株式会社ブランジスタメディアは、京都府綴喜郡宇治田原町と提携し、女優の夏菜さんがナビゲーターを務める「旅色FO-CAL」宇治田原町特集の掲載が2年目を迎え、4月25日より電子雑誌を紙冊子にしたパンフレットを府内各所や都内での配布、ふるさと納税寄附者の受領証明書送付に同封するなど、PRを開始いたします。■ 「旅色FO-CAL」宇治田原町特集/スペシャルナビゲーター・夏菜さん「宇治田原で、ディープな京都を体験」 電子雑誌「旅色」は、京都府・宇治田原町と提携し、同町のPRを目的とした「旅色FO-CAL」宇治田原特集が、公開2年目を迎え、電子雑誌を紙冊子にしたパンフレットの配布を開始いたしました。日本緑茶発祥の地としても知られ、大阪や京都の中心地からのアクセスが良く、2024年には新名神高速道路のインターチェンジも完成の予定の京都・宇治田原町。利便性もよく、自然豊かな環境のなかで暮らしたい、と移住してくる人も増えているというディープな京都が楽しめるまち・宇治田原の魅力を、女優の夏菜さんがご紹介します。■ 特集「1泊2日でいく おもてなしの町 京都・宇治田原でくつろぎの旅」 町の地形から“ハートのまち”としても知られ、町にはハートのオブジェが点在し、インスタ映えスポットが多数ある京都・宇治田原町を、女優の夏菜さんが巡ります。特に正寿院には猪目窓(いのめまど)といわれる日本古来の伝統模様の窓がハート形に見えることから、ハートの町宇治田原の人気観光スポットとなっています。他にも、お茶の町ならではの、お寿司や抹茶ソフトクリームなども堪能。1泊2日で巡った夏菜さんの旅のオフショットや、移住者が語る宇治田原町の魅力、特産品の紹介など盛りだくさんの内容です。夏菜さんが宇治田原町を旅するスペシャルムービーを公開しています。夏菜さんの旅ムービー: 動画1: ■ 紙冊子の主な配布場所下記場所にて配布を予定しております常設設置京都府移住センター、京都総合観光案内所、京阪宇治駅前観光案内所、味夢の里観光PRコーナー、東京駅日本橋TIC TOKYO、京都府観光案内所、宗円交遊庵やんたん、公共施設、金融機関、コンビニエンスストア期間限定設置(令和4年夏〜秋頃予定)高速道路サービスエリア内リーフレット広告(大津SA上下・吹田SA上下・宝塚北SA他)その他ふるさと納税寄付者に配布紙冊子画像<株式会社ブランジスタメディア 会社概要>URL : 本社所在地:〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町20-4ネクシィーズスクエアビル代表者 :代表取締役社長 井上秀嗣事業内容 :電子雑誌出版・電子広告株式会社ブランジスタメディアは、株式会社ブランジスタ(東証上場6176)のグループ企業です。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年04月25日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、大好きだったアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。■母性本能をくすぐられた年上のファンも「田原俊彦さんの存在を初めて広く知らしめたのは、『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)の第1シリーズで、名取裕子さん演じる女性教師に恋する、ウブな男子中学生役ではないでしょうか。モジモジしてなかなか意見が言えない役どころでしたが、デビューシングル『哀愁でいと』(’80年)で『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)に登場したときも、顔を上げられず、初々しさがありました。そんな姿が母性本能をくすぐり、年上も含めた幅広い層のファンの支持を集めたのです」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。たのきんトリオではいちばん最初に歌手デビューを果たし、マッチ、ヨッちゃんの道筋を作った。同期の松田聖子とはセカンドシングル『ハッとして!Good』(’80年)が使用されたグリコ「アーモンドチョコレート」のCMで共演。「赤いテレフォンボックスで2人が出会い、恋に発展する様子が描かれました。最後、2人が手をつなぐシーンは、ふだんから仲がよかったため、アドリブで演じたという逸話もあります。“やっぱり、トシちゃんと聖子ちゃんは付き合っているの!?”と、ファンをヤキモキさせたものです」『恋=Do!』(’81年)、『君に薔薇薔薇…という感じ』(’82年)などヒットを連発した後、トシちゃんの代表曲ともいえる『抱きしめてTONIGHT』をリリースしたのは’88年。「月9のトレンディドラマ『教師びんびん物語』(’88年・フジテレビ系)の主題歌にもなった曲ですが、実は『ザ・ベストテン』で1位になったのは5年ぶりのこと。『ずっと縁のないものだと思っていたから、改めて1位をいただくと感動が違いますね』と語っていたのが印象的でした」同曲では、足を大きく上げるダンスが注目された。「それまでも、タップダンスや、尊敬するマイケル・ジャクソンのムーンウオークを取り入れていました。非常に努力家で、ダンスに向き合う姿勢は現在も変わらず、最近ではTikTokでキレッキレのダンスを発信しています」だからこそ根強いファンも多く、ディナーショーも続けている。「貧しい家庭に育ち、お母さんに楽をさせたくて芸能界入りしたとも言われています。『僕が死ぬまで面倒みる』とも言っているそうで、90歳近くになる母親もコンサートの最前列でトシちゃんを応援。そんな優しい親子関係も、トシちゃんの魅力の一つでしょう」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2022年04月03日JICA海外協力隊で活動した田原彩さん参加したきっかけや、現地で得た“気づき”について話を聞いた。たはら・あや/家庭科の非常勤講師、カタログのディレクターなどを経て、JICA海外協力隊の手工芸隊員としてエジプトへ派遣。帰国後は、倉敷本染手織研究所で染織と民藝を学ぶ。今年1月から、再びエジプトへ。RESULT!:伝統柄の布を新たな商品に。仕事での経験が役立った。ラマダンなどで使われるエジプトオリジナルの布「ハーヤメーヤ」を用いて、トートバッグやクラッチバッグなどをエジプトの紅海沿岸に住む女性たちが手作りするブランド〈OS RMONTEJA(オサルモンテガ)〉を立ち上げた。田原さんはアイテムの商品価値を上げ、販路開拓に尽力。オンラインショップで購入可。田原さんの自宅には機織り機が所狭しと2台。ここで織った椅子敷きも販売する。ハーヤメーヤを使ったピアス。機織りの仕組みはどの国も同じ。扱えるようになったら、いろいろな国の織物が作れるそう。予想しなかった力が現地で役立ちましたエジプトに〝手工芸隊員〞として派遣された田原彩さん。今年1月から再びエジプトで活動することを決意。彼女を駆り立てるものとは。田原さんが海外協力隊を知ったのは高校生のとき。家庭科の先生が雑談の一つとして話した、海外協力隊に参加したエピソードが心に残っていた。「でも実際すぐに行動に移すということはなく、興味のあったモノづくりの道に進みました」(田原さん、以下同)大学では被服を学び、印刷会社勤務、家庭科の非常勤講師、メーカーに勤務しカタログをディレクションするなどさまざまな職を経験。そのうちに妹が協力隊に合格し、頭の片隅にあった想いが芽吹いた。「妹に職種の説明などを受けるうち、自分も何かできるのではとイメージが湧くように。それまでは、協力隊=井戸を掘るという印象が強かったのですが、被服の勉強や家庭科教師としての経験があったので、手工芸の分野でならと思って応募しました。でも実際役立ったのは、働き出してからのディレクション能力で」田原さんの前任者が現地の人と一緒に作っていたハーヤメーヤのトートバッグは、当時は受託製作で、販売するにも品質がもう一歩だった。そこで、試行錯誤の末、売れるクオリティに。「ハーヤメーヤはエジプトの伝統工芸の一つで、ハスや幾何学模様がアップリケで鮮やかに表現された布。この柄をプリントしたハーヤメーヤ柄の布が、現地ではラマダン時にテントやスーパーに飾られています。バッグやポーチなら、私たちのような外国人にウケがいいかと思ったんです」。注文書なども管理ができるように工夫した。「技術向上の支援をするうちに技術力の低さを痛感し、自分も教える前に学びたいと思いました。そこで、より求められていた、商品価値を上げたり、販売する場所を時には飛び込み営業で探したりと、ディレクター業にシフト。事前に決めた活動内容が変わっても大丈夫なんですよ」帰国して、技術を身につけるために染織を勉強。「コロナ下で染織の勉強を始め、エジプトの羊の毛から糸を紡ぎ、絨毯を作って現地の女性たちの雇用にもつなげたいという新たな目標ができました。いつかは現地で立ち上げたブランド〈OSRMONTEJA〉でハーヤメーヤのグッズと一緒に販売したい」。コロナ下には、貧困に陥ったエジプト人を支援するための農園設立へ向けたクラウドファンディングも行った田原さん。「遠い日本からではなく、現地で彼らに寄り添いたい」と、エジプトに再び旅立った。“気づき”のきっかけは?:現地でモノづくりをする女性たち。ハーヤメーヤの商品を作る女性以外にも、現地では素敵な出会いがあった。「バザーで出会った革製品を作る若い女性は、商品への愛着があり、売るのも一生懸命。彼女の応援をしたいと支援をするうち、自分ももっと学びたいと思うように」影響を受けたモノは?:モノづくりのヒントになる民藝の考え。柳宗悦『工藝文化』を読み、民藝の勉強をしたという田原さん。鑑賞のための工芸品ではなく、日用雑器の中に真の美を見出す「用の美」を謳った柳の考えは、自分が迷ったときに立ち返れる教科書であり、現地でのモノづくりの手がかりにも。JICA海外協力隊で、“気づき”の種を。日常の暮らし以上に“気づき”を得られるJICA海外協力隊は、思ったよりも身近。どこで、どんな活動をするのか?幅広い人が活躍する協力隊を紐解きます。JICAが行う「JICAボランティア事業」の一環で、開発途上国からの要請に基づいて派遣されるJICA海外協力隊。幅広い経験・技能等で応募ができる「一般案件」と、一定以上の経験・技能等が求められる「シニア案件」に区分され、自分に合った案件や職種で応募をする。土木や下水道だけでなく、野菜栽培、防災・災害対策、食品加工、スポーツ教育、医療、社会福祉、観光、省エネなど、職種は190種以上も。現地の経済や社会の発展・復興、異文化社会との相互理解のほか、参加した隊員が協力隊としての経験を日本の地域や世界の発展に役立てることも目的とする。原則2年間の任期で、約55年の間に世界98カ国に5万人以上の隊員が派遣されてきた。帰国後の進路も支援され、帰国後研修や進路開拓セミナー、進路相談カウンセリングが充実。協力隊として活動した経験を活かす仕事に、スムーズに就けるように支援する。アフリカ諸国のほか、東南アジア、中東、北米・中南米など派遣提携先は世界91カ国。実際には、募集時期に要請のある地域に派遣されるが、自分に合った活動ができる派遣先なら3カ所まで希望を出すことができる。合格すると、現地で使う言語や危機管理能力等を身に付けるための派遣前訓練に参加。不安要素として多く声が上がる語学の問題は、クリアにして出発できそうだ。基本的な情報や活動内容を検討したらウェブサイトから応募。通常は年に2回応募のタイミングがあり(現在は期間外)、募集期間以外には説明会や協力隊経験者から直接話を聞けるイベントなどを行っている。日本国籍を持つ、20歳から69歳までの人であれば何度でもチャレンジすることが可能。現地での活動に必要な、現地生活費、住居、往復渡航費などはJICAが負担してくれる。INFORMATION:活躍のチャンスを掴んで人生をカラフルに。JICA海外協力隊は、近年は半数以上の参加者が女性で、派遣先ではサポート体制もあって安心。語学力は英語の場合、中学卒業程度に設定しており、やる気があれば誰にでもチャンスはあるという。まずは自分がどんな仕事で貢献できるか、関われる職種をJICA海外協力隊公式ウェブサイトでチェックして。詳しくはこちらphoto : Satoko Imazu illustration : Yuki Takahashi text : Kahoko Nishimura
2022年02月26日取材を受ける田原俊彦1980年に『哀愁でいと』で歌手デビューして以来、燦然と輝くスーパーアイドルとして今もなお魅了し続ける“トシちゃん”こと田原俊彦サマ。そんな彼も昨年の2月に60歳を迎え、いよいよシニアの仲間入りに。とはいえ、現役アイドル継続中のトシちゃんだもん、還暦の祝砲だって一筋縄ではいきません。その証拠に、今年の1月28日に発売された写真集『DOCUMENTARY』(講談社)には、ファンが悶絶級のイケ散らかしまくったお宝写真が盛りだくさん!さっそく本人にお話を伺いました!「本作りのきっかけは、若い頃に何度もお世話になった宿敵・フライデーチームからのお誘いだったの。こっちは何人もの女友達と疎遠になって散々な目に遭ったっていうのに、よくもまぁ……って思ったよね(笑)。でも、これも何かの縁かと思ってタッグを組んでみたら、とんでもないモノができちゃった。印刷や装丁にもこだわったからちょっと強気の価格設定だけど、それだけの価値があるって自信はある!」■職業“田原俊彦”を続けるための努力は欠かさずトシちゃんの言葉とおり、総工費400億円超えのバブリーなホテルで撮影されたゴージャスなトシちゃんから、今もなおデビュー当初を彷彿させるチャーミングなトシちゃん、さらには外国人美女をはべらせたイケイケなトシちゃんなど、まさに“田原俊彦七変化”!そして一番の見せどころは、多くのメディアにも取り上げられて話題になった、真っ赤なふんどし姿のセミヌード!「この発案もフライデーチーム。でも、セレモニーを飾るにふさわしい写真なのかなって思って、2つ返事でOKしたよ」その姿たるや、ファンでなくともため息が出てしまうほどの美しい肢体。“これで還暦!? ”と思った人も大勢いることだろう。ほどよく鍛えられた筋肉、ハリのある肌、たるみのない丸みを帯びたヒップと、まさにパーフェクトボディ。さぞかし時間やお金をかけて体力づくりに時間をかけたかと思えば、その答えは “ノー”。「そりゃね、さすがに脱ぐことが決まったあとは、少しは鍛えた方がイイかな~って思ったよ。でも撮影の数日前にギックリ腰をやっちゃって。だから本当に何もできなかった。 それでこのクオリティだから、やっぱり俺ってスゴイよね。もうビッグ超えちゃってるよ(笑)! 唯一ギャランドゥだけは、技術面で多少カバーしてもらったかな」確かにデビューから現在までステージに立ち続けていることを考えると、その言葉もあながち嘘ではなさそう。「プライベートの自分は食べるのも飲むのも大好きだし、頭の中は女の子のことしか考えていない(笑)。でも、42年間“田原俊彦”って職業を続けるための努力は欠かさなかったよ。トレーニングはもちろん、どんな時でも人に見られているって意識を持って生きてきたと思ってる。だからこの状態が普通なんだよね。多分、朝起きてコーヒー飲む時ですら姿勢イイんじゃない?」そんな彼のアイドル人生を凝縮したかのような写真集。撮影したカメラマンの下村一喜さんは“点数をつけるなら100点満点で7億点”というトンデモ数値を叩き出していたけれど、当の本人にとってはどれくらいなの?「80点かな。普段からヘラヘラしているイメージが強いと思うけど、表現者としての目線では意外とストイックなんですよ。今回の撮影に限らず、ステージが終わったあとは“もっとできたんじゃないか?”って反省の繰り返し。もちろんどんな仕事でも毎回全力で挑んでいるし、この写真集でも自分を出し切ったつもりだけど、どうしても厳しい目でジャッジしちゃうんだよね」これまでの明るいテンションとは違い、本気モードで語るトシちゃん。だからこそ、この年齢まで現役アイドルを続けてこられたのだろう。「そうね。ファミリー(トシちゃんのファン)にも70歳まで歌い続けるって宣言しちゃったから。でもね、最近はステージが終わると疲れが抜けにくくなったし、昔に比べてキレが悪くなったなぁって思うよ。最近YouTubeで20代の映像を見返したんだけど、当時の俺ってマジでキレキレでスゴいんだよ! ただ色気は年齢を重ねた今の方が表現できているって思う。若いだけがすべてじゃないんだよね。だから、俺にはまだまだ伸びしろがあるはず!」さすがトシちゃん、これぞアイドルの鑑!「15歳でジャニーさんに見出してもらって、そこから紆余曲折あっていろんなことを経験してきたけれど、その積み重ねがイマにつながっていると思う。そしてうれしい時も辛い時も、一番の支えになってくれたのはファミリーの存在。そんなファミリーのために、いくつになっても“トシちゃんスゴイ!”って言われるように頑張りたいし、夢や希望を与え続ける存在でありたいですね。って、ちょっとイイこと言っちゃったー!」はい、その言葉を信じて、これからもいちファンとして見守り続けます!「最後にこれだけは言わせて。この写真集は本当に自信作だから! 観賞用、保存用と最低2冊は手にしてもらいたい。そして余裕があれば布教用もぜひね(笑)!」取材・文/三輪順子撮影/齋藤周造
2022年02月09日歌手の田原俊彦が27日、都内で還暦記念写真集『DOCUMENTARY』の発売記者会見を開催。初ヌードに挑戦した感想を語った。28日に発売される同写真集は、宿敵・FRIDAYとタッグを組んで制作。還暦にちなみ、赤ふんどし1枚の初ヌードに挑戦し、日々のダンスによって作り上げられた60歳とは思えない肉体美を披露している。また、海岸での撮影では愛車と、ハウススタジオでは愛犬との撮影も行った。撮影は写真家・下村一喜氏が担当した。田原は「まさか自分がこんな年齢になるまで、THEアイドルを継続してやっているとは想像はできなかったんですが、こうして今も現役バリバリでコンサートもディナーショーも、ファンの皆さんと交流ができて60歳になった」としみじみ。「僕らの子供時代の60歳は定年だったり、おじいちゃんだなという目で見るイメージがあったんですけど、今では人生100年と言われる時代になって、60歳なんてまだまだ胡坐をかくわけにはいかない。『DOCUMENTARY』という写真集で現在の田原俊彦の等身大の姿を記憶に残してくれたらうれしい」と語った。赤ふんどし1枚の初ヌードについては、「裸になるのは、表舞台では水泳大会くらいしかないので、ヌードって怖いなって。FRIDAYチーム何するかわからないなってビビっていたんですけど、本当に和気あいあいと明るく楽しく、ただ、ふんどしを巻くとき恥ずかしかったですね。女性のスタイリストにイチモツを預けるという……」と話して笑いを誘い、「いい体しているなという感じですかね」と自身の肉体に惚れ惚れしているようだった。
2022年01月27日歌手の田原俊彦が27日、都内で還暦記念写真集『DOCUMENTARY』の発売記者会見を行った。28日に発売される同写真集は、宿敵・FRIDAYとタッグを組んで制作。還暦にちなみ “赤い褌(ふんどし)” を着用したカットも収録し、日々のダンスによって作り上げられた60歳とは思えない肉体美を披露している。また、海岸での撮影では愛車と、ハウススタジオでは愛犬との撮影も行った。撮影は写真家・下村一喜氏が担当した。田原は「まさか自分がこんな年齢になるまで、THEアイドルを継続してやっているとは想像はできなかったんですが、こうして今も現役バリバリでコンサートもディナーショーも、ファンの皆さんと交流ができて60歳になった」としみじみ。「僕らの子供時代の60歳は定年だったり、おじいちゃんだなという目で見るイメージがあったんですけど、今では人生100年と言われる時代になって、60歳なんてまだまだ胡坐をかくわけにはいかない。『DOCUMENTARY』という写真集で現在の田原俊彦の等身大の姿を記憶に残してくれたらうれしい」と語った。FRIDAYからオファーを受けたときの心境を聞かれると、「『勘弁してくれ!』と思いました。毎年いろんな友達、ちょいちょい撮られたりして、『いい加減にしろ』と思っていた」と苦笑いを浮かべながら告白し、自身についても「20代、30代撮られまくって、やられまくりました」と回顧。「こういうオファーをいただいて逆に面白いんじゃないかな」との思いでオファーを受けたと言い、「素晴らしいスタッフ、カメラマンの下村さんもそうですけど、スペシャリストが集まって、みんなとチームワークよくいい作品が作れたので、今は感謝でいっぱいです」と話した。
2022年01月27日田原俊彦2021年も残るところあと数日。やっとコロナの終息が見えはじめてきたが、オミクロン株の出現により再び不穏な日々が続いている。2021年の下半期を振り返ってみると、東京五輪開催や総裁選、眞子さんの結婚など、大きな出来事があった。また芸能界では数々のスキャンダルや、心が痛い社会ニュースも多発した。そこで『週刊女性』と『週刊女性PRIME』が追い続けた下半期のスクープの中から、厳選した記事を再掲する。父親の田原俊彦と「連絡が取れない」と、テレビ番組で訴えた“トシちゃんの長女”可南子。元モデル妻の彩子さんとは、すでに5年の別居生活を送っている田原だが、彼の母・千代子さんに話を聞くと夫婦の別居と、離婚の行方が見えてきた。そして田原には同棲生活を送っている“パートナー”もいるようだが、その正体について聞くとーー(『週刊女性』2021年11月16日号)。◆◆◆「パパがどこに住んでいるかも知らないんです」バラエティー番組で飛び出したタレント長女の爆弾発言でわかった“BIG”な一家の今―。「……パパ!今どこで何してますか?『LINE』だけ返事ください……!」“尋ね人”捜しのテレビ番組─ではない。10月12日に放送された人気バラエティー番組『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)でのひと幕だ。なんとも物騒な発言で視聴者をザワつかせたのはタレント・田原可南子。名前に聞き覚えはなくとも“トシちゃんの長女の”と言えば、ピンとくるだろう。つまり、自身の父親である“トシちゃん”田原俊彦に向かって呼びかけた言葉なのだ。いわく、「捜索願を出したいくらいの気持ち」なのだというが、それもそのはず。1993年に結婚した元モデル妻・彩子さんとの別居が発覚したのは2年前。当時すでに“別居して3年”だったから、もう5年もその生活を続けていることになる。「原因はトシちゃんの不倫疑惑。28歳も年下の女優の自宅に入り浸っていることが週刊誌に報じられたんですが、以来、トシちゃんはいっさい自宅マンションに帰ることがなくなった、と。奥さんは近所の飲み屋さんでアルバイトをして生活している、とも。奥さんも娘ふたりも、家族誰ひとりトシちゃんが“どこに住んでいるかすら知らないらしい”という噂は聞いていましたけど、可南子さんの話で“本当だったんだ”って」(スポーツ紙記者)■2度と俺の名前を出すな!もっとも、このオンエア後、「可南子さんのところに、トシちゃんから電話がかかってきたそうなんですが“大丈夫だ”という連絡かと思ったら、“二度と勝手にテレビで俺の名前を出すな!”という大クレーム電話だったそうで。可南子ちゃんも“パパにめちゃくちゃ怒られちゃって……”とかなり落ち込んでいました」(テレビ局関係者)だが!その5年に及ぶ“音信不通”状態の一方で、トシちゃんは“家族も知らない”新生活を謳歌していた。自宅マンションを出たトシちゃんは現在、港区内のタワーマンションで暮らしている。「最近、愛車を買い替えたんですよ。ずっとポルシェに乗っていたんですが、それを手放してラグジュアリーな超高級外車『ベントレー』にね。3200万円もしたって聞きましたよ。さすがに奥さんの“バイト暮らし”が不憫に思えてきましたよ」(田原を古くから知る音楽関係者)さらに驚愕の事実が!「どうやら、ひとり暮らしじゃないんです。誰かと同棲しているらしいんですよね。その人が掃除や洗濯、料理まで、かいがいしくトシちゃんの面倒を見ているって」(同じく古くから知る舞台関係者)まさか例の“28歳下女優”と!?「いや、女性ではなくて男性なんです。ほら、元SMAPの稲垣吾郎さんも“ヒロ君”というおじさんの半同居人がいるって話だけど、いったいトシちゃんと、どういう関係なのか……。とにかく、トシちゃんはもう奥さんのところには戻らないつもりなんじゃないかな」(同・舞台関係者)このまま離婚してしまうのか─。真相を尋ねるべく山梨県内にあるトシちゃんの実家を訪ねると、御年90歳になるという母・千代子さんが笑顔で出迎えてくれた。「一昨日もトシ君に会ってきたところよ。中野サンプラザのコンサートに行ってきたの。ライブ見て私、泣いちゃった。還暦でも倒れんばかりに一生懸命、舞台の端から端まで走り回ってダンスして……すごい仕事ぶりだもん。本当に私の宝物ですよ」■可南子は毎年、田原に会っているそんな千代子さん、記者から可南子の“爆弾発言”を聞かされると驚いた様子で、「え!? カナが“パパと連絡がとれない”なんてテレビで言ったの?そんなことないわよ。だってカナは毎年、東京のホテルでやっているトシ君のディナーショーに来ているもの。パパと私にお年玉をねだりにね(笑)。丸の内の大きな会社で秘書をやっている妹のほうは2年前から“彼氏ができたから”って、見に来なくなっちゃったけど。カナは“私、彼氏いないから”って(笑)。どうせ今年も来るわよ。だから、連絡がとれないような関係じゃないと思うわ」父娘の関係は思いのほか良好なようだ。「カナが“ばぁば、このコートと靴、かわいいでしょ?パパに買ってもらったの!”って私に見せてくれるのよ。トシ君も自分の娘はいくつになってもかわいいのよね。でも小言も言うんだって。“可南子も芸能界で働いているんだから、これからは自分で買うだけの仕事をしなきゃダメだぞ”って。だから親子関係はしっかりしてるはずよ」千代子さんは、彩子さんとの別居についても、言葉を選びながら話してくれた。「確かにずいぶん前から別居はしています。お嫁さんはとっても頭のいい人だから、トシ君をバカにしちゃうみたいなの。トシ君もプライドが高いでしょ。“どうしても許せない”って一緒に住めなくなったみたい。それで1億8500万円もしたマンションをお嫁さんひとりに明け渡して、自分は出ていったんですよ。“出て行け!”なんて言わないところがトシ君の優しさですよ」そして、こう断言した。「でもね、離婚はないですよ。私も2年前にふたりと一緒に食事もしたし、私からお嫁さんに旬の食べ物なんか送ることもあるしね。そういうときはちゃんと彼女から“ママ、ありがとう”って電話もくるのよ。トシ君も衣装をたくさん自宅に置いているから、取りに帰ることもあるみたいだし。娘ふたりの子育ても終わったし、お互い好きにやればいい。ただ“一緒に寝ていない”“住んでいない”というだけで、夫婦は続いているんだから」■“同棲パートナー”の正体とは謎の同棲相手は、トシちゃんの専属ヘアメイクの男性なのだという。「明るくて気さくな方よ。美容院をやっていたそうなんだけれど、もうお子さんも大学生になったから、お店を閉めてトシ君だけでね。一緒に住んでくれて、トシ君の生活を全部、面倒見てくれているから、私が行ってやらなくても大丈夫なのよ」千代子さんはそう言って、ちょっぴり寂しそうに笑った。たとえ還暦になっても“子は子、親は親”なのだろう。そしてこんな親子の思い出を話してくれた。「私の主人……トシ君の父親は36歳のときに糖尿病で亡くなってしまったのだけど、芸能界に入ったときに“俺がパパの墓を建てて、ママに家を建ててやるんだ”って言っていたの。その言葉のとおり、私に都内のマンションを買ってくれて、その3年後にこの家も建ててくれたの。当時はバブル期だったから6000万円以上もしたんです」毎月の仕送りも40年間、一度も欠かさなかったという。「“俺は長男だから、死ぬまで面倒見るよ”って言ってくれてね。トシ君は有言実行。言ったことを全部実現してくれました。一昨日も楽屋で“ママ、無理しなくていいから、俺より先に死なないでよ。ママがいなくなったら俺、ダメだから”って。かわいいでしょ?それを聞いたら私、死ねないもの。親が言うのもなんだけれど。こんないい子いないわよ」改めて、トシちゃんの所属事務所にも可南子との親子関係、彩子さんとの夫婦関係について尋ねた。「ごく普通の親子関係です。(テレビの件も)特に“激怒した”なんてことはないですし。長女はもう27歳の独立した大人ですし、ベタベタするだけが親子の愛というものではないですよね?田原は突き放すでもなく、そっと見守るほうなんです。夫婦のカタチも結婚して28年もたてばいろいろですよね」離れ離れでも、そこにはたしかに家族の絆が─。
2021年12月29日毎日新聞出版株式会社は、11月27日に田原総一朗さんの最新刊、書籍『堂々と老いる』を発売します。『堂々と老いる』書影(帯あり)著者は、深夜討論番組「朝まで生テレビ!」の司会者としてすっかりお馴染みの顔である田原総一朗さん。直撃、追求、たたみかけ――87歳の現在もアグレッシブに、まさに命を賭けてナマ討論に挑み続けています。そんな田原さんが初挑戦した「老い」のエッセイです。本書では「老い」に対する心構えに始まり、健康維持のための日課、社会とのつながり方、家族との付き合い方など自身の体験をもとに具体的に紹介。中でも、愛妻家の一面がうかがえる第5章は必読です。田原さんは、「これまでずっと、好きなことをやるぞと思って生きてきた」と振り返り、「好奇心が強いから、次から次へとやりたいことが湧いてくる。会ってみたいと思ったらすぐ会う」と語ります。一方、老年期を迎えた男性たちはどうでしょうか。「100歳まで生きなきゃならないという戸惑いがある。死ぬ前の老後の生き方がわからない人が多い。男は、趣味のゴルフも麻雀も酒を飲むのも全部、サラリーマンとして会社の付き合いでしていたことで、定年になると孤独になる。どう生きればいいかわからなくなる。ここで男たちは下手すると鬱になるし、場合によっては自殺するなんてこともある」と分析します。新型コロナウイルスの世界的流行によって生活様式が大きく変化した今、高齢者の働き方、生き方にもいっそう関心が集まっています。「変化の時代」が確実に到来したと田原さんは断言します。「従来の人生設計を書き換えて、自ら行動し、面白がって生きる未来だ。やりたいことが今はまだわからない人も大丈夫。とにかく世の中を面白がることから始めよう」。稀代のジャーナリストが人生を謳歌する秘訣を伝授します。【目次】第1章 「老い」は悪いことばかりじゃない長生きはできないと思っていた/フリーランスになった途端、謎の症状に襲われる/還暦を迎え、鬱状態に陥った/大病をして初めて考えた「生きる意味」/面白ければ疲れなど感じない/滑舌の悪さをプラスにとらえる/物忘れは脳を鍛えるチャンス/補聴器をつけたら怒らなくなった/老いは未知への冒険 ほか第2章 よく寝て食べて健やかに老いる高齢者ほど歯が大事/すべてを任せられる主治医の見つけ方/「一病息災」が健康を守る/人間ドックは年に1度のメンテナンス/30年以上のルーティンを守り、朝食は自分でつくる/疲れた脳は甘いもので回復させる/一日大さじ1杯のオリーブオイル健康法/どんなに疲れていても必ず湯船につかる ほか第3章 年をとっても、脳は使えば使うほど活性化する孤独を味方につければ何でもできる/人と向き合う趣味が脳を活性化する/聞く姿勢がコミュニケーションのカギ/嫌われ老人にならないために/若者への提言も高齢者の役目である/高校の同窓会で元気をもらう/恋愛に年齢制限はない/おしゃれを忘れてはいけない/大人になってからの勉強はがぜん面白くなる/60歳以上の9割が「定年後も働きたい」 ほか第4章 いくつになっても生きがいは見つけられるオンラインが高齢者の可能性を広げる/面白そうな誘いは断らない/できないことがあっても気にしない/ボランティアに参加し地域と関わる/新聞は大人の知的好奇心を刺激する/社会をよくするために政治に関心を持つ/読書は興味の幅を広げ想像力を培う/佐藤優さんに聞く「真の教養」を身につける方法/歴史を学ぶ意義 ほか第5章 家族とのほどよい関係の保ち方妻の乳がん発覚、夫婦で治療法を模索した/長い不倫、激しい自責の念に襲われる/妻の介護は濃密でかけがえのない時間/最愛の妻の死後、抜け殻のようになった/独り身のつらさを乗り越えるための対処法/家族の言うことには素直に耳を傾ける/終活には興味がない/もしもに備えて資産情報や知人の連絡先を家族に伝えておく/死ぬ間際まで、楽しく生きたい ほか【著者紹介】田原総一朗(たはら・そういちろう)1934(昭和9)年、滋賀県生まれ。1960年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。1963年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局の準備段階から入社。1977年、フリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授と「大隈塾」塾頭を務めた(2017年3月まで)。「朝まで生テレビ! 」(テレビ朝日系)、「激論! クロスファイア」(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。著書に『創価学会』『脱属国論』(井上達夫氏、伊勢崎賢治氏との共著)『公明党に問う この国のゆくえ』(山口那津男氏との共著)(いずれも毎日新聞出版)、『戦後日本政治の総括』(岩波書店)、『日本人と天皇 昭和天皇までの二千年を追う』(中央公論新社)、『日本の戦争』(小学館)ほか多数。【書誌情報】『堂々と老いる』●著者 :田原総一朗●出版社 :毎日新聞出版株式会社●定価 :1,430円(税込)●判型など:新書変型判・並製/1C/240頁/2021年11月27日発売 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年11月26日田原俊彦「パパがどこに住んでいるかも知らないんです」バラエティー番組で飛び出したタレント長女の爆弾発言でわかった“BIG”な一家の今―。「……パパ!今どこで何してますか?『LINE』だけ返事ください……!」“尋ね人”捜しのテレビ番組─ではない。10月12日に放送された人気バラエティー番組『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)でのひと幕だ。なんとも物騒な発言で視聴者をザワつかせたのはタレント・田原可南子。名前に聞き覚えはなくとも“トシちゃんの長女の”と言えば、ピンとくるだろう。つまり、自身の父親である“トシちゃん”田原俊彦に向かって呼びかけた言葉なのだ。いわく、「捜索願を出したいくらいの気持ち」なのだというが、それもそのはず。1993年に結婚した元モデル妻・彩子さんとの別居が発覚したのは2年前。当時すでに“別居して3年”だったから、もう5年もその生活を続けていることになる。「原因はトシちゃんの不倫疑惑。28歳も年下の女優の自宅に入り浸っていることが週刊誌に報じられたんですが、以来、トシちゃんはいっさい自宅マンションに帰ることがなくなった、と。奥さんは近所の飲み屋さんでアルバイトをして生活している、とも。奥さんも娘ふたりも、家族誰ひとりトシちゃんが“どこに住んでいるかすら知らないらしい”という噂は聞いていましたけど、可南子さんの話で“本当だったんだ”って」(スポーツ紙記者)■2度と俺の名前を出すな!もっとも、このオンエア後、「可南子さんのところに、トシちゃんから電話がかかってきたそうなんですが“大丈夫だ”という連絡かと思ったら、“二度と勝手にテレビで俺の名前を出すな!”という大クレーム電話だったそうで。可南子ちゃんも“パパにめちゃくちゃ怒られちゃって……”とかなり落ち込んでいました」(テレビ局関係者)だが!その5年に及ぶ“音信不通”状態の一方で、トシちゃんは“家族も知らない”新生活を謳歌していた。自宅マンションを出たトシちゃんは現在、港区内のタワーマンションで暮らしている。「最近、愛車を買い替えたんですよ。ずっとポルシェに乗っていたんですが、それを手放してラグジュアリーな超高級外車『ベントレー』にね。3200万円もしたって聞きましたよ。さすがに奥さんの“バイト暮らし”が不憫に思えてきましたよ」(田原を古くから知る音楽関係者)さらに驚愕の事実が!「どうやら、ひとり暮らしじゃないんです。誰かと同棲しているらしいんですよね。その人が掃除や洗濯、料理まで、かいがいしくトシちゃんの面倒を見ているって」(同じく古くから知る舞台関係者)まさか例の“28歳下女優”と!?「いや、女性ではなくて男性なんです。ほら、元SMAPの稲垣吾郎さんも“ヒロ君”というおじさんの半同居人がいるって話だけど、いったいトシちゃんと、どういう関係なのか……。とにかく、トシちゃんはもう奥さんのところには戻らないつもりなんじゃないかな」(同・舞台関係者)このまま離婚してしまうのか─。真相を尋ねるべく山梨県内にあるトシちゃんの実家を訪ねると、御年90歳になるという母・千代子さんが笑顔で出迎えてくれた。「一昨日もトシ君に会ってきたところよ。中野サンプラザのコンサートに行ってきたの。ライブ見て私、泣いちゃった。還暦でも倒れんばかりに一生懸命、舞台の端から端まで走り回ってダンスして……すごい仕事ぶりだもん。本当に私の宝物ですよ」■可南子は毎年、田原に会っているそんな千代子さん、記者から可南子の“爆弾発言”を聞かされると驚いた様子で、「え!? カナが“パパと連絡がとれない”なんてテレビで言ったの?そんなことないわよ。だってカナは毎年、東京のホテルでやっているトシ君のディナーショーに来ているもの。パパと私にお年玉をねだりにね(笑)。丸の内の大きな会社で秘書をやっている妹のほうは2年前から“彼氏ができたから”って、見に来なくなっちゃったけど。カナは“私、彼氏いないから”って(笑)。どうせ今年も来るわよ。だから、連絡がとれないような関係じゃないと思うわ」父娘の関係は思いのほか良好なようだ。「カナが“ばぁば、このコートと靴、かわいいでしょ?パパに買ってもらったの!”って私に見せてくれるのよ。トシ君も自分の娘はいくつになってもかわいいのよね。でも小言も言うんだって。“可南子も芸能界で働いているんだから、これからは自分で買うだけの仕事をしなきゃダメだぞ”って。だから親子関係はしっかりしてるはずよ」千代子さんは、彩子さんとの別居についても、言葉を選びながら話してくれた。「確かにずいぶん前から別居はしています。お嫁さんはとっても頭のいい人だから、トシ君をバカにしちゃうみたいなの。トシ君もプライドが高いでしょ。“どうしても許せない”って一緒に住めなくなったみたい。それで1億8500万円もしたマンションをお嫁さんひとりに明け渡して、自分は出ていったんですよ。“出て行け!”なんて言わないところがトシ君の優しさですよ」そして、こう断言した。「でもね、離婚はないですよ。私も2年前にふたりと一緒に食事もしたし、私からお嫁さんに旬の食べ物なんか送ることもあるしね。そういうときはちゃんと彼女から“ママ、ありがとう”って電話もくるのよ。トシ君も衣装をたくさん自宅に置いているから、取りに帰ることもあるみたいだし。娘ふたりの子育ても終わったし、お互い好きにやればいい。ただ“一緒に寝ていない”“住んでいない”というだけで、夫婦は続いているんだから」■“同棲パートナー”の正体とは謎の同棲相手は、トシちゃんの専属ヘアメイクの男性なのだという。「明るくて気さくな方よ。美容院をやっていたそうなんだけれど、もうお子さんも大学生になったから、お店を閉めてトシ君だけでね。一緒に住んでくれて、トシ君の生活を全部、面倒見てくれているから、私が行ってやらなくても大丈夫なのよ」千代子さんはそう言って、ちょっぴり寂しそうに笑った。たとえ還暦になっても“子は子、親は親”なのだろう。そしてこんな親子の思い出を話してくれた。「私の主人……トシ君の父親は36歳のときに糖尿病で亡くなってしまったのだけど、芸能界に入ったときに“俺がパパの墓を建てて、ママに家を建ててやるんだ”って言っていたの。その言葉のとおり、私に都内のマンションを買ってくれて、その3年後にこの家も建ててくれたの。当時はバブル期だったから6000万円以上もしたんです」毎月の仕送りも40年間、一度も欠かさなかったという。「“俺は長男だから、死ぬまで面倒見るよ”って言ってくれてね。トシ君は有言実行。言ったことを全部実現してくれました。一昨日も楽屋で“ママ、無理しなくていいから、俺より先に死なないでよ。ママがいなくなったら俺、ダメだから”って。かわいいでしょ?それを聞いたら私、死ねないもの。親が言うのもなんだけれど。こんないい子いないわよ」改めて、トシちゃんの所属事務所にも可南子との親子関係、彩子さんとの夫婦関係について尋ねた。「ごく普通の親子関係です。(テレビの件も)特に“激怒した”なんてことはないですし。長女はもう27歳の独立した大人ですし、ベタベタするだけが親子の愛というものではないですよね?田原は突き放すでもなく、そっと見守るほうなんです。夫婦のカタチも結婚して28年もたてばいろいろですよね」離れ離れでも、そこにはたしかに家族の絆が─。
2021年11月02日「パパは今、どこで何をしてますか?LINEだけ返事ください!」お茶の間に向けてこう呼びかけたのは、田原俊彦(60)の長女・可南子(27)。10月12日放送の『踊る!さんま御殿!!秋の超豊作SP』(日本テレビ系)に出演し、父親の“捜索願”を出したのだ。「父が最近全然かまってくれない」と切り出した可南子は、2、3カ月に1回の頻度で食事に誘うもLINEは「既読無視」されると告白。さらに最後に会ったのは半年前で、LINEも4、5カ月返事がないというのだ。そして、「一応、ニュースで生存は確認できています。捜索願を出したいくらいの気持ちなんです」と嘆いていた。「可南子さんはデビュー当時、“父親ネタ”を振られるとマスクをつけて口を閉ざすパフォーマンスをしていました。当時は『綾乃美花』の名前で活動していましたが学業に専念するため、一時期は芸能活動をセーブ。その後’16年3月に大学卒業の見通しが立ったことで、『田原可南子』として再出発したのです。もともと可南子さんは父親の話を避けることに違和感を抱いていたそうで、数年前から田原さんについての話題も“解禁”しています」(テレビ局関係者)そんな可南子は昨年8月に新しい事務所に所属したことを発表し、最近はバラエティ番組への出演も増えているようだ。しかし冒頭の番組内で、「2世だとお父さんの話がマストで必要になってくる」「避けられない道なので、何とか新しい情報を収集しなくては」と切実な悩みを打ち明けていた。娘が嘆くほど冷たい態度をとる田原だが、’17年7月に本誌のインタビューで“2世親としてのポリシー”を次のように語っていた。《長女は、芸能界に入ったといってもアルバイトみたいな立ち位置。僕は全然、タッチしないし、放任です。彼女も、父親には触れない。距離感はしっかり保っています。2世だからっていうの、僕はイヤなんです。成人したら、何をしてもあなたの責任。あなたの人生ですから、責任持って、歩んでくださいと、それは話をしたのかな》■還暦を迎えても“生涯アイドル”同じ芸能界で活動する娘に対して、突き放すような姿勢の田原。だが、その厳格さは田原の幼き頃の経験が起因しているという。「田原さんは6歳の時に父親を病気で亡くしています。それからはお母様が1人で、田原さんと3人の姉妹を育ててきたのです。給食費を払うのが精一杯だったほど貧しい暮らしを経験した田原さんは、『将来、立派になって稼ぐんだ』と決意したそうです。15歳でジャニーズ事務所に入った田原さんは、毎週末、往復6時間かけてレッスンに通っていたと語っていました。辛い時があっても、『絶対スターになる』との気持ちは揺らがなかったそうです。そのように努力してきた経験から、可南子さんが娘であっても特別扱いしないのでしょう。きっと無視を貫くのも、彼なりの励ましなのです」(芸能関係者)今年2月に還暦を迎えた田原は、“生涯アイドル”としてのプロ意識も高い。「田原さんは家庭と仕事をキッパリ分ける人。還暦を迎えても活躍できることに『家族の支えも大きい』と語っていましたが、一歩外に出るとアイドルの『田原俊彦』なんです。ほぼ毎年シングルをリリースし続けていますし、年齢を感じさせない激しい歌やダンスも健在。これもひとえに、応援してくれるファンに満足してもらうためなのです。そんな田原さんは『一度きりの人生、自分の思うように生きたい』『誰がなんといっても真っ直ぐに進む』と公言していました。この先も、“トシちゃん”としての生き方は変わらないでしょう」(前出・芸能関係者)今年7月に公開された「文春オンライン」のインタビューで、父に向けて《いまは一緒に住んでいないから、ご飯とかでも頻繁に会いたいし、特に仕事のほうでは親子共演がしたい》と語っていた可南子。父であり、芸能界の先輩でもある田原の教えを受け止めることはできるだろうか?
2021年10月19日キュートなTシャツを着こなして熱唱する近藤真彦(1982年)「あのころは、本当に忙しかった。朝の5時に眠りについて昼前まで寝ていて、14時から打ち合わせ、という日々の繰り返しで。遊びに行く時間なんてなかったよ」1980年代に中森明菜、チェッカーズ、河合奈保子、荻野目洋子、矢沢永吉など数々のヒット曲の作詞を手がけてきた売野雅勇は、そう振り返る。チェッカーズがブレイクした’84年ごろ、どのように過ごしていたのか尋ねてみたのだが、確かに、この年の売野は男性ボーカルだけでもチェッカーズ、近藤真彦、シブがき隊、吉川晃司のヒット・シングルをほぼ同時期に手がけているのだ。■マッチの“問題作”も担当中でもマッチこと近藤真彦は、シングルでは通算13作目となる『一番野郎』(’84年3月発売)からの起用だった。初期のがむしゃらな少年のイメージよりも、さらにコミカルな『ケジメなさい』や、大人の哀愁を見せ始めた『夢絆(読み:きずな)』『大将』といったものまで、近藤が’87年の『愚か者』で硬派な男像を定着させるまでの過渡期を中心に、アルバムを含め全17曲を提供している。当時のマッチと言えば、’80年末のデビュー曲『スニーカーぶる~す』以降、寺尾聰の『ルビーの指環』で阻まれた2ndシングル『ヨコハマ・チーク』以外は常にオリコン1位を獲得してきた大ヒット・アイドルだった。その最中(さなか)に、どうして彼の楽曲を手がけることになったのか。「『一番野郎』は、筒美京平先生からのご指名だった。(当時ディレクターの)小杉理宇造さんから、“タイトルはこれでお願いします”って指定されて作ってみたんだけど、これが問題でね……(苦笑)。というのは、歌詞を作ってる段階で京平先生から“『一番野郎』ってさ……、一発野郎=一発やろう、ってこと?下品すぎない??”って言われたんだ。それで先生が“こんな詞、書けないって小杉くんに言ってよ”とか、“もうこの曲、引き上げようかな”ってかなり怒ってたんだけれど、なぜかウヤムヤになって発売されたんだよね。ちなみに、この曲のB面のタイトルは『ムシャクシャするぜ』。今から考えてもちょっとハジけているよね、このシングルは」そんな小競り合い(?)をよそに、本作でも無事にオリコン1位を獲得し、続くシングル『ケジメなさい』でも売野は続投することに。「今度も小杉さんのアイデアで、『ケジメなさい』というタイトルで書いてほしいと言われて。 《ミジメジメジメと》《致命傷だネ優しさはワッショイ!ワッショイ!》とか、この歌は言葉遊びが多いけれど、こういうのは、ぜんぜん嫌いじゃないね。どちらかといえば得意かもしれないな。そういえば、小杉さんからはシブがき隊に書いた『サムライ・ニッポン』について、“あれは、マッチに歌わせてほしかった。マッチだったら1位にできたはず”って後から言われたよ(笑)」コミカルな内容が、アイドルファン以外にも幅広く浸透した結果、レコード売り上げのほか有線放送、ラジオ、はがきの各部門のリクエストも総合した『ザ・ベストテン』(TBS系)では2年前の『ハイティーン・ブギ』以来となる4週連続1位を獲得。新たなマッチ像を印象づけた。■マッチとトシちゃんに書きたい曲はそして翌年、近藤はレコード会社をRVC(当時)からCBSソニー(当時)へ移籍。年齢も20歳となり、徐々に大人路線を模索しようとしていた。そのころ、再び売野が起用される。「『絆』というタイトルで(男の哀愁や切なさについて)書いたんだけど、ジャニーズ事務所の中でとても評判がよくて。作曲を担当された鈴木キサブローさんのメロディーを聴いたら、こういう歌詞が自然にできたんだよね。後からメリー喜多川さん(藤島メリー泰子、’21年8月逝去)に、“「夢」という字を足して『夢絆』というタイトルにしてほしい”って言われて変えたんだ」この『夢絆』は、オリコン連続1位記録は途切れたものの、『ザ・ベストテン』では『ケジメなさい』以来3作ぶりに1位を獲得。アイドルから大人の男への布石となったであろう。ちなみに、この作品の評判から、売野は『夢絆』を収録したアルバム『SUMMER IN TEARS』でも、6曲の作詞を担当している。また、続くシングル『大将』については、「『大将』とは、矢沢永吉さんのことだよ。当時、マッチが矢沢さんのファンで、“大将”って呼んでいたことをモチーフに書くことになった」近藤はこの1曲で大人路線を確立したことが業界内で評価を受け、第16回『日本歌謡大賞』も受賞している(大将と大賞を掛けたかどうかは定かではない)。余談だが、同年の秋、コミカルな路線が多かったシブがき隊が突然、『KILL』(売野雅勇作詞、林哲司作曲)でシリアスな失恋ソングに挑んだのは、先輩であるマッチが『夢絆』でイメージチェンジを成功させたことに影響を受けたようにも思える。近藤の印象について売野に尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。「マッチとは、’84年ごろにレコーディングスタジオで初めて会ったんだけど、いやぁ、面白いヤツだと思ったよ。男っぽくてガキ大将、やんちゃでフザけてばかり。大人たちにイタズラばかりして、常に話の中心になる人気者タイプだね。レコーディング中も一生懸命、自分が見た夢の話をずっとしていて、銀玉で打たれたシーンをこと細かにしゃべっていてね。トークが上手だなって思ったよ。彼のように、可愛くて愛嬌(あいきょう)もある男はいそうでいないね。それからずいぶんたって、5年くらい前に、彼のラジオ番組のゲストに呼んでくれたんだけれど、久しぶりに会ったらさらにイイ男になっていたね。マッチには、ヒロイズムの強い『愚か者』路線もいいんだけど、それとは別にスタンダード感のある男の歌も合うんじゃないかな。フランク・シナトラや石原裕次郎のような、おしゃれで正統派の男の歌を書いてみたい。彼がそれまで見てきた、スターにしかわからない栄光と恍惚、孤独と悲哀があるはずだから、破天荒なだけじゃなくて、自分で自分に課したものに向き合ってきた、裸の魂の姿を歌にしたいかな」また、売野は近藤だけでなく、近年の田原俊彦にも創作意欲がわいているそう。「2年前、トシちゃんのマネージャーにコンサートに誘ってもらって行ったんだ。これまで観たことがなかったけれど、トシちゃんがMCで“売野さん、来てますよね?”って会場に呼びかけるから驚いたよ(笑)。そのとき、彼は還暦の前年だったんだけど、あれだけ歌って踊って、やっぱりトシちゃんは大したもんだよ。彼にはスウィング系の楽曲を書いてみたいね。グレン・ミラーみたいなシャレたアレンジのね。60代のヴォーカリストが歌う最高のポップスは、ビッグバンドなんだよ。シブくなくていいのよ、ゴージャスならね。それができるのは、田原俊彦しかいないんだよ。方向さえ間違えなければ、この時代にミリオン級のヒットを飛ばすよ。予言しておきます」実は、田原俊彦にはシングル『シャワーな気分』(’83年5月発売)のときに、筒美京平から作詞を頼まれていたのだという。「その前に書いた野口五郎さんの『過ぎ去れば夢は優しい』を京平先生がとても気に入ってくれて、次はトシちゃんでって、『シャワーな気分』のメロディーを渡されて。でも、レコード会社からはOKが出なくて、その後に書いたのは、アルバム『波に消えたラブ・ストーリー』に入っている京平さんが作曲した2曲(『裸足のミステリー』『水の中のヴィーナス』)と、タイトルがもう決まっているところに歌詞を依頼されたシングル『エル・オー・ヴィ・愛・N・G』だけかな」そういう経緯もあって、田原にも挑戦したいという思いが募っているようだ。■KinKi Kidsは「生々しさNG」?さらに、売野は’90年代にデビューしたKinKi Kidsについても2曲手がけていて、特にそのうちの1曲であるアルバム曲『イノセント・ウォーズ』(作曲:坂本龍一)は当時、シングル発売が予定されていたことが、これまでいくつかのメディアでも報じられてきた。「ああ、『イノセントウォーズ』は、シングル候補だったんだよ。というか、ほぼセカンド・シングルになるはずだった。彼らが主演するドラマ『ぼくらの勇気未満都市』(読み:みまんしてぃ/日本テレビ系)の主題歌用にと依頼されて書いたんだ」確かに、デビュー・シングル『硝子の少年』が松本隆×山下達郎という、歌謡界の大御所と一流アーティストのコラボだったので、その第2弾として、売野雅勇×坂本龍一に依頼があっても不思議ではない。坂本龍一は、’97年初めの日本テレビ系ドラマ『ストーカー逃げきれぬ愛』の音楽を担当し、英語詞の主題歌『The Other Side of Love』も70万枚を超える大ヒットを記録。その日本語詞カバーとなった中谷美紀の『砂の果実』も、売野雅勇が作詞し30万枚近いヒットとなっていることから、これは自然な流れにも思える。「ドラマの内容や、彼らの年齢も考えて《20歳を過ぎた大人は信じないさ》って歌詞にしたんだけど、坂本さんも気に入っていた。最初は、坂本龍一らしいメロディアスなイントロだったんだけど、シングルになるんだからと言われて、ダッダッダ~って派手な(ディープ・パープル『Smoke on the Water』風の)イントロに変えたんだ。急きょ、予定が変更となったのは、内部的な事情なのか、誰かの好みだったのかはわからないけれど……。確かに、最終的に決まった『愛されるより愛したい』のほうが、大衆的でわかりやすいかもね。でも、普通だな。坂本さんのあんなカッコいい曲をシングルにしないなんて……って、今でもため息をつくことがあるよ。1年に1回くらいだけど(笑)」そして、売野はその約20年後にも、KinKi Kidsに『哀愁のブエノスアイレス』(’18年1月発売、シングル『Topaz Love』のカップリング)を書いている。「この曲は、ディレクターから突然、依頼の連絡があって驚いたね。林(哲司)さんから素晴らしいメロディが送られてきて作詞したんだけれど、書き直した記憶があるな。おそらく、KinKiには“生々しくならないように”という一貫したマナーがあって、例えば、最初に書いていた《2人で暮らした部屋》といったリアルな情景に対して最初はNGが出た。そういう箇所がほかにも3か所くらいあって、スマートな内容に書き直したんだよね。俺はこの“ブエノスアイレス”という言葉の響きが好きだし、なぜか前から行ってみたくて。だから、自分がプロデュースしているMax Luxにも、中西圭三君にバラードの曲をつけてもらって、別の『ブエノスアイレス』という詞を書いたほど。KinKiの2人は、まさに哀愁と表現力があるよね」ちなみに、売野の歌詞には、“車”ではなく“クーペ”がよく登場するのだが、地名では“六本木”がとても多い。タイトルだけでも『六本木純情派』(荻野目洋子)、『六本木レイン』(研ナオコ)、『六本木ショット』(矢沢永吉)、『六本木慕情』(鈴木雅之)、『六本木界隈・夢花火』(山内惠介)など10作ほどあり、もちろん作詞家別でもダントツの多さだ。「六本木というワードは、促音が入っていて、言葉にリズムがあってハマりやすいんだよね。街にもドラマがあるしね。当時、よく通った井上大輔先生のご自宅があったり、筒美京平先生がしゃれた隠れ家のようなお店に連れて行ってくれたりしたことも、六本木が多い理由かな。京平先生とは仲がよかったよ。親友みたいにね。2人きりでアフリカ旅行に出かけたこともある。ルイ・ヴィトンのいちばん大きなスーツケースを2つ持ってきて、中は全部、服だよ。朝昼夜と1日に3回も着替えるんだ。知り合いの中でいちばんオシャレで、エレガントな方だったね。京平先生からは、“詞の勉強よりも、映画を観たり、旅行に行ったり、本を読んだりするほうがいいよ”って最初の食事会で言われたね。それが血となり肉となるからねと。その教えは忠実に守ってきたよ。“作家というのは、作品に品性とか中身がすべて出ちゃうから”って。あのころの10歳違いは、ずいぶんと大人だからね。先輩にも恵まれたよね。いまでも感謝しているし、尊敬している」(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)【PROFILE】うりの・まさお◎上智大学文学部英文科卒業。 コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年、ラッツ&スター『星屑のダンスホール』などを書き作詞家として活動を始める。 1982年、中森明菜『少女A』のヒットにより作詞活動に専念。以降はチェッカーズや河合奈保子、近藤真彦、シブがき隊、荻野目洋子、菊池桃子に数多くの作品を提供し、80年代アイドルブームの一翼を担う。’90年代は中西圭三、矢沢永吉、坂本龍一、中谷美紀らともヒット曲を輩出。近年は、さかいゆう、山内惠介、藤あや子など幅広い歌手の作詞も手がけている。
2021年08月26日歌手の田原俊彦が18日、都内で行われたオールタイムベスト発売記念「Simeji」コラボイベントに登場。アルバムの魅力を伝えるとともに、42年目に突入した芸能生活を振り返った。デビュー42年目、そして還暦を迎えた田原が、きょう18日に自身初のオールタイムベスト『オリジナル・シングル・コレクション 1980-2021』を発売。1980年のデビュー曲「哀愁でいと」、「ハッとして!Good」をはじめとする大ヒットソングを網羅し、2021年の最新シングル「HA-HAHAPPY」まで全79曲を収録した、レーベルの枠を超えたオールタイムベストが実現した。「元気ですか~!」と元気いっぱいに登場した田原は、「僕の41年間の歴史が凝縮されたアルバムになっているので、1人でも多くの方に聴いていただきたい」とアピール。「僕の歴史でもありますし、財産でもあるんですけど、今後も歌って踊ってこの財産をつないでいきたいと思います」と熱い思いを語り、「いい曲いっぱいありますね」と満足そうに話した。これまでの芸能生活の感想を聞かれると「終わってしまえばすべていい思い出です。あっという間です。あっという間のようであっという間でない!」とコメント。ジャニーズ入所や、『3年B組金八先生』出演、歌手デビューを振り返ってから、「今もこうしてステージに立っていられるのはファンのみんなが支えてきてくれたからだなと思っています」とファンに感謝した。活躍し続けられた秘訣の話になると、「自分大好きです!」と話し、「負けたくない」という気持ちとともに人生の成功のために大切なことだと主張。「この世界は弱肉強食なところもありますし、それくらいの気概がないと生き抜いてこれないですから。そういう気持ちは誰よりも。負けたくないって日々、毎年それを積み重ねた結果、今があると思っています」と語った。日本語入力&きせかえ顔文字キーボードアプリ「Simeji」は、田原初のオールタイムベスト『オリジナル・シングル・コレクション 1980-2021』の発売を記念し、期間限定コラボを実施。オールタイムベストをモチーフにしたデザインをあしらったSimejiオリジナルきせかえ4種がダウンロードできるほか、特定のキーワードを入力することでキーボード上にジャケット画像が現れるエフェクト機能などが楽しめる。イベントには、18歳のモデルの“みちゅ”こと長谷川美月も出席。Simejiについて田原にレクチャーする場面もあった。
2021年08月18日歌手の田原俊彦が18日、都内で行われたオールタイムベスト発売記念「Simeji」コラボイベントに出席。14日に肺炎で亡くなったジャニーズ事務所の名誉会長・藤島メリー泰子さんへの思いを語った。田原は「昨日僕も速報入ってびっくりしたんですけど、ここ2、3年、体調悪くなさっていると聞いていたので……」と神妙な面持ちで語り出し、「たくさんのいい思い出があります。厳しくて、優しくて、お母さんのような存在でした。15のときに初めてお会いして、ジュニアと呼ばれる時代の頃からずっとかわいがってもらって、デビューしてからも15年所属していたので、メリーさんとは言えないようなたくさんの思い出がありました。いつも支えてくれて本当に感謝しかありませんし、ご冥福をお祈りしています」と悼んだ。また、「政治的なもめ事も含めて、怖い人を演じなきゃいけなかったりして大変だったと思いますけど、タレントファーストで優しい方だった」と人柄を紹介。「僕はメリーさん好きでしたが、一番僕がメリーさんともめた、ケンカした、一番面倒くさいタレントだったと思う。そんなこともひっくるめて、いろいろ指導してもらって、時にはいろいろディスカッションしたりしました」と話し、「僕の衣装はだいたいメリーさんが全部決めていた。デビューして7、8年は、メリーさんプロデュースで、写真集とかもそうですけど、たくさんのいい思い出があります」と振り返った。さらに、「もちろんジャニーさんと一緒にいる時間のほうが多かったですけど、言えないような場面とかでメリーさんに助けられた部分もたくさんありました。タレントにはおいしいものを食べさせて、体のケアまで心配してくれて、たくさんの感謝があります」と話し、「大好きでした。ゆっくり休んでほしい。僕も何十年後か、いずれいきますけど、もし生まれ変わりがあるとしたら、歌って踊って、世界をとれるようなそんな仕事をまた一緒にしたいなと思います」とメリーさんにメッセージ。昨日、自宅のベランダから「ありがとう」「ジャニーさんと会えましたか?」と話しかけたことも明かした。
2021年08月18日「今年3月末に9年半続いた『爆報!THEフライデー』(TBS系)が終了し、地上波のレギュラー番組を失った田原さんですが、実はテレビ局からの“2大オファー”は定期的にあるんです。ただ、そのオファーが田原さんのポリシーに反するようで、けっして首を縦に振らないそうです」(制作会社関係者)今年還暦を迎えた歌手・田原俊彦(60)は6月16日に還暦記念となる77枚目のシングル「HA-HA-HAPPY」を発売。20日には、東京・豊洲PITでミニライブを開いた。「田原さんはデビュー以来、シングルを発表し続けることと、ライブ&ディナーショーのステージに毎年立つことを継続してきました。体重はデビュー前と変わらない62キロを維持するように努めているとか。最近はTikTokでもキレキレのダンスを披露するなど、新たな試みにもチャレンジしています」(音楽関係者)挑戦には意欲的な田原が拒否するテレビ局からの“2大オファー”とは――。「まず役者としてオファーでは、今年は田原さんの『びんびんシリーズ』の25周年にあたります。『教師びんびん物語』のイメージが強いため、学校の校長役のオファーは何度か来たそうです。また、私生活でも娘さん(田原可南子・27)の“良き父”でもあるように、連ドラのヒロインの父親役のオファーもあるそうです。しかしながら、田原さんはすべて『主演でないとダメ!』と断っています。ビックさは不滅です(笑)」(前出・制作会社関係者)バラエティ番組や音楽番組からは、別のオファーが依頼されているという。「今年4月末で近藤真彦さん(56)がジャニーズ事務所を退所したこともあり、水面下で“たのきん再結成”のアプローチがあったそうです。これにも田原さんはキッパリと『俺一人で田原俊彦だから!』と即座に断ったといいます」(前出・制作会社関係者)8月18日には全曲発売当時のオリジナル音源を使った『オリジナル・シングル・コレクション1980-2021』を発売する田原。「田原さんは『俺はわがままで傲慢。自分しか信じていない。それが田原俊彦。一度っきりの人生、自分の思うように生きたい!』と公言しています。還暦になった今、その生き方を生涯変えることはないでしょう」(前出・音楽関係者)信念を曲げないこの生き方こそ、いまも老若男女から「トシちゃん」と呼ばれる所以なのかも。
2021年07月06日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。ひとり旅のすすめ3〜警戒心という鎧〜仕事に一区切りをつけて、飛行機に乗り、シートベルトを締めた瞬間に、あー、解放された!と全身から力が抜けます。自由だー!大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これが目の前に人参をぶら下げて仕事をしている自分の情けなさもあるのですが。目的地へ着くまでの自由。ところが目的の空港に着き、タクシーに乗るときから『警戒心』という鎧を纏います。いまでは改善されたかもしれませんが、早朝にロンドンやパリに到着すると、白タクの運転手がまとわりついてきたものでした。ローマではスカーフから生々しい首の傷痕が見える運転手に遭遇したり。乗って行け、という言葉にガンとして打ち合わず、無視するに限ります。地下鉄はスリの仕事場です。バッグをしっかりと前に抱える。そして怖い顔で。全身、セキュリティー万全に。それでも相手の方が百戦錬磨ですから、一瞬の隙を狙ってきます。大好きなアンティーク市も油断なりません。冬の旅であれば、バッグの上にコートを羽織る。人混みを歩くときも要注意です。あるとき、マドリッドの銀座通りのような道を歩いていたとき、ショルダーバッグをツンツンと突いているような感じがあって、見てみると若い女の子がスカーフで手元を隠してバッグのファスナーを開けようとしていました。思いきり肘鉄と睨みです。常に警戒心、緊張感を拭うことはできないのです。パリではいつも小さなホテルに泊まります。外出から戻り、部屋でくつろいでいると、コンコン、コンコンとノックの音が。レセプションの男性でした。「何?」と聞くと「開けてくれ、花を持ってきた」というのです。かなりしつこくて、怖くなりました。相手は合鍵を使えます。夜中に襲われたらどうしよう。途端にいろいろなことを想像してしまい、怖くなりました。すぐに違うホテルを予約し、その日のうちにホテルを移りました。もしかしたら過剰な反応だったかもしれませんが、自分が感じた怖さに正直に行動することが大切なのです。見知らぬ場所、ひとりで行動するときは特に、動物的な直感を澄ましておくことです。警戒心が強すぎて、恥ずかしい思いをしたこともありました。ニューヨークでタクシーに乗ったときのこと。遠回りをしている感じがしたので、「道、違っていませんか?」と聞きました。すると白人の初老の運転手さん、「君は何年ニューヨークに住んでるの?」と。「3日」と答えると、「僕は30年以上この街に住んでる」と言いました。一方通行の多いニューヨークでは、回って回って、反対方向から目的地に向かうこともあるのです。忘れられない、運転手さんの言葉でした。警戒心という鎧、纏うべきところで纏う。命と財産を守り、旅を楽しむのは、訪問先の国に対するマナーでもあるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年06月20日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。ひとり旅のすすめ2〜旅日記で本音と出会う〜家庭内仕事部屋の引っ越しをしました。本、CD、資料、原稿、写真……紙類の山の中に、30年近く前に書いた旅日記が出てきました。A5ほどの大きさで、表紙には天使たちがバイオリンを弾いている絵。確か、パリの書店で見つけたノートです。旅日記を書くノート、日頃の雑記帳でも、紙とペンの相性が大切です。書きやすさはもちろんなのですが、書き手を超えたところでペンと紙のコラボレーションが文章に現れるのです。もうひとつ大切なことは、「自分を制限しない」ということ。うまく書こうとか、こんなことは書けない、などと思わないこと。思うまま、自分の中から思いが淀みなく流れ出るように。旅という非日常の時間と空間の中で自由になることが、ひとり旅の大きなギフトです。自分を制限しないで書き始める。それをさらに滑らかにするのが相性のいいペンと紙なのです。私の好みは、インクを瞬間で吸い取り、そして吸い取った余韻のある紙。ほんのりざらつき感がある紙が好きです。そして当時愛用していたのはシェーファーのカリグラフィー用の万年筆。1000円か2000円くらいだったか。インクはblue-black。ペン先から、思ってもみなかった言葉や思いが流れるように綴られるのでした。ひとり旅は、『自分自身』というバディと一緒に旅をすることです。それがひとり旅の醍醐味です。旅の間に感じる淋しささえも味わうことで、どんなにか自分の感性を育み、自分を成長させることか。気づかなかった自分の思いを知るのは、少々勇気がいることもありますが、それも必要な出会いだったのだと思うのです。好きな場所に好きなだけいる、というのも、自分の無意識が求めていること。それに素直に寄り添えるのが、ひとり旅なのです。さて、1995年、ハワイに滞在したときの日記から一節を。「Pali Hwyで車の事故を見てしまう。結構、暗い気持ちになる。KQMQ(オアフのFM局)からジャネット・ジャクソンの『Any Time, Any Place』が流れてくる。いろいろなエピソード、気づき、そういうものがどっと溢れてくる。ちょっと待って。覚えきれない。マイクロカセットテープの準備をしておけばよかった。でもこの瞬間が作家にとっては快感であり、これが待ち望む一瞬なのである」ひとり旅に、出なくては。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年06月13日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。ひとり旅のすすめ1〜憧れに出会う〜20代、30代、ひとりでヨーロッパを旅したものでした。それは私にとって『馬ニンジン』。旅を目標にすると、仕事も充実させることができたのです。ひとり旅をすると言うと、多くの人が「淋しくない?」と聞きます。それが少しも淋しくない。食事をするときには誰かとお喋りしたいと思いますが、慣れてしまうと何でもなくなります。それよりも、好きな場所で、好きなだけ時間を過ごしたい。わがままが許される、それがひとり旅の醍醐味です。ミラノからパリへ発つ朝。ホテルでチェックアウトするときに日本人の素敵なご夫婦と一緒になりました。「おはようございます」と、ご挨拶を。お二人とも洗練されていて、奥様は可愛らしさとゴージャス感をお持ちでした。そんなお二人と空港の搭乗口で、また出会います。「一緒の飛行機だったのですね」と、そんな言葉を交わしました。パリに到着し、バゲージクレームで荷物が出てくるのを待っているとき、「空港に車を置いてあるので、一緒に市内まで行きませんか?」とお二人から声をかけていただき、ご一緒することになりました。ご主人はヨーロッパのブランドと日本を繋ぐ仕事をされているとのこと。旅に出ると、ホテルでは別々の部屋に泊まり、それぞれの時間を独立して過ごすのだそうです。ご主人は昼間は仕事、奥様は買い物をしたり美術館へ行ったり。そして夕食のときに、その日あったことをお互いにシェアする。そして、素敵なところがあれば、後日一緒に訪れる。この旅のスタイルはいい距離感を保つことができ、それぞれの過ごし方を楽しめるのだそうです。まさに大人の旅です。ふたり旅の中で、それぞれが思うように過ごす。そしてその時間で感じたことを分かち合う。この頃、私はまだ20代の後半でしたが、こんなパートナーシップに憧れ、素敵な大人になりたいと思ったことをよく覚えています。旅で出会うもの。それは見たこともない自然、文化、もの、人々、ライフスタイル、そして憧れにも出会います。憧れは、成長するエネルギー。生活を豊かに彩り、審美眼を高めます。今でもときどき、無性にひとり旅をしたくなります。それも海外へ。解放感と孤独感は、創造の源になり、憧れは日常の生活の中に息づくのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年06月06日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。『整えること』から未来が見える家の中で、仕事部屋の引越しをしました。これが、とてもとても大変。これまでの作品たち、CD、本、掲載誌、そして資料……そこに娘の作文や連絡ノートなどが混在し、まさにカオス。なぜこんなものをとっておいたのだろう……というものから、なんでこんな大切なものをこんなところに!というものまで。なんだ、ここにあったのか……と安堵したこと、若い頃の書き物を読み返して速攻で破棄したものまで、それは自分が歩んできた道を辿るような片付けでした。カオスの中から、デビューした頃のアーティスト写真を見つけました。今と同じボブスタイルの髪、少し上目遣いで写っているモノクロの写真。何枚かあったと記憶していたのですが1枚、本の間から出てきました。25歳の自分の未来は、すっかり私の過去になりました。実は、しばらく前からこの写真を探していたのです。なぜだかわからないのですが、未来を知らない自分に会ってみたくなった……というのでしょうか。たくさんの歌詞を書き、小説やエッセイを書き、よくひとりで旅をしたもの。時に悩んで、落ち込んで、でも立ち上がることを諦めずに。いいとか悪いではなく、今の自分にとって何が最善なのだろうかと模索しながら生きた未来が、そのモノクロの写真の中にあるのです。これからの自分への勇気づけでしょうか。いま、この瞬間の自分の中にも、これからの未来があることを確認するために。25歳、作詞家デビューした頃。素敵な未来しか思い描けなかった頃です。ものを整理する。自分のいる場所を整えるというのは、心を整えていくことでもあります。本当に必要なもの、心が湧き立つものはなんなのか。執着していたモノと共に、心の執着を手放す。ものを減らしていくことは、本当に必要なもの、大切なものを知ることでもあります。自分が亡き後を考えると、ミニマリストであることが望ましいかもしれません。自分自身にとっても、残された人たちにとっても。今回仕事部屋を整え、ごっそりと不要な書類や本などを処分して思ったのは、自分が心地いいと思う空間に身を置くことの大切さ、そして自分が好きなものと共にあることの楽しさです。心地よく、楽しんで、自分を生かしながらこれからの未来を創っていく。本の間から出てきた『25歳の私』は、示してくれました。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年05月30日(左から)田原俊彦、黒木瞳、中井貴一、浅野ゆう子実年齢より若く見られることが多い芸能人。一般人とは何が違う? 過去の彼らのインタビューなどからアンチエイジングの専門家でイメージコンサルタント・一色由美子さんが“美魔女、美魔男”のヒミツに迫る!■【黒木瞳】高麗人参茶とタップダンス《美容法として続けているのは、高麗人参茶を飲むこと。スポーツはあまりやらないのですが、タップダンスは続けています。「ヒールアップ」効果で足が細くなります。タップをやると腸腰筋が鍛えられるんです。いくつになっても元気に歩ける》(WEBサイト『ヘルチェック』内のインタビューにて)「高麗人参茶は身体に合うのであれば効果的だと思います。不定愁訴である更年期障害に漢方を出すクリニックも増えましたし、ドラッグストアでも購入できます。ただ、漢方薬やサプリメントなど何か新しいものを取り入れる際は、“いつから摂取し始めたのか”“どういう身体の変化があったのか”といったことを記録しておくことが大事です」(一色さん、以下同)例えば、1か月後に身体の調子がよくなったと感じる人もいれば、逆に身体が重く感じるようになったという人も─。「その際、記録をつけていれば何を機に身体に変化が生じたのか、自分自身の中で考えることができます。原因がわからないまま、身体に変化が生じるのはいいこととはいえません」タップダンスに関しては向き不向きもあるだろう。だが、「足を使う運動はとても大事なこと。足の筋肉は、血液を心臓に送って全身に血流を張り巡らせるポンプのような役割をしています。足の運動を続けることで、結果的に血流をよくすることにつながり、栄養や酸素を全身に送り届けるため、アンチエイジング効果としても効果大です。血行不良による抜け毛にも改善が期待できます。“黒木さんがやっているから”とタップダンスをまねしなくてもよく、ウォーキングでも構わないので、ご自身が楽しくできる足の運動を取り入れるようにしてください」■【中井貴一】自炊で肉とサラダを中心に《家では、お肉などのたんぱく質とサラダを中心に食べています。僕にとって一番大事なのは、心からおいしいと思って食べること。自分が作った料理でも、いかに「おいしいなぁ~!」と思って食べられるか。そういった“贅沢な心”を持つことが大切だと思いますね》(健康情報サイト『元気web』のインタビューより)「野菜はビタミンやミネラルが補給できる優秀な食材です。ただし、野菜だけでは栄養不足になってしまいます。三大栄養素である『炭水化物』『タンパク質』『脂質』と結びついてはじめて、お互いが上手に働き、栄養になりますから、サラダに加えお肉を中心としたタンパク質を摂取しているのは理にかなっています」若い女性の中には、“サラダしか食べない”といったケースも散見されるが、タンパク質を摂取しないとサラダのよさが生きてこない。栄養不足で、むしろ老けやすくなってしまうし、太りやすくもなってしまうという。「また、特に男性にいえることですが、タンパク質を摂取しないと筋肉が落ちてしまいます。中井さんはしっかりとした身体つきで、髪の毛の質感も黒々しい。きちんとバランスを考え、タンパク質をとっているからこそ若々しいルックスを維持できているのだと思います。私が個人的に素晴らしいと感じたのは、“心からおいしいと思って食べる”こと。多くの方が、美肌になりたい、若々しくなりたい、といったアンチエイジングを目的に、本当は食べたくないものを無理して食べるケースが目立ちます。テレビで身体にいいと言っていた、〇〇さんが取り入れているからではなく、自分自身が“おいしい”と感じられるような取り入れ方こそ大事です。五感である味覚を鍛えて味わって食べているからこそ、中井さんの若々しさの秘訣につながっているのではないかと思います」■【田原俊彦】起きがけに1杯の水《健康法といえば、朝起きたときに必ずコップ1杯のミネラルウォーターを飲むことぐらいかな。それからおもむろにコーヒーを淹れる。水を飲んでからカフェオレという習慣はもう20年ぐらい続けている》(雑誌『Number Do』のインタビューにて)「寝ている間に、人間は気がつかないうちにコップ1杯分以上の汗をかいているので、朝は脱水している状態になります。そのため、起きがけにコップ1杯の水を飲むというのはとても大事です」とは一色さん。水を飲むことで、身体が目覚め、代謝も上がり、美肌やデトックス効果にもなるという。「ミネラルウォーターがない場合は、水道水でも大丈夫です。ただ、冷え症の方は冷たいお水だと身体を冷やしてしまうので、夏であっても常温や白湯のほうがいいかもしれません。ゆっくりと意識するように飲むと胃腸にもよい効果をもたらします」コーヒーを飲む際に留意してほしいのは、胃腸が弱い方はなるべく空腹時に摂取するのは控えたほうがいいということ。「コーヒーは、ポリフェノールの抗酸化作用も含まれるためアンチエイジングにはいい一方で、苦味成分が胃酸の生成を刺激してしまう可能性があります。コーヒーを飲むことによって、胃もたれするとか気持ち悪くなるのは胃酸過多になっている可能性が高いからなんですね」そういった状態で朝食をとると食べ物をおいしく感じないどころか、胃腸を整えるために余計に栄養を使うためアンチエイジングには逆効果。「胃腸の調子がよくないと感じるようであれば、起きがけの空腹時にコーヒーを飲むことは控えたほうがいいでしょう。もし飲むにしても、何か食べ物を口に入れてから飲むことをおすすめします」■【浅野温子】“朝にトマト”で調子《朝にトマトを食べている。朝は水分があるものがいいじゃないですか。何となく続けてたら調子いいなと思って。私、ちゃんと3食食べられない人なんですよ。こういうものを入れてると体調をみんなに合わせられやすかったりとか、自分でもちょっと集中したいなってときはあんまり胃に入れない》(TBS系『はなまるマーケット』にて)「トマトは、強い抗酸化作用のあるリコピンを多分に含み、身体の調子を整えるアンチエイジングに最適の食べ物。リコピンの吸収率が最もいいのは朝といわれています。朝にトマトを摂取する浅野さんの健康法は理想的ですね。トマトそのものではなくトマトジュースでも同様の効果があるのでおすすめ」浅野が“ちゃんと3食食べられない”と語っているように、規則正しく食事をとれない人も多いだろう。中には、あえて1日1食という人もいるだろう。しかし、「栄養が足りていない状態で1日1食を取り入れるのは控えたほうが賢明だと思います。空腹状態を長くすると長寿遺伝子であるサーチュイン遺伝子が働き、細胞を若返らせる説もあるのですが、これは合う、合わないもあり体質によると思います。また、1食で十分な栄養がとれるのかという問題もあります」合わない人は、少量でもいいので、栄養価の高いものを多く取り入れるほうがいい。「例えば、お味噌汁。塩分をとりすぎるため血圧が上がってしまうのではないかといわれますが、ビタミン、ミネラルが豊富で、アミノ酸も10種類以上含む抗酸化作用の高い食べ物です。忙しい方は、インスタントのお味噌汁でも大丈夫。わかめやネギなどご自宅にあるものを入れて召し上がってもいいですね」■【浅野ゆう子】歯のかみ合わせでシワ予防《季節の有機野菜や果物を20種類ほど入れ、豆乳、はちみつ、甘酒などをミキサーにかけて作るスムージーを毎朝飲んでいます。たてジワが出やすい口元のため、歯のかみ合わせを整えることが大事なので、歯医者さんにマメに通っています》(雑誌『クロワッサン』より)「先述したとおり、野菜だけではなく、タンパク質を含む豆乳を加えることで、きちんと栄養をとることにつながっています。また、大豆のイソフラボンは、女性ホルモン『エストロゲン』(卵胞ホルモン)に似た働きをし、女性の美しさや若々しさを手助けしてくれます」歯並びもとても重要で、アンチエイジングのために歯を意識するのは大正解という。「年を重ねてくると歯は、前に動いてしまいます。すると、歯間が開き、かみ合わせが悪くなり、かまずに食べてしまうため太りやすくなってしまう。顔のゆがみの一因にもなって、シワにもなりやすいんです。また、歯周病は、歯ぐきの炎症や虫歯の原因になるだけではなく、全身的な慢性疾患の原因となることもわかっています。かむ力は認知症予防としても非常に有効といわれていますから、歯のかみ合わせを意識することは、とても大切なことだと思います」■【美保純】家の中でもヒールを履いて《おでんの昆布だけを食べて体重を減らす、昆布ダイエットを定番にしていた。自宅では同じ椅子やソファーに座らないようにし、家の中でヒールを履いたりする》(雑誌『クロワッサン』、TBS系『水トク! ~あの日に帰りたい8~』などより)「いまも昆布ダイエットを続けているのだとしたら、あまりオススメはできません。昆布にはヨウ素が含まれています。甲状腺のホルモンを作るために必要不可欠なものである一方、過剰にとると、逆に甲状腺ホルモンが作られなくなり、甲状腺機能低下症になる可能性があります」女性の場合、甲状腺は女性ホルモンを司る部分。その機能が低下する可能性を高める昆布を毎日摂取するようなダイエットは控えたほうがいい、と一色さん。間違っても“昆布だけ”というのは避けるべきだという。「反面、家でヒールを履くという意識はとても素晴らしいことだと思います。先ほど説明したように足の運動にもなりますし、背筋も伸びますよね。何より美意識を持つことで気持ちが上向きになります。“同じ椅子やソファに座らない”というのも、部屋の中であっても動くことを意識しているのだとしたら、いいことだと思います」■【哀川翔】野菜で食べすぎをブロック《妻・公美さんが徹底管理し、食事前に必ずキャベツとブロッコリーを食べ、ご飯の量は125g。夕食後はドライフルーツと一緒にヨーグルトを。ただし、妻のいない外出先ではドカ食いをすることも》(TBS系『名医のTHE太鼓判!』より)「哀川さんはキャベツやブロッコリーである程度お腹を満たして、食べすぎを防いでいるのではないかと思います。たしかに、キャベツはかさ増しの食材としては最適ですし、ブロッコリーもスルフォラファンをはじめ約200種類ものファイトケミカルが含まれています。ファイトケミカルは、体内の老廃物や有毒物質を解毒するなど抗酸化作用を持つ食材ですから、栄養価の高い野菜でお腹を膨らますというのはとても効果的だと思います」何かを食べる際に、あらかじめ野菜を摂取する──。例えば、ラーメンを食べる前に、野菜ジュースを飲むだけで、まったく栄養のバランスは変わってくる。「野菜を摂取することで、カロリーの高いラーメンを食べる罪悪感も減るので、一石二鳥です(笑)。ただし、小食の方がダイエットとしてキャベツやブロッコリーでお腹を満腹にすることは控えてください。野菜を食べたことによって満足感が生まれ、本来とらなければいけないほかの栄養価をとらずに食事を終えてしまうため、逆効果になってしまいます」夕食後のヨーグルトもいい作用をもたらしている。「ヨーグルトの乳酸菌、食物繊維を含むドライフルーツの組み合わせは、腸内環境を整える意味では効果的。腸内環境がよくなれば免疫力もアップするのでアンチエイジング的にもいいと思います。個人的には、ヨーグルトの中に一緒に入れるのであればバナナがオススメです。朝昼晩にきちんとタンパク質がとれていると筋肉が落ちづらくなります。特に、朝はお肉やお魚を食べる時間がなかったり、食欲のない方が多いと思うので、ヨーグルトバナナを活用するといいと思います」一色由美子(いっしき・ゆみこ)●イメージコンサルタント。Y Style New York&Tokyo代表、(社)日本アンチエイジング・ダイエット協会理事長。自らの結婚、出産、子育ての経験も含め、女性が自由に輝いて生きるためのスタイル作りを提案。(取材・文/我妻アヅ子)
2021年05月24日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。喜ばせ上手、喜び上手もしもこの世界にたったひとりきりだとしたら。その世界には必要とするもの以上の豊かさがあり、誰にも束縛されない自由があるとしたら……。ありえない仮定ですが、極端に考えることで改めて気づくことがあります。どんなに豊かで自由であっても、人はひとりでは生きていけません。決して豊かでなくても、わかちあえる人がいて、ささやかなことも喜び合える人と共にいられること、プレゼントをする人がいるというのは、本当に幸せなことです。その人を喜ばせたい。誕生日やクリスマス、記念日だけでなく、ちょっとしたお礼のものを選ぶときも、どんなものが喜んでもらえるか考えます。喜んでもらいたい……これは『愛』だと思うのです。喜ばせたいという思い。相手のことを思い、何かを差し出す。プレゼントもうれしいですが、その思いがさらにうれしいものです。サプライズも、喜びと驚きが倍増します。2年前、夫が還暦にお祝いに何を贈ろうかといろいろ考えました。記念になるもの……それは形のあるものでなくてもいいのではないか。二人で食事に行くという設定で、実はレストランには夫の親しい友人たちに内緒で集まってもらいました。山口県の徳山から、神戸から、名古屋、福井から、東京の忙しく仕事をしている友人たちも集まってくれました。当日出席できなかった友人たちのメッセージのスライドショー。夫のこれまでの歩みをまとめたスライドショー。その夜鍋仕事は、とても楽しかった。夫に喜んでもらいたくてやっていたのですが、実は私も大いに楽しみました。サプライズやプレゼントが愛だとしたら、与えている私も愛を受け取っていたのでした。つまり、「与える」ということは、「与えられる」こと。また「与えられている」から、「与える」ことができるのです。「自分が蒔いた種は自分が刈り取る」という言葉があります。ネガティブな意味で語られることが多い言葉ですが、逆もまた真なり、良い種を蒔けば良いものが実るのです。相手を褒めることも、ユーモアで人を和ませるのも愛です。ささやかな心遣いも、ちょっとした親切も愛です。そう考えていくと、愛は私たちの日常の中に散りばめられている。気づかないうちに、言葉にしないうちに、やっていることなんですね。喜ばせ上手、喜び上手になりましょう。喜ばせることも、喜ぶことも愛です。それは私たちの中でくるくるとめぐり、社会全体をふわりと優しくするでしょう。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年05月23日たのきんトリオ “ジャニーズの長男”近藤真彦(56)が先月末をもってジャニーズ事務所を退所。これで、たのきんトリオ( ’80〜’83年)の全員が去ったことに。進んだ道は歌手、ギタリスト、レーサーと、実に三者三様。彼らのフレッシュな笑顔が輝いていた黄金時代が、ここによみがえる!マッチこと近藤は ’79年10月、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒(星野清)役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦(トシちゃん・60)、野村義男(ヨッちゃん・56)とともに“たのきんトリオ”として一躍、トップアイドルにのぼりつめた。その名づけ親はジャニー喜多川さん(享年87)。田原の“た”、野村の“の”、近藤の“近(きん)”に由来する。活動期間は ’80〜’83年と意外に短い。芸能レポーターで、当時は週刊女性の芸能記者だった石川敏男さんは、こう振り返る。「すさまじい人気でしたよ。中でも突出していたのはトシちゃん。メールもSNSもない時代だから、ファンが気持ちを伝えるのはファンレターだけ。月に18万通も来たっていうからね。とはいえ、ジャニーさんはグループで活動させようとは思ってなくて、3人それぞれをソロ歌手にしたいと考えていたんですよ」■’83年解散、それぞれの道たのきんトリオとしてコンサートは多数開催したが、オリジナル曲のリリースはない。 ’80年6月、田原が『哀愁でいと』で歌手デビュー。12月に近藤も『スニーカーぶる〜す』でソロ歌手に。「いちばん抵抗したのはヨッちゃん。彼はアイドル歌手ではなく、ギタリスト志望だったから。たのきんのコンサートでもギターを弾いていたしね。だけど、ジャニーさんがいろんな条件をのんでくれたから ’83年に1枚だけリリースしたけど、売れなかった」同年、“TheGood−Bye”を結成。バンドの活動休止後( ’90年)に独立した。現在ではギタリストとしての地位を築き上げ、アーティストへの楽曲提供なども行っている。「トシちゃんは“俺はビッグ”発言でひんしゅくを買っちゃって( ’94年2月)。あれはテレビでの(発言の)切り取られ方が作為的だっただけなんだけど、自分の人気を肌で感じてはいたでしょう。芸能界を干され、需要がまったくなくなりました」同年3月にジャニーズ事務所から独立している。「5年くらい前かな?新大阪駅で偶然会ったんですよ。コンサート終わりだと言って、脚をきれいに上げてくれてね。“全身に膏薬貼って努力してるんですよ”と笑ってた。かつての栄光を失っても、彼はとにかく地道にやってきた。それが認められ、また復活しかけているじゃない?」『爆報!THEフライデー』(3月終了)には10年近くレギュラー出演。ライブやディナーショーを精力的に行い、6月16日には新曲『HA−HA−HAPPY』が発売になる。■レコ大受賞、そしてレースにのめり込む 『ギンギラギンにさりげなく』( ’81年)、『ハイティーン・ブギ』( ’82年)など、多数のヒット曲に恵まれた近藤。 ’87年には『愚か者』で日本レコード大賞を受賞している。「マッチがかわいそうだったのは、お母さんの遺骨が盗まれたこと。『愚か者』がレコ大の候補になったときに、“賞レースから降りなければ返さない”って言われて。アンチがいたんでしょうね。いまだに犯人は捕まっていないし、遺骨も返ってきていませんから」その後は『全日本F3選手権』( ’88〜 ’93年)、『ル・マン24時間耐久レース』( ’94年)参戦など、レーサーとしての活動が本格化。芸能活動は手薄に……。「そして昨秋に不倫が発覚。無期限謹慎中に、ジャニーズ事務所を辞めた。そんなマッチの去り方に、東山紀之さん(54)は“すごく薄っぺらく感じる”と苦言を呈しましたよね」■ジャニーズの長男としての自覚実はマッチとヒガシは、年齢的には2つしか変わらない。「ヒガシにはヒガシの思いがあるんでしょう。ただ、ジャニーズ事務所の何年間かは確実にマッチが支えたし、彼の売り上げが後輩たちを育てた面はある。それに、メリー喜多川さん(94)が親しくしていた森光子さん(享年92)&黒柳徹子さん(87)とのパイプ役はしっかりと引き継いでいましたから」近藤が長年、芸能活動そっちのけでカーレースに没頭していても、ジャニーズ事務所としては粗末にはできなかった側面が。「もともとヤンチャを売りにしていたから、そのとおりに生きてきたんでしょう。マッチは自分勝手で、長男としての自覚が足りなかった。後輩から“マッチさん”と呼ばれてはいるけど、その後輩たちはマッチに具体的に何かしてもらったことはないと思う。ヒガシや櫻井翔くん(39)とかのほうが、後輩に対してよっぽど厚いよね」近藤は退所後も、今までどおり芸能活動もカーレースもやっていくと話しているそうだが、石川さんは疑問視する。「ただ、彼にはカーレースで付き合ってきた人たちがたくさんいる。そういう人たちが、いつまでスポンサーでいてくれるか、じゃないですか?」撮影/週刊女性写真班
2021年05月20日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。そこは坂道だった〜小さな発見の大きな気づき駅前の銀行に行こうと、信号待ちをしている時のことでした。その小さな交差点は5叉路になっていて、横断歩道から続く道は狭い道です。郵便局がその先にあるので、これまで何度となく歩いた道でした。信号が変わるのを待っているとき、ハッと気づいたのです。目の前の狭い道は、緩やかな坂道でした。緩やかなので気づかなかったとは言え、この交差点で何度も信号待ちをしています。この街に住んで30年、そこが坂道だったことにも驚きましたが、今になって気づいたことに驚きました。「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」ユリウス・カエサルの言葉です。人間の脳は、いま興味のあるもの、意識していることしか見えないようにできている。つまり、見たくないものは視界に入らないようにできているそうです。例えば、お腹が空いていたら食べ物屋さんの看板ばかりが目についてしまうということはないでしょうか。これは実際に目に見えることだけではなく、無意識のうちに避けている問題もあると思います。さて、30年目にして初めて郵便局への狭い道が坂道だと気づいたわけですが、改めて「物事を見る、感じる」ということについて考えさせられました。見ているようで、見落としていることがたくさんある、ということです。カエサルの言葉を気づきのきっかけとするならば、見たくないものの中に大切なことがあるかもしれません。先延ばしにしてしまうことも、必要なことであったりします。これは、『ものの見方』にも通じます。小学校受験の勉強の一つに『四方見』というものがあります。ものを正面から見る。上から見る。斜めから見る。下から見る。それぞれに違う形をしています。日々、私たちが体験することも同じように、自分の立場からだとこう思う。でも相手の立場に立てばどうなのか。自分の人生においての意味はどうなのか。などと様々な角度から眺めてみると、その体験したことの意義が見えてくるのです。自分の可能性を広げる意味でも、見識を広める意味でも、目を転じてみよう。5月の朝の、駅前の交差点での発見は、大きな気づきになりました。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年05月16日近藤真彦(2009年)謹慎生活に耐え切れず、40年以上も“庇護の下”にあった“帝国”から飛び出した“長男”。常にジグザグとわが道を進んできたが、自慢のハンドルさばきを誤ったのか?近藤のことを知る人に聞くと、彼はさりげなく「俺のやり方」を生きるだけで──。■近藤真彦・ジャニーズ退所の真相“ジャニーズの長男”が事務所を去った。40年以上、在籍していた近藤真彦(56)が、4月30日に退所を発表したのだ。「昨年11月に『週刊文春』が、25歳下の女性と5年にわたる不倫を報じました。ジャニーズ事務所は不倫があったと事実を認め、近藤さんには無期限の謹慎処分が下されていました」(スポーツ紙記者)昨年はデビュー40周年という節目の年だった。「事務所のスタッフが走り回って取ってきた仕事が10本以上あったのですが、すべて白紙に。でも、マッチが気にしていたのは芸能活動ではなく、カーレースのことだけ。謹慎間もない昨年末には“レースなら復帰できるでしょ”と高をくくっていたんです」(テレビ局関係者)これまでもジャニーズのタレントが不祥事を起こすことはあったが、現役で写真をガッツリ撮られた不倫騒動は、今回の近藤が初めて。風当たりも強く、事務所としても簡単に活動を再開させるわけにはいかなかった。「5月から本格的なレースのシーズンということもあり、マッチは“無期限”という処分に業を煮やしていました。ジャニーズの“礎”を築いた1人でもあり“俺が辞めたら困るだろう”と考えていたよう。誰かが引き留めるだろうと、退所を“ブラフ”としてチラつかせたら、事務所は“辞めたかったら止めません”ということに。彼の扱いに困っていたところ、本人から退所を申し出てくれて、事はすんなり運んだ。マッチと事務所は、そういった意味では“円満”なんです」(同・テレビ局関係者)そんな近藤には、後輩たちから感謝のコメントが相次いだが、東山紀之(54)は違った。メインキャスターを務める『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)で、厳しく批判したのだ。「後輩たちにも、ファンたちにも、何の説明もしていない。説明をしたくなかったのか、することができないのか、それともこれからするのか」「僕らはたくさんのファンの人たちに支えられている。それに向き合うのが礼儀のひとつだと思う」会見を開くこともなく明確な謝罪もなかったうえ、突然の独立宣言に「すごく薄っぺらく感じる」とまで言い切ったのだった。■“恩師と同級生”の反応はーー近藤の“恩師”はどう考えているのか。’79年に放送されたデビュー作『3年B組金八先生』(TBS系)で共演した武田鉄矢(72)に、自宅前で話を聞いてみたが、「もう10年以上、付き合いはないし、年賀状のやりとりもない。’19年のジャニーさんのお別れ会で見かけたくらいですから、私がコメントをする立場にありません」ただ、それでも“教え子”であることに変わりはないと、複雑な胸中を明かす。「私はダメな教師でしたが、いつまでも私の生徒だという気持ちに変わりはありません。何か相談がきたら?もちろん、そのときは応えます」かつての恩師に、今のところ相談はないようだ。では“同級生”はどうか。同じ『金八』に出演し、たのきんトリオとしてジャニーズで同じ釜の飯を食べ、先に退所した田原俊彦である。「トシちゃんにも、今回のマッチの退所に関してコメント依頼が殺到しているようですが、“まぁ頑張ってとしか言えないね”と、他人事です」(ワイドショースタッフ)近藤の“兄貴分”にあたるという音楽業界関係者にも、退所について事前の連絡はなかったという。「事務所の上層部にだけ伝えて、パッと消えた。あまり考えないほうがいいというタイプだし、それが彼の引き際の美学なんだと思う。誰か1人に相談するのも負担をかけるし、後輩たちに迷惑をかけたくなかったんじゃないかな」なので、東山の痛烈な言葉には驚いたと話す。「マッチは誰からも好かれるタイプで、何でも許されちゃう。人当たりがいいとはいえないヒガシからすれば、何でっていう気持ちがずっとあったのかな。マッチはおとこ気があるし、実はヒガシよりもマッチのほうが後輩の信頼は厚い。でも時代の変化で、今はヒガシのようなお堅いタイプが世間ウケはいいのかもしれないね」(同・音楽業界関係者)近藤がオーナー兼監督を務める『KONDORacingTeam』は、従来どおりレース活動を続けると発表したが、今のところサーキットに姿を見せていない。そんな近藤とチームを支援するスポンサーの1人によると、「彼はジャニーズとは歩合制の契約で、芸能活動は開店休業状態だったから、ほとんど給料はもらっていなかったはず。彼の稼ぎは、レースの監督として日産自動車から出ています。チームはレースで優勝もするなどトップクラスなので、監督としてかなり稼いでいるはずですよ」■奥さんは離婚したい?ジャニーズを退所したことで、レースへの復帰は早まる可能性も高く、タイヤを提供している横浜ゴムによれば、今すぐに協賛が打ち切られることはなさそうだ。ただ、このスポンサーにも退所前の連絡はなかった。「昨年の不倫報道のときは連絡がありましたが、今回の退所のことは本当に誰にも相談しなかったらしいですよ。唯一、親族である弟には連絡したようですけど」そこで、神奈川県に住む近藤の実弟に話を聞くことに。ふたり兄弟の3つ下。自宅の表札の横には『KONDORacing』のステッカーが貼られたポストもある。「私も辞めるなんて、ホント知らなかったです。でも、退所を発表する30分前にアイツから電話はありました。久しぶりだったから、なんだよ珍しいなと思ったら“これから退所を発表する”って」兄であるマッチのことを“アイツ”呼ばわりしていたが、仲が悪いわけではないらしい。兄弟の友人の話では、照れ隠しのようなものだという。「昨年の不倫報道があった後はメールで“悪いな、迷惑かけて”って来たから“こっちは大丈夫だよ”って返したことはありました」──ということは、兄の不倫は知っていた?「まぁね。知らないことはなかったけれども……。普段から一緒に飲まないし、アイツとはすぐケンカになるから」自らの不倫騒動で謹慎となったにもかかわらず、誰にも相談せずに長年“庇護の下”にあったジャニーズから飛び出したマッチ。’94年に結婚した妻は、今回の件で激怒していないのだろうか。「大丈夫だと思いますよ。私はアイツと仲は悪いけど、アイツと奥さんは、ね」兄弟で会うことは少なくなったが、マッチの離婚はないと確信しているようだった。“兄貴分”にあたる前出の音楽業界関係者も、同じように離婚はないと語る。「不倫騒動のときにマッチに電話して“バカだな、お前”って怒ったら“ごめんなさい”って。しばらく芸能界は難しいから、レースに集中しろって言いましたよ。奥さんにも電話しました。大丈夫?って聞いたら、“私は芸能人と結婚したときから、こういう覚悟はできていました”って。彼女は一般家庭の人だったから、いろいろと大変だったと思うけれども、耐える気持ちが強い女性なんだよ」チームを運営するのは近藤の個人会社で、妻も役員として名を連ねている。「先日も夫婦と一緒に食事をしたとき、マッチが“オレ、2度と女遊びはできないかな?”なんて言うと、奥さんは“また、そんなこと言って”なんて笑えるぐらい、本当に仲がいいんですよ。彼女がいる限り大丈夫でしょう」(同・音楽業界関係者)現在の窮状を切り抜けるには、支えてくれる妻に感謝をするのが、今のマッチに必要な“やり方”だろう。
2021年05月10日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。無理せず、自分に優しく「好きなこと」を気づくと、多くのことを求めていない自分がいます。「気づくと……」というと唐突ですが、あるときふっと思ったのです。こんなことも、あんなことも……とアイディアをめぐらせていた自分はどこへ行ったのか。制限が多くなっているこの状況の影響なのか。今はできるだけ心地のいい環境に身を置こうと努めている自分がいました。つまりそれは、心のざわつきから自分を守ることでもあるのです。自分のいる場所を『楽園』にする。家だけでなく、自分がその都度いる場所を『楽園』にする。一年以上続いているコロナ禍は私たちの生活を一変させました。この不自由さの中で自由にできることは何か。それは、まず自分が変わり、自分で環境を変えていくこと。自分のいる場所……仕事場、人間関係、気持ちの持ち方を心地のいい『楽園』にすることです。自分にかかっている負荷を取り除き、ささやかでも楽しめることの中に身を置いてみる。困難なことを抱えている中で『楽しめる環境』を作る。それにはまず家、部屋を整えることから始めます。無理はしない。とても簡単にできることから始めます。たとえば、掃除をして、花を一輪でも飾る。花は美しいだけでなく、生きているエネルギーがあります。花を見て、嫌な気持ちになることはありません。ふっと疲れたときに花に目をやることで、気持ちも目も安らぎます。花を選び、自分で生けるとき、雑念が取り払われます。花と向き合い、花がさらに美しくなるように試行錯誤する。花に寄り添う感覚が生活を活性化させるのです。おいしいものを食べる。これも生活を楽しくする一つです。おいしいものをおいしく。美食をするということではないのです。ささやかな料理でも、好きなお皿にのせて。一手間をかけて。テイクアウトの料理でも、お皿に移し替えるだけで、ご馳走に見えてきます。音楽を聴く、アロマを焚く。きれいな花が咲いている道を選んで散歩する。公園でぼーっとする時間を持つ。美術館に足を運ぶ。好きな音楽を聴く。自分がリラックスできること、楽しめることに集中する。中でも、五感を働かせることは、感性を高める刺激になります。いまの状況を嘆くばかりでなく、新しい楽しみ方を見つける機会に変えていきましょう。とにかく元気でいること。おいしいものをおいしく楽しくいただけること。家族が仲良く、元気でいること。細々でも自分を生かせる仕事をし、いまだからこそ感じることを作品にしていくことに心を向けています。料理やインテリアなどの動画を見て生活に取り入れてみたり。多くのものを求めずとも、人生が少しでも素敵になるアイディアを取り入れていくことで、私のいる場所は『楽園』になりました。無理をせず、自分に優しく。そうすることで、人との関係も優しくなっていくのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年05月02日「13~14歳のある日、ジャニーズ事務所から電話がかかってきたことで僕の人生はひっくり返りました。デビュー後は、家族も親戚も、田舎の町中が大騒ぎに(笑)。もしジャニーさんが僕の履歴書の小さな写真を見つけてくれなかったら、今ごろ何をしてたのかな」17年12月、本誌にこう語っていたのは近藤真彦(56)。事務所の創業者である故・ジャニー喜多川さん(享年87)に才能を見出され、いまやジャニーズの“長男”に。しかし、4月30日、40年以上連れ添ったジャニーズ事務所を退所することを決断した。退所に際し、「思えば金八先生から始まり、新人賞、レコード大賞、紅白歌合戦、映画と数々の貴重なお仕事をさせていただき感謝しかございません」と事務所への思いを寄せた近藤。そして、「ありがとうジャニーズ ありがとう素敵な後輩達 ありがとうジャニーさん」と結んでいる。「マッチさんは79年、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒・星野清役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦さん(60)や野村義男(56)さんと共に『たのきんトリオ』として活躍し、80年12月に『スニーカーぶる~す』でソロ歌手としてデビューを果たしました」(芸能関係者)そんな近藤は、これまで本誌でジャニーさんとの思い出をいくつも語ってきた。デビュー以降、ヒット曲にも恵まれ、瞬く間にスター街道を駆け上がった近藤。そして87年に発表した楽曲『愚か者』でレコード大賞を受賞した。その当時、ジャニーさんも大喜びだったという。「あの年はすべての賞レースをとってきたのに、レコード大賞だけは無理だと言われていて、ものすごいプレッシャーでした。だから、初めてうちの事務所でレコード大賞が取れたときは、ジャニーさんとメリーさんもとっても喜んでくれましたね。2人ってね、田原(俊彦)くんが賞を取ったときは僕とご飯を食べて、僕が取れたときは田原くんのところに行くんですよ。そういうフォローってすごくありがたかった」(20年12月1日・8日合併号)■「僕の“二足のわらじ”を認めてもらえたのかな」近藤は、84年からレーサーとしての活動もスタート。アーティスト活動との兼業は当時かなり異例のことであったが、そこにはジャニーさんの“教育術”もあったようだ。「(ジャニーさんには)とにかく臨機応変というのを教わりましたね。形にとらわれず、マニュアルにあえて従わず、という柔軟性が大事だと。1、2、3だけが正解じゃなくて、1、2、5もいいじゃない。いまは自然にそう思えるようになりましたね」(20年12月1日・8日合併号)さらに彼は17年12月、ジャニーさんが命名した楽曲『軌跡』をリリース。その当時、彼は本誌でジャニーさんからの言葉を明かしていた。「ジャニーさんからは『年齢的にも、一度人生を振り返ってもいい時期。これまで歌手とレースの二足のわらじを履いて走ってきたマッチだから、車偏の付く“軌跡”をテーマにしたらいいよ』と言ってもらいました」そして「今回ジャニーさんから『軌跡』というテーマをもらえたことで、少し僕の“二足のわらじ”を認めてもらえたのかな、とうれしく感じました」と、“師”から認められた喜びも明かしていた。ジャニーさんに支えられてきた近藤。貴重な思い出を胸に旅立った彼の次なる道はいったい――。
2021年04月30日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。思い出をつくる時間3ヶ月に一度、父の病院の検査、診察に付添います。待ち時間の長い二つの科を受診するので、その日はほぼ1日仕事になることは覚悟です。そんな病院通いの日のお楽しみは、帰りにおいしいものを食べること。外食しづらいこの状況の中、一人暮らしの父の気分転換にもなるようです。これまで何度か病院に付き添い、食事をして帰りました。あるとき、ふと思ったのです。もしかしたら、これは父と過ごせるいい時間なのかもしれない。もしかしたら、かけがえのない時間なのかもしれないと思いました。時間は限られています。お互いに、いつ何があるかわからない。私たちはそんな不確実な時間を生きているということを忘れてしまいます。90歳の父は、おそらく自分に残された時間について切実に考えているでしょう。「ママの七回忌の法要は自分の手でやりたい。十三回忌はできないだろうから」あるときふと漏らした父の言葉に淋しさを感じたと同時に、人生を生ききる矜恃を感じたのです。その矜恃に寄り添うこと。それが90歳の父が安心していられることだと思いました。思い出してみると、母が元気だった頃、母と出かけるたびに『限りある時間』を感じていました。もう30年前ですが、母と上高地へ行き、梓川沿いを歩いたことがあります。その頃母はまだ50代だったか。うれしそうな笑顔の写真を見返してみると、あの時間がかけがえのないものだったことを思います。人生、楽なことばかりでない。次々と困難を乗り越えていくこの人生という流れの中で、ささやかなことにも感動し、うれしく思い、大切にできる時間を過ごせること。そんな思い出たちは、生きていく力の一つなのかもしれません。今月の父の付き添いの帰り、父の大好きなうなぎを食べ、サントリー美術館で開催されている『日本絵画の名品』展を観ました。日頃芸術に触れることのない父は、ゆっくりと、一枚一枚の絵をじっくりと鑑賞していました。その後ろ姿を眺めながら、私と父の時間を思い出が刻んでいくのを感じました。思い出をつくっていく。私も振り返る時間がずいぶん多くなりました。人生という物語、たくさんの思い出で豊かであるように。いま、この一瞬を大切に過ごしていくことです。それが病院の待合室であっても、一枚の絵の前であっても。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年04月25日田原俊彦今年2月に還暦を迎えた田原俊彦。唯一の地上波レギュラー番組だった『爆報!THEフライデー』(TBS系)は3月で終了し、芸能活動にも陰りが見えたかと思いきや……。「彼のファンクラブ会員は現在も熱狂的。グッズは飛ぶように売れ、コンサートのチケットも争奪戦。トシちゃん自身もステージ衣装ではスケスケのシースルーを着こなすなど、身体の衰えを感じさせません」(レコード会社関係者)相も変わらず“ビンビン”な田原。このまま隠居ということはないようだ。「田原さんは’80年にジャニーズ事務所から『哀愁でいと』でデビュー。’94年の“僕はビッグ”発言で世間の顰蹙を買うなど低迷もしましたが、今日まで芸能活動を続けています」(スポーツ紙記者)すでに次の活動に向けて精力的に動き出している。「田原さんはレギュラー番組の数や収入以上に、話題性を気にする人なんです。コロナ禍の今、自分が出る番組やショーをどう盛り上げていくか、スタッフたちと打ち合わせの日々ですよ」(前出・レコード会社関係者)■明菜はそこらへんの歌手と違うんだよ!そんな熱意は思わぬ“しくじり”を呼んだそうだ。事情を知るイベント関係者はこう語る。「田原さんが出演予定の歌番組の打ち合わせで“中森明菜を呼んで俺と共演させよう!”と自信満々で言い出したんです。確かに2人は同じ時期に活躍した友人同士。’17年の初めには、明菜さんから留守電で“トシ元気?いつも番組見てるから”と応援メッセージをもらった仲です」明菜といえば『少女A』『DESIRE』などのヒットで知られている日本を代表する歌姫だが、’10年ごろから免疫力低下による体調不良で芸能活動をセーブしている。「’17年のディナーショー以降、公に姿を現していません。田原さんはそんな彼女をずっと心配していて、いつか一緒に番組やイベントをやりたいと考えていたようです」(イベント関係者、以下同)還暦を迎えた田原と、デビュー40周年の明菜という2人の共演。そんな“ビッグ”アイデアは、その場で行動に移された。「田原さんは“明菜はそこらの歌手と違うんだよ!”と熱弁しながら、“今、明菜に電話するから!”と彼女に電話をかけ始めたんです」伝説の歌姫を相手に気軽に直電をかけられるなんてさすが。固唾をのんでその様子を見守るスタッフだったが─。「プップップッという接続音の後“おかけになった番号は現在使われておりません”と(笑)。田原さんもスタッフも全員ずっこけちゃいましたよ……」“哀愁”を漂わせ、夢破れた田原。それでもビッグな彼なら、いつか明菜と同じステージに立ってくれる!?
2021年04月24日「同世代のスターの中でも、明菜ちゃんは別格中の別格。彼女が今、表舞台で活躍していないことが残念で仕方ないよ!」食事の席で田原俊彦(60)は熱く語り続けた――。田原と仕事関係者たちが食事をともにしたのは2月下旬だったという。田原をよく知る芸能関係者はこう語る。「その席で中森明菜さん(55)のことが話題になったのですが、それでトシちゃんにスイッチが入ってしまって……。ついには『俺がこれから明菜ちゃんに電話をかけるよ!』と言いだしたそうです」明菜と田原は同じアイドル全盛の時代を生きてきた“戦友同士”だ。「`80年代は『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』など大人気の歌番組が多数あり、トップアイドルたちは毎日のように収録で顔を合わせていました」(’80年代に詳しいライター)トップアイドルとして’80年代を駆け抜けた2人はお互いにシンパシーを感じていたのだろう。その交流は途切れ途切れながらもずっと続いていたようだ。’17年2月には田原が『爆報!THEフライデー』(TBS系)で、明菜から『トシ、元気?いつも見ているから』という内容の留守電が入っていたことを明かした。そんな2人の現在の活動状況は対照的といえる。「田原は今年2月に還暦を迎えましたが、4月25日には60歳アニバーサリーライブを開催予定。いまなお精力的に活動中です。しかし、明菜は今年5月からデビュー40年目に入りますが、’17年以降、表舞台から退いたままです」(音楽関係者)前出の芸能関係者は、「体調が悪いとはいえ、トシちゃんとしては明菜さんが不遇の日々を送っていることが許しがたい気持ちもあったのでしょう。食事の席での会話がきっかけとなり、明菜さんへの思いがあふれ出したようで、トシちゃんが『明菜ちゃんに電話をかけて復帰するように言うよ』と……。突然の宣言に同席者たちが驚くなか『俺なら口説けるから!』と自信を持っていたそうです」仕事関係者たちが見守るなか発信ボタンを押す田原。だが30秒後、「あれ、出ないね」と、バツが悪そうにポツリ……。同席者らは押し黙るしかなかった。「結局その食事が終わるまで、明菜さんから返信はなかったそうです」(前出・芸能関係者)明菜がまさかのガン無視!?だが、その後に折り返しがあった可能性もある。本誌が田原の所属事務所に問い合わせてみると、明菜に電話をかけたことは認めたものの、「(明菜さんからの)電話はありませんでした」そう答えた。古い友人からの電話にも応答しないとは、明菜の体調はそれほど悪いのか?田原の思いが通じ、歌姫が表舞台に舞い戻る日は来るのか――。「女性自身」2021年5月4日号 掲載
2021年04月19日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。苦手なことが夢につながる好きなことを、思う存分楽しめたら……。きっと一人ひとりの人生はもっと輝く。先日、参加している合唱団の発表会で、ソロでイタリア歌曲を歌う体験をしました。この体験は、私にとって40年の年月を超えた夢の実現でした。夢は叶う、叶えようと思って行動すれば叶うということを実感したのです。私は、40年間、歌うことを封印してきました。中学の音楽の試験で失敗し、とんでもない成績を取りました。私は音楽が苦手。絶対に人前で歌わない。15歳の時に、こう決めたのです。作詞という音楽制作の世界にいながら、本当にもどかしい思いをしました。もっとも、その思いも、自分の『思いこみ』に過ぎないのです。恥をかくことから自分を守る『封印』は、心と行動を萎縮させたのでした。何の本で読んだのか、出典は忘れたのですが、「自分の本当の声は、体全体を使う声楽の発声による声である」という文言に出会いまいました。……ということは、私はまだ自分の声に出会っていない。このとき、自分の声に出会いたいと思ったのです。それが6年前。ちょうどそのタイミングで友人がコーラスを始めるということで、合唱団にお誘いいただいたのでした。最初は、それはもう……惨憺たるものです。声は出ない、音域は狭い。声はかすれる。音程は取れない。それでも、声を出すことの楽しさに惹かれました。グループレッスンの前に個人のレッスンを受け6年、やっとやっとお客様の前でひとりで歌うことができたのです。苦手なことほど、実は心からやりたいと思っていること。苦手だと思い込んでいるということは、それができたらどんなに素敵だろう、と思っているのです。私は絵も下手です。絵心がないのか、空間認知がうまくできないのか。でも、絵を描けたら素敵だろうなあと思います。憧れているにもかかわらず、ネガティブに思いこんでしまうことで自分の世界を狭めているのですね。やりたいと思うことをする。楽しいと思うことをする。やったことのないことにチャレンジしてみる。やってみなければわからないことがたくさんある。苦手だと遠ざけていたことが、夢の入口なのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年04月18日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。寄り添うという距離感人はみんな孤独。こんな言葉をよく聞きます。孤独という言葉には、抗うことのできない深い闇がありそうで、受け入れられないと思う人もいるでしょう。孤独とはどういうことか。例えば、自分の肉体的な痛みを、誰とも分かち合うことはできません。どんなに痛くても、わかってもらえないし、わかってあげられない。悲しみも、寂しさも、その人のものです。ひとりで引き受けなければならない。そこに孤独を感じます。私は昨年の夏に右手首を骨折し、プレートを入れる手術をしました。右手を使えるようになりましたが、10ヶ月近く経った今も痛みがあります。それも、ちょっとした手首の角度とか衝撃で、叫びをあげたいくらい、痛いのです。誰にもわかってもらえない痛みを通して、人の痛みに寄り添うことの大切さを学びます。その痛みも悲しみも丸ごとわかることはできないけれど、痛みや悲しみがあることをわかって心を寄せることはできるのです。これが命に関わること、また深い悲しみであれば、その孤独感は想像を超えるでしょう。ひとり息子を病気で亡くした友人がいます。友人を慰める言葉は見つかりません。何を言っても、それは友人の心には届かないからです。ただただ、彼女の涙を受けとめるだけです。悲しみを語る言葉に耳を傾けるだけ。その語る言葉さえ、悲しみの欠片でしかないのです。「神様と約束した時間だったんだね」最愛のパートナーを亡くした友人にそう声をかけたことがあります。彼女は、その言葉に慰められ、そう思えるようになったと後に話してくれました。『神様と約束した時間』……数年前に親友が亡くなったとき、こう思うことで、喪失感を受け入れることができたのです。これは、私が、私の中で作った『物語』です。このように解釈することで、悲しみを癒すことができる。心は、悲しみから守るように、このような『物語』を作るそうです。生きていくために私たちに備わった心の機能なのですね。自分と同じように、誰もが誰とも分かちあえない思いを抱いている。従兄弟が亡くなったときのこと。自分が気づいてあげていればよかったと自分を責めて泣いていた従兄弟のお嫁さんを思わず抱きしめていました。二回しか会ったことがないのですが。抱きしめながら、彼女の悲しみではなく、悲しんでいる彼女をしっかりと感じたのです。寄り添うという距離感。分かちあえないからこそ、その距離感に愛をこめる。そこに優しいつながりができていくのではないかと思うのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年04月11日