新興宗教が根を下ろしたニュータウン。そこで起きた愚行と悲劇とは。澤村伊智さんによる、小説『邪教の子』をご紹介します。「この作品では最初から細かめのプロットを用意したんですね。前半は構想通りでしたが、後半に入って『もう一声』みたいな編集者さんからの要望がたくさん来て(笑)。それで後半はがらりと変えたんです」澤村伊智さんの『邪教の子』は、パキッとした二部構成になっている。前半は知恵と勇気で囚われの姫を救い出す子どもたちの冒険譚。ニュータウンに越してきたばかりの茜が新興宗教〈コスモフィールド〉にすがる親から虐待されていると思った慧斗は、同級生の祐仁らと共に、茜を救い出そうと試みる。だが後半、物語はがらりと様相を変えるのだ。テレビディレクター矢口が、〈邪教「大地の民」〉の元信者と出会って取材する糸口をつかみ、団体に接近。思いがけない事実が次々と明るみになっていく。「新興宗教を脱会した人の本など読むたび、子どもが犠牲になっていると感じ、そういう部分は避けられないと思ったんですね。また、カルトのような特異な組織は外からどう見えるのか。これは話題になったドキュメンタリー『ハイパーハードボイルドグルメリポート』のディレクターさんの著書にかなり触発されました。カルトなコミューンや疑似家族は現代における普遍的なテーマでもある。大好きな『マグノリア』や『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のポール・トーマス・アンダーソン監督もこういうテーマばかり取り上げています」実は、連載時とはエンディングも変えたそう。「葛藤はあったんです。でも変えた以上、この結末が面白いと言ってくれる読者さんがいるとうれしい」〈邪教の子〉。その言葉が示す本当の意味が最後にガツンとくる。「僕も子ども時代にニュータウンで育ったので、当時の感覚を思い出しながら書きました。自分のリアルタイムの情報というか、子ども時代や学生時代の体験や記憶を物語に放り込むことに、それなりの意味が出てきたなという気がするんです。さまざまな出来事がまったく社会と無関係に起こったことではないのだなとわかってきたので。エンタメとしてのベタを狙いつつ、それを安易に流用したくはないという自分の中のめんどうくさいせめぎ合いと闘いながら、今後も書いていきたいですね」『邪教の子』前半は慧斗が過去を振り返る形で、後半は、彼自身が新興宗教に家族を壊された子だというテレビディレクター・矢口の視点で描かれる。文藝春秋1870円さわむら・いち作家。1979年生まれ、大阪府出身。2015年、『ぼぎわんが、来る』で日本ホラー小説大賞〈大賞〉を受賞し、デビュー。同作はのちに映画化され話題に。比嘉姉妹シリーズなど著書多数。写真提供・文藝春秋※『anan』2021年10月27日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2021年10月25日とらや(TORAYA)から、酒粕入りの特製羊羹「満寿の露(ますのつゆ)」が登場。東京ミッドタウン店で2020年1月11日(土)より先行販売された後、1月12日(日)から2月上旬まで数量限定で発売される。とらやの新作和菓子「満寿の露」は、富山の桝田酒造店が手掛ける日本酒「満寿泉 純米大吟醸 寿 Platina(ますいずみ だいぎんじょう ことぶき プラチナ)」の酒粕を使用した羊羹だ。「山田錦」を使用した「満寿泉 純米大吟醸 寿 Platina」は、桝田酒造店でも最高ランクの日本酒。酒の味わいをクリアにするために、酒粕が酒自体に溶け込まないよう、やさしく搾っている。そのため酒粕に日本酒の成分が多く残っているのが特徴だ。「満寿の露」にはこの酒粕を数か月熟成させ、深い味わいに仕上げてから使用。酒粕入りの白煉(ねり)羊羹に、黒煉羊羹、日本酒のきらめきをイメージした透明な白琥珀(こはく)羹を合わせた。【詳細】とらや 酒粕入羊羹「満寿の露」販売期間:2020年1月12日(日)~2月上旬 無くなり次第終了。※東京ミッドタウン店のみ1月11日(土)先行販売。販売価格:2,160円(税込)※取り扱いのない店舗もある。
2019年12月07日●優勝と最下位を経験した監督時代プロ野球ラジオ中継の代名詞であるニッポン放送『ショウアップナイター』。この番組に解説者として出演する、ヤクルトスワローズの元監督・真中満氏は、解説者として意識するのは「仕事をしに行かない」ことだと語る。その理由は何なのか。また、2015年のドラフト会議で起こしてしまった「ガッツポーズ事件」の真相などについても話した。○■監督就任のオファーに「やりがいを感じた」――真中さんは現役引退後、コーチ経験を経て、監督に就任されました。当時、2年連続で最下位というチーム状況でしたが、オファーをもらった時はどう思いましたか。チームは低迷していましたけど、2軍でも指導者をやらせてもらったので、チームの中では選手の能力を一番把握しているんじゃないかという思いがありましたし、やりがいを感じました。ただ、優勝すると冒頭に宣言したものの、そこまではなかなか難しいかなと思っていました(笑)。でも、彼らの個性を活かせれば、ある程度は戦えるかなと考えていましたね。――とはいえ、2015年の就任1年目にいきなりリーグ優勝しましたね。選手1人1人がキャリアハイを目指してやった結果、みんながそれなりの数字が出たし、やっぱりチームって勝っていくと乗れるので、優勝までいけたのかなと。僕やコーチ陣も洗脳じゃないけど、「勝てるぞ、勝てるぞ」とみんなでうまく盛り上げていけたので、選手たちもその気になってプレーできたのかなと感じます。――しかし翌16年は5位、17年は最下位に沈み、この年限りで監督を辞任されました。やっぱり選手層の問題もあるし、優勝する年はどうしても無理する部分が多いんですよ、特にピッチャーは。常勝チームは選手層も厚いけど、最下位から優勝したチームですので、いろいろと無理した部分があったと思います。昨年のヤクルトも2位でしたが、今年はなかなか勝てていないですよね。もちろん連覇を目指してやっていたんですけど、上手く回りませんでした。○■指導のテーマが「自主性」だった理由――ヤクルトについては、ケガ人の多さから、ネット上では「ヤ戦病院」と言われることもあります。でもケガ人の多さは、どこのチームも同じぐらいだと思います。ただ、ヤクルトの場合は選手層が薄いので、ケガ人が出ると目立ちますよね。強いチームはケガ人が出ても、それをカバーする選手が出てきて、ズームアップされないんだけど。――ところで、真中さんがコーチ、監督時代に、指導するうえで気をつけていたことはなんですか。TPOですね。時間や場所、タイミングを非常に大事にしました。あとは選手1人1人、性格も違いますし、受け入れ方も違うので、その選手にあったアプローチをすることを気をつけていました。――真中さんが過去に出版された本などを拝見すると、指導のテーマとして「自主性」を掲げていたのが印象的でした。やっぱり自分で考えずに言われたことをやっているだけの選手は、進歩しないです。壁にぶつかったときに人のせいにしますよ。自分で考えてやったことって、仮にプロで成功しなくても納得できるかなという思いもあるので。もちろん指導者はアドバイスしますが、押し付けじゃなくて「こういうときは俺らはこうやってきたよ」「こういう方法でスランプがなおったことがあるぞ」とか、どちらといえばそういう伝え方ですよね。言われたことをやってスランプ脱出しても、また同じ状況になったときに「どうやったっけ?」となるんですよ。自分で考えたことはそのまま財産になるので、自主性のある選手を育てたかったんです。――そうなんですね。指示を仰いでばかりの選手はどうしてもとっさの判断力が鈍ります。練習から自分で考えることで判断能力がつくんですよ。僕も現役のときを振り返って、じゃあコーチからなにを教わったかと考えると、「なに言われたかな?」というレベルですよ、正直。ということは、そんなに聞いてないんですよ(笑)。やっぱり、自分で考えて打破したことが一番実になっています。――優勝と最下位の両方を経験した、監督時代の3年間を振り返ってみていかがですか。人間はいろんな経験をしていた方が強いのかなと思うので、ファンの皆様にはこれだけ負けてしまって申し訳ないという気持ちはありますが、僕自身は本当に良い人生経験をさせてもらったなと。今後、なにをやるかは分からないけど、肥やしになればいいですね。●「ガッツポーズ事件」の真相――そして、真中さんの監督時代といえば、ドラフト会議での「ガッツポーズ事件」が印象的です。あの日はすごい運勢が良くて、いろんなものを調べても12球団で最強の運勢だったんですよ。当日は参拝もして、万全の状態でドラフトに臨みました。下馬評では高山(俊)選手の一本釣りで、指名する他チームはないという情報が入ってきていて、「そりゃそうだろうな。運勢こんなに良いし」と。でも、阪神が手を挙げて、金本(知憲)監督とくじを引くことになったんです。とはいえ、僕の中では「金本監督、かわいそうにな。俺はこんなに運勢良いのに。他に行けばいいのに」と思っていました。――そしてくじを引いたわけですね。「引いてやる」という以上に「もう引いてる」ぐらいの気持ちで挑み、チラッと見えたNPBのマークに反応してしまいました(笑)。交渉権獲得のマークがなければ外れなので、結果的には外れを当たりと間違えてしまったわけです。完全にかかり気味だったのが、要因ですね。――その後、いろんなところでネタにされていますよね。おかげで本当にいろんな仕事もいただけますし、さっきの「いろんな経験をしていた方が強い」じゃないですけど、良い経験をさせてもらいました(笑)。○■恩師・野村克也氏の持論に反論「固定観念ですよね」――ところで、入団当時の監督は名将・野村克也さんでした。野村さんはどんな方だったんですか。野球のことはもちろん、「プロ野球選手たるもの」といった野球以外の哲学的なことも教えられました。「ファンあってのプロ野球選手であり、ファンのおかげでお前たちの給料が出るし、成り立っている」というお話をよくされていました。"野球バカ"にはなるなと、非常に良い教育を受けたと感じます。――グラウンドでの指導や戦術などは、どんな感じだったんですか。野村さんは管理野球のイメージがありますけど、意外とのびのびプレーはやらせてもらいました。野村監督時代は2番が多くて、「2番だから初球は見逃そう」「ランナーを進めよう」とかいろいろ考えていたんですけど、野村さんは「どんどん初球から打てよ。お前なんかは追い込まれたら打てないんだから、ボール球からくるわけないだろう」と。その辺は意外とシンプルでやりやすい環境でした。僕はプレーしながら、窮屈な印象はなかったです。――野村さんといえば、「外野手出身監督に名将はいない」とよく言っています。真中さんは外野手出身ですが、いかがですか。そこについては、僕は完全に否定しますね。そもそも野村さんは僕らに「固定観念は悪だ」と常に言っていたのに、それは固定観念ですよね(笑)。外野手でもバッテリーや内野に興味を持ち、自分がやってなかったからこそ研究して突き詰める部分もあると思うので。"外野手"とひとくくりにしてしまうのは、どうなのかなと。――真中さんが解説者として意識していることはなんですか。「仕事をしに行かない」ということです。解説で仕事をしに行く感覚でいると、余計なこともしゃべってしまい、中継の邪魔になるなと。視聴者の方は、僕らの解説よりもプレーが見たいわけですし、なんでこういうプレーが起きたのか説明するのが僕らの仕事。だから僕の主観、僕がどう思ったかという意見はいらないと思っています。もちろん自分の意見を言うときもありますが、そこは意識していますね。――「ショウアップナイター」リスナーに対して、ここに注目したら野球がもっと楽しくなる、という点はありますか。野球で一番難しいのは投手の継投だと思います。どのくらいの疲労蓄積があるのかなど、現場のコーチ、監督しか分からないことも多いんですよ。でも、そういったことを意識して、「どのタイミングで投手を代えるのか」という点に注目して見ると、すごく面白いと思います。■真中満1971年1月6日生まれ。宇都宮学園高校から日本大学を経て、1993年ドラフト3位でヤクルト・スワローズに入団。外野手として活躍し、3度のリーグ優勝&日本一に貢献した。2008年限りで現役引退。引退後はヤクルトの2軍打撃コーチ、2軍監督、1軍チーフ打撃コーチを務め、2015年シーズンから監督就任。就任1年目にリーグ優勝に導いた。2017年限りで監督を辞任し、現在は野球解説者などとして活動中。
2019年08月08日我が子の未来が順風満帆で輝かしいものとなるように……親であればそう願っていますよね。しかし実際には、他人からの心ない態度に傷ついたり、自分の能力に限界を感じたりするでしょう。そんなとき、「前を向く力」があれば、もう一度立ち上がることができるのです。いま、どんな困難な状況にあってもめげることなく前を向いていける力が求められています。お子さまの「前を向く力」を育てるために、親ができることを考えてみました。やり場のない気持ちは「切り替える」「やりすごす」子どもは、自分ひとりで解決できない困難を目の前にしたとき、親や先生などの身近な大人に「なぜ悩んでいるのか、苦しんでいるのか」「どうしたいのか」を言葉で伝えられないことがよくあります。原因がいくつも絡み合って、自分の中で整理がうまくできないために言語化できないのです。私たち大人の社会においても、似たようなことは起こります。すべてを白黒はっきりつけて解決できればいいのですが、そうとも限らないのが現実です。傷つき悩む子どもたちは、困難な状況をうまく乗り越えられないでいると、頭痛や腹痛など身体の不調を訴えることもありますし、不登校になってしまうこともあります。または、抱えているストレスをいじめや暴力で発散するケースも考えられます。この時代を生きていくには、困難に立ち向かう方法だけでなく、やり場のない気持ちをうまく切り替える方法ややりすごす方法を身につけて、前を向いて進む力が求められています。この力を「レジリエンス」といいます。海外では40年近く前から「レジリエンス」について研究が進んでいましたが、国内でレジリエンスが注目されたきっかけのひとつは、2011年3月11日の東日本大震災だといわれています。そのため、防災や減災といった意味合いで使われることもありますが、心理学では「逆境やトラウマ、惨事、脅威、もしくは重大なストレス源に直面したときにうまく適応するプロセス」(アメリカ心理学会)と定義されています。前を向く力「レジリエンス」が高い人の特徴「レジリエンス」は、誰もが元々もっている力で、大人になってからでも高めることができます。逆に、心身の疲労によって衰えることもあります。人によってレジリエンスの程度には差がありますが、高めていくには次のようなことがカギになると埼玉学園大学の小玉正博教授は述べています。【レジリエンスを高める考え方や行動】●気持ちや感情をコントロールする力●変化する状況に順応できる柔軟性●自分は大切だという感覚●必要な時に助けを求められる力●自分を犠牲にしない●楽観的であること●嫌なことを割り切る力これらをご覧になっていかがでしょうか。「前を向く力」といっても、困難へ正面から立ち向かうパワーや、限界まで粘り強く向き合うためのガッツではなく、「しなやかさ」「融通が利く」「受け入れる」に近いものが多いですね。困難な状況にあってもパニックを起こさず、また怒りや悲しみ、悔しさを自分でコントロールすること、状況に応じて順応すること、自分のことを大切に思いひとりで問題を抱え込まないことが「前を向く力」をつけるための大切な要素となります。子どものレジリエンスを育てるために親ができること3つ上記にレジリエンスを高める考え方や行動をご紹介しましたが、実際に私たちは、どのようなことを意識すれば、子どものレジリエンスを育てられるのでしょうか。臨床心理学者で東京学芸大学名誉教授の深谷和子先生は、次の5つが大切だといいます。レジリエンスを育てるために大切なこと1.自己肯定感(自尊感情)を育てる2.愛し愛されることができる子どもに育てる3.友だちとのかかわりをもてる子に育てる4.多様な体験をもつ子に育てる5.目標(志)をもつ子に育てる(引用元:Z会さぽナビ|特集 折れない心を育てる(1) 【インタビュー】「レジリエンス」こそ 親が子に残せる最高の資産(1))この中で最も重要なのは「自己肯定感(自尊感情)」で、自己肯定感が育っていれば2~5に連動してプラスの効果があるそうです。自己肯定感とは、「自分ならできる」「自分は愛されている」「ここにいてもいい存在だ」と思える気持ちです。また、自己肯定感が高い子どもは学力も高いという調査結果もあり、子どもの教育を考える上で注目されています。これら5つの観点で子どもを育てるために親ができることを3つご紹介します。それは「結果よりプロセスを褒める」「チャレンジを援助する」「人とのつながり感じさせる」です。(1)結果よりプロセスを褒める「上手にできたね」「やればできるじゃない」といった結果を褒めるよりも、途中でどんなふうに頑張っていたのか、以前に比べてどれくらい成長しているのかというプロセスを褒めます。たとえ、うまくいかず失敗に終わってもそこまでに至る意欲や頑張りを褒めることで、「またがんばろう」という気持ちが芽生えます。【プレセスを褒める声かけ】・「このあいだの日曜日よりも10回も多く縄跳びが飛べたね!」・「毎日漢字の練習を頑張ってるもんね、すごいよ!100点おめでとう」・「(点は入らなかったけど)たくさんパスがもらえるようになったよね!かっこよかったよ」(2)チャレンジを援助するわが子が失敗して傷つかないように、あれこれ先回りして手を差し伸べることを控えます。とても無理なことに無謀なチャレンジをさせるのではなく、ちょっと頑張れば手が届きそうなことに「チャレンジしてみよう」と思わせることがポイントです。子どもが多様な経験をし、必要なときには「助けて」と言える環境を作り、助けを求めてきたら必要な分だけ援助するようにします。【チャレンジをうながす声かけ】・「上り棒、半分登れるようになったんだね。一番上まで登れるようになったら、遠くに何が見えるか教えてね!」・「顔を水につけられるなんてすごい!じゃあ、目も開けられるかな?」・「補助なしでも逆上がりができそうだね。来週もお父さんと一緒に練習しよう!」(3)人とのつながりを感じさせる不安や心配事など何でも話せるように、「私たちはあなたのことをいつでも守っている」というメッセージを子どもに繰り返し伝えましょう。自分が守られていることで安心でき、自己肯定感も高まります。また、周りの人や社会の中で自分が大切にされていることに感謝の気持ちをもつように意識させることも大切です。【人とのつながりを意識させる声かけ】・「お父さんとお母さんは〇〇ちゃんのことをいつも大切に思っているよ」・「どんなことでも相談にのるからね。〇〇くんが大好きだから、いつでも〇〇くんを見ているよ」・「おばあちゃんは〇〇ちゃんのことが本当に大好きなのね。早く会いたいな、って言ってたよ」・「先生が〇〇くんの体調を心配して電話をくれたよ。うれしいね」子どもの前に困難が立ちはだかったとき、その悩みや苦しみを乗り越えるのは子ども自身。親は心配のあまり、つい手を差し伸べたり口を出したりしたくなりますが、励ましや援助を続けることが大切です。子どもが「自分は少しずつ成長している」「失敗しても、また頑張れる」「周りにいる人は自分の味方だ」と思うことが、前を向く力につながります。***失敗したとき、行き詰ってしまったとき、そのままつぶれてしまわず、気持ちを切り替えて感情をコントロールしながら目標に向かって行けるような、しなやかな心を育ててあげたいですね。(参考)Z会さぽナビ|特集 折れない心を育てる(1) 【インタビュー】「レジリエンス」こそ 親が子に残せる最高の資産(1)ベネッセ教育情報サイト|乳幼児期から育む、折れない心【前編】困難に負けない、レジリエンスとはベネッセ教育情報サイト|乳幼児期から育む、折れない心【後編】レジリエンスを伸ばす保護者の働きかけNPO法人 青少年こころの悩み支援センター|困難を乗り越える子どもに久世浩司著(2014),『なぜ、一流の人はハードワークでも心が疲れないのか?』, SBクリエイティブ.久世浩司著(2015), 『マンガでやさしくわかるレジリエンス』, 日本能率協会マネジメントセンター.ジェシカ・ジョエル・アレキサンダー・イーべン・ディシング・サンダール著、鹿田昌美訳(2017),『デンマークの親は子どもを褒めない 世界一幸せな国が実践する「折れない」子どもの育て方』, 集英社.
2019年01月30日「自衛隊は男女平等の組織で、能力主義だと思います。よく『女性自衛官初』といわれますが、たまたま私が女性だったというだけのこと。女性ということがキャッチーだということはわかりますが、そこまで騒いでいただけるのは、ちょっと不思議です」 《陸上自衛隊第6後方支援連隊連隊長1等陸佐》澤村満称子さん(46)は、山形、宮城、福島3県の防衛、警備、災害派遣に従事する第6後方支援連隊約700人のトップに立つ。陸上自衛隊初の女性連隊長だ。昨年8月、現職に就任。階級の「1等陸佐」は、国際的には「大佐」に当たる。 澤村さんの連隊の主な任務は、器材の整備や補給、輸送、物資の補給・連絡などの兵站や衛生支援など。災害派遣の現場では、避難所の入浴支援等の生活支援も任される部隊だ。 澤村さんは’71年10月3日、東京生まれ。名古屋の南山大学ではフランス語を専攻。大学卒業後1年間“プータロー”の時期があったという。 「そのころはイベント・コンパニオンの仕事を名古屋でしていたんです(笑)。というのも、私は外務省に行きたかったんですけど、受からなかったんです」(澤村さん・以下同) 外務省を目指したのは、大学時代のフランス語の恩師、渡邊頼純先生(現・慶應義塾大学教授)の影響だった。 「渡邊先生が『国際的な機関を目指してください』と、おっしゃるので(笑)」 渡邊先生自身は、ベルギー留学中、海軍提督の家にホームステイした経験から、軍人に対して非常にいいイメージがあったという。先生に「外交と軍事は表と裏です。本来、軍人は、社会的なプレステージが高く、見識豊かになれる職業です。自衛隊はどうですか?」と言われ、軽い気持ちで受けたのが、自衛隊の幹部候補生試験だった。 「そうしたら、受かってしまって。『国防の任に燃えて』ということもなく、ポコッと合格してしまったんです」 ’95年、幹部候補生学校に入校。’96年、第13後方支援連隊補給隊から、そのキャリアをスタートした。とはいえ、心の中は不安しかなかった。 「極めて不適切ですよね。入隊の動機が脆弱で、そもそも義理で受けただけ。『入隊しても、マックス3年』なんて言っていて。腰掛けOLくらいのつもりでしたから」 それでも入隊したのは、当時、交際していた彼が、「自衛隊いいんじゃない?」と、言ったから。いわば“でもしか自衛官”。軽~いノリでの入隊だった。 「ですから、自衛官になった10年間は、本当に悩み続けました。このまま自衛官でいていいものだろうか、と--」 自衛隊での生活は、カルチャーショックの連続だった。 「最初から、陸・海・空の一般幹部候補生としての扱いでした。私は乗り物がまったくダメで、船は極端に船酔いするので、海自という選択肢はありませんでした。陸自にも思い入れはなかったんです」 同期の幹部候補生のほとんどが、防衛大学校の卒業生。すでに、自衛隊幹部として役割も、隊の雰囲気も、おぼろげながらわかっていたはずだ。しかし、カトリック系大学出身の澤村さんにとっては、自衛隊は別世界。 しかも、入隊時に配属された7000人の部隊の中で、女性幹部は澤村さん、たった1人だけだった。 「そんなぽっと出の、20歳そこそこのお姉ちゃんがですよ。いきなり小隊長になるんです。18歳から54歳までの20人ほどの男性ばかりの小隊を持ったわけです」 何度も転職を考えた。もやもやした思いは、10年も続いた。 「常に、辞めたかった。できれば、逃げたいと思っていました。それでも、逃げなかったのは、部下がいたからです。何にも知らない私を一心に支えてくれるんですよ、20人の部下たちが」 あるときは、運動が苦手な澤村さんの駆け足のタイムを縮めようと、部下が総出で応援してくれたという。 また、澤村さんの入隊当時は、女性自衛官もごく少数で、男女別の施設はなく、お風呂は男女入替え制だった。そんな環境の中、別の部隊の男性に、お尻を触られたこともあったという。 「でも、そのとき私の部下が烈火のごとく怒ってくれたんですよね。『うちの小隊長に何をするんだ!』って」 部下たちが、常に敬意を払って、誠実に接してくれることが、澤村さんをリーダーとして成長させていった。 「この人たちを置いて、逃げちゃいけないと思ったんです」 30歳を前に、京都の関西補給処で組織改編に携わったとき、幹部として業務を作り上げる厳しさ、辛さと同時に面白さを知った。同じころ、アメリカに留学し、日本を外から客観的に眺める機会もあった。このころようやく、リーダーとしての覚悟が固まった。 「日本人は生真面目で誠実。精細な心遣いができる。人と人との関係が素晴らしい。この国を守りたい。そう心から思えるようになりました」 20代で感じた重圧も、もはや悪い思い出ではないという。 「私は人に恵まれました。いい上司や同僚、部下がいた。連隊長を1人育成するには20年かかるといわれます。その20年間の上司、部下、同僚の思いがあって、私をここに座らせてくれているんです」 澤村さんは、リーダーとして、適材適所に人員を配置する立場だ。そのとき、男性よりも女性の方が向いている場面もあるという。 「とくに被災地では、女性や子どもに対する支援は、女性がその任務に就くメリットがありますね。女性のほうが、生活全般にきめ細かく目が行き届きやすいですから。女性自衛官のニーズは年々、多様化しています。女性のほうが、男性より警戒されず、安心される場所もあります。イラクのオペレーションのときには、女性を使って、現地にいた市民のニーズを正確に調べることができました。世の中の半分は女性です。ですから、自衛隊に対するニーズの中にも、女性が活躍できるものがたくさんあると思っています」 澤村さんは、女性が防衛大に入れなかった最後の世代だ。1期下から続々と防衛大卒の女性が入隊するようになり、女性自衛官は一気に増えた。 「これから、後輩たちの中から、役職につく女性が増えていきます。今後は、そんな後輩たちのマイルストーン的に頑張ろうと思います。10年、悩んで逡巡した結果、私はやはり、この仕事が好きなんだと思います」
2018年05月26日4月下旬。東北・宮城は桜の満開を迎えようとしていた。陸上自衛隊大和駐屯地から10キロほど車で走ると、山あいの深い林の中にだだっ広い平地と草原がぽっかりと現れる。王城寺原演習場だ。 そこで、陸自専用の四駆に乗り換え、演習場内のデコボコ道を進む。ときおり銃声が聞こえてくる。いままさに演習の真っただ中のようだ。四駆で10分ほど走ったあたりだろうか。迷彩色のテントが目に入った。中に入ると、迷彩柄のユニホームとヘルメットの女性がこちらを振り向いて直立。 「ようこそ、遠いところまで」 キビキビとした声は女性だが、顔は服装と同じく迷彩色のメークがほどこされている。黄、黒、緑の太いラインが左斜めに顔を縦断していて、その表情は全く読めない。名刺にはこうあった。 《陸上自衛隊第6後方支援連隊連隊長1等陸佐澤村満称子》 澤村さん(46)は、山形、宮城、福島3県の防衛、警備、災害派遣に従事する第6後方支援連隊約700人のトップに立つ。陸上自衛隊初の女性連隊長だ。昨年8月、現職に就任。階級の「1等陸佐」は、国際的には「大佐」に当たる。 王城寺原での演習中は、この連隊長専用のテントを根城に、作戦を立て、指示を下し、演習を見守る。テント内には、寝袋と見紛う、担架ほどの大きさの簡易ベッドが置かれていた。連隊長といえども、過酷な環境に身を置く仕事であることは間違いない。 「自衛隊は男女平等の組織で、能力主義だと思います。よく『女性自衛官初』といわれますが、たまたま私が女性だったというだけのこと。女性ということがキャッチーだということはわかりますが、そこまで騒いでいただけるのは、ちょっと不思議です」(澤村さん・以下同) 取材のたびに名前の上につけられる“初”という冠は、あまり本意ではないらしい。女性自衛官の数は陸自でおよそ8,800人(4月現在)。 「女性比は全体の約8%です。ただ、わが第6支援連隊はそれよりやや高く、およそ80人で12%ほどです」 澤村さんの連隊の主な任務は、器材の整備や補給、輸送、物資の補給・連絡などの兵站や衛生支援など。災害派遣の現場では、避難所の入浴支援等の生活支援も任される部隊だ。生活の細かいところまで気を配れる女性が多いというのも頷ける。 それにしても、顔にまで迷彩メークをするなんて。抵抗はないのだろうか? 「このメークは『偽装』といいます。演習で山に入ると、普通にしますよ。人間の顔は、自然界では白っぽく浮くので、わざと汚して目立たなくするんですね。素材はドーラン。舞台で使うメーク道具と同じです。クレンジングで落としますので」 肌荒れなどは?と余計な心配をしてしまう。 「ハハハッ。美肌は任務じゃありませんので。最近のものは素肌のケア成分が入っているものがありますし。まぁ、長いことつけていれば、肌荒れしますが、つけて、せいぜい1週間ですよ」 顔の迷彩柄が崩れて、明るく笑う。白い歯がこぼれた。 澤村さんは’71年10月3日、東京生まれ。’95年、幹部候補生学校に入校。’96年、第13後方支援連隊補給隊から、そのキャリアをスタートした。 「女性であろうと男性であろうと関係ないんです。われわれの組織は何より『階級と職』に敬意が払われる。そして、その役割を全うすることを期待されているんです」 東日本大震災では、澤村さんは仙台の司令部に派遣され、米軍関連のプレス担当として、被災地を歩いた。 「いまだに東日本の映像を見るとグッときてしまう。人間があんなに悲しむ姿を見たのは、初めてでした」 その5年後の’16年には、熊本地震が発生。 「被災者の命を守り、助けるのは、国の威信にかけて向かう隊員の任務です。それと同時に、救助する隊員も安全に任務を遂行することが鉄則です。東日本のときは、被災者の人たちに感情移入しすぎましたが、熊本のときは、幹部として、冷静に、隊員たちの安全まで目配りして、組織のシステムを作ることを考えるようになりました」 5月上旬、第6後方支援連隊の本拠地・山形県東根市の神町駐屯地を訪ねた。 その日、月1回の昼礼があった。午後1時、連隊の隊員たちが一斉に大型トラックが並ぶ広場に集まってきて、整列。「連隊長に敬礼」の号令とともに、200人余りの隊員が、一斉に敬礼。その姿は壮観だ。 迷彩柄のユニホーム姿の澤村さんは、引き締まった表情で表彰状を読み上げる。 「認定証。チャレンジゼロ活動、無事故達成。16回目の無事故365日の目標を達成したことを表彰する。頑張りました」 隊員に、表彰状を手渡すとき、柔らかい表情になった。雲の上の存在の連隊長が一瞬、見せる優しいまなざしは、隊員たちの心に響く。続く訓示が印象に残った。 「皆さんに意識していただきたいのは、自衛隊員は常に国民の注視があるということです。99%の自衛官は正しい行動を取っていると思います。しかし、1%の自衛官の誤った行動で、世間の目は自衛隊全体に厳しく向けられてしまうんです」 国会で、自衛隊の日報問題が浮上する中、澤村さんは隊員一人一人の自覚を促した。 「私たちは現場で信頼を積み上げていくしかありません。山形の方々は温かく応援してくれます。『今、自衛隊はいろいろ言われるだろうけれど、頑張ってね』と。そういう方々の信頼を裏切ってはいけないのが自衛官です」 連隊長になっても偉ぶることなく、澤村さんは、後輩の女性隊員の相談に乗り、積極的に話しかけていく。 「自分に戒めていることは、権力におぼれないこと。困ったときに相談できる、この人に言ったら、助けてくれる上司でありたいと思っています」
2018年05月26日女はお金がかかるもの。特に、美容代って無限大。数ある美容代の中でも、もっとも削りやすいのって、「コスメ代」じゃない?だけど、自己満だからこそ!コスメにかけるお金を惜しみたくない理由があるのです。コスメにお金をかけるのは”自己満の極み”であるファッションのように本人を見ただけではトータル価格がわからない女がお金を投資したいものと言えば、「見た目」と「美容」。コスメ以外でもザッと並べただけで、服装飾品である服やバッグ・靴、それに、美容院やエステ、食事などが浮かびます。そして、服やバッグ・靴は、見た目でブランドや生地の質感が素人目でもわかるため、おしゃれさんなら絶対に外せない部分。ファストファッションを上手に活用する方でも、毛玉がついたり破れたりした服は、さすがに処分することでしょう。また、パサパサの髪や根元の地毛色が目立つ髪、白髪もやっぱり目で見てわかるから、定期的に美容院に通うこともやめられない。こうなってくると、いくら働いても収入と支出のバランスが取れないため、贅沢美容であるエステがまず節約対象になり、食事は自炊で美容と節約の両立を目指すことに。さらにはコスメにかける予算も減らすことになるのでは?だって!!コスメはファッションや髪と違って、プチプラかデパコスかのどちらを使っているかなど、化粧顔を見ただけではプロでも判断できないはず。それに、割れたコスメや汚いケース・ツールを使っていても、それがバレることもありません。そう、つまり。コスメにお金をかけるかかけないかって、「自己満」なのです。このように、他者にバレないからこそ、コスメ代をいくら節約しても、ファッションにお金をかけることで「セレブ風」を装えるし、髪をきれいに保つことで「美人」にも見せられます。だけど、それでもお金をかけることに意味がある!それが「コスメ」です。1番節約できるけど!それでもお金をかけたい理由とは?!①プチプラでもOK!!「単体価格」ではなく「買替頻度」が大事使用期限や衛生面を守ることは美の基本「コスメ代を節約しない」とは、「単価5,000円以上のデパコスを購入しろ」という意味ではありません。むしろ、プチプラコスメでOK!!だって、最新では非常に質が高いドラッグストアコスメに溢れているのですから!ケチってはならないのは、単価ではなく、買い替えの頻度です。コスメには、使用期限があるのをご存知でしょう。個体差はありますが、購入から2年、開封から1年程度で品質が低下します。また、使用方法によってはそれよりも早く劣化してしまうことも。「いつ買ったか記憶にないコスメ」を、なくならないからと永久に使用しているのは、菌を顔に塗りつけているだけの可能性もあるので、絶対にしてはなりません。②質感トレンドは数年ごとに変化する最新コスメを使えばノーテクニックでトレンド顔にメイクのトレンドって、数年で驚くほど変わるもの。それらを全て追っていたら大変だし、なによりトレンドメイクが100%似合うかどうかはわかりません。だけど、「時代遅れ」な顔にもなりたくないですよね?そんなとき、「ココさえ抑えておけば大丈夫」なのが「質感」です。ツヤ・マット・グリッター・・・など、メイクの質感トレンドだけでも追うと、一気に今風に。それは「今年発売されたコスメ」を購入して使うだけでクリアできるだめ、誰でもノーテクニックで大丈夫。③コスメは下着と同じで“見えない”おしゃれふとしたときに女レベルの差が出る普段見える顔や服、脚にだけ気合を入れて、下着がヨレヨレ・むだ毛がひどい・お腹やお尻がだらしない・・・女性って、同性として恥ずかしく感じるもの。コスメも、それらと同じ「見えないおしゃれ」の一環なのです。ふとした瞬間に、女性のコスメポーチって目が行きます。そんなとき、粉々になっていたり、汚れ・破損が目立ったりするコスメを使っている人のことって、ガサツに感じませんか?④基本的に“消耗品”だから使うことで効果が見える”ケチケチ”ではなく”がっつり”使うのが「美」への道コスメは消耗品であることが大前提。当たり前に、使うたび減っていきます。スキンケアにしてもメイクアップにしても、それぞれ“適量”があるのに、それ以下の量を、ケチケチ使用していては、100%の効果を得られません。ケチることなくがっつり使用し、そして底が見えたら買い換える。この投資こそ、「美」の基本。見えないからこそお金をかけてナンボでしょ!!がっつり消耗&自分なりの最高コスメを使えば美人オーラだだ漏れ「使うコスメの単価を上げる」、「プチプラをデパコスにする」と言った投資も、もちろん自分の気分を上げてくれるし、年齢や女性としてのレベルアップに合わせてブランドを上げていくのもとってもおすすめ。だけど、勘違いしないで欲しいのは、「コスメにお金をかける」とは「プチプラコスメを使わない」という意味ではないということ。普段人に見せることがないアイテムだからこそ、手を抜くことやキャラじゃないデザインに手を出すことができるのが「コスメ」です。だけど、せっかく女に生まれたからには、「見えないところの手抜き」だけは止めませんか?自己満だけど、自分なりの最高コスメを毎日適量使えば、それだけで、美人オーラが内から溢れてくるはず。コスメは、女を綺麗にする魔法をかけてくれる、とっても便利な道具です。
2018年02月16日「キットカット」シリーズから、富山の銘酒「満寿泉」を使用した新味「キットカット 日本酒 満寿泉」が登場。2017年9月中旬より順次、全国の土産店などで発売される。2016年2月の発売以降、海外・国内問わずお土産の定番として親しまれている「日本酒」味。今回は、日本酒の魅力を知り尽くす中田英寿とコラボレーションし、既存の「日本酒」味を一新。日本酒ファンによる投票のもと、100種の銘柄から選んだ富山の銘酒「満寿泉」を使用した新「キットカット 日本酒」が、新たにラインナップに加わる。1年以上の年月をかけて中田英寿と共に開発された「キットカット 日本酒 満寿泉」は、「満寿泉 からくち」のキレのある辛口をイメージして制作。ホワイトチョコレートで包み込むことで、口の中に広がる芳醇な香りと、上品ですっきりした後味、 チョコレートの優しい甘みを楽しめるとう。また、中田英寿監修によるパッケージも、日本の伝統色である朱色を背景に純白の布で覆われた日本酒の瓶を配置することで、その高い品質を表現。日本酒のことをより多くの人に知ってもらいたい、との想いから、側面には日本酒の豆知識を記載するなどの遊び心も取り入れられている。【商品情報】「キットカット ミニ 日本酒 満寿泉」発売時期:2017年9月中旬価格:700円+税内容量:9枚発売地域:全国のお土産店など【問い合わせ先】ネスレお客様相談室フリーダイヤルTEL:0120-00-5916 (受付時間 24時間年中無休)
2017年09月14日名古屋港水族館(愛知県名古屋市)では8月2日、ベルーガ(シロイルカ)の「ミライ」が満3歳の誕生日を迎えた。○飼育の難しいベルーガの赤ちゃんが満3歳にベルーガは、哺乳綱クジラ目イッカク科シロイルカ属の海生哺乳類で、大きく丸く膨らんだ「頭」が特徴。この日、3歳の誕生日を迎えたのは、2012年8月2日生まれのオスの「ミライ」。母「グレイ」、父「ホドイ」の間に誕生し、体重は、生まれたときの60kgから300kgになった。"ザ・マイペース"で堂々としており、少々のことでは動じない肝っ玉の持ち主だが、実は繊細なことが最近わかってきたという。同館では、2004年に日本で初めてべルーガの出産に成功。その後2007年に2頭、2010年に1頭、2012年に1頭、べルーガの赤ちゃんが誕生した。しかしながらべルーガの赤ちゃんが順調に育つのはとても難しく、現在生きているのは、2007年に産まれた「ナナ」と2012年に生まれた「ミライ」の2頭のみとなる。「ナナ」は水族館産まれのべルーガとして、日本での最長飼育記録を月々更新中。「ミライ」はそれに続く、"未来"を期待されている。
2015年08月10日ヤフーは5月20日、インターネットオークションサービス「ヤフオク!」にて、これまで「18際以上」としていた参加資格を「満15歳以上」へ引き下げることを発表した。これにより、新たに対象となる15歳~17歳のユーザーは、「一部カテゴリの利用制限」や「利用金額の制限」「保護者の同意取得」を条件に、ヤフオク!を利用した入札と落札が可能となる。同社によると、法令や社会通念などに基づき、15歳~17歳のユーザーは「アダルト」や「自動車車体」「不動産」「酒類」「ナイフ、エアガンなど危険商品」といったカテゴリの商品へ入札不可となるほか、「アダルト」カテゴリにおいては、アクセス自体も制限される。また、1カ月の利用限度額は、入札を行った日付をもとに各月の合計利用金額を集計し、上限5万円まで。一回の取引で5万円を超える入札や、落札できた場合に月内の利用金額が5万円を超えることになる入札も制限されるため、月内の利用状況が分かるよう、マイオークション画面には合計利用金額・利用可能残額が表示される。加えて、今回の引き下げに伴い、同社はガイドラインを改訂し、18歳以上を含む未成年ユーザーを対象に、入札決定画面にて保護者の同意取得を促すアラートを強調して掲出していく考え。15歳~17歳のユーザーは今後、入札など行う際に、保護者などの法定代理人の同意を得る必要がある。なお、「ヤフオク!」は、安心・安全への取り組みとして、15歳~17歳のユーザーに向けた "読みたくなる" 利用案内ページの設置や、高校生・高専生を対象とした「ヤフオク!ワークショップ」の開催などを検討していくという。
2015年05月20日井の頭自然文化園では3月17日、アムールヤマネコの「ユズキ」が満1歳の誕生日を迎えた。○アムールヤマネコの「ユズキ」くん、満1歳に「ユズキ」は2014年3月17日、国内初の人工授精で誕生したアムールヤマネコ(ベンガルヤマネコ)の男の子。母親は「ミズキ」、父親は「イチゴ」で、いずれも井の頭自然文化園生まれとなる。実はこの日、「ユズキ」が1歳となることをスタッフは失念しており、あわてていつもより多めのお肉を与え、誕生日を祝ったという。アムールヤマネコは、同園 ヤマネコ舎にて展示中となる。同園の所在地は、東京都武蔵野市御殿山1-17-6。
2015年03月20日チューリッヒ保険(以下チューリッヒ)は4日、満65歳からのシニア傷害保険「チューリッヒ・ケアプラン」について、新たにインターネットでの資料請求の受付を始めた。「チューリッヒ・ケアプラン」は、日本の人口の約4人に1人が65歳以上という状況(2014年9月15日現在の人口推計)をうけて、満65歳から満79歳までの人が契約でき、90歳まで継続可能なシニア傷害保険だという。補償は、国内・海外を問わず、ケガによる入院・手術を対象にしており、月々990円の保険料から加入できる。(月払保険料990円、1280円、1720円からコースを選ぶ。夫婦で申込みの場合は1980円、2560円、3440円のコースがある)。特に、加齢に伴い発生しやすくなるといわれる骨折・脱臼によって入院した場合は、骨折一時金を上乗せ補償する。また、入院中のホームヘルパーや清掃代行サービスの利用に備えて、家事代行費用の補償も用意しているという。契約は、本人のみだけなく、夫婦での申込みも可能で、夫婦の場合には配偶者の年齢による引受制限はない。このたびチューリッヒは、同商品の資料請求をインターネットで行えるように利便性を高め、本人はもちろん、65歳以上の両親のために、インターネット上の情報と併せてパンフレットも取り寄せたいと考える顧客のニーズにも応えることができるようにしたとしている。チューリッヒは今後も引続き、「ケア」の精神と「イノベーション」の発想に基づき、顧客にとってより価値のある魅力的な商品やサービスの提供に努めていくとしている。
2015年02月05日映画やドラマで静かに、しかし確かな存在感を感じさせたかと思えば、一転、舞台の上ではこれが同一人物かと見まがうようなコミカルな一面を見せる。吹越満とは何とも不思議な俳優だ。その奇妙な(失礼!)佇まいはインタビューで対峙してもやはり、変わらない。そんな彼が主演を務める映画『冷たい熱帯魚』がまもなく公開となる。メガホンを握ったのは、日本の映画監督の中でも数少ない“鬼才”という形容が似合う監督・園子温。吹越さんは堕ちて、堕ちて、ひたすら堕ちる、救いようのない主人公・社本を演じている。園子温vs吹越満――。タッグを組むのは今回で3度目、主演としては初めてとなったが、吹越さんはこの強烈極まりない作品に何を感じ、どのような思いで臨んだのか――?「楽しかった。現場で監督が一番面白い存在だったから(笑)」監督自身の経験と、90年代に起きた愛犬家殺人事件やほかの猟奇事件からインスパイアされて製作されたという本作。小さな熱帯魚屋を営む主人公が、ある出会いをきっかけに、たったひとつの“破滅”という名の道を進んでいく姿が映し出される。「ひと言で言うと楽しい」とは園組の撮影の印象。3度も組むぐらいだから当然、と思いきやその内容は映画さながらなかなか激しいようだ。「撮影は3週間ぐらいかな。おそらくは十分な時間がない中で、クランクイン前には1週間のリハーサルがあって、クランクインの日は朝から深夜、2日目が朝から次の日の朝まで…24時間以上か。いや、もうウワァって始まりだったんですが、なぜかホントに最後まで全然イヤじゃなかった。それは監督の人柄もあるのかな?やっぱり面白いね、監督が現場で一番面白い存在だっていうのは(笑)」。吹越さんから見た園監督というのは…?「作品の感じから、何となくどういう人か分かる気がするでしょ?でも、結構きちんとしてる。作品からすると意外なくらいね(笑)。酒癖が悪いってのは本当で(笑)、でもそれを認識してるから、ちゃんとお酒を飲まない時間を作って…ってそりゃそうか、大人だし(苦笑)。で、何より監督本人が言うのが『役者のお芝居を撮りたい』ということ。美術も照明も音もカメラもアングルももちろん必要で大切なんだけど、一番大切なのは役者の芝居だと謳ってる。だから、ずっと大切に“見られていた”という感覚はありますよ」。一見、人のよさそうな同業者の村田(でんでん)の恐るべき“裏”の顔を目の当たりにしつつも、抗うことすらできずに絶望へと引きずり込まれていく社本。この2人の関係を吹越さんはこう語る。「村田はものすごい悪だけど、いま考えると社本にも裏があって、『みんなによく思われたい』とか『責任を負いたくない』とか考えて、何とか取り繕うとしてもそれが全部悪い方向に行っちゃう。そういう人間だからこそ、村田は社本のことを狙ってたのかな、というのが僕の解釈。分かりやすい悪人が村田なら、社本は問題になる人間ですね。村田を見ながら僕も『そっちの方が良いなぁ』って思ってましたもん。『お前が考えてる地球はツルっとした丸い石だろう?おれが考えてるのはゴツゴツした岩だ』なんてセリフとしてかっこいいしね(笑)。やってることはひどいけど、すごい人間だなぁって」。「この映画に出て思ったのは“作りモノなめんなよ!”ってこと(笑)」まさに、吹越さんが引用したセリフではないが、破滅への一本道をスルスルと堕ちつつも、要所要所でグサリと突き刺さる何か――単に猟奇殺人事件を映画化したのではない、あえて言うなら“異物感”をこの映画の物語は感じさせる。「観てる側が『こう進む』と思ってるところをカクっと外して、また『こうかな?』と思うとカクっ、カクって全部外していく。それは裏を返せば実は、全部あっているということなんですね。昔、知り合いでビートルズの曲を聴いて、ジョンが歌ってるのか、ポールなのかが分かるっていうヤツがいて。試しにこれはジョン、これはポールってやってみたら、全部外れてた、ということがあったんだけど(笑)。それは、全部聞き分けてたってことなんだよね。それと同じで、園さんは全部“ちゃんと”外してるんですよ。それがエンターテイメントだな、と思います。“事実は小説より奇なり”って言うけど、逆にこの映画に出て思ったのは“作りモノなめんなよ!”ってこと(笑)」。そこで“絶妙”という言葉しか思い当たらない演技を見せている吹越さんもやはり、エンターテイナーだろう。もうすぐ46歳。不惑の40代も半ばを過ぎて、自らをどのように見つめているのか。その言葉は興味深い。「(観客が自分を)ダメというよりは良いと思ってくれているのかなぁ…でも、それを真に受けて自信を持ってよいものかなぁ…?という感じでしょうか(笑)。『俺、良い演技したよね』って言ってもいいかな…と思わなくもないような…と言うのは冗談ですが(笑)。ひとつ、自分で思っているのは『俳優になりたい』ということ。俳優になりたいんですよ、僕(笑)。そのためにこうやって映画やTVや舞台で仕事してるのかな。“良い俳優になりたい”というのでも“俳優を続けたい”でもなくて、あくまでも俳優になりたい。いつなれるのか分からないけれど、このままこうして続けていればなれるのかな…と思って仕事してます。その俳優になりたいって気持ちがなくなったら終わりですよ」。そう言って笑うこの男は“いま”一体何者なのか?もしかしたら、この映画を観たらもっとそんな謎が深くなるかもしれない――。■関連作品:冷たい熱帯魚 2011年1月29日よりテアトル新宿ほか全国にて順次公開© NIKKATSU■関連記事:三池崇史×園子温×吹越満がほろ酔い&タバコ片手に過激発言で映画界をメッタ斬り!鬼才・園子温監督最新作『冷たい熱帯魚』試写会に25組50名様ご招待満島ひかり主演の未公開作も上映!園子温監督作品の特集上映開催決定
2011年01月21日