2020年7月現在、ウェブメディア『grape』では、エッセイコンテスト『grape Award 2020』を開催しています。『心に響く』と『心に響いた接客』という2つのテーマから作品を募集。『grape Award 2020』心に響くエッセイを募集!今年は2つのテーマから選べる今回は、応募作品の中から『銀のスプーン』をご紹介します。銀のスプーン私は両腕と指に障がいがある。左腕は欠損していて、右手は指が2本しかない。学生時代、大学近くにワンコインでランチを提供しているアットホームな食堂があった。学生の街ではあるが、ランチの価格が高い土地に大学があったこともあり、その食堂は学生たちに重宝されていた。おまけにサラダもスープもついているのだから、体にも優しかった。マスターは髭を生やしていて、いつもタオルを鉢巻きのように巻いている人だった。決して愛想の良いひとではなかったが、いつもいただくオムライスのランチはとても美味しく、お金のない学生のお腹を満たしてくれていた。私はすぐこの食堂のファンになった。ある日、いつものようにランチに行くと、銀のスプーンから木製のスプーンに替わっていた。おそらく、店のリニューアルに伴って食器類が替わったのだと思う。私は手があまりうまく動かせないので、スープを掬う時や、サラダにかかったドレッシングを最後まで掬う時は、銀のスプーンを使えば上手く掬うことができていた。しかし、木製のスプーンは厚みがあるため、掬うことが難しくなってしまって最後の一滴を残すようになってしまった。そのうちに、私はそのお店からは足が遠のいていってしまった。それから数か月過ぎたある日、久々に食堂に足を運んだ。久しぶりに食堂の味を食べたくなったのだ。お店に入ると、いつものマスターが迎えてくれた。注文を済ませ、お冷をグイっと飲みほすと料理が到着した。しかし、その時、私は料理の風景に違和感を覚えた。周囲の人は木製のお皿に木製のスプーンで食事をしているのに、私の目の前にあるのは木製のお皿に銀のスプーンだ。あたりを見回しても、銀のスプーンを持っているのは私だけだった。銀のスプーンを添えてくれたおかげで、いつものランチのスープもドレッシングもすべて掬って食べることができた。もうスプーンの心配をせずにランチを思いきり楽しめる―。そう思ってほっとしたことを覚えている。おそらくマスターは、私が今まで食事する姿を見て「食べにくそうだな」と感じたのかもしれない。本当のことは、マスターの口から聞いていないので知ることはできない。でも、少なくともマスターの観察力と無言の気遣いに、私は心が温かくなった。マスターは何も言わなかった。いつも通りの髭を生やした顔で「ありがとうございました」と一言言っただけだった。大学を卒業して4年経つが、卒業以来あの食堂に行けていない。あの食堂はまだ営業しているだろうか。マスターもあの人のままだろうか。今度、有給休暇を取って、久しぶりに行ってみよう。その時には、マスターにお礼を言いたい。そして、「また食べに来ます」と伝えたいと思う。grape Award 2020 応募作品テーマ:『心に響いた接客エッセイ』タイトル:『銀のスプーン』作者名:白石 真寿美エッセイコンテスト『grape Award 2020』開催中!2017年から続く、一般公募による記事コンテスト『grape Award』。第4回目となる2020年は、例年通りの『心に響く』というテーマと、『心に響いた接客』という2つのテーマから自由に選べます。今回も、みなさんにとって「誰かに伝えたい」と思う素敵なエピソードをお待ちしております。『grape Award 2020』詳細はこちら[構成/grape編集部]
2020年07月31日「書いている間、本当に楽しかったんです。どうしたのかと思うくらい、夢中になってしまいました(笑)」その楽しさが読者にも存分に伝わってくるのが大島真寿美さんの新作『渦 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 魂結(たまむす)び』。江戸時代に実在し、名作「妹背山婦女庭訓」を残した浄瑠璃作者・近松半二の生涯を軽快に描く作品だ。あの名作の作者が歩んだ人生とは?華やかな浄瑠璃の創作をめぐる物語。「もともと歌舞伎が好きで、編集者に歌舞伎の話を書けって言われていたんです。無理だと言ったんですが、ふと『妹背山婦女庭訓』なら書けるなって。これはもともと文楽の演目なので、まず文楽の勉強から始めてみたらこういう話になりました」江戸時代の道頓堀。幼い頃から父に連れられ芝居小屋に通った穂積成章は、浄瑠璃の虜に。親の勧めで浄瑠璃の作者を目指し名前も「近松半二」と決めるものの、芽が出ない。「半二自身の資料はあまりなくて。分からない部分を自由に考えるのも楽しかった。たとえば、半二が遅咲きだったのは本当の話。でも、当時道頓堀で活躍した歌舞伎作者の並木正三(しょうざ)と半二が幼馴染みだったというのは私のフィクション。同世代で道頓堀にいて、知り合いじゃないわけがないと思ったんです」少しずつ成長していく半二の姿に人間味をおぼえる一方、人々の娯楽だった歌舞伎と文楽のライバル関係や道頓堀の様子も興味深く読める。やがて物語は創作をめぐる話として深みを増す。創作者が突き当たる「真っ黒な深淵」や、「渦」といった表現がとても印象深い。「虚構を作る人はみんな、ちょっとした怖さを味わいながら作っていると感じながら書きました。“渦”というのも自然と出てきたんですが、編集者に重要な言葉だと指摘され、これがタイトルになりました」終盤には意外な語り手が登場するなど物語はスケールを増していく。書き終えても、なかなか気持ちが切り替えられなかったという大島さん。「あまりにも切り替わらないから、仕事とは関係なく『妹背山~』の現代語訳を始めました(笑)」そんななか、嬉しいサプライズが。「偶然なんですが、5月に国立劇場で『妹背山~』が久々に通し狂言として上演されるんですよ。奇跡のコラボだと思って興奮してます(笑)」本作を読んで観劇すれば、より深い体験ができるはず!おおしま・ますみ1962年生まれ。’92年「春の手品師」で文學界新人賞を受賞しデビュー。著作に本屋大賞3位の『ピエタ』、直木賞候補にもなった『あなたの本当の人生は』など。『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』江戸時代の大坂・道頓堀。父に連れられ幼少の頃から浄瑠璃に親しんだ少年が、名作「妹背山婦女庭訓」を生み出すまでの紆余曲折とは。文藝春秋1850円※『anan』2019年4月24日号より。写真・中島慶子 インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2019年04月22日