「ごはんとくらし」をテーマに本づくりをする出版社、アノニマ・スタジオ(所在地:東京都台東区)は、若菜晃子さんの旅の随筆集三部作『旅の断片』、『途上の旅』につづく、『旅の彼方』を12/26(火)に発売します。『旅の彼方』詳細: 『旅の彼方』刊行記念 旅の随筆集三部作特集ページ: 刊行を記念して、12/19(火)~12/24(日)まで銀座の森岡書店で刊行記念展を開催します。こちらでは新刊『旅の彼方』の先行発売、店主・森岡督行さんとのトークイベント(19日夜)、旅のスケッチやここでしか見られない著者の旅の拾いものなどを展示します。『旅の彼方』書影■『旅の彼方』について登山専門出版社の編集者を経て、文筆家・編集者として活躍する若菜晃子さんが長年にわたって旅をして出会った自然や人、自らとの対話などを丁寧な文章で綴る随筆集。「この一瞬は今このときだけのもの。」当たり前のようでいて出来ていない、「今このとき」を生きる尊さに気づかされます。24カ国の旅先、全87篇を収録、美しく簡素な佇まいの造本も魅力です。<目次>・旅の空・ロシア カムチャツカのおばさん・英国 湖水地方の秋・旅と書物・忘れじの味・タイの午後・人々の街角・旅のあとさき・南アフリカの籠・滞在国・都市名一覧<書籍概要>タイトル: 旅の彼方著者 : 若菜晃子価格 : 1,760円(税込)発売日 : 12月26日(火)ページ数: 320ページ仕様 : 四六変形判 上製ISBN : 978-4-87758-856-4発行元 : KTC中央出版 アノニマ・スタジオURL : 【本書のご購入はコチラ】・Amazon: ・楽天 : ■[著者]プロフィール若菜晃子(わかなあきこ)1968年兵庫県神戸市生まれ。編集者、文筆家。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。「街と山のあいだ」をテーマにした小冊子『murren』編集・発行人。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』、『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(講談社文庫)、『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)、『街と山のあいだ』、『旅の断片』、『途上の旅』(アノニマ・スタジオ)などがある。【本件に関するお客様からのお問い合わせ先】アノニマ・スタジオ(中央出版株式会社)TEL : 03-6699-1064お問い合せフォーム: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年12月15日旧統一教会の関連施設を訪問していたことが報じられた生稲晃子議員(54)。議員としての活動は本格化していないにもかかわらず、早くも窮地に立たされている。7月の参院選で初当選を果たした生稲議員。公示直前の6月、萩生田光一政調会長(58)に連れられ、選挙の支援を要請するため旧統一教会の関連施設を訪れていたという。「これについて生稲議員の事務所は17日、『新人の立場なので、多くの方に政策を聞いていただきたいという思いでスタッフが判断した』と説明しました。これほどの大問題ですからまず初めに自らの言葉を示す必要があったと思いますが、初手から事務所任せの生稲議員の対応は批判が殺到していました」(全国紙記者)生稲委員は18日にようやくメディアの前に立ち、“暑かったので顔を治すことや、間違いないように喋ることに必死だったため、そのときは旧統一教会の関連施設という認識はなかった”と釈明。しかしそうした説明に国民からの納得は得られず、火に油を注ぐ形となった。そもそも生稲議員は、選挙期間中から物議を醸す行動がたびたび取り沙汰されていた。「NHKの候補者アンケートにはほぼ無回答で提出したかと思えば、東京新聞のアンケートでは他の候補者の回答と酷似した内容を提出したとして波紋を広げていました。また毎日新聞によるアンケートの“富裕層への課税強化”についての項目に『反対』と回答したいっぽうで、朝日新聞の同じ項目には『強化すべきだ』と矛盾した回答をしていました。そのたびに、“本当に自分自身で考えて回答しているのか?”と疑問の声が上がっていました」(政治部記者)すっかり批判一色となった生稲議員。だがもともと、彼女の周りはあたたかいエールがあふれていたはずだった。15年11月、彼女は本誌で4年8カ月にも及ぶ乳がん闘病と乳房再建手術の経験を初めて告白した。当時、その勇気ある公表は大きな反響を呼び、読者からも応援の声が続出していた。「生稲議員は元おニャン子クラブと知名度もありますし、もともと彼女の生き方に共感する人はいました。さらに生稲議員は参院選出馬に際し、“病気を抱えながら働いていく人を支援したい”と自身の闘病経験を踏まえて意気込んでおり、それに励まされた人も少なくありませんでした。このように本来、彼女のまわりには応援してくれる人が大勢いたはずなのです。しかし今の彼女は自民党の看板を気にするあまり、自分自身の考えを伝えることができていません。その結果、批判一色となっています。今の彼女にとって本当に大切なのは新人として足並みをそろえることではなく、自分の言葉でしっかりと本音を話すことなのではないでしょうか」(前出・全国紙記者)参議院議員としての任期は、これから6年間続く。起死回生なるか。
2022年08月23日8月18日10時半ごろ。閑静な住宅街にある自宅から現れたのは、ベージュのスーツ姿の生稲晃子議員(54)だった。「旧統一教会の関連施設を訪問していたと報じられた件について、お話をうかがえますか?」本誌記者が声をかけ続けたものの、生稲氏はなぜかニコニコとほほ笑むだけで言葉を発しようとしない。秘書とともに黒塗りの車に乗り込み、去っていったーー。安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件以来、自民党の政治家たちとの蜜月ぶりが続々と明るみに出ている旧統一教会。7月の参院選で初当選を果たした生稲氏も、萩生田光一政調会長(58)に連れられ、公示直前の6月に旧統一教会の関連施設を訪問していたと報じられた。本誌が直撃した1時間ほど後、生稲氏は自民党本部で「統一教会の関連施設という認識はなかった」と釈明した。「この前日に生稲議員の事務所から“旧統一教会の関連施設を訪れたのはスタッフの判断だった”とのコメントが出ていましたが、生稲さん自身がこの問題に言及するのは初めてでした。日本中が関心を寄せている出来事ですから、本来なら初めから事務所任せにするのではなく、自分の言葉で話すべきだったと思うのですが……。それに釈明中も時折笑顔を見せたり、“訪問時は暑かったので顔を直すことに必死で……”などと語ったり、あまり危機感を覚えているようには見えませんでした」(政治部記者)元アイドルという肩書や乳がんとの闘いを乗り越えたという経歴を持つだけに、生稲氏は当初は自民党の“目玉候補”だった。「選挙中のメディアのアンケート調査に、同じく自民党の朝日健太郎議員(46)の回答と酷似した内容を提出したことが波紋を広げていました。ほかのアンケートにもほぼ無回答で提出していましたが、これは事務局責任者のミスだとしています。有権者からは生稲議員の“芯のなさ”を批判する声が上がっていました」(前出・政治部記者)そもそも生稲氏が出馬したのも、自らの“確固たる意志”というわけでもなかったようだ。「生稲さんの出馬は、萩生田さんが主導しています。というのも、萩生田さんと参院幹事長の世耕弘成さん(59)は“おニャン子クラブ世代”。『生稲さんはいいよねえ!』と2人で盛り上がり、派閥会長の安倍さんに相談すると『いいんじゃないの』と返答があり、出馬の話がまとまっていったそうです」(自民党関係者)萩生田氏らに流されるがままに出馬し、釈明も求められることになる選挙活動を経て議員となった生稲氏。前出の自民党関係者は、身内ながら冷ややかな目線を向ける。「国会が閉会中ということもありますが、永田町で生稲さんを見かけたという話も全然聞かないし、支援者回りをしているという話も聞きませんね。生稲さんと同じくタレント出身の三原じゅん子さん(57)は、当選後しばらくは実績を残せずにいましたが、地道に活動を続けた努力が実り、厚労副大臣などの役職を務めています。生稲さんも今回の件に腐らずにやってほしいとは思いますが、萩生田さんや派閥の先輩議員の言うことを受け入れるばかりの現状を見ると、政治家としての信念があるとはとても思えません」■おニャン子時代の“同僚”も生稲を批判おニャン子時代の同僚も現在の生稲氏の姿勢には批判的なようだ。「生稲さんがおニャン子時代に出演していた『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の司会だった吉田照美さん(71)です。吉田さんは自身のツイッターで“生稲さんが訪れた施設が旧統一教会関連のものだと知らなかったはずがない”と指摘する一般の人の投稿を拡散しています。吉田さんは’17年にラジオ番組で生稲さんと共演し『夕ニャン』時代の思い出話をしていましたが、旧統一教会問題にも“スタッフの判断”と他人任せの生稲さんにはさすがに呆れているのではないでしょうか」(スポーツ紙記者)しかし、生稲氏のこうした“主体性のなさ”は今に始まったことではないようでーー。「『夕ニャン』の収録スタジオでまだおニャン子に入ったばかりの生稲さんとすれ違ったことがあります。最初はきちんと挨拶をしてくれたので“いいコだな”と思いましたが、翌月に会ったときは一切挨拶してくれなかったんです。『夕ニャン』のスタッフに聞くと、“先輩メンバーに影響されて、自分にプラスになるスタッフにしか挨拶しなくなったんだよ”と言っていました」(芸能プロ関係者)芸能関係者も語る。「生稲さんが’03年に結婚した旦那さんはかつてCM制作会社のプロデューサーとして活躍していて、生稲さんの仕事にも意見をすることがあったと聞いています。生稲さんは結婚後3年弱ほど所属していた芸能事務所があるのですが、それも旦那さんのアドバイスをそのまま受け入れてのことだったそうです」政治評論家の有馬晴海氏も、生稲氏の政治家としての資質に疑問を呈する。「彼女は今回の旧統一教会の問題について今後も問われ続けるでしょう。国会議員ですから、タレント時代のように“時がたてば世間は忘れる”というふうにはいかないのです。“当選できそうなタレント”というだけで自民党に擁立されたようですが、それに意見も持たずに乗っかる生稲さんはいかがなものかと思います。これから6年間の任期ですが、すでに前途多難です」生稲氏は6年間のうちに重大問題に際しても“笑顔でスルー”の生き方を卒業し、自分の意見を語ることができる“本物の政治家”になれるのかーー。
2022年08月22日「まったく見てなかったんですね。だから(統一教会の関連施設とは)知りませんでした」8月18日、囲み会見でそう弁明した自民党の生稲晃子参院議員(54)。参院選目前の6月に、萩生田光一政調会長(58)とともに統一教会(世界平和統一家庭連合)の関連施設を訪問していた。生稲議員は<演説をお聞きの人より、他にも仲間が集まっているのでお話を聞かせてもらいたいとのご依頼があり>(事務所コメント)、スタッフの判断で施設を訪問。岸田首相の指示で統一教会とのつながりを調べているときに、同施設が統一教会の関連のものだと初めて分かったと主張している。政治部記者はこう嘆息する。「選挙戦前の1分1秒が惜しいときに、何の下調べもせず、どこの団体のものかわからない施設に行くわけがないでしょう。仮に、訪問先が暴力団の関連施設だったらどうするんですか。統一教会の施設だとわかっていたに決まっている」もっとひどいのが、一緒に施設を訪問した萩生田議員の弁明だ。萩生田氏は統一教会との関係を認めたうえで、「昭和の時代の関連商法のことなどは承知をしておりましたが、その後悪い噂を聞くこともなかったですし、そういった報道に接する機会もなかったもんですから」(8月18日会見より)と言い放った。「統一教会の問題がもっとも報じられたのは『昭和の時代』ではなく、平成です。近年も、判決が出るたびに霊感商法の問題はたびたび報じられてきましたし、国会の質疑でも取り上げられています。萩生田さんは新聞もとらず、国会の答弁も聞いていなかったということでしょうか」(前出・政治部記者)いま、統一教会との関係を突っ込まれた政治家がこのような非常識な弁明で逃げることが常態化している。「いわば『バカのふり』ですよ。関係を否定するには証拠や証言がそろいすぎている。かといって、知ってて関係を結んだとなると道義的な責任が出てくる。だから、自分が関わった団体が統一教会の関連団体と知らなかったことにしたり、そもそも統一教会が問題のある団体だと知らなかったふりをしているのです」(衆議院議員秘書)■高市早苗氏も非合理な弁明たとえば、総務大臣政務官に抜擢された自民党の杉田水脈衆議員議員(55)。2016年に米国の教団関連施設で講演、2019年にも講師として参加した熊本県での講演会の主催者の一人が統一教会の信者だったことが指摘されている。しかし、いずれも「知らなかった」と弁明した。「米国までいくのに、どういう団体や施設での講演であるかを調べないはずがない。熊本県の関連組織だって、すでにネット上では統一教会との関係が指摘されていました。本人も、事務所の人間も、パソコンやスマホも持ってなかったのでしょうか」(前出・政治部記者)さらに、統一教会と関係が深い世界日報社が発行していた月刊誌「ビューポイント」で、2001年に対談を行っていたことが発覚した高市早苗経済安全保障担当大臣(61)。《日本で一部の情報検索サービスが開始されたのは、2001年の対談の5年前ですが、事務所では未だ利用していませんでした。スマホが初めて米国で販売されたのは、対談の6年後。今ほど手軽に様々な活字媒体の背景を調べることは困難な時代でした》そうツイッターで弁明している。週刊誌のベテラン記者はこう首をかしげる。「もともと高市さんはキャスターとして活動していたメディアの人です。世界日報社が“統一教会関連”なのは業界の常識でしたし、調べようと思えば知り合いのメディアの人間にでも聞けばすぐにわかったこと。20年前のことなんですから、こんな変な弁明をするより、『当時は認識が甘かった』と言われた方がよっぽど腑に落ちます」■本当に知らないなら政治家として不適当ほかにも複数の自民党議員が非常識な弁明で追及を逃げている。だが、「究極の『バカのふり』は日本維新の会の松井一郎大阪市長かもしれない」(前出・政治部記者)という。松井氏は、過去に統一教会の関連団体である国際勝共連合の集会に参加していたことを認めたうえで、「勝共連合という団体があったことをはじめて知った」と言い放った。「松井さんは日本維新の会の代表でもあるわけです。国政にかかわる人間が、50年以上にわたり日本の政治に関与してきた国際勝共連合の存在を知らないはずがない。さらに、松井さんの父で、大阪府議会議員だった松井良夫さんは政界のフィクサーといわれた笹川良一さんの付き人をやっていました。国際勝共連合の初代名誉会長はその笹川さんです。知らなかったというのはあまりに無理がある」(前出・政治部記者)統一教会についての追及をかわそうとする政治家たち。最後に、前出・衆議院議員秘書はいう。「“ググったり”、人に聞けばすぐにわかる情報を調べる能力もない、秘書に調べさせることもできないなら、それは著しく能力が低いということですから、今すぐ国会議員や首長をお辞めになった方が日本のためです。『バカのふり』で追及をかわそうとしているのなら、それは倫理的に政治家の資質がない。いずれにせよ、政治家をお辞めになるべきでは?」
2022年08月20日7月の参院選で東京選挙区から出馬し、初当選した生稲晃子議員(54)。8月3日召集の臨時国会では新人議員として登院する姿が注目を集めたが、当選早々に波紋を呼ぶ出来事が。「デイリー新潮」は8月16日、萩生田光一政調会長(58)が参院選の選挙期間中に生稲氏を伴って統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)の関連施設を訪問し、支援を要請していたと報じた。10日に発足した第2次岸田改造内閣では、統一教会やその関連団体との関係を認めた閣僚7人が交代。教団の関連イベントに出席したことを公表していた萩生田氏は、経済産業相を退いたものの新たに政調会長に就任し、会見では教団との関わりについて、「今後は一線を画すと決めた」と言明していた。しかし「デイリー新潮」によると、萩生田氏は’09年~’12年までの間に月1~2回のペースで八王子市内の教会施設を訪問し、演説をしていたという。さらに、礼拝を兼ねた日曜日のバーベキュー大会にも参加していたなど、教団との親密な関係が報じられている。一方で萩生田氏は「週刊新潮」の取材に、生稲氏と施設を訪問したことを認めた上で、「選挙の際、当方から支援依頼をしたことはなく、選挙戦のお手伝いをしていただいた事実はありません。旧統一教会が主催する礼拝やバーベキューに参加した事実はございません」と否定。生稲氏も同誌に対して、「八王子での演説終了後、演説を聞いていた方から、“ここに来られなかった仲間が近くにいるので生稲さんのお話を直接聞かせてもらいたい”とのお話しがあり、スタッフが相談をして次の日程への移動の合間に(教会の施設に)立ち寄らせていただきました。その際に(演説の)現場にいらっしゃったご地元の萩生田先生に同行していただきました」と説明している。■候補者アンケートは“ほぼ無回答”、当選後は正門を避けて初登院安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件を機に、統一教会と政界の密接な関わりが問題視されている。連日ワイドショーでも取り上げられるなど、その関係を追求する動きは止む気配がない。そんななか、明らかになった生稲氏と教団との接触。生稲氏といえば、選挙期間中から行動が波紋を呼んでいたことも記憶に新しい。「生稲氏は、NHKが候補者に向けて実施したアンケートを“ほぼ無回答”で提出。批判の声を受けて、Twitterに謝罪動画を公開する事態となりました。他にも、毎日新聞のアンケートでは『富裕層への課税強化に反対』と回答した一方で、朝日新聞の『所得や資産の多い人に対する課税を強化すべきだ』とのアンケート設問には『どちらかと言えば賛成』と回答。あいまいな主張に、『矛盾している』との指摘が相次いだのです」(全国紙記者)さらに、当選直後も波乱は続いた。「『池上彰の選挙ライブ』(テレビ東京系)では、各局のインタビューをすべて拒否していたと伝えられました。番組では、陣営関係者による『生稲さんは国会議員としての資質、勉強が圧倒的に足りないから』との匿名コメントも紹介。すると、生稲氏の選挙対策事務所スタッフは、テレビ東京のプロデューサーと池上彰氏(72)宛に抗議文を送付。時間に余裕がなかったことを理由に挙げていましたが、ネット上では『自分の言葉で説明して』などと批判の声が相次ぐことに。先の臨時国会でも生稲氏は、報道陣やおニャン子クラブ時代のファンが集まる正門を避け、北門からひっそりと登院。選挙期間中の行動もあいまって、『逃げるな』といった声が上がりました。これまでの経緯に加え、生稲氏に統一教会との接触があったとなれば、世間の不信感はいっそう募るのではないでしょうか」(前出・全国紙記者)当選からわずか1カ月あまりで、統一教会との接触が報じられた生稲氏。さらなる波紋を呼ぶ行動に、ネット上では生稲氏に説明を求める声が上がっている。《生稲氏は今こそ統一教会との関係性を明らかにするべきです》《生稲氏には今回は自らの口で説明してもらいましょう》《萩生田自民党政調会長と統一教会、自身の統一教会との選挙活動について会見してください。あなたは国会議員ですよ》
2022年08月16日8月3日、臨時国会が召集された。そこには先月行われた参院選で東京選挙区に立候補し、初当選を果たした自民党・生稲晃子議員(54)の姿も。しかし、その登院の仕方がネットで波紋を呼んでいる。各メディアによると同日、国会の正門には初登院する議員らに取材するべく報道陣が集結。しかし、生稲議員は報道陣に加えておニャン子クラブ時代からのファンが集まる正門を避けて国会へ。異例の“裏口”からの登院になったという。当選に際し、Twitterに《ご支援に心から感謝申し上げます。ここからの6年間、全力で働いていきます!》と綴っていた生稲議員。しかし現在、その“全力”を訝しむ声が上がっている。「生稲議員は、NHKが行った候補者向けアンケートでほぼ無回答で提出し、批判が殺到。事務所の不手際と釈明しましたが、その後も東京新聞のアンケートでは、他の候補者と回答が酷似しておりこちらも波紋を呼ぶことに。また『富裕層への課税強化』について、毎日新聞のアンケートには『反対』としたいっぽうで、朝日新聞には『どちらかと言えば賛成』と真逆の回答。その“芯のなさ”に呆れる声が相次ぎました」(全国紙記者)さらに生稲議員は参院選当日に放送された『池上彰の選挙ライブ』(テレビ東京系)で、各局のインタビューをすべて拒否していたことが明かされた。番組では、匿名の陣営関係者による「生稲さんは国会議員としての資質、勉強が圧倒的に足りないから」というコメントも伝えられた。「『選挙ライブ』の件は、生稲議員の選挙対策事務所スタッフが池上彰さん(71)とテレビ東京のプロデューサー宛に『事実と異なる』と抗議文を送付する事態にまで発展しました。あくまで当日の時間が読めなかったことが原因だとして、マスコミ対応責任者である自民党の川松真一朗東京都議も《8時当確のような候補者ならテレビインタビューは受けていた》とTwitterで反論。そう抗議していたにも関わらず、政治家としての“デビュー戦”でもある初登院日にマスコミを避けたわけです。これではまたも“取材拒否”したと思われても仕方ないでしょうね」(前出・全国紙記者)黒塗りの運転手付きクラウンで送迎されるなど、すでに“センセイ待遇”の生稲議員。その“裏口登院”に不安を覚える声が、こう上がっている。《報道陣にすら正面から向き合えない人に国民と正面から向き合う気があるとも思えない》《生稲さんは未熟さの露呈や失敗を極端に恐れるあまり、既に保身や逃げ癖がついてしまっているのではないか。何かを成し遂げられるとは到底思えん》《生稲先生はいくらなんでもまずいだろw 当選直後から生の言葉聞いてないぞw》《6年間逃げまくって終わり?》
2022年08月05日7月10日に投開票が行われた参院選で、当選を果たした自民党の生稲晃子議員(54)。東京選挙区から出馬した生稲議員は、61万9792票を獲得。定数6のなか、5位に滑り込んだ。そんな彼女だが、28日配信の『SmartFLASH』では運転手付きの黒塗りクラウンで都庁玄関に到着する様子が報じられた。新人なのにすっかり“センセイ”待遇な姿に、疑問視する声も上がっていた。「議員には、月129万4000円が給与として支給されます。6月と12月には約314万円のボーナスもあるので、合わせて年に約2180万円が支払われます。それに加えて、文書通信交通滞在費として月に100万円が。国会がある東京と選挙区を行き来するために、新幹線のグリーン車に乗れるJR無料パスも支給されます」(全国紙記者)生稲議員といえば、当選するまでに数々の波乱を呼んできた。「選挙期間中に複数のテレビ局が実施した候補者向けアンケートで“ほぼ回答ゼロ”だったとして、批判が殺到。後に”不備”を謝罪しTwitterで改めて回答していました。また『富裕層への課税強化』に関して毎日新聞で『反対』と答えたものの、朝日新聞には『どちらかと言えば賛成』と矛盾した回答に。あまりに“ブレブレ”な様子に、ネットでは呆れる声が相次いでいました」(前出・全国紙記者)また当選直後にも、一波乱が。「『池上彰の参院選ライブ』(テレビ東京系)で、各局のインタビューをすべて拒否していたと伝えられたのです。さらに番組では、陣営関係者による匿名コメントとして“生稲さんは国会議員としての資質、勉強が圧倒的に足りないから”とも明かしていました。すると生稲氏の選挙対策事務所スタッフが翌日、池上彰さん(71)とテレビ東京のプロデューサー宛に「事実と異なる」とする抗議文を送付する事態に。あくまで当日の時間が読めなかったことが原因だとして、マスコミ対応責任者である自民党の川松真一朗東京都議もTwitterで《8時当確のような候補者ならテレビインタビューは受けていた》と反論。しかしSNSでは《普通は答えるもんだよ》との声が上がるなど、火に油を注ぐ事態となりました」(前出・全国紙記者)本誌が7月13日から14日に実施した「参院選に当選した、期待できないタレント議員ランキング」では、2位となった生稲議員。回答者からは、政治家としての資質に疑問を抱く声が目立っていた。果たして、生稲センセイは議員としての活動を通じて評価を挽回することができるだろうか?
2022年07月31日クリスタルヴォイス主催、『細 晃子(尾形晃子)ソプラノリサイタル』が2022年11月13日 (日)にJ:COM浦安音楽ホール コンサートホール(6F)(千葉県浦安市入船一丁目6番1号)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 千葉大学合唱団在団中に青島広志氏と出会った当時の名前、細(ほそ)晃子で開催されるソプラノリサイタル。細晃子の透明な癒しの声があなたの心に届きます。青島氏の楽しいトークと青島氏の描いたチラシのイラストも必見。透き通った声とその音楽性でファンも多くリサイタルは毎回大入りの尾形晃子。テレビでおなじみの青島広志氏とは千葉大学合唱団在団中に出会い、その後青島氏の代表作 オペラ「黄金の国」天からきこえる12の声ソプラノ1にて出演。今回のリサイタルは当時も今も青島氏より「細(ほそ)さん」と呼ばれている「細 晃子」の名前で出演します。ヘンデルってどんな作曲家?モーツァルトの「フィガロの結婚」って?コロラトゥーラって?青島広志氏の楽しい解説つき。細晃子の透明な癒しの声が皆さまの心の奥まで届きます。作曲家青島広志の作品もあり、チラシのイラストも青島氏の描いたもの。普段のふたりはこんな感じ???【Program】ヘンデル作曲オンブラ・マイ・フ優しい眼差しよ「ジュリオ・チェーザレ」より輝かしいセラフィムにモーツァルト作曲「フィガロの結婚」より愛の神よ 照覧あれ楽しい思い出はどこへマイアベーア作曲「ディノラ」より影の歌青島広志作曲「風に色をぬりたいな」より風をぬりたいおへやの海夜空のクリスマス文部省唱歌春が来た 茶摘 鎌倉 うみ 虫の声 雪 故郷ほか「尾形晃子ソプラノリサイタル」2017年11月5日/京葉銀行文化プラザ音楽ホールオペラ「魔笛」より 復讐の心は地獄のように我が心に燃え(夜の女王のアリア)プロフィールソプラノ:細晃子(尾形晃子) ほそあきこ千葉大学教育学部音楽科卒業。二期会オペラスタジオ修了。東京音楽大学研究生オペラコース修了。東京声楽コンクール第3位、万里の長城杯国際音楽コンクール第2位(1位なし)入賞。オペラ「魔笛」夜の女王、「ラビュリントス」アリアドネ、「フィガロの結婚」「あまんじゃくとうりこひめ」等のオペラや宗教曲ソロで出演の他、東京室内歌劇場・千葉県文化振興財団・千葉市文化振興財団・二期会BLOC千葉・千葉市音楽協会・京成ミラマーレ・花光ホール・小学校・高齢者施設・障害者福祉センター主催コンサートやスペイン国立サルスエラ劇場など多数出演。千葉テレビ「Jソングアワー」、NHK千葉放送局「ひるどき情報ちば」出演。透き通った声とその音楽性でファンも多く、秋に開催される「尾形晃子ソプラノリサイタル」は毎回大入りで好評を博す。青島広志氏とは千葉大学合唱団在団中に出会い、その後青島氏の代表作 オペラ「黄金の国」天からきこえる12の声ソプラノ1にて出演。今回のリサイタルは当時も今も青島氏より「細(ほそ)さん」と呼ばれている「細 晃子」の名前で出演する。東京二期会・東京室内歌劇場・二期会BLOC千葉・千葉市音楽協会会員、コーラスサークルオアシス指揮者、栗山文昭指揮 Chorus salon Rondoヴォイストレーナー。ピアノとお話:青島広志あおしまひろし1955年東京生まれ。東京藝術大学および大学院修士課程を首席で修了し、修了作品のオペラ「黄金の国」(原作:遠藤周作)が同大図書館に購入され、過去2回の東京都芸術フェスティバル主催公演となる。作曲家としては「火の鳥」(原作:手塚治虫)、「黒蜥蜴」(原作:三島由紀夫)、管弦楽曲「その後のピーターと狼」、合唱曲「マザーグースの歌」、ミュージカル「11ぴきのネコ」など、その作品は200曲を超える。ピアニスト・指揮者としての活動も40年を超え、最近ではコンサートやイベントのプロデュースも数多くこなしている。NHK「ゆかいなコンサート」の初代監督を8年務め、現在もNHKラジオ「高校音楽講座」にレギュラー出演のほか、テレビ朝日「題名のない音楽会」、日本テレビ「世界一受けたい授業」、テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」、TBSラジオ「こども電話相談室」にも出演。著書に『モーツァルトに会いたくて』『青島広志でございます!』『あなたも弾ける!ピアノ曲ガイド』(学研プラス)、『やさしくわかる楽典』(日本実業出版社)、『作曲ノススメ』(音楽之友社)、『21世紀こどもクラシック』(全5巻・小学館)、『音楽家ってフシギ』(東京書籍)、『オペラ作曲家によるヘンなオペラ超入門』『作曲家の発想術』(ともに講談社)などがある。東京藝術大学講師、洗足学園音楽大学客員教授、日本現代音楽協会、作曲家協議会、東京室内歌劇場会員。開催概要『細 晃子(尾形晃子)ソプラノリサイタル』開催日時:2022年11月13日 (日)13時半開場/14時開演会場:J:COM浦安音楽ホール コンサートホール(6F)(千葉県浦安市入船一丁目6番1号)■出演者ソプラノ: 細晃子(尾形晃子)ピアノとお話: 青島広志■チケット料金全席自由:4,000円(税込)<カンフェティ限定>1, 000円割引!4,000円→ カンフェティ席3,000円!【主催】 クリスタルヴォイス【後援】 (公財)東京二期会、(一社)東京室内歌劇場、(公財)千葉県文化振興財団、(特非)千葉市音楽協会、二期会BLOC千葉 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年07月14日7月10日投開票の参院選で自民党から出馬し、見事に初当選を果たした生稲晃子議員(54)。おニャン子クラブ元メンバーということもあり、選挙戦への立候補を表明して以来その動向に注目が集まっていた生稲議員。しかし、その選挙活動は波乱の連続だった。「NHKが行った候補者向けアンケートで、生稲さんはほとんどの項目が無回答でした。インターネット上では“手抜き”などと批判が殺到。生稲さんの選対広報担当を務める川松信一朗の説明によると、生稲さん本人は回答を出しており、無回答となってしまったのは“事務局責任者の処理ミス”だったそうです。しかし、選挙特番『zero選挙2022』(日本テレビ系)が行ったアンケートに対しても生稲さんはほぼ無回答。こちらについてもインターネット上では波紋が広がっていましたが、生稲さんから説明はありませんでした」(政治部記者)さらに別のアンケートでも疑惑が。7月5日の東京新聞朝刊に掲載された『コロナ対応の緩和』についての質問に対する生稲議員の回答が、同じく自民党候補者の朝日健太郎氏(46)のものと酷似していたのだ。本誌の問い合わせに対して、生稲議員の選挙事務所はこう回答していた。「回答を作成する上で、間違いがあってはいけないので党の専門的な部分に確認しました。朝日先生のことはわからないので推測ですが、同じように確認をされたのかもしれません」釈然としない説明に終始し、波紋を呼び続けた生稲議員。投開票当日の10日も、全局の選挙特番への出演を“拒否”し、国会議員としての資質を問う声が相次いでいた。そんな生稲議員とは対照的に、評価を高めているかつての“仲間”が。同じくおニャン子クラブの元メンバー・工藤静香(52)だ。「今年ソロデビュー35周年を迎える静香さんは、7月にカバーアルバムの発売とコンサートツアーを予定しています。それに先がけて7月2日には『THE MUSIC DAY』(日本テレビ系)に出演。『黄砂に吹かれて』『くちびるから媚薬』『嵐の素顔』など往年の名曲を披露し、20代の頃と変わらない歌唱力を見せつけました」(芸能関係者)SNS上では、《久々に工藤静香の歌聴いたけど昔と全然変わらない歌声!さすが》と圧巻の歌声を称賛するコメントがあがっていた。芸能人としてだけでなく、プライベートでも静香は充実の時を過ごしている。その陰にあるのは、モデルや女優として活躍する愛娘たちだ。「『THE MUSIC DAY』で歌う静香さんの姿を長女のCocomiさん(21)が動画として撮影し、Instagramのストーリーズに投稿していたのが“微笑ましい”と話題に。また次女のKoki,さん(19)は、静香さんと2人でキッチンに立ち料理をする動画を7日にInstagramに投稿。BGMには静香さんの楽曲『MUGO・ん・・・色っぽい』。仲睦まじい様子でした。静香さんもCocomiさんとKoki,さんの芸能活動の現場に帯同し、自身の経験を活かしながらアドバイスを送るなどして支えています。2人もそんな静香さんにとても感謝しているといい、母としてだけでなく、芸能界の先輩としてもいい関係を築いているのではないでしょうか」(前出・芸能関係者)うしろ髪ひかれ隊のメンバーでもあった生稲と静香。正反対なかつての仲間の姿に、2人は何を思うかーー。
2022年07月14日7月10日、第26回参議院選挙で初当選を果たした東京選挙区に自民党から立候補した元「おニャン子クラブ」の生稲晃子氏(54)。この日、テレビ各局のインタビュー取材を一切受けなかった生稲氏の対応が波紋を呼んでいる。ことの発端は、7月10日の参院選投開票に伴って放送された、「池上彰の選挙ライブ」(テレビ東京系)。番組内では、生稲氏がこの日テレビ各局のインタビュー取材を一切受けないことが伝えられた。さらにその理由について同局の記者が取材したところ、陣営の関係者が匿名を条件に“生稲さんは国会議員としての資質、勉強が圧倒的に足りないから”と回答したという。この報道に対し、生稲陣営は猛抗議。「よろず~ニュース」によると、取材に対し「当確が出るのが遅くなるのが見込まれ、各社のインタビューを受ける時間がないので、0(全く受けない)か100(全部受ける)かを選ぶとなった時に、0を取った」と説明していたという。さらに、匿名の関係者による“国会議員としての資質、勉強が圧倒的に足りない”という発言に対しては「誰がそんなことを言ったのか。ありえない。未確認の情報を公共の電波で話さないでもらいたい」と怒りを示したという。また、生稲氏のマスコミ対応責任者だという自民党の川松真一朗東京都議も、自身のツイッター上でテレビ東京の報道に対し反論。《全マスコミに本件説明をしたのは私。8時当確のような候補者ならテレビインタビューは受けていた。「陣営の関係者」なる者の発言を公共の電波を使って一方的に批判した事への怒り。》などと投稿。インタビューを受けなかったのは“時間の関係”のため、と強調した。“インタビュー拒否”の真相を「時間の問題」とした生稲陣営だが、今回の選挙期間中、生稲氏の行動はネット上でたびたび波紋を呼んでいたのも事実。NHKが実施した立候補者アンケートをほぼ無回答で提出したり、東京新聞に掲載されたアンケートでも回答が他の候補者と酷似していたのだ。前者に対して生稲氏陣営は“担当者のミス”と釈明、後者についても“党に確認しながら回答を作成した結果”と説明している。こうした“不手際”が選挙期間中に相次いで発覚していた状況の中、インタビュー出演拒否騒動に反論した生稲氏陣営。ネット上では“逆ギレ”と呆れ声が相次いでいる。《これ言い訳になってないよね?当選の報が入っていようがいまいが普通は答えるもんだよ。昨年落選した辻元さんだって選挙特番のインタビューは受けてた。》《そもそも、当確時間云々言うけど他の候補者だって同じですよね。苦し紛れの言い訳ばっかするから叩かれるんだよ。》《勉強不足だったのは分からないけど、やはり皆さん仰る通り、1社でも時間の許す限り受けるべきだった気はします。》《よく言うよ。これから勉強みたいな候補を立てといてただの逆ギレじゃないか。》《怒ってんのは国民だよ、言い訳すんな。そもそも0:100の考えがおかしいんだよ。変なプライドなんか持つな。》《落ちた人でもインタビュー応えるのに、当選した人が答えないって終わってるやろ?怒る所間違ってるやろ。》選挙期間が終わり、時間はたっぷりできるはず。国民への説明が求められる。
2022年07月11日『アンアン/エル・ジャポン』が創刊された1970年3月3日、美大志望の男子生徒から「こんな雑誌が出たの知ってるか」と手渡されたのがモード誌との出合いだった。当時外国といえばアメリカ一辺倒で、アメリカの高校生の一夜を描いた映画「アメリカン・グラフィティ」のような世界や、アイヴィールックが世界で一番おしゃれと思い込んでいた女子に、ヨーロッパの香りがする、A4変形、中綴じのグラフィカルな雑誌は衝撃だった。自分の知らない世界では、アルファベットを組み合わせたプリントの茶色いバッグが、おしゃれなのか?よく分からないが、とにかくこれがおしゃれというものだ、と確信した。1969年、平凡出版社(現マガジンハウス)の当時岩堀喜之助社長は清水達雄専務をともない、パリへ赴きフランスの女性週刊誌『ELLE』と提携契約を結んだ。日本にモードを定着させることに一役買った、ライセンスマガジンのスタートだった。ただ、『アンアン/エル・ジャポン』は、日本オリジナル編集と提携した『ELLE』のページをミックスした、変則なモード誌で、1982年『アンアン』から独立して『エル・ジャポン』として同社から創刊されるまでこのスタイルは続いた。芝崎文編集長、堀内誠一をアートディレクターに迎え『アンアン/エル・ジャポン』は創刊。創刊号は、金髪にボンネットを被った外国人モデルの表紙を立木義浩が撮影。日本編集のファッションページでは金子功が特別にデザインした服を着た立川ユリがモデル兼メインキャラクターを務めた。最新のパリコレ情報は長沢節が解説、三島由紀夫のエッセイも掲載、仏版『ELLE』の記事は一折16ページで構成されている。巻末に型紙を添付し洋服の作り方を載せていたファッション誌と違い、『アンアン/エル・ジャポン』は、最新モードの服のコーディネートを提案する、今では当たり前なことを初めてやった雑誌だったと、スタイリストの原由美子さんは言う。原由美子さんは、『アンアン/エル・ジャポン』の創刊準備から、仏版エルの記事を翻訳し16ページに落とし込む仕事からスタートし、フリーのスタイリストとして独立するまでこの仕事を続けていた。パリのモード界はオートクチュールに変わりプレタポルテがトレンドを牽引するようになり、洋服は作るから既成の服を買う時代になっていった。型紙なしの『アンアン/エル・ジャポン』創刊は、編集者の鋭い臭覚がもたらしたものだった。「創刊した頃のファッションページは、金子功さんが作った一点ものの服を掲載したので価格表記はなく、今のようにメーカーやブランドからサンプルを借りて、価格をクレジットするようになったのは50号目からだった」と原さん。サンディカ(オートクチュール組合)の再編により、プレタポルテ組合が新設された1973年、原さんは初めてパリコレを取材することになった。「ケンゾーは証券取引所、ソニア・リキエルはグルネル通りのブティックと、思いおもいの場所でショーを開いていた。ケンゾー以前は、モデルがナンバーカードを持ち、粛々と歩くのがショーのやり方だったけど、ケンゾーは一度にたくさんのモデルをランウエイへ送り出し、まるでお祭りのようだった。このやり方は、ジャンポール・ゴルチエに引き継がれたの」その頃コレクション取材をしていたのは、パリに支局を持つ文化出版や新聞社の記者で、日本から出掛ける者はほとんどおらず、むしろバイヤーのほうが多かった。原由美子さんには、仏ELLEチームに混じりElle Japon Yumiko Haraのカードを貼り付けた席が用意された。「仏『ELLE』に掲載されている編集長や気に掛かるページを担当するファッションエディターの席を見つけては、この人がページを作っているんだと興味深かった」という。ファッション写真は、『ELLE』本誌が使用した残りのポジがすべて送られてきた上に、自由に使うことができるというおおらかな時代だった。フェティッシュなヘルムート・ニュートンの写真からは想像もつかないが、『ELLE』のファッションを撮っていた時期もあり、確かに『ELLE』テイストの写真に仕上がっている。72年1月5日号『ELLE』大特集では、ヘルムート・ニュートン、ジル・ベンシモン(元『ELLE』インターナショナルのクリエーティブディレクター)の写真が、1ページに4カット、6カットと大胆にデザインされている。アートディレクター堀内誠一の成せる技だった。当時、平凡出版社のいち編集者だった赤城洋一は、仏『ELLE』の編集者達が『アンアン/エル・ジャポン』を見たがり、ページを開くうちに真剣な目に変わっていったのは、斬新なアートディレクションに目を奪われたからだろうと、自書に記している。日本初、女性のためのチャーミングなモード誌は、編集もデザインもスタッフのほとんどが男性だったことには驚くばかりだ。土佐日記を書いた紀貫之ではないが「男もすなる日記というものを、女もすなるとて、するなり」といった心境だったのだろうか。参考文献*深井晃子著『パリ・コレクション』(講談社現代新書)*赤城洋一著『「アンアン」1970』(平凡社新書)*原由美子著『原由美子の仕事1970→』(ブックマン社)(4/12に続く。)
2013年12月29日