過去に受けた親御さんからの暴力やネグレクトが心の傷となり、今現在も子育てに支障が出ているママ。どうやって過去のトラウマから脱出しようとしているのかをご紹介しています。 現在、2人の姉妹を育てている母親です。実は私自身が毒親の元で育ち、ネグレクトや暴力などを受けて育った経験がありました。そんな私が「どうしたら幼少期のつらかった経験を乗り越えられるか?」と日々もがいている様子をお伝えします。 自分の過去がフラッシュバック現在3歳の長女がちょうど1歳を過ぎたあたりから、「なんで言うことを聞いてくれないの?」と苛立つ機会が多くなりました。その際にいつも思い出すのは、私が物心ついたおそらく3歳ごろからはすでに始まっていた、実母の私に対する暴力行為です。 どうしてもフラッシュバックしてしまって、長女を叩いてしまいそうになる衝動を抑えることに必死な毎日でした。 子どもを叩きたくなったらどうするべきかつらい経験をしたからこそ、子どもたちに対して暴力行為によるしつけをおこないたくはありません。しかし、度々過去の出来事がフラッシュバックする自分を責めてしまう日々。こんなことはママ友などにも話せませんでした。「じゃあどうするか?」と次に考えたことは、行政や心療内科といったプロの方々に助けを求めることでした。 見守られていると実感すれば行動は変わる私自身の経験ですが、暴力行為は閉鎖的な空間だと起こりやすいと感じます。つまり「ママと子どもだけの孤独な関係や、地域など社会的なつながりなどから閉ざされた環境」だと、より自分自身の価値観が狭まってしまう気がします。だから私は「たくさんの人とつらかった自分の過去や気持ちを共有し、見守ってもらう」ことを選択しました。ただ、ママ友とは滅多に共有できることではないと考え、プロや行政に助けを求めることに。具体的には市の産後ヘルパーを活用したり、保健師の定期的な訪問をお願いしたり、臨床心理士によるカウンセリングを受けたりしました。 心の解毒法とは臨床心理士によるカウンセリングでは、徹底して私の話を聞き取ってくれました。ママ友や自身の親などには話せないことをプロの方に聞いていただき、「心の闇を誰かに直接話すことで少しラクになれる」ことを体感できました。傾聴してもらうことで、気持ちの整理がつき、問題解決の方向性などを自身で見つけ出せるようになりました。もちろん、メンタルの調子には波があり、良い日もあれば「怒鳴りすぎたな……」と反省する日もあります。しかし「どんな自分でも受け入れ認める」という業を達成すれば、少しずつ自身のトラウマも乗り越えられるのではないかと感じています。 私は現在「自身の心の解毒法」の一環として、心療内科や保健センターなどに見守っていただきながら日々を過ごしています。「すべては子どもたちの健やかな成長のために」と強く思いながら、あらゆる人々に助けを借りて「いろいろな人が私を心配してくれているんだ」と思うと、自然と抑制心が出て心にブレーキをかけることができています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月29日結婚をして、夫婦でライフプランを立て、計画的に子どもを授かるのが理想的かもしれませんが、必ずしもその通りにできるとは限りません。私は付き合って3年目の彼との間に子どもを授かりました。当時、私は20歳になったばかりで、彼もまだ大学生。そんな私の妊娠・出産エピソードをお伝えします。 社会人1年目の春に妊娠判明社会人になりたての6月、体のだるさと2週間ほどの生理の遅れに不安を覚え、妊娠検査薬を試すと陽性反応が出ました。 このとき、彼はまだ大学4年生。しかも喧嘩をして、あまり連絡を取っていない状態でした。まずは産婦人科へ行き、妊娠していることをしっかり確認。覚悟を決めて彼に妊娠したことを報告しました。たくさん話し合い、最後はおなかの赤ちゃんのおかげで仲直りして、子どもを産み育てることを2人で決めました。 想定外の妊娠に対する気持ち私も20歳になったばかり。働き始めて間もない私が母親になるというのは不安もありましたが、私の母も20歳で出産したので若い母親にあこがれもありました。また、私自身、子どもが大好きで保育士として働いていたこともあり、不安はすぐに消え去りました。 ひとりの時間がなくなり、なかなか遊べなくなるかもしれないとも考えましたが、子どもとの楽しい未来を想像すると、そんなことも気にならなくなりました。 ベビー用品はリサイクルショップなどを活用! 彼がまだ大学生なので経済的な不安はありましたが、私の場合、出産に関する入院費用は出産育児一時金から3万円ほどはみ出す程度に収まりました。 大きいベビー用品は、リサイクルショップやフリマアプリを活用。チャイルドシートは1,700円、ベビーラッグは300円など、非常に安く揃えることができました。児童手当で毎月15,000円から10,000円支給され、医療費も無料なので、ありがたいことに急なお金が必要になる場面もなく、なんとか平凡に暮らしていくことができました。 子どもは現在1歳になり、これまでの人生で今が一番幸せだと感じています。毎日が楽しくて仕方がありません。赤ちゃんが幸せを運んできてくれました。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:白木あい男児の母。保育士・幼稚園教諭の資格を取得。保育士として勤務後、出産を機に退職し、専門知識や子育て経験をもとに記事執筆をおこなう。
2020年11月27日妊娠・出産前には、PMS(月経前症候群)という症状を意識したことはありませんでした。しかし産後は初めての育児と慣れない生活からイライラ……。仕事復帰をきっかけにさらにイライラが増え、特に生理前になると精神的不安定になるとわかりました。ここでは、私がPMSとうまく付き合っていくためにしていることをお伝えします。 産後ガラリと変わる生活に必死に順応出産後すぐに始まる初めての育児。体の回復もあまりよくなく、夜中もほとんど寝ることができない日々。産前とは生活がガラリと変わり、疲れと不安で常に気持ちが不安定でした。産後3カ月を過ぎ早くも生理が始まりましたが、そんななかでも、少しずつ赤ちゃんと過ごす1日のリズムがつかめるようになってきました。しかし里帰り出産だったうえに、平日は仕事で帰りが遅い夫は、赤ちゃんに対しても、赤ちゃんのいる生活リズムにも全然慣れず……。その様子に私はかなりイライラしていました。 育休から仕事復帰して気付いたPMS赤ちゃんのお世話に追われる生活。イライラもあったけれど、赤ちゃんがいるからこそ楽しめるイベントもあるし、癒される日々を過ごせました。夫も、子どもが1歳になるころにはやっと子どものいる生活に慣れ、ちょうど私の仕事復帰もあったので、子どもの世話や家事を積極的にやってくれるようになり助かりました。しかし、仕事との両立はとてもストレスがかかるのも正直なところ。そんなときに気づいたのが、特に生理前にどうしようもなくイライラしている自分でした。生理が始まってしまえば「何でそんなに周りに対してイライラしたのだろう」と思ってしまうほどです。 PMSとうまく付き合っていくための努力2人目の妊活を意識し、毎月の生理開始日は「ルナルナ 体温ノートアプリ」に記録していました。排卵後から次回の生理までの2週間程度、主にプロゲステロンの影響で「体重増加」「むくみ」「イライラ」「眠気」などのPMSが現れることがあると、アプリに載っていたので、生理周期を夫に事前に伝えるようにしました。また、仕事も家事もいつもやり過ぎてしまうタイプなので、その時期はできるだけ無理をしないように意識することにしました。そして、リラックスできるアロマの香りを用意し、なるべくカフェインは摂らない・野菜や魚系、また豆腐などを積極的に摂るように食生活にも気を付けています。それでも症状が完全にはなくならないので、イライラしてしまうときがありますが、夫が理解してくれているのでありがたいです。 ホルモンの影響とはいえ、周りに対してイライラし、後から自己嫌悪におちいってしまうこともあります。そのため、自分の生理周期を把握し、症状の出る時期には無理をしないよう意識しています。PMSとうまく付き合っていくためには、心にも時間にも余裕を持つことが大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2020年11月26日赤ちゃんを産んだからといって、誰もが最初から完璧なママになれるわけではありません。産後にママと暮らすパパが当然と思っていることは、ママにとって当たり前ではないこともしばしば。産後の生活でパパが何気なく言った言葉に傷ついた私が、世の中のパパに知っておいてほしいと思ったことをご紹介します。 ママだって、毎日必死に成長中なんです!朝も夜中も関係なく、泣くことでしか意思表示ができない赤ちゃん。娘は生後6カ月ぐらいから夜泣きが始まり、連日の睡眠不足でフラフラな毎日を送っていました。ある夜、娘の夜泣きにしばらく気づけず眠ってしまっていた私。ハッと目を覚ますと、隣で寝ていたパパが娘をあやしてくれていました。 朝になり、何食わぬ顔でパパが発したひと言に怒りを覚えました。それは、「なんでママなのに赤ちゃんの泣き声が聞こえないの?」という言葉でした。 産後ママの現実をもっと知ってほしい私たちにとって初めての赤ちゃんだった娘。もともと子ども好きだったパパは、娘が生まれたことが、ただただ幸せな様子でした。もちろんそれは私も同じでしたが、出産での体力消耗と連日の睡眠不足で、心身ともに余裕がありませんでした。そんなときに、「なんで聞こえないの?」と問われることが、まるで責められているように感じられ、傷つきました。 どうやらパパは、赤ちゃんを産めば女性は自然と“ママとして完璧な機能が備わる”と考えていた様子。何を根拠にそう思ったのかは不明ですが、産後のママは寝なくても平気で、たとえ寝ていなくても赤ちゃんの泣き声に反応でき、どんなときも赤ちゃんのことがかわいくて仕方ないと思っているものだと信じていたようです。「そんなわけないでしょ……」と、パパが描く理想を前に、茫然としてしまいました。 最初から完璧なわけではない 赤ちゃんを産んだ瞬間から、自動的に完璧なママになれるなんて有り得ない話。毎日赤ちゃんと過ごすなかで失敗を繰り返しながら、ママも成長していきます。パパが描いていた“ママ像”は現実の私とは程遠く、意図せず私を傷つけました。そして、産後の体の状態や、産んだから(パパが思う)ママになれるわけではないということをわかっていればこのような理想と現実のギャップは生じないのに……と思いました。 睡眠時間が不足すると、感情や思考のコントロールも難しくなり、起きられないことも当然あります。時には赤ちゃんと一緒にいることがつらくなることだってあります。私はその後、折に触れてパパに今の気持ちや体の状態について発信するようになりました。パパも徐々にその現実を受け止め、責めるような発言は少なくなっていきました。 産後、パパはそれまで当然と思っていた“ママ像”が、私によってことごとく裏切られていくことで、初めて現実を知った様子でした。パパもママも、少しずつ成長していくもの。衝突を恐れず現実を伝え続けることで、親としてお互いが成長していく道を選ぶことができました。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:金谷ともみ第2子妊娠中、5歳の娘の母。働きながら結婚、出産、産休育休を経て復帰、マイホーム購入などを経験。よりフレキシブルな働き方を求めて、ライターに転向。
2020年11月24日結婚後すぐ、義理の実家に完全同居で生活していた私。何かにつけて義母は「ラクできていいわね〜」と言うばかり。産後すぐに私の顔を見るなり、「ラクでよかったわね」と言われ、怒りがこみ上げてきた私の体験談です。 ラクでいい? 同居嫁はラクじゃない!結婚してすぐに妊娠。それから夫の実家に同居していました。夫、義母、義祖母、私の4人での生活。快く受け入れていただき感謝していましたが、高頻度な親戚の出入りや、義母の姉夫婦が突然泊りに来たり、とにかく落ち着くことのない慌ただしい毎日。急に食事を作る量が増えたり、夜にお酒を飲み騒いだり、私の生活リズムやプライバシーはあってないようなものでした。 義妹は遠方で夫婦と子どもだけで生活していたので、何かと私と義妹を比較して「同居はいいわね〜手伝ってくれる人がたくさんいて」と高らかに笑うんです。全然ラクじゃないですよ!と言えるわけもなく、モヤモヤはどんどん増えていきました。 「ラクでいいね」はどんどん増える!おなかが大きくなるにつれ、思うように動かせなくなっていく体。お風呂掃除は義祖母が、トイレ掃除は義母が、と分担してやってくれました。実際代わりにやってもらえるのはとても助かりましたが、義母はまた私がラクをしていると言うんです。 身体的負担は減りましたが、「家事やらなくていいなんてラクね〜」と日々聞かされ、どんどんモヤモヤが増えていくばかり。夫に相談してみましたが、「俺に言う?」となかなか取り合ってもらえず、心苦しさと寂しさで、今にも潰れそうになっていました。 産後すぐにも「ラクでよかったね〜」妊娠37週目、陣痛が来ていることに気づかず過ごしていた私は、破水が起こるまで自宅にいました。夜中に破水してそのまま入院、病院到着から3時間で出産。産後すぐ会いに来てくれた義母は、到着から3時間で生まれたと聞くと、すかさず義妹と比較して「ラクに産めてよかったね〜」と、また私がラクをしたと言い始めたんです。 疲労困憊な私を目の前にして、「ラクをした」と言われるのはなんだか許せませんでした。義母も出産を経験しているのに、どうしてそんなことを言うんだ!と怒りがこみ上げ、なんとも言えない感情になってしまったんです。産後の里帰り中も、義理実家へ戻ったあともモヤモヤはおさまらず、義母との関係は一方的にギクシャクしていきました。 私の義母との付き合い方義理の実家へ戻ってからは、生活に支障のない程度に避けるようになりました。義母を見るとまた「ラクできて〜」と言われる気がして、顔すら見たくない状態に。しかし、同じ家で生活している以上、リビングでは会うことになります。それまでできていたなにげない会話もできなくなっていきました。見かねた夫がフォローしてくれていましたが、正直気休めにしかなりません。 義母にやめてほしいことはたくさんありましたが、ひとつだけ「ラクできていいね」と言うのだけやめてほしいと夫から伝えてもらい、「ラクできて〜」を減らすことに成功。それでも時々言われましたが、言われたときはサッと自室に逃げると決めて、少し義母と距離を置く生活へ変えていきました。 義母や義祖母が、私の至らないところを快く補ってくれていたのは事実です。調べたり教わったりしながら日々奮闘していましたが、完璧主義な義母には敵いませんでした。力不足でイラっとさせていたのかもしれません。 確かに同居嫁は、夫婦だけで生活している家庭に比べるとラクに見えるかもしれません。でも、何かにつけて義妹と比較され、出産すら「ラクしている」と言われるのはやっぱりつらかったです。 本当はラクじゃないんだ!とあのとき言うことができていたら、義母との関係が良くなっていたのかなとも思います。義母の性格、自分の性格に合ったおつきあいの距離が大切なんだと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:島崎あゆみ二男一女、3人の子どもを抱えるシングルマザー。自身の妊娠・出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2020年11月23日私は高校卒業後、専門学校に通うために地方の学校へ進学しました。そして専門学生2年目にしてまさかの妊娠が判明しました。当時の私は19歳です。驚くほど若い妊娠……というわけではありませんが、いろいろと葛藤も多かった出産までの体験談をお伝えします。 予定外の妊娠に私の心はちぎれそうに…当時、私は専門学校に通いながらアルバイトに勤しんでいました。そのとき付き合っていた彼(今の夫)とは親公認の半同棲生活でした。もちろん性生活もあり、一度だけ避妊に失敗したことがあったのです。19歳の秋に、その一度の失敗によって妊娠が判明しました。学校も残り1年だったため、なかったことにしてしまおうかという考えも頭によぎったのですが、彼と「どうにか頑張れる方法を考えてみよう」と話し合い、出産を決意したのです。 彼の親は猛反対! バッシングに同居の強要私の親にはひと足先に報告を済ませ、学校は必ず卒業すること、資格も必ず取得することなどを約束し、同意を得ました。その一方で、彼の親は猛反対です。母親は妊娠を喜んでくれましたが、父親は違いました。「子どもを諦めろ」「片親の奴とは結婚させない」「まだ未熟なのだから同居しなさい」と理不尽なことを言われ続け、私の心は崩壊寸前でした。でもその後、彼が父親を何度も説得し、結婚・出産を許してもらったのです。それは、19歳という若さゆえの反対だったのだと思います。 お金がないって本当につらい結婚してからは同居の提案を振り切り、安いアパートに2人で暮らしました。それから夫の立ち会いのもと、無事に元気な男の子を出産。それからの生活は幸せでしたが、お金がないことが本当につらかったです。当時20歳同士の夫婦がそこまで稼げるわけもなく、私の学生時代のバイト代の貯えを削りながら節約生活に明け暮れていました。子どもにかわいい赤ちゃんブランドの服やおもちゃを買ってあげたかったのですが、とりあえず安くてかわいいもので我慢する生活に、泣いてしまう日もありました。でも、出産を後悔する日は1日もなかったというのが私の本音です。それだけわが子に愛情を感じていたし、これから頑張ろうという気持ちになれました。そして、しばらくしてから私は復学し、無事国家資格を取得することができたのです。 若いというだけで浮いてしまうことも…出産から3年後、仕事にも子育てにもやりがいを感じていました。そんななか健診や子どもの幼稚園行事など、ほかの保護者と関わる機会も多くなっていたのですが、私はどこへ行っても最年少ママ。幼稚園のボスママ的な存在の方に年齢を聞かれたり、「若いね~」とあからさまな嫌味を言われたりすることもありました。でも、私を守ってくれたのは仕事です。いわゆる“専門職”であるため、私がどんな仕事をしているか知っているママにはよく相談を受けたり、ワーキングマザーの方からは「有休ないよね」と話しかけてもらったりと、仕事のおかげで悪目立ちせずに済んだという経験もありました。 若くしての出産で悲しいニュースを目にすることもありますが、「どうすればよりよい生活を送れるかな?」「どうすれば子どもは幸せになるんだろう」と日々考えながら、現在私は2人の子どものママになっています。もちろん大変なことや泣いた日も多かったです。でも、あのとき子どもを産んでよかったなと、今心から思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:菅田ゆうり1歳・7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
2020年11月23日産後2カ月のころ、友人の結婚式に出席しました。打診があったのは妊娠中で、産後の様子は正直あまりイメージできませんでしたが、大切な友人だったので赤ちゃんを実母に預けて出席することに。しかし、いざ式が近付くと、出席の返事をしたときには想像しなかった問題がいくつか出てきました。 ※コロナ禍前の体験談です パーティードレスが入らない!産後思ったように体型が戻らず、着ようと思っていたパーティードレスが入りません。どうにもこうにも背中のファスナーを上げることができず、困ってしまいました。 赤ちゃんは連れて行かない予定だけど、授乳口の付いた産後ママ向けのドレスを買うべきか……と考えていたところ、妹が持っていた、ゆったりしたデザインのドレスを貸してもらえることに! ホッとしました。 溢れる母乳はどうしよう!産後すぐには出なかった母乳も、式のころには授乳間隔があくと溢れ出るようになっていました。 赤ちゃんと離れて過ごす間、母乳パッドはどのくらい必要? 借りものの服を濡らしてしまったら申し訳ないし、なにより恥ずかしい……と心配でした。結局、家を出てから帰宅までの間に母乳パッドを4〜5回交換し、そのほかに搾乳もしました。 久しぶりのヒールで足が痛い!妊娠中から1年以上ヒールのある靴を履いていなかったので、独身のころのような高いヒールで歩く自信がなく、低めのヒールの靴を選びました。それでもやはり歩きにくく、帰宅するころには靴擦れができ、ふくらはぎも筋肉痛になってしまいました。 せめて、行き帰りの移動の間は履き慣れたぺたんこ靴に履き替えればよかったなと、あとから思いました。 いろいろと思いがけない苦労もありましたが、大切な友人の花嫁姿を見られてうれしかったです。披露宴の最後の花嫁からの手紙は、生まれたばかりの娘がこんなふうに手紙を読む日もいつかくるのかなと想像して感動しました。 監修/助産師REIKO著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月23日長女が生後10カ月のときに下の子の妊娠が判明しました。うれしい反面、まだ私にべったりの長女にさみしい思いをさせてしまわないか不安でもありました。お姉さんになる準備をしつつ、残り少ないひとりっ子の時間を満喫させながら、下の子を迎えたときのことをご紹介します。2人目を妊娠。当時、長女は生後10カ月長女出産後、夫と私は年が離れていることもあり、2人目を考えるなら、なるべく早くと思っていました。しかし、いざ2人目の妊娠がわかったときに、うれしい気持ちと同時に長女の気持ちを考えると複雑な気持ちにもなりました。 私にべったりの長女がやきもちをやいたり、さみしい思いをしてしまわないだろうか……。せっかく2人目ができたのに素直に喜べなかったことを、おなかの子にも申し訳なく思いました。 「お姉ちゃん」になる準備はするべきか?長女本人はわかっているのかわかりませんが、周りからは「お姉ちゃんになるんだね」と言われるようになりました。ですが、私と夫は「お姉ちゃんになるんだから、しっかりさせないと」というよりは、残り数カ月のひとりっ子の時間を満喫させてあげようと考えました。 そのころからお人形遊びやおままごとに興味を持ち始めていたので、赤ちゃんの存在を知ってもらおうと一緒にお人形のお世話をしながら遊んでいました。 想像以上に「お姉ちゃん」らしい長女に感激!そして迎えた出産。立ち会いOKの産院だったので、さっそく出産直後の赤ちゃんと長女を会わせることにしました。産後、私と赤ちゃんが突然家に帰るより、生まれたばかりの赤ちゃんを見せるほうがいいと思ったからです。長女は不思議そうに赤ちゃんを見ていました。 その後退院し、家に帰った私が赤ちゃんのおむつ替えなどをしていると、長女は「自分もしたい」とおむつを持ってきました。またある日は、赤ちゃんが泣いていると私を呼びにきてくれました。長女は、私の想像以上にしっかり「お姉ちゃん」になっていたのです。 年子だからまだ難しいだろうと思っていましたが、想像以上に赤ちゃんをすんなり受け入れた長女。下の子を自分より小さいものとして大事にしている姿に日々感激しています。 原案/深田ようこ作画/YUDAI9℃
2020年11月22日私は妊娠中、赤ちゃん用品の準備と出産のことで頭がいっぱいでした。そのため、出産後の赤ちゃんのお世話をなんとなくイメージしていたものの、勉強はしませんでした。そして仕事が忙しく母親学級にも参加できず……。その結果、赤ちゃんが生まれてから睡眠不足のなか赤ちゃんのお世話について調べる羽目に。ちゃんと勉強しておけばよかったと私が後悔したことを3点ご紹介します。 おむつの替え方初めてのおむつ替えのとき、「おむつを替えてね」とだけ言って立ち去ってしまった助産師さん。助産師さんが全部教えてくれるものと考えていた私は戸惑いました。サンプルでもらったおむつに替え方が書いてあったので、それを見てなんとかおむつを替えることができました。抱っこの仕方やお着替えの方法など赤ちゃんのお世話の仕方は生まれる前に勉強しておいたほうがよいと思いました。 母乳の出し方・飲ませ方赤ちゃんが生まれたら自然に母乳が出てきて、赤ちゃんもごくごくじょうずに飲んでくれるものと思っていました。しかし、実際に出てきた母乳の量はほんの少し。加えて、私の乳首が吸いにくい形状だったようで、娘はほとんど自力で吸えませんでした。 1時間授乳しても飲んでいる量はほんの少し。3時間おきの授乳で寝不足のなか、母乳の出し方や吸わせる方法を調べるのはつらかったです。最終的にニップシールドを使ったらじょうずに吸えるようになりました。 赤ちゃんの睡眠リズムの作り方寝られないことがつらかった私は、生後1カ月を迎えたころにネントレをすることを決意。娘の体重は順調に増えていたので、これまでこまめにおこなっていた夜の授乳を、欲しがったタイミングであげるようにして、娘が夜に長く寝ることを目指しました。 生まれるまでは、ネントレといえば「赤ちゃんをひとりで寝かせ、泣いても放置するもの」というイメージがあったので、おこなわないつもりでした。しかし調べてみると、朝一で日光を浴びさせる、お風呂は夕方の同じ時間に入れるなど生活習慣と環境を整える「泣かせないネントレ」もあったので実行することに。 睡眠不足を我慢してネントレの本を読むのはとてもつらかったですが、ネントレによって娘の睡眠リズムができたあとはとてもラクになりました。 今思うと、母親になったプレッシャーと勉強不足であることの負い目から周りを頼ることができず、ひとりで頑張りすぎていたと思います。わからないことを親切に教えてくれる助産師さんもいたので、もっと積極的に質問したり、同室のママたちと交流を持って助け合ったりすればよかったです。 監修/助産師REIKO著者:三葉アキ0歳の女の子を育てながら化粧品会社で働くワーキングマザー。夫が激務なため、平日はワンオペ。忙しくても楽しく子育てすることをテーマに、育児に関する記事を執筆している。
2020年11月22日お義母さんがピアノの先生をしているというママさん。お孫さんに早くから音楽の教育をしたいお義母さんの思いが、ママさんへの押し付けになっていたそうです。そんなお義母さんに、ママさんがはっきりと物申した体験談です。現在私は2歳の娘を育てています。私の義母は自宅でピアノの先生をしています。そのため、孫にピアノを教える気満々。それはいいのですが、いざ娘が生まれるとそのやる気がどんどん押しつけのように変わっていってしまいました。 義母に直接物申す!生後4カ月にクラシックは必須?わが家と義実家は車で5分の距離にあります。義実家に行くのは月に1、2度ほどです。娘が生後4カ月のとき、義実家に私と娘だけで遊びに行くと、唐突に義母に言われました。「クラシックはずっと流してる?」と。 何の話かわからず「えー流してないですよ」と言うと、義母は「困ったわね……○○(夫)に言っておかなくちゃ……」とつぶやき、「そんなんじゃダメなの。耳が育たない」ときつい口調で言われました。 お願いがどんどん押しつけに義母は「いい耳は1歳までにつくられる」と自分で調べ、焦っていたようです。とはいっても義母が娘と会えるのは月に1、2度。となれば、嫁の私にそれを代わってもらおうとお願いされることが増えました。ピアノのおもちゃを買ってきて「これ娘ちゃんと弾いてね」とか、太鼓のおもちゃを持ってきて「これはリズム遊びにいいの」とか。まだここまでは「ちょっとモヤっとする」くらいでした。 しかし次第にヒートアップし、「ド、レ、ミと言いながらピアノを弾きなさい」「起きている間はあげたCDを聞かせなさい」など義母から電話で指示されるようになったのです。 義母に全部任せる形で決着夫に相談してもよかったのですが、義母とはもともと仲が悪いわけではなかったので、直接物申すことにしました。娘と私だけで義実家へ伺ったとき、いただいた楽器を持っていき「お義母さん、ピアノとか太鼓なんですけど、私は音楽全然できないのでこういうのお義母さんにお任せしてもいいですか?」 「CDは家で流すんで」と持ち上げと譲歩をして、最後に「それにただでさえ毎日大変なのに、慣れない音楽のこともあって、私疲れちゃいました」と正直に話しました。すると、「やだ、ごめんね。そうよね、じゃあ任せて!」と義母もすんなり提案に応じてくれました。 我慢したまま過ごすこともできたかもしれません。けれど、そのまま行けば義母のことを嫌いになってしまいそうで、正直に話しました。結果、義母も私も納得する形で決着してよかったです。ちなみに娘は今2歳。義実家に行くときはいつもピアノのレッスンを受けて、毎回義母に「天才だ」と褒められています。 作画/はたこ著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2020年11月19日吐き戻しが多い赤ちゃんが心配だったママ。赤ちゃん特有の吐き癖だと思っていたら、おすわりをする時期になっても吐き戻しが続き……。娘が生まれて半年ころまでのことです。娘は授乳後げっぷをさせても、しばらくすると吐き戻してしまう子でした。助産師さんからは吐きやすい子と言われ、私も吐きやすい子だと思い込んでいたのですが……。おすわりができるようになったら良くなると助産師さんから教えてもらっていたのに、おすわりができるようになっても変わらず吐き戻す娘。心配で健診で相談したところ、意外なことを言われびっくりした話をお伝えします。 「気づかなくてごめんね⋯」 吐き子と呼ばれる娘帝王切開で出産し、娘は一晩助産師さんのお世話に。翌朝、無事に母児同室になったものの、育児用ミルクが消化しやすいようにうつぶせ寝にし、心電図までつけられることに。助産師さんから育児用ミルクを飲ませるとすぐに吐き戻すので、小児科の医師に診てもらうことになったとお知らせが。 診察後、医師から「生まれたばかりの子は胃が小さいうえに胃の入り口がうまく閉まらず吐きやすいんです。様子をみていきましょう」と言われました。助産師さんからは「この子は吐き子ちゃんだね」と言われ、私も娘は吐き戻しやすい子なんだと思い込んでしまいました。 なぜ? おすわりができても吐き戻す娘その後も娘はよく吐き戻していましたが、1カ月健診で助産師さんに「多少吐き戻すのは赤ちゃんはよくあること、体重も増えているし大丈夫。おすわりができるようになればいずれ吐かなくなるよ」と言われ、ひと安心。 それからは多少吐き戻してもおすわりができるようになればおさまると思い、あまり気にせずに過ごしました。しかし、生後半年ほどでおすわりができるようになっても吐き戻しは続き、さすがに心配に。病気ではないかと考えるようになりました。 小児医の言葉にびっくりちょうどそのころ健診があったので、小児医に吐き戻しについて相談することに。そうすると「お母さん、それはお乳の飲ませすぎですよ。ほら、こんなにお肉もついて大きくなっているでしょ?」と返事が。なんと赤ちゃん特有の吐き癖だと思い込んでいたのが、お乳の飲ませすぎで吐き戻していたのです。 混合授乳から母乳のみに変更していたこともあり、いつから飲ませすぎていたのか全然気づかず……。そして授乳時間を早めに切り上げるようにしたら吐き戻す回数が減り、成長につれて自然に吐き戻さなくなっていきました。 おすわりができるようになってからの吐き戻しはまさかお乳のあげすぎが原因になっていたなんて。吐く原因はさまざまなので、吐き癖と思いこまず早めに医師や保健師さんに相談していればよかったです。思い込みで娘を長く苦しませることになっていたと思うと、娘にごめんね……という気持ちに今でもなります。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:佐藤りさ4歳の女の子の母。病院看護師として働きながら隙間時間に自身の体験をもとにライターとしても活動中。主に育児、健康について執筆している。
2020年11月17日今回は、出産前にドラム型洗濯乾燥機を導入した体験談をお話しします。高い買い物ではありますが、その価値はありました! 家事に余裕ができると、気持ちに余裕ができて笑顔が増えました。 一番高価な出産準備品 わが家の出産前の一番高い買い物は、ベビー用品ではなく、ドラム型の洗濯乾燥機でした。出産前に15万円以上もする大きな出費は避けたいと渋っていたのですが、夫がぜひにと購入。結果的に大成功でした。 出産後の家事・育児は本当に大変で、洗濯機に入れるだけで大量のベビー服やタオルがふかふかに乾いて出てくる状態がどれだけ助かったことか! 冬の寒い日に外で干さなくて済み、購入する価値は十分ありました。いまだに夫に感謝しています。 実際に導入した洗濯乾燥機購入したのはパナソニックの「スピンDansing NA-VX3101L」です。電気代が比較的安いヒートポンプ型で、型落ちのセール品を購入しました。しかし性能は十分で、夜にセットしておけば、朝、乾燥した洗濯物が出てくるという夢のような状態! セットする毎に乾燥フィルターのほこりを取る手間はあるものの、ほんの30秒ほど。また、心配していた電気代はプラス5,000円になりましたが、電力会社を変更したため、購入前と変わらない水準です。 ラクできるところはどんどんラクをする子どもにとってママはひとりしかいません。そして、子どもが小さい時期は本当にあっという間です。家電は高い買い物ですが、子どもとの時間が増え、生活のなかで笑う余裕ができるなら、買う価値があると私は思いました。たとえるなら、家事のアシスタントがいつも家にいてくれるような感覚です。 ロボット掃除機や食器洗い乾燥機など、さまざまな家事に対応した家電、お手ごろ価格で購入できるものも増えてきました。苦手な家事のアシスタントとして、長い目で見ればお得かもしれません! イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:中浦明子一児(女の子)の母。結婚を機に書店員を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は子どもと散歩、子どもと行けるカフェの開拓。
2020年11月17日子どもが生まれてうれしい反面、夫との関係は今まで通りではなくなった……という方もいるのではないでしょうか。私の家庭でも、恋人のような関係から一転、産後はギスギスした関係が2年半以上続きました。そんな状態を脱出するきっかけや、気を付けたことを紹介します。 今まで当たり前だったハグができないきっかけは、出産後すぐの長期出張から帰ってきた夫に「お帰りのハグができない」ことでした。原因はなんともいえない嫌悪感。出産前には一度も感じたことのない嫌な気持ちでした。 その後、育児に追われて家事もままならない生活が続くうち、夫にイライラをぶつけてしまい、手伝ったりやさしく話しかけたりしてくれていた夫も、しだいに部屋に閉じこもりがちに……。仕事も忙しくなり、性生活のない状態になってしまいました。 笑顔から始めて楽しい時間の共有をそのまま2年半が経過し、危機感を感じた私は、仕事から帰ってきた夫に笑顔で「おかえり」と言うことから始めました。 子どもの生活リズムが整ってきていたので、夫婦で一緒にテレビを見る時間やその日の話をする時間も確保。この時間は必ず夫の隣に座り、カップをおそろいにしたり、夫の話をよく聞いたりと、2人の時間を演出することも。一緒にソファーに座って、テレビを見たり、たわいのない話をしたり。とにかく楽しい時間を夫婦で共有できるようにしました。 目は合わせないけれど肌が触れるマッサージは相談に最適そして、夫に相談したりモヤモヤする気持ちを話したりするときは、肩をマッサージしてもらいながら話をしました。「したいけれど少し怖い」という気持ちもここで伝えました。目を合わせずに肌が触れている状況は、冷静に話せるうえに、交代でマッサージするとお互いに労わる気持ちも生まれるのでおすすめです。 数カ月後、寝室に誘われましたが、産後に時間が空いて少し怖かったので痛くないか試しながら4回目に成功。我慢強く気づかってくれた夫に感謝しています。 私の場合は気持ちのすれ違いが大きかったので、楽しいことの共有とリラックスして話せる雰囲気づくりが一番大切だと感じました。また、「肌の触れ合いはハードルが高い」と感じているときは手や肩のマッサージが効果的でした。 監修/助産師REIKO著者:中浦明子一児(女の子)の母。結婚を機に書店員を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は子どもと散歩、子どもと行けるカフェの開拓。
2020年11月15日義実家で授乳するときに、義父からの視線が気になっていました。 授乳中に増していくストレス⋯⋯。しかし良好な関係を壊したくない思いで、言いたいことをためこんでしまった結果、我慢しきれずについきつく言ってしまいました。そんな嫁(私)と義父の授乳問題についてお伝えします。 気になる視線長女が生後3カ月のころ、夫の実家に1カ月ほどお世話になったことがあります。義父は仕事をリタイアしており、1日中家にいました。義父は私の娘を抱っこしたり、あやしてくれたり、かわいがってくれて本当に助かりましたし、とてもうれしかったです。しかし、1つ気になることが。私が授乳するために娘を連れて部屋を移り授乳をしていると、その部屋に入ってくるのです。「これって当たり前のことなの?」と疑問に思いながらも、義父とはいえ夫以外の男性の視線がなんだか気になりました。 やわらかく気持ちを伝えたたところ…授乳中は義父に部屋へ入ってきてほしくないことを夫から伝えてほしいとお願いをしました。義父との良好な関係を壊したくなかったので角が立たないよう、夫から「授乳中は部屋に入らないほうがいいんじゃないかな? 女性は普通嫌がると思うよ」と、やわらかく言ってもらったのです。しかし義父の返答は「胸を見ているんじゃない。乳を飲んでいる孫を見ているだけだから」と言って状況は変わらず。なんだか「私が自意識過剰なのかな?」 とも思いましたが、不快な気持ちとストレスは増える一方でした。 はっきり言わせていただきます!ある日、いつものように私は義父を意識しつつ授乳の部屋に移動しました。するとまた、義父が授乳部屋に入ってきたのです。私はもう我慢の限界で、「お義父さん、授乳中は絶対に部屋に入ってこないでください。胸を見ているとか見ていないとか関係ないんです。不快です。お願いしますね!」と、きつく言いました。義父は「わかった」と言い、それから授乳中は部屋に入ってこなくなりました。この一件があったあとも、義父は相変わらず孫をかわいがってくれるし、私と義父の関係も変わらず良好なので、もっと早期にはっきり伝えておけばよかったです。 不快な気持ちを義父に伝えることは難しかったですが、はっきり言わないと義父は気持ちを理解できないと思ったのです。しかし我慢しすぎて余裕がなくなる前に言えたら、もっとやさしく伝えられたのかなと反省もした出来事でした。 著者:藤原 にじ二児の姉妹の母。兵庫県出身、オーストラリア在住。自身の経験と感性をもとに執筆活動中。趣味はイラスト、漫画を描くこと。旅行も大好き!妄想の中でも旅行に行く。
2020年11月14日私たち家族はオーストラリア在住です。2人目出産時、頼れる身内は夫だけという状況のなか、夫婦で育児ノイローゼのようになってしまいました。ここでは、2人目で育児経験があってもうまくいかないと実感したことや、精神的に不安定な状態になってから復活までの体験をお伝えします。 オーストラリアでの出産を決意!2人目の妊娠判明後、オーストラリアでの出産を決意。理由は、長女のときは日本に戻って出産したため、夫が初めて長女に会ったのが生後3日目で、貴重な新生児期を一緒に過ごせたのはたったの1週間程でした。仕事があるので仕方のないことですが、私は夫と子どもを引き離してしまっていたことずっと後悔していたのです。日々変化する子どもの成長を夫にも見せたい!と思ってオーストラリアでの出産を決断しましたが、普段あまり娘のお世話をしていない夫と2歳イヤイヤ期真っ最中の娘を抱えての出産には正直なところ不安もありました。 ついに出産! そして…その後、妊娠38週3日の深夜に次女を出産しました。妊娠中の苦しさや、出産での疲労でくたくたでした。「これでやっと数日入院して休める」と思っていた矢先、看護師さんから「少し休んだら帰ってね」とひと言。これには驚愕しました。私は疲労困ぱいでしたし、長女と一緒に帰ったら絶対に休めないと思い、一泊だけでも入院したいと食い下がりましたが答えはNO。沐浴もまだで胎脂をつけたままの次女を連れ、出産から約8時間後に泣く泣く退院することになったのです。 空回る夫、疲れ果てた私。その結果…夫は張り切って家事・育児をしましたが、慣れない家事や2歳イヤイヤ期の娘のお世話は簡単ではなく、次第に夫の様子に異変が。表情には覇気がなく食事をしなくなり、靴を履かないだけで長女を怒鳴ったり、ぼーっとしたりしている時間も増えていき……。それを見た友人が冗談ぽく「育児ノイローゼじゃない?」とひと言。それだ!と心の中で叫びました。私のほうも夫のフォローにまわり、家事も育児も頑張った結果、心身を病み育児ノイローゼのような状態に……。めまい、食欲不振、倦怠感、突然出る涙、娘たちがかわいく思えないという事態にまでなってしまったのです。 一家の危機に救世主現れる!そして出産から2カ月後、わが家へ義母が手伝いにきてくれました。家の空気は一変! 明るくて子どもの面倒もよく見てくれる義母。バランスの良い食事を作ってくれて、家事もテキパキとおこなってくれて助かりました。私は十分に休息でき、仕事に復帰した夫も次第に育児ノイローゼのような症状が治ってよかったです。約3週間滞在してくれた義母と一緒に、私も娘たちを連れて日本に帰国しました。久しぶりの母国、実家、すぐに助けてくれる人たちがいる環境に安堵し、心から娘たちをかわいいと思える余裕が生まれました。 この経験で学んだことは、・誰でも育児ノイローゼのような状態になる・自分の力量を知り、対策する・育児や家事に完璧を求めない・産後は無理してでも休む以上4つです。まさか夫婦で精神的に不安定な状態になるとは思いませんでした。経験者でも育児を甘く見てはいけないと身をもって感じたのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:藤原 にじ二児の姉妹の母。兵庫県出身、オーストラリア在住。自身の経験と感性をもとに執筆活動中。趣味はイラスト、漫画を描くこと。旅行も大好き!妄想の中でも旅行に行く。
2020年11月11日私は生まれてからずっと都市部に住んでいて、運転免許は持っていません。移動は徒歩、自転車、公共交通機関のいずれかになりますが、不便を感じることはなく、運転免許をとる必要性も感じていませんでした。そんな私が出産後4カ月で地方都市に移住。幸い街中に近いところに住まいがあるため、車がなくても生活ができます。ただ雨の日も、暑い日差しの日も、自転車で移動する私と一緒にいる子どもには我慢させているかもしれません。 妊娠判明と同時に引っ越しが決まる夫の仕事の関係で引っ越しが必要だとわかったのは、私の妊娠がわかったのとほぼ同時期。夫から引っ越し先は車社会の土地だと聞いたので、私は妊娠中に免許を取ることも考えました。 しかし私に持病はないものの高齢出産ということで、新しい環境やテストなどが精神的にも体力的にも負担になるかもしれないと考え、妊娠中に教習所通いはしないことに。教習所について調べるうちに、今は託児所付きの教習所もあることを知り、子育てが落ち着いたら免許を取ることにしました。 いざ子育てが始まるとしかしいざ子育てが始まると、私には物理的にも、精神的にも、体力的にも教習所に行く余裕はありませんでした。夫がいないときに子どもと出かけるときは抱っこまたはベビーカー。どうしてものときはタクシーを使いました。 子どもが2歳になり、自転車の後部座席に座らせられるようになると、移動手段はほぼ自転車に。雨の日は子どもの座席部分にレインカバーをかけ、私もカッパを着て自転車に乗っています。 雨の日になると雨の日にたまに子どもが「父さんの車がいい……」ということがあります。確かに都心部では当たり前のように見かけた雨の日の自転車での子ども園の登降園も、私たちの住んでいる地方都市ではかなり珍しい光景です。 子どもは同級生の様子を見てうらやましくなったのかもしれません。私はというと、雨の日は車のほうが快適だろうなと思いつつも、時間や労力を考えると積極的に教習所に行こうとは思えないのが正直なところ。子どもには「ごめんね、お母さんは車の運転ができないんだ」と謝るばかりです。 引っ越し当初は「早く免許を取らなければ」と考えていたものの、免許がなければないで生活ができてしまい、私は免許取得に積極的になれないでいます。周りの様子を見て車に乗りたがる子どもには、今のところただただ「ごめんね」と謝るばかりです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2020年11月10日今回はママのひとり時間の作り方についてです。「程よく息抜きをして自分なりにリフレッシュすることで子どもへの接し方も変わった!」と言うママの体験談を紹介しています。 赤ちゃんとの毎日がもっとラクに、もっと楽しくなる。ベビーカレンダーは、そんな毎日を応援するコラムを絶賛連載中! 以前は、子どもが起きているとどうしても家事が思うようにできず、子どものお昼寝中に家事を進めていました。夜もよく子どもと一緒に寝てしまい、自分の時間がまったく取れない状態に……。今回は私のひとり時間の作り方についてご紹介します。 ひとり時間の大切さ夫が転勤族で、さらに自分と夫の実家は遠方のため、私は主にワンオペ育児をしています。夫の仕事が忙しいときには休日出勤もあり、なかなか協力が得られないことも……。 そんなとき、ひとり時間や自分が好きなことをする時間がないと、次第にイライラが募り子どもを怒鳴ってしまったり、自分に余裕がなくなったりすることもあります。 しかし自分なりに工夫して、子どものお昼寝中におこなっていた家事をやめ、自分の自由時間にしました。そうすると子どもに対してやさしく接することができ、私自身もかなりリフレッシュになりました。 家事が残っていたとしても後回し子どものお昼寝中を自分の時間に変えてからは、どんなに家事が溜まっていても、絶対にひとり時間を確保するように心がけました。私には家事を完璧にこなすことを諦めてでも、ひとり時間は大切だと感じたのです。 おかげでどんなに子どもがぐずったときや、イヤイヤがひどくて心が折れそうなときでも、1日の途中に休憩時間があると思うと、頑張ろうという気持ちになりました。 メリットばかりひとり時間を確保してからは、私の好きなセルフネイルや自分磨き、漫画を読むことができるようになり、本当に毎日が楽しくなりました。子どもがお昼寝をしているたった数時間でも、ひとり時間が毎日あるとリフレッシュになります。「ママになっても自分に時間をかけていいんだ」と思えるように。 毎日「今日は何しよう?」と考えるのも、楽しみの1つ。ひとり時間があるおかげで家事もテキパキでき、とてもはかどります。時間を有効的に活用できることで、より満足感や幸福感が得られるようになりました。 子どもが生まれたばかりのころは、なかなか自分の時間が取れなかった私。「工夫次第で時間は確保できる」と自分の発想を変えると、案外うまくいくことに気づかされました。柔軟に考えられるようになったことで、「育児中でもいろいろなことができる」という自信にもなり、育児と家事、自分時間とメリハリのある生活が過ごせ、毎日がとても楽しいです。 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:渡辺ひかり1歳男児の母。結婚を機に退職。パートナーの転勤で現在は慣れない土地で子育てに奮闘中。自身の体験をもとに出産・育児などのテーマを中心に執筆中。
2020年11月08日出産後に母乳が不足しているのではないかと、心配になっていたママの体験談を紹介しています。医師や看護師さんに何度も相談したようですが、母乳不足感に対する不安な気持ちに寄り添ってもらえず、悲しい思いをしたそうです。 私が現在1歳になる娘をアメリカで出産したときの体験談です。出産したら母乳は出るものと思っていましたが、いくら授乳をしても泣き止まない娘の様子に母乳不足を感じました。医師や看護師さんに繰り返し相談しましたが……。産後の母乳不足感に対する病院スタッフの対応に関して、悲しい思いをした体験談をお伝えします。 産後の母乳不足感。医師に相談するも…第1子出産後の入院中のことです。出産後すぐに授乳が始まりましたが、私には母乳が出ているという感覚がまるで感じられませんでした。試しにおっぱいを搾ってみても、ごく少量の母乳が乳首にうっすらと滲む程度。 母乳が足りていないのではと思った私は、回診にきた医師に相談。医師によると、「出産後すぐの母乳は少ししか出ないけれど、そのごく少量が赤ちゃんに必要な栄養のすべてだから大丈夫」とのことでした。 看護師さんにも繰り返し相談したけれど…医師の説明にひとまず納得した私は授乳を続けていましたが、やがて娘はどれだけ長く授乳を続けても、おっぱいから離すと泣きだすようになりました。やはり母乳が足りずおなかが空いているのではないかと心配になった私は、看護師さんにも何度も相談をしてみました。 しかし、「生後すぐの赤ちゃんの胃の容量はとても小さいので大丈夫」「今はおなかがいっぱいでも泣く時期だから」と言われるだけ。娘はとにかくおっぱいから離したら泣くので、常に抱っこして乳首をくわえさせているような入院生活でした。 病院スタッフに対する不信感がMAXに!アメリカでは通常、出産後2日で退院します。退院前の体重測定で、娘の体重が10%以上と大きく減少していることがわかりました。生後数日は赤ちゃんの体重は減るものの、10%以上の減少は危険な状態。結果、入院が延びることに。ここで初めて、母乳が不足しているから育児用ミルクを足しましょうと言われました。 私は、だから母乳が出ていないと何度も言ったのにどうしてもっと早く対応してくれなかったのかと、とても悲しく悔しい気持ちに。やはりおなかが空いていた娘は育児用ミルクをあげるとたちまち泣きやみ、体重もすぐに回復し、翌日には退院できることになりました。 あとから冷静になって考えてみると…病院スタッフの対応に不満が残っていた私は、あとから知り合いの日本の助産師さんに聞いてみました。すると、むしろ産後すぐに赤ちゃんが満足するほどの母乳が出る人のほうが少なく、病院スタッフの対応も間違ってはいなかったと思うとのこと。 それを聞いて、当時の私は出産直後だったこともあり神経質になり過ぎていたかもしれないと思いました。しかし、あのころは何も知らず、ひたすら心配で仕方ない状態だったので、もう少し精神的な意味で母親に寄り添うケアをしてもらえていたら、こんなに悲しい気持ちにはならなかったのにとも感じました。 母乳不足の悩みに対して、入院中は医師も看護師も大丈夫と言うだけでした。初めての出産に神経質になっていた私には、スタッフの対応が冷たく感じられ、ひたすら悲しく不安になりました。肉体的なケアだけではなく、もう少し産後の不安な気持ちに寄り添った対応をしてくれていたら、こんなに悲しい思いをせずに済んだかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:玉木理恵1歳の女の子の母。アメリカ在住。翻訳家・ライターとして活動中。
2020年11月07日次男の授乳中、カップ付きのインナーが便利だったので、私は日中も夜眠るときもカップ付のインナーを着ていました。次男は生後11カ月のとき、無事保育園に入園。2週間の慣らし保育を経て、職場復帰した私はすぐに断乳しました。しかし朝ブラジャーをつける習慣がなくなっていて、薄着の季節にノーブラで出勤するという失態を犯してしまったのです。 授乳に便利なカップ付きインナーカップ付きインナーは締め付け感がないのに、しっかり胸を支えてくれる便利なインナー。胸を出すのにラクで、授乳中は愛用していました。次男はおっぱいをよく飲むタイプだったので、断乳するまで、夜中も2時間おきに泣いては添い乳で眠るという状況でした。 私は次男の泣き声で起き、寝ぼけながらも、カップ付きインナーならすぐに添い乳することができました。仕事復帰しても2時間おきに起きる状況が続き、つらくなった私は断乳することに。ブラジャーのほうが胸の形をきれいに保てると思った私は、断乳を機にカップ付きインナーをやめ、ブラジャーに戻すことに決めました。 会社で上司の視線に気付く出産前まで夜はキャミソールの上にパジャマを着て寝て、朝、着替えるタイミングでブラジャーを着けていました。しかし、私はその習慣がすっかりなくなっていました。ブラジャーを着けるのを忘れ、キャミソールの上に薄めのカットソーを着て、出勤してしまったのです。 電車で隣の人のかばんが胸に当たったとき、やけに食い込む気がしたのですが深く考えず、ノーブラであることに気付けませんでした。出勤すると、女性上司の視線がなんだかおかしい。胸の辺りをまじまじと見られているような気がしました。ハッとした私は急いでトイレへ。鏡で見ると、乳首の場所がばっちりわかる状態でした。 急いでユニクロへその日の午前中はデスクに向かう時間が長く、あまり人と関わらずに済みましたが、胸が気になって仕事に集中できません。昼休憩に入ってすぐに、会社から徒歩5分ほどの駅構内にあるユニクロへダッシュ。 小規模ながら下着の取り扱いがあることは前々から知っていました。ユニクロに心から感謝した瞬間です。購入後すぐ駅のトイレでブラジャーを装着。急いで会社へ戻り、なんとかことなきを得ました。 保育園の登園時や電車でも周囲の人に気付かれていたのかと想像すると、今でも恥ずかしい気持ちに。上司ともその後数日間ブラジャーの話をする機会がなく、少し気まずい思いをしました。ノーブラは締め付け感がなくてラクなのですが……。もうあんな恥ずかしい思いはしたくないと思った経験でした。 監修/助産師REIKO作画/ぐら子著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2020年11月06日生後10日ほどで高熱を出してしまった息子。念のため総合病院で検査をすることになり、近くに住んでいる義母が付き添ってくれました。付き添ってくれたのはうれしかったのですが、そこで耳を疑うひと言を聞いたのです……。 生後10日で高熱!第三子となる息子が生まれ、無事退院したのも束の間。39度近い高熱が出て、口内炎のようなものがたくさんできてしまい、哺乳もままならない状態に。かかりつけの小児科に行ったものの、まだ生まれて10日ほどしか経っていなかったため、念のため総合病院で検査してもらうよう言われました。3人目の子どもとはいえ、生後10日で高熱を出すことは初めてだったので、さすがに不安になりました。 義母が付き添ってくれることに…そのことを義母に話すと、心配だからと付き添ってくれることに。不安も募っていたため、付き添ってくれるのはとてもありがたいし、心強く感じました。 そして総合病院の小児科で検査をするべく待合室に座って待っていると、診察の順番がきたことを知らせる画面に息子の名前が表示されました。そのとき、義母が信じられないひと言を放ったのです。 それ、今言う必要ある!?画面に表示された息子の名前を見て義母が言い放ったのは、 「やっぱり、なんか格好悪い名前よね〜」 ……一瞬、何を言っているのか理解できないほど衝撃的なひと言でした。 診察を受けながら少しずつ怒りが込み上げてきて、「そう思っていたとしても、今この状況で言う必要ある!?」 と、心のなかでイライラが募りました。 検査は無事終わりましたがその日に結果は出ず、なんだかモヤモヤした1日でした。 その後、検査結果をひとりで聞きに行き、その後、息子の体調もよくなりました。 病院での一件以来も、義母はまったく悪びれた様子もなく接してきますし、孫のこともかわいがってくれています。義母の好みの名前ではないという本音が、とっさにポロっと出てしまったのでしょう。名付けたばかりでその名前を否定されるのは正直悲しいものがありましたが、状況的に私も少し気にしすぎてしまった部分があったと思います。今後はあまり細かい発言は気にせず、義母とは良い関係を保ちたいと思います。 著者:松本寛子結婚を機に地方へ引っ越し出産。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月05日5歳の娘さんと生後10カ月の息子さんを持つママは、息子さんを妊娠中に初めて尿もれを経験し、産後も続いてしまったそうです。妊娠中~産後にかけて尿漏れにどう対処したのか、リアルな体験を紹介しています。 私には5歳の娘と生後10カ月の息子がいます。2人目の妊娠で、初めて経験したマイナートラブルの1つに「尿もれ」があります。自分には無縁だと思っていた尿もれを経験し、恥ずかしながら出産後には自然と治まると思い、甘く見ていた私の尿もれ体験談をご紹介します。 尿もれとは無縁だったのに1人目のときは、妊娠中〜出産後も一度も尿もれはありませんでした。そのため退院指導で助産師さんから骨盤底筋のトレーニングを教えてもらったときも、正直なところ「そういう人もいるんだな~」くらいの気持ちで、私には無縁の悩みだと思っていたのです。 1人目の出産から4年以上が経ち、2人目を妊娠。5月末生まれの2人目の妊娠後期は、ちょうど花粉のピークのころでした。妊娠中は花粉症の服薬を控えていたこともあり、大きなくしゃみを連発したそのとき……! 初めてちょろっと漏れる感覚があり、かなりショックだったのをよく覚えています。 産後は自然と治まるはず2人目の妊娠後期に初めて尿もれを経験し、大きなショックを受けてからもなお「妊娠中の尿もれはよくあることだと聞くし、きっと出産後は自然と治まるはず」と自己判断して、尿もれ対策に生理用ナプキンを当てて残りの妊娠期間をしのいだ私。 今になって振り返ってみれば、そう自分に言い聞かせることで、初めて経験した尿もれのショックから目を背けたかったのかもしれません。でも私の期待とは裏腹に、出産後もくしゃみや咳のタイミングで尿もれが続いてしまったのでした。 産後の1カ月健診を機にトレーニング開始出産後、母体の1カ月健診で先生から「何か気になることはありますか?」と聞かれたときに、正直に尿もれのことを相談してみました。先生からは「出産を機に起きる尿もれの場合、骨盤底筋の衰えが原因であることが多いので、毎日最低でも100回お尻の穴を引き締めるイメージでトレーニングするとよい」と教えてもらいました。 毎日意識しないとついつい忘れてしまうので、授乳中をトレーニング時間に設定して100回から200回を目安に続けたところ、産後半年で自然と治まりました。 自分には無縁な悩みだと思っていた尿もれを経験し、本当にショックでこのまま一生続くのではないかと不安な気持ちにもなりました。幸いなことに産後半年で治まりましたが、今後も予防のためにトレーニングは毎日欠かさずにおこなおうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。また、尿漏れ対策に生理用ナプキンを使用するとデリケートゾーンにかゆみや肌トラブルが発生する場合があるので、使用する際は尿漏れ用のナプキンをご使用ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月02日私の義母はとってもいい人です。でも、たま~に「え?!」というようなひどいことを無意識で言うことがあります。無意識だからこそ傷付きます。しかし、何度も経験し、うまく対処できる方法を学びました。今回は、当時は泣きそうになってしまった義母のひと言と、そんな義母にどのように対処していたかを紹介します。 事件は産後間もないころに…第一子出産後、まだ間もないころのことです。昼夜関係ないうえに、初めての子どものお世話ということもあり、心身ともに疲弊しきっていた私。気が付けば1日中、授乳しているということもよくありました。 産後1カ月は義実家でお世話になっていたのですが、義父母に対し、産前のように気づかいある振る舞いができないほど疲弊しきっていました。 「ママ…乳牛みたいだね」その状況にプラスして、胸が張ってしまい、ブラジャーをつけるのもつらい状況に。そんな私を見て、義母が「ママ、まるで乳牛みたいだね」とひと言。近くにいた義父も吹き出したくらいでした。今なら私もそのひと言に一緒に笑ってしまうでしょう。 でも、寝不足に体の痛みなど、極限状態だった私はムスっとすることしかできなかったのです。「なんてデリカシーのない人なんだ!」とひとり憤慨して、しばらくの間、根に持っていました。 後日、義母に直訴してみると…その後、「そういえばお義母さん、前に私のことを乳牛って言いましたよね。あれ、傷付きました」と直訴する機会がありました。ところが、義母は「え? そんなこと言ったっけ? 私ったらひど~い」と笑うばかり。 そうです。やはり覚えていなかったのです。さらに、当時はホルモンバランスも不安定なうえに、疲労も重なっていたころ。私も過敏な状態だったので、「あまり深刻に受け止めてはいけないな」ということを学びました。 ちょっとカチンときたときは、カッとなっているその場で言い返すのではなく、ワンクッション置いて冷静になってから言ってみるというのもアリということを学びました。これからも義母とじょうずに付き合っていきたいと思っています。 イラスト/imasaku著者:東慶子三児の母。育児のかたわら、アンガーマネジメントキッズインストラクターの資格を取得。自身の育児経験に生かすとともに、将来的には子ども向けの講座を開催したいと考えている。
2020年11月01日メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラーのカトウ ヒロコさんが、ストレスについてお話ししてくれました。「ストレス」とは何なのか、気づかないうちにストレス状態になっていることもあるなど詳しく解説!今までも、仕事やママ友との人間関係などでストレスを感じることは多々あったかと思いますが、新型コロナウイルスの影響による社会の変化で、いつも以上にストレスを感じやすくなっている人が多い状況です。社会の変化によるストレスだと、 “これがストレスだ”と自分で認識しづらいため、いつの間にか大きなストレスを抱え込んでしまっている可能性があります。 なんだかいつもと違うと感じたら…ストレスを感じていても、理由がはっきりして、自分でストレスを感じていると認識できていれば対処もできますが、自覚がないと対処のしようもありません。 今まではあまり感じなかったのに、最近、下記のような状態であると感じたらストレスが溜まっている可能性があります。思い当たる節はありませんか? ・漠然とした不安をいつも感じている・落ち込んでいる時間が多い・物事をプラスに考えられない・やる気がでない・集中できない・眠れない・すぐイライラしてしまう・1つ終えるとどっと疲れが出る・頭痛や腹痛など体調不良がある ストレスを発散するにはどうしたらいい?ストレスを軽減するには気分を変えることが一番です。とはいっても、憂うつな気分を簡単に変えられるのであれば、誰も苦労はしません。 すぐにできる対処法として、下記のような方法を試してみてください。・ 深呼吸する・ 軽い運動をする・ 好きな音楽を聴く、お茶を飲んでゆっくりする・ 絵を描いたり、ぬり絵をしたりして意識を集中させる ポイントは、なるべく「考えないこと」です。良いことでも考えているうちに不安や焦りを誘発する考えに行き着くことがあり、ストレスを感じやすくなる可能性があるためです。 なぜ、ストレスは溜めない方がよい?ストレスは本来、“精神的重圧”や“緊張”という意味で、やる気に影響することも多々あり、実は私たちの生活に欠かせないものです。しかしながら、放置してしまうとうつ病を誘発しかねません。うつ病は一度かかってしまうと、いつ治るか本人も周囲もわからず、それがさらに不安となって悪循環に陥り、重度のうつ病になる可能性もあります。またストレスにより、心だけでなく体の不調をきたし生活に大きな支障を与えることもあります。 ストレスは生きていく上で避けては通れないものであり、誰でも感じるものです。対処するために、自分がストレスを感じていると認識することは大切ですが、強く認識することが、かえってストレスになってしまうこともあります。自分なりにうまく付き合って、日々、できるかぎり発散するよう心がけてみてください。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2020年10月29日「子どもは好きだから」「1児を育てた経験があるから大丈夫」と思っていても、もしかしたら産後うつの一歩手前、さらには、すでに産後うつになっている可能性があります。他人事ではなく、少しでも辛いと思ったら周囲の人や専門家に頼ってほしいのが「産後うつ」です。 そもそも「産後うつ」とは?産後うつとは、出産後6〜8週の間に発症する「うつ病」のことをいいます。ここで間違えてはいけないのが、「出産後6〜8週の間に“発症する”うつ病」ということです。6〜8週の間に産後うつと“診断される”のが産後うつではありません。 疲れを感じていたとしても、育児をしているため仕方のないことだろうと頑張っているうちに病状が進み、重いうつ病になってしまうことは多々あります。もう産後から1年近く経っているから自分は産後うつではないだろうと思っていても、すでに発症しており、うつ病が進行している可能性もあるのです。 実際、2015〜16年に行われた国立成育医療研究センター調査では、産後1年未満に死亡した女性の死因で最も多いのが自殺という結果が出ており、要因が「産後うつ」であると考えられています。 誰でもなる可能性がある病気「うつ病」というのはよく聞く病気でありながらも、自分とは遠い存在であると思っている方も多いと思います。しかし誰でもなりうるのがこの病気です。今までの人生できっちりやってきたママが、赤ちゃんが思うように育児用ミルクを飲んでくれなかったり、夜泣きがひどかったりで困惑し、産後うつになってしまうこともよくあります。また、明るくくよくよしない性格だと自分も周囲も思っていた人がなってしまうこともあります。 「産後うつ」の恐ろしさとはうつ病の怖いところは、うつの状態かどうか本人はわからないことが多く、ただ頑張って疲れているだけと思っていたり、自分は思い込みやすい性格だと勘違いし、病気と認識せずに病いが進行してしまうところです。また、頑張り屋さんで、もともと前向きな性格な人ほど、周囲に自分の辛さを見せまいとし、また周囲もその人の変化に気づけず、うつを進行させてしまう場合もあります。 幸い「うつ病」であると気づくことができたとしても、非常に辛いのは、薬でラクになることはあっても完治しにくいこと、いつ治るか周りにも本人にもはっきりわからず、ただただ終わりの見えない辛い日々が続くことです。自分自身の存在価値をどうしても受け入れることができず命を絶ってしまうこともあります。 産後うつは、ホルモンのバランスや、こどもができたことによる大きな環境の変化によって起こります。繰り返しになりますが、誰にでもなりうる病気です。気分が沈む日が多い、疲労感・無気力感に囚われる、育児や家事に集中できない、望んだ赤ちゃんなのに愛おしく思えない、体が重く感じるなどがあれば、なるべく早く周囲や専門家に相談することをおすすめします。 【まずは相談してみてください】 ●よりそいホットライン(電話相談)0120-279-338(フリーダイヤル・無料)岩手県・宮城県・福島県からは0120-279-226(フリーダイヤル・無料) ●生きづらびっと(SNS 相談)LINEの友だち追加ID検索@yorisoi-chat(生きづらびっと)月曜日・火曜日・木曜日・金曜日・日曜日 17時から22時30分(22時まで受付)水曜日 11時から16時30分(16時まで受付) ●厚生労働省 相談先一覧 ●いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧) <参考>国立成育医療センター「人口動態統計(死亡・出生・死産)から見る妊娠中・産後の死亡の現状」著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2020年10月16日登場人物■ほにゅ:2018年2月生まれ。泣くのが得意な男の子。薄毛。飽き性。笑顔で母をノックアウトできる。■ねむ:2020年7月生まれ。よく寝る女の子。■つぶみ:ほにゅ&ねむの母。すぐムリっていう。一応一生懸命取り組む。■ぺー:ほにゅ&ねむの父。効率的に動きまくる。優しい。声がでかい。産後つらかった出来事…編集後記産後は、気分が落ち込んだり涙もろくなったりする方も少なくありません。育児で忙しい中、赤ちゃんのお世話などでなかなかゆっくり眠れないことも多いですよね。出産を経て退院されたつぶみさんも、お辛いことがあったのですね。二人目育児となると上の子の気持ちも気にかけてあげたいところです。しかし、子どもに拒絶されてしまうと、思わず涙が流れてしまうこともあるでしょう。(現在はほにゅくんとの関係も良好とのことですよ…!)つぶみさんが最後につづっているように、「心が折れそうな時は、素直に大好きな人達に頼る」ということはとても大切なことです。ひとりで我慢したり頑張ろうとしたりせず、祖父母や夫、サポート事業などに頼りながら、ママの休める時間を少しでも作って育児をしていきたいですね。ままのて編集部産後の記事はこちらつぶみさんの二人目育児のマンガはこちらつぶみさんの二人目妊娠のマンガはこちらままのて公式SNSアカウントままのてのTwitter・Instagramをフォローすると、最新マンガの更新情報をご確認いただけます。ぜひフォローしてください!つぶみさんが描く漫画が動画になりました!ままのてで大人気の育児漫画が動画でも楽しめるようになりました。今後もつぶみさんの漫画動画を随時更新していく予定です。その他の育児漫画や育児に関するお役立ち情報、生活の知恵がたくさん配信されていますよ。どの動画にも字幕が付いているので、赤ちゃんや子どもが寝ているときでも音声なしで楽しんでいただけます。ぜひチャンネル登録してみてくださいね。過去のエピソード著者情報
2020年10月14日現在、私は2人の子どもを育てているママですが、第一子である長女を出産後、3カ月ほどで初めての生理が来ました。長女は育児用ミルクと母乳の混合栄養で育てていたこともあり、「産後間もないころに生理が来ることはないだろう」と思い込みがありました。予想外に早く生理が来てしまった私の体験談をお伝えします。 生理前兆候もなく、黒いシミが…… 長女出産時、難産で大量出血をしたことも影響したのか、母乳が出づらく、育児用ミルクと母乳の混合で育てていました。なかなか母乳育児が軌道に乗らず、生後3カ月ごろにしてようやく、育児用ミルクをほとんどあげなくともなんとか母乳だけでやっていける! そう思っていた矢先、生理の兆候が……。 下着に黒っぽいシミがついていたのです。私の生理前の兆候として「だるい、眠たくなる、おなかが痛くなる」といった症状があったのですが、初めての育児で余裕がなかった私は、自分の生理前の兆候にもまったく気付くことがありませんでした。 念のため産院に相談して指示を受けた 下着のシミを見たときは「なんなのコレ?」と今ひとつピンと来ませんでした。ただ、長女が生後1カ月過ぎまで悪露があったので、「もしかして悪露が再開してしまったの?」とだんだんと焦ってきました。 通常、産後の悪露は生後1カ月ごろに終わると産院から聞いていたので、すぐさま出産した産院に電話で自分の状況を説明。そうすると「もしかしたら生理かもしれないけど、ママは母乳あげている?」と聞かれました。 不正出血の疑い。すぐに病院へ 先生からの質問に、「混合育児です」と答えると「個人差があるから生理ということも考えられるけれど、母乳育児の場合、産後3カ月で生理がくるのは早いほう。不正出血ということもあり得るから、念のためすぐに来院して」と指示があり、「不正出血」というワードに動揺し、びっくりしてしまいました。また、突然「すぐに来て」と言われたので何の準備もしていません。大慌てで準備をして、タクシーを手配し、すぐに病院へ駆けつけました。 診察を受けると先生に「これは不正出血ではなく、生理が来ています」と言われました。不正出血ではないことがわかり、ひと安心。先生いわく「母乳をあげていると生理が来づらいホルモンが出るため、産後3カ月で生理が来るのは珍しいが、あり得ることです」とのことでした。 その後、他のママ友に産後、生理が来たタイミングを聞きましたが、私のように母乳をあげていても、同じように産後間もなく生理が来たというママもいました。産後間もなく生理が来るのは確かに珍しいことではありますが、私と同じように産後間もなく生理の兆候があった場合、慌てず冷静に病院などに相談すると安心だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 監修/助産師REIKO著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年10月11日私は現在2児の母親です。2人目を出産後、主に上の子に対して感情的に怒ってしまうことが増え出し、さらに2人育児の疲労感からか夜もまともに寝られず、とうとう心療内科を受診しようと決めました。病院を受診した最初の数カ月は、医師も私もPMS(月経前症候群)の症状とは気付きませんでしたが、思い切って心療内科の門を叩いたことによって自分の内面について気づきをたくさん得られた体験談をお話しします。 子どもの手に熱湯がかかるトラブルが!2人目を出産後、当時まだ2歳だった上の子に対して感情的になる場面が多々あり、怒鳴ったり八つ当たりすることが増えてきました。ある日、まだ生まれて間もない2人目の育児用ミルクを作っている最中に、上の子が「お母さん、私を見て!」と言わんばかりに、突然私の足に全身でアタック。お湯が上の子にかかってしまうトラブルが! 思わず「危ないじゃないの!」と思いっきり怒鳴ってしまい、そのあとも怒りがおさまらず。一応は子どもの手がやけどをしていないことを確認し、手を冷やしました。 子どものことを考える余裕はなかったしかし、このときに「子どもがやけどしていたらどうしよう」「熱いお湯がかかってしまってかわいそうに……」といった心配の気持ちよりも、「私の邪魔ばかりして! なんて迷惑な子どもなんだ」と、恥ずかしながら自分のことしか考えられない私に気付きました。 2人目を産んだあとも事情があって里帰りなどできなかった私は、生活全般に対して余裕がまったくなく……。それゆえの行動だと今なら理解できるのですが、当時の私は激しく怒ったあとに「なんて自分はダメな母親なんだ」と深く気持ちが沈み、暗い気持ちになる……このくり返しで辟易していました。 心療内科を受診し、自身の内面を観察不眠症にも悩んでいたため、「このままだと、私も子どももダメになる!」と思い、2人目が1歳になるころに心療内科を受診する運びに。初診時に適応障害と診断され、「軽いうつ状態ですね」とも言われました。 そこからは2週間に1回程度のこまめな通院をくり返し、主治医と「どんなときにイライラしてしまうのか」といったカウンセリングをおこなうことで、自分の内面を振り返る大きなきっかけとなったのです。 自分がPMSだとやっと気付いたそして、心療内科を受診してから2カ月ほど経ったときのこと。産後の体が元通りに戻っているかを確認するために、自発的に月経周期をアプリで記録していたのですが、そこで「どうも月経1週間前に子どもに対して当たりがキツくなる」ということを自分自身で気づき始めたのです。 そして、すぐに主治医にそのことを話すと、先生からも「それは典型的なPMSだね」と言われました。その後、PMSであれば漢方薬かピルを処方できると提案され、私は漢方薬を処方してもらうことに。 ホルモンバランスを整える漢方のおかげで、さらにメンタルの調子がよくなりました。多少の気分の変動もありながらも、過去と比べると明らかに穏やかな気持ちで過ごせています。心療内科へ行くまでは「私なんかが行ってもよいのだろうか?」となかなか足が踏み出せずにいましたが、思い切って心療内科の門を叩いてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年10月08日10代のころの経血モレの悩みが解決したと思ったら、産後、また経血モレをするように。友人に聞いても、産後の生理トラブルは多いようで、経血モレを経験した人は結構多かったです。子どものお世話などに追われ、「変えるタイミングがない」「漏れやすい」という悩みも聞きました。そんな私が、あるアイテムで産後の経血モレの心配なく過ごせるようになった体験談です。 経血モレで悩んだ10代初潮が来たときから、ずっと経血の量が多かった私。そのため、最初のころは夜用のナプキン2枚を直列に並べてショーツに使っていました。 それでも寝相が悪いとズレて漏れることもあり、10代のころはシーツの上にバスタオルを敷いて寝るほど。 それでもだんだんとコツをつかみ、経血モレの悩みはほぼゼロに!「やればできるじゃん!」と自信をもって日々を過ごしていました。 産後はまた経血モレで悩みが…そんな私も、26歳で第一子を出産。妊娠中から産後すぐは、憂鬱だった生理がないことがハッピーでした。 しかし、産後4ヵ月程で生理が再開。すると、再開後は、また経血モレをするようになってしまったのです……。 産後はこまめにナプキンの交換をしたいと思っても、日中はかまってちゃんな息子が容赦なく泣くし、夜はお世話に疲れ果ててしまい、朝までぐっすりで、夜中にナプキンを替える余裕もない……。そんな日々を送っていました。 そして見つけた、わたしなりの神アイテム!そこで活躍したのが、出産のときに使用した「産褥ショーツ」。私が使用しているものは、おしりの部分まで悪露を漏れにくくするような生地があり、万が一ナプキンから経血が漏れてしまっても、ズボンまで経血が漏れることはなかったのです! 産褥ショーツのおかげで、私は朝まで安心して眠れるようになり、経血モレで憂鬱になってしまう朝とも、サヨナラできました! 監修/助産師REIKO-----文/佐々木凛子さん
2020年10月08日第二子出産後に憂うつな気持ちになることが多くなったママ。悩み抜いた末に心療内科を受診すると「適応障害」との診断。そこで、主な原因となっている育児が少しでもラクになるよう、ママがおこなったことを紹介しています。 赤ちゃんとの毎日がもっとラクに、もっと楽しくなる。ベビーカレンダーは、そんな毎日を応援するコラムを絶賛連載中! 私は現在2児の母親であり、2人目が生後半年ごろに心療内科から自身が「適応障害」であると診断を受けています。「ずっと苦しかったけど、まさか自分に精神疾患の病名がついてしまうとは……」と、診断が下された当初は戸惑いを隠しきれませんでした。主な原因となったのは育児でしたので、少しでもラクになるよう改善に向けておこなったことをお話ししていきます。 下の子出産後から心身が苦しくなった下の子を出産した直後から「感情のコントロールがききづらくなり、上の子に対して当たりがキツくなる」「泣いたらいけない公共の場面で急に涙が溢れる」など日常生活に支障が出始め、心身共に常に苦しい気持ちや憂うつさが抜けなくなる状態がずっと続いていました。 しかし、当時の私の心療内科のイメージと言えば「死にそうなくらいに苦しくなったときに受診するもの」「それまでは気の持ちようでなんとかなる」との考えがありました。 薬の服用はあくまで対処療法と気付く心療内科を受診することに大きなためらいがあったのですが、無理をして育児をおこない、その結果メンタルを崩している私を見かねた夫の助言もあり、下の子が生後半年のころにやっと心療内科を受診しました。 そこで漢方薬や精神安定剤を処方され服用してみると、たしかに以前よりも気持ちは落ち着くし、前より感情面の起伏はフラットになったので一定の効果はありました。しかし、心療内科へ通院してみて初めて、薬を服用してもそれは単なる対処療法だと気付いたのです。 育児をひとりで背負い込む責任の重さ結局、私のメンタル不調の大きな足枷となっていたのが子どもたちのお世話です。しかし、過去の私の考え方は「ママになれば皆していることなのに、なぜ私は不必要にイライラしてしまったり怒鳴ったりしてしまうの?」「皆と同じことがこなせない。子どもたちにずっと笑顔で接することができない」などと、今思えば不必要に自分を攻め込んでいました。 そんな最中、「なぜ、自分をそこまで追い詰めるのだろう」とふと考えてみたら、私は「子どもが順調に育たなければすべて私の責任だ」と、自分ひとりで育児を背負い込む思考になっていることに気付いたのです。 書籍やTVの情報が私を救ってくれた育児のつらさを解消したいがためにさまざまな書籍などを読み漁り、特に感銘を受けたのがNHKで放送されていた「ママ達が非常事態!?」という番組。放送のなかで、人間は本来、ひとりで子育てするのではなく「たくさんの仲間とつながって共同的に育てていきたい」という本能があるという知識を授かりました。 私の育児環境を見直すと、たしかに上の子のときから里帰り出産すらしなかったし、かといって夫も育休取得ができず、ずっと平日はワンオペ育児で慢性的な孤独を抱え込んだまま育児をしていたのだなと、自分の考えを改めるきっかけとなったのです。「そうか、だから私はこんなに育児がつらかったのか」と原因がわかれば、自分が何をすべきか見えてきました。 以前は「3歳ごろまでは自宅で子どもをみないと!」と固執する自分がいたのですが、現在は考えも柔軟になり、日中は保育園を活用してプロの方に子どもたちを任せることにしました。共同で子どもたちを育てている感覚になれて、余裕が生まれるとともに前向きさを取り戻すことができました。保育園には感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年10月07日産後は女性ホルモンの急激な減少とともに抜け毛が激しくなる人がいると先輩ママから聞いていました。まだ20代とはいえ比較的髪が細く薄かった私も、産後3カ月から6カ月まで毎日驚くほど髪が抜けるように。それでも薄毛が目立たずに済んだのは、美容師さんの的確なアドバイスをもとに、毎日のヘアケアを頑張ったことにありました。私がおこなったヘアケアと使っていたヘアケアグッズについてお話しします。 産後の抜け毛のメカニズム私が通っている美容院は、ヘアケアで有名なアデランスが運営しているサロンです。毛量が少なく髪が細いことが悩みだった私は、産前から自身のヘアケアについてよく担当美容師さんに相談しており、妊娠5カ月目に入ったときも産後の抜け毛について相談しました。 すると答えは意外にも「本来出産前に抜けるはずだった髪が妊娠の影響で増大した女性ホルモンの影響で抜けず、産後一気に抜けるので抜け毛が増えたように感じる」とのことでした。増えすぎていた髪が元の量に戻るだけとのことでしたが、やはりなかには抜けすぎて部分的に薄くなってしまうママもいるのだとか。 私の髪に対するコンプレックスを知っていた美容師さんは「個人差はあれど産後6カ月あたりがピークなので気を強く持って乗り越えてくださいね」と励ましてくれました。 薄毛になる前に! 美容師さんからのアドバイス 出産後に抜け毛が増える時期があることを知識として知っておくだけでも、産後はずいぶん気がラクでした。また、なかには一度に抜ける量が多く禿げたように見える人もいると聞き、美容師さんから次のようなヘアケアを教えてもらい実践しました。まず週に2度ほど、髪用のシャンプーに加えて頭皮用のシャンプーを使って頭皮の汚れを重点的に洗います。私は、「ミルボン プラーミアクリアスパフォーム」という頭皮用シャンプーを使っていました。そして、入浴後はドライヤーをかける前に髪に育毛剤を散布することで髪の量を少しでも多く、それから、生えている髪を少しでも丈夫にすることを心がけました。育毛剤だけ散布しても頭皮が汚れていてはきちんと頭皮に浸透しないそうです。これを産前からコツコツと半年ほど続けました。 産後も日々のヘアケアを大切に 頭皮用シャンプーを使って頭皮の汚れを洗浄し、育毛剤を使ったあとはドライヤーです。産後は子どもから目が離せず時間に追われるあまりドライヤーを適当に済ませてしまいそうになりましたが、「頭皮だけでも」乾かすようにアドバイスを受けました。頭皮が湿ったままでは毛根にとってはダメージが大きいそうです。 わが家では夫が育児に積極的に参加してくれたこともあり、産後もお風呂は自分のペースで入ることができたので、「週2回の頭皮用シャンプー」→「毎日の育毛剤」→「毎日のヘアドライヤー」は欠かさずにするようにしていました。 20代から抜け毛で悩むなんて⋯⋯と落ち込んだこともありましたが、産後はホルモンのせいで多くのママが悩むと知っているだけでもずいぶんと心持ちは違うものでした。育児をしながらだと自分のボディケアはつい後回しにしがちなものですが、少しでも自分の時間をとれる妊娠期間中から対策をしておいてよかったと思っています。 ※本記事の内容は公開時に確認した情報のため、商品によっては変更となっている場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:こさい れい0歳女児の母。元テレビ番組ディレクター。フランスで育った自身の経験をもとに海外生活、旅行、子育てについて執筆している。
2020年10月04日