濱田文恵の「運命をこっそり変える」OLから最年少美容家となった濱田文恵が、2017年11月29日(水)、自身初となる著書「運命をこっそり変える」を出す。ニキビだらけの顔で、平凡なOL生活を送っていた濱田は、人生を変えるべくSNSを開設。好きな美容を仕事にするために、資格を取得し、WEBライターにチャレンジ。夢を自分の手でつかんだ。同書では、濱田が美容家になるために実践したブランディング法や、西洋と東洋をミックスさせた美養アドバイスなどが綴られている。濱田は、小さなきっかけさえあれば、女性はどこまでも輝けるという。11月29日(水)までに、アマゾンから先行予約した人には、スペシャル特典やプレゼントなどを用意。詳細は、濱田文恵オフィシャルブログを確認。最年少美容家 濱田文恵日中美容研究の濱田文恵は、中国出身。4歳から日本で育ち、大学卒業後、WEB関連企業に就職。過労とストレスで、深刻な肌荒れを経験したことをきっかけに美容の勉強をスタート。2015年にフリーの美容ライターに転身する。2017年には、北京中医薬大学日本校中医薬膳専科を卒業。「日本オーガニックコスメ協会認定オーガニックコスメアドバイザー」など、15種類のビューティー系資格を保有し、最年少美容家として活躍の幅を広げている。(画像は濱田文恵オフィシャルブログより)【参考】※濱田文恵オフィシャルブログ※アマゾン
2017年11月07日「JAPAN POMPOM(ジャパンポンポン)」は、日本のマスコミはもとより、イギリスやスイスの国営テレビからも取材され、スペインやオーストラリア、イタリア、ルーマニアなどの雑誌にも紹介されるシニアのチアダンスチーム。平均年齢は、なんと71歳。 チームの創設者であり、いまもセンターで踊る滝野文恵さん(85)が「ジャパンポンポン」を立ち上げたのは、63歳のとき。当初のメンバーはわずか5人。それから22年目の現在、出演依頼は数多く、入会のオーディションも12年前から毎年行っているほどの人気ぶりだ。滝野さんに、そもそもチアを始めた理由を尋ねると、まるで太陽のような明るい笑顔が返ってきた。 「勢いですよ。私の人生、なんでも勢いです(笑)」(滝野さん・以下同) ’32年(昭和7年)1月15日、滝野さんは広島県の福山市に、4人きょうだいの3番目の次女として誕生。女学校時代は宝塚歌劇、大学時代は乗馬に熱中するが、いずれも学校卒業と同時に、「あっさり、おしまい(笑)」。’54年、22歳でアメリカに1年間の留学をしたのは、「これからは女も自立しなければいけない」という父の勧めだった。入学したミシガン大学では、下宿でも教室でも日本人留学生たちと日本語で会話をしてしまうため、日本人のいない小さなカレッジに転校。 「楽しかったですね。半年間でしたが、英語も覚えました。そしてなにより、この体験のおかげで30年後の50代にまたアメリカに行こうと思えた。人生、何事も必ずステップになるし、つながっていくんですね。無駄はないんです。すべてラッキー(笑)」 帰国後は住友金属に就職し、英語力を生かして翻訳を担当。25歳で製薬会社勤務の男性と結婚して家庭に入った。 「彼は8歳年上でしたから、父のように頼りになると思ったんです。でも違ってた。旧家に生まれ育った夫とはすべてにギャップがあって。最初から水と油だったかな」 26歳で長女を、29歳で長男を出産。しかし、’84年に滝野さんは27年間の結婚生活に終止符を打った。52歳からの再スタートである。 「1人の部屋で、なんとかしなければ、と考えていたとき、かつての留学仲間が勉強していたジェロントロジー(老年学)を思い出したんです。老いと社会との関係を研究する学問なのですが、50歳のときに父の死に直面してから“老いて生きる”ことをずっと考えていました。でも答えは見つからない。だったらアメリカの大学院で勉強するしかない。思い立つと、これしかない!と取り憑かれる性格なんです(笑)」 かくして、53歳からの2度目の留学生活が始まった。800ページものテキストと格闘し、授業は録音して文字に書き起こして理解。クラス全員で老人施設を建設するプランを立てたり、自分の葬式のシミュレーションもした。老人ホームでの実習も体験した。 「自分がどう老いていくべきかは、見つけられませんでしたけどね。人は人、というアメリカの個人主義は心地よかった。他人に対して干渉せず、でも実は、『助けて』と言えば助けてくれる、ちゃんと言葉で主張するという、そんなコミュニケーションを学んだことも、その後に生かされています」 57歳で帰国。そして’95年の春。アメリカから届いた分厚い本を読んでいたときだった。『平均年齢74歳のチアリーダーグループがある』という一文に、「お年寄りにチアができるの!?」と、目がくぎ付けになった。 「わずか2~3行の記述です。ふつうなら読み流すんでしょうね。でも、チア=若い人という固定観念に縛られていた自分に気づいて、じゃ、やってみようかなと思ったんです。日本で誰もやっていないなら、私がやろうって」 ’96年1月、創設メンバー5人で「ジャパンポンポン」は立ち上がった。練習場所には、区の体育館を借り、当時の平均年齢60歳弱。モットーは「夢と元気と希望を与えること」。参加資格は「55歳以上」「自称・容姿端麗」。1年に1曲のペースでレパートリーを増やしていくが、参加者はなかなか増えなかった。イベントに招かれることもなく、ときどき老人施設にボランティア公演に行くものの、「みだらなこと」と眉をひそめられたこともあった。 いま、滝野さんは静かなまなざしで言う。 「やめようと思ったことはありません。世間さまからどう見られても気にならないんです。世間さまは非難することはあっても、助けてくれませんから。やっぱり自分の思いの強さが一番なんです」
2017年08月26日「やめようと思ったことはありません。世間さまからどう見られても気にならないんです。世間さまは非難することはあっても、助けてくれませんから。やっぱり自分の思いの強さが一番なんです」 そう静かなまなざしで話すのは、「JAPAN POMPOM(ジャパンポンポン)」の創設者であり、いまもセンターで踊る滝野文恵さん(85)。「ジャパンポンポン」は、日本のマスコミはもとより、イギリスやスイスの国営テレビからも取材され、スペインやオーストラリア、イタリア、ルーマニアなどの雑誌にも紹介されるシニアのチアダンスチーム。平均年齢は、なんと71歳。 滝野さんが「ジャパンポンポン」を立ち上げたのは’96年1月、63歳のとき。当初のメンバーはわずか5人。練習場所には区の体育館を借り、当時の平均年齢60歳弱。モットーは「夢と元気と希望を与えること」。参加資格は「55歳以上」「自称・容姿端麗」。1年に1曲のペースでレパートリーを増やしていくが、参加者はなかなか増えなかった。イベントに招かれることもなく、ときどき老人施設にボランティア公演に行くものの、「みだらなこと」と眉をひそめられたこともあった。 ’99年になってもメンバーは9人。それぞれの事情による退会もあった。流れが変わったのは、その年の春。『週刊新潮』で取り上げられたのをきっかけに、マスコミ各社から、取材攻勢がかかったのだ。 「ただ、とくにテレビ局は『こんな年齢で足を出して踊るのか』という視点で報じたかったようで、どの局もメンバーの足から撮るんです。スライディングみたいなまねまでさせるので、私が怒って止めさせたという、そんなつまらないこともありましたけど」(滝野さん・以下同) とはいえ、知名度が上がるにつれ、メンバーも増えていく。’03年には20人で、7周年記念チャリティショーを開催した。オーディションをするようになったのは、’06年から。オーディションの際、滝野さんがもっとも重視するのは、“本気度”だという。 「ダンスは未熟でも、やる気を感じると、周囲から反対されようとチャレンジする人を応援したくなる。私自身が、やりたいことをやってきましたからね」 「ジャパンポンポン」は、幕張メッセのアリーナで開催される「USAナショナルズ」に、毎年ゲスト出演をしている。国際的チアリーディングやダンスの指導・育成をするアメリカの団体USAが主催する全国選手権大会だ。 「若いお嬢さんたちのイベントですよ。私たちがゲストで出ていくと、『オォーッ!』って、それはすごい声援と歓声ですからね。やっぱり、いい気持ち(笑)。素直にうれしいです。そして、うれしがっていいと思います。自分が楽しんでなかったらウソですもんね。あの衣装で、お客さんにワーワー言ってもらえて、感動までしていただけるなんて、やっぱりチアは最高ね!」 そして今年10月には、台湾の団体からの招きで、「ジャパンポンポン」初の海外公演が。 「航空券は自己負担なんですけど、ほとんど全員が参加しますって。うちのメンバーはぶっ飛んでいるというか、すごいと思います(笑)。いまは、台湾公演に向けた猛特訓の日々ですよ。私たち『ジャパンポンポン』にとっては、いつになく暑い夏になりそうね」 3年後には、大きな節目である「25周年記念チャリティショー」も待っている。そのとき滝野さんは88歳の米寿だ。 「しわくちゃでヨロヨロになっていたら私は出ませんよ。見苦しい踊りは見せたくないから。ただ、どんな形にせよ『ジャパンポンポン』は続いてほしいです。いくつになっても踊るシニアのチアチームとして」
2017年08月26日映画『ロボジー』の60歳以上限定試写会が12月7日(水)に都内で開催され、主演の五十嵐信次郎(ミッキー・カーチス)に吉高由里子、濱田岳、川合正悟(Wエンジン)、川島潤哉、矢口史靖監督が上映前の舞台挨拶に登壇。加えて、各方面で活躍するスーパーおじいちゃん&おばあちゃんも登場し、登壇陣と観客合わせて計31,084歳、平均69.5歳の史上最高齢試写会は異例の盛り上がりを見せた。73歳で主演を務めるのに際して「新人の気持ちで」、“五十嵐信次郎”と改名したカーチスさんは高齢者で埋まった客席に開口一番「大丈夫?生きてる?」と毒舌。矢口監督は「こんなシワシワの会場は初めて(笑)」、吉高さんは「お元気ですか?ちゃんと今日は看護師もいらっしゃるので(体調悪くなったら)恥ずかしがらずに呼んでくださいね」、濱田さんは「寒い中、節々が痛む中、来てくださってありがとうございます」とユーモアたっぷりに挨拶した。客席には60代、70代のみならず、80代さらには90代の方も!かつてカーチスさんが一世を風靡した日劇ウエスタンカーニバルを見に行ったという観客も見られた。カーチスさんは今年の1月に行われた撮影をふり返り「ロボットが30キロもあって一度中に入ったらトイレにも行けない。九州で撮影と聞いて暖かいかと思ったらマイナス2度で虐待を受けました」と苦労を明かした。ゲストとして登場したのは3組の“スーパーおじいちゃん&おばあちゃん”。1人目は、75歳にしてボディビルダーとして活躍する金澤利翼さん。黒いマントを脱いで、鍛え上げられた肉体を披露すると客席、そして登壇陣から驚嘆の声が上がった。続いて登場したのは、73歳でなわとび競技の6種目で世界記録を保持している鈴木勝己さん。壇上で二重跳び、三重跳び、さらには四重跳びまで成功させた。最後に登場した79歳の滝野文恵さんはシニア・チアリーダー「ジャパンポンポン」のリーダー。この日は仲間たちも駆けつけ、両手にポンポンを持って華麗な舞を見せつけた。最後にはポーズもバッチリと決めて客席から喝采を浴びた。横で見ていた吉高さんも「女子高生みたい!」と元気すぎるおばあちゃんたちの迫力に圧倒された様子。川合さんも「惚れてまうやろー!」とおなじみの惚れキャラでチアリーダーたちを称えた。ゲストたちに負けず劣らず元気なのがカーチスさん。ちょうど名古屋でライヴを行なっている最中で、この日の朝一番で上京して舞台挨拶に参加。またすぐに戻って明日も公演を行うという。この日は60歳を過ぎて始めたというハーモニカを披露し、会場は温かい拍手に包まれた。『ロボジー』は2012年1月14日(土)より全国東宝系にて公開。■関連作品:ロボジー 2012年1月14日より全国東宝系にて公開© FUJI TELEVISION,TOHO,DENTSU,ALTAMIRA PICTURES■関連記事:73歳ミッキー・カーチス、懐かしの日劇に凱旋し生演奏!
2011年12月07日