今回はママのひとり時間の作り方についてです。「程よく息抜きをして自分なりにリフレッシュすることで子どもへの接し方も変わった!」と言うママの体験談を紹介しています。 赤ちゃんとの毎日がもっとラクに、もっと楽しくなる。ベビーカレンダーは、そんな毎日を応援するコラムを絶賛連載中! 以前は、子どもが起きているとどうしても家事が思うようにできず、子どものお昼寝中に家事を進めていました。夜もよく子どもと一緒に寝てしまい、自分の時間がまったく取れない状態に……。今回は私のひとり時間の作り方についてご紹介します。 ひとり時間の大切さ夫が転勤族で、さらに自分と夫の実家は遠方のため、私は主にワンオペ育児をしています。夫の仕事が忙しいときには休日出勤もあり、なかなか協力が得られないことも……。 そんなとき、ひとり時間や自分が好きなことをする時間がないと、次第にイライラが募り子どもを怒鳴ってしまったり、自分に余裕がなくなったりすることもあります。 しかし自分なりに工夫して、子どものお昼寝中におこなっていた家事をやめ、自分の自由時間にしました。そうすると子どもに対してやさしく接することができ、私自身もかなりリフレッシュになりました。 家事が残っていたとしても後回し子どものお昼寝中を自分の時間に変えてからは、どんなに家事が溜まっていても、絶対にひとり時間を確保するように心がけました。私には家事を完璧にこなすことを諦めてでも、ひとり時間は大切だと感じたのです。 おかげでどんなに子どもがぐずったときや、イヤイヤがひどくて心が折れそうなときでも、1日の途中に休憩時間があると思うと、頑張ろうという気持ちになりました。 メリットばかりひとり時間を確保してからは、私の好きなセルフネイルや自分磨き、漫画を読むことができるようになり、本当に毎日が楽しくなりました。子どもがお昼寝をしているたった数時間でも、ひとり時間が毎日あるとリフレッシュになります。「ママになっても自分に時間をかけていいんだ」と思えるように。 毎日「今日は何しよう?」と考えるのも、楽しみの1つ。ひとり時間があるおかげで家事もテキパキでき、とてもはかどります。時間を有効的に活用できることで、より満足感や幸福感が得られるようになりました。 子どもが生まれたばかりのころは、なかなか自分の時間が取れなかった私。「工夫次第で時間は確保できる」と自分の発想を変えると、案外うまくいくことに気づかされました。柔軟に考えられるようになったことで、「育児中でもいろいろなことができる」という自信にもなり、育児と家事、自分時間とメリハリのある生活が過ごせ、毎日がとても楽しいです。 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:渡辺ひかり1歳男児の母。結婚を機に退職。パートナーの転勤で現在は慣れない土地で子育てに奮闘中。自身の体験をもとに出産・育児などのテーマを中心に執筆中。
2021年10月12日ブラジル人と結婚し、ブラジルで出産をしました。欧米諸国ではよくあることですが、ブラジルも女児には新生児時期、もしくは遅くとも生後半年くらいまでにピアスをあける習慣があります。当然のように義母や周りの人はピアスをあけるようにプレッシャーをかけてきましたが、私はある理由から娘にはあけさせたくありませんでした。赤ちゃんにピアスをあけたがる義母と、あけたくない私の闘いについてお話しします。※画像はイメージです 新生児にピアスが当たり前の環境でブラジルでは女児が生まれた場合、早めにピアスをあけることが習慣になっており、私もそのことはわかっていました。義母も「ピアスをあけないなんてかわいそう。大きくなってからだと痛みを感じるわ」と、とにかくあけるのをすすめてきました。 義母がピアスをあけたがったのは、もう1つ理由があります。貧富の差が激しいブラジルでは、ピアスをあけていないのは「ピアスをするお金がないから」と思われる可能性があり、娘が貧しく思われるのを気にしたのです。 子どもの体は子どものものブラジルの風習はリスペクトしますが、私は娘にピアスをあけたくありませんでした。子どもの体は子どものもので、ピアスをあけるあけないは子どもが決めるべきだと思っているからです。なにより、赤ちゃんはピアスの痛みを感じないという、一部のブラジル人が持っている意見にも正直同意できなかったのです。 赤ちゃんであっても1人の人間です。子どもの意思を尊重してピアスをあけるべきということ、(高校生でピアスをあけた私の経験を元に)大人になってからピアスをあけてもそこまで痛くないことを何度も義母に伝え、最終的には納得してもらいました。 4歳でピアスをあけた娘そのままピアスをしないでいた娘ですが、4歳になったころ状況が変わりました。娘が「どうして私はピアスがないの?」と私に聞いてきたのです。そこで自分の体は自分のもの、だからピアスをあけるかどうかは娘に決めてほしかったことを伝えました。そのうえで「どうしたい?」と聞いたところ、娘が「ピアスをあけたい」と言ったので病院に連れていきピアスをあけました。 病院では少し痛がりはしましたが落ち着いており、娘の成長を感じたものです。病院からの帰り道、赤ちゃんのころにピアスをあけなかったことをどう思うか娘に聞いたところ、「ママが私のことを考えてそうしたんでしょ? ありがとう!」と言ってくれました。 国際結婚はもちろん日本人同士の結婚でも、家庭や個人の風習・考え方の違いでいろいろな衝突があると思います。そんなとき、相手をリスペクトして意見や考えを受け入れるのはもちろん大事です。そしてそれと同じくらい、自分の意見をリスペクトしてもらうのも大事だと思います。譲れないところはしっかり意見を伝えるべきだと学んだ出来事でした。 著者:レイトン 愛加5歳の娘を育児中。現在はブラジルに移住しており、海外での子育てと仕事の両立に奮闘中。大学卒業後、ずっと経理の仕事をしており、ブラジルで独立して事務所を構えることが直近の目標。いつか子どもと世界旅行をするという野望も!
2021年10月11日メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラーのカトウ ヒロコさんが、ストレスについてお話ししてくれました。「ストレス」とは何なのか、気づかないうちにストレス状態になっていることもあるなど詳しく解説!今までも、仕事やママ友との人間関係などでストレスを感じることは多々あったかと思いますが、新型コロナウイルスの影響による社会の変化で、いつも以上にストレスを感じやすくなっている人が多い状況です。社会の変化によるストレスだと、“これがストレスだ”と自分で認識しづらいため、いつの間にか大きなストレスを抱え込んでしまっている可能性があります。 なんだかいつもと違うと感じたら…ストレスを感じていても、理由がはっきりして、自分でストレスを感じていると認識できていれば対処もできますが、自覚がないと対処のしようもありません。 今まではあまり感じなかったのに、最近、下記のような状態であると感じたらストレスが溜まっている可能性があります。思い当たる節はありませんか? ・漠然とした不安をいつも感じている・落ち込んでいる時間が多い・物事をプラスに考えられない・やる気がでない・集中できない・眠れない・すぐイライラしてしまう・1つ終えるとどっと疲れが出る・頭痛や腹痛など体調不良がある ストレスを発散するにはどうしたらいい?ストレスを軽減するには気分を変えることが一番です。とはいっても、憂うつな気分を簡単に変えられるのであれば、誰も苦労はしません。 すぐにできる対処法として、下記のような方法を試してみてください。・ 深呼吸する・ 軽い運動をする・ 好きな音楽を聴く、お茶を飲んでゆっくりする・ 絵を描いたり、ぬり絵をしたりして意識を集中させる ポイントは、なるべく「考えないこと」です。良いことでも考えているうちに不安や焦りを誘発する考えに行き着くことがあり、ストレスを感じやすくなる可能性があるためです。 なぜ、ストレスは溜めない方がよい?ストレスは本来、“精神的重圧”や“緊張”という意味で、やる気に影響することも多々あり、実は私たちの生活に欠かせないものです。しかしながら、放置してしまうとうつ病を誘発しかねません。うつ病は一度かかってしまうと、いつ治るか本人も周囲もわからず、それがさらに不安となって悪循環に陥り、重度のうつ病になる可能性もあります。またストレスにより、心だけでなく体の不調をきたし生活に大きな支障を与えることもあります。 ストレスは生きていく上で避けては通れないものであり、誰でも感じるものです。対処するために、自分がストレスを感じていると認識することは大切ですが、強く認識することが、かえってストレスになってしまうこともあります。自分なりにうまく付き合って、日々、できるかぎり発散するよう心がけてみてください。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2021年10月11日5歳の娘さんと生後10カ月の息子さんを持つママは、息子さんを妊娠中に初めて尿もれを経験し、産後も続いてしまったそうです。妊娠中~産後にかけて尿漏れにどう対処したのか、リアルな体験を紹介しています。 私には5歳の娘と生後10カ月の息子がいます。2人目の妊娠で、初めて経験したマイナートラブルの1つに「尿もれ」があります。自分には無縁だと思っていた尿もれを経験し、恥ずかしながら出産後には自然と治まると思い、甘く見ていた私の尿もれ体験談をご紹介します。 尿もれとは無縁だったのに1人目のときは、妊娠中〜出産後も一度も尿もれはありませんでした。そのため退院指導で助産師さんから骨盤底筋のトレーニングを教えてもらったときも、正直なところ「そういう人もいるんだな~」くらいの気持ちで、私には無縁の悩みだと思っていたのです。 1人目の出産から4年以上が経ち、2人目を妊娠。5月末生まれの2人目の妊娠後期は、ちょうど花粉のピークのころでした。妊娠中は花粉症の服薬を控えていたこともあり、大きなくしゃみを連発したそのとき……! 初めてちょろっと漏れる感覚があり、かなりショックだったのをよく覚えています。 産後は自然と治まるはず2人目の妊娠後期に初めて尿もれを経験し、大きなショックを受けてからもなお「妊娠中の尿もれはよくあることだと聞くし、きっと出産後は自然と治まるはず」と自己判断して、尿もれ対策に生理用ナプキンを当てて残りの妊娠期間をしのいだ私。 今になって振り返ってみれば、そう自分に言い聞かせることで、初めて経験した尿もれのショックから目を背けたかったのかもしれません。でも私の期待とは裏腹に、出産後もくしゃみや咳のタイミングで尿もれが続いてしまったのでした。 産後の1カ月健診を機にトレーニング開始出産後、母体の1カ月健診で先生から「何か気になることはありますか?」と聞かれたときに、正直に尿もれのことを相談してみました。先生からは「出産を機に起きる尿もれの場合、骨盤底筋の衰えが原因であることが多いので、毎日最低でも100回お尻の穴を引き締めるイメージでトレーニングするとよい」と教えてもらいました。 毎日意識しないとついつい忘れてしまうので、授乳中をトレーニング時間に設定して100回から200回を目安に続けたところ、産後半年で自然と治まりました。 自分には無縁な悩みだと思っていた尿もれを経験し、本当にショックでこのまま一生続くのではないかと不安な気持ちにもなりました。幸いなことに産後半年で治まりましたが、今後も予防のためにトレーニングは毎日欠かさずにおこなおうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。また、尿漏れ対策に生理用ナプキンを使用するとデリケートゾーンにかゆみや肌トラブルが発生する場合があるので、使用する際は尿漏れ用のナプキンをご使用ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年10月10日笑っているときは天使のようにかわいい娘。ところが泣き止まない時間が長くなれば長くなるほど、結構なストレスが溜まっている自分に気が付きました。「おむつが濡れた」「たそがれ泣き」というように泣いている理由がわかっているときはともかく、原因に心当たりがない状況で、泣き止まない娘と2人で過ごす時間の孤独は相当のものでした。泣き止ませる方法として、わが家で効果的だったちょっとユニークな方法をお話しします。泣いている理由がわからない泣き始めてもおむつを替えたり授乳をしたりすると、満足しておとなしく眠っていた娘。ところが、生後3カ月ごろ「何をしても泣き止まないとき」がありました。それまでおこなっていたおむつ替えや授乳ではまったく効果がなく、抱っこをしても、歌を歌っても、背中をトントンしても、服を着せても脱がせても、とにかくネットで検索して出てくることすべてを試してもまったく泣き止まないのです。 泣いている娘を抱いたまま私が泣きたくなる日も多かったです。助産師さんに相談したところ「自分でもどうして泣いているのかわかっていない赤ちゃんもいるから深く考えすぎないで」と言われたものの、泣き止まない娘を前にストレスがなくなるわけではありませんでした。 泣いている様子を撮ってみることに気持ちがラクになったきっかけは、「泣いている顔もかわいいわね」という義母のひと言でした。冷静に考えてみると、顔を真っ赤っかにして口を大きく開けて泣いているのも赤ちゃんのころの今しか見られない顔だと納得。そして何をしても泣き止まない日に、カメラで撮ってみることにしました。 すると、スマホ越しに見る娘の泣き顔は思いのほかかわいく、大絶叫で泣いている姿は生命力にあふれていたのです。そして何より、生後5カ月を迎えたころ泣いている顔を撮ろうとすると、不思議とスマホのカメラを見るや否や娘が不思議そうな顔をして泣き止んだことさえありました。 泣いている理由が特にないときは、他のものに興味をひかせると泣くことを忘れるようです。娘が寝たあと、フォルダに並んだ号泣写真を見て自分をねぎらいながら眠る日もありました。 泣いている写真や動画が大切な思い出に 久しぶりに新生児のころの動画を見返して気が付いたことがあります。それは、思った以上に泣き声が違ったことでした。当時は困惑した私ですが、今見ると「ふにゃぁふにゃぁ」、そして時期を追うごとにはっきりとした泣き声に変わっていきました。 ムービーを撮ろうとすると、意外と子どもが泣き始めたタイミングで慌ててムービーを止めてしまうことが多く、泣き声を記録したデータはあまりありませんでした。ありったけの泣き止ませる方法を試してお手上げのつもりで撮影していた写真や動画が、今となっては貴重な娘の姿を記録した思い出になっています。 赤ちゃんを泣き止ませることの積み重ねで、母と子の絆は深まっていくと産婦人科で教わりましたが、あまりに泣き止まないので私のメンタルも限界でした。スマホで動画や写真を撮っているうちに、少し気持ちがラクになった生後半年の今。育児記録の1つとして泣き顔さえも良い思い出になるように、日々娘と向き合っていこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:こさい れい0歳女児の母。元テレビ番組ディレクター。フランスで育った自身の経験をもとに海外生活、旅行、子育てについて執筆している。
2021年10月03日2人目出産後、育児疲れがピークにきてしまったママ。上のお子さんに対して、つい感情的に怒鳴るなどメンタル面が不安定に……。思い切って心療内科を受診したところ、予想外の原因が判明したそうです。 私は現在2児の母親です。2人目を出産後、主に上の子に対して感情的に怒ってしまうことが増え出し、さらに2人育児の疲労感からか夜もまともに寝られず、とうとう心療内科を受診しようと決めました。病院を受診した最初の数カ月は、医師も私もPMS(月経前症候群)の症状とは気付きませんでしたが、思い切って心療内科の門を叩いたことによって自分の内面について気づきをたくさん得られた体験談をお話しします。 子どもの手に熱湯がかかるトラブルが!2人目を出産後、当時まだ2歳だった上の子に対して感情的になる場面が多々あり、怒鳴ったり八つ当たりすることが増えてきました。ある日、まだ生まれて間もない2人目の育児用ミルクを作っている最中に、上の子が「お母さん、私を見て!」と言わんばかりに、突然私の足に全身でアタック。お湯が上の子にかかってしまうトラブルが! 思わず「危ないじゃないの!」と思いっきり怒鳴ってしまい、そのあとも怒りがおさまらず。一応は子どもの手がやけどをしていないことを確認し、手を冷やしました。 子どものことを考える余裕はなかったしかし、このときに「子どもがやけどしていたらどうしよう」「熱いお湯がかかってしまってかわいそうに……」といった心配の気持ちよりも、「私の邪魔ばかりして! なんて迷惑な子どもなんだ」と、恥ずかしながら自分のことしか考えられない私に気付きました。 2人目を産んだあとも事情があって里帰りなどできなかった私は、生活全般に対して余裕がまったくなく……。それゆえの行動だと今なら理解できるのですが、当時の私は激しく怒ったあとに「なんて自分はダメな母親なんだ」と深く気持ちが沈み、暗い気持ちになる……このくり返しで辟易していました。 心療内科を受診し、自身の内面を観察不眠症にも悩んでいたため、「このままだと、私も子どももダメになる!」と思い、2人目が1歳になるころに心療内科を受診する運びに。初診時に適応障害と診断され、「軽いうつ状態ですね」とも言われました。 そこからは2週間に1回程度のこまめな通院をくり返し、主治医と「どんなときにイライラしてしまうのか」といったカウンセリングをおこなうことで、自分の内面を振り返る大きなきっかけとなったのです。 自分がPMSだとやっと気付いたそして、心療内科を受診してから2カ月ほど経ったときのこと。産後の体が元通りに戻っているかを確認するために、自発的に月経周期をアプリで記録していたのですが、そこで「どうも月経1週間前に子どもに対して当たりがキツくなる」ということを自分自身で気づき始めたのです。 そして、すぐに主治医にそのことを話すと、先生からも「それは典型的なPMSだね」と言われました。その後、PMSであれば漢方薬かピルを処方できると提案され、私は漢方薬を処方してもらうことに。 ホルモンバランスを整える漢方のおかげで、さらにメンタルの調子がよくなりました。多少の気分の変動もありながらも、過去と比べると明らかに穏やかな気持ちで過ごせています。心療内科へ行くまでは「私なんかが行ってもよいのだろうか?」となかなか足が踏み出せずにいましたが、思い切って心療内科の門を叩いてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年09月25日わが子のお友だちは大切だけど、ママ友の悩みは尽きません。人柄に関係なく、生活レベルの違いで付き合うのがしんどくなってしまうこともあります。そんなときに自分を責めるのではなく、別のつながりを探すのもいいよ!という私の体験をお話しします。引っ越してきたのはプチセレブの町私が暮らしていた町は電車が1時間に1本の町でした。ところが引っ越した先は電車が5分に1本の大都会! そして入園できた保育園もプチセレブな園でした。同じ保育園のママさんたちは上品でやさしい方が多く、子どもも穏やかな子が多い。 最初は戸惑ったものの、先生やママさんたちの人柄に助けられ、順調に保育園生活をスタートできました。ただ、ママ友付き合いが広がっていくうちに、私はちょっと疲れていってしまったのです。 お友だちは大切、だけどちょっとキツイ毎週末、ママ友同士で遊びに行くのは百貨店や有料キッズパーク。毎週のようにランチバイキングやキッズパークに行くのは、わが家の家計にとってはつらいものがありました。でも、子ども同士の仲がよく「一緒に遊びたい!」と言ってくれるのはうれしいこと。お給料のほとんどを保育料と週末の遊びに使う状況でした。 しばらくそんな日々を過ごしましたが、無理は続くはずもなく、相手にも気をつかわせてしまい、1年ほどで交流が激減。わが子にも申し訳なくて私は落ち込みました。 子どものほうがすごかった!あるとき、私の趣味で地域の野鳥観察サークルに参加してみたところ、意外にもわが子が周りにうまく溶け込んでいる姿を目にしました。年上の子にはいろいろと教えてもらい、年下の子にはやさしくするわが子の姿を見てびっくり。 私も趣味の話ができるママ友ができて気がラクになり、何よりわが子の「保育園のお友だちも野鳥サークルのお友だちもどっちも好き!」という言葉のおかげで、肩の力が抜けました。 私自身に反省するところがたくさんあり、入園当初に助けてくれたママさんたちには今でも感謝しています。子どもの順応力に驚かされ、無理なママ友付き合いをする必要はなかったのだと気付いた出来事でした。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:中浦明子一児(女の子)の母。結婚を機に書店員を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は子どもと散歩、子どもと行けるカフェの開拓。
2021年09月21日陣痛開始から20時間、子宮口が全開大になり、助産師さんの合図と共に力いっぱいいきみました。すると、もうろうとする意識の中で顔全体にシュワシュワと炭酸水をかけられたような感覚が……。陣痛に耐え、出産後の私の体に起こった体験談をお話しします。 分娩台で顔に感じた“シュワシュワ”自然分娩にて長女を出産しました。21時間の陣痛のすえにわが子と感動の対面を果たし、産後は熟睡した私。翌日両親が面会にきてくれたのですが、私の顔を見るやいなや実母がびっくり仰天! 何事かと鏡を見ると、そこには白目が真っ赤に充血し、目の周りにそばかすのような赤い点々が出現して、変わり果てた私の顔が……。 医師に相談すると、「いきんだときに顔の毛細血管が切れたのでしょう」とのこと。言われてみれば、いきんでいるときに顔にまるで炭酸水をかけたようなシュワシュワとした感覚があったことを鮮明に覚えていました。 夜、ベッドに入ったときも体が熱っぽかった一方で、顔には“シュワシュワ”の感覚が残っており、気持ちいいとさえ思っていたのです。こんなことになるなんてとショックを隠し切れない産後1日目でした。 内出血に眼圧上昇…出産による後遺症助産師さんから分娩時のアドバイスとして「いきむときに目を閉じてしまうと力が入らないだけでなく、目元に力が入りすぎて顔の毛細血管が切れることがあるから気を付けて」と伺っていました。 要するに内出血するとどういうことになるのかまったく想像がつかないまま、いきむときはしっかりと目を見開いて、口を固く結んでいきんだ私。ところが努力むなしく眼球と目の周りの毛細血管は切れてしまい、おまけに目を見開きすぎていたせいで眼圧まで上がってしまい、まばたきをすると常に目に違和感がありました。 入院中、ほとんどのママさんはすっぴんのまま授乳指導や産後健診を受けていましたが、人目を気にするあまり毎日ファンデーションを厚塗りして過ごしていた私でした。 真っ赤な瞳、実は私が生まれたときも…鏡を見るたびに落ち込み、うつむく私に気が付いた助産師さんたちからは「時間と共に治ります」「痛い陣痛に耐えた証拠よ」と励まされ、少しずつ気持ちを持ち直していきました。まばたきの違和感や充血があっても、視力そのものに差し支えることはなかったため、生活への影響が最小限で済んだことも救いだったかもしれません。実母から聞いたエピソードですが、私自身が生まれたとき、私の瞳の周りには赤く輪っかのような充血があったそうです。何か先天的な異常ではないかと実母は焦ったそうですが、「赤ちゃんは狭い産道を力いっぱい通ってきますから」と説明を受けたそう。30年後、私自身が出産するときに再び目が出血するなんてと母と笑い合いました。 眼圧は産後1週間ほど、充血した目は産後1カ月ほどで落ち着きました。そのときの写真はあまり多くはありませんが、どの写真も私の目は赤いものばかり。炭酸飲料をコップにシュワシュワと注いでいると思わず分娩台を思い出してしまう私ですが、壮絶な陣痛に耐えて産んだ娘と共に、楽しみながら育児に励もうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:こさい れい0歳女児の母。元テレビ番組ディレクター。フランスで育った自身の経験をもとに海外生活、旅行、子育てについて執筆している。
2021年09月20日私は現在2児の母親であり、2人目が生後半年ごろに心療内科から自身が「適応障害」であると診断を受けています。「ずっと苦しかったけど、まさか自分に精神疾患の病名がついてしまうとは……」と、診断が下された当初は戸惑いを隠しきれませんでした。主な原因となったのは育児でしたので、少しでもラクになるよう改善に向けておこなったことをお話ししていきます。下の子出産後から心身が苦しくなった下の子を出産した直後から「感情のコントロールがききづらくなり、上の子に対して当たりがキツくなる」「泣いたらいけない公共の場面で急に涙が溢れる」など日常生活に支障が出始め、心身共に常に苦しい気持ちや憂うつさが抜けなくなる状態がずっと続いていました。 しかし、当時の私の心療内科のイメージと言えば「死にそうなくらいに苦しくなったときに受診するもの」「それまでは気の持ちようでなんとかなる」との考えがありました。 薬の服用はあくまで対処療法と気付く心療内科を受診することに大きなためらいがあったのですが、無理をして育児をおこない、その結果メンタルを崩している私を見かねた夫の助言もあり、下の子が生後半年のころにやっと心療内科を受診しました。 そこで漢方薬や精神安定剤を処方され服用してみると、たしかに以前よりも気持ちは落ち着くし、前より感情面の起伏はフラットになったので一定の効果はありました。しかし、心療内科へ通院してみて初めて、薬を服用してもそれは単なる対処療法だと気付いたのです。 育児をひとりで背負い込む責任の重さ結局、私のメンタル不調の大きな足枷となっていたのが子どもたちのお世話です。しかし、過去の私の考え方は「ママになれば皆していることなのに、なぜ私は不必要にイライラしてしまったり怒鳴ったりしてしまうの?」「皆と同じことがこなせない。子どもたちにずっと笑顔で接することができない」などと、今思えば不必要に自分を攻め込んでいました。 そんな最中、「なぜ、自分をそこまで追い詰めるのだろう」とふと考えてみたら、私は「子どもが順調に育たなければすべて私の責任だ」と、自分ひとりで育児を背負い込む思考になっていることに気付いたのです。 書籍やTVの情報が私を救ってくれた育児のつらさを解消したいがためにさまざまな書籍などを読み漁り、特に感銘を受けたのがNHKで放送されていた『ママ達が非常事態!?』という番組。放送の中で、人間は本来、ひとりで子育てするのではなく「たくさんの仲間とつながって共同的に育てていきたい」という本能があるという知識を授かりました。 私の育児環境を見直すと、たしかに上の子のときから里帰り出産すらしなかったし、かといって夫も育休取得ができず、ずっと平日はワンオペ育児で慢性的な孤独を抱え込んだまま育児をしていたのだなと、自分の考えを改めるきっかけとなったのです。「そうか、だから私はこんなに育児がつらかったのか」と原因がわかれば、自分が何をすべきか見えてきました。 以前は「3歳ごろまでは自宅で子どもをみないと!」と固執する自分がいたのですが、現在は考えも柔軟になり、日中は保育園を活用してプロの方に子どもたちを任せることにしました。共同で子どもたちを育てている感覚になれて、余裕が生まれるとともに前向きさを取り戻すことができました。保育園には感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年09月19日35歳初産で息子を授かった私。私の場合は、「35歳を過ぎてから急に体力が落ちたなぁ」と実感するなかで初めての出産・育児を経験しました。産後の体の変化・慣れない赤ちゃんのお世話・初めての経験での精神的ストレスなど、「本当につらかったなぁ」と思うことがたくさんありました。そんな私の体験談を紹介します。 産後の回復が遅い産後すぐの私は、体調の変化と不眠、産後すぐに始まった赤ちゃんのお世話で毎日びっくりするほど疲れていました。初めてのことばかりで「なんで赤ちゃんは寝てくれないの?」「こんな感じでいいのかな?」と精神的にもストレスを感じていた私。同じ時期に出産した28歳のママ友と「体がつらいよね~」と励ましあっていました。 産後1カ月を過ぎるころ、ヨレヨレになりながら家事や育児をしていた私に比べて、ママ友はすでに家事や育児をしながら友達と赤ちゃんを連れて外へ遊びに行っていたのです! 少しでも自由の時間があれば寝ていたかった私は、赤ちゃんを連れて外へ遊びに行く余裕なんてありませんでした。 セックスレスに陥った「産後ある程度体が回復したら、夫婦間のためにもセックスは開始したほうがいいよ!」という友だちの助言を出産前から聞いていた私。しかし、産後6カ月経っても不眠が続いていて、時間があれば寝ていたいと思っていた私は、セックスなんて考えられませんでした。 そして、なぜか夫が求めてくることに対しても嫌でしょうがなく、喧嘩をするようになってしまったのです。24歳で出産した姉に相談すると「私たちは産後1カ月でセックス開始したよ。若かったからかな~」と言っていて、私は「私ももう少し若く産んでいたら違ったのかな」と思いました。 息子との遊びある日、同じ時期に出産した28歳のママ友とお互い1歳になる息子たちを連れて公園に行きました。両手を引いてヨチヨチ歩きを始めた息子たちと公園の中を散歩。 15分くらいで「あ~疲れたな、座ろう」と息子をベビーカーに乗せてベンチに腰掛けた私に比べ、ママ友は「息子がまだ歩きたそうだし、ちょっとブランコまで行ってきます!」と超元気。自分の息子を横目に心の中で「ごめんね、ママ体力なくて」と反省しました。 私の場合、35歳を境目に急に体力の衰えを感じていたなかでの出産・育児は、産後の回復も遅く感じ、「こんなふうに動きたい!」と思っていても実際は動けず困りました。でも、今は息子のためにも私自身が体調崩さないよう、私のペースで子育てを楽しんでいこうと思っています。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2021年09月06日「毒親」のご両親のもとで育ってきた2児のママが、実母と同じように子どもに対して「八つ当たりしてしまう」「ついカッとなってしまう」ことに反省し、負の連鎖を断ち切るためにシンプルな家庭のルールをもうけたそうです。 私は現在4歳と1歳の子どもを持つ2児の母親です。次女を出産後、当時3歳くらいだった長女に対して、「これはただの八つ当たりだったな」「どうしてあんなにひどいことを言ってしまったのだろう」と反省と後悔をくり返す毎日でした。私自身、親から怒鳴られたり暴力を振るわれた経験があったので、子どもたちには私のような思いをさせたくないという思いから、「どうすれば感情的にならずに済むか」私なりに考えたことをご紹介します。 「しつけに暴力は必要なし」と断言できる実は私は「毒親」育ちで、両親から暴力やネグレクトなどを受けて育ち、悲惨な環境のもと、敏感で弱かった幼少期時代を過ごしてきました。子どもを産むまでは、正直言って「親から怒られる自分に原因があるのだ。叩かれるのも私のせいだ」というような思考を持ち続け、ずっと自己肯定感が低いままでした。しかし出産を通して、また実親とも離れて暮らして精神的な独立を経て、どんどんと私のなかで「私はなぜ親から叩かれないといけなかったの? しつけに暴力は必要なの?」といった疑問がわいてきたのです。 もちろん、私の答えは「NO」です。しつけに暴力など必要ないばかりか、子どもをかえって悪い方向に導くばかり。虐待経験者だからこそ断言できる、私なりの結論でした。 日々のモヤモヤ感を払拭したものとはしかし、終始穏やかで怒らない母親でいられるか?と言えば、それは私にとってかなりキツい課題で、どうしても実母にされてきたようにしてしまう自分がいました。 赤ちゃん返りの症状が出て手に負えなくなる長女に対して、度々感情的に怒鳴ってしまうなど怒っては後悔の毎日。そのたびに落ち込み、「どうすれば穏やかな自分でいられるの?」と自問自答する日々でした。そんな最中、私のモヤモヤ感をすとんと腹落ちさせてくれたものは、ズバリ「本」でした。主にアンガーマネジメント(怒りの感情を管理する)の書籍を何冊も読み、怒りの感情と向き合ってきました。 怒りの先にある感情とはアンガーマネジメントの本を何冊か読み、私のなかで取り組んだことは、怒りたくなったときに、「怒りの感情の先にあるものはなんなのか?」と自分自身に問いかけてみることです。もちろん、前述した「実親に対する怒りやされてきたこと」を、長女を通して再現してしまうという「過去の根深い出来事」に対する怒りが、まず1つありました。 しかしほかにも、長女に対して「しつけがなっていない」と周りから思われてしまわないだろうか?といった「体裁を気にする心」も、相当私の怒りの源になっているなとある日気付いたのです。 シンプルなルールを3つだけ持つ「実親に対する怒り」「体裁を気にする心」。どちらも長女に対してまったく怒る理由にならないことだと、冷静に考えて悟りました。そして、「あれもしなきゃこれもしなきゃ」といった焦りが、怒りの火をつけやすかったこともまた事実です。 そういった経緯から、私は「子どもに守ってほしいルールを3つに絞り、それ以外は子どもたちにキツく言わない」というシンプルなルールを持つことを決めました。 ・歯磨きや早寝早起きなど、規則正しい習慣を身につけること・笑顔で1日を終えること(泣いたままで終らない)・あいさつをすること シンプルなことですが、きちんと守るとなると子どもたちにとってもそうですが、大人である私自身にとっても決してたやすいものではありません。長女の年齢的には勉強を教えたり、ほかの課題も出てくる時期ですが、それとは一旦距離を置くことにしました。 次第に長女も赤ちゃん返りが落ち着き、物事を理解してくれる年頃になったということもあってか、現在は心の荒れがなくなり落ち着いています。私自身も、怒りの感情を分析して「子どもに守ってもらうルールを3つに絞る」という取り組みをおこなったことで、精神的にゆとりが出てきたのでよかったです。 イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年09月05日YouTube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は31万人でママたちの間でも話題になっています。今日は、2人目、3人目の妊娠タイミングについて話してくれている動画をご紹介! 2人目のベストなタイミングっていつ?今回は、視聴者さんからの質問からスタートしました。「2人目以降のタイミングについて聞きたいです。助産師さんに『次の妊娠は1年空けた方がいい』と言われました。なぜ、空けたほうがいいのか知りたいです。また、子どもを産むということは、産休育休で職場に迷惑をかけざるを得ないわけですが、職場で2人子どもを産んだ人がいないので、周りの人から反感を買いそうです」というお悩み。 これって、みなさんでも似たような気持ちや状況の方もいるのではないでしょうか? HISAKOさんは24歳で第一子を出産後、年子で5人子どもを産んでいます。これは、30歳で仕事に復帰したいという気持ちがあったからだそうです。 出産してから1年空けたほうがいいのは本当?「上の子が1歳になるまでは空けたほうがいいよ」というのは、経膣分娩でも言われることですが、帝王切開だと特に言われること。ただ、HISAKOさんはその人の背景や年齢のこともあるので、必ずこうじゃないといけないというものではないといいます。 最近の研究では「出産から1年、もしくは1年2〜3カ月空ければ、次の妊娠のリスクはあがらない」という科学的根拠がわかってきたそうです。ちなみに、それまでWHOが推奨していた間隔は1年6カ月だったので、それよりも少し短くても大丈夫ということになります。これは高齢で2人目がすぐに欲しい女性たちにとっては、希望を与えてくれる研究結果ですね。 目安は月経が再開したかどうかHISAKOさんの考える目安は、月経が再開したかどうか。月経が始まったということは、妊娠ができる体であるということ。赤ちゃんは授かりものだから、あまり難しく考えずに、自分の年齢や周りの環境で考えればいいのではないかと話してくれています。 仕事と妊娠については、「会社にめっちゃ迷惑かかるんですよ〜。でも、権利を主張するんじゃなくて、謙虚な気持ちを持って仕事は一生懸命がんばる。それで十分!」「会社のことばかり考えていたら、ワーキングママは子ども産めません。迷惑はかける。そこはそういうもんやねん。だけど、謙虚な気持ちを持ち続けることで、妊娠に踏み切ってほしい」とエールを送ってくれました。 コメント欄には「2人目考えているタイミングで見れてよかったです。結局は職場とか周りの言葉じゃなくて自分の気持ちだよね」「つわり中は『もうこんな思いしたくない』と思いつつも、臨月の今、すでに三人目が欲しい」とママたちからの本音がいっぱい。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年09月03日助産師・ラクテーションコンサルタントの榎本さんが、助産師からお願いしたい、産後のパパの任務についてお話しています。育休を取る場合のコツ、何をすればいいのかなど詳しく解説!核家族化が進み、高齢出産も増えている中、祖父母世代も高齢となり出産後も里帰りなど親のサポートを受けるのが難しくなっているケースもあります。ママ1人に育児の負担が集中しないように、パパが一緒に育児をしていくことが必要です。妊娠中に準備していくことが大切ですが、産後の体調や状況に合わせて修正していく必要もあります。今回は、助産師からお願いしたいパパにしてほしいことについてお話しします。パパはこの記事を産後生活の参考に、またママはこの記事をパパと産後生活の相談をする際の参考にしてみてください。 育児休業を取得するパパの場合2020年、小泉大臣が産後3カ月の間に、2週間分の育児休業をとるということで話題になりました。「育休を取得したい」と希望しながらも、実際は様々な要因で取得するのは難しいこともあります。現在の男性育休取得率は6年連続で上昇しているものの6.16%にとどまっているというデータがあります。基本的には、育休は「子供の1歳の誕生日の前日」までの期間に取得可能です。出産の予定日はあくまで予定であって、開始日が事前に確定できず、出産してから育休開始になります。しかし、1人目の出産の場合、入院中から育休を取る必要はなく、家での生活が始まる退院の日以降で育休を取るのがベストかと思います。里帰りしている場合は、自宅に戻るタイミングで育休を取るのもよいでしょう。 ママのサポートとしては、育児や体調の回復に集中できるように、パパは食事や洗濯などの家事を中心にするとよいかと思います。赤ちゃんのお世話は、沐浴やおむつ交換、ミルクや搾乳を哺乳瓶であげるのを代わったり、授乳後の寝かしつけや抱っこを代わったりするとママもラクになると思いますよ。食事を作るのが得意でないパパは、簡単に食べられるものを調達したり、食事の宅配サービスなどを活用するのもよいかと思います。 中には、ママが動いてくれるので普通の休みのようにゆっくり過ごしているパパがいます。元気なように見えても、産後は動き過ぎないようにママをサポートしてあげましょう。 妊娠中に決めて、産後に確認・修正しておく余裕がある妊娠中に育児や家事を細かい項目に分けて、どのように分担していくか話し合っておきましょう。 例えば、「食事」にしても・食材を買ってくる・食事を作る・配膳する・片付けるという項目に分けることができます。 産後の体調はその時にならないと分からず、初めての出産だとさらにイメージはつきにくいものです。退院前にもう1度見直して、その後も定期的に見直していくようにしましょう。体調の回復などに合わせて追加・修正していくようにしましょう。 そして、「わかってくれるだろう」「気付いてほしい」と女性は思いがちです。パパが何かしてあげたいけど何をしてあげたらいいかわからない場合は、「何をしてほしいか言ってほしい」と素直に伝えてみましょう。 また、この記事を読んでいるママさん。自分でもパパにしてほしいことをいつも伝えられるとは限らないと思います。ですので、事前に「何をしたらいいかわからないときは、『何をしてほしいか教えて』と言ってね」とパパに伝えておくとよいですね。 上の子がいる場合にパパにしてほしいこと赤ちゃんのお世話はママで、上の子のお世話はパパになりがちです。しかし、お兄ちゃん・お姉ちゃんも赤ちゃんがやってきて、ママをとられてしまったような寂しさもあり、ママに甘えたい気持ちでいっぱいです。授乳や抱っこが落ち着いたら、ママとお兄ちゃん・お姉ちゃんが一緒に過ごせるように、甘えられるように、赤ちゃんのお世話を代わってあげるようにしてみてくださいね。 産後のサポートは家事や育児を一緒にすることだけではありません。産後は、ホルモン変化から孤独を感じやすいといわれています。ママの話を聞いたり、体を労ったり、赤ちゃんの成長を一緒に見守ったり、毎日のママの頑張りを労うことも大切です。どうしてもパパは「手伝う」というサブ的な立場になりやすいのですが、一緒に育児をすることで主体的な立場で育児に取り組めるとよいですね。 <参考>厚生労働省ホームページ「平成30年度雇用均等基本調査(速報版)」 監修者・著者:助産師 国際ラクテーションコンサルタント・おむつなし育児アドバイザー 榎本美紀2001年に助産師免許取得後、杏林大学医学部付属病院・さいたま市立病院・順天堂大学練馬病院の勤務を経て、2013年に埼玉県さいたま市に訪問型の助産院「みき母乳相談室」を開業。病院勤務での経験を元に、母乳育児支援の国際ライセンスである国際ラクテーションコンサルタントとして、地域の母乳育児を支援。訪問時の相談は多岐にわたり、おむつなし育児アドバイザーとしてトイレトレーニングなどの相談も。一児の母。
2021年08月29日10代のころから精神疾患をもつ私ですが、今の夫と出会い結婚、妊娠・出産し1児の母に。しかし産後、慣れない育児やホルモンバランスの乱れから、病状が悪化。幼稚園入園まではと思い頑張って育児をしていたものの、息子が2歳になったころ、とうとう動けなくなってしまいました。遊びたい盛りの息子を遊びに連れていけないことに悩み、保育園入園を決めました。幼稚園まで家でみたかったけど専業主婦ということもあり、幼稚園入園までは自宅保育を考えていた私。もともと私に精神疾患があり、保健師さんとお話しする機会もあったので、必要になれば病気治療で保育園利用もできるということは知っていました。 しかし、息子が2歳になり自己主張も増えてきたころ、心身ともに不調を感じるようになり、気が付くと日常生活もままならないほど悪化していたのです。 涙の慣らし保育ちょうど空きがあり、入園できた保育園。2週間の慣らし保育が始まりました。慣らし保育初日、予想通り息子は大泣き。息子を不安にさせちゃいけないと思い、笑顔で手を振って自宅へ向かいましたが、息子の姿が見えなくなると、私も涙が止まらなくなりました。 2時間後迎えに行くと、私の姿が見えた途端、安心したように泣き出す息子。「ごめんね。ママのせいで寂しい思いをさせたね」と、息子に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しばらくは罪悪感に押しつぶされそうになりながら、保育園へ息子を連れていく日々が続きました。 保育園を選んでよかったその後息子の泣く回数は減っていき、徐々に保育園に慣れていきました。仲良しのお友だちと遊んだり、家では体験できない遊びをしたりすることが楽しかったようです。時間ができたことで私も治療に専念できました。 日常生活もままならない状態から、保育園帰宅後や休日は、息子と一緒に遊んであげることができるまでに回復。改めて、親が元気じゃないと育児は難しいと実感しました。 息子には申し訳ない……という気持ちで決めた保育園入園。大泣きする息子に対して「ごめんね」と悩む日々でした。しかし、徐々に保育園に慣れていく様子を見て、私も励まされました。親であれど1人の人間。育児をする親が元気でいることが大切だからこそ、もう悩むのはやめようと思えました。当時はとても悩みましたが、今では保育園入園を決めてよかったと本当に思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:岡田 うた4歳男児のママ。精神疾患の治療しながら、子育てに奮闘中!趣味は読書。
2021年08月21日私が産後1番困ったのは、義母からの「家にお手伝いに行こうか?」という言葉。義母にとってはお手伝いのつもりでも、家にこられる側としては家事の手も抜けず逆に負担に感じていました。でも、義母としては「よかれ」と思ってのこと。それをマイナスに捉えたくないと思った私は、自分の負担を軽減しつつ義母の顔を立てるWin-Winの方法を探しました!※コロナ禍前の体験談です。 産後、急に始まった「お手伝い」私と義母は、今までお盆やお正月などのイベントや何か用事があるときに会うくらいの間柄。同じ市内に住んでいますが、1~2カ月会う予定がないなんてことはザラでした。そんな義母との関係が変わったのが産後。退院後、自宅にきた際に月1~2回のお手伝いを提案してきたのです。 私は、その場では「助かります~!」と喜んではみせたものの、頭の中は「急に月1以上会わないといけなくなるなんて……」とプチパニックになってしまいました。 まずは「子どもと遊んで」と伝えてみるせっかくの義母のお手伝いですが、今までの関係が希薄すぎて掃除も洗濯も頼みづらく、何をお願いすればいいのか正直わかりません。さんざん迷ったあげく、家事をさぼっているのがバレないように義母に「子どもと遊んでもらえるとうれしい」と伝えてみました。 もちろん、「わざわざきてもらっておいて家事をしてもらうのは悪いな」という気持ちもあっての提案だったのですが、それはかえって義母を傷つけてしまったようで……。結局、一緒に遊んではもらえましたが、少し浮かない顔で帰っていく義母にちょっと胸が痛みました。 「簡単な家事」を手伝ってもらう寂しそうに帰っていった義母の姿が頭から離れなかった私は、夫に相談しましたが「面倒をみるのが好きな人だから何でも手伝ってもらったら?」と言われてしまい……。何でもって言われても、せっかく来てもらう義母に重労働をしてもらうのは気乗りしなかった私は、結局、じゅうたんのコロコロやお皿洗いなど義母の肉体的に負担の少ないお手伝いをお願いすることにしました。 でも「いつもこんなに汚いのかしら?」なんて思われるのが嫌で、義母のお手伝いのために前もって掃除をするという手間が増えてしまい……。私は「何のためのお手伝いなのだろう?」と疑問に思うようになりました。 最強!「夫と子どもと一緒におでかけ」掃除が苦手な身としては、「なんとか義母に外でしてもらえるお手伝いを」といつも考えていました。そんなとき、ふと義母・夫・子どもと3人でおでかけしてもらうことを思いつきました。おでかけなら家の中は多少荒れていても大丈夫ですし、買い物などの用事を組みこめば義母の顔も立てられます。 しかも、ゴロゴロしている夫もいなくなるので、イラッとがまとめて解消できます。結果は大成功。帰ってきた義母は疲れて見えたものの充実している感じで、昼寝明けの頭で「お願いしてよかった」と、ぼんやりと思いました。 「一緒におでかけ」は、結局2回に1回くらいの頻度でお願いするようになりました。毎回になってしまうとさすがに義母もつらそうなので、お手伝いの半分は家で私も一緒に頑張ろうかと思っています。「してほしいことははっきり言ってもらったほうが助かる」というのは義母の言葉。その言葉を鵜呑みにするわけにはいきませんが、うまく伝えていけられれば義母の気持ちともうまく付き合えるような気がしています。 著者:谷口 ともみ6歳のわんぱく男児、1歳の泣き虫女児を育てているワンオペママ。広告代理店での勤務経験や出産・育児経験、趣味(旅行、アロマテラピー、アウトドア等)を生かしてライターとして活動中。
2021年08月17日この記事では、ママが授乳の際に実践していることを紹介しています。「授乳は赤ちゃんとのスキンシップと考える」「ママの体を休ませたいときには添い乳をする」「音楽や照明も使って授乳タイムを演出する」の3つです。 信じられないような話ですが、私は妊娠8カ月までおなかの中に赤ちゃんがいることに気が付きませんでした。そのため、乳房マッサージも赤ちゃんを産んでから知ったようなものでした。それでも、なんとか母乳育児をすることができました。今回は、息子の母乳育児から得た経験をお伝えしたいと思います。 授乳は赤ちゃんとのスキンシップと考える私は母乳育児にこだわりすぎず、授乳は赤ちゃんとのスキンシップをとるための1つの手段として考えていました。なんとなく育児用ミルクをあげるより母乳をあげているほうがいいと思われがちですが、ママが大変なときは育児用ミルクに頼ってもいいと私は思います。 母乳にも育児用ミルクにもそれぞれメリットがありますので、うまく使いこなしてママが休める時間もつくりたいですね。 ママの体を休ませたいときには添い乳もママの体をしっかり休ませたいとき、私がしているのは添い乳です。赤ちゃんの横で寝転がって母乳をあげるのですが、慣れるとすんなりできるようになります。夜間断乳などの幅も広がりやりやすくなりますよ。息子はまだ添い乳をしていますが、お互いにリラックスした時間を過ごせています。 ただ、歯の生え始めなど成長に伴って、少しずつ添い乳から違う方法にシフトチェンジすることを考えておくといいと思います。また、吐き戻しをしやすい赤ちゃんは一度起こしてげっぷをさせ、そのままママも眠ってしまわないように注意したいですね。 音楽や照明も使って授乳タイムを演出する育児をしていくうえでやっぱり大切だと思うのが、ママがリラックスしているということ。ママがリラックスしておおらかな気持ちでいると、赤ちゃんにもその雰囲気がしっかり伝わります。 自分なりのリラックスグッズがあると思いますが、なかでも音楽や照明がおすすめです。オルゴールの音楽を流したり、やさしい光の照明を灯したりして、赤ちゃんと一緒にリラックスしてもいいですね。 母乳育児は、なかなか思い通りにいかないことも多々あるかもしれません。やむを得ない事情で母乳をあげられない方もいるかと思います。無理をせず、楽しむ気持ちで赤ちゃんとの授乳タイムを過ごせたらいいですね。 イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:浦松あや一児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2021年08月16日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。 産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒に買い物をしたりお茶したり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもは1人でもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが一番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2021年08月14日YouTube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は30万人でママたちの間でも話題になっています。今日は、12人目を帝王切開で産んだHISAKOさんのおなかを大公開した動画を紹介! 帝王切開後の傷口ケア12人目を46歳で出産したHISAKOさん。11人目までは経膣分娩だったので、今回が初めての帝王切開だったそうです。 帝王切開の方法には縦切開と横切開があります。最近は産後に傷跡が目立ちにくいということから横切開が主流。ただし、縦切開のほうが術野が広く赤ちゃんが取り出しやすいというメリットもあるため、緊急手術などのときには縦切開になることもあるそうです。 統計上、横切開の6人に1人が異常が傷跡になって残る、縦切開の3人に1人が異常な傷跡になって残ると言われているそう。今回、HISAKOさんは縦切開だったため、なるべく傷跡が残らないように産後にケアをしていたそうです。 ケアのポイントは、傷口に刺激や摩擦を与えないこと。具体的には、傷口をしっかり保湿をして、その上から術後ケア専用のテープでしっかり保護します。これにより、下着やズボンのウエスト部分などの刺激からも守ってくれるそうです。通常は産後3カ月ぐらいまでは続けるといいそうです。 12人子どもを産んだおなかを公開! さぁ、いよいよ12人出産したおなかを大公開!「これが12人産んだゆえのおなかなんですよね」と笑って話してくれるHISAKOさん。傷口も下のほうは脂厚性瘢痕になってしまっているそう。一生懸命ケアはしていても、まだまだ時間がかかるようで、これからも産後1年くらいはケアを続けるそうです。 「見苦しかったですか? 私のおなか」と少しだけ心配げなHISAKOさんですが、コメント欄には「12人産んでこのお腹って、奇跡じゃない⁉️」「気持ち悪いわけないです! 見苦しくもない! 12人産んだお腹綺麗です! 感動しました」「人のおなかをみてこんなに笑えて幸せになれたの初めてです!かっこいいおなかですね」と温かいコメントばかり。 産後の体はママの勲章最後にはHISAKOさんからママたちへのメッセージもありました。「産後に太っちゃったとか、帝王切開の傷が気になるママもいると思いますけど、それだけ自分が頑張って命を生み出して、その命を育てているというものすごいことをやった結果の勲章やわな」と話してくれました。 この力強い言葉に、ママはもちろんママ以外の若い女性たちからも尊敬する声がいっぱいです。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年08月12日現在2歳と0歳の息子を育てています。専業主婦なので保育園に預けず、1日中一緒です。2歳差育児は大変だと聞いていましたが、想像よりはるかに大変。わが家の場合、上の子の赤ちゃん返りや下の子への意地悪がひどい⋯⋯。長男は次男を叩いたり蹴ったり、おもちゃを取り上げたりと、すごいのです。いつになったら仲良く2人で遊んでくれるのだろうと、私は途方に暮れる毎日でした。おなかにいる弟の存在を教えていたのに…私は下の子がおなかにいるときから、長男に「弟がここにいるからね」「仲良く遊ぼうね」と話しかけていました。きっと長男は下の子が生まれたら赤ちゃん返りやイヤイヤ期などがあるから、あらかじめおなかにいる弟の存在を教えておこうと思ったのです。 私自身も兄弟と2歳差。母から2歳差育児の大変さは重々聞いていました。長男は物分かりが良いほうだったので、弟の存在をきちんと話せば生まれてからもきっと仲良く遊んでくれるだろうと私は信じていたのです。 実際はママを取られて邪魔な存在?次男が生まれてから、長男はやっぱり赤ちゃん返りが始まりました。抱っこばかり求めてくるし、せっかくトイトレが進んでいたのにおむつに後戻り。次男におっぱいをやれば隣で泣きじゃくり、寝ても覚めても「ママ、ママ」……。 おなかの中にいたときに「弟がいる」ということを何度も話していたので、長男は理解してくれていると思っていたのですが、現実はまったく違い、私は困りました。 大変だったけど長男に言わなかったひと言それからも長男の赤ちゃん返りは続きましたが、次男がよく寝る子だったので、長男と2人の時間も比較的取れていました。でも、まだまだ弟に対して敵対心が強い長男の行動に私はイライラして叱ってしまうことも……。だけど私は長男に対して、「お兄ちゃんなんだから!」というひと言は絶対に言わないようにしていました。 なぜなら「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」と、私自身が親からしょっちゅう言われていて嫌だった言葉だからです。好きでお姉ちゃんになったわけではないし……と、ずっと妹を羨ましく思っていました。兄弟で歳の差はあるけど、私にとってはどちらも同じ息子。そんな気持ちで日々過ごしています。 「お兄ちゃんなんだから」というひと言を言わないおかげが、長男は徐々に赤ちゃん返りをしなくなってきました。次男が1歳になるころには、だいぶ2人で仲良く過ごせるようになってきました。まだまだ大変な時期ですが、来年から長男は幼稚園。2人で過ごす貴重な毎日を、私自身無理することなく楽しんで過ごしていきたいなと思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:森下ミメカ2歳男児と0歳男児の母。長男妊娠を機に専業主婦に。2歳差育児の大変さを痛感中。現在、子育てや暮らしについてのブログや体験談を執筆している。
2021年08月04日「産後ドゥーラ」とは?子育てへの不安、満足に眠れない毎日…そんな産前産後のママをケアする専門家の女性を「産後ドゥーラ」といいます。一般社団法人ドゥーラ協会から認定を受けた女性が利用者の自宅を訪問し、育児や家事、上の子どもの対応など各家庭に合わせてさまざまなサポートを行ってくれるサービスです。妊娠中に新しく生まれてくる赤ちゃんとどのような生活をスタートをさせていくのか一緒に計画を立ててくれるので、産後に向けて気持ちの準備を整えることができますよ。産後のママは体調が優れず心が不安定になるものです。そんなときに赤ちゃんのお世話だけではなく、掃除や洗濯などの家事もお任せできるので、ママは安心して身体を休ませることができますね。いつからいつまでサポートしてくれるの?出産後の産褥期(産後6〜8週間)に利用するママが多いようですが、特にサポート期間は決まっていません。妊娠中から産後1年半、さらにその先もサポートを受けられます。可能であれば妊娠中に産後の生活を考えておくのが良いでしょう。サポートしてもらう期間や内容などを産後ドゥーラに相談しながら、産後のプランを立ててみてはいかがでしょうか。ベビーシッターとの違いは?ベビーシッターは赤ちゃんや子どものお世話をしてくれるのに対して、産後ドゥーラはママの生活をまるごとサポートしてくれる存在です。産後ドゥーラのお世話の相手はママ。赤ちゃんや子どもの対応だけではありません。抱っこで痛めた腰のマッサージや家族分の食事の用意、不安になったときの相談相手など、ママが心身ともに休めるようにママのニーズに合わせて幅広いサポートを受けることができますよ。「赤ちゃんのお世話だけではなく家事もしてほしい」「産後について理解のある人に頼りたい」「子育てについて相談したい」という方は産後ドゥーラを選ぶと良いでしょう。どんなことをしてくれるの?産後ドゥーラは出産や育児に関する知識が豊富です。慣れない子育てに不安があるママに、親身になってアドバイスをしてくれます。祖父母からのサポートを受けられない方や、同じ状況のお友達がいない方などにとっても心強い存在ですね。具体的なサポート内容例は以下の通りです。妊娠中・産後のプランニング・出産や育児についての相談・つわり時の家事サポート・妊婦健診の付き添い・上の子の送迎(保育園や幼稚園など)産後・赤ちゃんのお世話(おむつ替えや沐浴など)・退院時の付き添い・部屋の掃除・常備菜の作り置き・沐浴や授乳の指導・上の子の遊び相手・日常の買い物・話し相手こんなことにも寄り添ってもらえる!産後ドゥーラは仕事復帰前の保活サポートやパートナーシップの相談、父親への育児指導など、ママが安心できる環境を整えるために一人ひとりのニーズに寄り添います。「こんなことお願いして大丈夫かな…」と思ってしまう何気ない家事などでも、気兼ねなく頼ることができますよ。産後ドゥーラの利用方法は?料金はどのくらい?産後ドゥーラ専門サイトから探す一般社団法人ドゥーラ協会のHPから産後ドゥーラを探すことができます。お住まいのエリアと産後ドゥーラの得意分野(保育系、調理系、清掃系)、その他の各種条件を選択すると、条件にあう産後ドゥーラを検索してくれます。その後は個別に連絡をとりながらサポート内容などについて相談してみてくださいね。利用料金は地域によって異なりますが、1時間あたり3,000円前後が多いようです。ベビーシッターと比べて利用料金は高めですが、家事や育児、ママの生活をまるごとサポートしてくれるので納得の価格かもしれませんね。定期的にお願いすることも、単発でお願いすることも可能なので家庭の状況に応じて利用してみてはいかがでしょうか。自治体の産後ケア・サポート事業を利用する産後ドゥーラの利用助成を提供している自治体もあります。1時間あたり500円〜1,500円と通常より安く利用できますよ。ただし、利用条件や期間などが決まっているので注意が必要です。産後ケア事業を行なっている自治体は少しずつ増えているので、まずは直接お住まいのエリアの自治体へ問い合わせることから始めてみましょう。ママが安心できることが大切妊娠中から産後はホルモンバランスの急激な変化から、落ち込んだり不安になってしまうものです。それは初めての妊娠でも二人目、三人目でも同じです。慣れない毎日に心と身体が疲れてしまったとき「大丈夫。ゆっくり休んでね」と寄り添ってくれる産後ドゥーラの存在は、ママに安心感を与えてくれるでしょう。ママが笑顔でいることは、赤ちゃんにも家庭にも良い影響を与えるはずです。家事や育児だけではなくママをケアしてくれる産後ドゥーラの力を借りながら、新しく始まる生活を笑顔でスタートさせてみてはいかがでしょうか。※この記事は2021年7月時点の情報をもとに作成しています。掲載した時点以降に情報が変更される場合がありますので、あらかじめご了承ください。
2021年08月03日第2子が誕生して、2歳差育児が始まりました。お姉ちゃんとはいえ、まだまだ手のかかる2歳。今まで以上に甘えん坊でわがまま全開の娘にイライラしてしまった私が、娘に教えてもらった大切なことをお伝えしたいと思います。これが赤ちゃん返り?コロナ禍の影響で、入院中は一切面会ができないなかでの出産となりました。退院後、娘は1週間ぶりに会った私と、突然現れた赤ちゃんに少し変なテンションに。授乳を見たがったと思えば、逆に嫌がって私と赤ちゃんの間に割って入ったり。 「〇〇も赤ちゃんだよー。泣いてますよー」と素直に寂しさをアピールしたかと思えば、赤ちゃんをなでなでして褒めてもらおうとチラチラ私の様子をうかがってみたりと、いわゆる「赤ちゃん返り」状態となりました。 壮絶な2歳差、2人育児もともと大雑把で楽天的な私は、「大変そうだけどなんとかなるだろう」と思っていましたが、2人目育児をなめていたと痛感しました。夜間授乳による睡眠不足や、どうやっても泣き止まない新生児時期は経験があったためイメージできていましたが、これが2人になるといきなりハードに。 泣き止まない妹、甘えたい姉、どちらも大切にしたいですが、私はひとりしかいません。「上の子優先」という言葉はよく聞きますし、実際そうしていたつもりですが、甘えたい盛りのお姉ちゃんにはまったく足りないようでした。 イライラの限界のときの娘のひと言ある日の夕食のとき、娘がいつも通りゆっくりゆくっりごはんを食べていました。そんなときに下の子が大泣き。下の子を抱っこしながら、娘にごはんを食べさせていましたが、ごはんを口から出したり、お皿に手を突っ込んだりと一向に進みません。 私は、娘の食べるのが遅いことや、下の子が泣き止まないことに対して我慢の限界になり、「早く食べて! 」と大きな声を出してしまいました。娘はびっくりした顔で私を見つめたあと、笑顔で「ママ、ニコニコして?」と私の手をトントンしてきたのです。 私はそのひと言で、食事中ずっと笑っていなかったことに気が付きました。食べるのが遅くたって、テーブルがぐちゃぐちゃになったって、お風呂や寝る時間が少し遅くなったって、そんなこといいじゃないか。家族みんなでにこにこ笑って過ごすことが一番大切なんだと、少しずつですが確実にお姉ちゃんになっている娘が教えてくれました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように!監修/助産師REIKO著者:桜田ここ2歳と0歳の姉妹のママ。総合病院で看護師としての勤務経験あり。現在は育児休暇中。趣味は食べ歩きや旅行だったが、コロナ禍で思うようにできず、自宅での料理や晩酌、娘の服や小物作りなどに目覚める。最近は、ワークライフバランスについて考え始めているアラサーズボラ主婦。
2021年07月31日初めての出産では、お昼寝や夜の寝かしつけに手こずることが多く、もっと簡単に子どもが眠ってくれたらと思うことが多くありました。特に夜、子どもが寝つくまでに時間がかかることが多く悩む日々。そんなとき偶然発見した、寝かしつけがラクになった方法を紹介します。 夜の寝かしつけは毎日30分以上娘を出産して退院後は寝かしつけが大変で、特に夜の寝かしつけには時間がかかりました。寝かしつけたい時間になると抱っこをしながら体を軽くゆすって、娘が寝付くまで続けます。ひどいときには1時間ほどかかることもあり、毎日の寝かしつけの時間が短くなればどんなにラクになるだろう……と思っていました。 時間がかかる寝かしつけを何とかしたいと思い、添い寝できる時期になるとトントンと軽くたたいてみたり、いろいろと試してみましたが、どれもあまり効果を感じられませんでした。 お昼寝ができないのでドライブお昼寝のときも同様で、寝かしつけがなかなか思うようにいきません。抱きしめたり、絵本を読んであげたりするのですが、思うように娘の眠気を誘うことができないのです。近所の方から車に乗せると眠ると聞いたので試してみたところ、眠ってくれるときもあるのですが毎回うまくいくわけではなく、毎日ドライブするのも大変です。結局、子どもと私の我慢比べになり、娘が眠くなるまでひたすら抱っこや添い寝を続けて眠らせていました。 子どもが生まれたときからの癖そんなある日、やっと眠った娘の様子を見ていたところ、生まれたばかりのころの様子を突然思い出しました。娘は生後数日の入院しているころから、眠るときに自分の手のひらを頬に当てて眠っている姿を私はたびたび見ていました。 その様子を思い出し、しばらく記憶に残っていた私は、娘を寝かしつけるときに何気なく子どもの頬に私の手を当てた状態で寝かしつけてみることに。すると娘は、早いときには数分ほどで眠ってくれたのです。 娘の様子を見ていて感じたのは、頬に手が当たった状態だと安心できるのではないかということ。手を当てることで頬があたためられ、心地よくなるのではないかということでした。早く頬に手を当てることに気づいて試していればよかったです。それから寝かしつけの際には、私の手を娘の頬に当てて寝かしつけるようにしています。 監修/助産師REIKO著者:佐藤かな自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年07月30日みなさんは「孫フィーバー」という言葉を聞いたことがありますか? 初孫が生まれてテンションが上がりまくっている祖父母の様子を表す言葉だそうです。それはとても微笑ましいことのように思いますが、時にはママが迷惑を被ることも。 私は実の父親の孫フィーバーによって、さんざんな目に遭いました。そんな私の忘れられない体験談をご紹介します。 子どもを産んだその日に衝撃発言私は幼いころから両親がおらず、祖父母に育てられてきました。しかし、小学生のころに突然父親が家に帰ってきてびっくり。その後も一緒に住むことはありませんでしたが、付かず離れずの付き合いをしていました。 しかし、この父親が私の長男出産直後にいろいろとやってくれました。夫からの連絡を受けて産後数時間で病室にやってきたかと思いきや、開口一番「この病院で〇〇が中絶したんだよ」などと話し始めたのです。お祝いムードをぶち壊すその発言には、顔を引きつらせることしかできませんでした。 授乳指導で忙しいのに毎日病室にそれまでほとんど連絡を取り合っていなかったのに、父は毎日病室にくるようになりました。授乳指導などで忙しいのに、病室にいないとガンガン電話をかけてきたり、赤ちゃんの口にキスしようとしたり……。 孫の誕生がうれしいのかもしれませんが、本当に迷惑以外の何ものでもありません。「もうサポートはいらないから」とうまく断り、病院に来ても通さないようにお願いしました。 退院後すぐに祖先の墓へのあいさつを強要しかし、父はあの手この手で接点を持とうとしました。なんと父は私が電話に出ないためか、夫に電話を入れて「退院するとき、その足で先祖の墓参りに行け」と命じていたのです。 夏で虫が飛び交う墓地に生まれたばかりの赤ちゃんを連れて行くなんて、できるわけがありません。私はすぐに祖父に苦情を入れ、父を叱ってもらいました。このときばかりは本当に頭に血が上っていくのを感じました。 結局その後も父の迷惑行為は止まらず、なんだかんだと理由をつけて父と会うことはなくなりました。家族にほとんど興味がなかった父が、孫フィーバーを起こしたことに驚いた体験でした。 イラスト/sawawa著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2021年07月26日初めての出産は、大きな総合病院でした。その病院では産後は母子同室と決まっており、大部屋か個室が選べたのですが、できるだけ安く済ませたかったのと「他のママさんと交流できるかもしれない」という期待を持って大部屋にしました。しかしその選択を後悔することになったのです……。 産後すぐに始まった母子同室22時半ごろに出産し、さまざまな処置をして大部屋に移動したのは日付が変わったあとでした。初めての出産ということもあり、体はボロボロなのにハイになってしまって眠ることができず、携帯で出産報告などをしていたら余計に眠るタイミングを失い、ほぼ徹夜で朝を迎えることになってしまいました。 そんな状態のところに赤ちゃんが運ばれてきました。もちろん愛おしいのですが、つい昨日までおなかにいたわが子なのに抱っこするのが怖いような、不思議な感覚になったのを覚えています。 昼間はスヤスヤ寝ているのに…昼間は本当によく寝てくれていて、無理やり起こして授乳するほどずっと寝ている子でした。しかし夜になると目がパッチリ開き、授乳しても育児用ミルクをあげても抱っこをしていても泣くのです。泣きやんだと思ってベッドに寝かせて自分も横になると、10分足らずで泣き始めます。 初めての出産、自分の体もまだしんどい状態で、しかも大部屋。周りのママや赤ちゃんに迷惑をかけてはいけないというプレッシャーのなか、ほとんど眠れないまま3日が過ぎました。 助産師さんに泣きながらヘルプ昼間赤ちゃんが寝ている間に少し体を休めることはできたものの、調乳指導や沐浴指導など何かとすることがあり、まとまった睡眠は取れぬまま……。周りのママと交流する余裕なんてまったくありませんでした。 「ママになったんだからちゃんとしなきゃ!」という使命感もあり、それまで助けを求めることができませんでしたが、さすがにギブアップ。精神的にも体力的にも限界がきてしまい、夜中に泣くわが子を抱きながら私も涙がボロボロ……。助産師さんにわが子を託し、一晩しっかり睡眠をとることにしました。 母子同室だったことで育児の大変さはすぐに実感することができましたが、なかなか体を休めることができませんでした。さらに大部屋だったことで「うるさくすると他の赤ちゃんが起きてしまう」というプレッシャーもあり、精神的にもかなり疲れました。初産は特に無理のない産後・入院生活を送れるような環境が良いと実感しました。助産師さんにももっと頼ればよかったと思い、その後2人目・3人目出産時は個室を選択し、つらいときは無理せず赤ちゃんを助産師さんに預けるようにして、自分の心身の回復を優先しました。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO 著者:ライター 岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2021年07月23日元気な赤ちゃんを無事に出産したのもつかの間、赤ちゃんとの時間を楽しめず、痛みや寝不足との闘いで落ち込んでしまったママ。出産直後に前向きになれるように実践したことをお伝えしています。 私が30歳のとき、第4子が元気な産声を上げて誕生しました。もちろんそのことはとてもうれしかったのですが、体の痛み、産後の疲れや寝不足のためか、少なからずネガティブな感情もありました。ネガティブな気持ちに対処するために、産後の入院中に私が取った行動をお伝えします。 心身ともにボロボロの産後無事に出産を終えることができたのはとてもありがたいことなのですが、産後の疲れを癒やす間もなく、授乳やおむつ替えが始まりました。後陣痛に加え、母乳が生成され始めると胸がパンパンに張り、痛みとの闘いでした。 鏡に映る自分は髪を振り乱して、やつれ、心身ともにボロボロ……。赤ちゃんはもちろんかわいいのですが、幸せいっぱいという気持ちには程遠いメンタル。自信がなくなり、自分を好きだと思えませんでした。 私は上の3人を出産した直後も気分が落ち込んだ経験があるため、今回は早めに対処しなければと思い、入院中はなるべくリフレッシュすることに! お笑い&ディズニーでリフレッシュ落ち込んだ気持ちのままではいけない。何とかしなければと思い、普段あまり観る暇のなかったお笑い番組と大好きなディズニーの映画を観ることに。授乳やおむつ替えをしながら、現実のつらさを忘れて純粋に笑ったり、感動に浸ったりすることができました。 すると、無事に出産を終えたからこそ、入院中にゆっくりとした時間を持つことができたのだと前向きになれました。おかげで、ますます落ち込んだ気持ちになってしまいそうな自分にブレーキをかけることができたのです。 マッサージを受けてリフレッシュ入院していた病院は課金なしで1時間のマッサージを提供してくれたので、もちろん利用しました。出産時にいきんだとき、授乳しているとき、知らず知らずのうちに筋肉に力が入り体がこわばっていたことを実感。 女性の整体師さんがやさしく声をかけてくださり、施術を受けながら和やかに談笑できました。マッサージ終了後、体も心もスッキリして元気が出ました。産後の体をケアすることで、同時に心も癒やされてよかったです。 私の場合、出産直後は落ち込んだ気持ちになりがちです。元気に赤ちゃんが生まれたのに落ち込んでしまうことで、さらに自分を責めてしまい、悪循環に陥っていました。しかし4人目の出産後はすぐに気持ちを切り替えリフレッシュすることで前向きな気持ちになれましたし、私の気持ちが安定することで上の子どもたちも安心して過ごせると思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:藤原ナオミ3男4女の母。ハワイ留学中に学生結婚。育児の合間を縫って英検1級・TOEIC970取得。ハワイ州にある観光施設のマーケティングを担当し、翻訳やPRに携わる。自身の体験をもとに、子育てに関する体験談を執筆中。
2021年07月17日私の子育て人生の始まりは2011年でした。この年は東日本大震災など、世間的にもたくさんのことがありましたが、私のどん底は長男を出産した2日後にやってきたのです……。 マッサージを受けて授乳の準備はバッチリ帝王切開での出産。その翌日まで点滴を受けていたので、授乳がスタートしたのは産後2日目からでした。 それまでは助産師さんたちが作ってくださった育児用ミルクを、言われるままに飲ませていました。病院のスケージュールのなかで、おっぱいがよく出るようにおっぱいマッサージをしてもらい、たくさん出ていたので授乳の準備は完璧のつもりでいたのです。 幸せな授乳タイムの始まり…?いよいよおっぱいでの授乳がスタートしました。私が出産した病院では、ママと赤ちゃんが授乳室に集合しておっぱいを飲ませていました。赤ちゃんの体重を測って、おっぱいをくわえさせて飲ませて、また体重を測って。 みんながどんどん授乳を終わらせていくなか、私はなかなかうまく飲ませることができず、じょうずに飲ませられない不安と孤独でいっぱいでした。 孤独と不安で毎日涙…個室に戻っては、「帝王切開で産んだからちゃんと飲んでもらえないのかな」「おっぱいが大きすぎるから飲みにくいのかもしれない」「ミルクのほうがおいしいのかも……」と自分を責め、ひとりで大泣きしては寝られない夜を過ごしていました。 赤ちゃんは母乳で育てるのがいいからと周りに言われ、誰にも相談できずにいました。そして朝が来るとまた恐怖の授乳教室が始まり、挫折して個室に帰り、泣きながら搾乳する。そんな入院生活でした。 あんなに涙にくれながらおっぱいをくわえさせて頑張っていましたが、その後は搾乳して哺乳びんで飲ませたり、夜中は育児用ミルクにしたりと、負担の少ない授乳に移行していきました。生後3カ月ごろからは完全ミルク生活にしたことで、苦しみから解放されて、楽しく子育てができるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:ライター 舟橋海央4歳差の男子2人の母。同じ男の子でも性格の違う2人からいろいろ学びながら子育てを満喫中。自身の子育て体験をもとに記事を執筆している。
2021年07月12日私は35歳で高齢出産をし、1児の子育て中です。年齢、体力、人生の残された時間のことを考え、子どもは1人と決めました。夫も私の体と思いを優先すると言ってくれています。子どもを産む、産まない、産めない……とてもプライベートなことであり、また時代もそれを尊重する風潮にあると感じていましたが、そんなに世間はやさしいものではありませんでした……。 カウンターパンチは義母から義母は地方都市に住む第1次ベビーブーム世代の専業主婦です。義母には何度となく「私は弟がいてよかった」「きょうだいはいたほうがいい」と言われました。でも、私がそれとなくもう子どもを産む気はないと伝え続けると、納得したようでした。 けれど子どもに向かって「この子が結婚したら子どもをいっぱいもてばいいわねぇ」と言われたのです。「子どもを1人しか産まない私は悪」「きょうだいのいない子どもはかわいそう」と言われているようで悲しくなりました。 次は児童館の職員に育休中は、近所の児童館によく行きました。午前中は利用者も少なく、職員の方とも近しく話をするようになりました。そこで1人の職員の方に「私は子どもが欲しくても授からなかった。あなたは大丈夫よ。頑張ってね」と言われたのです。 私に子どもが1人しかいないのは、私が頑張っていないからなのか? どんな事情があろうと、頑張ってもう何人か子どもを産まなければいけないのか? 福祉のプロに「今のままではだめだ」と言われたように感じ、その職員の方と距離を置くようになってしまいました。 ついには保育園の保育士にまで子どもが3歳になるまでは、事業所内保育所を利用していました。規模が小さく、子どものことを細かに見てくれ、保育者と保護者のコミュニケーションも多く感じました。 その中の1人の保育士と2人だけになったときに「私は共働きをしながら2人の子どもを育てた。あなたも、もう1人は産まなくちゃだめよ」という話をされたのです。 私は「保育者とは子どもと保護者に寄り添ってくれるであろう」と期待していただけに、批判を受けたように感じ、一時期保育園に対しても不信感を抱いてしまいました。 2人目のことを周りから言われたのも子どもが2歳くらいまでで、一過性のものでした。それでも、悲しい思いをしたという記憶がはっきり残っています。こんな思いをするママがいない世界になったらいいのにと思わずにはいられません。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年07月08日■前回のあらすじ初めての育児で慢性寝不足になり、フラフラに。しかし、ある日を境に全く眠れない身体になってしまい…。ウーマンエキサイトのみなさんこんにちは、まつざきしおりです。前回に引き続き、産後バセドウ病になった話を書いていきたいと思います。■眠れず、食事量が増え、おやつも大量に食べるようになった産後半年くらいから、寝ようにもなかなか寝つけなくなりました。2〜3時間おきの夜間授乳で、コマ切れの睡眠生活。できるだけ睡眠を確保しないと思っていた私は、なかなか寝つけないことに焦りを覚え、その焦りでさらに眠れないという悪循環に陥り、普段ならなんてことない出来事にもイライラするようになりました。また、食べても食べてもすぐにおなかが空いてフラフラになり、食事量が増え、おやつも大量に食べるように…。とはいえ「授乳でエネルギーが吸い取られるからおなかが空くのかも」と、あまり気に留めていませんでした。これらの症状はすべて、産後のストレスや睡眠不足、身体の変化が原因なんだと思っていたんです。ところが、この後も症状はどんどん悪化していきます。 ■心臓の鼓動も激しくなり、さすがにおかしいと思い始めたただ夜、寝つけないだけでなく、ライブハウスのような大音量で、心臓がビートを刻むようになっていきました。産後の変化にしては、さすがにおかしいのでは? と思い不安になったり、夫も私の様子がいつもとは違うことを気にしていましたが、それよりも初めての育児に必死で、しっかりしないと! という気持ちが強かったので、自分のことは後回しにしている状態が続きました。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全6話)毎日9時更新!
2021年07月06日私の場合、出産から2カ月後に夫から誘われました。夫の気持ちもわかりましたが、「できればしたくない」という気持ちが私の本音。産後の夜の営みを嫌だと感じた理由や夫と話し合ったときのことなど、当時の私の体験をお話しします。 夜の営みの再開は産後1カ月ごろから産後1カ月健診で子宮の戻り具合や会陰切開の傷の様子、悪露の状態をチェックしてもらいました。特に異常は見つからず「性生活を再開しても大丈夫」とのこと。ただ、正直「夜の営みなんてできない」と思いました。 しばらく夫から誘われないことを願いながら過ごしていましたが、産後2カ月ごろにとうとうその日はやってきました。 したくない理由妊娠中は夜の営みを控えていたこともあり、夫の気持ちもわかります。だからこそ断ることができませんでした。しかし、会陰切開をした傷が気になって仕方がありません。気分は乗らず、痛みや違和感ばかりでした。 さらに赤ちゃんがいる身でと思うと、なぜか罪悪感さえ感じてしまいました。夫に申し訳ないけれど、「今は夜の営みをしたくない」というのが正直な気持ちだったのです。 夫に正直な気持ちを伝えてみた体の面は問題なくても、お互いの気持ちが一致しないと再開は難しいと感じました。 「しばらく夜の営みを控えたい……」。私は夫に今の正直な気持ちを伝えることにしました。男性には想像しにくいことかもしれない。だから話し合わないとと思ったのです。幸いなことに、夫は私の気持ちを受け止めてくれました。 体のことや自分の気持ちを夫に伝えてよかったと思っています。夫婦関係を見つめ直す良いきっかけにもなりました。 監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2021年07月05日私は24歳で結婚し、同年に男の子を出産しました。赤ちゃんが生後5カ月になったころ、夫から義母家族との同居の相談を受けました。私たちは4LDKの賃貸の戸建てに住んでいて、使っていない部屋もあるので同居することに同意。義母家族と同居してから、義母が巻き起こすトラブルに巻き込まれた体験談をお話ししていきます。義母家族との同居で一気に大家族へと義母家族は義母・夫の弟(18歳)・妹(17歳)・妹の子ども(2歳) の4人で、私たち家族を含めて7人の大家族になりました。同居の理由は、義母が勤める会社の倒産や義妹の元交際相手がストーカー行為をすることなどが重なり、義弟の高校卒業を期に同居してお互いの生活費をラクにしようという考えからです。 大家族で育った私は、正直なところ人数は気にはならず、長男と遊べる従姉がそばにきてうれしく思いました。 日に日に現れる義母の本性同居のはじめは、義母家族の楽しい笑い声がドアごしに聞こえていました。しかし、日が経つにつれて義母は義妹の子どもを怒鳴りつけ、義妹にも「しつけはダメなものはダメと厳しく怒らないと」と言って喧嘩するようになり、怒鳴り声と子どもの泣き声が増えていきました。 義妹は逃げるように夜中に家を抜け出し、朝帰りをする生活に。義母は怒ると怖く、人間関係のトラブルはあるほうだと夫から聞いてはいましたが、義妹やお孫さんに対して怒るときの怒鳴り声は私でも威圧感を感じ、怒らせてはいけない相手だと察知できるほどでした。 義母はついに隣人とトラブルを!私が住んでいる地域は雪の多い地域ですので、朝晩の雪はねが必要になります。義母と同居した最初の冬、義母は深夜帯のパートに勤めていたこともあり、早朝の雪はねをしてくれていました。 雪を捨てる場所は限られるため、隣家との境界線もマナーとして必要です。でも、マナーを守らない方もいて、隣人と口論し義母は警察に通報……。 その隣人だけじゃなく、違う隣人とも時折り雪を巡って口論するように。義母だけが悪いわけではないのですが、罵声を聞くたびに事件が起きる気がして怖かったです。 義母の愚痴を聞くようになって…義母から隣人の揉めごとの愚痴を聞くようにり、段々と義妹についても話してくれることが増えました。義母の言い分も正論に聞こえるため、共感する返答をしていましたが、このままでは義母と義妹の親子関係が悪化すると感じた私。 部屋から出てこなくて、あまり話せていなかった義妹とも少しずつ話すように。義妹は「義母に子どものしつけに関して怒られる」「子どもを叱りつけられたりしてつらい」「義母に母子手当金を当てにされすぎて家を出ようにも出られない」という問題を抱えていました。 どちらに対しても聞くことしかできない私はなすすべがなく、その後義妹は養ってくれる人を見つけ、子どもを連れて出て行ってしまったのです。 夫から義母は怒らせないほうがいいとは聞いていましたが、揉めごとに巻き込まれるとは思っていませんでした。しかし、義母は家族のために誰よりも先に炊事や雪はねなどに動いてくれます。義母も義妹を心配するあまり、介入しすぎてしまっているのでしょう。義妹と離れて暮らしてから親子関係は修復し、今は平穏に暮らせています。 作画/やましたともこ著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2021年06月28日