少し前にわが家の不登校体験記として、子どもが不登校になったら親としてどんな対応をしたか、どう考え受け入れたのか、というお話を描きました。今回は不登校を受け入れた先に、どう過ごしていくかの選択肢について書いてみました。不登校の親の会をやってきていろんな方とお会いして思ったのですが、不登校になってからの子どもはどういう行動が多いかというと、勉強してみたり家の手伝いをしたりするのも最初だけでそのうちただゴロゴロしてゲームや動画などで時間を潰す子が多い印象です。そして昼夜逆転する子も。わが子も一時期そうでした。親はわが子の心の傷を感じてとりあえず休ませないとと思うのですが、そんな状態が続くとどうしても不安が頭をよぎります…。学校以外の居場所がみつからない…!少し落ち着いた後は、学校以外の居場所を探したりしますが、なかなか良い(合う)ところが見つからずどこにも行けない場合も多いでしょう。不登校の子どもの受け皿が少ない&合うところがないというところにたどり着くのではないでしょうか。学校に苦手意識を抱えて行けなくなる…勉強や人間関係につまづいて傷を抱えてる子どもに対して、適応指導教室などは学校に戻すための学校簡易版みたいな機関だったり、フリースクールもお金がかかったり近くに無かったり、そもそも子どもがどこにも行きたがらない、などなど…。不登校の子どもの受け皿が少ない&合うところがないのは常々親の会で出る悩みでした。で結局どう過ごしてるか聞くと…やることがないからゲームや動画で過ごしてるという子の多いこと。対してそれをやめさせないとと思っている方も多かったです。ここで好きなことがある子はそれをとことんやればいいと思います。(わが子も絵が好きで描きまくって現在イラストレーターとして働いています)でも…なにも好きが見つからない子はどうしたら…親が何か新しいことに誘ったりしていろいろ経験できる子は良いですが、それすら拒否し家から出ない、出れない子もいるでしょう。そんな折、以前対談させていただいた小幡和輝さんと再びお会いするチャンスがありまして、行ってまいりましたよ~!不登校についての対談「第2弾」です。しかもグッドタイミングで新しい選択肢を引っさげて来てくれたではありませんか!子どもがゲーム好きならそれこそ利用するべし!なんと日本初のゲームのオンライン家庭教師サービスです!最初聞いた時は、親がやらせたくないのでは…と思いました。しかし子どもが「やることがなくてゲームばかりしている」というのは、実は「ゲームが一番好きだからやってる」のかもと考えてみると…だとしたら、ゲームを避けて禁止や制限をするより、ゲームを利用して居場所を見つけてあげて社会復帰のキッカケにした方がいい、ゲームが好きならそこを利用しない手はないと思い直しました!小幡さんが、「囲碁や将棋の習い事ならいいのに、ゲームを習うのはダメという考え方を変えていきたい」と言っていたのが印象的でした…。オンラインゲームの怖いところは、悪い人と出会わないか、高額課金してしまったりしないか…という心配があるかと思いますが、この「ゲムトレ」というサービスならそういった心配はありません。また、トレーニングなので「決まった時間でやる」「先生にレッスンしてもらう」「自分で練習する」その結果、上手になって自信がつく…というプロセスを体験できます。これは、どの習い事も一緒だなぁと思いました。ゲームだからダメというのも親の思い込みなのかもしれません。「好きなことをがんばること」が自信につながる!好きなことをがんばることは、元気に、自信につながります。ここをなくしては次のステップに行くのは難しいと私は思います。学校に行けないことを嘆いていても先に進めません。その時間を子どもの好きを親子でゆっくり一緒に見つけて深めていくための時間にできたらステキですよね。不登校経験者の小幡さんだからこそ作れた子どもの気持ちに寄り添ったサービスだなぁと思いました。不登校の子たちみんながまた笑顔になれますように!日本初、ゲームのオンライン家庭教師『ゲムトレ』◆ 詳細はこちら>>
2019年10月01日夏休み明けは不登校が増える――。そう聞いたことがある親御さんは多いでしょう。今月のテーマは 「不登校」です。かつては「登校拒否」と言っていましたが、学校に行っていない子どもたちの中には「拒否する子ども」だけでなく「行きたくても行けない子どもたち」もいるということで、「不登校」と呼び方が変わりました。世界中には「学校に行きたくても行けない子どもたち」がたくさんいますが(かつての日本にもそんな状況がありました)、なぜいまの日本でそんな現象が起きてしまっているのか、皆さんと一緒に考えたいと思います。「不登校」とは「学校に行きたくない」と思ったことなら、だれしも一度や二度はあるでしょう。ではそもそも「不登校」とはどういうことでしょうか。文部科学省は次のように規定しています。「不登校児童生徒」とは……「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいは登校したくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」(文部科学省|平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について 参照)理由や背景はいろいろですが、「学校に行きたくても行けない」子どもや「行きたくないから行かない」子どもたちが不登校の状態にあると言えます。文部科学省の平成29年度の調査では、全国で約14万人(小学生3万5千人・中学生10万9千人)の不登校児童生徒がいることがわかっています 。ただし、フリースクールや適応教室などに通っている子どもたちは出席扱いになりますから、この数字の中には入っていません。また、これとは別に、不登園の幼稚園児や不登校の高校生もいます。そう考えると、子ども全体で見れば、不登校の人はもっと多いと言えますね。児童生徒数は年々減少してきていますが、逆に不登校児童生徒は増えてきていますので、千人当たりという比率で見るとさらに多くなっています。(文部科学省|平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果についてを参照し、筆者にてグラフを作成)小学生の不登校児童数を学年別で見ると、学年が上がるにつれて増加していきますが、もっとも少ない低学年(小学1・2年生)でも全国にいる不登校児童は約4千人。低学年のうちから学校に行けなくなる子どもが数千人はいるのです。(同上)どうして「夏休み明け」に不登校が増えるのか「夏休み明けに不登校になりやすい」ということは、以前からよく言われています。実際にいつと比べてどのくらい多いのかという調査は見当たりません。ですが、私の養護教諭時代の実感でも、1学期なんとか頑張ってきていた子どもたちの中に、とうとう息切れしてしまい休み明けには登校できなくなる子どもたちが少なくなかったことは確かです。1学期の間頑張って頑張って登校していた子どもたちは、夏休みになると「これでやっと一息つける」と思いリラックスします。夏休みがいい充電期間になって、2学期を元気よくスタートできるだけのエネルギーが貯められればいいのですが、頑張った疲れがどっと出てしまい不活発な生活になってしまう子どもや、「あの空間にまた戻るのはきついな」と実感している子どもは、相当なエネルギーがないと9月になってもすぐには立ち上がれません。夏休みは、ホッとして生活リズムが変わったり、学習への規制が少なくなったりしますから、それを元に戻すにはとても大きなエネルギーが必要になります。夏休み明けに不登校になる子どもたちは、このエネルギーが十分にたまっていないとも言えるのです。これは夏休みだけでなく、ゴールデンウィークの後や、冬休み明けなどにもみられます。ですが、夏休みほどお休みの期間が長くないので「ホッとする」ほど休めませんし、生活リズムも大きくは崩れないでしょう。また、春休み明けの新学期はクラス替えや新しい担任など今までと大きく環境が変わります。これをきっかけに「行ってみようかな?」と思う子どもたちもいるため、新年度のスタートは不登校や登校しぶりをしていた子どもが登校するきっかけにもなっています。子どもが発する「不登校のサイン」に気づきましょう不登校のサインは、子どもによっても年齢によっても、またそのきっかけになったことによっても異なります。「学校に行きたくない」「学校にはもう行かない」などとはっきり宣言する子どもはほとんどいません。ですから、親は子どもが出す「サイン」に気づいてあげることが大切です。最もよく見られるサインは、体の不調です。夏休みが終わりに近づくと元気がなくなったり、食欲がなくなったりする。新学期が始まって朝の登校時間が近づくとおなかが痛くなったり、頭が痛くなったりする。こういったような症状が挙げられます。このような体の不調は、1週間が終わる金曜日の夜あたりにはなくなり、学校が休みの日はあまり症状がでません。「これは偽病ではないか」と相談に訪れる保護者の方もいますが、偽病ではなくて、子どもは本当に頭が痛かったりおなかが痛かったりするのです。年齢が低ければ低いほど脳の機能が未分化なので、心にかかったストレスが体の症状として現れやすいと言えます。他にも、だんだん話をしなくなる、朝起きられなくなる、夜になっても眠れなくなるなどがサインのこともあります。自分にとって何がストレスなのかわからないことも子どもの大きな特徴です。「とても嫌なことがあった」とか「困ったことがあったのに誰もにも応援してもらえない」など、不安を言語化できる場合もあるでしょう。ですが、子どもが漠然とした不安を抱えている場合には、それをどう表現してよいのかわからず、口数が減ってしまうのです。「不登校のサイン」が見られたとき、親が絶対にすべきことお子さんに上記のようなサインが見られたら、親御さんに必ずしてほしいことがあります。それは、子どもが何も言わなくても、子どもの話をよく聞いたり子どもの様子をよく観察したりすることです。以前私も保健室でよく経験しました。入ってきてもただ黙っていて何も言わない子どもがいたときには、熱を測ったり頭に手を当てたりとまさに「手当」をしながら、「具合が悪いんだね」という気持ちを子どもに伝えると、ホッとした顔をして話し始めたものです。「昨日、お父さんとお母さんがリコン、リコンといってたけど、先生『リコン』ってなあに?」と聞いた1年生の男の子。リコンの意味は解らないけれど、その場の雰囲気から胸の中は不安でいっぱいだったことでしょう。その子は、お母さんから離れるのが不安で(母子分離不安)で、登校しぶりをしていました。子どもの気持ちを汲み取れるまでには時間がかかりますが、子どもに心を向けてじっくり待つことが必要です。先に述べましたように、学校生活のストレスはその程度にもよりますが誰しも持っています。いじめや、学習上の大きなつまずき、人間関係など、何が問題かによって対処方法は変わりますが、基本的には何がストレスになっているのかがつかめると、対処の方法も見えてきます。ここで1つだけ注意したいことがあります。体の訴えがでたら、まずは病院を受診し体に異常がないかどうかを確認してあげてください。「頭が痛い」と訴える背景に思いがけない病気が隠れている場合もあるからです。逆に、病院で特に体の問題がないといわれても、「どこも悪くないといわれたから大丈夫」とか「少しぐらい我慢していってみよう!」などの励ましや無理強いはやめましょう。子どもはその言葉によってますます精神的に追い詰められてしまうこともあります。親も子どもも、少し「いい加減」に子どもに不登校の兆候が見られると、親としてはとても心配になりますね。その不安を少しでも解消できるよう、いくつかアドバイスをしましょう。【親御さんからの質問 1】夏休みが明けて1週間たっても、まだ日常のペースを取り戻せません。学校に行くのだけで精神的にも肉体的にも疲れてしまうようで、帰宅しても宿題すら手につかない様子です。心と体が元気で、かつメリハリある生活でシャキッとさせるには、どうしたらいいでしょうか?夏休み明け、すぐに日常のペースに戻せるお子さんと、戻るまで時間のかかるお子さんがいます。学校が楽しくて「早く新学期が始まってお友達や先生に会いたいなー」と思っているお子さんは、少々生活リズムが崩れていても、すぐに元の生活に戻せるエネルギーをもっています。しかし、エネルギー不足の子どもたちは、元に戻すのに時間がかかったり、なかなか疲れが取れなかったりする場合もあります。少しゆっくりなペースでも焦らないで、「早く寝かせる、早く起こす」程度で様子を見ましょう。ここで気を付けたいのは、「いい子」たちです。どんなことにも「がんばらなければいけない!」と思っている子どもは、自分の力量を超えて頑張ってしまう、いわゆる無理をしてしまう過剰適応のお子さんたちです。逆に、少し「いい加減」にできる子どもは、できないことがあっても「まあいいや……」と力を抜くことができます。元気を取り戻すには、子どもの心にのしかかっている「〇〇をしなければならない」という負担をとってあげることが大切です。親御さんの「なんでもきちんとやらせなくては」という思いも、子どもにとっては負担になることがありますので、親も一緒にいい加減になることも必要です。なにより大事なのは「親子間の信頼関係」【親御さんからの質問 2】子どもが「○○ちゃんがいるから」「明日は苦手な教科があるから」などの理由で学校に行きたくないと言うことがあります。親としては負けない気持ちを持ってほしいので、つい強く送り出してしまいますが、大丈夫でしょうか?子どもが「休みたい」と言ったとしても、1回でも休んだら癖になってしまいそうで、少し怖いです。適切な対処法を知りたいです。親御さんの気持ちはとてもよくわかりますし、実際励ますことで乗り越えられるお子さんもたくさんいます。でも注意しなければいけないのは、「○○ちゃんがいるから」とか「苦手な教科があるから」などという理由は単なるきっかけに過ぎず、その背景に小さいながらも乗り越えられない“何か”がある場合です。これを、心理学者エリク・H・エリクソンが提唱した発達段階の理論では「発達課題」 と表現しています。例えば、幼少期のうちに「基本的信頼感=親子の愛着関係」がしっかり築けていない場合。幼いうちに親との信頼関係が作れていない子どもは、自分を支えてくれるものがないまま、大きな不安の中で生きることになります。この「不安状態=安全基地がない状態」では、人との関わりをうまく創り出していくことはできませんし、ほんの些細なことでも不安になり動けないのです。子どもは心の中に、それぞれの年齢で必要な発達課題を獲得していかないと、子どもは次に向かって進めず立ち止まってしまいます。立ち止まるきっかけは「友だち」だったり「勉強」だったりと人それぞれですが、次へ進めなくなってしまった際には専門家の手助けが必要です。まずはスクールカウンセラーに相談しましょう。それ以外には教育委員会の相談センターや児童精神科医など、行きやすい場所を選ぶといいと思います。学校の保健室に行けば紹介してもらえますよ。不登校も保健室登校も、子どもを学校や教室に返すことを目的とするのではなく、子どもの発達課題を見つけてその子のペースでクリアさせながら、将来の自立を目指すことが大切なのです。(筆者にて作図)自然体験には人を癒す力がある【親御さんからの質問 3】子どもが学校生活にストレスを抱えているようで、何日か学校を休んでいます。でも、家にいる分には元気なので、親としてどう接したらいいかが分かりません。休みの間はゲームでも漫画でも、好きにさせて問題ないでしょうか?家で好きなことをさせるのも心の休養にはなりますが、ゲームでは脳は解放されません。おすすめは、自然体験など体を動かす活動です。体が動くと心も動きます。親子で自然と触れ合いながら、一緒に体を動かしましょう。学校を休んでも罪悪感を持たないよう「疲れたんだから、少し休もう」と休むこともよしとしてください。かつて、保健室登校をしていた子どもたちと、学校の畑で一緒に栽培活動をしたことがあります。土や水に触れ野菜を育てて、収穫して調理して食べる。こんな活動をする中で、子どもたちが元気になり、友だちと関われるようになったり学習に取り組むようになったりしました。自然には人を癒す大きな力があるのです。心の病は、自然と触れ合いながら体を動かすことでかなり回復すると考えています。辛くても焦らないで。じっくり子どもと向き合おう「不登校」は、子どもにとっても親御さんにとっても辛いことです。でも、焦って子どもをますます追い詰めるような言動は逆効果。考え方を変えてみて、「今この子どもにどんな力をつけてあげようかな」という見方で、「やった!」「できた!」というような体験活動をさせてみましょう。また、親御さんが一人で悩まないで相談できる場所や人を見つけることも大切です。仲間がいると元気が出ます。焦らず、じっくり子どもと向き合えるといいですね。(参考)文部科学省|平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について(平成30年10月25日)
2019年09月06日前回までの我が家の 不登校体験 は親からの視点で、不登校に対する親の関わり方や考え方などを描かせていただきました。また、うちは娘が不登校だったのですが、男の子の場合は違うことも多いのでは?と思い、今回は会ってみたかったスペシャルゲストにお話を聞いてきました!「学校生活が合わない子」がいることを認めよう!10年の不登校を経験し 「学校は行かなくてもいい ―親子で読みたい「正しい不登校のやり方」」 「ゲームは人生の役に立つ~生かすも殺すもあなた次第」 という著書も出されている小幡和輝さん(24)。小幡さんは「#不登校は不幸じゃない」の発起人で、10年の不登校後なんと高校3年の時に企業し、現在は会社経営をされています!会社を経営しつつ「#不登校は不幸じゃない」をキーワードに、昨年は全国100箇所で不登校の子どもたちに向けたイベントを各地で開催したり、 ブログ や Twitter などでご自身の経験など、不登校に関する情報をいろいろ発信してくださっています。スラっと長身の優しそうな、でも話し出すとキレのあるトークが印象的でした。「不登校は不幸じゃない」と掲げて精力的に活動されていますが小幡さんは不登校を推奨してるわけではありません!我が家の体験談でもお伝えしましたが、不登校になるということは辛いことでもあります。小幡さんも学校自体にたくさんのストレスを感じていて小学2年生の時から本格的に不登校になったとのことですが、両親との「行きなさい! vs 行かない!」の攻防が3ヶ月ほど続き、この時期が一番辛かったそうです。「親が学校に行かせようとする」それは世の中がそういう価値観・常識だから必然なのかもしれません。しかし実際には学校生活が合わない子がいるわけで…そういう子にとって、学校へ行かないという選択肢がないということは苦しみが長引き、状態も悪化してしまうと思います。私の不登校体験談でも描きましたが、不登校の苦しみを乗り越えるためには親が変わることが最初のステップだと思っています。子どもの気持ちを知る…そして受け入れる。このステップなくしては次には進めないと思っています。小幡さんの場合はどうだったのでしょうか。親も子も精神的に明るくいられることが大事なるほど!大人は不登校もゲームも悪いものと思いがちですが、我が家の息子もゲームが好きで、ゲームを通して仲良くなる友達もいます。(※ゲームというのは家庭用ゲーム機やスマホゲームだけを指すのではなく、ボードゲームやカードゲームも含みます)科学的にもゲームは脳に悪いことなんて無いそうです。小幡さんは不登校中もゲームをしていたそうですが、一人籠ってではなく、いとこや友達と一緒にやっていたので楽しかったそう。とても明るい不登校だったというのがお話から伝わってきました(笑)また、小幡さんは不登校は選択肢としてあってもいいけれど、引きこもりにならないことが大事とおっしゃってました。引きこもりにしないためには、親が子どもの気持ちや状態を受け入れ、そして家以外にも所属できるコミュニティがあるといいですよね。学校の友達と疎遠になってしまったのなら、習い事や、ネットで趣味が合う人やコミュニティを探すという方法も今ならあります。(危険もあるので注意しないといけないですが)私も不登校中、親も子どもも精神的に明るくいられることがとても大事だと思っています。子どものことだけで頭がいっぱいになって「過度な心配」をするのは、子どもをさらに追い詰めてしまうことにもつながります。ですが、子どもが不登校になると将来が不安になってしまう親心はなかなか消えませんよね。それについて小幡さんの意見は…学校を出て良い企業に就職というコースだけではなく、これからはいろんなコースが増えていくのかもしれませんね。私たちの親の時代にはなかった価値観が新しく生まれてきています。親として知っておきたいのは学校に行かなくても、仕事をするスキルを身につけて自立できる方法はあるということです。そして、小幡さんは高校生のときに起業された…とのことで、どのように起業したのか聞いてみると…好きなことをとことんやった経験がある人は強いえっ…そんなに気軽に…?と驚きのお話でした(笑)10年間の不登校時期に30,000時間くらいゲームをして、歴史、社会へ興味が出て、夜間の定時制高校に進学し「地域活性のワークショップ」をやったのがキッカケだそうで、今はイベント企画の会社を経営されています。…とにかく迷いがない。我が娘の場合、ゲーム漬けの日々もあったのですが、そのうち飽きました。つまり、そこまで好きなことではなかったようです。その後、絵を描きまくって現在イラストレーターとして働いています。親がゲームをしている子どもをみると、なんの生産性もない暇つぶしにみえることもあるのですが、ゲームに勝つために、攻略するためには子どもはいろいろ考えてます。ゲーム自体が問題なのではなく、付き合い方が大事だと思いました。それを親が理解するためには、一緒にやってみるのもいいのかなと。そして、好きなことをとことんやった経験があるというのは人を強くする気がします。子どもが安心して日々を過ごすこと、そのために子どもの気持ちを受け入れること、そして子どもの力を信じて待つこと。親が安心して、長い目で子どもの将来を見守ることで、子どもの精神状態は良くなると思います。そして、待ちながら良さそうな場所を探して誘ってみる(情報提供する)ことが親の仕事かなと思ってます。子どもにどう働きかけたら関係が良くなり、何を提示したらやる気を育てられるのかな~と「育成ゲーム」をするような客観的視点も大切なのかもしれません。ただ育児はゲームではないのでリセットはなく常に愛を持って最善を尽くすしかないんですけどね。「#不登校は不幸じゃない」イベントについて…夏休み明けは学生の自殺報道が増えます。「本当の不幸は学校に行けないことではなく不登校になれなかった子に起こる」と小幡さん。そんな悲しい出来事を減らしたい!この記事の冒頭でも触れました、全国一斉イベント「#不登校は不幸じゃない」が今年も行われます。 イベント詳細はこちら>> 小幡さんの活動をもっともっと知りたい人はブログやSNSなどを見てくださいね!◆ 小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ ◆Twitter: @nagomiobata ◆instagram: nagomiobata ◆著書: 「学校は行かなくてもいい ―親子で読みたい「正しい不登校のやり方」」 ◆著書: 「ゲームは人生の役に立つ~生かすも殺すもあなた次第」
2019年07月14日幼稚園から毎日遅刻...原因は睡眠障害…!?わが家のASD兄妹は、2人とも幼い頃から睡眠に問題がありました。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ現場の先生方のご協力と家族の送迎で、何とか休みながらも登校していた兄タケルでしたが、8歳のとき「アスペルガー症候群」の診断がつき、小学3年生から気持ちを安定させる薬を飲み始めました。夕方の気分の落ち込みを防いで20時〜21時には眠ってもらい、十分な睡眠をとることができるようにするのが目的でした。直接的な影響がどのくらいあったのかは不明ですが、結果的にタケルは21時台には眠るようになり、朝早く起きてくるようになりました。服薬は1年程でやめたのですが、タケルに限って言えばこれ以降もそのリズムを崩すことなく過ごせるようになり、日常生活への支障が少なくなりました。その結果、季節による不調などはありつつも中学・高校も何とか通い切ることができました。現在中学1年生の妹いっちゃん。睡眠の問題を抱えながら、学校生活は体調優先でUpload By 寺島ヒロ「キタキタキターー!!」って思いました。なぜなら私もこのタイプだから。概日リズム睡眠障害といって、寝る時刻と起きる時刻が毎日少しずつ遅れていく症状があります。私自身もこの症状があるため、私の生活時間につられて子どもたちが生活リズムを壊すことを恐れ、実は私は子どもたちが幼い頃は睡眠薬を飲んで生活リズムを無理やり朝型にしていました。でも、ちょっとした風邪でも寝込むほど体調を崩してしまってとてもきつかった上に、朝型の生活リズムが習慣化することもなく、睡眠薬を飲まなければ翌日からまた1時間ずつ体内時間がずれていく…。私にはこの方法はあっていないことに気づき、妹いっちゃんの睡眠傾向がはっきりしてきたあたりで、私自身も朝型の生活にこだわることはやめました。参考:概日リズム睡眠障害 |厚生労働省 e-ヘルスネットUpload By 寺島ヒロ中学1年生になったいっちゃんですが、今でも起きられた時に登校するスタイルは変わっていません。毎朝決まった時間に起きようと試みて体調を崩した自分自身の経験からも、1時間目から登校することにこだわるあまりに健康を損ねては本末転倒…。中学校の先生にもご理解いただいています。ただ、月の3分の2は学校に行けておらず、不登校状態になっているいっちゃん。授業を受けられなかった分の全ての勉強を家庭や支援教室でカバーできるわけではないので、今後の進学などのことも考えると睡眠をはじめとした生活リズムについてはフォローしていかなければならないですよね。その辺りが今後の課題だと思っています。
2019年07月12日春休み。進級に伴って変化する環境に息子が適応できるのか、不安を抱える私。そんなある日、息子が1枚のチラシを差し出した担任・N先生の寄り添いに心を動かされたこともあり、3年生の後期が終わるあと1週間のところで、通学を始めた息子。とはいえ、学校で起こる不便や不快感など、根本的な問題が解決したわけではない。そして転出により児童数が減少したため、新学年からは2クラスが統合されて1クラスになるという。全校生徒の顔をなんとなく把握できるような、田舎の小さな小学校だ。「教室に見たことない子がいる」というようなことはないだろうが、1つの教室で過ごす人数が変わることで、人間関係はもちろん、室内に響く音声が、聴覚過敏もある息子の耳にどう響くかも変わってくるだろう。となると、これまでとは違った問題が発生する可能性もある。本人も不安があるのか、「新学期になったら、また毎日行けるか分からない」と言っている。まあ、考えてみたらここまでが余りにも順調すぎたのだ。本人だって「いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」と言いながら、3年生のラスト1週間の毎日、始業から終業までを学校で過ごすのには、かなりのエネルギーを要しただろう。短い春休みの間で、身心両面のリカバーができるかどうかは分からない。仕切り直しだと考えて、過度な期待をせず様子を見ることにした。そんな構えで春休みを迎えようとした私に、息子が1枚の紙を差し出した。「これ、行ってきてもいいかな」それは小学校で行われている、放課後と週末のレクリエーション会の予定表だった。息子が通う小学校では毎週水曜日の放課後と土曜日の午前中、地域ボランティアの方と提携して行われるレクリエーションの時間が設けられている。会場は校舎の中。その春休み特別企画として、プログラミング体験講座が開催されるのだとか。そのころ息子は、いくつかの要素を組み合わせてオリジナルゲームを簡単に作れる、という携帯ゲーム機のソフトに夢中になっていて、それをきっかけにプログラミングに興味を示していた。何年か前に私は障害者向けの就業研修で、プログラミング言語のJavascriptを学んではいたが、きれいさっぱり忘れてしまっていたし、覚えていたとして(あと、JavaScriptが最新ではないことはさておいても)、彼の興味を引きつけるように教える自信は一切持ち合わせていない。レクリエーションでは、現役のSE兼プログラマーの方が、小学生が楽しく、分かりやすく学べるように指導してくださるようだ。徒歩で出かけられる場所で、しかも無料である。反対する理由はない。「いいじゃんいいじゃん、行ってきなよ!」「レクリエーション、3年生は対象外だったの!?」冷や冷やしながら迎えに行くと、満足そうに微笑む息子。なぜ?当日息子は冷えたルイボスティーを自分で水筒に詰め、張り切って出かけた。レクリエーションが終了するお昼近くなったら迎えに行くから、と息子の後ろ姿に声をかけ、私は仕事の作業に取りかかった。合間にふと「今ごろ楽しんでいるかな」と、レクリエーションのスケジュール表に目を向けた私はすぐさまフリーズ。そこにははっきりと「対象:4年生~6年生※3年生以下は見学」と印字されているではないか。そのときはまだ3月、息子は3年生なのだ。プログラミングを体験したくてわくわくで出かけた息子が、「3年生だから、見学ね」と言われてその状況を受け入れられるだろうか。そこで不満とともに「自分も参加させろ」と申し立てるようなタイプではないが、かなりのフラストレーションを募らせることは想像に難くない。(こりゃもしかしたら途中で帰ってくるかもしれないな…)などとぼんやり考えながら作業を再開したが、昼近くなっても帰宅する気配はない。意外にも見学を楽しんでいるのか。私は、身支度をして小学校へと向かった。待合室になっている教室で待機して、どれくらい経ったころだろうか、「お待たせしてすみません!みんなで盛り上がってしまって、ついつい長くなってしまいました!」と、レクリエーション担当の教員・K先生と、参加した児童たちが戻ってきた。もちろん、息子もおり、満足そうに微笑んでいる。「ごめん、私、チラシの説明をよく読んでいなくて…」「あ、それなんだけどね」私の言葉を受けてこちらを見上げた息子は、K先生に向き直った。「あの、本当は対象外なんですけど、見学になる参加者が息子さん1人で。ほかの児童たちも“ハルくんならきっとできるよ”と言うので、一緒に参加してもらったんです」「そうなんだよ!上級生のみんなが仲間に入れてくれたんだよ!それで、分かりにくいところは教えてくれてね!マイコン制御のロボットを(プログラミングで)操作したんだけど、あまり上手くできなくてもみんなが“最初からこんなふうにできるなんてすごいよ!”ってさあ!」K先生が説明してくださったあと、息子は目を輝かせながら、何があって、それがいかに楽しかったり嬉しかったのかを早口でまくし立てた。私が心配するまでもなく、息子は充実した時間を過ごしていたのだった。K先生にお礼を申し上げて帰ろうとしたら、K先生がこうおっしゃった。「息子さん、いろいろ学校が不便をかけて、ずっとお休みをしていたので、楽しんでもらえるか心配だったんですけど…プログラミングやものづくりが得意で大好きなのでしょうね、いきいき楽しそうに取り組んでいましたよ」私はもう一度お礼を申し上げ、息子とともに学校をあとにした。「今日から新学期だよ!」やりたいことが見つかった息子は、ランドセルを揺らしながら学校へさて、気づけば4月。まもなく新学期に突入というある朝、朝食を終えて食器洗いやらなんやらをしている私を尻目に、息子がなにやら慌ただしい。「どしたの?今日なんかあんの?」「なんかあんの?じゃないよ!今日から新学期だよ!!」新学期、間もなくではなく完全に突入していた。数日前に支度はしてあったものの、「また毎日行けるか分からない」という息子の言葉が頭に残っていたからか、私は完全に油断し日付の感覚がおかしくなっていた。「お、おう。そうだった、ごめんごめん」「のん(私の呼び名)が忘れちゃダメでしょう。じゃ、行ってきます!」息子は笑いながら靴を履き、「うおおおお!小学4年生!!!」という雄叫びとともに、集団登校の集合場所へ走り去って行ったのだった。完全に、予想外の光景である。もちろん、登校すると想定していなかったわけではない。とはいえ、約1年半の不登校生活を過ごし、1週間登校をしたものの、春休みをはさんで「また毎日行けるか分からない」と懸念していた9歳児が「うおおおお!小学4年生!!!」という雄叫びを上げながら学校に向かう姿なんぞ、誰が想像するものか。「のんが小学生のころには、コンピューター室ってあった?」春休みのレクリエーションを終えてからの帰り道、同じ小学校の卒業生でもある私に、息子は聞いた。「ないない。30年以上前は、こんなにコンピューターが普及していなかったもん。PCなんて、学校にも家にもなかったよ」「ふーん…コンピューター室が学校にあるのは知ってたけど、今日初めて入ったよ。楽しかった。でね、またプログラミング教室をレクリエーションの会でもやるし、学校でも、まあ毎日だったりしょっちゅうは無理かもしれないけど、PCを使ってプログラミンクとか、いろいろ勉強できるんだって!」普段、私が使用しているスペックの低いPCをたまにいじる程度しかできなかった息子は、比較的新しくてスペックの高いPCを、時間の限り思う存分使用できたことが本当に嬉しかったようだ。「携帯ゲーム機でオリジナルゲームを作るのも楽しかったけどさ…自分が入力した文字や数字が言葉になって伝わって、ロボットが作動したり、静止画だと思っていたものが動画になるってすごいよ!だから、すぐでなくてもいいから、ああいう勉強をしていきたいなって思ったんだよね」話しながら進む息子の足取りは、まるでステップを踏むように軽やかだった。「また毎日学校に行けるかは分からないけど、これからも勉強はしていきたいなって思う」私に向けているとも、ひとりごととも取れるような口調で、息子がつぶやいていたのを思い出す。「やりたいことがあるっていうのは、外野があれこれいう言葉より心に響くもんだね…」ランドセルを揺らして駆けていく息子の背中を眺めながら、今度は私がベランダでつぶやいていた。児童数が増えたことに伴う困難なども、特別支援学級の利用で万事解決!ではなかった…しかし、やはりというべきか、問題が浮上した。元々黒板にチョークで文字を書くカツカツという音が息子は苦手だったのだが、教室内にいる児童数が増えたことで、音の響き方がますます苦痛に感じられるようになったらしい。加えて、「班ごとで相談」という場面では、大声ではないとはいえ、たくさんの話し声が耳に届いてしまい、「自分の班の人の声を聞き取るのも大変だし、頭がちゃんと働かなくなる感じがする」と訴えた。在籍は通常学級のままではあるが、様子を見て特別支援学級の利用も可能であるという話を、以前校長先生から聞いている。特別支援学級では黒板とチョークは使わずにホワイトボードで授業を進めるらしいし、人数だってかなり少ない。今息子が抱えている困難は、解決すると思われる。そこで息子に「どうする?特別支援学級で授業を受けてみる?」と問うてみたところ、「是非そうしたい」と返ってきた。私は連絡帳を開き、息子が感じている困難と、特別支援学級での授業を希望しているということを、担任の先生に宛てて書いた。息子が連絡帳を持参したその日に担任の先生から電話をいただき、いくつかの授業を特別支援学級で受けることになった。2つの教室を行き来することで不快感が軽減され、快適に学習できるようになった息子は、毎日嬉しそうに登校。帰宅したらすぐ友達の家に出向いて一緒に宿題をしたり遊ぶなど、「本当にあなたは少し前まで不登校だった人なのですか?」と疑いたくなるほど、いきいきと過ごしていた。「特別支援学級は嫌な音がしないから、勉強も楽しくできるんだよ。休み時間に中庭や体育館でみんなと遊ぶのも楽しい。土日にのんとどこかに出かけるのも楽しいけど、今はそれと同じくらい学校が楽しいんだ!」などと申し、ゴールデンウィークの10連休については「半分でいいのに」とぼやいていたほど、学校が大好きになっていた。これで万事解決、めでたしめでたし…で、収まれば良かった。収まってほしかった。ゴールデンウィークが終了し、私の仕事が忙しくなってきたある日の午後、息子はえらく憤慨した様子で学校から帰宅した。「もうやだ!また学校行くのが嫌になって来たよ!!」えっ、ちょっと待って、今の時期に家にいられると困る…とうっかりこちらの都合による本音が出そうになったが、息子だって辛いことがあったのだから、とぐっと堪え、「どうした?何かあった?」とだけ、どうにか口にできた。この前まであんなに楽しそうだったのに、何があったんだ…。<第3回に続きます>
2019年07月08日意欲的に、家庭学習に取り組む息子。一方、在宅ワーカーの私はストレスを蓄積させ…登校渋りを幾度も繰り返し、8歳の誕生日を迎えたその日に「もう学校には行かない」と宣言した息子は、この4月で小学4年生になった。不登校開始1週間の時点で、「行かない気持ちに変わりはない。万が一気が変わったら申告するから、そちらからは一切聞いてくれるな」との旨の申し出があったので、私から働きかけることは避けていた。根性論にて復学を強く勧める学校側に辟易しつつ、息子の意思を尊重すると決めた私。それが2年生後期までの話である。それが1年前、3年生に進級したとき、風向きが一気に変わった。息子たちのクラスを受け持つことになった担任の先生、そして新しく着任した校長先生と教頭先生は、息子の自宅学習に協力的だったのだ。月に一度、担任の先生が課題を持ってきてくれ(もしくは私が受け取りに行き)、息子が1ヶ月かけてこなす。翌月に終了した課題と新しい課題を交換、さらに翌月には先生が添削した課題をまた持ってきてくれる、ということを繰り返すのだ。通学するのと全く同じペースとはいかないし、教科の偏りは出てしまうが、大幅な遅れを取ることはない。エネルギー出力にムラはあるが、息子はもともと知識欲が強い、勉強の好きな人間だ。学校からいただいた課題以外にも、自ら所望した問題集などにも取り組むほどで、家庭学習はとても順調に進んでいくように見えた。しかし、問題が発生した。息子ではなく、私に。フリーランスのライターである私の仕事は、ほぼ在宅にて行われている。だから打ち合わせ等がない限り、四六時中息子と同じ空間で過ごすことになる。1人の時間が持てないだけでも息苦しいというのに、集中力が途切れやすい私は、自分のペースで作業を進行できない状況にいらだちを募らせていた。分かっている、息子は悪くない。しかし、例年であれは冬季うつの時期にしか服用しない抗うつ剤が、春になっても手放せなくなっていた。些細なことで腹を立て、そんな自分を呵責し、深夜に眠れず涙すること連日。数ヶ月に1回、1泊2泊の出張や1人旅をしたところで、蓄積されたストレスは解消しきれなくなってきたのだ。そんなある日のことだった。平日の午後、小学校が終わるころを見計らって公園へ出向くことが増えていた息子が、帰宅後にこう申し出たのだ。「文化祭の日、学校に行ってみようと思う。同じクラスのJ君に誘われたから。行ってもいい?のん(私の呼び名)も付き合ってくれる?」久しぶりに登校し、文化祭を楽しんだ息子の口から出た意外な発言。しかし、いつ気が変わるかも知れず…出典 : 文化祭のスケジュールは、午前中が体育館で行われる音楽発表会、正午手前に各々の教室で帰りの会を行い解散、あとは自由見学となっていた。いつごろ行きたいのかと息子に聞くと、音楽発表会の時間から行きたいのだという。私の都合で朝一番からの見学は叶わなかったが、それでも早いうちに学校にたどり着けた。実のところ、体育館のような空間に響く音声というものは、聴覚過敏を持つ私が苦手とするものだった。両耳から勢いよく水を流し込まれるような痛みと不快感で、めまいと吐き気を催してしまうのだ。デジタル耳栓を用意していなかったことを激しく悔やみつつ会場に入ると、存外辛くない。不快感がゼロというわけではないのだが、幾分か楽だ。どうやら私は「体育館のような空間で、“複数の人が雑談している声”の響き」が苦手であり、音楽だとそこまでではないようなのだ(体育館や音楽にもいろいろあって、どこでもそうとは言い切れないが)。さて、私自身が特性について再発見をし、1人密かに感激していたところ、担任の先生が私たち親子の姿に気づいた。息子をクラスメイトたちが並ぶ列へ、そして私も発達障害の当事者であり、聴覚過敏を持っているとご存知の先生は、私を保護者席から離れた職員席へと、それぞれ誘導してくださったのだ。息子は列の最後尾についたのだが、前にいた子が気配を感じたのか、振り向いた。更に前の子が何かを察して振り向き、また更に前の子が…というように次々とみんなが息子の存在に気づいて、声こそ出さないし、振り返るのもそれぞれ1、2回であったものの、そわそわとした雰囲気になるのが、見ていておかしいやら微笑ましいやら。演奏が終わり、一旦休憩になった途端、「ハルくんだ!」「ハルくんだ!」「ハルくんがいる!」「ハルくん、久しぶり!」と、たくさんのクラスメイトが一斉に息子に駆け寄ってくれた。詳しい会話の内容までは聞こえない。息子本人はとても照れくさそうな、でも確実に嬉しそうな表情で応対しているのが分かった。それから息子は音楽会だけでなく、終わりの会にも参加し、クラスの友達に誘われて、自由見学にも出向いた。途中でパニックを起こして、途中で何も言わずに帰宅してしまったのだが、後日会ったときにそれを責めることもせず、むしろ心配してくれたのだという。彼らを含む、息子の存在を受け入れてくれたクラスの児童たち、息子だけではなく、私の特性にもご配慮くださった先生方には心から感謝している。その数日後、「行事のときとか、たまには学校に行ってみようかな」と息子がひとりごちた。正直、とても驚いた。とはいえ、いつ気が変わるとも知れない。私はさしたる期待をせずに聞いていた。限界を迎えていた私。約束を守りたい気持ちと復学を促したい気持ちの間での葛藤案の定、「たまに」は年をまたいでも訪れることはなく、私は出張や旅行で息抜きをしつつ、ギリギリのところで踏みとどまっていた。いや、すでにおかしくなりかけていた。寝入る直前に「何か食べたい」と申し出た息子に「もう寝る前だし、牛乳ぐらいにしておこうか」と言葉を返し、寝つかせたあとに「あれはネグレクトではないか?ネグレクトに違いない」と自責を始め、夜半を過ぎるまで泣きとおすなど、精神のバランスも生活のリズムも著しく乱れていた。仕事も思うように進行させられず、「もう私にはコラムなど書けないかもしれない」と、『発達ナビ』の牟田編集長に宛てて、泣きながらメールを打ったのもこのころだ。とにかく、限界だった。「フリースクールや放課後デイ施設などがあるではないか」とおっしゃる方もいるだろうか。もちろん視野に入れ、自分なりに調べた。しかし私たち親子は、施設数が都会に比べて圧倒的に少ない地方に住まう身である。学費や立地など、条件に見合う場所を見つけられなかったのだ。そして3月の半ばになって、「たまに」がようやく訪れた。とても興味を引かれる学習内容ばかりの時間割で、給食は好物ばかりの献立の日があるから、というのだ。息子はその日、朝の会から終わりの会まで学校で過ごし、「音が辛いこととかちょっとあったけど、勉強は面白かったし、みんなと遊ぶのも楽しかった!次はいつ行こうかな?」と笑顔で帰宅し、私に話してくれた。(次の「たまに」はまたしばらく来ないのかな…)と考えるだけで胃から何かがせり上がる。楽しいのなら、もっと高い頻度で登校して欲しい。できれば毎日。でも、私から登校を促す働きかけをしない約束を、息子とは交わしている。だから言えない。私を信頼してくれるこの人との約束を破りたくない。破りたくはないのだが…。約束を破り、私は切り出したさて、話は前後するが、以前のコラムにも書いた、息子が3年生になってすぐの面談で、「息子さんとの(登校を促さない)お約束もありますし、もし学校に行きたいという話を息子さんがしたら、というつもりで聞いていただきたいのですが」という前置きのあと、校長先生がこんな話をしてくれた。「教科書を使って、みんなと同じペースで学ぶ、という学習方法が、向いている児童と向いていない児童がいます。すでにお渡ししている教科書よりも使いやすいと息子さんが思える教材があれば、それを使って児童の数が少ない特別支援学級や、もしくは別の学習室で学ぶという方法もあります。特性の関係で疲れやすいでしょうから、そんなときは遅れてきても構いませんし、早退しても構いません。息子さんが無理をせず、のびのびと学校生活を楽しめるように、私たちはできる限り協力します」フリースクールを検討して調べたことは前項で述べたが、私が調べた限りの、どのフリースクールよりも手厚い。これが公立の小学校である。しかも、身心ともに疲弊しきった息子が不登校を決めたときに、「苦手を克服するということから逃げ続ける息子さんを容認して、成長の機会を奪ってもいいんですか?」と私を叱責し、これは書いたことがなかったが、特別支援学級の利用や、進級を期にした転籍を願い出た際、「息子さんは頑張れば通常学級でもやっていけますから必要ありません」と跳ね除けた公立小学校と、同じ公立学校なのだ。知識欲の強い息子はいずれ、私の学習サポートでは物足りなくなるだろう。現状だって、私は自分の仕事と家事に手一杯で、十分な時間を割けているわけではない。そして条件に合うフリースクールは見当たらない。しかし、フリースクール以上に手厚い、すでに息子が在籍している小学校がある。もう、これは言うしかなかろう。「ごめんなさい、私は今からあなたとの約束を破ります」そう、私は切り出した。何事かと表情を引き締めた息子に向かって、続けた。「約束を破るわけだから、あなたが怒ったとしても無理はない。でも、最後まで聞いてほしい。正直、私は今の生活が限界。仕事をしながらあなたの学習をサポートするのはとても大変だし、正直ちゃんとサポートできているかも自信がない。これからあなたがさらに多くのことを、深く学びたいと願うときが来るかもしれない。そうなったら学力面と知識面、時間の面でも私の手には負えなくなると思う。あなたの学びの妨げを、もし自分がしてしまったら、私は悔やんでも悔やみきれない。それから、仕事の効率が確実に落ちているなと感じている。これは私の気が散りやすいというのが問題であって、あなたが悪いわけではないから、気に病んでほしくない。とはいえ、もっと仕事に集中する時間がほしい。そうした私の勝手な事情で約束を破ることを、本当に申し訳なく思っている。許さなくてもいい。…いきなり、毎日、最初から最後まで、とは言わない。でも、もう少し学校に行く頻度を高くしてほしい」そして、面談で校長先生が話してくれたことを、息子に伝えた。息子は何も言わずに聞いていたが、私の言葉が途切れたのを見計らってか、ゆっくりと口を開いた。「今の学校だったら、行くのは嫌じゃないよ。でも、ずっと家にいたし、のんが言ったように、いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」「うん、それは仕方ない。ありがとう、聞いてくれて、怒らずに受け入れてくれて、本当にありがとう」「うん。だって、のんが仕事をできなくなったら、まだ働ける年齢じゃない自分だって困るし」「いきなり毎日最初から最後まではできないかもしれない」などと申していた息子だったが、土日をはさんだ週明けから春休みに突入するまでの1週間、毎日最初から最後まで、つつがなく登校し、帰宅すると、学校での様子を楽しそうに伝えてくれたのだった。「学校に行ってみよう」と息子が思えるきっかけとなった、N先生の寄り添い出典 : 年生の中盤過ぎから始まった息子の不登校生活は、3年生のラスト1週間で、ひとまず終わりを迎えた。ここで私の頭に疑問が浮かぶ。そもそもどうして「学校に行ってみよう」と息子は思えたのか。本人に質問をしてみたところ、このような答えが返ってきた。「(担任の)N先生、学校に来てねみたいなことを一度も言わなかったから」そうなのだ、N先生は「息子さんの顔が見たいのでお構いなく」とおっしゃって、ほぼ毎月わが家にご足労くださっていたのだが、ただの一度も登校を促すような発言はなさならかったのだ。2年生のころ、当時の担任の先生が、クラス全員からの手紙を持って、わが家にいらしたことがある。「早く学校に来てね」との旨の内容がそれぞれの文字と言葉で綴られていたそれに、息子は一瞥もくれなかった。「あなたはこんなに必要とされているんだよ」ということを伝えたい、先生の愛情と善意であることは理解できる。でも、そこに息子はいないのだ。学校に行くことが辛くてたまらない息子の気持ちが、まるで「改めるべきもの」として扱われているように、私には見えてしまったのだ。「助けてってお願いしているのに、無視されているような気持ちになった」と、後日息子も述べている。「N先生って、元気?とか、最近好きな遊びはある?とかは聞いてくるけど、学校に来てねとかは言わなかった。なんかそれが、こっちの気持ちを大事にしてくれているように思えたから」思いやりや寄り添いは、なにも気遣うような優しい言葉をかけることだけではない。言葉少なであるからこそ、自分が尊重されていると感じられることは、大人にだってある。イソップ寓話『北風と太陽』を私は思い出し、次年度もN先生が担任であったらいいなと願いつつ春休みを迎えた。いや、担任がどなたになるかという話の前に、休みが明けたら「やっぱり学校に行きたくない」と息子が言い出す可能性は、なきにしもあらず。心の準備を、私はした。《次回に続きます》
2019年06月25日長女の不登校の体験談、第4話です。前回の記事でも書きましたが、娘の不登校を受け入れたつもりでいた私。しかし、毎日何の予定もない日々なので娘の生活リズムはどんどん乱れていきました。おそらく多くの不登校の子が通る道なのではないかと思うのですが、ゲームばかりで昼夜逆転してしまうのです。不登校になってから生活リズムが乱れてしまった娘娘の中には「学校のことを忘れたい」という気持ちが隠れていたのです!ただゲームがやりたいからやってるのではありませんでした。昼夜逆転してしまったのには、夜寝付けないという理由以外に学校が終わる時間以降に起きるほうが気持ちが楽だということも分かりました。出かける家族、帰ってくる家族、みんなが当たり前にできていることを目の当たりにすること、また、自分だけが学校へ行かず家で過ごす罪悪感、焦燥感、そういったものを避けるためにも昼夜逆転は自分の心を守る手段でもあったように感じました。私としては昼夜逆転なんて良くない、学校行かなくても最低限の生活くらい守らないと!という気持ちがありました。でもそれはいつかまた学校に戻ることが前提ということに娘は気づいていたのかもしれません。「学校行かなくていいよ」と言えたとしても言動や表情に出ていたら意味がないことに改めて気づきました。ここで娘に「話しても無駄…どうせ分かってくれない」と思われていたら、事態はもっと悪化したのでは…と思います。生活リズムは「朝起きる目的ができれば戻る!」と信じて、人に迷惑かけてないのだからと自由に過ごす娘を見守るようにしました。好き! を見つけた娘そのうちにゲームにも飽きた娘、ネットで絵を投稿できるサイトがあることを知ったようです。1人でただ描くのとちがって、ネットに投稿すると反応がある…やはり反応があるということは楽しいんですよね。不登校だと人との関りが無くなってしまうことが心配なのですが、ネットは外出しなくても共通の趣味を持つ人と知り合えるステキなツールだと思いました。(もちろんネットの怖い側面に気を付けることが必要です)こうして娘に教えてもらいながら一緒にイラスト投稿を楽しみました!娘が絵の才能がズバ抜けていたとは思っていません。が、好きこそものの上手なれ!ってやつです。もうひたすら絵を描いていました。あと私事ですが、こうしてデジタルで絵を描くことを娘と楽しんでるうちに始めたのが、今の私のブログ 「じゃがいもころりん」 なのです(笑)娘はひょうきんなところがあるので、そこにスポット当ててマンガを描き始め…今に至ります。元気を取り戻す薬は「自分は価値ある存在」と思えること元気を取り戻すためには「こんな自分でも受け入れられてる、分かってもらえてる」と思えることが一番の薬かなと今の私は思っています。子どもが幼い時、ただそこにいて元気に笑っていてくれたらそれだけで幸せでしたよね。子どもも親の笑顔に「自分は価値ある存在なんだ」ということを感じてきたはずです。不登校の間…子どもはいろいろと考えています。子どもと信頼関係さえあれば、別の居場所を探すこと、好きなことを見つけることを一緒にやったり情報集めたりができ、手探りの中にも希望を発見できる可能性があります。将来の仕事に繋がるとは思えないことや、才能がないのでは…と思うことでも、「本人が楽しめること」ならそれが元気ややる気の源になるのではないでしょうか。そして好きなことが見つかって、とことんやれるとそれは自信に繋がります。その後月日は流れ、中学3年になり、進路を考える時期となりました。この頃には学校の先生との面談など要所要所は学校に顔を出すこともできるようになっていました。そして…3年間の不登校が終わったキッカケ節目である高校進学を機に、3年間の不登校が終わりました。次回は個性や発達のことについて思ったことを書きたいと思います。
2019年06月20日前回の不登校体験に続き第2話です。小6の頃から登校渋りが始まり、休みがちになった娘(長女)。不登校と言っても完全に行かないのではなく、たまに短時間行ったりもしたのですが、疲れ果ててしまうようでした。親も毎朝…憂鬱な日々中学校に入学し、環境が変わった(ちょっとだけ揉めてた子とは別の学校)ので行けるかな~と期待したのですがまた学校に休みの連絡を入れる日々となりました。この電話が親にとっては地味に辛い。「今日は行けるかも」という期待がどうしても捨てきれないので毎朝…憂鬱な状況でした。夫に相談しても解決しない…本人もですが私も不安です。夫に相談しても、どうしていいか分からないのは同じだったからか話にならずケンカになってしまいます…。学校に行っている兄弟との間に溝が…妹(小6)弟(小3)がちゃんと登校し帰ってくれば、お姉ちゃんとしてやりきれない気持ちもあったのでしょう。妹・弟にしてみたら、不登校に直面し悩んでる私を励ましたい気持ちや、熱があるわけでもないのに休む姉が羨ましい気持ちもあったと思います。ちょっとしたことでケンカばかりの日々となってしまいました。解決の糸口を探しに親の会、講演会、病院へこのままでは良くないと思い、私はあちこちに出向き解決の糸口を探します。しかし、どこへ行ってもしっくりこないというか、こうすれば解決という具体的なお話は聞けませんでした。娘の「消えたい」の一言で気がついたことそんなある日、また激しいケンカをしてお互い疲れ切ったとき娘が言いました。この言葉を聞いて私はやっと気がつきます。娘の苦しみは思ってる以上に深いこと。誰もが認めるような理由が見えなくても甘えなんかではないこと。そして休んだからと言って気持ちは全然休めていないということに。次回へ続きます。 ↑ウーマンエキサイトベストコミック大賞はこちらから!
2019年06月04日前記事の最後でも触れましたが、今回は宿題嫌いで大変だった長女がその後どうなったかのお話、数回にわたって書いていきたいと思います。結論から言ってしまうと、娘は不登校を3年間経験後、高校から社会復帰し現在大好きな絵を描く仕事に就いています。娘の不登校の原因について不登校については、ちょうど今話題にもなっていますよね。…賛否両論あると思います。ひどいイジメにあったり、病気があるなどハッキリした理由がある場合は仕方ない。…でもたいした理由がないのに不登校って…甘えでしょう?学校行って勉強するより、好きなことだけして遊んでいたいだけ?そんなんじゃ…社会にでれなくなる! …って思いますよね。実は私もかつてはそう思っていました。学校に行くのは当たり前だと思っていたし、自分が学校に行けたからです。しかし、娘が不登校になったことで「学校がとても苦痛な子がいる」ということを私は学ぶことになりました。(不登校の原因や苦しさは、その子その子によって違うと思いますのであくまで我が家の体験談です)もともと娘はひょうきん(死語?(笑))なタイプで、みんなを笑わせたりするのが好きで、慕ってくれる友達もいました。ですが集団(幼稚園・学校)はどうも今一つ楽しめてる感じではありませんでした。「どうして行かなきゃいけないの?行きたくない」とよく言っていました。何が嫌なのか聞いてみると…意地悪するクラスメイトがいる、先生の怒鳴り声が嫌、給食を残してはいけない…などそりゃそうだろうけど…ということばかり。クラスメイトの意地悪や、先生が怒るなどは、自分に対してではなくても気になっていたようです。給食や体育が苦手なのは私もわかっていたのですが、頑張ってるうちに鍛えられていくかな~という期待もあったので、親は深刻にならずに背中を押すくらいでいいかなと思っていました。友達付き合いができる子だし、勉強嫌いでも理解はできているのだからそのうち楽しくなるだろう、慣れるだろう、なんて気楽に考えていました。娘にしたら…悩みは結局ひとつも解決しなかったわけです。娘はどんどん家から出れなくなり…これからどうなる?と不安な日々にそして6年生の時、朝登校時になると腹痛や頭痛などの体調不良を訴えるように。改めて学校でなにかあったのか聞いてもやはり大した理由は出てこない…クラスメイトとのいざこざはあったようですが思春期に入り難しいお年頃なので仕方ない…くらいに思っていました。体調不良は家にいるとケロッと落ち着く。これは乗り越えさせないとこのまま本当に不登校になってしまう。それだけは避けたいと思い…なんとか休みを増やさないようにと必死で思いつく限りの試み(遅刻や早退でもいい、教室が苦痛なら保健室でもいい、先生と相談・協力)に尽力しました。がその甲斐虚しく…娘はどんどん家から出れなくなりました。不登校になった娘に寄り添えるようになるまでは、私にとっても娘にとっても苦しい時間でした。まるで出口の見えない暗いトンネルにいるようでした。次回へ続きます。
2019年05月28日女優の須藤理彩(42)が5月15日、「スッキリ」(日本テレビ系)に出演。「親の務め」について持論を明かし、反響を呼んでいる。番組では10歳の不登校YouTuber・ゆたぼんについて取り上げていた。ゆたぼんは小学3年生のころ、教師から理不尽な扱いを受けたことがキッカケで不登校となった。現在学校には「行きたい時だけ。給食とか図工の時とか。あとは遠足」という自分のペースで通学している。またゆたぼんはYouTuberとしての活動について「学校が嫌で死にたいとか(そういった子に)元気と勇気を与えるためにやっている」と語った。コメントを求められた須藤は「娘が一時期いじめで不登校になって、自宅学習していた時期があったんですよ」と明かし、「その時期にお友達が家に集まってくれてプリントを運んでくれて、塾にも行けて習い事にも行けて。何の不自由もなかったんです」と話した。「このまま不登校でもいいかな」と考えたようだが、いっぽうで気づいた“親の務め”についてこう語った。「いろんな人が人のやりたくないこともやってくれているから、いま自分が何の不自由もなく、こうして楽しく生きていられる。そう教えることが、親の務めだと思っています」また「将来何になるか、ほとんどの子は分からない」と話した須藤は、子供の将来のために「いろんなことをやって準備をしておくことも、親として私はやってあげたいことかな」と結んだ。12歳と7歳の子を持つ母として、親の役割について語った須藤。Twitterでは賛同の声が上がっている。《須藤さんの意見は本当に良かったと思う。うちも子供達の学校生活では色々あり本当に沢山の事を考えた。親は子供ためなら色々な知識や方向性を教えたり、助けたり、時には逃げ道も教えたり》《子供がしたい事させてあげるのも大切だけど軌道修正してあげるのも親の務め》《周りの人達の支えがあって出来るっていうところは誰よりも肝に銘じなきゃとは思う》放送後、須藤は自身のTwitterを更新。「スッキリ」への出演にちなんで《事前に娘に、スッキリでいじめのこと話して良いか確認しました。是非話してとの事だったので、デリケートな問題でしたが、敢えて話させて頂きました》と親子のやりとりを明かした。さらに《皆さまもぜひご家族で、自宅学習のこと話し合ってみてはいかがでしょうか?》とフォロワーに呼びかけている。
2019年05月15日冬休みが終わり、久しぶりの学校。子どもたちもしっかり準備していたものの…。本日は登校初日あるある(!?)なお話です。 休み明けは要注意! 登校初日の出来事今日は4コマです。「あ」じゃない、「あ」じゃ(笑)。こまめはわりと心配性なところがあるので、学校が始まる数日前から「忘れ物大丈夫かな」って不安になってて、何回も持ち物見直ししてたのに(笑)。体操着は初日じゃなくて2日目にもってくるものだったらしく、危うく全部忘れてしまうとこだったよ!
2019年01月12日不登校のきっかけ「よくわかりません」出典 : 私は小学4年生から6年生になるまで学校に行けませんでした。それは中学生になってもたびたび続きました。自分で不登校になった原因について、今でも考えることがあります。集団生活を送ることに苦手意識を持っていたことや、両親の期待がとても大きいと感じていたこと、単純に学校に通う意味を見出せなかったことなど、いろいろと原因になりそうなことは思いつきます。でも、それらが不登校の決定的なきっかけかと言われるといまだに確信を持てません。不登校を経験してから20年近くたちますが、今後もきっとわからないのだと思います。不登校の当事者の中には、私のように自分でも理由がよくわからない方が、少なからずいるのではないかと思っています。出典 : 周りに不登校の当事者がいる方は、本人に対して不登校になったきっかけや原因を聞くことが多いのではないかと思います。実際に私が不登校当事者だったとき、両親・教師・親戚・友人など、さまざまな人から不登校になったきっかけや原因を聞かれていました。社会人になってからうつ病にかかったときにも同様に、いろいろな人から原因について質問され、共通のものを感じました。話を聞こうとしてくれる人たちは、それぞれに「苦しんでいる原因を取り除いてあげたい!」「だからその理由を教えてほしい!」という想いを抱いているのだろうと思います。しかし前述したとおり、私は不登校の原因が自分でもはっきりとはわかっていませんでした。相手の「何とかしてあげたい」という気持ちを感じていても、答えようがありません…。正直に「よくわからない」と答えると、ほとんどの人は、がっかりした顔をしたり、もっと食い下がって質問してきたり…。より気をつかわせてしまっているなと感じることが多かったです。そういうとき、場合によっては、"いかにもそれらしい内容"を考えて答えていたこともありました。出典 : もしかしたらこの記事を読んでくださっている人の中にも、当時の私の両親・教師・親戚・友人などと同じような立場の方がいるかもしれません。不登校の子が原因を話してくれないことについて、自分は信用されていないのではないかと考えてしまったり、いろいろな不安を感じたりしている方もいるでしょう。しかし、私のように理由がわからないから説明できないとう可能性もあるかもしれないので、あまり悲観する必要はないと思います。周囲の人の様子に、本音ではないことも口にしていた当時の私でしたが、うれしかったことがあります。それは、両親から「あなたを傷つける気はなくて、あなたがどんなことを考えていても受け入れる準備ができているよ」と伝えてもらったことでした。両親は私の考えに反論せず、じっくり話を聞いてくれたり、その都度、私の力になりたいと言ってくれたのです。不登校の渦中にいる当事者というのは、自分を守ることでいっぱいいっぱいで、そういった大切なメッセージを受け取る余裕がなかったりします。両親が私にしてくれたことは、じっくり向き合って何度も同じことを伝える必要があるので、とても根気がいることでした。ですが、両親の想いを感じとれるようになったことで、私の生活は少しずつ変化していきました。登校を再開!これで不登校は解決…とはいかなかった出典 : 不登校当時の私も、当時の両親も、おそらく学校の関係者や親族も、学校にさえ行けるようになれば不登校は解決だ!と考えていたように思います。確かに、全く学校に足が向かなかった状態からは区切りがつきますが、実体験からすると、学校に行けるようになってからが本当の闘いでした。この感覚は、一般的にゴールインと言われる結婚が実際には新しい生活の始まりにすぎず、夫婦生活を円満に続けていくことが本当に難しいのとよく似ているのではないかと感じています。さて、学校で次々と襲いかかった問題…。それは、不登校経験があって内申点が低い中、志望校に行くために勉強の遅れを取り戻さなければいけなかったり、同級生とのコミュニケーションもどうすればいいのかまったくわからなくなっていたり…課題は山積みでした。私がそんな問題を乗り越えられたのには、2つの要因があったと感じています。出典 : 粘り強く向き合ってくれた両親が、学校に行くようになった後も私を信頼し応援してくれているという実感があったのは大きかったです。なので、学校で何か困ったことがあったら両親に相談していました。たとえば、同級生とうまくやれなかった日は夕飯を食べながら両親に相談しました。そうすると母親が「私なんかいまだにそうだよ。全員と仲良くなんてしなくていいんだよ」なんて言ってくれたり、父親も「大人の世界だって同じ。誰もがうまくできるわけじゃないから無理しなくていい」とアドバイスをくれたりしました。それで気持ちが楽になり、また次の日から頑張るための勇気になっていました。両親を信頼していろいろ話せる間柄になっていなければ、私は問題に対応できず、また不登校を繰り返していたかもしれません。不登校が始まった当初は言い合いになり気まずい思いをした時期もありましたが、関係はあとからでも築いていけるのだと思います。出典 : 不登校期間中、幸運にも私はプログラマーになってゲームをつくるという将来の夢を見つけることができました。プログラマーを目指すのであれば、地元でも偏差値が高い学校に通い、みっちりと情報系の勉強をする必要があると知りました。これが、最初のうちは勉強についていけなくても、あきらめずに続けていこうという強い動機になりました。志望校に進学してからも、明確な夢があったからこそ自分のペースを保ちながらに勉強を続けることができました。そして今、実際にプログラマーとして仕事ができているのです。実際には不登校の経験がなくても、将来やりたいことを明確に見つけられる人はそれほどいないかもしれません。社会人になってからもいろいろな困難を経験した当事者としては、苦手なことやできないことをどうにかするよりも、好きなことや得意なことを伸ばしたほうが自分の力で道を切り開くための強力な武器になると感じています。文章や物語を書くことも子どものころから好きだったことの一つです。それが社会人になってから技術的な文章を書くときに役に立ち、さらにこうして、この記事を書くことにもつながっています。ちょっと面白いですよね。もし周りにいる不登校の子が将来を思い描けずにいるなら、本人の好きなことや興味を突き詰める道を一緒に考えてみるのはいかがでしょうか。それが直接、将来の職業にならなくても、そのときに出会った人や身につけたスキルが新しい道への突破口になるかもしれません。身近にいる不登校の子に、自分は何をしてあげられるだろうと悩んでいる人へ出典 : 本当に大切なのは学校に通えるかどうかは抜きにして、幸せな人生を歩むことだと私は考えています。そのために、不登校の間はその子とわかり合うことを重要視すると、とても有意義な時間の過ごし方になるのではないでしょうか。社会に出るまでの期間に、幸せな時間を過ごすことはとても大事なことだと思います。それは必ずしも「普通の学校生活」を送らなければ手に入らないというものではありません。もし身近に不登校の子がいて、自分に何ができるか迷っていたら、すぐに学校や同等の施設に通うことを目指すのではなく、その子との信頼関係を強くするために時間を使うのが良いのではないかと思います。強固な信頼関係を築いた人がいることは、本人にとって前に進むための勇気になります。将来、不登校よりも大きな困難にぶつかったとしても、相談できる人がいると思えばどっしりと構えていられるのです。人生で待ち受けている困難にも対応していくために、勇気をくれるような人との関係があることが、不登校の当事者のかけがえのない財産になると思います。
2018年10月12日『学校に行きたくない君へ』を編集した、「不登校新聞」石井編集長を取材不登校・引きこもりの当事者の声を大切にする日本で唯一の不登校専門紙「不登校新聞」。その「不登校新聞」を発行するNPO法人全国不登校新聞社が編集した『学校に行きたくない君へ』(ポプラ社刊)が出版されました。そこで「不登校新聞」の石井編集長に、取材にまつわる裏話のほか、石井さんの20年にわたる取材を通じて見えてくる不登校・引きこもりについてもお話を伺いました。石井志昂さん:不登校・引きこもりの専門誌「不登校新聞」編集長。1998年の創刊以来、不登校新聞に携わる。中学校2年生から不登校となり、フリースクール「東京シューレ」に入会。不登校・引きこもり当事者への取材のほか、横尾忠則さん、樹木希林さん、羽生善治さんなど多くの識者への取材を重ねる。聞き手(インタビュー・文):赤沼美里赤沼美里取材を通して「私」の人生の相談をしている。インタビュイーとのあたたかな関係Upload By 発達ナビニュース――取材をしているのは子ども若者編集部の記者で、現在130人もいるそうですね。石井編集長(以下、石井):そうなんです。創刊時の子ども若者編集部のメンバーには私もいて7~8人でしたが、5~6年前から助成金を入れて基盤強化をしたので記者が増えました。テレビで特集された番組を観たという人が一番多いですね。不登校していなくて引きこもり、つまり就活や大学受験から引きこもりを始めましたという人もいます。ですから年齢は15歳から39歳くらいまでの幅があって、40代もいます。一番多い年代は20代です。毎月の編集会議には20人強、来ます。ただ、開始時間には6~7人くらいしかいないです(笑)。遅刻、早退、バックレOK。途中から「べてるの家」方式でやろうと思ったんですね。問題はいっぱいあるけれど、その子の問題を直すのではなくて、問題が起きてもよい体制にするのを目指しています。※べてるの家は、北海道浦河町にある精神障害などのある人のための地域活動拠点。理念のひとつに「安心してサボれる職場づくり」がある。問題はおきて当たり前と考え、その人をありのままに受け止められるような仕組みをつくって活動している。石井:だから企画書を出したのに、会いたいのに、緊張しすぎて来られないというのもあります。昼夜逆転の生活をずっとしていると日付感覚がわからなくなって、「あれ、取材って今日だっけ」ということも起きます。――ドタキャンがあった場合に、取材はどのようにしているのですか?石井:現場に来ているみんなで粛々と取材をして、思いの丈を話すだけです。お休みした子には「残念だったね」という感じで終わり。だってこれは別に誰も咎を受ける必要がないですし、来られなかった本人が一番残念に思っているだけの話なんです。でもそういうときに早く起きるための方法や、社会生活で行き詰まったときはこうすれば大丈夫とか、自分のやり方を見つけると思うんです。それは学びですよね。誰も損をしたわけではありません。誰も来られないという状況になっても私やスタッフが行くので取材にはなるんです。――安心感がありますね。取材には複数の部員で行かれるんですね。石井:そうですね。現代美術家の横尾忠則さんへの取材が今の子ども若者編集部の原型になっています。事前にみんなで打ち合わせをして複数の人と取材に行ったのは、横尾忠則さんへの取材が初めてでした。というのも、横尾忠則さんへの取材の企画者は私でした。当時まだ19歳だったので、すごくぼんやりとした理由で取材をしてみようと思って企画書を出したんです。現代芸術の旗手と呼ばれている方だ、それぐらいの認識で取材をオファーしてしまったら、なんと快諾してくれました。すると大人たちから「おまえ取材、本当に大丈夫なんだろうな!?」と、とても驚かれて。これはやばいと思って、不登校の友だちに頼み込んで9人で取材に行ったんです。このときの経験が、他の人と一緒に取材しようと思ったきっかけとなりました。――取材をしていくなかで、編集部にきている子の変化は感じますか。石井:一番感じるのは、1年くらいたつと言葉や喋り方が違うということですね。自分の言葉で語るようになります。最近は、「私は不登校の人のために役立ちたい」と言って来る子が多いんです。でも他の人の役に立つことは必要ない、まずあなたを救ってください、と伝えます。そうしないと自分の本当の言葉が出てこないから。たとえば「不登校の人が行ける高校について記事にしたい」と言ってきても、「それは本当にあなたがやりたいことなの」と、どんどん話をしていくと、結果的には親子関係やいじめの話がでてくるんです。そうなったときは、記事にしよう、こちらが全面的にサポートしてよい記事にしようとします。やっぱり自分の言葉で語り出すかどうかというのが一番の違いです。――みんなで取材にも行かれていますし、子ども若者編集部はコミュニティのような機能も果たしているんでしょうか。石井:月1回の編集会議が終わった後の、懇親会を目的に来る人もいっぱいいますね。ただ、編集部は居場所ではない、フリースクールなどのように、あなたのいる場所を保障する、ケアする場所ではなく、今のあなたの本気を貸してもらう場なんだと伝えています。学校って現実のレプリカみたいだから、学校の中でやっていてもそれは本番じゃない。やっぱり予定調和というか正解があるというか、うまくいくことだけを目的としてしまうんです。でも仕事ではギリギリ滑り込めたらOKみたいなことがいっぱいあるじゃないですか。「それでいいんだよ」ということを伝えたいんです。だから、ここは自己実現の就労支援でも居場所でもないとずっと言っています。編集部を卒業して、バイトや就職、自分のやりたいことが見つかったという人はいます。でもそれはあくまでも結果論だと私は考えています。――本を読むと取材を受けている方の温かさを感じます。編集部員の思いをすべて受け止めているような・・・。石井:取材を受けてくださった方は、全員ノーギャラです。不登校新聞は、今でこそ本になったりネットに公開されたりしていますが、取材を始めたときはメディアへの露出はまったくありませんでした。ですから、出ていただいた方にしてみれば、言ってみれば一番小さい仕事ですよね。それでも、編集部の気持ちに応えてくれるという方なので、みなさん温かいんでしょうね。取材には「本気で質問する!」だけがルールです。「私」が質問したいことを聞いてねと言っています。みんな本気すぎて・・・(笑)。本には載っていませんが、例えば、「全然モテない」とかそんな質問もあります。――質問というか、相談なんですね(笑)。石井:そうですね(笑)。「今度通信制大学に行こうと思うんだけどどうかなぁ」とか。でも、だからこそ取材者も本気なんだなと感じてくれるんです。「これは俺の人生だから」という意気込みで取材するというのがよいと思っています。それを皆さんが受け止めてくれているのが本当にありがたい。横尾忠則さんも取材をとても喜んでくれた方ですね。不登校している9人で取材に行くと、横尾さんが「こんなに。みんな不登校なの」とすっごく喜んでくれたんですよね。そして不登校の理由を聞いてくれたんです「へぇ、おもしろい」と言って。すると9人のうちの1人が小学生から不登校で「理由は分かんない」って言ったんです。「分かんないかぁ!分かんないってすごいなぁ!」って感激していたんです。これが親だったら、不登校の理由が分からないと言ったら普通ショックを受けると思うんですよね。――確かに。分からないと言われたら「なんで分かんないの」とか「なにか理由があるでしょ」とか聞きがちですね。石井:横尾さんは「分からないけど行けないというのは、すごいことだ」とおっしゃった。私はそのやりとりを聞いて、横尾さんはすごく不登校に興味があるのだなと思ったわけです。そこで自分の番がきたら、不登校の数は12万人いて、いじめが多くて・・・と不登校の概要の話をしました。そしたら、横尾さんが椅子にダラーッと座って、ものすごくつまらなそうな顔をして「それは興味ない」と言ったんです。信じられないですよ(笑)。66歳の大人が19歳に向かって、こんなにも興味のない姿勢で話を聞いているのは、私も初めてでした。どうしてよいか分からなくなり、途中で不登校の概要についての話をやめました(笑)。――それは、辛かったですね(笑)。石井:はい(笑)。横尾さんは「みんなの話を聞けて、すごくおもしろかった」とおっしゃいました。私の話以外ね(笑)。「不登校とはこの学歴社会においてハンディを背負うことなんだ。そのハンディを意識的にしろ無意識にしろ自分で選んだということは自立しているっていうことなんだよ。その自立した理由が分からないというのは凄まじすぎる。それはあなたの感性が素晴らしいから。直感でここは違うと思って選んだはずで、その判断は正しいと思います。大人は不登校だということでもしかしたら慌てふためいたかもしれない。それは、その大人が自立していないからですよ」とおっしゃったんです。学校ではない道を選んだということが本当の意味で大事なことなんだと。「あなたの存在に私は感動した」と言ってくれて嬉しかったですね。取材は1時間の予定だったんですが、何時間でもいていいよと言われました。――第一線で働いている大人から話を聞けるのはすごくいいなと思いました。というのも息子が不登校になったときに、周りに不登校だった大人がいなかったんです。これからどうしたらよいのか分からなくて不安でしたから。石井:本には載っていませんが、みうらじゅんさんの取材に行ったときに、本当に良かったなと思ったんですよね。まさに「私はこの先どうやって生きていけばよいのだろうか」という話を聞けたから。不登校をしたときって人生終わった、人生詰んじゃったと思ったんです。なんでそんなふうに考えるのかというと、やっぱり先が見えないからなんです。自分のこの先が、学校に戻ることだったらそんなにつまんない人生はない。でも、もしかしたら…もしかしたら、自分が本やテレビで見ている「あの人」みたいに私も生きることができるのではないか、そんなことが聞きたくて取材に行きました。子ども若者編集部の子たちにも、それを聞いてほしくて今も取材を続けています。石井:映画監督・演出家等として知られる押井守さんの取材では、「もう一生人と関わらなくていいかなぁ」と聞いた子がいます。彼は10年以上引きこもっていたんですけれど、年間を通じて会話をした人が5人しかいなかった。――家族含めて5人?石井:そうです。両親、祖父母、そして私。6人目が押井守さんだった。彼の聞きたいことは「もう人と関わりたくない。10年引きこもっていて外に出ることは考えたくない。だけど、このままの自分でいいのだろうか?」ということだったんです。それを聞いた押井さんは「それでいいんだよ」と答えたんですね。「世の中きっとおもしろくなる。自分も学生のころ引きこもっていたことがあって、だんだんおもしろくなってきて外に出て行った」と。質問した彼はそれを聞いてすごく安心したんですよね。彼は取材のためにわざわざ名古屋から出てきて、押井さんの取材の次の年も取材をしました。だんだんと仲間と出会えたことが嬉しくなり、打ち上げで飲みに行くのも楽しくなり、飲むのも好きになって。そして今年の4月に友達と一緒にバーを開きました。お客さんを招き入れて自分がお酒を注いで話をする。彼が「もうだめだ、人と関わりたくない」と思ったときに「いいんだよ」と背中を押されて、本当にやりたかったことが分かったんだと思うんです。人と関わりたくないというのは、関わりたいけど怖いとか、関わったら楽しいと思うけどできないという思いがあるんです。コントロールしようとするのではなくて、その気持ちを受け入れる。インタビューだけではなく、親子関係でも大事なことだなと思いながら取材をしています。――ステキですね。石井:そうなんです。取材には、ドラマがいっぱい!その隣で興奮しすぎて過呼吸になる子がいて大変なことになったり…(笑)。でもそれって、みんな一生懸命生きているからなんです。だからそれだけインタビュー記事もよいものができているんじゃないかなと思っています。子ども時代は大人になるための準備期間じゃない。子どもは「今」、人生の本番を生きているUpload 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発達ナビニュース――残念ながら、社会にはいまだに「学校へ行かなければ大人になれない」という考えが根強いです。それはどうしてなんでしょうか。石井:命がけで学校に通うべきではない、というところまではみんな納得できているんです。でも「その後、どうやったら大人になれるの?」という問いが浮かんでくる。本当は、不登校の後の選択肢や受け皿が社会にないことが問題なんですが、その問題には目が向かなくて、不登校の子どもを直せばいいという話になってしまう。生まれた子全員学校へ来いと言って、合わないと思っている子に「何を考えているんだ」と問題視するのはハラスメントだと思うんです。コンビニだってファミレスだってしません(笑)。学校だけが「来い」と言っておいて、来なかったら「おまえは将来どうなると思っているんだ」と言うし、まわりはみんな寄ってたかって後押しするでしょ。先日も宿題ができていない子が亡くなったという報道がありました。親はそんな学校にせっせと子どもを送り込むわけじゃないですか。親としては制度がある以上、送り込むしかないんですよね。でも、やっぱりどう考えてもおかしい。――不登校は子どものせいではない、ということは声を大にして言いたいですね。石井:長年取材をしていて感じるのは、学校での同調圧力が強くなってきているんじゃないかということ。モラルや規律など、子どもが守るべきものが多くなっているという実感があります。私が取材をした小学1年生のある教室に、発達障害グレーゾーンの子がいたんです。その学校はユニバーサルデザインの教室を目指していて、担任と副担任が教室の前と後ろにいるんです。それで、後ろから前から怒鳴り散らす。「足をバタバタさせるな!」「喋るな!」と言って。ユニバーサルデザインとは子どもたちを鎮圧することなの?と思いました…。それで、怖くなっちゃって学校に行けなくなっちゃう子どもが出てきた。――ひどいですね…。発達障害の観点から不登校の中身は変化しているんでしょうか。石井:発達障害の子の不登校人数は肌感覚で増えている気がします。ただ増え方は、発達障害やグレーゾーンの子が学校の中でどんどん居づらくなっているという前提が絶対だと思っています。教室から弾き飛ばされてしまう。学校の仕組みに発達障害の子を合わせようと無理をさせると、その無理が子どもたちの中に出てきてしまって人間関係も苦しくなってしまうんですね。――本でも個性的な方々がご自身のことを話されていますね。樹木希林さんとか茂木健一郎さんとか。石井:そうですね、本に出てきている方々はみんな凸凹だらけです(笑)。横尾忠則さんをはじめ、その時代を切り開いた人というのは、かなり自由でどこが凸凹か見えないくらい突き抜けています(笑)。ただ才能があるから認めましょうというのは違うと思っています。そうではなくて、全員がどうやったら楽しく生きていけるかということだけ考えていけば本当はよいわけです。――発達凸凹の子が、無理に学校に合わせるのではなくて楽しく過ごせるようになるにはどうしたらよいでしょうか。石井:たとえば授業中に教室を抜け出し校庭を走っている子がいるとしますよね。本人が苦しくて走っているのなら考える必要がありますが、本人が楽しくて校庭を走っているのになんの問題が起きているのかってことですよね。おそらくなんの問題も起きていないはずなんです。 せめてその子の人権を侵害しなければいい。ただ「元気だね」と声をかければいい。それだけなんです。――こうやってお話を聞いていると、わが家は不登校になって良かったなと思っちゃいますね(笑)。実際に学校がつらいお子さんは、学校を離れると楽ですよ。石井:せいせいしてますね、何よりです(笑)。早いうちに不登校して、環境整備すると子どもはみるみるうちに楽になっていって、楽しくなっていくんですよね。中学・高校と無理していくと、やっぱりつらかった期間が長いからケアするのに同じくらいかかっちゃうんです。無理をしていた期間の倍必要だと考えてもいいですよね。たとえば「死にたい」と思ってしまったということがあったとします。もしそれが外傷だったとしたら全治半年とかかかるじゃないですか。でも、精神的なことだとすぐ頑張れと言われちゃうんですね。でも外傷と同じように半年以上は療養していいはずなんです。――ただなかなか切り替えられない保護者の方も多いと思います。そういった方へのメッセージはありますか。石井:いやぁ、やっぱりそれは経験者の声を伝えるのが一番です。気持ちを切り替えられちゃった方が楽よっていって。子ども時代を大人になるための準備期間だと考えると不安になるんですよ。だけど子どもは「今」、人生の本番を生きているんです。だからそのときに一番いい状態で生きる。その子の「今」に学校が必要ないのであれば、違うところでいいんじゃないかと思えてくるはずです。気持ちを切り替えられたら楽ですし、不登校の当事者の話を不登校新聞や本でたくさん読めば見えてくると思います。子どもの揺らぎを認める、話を最後まで聞く。保護者にできることとは――Upload By 発達ナビニュース――頑張って学校へ行かなきゃと思っている人にメッセージをお願いします。石井:取材で学んで良かったと思っているのは玄侑宗久さんというお坊さんの「揺らいでいい」というお話です。子どもは学校に行きたいって結構言うんです。「行きたいけど行けない」「行かなきゃいけない」って思う子もいます。人間は本来揺らいでいいわけで、気持ちが揺れることはすごく大事なことだと思う。学校に行きたいって子どもが言ったら、その子が本当に行きたい、行かなきゃと思って葛藤している気持ちを支えてほしいです。そして行きたくないときは行きたくないで、その気持ちを支えてほしい。親が先に出すぎないようにサポートしてほしいと思います。――先に出すぎないというのは、どういうことでしょうか。石井:アドバイスや提案はいらないってことです。傾聴するだけで十分です。子どもは必ず最初に不安や心配事を話す。でも本人は気持ちを整理したいだけなので、聞いていれば最後に子どもの方から「これはお願いできないか」って言われるんです。でも普通はそこまで待てないんですよね。極端に言えば、始めと途中は聞かなくてもいい。耳に入らなくても、聞いているフリをすればいいんです(笑)。大事なことは最後に言うし、もし子どもが伝わってないなと思ったらもう一度お願いしてくれるから大丈夫。待っていれば十分なんです。かくいう私も、妻の話を最後まで聞けませんでしたから難しいですけれど(笑)。「普通の未来」が待っているUpload By 発達ナビニュース――ご夫婦といえば、石井編集長が書かれた他の記事で、不登校から得られた結論として、大好きな人と結婚する、2,000円のパフェが食べられる、医師からメタボと言われるなど「普通の未来が待っている」と書かれていました。石井:本当に何でもない未来です。文部科学省調査では小・中学校の児童・生徒のうち約13万人、約1%が不登校です。1%というのは大きな数字です。苗字でたとえれば「田中さん」は全国に1%程度います。もしも全国の田中さんが、みんなふつうの未来を送っていなかったら、本当にたいへんなことになってます。不登校の子たちは怠けているわけでも、弱いわけでも、特別な人であるわけでも、常識がないわけでもない。彼らは常識もあるからこそ学校に行かないということに悩むわけです。一生懸命生きている人たちを、不登校だからといって否定すべきではないと思っています。参考:平成19年度学校基本調査の速報について(調査結果の要旨) | 文部科学省樹木希林、荒木飛呂彦、西原理恵子、リリー・フランキー、辻村深月ら総勢20名の先輩たちが語る生き方のヒント。企画から取材まで、不登校の当事者・経験者が、人生の大先輩たちに体当たりでぶつかり引き出した本音のメッセージを収録。社会に出たくない人、人生に迷っている人など、中高生からシニア層まで幅広い世代に突き刺さる言葉が詰まった一冊です。2018年8月発行。全国不登校新聞社編、ポプラ社刊。撮影:鈴木江実子
2018年09月27日アスペルガー症候群の娘、不登校がきっかけで小学3年生から睡眠障害にアスペルガー症候群の娘は小学校2年生の2学期から欠席日数が目に見えて増えはじめ、3学期からは全く学校へ行けなくなってしまいました。それでも2年生の間は放課後登校もできたし、そこそこ元気に過ごしていたのですが、担任もクラスも変わった3年生の4月から夜眠れなくなってしまったのです。「布団に一緒に入って」「眠れない」と言っては泣く日々が続きました。現状を打破しようと特別支援学校に転籍して訪問指導を受けたものの、担任の先生によって無理やり元の小学校に登校させられ続け、夏休み明けには完全に心も体も折れてしまいました。娘は完全不登校となり、それと同時に昼夜逆転生活になりました。夜は寝ないでゲーム三昧、夜中にあれこれと食べたがる生活に「この子は将来どうなってしまうんだろうか」と真っ暗な気持ちになったのをよく覚えています。昼夜逆転よりつらい!”昼夜回転”する睡眠障害になった娘Upload By ヨーコ次第に娘の睡眠リズムは、寝つく時刻と起きる時刻が毎日少しずつ遅れていくようになりました。これは、概日リズム睡眠障害のなかでも『非24時間睡眠覚醒症候群』といって、寝つく時刻と起きる時刻が毎日遅れていく病気の症状にぴったりあてはまります。この病気にかかると、眠りにつく時間が毎日30分~1時間ずつ遅れていき、起きる時間も後ろにズレていきます。当時の娘の睡眠リズム表を見ると約1ヶ月で生活リズムがぐるりと24時間一回転していることが分かります。最初はその法則がつかめなくて、「この子の睡眠リズムはどうなっているの?」と混乱したものでした。親としてここがツラかった!娘の昼夜回転生活の日々当時まだ9歳だった娘は自分自身の変化について行けず精神的にも不安定になっていました。寝ている私を起こして「眠れないからママは起きてそばでゲームしていて」と要求したり、「上の部屋の人の物音が怖い。変な物音が聞こえた」と怯えたり。食事も無茶苦茶な時間に取るようになりました。しかも、ジャンクフードや冷凍食品を欲しがるようになったので、食事を用意するストレスは相当なものでした。疲れた体で、せっかく手づくりの食事をつくっても「カップラーメンがいい」と言われたり。朝、昼、晩と献立を立てて盛りつけて出すという、今までの食事の用意の仕方は全く通用しなくなりました。とにかく要求されたときに食べさせるだけで精いっぱい。栄養バランスは気になるけれど、本人に"ちゃんとした"食事をとる意思がないのでどうしようもありません。「今食べさせているのは朝ごはんなの?晩ご飯なの?私が食べているのは何ごはん?」という感じで時間感覚はあっという間に失われ、娘の時間と自分の時間が溶けあってしまうような感覚を味わっていました。他に家族がいなかったのが唯一の救いでした。これ以上生活時間の違う人の世話をするのは、疲れ切った私には無理だったと思います。あっという間に私の生活リズムは娘に支配され、狂ってしまいました。でも、一般的な用事や買い物は昼間にしなければならないので、慢性的な睡眠不足にストレス、疲労で自律神経はズタズタに。頭痛、胃腸炎、発熱は日常茶飯事、加えて元々あったウツ状態が悪化して常に「死にたい」と思いながら過ごす日々が続いたのです。主治医からは「お母さんまでが娘さんの生活を否定したら彼女の居場所がなくなってしまう」と生活に関しては注意しないように言われていました。私自身もツラかったけれど「今、娘が睡眠障害になったのは心を守るためだから」と思っていたので治そうとは全く考えていなかったのです。でも周囲は違いました。不登校に関しては意外と「大丈夫だよ、行かなくても」と理解を示す人が多いわりに、睡眠障害の話をすると「どうしてそんな生活させているの!?だめよ、生活リズムだけはちゃんとさせなきゃ」と口をそろえて言うのです。一方的に責められた私は、自分の考えや主治医の助言を説明する気にもなれず、心を閉ざしてしまったのでした。これは本当にツラかった…。娘に少しだけ自立してもらう。親子で倒れないために…出典 : 睡眠障害になるまで追い詰められた娘の姿を見て「学校へ行かせる」ということをあきらめ、本人も「もう学校へは行かない」と宣言してからは、少しずつ元気を取り戻してきました。最初は私がついていなければカップラーメン一つつくることができなかった娘ですが、小学4年生になるころには、電子レンジや電気ポットの使い方を教えると、一人で冷凍パスタやカップラーメンをつくることができるようになりました。私が寝ていても一人で食事をとれるように成長したのです。そこで私は、自分の寝る時間を決めて「ママは夜は何時に寝るからそれからは一人で過ごしてね」と宣言。娘はすんなり受け入れてくれ、私はやっと自分の生活リズムを取り戻したのでした。娘の睡眠障害は今も治っていません。ですが、娘の情緒も安定して精神的にも自立しつつある今、あのころの苦しみは嘘のよう。今は平和に共存しています。
2018年09月17日人間関係の問題がないところで始まった、息子の不登校出典 : 小学3年の息子は、現在、不登校中である。親である私が言うのもなんだが、息子は好かれやすいタイプの人間だと思う。もしかしたら好かれやすいというより、学校の児童数が少ないため、学年関係なく全体的に仲が良い、というのが大きいのかもしれないが。それにあやかって、私1人で近所を歩いていても、「ハルくん(息子の呼び名)のお母さん、こんにちは!」と、おそらく違う学年の児童さんからも声をかけてもらうことがしばしばある。息子も「多数派にすぐ傾いちゃう雰囲気が嫌だ」などと言っていたし、もしかしたら苦手な子もいたのかもしれない。しかし「一人ひとりのことは嫌いじゃない」とも明言しており、もちろん大好きな友達だっている。いじめだとか、人間関係のトラブルが具体的にあったわけではないところで、彼の不登校は始まったのだ。学校に行っていなくても、近所を歩けば同じ小学校に通う児童さんたちと顔を合わせることもある。「あ!ハルくんだ!」嬉しそうに駆け寄ってくる友達の姿を見て、少し照れくさそうに、でも同じくらい嬉しそうに応じる息子。「どこか悪いの?大丈夫?いつごろ学校に来られそう?」「んー、今は分からない」そのようなやりとりをして、朗らかに別れる。向こうも責め立てたくて学校に来る日を尋ねているわけではないし、息子もそれを理解しているから平然と答えている。「次に○○くんに会えるの、いつかなぁ?」なんて発言もしていたくらいだ。ところが、悪夢を見て私との分離不安を訴えるようになったころから、見知った顔に会うのを嫌がり始めた。「学校のことを聞かれるの、辛いな…」放課後の時間帯や休日に近所を歩くことを避けたがるようになった。「仲の良い友達に会うの、前は喜んでたよね?今は学校のことを聞かれなくても、嫌なのかな?」「うん。みんなのことを嫌いになったわけじゃないけどね。会いたいって思わなくなっちゃった」精神状態も明らかに悪くなっていたし、何の気なしの質問も突き刺さるようになっていたのだろう。息子に合わせ、午後の外出を避けることに別段不便もない私は、そのまま様子を見守ることにした。外出を嫌がっていた息子が変わった「ベランダ越しの会話」出典 : 極力外出を避けるようにしても、どうしても顔を合わせてしまう子がいる。同じ団地に住む同い年のSくんである。就学前からのなじみである彼は、私も知った顔。素直で朗らか、そして心根の優しい男の子で、息子も彼を好いている。団地の前で遊んでいることも多く、ふと息子がベランダに出たときに姿を見つければ、大きな声で名前を呼んでくれるのだ。最初のうちはバツ悪そうに姿を隠すなどしていたが、そのうち手を振り返すようになった。あるとき、夕方に用事を思い出して息子と外出したとき、学校帰りのSくんと遭遇した。一瞬気まずそうにした息子だが、「ハルくんはーぁ、いつーぅ、学校に来るんですかーぁ!?」という、Sくんのふざけたような口調と変顔に、表情をほころばせた。「Sくん、今学校の帰り?」私が聞くと、「うん、今日も楽しかったよ!」と、笑って元気に答えてくれた。「じゃあね。ハルくんバイバイ!元気なとき、また遊ぼうね!」と手を振り、笑い、団地の方へと走り去るSくんの後ろ姿を、私たちは見送った。ふと隣を見ると、息子はうっすらではあるが、微笑んでいた。それから息子は、Sくんが団地の前で遊び始める時間帯になると、ベランダに出てその姿を探すようになった。「あ、ハルくんだ!おーい、ハルくーん!」そう呼ばれると、息子は「呼ばれた!ちょっと行ってくる!」と部屋を飛び出すのだ。そのうち自分の方から「おーい、Sくーん!今から行くよー!」と声をかけ始め、ベランダに息子がいなくても、「ハルくーん!今家にいるのー!?」と、Sくんが誘ってくれるようにもなった。とにかく、Sくんと息子がベランダ越しに呼び合い、団地の前や近所の公園で遊び始めることが、週何度かの習慣になってきた。少し前までは私と一緒でなければどこにも行きたがらなかった息子が、Sくんがいれば自分1人で外出するし、近所であるとはいえ、私の姿が見えない公園まで足を運べるようになった。そして次第に、息子の行動に変化が表れ始めた。遊びの誘いをクラスメイトに断られた息子がそのあとに取った、驚きの行動とは?公園で遊んでいたとある日曜日、同級生らしき男の子のグループがやってきた。しばらくその様子を眺めていた息子だったが、「混ぜてもらえるか聞いてくる!」と、彼らの元へと駆けていった。何か二言三言やり取りしたあと、走り出した彼らと、取り残されるように立ちすくむ息子の姿。深呼吸するようにゆっくりと肩を上下させたあと、私の方に戻ってきた。「どうしたの?」「学校に来ないのに、どうしてこんなところで遊んでるの?だって…なんて返していいのか分からなかった」同級生たちが疑問を持つのは仕方ないし、息子が咄嗟に返せないのも無理はない。寂しそうにうなだれる息子に、私はどんな言葉をかけていいのかわからなかった。こんなことがあったら、友達であっても声をかけるのが怖くなるかもしれない。私だったら、きっとそうなる。しかし、息子はそんなタマじゃなかった。同じ年頃の児童さんたちを見つけると、果敢にアプローチをするようになったのだ。「全然気づいてもらえなかった」「完全にシカト!」「ちょっとだけしゃべってきたよ。みんなこれから習い事なんだって」向こうのリアクションは、その時々、人それぞれで違うけれど、いずれにしても息子は朗らかに報告してくれる。「ところであの子たち、知ってる子?」と、あるとき私が聞くと、「いや、知らん!」と息子が元気に返してきたので、思わず口をあんぐりさせてしまった。「いやほら、知らない子の方がさ、新しく仲良くなれるって場合もあるからね」そう、息子は大きな公園や娯楽施設へ出かけると、そこで初めて会った子に声をかけ、一緒に遊び始めるような人間だ。知らない子の輪に飛び込んで行くのは大得意だし、1人で遊ぶのも大好きだから、断られるのも怖くない。「この前公園で断られたのは、知ってる子だし残念だったけど、あれも仕方ないと思うんだよ。知らない子だったら、なおさら仕方ないし。でも、仲良くなれたらラッキーじゃん?」すごい。「本当に私の子か?」と驚嘆する社交性だ。感心すると共に、一時は身内以外の誰にも会いたがらなかったことを考えると、随分と回復したものだと私はしみじみ嬉しくなった。受け入れてくれる人もいると知った息子、「またみんなに会いたい!」出典 : つい先日、息子と一緒に近所の公園横を通りかかったときのこと。その日は短縮授業だったのか、普段より早い時間から、子どもたちの姿で公園は賑わっていた。「あ、ハルくん。ハルくんだよね?」清掃班が一緒だったことがある、という上級生の女の子が声をかけてくれた。それを皮切りに「ほんとだ、ハルくんだ!」「え?ハルくん?」「わ!ハルくん!」と、その場にいた子たちが口々に息子の名前を呼びながら、どんどん集まってきた。中にはいつも一緒に下校していた、仲良しのクラスメイトの顔も。「ハルくん、今はどこの学校に通ってるの?」クラス外の子は、息子が別の学校に転校したのかと思っていたらしい。「家で勉強してる。ドリルとか、ゲーム機の学習ソフトを使って」息子が答えると、「ねぇねぇ、勉強するなら学校に来てよ!」と、さっきのクラスメイトの男の子が後方から手を振った。「ずっとハルくんに会いたかったんだ!学校にはいつ戻ってくるの?」「うーん、分かんない」その場にいた児童さんたちの質問に答える形で、息子はしばらく会話を続けた。用事がある私たちはその場を一旦離れなくてはならなかったのだけれど、彼らが息子を好いてくれていること、息子も彼らを慕わしく感じていることは伝わってきた。しかし、「学校にはいつ戻ってくるの?」という質問があったし、帰りはこの道を通りたくないかな…と私は思っていた。しかし息子は「帰りもここを通っていい?またみんなに会いたい!」と願うではないか。みんなの好意的な様子が嬉しかったに違いない。「うん、もちろん。じゃあ、急いで用事を済ませてこようか」そして復路に公園近くまで来ると、彼らが別の公園へと移動している様子が見えた。「のん(私の呼び名)、あのさ、一旦帰ったら、みんなのところへ行ってもいい?」「いいよ。一旦帰らなくてもいいよ。みんながまた別の場所に行っちゃう前に、行っといで!」私が背中をポンと叩くと、息子は勢いがついたように走りだした。「行ってきまーす!!」向こうの公園の入口で、「ハルくん!」「やったぁ、ハルくんだ!」と歓迎してくれる児童さんたちと、「ねぇ、仲間に入れてよ!」と声を弾ませる息子の姿が見えた。昼間の居場所の違いを断絶の理由にしなくてもいい出典 : 繰り返すが、息子はいじめなどの理由で不登校になったわけではない。「誰かが悪いことをしていても、それをしたいという人が多いと、みんなそっちに味方してたり、あっさり考えを変える人がたくさんいるのが嫌」「男子と女子が仲良くしているだけでラブラブだとか言って、囃し立てるのが理解できないし、バカバカしい」「頭のいい人や運動ができる人が羨ましいからって、自分よりそれができない人をバカにして、勝った気になる人を見るのが悲しい」というような、いわゆる「小学生あるある」が苦痛だった部分はあるようだが、どうしても会いたくない誰かがいたという訴えはなかった。むしろ、顔を合わせて話したり、遊びたい相手だっていただろう。だから、学校にはいかないと決断したその胸の内は、実のところ複雑だったのかもしれない。不登校という選択をする児童や生徒と一口に言っても、タイプはさまざまあるだろう。人間関係を築くことが苦手な子もいれば、単に同世代の子どもたちの雰囲気になじめないという子もいる。息子はそのどちらでもない。精神状態が悪化したときは、「学校にはいつ来るの?」という問いに答えられない自分が、彼らと断絶されているような感覚もあっただろう。「でもそれは親愛の情があるからこその疑問である」ということを思い出させてくれたのは、逃げようが隠れようが息子の名前を呼び続けてくれたSくんのおかげだと、私は思っている。彼の根気強い働きかけがあったからこそ、息子は人と関わる自信を取り戻せたのだろう。学童期はどうしても、友達というと同じ学校で過ごす仲間に偏ってしまう。だからといって、同じ学校で過ごしていなければ友達でいられないわけではない。今、昼間の居場所の違いが断絶にならない関係を、息子たちは築いている。学校に行かない息子を受け入れたうえで仲良くしてくれるSくん含む仲間たちに深く感謝しつつ、彼らの柔軟さに私は感心しきりだ。あの日、公園へと駆けていった息子は、みんなと「ごく普通に」遊んできたそうだ。ベランダ越しにSくんと呼びかけ合う習慣も続いている。まだ小学3年生。友達の顔ぶれも入れ替わっていくかもしれない。例えそうだとしても、これからも息子が自分なりの人との関わり合いを見つけていってほしいと願う。
2018年08月24日不登校の息子にも来た新年度。学校からの連絡は気が重く…出典 : 小学2年生の秋に不登校宣言した発達障害のある息子は、学校に顔を出すことさえなく3年生になった。以前コラムに書いたとおり、私はそれを受け入れており、自宅学習に勤しむ息子と共に毎日を過ごしている。エネルギー出力が安定せず、「毎日少しずつコツコツ」と勉強することはできていない。しかし、教科書やそれに準じた学習ドリルのみならず、ゲーム機を使って漢字の読み書きを学べるソフトをお小遣いで購入したり、インターネット上の学習サイトを自分で見つけて利用するなど、彼なりに意欲を持って学ぶ姿勢が見られる。新年度からは担任の先生が変わった。教科書や教材の受け取り等の際にお目にかかって、ご挨拶は早々に済ませている。悪い印象はなく、むしろ好感を持っていたが、私は警戒を解ききれなかった。なぜなら、前年度までに繰り返された学校との面談では、散々な目にあってきたからだ。「学校に行かない」という息子の決断を尊重し、「苦手を克服するために復学を」と勧められても揺るがない――そう決意はしていても、平行線にしかならない会話というのは、存外に疲れるものだ。だから、新年度はできるだけ面談は避けたいと持っていたが、そう思うように事が運ぶはずもない。「校長と教頭も新年度から新しくなりましたので、ご挨拶も兼ねてお話の場を設けたいのですが」と、担任の先生から電話をいただいた。(またあんなやり取りを繰り返さなくちゃいけないのか…)断りきれずに承諾した私は、終話後にがっくりとうなだれた。いかに場をやり過ごすかが課題だった面談。しかし校長先生から意外な言葉が出典 : 面談の場に居合わせたのは、校長先生と教頭先生、担任の先生と私の4人。去年まで同席していた支援コーディネーターさんは不在だったので、少しホッとした。とはいえ、油断はできない。挨拶のあと、「お母さんからしたら、また改めて最初からご説明しなければならないので、面倒だとは思いますが…」そうおっしゃって校長先生がファイルから取り出したのは、息子が受けたWISC(知能検査)の結果、主治医の先生が書いてくださった診断書と支援情報書、それぞれのコピーだった。正直、面食らった。前年度まではWISCのWの字も話に出てこず、ほぼ根性論で、早期の復学をと促されるばかりだったから。「何のための診断書なの?」という疑問がなかったわけではない。しかし、息子は私にとっての第1子であり、ただ1人の子ども。前例、比較対象がほかにないものだから、学校で行われる面談は「そんなもの」なのだと思い込んでいた。一気に毒気を抜かれた私に、先生方はコピーを眺めながら質問を投げかけてくる。それに対し、私が答える。私の返答に頷きながら、先生方はメモをする。そしてまた次の質問。この繰り返し。言葉こそ交わされているが、何とも言えぬ静かな空気が流れていた。一通りの質疑応答が終わり、息子の特性や現在の状況があらかた伝わった。「では、現時点で息子さんに、復学の意思はないということですね」校長先生の言葉に、私は不意に拳を固くし、無言で頷いた。「それでは、自宅学習を進めていくうえで、こちらがサポートできることはありませんか?例えば、息子さんが解いたドリルをこちらが拝見して、採点やアドバイスを書いてお返ししたり…」私は再び面食らった。復学させろと言われないどころか、自宅学習を応援してもらえるとは…。それまでの半年強、私にとって面談とは、こちらの言い分など取り入れてもらえないと諦め、先方の言葉を受け流し、いかにして場をやり過ごすかが課題の、不毛かつ、多大なストレスを受ける場だった。それが今年はどうだろう、こんなにも手厚い。「大人だって、自分に合う環境や向いている仕事はそれぞれ違います。それは子どもだって一緒でしょう。既存の学校の仕組みでは、自分らしさを出せない子だっていますよ」校長先生がそうおっしゃると、教頭先生も担任の先生も頷いておられた。なんとありがたい話だろう。先生方からいくつかの学習計画案を提示していただき、私はそれらについて息子と一緒に検討、いずれかを採用することにした。そして先生方に何度も何度も頭を下げてから、学校を後にした。気のおけないはずの友達にさえ、つい気を遣ってしまう私たちの「前提」Upload By 鈴木希望話は変わるが、ゴールデンウィーク初日、隣県から友人母子が新潟まで遊びに来てくれた。全員診断済みの発達障害当事者。なんとなくではあるが、相互の特性を把握しており、変に気を遣わずに済む間柄である。4人でとある施設へと遊びに出かけたところ、ある庭園近くを通ることになった。園内には、咲き誇る初夏の花とその色合い、香りを楽しむ人たちで溢れている。そこを突き抜けて進めば、私たちが目的とする場所まで早く着く。しかし、友人の息子さん・Aくんは嗅覚過敏。多くの人が心地よく感じる程度の花の香りでも、体調に影響が出てしまう。「園の中を通らなくても済む道があるから、そっちから行こうか」何の気なしに提案した私に向かって、「ありがとう。本当にありがとう」と、Aくんはお礼を繰り返していた、目を少し潤ませながら。それを見て、私は胸が苦しくなった。Aくんとその親御さんである友人は、ただごく普通に、当たり前に時間を過ごすために、今まで神経をすり減らしてきたのだろうか。ただできないことをちょっと助けて欲しいだけの場面で、どれだけ心を痛めてきたのだろうか。それから少し後に、こちらの息子が自分の興味ある話題について、夢中かつ一方的にしゃべり続ける場面があった。Aくんたちとの再会が嬉しくて、はしゃぐあまりのことだとわかってはいたものの、私は「さて、どのタイミングでほかの人の話を聞く姿勢に誘導するか」と焦っていた。すると今度はAくんが、「自分もこんなふうに、嬉しくなってたくさんしゃべって止まらなくなること、あるよ。だから(うちの息子の気持ちが)分かるよ。大丈夫」と、私たちに微笑みかけてくれた。そう、私も気を遣っていたのだ、変に気を遣わずに済むはずの相手に。そしてふと思った、友人たちも私も、無意識のうちに「理解されない」ということを前提に動いているのではないかと。「理解されないことが当たり前」と思っている私の、今後の課題と願い出典 : 当たり前と言えば当たり前だ。発達障害の特性による不便を明かして、あっさり受容されることはほとんどない。まず相手が発達障害というものを知らないケースはまだまだ多い。ここで説明して、なんとなくでも知ってもらえればかなりラッキー。「気のせいだよ」「考えすぎ」、ともすれば「わがまま」と突き放され、理解どころか、発達障害というものの認知を拒否されることだってあるのだ。そんなことを繰り返していれば、自分の心を守るために「理解されなくて当たり前」という構えになるのは致し方ない。しかし、息子や私自身に関する配慮を願い出るとき、「すみません」「ごめんなさい」を連呼している自分に気づき、「ここまで卑屈になる必要はあるのか」と、疑問が頭をもたげることもある。不登校の件だってそうだ。周囲には学校に行かないことを選んだ児童・生徒とその親御さんが何組かいるが、皆さんそれぞれにかなりご苦労されたようだ。中には「もう理解を求める気力なんてない。辛いけど、問題児扱いに甘んじている」という親御さんもいらっしゃる。無論、「理解・配慮されて当然」などと思っているわけじゃない。前述した、息子の自宅学習について学校側が配慮してくださった件についても、実にありがたいご対応だと感じている。じゃあ、何が疑問なのか。地域自治体や学校、個人によって受けられる配慮に格差があることだ。身近に発達障害や不登校の当事者がいない人はもちろん、支援者と呼ばれる立場の人であっても違いすぎる。原因は、情報量だろう。発達障害ブームと言われて久しいが、かつての私もそうであったように、まず「発達障害を知る」という機会に触れられる人がひと握り。こと、私の住んでいるような地方では、理解や認知以前の問題に留まっているように見受けられるのだ。その差をどう埋めていくかを考えるのは、全当事者・関係者の課題だろう。声を上げる・上げない、影響力の大小にかかわらず、だ。…なんて偉そうに書いている私も、妙案を持ち合わせているわけでもない。ただ、「理解されないことが当たり前」という悲しい前提が、まずは「現状、理解してもらえたらありがたいけど、本来は保証されるべき権利」に変わり、次に「正当な権利だけど、伝わらなければ説明が必要」へ、最終的には構えることなく配慮を願い出られる社会になってほしいと、おそらく皆さんと同じように願っている。過度にへりくだったり、卑屈になる必要ないだろうと、わが身を振り返って思う。ただ毎日を「自分らしく生きたい」と望んでいるだけなのだから。
2018年07月06日兄弟を両肩に乗せてくれる、力持ちな父出典 : 父は若いころ漁師をやっていたため、がっしりとした体格でした。私と兄が小さい頃は、右肩に兄、左肩に私を乗せて遊んでくれたものです。サングラスをかけるとなかなかの強面。駐車場でトラブルになりかけたとき、相手の車の人が勢いよく車から出てきたと思ったら、父の顔を見るなり回れ右をしてすぐ車に戻り走り去って行ったというような逸話があるほどです。知らない人から見たら、一見怖そうな父ですが、私たち兄弟に手をあげたことはありません。しかし、たった1度だけ叩かれた記憶があります。優しかった父が、1度だけ私を叩いた理由出典 : 私が小学校に入る少し前のこと。当時の私は気に入らないことがあると、すぐ他の子どもを叩いてしまいました。そのことで、幼稚園から連絡があったのでしょう。ある日、父は私を居間に呼び出して目の前に座らせ、バシッ!と私の頭を叩きました。いつも優しい父に突然叩かれ、私は痛さとショックで動けませんでした。そんな私に、父は「叩かれると嫌な気持ちになるだろう?だから他の人の頭を叩いちゃだめなんだ」と言ったのです。父に叩かれた時の衝撃は、とても嫌なものでした。そしてまた、他の人にとっても叩かれることはとても嫌だと気づきました。それ以来私は誰かを叩くということはなくなりました。不登校になった私は、だんまりを決め込んだ出典 : 小学校高学年になったころ、私は不登校になりました。そのころ父は出張が多く、ほとんど家にいませんでした。ふだん私の対応をするのはもっぱら母でした。父はたまに帰って来ては「今のうちからこんなに休んで、将来どうやって食っていくつもりなんだ?」と言ってきました。そんな言葉をかけられた私は下を向きじっとしていたり、いたたまれなくなって自分の部屋に逃げ込んだりしていました。それが面白くないのか、父の私に対する言い方が徐々に厳しくなっていき、「本当にそれで生きていけると思ってるのか?」「考えが甘い」「世の中が見えてない」と言われるようになっていきました。私は反論する気力もなく、だんまりを決め込むようになりました。このころは、父とほとんど話をしていなかったと思います。アウトドア派の父が、私を外に連れ出すようになって出典 : 「父親の言い方がきついのはあなたにもっと反発して欲しいからだ」と母親に言われるも"ガス欠状態"だった私。そのことが伝わったのか、少しずつ父の態度も変わってきました。それまでは私にプレッシャーをかけ、責めるような言い方が多かったのですが、「休むのはいいけれども、将来どうやって生きていくのかは考えておかなきゃいけないよ」と優しい口調になったのです。たまに職場に連れていってくれて、父が働いている姿を見せてくれることもありました。当時の私は「家でゆっくりしていたいなぁ」なんて思っていましたが、今考えてみると働くことがどういうことなのかを父なりに私に見せたかったんだろうと思います。他にも父の趣味である釣りに連れ出してくれたり、いつの間にかテントを手に入れてキャンプにも行くようになりました。当時、同級生から「学校休んでるのになんで外で遊んでるの?」と言われるのが嫌でほとんど外に出ない生活をしていました。さらに、かなりのインドア派であまりアウトドアは好きではないのが正直なところです。しかし、父が外に連れ出してくれて、過ごした時間はいい気分転換になっていました。父の買ってくれた1冊の技術書が、今の自分につながる出典 : 中学校になり不登校も落ち着いてきたころ、父も出張ばかりだった仕事が一段落して、よく家にいるようになりました。そのころに、口を酸っぱくして言われたのが、「とにかく手に職をつけろ」ということでした。「プログラマーになりたい」と思いはじめていた私にとって、父の言葉は心に自然に刻まれました。高専に入学したばかりのころだったでしょうか、父親と本屋に行く機会がありました。書店で、私がとある技術書をじーっと見ていたところ、父はその本を手に取り「しっかり勉強しろよ」と言って買ってくれました。わが家は裕福ではなかったし、技術書はそれなりの値段がしました。父が使えたお小遣いの結構な割合を占める買い物だったと思います。そして、それは私にとって初めて手にした技術書でした。その本に書いてあったことをみっちり勉強するところから、私の技術者人生は始まりました。今でこそ数十冊の技術書を持っていますが、この時父に買ってもらった1冊は大切に本棚にしまってあります。大人になった今、困ったことを相談できる人生の先輩に出典 : 一時は気まずい雰囲気もあった私たち親子ですが、社会人になってから、困ったことがあったりすると父に相談していました。うつでつらい状況になった時も「そんな会社辞めて少し休め」と言ってくれました。その一言に背中を押され、当時勤めていた会社を辞める決心をしたことを覚えています。その言葉のおかげで、ゆっくり休め、現在の会社で希望の職に就き、働けるようになったとも感じています。たまに帰省すると、仕事の近況を話したり、アドバイスをもらったり、時には父の政治についての愚痴を聞いたりして過ごします。保護者の皆さんの中にも、不登校の子どもとどう接していいのか困惑している方がいるかもしれません。父が私にしてくれたことすべてが「正解例」というわけではありませんが、外へ積極的に連れ出してくれたこと、将来のために本を買い与えてくれた父の不器用な優しさがあったからこそ、今の私につながっているということを伝えたいと思います。
2018年06月15日8歳の誕生日の朝、「もう学校には行かない」と宣言した息子出典 : 歳の誕生日を迎えた秋のとある日、自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠如障害(ADD)のある息子が「もう学校には行かない」と宣言した。登校を泣くほど嫌がったり、「学校にいると心が辛い」と早退することを繰り返し、その頻度が高くなっていることを感じていた私には、さして意外な発言ではなかった。とはいえ、「学校に行きたくない」ではなく「もう行かない」と決意するまでに至った理由は知りたいので、私は質問した。「いいけど、何で?」「うまく言えない」伏し目がちにそう呟いた息子の声色は、「今は説明する気力さえない」と聞こえるように澱んでいた。「いじめられたわけではないし、勉強が嫌いなわけでもない」と、私の質問に対し首を動かす形で答えたあと、小さく、しかしきっぱりと「とにかく今は言えない」。「じゃあさ、気持ちの整理がついて、話したくなったら言ってよ」最初のうちは毎日本人に欠席の意思を確認し、学校にも電話を入れていた。しかし1週間を過ぎるころ、「もう行かないって気持ちは変わらないし、万が一変わったらそのときに言うから、いちいち聞かないでよ!」と叱られてしまったのだ。確かに、私そっくりの頑固者が、一度決めたことをそうそう曲げるとは思えない。私は学校に電話をかけ、「本人がこのように申しているので、欠席連絡は控えさせてもらいたい」との旨、担任の先生に伝えた。そして、2週間に1回、発達障害専門医を受診したあとには必ずこちらから連絡することを約束した。復学を望む学校側との話は平行線で…出典 : 実のところ私は当時、「このままかもしれないけど、もしかしたら復学するかも」などと考えていた。しかし一向に復学する気配はない。1ヶ月ほど経ったころ、「校長や教頭、支援コーディネーターとの四者面談を行いたい」という提案が、学校側からあった。前述したとおり、息子からは「学校に行きたくなったら自分から言う。それまでは聞くな」と釘を刺されている。そして、かかりつけの発達障害専門クリニックの先生にはもちろん相談済みで、「学校が合わないのなら家庭学習でも構わないのではないか」とのご意見をいただいている。「専門家のお墨付きもあるし、ちゃんとお伝えすれば学校の皆さんにもご理解いただけるだろう」だなんて、あのころの私はなんて呑気だったのだろう…。学校では、私が想像していた以上に問題視されていた。そして「1日も早い復学に向けて、ご家庭でも働きかけを」という論調で、こちらの話すことは受け入れてもらえる様子がない。詳しくは割愛するが、直前に行われた担任の先生との個人懇談では、息子や私の思いに寄り添ってくださる談話ができただけに、殊更に衝撃を受けた。在宅ワーカーである私にとって、自宅は仕事場でもある。そりゃ、学校に行ってくれた方が好都合だ。実際に私の仕事を理由に頼み込んで登校してもらったこともある。でもそれだって、かなり無理をさせていたのだろうし、申し訳なかったと思っていた。「嫌がる息子に無理強いをしたくはないので…」「無理強いではなく、お母さんがうまく促してくださらないと」支援コーディネーターさんは、呆れたような表情を浮かべていた。「勉強でしたら、本人も自宅で頑張ると申しておりますし」「学校は勉強だけではなく、社会生活に必要な様々なことを学ぶ場なんです。このまま苦手を克服するということから逃げ続ける息子さんを容認して、成長の機会を奪ってもいいんですか?」内心「出たよ、『苦手を克服』」と思いつつ、口が立たない私はそれについてうまく説明する言葉を浮かべられず、ただ曖昧に「はい」だとかなんとか相槌を打ち、その場をやり過ごしていた。「頑張っても克服できないから『障害』なんだけどねぇ…」学校を出て歩き始めてからようやくその言葉が口から出て、私は自分の至らなさにため息を漏らしてしまった。そしてこうした面談を、以降何度も繰り返すことになる。母子分離の恐怖に怯える息子と、追い詰められる私出典 : ある朝、起き抜けに息子は「人間って、死んだらどうなるの?」と質問してきた。「私、死んだことないからわかんないや。どうしたの突然」「うん…何となく」そのときはその程度のやり取りで終わったと記憶している。しかし事は「その程度」では終わらなかった。息子は、私の姿が見えなくなると不安げに私の名前を呼び、打ち合わせなどで外出したときは、実家から5~10分おきに電話をかけてきて、私が受話できないとなると震えながら号泣していたのだという。「仕事中は出られないよ、何時くらいに終わるよ」と伝えていても、だ。後日聞かせてくれたのだが、「恐ろしい夢を見て(内容は本人ももう思い出せないらしい)、のん(私の呼び名)がいつ死んでしまうのかと不安になってしまった」らしい。わが家は母子家庭、ひとりでこの世に取り残される恐怖に怯えていたようだ。一番辛いのは、もちろん私との分離不安を抱えている本人だ。しかし、8歳の知力と体力を駆使した後追いは、される側の体力や精神力もかなり削られる。実際私は、毎年恒例の冬季うつも相まって、吐き気や動悸を感じやすくなるなど、身心の不調が顕著になってきた。両親は「このままだと希望が潰れてしまう」と感じたようで、物理的な距離を取るための一人旅を提案され、東京出張に合わせて友人に会ったり、観劇などを楽しんで、少なくとも1泊してから新潟に帰るようにしていた。周囲の協力や、日照時間が長くなるにつれ冬季うつから回復してきたこともあり、現在では落ち着いている。恐れていた二次障害は目の前に迫っていた出典 : 話は前後するが、分離不安を訴えるようになった直後の診察で、主治医の先生に相談しており、服薬治療を開始している。その時点では入院も視野に入れられていたほど、息子は不安定だった。12月の半ばのこと。東京でクールダウンしているとき、ひっきりなしに鳴る息子からの電話に応対しながら、私はぼんやりと考えていた。彼がこのようなことになったのは、悪夢のせいももちろんあると思う。でもきっと、それだけではないだろう。入学後、いつごろからかは分からない。苦手を克服しようと頑張って、少しづつ心を削り、こうなるまでに追い詰められていたのではないか。このままでは二次障害まっしぐら、いや、既にこれは二次障害ではなかろうか、と。過日、テレビで発達障害グレーゾーンについての特集が放送されていた。そこで、児童精神科医の先生が「できる・できないで判断してしまうと、グレーゾーンの当事者はできることが多い。でも、できるけど倍疲れていたり、倍の時間がかかってしまい、知らず知らずのうちに負担を抱え込んでしまう」という旨のお話をされていた。息子は診断済みだが、このパターンであるように感じている。倍の労力を使っていることは、見ただけではわからない。そしてできてしまうだけに「やればできる」「特性による苦手も、努力で克服できる」と判断され、場合によってはそれまで「できない、辛いからやりたくない」と発言してきたことさえ、「発達障害を盾にしたわがままであった」とされてしまうかもしれない。未診断であったものの、小学生・中学生時代の私も同様の経験をしている。そして原因不明の体調不良になり、始業から放課までを学校で過ごすことが困難な日が増えた。今にして思えば、これも二次障害だろう。私は従来からの学校教育や制度を批判したいわけではない。しかし同時に、「心を壊してまで通い続けるべき場所ではない」とも、強く思っている。「いつかは復学するかもしれない」と、声にはせずとも、私はどこかでほんのちょっぴり望んでいたのだろう。だからこそ繰り返される面談でも、きっぱりとした態度を取れなかったのかもしれない。その、願ったところでどうにもならない、建設的ではない考えを、私は捨てることにした。ようやく聞けた不登校の理由と、私の決断Upload By 鈴木希望現在息子は服薬治療を継続しながら、自宅学習をしている。精神状態が落ち着いたからか、先日、学校に行きたくない理由を、私に話してくれた。「もっと先に進みたいのに、自分のペースで進められない」といった学習面や「壁の臭いや音の響きが苦手な場所がある」という感覚過敏に加え、私にとっては少し意外な理由も明らかになった。「誰かが悪いことをしていても、それをしたいという人が多いと、みんなそっちに味方してしたり、あっさり考えを変える人がたくさんいるのが嫌」「男子と女子が仲良くしているだけでラブラブだとか言って、囃し立てるのが理解できないし、バカバカしい」「頭のいい人や運動ができる人が羨ましいからって、自分よりそれができない人をバカにして、勝った気になる人を見るのが悲しい」いわゆる「小学生あるある」「学校特有の人間関係」に、強いストレスを感じているようだった。大好きな友人たちの話を笑顔で語っていた息子が、かつての私のような思いを抱えていたなんて…。「それぞれの人のことは嫌いじゃないし、みんながみんなそうってわけじゃないよ。でも、そういう人が多い中で過ごすのは、悲しいし辛い。自分には山形のA君とか、東京のY君とその奥さんのTちゃん、神奈川のR君って友達がいるでしょ?たまにしか会えないけど、いろいろな話をできる友達がちゃんといる。それじゃあダメなの?自分が苦手な人を否定したいわけじゃない。ただ離れたいだけなんだよ」念のため申し上げると、息子は年相応、もしくはそれより幼い面も多分にある。しかし、他者を尊重しつつも自分の心を守りたいというこの願いには強く共感したし、それを大人の都合でねじ伏せる屁理屈なんて、考えたくなかった。「ダメじゃない。いいと思う、私は」正直、不安がないわけではないし、「本当にこれでいいのか」という思いが頭をよぎることもある。けれど今は、悩み抜いて息子が下した「学校に行かない」という選択が最善であると信じて、できる限り支えて行くのだと決めた。かつての自分が、それを望んでいたように。
2018年04月24日子どもが登校するとき、どんな声をかけていますか?いちばん子どもにとって嬉しいのは「いってらっしゃい!」とお母さんが笑顔で送り出してくれること。なるべく、よけいな言葉はつけ足さないほうがいいんじゃないかしらね。小学生にもなると行動範囲が広がり、親の目も行き届きにくくなってきます。つい心配で「忘れ物ない?」「寄り道しちゃダメよ!」など、あれこれ口うるさく言ってしまうこともあるのでは?もちろん、それ自体は悪いことではありません。子どもを思えばこそ出てくる言葉なんですからね。ただ、コミニュケーションのやりかたとしては、うまくないんじゃないかしら?おおかたの子どもは親が何を言ったところで「うるさいな」「わかってるよ」という反応。それどころか、無言で出ていく子もいるでしょう。親がよかれと思って口にした言葉で子どもが不機嫌になり、そんな子どもの態度を見て親のほうもイライラする…。こんなコミュニケーションを毎朝くり返すのは、もったいないと思うのよ。それより、持っていくべき物は自分で確認させ、失敗を通して成長させるほうが、よっぽどいいんじゃないかしら?結局、親がアレコレ言ったところで、子どもにとってはうるさいだけ。よけいなお世話なんですね。 シンプルに「いってらっしゃい!」と明るく送り出してもらうほうが子どもも気楽。毎朝ウンザリさせられるより、気分がいいはずよ。もちろん、「気をつけてね」「今日は、寒くなるらしいわよ」などの言葉をたまにつけ足すのはいいのよ。ただ、毎朝口うるさくチェックするような言いかたは避けましょうね。これは親のひとりよがりで一方通行のコミュニケーション。子どもの心には響きません。それより、シンプルな言葉で明るく送り出してあげて。毎朝のことですもの。よけいな言葉を口にしないで「いってらっしゃい!」と笑顔でね。気持ちよく明るい声で送り出してあげてくださいね。 名前に宿る運命◆あなただけの使命、絶頂期、最大のしあわせまで
2018年02月02日英ジョージ王子(4)の初登校日は順調だったようだ。7日、セント・トーマス・バタシー校に初登校したジョージ王子について、父親であるウィリアム王子は初日からうまくなじめていたと明かした。ウィリアム王子は子供に苦戦している親もいたとし、当日に行われたU-20サッカーイングランド代表のイベントに集まった報道陣に対し、「順調に行きましたよ。自分のお子さんに苦戦している親御さんがいらっしゃったので、自分じゃなくて良かったと思いました」と語った。そして、祖父であるチャールズ皇太子も孫の心配をしながらも、ウィリアム王子がいなくなった後、ジョージ王子はすぐになじんでいたと明かした。「かわいそうにね。なんとかやるように親に置いて行かれるんですから」「でも結果的には本人にとって良いことなんでしょうね。性格の形成とでも言うんでしょうか」ジョージ王子へ何かアドバイスをしたかという質問に対して、皇太子は「もちろんしませんよ。あの歳で私からのアドバイスなんて聞かないでしょう」「でもどう過ごしたかには興味があります。あの年齢では、もう少し大きくなってから抱える学校に行くことへの不安というのはそんなにないでしょうから」「新しい人達との出会いや散策が全てですよね」と答えた。ウィリアム王子との間にシャーロット王妃も持つキャサリン妃は、第3子妊娠によるつわりのため、初登校には同伴しなかった。(C)BANG Media International
2017年09月09日木曜日、ウィリアム王子に手を引かれてジョージ王子が「トーマス・バタシー校」に初登校した。第3子を妊娠中のキャサリン妃は姿を現さず、広報担当者は「People」誌に「残念ながら、キャサリン妃は体調がすぐれず、ジョージ王子の初登校に付き添うことができません。ウィリアム王子は予定通りにジョージ王子を見送ります」と伝えた。ウィリアム王子によれば、ジョージ王子の初日は「うまくいった」とのことだ。これから長期間に渡って共に過ごすクラスメートとの初対面を果たしたジョージ王子。「トーマス・バタシー校」の校長はジョージ王子を「特別扱いはしないし、ほかの児童と同じ」と言っていることから、ジョージ王子は学校内で「殿下」、「王子」ではなく、シンプルに「ジョージ」と呼ばれることになるようだ。名字は、父がケンブリッジ公ウィリアム王子であることから、「ケンブリッジ」と名乗ることに。ジョージ王子の通学カバンにも「ジョージ・ケンブリッジ」のネームタグが付いているのが確認されている。ウィリアム王子とヘンリー王子は、父のチャールズ皇太子がウェールズ公であることから、学生時代は「ウィリアム・ウェールズ」、「ヘンリー・ウェールズ」と名乗っていたそうだ。厳密にはエリザベス女王とフィリップ王配の子孫の名字は「マウントバッテン=ウィンザー」だが、日常生活で使用することはまれだという。(Hiromi Kaku)
2017年09月08日学校が始まりました。とは言っても午前中で終わるので本番は2日目からかな? 今朝は私も子供たちもアタフタしてました(笑)。(左手でボタン押しちゃってるのすみません)正確には体操着や外履きは今日持って行かなくても良かったのですが、赤白帽子持っていくついでに体操着も一緒に持っていくってことになり、内履きと外履きはセットで持って行きたいよねってことになったりと、そんな感じでここまでもりだくさんな荷物になってしまいました(汗)。これで学校までは歩くのきつそうだと思って送ってあげたんですが、同じことを考えているママさんがたくさんいたようで、学校の前には車がいっぱい止まってました(笑) 。明日から絵の具道具とかも少しずつ運んでいく予定です。こまめとのまめは大丈夫だったけど、すでに学校の靴が小さくなってる子もいたようで、夏休み中に買いなおしたってお母さんもいましたし、子供の成長ってすごいですね! 夏休みが終わる前に一回履かせてみるのをおすすめします!
2017年09月02日不登校の子どもたちの高校進学事情出典 : 不登校の親の会でこんな話を聞いたことがあります。不登校の子どもたちは「高校には行きたい」と希望するものの、なかなかパンフレットを見ようとしなかったり、学校見学に行っても門の前でUターンしてしまことがあるそうです。だから進学が決まるのがギリギリになるケースが多いと言います。我が家のアスペルガー症候群の診断を受けている娘も小学校2年生から不登校。中学校2年生まではほとんど勉強もすることなく毎日を過ごしてきました。そんな娘も中学校3年生になり進路を考える段階にさしかかっています。実は中学2年生のとき、特別支援コーディネーターの先生が、娘に合いそうな高校を3つセレクトしてくれていました。しかし、その頃の娘は、進学を現実のこととして考えるのは難しい様子で、自分からパンフレットを見ることはありませんでした。時期が早かったというのもあったでしょうが、「ああ、親の会で聞いた通りだな」と思った私は、「高校のパンフレットはここに置いておくよ」と声だけかけて、しばらく待っていました。親の会の先輩お母さんたちからは、「親は早めに準備しておくといいけれど、逆に子どもたちはそっとしておいた方がいい。」「進学したいと口では言っていても、気持ちが追い付いていないことがあるから、子どもに言われたときにすぐ資料を用意できるようにしておいて、あとは見守る方がいいよ」と聞いていました。だからパンフを開こうとしない娘を深追いしても、余計に心を閉ざしてしまうと思い、そっとしておくことにしたのです。進路を決めるまでの気持ち出典 : つの学校を提案された時点では、「せっかく先生が選んでくれた学校だから信頼できる。全部見てみたい。」と積極性を見せていた娘。そんな言葉とは裏腹に、自らのパンフレットを開くのは、かなりのパワーが必要だったようです。ひとたびパンフレットを見てしまったら、それまで漠然としていた未来が急に現実味を帯びて、ありありと迫って来るように感じられたのでしょう。娘の「ちょっと待って、もうちょっとだけこのままでいさせて」という気持ちがうかがえます。「そのうち見るから」といいながら憂鬱そうにパンフが入った袋を置く娘。その姿を見て「高校のことを考えるのって、この子にとってはこんなに負担のかかることなんだ。」と思い知りました。「パンフレットを見るだけなら簡単でしょ」と無理やり娘に見せようとする気持ちがわき起こらなかったわけではありません。それをしなかったのは、脳裏に浮かぶ先輩ママの体験談の数々があったから。不登校ならではの葛藤、本人たちも精一杯頑張ろうとしているのにうまくいかないつらさあることを知っていたので、「私も気長に頑張ろう」と思ったのでした。そんなとき、ソーシャルワーカーの方と面談中の「娘の高校の件で悩んでいる」と言うと、「梅雨までに一緒に見学に行ったほうがいいですよ。梅雨に入ってしまえば動きにくくなりますし。」とアドバイスされました。ソーシャルワーカーは娘とも面識があり、我が家の内情をよく知っています。娘をそっとしておこうという気持ちはあったとはいえ、信頼している福祉のプロからのアドバイスなら試してみようと、思い切って私は娘に期限を提示することにしたのです。「梅雨までに一つだけでも見学に行きたいから、どこに行ってみたいか5月中に決めてくれる?」すると、娘もお尻に火が付いたのか5月後半から学校案内のパンフレットを見始め、末日までに「この高校を見に行きたい」と言ってきたのです。いざ見学へ出典 : 娘が選んだその学校は自宅から自転車で通うことができます。そこはもともと塾だったところで、今は通信制高校の技能連携校になっています。技能連携校というのは、通信制高校の分校のようなところで、通信制高校と技能連携校の両方に入学することで、技能連携校の方で卒業に必要な出席日数、レポート提出、試験をすべて済ませることができるそうです。とてもアットホームな雰囲気で、小さな教室がいくつかあり、授業は昼から行われていました。制服もなく、生徒さんが好きなときに来て、自分のペースで学習している、そんな様子でした。学校は頻繁に出かけるなじみのある地域にあったので、娘はいつものTシャツにジャージ素材の半パン、草履といった格好で、気負った様子もなく家を出ました。ただし、非常用の腹痛の薬はしっかりかばんにいれていたところを見ると、不安の気持ちがなかったわけではないのでしょう。学校の入り口についても、「入り口はここだよ~」「お~」という感じでリラックスしています。2人で雑居ビルのワンフロアにある学校に入ると、校長先生がニコニコして応接スペースに案内してくれました。ここの校長先生は息子さんの不登校を経験しており、不登校に理解の深い方です。在校生が入れてくれたお茶を飲みながら、さりげなく校長先生と娘の面談が始まりました。「ここは昼から1時間だけ授業があります。できれば週5日来てくれたらいろいろな勉強ができますが、しんどかったらもっと少なくても大丈夫。」という話を聞いて娘もホッとしたようです。応接スペースからも、教室の様子をうかがうことができ、学校の雰囲気がよくわかった娘は安心したようです。あまり学校らしくないというか、小さな塾といった雰囲気なのもよかったのでしょう。学習室も見せてもらいました。棚にはカリキュラムに沿ったプリントと、それを理解するための教科書や参考書がセットで置いてあって、来ている子は順番に黙々とこなしていました。娘が「私は勉強していないから小1からやらないといけないかもしれない」というと、「大丈夫。みんな小学校の勉強から始める子がほとんどだからね。」と言われました。実際、小1レベルから対応しているそうです。また話の最中にびっくりしたことがありました。面談中に「体育の時間はテーマパークに行ったり、 ボウリングに行ったりするんだよ」という話が出ました。すると、娘は「それは行かなくてもいいですか。 人が多くてザワザワしていたり、トイレにすぐに行けないようなところに行くのは嫌なんです。」 とはっきり答えました。初めて会った先生に、はっきり自分の気持ちを言葉にした娘を見るのは初めてで、その様子から娘がいかにリラックスしているかわかりました。また、そこの学校に入る予定の人には、慣れるためと少しずつ勉強を始めるために付設するフリースクールに入ることを勧めていると聞かされました。どうやら普通のフリースクールというよりここの学校の補助的な役割をする塾みたいなもので、スタッフも場所も、この学校と一緒ということです。校長先生の「学校に入るまでここで少しずつお勉強してみませんか?」というお誘いに、「どうする?」と娘に聞いたら「行く」と即答。結局、その日のうちにフリースクールに入学することになりました。帰ってから、「どこが気に入ったの?」と聞くと「うーん、なんとなく。 ママもそんな感じやろ」と最初は言っていましたが、しばらく経つと「あのゆるい雰囲気がいい」「電車に乗らなくてすむのがいい」とポツリポツリと語っています。彼女にとって安心できる場所だと判断したのでしょうね。進路が決まってから出典 : それからすぐに週1回フリースクールに通うことになったのですが、1回行くととても疲れるようで、次週はお休みすることが多いです。だいたい月3回ペースでしょうか。私も本人が「もういいよ」と言うまで続ける覚悟で毎回付き添っています。毎回疲れ果てているものの、雰囲気はやっぱり合っていたようで、リラックスして過ごしているなと感じます。ことあるごとに「ママ、高校の予定表ある?」と聞いてきたりして、積極的に高校のことを意識しているようです。心はすでに高校に行ってますね。親としては、中学を卒業しても行くところができて一安心といったところです。フリースクールに行くようになったのもうれしいですね。あとは体力と学力が少しずつでもついてくれればいいのですが、それこそ気長に待とうと思います。不登校の子どもの進路について娘の場合、早いうちから進学する学校の候補を知れたことが大きな助けになったと思います。それによって余裕を持って娘の気持ちが熟すのを待つことができました。また親の会で不登校の子どもの傾向を知っていたことで、無理強いはせず、大切なことは面と向かって本人と話し合うことにつながりました。これらの経験から、早めに学校の先生と進路について話し合うことをお勧めしたいと思います。また親の会などで口コミ情報を聞くのもおすすめです。そうすることで将来のことがイメージできて、親も落ち着いて受験生となった子どもと向き合うことができます。また、この時期には本人の気持ちの揺れも起こることがあると思います。余裕を持って準備をしておけば、子どもも入学に備えて心構えをすることができるので、自分の希望やライフスタイルに合った学校を落ち着いて選べるメリットがあると思います。不安な気持ちに押しつぶされそうなのは親だけではありません。不登校の本人も不安と戦っています。葛藤のさなかにいる子どもを叱咤するのではなく、認めてあげながら次の一歩を一緒に考えてあげることが、進学という大きな節目を乗り越える力になるのかもしれません。
2017年09月01日そんなに不登校が怖いですか?出典 : 我が子が不登校になって日が浅い…。そんな親御さんによく見られる様子があります。「もう1ヶ月も学校に行ってないんです。このまま行けなくなったらどうしよう...」「せめて朝ちゃんと起きて欲しい」「勉強だけでもしてくれなければ心配で...」といった反応です。でも、これって結局「不登校していても体や心を休ませないで、いつでも学校に戻れるようになって」というメッセージを子どもに送ってしまっていることになると思います。うちも、娘が小学校2年生で不登校になったときは、周りから「勉強が遅れたら大変よ」「甘やかしていたら本当に学校に行けなくなるわよ」「将来進学や就職ができなかったらどうするの」と言われていました。なので、不登校の子を持つ親御さんたちが周りから受けるプレッシャーのつらさはよくわかります。それを承知で言わせていただきますが、そんなに不登校が怖いですか?怖がっているのは「学校へ行かないとまともな大人になれない」と思い込んでいる親御さんだけではないですか?どうして不登校になるのでしょう?出典 : 大人も子どもも、エネルギーがなみなみと入ったコップを心に持っていると想像してください。職場や学校、家庭などでストレスにさらされ続けると コップの中のエネルギーはどんどん減っていってしまいます。でも、底をついてしまう前に環境を調整したり、たっぷりと休養を取れば、コップの中のエネルギーはまた溜まっていきます。ですが、そのまま何も手を打たずに無理を続けるとコップは空になり、ついにはマイナスの状態になってしまうのです。私も、発達障害の二次障害で神経症になったときに、主治医に「あなたのエネルギーはマイナスの状態です。そこまで行ったらプラスになるには、マイナスになるまでの倍の時間が必要です」と言われたことがあります。不登校になる子どもたちも、 コップのエネルギーがマイナスになった状態だと思います。行けなくなったときには、すでに何らかの原因で疲れ切ってしまっているのですよね。うちの娘も私が気づいたときにはコップのエネルギーはマイナスになっていて、 朝起き上がることもできなくなっていました。本当は気づいていたのに、どうして休ませてあげなかったんだろう。のちにそう後悔することになりました。ようやく少しずつ動けるようになってきたのは中学2年生のとき。期間にして5年ほどかかったことになります。ただ、今でも体調には波があり完全に元気になる見通しはまだありません。どうしても学校というシステムには合わない子もいます出典 : 学校というところは、子どもたちに一斉に同じ課題を与え、それをこなしてついてくることを要求します。そして誰とでもみんな仲良くしましょうと指導します。それは実際にはとても難しいことで、学習についていけなくなったり、友達付き合いがうまくいかなくなったりする子が一定数出てくるわけですが、先生はなかなかそこまで面倒を見てくれません。先生たちは忙しく過労気味。職員室でも自分のクラスの悩みを打ち明けられない先生が増えているそうです。脱ゆとり教育、早期教育の負担は確実に学校を蝕んでいっているのでしょう。子どもたちはそんな体制に窮屈さを感じ、ストレスを抱え込んでそれを弱い子にぶつけます。そんな中でサバイブするには、ある程度のメンタルの強さや適応力、いい意味での鈍さなどが必要になります。ストレスを感じても、うまくかわしながらやっていける子がいる一方で、真面目で繊細な子ほど学校という場に起きている矛盾にぶつかって「行きたくない!」となってしまっているように見受けられます。不登校はいつ終わるのでしょうか出典 : 不登校がいつ終わるのか。正直、こればかりはわかりません。義務教育が終わり、高校進学を節目として立ち上がるになる子は多いですし、もっと早い段階で学校へ戻る子もいます。逆に、通信制高校などに進学してもスクーリングに行けず退学してそのまま引きこもる子もいます。高校、大学で不登校になる子も増えているようです。ただ、みなさんが恐れるように、不登校からそのまま引きこもりになる子も少なくないのが現実です。ですが、親の会で当事者の青年に話を聞くと、引きこもっている間も「何とか世間とつながれないか」と自分の頭で必死に考えています。「これでいいや」と思っている子はいません。 無理に引っ張り出すなど不適切な対応をしない限り必ず自分の力で立ち上がります。5年遅れて高校に進学して大学へ通っている子、引きこもっていたけれど居場所を見つけて週3日アルバイトをしている子、30歳を過ぎてから当事者活動であちこち飛び回っている子、私が行っている親の会だけでもいろいろなケースがあるのです。ぐるりと回り道はするけれど、人一倍真剣に「なぜ生きるのか、どう生きるのか」考え、自分のペースで生きていく、そんな生き方があってもいいのではないでしょうか?私がたどり着いた答え出典 : 親は「子どもは学校に行って育つものだ」と思っています。 私もそうでした。不登校になるということは安心できるレールを外れて、どこをどう走るかわからないトロッコにのる感じです。だけど、親が「学校第一」の価値観を持ったままで、家の中まで学校の価値観でいっぱいにしてしまったら、学校へ行けない子どもはどこで生きていけばいいのでしょうか。私も娘が学校に行っている間は、家の中が学校化してました。「宿題はできたの?」「もっと丁寧に字を書きなさい」「ちゃんと明日の用意をして」「先生に怒られないようにちゃんとやりなさい」って。これがどれだけ学校がつらい子どもたちを追い詰めていたか、親の会に行くようになり、不登校中に死のうとした当事者の青年たちの声を聞いてよくわかりました。どうかお子さんが不登校になったら、まずは黙ってゆっくり休ませてあげてください。そして、一直線に学校に通う以外の生き方もある、そういう生き方しかできない子どももいるということを理解してあげて欲しいと思います。今は大人でも仕事で追いつめられて、精神を病んでしまう人が多い時代です。親世代の頃よりも世の中は確実に生きにくくなっていて、それは子どもの世界にも浸透しています。大人も子どもも苦しいのです。だけど、コップの中のエネルギーがたまれば人はまた立ち上がります。さんざん我が子を追い詰めて病気にまでさせてしまった私が、今やっとたどり着いた答えです。
2017年06月23日こんにちは、ママライターのましゅままです。忙しいワーママは、不本意ながらも子どもよりママのほうが早く家を出なくてはならないこともありますよね。子どもに一人で登校までの時間を過ごさせるのは、ちょっと心配事が多いもの。でも、そんな心配もちょっとした工夫で乗り越えることができるんです。今回は子どもの登校より早く出勤するママがしている工夫をご紹介します。●子どもの登校より早く出勤しているママがしている工夫●(1)戸締りは休みの日も子どもの担当にしている『戸締りは休みの日も子どもの担当にしています。そのため、戸締りは一人でできていますが、たまに戸締りし忘れていることもあります……。エアコンはタイマーにしてある ので子どもはノータッチでOK、火の元は触らないように注意してあります。玄関のドアに“忘れ物チェック表 ”を貼って、なるべく忘れ物がないようにさせています。朝ごはんは子どもをちょっと早く起こして一緒にとるようにしています』(30代/小学校2年生のママ)まだ小さいお子さんを一人で出かけさせるときに心配なのは、戸締りや火の始末。鍵を閉める、という行為は小学生になれば十分できることなので、日ごろからママと訓練しておくと一人のときも慌てずに戸締りすることができますね。エアコンはタイマーにしたり、つけっぱなしでもOKのタイプのエアコンを使うのがおすすめ。朝ごはんはなるべく顔を合わせて食べるため、お子さんにちょっと早起きをしてもらったり、朝食の時間を調整したりすると良いですね。●(2)毎朝メッセージを残す『中学生なので一人のときでも戸締りはできています。朝ごはんは前日作っておいたおにぎりや前日の残り物と手紙を一緒に添えて 置いておきます。自分で焼きおにぎりを作ることもありますよ。テスト週間など子どもも一緒に早起きさせて、朝早く学校に行かせることも。高校生に上がってから親が早く出かけると学校をサボる子が出てくる、という話を聞いたことがあるので、高校に上がったら、念のため担任の先生とは密に連絡を取らなければ、と考えています。また、難しい年ごろで会話が減っているため、リビングにシール式の黒板を貼って、毎朝メッセージを残すようにしています』(40代/中学1年生のママ)小学生よりかなり頼もしくなる中学生ともなれば、一人での朝の時間もだいぶ自立して過ごすことができます。しかし、まだまだ油断はできません。きちんと朝食は取っているか、しっかり定刻通りに登校できているかなどは確認しておく必要があります。また、会話やスキンシップが減ってくる年ごろなので、メッセージを書き残しておくのは良いアイデアですね。●(3)ご近所に事情を話して頼れるようにしておく『カギは、持ち家なので子どもより早く出かけるようになってからオートロックに変えました。子どもと出かける時間差は20~30分程度なので、エアコンは私が消して出かけていきます。あとは、何かあればご近所に住むお友達の家や顔見知りのおばさまに頼るのよ 、と言い聞かせてあります。もちろんご近所にも事情は話してあります。それが子どもにはとても安心するようで、一人で家を出ることを特に嫌がる様子はありません。一番の工夫は、朝、私自身が笑顔で元気よく、子どもに「行ってきます!」と声をかけることですね。元気よく「いってらっしゃーい!」と見送ってもらえる瞬間が毎朝の幸せな瞬間です』(40代/小学2年生のママ)カギのかけ忘れが心配な場合、オートロックもひとつの選択肢。また、何かあったときのためのご近所の支援を仰ぐのは、ママにとっても子どもにとっても安心感が全く違いますね。筆者も小学校1年生からかぎっ子でしたが、同じように何かあれば同じ並びのお宅に頼るように言われており、一人で不安なことがあってもその言いつけを思い出してはホッとしていた記憶があります。また、ママが元気よく子どもに「行ってきます!」と挨拶をすることは、子どもにとって一番の心のよりどころになりますね。朝見送ることができなくても、ただ一言言葉を交わして一瞬でも笑顔を見るだけで子どもの安心感が違います。●忙しい朝に大切なのは、真心を伝えることいかがでしたか?朝は1分1秒も惜しいほど忙しい時間。しかし、忙しいときほど子どもには真心をこめてコミュニケーションしてあげたいですね。朝見送ってあげられないなら、一瞬でも顔を合わせる時間を作る、タイミングが合わず直接言葉を交わせないなら手紙やメールで他愛ないメッセージを残す、など小さなことでかまわないのです。朝ママに見送ってもらえなかったとしても、ママが子どもを思う気持ちさえ伝われば、いつでもママに見守ってもらえるような安心感に包まれて登校してくれるはずですよ。●ライター/ましゅまま(ママライター)●モデル/KUMI(陸人くん、花音ちゃん)
2017年05月29日不登校とは出典 : 一般的に不登校とは、子どもが病気やケガ、経済的事情ではない理由で、長期間学校を休み続ける状態のことを呼びます。クラスメートや家族などの身近な人や自身が経験者である場合も含め、おそらく現代の日本ではほとんどの人が不登校の存在を知っているのではないでしょうか?不登校について、文部科学省は以下のように定義しています。連続又は断続して年間30日以上欠席し、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況である(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)このような不登校状態が継続し、十分な支援が受けられない期間が続くことは、学力の停滞、自己肯定感の低下や健康状態の悪化など、本人の学習や社会的自立を妨げる、様々な問題に繋がります。一方で、子どもが不登校になる要因には、社会環境や学校環境、家庭環境の様々な要因が影響しており、無理やりに子どもを再登校させようとするとかえって問題が悪化するおそれもあります。また、不登校問題の「解決」といっても、元々通っていた学校に再登校すること、別の学校に転校をしてリスタートすること、フリースクールや通信制高校といったその子に合った学びの場を見つけることなど、様々な選択肢が考えられます。今日、子どもの不登校問題は日本が抱える社会問題の一つとなっており、その要因を踏まえた適切な対策を行うことが求められています。Upload By 発達障害のキホン図表出典:「平成28年版子供・若者白書」このグラフは、1991年以降の不登校生徒数の推移を表したものです。不登校の子どもの数は2000年ごろまで上昇を続け、その後も高水準で推移していることがわかります。平成27年度現在、不登校の子どもの数とその割合は、小学生:2万7581 人(0.42%、228人に1人)中学校:9万8428 人(2.83%、35人に1人)高校生:4万9591 人(1.49%、67人に1人)となっています。中でも割合の高い中学生に関しては、40人のクラスに約1人以上の不登校児がいる計算となっています。出典:平成 27 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」「平成 27 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(速報値)について」不登校の実態を知る上で重要な背景としては、まず一つに近年の子どもたちの社会性等に関する課題が挙げられます。例えば、自己の将来に対する夢や希望を持てずにいることや、自尊感情が低いこと、コミュニケーション上の困難さがあったり、ストレスへの対応が難しかったりするなどの傾向が指摘されています。二つ目に、社会的背景の影響を受けた保護者側の課題にも注目する必要があります。近年、少子化・核家族化・地域内での人間関係の希薄化により家庭が孤立するケースが多くなっています。そして、そのような家庭においては、保護者の不安感も大きくなり、育児をする上での自信を喪失したり、意図せずして過保護・過干渉になることが多いとも言われています。また、長期的不況の影響により生活の余裕がなくなり、保護者が精神的なゆとりを失ってしまい、結果、子どもにもネガティブな影響が生じてしまう、といった傾向も指摘されています。このような社会的背景を受けて、保護者が抱える課題も不登校問題と関連があるのではないかと考えられています。その他、学校に通わせるのが絶対ではないという保護者の間での価値観の変化なども、不登校の増加に影響しているのではないかという見方もあります。出典:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」参考:「不登校児童生徒への支援に関する最終報告 」不登校になりやすい子どもの特徴・傾向はあるの?出典 : 平成4年、文部科学省による報告において不登校は子どもに特有の問題があることによって起こることではなく「誰にでも起こりうる」という認識が示されました。参考:不登校への対応について(文部科学省HP)しかしその一方で、不登校になりやすい子どもにはいくつかの共通した傾向が見られるとも言われています。具体的には以下のような特徴・傾向が指摘されています。・わがまま、自己中心的、非協調的・非社交的・内向的・自発性、自主性、決断力がない・忍耐力のなさ・友人関係がほとんどない・手がかからないですが、上記で不登校は「誰にでも起こりうる」と述べた通り、子どもたちがこのような特徴や傾向を備えるに至った背景や経緯(生育環境や人間関係)についても注意が必要です。また、手のかからない子どもが不登校になるというのは意外に思われるかもしれませんが、まじめで成績も優秀な子どもがある日、なにかをきっかけに不登校になるケースも少なくないようです。子ども自身が持つこれらの特徴・傾向は、次章で説明する不登校発生メカニズムにおける「様々な要因」のひとつとなります。参考:伊藤美奈子「思春期の心さがしと学びの現場―スクールカウンセラーの実践を通して」2000年、北樹出版不登校と発達障害の関連は?出典 : 発達障害がある子どもであるからといって必ずしも不登校や引きこもりになるわけではありません。しかし、周囲の理解のなさや不適切な対応により人間関係がうまく構築できない、学習についていけないといった状況が進み、結果として不登校に至ってしまう可能性が指摘されています。不登校の解決を目指すうえで、その背景に発達上の特性や精神疾患による困りごとが存在していないかどうかを見極めることは非常に重要です。なぜなら、不登校が発達障害や精神疾患による困りごとに起因している場合、そうした困難性への対処を行わない限り根本的な解決は望めないと言われているからです。例えば、発達障害のひとつである学習障害の影響によって文字をうまく読むことができないため授業についていけず、試験で悪い点を取ってしまったことをきっかけに不登校になっている生徒のケースを考えてみましょう。この場合、様々に努力して再登校まで漕ぎつけたとしても、根本となっている学習障害へ対処がないまま授業を受けるとしたら、また同じ困難を抱えて、不登校になってしまう可能性があります。こうしたケースでは、保護者は学校側の協力を得て、文字を読みやすいよう工夫したり、文字以外の方法(レコーダーなど)で学びを支援したりといった手段を取ることで根本的な原因に対処することが求められます。子どもに発達障害があることがわかっている場合であれば、事前に担任の先生などに子どもの特性を伝えることで、子どもがどのような状況下においてどのような困りごとを感じるのかを知ってもらえるよう努力しましょう。そのようなコミュニケーションを取ることで、学校側も適切な配慮をしやすくなります。また、子どもの特性に合わせた具体的な対処法に関しては、医療機関を含めた専門機関による助言や指導に従うとよいでしょう。参考:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」参考:海野和夫「Q&A不登校問題の理解と解決」日本評論社2016年参考:「発達障害が疑われる不登校児童生徒の実態」中野明德不登校が発生するメカニズム出典 : By 発達障害のキホン多くの場合、不登校は様々な要因が合わさり蓄積され下地となった状態に、なんらかのきっかけが加わることで引き起こされると考えられています。要因の種類としては社会・家庭の要因、個人の要因のほか、(本人にとっての)学校環境の魅力の乏しさ、教師の対応能力の乏しさ、他の生徒との関係性構築の難しさといった学校生活上の要因などが挙げられます。参考:伊藤美奈子「思春期の心さがしと学びの現場―スクールカウンセラーの実践を通して」2000年、北樹出版例えば、親子関係上の問題という家庭の要因、学歴偏重社会という社会の要因が絡み合い下地となった状態で、友人関係のトラブルなどの出来事がきっかけとして加わることで不登校になってしまうなどという可能性が考えられます。きっかけとなるのは学校関連の事柄であることが多く、・授業での不適応・成績低下・友人関係のトラブル・いじめ・部活動での不適応・転校などが報告されています。また、適切な対処がなされないまま不登校状態が継続すると、学習の遅れや生活リズムの乱れという新たな要因が生じ、解決の難度が高くなる傾向があります。さらに、家庭内暴力やアルコール中毒など他の問題へと結びつくリスクも上昇します。そのため、解決を目指す上では学校やその他関係機関の協力を得ながら早期対処を行っていくことが求められます。参考:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」不登校の経過出典 : 不登校の経過は、小・中学校、高校共通に1. 前駆期2. 開始・進行期3. 混乱・引きこもり期4. 回復期と辿るのが一般的と言われています。しかし、上記の順番ですべての時期を通過しなくても、周囲が各時期において適切なかかわり合い・支援を行うことで次の時期に進むことなく再登校は実現されます。ただし、以上はあくまで一般論であり必ずしもこうした経過を辿るわけではなく、また発達障害などが絡む場合、求められる対応が異なることに注意してください。前駆期は「学校に行こうか、どうしようか」と葛藤する時期です。学校に行きたくない素振りを見せたり、頭痛や腹痛、吐き気などといった体調不良を訴えたりします。朝起きられない、パジャマを脱がない、制服を着ない、トイレに何回も入り独占する、何回もカバンの中を確認する、前日学校の準備をゆっくりする、といった行為が見られることもあります。この時期の適切な対応は、気分の良い学校生活を送れるよう配慮し、真剣に本人の話に耳を傾けることです。開始・進行期には「学校に行けない」「行かない」という意思を明らかにする「不登校宣言」が行われます。家庭での身体状態は前駆期とほとんど同じですが、子どもによっては症状が変化することもあります。朝目を覚まさない、目を開けても起きない、布団から出ない、教科書や制服などに見向きもしなくなるといった姿勢・行為が特徴で、適切な対応がなされなければ本格的に学校を休み始めます。この時期には、本人が感じている罪悪感や自責の念などに考慮しながら精神の安定を図り、目標設定から具体的な行動化を目指す方策を考案・実行していくことが適切な対処法と言われています。目標設定の仕方と意義については次章で解説します。混乱・引きこもり期は怒りを根源とした荒い言動、沈黙、引きこもり、無気力化が顕著になる時期です。粗暴な言動をする子どものほか、自室に引きこもって食事を運ばせたり、入浴や下着の交換をせずに過ごす子どももいます。また、長期間に渡り欠席を続けたことで久々に登校することへの様々な不安を抱え、再登校の意欲が低下してしまうことも多いです。適切なかかわりがないと、自己制御ができなくなり粗暴な言動を示し、それが落ち着くと引きこもるという流れが多いようです。また、中学2年生以上、特に高校生レベルで暴力が目立つ不登校の事例では、精神疾患があることを疑う必要があり、そうした場合は医療優先の対応が必須となります。この時期には登校意欲を上げるような働きかけや、目標と目標実現のための具体的な行動計画を設定する対応が求められ、放置したり、誤った対応を取ったりすると長期化へとつながる可能性があります。回復期は、子どもが少しずつ自信を取り戻した結果、登校に対して前向きな感情を持つようになる時期です。髪を切ったり、参考書を買いたい、学校の友達に会いたいと言い出したりした場合、それは回復期に入ったサインであることが多いと言われています。本人の自己決定を尊重して書店に連れて行ったり、望まれたら本代を与えるといった配慮をするとよいでしょう。このとき、子どもが動き始めたのを喜び、親はしばしば先回りして世話を焼きがちになります。しかし、そうした家族の過度な世話焼きによって状況が後退してしまう可能性もあるため、注意が必要です。家族のために何かをする、例えば洗濯や料理、掃除などの手伝いなども状況が回復へと向かっていることのサインです。親がこうしたささやかな行動や心遣いに気づいて、「ありがとう。うれしい。」と本人に伝えることで家族間での肯定的な感情交流が生まれ、子どもの自己肯定感にもつながっていきます。参考:海野和夫「Q&A不登校問題の理解と解決」日本評論社2016年不登校から問題解決へ向けて 合意形成と目標達成へのステップ出典 : ある子どもが不登校となった場合、その問題の「解決」とはどのような状態を指すのでしょう。元々通っていた学校に再登校すること、別の学校に転校をしてリスタートすること、フリースクールや通信制高校といったその子に合った学びの場を見つけること、様々な選択肢が考えられます。何より大事なのは、子どもの自尊感情を高め、「学校へ行く」「フリースクールに行く」といったその子の選択のサポートをしていくことです。なぜなら、多くの場合不登校の問題の所在は「自分はだめな人間」という心情にあるからです。具体的には、自信のなさ、集団に参加できない社会化不全、他者への過剰な遠慮や不必要な羞恥心などの否定的な感情です。そのため、解決を目指すうえでは子どもが自分のよさに気づき、それまでより自分に自信を持てる機会を積み重ねていくことが必要です。保護者の姿勢としては、そうした子どものよさを引き出すことに努め、そのために肯定的に関わっていくことが大切です。より具体的には、家族相互の感情交流を増やすことと家族の問題を解決するための目標の設定と実現方法を考案することが求められます。また、親子の関係を見直し、子どもとのより良いかかわり方を探す手段として「ペアレントトレーニング」に参加してみるのもよいでしょう。不登校の解決を目指すうえで目標設定を行うことには大きく2つの意義があります。一つは具体的かつ達成可能な目標を設定することで、問題解決の進展に対する評価と、その評価に基づいたフィードバックを行えるようになるということです。設定された目標に対してどのように向き合い、その結果どうなったのかを判断できるようになるため、現在の対応策を見直したり新たな対応策へのヒントを得たりすることができます。もう一つの意義は、達成に合わせて小さな目標を設定し続けることで、少しずつ本人の自信を育みながらステップアップしていけるということです。本章の冒頭で述べた通り、不登校解決に向けて取り組むうえで重要なのは、子どもの「自分はダメだ」という感情を取り除き、自尊心や自己肯定感を高めることです。何かに向けてがんばった結果、目標を達成することができたという成功体験は子どもの自信を育み、次のステップへとつながっていきます。目標設定の例としては、・学校に間に合う時刻に起床する・制服に着替える・家庭学習に取り組む・家事の手伝いをする・学校の友達と会ってみる・休日に登校する・誰もいない教室に入ってみる・職員室に行くなどがあります。どのような目標を立てるのかを決める上で重要なのは、子どもの意思を尊重することです。本人の考えに耳を貸さず、親の思いを一方的に押し付けてしまうと、子どもの自尊心を傷つけてしまう恐れがあります。また、子どもが目標を達成できたときには、素直に努力をほめてあげましょう。できて当たり前と思えることでも、様々な感情を抱え葛藤している子どもにとっては大きな1歩です。一つ一つの成功体験を自信とつなげていけるよう、家族全員でサポートしていきましょう。教育機会確保法と不登校出典 : 教育機会確保法は、不登校の子どもたちの教育支援を目的として2017年に施行された新しい法律です。不登校生徒数が一向に減らない現状を背景に提出された本法では、学校に通えていない子どもの教育を受ける機会を確保するための施策を国や自治体の責務として、必要な財政上の措置を講じることを求めています。様々な議論の対象となっている教育機会確保法ですが、本章では中でも第十三条に注目して、この法律における2つの重要ポイントについて解説します。第十三条国及び地方公共団体は、不登校児童生徒が学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性に鑑み、個々の不登校児童生徒の休養の必要性を踏まえ、当該不登校児童生徒の状況に応じた学習活動が行われることとなるよう、当該不登校児童生徒及びその保護者(学校教育法第十六条に規定する保護者をいう。)に対する必要な情報の提供、助言その他の支援を行うために必要な措置を講ずるものとする。(太字筆者)まず、1つ目のポイントは「休んでもよい」ということです。無理な通学はかえって状況を悪化させる懸念があるという事実を踏まえ、「休養の必要性」が正式に認められました。2つ目のポイントは「学校以外の場における学習活動の重要性」を認めたことです。学校以外の学習の居場所となっているフリースクールなどの役割がこれまで以上に重要視されるようになりました。どのような支援が行われるのかなど、具体的な内容が決まるのはこれからですが、上記の2点が国によって正式に認められたことは、不登校の子どもやその家族にとって大きな意義を持つのではないでしょうか。不登校でも卒業できるの?学校以外の学びの場は?出典 : 子ども不登校が続くと、「勉強の遅れは取り戻せるのか」「ちゃんと進級・卒業できるのか」といった不安を感じることもあるのではないのでしょうか。本章では不登校の子どもの学びの場として大きな役割を果たしているフリースクールと、学習支援を行う通信制高校について解説します。不登校の支援機関の一つであるフリースクールは、しばしば「不登校の子どもたちの居場所・学びの場」と形容されます。フリースクールでは自分の好きなこと・得意なことを中心に学んだり、他の子どもやスタッフとの交流を通してソーシャルスキルを身につけたり、他者と協力することの楽しさを知ることができます。フリースクールは、文部科学省が定めるところの学校機関ではないため設置基準がありません。そのため、規模や運営方式、在籍生徒の学年、などは施設ごとに異なります。自由で独創的な教育を実践しているところも多く、既存の学校になかなか馴染めない子どもにとって新たな選択肢となっています。フリースクールに通う子どもたちは、義務教育期間中はもともと通っていた学校に籍を置いたままフリースクールを利用することになります。また、在籍校の校長による許可が出ればフリースクールへの登校も義務教育上の出席日数として承認される場合もあり、卒業に必要な単位が出席日数単位を満たすことにより、義務教育上の小中学校の卒業資格を得ることができます。平均的なフリースクールの費用や子どもに合ったフリースクールの見つけ方に関しては、以下の関連記事をご覧になってください。参考:小・中学校に通っていない義務教育段階の子供が通う民間の団体・施設に関する調査通信制高校は、テレビなどの通信手段を使った自宅での学習が中心の高校のことです。以下で挙げる条件を満たしたうえで必要な単位を修了することで高校卒業資格を取得することができます。3年間の間に必要な単位を取得していれば卒業できる「単位制」と、毎年進級に必要な単位を取得しなければ次の学年に上がることができない「進級制」の通信制高校が存在しますが、現在ではほとんどが前者となっています。通信制高校を卒業するためにはスクーリング、レポート、試験の3つが必要です。スクーリングとは、登校して先生の指導を受けることで、科目によって単位をとるために必要な日数が異なります。また入学式や卒業式などの行事に参加することもスクーリングとしてカウントされます。スクーリングの出席日数に加え、定期的なレポートと期末試験によって、単位の認定がされます。通学型の通信制高校では、レポート指導の時間が設けられていることが多いため、無理なく取り組むことができるようです。通信制高校には他にも「私立・公立」「必要な出席日数」といった方法でも分類することができます。詳しくは以下の関連記事をご参照ください。子どもの不登校に関する相談先は?出典 : 文部科学省は、子どもが不登校になった場合にはまず第一に在籍校と十分に連絡を取ることを推奨しています。教育委員会では「教育センター」や「教育相談所」で子どもの教育に関する相談を行うための窓口を設けているほか、「教育支援センター(適応指導教室)」では不登校に関する相談活動や不登校の子どもに対する通所指導(カウンセリング・教科指導・体験活動)を行っています。また、東京都教育委員会が運営する東京都教育相談センターでは、子どもの教育に関する相談電話を平日であれば午前9時から午後9時まで、土日祝日は午前9時から午後5時まで受け付けています(ただし閉庁日・年末年始をのぞく)。東京都教育相談センター厚生労働省が運営する「児童相談所」「保健所」「保健福祉センター」などでも教育相談をすることができます。ただし、地域によって名称が異なるので、詳しくはお住まいの都道府県・市区町村に問い合わせるとよいでしょう。まとめ出典 : 不登校に限らず、思春期の子どもとの接し方に悩む親御さんは数多くいるのではないでしょうか。また、なかには子育てと同時に自分自身の両親の世話や介護も行っており、大きな負担を抱えている方もいると言われています。思春期に起きる子どもの変化は、時として親子関係にも変化をもたらします。そうしたタイミングで子どもが不登校になったとき、親としての責任を感じて自分を責めたり、子育てに自信を失ってしまったりすることもあると思います。子どもの不登校をきっかけにお子さんとの関わり方や親子関係を見直すことは決して悪い事ではありません。しかし、不登校を解決する上で重要なのは状況に応じて具体的なアクションを起こすことです。また、多くの場合、不登校の原因は一つではなく、様々な要因が複雑に絡み合っています。言い換えれば、子どもが不登校になるのは、必ずしもすべて親の責任というわけではないということです。さらに、本記事でもふれた通り、「不登校は誰にでも起きる」「休息は必要」という考えは文部科学省によって支持されており、今後も社会に広がっていくはずです。フリースクールなど、学校に通っていなくても学び成長できる場の役割も大きくなりつつあります。子どもとの対話を通して、前向きに、少しずつでも前に進んでいけることを願います。
2017年04月30日今週月曜はこまめとのまめの初登校でした。最初の1週間は近所のお姉さんが朝迎えにきてくれて一緒に登校していくことになっています。寒かったのです、初登校日! 冬再来か!? って思いましたもん。(2016年のお話です)玄関あけたら予想以上に寒くてびっくりした!私の住んでるところは朝は雨だったけど、そのうち雪も舞ってきてまさかこんな日に登校させるとはー! って神様を呪いました(笑) きっと同じ目にあった新一年生はたくさんいたと思う…!とくに給食がはじまるまでの3日間はお弁当と水筒ももっていかないといけなくて、ただでさえ心配してたのにぃー!ここに傘と手袋を追加して2人をおくりだしました。それでも元気いっぱいに登校していった2人を見送る…。ランドセルも大きいし、傘も大きいしでこまめとのまめの姿なんて足くらいしか見えないんだけど、それでもだんだん小さくなっていく2人を見てーなんであの人泣いてるんだろ…って思ったかな(笑)いや、ドン引き目線は私の思い違いか!? (笑)そんなお姉ちゃんも私が見送ってる間何回もこっちを見て会釈してくれたので逆にプレッシャー与えてるような気持になってわりとすぐ家に戻りました(笑)通学用に買ったパーカーがわりと薄い生地なので、なかなか登場する場がありません(笑)昼間は暖かいんだけど、家を出る時間はまだ寒くて、あったかいのを着せてしまいます。もっと暖かくなるといいなぁ。
2017年04月22日学校に行かない息子についイライラ…思い切ってこう宣言!出典 : 我が家の息子が不登校になり、約1年半になります。学校に行かなくなったばかりのころは、その事実を受け入れることができたものの、「好きなことばかりやって過ごしている」「勉強させなきゃ…学校に行ってる子たちより遅れちゃう」「進路は?受験はどうなるの?!」などなどやはり不安だらけでした。一方で息子のほうはというと、合わない環境で過ごすストレスから解放され、悠々と生活しています。そんな息子を見るとどうしてもイライラしてしまうこともありました。そんな我が家がその後どうしたのかと言うと…私はある日息子に、「もう勉強もやらなくてもいい!ネットやパソコン使用、ゲームの制限もぜーんぶもう無し!とにかく好きな事を好きなだけやっていい!ただ、ご飯はちゃんと食べて、少しは眠ること。あと、私やパパ、他の身近な人の誘いにはとりあえず乗って外へ出てみること!」と選手宣誓の如く、ハッキリと宣言したのです。理由の1つは、家事や他の仕事の合間に、息子の勉強やその答え合せをしたり、「これだけ勉強したから〇分パソコンやっていいよ」と時間を計測したり、終了時間を告げては「まだやりたい」「もうおしまい」を押し問答を繰り返したり…そんなやり取りに疲れてしまったこと。そして2つ目の理由は、息子を思いっきり自由にさせる不安より、「こうすると息子はどう変化するのか?」という好奇心とワクワク感の方が私の中で勝っていたことです。「息子本人のペースに賭けてみよう」という気持ちが私の中で生まれたのでした。宣言のあと、息子の生活に変化が…出典 : そんな生活を始めると、息子は私や主治医が驚くほど落ち着きました。かなり酷かった噛み癖も癇癪もいつの間にかほぼ消えたのです。大げさかもしれませんが、やっと「本来の息子に戻った」という気がしました。フリースクールに週に2日通うようになり、自分より年齢が上の高校生たちと大好な音楽の勉強に打ち込んでいます。他の習いごとでも、いろいろな年齢の友だちが増えたようでとても楽しそうです。Skypeなどでコミュニケーションをとることも多いのですが、息子なりに考えなかなか上手く出来ているようです。案の定、ゲームには長時間没頭していましたが…「いくら大好きなゲームでも長時間続けるのは飽きることもあるし、それなりにキツイことだ」ということも身をもって体験したようです。周りに言われなくても、本人なりに気分転換や別のことを間に入れる工夫もできるようになりました。私にとっても、息子が「いくら周りが説明したところで、本人が納得しないとほとんどのことは聞かないタイプ」ということを再確認できた出来事でした。また、息子は日々興味があることに対して、途中で投げ出すことなく自分一人で長時間パソコンに向かい黙々と解決・達成しようと没頭しています。その姿を見て、息子の学び方が基礎から積み上げていくタイプではなく、最終的な目標や目的に惹かれてこそ、そこから掘り下げていくタイプなのだと気づかされました。好きなことに対する熱量を目の当たりにし、私は「息子にとっての学びとは一体なんなんだろう」ということを深く考えさせられたのです。みんなとは違う一歩を踏み出すのは怖い。だからこそ嬉しかった、息子の一言出典 : こんな選択をしてみたものの、私自身は、ごく一般的に「学校へ行く」という経験しかしていません。それ以外の選択など考えたこともありませんでした。やはり最初は、「学校へ行かない、しかも好きに過ごすなんて本当に許されることなのか?」「あちこちから批判されるのでは…」と、世間の一般的なレールから一歩踏み外すのが怖かったです。それでも息子の不登校を受け入れた今、息子にとっての幸せとは?経験すべき試練とは?乗り越えるべきものとは?と純粋に考えた時、今の方向以外考えられなくなっていました。先日息子がこんなことを言いました。「あー、俺、変人で良かったー!」自分がいかに幸せなのかを噛み締めるように言ったのです。話を聞くと、周りの友達の愚痴や悩みを知り、自分のような生き方やそれを認める私のような親は珍しいと感じたようでした。さらに息子は、「自分と同じような境遇の友だちが、奇異な目で見られないためにはどうすればいいのか?」「自分が大人になってから、自分たちのような選択が当たり前になるためにできることは何か?」ということまで考え始めたようです。とても頼もしく思えました。息子にとっての幸せを考え抜いた選択。親がこれから出来ることはなんだろう出典 : もちろん進路や就職など、心配なことはまだまだあります。しかしその分、息子の今の生活を大事にしつつとれる進路には何があるのか考え、動いています。本人とも、「自分自身の強みは何か?」「これからどう生きたいか?」また「君の選んだ道は自由な分、厳しさもあるから正直選択肢はこれとこれだけになりそうだよ。そういう事も頭に入れて置いてね」など、具体的に日々話し合っています。息子の様子を見ていると、今は「何とかなるかも」と思えるようにもなってきました。今でも息子のこの生活に、苦言をいただくことも少なからずあります。それもまた正論でもあることはよく分かっていますし、以前の私だってそう思ったと思います。ですが今は、そんな声は聞こえないふりをして、振り払って目の前の息子を支えるべく自分に喝を入れて踏ん張っています。周りからの声に心身を消耗するのも事実です。もっともっと味方になってくれる方や、説得力のある後ろ盾がどうしても欲しくなってしまいます。そんな中で私にできることは、・息子のような生き方も「あり」なんだと、「一大人として」認め続けること・「生き方は人それぞれで当たり前」という世の中に一歩近づけるための一員になることなのかなという気がしています。
2017年04月02日学校に行くたび、「あの時の僕」に出会う「JERRY BEANS」の講演ライブは、多い年で年間約130件にのぼる。小学5年生から中学3年生まで、ずーっと学校に行けなかった自分が、大人になってからこうして全国の学校を回るようになるなんて、人生って本当に不思議で面白いなと思う。不登校だったからといって、いま学校を訪ねること自体にしんどさはない。だけど、子どもたちの前で講演をする時は、やっぱり辛くなる。何回やっても慣れない。でも心や命を伝えることに慣れてしまったらダメだと思う。だからいつも必死で伝えている。どんな年代、どんな学校の子どもでも、講演に行くたびに、「あの時の僕」と似たような子どもに出会うから。周りの子どもとの違いを感じ、常に独りぼっちで孤独な感覚を抱えている子どもたちに。今でも人に発信することは苦手で、始まる前は毎回怖くなる。講演で話していると自分も涙が出てくる。でも前を見ると、子どもたちやお母さんたちも泣いている姿に気づいて、「あぁ、僕はこの怖さに向き合わなあかん」って気持ちになる。自分の経験を伝えることで、明日死のうと思っていた人が、明日もなんとか生きていこうと思えるようになってくれるのなら、恐怖と向き合って発信していこうと決めた。学校の先生だって、決して完璧じゃない出典 : 年生の居残り授業で僕に「字が汚い」といった当時の担任とは、卒業するまで話す機会もなかった。だけどその先生は、卒業式のときに僕への謝罪の手紙を書いてくれていたのだ。その手紙は母がずっと持っていて、長らく読むことができなかった。当時、僕がまだ不安定だったから、先生の気持ちを知って自分を責めたらいけない、と思って預かっていたそうだ。講演活動を始めた頃に、ようやくその手紙を受け取った。「君の気持ちがわかってあげられずごめん。」その手紙を読んだ時に、「あぁ、きっとこの先生も、必死に子どものことを考えてくれていたんだろうな」と気付き、涙が溢れてきた。思いが真剣でも、その伝え方やタイミングがずれてしまっていることって、たくさんある。それは誰にでも起こる、人間らしい失敗にすぎなくて、先生だって例外じゃない。子どもも先生も親も、完璧を目指す必要はない。自分の弱いところを隠さずに、他人に見せていけばいい。そんな思いを、今たくさんの人たちに伝えている。「かわいそう」と言われた人にしか言えないことがあるうまく言えないけど、自殺をするような人って、ある意味勢いがあるのかなって、思う。僕も、自殺を図った日の朝、起きてすぐに「あ、今日死ぬ日や」と思い立った。深く考えることなく「あ、今日でぼくは終わる」って。だけどそこで死ななかったから、母親が止めてくれたから、ここにいる。死なずに生きていたから、不登校だった時間も、振り返れば「大切な時間」に変わっていく。僕の心の中は、今でも不登校の頃のままかなって思う時もある。不登校の僕は、周りから「かわいそう」って思われていた。でも、「かわいそう」って思われた経験が、今の活動に活きているんだと思う。「かわいそう」と言われた人にしかわからないこと、言えないことがある。だからこそ、今死のうと思っている人に、一秒でも長く生きてほしいと思う。辛い気持ちのまま人生を終わってほしくない。その一秒後に出会えるかもしれない喜びを信じて。その気持ちがあるから、みんなの前に立つことができる。僕はこれからも、この活動を続けていく。あのときの僕のように、苦しい想いをしている人、自ら死のうとする人が、一人でも少なくなることを願って。
2017年03月27日やっと固まった、娘の不登校と向き合う決意出典 : 不登校の子どもや、障害のある子どもを育てていると、世間一般的な子育てをするだけではうまくいかず、悩んだり、選択を迫られたりする場面が多いと思います。自分の子育てに対する考え方を問われるようなこともあるかもしれません。私の娘は小2で不登校になり、小4でアスペルガー症候群と診断されました。娘を育てていく中では、「学校とどうやって付き合うか?」「勉強はどうするか?」「昼夜逆転、パソコン・ゲーム漬けをどうするか?」「発達障害の療育はしなくていいのか?」など悩むことばかりでした。問題とぶつかるたびに、主治医と相談したり、本やブログを読み漁ったり、相談機関にかかったり、親の会で話を聞いてもらったりと必死で手掛かりを求めました。ときには失敗して娘も自分も傷つきましたが、だんだんと「私はこういう考えで娘を育てていく」という気持ちが固まっていきました。私の考え方は、「学校も勉強も無理しなくていい。昼夜逆転でもいい。娘の心が元気であることを第一にして本人を信じて、任せて、待つ」です。発達障害については発達障害者相談センターで「今のままの育て方で問題ありませんよ」と言われたので、特別なことはしないでおこうと決めました。こうやって自分なりの考え方をしっかり持っていれば、迷わず娘を育てて行けると思っていました。しかしそれでも、周りの声や世間の常識、自分のなかに巣食っている価値観に、何度も迷い自分を見失いそうになったのです。そんなときにどうやって対処してきたのか、私の経験を書きたいと思います。私の育児は間違っているの…?周りの声に気持ちは揺れ動く出典 : 私が仕事をしていたときのことです。お昼休みはどうしても職場の人と話す機会が多いですよね。そこで子どもの話になったとき、私は嘘をつきとおすのも疲れるので「娘は学校に行ってないんですよ」と正直に話すわけです。すると、年上の先輩お母さんには、「のんきなお母ちゃんやねぇ」と言われ、高卒すぐの子には「学校だけは行っといた方がいいですよ」と言われ…周りからの言葉に、「私は怠慢なのかなぁ、もっと娘にとっていい方法を探さなくてはいけないのかなぁ」と心がかき乱されて、どっと疲れてしまったのです。そして、突然焦って塾を探したり、居場所を探したり、福祉サービスを探してみたりと、すっかり自分を見失ってしまいました。そのときだけではありません。例えばブログなどで、「不登校だったけど親がしっかり支えて学校に通えるようになった話」を読んだときや、新聞で引きこもりの記事を読んだとき。私の中の「子どもは学校へ行って就職して独立して一人前。それは親の義務。」という刷り込まれた価値観がムクムクと顔を出し、「本当に子どもに任せていて大丈夫なの?」「このまま引きこもりになったらどうするの?」と不安でいっぱいになってしまいます。そして「うちの子は簡単な計算もできないし、雑談もうまくできないし、家の中で好きにさせていたら本人のためにならないんじゃないのかな…。私が何もしないのは努力不足なのかな?」と自信がなくなってしまうのです。大事なことを思い出させてくれたのは、同じ悩みを持つ仲間たちだった出典 : そんな私に大事なことを思い出させてくれたのが不登校の親の会の仲間たちでした。「娘さんにはね、今は『世界は安心なところだ』ということを確認してもらうのが先ですよ。この前、編み物カフェにいったでしょ?それだけでもすごいことなんだから、できたねって一緒に喜んだらいいんです。無理に新しいことをしなくていい。」「娘さんは『ちゃんとやらなければいけない』と思い込んで、外に出られない状態なんだと思います。何かできた、気持ちよく体を動かせたとかいう『今はこれが気持ちいい』という体験を積み重ねていくことが大切なんですよ。」「勉強はいつでもできます。全然あせらなくていいんですよ。」そう言われて目が覚めました。私は何を焦っていたのだろうって。もう少しで、一番大切なことを見失ってしまうところでした。私たち親子にとって、いちばん大事なことは何だろう出典 : 親の会の仲間たちの言葉を聞いて、思い出したのです。娘が不登校になった当初、よく「死にたい」「私なんていない方がママが楽になる」といって泣いてばかりいました。だけど、私が娘が学校に行かないこと、勉強をしないことを受け入れて、「本人の力で立ち上がるまで待つ」と決めてからは、娘もすっかり落ち着いて家で楽しそうに過ごしていました。一番大切なことは、「生きていてよかった」と娘自身が思えること。そして、家で安心して心を休ませて、「楽しいな」と思えることが一つでも増えていくこと。それだけでいいんです。娘もこの春には中3になります。また私の心が揺れ動いてしまうこともあるでしょう。だけど、私たち親子に寄り添ってくれる親の会の仲間や教育相談の先生、支援者の方たちがいれば大丈夫だと確信しています。「お母さん、それでいいねんで。よくやってるよ」と言ってくれる人がそばにいてくれたら私は頑張ることができます。この記事を読んでくださっている方も、私のように心揺れ動きながら奮闘されているのかもしれません。しんどい育児を家族だけで乗り切っていくことは、とても難しいと私は感じています。つらい時にはためらうことなくSOSを出して、一人でも多く自分たちを応援し支えてくれる人たちとつながっていくことを願っています。
2017年02月10日