妊娠したことがわかると、そのまま順調に出産ができるものと思いたくなるのも当然ですが、残念ながら統計的には15%ほどの確率で流産は起こります。流産は、誰にでも起こる可能性があり、決して珍しいことではありません。今回は自然流産の原因や症状、予防法などについてお話ししていきたいと思います。 流産とは妊娠22週未満で起こる妊娠の終了を「流産」と言います。流産は、妊娠12週未満に起こるものを早期流産、妊娠12週以降に起こるものを後期流産と言います。また、自然に妊娠が終わることを自然流産、人工的に妊娠を終わらせることを人工流産といいます。 自然流産は、経過や子宮の中の状況により、次のように分類されます。 切迫流産少量の性器出血や軽度の腹痛、腰痛などの症状があり、流産となる可能性があるものの、症状が治まれば妊娠の継続が期待できる状態のことです。この段階では、子宮内の袋(胎のう)や胎児には異常をみとめません。 進行流産切迫流産とはちがい、流産が進行してしまっている状態です。出血が多くなり、陣痛のようなお腹の痛みが出てきます。胎のうや胎児の一部または全部が出血とともに子宮の外に押し出されてきます。 完全流産進行流産のうち、胎のう・胎児などが完全に子宮から押し出されてしまった状態です。今まであった出血や腹痛は軽くなる、又はなくなります。 不全流産進行流産のうち、胎のうや胎児、あるいはそれを包んでいる子宮の組織が完全に押し出されず、子宮の中に一部が残っている状態です。出血や腹痛が続きます。 稽留(けいりゅう)流産出血や腹痛などの症状がないのに、胎児の成長が止まって心拍が確認できなくなっている状態です。ある程度時間がたつと出血が始まることもあります。 不全流産の場合は、胎のうや胎児などを子宮の中から出す、「子宮内容除去術」と呼ばれる手術が必要になることもあります。稽留流産の場合も、胎のうが大きい場合には大量出血の可能性があるので、出血が始まる前に同様の手術が必要となることがあります。 妊娠時期別の流産の割合と確率、原因とは?自然妊娠では、約15%の割合で流産が起こります。そのうち早期流産が13.3%で、後期流産が1.6%と妊娠初期に流産が起こりやすいです。 早期流産の原因としては、胎児の染色体異常が最も多いです。男女共に年齢が上がると精子や卵子が老化するため、受精卵に染色体異常が起こる確率が上がります。また、お母さんの年齢が上がるにつれて流産する確率は上がり、特に40歳以上では流産が起こる確率は40%になります。 妊娠初期に起こる流産は、胎児側に原因がある場合がほとんどですので、流産となってしまった場合でもお母さんは自分を責めないであげてください。 流産の症状、兆候は?性器出血や腹痛、腰痛、おなかが張る、基礎体温が下がる、つわりが突然なくなるなどの症状が見られることもありますが、稽留流産のように何も症状のない流産もあります。 また、妊娠初期には流産とは無関係に、着床出血や妊娠月経と呼ばれる性器からの出血がみられることがあります。またホルモンの状態が変化することで、腰痛や軽度の腹痛が起こりやすくなります。こうした症状があっても必ずしも流産とは限りませんので、取り越し苦労はしない方がよいですが、気になる場合はかかりつけの産婦人科で相談しましょう。まずは定期的に妊婦健診を受けることが大切です。 流産の予防法は?妊娠12週未満の流産は、染色体異常が原因で起こる可能性が高く、予防法は今のところありません。しかし、お母さんが気をつけられることもありますので、紹介していきたいと思います。 ●無理な運動をしないようにする下腹部に力が入る運動は、おなかが張りやすいので避けた方が良いです。日常生活では、階段の上り下りや重い荷物を持たない、車の運転や自転車に乗らないようにするなどの場面に注意しましょう。また仕事や家事をするときも無理をせず、周りの力を借りるようにしましょう。 ●体を冷やさない妊娠中は、体が冷えると子宮の筋肉が収縮し、おなかが張りやすくなります。そのため、温かい飲み物を飲んだり、おなかを温めるために使い捨てカイロや腹巻の活用、足首にレッグウォーマーや靴下を履くなどして体を温められると良いですね。 ●ストレスをためないようにする妊娠中はホルモンのバランスが崩れ、いつもよりストレスを感じやすくなります。ストレスが溜まると子宮の収縮を促すホルモンが出るため、おなかが張りやすくなります。ストレスを感じたら、好きな音楽を聴いたり、本を読んだりと体の負担がかからないようなストレス発散をしていくといいでしょう。 ●性生活について性交についてですが、切迫流産の兆候がない方も妊娠初期には控えたほうが良いとされています。性交は、子宮の収縮などを促しやすいため、回数が多いと流産の原因となることもあります。早産の兆候がある方や、以前早産の経験がある方も控えるべきです。とくに気をつけるべき点は、不潔な性行為は、炎症や流早産の原因となる細菌感染を起こす可能性があるということです。 その他にも妊娠中期での流産の原因として、子宮の入り口が開きやすい子宮頸管無力症や子宮筋腫などがあり、妊娠を希望する方は早めに産婦人科に受診して相談すると良いでしょう。 まとめ流産は、誰にでも起こる可能性があります。流産された方は、気分が落ち込んだり、次の妊娠をするときも心配になる方が多いと思いますが、不安に思いすぎず、穏やかな気持ちで次の妊娠を過ごせるとことを祈っております。 参考文献・杉浦真弓;【産婦人科救急治療ガイド】産科救急疾患とその初期治療母体流産(解説/特集)・岡庭 豊;産婦人科治療(0558-471X)84巻増刊Page738-740(2002.05)・病気が見えるvol10産科第2版メディックメディアPage80-83(2009.09) 監修者:医師 産科婦人科福岡医院院長 福岡 正恒 先生京都大学医学部卒。同大学院修了後、京都大学助手、講師を経て、平成11年より産科婦人科福岡医院院長。京都大学在職中は、婦人科病棟や産科病棟などを担当。またこの間、英国エジンバラ大学・生殖生物学研究所に留学。日本産科婦人科学会・産婦人科専門医,京都大学医学博士
2019年07月18日私は、結婚2年目で妊活を始めました。2度の流産と不育症の可能性を考えながらの3度目の妊娠・出産までの経過をお話しします。 妊娠!けれど流産…結婚して2年目。そろそろ子どもが欲しいと思い、妊活を始めました。夫は楽観的で、すぐに授かると思っていた赤ちゃん。想像通り妊活を始めて3カ月後には妊娠することができました。妊娠検査薬を見て2人でとても喜び、すぐに産婦人科へ。妊娠5週目で赤ちゃんもしっかりと確認でき、その1週間後には心拍も確認できました。大喜びで両親に妊娠を伝えました。 しかし、その2週間後の妊娠8週目……小さな心拍の光は消えてしまっていました。エコーを見た瞬間にわかり、頭が真っ白に。医師から流産していること。赤ちゃんが自分から出て来なければ手術をしなければならないこと。初期の流産は赤ちゃん側の異常が多く育つことができない子だったんだよ、と伝えられました。 医師の前では気丈に振る舞い、車に戻ってから大泣きしました。 どうして自分が……とネットで検索する日々。ただ、初期の流産は割と多く……友人や職場の方も流産経験があると聞いていたことがあり、出て来なかった赤ちゃんを出す手術をしてしばらくすると落ち着くことができました。今回はただ運が悪かっただけ。妊娠できることがわかってよかったじゃない! そう思い前向きに妊活をしようと決めました。 2度目の流産…不育症の可能性手術をすると妊活を2カ月はお休みするように言われました。その間に夫婦2人のうちに! と旅行に行ったり、デートをしたりして気分転換でリフレッシュをしました。 2カ月が経過し、再び妊活を再開。 今度はそこから半年後に再び妊娠することができました。産婦人科に行ったのは妊娠6週目。再び小さな心拍が見えました。 ただ……とてもゆっくりで弱いチカチカ。医師も「心拍は見えたけど、できたばっかりなのかどうか……」という曖昧な感じで悪い予感がしました。 1週間後、悪い予感が当たってしまい再び小さな光は消えてしまっていました。2度目の流産。なぜ!? と思うと同時に悪い予感がしていたため、調べていたことがありました。 「不育症」。 妊娠はするものの流産や死産を繰り返すとその可能性があると言われています。 ただ理由がハッキリしない不育症も多いそうで、その場合は何度もトライするしかないそうです。医師からも不育症の可能性の話をされ、保険がきく範囲での血液検査をすることになりました。2度目の手術を受け、再びの休息期間に血液検査を受けました。 3度目の妊娠、そして出産!血液検査の結果、特に問題視されるようなものは出ませんでした。原因不明。 私としては何か原因があったほうが治療法がハッキリしていいなと思っていたのでガッカリ。 でも同時に私が原因で赤ちゃんの心臓が止まってしまった訳ではないのだと安堵もしました。 ただ、強いていうのであれば血液を固める抗リン脂質が基準内ではあるけど高めの数値だということ。そのため、血流が固まりやすく、胎盤の血流が悪くなったかもしれないのでバイアスピリンという薬を妊娠前から内服し、妊娠後も胎盤がしっかりできる時期まで飲み続けるという方法をすすめられ、試してみることになりました。 運良く薬を初めて一回で妊娠。 そしてバイアスピリンを妊娠33週まで毎日飲みつづけた結果、赤ちゃんも順調に育ってくれて妊娠38週で出産することができました。 諦めなくてよかった!私は運良くバイアスピリンが効いたのか、不運が2回重なっただけだったのか、3度目は無事に出産することができました。3度目の妊娠中は常に不安との戦いでした。初期はいつ心臓が止まってしまうか、中期は胎動がハッキリするまで、胎動がわかるとあった胎動がしばらくないと不安だったりしました。後期はおなかの張りが出てしまい、さらに張り止めの薬のお世話になるという、けっして順調とは言える妊娠生活ではありませんでした。 それでも無事に出産することができ、大切な息子ができました。 2度目の流産の後、実は妊活をお休みしようかと思いましたが、たまたま会った不妊治療を専門にしている女医さんに言われた言葉があります。「流産しても妊娠できたというだけで、不妊からするとすでに1ステップ進んでいるんですよ。諦めなければきっと出産できますよ!! 年齢が進むと卵子も老化するからつらいかもしれないけれどチャレンジしてください!」と。 この言葉を聞いて頑張れるところまでは頑張ろうと思いました。 もちろんつらかったら少しの時間リフレッシュも大事だと思いますが、私は期間を空けずにチャレンジし続けてよかったです。 著者:渡 美羽生後3カ月になる一児の母。 障害者施設でパートで働いており、現在は育休中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー(通常分娩)
2019年06月30日元気なときは、あまり意識することのない「社会保険」という存在。けれども、不調な時には、日本には「社会保険」というセーフティネットが張り巡らされていることに気がつきます。妊娠・出産は、そんなセーフティネットの存在に気が付くための機会となるかもしれませんね。<「もしものとき」もらえるお金>● 妊娠悪阻(つわり) ● 切迫流産・早産 ● 帝王切開 ● 双子(多胎)出産 ● 流産・死産 》 「最新版! 妊娠出産「もらえるお金」と「かかるお金」一覧」 ■妊娠悪阻(つわり)がつらい! 傷病手当を申請するにはつわりは、本当に苦しいものです。また、妊娠は、身体にとっては大きな出来事! ママ自身の身体の声を聴き、自分自身で身体を労わってあげて欲しいと思います。会社員の場合には、傷病手当金を使える場合もあるので、会社に相談してみましょう。● 傷病手当金 病気休業の時の生活補償制度■「切迫流産・早産」でもらえるお金 筆者も切迫流産・早産で3ヶ月間、入院したことがあります。そのとき、看護婦さんの「母胎は、赤ちゃんにとって大切な保育器。あなたにとって妊娠期間は数ヶ月だけれど、赤ちゃんにとっては、一生を左右する問題なのよ!」という言葉は一生忘れられません。経済状況などを考えると、無理をして働いてしまうことがあるかもしれませんね。そんなときは、この言葉を思い出して欲しいと思います。会社員の場合は、傷病手当金を使える場合もありますので、会社に相談してみましょう。● 傷病手当金 病気休業の時の生活補償制度● 高額療養費 医療費が一定額以上の場合は超えた分を健康保険が負担してくれる■「帝王切開」でもらえるお金「妊娠・出産(正常分娩)は、病気ではないので、経過が順調であれば健康保険は使えません。しかし帝王切開は、社会保険の制度上は「異常分娩」という扱いになり、通常分娩と同じく「出産育児一時金」がもらえるとともに、健康保険制度の中の「療養の給付」が支給されることになります。このうち「療養の給付」が「自己負担限度額」を超えていた場合は、高額療養費制度の対象にもなります。● 出産育児一時金 健康保険からの出産費用助成金● 高額療養費 医療費が一定額以上の場合は超えた分を健康保険が負担してくれる■双子出産でかかった費用は健康保険の「出産育児一時金」は、「出産一人につき42万円」が支給条件です。双子など多胎の場合は、人数分が給付されるので、たとえば双子の場合は、次の計算となります。「@42万円 × 2人」申請には、医師や助産師による「多胎」の証明が必要なので、書類を用意しておきましょう。加入している健康保険によっては、子供の人数分の申請用紙が必要な場合もあるので、あらかじめチェックしておくと良いですね。● 出産育児一時金 健康保険からの出産費用助成金■「流産・死産」だった場合も給付の対象になる 残念ながら流産や死産だったときにも、出産育児一時金は支給されます。出産育児一時金が支給される流産、あるいは死産の週数は、4ヶ月(85日以上)。出産費用は公的医療保険から産院への直接支払いが原則。流産や死産の時も出産育児一時金の制度を使えることは、頭の片隅に置いておいても良いかもしれません。● 出産育児一時金 健康保険からの出産費用助成金※この記事は2019年3月現在の法令・情報に基づいて書いています(監修:畠中雅子)
2019年06月21日「急によくわからない発疹が出てきました」そんな症状で受診する人は時々いますが、その原因のひとつにりんご病(=伝染性紅斑)が挙げられます。りんご病とは、どんな病気なのでしょうか。■りんご病「症状・原因・感染ルート・潜伏期間」りんご病はその名の通り、頬がりんごのように赤くなることが特徴です。子どもはもともと頬に湿疹(しっしん)ができやすく、これだけでは区別がつきにくいこともありますが、りんご病では首や胸、腕や太ももにも発疹が出現します。その分布は手足の先端ではなく、体の中心寄りに出やすいことが特徴です。ぼんやりと淡い紅斑が出現し、「レース状」「網目状」といったように表現されます。見た目の割に、かゆみは強くないことが多いです。りんご病は、ヒトパルボウイルスB19というウイルスが原因で、伝染性紅斑という名前の通り、接触やせき、くしゃみなどでうつります。感染すると7~10日の潜伏をへて、発熱や鼻水などの軽い風邪症状が数日あったのち1~2週間ほどで紅斑が出現します。この時、微熱程度だったり、ほとんど症状がないこともあります。この風邪症状の時が一番ウイルスの量が多く人にうつりますが、紅斑が出る頃にはウイルス量が少なくなっているので感染力はありません。外来で「りんご病です」と診断すると「学校はいつまで休まなければなりませんか?」と質問を受けますが、紅斑が出ている時期にはもう感染力はないので、元気であれば登園や登校はOKということになります。日光の刺激などで発疹が少しぶり返すこともありますが、おおむね1週間くらいで自然に改善するため、特別な治療は必要ありません。発疹が出て初めてりんご病とわかるので、初期の風邪症状の時期に知らず知らず人にうつしてしまっているかもしれず、なかなか厄介な感染症です。■りんご病の合併症「妊娠初期の流産・胎児水腫」通常の経過でしたら、少しの風邪症状と発疹のみですが、時に合併症を起こします。年長児や成人では関節痛を起こすことがありますし、遺伝性球状赤血球症という先天的な貧血の患者さんに感染すると急激に貧血が進む場合があります。そのほか、肝炎、筋炎、脳炎などまれとはいえ、多彩な合併症があります。なかでも特に注意しなければならないのが、妊婦さんです。妊娠初期に感染することで流産を起こす可能性や、おなかの赤ちゃんに感染して「胎児水腫」という病気を発症する場合があります。胎児水腫は、心臓の機能が低下して全身がむくむ病気で、胎児治療や出生してからの集中治療が必要となる重大な病気のひとつです。ヒトパルボウイルスB19は、一度感染すると免疫がついて、健常者では生涯感染することはありません。よって子どもの頃にりんご病になったことのある妊婦さんは大丈夫です。しかし、りんご病にかかっていない(かかったかどうかわからない)妊婦さんは、りんご病に対して不安を抱えて過ごさざるを得ません。■りんご病の予防「ワクチンも抗ウイルス薬もない」どのように予防すれば良いのでしょうか?残念ながら、りんご病を100%防ぐ手段は現在のところありません。ワクチンは開発中で実用化はされておらず、また抗ウイルス薬もないため治療は自然経過に頼るしかありません。そのため、できるだけ感染の機会を避けることが重要ですが、多くは幼稚園児〜小学生に流行が見られる感染症のため、特に妊娠初期は子どもが大勢いるような場所は避ける方が無難です。しかし、前述の通り発疹が出なければりんご病かどうかわかりませんし、症状が乏しい場合もあって感染者がどこにいるかわからないため、知らない間に感染してしまう危険性があります。手洗いやうがい、人混みを避けるなど一般的な対策しかなく、完全に防ぐことはできませんが、妊婦さんに感染した時の合併症の重さ・不安感を考えると、周囲の人ができる限りリスクを減らすために努力しなければなりません。つまり、微熱や風邪の症状であったとしても、りんご病である可能性も考え、妊婦さんへの感染を防ぐために登校や出勤を控えるべきでしょう。そもそも、ほかの病気であったとしても、風邪のような症状であれば休むべきです。しかし、軽い症状ではつい無理をしてしまうかもしれません。そんな時「もしかすると、妊婦さんと赤ちゃんに重大な結果を及ぼすかもしれない」と思いをめぐらせていただきたいと思います。実際、妊娠中にりんご病に感染して赤ちゃんが胎児水腫となったママからも、「りんご病が妊婦にとって怖いものだとは知らなかった」「自分を責めた」「病気への認識が広まって欲しい」といった声が聞かれます。100%防ぐ方法がないからこそ、妊婦さんはもちろんその周りの大人も子どももみんなが注意することで、感染を防ぐことができるでしょう。ちょっとした体調不良の時にもできるだけ外出を控えるようにする。それは、りんご病の脅威から妊婦さんと赤ちゃんを守ることにつながるのだと思います。
2019年05月11日以前妊娠初期症状の記事をかきましたが、その後のことです。長女を妊娠したときに、つわりで薬剤の匂いがダメになりました。また私は以前、前かがみの姿勢をしているときに流産をした経験があったことから、お風呂掃除をするのに抵抗がありました。夫をたよりたかったのですが、いつも私が家事をしていたせいか、すぐにうんとはいいませんでした。つわりのつらさは、なかなか夫には伝わりませんでした。家事をワンオペでするのが肉体的にも精神的にもつらくなり、つわりもひどかったので、しばらく実家へもどることにしました。・・・そして、実家へもどったときのことですが、私は出血してしまいました。それは生理みたいな出血でした。血に染まったトイレットペーパーを見て青ざめました。もう完全にだめだと思いましたが・・・実母につきそってもらい、病院へ行って確認すると、赤ちゃんは無事でした!けっこうな量の血が出ていたのですが、出血しても、かならずしも流産になるとはかぎらないと知りました。そのときに私は考えました。今、私が優先すべきなのは家事をきちんとすることではなくて、自分の中に生まれた命をちゃんと守りきることだと。そう思って、そのときは実家にたよることにしました。・・・そのおかげでわが家には、現在小学校3年生になった長女がいます。あのとき赤ちゃんを一番に考えて、無理をしないようにしてよかったなと思っています。※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2019年05月01日先日胃腸炎で初めて地獄のようなエンドレス嘔吐に見舞われました。そのとき、「重度つわりの方はもしかして、こんなにしんどい状態を何週間も耐えていたのか」と勝手にその雄姿を称え涙を流しました。そんなこんなで今回は、自分の妊娠中のつわりの事を思い返してみたいと思います。先日 記事 にも書かせていただいた通り、私は体外受精で娘を妊娠しました。そのため、妊娠4週と言うだいぶ早い段階で陽性判定を病院からいただいていたので、ドラマなんかでよくある「つわりの症状で妊娠に気づく」と言うことはありませんでした。不妊治療が長かった事もあり、つわりに憧れていた部分もあったので、実際に6週辺りから胃がムカムカし始めた時は感動すら覚えたりしたのですが…そして菓子パンの他には…実際体験してみると1日中気持ち悪いはダルいわで、泣きそうになりました。それでも1度目の妊娠の時はつわりが軽くなったと思ったら稽留流産していたので、24時間続く吐き気が、赤ちゃんから送られてくる元気のサインのような気がしていました。結局つわりは10週辺りにおさまったんですが、去年出産した姉は同じく体外受精での妊娠で、妊娠中一度もつわりを経験する事がないまま元気な赤ちゃんを出産しました。姉妹であっても人によって妊娠中の症状は全然違うし、つわりがあるから赤ちゃんが元気、つわりがないのはよくないって事はないんだなぁと実感しました。
2019年04月18日はじめまして! この度新しく連載をさせて頂きますトキヒロと申します。4歳女児と日々をダラつきながら過ごす34歳児、よろしくお願いします!!記念すべき第1回は妊娠前まで遡ろうかと思います。子どもが欲しいと思いながらなかなか授からず、不妊治療をしていた頃の話です。当時不妊治療をしてる事は誰にも話していなかったので、平静を装っていましたが数年間の治療でだいぶ精神的に消耗していました。何よりもおめでたいことなのに、100パーセントの気持ちで祝福出来ない自分の心が醜くて、それが余計に自分を追い詰めているような状態でした。落ち込んだ気分の時にネット検索すると、わざわざマイナスな情報や言葉を探して吸収して頭が膨れ上がっていくような気がします。それでもどこかに答えがあるんじゃないかと色々な情報を読み漁りドツボにハマっていくという…まさに迷路でした。これは妊娠中や子どもが生まれて育児に行き詰まった時も、同じような事になったので、つくづくネットが向いてない(笑)。この頃から7年経ち、今思う事。あの頃の私だけじゃなく、不妊治療をしていると、行き場のない焦燥感や劣等感で、自分を責めてしまう事が多いですが、大好きな人との子どもが欲しいと頑張る自分を、少しでも褒めてあげてして欲しいなと思います。
2019年01月29日流産後の回復期間中。なかなか心の回復がままならず、ちょっとした誤送信メールを受け取ったり、友だちの会話を聞くだけで複雑な思いに陥っていました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産の手術後、体は順調に回復していました。しかし、どうにも心が回復できず、起き上がるのも億劫(おっくう)な日々を過ごしていました。人と話すことは極力避けたいし、避けていました。やることはあるのに、やる気が起きない。寝てばかりの毎日。心と体のバランスがじょうずに取れない。「子どもを欲しい」と心からは思えない…と暗くなり、気持ちを切り替えて「よしやったるぞ!」と治療に奮闘し、妊娠して動揺し、流産で申し訳ない気持ちと悲しみを感じ、今また落ち込んでいる。めちゃくちゃな私の心。治療を始める前はこんなに不安定ではなかったのに。術後、ちょうど1カ月で生理がきました。子宮鏡の結果によれば経過も良好、子宮はきれいな状態に戻っているとのこと。この頃には落ち込んでいた気持ちも回復し、平常心で過ごせていました。さらに次の生理が始まったら、2回目の移植に向けて準備していくことになりました。生理3日目までにクリニックへ行き、ホルモン剤の内服を始めます。生理を待つ間、こんな出来事がありました。家を新築した友だちから、新住所の連絡メールが届きました。送る相手を間違えたのでしょう、住所のあとに『育児うまくいってる?』の言葉が添えられていました。『もうハイハイで目が離せないころかな。つかまり立ちは? また成長を教えてね』その後もう1件届いたメールには、同じく住所のお知らせと『ぜひ遊びにきてね』の文字。こっちが私宛の正しいメールだろうな…。手術直後じゃなくて、だいぶ立ち直っている今でよかったよ。苦笑いと少し複雑な気持ちが、コーヒーに入れたミルクみたいにくるりと回って溶けていきました。濁った液体をごくりと飲み干し、返信しました。『うん。地の底をはいずり回って、必死に何かにしがみついて立ち上がろうとしているよ。少しは成長しているかなぁ、私』 …なんて打つはずもなく、『遊びに行けるのを楽しみにしてるね』と。こんなこともありました。ゴールデンウィークにオットの地元に帰省したとき、オットの親友家族たちとBBQをしました。その当時42歳のオット。親友の中には、成人を迎えた息子さんがいる人もいました。私が結婚した当初、小学生だった娘さんは、高校3年生になって彼氏の話をしていました。宴もたけなわ、ほどよく酔っ払い、ふわふわしていた私の耳に隣の会話が聞こえてきました。「自分の子どもたちが結婚したら…」「早く孫が欲しい…」親友たちがその話をしている最中、オットは愛犬と追いかけっこをして遊んでいました。無心に。楽しそうに。そう見えるように。親友たちのその会話にオットが混ざることはありませんでした。子育ての話をする友だちの会話から、何かの用事にかこつけてそっとフェードアウトしたり、表情を読み取られないように上手な顔で端っこに座っていたりすることを私はよくやっていました。オットを見ていて、そのときの自分を思い出しました。不妊でつらい想いをするのは女性だけではないようです。愛犬と遊ぶオットの声を聞きながら、もう片方の耳では、親友たちの子どもの話を聞いていました。猛烈に切なくなりました。オットを早く「お父さん」にしてあげたいとすごくすごく思いました。泣きそうになるのをぐっとこらえて、その後はあおるように飲み続けました。不妊治療を始めてから、意識していなくとも『子ども』というキーワードが目につき、耳に入るようになりました。自分に関係がなくとも、胸を締め付けられたり、モヤッとしたり、心がざわりとしたりすることもあります。誰も悪くない。そう分かっているので、そんな出来事があるたびに、心が少し疲れてしまうのです。前向きにいきたい、と意識しても、無意識に疲れてしまうのです。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年09月12日流産後の処置の話です。生理で体外に流れ出ることを待ったものの、胎嚢が残ってしまったため、そうは手術を受けることに。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。初めての「そうは手術」を経験「だんだん効いてくるからね~」と先生の言葉を聞いて…次に目を覚ますと手術は終わっていました。初の、そうは(掻爬)手術。全身麻酔、日帰りです。家族の付き添いが必要ということで、オットに休みを取ってもらいました。いつもの不妊治療クリニックではなく、地元の産婦人科での手術となりました。朝9時に病院へ。子宮口をひろげるための処置をして、病室へ入院しました。血圧、熱を測り、点滴の針を入れました。途中、抗生剤などの液も入れるとのこと。 が、これが曲者でした。針は5cmくらい。それを全て血管に刺さなきゃいけないもよう。私はもともと血管の出にくい女。看護師Aさんは、初めから自信なさげ。「針が長いんですよね~」と言い訳(?)しながら、ぷすり。ぐりぐりと血管を探し、針を出し入れされます。痛い…。2回目も同じく、散々ぐりぐりしたあと、点滴を投入するも液漏れしてきて超痛い…。看護師Bさんにチェンジしました。おなじく失敗。右手に変えて4回目にチャレンジ。失敗。すでに不信感でいっぱいです(笑)。すると看護師Bさんは頭を使いました。洗面所にお湯をたくさんため、ここにしばらく手を浸けててくださいとのこと。温まって血行がよくなり血管が見えやすくなるという。なるほど。5度目の正直で無事成功! が、すぐに点滴につながなかったので血がタラタラタラと逆流してシーツを汚しました… 妊娠してかかるならこの病院かと思っていたけど、考え直そうと本気で思いました…。しばらく、テレビをみながら点滴を受けました。出産が控えているということで、予定より早めに手術台へ上がりました。足をくくられ、鼻に酸素チューブをさされ、口元に酸素マスクを当てられます。「だんだん効いてくるからね~」と先生の言葉を聞いて、返事をしたところまでは覚えています。次に意識が戻ったときは「終わりましたからね~」と言われた時でした。 朦朧とした意識の中で、病室で待っているオットのことを思い出したら、涙が出てきました。涙はとまらず、やがて号泣に。自分で拭くこともできず、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔で病室に戻り、麻酔が覚めるまで横になっていました。経過は問題なく、夕方に退院できました。 術後は、たくさん泣きました。夜寝るときも涙があふれて止らず、オットがティッシュで何度も拭いてくれました。成長していないと分かった時点で、お腹にはもう赤ちゃん(の魂)はいないと思っていたので手術自体に抵抗はありませんでした。でも、それまでの「いろいろ」を思い出して泣きました。ごめん…ありがとう…ごめん…。泣きすぎて頭痛がひどく、痛み止めを飲みました。次は、1週間後に検査結果を聞きに手術をした産婦人科へ。そして1ヶ月後(もっと長い可能性もありとのこと)に生理がきたら不妊クリニックへ。そこで子宮鏡をして取り残しがないか、状態が正常に戻っているかなどをチェックし、さらに次の生理から2度目の移植の準備に入ります。不妊治療の長いトンネルはまだ終わりが見えませんでした。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年08月22日待望の妊娠。しかし、まもなく流産とわかり、涙、涙の誕生日を過ごしましたが、夫婦の絆を再確認。その後日談です。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産確定したけれど、つわりで気持ち悪い心拍が確認できなかった頃から、気持ち悪さを感じるようになりました。まさか、つわり?? 流産しているのにつわりがあるの? もういないのに、ただ気持ち悪いだけなのは辛い…。 その一週間後、再度診察をするもやはり赤ちゃんの姿はなく、流産確定となりました。この時期の流産は自然と体外に出てくることが多いとのことで、2週間、生理がくるのを待つことになりました。流産を伴う生理は重く、子宮の収縮の痛みが激しいかもしれないとのこと。そのときは生理痛止めを飲んでもいいと言われました。それでも出てこなければ、手術となるそうです。体温が下がってきたので、自然に出てきてくれるのかな~。「出てきたものから、その姿を見つけようとしてもムリです」と聞いてないのにドクターに言われました。僕ら医療者が探そうと思って探せば見つけられるかもしれないけど、普通一般的にはムリですと。そうか、ムリか…(←探そうと思ってた人(笑))そして、気持ち悪さはやはりつわりだそう。生理がくれば治まるとのことでした。何か食べていないとムカムカするので、グミなどを食べました。夜になると、ひどくなる傾向があるような気がします。ある夜はオットが背中をさすってくれました。優しさが嬉しくて、悲しくて、少し涙が出ました。 そして、生理が始まりました。「量が多いし、痛みもひどいと思います。」そう言われていたので、夜用のナプキンをつけました。つわりは生理が始まって、翌日にはほとんどなくなりました。初日、2日目の日中と、それほど量も多くないし、痛みもありませんでした。体調も問題なく、案外楽勝…と思っていたら、夜から痛みが徐々にひどくなりました。下腹部に重~い鈍痛が…。ずっと痛いわけではなく、波がありました。その波がかなりのビッグウェーブで、波がきているときは喋ることもできなくなるくらいでした。初潮が来てからこのかた、ほとんど生理痛はない私。たまにお腹が痛くても気にしなければ、忘れてしまう程度のものでした。あとから出産を経験して思ったのですが、このときの痛みの波の感じは陣痛に似ていました。流産もまたひとつのお産なのかもしれない。この当時の私は全くその考えには至っていませんでしたが。 出血は、黒に近い色の血の塊がガンガン出てきました。赤ちゃんのために用意したベッドがはがれて落ちてきてるんだなぁと思いました。赤ちゃんもどこかにいるんだなぁとも思いました。でも深くは考えません。もう実体はない。どこかで、空の上から?赤ちゃんの国から?きっと見下ろしている。どうも、ありがとう。ごめんね。・・・それから1週間、痛みをともなう塊の出血もあったので、おそらく赤ちゃんは流れ出ていったろう、とドクターも私も思っていました…。が…超音波にハッキリと映る胎嚢。まだ残っていますね~と、ドクター。さらに1週間様子を見ることに。う~ん、あの痛みはなんだった…今回の受精卵はとっても良い状態でした。だから流産してしまったことは先生も残念そうでした。さらに1週間後、胎嚢は残ったまま状態は変わっていませんでした。手術をすることが決まりました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年08月08日受精卵移植によって待望の妊娠。しかし間もなくして、初期流産とわかり…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産後に込み上げる、申し訳ないという気持ち心拍確認の日、赤ちゃんは成長を止めていました。心拍は確認できず、初期の流産でした。超音波の画面を見ながら、私も気付きました。ドクターは無言で何度も何度も角度を変えてみています。その度に、浮き彫りになるのは胎嚢のみ。そういうこともあるのかも、と想像してはいたけれど。ぐりぐりと超音波の機械を押し付けられていたら、なんだか悲しくなってきてポロポロと涙がこぼれました。診察室に戻り、ドクターの話を聞くときもボロボロ泣きました。「原因はハッキリ言って分かりません。もともと染色体異常で自ら成長を止めたのかもしれないですね。」8週目までの流産は自然淘汰、どうあがいてもどうしようもないってことは知っています。でも、耳にガーゼをかぶせたみたい。ドクターや看護師さんの話が聞こえるけど、耳の上をなぞっていくだけで頭の中には入ってこない。けっこうショックなんだなぁ、私。妊娠できたことで、うろたえていたくせに。でも、どっちも本当の私なのか…。診察後、高校時代の友人たちと遊ぶ約束をしていたので向かいました。私以外の既婚者はみんな子持ちです。治療を始めたころは、友達の赤ちゃんと会うのに少し憂鬱になったりしたときもありました。でも最近は、友達の赤ちゃんも妊娠も、知らない妊婦さんも、ほとんど気になりません。気にしてもしょうがないことを学習したみたいです。人は人、私は私。大事な仲間なので、今までお互いに、どんなことでも話をしてきました。だから、今回のことも言おうと思っていたけど、なかなかタイミングがつかめずにいました…。と、いきなり、ケーキが登場。3日後が私の誕生日だったのです。サプライズで準備してくれていました。しかも手作り。嬉しかった。瞬間、自分の誕生とお腹の子の死を思い、正反対であるその出来事に込み上げるものがありました。我慢できずに泣きました。友人たちは嬉しくて泣いたと思ったようでした。(もちろんそれもありますが。)ケーキも食べ終わり、のんびりしたところで実は…、と今回の事を伝えました。なんとか、泣かずに喋ることができました。友人たちは、真剣に聞いてくれました。その後の労わりや慰めの言葉は、やはりガーゼの上を通り過ぎるように聞いてしまったけど…申し訳ないけど、しょうがない。素直にそれらの言葉を受け止めるには少し時間がいることなんだと思う。オットには病院を出た後、報告しました。しんみりしたけれど、やはりそういう可能性もあると構えているところもあったので、気丈に受け止めてくれました。しばらく休んで、また頑張ろうな。と。数日後、缶ビールを飲みました。すると、350mlを飲みきれませんでした。移植前は、1日数本を毎日平気で飲んでいたのに。なんだか苦くて、すぐに酔いが回って。体が飲まないことに慣れてきていたんだなぁ、けっこう母親らしくなってたんだなぁ、私。涙が出ました。一度涙が出ると止らなくなりました。まだお腹の中にいる。私の子ども。オットの子ども。子宮にしがみついて、成長してくれようとした私たちの小さな命。それなのに、自分が妊娠したことでうろたえパニックになっていた私は、ただの一度も、お腹に手をあてることも、話しかけることもしませんでした。全く愛情をもって接してあげることがありませんでした。本当に、ごめんなさい。こんな結果になってから、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。本当に私は、ただの一度も、お腹に向って話しかけなかった。子どもは気付いていたろうか。こんな母親の仕打ちを。一番もらいたかった母親の愛を感じられなかった。かわいそうな、私の子。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年07月11日『コウノドリ』第9話が12月8日に放送された。今回サクラ(綾野剛)が向き合ったのは、「不育症」。原因がわからないまま、流産を繰り返す女性の苦悩と本音が描かれた。ドラマでも取り上げられていたように、流産はけっしてめずらしいものではなく、経験者も多い。けれどもそれは、あくまで統計上のこと。「あなたのせいじゃない」と言われても、原因がわからないことで、どうしようもない不安や、やり場のない気持ちに陥ってしまうものなのだ。■原因不明の不育症に悩む夫婦3回目の流産となった篠原沙月(野波麻帆)は、流産を繰り返してしまうことを「自分のせい」だと思い悩んでいた。そんな妻を見て、夫・修一(高橋光臣)もまた、どうしたら彼女を元気付けられるのかと葛藤していた。不育症の検査を受けるも、結果はすべて正常範囲内。それを聞いた修一が「それは原因がわからないということですか? 治療方法がないということですか?」と問う。サクラは不育症の原因がわかって治療した女性、原因がわからず治療しなかった女性、どちらも出産できる確率は85%だと説明する。「でも、不安ですよね、怖いですよね」と続けるサクラに、沙月は涙を流し「子どもがほしくて、やっぱり諦めきれないからここに来てるんですけど、妊娠してないってことがわかると少しホッとする自分がいて。一瞬でも、おなかの中に赤ちゃんが宿ることが怖くて。こんなんじゃ母親になる資格ないですよね」と本音を漏らす。そして「(子どもが好きな修一に)自分の子どもを抱かせてあげられないのが一番つらい。本当にごめんね」と泣き崩れる沙月を、修一は「僕こそ何もしてやれなくてごめん」とやさしく抱き寄せる。そんな夫婦を見たサクラは、「次はきっと大丈夫。だって、篠原さんにはこんな近くに世界一の味方がいるじゃないですか」と励ました。時を経て、4度目の妊娠が発覚した沙月。緊張の中、サクラが内診すると、そこにはピコピコと胎児の拍動が。沙月は喜びと安堵(あんど)の涙を流し、エコー写真を眺めて夫婦で喜びを分かちあうのだった。■流産を自分のせいだと感じてしまうつらさ妊娠すれば、無事に出産できるのが当然だと思っている人も多いかもしれない。けれどもドラマ内で四宮(星野源)が「流産はめずらしいものじゃない」と話していたように、流産する確率は25歳で15%、35歳では25%と、けっして少ない数字ではない。実際、ドラマ放送後にはSNSに流産経験者という人の声が本当にたくさん上がっていたし、筆者自身も2度の流産経験がある。自分は子どもが産めないかも…。そんなときに考えるのは、やはり夫のことだ。今回、修一の「子どもがいない2人だけの人生もいいと思ってる」という言葉に、沙月が「全然うれしくないよ、なぐさめにもなってない」とつらく当たってしまったのは、夫に自分の子どもを抱かせてあげられないかもという責任を感じてしまうからこそ。流産後、筆者は「夫婦2人の子どもなんだから、夫も妊娠できればいいのに」という非現実的なことを本気で考えたし、3度目の妊娠で出産に至ったときには、喜びより安堵のほうが圧倒的に大きかった。「流産はあなたのせいじゃない」そう言われても、妊娠・出産について母親は、どうしたって責任やプレッシャーを感じてしまうのだ。■苦しむ妻に夫がしてあげられることとは一方、修一はピアノの練習をすることで沙月の心に寄り添った。自分を励ますために一生懸命努力している夫の姿は、妻にとって何よりの支えとなったはずだ。沙月は胎児心拍の確認までたどり着いたが、出産を迎えるまではまだまだ長い道のりが待っている。それでも修一という強い味方がいる限り、沙月は前を向いて進んでいけるだろう。そして第9話で描かれた“支え合い”は、篠原夫婦だけではない。病に倒れた父を四宮が支え、その四宮をサクラがフォローし、小松(吉田羊)を今橋(大森南朋)が気にかけ、産科医療の経験に乏しい救命チームを下屋(松岡茉優)がリードした。「いまある道を進むことで、光が見える。だから、怖がらないで。人は必ず、誰かがそばにいて、誰かのそばにいる」印象的だったサクラのナレーションのとおり、どんなときでも人は互いに支え合い、補い合いながら生きていくものなのかもしれない。■岐路に立たされた星野源の選択する道とは下屋はたくましく成長し、白川(坂口健太郎)は再びペルソナに戻ると誓うなど、それぞれが歩みを進めるチームの中で、やはり気になるのは四宮の今後。病に伏す父・晃志郎(塩見三省)とのやりとりは、ドラマを越えて本物の親子に見えてくるほどのリアルさがあり、とくに最後に手を握り合うシーンは胸にグッと迫るものがあった。父の思い、早剥の研究、ペルソナの人材不足…岐路に立たされた四宮は、はたしてどんな道を選択するのか。ますます目が離せない。12月15日に放送される第10話で描かれるテーマは“出生前診断”。診断を受けた2組の夫婦をとおし、ペルソナメンバーが命と向き合っていく。TBSテレビ 金曜ドラマ『コウノドリ』金曜よる10時から
2017年12月14日女優の松居一代(59)が16日、自身のブログを更新。夫で俳優の船越英一郎(56)と結婚して2年目に妊娠するも、流産していたことを明かした。「衝撃告白 天国の娘へ」というタイトルで更新した松居は、「特別なおはなし」と書き出し、「どうして元気なの・・って聞かれるどうして強いの...っていわれるそれはあたしにも悲しくって 辛い過去があるからなの」「実はねぇ・・・天国にいってしまった 我が娘さくら が応援しているからなの」と明かした。そして、「結婚して 2年目だった身が引き裂かれるほどに欲しかった !!!!帝王のあかちゃんを授かった!!!!あたし 45歳帝王42歳」と、"帝王"こと船越との間に赤ちゃんを授かったことを告白。「でもね・・・ある日 病院で『心臓が止まってます』って言われちゃって・・・」と打ち明けた。松居はあかちゃんをお腹から取り出すことを拒否するも、高熱が出始め危ない状態になり、緊急手術を受けることに。赤ちゃんは女児で、「さくら」って名づけて供養したという。「生きていたら・・・今年の春から高校生なんだきっと帝王に似て可愛かっただろうね」とつづった。また、流産したショックで立ち上がれない松居に、船越が「子供がほしかったらもっと若い女性を選んだ。生涯共に生きたいから君を選んだ」と声をかけたことも明かした。「15年過ぎた今も・・・さくらはあたしのなかで生きてるだから・・・あたし頑張れるのよどんな悲しいことがあっても歯を食いしばって立ち上がれる」と松居。「かあさん がんばって ってさくらが・・・天国から応援してるからあたしの命ある限り食らいついてさくらの分も生きます」と決意を記し、「こんなあたしだけどこれからもよろしくね本当にありがとう」と締めくくった。
2016年12月16日皆さんは流産の確率を飛躍的に下げる『着床前スクリーニング』という検査をご存じですか?あまり聞き慣れない方もいらっしゃると思いますが、着床前スクリーニングとは簡単に言うと体外受精の際に行われる検査の一つです。日本でほぼ唯一着床前スクリーニングを実施している『大谷レディスクリニック』の報告によると、平均年齢40.4歳の女性に行った愛着床前スクリーニングでは、着床率が約2.2倍になったとのこと。また、流産率は通常の約4分の1にまで減少した といいます。過去に流産経験を持つ人や高齢出産する女性にとっては大変興味深い数字ですよね。今回は、着床前スクリーニングについてお話しします。●着床前スクリーニングって何をするの?日本で現状行われている体外受精の方法と、着床前スクリーニングの方法は少し異なります。日本で行われている体外受精の方法は、女性から取り出した卵子を男性の精子に受精させていくつかの受精卵(胚)の中から医師が目視で健康状態にあると判断した胚を選んで子宮に戻すというもの。一方、着床前スクリーニングでは胚の一部を摂取して検査をし、染色体に異常のないものを選んで子宮に戻します。前者は目視による選別 のため、実際には異常を持つ胚を子宮に戻してしまうことも多いですが、後者ではきちんと染色体検査 をしているため、確実性が高いと言われています。しかし、日本ではこの着床前スクリーニングは禁止されており、体外受精を行う際は前者の方法が取られます。●着床前スクリーニングが日本で禁止されているワケなぜ日本では着床前スクリーニングが禁止されているのでしょうか。ひと言で言うと、「倫理上の問題があるから」 です。日本の母子健康の増進を目指す『日本産科婦人科学会』という非常に影響力の大きい学会が、着床前スクリーニングは「命の選別になる恐れがある」という理由で禁止しているため、日本の病院では導入されていません。着床前スクリーニングはダウン症などの染色体異常や性別の判定ができる精密さがあるため、命の選別につながりかねないという懸念があるのです。とはいえ、前述した大谷レディスクリニックの研究結果を受け、日本産科婦人科学会は3年間かけて大規模な臨床実験を行うことを2015年に決めています。結果次第では数年後には日本でも着床前スクリーニング検査を受けられる日が来るかもしれません。●あなたはどっち? 着床前スクリーニング検査への賛否●反対派の意見『人が命の選別をするなんてあり得ない。たとえ受精卵だとしても、それはすでに命の卵みたいなもの。それを選別するということは、殺人をしているのと同じこと だと思います』(41歳女性/独身)『子どもは親を選べません。逆に親が子どもを選ぶこともできないはずです。自然の摂理に反して選別をすることに強い違和感を覚えます』(32歳女性/2歳男児のママ)『よく考えて欲しい。たしかに技術としては素晴らしいけど、これは今障害を持って生きている人たちを否定する行為に他なりません。彼らは失敗作なのですか?そんなわけないでしょう。どんな障害を持っていても、生きていく権利が人間にはあるはずです』(45歳女性/7歳女児のママ)倫理的な側面から反発する人が多い印象を受けました。たしかに着床前スクリーニングを受けるということは、本来生まれてくるはずだった“異常のある受精卵”を選別して排除する ことにつながりかねません。その行為に他意はなくとも、染色体異常を抱えながら生活している人にとっては自分が否定されているような気持ちになる可能性もあります。物を整理整頓するかのような感覚で命を選別していいのか、そういう問いかけも反対派の人たちからは聞かれます。●賛成派の意見『子どもに健康な状態で無事に生まれてきてほしい 。それはどんな母親でも思うことです。着床前スクリーニングを受けて異常のない受精卵を選ぶことに何の問題があるのか分からない』(38歳女性/妊活3年目)『着床前スクリーニングを反対している人は、自分が流産するツラさを知らない人たちだと思います。少しでも流産の確率を下げる方法があるならそれにすがる……一度流産を経験した女性は皆そうすると思います』(34歳女性/2歳男児のママ)『正直私には障害を持つ子どもを育てていく自信がありません。もし障害のある子が生まれたら、子どもにも不幸な思いをさせるかもしれません。だから私はこの検査には賛成です』(27歳女性/独身)賛成派の意見にはさまざまなものがありますが、「子どもを健康に産むためにはやむを得ない」という人が多く見受けられました。とくに流産を一度経験してしまうと、二度と出産できない体になってしまうケースもあります。そのため、次に産まれてくる子どものために着床前スクリーニングを受けたいという人もいました。----------いかがでしたか?いずれ日本でも認可されるかもしれない着床前スクリーニングですが、“命”に絡む問題であるため意見はさまざまなようです。今後どのような動きになっていくのか、注目しておくようにしたいですね。●文/パピマミ編集部
2016年07月25日化学的流産とは、妊娠のきわめて初期に起こる流産で、受精はしたものの何らかの理由で着床しなかったり、または着床が続かなかったりした状態を指します。化学的流産が起きた場合は個人差により痛みも出血もありますが、妊娠していたこと自体に気づかずに過ぎるケースが多いようです。過去には化学的流産に気づく人はほとんどいなかったと言われていますが、近頃では妊娠検査薬の性能が向上し、妊娠のごく初期段階(妊娠3~4週ごろ)でも陽性反応が出るものがあるため、化学的流産が知られるようになりました。初期流産(化学的流産)が起きやすい時期妊娠12週目以前に起こる流産のことを初期流産といいますが、その中で化学的流産は妊娠5週目頃に起きやすいようです。流産自体は妊婦さんのうちおよそ10~20%が経験するとの統計もありますが、この数値には化学的流産は含まれていません。医学的には、胎嚢や胎芽、胎児の心拍が確認されてはじめて妊娠が確定しますが、化学的流産が起きる時期は胎児がそこまで成長しておらず、妊娠確定対象になりません。化学的流産は、医学上では流産として扱われていないために流産としてカウントはなされず、産婦人科の問診票でも“流産の回数”に記載する必要はありません。初期流産(化学的流産)の症状、原因となる理由化学的流産は、いつもよりも重く、痛みが強い生理が遅れてやってきたような感覚が自覚として現れると言われています。流産前は受精卵に反応して体内のホルモンバランスが変化し、子宮内膜も厚みを増しています。化学的流産にともないこの子宮内膜がはがれるため、通常の生理よりも強い痛みを感じる傾向があるためです。個人差はありますが、出血に混じり、親指の先ほどの白い塊が出るケースもあるようです。化学的流産の原因のほとんどは、受精卵の染色体異常によるものです。染色体異常のある受精卵はそもそも着床できないか、着床しても胎嚢が確認できる前に発育が止まってしまいます。それが通常の生理と同じメカニズムで体外に排出されるのが化学的流産であり、掻爬手術などの医療措置は基本的には行いません。初期流産(化学的流産)を防ぐには原因のほとんどが受精卵の染色体異常であることから、これを防ぐ手立てはありません。化学的流産が起きたとしてもその原因がママの生活習慣などにあったというわけではなく、自然に淘汰された結果として考えられています。例えば妊娠が分かる前にスポーツなどで身体を動かしたり、仕事で心身が疲弊していたり、夜更かししたりした後で化学的流産が起きても、それはママのせいではありません。妊娠が分かる前に薬を飲んでしまった場合も同様です。初期流産(化学的流産)が起きてしまったら化学的流産は受精卵の自然淘汰であり、自然の摂理です。どんな人にでもそれなりの確率で起こる可能性があります。あまり大きく気を落とさずに、心の回復を待ちましょう。通常、健康的な30歳の女性であっても、受精する卵子の約25%に染色体異常があると言われています。化学的流産の原因のほとんどが受精卵の染色体異常により起こりますが、一度経験した人が次回以降も科学的流産を起こすつながりを示すものはなく、次回以降の妊娠に影響することはありません。ただし、まれなケースですが何度も繰り返し化学的流産が続くようであれば、不育症など母体側の原因も考えられるため、産婦人科を受診したほうがよいでしょう。化学的流産は、早期妊娠検査薬などで早めの妊娠チェックを行った人こそ気づきます。赤ちゃんを心待ちにした気持ちとは裏腹に、陽性反応が出たにもかかわらず流産したという現実に大きなショックを受けるかもしれません。ですが、化学的流産が起きるということは少なくとも排卵や受精には問題がなく、妊娠は可能であるということでもあります。自信を持ち、妊娠しやすい健やかな身体作りを心がけ、いつでも赤ちゃんを状態で迎えられるように過ごしましょう。
2016年04月04日流産とは、妊娠22週未満に妊娠が終わってしまうことで、自然流産の発生頻度は約15%です。妊娠12週未満を早期流産、12週以降22週未満を後期流産と区別します。後述する「切迫流産」は、流産ではありません。妊娠初期に、少量の性器出血や軽度の下腹部痛があり、子宮口が未開大であるときは、「切迫流産」と診断されます。切迫流産とは、出血や腹痛が原因で診察を受けた場合につく病名。流産発生の危険があり、安静や入院しての治療が必要な場合があります。切迫流産は、不安になってしまう名前ですが、まだ流産してしまったわけではなく、妊娠を継続できるケースも多いので、パニックにならず、お医者さんの指示に従いましょう。一方、多量の性器出血があり、陣痛のような下腹部痛があって、子宮口が開大している時は、流産が進行している状態である進行流産が疑われます。その他、胎児及びその付属物が完全に排出される完全流産、一部が残留する不全流産、胎児が子宮内で死亡し、子宮内に停滞しているが、母体には自覚症状がない稽留流産などがあります。残念な話ですが、流産は妊娠のうち約15%に起きる、そう珍しくない現象なのです。なかでも妊娠初期の流産は、主に受精卵・胎児に問題があって妊娠が継続できないケースが大半。受精卵の染色体異常や、胎児の臓器が育たないといった理由であり、妊婦さんが生活に気をつけたからといって防げるものではありません。また、妊娠検査薬では陽性反応が出たものの、子宮内に受精卵が着床できず、そのまま月経がはじまる(検査薬も陽性ではなくなる)場合を、初期流産(化学流産、ケミカルアボーション)といいます。この現象は、これまではふつうの生理だと思われていた出血が、妊娠検査薬の発達により最近になってわかった現象で、いわゆる流産にはカウントされません。みんなどうだった? 妊娠初期の「流産」の体験談・母子手帳を貰うとき、質問される内容が、流産何回など、プライバシーに関する事もあるので、オープンな窓口に抵抗を感じました。(36歳)・双子の妊娠だったが、妊娠初期には流産の可能性もあるからと医師に言われたため、妊娠が分かってすぐには母子手帳を取りに行けませんでした。(27歳)・心拍が確認されて、妊娠初期の流産の確立が下がってから母子手帳を貰いに行きました。以前に一度流産してしまったので。院側からもだいたいそのくらいに母子手帳を貰ってきてくださいと言われました。(39歳)・母子手帳を貰う時、流産の事を記入しなくてはいけないのが辛かったです。(32歳)・母子手帳を提示して、初めて勤務時間の短縮や軽減を受けられるので、妊娠してすぐに母子手帳を交付してもらいました。前回は妊娠初期に流産になり、まっさらの手帳だけが残って悲しかったです。(34歳)・母子手帳をあまり早く交付してもらうと、万が一、妊娠初期に流産してしまった時に悲しい思いをするから、妊娠判定の婦人科ではゆっくりでいいと言われました。でも転院して妊婦健診を受けるためには母子手帳と一緒にもらえる健診補助券が必要だったので、10週で交付してもらいましたが、結局いつ交付してもらうのがよいのかがよくわかりませんでした。(33歳) 赤すぐ妊娠情報
2016年04月04日流産とは、妊娠22週未満に妊娠が継続できなくなること。流産の発生時期が、12週以降22週未満の場合、「後期流産」として初期流産と区別され、法令上は、この後期流産は死産として扱われます。 自然流産の発生頻度は約15%ですが、そのうち初期流産は約13.3%、後期流産が約1.6%です。つまり、妊娠中期には流産の確率は妊娠初期に比べて下がります。妊娠中期が一般的に「安定期」と呼ばれるのは、このことにもよります。しかし、確率は低くなるものの、残念ながらゼロではありません。妊娠中期に起こる後期流産の原因は、絨毛膜羊膜炎、頸管無力症、子宮筋腫、子宮の奇形などの母体に要因がある場合が多くなります。このような症状を持っている妊婦さんでも、必要に応じた治療をおこなうことで、流産を防ぐことができる場合もあります。また、「切迫流産」と呼ばれる症状は、まだ流産したわけではなく、妊娠が継続できる可能性は高いですので、悲観しすぎず、医師の指示に従いましょう。切迫流産の際には、子宮収縮がある場合はウテメリンなどの張り止めを投与したり、感染症には抗生剤を投与します。子宮頸管の状況によっては手術で子宮頸管を縛る場合もあります。切迫流産の場合はとにかく安静にすることが重要なので、妊婦さんにとってはつらいでしょうが、とにかく無理をせず休むことが重要です。絶対安静の場合は、入院の措置が取られることもあります。みんなどうだった? 妊娠中期の「切迫流産」の体験談・1度目は妊娠中期での流産で、ラミナリアでの処置を受け分娩入院しました。2度目は妊娠初期、7週からの出血で切迫流産で15週まで入院。絨毛膜下血腫が原因でしたが、安静が一番の治療だということで、とにかく寝ていました。胎盤が完成する5か月に入るとウソのように落ち着きました。・安定期に入って安心して出かける機会が多くなりました。ある日出血して切迫流産と診断されました。約半月お風呂も入れず、絶対安静でベットで寝ている毎日だったので、今までいかに動きすぎていたかが、よくわかりました。・切迫流産、早産の可能性があったので、会社に事情を説明し妊娠7ヶ月から産休にしてもらいました。自宅では家事も旦那さんにお願いできるところはお願いして安静にしてました。・下の子の時、妊娠中期の5か月ぐらいの時、スカートやタイツにダーッと流れるほどの大出血をしました。胎盤が下のほう気味だったのと、上の子の世話で無理してしまったせいで、切迫流産のような感じになったようです。母に来てもらい、どうにか乗り切りました。上の子がいると休めませんが、割り切って休息するようにしないと大変なことになります。・営業の仕事を継続しての妊娠での切迫流産はきつかった。上司や産業医に相談し、業務軽減の措置、通勤の時間帯をずらす、時短勤務などを実施した。医師の診断書が必要だが、いつの間に科体がしんどくても仕事をがんばってしまいがちなので、しっかりと今の自分の状態を勤務先には話しておくべきだと思った。 赤すぐ妊娠情報
2016年04月04日自分や友だちの妊娠がわかったとしたら、とてもおめでたいこと。母子ともに元気で出産を終えられるのがいちばんですが、実は流産のリスクは意外に高いものなのです。最近では第一子を30代で出産する人が増えてきましたが、35歳での流産発生率はおよそ16%、6人に1人が流産を経験する計算になります。自分や周りの人にも起こる可能性がある流産の発生率について見ていきましょう。■流産の定義は妊娠22週未満まで流産とは、妊娠22週未満までに、なんらかの理由で妊娠が継続できなくなってしまった状態のことをいいます。ほとんどの流産は妊娠11週までに起こるといわれています。原因の大半は受精卵に問題があることで、これを防ぐ方法はいまのところありません。いろいろ気をつけていても、流産が起こってしまうことはあるのです。■若くても流産発生率は意外に高い流産のリスクは、年齢とともに上がることが知られています。研究によって差がありますが、いくつかの研究をまとめた『Advanced Fertility Center of Chicago』によれば、その確率は30歳以下で8%、30~34歳でも12%。多くの人が子どもを産む30代前後でも、流産の確率は意外に高いのです。■年齢とともに流産のリスクは上昇35~37歳になると、流産の発生率は16%、38~39歳では22%に上昇します。さらに40代では40~41歳が33%、42~43歳は45%と、年齢が少し上がるだけで発生率が格段に高くなっていきます。44~46歳では60%と、実に半分以上の人が流産を経験する計算になります。年齢とともに流産リスクが上がるのは、染色体の異常が増えるためだと考えられていますが、なぜ年齢が上がると染色体以上が増えるのかはわかっていません。■自分や誰かを責めてはいけない子どもを授かったという喜びが大きい分、流産すると悲しみは深くなってしまいます。流産したお母さんは自分を責めたり、周りの人も「なんとか防げなかったのか」と暗にお母さんを責めたりするようないい方をしてしまうことがあります。しかし流産が起こる原因は、受精卵側の問題や、染色体異常など、防ぎようのないものが大半。誰もが当事者になるかもしれないだけに、おぼえておきたいところです。■流産リスク下げるためにできること心がけだけで防げるものではないとはいえ、流産のリスクを低くするためにできることはあります。まず禁煙は大原則。喫煙をしていると流産の発生率は高くなりますし、子どもが無事に生まれた場合にも悪影響があります。そして、アルコールの摂取にも注意が必要。特に妊娠して最初の3ヶ月は、1日1杯程度の量でも流産リスクが高まってしまいます。カフェインのリスクには諸説ありますが、コーヒーなら1日2杯、紅茶なら3杯程度に抑えたほうがよいといわれています。また、肥満の女性は要注意!体重(kg)を身長(m)×身長(m)で割ったBMI値が30以上の人は、標準体型の女性にくらべて、2倍も流産発生率が高いのです。*授かった子どもが無事に産まれてくることは、私たちが思う以上に大変なことなのですね。妊娠が発覚したら、無事に元気な赤ちゃんが生まれてこられるように気をつけましょう。(文/スケルトンワークス)【参考】※Female Age and Miscarriage and Fertility-Advanced Fertility Center of Chicago※Miscarrige-ABC Health&Wellbeing
2015年10月18日女優のグウィネス・パルトロウは、2003年に英人気バンド「コールドプレイ」のクリス・マーティンと結婚。その後、可愛い2児に恵まれた夫妻だが、悲しいことに流産により第3子を失っていたことが英「The Mail on Sunday」紙の取材で明らかになった。グウィネスは、現在40歳。第3子の出産をまだ諦めてはいないという彼女は、以下のように話している。「子供たちは、いつも『赤ちゃんを産んで!』って言ってくるの。まだ先のことは分からないけれど、あとひとりは産めるかもしれないとも思っているわ。3人目の子を失ったんですもの。だから考えてはいるの」。現在グウィネスは、長女・アップルちゃん、長男・モーゼスくんという2児の母親。去年8月のインタビューでは「3人目の子供をほしいとは思っているけれど、おむつとかそういった赤ちゃんまわりの経験をまたしたいかと問われれば、分からないわ」と発言し、第3子の出産を断念したのかと思われていたが、子供たちの希望もあり、「やはりもうひとり産みたい」という気持ちを捨てることができなかったようだ。しかし、彼女は流産について、このように語っている。「第3子を妊娠したとき、本当に酷い経験をしてしまったの。うまく行かなくて、私は死にかけてしまった。だから“今の状態で満足すべき?それとも、もう一度頑張ってみるべき?”と悩んでいるの」。それ以上、流産の詳細については語らなかったグウィネスだが、彼女ををこれまでずっと支え続けてきたのは、夫のクリスのようだ。「クリスは子供たちに素晴らしい父親なの。そんな人の子供を授かれて、本当に心が休まるの。私とクリスは共に献身的な親で、決断はすべて2人で話し合って決めるようにしているのよ。そして支えが必要なときには互いを頼りにしあうの」。グウィネスにとって、3人目の妊娠で危険な状態になってしまったことで、もうひとり授かることに不安はあるに違いない。しかし、良き夫であり良き父親であるクリスに恵まれ、かわいい2人の子供たちの希望をかなえるニュースは、もしかしたら、届くのかもしれない。(C) Getty Images(text:Mieko Nakaarai)
2013年03月20日ヒュー・ジャックマンと妻のデボラ=リー・ファーネスは、一人目の養子を迎えたことでこれまで抱えていた流産の苦しみを克服したようだ。ヒューとデボラは実子が生まれた後に養子を迎える計画を立てていたものの、流産が続いたことで実子を諦め養子を迎えることを決意したという。12歳のオスカー君と7歳のアヴァちゃんという2人の養子を持つヒューは、養子を受け入れたおかげで、流産の苦しみを乗り越えることができたとケイティ・クーリックのトーク番組「Katie」で語った。「悲しみを乗り越えるまで、養子の話題は持ち出さないようにしていたんだ。でも実は、デボラと僕はずっと養子が欲しいって思ってたんだよ。だから養子を引き取ることはずっと僕たちのプランとしてあったんだ。僕たちはどこに解決策があるか分からなかった。いろいろと努力したけど無駄だった。とても辛い時期だったよ。体外受精もして成功したけど、2回とも流産に終わってしまった。この流産のことは決して忘れることはできないんだ…3回に1回は流産の可能性があるらしいけど、話題に上ることは非常に稀なんだ。ほとんどの人は秘密にするものなのさ。だから、いまこうして僕が語っていることをデボラが気にしないといいけど」。さらに、ヒューは「流産について語ることはいいことだと思うんだ。これは普通にありえることでもあり、難しい問題でもあるよ。流産を経験したら、大きな喪失感を乗り越えなければいけないんだ。だからオスカーが産まれたときはいままでの痛みが溶けて消えたんだよ」と続けている。(text:cinemacafe.net)■関連作品:レ・ミゼラブル 2012年12月21日よりTOHOシネマズ日劇ほか全国にて公開(C) 2012 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.
2012年12月25日