フリーアナウンサーの久慈暁子が2日、都内で行われたクレ・ド・ポー ボーテ『新ル・セラムPOP UPイベント 究極の一滴がいざなう物語』プレス内覧会に登壇した。久慈は、2022年4月末でフジテレビを退社後、同年5月にNBAプレイヤーの渡邊雄太と結婚し、渡米していたが、先日帰国。「アメリカから先日引っ越してきたばかり。夫がヨーロッパにいたので一人で決断しなきゃいけないことがあって。これまでは優柔不断だったんですがアメリカ生活2年を経て、決断力が生まれました」と自身のポジティブな変化を明かした。最近は「アリゾナに長い間に住んでいて、そのときに知り合った友だちとテレビ電話で英会話しています」といい「それが心ののなかで輝きを持つ時になっていてあちらの地名やお店が懐かしくなります」と声を弾ませていた。このほか宮沢りえ、ディーン・フジオカ、山本美月、シシド・カフカ、とよた真帆、ヨンア、増子敦貴(GENIC)、前田公輝、貴島明日香、足立梨花、菊川怜、伊藤千晃、宇垣美里、桜井日奈子、鈴木えみ、中川大輔、真飛聖、矢野未希子、桜田通が参加した。
2024年09月02日この度「大腸劣化」対策委員会では、「冬便秘と自律神経」に関する小林 弘幸先生・小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。自律神経の乱れは便秘だけでなく、肌荒れや肥満、不眠、イライラといった様々な全身の不調にもつながります。今回は、冬に乱れがちな自律神経と便秘について、自律神経研究の第一人者である順天堂大学医学部 小林 弘幸教授と、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長のお二人にお話を伺いました。多くの方々に参考にしていただければ幸いです。●冬の便秘は、自律神経の乱れのサインかも。寒さが気になり始める秋から冬にかけて、便秘になる人が増える傾向にあります。特に冬は、寒さで体が“冷える”ことに加えて、外出する機会が減って“運動不足”になりがちです。また、外に出るときや屋内に入るとき、家の廊下やトイレ、洗面所などで“急激な寒暖差”を感じる場面も増えてきます。それに加え、夏に比べて水分摂取が減り、“水分不足”にもなりがちです。これらの冬特有の“冷え”、“運動不足”、“急激な寒暖差”、そして“水分不足”は、自律神経の乱れを引き起こし、便秘につながる要因となります。自律神経の乱れは、便秘だけではなく不眠やイライラ、無気力など精神的不調に加え、頭痛、肩こり、慢性疲労などの肉体的な不調といった全身の不調にもつながります。冬の便秘は自律神経の乱れをあらわすサインの一つだと考えてください。そのため、寒さが厳しくなる前から早めの対策を行うことをおすすめします。また、現代社会は、不規則な生活、睡眠不足、複雑な人間関係など精神的ストレスに満ちており、そこに「コロナ疲れ」も相まって、私たちの自律神経は乱れがちです。普段から自律神経を意識することは心と身体の健康を保つ上で大切な要素です。冬の便秘は、自律神経の乱れのサイン●自律神経の乱れが全身の不調につながるわけ自律神経とは、血管や呼吸、体温調整、内臓の働きなどを司る末梢神経の一つです。自律神経には交感神経と副交感神経の2つがあり、交感神経は車でいうアクセルにあたり、体の働きを活動的な状態にします。一方の副交感神経は車でいうブレーキにあたり、体をリラックスした状態にします。通常はこの交感神経と副交感神経が交互に高まることでバランスを保っていますが、そのバランスが崩れてどちらか一方が過剰になると「自律神経が乱れた」状態になります。この状態は、血流の悪化や心拍数の上昇、老廃物の蓄積、細胞への栄養や酸素の不足を引き起こし、ひいては不眠やイライラ、便秘、頭痛、慢性疲労などの様々な全身の精神的・肉体的不調にもつながります。自律神経の乱れが全身の不調につながるわけ●自律神経と腸は相互に影響。自律神経の乱れには腸からのアプローチが有効。自律神経と腸は互いに影響しあう、切っても切れない関係にあります。自律神経が腸の働きをコントロールしている一方で、腸も自律神経のバランスをコントロールしています。たとえば、緊張やプレッシャーでお腹が痛くなるのは、ストレスによって自律神経のバランスが崩れた結果、腸に悪い影響が現れる典型的な例です。また、自律神経と腸は、血管・血液にも影響を与えます。自律神経は、血管の拡張・収縮を行い、血流や血圧をコントロールします。腸は食事から取り入れた栄養成分を吸収し、「血液の質」をコントロールしています。実は、血液の質は自律神経の安定にまで影響を与えています。腸内環境の悪化によって、栄養の吸収率が低下したり、腸内に溜まった毒素が血液中に取り込まれたりすると、血液の質は下がります。その血液が全身を巡ることで、倦怠感や肌荒れなどの全身の不調につながります。さらに、その不調によってイライラしたり、神経質になることで自律神経の乱れにつながっていきます。ぜひ覚えておいていただきたいのは、自律神経を整える方法はさまざまありますが、腸内環境を整えることは自律神経を整えるための土台づくりだということです。自律神経に直接かつ間接的に影響する腸内環境が整っていてこそ、自律神経のバランスを整えることができるのです。自律神経と腸は相互に影響 自律神経の乱れには腸からのアプローチが有効●冬の自律神経の乱れには、ビフィズス菌による腸内環境改善がお得。腸内環境の改善においては、特に「大腸」を意識しましょう。大腸の腸内環境を整えるとぜん動運動が促進され、ぜん動運動が副交感神経を刺激することで、交感神経優位になっていた自律神経の乱れが整い始めます。また大腸内の毒素が減少することで、血液の質も高めることができます。腸内環境の改善には、発酵食品や食物繊維を摂取して腸内の善玉菌を活発にすることが有効です。特に善玉菌の代表格であるビフィズス菌は、大腸の中で短鎖脂肪酸である酢酸をつくりだします。酢酸は、悪玉菌の働きと増殖を抑え、腸内環境を改善する効果があります。また、冬は、風邪・インフルエンザから体を守るためにも、免疫力を高めることが大切です。ヒトの免疫細胞の7割は腸管内に存在していることから、腸内環境を整えることで免疫力を高めることが期待できます。腸内環境の改善という一つの対策によって、自律神経を整えること・免疫力を向上すること、の二つの効果が期待できるのはお得ですね。●ビフィズス菌を手軽に摂取できるのはヨーグルト。「ビフィズス菌が入っていないヨーグルト」もあるので要注意!ビフィズス菌を手軽に摂取する方法は「ビフィズス菌が入ったヨーグルト」を選ぶことです。注意点としては、市販されているヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものが意外と多いことです。ヨーグルトをスーパーなどで買われる際には「ビフィズス菌が入っているかどうか」をパッケージをみて、確認することをお勧めします。また、ヨーグルトをとる際はビフィズス菌のエサとなる水溶性食物繊維(キウイなどのフルーツ)を一緒にとると、より高い効果を期待できます。ビフィズス菌を手軽に摂取できるのはヨーグルト●小林 弘幸先生|順天堂大学医学部教授1960年埼玉県生まれ。92年、順天堂大学大学院医学研究科(小児外科)博士課程を修了。ロンドン大学付属英国王立小児病院外科、トリニティ大学付属医学研究センター、アイルランド国立病院外科勤務を経て順天堂大学医学部小児外科講師・准教授を歴任、現在に至る。各種研究の中で自律神経バランスの重要性に着目し、日本初の便秘外来を開設した腸のスペシャリスト。多くのトップアスリートのコンディショニング、パフォーマンス向上指導にも研究成果が活用されている。自律神経研究の第一人者として著書多数。そのほとんどがベストセラーを記録し、著書累計出版部数1,200万部を超える。小林 弘幸先生●小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスに負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。小林 暁子先生 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年12月16日今年4月末に5年間勤めたフジテレビを退社し、芸能事務所インセントに所属した久慈暁子。退社から約1カ月後の5月26日にはプロバスケットボールの渡邊雄太選手(NBA・ブルックリン・ネッツ)と結婚し、大きな話題となった。現在、久慈は米国と日本を行き来する“二拠点生活”を送っており、慌ただしくも充実した日々を過ごしている。そんな久慈に現在の心境や生活の変化などインタビューした。○■夫婦ゲンカはほぼしたことがない退社後まもなくの入籍だったため、局アナを辞めてからの変化はおのずと結婚してからの変化となる久慈。「お仕事の内容はそこまで変わっていないですが、プライベートで海外に住んでいるのでそれがかなり変わったことになります。アメリカと日本を行ったり来たりしている状態なので、どちらを拠点にということではないのですが」と語った。行き来する頻度は「1カ月半に1回くらい」で、「結構時差ボケがあります」と苦労も。それでも「夏はロサンゼルスにいて、いまはニューヨークに住んでいます。全部が新しい生活で、刺激的なことが多いです。フジテレビ時代はコロナ禍もあって海外ロケに行く機会がなくずっと日本にいたので、いまの生活がとっても楽しいです」と充実の新婚生活を過ごしている様子。結婚後、コロナ禍の海外往来規制緩和もあり「一緒にいられる時間は長くなりました」。それでも会えない時間が多いことには変わりなく、コミュニケーションは密にとることを心がけている。「LINEしたり電話したり。コミュニケーションのとり方は基本的に遠距離恋愛をしていたときと変わりません。思っていても伝わらないこともあるので、どう思っているのか言葉にして伝えるようにしています」。夫の渡邊選手について聞くと「すごく穏やかな性格をしている方なので、一緒にいると私も穏やかになります。ケンカはほぼしたことがないです(笑)。あまり怒らないし、私も相手に対して怒るネタもなくて」とほほ笑んだ。○■アナウンサー業に加えモデル業にも意欲10月8日に千葉・幕張メッセで開催された日本最大級のファッション&音楽イベント「Rakuten GirlsAward 2022 AUTUMN/WINTER」ではMCを担当。フジテレビ入社2年目のとき、また退社後初となった前回開催に続いて3度目となる。「たくさんのお客さんが盛り上がっている様子を見て、やっぱり楽しいなって。今回も(南海キャンディーズの)山里(亮太)さんと一緒に司会ができるので、安心して今日を迎えられました。ご一緒させて頂いた那須川天心さんもとても気さくな方でしたし」。仕事をする上で、フジテレビ時代から大事にしていることは「きちんとあいさつをすること。お仕事いただけることに感謝すること」。今後アナウンサー業はもちろん、『non-no』(集英社)の専属モデルだった経験を生かした活動にも挑戦したいという。11月からは「@BAILA」(集英社)での連載も決まっており「海外の生活のことを連載にする予定です」と文筆業もスタートする。二拠点生活を送る彼女は、多忙ながらも着々と仕事の幅を広げている。さらに、大型ファッションイベント「ガルアワ」にちなみ、最近のファッションついて質問すると「日本にいるときはワンピースを着ることが多いですが、海外にいるときはほとんどパンツスタイルです。日本は可愛らしい服装をしやすい環境があって、帰国したら思う存分自分のしたいおしゃれをする。ファッションの切り替えを楽しんでいます」と笑顔で話した。■久慈暁子1994年7月13日生まれ、岩手県出身。青山学院大学在学時に「旭化成グループキャンペーンモデル」に選ばれたほか、ファッション誌『non-no』(集英社)の専属モデルを務める。卒業後の2017年4月にフジテレビに入社し、『めざましテレビ』『めざまし土曜日』他を担当。2022年4月いっぱいで退社し、芸能事務所インセントに所属。同年5月にバスケットボールの渡邊雄太選手と結婚した。
2022年10月12日株式会社 ワン・パブリッシング(東京都台東区/代表取締役社長:廣瀬有二)は、2022年9月29日(木)に下重暁子 選・著「愛蔵版くちずさみたくなる名詩」(定価:1650円〔税込〕)を発売いたしました。詩は人生のよき伴侶。繰り返し読みたい美しい日本語の名詩、必読45選「愛蔵版くちずさみたくなる名詩」は、詩を愛してやまないベストセラー作家・下重暁子が、繰り返し読みたい美しい日本語の名詩を自らセレクトして紹介した書籍。選び抜かれた詩45篇を掲載するほか、それぞれの詩に「ひとことエッセイ」が添えられており、抒情的な言葉の世界をより深く、より親しみやすく鑑賞することができます。心を潤す、いつかどこかで読んだ懐かしい詩の数々島崎藤村「初恋」、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」、中原中也「汚れつちまつた悲しみに……」など、学校の教科書で習った詩や、読めばあの日あの時に戻ることができる懐かしい詩を多数収録。心を潤してくれる大人の教養書として読むことができるのと同時に、詩の再入門書としても最適です。また、それぞれの詩の後には、詩歌を愛する著者ならではの視点で思い入れたっぷりに語られる「ひとことエッセイ」を掲載。人生の折り折りで生きる支えとなってきた詩への敬意が込められた、ノスタルジックな共感を呼ぶ味わい深い内容となっています。印象的なフレーズで詩を探すことができる「くちずさみ索引」付き詩の題名がうろ覚えでも、詩中の印象的な一文やフレーズで詩を探すことができる「くちずさみ索引」を巻末に付しています。たとえば「ふるさとは遠きにありて思うもの」で始まる詩の題名が思い出せなかった場合に、くちずさみ索引「ふ」を引けば、本書内の詩(「小景異情〈その二〉」室生犀星)にたどりつくことができる便利な索引です。とくに音読したい時などに有効に活用できます。※本書は、海竜社から刊行された『くちずさみたくなる名詩』(2004年)、『愛蔵版 くちずさみたくなる名詩』(2020年)を一部改稿し、再刊行したものです。商品概要愛蔵版くちずさみたくなる名詩著者:下重暁子定価:1,650円 (税込)発売日:2022年9月29日(木)判型:四六判ISBN:9784651202136電子版:有ワン・パブリッシングWebサイト: 【本書のご購入はコチラ】・Amazon ・楽天 ・セブンネット 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年09月29日今年4月にフジテレビを退社したタレントの久慈暁子が、ファッション誌『BAILA』(集英社)公式WEBサイトのインタビューで、結婚秘話やこれからの働き方について語った。今年3月、プロバスケットボール選手の渡邊雄太との結婚を発表した久慈。「2019年に取材で出会った当初はただただ、“こんなに背が高い人っているんだ!”と驚いていたのですが、彼と話すたびに、彼の真面目さや、与えてくれる安心感に信頼を抱くように」と夫との出会いを振り返り、「私は大学時代にモデルをやっていたからか、華やかなタイプと思われる方も多くて。でも実際は、時間さえあれば家でずっと映画やドラマを見ているような性格。要はすごく地味なんです(笑)。朝の番組を担当していたので、遅刻したくない、仕事で失敗したくない、という意識が強く、遊びに行く時間なんて作っちゃいけないと思っていました。彼は、そういう仕事モードの私、“アナウンサーの久慈暁子”としてでなく、本当の私を見つめようとしてくれました。そうしてオリンピック後に、お付き合いすることになりました」と交際に至った経緯にも触れた。また、「彼には、“女性は家庭を守るもの”といった考えがないんです」と明かし、「シーズン中、基本的に彼の食事は専属のシェフが作るのですが、シェフがいないシーズンオフでも、食事を作らなくていい、なんていうんです。“今までひとりで生きてきたから、それくらい自分でできるよ”って。でも私にも何かできればと、LAでも3食作ってました。彼ひとりで4人分準備するのですが(笑)、レシピを研究したりして楽しんで料理しています」と食生活にまつわるエピソードも。「体も大きいので見知らぬ土地を一緒に歩いていても安心ですし、語学の面でも頼りにしています」と異国の地でも夫の魅力を再認識しているようだ。久慈は2014年から『non-no』専属モデルを務めた後、2017年4月にフジテレビ入社。アナウンサーとして数々の番組を担当し、2022年4月に退社した。この日は、『non-no』モデル時代に親交のあったスタッフにも囲まれてリラックスムード。「フジテレビのアナウンサーってすごく仲良しなんです」と同局時代を懐かしみ、「プライベートでみんなでドライブしに行ったり、先輩のご自宅にお邪魔したり、一生お付き合いできる仲間に出会えたことが宝です。会社員としての意識や振る舞いも学ばせていただき、大人として成長できたのもフジテレビ時代があったから。こんな私を番組に起用していただけて、うれしかったです」と感謝の言葉を伝えた。そんな久慈にとって、「仕事とプライベート、どちらも大事に」が理想の働き方。そこには「2本の柱があれば、もしどちらかが崩れそうになっても、もう一方が支えになってくれるはず」という思いがある。「未来はわからないけど、私も働けるうちは一生懸命働きたいです」と希望を抱き、「そのほうが毎日にハリが出るし、自分の生きている意味や生きがいになる気がするんです」と輝かしい未来に思いを馳せている。
2022年07月14日人気ファッション誌「non‐no」で専属モデルを務めたあと、2017年にアナウンサーとしてフジテレビに入社した久慈暁子さん。『めざましテレビ』などに出演し、今年の4月に退社してフリーになりました。そんな久慈さんがインスタで公開した写真が爽やかで美しくて、注目を集めています!アメリカらしい写真 この投稿をInstagramで見る 久慈暁子(@kuji_akiko)がシェアした投稿 久慈さんはフジテレビを退社した直後に、NBAトロント・ラプターズ所属の渡邊雄太選手との結婚を発表。バスケットコートで肩を寄せ合うツーショットを公開しました。現在は、アメリカ・ロサンゼルスに滞在。「見えるもの全部鮮やか」というコメントとともにインスタを更新しました。1枚目は青空をバックに気持ちよさそうに微笑んでいるところ、2枚目はカラフルな商品が並ぶスーパーマーケット、3枚目は街中での後ろ姿の写真。どれもアメリカらしさを感じます。また、スタイルがとても美しく、白のTシャツにデニムというシンプルなファッションがとてもよく似合っています。ファンの反応は?「#時差ぼけ」と戦いつつもアメリカを満喫している投稿に、フォロワーから「可愛い過ぎる〜」「久慈ちゃん幸せそうですね!」「のびのびしてるの画像で伝わりますよ」「スタイルよくて美尻」「暁子さんの美しさも鮮やかです」「めっっっちゃ美人すぎる!」などの声が届いています。これからのSNSには、手作りご飯や渡邊選手とのツーショットなども投稿されるのでしょうか!?久慈さんのいろんな一面、楽しみですね!あわせて読みたい🌈篠崎愛さんのスカートひらり!「令和のモンロー」「女神」「天使」ファン悶絶
2022年06月24日この度「大腸劣化」対策委員会では、「予防と対策」に関する小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。6月となり、夏に向けてダイエットを意識する方が増えてくる時期になりました。ダイエットには、食事制限や運動が一般的ですが、近年は大腸の中の腸内細菌がダイエットに影響していることが明らかになってきています。今回は、腸内環境の改善によるダイエットやその鍵となる「ヤセ菌」について、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し、20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長にお話を伺いました。●食事制限、運動の前に、腸内環境改善でヤセ体質をつくる我慢して食事の量を減らしているのに、なかなか痩せない。体重が減ってもすぐに戻ってしまう。そんな悩みをもたれている方は、まずは腸内環境を整えてみてください。脂肪を燃焼させるためには、実はビタミンやミネラルなどの基本的な栄養が欠かせません。ところが、お腹に便を溜めていると、小腸の機能が低下し、食べ物からきちんと栄養が吸収できなくなります。腸が栄養を適切に吸収できてはじめて、体内できちんとエネルギー代謝が行われるためのスイッチが入るのです。また、腸内の老廃物が排泄されることでも、体重は減っていきます。ダイエットをはじめる時に大切なのは、やみくもに食事の量を減らすことではなく、まず腸内細菌のバランスを整える善玉菌や食物繊維など、腸内環境によいものをしっかり食べることです。適度な運動や適切なカロリーコントロールで効率的にヤセ体質をつくるには、腸内環境を整えることを第一に目指しましょう。食事制限、運動の前に、腸内環境改善でヤセ体質●よく知られている「ビフィズス菌」は“ヤセ菌”だった!その理由とは。私たちの大腸には1,000種類以上の腸内細菌が存在するといわれており、腸内細菌のバランスが太りやすさや痩せやすさにも影響していることがわかってきました。特に注目されているのが、脂肪の吸収を抑えたり、脂肪を燃やしたりする働きを持つ「短鎖脂肪酸」をつくる腸内細菌。いわゆる“ヤセ菌”です。ヤセ菌の1つにあげられるのが善玉菌の代表格であるビフィズス菌。ビフィズス菌は短鎖脂肪酸の1つである酢酸をつくります。酢酸は強い殺菌作用を持ち、腸内環境を整えるのに有効です。また、短鎖脂肪酸の1つである酪酸を産生する日和見菌がいます。これらの腸内細菌がつくる短鎖脂肪酸は、直接脂肪細胞に働きかけて余分な脂肪の蓄積を抑える作用や、腸のバリア機能を高めたり、全身に運ばれて臓器のエネルギー源になったりして、太りにくい体質づくりにつながり、肥満を防ぎます。このように、ビフィズス菌や一部の日和見菌が短鎖脂肪酸を産生するヤセ菌ですが、日和見菌は、善玉菌が優勢であれば善玉菌の味方をし、悪玉菌の優勢であれば悪玉菌の味方をします。そのため、まず善玉菌であるビフィズス菌を増やし、日和見菌を味方につけてあげましょう。善玉菌優勢の腸内環境バランスを維持することが、“ヤセ菌”を増やして働かせる近道というわけです。その一方で「デブ菌」といわれる腸内細菌がいます。デブ菌は、食事から取り込むエネルギーの量が多く、肥満に結びつきやすいといわれています。肥満体質になるか、ヤセ体質になるかは腸内細菌次第。どんな腸内細菌を増やすかは、あなたの心がけ次第です。短鎖脂肪酸の働き●腸内環境の改善による2つのダイエット効果腸内環境の改善によるダイエット効果には、「むくみの改善」と「脂肪の燃焼」の2つがあります。2つの側面からヤセ体質を目指せるのがうれしいですね。<1> むくみの改善腸の重要な働きの一つに体に必要不可欠な水分の維持、調節があります。水分の調節が上手くいかないと便の不調(下痢、便秘)に直結しますが、腸内環境が悪化し腸の働きが低下すると、過剰な水分を細胞と細胞の間に蓄積して、むくみにつながります。ひどい方は、朝と晩で3~4kgの体重が増えるほどの水分が溜まります。腸内環境が整って老廃物が排出され、むくみが改善すると、短期間で体重を大幅に減らすことができます。腸内環境を整えはじめてすぐに痩せる方がいますが、そういう方は水分によるむくみが影響しています。<2> 脂肪の燃焼ビフィズス菌と食物繊維を一緒に摂ると短鎖脂肪酸が作られます。この短鎖脂肪酸により交感神経が刺激されると、基礎代謝が高くなり、基礎代謝が高くなることによって太りにくい体になり、こうしたサイクルが回ることによって次第に余計な体脂肪が燃焼していきます。そのため、腸内環境が改善した後、効果が出るまでは少し時間がかかります。すぐに体重が減らない場合はこちらのパターンなので、継続することでヤセ体質を手に入れましょう。●ヤセ菌を増やす3つのメソッド【ヤセ菌を入れる】ヤセ菌を入れるヤセ菌を増やすために手っ取り早いのが、善玉菌の代表格でありヤセ菌であるビフィズス菌を腸内に「入れる」こと。ビフィズス菌で腸内環境が改善すれば他の腸内細菌も短鎖脂肪酸を産生しやすくなります。40代以降になると基礎代謝が低下します。特に女性の場合、50歳前後の更年期になるとさらに代謝が下がります。特に食べていなくても太ってしまう方が増えるのはこのためです。40~50代になってから急激に太らないためには、若いうちから腸内環境に気をつけた食事をして、体重の変化の少ない生活を送りましょう。そのためにも手軽に続けやすいビフィズス菌入りヨーグルトはおすすめです。ヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものも多いため、ビフィズス菌入りのヨーグルトを選んで摂るのがよいでしょう。【ヤセ菌を育てる】ヤセ菌を育てる腸内にビフィズス菌を入れてヤセ菌をふやしたら、その菌を「育てる」ことが大切です。ヤセ菌を育ててくれるのが、ヤセ菌が大好きなオリゴ糖や水溶性食物繊維。これらは、胃や小腸で消化・吸収されずに大腸まで届いてヤセ菌のエサになります。そして、ヤセ菌がこれらを分解、発酵してできるのが、ヤセ菌のポイントである短鎖脂肪酸です。オリゴ糖や食物繊維は、積極的にとることで、善玉菌が増え、日和見菌が味方して腸内環境はさらに改善します。毎日の食事に、オリゴ糖や食物繊維を意識的にとり入れるようにしましょう。【ヤセ菌をキープする】ヤセ菌をキープする腸を内側からケアしたら、今度は腸のまわりの筋肉を動かし、良い状態を「キープする」ことも大切です。腸は体の中でほぼ固定されず浮いているような臓器で、加齢や筋力の低下、出産などで下がりやすくなります。また、便が溜まることでも、下がったり、むくんだりして腸の位置が偏ります。腸の位置を戻すために、ウォーキングやストレッチなどで腸を支える腸腰筋や腸を保護する骨盤まわりの筋肉を動かしましょう。本来あるべき場所に腸を戻せば、ぜん動運動が正しく起こり、便秘も解消します。座りっぱなしは特に腸腰筋がゆるみ、腸の動きが鈍くなるので注意が必要です。小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスや菌に負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年06月16日この度「大腸劣化」対策委員会では、「大腸劣化」の悪影響に関する小林 暁子先生監修の新着コラムをホームページ( )にて公開いたしました。日本では大腸がんや潰瘍性大腸炎、クローン病など大腸に関する大きな病気が年々増加し、日本人の「大腸劣化」は深刻化しつつあると言われます。「大腸劣化」対策委員会では、「大腸」の機能が衰えることで、全身の健康リスクが高まっている状態を示す「大腸劣化」の認知を広げ、毎日の生活のなかで対策に取り組んでいただくための活動を行っています。今回は、大腸のトラブルの中でも多くの方にとって身近な「便秘」について、都内で便秘外来(健美腸外来)を開設し、20年以上にわたって便秘の方を診療されている小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長にお話を伺いました。「便秘」は、近年様々な研究が進み、肌や肥満といった見た目の問題に限らず、糖尿病や脂質異常症、免疫、認知機能といった全身の健康に影響を与えることが指摘されはじめています。春先から梅雨にかけては、自律神経の乱れからくる便秘が起きやすい季節です。便秘に悩まれる方々の参考にしていただければ幸いです。●季節の変わり目は、自律神経の乱れからくる便秘に要注意。便の排出を担う大腸は自律神経の影響を受けやすい器官です。緊張やストレスなどで自律神経のバランスが乱れて交感神経が活発になると、腸の働きが低下して便秘になりやすくなります。自律神経は、気候や気温の変化にも敏感であり、季節の変わり目は特に気を付ける必要があります。四季の中でも特に春は便秘に注意が必要です。日本では4月から学校も会社も新しい年度がはじまることが多く、新しい環境でストレスを感じる方が増えます。その結果、いわゆる5月病になってしまう方もいます。また、本人に自覚がなくとも、社会的な雰囲気や強い緊張を感じている人が周りに増えても交感神経は影響を受けるので、便秘になる方がでてきます。便秘は天気や気温の影響も受けやすいです。春先は気温の寒暖差が激しいですが、特に暖かかった日から急激に寒くなる日は「お腹が張る」、「急にお腹の調子が悪くなった」という患者さんが顕著に増えます。また、春は花粉症やアレルギーがストレスになり、梅雨は雨がストレスになって便秘になる方もいます。このように4~6月は、日本の習慣的にも気候的にも自律神経が乱れやすい時期であり、便秘にとっては要注意の時期です。自律神経の働き●便秘はお腹にゴミが溜まった状態。腸内細菌たちに綺麗なオフィスを。便秘の身体への影響を考える上では、便とは何かを考えてみましょう。便は、すぐに想像できるように体に吸収されなかった老廃物です。体にとって不要となった老廃物は、尿や汗などを通じて体外に排出されますが、多くは大腸を通じて便として排出されます。この老廃物である便=ゴミが処理されずに体内に溜まり、腐っていってしまう状態が便秘です。例えば、あなたが働くオフィスに、ゴミが捨てられずに溜まって腐ってしまい、悪臭を発する様子を想像してみてください。腸内細菌たちも、綺麗な環境で働きたいと思っているはずです。悪臭の立ち込めるゴミだらけのオフィスで、頑張って働けというのは腸内細菌たちに可哀想です。腸内細菌に、綺麗な職場を提供してあげて、栄養のあるご飯をあげて、いい仲間を増やしてあげるのが、社長であるあなたの役目です。自分が「大腸の社長」だという意識を持ってもらうように便秘外来では指導しています。便秘の状態イメージ●見た目だけじゃない。いいことだらけの便秘改善。便秘外来に来る患者さんは、お腹が張る、体がむくむ、体重が増えるといった見た目についての悩みが多く、特に若い女性にはその傾向が強いです。しかし、便秘は見た目だけの問題ではなく、全身の健康に悪影響を及ぼします。近年、腸内細菌を遺伝子レベルで研究できるようになった結果、便秘などによる腸内環境の乱れは、免疫力やアレルギーといった腸の機能に直結する領域に限らず、糖尿病や脂質異常症、さらには眼や脳機能に対する影響も指摘されています。実際に腸内環境が改善することで、血液の質が改善することや腸内細菌の代謝産物である短鎖脂肪酸の抗炎症作用などによって、様々な疾患が改善することが明らかにされてきています。実際に患者さんの便秘の改善に取り組んだ結果、糖尿病や脂質異常症の数値が改善した、認知機能が高まった、肥満が良くなったといった例は数多く経験しています。患者さんの中には、糖尿病の主治医から「こんなに数値が改善していますが、何をやったのですか」と聞かれるといったことは20年前から数多くありました。腸内細菌の働きについては、まだ全貌がつかめていませんが、健康にとって非常に重要なものだということで、様々な疾患の専門医が関心を向けはじめています。大腸劣化によるトラブルイメージ図●まずは2週間、ビフィズス菌で腸内環境を整えてみる。便秘を改善するためにも、便秘にならないようにするためにも、お腹の中で毎日一生懸命働いてくれている腸内細菌を意識することが大切です。腸内細菌には、善玉菌と日和見菌、悪玉菌の3つがあり、それぞれがバランスを保ってすんでいますが、便秘の方の腸内細菌は、悪玉菌の比率が高まっています。悪玉菌が増えて腸内環境が悪化すると、腸の中で有害物質が発生し、それが腸壁から血液に取り込まれます。すると、血液はドロドロと汚れた状態になり、それが全身に運ばれることになってしまいます。便秘になると肌が荒れたりするのも、このことが原因です。便秘を改善するためにも、日頃から善玉菌の代表であるビフィズス菌が入ったヨーグルトを積極的に取り入れてみてください(ヨーグルトの中にはビフィズス菌が入っていないものも意外と多いです)。実際に便秘気味の女性にビフィズス菌入りヨーグルトを食べてもらった結果、排便回数が大きく上昇しました。これは2週間続けて食べた結果ですので、まずは2週間チャレンジしてみて、自分のお腹に合うか確認してみるのがよいと思います。乳酸菌のみヨーグルトとビフィズス菌入りヨーグルトの整腸作用の違いちなみにビフィズス菌は、乳児の頃は腸内細菌の大半を占めていますが、大人と同じ食事を摂るようになると全体の1~2割程度に落ち着いていきます。その後、成年期を過ぎ老年期になるとビフィズス菌は一層少なくなります。老年期の方の10人中3人はビフィズス菌がまったくいない状態といわれています。クリニックに来る若い方でも、極端なダイエットによって痩せている女性は、ビフィズス菌がかなり減少している方がいます。女性は、女性ホルモンが減ることに対しては敏感ですが、ビフィズス菌が減っていくことに対しても、そこに若さと健康の秘訣があるのではないかと関心を持ってもらえると良いと思います。年齢による腸内細菌叢の変化(概念図)小林メディカルクリニック東京 小林 暁子院長小林 暁子先生|小林メディカルクリニック東京院長・医学博士順天堂大学医学部卒業後、順天堂大学総合診療科を経て、2005年にクリニックを開業。内科、皮膚科のほか、便秘外来や女性専門外来を併設し、全身の不調に対応する。なかでも便秘外来ではのべ15万人以上の便秘患者の治療に携わり、高い実績を上げている。また、さまざまな業界とコラボし、美腸メニューを提供。テレビ出演、講演でも活躍中。『医者が教える最高の美肌術』(アスコム)、『免疫力を上げる健美腸ルール ウイルスや菌に負けない体をつくる』(講談社)、『女性の自律神経の乱れは「腸」で整える』(PHP研究所)など著書多数。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年05月31日元フジテレビアナウンサーでタレントの久慈暁子(27)とバスケットボール日本代表でNBAラプターズのの渡邊雄太(27)が27日、インスタグラムや所属事務所を通じて、26日に結婚したことを発表した。久慈と渡邊は連名で「私たち、渡邊雄太と久慈暁子は、このたび入籍したことをご報告させていただきます」と発表。「これからもお互いに支え合い、楽しい時間を積み重ねていけたらと思っております。まだまだ未熟な二人ですが、温かく見守っていただけますと幸いです」と伝えた。また「この場をお借りして、日頃より温かいご支援をいただいております関係者の皆様、そして応援してくださる皆様に感謝を申し上げます」と謝意。そして「これからも応援していただけるよう、より一層邁進してまいりますので、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます」と続け、最後は「皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」と結んだ。久慈は26日、フジテレビ系情報番組『ポップUP!』(毎週月~金曜11:45~)に生出演し、渡邊との婚約を発表していた。
2022年05月27日フリーアナウンサーの久慈暁子が14日、千葉・幕張メッセで開催された「Rakuten GirlsAward 2022 SPRING/SUMMER」でMCを担当。モデルとしてランウェイも歩いた。今年4月末にフジテレビを退社して以来、初の公の場となった久慈は、ガルアワMC10回目のベテラン“Mr.GirlsAward”南海キャンディーズの山里亮太、ガルア初登場のチョコレートプラネット、“人生初司会”となる人気クリエイターの中町綾とともにMCを担当した。また、「DRESSTERIOR」のステージにモデルとして出演。黄色のスカートに白のトップスをあわせた華やかなコーディネートで堂々とランウェイを歩き、先端で優しくほほ笑んだ。「GirlsAward」は、2010年から開催している日本最大級のファッション&音楽イベント。新型コロナウイルスの影響で過去2年は開催を延期しており、2019年9月以来2年半ぶりの開催となる。今回のテーマは、“女の子はきらきら輝き続ける”という思いを込めて「STAY GOLD ~Keep on girls story~」。人気モデルによるファッションショーやアーティストによるライブステージなどを展開する。撮影:蔦野裕
2022年05月14日元フジテレビでフリーアナウンサーの久慈暁子が14日、千葉・幕張メッセで開催された「Rakuten GirlsAward 2022 SPRING/SUMMER」でMCを担当。フジテレビ退社後初の公の場に姿を見せた。今年4月末にフリーになったばかりの久慈は、ガルアワMC10回目のベテラン“Mr.GirlsAward”南海キャンディーズの山里亮太、ガルア初登場のチョコレートプラネット、“人生初司会”となる人気クリエイターの中町綾とともに、MCを担当。久慈はノースリーブのワンピースに足元は黒色のヒールサンダルで女性らしいコーデで魅了。コンビ揃ってタキシードを着用したチョコプラは自身の名前が書かれた“うちわ”を発見し、松尾駿は「こんなの初めて!」と大興奮だった。「GirlsAward」は、2010年から開催している日本最大級のファッション&音楽イベント。新型コロナウイルスの影響で過去2年は開催を延期しており、2019年9月以来2年半ぶりの開催となる。今回のテーマは、“女の子はきらきら輝き続ける”という思いを込めて「STAY GOLD ~Keep on girls story~」。人気モデルによるファッションショーやアーティストによるライブステージなどを展開する。撮影:蔦野裕
2022年05月14日知らない国への旅に似ている、暗闇での体験発達ナビ編集長牟田暁子(以下――)ダイアログ・イン・ザ・ダーク、実は5年ほど前に、息子と一緒に体験したことがありました。今回、あらためて体験したのですが、暗闇に入る前に緊張していることに気づき、「この感じ、知っている」と思ったら、学生時代に予備知識のほとんどない未知の国に行った経験に似ていたんですね。風景の予想もできない、どんな文化があるのかもよくわからない国に入国する前のような、そんな気持ちでした。私の学生時代はパソコンもスマートフォンもなく、今ほど情報がなかったので、特に。ジブラルタル海峡を船で渡ってモロッコに入国する前の、不安感と好奇心と興奮が織り交ざったような気持ちに似ていました。ですが、暗闇の中に入ってみると、私、すごく喋っていたんですよね。一緒に体験したみなさんと声を掛け合っていました。普段の生活ではこんなに知らない人に向かって話しかけることなんてないなということも思いました。これも、見知らぬ国を旅するときに似ていました。街の様子をよく知らないから周りの人に話しかけるし、知り合った旅人同士協力しながら宿を見つけたり、次に行く街を相談したり…。Upload By 発達ナビ編集部志村真介さん(以下、志村):知らない人にただ話しかけるだけではなく、「ここに段差があるよ」とか、相手に対して安全な情報を発していませんでしたか?これは別に誰かを助けてあげないといけないルールだからそうするのではなくて、必要な情報だから共有しようとしていたのではないでしょうか。もしこれが、「病気や障害のある人を助けよう」というメッセージが根底にある体験だったら、「楽しんではいけない」と思う人がたくさんいそうです。でもそうではなくて、あくまで「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」はエンターテインメント、楽しむ体験なんです。暗闇というのはこれまで、人間がものすごく恐れていたもので、火を焚き、灯りをともすことで安心を得てきたのです。人は、明るいところ、都市に集まるものでした。ところが、都市の中にこの暗闇をつくって体験するというのは、真逆のことです。そこで怖いはずの暗闇を体験した人はみんな、人の体温を感じたとか、自分と人との境界線が曖昧になった、と話します。暗闇をポジティブに変換できる装置となったのです。これは(ダイアログ・イン・ザ・ダークの)開発者、アンドレアス・ハイネッケによる大発明だと思っています。――たしかにそうですね。暗闇をポジティブに変換する装置、まさにそうでした。目に見えない壁をなくしていくのはダイアログ=対話Upload By 発達ナビ編集部――そもそも、ダイアログを日本で開催しようと思われたのは、どうしてですか?志村:ダイアログは、ドイツの哲学者・アンドレアス・ハイネッケが1989年に始めた活動で、現在世界50か国で開催されています。私が最初にダイアログについて知ったのは、1993年の日経新聞に掲載された小さな記事でした。その記事が伝えていたのは、ウィーンの自然史博物館を真っ暗にして、普段の生活で目を使わない(視覚障害がある)人がその中を案内して、最後にはバーがあってみんなでお酒などを飲むという内容でした。普通、展示物を「見せる」博物館が何も「見せない」、なのにチケットは完売。しかもハイネッケは、世界中にこれを展開しようとしている。その当時、私はマーケティングの仕事をしていたので、目に見えることが付加価値だと思っていました。だから、すでに成熟しているヨーロッパでは、物ではなく、時間や人との関わりといった目に見えない付加価値を提供して、お客さまがチケット代を払って楽しんでいるというのが、ものすごい衝撃だったんですね。その記事を見て、新聞社経由でハイネッケに手紙を書き、ようやく日本で初開催できたのが1999年。そのときは常設ではなく単発のイベントとしての開催でした。そこから今に至るまでも、たくさんのことがありました。――目に見えない付加価値を提供すること、2020年代の今、ようやく理解できるようになってきたと思いますが、1990年代当時はまだまだ考えにくいことでしたよね。志村:ハイネッケがダイアログをスタートした1989年というのは、東西ドイツの壁が崩壊した年。それから30年ほどの時間が経った今、物理的な壁はないけれど、人にはそれぞれ目に見えない壁がある。それはそれぞれの人の思い込みによる壁なんですね。障害の有無とか、男女の違いとか、国籍の違いとか、さまざまな違いが人を分け隔てています。ダイアログには、暗闇の「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」、無音の静寂を聴覚障害者がアテンドする「ダイアログ・イン・サイレンス」、高齢者との対話「ダイアログ・ウィズ・タイム」がありますが、これらのダイアログ・シリーズが挑戦していることは、こうしたそれぞれの思い込みによる壁を溶かしていくことなんですよね。宇宙飛行士から見た地球には国境線は見えません。それなのに分けてしまうのは、何らかの固定観念とか既成概念があるから。それを1回リセットするために、ダイアログ・シリーズがあります。――ダイアログ・シリーズはエンターテイメントですよね。こうした社会課題に取り組むプロジェクトは、一般的にはまじめに学ぶものが多いと思いますが、「楽しむ」という形も新鮮です。志村:ソーシャル・プロジェクトには、さまざまなアプローチがあります。イソップの「北風と太陽」の北風タイプの、厳しい現実を突きつけていくアプローチもあるでしょう。一方でダイアログの場合は、太陽タイプで、楽しみながら見えない壁を壊していきます。だから、ソーシャル・エンターテインメントと呼んでいます。自分とは違う世界の人だと思っていた視覚障害者や聴覚障害者と一緒に遊ぶことによって、彼らの文化に興味がわいたり、向こう岸にいる人ではなく地続きにいる人だったと理解したりしていく。楽しみながら、主語を「私」から「私たち」と変えていく、違う文化の人も包含していくような体験になることを目指しています。「いま、ここに、私がいます」を実感する暗闇Upload By 発達ナビ編集部――異なる文化に対して、その国の人と友達になると印象が変わるという体験は、これまでにもありました。暗闇に入る前に緊張したのは、知らないから怖かった、ということもあるのでしょうね。志村:そうですね。知ることで怖さがなくなっていくのは、たとえば留学がその体験に似ていると思いますよね。知らない土地のことを知りたくて留学するわけです。でも実際に留学してみると、今度は逆に質問されることがあります。「あなたはどこから来て、あなたはどういう考え方で、その背景にあるあなたの国の文化はどういうことなのか」と。自分自身について聞かれるわけです。それと同じことが、暗闇でも起こります。50ヶ国で行われている「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の暗闇の中で、アテンドは必ず「あなたはどこですか」と質問します。すると、どの国の参加者も、多くが共通して言うセリフがあります。それは「私はここです」。ふだん私たちは「今ここにいる」と意識していないことが多いのではないでしょうか。「昨日あのとき、こうすればよかった」とか、「あと1時間したら出かけなくちゃ」とか、過去と未来に行ってしまって、「今ここ」にいないんですよね。でも、暗闇の中にいると「今ここ」しかなくて、過去も未来もありません。それは「本当の自分はここにいます」という、とても本質的なことでしょう。これを今読まれている方が、「あなたは誰ですか」と聞かれたとき、「発達障害のある子どもを育てる親です」という言い方もあるかもしれませんが、それは「あなたは誰ですか」という問いとは本来関係ないことなのです。たとえば「視覚障害者の山田さん」と言うと、「視覚障害者の」という枕詞がついた時点でその人に対する見方にバイアスがかかります。本質的な山田さんは単なる山田さんで、その山田さんの一部として目を使ってないという特性もあるということ。発達障害のある子どもを育てているという一面があったとしても、それがその人の人生の中核ではありませんよね。そういう「今ここにいる私」というものを、暗闇では体験することになるのです。―「ADHDのある○○さんのお母さん」ではなくて、自分自身に戻れる場所なんですね。子育てする中では、子育て優先で自分の時間は持てない、楽しむ余裕はないと思っている保護者の方も少なくありません。でも、「私自身」として楽しいと感じることをしていていいんだよ、どうしていると私は幸せなんだっけ、ということを思い出す場所になりますね、この暗闇は。対等な関係になれるからこそできる、本質的な対話Upload By 発達ナビ編集部――なぜ、暗闇の中だと、そういう本質的なことがスッと入ってくるのでしょうか。志村:それは情報を引き算しているからなんです。ふだん、学んだり楽しんだりするときは、情報を足し、掛け合わせて盛り込んでしまうのが、暗闇では情報がそぎ落とされる。日本文化は、引き算のじょうずな文化だと思っています。たとえば、俳句のように。言葉を短く、五七五の中に凝縮しますよね。本質的に、どこに心が動いたかという表現が、得意なのではないでしょうか。ハイネッケは、ラジオ局で目の見えないジャーナリストとともに働くことになったときに、ダイアログ・イン・ザ・ダークの原点を考えつきました。仕事が終わって部屋を出る前に電気を消すと、日常生活で目を使う人は右往左往して出口を探すけれど、目の見えないジャーナリストはスタスタ帰っていく。助けるべき存在だと思っていた人が、部屋の灯りが消えただけで、自分を導いてくれる人になるという瞬間だったそうです。漆黒の暗闇をつくると、助ける側と助けられる側の立場が入れ替わるというだけではありません。視覚障害者も、私たちも、同じように目を使わないのです。そこで対等になります。対話は、対等な関係でないとできません。ダイアログでは、その対等になれる空間をつくっているのです。その空間があるからこそ、本質的なところに入っていきやすいのではないかとも思います。子どもたちのダイアログ体験を、未来の社会が変わる力にUpload By 発達ナビ編集部――ところで、2022年はどんな活動を展開していくのでしょうか。志村:今、「こども5000人たいけん!」プロジェクトを進めています。海外のダイアログは、国が子どもたちの学校教育の一環として展開しているところが多いのですが、日本ではまだです。小学校4年生ぐらいになると、人と違うところがかっこ悪く感じるようになることが多いでしょう。また、違うところがある子どもをいじめたりしてしまうこともある。そうした時期に、ダイアログを経験してもらいたいと願っています。そこで、まず佐賀県がふるさと納税を使い、2,000人ほどの県内の子どもたちに、学校教育として取り入れてくれました。そのときの子どもたちへのアンケートでは、ダイアログの体験後に自己肯定感が上がるということが分かりました。「あなたの希望はいつか叶うと思うか」、「自分に満足しているか」といった質問の回答が、体験後にはポジティブな方向に変化していました。ただ、こうした結果があっても、全国の学校で実施するに至るには時間がかかります。私たちは昨年クラウドファンディングを実施しましたが、そのときに、子どもたち5,000人に無料体験してもらうということを、リターンにしました。「こども5,000人たいけん!」によって起こる、10年後の未来の社会をみなさんがイメージして支援してくださいました。このプロジェクトは昨年から徐々に始まっていますが、今年5,000人に達成させたいと思っています。Upload By 発達ナビ編集部――それは楽しみですね。こうした取り組みに、コロナ禍の影響もありましたか?志村:コロナによって、人と人との距離感が変わりましたよね。見えない壁は、厚くなったとも思っていました。ところが、(一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ )代表理事の志村季世恵は、「マスクをしている恋人同士がマスク越しでキスをしているのを見たの。それって、3年前にはなかった風景じゃない?」と言ったんです。相手のことを思うからこそマスクを外さない姿。たしかに愛の伝え方は、すごく変わりました。病院でもこれまでは、愛する人の手をにぎって最期のときを過ごしたのが、ガラス越しになったりモニター越しになったりしています。でも、伝えたいことは同じ。「愛している」「ありがとう」といったシンプルなことで変わらないはずなんです。コロナによって愛の「伝え方」が変わったことを、ダイアログで再認識してもらえたらと、2月14日まで「LOVE イン・サイレンス」、「LOVE イン・ザ・ダーク」を開催しています。――気持ちの伝え方の変化、たしかにありますね。そして、たくさんの変化が、この約2年の間にありました。志村:ヨーロッパの13世紀にペスト菌やスペイン風邪がはやり、最悪の事態に陥ったあと、14世紀には人間性復興、ルネッサンスが起こったように、ここからまた新しい芽が出るはずだと信じています。コロナで1回リセットされたあと、立ち上がっていくのは、健常者だけでもないし、さまざまな障害のある人だけでもない、男性だけでも女性だけでもない。イメージで言うと、城壁のようにさまざまな形と大きさの石が重なり合い、お互いに摩擦を起こしながらも繋がり、しなやかでありつつ強靭になっていく。そんなイメージが、まさに多様性、ダイバーシティではないかと考えています。これまでとは、方程式が変わった気がするんですね。――今までなら、学校に行って学ぶ、会社に行って働くのがあたりまえだったから、障害のある人は通学・通勤だけでも大変でした。それがリモートが可能になったら、誰でも家で学べるし、働ける。働きやすさ、暮らしやすさが見直されて、みんなが力を合わせていくような社会構造に変わっていくことが望まれていますね。志村:障害のある人は、何らかの状態に適合しないということでもあります。でも今は、すべての人が学校や会社に通えないとか旅行できないとか、全員が適合できていない状態。今は全員がボーナブル、脆弱性を持っています。だから、社会が変わることによって自分がハッピーになると考えるのではなく、社会に内在している自分が変わることで、周りが変わって社会が変わるということを考えたいですよね。ダイバーシティについて考えるとき、外側から見るのではなく、自分も含まれているということを忘れずにいたいと思っています。Upload By 発達ナビ編集部文/関川香織撮影/鈴木江実子言葉の壁を超えて、人はもっと自由になる。純度 100%の真っ暗闇の中で、見ること以外の感覚を使い、驚きに満ちた発見をしていくエンターテイメント。体験を案内するのは、普段から目をつかわない視覚障害者のアテンドです。視覚以外の感覚を広げ、新しい感性を使い、チームとなった方々とさまざまなシーンを体験します。1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれ、これまで世界 50ヶ国以上、800万人以上が体験。日本では 1999年に初開催し、これまで 23万人以上が体験しました。現在は東京・竹芝のダイアログ・ミュージアム「対話の森」で体験が可能です。※詳細ボタンをクリックすると発達ナビのサイトから一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティのサイトに遷移します1962年生まれ。関西学院大学商学部卒。コンサルティングファームフェロー等を経て1999年からダイアログ・イン・ザ・ダークの日本開催を主宰。1993年日本経済新聞の記事で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と出会う。感銘を受け発案者ハイネッケに手紙を書き日本開催の承諾を得る。2020年8月、東京・竹芝「アトレ竹芝」内にダイアログ・ミュージアム「対話の森」をオープン。著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦 』(講談社現代新書)
2022年01月29日自閉症スペクトラムのあるウリと、その父親の暮らしを描くイスラエル映画Upload By 発達ナビニュース障害のある子どもを育てている親にとって、子どもの自立は大きな課題であり、心配や不安を感じることも多いのではないでしょうか。今回紹介する映画『旅立つ息子へ』は、自閉症スペクトラムのある一人息子・ウリと、妻と別居し息子と二人で暮らす父親のアハロンの、自立と子離れの物語。美しい映像描写で定評のある、イスラエル映画です。アハロンとウリは、まるで一心同体。二人の毎日は平穏で、言葉はなくても通じ合っています。2人がイキイキと自転車で街を疾走する様子、楽しそうに電車に乗るウリと寄り添うアハロン…静かで穏やかな風景、美しい色合いで描かれる二人の日常。ですが時に理解の無い周囲の視線が、観る人の心をチクりと刺します。その視線から息子を守るように寄り添うアハロンに、自分の姿を重ね合わせる人も多いのではないでしょうか。父子二人の平穏な生活に訪れた、ある変化二人の平和な毎日に、突然の激震が走ります。別居している母親が、ウリを施設に入れるというのです。母親もまた、親なきあとのウリが路頭に迷わないようにと、最善を尽くそうとしてるー。自分よりウリを理解してくれる者はいないと頑なな父の気持ちも、父の愛情に包まれた暮らしの中に安心を見出しているウリの気持ちも、どちらも分かるからこそ、切なさがこみ上げます。そしてまた、二人の間に入っていくことができない母の嘆く姿に、入り込む余地のない父子二人の強固な関係を、改めて感じさせられるのです。Upload By 発達ナビニュース父親は意を決して、息子と家を出ます。「いつもの電車の旅とは何か様子が違うぞ。これが最後の旅、別れの旅になる。旅の先には、父と離れて住む施設がある」そう感じたウリは駅のホームでパニックを起こします。そして、パパと一緒にいたいと訴えるのです。改めて「ウリを手放したくない」と痛感したアハロンは、施設や妻との約束を破って、リゾート地に向かってしまいます。アクシデントの中でふと垣間見えた、息子の成長Upload By 発達ナビニュース二人の旅は、さまざまなアクシデントに見舞われます。そしてアクシデントが起こるたびに、アハロンは考えないようにしてきたことに、少しずつ気づくのです。同い年くらいの女の子を見て思わず近寄って行くウリを必死で止めるアハロン。目を離したすきにどこかへ行ってしまったウリを必死に探すアハロン。ようやく見つけたとき、ウリがいた場所は…。ウリの年相応の成長、楽しみ、興味に。それは父親とともに過ごしたのでは得られない、ウリに秘められた可能性なのかもしれないと。「自分の人生を生きているのか」という問いUpload By 発達ナビニュースそしてまた、訪れる人との会話を通して、私たちは父親の人生についてもまた、深く考えさせられる機会を持ちます。今は職なし、一文無しで、妻に養ってもらっているアハロンですが、実は第一線で活躍する優れた才能の持ち主だったこと。息子のために輝かしいキャリアを捨てて、息子のためだけに生きてきたこと。でも本当に息子のためだけにキャリアを捨てたのか。自分の人生をかけて育ててきた息子だから、自らのエゴのために手放せないのではないか。父は息子に依存し、また息子も父に依存しているのではないか。その問いもまた、観る人の胸に刺さるのです。親はいつか、子どもを手放さなくてはいけません。そして子どもは親元を離れていかなくてはいけない。そんなとき、どこで、だれと暮らせるなら、我が子は幸せなのだろう。親の愛以上に子どもの力となるものとは、なんだろう。今は、毎日のことに必死かもしれません。でもいつか来る巣立ちの日のために、親自身も自分の人生を生きるという事、そして子どもには子どもの道があるということを忘れてはいけない。この映画は、あたたかく私たちを包みながら、そんなことを教えてくれるのではないでしょうか。『旅立つ息子へ』上映情報映画『旅立つ息子へ』は、3月26日(金)TOHOシネマズ シャンテをはじめ、全国公開。公開日:2021年3月26日(金)上映館:TOHOシネマズ シャンテ他、全国公開イラスト:かなしろにゃんこ2021年3月14日に、公開を記念してオンライン座談会を行いました。その様子がアーカイブでもご視聴いただけます。発達ナビユーザーにもご協力いただいた、障害がある子どもの自立や、保護者自身のキャリアについてのアンケート結果をひきながら、つながりたい支援や、これからの社会に願うことまで話しました。座談会登壇者牟田暁子(LITALICO発達ナビ編集長)田中康雄(北海道大学名誉教授/児童精神科医)橋謙太(NPO法人ファザーリング・ジャパンメインマンプロジェクト・リーダー)
2021年03月19日「計画通り」はあり得ない。そもそも計画が立てられない!5秒後には違うこと考えているからUpload By 発達ナビ編集部牟田暁子編集長(以下――)双雲さん、ADHDの特性があるとお聞きしました。ご自身の特性について、教えてください。武田双雲さん(以下、双雲):じっとしていませんね、とにかく。それと、どこかに行こうと思っても、すぐ行方不明になります。なんでも衝動的にやるから、計画通りに物ごとが進んだことが人生一度もない。計画することが無理というか、計画したとしても5秒後に違うことをしてる。書道もお手本通りに書けないし、書こうとしても、二画目から違うことをやっちゃう。――お話を伺っている今もですか?双雲今は大丈夫、喋ってるからね。しゃべりながらめっちゃ動いてるでしょ。――それは、子どものころから今まで変わらず?双雲:変わらないですね。小学生のころ、授業中にカーテンが揺れているのを見て、カーテンとシンクロしてゆらゆら動いていたんです。風はまっすぐに吹いてくるのに、カーテンにぶつかると曲線になるのが不思議じゃないですか。だからカーテンの動きを真似て理由を考えていた。そうすると、「何をやってるんだ!」って先生に怒られて、「カーテンになってます」と答えたりしていました。――もっと小さいころは?双雲:幼稚園時代の記憶は一個もないですね。その瞬間の感情のまま動いてたんじゃないですかね。ひたすら明るい子だったらしいです。小学校5年生ぐらいまでは、記憶がないぐらい、多分、本当に楽しかったんだと思う。――そうですか。中学時代以降はどんな感じでしたか?双雲:高校でハンドボール部の試合の真っ最中に、「ああ、雲がきれいだなぁ」ってボーッと空見ていて、レギュラー外されたりだとか。一番怖い先輩に「何見てんだこの野郎!」ってからまれたときに、その人の目が茶色系であまりに綺麗で、「目がすっごく美しいです」って感動を伝えたら、気に入られたのか、何を言っても無駄だと思われたのかは分からないですが、それからもう全員に絡まれなくなっただとか、そんなことがありました。大学受験も、家庭教師と一緒に賭けみたいにして勉強したヤマが当たって、模試ではずっとE判定だった東京理科大学に受かっちゃった。運がいいんですよね。――学校を卒業されてからは企業勤めされていましたよね。双雲:そうです、NTTで2年半ぐらい法人営業やってました。もう、トラブルだらけでしたよね。上司にめちゃめちゃ怒られてましたから。今だから言えるけど、営業に行くと言って1人で海で遊んでたこともありました。でも、運だけはいいから、営業成績は後半でガーッと上がったりしているんです。たまたま出会った人と宇宙の話をしていたら気に入られて、その人が実は会社経営者だったので大きな仕事を受注できたりだとか。ただひたすらニコニコしているだけで、いろんな部署へフラフラ行くし、「報・連・相」もできないし、とにかくウロウロしてる。もう上司からしたら全く意味のわからないやつですよね。――ご退職され、書道家となった経緯を教えていただけますか?双雲:小さいころから書道をやっていたこともあって、簡単なメモ書きでも結構きれいな文字を書いていたんですよ。あるとき、同僚の名前を手書きで書いたら、その人がぽろぽろと涙して。「私は自分の名前が嫌いだったけれど、こんなにきれいに書いてもらうことができて、自分の名前が少し好きになれたように思う」と。そんな風に言われたら、うれしくて。それで、こんな風に喜んでもらえる仕事をしよう、書道の道に進もうと思って会社を辞めたんです。人に喜ばれることがなにより好きだったからだと思います。書道なら、喜ばせることができると。40歳のころ、「なんだ、ADHDって自分のことだった」と気づいたUpload By 発達ナビ編集部――ご自分に、ADHDの特性である多動性、衝動性があるんだなと気づいたのはいつごろですか?双雲:気づいたのは、40歳ごろかな。あるとき、スティーブ・ジョブスや偉人と言われてる人たちが、発達障害だったというニュース記事があって、「なんだそれ?」と思って調べたんです。そこではじめてADHDという言葉を知って、リンクにあったADHDチェックテストをやってみたけど……まず質問項目を読んでいられない。2問目から飽きちゃう(笑)。それで、書道教室の生徒さんに読み上げてもらったんです。口頭テストならできたので。そしたら、満点だったんですよ。妻はね、もっと前から気づいていたんですって。僕には内緒で。どうも困ることが多いからと、本を読んでいたそうです。――ADHDがあると気づいたことで、何か変わりましたか?双雲:変わったというか、僕はいろんな人から、「なんでそんなに執着がないの?」とか「そんなふうに明るくなりたい」というようなことをよく言われるんです。そこで逆に、興味がわいたんですよ。みんなはいろいろ深く考えてるのかも、って。それで、自分のことを研究してみた。自分とほかの人たちとのギャップを調べたんです。そしたら、どうも僕はポジティブらしいとわかったんです。なんか、やたらと感謝しまくって生きていると。それが普通だと思ってたんですけどね。繊細で、苦手なところからはひたすら逃げる。そういう意味ではネガティブUpload By 発達ナビ編集部――そこまでポジティブだと、苦手だなとか生きづらいなと感じたことはこれまでの人生ではない?双雲:いやいや、いっぱいありますから。敏感だから、自分と合わない人とかコミュニティからは一瞬にして逃げます。僕が合わないところにいても人に迷惑をかけるだけだし、落ち込むことが怖いので、動物的な感覚でそういう場所を避ける。そういう意味で、めっちゃネガティブですよ。ウロウロされると困る場所で僕がウロウロしちゃうと、みんな困るでしょ? だから、葬式も出たことがないんです。どうしても人に迷惑かけるのはわかっているので、人をすごく振り回して迷惑をかけるようなことはしないようにしています。暴れん坊ではないし、人に嫌われるようなことはできるだけしたくないと思っています。――気を遣っているんですね。双雲:小学5年生くらいのころから、友達や学校の先生とどんどん合わなくなっていったんですよね。高校3年生くらいまでが、人間界から離れていく感じだった。高校時代、最初は友達も僕を誘ってくれたんですよ、休日に街へ遊びに行くとか。でも僕、いなくなるんです毎回。僕が「きれいだなぁ」って、風に揺れる葉っぱを見てる間にみんないなくなっちゃう。そんな風だから、だんだん呼ばれなくなっていく。そうして、だんだん友達が離れていくっていうのを、もう何回も繰り返しているんです。嫌われているというよりも「もうあいつはいいや」「よくわからないやつだ」と思われるのが多いよね。みんなが離れていく夢、今でも見るんです。その時はつらいと思ってなかったけれど、今思うとたぶんつらかったんだと思います。1人で、友達をつくらずに、宇宙のことを考えていたから宇宙にのめり込めたんだと思う。――そういうネガティブな気持ちを、ご自分ではどう扱うんですか?双雲:ネガティブな感情が出たときも、「へー、自分はこういうときは怒るんだ」とか、「今、機嫌悪いんだ」とか、ちっちゃい自分が頭の上のあたりに浮かんでいて、自分を客観的に見ているんです。そいつが、僕を何のジャッジもせずにニコニコ見てくれる。自分を客観的に見る自分が、自分を全肯定してくれる。だから安心して怒れるし、安心して落ち込めるっていうか。そのおかげでかなり楽ですよ。ほめてほめてほめまくる両親に育てられ、ほめられネイティブになったUpload By 発達ナビ編集部――ご両親は、そんな双雲さんをどんなふうに育てられたんですか?双雲:とにかくほめまくるんです。「天才!」とか「すごかー!」しか言われない。今もそうですよ。もう、45歳なのに(笑)。会ったら1時間でも2時間でもずっと、さすがだ、すごいすごいって僕をほめ続けるんですよ。――それは嬉しいですよね。双雲:嬉しいもなにも、僕にとってはそれが普通のお父さんお母さん。これが日常で、「ほめられネイティブ」というか。でも、家庭の外では、学校時代も会社でも、怒られたりしましたけどね。――そこまでほめられていたら、怒られても動じないんじゃないですか?双雲:根底のところで「これでいい」と思っているから、全く平気ですね。怒られても、その時は「怒られちゃったー、シューン…」となるんですけど、根っこが太いから大丈夫。自信があるというのとも違って、自己肯定感がすごく高くて自分が大好きなだけ。誰かと比べてすごいとか優れているとか、思ったことはないです。勝とうとも思ったことない、勝ち負けにそもそもこだわらないし。――誰かよりもすごいというよりは、自分は大丈夫、という感じですか?双雲:そう、自分は大丈夫。それは何とかなるから大丈夫、というのとも違って、もう絶対的なものですね。――こうして根っこがしっかりしたまま生きてこられたから、自分が輝ける道を見つけて、歩んでこられたんでしょうね。双雲:そうですね。発達障害の話って、凸凹の話じゃないですか。この凸凹が激しめで、凹の部分はドコーンと凹んでいて、どうやってもできないことがある。僕も、自分ができないほとんどのことは、全部周りの人がやってくれる。スケジュールや作品の管理は秘書がしてくれています。凹っている部分が激しいことを「発達障害」というのならば、そこを平均的にしていくことなんてできない。できるところを伸ばすしかない。必ずどこか、凸っているところがあるから、欠点を補おうとしない方がいいですよ。僕は、しゃべるか書くかだけしかしない。作品の制作だけ。将来のために頑張れ、はおかしい!双雲:今のこの武田双雲の基礎は、両親がつくってる。もう間違いなく、両親が「すごかー」と言い続けてきたことの賜物です。――今のご活躍ぶりは、すごいですもんね。双雲:いや、今みたいな活動をするずっと前から、生まれたときからですよ。ひたすらほめてくれるし、これまで怒られたことも注意されたことも一度もない。もちろん、「飛び出したら危なかばい!」とかはあったけれど。うちの両親は、僕に将来の話をしたことがまったくないんです。こういう大学に行けとか、こんな人間になって欲しいとかも言われたことがない。僕のことを信じ切っているんです。――「将来、幸せになってほしいから今頑張れ」などということも言われなかった?双雲:将来のために今頑張ろうって、矛盾だらけですよね。頑張れっていう漢字は、”頑なに張る”って書くんですよ。ピーンと張ってたら、すぐに切れちゃいそうじゃないですか。これでどうやってなりたい人になるの?って思う。将来のために今を犠牲にするなんて、おかしいって絶対。富士山を見て感動したときに、富士山にこうなって欲しいとか思わないでしょう?何分後に雪が降ってほしいとか思わないでしょ?それと同じ。両親も全く僕を変えようとしたこともないし、将来についての言葉を聞いたことは、一切ないですね。幸せは、今、この瞬間に感動し続けることしかないUpload By 発達ナビ編集部――ところで、「すぐに飽きてしまう」と言いながらも、書道だけはずっと続いているんですね。双雲:とにかく好きなんです。筆とか墨とかの道具、その匂い。書道の全部が好きなんです。好きなもので、人に喜んでもらえるとやっぱ一番続くじゃないですか。書道は、3歳からやっているからもう40年以上。唯一飽きないのが書道だけ。飽きっぽい僕がこれだけやってるから、相当好きなんだと思うんです。――好きなこと、飽きないことを見つけるって大事ですね。5秒後にはほかのこと考えちゃう双雲さんなのに、40年以上も。双雲:集中力が続くのは短いです。普通の書道家の方の100分の1くらいしかない。その代わり集中力は高いです。逆転の発想で、人が100時間集中して努力する分を、1分間に凝縮して、エネルギーがその100時間分にならないかと考えます。――なんだか宇宙的ですね。でもそのコツ、知りたいです!双雲:一番はね、感動することです、あらゆることに。自分の目が動いてることに感動して、生きてることに感動して、空気があることに、空に風に感動して、葉っぱの揺らぎに感動して、見境なく感動する。――そういった感動のエネルギーをためておくと、いざ書く、というときに出てくる?双雲:そうそう、だから書くそのときの心の動きだけじゃなくて、1回1回の感動を味わい尽くしてそれを繰り返すと、エネルギー値は高まります。見境なく感動することって、実は小学校低学年ころまではみんながやっていたことですよね。これは価値があるとかないとか、レッテルは貼らない、ジャッジもしない。見たもの感じたものすべてに感動していく。小さいころは、石ころを蹴るだけで楽しかったじゃない?落ち葉を見るだけでちょっとワクワクしたよね。そのときに、落ち葉という名前も知らなかった。大人になるといろんな思想や文脈が入り込みすぎちゃうけど、子どもってそういうことは思わない。そのまま大人になるのはまずいと思われるけれど、たまたま僕は発達できないまま、無邪気でいられたのが、今はアーティストとしてはそれがいいと言われる。僕は正しいわけじゃないんだけれど、共感してるくれる人が多い、ということなんだと思う。――今を感じて、感動し続けるんですね。双雲:大人になって、幸せを獲得するためにお金を稼いだり、人から評価をもらったり、いい大学に行ったり会社に就職したりということに、みんながいいというレッテルを貼っている。でも、もし収入・地位・名誉みたいなものを獲得するのが幸せになることなら、何も得てない子どもは不幸だということになってしまう。逆に、評価されてる人は皆、心が満たされているのかというと、満たされてないじゃないですか。社会的に大活躍している人が壮絶な精神病になったり自殺したりするでしょ、昔から。だから社会的評価とか実績とかは幻で、幸せとは関係ない。社会的評価や成功はゲームなんだというくらいに思っておけばいいんです。いつか幸せになる、は絶対ないです。今、石ころを見て幸せな方がいいじゃないですか。――ひとつひとつ今身の回りにある環境に感謝していくと、幸せになる、そういうことなんでしょうね。ひたすら「かわいい、大好き」と思って育てる。それが一番!Upload By 発達ナビ編集部―ー双雲さんご自身と似たようなタイプのお子さんを育ててる保護者へのアドバイス、ありますか?双雲:たとえば、とても真面目な「ちゃんとしなきゃ」と思ってる人が、ADHDのお子さんを持ったら大変なことだということはわかります。だって、全部裏切るもん。コントロールしようとしている人がいたら絶対コントロールできないし、「こうあってほしい」と思ったようには絶対ならないし。できれば、世間の指標ではないところで、ほめるっていうよりも、その子のことをすごく好きでいることが一番いいと思います。「かわいいかわいい」「大好き」っていうのが、一番いいと思います。――うちの子は、最重度の障害が心身ともにあるんです。でも、笑い上戸でいつも楽しそうで、「今、このとき」を全身で楽しんでいますね。双雲:お子さんには、劣等感ってある?――ない、でしょうね。うまく話すことができないので、音楽の授業でみんなが歌ってるのに自分は歌えなくて「つまんないの」くらいには思ってるみたいだけど。双雲:自分を客観的に見て、劣っていると思うようなことがないのはいいよね。――自分も子どももまるごと認めて、今を幸せに生きていくってことなんでしょうね。双雲:一緒にいて、楽しいっていうのが一番いいですよね。一緒にいる時間が好きとか、楽しいとか安心感があることがすべて。それだけでいいと思う。楽しいよね~って。さまざまな失敗談も朗らかに語り、他者との比較や勝ち負けは関係なく、ただただ「自分が大好き」と言い切る武田双雲さん。小さなころからご両親がどんなときも肯定し、賞賛してくれたことが、その自己肯定感につながっている様子が感じられました。多くの人を惹きつける書についても、「集中が続かないぶん、1分に100時間分のエネルギーを込める」と、ご自身にあった方法で熱量の高い作品を生み出し続けているようです。アートに活きる考え方から、あたたかな親子の関係まで、発達が気になる子と向き合うヒントもたくさん詰まったインタビューでした。取材・文:関川香織撮影:CowfilmsLITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月12日発達ナビ誕生の背景発達ナビを運営するLITALICOは、子どもの発達をサポートする教室「LITALICOジュニア」を各地で運営しています。ですが、全都道府県に教室を出すには至っていない状況です。また、入会を希望しながらも待機いただいている方もたくさんいらっしゃいます。悩んだり不安を感じている保護者の皆さんを、教室以外でサポートすることはできないだろうか。ネット上であれば、どこにいても、つながることができる。情報をお届けすることができる。そんな思いから、2016年1月26日に、LITALICO発達ナビが生まれました。3年目の取り組みを振り返って発達が気になる子どもを育てるとき、保護者にはたくさんのことが求められます。情報収集に療育、支援者との面談や連携、さまざまな手だてを考え、サポートグッズを用意…。子どもとの時間は、その成長に喜んだり、何気ない出来事の中に幸せを感じることができる反面、体力面でも精神面でもつらいなと感じる場面も少なくありません。私たちは、そんな保護者の皆さんに、「発達ナビにつながっていれば、いまも、これからも、きっと安心」「つながっていると楽になれる」と思ってもらえる居場所でありたいと考えています。また同時に、お子さまたちがよりよい環境で暮らすことができるサポートもしていきたいと考えています。そこで2019年4月から・連載ライターによるエピソードコラム・発達障害の基礎知識といったコラムコンテンツに加えて動画コンテンツなど、コラム以外の形での発信をスタートしました。動画とコラム連動型のコンテンツの作成にも取り組みました。また、子育て記録を簡単にとれ、経験をシェアしたり参考にできる機能・ダイアリーをスタートしました。そのような中で、ユーザーの皆様からも、発達ナビで生まれた交流によって、子育ての不安や悩みが軽くなったり、前向きになれたという声も寄せられています。また、ダイアリーに素敵なイラストとともに毎日の子育てを描いてくださっていた、taekoさんのコラム連載が2月からスタートします!Upload By 牟田暁子(発達ナビ編集部 編集長)ダイアリーとはまた違ったタッチでの漫画やエッセイとなる予定です。お楽しみに!さんのダイアリーページ検索をもっとしやすく!知りたい情報を見つけやすく4周年に向けて、検索性の向上に取り組んできました。2020年1月27日から、トップページをリニューアル!知りたいことからコラムやダイアリーなどを探すことができるようになります。ユーザーの皆さんの「以前読んだあのコラム、見つけられない…」を解消したり、「なんて検索したらいいか分からないけれど…自分のもやもやした不安や悩みの解決のヒントを見つけたい」を叶えたいと開発した機能です。ぜひ活用いただけたら嬉しいです!Upload By 牟田暁子(発達ナビ編集部 編集長)Upload By 牟田暁子(発達ナビ編集部 編集長)Upload By 牟田暁子(発達ナビ編集部 編集長)また、ダイアリーのハッシュタグ機能をご活用いただくことで、知りたいキーワードに関するダイアリーを見つけやすくなりました。同じようなことに関心があったり書いているユーザーの皆さん同士がつながるきっかけにもなればと考えています。Upload By 牟田暁子(発達ナビ編集部 編集長)発達ナビ編集部の、いままで、そしてこれからの取り組みを動画でも簡単にまとめています。障害のない世界を目指して、さまざまな取り組みをしています発達ナビは編集部をはじめ、多くのスタッフがさまざまな取り組みを通して、「障害のない社会」を目指し、活動しています。お子さまが利用する場面の多い、発達支援施設への研修教材や運営支援サービスの提供などを通じて、間接的に、お子さまたちの支援がよりよいものとなるようなサポートもひろげてきました。研修教材サービスのご紹介心ある企業の皆さんとの協働によって、発達が気になるお子さまやその保護者の皆さんにとってより暮らしやすくなる社会を作っていきたいと、取り組みを重ねてきました。さまざまな取り組みをさせていただきましたが、コラム化した中からいくつかご紹介します。5周年に向けては、ユーザーの皆さん同士が交流しやすくなったり、ユーザーさんそれぞれに必要な情報があつまってくる仕組みづくりをすすめていきたいと考えています。そして、皆さんの暮らしの中で欠かせないポータルになってきたいと思っています。発達ナビにつながっていれば安心、発達ナビを使うとラクになる――そんな風に思ってもらえるように。これからも、もっともっと発達ナビを活用いただけたら嬉しいです。
2020年01月27日なにをどう記録すればいいの?Upload By 発達ナビ編集部今回は渡部先生に、障害のあるお子さんを持つ5人の保護者の方と座談会形式の中で、「記録をとるとどんないいことがあるのか」わかりやすく解説していただきました。■座談会に参加した保護者の方々伊藤みかこさん(医療情報フリーペーパー「ゲンキのモト」編集長):子どもは17歳(男の子)、14歳(男の子)、4歳(男の子)、0歳(女の子)。次男に知的障害があり、現在、特別支援学校の中学部に通っている。三男にASD(自閉症スペクトラム)傾向があり、発達が気になっている。木下暁子さん(主婦):子どもは12歳(男の子)、9歳(男の子)。次男が高機能自閉症。通常学級を経て、小学3年時より特別支援学級に通う。田中千尋さん(主婦):子どもは10歳(男の子)、4歳(男の子)。長男にソトス症候群があり、知的障害を伴う。現在、特別支援学校の小学部に通っている。子どもの成長ブログ田崎美穂子(フリーライター):子ども14歳(男の子)、12歳(女の子)、6歳(男の子)。長女に知的・身体障害がある。地域の小学校の特別支援学級を卒業後、現在は特別支援学校の中学部に通っている。牟田暁子(LITALICO発達ナビ編集長):子ども16歳(男の子)、11歳(女の子)。長女に希少疾患があり、現在、特別支援学校の小学部に通っている。障害年金は、病気や障害、ケガによって生活や仕事などが制限されるようになった場合に、現役世代の人も含めて20歳から受け取ることができる年金です。障害年金には「障害基礎年金」「障害厚生年金」の2種類があり、初めて医師の診療を受けたときに国民年金に加入していた場合は「障害基礎年金」、厚生年金に加入していた場合は「障害厚生年金」が請求できます。障害年金を請求する際に提出する書類には、「初診日がわかるもの」「医師の診断書」(※)「病歴・就労状況申立書」などがあります。支給額は、病気や障害の程度で決まります。また、審査は書類のみで行われるため、しっかりとした内容のものを作成する必要があります。審査は障害年金審査センターで行われ、請求手続き後から支給決定まで約3ヶ月かかります。※精神(知的)と肢体の両方に障害がある場合、どちらか重い(級や度数が大きい)ほうで請求する場合と、両方とも請求する場合があり、ケースバイケースです参考:障害年金 | 日本年金機構障害年金は20歳から受給できるので、20歳になる3ヶ月くらい前から書類を作成することになります。そのときになって「どういう子どもなのか」「どんな病歴があるか」「どんな支援が必要なのか」「どんな困ったことがあったか」などを思い出しながら書くのは、かなり大変な作業です。「そこで、メモやブログでもいいので、必要なときに必要な情報が取り出せる”ベースになる記録”を残しておくことが大切になってきます。障害年金だけでなく、子どもの成長過程で医療費の助成、手帳の申請など、親が書く書類は山ほどある。そんなときにも、ベースの記録から必要なデータだけ取り出せば楽ですよね。また、支援区分(※)の認定調査の際などにも参考になることがあります。さらに、将来子どもにかかわってくる支援者にとって、わかりやすい”子どもの取説”にもなりますし、記録を書いているうちに、”子どものために何を準備すればいいのか”という親の気づきにもなります」(渡部先生)※支援区分…18歳(高校卒業のタイミング)以降は、障害者総合支援法の対象となります。自治体による面談や約80項目の聞き取りを通じて、障害の特性や心身の状態に応じて必要な支援の度合を1~6の区分(数字が大きいほうが重度)に分けます。この区分によって、受けられる福祉サービスの内容や受給時間・日数が決まってきます。受けられるサービスとしては居宅介護(※※)、ショートステイなどがあります。支援区分は、何年かごとに見直しが行われます。※※居宅介護は、グレーゾーンの人で、障害年金を受給していない人や障害者・療育手帳を持っていなくても、医師の意見書で「支援区分1以上」と認められれば、受けることができます。独り暮らしだけど部屋の片づけをすることができない、朝起きられないなど、自分ではできないことを介助してもらうことができます。参考:サービスの体系 | 厚生労働省「障害年金受給は、8~9割医師の『診断書』で決まるといわれています。療育手帳などをとるときは、障害者本人と会って様子を見たうえで判断しますが、年金の場合は書類のみで判断します。それゆえ、書類を作成するための『記録』がとても重要になってくるのです。まず『障害の原因となった傷病名のために、初めて医師の診断を受けた日=初診日』は必ず記録しておきましょう。初診日要件といって、初診日があることが、受給要件になってくるためです。その後の通院歴、転院履歴、検査結果や医師の意見書などの医療的情報も記録する、あるいは控えておきましょう。検診や知能検査では表れにくいこと、たとえば家庭や学校などで日常的に起こる困ったエピソードや、支援がないとできない事柄なども記録しておきましょう。『学校でパニックを起こして机をひっくり返してしまった』『暴れたので、学校でこのような対応をしてもらった』など、細かい出来事が大切な情報になってきます。診断する医師全員が障害のことをきちんと理解しているとは限りません。医者に任せっぱなしにしたために困難さが伝わらず、『年金非該当』という悲しい結果にならないためにも、しっかり記録して医師に伝えましょう。記録は、医師が診断書を書くうえではもちろん、親が記入する『病歴・就労状況等申立書』を作成するうえでもとても重要なものになってきます。私の娘の年金を申請するときは、申立書に加え、『てんかんがあったため、こういうことができなくなった』『思春期になると男の子を追いかけた』など、障害があることでこんなに大変なんだという具体的なエピソードをたくさん書いた別紙書類(A4サイズ4枚)も添付しました。過去のことをたくさん書くのは、『20歳前の今はできることも増えたが、できなくなることもある、発達には波があるんだ』ということを伝えるためです。障害年金は『生きづらいからもらえる』のです。生きづらさが伝わるよう、アピールしてほしいと思います」(渡部先生)いざ障害年金受給のときになって、一度に詳細な記録のまとめをつくるのはとても大変なこと。「日々の出来ごとや、ちょっとした事件、通院の日時などを、その都度デイリーで記録することをお勧めします」(渡部先生)Upload By 発達ナビ編集部「1年ごとに市町村で配布している『サポートブック』や『親心の記録』などを活用して、毎年の成長や困りごと、または緊急連絡先や通院先などをまとめておくことも大切です。1年ごとくらいに見直し、書き加えなどをするといいと思います。このとき、診断書や診察券、お薬手帳などのコピーを添付しておくと確実なエビデンスにもなりますね。いろいろなところにバラバラと記録するより、ベースをひとつに決めてそこへ記録し、かつそこからアウトプットしていくことが望ましいです。紙ベースだと大変な量になってしまうので、できればデータでとっておくといいでしょう。就労や福祉サービス利用、年金申請、施設入所などの際に必要な情報を取り出しやすくなります」(渡部先生)親なきあと、地域の人と共に過ごすためにUpload By 発達ナビ編集部今回の参加者から、「現在地域の療育センターで診てもらっているけど、いつまで診てもらえるかわからない」「地域で、子どもの発達に関することを相談できる担当医がいない」という悩みもあげられました。地域にわが子を知ってもらい、親なきあとに子どもが地域の中で生きていくためには、なにが大切なのでしょうか。せっかくとる記録ですから、年金のためだけでなく、かかわるすべての人がわが子について理解しやすい「子どものトリセツ」になるようにしたいもの。その記録は親が子どものサポートができなくなった後、子どもが地域の中で生きていくために最も必要になってくるといっても過言ではありません。「地域の人をどれだけ巻き込めるか、近くの人たちにどれだけ子どものことを知ってもらうかが鍵になってくると思います。周りの人に理解してもらい、知ってもらうには、『どんな症状があって、どんな困ったことがあるのか』に加え、『どんな風に育ってきたのか』を記録しておくことで、とても伝わりやすくなります」(渡部先生)Upload By 発達ナビ編集部「地域の情報は、地域の親の会や学校のPTA、友人などから得るのがいい」(渡部先生)といいます。今回の座談会では、偶然にもお子さんが同じ学校に通う方がいて、同じ地域の病院や療育を紹介し合う場面が見られました。「この病院の先生は障害年金のことをよくわかっている」「この療育の先生は、ママの心のケアもしてくれる」など、発達が気になる子や障害のある子どもにかかわる施設情報は、やはり「口コミ」はとても大切な情報の一つとなるでしょう。また、学校の送り迎えで移動支援サービスを利用したくても、通学の場合は使えないとされています。しかし、地域によっては条件次第で使えるところもあったりします。「制度は一律であっても、自治体や事業所などで運用が異なる場合もあります。利用している友人や知り合いから口コミで情報を得ることが大切」(渡部先生)「わが子について、ダイアリーやブログ、サポートブックなどで記録することはもちろん、ほかの人が公開しているダイアリーやブログをチェックして、その人とつながっていくことも大切。同じような特性や障害のあるお子さんの情報を知ることができたり、同じ疾患を持つコミュニティーに参加できる、ということに広がっていきます。また、自分の子どもより少し年上のお子さんの例なども参考にできるため、わが子の将来をなんとなくでも描くことができる」(渡部先生)。記録をつける、ほかの人の記録を参考にするという「オンラインでのつながり」を持つことは、子どもにとっても保護者にとっても、大きな強みになるようです。医療とつながり続けることの大切さ今回の座談会では、参加した保護者の皆さんからの「記録」に関する質問や疑問に、渡部先生がわかりやすく丁寧に答えてくださいました。「医療とのつながりの重要性」や「グレーゾーンの子の場合」など、大切なポイントもたくさん話してくださいました。Upload By 発達ナビ編集部参加した保護者(以下、――)――小児科は18歳までなので、その後の主治医をどう見つければいいですか。渡部先生(以下、渡部): 「20歳まで診ますよ、年金のときの診断書を書きますよ」という医師もいるので、早めに確認しておいたほうがいいですね。年金申請に関しては20歳の時点が一番大切なので、今まで診ていてくれた人に書いてもらったほうが説得力がある。どこまで面倒診てくれるかは、小児科だったら今から聞いておいたほうがいいです。――カルテの保管は基本5年といわれています。転院などを繰り返して、初診日がわからなくなった場合はどうすればいいでしょうか。渡部:生まれながらの知的障害の場合は、生まれた日=初診日扱いになります。ただ、身体障害の場合は先天的に障害があったとしてもでも「初診日」が必要になってきます。知的障害以外は初診日(最初の診断)は必ず必要になってきますので、何かしらの診断書をたどっていかなくてはなりません。――転院した場合、「初診日」をどう追いかければいいですか?渡部:私の娘の場合、いくつか病院を代わり、「さて、初診日いつだっけ」となったときに、最初の病院に聞きに行きました。病院を変わる場合も当然多いので、もしわかっているなら最初からもらっておく必要があります。診てもらっていた医者が亡くなる、あるいは廃業する場合もあるので、早めにとっておきましょう。ただ、初診日が思い出せない、エビデンスがない場合は、「受診状況等証明書が添付できない申立書」という書類で証明することができます。Upload By 発達ナビ編集部――発達ナビのユーザーで、グレーゾーンで手帳もとれていなくて、身体も健康で知的障害もないため、主治医がいないあるいは主治医がきちんと把握できていないケースが多いのではないかと思われるのですが。渡部:発達障害や軽度知的障害のお子さんは、(服薬の必要がない、身体面で通院する必要がないなどのために、幼児期以降)医者に行かないことも多いようです。でも、障害年金のことを考えたら、1年に1回は何もなくても、脳波なり血液なり、なにがしかの検査を受けたほうがいいのではないかと思います。年に1回でいいから、医療とつながっていることが、とても大切になってきます。――(幼児期以降)知的・発達ともあまり困難を感じていなかったけれど、就労後、二次障害で働けなくなってしまったというケースも耳にします。20歳以前の初診日がない、あるいはいつ受診したか忘れてしまったという場合は?渡部:障害年金の申請では、知的(精神)障害や肢体不自由がある場合は医療につながっていることも多く、比較的申請・受給しやすい印象ですが、発達障害だと初診日の記録がなかったり、子ども時代に気づかれず二次障害が起きて初めて気づくケースもあるので、どうしても申請・受給しにくい傾向にあります。また、企業就労ができる人の場合「障害年金をもらおう」とは思わないかもしれませんし、周りが困っていても本人が困っていない場合は取りにくいということもあるでしょう。わが家の場合、長女に発達障害があります。現在は一般企業で働いているので障害年金はもらっていませんが、精神障害者保健福祉手帳は取得しました。手帳申請時はいろいろ書かなくてはならないので大変でしたが、手帳を取ればさまざまな福祉サービスが受けられます。手帳をとる際も、改めて「ログをとる」ということが非常に重要だと感じましたね。ちなみに、長女は一人暮らしをしていますが、特性もあり、なんとか仕事はできても日常生活ではいろいろな困難さを抱えています。そこで、休日にヘルパーさんに来ていただいて部屋の掃除や片付けなどをサポートしてもらうといった、生活面でのサポートをうけています。最後に渡部先生から、記録を取ることの大切さについてメッセージをいただきました。渡部:たまたま20歳という区切りで年金の申請がありますが、将来のことをしっかり見据えて記録してほしいと思います。結局親保護者は全部面倒を見られないわけですから、近くにどれだけ子どものことを知っている人をつくれるか、地域をどこまで巻き込めるかが大切になってくると思います。そういうとき、子どものことを知ってもらうためのツールはとても重要になってきます。年金もそうですが、そこから先もずっとあるということを念頭に置いて、いろいろなことを書き留めていただけたら、と思います。取材・文/田崎 美穂子撮影/近藤 誠Upload By 発達ナビ編集部約30年間出版社に勤務後、独立。2014年行政書士、2018年社会保険労務士登録。2級ファイナンシャル・プランニング技能士。世田谷区区民成年後見人養成研修修了。世田谷区手をつなぐ親の会会長。「親なきあと」相談室主宰。著書に『障害のある子の「親なきあと」~「親あるあいだ」の準備』(主婦の友社)、監修に『障害のある子が将来にわたって受けられるサービスのすべて』(自由国民社)などがある。
2019年10月30日4年目を迎えたLITALICO発達ナビ新編集長就任みんなでつくる発達障害ポータルサイトとして2016年1月26日にスタートしたLITALICO発達ナビ。会員さん同士が相談・交流できるQ&Aやコミュニティサービス、児童発達支援・放課後等デイサービスを中心に全国の社会資源とつながる「施設情報」、子どもの発達をサポートする企業さんとのタイアップ企画、編集部による子どもの発達やその支援に関するコラム発信など、さまざまなサービスをお届けしてきました。いつ、どこにいても自分に合った支援につながるように。地域・社会に働きかけた3年目のLITALICO発達ナビ本記事の書き手である私、鈴木悠平は創刊時から発達ナビ編集長として、会員のみなさんの声をお聞きしながら情報をお届けしてきましたが、この4月1日から、編集部デスクとしてともに働いてきた牟田暁子さんに編集長を引き継ぎます。自身も母親として発達ナビのサービスを積極的に利用していたユーザーだったという牟田さんに、これまでの仕事や子育てでの経験、これからの発達ナビの展望を語ってもらいました。Upload By 鈴木悠平「読者にいかに届けるか」出版社での編集者時代に学んだこと鈴木: 今日はですね、これから牟田さんが編集長ですということを、発達ナビ会員さんにもお知らせしたいなと思って企画しました。牟田さんっていう人がどんな思いで今までやってきて、これから発達ナビ会員のみなさんと一緒にどんな場をつくっていきたいか、みたいなことを、よもやま語る会です。牟田: よろしくお願いします。なんだか緊張しますね(笑)鈴木: まぁ好きにしゃべってください(笑)Upload By 鈴木悠平鈴木: 「私も発達ナビ使ってます!発達ナビで働きたくて、編集者を募集していないかな?と求人情報が出ないかずっと見ていました」と、2年ほど前に面接に来て入社してくれた牟田さん。「あぁ、もう絶対この人!」と思って採用しました。僕と違って出版社での雑誌・書籍の編集経験も長く、頼もしいなぁ、編集部をよりパワーアップさせてくれるだろうなぁと。これまでのお仕事の話も今日はお聞きできればと思います。牟田: 新卒の1社目は宝島社でした。隔週刊のファッション誌を担当していたんですけど、当時は今のようにネットも発展していなかったから、「雑誌」が最先端の一番新しい情報を集めて届けている、という自負や存在感がありました。ファッション誌で隔週刊っていうのは、当時でもほとんどなかったと思います。編集者7人で隔週刊の雑誌をつくるという体制でした。鈴木: なかなかハードだったでしょう。牟田: ハードでしたが、すごく楽しかったですね。自分がファッションとかカルチャーに関して一番新しいものを知っていたいっていう気持ちで、昼も夜も打ち合わせや執筆なんかでいつも忙しいかったんですけど、それでも時間をつくって業界の人と飲み歩いたりして。編集者としていろんな情報をキャッチするための、人とのつながりの大切さとか、その良い情報をどれだけ早く読者に届けるかということをすごく意識していました。2社目の主婦の友社では、女性向けファッション誌の創刊メンバーとして入社しました。この雑誌も、当時は隔週刊で。ファッション特集の担当者として、育休を挟みながら10年くらい携りました。ネットでインタビューなんてできない時代だったので、読者の方に会社に来てもらって100人インタビューをしたり、「47都市スナップ」という看板企画では、編集部員総出で47都道府県に取材に行って、その街のおしゃれな女の子を撮影したり、魅力的なお店やスポットについて聞いて回って紹介したり…とにかく「読者の立場に立つ」ということを徹底して行っていましたね。Upload By 鈴木悠平牟田: 2人目の育休あけに配属された書籍編集部では、書籍のほか、季刊のライフスタイルムックを出すタイミングだったので、それをメインで担当しました。社名が示すとおり、「主婦の友」として、生活の役に立つ情報を、「どれだけ噛み砕いてわかりやすく丁寧に細やかに伝えられるか」というところにすごくこだわっている会社でしたね。最新の情報をキャッチして、読者が夢や希望を持てるような情報発信をすることと、それを実際の生活に役立てられるように落とし込んでいくこと。2社それぞれで学んだことは、今でも発達ナビの編集をする上で意識していますね。希少疾患のある娘と歩んだ10年間。その子をその子として見つめてくれるセラピストと出会って鈴木: 牟田さんには二人のお子さんがおられて、僕も下の娘さんには何度か会わせてもらったのですが、牟田さんがこうした子どもの発達支援の仕事に関わるようになったのは、娘さんの存在も大きいのではないでしょうか。牟田: そうですね。娘はいま10歳。約2万人に1人の確率で生まれる希少疾患があります。発達障害のある子どもたちと特性や症状が重なる部分もかなりあります。Upload By 鈴木悠平鈴木: 発達障害に関しては、この10年で情報も支援環境もだいぶ変化してきたと思いますが、それでも発達ナビには日々たくさんのお悩みやご相談が寄せられていますね。10年前で、なおかつ希少疾患となると、より一層情報収集は難しかったでしょう。牟田: とにかく情報がなくて「この子に何をしてあげたらいいのか」がわからなくて…情報を探すところでものすごく労力を使っていたというのが大きいですね。今でこそ、発達障害の認知も上がってきましたし、発達ナビのようなサイトが月間100万人以上の方に使っていただけるような状況ですが、自分が出版社にいたときには、発達障害や障害のある子というテーマだけで成り立つような雑誌をつくるなんてことはちょっと考えられなかったですね。娘が産まれたころは、ネットを見てもブログを書いてる人はまだ多くなくて、自閉症やダウン症に関するブログが多少見つかった程度でした。でも、娘のような希少疾患のブログを書いている人は全然いなくて、そういう情報を知ろうと思ったらすごく難しい学術論文みたいなものを読むしかなかったんです。アメリカの文献を英語が出来る人に訳してもらったり、動画共有サイトに上がっている海外の動画を見て、一生懸命リスニングしながら「この子がやっている療育はなんだろう」と想像して、そこで拾ったキーワードをネットに入れてみて、そこで英語で引っかかってきたセラピーを調べたり…今みたいに翻訳ソフトの精度も高くなかったので、大変でしたよ(苦笑)比較的情報があった自閉症関連とダウン症関連の本、それから娘には身体障害もあるので脳性まひの本も読みながら、3つをミックスして「うちの子に一番合いそうな療育は何なのか」っていろんな情報にあたっていました。Upload By 鈴木悠平鈴木: それぐらい、海外情報も含めて、自分から「取りに行く」っていうのを頑張らないと、情報が見つからない時代だったんですね。牟田: ええ。でも、海外の動画を見てみると、アメリカの同じ疾患の子は私が思っていた以上にいろんなスキルを獲得できていたんですね。「この子、文字読んでるし、自分の思いを絵カードやサインで伝えてるじゃん!」って。だから、「できない」って最初から決めつけて何も教えないことは娘にとって失礼なんじゃないかと思って、とにかく日本で私にできることをやってあげたいなと思って駆け回っていました。私にとって大きかったのが、”りさせんせい”っていう、すごく力のあるアメリカ帰りのセラピストの先生との出会いでした。その先生は、娘のことを疾患名で見なかったんですね。娘を娘として見てくれて。それまで、どこかの先生のセラピーを受けに行くと、まず娘の疾患の説明をするだけで1時間ぐらいかかる、ということがほとんどだったんですね。全然知られていなかったので。りさせんせいと会う前も、私はそういう心づもりでいったんですけど、彼女は全然違ったんですよ。まずドアを開けた瞬間(※)に、「メリークリスマス!」ってパペットとともに入ってきて、もう娘は一瞬で心を鷲掴みにされてましたね(笑)※当時のセラピーは通所型ではなく訪問型が主流でしたUpload By 鈴木悠平鈴木: へええ、素敵。牟田: 私がいつものように娘の疾患や症状の説明をしようとしても、「お母さんそれは話さなくていいから!もう先に、お母さんのブログも見つけて全部読んできたの。私今日この子のセラピーしに来たんだから!」って言うんです。で、初回2時間のセラピーで、無発語だった娘から要求語の「あ!」を引き出して帰っていったんですよ。私が「この子喋れませんから」とか言っても「喋れないかどうか、まだわからないじゃない」って。これが私にとってすごい衝撃で。この先生はちゃんと娘を娘として見て、娘の中にある思いも全部汲んでくれてるんだなと思って、そこから娘との本格的な療育を始めんたです。鈴木: 疾患・障害の診断名ではなく、その子をその子として見る。発達ナビで一緒に記事をつくるなかでも、いつも大切にしていることですね。素敵な先生と出会いましたね。牟田: こういう自分の経験を、仕事や地域の活動にいかせないかという気持ちが、今の発達ナビの仕事にもつながっている気がします。出版社時代にも、障害のある子ときょうだい児のお話を描いた『イルカの子ーA Little Dolphin』という、当時絶版になっていた絵本を版元さんに提案して復刊させてもらったことがあるんです。無発語の重度の自閉症がある女の子とお兄ちゃんのお話で、うちの2人の子とも重ねてその本にすごく自分が救われたので、他にも悩んでいる保護者がいれば届けたいなと思って企画しました。Upload By 鈴木悠平他にも、地域の仲間と一緒に「プレーパーク」という活動も始めました。娘が成長したときにどこで暮らすんだろうということを想像したとき、どこか遠くの隔絶された場所じゃなく、地域の中で暮らせたらいいなと思って。それで、娘のように障害がある子もない子も、年齢も学校の垣根も越えて、たくさんの人とかかわれる場所、誰もが孤立せずにつながれる居場所をつくりたいなって思ったんです。一緒に活動している仲間たちとのつながりもまた、私たち家族を支えてくれています。和田堀プレーパーク鈴木: 発達ナビも、発達が気になる子どもの保護者さん同士が安心してつながれる居場所をインターネット上につくりたいと思ってはじめた経緯がありますね。牟田: 私もプレーパークを開いたり、他にも親の会に参加したりしてきましたが、そうしたオフラインの「地域」のつながりだからこそできることと、場所を問わずに、同じような特性がある子どものいる保護者同士がつながれるインターネットだからこそできること、両方が必要なんだなと感じています。思い描いていたものと違っても、この子にとって一番良い未来を鈴木: 年度末の1月〜3月には、発達ナビ会員さんにユーザーアンケートやインタビューをさせていただいて、改めてたくさんの会員さんのお話をお聞きしましたね。牟田: 本当に、いろんな地域、いろんな境遇の方に使っていただいて…日々忙しいなか、もっと使い易く、もっと一人ひとりに合った情報をお届けできるサイトにしていかないとなと感じました。Upload By 鈴木悠平鈴木: 3月にはチーム合宿もして、会員さんの気持ちや、日々の暮らしが発達ナビを通してどんな風に変わっていくといいんだろうって、みんなで話し合いましたね。牟田さんご自身も、娘さんが診断を受けてから今に至るまで、自分の気持ちや行動にはいろいろと変化があったと思うのですが、振り返ってみてどうですか。牟田: やっぱり一番最初に診断された直後は「何でこんなにかわいいわが子が、将来言葉も話せないの」っていうショックはありましたね、正直。今まで自分が思い描いていた「こうなるだろう」とか「こうなりたいな」という未来と、全然違う未来を急に突きつけられたような感覚で、どうしたらいいかわからない不安がありました。でも、たとえ思い描いていたものと違う未来であっても、その未来の中で一番良い未来…この娘にとって幸せな道を一緒に歩んでいってあげたいなって、家族で話すなかで思うようになったんですね。それで、先ほど話したようないろんな療育情報を探すようになりました。鈴木: 娘さんにとって、一番良い未来を。牟田: 将来が見えなくて不安でいっぱいだったときに、一番嬉しかったのは、通っていた保育園の園長先生のことばでした。あまりに重度の障害なので、診断を受けたあと、娘はもう保育園に通えなくなるのかなって思って、園長先生に相談に行ったんですよ。そしたら先生が、「自分は療育や医療の専門家でもないけれど、お母さんがいいって言ってくれるんだったら一緒に育てたい」って言ってくれて。先生、本気なんですよね。本気で寄り添ってくれるのがわかる言葉で。「やめないでいてほしいし、お母さんがいいって言ってくれるなら私達も精一杯勉強したいし、教えて」って。「とにかく一緒に、娘さんを真ん中に育てていこう」って、そうやって言ってくれたんです。Upload By 鈴木悠平牟田: やっぱり、一番最初に味方になってくれる人がいるっていうのは、障害のある子の親にとって、そこから元気になってまた歩いていく上での、大きなきっかけになると思うんです。鈴木: そうですね、本当に…牟田: 娘も他の子どもも一緒に過ごせるように、言葉だけでなく実際にものすごくいろんな工夫をしてくださったんですよ。たとえば、「山登り」の行事ひとつとっても、娘が車椅子でも参加できるケーブルカーのある登山先を探してくれて。みんなで「山に登る」っていう、ほかの子たちのやりたいことも達成しながら、うちの子も一緒に登れるっていう経験をすごく大事に考えてくれて、場所も選定してくれたんです。娘には睡眠障害もあるんですが、そういったいろんな先生方の工夫のおかげで、2泊3日の合宿行事にも参加できたんですよ!鈴木: 障害の有無にかかわらず、必要な支援をしながらみんなで同じ場で過ごせるようにする。まさに「インクルージョン」ですね。牟田: とにかく寄り添って、「子どもを真ん中に」というふうにかかわってくれた園だったので、私の気持ちが前向きになったきっかけは、この園の存在が大きいですね。園長先生は、向き合うというより、隣にいてくれて伴走してくれるような方だったんです。それから私の両親も夫の両親も、娘の診断のことを話しても「全然大丈夫よ」って、障害の詳しい知識や理解とかは難しくても、ただ孫のことを100%受け入れてくれて、救われました。一番身近な人たちに否定されなくて、みんなが本気で伴走してくれたから自分自身も歩いてこれたっていう経験を、どんな人にもしてもらえたら…発達ナビを、自分のことを肯定してくれる仲間と出会える場所にできたら…そんな思いでいまここにいます。10年前と比べて世の中も変化してきましたが、まだまだ周囲の理解を得られなかったり、身近な生活圏で仲間と出会いにくかったりして、孤独な思いをされている保護者さんも少なくないと思います。私が保育園で経験したように、ちょっとの工夫で多様な子どもたちがみんなで過ごせるようになる。そんな場所を社会の中にもっと広げていきたいですね。Upload By 鈴木悠平どんな状況の人にとっても「安心基地」となれるサイトに。会員さんと一緒につくっていきたい鈴木: これまで編集部のメンバーとして働いたりユーザーとして発達ナビを使ったりした上で、これから編集長を担っていくわけですけど、これからどんなことをやっていきたいですか。牟田: 最初にユーザーとして発達ナビを知ったとき、開かれた感じのメディア、媒体だなと思っていたんですね。子どもに障害や疾患があっても、悲観しなくてもいいと思えるような、いろんな情報や体験談があって。ユーザーさん同士のQ&Aコーナーなどでのやり取りも、本気で相手のことや状況を慮って考えられているな、本気で相手の困りごとに寄り添おうとされているんだなというのが伝わってくる投稿にたくさん出会いました。そういうサイトのあたたかさ、ここにくると安心と思える、包み込んでもらえる…そういう体験を一番大事にしたいなと思っています。紙媒体と違って反応がすぐ返ってくるのも、編集者としてこの仕事をはじめて新鮮だったところです。それぞれの会員さんの熱量だったり、心のひだみたいなところが伝わってくるのがすごくありがたいですね。鈴木: 先日実施したユーザーアンケート・インタビューも、改めて学びと発見、そして反省・改善点に気づかせてもらえる機会でしたね。たとえば、コラムの内容の詳しさやテーマの幅についてはご好評いただいているけれど、より「自分の境遇」に合わせて情報を探したり受け取ったりするには、まだまだ足りない部分がありますね。自分の住む地域ごとに情報を探しにくかったり、特性や悩みごとのキーワード検索のコツがわかりにくかったりという声がありました。より「個別最適」なサイトに向けて進化していきたいですね。Upload By 鈴木悠平牟田: はい。今年度は記事をこちらから一方的に出すだけじゃなくて、もっと会員さん同士の交流や発信を豊かにできるような機能を作りたいなと思っています。いまのQ&Aやコミュニティでも積極的に使ってくださっている人もいますが、一人ひとりの生活状況も気力・体力の状態もさまざまだと思うんです。「もう毎日暮らすだけで大変なの」という人でも、そんなに大変じゃなく情報を得られるしつながれる、もっともっと使いやすいサイトにしていきたいなと思います。鈴木: すでに開発チームのエンジニアとも、具体的な改善点や、新しいサービスについて議論が進んでいますよね。今後はそういったサイトの改善プロセスも、会員さんにより詳しくお伝えしたり、意見をいただけるような流れを作れると良いかもしれないですね。牟田: とにかく発達ナビが、ユーザーのみなさんにとって、ひとつの「安心基地」になってくれるといいなと思っています。便利であり心の支えであり、現実面でも精神面でも、いろんな面で安全で必要な場所にもっとなっていきたいなと思っていますね。そのためには何が必要なのかなって、常々考えています。情報発信についても、コンテンツの幅をもっと広げていきたいし、今までつくってきたコラムをもっと活用できるような仕組みも必要かもしれない。また、つながって交流するっていうだけでなく、誰かに聞かなくても自分でひっそりと思いを綴っているところに誰かがそっと寄り添ってくれるような、そういう仕組みが必要なのかもしれないし。あとは、発達ナビには全国の支援施設の情報も掲載しているのですが、施設の支援者の人たちともつながりやすくなるような仕組みとか…。例えば、発達ナビのマイページにお子さんの「サポートブック」を置いておいて随時更新しておける。それを支援者の人が見に来てくれると「今好きなこと」「学校で取り組んでいること」などを、都度連絡帳や面談などで伝えなくても、いっぺんに伝えられて、日々の支援につなげられるようなことができたらいいな、と。とにかくいろんな面で安心できる場所にしていきたいなと思っています。Upload By 鈴木悠平鈴木: いいですね。そのままの牟田さんで牟田さんらしく、4年目の発達ナビを作っていってほしいなと思います。やっぱり発達ナビは、会員さんと一緒に作っていく場所だと思うので、会員さんと対話しながら一緒につくっていく、そのプロセス自体を楽しんでもらえると嬉しいです。牟田: 新卒で宝島社に入ったとき、最初「週刊宝島」で研修していたんです。そのときの編集長が今でも大好きで。会議室に呼ばれて「君たちは編集者になれて自分は偉いと思っているかもしれないけど、編集者なんて自分一人じゃ何も作ることができないんだ。すごい力を持ったいろんなスタッフの人がいてこそ誌面を作ることができるんだから、いつも感謝や尊敬の念を忘れるな」って言われたのがすごく響いて。それがいつも心の中にあります。鈴木: まさにそのとおりですね。会員さんや、発達ナビの他のチーム、施設や企業の方々、みなさんの力を借りてこそ、サービスをつくっていくことができますからね。牟田: 悠平さんも、異動してからも助けてくださいね(笑)鈴木: わかりました、牟田さんの頼みなら(笑)Upload By 鈴木悠平
2019年04月01日東京都・浅草のGallery HATCHは、陶芸家・小山暁子氏の個展「小山暁子展-pollen-」を開催する。会期は11月3日~11月8日。開場時間は16:00~20:00(土・日・祝日は14:00~)。入場無料。同展は、身近な題材からストーリーを紡ぎだし、抽象化した陶立体作品やポエティックな陶器のテーブルウェアを制作する陶芸家・小山暁子氏の個展。「pollen(花粉)」をテーマとしたアート作品がを2階ギャラリーに、テーブルウェアの新作が1階バースペースに展示・販売されるということだ。また、開催初日の11月3日 16:00からは、同ギャラリーにおいて誰でも入場可能なレセプションの開催が予定されている。なお、小山暁子氏は1980年東京生まれ。2006年女子美術大学大学院 修士課程陶造形領域 修了。卒業後、都内の陶芸教室講師、陶芸作家のアシスタントを勤め、現在は女子美術大学助手。東京郊外に窯を構える。都内ギャラリーを中心に、近年は国内外の美術館企画展などへも出展している。
2015年10月29日