-------------------------------------------大学1年生のみなさん! 「大学デビューのホントのところ」、知りたくないですか? 本連載は、かつて大学デビューに半分成功・半分失敗したトミヤマユキコ(ライター・大学講師)と清田隆之(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)が、過去の失敗を踏まえ、時に己の黒歴史を披露しながら、辛く苦しい学生生活を送らないためのちょっとした知恵をお授けする。そんな連載です。-------------------------------------------○湿気のせいで血迷い始めた6月早いものでもう6月。梅雨でじめじめしてて、なかなか過ごしづらい季節ですよね。私は前髪が天然パーマ気味なので、湿気の多い日になると、毛先が一斉に内側へとカールし、髪型がどうにもキマりません。また、実家がビルの1階にあったため、洗濯物を干す場所に日が当たらず、Tシャツから生乾きのニオイが漂うこともしばしばでした。ヘルメットをかぶった、クサい男──。メンタルが低下してる日は、そのような自己像に取り憑かれ、学校へ行く足が非常に重くなったことを覚えています。青春の難敵は自意識ですね。さて、そんな6月をトミヤマさんは「入学マジック」が徐々に解けてゆく月と書きました。入学式から続いた刺激と緊張の日々が終わり、いよいよ平常運行の大学生活へ突入していく、そのスタートがこの6月だというわけです。魔法が解けるということは、つまり「現実を直視せねばならない」ということ。自分は何がしたいのか、この先どうなりたいのか、今すべきことは何か──。そういうことを、すべて自分で考えていかなくてはならないわけです。当時の私は、ここで思いっきり血迷った行動を取ってしまいました。○授業をサボって書店通い。そのワケは?前髪をカールさせた私が、授業をサボって足繁く通っていたのが書店と図書館でした。こう書くといかにも文学青年っぽい感じですが、私は本が一冊もない家庭に育ち、文学部に通いながらほとんど読書をしたことのないズブの素人でした。そんな人間が、何をしに書店や図書館へ通っていたのか。この頃、私は新書と参考書のチェックに熱を上げていました。新書というのは2005年に『バカの壁』や『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』などの大ヒットによって一大ブームを迎えますが、これはそれよりも前の話。当時の新書は「経済とは何か?」「哲学とは何か?」みたいな本が多く、私は「一冊読むだけで経済や哲学がわかるのか!」と胸を躍らせていました。また、参考書というのは、漢字検定とか、日本語検定とか、歴史検定とか、そういう資格試験のテキストでした。資格を取れば取るほどイケてる人間になれる……。私は当時、そんな思いに取り憑かれていました。しかし、結果から言うと、新書は難しくて全然読めなかったし、資格ゲッターもなれませんでした。単にお金と時間を浪費しただけ。だったら授業に出ろやって話です。では、なぜこんなことをしていたのか。今ならその理由を説明できるような気がします。おそらく、当時の私は「導いてくれる存在」が欲しかったのです。○「やるべきこと」を与えて欲しい症候群トミヤマさんも言うように、大学というのは基本的に"放任主義"の場所です。「入学マジック」が解けた後の大学には、何の道しるべもない世界が待っています。すべては自分次第という日々にあって、私が求めたのは、受験勉強が示してくれたような「目標」と「カリキュラム」でした。つまり、高校や予備校の先生みたいに「ここからここまで勉強しろ」「そのためにはここから段階的に学んでいけ」と言ってくれる存在が欲しかった。その役割を、私は新書や資格試験の参考書に求めていたのだと思います。このメンタリティは案外笑えないもので、大人になっても消えません。というか、大人になるほど強くなると言ってもいいかもしれない。なぜなら、大学よりも社会の方が、圧倒的に道しるべのない世界だからです。何をすればいいかわからない。だから、「これをやれ」と言ってもらいたい。そして、「ここからここまでやりなさい」という風に、登るべき階段を用意してもらいたい。こういう心構えは、おそらく中高時代の受験勉強に起因するものです。「やるべきこと」が外から与えられ、しかも「努力すればするほど」成功に近づくことができる──。この"受験型モデル"しか努力の方法を知らなかったため、放任主義の大学よりも、道筋のわかりやすい新書や参考書に吸い寄せられたのでしょう。先に「笑えない」と書いたのは、これが自己啓発や新興宗教にも通じる話だと思うからです。○モヤモヤできるのは大学生の特権だ!ここからちょっとだけ、先輩風を吹かせます。大学1年生のみなさん、"受験型モデル"の誘惑にはくれぐれも気をつけてと私は言いたい!このモデルの特徴は、とにかく「わかりやすい」ことです。目標やカリキュラムを与えてくれるわけで、道しるべがハッキリしている。そして、自分が何を目指し、今どのあたりにいるかも確認できるため、実感や手応えが得やすい。だからつい、手を出したくなるわけです。しかし、ここにワナがあります。なぜなら、手段と目的が逆転しているからです。もちろん、何かやりたいことがあって、それに向かって努力するというのは素晴らしいことです。"目的"を見定め、やるべきことを割り出し、それを日々のノルマに落とし込んでいく。そういう"手段"として、受験型モデルは非常に有用なツールです。でも、当時の私みたいに、さしたる目的もないままこのモデルにすがるというのは、要するに、ここで得られる「何かやってる感」が欲しいというだけです。これは麻薬のようなもので、ハマると抜け出すことが難しくなります。常に"充実感"がないと安心できない。モヤモヤした状態に耐えられない。そんな風になっていきます。そういう人、大人にもたくさんいます。さらに、「不安の手っ取り早い解消」が目的化すると、いろんな恐ろしいものに漬け込まれかねません。「自分のことがわからない」という人は、悪い人間にとって絶好の"カモ"ですからね……。みなさんには、決してそうなって欲しくない!大学1年生なんて、堂々とモヤモヤしてていい時期です。存分にモヤモヤして、今の内に"モヤモヤ耐性"を鍛えておきましょう。これ、マジ、大学生の特権だから!!!……最後はちょっと熱くなってしまいましたが、現実を直視するというのは、とにかくモヤモヤする行為です。でも、これやっとくと、後々イケてる大人になれること間違いなしです。自分の心をちゃんとのぞける人間はカッコイイと思います。みなさんもぜひそうなってください\(^o^)/清田隆之/桃山商事1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける"恋バナ収集ユニット"「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考えるPodcast番組『二軍ラジオ』を更新中。雑誌『精神看護』やウェブメディア「日経ウーマンオンライン」「messy」などでコラムを連載。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)がある。Twitter @momoyama_radioトミヤマユキコライター・大学講師。「週刊朝日」「文學界」でブックレビュー、「ESSE」「タバブックス」でコミックレビューの連載を持つライター。早稲田大学などでサブカルチャー関連講義を担当する研究者としての顔も持っている。「パンケーキは肉だ」を合い言葉に、年間200食を食べ歩き『パンケーキ・ノート』(リトルモア)にまとめた。Twitter @tomicatomica
2015年06月24日-------------------------------------------大学1年生のみなさん! 「大学デビューのホントのところ」、知りたくないですか? 本連載は、かつて大学デビューに半分成功・半分失敗したトミヤマユキコ(ライター・大学講師)と清田隆之(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)が、過去の失敗を踏まえ、時に己の黒歴史を披露しながら、辛く苦しい学生生活を送らないためのちょっとした知恵をお授けする。そんな連載です。-------------------------------------------○戦いは団体戦から個人戦へ入学式から延々と続いたお祭り気分がようやく落ち着き、そろそろ真面目に勉強でもするか……バイトも探さなきゃな……となるのが6月。連休もないし、期末試験まではまだ間がある6月は、言ってみればフツーの月です。つまらないと言えばつまらないですが、実はけっこう大事な時期。というのも、このあたりから「新入生にかけられた魔法=入学マジック」が徐々に解けてゆくんですよね。大学に通うことが非日常から日常になっていき、学生生活の実態が見えてくると「思ってたほど○じゃなかった」と感じることが増えていきます。大学は思ってたほど自由じゃないし、授業は思ってたほど面白くない。しかし「なんだ、こんなものか」という気持ちになったとき、あなたはやっと高校生から大学生になったと言えましょう。勉強しろ! クラブ活動に精を出せ! 運動会・文化祭に参加しろ! みんなで旅行に行くぞ! と「やるべきこと」をじゃんじゃん仕掛けてくるのが高校までのやり方だとすれば、「なんだ、こんなものか」という状況下で自ら「やるべきこと」を見つけ出すのが大学以降のやり方です。大学および教員たちは、学生ひとりひとりの人生にそこまで関心がないというか、来る者拒まず去る者追わずの精神でいることが多い。つまり、自分の努力とセンス次第で、この先の学生生活はいかようにも面白くすることができますし、逆に言えば台無しにするのも簡単です。ですから、入学マジックが解けたあとの少し醒めた気分で「やるべきこと」が何なのかをちょっと真面目に考えることは、今後の学生生活を充実させるためにもぜひやっておいてほしいことなんです。「やるべきこと」というのは、なにも勉強だけではありません。周囲の人間との付き合い方について考えることも大切です。4月から何度も自己紹介を繰り返すうち、自分のキャラが定まってくるのが6月であり、大人数でのコンパが減り、少人数でちょっとご飯でも、という機会が増えていきます。団体戦から個人戦へ。他者との関わり方が変わっていくんですね。○現役学生もやっぱり悩んでいた6月このことについて現役学生にインタビューをしたところ、やはり6月は人間関係が変化する時期だと言っていました。クラスやサークル内でのキャラおよび立ち位置が決まってきて、仲良くなりたい人、なれない人の線引きができるようになり、それにしたがって、仲良くなれそうな人との関係を深めることに時間を遣うようになっていく。「もっとあの人のことを知りたい、自分のことも知って欲しい」と思うようになり、1対1の付き合いがはじまるわけです。1対1と言えば、先輩から新入生への告白がはじまるのもこの時期だというインタビュー結果が。「もう6月だし、お互いのことがだいぶ分かってきたし、そろそろイイよね?」という感じで告白ムードが盛り上がるのであろう……ここでもやはり、浅く広く知り合いを作る時期が過ぎ、絞り込みの作業が始まるのですね。学生にインタビューしながら思ったのは「ああ、今も昔も6月の過ごし方って変わらないんだなー」ということ。わたしは残念ながら先輩から告白されることはなかったけれど、人間関係の構築はものすごくがんばっていました。その当時のわたしには、すごく気になる女子がいたのです。どうしても早稲田に行きたいからと3浪して、最後の方は予備校にも行かず、引きこもってクソ勉強したという彼女がとてもかっこよく思えました(親にお金を出してもらって予備校に行った自分はなんてあまちゃんなんだ!と恥ずかしくなった)。彼女にとても興味を持ったわたしは、授業そっちのけで彼女と喋りまくりました(まあ、授業は出るべきでしたけど)。そして、その彼女とは、いまだに付き合いがあるばかりか、仕事上の繋がりまであるんですよ。卒業して別々の業界に進んだというのに、なぜか再会してしまった。そんな偶然が人生にはあるんです。気心の知れた友だちと仕事の話ができることのありがたさといったらない! あの頃のお喋りは決してムダではなかったのだなと思わずにはいられません。実は、この彼女のほかにも、大学1年の時に仲良くなって仕事で再会した人が2~3人いるんですよね。ですからみなさんも友だち作りをバカにせず「この出会いは一生モノかも知れないぞ?」と思うぐらいで丁度いいかも知れません。○キャラ設定をリセットするチャンス6月が人間関係の絞り込み期だということに関してもうひとつ言っておくと、この時期は、自分のキャラを軌道修正・リセットするチャンスです。入学の時点で「こういうキャラでいこう!」と決めたけど、イマイチしっくり来ないという人、けっこういるんじゃないかと思うんですよね。ついついカッコつけてしまったけど「よく考えたらそこまでやる必要なかった! 失敗した!」と後悔しているそこのあなた! このタイミングでしれーっと軌道修正してしまいましょう。今ならキャラ設定を変えても、誰もあなたを責めませんから。「大学入学でちょっと浮かれてただけです、すんません」でOKですから。ちなみにわたしも「下北沢に通い慣れている古着好きの女」というキャラ設定に限界を感じ、背伸びをやめたのは6月でした。あそこで方向転換しなかったら、その後の人間関係がどんどん空疎になっていたと思います。うわー、恐ろしい。インタビューの中でも、不良キャラ、無頼キャラを演じてしまった人が6月あたりで軌道修正をしたという話が出てきました。ダメ学生っぽいのに喋るとすごく頭の良さそうなことを言うヤツ、みたいなキャラを目指した者の多くが「ゴメン! やっぱちょっとコレなしで!」と叫ぶハメに……。でもそれでいいのです。すべては入学マジックのせいなのですから。6月でキャラ変更した過去なんて、10年経てばすべて笑い話。いや、5年ぐらいでもう笑い話ですので、早いとこ自分に素直になって、「やるべきこと」が何なのかじっくり考えることを強くオススメいたします!トミヤマユキコライター・大学講師。「週刊朝日」「文學界」でブックレビュー、「ESSE」「タバブックス」でコミックレビューの連載を持つライター。早稲田大学などでサブカルチャー関連講義を担当する研究者としての顔も持っている。「パンケーキは肉だ」を合い言葉に、年間200食を食べ歩き『パンケーキ・ノート』(リトルモア)にまとめた。Twitter @tomicatomica清田隆之/桃山商事1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける"恋バナ収集ユニット"「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考えるPodcast番組『二軍ラジオ』を更新中。雑誌『精神看護』やウェブメディア「日経ウーマンオンライン」「messy」などでコラムを連載。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)がある。Twitter @momoyama_radio(イラスト:谷口菜津子)
2015年06月10日○「うわっ、そいつ最悪だな。それで言うと俺も~」コミュニケーションの基本といえば、会話です。何かを話し、それを聞き、リアクションをしたり、質問を投げたりして、また話を続ける。このようにして、互いの考えていることや感じていることが伝わり、関係が深まっていきます。いいですね。グッドなコミュニケーションですね。しかし、これはひとつの理想型です。実際の会話では、いつも互いが心地いい双方向のコミュニケーションが成立するとは限りません。片方は楽しいけど、もう片方はあんまり楽しくない。そんなコミュニケーションだってザラにあるわけです。今回は、そのようにコミュニケーションの邪魔をする厄介な行為をひとつご紹介いたします。それが「話ドロボー」です。例えば、こんな会話に身に覚えはないでしょうか?A「昨日、仕事でイヤなことがあってさ」B「どうしたの?」A「お世話になってる先輩に飲み会でセクハラされちゃって」B「うわっ、そいつ最悪だな。それで言うと俺も~」A「あ、うん……」これだけ見ると、「セクハラされて困っているBの話に耳を傾けるA」という構図であり、何らおかしいところは感じないかもしれません。しかし、このあとAが延々と自分の話をし始めたとしたら……話は変わってきますよね。○話ドロボーとは、カラオケ中にマイクを奪うことポイントは「それで言うと俺も~」の部分です。このひと言により、会話のバトンがBに移行します。これを機にAは聞き手にまわることになるわけですが、自分の話が中途半端なままであり、おそらくモヤモヤした気持ちが残るはずです。このように、相手が切り出した話題に乗っかり、いつの間にか会話の主導権を奪ってしまうことを、桃山商事では「話ドロボー」と呼んでいます。たとえるならこれは「カラオケ中に歌い手のマイクを奪うこと」と同義であり、無自覚に相手を不愉快にさせてしまう行為なのです。無自覚と書きましたが、話ドロボーをしている側に「盗んでいる」という意識はほとんどありません。それどころか、何ならいい感じのリアクションや、ちょっとしたアドバイスをした気になっている可能性すらあります。なぜなら、話ドロボーというのは当人にとって"気持ちいい行為"だからです。「話したいこと」が思い浮かぶのは、脳に何らかの刺激が与えられた結果です。つまり、半分は「相手のおかげ」なわけです。それをさも「自分が思いついた」と思い込み、相手の会話をさえぎってまで相手に話そうとしてしまう。これは言うなれば「マスターベーション」です。つまり、自分だけが気持ちいい行為なわけです。○コミュニケーションの実りを独占する行為もちろん、話したいことが浮かぶこと自体は悪いことではありません。互いに刺激を与え合い、話したいことが浮かんで会話が弾むというのはひとつの理想型です。しかし、話ドロボーは相手の話を受けとめません。いったん最後まで話を聞き、内容を理解した上でリアクションを返すという手続きを踏まず、思いついた話を文脈やタイミング無視で相手にぶつけます。やりたいことをやりたいときにやっているわけで、当人はそりゃ楽しいでしょう。そして、そうやって自分が楽しいものだから、相手も同じように楽しいだろうと思い込んでしまい、自分がまさか相手に不快感を与えているだなんて、想像すらしない。ここが話ドロボーの最も厄介な点です。このように、話ドロボーには自覚や罪悪感がありません。さらに、当人は気持ちよく、かつ楽しくなっているわけで、自分自身で気づくことはかなり至難の業と言えます。しかし、これは相手の話を途中でさえぎる行為であり、なおかつ、本当はふたりで作り上げているコミュニケーションの実りを、全部ひとりで持っていこうとする極めて卑しい行為なのです。こんなことを続けていたら、人は徐々に徐々に離れていくでしょう。話を受けとめてくれず、自分の話ばっかりしてくる人と会話をするのって、結構エネルギーを消耗する行為ですからね……。楽しいコミュニケーションとは、自分だけが楽しくしゃべれることではなく、互いに楽しくなれるようなやりとりのことを指すはずです。自分が話ドロボーをしているかどうかを意識するのはとても難しいことですが……相手の話をちゃんと受けとめたか、自分だけが気持ちよくなっていないか、会話中に自分を客観的に観察してみることをオススメします!○今回のマナーポスター「話ドロボーするな!!」【今回のまとめ】・話ドロボーは自分だけが気持ちいい行為・話ドロボーには自覚や罪悪感がない・話ドロボーをしてると人が離れていく<著者プロフィール<清田隆之/桃山商事1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける恋愛の総合商社「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考える恋バナポッドキャスト『二軍ラジオ』も更新中。「日経ウーマンオンライン」や「messy」でコラムを連載中。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)がある。Twitter @momoyama_radioタイトルイラスト: 清田隆之
2015年06月09日-------------------------------------------大学1年生のみなさん! 「大学デビューのホントのところ」、知りたくないですか? 本連載は、かつて大学デビューに半分成功・半分失敗したトミヤマユキコ(ライター・大学講師)と清田隆之(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)が、過去の失敗を踏まえ、時に己の黒歴史を披露しながら、辛く苦しい学生生活を送らないためのちょっとした知恵をお授けする。そんな連載です。-------------------------------------------○すべてが奇跡的に丁度いい季節、5月キャンパスに爽やかな風が吹き込む5月。GW直後の気だるさも抜け、ようやく平常運行のリズムに慣れてきた頃ではないかと思います。冬は寒さ、春は花粉、梅雨は湿気、夏は日差しと蚊、秋はもの悲しさと、この国は何かと屋外で楽しもうとする人を邪魔する要素に満ちていますが、5月はすべてが奇跡的に丁度いい季節。それだけに……大学になかなか馴染めず、孤独と不安の落とし穴にハマり込んでいる人には苦しい時期かもしれません。「大学1年の5月なんて青春の絶頂じゃないか! なのに、何で俺は毎日ブックオフに通ってるんだ!」と、私もこの季節を悶々と過ごしていた人間の一人です。4月に欲張っていろんな授業を取ったものの、すでにサボり癖が始まっていた当時の私。「次は出るから!」と心に言い訳をして授業をサボるものの、一回休むと次も行きづらくなる……というスパイラルにまんまと陥り、まさにトミヤマさんが言うところの「怠け癖」を完全に舐めきっておりました。もうね、ちょっと遅刻しただけで、授業を休みたくなるんですよ。教室の前まで行くものの、ドアの小窓から中をのぞくと席がびっしり埋まってて。シーンとした中、ガラッとドアを開ければ全員がこっちを見るのではないか……。その気まずさに耐えつつ、俺はあの逆サイドの席までみんなの間をぬってたどり着かなきゃいけないの!? ……よし、休もう。と、そういう小さなつまずきが、連鎖して連鎖していつの間にか取り戻せないくらいのビハインドになっていく……。怖いですね。恐ろしいですね。外はこんなに天気がいいのに、俺は学費と青春をドブに捨てている! もうイヤだ!○"美容師の卵"に心変わりした彼女……すいません、当時のことを思い出していたら、若かりし頃の自分がよみがえってしまいました。そして2000年の5月20日(15年前の今日!)、そんな冴えない私をどん底に突き落とす事件が起こります。1浪した私にとって、この日は20歳の誕生日。そんな記念すべき日に、つき合って2年の彼女から別れを告げられたのです。ここは恋バナ連載じゃないので詳細は省きますが、「別に好きな人(美容師の卵!)ができたから、一緒に誕生日を祝うことはできない」というのが別れの理由でした。ちょうどこの直前の3月まで、キムタクが美容師を演じたドラマ『ビューティフルライフ』(TBS)が大ヒットしており、世間には空前の美容師ブームが到来していました。時代の追い風を一身に受ける美容師の卵と、欲張って自滅して「大学マジでつまんねえわ」などと彼女に愚痴をこぼす私。……100対0のコールド負けです。大学に溶け込めないし、授業はサボるし、友達はできないし、金はないし、背は低いし、服はダサいし、頭悪いし、字は汚いし、絵も描けないし、ギター弾けないし、家柄は普通だし、好きな音楽はミスチル、好きなサッカー選手は三浦知良、好きな食べ物は唐揚げとハンバーグ、概ね健康で、これといったトラウマもなし……。失恋によって自尊心が崩壊し、平凡で何の特徴もない自分に深く絶望し、実家でふて寝ばかりしていました。○大学生活を救った偶然の“自己開示”しかし、意外なことに、この一件が私の大学生活を救うことになります。それまでイマイチ距離を詰められなかった語学のクラスメイトたちが、親身になって失恋話に耳を傾けてくれたのです。私は中高6年間を男子校で過ごしたため、女子という存在にどこか恐怖心を抱いていました。なのに、こともあろうか大学で文学部のフランス語クラスに入ってしまい、そこは女子が8割という"女の園"。同じ班のよしみでお昼ご飯に混ぜてもらうものの、何をしゃべればいいのかわからない日々が続いていました。そんな中、思わずこぼしてしまった失恋の愚痴。すると……女子たちはキャッキャと盛り上がり始めました。「私もこないだ彼氏と別れたの」と痛みを共有してくれたり、「それは清田くんにも非があったかもね~」と冷静に経緯を分析してくれたり。しまいには「彼女の写真見たい~♡」なんてワイドショー的な関心も寄せてくれて……これを機に、みんなとの距離がグッと縮まったような気がします。トミヤマさんは「閉じるなキケン!」と言いましたが、これは居場所の問題だけでなく、心の問題にも通じることではないか。当時、私の中には「どうせ俺の失恋になんか誰も興味ないだろう」という気持ちもありました。しかし、失恋のつらさに耐えかね、つい愚痴をこぼしてしまった。それによって私は、意図せず"自己開示"をすることができたのだと思います。プライドの高さと視野の狭さによって、自分自身を苦しめてしまう……。それが「若さ」というものかもしれませんが、ダサくても、みっともなくても、つらいときは思い切ってつらいと言ってみる。そうすると、今まで見えなかった道がいきなり開けたりするものです。心を開いたことでクラスメイトとの間に接点が生まれ、それが互いのことを知り合うきっかけになりました。新しい環境の友達というのは、つい気を遣ったり空気を読んだりして慎重に接しようとしてしまいがちですが、もしかしたら、思い切って自分からお腹を見せちゃうことが、仲良くなるための近道なのかもしれません。私はその後、友達と恋バナをするのがライフワークとなり、今では恋バナを書いて生計を立てるという謎の人生を送っています。そう考えると、これは大学生活のみならず、私の人生を救う一件だったかもしれません。「閉じるなキケン!」からの「開けば海路の日和あり」ということで、空がスコーンと抜けるこの5月、つらいときは誰かに思い切って心の内を話してみることをオススメします\(^o^)/清田隆之/桃山商事1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける"恋バナ収集ユニット"「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考えるPodcast番組『二軍ラジオ』を更新中。雑誌『精神看護』やウェブメディア「日経ウーマンオンライン」「messy」などでコラムを連載。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)がある。Twitter @momoyama_radioトミヤマユキコライター・大学講師。「週刊朝日」「文學界」でブックレビュー、「ESSE」「タバブックス」でコミックレビューの連載を持つライター。早稲田大学などでサブカルチャー関連講義を担当する研究者としての顔も持っている。「パンケーキは肉だ」を合い言葉に、年間200食を食べ歩き『パンケーキ・ノート』(リトルモア)にまとめた。Twitter @tomicatomica
2015年05月20日-------------------------------------------大学1年生のみなさん! 「大学デビューのホントのところ」、知りたくないですか? 本連載は、かつて大学デビューに半分成功・半分失敗したトミヤマユキコ(ライター・大学講師)と清田隆之(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)が、過去の失敗を踏まえ、時に己の黒歴史を披露しながら、辛く苦しい学生生活を送らないためのちょっとした知恵をお授けする。そんな連載です。-------------------------------------------○いつのまにか退学への道を……5月と言えばゴールデンウィーク。サークルのイベントや合宿に参加したり、クラスの友だちと出かけたりと、新しい人間関係を構築するために遊びまくった人も多いのでは。そして5月と言えば五月病。新生活に浮き足立つ1年生のテンションについてゆけず、相変わらず高校時代の仲間とつるんだり、慣れない東京に疲れてひとり暮らしのアパートに引きこもっていた人もいそうですね。緊張の糸が切れて体調を崩す人が多いのもこの頃。みんな気をつけて!どんなGWを過ごした人にも平等にやってくるのがいわゆる"中だるみ"。「なんか、授業出たくないなー」というやつです。明らかにつまらない授業だから切るとか、思っていた授業内容じゃないから切るのは、仕方がないというか、同情の余地がありますが、キケンなのは、特にこれといった理由もないのに授業をサボるパターン。いいですか! 自分の怠け癖を舐めてはいけませんよ! いつの間にか出席しない授業がどんどん増え、ヘタすると進級できなくなる危険性があります。放っておくと重篤化する病気みたいなものです。勉強ができないわけでもないのに留年する人、そのまま失速して退学まで行っちゃう人、先生は何人も見ています! 彼らは死にたいくらい大学生活が辛かったんじゃないんです。気づいたら引き返せないぐらい授業に出なくなっていただけなんです。○気づいた時には浦島太郎に実はわたしも結構あぶなかったんですよね。1年生の5月は、法学部の授業よりサークルが楽しくて部室に入り浸っていました。バンドサークルだったのですが、半分プロみたいな活動をしている人もいて、なんだか都会的でオシャレだった。下北沢に憧れるサブカル女だったこともあり(詳しくは連載第1回をご参照ください)、サークルの人たちと一緒にいると、なんだか芸能人と知り合いになったみたいな高揚感がありました。部室=魔窟。わたしには、竜宮城から帰ってきてものすごいおじいさんになっちゃった浦島太郎の気持ちがよく分かる。もう日常やだ。ずっと非日常でいい。それでもどうにか学生の本分を忘れずにいられたのは、その魔窟に同じ学部、同じ授業を履修する友だちがいたからです。「さすがに今日の授業は出とくか……」「そうだね……」と言い合える人がいた。「ずっと部室にいたい!」と叫びながら、ゾンビみたいに這って授業に出ていました。○高確率で別れる"閉じたカップル"わたしはサークルにハマってしまったタイプですが、上京組のカップルもかなり危うい。はじめての都会、はじめてのひとり暮らし、はじめての恋人……楽しいことが多すぎる。恋人のアパートに入り浸り、授業に出て来ない人が最もヤバいのですが、授業に出てきても「ふたりの世界」って感じで、周りが見えていないのもヤバいです。1年生ならではの不安や孤独を恋愛で埋めようとするカップルは、その後、高確率で別れます……。いまラブラブの人、ホントのこと言ってごめんね……。でも、大学とは素敵な恋人がいる人よりもいろんな友だちがいる人の方が眩しく見える場所なので「うわー! 1年から恋愛なんてしてる場合じゃなかったー! どうせするなら2年からで良かったー!」みたいな気持ちになるのは避けられない。なんにせよ、自分にとっての心地よさを追求するあまり「閉じた環境」にばかりいると、その後の学生生活がちょっとずつ不自由になっていきます。そしていったん閉じた環境を再び開かせるのは、しんどい。○自分の居場所を複数化するだとすればやることはひとつ。最初から自分の居場所を複数化しておくと良いのです。ちょいちょい顔を出せるサークル、目が合えば挨拶をする人がいる教室、グループワークや発表があり人と関わらざるを得ない授業……そういう場所の中に「居ても辛くないな」と思える場所があったら、ぜひ大事にしてください。同時に、図書館や学食など、ひとりで過ごすことが楽しい場所の開拓もしてください。孤独を飼い慣らす技術も身につけておいて損はない。とにかく、大学空間内にお気に入りの場所を複数作っておくことが肝要です。それさえやっておけば、とりあえず大学に来る習慣ができ、大学に来ることができれば、どうにか退学は避けられます。自分の居場所の複数化に関しては、もうひとつオススメがあります。それは、おもしろい授業を教えて貰うこと。わたしはサークルの部室に入り浸りながらも、その情報収集だけは何故かしていたんですね。そして、実際に聴講に行ったりしました(本来出るべき授業をサボって聴講していたので別に偉くはない)。他学部の授業、全然知らない学問領域の授業でも気にせず聴講しに行きました。大人数講義はそーっと潜っていましたが、少人数のゼミなどでは先生に許可も取らなきゃいけないし、みんなの前で自己紹介もしないといけない。面倒臭いのですが「他学部から見学者がやってきたぞ」というので、全く新しい人間関係が生まれたりもする。そんなことをやっているうちに、この世で一番おもしろいのはサークルの部室だと思っていた自分の視野狭窄が少しずつ改善されていきました。部室もいいけど授業もね。法学もいいけど文学もね。そんな気持ちになってきたんですね。まあ、そんな気持ちになりすぎて、法学部から文学部の大学院に進んじゃったんですけど。5月の中だるみを利用していろんな授業を聴講したことで、大学空間に身を置くことの面白さを学べたのかなと、今はそう思っています。5月の中だるみにお悩みのみなさん、勉強が好きじゃなくても、コミュ障でも、デートやバイトといった学外活動が死ぬほど楽しくても、出来る範囲でやるのです。「閉じるなキケン!」の精神で、居場所の複数化に取り組みましょう。トミヤマユキコライター・大学講師。「週刊朝日」「文學界」でブックレビュー、「ESSE」「タバブックス」でコミックレビューの連載を持つライター。早稲田大学などでサブカルチャー関連講義を担当する研究者としての顔も持っている。「パンケーキは肉だ」を合い言葉に、年間200食を食べ歩き『パンケーキ・ノート』(リトルモア)にまとめた。Twitter @tomicatomica清田隆之/桃山商事1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける"恋バナ収集ユニット"「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考えるPodcast番組『二軍ラジオ』を更新中。雑誌『精神看護』やウェブメディア「日経ウーマンオンライン」「messy」などでコラムを連載。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)がある。Twitter @momoyama_radio(イラスト:谷口菜津子)
2015年05月06日○ホントに「彼女=加害者/彼氏=被害者」なのか彼女の愛情が重い。よく聞く話ですね。束縛される、詮索される、依存される、いろいろ求められる──。そういう"太い関心の矢印"を向けられたときに心地悪さを感じ、「重いんだよ!」と言ってはねのける彼氏……いるいる、いますね。超いると思います。こういう話を聞くと、つい「彼女=加害者/彼氏=被害者」という構図のように捉えがちです。求めすぎの彼女、困ってる彼氏。って、不思議とそう見えてしまいます。でも、果たしてホントにそうなのでしょうか?これを物理的条件に置き換えて考えると、どうでしょう。例えば、誰かが何かを持ったときに「重い」と感じたとします。そこには、「持ったものが実際に重かった」という要素の他に、「持つ側の腕力が弱かった」という要素だってあるはずです。何だか逆にわかりづらいたとえだったような気もしますが、要するに何が言いたいのかと言うと、彼氏が「重い」と感じたとき、そこには「彼女の愛情が過剰だった」という可能性の他に、「彼氏の受け止める力が弱かった」という可能性だって実はあるわけです。なのに、彼氏はこれを検証もせず完全に棚上げしている。まるで「自分は被害者だ」と言わんばかりに……。ここ、要注意です!例えば桃山商事の佐藤広報はかつて、つき合っていた彼女に「重い」と言ってしまったことがあります。もっと連絡をマメにしてほしい。私のことをどう思っているのかわからない。この先のことをどう考えているのか? そういうことを彼女に言われ続けた揚げ句、佐藤広報は「重い」と言って投げやりな態度に出てしまったようです。これだけ聞くと、確かに佐藤広報の気持ちもわかるような気がします。いろいろ言われて大変だったろうな……。そういう同情が集まるかもしれません。しかし、彼女の言い分をよくよく眺めてみると、その根底には「不安」があります。向こうから電話がかかってくることはないし、メールの返信も遅い。イマイチ「好かれている」という実感が持てないし、二人の未来について具体的に考えている様子も見えない。そういう状況に、彼女は不安を抱いていたのだと思います。○「重い」という表現は、"幼稚さ"の表れ?彼女が佐藤広報にいろいろ質問したり気持ちをぶつけていたりしたのは、おそらくこの不安を解決したいからです。そのために話し合いを求めているのに、彼氏は面倒くさそうにして、ちゃんと向き合おうとしてくれない。それどころか、逆に「重い」といって非難してくる始末……え? これって私が悪いわけ?不安を発生させている原因は彼氏側にもあります。つまりこれは「二人の問題」なわけです。それを彼氏はすべて彼女のせいにして、自分を被害者の側に位置づけた。どうでしょう、これってダサくないですか?相手の不安を理解し、連絡に関する意識を改める。自分が相手のことをどう思っているのか、気持ちをちゃんと伝える。この先どうしていくか、逃げずに向き合って話し合う。彼氏は、そういうことをすればよかったわけですよね? なのに「重い」と言って彼女を責めた。なぜこんなことをしたのかといえば、つまるところ「面倒くさい」&「悪者になりたくない」からです。彼女は不安や疑惑を押しつけたいわけじゃなく、二人の関係をよくするためにコミュニケーションを取りたかったのだと思います。それなのに、彼氏は「怒られてる!」と受け取り、自分を正当化するために相手を責めた。これってもう、親に小言を言われたとき、「うるせぇなババァ!」って言い返す中学生の息子と同じレベルですよね?精神のキャパシティに余裕がないし、自分の気持ちを言語化する力がないし、相手の気持ちに対する想像力がない。ずっと愛情を持って見ていてほしいけど、ちょっと干渉されると鬱陶しくなってしまう。でも、「面倒くさい」って言うと自分が悪者になっちゃうから、相手のせいにする……。つまり「重い」という表現は、"幼稚さ"の表れでもあるかもしれないということです。どうでしょう、めっちゃダサくないですか?○相手を縛り続ける"呪いの言葉"しかし、これだけなら「ダサい」のひと言で片づくかもしれませんが、問題はもっと深刻です。「重い」と言われた彼女たちは、その言葉に囚われ続けてしまうからです。そりゃそうですよね。こんなヒドい言葉を言われたら、誰だってヘコみます。しかも、具体的に何がどう重かったのかわからないので、無限に気にしてしまう可能性がある。その不安はやがて、「相手との関係において、私にも確かに重いところがあった」という範疇を超え、「私って重い女なのかな?」「私の愛情ってウザいのかな?」「もう恋愛するのが怖い……」というように、自分の自信や尊厳を蝕み始めます。こうやって誰かに投げかけられた言葉によって言動を縛られてしまうことを"呪い"と呼びますが、「重い」というのはまさに呪いの言葉です。言った側は単に面倒くさいから言っただけで、言ったことすら忘れてしまうこともあったりするわけですが、言われた方はそれを気にし続け、囚われ続けてしまう……。ああ、恐ろしい!誰かから関心や愛情を向けられることは、基本的にうれしいことであるはずです。ていうか、それを感じ合うことが恋愛の醍醐味であるともいえます。それを鬱陶しがってはねのけるなんて……。男たちはいつも、大事なことに後から気づきます。俺が「重い」と感じていたものは、実はかけがえのない愛だったんだ! 失ってから気づくなんて……俺のバカ!彼女はもう戻ってはきません。久しぶりを装ってメールしても、返ってくるわけありません。その愛情は、もう他の誰かに向けられていることでしょう。後悔先に立たず。一生孤独に過ごしてください。永遠に過去を懐かしんでいてください。ご愁傷さまでした!……なんて風になりたくなかったら、「重い」なんて卑怯な言葉を使わず、相手とちゃんと向き合うメンタルを養っていきましょう。その方が絶対イケてるから! ダサい男になってはダメ、ゼッタイ\(^o^)/○まとめ・彼女に不安が生じたら、それは二人の問題・「重い」という言葉は幼稚なメンタルの表れ・ちゃんと相手と向き合える男の方がイケてる<著者プロフィール<清田隆之/桃山商事1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける恋愛の総合商社「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考える恋バナポッドキャスト『二軍ラジオ』も更新中。「日経ウーマンオンライン」や「messy」でコラムを連載中。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)がある。Twitter @momoyama_radioタイトルイラスト: 清田隆之
2014年08月01日神木隆之介の脳裏を予感めいた思いがよぎった。「この2人、姉弟なんじゃないか――?」それはドラマ「SPEC」の第3話で神木さん演じる“一(ニノマエ)”が「当麻!」と叫ぶシーンでのこと。「この時点で、過去に何があったのか?ニノマエと当麻がどういう関係なのか?といったことは僕自身も全く知らされてなくて、そうだったらすごいなという程度の思いだったんですが…」。だがドラマが最終盤に差し掛かった頃、神木さんは、そのときの予感が正しかったことを知る。「よし、来たか。やはりそうか!という感じでした(笑)」。“時を止める”という最強の能力に飽きたらずこの男、予知能力まで身に着けていたとは…。神木隆之介がこれまでとは全く異なる“悪”と“狂気”の一面を見せ、文字通り新境地を開いた「SPEC」が、公開中の『劇場版 SPEC~結(クローズ)~ 漸(ゼン)ノ篇』と『爻(コウ)ノ篇』で3年にわたるシリーズの幕を閉じる。神木さんにとってこの3年はどのような歳月だったのか?そして今年、20歳を迎えてその先に見据えるものとは――?『SPEC』最終章の公開を記念してロングインタビューを敢行!まずは約3年前、ドラマ「SPEC」のオファーを受け、ニノマエという役を演じることになったときの率直な心境、そしてどのように役を作り上げていったのかを聞いた。「びっくりしましたね。作品やスペック(=選ばれし人物たちが持つ様々な特殊能力)についての説明があったのですが、まず悪役であるということ。さらにニノマエは『時を止める能力を持つ』と。それまでそういう超人的な役を演じたことはなかったですし、悪役ということでどんな風に見える役にすればいいか?かなり悩みましたね」。“無垢なる悪”ともいうべき、従来の悪役像を一変するようなニノマエのキャラクターは、役者に自由を与え、可能性を引き出していく堤幸彦監督の下で神木さん自身が作り上げていったものだ。「口の片方を上げてニヤリと笑って『キサマら』と言う、いかにもって感じの悪役は嫌で、この子は味方になるのか?ずっと敵なのか?それともどちらでもないのか?という曖昧さを持った役にしたかったんです。一見、悪いヤツに見えないくらい無邪気で、逆にそれが狂気を孕んでいて怖い――特にドラマの第1話、2話あたりは笑顔ひとつ、動きひとつにも細心の注意を払っていました」。もしも彼が先述のような「いかにもな感じの悪役」を演じたとしても、それはそれでこれまでにない神木隆之介として強い印象を与えたことだろう。だが、彼がすごいのは単に極端な方向へと舵を切るのではなく、自身の容姿や従来のイメージまでも踏まえた上で、どうしたらこの作品の中で最も恐ろしい形で存在感を放ち、見る者にインパクトを与えられるかまで考えて、ニノマエというキャラクターの“スイッチ”を調整していることだ。「身近にいる友達や家族にまで『怖い』とか『何考えてるのか分からない』って言われました(笑)。ただ、ニノマエを演じるのは気持ちいいです。テンションの急な上げ下げもあり、人をおちょくるような態度を取ったり、極端な切り返しもあって…。どうしてもこれまで、感情を抑えるような役が多かったのですが、初めてエネルギーを外へ外へと発していく役で快感でしたね(笑)」。一方で、ニノマエ絡みのシーンの撮影はシリーズを通じてスタッフ、キャストのとっては最も苦労の多いシーンとも言われている。ニノマエが能力を発動し“時を止める”シーンでは、最新の撮影設備が用意され「準備だけでも2時間くらいかかることもあった」という状況で、ニノマエ以外の共演陣は実際に、同じ姿勢で止まったままいないといけない。神木さんだけがその場を悠々自適に微笑みを浮かべて動き回ることになる。「現場に行くとみなさんから『来たよ…』って言われてましたからね(苦笑)。こっちも(頭を下げつつ)『どうも、お邪魔します』という感じで(笑)。僕以上に周りのみなさんは本当に大変だったと思います。戸田さんや加瀬さんの目がだんだん、充血していくのが見えましたからね。ニノマエのような役を演じることはそうそうない事だと思いますので、そういう意味でも本当に貴重な体験をさせて頂きました」。オリジナル(?)のニノマエはドラマの最終話で死を遂げているが、その後のスペシャルドラマや劇場版でも、ニノマエは“死んだスペックホルダーを呼び戻す”という当麻の能力やクローンという形で登場。そして最終章となる『爻ノ篇』にも神木さんの名はしっかりとクレジットされている。どのような形での出演となるのかは観てのお楽しみだが、改めて、『爻ノ篇』の撮影で3年におよんだ「SPEC」に別れを告げた瞬間の気持ちは?「正直、まだ終わってないような気持ちですね。終わったの?ホントに?いやいや、まだあるでしょ!という感じで(笑)。これまでがまさにそうでしたからね。連続ドラマが終わって死んだはずなのにスペシャルドラマに呼ばれ、『おつかれさま』と言われたはずが映画にも呼ばれ…まだそのパターンが続いているような気がします。撮影を終えてしばらく経って『終わったんだな』と思っているのですが、心のどこかでまだ終わっていないような…それくらい、この3年は長く特別でしたね」。「SPEC」に携わった約3年の間、もちろん、神木さんはそれ以外の作品にも携わってきた。いや、“以外”などという言葉では片づけられない、俳優人生における大きな転機となる出会いもあり「役と一緒に成長してきた3年だった」とふり返る。ドラマでは宮藤官九郎脚本の「11人もいる!」で主演を務め、映画『桐島、部活やめるってよ』ではニノマエとはまた180度異なるスクールカーストの“底辺”に位置する主人公の高校生を好演。改めて俳優・神木隆之介の幅の広さ、ポテンシャルの高さを見せつけた3年だった。「特にこの2年ほど、高校を卒業して『桐島』のプロモーションが始まって、おこがましい言い方だけど“座長”としてしっかりしなくちゃという意識、責任感を強く感じていました。卒業して、運転免許もとったし(笑)、変化だらけですね。自分の中で成長を感じてもいますし、それを見せていけたらという気持ちはより一層、強くなりました」。神木さんの口からはたびたび「社会人」という言葉が口をついて出る。俳優にインタビューをしていて「大人」や「プロ」という言葉が出てくることはよくあるが、「社会人」という言葉を聞くことはめったにない。なるべく仕事と切り離して過ごしていたという学生時代が神木さんにとっていかに大きかったか、そして、どんなに芸歴が長くとも、世の中との繋がりを常に意識し、しっかりと地に足をつけて歩みを進めていこうとする思いが垣間見える。「高校を出たことで、この仕事で食っていかないといけないという覚悟は確実に芽生えましたね。正直、高校生の頃は『まだ学生』という気持ちがあったんだなということを、いまになって改めて実感しています。頑張らなきゃって気持ちと同じように不安もあるし、新鮮だけど、確実に“重さ”を感じています。まだそこまで年月が経ってないのに高校時代が懐かしくなりますね(笑)。この先に関して…元も子もない言い方ですが(笑)、何があるか分からないから全力で死ぬ気でやっていきたい。いまは、スーツを着て会社勤めをする役がやりたいです。上司や部下や同期の仲間がいて、ほかの部署の女の人と社内恋愛したりとか(笑)」。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:劇場版 SPEC~結(クローズ)~漸(ぜん)ノ篇 2013年11月1日より全国東宝系にて公開(C) 2013「劇場版SPEC ~結~ 漸ノ篇」製作委員会/2013「劇場版SPEC ~結~ 爻ノ篇」製作委員会劇場版 SPEC~結(クローズ)~爻(こう)ノ篇 2013年11月29日より全国東宝系にて公開(C) 2013「劇場版SPEC ~結~ 漸ノ篇」製作委員会/2013「劇場版SPEC ~結~ 爻ノ篇」製作委員会
2013年11月29日朝井リョウのベストセラーを映画化した『桐島、部活やめるってよ』のメガホンを握った吉田大八監督と主演の神木隆之介がインタビューに応じた。その他の写真バレー部のキャプテン・桐島の突然の退部を巡り、その親友や恋人から全く関係のないはずの生徒まで、学内の人間関係が少しずつ変化していくさまを描いた本作。原作の持つ瑞々しい感覚を最大限に活かしつつ、映画はより鋭くそして、残酷に学校という世界の一面を切り取る。監督は「僕の方が朝井さんより少し意地悪なのかもしれない」と笑いつつ、「僕が一番に感動したのは、小説の最後に出てくる映画部の前田(神木)と桐島の親友の宏樹(東出昌大)のやりとり。ここにたどり着くために物語を作り上げていった」と語る。「ジっとこちらを見つめる視線に心の奥底までのぞかれてしまうような気がした」とは神木が監督に抱いた第一印象。若いキャスト陣と倍以上も年の離れた監督は、この冷静な眼で彼らを見つめ、映画の肝とも言える人物たちの“距離感”を探っていった。「俳優たちが自分の生理にウソをつかずにセリフを言ったり動いたりできるようにしたくて、撮影前にリハーサルだけでなく、ただ一緒に過ごす時間も取ってもらったんです。それを少し離れたところから見て、どうやって彼らにコミットすればこの微妙な関係性を壊さずにカメラに収められるかという間合いを測りました」と慎重な積み重ねの上に作り上げた空気感について語る。前田は“下”のグループに属する一見サエない学生だが、神木は「何を言われても『これがやりたい』と言える芯の強さに共感した」と明かす。さらに「前田は監督自身なんじゃないかと思うんです」とも。それは吉田監督に演技指導を受けながら抱いた感覚だった。「前田という男の子が監督を通してスッと僕の中に入ってくる不思議な感覚でした。これまでのどの監督の指導とも違って、吉田監督からはそのまま人物を渡されたような感じだったんです」。そんな神木の言葉に吉田監督は「最初は『勘違いだよ』と言ってたんですが、あちこちで神木くんがそう言うのを聞く内に、自分でもそんな気になってきて混乱してます」と苦笑を浮かべるが、称賛を込めて「やはり前田は誰よりも神木くん自身」と言い切る。「日常をやり過ごしながらも大事なものを守る強さを神木くんも持ってると思います。前田はカメラを通じて世界と“対決”するわけだけど、そこに神木くんが自分の中から引き出してきた説得力をしっかりと感じましたね」。『桐島、部活やめるってよ』8月11日(土)より、新宿バルト9ほかにて全国ロードショー取材・文・写真:黒豆直樹
2012年08月09日