17日(土)から販売いたします。原料にこだわり、ヴィーガン認証まで取得しました!今回、販売を開始するヴィーガン・ソルベは、国際コンテストでも受賞実績のある本格的な日本茶を丸ごとパウダーにし、ふんだんに使用して開発しました。また、ただ本格的な味わいを追求するだけでなく、地球にも身体にも優しいサステナブルな商品を目指し、ヴィーガン認証も取得いたしました。香料・着色料・保存料などの添加物や、卵・乳製品を一切使用していません!本商品は、「香料・着色料・保存料」といった添加物は一切使用せず、原料本来の香りや色を生かしたヴィーガン・ソルベとなっております。また、「卵・乳製品」も使用していないため、アレルギーをお持ちの方でも安心してお召し上がりいただけます。商品概要「本格日本茶ソルベ茶冰の雫ー冠せ茶ー」日本茶の生産量の5%にも満たない、稀少な春摘みの「冠せ茶(かぶせちゃ)」を使用。国際コンテストでも受賞実績のある高品質な茶葉を丸ごとパウダーにして使用しており、濃厚で本格的な味わいながらも、口の中に広がるほろりとした甘みも楽しむことができます。販売価格:540円(税込)「本格日本茶ソルベ茶冰の雫ー焙じ茶ー」焙じ茶としては珍しく、春摘みの厳選茶葉のみで作る「浅煎り焙じ茶(あさいりほうじちゃ)」を使用。国際コンテストでも受賞実績のある高品質な茶葉を丸ごとパウダーにして使用しており、焙じ茶の香ばしさと、ビターチョコを思わせるようなほろ苦さがクセになる美味しさです。販売価格:540円(税込)実はまだ、完成品が届いていません!?本商品は、今回のご案内時点で実はまだ完成品が届いておりません(!?)そのため、商品の写真もまだ撮れていません。ですが、一足先に本商品保管用の冷凍庫が昨日届きましたので、あとは完成した商品の到着を待つのみです。本商品のさらに詳しい情報につきましては、2022年9月17日(土)発売日当日に、再度ご案内いたします。会社概要商号:合同会社末吉製茶工房設立:2017年(平成29年)10月17日代表者:代表社員又木健文所在地:〒899-8605鹿児島県曽於市末吉町二之方6174番地2ホームページ: 事業内容:日本茶の栽培・製造・加工販売、オリジナルブレンド製品の企画・開発本件に関するお問い合わせ合同会社末吉製茶工房担当:又木Email: sueyoshiseicha@gmail.com 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月07日ボーイズユニットCUBERSのメンバー末吉9太郎が4日、モーニング娘。OGである藤本美貴のYouTubeチャンネル「ハロー! ミキティ」内に登場しコラボ動画を発表した。9太郎は、2019年5月につんく♂氏作詞作曲でメジャーデビューしたボーイズユニットCUBERSのメンバーで、Twitter・TikTokなどのSNSに投稿した"アイドルオタクあるある動画"が1億再生を突破するなど注目を浴びている。「モーニング娘。になって一緒にパフォーマンスがしたい!」と公言している9太郎は、休日はハロー! プロジェクトなどのアイドル現場に足を運び、握手会などの特典会にも参加。自身もアイドルとして活動しながらもオタク活動をおこなう“アイドルオタクアイドル”で、動画でアイドルオタクに扮して発する「それなー!」「沸いたー!」といった言葉も話題を呼んでいる。勢いトレンドで1位にランク入り果たした他にも、Twitter上で300万再生突破している動画が指原莉乃に引用RTされるなど、広がりを見せている。今回のコラボ動画では、藤本美貴がモーニング娘。として活動していた時代に起きていたであろう”あるあるネタ”を披露。小さい頃からの憧れである藤本美貴とのコラボレーションに終始大興奮の様子だった。○末吉9太郎コメントあの藤本美貴さんです。いまだに信じられてないですけど、あの藤本美貴さんにお会いしました。ミキティは存在してました。そして、ミキティはとっても優しかったです。沸いたー!!! 動画ぜひ見てください!
2019年11月04日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、「他にない」制服や機内サービスなどの選定に触れた。そして話は就航日に移る。○キャプテンの出発サインに感動就航日の2006年3月16日の羽田空港は曇り空。北九州空港は雨の寒空となった。羽田発の便の方が出発時刻が早いため、実質的にはこちらが初便になる。堀社長とは「月並みな就航式典はやめよう」と言っていたのだが、北九州側は地元であり市役所、産業界(商工会議所)などお世話になった関係者の方々も多いので、「皆さんとのテープカットをしないわけにはいかない」という社長判断となった。一方、羽田では初便で北九州に戻られる末吉興一・北九州市長を主賓とし、ご挨拶をいただいた後に、機体デザインなどを担当してくださったフラワーロボティクスのロボット「Posy」から花束贈呈、という式次第とした。筆者自身もこの時、初めて末吉市長にスターフライヤーの構想をプレゼンした20枚足らずの企画書を片手に、就航の挨拶をさせていただいた。就航前に使っていた機関投資家向けの企画書が50枚を超えていたことを考えると、「随分簡単な書類で説得にうかがったんだなぁ」といまさらながら冷や汗を感じたものだ。就航式典では参加者や報道陣からも大拍手。そして搭乗開始、離陸となった。最後の乗客がゲートを通過された後、スタッフたちと地上に降りて飛行機のランプアウト(ブリッジを離れること)を見送った。漆黒の機体が自走を始めた時、コックピットの窓からキャプテンが左手を握って掲げ「無事行ってくるぞ」と語りかけてきた。飛行機に手を振りながら、この2年間にあったいろいろなことが断片的に思い出され、大きな感動を覚えた。○凱旋する王監督と川崎選手を乗せる3月の2週間は初就航の話題性もあり、70%を優に超える利用率を保つことができた。首都圏での話題性や知名度の低さはいかんともし難かったが、3月24日に事件が起きた。野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝した日本代表が夜、成田に帰国し、記者会見を終えて羽田に移動した王貞治監督と川崎宗則選手が、翌日の練習に参加するためにスターフライヤーの深夜便で北九州に帰ってきたのだ。午前1時過ぎに到着した王監督を多くのファンが出迎えた光景は全国のテレビで報道され、「何で夜中の1時に飛行機が飛んでるんだ? 」「あの黒い飛行機は何? 」と、図らずもスターフライヤーの存在が全国に流れることになった。また、他のエアラインからも「視察」をいただいたようだ。ある大手会社のCAの方が搭乗レポートを書かれたことを知人から聞いたのだが、「機内の風景がとても同じエアバス機とは思えなかった」「行こうとしている道が我々とは違うようだ」など、ある意味ありがたい言葉があった。そんな中、「トイレだけは何の変哲もなく、妙にほっとする」とのコメントがあったそうで、ここに思いを馳せなかったことを非常に後悔したのも事実である。後日、メーカーとのタイアップで、高級な「黒いトイレットペーパー」を期間限定で装備し大変話題になったのだが、このことへの意地も少しあったかと思う。○ANAとのコードシェアの遅れが響く4月に入り、事業は厳しい状況となった。日中帯はまずまずの数値だったのだが、早朝深夜帯は予想に反し芳しくない状況で、利用率が低迷していた。地元タクシー会社と提携し、主要地域への1,000円タクシーを始めたり、早朝深夜便の割引率を上げたりと、地元企業へのいわゆる"ドブ板営業"もしていたのだが、事態はさほど好転しなかった。福岡側の需要はそれなりに掘り起こせていたものの、当初から懸念していた首都圏からの需要が全く伸びなかったのだ。最大の誤算はANAとのコードシェアの遅れだった。北九州はもともとJAL(旧JAS)の独占路線だったので、ANAにしてもコードシェアで直行便を開設できればネットワークや法人営業などの対抗上メリットがある。スターフライヤーにすれば、一定数の買い取りにより利用率の底上げが見込める(両社の顧客層が違うため)。つまりウインウインの効果が期待できたので、双方とも前向きに議論を進めていた。しかし、就航前のハイレベル交渉で、買い取り便、価格、座席数なので予想外のぶつかり合いが生じてしまい、相手の逆鱗にふれることとなったのである。我々の方の交渉者にも「元JALでやり合った相手に対し、臆することはない」というプライドのようなものがあったのかもしれない。すぐに仕切り直しも考えたが、しばらく冷却期間を置いて交渉を再開しようということになり、半年以上の遅れが確定的となった。○就航初年度は20億円を超える赤字に2006年度は後半も営業施策はあれこれ講じたものの深夜便が足を引っ張り続けたこともあり、11月には羽田着深夜便をやむなく減便で対応した。こうして2006年度は20億円を超える赤字となった。しかし堀社長とは、「ANAとのコードシェアは一方的に助けてもらうだけのものではなく、双方メリットが大きなため早晩実現できる。自社利用率が10~15%安定すれば営業・運賃施策の柔軟性も増し、収益化はできる」と踏んでいた。だが、新興会社にとっては損益計算書よりも現金が問題だ。2007年度を迎えるにあたってどこまで資本として集めたキャッシュが持つのか、悪条件を想定した計算に入らざるを得ず、新たな資金繰りを再開したのだ。そして、相前後して日本の航空業界の将来を動かすような事案が持ち上がった。しかし、これは幻と潰える。これはまた次回、お話したい。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年10月08日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、航空事業をはじめるにあたって必要な初期資金を60億円とし、なんとかそのめどが立つまでの話にふれた。その折に、北九州市役所からひとつの連絡があった。「そんなので大手と戦えるのか?」と。○ブランディングとの遭遇資金集めを本格的にスタートさせた2004年が暮れようとする頃、北九州市役所からあった連絡は以下のようなことだった。「末吉市長がスターフライヤーの知名度について心配されている。特に東京では全くニュースにもならない。こんな状態で大手と戦っていけるのか?」設立当初は必要資金確保のめども立っておらず、航空局との認可交渉をやり切る人材の確保も不十分だったので、正直、会社の認知拡大策まで考えをめぐらす余裕はなかったというのが実態だった。しかし、末吉興一・北九州市長の懸念はよく分かった。開港まで1年と少し、時間と知恵が足りないことはみな感じていた。当時、北九州市は「デザイン塾」を開催するなど、地元の文化資源を活用する取り組みに力を入れており、ブランド戦略に造詣のある方もおられた。この周辺からスターフライヤーの首都圏での認知を上げるには、そのコンセプトを統一したデザインのもと、感性とビジュアルに訴えることが必要という意見があり、我々に投げかけられたのであった。○「このデザインとなら心中できる」堀社長とじっくり相談し、ここは企画に乗り、デザインから会社を見せるという手法を採ろうと決断した。何より、「他のエアラインがやってない」ことだったからだ。こうして社長ともども、当時外部から参画してデザイン塾を進めていた方々とのミーティングに臨んだ。ここでお会いしたのが、ロボットデザイナーでフラワーロボティクス代表の松井龍哉氏と東京藝術大学の桂英史助教授だった。ブランドの持つ力、というおふたりの話には非常に説得力があったし、松井氏の代表作である精密・繊細なロボット「Posy」を見て、「このデザインとなら心中できる」と直感した。「エアラインのトータルデザインをまとめてお願いしたい」。堀社長から決めの一言が出て、ここに「デザインエアライン」の一歩を踏み出したのだった。○「世界のどこにもないと今言えるのは真っ黒だ」トータルデザインといっても対象物は多岐に亘り、簡単に全部を具体化できるものではない。まず、最も視覚に訴える機体デザインと会社のロゴを決め(これまで持っていたロゴはデザイナーさんに丁重におわびしてお蔵入りとなった)、そこから備品、広告、パブリシティーに展開しようということになり、我々からは盛り込むべきコンセプトだけを伝えた。「感動のあるエアライン」「他社とは違うエアライン」の2つだ。そこからは、フラワーロボティクスの人々には地獄の日々だったのではないか。機体デザイン、模型、設備備品への展開例を盛り込んだプレゼンテーションを作成するまでに世界中の千にも及ぶ機体デザインをくまなく調べ、案を絞り出してコンセプトの独自性を示さねばならない。3カ月を経て、「デザインコンシャス」「ラグジュアリー」「モダン」と3つの機体デザイン案が提示された。末吉市長にはお花畑のような「デザインコンシャス」案がいいと言われ、社内でもそれぞれが好き嫌いを述べ合ったが、こういうものは議論をしてまとまるようなものではない。最終的に堀社長が、「世界のどこにもないと今言えるのは真っ黒だ」と決断を下した。黒・白・シルバー(灰)を基調とした備品や航空券、アメニティーの展開も上品でスタイリッシュさを感じさせるものだった。その後、多くの国内外のブランド、有名企業からコラボの申し入れを受けることになる「スターフライヤーイメージ」が歩き出した。○「顔」をめぐるエアバス技術者との議論航空会社の象徴が固まり、事業コンセプト・機体デザイン・ロゴ・備品・広告と展開するためのブランディング戦略の全体像を発表するのだが、その前にもう一悶着あった。世界のエアラインが航空機を真っ黒に塗らない理由のひとつに「黒は太陽熱を吸収し、機体の温度が上がって計器の作動に影響が出る」との懸念があると言う人もいた。果たして、エアバス技術陣から高温誤作動リスクを避けるためレーダー・飛行計器が詰まる「レドーム」と呼ばれる航空機の「鼻」の部分は黒く着色しない方がいい、とのアドバイスが出てきた。しかし、これを飲めば機体デザインは鼻が白くふくらみ、とても間延びした顔になってしまう。「世界には日本よりずっと暑い地域に、濃紺を施した機体が飛んでいる。どこが違うのか」「いったん上空に上がれば気温は下がる。地上気温で計器に不具合が生じるような機体なのか」など厳しいやり取りがあり、エアバス側も入念な数値検査を繰り返した結果、何とか「セーフ」。現在の機体の「顔」に落ち着くことができた。○「マザーコメット(母なる彗星)」の衝撃2005年5月に行ったブランディング発表会では、デザインという切り口だけでなく、「どんなエアラインにしたいのか」という我々の想いを伝えることが重要だった。それが「マザーコメット(母なる彗星)」という基本コンセプトである。乗っていただいた乗客に「あ、この会社、いいな」とまず感じてもらえること。それが「他にないものだね」という感動につながり、それを世界中に振りまいていければ、との想いを表したコンセプトだ。松井氏が我々の想いと自らの考えを昇華しつくした上で提示いただいたものだと感じ、これを見た時は身内ながら正直感動した。しかし、ブランディングとはそんなたやすい代物ではない。制服、機内インテリア、サービス、広告など具体的なモノをどうするかとなると必ず好き嫌いの違いが表面化し、ディテールを作る過程では反対論は噴出するのだ。それも社内、地元、どこからでも。この平坦でない道のりについては後に触れたい。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年09月17日