2016年の年頭にあたり、セイコーエプソンの代表取締役社長を務める碓井稔氏は、以下の年頭所感を発表した。より良い社会の実現のため、大志を抱いて究め極めよう謹んで新年のごあいさつを申し上げます。昨年は、エプソンブランド制定40周年にあたり、「EPSON」というブランドに込められた、「お客様の期待を超える価値を、さまざまな分野で生み出していこう」という志を全員であらためて共有した1年でした。新しい年を迎えましたが、この、会社の基本となる志は、変わらずにしっかり受け継ぎ、これからも皆で力を合わせて、新しい価値の創造に挑戦していきましょう。さて、早いもので、長期ビジョン「SE15」の最終年度である2015年度も、残すところ3カ月となりました。1000億円を超える赤字からのスタートでしたが、皆さんの多大な努力の結果、SE15に基づく取り組みの成果が業績として目に見える形で表れるようになってきました。2013年度、2014年度は、経済環境が良かったこともあり実力以上の結果となった一方で、2015年度の業績は、事業環境の変化による影響を受けています。中国経済の減速、南米の通貨下落に加え、ヨーロッパ経済も不透明感を増し、地政学的な課題が噴出するなど、今後も世界経済は予断を許さない状況です。また、私たちが進めてきた戦略に対して、競合他社が追随してきたり、あるいは対抗策をとってきたりして、競争がより一層激しくなってきています。こうした、事業環境に業績が都度、大きな影響を受けてしまうのは、私たちの取り組みがまだまだ道半ばなのだと、真摯に受けとめ、より強固な企業体質を築いていかなければなりません。そこで皆さんと共有しておきたいのは、私たちが目指しているのは何なのか、なぜエプソンは存在するのかということです。私たちは、自らの常識やビジョンを超えて挑戦することにより、お客様の期待を超えて、お客様に喜んでいただく、感動していただく価値を提供することを目指しています。より良い社会の実現に中心的な役割を果たし、「なくてはならない会社」でありたいという高い志の下、新しい価値の創造に挑戦しているのです。もちろん、他社に劣る価値しか提供できないのであれば「なくてはならない会社」とは言えません。競合に勝つことは必要ですが、これだけでは十分ではありません。また、お客様価値創造の証は利益であり、ボランティア的な喜びに浸っていてはいけません。良い商品を創ったけれど値段が高いからご購入いただけないというのでは、お客様価値を創造したことにはならないのです。これが私たち共通の価値観です。エプソンだから実現できる価値を主体的にお客様にお届けしてこそ、社会を変えるのに中心的な役割を果たしていけるのです。志を遂げるため、他の誰もが生み出したことのない価値を創造していこうというのですから、当然、困難を伴いますし、失敗するリスクもあります。また、そのために社会のありようやビジネスモデルを変えようとすると、競合他社は既存の事業を守ろうと必死になったり、われわれに追随する会社も出てきたりして競争が激しくなるのは必至です。しかし、われわれはより良い社会を実現したいという高い志を持ち、お客様が喜ぶ姿を励みに、困難を乗り越えていきましょう。志の高さこそが、困難を乗り越える根源的なエネルギーになるのです。困難を乗り越えた自信は次の成長や飛躍のサイクルへとつながるはずです。エプソンだからこそ実現できる価値を創造するためには、必然的に、自分たちの強みを生かす、さらには新たな強みを創りだすことを考えなければなりません。ゆえに、エプソンは、独創の垂直統合型事業モデルを創り上げて来ており、この事業モデルを極めようとしています。徹底的に磨き上げた独創のコアデバイスを起点に、エンドユーザーに価値をお届けできる独創的な完成品を自らの手で創り作って、サービスサポートまで提供するのです。この垂直統合型事業モデルを極めるには、誰かが頑張ればよいということではありません。「創って、作って、お届けする」一連の役割を担う社員の皆さん一人一人が、高い目標を達成できる力をつけることが欠かせません。そうして強くなった個人が互いに連携し総合力を発揮することによって、初めて強いエプソンになれるのです。また、強いエプソンだからこそ、良き協業者と共に主体的にお客様価値創造に取り組むことができます。社員の皆さん一人一人が、お客様価値創造の主役であるということを忘れないでください。組織の共通目標を理解し、その実現に向けて必要なことを自律的、主体的に取り組んでいただきたいと思いますし、私もそうした組織風土を作り上げることに力を注いでいきます。この正月に私も多くの友人から年賀状をいただきました。その年賀状の中には、数枚でしたけれども「PaperLabいいね、期待しているよ」というコメントがあったことを大変うれしく思います。私たちが世の中にない価値を創り上げることを世界中の人がおそらく期待しているのだろう、と感じました。「PaperLab」は、今年お客様にお届けすると約束したわけですから必ず実現します。またそれぞれの事業部では、今までになかったような新しい価値を提供できるように新商品やサービスを計画してくれています。それをぜひ今年実現いただきたいです。今年の3月には、いよいよ新しい長期ビジョンを制定し、4月からは次の10年の取り組みが始まります。このビジョンでは社会のトレンドやエプソンの強みの源泉を俯瞰した上でのエプソンの高い志(大志)が表現され、極めるべき道が究められています。一人一人がお客様のために、より良い世界をつくる、自らが変えるという高い志を持ち、新しい価値の創造に主体的に取り組んでいきましょう。今年一年の、皆さんとご家族のご健勝を祈念します。より良い社会の実現に貢献することで、全員が充実した一年を過ごせるよう、共に力を尽くしていきましょう。
2016年01月05日明治大学法学部から映画の道へ、助監督を経て31歳のときに分岐点を迎え、以来映画監督として数々の作品を撮ってきた篠原哲雄さん。最新作の『起終点駅 ターミナル』を11月7日に公開した監督に、その仕事論について伺った。――篠原監督は、大学時代は法学部専攻で、卒論は映画論だったとお聞きしました本当に私的な映画論でした。僕は法学部と言っても、専攻していたのが法文化論、法社会学だったので、法の周縁にあるもの、文化的な側面すべてをひっくるめて論文の対象にできたということもあり、あえて「極私的映画論」を書きました。担当教授の栗本慎一郎氏に映画で論文を書きたいと相談したら、映画の為の映画論ではなく、社会の為の映画なら書く意味があるかもと言われましたが、書いているうちに自分にとって何故映画なのかということを問いながら書いてしまった。個人的こだわりこそが普遍的なものにつながることを願いながらでしょうか。――実際には、どんな論文だったんですか?屁理屈こいてたんじゃないですか(笑)。当時の僕は、助監督をやったり、自主制作をかじったりしていました。でも、映画に目覚めるのは遅かったんですね。10代後半に面白いなと思い始めたので。だから、映画の為の映画論には興味がなかったので、自分がなぜ映画をやっていきたいかとか、自分で作った自主映画について、なぜこんな映画を作ったのか、ひょっとしたら世間には簡単に受け入れられないけど、そこにこそオリジナリティがあるのでは? という問いかけがあり、社会に対するアピールにもならないかと自問自答しながら書いていたと思います。でも映画っていうのは、光とか音とか構成要素があって、それによってできている。もし原作があったとしても、演出の仕方や、役者の表現によって、変わっていきます。だから、「映画というのは、人間を表現できる媒体だ」ということを、最終的には言っていたように思います。――映画というと、テレビで二時間のドラマを見るのと、映画館で二時間を過ごすのとは、違う感覚があるのですが、それは何なのかということも気になります映画は映画館に観客を縛るものだけど、テレビは途中退場してその間見ていなくても、すぐにその世界に戻れるようなところがないといけないかもしれません。映画は、ほかのことをすべて忘れて集中する時間を与えてあげないといけないと思うので、そこは意識してやっているつもりではあります。それが成功しているかは、観客の人が判断するんですけど。最新作の『起終点駅 ターミナル』でも、佐藤浩市さん演じる鷲田完治という男が法では裁けない罪を背負い自分に罰を与えながら、北海道の果ての地、釧路にやってきて、静かに密かに生きていく。25年の年月を経て本田翼演じる敦子という女性と出会い、彼は自分の過去を想起することになる。そして敦子の人生の痛みを知り事となり、敦子は完治によって彼女の起点へと導かれていく。そして完治も変わっていく。すなわち終点駅から起点として出発していく様をどう描くかがテーマでした。○監督の判断がすべてを左右していく――大学時代に、助監督と自主制作をしたというのは、どういう経緯だったんですか?僕らの時代ですと、プロになるためには、ぴあフィルムフェスティバルに応募して受賞する道がポピュラーになりつつありましたが、一方で、助監督という経験を積んで監督になる道もありました。僕の場合は、学生時代に映画サークルに入っていたわけでもないし、映画を基礎から学んだこともなかったので、修行が必要だと思ったんです。それで、あるシナリオスクールで出会った人が、実際に助監督をされていたので、その人にお願いして自分も助監督になったんです。その出会いがひとつの運命ですね。――助監督というのはどんなことをしていたんですか?最初は見習い助監督だったので、半分は衣装部だったり、小道具もやったりしていました。だから、エキストラに演技をつけたりしていると、照明さんに「なんで演技をつけてるんだ?」と聞かれて、「いや僕、助監督なんですよ」なんてやりとりをしたりもしていました。でも、この助監督の経験があったことで、映画というのは技術に基づいて作っていくもので、自分の観念だけではどうすることもできない、総合的な芸術なんだとわかりました。それに、監督というのは、ひとつひとつをジャッジする存在です。監督の判断が間違えば、その映画は間違っていくと思うし。助監督をしながらも、映画監督になるためには、自分なりのアプローチを磨いていかないといけないといけないなと思っていました。――そして、助監督から映画監督になるわけですが、その決断をするときに、戸惑いはありませんでしたか?助監督でそれなりに仕事ができる人は、仕事が途切れなくなるから、自分でそろそろつくるべきだという決断をしなければと思っていました。僕は自主映画として撮った『草の上の仕事』という作品がある映画祭で評価されたので、ここをひとつのステップにしようという気持ちが芽生えました。そのころ、助監督時代の先輩が新作を撮るということで、助監督をしてくれないかと頼まれたんですけど「モントリオール映画祭に行くのですみません」と断ったら、それが一つの宣言になった。あいつはもう助監督をやらないんだという認識になったんですね。31歳のときのことでしたけど、それが分岐点になりました。――それからは、自分の映画で生きていかないといけないわけですね映画会社に企画を持ち込んで、いいところまでいったのですが、それは実現せず、その代わりに別の企画を打診されました。それが『月とキャベツ』という作品になっていくのですね。『草の上の仕事』からだいたい三年経っていたんですが、その間も大変でしたけど、何かきっかけはあるだろうと、怖いもの知らずなところはあったかもしれないですね。○人の評価を受けて自分も変わっていくもの――監督は、『月とキャベツ』のようなスタイルの作品を自分が撮ると考えていましたか?僕はもともとロバート・デニーロの『タクシードライバー』が好きだったんで、ハードな社会的なメッセージの強い作品が好みだったんですね。でも、最初の作品のイメージというのはその後も影響しますよね。ファンタジックなラブストーリーが得意というイメージがついていきました。その後も『はつ恋』とか『天国の本屋』とか、人間の小さな機微を大切にする作品をふられることが多くなってきて、そんな作品をやっていくうちに、そういうスタイルの作品が自分の領域だったのではないかと思えてきたんですよ。でも、『タクシードライバー』も、ひとりの人間が事件に遭遇して、正義を見出していく物語です。その間に女の子を助けることになったりして。考えてみると、一番新しい『起終点駅 ターミナル』と言う映画も、釧路で鬱屈して生きている佐藤浩市さん演じるひとりの男が、本田翼さん演じる女性に出会う。人間のくすぶりを開放していく物語を、アクティブに描くか、内省的に描くかの違いであって、この二作品ってけっこう根本は同じなんだなと。大学時代の論文の、「映画というのは、人間を表現できる媒体だ」ということと、つながっているんじゃないかと思いました。――お話を伺っていると、作家性というものができていく過程が見えた気がしますねそうですね。作家性というものも、自分自身で決めていくのではなく、人がどう評価するか、観客がどう受け入れたかで変わっていくもので、それがあるから、今の僕がいるんだなと。いろんなことを経験した延長線上で、新たな映画も存在していくんだと思いますね。『起終点駅 ターミナル』■出演:佐藤浩市 本田翼中村獅童 和田正人 音尾琢真 泉谷しげる 尾野真千子■原作:桜木紫乃「起終点駅ターミナル」(小学館刊)■脚本:長谷川康夫■監督:篠原哲雄■主題歌/「ターミナル」My Little Lover(TOYSFACTORY)■配給:東映(C) 2015桜木紫乃・小学館/「起終点駅 ターミナル」製作委員会11月7日(土)全国ロードショー西森路代ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
2015年11月09日