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3月いっぱいで、まる60年の歴史を刻むNHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)。そこで、出演者たちの“特ネタ”はもちろん、人に話したくなるトリビアをクイズ形式で出題!あなたの“マニア度”は……?【Q1】川端康成が原作を手がけた作品の名前は?60年前に産声を上げた朝ドラ。第1作『娘と私』(’61年)は、文豪・獅子文六による自伝的小説が原作。続く第2作『あしたの風』(’62年)は壺井栄、第3作『あかつき』(’63年)は武者小路実篤と、名だたる文豪が原作に携わった。さらに、ノーベル文学賞受賞作家の川端康成も、第5作『たまゆら』(’65年)の原作を手がけている。【Q2】「1話15分」という“伝統”を作った作品は?『あしたの風』から、1話15分、月〜土曜日の放送が定着。月〜土曜日の週6回放送は第101作『スカーレット』(’19年)まで58年間続き、1話15分という放送時間はいまなお続く“伝統”となっている。【Q3】初めて主題歌がついた作品は?いまでは人気歌手が手がけることが通例となっている朝ドラの主題歌。初めてオープニングの主題歌に歌詞がついたのは、第32作『ロマンス』(’84年)から。主人公を演じた榎木孝明が歌い上げた。【Q4】いちばん最後にロケ地に選ばれた都道府県は?『たまゆら』は、ロケ地となった宮崎県に当時新婚カップルが押し寄せ、“ご当地ブーム”の先駆けとなった。また、第88作『あまちゃん』(’13年)の舞台となった岩手県久慈市も、朝ドラ人気が町おこしに一役買った。第80作『つばさ』(’09年)の舞台は、それまでロケ地になっていなかった埼玉県。この作品で、朝ドラは全都道府県でのロケを達成。【Q5】人気作『おはなはん』でブームになったものとは?家事そっちのけで主婦がくぎ付けになったといわれるほどの社会現象となった第6作『おはなはん』(’66年)。ヒロイン・はなが着ていた「小紋」柄の着物は、“朝ドラ発”の人気商品に。【Q6】最後までヒロインが“結婚しなかった”作品は?血のつながりをこえた父と娘の家族愛を描いた第27作『まんさくの花』(’81年)は、ヒロイン(中村明美)が最後まで結婚しなかった、珍しい作品となった。【Q7】視聴者が“延命”を嘆願した人物とは?第11作『繭子ひとり』(’71年)では、ヒロイン・繭子(山口果林)が恋する男(露口茂)が死んでしまう。しかし、視聴者から「どうか死なせないで」と延命の嘆願が寄せられたという。’22年に放送が予定される第106作『ちむどんどん』では、黒島結菜がヒロインに抜擢。朝ドラの歴史はまだまだ続く。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月17日2020年6月3日、東京都調布市にある『武者小路実篤記念館(以下、実篤公園)』が公式Twitterを更新。投稿された写真が、話題になっています。敷地内で、職員が見つけたものとは…。こんなところに、タコさんウインナー…?実はこれ、ザクロの花が散った後に残った、がく部分なのです。タコさんウインナーにそっくりで、一瞬驚いてしまいます!ちなみに、遠目から撮影した1枚がこちら。タコさんウインナー?ざくろの花の、花びらが散った後の子房部分です。実篤公園にいらした小さなお子さんが並べて行き、その後いらした別のお子さんも続いて並べてくれて、可愛い風景が出現しました。 pic.twitter.com/4fryQxEOvA — 武者小路実篤記念館公式 (@saneatukinenkan) June 3, 2020 なぜ一か所に集まっているのかというと、敷地内の公園に来た子供たちが、落ちているザクロのがくを並べたからなのだそう。ネット上でも「タコさんウィンナーの集会だ」「ほのぼのして癒されます」「ザクロがタコさんウインナーに見えることを初めて知った」などの声が寄せられています。子供たちのちょっとした遊びで生まれた光景が、多くの人の心を和ませたようですね。[文・構成/grape編集部]
2020年06月04日コロナウイルス感染拡大でぬぐい去れない収入減への不安……。そんなときは“お金がなくても幸せ”を体験済みの先輩たちに知恵を拝借しましょう。すぐに収入を増やすことは難しいけれど、「すべては気の持ちよう!」と思えたら、しめたものですーー。「僕ら、みんなからよく『変わらないね』って言われる。老けない秘訣があるんです」2人が現れただけで、その場がパアァッと明るくなる。かつみ・さゆりといえば、お笑い界で一、二を争うおしどり夫婦だ。今年で結婚25年目になるが、当初はかつみさん(57)が信用取引で背負った2億円の借金返済に加え、かつみさんの実父がのこした10億円の負債を相続しかけるなど、まさに綱渡りの連続だったという。「借金って、覚悟してするというより、ある日突然、降りかかることが多いんです。僕は株の取引で、25歳から3年間で3億を稼いで、それがバブル崩壊でまたたく間に2億円のマイナスに転じて。でも、それくらいならまた一発逆転で返せる自信があったので、自己破産という選択肢はありませんでしたね」さゆりさん(50)も、そのエピソードを“なれそめ”として振り返る。「共演したときに、当時はいつもクールだったかつみさんが、『どないかなりませんか!』って血相を変えて電話しているところに居合わせてしまって。聞けば、急に借金を抱えることになったと。彼の人生はどん底だったはずなのに、でも、前向きな話しかしはらない。今が底なら、あとは上がるだけだから、この人についていこうと思ったんです」もともと、さゆりさんの好みは“泥だらけ”の高校球児だった。甲子園出場経験もあるかつみさんは理想にぴったりだったわけだが、さらにかつみさんが補足する。「武者小路実篤が書いている詩に『泥水の中に咲く蓮の花が綺麗である』というものがあって、ものすごく感銘を受けた。蓮はお釈迦さまの花だし、清い水に咲くワサビの花じゃなく、僕はまさに泥を養分に、蓮のように大きな花を咲かそうと思っているんです」その後、夫妻は大借金を減らそうと奮闘。クワガタの養殖や100円ショップ、ラーメン店の出店などの副業に手を出し……しかし、そのたびに失敗を重ねるエピソードをネタにしてきた。「あのとき“どん底”だと思っていたら、もっと底があって“二重底”で、さらに数年後には“底なし”だと気づくんですが(笑)。でも彼は、『事故に遭遇するはずだったのが、この失敗で厄払いできたんやと思う』と、ずっとずっと前向きなんです」そんな、かつみさんの「幸せビンボーマインド3か条」は次のとおり。【1】悪いことが起きたら“厄払いできた”と考える【2】まだ家もある、嫁はんもおる−−あるものを数える【3】好きな人と結婚できる、自由な国に感謝しかない!「人間の適応能力ってすごいんです。だんだん、ビビらんようになってくる」と、かつみさんが真意を語れば、さゆりさんも続ける。「1発たたかれると痛いでしょ?でも、何発かたたかれたら、痛みって慣れてくる。そんな状態です」毎月40社以上の返済に追われたこともあるが、要するに「何事も慣れ」というのが2人の結論だ。最後に、かつみさんが“老けない秘訣”をこう語る。「空腹にも慣れるし、それがアンチエイジングにもなっている。『サーチュイン遺伝子』ってわかります?飲まず食わずでいると、おなかがグーッと鳴るでしょ。それを合図に、人間は細胞分裂をやめて、老けなくなるそうですよ」「女性自身」2020年5月26日号 掲載
2020年05月17日「この世界的な危機において、不安や不調やストレスを抱えながらふと、もしかしてこれは地球が人類に与えたお仕置きではないかと思うことがあります。そんなとき、’09年に肺がんで亡くなった動物行動学者の日高敏隆さんの本を手に取り、一語一語に接していると、日高さんの声と表情がよみがえり、無知なわが身を嘆かわしく思いつつも、いつしか心が落ち着いてくるのです」(作家・阿川佐和子さん)新型コロナウイルス感染拡大により、外出を控えたり、あふれる情報に戸惑ったり−−。そんな心のざわつきは、1冊の本との出合いによって和らぐことがある。私たちと同じ時代を歩いてきた女性作家が「今こそ読んでほしい」とすすめる本。■林真理子さん(66)/新潮文庫『愛と死』武者小路実篤(新潮社)506円約100年前、世界中で数千万人が命を落とした「スペイン風邪」が大流行した昭和初期を舞台に、文豪・武者小路実篤が描いた至高の愛。逆立ちと宙返りが得意な、活発で愛嬌のある夏子に引かれていく小説家の村岡。彼のパリへの洋行後、結婚する仲となったが……。「涙なくしては読めない、私が大好きな名作です。妻となる夏子とようやく再会できる2週間前に船上の彼に突然届いたのは、夏子が流行性感冒で亡くなったという知らせ。スペイン風邪が大流行した時代背景に描かれた不朽の恋愛小説です。多くの人に手に取ってほしい1冊です」(林さん)■阿川佐和子さん(66)/『ホモ・サピエンスは反逆する』日高敏隆(朝日新聞出版)770円人間が特別に賢い生き物だという思い込みは人間のおごりであるーーと語ってきた動物行動学者の日高敏隆氏が、若かりしころに書いたエッセイ。「研究し考え抜かれた、ホモ・サピエンスという生き物、男女やオスメスの違いなどについての爽快かつ博識にあふれた、そして極めて率直な語り口のエッセイ集。かつて日高先生の講演を聴き、穏やかそうにお見受けする先生の口から飛び出す話は無限におもしろく、あまりのおもしろさに感動して雑誌の対談にお招きした。今、もし日高さんが生きていらしたら、このコロナ騒動をどう受け止められるだろう」(阿川さん)■唯川恵さん(65)/文春文庫『降り積もる光の粒』角田光代(文藝春秋)726円国内外問わず、旅好きだが旅慣れない角田光代が出会った人、出来事など旅の記憶を集めたエッセイ集。「外出もままならぬ今、せめて旅のエッセイで気持ちを解放させてほしい、という思いはあるが、楽しいだけで終わらないのが角田さんである。今、全世界の人々が恐怖や不安やいらだちを共有している。そこに国境はない。すべての人間はつながっているのだとあらためて感じさせてくれる逸品」(唯川さん)※価格はすべて税込みです。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月03日“『白樺派のカレー』ってなんじゃそりゃ?”という感じなのですが、こちらは千葉県我孫子市のご当地カレーです。文学史の授業でおなじみの武者小路実篤や、志賀直哉ら白樺派の文人たちが食べていたカレーの味を再現したレトルトカレーで、なんとカレーに“味噌”が入っているんだとか。 気分は「大正デモクラシー」?平成の今では(といっても平成ももう終わりますが)、クックパッドの“味噌カレー”のページには356ものレシピが載っているなど、ポピュラーになりつつあるようです。(2018年7月現在)ですが、大正時代はまだハイカラな食べ物であっただろうカレーに“味噌”を入れるというのは、なかなかアバンギャルドな挑戦ではないでしょうか。ちなみにこのカレーのレシピは、思想家・美学者・宗教哲学者だった柳宗悦と、その妻で「声楽の神様」と言われたアルト歌手の柳兼子が、陶芸家バーナード・リーチの助言をうけて作ったものだそうです。大正デモクラシーという自由主義を文学などを通じて広めようとしていた作家や学者たちにとっては、自分たちの気風を象徴するアレンジレシピだったのかもしれませんね。そんな大正時代の文人の心意気に思いを馳せながら、封を開けます。 「カレー×味噌」は意外と合う!コクに潜む味噌の風味を楽しもう白樺派のカレーにはチキン、ポーク、ビーフの3種類がありますが、今回食べたのはチキン。辛さは「中辛」と書かれています。実際に食べてみると、基本はオーソドックスな味のカレーで、コクの中に味噌味が潜んでいるという感じ。味噌の主張が強すぎないので誰でも楽しめるカレーだと思います。そして特筆すべきは、レトルトカレーにしては具が大きくて形もしっかりしていること。メインの鶏肉から、溶けやすい人参、ジャガイモまで、しっかり食感を感じられました。もし、レトルトカレーと知らされずにお皿に盛られて供されたとしても、レトルトとは気づかないほどのクオリティ。満足度はかなり高めです。“中辛”と書かれているとおり、それなりの辛さが感じられますが、味噌の風味が中和してくれるので、全体的にはマイルドな辛さとなっています。ちょっと味に変化のあるカレーが食べたくなったときには、ぜひおすすめしたい逸品でした。 総評旨さ★★★★☆辛さ★★★☆☆満足度★★★★☆文学度★★★☆☆【参考】※ 白樺派のカレー・ホームページ※ 白樺派のカレー・レトルトカレーのページ【筆者略歴】ネギシ1987年4月。南青山・骨董通りの某編集部にてカレー修行を開始。深夜の麹町アジャンタの激辛チキンカレーを皮切りに都内でさまざなカレーを体験。2004年、某クチコミグルメサイトで出会った食の達人たちに更にエスニック道の教えを受け、大森ケララの風、東池袋A・Rajなどで南インド料理の奥深さを知る(←大げさ)。3食カレーでもOKです。
2018年07月21日出かけた先で出合ったとびきりディープなお店。近所でひいきにしている「売り切れ御免」のおいしいパン屋。誰かに言いたい!だけどやっぱり内緒にしておきたい……。この連載では、そんな、見つけたことを大切にしておきたくなるような「小さなお店」を紹介しています。今回ご紹介するのは、わたしが引っ越し先を探していたときに出合った、小さな洋菓子店。次に来たときもちゃんとあるかな?夢だったんじゃないだろうか?確かに味わいは記憶されているのに、なんだか幻だったような気がして。いまだに扉を開けるときには、物語の中へ入っていくような感覚を覚える、不思議なお店です。創業1968年。洋菓子店〔ローラン〕、まもなく50歳京王井の頭線の三鷹台駅。長年、ほとんどその様子を変えない、とても静かな街。そんな三鷹台駅からほど近くに洋菓子店〔ローラン〕がオープンしたのは、昭和43年(1968年)5月のこと。三鷹台駅から井の頭公園駅方面へ、線路と平行して続いている道を少し歩くと、右手に蔦で覆われた青いテントが現れます。草木が元気な時期は、青いテントが見えないほど蔦に覆われていることも。看板はありませんが、扉を開けた正面には、晩年を調布市仙川で過ごしたという武者小路実篤の筆による「露印蘭(ローラン)」の書が、まるで店番をしているかのように存在感を放っています。ショーケースの中に並ぶケーキのすべてを、たったひとりで作り続けているのは、店主の阿(ほとり)さん。「お店を休んでも結局仕込みはしなきゃいけないから」と決まった定休日はなく、毎日ケーキを焼き、毎日お店を開けて、まもなく50周年を迎えます。三鷹台の宝。唯一無二のショーケース初めて〔ローラン〕で買ったのは、チーズケーキでした。母が昔焼いてくれたベイクドチーズケーキを思い出すような焼き色にひと目惚れ。それから訪れたときには必ず購入しています。もうひとつ、2度目の訪店からレギュラー入りしたのは、チョコレートのスポンジとガナッシュ、チョコレートクリームが層を成すチョコレートケーキ。どちらも子供のころの記憶を呼び起こす懐かしいタイプのケーキなのですが、共通して言えるのは、圧倒的な完成度の高さ。これは、50年近くも作り続けてきたからこそのものなのか。それとも、真面目な人柄によるものなのか。いや、やっぱり、「食べ物が好きだったから」お菓子作りの道を志したという、食いしん坊の血によるもの……?なんにせよ、どんなに著名なパティシエ、もしくはジャーナリストでさえ、ケチをつけたら野暮にしか映らないような、独特の、そして完成された世界観があるのです。そのほか、ショーケースの中には、お手本のようなショートケーキや、絵に描いたようなモンブラン……。上段で輝くのは、洋ナシの存在感が抜群のポアールに、イチゴが赤く艶めくタルトフレーズ。レアチーズケーキは上層のゼリー部分が2パターン、シュークリームも、カスタードクリームと生クリームの2種類から選べます。店名と同じ名前の《ローラン》は、アーモンドプードルたっぷりの生地に洋ナシを混ぜ込んだ「アーモンドの風味を楽しんでもらうケーキ(阿さん)」。店名との関連性は特にないそうですが、ふと思い出して食べたくなる、しみじみおいしいケーキです。うんと長めの夏休み。包装紙のストーリー。そのすべてが愛おしい春、秋、冬は定休日がないけれど、夏になると「夏の間休みます」と張り紙をして2ヶ月半ほど長期休暇に入ってしまう〔ローラン〕。実はわたしも、何度か「夏の間」にふらりと訪れて半ベソかいた経験あり。これについても理由がちゃんとあるそうで。それは、お店の入り口から入る日光がショーケースに当たり適温が保ちにくいことと、自然の素材のみを使って作られているケーキなので、暑い中を持ち歩くのに適していないこと。レアチーズケーキを鮮やかに彩るラズベリージャムまで、阿さんの手作りなのだそう。注文を済ませると、手際よくケーキが詰められ、あっという間に包装された箱が差し出されます。濃淡のピンクでプリントされた包装紙に、淡いピンクのリボンがキリッと結ばれた様子がたまらなく素敵!夫とも「何かエピソードがあるに違いない」と話していたこちらの包装紙。聞けば、なんと阿さんの奥様によるデザインで、かつては3〜4色で印刷されていたのだとか。そのバージョンも見てみたい気はしますが、今のピンク1色でも申し分なく素敵です。蔦の隙間から店内を除き、営業していることを確認。ショーケースの前で悩む時間も、木漏れ日の射す窓際でちょっぴり待つ時間も、袋の口から包装紙を除きながら帰る時間も。その多幸感といったら……!いつも決まった定休日のお店や、年中無休のお店は便利だけど、わたし、やっぱり人の息遣いや手仕事、ストーリーを感じられる、ちょっぴり気まぐれなお店が好きみたいです。【洋菓子店ローラン】●住所:東京都三鷹市井の頭2-5-9●電話:0422-45-2826●営業時間:9:30〜19:00※約2ヶ月半の夏期休暇あり●醍醐由貴子(だいごゆきこ)ライター。女性誌から男性誌まで、ジャンルはフードからライフスタイルまで、幅広く活動中。すっかり意見するようになった息子に助けられつつ、日々奮闘しています。【小さなお店 #1】ボリューミーでフォトジェニック!中目黒で見つけたファラフェルサンド専門店【小さなお店 #2】東京の小さなリトアニアで出合った、ぬくもりあるクラフトとチョコレート【小さなお店 #3】気分は旅でのお土産選び。ブルターニュ地方の食材が揃う〔ブレッツカフェ レピスリー〕●写真さくらいしょうこ
2018年02月20日日本でも人気の画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853ー1890)は、浮世絵など日本美術に強い興味を抱いていたことが知られている。一方で日本でのゴッホブームも意外に早く始まっており、彼の死後30年が経った1920年代には、多くの日本人画家がフランス・オーヴェール(ゴッホの没した地)を訪れている。今夏開催される『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』は、ゴッホが愛した“日本”とその作品の軌跡をたどると共に、日本の画家や作家がゴッホから受けた影響までを展示する大規模な展覧会だ。オランダにあるファン・ゴッホ美術館と6年をかけた初の本格的共同企画展で、日本初公開作品も目白押しというから見逃せない。ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 チケット情報3月14日に行われた会見では、総合監修を務めた圀府寺司氏(大阪大学文学研究科教授)が本展のユニークな内容を解説。第1部「ファン・ゴッホのジャポニズム」では、オランダに生まれ、1886年にはパリに移ったゴッホが、浮世絵などから構図や色彩を学んでいく課程が示される。渓斎英泉の『雲龍打掛の花魁』を模写し、理想郷“日本”に似た風景を追い求めて移り住んだアルルでは『雪景色』(日本初公開)を描き上げたゴッホ。「雪の中で雪のように光った空を背景に白い山頂を見せた風景は、まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」と自ら語るとおり、その灰色の色彩は確かに日本の寒村を思わせる。また『寝室』については「日本人はとても簡素な部屋で生活した」「(この作品では)陰影は消し去った。浮世絵のように平坦で、すっきりした色で彩色した」とも語っており、日本文化そのものへの敬愛がうかがえる。続く第2部「日本人のファン・ゴッホ巡礼」では、今度はゴッホに魅せられた日本人の、ゴッホへの想いが明らかにされる。ゴッホの死後まもなく彼の生涯や作品を紹介したのは、武者小路実篤や岸田劉生ら白樺派と、その周辺の文学者や画家たち。ゴッホを看取ったガシェ医師の家には、生前売れなかったゴッホの作品が残されていたこともあり、多くの日本人が同家を訪れて芳名録に署名した。本展ではこの芳名録(フランス・ギメ東洋美術館蔵)を日本初公開するほか、同地を描いた佐伯祐三ら日本人画家の作品や、日本画家の橋本関雪がガシェ家を訪問した際の記録映像など、貴重な動画も併せて公開される。本展は北海道立近代美術館(8月26日~10月15日)、東京都美術館(10月24日~2018年1月8日)、京都国立近代美術館(2018年1月20日~3月4日)と巡回。その後はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館でも開催され、カタログは最新の情報を盛り込んで日本語、英語、オランダ語など数ヶ国語で出版される予定だ。ここでしか見られない、人間・ゴッホのリアルな姿。想像以上の日本との関わりに、新鮮な感動を呼び覚まされる展覧会になりそうだ。取材・文佐藤さくら
2017年06月30日日が短くなり、なんとなく人恋しく感じる今の季節。いつもより長くなった気のする夜に、なかなか寝付けなくなってしまっている女性も多いのではないでしょうか?こんな夜は、大切な人に手紙をしたためたくなりますね。今でこそLINEやFacebookなどのSNSが普及し、好きなときに手軽に人と連絡がとれますが、昔はそういったツールがありませんでした。そのぶん、今より「人を想う時間」が長く、手紙にして送る人が多かったのかもしれません。そこで今回は、言葉を巧みに操る文豪たちが大切な人へどのようなラブレターを書いていたのかを調べてみました!■■芥川龍之介→婚約者の文ちゃんへ文ちゃんを貰いたいということを、僕が兄さんに話してから何年になるでしょう。貰いたい理由はたった1つあるきりです。そうしてその理由は僕は、文ちゃんが好きだということです。もちろん昔から好きでした。今でも好きです。そのほかに何も理由はありません。『羅生門』や『藪の中』などで知られ、芥川賞でも有名な芥川龍之介が、後の妻となる文へ宛てた手紙の一部。飾らない言葉でストレートに伝えている手紙ですね。本当に好きなんだなぁ・・・ということが読んでいて伝わってきます。ちなみにこの手紙には「とにかく僕が文ちゃんを貰うか貰わないかということは、まったく文ちゃん次第で決まることなのです。(中略)ですから文ちゃんは、まったく自由に、自分でどっちもきめなければいけません。」という続きがあります。あの時代に、自分が好きだからというだけで嫁にくる・こないを押し付けるのではなく、文の気持ちを考えて選択させているというのが素晴らしいですね。■■太宰治→心中する前に妻へ美知様お前を誰よりも愛してゐましたこちらは、『人間失格』や『女生徒』でおなじみの太宰治が、愛人の富栄と心中する前に、妻である美知子に宛てた手紙です。愛人と死ぬくせに「誰よりも愛していた」なんて・・・と思ってしまいますが、それでも胸に迫るものがありますね。改行の仕方もなんともいえず、絶妙です。ちなみにこの遺書は9枚あり、心中をしなかったもう1人の愛人、静子へ宛てた手紙もあります。そこには「1番いいひととして、ひっそり命がけて生きてゐてください。コヒシイ」との言葉が。愛人と心中し、残った愛人と妻にはしっかりとラブレターを残す。なんだか、太宰治が多くの女たちを振り回す力をもっていたことが、わかってしまうような手紙です。■■武者小路実篤→癌になった妻へ僕は君を本当に愛している。このことは、ますます事実になる。本当に君を愛していたことを前からも知っていたが、今度ますます知った。本当にわかれて住むことはさびしい。『友情』で知られる武者小路実篤が、晩年に癌に冒された妻へと宛てた手紙です。最後の1行がグッと胸に突き刺さりますね。男性が口にする「さびしい」のせつなさ・・・。ちなみに、武者小路実篤は妻が亡くなってから2ヶ月後に病気でこの世を去りました。ほんとうに、寂しかったんだろうなぁと想像させられます。■おわりに文豪たちが愛する人へ贈った、ラブレター。いかがでしょうか?言葉はその人の心に届き、生涯残り続ける最高のプレゼントです。なかなか眠れない夜にこそ、素直な気持ちを書き連ねてみてはいかがでしょうか?大切な人に想いを馳せる秋の夜長も、なかなか素敵ですよ。(小林リズム/ライター)(ハウコレ編集部)
2016年11月11日日本橋三越本店1階中央ホールに鎮座する「天女像(まごころぞう)」が、今年4月に設立55周年を迎える。それを記念し天女像にオマージュを捧げるアート作品やファッション雑貨、食品など約160もの限定アイテムが同店で4月1日から販売される。天女像は昭和35年に三越日本橋本店中央ホールに設置された約11mの大きな彫像作品で、希代の名工と賞される佐藤玄々が10年かけて制作した。武者小路実篤も天女像完成にあたって寄稿している。4月1日から7日に開催される三越伊勢丹大誕生祭では、この天女像55周年の記念アイテムを約160種類企画。14年に文化功労者に顕彰された絹谷幸二は天女像へのオマージュを込めた新作を描き、佐藤玄々を敬愛する陶芸作家による色絵磁器も制作された。アート作品に留まらず、銘菓の天女像記念缶バージョンも登場。インパクトある天女像が描かれた缶に詰められた「ウエスト」のリーフパイとクッキーのセット(1,600円)や「ヨックモック」のプティシガール(1,000円)など、手土産にすると話題が広がりそうな限定品も用意。また、天女像を55歳を記念し55gの純金で仕上げた小判(55万円)も2点限りで製作された他、天女像をレーザーでリアルに刻印した茶箱(6,800円)や、三越の中元歳暮でも人気の高いカニ缶の天女像バージョン(2万7,000円)まで登場。1度目にすると忘れられない驚きがほとばしる日本橋三越本店のアイコン「天女像」は、同店本館1階の中央ホールで営業時間中いつでも見学することが可能だ。
2015年03月29日東京都中野区本町の東京工芸大学中野キャンパス内、写大ギャラリーで、写真家・土門拳の写真展「"手"-写大ギャラリー土門拳コレクションより」が開催される。開催期間は1月20日~3月28日、10時~20時まで。入場無料。○土門拳の作品約40点を展示同展は「古寺巡礼」や「ヒロシマ」、「筑豊のこどもたち」などで知られる写真家・土門拳氏の作品より、「手」に着目して作品を展示する。土門氏は生涯をとおし、写真におけるリアリズムと日本の美を追求し続けた。ポートレートや庶民のスナップ、文楽などの伝統芸能、寺院・仏像などの中から、さまざまな「手」の表情をピックアップする。主な展示作品は「文楽吉田文五郎の手1940~1943年」、「出征日本赤十字病院東京麻布1941年頃」、「内職凧東京1954年」、「武者小路実篤東京都武蔵野市井の頭公園にて1954年頃」、「飛鳥寺金堂釈迦如来坐像右手1965年」など。
2014年01月23日