グローバルボーイズグループ・JO1が25日、都内で「JO1 2ND ALBUM『KIZUNA』リリース記念イベント」を開催。河野純喜が、作詞を担当した『KIZUNA』収録曲「Touch!」に込めた思いを語った。2019年12月にオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』で“国民プロデューサー”と呼ばれる視聴者の投票で選ばれた11人(豆原一成、川尻蓮、川西拓実、大平祥生、鶴房汐恩、白岩瑠姫、佐藤景瑚、木全翔也、河野純喜、金城碧海、與那城奨)で結成されたJO1。河野は「自分の名前がクレジットに乗るのが信じられないというか、すごいうれしかったですね。『Touch!』のインスト聴いてすごい好きだなと思って、書きたいなと。聴いた瞬間、ライブで盛り上がる曲だなと思って、絶対ライブでやります!」と喜びをあらわ。「今はタッチできないけど、いつかJAM(JO1のファン)の皆さんとタッチできたらいいなという思いも込めて作りました」と説明した。メンバーも、河野の歌詞を「素晴らしい」と称賛。河野が「出来上がって、碧海と翔也が『純喜くんが書きました?』って」と、金城と木全が気づいたことを明かすと、木全は「気づきました! 純喜くんらしさが出ていて」と話していた。イベントでは、『KIZUNA』がオリコンデイリーアルバムランキング1位を獲得したことが発表され、メンバーは歓喜。さらに、初となるアリーナツアー「2022 JO1 1ST ARENA LIVE TOUR ‘KIZUNA’」が今年9月に開催されることがメンバーにもサプライズで発表され、感極まって涙するメンバーの姿も見られた。(C)LAPONE ENTERTAINMENT
2022年05月25日「河野(かわの)の日記を、亡くなって10年近くも読めずにいたのは、いくら夫婦とはいえ、他人の心をのぞき見るようなことはできないと思っていたからです。それから率直に言えば、見るのが怖いという思いもありました」こう話すのは、日本を代表する歌人で細胞生物学研究の第一人者でもある永田和宏さん(75)。「河野」と呼ぶのは10年8月12日に乳がんで亡くなった最愛の妻・河野裕子さん(享年64)のことだ。裕子さんは20代前半から歌人として頭角を現し、23歳で角川短歌賞を最年少受賞するなど活躍。夫妻は09年に宮中歌会始詠進歌選者をそろって務めて「初の夫婦同時の選者」となるなど上皇陛下、美智子さまをはじめ、皇族方との親交もつづけてきた。とはいえ夫妻の歌に特筆すべきは高尚で難解な作風でなく、日常のなにげない描写や心情を詠んだ「とっつきやすさ」にこそある。《このひとはだんだん子供のやうになるパンツ一枚で西瓜食ひゐる》(河野裕子)《いい夫婦であつたかどうかはわからねどおもろい夫婦ではあつたのだらう》(永田和宏)そんな「歌壇のおしどり夫婦」が死別したとき、夫は愛妻の遺品のなかに、ふたりが交わした300通の手紙とともに、10冊以上に及ぶ彼女の日記帳を見つけた。それを没後10年近く「読めずにいた」永田さんだったが、いまから3年前の19年のこと、意を決して手を伸ばしたのだという。「先立った河野は、本当に僕が夫でよかったのか?ほかにふさわしい選択はなかったのか?そんな疑問が頭をもたげたんです」すると日記には、裕子さんの胸の内が赤裸々につづられていた。《永田さんのお隣りにすわっていて、私たちはお互いに意識しあっていた。一緒にいるということは、何物にもかえがたい……》(67年10月16日)裕子さんにはこのころを詠んだと思われる次の一首もある。《陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり》(『森のやうに獣のやうに』より)これらの日記や歌は、知り合った当初から、「ふたりの人を愛している」と打ち明けられた日までの記録である。「河野がこんなにいちずに思い詰めていたんだということ、人は愛にここまでいちずになれるんだということに、本当に驚きました……」■大学時代に出会ったふたり。裕子さんは《一目で好きになった》と書き残した永田さんは66年に京都大学理学部に合格し、京大短歌会に所属。翌年に裕子さんと運命的に出会う。46年生まれで1歳年上、京都女子大学2年だった裕子さんとの初対面は、学生たちの短歌同人誌『幻想派』創刊の顔合わせでのこと。「白いブラウスの彼女はいかにも繊細そうでいて、ちょっとしたことにもよく笑った。無防備な天真らんまんさと、不思議なキャラクターを感じました」お互い意識してはいるものの、「一目ぼれ」とはいえない初対面。それが「思慕の情」へと急進していくのは、その3カ月後の10月、2度目に会ってからとなる。「京大近くの喫茶店に先輩に連れられて行くと、河野も偶然、先輩と一緒に現れたんです」10月14日の裕子さんの日記には、心躍るさまが描かれている。《永田さん、一目で好きになったほんの一瞬の間でもやはりこころは傾いてしまう彼はふかくて寂しくて厳しい人のようだ》弱冠21歳の胸に、永田さんが、にわかに入り込んだ瞬間だった。一方、恋愛経験は「皆無に等しかった」永田さんの胸中も……。「僕が話しだせば必ず相づちを打って反応してくれる。自分の思いを重ね、質問したりするので話が途切れず、すぐに時間が過ぎていく。そんなことで月に一度会う間隔が、週に二、三度となるのにそう時間はかかりませんでした」こんなふうに《お互いに意識しあっていた》(10月16日の日記)のに1月5日には《あなたを傷つけてしまった》と、ひと悶着あったことを裕子さんは記している。この間に永田さんの“恋敵”の存在が明かされたのだ。正確に言えば、永田さんを好きになる以前から好きな男性がいたことが。「何度も会っているうちに、心に思い決めている男性がいるらしいことに、薄々感づいてはいた」と永田さんが顚末を振り返る。「私と頻繁に会うようになる2カ月ほど前、河野が短歌誌『コスモス』の全国大会で知り合ったのが、その『N』という青年でした」裕子さんのその時分の日記には、N青年に関する記述も見られた。《愛情について語った時、明らかに私は彼のひたひたとした愛情を感じた……》「全国大会の後、数カ月は文通が続いていたようです」と話す永田さんこそ、N青年との恋路に「割って入った」格好なのだが。約2カ月後、裕子さんの思いは振り子のように揺れ動いていた。《今、Nさんを失ったら、歌を創るはりもゆめもなくなってしまう……今、永田さんを失ってしまったら到底しゃんとしてはいられない》(12月21日)そしてとうとう《言ってはならぬことを言ってしまった……ふたりの人を愛していると》(1月7日)という衝撃の告白に至るのだ。こうして裕子さんに思いの丈をぶつけられた永田さんは、会って話し、息遣いを交わし、そのうえ手紙も重ねて意志を示した。《どちらかを選べというのは残酷だと思いますけれどどちらかでは困るのですぼくでないと困るのです》(1月31日 永田)2月3日、京都府立植物園。プラタナスの木の下で、ふたりは生まれて初めてキスをした。■裕子さんは亡くなる2日前まで歌を詠んだ。子どもたちには、「お父さんを頼みましたよ」72年5月、裕子さんは第一歌集『森のやうに獣のやうに』を出版。同月14日に永田さんと結婚した。73年に長男・淳さん(48)を、75年に長女・紅さん(46)を出産。永田さんは76年、勤務していた森永乳業を辞め、京大結核胸部疾患研究所の研究員になったが「無給で、生活のために塾の講師をしていました」と回顧する。「毎晩、帰宅は夜中の1時過ぎ。それから食事をとりコーヒーを入れ、作歌は深夜の作業だった」かたや裕子さんはこの時期を。《子育てでへとへとになっているけれども、負けちゃいられないと同じように櫓炬燵にへばりついて歌をつくっていた》(『シリーズ牧水賞の歌人たち 河野裕子』より)歌人同士「競い合うライバル心があった」と永田さんは懐かしむ。「夜中に炬燵を囲んでふたりで歌を作っていると、2階から子どもの泣き声がしてくる。どっちが面倒を見に行くかで、よくけんかになりました。醤油瓶が飛んだりして、壁にビャッと飛び散ってね」ユニークで忙しない作歌と育児の日々も、裕子さんが愛情を注ぐ優先順位は一にも二にも夫だった。《私は自分に自信がなくて、生きていくのがしんどくてしんどくてしようがないときに永田に会いました……そう。(永田に)すべての愛情をかけようと思いましたね》(『私の会った人びと』より)こんな一首を残している。《しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ》(『紅』より)子育てを詠んだ一首として定評があるが、長男・淳さんは「ご飯を食べさせ、日干しした布団に寝かせたい相手とは、父のことだったと思います」として続ける。「母は『子どもはしっかり食べさせれば放っておいても育つ。私は、子どもより永田和宏を大事にしてやってきました』と公言していた。《良妻であること何で悪かろか日向の赤まま扱きて歩む》(『紅』より)という一首には『良妻でいるのは素晴らしいことじゃないか』という母の主張が込められていたんです」淳さんは01年に歌集出版社の「青磁社」を立ち上げ今日に至る、三男一女の父である。長女・紅さんは01年に母と同じ現代歌人協会賞を受賞(親子で初)した一方、父と同じ細胞生物学を研究し、現在は京大特任助教だ。8歳の長女の母である彼女が、母在りし日の永田家を語る。「決して教育ママではなく、自分の興味、楽しみに兄と私を巻き込む母でした。父はそんな母に“褒められて育った”感じですね。父が出すアイデアに『それって面白い!』とすぐ呼応する。話し好きで、父が向かうところトイレまでついて行き、外から話しかけている……そんな母でした」大人になって両親の晩酌に参入すると、それはにぎやかだった。「夜遅くまでそれぞれ選歌したり、詠んだりで、夜中にリビングに集まってきて酒盛りが始まる。ワイン片手に話す父を私たちが囲み、父が酔ったころに母も飲み始めて」“歌壇のサザエさん一家”といわれるほど筒抜けで仲むつまじい家族。だがそこから、裕子さんひとり、病魔に引っぱられてしまう。《左脇の大きなしこりは何ならむ二つ三つあり卵大なり》(『日付のある歌』より)00年9月、彼女に下った診断は乳がん、リンパ節に転移あり。「河野は左乳房3分の2の切除術を受けた後、放射線療法に入りました。幸い経過はよく、その時点で再発の恐れはないという。僕らは日常に戻りつつありました」こう話す永田さんだが、もっともストレスを感じていたのは裕子さんだったと気づかされる。「術後の左側の痺れやこわばり、痛みがありました。それを誰もわかってくれないという不満。その矛先が僕に向けられたんです。どれくらいいたわってくれるか、わがままを聞いて耐えてくれるか、僕を試しているようでした……」裕子さんは永田さんの言葉尻をとらえて、責めてきたという。「がんがわかったとき僕は『俺にも半分責任がある』と言いました。夫として気づくべきだったと。しかしその言葉が独り歩きして、僕への非難になりました。『あんたのせいでこうなった』と」しかし、どんなに体がいうことをきかなくても、夫の食事だけは欠かさず作ってくれている妻に、永田さんは慈しみがまさるのだ。そして裕子さんは、そのころの出来事をこんなふうに詠んだ。《あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて》(『葦舟』より)「この一首で、僕は、それまでの河野の激情も、罵言も、すべて許せると思いました」歌を通じてわかり合い、より結びつきを強くした夫婦にも、永別のときは迫りくる。08年7月に再発・転移がわかると、裕子さんは次第に弱っていった。しかしそこから2年あまり、亡くなる2日前まで詠み続けた。《長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ》(『蝉声』より)永田さんが声を湿らせる。「この一首は僕が口述筆記しました。河野の『あなたにだけは長く生きてほしい』という最後の願いが、僕のお守りとなりました」長男と長女は、こう伝えられた。「お父さんを頼みましたよ。お父さんはさびしい人なのだから、ひとりにしてはいけませんよ……」 そして次の歌が辞世の一首に。《手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が》(『蝉声』より)10年8月12日、裕子さんは64年の生涯に幕を下ろしたーー。(取材・文:鈴木利宗)【後編】75歳、人生の繁忙期歌人・永田和宏「天の妻はきっと褒めてくれる」へ続く
2022年05月22日SNS昨今、ツイッターを代表としたSNSで、一般人を「ブロック」する芸能人・有名人が少なくない。代表的なのは、総裁選にも出馬した河野太郎、政治的発言が増加中のロンドンブーツ1号2号の田村淳ら。確かに有名人には、誹謗中傷も含めた“クソリプ”は多い。しかし、彼らは「一度もやりとりをしていない」者すら、“即ブロック”するということも……。彼らはなぜすぐブロックするのか、その状況と心理――。《田村淳に絡んだことないのにブロックされてるwどうして? なんで? 》《河野太郎にブロックされた! どうでもいいけど。しかし絡んだことないぞ。》一般人にとっても便利なツールであるSNSだが、それ以上に重要視しているのは芸能人や政治家といった有名人たち。情報発信・ファン獲得のためにSNSは重要なツールだ。しかし、そんな彼らが今、続々と“一般人”を『ブロック』(相手に自分の投稿を見られなくする機能)している。その代表が冒頭の2人。「ほかにも政治家でいうと蓮舫さんや芸人ではバカリズムさんなどが、ツイッターで“すぐブロックする”ことで有名。バカリズムさんは理由について“イラッとしたらブロックする”と発言していました」(スポーツ紙記者)彼らはなぜ一般人をSNSでブロックするのか。「芸能人に限りませんが、ある程度フォロワーがいる人は、いわゆる“クソリプ”が非常に多く、ダメージが大きいので、それを受けたくないという心理でしょう」そう話すのは、SNSに詳しいウェブメディア評論家の落合正和氏。『クソリプ』とは、“クソなリプライ(返信)”のこと。投稿されたユーザーが誹謗中傷などを不快に感じるリプライを指す。「フォロワーが数千人程度の私でも、クソリプはしょっちゅうきます。ある程度のフォロワーがいて情報発信している人がブロックを多用するというのはすごく理解できます。“発信しているんだから当たり前でしょ”という有名税のような意見もありますが、ネガティブなコミュニケーションはとりたくないと考えるのは当然のことだと思います」(落合氏、以下同)■絡んでいない人もブロックする心理ネット、そしてSNSの普及によって有名人たちの仕事には変化が生まれた。「テレビの露出があれば食べていける時代ではなくなり、SNSなどでファンを獲得していかないと生き残れなくなってきています。ある程度、自分でファンやそのコミュニティーを作っていかなくてはならない。そうなったときにやはりクソリプは、営業上の不利益が多くなる。例えば“こういう発信をしたら、いろんなツッコミやヤジが飛んでくるんじゃないか”というように、自分が発信することに対してハードルが上がってしまう。発信することが億劫になってしまったり、恐怖感が生まれかねません」クソリプを送った人をブロックする心理はわかるが、冒頭の田村淳や河野のように、“絡んでいない”状態でブロックする心理とは?「ブロックしている方の判断の部分になりますが、過去のその人の発言を見てコミュニケーションをとりたくないなとの判断でしょう。ちょっとヘイトじみたことをしていたり、フェイクニュース的な事実とは異なるような発言をしていたり。政治家からするとフェイクを巻き散らされたりすることは大迷惑。本来は支持者だった人が離れていってしまう可能性もある。このような人とコミュニケーションすること自体、非常にマイナスになるということですね」河野はブロックに対して、「ブロックするのはフォロワーさんにひどいリプを見せたくないから。だから私は堂々とブロックします」と発言。「“ブロックしても、そのリプライはほかのユーザーに見える”ということをジャーナリストの津田大介さんが指摘していました。それも正しいのですが、そこで河野さんとブロック対象者間のコミュニケーションが遮断されるというメリットも」ブロックされた相手は河野のツイートが見られなくなるので、それ以上やりとりはなくなる。結果それ以上、ほかのユーザーが、罵詈雑言や誹謗中傷が飛び交うような状態が極力見えないようになる。「河野さんのおっしゃっていることは間違いではない。とは思いつつも、政治家がコミュニケーションをとらないというのは、どういうことなんだという一面ももちろんあると思います。明らかに誹謗中傷的なものは政治家であってもコミュニケーションをとる必要はないでしょう。ただ、ではそこの判断はどこなんだとなると難しい。線引きはなかなかできない。どうしてもユーザー、つまり河野さんの判断になる。そうすると、“これは誹謗中傷じゃなくてあなたへの意見でしょ”というものまでブロックすることも当然出てきてしまう。このあたりの判断は難しいですよね……」■ブロック多用は米では違憲判断もちなみに同じようにブロックを多用する政治家がいた。前アメリカ大統領のトランプだ。彼はツイッターで自分に批判的なコメントをした人をブロックしていた。それは“言論の自由”の侵害だとして、ユーザーたちが訴え、結果“ブロックは違憲”という司法判断がなされている。「日本でも今後そういった裁判が行われる可能性というのは十分にあるのではないかと思います。ただアメリカと日本でやはり法律が違う。アメリカという国は自由や透明性を誇りにしている国でもありますので、その部分で日本人との解釈や価値観の違いは出てくるのかと思います」河野のフォロワーは現在、240万人超、田村淳は320万人近い。「正直なところクソリプの嵐だと思います。とんでもない数のクソリプが飛んできて、まともなコミュニケーションができないから封鎖する。自分の支持者とかファンの人たちとまともにコミュニケーションしようと思ったら、そういったものを遮らないととてもじゃないけどできない。私が2人のような立場だったとしても、そうするだろうなと思います」コロナ禍の影響で情報収集用としてツイッターの利用者が増えているという。有名人も一般人も、ブロックに気をつけて……。
2021年10月08日「最低保障は税金でやる」9月18日、自民党総裁選の公開討論会でこう述べたのは河野太郎行政改革担当大臣(58)。総裁選に立候補する河野氏は、年金制度改革の必要性を訴え、消費税を財源とした最低保障年金制度の創設を唱える。これに対して、対立候補となる岸田文雄前政調会長(64)、高市早苗前総務相(60)、野田聖子幹事長代行(61)は否定的な考えを示す。制度の導入が消費税の増税につながるためだ。「もし河野さんが提唱する『最低保障年金』を導入するなら、消費税を現状より6%は上げる必要があります」こう話すのは“年金博士”として知られる社会保険労務士の北村庄吾さん。「現在の年金制度では、国民年金は保険料を払った期間に応じて受給額が決まります。20~60歳になるまでの40年間保険料を支払えば、満額の月6万5千75円を受け取れるのです」しかし、少子高齢化に突き進む日本で、年金の受給額は将来的に大きく減る見通しとなっている。また、低年金・無年金となる高齢者が増えることで、生活保護受給者の増加も懸念されている。「その対策として河野氏が提案するのが最低保障年金です。現行の制度と異なり、保険料を支払った期間にかかわらず全加入者が一定額を受給できるのが、最低保障年金の基本的な考え方。河野氏の場合はこの財源を税金で、と考えているため、保険料を納める必要はなくなります」しかし、その分を消費税で賄わなければならない。現在、国民年金の給付総額は約23兆円で、そのうち約半分が国民年金の保険料収入で賄われている。「消費税を上げると1%で2兆~2.5兆円の税収増となります。保険料収入の分を消費税で賄おうとすると、6%程度の消費税アップが必要です。最低保障年金の場合、現在無年金・低年金の人にも払うことになりますから、増税はそれ以上になる可能性もあります」現在の消費税は10%。そこから6%の増税となれば、消費税は“16%”となる。「当然、増税には大きな反発が起こるでしょう。しかも何十年と真面目に年金保険料を納付し続けている人にしてみれば『いままで積み立ててきた分はどうなるの?』という不満も出てきます」もとよりコロナ不況で国内経済は滞り、消費も鈍っている。「そのうえ増税となれば、さらに買い控えの傾向は進みます。コロナ後の経済回復など到底見込めなくなるでしょう」■ほか3人なら厚生年金も激減の可能性「岸田さんや高市さん、野田さんが総裁になっても、明るい未来は期待できません」そう指摘するのは、経済評論家の平野和之さん。「岸田さん、高市さんは厚生年金の加入者を増やすという案を示していますが、ほかに目新しいアイデアは見当たりません。この3者は現行の年金政策を粛々と継続する見込み。すると将来的に、われわれが受け取る年金額は月額“9万円以上”も下がる可能性があります」平野さんが注目するのが、厚生労働省が5年に1度公表している財政検証だ。この資料内では、現役世代の男子の平均手取り収入に対し、モデル世帯となる夫婦の年金受給額がどれくらいの割合になるのかを示す“所得代替率”の将来予想が行われている。「最新の’19年の財政検証では、夫が賞与を含んで月の平均収入42.8万円で40年間就業し、妻が専業主婦だった夫婦がモデル世帯となっています。’19年度の所得代替率は“61.7%”です。この時点における現役世代の男子の平均手取り収入は、月35.7万円なので、モデル世帯がひと月にもらえる年金額は“約22万円”となっています」厚労省は、経済成長の進み具合などによって、年金受給額の6つのシナリオを想定している。「経済成長が進まない最悪のシナリオでは、約30年後の’52年度に所得代替率は36~38%に激減すると予測しています。その場合、’19年のモデル世帯にあてはめると、ひと月あたりの年金受給額が“約12万8千円”に減ってしまうのです。現状から“9万円以上”の減額になります」しかも平野さんは「これが最悪のケースではない」と、さらに恐ろしい予測を立てる。「国のいう“最悪”の見立ては、コロナ禍より前に試算されたもの。いまのコロナ不況が追い打ちをかける可能性があるのです。実際に、外食、観光中小企業などは相当追い詰められています。年金保険料の未払いが増え、年金財政の悪化は加速するでしょう」さらに、平野さんは年金の財源の一部はGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)によって資産運用されているが、リスクを計算していないため、不測の事態が起これば大幅に目減りする可能性もあると考える。「経済の低迷が続けば、最悪のシナリオを下方修正せざるをえません。所得代替率がさらに10%ほど下がっても不思議ではないんです」総裁決定後、新総理の選出は、10月4日に行われる。しかし、誰が総理になっても年金を待ち構える未来は地獄のようだ。
2021年09月28日自民党の総裁選に立候補している河野太郎規制改革担当大臣(58)。候補者のなかでもっとも優勢と報じられることもある河野大臣だが、しかし国民の間では日に日に不信感が高まっているようだ。例えば他の候補者らとともに、9月17日放送の『news zero』(日本テレビ系)に生出演したときのこと。「様々な分野の質問にAかBか、考えが近い方の札をあげて答える」というコーナーがあった。その際、社会保障にちなんでAは「国民の負担を増やしても給付などの水準を維持すべき」、そしてBが「給付などの水準を下げて国民の負担を抑えるべき」との2択が。しかし河野大臣は「こういう質問は僕、やめた方がいいと正直、思います。あんまり意味がない質問じゃないかな」といい、答えなかった。河野大臣がこのように“回答拒否”をした場面は他にもある。22日の『産経新聞』によると日本ウイグル協会など国内13の民族団体などで構成する『インド太平洋人権問題連絡協議会』が総裁選の候補者にアンケートを実施したものの、河野大臣の事務所のみ「回答しない」と連絡してきたという。さらに河野大臣は“身内”にも回答拒否をしていたようだ。同日、自民党・青山繁晴議員(69)は自身の公式サイトで『日本の尊厳と国益を護る会』が総裁選候補者に質問書を送ったところ、河野大臣のみ「回答はありませんでした」と報告。さらに河野陣営から、こう返答があったと明かしている。「貴議員連盟からいただきましたご照会につきまして、ご活動は理解いたしている心算ですが、文書にて回答申し上げる用意がございませんので、しっかりご趣旨を承ったことでご報告に代えたく存じます」■回答拒否、そしてTwitterでもブロックで拒否その後、青山議員は自身のブログで「河野さんから〆切までに回答が来なくて、野田さんの立候補表明に合わせて〆切を延ばし、その野田候補からは素早く回答が来て、しかし河野候補からは、延長した〆切にも何の回答も、連絡もありませんでした。この間、護る会は何度も、河野候補に連絡しているのです」とも綴り、連絡が取れなかったことを強調していた。そもそも河野大臣は外務大臣だった’18年12月、会見で「次の質問どうぞ」と何度も繰り返し、記者の質問への回答を拒否。そのことが波紋を呼んだため、ブログで釈明したことも記憶に新しい。またTwitterで河野大臣はブロック機能を多用し、アカウントを次々と拒否している。「大臣がブロックすると情報が広く共有されないのでは」などの理由から問題視されているが、今月18日には”誹謗中傷を受ける”との理由で「私は堂々とブロックします」と『ニコニコ生放送』で宣言。むしろ強気ともとれる姿勢を見せていた。そんな河野大臣の“拒否グセ”に対して、不信感を募らせる人たちも。ネットでは疑問視する声がこう上がっている。《回答しないあなたも無責任。都合が悪いとブロックする姿勢が無責任。国民を向かない姿勢も無責任》《記者からイヤな質問を受けると頑なに回答拒否を繰り返すのを見てると「イヤな質問するヤツはブロック」としか思えんけどね》《即答が良いとは限らない。ただ、河野太郎氏は回答拒否が多い印象です。最高レベルの決断が出来るのか?》《河野太郎には政治家として国民に対する誠意が全く感じられない》菅義偉首相(72)も官房長官時代、会見で「コメントは控えたい」と連呼するなど“拒否グセ”が指摘されていた。当時は“鉄壁”と高く評価されることもあったが、9月13日時点の内閣支持率は30%(NHK世論調査)。“河野首相”が誕生しても同じ轍を踏まなければいいがーー。
2021年09月23日自民党総裁選に出馬を表明している河野太郎行政改革大臣(58)。ネット人気の高い河野氏だが、消費税についての発言が波紋を呼んでいる。16日、各新聞社の取材に対し河野大臣は、年金制度改革の必要性を説き「年金に最低保障は必要だ」とコメント。そして「年金の最低保障部分は保険料ではなく、税でやるしかない」と話し、「応分に能力のある人に負担してもらうことを考えると、消費税がいい」と語ったという。河野大臣はかねてから「年金の財源は消費税に」と主張してきた。’12年1月、自身の公式サイトで「基礎年金を満額、必ず支払うためには、保険料の徴収をやめ、税で基礎年金を支払う必要がある」とつづり、さらにこう続けている。「消費税を基礎年金の財源とする方式であれば、買い物をするたびに必ず消費税を支払うので、未納や免除は生じないので、全ての日本人が65歳になれば満額の基礎年金を受け取ることができるようになる。高齢者の生活保護も廃止できる。消費税ならば消費金額に応じて年金財源を負担することになり、現在の収入の多寡にかかわらず一律金額の保険料を徴収する方法よりも公平。消費税方式の基礎年金ならば年金保険料徴収業務が不必要になり、現在、年間約650億円かかっているコストが不要になる。消費税方式ならば年金受給者も消費税を負担するため、世代間格差の是正にもつながる。専業主婦も消費税を負担するため、三号被保険者問題も解決する」■「保険料で賄うべきものでは?」の声…他候補も疑問視’12年11月には「国税分の消費税を全額基礎年金の財源に充て、基礎年金の保険料を廃止すれば、月収30万円までの者は得をすることになる」と公式サイトに記し、そのロジックをこう明かしている。「所得を全て消費すると仮定しても、15,000円の年金保険料の支払いが必要なくなるわけだから、消費税率の5%の引き上げによる支払い増額が15,000円以下になる月収30万円までの者は、得をして、さらに基礎年金制度そのものが安定する」今回の総裁選においても17日に他候補らと出演した『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京系)で、「将来的には消費税を上げなくてはならない?」という質問に対して、他候補が否定するなか、「将来的がどれくらいのタイムスパンなのかわからない」と回答を保留していた。しかし、河野大臣には逆風が吹いている。『朝日新聞デジタル』によると9月18日に行われた自民党総裁選の討論会で、岸田文雄前政調会長(64)は、河野氏の改革案に対して、かつて旧民主党政権の掲げた“月7万円の最低保障年金案”を例に挙げ、「確か消費税を8%上げなきゃいけない。実際は不可能だと言ってきた。何%上がるのか」と疑問視したという。さらに河野大臣の経済政策に不安を覚える人たちは、こうツイートしている。《今でさえ払った分年金として戻ってこないと言われてるのにさらに消費税として取る気か》《河野太郎の経済政策はいよいよダメですね。岸田、高市とは比較にならない。社会保障に消費税を充てるなんて今どき財務省でも中々言わないですよ。弱者救済の為に逆進性のある消費税を使う時点でおかしいと気付くべき》《年金は保険制度なので、基本は保険料で賄うべきものでは?》《消費税で年金制度を立て直して将来世代に負担をかけないようにするみたいな事言ってたみたいだが、増税で景気後退してインフレしない状態継続の方が、圧倒的に将来に負担をかけるんだが、その辺何考えてんだろ?》《年金の為に消費税上げるとか勘弁してくれぃ!》いっぽう年金は「制度として無理がある」と言われることも。そのため《どうしてもやるなら、掛けてきた額を国民に精算してから新しい年金制度にしてね》《もう年金いらないから今までの分返して》との声も上がっている。河野大臣は疑問や不安に対して、どのように応えるだろう?
2021年09月19日9月1日、河野太郎行政改革相(58)の“パワハラ発言”が「文春オンライン」によって報じられた。記事によると、河野大臣から問題の発言が飛び出したのは8月24日に行われた「エネルギー基本計画」の策定を行うオンライン会議の場。河野大臣は、資源エネルギー庁が提示した素案の“2030年に総発電量のうち再生可能エネルギーの比率を36~38%程度にする”という記述について、36~38%が“上限”ではないとして、「程度」を「以上」に変更するよう求めた。しかし、“以上”という表記を誤ったメッセージ性を持ちかねないと考えた同庁の職員は、河野大臣の要求を固辞。すると河野大臣は、幹部職員に対し「日本語わかる奴出せよ、じゃあ!」などと声を張り上げて激しく叱責。その後も、官僚の発言に対し「はい、次」「はい、ダメ」などと13回にわたって言葉を遮り、時には怒鳴る場面もあったという。職員への威圧的な発言が報じられた河野大臣だが、実は“パワハラ撲滅”の旗振り役だ。防衛大臣時代には、自衛隊のパワーハラスメントの処分の厳罰化を決定。さらに、内閣府のHPによると’20年9月の内閣府特命担当大臣就任記者会見で《この霞が関のブラックな状況を、何とかホワイト化するということを優先順位高くやっていかなければいけないと思っております》と発言し、霞が関のホワイト化にも意気込んでいた。「内閣人事室が’19年に行った調査で、30歳未満の若手男性官僚の7人に1人が、数年内に辞めたいと考えていることが判明しました。また、2020年度国家公務員試験の総合職の申込者が前年度から3.3%減少したこともあり、河野大臣は官僚の働き方について危機感を募らせているんです」(全国紙記者)各メディアによると、昨年10月、河野大臣は国家公務員の「在庁時間」の調査を要請。今年1月には、調査により明らかになった公務員のサービス残業の横行を受け、中央官庁に対して残業時間に見合った超過勤務手当を支払うよう指示したという。自らが霞が関の“ホワイト化”を先導する立場でありながら、矛盾するかのような“パワハラ発言”が報じられた河野大臣。それだけにネットでは落胆の声を寄せる人が相次いだ。《つい最近 自衛隊のパワハラを厳罰化したところなのに…》《「他人がパワハラするのは許さん。自分がするのはOK」という思考回路かな。》《ホワイトな職場を目指してる河野さんにパワハラ疑惑出てます》《霞が関のブラック労働環境を是正するとヒーローぶりながら恫喝行為で疲弊させてるのはこいつ》昨年10月に行われたFNNのインタビューに対し、「今の霞が関の働き方を見える化することが必要だ」と語っていた河野大臣。今回の報道で、残業時間には表れない霞が関の働き方も“見える化”したようだ。
2021年09月02日河野景子さん’20年12月、エステサロン経営者で映画監督のジャッキー・ウーとの交際が発覚した河野景子さん。23年間連れ添った元横綱・貴乃花と電撃離婚した後の初ロマンスに、マスコミは色めき立った。「お互いにもうベタ惚れ。もう一緒に暮らし始めていて、“春には入籍する”という話でした」(スポーツ紙記者)■再婚に踏み切れない“心配の種”色めき立ったのはマスコミだけではなかった。景子さんのお相手・ジャッキーも報道が出るや否や、嬉々として情報番組に出演しては景子さんとの恋愛を語ったことで、“話題づくり”なんて勘繰る向きもあったほどだったが、「景子さん自身も“再婚するつもりです”とハッキリ答えていましたから。“年内入籍もある”と思っていたんですが」(情報番組スタッフ)あれから8か月。春はとうに過ぎ去って夏が到来したが、さっぱり進展が聞こえてこない。まさか破局!?「いやいや、ふたりはとっても仲よくしていますよ」とは、景子さんの知人。「ただ……ジャッキーさんとの再婚に踏み切れないのは、景子さんに“心配の種”があるからなんです。実は元夫の貴乃花さんと、いまごろになってお金のことで揉めているらしくて」(前出・知人)貴乃花と景子さんが離婚したのは’18年10月。協議離婚ではなく、お互い話し合ったうえでの“卒婚”とも言われていた。景子さんの再婚報道について尋ねられた貴乃花も、終始穏やかな表情で、「これから幸せでいてほしいと、心から願っております」と祝福していたはず……。「ところが、貴乃花さんから突然“婚姻期間中に使った金を返してほしい”と要求されたそうなんです。それも、おいそれとは払えないくらいの金額らしくて。景子さん、ジャッキーさんにも相談しているそうです」(前出・知人)■“5億円御殿”も手放すことに貴乃花と交流のある後援会関係者からは、こんな話も。「貴乃花が周囲の人に“貴乃花部屋で使途不明金があった”“彼女が勝手に使った”と言っているそうなんです。でも普通に考えて、そんなことあろうはずがない。正直な話、部屋の懐事情は楽ではなくて、それでも何とかなっていたのは、おかみさんとして景子さんがやりくりしていたから」先の知人も、貴乃花の言い分には首を傾げる。「景子さんには靴職人の長男、優一君の下に2人の娘さんがいて。娘さんたちの親権は貴乃花さんが持っているんですが、生活の面倒は離婚後も景子さんがずっと見ていたんです。大学に通い始めたその娘さんたちの学費を“そちらにも負担してほしい”と貴乃花さんにお願いしたら、そんな話を持ち出してきたそうなんです。景子さんの言い分はもっともだと思いますが……」景子さんたちが暮らした都内高級住宅街に建つ、かつての自宅。“5億円御殿”とも言われたこの豪邸は離婚後も貴乃花が所有していたが、ついに手放すことになったという。7月末に現地を訪ねると、建屋の改修のためか工事が始まっていた。「相撲協会を辞めてからというもの、まともな稼ぎがないからねぇ。彼もお金に苦労しているのかもしれない。あの土地と建物を売ればローン残債を返しても、まとまったお金は手元に残るはずでしょうから、それでお互いにとって穏便に解決する方向に進んでくれたらいいけれど……」(前出・後援会関係者)景子さんの所属事務所にジャッキーとの再婚、そして貴乃花との“銭争”について尋ねたが“貴乃花”の名前を出した途端、「ノーコメント」。再婚を決めた理由を問われ「自分らしくいられる」とノロけた景子さん。自分らしい第2の人生も茨道となるのか。
2021年07月31日2021年4月29日、俳優の河野洋一郎さんが肝硬変で亡くなっていたことが分かりました。60歳でした。河野さんが所属する劇団『南河内万歳一座』の公式ウェブサイトはこのように報告。どうしようもない無念です。河野洋一郎君が、先週の土曜日に亡くなられました。昨年の12月、肝臓を患い一週間の加療と検査を行ったと本人から連絡がありました。その後、治療と静養に専念しておりましたが、先週の土曜日、4月24日に肝硬変で救急搬送先の病院で、その日のうちに亡くなられたそうです。御家族の話しでは、苦しむことなく、安らかな最後であったそうです。葬儀は、新型ウィルスの状況下でもあり、すでに御家族で済まされております。南河内万歳一座ーより引用【南河内万歳一座】 スクリーンショット河野さんは舞台で活躍するほか、NHK連続テレビ小説『すずらん』や大河ドラマ『武蔵MUSASHI』をはじめ、テレビドラマ『半沢直樹』(TBS系)、『HERO』(フジテレビ系)などの作品にも出演していました。ファンからは「ジローさん」の愛称で親しまれた、河野さん。突然の訃報に、ネット上では悲しみの声が相次いでいます。・そんな…早すぎる。優しくてかっこいいジローさんが大好きでした。・僕の大好きな役者さんでした。どうか安らかに。・ショックです。舞台上の、クールでひょうひょうとしたジローさんをもっと見たかった。舞台やテレビドラマなどで活躍した河野さん。心からご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年04月29日世の中にあるさまざまな“まっとう”を、ちょっとクスッとしてしまう視点で観察し、レトロでチャーミングな絵と言葉で表現するのが得意な、五月女ケイ子さん。今回久しぶりに、その得意技をふんだんに使った“ネタ本”『乙女のサバイバル手帖』を上梓。この不安定な世の中を明るく楽しく乗り切るための、女性たちの心強いバイブルになる一冊です。全部冗談に見えるかもしれませんが、実は結構“本当”が詰まっています。「実は、16年前…自分で言ってて怖いですが(笑)、に出した、女性が世の中を渡るためのエチケットをまとめた“ネタ本”『淑女のエチケット』があり、それを小学生時代に読んでいたという20代の編集者さんからご連絡をいただき、今回の本を作りました。日常に潜むいろんな問題を、華麗におもしろく乗り越えるエチケットを、真実と冗談を交えて書いた内容だったんですが、今の世の中の感覚で、またそういう本を作りたいとおっしゃっていただいて…」五月女さんがおっしゃるネタ本とは、世の中のさまざまなことを冗談で斬っていく、虚実ないまぜの笑える本のこと。読むとニヤニヤやクスクスが止まらないのが特徴で、’90年代後半から’00年代中頃くらいまで、多数出版されていたのだそう。「そういう本を読んで育った世代なので、個人的に今でもそういう感覚は大好きなのですが、でも社会の雰囲気も時間とともに変わってきて、昔は通じた冗談が、今は通じなくなっているということも、理解しています。なので、最初にお話をもらったときは、『え、今!?大丈夫?』と思ったのは事実です(笑)。でも、そもそも私の絵自体が冗談みたいな作風だし、個展に来てくださった方などの反応を見ていると、温かく受け止めてくださる印象があるので、あえて今、やってみようかと。ただ、出す以上は、内容にも責任を持たなければならない自覚はあるので、冗談のような視点は昔のままで、表現方法はちゃんとアップデートさせたいと思いながら、描き上げました」悩む乙女からの質問に、人生の酸いも甘いも味わい尽くした乙女の先輩であるミロ子さんが答えてくれる、お悩み相談スタイルで展開されるこの本。恋、仕事、暮らし、そして自分に対して、愛と冗談が溢れる回答が満載です。「昔は、同世代の女性に向けて描いていたところがありますが、私自身、娘を育てる母親でもあるので、今は20~30代の女の子たちを応援したい気持ちがどんどん強くなっています。なので今回は、自分より若い女の子を中心に、男性も含め、乙女心を持つ全人類の人生に役立ててもらいたい、と思って描きました。と言いつつ、内容はかなりくだらないんですけどね(笑)。サバイバル手帖と言ってますが、本当にサバイバルに使えるかどうかは…。ただ、悩んだりつらい思いをしたとき、冗談で考えてみると、バカバカしいと思いながらも結構軽やかに乗り越えられたりするんです。40代も半ばを過ぎた今、改めてそう思います」つまらない合コンから逃げ出すための、壁や赤ちょうちんに擬態をする方法や、ゆとりっぽく見られるのを避けるために、首を太くする筋トレを、などなど…。どこまでが本当でどこまでが冗談なのか、玉虫色の世界をニヤニヤ楽しむのが乙な一冊。「全部まやかしだと思うかもしれませんが、例えば首を太くする筋トレの方法は本当ですし、花言葉なんかも実際にあるものなんです。おそらく6割くらいは本当のことが書いてあると思うので(笑)、いざとなっても、結構本当に使えると思います(笑)。コロナが終息し外に出られる日まで、おうちでこれを読み、胆力をつけてください(笑)」『乙女のサバイバル手帖』「部屋が片付けられないときは…」というお悩みへのミロ子先輩からの回答は、“浮袋にできるか”と“再利用できるか”の2つを軸に、断捨離せよというもの。「乙女の豆知識」に記されているズボンを浮袋にする方法は、実際に使えるそう。豆知識のコーナーは、リアルに役立つ内容多し。平凡社1300円そおとめ・けいこイラストレーター、エッセイスト、漫画家。広告や雑誌をはじめ、さまざまなジャンルで活躍中。小誌では、ジャーナリストの堀潤さんと共に、コラム「社会のじかん」を連載中。※『anan』2021年3月17日号より。写真・小笠原真紀(五月女さん)中島慶子(本)インタビュー、文・河野友紀(by anan編集部)
2021年03月16日モルモットが?車になって?その中に人間が乗り込める?言葉で語られると正直“はてな”しか浮かびませんが、映像で見るとその愛らしさに見た人全員が撃沈状態のパペットキャラアニメ、PUI PUI モルカー。今年1月より、テレビ東京系の朝の子供向け番組『きんだーてれび』内で放送がスタートし、またたく間に人気が爆発。今や台湾や韓国、香港でも話題沸騰。心が疲れた、ひと息つきたい…。そんなときにぜひどうぞ。制作しているシンエイ動画のプロデューサー・林郁美さんによると、「見里朝希監督の作品のクオリティや、モルカーの愛らしさなどには絶対の自信は持っていたのですが、これほどまでに反響が大きくなるとは…。番組スタート前はたった1500人程度だったSNSのフォロワーが、翌日からあっという間に増えていきまして。口コミの力の強さにも驚きました」フェルトでできたモルカーやジオラマの人間を、少しずつ少しずつ動かしながら1コマずつ撮影。そして、その画像をつなげる“ストップモーション”という手法で作られている、このアニメ。1作たったの2分40秒ではありますが、全12話を制作するのに、およそ1年半かかったのだそう。なんという労力!!脱帽です。「見里監督によると、手間がかかるシーンの場合、1日撮影してやっと24コマ、つまり1秒、ということもあるそうです。しかも、この作品は1つのキャラクターだけではなく、何匹かのモルカー、さらにたくさんのジオラマの人形を同時に細かく動かして撮影しているので、監督は、相当緻密な計算をされて撮影をしているのでは、と思います」とにかくかわいいのが、5匹をはじめとしてたくさん登場するモルカーたち!大きな黒目にもぐもぐ動く口元、タイヤなの?足なの?という謎のパーツを動かし、トコトコと歩く姿は、前代未聞の愛らしさ。タイトル通り、“プイプイ”というかわいい鳴き声でモルカー同士会話を交わすのですが、その声はなんと、見里監督が飼っている本物のモルモットの鳴き声を使っているのだそう。一度聞いたら忘れられないキュートな声にびっくり。一方で、交通渋滞で困らされたり、銀行強盗に加担させられたり、猫を乗せたまま炎天下に放置されてしまったり…など、毎回なにかしらの不条理に陥れられるモルカーたち。子供向けのアニメではあるのですが、見終わったあと、独特の苦い気持ちが残るのも魅力。「社会風刺的な感覚を盛り込むのも見里監督の個性なので、そういうところが大人に刺さったのかな、とも思います。特に1~4話は、シンプルで純粋な行動をするモルカーに対して、人間は反倫理的な振る舞いをする、その対比により、人間の愚かさを感じたという人が多かったように思います」番組に魅せられ、あまりにモルカーを愛してしまった人たちの中には、羊毛フェルトを使って、“マイ・モルカー”を作製し、SNSに上げる人も。「テレビでの放送は全12回で終了しますが、配信でまだまだご覧いただけますし、手のひらサイズのぬいぐるみなど、かわいいグッズもこれからたくさん展開します。ぜひ末永く、モルカーたちをかわいがってあげてください!」『PUI PUI モルカー』モルモットが車になった、癒し系の乗り物“モルカー”が走り回る世界の物語。毎週火曜7:30~、子供向け番組『きんだーてれび』(テレビ東京系)内で放送中。また、Amazon Prime Videoなど多数の動画配信サービスで配信中。©見里朝希JGH・シンエイ動画/モルカーズ※『anan』2021年3月17日号より。取材、文・河野友紀(by anan編集部)
2021年03月16日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは女優の梶芽衣子さん。第3回は「役柄を作る上で、衣裳選びは重要です」。現場で精一杯やったら、もう振り返りません。撮影というと、今はスタイリストさんに洋服を用意してもらうのが普通だと思いますが、私は演技の仕事のときは衣裳部の方に衣裳を用意していただき、その中から自分で選んでいます。日活時代から、ずっとそう。私にとって衣裳選びは演技プランを作る第一歩。役を作る上で、衣裳が果たす役割はとても大きいんです。映画『すばらしき世界』で私が演じた庄司敦子という役は、人権派弁護士の妻でした。自分の利益を考えず人助けをするという夫の妻ですから、おしゃれや流行といった概念が一切ない服を着るだろうと思い、“目立たない”ということのみを考え、そんな色やデザインを選びました。ちなみに取材のときの服は自分で選びます。今日の服はZARAのメンズ。ZARAもユニクロも大好きですよ。コロナ禍の前は、お買い物にもよく行っていました。服の趣味は昔から変わりませんね。お花柄のふわっとしたものとか、レースとかは選びません(笑)。ドラマも映画も、自分が出たものを見返すことはほぼありません。どれだけ長くこの仕事をしていても、自分の演技を見るといやになっちゃう。反省しかないんですよ。新人時代、石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さんの映画『夜霧よ今夜も有難う』に出させていただいた際、試写を観たとき私が何を思ったかというと、「この映画、私が出ていなかったらもっと良かったわよね…」ということ。ひどいなんてものじゃなかった。女優、やめたほうがいいかしらと、そのときは本当に落ち込みました。しかも、出来上がったものはもうやり直せないじゃないですか。やり直せないっていうのは、私にとっては恐怖です。なのでもう、振り返らないことにしています。だからこそ、カメラの前で演じるその瞬間は、精一杯やります。精一杯やったんだからいいじゃないって思えれば、それが少しは救いになる。でももちろん、「あの映画良かったですよ」って言ってもらうのは嬉しいですよ。かじ・めいこ1947年3月24日生まれ、東京都出身。公開中の西川美和監督作品、映画『すばらしき世界』に出演。世界的映画監督タランティーノ氏も、梶さんの大ファン。※『anan』2021年2月24日号より。写真・中島慶子取材、文・河野友紀(by anan編集部)
2021年02月22日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは女優の梶芽衣子さん。第2回は「脇役の大切さを学んだ、思い出の作品」。誰しもが当たる年齢の壁を、時代劇で超越!中村吉右衛門さんがドラマに出られる、しかも池波正太郎先生原作の時代劇と聞き、テレビ局の方に「どんな役でもいいから出してほしい」とお願いをし、出演が決まった『鬼平犯科帳』。吉右衛門さんは歌舞伎役者ですから、ご一緒できるなんてまずありえない。この機会を逃すまいと、ルール違反だと分かりながらも、お願いをしてしまいました。28年間の出演ではたくさんのことを学びましたが、特に心に残っているのは、“脇役の大切さ”。私が演じた“おまさ”は密偵の役で、見張って尾行して報告する、毎話ほぼそれだけの芝居です。でも脇だからと手を抜いたら、“徒(あだ)や疎(おろそ)か”で終わりますし、何より作品が良くならない。それに、脇役でも光る仕事をすれば誰かの目に留まり、それがきっかけでセリフが増えることもある。実際私はそういう経験もしました。徒や疎かで終わらせない。たぶんそれってきっと、どんな仕事にも言えることなのでは、と思います。今となっては、この役者の仕事が大好きですし、天職…とまでは言えませんが、この仕事をしながら人生を送れていることに、この上ない幸せを感じています。でも、そう思えるようになったのは、67歳か68歳くらい…。42歳でスタートした『鬼平』が終わる2~3年前に、やっと芝居が楽しいと思えるようになりました。なかなか長い道のりでしたね。人間、特に女性は、誰しも年齢の壁に当たるときがあると思いますが、女優という職業にとっては、それはとても大きな壁なんです。例えば30代まで、恋愛モノのヒロインやキャリアウーマンをやっていた人が、40代でいきなり母親役にシフトできるかというと、なかなかそうもいかないのが現実です。私はそのタイミングで、あまり年齢を問われない時代劇に出演でき、同じ役柄をずっと追求できたのは、幸運だったと思います。ちなみにおまさは36歳でしたが、28年続いて番組終了時の私は70歳。随分年を取りました(笑)。かじ・めいこ1947年3月24日生まれ、東京都出身。2/11より公開の西川美和監督作品、映画『すばらしき世界』に出演。’70年代の代表作「女囚さそり」シリーズは、今なお大人気。※『anan』2021年2月17日号より。写真・中島慶子取材、文・河野友紀(by anan編集部)
2021年02月15日ジャッキー・ウーが2006年にリリースしたシングル『架け橋』ジャケットよりジャッキー・ウー。この男性は、元フジテレビアナウンサーで、貴乃花の元妻である河野景子の交際相手だ。17日発売の週刊文春で熱愛を報じられた河野は、記者に再婚の件を聞かれると「はい!そのつもりです」と満面の笑みを見せた。「ジャッキーさんも22日に放送されたフジテレビ系の情報番組『ノンストップ!』のインタビューに答え、河野さんとの結婚を認めています」(スポーツ紙記者)■出演者と最初に挨拶をかわしただけの“監督”河野が平成の名横綱の次に選んだ相手が、ジャッキー・ウー……。いったいどんな人物なのか?「彼は痩身エステティックサロンを経営しながら、映画ビジネスも展開しています。俳優からプロデュース、監督まで務めるマルチな方ですよ」(ジャッキーの知人)だが、映画関係者からはこんな声も聞こえてきた──。「’18年、寺田心くんと冨士眞奈美さんでW主演を務めた映画『ばあばは、だいじょうぶ』。彼は本作の監督なのですが、撮影現場にほとんど姿を見せなかったんです」出演者とも最初の挨拶をかわしただけだったという。前出の映画関係者は、「全然、監督らしい仕事をしていなかった。あれでよく映画ができたなと逆に感心しましたよ(笑)」ジャッキーの事務所に問い合わせると、「監督がいない撮影なんてあり得ない」と否定するが、「ジャッキーさんは“姿を見せない監督”として有名なんです。’17年の鈴木紗理奈さんが主演を務めた映画『キセキの葉書』でもいなかったですよ」(前出の映画関係者)■鈴木紗理奈の受賞は「自分が獲らせてあげた」火のないところに煙は立たぬというが……。別の映画関係者からは、こんな話も。「ジャッキーさんは出演者サイドに“賞をとらせてあげるから映画祭に来ないか”と言っていたらしいんですよ」『ばあばは、だいじょうぶ』は、ミラノ国際映画祭で寺田心が最年少で主演男優賞を、ジャッキー自身も同映画祭で最優秀監督を受賞しているが、「以前から世界じゅうの映画関係者にコネクションがあるから賞をとれているとか……」(同・別の映画関係者、以下同)映画『キセキの葉書』の鈴木紗理奈も、マドリード国際映画祭で最優秀外国語映画主演女優賞を受賞しているが、「それも“自分が獲らせてあげたものだ”と言っていたそうです」“お金を出して賞を買っているのでは?”なんて話も……。ジャッキーの事務所はこの件に関しても否定しているが、そんな噂が立ってしまうのも彼の金回りが非常によかったからだ。「監督業に関して疑問を感じる出演者はチラホラいましたが、ギャラではまったくもめていない。むしろ出演料は破格だったという話です」ジャッキーが経営する会社の売り上げがコロナで落ち込んでいるとも報じられているが……。『ばあばは、だいじょうぶ』が’17年にクラインクインした際、すでに彼女の影があったという。「作品にまったく関係していないはずの河野景子さん(当時は花田景子、18年10月に離婚)から差し入れが届いていたのがとても不思議でした。今ではその謎が解けました」(前出・映画関係者)ジャッキーの監督業についての謎は、解けないままだ──。
2020年12月23日あまり知られていないが、河野太郎行政改革担当大臣(57)がまたしても研究者たちから喝采されている――。11月27日、河野大臣はツイッターで「研究者の皆さまへ」として下記のようなツイートを投稿。《研究者の皆様へ。競争的資金と運営費交付金の合算使用可能ということを各所管官庁から通知します。令和4年度から科研費の内定通知を2ヶ月前倒しして、2月に採択通知を出します》瞬く間に4,000件を超えるリツイートと1.7万件の「いいね」が押された。ちょっと分かりにくいが、これは前半と後半で2つの別の話をしていると語るのは、全国紙記者。「平たく言うと、前半は、各省庁に申請して審査に通るともらえる『競争的資金』と、文科省から大学を経由して研究者に分配される予算である『営費交付金』という別の2つの資金を合算して使えるようにするという話です。後半部分の『科研費(科学研究費助成事業)』とは『競争的資金』の一つで、これまでは科研費の通知は4月上旬に来ていたのですが、河野大臣はそれを2月に前倒すと宣言したのが後半部分なのです」これが何を意味するか、若手研究者が解説する。「これまでは資金の合算使用ができないために高額機器を導入しにくかったり、年度末の予算消化の調整が難しく、3月末には“大学生協でクリップを買って1円単位の調整をする”という馬鹿らしいことが当たり前にされていました。また、科研費の内定が4月に出るということは、新年度が始まるまでその年に使える予算がわからないということ。ポスドクなどの若手研究者を雇用したくても、4月スタートで雇用できないため、若手研究者の雇用の不安定さも招いていました」今回の河野氏の改革について、前出の全国紙記者は次のように評価する。「実は、こうした改革はこれが初めてじゃないんです。菅政権発足当初、『縦割り110番』が話題になりましたが、河野さんは現政権以前から行革大臣として個人のSNSで意見を吸い上げ、スピーディーに改革していたんです。一般的にはあまり知られていませんが、研究者たちからは絶大な評価を受けています。国会で審議するようなことじゃないけど、まさに縦割りの弊害というような、本当ならすぐに解決できるけど放置されてきた細かな問題を”鶴の一声”で解決してきているんです」研究者たちが「伝説的」と語り継ぐのが、2016年に「Word罫線問題」をあっという間に解決した対応だ。当時、行革担当大臣だった河野氏がツイッターで競争的資金について意見を募集したところ、ある研究者が「科研費申請書のWord罫線が研究者の時間を奪っている」と指摘した。「文科省が指定していたワードの様式がものすごく使いにくかったんです。記入欄の周りを四角く囲った『枠』があり、図などを挿入するたびに罫線がズレるんです……。何か記入する度に様式が崩れては修正を繰り返すという無駄で面倒な作業をずっと強いられてきました。科研費が”当たる”かどうかは、研究者にとって天国と地獄の分かれ道となる死活問題なので、みんな2週間から1ヶ月はかけて必死で作成します。しかし、以前のワードの仕様は明らかな欠陥。研究者の本来の研究の時間と心の健康をかなり奪っていたと思います」(前出の研究者)「Word罫線問題」を知った河野氏は、ツイッターで次のようように質問。《このワードの設定とか罫線とかの話、詳しく教えてください。文科省はシステムの次期更新まで改善できないと言ってますが、ホント?》前出の研究者は次のように話す。「ワードの書式の問題なのに、システムを変更しないとできないってどんなシステムですか(笑)。システムと書式はもちろん別問題です。疑問を呈した研究者に、『罫線などを揃えることで熱意が伝わる』と言い放った役人もいたそうですが、明らかに文科省のやる気の問題です」実際、河野氏は文科省が「できない」と言った、たった6日後に「科研費の申請書の罫線は次回申請から廃止することに決まりました」とツイートし、あっという間に解決してしまったのだ。その後も、SNSで意見を吸い上げ、翌17年にはさらに研究費申請書類にかかる時間の無駄をさらに大きく削減した。「ものすごいページ数を割いて一から作らなければいけなかった共同研究者の業績や経歴欄を、研究者のデータベースを有効利用して、研究者ナンバーをシステムに入力するだけで申請できるように変えてくれたんです。1つの研究費申請書で70ページに及ぶこともあり、作成に200時間以上かかることもザラですが、これでかなり楽になりました」(前出の研究者)今回の改革で研究者たちは大絶賛。《河野さん、ありがとうございます!》《助かります!研究に少しは集中できます!》《3年前に言ってくれてたら研究続けてた》《Mr.Kono, Good job! You are a kind of new type of politician whose Japan really needs for brighter future!!(河野さん、よくやってくれた!河野さんは、日本の明るい未来のために必要な新しいタイプの政治家です!!)》《マジで総理になってください》「これまでの河野さんの改革は、本来の研究に割ける時間が増えただけではなく、若手の安定的な雇用にもつながります。一研究者のためにとどまらず、自由な研究環境があってこそ未来の国益に繋がります。知性を軽んじている現政権の中では珍しく、河野さんは研究の意味と重要性を真に理解していると思います。目立たないところで現場の声に耳を傾け、スピーディーに対応している功績は評価されるべきだし、河野さんに総理大臣になってほしいと思ってる研究者は少なくありません」(前出の研究者)河野氏は、「ハンコ廃止」だけじゃなく、ツイッターでフォローワーの恋愛相談に乗ったり、自らをイケメンと称したり、型破りなところが人気の一因だが、実はすごく良い仕事をしている。(河野大臣、この記事ツイートしてくれないかな)
2020年12月07日キュートなの?猛々しいの?独特の芸風で、日本国民を困惑と爆笑の渦に巻き込んだ、ものまねタレント・りんごちゃん。りんごの皮の下の素顔、見せてくださ~い。――故郷・青森の高校を卒業されて、東京に出てきたと伺っています。でも、いきなり売れたわけではなかったそうですね。そう、道のりは長かったんですよね。いろんなことがいっぱいありました。でも、今まで正直、つらいりんごちゃん、悲しいりんごちゃんの面を語ったことってあんまりなくて。私にとってテレビって華やかな世界で、その中にいる人たちから、元気をたくさんもらってたんです。運良く私もその立場になれた今、私自身も見ている人に楽しくなってほしいと思ってやっているので、こういうのって、どこまで話していいのか…(笑)。ぶっちゃけちゃうと、かなりどん底というか、右肩下がりに急降下みたいな時期も、ホントに長かったですから。――運気が上昇したきっかけのようなものって、ありましたか?なんだろう…。実は私、’17年あたりから、少しずつテレビには出させていただいていて、今やっているのと同じネタを披露してたんです。でも、「面白かったよ、またよろしくね」みたいに言ってもらえても、なかなか次につながらなかった。それでりんご30個分の誕生日、前職の上司に、「いつまでもそういう感じでやってちゃダメ。夢を叶えたいなら、ここで気持ちを入れ替えないと、チャンスは来ないよ」って言われたんですよ。その人は、いつも私を気にかけてくれて、いろいろアドバイスを下さっていたんですが、私も落ち込んでいる時期とかだと、何か言われても右から左って感じだったんですよね。でもその人の「ラストチャンスだよ」という一言は、さすがに響いて…。今まで、面倒くさいなとか、やってもやらなくても変わらないならやらなくてもいいや、と思っていた些末なことを、もうおろそかにしない!と、心がけるようにしたんです。――例えばどんなことですか?えー、全然たいしたことじゃないんですよ?ちゃんと挨拶をするとか、お礼状をきちんと全員に出すとか、感謝の気持ちを言葉で表現するとか…。それを始めたら、まず自分の生活が変わって、人の私への接し方が変わって、最終的には仕事の成績も上がった。おかげで忙しくなりましたが、心地よい疲労感を感じることができて。そこから徐々に、いろんなことがつながるようになって、今に至る、という感じです。つらいりんごになるときは、あゆに励まされて頑張る!――どん底に落ちたとき、つまり“つらいりんごちゃん”になってしまったときは、どうやって自分を励ましてきたんでしょうか?ジェットコースターと一緒で、下がりきったら上がるしかないじゃないですか。だから落ち込んだときは、とことん一番下まで落ちるんです。「あぁ、もう何もかもダメだ…」って、しわくちゃりんごになる(笑)。あ、ドライりんごとも言うわね。で、思い切り泣いて、思い切り寝て、思い切り食べながら、あゆのバラードを聴く。――浜崎あゆみさん!大好きなんですよね。そう!あゆです。浜崎の、あゆみさんです!デビューのとき、私は小学校5年か6年で、そのときからもうずっと大好きで。ルックスも、歌声も好きなんだけど、やっぱり一番は歌詞。歌詞が響くんですよ…。楽しいときはもちろん、つらいときも、常にずーっとあゆに支えられてる気がします。落ち込んだら、あゆの暗めのバラード聴いて、めっちゃ泣いたりしてます。そのあと、友達に電話して、話を聞いてもらう。そうすると、いつの間にか悩んでいたことがファッと消えていく、かな。だから逆に、運気が上がって楽しいときは、思い切り好きなことをしますね。――ちなみに、大好きな浜崎あゆみさんのものまねはされますか?歌うときの表情やビブラートの数みたいなもののクオリティは、我ながらかなり高いと思います。でも、そもそも私とあゆは声質が違うっていう。だから難しい問題なのよ、それは(笑)。――最近プライベートでは、何をするのが楽しいですか?えー!?『磯丸水産』一択!――あの居酒屋の、ですか?そう!親友の女の子と、『磯丸水産』に行くのが、今は一番楽しいかな。あのね、「カニ味噌」が旨いんですよ。『磯丸』のカニ味噌には、たぶんどこも勝てない(笑)。でもコロナの世の中になってから、行けてないんですよね。早く、普通に『磯丸』に行ける世の中が帰ってこないかなぁ(笑)。りんごちゃん青森県出身。2019年1月、テレビのバラエティ番組『ウチのガヤがすみません!』にものまねタレントとして出演し、一気にブレイク。’19年「Yahoo! 検索大賞2019」のお笑い芸人部門賞を受賞。今夏には配信ドラマ『私の部下のハルトくん』に出演し、居酒屋の店主を演じて話題に。青森県の十和田・奥入瀬観光大使としても活動中。ブラウス¥14,000スカート¥15,000(共にCHUBBY CURVY/CHUBBY CURVY 阪急うめだ本店 TEL:06・6313・0305)パンプス¥5,900(オリエンタルトラフィック〈ダブルエー〉 TEL:0120・575・393)イヤリング¥11,340(アビステ TEL:03・3401・7124)カチューシャはスタイリスト私物今年の春から、公式YouTubeチャンネル「リンリンりんごちゃんネル」をスターティン。9月より、地元青森県の「十和田・奥入瀬観光大使」に就任。最近ではドラマ出演も続いており、来年からはもっと俳優活動が期待できるかも…?※『anan』2020年11月18日号より。写真・オノツトムスタイリスト・馳尾潤子インタビュー、文・河野友紀(by anan編集部)
2020年11月15日美食の大地とも呼びたくなるほど、美味しいものが溢れている北海道。札幌で食堂を営む小室千春さんは、ローカルならではの味を重視し、手みやげを選ぶそう。北海道で育まれたローカルな味をお届け。「誰々にこれ…という買い方よりも、出先で会った方みなさんに差し上げられるよう、小分けになっていて渡しやすいサイズ感のものを、いくつか用意していきます。『かま栄』の揚げかまぼこは、関東にある実家や、北海道出身者へのおみやげの定番。新千歳空港にあるお店で揚げたてを買うと、ほのかに温かいものを渡すことができるのがいいです。『六花亭』のバターはいいサイズ感&価格なので、いっぱい買って名刺のように渡してしまうことも(笑)。北海道の名産品・山わさびをすりおろして醤油に漬けただけという瓶詰は、働く女子友たちや、料理好きの人たちに大人気。ご飯のお供に、調味料にと大活躍します。瓶なので軽いわけではないですが、本当に美味しいので、重さなんて気になりません(笑)」かま栄 揚げかまぼこバラエティセットぷりぷりで、ふわふわで…。新千歳空港で必ず買いたい一品。明治時代創業、かまぼこの老舗『かま栄』。数ある商品の中で小室さんが大好きなのは、すり身を揚げた〈揚げかまぼこ〉。「ランダムで5種類入っているのですが、一番お気に入りはひら天(写真左上)。関東に住む母に買って帰り、晩ごはんのおかずにしてもらったり」。揚げかまぼこ5種類入り(中身は日により替わる)¥1,000前後(税込み)新千歳空港店新千歳空港国内線ターミナルビル2FTEL:0123・46・58948:00~20:00不定休この商品は通販なし。六花亭 十勝マルセイバタ人気のサンドに使われているあのバターの有塩版。『六花亭』のバターサンドに使われているバターに塩を加えた有塩バター。十勝管内で生産された生乳を100%使用。「バターサンドと同じパッケージなので、六花亭ラバーには大好評。アツアツのフライドポテトにのせて食べると最高に美味です」。1箱 200g¥500(税込み)帯広本店北海道帯広市西2条南9-6TEL:0155・24・66669:00~18:00(販売)元日休ほかに直営店などで販売。電話(TEL:0120・12・6666)、FAX(0120・504・666)で取り寄せ可。オリオン食品工業 山わさび白造り 山わさび醤油漬北海道でわさびといえば、“山わさび”のことなんです。海外ではホースラディッシュとも呼ばれる、山わさび。爽やかな辛味は、道民の間ではおなじみの味。「山わさびをすりおろし、白醤油ベースで味付けをしたタイプと、醤油漬けにしたタイプ。どちらも非常にシンプルで、独特の辛味を満喫できます。スクランブルエッグに白造りを加えてアクセントにしたりすると、とても美味。ご飯の最後のひと口に、これをのせて食べることも多いです」。100g 各¥500TEL:011・824・1502道内大手スーパーなどで取り扱い。通販なし。小室千春さん札幌にある食堂『ごはんや はるや』のオーナーシェフ。併設された饅頭と春巻きのテイクアウトスタンド『万春や』も人気。料理人・山本千織さんの妹さん。※『anan』2020年11月18日号より。写真・高杉 純スタイリスト・西崎弥沙取材、文・河野友紀(by anan編集部)
2020年11月14日2020年10月30日、行政改革・規制改革担当相を務める河野太郎大臣が、救急車の高速道路利用を完全無料化することを記者会見で明かしました。産経新聞では、今回の河野大臣の発表について、このように報じています。救急車の高速道路利用完全無料化をめぐっては、山本一太群馬県知事が河野氏に実施を要請。河野氏が22日に赤羽一嘉国土交通相や平井卓也デジタル改革担当相と開いた閣僚同士の協議「2+1(ツー・プラス・ワン)で議題に上がり、搬送から戻る際の高速利用料は徴収しないことが決まった。産経新聞ーより引用以前から、救急車が緊急搬送時に高速道路を利用する際は無料だったものの、搬送終了後に消防本部に戻る際での利用に対しては、対応が統一されていませんでした。しかし今回、高速道路会社と各消防本部との間の取り決めを統一することで、「救急車が往復高速道路を使って速やかに出動して戻ることができれば、人命救助にも資することになる」と、河野大臣は強調。今回の発表はネット上でも注目を集め、さまざまなコメントが寄せられています。・むしろ今まで無料じゃなかったことに驚き。・自衛隊が地方に出動したり、訓練で向かったり利用したりする時も無料にしてください!・完全無料化に対応してもらいありがたい。今後、全国の消防本部や高速道路会社に周知をしていくとのこと。救急車の高速道路完全無料化を受け、救急隊員の業務がよりスムーズになること、そして1人でも多くの命が救われることが望まれます。[文・構成/grape編集部]
2020年10月30日菅内閣の行政改革・規制改革担当相を務める、河野太郎大臣。積極的にTwitterやYouTubeなどのSNSを利用して、幅広い世代に情報を発信しています。2020年10月26日に、河野大臣がTwitterで公開した1枚の写真が、反響を呼びました。多くの人の目をくぎ付けにした、こちらの写真をご覧ください!マスクをいただいた。開会式に天皇陛下がいらっしゃるのだが… pic.twitter.com/r4rFoAZCGz — 河野太郎 (@konotarogomame) October 26, 2020 河野大臣が公開したのは、『茅ヶ崎』というワードとともに、河野大臣の顔写真が大きくプリントされている、もらいもののマスク!河野大臣は、もらったマスクの使用について「開会式に天皇陛下がいらっしゃるのだが…」と、やや迷っている様子をあらわにしました。恐らく、開会式とは同日に行われた臨時国会開会式のことを指すのでしょう。ネット上では、ユーモアたっぷりのマスクと悩ましいコメントを寄せた河野大臣に対し、さまざまな意見が寄せられています。・素敵なマスクですね!ぜひ着けている姿を見たいです。・自己主張が強くて吹き出してしまいました。これはかっこよすぎます。・ユーモアセンスのある天皇陛下ならば、優しくほほ笑んでくださるかもしれない…。ちなみに、実際には天皇陛下がおられる開会式での、顔写真がプリントされたマスクの着用は自重したようです。また別のタイミングで、インパクトのあるマスク姿を披露してくれることでしょう!河野大臣は以前ももらったマスクをTwitterに公開し、注目を集めていました。河野太郎防衛大臣が着けていたマスク、実は…?作成元に「かっこよすぎ」の声周囲をあっといわせるマスクを複数使いこなしている河野大臣。次はどんなマスクを着用して現れるのか…楽しみですね![文・構成/grape編集部]
2020年10月27日行政改革・規制改革担当相を務める河野太郎大臣が、2020年10月17日、自身のYouTubeチャンネルでライブ配信を行いました。視聴者から寄せられた質問や相談に答えるという内容の動画で、河野大臣の発言が「さすが」「最高!」と話題になっています。テレワークを嫌がる上司に…新型コロナウイルス感染症の流行にともない、感染防止対策の一環としてテレワーク(在宅勤務)を導入する企業が増えています。動画では、一般の人だけではなく霞が関で働く官僚からの相談も多く寄せられました。霞が関で働くという相談者は、このような悩みがあるといいます。上司が「紙じゃないと見たくないからテレワークをやめて、印刷のためだけに出勤しよう」という人がいます。KonoTaroGomameーより引用相談に対する、河野大臣の回答がコチラ!そういう奴がいたら、私のところに報告してください。私が呼び出します。KonoTaroGomameーより引用官僚と思われる人から寄せられた上司についての相談に、大臣は「私が呼び出します」と力強くコメント。ネット上では、河野大臣の発言に元気づけられた人が続出しました!・最高です。よくぞいってくれました!・大臣からいわれたら、この上司も今頃ヒヤヒヤしているでしょうね…。・かっこいいですね。まさに理想の上司!もちろん、これまでの慣習をすべて一新することが必ずしも正しいわけではありません。しかし、それが本当に今するべきことなのかを慎重に考え、変えていくことは国を動かすリーダーにとって大切なことだといえるのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2020年10月20日菅内閣の行政改革・規制改革担当相を務める河野太郎大臣は2020年10月14日にTwitterを更新。その内容が反響を呼んでいます。河野大臣といえば、就任直後に行政改革の目安箱として自身のウェブサイトに『縦割り110番』を開設。縦割り行政に関するさまざまなクレームや訴えを国民から広く受け付けていました。河野大臣、寄せられた『訴え』に驚き寄せられたクレーム内容の中で気になったものを、実際に試してみたという河野大臣。投稿では、在インドネシア日本大使館領事部から送られてきたメールの自動返信のスクリーンショットをアップしています。「冗談のようなクレームがあったから試してみたら本当だった」と驚きを示した理由とは…。冗談のようなクレームがあったから試してみたら本当だった。なんでだろう。歴代の外務大臣は何してたんだ。あっ、すみません。 pic.twitter.com/8jJ9GMRDR1 — 河野太郎 (@konotarogomame) October 13, 2020 「受付時間内に改めてメールを送信ください」領事館の自動返信メールによると、領事館受付窓口時間(平日の午前8時30分~12時、午後1時30分~3時)以外の時間にメールをしても受け付けてもらえないとのこと。さらに、窓口時間内に再度メールを送ってほしいと記されていました。自身も過去に外務大臣を務めていた河野大臣。「なんでだろう。歴代の外務大臣は何してたんだ。あっ、すみません」とつぶやいていました。ネット上では投稿に多くのコメントが寄せられています。・窓口受付時間も短時間だけど。メールも時間外はダメとは。・試してみて確認されるところがさすがです。なんのためのメールなのか…。・「本日中の回答は出来ません」ではなく「改めて送信して下さい」なんですね。いくらなんでもこれはまずい。電話だけでなくメールの受付時間も制限するのは、受け取る側が間違いのないようになど、具体的な理由があるのかもしれません。しかし、利用者側からするとやはり不便なもの。時代の流れにそって改善できるところは工夫をしてほしいと願ってしまいますね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月14日「ただ押しました!というだけのハンコは要らないことにしようと」河野太郎行政改革担当大臣(57)が「脱ハンコ」を押し出し、9割以上の行政手続きでハンコの使用を廃止できると述べた。婚姻届や離婚届の押印廃止の検討も進んでいる。一方で、日本一の印章産地である山梨県知事が政府や自民党本部を訪れ、「ハンコ廃止と言わないで」と要望するなど、業界関係者は危機感を募らせている。全国のハンコ屋はさぞ戦々恐々としているのではないだろうか――。『沸騰ワード10』(日本テレビ系)の人気コーナーで、名字研究家と日本一の品揃えを誇るハンコ屋の対決「名字頂上決戦」でおなじみの昭和6年創業「はんのひでしま」2代目店主・秀島徹さん(73)に話を聞いてみた。「業界の中にいる者としては、『ふざけるなバカヤロー!』と反旗をあげるしかないです。どっかの大臣がハンコを悪者にしましたが、全国の自治体も素早く右にならえをした。なぜか。それは我々の業界に力がないからです」しかし、国民にとっては「ある程度いいこと」だと続ける。「これまではどうでもいいものにまでハンコを要求されてきました。トラブル回避のために事務手続きとしてハンコを押して、何かあれば『でも本人が承認してある』と逃げられるわけです。そのためだけに押印を求められてきた部分もあります。そういう無駄は省けます」ハンコの将来についても冷静に分析する。「印鑑登録制度がすぐに完全になくなることはないでしょう。マイナンバーカードが完全に確立して機能し、安全性が担保されたとなれば印鑑登録制度はいずれ消えるでしょう。マイナンバーカードの進み方次第ですが、10年くらいはかかると思います。印鑑登録制度は明治3年、今から150年前にできました。スマホやゲームなどの変化の仕方を見ても、時代の変化のスピードを感じますよね。150年前にできたカビの生えた制度がいつまでも続くわけがないんです。時代に合ったものに変えていく必要があると思います」とはいえ、ハンコ自体がなくなることはないと断言する。「印鑑証明もなくなったら、“ハンコロス“が起きて一大ハンコブームがきますよ。ハンコの歴史は5500年もあるんです。楔文字よりも古いんです。日本と中国は漢字の文化もあるし、絵や書などにもハンコを押していますよね。日本人はハンコが好きなんですよ。銀行印が消滅して手続きとしてのハンコは消えても、文化として残ります。それは間違いないです」街のハンコ屋は今後どうなるのか。「40年前に約6,000軒あったハンコ屋は、現在では2,000軒を切っています。印鑑登録制度がなくなれば、今の3分の1も残ればいいほうではないでしょうか。印章業が消えてなくなるのは時間の問題です。ハンコ屋をハードと捉えるかソフトと捉えるかにもよりますが、ハードとしての専門店は必要なくなります。しかし、落款印(らっかんいん)のような個人の趣味のハンコは残ります」落款印とは、書や絵画などの作品が完成した際に、作者の証として捺印する印鑑のことだ。「私の名刺の肩書きは『ハンコデザイナー』、つまりグラフィックデザイナーです。今後はデザイン力がないハンコ屋は消えて行くでしょう。しかし、個人で絵が描けるところは生き残れます。デザイナーが参入することも考えられます。ハンコ屋でハンコを作る必要がないので、例えばデパートの入り口にハンコを作るコーナーができるなど、ハンコ屋の形も変わっていくかもしれません。なので建前としては『バカヤロー』と言わざるを得ないが、本音は時代の潮流として当たり前だと思っています」ちなみに記者は珍しい名字だと自負しているので、「日本一の品揃え」が本当なのか試してみた。ちなみに、生涯でわざわざ作らずに買えたことはない。改めて名字とその漢字を伝えると、「おー、それは珍しい。せっかくだから出してあげましょう。ちょっと待ってください。た、ち、つ……、はい、ございます」お見事!無駄な押印は嫌いになっても、ハンコは嫌いにならないでもいいのでは。
2020年10月13日時が流れるにつれて、生活様式や考え方など、世の中のいろいろなものが変化を遂げます。10歳以上年齢が離れている人と会話をした際、ふとした瞬間にジェネレーションギャップを感じてショックを受ける人は少なくないでしょう。そして、ふと思い返すのです。時代の流れとともに消え去った、懐かしいいろいろなことを…。河野太郎大臣が投稿した『時代の流れが分かる投稿』に共感の嵐菅内閣の行政改革・規制改革担当相に就任した、河野太郎大臣。以前からTwitterで多くの人とコミュニケーションをとったり、ユーモアあふれる発言をしたりと、若者からも親しまれています。2020年10月6日、河野大臣が投稿した内容に対し14万件を超える『いいね』とともに、昭和世代から共感の声が寄せられました。チャンネルは回さず、ダイヤルも回さず、ビデオは巻き戻さず、レンジはチンせず、蛍光灯は紐を引っ張らず、お風呂屋さんに富士山はなく、アイドルはブラウン管の向こうにおらず、ディスクはフロッピーでなくなり、カセットテープで音楽を流さず、ウェーイ— 河野太郎 (@konotarogomame) October 6, 2020 現代ではチャンネルをリモコンのボタンで押し、電話はボタンやタッチパネル操作に。映像媒体はデータが中心になり、電子レンジは「チーン」ではなく主に「ピピピ」に…。きっとこれらの時代の変化に、多くの昭和世代が「分かる…」と、うなずいてしまったことでしょう。時代が変わった今でも、ついつい「チャンネル回して」や「ちょっと巻き戻して」や「レンジでチンして」などの言葉を発してしまう人は多いのではないでしょうか。懐かしさを感じてちょっぴり切なくなる河野大臣の投稿は拡散され、昭和世代からいろいろなコメントが寄せられました。・昭和生まれだからじわじわ来た。この文章をラップ調で歌いたい。・自宅に固定電話がない人が増えたせいか、受話器のマークが分からない子供もいるそうですね。・河野大臣、朝の5時になぜそんな投稿を!?乗っ取られましたか?ウェーイ。近い将来、「チャンネル回すって何を回すの?」「ディスクを巻き戻すって何?」と真剣な表情で聞かれる日が来るのでしょう。そんな場面に直面した時、私たちはジェネレーションギャップに衝撃を受けて固まってしまうかもしれませんね…。[文・構成/grape編集部]
2020年10月10日お笑いコンビ・尼神インターの狩野誠子さんが、このたびご自身初のエッセイ本を上梓!少女時代の思い出、大切な家族のこと、お笑いとの出合い、相方への気持ちなど、5か月かけて綴った一冊です。エッセイっていうのは気恥ずかしくて。自分を俯瞰し、小説風に書きました。「最初に編集の方からお声がけいただいたときは、私自身本が好きなので、とても嬉しかったです。編集者さんからのリクエストは、ポジティブな読後感。『誠子さんならそれができます!』と言っていただいたので頑張ろうと思ったのですが、本一冊って結構な文字量で…。正直、“これ、書けるのか…?”と呆然とした瞬間もありました(笑)。無事に本になったものをいただいたときには、思わず“やった~!”と声を上げて喜びました。ホントよかった」エッセイとうたってはいますが、語り手の主語は“私”ではなく、“誠子”。自身の経験や気持ちが書かれたこの本は、なんだか小説のよう。「エッセイって、なんだか気恥ずかしくて…。芸人として自分のことをネタにするのは全然大丈夫なんですが、素の“狩野誠子”について語るのは、昔からすごく苦手で。自分を“誠子”というキャラクターにして、俯瞰してみることで、冷静に自分と向き合え、文章にすることができたんだと思います」タイトルにもなっている“B”とは、“ブス”の意味。とてもユニークなのが、自身のことをそう思っていなかった“誠子”が、他者から“B”だと言われ、その自覚を持ったときのことを、“Bと出会ったとき”と書いていること。“B”を擬人化するその手法に驚かされます。「この本を書くにあたって、そういえば自分がブスだと感じ始めたのはいつだったっけ…と思い返してみたら、中学生のときだった。そこからずっと私は、Bとともに戦い、そして一緒に歩いてきている、という意識があることにも気が付きました。そこから、“出会う”という言葉が出てきたんだと思います。中学時代はそう言われると、単純に“最悪やん!”と、ただただネガティブに思っていました。でも高校時代にお笑いに目覚めて以降は、ずっと自分の真ん中にあった容姿のコンプレックスについて考える暇もないほど、お笑いに夢中で。さらに芸人になってからは、このルックスであることが、武器にもなった。それからはもう、ずっと人生が楽しい。お笑いに出合えて、それによってコンプレックスだった自分の容姿も好きになれた。本当によかったと思っています」今回本を書いたことで、言葉の持つ力についても、いろいろな気付きがあったと話します。「自分も含めてですが、書いたり、口にしたりした言葉を、相手が受け取ったときにどんな感情になるのか、もっともっと考えたいと思いました。芸人同士だからいいやろって思って、結構軽い気持ちで使った言葉で、誰かを傷つけてしまったこともあっただろうな…。でも一方で、誰かが私に言った言葉の裏には、言葉以上の意味が含まれていることもあるわけで。受け取り側としては、相手の言葉には想像力を持って接していきたい。この本が、読んでくれた人にとって、言葉やコミュニケーションについて考えるきっかけになったら、本当に本当に嬉しいです」『B あなたのおかげで今の私があります』“B”とは、ブスのこと。それによって苛まれた時期を越え、相棒のように仲良く“B”と生きる誠子さんの、思いが詰まった一冊。ちなみにタイトルは、かの有名な歌姫を描いた本に発想を得たそう。KADOKAWA1300円かのう・せいこ1988年生まれ、兵庫県出身。お笑いコンビ、尼神インターのボケ担当。2011年「第32回ABCお笑い新人グランプリ」新人賞を受賞。’17年より活動拠点を東京に移す。※『anan』2020年10月14日号より。写真・中島慶子インタビュー、文・河野友紀(by anan編集部)
2020年10月07日フードエッセイストの平野紗季子さんのフィルターを通してみると、料理や店が一段と魅力的に見える。唯一無二の視点と言葉のセンス、その裏には意外なものが…?!2冊目の著書『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』についても聞いた。夢を叶えるためには、声に出すことも大事。――今回出された本は、雑誌『Hanako』での連載をまとめられた一冊だそうですね。はい。その連載も、編集長に私から「散歩の連載をやりたいんです!」とお願いをしまして。今はなき、銀座の『水コーヒーどんパ』という喫茶店で。私本当に『どんパ』が好きだったので、超悲しいんですよ…って、脇道それました、すみません(笑)。もともと散歩好きなもので、散歩と食で何か書きたいな、とは思っていたんです。でも文章だけではなく、写真と、それをちょっとおもしろいデザインで見せる、そんなページができたら…と思い、お話を。――平野さんの行動力はすごいです。ええ!?そうですか…?でも私、やりたいと思っていることをまとめた“やりたいことリスト”っていうのをPDFにまとめていて、機会があればそれを見せて、新しいことをやるチャンスを持ちたい、とは思っています。――やりたいことは口にしないと実現しない、という意識がある?ありますね、それは強いかも。いろんな仕事で声をかけていただけますが、それは、「平野さんはこれができる人だから、この案件を頼みましょう」という、今までの仕事の延長線上のことが多い。例えばフードエッセイストと名乗る人に、「お菓子作りませんか?」と声をかけてみよう、という人はなかなかいないですよね。でも私は、実はお菓子も作ってみたかった。その夢を実現するには「私はお菓子を作りたい!」と声に出し、アピールするしか方法はない。そのような経緯で実現したもののひとつが、「(NO) RAISIN SANDWICH」という、レーズンを使わないレーズンサンドのようなお菓子です。――不定期の発売、しかも少量だけということもあり、毎回あっという間に売り切れだそうですね。そうなんです、ありがたいことに。パティシエやデザイナーなど、いい仲間と巡り会え、最初は部活の延長みたいな感じで小規模で始めたのですが、徐々に「買えなかった…」という声を多くいただくようになり…。この先続けるならば、少しずつ大きくしていこうということになり、これから工房を構え、新しい一歩を踏み出す予定なんです。ディレクターのような立場で、本格的にフード作りに関わるのは初めてなので、とても嬉しいし、とても楽しみ。このお菓子を通じて、私が好きな“食体験”の楽しさを、たくさんの人と共有できたら嬉しいです。でも、流れの外にある夢を叶えるチャンスってそうなかなか巡ってくるものでもないし、思っても実現するまでは結構長く時間がかかるんですけどね。時空の歪みをまたぐ、そんな経験が散歩の醍醐味。――4年半ほどの連載で、東京の街をかなり散歩されたと思います。印象は変わりましたか?東京って、最先端のものの隣に、“今”から取り残されたような、古い時間が流れている場所があって、その落差を“時空の歪み”と呼んでいるんですが、散歩中一番ワクワクするのが、“時空の歪み”をまたぐ瞬間なんです。この連載で、麻布台を歩いたときに、それを深く実感して。飯倉片町の交差点に向かう行合坂(ゆきあいざか)という坂の途中、左側に昔からあるピザ屋さんやベラルーシ料理のお店があり、その裏に入っていくと、古い家が立つ、時が止まったような静かな空間が広がっていて、今じゃない時間が流れていることにゾクゾクしました。でもそこは、ピザ屋さんなども含め現在は全部取り壊されてしまって、更地なんです。それこそ、何もなくなってしまった。――切ないですね…。先ほどの、レストランの感動をどう形に残すかって話につながるんですが、お店も、なくなっちゃうんですよ。店主やシェフがお店を開き、開け続けてくれ、そのおかげで、お店という空間や料理が今日まで存在しているということが、いかに尊いか。そのお店から人がいなくなったら、そこにあった時間も歴史もすべてが失われてしまう。その儚さは、レストランの宿命ですよね。だからこそ素敵なお店に出合うと、なんとかしてその味、歴史、空気感、食体験を残したい、と思うし、それを人と分かち合いたい。もしかしたらそれは、美味しいものを食べさせてもらったことへの、食べ手側ができるせめてものお返しなのでは、とも思います。――それにしても、平野さんの文章の独特のリズムと言葉選びのセンスは、読んでいて楽しいです。文章の礎は、いったい何ですか?えぇ~!?なんだろう…。あ、さくらももこさんのエッセイにはすごく影響を受けているかも。小学生のときに読んで、“こんな赤裸々に、思ったことを書いていいのか!”と驚きました(笑)。恥を捨てて正直に書く、取り繕わない、というのは、さくらさんから学んだことかも。あとは、あゆ…?――え、まさか、あの、浜崎あゆみさんですか?大好きなんです!!中学生のときからずっと…。中3のとき、学校の課題で5000字のレポートっていうのがあったんですが、私、あゆのことを書いていたら8万字になってしまったという過去が…。――それ、出したんですか?はい(笑)。先生、完全に引いてましたけど。今でも彼女は私の精神的支柱です。“あゆ”の歌詞世界は、私の文章や思考にかなり影響していると思います(笑)。雑誌『Hanako』での連載をまとめた『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』(小社刊)が好評発売中。毎回1つの街と、そこにある食をテーマに散歩をし、そこで出合ったあれこれを紹介する内容は、さながら“街と食文化のフィールドワーク”。これでもか!と詰め込まれた情報量は圧巻!読み応えたっぷりです。¥1,600ひらの・さきこ1991年生まれ、福岡県出身。小学生時代から食日記をつけ続け、大学在学中にブログが話題に。2014年にエッセイ『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)を発売。現在は、雑誌やウェブなどで食にまつわる連載多数。また、プロデュースするお菓子「(NO) RAISIN SANDWICH」も大好評。Instagramは@sakikohirano※『anan』2020年10月7日号より。写真・清水奈緒インタビュー、文・河野友紀(by anan編集部)
2020年10月05日小学生時代から食日記を書いていた平野紗季子さんは、筋金入りの食&お店マニア。彼女の文章には、愛する食や店にまつわる喜怒哀楽が溢れていて、独特の読後感が残ります。今まで想像もしなかったところに、私の本が届いているのが嬉しい。――2冊目の著書、『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』の完成、おめでとうございます!ありがとうございます!今回の本はムックなので、書店だけではなくコンビニに置いていただいていることにちょっとびっくりしています。うちの近くのコンビニでこの表紙を見たとき、明らかに他の雑誌とは違う異彩を放っていて不安になったのですが…(笑)。でも翌日行ったら無事に売れていたので、ホッとしました。――もともとブログで発信していらした平野さんが、雑誌で連載したものを本という形にまとめたのは、初めてですよね。そうなんです。ブログやインスタで何かを発信すると、コメントや「いいね」などでリアクションをたくさんいただくんですが、今回の本は、SNSなどでつながっていない、その向こうにいる人たちに届いているという実感があります。その一例が、作家の吉本ばななさんが、ご自身のブログにこの本のことを書いてくださったこと。まったく面識もないばななさんが、この本をどこかで見かけて購入し、読んでくださったそうで。そのように、思いがけない方の目に触れるっていうのは、本ならではの喜びだと思います。――平野さんが“食日記”をつけ始めたきっかけは?当時福岡から一家4人で東京に引っ越してきまして、“おのぼりグルメ”的に、父が気になるレストランに家族で週末に出かける時間がすごく好きだったんです。レストランのドアを開けると素敵な空間が広がっていて、みんな笑顔で楽しく会話をしながら、今まで味わったこともない美味しいものを食べる。うちの両親はものすごく仲が良かったわけでもないんですが、レストランで食事をするときは、すごく穏やかになるんです(笑)。本当にレストランは、夢のような場所だった。でも家に帰って、寝て、翌朝起きたら、昨日の夜の素晴らしい感動は何一つ形として残ってなくて、しかもお腹もすいている。それでどうにかしてこの感動を残したいと思って、食日記を書き始めました。その後、ブログなど形を変えながら、中学、高校とつながっていき、大学生のときに書いていたブログを見た編集の方から、「本にしませんか?」とお声がけをいただき、1冊目の本につながりました。――小学生のときから、食と、今の仕事に一直線だったんですね。言われてみれば確かに。高校生くらいから食文化に関わる仕事をしたいと思ってはいて、でもそれが、お店をやることなのか、料理を作ることなのかはよくわからなくて。大学に入る前、食の経営者などの話を聞く大人向けのスクールとかに通ったりもしてました。名だたる飲食の会社の社長さんたちと並んで、レストランジャーナリストの犬養裕美子さんが講師の回があり、そこで“食にまつわる文章を書く”仕事があることを知ったんです。それで、私もやりたいと思い、犬養さんに“修業させてください!”って、お手紙を。――すごい行動力!犬養さんへの憧れの気持ちをしたためた熱い手紙と、自分で書いた文章をまとめたポートフォリオみたいなものを送ったんですよ、今思うとはりきってます(笑)。――犬養さんはなんと?「修業はできません」と(笑)。でも、「あなたはあなたで素晴らしいものを持っているから、自分の道を見つけて、自分なりの職業を早く名乗っちゃいなさい」みたいなことが書かれた返信をいただいて…。大人の方が真摯に対応してくださったことはもちろん、その言葉に本当に励まされました。――改めて今、店で素敵な食に巡り合うことの魅力とは何ですか?私にとって外食は、映画を観に行くようなもの。扉を開けた先にはワクワクする空間が広がり、一歩足を踏み入れるだけでドキドキ、アドレナリンが出てしまう。お店のインテリア、スタッフの方の佇まい、隣の席の方の会話、お料理などの味、そしてお店を出た後に振り返りたくなるあの気持ちまで…。私はそれを“食体験”と呼んでいるのですが、もはやそれは総合芸術です。お店ごとに味わえるその感動を、いろんな方と分かち合いたい。それが私がこの仕事をしている理由な気がします。雑誌『Hanako』での連載をまとめた『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』(小社刊)が好評発売中。毎回1つの街と、そこにある食をテーマに散歩をし、そこで出合ったあれこれを紹介する内容は、さながら“街と食文化のフィールドワーク”。これでもか!と詰め込まれた情報量は圧巻!読み応えたっぷりです。¥1,600ひらの・さきこ1991年生まれ、福岡県出身。小学生時代から食日記をつけ続け、大学在学中にブログが話題に。2014年にエッセイ『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)を発売。現在は、雑誌やウェブなどで食にまつわる連載多数。また、プロデュースするお菓子「(NO) RAISIN SANDWICH」も大好評。Instagramは@sakikohirano※『anan』2020年10月7日号より。写真・清水奈緒インタビュー、文・河野友紀(by anan編集部)
2020年09月30日恋愛、ファンタジー、夢、そして仕事。幅広い作風で数々の名作を生み出してきた、マンガ家の安野モヨコさん。昨年デビュー30周年を迎え、現在回顧展を開催。’90年代後半に大ヒットした恋愛マンガ『ハッピー・マニア』の続編「後ハッピーマニア」も連載中です。通りすがりの人の言葉が胸に刺さることもある。――安野さんの作品の“リアル”は、絵にも宿っていますが、よりセリフにそれを感じるという読者も多いと思います。そのあたりはいかがですか?確かに、会話のテンポと、言葉は、自分や周りが実際に喋っているそれに近いものになるよう、気をつけていますね。――そしてどの作品でも、いわゆるメインキャラクターではない、通りすがりの登場人物が、強烈なセリフを口にして去っていく、そんな印象があるのですが…。普通に、人生ってそういうものじゃないですか?例えば、居酒屋でたまたま隣に座ったおじさんに言われたひと言に、「は!そうだ…!!」と思わされたりすることって、人生で1度か2度はきっとある。名前も覚えてない、二度と会うこともないであろう人が、しかもその人自身も強い思いがあって言ったわけでもない言葉であっても、言われた側にとっては忘れられないひと言になる。もちろん逆も然りです。なんでもない人のなんでもないひと言で救われる、そういうことを描きたいと思っている部分は、確かにあるかもしれません。マンガの構造といえば、主人公がいて、主人公のことをせっせと一生かけて考えてくれる他人だけが周りにいて…という限られた世界で物語が展開しがちですが、現実の人生はそうじゃない。気がついたら誰かの脇役になっていることもあるわけで。でも私は、そういうことも含めて、現実に近い構造で描きたいんです。――約30年、恋愛、仕事など、本当に幅広いテーマで執筆されてこられましたが、今、“安野モヨコらしい作風”とは、何だと思われていますか?ん~、ちょっと難しいですね…。なんだろう、どの世界線の作品でも、自分に嘘をつかない、ということでしょうか…。自分の心をごまかさない、それに尽きるかな。現実を直視したくないから、自分に嘘をつく。もちろんそうしてしまうこともありますが、その行為は結果的に何も生まないし、状況が狂っていくだけ。自分の心に対する嘘に気がついたら、すぐに軌道修正する。どんなタイプのマンガを描くにしても、この思いだけはずっと持ち続けていたいです。あんの・もよこ1971年生まれ、東京都出身。小学生からマンガを描き始め、高校1年生で初投稿、高3でデビュー。’95年より『ハッピー・マニア』(祥伝社)執筆開始、大ヒット。代表作に『働きマン』、第29回講談社漫画賞児童部門受賞作『シュガシュガルーン』(共に講談社)、『オチビサン』(朝日新聞出版)等。写真は、アトリエでのペン入れの様子。雑誌『FEEL YOUNG』で連載中の『後ハッピーマニア』(共に祥伝社)のコミックス第1巻が、好評発売中。また9/22まで東京・世田谷文学館にて、約30年間にわたる創作を振り返る回顧展「安野モヨコ展 ANNORMAL」を開催中。原画などを多数眺められる貴重なチャンス。その後、2021年にかけて仙台などを巡回予定。※『anan』2020年9月23日号より。写真・内山めぐみインタビュー、文・河野友紀(by anan編集部)
2020年09月21日’90年代後半、恋愛マンガ『ハッピー・マニア』の大ヒットを飛ばし、人気マンガ家になった安野モヨコさん。美しい絵、疾走感のあるストーリー、個性的なキャラクター、そして心に響くセリフといった安野さんのマンガの魅力には、あらゆる世代の女性たちが虜になりました。昨年デビュー30周年を迎え、現在回顧展を開催。そして、出世作の続編「後ハッピーマニア」を連載中です。――8月に続編の1巻が発売されました。まずは率直な感想をお聞かせください。その前に出した『鼻下長紳士回顧録』という単行本は、連載が不定期だったこと、そして装丁も凝ったこともあり、出版するまで本当に時間がかかっていたんです。それに比べると『後ハッピーマニア』は、サクサクと単行本ができまして。編集さんも私も、「え、もう出た?!」という感じでしたね。―― ’17年に一度、16年ぶりに雑誌に読み切りが掲載され、’19年10月号より連載がスタート。ファン的には続編が始まったのは本当に嬉しかったのですが、なぜ再び『ハッピー・マニア』を描かれようと思われたのでしょう?ひとえに、雑誌『フィール・ヤング』への恩返しですね。’08年から、「オチビサン」という作品以外を休載し、しばらく休養をしていたんです、体調を崩しまして。その5年後くらいから少しずつ、再びストーリーマンガを描くことを試すようになり、『鼻下長紳士回顧録』という作品に取り掛かりました。しかし、正直なかなか原稿を仕上げることができない状況で。でもそんなイレギュラーな状態でも、『フィール・ヤング』の編集の方は、いつ描き上がるかもわからない原稿を待ってくれ、しかも上がったら掲載してくれるという、とても懐の深い対応をしてくださった。当時はもちろん今も、本当にありがたいと思っています。その気持ちが発端ですね。――久しぶりにシゲタカヨコ(『ハッピー・マニア』の主人公)の恋愛世界に戻られたわけですが、スムーズに筆は進んだのですか?いや、最初はやっぱり手探りでした。シゲタさんももう40代なわけで、昔の、20代の頃のようなシゲタさんだと、ちょっとおかしな人すぎる。だからといって、落ち着きすぎてもつまらない。そのへんのバランスはすごく考えました。――40代のバランスとは?シゲタさんは既婚者で、子供がいない。そして、仕事をちゃんとしてきていない人。今の彼女は、人としてのエネルギーが落ちた状態といいますか(笑)。でも落ち着いたといっても、成長したというよりも、年をとって体力的に元気がなくなった、という状態ですね。とはいえ、頑張ってタカハシ(シゲタの夫)との生活を何年も続けてきているわけですから、人に合わせる努力はしてきただろうし、学びや成長がゼロなわけではない。ただ、成長して分別がついたシゲタさんは面白くないので、そこが難しいんですよね。――シゲタさんは45歳ですが、40代の女性の恋愛を描くのは、大きな挑戦でしたか?そうですね…、答えになっているかはわかりませんが、私は『フィール・ヤング』って、20~30代の女性が、リアルを感じられる作品が掲載されているマンガ雑誌、と思っているんです。今描いている作家さんたちは私より全然若いですし、若い世代の恋愛、そして今の若い人たちの“恋愛恋愛していない感じ”を描いている作家さんもいる。そんな中で考えると、自分が恋愛モノをリアルタイムで描くのは最後かもな、と思いますし、『フィール・ヤング』で描くのも最後かな、と。なので、今まで受けた恩恵をすべて返したい、という気持ちで描いてます。“連載”ではなかったから、作者も先を考えてなかった。――もとは、講談社で賞を受賞し、マンガ家になられたと伺っています。そんな安野さんが、別の出版社の雑誌で『ハッピー・マニア』を連載することになったのには、どんな経緯があったんですか?確か21歳くらいのとき、当時私は岡崎(京子)さんのところにメインでアシスタントに行っていたんですが、あるときたまたま(桜沢)エリカさんのところに貸し出され、仕事をしていたんです。そこに、『フィール・ヤング』でエリカさんの編集をしていた方がいらして、「あなたが安野さん?今度うちで描きませんか?」と言われたのが最初です。――原稿を持ち込んだり、といったことは…?ないですないです。どこかで私の作品を読んではくれていたみたいですが。それで描いたのが、『ハッピー・マニア』の初回。当時は1回掲載の読み切り予定でした。なので入稿して、“あぁよかった、終わった”とホッとしてたら、翌月、ある作家さんが原稿を落としてしまい、40ページ空いてしまったらしく、「1週間で40ページ描いて」と言われ(笑)。新しい話を考える余裕はとてもないので、「この間の続きでもいいですか?」ってことで、第2回。そしてなぜか翌月も…となり、気がついたら走りだしていた感じです。――連載をお願いします、みたいなことではなく?それを言われた記憶は一切ない(笑)。だからストーリーとか結末とか、何も考えないで描いてたんですよ。作者自身も来月どうなるか、さっぱりわからないっていう。――それがあっての、あのストーリー展開だったんですね。そう、めちゃくちゃな(笑)。でも“これはこうなる”って着地点を決めて描いてしまうと、それを準備するようなエピソードを出してしまうので、わからないまま描いたほうが絶対にいいんですよね。――『ハッピー・マニア』という作品の持つ“どうしてそうなる?!”という展開は、それまでの恋愛マンガにはなかった種類の興奮を感じさせてくれ、そこに読者は夢中になりました。主人公がいて、イケメンがいて、でもうまくいかないところに当て馬的な別のイケメンが出てきて…っていうのは、もういいよ、もういらないよって、私自身が思ってたんですよ(笑)。自分も含めてですが、20~30代になると女性は、そういうお話に“きゃー”ってなれるほど、もうピュアではない、ということなのかもしれませんね。――年を重ねて、物語を作るということへの考えは、さらに変わられたりしましたか?若い頃は、たぶんみんなそうだと思いますが、自分のことに精一杯すぎて、逆からの視点で見てみるとか、相手の立場で考えるとか、そんなこと思いも寄らなかった。今この年になって思うのは、確かに年齢を重ねたことで、別の視点で見る余裕は持てました。でも今度は、40歳を越えると、一口に40代の女性といっても、独身、既婚、子供がいる、離婚している、など、立場のバリエーションが豊富すぎるという別の事情が出てくる。ですから今は、描きながら、都度都度よく考えなければ、と思います。もはや“全員共感できるよね”というような物語はないのかもしれません。ただ、そのすべてに配慮していたら、ストーリーは作れない…。なかなか難しいところです。あんの・もよこ1971年生まれ、東京都出身。小学生からマンガを描き始め、高校1年生で初投稿、高3でデビュー。’95年より『ハッピー・マニア』(祥伝社)執筆開始、大ヒット。代表作に『働きマン』、第29回講談社漫画賞児童部門受賞作『シュガシュガルーン』(共に講談社)、『オチビサン』(朝日新聞出版)等。写真は、アトリエでのペン入れの様子。雑誌『FEEL YOUNG』で連載中の『後ハッピーマニア』(共に祥伝社)のコミックス第1巻が、好評発売中。また9/22まで東京・世田谷文学館にて、約30年間にわたる創作を振り返る回顧展「安野モヨコ展 ANNORMAL」を開催中。原画などを多数眺められる貴重なチャンス。その後、2021年にかけて仙台などを巡回予定。※『anan』2020年9月23日号より。写真・内山めぐみインタビュー、文・河野友紀(by anan編集部)
2020年09月20日河野太郎行政改革担当相は2020年9月17日にTwitterを更新。自身の公式サイトに『行政改革目安箱(縦割り110番)』を設置したことを報告しました。行政改革目安箱(縦割り110番)を立ち上げました。無駄な規制、仕事を妨げている規制、役所の縦割りで困っていること等々、規制に関する情報をお送りください。霞ヶ関の住民からのインプットも歓迎します。 — 河野太郎 (@konotarogomame) September 17, 2020 この『行政改革目安箱(縦割り110番)』は、行政の縦割りの弊害をなくすための提案や情報提供を国民に広く募る目的で設置されたもの。ウェブサイトでは「すべてのメールを河野太郎本人が目を通しますが、ご返信、ご返答ができない場合がございます」とも記していました。開設と同時に反響が上がり、同月18日現在、受付を一時停止しています。行政改革目安箱(縦割り110番)にたくさんのメールありがとうございます。予想を遥かに超える数のご意見をいただきました。今までにいただいたご意見の整理を行いますので新規の受付を一時停止させていただきます。また再開する場合はお知らせ致します。ご協力誠に感謝申し上げます。— 河野太郎 (@konotarogomame) September 17, 2020 菅義偉首相は同月16日に行われた就任記者会見で、行政の縦割り打破や規制改革に取り組む方針を示しており、河野大臣に『縦割り110番』の設置検討を指示していました。ネット上では「スピード感ある対応で素晴らしい」を称賛する声が多数上がる一方、個人事務所のウェブサイトに設置されたことについて「通報者の個人情報が漏洩するリスクがある」「行政の私物化に当たるのでは」といった疑問を呈するコメントも上がっています。『行政改革目安箱(縦割り110番)』に寄せられた意見が、政治の場にきちんと届き、建設的な議論につながることを多くの人が望んでいるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年09月18日2020年9月16日午後、自民党の菅義偉総裁が衆参両院本会議で第99代首相に選出。同月17日未明に、首相官邸で各閣僚が順番に記者会見を行いました。この日、14番目に会見を行ったのは、菅内閣の行政改革・規制改革担当相に就任した河野太郎大臣。河野大臣は、新内閣の発足時に深夜に及ぶまで各閣僚が順番に首相官邸で会見を行う慣例に対し、苦言を呈しました。例えば、この記者会見も各省に大臣が散ってやれば、もう今ごろ皆が終わって寝てますよね。それを延々ここでやるっていうのは前例主義、既得権、権威主義の最たるものだと思いますので、こんなものさっさとやめたらいいと思います。スッキリーより引用時短勤務やフレックス制度など企業の働き方改革が求められる中、閣僚をはじめ関係者が深夜に会見を行うことに、疑問を投げかけた河野大臣。この発言はネット上でも反響を呼び、コメントが多数寄せられています。・河野さんの毅然とした態度はいつも清々しくて好き。・いいツッコミだ。1人ずつ夜中までしなくてもよいし、スピード感を持ってやってもらいたい。・その日の夜中に順番待ちをする必要はないですよね。非効率的。・誰も見ていない時間に新内閣の閣僚会見を行うなんて意味がない。河野さんの発言に、スカッとしました。菅内閣では、新型コロナウイルス感染症対策と経済再生を最優先に、行政の縦割り打破や規制改革に取り組む方針を示しています。首相はこの中で、規制改革の一環として、国民から縦割り行政の情報提供を電話やメールで受け付ける窓口『縦割り110番』を設置するという考えを明らかにしており、河野大臣は、その設置検討を指示されているとのこと。国の中枢部の意識改革が進むことで、社会全体の働き方にポジティブな影響が広がるといいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月17日