江戸総鎮守 神田明神では、秋のライトアップイベント「神田明神 秋のライトアッププロジェクト ~明神銀杏(いちょう)~」を、2022年11月25日(金)から12月10日(土)までの期間で開催する。神田明神で秋のライトアップイベント「明神銀杏」都内屈指のパワースポットであるとともに、隠れた桜や紅葉の名所でもある神田明神。春の桜のライトアップに続いて開催される今回のイベントでは、様々な日本の名所を照らしてきたクリエイティブカンパニー「ネイキッド(NAKED Inc.)」が、再び演出を担当。1,300年前より月日を紡いできた神田明神に今年もやってきた秋を、光と音でより一層印象的に演出。御神木の大銀杏と欅が、さらなる生命感をまとって来場者を迎えてくれる。開催概要「神田明神 秋のライトアッププロジェクト ~明神銀杏(いちょう)~」開催期間:2022年11月25日(金)〜12月10日(土)実施時間:各日17:30~20:00会場:神田明神境内(東京都千代田区外神田2-16-2)料金:無料
2022年11月20日昨年12月に逝去した愛娘、神田沙也加さん(享年35)の一周忌をまもなく迎えようとしている松田聖子(60)。昨年は道半ばで中止となった恒例のディナーショーを12月に控え、辞退した『NHK紅白歌合戦』への出場も有力視されるなど、動きを活発化させている。そんな多忙な聖子だが、11月12日に“シークレットイベント”を都内で開催していた。「聖子さんが昨年に初めて監督を務めた映画『あの風が吹いた日』の特別上映会とトークショーが行われました。直前まで場所も告知されず、参加できたのは抽選に当選して購入したファンクラブ会員のみ。イベントは2部に渡って行われ、貴重な生声を聞くことができました」(参加したファン)『あの風が吹いた日』は、聖子が“ずっと頭の中にあったアイデア”をもとに、1年以上かけて脚本を書き上げた作品。女子高校生が憧れの歌手に偶然出会ったことから始まる、一見ラブストーリーながらホラー仕立て、という異色の作品だ。聖子にとって思い入れの強い初監督作を、本人のトークつきで鑑賞するというファン冥利につきる今回のイベント。しかし、戸惑いもあったと前出のファンは言う。「この主人公のヒロインも“死”というものに遭遇するというもので、どこか沙也加ちゃんとリンクして観てしまうこともあり、私たちも複雑な気持ちでいました」そんななか上映が終了し、トークショーの時間になると、聖子から思わぬ発言があったという。「聖子さんが『天国はお花畑があって、とても良いところだと思うんです。だから、ヒロインも沙也加も幸せにしているんだ』と涙声になり、最後には『沙也加に会いたい!』と泣き崩れてしまったのです。会場にいたファンも思わずその姿にもらい泣きをしながら、拍手を送りました。そんな姿を見た聖子さんは平静を取り戻し、『ファンがいるから前を向いて頑張れます。また会おうね!』と笑顔で手を振りながら退場していきました。ファンとしては、聖子さんがつらい気持ちを我々に吐き出してくれ、またこちらとしてもずっと応援しているよ、という思いを伝えられた空間になって、とても良かったです」(前出・ファン)ファン、そして沙也加さんとともに聖子は師走を駆け抜ける――。
2022年11月16日グリーンのロゴが印刷された、かわいらしいレターペーパー。昨年12月18日に急逝した神田沙也加さん(享年35)も気に入っていたものだという。沙也加さんの母・松田聖子(60)が、かつての“同期”にあててレターペーパーに感謝の思いをしたためたのはこの秋のことだった。《沙也加が人のためになにか言えるようになったことに驚いています。私のことを思ってくれていたことに涙が出ました》少しクセのある文字で丁寧に書かれた20行ほどの文章の最後には《松田聖子》の署名があった。共通の知人を通じて、感謝の手紙を受け取ったのはカメラマンのYAHIMONときはるさん。聖子は’79年にサンミュージックに所属したが、同時期にカメラマンとして同事務所に入社したのがYAHIMONさんだった。デビューから数年間、聖子の撮影を幾度も担当した人物だ。YAHIMONさんが語る。「聖子さんから直筆の手紙をいただいて驚くとともに、彼女の沙也加さんへの思いの深さをあらためて知り、胸を打たれました。手紙にある“沙也加さんの言葉”とは、私が『女性自身』さんの取材で明かしたものです。聖子さんは知人から、記事のことを聞いて読んでくださったのです」本誌1月18・25日合併号でYAHIMONさんは沙也加さんとの思い出について語っている。’17年12月、沙也加さんも出演していた舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』の楽屋を訪れたYAHIMONさんは、知り合いの女優に自らの母親とは何年も絶縁状態にあること、会いに行くのをためらっていることについて相談していたという。その相談をたまたま耳にした沙也加さんはYAHIMONさんにキッパリこう言ったのだ。「子供に会うのを嫌がる母親なんて絶対にいません!」■本誌の記事で亡き娘の真情にふれたという聖子さらに翌年、同舞台の愛知公演の楽屋で再会した際には沙也加さんはこんな言葉を……。「私、(先日は)生意気言っちゃってごめんなさい。私も母の“有名税”にずっと悩んだりしていたんですけれど、やっぱり母親がいちばんつらいって思うようになって……。産んでくれた母親が私をいちばん愛してくれているから、その真実があれば悪く書かれても仕方ないかなって。だからあんなこと言っちゃったんです……」他人だからこそ素直に話せることもあるのだろう。“母親が私をいちばん愛してくれている”……、長年の不仲報道にも傷ついていた聖子は本誌の記事で、生前の沙也加さんの真情にふれ、思わず涙を流したというのだ。1年前の悲劇の後、聖子は自宅で愛娘の歌声を繰り返し聴いているという。ミュージカル『レ・ミゼラブル』の曲の1つ『プリュメ街』の生音源だ。YAHIMONさんが続ける。「聖子さんは天才肌、沙也加さんは類いまれな努力家と、タイプは異なる2人でしたが、お互いに認めていたのは間違いありません。特に聖子さんはお嬢さんのミュージカル女優としての姿勢を高く評価していたのです。知り合いには、こんなふうに語っていたと聞いています。『サヤはね、自分の娘でなくても、すごいと思っているの。あの子はずっと勉強を続けているから。「レ・ミゼラブル」の原作さえ、きちんと読み込んでいるのよ』と」YAHIMONさん宛ての手紙には、次のような一節もあった。《もう少しで完成する新しい部屋は、沙也加が切り開いたミュージカルのお衣装や楽譜でいっぱいにしようと思います》昨年6月から、聖子は自宅の隣地に新しい家を建築していた。事務所として使われていた建物を取り壊し、母・蒲池一子さん(90)のためにバリアフリーの家を建てたのだ。沙也加さんの急逝もあり、完成は数カ月遅れたが、実は聖子はこの建物に沙也加さんの部屋も用意していたという。「聖子さんは、そのことを沙也加さんに伝えていたそうです。『サヤのお部屋もあるし、お祖母ちゃんも喜ぶから、好きなときにいつでも顔を見せてね』と。昨年10月ごろのことだと聞いています」(YAHIMONさん)親子関係についてはさまざまな報道があるが、一部週刊誌によれば、年上のミュージシャンとの恋愛を反対された沙也加さんが実家を出て、一人暮らしを始めたのは’05年のことだという。聖子は“17年ぶりの同居”を提案していたようだが、昨年10月といえば沙也加さんはミュージカル『マイ・フェア・レディ』の準備に励んでいたころ。また同舞台でも共演した元俳優・前山剛久氏(31)との交際が始まっていたころでもある。公私ともに充実していたように見える沙也加さんに対し、なぜ聖子は実家に戻ってくるように勧めたのか?「聖子さんはかなり早い段階から、沙也加さんと前山さんの交際を知っていたそうで、彼がどういう人物なのか、人脈を頼って聞いていたようです。聖子さんのカンの鋭さについては昔、私も何度も目撃しているのですが、“この恋でサヤは幸せになることはできない”と感じたのでしょう。“傷つくかもしれないサヤの居場所を作らねば”と決断し、あえて沙也加さんに帰ってくる家があることを伝えたのだと思います」(YAHIMONさん)この10月に完成した“サヤの部屋”には、沙也加さんの笑顔の遺影が飾られ、衣装や愛用していたピアノも置かれているという。
2022年11月15日グラビアアイドルの似鳥沙也加さん(29)は、「インスタグラビア」というハッシュタグを作った第一人者でインスタグラビアの女王という肩書きまでついているようです。インスタグラムにどのような写真を公開しているのかチェックしてみましょう!ソファにもたれかかるバックショットが色気満載 この投稿をInstagramで見る 似鳥沙也加 Sayaka Nitori(@uw.sayaka)がシェアした投稿 「今日も1日お疲れ様でした」と、ソファにもたれかかる沙也加さん。シースルーのトップス1枚にランジェリー姿というセクシーなスタイルで登場。Tバックでのバックショットということもあり、フォロワーはくぎ付けに。コメント欄には「尻フェチにはたまらない」「なんて素敵なお尻」「沙也加さんの綺麗なお尻に魅入ってしまいました♡」とセクシーなお尻に視線集中していて、桃の絵文字も多く飛び交っておりました。他にもセクシーな水着ショットなど投稿していて、沙也加さんから飛び出す新たなセクシーすぎる姿にフォロワーは悶絶しているようです。次はどんなセクシーショットが飛び出すかドキドキしますね!あわせて読みたい🌈倉科カナさんが大胆な肩出しドレスを披露「とてもセクシー」「神々しい」と大反響
2022年10月24日「全国ツアーを終えた後の聖子さんは“サヤ(沙也加)の曲を歌ったことで、(娘との)伝説を作れたと思うの”と語っていました」(聖子の知人)松田聖子(60)が愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失ってから初めて行った全国ツアー。そのファイナル公演は、日本武道館で9月3日に行われた。「沙也加さんと幾多の共演をした日本武道館は、聖子さんにとって娘との大切な思い出の場所。そのため追加公演という形にしてまで、武道館を千秋楽の場として選んだと聞いています」(デビュー当時から聖子を知るカメラマン・YAHIMONときはる氏)聖子は沙也加さんのデビュー曲『ever since』を熱唱。大観衆の涙を誘い、ツアーは無事に終演したが、実はその直後に聖子は冒頭の知人にこう漏らしたという。「サヤの曲は正直、歌える自信がなかったの。サヤの曲は彼女のものだから、私が歌って壊してしまったらどうしようという葛藤があったから……。それでも“伝説”を作りたかった。そして、実際にファンの方たちと私で、伝説を作ることができた。そう思っているの。ただし、伝説はここで終止符じゃなくて進行形。ひとつの伝説が、次の伝説を生むのよ」その言葉どおり、聖子は12月に行われる恒例のディナーショーに向けて準備に入っているという。「打ち合わせの際、聖子さんは“ディナーショーのころにはサヤはもう家にいないけど、頑張るから”と笑顔で話しました。11月上旬に沙也加さんの納骨を行うようです」(前出・知人)愛娘の遺骨は、福岡県にある蒲池家(聖子の生家)の菩提寺・良清寺に納骨される予定だという。沙也加さんは、9月22日に死後初めて更新されたSNSが話題となった。「神田さんが手がけていたアパレルブランドが今秋で終了するため、デザイン画などを展示するアーカイブ展を銀座で開催するという告知でした。神田さんの元夫の村田充さん(45)が神田さんから引き取った愛犬の画像をアップしたため、さらに反響を呼んでいました」(スポーツ紙記者)また30日には追悼アルバムの発売も発表された沙也加さん。聖子はこうしたタイミングで、“愛娘逝去後の傷心生活からの卒業”を知人に宣言していたのだ。ディナーショーの後に控えるのは『NHK紅白歌合戦』。昨年は急な辞退となった聖子への期待は大きい。「聖子さんは、今年は出たいと思っているはず」と芸能レポーターの城下尊之さんが語る。「昨年の紅白は世帯視聴率が34.3%と歴代最低だっただけに、NHKも話題性抜群の聖子さんには出てもらいたいでしょう。聖子さんには、ファンに向けた何かしらのメッセージを出してほしい。“これが聖子だ!”という姿を、紅白で見たいですね」母娘にとって区切りとなる年の瀬。完全復活を目指す聖子の新たな伝説は見られるだろうか。
2022年10月05日9月30日、神田沙也加さん(享年35)を追悼するベストアルバム2作品が12月14日に同時発売されることが発表された。ファンリクエスト投票により決定する13曲に未発表曲を加えたボカロカバー企画第4弾『MUSICALOID #38 Curtain Call!』と、オリジナル曲やミュージカルのカバー曲で構成されたベスト盤『LIBERTY~memorial~』だ。沙也加さんのTwitterとInstagramアカウントで告知され、ファンからは《沙也加ちゃん待ってたよ!!?これは買わねば!!?》《沙也加ちゃんの素敵な歌声がまた聴ける》と歓喜の声が広がっている。さらに、沙也加さんが手がけていたアパレルブランド「Maison de FLEUR Petite Robe canone」は同日、Twitterを通じて「最終楽章 theme 2022 Autumn~ noix ~Last Collection」として10月1日深夜0時から販売開始を告知。《こちらのコレクションが最後の販売です!》と呼びかけた。沙也加さんの訃報から9カ月が過ぎた。9月22日には約10カ月止まっていたSNSが更新され、同ブランドのアーカイブ展の告知がされたばかり。そんななか10月1日を迎えたが、ファンにとって大切な日。沙也加さんの誕生日なのだ。沙也加さんが生前、最後にInstagramを更新したのは昨年11月18日。舞台『マイ・フェア・レディ』での衣装を着た写真を添えて、《いちばん好きなお衣装のイライザ!今年も袖を通せて嬉しいです^ ^》と綴っていた。誕生日を迎える前日30日22時までのコメント数は4305件。だが、深夜12時を回ると、コメントが続々と書き込まれ、沙也加さんの誕生日を祝い、感謝を告げるメッセージが続々と寄せられている。《お誕生日おめでとう笑顔と歌声ずっと好き》《さやちゃん、お誕生日おめでとうございますさやちゃんは私達の心の中でずっと生き続けてる》《沙也加ちゃん、お誕生日おめでとうあなたがこの世に生まれた日をずっと忘れません…。生まれてきてくれて本当にありがとう》また、Twitterでは生前最後の投稿は、沙也加さん自らアパレルブランドを紹介する動画をリツートしたもの。現在までに再生回数は252.4万回以上にも達している。「コロナ禍もあって、沙也加さんの所属事務所はお別れ会を見送りました。代わりに、ウェブ上で追悼メッセージを送ることができる専用ページが設けられました。ファンからは相当数のメッセージが届いており、母である松田聖子さん(60)も定期的に目を通しているといいます。それでも沙也加さんの死後、InstagramやTwitterのコメント欄に思いをつづるファンは後を絶ちません。沙也加さんが発信していたSNSや動画について、所属事務所も《可能な限り現状のままの運用を続けて参ります》としています。多くのファンにとって、これからも沙也加さんと繋がることができる場として大切にされることでしょう」(音楽関係者)沙也加さんの輝きは色褪せることなく、これからも人々から愛され続けるだろう。
2022年10月01日神田沙也加のボカロカバーシリーズ最終作『MUSICALOID #38 Curtain Call!』と、オリジナル楽曲やミュージカルのカバー曲で構成されたベスト盤『LIBERTY ~memorial~』が、12月14日(水) にリリースされることが決定した。『MUSICALOID #38 Curtain Call!』は、“神田沙也加がボカロキャラになったら”をテーマにセルフプロデュースしたシリーズ企画。今作は「最後のタイトルにはカーテンコールという言葉を入れたい」という生前の意向をもとに、最終作に対する彼女の生前の思いを受け止めた追悼盤となっている。未発表曲の「アスノヨゾラ哨戒班」に、ファンリクエスト投票により決定する13曲を加えた全14曲を収録予定。特典として付属するDVDには、新規に制作されるイラストによるミュージックビデオのほか、未公開のメイキング含め2021年6月に行われた配信ライブ『MUSICALOID #38 Act.3 発売記念オンラインライブ〜彼方と此方と其方〜』のメイキング映像が収められる。併せて、公式サイトとタイトル発売決定をアナウンスする速報動画が公開。ファンによるリクエスト投票は神田沙也加の誕生日である10月1日(土) より開始することも発表された。『LIBERTY ~memorial~』は、2011年にリリースされたデビュー10周年記念アルバム『LIBERTY』の収録楽曲の中から、本人作詞による書き下ろしのJ-POP楽曲、英語詞にも挑戦したミュージカルのカバー楽曲などのソロ歌唱楽曲7曲に加え、2002年のデビュー曲「ever since」を含むSAYAKA名義のシングル4曲の全11曲で構成。さらに、DVDにはリード曲「流星」のMVが収録され、ミュージカルを中心に歌手や声優などあらゆるジャンルで活躍した神田沙也加のすべての魅力をコンパイルした、彼女のキャリアを振り返る思い出の作品となる。『MUSICALOID#38 Curtain Call!』速報動画■アンケートページリンク:※10月1日(土) より開始■『MUSICALOID #38 Curtain Call!』公式サイト:<リリース情報>『MUSICALOID #38 Curtain Call!』2022年12月14日(水) リリース【CD+DVD】3,838円(税込)『MUSICALOID #38 Curtain Call!』ジャケット【DVD収録】「地球最後の告白を(Cover)」ミュージックビデオ『MUSICALOID #38』シリーズ 未公開映像含むメイキング『MUSICALOID #38 Act.3 発売記念オンラインライブ〜彼方と此方と其方〜』2021.6.12 メイキング※順不同、収録内容は変更になる場合がございます。【店舗別オリジナル特典】■amazon.co.jpオリジナル衣装キーチャーム 3種類ランダム■楽天ブックスジャケットミニキャンバス■タワーレコードオリジナル缶バッジ■アニメイト・HMV・その他応援店オリジナルスマホサイズステッカー 3種類ランダム■PONYCANYON SHOPPING CLUB(国内)/ Pony Canyon Shop(海外)共通MUSICALOID #38 キーホルダー購入リンク:『LIBERTY ~memorial~』2022年12月14日(水) リリース【CD+DVD】3,300円(税込)『LIBERTY ~memorial~』ジャケット【CD収録】01. 流星02. 上弦の月03. PART OF YOUR WORLD ~from “THE LITTLE MERMAID”~04. LIBERTY05. Remember rain06. 水色07. 眠れる森08. Someday ~from “THE WEDDING SINGER”~09. Amazing Grace10. garden11. ever since【DVD収録】1. 流星Music Video関連リンク神田沙也加 配信サイト公式HP公式Twitter公式Instagram公式YouTube
2022年09月30日人間国宝である講談師・神田松鯉の弟子、神田松麻呂が二ツ目に昇進。それを記念した『神田松麻呂 二ツ目昇進記念講談会』が、11月15日に渋谷区文化総合センター大和田 6階 伝承ホールで行われることが発表された。つかこうへいにあこがれ俳優を目指し、パルコ劇場のスタッフ経験もあるという異色の経歴をもつ神田松麻呂。2018年に講談師・神田松鯉に入門し、4年間の前座修行を終え、今年8月19日に日本講談協会の二ツ目に昇進。そして9月21日に落語芸術協会の二ツ目に昇進した。講談会には師匠の神田松鯉をはじめ、神田阿久鯉、神田伯山といった講談師が出演。チケットは10月15日10時より一般発売がスタートする。■神田松麻呂 コメント神田松麻呂で御座います。この度、二ツ目に昇進をさせて頂きました。これも全て多くの方々に、支えて頂きましたおかげで御座います。ありがとうございます。二ツ目に昇進を致しまして、「神田松麻呂 二ツ目昇進記念講談会」を開催させて頂く運びとなりました。ここからが「講談師・神田松麻呂」として、本当のスタートで御座います。「戦い」の始まりです。その第一歩がしっかりと踏み出せる様、獅子奮迅の如く務めさせて頂きます。是非、お越し頂けましたら幸いです。「講談師 神田松麻呂」が、どの様に成長して行くか。又、どの様に失敗をするか。それら全てを、「ドキュメンタリー」として、末永く見続けて頂けましたら幸いです。何卒、宜しくお願い申し上げます。<公演情報>神田松麻呂 二ツ目昇進記念講談会11月15日(火) 渋谷区文化総合センター大和田 6階 伝承ホール開場17:45 / 開演18:30【出演】神田松鯉神田阿久鯉神田伯山神田松麻呂【チケット料金】料金3,000円(椅子席、桟敷席 全席指定・税込)※未就学児入場不可一般発売日:10月15日(土) 10:00【お問い合わせ】神田松麻呂infomatsumaro.k@gmail.com(mailto:matsumaro.k@gmail.com)
2022年09月22日モデルでタレントの神田うのさん(47)はかねてよりお付き合いしていたパチンコチェーン店や不動産会社を経営する西村拓郎さんと2007年に結婚。「趣味は結婚式」と公言しており過去7回結婚式を挙げ話題に。先日、豪華芸能人との写真を公開したところ反響を呼んでいるようです。早速チェックしてみましょう!小柳ルミ子さんの古希のバースデーライブへ この投稿をInstagramで見る Uno Kanda(@unokandaofficial)がシェアした投稿 「大好きなルミ子さん♡の古希のBirthday LIVEに伺って参りました」と、自身のインスタグラムに報告したうのさん。1枚目には小柳ルミ子さん、デヴィ夫人との豪華ショットが!大物オーラ漂う写真に思わず手を止めた方も多かったのでは。4枚目、5枚目には黒木瞳さんとのツーショット写真もあり、交友関係の広いうのさんならではの豪華ショットにフォロワーからたくさんのいいねが押されていました。美しく輝き続ける神田うのさん。華やかな交友関係やファッションなど見どころ満載なインスタグラム。次はどんな新しい投稿で楽しませてくれるのか楽しみですね!あわせて読みたい🌈“リアル峰不二子”渋谷ゆりさんのダイナマイト級ボディに114万のフォロワーが悶絶!
2022年08月10日食べ歩きグルメイベント「神田カレー街食べ歩きスタンプラリー2022」が、2022年8月1日(月)から12月15日(木)まで東京・神田界隈のカレー店にて開催されます。“日本最大級”カレーの街・神田でカレーの食べ歩き「神田カレー街食べ歩きスタンプラリー」は、第9回目を迎える人気の食べ歩きグルメイベントです。“日本最大級”といわれるカレーの街・神田を舞台に、インド料理店、欧風カレー店、喫茶店などが参加し、各店自慢のカレーが振舞われます。過去最大125店舗が参加2022年は過去最大の125店舗が参加。欧風カレー ボンディや麻布十番モンタボー、インドレストラン マンダラ、キッチンカロリーなど、神田周辺エリアの人気店がラインナップ。参加希望者は、2022年7月下旬より順次無料配布される「神田カレー街公式ガイドブック 2022」を片手に参加店でカレーを食べ歩き。ガイドブック付属のスタンプシートまたはスマホ版スタンプラリーでスタンプを集める。5つのコースに分かれており、1コース以上制覇すると、コース数に応じたグレードの神田カレーマイスター賞をプレゼント。2022年は、千代田区観光協会観光大使であるリラックマとのコラボレーションのもと、特製リラックマデザインの「神田カレーマイスターカード」もプレゼント対象です。【詳細】神田カレー街食べ歩きスタンプラリー2022(Kanda Curry Grand Prix 2022)開催期間:2022年8月1日(月)~12月15日(木)場所:神田界隈のカレー店125店舗詳細URL::
2022年08月05日食べ歩きグルメイベント「神田カレー街食べ歩きスタンプラリー2022」が、2022年8月1日(月)から12月15日(木)まで東京・神田界隈のカレー店にて開催される。“日本最大級”カレーの街・神田でカレーの食べ歩き「神田カレー街食べ歩きスタンプラリー」は、第9回目を迎える人気の食べ歩きグルメイベントだ。“日本最大級”といわれるカレーの街・神田を舞台に、インド料理店、欧風カレー店、喫茶店などが参加し、各店自慢のカレーを振舞う。過去最大125店舗が参加2022年は過去最大の125店舗が参加。欧風カレー ボンディや麻布十番モンタボー、インドレストラン マンダラ、キッチンカロリーなど、神田周辺エリアの人気店がラインナップする。参加希望者は、2022年7月下旬より順次無料配布される「神田カレー街公式ガイドブック 2022」を片手に参加店でカレーを食べ歩き。ガイドブック付属のスタンプシートまたはスマホ版スタンプラリーでスタンプを集める。5つのコースに分かれており、1コース以上制覇すると、コース数に応じたグレードの神田カレーマイスター賞をプレゼント。2022年は、千代田区観光協会観光大使であるリラックマとのコラボレーションのもと、特製リラックマデザインの「神田カレーマイスターカード」もプレゼント対象となる。【詳細】神田カレー街食べ歩きスタンプラリー2022(Kanda Curry Grand Prix 2022)開催期間:2022年8月1日(月)~12月15日(木)場所:神田界隈のカレー店125店舗詳細URL::
2022年08月01日歌舞伎座「十月大歌舞伎」において、講談師で人間国宝の神田松鯉の名作口演『荒川十太夫』をもとにした新作歌舞伎が、尾上松緑の主演により上演されることが決定した。寄席や講談会に通うなど講談好きとして知られる松緑は、出番前の楽屋で神田伯山の講談を聴いて気持ちを盛り上げているとのことで、松緑と伯山は互いの芝居や講談に通うなどその交流でも知られている。講談『荒川十太夫』は、講談の中でも赤穂義士の活躍を描いた「赤穂義士伝」のひとつで、四十七士に関わる人物に焦点を当てた外伝物として松鯉が得意とする講談の人気作。高田馬場の決闘で有名な赤穂義士のひとり、堀部安兵衛の切腹の際に介錯をつとめた下級武士、荒川十太夫の苦悩と覚悟を描いた講談の名作が、このたび新作歌舞伎となって上演される運びとなった。演出は2008年に松緑が出演した現代劇『ハリジャン』の作・演出をつとめた劇団「InnocentSphere」主宰、脚本家・演出家の西森英行、脚本は歌舞伎の狂言作者である竹柴潤一が担当する。また本作の上演を記念して、松鯉と伯山による特撰講談会が9月28日に歌舞伎座で開催されることが発表された。演目は「赤穂義士伝」「赤穂義士外伝」より一題ずつ、伯山による『安兵衛駆け付け~婿入り』と松鯉による『荒川十太夫』。さらにこの二題の間には、松鯉と伯山の2人に特別ゲストの松緑を招いての「特別鼎談」が予定されている。なお同日は松鯉80歳の誕生日でもあり、「神田松鯉傘寿を祝って」と題された特別な会となる。■尾上松緑 コメント十月の歌舞伎座、十月大歌舞伎に於いて講談の名作「赤穂義士外伝・荒川十太夫」を上演させて頂ける運びと相成りました普段より公私共に御世話になっている神田松鯉先生、神田伯山先生も「講談は宝の山だ」と仰っしゃっている通り、講談には歌舞伎として上演してもお客様の心に響く作品が沢山御座居ます講談を好む私は以前から、そう云った作品を是非、上演したいと願っておりましたが、今回、松鯉、伯山両先生の御快諾と、松竹株式会社の御賛同を頂き「荒川十太夫」を歌舞伎座で掛ける機会を得られました事、心から嬉しく思っていますまた、演出には私の長年の盟友でもある西森英行さんが初めて歌舞伎の演出に力を貸して下さる事も感謝しています私の気持ちの中では講談と歌舞伎も親戚関係に近いと考えております今回に限らず、今後も講談の名作を歌舞伎に移植して上演出来ればとも願っています先ずは十月の「赤穂義士外伝・荒川十太夫」、我々も一丸となってお客様の心に残り、再演を希望される作品になる様に全力を尽くしますので、応援を宜しくお願い致します■神田松鯉 コメント現伯山の発案で歌舞伎座での親子会が実現する事になった。昭和四十二年から四十三年にかけて、ごく短期間だが二代目中村歌門先生の弟子だった私にとっては懐かしい場所である。親子会は九月二十八日で昼夜公演。なんと、その日は私の満八十才の誕生日。関係者の粋な計らいに胸が熱くなった。当日の私の読み物は、相手を思い遣る優しさが胸を打つ赤穂義士外伝「荒川十太夫」。更に嬉しいのは、その「荒川十太夫」が当代尾上松緑丈の主役で歌舞伎化され、十月の歌舞伎座で公演される事になった。自分が古い速記本の中から発掘して持ちネタにした読み物だけに嬉しい。松緑丈は九月二十八日の親子会にもゲスト出演して下さる。感謝するのみである。■神田伯山 コメント「講談の公演を歌舞伎座でしたい」というのは、二ツ目時代から願っていたことなので光栄で嬉しいです。しかも師匠松鯉との親子会。さらには公演日の9月28日は、師匠の誕生日で80歳の傘寿です。師匠にとっても私にとっても、記念すべき講談会になりそうです。また、私が敬愛する松緑さんを交えての鼎談まであります。10月には講談の台本をもとにした「荒川十太夫」を松緑さんが歌舞伎化されます。歌舞伎の方も非常に楽しみです。昔はあらゆる日本文化のジャンルが切磋琢磨して影響し、各々の伝統を繋いできました。このコロナ禍において、各々の伝統芸能はさらに連帯を強めているような気がします。「こちらのジャンルは大変ですが、そちらはどうですか」というような。「辛い時期にあるからこそ、お客様により喜んで頂きたい」多くのエンターテイメントの願いです。私は学生時代、そしてこの2年ほど集中的に歌舞伎座に行き、改めて芝居の面白さを噛み締めています。松緑さんはじめ、多くの役者さんやスタッフの方々の奮闘に、胸をうたれます。色々な方が繋いできたお陰で、今日がある大事な歌舞伎座。1日だけ松鯉・伯山親子会でお付き合い頂ければ幸いです。<公演情報>歌舞伎座「十月大歌舞伎」公演日程:2022年10月会 場:歌舞伎座演目:『荒川十太夫』ほか一般前売:9月14日(水) 10:00~十月大歌舞伎 荒川十太夫上演記念『神田松鯉・神田伯山 歌舞伎座特撰講談会 ~神田松鯉傘寿を祝って』公演日程:2022年9月28日(水) 昼の部14時開演 / 夜の部18時開演会場:歌舞伎座(東京都中央区銀座4-12-15)演題一、開口一番一、赤穂義士伝より 安兵衛駆け付け~婿入り 神田伯山一、特別鼎談 神田松鯉 神田伯山 特別ゲスト 尾上松緑一、赤穂義士外伝より 荒川十太夫 神田松鯉歌舞伎座公式サイト:
2022年07月28日「聖子ちゃんの“変顔”が見られるなんてね。少しずつ沙也加さんの死を乗り越えられているのかなって感じました。還暦を過ぎてもまだまだ楽しませてくれて、感謝しかありません」(聖子のファン)愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失って半年。全国ツアーに邁進する松田聖子(60)は武道館公演を迎える。大阪公演では歌詞を間違えてしまったが、とっさにおどけた顔を見せて、観客を和ませるシーンも見られた。沙也加さんのデビュー曲『ever since』を歌い、「娘は天国に旅立ちましたが、私の心の中にずっと生き続けています」と語った聖子。自宅のリビングには、白いユリが大量に生けられているという。聖子の知人が語る。「こだわりがあるのかと聞いたところ『さやは《Lily(リリィ)》の名で活動していたこともあるでしょ。それに、あの子の結婚式のブーケも白いユリだった。だからさやのことを思い出すように飾っているの』と話していました」《リリィ》とはユリの意。やはり、沙也加への思いを込めていたのだ。また、聖子の長年の仕事関係者は、今回の公演で見せる彼女の“表情の変化”をこう語る。「これまでの聖子さんにはすごみと張り詰めた怖さがあったんですが、今回のツアーではいい意味でそれがなくなって、優しさを感じられることが多くなったんです。身近な人たちをいちばんに思う気持ちを再認識しているのでしょう」そんな思いを同じように抱いているであろう聖子の母、蒲池一子さん(89)の姿も、やはりツアー会場にあった。一子さんは’80年に聖子が芸能界にデビューすると、愛娘を支えるために福岡県から上京。2人で夢を追いかける姿は“一卵性母娘”とも呼ばれた。しかし、その関係も’12年に断絶してしまう。「聖子さんは一般男性と再婚する際に、“愛人”とも報じられた男性マネージャーとの関係を清算せず、そのまま雇用し続けました。そのことを一子さんに咎められてから、母娘の関係は冷えていったといわれています」(芸能関係者)また聖子は、沙也加さんとも交際相手を巡って仲違いするなど、たびたび確執が報じられた。加えて一子さんと沙也加さんもまた、’17年に関係が悪化してしまう。「沙也加さんと俳優の村田充さん(44)の結婚に、聖子さんだけでなく一子さんも反対していたんです。そのため祖母と孫の間にも亀裂が生じてしまいました……」(前出・芸能関係者)一時は3世代が完全に断絶したとも伝えられた家族。しかし、’18年8月に本誌が取材した際、一子さんは報道を一笑に付した。「娘は私のことをいつも心配して『そばにいないと何があるかわからないから、一人でいたらダメ!』って言ってくれて。だから全然、(母娘の仲は)大丈夫なんですよ」年月を経ることで聖子と一子さんの母娘関係は徐々に修復。4年前から同居も再開した。一方の沙也加さんは突然この世を去ってしまった。しかし、実は彼女が生前、祖母のことを思い、ある行動に出ていたとわかった。芸能プロダクション関係者が語る。■「もっとテレビでも活躍してCMを増やしたい」「沙也加さんは亡くなる少し前に、大手事務所と業務提携していたんです。その理由は、『舞台だけでなく、もっとテレビでも活躍してCMを増やしたい』というものでした。一子さんが年齢的に体調不安を抱えていることもあり、自分が活動の場を広げて収入を増やすことで、“おばあちゃんに楽をさせたい”という強い気持ちがあったんだと思います」沙也加さんもまた、祖母との関係修復を望んでいたのだ。その伝えられなかった思いを受け止め、聖子と一子さんは前を向き、日々を過ごす。前出の聖子の知人が、ある日の秘話を明かしてくれた。「先日、聖子さんのスタッフのひとりが、ご自宅に化粧品などを届けに行ったときのことだそうです。アイスコーヒーを持った一子さんが対応してくださったのですが、『この間ね、私が『青い山脈』を歌っていたら、法子(聖子の本名)が来て“お母さんは奈良光枝さんのパートを担当して。私は藤山一郎さんのパート”って言って、一緒に歌ってくれたんですよ』と、うれしそうに話してくれたそうです。その後、聖子さんが『何の話?楽しそうね』と言って現れたとか」ファンにとっては何ともほほ笑ましい奇跡の合唱!デビュー当時の聖子をよく知るカメラマンのYAHIMONときはるさんに聞くと、’49年発表の『青い山脈』は一子さんの青春ソングだという。「聖子さんの幼少期に一子さんがよく歌っていて、聖子さんも記憶していたと聞いています。萩本欽一さん(81)司会の歌番組『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ系)に聖子さん一家は何度も出演しましたが、そのとき一子さんは、本当は『青い山脈』を歌いたかったそうです。しかし生前のお父さまがその曲をよく知らなかったため、『東京ナイトクラブ』にしたこともありました。聖子さんは当時のことを覚えていて一子さんを気遣って歌ったのでしょう」思い出の“蒲池家の歌”は、いまや沙也加さんへの鎮魂歌ともなったのだった。
2022年07月12日《活動を休止しておりました前山剛久ですが、本人からの申し出を受け、6月30日をもちまして、株式会社ワタナベエンターテインメントを退社することになりました》6月30日、所属事務所の公式サイトを通じて、俳優の前山剛久(31)が事務所の退社を発表。さらに芸能界を引退することがわかった。前山は心身の不調のため活動休止中だった。昨年12月18日に亡くなった神田沙也加さん(享年35)と交際していた前山。同月22日には次のように追悼文を発表していた。《私、前山剛久は神田沙也加さんと真剣なお付き合いをしており、将来を見据えたお話もさせていただいておりました》《神田沙也加さんが天国でも、あの素敵な笑顔のままいてくれる事を願い、心よりご冥福をお祈りいたします》しかしその直後、沙也加さんと前山のトラブルが報じられた。「前山さんと沙也加さんがマンションの契約をめぐって口論になった際、前山さんは沙也加さんに向かって罵倒する発言を繰り返していたと『週刊文春』が報じました。何度も厳しい言葉で罵倒する前山さんに、沙也加さんは涙声で応じていたといいます」(芸能関係者)報道を受け、1月5日に前山は活動休止を発表。所属事務所は《昨年末より心身に不調をきたし現在も治療を続けておりますが、未だ仕事をすることが困難な状況にある》と説明していた。しかし、“罵声報道”に対して説明をしないまま、引退を選んだ前山。SNS上では、そんな前山に疑問の声があがっている。《引退ね…結局、何の説明も無く濁したまま逃げたという印象しかない》《前山引退の前にせめて自分の口から説明しろよ》《あんだけ騒ぎになってたんだからせめて事実かどうかだけでもちゃんとハッキリして説明して欲しかったわ前山さん》このように前山への不信感を募らせる人もいるいっぽうで、過度な批判に疑問を唱える声も。《前山さんに誹謗中傷することは精神的に攻撃してるのと同じだと思うし、何が真実か、二人の間でしか分からない事もある。何が本当で何が嘘かも分からない中誰かを叩いたり、関係の無い第三者が責めるのは違うと思う》《前山さんのやった事、本当ならヤバすぎるのは当然なんだけど、わからない状態で正義ヅラして執拗に誹謗中傷してた奴らもやってることは同罪なんだけどな。なんでその人達って自分のやった事は棚上げなの?》《どうでもいいとは思わないけど、何をしても言っても沙也加は帰ってこない》
2022年07月01日「全国ツアーが6月11日からスタートする聖子さんですが『これからは沙也加と一緒に歌っていきたい』とファンクラブの会報誌でも明かしています」(音楽関係者)昨年12月に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失った松田聖子(60)。あれからまもなく半年となる今、本格的な歌手活動を再出発させる。ツアーに先がけて4月に行われたディナーショーでも、聖子は冒頭のMCで「私は沙也加の歌声が大好きでした」「今も沙也加の歌声は私の心の中に響いています」と声を震わせながら語っていた。2カ月半にわたって5都市8公演が催されるツアーだが、急逝した娘とともに歩んでいきたいという思いからか、自宅でも沙也加さんをしのぶ時間は大切にしている。「聖子さんの自宅の沙也加さんが使っていた部屋には、彼女の愛用品がたくさん残っているそうです。そこは現在、聖子さんがメークをするときなどのスペースとしても使っていると聞きます」と話すのは聖子の知人だ。本誌は、沙也加さんが生前に愛用していたシルバーのハンドミラーを“形見”として使っていると報じたが、それだけではないようだ。「沙也加さんといえばミュージカル女優としても活躍しましたが、駆け出しのころに出演した『レ・ミゼラブル』(’09年上演)の舞台は、聖子さんにとって特に娘を誇りに思える作品でした。その劇場の楽屋で沙也加さんが使っていた暖簾を、聖子さんは“沙也加ルーム”の扉にかけているそうです」(前出・知人)沙也加さんにとっても『レ・ミゼラブル』への出演は人生の転機と言えるほど大きな出来事だった。当時のブログには、物語の主人公ジャン・バルジャンの養女コゼット役を射止めた喜びが綴られている。《昔から、レ・ミゼラブルに出演するのは私の夢でした。今回、念願叶ってコゼット役、そしてまたジョン・ケアードさんの演出を受けられるかと思うと、胸がいっぱいになり、喜びで心臓が飛び出しそうです。(笑)》(’08年8月)そんな娘が初めて帝国劇場の舞台を踏んだ’09年10月6日、聖子は元夫の神田正輝(71)とともに来場。カーテンコールの際には聖子が涙を流して拍手を送る姿が報じられている。この“夢の舞台”『レ・ミゼラブル』の劇中で、沙也加さんが歌っていた曲の一つが『プリュメ街』。コゼット役のオーディションの課題曲として使われるほど難しいことで知られているが、この曲を沙也加さんは見事に歌い上げ、観客に感動を与えた。「聖子さんは、『レ・ミゼラブル』上演中に沙也加さんが録音していた『プリュメ街』の“生の音源”を、今も自宅で聴いているそうです」(前出・知人)別の音楽関係者が言う。「このころの2人は、沙也加さんの稽古の合間に一緒に買い物に行き、大好きな『ジルスチュアート』のトップスやコートなどをおそろいで選んだりしていました。聖子さんはそんな思い出が詰まった曲を聴きながら、ツアーへの士気を高めているのでしょう」『プリュメ街』には、“私の人生、もうこれから独りぼっちじゃないの”といった一節がある。その言葉のとおり、母の全国ツアーを天国の沙也加さんも見守っていることだろう。
2022年06月07日4月から5月にかけて、東京と大阪でディナーショーを開いた松田聖子(60)。昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を亡くして以来、歌手活動をようやく再開した。年末には、毎年恒例のディナーショーを予定しており、また昨年は辞退することとなった『NHK紅白歌合戦』への出場も目指しているという聖子。本誌が入手した彼女の“涙の肉声”には、歌にとどまらない仕事への決意がにじんでいたーー。「周囲に、『休んでいるほうがつらい。もう立ち止まらないし、映画監督もまたやる』と話しています」(前出・芸能関係者)聖子は昨年10〜11月に開催された第34回東京国際映画祭にて、『フォークロア2:あの風が吹いた日』で映画監督デビューを果たした。作品のジャンルがホラーだったこともあり話題を呼んだ。「公開後の評価も良好で、製作サイドの意向と本人のやる気もあって、もともと“松田聖子監督”の2作目の作品は予定されていました。ただ、そんななかで沙也加さんが亡くなってしまいました。それまでは、前作と同じホラー作品を考えていたそうですが、いまでは家族愛をテーマにした構想もあると聞きました。早ければ全国ツアーが終わったあと、10月ごろから映画製作にも着手するのではないでしょうか」(映画関係者)聖子が再びメガホンを取る決意を固めたのは、やはり沙也加さんの存在が大きいようだ。「あまり知られてはいませんが、沙也加さんはSF映画が好きで、その影響で聖子さんも一時期、『スター・ウォーズ』シリーズのグッズを集めていたことがありました。映画は、母娘の絆のひとつでもあるとも言えます。だからこそ聖子さんは、再び監督として映画と向き合おうとしているのだと思います」(前出・知人)沙也加さんに見守られて、“永遠のアイドル”は一歩ずつ前へと進むーー。
2022年05月18日「チケットは発売と同時に即完売。落ち込んだ様子を見せることなく歌い上げた聖子さんに多くのファンが涙を流していました。聖子さんはMCで沙也加さんのことについて『今でも信じられない』と語りながらも『私は沙也加の歌声が大好きでした』と話す表情はとても穏やかでした」こう語るのは、4月9日に都内で行われたディナーショーの会場にいた長年の聖子ファン。松田聖子(60)が約4カ月ぶりにステージに戻ってきた。愛娘・神田沙也加さん(享年35)が昨年12月18日に急逝して以来、音楽活動から遠ざかっていた聖子だが、3月7日に歌手活動再開を発表。昨年末に中止したディナーショーの振替え公演を4月と5月に行い、6月からは5会場を回る全国ツアーも予定している。歌手復帰に際して、聖子は新たな決意を述べていた。「聖子さんは活動再開発表と同じタイミングに送付したファンクラブの会報誌で、沙也加さんへの思いを綴っています。そこでは、沙也加さんを失った行き場のない悲しみを吐露しつつも、“沙也加は心の中で永遠に生き続ける”と思い直し、再びステージに立つ覚悟を決めたことが書かれていました」(前出のファン)そうして迎えた復帰初舞台のディナーショー。聖子は入念な準備をして、臨んでいたという。「活動再開が決まってから聖子さんは気持ちを切り替え、ボイストレーニングなどを再開し、急ピッチで準備を進めていたといいます。ファンに少しでも楽しんでもらうため、ディナーショー直前には連日、ショーのスタッフを自宅に招き、綿密な打ち合わせを重ねていたそうです」(音楽関係者)本誌もディナーショーを成功させるべく奔走する聖子の姿を目撃している。本番数日前の4月上旬。聖子は自宅からほど近い都内の撮影スタジオAを訪れていた。「60年以上の歴史を持つ老舗スタジオです。スチールから動画まで幅広く対応しており、多くのアーティストから重宝されています。聖子さんもサンミュージックから独立した’89年ごろから現在まで愛用しており、神田正輝さん(71)との離婚発表会見もここで行っていました」(音楽関係者)このスタジオA、聖子にとってただの撮影場所ではない。沙也加さんとの“思い出”が詰まった大切な場所なのだ。長年、聖子を撮影してきたカメラマンのYAHIMONときはる氏は語る。「私がスタジオAで聖子さんと沙也加さんを見たのは、沙也加さんがSAYAKA名義で歌手デビューした’02年ごろでした。芸能界に入ったばかりの沙也加さんが、大先輩でもある聖子さんの仕事ぶりを見学しにきていたのだと思います。印象的だったのは、沙也加さんがスタジオで少しはしゃいだときに、聖子さんが“遊びじゃないんだから!”と注意したんです。その後、すぐ聖子さんは衣装を着て歌の撮影に入ったのですが、その様子を見た沙也加さんは小さな声で“カッコいい……”と漏らしていました。母として怒った後に“歌手”になった聖子さんを見て思わず口に出たのでしょう」その後もスタジオAでたびたび聖子と沙也加さんの姿を見たというYAHIMON氏。驚くことに、2人の間にですきま風が報じられていたときも、スタジオAで“秘密の交流”が続いていたという。「沙也加さんが結婚式を控えていた’17年5月初旬の話ですが、聖子さんがスタジオAでコンサートの準備をしていたところに、沙也加さんがフラッとやってきたのです。どうやら沙也加さんはお菓子の差し入れを持ってきていたようで、聖子さんは“うれしい!”と感激した様子でした。不仲がささやかれていた時期なので、2人の周囲から離れるスタッフもいましたが、聖子さんと沙也加さんは気にせず話していました」母娘の“思い出”がつまったスタジオをディナーショーの本番直前に訪れ、歌手として再始動した聖子。沙也加さんとの“約束”を果たすべく、前を向いているようだ。「6月からのツアーでは、沙也加さんとの思い出の楽曲を歌う予定でいるといいます。’11年末のカウントダウンライブで沙也加さんとデュエットした『瑠璃色の地球』や沙也加さんが13歳のときに作詞した『恋はいつでも95点』などが候補に入っているようです」(前出・音楽関係者)愛娘との思い出を胸に、聖子はふたたびステージに立つ――。
2022年04月12日松田聖子(60)が4月9日、ディナーショーで復活を果たした。昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35歳)を亡くした聖子。『日刊スポーツ』によると「これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌って参ります」と涙ながらに宣言し、’11年の『NHK紅白歌合戦』で沙也加さんとデュエットした『上を向いて歩こう』を熱唱したという。本誌は“歌手・松田聖子”が復活するまでの姿を目撃してきた。今年1月下旬、沙也加さんの四十九日を目前に控えた聖子は完全予約制の美容院に訪れていた。「沙也加さんが亡くなってから、聖子さんはふさぎがちになっていました。自宅から出ることはほとんどなく、沙也加さんの遺骨を眺めてばかりいたそうです。しばらく自分の身なりを気にする余裕もなかった聖子さんにとって、一つの“節目”を前に髪を切ることは大事な意味があったでしょう」(知人)1月30日には、沙也加さんの四十九日法要が営まれた。実母である一子さんや夫のK氏とともにワゴンから姿を現した聖子。うつむきながらも、落ち着いた足取りで寺へと向かっていった。「実はこのお寺、Kさん一族の菩提寺なんです。聖子さん一族の眠る福岡のお墓で法要を行うこともできたはずですが、新型コロナの感染が拡大するなか、親族一同で遠出するのはリスクが高い。聖子さんは『1人でも多くの親族に来てほしい』と考えていたため、最善の選択肢としてこのお寺を選んだのでしょう」(前出・知人)そして3月上旬、聖子は“思い出の地”を訪れていた。それは、老舗のデパートだ。「このデパートは聖子さんの自宅から近いこともあり、数十年にわたって贔屓にしているところ。コンサートのMCで『買い物するなら絶対ここ!』と公言するほどです。 そして沙也加さんが幼いころから、このデパートに2人でたびたび足を運んでいたと聞いています」(音楽関係者)沙也加さんとの縁も深いデパートで、しっかりとした足取りを見せていた聖子。活動再開を発表したのはその直後、3月7日のことだった。「ファンクラブの会報で聖子さんは『“もう前に進めない”と思ったこともあった。でも、沙也加との思い出を振り返るうちに、“悲しんでいるだけではいけない”と思うようになった』と明かしていました。前向きな決意をしたことで、ようやく今回のディナーショーは開催されたのです」(前出・音楽関係者)再び歌い始めた聖子。その美声を、沙也加さんも喜んでいるはずだ。
2022年04月11日2022年4月9日、歌手の松田聖子さんが、東京都内のホテルで、ディナーショーを開催しました。2021年12月18日に、娘であり、俳優や歌手として活躍していた神田沙也加さんが、35歳という若さで急逝。松田さんは、同月31日の歌番組『紅白歌合戦』(NHK)の出演を辞退し、自身の公演を中止するなど、活動休止状態が続いていました。約4か月ぶりの活動となる、ディナーショーの冒頭で、松田さんは沙也加さんについて、このように想いを語っています。ステージ序盤、「私の娘は天国に旅立ちました。突然のことで現実を受け止められず…今でも信じられない気持ちです」と報告。「沙也加は小さな頃から歌が大好きでした。おもちゃのマイクを持ち、私の『Rock’nRouge』を歌っていました。それが昨日のようです」と振り返った。サンケイスポーツーより引用その後、「私は沙也加の歌声が大好きでした。今も彼女の歌声は私の中に響いています」と、涙をこらえながら天井を見上げた、松田さん。続けて、「これからも皆さんの温かい応援を胸に、感謝の気持ちを忘れずに、この先もずっと頑張って…沙也加と歌ってまいります」と語りました。松田さんの言葉に、ファンからは約30秒間の温かい拍手が送られています。松田さんの活動復帰について、さまざまな声が上がりました。・心の傷は、ずっと癒えることはないのだろうと思います。それでも『松田聖子』として立ち上がる姿に涙が出ました。・深い悲しみの中、中止していたディナーショーから再開するところが、さすがプロだと思いました。ずっと応援しています。・親として、我が子を失うことほど、つらいものはない。心が壊れてしまわないよう、無理はしないでほしい。・まずは1歩を踏み出すことができたのですね。本当にすごいと思います。悲しみは尽きないけれど、前を向こうとする姿を応援したい。今後、2022年5月に大阪府のホテルでディナーショーを、また、同年6月からは全8公演の全国ツアーに臨む、松田さん。癒えることのない深い悲しみを抱きながらも、再出発した松田さんを、多くの人が応援しています。[文・構成/grape編集部]
2022年04月11日ライブイベント「カラオケ戦隊声優ジャー~奇跡の大安!神田明神ご利益SP~」が、5月8日(日)に 神田明神ホールで開催されることが決定した。「カラオケ戦隊声優ジャー」は、2015年の日本テレビの夏イベント「超☆汐留パラダイス」で誕生した声優カラオケユニット。人気女子声優がカラオケを歌いまくるゲリライベントで、このたび神田明神でイベントを開催する。当日は、徳井青空、前田玲奈、青木志貴、芹澤優、相羽あいなが出演。内容の異なる二部制で「壱の陣:みんなでお祭り!楽しいんジャー」では観客から募ったリクエスト曲を歌う時間やゲーム、トークを予定。「弐の陣:ガチで歌って嬉しいんジャー」では出演者が自ら歌いたい歌が披露される。特典付きチケットは先行発売を開始しており、4月9日(土)からチケットの一般発売を開始する。コミックブシロードWEB Presntsカラオケ戦隊声優ジャー~奇跡の大安!神田明神ご利益SP~(昼の部)壱の陣:みんなでお祭り!楽しいんジャー(夜の部)弐の陣:ガチで歌って嬉しいんジャー(歌:8割)5月8日(日) 神田明神ホール(JR御茶ノ水駅徒歩5分)出演:徳井青空(赤)前田玲奈(青)青木志貴(黒)芹澤優(黄色)相羽あいな(緑)■チケット情報
2022年03月19日週に1回取り入れたい贅沢ケア2022年3月4日、神田うのは『「美容フェイシャルマスク」の先行ご予約がスタートです』というタイトルで自身のオフィシャルブログを更新。自身がブランド・ディレクターを務める『ポードビジューウノ』の『美容フェイシャルマスク』について、先行予約が3月4日から開始されたことを明らかにした。マスクには「バイオセルロース」を使い、驚異的な密着力と浸透力を実現。成長因子の「EGF」や「FGF」、シミを改善する効果が期待される「アルブチン」などの美容成分がたっぷり配合されている。鉱物油、パラベンアルコール、着色料、合成香料不使用。1パック(5枚入り)の通常価格は7,480円。定期購入の場合は20%で購入することができる。4月上旬から順次発送予定。先行予約はTOKYO COSMETICSのホームページにて受け付けている。年齢を重ねても美しい神田うの神田うのは1975年3月28日生まれ。神奈川県出身。クラシックバレエを得意とし、東京新聞バレエコンクールや東京全日本バレエコンクールに入賞した経験を持つ。オフィシャルブログのフォロワー数は144,000人以上。著書には『うの樫木やせ』などがある。(画像は神田うのオフィシャルブログより)【参考】※神田うのオフィシャルブログ※神田うのオフィシャルサイト※TOKYO COSMETICS
2022年03月13日神田沙也加さん(享年35)がこの世を去ってからまもなく3カ月。四十九日にあたる2月4日の翌日には、沙也加さんへ追悼メッセージを寄せることのできる専用ページが開設され、絶え間なくメッセージが届いているという。そんななか、母の松田聖子も悲しみの淵からふたたび歩き始めていた。休止していた音楽活動を再開するのだ。「聖子さんは3月7日に、4月と5月に中止していたディナーショーの振替公演、6月から全国アリーナツアーを行うことを発表しました。先日ファンクラブ会員向けに配布した会報誌では、『悲しんでいるだけではいけない』という新たな決意が書かれていたそうです。還暦を祝う周年イベントについても計画していると聞いています」(音楽関係者)3月10日に還暦を迎えた聖子。80年に歌手デビューを果たしてから、42年にわたって“生ける伝説”として芸能界に数々の革命を起こしてきた。しかし、意外にも“満場一致”のデビューではなかったようだ。聖子がデビューから約10年間にわたって所属した事務所「サンミュージック」の名誉顧問である福田時雄(91)は、本誌3月22日号でこう述懐している。「相澤秀禎社長(当時)をはじめ5人で歌を聴きました。80年には中山圭子というアイドルをデビューさせる予定でしたから、大多数の社員が反対した。ところが、音楽ディレクター(月野清人氏)だけは『いい声だから呼ぶだけ呼んでみましょう』と賛成っした。あの一言がなかったらウチに入ってないでしょうね」そんな試練を乗り越え80年4月に「裸足の季節」でデビューすると、またたく間にスターの仲間入りを果たし、3枚目のシングル「風は秋色」(80年10月発売)から26枚目のシングル「旅立ちはフリージア」(88年9月)まで24曲連続でオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得するという偉業も成し遂げた。デビュー同年に入れ替わるように引退した山口百恵が大人な路線を進んだのとは対象的に、「ぶりっ子」と言われることもあるほど可愛らしさを体現した聖子。“アイドルの原点に立ち返った”とも評されることのある聖子だが、同時にアイドル界に変革を起こしてきた。「聖子さんはデビュー前から憧れていた郷ひろみさん(66)と数年間交際しました、85年1月に突如会見で破局を発表。会見で『生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った』と泣きながら語った聖子さんの姿は、当時、多くの人々に衝撃を与えました。そして、破局報道の熱も冷めやらぬ同年2月に神田正輝さん(71)との交際が発覚。そのまま4月に婚約を発表し、6月に結婚式を行いました。挙式には数え切れないほどのマスコミが殺到するなど、全国民がその一挙手一投足に注目していました」(ベテラン芸能記者)本誌も新婚旅行で訪れたハワイで、ボートの上で神田と抱擁を交わす聖子の姿を目撃している。そして、聖子にとって無上の喜びとなったのが沙也加さんの誕生だ。神田と結婚した翌年の86年10月に沙也加さんが誕生すると、あまりの注目ぶりから病院で出産会見を開くという異例の事態に。当時は異例であったが、聖子は出産後もトップアイドルとしてヒットを飛ばし続け、「ママドル」という言葉を生むなど、日本の女性の生き方にも影響を与えた。89年に契約満了に伴い事務所を退所すると、聖子は活動の場を海外へ移すように。同時にこの頃から楽曲のセルフ・プロデュースも手掛けはじめ、96年の作詞作曲も務めたシングル『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』では久しぶりのオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得し、自身で新たな代表曲を作った。97年1月に神田と離婚し、6歳年下の歯科医師との再婚と離婚を経て、12年6月に医大の准教授と3度目の結婚をするなどプライベートでは数々の変化があった聖子。そんな聖子に大恩人との別れが。13年5月に“育ての親”であったサンミュージックの相澤秀禎さんが亡くなったのだ。89年の退所をめぐって絶縁が報じられるも、00年代にはふたたび親交を深めるなど固い絆で結ばれた2人。それ故、5月28日に行われた相澤さんの通夜に姿を見せた聖子はかつてないほど憔悴していた。そんな、聖子を支えていたのが、愛娘・沙也加さんだった。通夜に参列した沙也加さんは、聖子の手を繋いで隣に寄り添うなど、悲しみにくれる母を終始、気遣っている様子。相澤さんと対面し、涙を流す聖子の背中に沙也加さんがそっと手をそえる一幕もあった。恩人との別れを乗り越え、その後は新機軸となる全編ジャズで構成されたアルバムを発表するなど、精力的な活動を続け、20年にはついにデビュー40周年を迎えた。歩き始めた“最強アイドル”聖子の歌声は、待ち望んでいた人の心を明るく照らすことだろうーー。
2022年03月12日「コロナ禍もあって、松田聖子さん(59)は沙也加さんの所属事務所社長でもある実兄と相談し、お別れの会を行わないことを決めたといいます。その代わりにウェブ上で沙也加さんにメッセージを送ることができる専用ページを開設したのです。すでに相当数のメッセージが届いており、聖子さんも定期的に目を通しているといいます」(音楽関係者)神田沙也加さん(享年35)への思いを届ける専用ページが開設されてから1カ月。実はもう一つ沙也加さんへのメッセージが届いている場所がある。沙也加さんのインスタグラムだ。生前、最後の投稿となった昨年11月18日のものには、次のような言葉が並んでいる。《さやちゃん入試頑張ってくるね!!さやちゃんのお陰で辛いことも頑張れた》《忘れたことなんてないですこれからもずっと思い続けるね》《さやちゃんの笑顔で今を生かされてる気がしています。笑顔をありがとう》「沙也加さんの死後、インスタには思いをつづるファンのコメントが殺到。日に日に増え続け、3月4日時点でコメント数は3千件を超え、いいね!の数は5万2千件にのぼっています」(芸能関係者)訃報から数カ月たった今も途切れぬファンの沙也加さんへの愛。喪失と向き合う聖子のことも救っているようだ。「聖子さんはインスタのコメント欄もよく見ているそうで、5万人もの人がいいね!を押してくれたことに感謝しているそうです。また専用ページとともに、ファンがつづった娘へのコメントを見ることで、聖子さんも励まされているといいます」(聖子の知人)聖子を癒すインスタのコメント。日本グリーフ専門士協会代表理事で公認心理師の井手敏郎氏は、故人が遺したSNSについて「見るのが辛くて閉じてしまう人もいる」としながら、こう解説する。「亡くなった方のSNSを“閉じられない”という感覚の遺族の方がむしろ多くいます。デジタル遺品を扱う難しさもありますが、それ以上に肉体に加えて、子供が遺したSNSまでなくなったら、生きた証まで失われてしまうという気持ちがあるからでしょう。亡くなった方の生前の頑張りに触れられる場所は遺族の支えになると思います。聖子さんも沙也加さんへのメッセージを見て、“こんなに応援されていたんだ”と自分の知らなかったことに触れることで、癒されていくのではないでしょうか」前出の知人は言う。「聖子さんは今後も沙也加さんのインスタを閉鎖する考えはないそうです」5万人以上の沙也加さんへの愛を胸に、聖子はまた前を向く。
2022年03月04日『銀河鉄道999 THE MUSICAL』の制作発表会見が26日に行われ、中川晃教、花總まり、佐藤流司、梅田彩佳、清水慎治(銀河鉄道999THEMUSICAL 実行委員会・委員長)、高橋亜子(脚本・作詞 ※司会者がコメント代読)、小山ゆうな(演出)、ミッキー吉野(音楽監督)が登場した。同作は松本零士による同名漫画のミュージカル化作。少年・星野鉄郎が永遠の命を求めて銀河を旅する物語で、キャラクターの葛藤や成長を通して「限りある命だからこそ美しく尊い」というメッセージを伝える。ミュージカルオリジナルのエピソードも加えて、宇宙への旅立ちから別れまでを完全版として描く。主役の鉄郎を中川晃教、鉄郎とともに銀河を旅するヒロイン・メーテルを神田沙也加さんが演じる予定だったが、神田さんが昨年12月18日に急逝したことから、花總がメーテルに決定した。清水実行委員長は「昨年末、神田さんの突然のご逝去の報道がありまして、衝撃でした。中止も考えました。しかし、神田さんの事務所より『沙也加のためにも実現させてほしい』とお言葉をいただきまして、もとよりスタッフ一同想いは強く再始動を決心いたしました」と経緯を説明する。オファーを受けたことについて、花總は「本当に突然のことでしたので、ただただ驚きました。様々な感情が交錯してとても複雑な気持ちでしたけど、神田さんがすごく楽しみにしていた役ですし、やるのを楽しそうにお話されてた姿が今でも目に浮かぶくらいなので、彼女の分も一生懸命やりたいなと思って、今はそれだけです」と決意を表した。この日、メインテーマ「マイ・ディグニティ」も披露した主演の中川は「2.5次元やブロードウェイミュージカル、オフブロードウェイ、ウエストエンド、近年では韓国のミュージカルと様々なミュージカルがある中で、日本オリジナルの作品として『999』がミュージカル化されるというのはとてもやりがいがあることですし、何か運命を感じる」と心境を吐露。「僕、今39歳なんです。16歳を演じるんです。ちょっと面白いですよね」と苦笑しつつ、「誰もが知ってる『999』の物語のキャラクターを演じられるっていうのは、やっぱりとても嬉しい」と喜んだ。機会男爵役の佐藤は「機械の体ということで、本日は無表情、無感情、無ボケ、無ツッコミという感じで進行してまいりますので、よろしくお願いいたします」とひょうひょうとボケる。衣装については「無機質でラグジュアリーなデザインの衣装を着させてもらったんですが、反動といいますか、通気性が0ということでですね。保温性抜群の衣装になっておりましてですね。しかし、私、機械の体だったりしたりしますんで、汗をかいてはよろしくないのかなという思いがあり、心頭滅却せねばいかんなという話でした」と独特な口調で語り、佐藤のトークに梅田も「面白かった」と笑みを浮かべる。そんな梅田も「衣装を着るとわくわくしていよいよ銀河鉄道の世界に本当に行けるんだ、もっと頑張りたいなと思いました」と意欲を見せた。また、花總は「今までは自分1人で役に向かって、1人で悩みながらぶつかりながらやっていたんですけど、今回は私の中では1人じゃないので、それが自分の中では支えになってくれるかなって」と瞳を潤ませながら意気込む。「今まで私が感じたことのないお稽古になるし、公演になるかなと思っています」と語った。
2022年02月26日大寒にしては珍しい暖かさの日曜の午前9時過ぎ。静寂に包まれた大きな寺院の前でむのは神田正輝(71)。神田は静かに本堂へ入っていく。それから約30分後、寺院の前にワゴン車が停車する。中から現れたのは、松田聖子(59)だ。聖子に続いて、実母の一子さん(89)や大学病院の教授で夫のK氏も姿を見せる。聖子はうつむきつつも、落ち着いた足取りで寺へ向かっていった――。《2022年1月30日に神田の四十九日法要を営みました。深い悲しみの中、共に歩んできた日々を振り返り、神田をどこまで理解できていたのかと自問自答を繰り返し、喪に服して参りました》神田沙也加さん(享年35)の四十九日にあたる2月4日の翌日、HPでこう報告したのは、沙也加さんの所属事務所。コメントの主は、所属事務所の社長で、聖子の実の兄でもある蒲池光久氏だ。あわせて光久氏は、沙也加さんの両親である聖子と神田の“静かにしのびたい”という意向を尊重し、「お別れの会」は行わず、沙也加さんに追悼メッセージを寄せることができる専用ページを準備したことも報告していた。『スポーツ報知』の報道によると、法要には神田と聖子を含めて約10人の親族が参加したという。親族だけでしめやかに沙也加さんを見送ったA寺は地元でも評判の名刹だった。「鎌倉時代に建立され、約800年の歴史を持ち、地域では最大規模の寺です。保育園や介護事業も運営しており、地域活動にも積極的です」(地元住民)福岡県柳川市の菩提寺で実父の葬儀を行ったという聖子と、東京都新宿区の寺に実母の旭輝子さん(享年77)が眠っている神田。しかし、聖子と神田ともにA寺と直接の関わりはない。実は、聖子が’12年に再々婚したK氏一族の菩提寺なのだ。同寺の関係者は言う。「A寺にはKさん一族が眠る墓があります。’14年にKさんのお父様が亡くなった際は、A寺内に新しい墓も建てています」■沙也加さんの納骨はまだ直接、血縁関係のないK氏一族の菩提寺で行われた沙也加さんの法要。一般的に四十九日法要後にあわせて行うことの多い納骨だが、聖子の知人は当日の状況についてこう明かす。「まだ沙也加さんのお墓は決まっておらず、納骨はしていないと聞いています」また、旭さんの墓がある寺の関係者は本誌の取材に「神田さんからこちらに連絡はありません。(納骨は)こちらのお墓ではないと思います」と、語っていた。終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡さんは「子供時代に母が再婚した場合、継父一族の墓に入るケースはある」としつつ、こう語る。「四十九日法要を行う場所と納骨場所が必ずしも一緒とは限りません。沙也加さんが大人になってから聖子さんはKさんと再婚しており、一緒に暮らしていたわけでもないと思うので、必ずしもKさん一族の墓に入れる必要はないと考えます」沙也加さんの葬儀後、仕事をキャンセルし、人前に一切姿を見せなかった聖子だが、法要に向けて少しずつ足を踏み出していた。「聖子さんは憔悴のあまり外出することもままならず、持ち帰った沙也加さんの遺骨を自宅で眺める日々だったといいます。そんななか、元夫の神田さんはMCを務める生放送の情報番組に沙也加さんの死後、一度も休むことなく出演し続けていました。気丈に振る舞う神田さんのことを聖子さんも耳にしていたはず。“沙也加のために今できることをしたい”と、法要の準備を少しずつ始めたそうです」(前出・知人)本誌も娘のためにふたたび立ち上がった聖子の姿を目撃。法要数日前の1月下旬、聖子は完全予約制の個室サロンを訪れ、髪を整えていた。■夫一族の菩提寺で法要営んだ聖子の“親心”旭さんの墓がある新宿区の寺ではなく、夫一族の菩提寺で法要を行った背景には、聖子の沙也加さんへの“親心”があるという。「神田さんとの離婚後、沙也加さんの親権を持っていたのは聖子さんですから、福岡の一族のお墓で法要を行うという選択肢もあったはず。しかし、新型コロナの感染が拡大するなか、遠出して親族一同で法要を行うのはリスクが高い。それでも聖子さんは、法要にはなんとしても沙也加さんを愛した親族たちに来てほしかった。そこで最も多くの人が集まれる最善の選択肢が、Kさん一族の菩提寺だったのではないでしょうか。また命日から3つの月をまたぐのは縁起が悪いとされているので、四十九日当日の2月4日ではなく1月に法要を行ったといいます。少しでも沙也加さんにとっていい日に親族全員で見送りたかったのだと思います」(前出・知人)前出の武藤さんも聖子の心情をこう推察する。「今は四十九日法要をしない人も増えています。聖子さんとしては、沙也加さんのお墓はまだ決めていないけれど、きちんと供養してあげたいということだったのではないでしょうか」また、聖子一家とKさんとのこれまでの交流も法要の場所選びに影響しているようだ。神田の知人は言う。「沙也加さんはもともと聖子さんとKさんの交際のことは聞いており、結婚してからはKさんとも親交を深めていたそうです。また、Kさんは自宅で聖子さんのお母さんである一子さんとも一緒に生活しており、一子さんの体調面もサポートしています。札幌での沙也加さんの葬儀にも同行し、落ち込む聖子さんをそばで支え続けています。神田さんもそのことを十分理解しているだけに、Kさん一族の菩提寺で法要を行うことを快諾したそうです」家族全員で見送りたい――。そんな聖子の切なる祈りは、天国に届いているはずだ。
2022年02月08日女優の花總まりが、『銀河鉄道999 THE MUSICAL』で故・神田沙也加さんに代わりメーテル役に決定したことが7日、明らかになった。同作は松本零士による同名漫画のミュージカル化作。少年・星野鉄郎が永遠の命を求めて銀河を旅する物語で、キャラクターの葛藤や成長を通して「限りある命だからこそ美しく尊い」というメッセージを伝える。ミュージカルオリジナルのエピソードも加えて、宇宙への旅立ちから別れまでを完全版として描く。主演に中川晃教、鉄郎とともに銀河を旅するヒロイン・メーテルを神田沙也加さんが演じる予定だったが、神田さんが昨年12月18日に急逝したことから、今回花總がメーテルに決定した。花總は宝塚歌劇団出身で、歴代最長記録となる通算12年3カ月間、雪組娘役トップスターとして活躍した。退団後も大作ミュージカルに主演し、2016年には菊田一夫演劇賞大賞を史上最年少で受賞した他、読売演劇大賞優秀女優賞、松尾芸能賞女優賞などを受賞、2022年10月〜2023年1月には主演ミュージカル『エリザベート』の上演を控える。神田とはミュージカル『1789 -バスティーユの恋人たち-』で共演している。今回の発表に際し、花總、中川、そして神田さんの所属事務所であるローブ 代表取締役 蒲池光久氏がコメントを寄せた。公演は日本青年館ホールにて2022年4月8日〜4月18日。○花總まり コメントこの度、『銀河鉄道999 THE MUSICAL』に神田沙也加さんの代役としてメーテル役で出演させていただく事となりました。お話を頂いた時、どうしたら良いのか判断がつかず、とても悩みました。けれども、もしこの公演が中止になってしまったらさーやの舞台への想いも一緒に消えてしまいそうな気がしました。また、このコロナ禍という状況の中で、公演ができなくなるという辛さは私も経験してきました。もし少しでも、誰かのため、何かのために自分が力になれるのであればと思い、とても悩みましたがこのお話をお受けする事にいたしました。沢山の方に愛されたさーや。大好きなさーや、いつも舞台に誠実に向き合っていたさーや。まだ現実として受け止めることが出来ない方も沢山いらっしゃると思います。私も同じです。でも前を向いて進んでいくために。さーやと一緒に、心を込めて精一杯メーテルを生きたいと思います。○中川晃教 コメント再始動という形になった「銀河鉄道999 THE MUSICAL」に向けて花總まりさんがメーテル役の代役を引き受けてくださったことは本作に携わるすべての者を代表して感謝を申し上げます悩みながら決断してくださったその気持ちは何物にも代え難い真実だと感じています銀河鉄道999が動き出す時有限の今を生きる登場人物の一人一人の人生にはさまざまな巡り合わせがあります人や物との出会いもあれば思わぬ現実に遭遇することもありますその時々に心がどのように動くかで未来はきっと大きく違ってきますこの宇宙で〝沙也加〟という名の星が輝いてくれている限り私たちの目的地を照らし見守ってくれているそう思わせてくれた花總まりさんへの心からの敬意と共に感謝の気持ちで再び公演へと向かって参ります○ローブ 代表取締役 蒲池光久氏 コメントこの度の事態ではキャスト・スタッフ、そして関係者の皆様に大変なご迷惑を おかけいたしました。深くお詫び申し上げます。花總まりさんは神田が憧れて目標にしていた大先輩です。共演歴もあり"花ちゃん"と呼ぶほど慕い、また大変可愛がっていただきました。予期せぬ状況の中で、突然のお願いを真摯に捉えていただき、神田に対する想いのみならず、多くの皆様方に対するお心遣いに感動いたしました。そしてメーテル役をお引き受けいただき、心からのご承諾のご返事をいただきましたことに深く感謝申し上げます。メーテル役を花總さんと一緒に演じられることを、きっと神田もこの上なく喜んでいることでしょう。改めまして公演の盛況をご祈願いたしますと共に、謹んでお礼とお詫びを申し上げます。
2022年02月07日《ずっと沙也加さんの歌を聴き続けます》《沙也加ちゃん、2月になったね。寒いけど、頑張るね!》《さやちゃん、もう旅立っちゃったのね…信じられないよ。無事に着いていますように》インスタグラムのコメント欄に寄せられたあたたかい言葉の数々。これらのコメントが寄せられたのは神田沙也加さん(享年35)が昨年11月18日に投稿したもの。生前、最後の投稿だ。「沙也加さんの訃報が報じられた12月18日以降、インスタのコメント欄にはその死を悼むコメントが連日投稿されました。クリスマスイブの前後には1,800件ほどでしたが、その後も追悼コメントが続き、今では2,600件を超えています」(スポーツ紙記者)日本中が悲しみに包まれた沙也加さんの早すぎる死。2月4日に四十九日を迎え、冒頭のように気丈なコメントをするファンもいるなか、最もそばで沙也加さんを見てきた“家族”たちもまた少しずつ前を向き始めていたーー。2月3日、スポーツ報知が1月30日に沙也加さんの両親である松田聖子(59)と神田正輝(71)をはじめ、聖子の実母である一子さん(89)ら親族約10人で四十九日法要を行ったと報じている。12月21日に札幌市内で沙也加さんの葬儀を行ったあと、聖子とともに骨箱を抱きながら報道陣の前に姿を見せ、取材に応じた神田。そこでは涙を浮かべていたが、帰京後は人一倍気丈に振る舞っていた。「沙也加の死後も神田さんは司会を務めるレギュラー番組『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日・ABCテレビ系)を一度も欠席していません。生放送だけに撮り直しもできませんから、沙也加さんが亡くなって初めての12月25日放送回に欠席するという選択肢もあったそうですが、神田さんは選ばなかった。さらに『今日は守られているような雰囲気がするな。ありがとうございます。僕は元気ですよ!』と力強く宣言。視聴者だけでなく、自分のことを心配してくれるスタッフや共演者に対しての神田さんなりの気遣いだったのでしょう。3月に大阪で予定している『旅サラダ』の番組イベントにも神田さんは出席する予定ですし、俳優業についてもこれまで通り取り組んでいく意向だと聞いています」(テレビ局関係者)かつての家族だった元夫も沙也加さんの“意志”を受け継いでいる。17年4月から19年12月までの約2年8カ月にわたって沙也加さんと結婚生活を送った俳優の村田充(44)は、沙也加さんが飼っていた愛犬のブルーザーくんを、12月23日にTwitterで『安心してください。大切に育てます』と引き取ることを宣言。その後、定期的にSNSでブルーザーくんの写真をアップし、ともに生活している様子を沙也加さんのファンに伝えている。沙也加さんの死後、悲しみに暮れながらも人前では気丈な姿を見せる神田と村田。いっぽう、母の聖子は葬儀後、一切人前に姿を見せていなかった。「聖子さんは沙也加さんの死後に予定していたディナーショーをすべて中止し、大晦日の『第72回NHK紅白歌合戦』も出演キャンセル。3月に還暦を迎えるので、本来なら大規模なツアーやイベントも予定していたそうですが、それも一旦すべて白紙に戻したそうです。具体的な復帰時期はまだ決まっていませんが、音楽活動を再開するのは早くても夏ごろと見られています」(音楽関係者)そんななか本誌は四十九日法要の数日前、聖子の姿を目撃している。1月下旬の夕暮れ時、都内の閑静な住宅街に現れた聖子は、洋館を思わせる建物へ。隠れ家的なレストランでの食事会かと思いきや、聖子が訪れたのは“顧客に寄り添う”美容室だった。「聖子さんが訪れたのは、顧客とじっくり向き合うことをコンセプトに掲げた完全予約制のサロンです。営業日や時間もすべて顧客都合にあわせ、施術中に他の客を入れることなくカリスマ美容師が一対一で対応します。芸能人やセレブにも非常にファンが多いです」(美容ジャーナリスト)2時間ほどじっくり施術を受け、帰路についた聖子。まだ今後の活動について発表はないが、聖子の歌声が日本中に届く日を心待ちにしたいーー。
2022年02月04日神田沙也加さん(享年35)が突然この世を去ってからまもなく一カ月。今も多くの人が深い悲しみに包まれている。沙也加さんを深く愛した両親も悲しみの淵に立たされている。「松田聖子さん(59)はちょうどディナーショーのツアー中でしたが、沙也加さんが亡くなった後に予定されていた公演をすべてキャンセル。大晦日の『第72回NHK紅白歌合戦』にも出演予定でしたが、取りやめて今仕事は一切していない状況です。父親の神田正輝さん(71)は深い悲しみのなか、沙也加さんが亡くなったちょうど一週間後に放送されたレギュラー番組『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送系)に出演。3月に大阪で予定されている同番組の屋外展示イベントにも出席する予定だといいます」(テレビ局関係者)聖子と正輝がそれぞれの受け止め方をするなか、沙也加さんとの絆を大切にするかつての“家族”が。元夫の村田充(44)だ。16年夏に出演した舞台『ダンガンロンパ THE STAGE~希望の学園と絶望の高校生~』での共演をきっかけに交際に発展し、17年4月26日に結婚を発表した沙也加さんと村田。同年5月に都内のレストランで行われた結婚披露パーティには、正輝をはじめ、沙也加さんが“ママ”と慕う大地真央(65)など約100人の豪華な面々が出席していた。「沙也加さんとの結婚後、村田さんは自身の体調不良などもあり、沙也加さんの仕事を熱心にサポートしていました。まるでマネージャーのように沙也加さんのためならいつでもどこでもついてまわっていたそうです」(芸能関係者)本誌は結婚中の二人の強い絆を目撃している。18年2月、出演する舞台の製作発表を終え、都内のカフェで共演者とお茶を楽しんでいた沙也加さん。1時間ほどすると、カフェの前には愛車で沙也加さんを迎えにきた村田の姿が。その後、2人は車でアパレルショップに向かい、買い物後は手をつなぎながら仲睦まじく歩いていた。以後、幸せな結婚生活を送った2人だが、19年12月に離婚していたことを発表。理由について、それぞれ子供についての価値観が折り合わなかったことをブログで明かしていた。沙也加さんとの夫婦関係には終止符を打った村田だが、“絆”は決して消えていなかった。「村田さんは沙也加さんの訃報が流れたあと、ツイッターで『彼女の歌声は、まるで天使のようでした』と哀悼。12月23日には『安心してください。大切に育てます』とツイッターに投稿し、沙也加さんの愛犬・ブルーザくんを引き取る意向を表明し、インスタグラムでは実際にブルーザくんと一緒に生活する様子を投稿しています」(前出・芸能関係者)愛犬を引き取り、沙也加さんへの変わらぬ愛情を見せる村田。婚姻関係が終わっても2人の絆は変わらぬようだ――。
2022年01月15日「斎場で悲しみの対面をした聖子さんは、眠っているような沙也加さんの表情に嗚咽していたそうです」(音楽関係者)昨年12月18日深夜、神田沙也加さん(享年35)が公演で訪れていた札幌市内のホテルから転落死した。50センチに達する大雪が降り積もった日だった。3日後の21日夕方、愛娘の位牌を胸に札幌市内の斎場で会見を行った母・松田聖子(59)と父親の神田正輝(71)。顔面蒼白の聖子は、集まった報道陣を前に、こう声をふり絞った。「本当にみなさまお寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」2人は、その日のうちに別々の便で東京に戻ってきた。スタッフの先導で先に飛行機を降りてきたのは、聖子の母親だった。うなだれた様子がその失意を物語っている。その後ろに聖子が続いていた。聖子もまた茫然とした表情だった。その胸には濃紺の布で包まれた娘の遺骨が抱えられていた――。これまで聖子と沙也加さんは幾度となく確執が伝えられてきた。だが、2人は心底では固くつながっていたという。デビュー当時の聖子と仕事をしていたカメラマン・YAHIMONときはる氏は証言する。「沙也加さんが17年12月の舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』に出演したときのことでした。別の女優さんの楽屋で私自身が9年間、実母と会っていないと話をしてから、その女優さんの後押しもあり、面識のある沙也加さんの楽屋にご挨拶に行ったんです。沙也加さんからは神妙な顔で、『ちょっと聞こえちゃったんで申し訳ないんですけど……子供に会うのを嫌がる母親なんて絶対にいません!』と言われたんです」沙也加さんは同年5月に村田充(44)と結婚。母娘不仲説が報じられていた時期で、YAHIMON氏は彼女の発言に驚いたという。「その翌日、私は母に会いに行き、3カ月後に母は他界しました。沙也加さんの励ましがなければ、私は母とは会えていませんでした」■「母親が、私を一番愛してくれている」翌年、同舞台の愛知公演に出演していた沙也加さんに感謝を伝えに行くと、こう言われたという。「私、生意気言っちゃってごめんなさい。私も母の“有名税”にずっと悩んでたりしていたんですけど、やっぱり母親が一番つらいって思うようになって……。産んでくれた母親が私を一番愛してくれているから、その真実があれば悪く書かれても仕方ないかなって。だからあんなこと言っちゃったんです……」そんな娘の思いは聖子にも伝わっていたのだろう。空港でも聖子は遺骨を両手で愛おしそうに抱えていた。前出の音楽関係者は言う。「聖子さんは愛娘を突然失った余りの悲しみに、自宅で遺骨をしばらく保管しておくのでしょう。かねて聖子さんは霊感が強く、信心深い方ですから、娘さんのお墓をどうするか熟慮しているといいます」聖子の父の葬儀は一家のルーツでもある福岡県柳川市の菩提寺で執り行われたという。「蒲池家は江戸時代、柳川藩の系譜を継ぐ由緒ある家系で、この菩提寺の創建者でもあったといいます」(地元紙記者)だが、前出の音楽関係者は言う。「ただ、福岡となると東京とは距離があり、日常的に墓参できなくなってしまいます。また、沙也加さんの成人後に再婚した今の旦那さんのお墓に入れる可能性は限りなく低いでしょう。父親の神田さんの実家のお墓に入れた場合は聖子さんは一緒にお墓に入れなくなってしまいます」■神田の母が眠る寺の関係者は「(納骨は)こちらではない」と…東京都新宿区内にある名刹には神田の母で女優の旭輝子さん(享年77)が眠っている。同寺の関係者は、沙也加さんの遺骨がここに入る話は聞いていないと話す。「沙也加さんのことはショックですし、私たちも心配しています。ただ今回のことで神田さんからこちらに連絡はありません。(納骨は)こちらのお墓ではないと思います。神田さんをお見かけしたのは2年ほど前ですが、連絡をいただくこともありますし、定期的に来てくださっているようです。神田さんはしっかりお墓を守っています」前出の音楽関係者は続ける。「そういう事情も踏まえ、沙也加さんのお墓を新たに造ることも選択肢に入っているようです」終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡さんは、わが子に先立たれた親の心理をこう指摘する。「お子さんを先に亡くされた場合、気持ち的にすぐに納骨しないことが多いので、しばらくは手元に置くと思われます。ただ、新たに沙也加さんのお墓を造るということは十分考えられます。今は昔と違い、実家のお墓に入る決まりはありません。沙也加さんのお墓を造っておいて、後から聖子さんがそこに入るという形もできます。聖子さんからしたら、娘さんと一緒のお墓に入りたい希望はあるかと思います」父親の神田と分骨する可能性もあるという。「親である聖子さんには『何もしてやれなかった、何もできなかった』という後悔があると思います。だからお墓という形で、少しでも何か良くしてあげたいという気持ちは強いはずです。通える場所にお墓を用意することが、娘にとってもいいと考えるのではないでしょうか」昨年12月18日のディナーショーを最後にステージから下りた聖子は『紅白』出場も辞退した。「当面はライブやメディア出演を一切予定していないと聞いています」(映像関係者)前出のYAHIMON氏も言う。「私の師匠で、聖子さんもお世話になったカメラマンが亡くなったときも事務所関係者が『彼女は悲報を聞くと、絶対に影響が出る』と話していました。聖子さんは非常に繊細な方ですので、しばらくお休みすると思います」愛娘のために自分は今、何ができるのか――。光を求めて、聖子の涙の奔走は続く。
2022年01月05日「本当に皆さん、お寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございました」。12月21日、札幌市内で行われた神田沙也加さん(享年35)の葬儀後、報道陣の取材に応じた松田聖子(59)は声を震わせて、深々と頭を下げた。沙也加さんのお骨を納めた骨箱はピンクの骨袋に覆われて、聖子の隣に立つ神田正輝(71)の胸に抱えられていた。沙也加さんと聖子の関係は、これまでさまざまに報じられてきた。だが、記者が2人の関係性を考えるとき、思い起こされる場面がある。2013年5月。芸能プロダクション、サンミュージックの創業者である相澤秀禎氏(享年83)の通夜に、聖子と当時26歳だった沙也加さんが参列したときのことだ。相澤氏は聖子にとって、芸能界の“育ての親”で大恩人。10代だった聖子はデビューのために福岡から上京し、相澤氏のもとで下宿生活をしていた時期もあった。‘89年に聖子がサンミュージックから独立して一時は絶縁状態になっていたが、’06年から再び交流を深めるようになっていた。相澤氏は’11年の沙也加さんの10周年コンサートに聖子と並んで客席に姿を見せていたといい、沙也加さんにとっても縁のある存在だったようだ。通夜の日、数々のスターを輩出した相澤氏だけあって、著名人や報道陣が多く集まった。聖子は夜8時ごろに参列に訪れたが、その隣にはぴったりと沙也加さんが寄り添っていた。沙也加さんと聖子は、しっかりと手をつないでいた。そのつなぎ方は、沙也加さんのほうが母を支えているような様子だった。大切な人を亡くした母のことが心配だったのだろうか、ときおり、聖子の顔を心配げに伺い、自身も泣きそうな表情を浮かべていた沙也加さんが印象的だった。通夜の間には、故人と対面する母の背中に沙也加さんが優しく手を置く場面も。母に寄り添う沙也加さんの愛情が感じられた日だった。その5年前、『婦人公論』2008年4月7日号のインタビューで、聖子は沙也加さんについて次のように話していたことがある。《娘には、よく話を聞いてもらいます。彼女はとても慰め上手。私はすごく心配性で、たとえば直前に「歌詞を間違えたらどうしよう」とか心配になってくる。それを娘に言うと、「何を言っているの。歌は全部頭に入っているから大丈夫!」と背中を押して送り出してくれます。励ましてもらったり、教えてもらったり。なんだか母娘逆転気味です。(笑)》また、同じインタビューで聖子は、自身の母親との関係にも触れ、母と聖子、沙也加さんの3人の時間を次のように話していた。《沙也加と私は、まるで母の“娘たち”のような関係です。私と娘が一緒に、母に怒られるんですよ(笑)。夜遅くまでおしゃべりしていると、「二人ともいい加減にしなさい」と叱られるし。》温かい時間をともに過ごした家族との別れはあまりにも悲しい――。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2021年12月26日