離れて住む親と会えない人が続出したコロナ禍。介護認定を受けながらも、一人富山の自宅で暮らす母を持つ柴田理恵さんに、“遠距離介護”を成功させる秘訣を聞いた--。「コロナ前は、お正月とお盆、それから富山の伝統行事で9月に行われる『おわら風の盆』の年3回、母が一人で暮らす富山に帰省していました。けれど、今年はお正月以降、会えませんでしたね」そう話すのは92歳の母・須美子さんの遠距離介護をする、柴田理恵さん(62)。10月20日には、須美子さんとの思い出をつづった絵本『おかあさんありがとう』(ニコモ)を出版した。小学校教員だった須美子さん。もともとは、勝ち気で厳しい人だ。「お箸の持ち方などしつけのことは、あまり言われなかったのですが、私が『あれ買って』って泣くと、お母さんは『めんどくさいから泣くな!』とぴしゃり」実家が旅館の須美子さんは料理が苦手。晩ご飯は柴田さんと祖父が作っていたという。「あるとき学校の宿題がたくさんあって『今日はお手伝いできん』と言ったんです。そしたら母は『お手伝いもできんような人間は宿題なんかせんでいい!』って。学校の先生なのに(笑)」怖い母親だったが、優しい一面も。柴田さんが高校生のころ、小学校時代に須美子さんが担任だった男の子と同じクラスになった。「彼は早くにお母さんを亡くしていて、おばあちゃんと暮らしていました。あるときその子に『ばあちゃんが倒れて遠足の弁当を作れなかったときに、担任だったお前の母ちゃんが代わりに作ってきてくれたんだ。本当にうれしかった』って言われて。この話を聞いたときは、ちょっと泣いた(笑)」照れ笑いする柴田さんだが、お母さんの話をする際、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。■母が洗濯物を出さない意外な理由そんな母・須美子さんの介護が始まったのは’17年10月のこと。柴田さんのもとに、須美子さんから「高熱が出た」と連絡が入った。「近くに住む従弟(いとこ)に母を病院に連れていってもらうと、腎盂炎(じんうえん)と診断され、入院することに。慌てて駆けつけ『お母さん、わかる?私だよ』と話しかけても、意識がもうろうとして『あ~あ~』と言うばかり。お医者さんから終末期医療に関する話もされ、そのときばかりはこのまま認知症になって亡くなるのかなと思いました」気丈な母の弱った姿は、さすがの柴田さんでもこたえたという。「しばらくして少し回復した母に、『お母さん!』って声をかけたら、私のことがわかったんです。それで『何か目標を持とう。何したい?お正月私に会いたいよね?』と聞いたら『会いたい』って。『正月一緒に酒飲みたいよね?』の質問には『飲みたい』と即答。だから『よし!酒飲めるように頑張ろう!』って励ましながら、リハビリをはじめました」入院した当初に受けた介護認定調査で要介護4と判定されていた須美子さん。しかし、必死の頑張りで、みるみるうちに回復。お正月には、一時帰宅してお酒を飲み、その後無事退院を果たした。当初、柴田さんは、須美子さんが再び一人暮らしをすることに不安を抱いていたという。「母に“東京に来て一緒に住む?”って聞きました。そしたら『友達もいるし、富山にいたい。それに、施設に入るとお茶や謡(うたい)の稽古ができなくなるから施設には入りたくない』って」確かに母の大切なものは、みんな富山にある。それを無理やり奪うのは、かわいそうだった。「雪が多くて危ないので、春までは施設に入所してもらって、その後から自宅での一人暮らしを再開しました。そんなうちに、要介護も1に下がったんです」須美子さんの一人暮らしを支えたのは、現地で生活を支援してくれるホームヘルパーやデイサービス、従弟などのサポートだ。だが、彼らにまかせっきりにせず、遠くからでも連携を取ることが、遠距離介護のポイントだと柴田さん。「母とは毎日電話をしていますが、ケアマネさんたちにも定期的に連絡をしています。『親がこういうふうに言ってるんですけど、どう思われますか?』って相談したり、逆に『ウチの親が何か困ったことはしてませんか?』と聞いたり」そうやって連絡を取り合っていると、あるとき「実は、須美子さんが服を全然着替えないんです」とケアマネジャーから報告を受けた。きれい好きの母が着替えないのはおかしいと思った柴田さんは、早速須美子さんに理由を聞いた。「母は私の従弟のお嫁さんに洗濯をしてもらっているのですが、“そのお嫁さんは子どもを2人育てていてとても忙しいのに、自分の分まで洗濯をしてもらうのが申し訳ない”って言うんです」その後柴田さんは、須美子さんに「お嫁さんが、私の洗濯の仕方が嫌だから洗濯物を出さないんじゃないかと、心配してたよ」と、遠慮なく洗濯物を出せるよう、間を取り持ったという。介護サービスを受けていると、ケアマネジャーやヘルパーが踏み込めない部分や、須美子さんも彼らに言いづらいことが出てくる。そういうときに、遠くにいる柴田さんが間に入ることで、円滑に物事が進むようになるのだ。■「覚悟があるなら母の意思を尊重したい」今年の春、須美子さんの腎臓の数値が悪化。入院の後、現在は弱った足腰を鍛えるために、一時的に介護施設で暮らしている。「たまに『家に帰りたい』とこぼすんです。だから母に『家に一人で帰って倒れて、誰にも発見されんで死んでも、それはあんたの責任だからね』ってくぎを刺したら『わかった』って。覚悟があるなら、お母さんの人生だから本人の意思を尊重したいと思っています」ただ、コロナ禍の今年は、年末年始の一時帰宅でさえ、ハードルが上がったという。「今は私がPCR検査で陰性でも、母と会って1カ月間は介護サービスを受けられなくなるんです。もちろん、施設にも戻れません」大雪の中、母を家に一人きりにしたくはない。しかし--。「本人は家に帰りたがっているし、もう92歳。来年会えるかどうかもわかりません。だから、今回も正月に家で会おうと思っています」家に帰るために、奮闘する須美子さんの姿に、柴田さんは感謝の思いを抱くことがあるという。「母がこう生きたいという目標を立てて、リハビリを頑張っているのを見ると、年をとってからの生き方を教えてくれてるんだなぁって、思うんです」教師だった須美子さんが柴田さんに、身をもって教えるのは、最期へと向かう生き方かもしれない。(取材・文:インタビューマン山下)
2021年11月12日大人気マンガシリーズ、今回は虹野葵(@nijino_aoi)さんの投稿をご紹介! 「父がW不倫して家庭崩壊した話」第16話です。離婚しなかった桜井夫婦ですが、夫婦仲はどんどん悪くなっています。不倫相手との関係を続ける父ですが…?月日は流れ…出典:instagramそれを言われた母は…出典:instagram母の冷たい態度に…!?出典:instagramこれで不倫は終わり?
2021年09月20日Eve(イブ)が新曲「遊生夢死」を発表。日本初・最大規模のインディーアニメの祭典「Project Young.」主題歌となる。Eveの新曲「遊生夢死」Eveは、映画化も控えるTVアニメ「呪術廻戦」第1クールオープニングテーマ「廻廻奇譚」で人気を集めるアーティスト。2021年7月には、人気ボカロPぬゆり(Lanndo)が作詞・作曲を担当し、ヨルシカのボーカル・suis(スイ)と共に歌唱した新曲「宇宙の季節」も注目を集めた。そんなEveが新曲「遊生夢死」を発表。「遊生夢死」は、8月21日(土)より開催される日本初・最大規模のインディーアニメの祭典「Project Young.」のために書き下ろしたテーマソングとなっている。「遊生夢死」MVも公開新曲「遊生夢死」のミュージックビデオも公開に。新進気鋭の映像クリエイターniLと初タッグを組んだもので、現実と非現実が交差したような世界観のアニメーションに仕上がっている。インディーアニメの祭典「Project Young.」主題歌になお、「Project Young.」は、“好きなことを諦めない”をテーマに掲げ、自主制作アニメ作家による新作アニメ一斉公開イベントや、インディーアニメ作品にまつわるユーザー参加型企画などを行うプロジェクト。イベントのテーマと連動し、新曲「遊生夢死」にも、Eveによる“好きなことを諦めない”哲学が込められている。【詳細】Eve 新曲「遊生夢死」※配信日・CD発売日等、リリース情報未定。
2021年08月24日ステイホームが続くなか、家族と過ごす時間が増えたことで、改めて家族としっかり向き合った人も多いのではないでしょうか?そこで、今回ご紹介するのは、ある決断をした母親と家族の姿から生き方や家族のあり方について考えさせられる話題作です。『ブラックバード家族が家族であるうちに』【映画、ときどき私】 vol. 387ある週末、医師のポールと病を患っている妻リリーが暮らす海辺の家に集まってきたのは、娘たちとその家族。彼らの目的は、安楽死を決意したリリーが家族と最後の時間を過ごすためだった。母の意思を受け入れてはいるものの、苛立ちを隠せない長女ジェニファー。いっぽう、次女のアナは母の決意を受け入れられず、姉と衝突を繰り返していた。複雑な思いを抱えながらも、一緒の時間を過ごす家族たち。徐々にそれぞれが抱えていた秘密が明らかになるのだった。そして、ジェニファーとアナは、母の決意を覆そうと試みるのだが……。アカデミー賞受賞経験のあるスーザン・サランドンとケイト・ウィンスレットをはじめ、実力派俳優が顔を揃えていることでも注目の本作。そこで、こちらの方にその舞台裏についてお話をうかがってきました。ロジャー・ミッシェル監督『ノッティングヒルの恋人』や『恋とニュースのつくり方』など、さまざまな人気作を手掛けてきたミッシェル監督。今回は、本作の現場で初めて経験したことや俳優陣から感銘を受けた瞬間などについて、語っていただきました。―オファーをもらってすぐに決断したそうですが、普段から作品の題材を決めるときは、即決するタイプなのでしょうか?それとも、この作品は特別でしたか?監督普段はわりと頭で物事を考えるタイプではありますが、作品に関しては直感が一番正しいガイドになることが多いですね。今回も、すぐに魅力を感じました。ただ、直感なので、オファーを受けたときは自分と題材とがどうしてつながっているのかわからないことも。撮り終わって数年経ってから、「ああ、こういうことだったんだ!」とわかることもけっこうあるくらいなんですよ(笑)。―では、本作に関しては、どのような部分に監督の直感が働いたのか答えは出ていらっしゃいますか?監督題材はもちろんのこと、ひとつの家に家族全員がほぼ丸3日間一緒にいなければいけないという設定がおもしろいと思いました。それはまるでアガサ・クリスティの作品のように、容疑者たちが集まる週末に誰かが死んでしまうことがわかっているような展開だなと。登場人物も、それぞれのキャラクターに踏み込みやすい物語なので、そういった部分に惹かれました。スーザンの存在と演技に助けられた―母のリリーを演じたスーザン・サランドンさんの存在感は、この作品の大きな柱になっていたと思いますが、ご一緒されてみていかがでしたか?監督この映画では死よりも、生を描いているので、スーザン自身の魅力をリリーにも吹き込んでいきたいと考えていました。彼女は機知に富んでいて、洗練されたユーモアを持ち、本当にタフでイキイキとした人なんですよね。撮影中、彼女のアイディアを取り入れながら最終的な脚本を完成させていきました。スーザンのおかげでリリーはセンチメンタルになることなく、リアルでありながらエッジの効いたユーモアのあるキャラクターにすることができたのではないかなと。題材が重いので、なるべくそういった軽妙さを出したいと思っていましたが、アドリブも含めた彼女の素晴らしい演技に助けられました。―対する娘のジェニファー役を務めたケイト・ウィンスレットさんも、素晴らしかったです。監督今回、一番初めにキャスティングされたのは彼女でしたが、「ケイト・ウィンスレット」という名前が自分の企画につくだけでまるでハチミツのようにほかの俳優たちを引きつけてくれました(笑)。そうやって素晴らしいキャストに集まってもらうことができ、より魅力的な作品になったと思います。―ケイトさんの役との向き合い方は、どのようにご覧になっていましたか?監督この役はいままでの彼女が演じてきた役とは違うタイプのキャラクターだったと思いますが、そういう醍醐味も感じながら演じてくれました。実は、公開前に私の知人に作品を見せたところ、驚くことに最後のクレジットになるまで、ジェニファーがケイトであることに気がつかなかった人もいたくらい。つまり、それだけ彼女が役になりきっていたということだと思います。彼女の冒険心や喜びは周りにも影響を及ぼしていて、みんなのお母さんのようでもありました。そんな彼女が言い出しっぺで、キャストも含めたみんなでブラックバードの柄のタトゥーを入れたことも。私にとって人生で初めてのタトゥーとなりましたが、それくらいみんなの仲がいい現場でした。映画作りは予期せぬ出来事を見つける作業の連続―その一体感は、作品からも伝わってきました。監督撮影中はみんなで現場に近くに泊まっていたこともあり、つねに一緒の時間を過ごしていたので、ある種のストックホルム症候群のような状態に陥っていたのかもしれませんね(笑)。ただ、それによって、お互いのことを思いやれる関係性を築くことができました。―舞台となった家にも、そういった空気感を生み出す力があったのではないでしょうか?監督今回は家もキャラクターのひとりと言ってもいいほど、重要な存在となりました。当初はイギリスのあらゆる場所を探しても見つからなかったんですが、そんなときにケイトから「うちの近くにいい家があるから見に来てほしい」と。それを聞いた私は、「現場と自宅が近ければ遅く起きても行けるから、すすめているんだろう」くらいに考えていたんです(笑)。でも、その場に足を踏み入れた瞬間に、「ここで撮影したい」と思うほど素晴らしい場所でした。イギリスにも関わらず、家のデザインはアメリカ的で、海沿いの景色もアメリカの東海岸を思い起こさせるような雰囲気。リリーのキャラクターとも呼応する家になると感じました。―実際に現場では、監督も予期しないような瞬間が生まれたこともありましたか?監督映画作りというのは、毎日現場で自然発生的に起こる予期せぬ出来事を見つける作業でもあると私は思っています。俳優たちの演技に関して言うと、そういった“化学反応”のような瞬間はたくさんありました。特にテーブルを囲んでのランチやディナーのシーンでは、俳優にアドリブを入れてもいいと伝え、長回しにしているので、そこで生まれたものは多かったですね。監督としてはつねに網を持って待ち構え、突然飛び出してきた蝶々をつかまえるような感覚だと言えると思います。そのためには、準備もきちんとしなければいけないですけどね。―とても素敵な表現ですね。監督あと、もうひとつ気がついたことは、本作のようにシリアスでエモーショナルな作品のときほどジョークが飛び交ったりして笑いの絶えない現場になりますが、逆にコメディのときはすごくダークな雰囲気になることも……。そこが反比例するのはおもしろいですが、人生というのはそういうものかもしれないですね(笑)。安楽死の持つ複雑な側面を知ることとなった―なるほど、非常に興味深いお話です。こういった作品と向き合ってみて、監督自身の死生観に影響を与えたことはありましたか?監督この映画を作るにあたって、すごく考えたのは安楽死について。特に、いろんなリサーチをするなかで、「世界中で安楽死を合法にすべき」と主張することがいかに難しいことかを知りました。なぜなら、安楽死には複雑な面がたくさんあり、悪用されてしまう可能性があることもわかったからです。この作品は安楽死に関する政治的な映画ではありませんが、リリーの選択については、誰もが考えさせられるとは思います。英語で安楽死を意味する「Euthanasia」の語源がギリシャ語の「良い死」から来ていることも、興味深いことだなと感じました。―監督にとって、この作品で一番の挑戦だったことは?監督挑戦でもあり利点でもあったのは、家のなかというひとつのロケーションで少人数の俳優たちと撮影したこと。なぜなら、カーチェイスやファイトシーンのような刺激的なカットを入れることができないだけに、俳優とストーリーだけで観客の関心をずっと引き続けなければいけなかったからです。それだけに、どうやって新しい形で撮影できるかをつねに考えながら撮影していました。―これまでに日本の作品や文化で、監督が感銘を受けたものがあれば教えてください。監督黒澤明監督をはじめとする日本映画を築いた方々の作品が非常に好きで、影響を受けています。とはいえ、これは私だけではなく、世界中の方が同じように感じているのはないでしょうか。私はまだアジアを訪れたことがありませんが、近いうちに日本にはぜひ行きたいです。―お待ちしております。それでは、日本の観客に向けてメッセージをお願いします。監督観たら気持ちが落ち込んでしまうような物語だと身構えてしまう人もいるかもしれませんが、「ぜひ観てください」と心の底から言えるような作品になりました。死についてではなく生についての映画になっているので、コロナ禍を経験したいまの時代にぴったりの1本だと思います。家族だからこその葛藤と秘密に震える静かでありながら、心の奥に鋭い問いを突きつける本作。家族との向き合い方や目に見えない絆、そして生きるうえで自分が譲れないものについて、思いを巡らせずにはいられないヒューマンドラマです。彼らとともに、濃密な時間を過ごしてみては?取材、文・志村昌美胸が熱くなる予告編はこちら!作品情報『ブラックバード家族が家族であるうちに』6月11日(金)より、TOHO シネマズシャンテほか全国ロードショー配給:プレシディオ、彩プロ© 2019 BLACK BIRD PRODUCTIONS, INC ALL RIGHTS RESERVED
2021年06月10日動物の健康を守り、時には命を救う使命を担う獣医師。やりがいのある仕事であると同時に、つらい仕事でもあります。海外の画像投稿サイト『Imgur』に投稿された、ある獣医師の告白が反響を呼んでいます。獣医師としてもっともつらい『3つ』のこと3年間獣医師として働いてきたという投稿者さんは、ペットを安楽死させる時に、飼い主から決まって「これはあなたの仕事の中でもっともつらいことだろうね」といわれるのだそう。しかし「それは違う。全然違う」といい切ります。投稿者さんいわく、ほとんどの安楽死のケースではそれほど悲しみはないのだとか。もちろん、家族を失った人たちを見て打ちひしがれたり、その人たちを慰めたりもするといいます。それでも「動物の苦しみを終わらせることができるのは獣医師の特権であり、動物の体がギブアップするまで苦しむ姿を見ているほうがより悲しい」のだそう。では投稿者さんにとって、安楽死よりつらいこととは何なのでしょうか。それは3つあるといいます。It’s not even close1.ペットを助けられる治療法があると分かっているのに、飼い主がその費用を支払えない時。かわいそうな飼い主とペットに対して心が痛み、自分にもっとできることがあればいいのにといつも思います。2.治療や診断の費用のことで毎日毎日飼い主から怒鳴られ、感情的にとても消耗します。私が価格を設定しているのではないということを人々に知ってもらいたい。もし私が決められたとしても、獣医の診療所を経営するには少額の費用がかかり、治療費や診察代がそれをカバーしています。人々はクロスブリードのためにブリーダーに2500ポンドから3000ポンドを払うことはいとわないのに、健康診断と最初のワクチンに70ポンドは不当に利益を得ていると思うのですか?3.私たちよりもFacebookを信頼している人たち。人々は私の5年間の医学の学位を、「このノミとり首輪やワクチンが犬を殺す」という人と比べて、価値がないとみなしています。GaelicandUnpronounceableーより引用(和訳)クロスブリードとは、違う種類の犬種を交配させることです。投稿者さんは、助かる見込みのない動物を苦しみから救うための安楽死にはそれほど悲しみは感じないのだそう。それよりもつらいのは、飼い主が費用を出せないためにペットを助けられない時や、治療費について文句をいわれ、獣医師の知識や経験を信頼してもらえないことだといいます。獣医師になった人たちはみんな、何年も必死に勉強して、やっと夢の職業につけたのでしょう。しかし実際は、飼い主の経済的な理由で助かる命を助けられないこともあるのです。そんな状況の獣医師のやるせない気持ちを想像すると胸が締め付けられます。ペットを飼うにはフード代やワクチン代はもちろん、病気になった時は治療費がかかります。ペットが健やかに長生きできるかどうかは、飼い主の経済力が大きく影響するといっても過言ではありません。ペットを家族に迎える人は、いざという時に高額の費用がかかっても、ペットの命を救うために全力を尽くす覚悟があるかを、自身に問う必要があるのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年05月04日「これまで数多くの女性高齢者の取材をしてきましたが、家で死にたいという人が9割。施設などで死にたいという人は1割くらい。そのうえで一人暮らしの女性が在宅死をしたいと望む場合、数多くのハードルがあることを覚悟すべきことも事実です」こう話すのは、おひとりさまの終活を応援するNPO法人「SSS(スリーエス)ネットワーク」を立ち上げた作家の松原惇子さん。最新著『ひとりで老いるということ』が話題の松原さんに、女性が安心して、ひとり在宅死を迎えるための心得を聞いた。「まず最初に言いたいのは、自分の体調が悪くなってからでは遅い。まだ自分に気力がある時期に、つぎのことを実践すること。耳当たりの厳しいことも言いますが、全部これまで私が見聞きした現実をもとにお話しするものです」(松原さん・以下同)【1】近所の地域包括支援センター(もしくは社会福祉協議会)とつながりをもっておく「遠くにいる親族は全く頼りにならないと考えてください。頼りになるのは、住んでいる地域の人だけ。まずは公的支援先である地域包括支援センター(もしくは社会福祉協議会)を知っておくこと。地元の役所に聞けば、場所がわかりますので、一度、パンフなどをもらいに足を運んでほしいんです。ここが自分の最後の砦になるところだと、確認してきてください」地元の地域包括支援センターは想像以上に丁寧に応対してくれるはず。臆することなく出向いて、担当者と顔見知りになっておくことが、いざ介護が必要となったとき、心強い窓口になる。【2】元気なうちに親しい人に自宅のカギを渡しておく「老後、ひとりで暮らすときには、自分から地域とつながらないと孤立してしまいます。億劫がらずに、地域のボランティア活動や習い事、スポーツクラブなど、なんでもよいので、地元の社交場に顔を出すこと。これがいざというとき、生きる絆に。こうした存在ができたら、自宅のカギを預けるようにすると、自分が身動きできなくなる不測の事態に対応でき、安心」ただ実際には、自宅のカギを渡すほど親しい人がすぐにできるわけではない。いますぐに渡すというよりも、カギを渡してもよいというレベルの友人作りから始めてはどうだろうか?【3】書類の処理を頼める若い友人を見つける「高齢になると、税金や福祉関係などの書類の処理がだんだんむずかしくなってきます。これをサポートしてくれる若い人が身近にいると心強い。これも地域の社交場に参加することで知り合うことができると思います」【4】親切な友達には注意が必要「これは【2】【3】と矛盾すると思われるかもしれませんが、やたらに親切に近づいてくる人には注意も必要です。高齢になると、寂しい気持ちに負け、親切にされるとつい他人にダマされやすくなることはさけられません」松原さんによれば、親戚などから「養女」をとるケースもトラブルが多くおすすめできないとか。【5】銀行、郵便局のカモになるな「世知辛い世の中で、昔は信用がおけた銀行や郵便局の訪問員に不必要な金融商品を売りつけられる事件も多発しています。とくに銀行の窓口がもっとも危険。金融に知識のない老人は銀行や郵便局にはむやみに近づかないことがいちばん安全です」不安が多いウィズコロナ時代を乗り切る知恵としても、この心得を活用してはいかが。「女性自身」2021年2月2日号 掲載
2021年01月21日「巷で流行っているのをうちの鳥で試してみたら…私のハートが爆発した」海外の掲示板『Reddit』に投稿された、こんなタイトルの動画が話題になっています。投稿者さんが試したのは『ペットをなでようとして、数センチ離れたところで手を止める』というもの。これを飼っているインコの『ジギー』で検証したところ…。Tried that trend with my own bird... Let’s just say my heart exploded from r/awwか、かわいい!!こんなことをされたら、投稿者さんのハートが爆発してしまうのも無理ありません。動画にはたくさんのコメントが寄せられています。・あああ、なんてかわいいの!・ハートがとろけちゃったわ。・鳥がこんなにハグ好きだなんて知らなかった。・我が家の鳥ならきっと突かれそうだ。投稿者さんによると、すべての鳥がジギーのようにハグされるのが好きなわけではないそうです。ジギーのガールフレンドは投稿者さんに懐いているにもかかわらず、手を近付けると噛みついてくるのだとか。犬や猫でもなでられるのが好きな子とそうでない子がいるように、鳥にもさまざまな性格の子がいるのでしょう。もし最愛のペットがジギーのようにすり寄ってきたら、愛しくて何時間でもなでてあげたくなりそうですね![文・構成/grape編集部]
2020年10月12日「自死は悪いことでも、気持ちの悪いものでもない。亡くなる人は必死に頑張って生きて、それでも死に追いやられてしまったんです。浩介さんと生きてきた私には痛いほどわかるから」病いに倒れ自死を選んだ夫・浩介さんに後を押されるように、40歳のとき、4児を抱えながら司法試験に合格した佃祐世(さちよ)さん(48)。自死遺族の支援・訴訟に奔走する毎日だ。「彼はとてもアクティブな人でした。しかしある日、趣味のジョギングから帰ってきた夫のようすが、なんだかとてもしんどそうで。熱中症かな、と心配していたらトイレで倒れたんです。それで慌てて救急車を呼んで……」精密なMRI検査を受けた結果、脳腫瘍を発見。脳腫瘍は転移も少なく、すぐに命の危険はないとも聞いた。夫婦で話し合い「ゆっくり考えよう」と、いったん退院することに。浩介さんは一時的に仕事にも復帰したのだが。「彼は塞ぎ込んでばかり。やがて、耳鳴りがする、おなかが痛いと言い始めて。深夜、腹痛で救急車を呼んだことも。以前は体の不調を訴えたこともない健康そのものの人でしたから、心の病いを疑いました」8月初旬に精神科を受診した浩介さんは、療養型病院に入院することになる。ところが、その当日に彼は病室で失神。さらに……。「入院の翌々日かな。病室に行くと彼、オムツしてたんです。『ベッドで漏らしてしまった』って、やるせない顔をして。やがて、手がしびれ、食事もとれなくなり、常時点滴になって、高熱が出て、歩くこともままならなくなって。病室を見舞うたび、夫の容体が悪くなるんです。私のほうがパニックでした。もう怖くて怖くて」夫の様子を見た佃さんは思った。「この人は子供たちのそばで、まずは心を治さないと」と。その年の暮れ。浩介さんは3人の子供が待つ広島へ戻ってきた。しかし……。1月3日。昼前になっても起きてこない浩介さんを心配し、佃さんが寝室をのぞくと、そこにはガタガタ震える夫が。佃さんが抱きしめると、浩介さんは言った。「僕は大丈夫だから、子供たちのところに行ってあげて」と。「それで、私は彼に『じゃ、あなたの好きなラーメン、作ってくるね』と言って、寝室を出たんです」やがて、ラーメンができて夫を呼びに寝室に。ところが、そこに彼の姿はない。ふと見ると、隣の書斎の明かりがついていた。「いやな予感がしました。書斎の戸を開けると……、そこには、窓枠にネクタイで首を吊っている浩介さんの姿があったんです」茫然自失状態で、夫を見送った佃さん。このころ、ほとんど記憶がなかったという。しかし四十九日の法要のとき、僧侶の読経が終わるころ、佃さんの脳裏に半年前の出来事がよみがえってきた。「あれは、浩介さんが東京の病院に入院中のこと。2人で病院の近くの公園を散歩したんです。イチョウの黄葉がとっても奇麗だったの、覚えてます」夫の車いすを押していると、彼が不意に、こんなことを言った。「司法試験、受けてみないか?」あれは、夫との最後の約束だ。そう思った佃さんは猛勉強をし、司法試験に合格。40歳になっていたーー。弁護士となった佃さんは早々と、自死遺族支援弁護団に参加した。「団長から聞かされた自死遺族の置かれた状況というのは、私が考えていた以上につらいものでした。なかでも衝撃的だったのが『自死を気持ちが悪いとする発想が根強くある』という言葉でした」賃貸物件で誰かが自死した場合、遺族は大家から損害賠償請求をされるケースが多々ある。「気持ち悪くて物件の価値が下がったからとか、おはらいの費用まで請求される。もっとも驚いたのが、21世紀の日本で、そのおはらいを命じた判決まであったことでした。自死は悪いこと、気持ちが悪いこと、という感覚を少しでもなくしていきたい。亡くなる人は、死にたくて死んでいったわけじゃない。必死に頑張って生きてきて、それでも死に追いやられてしまったんです。それは、浩介さんと生きてきた私には痛いほどわかるから。そのことをお話しすると、多くの方は共感してくださいます」佃さんはいまも、最愛の彼を近くに感じることがあると話す。「やはり訴訟は、悩むことも多いです。煮詰まっていると、ふっとね、思い浮かぶことがあるんです。元気だったころの彼からかけられた言葉が、彼の声が、聞こえてくるんです」大粒の涙を流すと、佃さんは誰かに確認するように、何度もうなずいてみせた――。「女性自身」2020年9月15日号 掲載
2020年09月07日「衝突した車を発見した人に、母は『このままにしてください。息子にごめん』と言ったそうです。母が亡くなった後、あと数日で期限切れになる生命保険の証書が見つかりました」そう語るのは、元俳優の高知東生さん(55)だ。’16年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、来月9月に執行猶予期間が明ける高知さん。そんな彼のTwitterに今、注目が集まっている。きっかけとなったのは、7月19日のツイートだった。《俺が17歳の時に母親は自殺した。その日、寮生活をしていた俺に突然会いに来て「進路を今決めろ」と言い、別れ際に「ねぇ、私綺麗かな?」と聞いてきた。「実の息子に何言ってんや!気色悪い。もう門限だから行くぞ」と言って車から降りると、母親は泣きながら笑っていた。それが最後の会話になった》前日の18日には、俳優の三浦春馬さん(享年30)がこの世を去っていた。そうしたなかで明かされたこの投稿には、16万件の「いいね!」が寄せられた。「言わずにはいられなかった」高知さんはそう語る。「彼の死やそれを報じるマスコミを見ていて、いろんな部分が自分の中でフラッシュバックしてしまって。居ても立ってもいられなくなりました。なぜそっとしてくれないんだ……と」高知さんが17歳のときに自殺したという母。死の直前、高知さんは優しい言葉をかけられなかったことを後悔することとなる。《その日から俺は「なんであの時『綺麗やぞ、お袋』と言ってやらなかったのか?」「言ってたら死ななかったのか?」と苦しむことになった。喪失感、怒りや悲しみ、様々な感情をどう吐き出していいかわからず、俺はどんどん荒れていき喧嘩ばかりするようになった。今も最後の一言への後悔は消えていない》ストレートにつづられる告白には、多くの声が集まった。《自分は死なれた時に相談されてなくて、相談できるに足る人物ではなかったと物凄く凹みました》《第一発見者で色んな後悔が残ってる今は悲しみも癒えたけど後悔は消えない》ほかにも身近な人を自死で失った人や、人に言えないつらさを抱えている人などから共感の声が相次いでいる。「俺のTwitterが、今は自助グループのようになっているんです。『ここだから言えます』といった返信をもらうと、『俺も人の役に立てているんだ』とうれしく思いますね」三浦さんの死後、その背景に母親との関係悪化があったかのように報じるメディアもあった。これらの報道について、高知さんは「自死遺族だからこそわかることがある。まわりが軽はずみに言ってはいけないこともある」と語気を強める。「臆測で報じるマスコミに腹が立ちました。私も母が亡くなったとき、遺族として『真実は何であれ、そっとしておいてほしい』と願っていたことを思い出します。これは励ましや慰めなど、優しい言葉にも言えること。母が死んだとき、多くの人が励ましてくれました。でも正直、その優しさがつらかったんです。どんな言葉も受け入れる余裕がない。『お前がおふくろを生き返らせてくれるのか?』としか思えませんでした」身内の死という悲しみを受け入れるには、時間がかかる。高知さんの場合は現実を直視し、涙を流すまでに24年もの歳月がかかったという。「死んだ母と同じ41歳になったときのことです。リビングでテレビを見ていたら、横で家事をする当時の妻がふと目に入りました。彼女も私と同じ歳。そこで『ああ、おふくろはこの若さで死んだんだ……』と思ったら突然、涙が止まらなくなったんです」赤裸々に過去も現在も語れるようになったのは、高知さんが「薬物依存回復プログラム」に取り組み始めてからだった。そもそも薬物を使わなくてはならないほど自分を追い込んだ要因も、成育歴からくるゆがんだ美学にある。「自分の生い立ちは極端にゆがんでいました。小学校5年生までは、親戚の家に預けられ大人の顔色を見て生きてきました。母親に引き取られると、母は愛人だったので父親に気を使いました。母が自殺をしてからは、天涯孤独で東京に出てきました。人に頼ったり助けを求めたり、そうしたことを全く知らなかった。『弱音を吐いちゃいけない』と、何でも一人で抱え込むことが当たり前だったんです」逮捕後、麻薬取締官に「来てもらってありがとうございます」と頭を下げたエピソードが賛否を呼んだ高知さん。当時は、それほど限界を感じていたという。「依存症回復プログラムを通じて、いかに自分の生い立ちや価値観が変わっていたかを知りました。もし17歳の自分に声をかけてあげられるなら……。『お前、よく死ななかったな。つらいこと抱えて、本当によく生きていたな』と言ってあげたいです」9月には執行猶予が明ける。今後は依存症復帰の啓発活動に尽力すると同時に、初の自叙伝発売も控えているという。「多くの方のサポートのおかげで本当の自分を発見し、55歳にして成人式をもう一度迎えたような気持ちです。依存症は一生完治せず、毎日が回復の日々。しかし本当の自分を発見していく新鮮さがあるので、今は、薬物をまたやりたいという気持ちは起きません。ただこの病気は油断したらいけないといわれています。だから僕を回復に導き、支えてくれる自助グループの仲間たちからは離れずにいたいと思います。そして今後は、僕自身が誰かの支えになりたい。どん底から抜け出せた自分の経験を生かしたいですね」最後に「もっと俺らしくありたい。これからの自分が楽しみです」と語った高知さん。その表情は柔らかかった――。(取材・文:おおしまりえ)「女性自身」2020年9月8日号 掲載
2020年08月27日2017年、オーストラリアに住むカサンドラさんはFacebookで「毛のないウサギ、あげます」という投稿を目にしました。すでに1匹のウサギを飼っていた彼女はその投稿をしたブリーダーに連絡してみることに。すると毛のないウサギの写真が送られてきて、「このウサギは売れないから無料です」といわれたのです。ブリーダーいわく、以前も同じように毛のないウサギが生まれてその子は安楽死させたのだそう。それを聞いたカサンドラさんは翌日にブリーダーの家を訪れ、毛のないウサギを家に連れて帰りました。彼女はそのオスのウサギを『ミスター・ビグルスワース』と命名。映画『オースティン・パワーズ』に登場する毛のない猫と同じ名前です。 この投稿をInstagramで見る Mr Bigglesworth & Friends(@mrbigglesworthrabbit)がシェアした投稿 - 2017年 8月月24日午前1時24分PDTそれまで毛のないウサギを見たことがなかったカサンドラさんは、ミスター・ビグルスワースの世話の仕方がまったく分からなかったのだとか。調べても何の情報も出てこないため、彼女はInstagramに写真を載せて情報を募ることにします。すると同じように毛のないウサギを飼っている世界中の人たちからたくさんのメッセージが届いたといいます。 この投稿をInstagramで見る Mr Bigglesworth & Friends(@mrbigglesworthrabbit)がシェアした投稿 - 2017年 8月月31日午後2時57分PDT この投稿をInstagramで見る Mr Bigglesworth & Friends(@mrbigglesworthrabbit)がシェアした投稿 - 2017年10月月3日午後8時12分PDTその後、メディアで紹介されたことをきっかけにミスター・ビグルスワースのファンが急増。Instagramのフォロワーもどんどん増えて、2020年5月現在はなんと約13万人となっています。 この投稿をInstagramで見る Mr Bigglesworth & Friends(@mrbigglesworthrabbit)がシェアした投稿 - 2017年11月月29日午後11時22分PST この投稿をInstagramで見る Mr Bigglesworth & Friends(@mrbigglesworthrabbit)がシェアした投稿 - 2019年 7月月9日午後3時30分PDT この投稿をInstagramで見る Mr Bigglesworth & Friends(@mrbigglesworthrabbit)がシェアした投稿 - 2018年12月月16日午後3時44分PST この投稿をInstagramで見る Mr Bigglesworth & Friends(@mrbigglesworthrabbit)がシェアした投稿 - 2020年 3月月7日午後9時53分PST全身ピンク色のミスター・ビグルスワースはまるでウサギのぬいぐるみのよう。彼のユニークなかわいらしさにファンはメロメロになっているようです。・ただただかわいい!・この子はパーフェクトだ。・白いひげが似合ってる! この投稿をInstagramで見る Mr Bigglesworth & Friends(@mrbigglesworthrabbit)がシェアした投稿 - 2017年 8月月24日午後8時11分PDTカサンドラさんによると、ミスター・ビグルスワースのような毛のないウサギは、高い割合で4週間以上は生きられないのだそうです。しかし個体によっても違うため、中には後から全身や部分的に毛が生えてきて長生きする子もいるのだとか。ミスター・ビグルスワースは現在も元気に過ごしているということです。安楽死させられそうになりながらカサンドラさんに引き取られ、いまでは世界中にファンがいる人気ウサギとなったミスター・ビグルスワース。大切な命が救われて本当によかったですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月27日2020年5月23日、22歳という若さで亡くなった女子プロレスラーの木村花さん。死因は調査中ということですが、木村さんは以前からSNSで誹謗中傷を受けており、また亡くなる前にInstagramのストーリーズ機能で「さようなら」というメッセージを投稿していました。【訃報】女子プロレスの木村花さん22歳が逝去インスタで「さようなら」と投稿ネットモラルを問う声も多く上がっており、ネット上では2019年放送のドラマ『3年A組 ―今から皆さんは、人質です―』(日本テレビ系)での『セリフ』に再び注目が集まっています。「アンチや誹謗中傷をした人に見てほしい」の声注目が集まっているのは、菅田将暉さん演じる教師・柊一颯のセリフ。物語の鍵を握る、生徒・景山澪奈の自殺の原因の1つにSNS上での誹謗中傷があったとし、柊はネット上にいる不特定多数の人たちに向かい、こう語ったのでした。おまえら、景山の何を知ってたんだよ。なんにも知らねえだろ。会ったこともねえだろ、話したこともねえだろ。大して知りもしねえのに、なんであんなに叩けるんだよ。「ウザイ」「キモイ」「死ね」。よくもそんなゲスなワードがポンポン出てくるもんだ、恥ずかしい。それだよそれ。そのおまえの自覚のない悪意が、景山澪奈を殺したんだよ。3年A組 ―今から皆さんは、人質です―ーより引用さらに柊のセリフは続きます。おまえらネットの、何千何万という悪にまみれたナイフで何度も何度も刺されて、景山澪奈の心は殺されたんだよ。3年A組 ―今から皆さんは、人質です―ーより引用ドラマという創作の世界ではあるものの、木村さんもまたSNS上で誹謗中傷を受けていた1人。また、SNSの誹謗中傷や『ネットいじめ』は、いまや社会問題と化しており、誰もが被害者にも加害者にもなりえることです。放送当時も反響を呼んだ菅田さん演じる柊のセリフは、木村さんの死により再び注目を集め、さまざまなコメントが寄せられました。・今回の件で、関係なくてもアンチや誹謗中傷をした人に見てほしい。みんなアンチコメントはやめよう。今回の件で死ねとか送った人は、人殺しだよ。どうやっても償えないよ。後悔しても、遅いよ。・言葉は一番の凶器。・自分も含めて言葉の重さをよく理解しないといけない。たった数文字の言葉であっても、表に出した時点で、それは立派な『凶器』です。また、時には人の命を奪いかねないほどの、負の力も持ち合わせていることを誰もが認識するべきでしょう。そして、木村さんをはじめ、ネット上の誹謗中傷に傷付く人が1人でも減ることを願います。[文・構成/grape編集部]
2020年05月24日身内やペットが亡くなった際、「子どもにどう説明すればいいのだろうか……」と悩んだことはありませんか?子どもは年齢によって「死」に対する理解が変わるため、それに合わせた説明をする必要があります。今回は、子どもに「死」を説明する際に気をつけたいことを紹介しましょう。「死」を目の前にした子どもはどんな反応をする?「ガン情報サイト」によると、子どもの死に対する理解は年齢によって違うといいます。乳幼児乳幼児の場合は、死を理解することはできません。しかし、母親などの養育者が亡くなった場合、不眠や体重減少、活動量の減少、無反応といった変化が現れることがあります。2~3歳2~3歳の場合は、死を眠りのようなものとしてとらえることが多いよう。ただ、誰かが亡くなったことに対して不安を感じることもあり、親などが亡くなった場合は食事や睡眠、排せつなどの習慣が変化することがあります。3~6歳3~6歳の場合も、死を眠りのようなものとしてとらえることが多いようです。また、生と死の違いをはっきり理解できておらず、故人がどこかで生きている、どこかに行っているだけでそのうち戻ってくると考えることもあります。そのため、故人について「どこにいるの?」「どうやってご飯を食べるの?」などと質問することも。さらに、死の原因が自分にあると考える場合もみられます。たとえば「お母さんの言うことをきかなかったからどこかに行ってしまった」「僕が『嫌い』って言ったからいなくなってしまった」などです。身内の死をきっかけに、食事や睡眠、排せつに支障をきたすケースもあります。6歳~9歳6~9歳の場合は、死に対しての一種の好奇心を持つようになり、死に関するさまざま質問をすることもあります。たとえば「死んだ人はどこにいくの?」「どうやったら死んだってわかるの?」などです。また、死に対する恐怖心が芽生えたり、死をおばけや幽霊と重ねたりすることもあります。身内が亡くなったことから、学校で問題行動を起こすようになったり、不登校や引きこもりになったりする場合もありますが、逆に周囲の人々に対してまとわりつくような行為がみられることもあります。9歳~9歳を過ぎると、死に対しての理解が進んでいくそう。死は誰にでも訪れることであり、自分もいつかは死んでしまうことが徐々にわかっていきます。子どもに「死」を説明するときに気をつけたいこと「NPO法人ホープツリー」によると、子どもに死を説明する際には「おばあちゃんは病気と戦っていたけど、病気のほうがすごく強かったから、死んでしまったの。死んでしまった人はもう動けないし、しゃべれないし、ご飯も食べないんだよ」など、発達段階に合ったわかりやすい言葉で伝えることが重要だそうです。子どもを悲しませたくない、混乱させたくないと考えて、「遠くに行っちゃったんだよ」「眠っているんだよ」などと表現する場合がありますが、これはNG。しっかりと「死」という言葉を使って、誤解させないようにすることが大切です。また、公認心理師の横山知己氏によると、身内が亡くなった際の子どもの表現はさまざまで、普段と変わらない・明るく振る舞う・泣き崩れる・攻撃的になるなどがあるそう。しかし、普段と変わらない・明るい振る舞いをしている場合でも、悲しくないわけではなく、子どもなりに死と向き合うために必要な表現をしているとのこと。それを理解し、受け止めてあげることが大切だと言います。子どもと一緒に読みたい「死」にまつわる絵本子どもでも読みやすい「死」にまつわる絵本を紹介します。ぜひ親子で一緒に読み、「死」について考えるきっかけにしてください。『おじいちゃんの ごくらくごくらく』(鈴木出版)作:西本鶏介絵:長谷川義史おじいちゃんと孫の絆を描いた物語です。大切な人の死はとても悲しいけれど、残された人々に何かを与えてくれるものでもあるとわかります。おじいちゃん子、おばあちゃん子の子どもにぜひおすすめしたい1冊。『ミツ』(佼成出版社)作:中野真典作者が愛猫の死を向き合いながら描いた作品です。魂の震えるような絵と、シンプルな言葉の中にミツを思う気持ちが込み上げてくる描写には、痛いほど心打たれます。死だけでなく、“いのち”についても考えさせられる一冊。動物が好きな子ども、ペットと仲良しの子どもに読ませるのもおすすめです。『いつでも会える』(学研)作:菊田まりこ飼い主を突然亡くした犬のシロの視点で、愛する人の死を描きます。懸命に悲しみを乗り越えようとする、シロの姿には胸を打たれること間違いありません。可愛らしいイラストと優しい文章が魅力の一冊です。『だいじょうぶだよ、ゾウさん』(文溪堂)作:ローレンス・ブルギニョン絵:ヴァレリー・ダール訳:柳田邦男死期を悟ったゾウと、それを受け入れられないネズミの話。自分や大切な人の死を受け入れることの難しさや、大切さを教えてくれます。なんとなく他人事としてとらえがちな「自分も家族もいつかは必ず死ぬ」ことを改めて教えてくれる作品です。***子どもの死に対する理解は年齢によって変わっていき、死を受け入れる時の表現方法もさまざまです。いつか必ず向き合う死について、親子で考える機会を作ってみましょう。文/田口 るい(参考)All About|子供が「死を理解する年齢」はいつ?年齢ごとに増していく死の理解All About|親や祖父母など大切な人と死別した子供へのケア方法NPO法人ホープツリー|子どもの発達段階と悲嘆の表現ガン情報サイト|悲嘆、死別、喪失への対処子供と悲嘆
2020年03月28日青木さやか(46)が3月16日、「婦人公論.jp」で昨年の秋に亡くなった母との確執を明かした。不仲だった父の死をキッカケに、母との関係を見直すようになったという青木。その苦闘してきた姿が共感を呼び、ネットで大きな話題となっている。記事によると母が「就職するなら公務員がいい」と価値観を押し付けてきたため、反発してきたという青木。愛娘を母が抱いた際には嫌悪感も覚えたが、そんな自分に嫌気がさしていた。そんななか、ある人物から「親というものは大事にしなくちゃ。そうしたほうが、自分が楽になれる」との助言が。その言葉を信じることにした彼女は、病床の母との距離を縮めるべく介護も積極的に取り組んだ。すると、他愛のない話ができるようになるまで修復。そして「母といえど人間」と理解できるようになったという。’07年10月に結婚し、’10年3月には女児を出産。しかし’12年3月に離婚し、シングルマザーとなった青木。SNSを通して、育児の様子をしばしば報告している。「両親との親子関係の齟齬から、青木さんは自己肯定感が低くなってしまったそうです。そのため、『愛し愛される』ということがよくわからないとも言っていました。自分の娘には愛をもって接しているつもりですが、いっぽうで娘には娘の視点がある。そのため、日々葛藤しながらも子育てに精一杯励んでいるようです」(テレビ局関係者)青木の告白は大きな反響を呼び、Twitterでは「青木さやか」がトレンド入りを果たした。そしてネットでは彼女と同様、親子関係に悩んできた人たちから共感の声が上がっている。《私も親からありのままの自分を愛されたくて頑張ってきたけど、諦める事にしたし、親を愛さなければならないっていう考えも捨てた。そのおかげですごく楽になったし、人生がとても楽しくなった》《将来子供ができたとしたら、親には絶対に触れて欲しくないだろうし、それを理解してもらえない辛さが想像しただけで堪える 内容は違えど、自分の為だとしても、己を奮い立たせて歩み寄る青木さやかすごすぎ》《私も母とわだかまりがある。嫌いじゃないけど憎いと思うときもある。けどもし死んでしまったらと思うと寂しい。親孝行考えます》《いつかさやかさんのような気持ちで母と関われたら、と思っています》
2020年03月17日グザヴィエ・ドランの最新作『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』から、「Hello」のPV以来のタッグとなったアデルの名曲「Rolling in the Deep」が使用されたオープニング映像が到着した。アデルとドラン、2人の天才による最高のコラボレーション実現今回新たに公開されたのは、アデルの名曲「Rolling in the Deep」が冒頭からサビまで贅沢に使われた圧巻のオープニングシーン。ニューヨークの摩天楼をバックに、キット・ハリントン演じる人気俳優ジョンの煌びやかな表舞台を映し出している。ジョンが大勢のスタッフやモデルに囲まれながら撮影をするという、美しきスターの“光”の部分を華やかに描きつつも、アップで映し出されるジョンの物憂げで虚ろな表情がこの後に待ち受けるスターの“影”を予感させる。短い時間でスターの光と影を凝縮させた映像だ。このような贅沢なシーンが実現したのは、アデルがもともとドランの大ファンだったから。過去にドランはアデルからのラブコールで大ヒット曲「Hello」のPVを監督し、その際ドランはアデルからのオファーに関して「アデルから連絡が来た時にはすごく驚いたけど、アデルは僕のデビュー作『マイ・マザー』にすごくインスパイアされていたみたいなんだ」と明かし、「特に主人公ユベールが自身にカメラを向けて語っているモノクロの独白シーンが好きだと言ってくれた。僕もそのシーンが一番好きだったから嬉しかったよ」と語っている。また、アデルも後に「ドランと一緒に仕事をして、いつかドランの映画にも出てみたいと思った!」と本作に強く関心を示しており、自身も出演を熱望していたほど。それを聞いたドランが重要なオープニングシーンにおいて彼女の曲をフルで使用することを決め、2人の再タッグが本作で叶う形となった。「Hello」から約5年の時を経て、再びタッグを組んだドランとアデル。アデルの名曲と、ドランのセンスが光る煌びやかな壮大な映像が織りなす3分40秒は、2人の天才の出会いによって生まれた圧巻のオープニングシーンとなっている。『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』は3月13日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ジョン・F・ドノヴァンの死と生 2020年3月13日より新宿ピカデリーほか全国にて公開©2018THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.
2020年03月11日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「災害関連死」です。直接死を上回る死。明日の我が身の自衛を心がけよう。3月11日で東日本大震災から丸9年経ちます。震災を機に注目されるようになったのが「災害関連死」でした。地震や津波で命を落とすのは「直接死」ですが、その後の長引く避難生活や生活環境の変化により、持病を悪化させたり、孤独死してしまったケースを「災害関連死」「震災関連死」と呼びます。これには自殺も含まれます。自宅で安定した生活をしていれば、たとえば、血圧もコントロールできますが、避難生活を強いられ、おにぎりとお菓子しかない食事が続けば、たちまちコントロールがきかなくなります。避難所から復興住宅や仮設住宅に移り、地域の仲間もバラバラ、家族もなく、隣近所も知らない人ばかりのプレハブ小屋の生活が長引けば、寂しさが募り、お菓子を食べ続けてしまうなどして症状を悪くさせることもあるでしょう。福島で原発作業に携わっていた人のなかには、過酷な労働環境のなか、限られた食生活で長期の作業を強いられ、体調を悪化させた人が大勢いました。震災後、東京大学から志願して相馬中央病院に出向した坪倉正治医師は、「原発事故以降の健康被害といえば、放射線の影響ばかりクローズアップされるが、実際に亡くなった方の原因の多くは、持病の生活習慣病の悪化である」と語っています。令和元年9月現在、福島県では直接死の1613人に対して、災害関連死は2286人と、大きく上回りました。災害関連死で亡くなった方は、地域のコミュニティをまるごと移管して街づくりをするとか、お年寄りを孤立させないよう積極的に声がけをするなど、きめ細かな支援をすれば救えたかもしれません。災害に遭い、幸い生き延びたとしてもその後の環境により死者が生まれていることはぜひ覚えておいてください。災害が起きれば、普段当たり前にできていることがすべて崩れます。水が手に入らず、毎日炭酸飲料を飲むことになるかもしれません。いつもの化粧品や薬、嗜好品が手に入らなくなるかもしれません。家族が孤立をしてしまうかもしれません。普段から近隣の方と挨拶しておくなど、日常を維持できなくなったときのことをイメージして自衛しておくことをお勧めします。堀 潤ジャーナリスト。元NHKアナウンサー。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。『わたしは分断を許さない』(監督・撮影・編集・ナレーション)公開中。※『anan』2020年3月18日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2020年03月11日2018年、FUKAIPRODUCE羽衣が上演した二人芝居『春母夏母秋母冬母』。母と子の関係を描いた今作は、初演時「FUKAIPRODUCE羽衣の新たな代表作」とも言われ、大きな反響を呼んだ。この作品に惚れ込んだCBGKシブゲキ!!のラブコールに応えるかたちで、2月13日(木)より再演が行われる。オリジナルキャストである深井順子、森下亮のふたりに加え、声優でもある土屋神葉、東京パフォーマンスドールの上西星来が参加。オリジナルのふたり、新しいふたりのペアだけでなく、深井と土屋、森下と上西の組み合わせもあり、じつに4バージョンの『春母夏母秋母冬母』が上演されることとなる。舞台は、夜中の公園で中学生カップルが遊ぶシーンからスタートする。公園に置かれた遊具は夢で見る景色のように、非現実的にぐにゃぐにゃとしている。ふたりの男女はそれぞれ、自分と母との物語を紡ぎながら、14歳から40歳までを自在に行き来する。自らの作品を妙なミュージカル、「妙ージカル」と称するFUKAIPRODUCE羽衣。ふだんは性愛の部分もたっぷり描くことが多いが、今作では母子の愛が中心。あたたかく優しい、けれど決してそれだけではない母という存在……。観ていくうちに、自然と観客が自分の母についてあらためて考えるような作品だ。また、劇中では作・演出の糸井幸之介がつくるオリジナルの楽曲がいくつも披露される。彼の曲はいつも、孤独な気持ちにひっそりと寄り添ってくれるようなメロディと歌詞で、胸を打つ。初演は、主宰である深井順子の40歳記念公演と銘打たれていた。糸井も森下も、深井と同じ77年生まれ。あのとき3人が作り上げた舞台が、共に96年生まれの若いふたりの息吹を得て、再び立ち上がろうとしている。CBGKシブゲキ!!presents『春母夏母秋母冬母』は、2月13日(木)から19日(水)まで東京・CBGKシブゲキ!!にて上演。文:釣木文恵
2020年02月11日「冬でも家の中には、湿気の多い、カビの好む場所があります。免疫力の落ちた人がカビを大量に吸い込むと、アレルギーや、ひどいと肺炎を引き起こし、死に至ることもある。ただの汚れと放置しては危険です」こう話すのは、千葉大学真菌医学研究センターで、生活環境や病気を引き起こすカビについて研究する矢口貴志准教授だ。そこで、矢口先生のお話をもとに、冬にも気をつけたいカビが潜む場所や人体へのリスクを解説してもらった。寒い毎日に欠かせないエアコンには、家の中でもっとも危険なカビが潜む。「エアコンのフィルターには、ホコリを好むアスペルギルスという黒カビがよく生えています。大量に吸い込むと、アレルギーはもちろん、免疫力が落ちている人は重篤な肺炎を発症することもあります」このカビの胞子は血液に入って全身に広がることも。脳に回れば、頭痛や意識障害を、肝臓では、肝硬変を起こすこともあり、最悪の場合は死に至るという。「夏から一度も掃除をせずにエアコンを使えば、秋のあいだに繁殖したこのカビを、部屋中にまき散らすことになってしまう。高齢者やがんで自宅療養中の人などが暮らす家庭では、エアコンのフィルターをこまめに掃除して、できるだけカビが広がらないようにしてください」ほかにも、季節は関係ないが、気づかぬうちにカビが繁殖してしまう場所があるという。「石けんカスが飛び散る水道の蛇口や、冷蔵庫にある自動製氷機の給水タンクとフィルターは、こまめに洗わないと、エクソフィアラやオーレオバヂウムなどの黒カビが発生。水や氷とともに、こうしたカビを体内に取り込み続けると、おなかを壊す人がいます。また、ペットの犬や猫に脱毛が見られたら、ミクロスポルムというカビが発生している可能性も。人に感染すると、強いかゆみを伴う湿疹ができてしまいます」最後に、矢口先生はカビから身を守るには、やはり掃除が大事だと教えてくれた。「ホコリや結露を放置しないことです。天井の掃除も忘れないでください。カビの胞子が天井に付着していると、いくら掃除しても、胞子が落ちて、またカビが繁殖してしまいます」健康のためにも、今年の大掃除はカビ退治を忘れずに。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月26日元気に見える人を襲う「急性心臓死」。手遅れになる前に、予兆に気づけば一命をとりとめることができる。そうなる前の、日ごろからの予防も大事になるが……。「現代は飽食の時代ですから、昭和のころに比べて、肥満や高血圧、糖尿病の女性は増えています。とくに女性ホルモンの分泌が低下する50代以上は動脈硬化が進みやすいので、心不全による突然死、『急性心臓死』に注意が必要です」そう話すのは、心臓血管研究所所長で医学博士の山下武志さん。急性心臓死とはどんなものなのか。山下医師はこう語る。「症状が出てから24時間以内に亡くなることを突然死と言いますが、病院に着いたときには、だいたい亡くなっています。診たところ、くも膜下出血などの脳の病気ではないので、原因は心臓にあると判断することが多いのです。そんな急性心臓死につながる不全の原因は、不整脈や弁膜症、狭心症などいろいろ。なかでも、50代以上で多いのは心筋梗塞です」心筋梗塞は、初期の段階で心臓の冠動脈が詰まったり硬くなったりして、心臓のポンプ機能が低下する。そうすると必要な酸素や血液が心臓の筋肉に送られにくくなり、心筋の一部が壊死して発症する。「水道管が少しずつ錆びついていくように、動脈硬化も加齢とともに20~30年かけて徐々に進行していきます。しかし、目立った症状がないことも多く、気づきにくいのです」怖いのは心筋梗塞のリスクが高まっていても、自覚しにくいことだ。そのなかでもわかりやすい予兆を、山下医師が教えてくれた。「心筋梗塞を起こす直前の心臓は、だんだんパワーが落ちてくるんです。そうすると息切れしやすい、歩くスピードが落ちてきた、などの症状が出てきます。これは、心臓の冠動脈が詰まって、十分に酸素や血液が送り込まれなくなっているからですが、『年をとったからだろう』と気に留めない人が多い」さらに心臓の動脈硬化が進むと、血流が悪くなることでむくみを生じたりして、横になるだけで息苦しさを感じたりするようになったりする。尿が出にくくなることもあるという。50代以上で、次のチェックリストにあげたような症状が1つでも当てはまる人は病院で検査を。【1】今まで平気だった階段や坂などを上るときに胸が苦しくなる【2】風邪でもないのに、歩く速度が遅くなった【3】アルコールを飲むと胸が苦しくなることがある【4】足のむくみがある【5】尿がでにくくなった【6】横になると息苦しい【7】これまで感じたことのないような肩の痛みがある【8】押されるような胸の痛み【9】虫歯でもないのに歯に(浮くような)激痛がある【7】~【9】は心筋梗塞の初期症状の可能性もあるので、とくに要注意。「もし、これまで感じたことがないような激しい肩の痛みや、歯や顎が浮くような強い痛みなどがある場合は、すでに心筋梗塞になっている可能性が高い。すぐに病院へ」心筋梗塞を予防する方法はないのだろうか。「心筋梗塞になるリスクが高い人は、心臓の動脈硬化を促進する肥満、高血圧、糖尿病、高コレステロールなどがある人です。こうした要因が1つでも当てはまれば、動脈硬化は進行していきます」このほか、遺伝的な要素も関係しているという。「両親のいずれかが心疾患だったり、それが原因でなくなったりしている人は注意が必要です」大事に至らないためには、日々の暮らしで次のようなことを心がけるとよいそう。「太っている人は体重を減らす。ちょっと息が切れるくらいの運動を週に3回はして、しっかり睡眠をとる。食事は塩分を控えて、お酒は適量に」山下医師は、予防として必ず実践してほしいのが、体重と血圧の管理だという。「毎日測っていれば変化がわかります。ちょっと体重が増えたとしても、次の日に食べる量を減らせば、すぐに元に戻せます。血圧が高めの人は、血圧計を手に入れて1日1回でも、時間帯を決めて自宅で血圧を測定して記録すること。『最近、血圧や脈拍が上がってきたな』と思ったら、その記録を持って医師に相談しましょう」これくらいならいいかと、放置しておかないことが大事だ。「毎年、せっかく健康診断を受けても〈血圧が高めだけど、まだ大丈夫だろう〉〈ちょっと太ったけど、まあいいか〉などと言って、生活習慣を変えようとしない人が多い。これが積み重なると、動脈硬化で心臓が弱っていき、突然死を招きかねません」いつ襲ってくるかわからない心疾患による突然死。手遅れになる前に、ライフスタイルを見直すことから始めよう。「女性自身」2019年12月24日号 掲載
2019年12月16日タイ人男性が充電中のスマホで遊んでいる最中に感電死したと12月2日に報じられた。デイでは充電中のスマホがキッカケで感電死するケースが、この半年で少なくとも4件は発生している。DAILY STARによると今回亡くなったのは、チョンブリー県の28歳男性。57歳の母親が部屋をのぞくと、男性は充電中のスマホを右手で握りしめたまま倒れていた。男性には右手と両前腕に焼け跡があった。母は息子を起こそうと名前を呼び、棒で突いたりしたが反応がなかった。警察に連絡したが、男性は死亡。スマホに感電し、ショック死したと推測されているという。これまでにもタイでは感電死の事件が数多く報告されている。Daily mailによると7月、チョンブリー県の男性(21)が充電中のスマホのそばで眠っていたところ感電死した。股間に血が飛び散り、顔や腕には焼け跡があったと報告されている。また11月には充電しながらスマホにイヤホンを差しサッカーを見ていたサムットプラーカーン県の男性(40)が、さらにチャイヤプーム県では充電中のスマホで遊んでいた女性(17)がそれぞれ感電して亡くなったという。「10月にもチョンブリー県で眠っていた男性(25)が、そばにあった充電中のスマホに感電して亡くなったというケースがあります。タイには安全性の十分でない充電器や電源が少なくありません。またボロボロの充電ケーブルを使い続ける危ない人もいます。ですから、こういった痛ましいことが起こりやすいのです」(現地に詳しい人物)半年で5件も報告されることとなった、タイでの感電死。ネットでは《電話が凶器になるなんて……》《誰の身にも起こりうることだ》と警鐘を鳴らす声が上がっている。
2019年12月05日「誕生死」という言葉があるのをご存知ですか? 流産、死産、新生児死亡などを指す言葉なのだそうです。私も長女出産後、二度の誕生死を経験しました。今回は、「子どもを授かり、産む」ということが当たり前ではないと思い知らされた経験をお伝えしようと思います。 2人目妊娠を決意するまでわが家の長女は順調に授かり生まれてきてくれたので、妊娠できることは当たり前だと思っていました。添加物を避け、有機栽培されたものを選ぶなど、体にやさしい食生活を心がけていたことも自信を持つ大きな要因でした。 しかし、長女の育児でヘトヘトに疲れ切っていた私は、2人目のことなど考えられず、「ひとりっ子をじっくり育てよう」と心に決めていました。そんななか、突然夫の転勤が決まり、引っ越した先は3人きょうだいもざらにいるような家庭が多い地域でした。楽しそうにきょうだいで遊ぶ、ほかの家庭の姿を見て、長女はさびしそうな顔をすることが多くなりました。 まさか自分も!? 2人目不妊親戚に子どもがおらず、大人に囲まれて育ったせいか、おませな発言が多い長女のためにも、「子どもは子どもの世界でのびのびと遊ぶべきだ」という思いが強くなりました。そして、長女のためにきょうだいを産むことを決意したのです。 けれど、それまでの考え方に罰が当たったのではないかと思えてしまうほど、赤ちゃんはやってきてくれませんでした。待つこと一年、ようやく授かった命でした。 妊娠という「奇跡」長女のときには気付かなかったけれど、赤ちゃんの心臓の動きがモニターに映し出されるとき、そこには光が見えます。「まさに命の輝きそのものだ」と思いました。 ところが、その輝きは9週間後には消えていました。ついこの前まであって、いきなり消えてしまった、生きたくても生きられなかった小さな命。 「いつ終わるかわらないけれど、せっかくいただいた命なのだから自分が周りにできることを探して一生懸命生きていきなさい」。小さな命にそう教えられた気がしました。 その後、私はもう一度誕生死を経験し、妊娠の奇跡を痛感しました。命について学ぶ機会を与えてくれた2つの小さな命に、改めて「ありがとう」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:楠田りら三児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味はピアノ。
2019年11月12日「はじめて『女性自身』の取材を受けた2年前に比べて、孤独死を『他人事じゃない』と思ってくれるフォロワーの方が増えてきた気がします。『家族が孤独死をした』という経験を持つ方もいらっしゃいました。『自分も気をつけよう』と思ってくれる方がすこしでも増えるように、ミニチュア制作をはじめ、いろんな表現方法で『孤独死の現場』を伝え続けていきたいです」こう話すのは、「遺品整理クリーンサービス」所属の遺品整理人・小島美羽さん(27)。遺品整理とは、自宅やマンション、アパートなどで亡くなった人の遺品のうち、金品や重要書類などを保全し、不要物を撤去する業務。特殊清掃とは、死後、発見が遅れた遺体によって汚れた室内の清掃・原状回復を行う業務のこと。毎年開催されている葬儀業界の展示会「エンディング産業展」に、2016年からミニチュアを展示し始めたところ、彼女が丹念に細部を表現した「孤独死の凄絶な現場」は大きな反響を呼び、入場者が撮影写真をアップしたツイートには1万5千ものリツイートがされるなど、大きな話題となった。小島さんが作成したミニチュアの数々そんな小島さんが、郵便局員の職を辞して遺品整理人になることを決心したのは、実の父親の死がきっかけだったと振り返る。「高校2年生の冬、母や私と別居して昼間から飲んだくれていた父が、孤独死寸前の意識不明の状態で発見されました。知らせを受けて病院にかけつけた私は、幼いころの父との記憶が頭を駆け巡った。そして思ったのは、『死の直前になってその人の大切さがわかっても、遅いんだ』ということでした」54歳での父の臨終を看取った彼女は、自身の経験を活かして「孤独死した方のご遺族に寄り添いたい」と願い、反対する母を押し切って15年に特殊清掃の職に就いたのだった。年間でおよそ3万人が孤独死するといわれる日本で、彼女は年間150件ほど孤独死現場の特殊清掃に出動している。その経験則から、私たち自身が、そして家族が「孤独死しないため」の対策を教えてくれた。現在では現場で得た教訓を伝えるためにイベント活動にも参加しているという【1】風呂場と温度差がある脱衣所や、トイレは暖める「ヒートショック(=心筋梗塞や脳卒中などを起こす要因となる急激な温度差による影響)は、寒い脱衣所と熱い湯船の温度差が引き金になることが多いといわれます。同じくトイレもこれからの冬場は危険。トイレでの孤独死の現場では、暖房便座のコンセントが入っていなかったり、便座カバーがなかったりというケースもみました」【2】近所の人にあいさつする「和室での孤独死のミニチュアは、晩年は独居生活だった父が好きだったワンカップをテーブルに置きました。近隣の方と会話がないと、いざというとき助け合えません。せめてすれ違うときに、あいさつくらいはかわしてほしいんです」【3】銭湯やデイサービスなどを利用する「毎日、必ず顔を合わせるような人がいれば、1日でも顔を見なければ『あの人どうした?』と心配してくれるものです。まったく予期できないのが孤独死ですが、他人事ではないということを繰り返しお伝えしたいです」そう話す小島さんが「5カ月間、仕事終わりに毎晩すこしずつ書き溜めた」という初の著書『時が止まった部屋 遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』(原書房)は、現在、全国の書店で発売中だ。
2019年11月04日「日本では、年間で3万人もの方が“孤独死”しているといわれています。誰にも看取られず自宅で亡くなり、死後、発見されるまでに日数が経過してしまった状況が孤独死。でも、メディアで取り上げられる場合、現場の写真はモザイク処理をされ、大事な『現実』が隠されてしまいます。年間でおよそ150件の孤独死の特殊清掃に出動している私は、『孤独死は誰にも起こりうるものだ』ということを伝えたくて、現場のミニチュアづくりを始めたんです」こう話すのは、「遺品整理クリーンサービス」所属の遺品整理人・小島美羽さん(27)。遺品整理とは、自宅やマンション、アパートなどで亡くなった人の遺品のうち、金品や重要書類などを保全し、不要物を撤去する業務。特殊清掃とは、死後、発見が遅れた遺体によって汚れた室内の清掃・原状回復を行う業務のこと。毎年開催されている葬儀業界の展示会「エンディング産業展」に、2016年からミニチュアを展示し始めたところ、彼女が丹念に細部を表現した「孤独死の凄絶な現場」は大きな反響を呼び、入場者が撮影写真をアップしたツイートには1万5千ものリツイートがされるなど、大きな話題となった。そのミニチュアは、よく見るとゴミ屋敷のように床面をビニル袋が占拠して虫が這っていたり、布団が赤黒く染まっていたり、湯船からはどす黒い液体がこぼれていたり……かなり衝撃的な描写なのだ。17年に初めて本誌がインタビューした際、小島さんは次のように語っていた。《孤独死の発見が遅れれば、夏場なら死後1週間もすれば腐敗して、畳や床が人の形のシミになってしまいます。そんな状況をリアルにお伝えしようと制作したミニチュアについて、「ディテールがすごい!」と投稿してくれたツイートには、「お気に入り」もたくさんつきました》そして、今日現在、彼女が手掛けた作品は9点にのぼる。代表的ないくつかを彼女自身が解説する。まずは、風呂場のミニチュアから。「冬場に浴槽の中で亡くなった方の現場を再現しました。発見されるまでの2カ月間、追い焚き機能で温かいままでしたので、腐敗がすごく進んでしまっていました。皮膚や内臓は骨から分離してしまって、お湯に溶け込んでしまうため、湯が『血の色が濃くなったような』色になっているんです」次は、大量のゴミ袋で山のように埋め尽くされた“ゴミ屋敷”。「ゴミ屋敷の主は、失恋やリストラなど、大きなショックで生きる気力を失ってしまったり、脱力してしまった方が多いんです。そして、こんな現場につきものなのが、巨大なゴキブリ。ある現場では1千匹ものクロゴキブリに囲まれてしまい、さすがにトラウマになってしまいました……」ゴミ屋敷は、職業などの理由で、時間的に余裕がないことも関係しているのではないかと小島さんはみている。「ゴミ屋敷の現場は、孤独死だけでなく、住人ご自身がゴミ処分を依頼されるケースも多い。弁護士、接客業、看護師、タレントの方などさまざまですが、共通項は『激務に追われてエネルギーを使い果たしている』こと。『今日は疲れているから明日掃除しよう』『休日に一気にやろう』が積み重なり、徐々に追いつかなくなってしまう人がいれば、勤務シフト上、朝の早い時間のゴミ出しができずに、ため込んでしまう人もいます。誰の家でも、ゴミ屋敷になりえるんです」この8月には初の著書『時が止まった部屋 遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』(原書房)を出版した小島さんが、最後にこう言う。「フォロワーの方の反応をみていると、2年前に比べて、『孤独死は他人事じゃない』と思ってくれる方が増えてきた気がします。テレビなどではカットせざるを得ない内容も、本では表現できましたので、一人でも多くの方に『自分も気をつけなきゃ』と思っていただけたら嬉しいですね」
2019年10月31日子育て真っ最中に迎えた実の母親の死、そんなときにどうやって自分の生活を続けていけばいいのでしょうか。母親が亡くなってつらいけれども、子どもとの日常はとめどなくやってきます。昨年出版された 『さよならわたしのおかあさん』 。前回の記事、 「“母は助けてくれてあたり前”と信じてた『さよならわたしのおかあさん』(前編)」 では、作者・吉川景都(よしかわ けいと)さんに、母親との日々や亡くなった後の生活について教えていただきました。今回は4歳になった娘のえっちゃんとの日々や、将来目指したい親子像などについて吉川景都さんに話を伺いました。■母の死と娘の誕生はセットで考える――おかあさんが闘病している中でのえっちゃんの誕生は、大変なこともあったのかなと思うのですが…。おかあさんがしんどい時期に自分もしんどくてダブルパンチのように感じることもありました。ただ、新しい命の誕生というのはあきらかにいいことで、おかあさんもそのときはすごく喜んでくれたし、私も子どもに対して親がこう思うんだっていうのを、おかあさんがいるうちに感じられて、すごくよかったですね。――なるほど、同時にあったことにも意味があるということなんですね。「おかあさんの死」と「えっちゃんの誕生」は、私の中ではセットになっているんです。娘が生まれてきてくれて、そこの開いたドアにおかあさんが入っていった。向こう側に行ったおかあさんは新しく生まれてきたえっちゃんのことを見守っていてくれているんだなと捉えています。■子どもと向き合う自分の中に見る「おかあさん」――今、えっちゃんを育てるなかで、おかあさんの存在を感じることはありますか。自分自身がえっちゃんに対して言うこととかやることが、ほぼおかあさんのままみたいなんですよね。「これ、言われたことある!」って言ってから思い出すこともよくあって。この間、えっちゃんとお菓子作りをしたんですけど、もうずいぶん作っていなかったのに、基礎の動きを体が覚えていたんです。おかあさんが教えてくれたことが、ポンって出てきた。きっと、自分の中にはまだ思い出し切れていないことがあって、これからどんどん思い出していける。すごく心強くて、ここまで育ててもらったから、これからも育てていけるんだって感じています。――「自分が生きていること自体が、お母さんの形見」というあとがきの言葉が印象的です。子育ての中で、子どもと付き合い向き合っているうちに、母の考え方とか教えてくれたことが、自分の中にあるなって何回も思いました。そういう経験が積み重なると、「おかあさんって消えていないな」って実感ができますよね。姉妹と話していても、「おかあさんだったらこうするだろうな」って想像できる。それってもう「いなくてもいる」っていうのと一緒だなって思います。――えっちゃんは、おかあさんのこと覚えているんですか。きっと本人は覚えていないと思うんですけど、たまに気を使って、こっちに話題を振ってくれるんですよね(笑)。あとは、最近「天国ってどこにあるの?」とか、急に聞いてくるときとかあって、「お空の上だよ。いつも見ているんだよ」と言っています。■家族の闘病と子育ての両立――おかあさんの闘病と子育てを両立するのは大変だったと思います。どうやって乗り切ってきたのでしょうか。がんばりすぎないことは大切だと思います。私自身も、おかあさんが小康状態のときに、自分の仕事を進めたり子どもを保育園に行かせたりと、日常に戻る時間を確保していました。おかあさんがいなくなったあとも生活は続く、だからこそ、自分自身や子どもの生活を端の方でちゃんと維持しつつ、そこに戻れるようにしておくことは大切だと思います。――ホスピスで最期を過ごしたからこそ、きっとそうした無理のないみとりができたのでしょうね。おかあさんは、体調の波があったときすぐに相談できる場所にいたい、家にいるとみんなに迷惑かけるから嫌だと言って、ホスピスに入りました。入院したとき、本人は晴ればれとした顔をしていて、「もうこれで大丈夫だ」と思ったんだと思うんです。無理に自分たちがなんとかしなきゃって思わないほうがいいと思うし、思う必要はないと思います。■母から受け継いだもの、自分なりに作る娘との関係――どういう親子関係を目指していきたいのか、吉川さんなりにどう考えているのでしょうか。私はおかあさんに何でも話してきたので、えっちゃんにとってもできれば、私が一番の相談相手でありたいし、友だちや恋人ができたりしても、最後は「お母さんがいるからね」って言える存在でありたい。おかあさんにしてもらったように、ベッタリするのではなくうまくサポートしていってあげられたらいいなと思います。――ほかにおかあさんのようになりたいと思うところはありますか。私は心配性なので、つい先回りしていろいろと心配してしまうんです。でも、おかあさんは私が「芝居がやりたい」とか「音楽がやりたい」と言ったとき、いつもまずは「やってみれば」と言ってくれました。だから、私も将来えっちゃんのことをあまり心配しすぎずに見守りたいですね。たとえ「ユーチューバーになりたい」とか言われても(笑)。本人に任せて、もし失敗しちゃったときは受け止めてあげたいです。――おかあさんが弱音を吐かなかった、そうした姿も目標になりそうですよね。おかあさんがまったくつらい面を見せなかったというのは立派だと思うし、自分もそうありたいと思うけれど、とてもできないなあと。いまとなっては、もっと弱音を言ってほしかったという思いもあるし、自分だったらもうちょっと弱音を言っちゃうと思いますね。そういうところを、おかあさんの要素も入れつつ自分なりの母親になっていきたいです。ただ、本当に自分がそういう風になったら「お母さんは大丈夫だよ」って言っちゃうのかもしれないですけどね(笑)。■「命のバトンをつないでいく」吉川さんのメッセージインタビューでは、吉川さんが言葉ひとつひとつを丁寧に選びながら話をしてくださり、おかあさんとえっちゃんを大切にする思いが伝わってきました。そして、まさに子育てとは「命のバトンをつないでいく」ことなのだと、書籍とインタビューをとおして強く実感しています。筆者自身も2年半前に実の母親を大腸がんで亡くし、喪失感がなかなか埋められずにいました。そんなときにこの本に出会って、心のささくれていた部分にそのメッセージが染みこんできました。母親から私に確実に命のバトンは受けつがれていて、きっと次は自分がそれを子どもに渡す番なのだと感じています。おそらく書籍を読み終えると、「お母さん」のことを深く知りたい、どう思っているのか感じたいと願うのではないかと思います。親、自分、子ども、そのずっとつないでいく命のバトンのなかに、何を込めていけばいいのか。そんなことを考える機会となりそうです。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))■吉川景都(よしかわ・けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo
2019年04月10日子育てする中で実の母親というのは、お手本ともなり、頼れる存在ともなりえます。そんな母親がもし死を迎えることになったら、娘である自分たちはどうすればいいのでしょうか。漫画家の吉川景都(よしかわ けいと)さんは、昨年肝臓がんを患い母親との別れをつづったコミックエッセイ 『さよならわたしのおかあさん』 を出版されました。いつも笑顔で冗談を言い続けたおかあさんとの日々や、3年間の闘病、そして亡くなった後の生活について描かれた作品は、連載中からSNSでも話題を集め、出版後も多くの反響を呼んでいます。母親と過ごした日々や、別れの乗り越え方などについて、吉川景都さんに話を伺いました。吉川景都(よしかわ けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo ■一番の相談相手のおかあさんが病気になったとき――吉川さんとおかあさんはどんな関係性だったのですか?私は3姉妹の真ん中なのですが、将来やりたいことを見つけるまでにも時間がかかったので、姉妹の中でも一番心配をかけたんじゃないかと思います。でも、どんなときもおかあさんは「しょうがないよ、まあ、やってみたら?」と言って受けとめて、伴走してくれました。私にとっても、一番の相談相手はおかあさんでしたね。――ガンだとわかったとき、おかあさんはどんな様子でしたか。おかあさんはC型肝炎からガンに進行したのですが、それがわかったときに送られてきたメールは、いつもどおりの絵文字が盛りだくさんの、おもしろいメールでした。私は驚いて、すぐに電話でわーって泣きながら、「どうするの、ガンなんて!?」と、言ってしまって。おかあさんは「いまは治る病気だし、大丈夫」と言ってくれた。ただ、母が亡くなったあとで、父から「病気がわかったときは、おかあさんは泣いて『どうしよう』と言っていたんだ」と聞きました。――あくまでも母親として心配をかけまいとしたんですね。私は、おかあさんの不安を聞いてあげようって気持ちよりも先に、自分がおかあさんを失う不安を取り除きたい気持ちが来てしまいました。「おかあさんはまあ治るだろう」と、現実感がなくて。同時に私は不妊治療をしていたので、「急がなきゃ!」という焦る気持ちが急に湧きあがってきました。■おかあさんのガンがわかってから迎えた妊娠と出産――産前に里帰りしたときは、どんな気持ちでしたか。出産は自分にとって、思っていたよりも前代未聞なことで自分の生活が根底から変わることへの不安がすごく大きかったんです。自分だけがその立場に立たされていて、こんなに大変なんだと思ったら、今まで築きあげてきた「大人っぽい自分」という外側がなくなって、わがままな自分が出てきました。そのときにおかあさんがちょうど病気で、甘えるに甘えられない、不安な気持ちもぶつけるにぶつけられないと感じた時期でしたね。――お互いにつらかったでしょうね…産後はどうでしたか。産後1~2ヶ月で仕事を再開したのでいっぱいいっぱいで、同時におかあさんの病状がだんだん悪くなっていって。おかあさんの状態を受け入れられない自分と初めての子育てで大変な自分というのがごちゃごちゃになっていて、余裕がありませんでした。「その時期もっと実家に帰ればよかった」って今は思うけど、当時はそれどころじゃなかったですね…。■みんな後悔を抱えながら生きていく――最期の日々、おかあさんはどんな様子でしたか。ホスピスに入ってからも、私たちにはつらい表情はほとんど見せなかったです。ただ、一度だけ「くるしい」って電話を掛けてきたことがあって、よっぽどやりきれなかったんだろうって思います。大急ぎで病室に行ったら、やっぱりまたいつも通り「大丈夫。さっきはごめんね」って言うんですよね。――おかあさんとの最期の日々について、今思うことはありますか。私は実家から少し距離があったところで暮らしていたので、「もっと会いに行けばよかった」という思いは、亡くなってからずっとありました。ただ、後悔って家族全員に何かしらあって、一番近くにいた父も、姉や妹たちもそれぞれ「もっとできることがあった」と思っているんですよね。そう考えてみると、「全部やりきったぞ」と言って終われることなんてないんだろうなとは感じています。みんなある程度の後悔を抱えながら生きていくのかなって。■母との別れは、生のままの傷が残っていてほしい――おかあさんが亡くなってから、どれくらいで気持ちに区切りがつきましたか。まずお葬式が終わったときに、おかあさんとの間にある扉が閉まった感じはしました。さらに、亡くなってから1年くらいしてから、母の地元の大分県に分骨に行ったのですが、その道中が家族旅行みたいで。母はいないけど、家族としての形をなんとか保っていけると感じられて、少し気持ちに区切りがついたように思います。あと、私にとっては『さよならわたしのおかあさん』を描いたことがすごく大きかったですね。――読者からの反応はどうでしたか。同じ経験をした方から、「同じような気持ちだった」、「書いてもらえてよかった」と言ってもらえることがあって、描いてよかったなと思いましたね。あとは、「この本を読んで、今日母親に電話しました」とか、「先延ばしにしていた帰省を来月に決めました」というような声もいただいて、描くのはやっぱりしんどかったけどやってよかったなと感じています。――母親の死をどうやって乗り越えればいいか、少しでも気持ちが楽になる方法はないでしょうか。漫画を描くまでは、おかあさんにまつわるさまざまな事柄がそれぞれバラバラに自分の中にありました。しかし思い返してみると、すべてにつながりがあるのだと見えてきたんです。母が亡くなったあとは、悲しいシーンばかり思い出しがちでしたが、つなげて考えるとその間に笑えることや楽しいこともあったなと。起きた出来事を書き出して時系列順に並べてみると、気づくことがあるんじゃないかと思います。――今でもつらいときもありますか。すごくしんどい時は、今も「おかあさんがいない」って泣いてしまいますね。けどそれって頻度が減っていくだけで、多分これからもずっとそうなるときはあるんだろうなって。そこは別に整頓しないで、いつまでも泣ける自分でありたいし、忘れずにいたいですね。生活の中では落ち着いて整頓はされているけれど、おかあさんとは遠く離れたくないし、生のままの傷が残っていてほしいって思っています。■母から見た子ども、子どもから見た母親像とはインタビューでは、吉川さんのおかあさんへの深い愛情が伝わってきました。そして、自分自身のつらい経験を漫画という媒体をとおして伝えてくれた思いを、ママという立場だからより強く共感することも多々あるように思います。本書での最期までほとんど弱音を吐かず、娘を支えた「おかあさん」の姿には、母親のあり方とは何か考えさせられるものがありました。その一方で子どもから見た母親像というものも強く印象付けられ、自分と母との関係、そして自分と子どもとの関係について深く思いを馳せる良い機会にもなりえると感じました。「どんな最期だとしても、何も後悔が残らないことはない」という吉川さんのメッセージには、経験した人だからこそわかる言葉の重みがあります。家族とのつらい別れは、避けたくてもきっといつか必ずだれにも訪れますが、そのとき少しでも自分の心を楽にできるようなエッセンスが、吉川さんの漫画にはところどころに散りばめられていました。次回は、現在の娘さんとの生活、これからの親子関係について、引き続き吉川さんにお話をお伺いします。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))
2019年04月09日彼氏をたまにはドキドキさせたいなとか、もっと愛されたいな・・・と考えている女性もたくさんいるはずです。そんな時は、言葉の力を借りて彼の心を動かしてみましょう。あなたが彼の言う言葉にドキドキするように、彼もあなたの言葉に救われたり癒されたり、愛しさを感じる瞬間があります。ところどころで彼にステキな言葉をかけてあげれば、彼にもっと愛されるようになると思いますよ!彼があなたを愛おしくて仕方がなくなるような言葉を今回は幾つかご紹介します。「○○君って本当に格好良いよね」女性は、男性に「可愛いね」と言われても「またまたぁ」と言葉の裏を読み取ろうとしたり、素直に受け取れない事も多いと思います。でも、男性はこのようなストレートな表現が大好き。しかも、自分の大好きな彼女からこのような言葉を言われると嬉しくてたまらない気持ちになるようですよ!言うタイミングとしては、彼とデートをしている最中に不意に伝えるのがベスト。全く違う話をしている時でも構いません。彼の顔をジーッと見つめた後「○○君て本当格好いい」と最高の笑顔を見せましょう。「何を急に」ときょとんとされても、気にせずにその後手を握ったり、彼にスキンシップを求めたりすると愛しさが伝わるので、より効果的です。「○○君・・・本当にお仕事頑張っているよね」彼が仕事でぐったりしている時にはこのような言葉をかけてあげると、救われたような癒しを感じ、彼は貴女をより愛おしく感じます。男性の社会って縦社会で上司からの圧力があったり、部下の面倒をみなければならなかったりと結構キツイものなんです。そんな時に「頑張っているよね」という言葉をかけられると、「俺のこと解ってくれるのはお前だけだよ」と涙が出るほど嬉しい気持ちに。もっと、彼をキュンキュンさせたいのなら、「私、あんまり普段人の事を褒めないけど」と付け加えた上で、「今日は素直に頑張ってるなって感じたから褒めてあげたい」と彼の頭を撫でながら言ってみましょう。普段、あまり褒めない人が褒めてくれたという特別感が加わるので、彼の気持ちをより癒すことが出来ます。「いい?」疑問系で気持ちを伝えられる言葉男性は、女性に疑問系で会話をされるとキュンキュンしてしまうといわれています。例えば、「○○して欲しいんだど・・・だめ?」「もっと一緒にいたい・・・いいかなあ?」「キスしたい・・・いい?」というような言葉を上目遣いで言われるのがたまらなく好きなのです。彼にお願いをする時には、このように最後を疑問系にして伝えるとお願いを聞いてもらいやすくなります。甘えベタな女性も、この疑問文形式を取り入れれば、自然に男性に甘える事もできますし、可愛い自分を演出することも可能になりますよね。彼が簡単に叶えられそうなお願いごとをする時に使うのがポイントです。「おはよう、おやすみ、こんにちは、ありがとう、ごめんなさい」この5つの言葉をしっかり言える女性は、男性の心を動かす事が出来ます。小さい頃から当たり前のように使っている言葉なのですが、大人になるとちゃんと言える人が少なくなってしまうのはナゼなのでしょうか。付き合いが長くなっている彼に対して「おはよう」と笑顔で挨拶したり、「ありがとう」「ごめんなさい」をちゃんと口にして伝えると、いつもよりしっかりとした大人な雰囲気を感じさせ、マンネリ打破にも繋がるようですよ。男性は、このような当たり前の言葉を女性がちゃんと言えるかどうかをお付き合いの基準にしている事もあるので、今までちゃんといえなかった女性も、今日から伝えてみると二人の関係がよりよくなるかもしれませんね。「最高においしい!」彼と一緒に食事に言った時、ちゃんとおいしさを伝えられる女性は愛されます。「おいしい」と言葉にするのは簡単かもしれませんが、それを相手にどれだけ伝えられるかは女性の腕にかかっていると言えるでしょう。伝え上手な女性は、「おいしい」というだけじゃなく、口に入れた瞬間目を閉じて体を震わせながら「ん〜〜〜〜」と叫んだり、彼氏の手を握って「本当においしいよね」と同意を求めながら喜んだりするみたい。人間は動物の本能を少なからず持っています。男性も、好きな女性に対して食事で喜ばせて気を引きたいという本能が残っているので、食事をおいしそうに食べている姿にキュンキュンしてしまうんですね。おいしそうに食事をした後にレストランを出た後にもダメ押しのひと言。「こんなおいしいお店を知っているなんて○○君すごいね」と褒めちぎりましょう。今回の言葉はどれもコレも男性がキュンキュンしてしまうものばかり。このような言葉を状況に合わせて使っているうちに、彼の中に「気持ちを上手に伝えてくれる素直な子」という印象も残るので、より愛されるようになります。男性は、無邪気な子供のように心を見せてくれる女性が大好き!恥ずかしがらずに、彼に言葉で沢山のキュンをプレゼントしてあげてくださいね。written by 亀ぱんだ
2018年12月31日「Laline」よりクリスマス限定セット登場イスラエル発の死海コスメブランド「Laline(ラリン)」では、2018年のクリスマス限定コレクションとして「グリッタードリームセット」(税抜8,000円)を発売。2018年11月16日(金)より販売を開始する。気になる中身は?「グリッタードリームセット」にはボディソープ、ボディローション、さらにオリジナルのグリッターシャワーバッグがセットになっている。「シマリングシャワージェル」はキラキラのグリッターが入ったジェルタイプのボディ用洗浄料。アロエベラなどの天然由来成分で、肌に潤いをチャージしてくれる。また「ボディローション」は、みずみずしい使用感で肌にスッと馴染むアイテム。ボラージオイル、ホホバオイル、アロエベラ・カレンデュラエキスといった数種の植物由来成分で、しっとりツルツルの仕上がりだ。いずれの商品も香りは「バニラピンクペッパー」。甘いバニラの中にピリッとスパイシーなピンクペッパーを利かせた洗練された香りだ。心地よい香りに包まれて、ボディケアの時間を格上げしてくれるだろう。同セットはクリスマス限定、この時期にしか手に入らない限定商品。大切な人へのギフトとしてはもちろん、日頃忙しい毎日に追われる自分へのご褒美としていかがだろうか。無くなり次第販売終了となるので、気になる方はお早めに。【参考】※Laline JAPAN株式会社のプレスリリース
2018年11月14日大竹しのぶ(61)の母・江すてるさんが9月1日に亡くなっていたと各紙が報じた。96歳だった。江すてるさんの死をうけ、大竹は所属事務所・エスターのホームページでコメントを発表。江すてるさんについて「誰かの為に生きること、それが母の喜びでした。楽になることを望まず、最後まで役に立ちたいと願い、生きようと闘っていました」と明かし、「苦しかったとは思いますが悲しくはなかったと思います。96年のあっぱれな人生でした」と讃えた。江すてるさんは91歳の頃に転倒し、左肩を骨折。それを機に自宅での介護生活が始まった。「大竹さんが介護を始めたころ、ちょうど舞台で共演していた宮沢りえさん(45)のお母さんが亡くなられたばかりでした。傷心のりえさんを気遣い大竹さんは明るく場を取り持っていました。そんな大竹さんに、りえさんも感謝しきりだったそうです」(舞台関係者)当初は気丈に振る舞っていた大竹。しかし次第に弱っていく江すてるさんの姿に胸を痛めていたという。「もともと働き者だった江すてるさんですから、体が不自由な生活はよほど辛かったようです。身体は動かない、好きなものは食べれない……。日に日に気持ちも塞がっていき、弱音も増えていきました。そんな様子を見て大竹さんも元気づけるいっぽう、その最期を覚悟するようになっていったといいます」(大竹の知人)そしてこの夏の猛暑が重なった――。「食べれるものが限られている上、連日の暑さで江すてるさんの食欲はさらに低下。それでも大竹さんは『ここが頑張りどきなんだ』と献身的に支え続けていました。仕事以外は外出を控えていたほどですからね……。最後まで娘としての役目を果たしたかったのでしょう」(前出・舞台関係者)娘の献身ぶりに、天国の母は感謝していることだろう――。
2018年09月07日両親とも、娘の「過労死」をいまも受け入れられない。政治の動きは2人の気持ちをさらに逆なでする。若者を中心にこれだけ“犠牲者”が続出しているのに、6月29日、頑張って働く労働者を死に追いやるような働き方改革関連法案が成立してしまったからだ。「働き方改革」として、法案を総理自らが旗を振って進めたことに対する怒りも収まらない。大好きな仕事によって、未来を奪われた娘の無念を晴らすために、過労死根絶を目指して両親は今日も発言を続ける――。佐戸家のリビングダイニングに面した広めの和室で、’13年に過労のため31歳で急逝したNHK記者・佐戸未和さんはにこやかな笑顔を浮かべていた。親しい友人とハワイ旅行した際、撮影されたその遺影の脇には、お骨も安置されていた。「お墓は作ったのですが……。寂しく真っ暗なところに未和1人おくなんて、そんな気持ちになれません。私か家内が死んだとき、一緒に連れていくことにしています」父・守さん(67)は、ポツリと言った。母・恵美子さん(68)も続けてこう語る。「戒名はつけませんでした。未和は遠くになんか行っていないし。私達の心の中にずっと生きているし、いつも一緒です」’05年4月、NHKに入局した未和さんは、恵美子さんいわく「みんなから愛されて、いつのまにか人の中心にいるタイプ」。新人研修の集合写真でも、桜の木の下で仲間が一列に立つ真ん中で、1人、ゴロンと横たわり、ピースサインで笑っていた。5月に配属された初任地は、鹿児島放送局だった。事故や事件、台風などの災害現場にも足を運び、いじめ問題にも切り込んだ。「社会的弱者に寄り添う未和らしい取材もありました。鹿児島のパナソニック関連工場閉鎖のとき、解雇された側に立ったレポートは印象に残っています」(守さん)頑張り屋の彼女は、鹿児島弁も使いながら取材先に食い込み、記者として評価されるようになった。鹿児島で5年勤務した後、首都圏放送センターに異動になり、未和さんは都庁クラブに配属された。’13年1月、アルジェリアでイスラム系武装集団による人質拘束事件が起き、未和さんは、犠牲になった日本企業・日揮の取材でトイレにも行けない状況が続いた。「膀胱炎になっても病院に行けないというので、心配していました」(恵美子さん)6月には都知事選、続く7月には参議院選があり、未和さんは取材に忙殺される日々が続いた。7月21日に参議院選の取材を終え、23日には、横浜放送局へ異動する彼女の歓送会が開かれた。亡くなったのは、歓送会から帰宅した後とされている。直接の死因は、うっ血性心不全だった。第一発見者は未和さんの婚約者だった。未和さんと連絡が取れず、心配になって、マンションに駆けつけたときには、すでに死後1日半近くがたっていた。「熱暑の真夏に、1日半も部屋に放置されて、肌の色は変わってしまっていました。若いと余計に体も膨らんでしまうそうです。あのかわいい未和が、変わり果てた姿で……」(恵美子さん)29日に通夜、30日に告別式が営まれ、のべ1,000人が参列した。だが、葬儀が終わっても、家族には釈然としない思いだけが残った。恵美子さんは、未和さんの病歴や薬を調べた。父・守さん(67)は、NHKから娘の勤務表を取り寄せた。「愕然としました。これは何だ!と、怒りが湧いてきました」(守さん)それは、長年メーカーで、管理職として働いてきた守さんにとって、信じがたい勤務表だった。未和さんは、5月末から最後の出勤日となった7月22日まで、休日はほとんどなく、都議選の6月、参院選の7月は勤務時間が10〜25時という日が何度も記載されていた。「記者の勤務時間はすべて自己申告で、1日15時間以上は申告できないそうです。未和は、ほとんどの日で15時間ピッタリ。実際は、それ以上、働いていたのではないかと疑問に思いました」(守さん)守さんは、NHKにパソコンや携帯電話の記録、タクシーの利用状況の提出を求めた。複数の資料を照らし合わせて浮かび上がってきたのは、未和さんの過酷な労働状況だ。勤務時間が連日10〜25時となっているのに、朝6時台に自宅から都庁までタクシーに乗っていたり。携帯メールの受信記録では、深夜2時、3時にも、選挙の候補者の情報が寄せられていたという。調べるうちに真夏の炎天下、候補者や政党の演説に同行し、街頭調査や出口調査、局内での夜間の票読み会議、番組での選挙レポートと、未和さんの奮闘ぶりも見えてきた。「1月に膀胱炎を患っていたからでしょうか。連日35度を超す猛暑のなか、未和は余分な水分をとろうとせず、薄いスイカでしのいでいたそうです」(恵美子さん)選挙戦での綿密な取材が評価され、葬儀の日付で未和さんに、報道局長特賞が贈られたが、娘の過重労働が明らかになるにつれ、両親のNHKに対する不信は募った。「殉職のような扱いで、腹が立ちます。『他社に先んじて、当確を打ち出した』ことが称されていますが、数分、数秒、早く結果を出すことに、どれほどの意味があるのでしょう。こんなもののために未和は死んだのかと思うと、本当にやりきれません」(恵美子さん)両親が執念でたどった未和さんの足跡を一目見た弁護士は、「これは過労死の疑いが非常に強いです」と、即答。未和さんの死から10カ月後の’14年5月、過労死と認定された。労災認定の過労死ラインは80時間とされている。しかし、未和さんの直近1カ月の残業時間は、認定されただけで159時間。両親が調べた結果では、209時間にも上っていた。過労死認定はでたものの、両親には何の達成感もなく喪失感と苦しみのほうがはるかに大きかった。恵美子さんは、それから3年ほど、精神のバランスを崩し、長期の療養と入退院を繰り返している。「子が先に逝く悲しみは、食べたい、飲みたい、生きたいといった“したい”欲望すべてを奪います。ベランダから飛び降りようと何度も思いました。気づけば独り言をブツブツ言っています。自分が壊れていくのがわかりました」(恵美子さん)’17年3月、ようやく症状が落ち着いて退院すると、恵美子さんは過労死遺族も参加するシンポジウムに足を運ぶようになった。「家に閉じこもりきりでは、気がめいるばかりですから」(恵美子さん)’15年12月、電通の高橋まつりさん(享年24)が自殺し、’16年に過労死認定されてから、過労死は大きな社会問題になっていた。しかし、NHKは、電通事件は大きく報じても、自局の未和さんのことには触れもしない。労働問題専門の解説委員さえ未和さんの過労死の事実を知らなかった。「局内で未和の過労死は周知されていなかったんです。それは未和の命が軽く見られているということじゃないでしょうか」(恵美子さん)昨年の命日にはNHKから直前になっても連絡がなかった。「このままでは未和の過労死がNHKの中で風化してしまう」。両親の危機感はつのり、守さんは報道センター長に局内での周知を要求した。その後NHKと両親の間で何度か話し合いがもたれ、10月4日の『ニュースウォッチ9』での公表につながった。番組最後のたった2分の報道だった。6月には、上田良一会長が謝罪したが、それで、両親が納得できたわけではない。13日に、夫妻も記者会見に臨み、NHK側が番組で「遺族側の意向で公表を控えた」とした説明に、異論を唱えた。とはいえ、昨年12月、NHKが発表した「NHKグループ働き方改革」に、守さんはひとつの成果を感じていた。「会長自ら先頭に立ち、働き方改革を進めたことは、前進だと思っています。未和の死が背景にあると思います」(守さん)
2018年07月29日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「尊厳死と安楽死」です。超高齢化社会の日本の今後の課題。徹底した議論を。今年の1月、評論家の西部邁さんが入水自殺をした際、知人の2人が自殺の手助けをしたとされ、自殺ほう助の罪に問われ、逮捕されました。西部さんは生前、老齢で病気になり家族に迷惑をかけたくないと思う人間が、自分の裁量で死ぬという選択があってもよいのではないかとおっしゃっていました。橋田壽賀子さんも昨年、『安楽死で死なせてください』という著書を出され、物議を醸しました。尊厳死とは、回復の見込みがなく苦痛を伴う状態にある場合、延命措置を断り最後は自然死を迎えるというもの。安楽死には、薬物を投与したり、延命治療を途中でやめる「積極的安楽死」と、延命治療を行わない「消極的安楽死」がありますが、線引きは曖昧です。現在、日本では安楽死は認められていませんが、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、カナダ、アメリカの一部では認められています。オランダでは2002年に安楽死を法制化し、通常の医療行為として、保険が適用されているそうです。認められる条件は、本人の自発的な要求のほか、改善の見通しがない、安楽死以外の解決策がない、安楽死の担当医以外の医師の診断などです。2016年には6091人の人が安楽死を選択。7割が末期ガン。あとは高齢者や認知症患者などが占めていました。超高齢者がますます増える日本にとって、終末期医療・ケアは大きな課題です。厚生労働省は3月に「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を改訂しました。本人の意思を尊重するのは大前提ですが、本人が意思決定できなくなる前に、家族や医療・介護従事者が連携をとって方針を繰り返し話し合い、文書にしておくことを勧めています。尊厳死、安楽死は難しい問題です。治る見込みがなく、毎日苦痛を伴いながら家族を犠牲にして生き続けるのは確かに辛い。しかし、生きることを前提に作られている社会で、死を自ら選択できることになれば社会不安を起こします。また、弱者は切り捨ててよいという発想にもなりかねません。人生100年時代、社会でも家族間でも徹底して議論する必要があるでしょう。堀潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。新刊『堀潤の伝える人になろう講座』(朝日新聞出版)が好評発売中。※『anan』2018年6月13日号より。写真・中島慶子題字&イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年06月09日「過労死」で数が減少し続けている蜂のための“エナジードリンク”がポーランドで開発された。蜂たちが労働を続けてくれなければ死んでいくのは人間なのだから、これは他人事ではない。Photo by Massimiliano Latella約20兆円相当の自然界の巨大ビジネスと、過労死する蜂たち食料を作るのには虫や動物がいなくなちゃならない。スーパーの棚に並ぶ食料を買っていると忘れがちだが、他の生物なしに私たち人間は生きてはいけない。特に蜂は地球上の90%の自然植物の存続に関わっているといわれている。受粉を「ビジネス」として考えれば、送粉者として約20兆円の利益を生み出しているのが蜂である。しかしその数は年々減少。もちろん、現実問題「蜂が行なっているビジネス」がなくなれば経済的な大損害だけでなく、それは食料確保の問題で、人類の存続に関わってくるだろう。(参照元:Bee Saving Paper)この問題に目をつけたポーランドの広告やメディアの代理店 Saatchi & Saatchiは、都心の蜂を救う活動をしているCity Beeとタッグを組み、昆虫学のエキスパートと職人の力を借りて「Bee Saving Paper(ビーセイビングペーパー):蜂を救う紙」を開発した。この生分解性紙にはベタつかないように加工された蜂にエネルギーを与えるブドウ糖が含まれている。このブドウ糖は蜂の大好物の植物ハゼリソウから取り出されたものだ。また、この紙には水からできたUV塗料に覆われた蜂だけが見える円上の模様が施されており、それが蜂の休憩所の目印となる。▶︎オススメ記事・もう食品ラップはいらない。ハチの力を借りて作られる「1年間、何度も使えるラップ」。・19店目:日本初上陸。増粘剤や安定剤など“余計なもの”を一切入れない、超オーガニックアイスクリーム Three Twins Ice Cream| フーディーなBi編集部オススメ『TOKYO GOOD FOOD』All photos via Bee Saving Paper unless otherwise stated. Text by Noemi MinamiーBe inspired!
2018年04月10日