フィギュアスケーターでタレントの浅田舞とモデルでグラビアアイドルの馬場ふみかが8日、新宿・歌舞伎町に1年間限定でオープンする「週プレ酒場」オープンイベントに出席した。6月10日にオープンする「週プレ酒場」は、週刊誌『週刊プレイボーイ』(集英社)の創刊50周年の集大成として、週プレ編集部が完全プロデュースする公式酒場。50年の歴史を詰め込んだ店内空間でオリジナルメニューを提供するほか、人気グラビアアイドルがママを務める完全予約制のカウンターバー「週プレ酒BAR」などを展開する。6月5日発売の『週刊プレイボーイ』の表紙&グラビアを飾った浅田は、グアムで撮影した今回のテーマについて「大人セクシー」と説明。「2年半ぶりのグラビア撮影。2年半でいろんなお仕事をさせていただいて、ちょっと年齢的にも大人になったということで、大人セクシーな感じで頑張ってみました」と笑顔で話した。また、「撮影前の2カ月間くらいは、アイスショーの稽古と舞台の稽古で毎日筋トレをしていた状態だったので、筋肉がしっかりついていい具合に締まっていたかな」と自信。馬場が浅田の腹筋を触ると、「すごい! かたい! アスリートって感じですね」と驚き、浅田も"神の造形"ボディと評される馬場のくびれを確かめて、「わーすごい! これどうなってるんだろう? すごいですね。ずっと触っちゃう!」と大興奮だった。イベントには、倉持由香、菜乃花、青山ひかるも週プレ酒場オープンキャンペーンガールとして登場。ビキニ姿でイチオシメニュー「唐揚げ」を報道陣に振る舞った。
2017年06月08日タレントの浅田舞が、舞台『煉獄に笑う』(8月24日~、東京・サンシャイン劇場ほか)で、本格的に女優に初挑戦することが2日、明らかになった。下乳を見せた肉体美あらわな衣装で、妖艶な遊女を演じる。これは、同名のコミックを舞台化するもので、戦国乱世に羽柴秀吉の命を受けた小姓・石田佐吉(後の三成)が、大蛇に関わりがあるとされる曇神社八代目当主・雲芭恋と阿国を巻き込んで、織田家の対抗勢力、伊賀・百地家当主・百地丹波との一戦を向かえるというストーリー。浅田は、遊女かつ情報屋の弓月役を演じ、下乳からヘソまでを見せた肉体美あらわな妖艶なビジュアルも解禁された。浅田は「初のセリフ有りの舞台で、今からドキドキですし、他のキャストの皆さんにご迷惑をかけないよう、頑張ります!」と意気込みをコメント。「原作がコミックで、その中の役を演じるのも初めてのことなので、良く作品を理解し、自分なりの弓月を作り上げられれば」と話している。同舞台は完売が続き、東京で2公演、大阪で1公演の追加公演が決定。東京公演は8月24日から9月3日まで全16回、大阪公演は森ノ宮ピロティホールで9月8日から10日まで全5回にわたって行われる。
2017年06月02日現役を引退した元フィギュアスケート選手の浅田真央さんが24日、名古屋市内で新ウォーターサーバーブランド「Kirala(キララ)」のデビュー記者会見に出席した。Kiralaのブランドパートナーに就任した浅田さんは「お水は本当に大好きで、いつも飲むようにはしているんですけど、大好きなKiraraさんのブランドパートナーになることができてとてもうれしいですし、またこうして名古屋という地で再スタートすることができ、とてもうれしく思っています」と笑顔。質疑応答の時間では、愛知県民栄誉賞の第1号となることが発表されたことについて質問が及び、「愛知県で生まれて第1号の名誉ある賞をいただくことができて、すごくうれしいですし、光栄です」と喜びを語った。「これからどのように第2の人生を進んでいきたいと思っていますか?」という質問には、「もう発表した時点で次に進んでると思います。なので今日ももう既に進んでいるので、これからも進み続けたいなと思います」とコメント。これからの気持ちについては、「ワクワクの方が強いと思います。今回の発表会ではドキドキしております」と話した。最後に、姉でタレントの浅田舞が記者席にサプライズ登場。和やかな雰囲気の中、舞から「引退発表されてからの2週間をどう過ごしていましたか?」と質問されると、浅田さんは「たくさんのお友達からお祝いしてもらって、みんなでご飯を食べたり楽しい時間を過ごしました」と答えた。
2017年04月25日(写真:アフロ) 4月13日、浅田真央が会見を開き、現役引退を発表した。 06年のトリノ五輪は年齢制限の壁が立ちふさがり、当時15歳の浅田は出場できなかった。満を持して金メダルを狙った10年のバンクーバー五輪では、キム・ヨナに惜敗し銀メダルに。そして14年のソチ五輪では、SPでまさかの16位。フリーで完璧な演技を披露したものの、メダルには届かなかった。 そんな浅田を支えてきたのは亡き母・匡子さん(享年48)だった。浅田の叔父はこう語る。 「匡子は12歳で父を亡くし、20歳で母を亡くしています。それからは姉と2人で生活し、ずいぶん苦労もしたそうです。だからこそ、自分の娘たちには好きなことをやらせてあげたいと思っていました」 母を勇気づけるため、浅田もまた“ある決断”をしていたという。 「実はバンクーバー五輪の直後、真央さんは実家の隣地を買い取っていたんです」 そう明かすのは、近所の主婦だ。10年4月、浅田が代表を務める有限会社名義で隣地を購入している。約400平米の土地に建つ木造2階建ての中古物件。そこには、母の夢が込められていた。 「浅田家の隣が売りに出され、それを知った匡子さんが気に入ったそうです。匡子さんは『リフォームして真央のメダルやトロフィーを飾りたい』と嬉しそうに話していました。真央ちゃんはお母さんの生きがいになればと思い、購入したのでしょう。匡子さんは桜の木を剪定させるなど、庭の手入れに励んでいました。夏の暑い日でも汗だくになりながら、雑草取りをしていてね。大変そうでしたが、嬉しそうだったのを覚えています」(前出・主婦) その後も“真央ルーム”完成に向けて頑張っていた匡子さんだが、病状は悪化。そしてついに11年12月9日、匡子さんは48歳の若さで天国へと旅立ってしまった。 母の命が長くないことを覚悟した浅田は、母を看取る前から独り立ちへと向けて動き出していた。マンションで一人暮らしを始め、多忙なスケジュールを縫って自動車の運転免許も取得している。 「それまで送り迎えはお母さんの役割でした。でも真央ちゃんは自ら車を運転して移動するように。『私はもう大丈夫だから!』とお母さんに伝えたかったのでしょう。実は今も真央ちゃんの車とお父さんの車のナンバープレートには、同じ数字が並んでいるんです。お父さんに聞いたところ、『女房の誕生日なんです』と教えてくれました。お母さんへの思いは、今でも家族の心に残っているみたいですね」(別の近所の主婦)
2017年04月18日引退会見から一夜明けた4月13日、浅田真央(26)の姿は名古屋市内にあった。“真央ちゃんショック”が冷めやらぬなか、彼女はひそかに実家へと戻っていたのだ。マスク姿で実家から出てくると、駐車していた車へと乗り込もうとする。そこで記者は声をかけた。 ――浅田さん、今日はお父さんへの引退報告に来られたのでしょうか? 「いや、ワンちゃんもいますから(笑)」 明るい声でそう答える。 ――お母さんの墓前には、どんなご報告を? 「特に何も。でも、報告しなくても(母は)わかってくれているので……」 しみじみと、しかし確信をもったようすで頷いた。 ――本当にたくさんの感動をありがとうございました。 「はい、ありがとうございました!」 車に乗ると笑顔で記者に一礼し、自ら運転して実家を後にした。その表情には、ひとつの区切りをつけた晴れやかさがあった――。 アスリートの枠を超え、国民的ヒロインとして日本中を湧かせてきた浅田。その道のりは苦難の連続でもあった。競技生活21年。ついに届かなかった五輪の金メダル。高い壁にぶち当たるたび、いつも浅田を支えてきたのは亡き母・匡子さん(享年48)だ。 「匡子さんは練習場で『死ぬ気でやりなさい!』と激を飛ばすこともありました。でもそれは娘の夢をかなえという母心。真央さんもそれをわかっていました」(フィギュア関係者) そんな匡子さんだが、バンクーバー五輪で涙を流す娘には「銀メダルってすごいことだよ」と言葉をかけたという。厳しかった母が心からの笑顔で労ってくれる。その優しさに触れた浅田は涙を拭い、再び前を向くことができた。しかし母の身体には病魔が潜んでいた。 「バンクーバー五輪後、匡子さんは肝臓の病気が悪化したため治療に専念することを決めました。真央さんと姉の舞さん(28)は『自分の肝臓を母に移植してほしい』と直訴したといいます。しかし匡子さんは頑として受け入れなかった。そして真央さんに『あなたにはフィギュアを一生懸命頑張ってほしい』と伝えたそうです」(前出・フィギュア関係者) そして11年12月9日、匡子さんは48歳の若さで天国へと旅立ってしまった。 冒頭の話を聞いた翌日、浅田は再び実家から出てきた。祖母を乗せ車に乗り込んだ彼女は、真っ赤なバラの花束を抱えている。向かったのは、匡子さんが眠る墓地だった。 花束を母の墓前にそっと供え、引退報告をした浅田。一般的な和花ではなくあえてバラを選んだのは、匡子さんが好きだったからだろう。墓前の周りを囲むように供えられた赤い花束。それは母とのこれまでを讃えるメダルのように、鮮やかに輝いていた――。
2017年04月18日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○引退決断までの日々、日本のフィギュアスケート界への思い――最終的に2月に引退を決断して、4月に発表。この2カ月くらいはどういう思いだったのでしょうか。いろいろと自分の気持ちの準備だったりもあり、今日に至りました。――引退を決意するまでに「平昌五輪という目標を掲げたのにここでやめていいのか悩んだ」とおっしゃっていましたが、全日本選手権が終わってからの3カ月間、どなたが一番決断を後押ししてくれたのか。家族だったり、お友達だったり、知っている方に相談はしました。みなさんそれぞれいろいろなアドバイスはくれたんですけど、最終的に決めたのは自分自身。その中でも旅行に行ったり、いろいろ今まで行けなかったところに行ったりして、考えながら日々を過ごしてきて、決断をしました。――21年間という競技人生の中で、一番大切にしてきた言葉はありますか?この決断をしてから、本当にたくさんの方が温かい言葉を送ってくださったので、私自身本当に晴れやかな気持ちで今この場にいます。なので、やはり「感謝」という気持ちはこれからも忘れずに進んでいきたいなと思います。――こうやってスケートが日本でブームになって、世界でも強い国になったことに、自分はどう貢献できた、力になったと思っていますか?私が小さい頃は伊藤みどり選手をはじめ、本当にたくさんのトップのすばらしいスケーターがいました。そのスケーターの方々を見て、私もこうなりたいと思って、ずっとそれを目指してやってきました。ジュニアやシニアに上がってからは、スケーターがみんなそれぞれ強くて、魅力のある選手ばかりで、それぞれがいい刺激をし合いながら、切磋琢磨して頑張ってきました。そして、それを応援してくださるメディアの方やファンの方がいたから、ここまでフィギュアスケートもたくさん注目されるスポーツになったんじゃないかなと思っています。なので、これからのスケーターの子たちには、みんなでそれぞれ高めあって、刺激し合いながら、頑張っていってほしいなと思っています。○世界を感動させたソチ五輪のフリー「やるしかない」――ソチ五輪のショートプログラムから数時間の間に、どのようなきっかけで立ち直って、あの世界中が感動したフリーの演技につなげることができたのか、きっかけを改めて聞かせてください。ショートが終わってからは「あぁ、日本に帰れない」と思って、すごくつらい思いもしたんですけど、フリーの当日の朝もまだ気持ちが切り替わっていなくて、「このままで大丈夫なのかな」という形で公式練習を終えました。でも、試合が近づくにつれて、メークをして、アップをして、リンクのドアを出た瞬間にすごい会場で、「これはやるしかないな」という思いが出てきて、ようやくそのときに「やるしかない」と思いました。――競技が終わった瞬間はどうでしたか?最後のポーズは上を向いていたんですけど、「あぁ、終わった」って思いましたね。それと同時に「あぁ、良かった」という思いがこみ上げてきて、ちょっと涙してしまったんですけど、バンクーバーのときも悔し涙を流していたので、泣いてちゃダメだなと思って、頑張って笑顔にしました(笑)○新たな世界へ進む今の心境、競技人生で大事にしてきた信念――これから違う世界に進むことで、今考えていることは?また新たな一歩だと思ってます。でも、不安とか何もなくて、ただただ前にある道を進んでいくだけだと思っているので、これからも新たな経験をして、元気に前を見て進んでいきたいなと思っています。――(ロシアの)プルシェンコ選手も先日引退を発表しましたが、長く同じ競技の世界で戦ってきた仲間として思うことはありますか。私よりも長い選手生活で、本当にたくさんの記録を残してきて、本当にたくさんの人を魅了してきた選手だと思います。心から「お疲れさまでした」と言いたいです。――浅田さんの前を向く姿というのは本当に印象的だったのですが、大事にしてきた信念はどういうことですか?ちっちゃい頃から変わらないんですけど、一日一日もそうですけど、何かこれをしたいという目標を持ってやってきました。なので、目標を達成するという強い気持ちを持ってずっとやってきたつもりです。――選手生活を終えて、一番やりたいことは?1月、2月、3月と時間があったので、旅行に行ったり、おいしいものを食べたりすることができました。○キム・ヨナ選手への思い、引退決めた全日本選手権での心境――(韓国の)キム・ヨナ選手と競い合ってきました。彼女への思いは、あらためていかがでしょうか。私たちは15、16歳頃から一緒にジュニアの試合やシニアの試合に出てきました。本当にお互いにいい刺激を与えながら、もらいながら、ずっとスケート界を盛り上げてきたんじゃないかなとは思っています。――最後の全日本選手権はどんな気持ちで臨み、何が「もういいかな」と思ったのでしょうか。試合に向かう気持ちというのは、一つ一つの試合変わらないんですけど、常にノーミスをする、完璧な演技をする、自信を持って滑るというのを考えていました。演技が終わった時に、やはり完璧ではなかったですし、自分の現役生活最高の演技ではなかったので、少し悔しい気持ちもあったんじゃないかなと思います。その後、キスアンドクライに座って、得点と順位が出た時に「あっ、もういいのかもしれない」という風に思いました。――「もういいのかもしれない」というのはどういうことですか?全日本選手権は12歳から出場しているんですけど、一番残念な結果で終わってしまって、その結果も一つ大きな決断に至るにあたって大きな出来事だったんじゃないかなとは思っています。○平昌五輪について、オリンピックという舞台について――もしも一度だけ過去に戻れるとしたら、いつの自分にどんな言葉をかけてあげたいですか?26年間ですもんね。あぁ難しい(笑)。でも戻ることはないと思うので、パッと答えは出てこないですね。――今、平昌五輪についてどういう風に思われますか?あと1年で平昌五輪ということで、たぶん選手の方々はみんなそれぞれいろんな思いを持って日々生活していると思います。なので私は、エールを送りたいです。――真央さんにとってオリンピックの舞台は、どういう場所だったでしょうか。うーん、やはり4年に一度ですし、選手である以上はそれを目指して私も小さい頃からやってきたので、そこに出られた、そしてメダルを取れたということは本当に良かったなと思いますし、オリンピックは本当に素晴らしい舞台だなと思います。○もし生まれ変わるとしたら「スケートの道は行かないと思う」――もし生まれ変わるとしたら、もう一度フィギュアスケーターになりたいですか? それとも別のものになりたいですか?今こうして26歳までスケートをやって、すべてやり切って、もう何も悔いがないので、もしもう一度人生があるなら、スケートの道は行かないと思います(笑)――例えば何になりたいですか?本当にいろいろありますね。なんだろう。食べることが大好きなのでケーキ屋さんとか、カフェとか、レストランだったり、そういうのをやっていたのかなとも思ったりもします。○浅田真央のポリシー「自分が言ったことはやり遂げる」――「自分が言ったことは必ずやり遂げる」というポリシーは、どなたから授かった教えなのでしょうか。やはり母かなと思います。あとは、こういう性格なので、すごく頑固っていうんですかね。普段はそんなことないんですけど、自分が決めたことに関しては一応、頑固なつもりです(笑)――そのポリシーを貫いた最初の体験はいつだったか覚えてらっしゃいますか?しっかり覚えているのは、小さい頃に毎年、野辺山合宿という新人発掘合宿が長野県であるんですけど、そこで絶対トリプルアクセルを跳ぶと決めて合宿に行って、初めて降りた(成功した)というのが一番記憶にあります。――そこが現在の浅田真央という素晴らしいアスリートの原点と考えてよろしいでしょうか。自分で言うのもあれですけど(笑)、その時に目標を達成するとこんなにうれしいんだなって、また頑張りたいなと思えた時でした。○結婚の予定は「ない」、プロスケーターとしての思い――ご結婚のご予定はありますか?ないです(笑)。でも、お相手がいれば、その方と一緒に帰れたんですけどね(笑)――例えば(福原)愛ちゃんみたいに台湾の方と結婚なさるのは可能でしょうか? あと、ずっと寒いリンクにいらっしゃったので、暖かい所、例えば台湾でのんびりしたりとかすることはあるのでしょうか。(台湾から来た記者からの質問)私、愛ちゃんとお友達なので、もし台湾の方でいい方がいれば、ご紹介してもらいたいなと思います(笑)。本当に一つ行ってみたいところが台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます。――今後、プロスケーターとして活躍されているご予定かと思いますが、どういうスケートを見せていきたいと思いますか?一番近くにあるのは「ザ・アイス」なので、まだプログラムも作ってないんですけど、エキシビションナンバーを作ります。そのエキシビションナンバーで、今までのスケート人生のすべてを注ぎ込めるように、そういうプログラムを作っていきたいと思います。○涙をこらえながらの最後のあいさつ皆さん今日は本当にどうもありがとうございました。発表してからは本当にこの2日間、温かい言葉をいただいて、私も本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました。えー、(涙がこみ上げる)えー、スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて笑顔で…(涙を見せまいと後ろを向き、振り返る)前に進んでいきたいと思っています。(再び後ろを向き、振り返る)皆さん応援どうもありがとうございました。
2017年04月13日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○今後はまず、今年7月の「ザ・アイス」のアイスショーでいい演技を――今後どんな仕事をしていくのか注目されると思うんですが、自分の中でどんなプランがありますか?まず、もうすぐ夏にあるのが「ザ・アイス」のアイスショーなので、そこで選手生活を終えて初めて皆さんの前で滑れるので、いい演技を目指して頑張りたいなと思っています。――フィギュアスケートにどういう形で携わっていきますか?やはり私は5歳からスケートを始めて、今までスケートにお世話になりました。なので、これからどんな形であってもフィギュアスケートに恩返しができるような活動はしていきたいなと思っています。――具体的なプランはこれからという感じですか?そうですね、はい。――日本フィギュア界についてうかがいます。浅田さんに憧れてスケートを始めた選手たちが今、トップスケーターになってきました。そういう環境も含め、日本フィギュアスケート界の今後についてエールをお願いします。引退された大先輩の方をはじめ、私も引退をすることになったんですけど、今まで本当にスケート界を引っ張ってこられたかなという風に思っています。これからは、今若い選手がどんどん出てきていますので、若い選手が若いパワーでフィギュアスケート界を引っ張っていってほしいなと思います。○フィギュアスケートは「私の人生」――浅田真央さんにとってフィギュアスケートは、あらためて振り返ってどんな存在ですか?存在…うーん。どんな存在ですかね。難しいですけど(笑)、一言で言うと、やはり人生かなと思います。――今、自分を褒めたい部分はどういうところですか?私、けっこう飽きてしまうことが多いんです。ハマってしまったらそれにハマってしまうんですけど、それがすぐに飽きちゃう性格で、でもスケートは5歳から26歳まで続けてこられたので、『長い間すごいね、続けてきたね』って言いたいです。――そういった意味では、どういうスケート人生でしたか?やはり私のすべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です。――ファンの皆さんにも一言お願いします。本当にたくさんのファンの方が私のことを応援してくださって、本当に長い間、良い時も悪い時もあきらめずに応援してくれていたので、私もすごくそれが励みになりましたし、すごくパワーになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。○引退を迎えた今は「晴れやかな気持ち」、白スーツに込めた思い――アスリートなら誰もが迎える引退の日。自分がイメージしていた形と、実際この日を迎えられて、いかがでしょうか。本当に発表するまで、あまり自分の中ですごい実感というのはなかったんですけれど、またこうしてあらためてここに座って、今までのことを振り返りながら話していると、少しずつ、引退するんだなという気持ちがわいてきますね。――気持ち的には、寂しいのか、少しほっとしているのか、すがすがしいのか、いかがでしょう。本当に気持ちはすごく晴れやかな気持ちです。――これからスケート靴をあまり履かない生活、リンクから離れて少し暖かい生活が待っています。そうですね。私は1月から4月まではスケート靴を持たず、滑らずにずっといました。でも7月にショーがあるので、もう滑り始めます。――現役生活でやり残したこと、悔やむことはありますか?決断するにあたって、本当にたくさん悩みました。そういったやり残したことは何だろうと思うことがなかったので、それだけ本当にすべてやり尽くしたんじゃないかなと思います。――今日は白いブラウスに白いジャケットというお召し物ですが、その真っ白なお洋服に込められた思いはあるんですか?黒のスーツか白、どちらにしようかいろいろ悩んだんですけど、自分の気持ちとしては本当に晴れやかな気持ちなので、この服を今、着ています。○こだわり続けた"ノーミス"、代名詞の"トリプルアクセル"への思い――これまでの真央さんの競技人生の中で、何度も出てきた言葉というのが「ノーミス」だったと思うんですが、そこまで完璧、パーフェクトにこだわり続けたのはどういう思いがあったんですか?やっぱり失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて練習してきているからこそ、誰もがミスしたくないと思う。でも、自分は試合にそんなに強いタイプではなかったので、あえて自分で言っていたんじゃないかなと思っています。――真央さんと言えばトリプルアクセルだと思うんですが、真央さんにとってトリプルアクセルはどんなものですか?私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので、本当に跳べた時はすごくうれしかったですし、自分の強さでもあったと思うんですけど、その半面やっぱり悩まされることも多かったです。――真央さんは5歳の時にスケートを始められましたが、今タイムスリップして5歳の時の自分に会うことができたら、どんな言葉をかけますか?うーん、難しいな(笑)。そうですね。「がんばって」って。やっぱり私はこれだけフィギュアスケートをやっていて、たくさんの方に応援してもらえて本当に幸せだなと思いました。なので、大変なこともあったんですけど、自分に対してエールを送ると思います。――以前、浅田選手が子供さんたちと接している様子がすごく印象に残っているんですが、浅田選手の経験から、日本、世界の子供たちに何かアドバイスというか、声をかけられることがあるとしたら、どんなことでしょうか。私は小さい頃から本当にスケートが大好きで、ただただスケートが大好きでやってきました。なので、今から始める子だったり、今頑張っている子には、「スケートを大好きな気持ちを忘れないでね」って言いたいかなと思います。私も子供が大好きなので、以前にもスケート教室とかやっていたんですけど、また機会があればぜひやりたいなと思っています。――あえてトリプルアクセルに声をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいですか。難しい(笑)。トリプルアクセルに声をかけたい、声をかける…どうしよう。うーん、「何でもっと簡単に跳ばせてくれないの?」って感じです(笑)○フィギュア人生の支えとなった「目標」と「応援」――ここまで(フィギュアスケートを)続けてこられた支えとなったものは?一つは自分の目標ですね。それだけではないですけど、たくさんの方に支えられて、そして、たくさんの方の応援があったからだと思っています。――今年の世界選手権の平昌五輪の出場枠が3から2になることが決まりましたが、それをどう受け止めていたのか、それが引退の決断に影響したのか。さっき自分で言っていた、「平昌五輪に出るという目標をやめてしまう自分を、許せるのかな、許せないのかな?」と思いながらずっと過ごしてきて、でも最終的に、最後に話し合いをして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したというわけではなくて、自分自身が最後は決めることですし、そんな感じで決めました。2枠になってしまったことに関しては残念なことではあると思うんですけど、その2枠をたくさんの選手の子たちが争うわけなので、本当にハイレベルな試合になるんじゃないかなと思っています。
2017年04月12日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○冒頭のあいさつで引退をあらためて報告本日はお忙しい中、このような場に集まりいただき、ありがとうございます。またあらためてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました。長い選手生活だったんですけど、たくさん山がありました。そのたくさんの山を乗り越えられたのも支えてくださった方やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています。今日は感謝の気持ちをみなさんにお伝えできればと思いこのような場を設けさせていただきました。○「あぁ、選手生活終わるんだな」という気持ちに――まずはお疲れ様でした。ありがとうございます。――2日前にブログで引退を表明されて、あらためて今どんな心境ですか?まず、この場に入ってきたときに、これだけにたくさんの方がいらしてくださっていたので、私自身ちょっとびっくりしたんですけど、今はちょっと落ち着いています。――いろんな人から引退を発表してからに言葉を掛けられたと思うが、印象に残った言葉は?そうですね。本当にたくさんの方が連絡をくださったんですけど、皆さん本当に「お疲れさま」っていう言葉をかけてくださったので、私自身も「あぁ、選手生活終わるんだな」という気持ちになりました。――親しい人への報告はどのような形でされましたか?少し前ですけど、家族だったり、友達に報告しました。――印象に残る言葉はありましたか?みんな「お疲れさま。よく頑張ったね」って言ってくれました。○昨年12月の全日本選手権で引退決意、平昌五輪という目標との葛藤も――引退はどのくらいの時期から考えたのでしょうか。私は復帰してからいい形でスタートできたんですけど、そこから練習するにつれて、試合に出るにつれて、今のスケート界の時代はすごいので、私自身も「ついていけるのかな」という思いが強くなったり、あとは気持ちだったり体の部分で、復帰前よりつらいことが多くなりました。何とか1シーズンは乗り切れたんですけど、2シーズン目からは「なんとかなんとか頑張ろう」という思いだけでやってきました。でも、(昨年12月の)最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなという風に思いました。――全日本選手権から今まで3カ月くらいありましたが、その間はどんな思いでしたか?やはり、自分が復帰してからずっと掲げてきた平昌五輪に出るという目標があったので、私自身、自分が言ってしまったこと、目標をやり遂げなきゃいけないと思っていたので、自分の言ってしまったこととの葛藤はありました。――具体的には、いつ頃決心したのでしょうか。全日本選手権が終わって、すべて結果が出た時に「あぁ、もう終わったんだな」という風には思いました。でも、日がたつにつれて、やっぱり自分が言ってしまったことは今まで最後までやり通してきたので、「やらなきゃいけないんじゃないかな」という思いの方が強くて、ここまで延びてしまいました。○晴れやかな表情で「全部出し切ったので何も悔いはない」――平昌五輪への思いもあったと思いますが、それを上回るくらいの達成感があったということでしょうか。そうですね。私はソチ五輪が終わってから、最高の形で終えることができたんですけど、自分の体もまだまだできますし、自分の気持ちもまだまだやれるという思いがあったので復帰しました。でも、自分が実際挑戦してみて、もう気持ちも体も、自分の気力も、全部出し切ったので、今は挑戦して何も悔いはないです。――最後の大会となった全日本選手権でトリプルアクセルに挑みました。その挑んだ気持ちも含めて振り返っていかがですか。最後になるのかなという気持ちは、ソチ五輪の後の世界選手権の時ほどではなかったんですけど、最後トリプルアクセルを挑戦して終えられたことは自分らしかったかなとは思います。○現役生活を振り返って――現役生活を振り返って、初めてスケート靴を履いた日のことを覚えていますか?私は5歳だったので覚えてないんですけど(笑)、でもヘルメットをかぶってスキーウエアを着て、肘当て、膝当てをしていたのは写真に残っているので覚えています。――スケートをやってきて一番楽しかったことは?小さいころに、フィギュアスケートはいくつも技があると思うんですけど、その技ができるようになった時は本当に楽しい気持ちで、じゃあ次に2回転を跳びたい、次3回転を跳びたいという思いがすごい楽しかったですね。――逆につらかったことは?つらかったことはそんなになくて、この道を選んできたのも自分ですし、自分がやりたいと思って望んでやってきた道なので、つらいと思ったことはありません。○2度のオリンピックは「いい思い出」、3度の世界選手権優勝も振り返る――2回のオリンピックを振り返って、まずは銀メダルを手にしたバンクーバー五輪(2010年)の思い出を振り返っていかがですか?バンクーバーは19歳だったんですけど、10代で若くて、本当に気が強くて、その強い気持ちだけで乗り越えてきたなという感じがします。――そして、4年後のソチ五輪では素晴らしいフリーの演技で感動を与えてくれました。ソチ五輪は、やはりショートが残念な結果だったので、本当に気持ち的にはつらい試合ではあったんですけど、フリーでああいう形で最高の演技で終えることができて、あの気持ちの状態から、バンクーバーからソチ、4年間の思いをすべてその4分間に注ぎ込めたと思っています。――2度のオリンピックの経験はどんな経験になりましたか?私の今後の人生においても、すごくいい経験だったり、いい思い出だったのかなと思います。――3回の世界選手権優勝は日本人最多です。印象に残っていることはありますか?2回世界選手権で金メダルを取ったときは、すべてオリンピックの後の世界選手権だったので、オリンピックの悔しさを世界選手権で晴らせた大会だったかと思うんですけど、最後の世界選手権は自分の気持ちの中では「最後」と思って臨んだ試合だったので、今までのスケート人生をすべてそのプログラムにぶつけた試合だったので、最後の世界選手権は一番思い出の強い試合でした。○最も印象に残っている演技は「ソチ五輪のフリー」――現役生活を振り返って、もっとも印象に残っている演技を選ぶとすると?難しいですね。やっぱり一つというのは難しくて、うーん。でもやっぱり、ソチのフリーかなと思います。――あの時間にこめた思いは大きかったですか?そうですね。気持ちがすごい、今までの試合以上に落ち込んでいたり、つらかったりした部分もあったんですけど、それでもあれだけの挽回の演技ができたことに関して、それがソチ五輪だったということが、一番よかったのかなと思います。――長く指導を受けた2人のコーチについてうかがいたいと思います。まずは山田(満知子)コーチにご報告されたと思いますが、どんな思いがありますか?満知子先生は小さい頃に指導を受けていたんですけど、本当にスケートの楽しさだったり、挑戦する楽しさを教えてくれました。でもその一方で、スケートだけではなく、いろんなことを教えてくれた先生です。――そして、佐藤(信夫)コーチへの思いはいかがでしょうか。佐藤コーチは大人になってから指導を受けたんですけど、やはり自分の意志もすごく強いので、先生といろいろ話し合いをしたりする機会も多かったんですけど、自分の意見もしっかり聞いてくださって、それを静かに見守ってくれていた先生でした。――特に休養から戻ってきたからの2シーズン間は、佐藤コーチとのやりとりもいろいろあったと思います。振り返ってみて、復帰してからこの2年間の意味をどう捉えていますか?ソチ五輪のシーズンで世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、本当に今もまだできたんじゃないかなと思っていたと思います。でも、自分が望んで復帰して、チャレンジして出した結果なので、本当に今は何もやり残したことはないので、そういった意味でもう一度チャレンジすることができて良かったなと思っています。
2017年04月12日フィギュアスケート女子の浅田真央(26)が12日、都内ホテルで会見を開き、あらためて現役引退を報告。質疑応答では、これまで多くのファンを魅了してきた代名詞であるトリプルアクセルについて語る場面があった。10日に自身のブログで引退を発表した浅田は、会見で「私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました」とあらためて報告。「最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなと思いました」「自分の体も気力も出し切ったので、悔いはありません。やり尽くしたなと」と晴れやかな表情で語り、最後にはこみ上げてくる涙をこらえながら、「これから新たな目標を見つけて、笑顔で…前に進んでいきたい」と語った。そして、質疑応答の中で「真央さんと言えばトリプルアクセル。真央さんにとってトリプルアクセルはどんなものですか?」と聞かれると、「私は、伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので、本当に跳べた時はすごくうれしかったですし、自分の強さでもあったと思うんですけど、その半面、やっぱり悩まされることも多かったです」と答えた。また、「あえてトリプルアクセルに声をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?」と尋ねられると、「難しい」と笑い、「トリプルアクセルに声をかけたい。声をかける…どうしよう」と悩んだ浅田。「うーん」と絞り出すように、「『何でもっと簡単に跳ばせてくれないの?』って感じです」と笑いながら答えた。
2017年04月12日フィギュアスケート女子の浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開き、約430人の報道陣が集結。最後のあいさつで涙をこらえながら決意を語る浅田に、温かい拍手が沸き起こった。10日に自身のブログで引退を発表した浅田の生の声を聞こうと、ムービー約50台、スチール約100人、計430人の報道陣が集結。その多さに、浅田も「これだけにたくさんの方がいらしてくださっていたので、私自身ちょっとびっくりした」と驚き、「今はちょっと落ち着いています」と話した。会見では、「あらためてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました」と報告。「最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなと思いました」「自分の体も気力も出し切ったので、悔いはありません。やり尽くしたなと」と晴れやかな表情で語った。終始笑顔の会見だったが、立ち上がって最後のあいさつをした際、「みなさん今日は本当にありがとうございました。発表してからは本当にこの2日間、温かいお言葉をいただいて、私も本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました」と感謝の思いを伝えた後、「スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で」と話したところでストップ。こみ上げてくる涙を報道陣に見せまいと後ろを向き、それから振り返って「前に進んでいきたいと思っています」と続けた。そして再び、後ろを向いて涙をこらえてから、「皆さん、応援どうもありがとうございました」と締めくくった浅田。2度背中を向けて照れ笑いを浮かべる浅田に、会場からは温かい笑いが起こり、最後には、これまでの活躍への称賛と今後の人生を応援する気持ちのこもった拍手が送られた。
2017年04月12日現役引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央が12日、都内ホテルで会見を開き、あらためて引退を報告した。2010年のバンクーバー五輪で銀メダルに輝き、世界選手権を3度制した浅田。10日に自身のブログで引退を発表したが、会見で「あらためてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました」と報告した。そして、「長い選手生活だったんですが、たくさん山がありました。そのたくさんの山を乗り越えられたのも支えてくださった方やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています」と感謝。「今日は感謝の気持ちをみなさんにお伝えできればと思いこのような場を設けさせていただきました」と説明した。引退を決意した経緯を聞かれると、「復帰してからいい形でスタートできたんですけど、そこから練習するにつれて、試合に出るにつれて、今のスケート界はすごいので、私自身もついていけるのかなという思いが強くなったり、気持ちや体の部分で復帰前よりつらいことが多くなりました」と復帰後の心境を説明。「なんとか1シーズンは乗り切れたんですけど、2シーズン目からはなんとか頑張ろうという思いだけでやっていきました。でも、最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなと思いました」と明かした。その全日本選手権から発表までに日にちがあったことについては、「平昌オリンピックに出るという目標があったので、自分で言ってしまったこと、目標をやり遂げないとと思っていたので、自分の言ってしまったこととの葛藤はすごいありました」と告白。それでも、「自分の体も気力も出し切ったので、悔いはありません。やり尽くしたなと」と晴れやかな表情を見せた。また、フィギュアスケートはどんな存在ですかという質問に、少し考えてから「ひとことでいうと、人生かなと思います」と表現。「すぐに飽きちゃう性格で、でもスケートは5歳から26歳まで続けられたので、『長い間すごいね。続けてきたね』と言いたいです」と続け、「私のすべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です」と語った。
2017年04月12日元フィギュアスケート選手でタレントの浅田舞が11日、横浜市内で行われた出演舞台『サムライ・ロック・オーケストラ"AMAZING 八犬伝元"』の公開稽古後に取材に応じ、前日に現役引退を発表した妹・浅田真央について語った。舞は「本当にお疲れ様でしたという言葉、そして、ありがとうという気持ちを伝えたい」と思いを告白。「昨年、サムライ・ロック・オーケストラに初出演した時に見に来てくれたので、今回も来てくれると思います」と話した。公開稽古では、総合演出の池谷直樹が指導をする中、オープニング"誕生祭"のシーンとフープを使ったアクロバット"夜の森"のシーンの稽古の模様を公開。昨年の『マッスルミュージカル~ふしぎの国のアリス~』に続く出演となる舞は、初の悪役に挑戦。インラインスケートでの演技を披露した。また、今回が初のサムライ・ロック・オーケストラの出演となる、元宝塚歌劇団(2016 年2月退団、男役・煌月爽矢)の中原由貴も華麗なダンスを披露した。同舞台は、ディファ有明にて、4月28日・29日に上演する。(C)サムライ・ロック・オーケストラ
2017年04月11日フィギュアスケート女子の浅田真央(26)が10日、自身のブログで現役引退を表明。方々から浅田の引退を惜しむ声があがっている。 ’15年10月のジャパンオープンで、’14年のソチ五輪から1年半ぶりに復帰。復帰当時は「現役復帰したのは、平昌五輪に出場するため。自分でやると決めたんだから絶対最後までやり切る!」と語っていた浅田だが、昨年末の全日本選手権は12位と惨敗。以降、ひざの治療に専念するため再び休養に入っていた。 そんな浅田の波乱万丈な“フィギュア人生”を引退する今日まで支え続けたのが、親友である高橋大輔(31)だった。 「浅田さんの復帰を後押ししたのも高橋さんだったと聞いています。『復帰戦でみっともない演技は見せられない』とプレッシャーを感じていた彼女に、高橋さんが激励メールを送ったんです。高橋さんは『一度現場を離れてしまうと、気持ちを戻すのは本当に難しいもの。でも、真央ならすぐにトップレベルに返り咲くはず』と口にしていました」(スポーツ紙記者) 復帰後、浅田が体調不良で思うように滑れない時も――。 「『きつかったらやめてもいいよ』と言う人もいましたが、高橋さんは『真央は一度決めたら絶対に曲げないから』と彼女を信じて応援し続けました。 昨年末の全日本選手権でも、中継番組のナビゲーターとして会場入りしていた高橋さんは彼女を兄のように見守っていましたよ。早朝練習の時から額に脂汗を浮かべて滑り続ける浅田さんの痛々しい姿に、高橋さんは解説者としての仕事を忘れて本音で声をかけていたといいます。彼女が本番に挑む際には『無理しちゃだめだよ!』と涙ぐみながら訴えていました」(フィギュア関係者) 高橋の“涙のエール”に、浅田はいままでどれほど支えられたことだろう。 今回の引退表明を受け、高橋は事務所を通してこんなコメントを寄せている。 《浅田真央選手の引退表明は彼女がいろいろと考えた末の結果だと思います。競技会からは離れることになりましたが、僕は『浅田真央』のスケートが大好きですし、また一緒に氷上でスケートをできることを楽しみにしています。ここからが新しいスタート。今まで以上に大変なこともあるかもしれませんが、今後の活躍を陰ながら見守っていきたいと思います。今はまだ先の事は考えられないと思いますが、まずはゆっくり休んでもらいたいなと思います。長い間、現役生活、本当にお疲れさまでした。そして、沢山の感動をありがとう》
2017年04月11日お笑い芸人の鉄拳がこのほど、引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央選手から着想を得て描いたパラパラ漫画『SLIDE』(2015)の映像をYouTubeにて公開した。この作品は、ソチ冬季五輪での浅田真央選手の演技から着想を得て、女性フィギュアスケート選手の物語をジェットコースターで表現したもの。約3カ月の製作期間をかけて計2,900枚を使用し完成した。国際短編映画祭『ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2015』で話題賞にも輝いた同作が、浅田選手の引退発表を受けて公開となった。鉄拳は「ソチオリンピックの真央ちゃんの滑り、演技に魅せられて、2015年にフィギュアスケートを題材に自主製作しました。少女のフィギュアスケートとの出会い、目覚め、苦悩、そして覚醒を描きました」と作品について説明。さらに、「今まで感動をありがとうございます! これからは自由に生きて、人生を楽しんで幸せになってください」と浅田選手へメッセージを送った。
2017年04月11日フィギュアブームを巻き起こし、数々の感動を与えてくれたフィギュアスケート選手の浅田真央(26)が、昨夜、突然の引退を発表。浅田さんの選手引退を受けて、各局で特別番組の放送が決定した。5歳でフィギュアスケートに出会い、「天才少女」と呼ばれた浅田さん。その華麗なスケーティングとトレードマークのトリプルアクセルで、彼女は日本のみならず世界を魅了してきた。そんな彼女が昨夜22時51分、「ご報告いたし ます」のタイトルで始まる自身のブログの中で、「突然ですが、私、浅田真央は、フィギ ュアスケート選手として終える決断を致しました」と引退を発表したのだ。そして今回、この引退発表を受けて緊急特番が決定。テレビ朝日では、4月11日(火)今夜、「ありがとう!真央ちゃん」と題し、浅田さんのスケーター人生を“独占映像”でふり返る特番が放送。テレビ朝日のカメラが初めて訪ねた14歳の浅田さんから、そこから撮り溜めた貴重な映像の数々を、スケーターとしての成長物語と共にふり返る。銀メダルで涙を流したバンクーバーオリンピック、劇的な演技で感動を呼んだソチオリンピックなど、数多くのドラマを描いた銀盤の歴史…まさに“完全保存版”の笑顔と涙と戦いの4,000日の密着記録を放送。MCは富川悠太と竹内由恵が務め、ゲストには松岡修造、八木沼純子、織田信成、鈴木明子、小塚崇彦が出演する。さらにその翌日の12日(水)には、フジテレビにて「引退 特別番組浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと~」が放送。引退発表直前、長く浅田さんの取材を続けてきた渡辺克樹ディレクターに語った“独占インタビュー”と“密着取材”、さらには秘蔵映像と決断の裏側とこれまでの軌跡を描いていく。浅田さんは、「小さな頃から地元の名古屋で取材していただき、ずっとお世話になってきた渡辺さんには、今回の件についてきちんとお話ししたいと考えました。この取材を通じて私の気持ちが応援してくださった皆様に伝わればうれしいです」とコメントを寄せている。ゲストには姉・浅田舞が登場し、姉妹揃って久しぶりのツーショットインタビューや、最愛の母が撮影した、姉妹にもまだ見せていなかった幼少期からの成長を記録したビデオ映像が放送。引退を決めた瞬間や、あの戦いの裏側にあった新事実も明かされるという。緊急スペシャル生放送「ありがとう!真央ちゃん」は4月11日(火)19時~テレビ朝日にて放送。「引退 特別番組浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと~」は4月12日(水)19時~フジテレビにて放送。※同日同時間放送の「おじゃMAP!! SP」は19日(水)19時~に放送変更(cinemacafe.net)
2017年04月11日10日、フィギアスケート浅田真央選手(26)が現役引退を発表した。これをうけて浅田選手と同い年でジュニア時代からライバルとして共に活躍してきたキム・ヨナ選手の出身国韓国でも多くの関心が寄せられている。 韓国の最大ポータルサイトNAVERの最新検索ワードで、最高2位を記録。3時間たった現在も5位をキープしている。 また、韓国のネットユーザーは「真央がいたから、今のキム・ヨナがいるのではないか?お疲れ様。」「本当にこれまでご苦労様でした」「良いライバルだったよ」「真央も引退するんだ。ライバルだったけれど、なんか好きだったよ。ちょっとジーンとしちゃうね。」「ライバルとしてお互いに成長しあったと思う...拍手を送ります」「選手間の競争とライバルは必ず必要だ!浅田真央選手ではなく、他の選手だったらキム・ヨナ選手のライバルになれただろうか疑問だったほどの影響力があったと思う。」など、キム・ヨナも認めた最高のライバルとして、浅田選手へのねぎらいのコメントが多く見られた。 浅田真央選手は12日、引退会見を行う予定だという。
2017年04月11日フィギュアスケーターの安藤美姫が10日、自身のツイッターとインスタグラムを更新し、現役引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央にメッセージを送った。安藤は「本当に長い間お疲れ様でした」とねぎらい、「きっといっぱい悩んで出した答え。沢山のファンの方々や支えて下さっていた人の思いも考えただろうなと思います」と推測。「でも まおの出した答えは皆んなが受け止めてずっとずっと支えていくと思います」とつづった。そして、「まおと同じ時代にスケートができて 選手として同じリンクで日本代表として滑っていられた事を誇りに思います」と伝え、「これで終わりじゃなく第二のスケート人生の始まり!!! これからも世界中に愛と優しさを届けてね」とエール。「本当にお疲れ様 そしてありがとう また一緒に滑ろうね大好きだよ~」と締めくくった。
2017年04月11日フィギュアスケート女子の浅田真央が10日にブログで現役引退を発表したことを受け、姉の浅田舞が同日深夜、ツイッターでコメントを発表した。舞は「本当に彼女が引退する日がくるもんなんだと、今がその時なんだと、未だ私自身が信じる事が出来ていません」と心境を告白。「フィギュアを初めてから21年間、長年トップ選手として活躍し続けていた中には喜びも葛藤もあったのでしょうが、それらを含め、生活の全てをスケート中心で考えてきた事に、ただ脱帽です」と妹を称えた。続けて、「彼女の競技生活からは学ばせてもらう事ばかりでした」とコメント。「決断したばかりで次の目標を決める事は難しいと思いますが、今は自由な時間を楽しんでほしいと思います」と願い、「姉としても、ファンの1人としても、彼女の選手としての生活に心からお疲れ様。そして本当に多くの感動をありがとう」とつづった。
2017年04月11日女子フィギュアスケートのバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央が10日、自身のブログを更新し、現役引退を表明した。浅田は「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました」と発表。「今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います」と感謝の思いを伝えた。そして、「ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません」と振り返り、「実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました」とコメント。続けて、「復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました」と打ち明け、「去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました」と説明した。その上で、「このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」と言い切った真央。「これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています」と前を向き、「皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」と感謝の言葉で締めくくった。
2017年04月11日ダニエル・キイスの同名小説が原作のミュージカル『アルジャーノンに花束を』が3月2日に開幕。それに先がけ公開ゲネプロと囲み取材が行われ、主演の矢田悠祐、水夏希が登壇した。ミュージカル『アルジャーノンに花束を』チケット情報原作は1959年に発表された名作小説。世界3か国で映画化され、日本でも2度テレビドラマ化されている。ミュージカル版は、2006年に浦井健治主演で日本初演され、2014年にも同じく浦井主演で再演。今作でキャストが一新され、矢田が自身初となる主演に抜擢された。脚本・作詞・演出は、矢田が出演したミュージカル『王家の紋章』(2016年)の荻田浩一が初演から手掛けている。物語は、32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリィ・ゴードン(矢田)に、ある話が舞い込むことから始まる。それは、大学の先生が「頭を良くしてくれる」というものだった。この申し出に飛びついた彼は、白ネズミのアルジャーノン(長澤風海)を競争相手に連日検査を受ける事に。やがて手術によりチャーリィは天才に変貌したが――。ゲネプロ前に行われた囲み取材で、初主演の心境を聞かれた矢田は「正直どうなるかわからなくて。終わったときにどういう気持ちになるんだろうなっていうのが今の心境です」と緊張の滲む発言。本作の魅力について「SFなんですけどリアリティがあって、どの瞬間もどの関係も誰もが体験したことがあるようなエピソードが詰まっています。身につまされたり、嬉しかったり、悲しかったり、励まされたり…その瞬間瞬間が一人ひとりのお客さまの心を揺さぶる」と水。自身の役柄について矢田は「シーンによって全然違う人になった気分。すごいスピードでどんどん階段を上っていくので、その成長の段階や心の動きに自分が追いつかないときがあって。そこに食らいついていくのが今も大変です」。前作との違いを問われ「演じる人間が違うし、荻田さんは演じる人の個性に合わせて演出をしてくださるので、自然と違う形になってるかなと思います」(矢田)と話した。幕が開き、幼児並みの知能のチャーリィとして登場した矢田は、ピュアな魅力を纏い美しい歌声で物語の世界に誘い込む。全てひらがなで話していたような言葉は、知能が高まるにつれ少しずつ漢字が混じって聞こえ、あっという間に容易に理解できない言葉になる。しかし、言葉の成長スピードに追い付けない情緒面の成長。そんな特殊な状況にあるチャーリィの戸惑いや苦しさを、矢田の芝居と歌が一つひとつ真っ直ぐに届けた。アルジャーノンが踊る美しい世界に登場人物の生々しい感情が浮かび上がる本作は、3月12日(日)まで東京・天王洲 銀河劇場、3月16日(木)に兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールにて上演。取材・文:中川實穗
2017年03月07日ハワイを舞台に繰り広げる「テラスハウス」新シリーズ、「テラスハウス ALOHA STATE」に出演していた現役高校生ギタリスト/ウクレレ奏者・EDEN KAI(鮎澤悠介)が、この度劇中で披露した話題の“卒業ソング”を緊急発売することが明らかになった。EDEN KAIこと鮎澤さんは、若干18歳の現役高校生ながら“ハワイのグラミー賞”と呼ばれる「ナホク・ハノハノ・アワード2016」にノミネートされる実績を持つハワイ在住のシンガー・ソングライター/ギタリスト/ウクレレ奏者。現在「Netflix」とフジテレビ系列にて放送中の番組「テラスハウス ALOHA STATE」では、素朴なルックス、ピュアな性格でマスコット的なキャラクターとは裏腹に、ひとたびギターやウクレレを持つと非常にテクニカルで独創性のある高度な演奏を披露、そのギャップからいま人気急上昇中のアーティストだ。今回リリースが決定したのは、日本デビュー・デジタル・シングル「モノガタリ(Monogatari)」。これは、「テラスハウス」で仲間たちと共同生活する中で得た経験から感じた感情を唄にしたもの。「Netflix」で放送された第10話放送分にて、彼が「テラスハウス」を卒業する考えを仲間たちに独白するシーンでパフォーマンスし、仲間たちと出会えた感謝や淡い恋心を歌詞に込めた卒業ソングとなっている。すでに放送を見た視聴者は、「ウクレレが癒されるしカッコ良すぎる!」「名曲!心に響いて涙が出る」など早くも話題に。なお、日本デビュー・アルバムは5月に発売が予定されているという。EDEN KAI/日本デビュー・デジタル・シングル 「モノガタリ(Monogatari)」はiTunes、レコチョクほかにて配信中。(cinemacafe.net)
2017年02月15日スポーツキャスターでタレントの浅田舞が、28日(9:50~11:25)に放送される関西テレビのバラエティ番組『天国!? 地獄!? 雨上がり食楽部 京都グルメクイズツアー』(関西ローカル)に出演。彼氏と別れたことを告白し、理想の男性像を語る。この番組は、雨上がり決死隊が司会を務めるグルメバラエティ(レギュラーは毎週土曜18:30~)。今回は、「今年いろいろあった人」の代表として、元妻の浮気・出産で世間を騒がせたアンタッチャブルの柴田英嗣、格闘家に転身した把瑠都、そして浅田がゲストに登場する。浅田は「彼氏と別れました…」ということで、「いろいろあった人」の1人に。さらに、理想の男性を赤裸々に告白する。今回の放送では、絶品グルメが集まる古都・京都を舞台に、雨上がりチームとゲストチームで、「神戸牛パイ包み」「ビーフシチューとオリジナル豆腐」などの豪華料理をかけたクイズ対決を実施。ほかにも、柴田が浮気騒動の裏側を激白し、「なかなか勇気のいること!」という2017年の抱負を発表する。
2016年12月27日ガーナミルクチョコレートの新CM「真っ赤って、ときめき。浅田真央スケート」篇、「真っ赤って、ときめき。羽生結弦スケート」篇が、10月22日(土)から全国にてオンエアされる。今回の新CMは、シーズン開幕を控えるフィギュアスケーター・浅田真央選手と羽生結弦選手をそれぞれ起用した2本立て。「コブクロ」の書き下ろしCMソング「tOKi meki」 に合わせて、浅田選手は華麗で美しい演技を披露、羽生選手はスピード感にあふれた滑りと大照れの笑顔を見せてくれた。まずは、浅田選手篇。真っ赤な衣装に身を包み、スケートリンクで気持ち良さそうに滑っている。コブクロのCMソング「tOKi meki」に合わせ、カメラ目線で「OK」とサインを送り、 なめらかな演技からジャンプやスピンなどを披露し、華やかな演技を見せている。「おはようございまーす!」と、撮影場所であるスケートリンク場に元気良く登場した浅田選手。氷上にいる監督の元へ向かうと、「真央ちゃん、僕が歌うので、それに合わせてスケーティングしてください。ラーララー♪」と監督自ら美声を披露。監督ともすぐに打ち解け、終始リラックスした様子で撮影に臨んでいた。撮影中は、浅田選手は監督から事前に言われていた「楽しく!」をイメージし、その場で即興スケーティング。監督の前でフィニッシュポーズを決めた浅田選手が「こんな感じですか?」と笑顔で聞くと、スタッフ全員から大きな拍手が。「そう! そのイメージ! すごいキレイ!」と、CMのイメージにぴったりのなめらかなスケーティングに監督も太鼓判。その後も、監督やカメラマンからのリクエストに次々と応じて演技を披露する姿は、さすがのひと言。さらに今回、CMソングに出てくる「君がいるならOK」という歌詞にちなみ、浅田選手がカメラに近づいて「OK」とポーズをするシーンを撮影。監督から「このシーンは、今日一番楽しい表情で!」というリクエストもあったことから、浅田選手はさまざまなパターンを試してみることに。「オッケー!」(浅田選手)「もっと元気よく!!」(監督)「オッケ!」(浅田選手)「もっと楽しそうに!」(監督) と何度も繰り返しながら、やがて、カメラへ一直線に向かい、首を少し傾けながら「オッケー!!」とニコッと笑顔になる演技に、今度は監督から満面の笑みでOKサインが! 「ほんと可愛い!」と監督も納得の可愛すぎる「OK♪」ポーズが完成した。撮影を終えた浅田選手は、「自然に、気持ちよく滑れた」とふり返り、その出来は 「100点満点です!(笑)普通の陸(での演技)よりは、やっぱり気持ちよく演技できたと思いますし、完成が楽しみだなと思います」と充実した様子。また、浅田選手自身がいま一番ときめいているものは、なんと「料理」だそうで、「この前はカレーを作ったんです。その美味しさにときめきました!」と語ってくれた。一方の羽生選手も、真っ赤な衣装に身を包み、スケートリンクで軽快に滑り始める。羽生選手自ら、監督に「こういう動きができます!」など積極的に提案することで、コブクロのCMソング「tOKi meki」と複雑に移動していくハイスピードカメラの両方に見事合わせた滑らかなスケーティングを披露した。今回のCMでは、羽生選手のスピード感にあふれたスケーティングを、ハイスピードカメラで俯瞰から追いかけるように撮影。演技の動線などをより細かくスタッフと確認していく必要があったが、「僕の動きに合わせるよりも、僕がカメラの動きに合わせる方がやりやすいです!」と羽生選手自ら提案。その提案が功を奏し、複雑に移動していくカメラの動きに対して羽生選手は滑らかなスケーティングで応じていった。特に圧巻だったのは、最後に撮影した1分間のフリー演技。約3分行われるショートプログラムよりは短く、「テーマは“なめらかさと楽しさ”でお願いします!」という監督からのリクエストも応えなくてはいけない難しい演技。しかし、羽生選手は、カメラに映る範囲ギリギリまで氷上を幅広く使い、さまざまな技をほぼノンストップで披露してくれた。その華麗なスケーティングに会場中のスタッフが魅せられるなか、「あと10秒!…5秒!…はい、OK !素晴らしい!!」と監督が声を掛けると、会場中からこれまでにない大きな拍手が巻き起こった。試合会場以外ではなかなか見られない、羽生選手の渾身のフリー演技となったが、難しかったのは、CMソング「tOKi meki」に合わせた「オッケー」のセリフと動作。「心の中の、羽生選手の元気を思いっきり表現して下さい!」という監督からのリクエストに、「オッケーです!」とノリノリの羽生選手。しかし…。「オッケー!」(羽生選手)「もっと楽しそうに!!」(監督)「オッケーィ!」(羽生選手)「もっとウキウキするような感じ! 何回か繰り返して!」(監督)「オッケー! オッケー! オッケーでーす! …恥ずかしい!(笑)」 と、しまいには、途中で思わず顔を隠すほど大照れ。その様子にスケート場全体はほっこりとした笑いに包まれたが、それでも快く、羽生選手はさまざまな「OK♪」ポーズを演じてくれた。羽生選手は、今回の撮影は「確かに難しかったですね(笑)」とふり返りながら、「でもプログラム次第で、楽しい表情や悲しい表情、力強い表情などを出さない といけないので、そういう意味では(今回のリクエストは)フィギュアスケートらしいかなと思いました」と前向きにコメント。ちなみに、羽生選手にとって“氷上”で一番楽しい瞬間は?「楽しい瞬間は…やはりスケートを始めるきっかけになったジャンプ。普通の現実では味わえない、普通に陸上で生活していては考えられないようなジャンプや、そのスピード感。そしてそれを達成できたときの喜びが、一番元気が出る瞬間」と生き生きとした表情で語る。最近の“ときめき”はというと、「以前ある大会で、昔から憧れていたプルシェンコさんと一緒に試合会場で練習することができたんです。それが、僕のフィギュアスケート人生の中で一番ときめいた瞬間でした!」と明かした。ロッテ「ガーナミルクチョコレート」新CM「真っ赤って、ときめき。浅田真央スケート」篇、「真っ赤って、ときめき。羽生結弦スケート」篇は10月22日(土)よりオンエア。(text:cinemacafe.net)
2016年10月20日'13年からミュージカル『美少女戦士セーラームーン』でタキシード仮面を演じている大和悠河さん。「宝塚を退団してから男役も卒業したつもりでいました。でも、お話をいただいて、武内直子先生の漫画を見たとき、自分が宝塚で培ってきたものを使えて、女の私だからこそ作り上げられるものがあるんじゃないかと思ったんです」それまでは、若い男性俳優が演じてきた役。しかし、宝塚でトップスターとして男役を極めた大和さんの、こなれたタキシードの着こなしや美しいマント捌きは、まさにそのまま少女漫画の世界が舞台に現れたようだった。「宝塚では、メイクや衣装、髪型や立ち方ひとつにしても、自分のいいところと欠点の全部を把握して、どうしたら美しく見えるかを、誰もが自分で考えて、自分でプロデュースしていかなくちゃいけない。だから男役時代には、自分の体型に合ったカッコいいスーツのラインを必死に研究していました。タキシード仮面を演じるならば、武内先生の描く、あのカッコいいシルエットに近づけたいじゃないですか。そのためには、それこそ1ミリ2ミリの調整が重要で、そこにはこだわらせていただいています。幕が開いてから、お客様がどんどん作品にのめり込んできてくださるのがわかって、それがとても気持ちよかったですね」高い美意識を持ちながら、素顔は気さく。タキシード仮面も、カッコいいのに妙にチャーミングなのだ。「昔から、よく下級生から『悠河さんって、カッコかわいいです』って言われていたんです。自分ではわからないんですけど、それが味であるならば、大切にしていけたらなと思います」◇やまと・ゆうが1995年に宝塚歌劇団入団。早くから注目され、'07年に宙組トップスターに就任。'09年の退団後は舞台を中心に活躍。7月にはブロードウェイミュージカル『CHICAGO』に主演のロキシー役で出演、NYでの公演も決まっている。◇ミュージカル『美少女戦士セーラームーン‐Amour Eternal‐』高校生になった月野うさぎ。ある日、皆既日食が起き、デッド・ムーン・サーカス団を名乗る船が現れる。そんななか、地球を守護する聖地エリュシオンの祭司から、地球存亡の危機を知らされ、立ち上がる。10月15日(土)~23日(日)渋谷・AiiA 2.5 Theater Tokyo福岡、大阪公演あり原作/武内直子脚本・演出/平光琢也音楽/佐橋俊彦出演/野本ほたる、大和悠河ほかネルケプランニングTEL:03・3715・5624(祝日を除く月~金曜11:00~18:00)(C)武内直子・PNP/ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」製作委員会2016※『anan』2016年7月20日号より。写真・小笠原真紀取材、文・望月リサ
2016年07月17日タレントの浅田舞、歌手のMay J.が12日、都内で行われた「ディズニー・オン・アイス『アナと雪の女王』」の開催記者発表会に出席した。世界70カ国以上で公演を続けるライブ・エンタテインメントとして、世代を超えて愛され続けている氷の上のミュージカル「ディズニー・オン・アイス」。31年目を迎える今年は、世界中で大旋風を巻き起こした名作『アナと雪の女王』がフルストーリーで初めて登場する。そんなアイスショーの発表会に、PR大使の浅田舞が登壇。浅田は「『ディズニー・オン・アイス』はフィギュアスケートを始める前から家族でよく見ていました。大人になってから『ディズニー・オン・アイス』にPR大使として関わることができて本当にうれしいです」と笑顔を見せ、すでにアメリカで見たという同ショーを「映画以上でしたよ。映画では見られなかった雰囲気だったり迫力が感じられて、早くみなさんに見て欲しいです」と大絶賛。また、発表会途中からスペシャルサポーターのMay J.が登壇して「Let It Go~ありのままで~」を熱唱。それを生でみた浅田は「力強くて美しい歌声で鳥肌が立っちゃいました!」と褒めちぎっていた。映画『アナと雪の女王』は、本物の愛を求めるストーリーだが、浅田が思い描く本物の愛は「色んなことがあったけど2人の心が通いあってより深いモノになっていくのが本物の愛だと思います」と説明。その浅田は昨年末にヒップホップユニット、シクラメンのDEppaとの破局報道があったが、現在の恋愛事情については「どうなんですかね。恋愛はないよりあった方が女性としてはうれしいですが、焦らず楽しみながら頑張りたい」と放していた。
2016年05月12日スポーツキャスターでタレントの浅田舞(27)が、23日放送の日本テレビ系バラエティ番組『嵐にしやがれ』(毎週土曜22:00~、23日は22:15~)に妹・真央と共にゲスト出演。占い師・ゲッターズ飯田に結婚期を占ってもらった。舞の結婚期について、ゲッターズ飯田が「年内」と断言すると、舞は「やったー!」と喜び、真央とハイタッチ。ゲッターズ飯田は「去年と今年が結婚期。単純にモテ期に入ってます。2014年の年末から2016年前半に出会った人と結ばれる」と伝えた。舞が「今年1月に出会った人がいたので、その人ってことですかね?」と聞くと、「その人の可能性あります」と返答。「今は本当にモテ期。自分が落としたいなと思った人を落とせる時」と太鼓判を押した。嵐の二宮和也が「それって人それぞれあるんですか?」と質問すると、ゲッターズ飯田は「人それぞれあります」と答え、「櫻井(翔)さんは来年から超モテ期」と予言。櫻井は突然の発表に慌てつつ、立ち上がって得意げな表情を見せながら「今年はまるでモテません!」と笑いを誘った。さらに「これから出会います」と言われると動揺し、「後日、時間いただいてもいいですか?」とお願いしていた。
2016年04月23日女子フィギュアスケーターの浅田真央(25)と姉でスポーツキャスターの浅田舞(27)が、16日放送のTBS系スポーツバラエティ番組『炎の体育会TVSP』(18:55~20:54)に出演し、姉妹の絆が伝わるエピソードを披露した。番組では、真央に関するさまざまな映像を紹介し、5歳で試合に初出場した時の映像も放送。舞が「たくさん大きいお姉さんがいて、自分の順番わからなくなって泣いちゃったんだよね」と話し、真央が「舞が助けてくれて。こっちだよって」と続けると、今田耕司が「リアル『アナと雪の女王』」と表現した。ショートプログラムで16位と出遅れるも、フリーで会心の演技を披露し、6位入賞と脅威の巻き返しを見せたソチ五輪のエピソードも告白。ショートとフリーの間に日本で応援していた舞が電話をしたそうで、舞は「『楽しんでやりな』って言ったら『楽しんでなんてできるわけないじゃん!』って言われた。全部自分が思っていることを言ってくれたから、ちょっとよかったのかな」と振り返った。真央も「舞が電話してきてくれたことがうれしかった。安心した」と話し、最後は「でも頑張るから」と切ったと説明。今田が「切り替えられたのかもしれないですね」と言うと、大きくうなずいた。先日ボストンで行われた世界選手権では、舞も現地で応援。「真央に『一緒に戦ってほしい』って言われて」と舞が明かすと、「アナとエルサやね」「すごい姉妹愛だね」と感動の声が上がり、今田耕司は「(『アナと雪の女王』)パート2、実写で主演すればいいのに」と提案し笑いを誘った。
2016年04月16日女子フィギュアスケーターの浅田真央選手が、16日放送のTBS系スポーツバラエティ番組『炎の体育会TVSP』(18:55~20:54)で、DaiGoとの心理バトルに挑む。浅田は、メンタリストDaiGoがアスリートと1対1で心理戦を繰り広げる企画「ファイブカード」に登場。姉の舞も応援に駆けつけ、「真央はウソがつけないのでそういう意味ではDaiGoは楽かもしれない。でも、まだ知られていない面がたくさんあるので今日はDaiGoさんに暴いてもらいたい!」と話す。番組では、栄光の歴史を振り返る年表と知られざる裏側を暴く"裏年表"を用意。同局の『学校へ行こう!MAX』出演時の映像なども使って浅田真央を分析する。さらに、高橋大輔、村上佳菜子、鈴木明子という苦楽を共にしたスケーターたちが素の浅田真央について語る。さらに浅田は、キム・ヨナとの関係からソチ五輪でショートプログラム16位に沈んだ夜の心境、休養中の揺れ動いた思いまで告白するスポーファンがスポーツの魅力を熱く語る「体育"愛"TV」には、俳優の香川照之が登場。自他共に認めるボクシング通の香川が、その魅力を語る。
2016年04月16日アイススケートの浅田舞・真央姉妹が、23日に放送される日本テレビ系バラエティ番組『嵐にしやがれ』(毎週土曜22:00~22:54)にゲスト出演することが16日、明らかになった。2人だけでバラエティに出演するのは、これが初めてとなる。真央はバラエティ番組にあまり出演しないため、「すごい緊張してますが、今日は舞がいるからすごい心強いです!」と安心している様子。企画では、真央が「舞が以前お仕事で占ってもらった時に『すっごい当たった』と話していて…」という理由で、ゲッターズ飯田に2人の運勢を見てもらう。この収録日は、真央が平昌五輪への挑戦を明言した当日で、今後の人生を占った結果が非常に良い結果だったことから、スタジオも明るい雰囲気に。また、2人とも結婚について占ってもらい、思いがけない結果に、嵐も大いに盛り上がる。ほかにも、「2016!日本初上陸グルメ」企画で、真央は人生で初めて早押しクイズに挑戦し、出題前に早押しの練習をする場面も。さらに、真央が自分の知らないトレーニング法を学びたいというリクエストから、「身体能力No.1は誰だ!? 春の最新スポーツバトル!!」という企画も行われる。嵐の櫻井翔は「バラエティでほとんど見たことのない姉妹ツーショット。氷上ではなかなか見られない素顔をたくさん見ることができました」と満足の様子。「占いにグルメにスポーツと盛りだくさんの内容ですので、どうぞお楽しみに!!」と見どころを語っている。
2016年04月16日今夏大阪・名古屋・北九州での開催が決定しているLOTTE presents THE ICE。座長を努める浅田真央に引き続き、追加出演者が発表された。「THE ICE」チケット情報今年2月に四大陸選手権で自己ベストを更新し初優勝を遂げた宮原知子、昨シーズン、シニア移行後すぐにGPファイナルに出場、さらには銅メダルまで獲得するなど次世代のエースとの呼び声高い宇野昌磨の出演が決定。ふたりは来週から開幕する世界フィギュアスケート選手権の代表。浅田真央を含め代表メンバー3人が出演することになる。さらに村上佳菜子、無良崇人、長洲未来など演技に定評のある実力派が出演者に名を連ねた。「THE ICE(ザ・アイス) 」は7月30(土)・31日(日)に大阪市中央体育館、8月5日(金) から8月7日(日)まで愛知県体育館、8月10日(水)・11日(木・祝)に西日本総合展示場新館 特設アイスアリーナ(北九州市)で開催。チケットぴあではインターネット先行予約を実施中、北九州公演は3月31日(木)午前11時まで、大阪公演は4月14日(木)午後11時59分まで受付。出演:浅田真央 / 宮原知子 / 村上佳菜子 / 浅田舞 / 宇野昌磨 / 無良崇人 / 長洲未来 / ジェフリー・バトル / チン・パン&ジャン・トン / ケイトリン・ウィーヴァー&アンドリュー・ポジェ / 他
2016年03月29日