精神面での健康を考えて誰かとコミュニケーションを取りたいと思い、温泉やスーパー銭湯などの温浴施設に通い始めた私。通い始めてそこそこ年月がたちますが、温浴施設の中だけではなく、外でも会うような友人ができて楽しい毎日を送っています。平日昼間の温浴施設で当初、夕方から夜にかけて温浴施設に行きましたが、若者が主体でコミュニケーションの場としては不適切だと感じました。そこで平日の昼間に温浴施設に行くと、中高年ばかりの落ち着いた雰囲気だったので安心した私。ただ、いきなり誰かに話しかけるようなことはせず、何回か通って、話しかけてもよさそうな人を厳選することからスタートしました。もしも、無視されたり素っ気なくされたりされると、話しかける気持ちがしぼんでしまいそうだったからです。しかし、じっくりと観察するという行為は、良い意味で無駄に終わりました。1人のおじいさん(私よりもずっとずっと上の年齢に見える)が、話しかけてくれたからです。それをきっかけに、おじいさんと仲の良い友人に話しかけてもらったり話しかけたりして、コミュニケーションの輪はどんどんと広がっていきました。現在は、温浴施設を訪れれば、誰かしらと話ができる状態となりました。話しかけられることも多くなったいろいろな方と会話をしていると、周りの方に「話しかけても良い人」と思ってもらえるようです。そうなると、知らない人に話しかけられるという出来事が起こるようになってきました。私の様子を見た上で、話しかけても大丈夫な人間だと思われるのは光栄なことだと思っています。ただ、話しかけたいと思っている人は、実際話が好きな人が多いという印象です。そうなると、会話が長くなることもしばしばあります。現在は相手を不快にさせずに、キリの良いところで話を中断できる技を身に付けられるよう練習中です。ありがたい回数券温浴施設にはいろいろありますが、値段を安く設定してくれているところが多いのがうれしいです。私が通っている料金が安い温浴施設では回数券が販売されていて、さらにお得に利用ができてハッピーです。ただ、回数券には期限が設定されているのが常なので、それをオーバーしてしまって、残念な気分になったことも何度かあります。財布の中身を気にするなら、いつまで利用可能かしっかりチェックする必要がありそうです。まとめ人と会話することは社会とつながっている実感が持て、精神面での健康にかなり良いと思いました。一回休むと「この間来なかったけど、どうしてた」などと声をかけられることもあり、うれしい限りです。ちなみに、身体面での健康への良い効果もしっかりとあって、すっかり寝付きが良くなりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/田中久イラスト/サトウユカウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月30日辛いことや苦手な作業でも、そこにやりがいや生きがいを感じられると、人は頑張ることができるはず。今回は、イラストが何に見えるかにより、「あなたの密かな生きがい」がわかる心理テストをご紹介します。Q.次のイラストは何に見えますか? 一番近いものを選んでください。A:くらげB:カップケーキC:コック帽D:エイリアンあなたはどれを選びましたか?さっそく結果を見てみましょう。この心理テストでわかるのは?「あなたの密かな生きがい」深層心理において“いろいろに見えるイラスト”には、人生に求める喜びや幸せが投影されます。そのため選んだ答えから、「あなたの密かな生きがい」を調べることができるのです。A:「くらげ」を選んだあなた……いろいろな経験をすることこの答えを選んだ人は、柔軟性あふれる自由人タイプ。ルールや常識に縛られることなく、そのときの気分やフィーリングで気ままに生きていそうです。そんなあなたの密かな生きがいは、いろいろな経験をすることだと言えます。ふと思い立って旅や遠出に出かけたり、気になったイベントに飛び入り参加したり…。遠くに行かずとも、読書や映画鑑賞などで見知らぬ世界に触れようとする機会も多いかもしれません。その一方で、行き当たりばったりで失敗するなど、痛い目に遭うことも多い傾向が。動く前に情報や口コミを集めるのが、転ばぬ先の杖になるでしょう。B:「カップケーキ」を選んだあなた……人の役に立つことこの答えを選んだ人は、穏やかでおっとりしているタイプのよう。周囲を力強くリードするポジションではなくても、あなたがいるだけでその場が和んでほっこりムードに包まれるような温かさを秘めていそう。そんなあなたの密かな生きがいは、人の役に立つこと。たとえば、募金や献血など、自分のちょっとした善意が顔の見えない誰かを幸せにしていると考えると、嬉しくなりませんか?同様に、助けやサポートを求められるのも、相手の役に立っている感じがして誇らしく感じるかもしれません。ただし、サービス精神が旺盛ゆえに、やりすぎてしまうのは玉にきず。生きがいが重荷に変わらないよう、適量をキープしてください。C:「コック帽」を選んだあなた……周囲を喜ばせることあなたは、想像力豊かなクリエイター気質の持ち主のよう。何もないところから閃きやアイディアを膨らませ、新しいモノを作り出すことが得意でしょう。この答えを選んだ人の生きがいは、周囲を喜ばせること。自分のパフォーマンスや作品によってみんなに感動や勇気を届けたい、そう密かに願っているかもしれません。そのためなら、どんな努力や苦労も惜しまないのがあなたの強みと言えます。それだけに、厳しい意見や文句ばかり言ってくる人にガッカリしやすい傾向も。世の中にはいろいろなタイプの人がいるもの。あまり気にせず、できる範囲で生きがいを追求するとハッピーに過ごせるでしょう。D:「エイリアン」を選んだあなた……自分の世界を楽しむこと個性的でユニークなセンスや感覚の持ち主と言えば、この答えを選んだ人。おしゃれやメイクはもちろん、ライフスタイルにもオリジナルなスタイルを貫いていて、周囲から一目置かれているかもしれません。そんなあなたの密かな生きがいは、自分の世界を楽しむこと。特に趣味に関連したアイテムを集めることにハマりやすい傾向があり、この上ない喜びや幸せを感じるでしょう。その反面、お金に糸目をつけずに投資してしまうところはややリスキーだと言えます。身の丈にあったレベルを知っておくことが、失敗や失財を防いで人生をエンジョイするポイントです。おわりに生きがいを感じるポイントは人それぞれ違いますが、人生を生きるためのエネルギー源であることは確か。もし今それがないと感じている人は、今回の診断を参考にしてみてくださいね。©Artem Musaev/shutterstock文・月風うさぎ
2024年03月29日2024年に70歳の古希(こき)を迎える母は、今でも現役で調理の仕事をしています。ただ、持病の治療のため病院にも通いながら、疲れた体のメンテナンスをするために整骨院へ通い気力で頑張っている母。そんな母に少しでも癒やしをと、ハンドマッサージの講習を受けに行きました。そこからボランティアに参加することになったお話です。母のために母はひとりで私と兄2人の3人を育ててくれました。母は今は1人暮らしですが、家族皆、何かあったらすぐに行ける距離に住んでいます。2024年に70歳を迎える母は今でも現役で仕事をし、休みの日は孫の世話をしてくれる頼れる母。ただ、持病もあり定期的に通院もしており、仕事の疲れか体が痛いと言って整骨院へメンテナンスに通っています。そんな母に何かしてあげられることはないかと思っていたところ、あるイベントでハンドマッサージを無料で体験できる機会がありました。思い切って講習を受けることに私はよく、休みの日に子どもたちと行けるイベントを探しては行くのですが、できれば無料がありがたいと探していたところ、参加したイベントでハンドマッサージのボランティアをされているママ友に出会いました。何度かイベントでハンドマッサージをしてもらうと、毎日の家事でボロボロの手が潤い、手も心も癒やされました。そんな体験を母にもしてもらいたいと、私も思い切ってハンドマッサージの講習を受けることにしたのです。私も始めたボランティア講習を受け、帰って早速まずは高校生の長女で練習。夜寝る前にハンドマッサージをしてあげると、朝から長女も私も「手が潤ってるね」と。そして、週末に母のところへ行き、ハンドマッサージをしてあげました。「こんなにしてもらったの初めてだね! 気持ちいい!」と言ってくれ、私もうれしくなりました。そして、講習をしてくれたママ友から「ボランティアに参加してみない?」とのお誘いを受け、私にもできることがあるならと参加することに。ボランティア初心者の私でも「ありがとうございました! 癒やされました」と言ってもらえて、とてもやりがいを感じることができました。まとめ現在も子育て真っ最中の私が、まさかボランティア活動に参加するとは思ってもみませんでした。ですが、私にもできる何かを身に付けることで人に癒やしを与えられることに、本当にやってよかったと思っています。「まずは家族のために」と始めたことですが、これからもできることを続けていきたいと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawa著者/松田 みさと(43歳)長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年03月09日私が50代半ばで仕事を早期退職した後、老後の生活を満喫するために新しく始めたのが釣りです。始める前までは簡単だろうと甘く見ていましたが、実際にやってみて奥深さを知ることになりました。新たな趣味のスタートによって得られた日々の充実について紹介していきます。釣りへの興味からデビューまで私は社会人になってから仕事一辺倒でプライベートで趣味と呼べるものが一切ありませんでした。そんな私が釣りに興味を持つきっかけとなったのが友人からの誘いです。50代半ばで早期退職を決断した私は、それまで生きがいとも言えた仕事がなくなったことで抜け殻のようになっていました。そんな気の抜けた日々を送っている私を見かねた友人が、ある日一緒に釣りに行こうと誘ってくれたのです。幼少期に家の近くの川で小さい魚を釣ったくらいの経験しかなく、それほど興味はありませんでした。しかし、「体験すればハマる」という友人の強引な誘いで一度くらいならと渋々了承したのです。爆釣がもたらした釣りへの興味初心者同然だったこともあり、竿などの道具類の準備はもちろん、仕掛けの準備などもすべて友人がやってくれました。すべてお膳立てしてもらった状態で餌を付けていざ釣りのスタートです。ただ魚を釣るだけで何がそんなにおもしろいのかと内心思いながら待つこと数十分、最初のヒットが来ました。強く糸を引っ張られる手応えに驚きアタフタしていると、少し離れた場所にいた友人の巻けと大声で叫ぶ声が耳に入ってきます。言われるがままにリールを回転させると、当然魚も釣られる物かと抵抗します。子どものころに経験したときは軽く竿を上げるだけで釣れていたので、人生初の魚との格闘に無我夢中でした。その後数分程魚と格闘した後、ついに釣り上げることができたのです。魚についての知識はまったくなかったため、友人に見せるとマコガレイと教えてもらいました。マコガレイは東京湾では数が少なくなっているらしく、ビギナーズラックとはいえ初めてでレアものを釣れたことで大興奮です。その後もコンスタントにいろいろな魚が釣れ、終わってみれば友人と合わせて30匹以上の爆釣という結果でした。これをきっかけに私は釣りの楽しさに目覚め沼にはまっていくことになるのです。趣味がきっかけで増えた友人釣りの楽しみに目覚めた私は、それからというもの毎週末のように通うようになりました。とはいえ、私に釣りを教えてくれた友人は仕事をしていて、家族もいるので頻繁に誘うことはできません。そこで新たな釣り仲間を見つけるためにSNSを始めました。会社員として働いていたときは携帯は仕事の連絡手段としか考えていなかった私が、SNSで友人を探す日が来るとは思いませんでした。今では釣りサークルの仲間とLINEで情報交換をしながら釣りライフを満喫しています。まとめ典型的な昭和の仕事人間だった私が引退後に毎日趣味に没頭するようになるとは、働いているときは夢にも思いませんでした。もし友人が釣りに誘ってくれなければ、何もせず日々を過ごす退屈な老後を送っていたかもしれません。私に第2の人生の楽しみを教えてくれた友人には感謝の気持ちでいっぱいです。これからも何でも話せる良き友として付き合っていければと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawaウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月09日40歳を目前にしたころから、私はある体の変化を感じていました。それは「疲れ」です。前日に体力を消耗することをしたわけではなく、思い当たる節がないのに、毎日、疲れていると感じるのです。そのため、外に出掛けていても「早く家に帰って休みたい」と思ってしまいます。そんな日々が続いていたある日の出来事です。エネルギーにあふれていた友人久しぶりに学生時代の友人から連絡があり、ランチをすることに。私は再会した友人を見て、「エネルギーにあふれているな」と思いました。友人は、育児、家事、仕事をこなしながら、趣味のスポーツも楽しんでいるとのこと。「忙しく過ごしているけれど、毎日が充実している」と話していました。その話を聞いた私は少しショックを受けてしまいました。いかに自分が毎日疲れと闘っていて、日々の生活を楽しめていないのかを、思い知らされたような気がしたからです。人生を楽しみたいと思うように当時、私にはこれといって夢中になれる趣味もなく、家事と育児をこなしているだけで、同じ毎日の繰り返し。刺激のない生活は、これからもずっと続くのだろうと思っていました。40歳を過ぎれば、人生なんてこんなものだろうと思い込んでいたのです。しかし、友人の話を聞いて、「私も変わりたい」と思うようになりました。生活が一変それから私は、バレーボールサークルに入ることに。学生時代に情熱的に取り組んでいたバレーボールを、もう一度やってみようと思ったのです。すると、毎日家族としか話をしなかった生活から、人前に出ることが多くなり、緊張感のある生活に変わりました。周りからも「変わったね!」「生き生きしているね!」と言われるように……! 今は、短期間のパートも始めて、毎日が充実していて、「人生が楽しい」と思えるようになりました。まとめあんなに毎日疲れていたのに、今では家事やパート、趣味のバレーボールに励む毎日です。これまでの悪い疲れが良い疲れに変わったのか、夜はぐっすりと眠り、朝も快適に目覚めることができます。このように、私が変わるきっかけをくれた、友人との再会に感謝しかありません。これからも、一度しかない人生を大いに楽しみたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/神崎 ハナ(41歳)2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。教職員や福祉の資格を持ち、育児や健康に関する記事を執筆中のライター。
2024年01月18日私は人生の中で、性別を問わず芸能人をカッコイイ、すごいと思うことはあっても、お金を使って応援するほどではなく、たまに出演している映画を見に行く程度でした。そんな私が、40代にして初めて「推し」ができてからの心の変化をお伝えしたいと思います。生きる意味がわからなくなっていた今から2年ほど前、私は死にたい、消えたいと考えてしまう「希死念慮(きしねんりょ)」に襲われていました。私はもともとネガティブな性格なのに、会社や友人の前ではそれを隠すかのように、わざと明るくふるまうということを長年やっていました。まるで、その反動が一気に押し寄せてきたかのように、理由もなく落ち込む日が続き、過去の自分の言動に対する自己嫌悪に襲われたり、何十年も前に他人に言われたひと言を思い出して改めて傷ついたりして、こんなダメな人間はこの世にいないほうがいいのではないか? と考えていたのです。過去は忘れて前を向こうと思っても、グイっと髪の毛を引っ張られるように、気が付けば頭が過去に戻されてしまいます。私は離婚歴があるのですが、自己嫌悪を繰り返しているうちに、元の結婚相手を責めたり親を責めたりと責任転嫁し、そんな自分が嫌でまた自己嫌悪に陥るといった日々を繰り返していました。こんな私なんか、この世にいないほうがいいのではないか? とまで考えてしまう思いが常に頭にある日々。今考えると、心が相当疲れていたのだと思います。推しができて疲れた心が癒やされたそんなうつうつとした日々を過ごしているときに、アラフィフにして人生初めての「推し」ができました。きっかけは、たまたま見ていたドラマに出演していて「きれいな顔をした男性だなぁ」と思ったこと。当時の私は、決まった番組しか見ていなかったので偶然の出会いです。その出会いから名前を調べてあるグループの一員だということを知り、メンバー全員の顔と名前が一致するまで1週間もかかりませんでした。乾いたスポンジが水を吸収するように、どんどんと知識を得ていることに自分でもビックリ。むさぼるように情報を得て、繰り返し動画を見ていくうちに、テレビだけでは知ることができなかったメンバー一人ひとりのこれまでの努力や苦悩も知ることに。でもそういった背景を見せることなく、いつも笑顔でいてトークもおもしろく、みんなでわちゃわちゃと楽しそうにしているのを見てあっという間に「箱推し」になりました。毎日浴びるほどの彼らの笑顔を見ているうちに、心にポッと芽が出たような晴れやかな気持ちになっていることに気が付きました。CDやDVDも買っています。「ああ、これが推しというものなのか」と実感した瞬間です。灰色だった日々にほんの少しの彩りが推しができた結果、大げさではなく、私には生きる理由ができました。20年後、30年後の彼らを見たいという思いです。私の生活は2年前とそんなに変わっていません。相変わらずひとりで暮らしているし、将来の不安も尽きないし、落ち込む日もあります。それでも、もう希死念慮は完全になくなりました。それどころか、死んでたまるか!という気持ちになるほどです。当時からメンタルクリニックに通っていて薬も処方されているので、決して推しの力だけで回復したとは言えないのですが、薬を飲んでいても希死念慮に襲われていたことを考えると推しの力は大きいです。正直、人生でこんな日が来るとは想像していませんでした。過去に戻って若かりしころの私に伝えても、きっと信じてくれないでしょう。推しができたおかげで、ここ何年もずっと灰色だった毎日にほんの少し色が加えられたような、そんな気分で毎日を過ごせています。まとめまさか40代にして推しができ、CDやDVDを買ったり部屋にポスターを貼ったりする日が来るとは思ってもいませんでした。もっと言うと、推しのおかげで生きる理由が見つかるなんて。人生何が起こるか本当にわからない。これからも、私のできる範囲で応援していきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/西野りこ(47歳)独身。15年務めた会社を契約満了で切られ専業ライターに。35歳のときに10年間の結婚生活に終止符を打つ。以降、おひとりさま生活を満喫して、好きなものを食べ好きなお酒をガブガブ飲んでいたら体重が取り返しのつかないことに。一念発起でダイエット検定1級を取得しマイナス6kgのダイエットに成功。しかし、まだ標準体重オーバー。日々、心と身体の健康を取り戻すべく日々奮闘中である。
2023年11月15日「BTSってどんな存在?」と聞かれたら、私にとって彼らは生活の一部です。彼らそのものが癒やしであり、救いであり、笑顔にしてくれる……そんなグループです。これまでの40数年、私はアイドルにはまったく興味がありませんでした。でも、1年半ほど前に日本の音楽番組で「Dynamite」を歌っているBTSを見てから、家事などの合間に彼らのSNSや動画を見ることが楽しみの一つになりました。かっこいい自撮り写真、息の合ったダンスの練習動画、本番前のリハーサル風景、芸人なみに体を張ったバラエティー番組など、いろいろな表情を見せてくれる彼らにハマっていきました!メンバーは7人7色!それぞれの持ち味がBTSは2013年6月に韓国でデビューしました。ボーカル4人とラッパー3人の男性7人グループです。デビュー時は「防弾少年団」という名前で、韓国語では방탄소년단(バンタンソニョンダン)と言うため、今でも「バンタン」と呼ばれています。そしてBTSを応援するファンのことを「ARMY」と呼びます。メンバーはラップ担当の頼れるリーダーRM。メンバーの最年長で「ワールドワイドハンサム」と呼ばれるほどのイケメンのボーカルJIN。BTSのほとんどの曲を手がけるラップ担当のSUGA。「ダンス隊長」と呼ばれるラップ担当のJ-HOPE。ハイトーンボイスと現代舞踊出身のダンスが魅力なボーカルのJIMIN。CGのような美貌を持ち俳優経験もあるボーカルのV。そして、最後に最年少ながら何でもできることから「黄金マンネ(マンネとは韓国語で末っ子の意味で、アイドルグループの最年少メンバーのこと)」と呼ばれるボーカルのJUNGKOOK。7人それぞれに違った魅力があるのはもちろんですが、ステージや作品ごとに同一人物とは思えない姿を彼らは見せてくれます。BTSに胸キュンで、夫が留守の寂しさが減った!BTSを好きになるきっかけは人それぞれだと思います。私は偶然見た歌番組がきっかけでした。そのころ夫が単身赴任となり、夜、子どもたちが寝たあと、よくひとりでテレビを見ていたのです。名前は聞いたことがあるという程度のBTSをハッキリ見たのはそのときが初めてでした。歌番組が終わったあと、SNSで検索してみると写真や動画がたくさん見つかりました。メイクをしてバッチリ決めた姿だけでなく、一生懸命に練習している様子やバラエティー番組での様子が、さわやかだけどおもしろくて好感が持てました。夫がそばにいない寂しさもあったと思います。7人のなかでもケラケラとよく笑い、糸目の笑顔がかわいいJIMINに胸キュンでした。見るたびにメンバーの髪型、髪の色、衣装などが違うため、最初は誰が誰だか見分けられず、JIMINと他の6人という見分け方をしていました。しかし、そのうちに他のメンバーのこともわかるようになり、いつの間にかBTS全員のことが好きになっていました。彼らを応援していると、他のARMY、つまりファンともつながることができ、ワンオペ育児の大変さやひとりの時間の寂しさを埋めることができました。BTSの曲はひとりで頑張る私の応援歌!BTSの楽曲にも救われました。特に『2!3!』という曲と『00:00(Zero 0‘Clock)』という2曲を聞いたときは号泣してしまいました。それぞれ1、2、3という合図とともに、きっとこれからは良いことがある、僕を信じてという意味の歌詞や、嫌なことがあって大変な1日でも24時を境にきっと明日は今日より良い日になると信じようという意味の歌詞があります。夫が単身赴任で頼れる人もそばにいなかった私は、この曲を聞いたとき、BTSのメンバーが励ましてくれているように感じました。すごく疲れてしまった日や子どもを強く叱ってしまった日、なんとなくうまくいかない日などがあっても、明日は大丈夫だよと言ってもらえているようでした。それまで「ひとりで大変だろうけど子どもたちのためにも頑張って」と、夫をはじめ周囲の人たちから言われていたので、BTSの「大丈夫だよ」というメッセージの曲に本当に癒やされ、前向きになれました。そしてBTSが「Love myself」というメッセージも発信していることを知り、頑張り過ぎずもっと自分を大事にしてあげようと思うようになりました。まとめBTSを初めて知ったのは3年ほど前でした。そのときは「韓国のアイドルか」といった認識しかしていなかったのが、今では生活の一部、いいえ「生きがい」になっています。BTSを知らないころには戻れない! 心からそう思っている毎日です。家族や友人でもない人たちの幸せを願う日が来るなんて思ってもいませんでした。コロナ禍が続き外出が以前よりも減っています。でも、その分SNSなどを通じてBTSのことを知り、他のARMYたちとつながる楽しさを知りました。そして、BTSのおかげで自分のことを以前よりも大切に思えるようになりました。これからもずっとBTSの「推し活」を楽しんでいきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/satomi (46歳)最近お肌のことが気になってきたアラフォーライター。アラフォーになってからハマったK-POPアイドルの「推し活」に日々癒されている。
2022年03月21日アラフィフになって、見た目が老けてきました。また、目や頭の疲れ、筋肉退化、更年期と思われる不快な症状……などなど、体の衰えをひしひしと感じ、気持ちが暗く沈みがちです。そこで、老化防止や若返りのためにも、生きがいを見つけ、気分を上げるよう努めました。今の私の生きがいは、3つあります。生きがいによってワクワク、ドキドキする時間を増やすことにより、前向きな気持ちで過ごしています。自然とかわいい物に惹かれるように若いころは、明るい暖色系の色よりもモノトーンや寒色系の色を好み、かわいらしいグッズやキャラクターなどは敬遠していました。自分の部屋もシンプルな感じが好きで、飾り付けもなく、いたってシンプルでした。ところが40歳を過ぎたころから、なぜか急にかわいらしいキャラクターなどのグッズに惹かれ、気が付くと会社のデスク周りにかわいいキャラクターのマスコットを置いたり、持ち物をキャラクターグッズでそろえたりするようになってきました。また、あまり好きではなかったピンクなどの暖色系の色を好むようになり、身の回りの物も自然にそういった甘い色の物が増えてきました。なぜか昔と違ってそういったラブリーな感じの物に囲まれていると気分が良く、自然とワクワクした気持ちになるのです。以前、職場で今の私と同じアラフィフの女性の先輩が同様なことをしていたのを冷ややかな目で見ていましたが、自分自身がアラフィフになってみると当時の先輩の心境が理解できるような気がします。推し活による疑似恋愛で気分を上げるコロナ禍ということもあり、テレビや動画配信などでドラマを見ることにハマっています。特に恋愛ドラマを見ると、気分が上がります。しかし、恋愛ドラマであればなんでも良いというわけではなく、見ていて自分がそのドラマの主役に入り込めなくてはダメなのです。主役が自分と同年代のほうが入りやすいはずですが、なぜかアラフィフ世代を主役とする恋愛ドラマはあまりなく、かといってあまりにも主役が若すぎるのもダメなので、入り込めるドラマも結構限られます。この若すぎるというのは20代くらいまでで、かなり図々しいですが、主役が30代くらいだと自分よりも多少若いくらいでそれほど年齢も離れていない感じがして、ストライクゾーンになります。ここ1年くらいでもいくつかの恋愛ドラマにハマりました。自分がヒロイン役に入り込むと、自然とそのお相手のイケメン俳優に魅了されます。結果、ドラマが放映されている期間とその後3カ月くらいはその俳優の推し活に没頭することに。毎日、その推しの俳優との疑似恋愛を妄想し、活力を得ています。あくまでも妄想なので、誰にも迷惑をかけずにワクワクした毎日を過ごせます。脳トレのためにも学びを続行年齢が進むにつれて、進化している世の中について行けない焦りや不安が出てきました。それを少しでも解消して自分に自信を付けるためなのか、何かを常に学んでいないといけないという気持ちになります。そのため、向学心というよりも、退化していく焦りと不安を和らげるために何かを学び始めるのですが、いざ学び出すと充実感と生きがいをとても感じます。私の取り組む勉強は、現在の仕事に直結するもの、将来の仕事に役立つもの、趣味に関するものの3つです。簡単なものだと2つくらい同時並行で勉強を進められます。比較的手軽に取得できる資格やそれほど難しくない検定などは、ちょっと頑張ると資格取得や検定合格という成果がわかりやすく出るので、次へのモチベーションにもつながります。そうやって勉強をしていると、資格取得前のスクールや資格取得後のグループ勉強会に参加する機会があり、そこで普段知り合わないような人と出会って刺激され、ネットワークも広がっていきます。こういった刺激がワクワク感を高め、視野を広め、私の生きがいとなっています。おそらく、これからもずっと自分のために何かを学び続けると思います。まとめ私の今の生きがいは、かわいいグッズや明るい気持ちになる色の物に囲まれること、恋愛ドラマに出てくるイケメンの推し活、資格取得や趣味を学び続けることの3つです。図らずとも私の生きがいは、自分の本能が追い求め、自然に見つかりました。アラフィフになってくると、ただでさえ見た目も内面も衰えてきてさえない感じになってくるので、積極的に自分がワクワク、ドキドキする機会を作り、精神的に充実させていきたいと思います。生きがいを意識し始めてから、以前よりも気持ちも若くいられている気がします。これからも、なんらかの生きがいを持ち続け、与えられた長い残りの人生を楽しく充実させたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/村澤綾香著者/輝歩 (51歳)勤続約30年となる会社員を務める傍ら、ファイナンシャルプランナーとストレッチインストラクターの副業をこなすシングルマザー。
2022年02月21日ずっと心の奥にくすぶっていた「書道をもっと究めたい」気持ち。40歳のとき19年勤めていた会社を辞め、夫の海外転勤で移住したインドネシアで書道の達人のママ友に出会いました。それをきっかけに、私は20年ぶりに書道を再開。改めて書道を楽しみ、今までできなかったことにもチャレンジしました。そして、これからの自分の目標ができました。最初はうまく書けず嫌いだった書道小学校1年生から両親のすすめで始めた書道。最初はじょうずに書くことができず、あまり好きではありませんでした。でも、コツコツと毎週1回の書道教室へ通い何度も何度も練習を繰り返し、気が付けばきれいな字が書けるようになっていました。そして学校の競書会や、大きな書道コンクールでも賞をいただけるように。この経験が自信につながりました。達成感を得ることができ、書道がどんどん好きになっていったのです。でも、運動することが書道以上に好きだった私。先生にも高校生までは書道を続けるようすすめられていましたが、そのときの私は運動を優先したくて小学校卒業に合わせ書道をやめることにしました。中学、高校でも学校代表として書道コンクールに出展する機会をいただけましたが、圧倒的に練習時間が足りていない状況で、書道を継続している生徒にはまったくかないませんでした。自分で選んだ道でしたが、悔しさと書道を続けなかったことに対する後悔の気持ちが芽生えていました。19年務めた会社を退社、念願の書道再開その後、大学、会社勤め、そして結婚後は小さな子どもとの生活で書道とは無縁の生活を送っていました。でも、心の片隅で書道を自分の納得できるところまで究めたい気持ちがありました。冠婚葬祭で記帳したとき、手紙を書くときなどふとした瞬間に書道への思いが再燃し、自分の字に満足できませんでした。何か書道を再開するきっかけはないかと探していましたが、教室へ通うことは子育て中の私にとってはハードルが高く、また通信講座を受けても継続できるかそのころの私には自信がありませんでした。それから時は流れ、40歳のとき夫の海外転勤が決まり、家族でインドネシアへ。私は19年間勤めていた会社を辞めました。これが私にとって大きな転機となりました。40代でのインドネシア生活は大きな環境の変化で体力的にも大変なことがたくさんありましたが、それ以上に素晴らしい出会いがありました。なかでも同じ小学生の子どもを育てる女性との出会いです。彼女は書道の先生で、私たち家族より1年前にインドネシアへ来ていました。そして、ちょうどインドネシアでボランティアの書道教室を始めようとされていました。私はすぐに書道をさせてほしいと伝えて始めました。学ぶ幸せ、そして自分の好きを発見本当に久しぶりの書道でした。私は先生の所属されている書道協会に入会し、毎月ペン字、小筆の作品を書き、添削してもらうようになりました。週1回のレッスンが楽しみになりましたし、子どもの手が離れてきたこともあり自分時間が作れるようになったので 自宅でも練習しました。そのかいあって級も上がり、達成感を得ながら書道ができるようになりました。書道教室には同じように転勤で帯同された女性が参加されていました。話してみると同じようにもっときれいに書けるようになりたいと思っている方々が多くいました。また、子育てが落ち着きヨガやゴルフ、英会話など子育て中に諦めていたことを再開して楽しんでいる方もいました。いくつになってからでも再チャレンジできることを実感しました。ある日、学校の先生から学校内での書道ボランティアの依頼を受け、経験のないことでしたが、子どもと触れ合うのが大好きなのでチャレンジすることにしました。一人ひとりに鉛筆の持ち方から姿勢、書き方のポイントを伝えていきます。子どもたちの一生懸命な姿、「ありがとう」の言葉に元気と勇気をもらい、また教えることの難しさや楽しさを知りました。私はこの経験で人に教えることが好きな自分を発見しました。まとめ滞在中にジャパンフェスティバルが開催されインドネシア人の皆さんに書道の魅力を伝える機会がありました。日本語の奥深さや行書の美しさなど。日本の漫画ブームの影響もあり書道にとても関心を持ってくれました。本当に素晴らしい経験ができました。日本へ帰国後も同じ書道協会で学び続けています。現在は教室が遠くひとりでの練習ですが、 全国に仲間ができたことで相談があれば連絡して励まし合っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★関連記事:43歳、若作りは見苦しい!?ママ友からの意外だったファッションの助言とは?【体験談】★関連記事:猛烈な睡魔との闘い!家事と仕事の両立のため無理なく続けられた体づくり★関連記事:「すぐ物をなくしてしまう」探し物の時間を減らすための対策3つ【体験談】著者/Pたろー(43歳)間もなく40代後半へ。根っからのミーハー心で、これから迎える更年期もポジティブに過ごしたい。
2021年10月02日■長年のワンオペ育児に耐えかね夫婦で話し合った結果、早く帰ってきてくれるようになった夫。しかし…!!お風呂と寝かしつけをしてもらえるようになり7年間にわたる平日&土曜ワンオペからようやく解放された私。しかし!! 時を同じくして、夫は次々と災難に見舞われてしまったのです…。■生きがいを失った夫が見つけたもの、それは…!?石を砕くと痛みが増す可能性があったのですが、なんとか快方に向かい、一安心しています。まだまだ痛みが残ってはいるようですが、今ではすっかり、ライブ配信アプリ内でかなり頼りにされるポジションにいるんだとか。尿路結石にはなったものの、配信のおかげで全国にたくさんの知り合いができ、悪いことばかりではなかったようです。
2021年03月03日