フィギュアスケーターの浅田真央と姉の浅田舞、巨人やヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏らが17日、千葉・舞浜アンフィシアターで行われた健康増進型保険 “住友生命「Vitality」”メディア発表会に出席。初対面の真央と松井氏は、“耳たぶが大きい”という共通点で盛り上がった。新商品“住友生命「Vitality」”は、「毎年変動する保険料」と「パートナー企業による特典(リワード)」という2つの特徴を備えた健康増進型保険。真央と舞は、同商品のアンバサダーを務める。松井氏は、全国でスポーツイベントを展開する住友生命の健康増進プロジェクト「スミセイバイタリティアクション~大切な人とカラダを動かそう~」の講師を務め、真央と舞も同プロジェクトに参加している。3人はステージ上で、スポーツの大切さやプロジェクトの魅力についてトーク。その途中、隣同士になった真央と松井氏が楽しそうに会話している場面も。その後の囲み取材で、報道陣から会話の内容を聞かれると、松井氏は「『松井さん耳たぶ大きいって言われませんか? 私もよく言われるんです。共通点があってよかったです』って言われたんです」と笑顔で明かした。「今までテレビで見てもまったく気付かなかったですけど、改めて見ると本当だって」と言われるまで気付かなかったという松井氏。真央が「『松井さんみたいに耳がでかいね』ってよく言われることがあったので、ぜひ今日松井さんにお伝えしたいなと思って」とうれしそうに話すと、「ありがとうございます。光栄です」と笑い、姉の舞も「私も気になっていたので今聞けてよかったです」と笑顔を見せた。発表会には、俳優の瑛太、元新体操日本代表でスポーツキャスターの畠山愛理、サッカーの元日本代表MF福西崇史氏も出席した。
2018年07月17日5月22日発売5月22日発売に発売される人気美容誌「美的」7月号(株式会社小学館)で浅田真央が表紙を飾る。ロングインタビュー掲載浅田真央が美容誌の表紙を飾るのは初めてで、可愛らしい笑顔が印象的な表紙だ。今回の撮影は、音楽に合わせて次々とポージングし、終始楽しそうな雰囲気で撮影が進んだという。また、8ページにも及ぶ浅田真央のロングインタビューには、スケーターとしての思いや「スキンケア」「メイク」「料理」「バスタイム」「ストレス解消法」などが掲載されており、浅田真央の「最強笑顔」の秘密が明かされている。価格は690円(税込)。書店に立ち寄ったら、可愛らしい笑顔が印象的な浅田真央が表紙を飾る「美的」7月号を是非、手にとってご覧あれ。【美的】「肌・心・体」のキレイを追求するNo.1美容誌日々、キレイを更新するための「肌・心・体」のトータルな美容情報を発信。毎月の新作コスメを始め、インナーケアやダイエットなど、どこよりも深く掘り下げてお届けします。読むだけで美のモチベーションがグンと上がる一冊です。(小学館公式HPより)(画像は小学館公式HPより)【参考】※小学館公式HP「美的」7月号※美的.com
2018年05月25日浅田舞(29)が5月4日、「情報ライブ ミヤネ屋」(読売テレビ)にVTR出演。4月に一部週刊誌で報じられたONE OK ROCKのボーカル・Taka(30)との熱愛について言及した。2人は、個室スパデートとTakaの自宅でのお泊りを報じられている。 同番組では、浅田の妹である真央(27)が現役引退してかた1年経ったことについて特集。5月から開催するアイスショー「浅田真央サンクスツアー」の練習に、宮根誠司アナウンサー(55)が密着取材した様子を放送。姉妹に野外でバーベキューを振る舞っていた宮根アナはリラックスムードのなか、こう切り出した。 「あれもあったやんか、恋の噂も」 突然の質問に浅田は照れ笑いしながら「私、それこそ練習終えて、部屋に帰ってきて夕方にミヤネ屋観ようと思ってテレビ見たら……」と当時を回想。そして、こう語った。 「なんか、ありがとう」 続けて宮根アナが「うちのスタッフもしつこいからさ、向こうのお母さんのところまで行ってたけどね」と同番組でTakaの母親である森昌子(59)に直撃取材したことについて触れると、「びっくりしちゃいました」と返答した浅田。交際について肯定も否定もしなかったが、宮根アナから「でも僕は想像やから知らんけどええと思うよ。いうても世界のワンオクやからね!」と応援されると笑顔を見せた。 ネットでは浅田の「ありがとう」という発言から「2人の交際は“ホンモノ”」とし、祝福の声が上がっている。 《ミヤネ屋で浅田舞ちゃんTAKAとのこと否定してなかったからやっぱ付き合ってんかな~どの道幸せになって欲しいな》《全然応援しますよ私 本当に付き合ってるなら、お幸せにしてほしい!!》《やっぱTakaと浅田舞さん付き合ってるのね。いい恋愛してると気持ちも満たされるし良いことやなあ》 いっぽうで《なんか認めたくないな~》《濁らせてる感じがなんとも……》《思わせぶりじゃない?》と、Takaファンからは否定的な意見も上がっている。
2018年05月04日4月18日、浅田真央(27)の展覧会『美しき氷上の妖精浅田真央展』が『ジェイアール名古屋タカシマヤ』でスタートした。本人がサプライズ登場すると、ファンからは歓声が!浅田は、自身がプロデュースするおむすび「まおむすび」を直接手渡していたという。 そんな浅田は最近、たびたび“自然派志向”を打ち出している。3月7日放送の『クローズアップ現代+』(NHK)では、こんな驚きの人生プランを語っていた。 「自給自足の生活をするっていうのが、私の最終的な夢なんです。いろんなものがやりきったなと思ったら、私は山に行って。それこそ海の近くだったら、自分で魚を捕ったり。山に出て狩りをして、イノシシとかをさばいたり。そういったことをしてみたい」 これには、ネット上でも《疲れちゃったのかな?》《さすがに想定外》などと驚きの声が……。だが浅田は、そうした自給自足への準備をすでに始めているという。 「真央ちゃんは山梨県小淵沢町に農地を持っているそうですが、実はここで収穫するための“高原野菜”の勉強を始めているんです。すでにかなり知識はあるようですし、近いうちに栽培にも取りかかるのではないでしょうか」(前出・フィギュア関係者) また浅田はエコライフへのあこがれから、さらなる計画も進めていた。 「最近、真央ちゃんは『別荘がほしい……』と漏らしているんです。名古屋から比較的近いエリアで検討していると聞きました。農作業はもちろんのこと、乗馬もできて友人たちとキャンプもできる。そんな場所を探しているそうです」(別のフィギュア関係者)
2018年04月27日バンクーバー五輪銀メダリストで現在はプロ転向した浅田真央(27)が、4月22日放送の「ボクらの時代」(フジテレビ系)に出演。2014年のソチ五輪で一緒に出場した鈴木明子(33)、村上佳菜子(23)と鼎談を繰り広げた。 昨年4月に現役引退をした浅田。今年は、全国を巡回するアイスショー「浅田真央サンクスツアー」を5月から開催する予定だ。 “結婚願望”の話題になると、浅田は「もともとあったんだけど、今はもう自分のやりたいことが見つかっちゃったら、『とりあえず彼氏も結婚もいいや!』みたいな。そんな感じになっちゃった」と、現在の心境を明かした。 現役時代の浅田といえばジュニア時代から注目を浴び、2010年のバンクーバー五輪では銀メダルを獲得。国民的な注目を集めた選手だ。 鈴木が「街を歩いていたら『真央ちゃん』って声をかけられるようになるじゃない。普通には歩けなくなっちゃうのが、ずっと続くじゃん」と浅田を心配。すると意外にも浅田は「たくさん親戚が増えた感じ!」と笑顔で返答。「『大きくなったね~!』って言われると、すごく頑張ろうって思えたし、いつも温かい気持ちになれた」と答え、鈴木と村上を驚かせた。 続けて鈴木が「それが苦しかった時期はないの?期待されたり、メダルとか言われるじゃない」と尋ねるも、浅田は「それはないね。自分もすごくメダル欲しかったし」と断言。 それでも浅田は「ソチ五輪が終わって復帰したシーズンで、結果がついてこなかったとき。『スケーターとしてもう無理かな……』って思い始めたときからメディアの取材でも『もう限界なんですか?』というふうに聞かれ、ちょっとつらいなと思うことがあった」と苦悩をにじませた。 Twitterでは《真央ちゃんの普段てこんな感じなんだ。めちゃ喋るやん》と、驚く声も。《とっても良かった。よそ行きじゃない三人が見れて》《リラックスして話してる3人がいいね》と、好感を寄せる声が相次いでいる。
2018年04月22日ロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカル・Taka(29)が元フィギュアスケート選手でタレントの浅田舞(29)とお泊りデートをしていたと、4月12日発売の「週刊文春」が報じた。 ネット上では驚きの声が多く上がっているが、ファンは意外と冷静な反応。それにはある理由があった――。 今回報じられたのは、今月、Takaが浅田舞と個室スパに行ったあと、Takaの自宅マンションで泊まったというもの。女性ファンも多いTaka。報道直後はファンからショックの声が上がるのではと予想されたが……。 《Takaはちゃんとお付き合いする人が出来たらちゃんとみんなに報告するって言ってくれたから》《Takaから報告があるまでは何も信じない》 など、報道に対して静観の姿勢をとる声が多く上がった。その背景には、ファンが口をそろえて言う「報告」というワードがある。 17年元日、Takaが自身のインスタグラムにローラ(28)とのハグ動画をアップしたことが話題に。熱愛説が報道された。しかしその直後、Takaはきっぱりとインスタグラムで報道を否定したのだ。 「憶測だけで僕の回りの大事な友達を批判するのは本当に凄く嫌な気分になる!なぜなら彼女は僕の大事な親友の1人だから!もし僕に大切な人が出来た時は包み隠さずこの場を借りてみんなに報告します!I hate "this" Japanese culture」 その言葉通り3月下旬に本誌がローラを直撃した際、彼女は交際の噂について「一生親友。ホント、ホント、断言する」と強い口調で答えていた。 報道を受けてから4月13日現在、Takaのインスタグラムは更新されていない。“報告”がないということは、浅田はあくまで友人の1人ではないかというのがファンの間での通説となりつつあるのだ。 《めちゃくちゃ気になるけど、Takaは大切な人ができたら自分から報告するって言ってくれたから、ずっと待ってる。そういうのは、Takaの口から聞きたいです》《Takaが報告してないのはまだ付き合ってないからかもしれんやん。ファンがTakaから自由な恋をうばったらいかんくね》 Takaの報告なら受け入れるというファンに対し、次のインスタグラム投稿でTakaは何を語るのか。今後の動向に目が離せない。
2018年04月13日3月中旬の午前8時、関東にあるスケートリンク前に1台のタクシーが。姿を見せたのは、浅田真央(27)。平昌五輪でも姿を見せなかったが、ひそかに再始動していたのだ。 「実は最近、浅田さんは週3回ほどここを時間借りして練習しているんです。でもこのリンクは都心から電車で片道1時間もかかる“へんぴな場所”。なぜ、あの真央ちゃんがやって来るのでしょうか」(スケートリンク関係者) 30分後、リンクには浅田の姿があった。だがそばには佐藤信夫コーチ(76)もタラソワコーチ(71)も、山田満知子コーチ(74)もいない。広いリンクに浅田ただ1人だった……。 このリンクの貸し切り料金は1時間2万円ほど。前日には中学生が集団で使用していたという。そんな地元民向けのリンクで浅田は、時間いっぱい孤独な練習を続けていた――。 浅田真央といえば10年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得した、誰もが知る国民的スターだ。昨年4月に現役を引退したものの、女子フィギュア界をけん引してきた。引退後はプロスケーターに転向。5月3日からは自らプロデュースする『浅田真央サンクスツアー』が開催される予定で、早くも話題を呼んでいる。 そんなショーの練習を浅田が行うとなれば、見合った環境が必要なはず。にもかかわらず彼女はわざわざ満員電車に揺られ、地方都市の練習リンクに通っているのだ。いったいなぜなのか。フィギュア関係者がこう打ち明ける。 「日本ではフィギュアスケーターの数に対し、リンクの数が絶望的に少ない。当然、都心のリンクには使用希望者が殺到します。しかし日本スケート連盟はスケートリンクサイドに『現役選手に優先して使用させるように』との方針を通知しています。そのため現役引退したスケーターは練習の場を求め、都心から離れたリンクへ行かざるを得ないのです」 あの浅田が満足に練習場所も確保できないというのは、信じがたい話。だが彼女は決してくじけることなく、練習に励んでいる。そこには「今まで支えてくれた人に恩返しを」という浅田の想いがあるようだ。彼女はこう語っている。 「(現役時代は)たくさんの方に応援していただきました。滑りで感謝を伝えたい。絶賛猛練習中なので、楽しんでいただきたいですね」 午前10時、リンクから出てきた浅田。タクシーに乗って向かったのは、最寄りの駅だった。慣れた様子で改札をくぐると、再び電車で帰路につく。その表情は、晴れやかだった――。
2018年03月20日放送43年目に突入した「徹子の部屋」の3時間拡大スペシャル「徹子の部屋最強夢トークスペシャル」に、浅田舞・真央姉妹が揃って登場。いまだから話せる姉妹最大のケンカについて、黒柳徹子に激白する。姉妹揃って8年ぶりの出演となる今回。黒柳さんが、2人が練習中のスケートリンクを訪ねると、「徹子の部屋」オープニングテーマに乗せ華麗なる氷上の舞を披露し、息の合ったスケーティングで黒柳さんを魅了した。その後、アスリートも利用するという話題のカフェに移動し、深層心理が分かるという箱庭作りに挑戦。そこから読み取れる深層心理とは?独身女性3人の恋愛の未来も明らかに…?続いて3人が訪れた回転ずし店では、2人からさらに深い話を聞き出すため、質問カードが乗ったお皿も一緒に流れてくるという仕掛けを用意。そのカードの内容は、貯金や2人だけの秘密など。その中から「姉妹最大のケンカは?」を引いた2人は、いまだから語れる真実を明かし始める…。「同じ競技をしていてお互いが一番のライバルだった」という舞さんは、幼い頃には引っかき合いや髪の毛を引っ張り合うようなケンカをしていたと告白し、一方の真央さんは「同じ家に住んでいても、ほとんどしゃべらなかった時期もありました」とも。そしてそんなとき間に入ってくれたのは、いつも亡くなった母だったと打ち明ける。今回のスペシャル放送では、浅田姉妹のほかにも、吉永小百合、市川海老蔵ら豪華ゲストを迎え、ロケも交えながら黒柳さんと様々なトークを繰り広げる。さらに、「徹子の部屋」ファンを公言するマツコ・デラックスと共に、43年の秘蔵映像から「○○すぎる徹子」をベスト10方式で紹介しつつ、「徹子の部屋」を爆笑大解剖していく。「祝43年目突入! 徹子の部屋最強夢トークスペシャル」は3月12日(月)19時~テレビ朝日にて放送。(cinemacafe.net)
2018年03月11日犬や猫と暮らしながら、子育てをしているママをご紹介する「いぬねこ うちのこ。」。第3回目は、2歳の娘さんと0歳の息子さん、4歳の柴犬と一緒に暮らす、つのだももかさんです。柴犬の銀次郎くんが、娘のもあちゃんと息子のかいくんを子守する様子が微笑ましい、つのださんのインスタグラム。3人が並んでお昼寝するなど、まるで兄弟のように仲が良い様子は、見ていてとても癒されます。そんなつのださんにうちのこのベストショット、犬と暮らしながらする子育てについて、お話を伺いました。つのだももか さん プロフィールインスタフォロワー数4.4万人、PRESSブログのオフィシャルブロガー。2歳の娘と0歳の息子、4歳の柴犬の、5人(4人と1匹)家族のママ。カメラが趣味で、毎日の子どもたちの成長を写真に収めている。今は子どもたちの写真を撮る事がストレス発散であり、日々の楽しみ。Instagram: @mm.mmk114 Blog: PRESSオフィシャルブロガー Youtube: 子守犬銀兄ちゃん チャンネル LINEスタンプ: 柴犬 銀兄ちゃん スタンプ vol.1 ■愛すべき「うちのこ」たちをご紹介!・もあちゃん 2歳・かいくん 8ヶ月・銀次郎くん 4歳 柴犬もあちゃんは歌とダンスが好き。お世話好きな、しっかり者のお姉ちゃん。写真を撮られるのも大好きで、最近は写真チェックも。かいくんは、銀兄ちゃんともあちゃんのことが大好きな末っ子。カメラを向けると、しっかりカメラ目線をするようになりました。銀次郎(銀兄ちゃん)は、13キロと少し大きめの柴犬。ママのひと目惚れで家族として迎え入れることに。性格はとにかく穏やか。もあちゃんからの重たい愛情も「やれやれ」と受け止め、かいくんの子守をしっかりしてくれる。まさに“子守犬 銀兄ちゃん”です。【ママに質問!】 1:犬とは、いつから一緒に暮らしていますか?もあちゃんにとって銀次郎は、お兄ちゃんであり、遊び相手。「銀ちゃん、眠いのかなあ?」と感情を想像する力が長けている気がします。子どもが産まれる前から、一緒に暮らしている銀次郎。もあちゃんと初対面のときは、「興味はあるけど何かわからない」といった感じで、とても不思議そう。最初は周りをウロウロしながら、クンクン匂いを嗅いでいました。2週間くらい経つと、とても大切な存在ということがわかったのか、寄り添って眠るようになりました。1歳までは近くで見守っていて、次第に一緒に遊ぶようになり、今ではもあちゃんのワガママに付き合って遊んでくれています。かいくんとの初対面の時は、もう慣れていたのか、初日から寄り添って眠っていました。それからずっと近くで見守ってくれています。【ママに質問!】2:赤ちゃんと犬が一緒に暮らす上で、気をつけていることは?いつも寄り添っている、銀次郎とかいくん。2人のところだけ狭そうです。子どもたちと銀次郎が一緒に暮らす上で心配していたことは、やはり衛生面の問題です。抵抗力がなくとてもデリケートな赤ちゃんと、犬が同じ空間で生活しても良いものだろうか、と悩んだ時期もありました。特に柴犬の場合、年に数回の換毛期は抜け毛がすごい量になるので、1日に何回も掃除しました。また、赤ちゃんの口を銀次郎が舐めないよう、常に気を付けて見ていました。小さなことですが、毎日気を付け続けているので、2歳の娘は何のトラブルなく成長しています。【ママに質問!】3:犬に「寂しい思いをさせている」と感じたことはありますか?なぜかいつも近くにいる3人。このときもみんなで何かお話していました。子どもが生まれる前と後では、家で銀次郎と遊ぶ時間が減ってしまいました。もあちゃんとかいくんが寝た後、「やっと僕の時間だ」と銀次郎が甘えてくるので、そのときに、思いっきり撫でて甘えさせて遊びます。また、心がけたことのひとつとして、子どもが生まれても銀次郎の生活は変えないように、ケージに入れたりはしていません。子どもが生まれたからといって銀次郎の生活を変えてしまうと、子どもたちにマイナスの感情が生まれてしまうと思ったからです。もちろんその分、親の手間はかかりますが、銀次郎と子どもを隔離しないということは、子どもが生まれてから守り続けてきたことのひとつです。銀次郎は1番先輩。銀次郎の生活は変えずに、上手く過ごしてきました。【ママに質問!】4:犬と暮らすなかで、導入したアイテムは?銀次郎ともあちゃん、お揃いのマフラー。もあちゃんは、このマフラーをする時は必ず「銀ちゃんとお揃いっ♪」と嬉しそうに言っています。水を入れる容器を変えました。子どもがいると走り回ったり、水が入っている容器が倒れて床が水浸し……なんてことがあったのですが、今は倒れない容器を使っています。また、銀次郎ともあちゃんのお揃いのマフラーも買いました。本来銀次郎にマフラーなんていらないのですが、お揃いはすごくかわいいです。【ママに質問!】5:犬と一緒に暮らしながら子育てをしていて、幸せを感じるのはどんなときですか?お昼寝タイムは、みんな並んで。銀次郎がかいくんの子守をし、もあちゃんの遊び相手になり、時にはもあちゃんが銀次郎の子守をする。兄弟2人では絶対に見ることのできない、関わり合いがとっても微笑ましくて、見ていると幸せを感じます。また最近は、もあちゃんとかいくんがお昼寝をしていると、銀次郎も横に来て眠っています。3人(?)が川の字でお昼寝している姿は、何回みても幸せを感じます。また、もあちゃんが銀次郎にご飯をあげているとき、「ちゃんとお水も飲んでね」「お肉だよ。美味しい?」「全部食べなきゃダメよ」と、普段自分が私に言われていることをそのまま銀次郎に言っているのは、笑ってしまいました。【ママに質問!】犬と暮らしたい! と考えているママさんに伝えたいこともあちゃんは銀次郎のごはん係。散歩の準備も率先してやってくれます。子ども2人&1匹を育ててきて、子どもたちが犬と共に生活するのは、とても良いことだと思います。でも、犬を家族として迎え入れることは簡単ではありません。子どもがいながら毎日2回のお散歩、しつけ、食事、お手入れ、時には体調を崩して病院に連れて行かなきゃいけないかもしれない。それを覚悟の上であれば、子どもと犬が一緒に暮らしていくことは、最強で最高の友達ができるということなので、子どもにとっても良いことだと思います。そして、命の大切さを学び、心が優しい子になってくれると思います。そして何より、子育てで思い通りにいかなかった時、愛犬が癒してくれます。▼愛すべき「うちのこ」たちに伝えたい! ママからのメッセージ「かわいいが毎日更新されていくよ!癒し&笑いを毎日ありがとう!!」つのだももかつのださん、ありがとうございました!Information肉球サイン入りの「撮り下ろし銀兄ちゃんブロマイド」が当たる!『子守り柴犬 銀兄ちゃん』フォトブック発売記念犬の日プレゼントキャンペーン!柴犬・銀次郎と子どもたちの写真を“銀次郎ひとりっ子時代”から時系列で掲載したフォトブックが発売されました! これを記念してプレゼントキャンペーンを実施中。ご応募いただいた方の中から3名様に、なんと肉球サイン入りの「撮り下ろし銀兄ちゃんブロマイド」をプレゼント!【キャンペーン応募要項】キャンペーン期間:2018年11月1日(木)~11月19日(月)1)まず、 Shi-Ba【シーバ】+犬びより( @shiba2929 )のインスタグラムをフォロー。2)書籍『子守り柴犬銀兄ちゃん』と銀兄ちゃんにちなんで「もふもふなモノ」が一緒に写った写真を投稿してください。愛犬やぬいぐるみ、ファー小物などなんでもOK。インスタグラム @mm.mmk114 」でも銀兄ちゃんが参考例を投稿するよ♪3)写真は「#雑誌シーバ」「#銀兄ちゃんプレゼントキャンペーン」の2つのハッシュタグをつけて投稿してね。
2018年02月02日「3年ほど前、浅田さんが千葉県の沿岸部に建つ別荘を買ったそうです。海沿いをワンちゃんたちと散歩できる、素敵なビーチハウスだと聞いています」(浅田の知人) 愛犬4匹たちと悠々自適ライフを送っている、タレントの浅田美代子(61)。 「土地・建物合わせて2億円の物件を前の持ち主からなんとキャッシュで購入したそうです」(前出・知人) 2億円の豪邸を、現金一括購入とは太っ腹!それだけ、彼女の“愛犬ファースト”な生活を叶えてくれる物件だったのだろう。現地を訪ねてみると、房総の海を一望する高台に浅田が購入したという白亜の豪邸があった。1階は全面ガラス張りで、目の前には太平洋が広がっている。 「浅田さんはしょっちゅう、こちらに来ていますよ。いつもワンちゃんを数匹連れて散歩してらっしゃる姿を見かけます。たまに同世代の男性とご一緒なので、『浅田さんの恋人かしら!?』と話題になっているんですよ」(近所の住人) 1月中旬、都内の自宅から2匹の愛犬を連れて現れた浅田を直撃した。千葉の家について聞くと、笑顔でこう明かしてくれた。 「少しでもこの子(愛犬)たちのストレスを解放させてあげられたらと、それで決めたおうちなんですよ。今は4匹いますが、東京では周りに気を遣って2匹ずつ散歩させなきゃならなかったりする。でも、向こうではみんな一緒に仲良く海沿いをお散歩させてやれるでしょう」 彼女がこれほど愛犬家になったきっかけは、最愛の母の死だった。 《母を亡くしたあと、私の日常を支えてくれたのは、2匹の愛犬でした。どんなに悲しくても、犬にごはんをやらなきゃ、散歩に連れていかなきゃ、という責任があると、家にこもって泣いてばかりいられません》(『婦人公論』10年11月7日号) 元夫・吉田拓郎(71)との離婚後、一緒に暮らしてきた母を、01年に急性リンパ性白血病で亡くした浅田。そんな自分を立ち直らせてくれたのが愛犬たちだったという。 「母が亡くなったとき、本当にワンちゃんたちに助けられました。その恩返しのつもりで、それからは犬の殺処分ゼロを目指す保護活動もするようになったんです」 現在飼っている4匹もみんな保護犬。ビーチハウスを購入したのも、そんな愛犬たちへの恩返しだったようだ。 「でも、最初はなかなか1人で決められなくて……。それで、私の“芸能界の母”ともいえる樹木希林さん(75)に相談したんです。そしたらわざわざ千葉まで一緒に見に来てくれて、希林さんのほうが『ものすごくいいところじゃない』って気に入っちゃったんですよ(笑)。『悩む必要なんかないわよ!』と言ってもらって、購入を決めました」 実母を亡くした浅田にとって、樹木は母代わりの存在。15年に出演した『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)でも、浅田は樹木との関係について語っている。出会いは、浅田がデビューしたドラマ『時間ですよ』(TBS系)での共演。以来45年間、私生活でも交流が続く。東京の自宅を買う際も、樹木が一緒に物件を探し、ローンを組んでくれたという。そして、樹木の自然体な生き方も、浅田のよき指針になっているようだ。 《希林さんを見ていると、歳を重ねることは素敵なことだ、って思えるんです。女性はどうしても歳を取ることに抵抗があり、少しでも若く見られたいと思ってしまいがち。でも「歳をとりたくない」ってこと自体が後ろ向きじゃないですか》(『婦人公論』10年11月7日号) それでも50代の頃は、“一緒に何かを見て話したりする恋人がほしい”と公言していたという浅田。地元で目撃されていた、よく千葉の家に一緒に来ているという男性は、もしかして新しい恋人? 「アハハ、残念でした。弟です(笑)。新しい恋?あらやだ、この様子を見たら、わかりません?ワンちゃんたちが4匹もいて、これ以上どうやったら人間が入るんだろうって(笑)。いままでどおり、笑って生きていけたらいいですよね。これから映画の撮影などがあるので、それが終わったらまたこの子たちを連れてゆっくりリゾートライフを楽しみたいですね。あそこは冬晴れのときには富士山が見えるんですよ。目の前に夕日が沈んで、しびれちゃいますよ。その夕日を見ながら、ワインでも一杯。もう、最高ですね!」 愛犬たちという「かけがえのない家族」が、その笑顔を支えている――。
2018年01月25日(写真:アフロ) 「まさに政界のプリンスっていう感じ。安倍さんを通り越して、進次郎くんを見ちゃうわね」(50代主婦) 「一度、街頭演説で見たことがあるんです。あの鋭い目に、キッと見つめられているような気がして……。でも、話は面白い!あの目とトークはもやは罪!」(40代主婦) 今、主婦の心をわしづかみにしている国会議員といえば、小泉進次郎衆議院議員(36)。本誌読者にも、“進次郎にクギヅケ”という人が多いのではないだろうか。 「進次郎議員は、街頭演説でのトークスキルに定評があります。『あれ、カップルで来てるの!?』『ねえおばあちゃん、聞いてます?』といった“聴衆イジリ”でつかみは、彼のお家芸。その瞬間、どっと笑いが生まれ、聴衆はみんな彼の話に耳を傾けるんです」(政治部記者) 昨年10月の衆院選で、与党・自民党が圧勝したことは記憶に新しい。が、高い政党支持率に比べ、トップに君臨する安倍晋三総理大臣(63)の支持率は高いとは言えない。代わって、自民党の「顔」となったのが小泉進次郎衆議院議員だった。 「進次郎さんが衆議院議員に初当選したのは、’09年8月の総裁選でした。当時といえば、自民党が大敗し、野党になった歴史的な選挙。彼はくしくもそのような選挙でデビューを果たしたんです。私がお会いしたのはその翌年9月、自民党機関紙での対談でした。そのとき、『並の政治家ではない』と感じました。当時彼はまだ20代でしたが、とにかく礼儀正しく、話の内容もとてもしっかりしていたんです」 こう話すのは、『小泉進次郎と福田達夫』(文春新書)などの著書がある時事通信社特別解説委員の田﨑史郎さん(67)。田﨑さんは進次郎議員の初当選からおよそ10年、彼の働きを目の当たりにしてきた。 「進次郎議員はとにかくとっさの判断力に優れている。昨年10月の衆院選、千葉県松戸市で彼が演説するというとき、野党で新勢力となった立憲民主党代表の枝野幸男さんの演説とバッティングした。そのとき進次郎さんは、集まった聴衆を前に、『枝野さんの話を聞いたほうがいい』と、数分間、無言だったんです」(田﨑さん) 後に「なぜ話さなかったのですか?」と聞いた田﨑さんに対して、進次郎議員からはこんな言葉が返ってきた。 「『あそこは言葉ではないと。対応が問われると思ったので、演説しませんでした』と。演説に来て演説しない、そんな人を私は初めて見ましたが、それが“神対応”として、かなりの注目を集めました」(田﨑さん) だが、進次郎議員といえば、やはり街頭演説でのパフォーマンス。女性たちが黄色い歓声を上げてしまうほどの「演説力」はどこから得ているのだろうか。こう聞くと、田﨑さんは意外なキーワードを持ち出した。 「じつは、ひとつには『落語』があるんです。進次郎さんは、柳家さん喬師匠の高座に足しげく通っていたんです--」(田﨑さん) 柳家さん喬師匠(69)は、人間国宝である故・五代目柳家小さんさんの門下で、’17年には紫綬褒章も受章している人気落語家だ。人情噺を得意とするさん喬師匠と進次郎議員の関係は、進次郎議員のFacebookの投稿を見てもうかがえる。 《柳家さん喬師匠の落語「中村仲蔵」「雪の瀬川」を聴きました。最高でした…(中略)…終演後、さん喬師匠と一杯ご一緒し、記念撮影…(中略)…改めて落語の魅力、奥深さを再認識出来て、楽しく学びのある時間になりました。落語って素晴らしい!》(’17年8月21日の投稿) そこでさっそく、年末年始のビッシリ詰まった高座の合間、さん喬師匠に話を聞いた。 「小泉進次郎さんは、8年前に知人の方の紹介で寄席にお越しいただいて以来、落語をお気に入りいただきましてね。つい最近もお仲間と何人かでいらっしゃったり、ときにはおひとりでお見えになることもあるんですよ」(さん喬師匠) 69歳と、ベテランの域に入るさん喬師匠の語り口はおだやかで、実直そうな声には温かみも感じる。さん喬師匠は、進次郎議員との出会いをこう振り返る。 「最初にお食事をさせていただいたとき、こうお聞きになったんです。『師匠、落語とは、自分を語るんですか、それとも登場人物がお客さんに伝わるように語るべきなのでしょうか?』と。これには驚かされました。落語は自分を語らず、登場人物の“心”を伝えなければいけない。それを進次郎さんは見抜いていたんですね」(さん喬師匠) 進次郎議員の演説のキモは、最初の“つかみ”。それはまさに、落語でいう“枕”だ。彼の演説には、「落語の技」が随所に見られる、とさん喬師匠は説く。 「噺家に必要なのは、聴衆に細かく目配りすること。さらに、最初は時節柄の話などをして聴衆の心をひきつけながら、徐々に本題に入る。進次郎議員は、それを街頭演説という場で実践している。たとえばね、《今日は暑いですねえ、でも昨日よりはいいかもしれない》。ここまでが時節の話です。そして、《どうしたの、おかあさん、そんな重い荷物を持って。いいですよ、手前に置いちゃっても。私、見ていますから……》と、そうしてつなげることで、政策の話に耳を傾けさせているんです」(さん喬師匠) 紫綬褒章も受章した“大ベテラン”のさん喬師匠も、かなり“ベタ褒め”のご様子だが……。 「進次郎議員が弟子だったらどうだったかって?いや、脅威ですよ。『こいつ、俺よりうまくなる!』って(笑)」(さん喬師匠) 前出の田﨑さんは、今後の進次郎議員の注目すべき点をこう語る。 「どういうポストにつくか、ということだけが問題ではありません。彼がどんな仕事をするか、利害が錯綜する政治の世界をどううまくまとめ挙げていくか。それが彼の政治家としての“大成”の決め手になると思うんです」(田﨑さん) 進次郎議員がお気に入りの落語演目『中村仲蔵』は、しがない役者・中村仲蔵が劇舞踊の世界で大成する人情噺。彼の議員人生の“オチ”はいかに……。
2018年01月12日和菓子屋「口福堂」と「柿次郎」からクリスマスの新作「ホワイトチョコどら焼」が登場。2017年12月19日(火)から25日(月)の7日間限定で販売される。"和菓子で楽しむクリスマス"をテーマに作られた「ホワイトチョコどら焼」は、ココア香るふわふわの皮に、ホワイト生チョコレートを練り込んだ白あんがサンドされた洋風どら焼。白あんとホワイトチョコレートの濃厚なハーモニーを、甘さ控えめの皮でふんわりと包み込んだ一品。コーヒーや紅茶にもよく合う上品な甘みとなっている。また、発売中の「生チョコいちご大福」は、雪だるまとサンタクロースの可愛らしいピックがついたクリスマス限定バージョンとなって登場。真っ赤ないちごと白い粉砂糖が、クリスマスケーキを連想させる見た目でクリスマスパーティーのデザートやプレゼントなどにも最適だ。【詳細】「口福堂」「柿次郎」クリスマス限定「ホワイトチョコどら焼」販売期間:2017年12月19日(火)~25日(月)販売店舗:「口福堂」「柿次郎」各店舗価格:・ホワイトチョコどら焼 1個162円(税込)・生チョコいちご大福 1個270円(税込)※店舗によって取り扱いがない場合や、販売期間、商品内容、価格が異なる場合あり。【問い合わせ先】柿安本店フリーダイヤルTEL:0120-554-410(平日・土曜日 9:00~17:00)
2017年12月21日本誌で好評だったシンガーソングライター・加藤ミリヤさんの連載「28」が単行本としてついに刊行!発売を記念して、ミリヤさんと同い年の浅田舞さんとのスペシャル対談が実現しました!悩みはあるけど明るく前向きに解決する、それがガールズパワー。加藤:はじめまして、加藤ミリヤです。浅田:浅田舞です、よろしくお願いします。妹の(浅田)真央が、夏に村上佳菜子ちゃんと一緒にアイスショーに出た時、ミリヤさんの「旅人」という曲を使わせてもらったり、ライブにもお邪魔しているんですが、私はちらっとテレビ局でお見かけしたぐらいで…。加藤:そうなんですね。今回、私の小説にちなんで同世代の方とぜひお話ししたくて、舞さんをリクエストさせていただいたんです。浅田:うれしいです。小説、読ませていただきました。加藤:ありがとうございます!浅田:登場人物の5人と私は違うタイプだけど、生活スタイルやそれぞれの悩みがすごくリアルに描かれていて、わかる、わかる!って一気に読んじゃいました。加藤:わー、うれしいです。浅田:この悩みって自分だけじゃないんだ、って前向きになれたし。このような物語を書こうと思ったきっかけは何ですか?加藤:私が28歳になった時、27歳の時とは周りが変わったのを感じたんです。たとえば、結婚する子が途端に増えたりして。浅田:そうそう!SNSを開けば、婚約、結婚、妊娠、出産のラッシュで…、だからそっと静かに画面を閉じる、みたいな(笑)。加藤:あははは(笑)。それで28歳って変化する年なのかな、って思ったんです。大学を卒業して社会に出て、仕事を頑張ってきたところで一区切り、ちょうど変化を求めたくなる時期というか。浅田:なるほど。私の場合は、結婚って遠くにあった話だったのに、気づいたら現実的に考える年なんだ、って実感しました。加藤:そうなんですよね。で、それがまず一つあったのと、小説の出版はこれで5作品目なんですが、これまでは自分の内側の話ばかりで、私にはそれしか書けないと思っていたんですね。でも一方で、今の時代だからこそ、女性のエンぁと思って。そこから生まれたのが、裕福な専業主婦の夢、同性の恋人がいる渚、ファッション誌の編集者の愛、1児の母となった円、快楽主義を貫くさくらの5人。同じ28歳でも、置かれた立場や環境は違うし、それぞれに悩みを持っているんだけど、結局は自分の力で、そして同世代のガールズパワーで解決して、みんなが幸せになればいいなっていうような。浅田:それにしても、5人のキャラがリアルすぎるんですが…。どうやって書いているんですか?加藤:いろんなSNSを見ながら、ほとんど想像で作りました。もともと人をよく観察するタイプで、空想癖もあるので…。曲の歌詞は家、新幹線、飛行機で書くと決めていて、小説は若者のいなさそうな喫茶店で書いてます(笑)。“結婚、出産をすれば偉い”ではないんですよね。浅田:5人それぞれの悩みも、すごくよくわかりますが、とくに私が共感したのは、お母さんとの確執を抱えていた愛ちゃんです。私、小さい頃からずっとフィギュアスケートしかやってこなかったし、家族の生活もフィギュアがメイン。長女の私は、母の前では常にいい子でいないと、という気持ちがあって、思春期の頃は、自分の思っていることを母に何も言えなかったんです。加藤:そうなんだ…。浅田:母は6年前に他界してしまったんですが、元気な時にちゃんと私の思っていることを伝えられたのかな、って考えると後悔しかなくて…。だからケースは違うんだけど、愛ちゃんの、お母さんに対する思いとか確執みたいなものから生まれる感情が何となくわかるんです。それから、人気インスタグラマーの主婦・夢ちゃんにも共感するところがあって。加藤:へえ〜!浅田:みんなに憧れられるようなセレブな生活をしていながら、人に話せない悩みを持っている夢ちゃんを見ていると、“結婚することが偉いわけじゃないし、幸せそうに見えていても誰にも言えない悩みがあるんだなあ”とも思って。私も、最近「今すごくいいね」って褒めていただくことが増えたんですね。でも、華やかそうに見えているかもしれないけれど、秘めた悩みもあるわけで。加藤:よくわかります。そんな中、28歳の終わりに、結局、みんな誰かを羨ましいと思っているんだけど、その人になりたいか、というとまた別で、これが自分の人生だよねってところに腹が落ちるもんじゃないかな、とも思ったんですよね。浅田:そうなんですよ。私は最近、フィギュアの仕事以外にもこうやって対談をさせてもらったり、バラエティ番組に出たりといろんなことにチャレンジできているんだから、もっと仕事の幅を広げて楽しみたいなって思いました。よく、「もうアラサーだから」なんて言う人もいるんだけど、これから学べることがたくさんあると思っているので、どんどん走り続けていきたいな。ただ、結婚に焦りがないって言っちゃうと、どんどん婚期が遠のきそうだから、大声では言えないけど…。加藤:あははは(笑)。私がこの小説を通して伝えたいのは、ひとことで言えば、ありきたりだけど“Enjoy my life”なんですよね。20代前半は、自分には何ができるんだろうとか、仕事どうしようって考えすぎている気がして。それが28歳ぐらいでスパークして、人生って色々あるけど、これからもっと楽しみたいな、ってシンプルに思える日がくるし、頑張っている女性にこそ、そう思ってほしい。だから、舞さんからどんどん走り続けたいなんて聞くと、すごい救われます。今日、最高の対談だった!ありがとう。浅田:こちらこそ!結婚している28歳も、結婚したくない28歳も、私のようにいずれ結婚したいけど今は仕事が楽しいという28歳も、誰が読んでも共感できる作品だと思います。加藤:単行本では、連載であまりフォーカスされなかった円やさくらのその後を描いているので、ぜひこちらも読み比べてもらえたら嬉しいです。女性のエンパワーメントを一つのキーワードにしたかった本誌にて連載された、ミリヤさん渾身のガールズ小説が単行本に。連載では描かれなかった円やさくらのエピソードなども加わり、読みごたえアップ。ポプラ社1200円あさだ・まい1988年7月17日生まれ。元フィギュアスケート選手。引退後は、スポーツキャスターやタレント、女優として幅広く活動中。最新情報は公式HPをチェック。ニット¥15,000(レイ ビームス)スカート¥16,000(ビームス ライツ)ブレスレット¥13,000(メゾン ボワネ)イヤリング¥6,500(ジュールクチュール) 以上ビームス 新丸の内TEL:03・5288・7670かとう・みりや1988年生まれ。シンガーソングライターとして16歳でデビュー。本小説にインスパイアされた新曲『新約ディアロンリーガール feat.ECD』が12/6発売。※『anan』2017年12月6日号より。写真・内田紘倫(The VOICE)スタイリスト・武政(浅田さん)ヘア&メイク・遠藤郁子(SHISEIDO/加藤さん)momo(浅田さん)取材、文・若山あや(by anan編集部)
2017年12月04日和菓子屋「口福堂」と「柿次郎」から新作「いちご入りわらび餅」が登場。2017年11月24日(金)より全国の「口福堂」及び「柿次郎」で発売される。「いちご入りわらび餅」は、黒蜜ときな粉で食べるのとは少し違った味わいの「フルーツわらび餅」。カットしたいちごコンポートが練りこまれた、もっちりとした弾力のあるわらび餅では、華やかないちごの香りと甘酸っぱさを楽しむことが出来る。また、きな粉には、北海道大豆を使用。大豆の香りを感じられるようにしっかりと焙煎されたきな粉は、わらび餅の滑らかな食感を引き立たせるためにきめ細やかに仕上げられた。店頭でカットされるわらび餅は、グラム数だけでなく、1個からの購入も可能。気軽に食べられるおやつとしてだけでなく、手土産としても最適だ。さらに「口福堂」と「柿次郎」では季節限定で「いちごどら焼」や、いちごミルク風味の「よくばり団子」も発売。なお、初冬から春にかけて豊富な種類を展開する人気シリーズ「いちご大福」もこれらと併せて販売されるのでチェックしてみて。【詳細】「口福堂」「柿次郎」新作「いちご入りわらび餅」発売日:2017年11月24日(金)販売店舗:「口福堂」「柿次郎」各店舗価格:1個 64円(税込)、100グラム 324円(税込)※店舗によって取り扱いがない場合や、販売期間、商品内容、価格が異なる場合あり。【問い合わせ先】TEL:0120-554-410(平日・土曜日 9時~17時)
2017年11月25日10月31日、新横浜スケートセンターで行われた風邪薬のCM発表会に、姉の舞と一緒に出席した浅田真央(27)。姉妹の旅行計画はいつも自分が立てていると、冗談交じりに“姉への不満”をぶちまけて、会場をわかせていた。 それから数日後の夜9時ごろ、東京・渋谷のとある映画館から、足早に出てくる真央の姿があった。外は雨模様だったが、傘の用意がなかったのか、そのまま茶色いコートの襟元を寒そうに手で押さえながら歩き出す。信号待ちをしていたところで、本誌は声をかけた。 ーーこんばんは、女性自身です。今日は渋谷でお買い物ですか? 「映画を観てたんです」 ーーさしつかえなければ、何の映画ですか? 「バレエの映画です」 この10月、モデルで元フィギュアスケート選手のフランス人、ロマ・トニオロ(27)とのデートが報じられたばかりだが、周囲に男性の姿はなかった。 ーー今日は、お一人でご覧になったのですか? 「プライベートなので……。すみません」 そう言い残して、渋谷の人波へと消えて行った。彼女が観たフランス映画のタイトルは『ポリーナ、私を踊る』。貧しい家庭に育った天才バレエ少女が、さまざま苦悩を抱えながらも“自分らしさ”を求めて成長していくという物語ーー。実は真央も、3歳のときにバレエを習い始めた“天才少女”だった。 「そもそも彼女のお母さんにはかつて『バレエダンサーになりたい』という夢があって、それを娘に託したのだとか。フィギュアスケートも足首の強化になるからと“バレエのために”始めたそうです」(スケート関係者) しかし、幼い真央はフィギュアの面白さに夢中になった。その姿を見た母は、何も言わず練習に付き添い、娘の才能を伸ばしてあげたいと心血を注いだ。 「朝練は5〜6時に始まり、夜も11時ごろまで。送り迎えなどすべてやって、睡眠時間もあまりなかったと思いますよ。母親だからできたんでしょうね」(真央の親戚) バンクーバー冬季五輪で銀メダルを獲得して最初に誰に見せたいかと問われたとき、真央は迷わず「お母さん」と答えた。だがその母・匡子さんは1年10カ月後の’11年12月、48歳の若さで急逝する。 あれから、もうすぐ6年。今年4月に現役引退を表明するまで、母親に代わって「心の支え」となっていたのは、姉・舞だったのかもしれない。 「東京には2人が暮らすマンションもありますが、お互いが“いい距離感”で共同生活をしているようですね。姉は早くから芸能の仕事をしていましたから、引退を機に『真央もチャレンジしてみたら?』といった話をしたようですが、真央自身はアイスショーや後進育成、解説など、スポーツ関連の仕事を中心にと考えているようです」(芸能関係者) 命日を前に、母の夢だったバレエの映画を観に出かけた。それは母への追慕と同時に、何かの“決断”を前に、自分の原点を確かめる時間だったのではないだろうかーー。
2017年11月09日(写真:アフロ) 「5歳からスケートを始めてきました。なにか、スケートとともに歩いて行くのかなと感じています」 9月25日に27歳の誕生日を迎えた浅田真央は、都内のイベントで今年の抱負を語っていた。4月に現役を引退してから半年、これまで浅田は“自分探しの旅”を続けていたという。 「今年1月には、ロサンゼルスを訪れています。幼いころ通っていたフィギュア教室時代の親友に会うためだったと聞いています。また引退会見の前には、スリランカへのひとり旅も決行。さらにゴールデンウィーク前には、同じく現役を引退した村上佳菜子さん(22)と1週間の沖縄旅行にも出かけていたそうです。そうした旅を通じて、彼女は『第2の人生をどう生きていきたいのか』と自問自答してきたといいます」(フィギュア関係者) フィギュア漬けだった“青春時代”を取り戻すかのように、世界各地を放浪してきたという浅田。だが彼女がたどり着いた“結論”は、やはりフィギュアだった。 「周囲の人からはスポーツキャスターや舞台女優としての転身も薦められていたそうです。でも先日、彼女が『私、やっぱりフィギュアスケートが好き。離れることなんてできない』と漏らしていたんです」(前出・フィギュア関係者) 現時点では今後について明言していない浅田。だが実はすでに、ある計画を明かしていた。 「浅田さんは、指導者としての道を模索し始めています。『ノービスクラスの選手を育ててみたい!』とも言っていたそうです。小学生の彼女たちを1から教えることで、世界に羽ばたかせてあげたいと考えているようですね。最終結論は平昌五輪後になるかと思いますが、現職のコーチのもとで指導法を学ぶことになるでしょう。すでに、お世話になったコーチなどに相談しているとも聞いていますよ」(別のフィギュア関係者)
2017年10月13日4月に引退を表明した元フィギュアスケート選手の浅田真央さん(26)がこのほど、インスタグラムを開設した。17日の初投稿で、「公式Instagram始めました」と花の写真をアップ。同日更新した2回目の投稿では、「日本橋高島屋 真央展始まりました9月25日までやってます」と現在開催中の浅田真央展で撮影した写真を掲載し、姉・舞と共にポーズを決めた2ショットもアップした。公式サイトでも20日、「公式Instagram始めました!アカウントは、@maoasada2509です」と正式に発表された。インスタ開設に、ファンから「インスタ開設ありがとうございます~~! 真央ちゃんの近況を見られるのがとっても楽しみです」「本当に嬉しい~~これからも、ずーっと応援し続けます」「真央ちゃん!待ってました笑笑」「ギャー嬉しすぎる~」「やったあー!」「真央ちゃん更新楽しみにしてますっ」などと歓喜の声が上がっている。
2017年09月20日ウーマンエキサイトのスペシャルサポーター「ママリーダーズ」のメンバー浅田ちひろさんを紹介します。■浅田ちひろさん浅田ちひろ Chihiro Asada プロフィール企業広報、アパレル会社のファッションプレスを経験後、結婚を機に2007年にファッションの仕事を辞め、現在は日常をspecialにするような雑貨、アクセサリー、家具などを扱うウェブショップ「SARTORIA LIFE サルトリア ライフ」の店主。中古マンションをリノベーションしたこだわりの自宅が話題を呼び雑誌やサイトに多数紹介。3歳までは子どもと向き合う貴重な時間と経験だと考え、今は育児を優先。娘が幼稚園に入ったら蚤の市や骨董市などに出店したり、古着屋や雑貨店、カフェなどに一角を借りてpop up shopなども計画中。生年月日 : 1976年9月21日子ども : 娘(2015.3)居住地 : 東京都HP: SARTORIA LIFE Blog: SARTORIA LIFE day’s diary Instagram: @newzolasoma Instagram: @sartoria_life 座右の銘 : 「慈眼温容(じげんおんよう)」いつも笑顔でいられるように心にゆとりを持ち続けたい【参加企画】
2017年09月11日タレントの浅田舞が、舞台『煉獄に笑う』の公開ゲネプロに登場し、鈴木拡樹、崎山つばさ、前島亜美、中村誠治郎、浅田舞、吉野圭吾とともに取材に応じた。同作は唐々煙による人気作『曇天に笑う』の300年前を描いている。羽柴秀吉の命を受けて、300年に一度琵琶湖に蘇ると言われている大蛇につながる髑髏鬼灯の謎に挑む小姓・石田佐吉(鈴木)と、その謎の鍵を握る曇神社の当主である双子・曇芭恋(崎山)、曇阿国(前島)が戦いに巻き込まれていく。遊女かつ情報屋かつ陰陽師というキーパーソン・弓月を演じた浅田は、スケーターの身体能力を生かし何度も激しい殺陣を披露した。「2時間40分、有酸素運動をしているような盛りだくさんな舞台」と表し、「初挑戦となるんですけど、これまでに練習してきたことを全力で」と意気込んだ。浅田は腹筋もあらわになった妖艶な衣装に「腹筋出てますか? 良かったです」と安堵。「この1カ月間、丸1日運動に近いような稽古をしてきたので、だいぶシェイプアップできたかなと思います」と笑顔を見せた。主演の鈴木も「本当に堂々とされてましたし、一番最初にアクションシーンを見せていただいたときに回転が綺麗すぎて、『これがか!』と」と驚いた様子。「もともと表現者なので、役者ともまた違うアプローチで、華がある」と称賛した。妹の真央も観に来るかという質問については、「そうですね」と頷く浅田。「まだ今日は来ていないんですけど、ちょこちょこっときてくれるので、楽しんでもらえたらいいなと思っています」と語った。
2017年08月24日ぴあ株式会社より、『moment on ice vol.2』が発売となりました。アスリートが輝く“瞬間"をキャッチするグラフ・マガジン『moment on ice』の第2弾は、浅田真央さんのプロスケーターとしての1st Stepを記録。「THE ICE 2017」全編撮りおろしのほか、浅田真央さんの13年の軌跡を振り返ります。■本書の見どころ浅田真央・浅田舞姉妹を中心に、世界と日本のトップスケーターが集結するアイス・ショー「THE ICE」。2017年の今年は、7月29日~31日に大阪、8月4日~6日に名古屋で開催され、浅田真央、浅田舞、髙橋大輔、織田信成、鈴木明子、小塚崇彦、村上佳菜子、宮原知子、無良崇人、宇野昌磨、ジェフリー・バトル、長洲未来、チン・パン&ジャン・トン、ケイトリン・ウィーヴァー&アンドリュー・ポジェ、アデリナ・ソトニコワらが出演。「真央メドレー」と題された特別なプログラムや、それぞれの演技シーンを美麗な写真で紹介します。また、浅田真央さんの13年の選手時代、その13年の軌跡を写真で振り返る特集も。今年4月に引退を発表してから約4カ月……これまでと、いま現在の浅田真央さんを特集した、手元に残したい1冊となっています。撮影:スエイシナオヨシ、ほか『「moment on ice vol.2」フィギュアスケートぴあ 特別編集』書籍情報出典:「moment on ice vol.2」フィギュアスケートぴあ 特別編集著者:ぴあ株式会社発行:ぴあ株式会社単行本:65ページ発売日:2017/8/23価格:908円[公式サイト](お問い合わせ先)ぴあ株式会社
2017年08月24日西田敏行が主演を務め、直木賞作家・浅田次郎の原作をNHK朝ドラ「ひよっこ」の岡田惠和の脚本によりドラマ化する浅田次郎ドラマスペシャル「琥珀」。このほど、実力派女優・鈴木京香が殺人逃亡犯に想いを寄せる人妻役、工藤阿須加と川島海荷が初共演で恋人役を演じることが分かった。本作は、蜃気楼の町・魚津を舞台に不器用な大人たちが織りなすヒューマンドラマ。西田さん演じる東京から来た定年間近の刑事・米田勝己と、西田さんと同年齢である寺尾聰演じる殺人逃亡犯・荒井敏男を中心に、サスペンスフルな展開が時に切なく迫る。この刑事・米田と無口な喫茶店店主 ・荒井を繋ぐキーパーソンとなるのが、鈴木さん演じる平井幸子。店の唯一の常連客であり、荒井に想いを寄せる人妻・幸子は、荒井の前では明るく饒舌で楽しそうに笑いながらありとあらゆる話をするが、実は表に出せない秘密が…。この3人が出会ったことで、止まっていた時間が静かに動き出す。そして、小さな町で堂々と会えるのはここだけと、喫茶店「琥珀」と店主の荒井を敬愛してやまないカップル、警官・依田悟志役を工藤さん、町の洋品店店員・敦美を川島さんが演じる。西田さん、寺尾さん、鈴木さんの熟年の世界とは対照的な、実は珈琲が苦手という無邪気な2人の存在がドラマに初々しいアクセントをもたらしていく。いずれも、原作小説には登場しない、脚本家の岡田氏が生み出したドラマオリジナルのキャラクターだ。鈴木さんは「強がりで健気で、不幸な女性の役を演らせていただきました。難しい役で心情を理解するまで時間がかかりましたが、西田さん寺尾さんの自然なやり取りを間近で見て、学ぶことが沢山ありました」と撮影をふり返る。歌を口ずさむ場面があるそうで、「歌が得意ではない私はかなり緊張しました。いまもそれを思い出すと、手のひらが汗ばんできます」と言いながら、今回の撮影では「初めて蜃気楼を見ることができました」とも。「それぞれが重い過去や暗い日常を抱えているからこそ、お互いを慮る…。心の交流が温かいほど、思いは交錯していく…。切ない大人の物語になったと思います」と自信を込めて語っている。そんな鈴木さんに対し、西田さんからは「決して幸せではなく心が辛い毎日を過ごしている中で、人にすがることをせず、ひそかな光として愛する人を見つけた幸子。その幸子を全力で演じてらっしゃる京香さん、とても素敵な女優さんだと思います」とコメントが到着。寺尾さんも「京香さんは、ほかの人にはない“存在感”を持つ素敵な女優さんです。仕事で何度かすれ違ったことがあるだけでしたので、今回、一緒に仕事ができて大変嬉しく思っています」と共演の喜びを語る。工藤さんは、「西田さんを始め、尊敬する先輩方と同じ空間で芝居をさせていただいいたことは貴重な時間でした」と恐縮しきり。「もっと一緒に先輩方の芝居を同じ空間で感じたかったです」とコメント。そして、川島さんは「西田さんと久しぶりの共演でとても嬉しかったです。優しく話しかけてくださって、空き時間にはところてんを工藤さんと3人で一緒に食べながら談笑したりしました」と現場での思い出をコメント。工藤さんについては「常に自然体な方だなと思いました」といい、「なんだか初めてお会いした感じがせず、すごく馴れ馴れしく喋ってしまった気がします」と初共演について語ってくれた。浅田次郎ドラマスペシャル「琥珀」は9月15日(金)21時~テレビ東京系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2017年08月21日西田敏行と寺尾聰という同年齢の大物演技派が、直木賞作家・浅田次郎原作のドラマスペシャル「琥珀」に出演。“追う刑事”と“逃げる犯人”として、初めての本格タッグが実現した。米田勝己(西田敏行)は服も表情も冴えない、存在感も極めて薄い巡査部長。定年を目前に控えているが、年下の上司・萩尾に、退職日まで「来ても来なくてもいい」と言われてしまうほどだ。ところが、行きつけの喫茶店で偶然手にした小冊子に掲載された、“琥珀”という喫茶店の記事を見た途端、表情を強張らせる。急きょ有休を取り、新幹線で富山県魚津にある“琥珀”に向かう米田。なぜか25年前の未解決事件「吉祥寺・放火殺人事件」の資料を持って…。そのマスターは、どこか哀しげな目をした荒井敏男(寺尾聰)。さらに港の漁協で働く人妻で、唯一の常連客・平井幸子が加わり、3人でひとときを過ごす。矢継ぎ早な幸子の質問に、いつも無口なのに、つい身の上を語り出す米田。かつて訪れた銀座の喫茶店“白馬”と荒井に接点があることを冊子で知り、懐かしくなってここへ来たという。しかし3人にはそれぞれ事情があった。米田は刑事であることを隠し、荒井は亡き妻の写真に「ごめんね」と語りかけ、幸子はひとりになった途端に笑顔を消し、自宅へ向かう…。それぞれが抱える闇を感じながら、3人は徐々に交流を深めていく。彼らを待ち受ける運命とは――。原作は、歴史小説から現代小説まで幅広く執筆し、多くの読者を魅了し続けている直木賞作家・浅田氏の同名小説。「西田敏行×浅田次郎」のゴールデンコンビによる過去作品は、1999年のドラマスペシャル「角筈にて」から、2001年の「天国までの百マイル」、2003年「ラブ・レター」、そして2010年「シューシャインボーイ」と、これまでも高い評価を得てきたものばかり。数々の賞を受賞した「シューシャインボーイ」から7年、今回は脚本家にNHK連続テレビ小説「ひよっこ」を手がけている岡田惠和、初タッグ共演に寺尾さんを迎え、待望の5作目のドラマスペシャルとなる。西田さん演じる、定年間近のさえない刑事・米田勝己は、役職には就かず現場一筋。頑固な正義感を持ち、仕事は真面目だがおもしろみがなく、妻とは離婚。数日後に定年を迎えるという日に、ある思いから有休を取り北陸・魚津に。止まっていた20数年前の事件が再び動き出すことになる。一方、魚津の寂れた田舎町でひっそりと喫茶店を営む店主・荒井敏男役の寺尾さんは、自分の罪を背負いながら、他人との接触を避けるように休日も家から外出することもなく静かにただ時の流れをじっと待つ日々。だが、米田が訪れたことで隠していた過去が動き始めていく。実際に同年齢である西田さんと寺尾さんは、『半落ち』や『釣りバカ』シリーズなど、これまで何度も同じ作品に出演してきたが、芝居で絡む“シーン共演”は意外にも初めて。“蜃気楼”で有名な北陸・魚津を舞台に、刑事と逃亡犯、不器用な大人たちが織りなすサスペンスフルな展開が時に切なく、心に迫るヒューマンドラマを誕生させた。西田さんは、浅田作品の短編のドラマ化で主演を務めるのは実に5作目。「今回、岡田惠和さんのサイドストーリーを含めた脚色も素晴らしく、密度の濃い芝居ができたので、胸はずむ楽しい撮影現場となりました」とふり返ってコメント。自身が演じる米田という男を「職場では“ダメなやつ”と判子押されるタイプの刑事」というが「相手の心境をおもんぱかる、トゲの無い刑事、とんがってない刑事」とも評する。「今回、コーヒーがポイントポイントで出てきます。寺尾さんが淹れてくれるのが“ネルドリップ”という昔風の淹れ方なんですが、フィルターの中に豆を入れてお湯が沁み渡るまで少しずつ入れると『ひた…、ひた…』と落ちる、これがまた『いいな~』って。ドラマに一味添えてます」と見どころを語り、寺尾さんとの初めてのがっつり芝居には、「『念願叶った!』って感じですね。喫茶店のカウンター越しでのやり取りだけで、僕の想像を超える“過去に何かを持ってる男”という感じがにじみ出ていて…。その横顔を見ているだけで涙が出てきたシーンもありました。やはり、いい役者と一緒にやってると楽しいですね!」と気持ちも入った様子。また、寺尾さんも「同い年でもある西田さんとは一度はちゃんと共演したいと思っていました」と明かし、「僕の中で非常に興味深い俳優だったので、どこかで一度! と思っていたことがあり、やっと実現した、そんな嬉しい気持ちで撮影に臨めました」という。「ただ、役が、捕まえる側と捕まえられる側というあまり近くなりすぎてはいけない感じの役なので、くすぐったいというか、何とも困惑している自分がいる、という面もありました」とふり返った。「荒井という男は、背負っているものを持ちつつずっと身を潜めていた男です。その男を捕まえに来た人が単に捕まえに来ただけの人ではなかった、というのがドラマのベースです。職業から離れた男と男の関係、演じてて楽しかったですね。いい感じに出ていればと、期待しています」と、西田さんと初対峙に自信をのぞかせている。浅田次郎ドラマスペシャル「琥珀」は今秋、テレビ東京系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2017年06月15日フィギュアスケーターでタレントの浅田舞とモデルでグラビアアイドルの馬場ふみかが8日、新宿・歌舞伎町に1年間限定でオープンする「週プレ酒場」オープンイベントに出席した。6月10日にオープンする「週プレ酒場」は、週刊誌『週刊プレイボーイ』(集英社)の創刊50周年の集大成として、週プレ編集部が完全プロデュースする公式酒場。50年の歴史を詰め込んだ店内空間でオリジナルメニューを提供するほか、人気グラビアアイドルがママを務める完全予約制のカウンターバー「週プレ酒BAR」などを展開する。6月5日発売の『週刊プレイボーイ』の表紙&グラビアを飾った浅田は、グアムで撮影した今回のテーマについて「大人セクシー」と説明。「2年半ぶりのグラビア撮影。2年半でいろんなお仕事をさせていただいて、ちょっと年齢的にも大人になったということで、大人セクシーな感じで頑張ってみました」と笑顔で話した。また、「撮影前の2カ月間くらいは、アイスショーの稽古と舞台の稽古で毎日筋トレをしていた状態だったので、筋肉がしっかりついていい具合に締まっていたかな」と自信。馬場が浅田の腹筋を触ると、「すごい! かたい! アスリートって感じですね」と驚き、浅田も"神の造形"ボディと評される馬場のくびれを確かめて、「わーすごい! これどうなってるんだろう? すごいですね。ずっと触っちゃう!」と大興奮だった。イベントには、倉持由香、菜乃花、青山ひかるも週プレ酒場オープンキャンペーンガールとして登場。ビキニ姿でイチオシメニュー「唐揚げ」を報道陣に振る舞った。
2017年06月08日タレントの浅田舞が、舞台『煉獄に笑う』(8月24日~、東京・サンシャイン劇場ほか)で、本格的に女優に初挑戦することが2日、明らかになった。下乳を見せた肉体美あらわな衣装で、妖艶な遊女を演じる。これは、同名のコミックを舞台化するもので、戦国乱世に羽柴秀吉の命を受けた小姓・石田佐吉(後の三成)が、大蛇に関わりがあるとされる曇神社八代目当主・雲芭恋と阿国を巻き込んで、織田家の対抗勢力、伊賀・百地家当主・百地丹波との一戦を向かえるというストーリー。浅田は、遊女かつ情報屋の弓月役を演じ、下乳からヘソまでを見せた肉体美あらわな妖艶なビジュアルも解禁された。浅田は「初のセリフ有りの舞台で、今からドキドキですし、他のキャストの皆さんにご迷惑をかけないよう、頑張ります!」と意気込みをコメント。「原作がコミックで、その中の役を演じるのも初めてのことなので、良く作品を理解し、自分なりの弓月を作り上げられれば」と話している。同舞台は完売が続き、東京で2公演、大阪で1公演の追加公演が決定。東京公演は8月24日から9月3日まで全16回、大阪公演は森ノ宮ピロティホールで9月8日から10日まで全5回にわたって行われる。
2017年06月02日現役を引退した元フィギュアスケート選手の浅田真央さんが24日、名古屋市内で新ウォーターサーバーブランド「Kirala(キララ)」のデビュー記者会見に出席した。Kiralaのブランドパートナーに就任した浅田さんは「お水は本当に大好きで、いつも飲むようにはしているんですけど、大好きなKiraraさんのブランドパートナーになることができてとてもうれしいですし、またこうして名古屋という地で再スタートすることができ、とてもうれしく思っています」と笑顔。質疑応答の時間では、愛知県民栄誉賞の第1号となることが発表されたことについて質問が及び、「愛知県で生まれて第1号の名誉ある賞をいただくことができて、すごくうれしいですし、光栄です」と喜びを語った。「これからどのように第2の人生を進んでいきたいと思っていますか?」という質問には、「もう発表した時点で次に進んでると思います。なので今日ももう既に進んでいるので、これからも進み続けたいなと思います」とコメント。これからの気持ちについては、「ワクワクの方が強いと思います。今回の発表会ではドキドキしております」と話した。最後に、姉でタレントの浅田舞が記者席にサプライズ登場。和やかな雰囲気の中、舞から「引退発表されてからの2週間をどう過ごしていましたか?」と質問されると、浅田さんは「たくさんのお友達からお祝いしてもらって、みんなでご飯を食べたり楽しい時間を過ごしました」と答えた。
2017年04月25日(写真:アフロ) 4月13日、浅田真央が会見を開き、現役引退を発表した。 06年のトリノ五輪は年齢制限の壁が立ちふさがり、当時15歳の浅田は出場できなかった。満を持して金メダルを狙った10年のバンクーバー五輪では、キム・ヨナに惜敗し銀メダルに。そして14年のソチ五輪では、SPでまさかの16位。フリーで完璧な演技を披露したものの、メダルには届かなかった。 そんな浅田を支えてきたのは亡き母・匡子さん(享年48)だった。浅田の叔父はこう語る。 「匡子は12歳で父を亡くし、20歳で母を亡くしています。それからは姉と2人で生活し、ずいぶん苦労もしたそうです。だからこそ、自分の娘たちには好きなことをやらせてあげたいと思っていました」 母を勇気づけるため、浅田もまた“ある決断”をしていたという。 「実はバンクーバー五輪の直後、真央さんは実家の隣地を買い取っていたんです」 そう明かすのは、近所の主婦だ。10年4月、浅田が代表を務める有限会社名義で隣地を購入している。約400平米の土地に建つ木造2階建ての中古物件。そこには、母の夢が込められていた。 「浅田家の隣が売りに出され、それを知った匡子さんが気に入ったそうです。匡子さんは『リフォームして真央のメダルやトロフィーを飾りたい』と嬉しそうに話していました。真央ちゃんはお母さんの生きがいになればと思い、購入したのでしょう。匡子さんは桜の木を剪定させるなど、庭の手入れに励んでいました。夏の暑い日でも汗だくになりながら、雑草取りをしていてね。大変そうでしたが、嬉しそうだったのを覚えています」(前出・主婦) その後も“真央ルーム”完成に向けて頑張っていた匡子さんだが、病状は悪化。そしてついに11年12月9日、匡子さんは48歳の若さで天国へと旅立ってしまった。 母の命が長くないことを覚悟した浅田は、母を看取る前から独り立ちへと向けて動き出していた。マンションで一人暮らしを始め、多忙なスケジュールを縫って自動車の運転免許も取得している。 「それまで送り迎えはお母さんの役割でした。でも真央ちゃんは自ら車を運転して移動するように。『私はもう大丈夫だから!』とお母さんに伝えたかったのでしょう。実は今も真央ちゃんの車とお父さんの車のナンバープレートには、同じ数字が並んでいるんです。お父さんに聞いたところ、『女房の誕生日なんです』と教えてくれました。お母さんへの思いは、今でも家族の心に残っているみたいですね」(別の近所の主婦)
2017年04月18日引退会見から一夜明けた4月13日、浅田真央(26)の姿は名古屋市内にあった。“真央ちゃんショック”が冷めやらぬなか、彼女はひそかに実家へと戻っていたのだ。マスク姿で実家から出てくると、駐車していた車へと乗り込もうとする。そこで記者は声をかけた。 ――浅田さん、今日はお父さんへの引退報告に来られたのでしょうか? 「いや、ワンちゃんもいますから(笑)」 明るい声でそう答える。 ――お母さんの墓前には、どんなご報告を? 「特に何も。でも、報告しなくても(母は)わかってくれているので……」 しみじみと、しかし確信をもったようすで頷いた。 ――本当にたくさんの感動をありがとうございました。 「はい、ありがとうございました!」 車に乗ると笑顔で記者に一礼し、自ら運転して実家を後にした。その表情には、ひとつの区切りをつけた晴れやかさがあった――。 アスリートの枠を超え、国民的ヒロインとして日本中を湧かせてきた浅田。その道のりは苦難の連続でもあった。競技生活21年。ついに届かなかった五輪の金メダル。高い壁にぶち当たるたび、いつも浅田を支えてきたのは亡き母・匡子さん(享年48)だ。 「匡子さんは練習場で『死ぬ気でやりなさい!』と激を飛ばすこともありました。でもそれは娘の夢をかなえという母心。真央さんもそれをわかっていました」(フィギュア関係者) そんな匡子さんだが、バンクーバー五輪で涙を流す娘には「銀メダルってすごいことだよ」と言葉をかけたという。厳しかった母が心からの笑顔で労ってくれる。その優しさに触れた浅田は涙を拭い、再び前を向くことができた。しかし母の身体には病魔が潜んでいた。 「バンクーバー五輪後、匡子さんは肝臓の病気が悪化したため治療に専念することを決めました。真央さんと姉の舞さん(28)は『自分の肝臓を母に移植してほしい』と直訴したといいます。しかし匡子さんは頑として受け入れなかった。そして真央さんに『あなたにはフィギュアを一生懸命頑張ってほしい』と伝えたそうです」(前出・フィギュア関係者) そして11年12月9日、匡子さんは48歳の若さで天国へと旅立ってしまった。 冒頭の話を聞いた翌日、浅田は再び実家から出てきた。祖母を乗せ車に乗り込んだ彼女は、真っ赤なバラの花束を抱えている。向かったのは、匡子さんが眠る墓地だった。 花束を母の墓前にそっと供え、引退報告をした浅田。一般的な和花ではなくあえてバラを選んだのは、匡子さんが好きだったからだろう。墓前の周りを囲むように供えられた赤い花束。それは母とのこれまでを讃えるメダルのように、鮮やかに輝いていた――。
2017年04月18日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○引退決断までの日々、日本のフィギュアスケート界への思い――最終的に2月に引退を決断して、4月に発表。この2カ月くらいはどういう思いだったのでしょうか。いろいろと自分の気持ちの準備だったりもあり、今日に至りました。――引退を決意するまでに「平昌五輪という目標を掲げたのにここでやめていいのか悩んだ」とおっしゃっていましたが、全日本選手権が終わってからの3カ月間、どなたが一番決断を後押ししてくれたのか。家族だったり、お友達だったり、知っている方に相談はしました。みなさんそれぞれいろいろなアドバイスはくれたんですけど、最終的に決めたのは自分自身。その中でも旅行に行ったり、いろいろ今まで行けなかったところに行ったりして、考えながら日々を過ごしてきて、決断をしました。――21年間という競技人生の中で、一番大切にしてきた言葉はありますか?この決断をしてから、本当にたくさんの方が温かい言葉を送ってくださったので、私自身本当に晴れやかな気持ちで今この場にいます。なので、やはり「感謝」という気持ちはこれからも忘れずに進んでいきたいなと思います。――こうやってスケートが日本でブームになって、世界でも強い国になったことに、自分はどう貢献できた、力になったと思っていますか?私が小さい頃は伊藤みどり選手をはじめ、本当にたくさんのトップのすばらしいスケーターがいました。そのスケーターの方々を見て、私もこうなりたいと思って、ずっとそれを目指してやってきました。ジュニアやシニアに上がってからは、スケーターがみんなそれぞれ強くて、魅力のある選手ばかりで、それぞれがいい刺激をし合いながら、切磋琢磨して頑張ってきました。そして、それを応援してくださるメディアの方やファンの方がいたから、ここまでフィギュアスケートもたくさん注目されるスポーツになったんじゃないかなと思っています。なので、これからのスケーターの子たちには、みんなでそれぞれ高めあって、刺激し合いながら、頑張っていってほしいなと思っています。○世界を感動させたソチ五輪のフリー「やるしかない」――ソチ五輪のショートプログラムから数時間の間に、どのようなきっかけで立ち直って、あの世界中が感動したフリーの演技につなげることができたのか、きっかけを改めて聞かせてください。ショートが終わってからは「あぁ、日本に帰れない」と思って、すごくつらい思いもしたんですけど、フリーの当日の朝もまだ気持ちが切り替わっていなくて、「このままで大丈夫なのかな」という形で公式練習を終えました。でも、試合が近づくにつれて、メークをして、アップをして、リンクのドアを出た瞬間にすごい会場で、「これはやるしかないな」という思いが出てきて、ようやくそのときに「やるしかない」と思いました。――競技が終わった瞬間はどうでしたか?最後のポーズは上を向いていたんですけど、「あぁ、終わった」って思いましたね。それと同時に「あぁ、良かった」という思いがこみ上げてきて、ちょっと涙してしまったんですけど、バンクーバーのときも悔し涙を流していたので、泣いてちゃダメだなと思って、頑張って笑顔にしました(笑)○新たな世界へ進む今の心境、競技人生で大事にしてきた信念――これから違う世界に進むことで、今考えていることは?また新たな一歩だと思ってます。でも、不安とか何もなくて、ただただ前にある道を進んでいくだけだと思っているので、これからも新たな経験をして、元気に前を見て進んでいきたいなと思っています。――(ロシアの)プルシェンコ選手も先日引退を発表しましたが、長く同じ競技の世界で戦ってきた仲間として思うことはありますか。私よりも長い選手生活で、本当にたくさんの記録を残してきて、本当にたくさんの人を魅了してきた選手だと思います。心から「お疲れさまでした」と言いたいです。――浅田さんの前を向く姿というのは本当に印象的だったのですが、大事にしてきた信念はどういうことですか?ちっちゃい頃から変わらないんですけど、一日一日もそうですけど、何かこれをしたいという目標を持ってやってきました。なので、目標を達成するという強い気持ちを持ってずっとやってきたつもりです。――選手生活を終えて、一番やりたいことは?1月、2月、3月と時間があったので、旅行に行ったり、おいしいものを食べたりすることができました。○キム・ヨナ選手への思い、引退決めた全日本選手権での心境――(韓国の)キム・ヨナ選手と競い合ってきました。彼女への思いは、あらためていかがでしょうか。私たちは15、16歳頃から一緒にジュニアの試合やシニアの試合に出てきました。本当にお互いにいい刺激を与えながら、もらいながら、ずっとスケート界を盛り上げてきたんじゃないかなとは思っています。――最後の全日本選手権はどんな気持ちで臨み、何が「もういいかな」と思ったのでしょうか。試合に向かう気持ちというのは、一つ一つの試合変わらないんですけど、常にノーミスをする、完璧な演技をする、自信を持って滑るというのを考えていました。演技が終わった時に、やはり完璧ではなかったですし、自分の現役生活最高の演技ではなかったので、少し悔しい気持ちもあったんじゃないかなと思います。その後、キスアンドクライに座って、得点と順位が出た時に「あっ、もういいのかもしれない」という風に思いました。――「もういいのかもしれない」というのはどういうことですか?全日本選手権は12歳から出場しているんですけど、一番残念な結果で終わってしまって、その結果も一つ大きな決断に至るにあたって大きな出来事だったんじゃないかなとは思っています。○平昌五輪について、オリンピックという舞台について――もしも一度だけ過去に戻れるとしたら、いつの自分にどんな言葉をかけてあげたいですか?26年間ですもんね。あぁ難しい(笑)。でも戻ることはないと思うので、パッと答えは出てこないですね。――今、平昌五輪についてどういう風に思われますか?あと1年で平昌五輪ということで、たぶん選手の方々はみんなそれぞれいろんな思いを持って日々生活していると思います。なので私は、エールを送りたいです。――真央さんにとってオリンピックの舞台は、どういう場所だったでしょうか。うーん、やはり4年に一度ですし、選手である以上はそれを目指して私も小さい頃からやってきたので、そこに出られた、そしてメダルを取れたということは本当に良かったなと思いますし、オリンピックは本当に素晴らしい舞台だなと思います。○もし生まれ変わるとしたら「スケートの道は行かないと思う」――もし生まれ変わるとしたら、もう一度フィギュアスケーターになりたいですか? それとも別のものになりたいですか?今こうして26歳までスケートをやって、すべてやり切って、もう何も悔いがないので、もしもう一度人生があるなら、スケートの道は行かないと思います(笑)――例えば何になりたいですか?本当にいろいろありますね。なんだろう。食べることが大好きなのでケーキ屋さんとか、カフェとか、レストランだったり、そういうのをやっていたのかなとも思ったりもします。○浅田真央のポリシー「自分が言ったことはやり遂げる」――「自分が言ったことは必ずやり遂げる」というポリシーは、どなたから授かった教えなのでしょうか。やはり母かなと思います。あとは、こういう性格なので、すごく頑固っていうんですかね。普段はそんなことないんですけど、自分が決めたことに関しては一応、頑固なつもりです(笑)――そのポリシーを貫いた最初の体験はいつだったか覚えてらっしゃいますか?しっかり覚えているのは、小さい頃に毎年、野辺山合宿という新人発掘合宿が長野県であるんですけど、そこで絶対トリプルアクセルを跳ぶと決めて合宿に行って、初めて降りた(成功した)というのが一番記憶にあります。――そこが現在の浅田真央という素晴らしいアスリートの原点と考えてよろしいでしょうか。自分で言うのもあれですけど(笑)、その時に目標を達成するとこんなにうれしいんだなって、また頑張りたいなと思えた時でした。○結婚の予定は「ない」、プロスケーターとしての思い――ご結婚のご予定はありますか?ないです(笑)。でも、お相手がいれば、その方と一緒に帰れたんですけどね(笑)――例えば(福原)愛ちゃんみたいに台湾の方と結婚なさるのは可能でしょうか? あと、ずっと寒いリンクにいらっしゃったので、暖かい所、例えば台湾でのんびりしたりとかすることはあるのでしょうか。(台湾から来た記者からの質問)私、愛ちゃんとお友達なので、もし台湾の方でいい方がいれば、ご紹介してもらいたいなと思います(笑)。本当に一つ行ってみたいところが台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます。――今後、プロスケーターとして活躍されているご予定かと思いますが、どういうスケートを見せていきたいと思いますか?一番近くにあるのは「ザ・アイス」なので、まだプログラムも作ってないんですけど、エキシビションナンバーを作ります。そのエキシビションナンバーで、今までのスケート人生のすべてを注ぎ込めるように、そういうプログラムを作っていきたいと思います。○涙をこらえながらの最後のあいさつ皆さん今日は本当にどうもありがとうございました。発表してからは本当にこの2日間、温かい言葉をいただいて、私も本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました。えー、(涙がこみ上げる)えー、スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて笑顔で…(涙を見せまいと後ろを向き、振り返る)前に進んでいきたいと思っています。(再び後ろを向き、振り返る)皆さん応援どうもありがとうございました。
2017年04月13日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○今後はまず、今年7月の「ザ・アイス」のアイスショーでいい演技を――今後どんな仕事をしていくのか注目されると思うんですが、自分の中でどんなプランがありますか?まず、もうすぐ夏にあるのが「ザ・アイス」のアイスショーなので、そこで選手生活を終えて初めて皆さんの前で滑れるので、いい演技を目指して頑張りたいなと思っています。――フィギュアスケートにどういう形で携わっていきますか?やはり私は5歳からスケートを始めて、今までスケートにお世話になりました。なので、これからどんな形であってもフィギュアスケートに恩返しができるような活動はしていきたいなと思っています。――具体的なプランはこれからという感じですか?そうですね、はい。――日本フィギュア界についてうかがいます。浅田さんに憧れてスケートを始めた選手たちが今、トップスケーターになってきました。そういう環境も含め、日本フィギュアスケート界の今後についてエールをお願いします。引退された大先輩の方をはじめ、私も引退をすることになったんですけど、今まで本当にスケート界を引っ張ってこられたかなという風に思っています。これからは、今若い選手がどんどん出てきていますので、若い選手が若いパワーでフィギュアスケート界を引っ張っていってほしいなと思います。○フィギュアスケートは「私の人生」――浅田真央さんにとってフィギュアスケートは、あらためて振り返ってどんな存在ですか?存在…うーん。どんな存在ですかね。難しいですけど(笑)、一言で言うと、やはり人生かなと思います。――今、自分を褒めたい部分はどういうところですか?私、けっこう飽きてしまうことが多いんです。ハマってしまったらそれにハマってしまうんですけど、それがすぐに飽きちゃう性格で、でもスケートは5歳から26歳まで続けてこられたので、『長い間すごいね、続けてきたね』って言いたいです。――そういった意味では、どういうスケート人生でしたか?やはり私のすべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です。――ファンの皆さんにも一言お願いします。本当にたくさんのファンの方が私のことを応援してくださって、本当に長い間、良い時も悪い時もあきらめずに応援してくれていたので、私もすごくそれが励みになりましたし、すごくパワーになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。○引退を迎えた今は「晴れやかな気持ち」、白スーツに込めた思い――アスリートなら誰もが迎える引退の日。自分がイメージしていた形と、実際この日を迎えられて、いかがでしょうか。本当に発表するまで、あまり自分の中ですごい実感というのはなかったんですけれど、またこうしてあらためてここに座って、今までのことを振り返りながら話していると、少しずつ、引退するんだなという気持ちがわいてきますね。――気持ち的には、寂しいのか、少しほっとしているのか、すがすがしいのか、いかがでしょう。本当に気持ちはすごく晴れやかな気持ちです。――これからスケート靴をあまり履かない生活、リンクから離れて少し暖かい生活が待っています。そうですね。私は1月から4月まではスケート靴を持たず、滑らずにずっといました。でも7月にショーがあるので、もう滑り始めます。――現役生活でやり残したこと、悔やむことはありますか?決断するにあたって、本当にたくさん悩みました。そういったやり残したことは何だろうと思うことがなかったので、それだけ本当にすべてやり尽くしたんじゃないかなと思います。――今日は白いブラウスに白いジャケットというお召し物ですが、その真っ白なお洋服に込められた思いはあるんですか?黒のスーツか白、どちらにしようかいろいろ悩んだんですけど、自分の気持ちとしては本当に晴れやかな気持ちなので、この服を今、着ています。○こだわり続けた"ノーミス"、代名詞の"トリプルアクセル"への思い――これまでの真央さんの競技人生の中で、何度も出てきた言葉というのが「ノーミス」だったと思うんですが、そこまで完璧、パーフェクトにこだわり続けたのはどういう思いがあったんですか?やっぱり失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて練習してきているからこそ、誰もがミスしたくないと思う。でも、自分は試合にそんなに強いタイプではなかったので、あえて自分で言っていたんじゃないかなと思っています。――真央さんと言えばトリプルアクセルだと思うんですが、真央さんにとってトリプルアクセルはどんなものですか?私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので、本当に跳べた時はすごくうれしかったですし、自分の強さでもあったと思うんですけど、その半面やっぱり悩まされることも多かったです。――真央さんは5歳の時にスケートを始められましたが、今タイムスリップして5歳の時の自分に会うことができたら、どんな言葉をかけますか?うーん、難しいな(笑)。そうですね。「がんばって」って。やっぱり私はこれだけフィギュアスケートをやっていて、たくさんの方に応援してもらえて本当に幸せだなと思いました。なので、大変なこともあったんですけど、自分に対してエールを送ると思います。――以前、浅田選手が子供さんたちと接している様子がすごく印象に残っているんですが、浅田選手の経験から、日本、世界の子供たちに何かアドバイスというか、声をかけられることがあるとしたら、どんなことでしょうか。私は小さい頃から本当にスケートが大好きで、ただただスケートが大好きでやってきました。なので、今から始める子だったり、今頑張っている子には、「スケートを大好きな気持ちを忘れないでね」って言いたいかなと思います。私も子供が大好きなので、以前にもスケート教室とかやっていたんですけど、また機会があればぜひやりたいなと思っています。――あえてトリプルアクセルに声をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいですか。難しい(笑)。トリプルアクセルに声をかけたい、声をかける…どうしよう。うーん、「何でもっと簡単に跳ばせてくれないの?」って感じです(笑)○フィギュア人生の支えとなった「目標」と「応援」――ここまで(フィギュアスケートを)続けてこられた支えとなったものは?一つは自分の目標ですね。それだけではないですけど、たくさんの方に支えられて、そして、たくさんの方の応援があったからだと思っています。――今年の世界選手権の平昌五輪の出場枠が3から2になることが決まりましたが、それをどう受け止めていたのか、それが引退の決断に影響したのか。さっき自分で言っていた、「平昌五輪に出るという目標をやめてしまう自分を、許せるのかな、許せないのかな?」と思いながらずっと過ごしてきて、でも最終的に、最後に話し合いをして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したというわけではなくて、自分自身が最後は決めることですし、そんな感じで決めました。2枠になってしまったことに関しては残念なことではあると思うんですけど、その2枠をたくさんの選手の子たちが争うわけなので、本当にハイレベルな試合になるんじゃないかなと思っています。
2017年04月12日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○冒頭のあいさつで引退をあらためて報告本日はお忙しい中、このような場に集まりいただき、ありがとうございます。またあらためてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました。長い選手生活だったんですけど、たくさん山がありました。そのたくさんの山を乗り越えられたのも支えてくださった方やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています。今日は感謝の気持ちをみなさんにお伝えできればと思いこのような場を設けさせていただきました。○「あぁ、選手生活終わるんだな」という気持ちに――まずはお疲れ様でした。ありがとうございます。――2日前にブログで引退を表明されて、あらためて今どんな心境ですか?まず、この場に入ってきたときに、これだけにたくさんの方がいらしてくださっていたので、私自身ちょっとびっくりしたんですけど、今はちょっと落ち着いています。――いろんな人から引退を発表してからに言葉を掛けられたと思うが、印象に残った言葉は?そうですね。本当にたくさんの方が連絡をくださったんですけど、皆さん本当に「お疲れさま」っていう言葉をかけてくださったので、私自身も「あぁ、選手生活終わるんだな」という気持ちになりました。――親しい人への報告はどのような形でされましたか?少し前ですけど、家族だったり、友達に報告しました。――印象に残る言葉はありましたか?みんな「お疲れさま。よく頑張ったね」って言ってくれました。○昨年12月の全日本選手権で引退決意、平昌五輪という目標との葛藤も――引退はどのくらいの時期から考えたのでしょうか。私は復帰してからいい形でスタートできたんですけど、そこから練習するにつれて、試合に出るにつれて、今のスケート界の時代はすごいので、私自身も「ついていけるのかな」という思いが強くなったり、あとは気持ちだったり体の部分で、復帰前よりつらいことが多くなりました。何とか1シーズンは乗り切れたんですけど、2シーズン目からは「なんとかなんとか頑張ろう」という思いだけでやってきました。でも、(昨年12月の)最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなという風に思いました。――全日本選手権から今まで3カ月くらいありましたが、その間はどんな思いでしたか?やはり、自分が復帰してからずっと掲げてきた平昌五輪に出るという目標があったので、私自身、自分が言ってしまったこと、目標をやり遂げなきゃいけないと思っていたので、自分の言ってしまったこととの葛藤はありました。――具体的には、いつ頃決心したのでしょうか。全日本選手権が終わって、すべて結果が出た時に「あぁ、もう終わったんだな」という風には思いました。でも、日がたつにつれて、やっぱり自分が言ってしまったことは今まで最後までやり通してきたので、「やらなきゃいけないんじゃないかな」という思いの方が強くて、ここまで延びてしまいました。○晴れやかな表情で「全部出し切ったので何も悔いはない」――平昌五輪への思いもあったと思いますが、それを上回るくらいの達成感があったということでしょうか。そうですね。私はソチ五輪が終わってから、最高の形で終えることができたんですけど、自分の体もまだまだできますし、自分の気持ちもまだまだやれるという思いがあったので復帰しました。でも、自分が実際挑戦してみて、もう気持ちも体も、自分の気力も、全部出し切ったので、今は挑戦して何も悔いはないです。――最後の大会となった全日本選手権でトリプルアクセルに挑みました。その挑んだ気持ちも含めて振り返っていかがですか。最後になるのかなという気持ちは、ソチ五輪の後の世界選手権の時ほどではなかったんですけど、最後トリプルアクセルを挑戦して終えられたことは自分らしかったかなとは思います。○現役生活を振り返って――現役生活を振り返って、初めてスケート靴を履いた日のことを覚えていますか?私は5歳だったので覚えてないんですけど(笑)、でもヘルメットをかぶってスキーウエアを着て、肘当て、膝当てをしていたのは写真に残っているので覚えています。――スケートをやってきて一番楽しかったことは?小さいころに、フィギュアスケートはいくつも技があると思うんですけど、その技ができるようになった時は本当に楽しい気持ちで、じゃあ次に2回転を跳びたい、次3回転を跳びたいという思いがすごい楽しかったですね。――逆につらかったことは?つらかったことはそんなになくて、この道を選んできたのも自分ですし、自分がやりたいと思って望んでやってきた道なので、つらいと思ったことはありません。○2度のオリンピックは「いい思い出」、3度の世界選手権優勝も振り返る――2回のオリンピックを振り返って、まずは銀メダルを手にしたバンクーバー五輪(2010年)の思い出を振り返っていかがですか?バンクーバーは19歳だったんですけど、10代で若くて、本当に気が強くて、その強い気持ちだけで乗り越えてきたなという感じがします。――そして、4年後のソチ五輪では素晴らしいフリーの演技で感動を与えてくれました。ソチ五輪は、やはりショートが残念な結果だったので、本当に気持ち的にはつらい試合ではあったんですけど、フリーでああいう形で最高の演技で終えることができて、あの気持ちの状態から、バンクーバーからソチ、4年間の思いをすべてその4分間に注ぎ込めたと思っています。――2度のオリンピックの経験はどんな経験になりましたか?私の今後の人生においても、すごくいい経験だったり、いい思い出だったのかなと思います。――3回の世界選手権優勝は日本人最多です。印象に残っていることはありますか?2回世界選手権で金メダルを取ったときは、すべてオリンピックの後の世界選手権だったので、オリンピックの悔しさを世界選手権で晴らせた大会だったかと思うんですけど、最後の世界選手権は自分の気持ちの中では「最後」と思って臨んだ試合だったので、今までのスケート人生をすべてそのプログラムにぶつけた試合だったので、最後の世界選手権は一番思い出の強い試合でした。○最も印象に残っている演技は「ソチ五輪のフリー」――現役生活を振り返って、もっとも印象に残っている演技を選ぶとすると?難しいですね。やっぱり一つというのは難しくて、うーん。でもやっぱり、ソチのフリーかなと思います。――あの時間にこめた思いは大きかったですか?そうですね。気持ちがすごい、今までの試合以上に落ち込んでいたり、つらかったりした部分もあったんですけど、それでもあれだけの挽回の演技ができたことに関して、それがソチ五輪だったということが、一番よかったのかなと思います。――長く指導を受けた2人のコーチについてうかがいたいと思います。まずは山田(満知子)コーチにご報告されたと思いますが、どんな思いがありますか?満知子先生は小さい頃に指導を受けていたんですけど、本当にスケートの楽しさだったり、挑戦する楽しさを教えてくれました。でもその一方で、スケートだけではなく、いろんなことを教えてくれた先生です。――そして、佐藤(信夫)コーチへの思いはいかがでしょうか。佐藤コーチは大人になってから指導を受けたんですけど、やはり自分の意志もすごく強いので、先生といろいろ話し合いをしたりする機会も多かったんですけど、自分の意見もしっかり聞いてくださって、それを静かに見守ってくれていた先生でした。――特に休養から戻ってきたからの2シーズン間は、佐藤コーチとのやりとりもいろいろあったと思います。振り返ってみて、復帰してからこの2年間の意味をどう捉えていますか?ソチ五輪のシーズンで世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、本当に今もまだできたんじゃないかなと思っていたと思います。でも、自分が望んで復帰して、チャレンジして出した結果なので、本当に今は何もやり残したことはないので、そういった意味でもう一度チャレンジすることができて良かったなと思っています。
2017年04月12日