所属事務所の吉本興業から発表された。誠子さん(35)は吉本とのマネジメント契約を終了しフリーで、渚さん(39)は引き続き吉本に所属して活動を続ける。誠子さんが芸人を志す原動力となったのは容姿へのコンプレックスだった。「妹が美人なんですが、私はモテへんし、自分に勝手なコンプレックスがあって。なにか漠然と『自分が輝けるものはないかな?』って考えてたときに『M-1グランプリ』(朝日放送系)を見て『これや!』って」尼神インターは芸歴1年目から、当時の大阪吉本の若手芸人が主戦場としていた劇場「baseよしもと」の舞台に立つなど、順調なスタートを切った。「19歳のときに初めて『base』のメンバーになったときはめちゃくちゃ嬉しかったですね。素人の時から憧れていた劇場だったんで。しかもアジアンさん以来10年ぶりぐらいに女性コンビがメンバーになったんですよ」誠子さんが演じる「いい女」や「ぶりっ子キャラ」に対し、ビシビシとぶっきらぼうにツッコむ渚さんとの掛け合いがウケて、メディアへの露出も増えていった。なかでも誠子さんのキャラを世の中に印象付けてくれたのは「2人の先輩のおかげ」だと話す。「先輩方から、ほんこんさんに似てるって言われて。ほんこんさんがいなかったら私、テレビに出れてないんじゃないかってぐらい(笑)。1番最初は雨上がり決死隊さんの番組に呼んでもらったときに宮迫(博之)さんが私のことを『メスほんこん』っていじってくれて。それが現場でめっちゃウケたんですよ。だからほんこんさんと宮迫さんは恩人なんです」誠子さんが華やかな容姿だと、自分たちのネタは成立しない。「私、メーク映えするタイプなんですよ。だからネタをやるときはよりウケる可能性があるほうを選ぼうと思って、メークは薄目にファンデーションだけで、アイメークはしたことなかったです」そういった努力や芸人仲間からのいじりもあったことでキャラが確立し、2018年に主演ドラマの仕事が舞い込む。「『ブスだってI LOVE YOU』(テレビ朝日)というドラマで。私しかその役はいないんじゃないかと(笑)。最初にドラマの主役が決まったことを聞いたときは『よっしゃー!』ってなりました。でも、家に帰って一人になって冷静になると『芸人としては嬉しいけど、女性としてはどうなんや』って(笑)」当時でも“ブス”という言葉は「コンプライアンス的にギリ(笑)」だったという。しかし、’20年前後ぐらいから容姿いじりがよくないという風潮が出始め、確実に時代が変わったと感じ始めた。「バラエティ番組で女性芸人がいじられることによってSNSで『かわいそう』って声が出始めたんです。そこぐらいから先輩方も配慮して露骨な容姿いじりをされなくなって。やっぱり先輩も対応してはるなと思って。前は仕事に出かけるときは『女性らしさ』をおうちに置いてきてたんです。でもその時期ぐらいから『ちょっとだけ一緒に現場に行ってみる?』みたいになってきて(笑)」昨年は新ヘアスタイルをSNSに投稿したり、20キロの減量に成功したことが話題となった。「コロナ禍をきっかけに料理をするようになって。食事制限で無理なく、リバウンドなく痩せられました。私が髪の毛を切ったことをSNSに投稿すると『かわいいです』ってコメントが来たり、『私も挑戦してみました』って、私と同じ美容院に行くコがめっちゃ多くて。一般の女性からしたら私は等身大のような感じで、親近感があるみたい。『誠子さんが勇気出して変わろうとしてるんだったら私も挑戦してみます』みたいなコメントもすごく多くて。『美容や料理が好き』という、今まで出してこなかったこともSNSで伝えることに意味があると思うようになりました」今後も芸人は続けていく。「大好きなお料理とお笑いを掛け合わせたイベントをやってみたい。好きなことを掛け合わせて新しいエンタメが生まれたらなと。自分もみなさんも楽しめてワクワクするような、直接会ってコミュニケーションが取れるイベントをやっていこうと思うので会いに来てくれたらうれしいです」【PROFILE】誠子1988年生まれ。兵庫県神戸市出身。高校卒業後、NSC大阪校に入学し、同期の渚と尼神インターを結成。2024年に解散。料理家の荒谷未来さんとともにライフスタイルブランド「merci(メルシー)」を立ち上げるインタビューマン山下1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。
2024年04月08日人気お笑いコンビ・尼神インターの突然の解散に驚いた人も多いはず……。誠子さんに、解散に至った理由を芸人の先輩でもあるインタビューマン山下が聞きました。「解散をきっかけに大きなチャレンジをしたいと思ったんですよ。それは何かと考えたときに、不安もあるしドキドキもするけど、フリーでやることなんじゃないかと」そう話すのは、3月末に解散した尼神インターの誠子さん(35)。2024年3月28日、人気お笑いコンビの尼神インターが3月末をもって解散することが、所属事務所の吉本興業から発表された。誠子さんは吉本とのマネジメント契約を終了しフリーで、渚さん(39)は引き続き吉本に所属して活動を続ける。コンビの解散が決まったのは去年の年末だったという。「私たちはもともとキャラが違うのがいい感じでもあったんです。けど、ちょっとだけ渚と私でやりたいことが違ってきたのを、ベテラン夫婦ではないですが、話すまでもなく空気で感じていて」“コンビとしてできることはやり切ったね”。互いそんな気持ちになって解散を決めた。解散までの約3カ月、決まっていたコンビの仕事をやり切ってから、別々の道に進むことにした。さみしい思いもあるが、互いに納得して決めたこと。「昔から渚の言うことを信用してるんです。私は別の女のコとコンビをNSC(吉本興業の養成所)で組んでたんですけど、渚が『やろうや』みたいな。そのときに熱い説得や説明は別になかったけど、それがカッコよくて『うん。わかった』って感じで。大阪から東京に行くときも私が『行く?』って言ったら『いいんじゃない。行こか』みたいな。渋い感じで言ってくれます(笑)」渚と一緒に決めたことはいつもうまくいってきた。「今回も2人で決めたことですから、『大丈夫、きっとうまくいく』と思えるんです」相方の渚さんに向けたメッセージをもらった。「渚には、『ホンマにお酒の飲みすぎには気をつけてください』と言いたい。後はとろサーモンの久保田(かずのぶ)さんと遊ぶ回数をもうちょっと減らしたほうが(笑)。ホンマに大親友で最近久保田さんのお父さんともご飯食べるぐらいで。そうなるとやっぱり必然的に夜ふかしもするし、お酒の量も増えるし。飲みすぎて渚はずっとおなかがゆるいんですよ。体はホンマに大事にしてほしいです」【後編】解散後の初告白…尼神インター誠子が明かす「宮迫さんとほんこんさんに感謝する訳」へ続く【PROFILE】誠子1988年生まれ。兵庫県神戸市出身。高校卒業後、NSC大阪校に入学し、同期の渚と尼神インターを結成。2024年に解散。料理家の荒谷未来さんとともにライフスタイルブランド「merci(メルシー)」を立ち上げる。インタビューマン山下1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。
2024年04月08日『OPULENCE Volume4』が、5月19日(日) に東京・Zepp Shinjuku(TOKYO)で開催される。『OPULENCE』は、世界的なドラァグクイーンたちによる豪華なショーと、クラブイベントのような演出やサウンド、照明を組み合わせた、日本最大級のドラァグショー。4回目の開催となる今回は、米テレビ番組『ル・ポールのドラァグレース』オールスターズシーズン2で優勝した「Alaska(アラスカ)」、初のオーストラリア人クイーンとして人気を博した「Courtney Act(コートニー・アクト)」と、番組初の途中退場となりながら、その後ドラァグスターとなった「Willam(ウィラム)」が出演する。チケットの一般発売は3月30日(土) 10時より開始される。<公演情報>『OPULENCE Volume4』5月19日(日) 東京・Zepp Shinjuku(TOKYO)開場18:00 / 開演19:00※ミート&グリート:17:00~出演:アラスカ、コートニー・アクト、ウィラム一般発売:3月30日(土) 10:00~()※URLは受付時間以降有効公式サイト:
2024年03月28日2024年3月28日、お笑いコンビ『尼神インター』が解散することが、所属事務所である吉本興業株式会社(以下、吉本興業)を通じて発表されました。吉本興業によると、『尼神インター』は同年3月末日をもってコンビを解散。誠子さんはマネジメント契約を終了し、渚さんは引き続き同社で活動していくとのことです。別々の道を歩む『尼神インター』また誠子さんと渚さんは、『尼神インターを応援してくださっている皆さま、関わってくださった関係者の皆さま』と題して、それぞれコメントを発表しています。誠子コメントこれまで尼神インターとして過ごした時間や経験はとても楽しくてかけがえのないものです。コンビを組んでくれた相方の渚や応援してくださったファンの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。解散が決まり、今後どうしよう?と考えた時に私は人生たった一度きりだから勇気を出して挑戦をしたいと思いました。吉本興業ホールディングスーより引用渚コメントこれから「尼神インター」は無くなり別々にはなりますが、偶然同じ時代に生まれたモノ同士、これからも気が向いた時があれば、思い出して頂いたり記憶に残して頂いたり様子を伺って頂けると、やる気の糧になりますお互い支え合えたらええなぁと思ってますどうぞ宜しくお願い致します恐らくスムーズに器用にはいかへんと思いますが、変わらず人生において泥水をすすり、不味ければツバを吐き捨て、泥水を透明にして目一杯美味い泥水を飲むという作業に時間を使い、楽しく気をくるわせたいと思います吉本興業ホールディングスーより引用今回の解散の発表を受けて、ネットでは多くの反響が上がりました。・解散はビックリしました!また大阪府に戻ってきてください。温かく出迎えますよ。・それぞれ別々の道を歩まれますが、決断を応援しています!・フリーでの活躍も期待したいです。漫才やコントだけではなく、ドラマや舞台など役者経験もある2人。今後はどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。新たな一歩を踏み出す2人に、多くの人が注目しています。[文・構成/grape編集部]
2024年03月28日お笑いコンビ・尼神インター(誠子、渚)が、3月末をもって解散することが28日、吉本興業から発表された。尼神インターは2007年に結成。ボケ・誠子のぶりっ子キャラ、渚の切れ味鋭いツッコミが持ち味で、バラエティー番組などでも活躍していた。『オールザッツ漫才2015』フットカットバトル優勝、『第2回上方漫才協会大賞』話題賞などの受賞歴を誇る。渚は引き続き吉本に所属するが、誠子はマネジメント契約を終了する。コメントを寄せた誠子は「フリーで活動していきます」とし、「コンビを組んでくれた相方の渚や応援してくださったファンの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです」と心境をつづった。吉本社員も「吉本を辞めても、人と人として応援するからいつでも相談して欲しい」と言ってくれたという。誠子は「こんなに芸人やお笑いに愛がある会社に15年も所属させて頂けて私は本当に幸せです」と思いを込め、「今までの経験や想いを大切にしながらこれからは枠に捉われずに、私らしく輝きたいです。ぞしてみんなも自分もワクワクするような活動をしていきます」と記した。■誠子コメント全文尼神インターを応援してくださっている皆さま、関わってくださったお仕事関係の皆さまへこの度、私たち尼神インターは解散をする事になりました。それに伴い私、誠子は吉本興業を退所し、フリーで活動していきます。これまで尼神インターとして過ごした時間や経験はとても楽しくてかけがえのないものです。コンビを組んでくれた相方の渚や応援してくださったファンの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。解散が決まり、今後どうしよう?と考えた時に私は人生たった一度きりだから勇気を出して挑戦をしたいと思いました。退所を申し出た時に、吉本の社員さん達は、「吉本を辞めても、人と人として応援するからいつでも相談して欲しい」と言ってくれました。こんなに芸人やお笑いに愛がある会社に15年も所属させて頂けて私は本当に幸せです。今までの経験や想いを大切にしながらこれからは枠に捉われずに、私らしく輝きたいです。そしてみんなも自分もワクワクするような活動をしていきます。不安もあるけれど、自分の可能性を信じて一緒にいてくれる友達や応援してくれる皆さんを信じて生んでくれた両親への感謝を忘れずにどんな時も笑顔で優しい人になりたいです。これからの渚と誠子の活動を応援してくださると嬉しいです。最後まで読んで頂きありがとうございました。
2024年03月28日吉本興業は28日、お笑いコンビ・尼神インターが3月末で解散すると発表した。同社公式サイトで「弊社所属 尼神インターは2024年3月末日をもちまして、コンビを解散することになりましたのでご報告します。誠子(せいこ、35歳)と渚(なぎさ、39歳)はそれぞれの道を歩んでいくことになりました」と報告。今後については「誠子は当社とのマネジメント契約を終了し、渚は引き続き当社所属のまま活動してまいります」と説明した。尼神インターは2007年に結成。ボケ・誠子のぶりっ子キャラ、渚の切れ味鋭いツッコミが持ち味で、バラエティー番組などでも活躍していた。『オールザッツ漫才2015』フットカットバトル優勝、『第2回上方漫才協会大賞』話題賞などの受賞歴を誇る。■尼神インター解散のご報告弊社所属 尼神インターは2024年3月末日をもちまして、コンビを解散することになりましたのでご報告します。誠子(せいこ、35歳)と渚(なぎさ、39歳)はそれぞれの道を歩んでいくことになりました。誠子は当社とのマネジメント契約を終了し、渚は引き続き当社所属のまま活動してまいります。これまで、尼神インターに多大なご支援をいただきましたファンの皆様、関係者各位には心より感謝いたしますとともに、引き続き2人にご支援を賜りますようお願い申し上げます。
2024年03月28日45歳を過ぎ、白髪の増加に歯止めがききません。周りを見れば、みんな白髪なんてないように見えてしまいます。一体どうしたらいいの? そんなふうに悩む私と白髪との格闘と、きれいなママだと思われていたい私の奮闘をお伝えします。白髪との付き合いは30代から私が本格的に白髪を意識しだしたのは30歳ごろからでした。第1子を出産したのが32歳のときなのですが、そのころには白髪が生えていました。私の髪の毛は結構しっかりとした太くて硬い黒色の直毛です。なので、白髪もしっかりと太く、黒髪に混じってキラッと光ります。そのたびに毛抜きで抜いては、目立たないようにしていました。そして、まだおしゃれ染めで白髪はごまかせていましたし、ヘアアレンジを楽しむ余裕もありました。30代後半からの白髪染めデビュー35歳を過ぎたころからこめかみあたりに白髪が増えてきました。毛抜きで抜くのも限界で、このまま抜き続けたらハゲになってしまう、と言いようのない恐怖を感じていました。39歳で第2子の出産を迎えたとき、私はおしゃれ染めを諦めて白髪染めを選択しました。そのころには白髪を抜くことはやめました。白髪染めを使った直後はストレスが軽くなるのですが、1週間もするともうわずかに白いものがこんにちはと顔を出してきます。大体1カ月もすればしっかりと白髪が復活し、髪の毛をアップスタイルにする勇気も奪われてしまいました。白髪が加速する40代ネットで調べてみたところ、40代の白髪率は髪の毛全体の20%程度だそうで、だいぶ目立つようになるというコラムを見つけました。私の白髪率はもう少し高い気がします。このまま50歳を迎えたら、私の髪の毛はどうなってしまうのでしょうか? グレイヘアにはまだ早いし勇気がありません。まだ子どもに「お母さんはきれい!」と思われていたいです。現在、私の白髪染めの頻度は2カ月に1回程度で、そのたびに美容師さんに嘆いています。最近、眉毛に白髪が1本生えているのを見つけて絶望しました。そういえば母親も白髪が多くて、子どものころ抜くのを手伝わされた記憶があります。そして、今の母親の髪の毛はグレイヘアです。まとめ母親が30代後半から40代にかけて白髪が増えていたこともあり、私の白髪は遺伝だったのかなと思います。くよくよしても仕方なかったんだ、と開き直りました。今はこまめにリタッチしてごまかしつつ、うまく白髪と共存していく道を探っています。こんなに悩んでる時期を越えて、早く白髪染めでごまかすのはやめて、グレイヘアのおばあちゃんになりたいです。きっと無理して染めている今よりも私に似合う気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/所 とうこ(45歳)高校卒業後、専門学校へ進学。看護師として20年以上のキャリアを持つ。趣味は映画鑑賞。
2024年03月25日42歳ごろから、遊ぶことすら疲れるようになったというA・Sさん(45歳)。気付けば休みの日は1日の大半をソファーの上で過ごすことも。疲れない体を作るために始めたホットヨガも、ある理由でやめてしまったそうです。ひと休みが多すぎて何も進まない~〈A・Sさん・45歳の場合〉40歳を過ぎて、ちょっと仕事する、ちょっと掃除する……「ちょっと〇〇する」とすぐに疲れる私。 月~金曜日の仕事はなんとか乗り切れるよう時間配分とペース配分をして過ごしますが、お休みの日はもう気が緩み、何をするにも時間がかかる。朝起きてごはんを食べたらひと休み、食器を洗って疲れてひと休み、洗濯物を干してひと休み……。何か1つするたびにひと休みするので、時間がいくらあっても足りません。おいおい! 休んでいる時間のほうが長いじゃん!と自分に苦笑いしてしまいます。疲れない体になるはずが…前日は子どもの運動会だったこともあり、「ごちそうを作るぞ~」と張り切ってスーパーでたんまり夕食の食材を買い込み、帰宅。 ところが食材を冷蔵庫などに片付け始めたら、疲れが一気にやってきて、結局、外食することに。「お母さん、運動会に出てないのになんで疲れてるの?」と子どもに言われる始末。本当に情けないです。自分でもこの状況をどうにかしなければと思い、「疲れない体」になるために始めたのが「ホットヨガ」。隣の駅前にオープンしたばかりで、キャンペーン中ということもあり入会金ゼロ。これはやるしかないとすぐに飛びつきました。ちょっと動いただけで汗をかけて、動きもあるので、これなら「疲れない体になれそう」と3カ月間は熱心に通いました。ところが冬になり寒さが厳しくなると、隣の駅まで行くのが疲れる、服を着替えるのが疲れるとなり……。結局、退会。残されたのは、リバウンドして太った体重2kgだけ。寝ても覚めても疲れていて…もう本当に救いようのない私です。以前なら、連休になると旅行したり、ドライブに行ったり遠出するのが当たり前でしたが、ここ最近は渋滞が疲れる、人混みが疲れるという理由で旅行もできていません。この状況をなんとかしたいと思うですがなかなか難しいです。なにせ、休日は昼下がりにソファーでウトウトして目覚めたときに「疲れた~」と伸びをしていましたから。これには夫も苦笑。疲れていないときっていつだっけ? 最近、考えてもこの答えが見つかりません。でも、こんな私にも一筋の希望の光があるんです。それは知り合いの看護師の重鎮(70代)の方が言っていた「更年期を超えると、気力も体力も回復して疲れ知らずになるわよ」という言葉。だから今はただの体力温存時期と考えて、思う存分休むことに徹していきます。まとめ起きているときはほとんど疲れている私。疲れない体になるために通い始めた習い事も3カ月で挫折しました。70代の人生の先輩の「更年期を超えると疲れ知らずになる……」という言葉を信じて、今は長い人生の中で体力温存期間だと思って休んでいます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。著者/取材・文/茂原好子(43歳)8歳女児、6歳男児の母。出版社勤務を経て、出産を機に看護師資格を取得。病院に勤務したのち、看護師編集者に。
2024年03月07日2023年6月29日をもって解散した“楽器を持たないパンクバンド”BiSHのメンバー、モモコグミカンパニーが2月14日に5冊目の著書『解散ノート』を発売。これを記念し、同じく元メンバーのアイナ・ジ・エンドとの出版記念特別対談イベントを25日、都内で行った。『解散ノート』は、BiSHが解散宣告を受けた2019年11月から東京ドームでラストライブを行った昨年6月29日まで3年半の日々を、日記形式でリアルタイムで書き記した貴重な記録。同書の中で、アイナの言葉がたびたび印象的に登場する。解散後初となる公開対談は、オンライン配信イベントとして実施。また、抽選で当たった50人が会場で観覧した。モモコは、アイナに『解散ノート』を送ったら読んだ直後にLINEをくれたと明かし、「『本を読みながら泣いたのは初めて』と言ってくれて本当にうれしかった」とコメント。アイナが「ももちゃんはいつもあんま顔に出さない。自分と向き合って悲しい気持ちになったり、不甲斐ない気持ちになっていたんだと、これを読んで知ったから、もっと気づけたらよかった」と言うと、モモコは「優しい」とほほ笑んだ。また、モモコは「BiSHは終わったんだけど、曲は生き続けていると思っていて、これを出した理由も私はBiSHを愛していたから一過性のものにしたくないというのがあって、その時代に生きてなかった人も本から入ってまた曲を聴こうってなってくれたらうれしいなと思っています。私たちは人間だから死んでいくけど、音楽は永遠であり、BiSHも永遠であるから、いろんな人がBiSHの音楽に勇気づけられて前を向いてくれたらいいなと。そのきっかけになる本だといいなと思います」と同書に込めた思いを語った。そして、アイナとの公開対談を満喫したようで、「すごくいい時間だった。すごく有意義な1時間だったなと思います」と話した。イベント後に報道陣の取材に応じたモモコは、「アイナとは解散以来一度も話してなくて、LINEでやりとりはしていたんですけど。だからどんな感じかなと思っていたんですけど、会ったら意外と普通に話せてあまりブランクを感じず、あの頃に戻ったなという感覚で話せたのですごくうれしかったです」と改めて感想を述べ、「本をちゃんと最後まで読んでくれていて、あとがきがこの本の醍醐味だと言ってくれたのがすごいこの本をわかってくれていると思って、とってもうれしかったです。ちゃんと読んでくれているんだなと思いました」と語った。
2024年02月25日2023年6月29日をもって解散した“楽器を持たないパンクバンド”BiSHのメンバー、モモコグミカンパニーが2月14日に5冊目の著書『解散ノート』を発売。これを記念し、同じく元メンバーのアイナ・ジ・エンドとの出版記念特別対談イベントを25日、都内で行った。『解散ノート』は、BiSHが解散宣告を受けた2019年11月から東京ドームでラストライブを行った昨年6月29日まで3年半の日々を、日記形式でリアルタイムで書き記した貴重な記録。同書の中で、アイナの言葉がたびたび印象的に登場する。解散後初となる公開対談は、オンライン配信イベントとして実施。また、抽選で当たった50人が会場で観覧した。アイナは自身のツイッターで『解散ノート』を読んで「涙読み」したと明かしていたが、この日のイベントでモモコがどのあたりで涙読みしたか尋ねると、「『解散します』と言われた日に私もすごく衝撃的だったし、自分の感情を咀嚼するので精一杯だったから、モモカンって人の顔色とか、この人はこう言っていたとか覚えていて、それすごいなって。自分事で精一杯だった私は情けないなと思うぐらい。その当時からももちゃんは腹をくくれていたんだなと、これを書きものにするんだと思っていたのかなと思うと心が奮い立つというか、そういうところから感動していったのかな」と語った。アイナの言葉を受け、モモコは「私も精一杯で、最初の何年間かはこの気持ちをどう咀嚼していけばいいんだろうって、自分なりの咀嚼の方法が書くという行為だった。(『解散します』と言われた)その日に家に帰った時にノートの表紙になんとなく『解散ノート』って書いて、自分の気持ちを忘れちゃうと思って書きました」と説明。「解散のことを解散した後に思い出して書くと全部きれいになっちゃうかなと思った。だからその日のうちに忘れないように書きました。全部その日中に書いていて、あとから付け足したものは何一つない」と明かした。アイナは「読んで初めて知ることが多くて、ももちゃんこんな悩んでいたんだって」とも話し、「ももちゃんはいつもあんま顔に出さない。こんな自分と向き合って悲しい気持ちになったり、不甲斐ない気持ちになっていたんだと、これを読んで知ったから、もっと気づけたらよかった」と言うと、モモコは「優しい」と笑顔を見せた。また、アイナは「『解散ノート』全部涙読みしました。人生で初めて泣きながら読みましたけど、最後のあとがきが『解散ノート』の醍醐味だと思う。モモカンがぶちまけている。人に気を遣ったり、自分をさらけ出すことに躊躇していないというのか、伝えたかったことが直球で言葉に表れていて、皆さんに何度も読んでほしい」と熱弁。さらに、「『解散ノート』をいただいた日に読んだんですけど、最初怖かったんです」と告白。「せっかく自分の心が落ち着いて、1人で地に足をつけて歌をやっていこうと、腹をくくるしかないと思っている時期に、もう1回BiSHのことを思い出すと寂しくなっちゃうと思ったんですけど、読んだら全然違った。モモカンの心はどこにあるのかという本な気がした。自分に自信がないように見えるけど、実はフラットにも見える女の子、でも天邪鬼に誰のことも敵に見える時がある、いろんな心があって、これが人間だよねって思えたから、自分にも置き換えやすかったし、ただの解散にまつわる本じゃないなと思った」と述べ、「この本はお守りみたいにみんなの心に光をともしてくれる、たまに涙を誘ってくれる本だと思ったから、この本を読めてよかったし、アイナが死んだ時にこれを棺桶に入れてほしい。これからも宝物にしていこうと思います」と語っていた。
2024年02月25日「『アナウンサーぷっつん物語』はフジテレビが舞台。私は1985年に退社しましたが、よく局に出入りしていたから、古巣に戻ったという感覚はありませんでした」こう語るのは、山村美智さん(67)。出演オファーは、フリーになって1年ほどして舞い込んだという。「最初は出演オファーじゃなかったんです。プロデューサーの中山和記さんや脚本家の畑嶺明さんに『アナウンサーのドラマを作るから、裏話を教えてくれないか』と取材されて」1986年に男女雇用機会均等法が施行されたものの、実際の職場では旧態依然とした男女差別が残っていた。それはフジテレビでも同じだったという。「新人の女性アナは、男性アナのお茶くみをしたり、湯飲みを洗うのが当たり前。選挙特番の打ち合わせの際、私は誰よりも早くに来て、先輩アナに『副調整室で待っています』と伝えていたのに、私は呼ばれない……。事情を知らないスタッフから叱られましたが『誰よりも早くに来ていました』とも言えず。意地悪した先輩アナからすれば“女はいらない”という古い考えを捨てられなかったのでしょう」そんな実体験がドラマにリアリティを与えた。そして山村さん自身も、メインキャストの一人として名を連ねることになった。「私はNHKから移籍してきた花形アナウンサーという役どころでしたから、ちょっとお高くとまった感じにしてみました(笑)」同ドラマは実験的な挑戦をしており、第5回は生放送。「マイク片手に廊下を歩くときにつまずきそうになるなどハプニングもありましたが、ニュース番組の経験があったから時間内できっちりセリフを言い終えることには慣れていたんです」撮影現場の雰囲気もよかった。「神田正輝さんや岸本加世子さんと一緒の時間が多かったですね。神田さんはシティボーイという感じで、おいしいお店もたくさん知っているんです。『この間、妻と○○に食事に行ってね』なんて、プライベートなことも話してくださいました」高視聴率に支えられた同ドラマは“月9”最初の作品となり、この放送枠から数々の名作が誕生することになる。「私にとっても、フリーアナになって最初の連続ドラマ。女優として、人生のセカンドステージのスタートとなった、思い出に残る作品です」
2024年02月25日更年期を迎える45歳ごろから急に抜け毛・薄毛が気になるようになりました。これほど急激に起こるとは予想もしておらず、一時はとても悩みました。しかし私の場合、これらに対するストレスを解消することで薄毛の進行を止めることができたのです。今では髪にボリュームが出てくるまでに改善した体験談を紹介します。恐ろしくなるほどの抜け毛におびえた日々私はもともと髪の毛が太く多いタイプでした。しかし、45~46歳ごろから急激に抜け毛が目立つようになったのです。シャンプーのときに指に驚くほど抜け毛が絡まったり、普段でも髪をかき上げるとパラパラッと抜け落ちるといった具合でした。その結果、自分でもはっきり確認できるほど短期間に髪のボリュームが減っていきました。髪が長いと抜け毛も多く感じられショックが大きいため、思い切って短めにカットしました。すると髪自体も細くなりコシがなくなってきたので、全体がペッタンとしたイメージに。そして、いつも抜け毛が気になっていたせいか、朝起きると髪がすべて抜けていたという悪夢を何回か見たこともありました。美容師さんにも相談しましたが、やはり更年期に入り女性ホルモンのエストロゲンが低下することで、急激に薄毛になる女性もいるとのこと。そんな状態でなんとかしなければと思うようになったのです。もしかしたらストレスが原因かも?だんだん心が折れそうになり、まず考えたのが髪専門クリニックでの治療でした。しかし、料金が高いというイメージがあり、あまり積極的になれませんでした。そこで敵を倒すにはまず敵を知ることが大切だと考え、ネットや本で原因を調べました。その結果、遺伝、更年期などによる女性ホルモンの低下、シャンプー剤やシャンプーの方法の問題。さらに、食生活、睡眠、血流、ストレスなどさまざまな要素が深く関わっているようでした。自分なりに改善できることはすべて実践してみようと思いましたが、シャンプー剤をはじめ食生活、睡眠、頭皮マッサージなどは自分なりにどれもこだわって、すでに実行していたことだったのです。遺伝や女性ホルモンの低下などに対しては簡単に自分で改善することはできません。ただ、ストレスという言葉がやけに気になりました。私にとって抜け毛・薄毛の悩みはとても大きなストレスだと感じていたからです。とはいっても心のコントロールは簡単ではありません。しかし、このストレスを解消する努力をしてみようと考えたのです。ストレスの解消は意外なことだったストレス解消のためアロマオイルを利用したりいろいろ試してみましたが、抜け毛・薄毛に対する不安や恐怖は根本的なところを解決しない限り解消されないのだと感じました。そこで自分は何がそんなに不安や恐怖を感じているのかということを自問自答したのです。結局、私の不安や恐怖は髪が薄くなった自分の姿に対してだということに気付きました。そこから発想をガラッと変えて、気に入った部分ウィッグを使ってみようと思ったのです。現在の技術は非常に進んでいるため、とても自然にボリュームアップをすることができました。すると今まで家に閉じこもりがちだった私が、外出したいと思うようになったのです。そして抜け毛・薄毛に対する不安や恐怖はどんどん消えていき、「もし全部抜けたって、どうってことないわ」という気持ちにまでなれました。すると、1カ月ぐらいの短期間で抜け毛が急激に減りました。抜け毛に対するストレスがより抜け毛を加速させていたようです。それから3年ほどたち、現在では抜け毛はまったく気にならないレベルとなり、髪のボリュームも出てきて部分ウィッグが必要なくなってしまいました。まとめ今回のように更年期に起こる女性ホルモンの低下は特に異常なことではないそうです。そして、それに伴ういろいろな症状に対してもあまり不安を持つと、逆にその不安で押しつぶされてしまい、実際に体調の変化も出てしまうことがあると痛感しています。今まで私はストレスというものを「気の持ちよう」と軽視していましたが、今回のことで体にも影響を及ぼすものだということも学びました。そして、ガラッと発想を変えることでストレス解消ができることも知ったのです。これからも更年期でいろいろな変化が出ることもあると思いますが、それは自然の流れと受け止め発想を転換しながらうまく乗り越えていきたいと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/Sakura(49歳)子どもは独立し今は夫と2人暮らし。大好きなアクセサリー作りを仕事に。収入は少ないけど好きなことなので意外と気に入っている。
2024年02月11日●解散宣告を受け「貴重な日々」だと気づいた多くのファンに愛されながら昨年6月29日をもって解散したガールズグループ・BiSH。彼女たちが「解散宣告」された日から東京ドームでのラストライブまでの3年半の日々をモモコグミカンパニーが赤裸々につづったエッセイ『解散ノート』が2月14日に発売される。解散をどのように受け入れ、ソロになる不安とどう向き合ってきたのか。苦悩も喜びもリアルタイムで書き留めてきたモモコグミカンパニーに、同書に込めた思いや解散後の変化など話を聞いた。――『解散ノート』を読ませていただきましたが、本当に赤裸々に3年半の日々をつづられていて、当時の思いを知ることができました。最初は本にしようと考えていなくて、自分で振り返りたい記憶だなと思って書き始めたんです。プロデューサーの渡辺(淳之介)さんから「解散という選択肢もあると思うけど、どう?」と言われた時は、BiSHとして5年ぐらい活動して人気も出てきた頃で、だんだん慣れてBiSHの音楽や自分の立場が当たり前のようになっていましたが、解散宣告を受けた瞬間から見え方がガラッと変わり、当たり前ではなくすごく貴重な日々なのだと気づき、これからの日々を残していこうと思ったのが始まりです。――書いている途中で本として出したいという思いが芽生えたのでしょうか。最後の1年ぐらいは、これは誰かの背中を押せる本になると思うから本にしようという気持ちで書いていましたが、最初の頃は自分がこの先、BiSHという大きいものが取り払われた時に、どういう不安を抱えたり、どういう葛藤をしたりするんだろうという興味もあって、赤裸々にリアルタイムで書き残していこうという思いでした。――日記も書いているとおっしゃっていましたが、それともまた違うものとして書いていましたか?『解散ノート』は“解散”というテーマがあったので、普通の日記とは違いますし、暴露本でもなく、自分の中では闘病記かなと思っています。エッセイも今まで2冊出しましたが、解散してから振り返って書くのでは遅いと思い、東京ドームまでの日々をリアルタイムで、その日のことをその日中に書くというのを徹底していました。――「闘病記」という表現になるんですね。病気を宣告された人はたぶん、残りの日々を愛おしいと思うんです。マイナスなことですけど、その日まで頑張って生きようというプラスの感情、生きるエネルギーが湧いてくる気がしていて、その感覚に似ているのかなと。解散はネガティブなことでもありますが、その日まで貴重な日々を生き抜こうという意思が芽生えたのも解散宣告を受けたからなので、闘病記という言葉がすごく近いなと感じています。○BiSHにとって解散はブースターに「みんなの視線が一致した」――『解散ノート』では、不安を吐露しながら前向きな気持ちに変わっていく変化を感じましたが、日々自身の思いを書きながら気持ちが変わっていったのでしょうか。書きながらというか、生きながら変わっていったのかなと。解散を宣告されてから、自分単体と向き合うことになり、いろんな人に「自分には何もない」と相談したり、「夢だった小説に手を伸ばしてみよう」とか、そういう過程を経て一歩一歩進んでいった気がします。葛藤の日々があったからこそ、最後のほうはBiSHを真正面から楽しもうと思えたし、明るくなっていったのかなと思います。――前向きに変わるきっかけになったことがありましたら教えてください。解散を宣告された時に私は悲しいとも思いましたが、よかったとも思ったんです。女性グループで、いつまでもやっていきたいという子もいれば、私はこれがやりたいんだという子も解散がなかったら出てきていたと思うので。5年以上経ってメンバーが少しずつ別の方向を見始めた時に解散を突きつけられ、みんなの視線がBiSHの終わり“解散”に一致したのはすごく大きいことだと思っていて、BiSHにとって解散はブースターになったなと思います。――解散が決まったことで、メンバーの皆さんの気持ちが一つになって最後に向かっていくことができたのですね。そうですね。BiSHを愛してくれている人で、まだ解散を受け入れられていないという人もいると思いますが、『解散ノート』がそういう人たちの手助けになるのかなとも思っています。私なりの解散はこうだったというのを覗いてもらってどう感じるか、自分の気持ちを大切にしてほしいです。――何か終わりに向かって進んでいる人たちが勇気をもらえる一冊になりそうです。私は解散が決まってから当たり前だと思っていた日々が貴重な日々だと再認識することができましたが、誰でも次の日に自分の大切なものが目の前から消えるということはあると思うので、『解散ノート』を読んで、毎日ってすごく貴重なんだと感じてもらえるかもしれないし、将来に不安がある人の背中を押せるのではないかなと思っています。私は「自分には何があるんだろう」と模索してもがいている日々でしたが、最後は笑顔で東京ドームに立ってやり切ったと言えたので。プロデューサーの渡辺さんとの面談の様子も生々しく書いているので、一緒に面談を受けているような気持ちで読めると思いますし、少しでも人生に悩んでいる人たちの励みになればいいなと思います。●解散と向き合って生きた中で見つけた希望――BiSHの解散にしっかりと向き合って生きた中で、何か気づきや学びなどありましたらお聞かせください。芸能界はもしかしたら汚いのかもしれないと思っていましたが、見てくれる人は見てくれるし、頑張ったら頑張った分だけ、結果が表に出て評価されなくても自分のためになっているというのがわかり、それはとても私にとって希望になりました。また、地に足つけて自分の人生を歩むってこういうことなんだなとわかってきて、自分の足で歩くってこんなに怖いことなんだということも知りました。――自分の足で歩く怖さを感じつつ、その大切さを感じられたわけですね。そうですね。つらくなって親に「解散決まっているけど、私はもうダメだから、最後までできない」って泣きながら電話したこともありますし、いつでも強くいられたわけではないですが、葛藤していた日々もすごく宝物だったと思うし、今、自分が1人でいられるのも、その時期があったからだなと感じています。『解散ノート』を読み返して、周りの方々からもらった言葉にハッとすることもあります。――どんな言葉が刺さりましたか?プロデューサーの渡辺さんから「血の通ったものに人は集まるんだよ」と言われたことは、今でも大事にしています。芸能界は、普通にカメラに映ればその場をやり過ごすことはできると思いますが、血の通ったものに人は集まって見てくれるんだなと思うようになりました。○『解散ノート』が区切りに「BiSHについてガッツリ話すのは最後」――BiSH解散から7カ月以上経ちましたが、解散後の変化もお聞かせください。BiSH時代は地方公演など遠征が多くて、朝始発で行って日帰りという生活を送っていたので、朝早く起きなくていいというのは助かっています(笑)。以前は寝ることに執着していましたが、今は本を読んだり、誰かの話を聞きに行ったり、吸収する時間に使えるように。あと、挨拶などほかのメンバーに頼っていた部分がありましたが、今は頑張って自分で楽屋挨拶などしています。恥ずかしがっていちゃダメだろと、自分で自分のお尻を叩いて。――吸収する時間に使えるようになったということですが、どんなことを吸収されていますか?いろいろありますが正直まだ全然休めていなくて、6月29日に解散し、全力でペダルを漕いでマックスのギアで駆け抜けていたのがまだ止まっていなくて、余力で動いている感じなんです。だから、新たにこれをやりましたというのはまだあまり言えませんが、やりたいと思っていたことはけっこうできていて、『解散ノート』を出すこともそうですし、YouTubeを始めたいと言って作らせていただき、うれしいなと感じています。――この『解散ノート』はご自身の中で一つの区切りになりそうですか?BiSHについてガッツリ話すのは『解散ノート』で最後にしようと思っていて、区切りになると思っています。自分の中で本当に終わるというか、寂しいなという気持ちもあるし、読んでもらえるうれしさもあるし、複雑な感情になっています。●自身の作品への願いとBiSHメンバーへの思い――今後の活動はどのように思い描いていますか?人を巻き込みたいと思ったら、どうにかして巻き込んで大きいことをやりたいと思いますし、執筆活動も続けていきたいと思っています。自分の作品にはもうちょっと頑張ってほしいなと、作家という肩書きからするとその願いもあって、『解散ノート』も私のことを知らない人でも手に取りたいと思うぐらい羽ばたいてくれたら本望だなと思います。――文学賞を受賞したいという願望もあるのでしょうか。賞は本当に意識していなくて、読んでくれた人から感想をもらうことが一番の幸せで、何かしらいい影響を与えたいという思いはすごい強くあります。あとは自分の中での納得感……これを出したんだっていう喜び。『解散ノート』に関しては、出せるだけでうれしいなと思っていますし、BiSHの曲は永遠に残っていくので『解散ノート』をきっかけにまたBiSHを聴き始めてくれたり、いい風を吹かせられたらいいなと思っています。○BiSHメンバーは“戦友”「自分も頑張ろうという気持ちに」――BiSHのメンバーの皆さんは今それぞれ活躍されていますが、そういった姿から刺激をもらうこともありますか?そうですね。今隣に並んだらジャンルが違うなと思う人たちばかりですが、だからこそすごく心強いなと思っています。例えば、歌で不安になったらこの子に相談に乗ってもらおうとか、絵だったらこの子かなとか。そして、ずっと一緒に戦ってきた同志なので、みんなが頑張っている姿を見ると、自分も頑張ろうという気持ちになれる存在で、メンバーにいいことが起これば心から喜ばしいなと思います。――これからも戦友のような存在に?本当に戦友です。友達でもなければ他人でもなくて、今一緒に戦っているのかと言われるとわかりませんが、過去に大きな敵を一緒に倒した仲間という感じがしています。――最後にファンの方にメッセージをお願いします。『解散ノート』を読むにあたって、身構えているファンの方もいると思いますが、あなたにとってのBiSHの解散もすごく貴重なものなので、私に全部賛成ですと言う必要もないし、私にとっての解散はこうですという感じで気軽に読んでいただければいいなと思います。そして、BiSHを知らない人でも、これを機会にBiSHを知ってくれて、音楽を聴いてくれたらうれしいです。■モモコグミカンパニー9月4日生まれ、東京都出身。ICU(国際基督教大学)卒業。2015年3月に結成され、高い人気を誇りながら2023年6月の東京ドームライブを最後に解散したガールズグループ・BiSHの初期からのメンバーとして活躍。メンバー最多の17曲を作詞。2022年に『御伽の国のみくる』で小説家デビューし、2023年7月に2冊目の小説『悪魔のコーラス』を発売。これまでにエッセイ2冊も上梓。2023年9月から音楽プロジェクト(momo)を始動するなど、幅広く活動している。
2024年02月10日45歳を過ぎた私は、ストレスや疲れから生理不順になり、もしやホルモンバランスが崩れているのかなと考えるように。そんなとき、黒い食べ物が健康や美容に良いようだということを知りました。肌や体を整え、美肌を目指し、老化を防ぎたい! そんな思いを胸に、食生活に黒い食べ物を積極的に取り入れてみることにした体験談です。驚き!きくらげは肌を整える食材だった黒い食べ物はたくさんありますが、その中で私が注目した食材はきくらげ。きくらげは美肌食材の1つのようでした。きくらげには黒きくらげと白きくらげがありますが、黒きくらげは肌に栄養を運んでお疲れ肌に効く食材といわれ、白きくらげは肌に潤いをもたらすので美肌を目指すのに持ってこいの食材だということです。問題は、きくらげをどう食べるか。私はいつもの料理に乾燥きくらげをプラスして食べてみました。黒きくらげは、わが家では豚肉と野菜炒めに入れて食べています。これは家族全員に好評! 白きくらげはサラダに入れて食べたり、味噌汁や野菜スープなどに入れたりしています。乾燥きくらげは、水に漬けて10分くらいでかなり膨らみます。黒と白の両方とも食物繊維が豊富で、カロリーは控えめなのにこれを食べるとかなり満足感が得られました。そして、最近は吹き出物が顔にできなくなり、肌の調子は良い感じです。黒ごまで貧血予防し、髪ツヤを取り戻す黒い食べ物の1つ、黒ごまは体や髪に栄養と潤いを与えてくれる食材といわれていますが、それだけではなく、白髪にも良いと知りました。最近、白髪が増えてきた私にはぴったりな食材だと思い、黒ごまも摂取することに。1日大さじ1~2杯を目安にとるようにしています。とはいっても、以前は黒ごまをあまり食べたことがなかった私。なので、最初は毎日飲んでいる豆乳にすった黒ゴマときな粉をトッピングして飲んでみました(写真参照)。するとこれがとてもおいしくて自分的に大ヒット! おいしくて美容と健康に良いならうれしい限りなので、それ以来飲み続けています。料理では、おひたしや味噌汁などに黒ごまを使っています。おひたしは、ゆでたほうれん草などの青菜にすった黒ごまと醤油を振りかけるだけ。簡単でとてもおいしい副菜ができ上がります。味噌汁は、黒ごまを振りかけて食べています。今のところ、急に白髪が減ったということはないですが、とり続けることで肌や髪の調子を取り戻したいと思っています。黒酢でストレスを解消して疲労回復へ!黒酢には、普通の酢よりも筋肉や髪などを作る天然アミノ酸が凝縮され、ストレスを解消し、リラックスさせてくれる効果があるそうです。また、代謝を促進し、疲労回復に努めてくれるようです。私は酸っぱい系が好きなので、黒酢は全然平気。年々疲れやすくなった私にはもってこいのアイテム。私の黒酢の使い方ですが、1番はピクルスを作って食べています。耐熱容器に好きな野菜、黒酢、砂糖、水を入れて、電子レンジに入れて数分加熱するだけ。これでピクルスが完成! 暑い時季はよく食べて、疲れを吹き飛ばしていました。あとは、醤油と黒酢を混ぜてポン酢風にしたものを焼き魚にかけて食べています。大根おろしとも相性が良いので、焼き魚に大根おろしを乗せて、この黒酢と醤油のブレンドをかけて食べるのも好きです。まとめ40歳を過ぎたころから、少しのストレスや疲れから思うように体がコントロールできなくなってきました。45歳を過ぎた今では、若いころのように無茶をしても大丈夫ではないことを認識。自分の年齢に合った生活スタイルを取り入れることがベストだと気付きました。ごぼう、焼きのり、干ししいたけ、ブルーベリー、黒砂糖などとにかく黒い食べ物はたくさんあります。この先も体の不調とうまく付き合っていくためにも黒い食材と併せていろいろな食材をバランスよくとっていきたいと思います。それにより、元気な体や美肌を目指し、少しでもなりたい自分に近づけて、笑顔がずっと続く毎日を過ごしていきたいと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/ひぃさん(46歳)結婚を機に専業主婦へ。毎日ウォーキング、腕立てふせ、柔軟体操、腹筋などをしてるけれど、同じ回数をこなすのが年々大変になってきて体力の限界を感じている。無理なく体型を維持することができないかを模索中。
2024年02月07日私は20代のころ、職場の先輩から聞いた「若いときに近視だった人は年を取っても老眼にならない」という話を長い間信じていました。しかし、45歳を過ぎ、少しずつ老眼の症状が出てきた私は、その話がウソだったことに気付いたのです。10代から近視眼鏡生活10代後半から近視がひどくなった私は、毎日眼鏡をかけて過ごしていました。コンタクトに憧れて眼科医に相談すると「ドライアイがひどいのでコンタクトは勧められない」と言われ、眼鏡生活を続行。最初は眼鏡があまり好きではなかった私ですが、世間で「メガネ男子」「メガネ女子」という言葉が流行り、安くて質の良い眼鏡を売っているお店が増えたことで、眼鏡もファッションの一部だと考えるように。フレームの形や色の違う眼鏡を数本買いそろえ、洋服やメイクに合わせて眼鏡を使い分けながら毎日の眼鏡生活を楽しむようになりました。20代のころに聞いた話20代のころ、職場の先輩から聞いた、「若いときに近視だった人は老眼にならない」という話。年を取って老眼になってきたら遠近両用眼鏡に買い換えなければ……。遠近両用メガネは高いって両親が言ってたな……と、老眼に対してネガティブな印象を持っていた私にとって、その話は朗報でした。その話が何の信憑性もないものだとは知らず、「私には老眼鏡の必要がない!」と、心の中で小さなガッツポーズをしていました。40代に突入するとそれから月日は流れて45歳を過ぎたころ、少しずつ目の見え方が変わってきたことに気が付きました。読書をしていると文字がかすんではっきりと見えず、スマホは目から少し離さないと文字が見えず、書類に文字を書く欄さえもよく見えなくなっていたのです。これはまさか老眼!?と驚き、インターネットで老眼について調べました。すると、20代のころに聞いた「若いときに近視だった人は年を取っても老眼にならない」というのは間違った情報だったことがわかったのです。20年近く信じていた職場の先輩の言葉が、一瞬にしてひっくり返りました。まとめ長い間信じていた「近視は老眼にならない」が偽情報だったことはショックでしたが、不思議とネガティブな気持ちはありませんでした。今はデザインが良くかわいい老眼鏡がたくさん売っているし、遠近両用眼鏡も昔のようないかにもという、ごついレンズではありません。「次はどんな眼鏡を買おうかな」と、買い換えることが楽しみになっています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。著者/吉野 詠美福岡県在住。専門学校を卒業後、技術系事務、経理、BAなどの仕事を経験。趣味は、コスメ・メイク・スキンケアなど美容の探求、読書、アニメや海外ドラマ鑑賞、投資(主に外国為替取引)など。
2024年02月05日40代になっても同年代に比べたらまだまだ若い気でいる私。更年期なんて自分には無関係な話だと興味もありませんでした。しかし45歳を過ぎると体に違和感を感じるようになりました。更年期症状といえば生理に異常が起こることだと認識していたので、突然始まった起床と同時に起こる手指のこわばりが更年期症状と関係があったとは思いもしませんでした。朝起きると指が曲がって伸ばせないある朝、いつも通りにベットから起き上がって、寝室のカーテンを開けようとカーテンに手を伸ばした瞬間にピリッとした痛みを両手の指に感じました。まるで低周波治療器の電流の刺激のような感覚でした。ゆっくりと指を伸ばすと指は開くことができるのですが、ピンと伸ばすことができません。こういう症状は高齢者でよく聞くのでまさか自分が? と不安な気持ちになり、何かの病気ではないかと心配になりました。これが更年期症状?ちょうどそのころ、勤めていたパートを辞めて次の仕事を探している最中でした。子どもも手がかからなくなり、日々の家事も手際よくできるようになっていたので時間的な余裕ができていました。もしかしたら仕事もせず、ゆったりと暮らす生活が更年期症状を招いているのではと思いました。そこで更年期症状とはどういったものがあるのか検索してみることにしました。原因について調べてみると…調べてみると、手指の関節の違和感や痛みなどの症状を訴える人の9割は女性で、そのほとんどが更年期の人だそうです。産後や授乳期にも見られることがあり、いずれも女性ホルモンのエストロゲンの減少が原因になっているとのこと。指が動きにくいという症状をそのまま放置しておくと、7〜10年かけて関節の変形が起こり、60代にはそのまま関節が固まってしまうとありました。これはすぐに対策せねばと、エストロゲンと似た作用をする大豆イソフラボンの代謝産物のエクオールのサプリを購入し、毎日飲み始めました。1年以上続けて飲んでいますが、手指のこわばりは一切なくなりました。まとめ毎日の生活は同じことの繰り返しで、子どもが大きくなるとさらに日々の暮らしにメリハリがなくなり、自分自身が老けているという感覚が薄れてきました。しかし確実に体は老いていて、更年期は生理がなくなるだけでなく、他の部分でも不調が表れるということを肝に銘じておかないといけないと思いました。気付いたときにすぐできる対策をするだけで、5年後、10年後の体調も変わってくると思うので、体をいたわるよう心掛けたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/大橋らむね小売業を中心に事務職や飲食店でパートとして勤務。体を動かすことが好きで、日々ウォーキングをおこなっている。
2024年01月11日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「旧統一教会解散命令」です。一件落着ではない。与党はこの問題にメスを入れて。10月、文科省は旧統一教会(宗教法人世界平和統一家庭連合)に対する解散命令を東京地方裁判所に請求しました。信教の自由は民主国家にとって非常に大切な問題ですから、解散命令請求を行ったというのは、日本の歴史の中でも重い決断だったと思います。旧統一教会は約30年前に悪徳な霊感商法により、一度注目されましたが、昨年、元総理大臣が殺害されるという事件も相まって再び注目を集めました。信徒が多額な献金を請求され、暮らしそのものが破壊されたり、宗教2世が自由も人権も奪われていたり。さらに、教団と政治家が強く結びつき、政治家たちを様々な形で支援していたこと。教団の本拠地が外国にあるなど、総合的に見て、「公共の福祉」に反すると判断されたんですね。これらの問題は、宗教法人資格を剥奪して終わり、ではありません。与党はもっと自分たちの業界にもメスを入れてほしいと思います。なぜなら、特定の宗教法人の意向が、政治家たちの発言や行動に影響を与えていたとすれば、それこそ民主主義国家としての信頼を根底から覆すことになります。しかし、旧統一教会問題への世間の関心は次第に薄まり、解散命令が問題の幕引きに使われたところもあるのは見過ごせません。宗教2世の子供たちが、自由に活動する権利を奪われたり、親の信仰によって制限される問題は、放置してよいものではありません。子供の権利を誰が守ればいいのか、議論をもっと深めていかなければならないでしょう。解散命令が請求されるまでに、文科省は宗教法人法に基づき、宗教法人に対する質問権を行使しました。これが規定されたのは平成8年ですが、行使されたのは今回が初めてです。これまでにも問題はあったはずなのに、行使を阻むものが何かあったのではないかという疑問も残ります。霊感などで不安をあおり、寄付を必要不可欠と思わせる不当な勧誘行為や、家や資産を売却してまでも献金するよう要求することを禁止する「被害者救済法」が昨年成立したのは前進でした。しかし、政治と宗教の問題、宗教2世のケアなど、課題は山積しています。ほり・じゅんジャーナリスト。元NHKアナウンサー。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。報道・情報番組『堀潤モーニングFLAG』(TOKYO MX月~金曜7:00~8:30)が放送中。※『anan』2023年12月20日号より。写真・小笠原真紀イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2023年12月18日スペイン映画『ミツバチと私』が、2024年1月5日(金)に公開される。“自分探し”をする子どもの葛藤と家族の物語スペイン映画『ミツバチと私』は、自分の性別に悩み、“本当の自分”を探す8歳の主人公と、葛藤しながらも寄り添う家族の物語。トランスジェンダーの悩みを抱える子どもだけでなく、母、祖母の3世代の視点を交え、それぞれの考えで人生を生き抜く姿を描き出す。主人公は約500人の中から選ばれたソフィア・オテロ主人公のアイトールは、約500人の中からオーディションで選ばれたソフィア・オテロ。本作が映画初出演となるオテロは、子どもが抱える不安や心の機微を繊細に表現し、史上最年少の9歳にして、ベルリン国際映画祭にて最優秀主演俳優賞を受賞した。ちなみにベルリン国際映画祭では、2020年に男優賞・女優賞が廃止され、性別区分のない主演俳優賞、助演俳優賞が設けられている。劇中では、自然豊かなバスクの川でのひと時や、どうしようもない憤りで顔を歪ませる姿、母・アネの目を盗み兄のエネコとプールに大量の石鹸を入れて泡だらけにするシーンも。それらを通して、オテロ演じるアイトールの繊細で豊かな表情を見ることができる。監督はエスティバリス・ウレソラ・ソラグレン監督は、第75回カンヌ国際映画祭の監督週間で上映された『Chords』など数々の短編を手掛けてきたスペイン人監督のエスティバリス・ウレソラ・ソラグレン。彼女にとって長編劇映画デビュー作となった映画『ミツバチと私』は、ベルリン国際映画祭の銀熊賞に加え、ギルド賞をW受賞。さらに、第26回マラガ・スペイン映画祭でも最優秀スペイン映画賞を受賞するなど、世界各国から注目を集めている。映画『ミツバチと私』あらすじ夏のバカンスでフランスからスペインにやってきた家族。 8歳のアイトールは、自分の性自認が分からず、違和感と居心地の悪さに悩み、心を閉ざしていた。母はそんなアイトールを愛しながらも向き合い方に迷っている。ある日、叔母が営んでいる養蜂場でミツバチの生態を知ったアイトールは、ハチや自然と触れ合うことで心をほどき、多様性を受け入れ、ありのままで生きていきたいという思いを強くしていく――。【作品詳細】映画『ミツバチと私』公開日:2024年1月5日(金)監督・脚本:エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン撮影:ジナ・フェレル・ガルシア美術:イザスクン・ウルキホ編集:ラウル・バレラス字幕:大塚美左恵出演:ソフィア・オテロ、パトリシア・ロペス・アルナイス、アネ・ガバライン配給:アンプラグド英題:20,000 SPECIES OF BEES
2023年12月14日12月12日、お笑いコンビ「和牛」が2024年3月末をもって解散することを、所属する吉本興業の公式サイトを通じて発表した。水田信二(43)は解散のきっかけについて、《3年程前に気の緩みから複数回の遅刻が重なったこと》と明かしている。以後、《漫才のパフォーマンスにおいて川西の要求に応えられないことがあり、漫才への取り組み方について川西との差を感じるようになりました》と相方の川西賢志郎(39)との間に溝が生じていたという。その結果、《お客さんに笑ってほしいという目的は同じでしたが、川西の求めるものと自分のやりたいこととのギャップが徐々に開いていき、相方に対して意見することができなくなり、楽しかった漫才が苦しいだけの毎日になっていました》とコンビの関係性が悪化してしまったと告白していた。また、川西も《3年ほど前から、僕はより舞台に力を入れたいという思いが強くなる一方で、水田の劇場出番への遅刻が続いたことをきっかけに、自分と彼との漫才に対する姿勢の違いが目立つようになりました》と遅刻が溝を深めたとコメント。水田の行動への不信感から、《徐々に彼を信頼できなくなり、節度を保てず厳しく言葉をかけることもありました。それが彼を苦しめることに繋がり、求めるような漫才もできなくなってしまいました》と苦しい状況に陥ってしまったという。実は、水田は’10年にも自らの遅刻をきっかけとして、“解散”を提案したことがあった。「和牛の二人は、’19年2月に『八方・陣内・方正の黄金列伝』(読売テレビ)に出演した際に、’10年に起こった解散危機について話しています。そのきっかけは、水田さん主催で、他の芸人を呼んで行うトークライブがあったのですが、夜の9時からのスタートにもかかわらず、水田さんが寝坊して遅刻したというもの。その様子を所属事務所の幹部が見ていたそうで、無期限謹慎処分に。それで、川西さんに申し訳ないとおもって解散を言い出したそうです」(芸能記者)しかし、川西は水田の謹慎がとけるのをじっと待っていたという。結果、謹慎は50日にも及んだ。たびたび芸能界でも話題になる“遅刻”。時間に遅れて周りに迷惑をかけるだけでなく、コンビの信頼関係も崩してしまうーー。事務所幹部の厳しい判断もそんな思いがあってのことだったのかもしれない。
2023年12月13日2023年12月5日、お笑いタレントのみやぞんさんと、あらぽんさんによる、お笑いコンビ『ANZEN漫才』が、2024年3月31日をもって解散することが発表されました。2人が所属する事務所『浅井企画』によると、みやぞんさんは2023年12月31日をもって同事務所を退所し、フリーで活動していくことになるといいます。みやぞん及びANZEN漫才に関するご報告この度、みやぞんは2023年12月31日をもちまして弊社を退所、ANZEN漫才は2024年3月31日をもちまして解散いたします。これまでANZEN漫才を応援してくださったファンの皆様、そしてご支援いただいた関係者の皆様に心より御礼申し上げますとともに、突然のご報告となりましたことをお詫び申し上げます。みやぞん本人より「会社を離れて自分の力で色んなことにチャレンジしていきたい」との申し出があり、本人との話し合いを重ねた結果、みやぞんはフリーで活動していくこととなりました。また、みやぞん退所に伴い、今後の個人およびコンビでの活動について話し合いを重ねた結果、ANZEN漫才は解散することとなりました。あらぽんは引き続き弊社に所属し、タレント活動を続けてまいります。弊社としましては、新たな目標に向かって前進するみやぞんとあらぽんのさらなる飛躍を願い、活動を応援していく所存です。改めまして、これまでANZEN漫才を応援してくださった皆様に心より御礼申し上げます。これから別々の道を歩むことになりますが、みやぞん、あらぽんへの変わらぬご支援とご声援をいただけますと幸いに存じます。浅井企画ーより引用東京都足立区生まれの幼馴染同士でもある、みやぞんさんとあらぽんさん。2009年に結成された同コンビは、みやぞんさんがギターの弾き語り、あらぽんさんがラップを披露するなどの『歌ネタ』が人気でした。みやぞんさんは、事務所の発表と同時に自身のX(Twitter)を更新し、「幼馴染のあらぽんとはこれからも親友です」とつづっています。浅井企画の皆さんへは感謝の気持ちでいっぱいです!幼馴染みのあらぽんとはこれからも親友です!ファンの皆さん、これからもあらぽんと僕を応援よろしくお願いいたします! pic.twitter.com/b9tdmsyLO4 — みやぞん (@anzenmiyazon) December 5, 2023 『ANZEN漫才』解散のニュースに、ネット上では、「驚いた。2人の門出に拍手!」「解散は残念ですが、これからも応援します」などエールの声が寄せられています。コンビではなくなっても、2人の友情はこれからも続いていくことでしょう。みやぞんさんとあらぽんさんの新たな挑戦を、多くの人が応援しています![文・構成/grape編集部]
2023年12月05日転勤族の私は、45歳にして初めて食堂のない単身寮に住むことに。今まで寮の食堂や妻の手料理頼みだった炊事を、初めて自分でおこなうことになりました。毎日3食外食を続けるわけにもいかない事態に困った私は、意を決して料理にチャレンジ! いざ始めてみると意外とハマってしまって……。初めて食堂のない生活をきっかけに自炊することに高校卒業後すぐに就職した私。転勤の多い職場で、短くて3年もするとすぐに引っ越しを繰り返すという生活も、もうじき30年になろうとしています。私の務めている会社は、独身寮と単身寮に食堂がついている場合が多く、寮を利用している間は食事の準備に困ったことがありませんでした。高校時代の同級生であった妻と結婚してからは、妻に食事を作ってもらっています。そういった事情もあり、実家を出てからこれまで、私はほぼ自炊というものをしたことがありませんでした。そんな私に、ある転機が訪れます。妻と離れて単身赴任することが決まったのです。しかも今回の住まいは、会社が単身寮として借上げている一般的なマンションの一室。食堂もなければ備え付けの家具や家電もありません。困った私は妻と相談し、新社会人の初めての1人暮らしのごとく、家電や家具など生活に必要なものを一通り買いそろえることになりました。その際、小さなフライパンや片手鍋など、袋ラーメンや冷凍食品が簡単に調理することができる程度のキッチン用品も購入。こうして45歳にして初めての自炊生活が始まったのでした。やっぱり外食が一番…と思っていたけど住み始めた当初は、好きなものを熱々でおいしく食べられる外食が一番良いと思っていました。妻に都合を聞かずに後輩と飲んで帰れたり、ふらっと立ち寄った居酒屋でひとりお酒を引っかけて帰ったりと、充実した単身赴任ライフを過ごしていた私。しかし、そんな生活も1カ月を過ぎるころには飽きてきて……。後輩にも家庭があるため、いつでもごはんに付き合ってもらえるわけではないことも、外食生活が行き詰った理由の1つでした。そうは言ってもおなかは減ります。「そういえば片手鍋を買ったんだっけな」困った私は、ふとキッチンの戸棚で眠っている、買った当時のまま一度も使っていない片手鍋のことを思い出しました。その日、私は初めて鍋でお湯を沸かして袋ラーメンを作りました。その作業が意外と楽しく、次には野菜を切って入れてみたり、付け合わせに買ってきた肉をフライパンで焼いてみたりと、家で作るたび、味を変えるためにしていた作業は少しずつ料理らしくなっていきます。さらに酒のつまみも作ってみようと、スマホで簡単なレシピを探して見よう見まねで作ってみると、驚くほどおいしいことに気付きました。妻が作っていたものや購入したものもおいしかったのですが、自分で作ると好みの味になることもあり、さらにおいしさが増すのです。ついに私は毎日自炊をするようになり、さらには週末に妻の待つ家へ帰ったときにも、自ら料理を作るようになったのでした。家でも料理するようになった夫に、妻の反応は?家に帰ったときにも料理をするようになった私の変化に、妻は驚きます。しかし、次第に「すごいね!」「これおいしいね!」「次はこんなものが食べたい!」と私のレベルアップしていく料理の腕前を褒めるだけでなく、次に帰ってきたときに食べたいものまでリクエストするようになったのです。妻の反応に気を良くした私は、平日は単身赴任先で料理の腕を磨き、週末は家に帰って成果を披露するという生活を楽しむようになりました。たまに仕事の都合で帰れないときがあると、妻から「今週は帰ってこれないの? ごはんどうしようかな、面倒だな」と笑いながら言われるようになったのは、さすがに私もうれしさとおかしさで笑ってしまいました。どうやら妻は私の作る料理にハマったらしく、できることなら毎日作って欲しいと思っているようなのです。妻にそう思ってもらえることは単純にうれしく、作った料理を褒めてもらえる気持ちよさや今まで任せきりだった炊事の大変さ、その仕事をいたわることの大切さに気付くきっかけとなりました。まとめ45歳にして初めて料理の楽しさや大変さ、食べた人に褒められるうれしさを知りました。こんなことがなければ、死ぬまで料理に挑戦することはなかったかもしれません。また、料理を毎日作ってくれていた妻が、毎回「おいしい?」と尋ねてくる気持ちを理解できたのも、今回の単身赴任が良いきっかけとなりました。今後は料理を続けながらも、妻に任せきりになっていた他の家事にも挑戦してみると、案外楽しさを見つけられるかもしれないなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/山本 さつきパパが大好きな息子と毎日格闘しているママライターです。たくさんの情報をわかりやすく伝えるべく、日々スキルを磨いています。
2023年11月30日バタバタすることが多い平日の朝。妻が外に出た数分間に起きたある悲劇をご紹介します。 どうしてこうなった!?いつも朝は夫の送り出しや食事の準備などでバタバタするのですが、その日はゴミ出しの日でもあり、いつにもましてバタバタしていました。 私はゴミをまとめるため一時的に外に出たかったので夫に声掛けをし、娘を見ているようにお願いしました。外にいた時間は2分程度だったかとおもいます。猛ダッシュで外から戻り勝手口を開けると同時にキッチンの上からひっくり返る夫のお弁当箱が目に入りました。娘がギリギリ手が届く位置に私が夫のお弁当を置いていて、フタを開けてしまっていたのです。夫も一瞬だけ着替えのため目を離していたそう。 夫婦で唖然として一瞬時が止まったのですが、娘もさすがに何か感じたのか数秒はおとなしかったです。娘はまだ1歳でこれからがいたずらしたい時期になるかと思いますが、今後は何事も最後までぬかりなくやり遂げ、娘による妨害を阻止したいと思います。 作画/市田スナオ著者:はつだ みこ女児のママ。保育園の空き待ちで自宅保育をしている。
2023年11月30日2023年11月6日、芸能事務所の株式会社グレープカンパニーがウェブサイトとSNSアカウントを更新。本日付けで、同社に所属するお笑いコンビ『ゾフィー』が解散することを発表しました。ツッコミ担当のサイトウナオキさんは退所し、芸能活動を休止。ボケ担当の上田航平さんは引き続き同社に所属し、タレント業に加えて、作家業など幅を広げて活動していくそうです。なお、開催予定だった『ゾフィー単独ライブ2024』は急きょ中止とのこと。同社は、ファンに向けて「楽しみにしていただいたみな様には、心よりお詫び申し上げます」と謝罪の言葉を述べました。【ご報告】本日11月6日を持ちましてゾフィーが解散する事となりました。今まで沢山の応援ありがとうございました!これからの2人も応援して頂ければと思います! pic.twitter.com/edHstgFS32 — グレープカンパニー (@grapecom) November 6, 2023 2014年に結成されて以来、およそ10年もの間、2人でお笑いコンビとして活躍してきた、サイトウさんと上田さん。お笑いタレントのコンテスト『キングオブコント』では、2017年と2019年にファイナリストとして輝きました。あまりにも突然の解散発表に、衝撃を受けた人は少なくない模様。全国の『ゾフィー』ファンが、悲しむ声や感謝のメッセージを寄せています。・あまりにも急な発表でショック。面白いコンビだったので、残念です。・今まで本当に楽しかったです。たくさんの笑いをありがとうございました!・驚きすぎて「えっ!」って声が出た。実力派として注目していたのに…。今日をもってゾフィーは解散します。山あり谷あり怒涛の9年間でした。今まで本当にありがとうざいました。解散の理由は色々とありますが一生懸命考えて出した結論です。今後については色々とやってみたいことがあるのでまっすぐ挑戦していきたいと思います。なにとぞ応援よろしくお願いします。— ゾフィー上田航平 Kohei Ueda (@zoffy_ueda) November 6, 2023 上田さんはX(Twitter)を更新し、自身の想いをつづっています。2人で話し合って導き出した結論なのでしょう。きっと、すべての『ゾフィー』ファンが、2人の新たな人生が笑顔にあふれたものあるよう、祈っているはずです。[文・構成/grape編集部]
2023年11月06日多くのテレビドラマや映画、CMなどに出演してきた、俳優の小西真奈美さん。独特の透明感や、ふんわりと柔らかいイメージで、作品を彩ってきました。そんな小西さんは、2023年10月27日で、45歳に。同月28日、小西さんは自身のInstagramで、ファンから寄せられたお祝いの声に応えるよう、近影写真とコメントを公開しました。「ずっと変わらない」「素敵」などの声が寄せられた、実際の写真がこちら。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 小西真奈美 manami konishi(@manami.official)がシェアした投稿 緑豊かな場所で、優しくほほ笑む小西さん。透明感や、やわらかい雰囲気がそのままで、とても45歳には見えません!小西さんは、45歳になった心境を、次のようにつづっています。もし90歳まで生きたとしたら、折り返し地点、来ましたね。年齢を重ねるごとに思うのは、内側がより深く、豊かな人になっていきたいと思っています。日々、色んなことを学んだり、チャレンジしたり、そのことが、大切な人たちが毎日を健やかに笑顔で過ごしていく為の材料に少しでもなれていることが嬉しくて、益々、学ぶ意欲が湧いてきます。やっぱり大好きな人たちには、毎日、笑っていてほしいですからmanami.officialーより引用「もし90歳まで生きるとしたら、折り返し地点」という言葉とともに、小西さんは、自身がこれまで歩んできた人生を振り返った様子。「内側がより深く、豊かな人になっていきたい」と、今後についてつづっていました。小西さんは最後に、「みなさんがこれからも健やかで、笑って過ごせることを願っています」と、ファンに向けてメッセージを送っています。【ネットの声】・小西さんの笑顔に救われています。お誕生日おめでとう!・透明感を持つ小西さんが大好きです。その清らかさよ、永遠に!・ますます魅力的になっている!小西さんの、いつまでも変わらない、やわらかな雰囲気と美しさは、内面からあふれる魅力なのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2023年10月30日45歳ごろから始まった尿漏れ。50歳になった今も解決はしていませんが、たとえ漏れても漏れなくても、毎日尿漏れパッドを使うことで日常を送っています。尿漏れが起こったきっかけと、尿漏れによって運動するのもおっくうになった経験をお話しします。★関連記事:「出ちゃった…」40代更年期から急増する尿漏れ。どうして? 緩和できる?【医師監修】最初の尿漏れはくしゃみから始まった末っ子を産んだのは私が42歳のとき。その数年後から悩まされている症状があります。お恥ずかしいのですが……「尿漏れ」です。最初は、くしゃみをするときにいきんだ瞬間、尿漏れがありました。量としては多くはないのですが、若いママ友たちと公園で子どもたちの遊ぶ様子を見ているときだったので、理由をつけて急いで帰宅し、下着を取り換えました。出産後に尿漏れになる人が多いともうわさで聞いていたので、あまり深くは考えず、そのうち治るだろうと思っていました。しかし尿漏れは治まる気配がなく、その後何度もくしゃみのときにちょろっと、そして大声で笑ったときもちょろっと漏れるのです。セーフとアウトもそのとき次第。しばらくはおりものシートをつけて「ないよりはまし」としていました。漏れの不安から運動ができなくなったこのまま尿漏れ対策をしないでいると大変なことになると思ったのは、ダイエットを兼ねて子どもと近所をランニングしようというときでした。ランニングしていると軽く尿漏れしてしまうのです。またあるとき、家の前で子どもと縄跳びをすることになりました。「何回跳べるか競争しよう!」と子どもと一緒に跳び始めた瞬間にも尿漏れしてしまったのです。「着地した瞬間に漏れてしまうのなら、もう運動なんて何もできなくなるじゃない!」。そのとき自分のなかの「若さ」が失われてしまったような衝撃を感じました。恥ずかしくて友だちにも相談できないし、どうしよう……。なぜ尿漏れするのか知りたくて、ネットで尿漏れの原因を調べてみると、骨盤底筋の筋力低下と書いてありました。検索結果の中にトレーニング方法も見つけられたので定期的におこなってみましたが、それでも私の場合は尿漏れがなくなるわけではないなと感じました。尿漏れパッドのおかげで不安が解消尿漏れするたびに家に帰って下着を取り換えることはできないと判断した私は、ナプキンのような尿漏れパッドを購入して、いざというときの尿漏れに対応することにしました。まさか自分が自分のために尿漏れパッドを買う日が来るとは思っていなかったので、最初は買うことが恥ずかしかったです。しかし、今売られている尿漏れパッドは生理用品ともあまり違いがないようなパッケージで、とてもよく水分を吸収してくれます! たちまち私の頼れる相棒になってくれました。尿漏れパッドは15cc用、30cc用、50cc用……などと受け止められる水分の量が違っています。自分ではどのくらいの量を漏らしたか「何cc」という単位でわかるはずもなかったので50cc用のパッドからつけ始め、もう少し薄くても大丈夫だと思ったので30cc用にし、最近は15cc用をお守り代わりに毎日使っています。まとめ尿漏れパッドを使い始めてから、「多少漏れることがあってもパッドが受け止めてくれるから大丈夫」とゆったり構えながら日々を送ることができるように。突然出るくしゃみにも、もう不安は感じません。また生理が始まっても、尿漏れパッドを毎日着けていれば下着が汚れることもなくなり、良いことずくめです。ただ、いくら尿漏れパッドを着けていても、尿漏れの心配があると、なかなかスポーツには前向きになれません。このまま体を動かさなくなるとより一層老いてしまうような気もするし、パッドを着けながらスポーツは定期的にしたほうが良いのだろうな……。そんなふうに感じながら、日常を送っている今日このごろです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。【駒形先生からのアドバイス】更年期は、主に膀胱の弾力性の低下、女性ホルモンのエストロゲンが減少することによる骨盤底筋の脆弱化、体重の増加といった3つのことから尿漏れしやすくなります。エストロゲンの減少は止められませんが腟を鍛えることで尿漏れを緩和することができます。骨盤底筋運動の一種である「腟トレ」をぜひおこなってほしいと思います。毎日続けてみましょう。まずは、フェイスタオルを1枚用意します。①フェイスタオルを縦半分に折って横の端からくるくると巻きます。②服の上から①の巻いたタオルを会陰(股)に当てて、椅子に座ります。③タオルが当たる部分を意識しながら、タオルを挟むように意識して、会陰にクッと力を入れます。イラスト/サトウユカ著者/みやまこ(49歳)夫と小学生2人、物忘れがひどくなりつつある実母との生活。高齢で産んだ子どもはまだまだ手がかかる、母は毎日同じことを聞いてくる、夫は「かまってちゃん」でてんやわんやのワンオペ状態。最近めっきり疲れやすいし、作業効率も落ちてきているし、目はしょぼしょぼで白髪もしっかり。家族に隠れてお菓子を食べながらサスペンスドラマを見ているときだけが唯一の休息。
2023年07月19日5月17日、竹内大規(29)とがまの助(27)からなるお笑いコンビ「竹内ズ」が解散すると、所属事務所のプロダクション人力舎が公式サイトで発表した。がまの助もTwitterを更新し、解散をファンに自ら報告した。《この度、竹内ズは解散致します。じっくり話し合った結果、不仲でした。本当に解散してしまいました。今決まってるライブは出るのでまだ10本ぐらいあります。6月10日の朝10:30からのライブが最後なので、是非、生で竹内ズを見に来て欲しいです!》お笑い芸人養成学校「スクールJCA」の26期生同士で、’18年に結成された竹内ズ。がまの助が“本当に解散してしまいました”と綴ったのには理由が。「’22年1月に放送された『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の『不仲芸人対抗スピード解散選手権』という企画で、当時ネタ合わせ以外での会話を1~2年していなかった竹内ズは解散ドッキリを受けています。ドッキリのスタート直後に、仕掛け人のがまの助が竹内に『もうやりたくない竹内くんと。解散でいい?』と尋ねると、竹内は『うん』と即答。あまりの“スピード解散”に、ネット上で“仲悪すぎて笑えないな”“竹内ズ、やばくない!?”と反響を呼び、以降“不仲コンビ”として知られることとなりました」(芸能関係者)ドッキリの時は先輩のお笑い芸人・岡野陽一(41)が仲をとりもち、コンビ活動を継続することとなった竹内ズ。しかし、そこから1年半弱での解散発表にSNS上では《竹内ズ解散 残念ねぇ》《竹内ズの解散悲しい》など、悲しみの声があがっていた。しかし、そんななか“不穏な予告”が。5月19日、『水曜日のダウンタウン』の演出を手掛ける藤井健太郎氏(43)が、Twitterで突如こう呟いたのだ。《竹内ズの「解散ホントドッキリ」を解散発表前に収録済みです。お楽しみに》本当に解散するコンビの「ホントドッキリ」とは一体……。「藤井さんは『『水曜日のダウンタウン』という番組は誰かの感情が大きく動く瞬間を大事にしている番組です』と語り、’21年には不仲コンビ『おぼん・こぼん』が関係を修復するまでのプロセスを追いかけた企画で、ギャラクシー賞を受賞しているだけに、竹内ズの解散をどう番組にするのか、注目が集まっています」(前出・芸能関係者)SNS上では、藤井氏の呟きを見たファンから困惑する声が多数あがった。《普通に考えたら「解散」と「ホントドッキリ」を組み合わせて企画はできないんよ何だこれ》《どういうことか意味わからんwwww》《水ダウのココがすごい!》藤井氏のつぶやきは拡散され、19日23時時点で1400件以上もリツイートされ、70万ものインプレッションを獲得し、Twitterのトレンドワード入りするまでに。果たして、その内容は――。
2023年05月20日ロックバンドWaiveが再結成を発表し、同時に結成25周年を迎える2025年いっぱいで解散することを発表した。Waiveは2005年の解散後、2010年の再演をきっかけにこれまで幾度かの再演を重ねてきたが、それはあくまで「解散中」のバンドという独自のスタンスで、スポット的なライブ活動のみに留まっていた。今回の再結成では、約2年半という限定された期間の中で、ライブ活動はもちろんのこと、約20年ぶりとなる通算4枚目のオリジナルアルバム制作も見据えた本格的な活動を行うとのこと。また、復活ライブ『Burn』を7月16日(日) に大阪・OSAKA MUSE、7月21日(金) に東京・Spotify O-WESTで開催することが発表された。結成当時に主戦場としていたゆかりのある会場から、完全復活の狼煙を上げることとなりそうだ。なお解散ライブとなる日本武道館公演は2025年末の開催を予定している。さらに、メンバーからのコメントとインタビュー動画が公開された。■Waiveより大切なお知らせ2005年12月1日に解散をし、以降も何度かの再演を経てきました。解散に至った理由や再演をした理由、それらと真剣に向き合い、バンドとはどうあるべきか、無数に存在するであろう答えの中で強烈な1つとなり得る、「解散中」としたリビングデッドのような活動を選んできましたが、この度、2023年4月11日、再び「生きて、死ぬ」という決意を固めたことを宣誓します。やがて燃え尽きるのなら、自らの意志で燃焼させ燃やし尽くす。メンバー全員で話し合い出した決意、その挑戦の道を、どうか共に歩んでください。Waive■以下メンバーコメント(オフィシャルサイト掲載内容より一部抜粋)今回は“再演”ではなく“再始動”。音楽人生の原点であるこのバンドで、音楽人生における最高地点を目指します。解散以降存在し得なかった「現在進行形のWaive」と限りある時間を目一杯共にして欲しい。Waive 田澤孝介---------------------------------------ある日、目の前で白熱電球が切れるのを見た。フィラメントがスパークし、最後に一瞬だけ激しく光を放って消える様。そんな眩しい瞬間、すなわち奇跡のようなものを見たい、見せたいと思った。バカなことを言っているかもしれないし、間違った選択をしているかもしれない。けれど、奇跡を起こすにはいつだって代償を伴う覚悟が必要で、その選択に必要なのは「正しいかどうか」じゃない。「この選択で良かった」と胸を張るために、自身のバンド人生の全てを賭けたい。これを目にした一人でも多くが、その奇跡を共に見届けてくれると嬉しい。Waive 杉本善徳---------------------------------------勝手だとわかっているけど、もう一度やるときは始まりと終わりを決めて、Waiveが活動してることを解散前と同じように実感したい。それがWaiveで今一番やりたいこと。限られた時間だけど、一緒に楽しもうね!!Waive 貳方孝司---------------------------------------こんな挑戦は生きてる中でどれくらいあるのでしょうか?かけがえのない時間を共に、そして「今」という瞬間「これから」という未来を、一緒に「ええ時間やったね」ってなれる日を、沢山作っていきましょう。それではライブハウスで会いましょう。Waive 高井淳---------------------------------------※コメントの全文はこちら インタビュー動画<ライブ情報>Waive GIGS『Burn』Waive GIGS『Burn』告知画像7月16日(日) 大阪・OSAKA MUSE開場16:30 / 開演17:007月21日(金) 東京・Spotify O-WEST開場18:00 / 開演18:30公式サイト:
2023年04月11日もし40歳で妊活を始めたら……?大人気マンガシリーズ、今回はハルさん(@haru_natsu20220101)の投稿をご紹介!「40歳で妊活始めました」第45話です。【前回までのあらすじ】40歳のハルさんは、パートナーができ妊娠したものの、流産してしまいます……。しかし、その後しばらくして結婚が決まり、妊活を検討するハルさん。しかし妊活に対して積極的ではないものの、勉強以外なら協力的なパートナー。そんなハルさん夫婦は初めてクリニックに行き、講習と初診を受け……。パートナーが戻ってきて……パートナーは楽しそうで……誤:調度→正:丁度苦手な内診台を前に……初診では、嫌な内診台での検査もありました。気持ちを上げるために、ふざけつつ着替えて切り替えるハルさん。そして結果を待つ2人ですが、なかなか呼び出されず……。
2023年04月06日《ご報告 1月31日をもってコウテイ解散する事になりました! しっかりと話し合った結果です! 今まで応援していただいた方ほんまにすみません!それぞれの道になります! わしはしばらくピンで活動しようと思います! ほんまにしまってこーーー!!!!!!》1月20日、Twitterにこう投稿したのはお笑いコンビ・コウテイの下田真生(29)。1月をもって、コンビを解散することを発表した。ボケの下田とツッコミの九条ジョー(29)の2人からなるコウテイ。養成所時代に意気投合した2人は2013年にコンビを結成し、オリジナリティ溢れるハイテンションなネタはお笑いファンを中心に高い評価を集めていた。2020年には若手芸人の登竜門として知られる賞レース『第41回ABCお笑いグランプリ』で優勝を果たし、『M-1グランプリ』でもたびたび準決勝に進出するなど、名実ともに若手屈指の実力派として知られていた。そんな“ブレイク筆頭株”であるコウテイから飛び出した突然の解散発表。ネット上には衝撃を受ける人が続出した。《え、コウテイ解散普通にショックなんだが。漫才もう見れなくなるしm-1で駆け上がる姿みれへんのか。人生の楽しみが一つ無くなるようなものやん》《コウテイ解散なの?全私が辛い》「ORICON NEWS」によると、昨年12月に漫才の方向性の違いから2人は衝突。話し合いはしたものの、溝は埋まらず解散することに。今後はそれぞれピン芸人として活動していくという。コウテイはかねて“不仲コンビ”と言われていた。あるテレビ局関係者は言う。「コウテイはこれまで2度解散しています。1度目は養成所時代にケンカがきっかけ、2度目は2016年3月にコンビ仲の悪化により解散していますが、いずれもその後2人が歩み寄り再結成しました。2人も不仲であることは公言しており、バラエティ番組でもお互いへの不満をぶちまけていました」そして、下田はコウテイとしてよく出演していたバラエティ番組『有田ジェネレーション』(Paravi)が昨年6月にYouTube上にアップした動画で“ガチすぎる”不仲ぶりについて明かしていた。「ケンカが多いコウテイがめちゃくちゃ心配…コンビ仲についてじっくり聞いてみた!」と題された動画には、下田の他にMCとしてくりぃむしちゅーの有田哲平(51)やバイキングの小峠英二(46)らが出演。しかし、そこに九条の姿はない。その理由として下田は、動画を無断転載して収益を得る一般人を許せない九条がYouTubeの仕事を断っているためと説明。有田が「大丈夫か?その感じ?」と心配すると、下田は「ダメです」と即答し、「ちゃんとイライラします、出ろよと。ただそんなこと言った暁には、まあ殴っちゃいますから」と言い放つ。そして、最近のコンビ仲について有田から聞かれた下田は、単独ライブの頻度をめぐって昨年1月に大げんかがあったことを明かした上で、こう語った。「それのヒートアップのし合いで、僕が傷害罪ギリギリまでいったんで、すっと引いた」「そこからあんまり何も言わんくなった」「なんか言われるとヒートアップしちゃうから、お笑い以外あんま言うてこんといて」このエピソードに有田は驚愕した様子を見せ、小峠も「コウテイくらいまでいってる人で、ここまで感情のぶつけ合いって珍しいよ」とコメントしていた。動画の中で、「これまずいですけどね。なんかの拍子で、(解散に)なる可能性は。どっちが折れないといけないんで」と語っていた下田。折り合いはつかなかったようだ。
2023年01月20日俳優の金子貴俊さんは、2023年1月17日に、45歳の誕生日を迎えました。誕生日当日は用事があったのでしょう。金子さんは前日に家族からサプライズで祝ってもらった様子を、Instagramに投稿。もんじゃ焼きを提供する飲食店や、カラオケに連れて行ってもらい、家族からの祝福を喜んだといいます。特にカラオケでは、息子さんの歌声に感動したとのこと。投稿されている動画からは、金子さんたち一家の仲むつまじい様子が伝わってきます!※動画はInstagram上で再生できます。 この投稿をInstagramで見る 金子 貴俊 Takatoshi Kaneko(@takatoshi_kaneko)がシェアした投稿 家族だけでなく、友人たちにも祝ってもらったという金子さん。「感謝と幸せな気持ちに満たされた、感動の1日になった」と、振り返っています。金子さん一家の様子に、多くのファンも心が温かくなったようです。・とても楽しそうですね!きっと、幸せに満ちた1年になるのではないでしょうか。・いくつになっても、人から祝ってもらえると嬉しいですよね!・素敵なご一家!息子さんたちの誕生日も、楽しそうな様子なんだろうなあと思いました。金子さんは、大好きな家族や友人たちにお祝いをしてもらい、思い出に残る誕生日となったことでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年01月17日