今年の10月26日。30歳となり、結婚会見に臨んだ眞子さんは、報道陣とカメラを前にして話し続けた。笑顔は少なく、終始硬い表情のままだった。「私たちは2人で新しい生活を始めることになります。これから生きていくなかで、また違った形での困難があると思います」祝福に包まれた婚約内定会見からわずか3カ月後の17年末、週刊誌報道で婚約者・小室圭さんの母親・佳代さんに関する金銭トラブルが明るみに。以降、結婚延期や小室さんの突然の渡米など、3年10カ月もの波乱の歳月を経た末に、眞子さんは悲願ともなっていたご結婚の日を迎えた。嫁ぐ日の朝、住み慣れた赤坂御用地の宮邸の玄関前。優しい色のバラのブーケを手にした眞子さんと、送り出すご家族が向き合う。「お健やかに」秋篠宮さまが声をかけ、「体に気をつけて」「お元気で」瞳を潤ませた紀子さまとの挨拶を済ませ、最後には佳子さまが姉に駆け寄りハグをして、眞子さまは家族との別れを終えた。こうして、ご誕生から長きにわたり、当時の「天皇家の初孫」として多くの国民から愛されてきた「眞子さま」は、皇室を離れ、民間人の「小室眞子さん」となった。■“お祖母さま”との別れは1時間以上にも。友人が漏らした言葉に上皇后さまは呟いた「長女との話し合いですね。それについては、結婚のことについては話をする機会はありません」19年11月、秋篠宮さまは誕生日会見で、こう述べられた。宮内庁による結婚延期の発表から、まもなく2年。同じ家に住みながら、こと結婚に関しては、父娘の関係がずっと平行線のままであることを認めるご発言だった。「このころ眞子さんは食卓を両親と共にすることすら嫌がり、紀子さまとも公務以外では口を利かず、日に日に亀裂が大きくなっていくような親子関係を前に、秋篠宮さまの酒量も増えたという報道もありました」(皇室担当記者)翌20年11月8日、秋篠宮さまの立皇嗣の礼が行われ、皇位継承順位1位の皇嗣となられた。その5日後には、眞子さんが文書を発表。《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》これが、ご両親の心を動かしたのだろうか。同じ月に行われた秋篠宮さまの55歳の誕生日会見では、「結婚することを認めるということです」これまでとは一転、初めての容認発言があった。ただし、「長女の結婚について反対する人もいますし、(略)特に結婚と婚約は違いますから」など、かえって以前にも増し、複雑な胸中が伝わる内容となった。「上皇陛下は、上皇后さまとのご結婚にあたって『どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの』とおっしゃったといいます。一方、秋篠宮家では、眞子さまのご発言をはじめ、“公”より“私”を優先されているように見えてしまうのです」(前出・宮内庁関係者)そして今年2月19日、天皇陛下の記者会見では、秋篠宮家の婚儀についての言及があった。「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」前出の皇室担当記者は、「この陛下のご発言は、眞子さまには、相当にショックな内容だったのではないでしょうか」しかし、その2カ月後、小室さんが28ページに及ぶいわゆる「小室文書」を発表するや、それを受ける形で、翌日には眞子さんが自身の気持ちを表明。「今回発表された文書を読まれて、いろいろな経緯があったことを理解してくださる方がいらっしゃればありがたい」前回の「生きていくために必要な選択」発言から、さらに小室さんとの結婚に突き進む意思を明確にしたのだった。「眞子さんが頑固というのは、秋篠宮さま譲り。これは上皇陛下も同じで、3代続いてのことなのです。そもそも、眞子さんがICUに行ったことがその表れ。頑固ということより、いったん決めたら貫くという意志の強さです。さかのぼれば、秋篠宮さまご自身が、昭和天皇の喪中にもかかわらず、ご婚約内定の発表を行い世間を騒がせたというご経験をお持ちなのです。そもそも秋篠宮さまの自主性を重んじる教育も、上皇陛下と上皇后さまのご成婚から始まった『開かれた皇室』の議論を、ご自分なりに解釈なさった結果なのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)家族問題カウンセラーの山脇由貴子さんは、「秋篠宮さまは、自由な教育のあまり、子供へのブレーキが利かなかったのかもしれません。常々、“自由”“自主性”を表明していらっしゃるからこそ、それを否定しづらかったでしょうし、“娘に嫌われてしまう”という思いもよぎったかもしれません。親としての弱さが、結果的に娘の意思を尊重しすぎてしまった可能性はあります」天皇陛下のご学友も、本誌にこうコメントを寄せた。「結婚の自由は皇族であっても認められるべきです。しかし、このような国民の納得を得られない結婚となった背景には、子育てについても自由を重んじてきた秋篠宮家の教育があったのではないかと思います。結果論でしかありませんが、大学もICUではなく学習院大学にいらしていたら、一時金の辞退や伝統の儀式を一切行わない結婚にもなっていなかったと思います。陛下も残念に思われていることと思います」秋篠宮ご夫妻は、眞子さんの結婚会見後に文書を発表。そこにはこうあった。《皇室への影響も少なからずありました。ご迷惑をおかけした方々にまことに申し訳ない気持ちでおります》秋篠宮家に近い人物は言う。「ご長女のご結婚に際して、『申し訳ない』というお言葉を述べなければならなかった秋篠宮ご夫妻のご心情を思うと胸が痛みます」父親の「ありのままに」という30年前からの教えと、娘の希求した「自由」は、本来なら一つになるべきものだが、皇室という世界のなかで、残念なことに、親子の思いは引き裂かれてしまった。10月の結婚会見前の数日間、眞子さんには、立て続けに親しい人たちとの別れがあり、そこでもいくつかのドラマがあった。18日の秋篠宮ご夫妻に続き、22日は天皇皇后両陛下を、25日には上皇ご夫妻を訪問。「秋篠宮邸でのご挨拶は、思いの外、短いものでした。結婚の儀式を行わない異例の決断なども含め、秋篠宮さまは、表向きは、眞子さんとの別れを最小限にとどめるという姿勢を示したのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんも、「秋篠宮さまは、かなり厳格な対応を取られていると思います。皇嗣として、これからの象徴天皇制の在り方を意識して、今回の問題で累が及ばないようにしているのではないでしょうか。本来は親として祝福したいところを、“公”の立場を意識されていると思います」そして25日の東京・高輪の仙洞仮御所での、眞子さんと上皇ご夫妻とのお別れの日。上皇后さまの友人で絵本編集者の末盛千枝子さんは、このときの滞在時間を知り、安堵したと語る。「眞子さんにとっては、ご結婚のまさに前日という慌ただしさの最中のことだけに、1時間以上とは、十分に長い時間に思えるのです。そのなかで、上皇后さまとしても、皇室を出ていかれる眞子さんに対して、祖母としてお伝えしたいことは、きちんとおできになったのではないかと思いました」面会を終えた眞子さんが退出するとき、上皇ご夫妻は車寄せまで見送られた。そして、眞子さんが車に乗り込む直前、上皇后さまは無言で抱きしめられたという。今回の眞子さんの結婚に関し、一切お言葉を発せず、見守るというご姿勢を貫かれた上皇后さま。別の友人は、以前交わした会話を本誌に明かしてくれた。「眞子さまは、初恋だから、仕方ないですね」友人がふと漏らした言葉に、上皇后さまは、「そうね……」と、静かに呟かれたという。その、重く響いたというひと言には、今回の結婚と、やがて遠い地へ旅立つ初孫“眞子ちゃん”への万感の思いが込められていたのではないだろうか。■眞子さんが幸せになることが、その選択が間違っていなかったという唯一の証しとなる「今後は、私たち国民も、皇族に“私”があることを意識すべきだと思います。一方で、天皇制がある限り、“公”の部分も残り続けます。私たちにとって、象徴天皇制はどうあるべきなのかを改めて議論する必要があります」前出の河西さんの言うとおり、今回の騒動がわが国の皇室の在り方に与えた影響は計り知れない。この先に控える佳子さま、そして悠仁さま(15)のご結婚。きたる12月1日には、天皇家の愛子さまも20歳となり、5日に成年式が行われると発表になったばかりだ。「佳子さまは、眞子さんと同じスタイルを貫くでしょうし、悠仁さまのご結婚にも大きな影響があると思います。そもそも皇室に嫁ぎたいと思う女性が現れるのかと心配されるところです」(河西さん)結婚会見後の賛否の議論もおさまりかけた10月末、小室さんの司法試験の不合格が判明。その後、11月4日に亡くなった母方の祖父である学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(享年81)との別れも夫妻で済ませ、眞子さんは真新しいパスポートを持って小室さんと渡米。2月の小室さんの司法試験再チャレンジを、新妻として支えることになる。今回、証言やコメントをくれた人たちは、立場こそ違え、皆見守る気持ちは同じのはずだ。遠く離れたニューヨークでは困難もあるだろう。けれども、眞子さんが長年にわたり幸せであることが、ご両親、多くの人々を納得させ、その選択が間違っていなかったという唯一の証しとなる。愛を貫いた眞子さんの行く末に、自らが信じた「新しい生活」が待っていることを願いたい。
2021年11月28日「眞子」という名前には「ありのままに人生を歩んでほしい」というご両親の思いが込められていた。だが、長女はそれ以上の自由を望み、選んで、家を出ていった。父と娘の思いが引き裂かれたのは、その舞台が皇室という「特別な場所」だったからだ。仲むつまじく暮らしているように見えても、実はそれぞれの思いはバラバラで、いったん事が起これば、硝子のようにひびが入り、割れてしまうのだーー。「こわい〜」93年8月のことだ。秋篠宮さまご一家が、軽井沢を訪れたとき、紀子さまに抱っこされた1歳の小室眞子さんに、散歩中の大型犬が、突然、飛びかかるというハプニングが起きた。驚いてしがみつく眞子さんに、「お友達になりたいのね」紀子さまの母親らしい機転が利いたひと言で、傍らの秋篠宮さまもほほ笑み、一気に場が和む。このシーンは、その後も眞子さんの成長が報じられるたびに繰り返し私たち国民も目にすることとなり、動物好きで、いつも笑顔に包まれた秋篠宮さまご一家を象徴する場面のひとつとなった。——それから30年近くたった今年の10月26日。30歳となり、結婚会見に臨んだ眞子さんは、報道陣とカメラを前にして話し続けた。あの、幼い日に見せてくれた笑顔は少なく、終始硬い表情のままだった。「私たちは2人で新しい生活を始めることになります。これから生きていくなかで、また違った形での困難があると思います」祝福に包まれた婚約内定会見からわずか3カ月後の17年末、週刊誌報道で婚約者・小室圭さんの母親・佳代さんに関する金銭トラブルが明るみに。以降、結婚延期や小室さんの突然の渡米など、3年10カ月もの波乱の歳月を経た末に、眞子さんは悲願ともなっていたご結婚の日を迎えた。嫁ぐ日の朝、住み慣れた赤坂御用地の宮邸の玄関前。優しい色のバラのブーケを手にした眞子さんと、送り出すご家族が向き合う。「お健やかに」秋篠宮さまが声をかけ、「体に気をつけて」「お元気で」瞳を潤ませた紀子さまとの挨拶を済ませ、最後には佳子さま(26)が姉に駆け寄りハグをして、眞子さまは家族との別れを終えた。こうして、ご誕生から長きにわたり、当時の「天皇家の初孫」として多くの国民から愛されてきた「眞子さま」は、皇室を離れ、民間人の「小室眞子さん」となった。■息苦しい皇室での暮らしから抜け出したい。そんなとき眞子さまは小室さんと出会った「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩んでほしい」眞子さんの名前に込められた、ご両親の思いのとおり、秋篠宮家では、お子さまたちへの教育もまた、自然体だった。皇室ジャーナリストは、こう証言する。「ふだんからの挨拶や感謝などのしつけに加え、秋篠宮さまが何より大切になさったのが、お子さまたちの個性を尊重し、自主性を伸ばすという教育方針です。それが形になって現れたのが、大学進学。過去の皇室の慣例に従う学習院大学ではなく、眞子さんは、皇族として初めてICU(国際基督教大学)へと進学しました。秋篠宮さまとしても、その後の国際的な活躍もお考えになって後押しなさったのだと思います」やがて海外留学が実現するのが、大学3年の秋。イギリス・エディンバラ大学にて、9カ月にわたり、日本では味わえなかった解放感のなか、眞子さんはさまざまな初めての体験をする。学生寮での生活、スーパーでの買い物、親友との旅行……。本誌が当時入手した留学体験レポートには、こんな記述も。 《生まれて初めて単位を落とすという経験もした》 《肩の力を抜きつつも、色んな人に話しかけるのが大切なのだということが心からわかる経験だったと思う》皇室担当記者は語る。「この短期留学で、眞子さんは、初めて真の自由を実感したのではないでしょうか」在学中には成年となり、その記者会見で、眞子さんは結婚についてこう語っていた。「両親、特に父は、私の年のころには結婚を考えていたようですけれども、私はまだあまり結婚については考えたことはありません」これに対し、父親の秋篠宮さまは、2年後の誕生日会見で、眞子さん、佳子さまの結婚についての質問に、こうお答えになっていた。「娘ですので、近くにいてくれたらいいとは思いますけれども……」ICU卒業後には積極的に外国訪問を行うなど、眞子さんは皇族としての務めを果たしていく。「もともと“パパっ子”の眞子さんは、秋篠宮さまの教えに従い行動しながらも、同時に“自由に生きたい”との思いを強くしていったのでは。公務は真面目に、プライベートは自由にというのは、秋篠宮さま譲りの生活スタンスです。ときには、より活動的な性格の佳子さまと、お忍びでの買い物にも出かけたとも聞いています。息苦しい皇室での暮らしから早く抜け出したい、との思いを抱えていたのでしょう。そんなとき小室さんとの出会いがありました」(前出・皇室担当記者)ICUの同級生である小室さんからのプロポーズは、英国留学から帰国してわずか半年弱でのこと、共に22歳の若さだった。17年9月の婚約内定会見。眞子さんの発言は実に明快だった。「私の心は決まっておりましたので、プロポーズはその場でお受けしました」■祝福も批判も招いた結婚会見は、一人の人間として生きるための、皇室との「決別宣言」「私のことを思い静かに心配してくださった方々や事実に基づかない情報に惑わされず、私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々に、感謝しております」10月26日の結婚会見で、眞子さんと小室さんが述べた言葉に「誠意を感じられなかった」と語るのは、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さん。「眞子さんであれば秋篠宮ご夫妻、圭さんであれば母子家庭で自分を育ててくれた母、それぞれへの感謝の言葉が出ないところに、本当の意味で喜べない雰囲気があったのだろうと感じました。また、結婚を許してくれた天皇陛下への感謝の言葉がなかったのは、いくら皇室を離れるにしても不自然でした。自分たちに好意的な人には感謝を述べ、そうでない人は誹謗中傷する人という構図を作って、皇室や国民を二分させてしまった面もあったのではないかと思います」これに先立ち、結婚の発表と同時に明かされたのが、眞子さんが“複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)”と診断されていた事実であった。皇嗣職大夫は病名公表に際して、こう説明した。 「中学生のころから、身近な方々やご自身に対する誹謗中傷と感じられる情報を日常的に目になさり、精神的な負担を感じておられた」眞子さんが中学生だった時期は、ちょうど当時皇太子妃だった雅子さまが適応障害での療養を始められたころと重なる。しかし、精神科医の和田秀樹さんの見立ては、また違う。「私は、眞子さんは発表された複雑性PTSDではなく、雅子皇后と同じ、適応障害ではないかとみています。この症状は一般にいう“うつ”とは違い、自分が適応できないものに対してだけ具合が悪くなります」さらに、そこに、あるメッセージを読み取ったというのだ。「えてして真面目な人が適応障害になりやすい。たまたま皇室という環境に生まれ育ち、これまではいわば仮面をかぶってきたけれど、ここにきて『一人の人間としてこうしたい』という意思表示をできた。つまりは一般家庭でいえば、健全な“自立”や“親離れ”の一環だと思うのです。子供が自分の好きな人を見つけて親離れしていくことを、親も理解しなければいけない。その意味では、秋篠宮ご夫妻のほうが、まだ子離れできていらっしゃらないのかもしれません」眞子さんの自由を求める思いに常に寄り添ってきたのが、同じ環境で育った佳子さまだ。ICU卒業時の文書でも、《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています》と回答され、眞子さんの結婚を後押ししているのだと、姉妹の絆の強さが改めて話題となった。作家の北原みのりさんも、結婚会見から、眞子さんのある覚悟を読み取ったと語る。「もう日本では暮らせない、という固い決意です。思春期に雅子妃の闘病を目撃したことよりも、私は、悠仁親王がお生まれになったことのほうが大きかったのではないかと思います。男児を産むことを求められ適応障害に苦しむ伯母ではなく、その求めに身を捧げようとする母の姿は、10代の娘にはどのように映ったのか。皇室に産まれた女性として、この国に関わって生きていくことに、早いうちから冷めていたのではないかと思えるのです。眞子さんにとって、自分らしく生きる唯一の選択肢が結婚だった。そこで結婚による皇室脱出計画を、小室さんに出会う前から練られていたように思えるのです」祝福と同時に批判も招いた結婚会見だったが、眞子さんにとっては、一人の女性、一人の人間として生きるための皇室との「決別宣言」だったのではないだろうかーー。
2021年11月28日「秋篠宮さまは、悠仁さまが小室圭さんと接触することがないようにと、ずっと気をつけてこられたのですが……」宮内庁関係者はため息をつく。11月6日に執り行われた、紀子さまの父・川嶋辰彦さんの葬儀。秋篠宮ご夫妻、佳子さま、悠仁さまだけでなく、小室眞子さん、圭さん夫妻も駆けつけたのだ。紀子さまの実家・川嶋家の自宅マンションで催された少人数の家族葬で、悠仁さまと圭さんも顔を合わせることになった。「秋篠宮さまは、悠仁さまが金銭トラブルや数々の疑惑を抱えた圭さんと関わりを持つことは、避けなければならないとお考えになっていたのでしょう。小室夫妻の出国前に川嶋さんの逝去がなければ、悠仁さまが圭さんと対面することはなかったと思います」(前出・宮内庁関係者)まるで川嶋さんが秋篠宮家と小室夫妻の仲を取り持ったかのようだが、秋篠宮ご夫妻は、ある深刻な懸念を抱いているという。「悠仁さまが将来、眞子さんのように『皇室を出たい』というお気持ちを抱いてしまわないか、たいへん心配なさっているのです」(前出・宮内庁関係者)今年9月に15歳の誕生日を迎えられた悠仁さまは、ちょうど小学校高学年から中学生という多感な時期に、姉の結婚騒動に直面することになってしまった。秋篠宮家の側近の皇嗣職大夫によれば、眞子さんは中学生のころから身近な人々や自身への“誹謗中傷と感じられる情報”を目にして、精神的な負担を感じてきたという。このころから、皇族としての生活に息苦しさを覚えるようになっていたのだ。一部の国民からの批判が高まっても圭さんとの結婚にこだわったのは、結婚による“皇室脱出”を望んでいたからだろう。■原則的に悠仁さまの皇籍離脱は不可能だが…皇室典範第11条第2項には《親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる》とある。悠仁さまも現時点では皇太子でも皇太孫でもない「親王」のため、皇籍を離脱することができるとも解釈できるが……。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんに聞いた。「’12年に亡くなった寛仁親王は、’82年に皇籍離脱を申し出られたことがありました。しかし、当時の宮内庁次長は国会で、制度上“親王”は本人の意思に基づいた離脱はできないと答弁しています。第2項の“やむを得ない特別の事由”とは、皇族としての品位を傷つけるなど、重大な事態を想定したものです。つまり、悠仁親王殿下が希望されても皇室会議が開かれることはなく、ご意思に基づいた離脱はできないということです」しかし、眞子さんと圭さんの結婚も、儀式の中止や一時金の辞退が認められ、数々の前例を覆すものだった。「皇位継承者だから」という理由で、悠仁さまの“個人の意思”を押しとどめられるとは言い切れない。眞子さんの結婚に反対していた秋篠宮さまも、本人たちの意思が変わらないとわかると「親としてはそれを尊重するべき」と述べ、容認されるほかなかったのだ。「実は、悠仁さまは紀子さまの発言に反発されることが少なくないといいます。論理的に物事を突き詰めて考える性格で、時に紀子さまを言い負かしてしまうのだそうです。皇室の伝統や慣習についても、そう決まっている理由や根拠がわからないと納得されないのだそうです。このような姿勢は小室圭さんの考え方にも通じるものがあります。金銭トラブルについて4万字を超える文書を発表するなど、周囲から疑問を呈されても自分自身の正しさを信じ、貫いてきました。その考え方が一概に悪いとは言えないでしょうが、皇室と相いれないことは間違いありません」(前出・宮内庁関係者)もちろん、たった1回の接触で悠仁さまが小室さんの考え方に感化されることはありえないだろう。だが問題は、秋篠宮家の中にも“圭さん応援派”の佳子さまがいらっしゃるということだ。■佳子さまと圭さんのホットラインが佳子さまは眞子さんの結婚に際し《小室圭さんが姉のことを大切に思ってくださっていることをありがたく感じています》と、圭さんへ感謝のメッセージを発表。全面的に小室さん側に立たれたのだ。小室夫妻が川嶋さんを見舞った10月29日、佳子さまも病院に駆けつけていた。別れ際、佳子さまは圭さんにも“バイバイ”と、親しげに手を振られている。「眞子さんは圭さんが留学していた3年間も、ビデオ通話で連絡を取り合っていたといいます。そこに佳子さまが参加されることもあったのでしょう。すでに佳子さまと圭さんの“ホットライン”ができあがっているのかもしれません」(皇室担当記者)秋篠宮ご夫妻が地方や海外を訪問される際には、眞子さんと佳子さまが悠仁さまの面倒を見ていた。それだけに、きょうだいの仲はとてもよい。姉2人から伝え聞く“圭さん像”は報道とはまるで異なるはずで、15歳年上の義兄に悠仁さまが“憧れ”に近い感情を抱いても不思議はない。だが秋篠宮家の知人は、そうした見方に反論する。「悠仁さまも15歳になられているのですから、将来のご自分のお立場も、一生皇室の中で生きていかなければならないということもおわかりになっています。今回の眞子さんの結婚が、皇室にとってよい形ではなかったことは理解されていると思いますし、小室圭さんの影響を受けることはないと思いますが……」秋篠宮ご夫妻のご懸念は杞憂に終わるのだろうかーー。
2021年11月19日10月26日、夫婦となった眞子さんと小室圭さんは結婚会見を行った。会見で、「私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」と語った小室眞子さん。婚約延期、一時金辞退、皇室の儀式は一切なし……。プリンセスの「異例」の結婚は、会見も「異例ずくめ」だった。皇室担当記者やファッションの専門家が気になった“異例”ポイントとは?【1】出発時のバラのブーケこの日、初めて報道陣の前に現れた際に注目を集めたのが手元のブーケ。「紀子さまと秋篠宮家の職員により用意されたものでした」(皇室担当記者)【2】感情あらわにしたハグ秋篠宮邸前でご家族とお別れ。「佳子さまとのご挨拶は感動的でした。皇族方が取材陣のいる前でハグをされるのは大変珍しいです」(同)【3】カジュアルなスーツ姿小室圭さんが会見時に選んだのはピンストライプのスーツ。「日本ではフォーマルな場は無地のスーツに無地のネクタイを締めるもの。また、ネクタイにディンプル(くぼみ)を作らないのは、お葬式の結び方。違和感を覚えました」(メンズスタイリスト)【4】壇上に花はなし会見は、皇居近くのホテル・グランドアーク半蔵門の「華の間」で行われた。「婚約内定会見時にはテーブルの上に花が飾られていましたが、今回は金屏風も花もありませんでした」(皇室担当記者)【5】結婚指輪は大きめ?会見中、ボリュームのある結婚指輪にも注目が。「地金が太めのカジュアルなものを選んでいました。ただ、圭さんの指輪はサイズが合っていないように見えたのが不思議でした」(ファッションライター)かつてのプリンセス、清子さんの会見では……。「’05年に行われた清子さんの結婚会見では、夫妻は結婚指輪はしていませんでした。典子さん、絢子さんも同様に指輪は外していました」(同)【6】最初と最後は声を合わせて会見冒頭と最後に声を合わせ、「どうぞよろしくお願い申し上げます」「ありがとうございました」と挨拶。「苦楽を2人で、という強い思いが感じられました」(皇室担当記者)前日に記者からの質問に対しての小室夫妻の質疑応答がなくなったと発表され、物議を醸していた今回の会見。当日は夫妻が自分たちの思いを綴った挨拶文を読み上げ、提出されていた質問には文書で回答する形になった。そのため当初約30分を予定していた会見は、約11分で終了することに。お祝いムードはなく、挨拶文にはご両親への感謝の言葉も、天皇皇后両陛下や上皇ご夫妻への直接的な言及もなし。結婚直後とは思えない会見となった。
2021年11月08日11月4日、眞子さんの祖父・川嶋辰彦さんが亡くなった。眞子さんと小室圭さんの結婚からわずか9日後のことだった。川嶋さんは先月19日に緊急搬送され、亡くなる前日まで眞子さんは足繁くお見舞いに通った。結婚から3日後には、小室さんと揃って病院を訪れることもあった。「川嶋さんが亡くなったのは昼前でした。紀子さまは眞子さんや佳子さまとともに、病院に駆けつけられました。眞子さんが病院を後にしたのは、14時50分ごろ。タクシーの後部座席に1人座っていましたが、目を伏せることもあり沈痛な面持ちでした。眞子さんも体調が万全ではないなか、最愛の祖父を失った心痛は計り知れません」(皇室ジャーナリスト)川嶋さんが学習院大学で経済学部教授を務めていた’90年6月、長女の紀子さまは秋篠宮さまと結婚。当時、川嶋さん一家は大学構内にある教職員用の共同住宅に住んでいたことから、紀子さまは「3LDKのプリンセス」とも呼ばれた。「川嶋さんは控えめな性格で、どんな人にでも優しく接する温厚な方。紀子さまの婚約内定の際も、記者からの祝福に『あたたかいお気持ち、大変ありがたく存じます』と答えていました」(前出・皇室ジャーナリスト)秋篠宮ご夫妻が結婚された翌’91年10月には、お2人の間に第一子となる眞子さんが誕生。上皇ご夫妻と同じように、川嶋さんご夫妻にとっても初孫だった。「眞子さんが生まれた際、川嶋さんご夫妻も宮内庁病院を訪れました。川嶋さんは取材陣の問いかけに応じなかったものの、柔らかな笑顔を見せていたといいます。また幼い頃から本が好きだった眞子さんに、川嶋さんは絵本や児童書を贈っていたそうです」(宮内庁関係者)そんな慎ましやかな川嶋さんは、眞子さんの結婚問題も最後まで静かに見守り続けてきた。「これまで川嶋さんが報道陣の取材などに応じることは、ほとんどありませんでした。おそらく、“皇室には迷惑をかけまい”といった気遣いがあったのではないでしょうか。眞子さんの結婚には反対の声も少なくなく、心配していたことでしょう。それでも、川嶋さんが公に意見を述べるといったことはありませんでした。生前、一部週刊誌からの取材についてもユーモアを交えつつ、丁寧に断っていました。最後まで眞子さんの気持ちを尊重していたのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)眞子さんにとって“理解者”でもあった川嶋さん。天国でも暖かく見守ってくれることだろうーー。
2021年11月05日秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんが結婚してから1週間あまり。まだ新婚間もない眞子さんに悲しい報せが届いた。11月4日、紀子さまの父で眞子さんの祖父・川嶋辰彦さんが亡くなったのだ。81歳だった。報道によると、川嶋さんが息を引き取ったのは昼前。紀子さまや佳子さまとお見舞いに訪れていた眞子さんは、14時50分ごろタクシーで病院を後にしたという。「川嶋さんが先月19日に緊急入院した際も、結婚を控えた眞子さんは紀子さまと佳子さまと病院に駆けつけていました。結婚後は小室さんを祖父に紹介するためなのか、夫妻でお見舞いに訪れたこともありました。その時は、少し後から佳子さまもいらっしゃいました。どこか心配そうな表情を浮かべた眞子さんを、小室さんが励ましていたそうです」(皇室担当記者)新婚生活をめぐっては小室さんがニューヨーク州の司法試験で不合格となり、今後の生活に影響を及ぼす可能性も出てきた。そのような生活面での不安を抱えながらも、眞子さんは祖父を案じ続けていたのだ。「川嶋さんが亡くなる前日も、眞子さんは1人で病院を訪れていました。結婚後は仮住まいのマンションからタクシーで外出する姿が見かけられていますが、伏し目がちでどこかぼんやりとしているような表情です。体調もまだ回復していないなか、渡米の準備にも追われていることでしょう。そのようななかで最愛の祖父を失った胸中は、察するに余りあります……」(前出・皇室担当記者)ネット上でも川嶋さんの訃報を静かに悼む声が広がっている。《長い人生、お疲れさまでした。心も体もゆっくり休ませてあげてください。ご冥福をお祈りします》《入院されたというお話からそれほど経っていなかったので驚きました。そんなに体調が悪かったとは……御冥福をお祈りします》《眞子さんのおじいさま亡くなったんだね結婚したばかりで眞子さん辛いね……》
2021年11月05日《小室圭さんが姉のことを大切に思ってくださっていることをありがたく感じています》眞子さんの結婚に、妹の佳子さまもお祝いコメントを贈られた。秋篠宮邸での別れの挨拶では、報道陣が見守るなか眞子さんをハグ。さらに結婚会見の会場となったホテルに駆けつけ、体調不安のある眞子さんに寄り添われた。姉妹の絆が感動を呼んだが、宮内庁関係者は秋篠宮ご夫妻との“温度差”が気になったという。「佳子さまは《小室圭さんのご家族が、穏やかな日々を過ごせるように》と、小室さんの母・佳代さんへのメッセージまで綴られたのです。秋篠宮ご夫妻は、皇室と小室家が結びつけられないよう、儀式を取りやめ、お言葉にも気を使っていらしたのに……」そんな自己主張の一方、“回答拒否”をされたこともある。大学卒業に際しての文書回答で、宮内記者会からの「(結婚の)お相手はいらっしゃいますか」との質問を、「このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」と、きっぱり拒絶されたのだ。言いたいことは言うけれど、プライバシーも守る――。そんな佳子さまの考え方は、これまでの皇族方とは一線を画している。象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう語る。「プライバシーを尊重するという佳子さまの姿勢は、“個人の尊重”という現代社会の流れに沿ったものです。それを無理に押さえつければ、また今回のような事態につながる可能性もあります。“私”を尊重しつつ、皇族方にどこまで“公”を求めるのか、国民は考え直すべきかもしれません」戦後、皇族方は私生活を積極的に公開してきた。そんな「開かれた皇室」のあり方も、眞子さんや佳子さまの世代には受け入れがたいものなのか――。眞子さんの皇籍離脱で、皇室の人員はたった17人に。政府の有識者会議は、女性皇族が結婚後も皇室にとどまれるようにするべきと提言している。皇室典範が改正されれば佳子さまが秋篠宮家の“次期当主”となる可能性もある。「自由を求めて皇室を“脱出”された眞子さんに対し、佳子さまはあえて皇室に残り、皇族のままでも自由に生きられるよう“権利拡充”を訴えていくおつもりかもしれません。将来の天皇である悠仁さまの姉として、佳子さまの影響力も大きくなっていくはず。年長の皇族方は『皇室のあり方が変わってしまうのでは……』と心配なさっているようです」(前出・宮内庁関係者)佳子さまが皇室改革のリーダーになる日も近い!?
2021年11月03日結婚会見から3日後の10月29日、東京都内の病院を訪れたのは小室圭さん(30)と眞子さん(30)夫妻だった。この病院には眞子さんの祖父・川嶋辰彦さん(81)が入院中。眞子さんは夫となった小室さんを祖父に紹介したのだろう。宮内庁関係者はこう語る。「小室夫妻が病院に到着したのは18時過ぎ、少し遅れて佳子さまもいらっしゃいました。3人で川嶋さんをお見舞いしたのでしょう。19時ごろに病院を出るときには、どこか心配そうな表情を浮かべた眞子さんを小室さんが励ましていたそうです」小室さんは鮮やかなブルーのシャツの裾をボトムスに入れないカジュアルなスタイル。会見のときは髪をきっちりとセットしていたが、この日は前髪をおろし、終始、顔に笑みを浮かべていた。おそらくこのときには、小室さんは自身の司法試験の結果を知っていたことだろう。しかし落ち込んだ様子は見せず、逆に眞子さんを力づけていたというのだ。日本中に衝撃が走ったのは、この3時間後だった。宮内庁関係者が続ける。「22時ごろ、ニューヨーク州司法委員会が公式ホームページで司法試験合格者のリストを発表したのですが、小室圭さんは不合格だったのです。実はもともと小室さんは、結婚会見翌日10月27日に再渡米する予定だったそうです。しかし眞子さんはパスポートなどの準備に1カ月ほどかかります。そこで眞子さんが小室さんに日本滞在期間を延ばしてもらうようお願いしたと聞いています。ただ振り返ってみると、小室さんは司法試験に手ごたえを得ることができず、合格発表前に日本を離れようとしたのではないかという、邪推までできてしまうのですが……」■仮住まいは「ホテルでいえばスイートルーム」現在、眞子さんと小室さんは渋谷区内にあるサービスアパートを仮住まいとして新婚生活を送っている。この地域の宿泊施設に詳しい旅行代理店関係者は次のように語る。「おしゃれなブティックやカフェが立ち並ぶ青山通りにほど近い、高級住宅です。中長期滞在者向けですが1泊から利用することもできます。小室夫妻が滞在しているのは、ある棟の最上階です。その位置から推測すると、おそらく2つのベッドルームに、リビングやダイニングもついているタイプの部屋です。一般のホテルでいうところのスイートルームをイメージしてください。バスタブも大きく、天井も高いので、閉塞感は覚えないと思います」このサービスアパートの家賃は小室夫妻が支払っているという。「外国人にも人気のアパートで、施設の利用法や電気器具の使用法についても英語で表記されていることが多いですね。オーブンや大型食洗器も組み込まれたシステムキッチンに、大型冷蔵庫や電子レンジ、トースター、コーヒーメーカーも備えられています」(前出・旅行代理店関係者)キッチンはかなり充実しているいっぽうで、レストランはなく自炊をする必要がある。皇室担当記者はこう言う。「買い物は、宮内庁職員が代行すると報じられています。おそらく正規の職員ではなく、秋篠宮家が私的に雇用した職員と思われます。黒田清子さんの新婚時代も、仮住まいのマンションに天皇家が私的に雇用した職員が通い、お買い物のサポートなどをしていましたからね。眞子さんは結婚で皇室とは縁を切ったつもりでいるのかもしれませんが、“援助”は続いているのです」■10人の警察官が3交代制で警護を甘い雰囲気が漂っているであろう小室夫妻の仮住まい生活だが、一歩外に出ると、ピリピリとした緊張感に満ちあふれている。サービスアパートの小室夫妻の部屋の周囲では、SPたちが24時間体制で警護を続けているのだ。「警護は、警視庁警備部が指揮を執っており、ほかにも所轄署から人員を派遣してもらっています。建物の外に5~6人、建物の中に4~5人。あわせて10人ほどが3交代制で詰めていますので、1日にのべ30人ほどが身辺警護のために稼働していることになりますね」(警察庁関係者)眞子さんの渡米は11月中旬以降になる予定だという。「この体制を1カ月続けるとすると、警護費用は1千800万円ほどになるでしょうか」(前出・警察庁関係者)眞子さんと小室さんが外出する際には、さらに多くの警察官が出動することになる。「10月28日に小室夫妻は、東京都内の運転免許試験場を訪れています。眞子さんの国際運転免許証の取得や、小室さんの運転免許の更新などの手続きのためと思われます。アパートからは黒塗りのワンボックスのハイヤーで移動しましたが、助手席には女性SPが同乗していました。またその後ろには、セダンタイプの警察車両が続き、4人のSPが乗っていたのです。さらに運転免許試験場には5~6人の警察官が配置されていました」(前出・皇室担当記者)■司法試験不合格で今後さらなる援助が冒頭の病院のお見舞いも、ほぼ同じ警護レベルだった。外出時の増員を含めると、警護費用は2千万円にもなるだろう。民間人になったのだから、税金で警護をするのはおかしいのでは……。そんな批判の声もある。だが10月26日付の毎日新聞の報道によれば、眞子さんの警護について、ある警察幹部はこう語ったという。《皇籍を離脱されても、国内にいる限り、お守りするのが我々の仕事だ》眞子さんが望むと望まざるとにかかわらず、警察は小室夫妻を守り続けるのだ。実は、元皇族という立場である限り行われる“援助”は、日本での宮内庁職員による買い物代行や警護ばかりではないという。ニューヨーク在住の日本人ジャーナリストはこう語る。「眞子さんの渡米を前に、すでに何カ月も前から在ニューヨーク日本国総領事館のスタッフが動きだしています。警護体制から買い物をどこですべきかまで、綿密なリサーチを進めてきたのです」総領事館の動きについて、前出の宮内庁関係者はこう解説する。「外務省の指示があったということで、おそらく宮内庁から協力要請があったのだと思われます。宮内庁にも“元皇族のお世話”も仕事の一環という認識があるのです。通常では外務省への依頼は宮内庁の式部職が窓口になっています」本誌の取材によれば、小室夫妻の新居はマンハッタン島のアッパーウエストサイドにある高級アパートメントの予定だという。日本でいうところの2LDKで、家賃は約80万円。「小室さんが弁護士になれば年収2千万円ほど。眞子さんと共働きであれば、年間1千万円近くの家賃も支払いは可能でしょう。小室さんは司法試験に再挑戦するそうです。しかし、ずっと合格できずに法務助手の立場のままであれば、生活設計の見直しも必要となるでしょう」(前出・皇室担当記者)
2021年11月02日10月26日、秋篠宮家の長女・眞子さんと結婚した小室圭さん。翌27日には眞子さんと運転免許試験場を訪れるなど、ニューヨークでの新婚生活に向けて準備を進めていた。ところが、新婚間もない小室夫妻に暗雲が立ち込める出来事が。なんと圭さんが、ニューヨーク州の司法試験で不合格となってしまったのだ。「試験を主催するニューヨーク州の司法試験委員会は、28日に合格者数を5,791人と発表しました。ですが29日にホームページで公表された合格者の名簿には、圭さんの名前がなかったのです。一方、名前が発表された合格者数は5,785人で、残った6人の名前は未公表でした。そのことから圭さんに、『名簿に掲載されていないだけで、合格している可能性もあるのではないか』といった憶測も飛び交っていました」(皇室担当記者)NHKによると圭さんの合否の結果を明らかにしたのは、圭さんが日本でパラリーガルとして勤務していた奥野総合法律事務所の奧野善彦弁護士。奥野氏は30日午前に、圭さんから電話で報告を受けたとのこと。圭さんは「今回の試験の結果は不合格でした。大変申し訳ございません」と謝罪し、「来年2月の試験に再びチャレンジします。努力を積み重ねていきます」と話したという。奥野氏は眞子さんとも話したといい、眞子さんは「小室さんの話をそのとおりに受け止めています」と夫の勉強を支える意思を示していたという。「圭さんは、今年5月にフォーダム大学のロースクールを卒業。その後、7月に司法試験を終えてからわずか1カ月あまりで、眞子さんと年内に結婚する方向で調整が進められていると報じられました。すでに圭さんはニューヨークの弁護士事務所『ローウェンスタイン・サンドラー』に就職し、法務助手として働いています。つまり、合格を見越した上で結婚を進めてきたのです」(前出・皇室担当記者)しかし圭さんが不合格となれば、描いていた眞子さんとのニューヨークでの新婚生活に支障をきたす恐れも出てくる。「すでに新居として、ドアマンが常駐する家賃80万円ほどのアパートメントを契約しているそうです。広さは約100平方メートルの2DKで、場所はマンハッタン島の西側にある高級住宅街のアッパーウエストサイド。治安がよい場所で知られており、公園や世界的にも有名な文化施設が多数あります。そのため育児に適している地域として、セレブも大勢住んでいます」(NY在住のジャーナリスト)弁護士の道から遠ざかってしまった圭さんに、果たしてそのような“セレブ生活”が維持できるのだろうか。「ニューヨークで余裕のある暮らしが成り立つのは、圭さんの収入があってこそでしょう。圭さんが弁護士資格を取得すれば、2,000万円前後の年収を得ることができると言われていました。しかし現在の法務助手のままだと、年収は600万程度だといいます。眞子さんもメトロポリタン美術館で働く可能性が浮上しており、そうなれば学芸員の年収は1,500万円だといいます。ですが夫婦の世帯年収が当初予定していた3,500万円から2,100万にまで下がってしまうとなれば、年間家賃1,000万円のアパートメントで暮らすのは厳しいのではないでしょうか」(前出・ジャーナリスト)圭さんが次回、司法試験を受けるのは来年2月。新婚早々にもかかわらず困難に見舞われた夫妻は、どのように乗り越えていくのだろうか。
2021年10月31日10月26日に結婚した小室眞子さん(30)と圭さん(30)。29日夕方に訪れたのは、祖父・川嶋辰彦さん(81)が入院している都内の病院だった。小室さんが川嶋さんのお見舞いに訪れたのは初めてのこと。今月19日に緊急入院した川嶋さんだったが、体調は回復してきているのか、小室さんと眞子さんはリラックスした表情だった。眞子さんはニットにスカート、小室さんは鮮やかなブルーのシャツに黒のジャケットというカジュアルな装い。実は病院には2人から少し遅れて佳子さまも到着していた。眞子さんと佳子さまといえば、結婚当日の秋篠宮邸の前での抱擁が話題になったが、3日ぶりの再会となった。「結婚会見のホテルにも佳子さまはいらっしゃいました。今後も佳子さまは、小室夫妻のサポートを続けていかれるのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
2021年10月30日今年の歌会始で《烏(からす)瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に》との和歌を発表した眞子さん。「よき便り」の花言葉を持つ烏瓜を詠んだその歌は、秋の結婚を暗示しているとも言われていた。長年の思いを実らせ、ついに小室眞子さんとしての新生活が始まる。そんな眞子さんと圭さんの写真ヒストリー30年ーー。■小室圭さん’91年10月5日、小室家の長男として誕生。好きな言葉は「LET IT BE」。趣味はスキー、バイオリン、料理。【冬休みは家族でスキーに】’98年、父の敏勝さん、母の佳代さんと長野県・菅平へスキー旅行に。この4年後、敏勝さんは他界。【インターナショナルスクールに進学】インター時代の1コマ。英語を身につけるため国際色豊かな学校を選んだ。■眞子さん’91年10月23日、秋篠宮家の長女として誕生。「眞」の字は「ありのままに人生を歩む」という願いから。スキーが好きで体育会系。【夏は軽井沢で過ごすのが定番】毎年夏にご一家で静養されていた軽井沢。眞子さんと佳子さまはよく姉妹でペアルックを。写真は’98年。【悠仁さま誕生で3姉弟のお姉さんに】’08年、1歳の悠仁さまと。結婚後も将来の天皇の姉という立場は変わらない。【“海外志向”の2人は留学説明会で意気投合】’10年、インターナショナルスクール卒業後、国際基督教大学へ進学。【眞子さんは2回イギリスへ留学】’12年の留学説明会が交際のきっかけに。眞子さんはエディンバラ大学へ。英国レスターにも約1年間留学。’14年【交際5年で婚約内定!しかし結婚は延期に……】圭さんが眞子さんにプロポーズしたのは’13年12月のこと。真剣交際を経て’17年9月に婚約が内定するも、佳代さんの金銭トラブル発覚で結婚は延期に。しかし、約4年間2人の愛は変わらなかった。【結婚前には各所へご挨拶に】18日、赤坂東邸で秋篠宮ご夫妻と眞子さんに挨拶し、元の勤め先へ。19日、結婚の奉告のため、洋装で皇居の宮中三殿を私的に参拝。22日、御所を訪ね、天皇皇后両陛下に感謝の気持ちを伝えた。逆境でも意志を貫いた眞子さん。最後の誕生日写真で一緒に写っていたのは、熟した烏瓜うりだった。
2021年10月30日秋篠宮家の長女・眞子さん(30)が10月26日、小室圭さん(30)と結婚された。さらに当日、眞子さんが妹の佳子さまと抱きしめ合うシーンが。その“姉妹愛”は大きな反響を呼んでいる。同日、午前に婚姻届が受理され皇籍を離脱し、民間人になった眞子さん。生まれてから殆どの時間を過ごした赤坂御用地も離れることに。午前10時過ぎ、眞子さんは玄関で父親の秋篠宮さまと母親の紀子さまへ挨拶。そして佳子さまと一礼し合うと、佳子さまは両手を広げて眞子さまに力強くハグされたのだ。皇族から離れる眞子さんを万感のハグで送り出された佳子さま。この姿には《尊すぎる》《泣ける》といった感動の声が相次ぐ形に。さらに、あるディズニー映画を思い浮かべる人もいたようだ。それは『アナと雪の女王』だ。アレンデール王国に住む雪や氷を作り出す魔法の能力を持った姉・エルサと魔法は使えないが明るい妹・アナとの絆を描いた大ヒット作だ。佳子さまは眞子さんの結婚に際し、こうコメントを発表している。《姉は、これまでもこれからも、自分にとってとても大切な存在です。一緒に楽しい時間を過ごせましたし、姉がいてくれたおかげで救われた気持ちになったことが多くありました。心から感謝しています。また、小室圭さんが姉のことを大切に思ってくださっていることをありがたく感じています》アナとエルサのように立場の違う2人が互いに支えあう眞子さんと佳子さま。さらに、映画ではアナとエルサの抱擁シーンもあることから、ネットでは2人の関係性に「リアルアナ雪!」と感動する声が上がっている。《眞子さまと佳子さま……まるでアナ雪の王女・エルサとアナ姉妹のようで感動した、、》《眞子さま佳子さまリアルにアナ雪だ〜》《眞子さまと佳子さまの姉妹愛ママ目線から見ると泣けるリアルアナ雪》また眞子さんのお名前には「自然に飾ることなくありのままに人生を歩む」という秋篠宮ご夫妻の願いが込められている。そして、『アナ雪』の主題歌といえばご存知『レット・イット・ゴー~ありのままで~』だ。その“ありのままを大切に”という共通点から、ネットでは《眞子さまはありのままを生きることにしたんだね》《ありのままに、強く生きてください!おめでとうございます》といった声も上がっている。実際、眞子さんと佳子さまは’19年12月に『アナ雪2』を映画館で鑑賞されている。二人は抱き合ったとき、アナとエルサの姉妹の絆を思い浮かべたかもしれない。
2021年10月27日日本中が注目した、小室圭さんと秋篠宮ご夫妻の長女である眞子さまの結婚会見。2021年10月26日に開かれた同会見では、眞子さまの体調を考慮し、質疑応答の手順を省く形で行われました。小室圭さん・眞子さま、会見で明かした結婚への思い【全文】同日放送の情報番組『news every.』(日本テレビ系)では、2人の結婚会見を解説を交えて特集。番組MCを務める同局の藤井貴彦アナウンサーは、「緊張感が、見ているほうにもうつってきました」とコメントし、さらにネットの誹謗中傷に対しても持論を展開しました。誹謗中傷の危険性について何度も訴えてきた藤井アナ宮内記者会と日本雑誌協会、そして日本外国特派員協会が事前に提出した質問に対する回答文書内で、今後の一番の不安点をあげていた眞子さま。そこには、眞子さまご自身の家族、小室さんや小室さんの家族に対する誹謗中傷が続くのではないかという不安が記されていました。藤井アナは、眞子さまが明かした不安に対して視聴者に呼びかけを行うとともに、改めて祝福のコメントを送っています。多くの方が、もしかすると心の中に『ご批判』の思いを持っていらっしゃるかもしれないんですけども、みなさんの大切な言葉をSNS上で浪費することがないようにと願っています。まずは眞子さん、誕生日とご結婚と、これからの未来、本当にいいものになるようにと願っております。おめでとうございます。news every.ーより引用2人の会見映像を見て、「もうこの後は、2人の問題になっているんじゃないかと思います」とも語っていた、藤井アナ。これまでにも、誹謗中傷や言葉の暴力の危険性について、番組を通じてたびたび訴えてきた藤井アナの言葉は多くの視聴者の共感を呼んでいます。・本当にその通り。眞子さまに限らず、相手が誰であっても誹謗中傷はしていいものではない。・相手の心に寄り添える藤井アナ、素敵です。・的確に、それでいてやんわりと指摘する藤井アナの言葉は、心に響く。藤井アナがいうように、言葉とは本来大切なもののはずです。言葉1つで、相手を傷付けることも、逆に幸せにすることもできます。眞子さまや小室さんに限らず、人の言葉で理不尽に傷付けられることがない世の中になることを、多くの人が願っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年10月27日10月26日午前、秋篠宮家の長女・眞子さまが小室圭さんと結婚。婚姻届が受理され、同日午後、“小室眞子さん”として圭さんと結婚会見に臨んだ。17年9月に行われた婚約内定会見では、ミントグリーンのワンピース姿が話題を呼んだ眞子さん。今回選んだのは同じく寒色系の、淡いブルーのワンピースだった。ファッションライターの味澤彩子さんは、婚約内定会見との違いについてこう語る。■婚約内定会見より大人っぽく「4年前のワンピースは肩がふんわりした袖で、ボトム部分がタックで広がるフレアラインと愛らしい印象だったのに比べ、今回のワンピースは同じく膝丈ながら、ボトムス部分はすっきりとしたデザインで全体的に落ち着いたイメージに。ボレロを羽織っているかのように見えるパイピングが程よくエレガントなアクセントになっています」さらに、ジュエリーにも変化が。「一連のパールネックレスは前回と同じとお見受けしますが、イヤリングは揺れるタイプから落ち着いた印象の一粒パールに。総じて、大人っぽく洗練された雰囲気に変わっていることが印象的でした」■スーツに表れた自由な空気一方、小室圭さんはストライプのスーツに紺色のネクタイを合わせていた。この装いに、味澤さんは違和感を覚えたという。「公式な場では通常、無地のスーツ、無地のネクタイが適しているので結婚記者会見という場でのTPO的には不思議な感じはありました。フォーマルな眞子様に比べてカジュアルな印象です。前回の婚約記者会見時もピンストライプのスーツを着ていたので、ここぞというときの勝負スーツがピンストライプ柄なのでしょうか。前回は、レジメントストライプのネクタイ、レギュラーカラーのシャツを合わせていて若々しい印象。今回は上級者な小紋柄のネクタイになり、こなれた雰囲気に。全身を通して、古臭い日本の慣習にとらわれずに自由に生きている空気が感じられました」■結婚指輪は意外にもカジュアルそして、注目を集めたのが、お二人の結婚指輪。赤坂御用地の御仮寓所を出発する際は眞子さんの指には何もつけられていなかったが、会見時には左の薬指に葉っぱのようなデザインが施された指輪が。圭さんの指輪にはキルティングのような紋様が入っていた。「地金にボリュームがありカジュアルな印象だったのが意外でした。圭さんとのペアリングもマルコム ベッツのタフな太めリングでしたので、きっと長くつける結婚指輪はお二人の好みを重視して選んだのではないでしょうか。ただ、圭さんの指輪が第二関節のあたりまで上がってきていて、サイズが合っていないようだったのが不思議でした」会見後、車で新居に向かう際には束ねていた髪をおろし、洋服も着替えていた眞子さん。今後は自由な生活が待っている。
2021年10月27日2021年10月26日、秋篠宮ご夫妻の長女である眞子さまが、婚約内定から4年余りを経て、小室圭さんとご結婚されました。皇室から離れ、今後は『小室眞子』さんとして、新たな人生を歩むことになる眞子さま。この日、婚姻届けを提出したお2人は、記者会見で結婚についてのお気持ちを述べました。眞子さまの会見最後の言葉に、多くの人が胸を締め付けられた理由眞子さまの体調を考慮した結果、今回の会見では質疑応答の手順を省くことに。ご結婚についての考えや、皇族としての30年間について。そして、これまで関わってきた人への感謝の気持ちを述べた眞子さまは、最後にこのように思いを明かしました。今、心を守りながら生きることに困難を感じ、傷付いている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人の温かい助けや支えによって、より多くの人が心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております。同月1日、複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)との診断を受けられた眞子さま。宮内庁によると、眞子さまご自身やご家族、小室さんなどに対する誹謗中傷と感じられる出来事が原因だといいます。また、今回のご結婚についてマスコミで頻繁に取り上げられ、世間から批判的な言葉が上がっていた点も関係しているでしょう。会見後、眞子さまの最後のお言葉に共感する声が上がりました。・本当にそう。この考えがもっと広まって、優しい社会になってほしい。・眞子さまのこれまでを考えると胸が痛む。なんて優しいお言葉だろう。・涙が出た。眞子さまの今後の人生も、幸せなものでありますように。会見後に書面での質疑応答を行った際、眞子さまは今後について「一番大きな不安は、私や私の家族、圭さんや圭さんのご家族に対する誹謗中傷がこれからも続くのではないかということです」と述べています。結婚して皇室を離れても、眞子さまは心を守り続けなくてはならないのかもしれません。これからは、眞子さまを含めた多くの人が、心を大切に生きていける社会になることを祈るばかりです。[文・構成/grape編集部]
2021年10月26日《姉は、これまでもこれからも、自分にとってとても大切な存在です》10月26日、秋篠宮家の次女・佳子さまは、小室圭さんと結婚した姉の眞子さんに、祝福のコメントを発表された。佳子さまは《一緒に楽しい時間を過ごせましたし、姉がいてくれたおかげで救われた気持ちになったことが多くありました。心から感謝しています。また、小室圭さんが姉のことを大切に思ってくださっていることをありがたく感じています》と、姉夫妻への感謝の気持ちを綴られている。同日午前、眞子さんと小室圭さんの婚姻届けが自治体に受理された。’17年9月に婚約内定会見を開いてから4年あまり。ついに「小室眞子さん」としての一歩を踏み出したのだ。民間人となった眞子さんは午前10時すぎ、生まれ育った秋篠宮家に別れを告げることとなったが、とりわけ印象的だったのは佳子さまからの“エール”だった。宮廷の玄関口から姿を現した眞子さんは、淡いミントグリーンのワンピースに身を包み、手にはハンドバッグとチューリップの小さなブーケを携えていた。はじめに宮内庁皇嗣職の幹部職員や報道陣に向けて深々とお辞儀すると、眞子さんはご家族の方に歩み寄り、秋篠宮さま、紀子さまにそれぞれ三度ずつお辞儀した。最後に妹の佳子さまに頭を一度下げたその時、佳子さまが笑顔で両手を広げて眞子さんをハグされたのだ。眞子さんは佳子さまの顔を見て何度も頷くと、そのまま迎えの車へ乗り込んでいった。この光景に、Twitter上では《姉妹のハグ泣ける》《眞子さんと佳子さまのハグ、尊すぎ》と感動の声が相次いでいる。佳子さまは3歳年上の姉・眞子さんと、26年間、仲睦まじく過ごされてきた。眞子さんの結婚が延期されたあとも、“心強い味方”として眞子さんを応援する発言をされてきた。’19年3月、佳子さまは国際基督教大学(ICU)のご卒業に際した文書でも《姉は、小さい頃から私のことを非常にかわいがってくれましたし、いつでも私の味方でいてくれました。いつもありがとうと思っています》と眞子さんへの感謝を記されていた。さらに眞子さんの結婚が延期になったことについて、次のようにキッパリと主張されたのだ。《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています》佳子さまの願い通り、眞子さんは小室圭さんとの結婚を成就させた。離れ離れになっても、姉妹の絆は永遠だろうーー。
2021年10月26日2021年10月26日、正式にご結婚された秋篠宮ご夫妻の長女である眞子さまと小室圭さんが、そろって会見に臨みました。眞子さま現在、新型コロナウイルス感染症の影響が続き、大変な思いをされている多くの方々にお見舞いを申し上げます。そして、困難の中にある人を助け、私たちの生活を支えてくださっている方々に、深く感謝申し上げます。本日、みな様にお伝えしたいことがあるため、このような場を設けました。私が皇族として過ごしてきたなかで抱いてきた感謝の気持ち、私たちの結婚を心配し、応援してくださった方々への感謝、これまでの出来事のなかで私たちが感じてきたことや結婚への思いなどについて、お話ししたいと思います。この30年間、 たくさんの方々に助けられ、見守られ、支えられてきました。心を込めて私と一緒に仕事をしてくださった方々に、心から感謝申し上げます。訪問した先々では、たくさんの方々が優しい言葉と笑顔で迎えてくださいました。直接お目にかかる機会のあった方も、お目にかかることのなかった方も、私に温かい気持ちを向けてくださったすべての方々に、心から感謝申し上げます。数々の出会いが私にとってどれほど大切であったか、到底いい表すことができそうにありません。これは、今後も決して変わらない思いです。私と圭さんの結婚について、さまざまな考え方があることは承知しております。 ご迷惑をおかけすることになってしまった方々には、大変申し訳なく思っております。また、私のことを思い、静かに心配してくださった方々や事実にもとづかない情報に惑わされず、私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々に、感謝しております。私にとって圭さんはかけがえのない存在です。そして、私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした。小室圭さん私は眞子さんを愛しております。一度きりの人生を、愛する人とともに過ごしたいと思っています。これまで幸せな時もそうでない時も、さまざまな気持ちを2人で分かち合い、励まし合ってきました。この度の結婚に関してご迷惑をおかけしてしまった方々には大変申し訳なく思っております。いろいろなことがありましたが、眞子さんと一緒に人生を歩みたいという思いを持ち続けられたのは、眞子さんと、これまで周りで私たちを支えてくださった方々のおかげです。心から感謝申し上げます。会見では、小室さんの留学や、小室さんの母親と元婚約者との件についても語っています。眞子さま本日まで、私が公に発言する機会は限られてきました。そのために生まれてしまった誤解もあったと思います。一部の方はご存知のように、婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした。例えば、圭さんのお母様の元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました。圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作ってほしいと私がお願いしました。留学に際して私は一切の援助をできませんでしたが、圭さんが厳しい状況のなか努力してくれたことを有り難く思っています。圭さんのすることが、独断で行われていると批判され、私の気持ちを考えていないといった一方的な憶測が流れる度に、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、つらく悲しい思いをいたしました。厳しい状況の中でも、圭さんを信じ続けてくださった方々に感謝しております。小室圭さん私の母と元婚約者の方との金銭トラブルといわれている事柄について、詳しい経緯は本年4月に公表したとおりです。元婚約者の方には、公表した文書でも書いたように、これまでも折に触れて私と私の母からお礼を申し上げており、今も感謝しております。本年4月に解決金をお渡しすることによる解決をご提案したところ、母と会うことが重要であるというお返事をいただきました。しかし、母は精神的な不調を抱えており、元婚約者の方と会うことにはドクターストップがかかっています。そのため、私が母に代わって対応したいと思い、母の代理人弁護士を通じてそのことをお伝えしました。元婚約者の方からは、元婚約者の方の窓口となっている週刊誌の記者の方を通じて、前向きなお返事をいただいています。解決に向けて、私ができる限り対応したいと思います。 解決金を受け取っていただきたいという気持ちは変わっていません。この数年間、誤った情報があたかも事実であるかのように扱われ、誹謗中傷が続いたことにより、眞子さんが心身に不調をきたしたことを、とても悲しく思います。私の母も心身に不調をきたし、仕事を辞めざるを得ない事態にまで追い込まれましたし、身の危険を感じながら過ごしています。このような苦しい状況にあった私たちを助けてくださった多くの方々に、大変感謝しております。会見の最後に、2人はそろって今後の生活について改めて思いを明かしました。小室圭さん私は眞子さんと、あたたかい家庭を築いていきたいと思います。同時に、これからもできる限りのことをして、眞子さんをお支えしていきたいと思います。幸せな時もそうでない時も寄り添い合える、かけがえのない存在であり続けたいと考えております。眞子さま私たちは2人で新しい生活を始めることになります。これから生きていくなかで、また違った形での困難があると思います。しかし、これまでもそうであったように、2人で力を合わせてともに歩いていきたいと思っています。これまで私たちが自分たちの心に忠実に進んでこられたのは、お互いの存在と、励まし応援してくださる方々の存在があったからです。今、心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が、心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております。今回の会見の前には、赤坂御用地を去る際に妹である佳子さまとの熱い抱擁も交す姿が目撃された眞子さま。眞子さまお見送り時の、佳子さまの行動に涙「涙が出た」「美しい光景」今後、眞子さまは皇室を離れることになりますが、新たな人生が素敵なものになることを秋篠宮ご夫妻と、佳子さまをはじめ、多くの人が願っているはずです。[文・構成/grape編集部]
2021年10月26日2021年10月26日、秋篠宮ご夫妻の長女である眞子さまが、小室圭さんと婚姻届けを提出され、正式にご結婚しました。同日、眞子さまと小室さんは、都内のホテルでご結婚についての会見を実施。眞子さまが複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)との診断を受けられたことから、当初予定されていた質疑応答は行わないことに。結婚についてのコメントを眞子さまと小室さんが述べる形での進行となりました。眞子さまの『お見送り』で、佳子さまが姉妹の抱擁これからは『小室眞子』というお名前で、新たな人生を歩むことになる、眞子さま。赤坂御用地を去る際、眞子さまは秋篠宮ご夫妻と、妹である佳子さまとお言葉を交わしました。その際、佳子さまは眞子さまに歩み寄ると、熱い抱擁をしたのです。眞子さまは皇室を離れることになるため、今後はご家族に会うことが難しくなってしまうかもしれません。血のつながった姉妹だからこそ、分かることもあるはず。姉である眞子さまを抱きしめる佳子さまには、きっといろいろな想いがあるのでしょう。お2人の『姉妹の熱い抱擁』はネットでも話題になり、多くの人から「涙が出た」「なんて美しい光景」といった反響が上がりました。秋篠宮ご夫妻と佳子さまは、きっと誰よりも眞子さまの新たな人生がよいものであるよう、祈っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年10月26日秋篠宮家の長女・眞子さまは10月26日、ついに小室圭さんと結婚される。秋篠宮さまは、結婚について「多くの人が納得し喜んでくれる状況」になるように求めていた。しかし、まだその状況に至っていないと判断された秋篠宮さまは、「納采の儀」をはじめとする結婚に関する儀式を執り行うことをお許しにならなかった。皇室系ユーチューバーらが結婚反対デモを決行するなど、いまだにお二人の結婚には根強い反発の声がある。一方で、報道各社の世論調査を見ると、この1カ月で結婚賛成派が急増していることがわかる。毎日新聞が社会調査研究センターと合同で9月18日に実施した世論調査では、眞子さまの結婚を「祝福したい」との回答が38%で、「祝福できない」の35%をわずかに上回っただけ。この時点では賛否が拮抗していた。しかし、読売新聞が10月4~5日に実施した世論調査では結婚を「よかったと思う」が53%と半数を超え、「思わない」の33%を大きく上回った。さらにANNが10月16~17日に実施した調査では、結婚を「お祝いしたいと思う」が61%で、「思わない」は24%となった。結婚賛成派が反対派にダブルスコアをつける結果となったのだ。「もちろん3つの調査は別々の報道機関によるもので、設問も異なるため単純な比較はできませんが、この1カ月で結婚に賛成する国民が急増しているのは間違いないでしょう」(皇室担当記者)9月末には、小室さんの就職先がニューヨーク州の法律事務所「ローウェンステイン・サンドラー」だと判明するなど、謎に包まれていた留学の“成果”が見える形になった。さらに10月1日には宮内庁から結婚の正式発表と複雑性PTSDの症状についての説明があり、眞子さまの結婚の意志が極めて固いことも国民に伝わった。一方で、結婚延期の原因となった金銭トラブルは未解決。体調不良の母・佳代さんに代わって、小室さんが元婚約者男性と対話する意向で、結婚後も交渉を続けていくとみられる。結婚賛成派は6割を超えたが、それでも秋篠宮さまは「多くの人が納得し喜んでくれる状況」になったとはお認めにならないのだろうかーー。
2021年10月26日出会いから実に9年、婚約内定から4年―――。10月26日、ついに眞子さまは小室圭さんとの結婚を成就させる。しかし、小室家の金銭トラブルが未解決ということもあり、秋篠宮さまは小室さんに対し厳しい姿勢を崩していない。小室さんは18日と24日にも赤坂御用地を訪れたが、いずれも秋篠宮家のお住まいではなく赤坂東邸に通されたという。小室さんは秋篠宮邸に入ることを許されなかったようだ。秋篠宮ご夫妻の姿勢とは対照的に、眞子さまを温かくもてなしたのは天皇皇后両陛下だった。10月22日の夕方、眞子さまは両陛下との面会のため御所へ。宮内庁によると、面会時間は1時間10分ほどだったという。「途中で愛子さまや犬の由莉も加わり、とても和やかな雰囲気だったそうです。とりわけ雅子さまは、長らく適応障害の療養を続けていらっしゃるため、眞子さまの状況は気がかりだったでしょう。アメリカでの生活についてアドバイスされるなど、親身に相談に乗られたのではないでしょうか。帰りの眞子さまの表情が晴れやかだったのは、両陛下の思いやりをお感じになったからかもしれません」(皇室担当記者)眞子さまは、雅子さまとはあまり接点がなかったようにも見える。だが、皇室ジャーナリストによれば、眞子さまと秋篠宮さまとの“亀裂”の原点には雅子さまの存在があったという。「雅子さまは’03年12月に体調を崩され、翌年には適応障害と診断されました。療養のためにご公務への出席を控えられるようになりましたが、その期間が長引くにつれ、一部から“皇族の義務を果たしていない”“遊んでばかり”などと心ない批判を浴びる事態となりました。眞子さまは当時、雅子さまへのバッシングに非常に傷つかれていたようなのです」秋篠宮家の側近の皇嗣職大夫は、眞子さまの複雑性PTSD公表に際して「中学生のころから、身近な方々やご自身に対する誹謗中傷と感じられる情報を日常的に目になさり、精神的な負担を感じておられた」と話している。眞子さまが中学生だった時期は、ちょうど雅子さまが適応障害での療養を始められたころと重なる。■雅子さまを苦しめた皇室の“不自由”ご療養の初期、天皇陛下(当時は皇太子)は会見で「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」とご発言。外務省での経験を生かした国際親善より“お世継ぎ”を産むことばかりが求められ、雅子さまが苦しめられていたと示唆されたのだ。また陛下は「新しい時代を反映した活動を行ってほしい」と、雅子さまの個性を生かしたご公務のあり方も提言されていた。だが、秋篠宮さまの反応は冷淡だった。「せめて陛下(いまの上皇陛下)とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったか」と、記者会見での発言に苦言を呈された。さらに「公務というものはかなり受け身的なもの」と、新たなご公務についても否定的な発言をされたのだ。皇室は、国民に寄り添うことが第一とされてきた。上皇陛下は美智子さまに、結婚に際して「公的なことが最優先であり、私事はそれに次ぐもの」と告げられたという。だが、眞子さまはそんな皇室のあり方に疑問を持つようになっていたのかもしれない。「皇族は“私”を抑えつけてまで“公”に奉仕しなければならないのか――。雅子さまへのバッシングを目の当たりにして、中学生の眞子さまはそうお感じになったのではないでしょうか。そして、どん底にいらした雅子さまを助けようとされる陛下に対し、はしごを外すような発言をされた秋篠宮さまのお考えにも、納得されていなかったはずです。そのころから眞子さまは、皇室の中にいては自由に生きられないと考え、結婚して皇室から“脱出”することを思い描かれていたのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)象徴天皇制を研究する名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは、皇室のあり方も時代に合わせて変わるべきだと語る。「宮内庁には、よりきめ細かな情報発信が望まれます。ネットの声に対しても、場合によっては情報開示や提訴など、積極的な対応が必要かもしれません。私たち国民も、皇族の“私”があることを意識するべきだと思います。もちろん天皇制がある以上“公”の役割は残り続けます。私たちにとって象徴天皇制はどうあるべきなのか考え、公私のバランスを問い直す必要があると思います」皇室からも、日本からも離れて、「小室眞子さん」は何にも縛られず羽ばたいていく――。
2021年10月26日「小室さんと共に、温かく、居心地が良く、笑顔あふれる家庭をつくることができれば、うれしく思います」婚約内定会見で、そんなささやかな願いを口にしてから4年あまり――。眞子内親王はようやく小室圭さんとの結婚を成就させ、「小室眞子さん」としての新たなスタートを切る。4年前の時点では、結婚披露宴は帝国ホテルで盛大に開かれるはずだった。しかし、結婚に関する儀式はいっさい取りやめに。秋篠宮さまは、いまだに小室さんとの結婚に反対なのだという。そのお考えは、小室さんへの対応にもはっきりと表れていた。10月18日、小室さんは秋篠宮ご夫妻に挨拶するため赤坂御用地へと向かった。だが、案内されたのはお住まいではなく、行事などで使われる赤坂東邸だった。しかも、およそ3年ぶりの対面にもかかわらず、30分もたたずに面会は終了したという。24日にも小室さんは会見の打ち合わせのため赤坂御用地を訪れたが、このときも赤坂東邸に通されたという。「小室さんを眞子さまの結婚相手として認めたわけでも、許したわけでもない――。その考えをはっきり示すため、秋篠宮さまは小室さんに、秋篠宮邸への“出入り禁止”を通告されたのでしょう」(宮内庁関係者)翌日の10月19日に眞子さまは宮中三殿を参拝。しかし、あくまで“私的”な参拝とされ、十二単ではなくロングドレス姿で、社殿には上がらず庭上での参拝となった。皇室担当記者は眞子さまの心情をおもんぱかる。「待ちに待った結婚にもかかわらず、皇室として祝福するムードもなく、秋篠宮ご夫妻も厳しい姿勢を崩していません。眞子さまのお写真を拝見すると、ずいぶんとおやせになっているのがわかります。はたして、ここまで苦しむ必要があったのでしょうか……」結婚を前に、眞子さまは10月23日、30歳の誕生日を迎えた。誕生日に際して公開された写真では、妹の佳子さまと一緒に明るい表情を見せてはいるものの、マスクをつけていない眞子さまの顔は“激やせ”といっていい。前出の皇室担当記者は、その中の1枚が気になったという。「眞子さまが烏瓜に触れている写真です。心身が限界に近い中でも、眞子さまはこの写真に強い決意を込められたのだと思います」■和歌に小室さんへの思いを匂わせて…今年3月の歌会始で、眞子さまは《烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に》という歌を詠んでいた。宮内庁は、烏瓜の実が秋の色に染められていくように見える様子を詠んだ歌だという解説を添えていたが、前出の皇室担当記者は「小室さんへの愛を込めた歌だとみて間違いない」と語る。「烏瓜には『よき便り』という花言葉があります。その烏瓜の実が秋の色に染まる……。つまり、この秋に、結婚という“よき便り”が来るようにと願われた歌だったのです。眞子さまも、ご自身の歌がそのように解釈されていたことはご存じだったはずです。小室さんとの結婚が歌のとおり現実となった今、あえて烏瓜の写真を公開したのは、いまだに小室さんとの結婚を許そうとしない父・秋篠宮さまへの“勝利宣言”だったのではないでしょうか」眞子さまといえば、’20年の歌会始では《望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな》と詠まれている。小室さんは4年前の婚約内定会見で眞子さまのことを「月のように静かに見守ってくださる存在」と話しており、2人をつなぐ「月」という特別なキーワードを織り込んだ歌は、小室さんへの“愛の歌”ではないかと話題を呼んだ。さらに、秋篠宮さまが初めて「結婚を認める」と発言される2カ月前には、勤務先の博物館のHPに掲載されたコラムに《まるで時計の針が再び動き出したかのような感覚》と綴られていた。眞子さまはこのように、和歌やコラムに“意味深”なメッセージを忍ばせてきたのだ。「1年に1回、誕生日会見のある秋篠宮さまと違い、眞子さまにはご自身の考えを公式に発信する機会がありませんでした。小室さんに厳しい発言を繰り返し、眞子さまのお気持ちが冷めるのを望まれていた秋篠宮さまに対し、和歌で“小室さんへの思いは決して変わらない”と示すことは、眞子さまにとってせめてもの抵抗だったのかもしれません」(前出・皇室担当記者)
2021年10月26日秋篠宮家の長女・眞子さまが“小室眞子さん”となる日が、刻一刻と近づいている。婚約内定会見で互いの関係を「月と太陽」にたとえたロマンチックな若き2人に、日本中が一躍歓迎ムードとなったのが17年9月のこと。しかし、わずか3カ月後に小室圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルが判明。そこから結婚にいたるまでの道のりは決して平坦なものではなかった。結婚延期など、異例づくめの事態に報道と国民感情は過熱。紆余曲折を乗り越えて、10月26日にようやく晴れの日を迎えられる。信念を貫き通した眞子さまだが、その意思の強さはご自身のきょうだい構成に由来するのではないかと、作家・心理カウンセラーの五百田達成氏は指摘する。『不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち』『察しない男 説明しない女』シリーズを著した氏に、眞子さまと小室圭さんの相性やそれぞれの性格について、 “生まれ順”をもとに考察してもらった。■長子ゆえの「道を切り拓く」パイオニア精神「眞子さまは昨年11月に『結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です』とお気持ちを表明なさっていますが、このお言葉をはじめとして、『長子』の特徴のひとつである“パイオニア精神”が全面的に出ている方だと思っています。『長子』は親にとって一人目のこどもであるため、上にきょうだいがいる『中間子』『末っ子』以上に親から全力の愛情を注がれやすく、その結果、愛された自負ゆえの“全能感”を持っている人が多い。この全能感に下のきょうだいたちへの“責任感”が合わさることで、『私が道を切り拓いていくんだ』といったパイオニア精神が芽生えるのです。だから、お小遣いの金額交渉といった“面倒ごと”を進んで引き受けるのは決まって『長子』で、『中間子』や『末っ子』は空気を読みつつタダ乗りするというのがよくある構図です。反面、どのきょうだい属性よりも“家”を守っていく意識も高くなるのが『長子』ですが、眞子さまの場合は事情が少し特殊です。父である秋篠宮さまは現在では皇子継承順位1位であられますが、もともとは兄と妹に挟まれた『中間子』。“お世継ぎ”の意識は希薄で、眞子さまたちにも“自由で現代的”な教育方針を与えられていました。くわえてご結婚後には苗字を獲得し、皇室を離脱するのが女性皇族の習わし。だからこそ眞子さまには、“家を守る”意識や親につき従う性質よりも、妹や弟の今後を思う“パイオニア精神”の方が強く性格に表れやすいのでしょう」■マイペースさが表れた “ストライプスーツ”一方、夫となる圭さんは「一人っ子」。「長子」以上に親の愛情を独占できるわけだが、どのような特徴があるのだろうか。「『長子』と同様な自己肯定感を持ちやすいのですが、きょうだいがいないぶん性格はきわめてマイペースになりやすいのが『一人っ子』です。新卒入社した三菱UFJ銀行を辞めてパラリーガルになったエピソードも、実に『一人っ子』らしいですね。秋篠宮ご夫妻へご挨拶に行った際も、物議をかもしたロン毛は散髪したものの、着用していたのは“ストライプ”のスーツ。ただ、単純に『常識がない』のではなく、周囲の空気を読むこと自体に、そもそもあまり価値を見出していない部分がありそうです。また『一人っ子』は親、特に異性の親とはべったりとした関係になりやすいのも特徴ですが、それは親自身も同じ。ですから佳代さんがどんな風に振る舞ったところで、圭さんがぞんざいに扱うことは今後もまずできないでしょうね」■眞子さまと圭さんの結婚相性は良好!似た部分があるという「長子」と「一人っ子」だが、2人の相性について五百田氏はこう分析する。「親にとって一人目の子供である『長子』と『一人っ子』は、自分の親や家のことを考えるもの同士なので、恋愛や結婚の相性は基本的に良好です。その上で結婚生活を円満に築くためにポイントとなりそうなのは、眞子さまが家庭の主導権を握ること。眞子さまは『長子』らしい責任感で、“自分たちの家庭”へのビジョンをはっきりと描かれていらっしゃるかと思います。一方で、いきなりNYに行ってしまうような『一人っ子』らしい圭さんは、おそらく家庭や将来の絵図は明瞭ではないのかなと。また『長子』にはひとたび腹をくくれば“ファイティングポーズ”ともいえるような意思の強さを発揮しますが、こうした傾向は眞子さまもお持ちのはず。だからこそ圭さんが適度に眞子さまの“尻に敷かれる”スタイルが、2人にはしっくりきそうです」結婚後は渡米する2人。皇室を出て、慣れない土地で新生活を始められる眞子さまに対し、世間では不安の声も大きいが、氏からは意外な反応があった。「皇室のなかにはまだまだ守旧的な価値観も根強いのに、眞子さまは東京大学総合研究博物館の特任研究員として働かれるなど、“現代的で自立した”女性でいらっしゃいます。たしかに現在は心配する国民も多いでしょうが、強い芯をお持ちの眞子さまですから、“家を離れる”選択は、ご本人に合った決断だといえるのではないでしょうか。さらにここで眞子さまが前代未聞の“一時金辞退”や結婚後すぐの海外移住をなさることで、佳子さまや愛子さまの未来をも拡げることになっているはず。まさに“パイオニア”ですね」一挙手一投足に注目を浴びながらもけっして諦めることなく、ついに思いを遂げられる眞子さま。その芯の強さは、渡米後の新婚生活でも発揮されることだろう。【PROFILE】五百田達成(いおたたつなり)米国CCE, Inc.認定 GCDFキャリアカウンセラー。東京大学卒業後、角川書店、博報堂・博報堂生活総合研究所を経て「コミュニケーション心理」「社会変化と男女関係」「SNSと人づきあい」「ことばと伝え方」をテーマに執筆・講演。11月9日に『超話し方図鑑』を上梓する。
2021年10月24日10月23日、眞子さまは30歳の誕生日を迎えられた。小室圭さんとの結婚も間近に迫るなか、眞子さまの誕生日の前日に喜ばしいニュースが舞い込んだ。《1st Prize: Kei Komuro, Fordham University School of Law》なんと、小室さんがニューヨーク州弁護士会の主催する論文コンペティションで優勝したのだ。昨年の同コンペでも’19年に寄稿した論文が2位を受賞しており、2年連続での快挙となった。コンペは学生を対象にしたビジネス法に関するもので、今回、小室さんが執筆した論文のテーマは「ウェブサイトのアクセシビリティにおけるコンプライアンス上の問題と起業家への影響」。優勝した小室さんには2000ドル、日本円で約23万円が与えられ、さらには表彰式が、偶然にも結婚当日である26日にオンラインで行われるというのだ。結婚目前のタイミングで発表された小室さんの快挙に、驚きと称賛が相次いでいる。歌舞伎俳優の市川海老蔵(43)は22日にブログを更新し《すごっ!おめでとうございます!!素晴らしい結果を知り嬉しいですね凄い事だなーと思います!》と祝福。国際弁護士でニューヨーク州弁護士資格も持つ清原博氏(50)も22日に出演した『ゴゴスマ』(TBS系)で、「これはもうスーパーマンですよ」と褒め称えた。本誌は今年4月、優勝した小室さんの論文をいち早く入手していた。論文は、今年3月に刊行された法律専門誌『NY Business Law Journal』に掲載された。同誌は小室さんの論文を《初めてウェブサイトを開設しようとしている企業が考慮すべきことを、明確かつ論理的に説明している》と絶賛。優勝するほど高く評価された論文とは、いったいどのような内容なのだろうか?■法的な落とし穴を避けるには……まず小室さんは論文のはじめに、起業家が自分でウェブサイトを作ると《法的な落とし穴に陥りやすくなります》《自分たちがどんな法的リスクを負っているのか、それにどう対処すべきか、わからないことが多いのではないでしょうか》と問題提起。そして「フォーダム・コーヒー」というコーヒー店を営む架空の人物・ジョンを登場させ、ウェブサイト開設で直面する課題について次のように具体例を挙げて解説している。《たとえばフォーダム・コーヒーのオリジナルブランドのコーヒー豆がエチオピア産なのに「コロンビアン・コーヒー」と名付けると、原産地を誤って表現することになるので、使用するべきではありません》《似たような名前の会社(Starbucks)が存在するため、「Star Bags Coffee Club」という名前にすべきではありません》論文の最後には《法律を理解することで、ビジネスオーナーは潜在的な訴訟を回避し、他のビジネスとの差別化を図ることができます》と綴り、次のように締めくくっている。《Webサイトのアクセシビリティに関するすべての問題に対処することは困難な場合もありますが、法的な落とし穴を避け、潜在的なリスクをできる限り抑えるためには、企業家は常にWebサイトのコンプライアンスに関する法律について最新の情報を得る必要があります》その一方で論文が掲載された直後の4月8日、小室さんは母・佳代さんと元婚約者との金銭トラブルについて説明文書を発表した。約4万字、脚注36個というボリュームの文書は、まるで論文のようだった。「おそらく時期的にも、小室さんは今回の論文と説明文書を並行して書き上げたのでしょう。費やした時間や労力は計り知れませんし、ましてやコンペで1位を勝ち取るとは脱帽です。コンペの過去の受賞者は、アメリカのトップクラスの法律事務所に就職したり、世界有数の金融機関や国際的な環境保護団体に進んだりと活躍しています。小室さんがニューヨークで弁護士として活動していくにあたって、今回の優勝は有用な実績になるでしょう」(皇室担当記者)金銭トラブルについては、未解決のまま結婚の日を迎えようとしている小室さん。論文コンペでの優勝は、結婚に納得してくれる人をひとりでも増やすことにつながるだろうかーー。
2021年10月24日小室圭さんとの結婚を前に、10月23日、秋篠宮家の長女・眞子さまは30歳の誕生日を迎えられる。上皇ご夫妻の初孫として期待に応えてきた眞子さまが、前代未聞の騒動の当事者となってしまったのはなぜなのか……。秘蔵写真とともに振り返る。眞子さまが高等科1年生のとき、弟の悠仁さまがご誕生。女性天皇容認の議論はストップし、眞子さまは“将来の天皇の姉”になられたのだ。高校生のうちに海外ホームステイや単独ご公務も経験され、皇室一の“優等生”とみられるようになっていく。大きな転機となったのは国際基督教大学(ICU)への進学だった。学習院を離れ、自ら別の環境を選ばれた眞子さま。ICU入学から2年ほどで同級生の小室さんとの交際がスタート。自由を求めた決断によって、小室さんと出会ったのは必然だったのか。そして2度のイギリス留学で周囲の目を気にせずに過ごす解放感を味わった眞子さま。このころにはもう、小室さんとの海外生活を思い描かれていたのかもしれない。‘17年9月、ツーショットでの婚約内定会見。眞子さまは「小室さんは私を温かく励ましてくださる存在でございます」「最初に惹かれたのは,太陽のような明るい笑顔」と、笑みを浮かべてお答えになった。小室さんとの幸せな未来を信じて疑わなかったはずだ。しかし同年12月、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルが発覚し状況は一変。結婚延期という苦渋の決断を下された。金銭トラブルが未解決のまま小室さんが単身渡米したのは、一刻も早く弁護士資格を取得し眞子さまとのニューヨーク生活を実現させるためだったのか。結果的にこの選択が騒動を長期化させ、眞子さまは精神的に追い詰められていった……。《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》と、眞子さまが譲れない気持ちを文書で示された‘20年11月、秋篠宮さまも結婚を認めると明言された。それから10カ月、弁護士事務所への就職を決めた小室さんは満を持して帰国した。儀式なし、一時金辞退という異例の結婚となるが、2人にとってそれ以外の選択はなかったのか……。皇室、そして日本からも離れ、眞子さまは小室さんとの幸せを追い求める。
2021年10月22日秋篠宮家の長女・眞子さまは10月23日、30歳の誕生日を迎えられる。信念を曲げることなく、ついに小室圭さんとの結婚を成就される眞子さま。“まっすぐ”に歩んだ30年を秘蔵写真とともに振り返る。「かわいい顔して……。私に似て」眞子さまご誕生の翌朝、秋篠宮さまはお顔をほころばせた。‘91年10月23日に誕生されたご長女に、秋篠宮ご夫妻は「眞子」と命名された。「眞」には「自然のまま、ありのまま」の意味があり、秋篠宮さまは「自然に飾ることなく、人生を歩まれる」ことを願って名付けられたという。眞子さまが1歳くらいのころ、秋篠宮家の夜の日課はおやすみの挨拶回りだった。ナマズの水槽の前で紀子さまと「ナマズさん、おやすみなさい」と一緒におじぎ。カメや庭のハニワにまで「おやすみなさい」をして眠りにつかれていたという。“生あるものに対するいつくしみの心を育んでいこう”という、秋篠宮ご夫妻のお考えだったそうだ。初孫の眞子さまを、美智子さまはとくにかわいがっていらした。眞子さまが学習院初等科3年生のときに、ご養蚕について伝える手紙を綴られ《おととし眞子ちゃんは、このまゆかきの仕事をずいぶん長い時間てつだって下さり、ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました》とお褒めになっている。心優しく真面目に、すくすくと成長された眞子さまは、皇室の“優等生”と呼ばれるほど熱心にご公務に取り組まれるようになる。そんな“まっすぐさ”は、幼少期の秋篠宮ご夫妻の教育、美智子さまを始めとする皇室の方々との交流のなかで育まれたのかもしれない――。
2021年10月22日10月18日午前8時前、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)との結婚を26日に控えた小室圭さん(30)が、秋篠宮ご夫妻に挨拶をするため、横浜市内の自宅を出発した。小室さんの髪は、帰国の際に話題となった“ちょんまげ”を切り、短く切りそろえていた。赤坂御用地に入った小室さんは、眞子さまとおよそ3年2カ月ぶりに再会。昼過ぎには御用地を離れるまで、3時間半ほどの滞在だった。小室さんは2017年9月の婚約内定会見で、眞子さまのことを「月のように静かに見守ってくださる存在」と語り、夜空にきれいな月を見つけて眞子さまに思わず電話したエピソードを明かしている。まさかの偶然か、10月18日の夜は「十三夜」だったのだ。「十三夜」とは、旧暦の9月13日の夜を指す。この日に見える月は、「中秋の名月」とされる「十五夜」に続く名月として、古くから愛でる風習がある。18日の東京の夜空は、多少雲が出てはいるものの、夜空を美しく照らす月がはっきりと見えた。SNS上にも、このロマンチックな偶然に驚く声が見られた。《小室圭さんが眞子さまのことを月に例えていましたね》《十三夜の日に結婚相手と再会できた小室圭さん、眞子さまを幸せにしてね》《この日を意識して眞子さまに会いに行った?》《小室さんは眞子さまに電話してるのかな》来週26日には婚姻届を提出し「小室夫妻」として記者会見に臨まれるお2人の未来を、「十三夜」の月が静かに照らしていたかのような偶然の出来事だったーー。
2021年10月21日紀子さまの父で、学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(81)が、10月19日に都内の病院に緊急入院したことがわかった。報道によると、紀子さまは眞子さま、佳子さまとご一緒に、同日午後2時半ごろに病院へ駆けつけられた。川嶋さんの詳しい容体については、わかっていないという。眞子さまの結婚1週間前にして、秋篠宮家に走った大激震――。奇しくも同日は、眞子さまが午前中に皇居・宮中三殿を私的に参拝し、小室圭さんとの結婚を報告された日だ。眞子さまにとって、川嶋さんは祖父にあたり、上皇ご夫妻と同じ孫を持つ身だ。上皇ご夫妻は、「複雑性PTSD」と診断された眞子さまを心配されており、上皇ご夫妻の側近である上皇侍従次長は、8日の定例の記者対応で「上皇ご夫妻、とくに上皇后さまが、眞子さまの健康を案じたいへん心配されている」と明かしていた。川嶋さんも、上皇ご夫妻と同じように眞子さまを心配されていたのではないだろうか。「紀子さまが秋篠宮さまと結婚されてから、川嶋さんはその暮らしを静かに見守ってきました。ですが最近では、紀子さまと眞子さまの対立が報じられたり、お子さまたちの教育方針に疑問の声が上がることもありました。さらにそれだけではなく、川嶋さんご家族の交友関係にまで批判が及んだこともありました。眞子さまの結婚をめぐっては、いまだに批判する国民も少なくなく、決して祝福できる状況にはありません。美智子さまでさえ沈黙を貫かれているなか、川嶋さんが意見を口にすることはありませんでした。実際、川嶋さんは今年8月に一部週刊誌からの取材も丁重に断っています。娘や孫たちを遠くで見守るしかできないだけに、目には見えない心労を抱えていたのではないでしょうか……」(皇室担当記者)思いもよらぬ川嶋さんの入院に、ネット上では川嶋さんの体調を慮る声が広がっている。《心配ですね。快方に向かいますように》《どうぞご容態が安定されるといいですね。ご回復が早ければいいですね》《紀子様のお父様心配ですねご回復御祈り致します》
2021年10月21日秋篠宮家の長女・眞子さまは10月26日、小室圭さんと結婚される。婚約内定から4年あまりでようやくゴールインとなるが、その直前に次女・佳子さまの発言にも注目が集まることとなった。「今後、ジェンダー平等が達成され、誰もがより幅広い人生の選択肢を持てるようになることを、自らの可能性を最大限生かす道を選べるようになることを、それがあたりまえの社会になることを切に願います」10月10日、佳子さまは日本のガールスカウト活動100周年を記念する「国際ガールズメッセ」の式典にビデオメッセージを寄せられ、このように発言されたのだ。さらに今年3月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数」で日本が世界156カ国のうち120位だったことに「この現状はとても残念です」とも述べられた。Twitter上ではジェンダー平等を訴えた佳子さまの発言に《素晴らしいとおもう》《佳子さまを支持します》といった称賛の声が上がった。一方で《天皇制そのものがそうなっていないわけだから、これはかなり踏み込んだ発言》《皇室に対しても仰っているのか?》《男系が、そもそもジェンダー平等じゃないもんな》と、皇室の現状を踏まえた発言ではないかと推測するツイートもみられた。現在の皇室典範では、天皇に即位できるのは男系男子のみ。ただ、共同通信社の世論調査(’20年4月)では、女性天皇容認への「賛成」「どちらかといえば賛成」は会わせて85%。女系天皇も79%が賛成の意向だった。「まずは『男系男子』の規定をせめて『男系子女』、さらには『天皇の子女』に修正することから始めるべきでしょう。皇室のジェンダー平等という問題に触れずして日本のジェンダー平等をいくら訴えても、掛け声だけで先に進まないのではないでしょうか」そう語るのは、静岡福祉大学名誉教授で近現代の皇室に詳しい小田部雄次さん。「女子の天皇が実現するだけで、日本のジェンダー平等はかなり加速すると思います。言い方を変えれば、それを恐れている人たちが、女性天皇の実現を阻んでいるともいえます」(小田部さん)■ヨーロッパ王室の多くは男女平等にだが、佳子さまの発言にTwitter上では《皇室の崩壊を望んでおられるようにもみえる》といった反発の声もあり、皇室典範の改正へのハードルは高い。女性王族への王位継承が認められるようになった欧州王室はどのように変わっていったのか。欧州の王室に詳しい関東学院大学教授の君塚直隆さんに聞いた。「デンマーク王室でも以前は女子には継承権が認められていませんでした。フレデリック9世には娘しかいなかったため、その弟のクヌーズが継承することになっていたのですが、クヌーズ王弟妃の母親が戦時中にナチスに迎合した経緯などから国民の強い反発があり、王位継承の変更を求める国民の声が高まりました。ついには憲法改正の流れにまで発展し、1953年には女性にも継承権を認められ、今のマルグレーテ2世女王陛下が 1972 年から即位しています。スウェーデンでも男子にのみ継承権が認められていましたが、1979年に憲法と王位継承法が改正され、男女を問わない絶対的長子相続制の流れを作りました。現在ヨーロッパの主要な君主制をとっている8カ国のうち、スペインだけがまだ男子優先ですが、ほかは長子優先の王位継承となっています」デンマークの場合は、王族個人への評価が王位継承のルール変更につながったというのだ。「日本の場合と比べて、欧州の王室は国民との距離が近いことから、国民が王室のあり方に真剣に向き合う傾向が強いです。王位の継承についても、国民の支持や厳しい目が大きく影響するのですが、男女平等という世界的な流れがあることもあり、いわゆる保守派から目立った大きな反発はありませんでした。日本で女性の継承や長子優先に変える場合は憲法改正の必要はないため、必ずしも国民投票が必要というわけではありません。皇室典範の改正ですむからです。しかし、皇統の問題を先延ばしし続けている現状を動かすためには、国民投票を行うなど、思い切ったことをやる必要があるのかもしれません」(君塚さん)眞子さまの結婚で皇室への注目度が高まっているなか実施される衆院選の結果も、皇室の未来を左右することになるかもしれない。
2021年10月21日10月26日、小室圭さんとご結婚予定の秋篠宮家の長女・眞子さま。ご結婚に伴い、皇族から一般国民となられることで、眞子さまのご生活はこれまでと一変する。「最も大きく変わるのは、戸籍を持たれることでしょう。皇族には戸籍がありません。その代わり、歴代の天皇・皇后、そして皇族の身分や系譜を記録した『皇統譜』があります」(皇室記者)婚姻届を出すときには戸籍謄本が必要だが、眞子さまの場合、皇統譜の謄本を提出されるという。「婚姻届が受理されると、眞子さまには新たな戸籍が作られ、名字を持ち『小室眞子』となり、皇統譜からも除籍されます。戸籍や免許証などの“本籍地”は小室圭さんと同じものになるでしょう」(皇室ジャーナリスト)今後はこれまでなかった選挙権も得られると語るのは、皇室制度に詳しい名古屋大学大学院人文学研究科・河西秀哉准教授。「ご結婚により、一般国民となられますので参政権を得ます。ただ、実際に眞子さまが選挙権を行使されるかどうかはわかりません」(河西准教授)選挙権を持っていても、選挙で投票するには、市区町村の選挙管理委員会が管理する名簿に登録されていなければならない。名簿に登録されるためには、基本的に3カ月以上、その市区町村の住民基本台帳に記録されている必要があるため、今回の衆議院選挙での投票はできなそうだ。■眞子さまならではのよからぬ“変化”も皇籍に残る両親との関係性は、通常、皇族が民間人になってもそれほど変わらないという。「皇室を離れられても、秋篠宮ご夫婦と親子関係であることは変わらないので、宮邸を訪れることはできます。高円宮家の次女・典子さんもご結婚後、島根県の出雲から東京に来られる際に、赤坂御用地内の高円宮邸に宿泊されることもあるようです」(皇室ジャーナリスト)河西准教授は、宮中晩さん会など、皇室のパーティにも出席可能だと語る。「上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんも宮中晩さん会に出席されています。とはいえ、多くの国民からの祝福を受けていない現状、公の場へはご本人も出席しづらく、宮内庁側も呼びづらいのではないでしょうか。里帰りも自制される可能性があります」(河西准教授)一方で“お金の流れ”は厳しく監視される。女性皇族が民間に嫁ぐ際に支給される「一時金」(約1億4,000万円)を辞退された眞子さま。しかし今後、金銭的に困っても、秋篠宮家が援助することは不可能だという。「皇族が国から支給される皇族費は“皇族としての品位保持の資に充てるため”のものと法律で規定されています。たとえ親子でも、皇族費を民間人に分与することは許されません。孫が生まれておもちゃを贈るぐらいなら許されるでしょうが、生活費の仕送りはできないのです」(河西准教授)また、民間人となられても、しばらくは警護が付きそうだ。「黒田清子さんの場合、結婚後も数年間SPが付いていました。皇籍を離脱されたとはいえ、当時の天皇・皇后両陛下の一人娘です。眞子さまも皇位継承順位第1位の秋篠宮殿下の長女ですから、警護対象になって当然でしょう。日本から、お住まいになるニューヨーク市警に、警備をお願いする可能性もあります」(皇室記者)皇籍離脱で、最も変わるのは周囲の人間関係かもしれない。河西准教授は次のように懸念する。「日本よりニューヨークでのほうが平穏な生活が送れるとは限りません。自由になった2人に、いろんな人たちが近寄ってくるでしょう。なかには、元皇族というブランドを使ってビジネスをしようとする人も出てくるかもしれません」今年3月、イギリスのヘンリー王子&メーガン妃夫妻が、アメリカCBSテレビのインタビューで、王室の内情を暴露して大きな波紋を呼んだばかりだ。「今後、皇室の権威を日本以上に利用しようとする人たちが出てくるんじゃないか……。そういう心配があります」小室さんとの結婚で、眞子さまが得るものは果たしてーー。■【図解】眞子さま皇籍離脱で変わること
2021年10月21日上皇后・美智子さまは10月20日、87歳の誕生日を迎えられた。誕生日に際し発表された側近の上皇職による文書によれば、美智子さまは昨年5月以降、午後に熱が上がる症状が続いているとのこと。乳がん手術後のホルモン療法による手指のこわばりは残っているものの、最近は少しずつピアノが弾けるようになられているといった近況が綴られている。また文書には《今月26日に皇室を離れられる秋篠宮眞子さまのことは、両陛下とも常に大切に愛おしんでおられましたので、お別れはお寂しいことと拝察いたします》とも記されている。しかし、眞子さまに関しての記述はこの1文だけで、結婚を祝福するメッセージはなかった。美智子さまは、初孫である眞子さまを幼いころから可愛がられてきた。「眞子さまが誕生された時には、和歌を詠まれるほどお喜びでした。美智子さまは幼い眞子さまの成長を、“ばあば”として近くで見守ってこられたのです。眞子さまが小学3年生の時に『お年寄りの世代の手仕事』を調べることになった際も、美智子さまは皇居内で行われている養蚕について眞子さまにお手紙を書かれたこともありました」(宮内庁関係者)美智子さまは、眞子さまをご公務へ同行させたこともあった。眞子さまが中学2年生の時、終戦に伴って満州から引き揚げた人たちとの面会にお誘いになった。そのときのことを美智子さまは’05年のお誕生日に際した文書で《眞子がやや緊張して耳を傾けていた様子が、今も目に残っています》と振り返られていた。このように文書などでも、しばしば眞子さまについて触れられてきた美智子さま。しかし眞子さまの結婚については、小室さんの母の金銭トラブル発覚以降、公の場でご意見を口にされることはなかった。「美智子さまは『複雑性PTSD』と診断された眞子さまの健康を、たいへん心配していらっしゃいます。美智子さまは長い間、ご自身が発言する立場ではないと静かに見守られてきました。金銭問題などが世間を騒がせる事態になっても、『見守っているしかないのです』とご意見を口にすることは控えてこられました。儀式も行われず何も言えないまま最愛の孫を送り出すお気持ちは、察するにあまりあるほどだと思います」(皇室担当記者)眞子さまは25日に仙洞仮御所を訪れ、上皇ご夫妻に挨拶をされる予定だ。最愛の孫との別れに、美智子さまはどのようなお言葉をかけられるのだろうか。
2021年10月20日