耳かきで至福の時間を提供する株式会社みみくるは、中国式「耳かき専門店みみくる」を2023年7月20日(木)に東京 新宿御苑・10月25日(水)に神奈川 鷺沼・10月29日(日)に東京 中目黒と続けてオープンいたしました。気持ちよさ別格の耳かき~FC化開始して多店舗展開開始FC加盟連募集中■「耳かき専門店みみくる」の特徴中国式耳かきですが、オール日本人セラピストで日本式のおもてなしと繊細な中国式の耳かきの合わせ技で多くのお客様に喜ばれています。中国式耳かきは日本の耳かきと違い、12種類の耳かきの種類を駆使して顔周りのマッサージから入り耳の中のマッサージもしながらソフトタッチで耳をきれいにしていきます。お客様の多くはその気持ちよさにうたた寝に導入されて気持ちよい睡魔に襲われますので、睡眠効果なども期待できます。元々は中国の四川州で始まったもので、3,000年前から中国では存在しました。中国の皇帝や皇室に向けて行われたサービスが民間に降りて中国では定着したもので、ものすごく気持ちが良く普通の耳かきと別格の耳かきとなります。メニューの中には耳シャワーというメニューなどもあり、耳の中に温かいお湯を入れて耳の中を掃除します。何とも言えない気持ちよさがあるので、一度味わっていただけると病みつきになる気持ちよさと話題です。中国式耳かきは、提供されているところがほとんどなく人気のサービスです。YouTube等での動画は2,500万回再生されるほど大人気です。是非、一度絶妙な耳かきを体験して至福の時間を体験してみてください。お店はオープン初日から満席が続き大変にぎわっています。そんな中、FC化を準備しており、現在3店舗を展開しています。今後も店舗数は増えていく予定です。■店舗概要【新宿御苑前店】オープン日:2023年7月20日(木)所在地:東京都新宿区新宿1丁目32-1 苑フタミビル3F301TEL :080-7316-3665【鷺沼店】オープン日:2023年10月25日(水)所在地:神奈川県川崎市宮前区鷺沼1丁目11-18 TMビル3FTEL :050-5497-6510【中目黒店】オープン日:2023年10月29日(日)所在地:東京都目黒区青葉台1-27-10TEL :070-8436-3396FC加盟店も募集中です。詳しくはお問い合わせください。≪メニュー(税込)≫※各種割引あり○40分コース料金:4,480円内容:耳かき・耳つぼマッサージ○60分コース料金:6,480円内容:Aコース耳かき・耳つぼマッサージ・耳シャワーBコース耳かき・耳つぼマッサージ・首腕肩マッサージ○90分コース料金:9,480円内容:耳かき・耳つぼマッサージ・耳シャワー・首腕肩マッサージ≪営業時間≫11:00~23:00(ラストオーダー21:30)(出典元の情報/画像より一部抜粋)(最新情報や詳細は公式サイトをご確認ください)※出典:プレスリリース
2023年11月09日耳かきで至福の時間を提供する株式会社みみくる(所在地:東京都新宿区)は、中国式「耳かき専門店 みみくる」を2023年7月20日(木)に東京 新宿御苑・10月25日(水)に神奈川 鷺沼・10月29日(日)に東京 中目黒と続けてオープンいたしました。みみくる 新宿御苑前店■「耳かき専門店 みみくる」の特徴中国式耳かきですが、オール日本人セラピストで日本式のおもてなしと繊細な中国式の耳かきの合わせ技で多くのお客様に喜ばれています。中国式耳かきは日本の耳かきと違い、12種類の耳かきの種類を駆使して顔周りのマッサージから入り耳の中のマッサージもしながらソフトタッチで耳をきれいにしていきます。お客様の多くはその気持ちよさにうたた寝に導入されて気持ちよい睡魔に襲われますので、睡眠効果なども期待できます。元々は中国の四川州で始まったもので、3,000年前から中国では存在しました。中国の皇帝や皇室に向けて行われたサービスが民間に降りて中国では定着したもので、ものすごく気持ちが良く普通の耳かきと別格の耳かきとなります。メニューの中には耳シャワーというメニューなどもあり、耳の中に温かいお湯を入れて耳の中を掃除します。何とも言えない気持ちよさがあるので、一度味わっていただけると病みつきになる気持ちよさと話題です。中国式耳かきは、提供されているところがほとんどなく人気のサービスです。YouTube等での動画は2,500万回再生されるほど大人気です。是非、一度絶妙な耳かきを体験して至福の時間を体験してみてください。お店はオープン初日から満席が続き大変にぎわっています。そんな中、FC化を準備しており、現在3店舗を展開しています。今後も店舗数は増えていく予定です。施術イメージ■店舗概要【新宿御苑前店】オープン日:2023年7月20日(木)所在地 :東京都新宿区新宿1丁目32-1 苑フタミビル3F301TEL :080-7316-3665【鷺沼店】オープン日:2023年10月25日(水)所在地 :神奈川県川崎市宮前区鷺沼1丁目11-18 TMビル3FTEL :050-5497-6510【中目黒店】オープン日:2023年10月29日(日)所在地 :東京都目黒区青葉台1-27-10TEL :070-8436-3396FC加盟店も募集中です。詳しくはお問い合わせください。≪メニュー(税込)≫ ※各種割引あり○40分コース料金:4,480円内容:耳かき・耳つぼマッサージ○60分コース料金:6,480円内容:Aコース 耳かき・耳つぼマッサージ・耳シャワーBコース 耳かき・耳つぼマッサージ・首腕肩マッサージ○90分コース料金:9,480円内容:耳かき・耳つぼマッサージ・耳シャワー・首腕肩マッサージ≪営業時間≫11:00~23:00(ラストオーダー21:30)≪ホームページ≫ 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年11月07日『うみみたい』は、気鋭の詩人・水沢なおさんによる初小説集だ。産むこと、増えることに惹かれながら臆するうみと、生まれてきたこと、産むことを否定したいみみ。表題作は、性や生殖をめぐって異なる思いを持つふたりを軸に描かれる。身体、性、生殖、たまご、海、水…透き通った感性に瞠目し、共鳴する。「自分の中にはその両方の気持ちがあるんですね。特に〈うみたい〉というより〈ふえたい〉といううみの気持ちに近い気がします。そのふたつがどう違うのかを突き詰めてみたいというのもありました」うみとみみは副業で、むむというキャラクターぬいぐるみのネット販売をしている。うみのアルバイト先〈孵化コーポ〉は、卵生生物をブリーディングする施設だ。ポケモンのミュウツーの名言〈だれがうめと頼んだ〉…作中に登場するモチーフが世界観を幾重にも塗り重ねる。「言葉を集めたというか、思い浮かんだ言葉の中に〈うみみたい〉があったんです。この5文字に、生殖や海など自分が大切にしてきたモチーフや感覚が入っていると感じ、その言葉に導かれるように、ストーリーができてきた気がします。ダブルミーニングになるなど、これぞと思う表現や言葉ってそんなに出合えない。だからこそ、出合えたときには湧き出るものがある。見えていなかった世界が広がるんですね」うみとみみは同じ美大卒。在学中からその才能で特別な存在だったみみのアトリエに、うみが転がり込む形で同居は始まった。そんなふたりの無二の関係性から、読者もまた自身が抱えてきた感情や価値観を見つめることになる。「互いが親密になって溶け合っていく感じって、自分が消えていく感覚にも近いような気がして。そうなれるほど大切な人と出会えた喜びの中に、やわらかな孤独も光っている。そういう表裏一体な感覚は書きたかったです」読者から「みみに幸せになってほしい」という感想をもらい、小説を書く面白さを強く感じたという。「詩では人物はむしろ曖昧にして読み手ごとの多様な解釈や感情をかき立てるのが書く楽しさかなと思っていたのですが、小説だと作中人物が読者の中にリアルに存在して世界を広げていくことができるんだなと」うみとみみが互いの違いを認めながら決めたこととは。かけがえのない美しさに満ちたラストシーンだ。『うみみたい』表題作ほか、何もかもがたまごから生まれたらいいのにと思う女性のひとり語り「スウィミング」など、4つの中短編を収録。河出書房新社1760円みずさわ・なお1995年、静岡県生まれ。武蔵野美術大学卒。2019年に第一詩集『美しいからだよ』が発売になり、第25回中原中也賞を受賞。’22年に刊行した第二詩集『シー』は発売即重版。※『anan』2023年5月17日号より。写真・土佐麻理子(水沢さん)中島慶子(本)インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2023年05月14日20世紀日本を代表する画家・猪熊弦一郎の生誕120年を記念する展覧会が、9月17日(土)から11月6日(日)まで、神奈川県の横須賀美術館で開催される。少年時代を過ごした香川県丸亀市の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の協力のもと、約70年に及ぶ創作活動を振り返り展観する。1902年に生まれ、1993年に亡くなった猪熊は、まさに激動の20世紀を生き抜いた画家だ。東京美術学校で藤島武二に師事し、具象的な洋画を発表して帝展で活躍。1936年には、新芸術の確立を目指す有志らと「新制作派協会」を結成する。1938 年に渡仏し、マティスやピカソらと交流するも、第二次世界大戦勃発後は、先輩画家の藤田嗣治らとともに帰国。戦中は、作戦記録画の制作にも携わった。戦後の猪熊は、三越の包装紙のデザインや、慶應義塾大学や上野駅の壁画を手がけるなど、社会との関わりを強めていく。1955年、53歳で再渡仏を決意するが、途中で立ち寄ったニューヨークに魅せられると、アトリエを設け、20年にわたって同地で活躍。健康上の理由から帰国するも、以後は温暖なハワイと日本を拠点に精力的な活動を続けた。同展は、こうした猪熊の各時代の作品を丁寧に紹介し、その画風の展開を明らかにするものだ。初期の伝統的な具象画から、新制作派協会展で発表したモダンな作品、マティスの助言により新たな展開を見せた滞欧作、ニューヨークで確立した抽象画、ハワイの影響で色彩のコントラストが鮮やかさを増した作品、そして晩年の「顔シリーズ」まで、代表作を多数含み見応えがある。同展のもうひとつの見どころは、商業デザインやパブリックアートにも焦点をあて、絵画以外の仕事も手厚く紹介すること。雑誌の表紙絵や挿絵、本の装幀、また身近な素材でつくった小さなオブジェ群なども合わせて展示される。「絵描きには定年がない。死ぬまで未知のものに向かって走り続ける」という言葉通り、生涯現役で仕事を続けた猪熊弦一郎。その多才な画家の全貌に迫る貴重な機会となる。猪熊弦一郎《サクランボ》1939 年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵 ©The MIMOCA Foundation猪熊弦一郎《マドモアゼル M》1940 年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵 ©The MIMOCA Foundation猪熊弦一郎《三人の娘》1954 年 横須賀美術館蔵 ©The MIMOCA Foundation猪熊弦一郎《驚く可き風景(B)》1969 年 東京国立近代美術館蔵 ©The MIMOCA Foundation【開催概要】『生誕 120 年 猪熊弦一郎展』会期:2022年9月17日(土)~11月6日(日)会場:横須賀美術館時間:10:00~18:00休館日:10月3日(月)料金:一般 1,300円、大高・65 歳以上 1,100円 (11月3日は無料観覧日)美術館公式サイト:
2022年09月02日企画展「生誕120年猪熊弦一郎展」が、横須賀美術館にて、2022年9月17日(土)から11月6日(日)まで開催される。猪熊弦一郎の仕事を展観猪熊弦一郎は、1902年に香川で生まれた、20世紀日本を代表する画家だ。戦前にはパリ、戦後は東京、ニューヨーク、ハワイと拠点を変えつつ活動するなかで、猪熊の画風は具象画から抽象画へと変化し、晩年には具象と抽象の枠を超えた作品を制作。また、戦後には三越の包装紙デザイン、慶応義塾大学学生ホールや上野駅中央コンコースの壁画を手がけるなど、社会との関わりも強めていった。香川に生まれた猪熊は、上京後、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科で藤島武二に師事。1926年に《婦人像》で帝展に初入選を果たし、1934年まで主に帝展で活躍した。1936 年には、小磯良平、佐藤敬、中西利雄、脇田和らと新制作派協会(現・新制作協会)を結成し、同展を中心に作品を発表するようになる。1938年には渡仏し、最先端の芸術都市であったパリでアンリ・マティスやパブロ・ピカソと交流。しかし、第二次世界大戦が勃発すると帰国し、フィリピンやビルマに派遣されて作戦記録画を手がけている。戦後、1953年に父を看取ると、自身の画業の見直しと画家としての再出発を志してパリに向かうことを決意。しかし、その経由地点として滞在したニューヨークでソール・スタインバーグやマーク・ ロスコらとの交流が生まれ、同地に居を定めることになる。晩年は、冬に温暖なハワイで、それ以外の季節に日本で制作。ハワイの環境は作風にも変化をもたらし、コントラストの鮮やかな色彩が生まれたと猪熊自ら語っている。1988年には、長年連れ添った妻を亡くすも、その後始まる「顔シリーズ」によって新たな展開を示すことに。1993年にこの世を去るまで、精力的に活動を続けた。一方、猪熊はデザインの仕事にも携わり、その代表例が、三越の包装紙「華ひらく」だ。そのほか、テキスタイルデザインや本の装幀、雑誌の連載小説の挿絵なども数多く手がけた。当時、タブロー絵画よりも低く見られていた商業美術にも積極的に関わり、社会のなかで芸術家が果たすべき役割を自ら担おうとしたのだった。企画展「生誕120年猪熊弦一郎展」は、猪熊の仕事の全貌に迫る展覧会。猪熊本人から寄贈を受けた約2万点の作品を所蔵する香川・丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の協力のもと、滞仏最後の作品となる《マドモアゼルM》や晩年の《顔80》など、絵画の代表作を筆頭に、パブリックアートやデザインの仕事、身近な素材で作られたオブジェなどを展示する。展覧会概要企画展「生誕120年猪熊弦一郎展」会期:2022年9月17日(土)〜11月6日(日)会場:横須賀美術館住所:神奈川県横須賀市鴨居4-1開館時間:10:00〜18:00休館日:10月3日(月)観覧料:一般 1,300円(1,040円)、高校生・大学生・65歳以上 1,100円(880円)、中学生以下 無料※無料観覧日:11月3日(木・祝)※( )内は20名以上の団体料金※高校生(市内在住または在学に限る)は無料※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の所持者および付添者1名は無料【問い合わせ先】横須賀美術館TEL:046-845-1211 (代表)
2022年07月31日■前回のあらすじお互いに不満や愚痴を吐き出し、理解を深めた夫婦。気持ち的にもスッキリすることができたのでした。■喧嘩し、お互い変化を重ねて…喧嘩している間はお互いにカッカしているのですが、数時間後にはどちらかが謝って(基本は夫)仲直り→話し合いを繰り返していました。その積み重ねで徐々にお互いに変化していき、夫にモヤモヤすることも減っていったのですが、スキンシップの方は、いまだにしたいとは思えず…。■夜のお誘いを解禁してみることにこの時はまだ授乳もしていたので、寝かしつけた後もいつ起きるかハラハラしていて…。気持ちの切り替えがスパッとできれば良いのですが、私には難しかったです。次回に続く「夫と私の話」(全40話)は17時更新!
2022年03月04日「夜中に起きて授乳するの? しかも3時間起きに!?」……出産前は自分でもまったく想像できませんでした。でも、産後の育児はノンストップ。とにかく頑張るしかありませんでした。 そんな無我夢中だった新生児期も過ぎ、ようやく夜泣きが落ち着いたと思ったら今度は「離乳食を食べてくれない」という問題が。新生児期から2歳までの子育てでどん底だったときのエピソードをお伝えします。 とにかく眠り足りなかった新生児期 みなさんの体験談で「出産後1〜2カ月はとにかく無我夢中だった」という話をよく見かけますが、私もまさにそう。特に最初の1カ月は、何をしていたか正直記憶がありません。初めての育児でわからないことだらけで、この子が死なないよう、とにかく授乳を繰り返すことに必死でした。その授乳のメモをタイマーアプリに記録し続けることをよりどころにしていました。 夫は育児に協力的で、おむつを替えたり家事を手伝ってくれてはいましたが、母乳をあげられるのは私しかいません。昼夜問わず、2〜3時間ごとに起きることになり、まとまった睡眠がとれなくてつらかったことを覚えています。 危うく赤ちゃんを枕にして寝ようとしたことも!あまりに眠くて、うっかり子どもを枕にしそうになったこともありました。自分が寝ているマットレスの隣に、赤ちゃん用の布団を敷いていたのですが、子どもを布団に戻したはずが、自分のそばに置いてしまったのでした。 そのときは偶然夫が起きていたため、赤ちゃんの上に寝そうになった私を慌てて止めてくれたのですが、自分の注意力のなさに呆れました。当時のことは未だに夫にネタにされています。 作った離乳食をゴミ箱に捨て続けた地獄の1年間産後数カ月経つと、徐々に睡眠不足も解消されました。しかし、次は「離乳食をまったく食べてくれない」という新しい悩みが生まれました。生後7カ月くらいから、10倍がゆを与えようとしたのですが、ひとくち口に入れると「(まずい!)」とでも言いたげな嫌そうな顔をして吐き出してしまいます。「まあまだ7カ月だしね……」と思い、その後も試していたのですが、生後8カ月、生後9カ月と過ぎ、いつのまにか周りの子は離乳食後期の食事が摂れるようになっていました。しかし、うちの子は一口も食べないどころか、離乳食にまったく興味がないようでした。 食べないだろうなあと思いながらも、季節の野菜や良質なたんぱく質の食材を、ペーストにしたり刻んだりを毎日繰り返していました。今日こそは、と思ってテーブルに並べますが、子どもはまったく興味を示しません。どうしようもないとは思いながらも、悲しかったです……。 作った離乳食は捨てていました。健診などで相談しても、「食べなくても一応作ってください」と言われるばかりで、どうしたらいいかとても悩んでいました。 おにぎりの米を“1粒ずつ”食べるわが子……1歳半ごろになるとようやく、手づかみ食べなら数口だけ食べてくれるようになりました。クッキーなどの固いものは好きだったので、離乳食独特の柔らかい食感が苦手だったのかもしれません。おにぎり(子ども用に小さく一口サイズにしたもの)も手にとってくれるようになったのですが、なんと、お米を1粒ずつ手にとって口に運んで食べていました。「なんて器用なの……!」という小さな感動はありましたが、1粒ずつゆっくり食べるので、小さなおにぎりを食べるのに時間がかかり、量もほとんど食べられません。 なかなか離乳も進められず、この子は将来ちゃんとごはんが食べられるんだろうか……ととても心配でした。 2歳すぎてようやく離乳!結局、うちの子は、2歳になるまでほぼ母乳で栄養を摂取していましたが、2歳を過ぎた今ではしっかりごはんを食べられるようになりました。小さめのおにぎりなら、一気に2〜3個手にとって食べています。おにぎりを口いっぱいに頬張る様子を見て、 お行儀が悪いなあと思いながらも、お米を1粒ずつ食べていたころからの成長を感じてうれしく思います。 お世辞にもスムーズに離乳ができたとは言えませんが、それでも平均体重よりもずっと重く、健康に成長してくれました。当時は本当に心配していましたが、しっかり母乳が飲めていたことで子どもは満足していたのかもしれません。これからも、悩んだりつらかったりするようなできごとは起こると思いますが、この子に会えたことに感謝して、毎日を楽しめたらと思っています。 著者:猪熊みく神奈川県出身、東京在住。2歳1児の母。時短勤務と子育てで日々忙しいが、料理が好きで、子どもと料理をするのが癒やしの時間。今欲しいものは「バイタミックス」。
2019年12月27日無類の猫好きである猪熊弦一郎 猪熊弦一郎さんは、昭和の百花繚乱の画壇において試行錯誤を繰り返すも、常に独自の境地を維持しながら、個性的な作品群を残した画家です。戦前に留学先のフランスでアンリ・マティスに学び、戦後はニューヨークやハワイを拠点とし、90歳で亡くなるまでの約70年という画業の中で、おびただしい数の作品を生み出しました。そんな彼による芸術は猫だけにとどまるものではありませんが、「いちどに1ダースの猫を飼っていた」ほどの無類の愛猫家であり、私生活としても作品モチーフとしても猫は重要な存在でした。 猫たちとの素敵な生活 猪熊弦一郎さんが ”猫愛” に目覚めたのは、1926年一目惚れした女性・文子さんとの結婚がキッカケでした。猫好きだった妻の影響で、猫との共同生活がスタート。1946年、夫婦で田園調布に移ってからは、拾い猫や生まれた猫を育てるうちに、自然と多頭飼いとなったそうです。それほど愛した猫たちは芸術にも大きなインスピレーションを与えてくれました。素早い筆致で正確に捉えているにもかかわらず、その表情や仕草は世の猫好きをとろけさせるような愛しいもので、画家特有のこだわりというよりかは、猫そのものへの愛情が手を伝って表現されています。 “猫愛” 故の美への探求 猪熊弦一郎さんは、猫たちの姿を画家の目で捉え、写実的なスケッチ、シンプルな線描、デフォルメした油彩と、様々な猫の魅力を存分に享受し、創作に挑戦していきました。モチーフとしての猫に対する客観的な視点と、友としての猫に対する敬愛の念が呼応し、1950年代前半は幾何学形を使ったり、一筆書きのように単純な線で囲んだりし、猫の絵を一要素とすべくあれこれ工夫した作品を精力的に描いてます。どんなモチーフを描こうとも、形と色のバランスに注視し、構成されている絵画作品は、具象も抽象も関係なく、一貫性が感じられました。 猫が好きな人も、そうでない人も、猪熊弦一郎の芸術に触れられる ユーモラスな猫たちの姿から、面白い猫の生態はもちろん、それを慈しみながら観察していた愛猫家兼画家の視点が見て取れる本展覧会は、猪熊弦一郎さんの地元・香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館所蔵の猫を描いた油彩、水彩、素描、猫以外の主題の作品も若干加えた約160点によって構成されています。会期中には撮影可能エリアが設けられるだけでなく、本展覧会に登場する猪熊弦一郎の描いた猫たちをモチーフにした展覧会オリジナルグッズが多数展開中!是非、猫が好きな人も、そうでない人も、彼が愛した猫たちを描いた作品を介し、猪熊弦一郎の奥深い世界に触れてみてはいかがでしょうか? 【情報】猪熊弦一郎展猫たち会期:2018年3月20日(火)〜2018年4月18日(水)会場:Bunkamura ザ・ミュージアム開館時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)夜間開館:毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)休館日:会期中無休 【プレゼント応募】本展覧会の無料鑑賞券をプレゼント致します。件名に【『猪熊弦一郎展猫たち』チケットプレゼント】に加え、下記の情報を記入の上、info@pelulu.jp宛にメールにてご応募下さいませ。名前(漢字/カナ)郵便番号住所電話番号Q1:pelulu.jp内で今までで面白かった記事3つをあげるとしたら?Q2:今後pelulu.jpで取り上げて欲しい記事を3つあげるとしたら?応募締切日:4月4日プレゼント当選者は発送をもって代えさせていただきます。
2018年04月05日香川県出身の画家である猪熊弦一郎の“猫”を描いた作品を集めた展覧会「猪熊弦一郎展 猫たち」が、3月20日から4月18日まで、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにて開催。(無断転載禁止)※クレジット付画像を使用しています猪熊は、戦前にはマティスと交流し、戦後は20年間ニューヨークを拠点に活躍、その後はハワイでも活動。百花繚乱の昭和の画壇にあって試行錯誤を繰り返しながらも、常に独自の境地を維持し、極めて個性的な作品群を残した画家。「いちどに1ダースの猫を飼っていた」ほどの無類の猫好きとして知られ、私生活でも作品のモチーフとしても猫は重要な存在だった。たくさんの猫に囲まれた暮らしのなかで、写実的なスケッチ、シンプルな線描、デフォルメした油彩画など実にさまざまな作品を描いた。本展では百数十点にのぼる作品を、作風や技法、他のモチーフとの組み合わせなど複数の視点から紹介する。また猫以外の主題の作品も加えた本展の構成は、猪熊の奥深い芸術世界に触れるきっかけとなるよう企画された。地元では親しみをこめて「いのくまさん」と呼ばれる猪熊。香川県にある丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で2015年に開催された「猫達」展は、絵画ファンのみならず、全国の猫好きの人々が訪れ話題に。本展はその展覧会をさらにパワーアップし、猫以外の主題の作品も加えた内容で開催される。(無断転載禁止)※クレジット付き画像を使用していますかつて「今まで色々と沢山描かれている猫は、どうも自分には気に入らない。それで猫の形と色を今までの人のやらないやり方で描いてみたいと思った。」(“美術の秋「赤い服と猫”報知新聞 1949年10月4日)、そして「愛しているものをよく絵にかくんです。愛しているところに美があるからなんです。」(“「歩く教室」写生会アルバム”「少年朝日」 1950年12月号)とも語った猪熊氏。モチーフとしての猫に対する客観的な視点と、友としての猫に対する敬愛の念が呼応した、彼ならではのユニークな「猫たち」を堪能してみては。なお、通常前売り券(一般/税込1,100円、大学・高校生/税込700円、中学・小学生/税込400円)と、数量限定のオリジナル缶バッジ付き前売券(一般のみ/税込1,400円)が3月19日まで販売中。【展覧会情報】「猪熊弦一郎展 猫たち」会期:2018年3月20日~4月18日会場:Bunkamura ザ・ミュージアム住所:東京都渋谷区道玄坂2-24-1 地下1階時間:10:00~18:00(毎週金曜、土曜は21:00まで)※入館は各閉館の30分前まで料金:一般 1,300円(1,100円)大学・高校生 900円(700円)中学・小学生 600円(400円)※( )内は前売および団体料金※団体は20名以上。電話(03-3477-9413)での予約が必要会期中無休
2018年03月07日(無断転載禁止)猫に対する客観的な視点と、友としての猫に対する敬愛の念が呼応した、猪熊弦一郎ならではのユニークな猫たちに逢える展覧会「猪熊弦一郎展 猫たち」が、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにて2018年3月20日から4月18日まで開催される。百花繚乱の昭和の画壇にあって試行錯誤を繰り返しながらも、常に独自の境地を維持し、極めて個性的な作品群を残した画家・猪熊弦一郎。彼は「いちどに1ダースの猫を飼っていた」ほどの無類の猫好きとして知られ、私生活でも作品のモチーフとしても猫は重要な存在だった。もちろん、彼の芸術は猫だけにとどまるものではない。本展は彼が愛した猫たちを描いた作品を堪能することで、猪熊弦一郎の奥深い世界に触れるきっかけとなるよう企画されており、猪熊の地元・香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館所蔵の猫を描いた油彩、水彩、素描を中心に、猫以外の主題の作品も若干加えた百数十点によって構成されている。なお、当日券より400円お得な早割チケット(一般のみ/税込900円)が、10月7日から2018年1月5日まで販売中。また、1月6日からは通常前売り券(一般/税込1,100円、大学・高校生/税込700円、中学・小学生/税込400円)と、数量限定のオリジナル缶バッジ付き前売券(一般のみ/税込1,400円)が3月19日まで販売される。【展覧会情報】「猪熊弦一郎展 猫たち」会期:2018年3月20日~4月18日会場:Bunkamura ザ・ミュージアム住所:東京都渋谷区道玄坂2-24-1 地下1階時間:10:00~18:00(毎週金曜、土曜は21:00まで)※入館は各閉館の30分前まで料金: 一般 1,300円(1,100円)大学・高校生 900円(700円)中学・小学生 600円(400円)※( )内は前売および団体料金会期中無休
2017年11月20日1902年香川県高松市に生まれた画家・猪熊弦一郎。作品を通じて猪熊弦一郎とはどんな人物だったのかを知るために、猪熊の故郷香川にある「丸亀市猪熊弦一郎美術館(通称 MIMOCA、以下MIMOCA)」を訪ねた。MIMOCAを訪ねるまで、頭の中には一つの疑問があった。猪熊弦一郎のことを調べる程、その多彩な絵画様式に驚かされ、そしてまた「どれが本当の猪熊さんなのか」という疑問が沸き上がってきたのだ。もちろん、どの作品もその絵筆を持った猪熊作品に違いないのだが、時にその作品からはアンリマティスを色濃く感じ、時に作品からはピカソの面影を感じる。また、具象と抽象を行き来し、自在に色彩やフォルムを操っているようにさえ見える。さあ、猪熊はどのような生涯をアーティストとして歩んだのか、6月30日まで開催中の展示「猪熊弦一郎展「私の履歴書」前編ーー絵には勇気がいる」を同館学芸員の古野華奈子さんとともに巡りながらお届けしよう。1/2はこちらから。■幼少期から晩年まで、約2万点の猪熊作品の収蔵約2万点もの猪熊作品を所蔵するMIMOCA。猪熊が幼少期に書いた絵から、東京美術大学(現 東京藝術大学)在学時の作品も含めて、日本、フランス、ニューヨーク、ハワイなどで創作された晩年までの作品を収蔵している。それに加えて、猪熊が蒐集していた雑多なものたちも保管されており、その時々の企画に合わせてセレクトされ、彼の絵画作品と共に展示されている。MIMOCAは、まさに猪熊の生涯に渡る創作活動の軌跡を知ることが出来る場だ。■私の履歴書ーー絵には勇気がいる5月にMIMOCAを訪れた時は、1979年に日本経済新聞の連載「私の履歴書」のために猪熊が半生を綴った原稿を元に構成された企画展「猪熊弦一郎展「私の履歴書」:前編ーー絵には勇気がいる」と、猪熊が晩年描いた「顔シリーズ」が展示されていた。学芸員の古野さんと共にこの二つの展示を歩きながら彼の作品を通して猪熊と向き合ってみたい。■絵の上手な少年が画家・猪熊弦一郎になるまで「私の履歴書」を元に猪熊の半生を知る企画展は、猪熊が絵画に目覚めた幼少期の作品からスタートする。その後、現東京藝術大学に進んだ猪熊は、後に画家として活躍する同級生、小磯良平、荻須高徳、中西利雄、岡田謙三、山口長男らの洗練を受ける。同級生たちと切磋琢磨し、自分らしい作品とはと猪熊が試行錯誤を繰り返したことは、次々と作風の変わる作品からも感じ取れる。「どんな絵画表現が出来るのだろうか」と言う問いに対するその時々の猪熊の答えが作品になっているかのようだ。《題名不明》1919年《画室》1932年■マティスからの一言ーー「お前の絵はうますぎる」学生時代よりパリに行くことを熱望していた猪熊は、1938年妻・文子と共に憧れの地を踏む。そこで猪熊はマティスに絵を見てもらう機会を得るのだが、そこでマティスに「お前の絵はうますぎる」と言われる。このことを猪熊は、著書『私の履歴書』にこう記している。ーー結局、うまく描くということは人によく見てもらいたいと思うために描くことに通じている。(中略)思ったことを素直な、虚飾のない姿でカンバスにぶっつけることこそ一番大切だ。「絵がうますぎる」という先生の言葉はそんな意味だ。(中略)この言葉は私の一生を通じて、すべてのことに最も大きな教訓となっているーー■自分らしい表現を追求して猪熊と親交が深かった画家の一人に藤田嗣治がいる。藤田と猪熊は第二次世界大戦中、フランスの片田舎へ共に疎開したり、日本への引き上げ船に乗るようにと藤田が猪熊を諭したりと、まさに寝食を共にしながら過ごした友人でもあった。同企画展では、藤田独特の乳白色の地塗りのテクニックを猪熊なりに真似たような作品『レゼシーの人形のような子供』(1939)も展示されている。また、日本への最後の引き上げ船に乗る直前まで、戦火の中描き続けた作品『マドモアゼルM』(1940)。この作品はパリでの最後の作品となり、猪熊の具象作品の代表作と言われている。《マドモアゼルM》1940年3年という短いパリ滞在期間においても、猪熊の作品は次々とその様相を変えてゆく。濃密な3年間、自分らしい表現とは何かを追求する猪熊の姿を、この展示を通じて知ることができた。猪熊は制作活動を通じ、「自分の表現とは何か」「美しさとは何か」を、生涯問い続けていたのだろう。アーティスト猪熊弦一郎の生涯は、創作を通じた発見の連続だったのかもしれない。ーー私は画家になって本当に良かったと思う。(中略)毎日を喜びと感謝を持ちつつ制作を続け、ますます子供の心のように清く生き生きとそして明るく、何事によらず未知の世界に大きな驚きと興味を持ち続けて、いままでにない何かを作り上げたい念願で一杯である。ーー『私の履歴書』猪熊弦一郎著より抜粋MIMOCAでは、勇気を持って絵と向き合うことを選んだアーティスト・猪熊弦一郎の軌跡に触れることができる。瀬戸内を訪ねるのなら、ぜひ訪れたい場所の一つだ。【展覧会情報】企画展「金氏徹平のメルカトル・メンブレン」会期:7月17日から11月6日常設展「猪熊弦一郎展ニューヨークでの制作ーデザイン・壁」会期:7月17日から11月6日特別展示「ホンマタカシ《三越包装紙》」会期:7月17日から11月6日【美術館情報】丸亀市猪熊弦一郎現代美術館住所:香川県丸亀市浜町80-1(JR丸亀駅前)開館時間:10時から18時まで(入館は17時30分まで)休館日:年末(12月25日から30日)※臨時休館の場合あり
2016年06月28日瀬戸内を訪ねるにあたり、気になるアーティストがいた。1902年香川県高松市に生まれた画家・猪熊弦一郎。スキャパレリーピンクの小石が遊ぶように書かれた三越の包装紙「華ひらく」のデザインや、JR上野駅の中央改札の上に架かる壁画「自由」も広く知られる彼の作品だ。きっと誰もが、一度は猪熊の作品を目にしたことがあるだろう。今回FASHION HEADLINEでは作品を通じて猪熊弦一郎とはどんな人物だったのか知るために、彼の故郷・香川県にある「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(通称 MIMOCA、以下MIMOCA)」を訪ねた。■駅前に現代美術館を作った理由MIMOCAは、猪熊弦一郎の生前に完成した美術館だ。故に、美術館の設立を猪熊に提案した丸亀市の熱意と、猪熊本人の思いが込められた館になっている。美術館があるのは、高松駅からJR予讃線で約40分のところにあるJR丸亀駅から、徒歩1分のところ。まさに駅前美術館だ。1902年香川県高松市に生まれ、幼少期の一時期を香川県丸亀市で過ごした猪熊弦一郎。MIMOCAの設立は、丸亀市から猪熊へ「猪熊弦一郎の記念館を作りたい」という提案からはじまったという。しかし、猪熊は「私個人の記念館ではなく、世界の現代美術と触れ合える美術館にしましょう」と逆提案したのだと同館の学芸員、古野華奈子さんが教えてくれた。現代美術館にしたいと猪熊が願ったのは、自身の作品だけでなく現代の優れたアーティストや現代美術を紹介することで、何度も足を運びたくなる場所にしたいという願いから。そして、それが西洋の教会のように「訪れるとすっきりリフレッシュできるような「心の病院」のような存在でありたい」と生前猪熊は語っている。■MIMOCAの建築はMoMAも手がける建築家・谷口吉生駅からMIMOCAに向かうと、大きく広げたキャンパスのような猪熊による壁画「創造の広場」の脇に小さなドアがある。このトンネルの中に入って行くような感覚を覚えるエントランスを抜けると高さ14mにも及ぶ自然光が差し込む吹き抜けが私たちを迎えてくれる。「猪熊は小さな頃からいいもの、いい空間を体験して欲しいと願っていました」と古野さん。その願いから、今でも高校生までは無料で入館することが可能だ。猪熊は才能を見出すことにも長けていた人物。丹下健三の名建築の一つである香川県庁も、歴史を紐解けば当時の香川県知事から猪熊が県庁建築にあたり相談を受けた折に、丹下の名前を挙げたのがきっかけだという。MIMOCAの建築にあたっては、後にニューヨークのニューヨーク近代美術館(MoMA)の建築をデザインコンペで勝ち取る建築家、谷口吉生が猪熊によて選ばれた。谷口の設計による展示室の一つからは、その上部に設けられた横長の窓から丸亀の空を覗くことができる。美術館を訪れた人は、その日の空模様を感じながら作品と向き合うことができるだろう。また、展示室からカフェへと渡るガラス張りの渡り廊下からは駅前の光景を眺めることができる。「街の人々に訪れてもらえる場所に」という熱意はMIMOCAにもう一つのエントランスがあることからもよく分かる。前述の入り口の横に、建物に入らずとも上へ昇ることが可能な大階段がある。その先にあるのは、瀬戸内の海を思わせるような青の絨毯が印象的なカフェレスト MIMOCAや、猪熊の蔵書等を公開する美術図書室などの共有スペースだ。街に開かれた場所でありたいという思いが、至るところから感じられる仕掛けだ。後編は、MIMOCAの収蔵作品を通じて知る、アーティスト猪熊弦一郎が生涯求め続けた"美"について
2016年06月28日三越日本橋本店中央ホールにて3月30日から4月5日まで、三越の包装紙「華ひらく」の生みの親である猪熊弦一郎にフィーチャーした展覧会「猪熊弦一郎と『華ひらく』展」が開催される。同展示会は、猪熊弦一郎が香川県で生まれ育ったことももあり、三越伊勢丹と瀬戸内海の島々を舞台に開催される現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭 2016」とのコラボレーションの一環として開催されるもの。また3月30日からの期間は、戦後間もない1950年に猪熊弦一郎によってデザインされ、三越の顔として現代でも愛され続けているオリジナル包装紙「華ひらく」のデザインを採用した様々なアイテムが全国14店舗の三越各店で展開される(展開アイテムは各店ごとに異なる)。華ひらく柄を採用したラインアップは、廣瀬染工場による江戸小紋ストール、胸元にワンポイントとして華ひらくモチーフを採用したTシャツ、華ひらく柄のペアブリックボトルのミネラルウォーターなど。多彩な表情で暮らしの中にとけこんだ「華ひらく」をじっくりと楽しむことができる機会となっている。
2016年03月16日ヨーロッパのおしゃれな街並みジブリ映画を見ていると「行ってみたい!!」と思う風景がたくさん出てきます。特に主人公たちが住んでいる家、人との交流や美しい街並みなど、うらやましくなるところばかり。そこで女性700名にジブリに出てくる、住んでみたい場所を聞いてみました。>>男性編も見るQ.ジブリ作品に出てくる住んでみたい場所は?(複数回答)1位コリコ『魔女の宅急便』46.4%2位ラピュタ島『天空の城ラピュタ』27.0%3位マツゴウ『となりのトトロ』20.9%4位雫たちが住む町『耳をすませば』12.1%5位イタリア・アドリア海に浮かぶ小さな島『紅の豚』12.0%■コリコに住みたい!!・「海辺で自然も満喫できそうだし、街並みがおしゃれできれいだから」(24歳/学校・教育関連)・「海外旅行気分で楽しく住める気がする。海に近いのと人情に厚いのが魅力的」(25歳/金属・鉄鋼・化学/事務系専門職)・「キキもいておいしいパン屋さんもあるし、楽しい出来事がたくさんありそう」(24歳/不動産/事務系専門職)・「海が見える町で、あの時計台に登ってみたい」(23歳/医療・福祉/専門職)・「海が近くて、建物がおしゃれで、町がいい具合に栄えているから。難点は坂が多そうなことかな……」(25歳/電機/販売職・サービス系)■ラピュタ島に住みたい!!・「あんな自然がいっぱいでのどかな天空の島に住んでみたい」(24歳/ホテル・旅行・アミューズメント/営業職)・「とても不思議な空間で、空気もおいしそうだから」(28歳/金属・鉄鋼・化学/事務系専門職)・「空中に浮かんでいるので、空に住んでいる気分が味わえそうなので」(25歳/ソフトウェア/技術職)・「空に浮かんでいる島から見える景色はきっとすてきだろうから」(24歳/その他/秘書・アシスタント職)■マツゴウに住みたい!!・「自然に囲まれていて、心が癒やされそうだから」(22歳/小売店/販売職・サービス系)・「川がとてもきれいで、冷たい水で冷やしたきゅうりを私も食べたい!」(24歳/機械・精密機器/事務系専門職)・「自然がいっぱいで、自分は会えなくても本当にトトロやまっくろくろすけが現れそうだから。人と人との関係もすごく温かそう」(25歳/情報・IT/技術職)■雫たちが住む町に住みたい!!・「大きな図書館におしゃれなお店。ついでに電車も通っていて言うことなし」(23歳/ソフトウェア/技術職)・「歩けば不思議なお店に出会えそうな街だから」(25歳/団体・公益法人・官公庁/事務系専門職)・「一番現実味があって平穏でほっとしそう」(29歳/小売店/販売職・サービス系)■イタリア・アドリア海に浮かぶ小さな島に住みたい!!・「自然が豊かで食べ物のおいしそうなのんびりした所っぽいから」(28歳/情報・IT/技術職)・「あこがれる海外のイメージそのもの」(29歳/機械・精密機器/技術職)・「ゆったりとした時間が流れそう」(28歳/金融・証券/専門職)■番外編:この場所に住みたい!!・1963年の横浜『コクリコ坂から』:「古きよき時代という感じで、ロマンチックなことが起きそう」(24歳/マスコミ・広告/クリエイティブ職)・ソフィーの住む王国『ハウルの動く城』:「ファンタジーのような、でも西洋にありそうな街並みになんとなくあこがれる」(25歳/ホテル・旅行・アミューズメント/販売職・サービス系)・海辺の小さな町『崖の上のポニョ』:「身近な雰囲気はあるが、日本にはない、どこかノスタルジックな雰囲気の港町だから」(25歳/建設・土木/事務系専門職)・油屋のある不思議な町『千と千尋の神隠し』:「幻想的な雰囲気にひかれるから。ご飯を食べ過ぎちゃうと豚になるのは困るけど……」(26歳/電機/事務系専門職)・猫の国『猫の恩返し』:「猫に埋もれたい。モフモフし放題」(29歳/医療・福祉/事務系専門職)総評46.4%もの人から支持されて1位に選ばれたのは、『魔女の宅急便』のコリコ。第二次世界大戦を経験しなかったヨーロッパという設定になっており、平和な雰囲気と西洋ならではのオシャレな街並みが残っています。またおソノさんのパン屋にも行きたいという人も多数いました。おソノさんをはじめ、トンボや宅配で出会った老婦人など、人情が厚い人と出会えるところも魅力。同じくヨーロッパでは、イタリア・アドリア海に浮かぶ小さな島が5位にランクインしました。2位の空飛ぶ都市ラピュタ島はのどかで静かなところが支持されました。また「空から見る夜景がすてき」というロマンチックな意見も。ただ会社へは空から行かなければいけないのでフラップターでの出勤となりそうです。豊かな自然でのんびりしたい『となりのトトロ』のマツゴウは3位。トトロが住む森やまっくろくろすけが出る家のことを考えるだけでワクワクします。豊かな自然や不思議な生き物だけでなく、おばあちゃんの畑で取れた野菜を食べたり、電話を貸してもらったりと近所の人との温かな交流を期待する意見も。マツゴウより都会的なのは4位の雫たちが住む町。電車が通り、コンビニもあるので今とあまり変わりない生活が送れそう。坂の上からきれいな街並みも一望できるため、ぜひ地球屋の近くに住んでみたいですよね。モデルとなったのは東京都の聖蹟桜ヶ丘駅周辺なので、現実的に引っ越しを検討できます。半数近くの人から支持されたコリコはおしゃれな街並みと海に囲まれた立地のよさと共に、人とのつながりを評価する意見が多く見られました。住むことをリアルに考えると仕事もあり、文明も発達したコリコや雫たちが住む町が一番住みやすそう。しかし空を飛ぶラピュタ島から出勤も面白いかも。モデルとなった土地もあるのでぜひ一度訪れてみては? (文・飯塚雪/C-side)調査時期:2011年10月17日~10月27日調査対象:マイナビニュース会員調査数:女性700名調査方法:インターネットログイン式アンケート■関連リンク【ランキング女性編】行ってみたいジブリ映画の舞台になった場所【ランキング女性編】自分がアニメキャラクターとして出演したいジブリ映画【ランキング女性編】憎めないジブリの悪役キャラ完全版(画像などあり)を見る
2011年12月14日