■海老原露巌の今日の一文字「極」新しい趣味として書道を始めるというテーマをいただき、まずイメージした一文字は「極」でした。志を持ち、取り組んで極めることを目指す姿は、生きて歩む道を指し示すことにつながります。私は志を強く持つことの大切さを信じています。強い志を持つと、自然に同じ志を持つ人との出会いを引き寄せ、願いが叶っていく方向に自分を持っていけるのです。同志、師匠との出会いは、自分を高めよう、極めようという強い意志から始まります。新しく何かを始めようと思ったそのときから、あなたの人生の道は拓けます。■人との出会いがすべて道を学び始めるというのは、極めることを志すということです。また極めることを志せば、同志、師匠など、自分にとってかけがえのない人との出会いを引き寄せます。私は幼少より筆を持ち、書道に親しんでいましたが、ある師との運命的な出会いが私の人生を変えました。その方とは高校時代に出会った書道の先生です。熱心な先生で、多感な高校時代に書の素晴らしさ、奥深さを教えてくださいました。今でも、栃木から先生に連れられて東京の書道博物館に行った日を覚えています。書についての歴史、文献を目の当たりにし、自分の中に熱い書に対する思いが沸き上がったことは、将来を決定づけるものになりました。■人は支え合い生きている師は三年探せ人という字はお互いが支え合う形をしています。どちらかの棒がなくなれば倒れてしまう、そんな生き物です。あなたの情熱、志は、きっと先生にも響きます。またそれを感じ取れば、先生もあなたに応えるでしょう。私の場合は高校時代に素晴らしい師に出会えたことが幸運でした。私にエネルギーを注ぎ、才能を見出してくれました。私からの書に対する情熱に火をつけてくださり、熱心に指導してくださった師匠に感謝しています。また職業として書の道に進むことは両親、また支えてくれた方々がいたからこそ実現できました。その後は手島右卿先生(てしまゆうけい)の弟子5人に師事しました。私の資質に合う師と出会えて、その師を尊敬できたことがまた幸運なことでした。手島右卿先生とは数回お話をする機会がありましたが、その神のような存在に若い私は言葉が詰まり、うまく話すことができなかった記憶が鮮明に残っています。他を圧倒するような存在。その後20年間は師に巡り合うことなく過ごしましたが、林屋晴三先生に巡り合い、10年に渡り師事できた私は幸せ者です。林屋先生の現代茶会にはよく作品を掛けさせていただき、「自分についてきてくれるか」と言われ、作品を仕上げたことは光栄なことでした。またの機会に林屋先生のお話をしたいと思います。■顔真卿「争座位稿」(がんしんけい)顔真卿(709-875)は晩唐の文化が成熟した時代の政治家、書家でもありました。その書「争座位稿」は、前にも述べた王羲之の「蘭亭序」とともに行書の双璧をなすものであります。書を始めるにあたり、最初の手本として私はまず、この顔真卿の書をおすすめします。東晋の時代の王羲之の書体をさらに深め、唐の成熟した文化がこの顔真卿の書体には感じられます。縦のラインに見られるフォルムは、エンタシスのような美しさがあります。エンタシスとは、古代ギリシャのパルテノン神殿などの柱に見られる建築様式で、柱の下部から上部にかけて徐々に細くした形状を指します。柱を下から見上げると真っすぐに安定して見える錯覚を生みます。巨大建築に見られる成熟した文化の匂いを顔真卿の書体からも感じ取ることができます。「争座位稿」(764)顔真卿55歳のときの書です。右僕射(うぼくや)の任にあった人物に送った抗議文の下書き(草稿文)です。諸官の集会の際に、その座位を乱したことに対して、朝廷の権威を損なう行為であったと抗議している内容です。「謹奉書宇右僕射定襄郡王郭公閣下。蓋太上有立徳、其次有立功、是之謂不朽」「聞之、端揆者百寮之師長、諸候王者人臣之極地」手紙の下書きの内容は「謹んでこの手紙を右僕射、定襄郡王の郭公閣下に差し上げます。徳を積むのが最も立派なことであって、その次が功を点てることであって、そんな徳や功はいつまでも世に伝えられ、不朽であると左伝も説いています。また、宰相という立場にあるあなた様は不朽の勲功と業績を際だたせ、定襄郡王という人臣を極めた地位についておられます。」それから手紙は、そんなあなた様が、座位を乱すとは……。という抗議の手紙になっています。■極と書いてみよう顔真卿の「争座位稿」に見られる書体の特徴は、まず正義感にあふれているということ。黙ってはいられずに抗議文をしたためる、その性格の愚直さが表れています。怒りもその中に含まれています。生きていく姿を反映した書体であると思います。臨書を学ぶ最初の手本として顔真卿をすすめる理由としては、唐の時代の高度な文化の象徴として王羲之と双稿と評されているからです。また、高い芸術性を持った顔真卿の書体を学ぶにあたり、その人物像も掘り下げていくと興味深く、さらに書を学ぶ楽しさも生まれるでしょう。「極」と書くポイントは、愚直に、情熱を持ち、正義感に溢れて、これらを心に込めて書いてください。■書を学び始めるということ書を始めようと志し、また始めたら極めることを志し、常に一歩上を目指そうという姿勢があなたを取り巻く環境を変えていきます。新しい人との出会いをもたらし、より豊かな人生の道を歩く一歩になります。2018年、何かを始めようと考えている方がいらっしゃるなら、ぜひ書道を始めてみてください。
2018年01月15日■「観」とイメージしてみよう今回のテーマを「観」にした理由には、私の深い思いがあります。皆さんは「観」と聞いて、何をイメージするでしょうか。インスピレーションは「能舞台の鏡松」から能舞台における「松」の意味を、皆さんはご存知ですか?演舞者は松に向かって踊るのが本来で、舞台上の松は鏡に映った松を意味しています。「鏡松」つまり演舞者は鏡に映った松を背に、観客に自分を観せることになるのです。ある日、20年ぶりに能を鑑賞していたときに、突然「観」と一瞬のインスピレーションを受けました。それをベースに王義之の「蘭亭序」の「観」「仰ぎ観る」という一節がミート。私は鏡に「映る姿」と実際に「観る姿」とを対比させて、自分のしてきた書の世界観を確認することができたのです。こうしてできた作品が「観」です。映すとは鏡に映ったもの。そのままの形を映す。つまり「書く」こと。日々の映し書く練習の蓄積。観るとは単に形を映すものではなく、そこにインスピレーションが加わること。つまり発想したものを「描く」こと。この相対するふたつがうまく重なり合うときに作品が生まれます。■「仰観宇宙之大府察品類之盛」(仰ぎて宇宙の極まりなきを観て、府しては満類の数多きを察する)上を向いては宇宙の広大さを観て、下を向いては万物の豊かさを察する。「観察」するということです。この文は王羲之の蘭亭序のあまりにも有名な一節です。■王羲之「蘭亭序」王羲之の書をことごとく収集していた唐の太宗皇帝は、「蘭亭序」だけは入手することができませんでした。そこで智永の弟子の弁才が所有していると聞いた太宗皇帝は、臣下に命じて弁才に近づき、蘭亭序を盗み出させました。こうして太宗皇帝は蘭亭序を手に入れましたが、あまりにも素晴らしい書に惚れ込み、遺言で自分の墓の昭陵に副葬させてしまい、王羲之の最高傑作の蘭亭序はこの世から姿を消すことになったのでした。このようなエピソードがまた蘭亭序の価値をさらに高め、後世に言い伝えられています。■「観」と書いてみよう前回の王羲之の「集字聖教序」と同じです。空間の造形美を考え、構成することが大事です。臨書とはお手本を見て書くこと。映すことを何回も重ね、練習を蓄積させていくことが大事。追い求めては答えが逃げていき、くじけそうでもまた追い求め、何回も練習すること。そしてあるときに、ふとインスピレーションが下りてきて、今までの蓄積とひらめきがミートする瞬間がやってきます。私が能舞台を観て感じた瞬間のようなひらめきです。臨書の意味は、そこにあると確信しています。練習の蓄積と自分の発想の重なり合った瞬間に、ただ単に「映る」ことから「観る」瞬間になるのです。臨書は蓄積と発想の宝庫です。心を入れ込み、「書く」ことから「描く」ことに、臨書の目的があると思います。太宗皇帝の墓で王義之を揮毫して唐の太宗が愛し、墓にまで一緒に埋葬した王羲之の蘭亭序を追い求め、私は中国に渡りました。そして、太宗皇帝の墓の上で「仰観宇宙之大府察品類之盛」と揮毫(きごう、筆で字や絵を書くこと)しました。自分の今までしてきたことは正しかったとはっきりと確信しました。皆さんも臨書することで心の鍛錬をしてみませんか。ひとつ磨きがかかり、ステップアップしますよ。
2017年12月18日■「有」とイメージしてみよう前回は「無」について触れたので、今回はそれに相対する「有」という文字を選びました。「有」と聞いてあなたは何をイメージしますか?漢字から私がまずイメージするのは、「presence」「肯定する」「存在する」という言葉です。「無」が純粋無垢で、あなたが何かを見てその物に色を付けない状態をいうのに対して、「有」はあなたの意志が加わり存在する物をイメージさせます。「有難う」という言葉にも「有」が使われていますね。漢字の意味のごとく、「滅多にないようなことが有る」という素敵な言葉です。「ありがとう」とひらがなで書くよりも漢字で書く方が気持ちが深くなり、感謝が伝わるように感じます。■「蓋聞二儀有像顕覆」前回の「無」のときに「雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)」について触れましたが、同じ文章の中に「無」に対するものとして「有」という文字があります。「天地(二儀)は像を有しており、私たちの頭上を覆いつくす天と私たちを乗せている地は生きるもの全てを包んでいるものである。一方では四時(春夏秋冬)には像として顕れることが無く寒暑に潜んで万物を変貌させるので賢者でも理解することはできない」となります。■「集字聖教序」前回は「雁塔聖教序」(653年)について書きました。今回はその19年後に作られた「集字聖教序(しゅうじしょうぎょうじょ)」(672年)について。「雁塔聖教序」は褚遂良が書いたものです。その後、24年間に渡り、弘福寺の懐仁が王羲之の文字を集め「雁塔聖教序」と同じ文章を書いたものが「集字聖教序」です。24年間も王羲之の字を集めるとは気が遠くなる話ですが、それだけの魅力が王羲之の文字にあったという証ですね。残念ながら王羲之の真筆は残っておらず、コピーのコピーを重ねたものが現在に伝えられています。そのような状況で、この「集字聖教序」はかなりオリジナルに近いものと言われています。■なぜ王羲之の文字がないのか太宗皇帝が王羲之の「蘭亭序」を、遺言に従って共に墓へ埋葬したこと。また王羲之の文字は宮中にあり憧れの存在だったため、戦乱を重ねて失われてしまい、真筆がなくなってしまったという歴史があります。一字ずつ集めているから大きさに統一感はなく、一貫性はないけれども王羲之の一字一字の美しさに見どころがあります。■「有」と書いてみよう太宗皇帝が王羲之の字を「鳳が舞い上がり、龍がわだかまるようだ」と称賛したほど、王羲之の文字には律動感があり、三次元の奥行感があります。ワンポイントアドバイス「空間造形美を意識しよう」人間が凛と立っているような姿をイメージしてみましょう。「有」は均衡がとれた美しい立ち姿。また余白の美しさを取り、龍が天に舞い上がるような姿を線で表現してみましょう。平面に表現された拓本からはわかりにくいところですが、そこからあなたが空間をイメージし、文字を立体的に再構築しながら書くことが大事です。臨書を勉強する上で、三次元に空間を造形した美しさを常に意識すると上達しますよ。
2017年12月09日■書道における「永」の役割書道において「永」は基本中の基本の文字。「永字八法*1」という言葉があるように、文字を書くことにおいて必要な8種類の技法がすべて、この1文字に含まれています。永遠、永久、永続、未来永劫など、現代では”時間がながい”という意味を表す「永」という文字ですが、歴史を振り返ると別の変わった意味が見えてきます。■「永」の歴史的背景王羲之(おうぎし)は、書道の"美の基準”をつくった人。文字を見た際に"美しい"と思う心、余白などの空間構成や点や角のベクトルの方向などは、王羲之が確立したといっても過言ではありません。書道のお手本などに王羲之の書が使用されるのは、これが所以です。永和九年(353年)に中国の書聖(しょせい)として知られる王羲之が書いた、蘭亭序(らんていじょ)という書があります。書道史上最も有名な書作品で、その冒頭の1文字はなんと「永」から始まります。書道において基本中の基本を表しながら、歴史的書の始まりの1文字として書かれている漢字。意外にも何かを始めたいときに書くと良いとされる文字なのです。■何かを新しく始めるとき、「永」を書いてみよう前述の通り、現代では"時間がながい”という印象が強いこの漢字ですが「何かを始める」「初心」の意味があります。書道は、筆と墨を使って自分に向き合いながら文字を書く芸道です。『DRESS』読者の方々も、定期的に筆をとり、文字を書いてみることをおすすめします。大人向けの書道セットも数千円程度で売られているので、チェックしてみてください。今回の「永」という漢字は、何かを新しく始めるときなどに書くのがいいでしょう。・初心を思う・何かを始める・新たな発想を生むこのような意味を持つ漢字なので、初心に返りたいとき、何かを新しく始めたいときに、新しいモチベーションを沸き立たせたいとき、そんなときに「永」を書いてみてください。きっと新たな視点を与えてくれるはずです。※1 側(てん)、勒(横)、努、趯(はね)、策右斜め上に向かうはね)、掠(左はらい)、啄(短い左はらい)、磔(右はらい)の八法。
2017年11月01日日本の代表的な芸術「書道」。中国より伝えられてからというもの、多くの芸術家や知識人が漢字や仮名の造形を研究し、その表現に取り組んできました。書体ごとに技術を学び、基本を元に自らの個性も乗り移らせる作業は奥深く、ストイックなものでもあります。そんな書道における筆文字ですが、外国の方にはどう見えているのでしょう。日本在住の外国人20名に「日本ならではの書道の筆文字、そのデザインをどう思いますか?」と質問してみました。■選んだ文字の意味や書き方で何を伝えたいのかがわかります。かっこいいです。(タイ/30代後半/女性)■書き方によって違うがかっこいい文字がいっぱいある。でもその文章や意味を説明しないと皆にはわからない。(ロシア/20代前半/女性)■高いスキルが必要だと思う。自分もきれいに書けるようになりたい。(イギリス/20代前半/女性)■きれいに書けるとかっこいいですが、下手な人だとよくわかりません。(トルコ/30代前半/女性)■漢字の美しさを表現できる。(台湾/40代前半/男性)■アラブの書道と同じくらい、とてもきれいだと思う。(チュニジア/40代後半/男性)■とてもきれいだと思います。(アメリカ/20代後半/男性)■すごくきれいです。(ベトナム/30代前半/女性)■cool(ドイツ/40代前半/女性)95%が高い評価だった書の文字デザイン。書道の起源は中国ですが、日本では漢字から派生した仮名も使われて独自の文化を形成しています。仮名と漢字は真逆の形状になるため、その組み合わせやバランスを考えることも、日本の書道ならではの美しさでしょう。また、写経などに見られるように、書は書くことを通して人格や情操を深める修行の一つでもあります。一般的にはこうした古典の模写から書体や書風などを学び、次第に創作へと進める学び方が多いそう。「初唐の三大家」欧陽詢(おうようじゅん)・虞世南(ぐせいなん)・猪遂良(ちょすいりょう)や日本の「三筆」空海・嵯峨天皇・橘逸勢など各国に有名な書家がおり、彼らの作品を用いることもよくあります。楷・行・草・隷・篆・かな(文字の進化過程に沿った形)などの書体とそれぞれに適した書法があり、文字の美しさを表現するにはある程度の訓練が必要。楷書であれば、切れ味鋭い筆致が美しい「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)」、行書なら王羲之による流れるようなリズミカルさと柔らかさもある「蘭亭序(らんていじょ)」などがお手本にされますが、その筆致の個性を掴みやすいことも大きいと言えるでしょう。■かっこいいと思います。日本らしさを感じます。(フィリピン/40代前半/女性)■書道大好き!すごくかっこよくて素敵。(スウェーデン/40代後半/女性)■かっこいいと思います。(韓国/40代後半/男性)■かっこいいと思う。(アルゼンチン/30代前半/男性)■かっこいいです。(中国/20代後半/女性)■かっこいいです。(ブラジル/20代後半/男性)■かっこいいと思います。(マレーシア/30代前半/男性)■かっこいいと思います。(ペルー/30代前半/男性)■かっこいいと思います。(イスラエル/30代後半/女性)■とても迫力のあるところが好きです。(スペイン/30代後半/男性)白い半紙に黒い墨で書かれた筆文字はストイックさも感じられ、確かにかっこいいものです。顔真卿のように迫力ある筆致もあれば、仮名の優美さもあるのが書の面白さ。仮名は特に日本の独自性を示す書体ですが、最も有名なのが11世紀の作品「高野切」です。『古今和歌集』を書き写したものとして、日本書道史でも極めて重要な作品と言われています。平安時代には女性が使う文字とされ、小野小町や紫式部など女性の文学者や作品を生み出したことも有名ですよね。よい評価が集まった今回のアンケート。「かっこいい」、「きれい」といった回答だけでなく、日本の文化面や書体などに言及される方も多数おられました。また、書道に取り組まれている方からの「きれいに書けるようになりたい」という回答も。書に表された日本人の感性や思いが、時を超えて外国人の皆さんにも伝わっている。そう思うと嬉しいものですね。
2015年05月27日