意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「外国人労働者拡大」です。頼れる労働力だが受け入れ体制は問題が山積み。日本は少子高齢化が加速し、空前の人手不足です。それを補おうと、政府は外国人労働者へ門戸を広げようとしています。2017年10月現在、外国人の雇用状況は約127万9000人。2016年に100万人を突破し、1年で2割ずつ増え、最多を更新中です。外国人労働者を雇用している事業所数は、全国で19万4595か所で前年より1割以上増。国別の外国人労働者の数は、中国人、ベトナム人、フィリピン人の順に多く、最近とくに増えているのはベトナムとネパールです。円の価値が高いため、これらの国々の人にとって日本の賃金は魅力的なのです。日本に住むには、ビザとは別に「在留資格」が必要になります。留学生や、日本人と結婚をした場合以外は、その人の学歴や職歴により、日本に必要な人材とみなされて初めて資格が取れます。これまでは、大学教授や弁護士など、高度な専門技能を持つ人にしかその資格は与えられませんでした。せっかく日本の大学で学んでも、日本で就職できず帰国してしまうケースも多々。そこで政府は規制を緩和し、日本の大学を卒業した留学生には、在留資格を出すことを検討しはじめています。マンガやアニメ、日本料理などクールジャパン戦略に関連する分野の専門学校卒業生もそこに含まれます。また、単純労働による在留資格は、これまでは認められませんでしたが、深刻な人手不足が見込まれる、介護や建設業、農業、漁業などの職種でも資格が得られる新しい在留資格案が先日発表されました。生活に支障がない程度の日本語ができることを条件に、最長5年まで在留可能。高度な技能を持つ人材は永住許可も検討されています。来年4月の制定を政府は目指していますが、外国人の急激な受け入れ拡大は、問題なのではないかという声も上がっています。たとえば、日本語のできない外国人の子どもは、日本の公立学校に4万3000人以上います(2016年現在)。その数は増え続けていますが、サポートできる体制は整っていません。いまや日本の社会は外国人労働者抜きには回りません。ともに日本で働く仲間として、受け入れる態勢を整える必要があると思います。堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2018年11月7日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年11月02日ランドセル問題については、多くの親たちが声をあげたおかげで、社会が動きを見せています。ランドセルに詰まっているたくさんの教科書や体操着などの重さで、体に負担がかかっている子がいるため、対策を講じなくてはならないという動きになっているようです。子どもたちのために、今すぐにできることがあります。それは、体と心へのフォローです。■ 我が家の中学生は8キロ、小学生は4キロもの荷物を背負っていた!筆者宅には、小学生と中学生の子どもがいますので、毎日、どの位の重さのものを背負っているのか調べてみました。こちらは小学5年生の娘のランドセルの中身です。ご覧のようにびっちり入っています。重さを量ってみたら、4キロありました。本人に「重たくないの?」と聞いたところ、「もう慣れた」とのこと。試しに娘のランドセルを背負ってみましたが、肩にずっしりときて驚きました。そこへ中学2年生の息子が帰宅したので、スクールザックを見せてもらいました。カバンの中は、当日の学習道具しか入っていない状態だというのですが、かなりの量です。重さを量ってみたところ、なんと8キロです!中学生になると、小学生の倍の荷物を持って登校しているのかと本当に驚きました。■ 負担を少しでも軽くするためにできる4つのことランドセルと学習道具の重さを少しでも軽くすると体が楽になりますね。そのためにできることを4つ紹介します。1. 肩パッドや肩ストラップをつける現在、体に痛みが出てしまっている場合は、肩パッドや肩ストラップをつけることで、くい込んでしまうことを防ぐことができます。これらの品は、ランドセル売り場やネットショップなどで取り扱っています。痛みを訴えている子には痛みの軽減に一役買ってくれるはずです。2. ランドセルを体にフィットさせるランドセルと背中の間にすき間ができてしまうと、後ろに引っ張られ、重心がズレてしまうことがあります。また、重いために反ってしまうこともあるでしょう。余計なところに力がかからないようにしてあげるために、背中にすき間がないか、横から見てあげてこまめに調節してあげることが必要です。3. 筆箱などは軽い物にする教科書や資料集が重いのは、今はどうすることもできません。しかし、それ以外は軽い物に変えることが可能なはずです。kuro3 / PIXTA(ピクスタ)娘の友達は、筆箱を2つ持っていく子や、筆箱自体が重い子もいました。少しでも軽くするために持ち物の見直しをすることも必要ではないでしょうか。4. ランドセル自体を軽めの物にするsasaki106 / PIXTA(ピクスタ)入学前に購入するランドセルは、極力軽くてしっかりしているものを選ぶようにしましょう。肩ひも部分が可動式になっている物も成長によって肩ひもが背負いやすいように動くので子どもには楽に感じるようです。■ 「褒める」「励ます」ことで、やる気を出させるチャンスに!?メンタルケア心理士からすれば、この事案は子どもを褒める絶好のチャンスになると考えています。「ランドセルを背負って登下校することは当たり前」と思っている子どもたちだからこそ、ここは自覚していない部分です。そこをあえて褒めることで、子どもたちは喜びますし、認められたと感じて、さらにやる気が出てきます。Fast&Slow / PIXTA(ピクスタ)ここでのポイントは、親に認められたことが心のフォローになるということです。例えば、以下のような言葉をかけてあげると、子どもは親が自分のことをちゃんと見てくれていると認識できます。「重いのをがんばって背負っているから、体力や筋力がついてきたのかな。すごいね」「毎日がんばってすごいね。でも、肩が痛くなったら言ってね。調節してあげるから」「重くてもへっちゃらなの!お母さんにはできないわ。○○くん(ちゃん)は力があるね」これが安心に繋がり、頑張れるようになるのです。子どものがんばりに寄り添って、大切に思っている事を伝えていきましょう。マハロ / PIXTA(ピクスタ)いかがでしたか。社会が動き出していますが、今は各家庭でできることを対処するしかありません。「重いからかわいそう」や「これでは体を壊す」という怒りを感じることが多いでしょう。しかし、見方を変えてみることも大切です。子どもに必要な体と心のフォローが、今は大切な部分となるはずです。
2018年10月09日学生の頃から、体調が悪く起き上がれない日が続くことがありました。あるとき心療内科に行き、うつ病だと診断されました。しかしその後、双極性障害(いわゆる躁うつ病)だったことが発覚。うつ状態にも躁状態にも怯える毎日が始まりました。そんな私が日々感じることを綴ります。文・七海抜け落ちた記憶。躁うつ病が発覚したとき1日中ベッドから起き上がれない日々が続き、おかしいな、と思うことはありました。心療内科の受診をすすめられ、そこでうつ病の診断が降りました。精神疾患と向き合い始めたのは、この時期からです。処方された抗うつ剤はよく効き、地に落ちるような気分も何とか持ち上げられる気がして、私は薬を飲み続けました。しかし、あるときから不審なことを感じ始めました。異性の友人から、かなり踏み込んだセクシュアルな発言を受ける。朝気づくと知らない男性が隣で寝ている、など。記憶にないこと、特に性に関するものでそういったことが起こるようになったのです。そういった事態は徐々に悪化していき、曖昧なまま知らない男性と過ごしている夜が出てきました。相手が友人であることもありました。私はそのとき寝ていなかったようで、眠らないまま、毎日そういった日を過ごしていたのだと思います。そんなときの記憶で強く残っている感覚は、全能感です。なんだか空でも飛べそうな、そんな高揚感がありました。ある日、突然体が動かなくなりました。ベッドから起き上がろうとしても起き上がれない。気分はとても落ち込み、全能感に浸っていた自分を責めるようになりました。そして、断片にある男性との記憶も、とても責めました。自分が何をしていたのかわからず、でも取り返しのつかないことをしてしまったと思ったのです。ベッドから動けるようになったとき、私は病院に行きました。そこで診断されたのは双極性障害。うつ病とは別物だったのです。抗うつ剤が躁状態を引き起こす場合もあると聞き、薬を切り替えました。うつ病と診断された後に躁うつ病が発覚するケースも稀ではないようで、私はまさにそれでした。躁うつ病は再発することが多く、薬ともうまく付き合わなければならない、と言われました。躁状態も怖い、うつ状態も怖い。当事者としての心境躁うつ病の中でも、さまざまな症状が出るそうです。例えば躁状態の際、買い物をたくさんしてしまったり、ギャンブルをしてしまったりするケース。私の場合顕著だったのは、性的奔放です。こうしたものから、人間関係を壊してしまうこともあるそうです。実際、私にも経験があります。躁状態の後に訪れるのはうつ状態です。経験則上、大きく躁転(躁状態になること)するほど、後に大きなうつがやってきます。躁状態の自分を責めるのも含めて、非常に落ち込んだ気分になります。絶えず自殺念慮がよぎり、自分の存在価値を見出せなくなります。私自身の、当事者の観点からだけでいうと、根拠のない全能感も怖いです。性的奔放も怖いです。人間関係を壊すのも怖いです。そして、その後で訪れる大きなうつも怖いです。躁うつ病患者は自殺率が高くなるともいわれています。私にはそれがわかるような気がするのです。感覚的なものなので、全ての人に当てはまるわけではないと思いますが、私の場合は酷いうつ状態の後が一番危険だと感じます。躁状態のときはとにかく何でもできる気がします。その後のうつで激しく自分を責めます。しかし、起き上がれない状態であることが多い。起き上がれる程度まで回復したとき、死への決意が固まっているような、そんな感覚があるのです。私が一生この病気と付き合うとしたら再発率が高いため、躁うつ病が完治するのは難しいといわれています。私はこの病気と一生付き合っていかなければならないのだと覚悟しています。現在は躁状態とうつ状態、どちらも抑える薬を服用しており、酷い状態は避けられています。だけど、薬を飲んでいても、恐怖心が大きいです。躁うつ病だから性的奔放が倫理的に許されるかといえば、そうではないことは理解しています。躁うつ病だから人間関係を壊して良いわけでもありません。私はいろいろな人に、多くの迷惑をかけながら生きているのだと自覚しています。だからこそ、私は私自身が怖くて、私自身を否定してしまいます。どうして私なんだろう。どうしてこの病気なんだろう。そう考えたこともあります。それでも、生きている限り、私は私と向き合わなければならないのだと思います。毎日、躁状態への恐怖が心のどこかにあります。だけど、きちんと向き合って生きることにしました。過去の自分は責めてしまいますが、未来の自分は今から作っていける。例え理性の及ばないところにそれがあったとしても、幸いにも自分に合っている薬がある。危ないな、と感じたら家族に「監視」してもらっています。迷惑をかけながら、助けを借りながら生きているけれど、病気と向き合いながら、未来を作っていきたい。それが、今の私の思いです。©PeopleImage/Gettyimages©kupicoo/Gettyimages©kieferpix/Gettyimages
2018年09月12日私が住んでいる広島では、先日の西日本豪雨(気象庁は ”平成30年7月豪雨” と命名しています)で大きな被害が出ました。この豪雨は広範囲に降り続け、多くの地域が被災しました。幸い私自身は大きな被害に遭わなかったものの、正直これは ”運” だったのだと思っています。広島にいたからこそ伝えられることがあるのでは、と今筆を取っています。豪雨と異変。そして「大丈夫だろう」という認識7/6からの強い雨がよく取り上げられていますが、私が住んでいる地域では、前日の5日からかなり強い雨が降っていました。ここのところ豪雨注意報が出るのは珍しくないという認識だったため、そういった通知よりも「よく雨が降るなぁ」と思っていた実感ベースが強かったです。翌日も豪雨に警戒を、というのはニュースで見ていました。6日は昼過ぎから予定が入っており、支度をして外出しました。前日と同じく「雨がすごいな」と考えながら、電車に乗りました。目的地に向かう途中、電車の中で聞いたことのない音が鳴り響きました。他人のスマホ音にも聞こえましたが、電車全体に響いたので「何だろう」と自分のスマホを見ると、”大雨特別警報”と表示されていました。”特別警報” は生まれて初めて見るもので、少し不安がよぎったのを覚えています。それでも「大丈夫だろう」と考えた私は、予定をキャンセルせずにそのまま電車に乗っていました。強まる雨足、鳴り響く警報。私は危機感をどこまで持てたのだろうか帰路につく頃には、雨もさらにひどくなっていました。行きの電車で見た特別警報は、数時間に1回通知が来るように。街中では避難を促す放送も流れていました。住んでいる地域から離れていたので、避難情報を見ようとしました。しかし、サーバダウンでハザードマップが開けない。公共機関の災害情報ページはアクセスできない状態でした。今ここにいても大丈夫なのか、どこへ行けば良いのか、私には判断できず、そのまま帰宅する選択肢を取りました。このとき、街行く人が特段パニックになっている様子はなかったです。普段より若干足早に行き交い、電停やバス停には多くの人がいました。私は電停まで急ぎました。広島でよく利用されているローカルの公共交通機関があるのですが、それは滅多に運休にならないという認識です。ちょうど電停にたどり着いたとき、その電車は来ました。これが最終電車なのだと、そこで初めて知りました。20時過ぎです。「運休にならないだろう」という甘い認識を痛感するとともに、運が良かったという安堵感が湧きました。電車に乗っても警報音は鳴り続け、詳しい災害情報は見られないままでした。それでも、自分が住んでいるところは災害危険箇所に指定されていないから大丈夫だと考え、「とりあえず家に着けば…」と思っていました。不安感は確かにありましたが、危機感をしっかりと持てていたかと問われるとイエスと言えないのが、今回の私の行動です。祖母の孤立、知人友人の状況。事態の深刻さを知ってから翌日も雨はまだ降り続いています。家族や知人・友人と安否連絡を取り、ひとまず無事であることを確認しました。最終電車になる時刻を知らないまま仕事をしていて、歩いて自宅まで帰ったという友人もいました。さらに、断水している地域や孤立している地域もあるという情報も入ってきて不安が増しました。私の祖母は、高齢化が進んだ地域に住んでいます。そこも断水し、周囲は通行止めで孤立状態。当時避難勧告は広島県各地で出ていて、逆に広島で安全な地域がわからないと思ったほどでした。幸い停電にはならなかったので、連絡は取れます。給水はされていたようですが、給水所まで行けない祖母のために、近所の人などが親切に持ってきてくれていたそうです。食べ物の配給は長期保存用の五目ご飯が3食分。農業をしていたため食べ物には困らなかったようです。ただ、トイレのタンクに水を入れたりお風呂に入れなかったりと大変なことは多々あったと聞きました。被害の大きさが報道されるようになっても、祖母が住んでいる地域は取り上げられていませんでした。1週間ほど経っても復旧の目処が立たず、親が車を出して助けにいきました。それまでにも祖母の家まで向かおうとしたのですが、通行止めでどうにもならない状態。その日は復旧作業が進んで通行可能になった道を見つけ、たどり着きました。断水したままで大変な生活をしている方はまだまだいます。豪雨のさなかも、どこが断水するか、どこが孤立するか、判断しきれませんでした。私が住んでいる地域が断水しなかったのも ”運” だと思います。防災意識を持つ大切さ。災害は決して”他人事”ではない広島では、平成26年に大きな土砂災害がありました。そのとき被災した知人に話を聞きました。4年前の土砂災害は、知人の想像をはるかに超えたダメージだったそうで、今回は予報を見た段階で自分なりに身構えたとのこと。暗くなるまでに貴重品や仕事用の機材、数日分の飲料水と防災グッズを2階まで運んだそうです。車も安全な場所へ移動させたと聞きました。広島には大きな河川があり、そこが氾濫すると広範囲で甚大な被害が予想されます。氾濫した場合のシミュレーションCGが公表されており、知人はその最悪な事態をイメージしたそうです。万が一の場合にすぐ動けるよう待機し、土砂災害と河川氾濫を意識しながら、雨雲レーダーと以前の土砂災害で氾濫した川をチェックしていました。朝方安心できるまで続けていたそうで、私自身の防災意識の低さを改めて痛感しました。知人が住んでいた地域は、以前の土砂災害後に作られた砂防堰堤が機能し無事だったようです。恥ずかしながら、私がシミュレーションCGを見たのは今回の豪雨災害が起こってからです。それを見て恐怖心を覚え、自分が住んでいる地域を再確認しました。市のハザードマップでは危険でないという認識でしたが、国土交通省が運営しているハザードマップポータルサイトで確認すると、2階まではあっという間に浸水する地域でした。2階にいれば大丈夫という認識のまま大きな被害に遭っていれば、私はここにいないかもしれません。私は単純に運が良かっただけなのだと思いました。全国各地で災害が起こり、そのたびにニュースを見ます。しかし、私はどこかで ”他人事” のように感じていたのだと思います。大きな被害が映し出されたとき、そこにリアリティを伴っていなかったのだと。確かに「大変そうだな」と強く思っていたのですが、それを自身に置き換えていたかといえばノーです。それが故、シミュレーションCGを見たりハザードマップを詳しく調べたりという行動に移していなかったのです。十分に対策していても被災してしまう恐れは十二分にあるのに、私はそこにすらたどり着けていませんでした。もし今これを読んでいるあなたが豪雨前の私と同じような感覚であるとしたら、ご自身が住んでいる家、職場、地域、土地の特性などをよく調べることが大切なのだと思います。災害は日本全国どこでも起こりうるので、決して ”他人事” ではないのです。「大変そうだな」と支援してくださるのは非常にありがたいです。こういったときに、改めて助け合いの精神を実感します。広島でもその他の地域でも、大変なことや不便なことも多々あるかと思いますが、前を向いてみんなで生きていけたら、そう願っています。©artisticco/Gettyimages
2018年07月14日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「海賊版漫画サイト」です。漫画は無料で読むものと勘違いしていませんか?漫画やアニメを違法にアップロードし、ユーザーに無料で提供する海賊版サイト。10代を中心に大人まで、利用者はウナギのぼりに増え、被害額は3000億円以上。状況を改善するべく、4月、内閣府は「漫画村」をはじめとする3つの大手海賊版漫画サイトを対象にブロッキングの要請を検討すると発表。漫画やアニメは日本のクールジャパン政策には欠かせないもの。積極的な輸出をはかるためにも著作者を守っていかねばなりません。これを受け、NTTグループは3サイトに対してブロッキングを実施しました。しかし、サイトのブロッキングは、憲法で保障されている、「通信の秘密」「検閲の禁止」に抵触するのではないかと、法律家やメディア業界から反発の声が上がっています。これまでも児童ポルノなど人権に関わり、ほかに手段がない場合には実施してきました。しかし、たとえブロッキングしても、サーバーやアドレスを変えればまた立ち上げられるので、いたちごっこにすぎないところもあるのです。海賊版サイトを立ち上げるには、資金も労力もかかります。それでもなかなかなくならないのは、莫大な広告収入が得られるからです。優良企業の広告が、知らぬ間に海賊版サイトに掲載されていたケースも多々。そこで、海賊版サイトへの出広をなくし、資金源を断つことがサイトへの大きな打撃になると考えられています。悪質サイトの撲滅にはまず、(1)サイトに中止を要請。(2)ユーザーに利用しないよう要請。(3)広告掲載中止を要請。(4)検索にかからないよう制限を要請。そして最後に「サイトブロッキング」という手段を選ぶのが適当なのではないでしょうか。私たち読者に求められているのは、海賊版サイトを利用しない機運を高めることです。たとえ使いやすく無料で読めたとしても、利用者が増えれば漫画は売れなくなり、制作者にお金が回らず、制作続行が困難になり、将来、新しい漫画が作られなくなるかもしれません。また、ブロッキングが広がれば、国によって通信の自由が奪われる事態に陥らないとも限りません。結果、私たちに跳ね返ってくる問題であるということを忘れないようにしましょう。堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。新刊『堀潤の伝える人になろう講座』(朝日新聞出版)が好評発売中。※『anan』2018年7月18日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年07月13日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「子ども食堂」です。立ち上げだけでなく持続できる仕組みを。見守る社会が肝要。いま、日本の子どもの7人に1人が相対的貧困に陥っています。そこで民間から支援のひとつとして広がったのが「子ども食堂」です。週に1回もしくは月に1回程度開催され、子どもが一人で参加し、無料または低料金で食事を摂れるというもの。全国に2286か所まで拡がってきました。数が増えたのは喜ばしいことですが、実は問題を抱え閉じてしまった食堂も少なくありません。自治体やNPOが支援しているケースもありますが、個人が集い、手弁当で始めているところがほとんど。食材を持ち寄り、地元の飲食店や企業に提供を依頼するなどしてやりくりしているため、継続するのは大変なんです。主催者が途中で仲たがいをしてしまったり、食中毒が出て閉鎖に追い込まれることも。最大の問題は、「子ども食堂=貧困」というイメージがつき、子どもが通いづらくなってしまったということです。子ども食堂には、子どもの孤食問題を解決するという目的もあります。親に500円玉1枚を渡され、コンビニでカップ麺やおにぎりを買って一人で食事を済ます子どもたち。栄養面の偏りだけでなく、困ったことがあっても相談する人が誰もいないという孤立が深刻な問題です。子ども食堂へ行けば友達もできますし、ボランティアのお兄さんお姉さんに宿題をみてもらったり、ゲームをして遊んだり。子どもの居場所づくりが可能になります。子ども食堂はまだ不足しています。問題を解決するため、事故に対応できるよう保険参加を支援するクラウドファンディングが立ち上がったり、地元の人が誰でも集える場所として、名称を「じもと食堂」にしてみたり。文京区では非営利団体と共同で、貧困家庭に食事を届ける「こども宅食」を始めました。食事を届けるだけでなく、親や子を孤立させないつながりを作ることを重視。この取り組みの支援には、ふるさと納税も使えるようにしました。子どもを地域で見守るということが大事なスタンス。「こども食堂ネットワーク」のHPでは近くの子ども食堂が調べられます。行政、企業、NPO、個人が協力し合って、社会問題を解決することが必須になってきています。堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。新刊『堀潤の伝える人になろう講座』(朝日新聞出版)が好評発売中。※『anan』2018年7月4日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年06月29日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する連載「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「公文書」です。明確なルールが不十分。国民の財産という意識を。森友学園や自衛隊の日報など、公文書にまつわる問題がたびたび取りざたされています。公文書とは、国や地方公共団体などの機関、公務員が作成する文書を指します。日本では長い間、公文書についての明確なルールが決められておらず、「公文書管理法」という法律が整備されたのも2009年、麻生内閣のとき。年金の納付記録漏れなどが発覚し問題になった時期でした。公文書管理法の第1条には、「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るもの」と記載されています。公文書は国民の大切な財産。のちに政策や意思決定の経緯を検証するための重要な資料となります。日本には、太平洋戦争で敗戦が濃厚になったときに、軍が書類を焼却処分したという苦い過去があります。たとえば、満州で陸軍の731部隊が、生物兵器の人体実験を行ったのではないかといわれている件も、関係資料が残っていないために実証ができておりません。現在、公文書は内容に応じて最長30年保管され、その後も歴史的に必要と判断されたものは、国立公文書館に移されます。公文書にするかどうかは各役所の判断に委ねられており、公文書にすると決まったら、文言もいろいろ整えてから作成されるのだそうです。短期で目的を終えると担当者が決めたら「1年未満文書」として、管理簿へ記載されず、審査を受けることなく廃棄できます。自衛隊の日報があとから見つかったという問題も、日報を公文書とするかどうかの意識にズレがあったからではないかといわれています。アメリカには国立公文書記録管理局があり、誰でも自由に閲覧できます。僕もサンオノフレ原発事故について調べたときに、民間企業の担当者の連絡先まで辿ることができました。「不都合になりそうなことは隠す」のではなく、公益性を考え、社会にとって必要な情報は公開する。民主主義国としてアメリカは先輩格だなと実感しました。徹底した管理をするには、人員が足りていないという問題もあります。今後の公文書のあり方、情報公開と保存についてしっかりと整備し、ルールを作り上げていくことが望まれます。ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。新刊『堀潤の伝える人になろう講座』(朝日新聞出版)が好評発売中。※『anan』2018年6月6日号より。写真・中島慶子題字&イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年06月10日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「尊厳死と安楽死」です。超高齢化社会の日本の今後の課題。徹底した議論を。今年の1月、評論家の西部邁さんが入水自殺をした際、知人の2人が自殺の手助けをしたとされ、自殺ほう助の罪に問われ、逮捕されました。西部さんは生前、老齢で病気になり家族に迷惑をかけたくないと思う人間が、自分の裁量で死ぬという選択があってもよいのではないかとおっしゃっていました。橋田壽賀子さんも昨年、『安楽死で死なせてください』という著書を出され、物議を醸しました。尊厳死とは、回復の見込みがなく苦痛を伴う状態にある場合、延命措置を断り最後は自然死を迎えるというもの。安楽死には、薬物を投与したり、延命治療を途中でやめる「積極的安楽死」と、延命治療を行わない「消極的安楽死」がありますが、線引きは曖昧です。現在、日本では安楽死は認められていませんが、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、カナダ、アメリカの一部では認められています。オランダでは2002年に安楽死を法制化し、通常の医療行為として、保険が適用されているそうです。認められる条件は、本人の自発的な要求のほか、改善の見通しがない、安楽死以外の解決策がない、安楽死の担当医以外の医師の診断などです。2016年には6091人の人が安楽死を選択。7割が末期ガン。あとは高齢者や認知症患者などが占めていました。超高齢者がますます増える日本にとって、終末期医療・ケアは大きな課題です。厚生労働省は3月に「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を改訂しました。本人の意思を尊重するのは大前提ですが、本人が意思決定できなくなる前に、家族や医療・介護従事者が連携をとって方針を繰り返し話し合い、文書にしておくことを勧めています。尊厳死、安楽死は難しい問題です。治る見込みがなく、毎日苦痛を伴いながら家族を犠牲にして生き続けるのは確かに辛い。しかし、生きることを前提に作られている社会で、死を自ら選択できることになれば社会不安を起こします。また、弱者は切り捨ててよいという発想にもなりかねません。人生100年時代、社会でも家族間でも徹底して議論する必要があるでしょう。堀潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。新刊『堀潤の伝える人になろう講座』(朝日新聞出版)が好評発売中。※『anan』2018年6月13日号より。写真・中島慶子題字&イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年06月09日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する連載「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「米朝首脳会談」です。史上初のできごと。非核化と拉致問題解決を望みます。トランプ大統領は3月、北朝鮮が韓国を通じて申し入れた直接対話に、応じると即答。金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ大統領の首脳会談が6月上旬までに開かれることになり、世界を驚かせました。実現すれば、現職のアメリカ大統領と北朝鮮の最高指導者の会談は史上初となります。北朝鮮はここ数年、核実験と弾道ミサイルの発射を繰り返し行い、アメリカは経済制裁の圧力を強め、いつでも応戦態勢にあることをアピール。両国間の緊張状態が続いていたため、首脳会談の受け入れは、突然手のひらを返したように見えますが、北朝鮮は20年以上、米国大統領との直接会談を求めていました。国際社会に北朝鮮の金体制を認めさせたいという理由からです。しかし、いまや核を保有するとみられる、非人道的な独裁国家を認めるわけにはいかないと、これまでの大統領はそれを拒否していました。けれども、トランプ氏は大統領選のころから直接対話の可能性をほのめかしており、今回それが実現されようとしています。もちろん、これには1月に北朝鮮と韓国の閣僚級の会談が行われ、平昌五輪で南北合同チームが参加するなど、韓国の尽力による南北融和ムードも下支えしています。北朝鮮にとって、最大の貿易国は中国です。アメリカとの直接対話の前に、中国との関係を良好に保ちたい金委員長は、急きょ非公式に中国を訪問。習近平主席と会談し、「米韓が北朝鮮に対して平和的な措置をとれば、朝鮮半島の非核化問題も解決できるだろう」とコメントしました。先日、安倍首相は、中国外相と北朝鮮の「非核化」と拉致問題の解決に向けて協力体制をとることを確認。続いて渡米し、トランプ大統領と会談。米朝首脳会談では拉致問題を議題にあげるという、大統領の約束をとりつけました。この数か月、北朝鮮とアメリカ、中国、韓国の4国間で交渉が急展開し、圧力路線一辺倒だった日本は、若干蚊帳の外にあった印象でしたが、拉致問題を交渉のテーブルにのせる確約がとれたことは、喜ばしいできごとです。実現するか否かも含めて、米朝首脳会談の行方に、世界中が注目しています。堀潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。新刊『堀潤の伝える人になろう講座』(朝日新聞出版)が好評発売中。※『anan』2018年5月16日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年05月11日この春から、社会人になった皆さん。1ヶ月経って、慣れてきた部分もちょっとあって、気持ちに余裕が出てきた・・・という人もいるでしょう。4月に出会った人と、一気に恋が進展し始めるタイミングかも知れません。新しい環境では、新しい恋を始めたい!これまでとは違った恋に出会えるはず!そんなドキドキを感じているかもしれませんが、いまのうちに「気をつけないと危ないよ!」なポイントを、お伝えしておきましょう。■・「働き始めたら、マジで出会いないよ」の真相先に社会人になった先輩の話やらネットに落ちている話なんかでよく見聞きする「社会人、出会いない問題」。これの真偽とはいかなるものか。正直言って、学生の頃のほうが、「特に頑張らなくても出会える」と言えます。ボンヤリしてても、いい人いないかな!とキョロキョロしなくても、ゼミやらサークルやら、同年代の男女が自動的にコミュニティ形成させられるますから、異性と出会うシーンは多いでしょう。で、社会人になったらどうか。学生時代とように同じように「ボンヤリ」していたら、出会いはありません。ただ会社と家を行き来し、「月曜か~だる~」と言っている間に時は過ぎ、気付けば歳をとっていることでしょう。会社も1つのコミュニティですが、仕事以外での関係を持つには努力が必要で制約も多いですし、そもそも大学ほど同年代の異性は多くありません。ただ、ここで絶望する必要はありません。実は、社会人になってからの出会いは、「自分から動けば」学生時代よりも圧倒的に多く、かつ、自分から行動することで、望んだタイプの人にヒットしやすい。そして、そういった行動の先の出会いというのは、そもそも恋愛につながりやすい。つまり、本当に自分次第。飲み会に行ったり紹介してもらったりすると、一気に人の輪が広がりますし、マッチングアプリなどの活用もいいでしょう。社会人のほうが「男女」が出逢えば色恋沙汰になりやすいので、「◯◯な人がいる出会いの場」を狙っていけば、案外恋はスムーズに進むかも。■・できる先輩とのめくるめく恋・・・の落とし穴新入社員の場合、なにかと教えてくれたり、親切にしてくれる先輩などがいるでしょう。右も左も分からないような私には到底できない仕事を、バリバリこなす先輩。これまで大学で出会ってきた安居酒屋で騒いでいるような変な髪型の男どもとは違って、先輩はスーツも決まっててカッコいい・・・。そんな人が優しくしてくれて、あろうことか、ごはんに誘ってくれたり、LINEをしてくれたりする。好き・・・。わかります。自分のできないことができる人って尊敬できるし、これまでとは違った何かを感じるかもしれません。でも!それって「先輩・後輩」っていう上下関係があるからこそ素敵に見えてる可能性があるんですよね。そもそも、先輩のほうが仕事ができて当たり前。でなければとんだ給料泥棒です。年下で何もわからないあなたから見たら「素敵な先輩」かもしれませんが、実は同い年女性からみたら「ホントクソしょーもない男」で、誰からも相手にされないから、そういうマイナス面が見えない、新しく来た年下ばかりに手を出す男もいるのです。もちろん、付き合ってもその「年上マジック」が効いていれば幸せでしょうが、解けたときに「時間をムダにした」となったり、気付かないうちに被害を被る(金銭的、マインド的、その後の恋愛観など)こともあるので、そこは意識しておいてください。■・要確認!「素敵な人はすでに誰かのもの」学生の頃の恋では、好きになった彼には彼女がいて・・・。でも、頑張る!みたいなパターンもあったと思います。でも、社会人になったらそれにプラスして「結婚してる」パターンがあるんですよね。彼女持ち男にちょっかいを出しても、ちょっと周りからチクチク言われるぐらいで、ぶっちゃけそう困ることはないでしょう。でも、既婚者相手ではそうはいきません。その後訴えられて慰謝料を請求される可能性がありますし、社内不倫の場合、会社にそれを報告されて望まぬ異動につながったり、結局いづらくなって退職することになったり・・・。単なる「失敗しちゃった恋愛」ではなく、人生の汚点になりえます。彼女がいないかだけでなく、本当に独身かどうか?は、きちんと確認するようにしましょう。■・社会人の恋は、楽しい!なんだか脅すような内容になってしまいましたが、それでも、社会人の恋って、すごく楽しいです。学生時代よりもいろいろな種類の人に出会えますから、価値観が一気に広がりますし、そんなふたりが一緒になれば、さらに新しい世界を感じられるはず。お金に余裕もできますし、それまで体験したことのなかったデートを楽しんだり、会える時間が少ないからこその、ときめきだけではなく信頼を重視する関係の大切さを知ったり。きっと、大人の女性として、1つステップアップするきっかけとなるでしょう。若いときの恋はトライ&エラー。ちょっとした失敗を繰り返しつつ、自分や相手を知り、それを活かして前よりももっといい恋をする、そんな時期です。「ここだけは失敗しないように!」なポイントを抑えたら、後は自由に、恋を楽しんでくださいね。(Sakura/ライター)(ハウコレ編集部)
2018年04月28日私は何度か自殺未遂をしました。この記事を読んでいる人のなかには、「死にたい」と思っている人がいるかもしれません。私も「死にたい」と思ったとき、ネットで検索してこういった記事にたどり着いたことがあります。だけど、私を救ってくれる記事はありませんでした。私はあなたを救えるかどうかわかりません。だけど、せっかくここにたどり着いてくれたのだから。自殺未遂経験者だからこそ伝えられることがあるかもしれないと、あなたへの言葉を綴ります。文・七海目覚めたら病院のベッドの上だった。もう二度と、あの絶望感は味わいたくない何度か自殺企画をしましたが、未然に防いでくれた人がいたことがありました。なぜ自殺企画で終わったのかというと、「遺書」のようなものを書いたり、突然家からいなくなったりしたからだと思います。家からいなくなるというのは、恐らく客観的に不自然な形で、ということです。そういった行為をするとき、私は誰かに止めて欲しかったのかどうか、わかりません。だけど、重篤な状態に陥ったときは、ほとんどの記憶がありません。普段から首をもたげている希死念慮が強くなり、衝動的に「死にたい」「死ななければならない」と行動に移しているような気がするのです。私は今現在こうして生きていますが、目覚めたときの絶望感は二度と味わいたくないと考えています。重篤な状態で発見され、病院に搬送、気がついたら真っ白な天井が目の前にある。「私はまだ生きているんだ」「私はまた死ねなかったんだ」と、絶望するのです。”当たり前” に生きている人とは感覚が違うと感じたことが多々あります。「死なないんだから大丈夫」といった考えを口にする人がよくいるように思うのですが、私は死に ”救い” を求めているような気がするのです。死んだら救われるような、そんな気がするのです。死んだら何もかもから ”解放” されるような気がして、私の場合は「何か決定的に嫌なことがあったら死ねば良いや」と考えています。「死なないんだから大丈夫」とは真逆に……。私は多分、次に自殺しようと決意したときは、より ”確実な” 方法を選ぶと思います。死に方については随分調べました。自殺未遂をした人ほど完遂率が高くなるといわれているのが、私にはわかる気がするのです。だってもう、あの絶望感を味わいたくないから。知人の自死。末期癌の宣告。私の身近にある死昨年、知人が自死を選びました。突然のことでした。彼とは頻繁に連絡を取っていたわけではないけれど、ある程度気心が知れている気になっていました。だけど、何の前触れもなく、彼はこの世からいなくなりました。私は酷く泣きました。昨日まで近くにいた人が、とても遠くに行ってしまったから。そして、語弊を恐れずに言えば「彼が羨ましい」と、同時に思いました。私は完遂できなかったけど、彼は完遂した。今ある苦しみから ”救われた” のではないかと思ったからです。自分の矛盾した感情が憎く、今でも恨めしく思います。ほかの知人に、末期癌を宣告された女性がいます。高校当時に唯一仲良くしてくれた人。彼女はもともと病気がちで、学校にあまり来られなかったけれど、いつもひとりだった私に話しかけてくれました。卒業後も交流は続き、私が自殺未遂で入院しているときは心配そうにしてくれました。だけどあるとき、「癌になった」と連絡がありました。若年性で進行が早く、見つかったときには末期でした。抗癌剤治療を受けながらも笑顔を見せる彼女は強いんだろうな、と思いました。そして、「何で私じゃなくて彼女なんだろう」と思いました。私は何度か自殺未遂をしました。自殺企画もしました。今でも希死念慮・自殺念慮は消えません。だけど、自殺した知人も、末期癌の知人も、「死んでほしくないし、死んでほしくなかった」です。自殺未遂を経験しているのに、いまだに自殺念慮があるのに、知人に「死んでほしくない」と思い泣くのは、私のエゴだと思います。私が今生きているたったひとつの理由。きっと、エゴだって生きる理由になり得る私は「死にたい」と思っています。「死んで楽になりたい」と。だけど私は今生きています。正直、自殺し切れなかった ”臆病者” で ”惨め” な存在だと感じます。だから、「死にたい」と思っている人に対して、軽々しく「死んだらだめ」と言えません。だから、私が今生きている理由について話したいと思います。私が「死にたい」と呟いたとき、主人はこう言いました。「お前と心中するために一緒にいるわけじゃない。一緒に生きたいんだ」と。「物事には順序があるから、自殺する前に別れてくれ」。あるとき強い絶望感に襲われ、その順序を守ろうとしました。理由を言わず一方的に別れを突きつけて、そのまま死ねば良いと考えていたのです。私は順序を守れば良いのだと思っていたのですが、自殺企画を感づいた彼から返ってきたのは意外な言葉でした。「俺は単純にお前と一緒にいたいんだ。これは理屈とかじゃなくって、俺の完全なエゴだよ。順序とか言ったけれど、1日1秒でも一緒に生きられるなら、あの言葉は取り消すから。少しでも長く、一緒に生きていきたいんだ」。私は彼がなぜ私と一緒に生きたいのか理解できなかったし、彼の涙もわかりませんでした。だけど、気づいたら私も泣いていました。私の涙も、わかりませんでした。知人に対して「死んでほしくない」と思うのは、私のエゴでしょう。主人が言った通り、理屈ではありません。自殺する人が視野狭窄に陥っているのは、客観的に理解できます。ニュースで流れてくる自殺者の周囲にも、「死んでほしくない」というエゴが本当はあったんじゃないかな、と思います。私が今生きているのは、彼のエゴのためです。はっきり言って、それ以外は思いつきません。だけど実は、私が気付いていないだけで、ほかにもエゴがあるのかもしれません。「死にたい」と思ったとき、誰の顔も浮かばなくても良いと思うんです。「死にたい」あなたは視野狭窄に陥っていて、思い浮かべられないだけかもしれないから。もしも死を少しでも躊躇っているのなら、そこに誰かのエゴがあるのかもしれないと、それだけは頭に入れてみていただければ、と思います。生きることは苦しいです。なぜ生きなければいけないのか、その理由は私にはわかりません。だけど多分、「一緒に生きたい」「死んでほしくない」といったエゴはたくさん存在するんだろうなぁと思います。エゴそのものに気づいていなくっても、エゴがあることがわかっていれば、それで良いのではないかな、と思います。私は主人のエゴのために生きています。エゴが生きる理由なんです。多分、人間ってとても複雑で、”優しいエゴ” にも取り囲まれながら、絡まれながら、みんな生きているんだろうなぁと思います。これを読んでいるあなたもそうだと思います。生きることは苦しいし、生きなければいけない理由はわからないけれど、少しだけ目を閉じて、休んでみても良いかもしれません。何もかも放棄したって良い。”優しいエゴ” に気づけなくても良い。いつでも「死ねる」し、「楽になれる」んだから、ちょっとここでお茶を飲んでひと休みしてみても良いのではないかな、と思います。これが、「死にたい」と思ってこの記事を読んでくれたあなたへの、私のエゴです。(C)kieferpix/Gettyimages(C)RichLegg/Gettyimages(C)laflor/Gettyimages(C)StockPlanets/Gettyimages
2018年03月20日いい子に育てたつもりなのに、大きくなるにつれ、反社会的な問題行動をとる子どもに気を落としたりしていませんか? ひょっとしたら子どもの心理状態を知ることで、子どもとの距離が少し縮まるかも。その1●親の財布からお金を盗む子の心理とは?小さいころ自分もやったことがあるという大人も、あの時、なぜそんな行動をとったのかわからないのでは? 親の財布からお金を盗む子どもは、単純にお金が欲しいのか? その裏にはこんな心理がありました。▼続きはこちら▼その2●子の不登校、親はどうする?学校に行かなくなったからといって、いじめが原因とは限りません。いったい、なぜ子どもは学校に行きたがらなくなるのでしょうか。そして、その時親はどういった態度をとればよいのでしょう?▼続きはこちら▼その3●子の自殺、その兆候とはもしもわが子が自殺を考えていたら…。親はその兆候をどんなところで知ることができるでしょうか? そうなる前に、予防することはできないものでしょうか?▼続きはこちら▼その4●子ども同士のトラブル対処法貸したものを返さない。ケンカをして誰かに怪我をさせてしまったなど、子ども同士のトラブルには、どこまで親が介入すべきなんでしょう? 対策法についてまとめました。▼続きはこちら▼その5●子どもの万引き、どう対処する?子どもが万引きをしてしまったら…。お店に謝り、料金を支払って…という、その後の対応よりも知るべきことがあります。万引きを行う子どもの心理について、まとめました。▼続きはこちら▼その6●子どものギャングエイジをどう乗り切る?小学校中学年くらいから、自我が芽生えた子どもたちがグループになって過ごすようになると発生する様々な問題について、親として理解しておくべきことは?▼続きはこちら▼その7●危険!子どもの夜遊びはなぜおきる?子どものころ、どうして夜遊びしてしまうのでしょうか? その理由について、夜回り先生として有名な水谷修さんに、お聞きしました。▼続きはこちら▼その8●いい子がだった…が、なぜ犯罪を犯したのか?うちの子に限って…とはよく言ったもの。いい子だったのに、あるひきゅに犯罪に手を染めてしまった我が子。しかし、それにはきちんと理由があるのです。まずは子どもの心を学びましょう。▼続きはこちら▼
2018年02月27日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「夫婦別姓」です。先月、サイボウズの青野慶久社長らが「選択的夫婦別姓を認めないのは憲法違反だ」として、東京地裁に提訴したニュースが話題になりました。青野社長は結婚時に妻の姓にしたところ、株の名義変更などに多額のお金がかかり、飛行機やホテルの予約が本名でないとしてキャンセルされるなど、多くの不利益を実感したといいます。それは憲法の「夫婦の権利の平等」を侵害するものではないか。戸籍を持たない外国人と結婚した場合は夫婦別姓を選べるのに、日本人同士の婚姻ではどちらかの姓を選ばなければいけない。日本人同士でも同姓か別姓かを選択できるルールを作れないか、というのが青野社長の主張です。姓を変えた従業員に対し、雇う側の労力、コスト増についても言及していたのは新鮮でした。反対意見としては、子供の姓はどちらを選べばいいのか、混乱するのではないか。また、別姓を名乗れば家族としての一体感が失われるなどの声が上がっています。現在の戸籍制度ができたのは明治時代。名字は豊かさの象徴で、人々にとって憧れのものでした。家名を代々受け継いでいく家父長制は日本の伝統とされるようになったんですね。しかし、いまは核家族や離婚も増え、家族のあり方も多様化。離婚後300日以内に生まれた子供は自動的に前夫姓になるため、それを恐れて届け出をしない無戸籍児の問題なども起きています。マイナンバー制度など、個人を特定するシステムが完備されたら、もしかしたら戸籍は必要なくなるのか?それとも戸籍制度があるから、個人の証明や信用が保証されているのか。社会の変化に合わせて、改めて議論を重ねる必要はありそうですね。毎日新聞の2015年の世論調査によると、夫婦別姓を選べる制度に賛成は51%、反対の36%を上回っています。それでも現在、婚姻時に夫の姓を名乗る女性は96%と圧倒的多数です。妻の姓を名乗る男性の割合が半数くらいになったら、生活のなかの不具合は改善されるのかもしれません。「結婚したら当然夫の姓を名乗るもの」という意識から変えていくことが、大事なのかもしれませんね。ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2018年2月21日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子
2018年02月17日私は多くの精神疾患を抱えています。病気が原因で困ったこともたくさんありました。たくさんの偏見も肌で感じてきました。そんななか、数か月前に症状が重たくなり、ベッドから起き上がれなくなってしまったのです。働くことはおろか、外出することもできなくなりました。でも、こういった状態になったのは初めてではありません。以前の苦しみがまたよみがえるかもしれない。そういった恐怖感でいっぱいになった私を唯一救ってくれたのが、愛ある言葉でした。文・七海毎日泣くことしかできなかった。毎日謝ることしかできなかった数年前にも、鬱状態が酷くなり、起き上がれることができなくなった時期があります。それが原因で、私は会社を退職しました。その頃にも精神科に通っていましたが、薬を飲んで症状を緩和し、しんどい日も出勤していました。その会社に在籍している数年間、1日も休んだ日はありません。そうした無理が祟ったのでしょう。ある朝突然、前触れもなく起き上がれなくなってしまったのです。退職した後に再就職しましたが、常に不安が付きまといました。「また動けなくなったらどうしよう」「また働けなくなったらどうしよう」と。以来、長い期間症状が重たくなったことはなかったのですが、数か月前に悪夢がよみがえりました。私はまた動けなくなり、また働けなくなったのです。再びたくさんの人に迷惑をかけながら仕事を辞め、ベッドで過ごす日々が始まりました。以前動けなくなったときにも同棲していましたが、今回も、違う男性と同棲していました。同棲していると相手にも迷惑をかけてしまいます。しかし、実家の両親とは折り合いが悪く、逃げるようにして同棲し続けていた私。実家に帰ると症状が悪化することがよくあるのを彼は知っていたので、実家に帰ることを提案した私に「俺と一緒にいよう」と言いました。実家に帰らなければ迷惑をかける、でも実家にいたくない、彼に申し訳ない。そういった感情がたくさん沸き上がりました。私は彼が仕事に行っている間も、仕事から帰ったときも、泣いて謝っていました。何度「ごめんなさい」と言っても、足りないような気がしました。私が救われた言葉。快方に向かったのは”愛” があったからだった私は毎日、何度も謝りました。しかし彼は、「謝ることじゃない」と繰り返し言いました。「風邪を引いたら俺だって休むんだから。体調が悪いときは休まないといけない」。そう言ってくれたもの、私は罪悪感から逃れることができませんでした。特に罪悪感を覚えたのは、”働けない” という事実です。以前働けなくなったとき、「義務感で動けなくなったら終わりだ」と感じてしまいました。働かなければならないのに働けないという事実が、悔しくて仕方なかったのです。収入源は毎月彼の給与のみでした。私には収入がありません。支え合って同棲したかったのに、情けなく感じました。私は動けないにもかかわらず、求人情報をスマホで検索するように。働き続けた業界での経験もあります。その業界での夢もありました。だけど、”働けない” という事実が焦りに変わり、「早く働かなくては」と思うようになっていたのです。今まで働いてきた業界で復帰できる気がしませんでした。長年の夢もよくわからなくなってしまいました。私は全く未経験の業界の求人を眺め続けました。外出すらできないのに。焦りが積もったとき、彼に打ち明けました。「働けなくて申し訳ないから、雇ってくれるところで働きたい」と。彼は否定も肯定もしませんでした。「やりたいことはゆっくり見つけたら良い。今答えが出ないことに対して、無理に答えを出す必要はない」と言い、「体調が悪くなるのは誰にでもあることだから、申し訳ないと思う必要もない。無理に働かなくても良いし、無理に働いて身体や心を壊したら本末転倒だよ」と付け加えました。「やりたいことが見つかったときに、やりたいことをして楽しいと思ってもらえるのが嬉しい」。そうした言葉をかけてくれる人は、今まで誰1人としていませんでした。私は少しだけ楽な気持ちになりました。罪悪感が全て拭われたわけではないけれど、なんだか救われたような気がしたのです。それでもどうしても焦ってしまい、求人情報誌を持って帰ってもらうこともありました。ベッドでそれを眺める私を見て、「やりたいことは見つかった?」といつも聞いてくれました。否定も肯定もせず、ゆっくり私のペースに合わせてくれたのが、私を温かい気持ちにさせました。私は徐々に自分の心と向き合うことができるようになりました。”やりたいこと” も ”夢” もよくわからなくなってしまっていたけれど、だんだんそれを取り戻せるようになっていきました。毎日朝が来ると憂鬱な気分が増していたけれど、「良い朝だなぁ」と思える日が出てきました。「良い朝だなぁ」と私が言うと、「良い朝だと感じられるのは良いことだね」と彼が言いました。”良い朝” は少しずつ増えてきて、暗闇で泣いてばかりいた私に、光が差したような気がしました。彼の言葉には全て ”愛” がこもっていたように思います。”愛” があったからこそ、自分自身を見失っていた私に寄り添えたのではないかと。私が今同業種で社会に復帰できているのは、彼の ”愛” があったからこそだと感謝しています。”寄り添うこと” と ”腫れ物に触るようにすること” は違います私は精神疾患者です。病気があるからできないこともあるし、症状が悪化するから一時的にできなくなることもあります。”健常者” に比べるとできないことが多く、迷惑をかけることも多いのではないかと思います。当事者として思うことがあります。私は動けなくなったとき、彼に寄り添ってもらえました。それが一番良かったのだと思います。精神疾患を抱えていると言うと、色眼鏡で見られているような気になることが多々あります。根強い偏見を感じてきたため、理解が広まってほしいという思いは確かにあります。しかし、決して ”特別視” してほしいとは思っていないのです。精神疾患は ”触れてはいけないもの” でも ”タブー” でもありません。私含め精神疾患を抱える人がいる以上、助け合い、共生できる社会が理想です。私は彼と入籍しました。入籍すると、「子どもは?」と聞かれることもあります。しかし、私が持っている病気の中には遺伝性だといわれているものも。病気のために感じた風当たりの強さは、誰にも感じてほしくないと思っています。遺伝の可能性がある以上、この社会が変わらない限り、私は怖くて子どもを生むことを考えられません。身近に精神疾患を抱える人がいるという方、どのように接していますか? どう接して良いのかわからないから、あまり触れないようにしているという方もいるのでは。罵声を浴びせたりするのはもちろん、腫れ物に触るようにする扱いも、少し違和感を覚えます。万人に ”愛” を持って接することができる人は少ないかと思いますが、心を持って寄り添うことはできるのではないでしょうか。そうした歩み寄りが、共生へとつながるのだと信じています。そして最後に。配偶者など身近な人が精神疾患を抱えている方へ。私はパートナーの ”愛” に救われました。言葉や表現の仕方は人それぞれだと思いますが、”愛” を持って見守り、”愛” を持ってともに歩むといった考えで、あなたなりの優しさを伝えてみてください。きっと、あなたのパートナーは、あなたの ”愛”、そして ”救いの言葉” を求めているのではないかと思います。(C)ViktorCap/Gettyimages(C)AntonioGuillem/Gettyimages(C)oatawa/Gettyimages(C)AnnaRise/Gettyimages
2018年01月30日統合失調症は、幻覚や幻聴、被害妄想といった症状が出るため、数多くある精神疾患のなかでも偏見が強いものでもあります。「関わりたくない」と思われてしまうのでしょうか。以前私は統合失調症と診断されたことがありますが、しばらく落ち着いていました。しかし、去年になって再発。リアルな体験記としてお伝えできればと思います。文・七海実は、記憶が曖昧なんです。しんどかったという感情だけが残っている去年、数か月間統合失調症を再発していました。快方に向かってからしばらく経った今、そういった症状は出なくなってきました。今、あの頃のことを思い出そうとすると、しんどかったという感情と涙が先に出てきます。しかし、実際には記憶が曖昧であるところがあります。家族との会話や知人に泣きながら電話をかけたことなど、言われても思い出せないものが多くあります。今ではたくさんの人に迷惑をかけたと強く思っているけれど、その当時の心持ちがあまり定かでなく、自分自身でも怖くなる部分があります。知人や家族に言われたことを前提に、覚えている記憶を辿っていこうと思います。きっと、統合失調症で苦しんでいる人はたくさんいます。「関わりたくない」という偏見が、当事者に寄り添う気持ちへと変わっていけば、と一縷の希望を持って、今、執筆しています。「暗闇が怖い」、「声が聞こえる」。”被害妄想”という言葉では片付けられない恐怖感まず感覚的におかしいな、と思ったのは、暗闇への恐怖感でした。ベッドに入って電気を消すと、とても怖かったのを覚えています。電気の色や明るさでも恐怖感があったらしく、長い時間調節していたと聞きました。寝るときも、起きているときも、真っ暗にはできなくなりました。やがて、カーテンの隙間から見える暗闇が怖くなり、ドアについている覗き穴までもが怖くなっていきました。暗闇が見えうるところは全て紙や段ボールで覆い、部屋に引きこもりました。それからは、暗闇に限らず「外が怖い」と思うように。常に誰かから見られているような気がして、一切外出ができなくなりました。それからほとんど寝たきりの状態が続きました。ベッドから起き上がることはほとんどなく、なにかを食べることもほとんどなくなりました。そのうち、誰かの声が聞こえるようになりました。直接声が聞こえるのではなく、脳に響いてくる感じです。夜中になにかを喋ったり突然泣きわめいたりということがよくあったそうですが、その辺りはあまり覚えていません。しかし、はっきりと覚えている言葉があります。「優しさを僕にくれたら、強くしてあげる」。誰かはそう言いました。当時私は寝たきりの状態を情けなく思っていたので、うなずいたのを覚えています。私は比較的穏やかだと言われることが多いのですが、その声を聞いた日からとても凶暴になったと聞きます。些細な物音がしただけでも、その物音を立てた人に攻撃したくなったような、そんな感情は覚えています。これらは統合失調症の主たる症状で、”被害妄想” などにあたります。しかし、記憶にある恐怖感は、”被害妄想” という言葉では片付けられない怖さでした。外に出られるようになってから、ぶつかった壁運良く周囲の理解と協力があって、数か月後には起き上がれるように、そして外出できるようになりました。ただし、ひとりで外出するまでには時間がかかりました。外出して、以前のような生活を送りたいと強く願いました。しかし、次に困ったのは体力と筋力の低下でした。寝たきりの生活をしていた私は、あまり歩くことができなくなってしまっていたのです。少し歩くたびに疲労感があり、過呼吸になったりパニック発作を起こしてしまったりすることもありました。そういった発作が怖く、また外出を避けようとした時期もあります。しかし、補助してもらいながら外出するようにして、近所のスーパーまでは行けるように。ただ、以前は15分程度で行けていた場所ですが、そのときは1時間かけて行っていました。少しずつ体力をつけるようにし、外出する練習もしました。今ではひとりでも外出できるように。ただ、以前のように速く歩いたり遠出したりというのはまだ難しいのが現状です。しんどい時期を乗り越えられたのも、周囲の理解があったからこそ電気を消せないところから始まり、暗闇を隠す行動、”誰か” と話す行動、衝動的な凶暴性。そして、ひとりで外出できるまでの道のり。正直、”奇異な行動” に見られてしまうことはわかります。だけど当時、本当にしんどかったのです。私が今の生活を取り戻せているのは、周囲の理解と協力があったからこそです。きっと、私ひとりでは今でもしんどいままだったのではないかと思います。迷惑をかけて申し訳ないという気持ちと、心からの感謝があります。”奇異な行動” に見えてしまうからこそ、「関わりたくない」と思われてしまうのかな、と感じます。しかし、本人は本当に苦しんでいるのだというのを、私の実体験を通して知ってもらえれば、と思います。幸いにも、私は周囲に恵まれていました。でも、そうでない人だってたくさんいるのではないかと危惧します。「関わりたくない」と一蹴するのではなく、寄り添う気持ちを少しでも持ってもらえれば、と願います。しんどい思いをしている人が、ひとりでも多く救われますように。(C)lovell35/Gettyimages(C)andriano_cz/Gettyimages(C)Tharakorn/Gettyimages(C)fzant/Gettyimages
2018年01月22日友達と政治の話をしようとすると空気が悪くなる。社会に関心がある人はすぐ“意識高い系”というレッテルを貼られる。ただ、目の前に広がる社会のことを知りたくて、周りとああでもないこうでもないと話したり意見を交換したりしたいだけなのに、すぐそばにあるはずの「生きていること」と「社会や政治」が遠く感じる。そんな風に思っている若者はきっと多いはず。そんな世代のためのイベント「Youth Conference (ユース・カンファレンス)」が12月17日(日)に上智大学で開催される。若者たちが集って政治や社会のことをじっくり考え、語る場だ。主催するのは「市民のためのシンクタンク ReDEMOS」。これまで政策解説ムービーを制作したり、女性の権利やLGBTQなどのテーマでイベントを開いてきた、元SEALDsメンバーが設立した団体である。未来の社会は若者がつくっていくもの今回なぜ若者向けのイベントを企画したのか、ReDEMOS代表の奥田愛基(おくだあき)さんに聞いた。発端は、高校生や大学生から同世代が集まる場をつくってほしいと言われたことです。社会や政治のことって学校ではなかなか話しにくい話題だけど、みんなどこかで考えなきゃいけないと思っている。考えなきゃいけないっていうか、いまの若い世代だったら考えちゃうめっちゃ大事なこと。これまで色々なシンポジウムを企画してきたけど、実は来る人の年齢層は高め。でも、未来の社会は若者がつくっていくもの。みんなが日々どんなこと考えているか、どんな社会を作りたいかを自由に語ったり、学べる場を作りたいと思って企画しました。だから、今回のイベントの対象は中学、高校、大学生にしたという。ReDEMOSメンバーの高野千春(たかのちはる)さんは「テーマは社会や政治だけど、身構えないでふつうの感覚で来てほしい」と語る。生きづらさは誰しもが感じているもの。社会を変えたいとかそこまで強く思わなくても、何かしたいけどどうやって関わっていいかわからない人とか、関心があるけど誰と話していいかわからない人とか、そんな若い世代が集う場になればいいなと思います。ふつうの感覚でふらっと来てくれたらいいな。申し込みフォームはこちら
2017年12月15日*画像はイメージです:近時、高齢者の資産管理に関する相談が増えていると感じます。それもそのはず。国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、50歳まで一度も結婚をしていない方の割合は2015年時点で男性が23%(概ね4人に1人)、女性が約14%(概ね7人に1人)と上昇の一途を辿っています。また、配偶者がいたとしても子がいなければ場合によっては単身者となってしまいます。その意味で、今後誰しもが直面する可能性のある問題といえます。このような悩みを抱えた方の死亡や認知症にまつわる問題につき、法律上、どのような対処方法があるのかにつき考えてみましょう。 ■伝統的な対処方法としての遺言自らの考えどおりに相続をさせたい場合、真っ先に浮かぶのは遺言だと思います。この方法のメリットは比較的自由に資産承継させることができる点にあります。特に、特定の人に特定の財産を「相続させる」旨の遺言があれば、不動産であってもその相続人が確定的に権利を有し、単独で所有権移転登記手続をすることもできます。また、法的なことにはなりますが、子の認知等の身分に関することも遺言ですることができます。ただし、遺言はそれ自体が法律行為なので、遺言をする方の判断能力がなければその有効性が争われる可能性もあります。また、ご自身で作成しようとすると気付かないうちに内容が矛盾していたりして「相続させる」旨の遺言と解釈できなくなってしまったり、法的な形式を満たさなくなる等、せっかく作成したのにいざという時に使えなくなってしまうおそれもあります。このような観点から、近頃は公正証書遺言が増えていますが、公正証書にしたからといって内容にお墨付きがもらえるわけではないことには注意が必要です。 ■法定後見制度と任意後見制度について遺言の他に、現在活用されることが多い対処法として、法定の成年後見制度と任意後見制度があります。法定後見制度はご本人の判断能力が常に欠けた状態になってからでないと利用できず、原則として後見人は財産の保存行為しかできません。任意後見制度は逆にご本人の判断能力が欠ける前に後見人を指定せねばならず、必ずしも指定した者が後見人に就任するとは限りません。たとえば、懇意にしている姪が近時破産していたりすると、後見人に指定しようとしても、裁判所の判断によっては他の者が後見人に指定されます。また、いずれの制度もご本人が亡くなった場合、後見人ができることはありません。そのため、基本的にはご本人が生存中に限り、財産を管理・維持してもらえるだけです。 ■新たな対処方法としての民事信託制度そこで、近年新たに活用され始めた対処法が民事信託制度です。民事信託とは、不動産や金銭等の資産を一定の目的に沿って信頼できる者に託し、その目的の範囲内で管理、運用及び処分を可能にする制度です。その最大のメリットは、委託した方が亡くなった後も効力を残すよう取り決めることによって、相続の手続をすることなく、スムーズな資産継承が可能となる点にあります。また、民事信託後、委託した方が認知症になった場合であっても変わらず管理、運用及び処分ができます。デメリットとしては専門性が高いので専門家の関与が必要不可欠である点と、子の認知等の身分行為はできない点が挙げられます。このように、民事信託制度は、遺言によって対処できない問題と後見制度によって対処できない問題のそれぞれを解決する画期的な制度と評価できます。もっとも、民事信託制度は未だ十分に認知されておらず、活用例も多くないのが現状です。今後、高齢者の資産管理に関する問題が一層社会問題化していくことが予想され、広く周知されていくものと考えられます。本稿をお読みになられた方は民事信託制度につき頭の片隅に置いていただければと存じます。 *著者:弁護士 中川 翔伍(丸の内ソレイユ法律事務所の弁護士。離婚、相続、労務まで幅広く多様な案件を扱う)【画像】イメージです*xiangtao / PIXTA(ピクスタ)
2017年11月16日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「評価経済社会」です。私たちの社会は、貨幣を媒介にして、物やサービスが流通しています。しかし、インターネットやSNSの普及で、人の価値や信用による「評価経済社会」がこの10数年広がってきました。日本発の「VALU」は、個人が株式会社のように株式を発行して売りに出し、その人に対して他人が投資し合うという仕組みです。たとえば、AさんがVALUを始めるとしましょう。AさんのSNSアカウント情報を運営会社に提出します。すると、運営会社はAさんのTwitterやFacebook、Instagramなどのフォロワー数、どんな発信をしているのか、職業などを総合的に判断し、Aさんの時価を算出、VAという株式に相当するものを発行します。Aさんは自分のVAに値段を設定し、市場に解放。すると、Aさんの活動に賛同する人、Aさんに価値があると判断した人が投資をし、AさんのVAが売買され、株価のように価値が上下するのです。新しい事業を始めようとするとき、これまでなら銀行に融資してもらいますよね。商売がまわるか、将来性があるかを銀行が判断し、融資の可否を決めます。でも、銀行の融資のままならないベンチャー企業や一般の個人が、VALUやクラウドファンディングのような仕組みを利用して、夢を実現することが可能になってきたのです。ただし、貨幣経済社会では、通貨は誰にとっても価値は平等ですが、評価経済社会では、同じ人の価値が評価する人によって変わります。フォロワー数の多さ、発言力の大きさなどをもとに判断されるのです。それを気持ちが悪いと感じる人もいるかもしれません。ほかにも時間を売る「タイムチケット」や、アメリカ発の「タイムバンク」というシステムがあります。たとえば、「1時間○○円で、簡単なプログラミングを教えます」など、自分のスキルの時価を決め、それを売買するのです。こういうシステムにより、講演の依頼を受けたり、専門家に相談をしたり、食事の相手を見つけることなどができるようになるんですね。評価経済社会に際し、自分にどんな価値、スキルがあるのかをあらためて考えることも大事になってきそうですね。堀潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2017年11月8日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2017年11月04日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「二重国籍」です。蓮舫さんの二重国籍問題が以前ニュースになりましたね。あそこまで騒がれたのは、彼女が元閣僚で民進党党首だったからです。また、「二重国籍ではない」と言い張ったことが虚偽だったという、政治家としての発言責任問題も大きく関わっていました。国の要職につく政治家の二重国籍がなぜ問題になるのか。それは、たとえば敵対している国との二重国籍だった場合、本当に国益になる判断ができるか。スパイ行為に及ばないとも限らないからです。とはいえ、容認するかどうかは国によっても異なります。アメリカでは、過去に州知事を務めたシュワルツェネッガー氏は、オーストリア国籍とアメリカ国籍の両方を持っています。しかし、アメリカ大統領は、アメリカ単一国籍かつ、アメリカ生まれでないとなることができません。現在イギリスの外務大臣で、元ロンドン市長のボリス・ジョンソン氏は、アメリカ国籍とイギリス国籍の両方を保持していたそうです。フィリピンやオーストラリアでは、二重国籍の政治家は認められていません。国籍の取得ルールは大きく「血統主義」と「出生地主義」に分かれます。日本は「血統主義」。父親か母親が日本人であれば、たとえ外国で生まれても日本国籍を取ることができます。ただし、その場合、出生後3か月以内に届け出をしないと権利は失われます。逆に、代々日本に暮らしていても、両親が外国籍の場合は日本国籍を取得することができないんですね。対してアメリカは親が米国人でなくても、アメリカで生まれればアメリカ国籍を取得できるという「出生地主義」です。国籍を持っていなくても住民権は得られますし、税金も納めますが、選挙権は得られません。日本で働く外国人労働者の数は100万人を突破しました。これから、外国ルーツの子どもはますます増えるでしょう。アスリートでも、外見は外国人風でも日本人として活躍する方がたくさん出てきましたよね。今後、何世代も日本で暮らす外国人が増えていくなかで、彼らが政治参加できないままでよいのかどうか?これから議論の必要があると思います。堀潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2017年10月18日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2017年10月14日社会人になると出会いがない!!!・・・なんて思いこんでいませんか?実は社会人の生活にだって、日々色んな所に出会いのチャンスを秘めています。今回は社会人男女が出会うきっかけを3つピックアップしてみました。内勤だから、女だらけの職場だからと諦めようとせずに、ぜひ今の環境を見直してみてください。 ■ 仕事関係やはり毎日嫌でも行かなきゃならない仕事場は、出会いのきっかけになりやすいですよね。社内の人と気が合えば一番ですよね。とは言っても、女ばかりの職場に勤める人や内勤の人は・・・?何も仕事場に来るのは社内の人だけとは限りません。宅配業者、お得意先の方、支社の社員などなど色んな方がいらっしゃいます。クライアントだった人と結婚した、という話も珍しくはありません。また、合コンも出会いのきっかけとしてよくあります。学生の合コンと違って社会人にはより広い、面白いコネクションがあります。面倒な合コンでも行ってみたら運命の出会いがあるかもしれませんよ・・・? ■ 趣味趣味の合う人ほど最高のパートナーはいないかもしれません。休日に家族そろってアウトドアに出かける、なんて将来を望んでいる方もいるのでは?まずは好きなことをする仲間を見つけに行ってみましょう。もしくは、既にそうしたコミュニティにいる人は、次から少し視点を変えて参加してみると良いかもしれません。特に趣味とかないんだよな、という人は、仕事仲間や気の合う友人の趣味に入れてもらうのも手です。特に社会人は運動不足になりがちなので、健康維持も兼ねてスポーツ系がオススメ。 ■ 同窓会同窓会!?とビックリされる人もいるかもしれないですが、視点を変えてみたら、こんなに出会いのチャンスがゴロゴロしているパーティーはありません。実は同窓会は、結婚相手と出会う機会になりやすいんです。何といっても同級生は、共通の話題が尽きないし、人となりも分かっている相手なので結婚相手として不安要素が少ないといえます。昔は何とも思わなかった男子が超タイプになってたら、こんなラッキーなことはないですよね!人見知りで知らない人は苦痛、知らない人はなんか不安、という方もいるでしょう。そんなアナタは、過去の人と出会い直してみては? ■ むしろ社会人ほど出会える中高生の頃はなかなか学校以外でコミュニティに入るのは難しいし、大学生になって会える人の幅は広がったけど、そうは言ってもやっぱり仲良くなりやすいのは同年代とかだし・・・社会人が一番出会いの幅が広いんじゃない!?という、筆者の個人的な想いです(笑)素敵な出会いがあるとイイですね!(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2017年09月02日3組に1組の夫婦が離婚していると言われる今の日本。また、未婚率も年々上がり、社会問題になっていますよね。こうした未婚率や離婚率の高さの原因は何でしょうか?現代社会における恋愛と結婚のあり方、両者の違い、“恋愛至上主義”社会と結婚の関係などについて検証していきます。■未婚率や離婚率が高い原因は?お見合い結婚が一般的だった時代は、自分の感情に関係なく夫婦になるのが当たり前。ふたりの間に愛がなくても、周りの人たちのお世話や紹介で出会って即結婚というケースは珍しくなかったようです。中には、男尊女卑的な考えを持つ男性や浮気性の男性と結婚しても、文句を言うことすら許されず、生涯、耐え続けた女性もいるでしょう。一方、現代は「結婚相手=愛する人」と捉える“恋愛至上主義”社会。出会った後に一定期間の交際を経てプロポーズ、そして結婚という流れが一般的ですよね。魅力的に思えますが、ひとたび恋愛感情がなくなってしまうと一緒にいる理由がなくなり、交際をやめたり離婚を考えたり。日本の未婚率や離婚率の上昇の一因は、この恋愛至上主義かもしれません。なお、恋愛結婚では約4割の夫婦が離婚している一方、お見合い結婚したカップルの離婚率は1割程度というデータもあります。■恋愛と結婚は違うの?よく話題になる、恋愛と結婚の違い。このふたつは別ものと切り分けて考えたほうがいいのでしょうか。恋愛は片思いのときに熱が高く、相手を振り向かせることにエネルギーを費やします。結婚を考えて交際をスタートするというよりは、交際すること自体が最終目標になってしまう人もいるほど。交際を楽しみながらも、結婚となると話がなかなか進まないカップルもいるでしょう。結婚を意識する頃にはお互いの熱が冷めていたり、経済的な問題や、独身ゆえの自由を失うことへの不安から、どちらかが結婚に積極的になれなかったりというケースも。交際期間ばかりが延びて、先の見えない不安に片方が耐えきれず、別れてしまうパターンも少なくありません。■恋愛と結婚にまつわる名言ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネは、次のような名言を残しています。「恋にとって昨日はなく、恋は明日を考えない。 ただ今日だけを、完全な今日を要求する」長い結婚生活をイメージすることなくスタートした恋愛は、幸せで満足できる“今日”だけを追求。結婚後に熱を失うと“今日”が、延々続く“日常”であることにがっかりしてしまう人も少なくないでしょう。一方、フランスの小説家アンドレ・モーロワは、こんなことを記しました。「真に結ばれた夫婦にとっては、若さの喪失ももはや不幸ではない。ともに年老いることの楽しさが年老いることの辛さを忘れさせてくれる」この人がいれば、どんな苦境も乗り越えられる、年を重ねるのが楽しい、と思える相手となら、長い夫婦生活も幸せを感じながら歩んでいけそうです。“楽しい今日”を求める恋愛と“楽しい生活”を求める結婚は、全くの別物ではないものの、二アリーイコールといえるでしょう。恋愛至上主義の現代だからこそ、両者を切り分けて考えるべきなのかもしれません。■家族になるとはどういうこと?恋人として恋愛を堪能していたふたりの関係は、結婚して夫婦、そして家族になることでさまざまな変化を迎えます。大きく変わるのは見る方向。お互いを見つめ合っていた関係から、ふたりで同じ方向を見て協力していく、二人三脚のパートナーになるのです。自分たちの将来や子どものことなど、一生続いていく線路をひとつずつ歩んでいきます。また、ふたりにとって大事なものが、トキメキや刺激から信頼と安心に変化。お互いに心を許し合っているからこそ、ピンチのときも助け合える関係へと変わります。■終わりに相手に完璧を求めるのが恋愛関係だとしたら、お互いの足りない部分を理解・補完し合う関係こそが夫婦と言えるでしょう。恋愛と結婚は似て非なるもの。「恋愛はできるけど、結婚に至らない」「結婚は恋愛の延長線上にあるものではない気がする…」などと思ったら、一度、全くの別ものと捉えて結婚と向き合ってみるといいかもしれません。ライタープロフィールCherrysako広島在住のママライタ-。2015年に第一子(女の子)を出産。九州で生まれ、大学進学をきっかけに県外に出る。自身の就職、転勤をきっかけに様々な土地で暮らし、地元九州や各地域の魅力に気付く。結婚、出産を機に食の安全や食育に興味を持ち、家族の健康を守るために勉強中。子育てと夫婦関係の中で、家族という大切な人をきちんと大切にできるように、自分の心を特訓しながら家庭と仕事の両立に奮闘する日々。
2017年08月16日子育てしていくために必要不可欠な保育園。しかし最近では、騒音に対して苦情を言う人が多かったり、建設に対して反対運動が起こったりすることもあり、社会問題となっています。「子どもが苦手」「静かに生活したい」という気持ちにも納得できる部分があり、難しい問題と言えそうです。そんななか、もし自分の家の隣に保育園ができるとしたら、みなさんは素直に受け入れることができるでしょうか。少し抵抗を感じてしまうという人もいるかもしれませんね。そこで、パピマミ読者のみなさまに6月22日から23日にかけて「自宅の隣に保育園ができたらどう思いますか?」 というアンケートを実施し、102名の方々から回答を得ましたので、その結果を見ていきたいと思います。●「問題ない」と感じる人は約3割『ウチも子どもを2人育てていますし、近くに保育園ができるのは歓迎したいですね。たしかに日中騒がしくなるかもしれませんが、ウチの子も他の人に迷惑をかけていることもあると思いますし、そこはお互いさまです』(40代女性/2児のママ)『保育園ができることで治安がよくなりそうだなと感じます。周囲に人の声が全くないよりは、良い環境と言えるのではないでしょうか』(30代女性/独身)自宅の隣に保育園ができることに抵抗を感じないという人は、およそ3割という結果になりました。順位としては1位となっているものの、「にぎやかで嬉しい」という声と合わせても41%にとどまり、何らかの抵抗を感じるという人の方が多い ことが伺えます。問題ないと答えた人たちは、自身も子育てをしているママたちに多く見られ、これは日常で子どもたちの声を聞き慣れているという点もあるのかもしれません。また、一人暮らしする人の中には、周囲がにぎやかになってむしろ歓迎すべきことと感じる人もいるようで、決してマイナスしかないということでもないようです。●「うるささ」が気になる人は5割に『子どもの騒ぎ声が我慢できません。今住んでいるところは周囲が静かなところを気に入って決めたので、もし隣に保育園ができたら引越しを考えると思います』(20代女性/独身)『子どもを保育園へ通わせていますが、家の隣に保育園ができると思うと少し抵抗がありますね。家の中で騒ぐわが子はまだしも、集団で毎日騒がれるかと思うと心配になります』(30代女性/1児のママ)「うるさいから嫌だ」が28%、「うるさいと思うが我慢できる」が22%となり、約半分の人が騒音を気にしているという結果となりました。我慢できるとした人たちも、できることなら隣にはできない方がいいという思いを持っているでしょう。自分たちにも小さかったころがあり、騒いでいた過去があるとはいえ、大人になった今それを享受しろというのは酷 な部分もあるかもしれません。特に、住環境に“静けさ”を求める人は嫌悪感を抱く傾向にある様子。騒音は一度気になってしまうと我慢できるというものではなくなるため、個人差によるところも大きいと言えるでしょう。●騒音以外の懸念も『保育園が立つと地価が下がるって聞いたことがあります。家を売るときに大きく値下がりするようなことになるとイヤですね』(40代男性/1児のパパ)『知ってるママ友が家の近くを毎日通るかと思うと少しイヤかも。子どもだけでなくその保護者も行き来するようになるわけですからね』(30代女性/1児のママ)保育園の建設で問題になることが多い騒音ですが、それ以外にも懸念点はあるようです。静かな環境を求める人は多く、保育園があることでその周辺の人気が下がり、地価に悪影響を及ぼすということもあるでしょう。また、子どもの往来が増えれば、道への急な飛び出し なども起こるかもしれません。道路環境の整備なども求められることになるはずです。騒音に関しても、子どもの声だけでなく、集団で立ち話をするママたちが迷惑となることもあります。いずれも、幼稚園に子どもを通わせる家族と住民双方の理解が必要と言えるでしょう。----------いかがでしたか?決して悪いことばかりではありませんが、近くに保育園ができることで生活に何らかの変化が出てしまうのは避けられません。待機児童が大きな問題となっていることもあり、可能な限り保育園の建設は進めてほしいものでもあります。自らの生活と社会の問題について、みんなで考えていく必要がありそうですね。【参考リンク】・【アンケート結果(1位〜5位)】自宅の隣に保育園ができたらどう思いますか?()●文/パピマミ編集部●モデル/大上留依(莉瑚ちゃん)
2017年06月26日社会問題について話すのは「意識高い系」「真面目」など、少しハードルが高いと感じる人は少なくないのではないだろうか。また、どうしても「自分ごととして考えるのが難しい」と思う人もいるだろう。でも本当にそうなのだろうか?「政治について話す」「ボランティアで社会に貢献する」など明らかに社会問題に挑戦する以外のことの先にもいつも社会がある。ファッション、映画、音楽、スポーツ…好きなものを追求すると必ずルーツがあり、そのルーツは間違いなく社会に関係していて、社会問題はいつのまにか「自分ごと」となる。そんなことを話していて強く感じさせてくれるのが、kakihatamayu、現役女子大生だ。kakihatamyuのお気に入りレコードPhoto by kakihatamayukakihatamayuの情熱は常に音楽だったそうだ。中高生時代は先生の話も聞かず授業中に好きな曲のレビューやイラストをこっそり書いていたという。それをなにげなくインスタグラムにあげると、「買いたい!」とフォロワーからリクエストが来るようになった。それが彼女が作る今人気のZineの原点。学校が厳しくて変に古臭くて好きじゃなかったから家で趣味に走りたいみたいなタイプだった。それで作った物を売ってみようって感じで…。そしたら作って売るのがどんどん楽しくなってて、だんだん販売用にZineを作るようになったレコードが並ぶkakihatamayuの部屋Photo by kakihatamayuレコードに出会い、広がった世界レコード屋に出向いて、レコードを探すのが楽しい!持ってるっていうことに意味があるっていうか…。探していたものに出会えたとき、その感動こそがレコードの醍醐味。今の私たちの世代は自分の世界を大事にしたい世代らしい。それが自分にも当てはまるとしたら、その自分の世界が私にとってはレコードなのかも。基本的に服買うならレコード買いたいもんSpotifyやApple Music などネットで簡単に音楽が買える時代になぜあえて手間のかかるレコードなのかと聞くと、彼女はこう言った。「消費することに背を向ける」といわれているゆとり世代。実際、今の若者は消費自体がステータスや快楽となっていた高度成長期中やその後のバブル時代とは異なり大量消費や世間の流行に惑わされることなく、自分が価値を見出しているものだけを集中消費する傾向にあるのかもしれない。家の機材とレコードPhoto by kakihatamayu社会の問題と趣味が繋がったときとにかく音楽を愛し、レコード屋で働き、好きな音楽をイラストなどでクリエイティブに表現してきたkakihatamayu。その音楽への愛は社会問題へ興味を持つきっかけにもなったそうだ。どのジャンルの音楽も何か社会情勢が背景にあって、生まれたものが多い。音楽のルーツを知るのが好きだったから、「この曲のこの歌詞何、どういう意味?」ってなったら、そこから調べてた。例えばロックってセックスやドラッグについて歌うから社会に煙たがられていた。子供がロックを聴いているとお母さんがラジオ消す、みたいな。ビートルズですら受け入れられてなかったから!ロックが世間的には反社会的なものとして聞かれてたし、それで「なんでー」ってなって、そこから曲の背景を調べるようになったかもロックの背景を調べてみて知ったのは、人種差別や反戦運動、貧困問題などの社会問題だった。ジャンルの好みは変わっても音楽の背景を追求するとそこに社会が必ず見える。最初は「音楽がかっこいい」から調べただけだったとしても、結果的に世界で見過ごすことのできない貧困や人種差別、戦争の問題に彼女は到着していた。「好きだから、知りたい」というその純粋な動機が社会問題に興味を持つキッカケとなり、少しでも多くの人がそんなプロセスを繰り返せば、社会はもっと良いものになるのではないだろうか。なにも音楽じゃなくてもいい。自分が情熱を持てるものを追求していけば誰でも自然とそこにたどり着けるはずだ。そしてkakihatamayuは音楽を通して学んだ社会問題を同世代の若者に発信していきたいそうだ。そこで今回、Biで彼女の音楽連載が始まる。その名も【『あの名曲』に込められた社会への“愛の叫び”。kakihatamayuが紐解く、社会派ミュージック・ヒストリー】。一曲を通して見えてくる曲が作られた時代の社会背景や、現代の私たちにも響く普遍的なメッセージをkakihatamayuが解き明かしてくれる。毎回書き下ろしのイラストもあり!今後ぜひ注目していて欲しい。Illustration by kakihatamayu
2017年05月16日『ダ・ヴィンチ・コード』シリーズ第3弾『インフェルノ』(10月28日公開)の原作者ダン・ブラウンがこのほど、本作のテーマとして現代社会でも問題とされている"人口過剰"にフォーカスした理由を明かした。今回、シリーズ人気の謎解き要素に加えて、現代社会でも問題となる"人口過剰"をテーマに、「100年後の人類滅亡の道」か「今人類の半分を滅亡させて生き残る道」かという究極の選択が突き付けられる。この問題にフォーカスした原作者のダン・ブラウンは「世界の人口がこの80年で3倍に急増したと知り、人口抑制を悪役の目的にした」と大きな懸念を抱き、劇中に反映したと明かしている。現実社会にも起こる"人口過剰"とは、地球上の人口が爆発的に増加したことよって、食糧不足、エネルギー資源の枯渇、環境破壊、貧富格差の拡大などを引き起こす問題。国連の予測では、世界人口は2050年までに97億人、2100年には112億人となるとも言われており、状況の悪化がますます騒がれている。そんな中、「人口過剰は誰もが懸念すべきだ」と主張するダン・ブラウンは、事態の深刻さを世間に知らしめるために、本作の悪役として天才生化学者ゾブリスト(ベン・フォスター)を登場させたのだ。劇中のゾブリストは、「われわれは生命を養う資源を破壊している」と人口過剰への懸念を積極的に発言する生化学者。彼は、人口増加の抑制策として"ウイルスを感染させ人口を半分に間引く"という恐ろしい計画をもくろんでいる。一見すると極悪非道なゾブリストだが、ダン・ブラウンは「"人類を救うためには地球上の人口の半分を抹殺するべきか"という倫理的なジレンマを考慮しながら、すべてのバランスを取った」と、善とも悪とも取れる人物として描いたことを明かしている。彼の言葉どおり、ゾブリストは悪役でありながら人を惹きつける存在感があり、観客に"ひょっとしたら彼は正しいのではないか"と思わせる魅力を持っている。監督のロン・ハワードも「彼は自身の持論と“大義のため”の残酷な解決策が正しいと心から信じている。だから説得力があり、観客たちには議論が生まれるんだ」と、その魅力を解説している。これまで数々の謎を解き明かしてきたラングドン教授(ハリソン・フォード)は今回、ゾブリストが詩人ダンテの叙事詩「神曲」<地獄(インフェルノ)篇>に隠した暗号を解き、ウイルスの起爆スイッチを見つけ出して"人類存亡"か"今生きる人々の命"かどちらかを選択しなければならない。ダン・ブラウンは「人口過剰問題について、この映画はきっと助けになる」と強いメッセージも込めている。
2016年10月09日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する連載「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「ドーピング」です。***リオ五輪の開催前、ロシアの国家ぐるみのドーピング隠蔽行為が発覚し、問題になりました。世界にドーピングの衝撃が走ったのは、1988年のソウルオリンピック。100m走で、ベン・ジョンソンがカール・ルイスに勝ち、人類初9・8秒台を切るタイムを叩き出しました。ところが、ドーピング検査で陽性になり、ジョンソン選手の金メダルは剥奪されてしまいました。ほかにも陽性の選手が後を絶たず、これをきっかけに1991年にジョンソンの祖国、カナダでアンチ・ドーピングの機関が誕生。1999年には世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が設立されたのです。ドーピングは必ずしも、選手が故意にしているとは限りません。たまたま飲んだ薬の中に禁止成分が入っていて、引っかかるケースも。テニスのマリア・シャラポワ選手が2年間の出場停止処分になりましたが「禁止薬物とは知らなかった」と提訴しています。禁止成分は随時更新されますから、ドーピングを避けるには、選手だけでなく、チームやコーチ、医師や薬剤師も正しい知識が必要。WADAやJADA(日本アンチ・ドーピング機構)はそれぞれの立場での注意を促しています。ドーピングは、製薬会社のビジネスとも密接な関わりがあると指摘する声もあります。合法的に運動能力が上がる薬となれば、ビッグビジネスになりますよね。最近はWADAと大手製薬会社が情報を共有してドーピングを未然に防ごうとしていますが、これも諸刃の剣。規制をすり抜ける新薬が開発され、後にその成分が規制されるというイタチごっこにもなってしまいます。今回のリオ五輪で、IOC(国際オリンピック委員会)が、ロシアの参加を全面禁止にしなかったことに対して、処分が甘いという意見もありました。しかし、五輪は平和の祭典。開催期間は休戦し、人種や国境を超えて皆が参加すること、五輪を続けることに意義があります。大国ロシアが抜けてしまったら、その秩序が崩れてしまう可能性も。そもそも、スポーツとは何を競い合うものなのか?原点に立ち戻り、清い戦いを見せてほしいですね。フェアな戦いこそが感動を与えてくれます。◇堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2016年9月21日号より。写真・中島慶子文・黒瀬朋子
2016年09月21日誰だって、平和な毎日を送りたいもの。そのため、「自分の子どもにはいじめや校内暴力のない学校に通わせたい」と思うのが親心ですよね。そこで気になるのが、校内暴力の発生件数。毎年秋ごろに、文部科学省が前年度の校内暴力の発生件数を都道府県別に発表しているのをご存知でしょうか?実はこの数字には、知られざる裏事情があるのです。今回はそれも含めて、校内環境の実態について言及していきたいと思います。■校内暴力が本当に多いのは大阪・高知・京都まず、文部科学省の発表を見ると、平成26年度の校内暴力の発生件数は以下の通り。1位:大阪府(10,116件)2位:神奈川県(6,716件)3位:千葉県(3,665件)しかし、1,000人当たりの発生件数に換算すると2位と3位が変わります。1位:大阪府(10.6件)2位:高知県(8.2件)3位:京都府(7.9件)神奈川県や千葉県の発生件数が多いのは、単純に人口が多いからだと判断できます。では、大阪府や高知県、京都府はいじめや校内暴力の多い地域だといえるのでしょうか?■統計には含まれない集団暴行を受けた過去が私は、大学を卒業して1年目に公立の中学校に赴任しました。あるとき、生徒間のいじめを止めに入った結果、激昂した問題児たちに羽交い締めにされ、集団暴行を受けました。事件は警察沙汰になりましたが、校内で揉み消されたため、教育委員会に報告されることはありませんでした。文部科学省の統計は全国の教育委員会からの報告によるものなので、私が被害にあった事件は、その年の統計には換算されていないことになります。詳しくは、当時の事件を漫画化していますので、私のホームページをご覧ください。無料で読めます。■統計の数字では校内暴力の真実はわからない2011年の大津市中2男子いじめ自殺事件を受けて、いじめ防止対策法が成立し、学校の隠蔽体質は少し改善されたようです。しかし現役教員の話を聞いている限りでは、まだまだなくなってはいないようです。では、それらを踏まえた上で、この統計を見るとどうでしょうか?そうです、校内暴力の発生件数が多い地域は、報告義務を果たしているといえそうなのです。逆に、発生件数の少ない地域はどうでしょうか?でも、もしかすると、発生件数の多い地域は、隠蔽した上でこの数字なのかもしれませんし、発生件数の少ない地域も、報告義務を果たした上でこの数字かもしれません。つまり結局のところ、これらの統計を見たところで、地域や学校の環境などは一切わからないのです。■学校が校内暴力事件を揉み消そうとする理由では、なぜ学校はそこまでして事件を揉み消そうとするのでしょうか?答えは簡単です。責任を問われるからです。そんなの当たり前だと思われるでしょうか?いじめが発生した場合、それは学校の責任でしょうか?教師の責任でしょうか?担任の責任でしょうか?私はそうは思いません。私の子どもが学校でいじめにあっていたとして、担任からその報告を受けたとします。私であれば「事件が大きくなる前に、よく報告してくれた」と感謝します。しっかりした担任だと信頼します。いじめの報告があれば、保護者間で連携をとり、地域で監視する体制を整えることが可能になるかもしれません。報告がない状態では、なんの対策も打てません。しかしながら世の中の保護者は、どうもそうは思わない人が多数派のようです。校内で起こる事件はすべて学校の責任であり、いじめが起こるのは、担任の指導不足であると捉えられるのです。だから、学校はいじめの報告に対して消極的になります。本当に学校が悪いのでしょうか?■事件後に「今後どうしていくか」を考えようたとえば、ある地域で殺人事件が起こったとします。殺人事件が起こったのは、その地域の管轄の警察の責任でしょうか? 違いますよね。学校も同じです。たしかに事件を未然に防ぐことは重要ですが、100%完全に防ぐことはできません。重要なのは、起こったあとに、責任が誰にあるのかを問うことではなく、これからどう対処していくかであるはずです。いじめの報告があったとき、いじめが起こったことを嘆くのか、大事になる前にわかったことに感謝するのか、どちらがいじめの発生件数を抑えることにつながるしょうか?学校はもっと、保護者に助けを求めてもいいし、保護者はもっと学校に対して協力的でいい。そうやって、開かれた環境で、地域全体が子どもを育てる。そうなれば素敵だと思いませんか?責任のなすり付け合いに、建設的な未来などあり得ません。(文/元教師・教育問題漫画家・眞蔵修平) 【参考】※眞蔵修平ホームページ※眞蔵修平Twitter※眞蔵修平Facebook
2016年08月13日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する連載「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「核なき社会」です。***みなさんは、8月6日、9日が何の日かわかりますか?71年前のこの日、世界で初めて、原子爆弾が投下されました。8月6日は広島に、9日は長崎に。一瞬にして街は焼け焦げ、その年の12月までに広島では約14万人、長崎では約7万人の方が亡くなりました。数年後に白血病やガンを発症したり、子供に原爆症が出るケースもあり、総被害は数知れません。日本は原爆の恐ろしさを知る、唯一の被爆国なんです。現在、核保有国はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルの9か国。これほど恐ろしい兵器を、なぜ皆持ちたがるのか?悲しいことですが、核を保有することで、敵対する国同士の抑止力になっている、というのも現実なんです。とはいえ、核兵器がこのまま増え続けたら、地球規模の危機に晒されます。2009年、オバマ大統領はプラハで、核保有国として初めて「核なき社会を目指そう」と国際社会に訴えかけました。その後、アメリカ・ロシア間では核軍縮の合意が取れ、処分後もテロリストに核兵器が渡らないよう、注意を払っています。一昨年、国連総会で「核兵器使用禁止条約」がオーストリアから提案されました。化学兵器や生物兵器は国際条約で、使用したら戦争犯罪として裁かれることになっています。それに核兵器も加えようという提案。賛成125か国、反対50か国、棄権7か国で可決されましたが、実は日本はこのとき棄権しました。日本は自国では核兵器を持ちませんが、同盟を結ぶアメリカに、中国や北朝鮮の脅威から守ってもらっている立場。その手前、賛成することができなかったと言われています。今年5月、アメリカの現職の大統領としては初めて、オバマ大統領が被爆地の広島を訪れ、平和を訴えましたね。これが実現したのも、毎年、原爆記念日に世界に向けて平和のメッセージを発信し、核保有国の首脳に手紙を送り続けた広島市の不断の努力の賜物です。原爆の惨劇を伝えられるのは、世界で日本だけです。戦争体験者が次々いなくなる今後、二度と悲劇が起こらないよう、8月6日、9日のことを私たちは忘れてはいけないと思います。◇堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2016年8月10日号より。写真・中島慶子文・黒瀬朋子
2016年08月05日ポケモンGOが世界中で人気です。Androidアプリ市場では、ダウンロード数がすでに5,000万DLを越えています。7月22日には、日本でもリリースされて大きな話題に。ポケモンを探している人を、いたるところで目にするようになりました。すでにプレイしているという読者の方々も多いことでしょう。一方で、無断で住居に侵入したり、プレイしながら車を運転したりするなど、プレイヤーの行動が問題視されているのも事実です。「ポケモンで外に出てもなにも得られない」と発言する著名人もいました。これだけ大きなムーブメントになると、さまざまな問題が起きるのは仕方がないことでもあります。解決策に関しては、サービスのアップデートかマナーが、プレイヤー間で共有されるのを待つしかないでしょう。ところで、ゲームは本当に意味がないことなのでしょうか?実は、ゲームによって社会がよりよくなった事例や試みはすでにいくつかあります。「ゲーミフィケーション」とは、ゲームのシステムを社会活動に生かすこと。ポケモンGOの登場により、いま再び注目されているワードです。今回はこのゲーミフィケーションの観点を踏まえながらから、ゲームを社会をよくする方法をいくつかご紹介します。■1:集客・マーケティングに活用する位置情報ゲームを活用したマーケティング・集客は世界中で期待されており、実際にポケモンGOで売り上げが伸びた飲食店も存在します。例えば、アメリカのピザ屋はポケモンを店に引きつける機能を起動させたことで、多くのプレイヤーが店を訪れるようになり、売上が週末にかけて75%も急増したそうです。今回の事例はゲームのシステムを活用した集客方法ですが、ゲーム配信会社と協力して、店舗を訪れると特殊なアイテムが手に入る等のキャンペーンを行う等のマーケティングを行うことができます。チェーン店以外の小規模店舗でも、その場所をゲームにおいての特別な場所にできれば集客効果があるので、メリットを活用することが可能です。■2:観光や地域貢献のために活用する地域の活性化という意味でもゲームは期待されています。地域にある観光スポットや駅をゲームにとって特別なスポットにすることで、そこに人を呼び込むことができるのです。有名な例としては、駅を登録することでアイテムが得られるゲームなどがあります。このときに重要なのが、ゲーム目的で訪れた観光客をいかに地域に還元するか。 ゲームのアイテム欲しさで地域に来た人は、その場所が本来持つ魅力を理解しないまま帰ってしまうかもしれません。しかしそれでは、「もう一度訪れたい」と感じるリピーターを生み出せません。いかにして地域の魅力を知ってもらうかが、観光地の抱える課題なのです。また、参加者にアイテムを配るなどの方法で地域の美化活動等にもゲームを生かすことも可能。つまり、地域貢献のためにゲームを生かすこともできるということです。■3:政治参加のために活用する政治にゲームを使おうという動きもあるようです。実際、米大統領選の民主党候補ヒラリー・クリントンは、ポケモンGOを使用するキャンペーンをアナウンスしました。日本でゲームを政治に活用し、投票場所をゲームスポットにしたり、投票にいくとアイテムがもらえたりするような仕組みをつくれば、問題となっている若者の低投票率も改善できるかもしれません。もちろんそのためには、まず法整備が必要になるでしょうが……。■4:医療や健康のために活用する「運動不足だったけれど、ポケモン目当てで歩くようになった」という方も少なくないはず。ゲームには家で引きこもってやるようなイメージがあるかもしれませんが、位置情報ゲームでは外に出て体を動かすことができます。また、メンタルヘルスの治療にゲームが役立つといわれています。ゲームプレイのために外に出て歩き、人々とやりとりすることが心身ともにいい影響を与えるそうです。■5:教育のために活用するゲームを教育に役立てることも可能です。たとえば人気のシミュレーションゲーム『シヴィライゼーション』という、高校生が歴史を学ぶためのゲームが開発されて話題になりました。このゲームは、歴史や文明を舞台としたもの。退屈な教科書をゲーム化することで、歴史を楽しく学べるようになったのです。また、人気ゲーム『マインクラフト』は教育界から、コンピュータサイエンスの知識や問題解決能力、情報リテラシーを身につけられるゲームとして注目されています。ゲームを教育の現場に取り入れることで、より生徒の興味を引き、効果的な教育ができるはず。今後、まだ登場したばかりのARゲームや位置情報ゲームが教育で生かされることになるかもしれません。*ゲームにはマイナスのイメージが着きがちですが、このようにさまざまな効果があります。技術やデバイスの進化もあって、今後はさらに多くの場所にゲームが活用されるかもしれません。ゲームで社会をよくしていくためには、デメリットをいかに対策し、メリットを最大限に生かすかがカギとなっていくでしょう。(文/堀江くらは)
2016年07月29日参議院選挙が7月10日に行われました。最終的な投票率は54.70%。前回3年前の選挙を2.09ポイント上回ったものの、戦後ワースト4位の投票率の低さでした。最近「投票率が低くなった」ということが盛んにニュースに取り上げられます。実際はどうなっているのでしょうか。また、事実だとしたら、その原因は何があげられるのでしょうか。原因を探るために、まずは総務省「国政選挙における投票率の推移」から、衆議院選挙と参議院選挙の投票率のグラフを見てみましょう。全体をみると、昭和の頃は60%を超えるのが一般的だった投票率は、平成になってからは60%台か、あるいはそれ以下になることがめずらしくありません。衆議院選挙では平成17年と平成21年に70%近い投票率を記録したものの、それ以外では平成以降、65%を下回っています。参議院選挙においては、平成4年以降、投票率が一度も60%を上回ったことがありません。次に、『THE PAGE』の「東京都知事選挙の投票率推移 / 2014年は過去3番目の低さ」から、都知事選の投票率も見てみましょう。平成元年は1989年からスタートしているので、やはり平成になってから投票率は全体的に落ちているということが分かります。なぜ、平成の世になってから投票率が下がってしまったのでしょうか。その原因は、昭和から平成の世の切り替わりのときに生じた出来事が背景となっていると考えられます。以下から、3つの大きな原因を挙げていきましょう。■1:平成の世になってイデオロギー対立がなくなったからここでいったん、昭和から平成への切り替わり時期に何があったかを振り返ります。[1985年]:ソ連における「ペレストロイカ」により共産圏において市場経済が導入される[1989年]:ベルリンの壁崩壊、および東欧諸国の独立[1991年]:ソ連崩壊、冷戦の終結この時期、戦後すぐにスタートした東西対立である「冷戦」が終結しています。冷戦とは、「民主主義」と「社会主義」のそれぞれによるイデオロギー対立のことです。この冷戦終結に伴い、日本の政治構造も大きく変化しました。それまでの日本の政治においても、「『自民党』対『社会党』」を軸としたイデオロギーの対立が中心でした。当然、選挙において唱えられるのもイデオロギーです。イデオロギーとは、それぞれが主張する政治の在りようの正しさのことをいいます。自民党は民主主義の正しさを、社会党は社会主義の正しさを訴え、得票を争うのが昭和の選挙でした。イデオロギー対立は一般民衆には分かりやすいというメリットがある一方、具体性に欠けるというデメリットがあります。ただ、冷戦当時は日本の戦後復興や高度経済成長期とも重なり、「どちらの政党がより国民の生活を豊かにしてくれるか」についての民衆の関心がきわめて高かった時期です。イメージの分かりやすさはそのまま政治への期待にもつながり、具体性の欠如はそれほど重要ではありませんでした。それゆえ、当時の選挙は国民の強い関心事のひとつであったのです。しかし、昭和から平成への時代の切り替わりとともに、冷戦が終結し、各党も主張すべきイデオロギーがなくなります。イデオロギーの消滅は、国民にとっては分かりやすさの消滅を意味します。そのため、次第に投票所から国民の足が遠のいていきました。■2:政策科学中心になったことで各党の公約が似たり寄ったりになったから昭和から平成の世に切り替わり、主張すべきイデオロギーがなくなったことにより、各党はそれまで欠如していた「具体性」を公約に持たせるための対策をしなければならなくなりました。そこで出てきたのが「政策科学」です。政策科学とは、アメリカを発祥とする政策研究で、国民の政治に対するニーズやウォンツを調査し、それに基づいて政策を検討し立案するというものです。「若年層には就職先を」「子育て世代には保育園を」「現役世代には減税を」「高齢世代には手厚い医療を」といった内容がこれにあたります。視点を変えれば、民間企業が消費者の動向調査やアンケートなどを実施し、それに基づいて商品開発を行うマーケティングと中身は同じだと言えます。つまり、イデオロギーを失った各政党は、リアルな国民の声を重視し、それを選挙の得票率に反映できるよう、より合理的により具体的な公約を練るようになったのです。より国民の生活に近い政治や選挙になったのはよかったものの、各党の調査対象が同一の「国民全般」であったため、掲げる公約も同じようなものになってしまいました。そのため、国民にとっては、各党の違いが分かりにくくなり、政治や選挙への関心をさらに低めてしまうことにつながったのです。■3:政治家の相次ぐ不祥事により政治不信が高まっているから平成のスタートはバブル崩壊と前後しています。同時に、政治家の不祥事が相次いで露見しました。1988年のリクルート事件、1989年の宇野首相の不倫疑惑、1992年の東京佐川急便事件などにより、著名政治家の贈収賄や汚職などに絡むニュースが連日テレビやラジオから流れるようになりました。これに伴い、それまで政治に期待と関心を寄せていた国民も一気に政治不信に陥ります。バブル崩壊に伴う不景気もこれに拍車をかけ、国民は投票所へ足を向けなくなってしまいました。*これらに加え、最近では、投票の政治に対する影響への疑問も投票率を下げる要因となっています。「政治家は『あなたの一票が社会を変えるのです!』と言うものの、これまで投票してきて実際に政治が変わった手ごたえが感じられない」と誰もが思っているのです。そのため、近年は、政治に期待せず、みずからNPOやボランティア団体を立上げ、直接国民の生活の向上に貢献する人が増えてきました。そういった団体の出身者の方が選挙に立候補するケースもめずらしくありません。「投票所に足を運びましょう」という前に、なぜ国民が政治に関心を持たなくなってしまったのか、その背景や原因をきちんと分析し、投票に行きたくなるように政治・行政側がイメージアップをコツコツ行うことの方が大事なのかもしれません。(文/税理士・鈴木まゆ子) 【参考】※国政選挙における投票率の推移-総務省※東京都知事選挙の投票率推移 / 2014年は過去3番目の低さ-THE PAGE
2016年07月26日夫婦が離婚に至る、理由というのは様々ですが、女性側で言うと、どこかで男性と戦うという心理を持っています。根っこはみんな男に勝ちたいという心理。そういう女性は男性に頼る事は一切せずに、とにかく自分で物事をなんとかしようとしています。旦那さんは当てにならない、だから自分が頑張らねば!こんな男はこちらから捨ててやる!となる場合もあります。反対にご主人側から離婚したいと言われる場合、妻側は夫の言う事は何でも聞きます、従順でいます、何でもやってあげますタイプだったりするのです。自分は尽くしているつもりかもしれませんが、逆に浮気されやすくなるケースも。男性側の心理としては『コイツ、何やっても文句いわねーんだろ?』となるのです。バカにされるというかなんというか。家の中で、旦那さんの役割がほとんどないと大抵面白くなくなって、オレいなくても良いじゃん的になります。そうなると、帰ってこなくなります。このケース、一見勝っているように見えないけど、旦那さんの役割を奪う事で、『あなたは何も出来ないでしょ』って暗に言っている事になります。だから私がいないとダメよねって相手を蔑んでいる。そこに旦那さんへの尊敬のかけらもない。でも、自分はしおらしいと思っています。ご主人とあからさまに戦っている場合も、ご主人に尽くしている場合も、どちらも自分が正しいと思っています。どちらも奥底で、旦那はダメな奴だと思っているのです。何も出来ないからとやってあげるのか、何も出来ないからと見捨てるのか、ただその違いでしかありません。両方とも幸せからは遠ざかる。旦那がこんなんだし!という理由で始めたものは、ほぼ思い通りにはなりません。他に助けを求めても、自分で自分に向き合わない限りただの現実逃避になります。自分が選んだパートナーをダメにしているのは自分かもしれない、という視点が必要になります。その視点がなく、最初から相手をダメだと決めつけているなら、どの人がパートナーになったとしても、結局は同じになるでしょう。(もしくは自分のために最初からダメなのを選んでいる)自分が相手をダメにしているのかもしれない。旦那さんを主観で『コイツはこうだ!』と決めて付けているのは他でもない自分自身だったりするのです。夫婦は元々が他人です。元々違う価値観の中で生きて来た者同士が、何かのきっかけで家族になりました。そこに必要なのは相互理解です。相手への理解、そして自分を理解してもらう努力。それをせずに、相手が悪いと決めつけるのは、横暴ではないかなと思うのです。長い結婚生活、時に離婚したい!と思う日があるでしょう。それは否定しませんし、あって当然だと思います。ただ、その気持ちに流されて、すぐに結論を出そうとするのは早いかなと思います。自分が作り出した現実かもしれないと、ひと呼吸おいて、自分自身を振り返ってみてください。
2016年07月19日