柿澤勇人、南沢奈央、須藤蓮、石井一孝が出演するKOKAMI@network vol.18『ハルシオン・デイズ 2020』が10月31日(土)に開幕する。主演の柿澤と作・演出の鴻上尚史に話を聞いた。鴻上が「コロナ禍での5月、6月頃のSNSの荒れ方を見ていて、これは今やるべき芝居になると思いました」と語る本作。2004年の初演では自殺系サイトで出会った4人の物語として上演されたが、今回2020年版に書き換えられ、ツイッターの「♯自殺」で出会った4人の物語として上演される。しかし暗い物語ではない。「もともと僕の芝居は、劇場に来る時よりも出る時に元気になってほしいというのがテーマですが、今回は特にそう思っています。今だからこそ、初演より楽しいものにしたい。観て悲しい気持ちになるものには絶対にしたくない。『生きようぜ!』という芝居になればいいと思っています」(鴻上)柿澤は「出演作が次々と中止になり、今年は舞台上で芝居をすることはないんだろうなと思っていた時に声をかけていただいて、作品にも惹かれたし、嬉しかったです」と喜んで出演を決めたが、その後迷いが訪れたことを明かす。「この作品は“自死”もテーマのひとつですが、最近、僕の友人や近しい人が死を選ぶという出来事があって。『鴻上さん、俺、できるかな』という話はしました。そしたら鴻上さんは“生きろ”というのがテーマなんだと言ってくださって。それで『よし、やろう』と思いました」。稽古が始まり、出演者については「面白い4人だと思います。よくまあこれだけ個性の違う4人が集まったなと(笑)。しかも、それぞれがそれぞれの役柄にすごく合ってるんですよ。ここまで合ってるとは思わなかったな」と鴻上。柿澤が演じる原田雅之を「カッキー(柿澤)っぽい」と言うと、柿澤は「うそだ!」と笑うが、鴻上は「うそじゃないよ(笑)。『引き受けなくていいじゃん、そんなたくさんのものを』というものをちゃんと引き受ける。その誠実さがカッキーにあると思うから」と印象を明かした。作品について柿澤は「いろいろ抱えた4人が集まるお話ですが、人が集まるといいこともあるし、バカみたいなこともある。単純にみんなで飯を食うだけでもこんなに面白いんだ、とか、そういうものを楽しんでもらいたいです」。柿澤が「舞台って楽しいな、芝居って楽しいなと、僕も思いたいし皆さんにも感じてもらいたい。観終わった頃には、『明日も生きよう』とか『がんばってまた舞台観に行こう』という気持ちになってもらえたら」と語る本作は、10月31日(土)から11月23日(月・祝)まで東京・紀伊國屋ホール、12月5日(土)・6日(日)に大阪・サンケイホールブリーゼにて上演。
2020年10月26日松田聖子’80年にデビューして40年。“ぶりっ子”アイドルからアーティストへ、芸能界を走り続けて常に注目を集めてきた聖子。そんな聖子を見つめ続けたまねだ聖子が語る魅力と、その生き方とは……。松田聖子のモノマネを始めて27年。そのきっかけとなったのが、聖子が出演していた『たかの友梨ビューティクリニック』のCMと、まねだは当時を振り返る。■まねだ聖子が見つめてきた「松田聖子」「ショートカットのウイッグをつけてCMに登場。当時その髪型のモノマネをする人がいなかったからやってみたら思いのほか似てると好評で。もっと掘り下げて研究したいと思って、ほかの人のモノマネをやめて聖子さん1人に絞りました」最初のうちはモノマネしていた森高千里の歌い方がまじったりして苦労したという。そこで聖子のライブDVDと自分の声を同時に聴き比べて、少しずつ本物に近づけていった。そんなまねだは、時代とともに変わってきた聖子の声をこう分析する。「デビュー当時は、声量があってパンチのきいた声なのに、とっても可愛いところが何といっても大きな魅力でした。それが『風立ちぬ』のころから、ちょっとかすれたキャンディボイスになって表現力が豊かに。さらに結婚して沙也加さんが生まれたころに歌った『瑠璃色の地球』では、細い声に甘さが加わり、やさしくて柔らかい声に変身。とっても温かみがあって母性を感じます。そして、海外進出を経て’90年代の『あなたに逢いたくて』などのバラードでは息声で歌う大人の魅力にあふれています。時代とともに聖子さんの新しい魅力を発見するのも楽しみのひとつですよ」そんな聖子の魅力を1曲で堪能できるのが、数多くのアーティストにもカバーされ、自身でも何回も再録している『SWEET MEMORIES』。’83年版は初々しくてちょっと背伸びをする聖子。’93年版は声に色気がグンとのってきたセクシーな聖子。そして2020年版では可愛らしさを残しつつ低音の魅力がますます深まる大人の聖子。歌手生活40年の重みを感じさせる名曲というわけだ。ここでまねだ推しの”聖子ソング“を聞いてみると、「はずせないのは、リクエストがとても多い『瑠璃色の地球』。コロナ禍の今、とても胸にしみる1曲です。そして『野ばらのエチュード』のカップリング曲『愛されたいの』も隠れた名曲のひとつ。最近の曲ではX JAPANのYOSHIKIが手がけた『薔薇のように咲いて 桜のように散って』は、今の聖子さんの声にピッタリ。“ルーリラ ルルリラ”のフレーズは『野ばらのエチュード』にも通じる。ファンにとってはたまりません」ライブはもちろんのこと、ディナーショーも必ず見にいくという熱狂的な聖子ファンでもあるまねだに、改めて彼女の魅力を語ってもらった。「彼女は目的に向かって、誰に何を言われてもまっすぐ突き進む。本当にパワフル。そしてどの時代も最先端を走ってきました。何より女性だっていい仕事をすれば認めてもらえることを、彼女は証明してくれました」そんなまねだは、1度だけ聖子とテレビ番組で共演したことがある。「デビュー20周年を迎えた2000年。聖子さんがテレビ朝日で番組の司会に初挑戦するという企画があり、その番組で私たちそっくりさんチームと聖子さんがクイズ対決したんです。左隣でウエディングドレスを着て出演していた私を見て“おきれいですね。ウエディングドレスはどうなさったんですか?”と聞かれ、舞い上がってしまい頭の中は真っ白。その後、聖子さんの歌を歌ったのですが、何も覚えていません(笑)。とにかく、放つオーラが違う。遠くから見ても光り輝いていました」昭和の歌姫・美空ひばり、山口百恵と肩を並べるキャリアと実績を誇る松田聖子。名実ともに2人を超える昭和・平成・令和の”歌姫“として輝いてほしいと、まねだは願う。最後にカラオケでワンランク上手に聴こえる『聖子ソングの歌い方三か条』を、こっそり教えてもらった。「まず1つ目は『青い珊瑚礁』でも『あなたに逢いたくて』でも、出だしの“あ”の声を強く歌うことを心がけてください。2つ目は、『サシスセソ』を『シャ・シィ・シュ・シェ・ショ』と少し息を漏らす。これをマスターすると甘く切なく、可愛らしく聴こえます。そして3つ目は、歌詞の母音をしっかりと丁寧に歌うこと」この3つをマスターすれば、あなたも聖子ちゃんに近づけること間違いなし!?PROFILE●まねだ聖子(まねだ・せいこ)●松田聖子のモノマネで、テレビなどの出演多数。東京・新宿区にある、ものまねショーレストラン『そっくり館キサラ』を拠点に活動
2020年10月26日松田聖子’80年にデビューして40年。“ぶりっ子”アイドルからアーティストへ、芸能界を走り続けて常に注目を集めてきた松田聖子。音楽評論家・田家秀樹さんはそのきっかけは、『風立ちぬ』と『赤いスイートピー』ではないかと話す。さらに、聖子の楽曲について「リスナーを疑似体験に誘う“水先案内人”」と……。■音楽評論家から見た「聖子の音楽」「特に『風立ちぬ』は、アルバム『ア・ロング・バケイション』が大ヒットしたばかりだった大瀧詠一さんが作曲。自分のメロディーがアイドルにどこまで通用するのか試したかったと本人も語る意欲作でした。アイドルの曲のタイトルに作家・堀辰雄の名作『風立ちぬ』をつける手法も斬新でしたね」(以下、音楽評論家・田家秀樹さん)期せずして日本のロック創世記にその名を残す伝説のバンド『はっぴいえんど』の4人(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)が集結してアルバム『風立ちぬ』で松田聖子をサポートした意義は、とてつもなく大きい。「聖子さんの声はアメリカンポップスのコニー・フランシスにも通じる、甘くてセンチメンタルで可愛くてキュート。彼らにとって聖子さんは、歌謡曲が主流だった当時の日本の音楽シーンに切り込むきっかけでした。特に歌謡曲の詞に対する概念を変えてやろうと意気込んでいた松本さんにとって、聖子さんの声は最大の武器でした」さらに’80年には、ユーミンが時代を先取りするような画期的なアルバム『SURF&SNOW』をリリース。当時を田家さんはこう振り返る。「ロックの挫折感、大学紛争の敗北感漂う’70年代とはまったく違う’80年代の幕開け。海外旅行もままならない時代に世界を舞台にした曲を歌い、自分ではできない恋愛をリスナーは擬似体験していく。その水先案内人が聖子さんというわけです」聖子の役割はさながら、’60年代にサーフィンやスキー、エレキギターも弾けない若者たちの代わりに、スクリーンの中でそうした夢を叶えてくれた加山雄三演じる“若大将”のようだと田家さんは彼女の立ち位置をたとえる。しかし、これらの楽曲は20歳を越えたばかりの聖子にとっても未知の世界だった。「松本さんは歌詞を書くときに“ちょっと先に石を投げる”という表現をよく使っていました。歌手としてアイドルとして、等身大の松田聖子として、今いる場所のちょっと先。つまり、それが音楽的な成長、人間的な成長につながるというわけです」そうしたなか’85年、聖子は結婚。さらに出産を経験したことで大きな変化を遂げる。「東日本大震災、コロナ禍の今も根強い人気を誇る『瑠璃色の地球』は、聖子さんが妊娠中に録音しているため母性にあふれる特別な曲といわれています。しかし、聖子さんが妊娠していることはレコーディングが終わるまで明かされることはありませんでした。ただ松本さんは録音中にツワリに気がついたと言っていました(笑)」結婚・出産を挟んで、聖子の海外進出も本格化していく。「’85年には世界的なプロデューサー、フィル・ラモーンによる全編英語のアルバム『SOUND OF MY HEART』をリリース。さらに’88年には世界的な大物アーティスト、デイヴィッド・フォスターが楽曲を手がけるアルバム『Citron』をリリース。実はこのアルバムが、’81年からコンビを組んできた松本さんとの最後のアルバムとなりました」松本隆のもとを卒業した聖子は、ここからセルフプロデュースの道を選ぶ。そんな中、’96年には自らが手がけた楽曲『あなたに逢いたくて』がミリオンヒットを記録する。さらに全米向けにアルバム『WAS IT THE FUTURE』を発表し、シングルカットされた曲がビルボードのクラブチャートで上位に入るなどの活躍を見せるも、日本ではあまり報じられることはなかった。「どんなアルバムで、レコーディングで何があったのか。日本とアメリカの音楽の違いをどう感じたかなどもっと語る機会があったら……。当時は日本の音楽シーンも閉鎖的で海外進出に対して冷たかったのも影響していたのかもしれませんね」デビュー40周年を機会に、さらなるチャレンジに期待したい。PROFILE●田家秀樹(たけ・ひでき)●音楽評論家、放送作家、音楽番組パーソナリティーと幅広い活動を。スタジオジブリが刊行する『熱風』にて『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』を連載中
2020年10月24日松田聖子’80年にデビューして40年。“ぶりっ子”アイドルからアーティストへ、芸能界を走り続けて常に注目を集めてきた聖子。そんな聖子を「スター中のスター」と崇めるクリス松村さんが語った松田聖子が切り開いていった「新しいアイドル像」とは……。■クリス松村が語る「松田聖子の偉業」「セカンドシングル『青い珊瑚礁』を歌っている姿を見て、デビューして2、3か月なのに、なんでこんなにきれいになったの、という驚きがありました。’70年代にもアイドルはいっぱいいたけど、この子は違うって」クリスの予感は当たっていた。聖子は、作詞家・松本隆とタッグを組み、ユーミン、財津和夫、大瀧詠一、細野晴臣といったニューミュージックのアーティストたちとコラボして、立て続けにヒット曲を量産していく。「アイドル歌手は’70年代からニューミュージックの人たちの楽曲を歌ってきました。でも聖子さんの成功をきっかけにコラボするアイドルが急増。そして聖子さんとともにニューミュージックの人たちもヒットチャートをにぎわせるようになった。音楽新時代に相乗効果で突入した感じ」’82年組がアイドル黄金期といわれるが、’80年にデビューした聖子や河合奈保子、そして、たのきんトリオがいなかったら、’82年組のブレイクもなかったと話すクリス。さらに聖子さんの登場が、アイドルの結婚観も変えた。「’85年に結婚式をあげて休養を発表したものの、引退するかどうかはっきりしていなかったから、私たちファンはみんなヤキモキしていました。ところが結婚・妊娠中にアルバム『SUPREME』をリリース。さらに出産して『Strawberry Time』をヒットさせアイドルを維持、これが後のママドルと言われる最初です。今までの”アイドルの結婚=引退“の常識を覆してしまいました」しかもデビューして40年の今でも、聖子は常に自分がアイドルであることに誇りを持っている。「ある年齢に達すると、もうアイドルを過去のことのようにしてしまいがちですが、聖子さんは違う。今も武道館ライブでミニスカートをはいてキラキラの衣装を身につけ全力で走ってる。新しいアイドルの扉を開けてくれました」そう話すクリスには、聖子さんの魅力を語るうえで忘れられない曲がある。それが’96年にリリースした『あなたに逢いたくて』。「ヒット曲に恵まれた聖子さんも、それまでミリオンヒットはなかった。それを達成したのがデビューから16年後。しかも自分が作詞・作曲(共作)した曲でミリオンなんて。とにかく諦めないところが聖子さんのいちばんの魅力なのかも」■山口百恵さんとの共通点海外進出だって諦めない。’85年にチャンスをつかむも、結婚・妊娠でいったん小休止。それでも諦めずに、’90年代には全米デビュー。最近では全米のジャズチャートをにぎわせている。「今まで全米ホット100に入った日本人は坂本九さんとピンク・レディーしかいない。ジャズ部門など専門チャートで全米制覇する夢を聖子さんはまだ諦めていないと思う」クリスには聖子さんとの忘れられない思い出がある。「福岡空港で全便が飛ばないという緊急事態で、空港が混雑しているとき、たまたま私を見かけた聖子さんが、帽子とマスクをとって、化粧もされていないのに遠くから挨拶してくださったときは感動しました。それ以来、ますます聖子信者になっちゃった。聖子さんに『大ファンです』と近寄っていけない自分がいる。聖子さんはステージの下から憧れて見つめる人。だって、スター中のスターですから!」そんなクリスが、松田聖子の40周年を振り返り、とても不思議に思うことがある、と話す。「実は聖子さんと’70年代を代表する歌姫・山口百恵さんには共通点があります。それは2人とも『日本レコード大賞』をとっていないこと。つまり、無冠なんです。個人的には’83年『ガラスの林檎』か『瞳はダイアモンド』でぜひとってほしかった。この年のレコード大賞は前年の『北酒場』に続いて、細川たかしさんが『矢切の渡し』で史上初の2連覇達成。聖子ファンとしては残念な気持ちもありますが、時代を代表する歌姫おふたりがとられていないのはすごい共通点だと思いませんか?」PROFILE●クリス松村(くりす・まつむら)●タレント、音楽への深い造詣から音”楽“家(おんらくか)として、テレビやラジオにて音楽番組を数多く担当。『「誰にも書けない」アイドル論』を上梓
2020年10月21日松田聖子デビュー40周年。昭和・平成・令和の3つの時代を超えて燦然と輝く松田聖子。思えば“昭和の歌姫”山口百恵が1980年10月5日に純白のドレスを身にまとい『さよならの向う側』を歌い終え、白いマイクをステージに置いて引退する半年前の4月1日に聖子はデビュー。日本の芸能史を俯瞰して見た場合、この2人の邂逅こそ、もっとも注目すべきドラマなのかもしれない。■百恵から聖子へ“歌姫のバトン”「この2人が唯一、同じステージに立ったのは’80年9月25日に放送された番組『ザ・ベストテン』(TBS系)。聖子が『青い珊瑚礁』で2週連続1位に輝き、ランクインしていた百恵が『おめでとう』といって花束を渡す場面があるのですが、いま改めて見ると“歌姫のバトン”を百恵が聖子に渡す儀式にも見えてしまう」そう話すのは、芸能ノンフィクションライターの石田伸也さん。’70年代の歌謡界は藤圭子やちあきなおみ、山口百恵といった、いわば情念を引きずるようなヒット曲の数々が生まれた時代。そうした時代とは一線を画す、新しい時代の幕開けとなったのが、聖子のデビューではないのか。「洋楽のエッセンスを取り入れた楽曲。新人なのにアルバムが売れる、まさに’80年代の幕開けを象徴する新しいアイドル像を打ち立てました。ほかのアイドルが16歳という若さでデビューする中、彼女のデビューが18歳と遅かったことすら運命を感じてしまいます」“聖子ちゃんカット”“ママドル”“ビビビッ婚”など、常に女性のトレンドを生み出してきた聖子。しかし、その素顔はなかなかストイックなようだ。「お酒やタバコは一切やらない。体調管理はもちろんボイトレにも熱心に取り組む。だからこれだけ長く続けてこられたのでしょう。プライベートではいろいろありましたが、こと仕事に関してはみんな、“会ったら好きになる”“裏表がない”と口をそろえて称賛の言葉を惜しみません」そんな松田聖子にとって、ターニングポイントとなった曲はなんだったのか。「やはり『赤いスイートピー』でしょう。元祖ぶりっ子と言われ、女性の敵と言われた聖子が、この曲から同性の共感を得られるようになりました」さまざまなスキャンダルに見舞われても、ピンチをチャンスにかえてきた。そこには抜群のセルフプロデュース力が光っているという。「’85年の郷ひろみとの破局会見では、“生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った”と涙ながらに訴えかけ、女性ファンの心をつかんでみせた聖子。でも、そんな話し合いの事実はありません(笑)。ただこの発言がなかったら、破局からわずか数か月後の神田正輝との婚約もファンから祝福されなかったでしょうね」さらにアイドルからアーティストに進化する過程で女性誌の表紙を飾るなど、今では当たり前になったアーティストのプロモーション活動でも新しい道を切り開いてきた。「作詞・作曲、そしてプロデュースとすべてを手がけるアーティストとしての成長もさることながら、女性のあり方すら鮮やかに、軽やかに変えてみせたのが聖子の魅力ではないでしょうか」しかしプライベートでは激しいバッシングを受けたこともあった。「アランやジェフなど過去に噂のあった男性が暴露本を出しても、たかの友梨のCMで彼らとの“行為”をイメージさせるようなシーンを再現。スキャンダルを逆手にとって自分のパワーにかえてしまう。これが聖子流。彼女の男性関係を俯瞰で見るとすべてが肥やし。ボイトレへの取り組みなど、歌に対するストイックな姿勢も郷ひろみから教わったことですから」数々のヒット曲とともに、芸能史にも燦然と輝く松田聖子。令和の今も、“聖子伝説”に終わりはない。PROFILE●石田伸也(いしだ・しんや)●『アサヒ芸能』を中心に、主に芸能ノンフィクションを執筆。近著に松田聖子のデビューから40年を追った『1980年の松田聖子』(徳間書店)
2020年10月20日松田聖子今年、芸能生活40周年を迎え、テレビ出演も盛んな松田聖子(58)。その流れで、さまざまな人が自分の聖子評を披露している。■天才的なアイドル・松田聖子例えば、彼女がこれまで理論的なことは意識せずに歌ってきたということについて、古田新太は「長嶋茂雄を感じた」と言った。また、新曲『風に向かう一輪の花』で聖子の詞にメロディーをつけた財津和夫は「風に揺れる、じゃないですもんね。風に向かう、ですから」と、その言葉選びに彼女の生き方があらわれていることを指摘する。たしかに、彼女は一種の天才で、どんな修羅場にも立ち向かえる強さを持つ。それを世に知らしめたのが、あの破局会見だ。1985年1月、彼女は結婚間近といわれた郷ひろみとの破局を発表した。『週刊文春』のインタビューで、別離をにおわせていることがわかり、報道陣が殺到したからだ。その日、彼女は主演映画『カリブ・愛のシンフォニー』の国内初撮影に臨む予定だったが、午前の撮影が中止され、急きょ会見が行われた。そこで彼女は“家庭と仕事““家と家“といった問題に触れつつ、郷との話し合いにより“別れても友達“的な結論に達したと涙ながらに説明。そして、最後に、「もし今度、生まれ変わってきたときには絶対に一緒になろうね」と、嗚咽しながら語ったのである。この会見は多くの人を驚かせたが、実は郷にとっても寝耳に水だった。レコード会社のプロデューサーとして、ジャニー喜多川とともに彼を育てた酒井政利はこんな証言をしている。「ところが郷は、その模様をビックリしながらテレビで見ていたのです。そんなことを話し合ったこともないし、別れたつもりもない」つまり、聖子は独断で破局を決め、会見を開いたわけだ。そして5か月後、前出・映画の共演相手でもある神田正輝と結婚。前年11月には一緒に海外ロケもしていたことから、彼女が乗り換えたような印象を持たれた。ただ、郷のことを嫌いになったわけではない。「生まれ変わって」発言も、彼女の未練と申し訳なさ、そして一種の興奮状態から生まれたのだろう。実際、会見後もスタッフの前で1時間近く、大泣きしたという。それゆえ、午後の撮影も中止になるかと思われたが、彼女は会見と、その後の大泣きで吹っ切れたようで、何事もなかったように撮影をこなした。この切り替えの早さが、どんなスキャンダルにも負けないゆえんだ。一方、すぐには切り替えられなかったのが郷である。それを心配して、以前から仲のよかった樹木希林が助け船を出した。雑誌での対談をセッティングして、そこに『コケにされた男の正しいコケ方』というタイトルをつけたのだ。いわば、いじってやることで前に進ませようとしたわけだ。とはいえ、郷は樹木にさえも心を開かず、対談は難航したらしい。「もう人を信じられなくなったという感じで、よそよそしい」態度だったと、樹木はのちに回想している。ただ、郷の立場を思えば、それも当然だろう。聖子はデビュー前、すでにスターだった自分に憧れていた少女。そんな相手に思いを寄せられ、結婚するつもりでいたら、なんの相談もなく、日本中に破局を告げられたのだ。おまけに、来世のことまで勝手に決められては、たまったものではない──。PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。
2020年10月19日(写真左から)松田聖子、中森明菜2020年、松田聖子がデビュー40周年記念アルバム『SEIKO MATSUDA 2020』を発売。オリジナル作としては1996年の『Vanity Fair』以来、24年ぶりにオリコンのアルバムランキング週間TOP3入りを果たした。本作は『瑠璃色の地球』や『赤いスイートピー』などの名曲をリメイクしつつ、37年ぶりとなる財津和夫とのタッグ曲『風に向かう一輪の花』などの新曲も収録したアルバムで、その現役ぶりを見せつけた。その聖子とともに’80年代の音楽シーンを大いに盛り上げたのが、中森明菜だ。当時は現代のように、大物アーティスト同士が発売日をずらすといった忖度(そんたく)があまりない中で、聖子はシングルが24作連続でオリコン1位、明菜も’89年までにシングル19作品で1位を獲得。しかも、瞬発的な週間1位にとどまったのではなく、’80年代の年間シングルTOP10を見ると、聖子が5作、明菜は12作もランクインしている。名実ともに「日本を代表するアイドル」だったと言えるだろう。■聖子&明菜、翻弄された’90年代そのわりに、’90年代においては、聖子と明菜が音楽的に注目されることは少ない。彼女たちを特集する多くのメディアでも、この年代に関しては聖子が『あなたに逢いたくて』(’96年)で初のミリオンヒット、明菜はカバー・アルバム『歌姫』(’94年)がブームのパイオニアになった、などとひと言添えられる程度だ。だが、長年のファンの方ならおわかりのように、実際には2人とも’80年代だけではなく、この’90年代を乗り越えたからこそ、’00年代以降も活躍できたのだろう。そこで、聖子と明菜が時代の荒波にもまれながらこの10年間をどのように闘ってきたか、改めて振り返ってみたい。まず、’90年代は2人とも、スキャンダルやトラブルにもっとも翻弄(ほんろう)された10年間だったと言える。聖子は、語学教師との熱愛やダンサーへのセクハラ疑惑、神田正輝との離婚と翌年の歯科医師との再婚、そしてその2年後に再び離婚と、恋愛スキャンダルが多い。近年の穏やかな笑顔とは程遠く、当時は“魔性の女”といったイメージで頻繁に報道された。一方、明菜のほうは’89年7月に当時の恋人・近藤真彦の自宅で左手を切った自殺未遂騒動を経て、年末には近藤も同席し異例の謝罪会見(いわゆる“金屏風前会見”)を行った。’90年代に入った後は所属事務所との契約トラブルや間に入った自称ディレクターによる告発本の発売、さらに’99年には所属レコード会社から引退勧告を受けるなど、こちらはビジネスがらみのスキャンダルが音楽活動をも妨げている感じだった。今となっては、どこまでが事実でどこからが憶測による捏造(ねつぞう)なのか見当がつかない。ただし、上述の自称・明菜のディレクターだったという女性は著書にて、’91年のシングル『二人静』については“出荷”枚数(実売よりも多い)を記し、それを次のシングル『Everlasting Love』の “実売”枚数と比較して、いかにセールスを落としたかをわざと強調して書いていた。これを見る限り、彼女は明菜を思いやったのではなく、単に富や名声にあやかりたかったのだろうと直感した。きっと、聖子にもそういった思惑で近づいた輩(やから)が少なからずいたのだろう。重要なのは、これらのスキャンダルに対し、2人が音楽で奮闘したということだ。■転んでもタダで起きない’90年代の聖子まず、聖子は’90年にアルバム『Seiko』で全米デビューを果たした経験から、作詞や作曲にも積極的に関わるようになり、自立心が強く自信に満ちた歌詞や、それまで以上に華やかでゴージャスなサウンドの楽曲が増えた。’92年、5年ぶりに30万枚超のヒットとなったシングル『きっと、また逢える…』を発売して以降、ドラマティックなバラードが彼女の定番となり、’96年の『あなたに逢いたくて』におけるミリオンセラーにつながっていく。聖子は’89年にサンミュージックから独立しているが、’90年代にも前述の『きっと〜』やその翌年の『大切なあなた』が本人主演のドラマ主題歌になるなど、より踏み込んだタイアップを増やしていく。『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』『夜のヒットスタジオ』などの主要音楽番組が軒並み終了してしまったことで、’90年代音楽のヒット構造が激変したわけだが、そこに当時、大手事務所に所属しドラマ出演をフックに楽曲のヒットを維持していた小泉今日子や中山美穂らに負けじと食らいついていったのがすごい。ちなみに、’90年代の聖子で『あなたに逢いたくて』に次いで2番目に売れたのは、’94年発売の『輝いた季節へ旅立とう』だ。オリコン最高12位とTOP10入りせずも、年間94位、累計売上は約37万枚というロングヒットに。カラオケでは年間18位とさらに人気で、《思い切り伝えたいあなたへのこの想い~》と、聖子よろしく勝気な笑顔で歌った女性も多かったのではないだろうか。さらに、追いかけるマスコミを逆手に取ってプロモーションに活用した。’96年末にシングル『さよならの瞬間』を発表した後に神田正輝と離婚。しかし、その3か月後にはシングル『私だけの天使~Angel~』を発表し、娘の沙也加に向けた愛情をリンクさせ、離婚のマイナス・イメージを一掃する。さらに、「会った瞬間ビビビッときた」ことから一般男性と再婚、ほぼ同時期にアルバム『Forever』を発表し幸せぶりをアピール。果敢に挑み続ける海外進出を含め、転んでもタダで起きないのが’聖子だ。その一方で、’99年末にアルバム『永遠の少女』を発表している。これは、’80年代を支えた松本隆が11年ぶりに多数の作詞を手がけ、かつての情緒的な楽曲がそろっていてコアなファンに人気の作品だ。セルフプロデュースだけに固執しない聖子の姿勢が、以降のYOSHIKIや竹内まりや、そして31年ぶりとなった松任谷由実からの楽曲提供にもつながったのではないだろうか。対する明菜も’90年代は、’80年代とは異なる作家やミュージシャンと新たにタッグを組んでいく。その代表作が、’93年のアルバム『UNBALANCE+BALANCE』に収録された『愛撫』だ。本作は、作詞を松本隆、作曲を小室哲哉が担当。翌年以降、TRFや篠原涼子、globe、安室奈美恵、華原朋美などを次々とプロデュースし、時代の寵児(ちょうじ)となった小室が得意としたのは高音ボーカルだったが、明菜は彼女たちとは対照的な低音ボーカルで小室サウンドに挑んだ。テレビ番組で《Lonely Night 人は孤独な星 Lonely Night 瞬いて消える~》と大きく手を振りながら、ビートに乗って妖(あや)しく歌う姿に「キター!!」と感じた人も多かったのではないだろうか。■『愛撫』と『帰省』、2つの名作が誕生その結果、アルバム曲ながら有線やカラオケでヒットし、その評判を受けて翌’94年には両A面シングル『片想い/愛撫』としてリカットするほどに。特に、有線では’93年の年間53位、’94年に65位と2年にわたって人気を博した。’80年代にも年間TOP10作が8作とメガヒット・アルバムが大量にある明菜だが、’93年の『愛撫』はアルバム曲として明菜最大のヒットとなった。’90年代は、この低く響く地声のほか、優しく繊細な裏声まで響かせるようになる。この裏声でのふわっと力を抜いた歌唱だからこそ、カバー・アルバム『歌姫』は、明菜のオリジナル曲とは別次元で各方面から評価されたのだろう。音楽情報誌『CDでーた』では当時《オリジナル以上に『女性・中森』がじっくり味わえるできである》と紹介されている。また、明菜も’92年に連続テレビドラマに進出。安田成美とのW主演だった『素顔のままで』は、口は悪いが世話好きで心優しい女性という絶妙な役を演じ、平均26.4%、最終回31.9%と、当時としてもかなりの高視聴率を記録。さらに主題歌の米米CLUB『君がいるだけで』も約290万枚というメガヒットとなった。このとき、明菜も他の女性歌手のように、挿入歌なりイメージソングなり、ドラマに絡めて発売できていたなら、’90年代の彼女はいくぶんスムーズに活動できたのかもしれない。トラブルに巻き込まれた10年間の中で、無事に主演ドラマと主題歌を手がけたのが、’98年の『冷たい月』。夫の自殺とそのショックによる流産から、不幸のキッカケを作った女性への復讐を企(くわだ)てるというサスペンスドラマだったが、当時の明菜がまとっていたダークなイメージも相まって見事にハマり、また、高い演技力も見せつけた。ドラマの主題歌となった『帰省~Never Forget~』で、地を這うように歌う出だしから始まり、サビで《せめて今を恥じないで負けないで生きている》と絶唱する様子は、まるで命を削るかのようなすごみがあった。模索し続けた10年間だったが、前述の『愛撫』とこの『帰省』の2作が生まれたことだけをとっても、決して無駄ではなかったと言えるだろう。このように’90年代の聖子と明菜は、それぞれの道を模索して’00年以降の活躍につなげた。より“人間味”が強く現れた作品が多い10年だったとも言えるだろう。余談だが、’05年にダウンタウンが司会を務めた音楽バラエティー番組『HEY!HEY!HEY!』の放送で、聖子と明菜がボウリング対決するといった夢のような企画があり、常に比較されてきた2人がはしゃいでいる姿がとても印象的だった。あんなふうに無邪気に共演する2人を、いつの日かまた見てみたい。(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
2020年10月10日ものまねタレントの岡田聖子(おかだ・せいこ)さんが、2020年9月17日にブログを更新。公園で出会った母親たちの行動に、苦言を呈しています。岡田聖子の「ママ友にはなれんわ」発言に共感の声子供と一緒に公園に出かけた岡田聖子さんは、食べ散らかされた菓子のゴミを発見。風でどんどん散乱していく様子を見て、もやもやしてしまったようです。最近行く公園お菓子のゴミがすごい、、、。子供たちが食べてる最中なら拾って帰るのだろうと思っていた日もあるが。今日はそこで食べていただろう子供達はいなくて荷物とお菓子のゴミが置き去り。岡田聖子オフィシャルブログーより引用そんな中、岡田聖子さんはさらに残念な光景を目の当たりに…。その時の気持ちを爆発させています。元々散乱していた上に風で広範囲に散乱していくゴミ達。そこには、自分の子供達のゴミじゃないから知りません顔のママが4、5人。ゴミと認識はあるようで避けながら自分の子供を遊ばせている。、、、、この人達とママ友にはなれんわー。岡田聖子オフィシャルブログーより引用岡田聖子さんは「自分の子供がしたことじゃないから関係ない」という考えを持つ母親たちに対して、不満を募らせた様子。「きれいなのは見かけだけかいな!」と心の中でツッコミを入れています。その後、岡田聖子さんは自分の子供に目を配りつつ、散乱したゴミを回収。そんな岡田聖子さんにファンは「素晴らしいです」「見習いたい」と称賛や共感のコメントを送っています。・岡田さんのいう通り、そんなママたちとは関わり合いたくないかも。・同じ母親として見習いたいです。応援します!・私も見て見ぬ振りをするかもって反省しました。これからは人として素敵な姿を目指します!そもそも、ゴミを出した人が持ち帰るのが当然のマナー。それは子供であろうと大人であろうと関係ありません。他人が出したゴミをひろわないことを責められませんが、岡田聖子さんのように「それでも…」と考える姿勢は、とても学ぶところがあるのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2020年09月24日多数の舞台やミュージカルで活躍する石川禅、柿澤勇人、田代万里生、平方元基によるコンサート『THE MUSICAL BOX~Welcome to my home~』が8月29日(土)、30日(日)に日生劇場で開催される。【チケット情報はこちら】新型コロナウイルス感染拡大防止のため公演中止・休館が続いていた日生劇場は、このコンサートで数ヶ月ぶりに客席に観客を迎えることとなる。コンサートは感染症予防対策のために客席数を通常の50%以下に抑え、観客には検温と消毒の協力やマスクの着用を求め、会話を回避するよう呼びかけるなど、感染防止策を徹底した上で開催される。コンサートのプログラムはA~Fの6種類が組まれており、「MY HOME」をコンセプトとした石川、柿澤、田代、平方のソロ・コンサートに加え、4人が一堂に会するコンサートが二日間に渡り催される。生バンドによる迫力ある演奏と共に60分間ノンストップで歌唱される楽曲は『アリス・イン・ワンダーランド』 『生きる』 『エリザベート』 『ジーザス・クライスト・スーパースター』 『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』 『ラ・カージュ・オ・フォール』などのミュージカル作品から、彼らのこれまでの出演作にとどまらず、事前にリクエストを募った「観客が聞いてみたかった名曲の数々」が採り上げられる。また、ソロ・コンサートには別の出演者の一人が「リモートナビゲーター」として登場。出演者とナビゲーターの組み合わせごとに、個性あふれる会話が飛び出すコンサートとなることが期待される。提供:ホリプロ
2020年08月21日(左から)河合奈保子、柏原芳恵2020年にデビュー40周年を迎え、今なお“永遠のアイドル”として活躍し続ける松田聖子。彼女がデビューした’80年は、聖子とさまざまな面でトップを争った田原俊彦のほか河合奈保子、柏原芳恵、三原順子(現・じゅん子)、岩崎良美、さらにアイドル以外では松村和子や山下久美子など、デビュー後2、3年でブレイク(TBS系『ザ・ベストテン』やオリコンにTOP10入り)する歌手が大量に出現する、大豊作の年でもあった。そのなかで、5年以上にわたってTOP10入りを果たした女性アイドルが松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵の3人だ。聖子はいまだに特番が組まれるほど国民的アイドルとして認知されているが、奈保子と芳恵については、長期的に支持されていたにもかかわらず、あまり紹介されていないのではないか。そこで今回、聖子という絶対的エースが君臨し、また、その2年後には中森明菜や小泉今日子をはじめ強力なメンツが次々とデビューするなかで、奈保子と芳恵が“アイドル戦国時代”をどうサバイブしてきたのか、改めて2人の活躍ぶりを追ってみたい。■“ナオナオ”、“ヨシヨシ”と呼び合う関係まず、共通点を見ていこう。第一に、奈保子が’63年7月24日生まれ、芳恵が’65年10月1日生まれで、どちらも大阪府出身であること。テレビではほとんど関西弁を話さなかったが、2人の愛嬌のよさは関西出身であることが関係しているのかもしれない。第二に、オーディション出身であること。奈保子は西城秀樹の弟・妹分を募集するオーディションでの優勝を経て、芳恵はテレビ番組『スター誕生!』(日本テレビ系)のグランドチャンピオンを経て、ともに’80年6月1日にデビュー。1stシングルはそれぞれ『大きな森の小さなお家』と『No.1』だが、両者とも単なるビジュアルだけではなく、歌唱審査で高評価されたことも大きな決め手となっていることが、2人の長期的な活躍に少なからずつながっている。そして、ともにグラマラスな体型であったことも多くの人の記憶に焼きついているのではないだろうか。ほかの同期ではなく、この2人を組ませたグラビア特集が増え、互いに“ナオナオ”、“ヨシヨシ”と呼び合う関係になっていったのは自然なことだろう。さらに2人は、“デビュー2年目に本格的にブレイクした”という点も共通している。奈保子はデビュー翌年の5作目シングル『スマイル・フォー・ミー』でオリコンTOP10入りを果たして以降、合計21作品がTOP10に入っている。本作は、彼女の明るさを存分に発揮したノリのいいポップスで、’15年にレコード会社で実施された人気投票でもシングル部門第1位を飾った代表曲だ。対する芳恵は、7作目のシングル『ハロー・グッバイ』で初めてオリコンTOP10入りしたのち、合計18作品がランクイン。もともとはアグネス・チャンのシングルB面に収録されていた楽曲だが、芳恵の歌声が醸し出す若さと翳(かげ)りの絶妙なバランスや「紅茶のおいしい喫茶店~」 というキャッチーな出だしもあり、ブレイクを果たした。このように、何かと共通点の多い2人だが、逆に決定的に異なるのは「パブリック・イメージ」だろう。■体重バレ&歌妨害でも笑顔の奈保子奈保子は、まさに健康美の象徴的存在だった。その愛くるしい笑顔と何でも「ハイ!」と元気に返事してしまう屈託のなさが印象深い。かつて黒柳徹子から「あまりハイハイ言うんじゃありませんよ」とたしなめられた直後、また「ハイ!」と答えてしまうほどのおてんばさを見せつつも、いざ歌い出すとその丁寧な歌唱でファンを魅了した。実際、レコーディングにおいては初見でも楽譜が読めたそうで、数年後にはコンサートでピアノ弾き語りをするなど、早期から音楽的才能を開花させていた。ビキニの水着が映えるプロポーションでありながらハツラツとしたキャラクターで、初期の奈保子のシングル曲に「ふるえる胸の奥の奥なの」(『大きな森の小さなお家』)、「胸がキュンとなるの」(『ヤング・ボーイ』)、「感じてマイハートこの胸は」(『17才』)、「もっと愛を教えてそうよときめく胸に」(『スマイル・フォー・ミー』)、「不思議な胸さわぎ」(『ムーンライト・キッス』)など、デビューからの9作品中、7作もの歌詞に“胸”をそれとなく登場させたのは、単なる偶然ではないだろう。もっとも、当の本人は胸もとより体重を気にしていたらしい。’83年に放送された『ザ・ベストテン』では、聖子と奈保子が同じ体重計に乗り何キロになるか、という恐怖の演出が。2人の合計は90キロ台後半と出たが、後日『笑っていいとも!』(フジテレビ系)にて聖子が「(私は)42キロ」と明かし、おのずと奈保子の体重が50キロ超だと答え合わせされてしまった事件もあった。そんなことがあっても、誰を責めることもなく、八重歯を見せながら笑顔で乗り切るキャラクターもまた、彼女の大きな魅力だった。全国キャンペーンや両A面の効果で初のオリコン1位となったシングル『デビュー』をNHK紅白歌合戦で披露したときのハプニングを憶えている人も多いだろう。彼女の前に歌唱していた男性歌手が火気を伴うド派手なパフォーマンスをやらかし、結果的に奈保子の登場を妨害。楽曲の頭サビ部分が歌えなくなってしまったのだ。しかし、これについても彼女からネガティブな発言は一切なかった。それでいて、音楽的には目覚ましく成長を遂げたのも彼女のすごいところだ。’82年に竹内まりや作詞・作曲のバラード『けんかをやめて』がヒット。’83年には中森明菜の『少女A』を手がけた作詞家・売野雅勇と大御所の作曲家・筒美京平を起用した「胸の鼓動を素肌に感じるくらい抱きしめて」という挑発的な歌詞の熱唱型ポップス『エスカレーション』で、自身最大の累計売上げ35万枚以上を記録。’84年にはデヴィッド・フォスターら錚々(そうそう)たるミュージシャンが参加した海外録音アルバム『デイドリームコースト』を発売するなど、アーティストとしての意識も高めつつ、’86年にはついに全曲自作のアルバム『スカーレット』を手がけた。一方、芳恵はといえば、常に実年齢以上の色気をまとっていた。当時、ひらがな名義の“柏原よしえ”で歌った『No.1』では、わずか14歳ながら、ナナメ45度に身体をくねらせた肩越しから独特な憂いのある色気を放っている。それが、’90年代以降の写真集やイメージビデオでの活躍にもつながったのだろう。’82年の17歳の誕生日に“柏原よしえ”から本名の“柏原芳恵”表記に変更して以降は、谷村新司や宇崎竜童、松尾一彦(オフコース)、松山千春など、シンガーソングライター提供の楽曲路線に挑む。■天皇陛下から芳恵にバラのプレゼントなかでも、’83年にリリースした中島みゆき作詞・作曲の『春なのに』は「春なのにお別れですか」という哀しい歌詞とマイナー調のメロディー、服部克久によるオーケストレーション、何より切ない恋心を芳恵が繊細に表現することで多くの共感を呼び、累計売上げ38万枚以上の『ハロー・グッバイ』に次ぐ大きなヒット(累計33万枚以上)となった。今でも春先になると音楽配信やカラオケなど各チャートで上昇する卒業ソングの定番となっており、まさに“記録と記憶のヒット曲”といえるだろう。ちなみに、中島みゆきが作詞・作曲の両方を手がけた楽曲でもっとも多くTOP10級のヒットを出したのは、研ナオコでも工藤静香でもなく、柏原芳恵だ(『春なのに』『カム・フラージュ』『最愛』『ロンリー・カナリア』の4作)。その後、’85年9月には当時19歳にして不倫ソング『し・の・び・愛』を歌ってオリコンTOP10入りを果たし貫録を感じさせたが、それを先輩格だった高田みづえの結婚披露宴で「抱いて抱いて抱きしめて」と色っぽく歌ったことは衝撃大。いくらプロモーションの時期とはいえ「なぜ結婚式で歌うのか。まるで高田の夫・若島津の愛人かと誤解されるのでは……」とハラハラしつつ、その肝の座り方には感心したほどだ。’86年秋には、かねてからファンを公言されていた浩宮徳仁親王(現・天皇陛下)がリサイタルで芳恵に一輪のバラを贈られたことも大きな話題に。’87年にはレコード会社移籍第1弾としてリリースした『A・r・i・e・s』をジュディ・オングばりの白い孔雀風ドレスを着て熱唱していたので、いつかジュディとの共演などがあれば、おもしろい気もする。最後に、2人のシングル総売上げを比較すると奈保子が約430万枚、芳恵が約350万枚(オリコン調べ、デュエット作を含む)。いずれも400万枚前後だが、奈保子はアルバムセールスも200万枚以上とアルバム・アーティストとして高く評価されたのに対し、芳恵は有線リクエストで『ハロー・グッバイ』『春なのに』『カム・フラージュ』『最愛』の4作が年間TOP100入り。その光と影の双方を感じさせる歌声が街中に浸透していったと考えられる。奈保子は’96年の結婚、翌年の出産を機に芸能活動を休みつつも、’06年に彼女らしい優しいメロディーのピアノ・インストゥルメンタル集『nahoko音』を発売。さらに’12年には彼女の真骨頂であるライブビデオをDVDで復刻し、週間TOP30に5作も同時ランクインと、人気絶頂だったAKB48に並ぶ記録を打ち立てた。また、’16年には写真集『再会の夏』が現役勢に交じって週間TOP5入りをするほどの人気。その純粋なキャラクターは、平成のアイドルファンをも釘付けにしているのかもしれない。芳恵のほうも、’90年代はビデオや写真集を多数発表しつつ、’00年代から再びオリジナルシングルやカバーアルバム3作を発売。切なく甘い歌声は健在だ。’20年には本人作詞のデビュー40周年記念シングル『KU・ZU~ワタシの彼~/ A・RU・KU』を発売し、10月には40周年記念コンサートも予定。今なお現役歌手として活躍している。このように、奈保子と芳恵は聖子ほど目立った脚光は浴びないながらも、その愛されぶりはとても高く、音楽シーンにおいてもそれぞれの個性を発揮し、“実力派”と呼ぶにふさわしい活躍を見せた。昭和ポップスが見直されている昨今、テレビで見かける以上に多くの実績を残したといえる2人の楽曲を今一度、楽しんでみては?きっと、新たな魅力に取り憑かれるはず!(取材・文/音楽マーケッター・臼井孝)
2020年08月07日いい意味でミュージカル俳優らしくない。それが柿澤勇人さんの魅力ではないだろうか。ミュージカル界に身を置く俳優の多くは、幼い頃からミュージカル好きだったか、もしくはずっと歌かダンスが得意でミュージカルにたどり着いた、というパターン。しかし柿澤さんは、ミュージカルに出合う高校時代まで、ずっとサッカー一筋でやってきた人。それゆえか、“王子感”を感じさせる多くの同世代のミュージカル俳優のなかにあって、ちょっとしたヤンチャさや屈託のなさは、彼の個性として確立しているように思う。もちろん歌はうまいし、声もよく声量もある。でも舞台を観終わると、歌や曲というよりも、演じるキャラクターの人間味が強く印象に残るのだ。観客に夢を見させるキャラクターというより、身近でリアルな人物を立ち上げる。とくにそれを感じさせたのが『デスノート THE MUSICAL』の夜神月役。名前を書いた人を死なせるノートを手に入れたことで、自らの能力に溺れていく役だが、彼の秀才ぶりよりも、ひたむきな愚かさや精神的幼さを感じさせる月だった。人間くささ。それこそが柿澤さんの役に共感してしまう理由なのだ。幼い頃からずっとサッカー漬けの日々を送っていた柿澤勇人さんの人生を、一本のミュージカルが一変させた。それが高校1年生の時の課外授業で観た劇団四季の『ライオンキング』だ。「それまでミュージカルにまったく触れたことがなくて、観る前は正直ナメてた部分もあったんです。でも、始まって1曲目で心を掴まれて、『俺、これやるわ』って、劇場を出た瞬間に担任の先生に劇団四季の入り方を聞いてました」ここまではよくある話。でも、すごいのは3年後に超難関のオーディションを突破し、劇団四季の研究所に入ってしまったこと。「運が良かったんですよね。その頃ちょうど四季が全国各地の劇場でロングラン公演を打つようになっていた時期で、ちょっとでも可能性があると思われたらチャンスが回ってくる。ただ、その時の僕はダンスも歌もド素人。当時、研究生は毎日朝から夕方までバレエや日舞のレッスンや発声練習がありましたが、終わってからいったん帰宅して仮眠をとった後、夜中にレッスン場に行って自主稽古をしていました。ダンス経験者の同期に教わったり、音大のやつに歌を聴いてもらったり。あの時期が一番たくさんのことを学んだし、吸収させてもらったと思います」厳しい練習を続ける努力や向上心は、サッカーで身に付けたこと。「自分のマインド的に、下手くそだったら練習するしかないっていうのがあります。そもそもミュージカルって技術が必要で、本来1か月や2か月で習得できるもんじゃない。でも、じゃあどうするかといったら、結局やれるのは練習とか努力とかしかないんです」そして入団から半年で舞台デビューし、翌々年にはミュージカル『春のめざめ』日本初演で主役に抜擢。しかし、なんと柿澤さんはその年に四季を退団してしまう。「『春のめざめ』ではクリエイティブのスタッフが海外から来たんですが、それまでの四季のメソッドとは全然違う作り方をしたんですよ。毎日、感情を出せ、叫べ泣け、怒りなんてそんなものかと言われて…。でも、それが面白かったんです。ミュージカルって何なんだろう、舞台って、芝居ってと考えるうち、もう一度演技を勉強し直したいと思うようになって」いまも大切にしている蜷川幸雄さんからの教え。俳優として大きな転機となったのは、故・蜷川幸雄さん演出のストレートプレイ『海辺のカフカ』。「蜷川さんは、つねに芝居とは何かを考えていた人。その方と一緒に作品を作れたことは、すごく大きな経験です。だって、たった1シーンのセリフを実感のこもったものにするために、稽古場に生肉の塊を買ってこさせたりするんですよ。そんな演出家、他にいないですよね。セリフは腑に落ちてないとダメなんだと教えてくださった方です。ミュージカルも根底は芝居。歌をきれいに歌うことより、作品のなかで役として筋を通すことを大事にしています」もうひとついまも大切にしている蜷川さんの言葉がある。それは、「つねに自分を疑え」ということ。「周りに何も言われなくても、これで本当にいいのか、つねに自分でちゃんと考えろとおっしゃっていました。実際、蜷川さんは一度成功を収めた作品の再演の稽古でも怒鳴ってましたしね(笑)」そんな柿澤さんに、目標を伺うと「俳優という仕事でいえば…この先も芝居って何だろうっていう答えを探しながらやっていくだろうと思います」と前置き。「ミュージカルに関していえば、誰もが知ってるような人気作もやりつつ、日本でこれから作られていくオリジナル作品にもどんどん挑戦していきたいと思っています。海外にはすばらしい作品がたくさんありますけれど、日本の作品にだっていいものはある。いま韓国はミュージカルブームですが、負けてられないですよね。日本オリジナルの『デスノート THE MUSICAL』という作品で台湾に行ったんですが、あれが第一歩。すぐには無理でも50年後、ブロードウェイで上演されるきっかけになるような日本発の作品に携われたら嬉しいし面白いなと思っています」夏にミュージカル『スクールオブロック』の主演が控えている。「日本での上演は今回が初。観た方に、いい作品だと思ってもらえるよう臨みたいです」転機となった出演作役の感情から歌に繋げていくことを学んだ作品。劇団四季退団後の最初の舞台が’11年の『スリル・ミー』。「ミュージカルではあるけれど、作品の軸は心理劇。うまく歌うことよりも、役の感情を通すことを大事に演じました」韓国や台湾でも評判を呼んだ日本発のオリジナル。大人気漫画『デスノート』がミュージカルに。’15年の初演と’17年の再演で、主人公の夜神月を演じた。「作品の立ち上げに携われたことは、自分にとって大きな経験でした」かきざわ・はやと1987年10月12日生まれ、神奈川県出身。ミュージカルのみならず、ストレートプレイや映像でも活躍。連続テレビ小説『エール』に出演。シャツカーディガン¥34,000パンツ¥32,000(共にヨーク/スタジオ ファブワーク TEL:03・6438・9575)シャツ¥39,000(08サーカス/08ブック TEL:03・5329・0801)シューズ¥23,000(トス/HEMT PR TEL:03・6721・0882)ソックスはスタイリスト私物※『anan』2020年5月27日号より。写真・小笠原真紀スタイリスト・藤長祥平ヘア&メイク・松田蓉子取材、文・望月リサ(by anan編集部)
2020年05月24日ブロードウェイ・ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』Season3でベルナルドを演じるOguriと有澤樟太郎が登場。共にグランドミュージカルのイメージがないふたりだが、新境地へ挑む気合いはすでに十分。実力派揃いのSeason3の台風の目となってくれそうだ。※このインタビューは2月に行われました。いつかグランドミュージカルに出たかったお申込みはこちら(dpia-app://marupi?isLocked=0&marupiId=9790ecdd-9047-410f-a245-f456cb88609b)撮影/岩田えり、取材・文/横川良明ヘアメイク/(Oguriさん)NORITAKE(KIDMAN)、(有澤さん)中元美佳(EKAmake)スタイリング/(Oguriさん)岡本健太郎、(有澤さん)喜多優介衣装協力/(有澤さん)衣装協力:ジャケット¥82,000(meagratia / Sian PR 03-6662-5525)、シャツ¥24,000、パンツ¥33,000(ato/Sian PR 03-6662-5525)
2020年03月26日時代を代表するトップスターのヒット曲を次々と手がけ、旋風を巻き起こした希代の作詞家・松本隆(70)。松田聖子(57)も近藤真彦(55)も薬師丸ひろ子(55)も、彼らがデビューするや否や、その姿を見つけ、「詞を書きたい」と願った。そして「縁はないかな」と思っていても、その後、不思議とオファーが舞い込むのだという。今年、作詞家生活50周年を迎える松本がインタビューに応じてくれた。「聖子ちゃんはCMでデビュー曲を聴いて、声だけで『いいなぁ』と感じた。薬師丸ひろ子さんは映画『野生の証明』で、父親役の高倉健さんに『お父さ〜ん』って駆け寄るシーンを見てね。マッチはドラマ『3年B組金八先生』だったな」(松本・以下同)松本は松田聖子をトップアイドルに押し上げた立役者としても知られる。当時、CBS・ソニーレコードのディレクターだった若松宗雄氏から、アルバム収録曲へのオファーが舞い込んだときのことを「テストされたのかな?」と振り返る。最初に手がけた『白い貝のブローチ』が評価されて、6曲目のシングル『白いパラソル』から本格的に松田聖子を担当することに。自身の人脈でもある、松任谷由実(66)、細野晴臣(72)、大瀧詠一(享年65)ら一流アーティストを作曲家陣として迎えた功績も大きい。「聖子ちゃんとはピークのころはほぼ毎日会っていた。いろいろ話をしているからもう改めて取材する必要がなかった。できあがった詞を彼女が見て、『どうして私の思っていることがわかるの?』っていつも驚かれていたんです」“前髪を1ミリ切りすぎたら、恋人に会うのが怖い”“恋人が時計をちらりと見ると、泣きそうな気分になる”といった少女の繊細な気持ちを描いた歌が多く、この歌詞を男性がつづっていることに驚いたファンも多かった。「『こんな感じかな?』って、適当でした(笑)。会っているときに腕時計を露骨に見ると相手が傷つくかも、と思ったのは僕の経験。『おじさんが書いていてすみません』という気持ちでした」聖子の楽曲作りでタッグを組んだ松任谷由実とは、薬師丸ひろ子の傑作『Woman“Wの悲劇”より』も生み出した。「きれいな不倫の歌を書きたいなと思ったんだけど、『死んでしまった人を歌っているのでは?』と質問されることが多かった。表現って極めれば極めるほど霊界に近づいてしまうんだよね。薬師丸さんの作品では、学業で休んでいた後の復帰作となった『探偵物語』も僕はかなりいいと思う」そうして、もうひとり忘れてならないのは「この人は僕の母親にいちばん近い」と松本がいう斉藤由貴(53)。「僕を甘くみていて、強くてへこたれない人」と評する。「僕、へこたれない人が好きで。斉藤さんもそうだよね。才能があるからクドカン(宮藤官九郎・49)や是枝(裕和・57)監督などからも評価されている。そういう人は何があっても、いなくならない」そういえば、幾多のスキャンダルに負けず、芸能界に君臨し続ける松田聖子もそんな存在だ。そして、「僕の歌で大ヒットした人は、一生歌えるの」とさらりとつぶやく松本ーー。確かに、聖子、薬師丸、斉藤はそれぞれ進学、結婚、子育てといった転機を乗り越え、今も歌い続けている。「今の時代、一度休んでも、また歌いたくなったら出てくればいい。そうするとみんな受け入れるから。僕の歌は貯金のようなもので、彼女たちは預けていた財産をいつでも引き出すことができる。そんな感覚でもいいと思う」廃れることのない松本ソングの数々は、さらに50年後、100年たったときにはどうなっているだろうか。「それは時代が決めること。でも、きっと古くはならないと思う。僕はそれを見届けることができないけれど、希望的観測としては、古典になっていくんじゃないかな」「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月18日金沢知樹が作・演出を手掛ける密室サスペンス・コメディ『体育教師たちの憂鬱』が4月に東京・シアタートラムにて上演される。本作で教師役を務める赤澤遼太郎に話を聞いた。【チケット情報はこちら】金沢が主宰する「劇団K助」が初演した本作は、とあるスポーツ名門校の女子校が舞台の物語。体育倉庫で教師と生徒の恋のやり取りが記された交換日記が見つかり犯人探しが始まるが、その中でさまざまな事件や過去が明らかになっていく――というストーリーが展開する。「今回は“初づくし”です!」と意気込む赤澤。「まず、教師役が初めて。僕のことを知っている方はきっと生徒役だと思われたと思います。それがまさかの教師役!」と嬉しそうだ。現在23歳の赤澤は、喜劇『おそ松さん』(トド松役)やMANKAI STAGE『A3!』~AUTUMN2020~(七尾太一役)など2.5次元舞台を中心に人気を集める俳優で、フレッシュで若々しいイメージは強く、教師役は意外だ。芝居としても、「会話劇で、歌やダンスもない。これまでやってきたこととは違うお芝居になるんだろうなと思っています」と挑戦になりそうだ。「“演じる”ということに関しては、ジャンルでの違いはないと思っていますが、原作ものは、先にキャラクターがいることが大きな特徴で。僕はいつも、なぜそのキャラクターが愛されるのかを考えながら役作りをしていくのですが、今回はオリジナル作品なので、その要素は自分で作ることになる。そこをどうしていくのか…わあ、これめっちゃ楽しみですね!」と笑う。主演は小宮有紗と加藤玲奈(AKB48)。さらにゆっきー(キャン×キャン)、みなみかわ、未来(カムカムミニキーナ)、佐藤江梨子、羽場裕一ら幅広いキャスト陣。「大先輩である羽場さんや佐藤さんと共演させていただけることがすごく嬉しいです。あと僕、同世代の女性とガッツリお芝居をすることがほとんどなかったので。そこも新鮮だし、刺激をもらえそうです」脚本を読んで「今の子、怖いな…って思いました(笑)。現代の話なので、共感もしてもらいやすいと思います。その中で僕の役は、頭が良くて、ものごとを俯瞰していて他人と深く関わろうとしないイメージ。僕自身とだいぶ違うように見えると思いますが、実はそういう一面もあるので。そこと向き合って役作りしていきたいです」。作・演出の金沢は「やさしい方だと聞いています。ご一緒できるのが楽しみです。『あいのり』に出られていた頃を母が観ていたそうで、『“きんちゃん”だよ!』と大興奮してました(笑)」『体育教師たちの憂鬱』は、赤澤が「格式が高いイメージ。出てみたかった劇場です。嬉しいです」と語る東京・シアタートラムにて、4月3日(金)から19日(日)まで上演。チケット発売中。取材・文:中川實穗
2020年02月07日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー前から知る人物に話を聞いた。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー後は瞬く間に大ブレークした松田聖子。一過性で終わらせてなるものかと、松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは2つのコンセプトを掲げる。そして、デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用していった。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」(若松さん)そんな松田聖子の代表曲のなかから、“大ヒット曲”の秘話を若松さんに教えてもらった。■『裸足の季節』(’80年4月)資生堂の「エクボ洗顔フォーム」とタイアップしたデビュー曲。作詞・三浦徳子、作曲・小田裕一郎のコンビが担当。「担当者に一度、聖子は『エクボが出ない』と外されかけたが、博報堂のプロデューサーの『ダメになるのはもったいないコだから』というプッシュがあり、CMソングに起用。女性向けの雑誌をヒントに、当時のタイトルはほぼ私が考えていました」(若松さん・以下同)■『青い珊瑚礁』(’80年7月)2枚目のシングル。オリコン最高2位。『ザ・ベストテン』で1位を獲得し、スタジオから久留米に電話して「お母さ〜ん」と大泣きした場面は有名。「『青い珊瑚礁』は、当時大人気のブルック・シールズの映画から。このころから聖子の売り出しに気乗りしていなかった社内(CBS・ソニー)のムードも一変、『若松さん、売れるコなんだってもっとちゃんと言っといて』なんて言われるくらいでした」■『チェリーブラッサム(’81年1月)4枚目のシングル。「年明けに出すにふさわしい楽曲と思ったが、レコーディング直前に『なんとなく、あまり好きじゃない』と聖子。財津和夫さんの作曲で曲調が変わり、違和感があったようで、その場は一度解散し、再度集合。気合を入れ直してのレコーディングは無事終了し、苦労しましたが、楽曲は大ヒット。大村雅朗くんのアレンジが、さらに曲のよさを際立たせてくれました」■『白いパラソル』(’81年7月)6曲目で作詞を松本隆に依頼。「アルバムに提供してもらった『白い貝のブローチ』が秀逸だったから。5作目までの三浦徳子さんも素晴らしく、『なんで私ではだめなの?』と責められたが、決断。仕上げはエンジニアと一緒に悪戦苦闘しながら完成させました。聖子からは『(当時の所属事務所・サンミュージック/故人)相沢社長からこれは地味だから早く次の曲を作ってもらえと言われました』と(笑)。もちろん大ヒットしました」■『赤いスイートピー』(’82年1月)作詞・松本隆、作曲は呉田軽穂(松任谷由実)の黄金コンビによる代表曲。「ユーミンはすでに大スターでしたが、失礼ながら直してもらいました。彼女は謙虚で、私の『尾瀬に春が来たような感じにしたいので、あまり弾まないように。だが、最後は上がる感じに』などの抽象的な要望に『わかりました』と。私は音楽家ではないので、『なんか違う』と言うと『じゃ、こんな感じ?』とまた直してくれて。でも後日、ユーミンは『私、リテーク依頼は初めてよ』とほほ笑んでくれました」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“大ブレーク期”を知る人物に話を聞いた。「当時の私のチーフマネージャーが、かつて聖子さんを担当した人で、いつも『聖子は事務所のイチオシではなかったけど、才能がすごかった』と言っていました」聖子の3期後輩である桑田靖子さん(52)は、出身も同じ福岡県。芸能事務所も、憧れの先輩と同じサンミュージックに入所した。「私がデビューしたころ、聖子さんは圧倒的なトップアイドル。でもデビュー当時は、聖子さんもカセットデッキを抱えて全国のレコード店周りをして苦労したと聞いています」(桑田さん・以下同)桑田さんは地元の音楽祭で優勝し、13歳で上京。「(故・相澤秀禎)社長宅で下宿を始めたときは、残念ながら聖子さんとは入れ違いでした」というが、同じ事務所ということで楽屋が一緒のときも多かった。「武道館での公開収録のときだったかな。聖子さんが『靖子、おいで〜』って、私を隣に座らせて『チークはもう少しハッキリとね』とか『靖子は私と同じ一重だから、ラインの描き方はこうしたら?』とメークを施してくださった。正直、『濃いかも?』と思いましたが、テレビ画面だと映えるんです。さすが魅せ方がお上手だなって」当時“ぶりっこ”と揶揄された聖子だったが、「男前でサバサバした性格なのに、テレビに出た途端に輝いてかわいくなる」というのが桑田さんの印象。いつの時代も聖子は「セルフプロデュース力にたけている」と評されるが、こんな逸話も教えてくれた。「『聖子は本当に着たい衣装を着ているから、内側から輝いている』と教えてくれたのも(前出の)マネージャーさんでした。聖子さんは自ら衣装さんにアイデア出しもしていた。しかも、どのタイミングで髪を切ると新鮮で話題になるかも考えていたそうなんです」スタッフも「じゃあ聖子、次はどんなアイデアがあるの?」と、その意見を採用していたのだそう。「40年間、ファンの期待を裏切らないってすごいですよね」桑田さんは15歳で歌手デビューし、20歳までサンミュージックに在籍し、円満退所。その後は渡米して音楽修行をするなど人生経験を重ね、’90年に復帰。地元の福岡でレポーターの仕事に就き、歌を離れた時期もあったが、10年前にシンガーとして再始動した。昨年11月には同期の’83年組と「お神セブン」として集合し、ライブを敢行。ソロライブも定期的に開催している。「昨年かな?聖子さんの歌ばかり歌いたいと思った時期があります。けれど『瞳はダイヤモンド』を歌おうとしたら、難しい!聖子さんが歌うとサラッと聖子節になるんですよね」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“デビュー直前”を知る人物に話を聞いた。「『絶対、スターになる!』と決意して上京してきた法子(松田聖子の本名)ちゃんと比べて、私は根性不足だったかも」甘くハスキーな声で語りだしたのは、松田聖子の2カ月前にデビューした中山圭以子さん(55)。父は俳優、母方の祖父も映画監督という芸能一家に生まれ、当時の所属事務所は聖子と同じサンミュージック。2人はデビューに向けてレッスンをし、中山さんは3歳下だったが、お姉さん的存在だった。「法子ちゃんが下宿していた社長(故・相澤秀禎さん)の家も、私の自宅も同じ成城で、帰り道は毎日一緒でした。彼女はレッスン後、事務所から地元の友達に1~2時間、電話をかけていましたが、久留米弁なので何を話しているかはわかりませんでした。電車のなかでは、ファンだった郷ひろみさんの話をよくしていましたね」(中山さん・以下同)このときデビューが決まっていたのは、圧倒的な歌唱力の持ち主である中山さんのほう。相澤社長が直々にスカウトに出向いたほどの期待を背負っていた。「法子ちゃんは『圭以子さんのデビュー曲を聴いて、涙が出ちゃった。いい歌だね』って。彼女のデビューは未定で、私がデビューの準備でレッスンに行かなくなってから、よく泣いていたみたいですね」しかし、中山さんのデビュー直前、タイアップ予定だったシャンプーに、日本では無認可の成分が入っていることが判明。デビューはしたものの、当時、ヒット曲には必須だったタイアップCMは中止に。事務所は急きょ、松田聖子のデビューを決めた。「運命的ですよね。彼女からデビュー曲『裸足の季節』のカセットテープと、タイアップCMの『エクボ洗顔フォーム』を手渡されました。私は彼女に対してライバル意識はなかったので、『法子ちゃんもがんばって』って言えましたね」中山さんは1年半後に事務所を退所。もう一度イチから歌い方を学ぶため、音大へ進学した。「一度再会したとき、大スターになっていた法子ちゃんが『大学に通っているのね、うらやましい』と言ってくれました」その後、中山さんは30代で結婚。’08年に長男を授かるが、’11年に悪性リンパ腫を発症してしまう。さらに’13年に再発するも、奇跡的に寛解。今は子育て真っ最中だが、ライブでも歌い続ける。「聖子さんは私の知っている法子ちゃんとは違う人ではと思うくらいに、遠い存在になりました。私たちの世代にとっては、夜空に輝く一番星です。私もせめてその星を眺めながら、命の大切さを自らの経験をもとに伝え、時代を超えて歌い継がれていく歌を届けていきたいです」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月26日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“オーディション時代”を知る人物に話を聞いた。「デモテープでワンフレーズ聴いただけで、半端じゃなくいい声だと思い、これは大スターになるぞと確信しました」松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは、初めて彼女の声を聴いた瞬間をこう語る。その後、父親の猛反対に遭いながらも芸能界を夢見続けた聖子が上京するまで、若松さんは1年半にわたり、説得を続けたという。「聖子からは毎週のように『私は歌手になりたい』と切々とつづられた手紙が届きました。最後には『お父さんが許してくれなければ家を出ます』と言い切った。それでようやく親父さんも『若松さんに預ける』と決断してくれたんです。そのあとは所属事務所探しに奔走。サンミュージックの相沢秀禎社長(当時/故人)には『うちはイチオシの中山圭子がいるから』と渋られたが、なんとか食い下がって承諾してもらったんです」(若松さん・以下同)そして若松さんの確信どおり、デビュー後は瞬く間に大ブレーク。一過性で終わらせてなるものかと若松さんは思案したという。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」若松さんはその後、CBS・ソニーを退社して独立。再びタッグを組んだ時期もあったが、結局、また袂を分かつことになった。「聖子と離れた理由には、一時期、(神田)沙也加を担当したこともあります。彼女を『歌手デビューさせよう』と私が提案したあたりから距離ができたかな。方針の行き違いがあり、聖子も譲れなかったのでしょう。でも、それが大スターというもの。松田聖子という存在は、常に嵐のなかで生きているような特別なものですから」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月26日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー当時を知る人物に話を聞いた。「松田聖子の成功の秘密は、実は久留米人の気質にあるんです」そう語るのは、松田聖子の出身地、福岡県久留米市の人なら誰もが知るタウン誌(「月刊くるめ」改め)『gekkle』プロデューサー・天野周一さん(67)。35年続く同誌主催の「いちご姫コンテスト」で注目を集めた女子高生・蒲池法子(松田聖子の本名)は、その勢いのままミス・セブンティーンコンテストに出場し、一躍スターダムに。デビュー直後には同誌の編集部を訪問もしている。このとき、まだ初々しい聖子から、「地元にはもう戻らない」という強い決意を感じたという。さらに、聖子ファミリーとも親交の深い天野さんは、40年間スターであり続ける聖子の負けん気と根性についてこう明かす。「成功者に対し、地元を挙げて応援するのが普通ですが、久留米には“あっしゃ文化”と言われる独特の風土があります」(天野さん・以下同)これは、他人と協調しない独立独歩の久留米商人の気質を継承する文化で、成功者に対して「何を格好つけているんだ」と足を引っ張る傾向にあるのだという。「成功したければ“自分で自分をプロデュース”するしかすべがないのです。浮き沈みの激しい芸能界であれだけの大スターになり、40年間君臨できたのは、けたはずれの反骨精神があってこそ。地元で生まれ育った私から見ると、松田聖子は紛れもなく、久留米商人そのものなんです」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月25日「聖子さんは、娘の沙也加さんから離婚のことについて『何も聞いていなかった』と周囲に漏らしているそうです」(音楽関係者)12月4日に俳優の村田充(42)と離婚していたことを発表した神田沙也加(33)。2人はブログで、主な離婚理由について子どもを巡る価値観の相違が原因と発表。しかし5日、一部週刊誌によって沙也加が離婚直後からジャニーズJr.の秋山大河(27)と交際していると報道されていた。こうした沙也加の行動に対して、一部からは数々の男性と浮き名を流した母・松田聖子(57)と“同じ道を辿りつつあるのでは?”という声も。母娘関係改善カウンセラーの横山真香さんは、そんな沙也加の行動をこう分析する。「沙也加さんは聖子さんの男性遍歴で嫌な思いをしていたから、『自分だけはそうなるまい』と思っていたことでしょう。しかし、嫌なことをイメージしすぎることで、同じような状況に陥ってしまうという傾向があるといわれています」そんな沙也加に対して聖子は何を思うのか。「口では言いませんが、心の中では『だからママが言ったでしょ』という思いがあるのではないでしょうか。聖子さんは“2人が合わない”と感じていて、こうなることも予測していたのかもしれません。いっぽうで母として心配する気持ちもあるはずです」(横山さん)実際に聖子には、沙也加への“親心”もあるという。「聖子さんは心のどこかで、子育てより仕事や恋愛に夢中になってしまった過去を、後悔している面もあると思います。沙也加さんの離婚についても、『私の育て方が悪かったのかもしれない……』と感じているのではないでしょうか」(聖子の知人)しかし、今回の離婚で2人の溝はより深まることになりそうだ。「比較されることを嫌がる沙也加さんは、今まで声優や舞台といった聖子さんとは違う分野で努力してきました。しかし、今回の離婚で『やっぱり聖子の子どもだね……』という言い方をする人もいるようです。自由に恋愛をしているつもりなのに、母の名前を出されることでさらに反発し、母娘関係の修復はより難しくなることでしょう」(音楽関係者)沈黙を守り続ける聖子。母娘の距離はこのまま広がってしまうのか――。「女性自身」2019年12月24日号 掲載
2019年12月13日劇団☆新感線の高田聖子が、“劇団とは違う新しい試みに挑戦する”をテーマに、活動を続ける演劇ユニット「月影番外地」。その6度目の上演が決定、共演者の竹井亮介とともに話を聞いた。【チケット情報はこちら】竹井が月影に参加するのは、その4『つんざき行路、されるがまま』以来2度目。高田は、「俳優さんって、正直面倒くさい人が多いんです(笑)。でも竹井さんにはそれがない。これはとても重要なこと!」と、竹井に独自の観点から信頼を置く。一方の竹井は、それまで“新感線=怖い人”というイメージを抱いていたようで…。「でも実際はものすごく物腰が柔らかい方だったので、それにギャップ萌えというか(笑)。すごく驚いたのと同時に、すごく面白いと思いました」と明かす。小劇場を舞台に、バカバカしくも濃密な人間ドラマを生み出してきた月影。これまで脚本を手がけてきたのは、千葉雅子が3作(前ユニット「月影十番勝負」含む)、福原充則が3作。そして今回、「どんなに好きな作家さんでも、逢瀬は3度までかしら (笑)」という高田のこだわりから、新たに「はえぎわ」のノゾエ征爾に白羽の矢が立った。「ノゾエさんの作品って、肌ざわりが独特で、吸引力がすごいんです。脚本だけ読むのと、舞台を観た感じがまた違うというか。だから今回木野(花)さんが演出することで、今までのノゾエさん作品とはまた違うものになるんじゃないかという期待をしています」ノゾエの脚本を初めて木野が演出する。それこそ月影ならではの取り合わせ。竹井は「木野さんってすごくダイナミックな演出をされるイメージがあるんですけど、逆に緻密な匂いがするのがノゾエさん作品。それを木野さんがどう立体化されるのか、すごく楽しみです」と期待を寄せる。さらに高田は「福原さんには木野さんと近いものを感じていましたが、ノゾエさんはまた違うタイプ。きっと今回は木野さんにとっても新しい挑戦になると思います」と続ける。詳しい内容についてはまだノゾエのみぞ知るところだが、「とりあえず車が出てきます!」と高田。竹井の役どころに関しては、「いろいろ活躍する人ですけど、なぜそうなんだろうということがポイントで…」と言葉を濁す。すると「それは初めて聞いたので、また楽しみが増えました!」と竹井。共演者には入江雅人、大鶴佐助、川上友里、池谷のぶえが名を連ねる。この組み合わせも月影ならではなだけに、何とも幕開けが待ち遠しい。公演は12月3日(火)から12日(木)まで、東京 ザ・スズナリにて。チケット一般発売は10月5日(土)10時より。取材・文:野上瑠美子
2019年09月20日「参議院議員で入閣できる人数は数人程度です。橋本聖子さんと三原じゅん子さんは2人とも参院議員で、しかも女性。選ばれるのは、どちらか1人だけと予測されていました」と語るのは、ジャーナリストの安積明子さん。9月11日に第4次安倍再改造内閣が発足。五輪兼女性活躍担当相として、橋本聖子議員(54)が初入閣を果たした。9月6日には“三原じゅん子議員の初入閣に向け調整中”といった報道もあったのだが、大臣争奪戦の勝者は橋本議員だったのだ。「2人は五輪相を巡ってのライバルという報道もありました。当選5回の橋本議員と当選2回の三原議員はキャリアに大きな差がありますが、2人とも64年生まれの“同級生”です。橋本議員は冬季と夏季で計7回も五輪に出場しているレジェンドアスリート。結婚相手の連れ子も含めて、6人の母でもあります。いっぽうの三原議員は、安倍首相のお気に入りと目されていました。今年6月の参院本会議で安倍首相の問責決議案を提出した野党に対し『愚か者の所業』『恥を知りなさい』と演説して話題を集めたのです」(全国紙・政治部記者)三原議員はドラマ『3年B組金八先生』では不良少女役を演じたこともあり、いまも元スケバンのイメージが残っている。しかし“女番長=スケ番”ぶりでは橋本議員も負けていないという。「“敵を作らない人柄”とも評されていますが、根は体育会。本人もお父さんから、厳しい教育を受けたと語っており、また自分の子供たちへもスパルタ教育で臨んだそうです」(前出・政治部記者)インタビューでは次のように語っている。《子どものお尻や頭、ほっぺたも叩きますし、泣き止むまで怒り続けたり、直立不動にさせて怒ったり。善悪を教えるには、「ヤキを入れるしかない」》(『読売ウイークリー』’07年4月15日)また橋本議員を知るスポーツ関係者は言う。「ソチ五輪閉会式終了後の打ち上げパーティで高橋大輔選手とダンスをし、キスまでしたとして、猛批判を受けました。まずアルコールの持ち込みが禁止されている選手村で酒席を設けたのは、日本選手団団長として問題でした。また自身も取り組んでいたスケート競技の選手たちを招集したことも、個人的に権力をふるったと指摘されても仕方がないことでした」自民党スケ番対決を制した橋本議員の今後について、政治評論家の有馬晴海さんはこう語る。「橋本さんは東京五輪の組織委員会会長・森喜朗元首相の秘蔵っ子です。5期目で無事に入閣も果たし、順調にいけば6期目ごろには、参議院を代表する要職・参議院議長を務めるのではないでしょうか。ゆくゆくはスポーツ界で絶大な影響力をふるう森元首相と同じような立場になると思われます」女番長から女帝へ……、橋本議員の出世スピードは加速し続けている。
2019年09月20日三谷幸喜が作・演出を手掛け、柿澤勇人が主演を務める舞台『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』が東京・世田谷パブリックシアターにて上演中。その開幕に先駆けフォトコール(マスコミ向け写真撮影会)と囲み取材が行われた。【チケット情報はこちら】本作は、シャーロック・ホームズファンである三谷が「シャーロック・ホームズは如何にして、偉大なる名探偵になったのか?」をテーマに書き下ろした新作。若きホームズとワトソンが、小説シリーズ最初の作品『緋色の研究』で描かれた最初の事件に遭遇するまでの数カ月間を描く。囲み取材にはホームズ役の柿澤、ワトスン役の佐藤二朗、依頼人ヴァイオレット役の広瀬アリス、そして三谷が出席。三谷は「ホームズは子供の頃から大好きだったので、いつか自分のカタチで新しいホームズができないかなと思っていました」と肝いりの作品であることを明かし、「ホームズにも当然若い時代があったわけで。描かれてない、まだ未熟な彼はどんな人だったんだろうと思ったとき、柿澤さんの芝居を観て“あ、ここにホームズがいた”と思いました」と語る。それを受けて柿澤は「稽古最終日にそのような言葉をかけていただいて。泣きそうでした」と笑顔を見せる。三谷とは初タッグとなる3人。佐藤が「三谷さんは憧れに近い存在。でも憧れと言っていても誰のためにもなりませんので、この期間は忘れて“幸喜ちゃん”と呼んでいます」と話すと、三谷は「柿澤さんも廣瀬さんもすごく一生懸命。でも二朗さんがちょっと僕にはめんどくさい」と仕返し(?)し、取材陣を笑わせる。広瀬が「稽古場での三谷さんは母のよう。やさしく見守ってくださって、やさしくいろいろおっしゃってくださる。“そこで変顔して”とか」と話すと、三谷は「彼女は言えばなんでもやってくれるんです。素敵なおもちゃをいただいたみたい」と絶賛した。最後に柿澤が「皆さんご存知のシャーロック・ホームズが誕生する瞬間が見られると思います。ホームズを知らない方でも楽しめます!」と話した。フォトコールでは冒頭15分を公開。三谷が「最高のホームズ」と語った柿澤は、小説のホームズの片鱗も見せつつも子供のような言動が愛らしい。ホームズが甘え放題わがまま放題の同居相手ワトスンは父親のようで、既に名コンビの香りが漂う。そこに依頼に訪れるヴァイオレットは癖が強く、さてどんな展開に…というところでフォトコールは終了した。公演9月29日(日)まで東京・世田谷パブリックシアターにて上演後、10月3日(木)から6日(日)まで大阪・森ノ宮ピロティホール、10月12日(土)13日(日)に福岡・久留米シティプラザ ザ・グランドホールを巡演。9月7日(土)12:00~立見席・見切れS席をチケットぴあにて販売。取材・文:中川實穂
2019年09月02日アイドルグループ、Aphrodite(アフロディーテ)の倉澤雪乃がこのほど、東京・秋葉原のソフマップで最新イメージDVD『女神のまどろみ』(発売中 4,104円税込 発売元:竹書房)の発売記念イベントを行った。ゴシック&ダークスタイルをコンセプトに活動しているアイドルグループ、Aphrodite(アフロディーテ)のメインボーカルとして活躍している倉澤雪乃。上からB88・W55・H86というスレンダーボディーに豊満バストという凹凸ボディーが魅力の21歳で、資質的にも今後のグラビア界を賑わす逸材だ。初リリースとなる同DVDは、今年3月にハワイで撮影。全体的には彼氏とハワイを旅行するという設定がある中、初めてのDVDということでフレッシュな姿が見られる作品となっている。大人っぽい黒のビキニ水着で報道陣の取材に応じた倉澤は「映像でグラビアが残るということは私にとって初めてなので感動しました」と完成したDVDに満足そうで、「シーン的にはまず朝起きて寝起きでゴロゴロしたり、彼氏とラブラブするシーンがあったり、海で一緒に走ったり砂で遊んだりするシーンがあります」と具体的なシーンを紹介した。「初めてのDVDということもあって慣れてない感じの初々しいDVDになっていると思います」という倉澤は今回、野外で大胆にも"手ブラ"を披露している。「どうったんだろう? 恥ずかしいという記憶しかないですね(笑)」としつつ、「守られている面積が少なかったので最初はどういう表情をしていいのか分かりませんでしたが、やっていく内に大胆になっていったと思います。開放的になりました」とアピールした。初めてのDVDを自己採点すると「94点です! 出来あったものを見たら、もうちょっとこうしたかったとかが出てきたので、次に出す時はそれをクリアにして100点にしたいです」と課題を口にし、「初々しい作品が1枚できたので、それを取っ払って自分らしい作品をどんどん作っていきたいと思います」と次回作にも意欲。そんな彼女は現在、Aphroditeのメンバーとして活動しているが、「将来は東京ドームとかでやりたいですが、海外で活躍したいなって思っています」と意気込みを語っていた。
2019年08月14日アイドルグループ、Aphrodite(アフロディーテ)の倉澤雪乃が、最新イメージDVD『女神のまどろみ』(4,104円税込 発売元:竹書房)をリリースした。ゴシック&ダークスタイルをコンセプトに活動しているアイドルグループ、Aphrodite(アフロディーテ)のメンバーとして人気を博している倉澤雪乃。上からB88・W55・H86というスレンダーボディーに豊満バストという凹凸ボディーが魅力の21歳で、資質的にも今後のグラビア界を賑わす逸材だ。グラビアデビュー作とあって、全体的にはソフトの仕上がりだが、随所で水着姿となって豊満バストの谷間を見せつけるなど、そのプロポーションは圧巻の一言。グループのライブパフォーマンスで鍛え抜いたボディーを披露している。イチオシは、ベッドでうさぎのコスプレをしたシーン。胸の膨らみが感じられるセクシーな水着を着用しながら、現役アイドルらしいキュートで甘い仕草で見るものを惑わす。なお、同DVDの発売を記念したイベントが8月10日、東京・秋葉原のソフマップAKIBA 4号店 アミューズメント館(12:00~)で開催される。
2019年08月08日松田聖子が、本日7月5日から7日までの3日間、東京・日本武道館にてワンマンライブ「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」を開催する。歌手としては、1980年にデビューして以来、40以上の音楽賞を受賞、シングルチャート24曲連続1位という記録を持つ松田聖子。 海外でも早くから活動し、全米ビルボードのダンスチャートの上位にランクインしたことも。 アジアの国々でも名を知られており、2005年には、台湾で発売された北京語のアルバム『愛的禮物』で台湾のアルバムチャート初登場1位を獲得。 2007年には、中国で開催された『アジア芸術祭』に参加するなど、国内外問わず活躍中だ。 日本では、2007年発売のアルバム『Baby’s breath』、2008年発売のアルバム『my pure melody』から、作詞作曲、プロデュースを手がけ、歌手としてだけでなく作家、プロデューサーとしての才能も発揮している。日本では“聖子ちゃんカット”が大流行するなど、一大ムーブメントも巻き起こした松田聖子が、本日5日から3日間行う「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」は、シングル曲だけで構成されるスペシャルコンサートツアー。今年6月8日の埼玉・さいたまスーパーアリーナを皮切りに全国12公演の開催を予定しており、本日5日は追加公演となる。松田聖子にとってもファンにとっても、忘れられない3日間になることだろう。来年ついにデビュー40周年を迎える松田聖子。今後も彼女の歌声と活躍から目が離せない。■公演情報「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」会場:日本武道館7月5日(金)開場 17:30 / 開演 18:30※追加公演7月6日(土)開場 16:00 / 開演 17:007月7日(日)開場 14:00 / 開演 15:00
2019年07月05日歌手の倉木麻衣、元サッカー日本代表の澤穂希が21日、都内で行われたプロジェクションマッピング上映イベント「TOKYO VISION ~500 Days to Go! Night~」に出席した。「TOKYO VISION ~500 Days to Go! Night~」は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会開催500日前を迎え、大会に向けた気運醸成と東京の魅力を発信する目的で実施。約8分間のプロジェクションマッピング映像が、21日から24日までの4日間、東京2020大会時には会場エリアとなる有明の「東京ビッグサイト」と「パナソニックセンター東京」の壁面に投影される。ステージに登壇した倉木は、開催まで500日に迫ったことについて、「もうすぐですね。私もワクワクしています」と期待に胸を膨らませ、「選手のみなさんはメダルを獲得しようと日々、頑張っていらっしゃると思います。みなさんの夢が形になってほしいです」とエール。「また、世界の方たちが日本に来て、『日本で開催してよかったな』と思ってもらえるオリンピック・パラリンピックになればなと思います。私も音楽で応援させていただきたいと思います」と歌手としての意気込みも語った。あいさつを終えると、「短い時間ですが精一杯、心を込めて、選手のみなさんに声援を届けていきたいと思います。2020年! オリンピック! パラリンピック! みなさん、一緒に応援して行きましょう!」と呼びかけ、「Stand Up」「ベスト オブ ヒーロー」の2曲を熱唱。ライブパフォーマンスを間近で体験した澤も「かっこよかったです」と感激していた。その後、プロジェクションマッピングが披露され、澤は「なんだか選手に戻ったような気分になってしまいました。『今から戦うのだな!』という感じの勢いになってしまいましたね。気持ちが高まります」と興奮。一方の倉木も、「感動しました。もう1回見たい」と声を弾ませ、「たくさんの方に観て頂きたいです。『前に、前に!』と、気持ちがどんどんわき上がってくるような、とても情熱的なプロジェクションマッピングでした。この先、わくわくした気持ちで2020年を迎えられそうです。オリンピック・パラリンピックがすごく楽しみになりました!」と感想を述べていた。
2019年03月22日シンガーソングライターの須澤紀信が自主企画ライブイベント「キシン伝心 Vol.1」を3月9日に下北沢CLUB 440で開催。TBSラジオのレギュラー番組と同タイトルを名付け、ラジオさながらのたっぷりのトークと趣向を凝らした歌の数々で観客を楽しませた。【チケット情報はこちら】普段から敬愛するシンガーソングライターをゲストパートナーに迎え、この日限りの音楽ユニットでそれぞれの持ち歌によるセッションや影響を受けたアーティストのカバーなどを繰り広げる、1月26日に開催されたVol.0に続き今回2回目となる本イベント。オープニングナンバーは、1stシングル『はんぶんこ』のアコースティックギター弾き語りからスタート。須澤の透き通った優しい歌声に観客はうっとりと聴き入った。続いてこの日のゲストパートナーであるピアノ弾き語りのシンガーソングライター坂本タクヤをステージに迎え入れ、ここからはお互いが生まれ変わりたいものから命名したという“生イルカメロン”とのユニット名でセッション。坂本の最新ミニアルバムに収録の『日々』をコラボし、坂本は心をこめたハイトーンボイスによる甘い歌声で観客を魅了した。ミニアルバム表題曲の「帰ろうか」では、須澤がバイオリンで参加し、美しい音色を聴かせた。また、須澤の1stアルバム『半径50センチ』から『いいんだよ』も演奏し、ふたりで美しいコーラスを響かせた。影響を受けたアーティストを紹介するコーナーでは、須澤が「すべての楽器をレコーディングするセルフプロデュースで憧れている」という斉藤和義の『空に星が綺麗』や、坂本が「歌を始めたきっかけ」という中孝介の『花』をふたりで歌い上げた。観客のアンケートに答えるコーナーもあり、「過去と未来に行けるとしたらどっち?」や「自分自身で変えたいところは?」など、多くの質問に回答。息の合ったふたりの軽快なトークに会場は爆笑の渦になった。最後は、須澤が坂本をイメージして書き下ろしたという、生イルカメロンの唯一のオリジナルソング『アソート』を披露。本作は「タクヤさんがラブソングをあまり書かないので」という理由から須澤が制作したラブバラード。ふたりの温かく包み込むような歌声に拍手喝采となり、須澤の自主企画イベントは大成功で幕を閉じた。今後のコンサートは、5月18日(土)渋谷RUIDO.K2での2ndワンマンライブ「~ボクの街、キミの街~」が決定している。今回の「キシン伝心」の、人となりや内面にフォーカスを当てたアットホームなイベント内容とは別の側面である、須澤が音楽に真摯に向き合う姿をバンドサウンドで魅せる、エネルギッシュなステージになるという。「この5月という季節は出会いや別れがあり、新しい生活が始まり、その後にちょっとホームシックになったりもするタイミング。地方から上京組の僕だからこそ、そんな心に寄り添える歌も歌ってみたい」と須澤が語るように、この日のために新曲を鋭意制作中。このワンマンライブに足を運び、“須澤ワールド”にどっぷり浸ってほしい。チケットは発売中。取材・文:門 宏
2019年03月20日「日本映画ではなかなかないキャスティングで、合作ならではの味わいがあります。聖子さんと同じ作品で芝居ができるなんて、そんな未来は描いてなかった(笑)」こう語るのは、3月9日公開の映画『家族のレシピ』で主演を務める斎藤工(37)。監督にアジアの巨匠エリック・クーを迎えた日仏シンガポール合作で松田聖子(56)と共演した。「エリックは尊敬するアジアのクリエーターです。2年ほど前、彼が日本人を探しているという情報を得て、スカイプオーディションを受けたのがこの映画との出合い。聖子さんもエリックとの仕事を望んでいらっしゃったそうです。日本で見られるエリックの作品はまだ限られているのに、彼にアンテナが向いていた聖子さんは先を見る目がある方だと、改めて思いました。ベルリンなどの国際映画祭にご一緒したときも英語を滑らかに話されていたし、すべてにおいてプロフェッショナルな方だと思いました」(斎藤・以下同)斎藤が演じるのは日本人の父とシンガポール人の母の間に生まれた主人公・真人。ラーメン店を営む父のもとで働いていたが、父の死をきっかけに両親の足跡をたどってシンガポールへ。そこでガイド役を担うのが松田扮する美樹だ。「聖子さんは偉大すぎますから、最初は戸惑いました。でも、自分のなかの松田聖子像を持ちながら演じるのは失礼にあたる、と。そう自分に言い聞かせて。本読みで聖子さんの第一声を聞いたとたん、ハッと心を奪われたというか、『この人なら、真人の心のよりどころになってくれる!』という安堵感がありました。撮影中も全方位に輝いていてまぶしかったです(笑)」食がつなぐ人の絆を描いた本作。ラーメン、バクテー、チキンライス……。日本とシンガポールのソウルフードが次々に登場する。「食事のシーンはほぼ素のリアクションです。どれもおいしかったし、現場に来るケータリングも麺が7種類くらいあって。『うまいね』とスタッフとわいわい言いながら食べる時間が楽しかったです」斎藤自身の家族のレシピは?「餃子です。餃子のときだけは家族4人全員で作りました。みんな大食漢なので1人100個くらい作るんです(笑)。僕は欲張っていっぱいあんを詰めるので皮がずれてしまって。一人ずつの癖が出るんです。4人それぞれ違う形を見ながら、うちの家族の縮図だな、と。そんな食卓の景色を思い出します」
2019年03月04日石田ゆり子、黒木瞳、松田聖子、君島十和子“アラ還世代”の黒木瞳(58)を筆頭に、実年齢より大幅に若く見える、松田聖子(56)、君島十和子(52)、石田ゆり子(49)の4人。“アンチエイジング四天王”と呼ぶべき彼女たちが若く見える理由は?ナイショのメソッドはあるの?メンテナンス方法は?加齢が気になる女性なら見逃せない四天王の美の秘訣を、美容整形外科「高須クリニック」高須克弥院長に分析してもらった。――あと2年で、赤いちゃんちゃんこを着てもおかしくない還暦世代なんですね、黒木さん!高須「ドラマ『黄昏流星群〜人生折り返し、恋をした〜』(フジテレビ系)のキャッチ通り、人生を折り返して恋ができるほどのルックスだね!彼女は顔の作りが小さく、パーツも小ぶりという、老けにくく、ヤセても太ってもいける顔なのが味方したんでしょう」――目鼻立ちがくっきり派手な方は、若いときは目立ちますが、小作りな顔のほうが若見え的にはいいんですね。高須「そうです。逆に君島さんは鼻が大きいので、これ以上ヤセると魔女おばさんっぽくなるでしょう。同じくやや鼻が大きめの石田さんは、若い頃より少しふくよかになったおかげで鼻が顔に溶け込んだ。というわけで体重もアンチエイジングにはとても大事です」――“若い頃と体重が変わらない”というと、いつまでも若々しい方のように思えますが、太ることもメリットがあるとは!高須「太ると単純に肌のハリが出るからね!でも、松田さんみたいに目鼻のバランスがよく、頬骨・エラ・丸いおでこのラインがきれいな丸顔の人は輪郭がこけにくいので、体重の増減に影響されにくいよ。頬がこけるとどんな美女でも老けるから」■4人の若見え順ランキングは?――頬のふっくら感は重要なんですね。では、この4人を若見え順にランキングするといかがでしょうか?高須「実年齢とのギャップは、断トツで黒木さん!次いで松田さん、石田さん。顔のげっそり感で君島さんがワーストだね」――なるほど。確かに黒木さん、松田さんは10年前の写真と比べても変わらず、本当に老けないなと感心します。その秘訣は一体何だと分析されますか?高須「ズバリ、太ったりヤセたりしていない!皮膚の伸び縮みがないのでシワになりにくかったのでしょう。それと、この2人は芸能界でも有名なUVケア&早めメンテナンスの鬼!夏以外も日焼け対策をしっかりし、シミ・シワもでき始めから対処する。これはとてもいい対策です」――やはり、悩んでから対策を取るよりも、早めのケアが大事なんですね。高須「そうです。プチ整形といえども、軽度のほうが施術も簡単ですし。そうそう、プチ整形といえば、黒木さんはアンチエイジングに関してはトップクラス。やはり美容のアンテナが高いね!そして松田さんは移動中も保湿ケアを欠かさないんだとか。持って生まれた顔の作りや肌質もあるけど、やはり手入れが早く、マメな人が最後は勝つと思います」――逆に石田さんは「自然でいい」「肌のきれいさがうらやましい」という声が多いです。4人の中でも一番ナチュラルに見えますが、美の秘訣はどのようなものが考えられますでしょうか?高須「ナチュラルね。あと9年後、今の黒木さん並みに若くいられるかが見ものですが……。まず、黒木さん・松田さんと同様に保湿やUVケアも大事ですが、SNSから推察するに、基本的にナチュラルな生活が好きそう。だから早寝早起きをしているんじゃないかな?やはりシンデレラタイムに寝て、早起きすることは、どんなコラーゲンドリンクより効きますから!」――ヒミツは睡眠ですか!これは私たちでも今すぐ真似できるのでぜひ取り入れたいですね。ところで、君島さんは24時間美容漬けというほどストイックにケアを続けられているそうで、雑誌のインタビューで「化粧品は特効薬ではありません。結局、日々積み重ねてきた習慣には勝てないんです」とおっしゃっています。高須「化粧品ってのはね、使い方によっては肌を疲れさせることも多いもの。歌舞伎役者なんかキツイ化粧で肌荒れに悩む人も多いんだから。肌の上から乗せるケアには限界がある。だから水分を適宜とって、体内から水分補給することも大事!あとはメイクした時間の倍かけてメイクオフし、保湿をきちんとすることが大事です。疲れたからメイクしたまま寝るなんて一番ダメだね」■十和子の極端な美容法はアウト?――なるほど。「寝化粧」なんてものもありますが、それはやめて、メイクオフとその後のケアが大事なんですね。ところで君島さんが『アウトデラックス』(フジテレビ系)に出演したときには、50度の熱湯風呂に40分漬かる、毎食後にバルサミコ酢を原液で飲む、寿司屋でわさびを過剰摂取するなど、独特な美容法を告白していました。さすがにこれはアウトな美容法でしょうか?高須「そんな熱いお風呂に50代が入ったら、熱中症になって身体の中からカラカラになっちゃうよ!発汗過多でしなびるからね。そもそも人間には“適温”というものがあって、血圧にも良くない!熱いお風呂で老廃物が排出されるなんてウソですよ。水風呂との交互の入浴法も意味ありません」――お風呂でデトックス、信じてました!適温のお湯にゆったり漬かればいいんですね。高須「そうです。お風呂はリラクゼーション程度に考えないと。それと酢を飲むとかいうメソッドもおまじないや気休め程度。バランスの取れた食事をし、きちんと寝るほうがいいでしょう。わさびも同じだけど、もはや『鰯の頭も信心から』の境地だね。本人の気が済むならどうぞって感じ」――では最後に、院長から4人に60代に向けてのアンチエイジングのアドバイスをお願いします!高須「石田さんは日焼け対策を引き続きしっかりと、体形はこのままキープしたいね。黒木さんと松田さんは変わらず早めのメンテナンスを!でも黒木さんは最近、目尻のシワが目立つので、ボトックスを打つといいかも。君島さんはもう少し太って!あと熱湯風呂もやめる!それと酢を丸飲みするくらいなら、目立ってきたほうれい線にヒアルロン酸を注入することをお勧めします!」<プロフィール>高須克弥(たかすかつや):1945年愛知県生まれ。高須クリニック院長。医学博士。昭和大学医学部卒業、同大学院医学研究科博士課程修了。脂肪吸引手術など世界の最新美容外科技術を日本に数多く紹介。金色有功章、紺綬褒章を受章。『その健康法では「早死に」する!』(扶桑社)、『ダーリンは70歳/高須帝国の逆襲』(Kindle版)、『行ったり来たり僕の札束』(小学館)、『ダーリンは71歳・高須帝国より愛をこめて』(小学館)、『炎上上等』(扶桑社新書)、最新刊は『大炎上』(扶桑社新書)。
2018年12月22日