タレントの磯山さやかが、25日までに自身のインスタグラムを更新し、セーラ服姿を公開した。きょう25日放送のテレビ朝日系バラエティー『まだアプデしてないの?』(毎週土曜後3:30※一部地域を除く)に出演する磯山は「制服久しぶりに着ました!みんなで一緒に楽しかったです!!」と報告し「流行りのギャルピースといつものピース」とキュートなショットを添えた。ファンからは「可愛すぎる」「セーラー服が全然違和感がないデートに誘いた~い」「クラスにいたら恋してる」「制服似合ってる」「美人だから、何でも似合いますね~」「現役JKでもイケる!」などの声が寄せられている。
2022年06月25日息子おっくんの授乳用に買ったライト、投げられたり落としたり、かなり雑に扱っているのに4年以上経った今でもまだまだ現役です。最近は夜のトイレもひとりでいくおっくん。廊下が暗いので、光るタマゴを両手で持ってしずしずと歩いていくのですが、その光景がまるで絵本の1ページのようで、妙に可愛くて好きです。PROFILEあきばさやかさん2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログやInstagramで描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()
2022年06月22日タレントの磯山さやかが5月31日に自身のアメブロを更新。Instagramのアカウントが凍結された理由を明かした。この日、磯山は「肉球の香りがたまらない」と愛犬の肉球を顔にあてる自身の姿を公開。一方で「愛犬は困り顔。笑」と愛犬の表情についてつづった。続けて「この前、愛犬のインスタアカウントで年齢認証があったので、愛犬の年齢を入力したら、アカウントがブロックされてしまったー、、、」と報告。「異議申し立てしたけど、まだ復活せず」と現状を明かし「早く復活してほしい!!」とコメントした。最後に「色んな事あるけど、ゆったり受け止めて解決しないとね」と自身の考えをつづり、ブログを締めくくった。
2022年06月01日実はアラフォー! バラエティ番組とのギャップも魅力的! この投稿をInstagramで見る 磯山さやか Sayaka Isoyama(@sayakaisoyama)がシェアした投稿 タレントの磯山さやかさんが、3月23日にInstagramを更新。愛犬リリーちゃんと一緒に寝そべるアップの構図で、おそらくすっぴんと思われるナチュラルな表情がとても綺麗です!コメント欄にも「可愛すぎ」「女神」「めっちゃ綺麗すぎ」などの声が殺到!完全プライベートショットであるにも関わらず、アラフォーとは思えない美肌に驚きです。磯山さんといえば、グラビアアイドルとして人気を博した後、数多くのバラエティ番組でも大活躍。「ぽちゃかわ」などと言われ、男女共に親しみやすいキャラクターが人気の元祖バラドルの一人です。バラエティ番組では“いじられキャラ”のポジションになることが多いことから、ふと見せる美しさとのギャップもまた魅力的!また、リアルな読者が真似しやすい体型として、最近では『CLASSY.』(光文社)『STORY』(光文社)などの女性誌でもモデルを務め、新時代のミューズとしても再注目を浴びています。自然体を追求し、年齢を重ねるごとにどんどんキレイになる磯山さんから目が離せません!あわせて読みたい🌈伊東美咲さんがメガネをかけた近影を公開「お綺麗」「変わらぬ美しさ」と反響
2022年04月06日タレントの小川菜摘が27日に自身のアメブロを更新。タレント・青木さやかとの2ショットを公開した。この日、小川は「舞台『チコちゃんに叱られる』大阪公演、千秋楽の公演が無事に終わりました」と自身が出演する舞台について述べ「お稽古からずーっと楽しかった今回の作品」とコメント。「お客様の笑顔に助けられ励まされ楽しく楽しく終える事ができました」と公演を振り返り「本当にありがとうございました」と感謝をつづった。続けて、スタッフや共演者の名前を列挙し「みーんな素敵な方々でこの出会いに感謝です」としみじみコメント。「そして今回の相方清少納言役の青木さやかちゃん」と述べ、衣装を身につけた青木との2ショットを複数枚公開した。さらに、青木について「もう長い付き合いですがリーディング以外で一緒に芝居をするのは初めてでした!」と説明。「お任せのネタ合わせや芝居の相談」「毎日2人で作る作業が楽しかった」と青木との思い出を振り返り「仲間であり女友達、笑」「これからもお互い元気にがんばろーねありがとう」と青木へ呼びかけた。
2022年03月29日0歳女の子、3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。みなさんのお家でも似たようなこと、起こっていませんか?乳児のしっとりした手足に集まる謎のホコリーーー!!なんど掃除してもお風呂上がる頃には浮いているので「もしや怪奇現象!?」と思っていました。※寒い時期なので、お尻だけシャワーで流して湯船に入って、あたたまったあとに体を洗っています。赤ちゃんの手足にたまるホコリ、成長するといつの間にかなくなっちゃうんですよね〜……!!もうすぐ4歳のおっくんは、いつの間にやら手がサラサラで、ちょっと寂しい母です。笑乳児のペタペタした手足、今のうちに堪能しておこうと思います。LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.3「息子に思わずキュン!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.4「子どもの発想力っておもしろい!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.5「パパの肩車が大好きすぎる息子」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.6「生まれたての長女にデレデレ」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.7「息子が初めてひらがなを読んだ日」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.8「真夜中の恐怖体験」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.9「息子との穏やかな時間」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2022年03月23日0歳女の子、3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。みなさんのお家でも似たようなこと、起こっていませんか?たまに0歳の娘を夫に見てもらって、息子と2人だけの穏やかな時間。そういえば、息子もちょっと前までは、こんなにゆっくり座ってられるなんて考えられなかったなぁ……「成長したのね……」とジーンとしたのも束の間、プラコップのストロー穴に指をつっこみパニックになる息子なのでした。(3歳児、余計なことしかしない〜〜!笑)まだ下の子は保育園も始まっていないので、こうしてたまに離れる時間は私のリフレッシュにもなっています。夫……サンキュー!!LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.3「息子に思わずキュン!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.4「子どもの発想力っておもしろい!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.5「パパの肩車が大好きすぎる息子」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.6「生まれたての長女にデレデレ」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.7「息子が初めてひらがなを読んだ日」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.8「真夜中の恐怖体験」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2022年02月23日0歳女の子、3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。あなたのお家でも似たようなこと起こってません?もともと毛が薄かった娘(眉毛もほとんど無かった)。せっかく少し生えてきたかな……? と思ったのですが、眠りが浅い時に頭を左右に降るクセがあり、あっという間に毛が抜けて後頭部がツルツルに……!今の時期だけのあるあるだと思うのですが、深夜にショリ…ショリ…と聞こえてくるとちょっとしたホラーです笑思わず「小豆洗いの仲間かな……?」とじっと見てしまう母でした。(小豆洗い……川でショキショキ音をたてて小豆を洗う妖怪)LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中! 育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.3「息子に思わずキュン!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.4「子どもの発想力っておもしろい!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.5「パパの肩車が大好きすぎる息子」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.6「生まれたての長女にデレデレ」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.7「息子が初めてひらがなを読んだ日」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2022年01月26日探してみると都内にも名作の寺院を発見!お寺に対するイメージが 覆されるような、斬新で印象的な名建築をお見逃しなく。今回は、石山修武が手がける〈観音寺〉を訪れました。具体と抽象を使って水の中へと入っていく。再建のために1996年に竣工された同寺院は、水をイメージしたデザインをモチーフに造られている。それを象徴するように屋根の部分が湾曲しているのが特徴。屋根からの水の流れを再現した角張った壁。水をモチーフにした屋根などとは対照的な印象を受ける角張った壁。川(水)の流れによって削られている様子を再現しているのではないかといわれている。Profile…石山修武(いしやま・おさむ)工業製品を用い、手作りで建設した〈幻庵〉によって注目された建築家。全国の左官職人と協働して造られた〈伊豆の長八美術館〉など、近代文明への批判的な視点を持つ作品を手がける。〈観音寺〉1682年創建の真言宗豊山派の寺院。御府内八十八ヶ所霊場52番、豊島八十八ヶ所霊場52番、山の手三十三観音霊場14番札所となっている。東京都新宿区西早稲田1-7-103-3203-6440(Hanako1204号掲載/photo : Yoshinobu Kawaharazaki, Shinnosuke Yoshimori (P. 7 3) model : Yurie Akutsu (Gunn’s) text : Yuko Watari)
2022年01月20日0歳女の子、3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。あなたのお家でも似たようなこと起こってません?ある日を境に急にひらがなを読み出した息子!記念すべき最初の単語はなぜか「うすしお」でした…笑今日はうすしお記念日…!!第二子が産まれてから、バリバリに赤ちゃん返りしている息子ですが、着実に成長している部分もあるようです。LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.3「息子に思わずキュン!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.4「子どもの発想力っておもしろい!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.5「パパの肩車が大好きすぎる息子」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.6「生まれたての長女にデレデレ」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2021年12月22日「山形県から全国へ」をテーマにモデルを募集する山形美少女図鑑が、ライブ&動画コミュニティアプリ・ミクチャ(MixChannel)で「マイナビニュース掲載コンテスト」を実施。上位入賞者にはマイナビニュースによるインタビューのほか、山形美少女図鑑の公式サイトやSNSの出演が約束される。このコンテストで見事1位に輝いたのは、山形県在住のさやかさん(25)。歯科衛生士として勤務しながら今年2月頃にライバーデビューし、「活動を広げるきっかけになれば」とエントリーした。賞金100万円や大手事務所との契約が優勝特典となるコンテストには目もくれず、なぜ「山形美少女図鑑」であることにこだわったのか。そこにはさやかさんの熱い地元愛が深くかかわっていた。○■デビューのきっかけはTwitterでのスカウト――コンテストにご応募いただき、ありがとうございました。どのような思いでエントリーなさったのでしょうか?もともと別の美少女図鑑のイベントに出ていて、そのときに一緒だった友人から山形美少女図鑑主催のイベントがあることを教えてもらいました。私は、山形を中心に活動したいと思っていて、このイベントで入賞することによって、活動を広げるきっかけになればいいなと思って応募させていただきました。今のところは山形中心ですが、コロナが落ち着いたら東京での活動にも挑戦したいと考えています。――地元に貢献したいという思いは以前から?以前はあまりなかったんですが、ライバーの活動をするにつれて、徐々にその思いが強くなりました。――いつ頃からライバーの活動をはじめられたのでしょうか。今年2月頃です。Twitterでミクチャの方にスカウトされたことがきっかけなのですが、私は積極的に人前に出るタイプではなくて、実はライブ配信なんて全く考えられなくて。当時のマネージャーさんがゼロからサポートしてくださって、今は別のマネージャーさんに代わったのですが、そのマネージャーさんがマメに連絡をくれています。当時と今のマネージャーさんがいなかったら、ここまで続けていなかったかもしれません。――「人前に出るタイプではない」とのことですが、もともと芸能界やタレント活動への憧れもなかった?憧れはあったのですが、「自分には無理だな……」と諦めていたというか。――その一歩を踏み出せない人は多いかもしれませんね。ライバー初期の頃は記憶にありますか?最初はすごく緊張状態でグダグダだったのですが(笑)、マネージャーさんがライブ配信を常にチェックして、アドバイスしてくださいました。そのおかげで少しずつ慣れていって、今回のイベントに参加するぐらいのタイミングから応援してくださる方が増えて、ようやく楽しいと思えるようになりました。――インスタグラムにも、応援してくれた方々へのメッセージを投稿されていましたね。今回のイベントに参加したときは、ミクチャを始めて本当に間もなかったので1位になれると思ってなくて。ゆるく配信していたんですけど、それでも自分で「がんばった」と思えるのはほとんど初めてのことでした。コンテスト最終日は仕事の都合で30分しか配信できなかったんですけど、ファンの方々がたくさん応援してくださって、みなさんのことを信じて最後までがんばることができました。――本業はこのまま続ける予定ですか?できる限り歯科衛生士は続けていきたいと思っています。――ご家族はどのような反応だったのでしょうか。家族には内緒にしていました。上京したいと伝えたときや、歯科衛生士を辞めて別の仕事がしたいと相談したときもいつも反対されていて、こういう活動も絶対に受け入れてもらえないと思っていました。でも、今回のようなコンテストで上位に入賞したら、反対されなくなるんじゃないかなという期待もあって。入賞したことを伝えたら、案外あっさりしていて(笑)、今では応援してくれています。○■私にとってはそれが日常だった――山形美少女図鑑やモデルには、いつ頃から憧れを抱くようになったのですか?数年前に兄がフリーペーパーを持って帰って来て、「私もこれに載りたい」と思ったのがきっかけです。当時は、雑誌とかよりも山形美少女図鑑のフリーペーパーに魅力を感じました。「私なんか無理だろうな……」と諦めていたんですが、その後、ミクチャの方にスカウトされてライバーとして活動するようになって、マネージャーさんに「山形美少女図鑑のイベントがあったら出たい」とお願いしていました。――2月からライバーとして活動をはじめて、現在はモデルにもなられたわけですが、ご自身の変化は感じますか?たくさんの方に見ていただいているので、美容に気をつけるようになりました。――こうしてお話を聞いていると並々ならぬ“山形愛”を感じるのですが、ずばり山形の魅力とは?一番は食べ物がおいしいのと、空気がきれい。あとはとても温かい人柄の方が多いです。食べ物はさくらんぼがオススメです。あとラーメンも有名で、どこもおいしいんですよ! 私はずっと山形に住んでいたので山形のラーメンしか知らないんですが、社会人になって県外の人とも接するようになって、ラーメンの話を聞くと山形と全然違って驚きました。山形で生まれ育って自分にとっては当たり前のことでも、他県の人と話していて「当たり前じゃない」と言われたのが、近所の人同士で野菜を持ち寄るところ。歩いていたら常に近所の人が声を掛けてくれるような地域で育ったので、私にとってはそれが日常だったんです。山形で困っていたら、きっと誰かしら助けてくれると思います。――これから活動の幅が広がっていくと、ご近所さんも応援してくれそうですね。今後叶えたい夢は?山形美少女図鑑のフリーペーパーに載ることが一番の夢です。あとは山形の情報誌にも、ぜひ載りたいです。――夢は半分叶ったような気もするのですが、数年後も現在のような活動を継続していきたいとお考えですか?出来る限り活動したいです。芸能活動へと幅を広げていきたい願望もあるんですが……まずは山形で有名になりたい。憧れはあるんですけど……私は自己肯定感が低くて、私にできるのかな……というのが正直な気持ちです。○■一人でも多くの人に山形を知ってもらいたい――美少女図鑑以外に叶えたい夢は。一番は山形美少女図鑑しか考えてなくて。いろんなモデル系のイベントがあって、例えば賞金100万円や、優勝すると大手事務所と契約できるコンテストとかをマネージャーさんから勧められたこともありました。そういうイベントも素敵だと思いますが、なかなか本気になれなくて……。自分が心を動かされるイベントが、今のところは山形美少女図鑑しかないんです。――やはり、さやかさんの原動力は山形愛。なぜそこまで地元愛が芽生えたのでしょうか。自分ではよくわからないんですけど……マネージャーさんからも「山形美少女図鑑のイベントしか本気にならないよね」とよく言われます(笑)。先程の話にもあったように、恵まれた地域で育ったから、そう思えるようになったのかもしれません。――そろそろお時間なのですが、最後に言い残しておきたいことやアピールなどはありますか?コロナが収まったら、山形に来てもらいたいです。食べ物がすごくおいしいくて、果物も絶品。あと実は旅館も結構多いので、ぜひ泊まりに来てもらえればと思います!――ご自身のアピールではなく、最後まで“山形愛”を貫きましたね(笑)。すみません(笑)。一人でも多くの人に山形、そして山形美少女図鑑のことを知ってもらいたい。山形美少女図鑑には、ほかにも素敵なモデルさんがたくさんいるので、他のモデルさんのことも知ってもらいたいです。■プロフィールさやか1996年4月12日生まれ。山形県出身。歯科衛生士として勤務する傍ら、ミクチャのスタッフにスカウトされ、2021年2月頃にライバーデビュー。趣味はカフェ巡り、特技はピアノ、フルート。
2021年12月18日0歳女の子、3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。あなたのお家でも似たようなこと起こってません?しばし休載いただいておりましたが、実は9月に長女を出産していました!長男おっくんとは3歳差となる女の子、通称「とりちゃん」です。どうぞよろしくお願いいたします〜!久々の乳児、2人目という育児への慣れもあって「かわいい〜」とデレデレなのですが、目で見るとすっごくかわいい! えっすごい美少女じゃない〜!?↓写真を撮る↓「ん?どこのおじさん??」…となるのを延々繰り返しております笑(乳児湿疹が出ている時は匂いもおじさんだった…!!)長男おっくんの時も同じことをしていたような…すでに親バカフィルターが完全装備されているようです。LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.3「息子に思わずキュン!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.4「子どもの発想力っておもしろい!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.5「パパの肩車が大好きすぎる息子」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2021年11月24日石山アンジュ「老若男女いろいろな人たちが長期滞在して出たり入ったりするという、にぎやかな家庭で育ちました」石山アンジュが“シェア”という考え方を身につけたのは、幼いころの家族環境が影響しているのかもしれない。『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)にコメンテーターとしてレギュラー出演する彼女は、『内閣官房シェアリングエコノミー伝道師』『一般社団法人シェアリングエコノミー協会常任理事』『一般社団法人パブリックミーツイノベーション代表』という顔を持つ。「シェアという新しい概念を普及させていくための活動や、ミレニアル世代の声を政府に届けるシンクタンクの運営をしています。官民の間に立って、シェアの概念や若者の声を政府に働きかけながら政策に落とし込んだりということですね」シェアリングエコノミーとは、モノやサービスを共同で利用する経済活動のこと。カーシェアリングやウーバーイーツなどが知られるようになって、注目されている。「実家がまさにシェアハウス。始めは事業としてやっていたわけではなかったんですが、父が世界中を旅して出会った人たちが来たりして」父はブラジルで音楽活動をして、日本に帰ってくるとサンバチームの代表に。母はファッションプロデューサーとして世界を飛び回っていた。「国籍もいろいろ、職業も公務員からニートまで、バリエーション豊かな人たちが家に集っている環境で育ちました。両親からは“アンジュは地球人として生まれたんだよ”と教えられました」■コメンテーター志望ではなかった固定観念を持たずに育った彼女は、アニメよりも戦争映画に興味を持つ。その影響で小学生のころから世界平和について考えるようになった。「戦争以外にも、国際問題とか貧困問題にもすごく興味がある小学生でした。友達とはあまり社会の話はしませんでしたね。国際基督教大学に進んだのは、平和研究に関する学部がある日本で唯一の大学だったからです」大学生になると、NHKや日本テレビでアルバイトを始めた。世界中の大学などからテーマに関する情報収集を行っていたという。「学生時代に『ボイスユアビジョン』という任意団体を立ち上げました。いろいろな国の街角で“世界平和とは何か”という質問をして答えをスケッチブックに書いてもらい、撮影するというプロジェクトです。東日本大震災のときは、日本に対するメッセージを書いてもらっていました」卒業後もメディアに関わるつもりでいたが、コメンテーターになろうとは思っていなかったそう。「2年ぐらい前から、日テレの『モンスターサミット』やフジテレビの『梅沢富美男のズバッと聞きます!』といった番組から依頼が来るように。去年から『モーニングショー』にお声がけをいただいて代打で出るようになり、この4月からレギュラーになりました」最初は、専門外のテーマについて発言することにためらいがあったという。「自分の専門分野に関してなら自信はあったんですが、外交から政治、社会保障、エネルギー、スポーツニュースなどについて“自分は何か価値あるコメントができるのだろうか”と思いました。自分が何を求められているのか、わからなかったんです」ほかの番組を見て自分が視聴者の立場になってみると、気づいたことがある。「“こういうことだよね”って一緒に理解していく補足的なコメントがありがたかったりすることもあります。“これいいね”“これ素晴らしいね”というような感情の共有も大切なこと。専門領域だけではなくても、そういった面で何か視聴者に届けられるものがあるんじゃないかな、と考えるようになりました」コメンテーターとして、常に心がけていることがある。「どんなニュースでも批判したり批評したりするのは一瞬ですが、長い時間をかけてそこにたどり着いた当事者がいるわけですよね。リスペクトを忘れずに臨むようにしています。世の中は本当に偶然の連続で、ささいなことで環境が変わって、場合によっては自分がその立場にいる可能性もある。さまざまな立場を想像して、寄り添う気持ちを忘れないようにしています」■声高に断言しないコメント大きな声で断言することで人気となるコメンテーターは多いが、石山の方法は異なる。「目立つ方というのは白黒はっきりするコメントをされたりして、アンチもいるけれど人気も強い印象です。うらやましいなと思う反面、自分はできないしやりたくないって思ったんですよね。ニュースには白黒つけられることってほとんどなくて、多くは曖昧なものだったり複雑なことが絡み合ってできている。単純にこれがいい、悪いとか言うようにはしたくないという気持ちがあります」さまざまな声に向き合うことで、今までは自分に共感してくれる層に対してしか発信していなかったと感じた。「批判的なコメントに接すると精神的につらいこともありました。でも、社会を変えたいというところに立ち戻ったときに“多くの人たちと接点を持った上で、どういうふうに社会をよくしていけるか”と考えるようになったんです。私が大事にしているのが“人類にもともと備わっている良心を諦めたくない”という信念。ニュースって、対立構造やヒエラルキーで語れるものがほとんどだと思います。うわべだけでとらえると、自分のコメントがさらに分断を煽ったり、人を傷つけたりすることになりかねないんです」石山は“意識でつながる拡張家族”という理念を掲げるシェアハウス『Cift(シフト)』の代表理事も務めている。「血縁によらずにお互いの合意を経て“家族になりましょう”と、一緒に生活していくコミュニティーです。メンバーによって家族のとらえ方も違うんですけど、それぞれが家族ということを意識しながら接しています。人と支えあう社会を作っていくためには、常に人に差し出せる余白をひとりひとりが持っていることが大事だと思うんです。今は忙しくしてるんですけど、できるだけ時間を作って、与える幸せを感じることを心がけていますね」強い言葉で相手を論破しようとはしない。すべてを抱きしめて共に学んでいくことで、幸せをシェアできる共生社会の実現を目指す。
2021年11月18日3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。あなたのお家でも似たようなこと起こってません?ら、乱暴者……!!優しくする! と約束したすぐ後に、思いっきりパパを突き飛ばしていて笑ってしまいました……(自分が肩に乗りやすい体勢にさせている)パパの肩車が大好きで外でも家の中でもよくやっています。微笑ましいし私は楽〜〜!!現在体重15kgの息子、いつまでできるのかな……。 【休載のお知らせ】「あきばさやかの笑うしかない育児」ですが、9月の次回連載よりしばらく休載させて頂きます。連載再開の際には、HugMug Webマガジンにてお知らせいたします。どうぞ楽しみにお待ちください!LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.3「息子に思わずキュン!」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.4「子どもの発想力っておもしろい!」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2021年08月25日3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。あなたのお家でも似たようなこと起こってません?本人はいたって真剣……!!絶対に大人には思いつかない子どもの発想力、おもしろいです~!どんな雨に打たれたらこうなるの……?もしくは何年間も同じ場所だけに雨が当たり続けたの……??LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.3「息子に思わずキュン!」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2021年07月28日2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今年5月に、実母との軋轢やがん、ギャンブル依存症、ブレイク当時の秘話、結婚、出産、離婚といった経験を赤裸々に綴った著書『母』を刊行し、話題を呼んでいます。 なかでも注目されたのが、本書で告白された肺腺がんの体験記です。肺腺がんの手術を経て、生活やお気持ちにはどのような変化が生まれたのでしょうか。インタビュー2回目の今回は、肺腺がんをきっかけに変わった事柄をうかがいました。1回目の手術から2年弱で2回目の手術を受けたー術後2週間でドラマの撮影、2カ月後には舞台に立っていたそうですが、体力に不安はなかったのでしょうか? 青木さん:あまりなかったですが、ドラマの撮影などは大変な面はありました。私は舞台の仕事もしているので、体力作りをしている方なのかもしれません。といっても、ストレッチや軽い筋トレ程度のことなのですが……。でも、病気になって知ったのは、体力があって、健康で、手術ができるくらいの肉のつき方じゃないと手術を受けられないということ。私の場合、手術に向けて体を鍛えたわけではないのですが、日ごろの生活の中で体力が養われていたのかもしれないです。 ー1回目の手術から2年弱で2回目の手術を受けたそうですが、肺腺がんの再発ということでしょうか? 青木さん:主治医の先生いわく、私が患ったがんは女性に多くてできやすく、でも、できるたびに取っていけば命に関わることはないとのことでした。それに、結局のところは手術で取ってみないと、がんかどうかはわからないんです。2回目の手術はがんだと思って受けたのですが、病理検査の結果、がんではないことがわかりました。 ー2回目の術後もやはりつらかったのでしょうか? 青木さん:最初のときに比べると、熱や吐き気が多少はラクに感じられました。一度手術を経験しているので、まったくわからないことへの恐怖はなかったですし、慣れたということなのかもしれないです。 安心して購入できる食材で和食中心の食事を心がける日々ーがんを患ってから、生活の中で心がけるようになったことを教えてください。 青木さん:家での食事は比較的、気を付けるようにしています。近所のお友だちのすすめで酵素玄米炊飯器を買ったので、ご飯は酵素玄米です。それに味噌汁、ぬか漬け、梅干し、納豆といった程度のものが多いです。 ー厳選された食材を使っているのでしょうか? 青木さん:外で食べるときには気にしませんが、家で使うものは食材や調味料に気を配るようになったと思います。 ー以前は食生活にそれほどこだわっていなかったのでしょうか? 青木さん:こだわっていなかったと思います。例えば、調味料でも野菜でもお肉でも、それぞれに金額の差がありますよね。以前はその金額を安くしようと思っていましたけれど、今はそこにお金をかけようと思っています。決して高いものがいいというわけではないのですが、食材費を抑える生活はやめました。今は食材や調味料などに一番、お金を使っているかもしれません。 ーご自身で納得のいく食材を買う、ということでしょうか? 青木さん:それもあるのですが、大切に育てられた野菜やお肉を、機嫌の良い方たちから買い、気分の良い状態で料理をして、楽しく会話しながら食べることを心がけています。食材を買うスーパーは決まっていて、そこのスタッフの方と仲がいいですし、生産者さんとお話ができることもあるんです。作っている人や売っている人の顔が見えるので、安心して買うことができるという感じですね。 ストレスをためないように自分を変えることを意識しているーほかにはどんな変化があったのでしょうか? 青木さん:意識的に規則正しい生活をするようにして、夜は11時には寝て、朝は6時には起きるようにしています。それから、ストレスをためないこと。私の場合、ストレスのほとんどは人間関係でたまっていくんです。それを改善しようとするとき、相手に変わってもらうことは無理ですから、自分が変わるしかないと思っているんです。 ー自分を変えるのは簡単そうで難しいことだと思いますが、例えばどんなことを意識しているのでしょうか? 青木さん:誰かの発言に対して「でも」という言葉は言わず、「はい」、「わかりました」と同意するようにしています。相手の言うことに同意していたら、それ以上はもめることはありませんから。自分自身、すごく素直になったところもあります。 ウーマンカレンダー編集室ではアンチエイジングやダイエットなどオトナ女子の心と体の不調を解決する記事を配信中。ぜひチェックしてハッピーな毎日になりますように! PROFILE:青木さやかさん1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。著書に9割実話のエッセイ小説『母』(中央公論新社)など。
2021年07月25日今年5月に出版された9割実話のエッセイ小説『母』が話題の青木さやかさんにインタビューをさせていただきました。2回目の本日は、二度目の手術を受けたことや肺腺がんをきっかけに訪れた生活の変化、ご自身が日々意識していることについてお聞きしました。2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今年5月に、実母との軋轢やがん、ギャンブル依存症、ブレイク当時の秘話、結婚、出産、離婚といった経験を赤裸々に綴った著書『母』を刊行し、話題を呼んでいます。なかでも注目されたのが、本書で告白された肺腺がんの体験記です。肺腺がんの手術を経て、生活やお気持ちにはどのような変化が生まれたのでしょうか。インタビュー2回目の今回は、肺腺がんをきっかけに変わった事柄をうかがいました。★前回:肺腺がんを告白。青木さやかさんインタビュー#1「私自身は元気ですし、がんと言われることが不思議でした」1回目の手術から2年弱で2回目の手術を受けた――術後2週間でドラマの撮影、2カ月後には舞台に立っていたそうですが、体力に不安はなかったのでしょうか?青木さんあまりなかったですが、ドラマの撮影などは大変な面はありました。私は舞台の仕事もしているので、体力作りをしている方なのかもしれません。といっても、ストレッチや軽い筋トレ程度のことなのですが……。でも、病気になって知ったのは、体力があって、健康で、手術ができるくらいの肉のつき方じゃないと手術を受けられないということ。私の場合、手術に向けて体を鍛えたわけではないのですが、日ごろの生活の中で体力が養われていたのかもしれないです。――1回目の手術から2年弱で2回目の手術を受けたそうですが、肺腺がんの再発ということでしょうか?青木さん主治医の先生いわく、私が患ったがんは女性に多くてできやすく、でも、できるたびに取っていけば命に関わることはないとのことでした。それに、結局のところは手術で取ってみないと、がんかどうかはわからないんです。2回目の手術はがんだと思って受けたのですが、病理検査の結果、がんではないことがわかりました。――2回目の術後もやはりつらかったのでしょうか?青木さん最初のときに比べると、熱や吐き気が多少はラクに感じられました。一度手術を経験しているので、まったくわからないことへの恐怖はなかったですし、慣れたということなのかもしれないです。安心して購入できる食材で和食中心の食事を心がける日々――がんを患ってから、生活の中で心がけるようになったことを教えてください。青木さん家での食事は比較的、気を付けるようにしています。近所のお友だちのすすめで酵素玄米炊飯器を買ったので、ご飯は酵素玄米です。それに味噌汁、ぬか漬け、梅干し、納豆といった程度のものが多いです。――厳選された食材を使っているのでしょうか?青木さん外で食べるときには気にしませんが、家で使うものは食材や調味料に気を配るようになったと思います。――以前は食生活にそれほどこだわっていなかったのでしょうか?青木さんこだわっていなかったと思います。例えば、調味料でも野菜でもお肉でも、それぞれに金額の差がありますよね。以前はその金額を安くしようと思っていましたけれど、今はそこにお金をかけようと思っています。決して高いものがいいというわけではないのですが、食材費を抑える生活はやめました。今は食材や調味料などに一番、お金を使っているかもしれません。――ご自身で納得のいく食材を買う、ということでしょうか?青木さんそれもあるのですが、大切に育てられた野菜やお肉を、機嫌の良い方たちから買い、気分の良い状態で料理をして、楽しく会話しながら食べることを心がけています。食材を買うスーパーは決まっていて、そこのスタッフの方と仲がいいですし、生産者さんとお話ができることもあるんです。作っている人や売っている人の顔が見えるので、安心して買うことができるという感じですね。ストレスをためないように自分を変えることを意識している――ほかにはどんな変化があったのでしょうか?青木さん意識的に規則正しい生活をするようにして、夜は11時には寝て、朝は6時には起きるようにしています。それから、ストレスをためないこと。私の場合、ストレスのほとんどは人間関係でたまっていくんです。それを改善しようとするとき、相手に変わってもらうことは無理ですから、自分が変わるしかないと思っているんです。――自分を変えるのは簡単そうで難しいことだと思いますが、例えばどんなことを意識しているのでしょうか?青木さん誰かの発言に対して「でも」という言葉は言わず、「はい」、「わかりました」と同意するようにしています。相手の言うことに同意していたら、それ以上はもめることはありませんから。自分自身、すごく素直になったところもあります。<青木さやかさんプロフィール>1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。著書に9割実話のエッセイ小説『母』(中央公論新社)など。著者/熊谷 あづさライター。1971年宮城県生まれ。埼玉大学教育学部卒業後、会社員を経てライターに転身。週刊誌や月刊誌、健康誌を中心に医療・健康、食、本、人物インタビューなどの取材・執筆を手がける。著書に『ニャン生訓』(集英社インターナショナル)。
2021年07月23日2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今年5月に、実母との軋轢やがん、ギャンブル依存症、ブレイク当時の秘話、結婚、出産、離婚といった経験を赤裸々に綴った著書『母』を刊行し、話題を呼んでいます。 なかでも注目されたのが、本書で告白された肺腺がんの体験記です。インタビュー1回目の今回は、肺腺がんが見つかったきっかけや治療までの経緯、当時のお気持ちなどをうかがいました。 肺腺がんの治療法は自分自身で判断したー青木さんの肺腺がんはどのようなきっかけで見つかったのでしょうか? 青木さん:2011年から人間ドックを受けているのですが、一番最初の検査のときに「肺に影のようなものがあります」と言われたんです。ただ、それががんなのかどうか、お医者さんにもわからないらしいんですね。その影が大きくなったりするとがんの可能性が高いとのことで、定期的に検査を受けることになりました。数年たって“肺の影のようなもの”が大きくなり、がんの可能性が高いと言われました。 ー“がん”という言葉を聞いたときには、どのようなお気持ちだったのでしょう? 青木さん:両親と母方の祖父ががんで亡くなっているので、自分ががん家系だという意識はありました。ただ、私自身は元気ですし、自分ががんと言われることが不思議でしたね。 ーお医者様に「がんの可能性が高い」と言われ、すぐに手術となったのでしょうか? 青木さん:いえ、どのような選択をするかは私自身が判断するんですね。私の場合は3人のお医者さんに診断してもらい、そのうちの2人は「手術をしたほうがいい」とおっしゃいました。でも、もう1人の先生は「ねずみを鉄砲で撃つようなもので、手術をするほうがリスクが高い」というご意見でした。私のがんは初期のもので、命を脅かすような状態ではなかったんです。ですから、定期的に観察をして大きくなったら手術をするという選択肢もありました。 悩んだ末に手術という治療法を選んだーそれでも手術を選んだのはなぜなのでしょうか。 青木さん:理由はいくつかあって、ひとつは主治医の先生に「がんは急に大きくなるわけではないですから、今のうちに取ったほうがいいんじゃないですか」と言われて納得したからです。また、将来、「すぐに手術しましょう」となったときに、仕事に差し障りが出てしまうかもしれません。そう考えると、スケジュールに余裕があるときに手術をしたほうがいいのではないかとも思いました。それに、自分の中に不安材料の残しておくことは、私にとってはストレスでしたから。2017年8月に手術を受けることになりました。 ー手術を受けるかどうか、誰かに相談はしたのでしょうか。 青木さん:私が入院している間の娘の行き先を相談する、いつごろ仕事に復帰できるかを先生に相談する、会社に仕事の相談をするといったことはしました。私は3社の保険に加入していたので、保険会社に話を聞いたりもしましたね。ただ、先生には「保険がおりる可能性は低い」と言われました。 ーそれはどうしてなのでしょうか? 青木さん:浸潤がん(※)じゃないと保険はおりないらしいんです。ただ、アフラックさんは保険がおりて、100万円をいただきました。とても助かりました。※がん細胞が直接に周囲の組織や臓器に広がって増殖するがん。 手術の翌々週にはドラマ、翌々月には舞台に出演ーがんという病気や治療に対する不安もあったのではないかと思います。 青木さん:ものすごく不安でした。単純に「怖いなぁ」って、よくわからないことへの恐怖や、想像がつかない世界への不安がありました。ほかにも「復帰できるのかな?」、「今までどおりに声は出るのかな?」、「傷はできるのかな?」といった術後の不安もありましたし、お金や生活に対する不安もありました。 ーそうした不安は克服することができたのでしょうか? 青木さん:いえ、治療や体調がひと段落するまでは不安だったような気がします。実は私、手術前にある俳優さんの舞台を見に行っているんですね。彼も私と同じ肺腺がんを患って手術を受けているんです。術後に舞台に立つ彼はしっかりと声を出していたので、「お元気そうでよかった」って思いながら見ていました。本人に言わずに勝手に応援させてもらっていたんです(笑)。 ー実際の治療はいかがでしたでしょうか? 青木さん:1週間弱の入院をし、腹腔鏡手術で右肺結節という部分を切除しました。術後は熱と痛みと吐き気が続き、とにかくつらかったです。2日くらいでなんとか症状が落ち着いたので、退院することができました。 ー退院後はいつごろからお仕事に復帰されたのでしょうか? 青木さん:翌々週にはドラマの撮影に入りました。そのドラマは結構動きのある役だったので、すごく大変だった記憶があります。手術前の体力とまったく同じというわけではなかったのですが、気力で乗り切った部分はあると思います。手術の翌々月には舞台の仕事もしていました。 ウーマンカレンダー編集室ではアンチエイジングやダイエットなどオトナ女子の心と体の不調を解決する記事を配信中。ぜひチェックしてハッピーな毎日になりますように! PROFILE:青木さやかさん1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。著書に9割実話のエッセイ小説『母』(中央公論新社)など。
2021年07月22日今年5月に出版された9割実話のエッセイ小説『母』が話題の青木さやかさんにインタビューをさせていただきました。今回は3回に分けて記事をお届けいたします。1回目は、肺腺がんが見つかった経緯や当時の心境、治療時のエピソードなどをお聞きしました。2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今年5月に、実母との軋轢やがん、ギャンブル依存症、ブレイク当時の秘話、結婚、出産、離婚といった経験を赤裸々に綴った著書『母』を刊行し、話題を呼んでいます。なかでも注目されたのが、本書で告白された肺腺がんの体験記です。インタビュー1回目の今回は、肺腺がんが見つかったきっかけや治療までの経緯、当時のお気持ちなどをうかがいました。肺腺がんの治療法は自分自身で判断した――青木さんの肺腺がんはどのようなきっかけで見つかったのでしょうか?青木さん2011年から人間ドックを受けているのですが、一番最初の検査のときに「肺に影のようなものがあります」と言われたんです。ただ、それががんなのかどうか、お医者さんにもわからないらしいんですね。その影が大きくなったりするとがんの可能性が高いとのことで、定期的に検査を受けることになりました。数年たって“肺の影のようなもの”が大きくなり、がんの可能性が高いと言われました。――“がん”という言葉を聞いたときには、どのようなお気持ちだったのでしょう?青木さん両親と母方の祖父ががんで亡くなっているので、自分ががん家系だという意識はありました。ただ、私自身は元気ですし、自分ががんと言われることが不思議でしたね。――お医者様に「がんの可能性が高い」と言われ、すぐに手術となったのでしょうか?青木さんいえ、どのような選択をするかは私自身が判断するんですね。私の場合は3人のお医者さんに診断してもらい、そのうちの2人は「手術をしたほうがいい」とおっしゃいました。でも、もう1人の先生は「ねずみを鉄砲で撃つようなもので、手術をするほうがリスクが高い」というご意見でした。私のがんは初期のもので、命を脅かすような状態ではなかったんです。ですから、定期的に観察をして大きくなったら手術をするという選択肢もありました。悩んだ末に手術という治療法を選んだ――それでも手術を選んだのはなぜなのでしょうか。青木さん理由はいくつかあって、ひとつは主治医の先生に「がんは急に大きくなるわけではないですから、今のうちに取ったほうがいいんじゃないですか」と言われて納得したからです。また、将来、「すぐに手術しましょう」となったときに、仕事に差し障りが出てしまうかもしれません。そう考えると、スケジュールに余裕があるときに手術をしたほうがいいのではないかとも思いました。それに、自分の中に不安材料の残しておくことは、私にとってはストレスでしたから。2017年8月に手術を受けることになりました。――手術を受けるかどうか、誰かに相談はしたのでしょうか。青木さん私が入院している間の娘の行き先を相談する、いつごろ仕事に復帰できるかを先生に相談する、会社に仕事の相談をするといったことはしました。私は3社の保険に加入していたので、保険会社に話を聞いたりもしましたね。ただ、先生には「保険がおりる可能性は低い」と言われました。――それはどうしてなのでしょうか?青木さん浸潤がん(※)じゃないと保険はおりないらしいんです。ただ、アフラックさんは保険がおりて、100万円をいただきました。とても助かりました。※がん細胞が直接に周囲の組織や臓器に広がって増殖するがん。手術の翌々週にはドラマ、翌々月には舞台に出演――がんという病気や治療に対する不安もあったのではないかと思います。青木さんものすごく不安でした。単純に「怖いなぁ」って、よくわからないことへの恐怖や、想像がつかない世界への不安がありました。ほかにも「復帰できるのかな?」、「今までどおりに声は出るのかな?」、「傷はできるのかな?」といった術後の不安もありましたし、お金や生活に対する不安もありました。――そうした不安は克服することができたのでしょうか?青木さんいえ、治療や体調がひと段落するまでは不安だったような気がします。実は私、手術前にある俳優さんの舞台を見に行っているんですね。彼も私と同じ肺腺がんを患って手術を受けているんです。術後に舞台に立つ彼はしっかりと声を出していたので、「お元気そうでよかった」って思いながら見ていました。本人に言わずに勝手に応援させてもらっていたんです(笑)。――実際の治療はいかがでしたでしょうか?青木さん1週間弱の入院をし、腹腔鏡手術で右肺結節という部分を切除しました。術後は熱と痛みと吐き気が続き、とにかくつらかったです。2日くらいでなんとか症状が落ち着いたので、退院することができました。――退院後はいつごろからお仕事に復帰されたのでしょうか?青木さん翌々週にはドラマの撮影に入りました。そのドラマは結構動きのある役だったので、すごく大変だった記憶があります。手術前の体力とまったく同じというわけではなかったのですが、気力で乗り切った部分はあると思います。手術の翌々月には舞台の仕事もしていました。<青木さやかさんプロフィール>1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。著書に9割実話のエッセイ小説『母』(中央公論新社)など。著者/熊谷 あづさライター。1971年宮城県生まれ。埼玉大学教育学部卒業後、会社員を経てライターに転身。週刊誌や月刊誌、健康誌を中心に医療・健康、食、本、人物インタビューなどの取材・執筆を手がける。著書に『ニャン生訓』(集英社インターナショナル)。
2021年07月20日青木さやか撮影/佐藤靖彦完璧主義の母の束縛、認められない苦しさ、愛を受けられなかった憎しみ。何十年も確執のあった実母とひとり娘が、ホスピスで過ごす時間の中で関係を修復して――。2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今、実母との軋轢やギャンブル依存症、結婚、出産、離婚など、自身の経験を赤裸々に綴った著書『母』が話題となっている。「10年以上前に『婦人公論』で母との確執を取材してもらいました。その後も何度かお世話になり、1年ほど前に“ウェブサイトで連載を”とお誘いいただいたんです」(青木さん、以下同)ウェブ連載のタイトルは『47歳、おんな、今日のところは〇〇として』。「あえて何でも書けるようなタイトルをつけていただいて、締め切りもテーマも文字数も非常にゆるっとしていた。おかげさまで今回、書籍の話になりました」連載と共通する部分もあるが、ほぼ書き下ろしに近い。「連載はエッセイでしたが、書籍は“小説にしたいな”と思い、自分としては小説を書いたつもりでした」だが、林真理子さんが書いてくれた帯の文言を見て“完全にエッセイとして読まれている”という事実に気づく。「やっぱり主人公の名前を“さやか”としてしまったせいですかね~」そこで“9割実話のエッセイ小説”と説明することに。「“9割実話”とうたったのは出てくる人たちに迷惑をかけたくなかったからです。と、言ってしまうと、元も子もないのですが(笑)」パチンコに明け暮れ、スナックや雀荘で働いていた過去や、自身が患った肺がん手術の経験、愛娘との日常──。各章で語られるそれらは、自然な流れで、母への思いや記憶につなげられる。■この本では母との仲直りを書こうと決める印象的なフレーズがある。《もし、母が選べるのだとしたら、わたしはこの母を決して選ばなかった。わたしはアンラッキーだ。どうしてわたしには、この母が割り当てられたのだろう》「母との確執について、テレビ番組や雑誌で話してきました。それが母が亡くなる直前になって、ようやく関係を変えることができたんです。だから、この本は母との仲直りを書こうと決めました」本を執筆している中で、青木さんは自身の新たな側面を認識する。「私は職業柄、自分を客観的に見ることができる。本を書き進めるうちに気づいちゃったんです。“あー青木さやかって厄介な人だなぁ”って」最近、HSP(HighlySensitivePerson)という言葉がよく聞かれるようになった。“非常に感受性が強く繊細な気質の人”のことで、おそらく過去の青木さんはこのHSPに近い特性を持っていたのだろう。「世の中、自分的になにか引っかかる点があっても、それに気づかないふりでスルーできる人が多い。私の場合は、それが苦手です。すべての引っかかりに真正面からぶつかりたがる。こんな人間が身近にいたら周りの人は疲れちゃいますよね。だから友達にすごく感謝したんです。ありがたいな~って!」母との確執には、自身の“厄介な部分”が関係していると青木さんは分析する。「私はずっと母が嫌いでした。でもそれは母が特別に悪かったわけでもなく“私でさえなければ”うまくスルーできていたことの積み重ねの結果かもしれない。そんなふうに思うようになりました」■“たわいもない話をする難しさ”を知る青木さんと母が距離を縮めたのは、死の直前。母が悪性リンパ腫によって入所したホスピスでのことだ。「親元を離れて上京したときも、娘を出産したときも、自分の中で母への気持ちが変わるかもしれないという期待があった。でも、無理でした。 自然に母への好意を持つことはどうしてもできず“仲直りをしよう”と強く意識して行動することでしか、関係を変えられなかったんです」青木さんは仕事の合間を縫い、週に1度は愛知県内のホスピスへ面会に出向いた。「今日は“いい娘じゃなくてごめんね”って謝ろう。今日は手をマッサージしてあげよう。毎回“ミッション”を決めて、クリアできるように努力しました。そのなかでいちばん難しかったのは、“たわいもない話をする”ということ。それって“いい空気感”が必要なんです。和やかでなければ叶わない。でも、母とは何十年もの間、ギクシャクとしていたので、どうしても空気がどんよりとしてしまって」そのよどんだ空気を変えるため、青木さんは役者としての経験を生かした。「舞台のお仕事では“登場と同時に場の空気を変えてください”なんて言っていただくことがありまして。母の病室でも最初は演技でしたが、和やかな雰囲気をつくって、世間話をすることができた。最終的に、母とはいいお別れができたと思います」真正面から母と向き合ったことで、自分に変化が生まれたのだ。母との軋轢の改善は、青木さんに課せられた使命だったのかもしれない。「例えば友達に愚痴を言ったら、その場はスッキリする。でも、根本的な解決ではないな、と思っていて」ならばつらくても自分のイヤな部分にちゃんと目を向け、一瞬でもいいから反省するほうが前に進めるのではないかと考えるようになった。「実際、私はそうすることで母との問題を解決できましたし、ラクになったんです」それは“あくまでも私の場合ですが”と語る青木さん。100人いれば100通りの母娘関係がある。「嫌いな親に対して“こうしたらいい”とかでなく、ただ“こんなケースもあるよ”と思っています」という青木さんも現在、小学6年生の娘の“母”だ。■渾身の書籍を小6愛娘に“やばい”と笑われ「母から“勉強しなさい”と言われて育ったので、娘には“勉強なんてしなくていい”と言ってきたんです。でも、あるとき娘に“勉強しなくていいっていうことを押しつけないでほしい”と言われました。結局、私は母と同じことをしていたんですよね」本書には、愛する長女への思い、2人の日常や、執筆中に励ましの言葉を受けたことなど、母・さやかとしてのいい話も満載だ。しかし本が刷り上がったのちの後日談があった。完成した書籍を見た娘は“憎んでたんじゃない、愛されたかった”という帯の一文を見て爆笑したのだ。「“やばい”“え、なにママ、ソレどんな顔で言ったの?”って思いっきり笑われましたね。娘は私のことをダサいと思ってるんだろうか……はは。小学生の子たちが読んだら、どう思ってくれるんでしょうか(笑)」小学6年生になった娘からの評価には大いにへこんだものの、周囲からの評判は上々だ。「おかげさまで私は街で声をかけていただく機会も増えました。その一方で、有名になることの怖さも感じています。かつて、自分を取り巻く状況があまりにも変わりすぎてしまい、私自身と“青木さやか”という商品のバランスを取ることが難しくなってしまった。仕事は好きなのに、“私のことは忘れてほしい”という思いも、どこかにありました」だが、ちょうど連載を始めた1年ほど前から気持ちが変わりつつあるそうだ。「心身ともに元気になるにつれて“またがんばりたいな”と思うようになった。だから、連載や本の執筆にも前向きになれました。有名になるのは今でも怖い。でも、一匹狼のような、かつての私じゃない。今は信頼できる仲間、友達、そして娘がいる。がんばれます」500万部売りたい、と豪語する“作家”としての青木さんは、本当にきっと瞬く間に有名になってしまうだろうと予感した。■ライターは見た!パソコンはほとんど使えないという青木さん。本書も連載も、なんとLINEで執筆していると聞き、仰天した取材班。「手書きだと時間がかかってしまうので、スマホでLINEのメモ機能を使って書きました。最後のころは熟練してきて、スクロールの指の感覚でざっくりとした文字数がつかめるように(笑)」もはや職人の域!? しかも本書の原稿は、ひと月ほどで書き上げてしまったという。「右手の親指1本で文字を打ち込むので、指が痛くなって書けなくなってしまうことがありました。近所のお友達にそのことを話したら“手塚治虫先生と一緒じゃん!”って言われて高まりました」自分でも驚くほど筆が進んだという青木さんだが「この本は、国語教師だった母が一緒に書いてくれたような気がします。学生のころには、母が書いた小論文でアナウンサー試験の面接まで進んだことがありますし(笑)」スムーズな執筆には、幼少期からの豊富な読書量も関係しているようだ。「小さいころは毎週のように母が図書館から5冊の本を借りてくれて、例えば平岩弓枝さんの作品など子どもにしては難しい小説を読んでいました。それに、両親ともに本が好きで家には書庫があり、何千冊という蔵書がありましたから。暇があれば書庫にある大人向けの小説なども読んでいましたね。林真理子さんや吉本ばななさんの作品など、自分で買って読んだ本もたくさんあります」インタビュー中には、同じ小6の娘を持つ弊誌編集Yと娘談義で盛り上がる場面も。「シャンプーや洗顔料は娘専用のものがあり、『使わないで!』と言われています。そのお金は私が出しているので『どういうことなの?』って思いますけど……。あと、テレビはほとんど見なくてもっぱらYouTubeですし、TikTokにも夢中です。どのあたりが面白いのかサッパリわからないのですが、娘も私のことを見て、同じようにわからないと思っているんでしょうね(苦笑)」(取材・文/熊谷あづさ)自分のことが嫌いだった主人公・青木さやかが実母との確執と和解、ギャンブル依存症、売れっ子芸人の苦悩などを綴った9割実話のエッセイ小説。「婦人公論.jp」で話題沸騰中の連載「47歳、おんな、今日のところは〇〇として」にオリジナル原稿を大幅に加筆。青木さやか●1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ! 」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。
2021年06月24日3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。あなたのお家でも似たようなこと起こってません?一瞬だけ、「えっ優しい……!?キュン♡」ってしたのに……!感動を返して〜!!屋内施設はなかなか行けないこのご時世、今年の夏も公園通いの日々になりそうです……(白目)みなさま、水分とって頑張りましょうね〜〜!!LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2021年06月23日(左から)青木さやか、吉川ひなの、杉本彩、中島知子吉川ひなの(40)は《あるとき心が壊れ、芸能活動を続けることができなくなり、以前から両親に頼んでいた貯金を分けるようお願いをした》と5月に上梓したエッセイ本『わたしが幸せになるまで』の冒頭で生い立ちを書き、反響を呼んでいる。■金をせびる毒親に悩まされ……両親から渡された通帳には、吉川の稼ぎで住んでいた豪邸1か月分の家賃に満たない額しかなく、その後も吉川のところへ何度も来ては、なけなしの貯金さえも奪っていったという。さらに吉川は本書の対談で「小さいときから母親に『こんな時代に子どもを産んじゃダメ』と言われて育ったから、子どもが欲しいとか考える前に、産まないものだと思っていたの」と発言しているところから見ても、明らかに毒親からコントロールされていたと言っていいだろう。毒親との確執が描かれた漫画『毒親サバイバル』(菊池真理子著)に登場し、毒親の被害を告白したライターの成田全さんは「アメリカ人のスーザン・フォワードが、著書『Toxic Parents』で、子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親を、“Toxic Parents”(有毒な親)と呼び、この本が’99年に日本で『毒になる親』として出版され、以後“毒親”という名称が定着しました」と語る。「毒親にはさまざまなタイプがあります。体罰などの暴力や性的虐待があるもの、常に監視・支配・管理・抑圧して過干渉したり、自分ができなかったことや夢を押しつけ、できないことを責めて暴言を吐くもの、その逆で一切面倒を見ないネグレクトなど。それらが複合的に絡み合っていることが多いのですが、共通するのは子どもに『あなたのため』と言いながら、実は自分のことしか考えていないことです。世間体を保つためだったり、子どもを自己実現のための“自分の分身”としか思っていないんですね」(成田さん)家に借金取りが来ると母が隠れてしまい、学校へ行けなかったという吉川。「芸能界には金銭でもめる家庭が多いんです。両親が浪曲師だった藤圭子さんは、貧しさから高校へ行くのを断念、両親と一緒に流しをしていましたが、歌手として売れ始めると金銭トラブルで両親が離婚。父と疎遠になり、その後同居した母とも金銭トラブルで絶縁しました。松坂慶子さんも幼少時から芸事を習わされ、費用捻出のため食事を減らすなどされたそうです。その後結婚を反対され、親が暴露本を出すなどして絶縁状態となりましたが、父の死後に母と和解、同居して先日100歳で母親は大往生されています。棋士の林葉直子さんは通帳や印鑑を親が管理、14歳からの稼ぎをすべて使われ、借金を抱えて自己破産しています」(スポーツ紙記者)■否定・支配する親また元オセロの中島知子はインタビューで毒親について言及している。「親に金を毎月無心され、無職の妹の結婚・出産費用に加え生活費まで払っていたが、それを断ると妹が中島さんの人間関係の悪口を言いふらし、それが影響してか独立騒動で大変なことになったと。生放送の後に母親が『ダセえ服着やがって』と電話でダメ出ししてきて、最後に金を振り込めと言われたそうです。毒親は『誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ』などと、生活できることやこの世に生まれたことを自分の手柄のように言いますが、これは典型的なモラハラ。この発言があったら要注意です」(成田さん)教師だった母との軋轢を、著書『母』で吐露したのが青木さやかだ。テストで85点を取っても「どこを間違えたの?次は100点取らなきゃね」と評価を下して価値観を押しつけてくる母に応えたい、でも私の頑張りが足りないから褒められない、と自己否定し続ける。「自分がやりたくなくても言われたことは指示どおりにやれるのは母の教育の賜物と言いながら、どれほど評価されても自信のなさは埋まらず。子どもができると世界が変わると言われたが、何も変わらなかったとありました。しかし子育てを通じて個性や自己肯定、共生を学んだそうで、母の呪縛の連鎖を断ち切ろうともがき続け、看取ったことでひとつ区切りをつけたのでしょうね」(成田さん)同じように、小島慶子も出演する番組をすべてチェックされ、ファクスが束になるほどの感想を送られるなど大人になっても母から過干渉を受けていた。それでも期待に応えようとしていたが、7年間距離を起き、自分を取り戻したという。また杉本彩は父が借金の保証人になって貧困となり、母は愛想を尽かしてほかの男と出ていくなど家庭が崩壊、16歳で自立して芸能活動を開始。後に仕送りをしていた母を、妹夫婦のもとから呼び寄せようと仕送りを止めた途端、暴言を浴びせられるなどしたそうだ。杉本は母についてブログで「人の悪口と恨みつらみしか口にしない」「若いころから数々のひどい仕打ちを母から受けている」と書き、絶縁した。このように小島と杉本は実家とは違う世界を自分の力で得て、連鎖を断ち切っている。■酒と暴力を浴びせる親「毒親育ちの人には、自分の子にも同じことをしてしまうのでは、という連鎖の恐怖があるんです。芸人の若井おさむさんは母と兄から虐待されたことで、結婚後に妻から子どもがほしいと言われ、父親になるのが怖くて離婚を選んだ、とインタビューで語っていました」(成田さん)芸能界には、かなり壮絶な家庭で育っている人もいる。「遠野なぎこさんは、酒・借金・暴力の父から虐待を受け、母は男性をとっかえひっかえして1週間放置されたり、付き合っている男の下半身の写真を見せられたといいます。両親が離婚後についていった大東駿介さんは、母が男と出奔してネグレクト状態となり、中学生から極貧ひとり暮らしするなどかなり壮絶ですね」(前出・スポーツ紙記者)中でも成田さんが驚いたと言うのが、女優の小川真由美から受けた壮絶な虐待を、娘でミュージシャンの小川雅代が赤裸々に綴った『ポイズン・ママ』だという。「昔、小川母子が『ジャングルTV~タモリの法則~』に出演した際、娘が無愛想で、セットを蹴ったりしていて、あのタモリさんでさえ扱いに困るほどだったのですが、この本を読んで数々の虐待を受けていたのを知り、嫌々共演したことがわかりました。占いを信じて緑と紫のものを排除させ、このままだと悪いことが起こると勝手に改名、放っておかれて食事を与えられずに飢餓状態になったり、中学生の娘(雅代)がいるのに気にせず自宅で性交したり、付き人が金を盗んだのに犯人扱いされたり、悪魔が取り憑いているとおまじないやお札を増やしたり……もうとにかく凄まじい毒親っぷりで、唖然としました」(成田さん)毒親育ちは大人になってからも自分を傷つけ、苦しむもの。芸能人の告白が、少しでも力になりますように。
2021年06月17日「怒りがストレスにつながっていた」と過去を省みる青木さやかバラエティー番組やドラマ、舞台などで幅広く活躍している、タレントの青木さやかさん。実は長年、パニック症(パニック障害)に悩まされてきました。病気と向き合うなかで、これまで自分を苦しめてきたのは、自然と形成されてきた偏見や固定観念だったことに気づいたそうです。いったいどういうことなのか、YouTube『たかまつななチャンネル』で聞きました。■「死んじゃうかもしれない、怖い」――私も知らなくてびっくりしたんですけど、青木さん、実はパニック症だったんですよね?どういう病気なんですか?青木:私の場合は突然、こうやって話していても、意識が遠のいて息ができなくなって、倒れそうになる。――どうしてそうなるんでしょうか?青木:いちばん最初にこうなったのは10年くらい前かな。家にいたら「息ができない、死んじゃうかもしれない、怖い、倒れそうだ」みたいな感覚に襲われて、家族が救急車を呼んだんです。そのときは「原因はわからない」と言われて、元気になって帰ってきました。――それはまた怖いですね。青木:身体は全部調べましたし、脳神経外科にも行きました。でも、特に問題はなかった。それで、会社に紹介してもらった心療内科に行って、自分の状況を説明しました。「いつも倒れるわけじゃなくて、“倒れたらどうしよう”と思う場面で倒れそうになる」と。仕事中と仕事前、あとは観劇中や、舞台に出ているときとか。それと、地下がだめだったんですよね。窓がないところだと、息ができないんじゃないかって。ロケバスも「調子が悪くなっても車からすぐに降りられないから、人に迷惑をかけるかもしれない」って思うと、怖くなって乗れませんでした。だから全部、自分の車で行くようになって。――失礼ながら、考えすぎじゃないかとも思ってしまいますが。青木:そうかもしれません。でも、不安に思っていることって、人から「大丈夫だよ」って言われても、「いやいや、それがどうしても無理なの」とか、あるでしょ。その緊張感から倒れそうになる。仕事以外で倒れそうになったことがないので、「身体ではなく心の問題なのではないか」と思い始めました。――当時も、テレビとか舞台にけっこう出てらっしゃいましたもんね。青木:病院の先生からは「いったん仕事を休んでみたらどうです?ストレスになるものを排除したらどうですか」と提案されたんです。「自分がとても緊張してしまう相手と会わないとか、調子が悪くなる場所に行かないとか、そういったことをしてください」って。「それは難しいから、仕事は続けたい」と言ったら、薬を飲んで様子を見ましょうということになりました。それからは、難しそうなお仕事は数回ですけどお断りしました。収録日までずっと不安が募るから、結果的に、やめておいてよかったと思います。■「受け入れるの、嫌でしたね」――パニック症と言われて、すぐに受け入れられましたか?青木:私は当時、先生から病名を聞いていなかったような気がします。今回、コラムを書く機会があったので、初めて先生に「私の病気って何ですか?」と聞いたら「一般的にはパニック症というと思いますよ」とおっしゃって。たぶん、それまでは私の負担にならないように、病名をはっきりとは言わなかったんじゃないかと思います。パニック症と言われて、受け入れるの、嫌でしたね。病名がわかる前も、薬を飲んでいることはマネージャーさん以外には隠したほうがいいと思いましたし、共演者に伝えたことはないです。言われた相手も困るんじゃないかと。それに、お笑いの世界にいるので「青木って狂ってるな」とか「頭おかしいんじゃないの」って言葉は日常的に言われていて。相手はもちろん私を傷つけるつもりはないんですよ。でも、実はけっこう傷ついているので、また何か言われるんじゃないかなと。自分が余裕さえ持てば全然、平気なんだけれども。――結局、パニック症になってしまった原因はわかっているんですか?青木:「これが原因です」みたいなことは言われていない。ストレスじゃないのかな。ただ、あんなにずっと怒っていなければ、病気にならなかったかもしれないです。私は怒りがエネルギーだった人間なので、当時はいつもイライラしていたから。――薬を飲んで楽になりましたか?青木:緊張感はやわらぐようになりました。倒れそうになったときは、薬を飲めばだいぶ楽になったから。でも代わりに、すごく薬に依存するようになってしまった。薬がないと怖くて。薬を持ってくるのを忘れると、ワーって(心臓が)バクバクしたり。やっと手放せたのは、1年くらい前です。ある日、飲むのを忘れて、次の日も飲むのを忘れて、次の日も……みたいなことの積み重ねで1年経っているって感じです。それまで、8〜9年間くらいは飲んでいたと思います。――パニック症を隠すタレントさんも多いですが、公表したのはなぜですか?青木:エッセイで書こうと思ったのがきっかけです。もう薬を飲んでいなくて、病気が過去のものになったので、すごく冷静に、客観的に書けるようになったからだと思います。決して「パニック症の人を励まそう」とかいう気はなくて。私は私のことしかわからないので、ただ自分のことを書いたっていうだけです。自分にとっては、隠すことではないかなと思えました。■偏見や固定観念に苦しめられていた――パニック症になってよかったと思えることはありますか?青木:私は、自分の人生に起きることはすべて、何かしらの原因があったうえでの結果だと思っているんですよ。だから「原因はなんだろう、考え方を改めよう」という、ひとつの大きな変化につながっているので、よかったといえばよかったことです。――病気を経験する前と後で、どう考え方が変わったんですか?青木:パニック症に対する偏見や固定観念がなくなりましたね。最初は心療内科に通っていることを人に知られたくなくて、マスクをして行っていましたし、パニック症だと知られれば、仕事で使いづらいとか、しゃべりづらいとか、笑いにつながりづらいとか、思われるんじゃないかと思っていました。でも実際には、心療内科に通う人も至って普通の人たちだし、自分の偏見に自分自身が苦しめられていたことに気づいたんです。今では「(パニック症で)薬を飲んでいるんですか」って聞かれたら、血液型を聞かれたときに「O型です」って答えるのと同じくらい(の感覚で)、「飲んでいます」って答えられます。――自分のなかにある偏見や固定観念に苦しめられていたんですね。青木:私は、過去に植えつけられた記憶のなかで、偏見や固定観念を持って生きてきました。親や友達、先輩などから言われた言葉が頭の中に残っていて、これを言ってはいけないとか、こう生きていかなきゃいけないとか、こういうときはこうだ、みたいな。そういったものがなければ、きっとストレスはなかったと思います。とは言っても、社会に物申すより、自分が変わったほうが早いのだと、恩師に教えてもらいました。まずは自分の偏見をなくして、自分が変わらないといけないと感じています。――具体的には、どんなことに気をつけていますか?青木:仕事では、ネガティブなことを思うと倒れそうになっていたけれど、楽しければきっと倒れない。だから、常に楽しい状況を作るために、人を嫌わない、嫌われないことを意識しています。人を嫌わないっていうのは、自分と考え方が違う人がいても否定しないこと。誰も何も否定しなければ、自分も否定されないんじゃないかと思って実践しています。できるだけ自分が仕事をしやすい、生きやすい環境を作るには、人との関わり方や生き方を変えるのが大事だと思います。――自分に対しても厳しくなくなったという面もあるんですか?青木:私は自分をぜんぜん大事にしていなかったんだと思いますね。自分を大事にすることは、人を大事にすることだと思うようになったので、今は前よりも自分のことを大事にできていると思います。――最後に、パニック症で悩む人に向けてメッセージをいただけると幸いです。青木:私は肺がんもやっていますけれども、パニック症のほうが日常的にはつらかった。世間の目が気になるとか、職場には言いたくないとか、そういう思いがあって、それをストレスに感じる人がいるとしたら、「多くの悩みは植えつけられた固定観念に過ぎない」って思ったほうが、楽に生きられると思います。(取材・文/お笑いジャーナリスト・たかまつなな)
2021年06月10日インタビューに答える青木さやか。がんになったことは、自分の親にも娘にも伝えなかったというタレントの青木さやかさんが今年5月、母親との長年にわたる確執などについて綴った『母』(中央公論新社)を出版しました。そこで明かされたのは、青木さんが肺がんを患い、手術を受けていたこと。仕事と育児をしながら、どのようにがんを乗り越えたのか。YouTube『たかまつななチャンネル』で聞きました。■「がんの告知」は驚くほど軽かった――今回、本を出されて、その内容がめちゃくちゃ素敵でした。青木さん、実は肺がんだったと。青木:肺がんのひとつである『肺腺がん』でした。きっかけは、先輩に誘われて受けた人間ドック。「肺に小さな影があります。大きくなっていくようなら、がんの可能性が高いので、様子を見ましょう」と。結局、5年くらい前に影が大きくなったんです。再検査のあと、診察室に呼ばれて入ったら、先生がこっちも見ないで「ああ、これ、がんですね。どうします?」っていう感じ。軽いでしょ?――そんな軽い感じで告知されるんですか。青木:家族が呼ばれて(緊張感の中で伝えられる)というイメージだったけれども、全然違いました。思わず「軽いですね」って言いましたよ。「私、死ぬんでしょうか?」って聞いたら「死ねない、死ねない。頑張っても死ねないよ」と先生はおっしゃって。がんの告知をされるのは、私たちからすると非日常じゃないですか。でも、先生からすると日常的なことなんですね。でも、軽く言われたことで、そのときはあまり深刻にならずに済んだのかもしれないです。――(頑張っても死ねない、とまで言われるということは)早期に発見できたってことなんですね。青木:「これがどんどん大きくなってしまうと命を脅かすものになるから、今のうちに取っておいたらどうですか」と言われて、手術をすることにしました。――自分ががんと聞いて、どう思いましたか?青木:がんだとわかってから、怖くて1回だけ車の中ですごく泣きました。それきり泣いていないけれど、とにかく怖かった。病室にいるときもすごく怖かった。怖くて怖くて、押しつぶされそうになりました。――周囲の人には伝えたんですか?青木:病院から出てすぐに、会社に連絡をしました。ちょうど舞台が入っていたので「舞台が終わったら手術をしたいから、その時期は休ませてほしいです」と伝えました。うちは私と娘の2人暮らしなので、娘の学校にも連絡して、しばらくは娘の父親の家から学校に通うことと、父親が無理なときは、ママ友の家から通わせると担任の先生に伝えました。それから、数人のママ友と保険会社にも連絡した。娘はまだ小学2年生だったので、がんのことは言いませんでしたが、いずれは伝えようと思っていました。私の親には伝えるつもりがありませんでした。当時は仲がいいというわけではなかったけれども、なぜだか心配は絶対にかけたくなかったので。――がんのことを周りの人に伝えたときの反応はどうでしたか?青木:「そうなんだね」って、あえて流してくれる人もいたし、すごく心配してくれる人もいたし、「私もがんだったんだよ、実は」っていう人もいました。そのなかで「私もがんだったのよ。でも大丈夫、絶対に治るから。だから安心しなさい」と言う人がいたんですけど、すごく違和感を覚えたんですよね。私は「自分ががんだったから、がんの人の気持ちがわかる」ということはないと思っていて。性格も状況も環境も、何もかも違うなかで、同じ病気になったからといって、同じようなことを思い、望むかというと違うと思うので。大丈夫という言葉は、受け入れられなかったですね。――励まそうとしてくれたのかもしれないですけどね。青木:結局、誰に何を言われても安心につながらなかったのは、こちらに余裕がないからですよ。自分がいっぱいいっぱいだと、ちょっと嫌なことを言われただけでも、すぐにへこんだり対立したりするけれども、余裕さえあれば全部、受け入れられるでしょ。病気になって余裕がないから相手を受け入れられない状況になってしまった、という感じです。――手術は大変でしたか?青木:人によると思うんですけど、私の場合、手術自体は4、5時間だったかな。前日に入院して、肺にカメラを入れて、どこを切り取るかをお医者さんがチェックする。当日は手術室に入って、麻酔をして寝ている状態なので、全然覚えていないです。起きたらICU(集中治療室)にいるっていう感じ。麻酔薬のせいか、吐き気と熱でつらかったです。2、3日は起きることができなかったんですけど、しばらくすると歩けるようになりました。1週間くらい入院していましたね。■「でも」という言葉がストレスの原因に――がんになって何がつらかったですか?青木:生活面で特につらいのは、仕事ができない時期があることですね。娘がいるし、家賃やいろいろな維持費もあるし、金銭的なことをすごく考えました。しかも、どれくらいで仕事に戻ってこられるかわからない。同じパフォーマンスができるのかもすごく心配。舞台とかドラマとか、今後の仕事を入れるかどうかを自分で判断しなければならないストレスがありました。――がんの恐怖をどうやって乗り越えたんですか?青木:乗り越えるというか、つらいな、つらいな、怖いな、つらいな、苦しいな……と思いながら、ずっと暮らしていた感じでしたよ。遊んでいても何も楽しくなかったし、気を紛らわせるということも、私にとってはすごく難しかったですね。ネットで検索して出てくる、同じ病気の方の闘病記なども、私を励ましてくれるものではなかった。けれど「がんは怖い」とか「がんになったらこうだ」みたいな固定観念を、できるだけなくそうと努力しました。友人の武司さんに言われて印象的だったのが「いろんな人の話を“はい、わかりました”って素直に聞いていたら楽になるよ」というひと言で。ちょっとやってみようかなと思って、そこからすごく変わりました。たとえ私の意見のほうが正しいと思っても、「でも」という言葉を使わなくなりました。――「でも」って、めちゃくちゃ使ってしまいます。青木:「でも」って言うと、続けて自分の意見を言わなければならないし、(時には)人と対立することになって、それが大変なストレスだったと今は思います。逆に「はい、わかりました」と言うようになってからは、人間関係のストレスはほとんどなくなりました。相手の思い通りに動くことになるので、すべてうまくいくような気がしています。――「わかりました」と発したことによって、(例えば、仕事で作りあげるものなどが)自分が思っていたよりクオリティが低かったとしても、それは受け入れられるんですか?青木:私のこだわりなんて、すごくちっぽけだと思うようになりました。結果的に、自分のこだわりを捨てて完成した作品のクオリティが下がったかというと、下がっていない気がする。こだわりを持って誰かと対立していたことがストレスになって、病気の原因のひとつになっていたかもしれないと思います。■どう生きていくかを考えさせられた――闘病を経て、心境の変化はありましたか?青木:病院では4人部屋にいたんですけど、そこで私よりも状態が悪くて大変なはずの人が、どう人と接しているかとか、毎日の生き方を見て、とても勉強になったんですよ。ある女性は、大変な状況にも関わらず、すごく丁寧に暮らしていました。いつも髪をとかしていた。薄く化粧もしていた。先生や看護師さんたちに、いちばんに感謝を伝えていた。私のことも心配してくれた。苦しい顔を見せなかった。そういう人を見ていると、この先の人生をどう生きていくかを考えさせられました。――周りのサポートでうれしかったことはありますか?青木:退院後の数日は、もうナースコールもないし、ひとりで動かなければいけないので身体がつらくて大変でした。そのときに、友達が自宅の玄関前まで来て、(ドアノブに)かけておいてくれたおかずやスーパーのお惣菜はありがたかったです。――私も含めてですけれど、若い人の中には、がんに対して危機意識がない人もいると思います。何か伝えたいことはありますか?青木:私はがんで苦しんだっていうよりも、病気によっていろいろなものを見せてもらったし、病気に教えてもらうことが多かったと思います。同室の女性や看護師さんたちから、惜しみない優しさをもらって「この看護師さんが来ると不思議と痛みが減るんだよな」ということも経験しました。だから、結局は人と人なんじゃないかと思っていて。がんにならないように生きるというよりは、毎日ベストを尽くして楽しむことが大事なのかなと思います。――最後に、がんで悩んでいる人にメッセージをいただきたいです。青木:私は、自分ががんだからといって、がんの人の気持ちがわかるとは思っていなくて。今、がんになっている人の気持ちは本人じゃないとわからないと思うから、実は何も言うことはなくて。私の場合は、「毎日忙しく、楽しく生きていれば、それが明日をつくる」と思ってやっている、という感じです。――ありがとうございます。青木さんの『母』という新著、病気になって、お母様に対してどう感じたかということなども書かれていますが、家族関係で悩まれている方も多いと思うので、読むとヒントになると思います。ありがとうございました。(取材・文/お笑いジャーナリスト・たかまつなな)
2021年06月04日3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの連載。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。あなたのお家でも似たようなこと起こってません?とにかくDVDの続きが見たかったんだね……!!(自分でリモコン操作できない)あまりのスムーズな指示に笑ってしまいました。「すき」って言ってくれるのもあと何年かなぁ……LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!育児漫画連載「あきばさやかの笑うしかない育児」の記事一覧あきばさやかの笑うしかない育児Vol.1「完全に油断したパズルマットのいたずら」あきばさやかの笑うしかない育児Vol.2「3歳男子のママだ〜いすき!に萌える」あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()illustration & text/あきばさやか
2021年05月26日3歳男の子の育児に奮闘中のイラストレーター・あきばさやかさんの新連載がスタート。育児はいつだって予想外! もはや、笑うしかない育児のエピソードを毎月ご紹介。あなたのお家でも似たようなこと起こってません?多くの人が悩んでいるであろうパズルマット(ジョイントマット)問題……タイムマシーンであの頃に戻れたら油断しきっていた自分の頬をパチンと叩いて「今すぐ全てのパズルマットの端をテープで固定しなさい!!!」と叫びたいです。息子が「これ剥がせるぞ」と認識する前にやっとけばよかった〜と後悔中です。HugMugをご覧のみなさんはじめまして! あきばさやかと申します。こんな感じで、これからわが家の「もはや笑うしかない」育児の様子をお届けしていきます。どうぞよろしくお願いいたします〜!LINE公式アカウントお友達登録で、育児マンガの新着情報をお届け!さらに、毎月応募できるプレゼント企画実施中!あきばさやか2018年生まれの息子「おっくん」の育児中。漫画をブログ()やInstagram(@sayaka.akiba)で描いています。書籍『おしゃれなママっていわれたい!』(マイナビ出版)など()
2021年04月28日ジェンダーにまつわる違和感を見逃さず、行動を起こし始めている人が増えています。無理はしすぎず、等身大に活動する人の言葉に、きっとあなたも背中を押されるはず!ここでは、女性の体を守る幅広い避妊法の提供を目指す、大学院生の福田和子さんにお話を伺いました。「避妊や自分の性に対して、日本の女子にも選択肢を」「ジェンダー問題に興味を持ったきっかけは、成人式に花魁の着物を着た女性を見た母が、“なんでハレの日に花魁の格好を…”と言ったことです。その理由が知りたくて江戸時代の遊女文化を調べ、明治、大正、昭和の性産業の歴史、そして今そこで働く女性たちを通し、いつの時代も弱い立場にいる女性ほど脆弱な立場に追いやられ搾取されやすいという社会構造が、ずっと変わらない日本の現実を知りました」と語るのは、〈#なんでないの プロジェクト〉を通して、日本のリプロダクティブ・ヘルス/ライツにまつわる環境を変えたいと働きかけている、大学院生の福田和子さん。「その方法を学ぶため、スウェーデンに1年留学をしたのですが、そこで私が見たのは、自分の体やライフステージに合わせて選べる多様な避妊法と、若い世代用の病院の存在、そして若い人たちが国から大切にされているという現状でした。スウェーデンでは普通にある薬局で買える緊急避妊ピルや、若者向けのクリニックが、私たち日本の女子にはなんでないの?しかも私たちは避妊について知ることすら“恥”と言われ、正しい知識から遠ざけられてすらいる…。日本の女の子ももっと大切にされるべきだし、多様な選択肢があることを知らせたい、日本の女性が自分らしく生きるためにはそれが必要なのでは、と熟考し、プロジェクトを立ち上げました」サイトを通じ、日本と世界とのギャップを発信し続けている福田さん。活動を始めて3年、少しずつ変化の兆しを感じているそう。「日本では緊急避妊薬が薬局に並ぶ日はまだ先ですが、女性がその言葉を口にしたり、SNSに書けるようにはなった。3年間は無駄じゃなかったと誇りに思っています」ふくだ・かずこ’95年生まれ。「#なんでないの プロジェクト」代表。世界性の健康学会委員なども務める。「FRaU×現代ビジネス」のサイトで連載も。現在は公衆衛生を学ぶため、スウェーデンの大学院に留学中。世界と同じレベルの避妊法や性教育が、日本にはなぜないの?そんな疑問とともに、スウェーデンで学んだリプロダクティブ・ヘルスの情報を提示。※『anan』2021年4月7日号より。イラスト・石山さやか(by anan編集部)
2021年04月04日SDGsの5つ目の目標である、「ジェンダー平等」とは、性別に関係なく、すべての人が平等に様々な機会を得られる、という考え方。それは個人の幸せはもちろん、国の発展にも繋がるといわれています。今の日本にとって、実は大きな課題です。先進国であり、経済大国といわれている日本。しかしジェンダーという指標で見ると、この国の印象はまったく違うものに。「日本は、政治家や会社経営者など、意思決定の場にいる女性の人数がとても少なく、先進国の中では最もジェンダーが不平等。男性リーダーが作ったルールで構成される社会では、自分らしく働き生きたいと思う女性の自己実現はなかなか難しいのが現実です」と話すのは、ジャーナリストの治部れんげさん。日本をより良い国にするために、若い女性にこそジェンダー問題を知ってほしい、と言います。「本来、人は、自分がやりたいことを、好きなようにできる、それが望ましい姿です。性別によって可能性を狭めることのない社会が、“ジェンダー平等のある社会”。今の仕事、ファッション、メイクなど、自分が選んでいるものは、“本当に私が好きで、やりたくて選んでいるものなのか?”ということを、ぜひ一度自問自答してみてください。もしかしたら、親や周囲の人、あるいは社会からの、“女の子だからこうしたほうがいいよ”“女の子にそれは無理だよ”という言葉やプレッシャーによって、選ばされているのかもしれません。おかしいな、と思ったら、ぜひその疑問を掘り下げてみて。みなさんのその行動が、平等な社会への第一歩になると思います」ジェンダーとは…ジェンダーとは、生まれたときに診断される生物学的な性別を示す「セックス」とは別の、“社会的、文化的に形成される性差”。男だからこうすべき、女だからこれはダメというような押し付けや、性別にまつわるカテゴリー分けのこと。ジェンダー・ギャップに関する背景を知ろう。最近“ジェンダー・ギャップ指数”という言葉を耳にするが、これは経済、政治、教育、健康の各分野で、男女差がどのくらいあるのかを示す数字。153の主要国と重要国中、日本はなんと121位。とても低い位置で、男女格差が大きい国として認識されている。「他国が国の成長に女性の力が不可欠であることに気がつき、女性の登用を増やし、“女性が自己実現しやすい国”に変わる一方で、日本はほとんど改善がなされず、他国の躍進もあり、ここ数年ますます順位を落としています。結果、人口は減り続け、経済もここ30年ほぼ成長していません。改善のためにはまずは現状を知り、世界からいかに後れを取っているか、危機感を抱くことが大切です」(上智大学教授・三浦まりさん)文化的背景女性ならきっと、今までの人生の中で“女の子なんだからするべき”という言葉をかけられた経験があるはず。「ジェンダー・ギャップが大きい場合、“性別における役割”が文化として定まってしまい、結果“その性別”であるだけで未来が狭まり、好きに生きることができません。わかりやすく言うと、“総理大臣は男がなるもの”と周りに言われたら、総理大臣になりたいという夢を抱く女の子が自然にいなくなってしまうということです」制度的背景例えば夫婦別姓を選択できない、あるいは男女に賃金格差があるなど、国の政策や企業内の制度で、予め不平等を内包しているものもある。「女性のほうが正社員への門戸が狭かったり、また“男性の靴は自由、でも女性はヒールで”という規則がある会社も。他にも諸外国に比べてピル入手のハードルが高く、女性が自分の体を自分で守れないという問題も。疑問を掘り下げると根っこにジェンダーが関わっていた、ということは案外多いんです」MISSION女性の就業率は上がったものの、女性議員やリーダーを増やすことが急務に。社会の中の問題を発見し、解決するためのルールを作ったり、あるいは改正する。それが世の中を良くするためのプロセスですが、意思決定する場所に携わる人間のうち、男性の比率が極端に高いと、女性が困っている問題に目がいきづらく、女性に寄り添ったルール作りが難しくなる。「今の日本は、まさにその状況。女性が困っている、女性がそれは違うと思っている問題を可視化し、そのためのルール作りをするには、政治だったら議員、会社だったら役職者など、リーダーといわれる席に座る女性の数を増やすことが一番の近道。女性政治家が増えたからって何が変わるの?と思うかもしれませんが、例えばDV防止法や育児・介護休業法など、女性の権利を守る法律が立法されてきたのは、声を上げた女性議員がいたからなんです」KEYWORD:ジェンダー・ギャップ指数日本は先進国で最下位…。不平等な国に生きる私たち。各国の、政治や経済などのトップリーダーが集まり、世界情勢の改善に取り組むことを目的とした国際機関〈世界経済フォーラム〉が、’06年より公表しているレポート。数値が1に近いほど、男女格差がなく、’19年12月発表データで1位のアイスランドは0.877。一方121位の日本は0.652。初回の’06年以来0.007しか上がっていない。先進国では最下位、さらに新興国を含めてもかなり低い順位。KEYWORD:マミートラック気がついたら出世コースから勝手に外されていた…?!子育てをしながら働く女性が、キャリアアップとは縁遠いコースに追いやられてしまうこと。「本人は、産休前同様バリバリ働きたいのに、責任がある重要な仕事を割り当ててもらえず、経験が積めない。例えばその後“管理職になりたい”と思っても、“経験が足りないから却下”となってしまう。“家事・育児は女性の仕事”という刷り込みをなくし男女が平等に担うようになることが、解消の第一歩」KEYWORD:ガラスの天井女性のキャリアアップを阻む、見えない壁の比喩表現。’16年、米大統領選挙でトランプに敗北したヒラリー・クリントンが、“最も高くて硬いガラスの天井は打ち破れなかった”と言い、一般的になった言葉。「女性頑張れと言う割に、男性と肩を並べようとすると、現状で利益を得ている人たちが作った見えない天井によって、押し戻されてしまう。一朝一夕で割れるものではないからこそ、少しずつみんなで力を合わせてヒビを入れていくことが大事」じぶ・れんげジャーナリスト。出版社を経て現職。著書に『「男女格差後進国」の衝撃無意識のジェンダー・バイアスを克服する』(小学館)、『炎上しない企業情報発信ジェンダーはビジネスの新教養である』(日経BP)が。みうら・まり上智大学法学部教授。女性議員を増やすためのトレーニングを提供する、一般社団法人「パリテ・アカデミー」の共同代表を務める。著書に『日本の女性議員どうすれば増えるのか』(朝日新聞出版)など。※『anan』2021年4月7日号より。イラスト・石山さやか(by anan編集部)
2021年04月03日放送作家でタレントの高田文夫さんと、曜日ごとのアシスタントが出演するラジオ番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)。「新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)が流行している、こんな時代だからこそみんなに笑ってほしい」との想いから、同番組の出演者たちが登場する舞台を高田さんが企画しました。舞台には、金曜アシスタントでタレントの磯山さやかさんも出演。インタビューで、演じた役について語ってくれました。磯山さやか、わりと筋肉痛!?明治座とタッグを組み、同番組のアシスタントたちが出演する企画舞台『よみがえる明治座東京喜劇 -ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」全力応援!!-』は、2021年1月29日~2月14日まで公演されます。2部制になっており、第1部は幕末が舞台の喜劇『こちとら大奥様だぜぃ!』。過去に明治座で上演された喜劇作品『俺はお殿様』を大奥様メインに変更し、パワーアップした爆笑必至のドタバタコメディです!物語に登場する、とある藩のバカ殿役は、歌手で俳優の前川清さん。大奥様役は俳優の田中美佐子さんが演じます。クリックすると画像を拡大しますそして磯山さんが演じるのは、大奥様のことをなんでも知っている奥女中。アドリブもある舞台のため、「ちゃんと拾って反応したい」と相手の言動に集中しながら演じているそうです。――自分に合っている役?私が演じる『紫』は、受け入れやすいキャラクターですね。割とこう、難しい役ではないといいますか…。「そこまで変な人ではない」というのは、私としてはありがたいなと思って。自分の身分によって立ち位置が違う時代なんですけど、まだ慣れてないのか、たまにそこを忘れちゃって!なんか前に出ちゃう時もあります。主演の田中さんは出ずっぱりで、普段使わない言葉が私のセリフよりたくさん並んでいます。――役柄の大変なところは?舞台が江戸時代なので、所作とか、言葉遣いとかが大変です。途中で言葉遣いが現代に寄るところもあるので、そうなるとちょっとホッとするんですけれど…。大奥様とお話する時は「わたし」ではなく「わたくし」。それが途中から「わたし」になるんですね。でも、セリフの間や気持ちの問題で、なかなかうまく切り替えられないことも。あとお稽古の最初のほうは、着物で動いてわりと筋肉痛になってましたね。着物自体は着慣れているので「すごい苦しい」とかいうことはないんですけど、所作とかが難しいのかな。――番組メンバーと同じ舞台に立つ感想は?心強いですね!同じ『ビバリー昼ズファミリー』がいてくれると安心感がありますし。同じく金曜アシスタントの松村邦洋さんが稽古場にいらっしゃる時、一生懸命な姿にみんな癒されています。モノマネをやってもらって、みんなが笑って和むこともあって。でも稽古中、厳しい時は厳しい。悩む時間も多いんですけど、面白いシーンとかは何回見ても笑えて!メリハリがものすごくハッキリしている現場ですね。明治座客席『四季喜昇座 - 時を紡ぐ緞帳』――コロナウイルスの対策は?稽古場に入る時の手洗いや消毒は、ずっとやっています。マスクとフェイスシールドを着けた状態でお稽古していて。あと換気を常にしているので、稽古場がめちゃくちゃ寒いです!風邪ひかないようにするのも結構大変で…。コロナウイルスだけでなく、冷え対策もそれぞれしていますね。あとマスクで表情がまったく見えない!いろんな負担がありますね。――本番はどうなりそう?マスクをして、目元だけ見えている状態で初めてお会いした人たちもたくさんいたので、顔と名前を一致させるのが結構大変。稽古場ではまだ、マスクを外してお芝居できていないので、だからこそ本番でお芝居をする時、嬉しいでしょうね。「あ、こんな顔してたんだ!」とか思うのかな。幕が開いたという感動プラス、その感動もあると思いますよ。――公演に向けての想いは?「ぜひ来てください」と私たちはなかなかいうことはできない感じですけれども…。でも、来ていただいたからには笑ってほしい!笑わせる自信はみんなあると思います。心が温まるというか、帰る時に「来てよかった」って思ってもらえるような舞台にしたい!私たちは気を付けて感染予防対策をやっていますが、お客様に協力していただくこともたくさんあるかなと。今まで以上にお客様と一緒に作る舞台になりそうです。2部もものすごい豪華ですよ。見に来ていただけたら嬉しいなと思います。第2部に公演されるのは、『ラジオビバリー昼ズ寄席』。『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の全面監修により、豪華メンバーが日替わりで繰り広げる、遊び心満載のステージをお届けします!クリックすると画像を拡大します大変な時期だからこそ、世の中には笑いが必要。『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』や磯山さんのファンはもちろん、それ以外の人たちも、公演が気になったらチェックしてくださいね。よみがえる明治座東京喜劇 -ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」全力応援!!-[文・構成/grape編集部]
2021年01月25日冷えリスクを抑えて温活をしよう!ここでは、生活習慣の中で体温の急上昇・急低下を特に招きやすい“運動”にフォーカスします。運動:しっかり汗をかいてからの「汗冷え」対策が勝負に!カラダが熱を作り出す時に、最も手っ取り早いのが、筋肉を動かす運動。実は、一日の熱量の約6割を作っているのも筋肉。走ったりジムに行ったり、思いっきり運動をする時だけではなく、歩いたり階段を上り下りするような日常的な動作によっても、たっぷり熱は作られる。そこで注意したいのが、カラダが放熱する時に生じる、汗による冷え。「筋肉を動かした時に生じるエネルギーの8割は、熱に変換されるので、運動をすると、カラダが熱くなり、熱を逃がすために汗をかくのは当たり前のこと。だから汗をかきすぎないための対策や、運動後に体温が下がり始めた時に、いかに保温して熱を守り抜くかということが肝になります」(医師・渡邉賀子先生)熱を守るためには…屋外の場合、アウターは防風・防寒性を重視。ジョギングやウォーキングなど、寒い日に屋外で運動する場合は、何よりも風の影響を受けやすく、冷えに繋がる。しっかりと風を防ぎ、寒さを凌げるアウターを着るべし。こまめに汗を拭き取る。屋外の場合は特に外気温が低いので、かいた汗を放置していると、立ち止まった瞬間に急激な冷えを招く。冬の屋外は汗をかきにくいと油断せずに、タオルは持ち歩くこと。機能性の高い合成繊維の下着をつける。下着に無頓着だと汗が残りやすく、濡れた状態でいると、体温がどんどん奪われてしまう。「吸水速乾」タイプや汗を吸収して熱に変える「吸湿発熱」機能があるインナーを選ぼう。過度に水分を摂りすぎない。運動時に水分補給はマストだが、一度に大量の水を摂取すると、汗をさらにかきやすくなるので要注意。冬の運動中は、喉の渇きを感じたら、少しずつこまめに摂取すること。運動後はすぐ着替える。運動を終えた瞬間から、カラダは冷え始める。だから濡れた状態で長時間過ごしたり、ウェアのまま帰宅するのは避けて。もしすぐに着替えられない場合は、さらに着込んで防寒を。運動後はクールダウンしつつ、首まわりはマストで覆う。運動後のクールダウンは必須だけど、薄着でいると気温の変化に敏感な首まわりが冷えを感知。せっかく温まったカラダも冷えモードに。マフラーやフードで首はしっかり保温。漢方専門医・渡邉賀子先生帯山中央病院理事長、麻布ミューズクリニック名誉院長。1997年、北里研究所に日本初の「冷え症外来」を開設。冷え関連の著書多数。※『anan』2020年12月9日号より。イラスト・石山さやか取材、文・鈴木恵美(by anan編集部)
2020年12月08日