世界環境テクノロジー株式会社 取締役社長・横井 忠志氏のインタビュー記事を「人民日報海外版日本月刊」にて公開します。横井 忠志氏(1)2023年5月31日、ジュネーブのパレ・デ・ナシオン。国際平和維持兵士協会(AISP/SPIA)のローラン・アタベロ主席は、環境汚染と食糧危機問題解決に対する貢献を称え、横井 忠志氏に平和勲章を授与した。このニュースは日本にも伝わり、世間の耳目を集めた。本誌編集部で、横井 忠志氏は謙遜しながら率直に語った。「この度の私への平和勲章は、恐れ多いことです。千葉工場の先輩方こそが本当の陰の英雄なのです!」。記者は敬意と好奇心をもって、横井 忠志氏に、これまで受け継がれてきた環境保護と平和への取り組みについてお話をうかがった。■バイオテクノロジーの分野で画期的成果『韓非子』には端を見て末を知るという言葉がある。微生物は、人類が共生する地球上で最も広く分布し、最も歴史が長く、最も分類が複雑な生物体である。微生物の発見と利用は、人類文明における画期的な出来事である。現在、バイオマニュファクチャリング、汚水処理、環境に優しい農業が、バイオテクノロジーの三大成長分野とされている。今日、広大な太湖や鼋頭渚の美しい景色を眺める時、環境保護に携わってきた人びとに感謝の思いを抱くのである。そこには横井 忠志氏の両親も名を連ねる。1980年代、横井 忠志氏の両親は日本微生物生態研究所を設立すると、ほどなくして、中国政府の各部門から招待を受け、当時の先進的な汚水処理技術を携えて北京、無錫、河南省等を訪れ、微生物によって生活廃水と工業廃水の沈殿物質を分解し、脱水及び高温消毒を経て建築材料に加工した。こうして、工業・生活廃水汚染の問題を解決し、川砂などの天然資源を保護するとともに、「死んだ水」を甦らせたのである。一家は機械製造から着手し、環境保護の分野にも事業を拡大し、中日両国で一定の影響力をもつようになった。若かった横井 忠志氏は自身の力を試すため、アパレル業界に進んだが、将来を見据えてAIロボットの研究開発・製造の世界に身を投じた。コロナ禍によって国際交流は遮断されたが、横井 忠志氏にとっては、立ち止まってチャンスをうかがい、環境保護の重要性について再考する重要な機会となった。ある日、彼は、ファミリー企業の千葉工場のゴミ処理場を訪れた。数年前にも、このゴミ処理場が耐え難い悪臭を放っていたことを、彼ははっきりと記憶していた。ところが、目にしたすべてのものが、彼の「ゴミ」に対する認識を変えてしまった。当初、固形廃棄物処理には、堆肥化に1カ月、発酵に3カ月をかけることが課されていた。その間に、蚊や感染症菌が発生し、地域環境や住民の衛生にも弊害をもたらしていた。しかし今では、新たに開発・製造された微生物の媒介によって、廃棄物の半減期は大幅に短縮され、分解反応効率は2倍になり、発酵期間は2週間に短縮され、刺激性ガスも発生しなくなった。その後の3カ月の堆肥化段階においては、目には見えないが微生物がはたらき続け、最終的には、砂土に近い質感の有機堆肥ができあがる。横井 忠志氏(2)千葉工場でバイオテクノロジーの研究をリードしているのは、名の知れた日本企業で管理職を務めたベテランの専門家たちである。彼らは定年退職後、自発的に環境保護事業に身を投じ、20年近くをかけて、数万回の実験と改良を経て、今日の成果を勝ち取ったのである。「率直に言って、AIロボットを研究・開発していた方が収益は上がります。環境保護の仕事は労力に見合った利益は出ません」。両親は高齢になるまで環境保護事業に身を捧げ、千葉工場の先輩たちは待遇も見返りも求めず、ただグリーンの地球を後世に残したいと願っていた。彼らの思いに感銘を受けた横井 忠志氏は、アパレル、紡織、機械の分野で実績を残した後、家族が長年携わってきた環境保護事業に身を投じ、世界環境テクノロジー株式会社の社長として、社会的責任の一端を担っている。彼の歩調は緩やかにはなったが、決意はより強固である。平和勲章を受章(1)■汎用性が高いバイオテクノロジー都市の生活ゴミに加えて、家畜の糞、枯れた枝・葉、エビ・カニ・魚介類の殻など、固体廃棄物はすべて有機堆肥に適している。堆肥化の過程で大量の熱エネルギーが放出されるが、これらのエネルギーを地熱に変換して、野菜のハウス栽培に利用したり、苗を育てる花土にすることもできる。横井 忠志氏が特に強調したのは、花卉栽培農家や果物農家が苗を地中に移植する際、ポットが無造作に廃棄されていることである。回収して焼却しても有毒ガスが発生し、環境にダメージを与える。横井 忠志氏はそれを目にして胸が痛んだ。彼は、有機堆肥でポットをつくり、ポットごと苗を土に埋めれば、ポットは肥料となって苗に完全に吸収されて無くなるという大胆な提案を行った。プラスチック汚染を予防するだけでなく、果樹には有機栄養素を提供することができ、廃棄物を宝に変える一挙両得の方法である。世界環境テクノロジー株式会社は、栃木県で有機堆肥を使った米作りに挑戦し、害虫の発生をゼロにする目標を達成した。横井 忠志氏と彼のバイオテクノロジーは日本社会で広く認知されている。現在、日本国内では、20以上の農場が横井 忠志氏と契約し、有機堆肥によって花卉栽培、果実類、お茶、蕎麦、生姜などが栽培されている。千葉工場の、あるベテランの専門家は、バイオ処理技術を実験的にベトナムに導入している。横井 忠志氏は決してこれで満足はしていない。彼の最大の願いは、技術を一刻も早く第二の故郷である中国に導入することである。東北の黒土、山陝の黄土、南西部の赤土では、土壌の水分、微生物、ミネラル成分が大きく異なるため、微生物触媒の配合率も土壌に合わせて調整する必要がある。そのため、横井 忠志氏は中国各地を訪れて調査を行い、大量のデータを蓄積していった。同時に、石油由来の農薬が雨水とともに土壌に浸透し、土壌の硬化が深刻化していることにも深く心を痛めた。バイオテクノロジーによって生産された有機堆肥は、土壌を改良し、化学肥料の長期使用による土壌の硬化、塩害、保肥力の低下、貯水能力の低下などの問題を改善することができる。農村地域のゴミ問題を完全に解決し、新たな農村建設を支援することには、現実的意義と経済的価値がある。中国の国家第12次5か年計画の段階的実施に伴い、国は固形廃棄物の処理方法を厳格化している。バイオテクノロジーによって固形廃棄物の問題を解決することが、業界の新たなトレンドになることは間違いない。横井 忠志氏は、有識者と調査データを共有し、共に環境保護の問題に取り組むことを熱望している。北京市大興区がすでに、横井 忠志氏に、世界環境テクノロジー株式会社の中国初の生物分解研究所の誘致を申し出ており、横井 忠志氏は来月、現地視察に赴くことになっている。第21回世界平和記念大会においても、インドの政府関係者が横井 忠志氏のバイオテクノロジーに関心を示し、環境問題の解決に協力を要請した。平和勲章を受章(2)■中日友好を実践に移す文明の発展段階に関係なく、農業は国家の礎である。横井 忠志氏は、バイオテクノロジーの力で環境に優しい農業を実現するという理念の下、栽培と収穫の過程でAIロボットを導入し、「エコ+スマート」の新たなモデルをつくり、成功を収めた環境保護のための産業チェーンをスマート・エコ農業に推し広め、3K(危険、汚い、きつい)問題を解消したいと考えている。このモデルは、少子高齢化と労働者不足の問題を抱える中国と日本にとって、大きな社会的意義を有し、国際平和維持兵士協会のローラン・アタベロ主席も、その点を高く評価したのである。第21回世界平和記念大会では、合唱団が5つの常任理事国を代表する5曲の歌を披露した。中国の曲として選ばれたのは、有名な『世界を愛で満たそう』であった。横井 忠志氏の妻は典型的な杭州美人である。歌声が流れ、妻の優しい横顔を涙が伝う光景は、氏の心に深く刻まれた。「これまで何度も聴いた歌ですが、あの場で聴いた歌は格別でした!」。ジュネーブから帰国した横井 忠志氏は、中国の「スマートビレッジ」建設に参画するという新たな目標を掲げた。中日両国の国民、そして、人類に有益な仕事をすることは、父の代から受け継がれてきた責任であり家風である。横井 忠志氏は成人したばかりの頃、両親から中国への留学を「急かされた」ことに納得がいかなかったと、ユーモアたっぷりに話した。しかし今、彼はその経験に感謝している。そのお陰で、両国に同じく思いを寄せ、理解を深めることができたのである。さらには、中日両国の科学技術界や経済界で活躍し、次々に成果を上げることができた大きな要因となっている。平和勲章を受章(3)■取材後記スマートマニュファクチャリングから環境保護事業に至るまで、横井 忠志氏の歩みのすべてが経済発展のテンポに呼応している。それは彼の幸運というよりも、平和を愛し、地球を慈しみ、人類愛の精神に立つ時代の要請に共鳴したと言うべきであろう。「10年間、『スマートビレッジ』建設に身を投じます」。横井 忠志氏は、次なる目標を力強く語った。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年07月28日横溝正史の「由利麟太郎シリーズ」を、吉川晃司主演でドラマ化する「探偵・由利麟太郎」の追加キャストが決定。田辺誠一らレギュラーキャスト、新川優愛、浅利陽介、高岡早紀ら各話を彩るゲストが発表された。本作は京都を舞台に、冷静沈着な白髪の紳士・由利麟太郎(吉川さん)が、ミステリー作家志望の青年・三津木俊助(志尊淳)と共に数々の奇怪な難事件に挑むホラーミステリー。今回新たに明らかになったレギュラーキャストは、由利の旧友であり、京都府警の等々力警部役の田辺誠一。由利に一方的に好意を持つ骨董品屋のおばちゃん・波田聡美役のどんぐり。出版社の編集者・山岸克平役の木本武宏。由利とは昔なじみで、由利に事件の捜査を依頼する無類の“たい焼き”好きという“ちょっと抜けている”愛され警部を演じる田辺さんは「僕たちの永遠のアニキ・吉川さんの華麗なる由利麟太郎、かわいくクレバーな志尊くん、3人で毎日濃密な芝居ができた日々は、とても貴重で幸せな時間でした」と撮影をふり返り、「見たことのないドラマになっているかと思います。全5話、多くの方に見ていただけるとうれしいです」とコメント。骨董品屋を営む一軒家の一部屋を由利に貸しており、顔を合わせることも多いおばちゃんを演じるどんぐりさんは「自分の人生の中で吉川晃司さんとご一緒させて頂けることがあるとは、夢にも思ってなかったです。私が演じる波田さんは、吉川さん演じる由利先生に恋心を持っている役です。見て頂いている方が、『ミステリーなのに…アレ?なんか変なんがいるぞ?』と思って頂けるような、ドラマの中に、ほっとする感じが出るといいなと思います」と語る。そして、ミステリー作家志望の三津木の編集担当で、三津木を叱咤激励する存在という役柄の木本さんは「吉川晃司さん主演のドラマに末席ながらも出演できることが恐縮すぎます。世代としてはまさしく青春の象徴。実際にこの世にいないのではないかと思えるスターですから。あ、共演したかのように語っていますが共演シーンはありません」と明かし、「感動したのは、志尊淳君が本当にきれいな男だったこと。煩悩のかけらさえも見当たらない凛とした佇まい。そんな本質を持つ、三津木俊助は必見だと思います」と撮影をふり返った。「由利麟太郎シリーズ」から厳選の数本をドラマ化し、登場人物全員が犯人かのようで、誰もがワナを仕掛けているのではと勘ぐってしまうこのドラマ。ほかにも各話を彩るゲストとして、新川優愛、水上京香、村川絵梨、浅利陽介、高岡早紀、大鶴義丹、鈴木一真、吉谷彩子、佐野岳、板尾創路が参加しており、演技派たちの競演が謎をさらに深めていく。なお、5月26日(火)21時からの「素敵な選TAXI 特別編」放送内で本作のスペシャル映像が初解禁される。5週連続特別ドラマ「探偵・由利麟太郎」は6月16日(火)21時~カンテレ・フジテレビ系にて放送開始。※初回15分拡大(cinemacafe.net)
2020年05月23日6月スタートのカンテレ・フジテレビ系火曜夜9時の新ドラマが、横溝正史の「由利麟太郎」シリーズを初めて連続ドラマ化した「探偵・由利麟太郎」に決定。併せて、主要キャストの吉川晃司、志尊淳、木村弥寿彦プロデューサーからのコメントが解禁となった。金田一耕助シリーズで知られる横溝正史が世に送り出した、戦後初の本格長編小説「蝶々殺人事件」を含む「由利麟太郎」シリーズを初めて連続ドラマ化した本作。横溝作品独特のおどろおどろしい奇怪な世界を現代風に新解釈し、ホラーミステリーとして映像化する。主人公・由利麟太郎を演じるのは、今年デビュー36周年を迎えた希代のロックスターであり、俳優の吉川晃司。今回が地上波連続ドラマ初主演となる彼は、デビュー作の『すかんぴんウォーク』で初主演。その後、『ユー・ガッタ・チャンス』、『テイク・イット・イージー』と、吉川さんを主人公とした3部作が映画化。『必死剣 鳥刺し』では、第34回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞している。映画のほかにも、「天地人」「八重の桜」などNHKの大河ドラマで大役を演じ、「下町ロケット」で演じた財前部長役で強い印象を残し話題を呼んだ。由利はかつて、警視庁にその人あり、と知られた元捜査一課長だった。しかし、ある事件をきっかけに退職し、いまでは殺人者の行動、心理を分析する“犯罪心理学者”として活躍している。その一方で、警察からの依頼を受け、事件の捜査を手伝っている。由利の捜査方法は、「ひたすらに事件現場を観察し続けること―」。学生時代にアメリカのロッキー山脈で出会ったハンターから学んだトレース技術に基づき捜査する。また、由利は、先端恐怖症でありながら、弓で矢を射る武道・弓道の心得もある。静寂の中、弓を構え、的を見据えることで、彼は精神を集中させ、それが難事件解決の一助となっている。見た目は白髪の紳士で、あまり多くを語らない静かな男だが、その洞察力と論理的思考は天才的である。そんな由利を敬愛し、助手としてバディを組むミステリー作家志望の青年・三津木俊助を演じるのは、志尊淳。トランスジェンダーを演じた「女子的生活」では主演を務め、第73回文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門放送個人賞も受賞。10月30日(金)公開予定の『さんかく窓の外側は夜』で主演、2020年公開予定の『2分の1の魔法』では主人公の日本語版声優を務めるなど、様々なキャラクターに憑依する演技派の俳優だ。三津木は由利を崇拝するあまり、自分の小説を書くことよりも、由利の活躍を記録するWebサイト「由利麟太郎の事件簿」の運営に力を入れている。事件現場でも助手として由利とともに行動し、次々と起こる怪事件をともに推理していく。物静かな“静”の由利に対し、よくしゃべる“動”の三津木。一見すると、さわやかな青年であるが、ふいに事件の核心に触れたりする。京都を舞台にした本作は、本社を大阪に構えるカンテレにとって“ALL関西”を掲げてドラマ制作に取り組んだ意欲作でもある。カンテレが、ゴールデン・プライム帯の連続ドラマを“ALL関西で制作するという試み”は、1985年に放送された「影の軍団 幕末編」以来、34年ぶりとなる。また今回、「影の軍団幕末編」を共に制作した、歴史ある東映京都撮影所と再タッグを組み、プロデューサー、監督を含め、関西の制作スタッフが集結。スタジオセット撮影から、ロケ撮影など、全て京都をはじめとする関西地区で行った。なお、すでに全撮影は終了している。■出演者・プロデューサーコメント吉川晃司(由利麟太郎役)“由利麟太郎”をやらないか? とお話をいただいたとき、面白い挑戦だなと思いました。そもそも、普通のドラマをやるのなら、僕には声を掛けないでしょう(笑)。変わったこと、攻めたことをやりたいというプロデューサーや監督の想いを感じました。伝統ある東映京都撮影所を拠点として、職人技を持った太秦のスタッフの方々と一緒に、映画のようなスケールとこだわりで撮影できたことに、手応えを感じています。由利は、心の奥底に深い孤独を抱えながら、人生をさすらっている男。セリフよりも、横顔や後ろ姿で、彼の生きざまを醸せればと思いながら演じました。助手の俊助を演じている(志尊)淳はとても勘が良く、頭の回転も速い。由利との関係性もうまく出ているんじゃないでしょうか。セリフの量では淳が主役です(笑)。ちょっと不思議な手触りの作品になっていると思うので、楽しみにしていてください。志尊淳(三津木俊助役)今回お話を頂き、やらせて頂く背景で大きかった要因の一つとして、吉川晃司さんとのバディーというところがありました。ミュージシャンとしてのパフォーマンスはもちろんのこと、一人の人間としても、なんてかっこいいんだろう、ついていきたいと感じていた僕の気持ちと、由利麟太郎先生についていきたいと思う三津木くんの気持ちがリンクしているように感じました。そんな二人の色濃く、コミカルなバディーが、いろんな角度から事件の謎を解決していきます。撮影を経て、僕と吉川さんの距離が縮まったのと同じように、どんどん近くなっていく由利先生と三津木くんのバディー感もお楽しみに。木村弥寿彦(演出・プロデュース)原作を読んですぐに由利麟太郎は、吉川晃司さんだとイメージしました。白髪の紳士という設定もありますが、由利の冷静沈着でクールに事件を解決する姿は、吉川晃司さんという唯一無二の存在でしか表現できないものがあると感じお願いしました。挑戦的で刺激的で怪奇な世界観を味わうことができるエンターテインメントドラマです!5週連続特別ドラマ「探偵・由利麟太郎」は6月16日より、毎週火曜日21時00分~カンテレ・フジテレビ系にて放送予定。(text:cinemacafe.net)
2020年05月14日一概にモードといっても、そこには経済的、社会的、科学的、文化的な背景があり、それが作用しながら新しいコレクションは誕生していく。モードは世の中の現象と連動しながら進化しているといえるのだ。世の中で起きている事象や人々の思考がどちらを向いているかを察知する力がデザイナーは求められる。デザイナーは自分のアンテナが示す方向に従い、クリエーションを行い新作に昇華していく。それを繰り返しながら、時代が求めるモードは形作られるのだ。今シーズンのコレクションにも、社会的な動きが反映した「デジタル」「オーガニック」「エコフレンドリー」「女性活躍」4つのキーワードが浮かび上がってきた。世の中の動きと連動しながらモードはどこへ向かおうとしているのか考えてみた。◇クチュール・ミーツ・デジタル■CHANEL(シャネル)クチュールメゾンには、フランスの伝統工芸を文化として継承する役目がある。現にシャネルは、フェザー、帽子、ボタン、靴などの工房を傘下に置き、その工房の職人の技を途絶えさせることなくメチエダールコレクションとして新作を発表している。これはシャネルによる社会貢献、文化貢献の形といえる。そうしてクチュールメゾンは伝統を継承するだけではなく、新素材の開発やハイテク技術の革新が、今後の存続には欠かせないことを熟知し、常に新しい時代の職人を育てているのだ。コレクション会場のグランパレは、あたかもコンピュータの中に入り込んだかのように「データ・センター・シャネル」が設えてあった。コレクションの冒頭は、ベーシックなシャネルのスーツを纏ったAIロボットを思わせる二体(?)が登場した。その後はシャネルのスーツにキャップをかぶったモデルたちが、今っぽいストリート感を漂わせた。デジタルのコードをイメージしたテクニカルなプリントのドレス、LED電球が点滅するバッグやパンチングされた白いシューズが浮遊感を醸し出し、バーチャルな世界を表現。クチュール・ミーツ・デジタルの時代到来を告げた。エコフレンドリーを楽しもう!■ステラ マッカートニー(STELLA McCARTNEY)ステラ マッカートニーは自身のブランドを立ち上げたときから、リアルレザー、リアルファーを使用していない。ステラのファンには当たり前のこととして受け入れられている。コレクションを重ねるごとに素材のレベルも上がり、その区別がつかないほどだ。ラグジュアリーなモードと環境問題は相反関係にあると見なされ、ステラの考えに賛同するデザイナーはまだ少ない。素材を限定することは、デザイナーが明確なビジョンを持ってこそ実現することだからだ。ステラは「我関せず」とばかりに環境にも人道的にも優しいコレクションを発表し続けている。ショーの最後にモデルたちがダンスを始めたのは、サスティナブルだから、アニマルフリーだからオーガニックだからと声高に叫ぶより、ファッションを楽しむことが問題解決につながるというステラの心を察してのことだろう。リラックスしたムードはボリューム感で、ボディフィットのウエアは得意のスポーツマインドが生かされていた。ウエアに記された「NO LEATHER NO FUR」、「THANKS GIRLS」、 「ALL IS LOVE」というメッセージに、思わず頷いた人も多いのではないだろうか。ムードとしてのオーガニック■ロエベ(LOEWE)ロエベの展示会を訪れたとき、ブリーフィング(説明会)でジョナサン・アンダーソン(J.W.ANDERSON)はオーガニックという単語を多用したという話を耳にした。ロエベのコレクション速報には登場しない言葉だが、ジョナサン・アンダーソンにとって「オーガニック」は、シーズンの気分を表し、デザインや色や素材表現で、一番しっくりくる言葉だったのだろう。特にオーガニック・コットンや、オーガニック製法のウエアを発表したわけではなさそうだった。コレクションは、天然素材、ローエッジのヘムは手作りの風合い、リラックスしたシルエットとどれもオーガニックなムードを醸し出している。先シーズンまでの都会で暮らす女性のイメージから、自然と触れ合うライフスタイルの女性が描かれていた。効率を重視するあまりにファスト化するファッションの流れに、スローな感覚を呼び戻そうとするかのようだ。モード界の中心にいる若手デザイナーの提案であることに意味があるような気がすらしてならない。女性活躍の時代はこんなところにも■ディオール(DIOR)1910年代ファッションデザイナーという職業を得た、ジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin)、マドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet)、そうしてココ・シャネル(Coco Chanel)は、女性の社会進出の先駆けとなった。第2次世界大戦が終結すると、今度は男性デザイナーの時代が始まり、クリスチャン・ディオール、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)がオートクチュールをおおいに賑あわせた。リアルクローズの90年代には、再びミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)、ステラ マッカートニー、フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)と女性デザイナーが注目を集め活躍する時代がやってきた。しかし、これはプレタポルテの世界の話だ。老舗のクチュールメゾンでは、戦後がまだ続いているかのように、旧態然として男性デザイナーの独壇場で、女性の出る幕はないと思っていた。ところが、2017年春夏よりディオールのアーティスティック ディレクターにマリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)が就任するとの一報が入り、モード界は騒然とした。来年70周年を迎えるメゾンは、ムッシュ以来7人目にして、初めての女性デザイナーを迎え入れたのだ。ディオールのメゾンには、女性を礼賛するDNAが受け継がれている。男性デザイナーたちは夢想しながら、受け継いだ DNAで新しい時代の女性を描いてきた。マリア・グラツィアは、女性の目線でリアルにモダンでたおやかなディオールの女性を表現することができる。モードを牽引するクチュールメゾンに新しい風が吹き始めた。Tシャツには“WE SHOULD ALL BE FEMINISTS”とメッセージが書かれていた。女性による、女性のための、ディオールが誕生した。
2017年01月02日密かに注目を集めているピンクについて考えてみた。女性はピンクを着るタイプと着ないタイプに分かれる。日本ではピンクを着る女性のタイプは、「可愛い」「女性らしい」「ソフトな」と形容されることが多い。着ないタイプのクロゼットには、男性と肩を並べて仕事をするイメージの黒や紺やグレーといった落ち着いた色の服が並んでいる印象がある。だからと言って女性であることを否定しているわけでもない。ここで誤解して欲しくないのは、着る女性、着ない女性たちをステレオタイプに分類しようとしているわけではない。デザイナーの感性を通して提案された新しいイメージのピンクを、ピンクを着ないタイプと思い込んでいた女性たちが、着てみたいと思う瞬間を捉えてみようと考えた。コム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)の川久保玲が、赤をテーマにしたコレクションを発表した時、単に女の子色だった赤を、赤は黒に匹敵する強い色だというメッセージを発信し、そのイメージを一変させたことがある。来シーズン注目したいピンクは、それぞれのデザイナーの捉え方の違いが際立つシーズンになりそうだ。■バレンシアガ(BALENCIAGA)/リッチ・ピンクバレンシアガのデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)は、クチュールならではのヴィヴィッド・カラーへのアプローチを鮮やかなピンクやブルーで表現した。80年代から90年代のクチュールに見られたリッチなヴィヴィッドカラーの使い方にインスパイアーされたであろう色使いだ。2017年春夏に見られた「クチュールとフェティシズムの密接な関係」は、リッチなピンクがクチュール感を担い、ラバーやスパンデックスという素材が持つ触感はフェティシズムに由来するものだ。キッチュとエレガンスの間、タイトロープを歩くようなスリリングな展開をヴァサリアは楽しむかのようだ。先シーズンのストリート感覚はアノラックやワークジャケットやメンズライクなシャツとして存在し、バレンシアガのベーシックアイテムとして定着するのだろう。■ジバンシィ バイ リカルド ティッシ(Givenchy by Riccardo Tisci)/神秘のピンク意外性のピンクは、ジバンシィのピンクかもしれない。「ニューエイジ」がキーワードという2017春夏は、これまでのクールなコレクションに新しい感覚がプラスされたシーズンになりそうだ。従来の黒を基調とした力強いコレクションと並行して、瑪瑙(メノウ)の原石の断面をプリントしたドレスには、自然の色に由来するピンクがさりげなく配置されていた。ジバンシィにはこれまで存在したことのない「神秘のピンク」なのだ。女性にアピールするピンクというより、かつてピンクに見向きもしなかった女性へ向けたスピリチャルなメッセージをピンクのメノウプリントで、投げかけているかのようだ。その後登場したフューシャピンクのドレスも、イタリア人特有のぬくもりを感じさせるピンクだった。■ヴァレンティノ(VALENTINO)/必然のピンクピエールパオロ・ピッチョーリ(PierPaolo Piccioli)は、単独のクリエイティブディレクターとなったコレクションの冒頭に女性へのオマージュのように一連のピンクを発表した。イギリスのデザイナー、ザンドラ・ローズ(Zandra Rhodes)にルネッサンス期のネーデルラントの画家ヒロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)の「快楽の園」を再解釈したイラストをペールピンクからサンドラの髪の色のようなショッキングピンクのドレスに刺繍で描いた。メゾンのDNAともいえるどこか甘く切ない女心をくすぐるポイントをピエールパオロは身につけていたのだろう。つまり、ヴァレンティノ・ガラヴァーニのフェミニズムは、色や素材の隅々にまでいきわたっており、メゾンの未来に受け継がれていくに違いない。■シャネル(CHANEL)/デジタル・ピンクシャネルのピンクは、定番色といえるほどいつのコレクションにも存在する。今季もトレンドを意識したわけでもなく、いつもと変わらぬ我が道の中に存在するピンクだ。カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)の才能は、定番のピンクをシーズンのコレクションの中で偶然のように見せる力にあると思う。ツイードの風合いや新しいシルエットで提案するシャネルのスーツは、フェミニンなピンクがいつも存在し、ファンを裏切ることはない。2017春夏は、シルクに施されたプリントのピンクは、人工的なニュアンスを伝えるために発光しているかのような電気仕立てのピンクに仕上がっている。今までとは明らかに違うデジタル・ピンクなのだ。■エルメス(HERMES)/知的なピンク知的な女性デザイナーはピンクを敬遠すると女性たちは思っている節がある。今シーズンのナデージュ・ヴァン=シビュルスキー(Nadege Vanhee-Cybulski)は、ピンクと素直に向き合っていた。つまり、女性を美しく見せる色を探していたら、ピンクに行き当たったという印象だ。奇をてらうわけでもなく、いかにも彼女らしい肩肘張らないリラックスしたピンクに対するアティチュードに好感を持った人も多いはずだ。素材の風合いと色のマッチングが絶妙で、品の良さを際立たせる。自分の感覚に従った結果、時の空気に敏感なデザイナーたちと同じ気分を共有していたのだろう。ナデージュが表現する陶器のようなローズとフューシャピンクは、知的な女性のために存在する。■ロエベ(LOEWE)/ひらめきのピンク49体の内ピンクは1体だけにも関わらす印象を残したのは、色の力でもあり、デザイナーのひらめきの力だ。少し青みがかったピンクは、ベージュと組み合わせることで鮮やかさを増している。さしてピンクへの想いれもなく、何の先入観もなく配置されたピンクは、清々しささえ感じさせる。 ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)のデザインに多くみられるジェンダレスと同じ延長線にあり、他意もなく瞬間的にひらめいたピンクのようである。そのひらめきに触発されて、着ないタイプの女性も、抵抗なく手に取るのではないかと思った。
2017年01月01日全日空のスターアライアンスや、日航のワンワールドといった言葉を聞いたことがあるだろうか。航空会社のグローバルネットワークによりコードシェア(他社のフライトにも搭乗できるシステム)したり、マイレージを他社でも使えるサービスだ。利用者にとっても、企業にとってもウィン・ウィンのシステムとして、今では当たり前になってきている。■デジタル時代が導いたアライアンスの発想デジタルの時代、こうした「アライアンス」という発想が、出版社同士でより機能するようになるだろうという、ハースト婦人画報社代表取締役社長&CEOであるイヴ・ブコン氏の考えを裏付けるように、講談社とハースト婦人画報社、それぞれの現場から提案された企画が2016年3月2日スタートした。講談社のwebマガジン『ミモレ』()のショップコーナーが『エル・ショップ』( )と直結したのだ。『ミモレ』の社外編集長の大草直子氏(講談社初の社外編集長)はじめ、人気のライターやスタイリストたちが、ECサイト『エル・ショップ』で扱っているアイテムを使いコーディネートを提案し、お気に入りの商品があれば、『エル・ショップ』へ飛びお買い物ができるシステムだ。『エル・ショップ』は、2009年にスタートし、出版社では先駆けとなったECサイト。『エル・ショップ』の特徴は、エルのエディターやバイヤーが選んだ商品で構成され、必然的にブランド数もアイテム数も絞り込まれた、セレクトショップ型のECサイトだ。また、他のECサイトと一線を画しているのは、カスタマーレビューのコーナーがないところだ。ユーザーの反応がレコメンドアイテムなど商品動向を左右せず、目利きエディターとユーザーとの信頼関係で成立しているサイトだ。大草直子編集長率いる『ミモレ』は、リアル(現実と実用)を追求する、純粋webマガジンとして2015年1月にスタートした。webの強みを発揮し、動画による具体的な着こなしを提案したり、会員になると時間限定で編集長やスタッフと、ファッションやビューティなどのお悩み解決チャットができるという。こうしたリアル感が、ユーザーの心を掴み人気を博している。ミモレの創刊当初は、読者が掲載商品を手に入れたいと思った場合は、すぐに購入できるように、それを扱うサイトへのリンクを貼り、他社サイトでも飛べる仕組みにしていたが、『エル・ショップ』での購入頻度が高かったことから、ユーザーの親和性が強いと感じ、手を組んでみようという話が成立したのだ。『エル・ショップ』がセレクトしたアイテムを、『ミモレ』がその良さを引き出し、ユーザーに支持されたアイテムは人気商品となる。こうして理想のトライアングルが形成され、ウィン・ウィン・ウィンの関係が成立するのだ。競合他社という壁に風穴が開き、新しい時代の風を感じさせる、デジタル化へマインドセットが進む過程に起きた「ちょっといい話」と捉えるべき出来事に違いない。--「【メディアの未来を考える】デジタル戦略がもたらす未来のメディア--ハースト婦人画報社1/3:横井由利」へ--「【メディアの未来を考える】デジタルネイティブに向けたメディア『コスモポリタン』のスタイル--ハースト婦人画報社2/3:横井由利」へ
2016年05月04日ハースト婦人画報社は2016年1月21日にデジタルメディア、コスモポリタン日本版(をローンチした。同社代表取締役社長&CEOのイヴ・ブゴン氏(以下ブゴン氏とする)が、「我が社は雑誌も発行するデジタル企業となることを目指す」と挨拶した通り、デジタルメディアへの大きな一歩となる、コスモポリタン日本版を創刊した。『コスモポリタン』は1886年アメリカで創刊した女性向けの総合誌で、2016年頭にデジタルメディアとして日本に上陸した。「”Fun Fearless Female” (楽しく大胆な女性)」をイメージする『コスモポリタン』は、LOVE、ビューティ、ライフスタイル、エンターテインメント、ファッションをテーマに、世界中の女性をエンパワーしているメディアだ。■ユーザーの時間を競合と奪い合うデジタルメディア雑誌制作会社からIT企業に移り、キャリアを積んだコスモポリタン日本版の白重絢子編集長に紙媒体とデジタルメディアの違いについて尋ねた。「私が紙媒体を語れる立場ではありませんが、紙媒体は、その雑誌のスタイルのファンであることが大前提で、お金を払っても読みたいと思わせる世界観があり、常に何かを提案する存在なのではと感じています。一方デジタルは、ユーザーの時間を競合同士で奪い合っている。ユーザーを振り向かせるには、今何にユーザーが興味を持っていて、何を求めているか、ユーザーのインサイトを知り、ニーズを満たす記事をつくることが大切だと考えています。また、スピードを意識して記事をアップすることも大切にしています。さまざまなプラットフォームに流れていく記事を、どれだけの人が見つけてくれ、面白がってくれるが勝負だと考えています」と白重編集長。ユーザーの気持ちを知るために、編集スタッフはTwitterやInstagramなどのSNSも含めたあらゆるサイトをチェックし、時にはコスモポリタンのターゲットと思われる人たちと会いコミュニケーションをとっている。■デジタル世代のリアルなニーズに応える記事をつくるコスモポリタンのターゲットは、20代前半から30代前半。デジタルネイティブと呼ばれる人たちだ。彼女たちは、物心ついた時には身近にコンピュータがあり、大人になる前にスマホを手にしていた世代。たとえば、コスモポリタンで最も定評のあるLOVEのコンテンツでは、Tinderを使って出会った女性の体験談をコラムにするなど、デジタルネイティブらしい出会い方をしている。「コスモポリタンのユーザーは、今、何に引っかかり、何に悩んでいるのかをきちんと知ることが大切だと思っています。女友だちのような存在となりたいと思っています。聞き上手な友だちには、いろんなことが相談できるように……。」という白重編集長も、デジタルネイティブ世代だ。■デジタルと紙媒体の編集体制における違いとはデジタルと紙媒体の編集部の体制にも違いがある。ヒエラルキーが存在しないというのもデジタルならではの発想で、プロデューサーだろうと編集長だろうと、いちスタッフだろうとフラットな関係性で成り立っている。データから得られる結果も大切にしているので、意見を裏付けるデータを見つけて示せば、誰でも意見を言うことができる。アップル社のジョブズがいつもカジュアルなスタイルだったのは、社員と同じ目線でいることの証なのだろう。これがデジタルのスタイルに違いない。※インサイト=洞察したい相手の視野から得られるその人の気持ち--「【メディアの未来を考える】デジタル戦略がもたらす未来のメディア--ハースト婦人画報社1/3:横井由利」へ--「【メディアの未来を考える】競合他社とタッグを組む『エル・ショップ』と『ミモレ』のケース--ハースト婦人画報社3/3:横井由利」へ
2016年05月03日総務省は、平成16年/2004年の情報通信白書の中で、情報のデジタル化の変遷を「マルチメディア」「インターネット」「ユビキタス」という、新聞でも使用される頻度の高い言葉を用いて表現した。その中でユビキタスネットワーク社会を「いつでも、どこでも、誰とでも、ネットワークに繋がれば、様々なサービスが提供され人々の生活をより豊かにする社会である」と定義づけた。「メディアのデジタル戦略」についてインタビューを試みた、ハースト婦人画報社の代表取締役社長&CEOのイヴ・ブゴン氏(以下ブゴン氏とする)は、現在のユビキタスネットワーク社会の到来を見据えて、他社に先駆け1996年『ELLE 0NLINE』を立ち上げ、デジタル化の第一歩を踏み出していたという話からスタートした。■雑誌も発行するデジタル企業への転身を目指すそれから約20年を経た2015年末に行われた事業説明会でブゴン氏は、米国ハーストマガジンズ社のCEOの言葉を引用し「私たちは、雑誌も発行するデジタル企業への転身を目指す」と、これまでの紙媒体を中心にした出版事業から、デジタルを中心にした事業へのシフトを宣言した。ブゴン氏に、この発言の意味するところを尋ねてみると、「我が社では、2010年から新しい時代の出版社として組織の最適化を図り、インフラの整備、デジタル対応の商品開発に着手し、紙を中心とするビジネスモデルからデジタル中心に移行するために社員のマインドセットの変革もおこなってきました。まだ進化の途中ですが、徐々にその成果は現れています」。冒頭から、紙媒体では使用していないいくつかの用語が並び、時代の変化を実感する。■教育プログラムで社員のデジタルリテラシー強化を図るハースト婦人画報社は、2011年にアシェット婦人画報社から米国ハーストのメディアコングロマリットの一員となったが、それ以前から少しずつ社員の教育プログラムを実施し、デジタルリテラシーの強化を図っていた。「紙の編集者の編集スキルの高さは会社の財産です。そして、生まれた時からPCやスマホを使いこなして来たデジタル化以降入社したスタッフは、SNSを駆使するなどデジタルスペースでのコミュニケーションに長けています。しかし、長年のELLE ONLINEの成果は、社員のデジタルなマインドセットの醸成に役立っています。更に、社員の25%が20~30代前半のデジタルネイティブと呼ばれる人たちになってきました」とブゴン氏。今後デジタルネイティブのパーセンテージは上がることはあっても下がることはないと予想される。出版社の場合、新卒での入社は狭き門で、3年以上の経験者にしか門戸を開けないところも多い、今後20代前半でもデジタルリテラシーの高さによっては入社も可能になるのだろう。この、デジタルネイティブと呼ばれる人たちについては、2回目の『コスモポリタン』の項に登場するのを楽しみにしてほしい。■編集者がコンテンツを最適化するためのインフラ整備スタッフの充実と並行して行うことで、安定したクオリティと利便性を増すのがインフラの整備だ。ユーザーが求めているサービスばかりか社員の意識向上につながる。ハーストグループでは、独自のCMS(コンテンツ マネジメント システム)「Media OS」を開発し、グループのネットワークの強化を推し進めている。このCMSでは、編集者がコンテンツを最適化することをサポートし、コンテンツを全世界で共有できることが特長だ。人気が高い記事が瞬時にわかり、海外の記事でも日本の読者が興味を持ちそうなら、国を超えて使えるというシステムには、ネット時代独特のスピード感がある。「Media OS」では、新しい広告商品も導入された。ハースト社が世界共通で使用するシステムのため、一つの広告キャンペーンが、グローバルに国を超え、媒体さへも超えて展開できる可能性があるという。壁を超えるという考え方についてブゴン氏に尋ねると、「デジタルの世界では企業同士が提携するアライアンスという仕組みは珍しいことではありませんが、今後出版社の間でも進んでいくのではないかと思います」。このアライアンスという発想に当てはまる事例として、他社の販売網を利用して、本を流通させる販売委託という方法がある。現在、ハースト婦人画報社は講談社に販売を委託する提携を結んでいる。これは以前から存在する提携の形で珍しいことではないものの、販売業務の提携を皮切りに、互いの信頼関係を醸成し、新たな広がりを見せている。講談社のデジタルコンテンツ『ミモレ』編集部とハースト婦人画報社の『ELLE SHOP』の部署同士でユーザーの親和性が高いことが分かり、「一緒にやってみませんか?」という発想を生み、同業他社との協業に発展していった。1991年ティム・バーナーズ・リー氏によってWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)が開発されて25年、この間にもパラダイム・シフトは確実に進んでいるのだ。ブゴン氏のインタビューを終えて、デジタル化による新しい時代のうねりが「出版社からデジタル企業への進化」を促していることを改めて感じると共に、これまでではありえないことが起ころうとしているワクワク感を享受するデジタルネイティブ時代の到来を感じた。※マインドセット=ものの見方。物事を判断したり行動する際に基準とする考え方。※デジタルリテラシー=インターネットを使いこなす基本的な能力※デジタルネイティブ=学生の時代から、パソコンやインターネットがある生活環境の時代に育った世代。1980年前後以降生まれが該当する。--「【メディアの未来を考える】デジタルネイティブに向けたメディア『コスモポリタン』のスタイル--ハースト婦人画報社2/3:横井由利ヘ--「【メディアの未来を考える】競合他社とタッグを組む『エル・ショップ』と『ミモレ』のケース--ハースト婦人画報社3/3:横井由利」へ
2016年05月02日「没後50年“日本のルソー”横井弘三の世界展」が、6月5日まで東京・中村橋の練馬区立美術館で開催されている。1889年に長野県飯田市に生まれ、独学で絵画を学んだ横井弘三は、1916年に東郷青児や石井鶴三らと共に第3回二科展で二科賞を受賞するなど、早くから作品が認められた画家。洋画家の有島生馬から「極上々機嫌」と評された人となりから生まれる横井の作品は、“日本のアンリ・ルソー”と称され、高い評価を受けた。しかし、横井は関東大震災で傷ついた子供たちを元気付けるために行っていた自作の絵画寄贈事業「復興児童に贈る絵」の出品見合わせを二科展に言い渡されたことから、二科会を離れ、「理想展」と呼ぶ無鑑査、自由出品のアンデパンダン展を自ら組織するなど、既成の画壇に抗する活動を展開し、古本屋や露店業を営みながら絵を描き続けた。中央画壇から離れた横井の名は次第に世間に忘れられてしまい、必ずしも恵まれた画業ではなかったが、長野市に移住した晩年の約20年間は地元の支援者に恵まれ、精力的に制作活動を展開したという。「没後50年“日本のルソー”横井弘三の世界展」では、多くの作品が愛好家による個人所蔵であるため、まとまって鑑賞する機会が少ない横井の作品が一堂に集結。油彩画、版画、漆絵、焼き絵など様々な技法を用いた作品や著作、装丁本、創作玩具など約200点が展示され、いまだ明らかでない横井の画業の全貌に迫る。なお、会期中は講演会やワークショップ、ギャラリートークなどのイベントも開催される。イベントのスケジュールや詳細は、練馬区立美術館のオフィシャルサイトで確認出来る。【イベント情報】没後50年“日本のルソー”横井弘三の世界展会場:練馬区立美術館住所:東京都練馬区貫井1-36-16会期:4月17日から6月5日時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)料金:一般800円、高・大学生および65~74歳600円、中学生以下および75歳以上無料(要年齢等確認証)休館日:月曜日
2016年05月01日一枚の服に目を凝らし、耳をそばだて、感触を確かめる、するとそこから波動が伝わってくる。デザイナーは、何を感じ、何を夢想し、何を提供すべきか、ときに感情の赴くまま、ときに才知にたけた判断により、完成させた服に込められた波動なのだ。Emotionmalファッションデザイナーは、絵画や音楽などにインスパイアーされたものをシーズンテーマにして、物語を紡ぎランウエィショーで発表する。その物語は、ときに恋愛がドラマチックに描かれたり、日常生活の機微がスマートに描かれており、感動的なショーはスタンディングオーベーションを受けるほどだ。ただショーの中心はあくまでも新作の服だということを忘れてはいけない、素材やデザインやコーディネート、小物使いで文脈を読みとることになるのだ。エディ・スリマンのサンローラン(Saint Laurent)には、良家のちょっと不良の女子が描かれている。ムッシュ・サンローランのミューズ、ベティ・カトゥローを彷彿させるケイト・モスをイメージし、反体制派の香りを漂わせた。ライダースの下にグラマラスなレースやスパンコールのドレスを着て挑発した。ランバンのアルベールが描いたストーリーは、衣服礼賛、女性礼賛だった。無表情な淑女が着るセクシーなドレスは、九鬼周造の『「いき」の構造』で語られた意気地や媚態の霊化が粋となるという言葉に通じる何かがある。そうして、コム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)のコレクションは、いつも情動的な昂ぶりがデザインされ、見る人に衝撃を与え続けている。Intelligent奇しくもこの括りに並んだ3名の服は女性デザイナーのものだ。先にも述べたように彼女たちのプレゼンテーションは「自分が着たいと思う服」を出発点としている。特別な日に着る「ハレの服」より、日常に着る普段着を意味する「ケの服」を大切にする傾向がある。その発想は、ミウッチャ・プラダがデビューした90年代のリアルクローズと通じている。女性の日常を豊かにするリアルクローズは、情緒的なフリルよりも、シンプルで理性的な色使いや合理的なカッティングが必要なのだ。エルメス(HERMES)のデザイナーに就任して2回目コレクションで、ナデージュ・ヴァンヘ=シビュルスキーは、整然とした美しい数式のようにシンプルな手法で、エルメスの極上の素材やカレ(スカーフ)を再解釈してみせた。セリーヌ(CELINE)を率いるフィービー・ファイロは女性のたおやかな感性を知的に使いこなし、暮らしの中のモダニズムを追求する。持続可能(サスティナブル)な世界のために誠実な企業であることを目指すステラ マッカートニー(Stella McCartney)は、環境負荷の少ない素材を開発しつつ、美しく楽しいファッションを展開している。「もう一つの視点」へ戻る。「過去、現在、未来へ」へ戻る。
2016年03月31日ラグジュアリーブランドを任されたデザイナーには、伝統を守りつつ時代を切り開く先進性が求められる。2016春夏コレクションでブランドのデザイナー達が出した答えとは。Science & Technologyインターネットは、19世紀の産業革命以上の変化を世界にもたらし、いたるところで新しい価値観を誕生させているが、ファッション界も当然のようにパラダシムシフトの波は押し寄せている。芸術性を極めようとした20世紀から、科学の時代と呼ばれる21世紀が到来し、科学やテクノロジーの中にクリエイティビティーを見出そうとしているのだ。ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)のニコラ・ジェスキエールは、架空空間をコレクション会場に設え、テクノロジーを駆使して開発された素材を用い、クチュールの手法で未来型ファッションを描き出した。デジタルネイティブのジョナサン・アンダーソンは、皮革製品の老舗ロエベ(LOEWE)を、レザーを用いることなく彼のリテラシーでいとも簡単に進化させている。また、芸術とテクノロジーの融合を追求するイッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)は、デザイナーが変わったとしてもプリーズ プリーツの進化版を発表し続けている。デザイナーの宮前義之は、研究室にこもり日夜研究に明け暮れる科学者を感じさせる。3Dスチームストレッチ、ベイクドストレッチと足を止めることはない。21世紀の形が少しづつ見え始めたといわれる今、ファッションは目に見えない、奥深いところで大きな進化を始めているようだ。Arts & Craftsルネッサンス初期には、芸術家という職業は存在せず、後世に名を残す芸術家も職人として仕事をしていたという。ヨーロッパでは芸術と職人技は同じ線上にある。クチュールメゾンにとって職人技を継承することは、最重要課題の一つだ。伝統は人の手と感覚の伝承により生き続けるものだけに、職人のパトロンとなり、仕事を発注することで資金的な援助を行う、パトロネージュの精神は生き続けているのだ。ヴァレンティノ(VALENTINO)は、アフリカの捺染、ウッドビーズ刺繍などのアフリカの部族に伝わる工芸をオートークチュールの域に昇華させ独自の正統派の美学を披露した。片やメゾン マルジェラ(Maison Margiela)のデザイナーに就任したジョン・ガリアーノは、綿密なクチュール技を使いながら、アバンギャルドな表現法でコレクションを構成し、これからの職人によるクチュールへのアプローチをより豊かなものにした。クチュールメゾンだったランバン(LANVIN)には、職人たちの技が今なお伝えられている。アルベール・エルバスは職人たちを讃えて「マニュフェスト」名付けられたコレクションを発表した。テクノロジーの進化は人間の手が担っている。美の追求にも、やはり人間の手と感性は欠かせない、純粋に美しいと感じるものを女性たちは求めて止まないのだ。「ファッションの息遣い」へ進む。「もう一つの視点」へ戻る。
2016年03月30日2016春夏の新作コレクションが店頭を飾り始めた。この春、何を買って着ようかと情報チェックはすでに終了したタイミングに、手に入れる商品の背景や店頭に並ぶ必然性を考察してみた。5ヶ月前の2015年10月に開催された、2016春夏パリコレクション。各メゾンの新作は発表の翌日には「Style.com」(現Vogue.com)で、速報として世界中に配信され、翌月になるとコレクション分析はすっかり終わり、注目の素材はレースで、流行色は白になると頭のどこかにインプットされている。SNSで拡散されたリアルなブロガーの言葉が響いたとなれば、その意見に従い買い物計画を練っているのかもしれない。ブティックには新作の商品が揃い始めたこのタイミングで、改めてコレクションについて語ることにしたのは、同じ服でも視点が変わると違う見え方をすることを提案するためだ。3シーズンほど前からトレンドのキーワードに登場している「ジェンダレス」に注目してみた。この言葉の意味は「性差を超えて」だ。20世紀の女性は、ロングスカートからミニスカートに履き替え活発に、ズボンを履きテーラードジャケットを着て男性と肩を並べた。女性ファッションは「ユニセックス」「アンドロジーナス」などという言葉に置き換えられ、進化していった。21世紀に入ると、今度は男性ファッションに変化が起こり、フリルのついたシャツも、スカートを模したパンツも受け入れる男性が増えている。ジョナサン・アンダーソンのように性差の壁を取り払い、同じ素材、同じデザインを提案するデザイナーも登場している。(その現象は、デザインのアイディアやテクニックで表現可能な事柄で、世相の変化として捉えることができる。)ところが女性と男性デザイナー別にコレクションを並べてみると、ジェンダーの差が見えてくるのだ。女性デザイナーはまず自分が着たい服を提案し、男性デザイナーは妄想をデザインに落とし込んでいるのだ。それは今始まったことではなく、一般市民がファッションを楽しむようになったころから何ら変わっていないことに気がつく。女性デザイナーの出発点は、自分が今着たい服だ。男性デザイナーは、新しい考えを持つ女性にはこんな服を着て欲しいし、求めているに違いないという妄想だ。そこで女性たちは、どのプレゼンテーションに賛同するかによって自分が着る服を選ぶのだ。男性デザイナーの服がセクシーに見えるのは、彼らが造形的な「美」を追求するからだろう。それにひきかえ女性デザイナーは案外現実的で、こんな服があったら「着易い」や「楽」をキーワードにし、さらに古い考えから解放された自分をデザインし、男性の視線は二の次の場合が往々にしてある。今まで、何気なく選んでいた服が、男性または女性デザイナーによるものなのか意識することで、ファッションの視点が変わっていく。伝統と革新、感情と知性、点(モード)と面(スタイル)を対比しながら、もう一つの視点を模索してみた。男性デザイナーという視点からディオール(Dior)19世紀ヴィクトリア朝のランジェリーを現代風にアレンジしたシリーズは、コットンボイルが醸し出す清廉なイメージ。プリーツを施したバージャケットのしなやかなラインは上質のエレガンスが香りたつ。ランバン(LANVIN)人の手が作り出す真実を意味する「マニュフェスト」をテーマに、ランバンを支える職人たちを讃えたコレクション。服が完成する工程をデザインしたり、クチュール的な手法にアルベール・エルバスの繊細さを垣間見た。ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)デジタル化社会が本格化する時代を捉えたニコラ・ジェスキエールは、「ファイナルファンタジー」の世界を、メタリックフィルム素材やピクセルをパターン化しモードに変換。確かなクオリティが未来の創造を生み出す力に。サンローラン(Saint Laurent)ムッシュサンローランの形をなぞることよりマインドを読み込むエディ・スリマン。ロックフェス用のウエリントンブーツとクチュール手法のドレスを組み合わせて究極の贅沢を表現。ムッシュを彷彿させる反骨精神は健在。メゾン マルジェラ(Maison Margiela)ロマンチックで創造的なジョン・ガリアーノならではの文脈で綴った新生マルジェラ。時代も国籍も超越したコレクションは、50’sのクチュールと着物ドレスで構成。メゾンのコードを独自のセンスで読み替えた。シャネル(CHANEL)永遠のパリコレクションはシャネルが開催するグランパレにある。会場を空港のカウンターに仕立て、シャネルエアラインを利用するマダムたちが必要なワードローブを展開。トレンドはシューズで表現する。(c) CHANELロエベ(LOEWE)レザーの老舗ロエベのイメージを刷新するかのような、ビニールやミラーをアップサイクルしたコレクションを披露したジョナサン・アンダーソン。コレクション後一部はすぐにオンラインで購入できるシステムを早くも導入。ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)独特の色彩感覚と異質なパターンの組み合わせ、ドリスしか奏でることができない不協和音を思わせる組み合わせの服たち。ブロケードやチュールを使いフェミニン度が高いコレクションに仕上がっていた。女性デザイナーという視点からクロエ(Chloe)スポーツジャージーとシフォンを組み合わせてみたら新鮮なコーディネートが誕生。上質の素材で70’sの香りがするカジュアルを表現するクロエは、時代を超えたパリシックの基準となり女性を魅了する。ステラ マッカートニー(Stella McCartney)カジュアルを新解釈したポロシャツディテールのチューブドレス、動きによってオプティカルな効果をもたらす2色使いのプリーツドレス、刺繍やレーシーな手法のドレスはこの春夏のマストハブアイテムに。エルメス(HERMES)最高級の素材と職人技が常備されたメゾンで働くことの幸せを感じるナデージュ・ヴァンヘ=シビュルスキーは、自分のやるべき仕事の一つに頭脳プレーを見出した。色や素材選び、スカーフの扱いどれも知的な作業が施されている。アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)17世紀にカトリック教徒に追われ、フランスからイギリスに逃れたユグノー(プロテスタント)がもたらした繊細なシルク素材やロマンチックな花柄をモチーフにして、たおやかな女性像を描き出した。ミュウミュウ(MIU MIU)ミュウミュウのコレクションは、これから昔話やおとぎ話が始まる予感。オーバーサイズのコートやオーガンジーのエプロンドレスやお姫様のティアラには、どれもストーリーが隠されているかのよう。サカイ(sacai)セカンドハンドショップで見つけた宝物とは、スーベニールスカーフ、ゴールドのレース、シフォン製のバンダナ等など。アシメトリーのヘムラインが揺れるたびに見え隠れする乙女心が、女性を虜にする。コム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)ベルベット、マラボーなどを多用してたボリューミーな服をまとった「ブルー・ウイッチ(青い魔女)」は、強さを備えたグラマラスな女性を感じさせる。シーズンのメッセージは常に言葉を必要としない。「過去、現在、未来へ」へ進む。「ファッションの息遣い」へ進む。
2016年03月29日雑誌が創刊準備を始めると、パイロット版を作り、クライアント、代理店にプレゼンテーションするのが常となっている。ところが、『ロフィシャル ジャパン』は従来の常識を打ち破るかのようにパイロット版をパスした。それがロフィシャル流なのだろう。フランス版は、本誌以外にロフィシャル・ボヤージュ、ロフィシャル・アート、ジュエリー&ウォッチのモントレー、ロフィシャル・オムなどがあり、それぞれ年4回ずつ発刊されている。ライセンスマガジンの場合、リフトの仕方は契約条項に記されている。『ロフィシャル ジャパン』の場合はリフトの仕方が従来のライセンスマガジンと違い、インターナショナルな視野に立った旅の記事は『ボヤージュ』から、海外のアートシーン情報は『アート』からリフト。ファッションは独自の視点で企画、撮り下ろしをするという。セブン&アイ出版が進めるオムニ化の拡大解釈と捉えればいいのか、出版社の垣根を越えたコラボレーションを実現する予定もあるという。ファッション界でも、ラグジュアリーブランドとファストファッションのコラボなどで化学反応を起こし、新たなマーケットを創出しようとする動きが盛んだ。『ロフィシャル ジャパン』の試みは、モードとは縁がなかった文学系の雑誌とのブック・イン・ブックや別冊という形態でのコラボなど、今まで接点がなかった互いの読者へアプローチして部数を伸ばそうという企画が進行している。セブン&アイホールディングスの大規模小売業的な大胆な発想が生かされているのだろう。出版界でも同業者との業務提携は進んでいるが、コンテンツまで踏み込むことはほとんどない。更に『ロフィシャル ジャパン』主導でライセンスビジネスを展開する準備が進められている。80年代前後に上陸したモード誌は本国主導でアパレル、コスメを中心にライセンスビジネスが盛んに行われた。「ライセンスビジネス?」と訝る声もある中で、あえて挑戦するのには訳がある。「後発のモード誌はしっかりしたブランディングが必要です。ブランディングが成功すれば、出版だけではなくホテルやカフェなどのライセンスビジネスへと繋がっていくという発想なのです」と馬淵氏はいう。そこには従来の出版社の姿はない。新しいビジネス展開を目指す企業の姿を思い描こうとしているようだ。webサイトは、本誌の電子書籍として10月1日より同時にスタートする。本格始動は12月1日の予定で、当面本誌連動企画とweb_企画をミックスして運営していく。webの可能性と発展は十分に意識しながらも、紙媒体を充実させることを優先している。馬淵氏が懇意にするあるクリエーターから「ラグジュアリー・マガジンをコンビニで売る気なのか?」と問われた。富裕層の人たちは、スーパーマーケットは厳選するが、コンビニへのこだわりや偏見はない。1日2,500万人、5人にひとりが毎日コンビニを利用している時代に、そのアドバンテージを見過ごすわけにはいかないという思いが芽生えた。『ロフィシャル ジャパン』の共同発行人でありセブン&アイ出版の大久保清彦執行役員は、コンビニで『街の本屋さん』を展開している。流通、出版共にパラダイム・シフトが起きている今、逆もまた真なりと新たな一歩を踏み出すことで、出版界に風穴を開けようとする『ロフィシャル ジャパン』の創刊は、起爆剤になるのだろうか。---前編「『ロフィシャル』が再創刊へ。オムニチャンネルを生かし常識を覆す」を読む。
2015年10月05日モードや芸術の花が咲き乱れた「レ・ザネ・フォール(狂乱の時代)」と呼ばれるパリの喧騒の中『ロフィシャル』(1921年創刊)は誕生した。モード誌の中で伝統的なハイ・モードを表現し、オートクチュールの世界感に最も近い雑誌と位置付けられている。現在29カ国で発刊され、10月1日に30番目の『ロフィシャル ジャパン』が再創刊する。(再創刊の意味については、ファッション・ヘッドライン『日本モード誌クロニクル第3部』を参照されたい。再創刊に至った経緯について発行人兼編集人を務める馬淵哲矢氏に訊ねると、以前からロフィシャルの妹版『ジャルーズ』のジェニファー編集長に日本ブランドのファッション・カタログ制作を依頼していた。会うたびに、『ジャルーズ』の日本版を創刊しようと話していたところ、本当にやる氣ならまず旗艦誌でもある『ロフィシャル』をということになり、ことは動き始めた。「当初、あるケーブルTVの出版部門でという話でしたが、セブン&アイ出版の常務執行役員である大久保清彦氏に『ロフィシャル』出版の権利を所有していると話すと、ぜひ共同発行人として出版したいとのオファーがありました」と権利取得から3年かけて再創刊の準備が整ったと馬淵氏は語り始めた。セブン&アイ出版は、母体となるセブン&ホールディングスの流通システムを活用して新たな販路を構築している。従来の取次を通して配本されるシステムの他に、今や雑誌流通の主役となっているコンビニエンスストアの雑誌コーナーは侮れず、各出版社はそのスペースを狙っている。インターネットは、30年前に3万店あった書店を8千店と激減させた。手にとって本を買うという行為はなくなることはないにしても、書店の数が減っている現状では販路の拡大は望めない。「セブン&アイホールディングスには、コンビニエンスストアのセブンイレブンがあります。その数は全国1万8千店舗に及んでいます。そこに流通のルートがあることは非常に魅力的ですね」。世界で最も高級なモード誌を、コンビニエンスストアの書棚に並べることへの、批判の声も聞こえてくるなか、決然とした馬淵氏の発言には、勝算ありと信じてのことのようだ。インターネットは時代の価値観を変えている。これまでの常識は非常識に変わるかもしれない、モード誌のコンテンツに変化はないかもしれないが、ハード面では変化を遂げようとしているのだ。セブンアンドホールディングスは、グループをあげて流通のオムニチャネル化を進めている。ネットとリアルを融合して、いつでも、どこでも、どんな方法でも的確な情報を得て、望む物が手に入る流通システが構築されつつあるのだ。そのシステムは紙媒体とネットの世界でも、新たな展開をもたらすに違いない。---後編の「出版界に風穴開くか。『ロフィシャル ジャパン』のアドバンテージとは」に続く。
2015年09月30日季節のご挨拶や帰省などでお手土産を用意する機会も多くなるこの時期に頭を悩ます人も多いはず。そんな時には、ファッション・ビューティ業界関係者が太鼓判を押す“東京手土産”をご参考に。街の人に愛される伝統の味からモダンに進化したスタイルまで、TOKYOらしい5つの和菓子を紹介する。■絶えぬ行列、原宿で長年愛される「瑞穂」の豆大福某イタリアレザーブランドのウィメンズPRマネージャー・Yさんが推す、東京・原宿の和菓子店「瑞穂」の豆大福。ぽってりとふくよかな豆大福は、手に持った瞬間から伝わる柔らかさが特徴。きめ細やかな餅には程よく塩気の利いた小倉が練りこまれ、滑らかな舌触りで甘すぎないこし餡がたっぷり包み込まれている。「人気店なので、早めにお店に行かないと売り切れてしまうことも...」(Yさん)■創業100年以上の名和菓子店「うさぎや」のどらやきブランドのPRやプランニングを手がけるアイハイト(eyehight)の堀内明さんが推薦する「うさぎや」のどらやき。「たくさんあんこが詰まっていて、どっしりと重く、少し歪んだ形がまた素朴でいいなと思います」(堀内さん)惜しげも無くたっぷりと詰められたなめらかな粒餡、さくっとした歯切れのよさを引き出した皮の焼き加減、餡の甘みを引き立てるほんのり優しい蜂蜜の風味など、随所に美味しい緻密な計算が感じらる一品だ。■モダンな和菓子「HIGASHIYA」のひと口菓子美容ジャーナリストの渡辺佳子さんが推薦するのは、HIGASHIYA(ヒガシヤ)の「ひと口菓子」。「包装、形、しつらい、味まで、オリジナリティにあふれる和モダンの世界が、他にはない存在です」と渡辺さん。まるでチョコレートのように繊細で美しく、小振りで可愛らしい。そして口に運べば、その凡庸でない風味にきっと驚くはずだ。■昭和初期に考案、ウイスキーにも合う老舗「御菓子司 中里」の揚最中FASHION HEADLINEでディレクターを務める横山達也のおすすめは、東京・駒込にある「御菓子司 中里」の揚最中。胡麻油で揚げ、伊豆大島の焼き塩を振った煎餅のように丸く厚みのある最中で、北海道十勝産の小豆を練り上げた粒餡をサンドした、通常の“最中“とは一風変わった斬新な一品。■削ぎ落とされたシンプルさ。矜持を感じる「たちばな」のかりんとうファッションジャーナリストの横井由利さんが推薦する、「たちばな」のかりんとう。「“食べる前から美味しいに決まっている!”を感じさせる」と横井さん。たっぷりと飴掛けされた外側はつやつや。ポピュラーなかりんとうの見た目はそのままに、口に運ぶと驚くほど軽やかで洗練された口当たりが特徴だ。
2015年08月15日季節のご挨拶や帰省などでお手土産を用意する機会も多くなるこの時期に頭を悩ます人も多いはず。そんな時には、ファッション・ビューティ業界関係者が太鼓判を押す“東京手土産”をご参考に。TOKYO情緒かおる魅力的な和菓子をまとめて紹介する。■絶えぬ行列、原宿で30年愛される「瑞穂」の豆大福某イタリアレザーブランドのウィメンズPRマネージャー・Yさんが推す、東京・原宿の和菓子店「瑞穂」の豆大福。ぽってりとふくよかな豆大福は、手に持った瞬間から伝わる柔らかさが特徴。きめ細やかな餅には程よく塩気の利いた小倉が練りこまれ、滑らかな舌触りで甘すぎないこし餡がたっぷり包み込まれている。「人気店なので、早めにお店に行かないと売り切れてしまうことも...」(Yさん)■創業100年以上の名和菓子店「うさぎや」のどらやきブランドのPRやプランニングを手がけるアイハイト(eyehight)の堀内明さんが推薦する「うさぎや」のどらやき。「たくさんあんこが詰まっていて、どっしりと重く、少し歪んだ形がまた素朴でいいなと思います」(堀内さん)惜しげも無くたっぷりと詰められたなめらかな粒餡、さくっとした歯切れのよさを引き出した皮の焼き加減、餡の甘みを引き立てるほんのり優しい蜂蜜の風味など、随所に美味しい緻密な計算が感じらる一品だ。■モダンな和菓子「HIGASHIYA」のひと口菓子美容ジャーナリストの渡辺佳子さんが推薦するのは、HIGASHIYA(ヒガシヤ)の「ひと口菓子」。「包装、形、しつらい、味まで、オリジナリティにあふれる和モダンの世界が、他にはない存在です」と渡辺さん。まるでチョコレートのように繊細で美しく、小振りで可愛らしい。そして口に運べば、その凡庸でない風味にきっと驚くはずだ。■昭和初期に考案、ウイスキーにも合う老舗「御菓子司 中里」の揚最中FASHION HEADLINEでディレクターを務める横山達也のおすすめは、東京・駒込にある「御菓子司 中里」の揚最中。胡麻油で揚げ、伊豆大島の焼き塩を振った煎餅のように丸く厚みのある最中で、北海道十勝産の小豆を練り上げた粒餡をサンドした、通常の“最中“とは一風変わった斬新な一品。■削ぎ落とされたシンプルさ。矜持を感じる「たちばな」のかりんとうファッションジャーナリストの横井由利さんが推薦する、「たちばな」のかりんとう。「“食べる前から美味しいに決まっている!”を感じさせる」と横井さん。たっぷりと飴掛けされた外側はつやつや。ポピュラーなかりんとうの見た目はそのままに、口に運ぶと驚くほど軽やかで洗練された口当たりが特徴だ。
2015年08月14日毎日、編集部のオススメ商品を紹介する連載「Today’s item」番外編として、ファッション・ビューティ業界のプロが選ぶ“東京土産”をご紹介。季節の挨拶や帰省などでお手土産を用意する機会も多くなる季節。お遣いものに悩むことがあれば、目利き達が太鼓判を押す逸品リストを参考にして欲しい。本日は、FASHION HEADLINEでも執筆を行うファッションジャーナリストの横井由利さんが推薦する、「たちばな」のかりんとう。「たちばな」は東京・銀座8丁目に店舗を構える。「引き戸を開けると、中は人が2、3人ほど入ると窮屈になるほど、こじんまりとした設え。左を見ると2種類のかりんとうが並べられているだけ。そうしたことから店主のこだわりと矜持を感じます」(横井さん)たちばなで売られているのは、細い「さえだ」と太い「ころ」2種類のかりんとうのみ。「“食べる前から美味しいに決まっている!”を感じさせる」と横井さん。たっぷりと飴掛けされた外側はつやつや。ポピュラーなかりんとうの見た目はそのままに、口に運ぶと驚くほど軽やかで洗練された口当たりが特徴だ。1種類のみなら朱色の丸缶に、2種をセットで贈れる角缶も用意されている。包装紙は店名の橘の花が描かれた上品な淡い黄色の紙。店構え、味、包みに至るまでシンプルな“たちばな製”には銀座の趣と風格を感じる。
2015年07月21日埼玉県の跡見学園女子大学が、7月26日に新座キャンパスの花蹊メモリアルホールにて、学生が企画・制作・運営まで行うリユースファッションショー「ATOMI GIRLS COLLECTION 2015 vol.5」を開催する。ファストファッションの影響で衣服の大量生産・消費が問題視される中、近年ファッション業界ではリユースが注目され、有名メーカーや百貨店が古着回収・下取りサービスや物々交換会などを実施している。「ATOMI GIRLS COLLECTION」は、ファッションを取り巻く昨今の課題や取り組みの認知を広げるため、11年より毎年開催されてきたイベント。5回目となる今年は、ファッションジャーナリストとしても活躍する生活環境マネジメント学科・横井由利准教授のゼミに所属する2年生15人がショーに取り組む。今回のテーマは「20世紀ファッションは刺激的!」。学生たちの祖母や母親が着ていた服を収集して、60年代のポップ・エレガント、70年代のヒッピースタイル、80年代のパワー・シックの3つの時代のファッションをスタイリングとヘアメイクで表現する。学生たちは、プロのスタイリスト・ヘアメイク講師による指導のもと、ショーの企画・運営から演出、映像制作、チラシ制作、ヘアメイク、モデル出演、ステージ照明まで一貫して担当する。同ゼミの学生は「母親世代の古い服でも工夫次第で可愛く着られることをアピールしたい」とコメントを寄せている。【イベント情報】「ATOMI GIRLS COLLECTION 2015 vol.5」開催日:7月26日会場:跡見学園女子大学 新座キャンパス 花蹊メモリアルホール住所:埼玉県新座市中野1-9-6時間:13時5分~13時50分料金:無料※予約不要
2015年07月10日銀座3百貨店よるフェア「ギンザ ファッション ウィーク」にて3月22日、FASHION HEADLINEによるトークイベント「日本モード誌クロニクル」が銀座三越にて開催される。11時・14時・16時・18時の4部構成。ファッションジャーナリスト・横井由利氏が執筆した日本のインターナショナルモード誌の今昔を追った連載「日本モード誌クロニクル」。今イベントでは横井氏がファシリテーターを務め、記事には書けなかった内容まで出演者とトークセッション。出演するのは『マリ・クレール スタイル』の田居克人編集長(11時)、『ハーパーズ バザー』の木津由美子編集長代理(14時)、『ヌメロ・トウキョウ』の田中杏子編集長(16時)。田居編集長は「新しいモード誌の在り方」、木津編集長代理は「女性に寄り添ったハーパーズ バザー」、田中編集長は「生き方としてのモード(ヌメロ・コード)」、それぞれトーク。最後の18時の回はFASHION HEADLINE編集長の海老原光宏が編集後記として今後のモード誌の行方について横井氏と占う。会場は銀座三越9階の銀座テラス/テラスルーム。各回1時間予定。入場無料、入退場自由。【イベント情報】日本モード誌クロニクル会場:銀座三越9階 銀座テラス/テラスルーム住所:中央区銀座4-6-16日時:3月22日(各回30分前開場)第1部11:00から12:00 田居克人×横井由利第2部14:00から15:00 木津由美子×横井由利第3部16:00から17:00 田中杏子×横井由利第4部18:00から19:00 海老原光宏×横井由利料金:無料
2015年03月16日3月20日、「銀座三越×ハーパーズ バザー スペシャルナイトパーティー」が銀座三越3階、4階で開催される。時間は19時15分から21時まで。これは“ファッションで日本を元気にする”ことを目的に、3月18日から31日の期間、松屋銀座、銀座三越、プランタン銀座で開催中の「ギンザ ファッション ウィーク」イベントの一つ。今回は『ハーパーズ バザー(Harper’s BAZAAR)』とコラボレーションし、桜とアートを絡めた様々な企画を行っている。会場では、『ハーパーズ バザー』総編集長の森明子と、モデルの土屋アンナ、アーティスト河原シンスケを招いたトークショーを始め、『ハーパーズ バザー』が監修したファッションインスタレーション、フレアバーテンダー世界大会でチャンピオンに輝いた「ZEN&MASAYA」のショー、バルーンアーティスト・ゲンによるパフォーマンスなど様々なエンターテイメント、ドリンクやフードが楽しめる。更には、桜色の“ピンク”にちなんだスペシャルゲストも登場。誰が来店するかは、当日のお楽しみ。イベントの受付開始は19時から。ファッションヘッドラインでは、このナイトパーティーにメルマガ会員様の中から抽選で25組50名様をご招待します。応募締切は3月18日正午。当選者には同日18時にメールにてご連絡いたします。メルマガ会員の新規ご登録はこちらから応募の詳細は、7時30分に配信中のメルマガでお知らせ致します。また、「ギンザ ファッション ウィーク」の一環で、FASHION HEADLINE主催、ファッションジャーナリストの横井由利によるトークセッションイベント「モード誌クロニクル」を3月22日に開催。詳細は後日掲載のイベント告知記事からご確認ください。
2015年03月13日1年半の準備期間を費やし、『ハーパーズ バザー』は、2013年9月20日創刊した。「コアターゲットは働く大人の女性。大人感があり尖り過ぎず、クオリティーが高く、テイストの幅があるモード誌。30代、40代、50代と年齢に左右されない女性が興味を持ち、大人の女性が読めて使えるクオリティーの高いものにしていこうと思いました」(森総編集長)。何度となくターゲットのマッピングをした結果、最もバザーらしいターゲットを導き出したのだ。創刊にあたって、森総編集長(コンテンツとビジネス面を統括)が定めた方向性は、本国版Harper's BAZAARのDNAを忠実に表現することで、他誌との差別化を図るというものだった。その方法の一つとして、創刊号には、1867年から現在までの表紙を集めたベストカバー集を付録に付けた。もう一つが、左開き、つまり文字の横組だった。これまで、横書きのモード誌はなかったのでそれをポイントにして、他誌との差別化を図ろうというものだ。「実は、これに関しては社内でも賛否両論だったのですが、結局デジタルとの連動を考えると、横書きにしたほうが、縦書きから横書きに変換する時に起こるトラブルが回避できる。レイアウトも、本誌との一体感が出るなどの理由で、決意しました」結果的には、読者、クライアントからの評判もよく、洋書のように美しいという意見もあった。また、雑誌だけでなくweb、コマース、イベントなどによる、マネタイズ(収益事業化)の多角化を目指した。一つは、ショップバザー(ShopBAZAAR)の開設だ。創刊では、伊勢丹新宿店の I ONLINE内にバザーのショッピングサイトが登場するという仕掛けを作った。「コマースの取り組みは今後も続けたいと思っています」と森総編集長。コマース以外にも、伊勢丹新宿店での創刊イベントや六本木ヒルズで編集部がセレクトした新作ファッション映画の試写会を行った。どこよりも早く見ることができた試写は、ファッションコンシャスなバザー読者を満足させたに違いない。雑誌が紙媒体のみとして生きられた時代は15年ほど前までと、森総編集長は言う。その頃の編集者は、企画が作れて、キャスティングができ、文章が上手く書けたり、ビジュアルが作れればよかったが、今はプリント(紙媒体)、デジタル、コマース、更にイベントなどをトータルに企画できる編集者の時代になってきた。場合によってはマネタイズ能力も必要とされるのだ。ShopBAZAARは、米版も積極的に推し進めている重要案件で、モード誌のブランドエクステンションとして、今後期待されていくだろう。現在Harper's BAZAARのグローバル・ファッション・ディレクターを務めるかリーヌ・ロワトフェルド(元Paris VOGUE編集長)は、モード界で最も影響力のある女性の1人だ。彼女は、米バザーのインターナショナルと年間6回モードページを作る契約を交わし、それを各国版に提供している。もちろん、日本版でも彼女のページが見られる。カリスマ的な彼女は、読者やクライアントの人気が高く、さりげなく存在感を醸し出すだけでおしゃれ度がワンランク上がるから、不思議な人だ。4月には彼女の私生活を追った映画『マドモアゼルC』が日本でも公開される。今年から隔月刊になったが、今後月刊化するのか訊ねると、まだその答えを出す段階ではないという。今は、バザーのターゲットとする女性達に、確実なイメージを定着させていく時期で、先を急いで内容が薄まった月刊にするよりも、しばらく様子を見ながら丁寧に作ることを選択するとの答えだった。ただ、時世の変化を見極めて、速攻すべきときにギアチェンジできるよう準備を怠らないのが、森総編集長のこれまでのやり方だ。以前の読者は雑誌と対話をしながら読んでいたので、隔週刊、月刊のタームで雑誌が出て欲しいと思ったかもしれないが、デジタル時代の到来で、モード誌に求められるのは早さや量ではなく、よりクオリティーの高い写真や記事になってきた。また、デジタルと紙媒体を比較してどちらかに軍配を上げるのではなく、共存する方法をモード誌は模索する時代でもあるのだ。森総編集長率いる『ハーパーズ バザー』、モード誌の新しい時代を切り開いていくに違いない。日本モード誌クロニクル了。前編初回に戻る。
2014年02月24日フランス語で番号を意味する「Numero」は、1999年バベット・ジアンによって創刊されたフランスのモード誌だ。モードのポストモダンが終焉を迎えた1990年以降、リアルクローズこそモードの最前線と言われるようになった時代に、洗練されたフランスのモダニティーを、エッジの利いたビジュアルで表現する「Numero」がデビューし、創刊当時からモード関係者の間では話題となった。どちらかというとインディーズ的な香りを漂わせたこのモード誌は、VOGUE やHarper's BAZAARなどの王道モード誌に淘汰されていくのではとの大方の予想を裏切り、独自のスタンスを貫き、世界的なモード誌へと登り詰めていった。日本ではモード誌に対して一種のアレルギーがあり、部数、広告共にビジネス的に成立しにくい雑誌と見なされていた。ところが、1990年代後半になるとエル・ジャポンの成功とヴォーグ上陸を契機に、広告主が動いた。広告には、ブランドのイメージを向上させる役割と実売に結びつける役割、二つの目的がある。ラグジュアリーブランドでは、イメージのコントロールは重要案件とされ、どんなに大部数でもイメージ的にそぐわない雑誌とのリレーションは難しいと判断されるのだ。また、ラグジュアリーブランドが日本上陸から30年以上経つと顧客の高齢化が進み、新規顧客を開拓する時期になっていた。つまり、部数的には弱いモード誌でも、ラグジュアリーブランドの広告が入る必然性が生まれた。こうした時代の流れを察知し「Numero」に賭けようと、IT関連のMファクトリーという会社は子会社ラ・カシェットを設立し、仏版Numeroの輸入総代理店となり、仏版を翻訳したタブロイド判を差し込み展開していた。数年後、日本版創刊に向けて編集長候補を探し始めた。「ヴォーグのエディターをやっていた2005年のこと、ヌメロの編集長を捜しているから推薦したいという電話があり、編集長の経験がないので、編集長はしかるべき方をたて、ファッションディレクターならできるかもしれないということで、ラ・カシェットの方とお目に掛かりました」と、現ヌメロ編集長の田中杏子さんは語る。ラ・カシェットからの強い要望もあり、結果的に編集長を引き受けることになった田中杏子は、2005年10月にヴォーグを退社し、アシスタントを1人連れて、ヌメロ日本版の編集部作りに取り掛かった。親会社Mファクトリーと同じ六本木ヒルズの39階のだだっ広いオフィスを与えられたのはいいが、翌年1月にライブドア(38階にあった)の堀江貴文以下数名の逮捕者を出したライブドア事件以降、銀行はIT関連の会社へ貸し渋るようになっていった。そのあおりを受けて、規模を縮小していく親会社を横目で見ながら、編集部を元代々木に移し、広告営業のパートナーとなった常見大作と共に、創刊に向けた試算を続けることになった。スタッフの絞り込み、会社経費の削減とシミュレーションを繰り返し、初めて現実的な創刊イメージが完成していった。ところが、1年余りの準備期間を費やし、創刊を間近に控えた2007年1月23日、ラ・カシェットの役員からこの事業を丸ごと買い取ってくれるところを至急探して欲しいとの要請があった。それは、1週間後に引き受け先が決まらなければ、創刊はないものと覚悟してくれとの厳しい内容だった。モード誌を毎月出していくためのランニングコストや、キャッシュフローを考えると、ITバブル崩壊の余波を受け弱体化した新興企業では、創刊にたどり着くことさえ困難だったのだろう。扶桑社がラグジュアリーブランドを扱う女性誌の出版に前向きであることを知り、田中編集長は、当時の朝倉役員と片桐社長、両氏を訪ね、ことの経緯と成功への秘策をプレゼンした。結果、1週間後にヌメロを引き受けるとの返事が返ってきた。「ほんとうに、ディープインパクトでしょう?その時私は臨月だったんですが、3kgも痩せてしまいましたもの」いや、女は強し、母は強し。それほどタフじゃなければ、編集長は勤まらないのだ。8/12に続く。
2014年02月19日版元の事情で、雑誌が休刊になったり、版元が変わることはある話だが、『マリ・クレール』に関しては、中央公論社(現中央公論新社)が読売新聞社の傘下に入ると、角川書店へ移り、2003年にはアシェット婦人画報社(現ハースト婦人画報社)へと移っていった。日本では人は会社に付くといわれるが、伊田博光は広告営業として『マリ・クレール』とともに、中公→角川→アシェット→中公新社へと渡り歩いた。『マリ・クレール』の変遷を誰よりも知り尽くしている。アシェット婦人画報社での『マリ・クレール』に、ある手応えを感じたのは2代目生駒芳子編集長の時だったと伊田さんは言う。2005年2月温室効果ガス排出量を削減しようという京都議定書の調印が行われ、足並みがそろわないままでの調印に新聞やテレビの報道番組が議論していた頃、ラグジュアリーブランドのルイ・ヴィトンが既にその問題に取り組んでいることを知った生駒編集長は、2005年9月号で特集「エコ・リュクス物語 by ルイ・ヴィトン」を組んだ。元アメリカ副大統領のアル・ゴアによるドキュメンタリー映画「不都合な真実」へ賛同した生駒編集長のエコ意識は、ページに反映されていった。しかも、対極にあると思われていた、エコ・ライフとラグジュアリーなライフスタイルを両立させる、エコ・リュクスこそ21世紀のおしゃれと位置付けた。2006年、仏『marie claire』は「ラ・ローズ・マリ・クレール」と名づけたキャンペーンを開始した。それは、バラを買うとその代金の半分が「すべての女の子が学校へ」という活動をする協会に寄付され、カンボジアに女子学校を設立した他、フランス国内の女子学生に向けて奨学金制度を発足させ、より多くの女子に教育の機会をもたらした。08年には、日本流にアレンジされたローズ・キャンペーンを日本版『マリ・クレール』でも開始した。生駒編集長の軸足は、環境問題や人権問題にあった。サスティナブルな世界を目指し、古ぼけた価値観の服を脱ぎ捨てて、新しい服を着ておしゃれを楽しもうと提案したのだ。80年代『マリ・クレール』の知性を纏うことがおしゃれだった時代を彷彿とさせた。「生駒編集長は、ある意味アーティストでした。先の時代を鋭く読みとり、前進させていこうとする姿勢に、ラグジュアリーブランドも知らず知らずのうちに巻き込まれていましたね」と伊田さんは懐かしむ。編集長の仕事は、力仕事だ。個性的な編集者を束ね、主張の激しいクライアントと正面から向かい合い、独自の流儀を持ち、誰からも信頼されるために奔走する。その結果、読者に支持された時の喜びは代え難いものがある。(12/12に続く。モード誌の新しいあり方『マリ・クレール スタイル』に。)
2014年01月04日『アンアン/エル・ジャポン』が創刊された1970年3月3日、美大志望の男子生徒から「こんな雑誌が出たの知ってるか」と手渡されたのがモード誌との出合いだった。当時外国といえばアメリカ一辺倒で、アメリカの高校生の一夜を描いた映画「アメリカン・グラフィティ」のような世界や、アイヴィールックが世界で一番おしゃれと思い込んでいた女子に、ヨーロッパの香りがする、A4変形、中綴じのグラフィカルな雑誌は衝撃だった。自分の知らない世界では、アルファベットを組み合わせたプリントの茶色いバッグが、おしゃれなのか?よく分からないが、とにかくこれがおしゃれというものだ、と確信した。1969年、平凡出版社(現マガジンハウス)の当時岩堀喜之助社長は清水達雄専務をともない、パリへ赴きフランスの女性週刊誌『ELLE』と提携契約を結んだ。日本にモードを定着させることに一役買った、ライセンスマガジンのスタートだった。ただ、『アンアン/エル・ジャポン』は、日本オリジナル編集と提携した『ELLE』のページをミックスした、変則なモード誌で、1982年『アンアン』から独立して『エル・ジャポン』として同社から創刊されるまでこのスタイルは続いた。芝崎文編集長、堀内誠一をアートディレクターに迎え『アンアン/エル・ジャポン』は創刊。創刊号は、金髪にボンネットを被った外国人モデルの表紙を立木義浩が撮影。日本編集のファッションページでは金子功が特別にデザインした服を着た立川ユリがモデル兼メインキャラクターを務めた。最新のパリコレ情報は長沢節が解説、三島由紀夫のエッセイも掲載、仏版『ELLE』の記事は一折16ページで構成されている。巻末に型紙を添付し洋服の作り方を載せていたファッション誌と違い、『アンアン/エル・ジャポン』は、最新モードの服のコーディネートを提案する、今では当たり前なことを初めてやった雑誌だったと、スタイリストの原由美子さんは言う。原由美子さんは、『アンアン/エル・ジャポン』の創刊準備から、仏版エルの記事を翻訳し16ページに落とし込む仕事からスタートし、フリーのスタイリストとして独立するまでこの仕事を続けていた。パリのモード界はオートクチュールに変わりプレタポルテがトレンドを牽引するようになり、洋服は作るから既成の服を買う時代になっていった。型紙なしの『アンアン/エル・ジャポン』創刊は、編集者の鋭い臭覚がもたらしたものだった。「創刊した頃のファッションページは、金子功さんが作った一点ものの服を掲載したので価格表記はなく、今のようにメーカーやブランドからサンプルを借りて、価格をクレジットするようになったのは50号目からだった」と原さん。サンディカ(オートクチュール組合)の再編により、プレタポルテ組合が新設された1973年、原さんは初めてパリコレを取材することになった。「ケンゾーは証券取引所、ソニア・リキエルはグルネル通りのブティックと、思いおもいの場所でショーを開いていた。ケンゾー以前は、モデルがナンバーカードを持ち、粛々と歩くのがショーのやり方だったけど、ケンゾーは一度にたくさんのモデルをランウエイへ送り出し、まるでお祭りのようだった。このやり方は、ジャンポール・ゴルチエに引き継がれたの」その頃コレクション取材をしていたのは、パリに支局を持つ文化出版や新聞社の記者で、日本から出掛ける者はほとんどおらず、むしろバイヤーのほうが多かった。原由美子さんには、仏ELLEチームに混じりElle Japon Yumiko Haraのカードを貼り付けた席が用意された。「仏『ELLE』に掲載されている編集長や気に掛かるページを担当するファッションエディターの席を見つけては、この人がページを作っているんだと興味深かった」という。ファッション写真は、『ELLE』本誌が使用した残りのポジがすべて送られてきた上に、自由に使うことができるというおおらかな時代だった。フェティッシュなヘルムート・ニュートンの写真からは想像もつかないが、『ELLE』のファッションを撮っていた時期もあり、確かに『ELLE』テイストの写真に仕上がっている。72年1月5日号『ELLE』大特集では、ヘルムート・ニュートン、ジル・ベンシモン(元『ELLE』インターナショナルのクリエーティブディレクター)の写真が、1ページに4カット、6カットと大胆にデザインされている。アートディレクター堀内誠一の成せる技だった。当時、平凡出版社のいち編集者だった赤城洋一は、仏『ELLE』の編集者達が『アンアン/エル・ジャポン』を見たがり、ページを開くうちに真剣な目に変わっていったのは、斬新なアートディレクションに目を奪われたからだろうと、自書に記している。日本初、女性のためのチャーミングなモード誌は、編集もデザインもスタッフのほとんどが男性だったことには驚くばかりだ。土佐日記を書いた紀貫之ではないが「男もすなる日記というものを、女もすなるとて、するなり」といった心境だったのだろうか。参考文献*深井晃子著『パリ・コレクション』(講談社現代新書)*赤城洋一著『「アンアン」1970』(平凡社新書)*原由美子著『原由美子の仕事1970→』(ブックマン社)(4/12に続く。)
2013年12月29日2014年1月5日より放送されるTVアニメ『となりの関くん』にて、ヒロイン・横井るみを演じる花澤香菜がオープニング曲「迷惑スペクタクル」を、世界的ドラマーの神保彰がエンディング曲「Set Them Free」を担当することが明らかになった。この「迷惑スペクタクル」は、文化放送で花澤がパーソナリティを務めるラジオ番組『花澤香菜のひとりでできるかな?』(隔週水曜21:00~22:00)で、12月に初披露される予定。また、このオープニングとエンディング主題歌を収録したCD『となりの関くん うたのCD』が、2014年1月22日に発売される。オープニングとエンディングのTVサイズのほか、"アニソン界の帝王"水木一郎が歌う劇中歌「団欒(だんらん)!ロボット家族」も特別収録されるという。価格は1,890円で、キングレコードより発売される。先日「迷惑スペクタクル」のレコーディングも行われ、横井るみの声で主題歌を歌う花澤は「出だしから早口でビックリしました(笑)。その早口なところも横井さんの頭の中でぐるぐる想いが回っている感じだし、楽しげなメロディもハラハラしながらもどこかワクワクしている横井さんの気持ちのようでピッタリだなと思いました」と振り返りながら、「歌詞も横井さんの、関くんに対する想いそのもので、曲名通り、関くんに遊びは迷惑なんだけど、机上で行われる遊びは時に壮大だからつい気になっちゃう、みたいな」と、かなり作品にリンクした楽曲であることを説明。また、今回の収録は本編のアフレコ前に行われたようで「オーディションで結構、長い時間、横井さんをやらせていただいたので、その時のイメージを思い出しながら歌いました。ディレクターさんからの指示は"自分の信じた横井さんで歌ってください"と言われたくらいでした」と、初めてながらも横井るみとして順調な収録ができたという。楽曲の聴きどころについては「原作ファンの方が聴いたら"そうそう!"とうなづけるくらい横井さん感が出ているところです。作品の中での横井さんの表情を思い浮かべながら聴いて、笑ったり、ほっこりしてもらえたらいいなと思います」と話している。ちなみにお気に入りのフレーズは、横井るみの気持ちが端的に入れられている"やっぱりその先は…や・め・て!"という部分だという。『となりの関くん』は、森繁拓真が描く異色の「日本唯一の授業サボりマンガ」で、現在『月刊コミックフラッパー』(KADOKAWA メディアファクトリー刊)にて連載中。累計発行部数は160万部(2013年4月現在)を越える人気を誇っている。アニメ『となりの関くん』は、2014年1月5日よりテレビ東京で毎週日曜26:05から放送。ほかにもAT-Xや、ニコニコ動画やGyaO!といった動画サイトでも配信される。■『となりの関くん うたのCD』収録曲01.迷惑スペクタクル / 花澤香菜02.Set Them Free / 神保彰03.迷惑スペクタクル(TVサイズ) / 花澤香菜04.Set Them Free デスクトップドラムver.(TVサイズ) 神保彰05.迷惑スペクタクル アカペラver.(TVサイズ) / 花澤香菜+クラスメイト06.迷惑スペクタクル(カラオケ)07.Set Them Free(カラオケ)特別収録08.団欒(だんらん)!ロボット家族 / 水木一郎09.団欒(だんらん)!ロボット家族(カラオケ)(C)森繁拓真/KADOKAWA メディアファクトリー刊・アニメの関くん製作委員会
2013年11月20日秋田県由利本荘市の「南由利原スノーモービルランド」が12月1日より営業を開始した。期間は2013年3月31日(日)まで。営業時間は10:00~16:00。毎週月、火は定休日となる。ただし、積雪状況そのほかの理由により営業できない日もあるので注意。南由利原スノーモービルランドは、ほかに「歩くスキー(かかとが固定されていないもの)」や「雪合戦」、「かまくらづくり」、「ソリ」などで楽しむことも可能だ。スノーモービルは、専属のインストラクターが初心者にも丁寧に指導するほか、経験者にはレベルに合わせたコースが用意されており、未経験者から上級者まで楽しむことができる。定員は1班あたり4、5名、最大3班程度までとなる。用意されているコースと料金は下記の通り。初心者コース(1周1km)310円 トライアルコース(1周2km)620円 ツーリングコース(1周10km)3,060円 持ち込み料半日1,020円/1日2,040円 食事、宿泊には「ペンション駒の王子」、「休養宿泊施設鳥海荘」、「宿泊センターユースプラトー」、「ホテルフォレスタ鳥海」などがある。イベント詳細は由利本荘市観光協会サイトで確認を。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月05日由利高原鉄道は9月30日、YR1500形3両連結による最後の運行を実施する。YR1500形は由利高原鉄道が第3セクター方式の鉄道会社として発足した当初(1984年)から在籍している車両。老朽化が目立つため、YR3000形への入れ替えが順次進められており、現在在籍している1500形3両のうち、1503号は9月30日をもって営業運行を停止する。このため、1503号の営業運行最終日に、「サヨナラ運転」として在籍3両すべてを連結させて運行させることになった。当日は羽後本荘駅11:52発と14:50発、および矢島駅10:47発と13:54発の列車2往復が運行され、記念切符も発売される予定だ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月28日秋田県の由利高原鉄道はこのほど、「第1回由利高原鉄道検定試験」の申込受付を開始した。申込期間は8月20日までで、試験は8月26日に実施される。JR羽越本線の羽後本荘駅から矢島駅までを結ぶ鳥海山ろく線(旧国鉄矢島線、1985年10月経営移管)を運営する同社。マイカーの普及や少子化・高齢化の影響で厳しい経営が続くが、昨年7月に春日啓郎氏が代表取締役社長に就任し、地域の活性化などに取り組んでいる。昨年より「宇宙戦艦ヤマト号」が運転され、今年4月には新型車両YR-3000形がデビューした。「第1回由利高原鉄道検定試験」は初級・中級・上級に分かれ、8月26日13時より日新館(鳥海山ろく線の終点・矢島駅から徒歩5分)にて実施。初級・中級・上級ともに、成績優秀者には認定証が交付される。申込みに際しては同社ホームページより申込み用紙をダウンロードし、必要事項を記入して郵送、または羽後本荘駅、前郷駅、矢島駅へ持参する必要がある。受験料は初級1,000円、中級1,500円、上級2,000円(併願不可)。なお、同社では本日より、「鳥海荘割引きっぷ」を販売開始している。毎月「0(お)」「8(ば)」「5(こ)」の付く日に販売され、おばこ号の往復運賃(羽後本荘~矢島間)と、鳥海山を望める宿泊施設「鳥海荘」での入浴・休憩・昼食がセットとなり、価格は大人2,000円、小学生以下1,200円(矢島駅~鳥海荘間は無料送迎バスを運行)。羽後本荘駅の鳥海山ろく線窓口にて発売されている。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年06月05日