わたしは、天気予報を見たことがない。もちろん、テレビで映るのをぼんやりと遠くから眺めていたことはあるし、読み上げてくれる女性に「かわいいオネエサンだなあ」と見惚れたことは何度もあった。だけど、自分から進んで天気を確かめたり調べたことはない。それはきっと、まぶしく晴れていようと、うっすらと雲ががっていようと。もしも、ボタボタと雨粒が空から落ちていたとしても、特にわたしには関わりがないからなんだろう。車には乗らないし、布団やクッションの類は、自宅にいるときにしか干さない。別に、どんな天気であっても、わたしは一向に構わないのだ。なにより、わたしは、天気で気分を左右されたりしない。そしてそれは、ファッションにしても同じことだった。暑かろうが寒かろうが、いつだってわたしは着たいものを着る。もしも扉を開いて雨粒が顔にかかったら、傘をさして出かける。それだけの話なのだ。■どうしても着たい服そんな調子なので、いつも人から「どうして、そんなに薄着なの!」「雨の日に、なんて靴を履いてるの!」などとばかり言われている。だって、今日がこんなに冷えるだなんて。まさか夜からは雨が降るだなんて。天気予報を見る習慣のないわたしには、そんな先のことはわからないんだもの。玄関横にしまわれたビニール傘は、優に15本を超えてしまっている。スエードのヒールは、雨で何度もだめにしてしまったけれど、やっぱり「これ以外は嫌だ」と毎朝身につけるものを選んでしまうのだった。小さい頃こそ、母も「今日はだめ」「それは夏のスカート!」と必死に止めてくれていたし、わたしが季節感のないトンチンカンなものを着たがらないよう、似たようなサマーニットと冬物のニットを揃いで編んでくれたりもした。だけどいつからか、防寒のカーディガンなんかをカバンに押し込みながら、「寒くなったら着るのよ」と自由にさせるようになる。もはや、娘の洋服への強いこだわりにほとほと愛想を尽かし、疲れていたのだろう。なんだか、ずいぶん可哀想なことをしてしまったように思う。■そのコートとの出会い「洋服へのこだわり」なんて言うけれど、人から見たとき、わたしが決しておしゃれではないだろうことは、自分でもよくわかっている。特にブランドへのこだわりもなく、ただ「いいなあ」と思ったものをバラバラと買い揃えている。1900円のワンピースを着て、頭には6万円の帽子を乗せていることだってよくある話で、そのどちらも同じくらい、わたしにとってはお気に入りなのだ。わたしが魅了されるのは、ほとんどがその「色」だった。ひと口に「赤」と言っても、濃いのから薄いの、ちょっと黄味がかったものまでいろいろあるし、毛糸の赤と、綿の赤と、ベロアの赤も全然違う。「今日は、つるっと光った赤が着たい」「今日は、シトッとしたグリーンがいい」布団の中で目覚めるとき、わたしはいつもそんなことを思う。前の晩から用意するようなことはしない。その日、どんな色が着たいかは朝になってみないとわからないからだ。そんなわたしにとって、一番の苦痛は「これを着なさい」と格好を決められることだ。「制服」とはその最たるもので、中学から高校の6年間は毎日違った髪飾りを結ぶことで、なんとか気持ちを保っていた。そんなこともあって大学生になると、なにかが爆発でも起こしてしまったように、派手な色合いの洋服ばかりを好むようになる。そして就職を控えた、大学4年生の冬のことだ。母と出かけたデパートで、わたしはショッキングピンクの春物のコートを惚れぼれと眺めていた。わたしが見ても「これは明らかに、とんでもなく派手だ」ということがよくわかるそのコートは、500円玉よりも大きなボタンのついた膝までのロング丈で、撥水加工をしたようにパリッと美しかった。母はその様子にすぐに気づき、はっとして「これは、会社には着ていけないよ」と言った。理由は「あまりにも派手」であるし「こういうのは、ドラマで観月ありさが着るようなデザインよ」ということだった。たしかに、どの作品かはわからないけれど、ドラマの観月ありさはいつも派手である。「東京は、このくらいが普通かも」「きっと違うけど、試着してごらん。鏡で見たらええんよ」店員さんに断りを入れて、わたしはそのパリッとハリのあるコートの袖に腕を通し、近くにある姿見を母と一緒に覗き込む。「……よう似合うてるわ」ひどい自惚れとひどい親バカだったのかもしれないけれど。ともかく、わたしの派手な顔立ちとショッキングな色合いのロングコートは、なんだかずいぶんと相性がよかった。忘れもしない、値段は2万9000円だ。その頃、わたしたちはとても貧しかった。上京するための引越し資金を、アルバイトを掛け持ちしながら必死で貯めていた。それなのに、「1万円だけ出してあげる」と母は言う。「ううん……やっぱりやめとく」ハンガーにコートを戻して、そのまま店を離れかけたが、やっぱり吸い込まれるようにそこへ戻り、そのコートを連れ帰ってしまった。帰りの電車で「お給料もらったら、1万円返すからね」とわたしが言うと、母は「だけど会社には着ていっちゃだめよ。あれは、観月ありさみたいやからね」と何度も言った。以来、そのコートは「観月ありさ」と呼ばれるようになる。卒業間近の大学にも、わたしは観月ありさを何度か着ていった。友人たちは「それを着てると、他の人が風景に見える」と言う。わたしは、とてもとても気分がよかった。だって「そういう気分の日」だったからだ。■スーツのボタン春には上京し、社会人になった。そしていくつも東京で春を迎えたけれど、観月ありさを平日に羽織ることだけは遠慮しておいた。これは休日に楽しむ洋服。母との約束だったからだ。やがて何度かの転職を繰り返し、わたしは社会人6年目にして、ようやく子どもの頃から憧れ続けたテレビ局に入社することとなる。夢とは、いつか叶うようにできているのだと思った。だけど、きらきらとした思いも束の間、「営業職の側面もあるから」と毎日スーツを着るよう命ぜられてしまう。「スーツですか……」すこしでもカジュアルだと、朝から何度もお小言を言われるので、わたしは濃紺のジャケットばかり着ていた。天気とは関係なく、気分は毎日、今にも雨が漏れしたたりそうなほど、どんよりと曇り、とても重たい。打ち合わせで発言をすると「まだ早い」と帰り道にたしなめられる。公募の研修を受けたいと申し出ると「入社6年目までは無理だ」と笑われる。「メールをしました」と席まで伝えに行かなければ、非常識だと30分以上叱られたりもした。毎晩のように取引先との飲み会が続き、苦手な紹興酒もたくさん飲まなければならなかった。お酒の席で年齢を聞かれ「27です」と答えると、「なあんだ、つまらない」と言われ、毎回「ひどーい」とカラカラと笑わなければいけない。限界だった。「外国だと思うしかないよ」と恋人は慰めてくれるけれど、わたしは海外こそ蛍光イエローのバナナようなワンピースや、ハッと目の覚めるようなグリーンのノースリーブが着たい。だけどもう、そんなに遠くへ出かける元気もなかった。「なにが一番嫌だ?」彼に尋ねられ、「もう……スーツなんて着たくない」とわたしはおいおい泣いた。スーツの胸ボタンのように、もうなにかもが苦しい。彼は眉をハの字にして「辞めてもいいよ」と真面目に言った。「わたし、文章が書きたい」とつぶやくと、うんうんと頷きながら、「それに……洋服はピンク色が似合うと思う」と彼は言った。涙を拭いながら「そうなのよ」とわたしが答えると、彼は安心したようにハハハッと笑っていた。■憧れと離れて、「わたし」になった秋が終わる頃、わたしは退職を願い出て、なんとか受理してもらうことができた。年末までは、この会社でしかできないことを頑張ろうと努めたけれど、本当は退職の日をずっと指折り数えていた。とにかく早くその国から逃げ出したかった。そして、ようやくその朝が来る。取引先との挨拶は済ませていたし、あとは局内を回るだけだ。出社し、分厚く重たいコートを脱ぐ。だけどいつものスーツは着ていない。わたしはコートの下に、観月ありさを着てきた。タイトなスプリングコートだからワンピースに見えないこともないだろう。ショッキングなピンクの洋服で「お世話になりました」とお菓子を配ると、みんなが驚いた顔で見ていた。構うもんか。立つ鳥だしこのぐらい派手でも迷惑はかけなかろう。「もう戻れない」と思うと、とても心地よかった。建物を出るとき、振り返ってまじまじとビルを見上げた。幼い頃から夢を見させてくれた場所。学生時代は夜行バスに乗り何度も何度も説明会や面接に訪れ、その度にここで働きたい、と胸を膨らませた。わたしにできることはなかったけれど、この場所が、わたしの憧れのすべてだった。声には出さず「ありがとうございました」と一礼して、泣きながら電車に乗った。派手なピンクのスプリングコートと、真冬と、泣き顔。どれも最高にチグハグで、やっぱりわたしはおしゃれではないなとつくづく思った。あれから4年とちょっと。クローゼットを開けると、観月ありさは未だにパリッと美しい。今日もわたしは、着たい洋服を着て、書きたいものを書いている。やっぱり天気はちっともわたしに関係がない。雨が降ろうと、風が吹こうと、自分の空を晴らす術は知っているからだ。暑い日だって、凍える日だって、その日着たい洋服を着る。わたしの天気を決める神様は、いつの日も、わたしなのだ。
2020年04月14日男は、女性の涙に弱い。それに伴う表情や仕草を目にすると、もう何もできなくなります。それがときに、恋愛感情に発展する場合も……。では、“男がグッとくる女子の泣き顔”とは?男性たちの意見をもとにご紹介します!文・塚田牧夫嗚咽しながら号泣「彼女とケンカしたとき。いつになく激化して、別れ話にまでなったんです。僕としては、それは避けたかったので、先に謝ったんです。すると、途端、彼女が泣き始めて……。しかも泣き方が激しく、嗚咽しながら号泣していました。もう、グショグショ。別れずに済んで安心したようでした。こっちもホッとしました」テルキ(仮名)/27歳彼のことをどれほど好きなのかが、伝わってくる涙ですね。その思いが伝わってきて、嬉しくない男性はいないでしょう。真っ直ぐ前を見て表情を崩さず「映画を見に行ったとき。ラストの感動の場面でした。彼女のほうをチラッと見たら、真っ直ぐスクリーンを見ていて、表情にも変化がありませんでした。でもよく見たら、泣いているんです。表情を変えず、涙だけ頬を伝っていました。その横顔が美しかった」ダイキ(仮名)/26歳よっぽど映画に引き込まれていたんでしょう。表情を変えずに涙だけ流すなんて、まるで女優のよう。彼が美しいと感じるのも分かります。瞬きとともにポロリと「元カノと別れ話をしたときです。3年近く付き合い、お互いに冷めつつあるのは気付いていました。それでも、やっぱり最後は悲しかった。彼女の顔を見たら、目に涙が溢れていました。堪えているけど、瞬きをした途端、大粒の涙がポロリとこぼれた。忘れられない瞬間です」コウイチ(仮名)/30歳印象的な場面ですね。好意はあるものの、次の一歩を踏み出さなくてはいけない……。複雑な心情をはらんだ涙と言えます。顔をしかめて悔しそうに「職場の後輩の女子社員と飲みに行ったときです。仕事の相談をされ、なかなか結果を出せない自分が不甲斐ないという話をされました。聞いているうちに、向こうが顔をしかめて泣き始めて……。こんなに悔しい思いをするほど頑張っているんだと、抱きしめたくなった」タカヤ(仮名)/34歳泣き顔から、真剣な思いや、無念さが伝わってきたんでしょう。女性のひたむきな姿には、男性の庇護欲をくすぐる効果があります。“男がグッとくる女子の泣き顔”をご紹介しました。男性が、女子の涙に弱いとはいえ、何回も見れば慣れてきます。なので、見せるならばここぞというとき。そのときが来たと感じたのなら、これでもかという切ない泣き顔で、彼の胸を打ってあげてください。©vectorfusionart / Shutterstock©Chepko Danil Vitalevich / Shutterstock©fizkes / Shutterstock©Juta / Shutterstock
2019年09月18日子どもの成長は、後で振り返るとあっという間です。「昨日できなかったことが、今日はできるようになっている」なんてことはよくあるもの。写真や動画で子どもの成長を記録していても、日常の1コマは意外と忘れてしまいがち。乳幼児時代を卒業したママ達が、「もっと記録に残しておけばよかった」と思うものもあるようです。■あんなによく泣いていたのに、ない!? 「赤ちゃん時代の泣き顔写真」「赤ちゃんは泣くのが仕事」とよくいわれますよね。でも写真や動画は笑顔のシーンばかりで、あとで見返して「泣き顔の写真も残しておけばよかったな」と思っているママもいるようです。赤ちゃんが泣いていると「なんとか泣きやませなきゃ」と、ママはあわててしまいがちです。でも緊急性がなければ、たまには写真を撮っておいてもいいかも。ママが赤ちゃんをあやしている様子を、パパに撮ってもらうのもいいかもしれません。「大泣きして大変」と思うようなシーンも、子どもが大きくなってから見返せば、きっと「かわいかったな」といい思い出になると思います。■子どもが大きくなってからの楽しみに「家族全員・祖父母との日常スナップ」子どもが生まれると、写真はどうしても子ども中心になりがち。しかもシャッターを押すのはパパやママであることが多いので、家族全員が写った写真というのは数が少なくなってしまいます。「記念の節目にはスタジオで家族写真を撮っている」という家庭も多いと思いますが、中には「家族写真はかしこまった記念写真ばかり」というママの声も。普段から、家族みんなでの日常スナップを意識して撮ってみてはいかがでしょうか。同じように、帰省などで祖父母と会う際にも、みんなで一緒に写真を撮るようにしてみては。パパやママ、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒の写真は、子ども本人が大きくなってから見てもきっと喜びますよ。 ■動きはなくても見るだけでほっこり「ねんね時代の動画」生まれてからしばらくは、赤ちゃんのねんね時代。まるで観音様か大仏か…といった福福しい顔で寝る姿はかわいいですが、あまり動きもないため、写真は撮っても動画は…という家庭も多いようです。でも、ねんね時代は人生の中でほんの数カ月。子どもが大きくなってから「もう見られないと思うと、手足をバタバタさせる様子などの動画を残しておけばよかった!」というママも。数分程度の短い動画をこまめに撮っておくと、赤ちゃん時代のすてきな思い出として残せそうです。■ママが通訳していたのも今は昔? 子どもの「なん語・宇宙語・言い間違い」赤ちゃんから幼児、小学生と成長するにつれ、子どもの声は大きく変化します。とくに男の子の場合、思春期に声変わりを迎えるとそれまでとは全く様変わりすることに。「ママ、あのね~」というかわいらしい声を残せるのは、今だけかもしれません。赤ちゃんのころの「あー」「うー」といったなん語や、しゃべりはじめのいわゆる宇宙語、かわいらしい言い間違いなども、成長しておしゃべりが上手になると言わなくなってしまいます。その時々の声やおしゃべりを、動画などで残しておくと見返した時に楽しいですね。■かさばるものは写真撮影で一括保管「工作やお手紙」子どもが描いてくれた似顔絵やお手紙なども、数が多いとどこかにまぎれてしまい、「きちんととっておけばよかった」と後悔するママもいるよう。お絵かきやお手紙、折り紙、工作など保管するとかさばるものは、写真で残すのがおすすめです。園で作った作品や、母の日・父の日のお手紙だけではなく、普段家で作った工作やお絵描きも写真で残しておけば良い記念になります。ブロックや粘土で作った作品はその瞬間だけのもの。遊び終わって片付ける前、写真に撮っておくといいですね。大人にとっては数年でも、その間に子どもは大きく成長します。今しかない子どもの姿を、すてきな記念として写真や動画に残しましょう。
2018年02月04日