住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、カラオケでよく歌った曲の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「『おしん』が終わった後、アイドル雑誌『平凡』(マガジンハウス)で松田聖子さんと対談する機会があったんです。当日の聖子さんはカジュアルな装いで、いつもとはちがう雰囲気でしたが、かわいくて、とっても優しいお姉さん。なぜか、撮影のときにカメラマンの方から『ちょっとおんぶしてもらったら』と促されたんです。すごく華奢で“本当に大丈夫なのかしら”と少し戸惑いましたが、聖子さんにおんぶされた人なんて、なかなかいないのではないでしょうか(笑)」松田聖子との秘話を語るのは、女優の小林綾子さん(49)。聖子がアイドル時代に着ていたようなフリフリの衣装が、幼いころから大好きだったという。「『がんばれ!!ロボコン』(’74~’77年・テレビ朝日系)でチュチュを着て踊る、島田歌穂さんが演じるロビンちゃんに憧れたのが最初。それで、3歳でモダンバレエを習い始めたんです」バレエや歌、演技も学べる東映児童演劇研修所へ入所したのは5歳のとき。「3カ月ほどで、仕事が入ってきました。最初の映像のお仕事は、村上弘明さん主演の『仮面ライダー(スカイライダー)』(’79~’80年・TBS系)。悪者から風船爆弾を手渡される子どもの役で、富士急ハイランドまでロケに行きました」スーパー戦隊シリーズ(’75年~・テレビ朝日系)や『Gメン75』(’75~’82年・TBS系)など、数多くの人気作に出演した。幼いころから芸能界に身を置いて間近で芸能人を見てきたからだろうか、まわりの同級生のようにアイドルのファンになる感覚は、あまりなかったという。「でも、聖子さんだけは別格。初めて買ったレコードも『青い珊瑚礁』(’80年)で、バレエのチュチュみたいなフリフリの衣装が好きだったから、新曲のリリース時期になると“次はどんな衣装になるんだろう”って楽しみにしていました。歌唱力も抜群で、しゃくりあげるような特徴的な歌い方を、よく誇張してマネしていました(笑)。先日、NHKで松田聖子さんの特集番組が放送されていたんですが、すべての曲を、今でもソラで歌えるほどでした」■泉ピン子さんがくれたアドバイス「本番前にビスケットは食べないほうがいい」聖子が一世を風靡していたころ、小林さんは’80年代を代表するドラマ『おしん』(’83~’84年・NHK)のオーディションを受けていた。「最初にNHKに行ったのは、小4の8月だったと思います。オーディションの序盤は普通に自己紹介したり、隣の人と台本を読み合わせしていくものでしたが、3次審査では、橋田(壽賀子)先生がお書きになった長セリフを全部覚えて、リハーサル室で女優さんと演じるという本格的なもの。何ページにもわたるセリフに『これは無理』と言うのを、母に『ここまできたんだから頑張ろう』となだめられながら、覚えました」最終審査では、選ばれた5人の“おしん候補”が、衣装を着て、髪の毛を結って、メークもした状態で、スタジオでカメラに囲まれながら演技。「それまで出演していたドラマはカメラが1台でしたが、『おしん』では、クレーンカメラなど5台もあって、圧倒されました」数カ月におよぶ厳しい選考をくぐり抜け、初めての主役を射止めたのだった。「撮影は雪深い山形県でスタートしました。地元の人やスタッフの方々がいろいろ気づかってくださるのですが、それでも川は冷たいし、吹雪のシーンは凍えるほどで大変なロケでした」都内に移って夏のシーンを撮影すると、最後はスタジオ収録に。「おなかがすいたときに、母が用意してくれたビスケットを食べていたら、泉ピン子さんが『本番前は、滑舌が悪くなるからビスケットは食べないほうがいいよ』とアドバイスしてくださったのを覚えています」ドラマの反響は驚くほどで“かわいそうなおしんちゃんのために”と、米一俵や現金などがNHKには送られてきたという。「そのお心遣いはありがたいのですが、もちろん、現金などは丁重にお断りして返却されたそうです。役のうえではそうですが、ふだんの私は聖子ちゃんファンの普通の小学生でしたからね」そのことは撮影現場でもよく知られていて、聖子が出演する『レッツゴーヤング』(’74~’86年・NHK)を観覧できるよう、スタッフが手配してくれたこともあった。『おしん』の後に出演した『ランドセルと目玉焼き』(’83年・TBS系)では、劇中で聖子の歌を披露したことも。「弟と家出した私が、『渚のバルコニー』(’82年)を歌いながら、あてもなく線路を歩くシーンがあったんです。タイトルどおりのさわやかな曲で、台本を見たときはうれしかったですね」■対談企画で、聖子ちゃんが打ち明けてくれた秘密小学校高学年になり、アイドル雑誌『平凡』の記者から「誰か対談したい人はいませんか」と企画の依頼があったときには、「聖子ちゃん!」と即答。冒頭のような対談企画が実現したのだ。「聖子ちゃんと遊びたい一心で、取材場所は遊園地などを希望していたんですが、結局、人目につかない新宿御苑でした。『本当は声が低いから、高い声を出すのが大変なの』って話していただいたのを覚えています」聖子の歌はどれも好きだが、とくに印象に残っているのは、小林さんが中学生のころにリリースされた『瑠璃色の地球』(’86年)だ。「“あれ!?これまでの曲とはちょっと違うな”というのが第一印象。バラード調で、それまでのアイドル路線の曲とは異なって、すごく大きなスケール感でした。“こういう曲も歌うんだ”って驚いたんです」“闇の中でも、やがては明るい光が照らしてくれる”“愛の力”など、さまざまな解釈がなされる同曲は、年代を問わず、今でも愛されている。「いちばん歌っていたのは、京都の大学に入って、一人暮らしをしていたとき。ちょうどカラオケボックスが増えてきたころで、大学の友達と集まっては、聖子ちゃんメドレー。私は『瑠璃色の地球』をよく歌っていましたね」最近では復興支援活動で、同曲を披露しているという。「女優の音無美紀子さんが被災地の支援で行っている『歌声喫茶』という活動に参加させていただいているのですが、コロナ禍で思うような活動ができないなか、リモート配信で『瑠璃色の地球』を歌いました。今も変わらず、多くの人を勇気づけ、感動を与えてくれる歌なのではないでしょうか」【PROFILE】小林綾子’72年、東京都生まれ。’83年、NHK連続テレビ小説『おしん』でヒロインの少女時代を演じ、ドラマの空前のヒットとともに脚光を浴びる。’22年は映画『破戒』(7月8日~)、舞台『福田こうへい特別公演~望郷風の流れ旅』(11月11日~)に出演予定
2022年03月27日女優の満島ひかり、俳優の松田龍平が出演する、KDDI「UQ mobile」の新CM「カモの親子」編が、25日より放送される。CMシリーズ「UQUEEN」は、満島が女王様気質の女王様・UQUEEN、松田が執事を演じ、スマホの未来を切り拓くべく奮闘する物語。「カモの親子」編はその最新作となる。「UQUEENは馬車で移動する」と執事のナレーションでCMはスタート。馬車が急に止まり、UQUEENが「何事だ?」と執事に支えられながら様子を見に行くと、そこには道を横断していくカモの親子が。それを確認した執事が「カモの親子ですね」と言うと、UQUEENは突然「私18歳以下だから、UQ応援割で家族全員おトクになるのよね、お母さん」とアテレコを始める。そしてUQUEENから促され、執事は戸惑いながらも「そうよ、その通りよ」「み〜んな20ギガでオトクなの。早くお店に行きましょ」とアテレコに参加するのだが、いつの間にか何事もなかったかのように馬車に戻っていくUQUEEN。それを見て驚きを隠せない執事なのだった。
2022年03月25日昼下がり、都心から少し離れた閑静な高級住宅街にある老舗デパートの地下駐車場に車が止まる。中から現れたのは松田聖子(60)。聖子はブラウンを基調としたチェック柄のコートに身を包み、化粧っ気はない。しかし、その表情はどこか決意に満ちた様子。そして、聖子はしっかりとした足取りで愛娘との思い出が詰まった“聖地”へと歩いていった――。神田沙也加さん(享年35)が突如、この世を去ってからまもなく3カ月。父の神田正輝(71)はMCを務める情報番組『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)への出演を休むことなく気丈に続け、2月5日にはファンが沙也加さんに追悼メッセージを送ることのできるウェブ上の専用ページが開設された。いっぽう聖子は昨年12月21日に札幌で行われた葬儀後に報道陣の前でコメントして以降、一切の芸能活動を休止。しかし、百日忌も迫る3月7日、ついに沈黙を破る。歌手活動を再開するのだ。「聖子さんは公式サイトで昨年12月に中止した東京と大阪でのディナーショーの振替公演を4月と5月に行うことを発表。8日には、6月から5会場で全国ツアーをスタートすることも明らかになりました」(芸能関係者)本誌は聖子が復帰するまでの一部始終を目撃している。1月30日に都内の寺院で営まれた沙也加さんの四十九日法要に聖子は実母の一子さんや神田らと参列。その数日前には、完全個室のサロンで髪を整えていた。そうした道程を経て、復帰を宣言した聖子。活動再開発表と同時に届きはじめたファンクラブの会報誌で、聖子は秘めていた胸中を明かしている。あるファンは言う。■「もう前に進めない…」「会報誌では4ページにわたって、沙也加さんを失ってからの聖子さんの生活や今の率直な気持ちがつづられています。聖子さんには沙也加さんがもういないことを今でも信じられないという気持ちがあり、“もう前に進めない”と思ったこともあったそうです。しかし、沙也加さんとの思い出を振り返っていくうちに、“私が悲しんでいるだけではいけない”と思うようになり、活動再開を決意したといいます。終盤では、ツアーでファンに会えることに対して“こんなにうれしいことはありません”とも書かれていました」長年にわたって聖子を取材し、会報誌も読んだという芸能リポーターの城下尊之さんは、聖子の気持ちをこう分析する。「聖子さんは声が出ないときは喉に直接注射を打ち、コンサート中に暴漢に襲われた後も休むことなくステージに立ち続け、どんな時でも『松田聖子』を完璧に表現してきました。そんな聖子さんでも、今回の沙也加さんの件で紅白出場を辞退し、活動も休止しました。ここ数年少し距離を置いて見守り続けてきたなかで、沙也加さんが亡くなってしまったことは、さすがの聖子さんにも耐えきれず、前を向くまでにこれだけの時間を要したのでしょう」今も深い喪失感を抱えながらふたたび歩き始めた聖子。そんななか、冒頭のシーンを目撃したのは、活動再開を発表する直前の3月上旬の週末。聖子が訪れた老舗デパートは、彼女の芸能生活には欠かせない大切な場所だという。「自宅から近いこともあって、数十年にわたって贔屓にしているデパートで、聖子さんもコンサートのMCで『買い物するなら絶対ここ!』と公言するほど。常に注目を集める聖子さんにとって、ここでの買い物は数少ないリフレッシュできる時間で、行き詰まったときにもよく訪れていたそうです」(前出・芸能関係者)そして、幼い沙也加さんを連れていくこともしばしばあったと、前出の城下さんは言う。「聖子さんは沙也加さんが幼いころからよく2人でこのデパートに行っていたと聞いています。当時、多忙を極めていた聖子さんですが、沙也加さんと買い物している間は、貴重な母娘2人だけの時間だったのではないでしょうか」■「これからは沙也加と一緒に歌っていく」活動再開宣言の直前に思い出が詰まった“母娘の聖地”を訪れた聖子。当時の記憶をたどることに“再出発の誓い”が込められていると、音楽関係者は言う。「会報誌には、歌手としての沙也加さんへの気持ちも書かれています。聖子さんも沙也加さんの透き通ったまっすぐな歌声が大好きだったと明かし、志半ばで歌手活動を終えた沙也加さんの無念に思いをはせています。そして、続ける形で聖子さんは“これからは沙也加と一緒に歌っていく”とつづっていました。活動再開を決断したものの、まだまだ聖子さんの悲しみは癒えておらず、以前と同じように歌えるのかという不安もあると思います。そんななか、発表直前に沙也加さんとかけがえのない時間を過ごしたデパートに行き、在りし日の思い出に触れることで、自らの気持ちを整理していたのではないでしょうか」東日本大震災が起こった’11年の『NHK紅白歌合戦』に沙也加さんと出演し、2人で坂本九さんの『上を向いて歩こう』を披露した聖子。前出の音楽関係者はふたたびの“母娘共演”にこう期待を寄せる。「聖子さんは紅白での共演をとても喜んでおり、またいつか2人で一緒に歌いたいとずっと願っていたといいます。2人でステージに立つことはもうできませんが、今後、聖子さんが沙也加さんの歌っていた曲を自身のコンサートで歌うこともあるのではないでしょうか」思い出のデパートで母娘の永遠の絆を再確認し、ステージに上がる決意を新たにした聖子。10日に還暦を迎え、まさにメモリアルツアーとなる。沙也加さんの思いを乗せた歌声が響き渡る日はすぐそこだ――。
2022年03月16日「聖子さんは常に“松田聖子”なんです。レコーディングの休憩中でもオフモードにならない。決してスイッチを切らないからオーラが醸し出されるのかもしれません。でも、意識して作っている感じはない。自然な振舞いなんです。こちらからすると、富士山の頂上を仰いでいるような気分でしたね」聖子の不変のアイドル性をそう証言するのは、アルバム『Baby’s breath』(’07年)などに携わった、歴代編曲家シングル総売り上げ2位の記録を持つ船山基紀氏(71)だ。3月10日、松田聖子(60)が還暦を迎えた。デビューから現在までアイドルを全うし続ける彼女の原点をたどると「修学旅行撮影禁止事件」や「ウソ泣きの真実」など新証言が次々と飛び出した――。アイドル・松田聖子の誕生には幾多のドラマが重なっていた。’78年4月、「ミス・セブンティーンコンテスト」の九州地区大会で優勝。カセットテープで歌声を聴いたCBS・ソニーの若松宗雄ディレクターは素質にほれ込み、いくつかの芸能事務所に声を掛けたが、色よい返事がもらえない。そこで翌年、若松氏は桜田淳子などを輩出していた「サンミュージック」に写真とカセットテープを持参した。同社の名誉顧問である福田時雄氏(91)が振り返る。■「カセットデッキ持参で単身上京の度胸が気に入った」「相澤秀禎社長(当時)をはじめ5人で歌を聴きました。’80年には中山圭子というアイドルをデビューさせる予定でしたから、大多数の社員が反対した。ところが、音楽ディレクター(月野清人氏)だけは『いい声だから呼ぶだけ呼んでみましょう』と賛成した。あの一言がなかったらウチに入ってないでしょうね。その後に聖子一人で福岡から事務所に乗り込んできた。その度胸も気に入りました」聖子は持参したカセットデッキのボタンを押して歌い、高評価を得る。今度は、福田氏が芸能界入りに猛反対する公務員の父親を口説くため、実家まで飛んだ。「父親は『一人では上京させられない』とかたくなでしたが、『社長の自宅で面倒見ます』と説得したら折れてくれました。不思議なことに、家族が反対するコのほうが芸能人として伸びる。聖子が紅茶を運んできたとき、テーブルに置いた後もお盆を胸に抱いたまま廊下に正座していた。父親が許すまでは絶対に動かなかった。教育が行き届いている家だと感じました」同じころ、サンミュージックの先輩である渋谷哲平(60)は福岡・久留米でサイン会をしていた。その休憩時間に聖子と福田氏が一緒に楽屋を訪ねてきた。渋谷は言う。「福田さんから『今度ウチに入る蒲池法子ちゃんだよ』と紹介され、近くの喫茶店から出前を取った。僕らは紅茶にしたんですけど、聖子さんは確かクリームソーダかパフェを頼んだんです。普通の人だと『私も同じで』と周りに合わせるけど、初対面で堂々と自分の食べたいものを言える。芯のあるコだなとすごく記憶に残りました」事務所入りは決まったが、サンミュージックには「新人は1年に1人」という方針があった。「来年春のデビューは無理だから、高校を卒業したら東京にいらっしゃいと伝えた。なのに、夏休みに出てきちゃったんです」(福田氏)意志の固い聖子は久留米信愛女学院を中退し、独断で上京。2学期からは東京・堀越高校の芸能コースに編入。相澤社長宅に下宿しながら、堀越に通っていた渋谷はくしくも聖子と同級生になった。「僕の部屋に聖子さんが入ることになり、マネージャーと一緒に隣のアパートに引っ越しました。聖子さんは当時中学生の僕の妹と仲よくなり、同じく下宿していたポップコーンという兄妹デュオと4人でよく遊びに出掛けていた。デパート屋上での男性アイドルのサイン会に一緒に行ったりしたそうです。聖子さんは優しくて妹にミニーマウスの人形をプレゼントしてくれたこともありました」高校の修学旅行で北海道に行ったとき、渋谷は“最強アイドル誕生”の瞬間を目撃している。「まだデビューしていないのに、何人もの男子が『蒲池と写真撮りたい!』と大行列を作ったんです。堀越だから芸能人は珍しくないのに騒ぎになるほど人気があった。聖子さんは気さくに応じていました。あまりに人が並んでいたから、先生が『男子と女子が一緒に写真を撮ってはいけない!』と禁止令を出したほどでした」秋にはドラマ『おだいじに』(日本テレビ系)で太川陽介(63)の恋人役をつかみ、芸名の松田聖子で出演。徐々に名前が浸透していく。「『新人は1年に1人』という原則を破ってでも、聖子を早くデビューさせたいという雰囲気も社内に出てきた。それくらい“売れる歌声”を持っていました」(福田氏)デビューが決まってテレビ局や出版社へ挨拶に出掛けるとき、高校3年生の聖子だけでなく、マネージャー陣もPRで学生服を着た。水着のグラビアにも挑戦した。「月刊誌の『平凡』が乗ってくれてデビュー直前に伊豆大島で水着を撮りました。まだ寒い時期だったけど、本人は震えながらも一生懸命やってくれました」(福田氏)だが、その写真はボツに……。「当時の編集者が『砂浜の色がどうもよくない。白い砂浜にしよう』と言って結局千葉でもう一度撮り直したんです。そういうときも聖子は愚痴をこぼさない。すごくやる気があったし、積極的に何にでも挑戦するコだった。さまざまなタレントを見てきましたが、いちばん根性があるコです」(福田氏)(取材・文:岡野誠)
2022年03月10日’80年4月1日、『裸足の季節』でデビューした松田聖子(60)。8月14日には、2枚目の『青い珊瑚礁』で音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)に初ランクイン。札幌でのキャンペーンを終えた聖子は羽田空港で飛行機のタラップを降りて歌唱。そんな衝撃的な生中継も相まって人気が上昇し、9月18日には初の1位に。その2カ月後、日本歌謡大賞で放送音楽新人賞を受賞。『青い珊瑚礁』を歌う途中におえつし、母親がハンカチで聖子の目を拭った。カメラはその顔をアップで捉えたが、涙は流れていないように見え、『ウソ泣き』とたたかれた。聖子はそれさえもプラスに変えた。『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)で121回も共演した、あのねのねの清水国明(71)は、コントでの勘所のよさに感心した。「『ぶりっ子』とか『ウソ泣き』と突っ込んでも、『イヤだ~』とか『涙出てますよ~』といいリアクションをしてくれました。魚の“ぶり”の被り物もしてくれたし、すでに、求められる自分の役回りをわかっていたんですね。なんでもやってくれるので助かりました。コントでは思いっきり緩い部分を見せてくれるけど、歌ではきちんとカメラ目線で決める。そのギャップがすばらしかった」天性のアイドルである聖子は、研究熱心な一面も。当時、頻繁に撮影していたカメラマン・YAHIMONときはる氏が回顧する。「どんな写真が撮れたか確認してもらうため、アイドルにはポラロイドを見せていました。ほかの人はその場でチラッと目にするだけですが、聖子さんは『いただけますか?』と欲しがるんです。今考えると、家で自分の表情を研究していたのかもしれません。努力を惜しまない天性のアイドルですね」歌唱力も兼ね備えていた。編曲家の船山基紀氏はこう評する。「アイドルという立ち位置だと、速いテンポで曲を押していって、聴き手に『歌っている』と感じさせる必要があります。でも聖子さんは伸びのある声でじっくり歌を聴かせられるので、ミディアムテンポでも曲を作れる。幅広くいい歌を引き寄せる実力がありました」■「年齢関係なく、光り輝く存在がアイドル」歌唱力の高さと楽曲のよさはLPの売り上げにも表れた。ほかのアイドルが1ケタにとどまるなか、聖子は常時30万枚前後を記録。’82年1月に松任谷由実(ペンネーム・呉田軽穂)作曲の『赤いスイートピー』を発売すると、同性からの支持も得るようになった。「あの曲以降、女性ファンが増え、コンサートの観客の男女比は半々くらいになっていきました。歌の力ってすごいですよ」(サンミュージック名誉顧問・福田時雄氏)当時、アイドルは通過点と捉えられ、一生続けることは不可能だと思われていた。だが、聖子は21歳で新たな価値観を話していた。《25才でも30才でも、みんなに愛され、光り輝いている存在、それがアイドルだと私はとらえているのね。だから、歌っている間はアイドルでいたい》(『女性セブン』’84年2月2日号)先輩の渋谷哲平は「当時のアイドルの寿命は2〜3年だった」と語る。「僕はアイドルと呼ばれることを心のどこかで拒絶していたし、20歳過ぎたらアイドルではないと思っていました。聖子さんは当時、ブリっ子と言われていましたけど、媚びを売ってる風情は全くなかった。アイドルが天職だと思います」’85年6月に神田正輝(71)と結婚し、翌年に長女・沙也加さんを出産。聖子人気は衰えず、オリコンの連続1位記録を更新し“ママドル”という新しい概念を作った。前出の清水国明も言う。「年齢を重ねると、芸能人は今までの自分からの脱皮を試みる。すると、逆にいい面が消えてしまう。聖子ちゃんは自分の役割をわかっていてアイドルでいることを辞めない。現実世界と並行して、松田聖子の世界というパラレルワールドを生きているんじゃないかな」■「スタジオに入ったら音楽に集中して余計な話はしない」30歳のときからセルフプロデュースを始めた聖子は、4年後の’96年に『あなたに逢いたくて~Missing You~』で8年ぶりのオリコン1位で初のミリオンセラーを記録。作詞家、作曲家としても評価された。前出・船山氏は言う。「ファンの求める松田聖子像や自分の世界観をわかっていて、それに合う音楽を書ける。デビューのころからいろんな曲を歌ってきたことで、自分の気持ちいいメロディや言葉が体内に蓄積されたのだと思います。だから自然と聖子さんの世界ができあがるんでしょう」聖子が45歳のころ、船山氏はシングル2枚とアルバムに携わった。何度会っても、いい意味での緊張感が保たれていたという。「聖子さんはスタジオに入ったら音楽に集中して余計な話はしない。僕が勝手に感じているだけかもしれないけど、気やすく声を掛けてはいけないような特別な存在感がありました。芸能界の頂上にいる別格の雰囲気を持っています」’17年、全米リリースの『SEIKO JAZZ』はアメリカの最大手配信サイトでベストセラー部門4位の快挙を達成。聖子はアーティストとしても成功を収める一方で、今もアイドル性はまったく色あせない。希代のアイドルには十分な休息を取ってもらい、心身が回復したらステージに立ってほしい。誰もが天使の歌声を待っている――。(取材・文:岡野誠)
2022年03月10日「コロナ禍もあって、松田聖子さん(59)は沙也加さんの所属事務所社長でもある実兄と相談し、お別れの会を行わないことを決めたといいます。その代わりにウェブ上で沙也加さんにメッセージを送ることができる専用ページを開設したのです。すでに相当数のメッセージが届いており、聖子さんも定期的に目を通しているといいます」(音楽関係者)神田沙也加さん(享年35)への思いを届ける専用ページが開設されてから1カ月。実はもう一つ沙也加さんへのメッセージが届いている場所がある。沙也加さんのインスタグラムだ。生前、最後の投稿となった昨年11月18日のものには、次のような言葉が並んでいる。《さやちゃん入試頑張ってくるね!!さやちゃんのお陰で辛いことも頑張れた》《忘れたことなんてないですこれからもずっと思い続けるね》《さやちゃんの笑顔で今を生かされてる気がしています。笑顔をありがとう》「沙也加さんの死後、インスタには思いをつづるファンのコメントが殺到。日に日に増え続け、3月4日時点でコメント数は3千件を超え、いいね!の数は5万2千件にのぼっています」(芸能関係者)訃報から数カ月たった今も途切れぬファンの沙也加さんへの愛。喪失と向き合う聖子のことも救っているようだ。「聖子さんはインスタのコメント欄もよく見ているそうで、5万人もの人がいいね!を押してくれたことに感謝しているそうです。また専用ページとともに、ファンがつづった娘へのコメントを見ることで、聖子さんも励まされているといいます」(聖子の知人)聖子を癒すインスタのコメント。日本グリーフ専門士協会代表理事で公認心理師の井手敏郎氏は、故人が遺したSNSについて「見るのが辛くて閉じてしまう人もいる」としながら、こう解説する。「亡くなった方のSNSを“閉じられない”という感覚の遺族の方がむしろ多くいます。デジタル遺品を扱う難しさもありますが、それ以上に肉体に加えて、子供が遺したSNSまでなくなったら、生きた証まで失われてしまうという気持ちがあるからでしょう。亡くなった方の生前の頑張りに触れられる場所は遺族の支えになると思います。聖子さんも沙也加さんへのメッセージを見て、“こんなに応援されていたんだ”と自分の知らなかったことに触れることで、癒されていくのではないでしょうか」前出の知人は言う。「聖子さんは今後も沙也加さんのインスタを閉鎖する考えはないそうです」5万人以上の沙也加さんへの愛を胸に、聖子はまた前を向く。
2022年03月04日女優の満島ひかり、俳優の松田龍平が出演する、KDDI「UQ mobile」の新CM「合唱団」編が、25日より放送される。CMシリーズ「UQUEEN」は、満島が女王様気質の女王様・UQUEEN、松田が執事を演じ、スマホの未来を切り拓くべく奮闘する物語。「合唱団」編はその最新作となる。若者への応援歌を歌う合唱団と、幸せそうに指揮するUQUEEN。そんな彼女に「若者への応援歌もいいですが、スマホ代を払う家族にもオトクな割引にすべきです!」と執事が訴える。それを聞いたUQUEENは、指揮の手を止めず得意げに「UQ応援割は、若者もその家族も20ギガでオトクだが?」と回答。執事が「え?」と驚くと、UQUEENは「知らなかったとは言わせないぞ」と圧をかける。それに対し、口笛を吹いてごまかす執事。最後は、UQUEENに指揮棒でくるくると踊らされ、「ワー!」とおどけるのだった。
2022年02月25日福本莉子と松田元太(Travis Japan/ジャニーズJr.)がW主演する号泣タイムリープ・ラブストーリー『君が落とした青空』。この度、松田さん演じる篠原修弥の場面写真が公開された。修弥は、サッカーが得意な学校の人気者で主人公・実結(福本さん)の彼氏。“毎月1日は何があっても一緒に映画を観に行く”と決めていた実結と修弥。到着した場面写真は、そんな放課後デートが待ちきれない修弥が、昼休みに約束を確認しに行く場面だ。教室では、親友・佐喜子(莉子)や佑人(板垣瑞生)とお弁当を食べている実結の楽し気な姿があり、つい頬が緩む修弥。そして、気づいた実結に笑顔で手を振って声をかける。優しい眼差しが、実結への確かな想いを感じさせる1枚となっている。『君が落とした青空』は2月18日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開。(cinemacafe.net)■関連作品:君が落とした青空 2022年2月18日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開©2022映画『君が落とした青空』製作委員会
2022年02月19日1月下旬の夕暮れ時、都内の閑静な高級住宅街に止まった一台の車。運転手がドアを開け、静かに姿を現したのは松田聖子(59)。聖子は洋館を思わせる一軒家の玄関前で足を止めると、出迎えに現れた小じゃれた風貌の男性とともに家へと入っていく。その表情は愛娘の位牌を抱いていたときより、どこか落ち着いたようにも見えた――。神田沙也加さん(享年35)の訃報から、1カ月半。近しい人々は少しずつ悲しみの淵から立ち上がろうとしていた。「父親の神田正輝さん(71)は、沙也加さんの死後も司会を務めるレギュラー番組に一度も休むことなく出演し続けています。’19年に離婚した元夫の村田充さん(44)も沙也加さんが飼っていた愛犬を引き取り、自宅でともに生活する様子をSNSで定期的に投稿しています」(芸能関係者)しかし、神田とともに参列した昨年12月21日の葬儀後、聖子は一切の消息を絶っている。「今年は還暦を迎えるので、大規模なツアーも計画していたそうですが、それも一旦白紙になったそうです。ふさぎがちになり、自宅からほぼ出ずに生活しているといいます」(音楽関係者)不仲説が報じられたこともあったが、傍目からはうかがい知れない強い絆で結ばれていた母と娘だけに聖子の喪失感は計り知れない。そんななか、本誌が目撃した冒頭の聖子の外出。この日、聖子が訪れたのは知る人ぞ知る美容室だった。「カリスマ美容師が顧客と一対一で向き合う完全予約制のプライベートサロンです。顧客がリラックスできることに徹底してこだわり、定休日や営業時間も定めず、時間をかけて丁寧に施術することで知られています。ほかの客が居合わせることもないので、芸能人で通っている人も多数いると聞いています」(美容関係者)約2時間後の午後8時過ぎ、美容師に見送られながら一軒家をあとにした聖子は車に乗り込み、帰路についた。個室サロンでひと時の休息を満喫した聖子。聖子に訪れた心境の変化について知人は言う。「まもなく沙也加さんは四十九日を迎えます。法要を行うかは聞いていませんが、しばらく自分の身なりを気にする心の余裕もなかった聖子さんとしては、一つの“節目”を前に髪を整えることで、少しずつ前に進もうとしているのではないでしょうか」◆前を向き始めた聖子を、家族もそばで優しく見守っている。神奈川県の大学病院で教授を務める夫のK氏は多忙な業務のかたわら真摯に妻を支えているようだ。「Kさんも沙也加さんと親交があっただけに相当ショックを受けたそうですが、“自分が落ち込んではいられない”と考えているそうです。出勤する回数を可能な限り減らして、自宅で聖子さんのメンタル面のケアをしていると聞いています」(K氏の知人)そして、最もそばで聖子を気遣っているのが89歳になる同居実母の一子さんだという。「昨年6月ごろから聖子さんは自宅の建て直し工事を始めており、隣接するもう一軒の自宅で生活する聖子さんの身の回りの世話を一子さんがしているそうです。近年、一子さんが体調を崩すことが増えたこともあって、聖子さんは少しでも一子さんが暮らしやすいようにと、建て直しを決意したといいます。沙也加さんの死後、憔悴してほとんど外出できない聖子さんに代わって、一子さんが買い物に出かけることも多く、聖子さんの好きなバタークリームケーキを注文したこともあるそうです」(前出・聖子の知人)献身的に聖子を支える一子さんだが、娘との関係はずっと順風満帆だったわけではない。「聖子さんが’12年にKさんと再婚する際、一子さんは当時“愛人”と報じられていた男性マネージャーとの関係を清算するよう、聖子さんに忠告しました。しかし、聖子さんは聞く耳を持たず、一子さんが役員を務めていた当時の所属事務所『ファンティック』を飛び出し、新事務所も設立。当時、一子さんは聖子さんの自宅で生活していましたが、同居を解消。親子関係が断絶したのです」(前出・芸能関係者)そんな2人に雪解けが訪れたのは4年ほど前。「一子さんが’18年3月に年齢のことも考え『ファンティック』の役員を退任。そんな一子さんの姿を見た聖子さんは『私が母の終活を支える』と、ふたたび自宅に一子さんを呼び寄せ、同居を再開したのです」(前出・芸能関係者)’18年8月、本誌の取材に対して一子さんはこう語っていた。「私を娘はいつも心配して『そばにいないと何があるかわからないから、1人でいたらダメ!』って言ってくれて。だから全然、(母娘の仲は)大丈夫なんですよ」断絶を乗り越え、母の人生と向き合った聖子。今度は一子さんが聖子が発する“心のSOS”に応えていると前出の知人は語る。「沙也加さんと聖子さんと3人で生活していた時期も長かった一子さんは、2人のことを誰よりもそばで見ています。それだけに、娘を失って今まで見たことないほど落ち込んでいる聖子さんのつらさも痛いほどわかるのでしょう。高齢の一子さんを心配する聖子さんの呼びかけで再開した二世帯同居ですが、一子さんは“今度は私が聖子を助ける番”と考えているそうです。また一子さんは聖子さんのいちばんのファンでもあります。聖子さんが少しでも前向きに還暦を迎え、歌手活動を再開できるためにも、できることを精いっぱいしているのではないでしょうか」母の“逆介助”を力に、聖子は少しずつまた歩き始める――。
2022年02月01日ミュージカル『ボディガード』に出演する、新妻聖子さんにお話を伺いました。一昨年、大阪で初日の幕が開いてすぐコロナ禍の影響で、わずか5回の公演で中止となったミュージカル『ボディガード』。2年の時を経て、このたびようやく再上演が決まった。「私が出演できたのはわずか2回。状況は理解していましたけれどやり切れない想いがあり、本来迎えるはずの東京公演初日には涙が堰を切ったように溢れて、私はそんなにやりたかったんだなぁって思いました」じつは新妻さんの出産後のミュージカル本格復帰となるはずだった。「育児も舞台もどちらも諦めたくなくて、子供を寝かしつけてから歌詞やセリフを覚えて、振りを練習したりしていたんです。これまで常に悔いのない人生だと思ってきましたが、この公演をもう一度やり遂げるまでは死ねないと初めて思いました」原作映画でも印象的に使われたホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」は劇中でも披露される。「この作品は翻訳も素晴らしくて、ひと言ひと言、お客様が登場人物に感情移入できる言葉を、日本語の微妙な機微も加味しつつ選びながら、ホイットニーの原曲の持つR&Bのグルーヴ感もちゃんと活かせるようになっているんです。これまで自分のコンサートでも何度も歌っている楽曲でしたが、レイチェルとして生きながら歌っていると、これまでまったく感じたことのない感情が湧き上がってくる。他の楽曲も含め、この作品を通じて数々の名曲と出合い直すことができました。今再び作品と向き合うなかで、新たに表現したいことも泉のように溢れて溢れて…早く演じたくて仕方ない(笑)」先日のFNS歌謡祭でも、圧倒的な歌唱力とパワフルな歌声を披露してくれた新妻さん。「ずっと歌手志望でしたが、なかなかそこに繋がるご縁がなく、一度その夢を諦めかけた私を拾ってくれたのがミュージカル界でした。出合えていなかったら私は絶対に今ここにいないと思うので、一番感謝しているし帰ってくる場所でもある。この作品はミュージカルの中でもわかりやすく楽しめる作品ですし、新しくミュージカルに出合ってくださる方がひとりでも増えたら嬉しいです」ミュージカル『ボディガード』世界的に活躍する歌手で女優のレイチェル(柚希、新妻、May J.)の元に頻繁に届く脅迫状。彼女の身を案じ、ボディガード・フランク(大谷)が雇われるが…。1月21日(金)~31日(月)大阪・梅田芸術劇場メインホール2月8日(火)~19日(土)東京・東京国際フォーラム ホールC演出・振付/ジョシュア・ベルガッセ出演/柚希礼音、新妻聖子、May J.(トリプルキャスト)、大谷亮平ほかS席1万3500円A席9500円B席5500円ほか梅田芸術劇場・大阪 TEL:06・6377・3800東京 TEL:0570・077・039(共に10:00~18:00)にいづま・せいこ1980年10月8日生まれ、愛知県出身。『王様のブランチ』リポーターを経て2003年にミュージカル『レ・ミゼラブル』で注目される。近作に『王家の紋章』など。ブラウス¥47,300スカート¥53,900(共にエリザベッタ フランキ/エスケーシー TEL:06・6245・3171)※『anan』2022年1月26日号より。写真・土佐麻理子スタイリスト・小堂真里ヘア&メイク・丹羽寛和インタビュー、文・望月リサ(by anan編集部)
2022年01月25日「沙也加さんが亡くなってから1カ月、聖子さんは今も憔悴しきっています。一部では花を飾った祭壇で、沙也加さんに語りかける日々を送っているとも伝えられました」(芸能関係者)昨年12月18日、仕事で訪れた札幌市内のホテルから転落死した神田沙也加さん(享年35)。突然の訃報に日本中が悲しみに覆われたが、愛娘を失った母・松田聖子(59)の心痛は計り知れない。「沙也加さんの急逝を受けて、開催予定だった5件のディナーショーが中止になりました。『第72回NHK紅白歌合戦』も、出場の方向でギリギリまで話が進んでいたものの辞退。聖子さん自身が、『今は歌えない……』と漏らしたそうです」(前出・芸能関係者)悲嘆に暮れる聖子。今年3月で満60歳となる。「聖子さんは一昨年、デビュー40周年を記念した全国ツアーが予定されていたものの、コロナ禍で全ての公演が延期に。そして去年、なんとか40周年を記念したコンサートツアーの開催にこぎ着けました。今年も還暦の節目に大々的なツアーを計画していましたが、現状は全て休止になりました。聖子さんは本来、新しいことに意欲的です。デビュー40周年の際には、ホラー映画の監督業に挑戦。還暦では新譜でファンを驚かせたいと考えていたそうです。しかしこちらも事実上ストップしているといいます」(音楽関係者)昨年10月、『news23』(TBS系)に出演し、「デビューから41年間、変わらず“歌を歌えること”に幸せを感じている」と語っていた聖子。彼女が再び歌う日は訪れるのだろうかーー。「実は昨年末中止となったディナーショーを、今夏に再び開催する構想があるそうです。それが活動再開の場となるでしょう。常に支え続けてくれた多くのファンの目の前で歌うことから再出発するのが、歌手としての自分の責務だと考えているのです。聖子さんは、以前『ファンのみんなの前で歌うとエネルギーをもらえる』とも語っていました。夏のディナーショーでファンと万全の状態で再会するため、最低半年は心身を休ませ、鎮魂の期間にあてたいと考えているそうです」(前出・音楽関係者)心に大きな穴があいた聖子。しかしどんなときでも歌とファンが、彼女を支えているーー。
2022年01月19日「斎場で悲しみの対面をした聖子さんは、眠っているような沙也加さんの表情に嗚咽していたそうです」(音楽関係者)昨年12月18日深夜、神田沙也加さん(享年35)が公演で訪れていた札幌市内のホテルから転落死した。50センチに達する大雪が降り積もった日だった。3日後の21日夕方、愛娘の位牌を胸に札幌市内の斎場で会見を行った母・松田聖子(59)と父親の神田正輝(71)。顔面蒼白の聖子は、集まった報道陣を前に、こう声をふり絞った。「本当にみなさまお寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」2人は、その日のうちに別々の便で東京に戻ってきた。スタッフの先導で先に飛行機を降りてきたのは、聖子の母親だった。うなだれた様子がその失意を物語っている。その後ろに聖子が続いていた。聖子もまた茫然とした表情だった。その胸には濃紺の布で包まれた娘の遺骨が抱えられていた――。これまで聖子と沙也加さんは幾度となく確執が伝えられてきた。だが、2人は心底では固くつながっていたという。デビュー当時の聖子と仕事をしていたカメラマン・YAHIMONときはる氏は証言する。「沙也加さんが17年12月の舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』に出演したときのことでした。別の女優さんの楽屋で私自身が9年間、実母と会っていないと話をしてから、その女優さんの後押しもあり、面識のある沙也加さんの楽屋にご挨拶に行ったんです。沙也加さんからは神妙な顔で、『ちょっと聞こえちゃったんで申し訳ないんですけど……子供に会うのを嫌がる母親なんて絶対にいません!』と言われたんです」沙也加さんは同年5月に村田充(44)と結婚。母娘不仲説が報じられていた時期で、YAHIMON氏は彼女の発言に驚いたという。「その翌日、私は母に会いに行き、3カ月後に母は他界しました。沙也加さんの励ましがなければ、私は母とは会えていませんでした」■「母親が、私を一番愛してくれている」翌年、同舞台の愛知公演に出演していた沙也加さんに感謝を伝えに行くと、こう言われたという。「私、生意気言っちゃってごめんなさい。私も母の“有名税”にずっと悩んでたりしていたんですけど、やっぱり母親が一番つらいって思うようになって……。産んでくれた母親が私を一番愛してくれているから、その真実があれば悪く書かれても仕方ないかなって。だからあんなこと言っちゃったんです……」そんな娘の思いは聖子にも伝わっていたのだろう。空港でも聖子は遺骨を両手で愛おしそうに抱えていた。前出の音楽関係者は言う。「聖子さんは愛娘を突然失った余りの悲しみに、自宅で遺骨をしばらく保管しておくのでしょう。かねて聖子さんは霊感が強く、信心深い方ですから、娘さんのお墓をどうするか熟慮しているといいます」聖子の父の葬儀は一家のルーツでもある福岡県柳川市の菩提寺で執り行われたという。「蒲池家は江戸時代、柳川藩の系譜を継ぐ由緒ある家系で、この菩提寺の創建者でもあったといいます」(地元紙記者)だが、前出の音楽関係者は言う。「ただ、福岡となると東京とは距離があり、日常的に墓参できなくなってしまいます。また、沙也加さんの成人後に再婚した今の旦那さんのお墓に入れる可能性は限りなく低いでしょう。父親の神田さんの実家のお墓に入れた場合は聖子さんは一緒にお墓に入れなくなってしまいます」■神田の母が眠る寺の関係者は「(納骨は)こちらではない」と…東京都新宿区内にある名刹には神田の母で女優の旭輝子さん(享年77)が眠っている。同寺の関係者は、沙也加さんの遺骨がここに入る話は聞いていないと話す。「沙也加さんのことはショックですし、私たちも心配しています。ただ今回のことで神田さんからこちらに連絡はありません。(納骨は)こちらのお墓ではないと思います。神田さんをお見かけしたのは2年ほど前ですが、連絡をいただくこともありますし、定期的に来てくださっているようです。神田さんはしっかりお墓を守っています」前出の音楽関係者は続ける。「そういう事情も踏まえ、沙也加さんのお墓を新たに造ることも選択肢に入っているようです」終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡さんは、わが子に先立たれた親の心理をこう指摘する。「お子さんを先に亡くされた場合、気持ち的にすぐに納骨しないことが多いので、しばらくは手元に置くと思われます。ただ、新たに沙也加さんのお墓を造るということは十分考えられます。今は昔と違い、実家のお墓に入る決まりはありません。沙也加さんのお墓を造っておいて、後から聖子さんがそこに入るという形もできます。聖子さんからしたら、娘さんと一緒のお墓に入りたい希望はあるかと思います」父親の神田と分骨する可能性もあるという。「親である聖子さんには『何もしてやれなかった、何もできなかった』という後悔があると思います。だからお墓という形で、少しでも何か良くしてあげたいという気持ちは強いはずです。通える場所にお墓を用意することが、娘にとってもいいと考えるのではないでしょうか」昨年12月18日のディナーショーを最後にステージから下りた聖子は『紅白』出場も辞退した。「当面はライブやメディア出演を一切予定していないと聞いています」(映像関係者)前出のYAHIMON氏も言う。「私の師匠で、聖子さんもお世話になったカメラマンが亡くなったときも事務所関係者が『彼女は悲報を聞くと、絶対に影響が出る』と話していました。聖子さんは非常に繊細な方ですので、しばらくお休みすると思います」愛娘のために自分は今、何ができるのか――。光を求めて、聖子の涙の奔走は続く。
2022年01月05日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代から憧れている人の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「ダイアナさんは、世界でさまざまな慈善活動をされており、地雷撤去現場でのヘルメット姿の写真からは“ロイヤルファミリーである前に、地球上の一人の人間なのだ”というスタンスが感じられました。環境問題に関心があり、地球サミットなどにも参加した私も、大きく影響を受けました」こう語るのは、早見優さん(55)。ダイアナ元妃が結婚する’81年、生活拠点だったハワイで、芸能界入りするチャンスが訪れたという。「日系百貨店に母と買い物に行ったとき、エレベーターで『ハワイでモデルをやらないか』とスカウトされたんです」早見さんの写真は海を渡り、当時、松田聖子が所属していた芸能事務所の社長の元へ。「すぐにコンタクトがあって『うちの事務所には聖子ちゃんもいるんだよ』と説得されたんです。でも、当時のハワイでは、日本の番組の放送は限られていて、5年くらい前のドラマがやっと見られたくらい。デビューしたての聖子さんやたのきんトリオさんのことは知らなかったんです」そんな状況にもかかわらず、スカウトされて2カ月後には単身で来日、3カ月後には『ヤンヤン歌うスタジオ』(’77〜’87年・テレビ東京ほか)のミニドラマのコーナーに、マッチの妹役で出演した。「もう、わけがわからないまま、流れに身を任せるしかありませんでした」学校に通いながらレッスンを受け『急いで!初恋』(’82年)で歌手デビュー。同期は中森明菜、堀ちえみ、松本伊代、三田寛子などそうそうたる顔ぶれだ。「周りの大人のなかには『ライバルなんだから、あんまり仲よくするもんじゃない』という人もいましたが、みんな仲よし。というのも、『夜のヒットスタジオ』(’68〜’90年・フジテレビ系)、『カックラキン大放送!!』(’75〜’86年・日本テレビ系)、『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)や、アイドル雑誌の撮影など、いろんなお仕事の現場で、毎日のように同期と顔を合わせますからね。楽屋も大部屋で、鏡の向こうには明菜ちゃんがいて、横には(石川)秀美ちゃんがいるという感じでした」■生放送で起こった、忘れられないハプニング大きな転機は、コカ・コーラのCMソングに抜擢された『夏色のナンシー』(’83年)だ。「5枚目のシングルで、はじめてオリコンランキングにチャートインして、一気に仕事が増えました」新曲のプロモーションで中国地方へ行ったときには、事前に準備していたサインでは間に合わないほどの人が集まった。「2時間くらい、ずっと握手していたのを覚えています。その後、タクシーで移動しているとき、ラジオで『夏色のナンシー』が流れ、年配の運転手さんから『これ、あんたの曲だろ。ヒットするんじゃないの』と声をかけられたんです。ファンばかりでなく、幅広く知ってもらえるようになったのが、うれしかったです」“売れて忙しくなる”一方で、芸能界の厳しさを思い知ることにもなる。「『夏色のナンシー』が売れてからは、雑誌の取材でも『今回はカラーページだよ』と待遇ががらりと変わって、うれしい半面、子どもながらにショックでもありました」ちょうどその時期、今でも忘れられないハプニングがあった。「『夏色のナンシー』で、何週か続けて『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)に出演したときのこと。私の前にYMOさんとサザンオールスターズさんが登場する予定だったんです」その2組とも中継の予定だったが、うまくスタジオとつながらず、急きょ、早見さんの出番が回ってきたという。「楽屋のモニターを見て、聖子さんが『あれ、中継、飛んでるよ。このあと優ちゃんじゃない?』といち早く気づいてくれたんです。それで、背中のファスナーを聖子さんに上げてもらったりしながら、急いで衣装を着たのですが、司会の黒柳徹子さんの最初の呼びかけには全然間に合わず……。鏡張りのドアが3回くらい空で回って、ようやくスタジオに出られたんですが、それからも、すでに歌い終わってソファに座っていたちえみちゃんが、外れていた私のサンダルのストラップをつけてくれたり、黒柳さんには『あなた、口紅つけなくても大丈夫なの?』って聞かれたり、大慌てで、歌はボロボロでした」そんな生放送でのハプニングも、貴重な経験の一つとして、次々に仕事をこなしていった。「1日の睡眠時間は4時間。ご飯を食べる時間もないから、マネージャーさんが気を利かせて、雑誌の取材場所を喫茶店にしてくれたりするんです。それで、ピラフを注文してみるんですが、取材を受けながらでは食べられないじゃないですか。けっきょく、話をしながら口に運びやすく、しかもおなかもいっぱいになるクリームソーダばかりを頼んでいました」■白血病で亡くなった本田美奈子.さんとの交友大学に入学し、バブル景気が絶頂期へと向かうさなかの’86年、ダイアナ妃(当時)が来日。“ダイアナ・フィーバー”が巻き起こった。「ダイアナさんのヘアスタイルやファッションが、雑誌でも大きく取り上げられましたよね。私、29歳のときに結婚したのですが、その直前に、ある番組でイギリスに行くことになり、ダイアナさんのウエディングドレスをデザインしたエリザベス・エマニュエルさんを取材するチャンスをもらえて。『じつは私、もうすぐ結婚式を挙げるんです』と伝えると、『じゃあ、私がデザインするわよ』と、素敵なドレスを作ってくださったんです」なにより感銘を受けたのは、がんやエイズ施設の支援など、ダイアナ元妃の慈善活動。その思いは、白血病を患い、38歳という若さでこの世を去った、本田美奈子.さんのチャリティ団体「LIVE FOR LIFE」への協力にも通じているという。「長い間、この団体のイベントで司会を務めています。美奈子ちゃんとは『レ・ミゼラブル』(’97年)で、約3年間、一緒に地方公演をまわっていたんです。楽屋はいつも隣同士で、よく美奈子ちゃんの楽屋に、差し入れのお菓子を食べに遊びに行きました」’21年11月、本田さんが生前に残していた「地球へ」という散文をベースに、半崎美子さんが作詞・作曲。その英訳と歌を、環境問題に関心が高く、本田さんと交流があった早見さんが担当することに。「海外にいる長女、次女にもリモートで参加してもらったのは、次世代につないでいかなければならない環境問題がテーマだからです」未来の子どもたちや地球環境のためにーー。ダイアナ元妃や本田美奈子.さんの思いを、早見さんは今後も伝えていくという。
2021年12月28日「きれいなものを見たときは“きれいね”とか、おいしいものを食べたら“おいしかったわね”とか、お腹の赤ちゃんに話しかけるようにしているんです」‘86年5月、妊娠中の松田聖子(59)は会見でこう語っていた。この“赤ちゃん”こそ、今月18日に急逝した神田沙也加さん(享年35)だ。聖子は’85年4月に神田正輝(71)と結婚し、‘86年10月に沙也加さんを出産した。冒頭のように沙也加さんは生まれる前からメディアで注目を浴び、“日本一有名な赤ちゃん”として知られることに。そして沙也加さんは成長するにつれ、聖子との“友達母娘ぶり”も報じられていった。’03年10月、聖子の友人である編集プロダクションの社長は本誌で沙也加さんの幼少期を回想。母娘が「アンパンマンの顔の形にパンを焼いてキャーキャー言っていた」と“仲良しエピソード”を明かしていた。「沙也加さんは’92年、6歳で聖子さんとクリスマスソングのレコーディングに参加。さらに’00年11月に発売された聖子さんのアルバムにも再び参加しています。当時14歳でした」(スポーツ紙記者)そして沙也加さんは’01年5月にSAYAKAとして正式デビュー。’02年5月には歌手デビューも果たした。二人の距離はさらに密になり、聖子は’04年7月の『うたばん』(TBS系)で「SAYAKAは親友」と語っていた。■泣き崩れそうな聖子を支えた沙也加さん沙也加さんは’05年5月、18歳でSAYAKAとしての活動を休止した。その翌月に行われたコンサートで、聖子は沙也加さんをこう慮っていた。「わたしも同じ年のころに九州から東京へ歌手になるために出てきました。ですから、私は彼女の意思を尊重して応援していきたいと思います」その後、沙也加さんは’06年9月に本名の神田沙也加で再デビューし、舞台女優という道を選んだ。’08年7月には「沙也加さんが一人暮らしを始めた」と本誌は報じている。聖子は’09年3月、『婦人公論』でこう語っている。「私のほうが彼女から教わったり、助けてもらうことが多いんですよ。若い人の情報を教えてくれたり、洋服を買ってきてくれたり。すごくお世話してもらってます(笑)」また沙也加さんが、聖子の悲しみに寄り添うこともあった。’13年5月、聖子にとって“芸能界の父”であるサンミュージックプロダクションの創業者・相澤秀禎さん(享年83)の通夜に聖子は沙也加さんと共に参列。棺に向かって涙ながらに感謝の言葉を述べる聖子の横で、沙也加さんは崩れそうな彼女を支えていた――。『日刊スポーツ』によると、聖子は沙也加さんの急逝に憔悴しているという。沙也加さんを失ったその思いは、計り知れない。
2021年12月27日2021年12月19日に報じられ、あまりにも突然の別れに多くの人が衝撃を受けた、俳優の神田沙也加さんの逝去。俳優の神田正輝さんと歌手の松田聖子さんの間に生まれた神田さんは、高い実力で俳優や声優、歌手として、幅広く活動をしていました。神田さんが亡くなった経緯については、同月22日現在も警察が捜査中です。有吉弘行、神田正輝&松田聖子に突撃するマスコミに怒り同月21日、神田さんの葬儀が札幌市内で行われたことが報じられました。報道では、神田さんの両親である正輝さんと松田さんの元にマスコミが押し寄せ、質問を投げかける場面も。遺族への配慮に欠けたマスコミの行動を受け、ネットでは、同月19日にお笑いタレントの有吉弘行さんが発した言葉が話題になっています。看板番組であるラジオ『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で、有吉さんは今後の展開を予想し、このようにコメントをしていました。神田沙也加ちゃんが亡くなったっていってね、そんで聖子ちゃん…お母さんの所とか、神田正輝さん…お父さんの所とかに、じゃんじゃんじゃんじゃん(マスコミが)行くわけじゃない。「今どんな気持ちか分かるでしょ、あんたたち」っていう。「どういう気持ちですか?」つって、「お前が自分の子供亡くしたのと同じ気持ちだよ、バカヤロー」って話だからね。有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERーより引用過去にも著名人が不幸に見舞われた際、心ない質問を投げかけていたことから、今回も同じことが起こるであろうと予測した有吉さん。当たり前ですが、芸能人も1人の人間であり、1人の親です。我が子を突然亡くした悲しみと衝撃は、計り知れません。そんな中、見知らぬ多くの人に囲まれてコメントを求められたり、質問に答えたりするのはさらに精神がすり減るでしょう。有吉さんの言葉はネットで拡散され、多くの人から共感する声が上がっています。・正論ですね。有吉さんの、こうやって物事をハッキリというところが好き。・他人を傷付けるような質問なんて、視聴者は求めてないよ。やめてあげてほしい。・本当にその通りだよ…。我が子を亡くした悲しみを、言葉になんてできるはずがない。松田さんは大晦日に歌番組『NHK紅白歌合戦』(NHK)の出演が決まっているため、より一層心配する人が多いようです。ほとんどの人が、「今は心身ともに休んでほしい」と願っているに違いありません。[文・構成/grape編集部]
2021年12月22日「本当にみなさん、お寒い中、申し訳ありませんでした。ありがとうございます」12月21日、涙を堪えながらこう声を絞り出したのは松田聖子(59)。同日、札幌市内の斎場で一人娘の神田沙也加さん(享年35)に最後の別れを告げた。その後、元夫の神田正輝(71)と揃って記者会見に臨んだのだった。「聖子さんは沙也加さんの訃報を知った際、人目もはばからず号泣したと聞いています。予定されていたディナーショーは全て中止となり、紅白歌合戦の曲目は未定とされました。気丈に会見に臨まれましたが、今は人前に立てるような精神状態ではないはず。ご両親の深い悲しみは計り知れません……」(スポーツ紙記者)沙也加さんは正輝と聖子という芸能界きってのスター同士の子とあり、聖子の妊娠当時から大いに注目を集めていた。聖子は安定期に入った’86年6月、『さんまのまんま』(関西テレビ)に出演し、明石家さんま(66)と生まれてくる赤ちゃんの話に花を咲かせたこともあった。「当時、聖子さんは妊娠5カ月。さんまさんは『男の子か女の子か当てる!』と言って、聖子さんのお腹をさする一幕もありました。聖子さんは始終、幸せそうな笑みを浮かべて歓談していましたね」(テレビ局関係者)この番組収録後、記者会見に臨んだ聖子は“胎教に気をつけている”として次のようなエピソードを明かしていた。「きれいなものを見たときは“きれいね”とか、美味しいものを食べたら“美味しかったわね”とか、お腹の赤ちゃんに話しかけるようにしているんです」歌手である聖子は、同じように音楽を沙也加さんに聞かせて過ごしたという。「聖子さんは当時、お腹の中の赤ちゃんに好きな歌を歌って聞かせていたと語っていました。他にもホイットニー・ヒューストンやプリンスといったお気に入りの楽曲を、家で流していたそうです」(芸能関係者)■「母との初デュエットが紅白だなんて贅沢で光栄」沙也加さんが誕生したのは’86年10月。成長してからも母娘は、音楽でコミュニケーションを交わしてきた。’97年、聖子は当時小学5年生だった沙也加さんへの思いを作詞作曲した『私だけの天使~Angel~』をリリース。「世界にひとつの輝く宝物」と綴られた歌詞は、愛する娘が生まれてきてくれたことへの喜びで溢れていた。一方、’01年にCMデビューした沙也加さんだが、アーティストとしても早くから才能を発揮していた。聖子が’99年にリリースしたアルバム『永遠の少女』に収録された『恋はいつでも95点』は、当時13歳だった沙也加さんが「ALICE」名義で初めて作詞したもの。さらに聖子が’06年に続けてリリースしたシングル『bless you』『WE ARE.』も、沙也加さんが「上原純」名義で作詞作曲した楽曲だった。そんな母娘は、’11年の『第62回NHK紅白歌合戦』でテレビ初共演を果たしたのだった。「聖子さんと沙也加さんは、“みんなで一緒に歌えるように”との思いで坂本九さんの名曲『上を向いて歩こう』を選びました。当日は聖子さんのカウントダウンライブ会場から生中継。2人は歌唱後、手をしっかりとつなぎ頬を寄せ合っていました。沙也加さんは『母との初デュエットが紅白だなんて贅沢で光栄』と、嬉しがっていたのが印象的でした」(前出・テレビ局関係者)音楽で繋がり合った母娘の軌跡は、永遠に消えることはないだろうーー。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2021年12月22日《松田は、未だこの現実を受け止めることが出来ない状態です》女優の神田沙也加さん(享年35)が亡くなったことを受けて、母・松田聖子(59)の所属レコード会社はこうコメントを発表した。沙也加さんはミュージカル『マイ・フェア・レディ』札幌公演のため、市内のホテルに宿泊していた。しかし各メディアによると札幌公演初日である18日、昼の部の入り時間になっても沙也加さんが姿を現さなかったという。舞台は、主人公・イライザ役でWキャストを務める朝夏まなと(37)が代役として出演した。沙也加さんが亡くなった18日夜、聖子は都内のホテルでディナーショーを行っていた。19日には東京最終公演を迎える予定だったが、急きょ中止となった。「聖子さんはどんなときも決して負けない、強い精神力を持っている女性。また転倒して腰と背中を負傷したときでも椅子に座ったままコンサートを開催するなど、ステージに穴を開けないプロ根性の持ち主です。そのため、スタッフからも絶大な信頼があります。しかし、今回ばかりは話が別です。周囲からも心配の声が上がっています」(音楽関係者)大晦日にはNHK『紅白歌合戦』への出場も控えている聖子。SNS上ではディナーショーの中止を受けて、その胸中を案じる言葉が溢れている。《聖子ちゃん大丈夫かな…》《とにかく無理しないでいただきたいところ》《先ずは、沙也加さんの側にいてあげて下さい》■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2021年12月19日女優の神田沙也加さんが18日に急死したことを受け、母で歌手・松田聖子の現状について所属事務所が19日、レコード会社の公式サイトを通じてコメントした。ユニバーサル ミュージックの公式サイトで、「所属事務所の松田聖子オフィシャルホームページのサーバーがダウンしておりますため、所属レーベルのサイトから神田沙也加さんの逝去につきまして、下記の通り掲載させていただきます」と掲載。「弊社所属、松田聖子の娘であり、女優、歌手の神田沙也加が12月18日に永眠いたしました。お世話になりました関係者の皆様、ファンの皆様には、生前に多大なるご厚情を賜りましたことを心より御礼申し上げます」と伝えた。そして、「松田は、未だこの現実を受け止めることが出来ない状態です」と松田の現状を報告し、「マスコミ関係の皆様におかれましては、松田や親族の深い悲しみや、ご近所の生活やプライバシーにご配慮いただき、自宅、及び、周辺への取材行為、また、憶測による記事掲載等はご遠慮いただき、見守っていただきますよう切にお願い申し上げます」と呼びかけた。神田さんは18日21時40分に急死。19日、所属事務所の公式サイトで「これまで神田沙也加を支えてくださった皆様にご報告させていただきます。2021年12月18日午後9時40分、神田沙也加(享年35歳)が急逝いたしました」と発表された。「詳しい状況は現在調査中」としている。悩んでいる方の相談窓口があります。下記の公式サイトをご覧ください。・電話:よりそいホットライン・SNS:生きづらびっと・いのちと暮らしの相談ナビ(相談窓口検索サイト)
2021年12月19日NHK『第72回 紅白歌合戦』へ25回目となる出場が発表された松田聖子(59)。昨年、デビュー40周年を迎え、今年はテレビやラジオにも数多く出演。コロナ禍で延期になった40周年記念ツアーやディナーショーの開催など、精力的に活動している。来年3月には還暦を迎える聖子だが、華やかな音楽活動の裏で、私生活では2度の離婚など数々の荒波を乗り越えてきた。‘80年4月に『裸足の季節』でレコードデビューすると、一役トップスターへの階段を駆け上がった聖子。『赤いスイートピー』や『SWEET MEMORIES』など様々なヒット曲を連発するなか、プライベートでは世間を騒がせた。’85年1月には突如会見を開き、数年にわたる交際の末に結婚間近とまで言われていた郷ひろみとの破局を報告。「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と泣きながら語る一幕は大きな話題に。会見前年の10月、『夜のヒットスタジオ』(’68〜’90年・フジテレビ系)に出演した際に、小坂明子さんの『あなた』を歌いながら感極まって涙を流していたことも、さまざまな臆測を呼ぶ要因となった。■世間を騒がせた2度のスピード婚さらに世間を驚かせたのは、会見から約1カ月後に、映画で共演した神田正輝との交際を認めたことだ。神田とはその年4月に婚約、6月に挙式。あまりの急展開ぶりに、聖子ファンのみならず多くの人が、彼女の一挙手一投足から目を離せなくなっていた。本誌も結婚式、ハネムーンと様々な現場を目撃。“聖輝(せいき)”のビッグカップルの披露宴は、ホテルニューオータニで行われ、500人以上が招待される豪華なものに。招待客が見守る中、2人は直径2メートル、高さ5.7メートルの巨大なウエディングケーキに入刀。その日の夜、ハワイハネムーンへと飛び立った。ハネムーンの様子もテレビで放送され、ラブラブな2人の姿は多くの人の視線を釘付けに。帰国後に開いた記者会見でくつろいだ表情を浮かべる聖子と神田は、まさに幸せの絶頂にいるようだった。子宝にも恵まれ順風満帆に見えた結婚生活。しかし、’97年1月、聖子は神田との離婚を公表。失意に沈んだかと思いきや、翌’98年5月には、6歳年下の歯科医師と2度目の結婚。結婚会見では「会った瞬間にビビビッときたから結婚した」とコメント。この結婚も交際期間2カ月ほどでのスピード婚だったと報じられている。あいにく、その男性とは’00年12月に離婚。しばらくは一人の生活を謳歌していた聖子だが、’12年6月には、歯の治療で出会った同年代の男性(慶應大学医学部歯学科准教授・当時)と3度目の結婚を果たす。3人目の夫との結婚生活は、今も順調に続いているようだ。
2021年12月17日星野源(40)&新垣結衣(33)、有吉弘行(47)&夏目三久(37)など今年も相次いだ大物芸能人の電撃結婚。松田優作さんの長男、松田龍平(38)もその1人だ。松田は10月20日に公式サイトで、モデルでフォトグラファーのモーガン茉愛羅(24)との入籍を発表。サイトでは《また新しい命を授かりまして、来春には新たな家族が増えることとなります》とも綴られており、来年にはパパにもなることに。そんな幸せいっぱいな松田とモーガンだが、本誌は結婚前に2人の“大ゲンカ”を目撃していた。それは19年5月9日の午後8時頃のこと。この日が36歳の誕生日だった松田だが、自宅マンションのエントランスから悲痛な表情のモーガンが。ほどなくしてモーガンを追いかけてきた松田も姿を見せる。すると、たちまち2人は口論を始める。涙ぐみながら「なんで行っちゃうの!?」とぐずるモーガンに対して終始困り顔の松田。口論が5分ほど続くと、友人と約束の時間が近づいたのか、松田は「ごめん、もう行かなくちゃ」とモーガンに語りかけ、待たせていたタクシーに乗り込み、去っていった。雨降って地固まった松田とモーガンだが、そうならなかった人も……。ここで本誌がこれまで目撃してきた、過去の“修羅場”もあわせて振り返ってみたい。■早乙女太一元妻・西山茉希をガードレールに…(12年5月)放送中の『カムカムエヴリバディ』(NHK)で朝ドラ初出演、来年1月放送のドラマ『封刃師』(テレビ朝日系)で連ドラ初主演を果たすなど、俳優として目覚ましい活躍を見せる早乙女太一(30)。そんな早乙女だが、プライベートでは19年6月にモデルの西山茉希(36)と離婚。今は別々の道を歩む2人だが、結婚発表前の壮絶すぎる“ケンカ”を本誌は目撃。12年5月のある日、日中に西山とボウリング場でデートを楽しんでいた早乙女。しかし、夜も深まると早乙女の様子が一変する。口論の末か、都内の路上で激高の末に西山の体を突き飛ばしたのだ。「俺はお前と一緒になりたいんだよ!」と迫る早乙女に対して、西山は「いつもそう。別れよ」と釣れない様子で切り返す。すると、ふたたび早乙女は西山を突き飛ばし、彼女は勢いあまってガードレールに強く打ち付けられる。そして、西山は泣き叫びながらタクシーを捕まえ、その場からなんとか避難していた。その後、2人は13年4月に結婚と妊娠を発表。2人の関係性はまるでジェットコースターそのものだった。■杉田かおる50代男性とキス、ホテルへ…(06年9月)放送中のドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)での広報室長・三国役の好演も話題の杉田かおる(57)。子役としてデビューし、多額の借金、離婚と波乱の多い人生を送ってきた杉田だが、彼女の豪胆ぶりを本誌は見ていた。06年9月中旬の深夜11時過ぎ、東京・目黒川にかかる橋の上から聞こえてきたのは杉田の怒声。向かい合った50代男性の胸ぐらを掴み、通行人の目も気にせず「奥さんともしたんでしょ。ねぇ、したんでしょ!もう!!信じられないっ」などと大声で詰め寄っている。この日、主演舞台の公演を終え、イタリアンレストランで男性との食事を楽しんでいた杉田。食事後、そのままタクシーで杉田の自宅に2人で向かうかと思いきや途中で停車し、このように痴話喧嘩を始めたのだ。20分ほど激高すると、怒りも鎮まったのか男性と2人で近くの居酒屋へと入っていく杉田。そして、日付が変わった深夜1時半頃に再び姿を見せると、橋の中央で立ち止まり、なんと男性と熱い接吻を交わし始める。そして、2人はほど近くにあるお城のような外観のホテルへとそのまま消えていったのだ――。ベテラン女優に“泣き落とし”に男性もタジタジだったのかも。
2021年12月11日女優の満島ひかり、俳優の松田龍平が出演する、KDDI「UQ mobile」の新CM「パーティー」編が、24日より放送される。新CMシリーズ『UQUEEN』は、満島が女王様気質の女王様・UQUEEN、松田が執事を演じ、スマホの未来を切り拓くべく奮闘する物語。「パーティー」編は、「私たちは浮かれていた」という執事のナレーションからスタートする。テーブルに並ぶ料理をみんなで囲み「おいし〜」と上機嫌な様子の執事たち。そこに、颯爽と現れたUQUEENが「ずいぶん楽しそうだな」と尋ねると、 執事は嬉しそうに「家族全員スマホ990円が大好評なので、パーティーを」と答える。すると、うっすらと笑みを浮かべ、「990円が選ばれるのはいいことだ」と言うUQUEEN。窓から見える街をオペラグラスで眺めながら、「だが、好評かどうかを決めるのは我々ではない」と続ける。そして執事たちの方を振り向き、「お客さまだ!」と言い放つ。UQUEENの言葉にハッとし大きく開いた口を手でおさえる執事たち。最後は、オペラグラスで執事の顔を覗き込むUQUEENと、少し照れた表情を見せる執事でCMは幕を閉じる。
2021年11月24日《この度、松田龍平とモーガン茉愛羅は入籍致しましたことをご報告させて頂きます》10月20日、公式サイトで入籍を発表したのは松田龍平(38)。お相手はモデルでフォトグラファーのモーガン茉愛羅(24)だ。冒頭のコメントに続き《また新しい命を授かりまして、来春には新たな家族が増えることとなります。皆で力を合わせて幸せな家庭を築いていきたいと思っております》とも綴られており、モーガンが妊娠中であることも明らかになった。「モーガンさんは広瀬すずさん(23)の2021年版カレンダーを撮影するなど、若手のフォトグラファーとして注目されています。また役者としても活動の幅を広げており、12月には出演映画が公開予定です。2人は知人の紹介で知り合い、3年半にわたる交際を経てのゴールインとなりました。すでに同居しており、モーガンさんは妊娠6カ月で安定期に入っているといいます」(スポーツ紙記者)2人の新しい門出に、松田の母・美由紀(60)もTwitterを更新し《龍平くんが結婚することになりました!皆さんどうか2人を応援よろしくお願いします!》とツイート。さらにFacebookでも《わーいわーいわーい!!良かった良かった!!幸せがまた増えました!!》と祝福している。松田といえば、’17年に太田莉菜(33)との約9年にわたる結婚生活に終止符を打った。それから2年後、本誌は松田の新たな恋をいち早く報じていた。そのお相手は、今回結婚を発表したモーガンだったのだ。’19年5月9日、その日は松田の36歳の誕生日だった。午後8時ごろ都内の自宅マンション前に迎車のタクシーが停まり、ほどなくしてエントランスから出てきたのはモーガン。すると彼女を追いかけるように松田が現れ、人目をはばからず自宅前で“大ゲンカ”を始めたのだ。モーガンは涙ぐみながら松田に向かって、「なんで行っちゃうの!?」と声を荒げていた。それから口論は5分ほど続き、モーガンを残してタクシーに乗り込んだ松田。ところがこのままではまずいと思ったのか、松田はタクシーを降りて再びモーガンのもとへ。しかし2人の折り合いはつかない様相で、最後は松田が「ごめん、もう行かなくちゃ」とモーガンをなだめてタクシーで去っていったのだった。今年4月には、一部写真週刊誌にドライブデートも報じられた松田とモーガン。今では懐かしい痴話げんかも、2人の愛を深めるためには必要だったのかも。
2021年10月22日「気合の入れようは並々ならぬものがあって、出演する俳優陣も、聖子さん自らが声をかけて回ったと聞いています」(スポーツ紙芸能デスク)10月30日から11月8日にかけて開催される第34回東京国際映画祭で、松田聖子(59)が初めて監督した映画が公開される。還暦直前の“映画監督デビュー”となるわけだが、作品のジャンルはまさかのホラーなのだ。「米HBO傘下のHBOアジアが製作する『フォークロア』というホラーアンソロジーのシーズン2の一編『あの風が吹いた日』で、聖子さんは監督を務め、東南アジア圏でも話題になっています。この『フォークロア』の製作総指揮は、アジア圏で評価の高いエリック・クー監督が務めています。2018年公開の『家族のレシピ』というクー監督の作品に、聖子さんは彼に直接働きかけて出演しました。以降交流が続いていて、今回の“監督デビュー”につながったのです」(映画関係者)『あの風が吹いた日』には、主演の森崎ウィン(31)、高橋春織(24)、木村多江(50)のほか、聖子と長年親交があるモト冬樹(70)が出演している。しかしジャンルがホラーとは、いったいどのような内容になっているのかが気になるがーー。「聖子さん本人が言う、『ずっと頭の中にあったアイデア』をもとに、1年以上かけて脚本を書き上げています。女子高校生が、憧れの歌手に偶然出会ったことから始まる、一見ラブストーリーなのに、ホラー仕立てになっています。しかしそもそも聖子さんが監督を務めることになったのは、聖子さんがクーさんに話した“個人的な経験”がきっかけだったのです」(前出・映画関係者)デビュー時から、トップアイドルとして日本の芸能界を走ってきた聖子とホラーとはおよそ結びつかないイメージがある。実は、聖子には“芸能界最怖”レベルの霊能力があるーーとは、知る人ぞ知る話なのだという。かつて所属した芸能プロ関係者はこう明かす。「彼女がアイドル時代、よく“金縛り”にあっていたという話を聞かされました。しかも時折、“見えてしまう”ことがあるんだとかーー。たとえば、地方で宿泊するホテルやコンサート会場の楽屋で、『何かがいるわ』と言って、部屋を替えることがしょっちゅうありました。いずれの場合も調べてみると、何かのご不幸や事故があった場所に近かったのです」■「強さは本物」と周囲が戦慄してーーデビュー当時の聖子と仕事をすることが多かったカメラマンのYAHIMONときはるさんは、当時の“不思議な体験”を語る。「一緒に車で移動しているときに、突然『誰か知り合いに会う気がする』と言いだした。しばらく走ると、当時彼女が出演していた『レッツゴーヤング』(NHK)の先輩がいて、『サンデーズの未都由さんだ!』と、偶然出くわしたことがありましたね」聖子の霊能力。いつの間にかその強力さが、多くの関係者たちにも知られることになってーー。「デビューしたころに出演していたラジオ番組の収録で、特定のスタジオに入ることを聖子さんが嫌がったことがありました。嫌がったことに尾ひれがついて、いつのまにかその場所が“開かずのスタジオ”になったケースもあったくらいです。『やっぱり聖子には何かが見えるんだ』『聖子の霊感の強さは本物だ』などと、関係者の間でよく話題になったものです」(ベテラン音楽プロデューサー)前出のYAHIMONさんも、現場で驚かされたことがあった。「1980年11月に、よみうりランドで開催された聖子さんの野外コンサートで、楽屋とステージが離れていたため、敷地内ですが車で移動することになったのです。彼女と女性マネージャーが車に乗り込むと、エンジンがかからない。会場のスタッフが、『すみません、いまから別の車を手配しますので……』と大慌て。すると聖子さんがポツリと、『○○さん(マネージャーの名前)がやったら、エンジンがかかるんじゃないかな』と言うのです。物は試しと、マネージャーが運転席に移動してやってみると、本当にエンジンがかかったのです」そのときYAHIMONさんは、「聖子さんは何かに護られている」と感じたといい、こう続ける。「けん玉をやる聖子さんを撮ったときのことですが、けん玉ってなかなか成功しないので、たくさんシャッターを切っていたのです。すると聖子さんは、『2枚目か3枚目が、すごく私らしい写真だったと思います!』と言うのです。フィルムを現像したら、本当にそのとおりでーー。本人から『霊感があるの』と言われたこともありません。でも昔から聖子さんには、直感の鋭さ以外にも、特別な力やオーラを感じることが多々ありました。『あの風が吹いた日』は、聖子さんの実体験を脚本化したそうですが、こうしたエピソードには事欠かないと思いますよ」デビュー41年目の監督デビューに、聖子は秘め続けた“霊能力”で新境地を拓くのかーー。
2021年10月21日松田聖子が、ニューアルバム『SEIKO MATSUDA 2021』の収録曲「私の愛」のMusic Videoを公開した。「私の愛」は作詞作曲を財津和夫が手がけた楽曲で、“ファンの皆さんに聖子さんの気持ちをうたで届ける”ことをテーマに制作された。曲中で繰り返される印象的な“LOVE”のフレーズは、松田とファンが一緒に“LOVE”と歌う客席からのレスポンスをイメージしたとのことで、コロナ禍が明けた際にライブで同曲をファンと一緒に歌いたいという松田と財津の想いが込められている。なお松田と財津の2人は、80年代に発表した「チェリーブラッサム」「夏の扉」「白いパラソル」「野ばらのエチュード」など人々の記憶に残る数々の楽曲を生み出している。今回も松田自ら主演と監督を担当した「私の愛」のMVは、温かみのあるバンドサウンドを象徴するシーンとして松田がドラムを演奏しながら歌う姿を披露している。また“LOVE”というキーワードを象徴するように可愛らしいたくさんのワンちゃん達も登場し、楽曲の世界に華を添えている。松田聖子「私の愛」MV本日10月20日にリリースされた『SEIKO MATSUDA 2021』は、昨年リリースされた松田のデビュー40周年記念オリジナルアルバム『SEIKO MATSUDA 2020』のコンセプト「松田聖子の“これまで(過去)”と“これから(未来)”が楽しめるアルバム」の続編となる作品で、セルフカバー楽曲「青い珊瑚礁」「時間の国のアリス」「瞳はダイアモンド」「チェリーブラッサム」「時間旅行」と新曲5曲を加えた全10曲が収録されている。<リリース情報>松田聖子『SEIKO MATSUDA 2021』2021年10月20日(水) リリース●通常盤(CD):3,300円(税込)松田聖子『SEIKO MATSUDA 2021』通常盤ジャケット●初回限定盤(SHM-CD+DVD):4,950円(税込)松田聖子『SEIKO MATSUDA 2021』初回限定盤ジャケット【DVD収録内容】VOICEライナーノーツ / 貴重映像 / 新曲MUSIC VIDEO / インタビュー(予定)●豪華・完全限定盤ボックスセット(UNIVERSAL MUSIC STORE限定):13,200円(税込)SHM-CD+Blu-ray+2LPレコード+ポスター松田聖子『SEIKO MATSUDA 2021』豪華・完全限定盤ボックスセット ジャケット【Blu-ray収録内容】VOICEライナーノーツ / 貴重映像 / 新曲MUSIC VIDEO / インタビュー(予定)【2LP収録内容】Disc 1. SEIKO MATSUDA 2020(全10曲収録)Disc 2. SEIKO MATSUDA 2021(全10曲収録)※LPサイズのブックレット / ボックスケース収納【CD収録曲】※全形態共通01. 青い珊瑚礁〜Blue Lagoon〜02. 時間の国のアリス〜Alice in the world of time〜03. 瞳はダイアモンド〜Diamond Eyes〜04. チェリーブラッサム202105. 時間旅行〜I still miss you〜06. Rendezvous07. My shining days08. You’re the one!!09.あの日の夜の冷たい雨10. 私の愛松田聖子「青い珊瑚礁 〜Blue Lagoon〜」MV松田聖子「時間の国のアリス 〜Alice in the world of time〜」MV松田聖子「瞳はダイアモンド~Diamond Eyes~」MV『SEIKO MATSUDA 2021』購入URL:松田聖子『SEIKO MATSUDA 2020』デラックス・エディション2021年10月20日(水) リリース※数量限定販売価格:3,300円(税込)松田聖子『SEIKO MATSUDA 2020』デラックス・エディション ジャケット【収録曲】01. 瑠璃色の地球 202002. セイシェルの夕陽〜40th Anniversary〜03. 赤いスイートピー English Version04. SWEET MEMORIES〜甘い記憶〜(※2020年マクドナルド「ごはんチキンタツタ」CMソング05. いちご畑でFUN×406. 風に向かう一輪の花07. La La!! 明日に向かって(※テレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」2020年エンディングテーマ曲)08. 40th Party09. そよ風吹いたら〜I can hear the sound of the waves〜10. 赤いバラ手に抱え11. 蒼いフォトグラフ〜Photograph of yesterdays〜 ※新録収録<ツアー情報>Happy 40th Anniversary!! Seiko Matsuda Concert Tour 2020~2021 "Singles & Very Best Songs Collection!!"※終了分は割愛10月22日(金) 東京 日本武道館開場 17:30 / 開演 18:3010月23日(土) 東京 日本武道館開演 16:00 / 開演17:0010月24日(日) 東京 日本武道館開演 14:00 / 開演15:00関連リンク松田聖子 40周年記念スペシャルサイト:松田聖子 オフィシャルHP:松田聖子 ユニバーサル ミュージックHP:
2021年10月20日歌手の松田聖子が初監督を務めた「フォークロア2:あの風が吹いた日」の予告編と場面写真が公開された。今月末より開催される「第34回東京国際映画祭」において、本年度から新設の「TIFFシリーズ」部門で初披露される本作。同部門は、TV放送やインターネット配信などを目的に制作されたシリーズものの秀作を、日本国内での公開に先駆けてスクリーン上映するというコンセプトの部門だ。HBOが展開するHBOアジアのホラーアンソロジーシリーズ「フォークロア」は、斎藤工と松田さんが共演した『家族のレシピ』の監督エリック・クーが製作総指揮を担当し、シーズン1では6か国の監督が古くから伝わる伝承を基に、各国の文化や社会問題について紐解いた作品が上映。そしてシーズン2では監督が一新され、シティシリ・モンコルシリ監督(タイ)、シー・ハン・リャオ監督(台湾)、エリック・マティ監督(フィリピン)、ビリー・クリスチャン監督(インドネシア)、ニコール・ミドリ・ウッドフォード監督(シンガポール)、ブラッドリー・リュー監督(マレーシア)に加え、日本から松田さんが参加し、本作で監督デビューした。東京国際映画祭では、そんなシーズン2の7本のうち、ウッドフォード監督の「お出かけ」、松田監督の「あの風が吹いた日」の2作品を上映。森崎ウィン、高橋春織、モト冬樹、木村多江らが出演する「あの風が吹いた日」は、憧れの歌手KENのコンサートに行くためにアルバイトに励んでいる高校生のミカは、ある日、公園でギターを弾きながら作曲している男と出会うが、その男はKENで…という、一見するとファンタジックなラブストーリーのようだが――。到着した予告編では、森崎さん演じる歌手・KENのライブシーンや、ミカが(高橋さん)何かに怯えるようなホラーチックな場面も登場。また同映像には、「お出かけ」の映像も収録されている。「フォークロア2」予告編「第34回東京国際映画祭」は10月30日(土)~11月8日(月)日比谷・有楽町・銀座地区にて開催。「フォークロア2」は11月4日(木)18時50分~ヒューマントラストシネマ有楽町にて上映予定(※「お出かけ」「あの風が吹いた日」の2作品上映で1プログラム)。「TIFFCOM2021」は11月1日(月)~3日(水・祝)オンライン開催。(cinemacafe.net)
2021年10月14日松田聖子初監督作品『フォークロア2:あの風が吹いた日』が、東京国際映画祭にて上映されることが決定した。本年度から新たに新設された「TIFFシリーズ」部門。本部門は、TV放送、インターネット配信等を目的に製作されたシリーズものの秀作を、日本国内での公開に先駆けてスクリーンで上映するという企画。『ゲーム・オブ・スローンズ』などで知られるHBOが展開するHBOアジアのホラーアンソロジーシリーズ『フォークロア』は、斎藤工と松田聖子が共演した『家族のレシピ』などで知られるシンガポールの巨匠監督のエリック・クーが製作総指揮を担当し、シーズン1では、日本・韓国・インドネシア・マレーシア・シンガポール・タイの6カ国の気鋭監督が、古くから伝わる伝承を基に各国の文化や社会問題について紐解いた作品が上映され、日本からは主演として北村一輝、監督として齊藤工が参加していた。シーズン2では、監督が一新され、タイのシティシリ・モンコルシリ監督、台湾のシー・ハン・リャオ監督、フィリピンのエリック・マティ監督、インドネシアのビリー・クリスチャン監督、シンガポールのニコール・ミドリ・ウッドフォード監督、マレーシアのブラッドリー・リュー監督、そして日本からは、松田聖子が参加。松田は本作が監督デビュー作となる。今回、東京国際映画祭では、シーズン2の7本の内、ニコール・ミドリ・ウッドフォード監督作『お出かけ』、松田聖子監督作『あの風が吹いた日』の2作品が上映される。『あの風が吹いた日』は、「高校生のミカは、憧れの歌手KENのコンサートに行くためにアルバイトに励んでいる。ある日、ミカは公園でひとりの男がギターを弾きながら歌を作曲しているのに居合わせる。アドバイスを求められたミカは、その男がKENであることに気づく」という、一見ファンタジックなラブストーリー。森崎ウィンがKEN役を、高橋春織がミカ役を、その他、モト冬樹、木村多江などがキャストに名を連ねている。<第34回東京国際映画祭開催概要>開催期間:2021年10月30日(土)~11月8日(月)会場:日比谷・有楽町・銀座地区公式サイト: <TIFFCOM2021開催概要>開催期間:2021年11月1日(月)~3日(水・祝)会場:オンライン公式サイト:
2021年10月14日女優の満島ひかり、俳優の松田龍平が出演する、KDDI「UQ mobile」の新CM「馬」編が、8日より放送される。新CMシリーズ『UQUEEN』は、満島が女王様気質の女王様・UQUEEN、松田が執事を演じ、スマホの未来を切り拓くべく奮闘する物語。今回新たに放送される「馬」編は、「UQUEENは、無茶ぶりが得意だ」という執事のナレーションからストーリーが始まる。宮殿の広間にいる白馬の横で 「UQUEEN様、これは?」と問う執事に対し、「うん、馬だな」と答えるUQUEEN。白馬の豪華な鞍の前方に描かれた電波の模様を横目に、UQUEENが「UQはau回線だから全国でつながるんだよな?」「確かめてきてくれるか」 と無茶ぶり。「やっぱり」と嫌な予感が的中したかのように反応する執事に対し、「しかも、全国のauのお店で申し込みできるんだよな?」とUQUEENは追い打ちをかける。さらに、白馬の後方の鞍にauショップの模様とともに「全国のauのお店で申し込みOK!」と書かれているのを見て「すごい書いてある……」と驚く執事に、またしても「確かめてきてくれるか」と命じるUQUEEN。執事が「やっぱり」と再び困惑すると、「現場に行かなければ、現実は見えてこんぞ」と強い一言を放つ。その言葉が刺さったのか、執事は「ヒヒーン」と馬のモノマネを披露。そんな執事を見て思わず笑ってしまうUQUEENなのだった。
2021年10月08日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に大好きだったアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。’80年、彗星のごとくレコードデビューした松田聖子は“ぶりっ子”という流行語を生んだほど、“かわいいアイドル”の象徴だった。そして新曲を発表するごとに、『赤いスイートピー』(’82年)はバラード、『SWEET MEMORIES』(’83年)はジャズ風といった具合にテイストの幅を広げ、大人へと“成長”していった。「そんな聖子さんにとって通算20枚目となるシングル『天使のウィンク』(’85年)は、それまでの変化から一転。原点回帰ともいえる、いかにも聖子さんっぽい、かわいさの詰め込まれた楽曲です。衣装もフリルのついた真っ白なレースのドレスなどで、顔の横で目に見立てた手のひらを、開いたり閉じたりしてウインクを表現した振付が印象的でした」そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。当時、ダイハツの新シャレードのCMにも起用された同曲は、杏里のヒット曲『オリビアを聴きながら』(’78年)の作詞・作曲をした尾崎亜美によるもの。締切りの直前に制作の依頼があり、短期間で作られたという逸話もある。「尾崎さんの歌声、そして曲調にも、女の子らしさ、かわいらしさがあふれていました」『白いパラソル』(’81年)以降、聖子の曲は松本隆が作詞を手がけていたが、突然、尾崎に白羽の矢が立てられたことになる。大きな転換の前後に、偶然にも私生活では大切な人との別れと、のちに伴侶となる俳優との交際が待っていた。聖子は同曲のリリース直前に、自ら郷ひろみとの破局会見を開き、さらに約半年後、神田正輝と結婚し、しばらくは芸能活動を休止すると発表。「同曲のリリース直前の聖子さんの心には、さまざまな思いがよぎっていたのでしょう。『夜のヒットスタジオ』(’68〜’90年・フジテレビ系)で小坂明子さんの『あなた』(’73年)を歌いながら、感極まって泣いてしまうという出来事があり、さまざまな臆測を呼びました」聖子が涙ながらに熱唱する映像の合間に、ちょうど番組に出演していた郷ひろみの姿が、カットインされたりもした。「ちなみに『天使のウィンク』のカップリング曲『七色のパドル』は、小坂さんが作詞したものです」聖子は結婚直前に『ボーイの季節』、結婚式当日に『DANCING SHOES』(SEIKO名義)をリリースし、発表どおりに休養。2年後、『Strawberry Time』とともに、ママドルとして芸能界に復帰したのだった。
2021年10月04日松田聖子が、10月20日にリリースするニューアルバム『SEIKO MATSUDA 2021』の収録内容を発表した。昨年リリースされたデビュー40周年記念オリジナルアルバム『SEIKO MATSUDA 2020』の「松田聖子の“これまで(過去)”と“これから(未来)”が楽しめるアルバム」というコンセプトと同じく、“続・40周年記念アルバム”としてリリースされる今作には、セルフカバー楽曲「青い珊瑚礁」「時間の国のアリス」や、「瞳はダイアモンド」「チェリーブラッサム」「時間旅行」に加え、財津和夫が作詞作曲を手がけた新曲「私の愛」など全10曲が収録される。合わせて、今作の通常盤、初回限定盤、豪華・完全版ボックスセットのジャケット写真が公開された。通常盤のジャケットは、前作と同じく過去と未来の松田を繋ぐ象徴的なアートワークとなっており、あどけない表情の写真はトップアイドルに駆け上る直前であるデビュー前に撮影された貴重な写真が使用されている。そして初回盤のジャケットは、YouTubeで200万再生を突破した「青い珊瑚礁~Blue Lagoon~」のMusic Videoで松田が40年ぶりに披露し話題となった“聖子ちゃんカット”で新たに撮り下ろされており、豪華・完全版ボックスセットのジャケットは、『SEIKO MATSUDA 2020』『SEIKO MATSUDA 2021』の通常盤を組み合わせたデザインになっている。さらに、数量限定で同時発売となる『SEIKO MATSUDA 2020』デラックスエディション盤にセルフカバー曲「蒼いフォトグラフ」が追加収録されることが決定した。<リリース情報>松田聖子『SEIKO MATSUDA 2021』2021年10月20日(水) リリース●通常盤(CD):3,000円(税抜)松田聖子『SEIKO MATSUDA 2021』通常盤ジャケット●初回限定盤(SHM-CD+DVD):4,500円(税抜)松田聖子『SEIKO MATSUDA 2021』初回限定盤ジャケット【DVD収録内容】VOICEライナーノーツ / 貴重映像 / 新曲MUSIC VIDEO / インタビュー(予定)●豪華・完全限定盤ボックスセット(UNIVERSAL MUSIC STORE限定):12,000円(税抜)SHM-CD+Blu-ray+2LPレコード+ポスター松田聖子『SEIKO MATSUDA 2021』豪華・完全限定盤ボックスセット ジャケット【Blu-ray収録内容】VOICEライナーノーツ / 貴重映像 / 新曲MUIC VIDEO / インタビュー(予定)【2LP収録内容】Disc 1. SEIKO MATSUDA 2020(全10曲収録)Disc 2. SEIKO MATSUDA 2021(全10曲収録)※LPサイズのブックレット / ボックスケース収納【CD収録曲】※全形態共通01. 青い珊瑚礁〜Blue Lagoon〜02. 時間の国のアリス〜Alice in the world of time〜03. 瞳はダイアモンド〜Diamond Eyes〜04. チェリーブラッサム202105. 時間旅行〜I still miss you〜06. Rendezvous07. My shining days08. You’re the one!!09.あの日の夜の冷たい雨10. 私の愛松田聖子「青い珊瑚礁 〜Blue Lagoon〜」MV松田聖子「時間の国のアリス 〜Alice in the world of time〜」MV「青い珊瑚礁 〜Blue Lagoon〜」配信リンク:「時間の国のアリス 〜Alice in the world of time〜」配信リンク:『SEIKO MATSUDA 2021』予約URL:松田聖子『SEIKO MATSUDA 2020』デラックス・エディション2021年10月20日(水) リリース※数量限定販売価格:3,000円(税抜)松田聖子『SEIKO MATSUDA 2020』デラックス・エディション ジャケット【収録曲】01. 瑠璃色の地球 202002. セイシェルの夕陽〜40th Anniversary〜03. 赤いスイートピー English Version04. SWEET MEMORIES〜甘い記憶〜(※2020年マクドナルド「ごはんチキンタツタ」CMソング05. いちご畑でFUN×406. 風に向かう一輪の花07. La La!! 明日に向かって(※テレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」2020年エンディングテーマ曲)08. 40th Party09. そよ風吹いたら〜I can hear the sound of the waves〜10. 赤いバラ手に抱え11. 蒼いフォトグラフ〜Photograph of yesterdays〜 ※新録収録<ツアー情報>Happy 40th Anniversary!! Seiko Matsuda Concert Tour 2020~2021 "Singles & Very Best Songs Collection!!"※終了分は割愛10月22日(金) 東京 日本武道館開場 17:30 / 開演 18:3010月23日(土) 東京 日本武道館開演 16:00 / 開演17:0010月24日(日) 東京 日本武道館開演 14:00 / 開演15:00関連リンク松田聖子 40周年記念スペシャルサイト:松田聖子 オフィシャルHP:松田聖子 ユニバーサル ミュージックHP:
2021年09月22日俳優の松田翔太が出演する、コインチェック・Coincheckの新CM「隙間」編、「落書き」編が、20日より放送される。同CMは、日本を代表するクリエイティブディレクター・山崎隆明氏が企画を担当、使用する写真を日本写真界の巨匠・操上和美氏が撮影という豪華コラボレーションで制作された。映像ではなくあえて全編静止画になっており、松田のポートレート写真と声のみで構成。操上氏が撮り下ろした松田だからこそ出る、大人の男性の憂いや色気が詰まった写真が使われている。また、松田の写真の上には文字が載っているが、このテロップを取るか否かを巡るシュールな演技にも注目だ。「隙間」編は、文字が被ってしまっている写真に対して、松田が「僕の顔見えないですよね?」とスタッフへ伝えると「隙間から見えると思います……」と返答されてしまう。「松田翔太ってわからないでしょ?」と松田がさらに問いただすが、スタッフは「ちょっとわかります……」とまったく気にしない様子で応え、テロップを外そうとしない。「落書き」編では松田が、文字を外してほしいとスタッフに依頼すると、スタッフは快く対応しようとするが、映し出されたのは松田の顔に落書きがされた写真。写真を見て「いまの何?」とスタッフを追及する松田に対し、なかったことにしようとするスタッフ。クールな表情といたずら書きが対照的だ。文字を顔の上に載せられ、さらには落書きをされてしまうという今回の企画に、「大いにやってもらいたい」とおもしろがって挑戦した松田。静止画と音声のみで作ることについては、「すごい勝負に出たな。TVの世界が止まるわけですから。それに対してワクワクしています」と期待に胸を膨らませながら臨み、撮影を終えると「心地よい緊張感を作っていただけたので、このCMにぴったりの空気感で撮影に臨めました」と安堵の表情を浮かべていた。
2021年09月15日