5月11日、皇嗣である秋篠宮さまの肉声が収められた書籍『秋篠宮』(小学館)が刊行された。著者は元毎日新聞記者の江森敬治氏。秋篠宮ご夫妻とは31年以上も交流があるという。江森氏は’17年6月から’22年1月まで、37回も秋篠宮さまのもとに通い、インタビューを敢行していた。眞子さんと小室圭さんの結婚問題の経緯も、秋篠宮さまのお言葉を交えて詳しく語られている。一方、本を読んだ宮内庁関係者は、気になることがあったと語る。「結婚問題について、小室さんへの厳しい言葉が掲載された一方、眞子さんに対しては苦言めいた言葉はいっさいないのです。秋篠宮さまと眞子さんの関係は、いまだに冷え込んだままのようですから、親子を引き離した小室さんへの“恨み節”のようにも感じられました」当初、小室さんの収入面の不安などが報じられても、秋篠宮さまは「反対する理由はありません」ときっぱりお答えになっていたという。しかし、およそ半年後に事態は急転。小室さんの母・佳代さんと元婚約者との間に、約400万円の金銭トラブルがあると報じられたのだ。報道から2カ月後の’18年2月、結婚の延期が決まった。秋篠宮さまは小室さんに何度も、金銭トラブルについて国民への説明を求められたというが、無視されたという。そして、小室さんは3年間の米国留学を決めてしまう。このころ秋篠宮さまは江森氏に「どうするのだろうと思って……」とつぶやき、困惑を隠さなかったという。いまや“娘の夫”となった小室さんへの怒りを隠さずに伝えた『秋篠宮』だが、前出の宮内庁関係者は、こう指摘する。「小室さんは独断で、説明拒否や突然の留学といった行動をとったわけではなかったのです。眞子さんの指示があったはずなのに、その点には触れられていません」眞子さんは’21年10月の結婚会見で次のように述べていた。「圭さんのお母様の元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました。圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作ってほしいと私がお願いしました」つまり、小室さんが金銭トラブルについて説明しないまま渡米したことも、眞子さんのお願いに沿った行動だったのだ。「秋篠宮さまの要望、そして国民感情を無視した小室さんの行動には、眞子さんが少なからず関わっていたのです。しかし、眞子さんに疑問を投げかけ、批判するような言葉は『秋篠宮』には掲載されていません。秋篠宮さまは、眞子さんの気持ちが冷め、小室さんから離れることをいまだに期待されているのではないでしょうか。アメリカの眞子さんに“目を覚ましなさい”と呼びかけられているかのようです」(前出・宮内庁関係者)離れ離れになった愛娘への未練がにじむ、異例の“肉声本”。眞子さんがそのページをめくることはあるのだろうか。
2022年05月19日5月11日、関係者の注目を集める1冊の本が出版された。タイトルはずばり『秋篠宮』。皇嗣である秋篠宮さまの肉声が収められた書籍だ。著者は元毎日新聞記者の江森敬治氏。秋篠宮ご夫妻とは31年以上も交流があるという。宮内庁関係者は、今回の出版は異例なことだと語る。「秋篠宮さまは、皇太子と同等の皇嗣という重い立場にある方です。これほどの立場の方の肉声が本になるのは極めて異例のことです。出版は江森氏の独断ということはなく、秋篠宮さまのご意向をくんだものとみていいでしょう」江森氏は’17年6月から’22年1月まで、37回も秋篠宮さまのもとに通い、インタビューを敢行していた。眞子さんと小室圭さんの結婚問題の経緯も、秋篠宮さまのお言葉を交えて詳しく語られている。皇室とメディアに詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは、出版の意図をこう推察する。「おそらく、世間にあふれているイメージに対して、自分自身はどういう思いを抱いているのか伝えたかったのではないかと思います。この本を読むと、秋篠宮は一貫して結婚を認めつつも、小室さんに対して説明を求めています。しかし、思うようには展開していかず、秋篠宮の苦悩が見て取れます。自分の考え、そして結婚問題の背景にある象徴天皇制自体が抱えるさまざまな問題を、国民に考えてほしいという思いがあったのではないでしょうか」掲載された江森氏によるインタビューは、眞子さんの婚約内定報道の翌月から始まる。当初から、お相手の小室圭さんに対する世間の反応は好意的なものばかりではなかった。弁護士事務所でパラリーガルとして働いていた小室さんの年収は、300万円程度ではないかと推測されていた。しかし秋篠宮さまは「いまのお仕事が定職ですよ」「パラリーガルのままでもいいですよ」とお答えになり、まったく問題にされなかったという。江森氏が、今回の結婚に反対されたことはないかと尋ねても、秋篠宮さまは「反対する理由はありません」と、きっぱりお答えになったそうだ。’17年11月の誕生日会見でも、秋篠宮さまは小室さんについて「非常に真面目な人だというのが第一印象でした。そして、その後も何度も会っておりますけれども、その印象は、変わっておりません。また、娘のこと、娘の立場もよく理解してくれていると思います」と、べた褒めされている。小室さん本人の人柄を信頼しきっていらっしゃったのだ。しかし、事態は急転。小室さんの母・佳代さんと元婚約者との間に、約400万円の金銭トラブルがあると報じられたのだ。報道から2カ月後の’18年2月、結婚の延期が決まった。秋篠宮さまは小室さんに何度も、金銭トラブルについて国民への説明を求められたというが、無視されたという。そして、小室さんは3年間の米国留学を決めてしまう。このころ秋篠宮さまは江森氏に「どうするのだろうと思って……」と、つぶやかれたという。また、秋篠宮さまは結婚延期が長引くことで、小室親子への厳重な警護が続くことも懸念された。警備費用の原資は国民の税金であり、小室さんに警備のありようについて検討するように伝えたというが、反応は鈍かったという。「この本で経緯を振り返ると、当初は結婚に賛成していた秋篠宮さまが、金銭トラブル報道を機に、小室さんに対して非常に厳しい姿勢に転じたことがわかります。とくに強調されているのは、小室さんが秋篠宮さまのご要望を拒否し続けていたことです。秋篠宮さまは、自分はできる限りのことをしたのだと訴えたいのかもしれません」(皇室担当記者)
2022年05月19日「秋篠宮殿下のご参拝がずっと延び延びになっていて、心苦しく思っていました。ようやくご参拝が実現して安心しました」そう安堵した様子で話したのは、伊勢神宮関係者。4月21日、秋篠宮ご夫妻は伊勢神宮の外宮と内宮を参拝された。今回のご訪問は、’20年11月に秋篠宮さまが立皇嗣の礼を終えられ、皇嗣となられたことを奉告されるためだった。当初は’21年4月に参拝されるご予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で同年9月に延期、その後さらに延期されていた。秋篠宮ご夫妻の神宮への到着をお迎えに来ていた70代の女性は「秋篠宮さまの伊勢神宮ご参拝は大切なことと思っていましたが、コロナ禍でなかなか叶いませんでした。でもこのご参拝で、秋篠宮ご夫妻も心落ち着かれると思います」と話していた。今回の伊勢神宮ご参拝については、伊勢市の地元の人たちにも参拝の日時は知らされていなかった。偶然にも秋篠宮ご夫妻を沿道で迎えることができた60代の男性は、明るい表情でこう話した。「毎月一度、神宮にお参りに来るのですが、今日は秋篠宮ご夫妻をお迎えすることができてよかったです。両殿下のお姿が拝見できたのも、何かのご縁とありがたく思います。秋篠宮さまも、コロナ禍でなかなか参拝できなかったことはお心苦しかったのではないでしょうか。ようやく参拝ができたことで、いろいろと安心されると思います」参拝は、秋篠宮さまの妹で伊勢神宮祭主を務める黒田清子さんの奉仕により執り行われた。両殿下は、お祓い、お塩でのお清め、御手水をお受けになって、四重の垣根がある正宮の門の3つを通り最後の瑞垣南御門の前まで進まれ、両殿下が並んで拝礼、玉串をささげられた。その玉串を両殿下から大宮司を介して清子さんが受け取り、瑞垣南御門の内側の正殿の案上に納められた。その後、瑞垣南御門の外にいる両殿下に向かい、清子さんが無言で一礼され、無事にお供えされたことを伝えた。おかえりの際は、紀子さまが御手水を受けられ、その間、殿下は待っていらしたという。雨が止み、厳かな雰囲気の中でのご参拝。秋篠宮さま、紀子さまともに終始厳しいご表情をされていた。実は、秋篠宮ご夫妻のご参拝時、“奇跡”ともいうべき出来事があったという。「秋篠宮ご夫妻が外宮のご参拝を終えられたころから雨が降り始め、お車で内宮に入られたあとは、非常に激しい雨になっていました。それが内宮のご参拝が近づくと小雨になり、予定時間の直前に雨が止んだのです。ご夫妻が内宮の斎館から長い参道を歩かれて正宮に参拝される間だけちょうど雨が止み、傘をさされずに参拝されました。本当に不思議な天候でした」(皇室担当記者)ご参拝時、秋篠宮さまはモーニングコート、紀子さまはロングドレスのご参拝服をお召しだったが、紀子さまのドレスの裾が濡れた玉砂利に触れて濡れるくらいで済んだのだ。伊勢神宮の取材を長年続けていて、皇室の参拝にも詳しい文筆家、皇學館大学講師の千種清美さんはこう話した。「外宮、内宮と参拝された秋篠宮殿下はいつになく真剣な厳しいご表情をなさっていました。16回目ということですが、これまでのご参拝とは全く違う秋篠宮殿下の雰囲気だったと思います。皇嗣というお立場になられたことを意識されていたのだと思います。外宮のご参拝の後に雨が降り出し、激しく降っていた雨が殿下の内宮ご参拝の時だけ上がりました。取材陣からも『皇室マジックだ、すごい』という声が出ていましたが、それは秋篠宮殿下ご本人も強く感じられたと思います。さあ、お参りに来なさいというように神様から招かれているように感じられたのではないでしょうか」秋篠宮ご夫妻は伊勢の神宮のあと、4月22日に奈良の神武天皇陵、京都の孝明天皇、明治天皇陵を参拝され帰京。4月26日に東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れ昭和天皇、大正天皇など各陵を参拝された。これで天皇陛下のご即位の関連行事がすべて終了した。
2022年05月04日葉山御用邸に到着して間もなく、裏手の海岸を散策された上皇さまと美智子さま(4月12日)「押さない、駆けない、物を投げない、飛び出さない。頭文字を取った“オカモト”を守ってください!」夏を先取りした陽気となった4月12日の正午。神奈川県にある『葉山御用邸』の正門付近では、私服姿の男性警察官がそう声を張り上げていた。上皇ご夫妻はこの日、約2年間住まわれた仮御所を後にし、葉山御用邸へ入られた。100人以上が沿道に「2週間静養された後、4月26日に赤坂御用地の『仙洞御所』へ引っ越されます」(皇室担当記者)前回、葉山に滞在されたのは’20年3月。お代替わりに伴って皇居から仮御所へ荷物が運搬される間、一時的にお過ごしになった。「新型コロナの感染拡大が本格化し始めたころでした。葉山では、皇室の方々を歓迎するために警察が“奉迎エリア”をつくったり、ご通過の時間を住民に知らせたりします。しかし、このときは上皇ご夫妻がいらっしゃるタイミングを公表せず、沿道に人だかりができないように配慮しました」(同・前)ご静養中も、徹底的に外出を控えられた。「葉山御用邸にいらした際、上皇ご夫妻は裏手の海岸を必ず散策されますが、この年は1度もお見かけしませんでした」(地域住民)それから2年。仮御所でおこもり生活を続けてこられた上皇ご夫妻が、久しぶりに県をまたぐ移動に踏み切られた。ご夫妻をひと目見ようと、100人以上が沿道に集まっていたのが冒頭のシーン。「足元には等間隔に印がついた紐が置かれ、隣の人と十分な距離を取るように警察官からアナウンスされました」そう話す女性は、上皇ご夫妻が通過される1時間以上前から待ち続けていたという。「平成時代から必ず奉迎に参加しています。以前は1000人以上が集まり、手渡された小旗を振っていました。コロナの影響もあり、いつもの盛り上がりはなくとも、ご通過時の興奮は変わりません。上皇ご夫妻がお元気そうで何より安心しました」ご滞在初日の夕暮れ時、ご夫妻のお姿は御用邸裏の海岸にあった。「20人ほどの警備やおつきの人に囲まれながら、相模湾と富士山が見渡せる『小磯の鼻』を散策されました。この日は偶然にも、富士山頂に夕日が沈む“ダイヤモンド富士”が見られる日。年に2回のチャンスとあり、県外からも多くの人が訪れていました。ビューポイントまで手をつなぎながらたどり着いた上皇ご夫妻は、住民や観光客とともに美しい日没を堪能されました」(前出・住民)妊婦に対してお心遣い上皇ご夫妻は、日が完全に落ちるまでの10分以上、その場に佇んでおられたという。「おつきの男性が“下見のときには見られなかった光景です”と伝えると、ご夫妻は顔を見合わせながら、満面の笑みを浮かべて喜んでいらっしゃいました」(同・前)散策は45分以上にわたり、集まった人々とも対話された。都内から訪れた20代女性は、こう振り返る。「足場が不安定な斜面に立っていたところ、美智子さまが“どうぞ上へ”と言ってくださって。さらに“半袖で寒くないかしら?”と心配していただき、上皇さまからも“だんだんと冷え込むからね”と声をかけていただきました」おふたりの“支え合い”に感銘も受けたという。「会話の中で、上皇さまが同じ質問を繰り返したり、相手の発言を理解しておられなかったりすると、美智子さまがすかさずフォローされて。逆に、美智子さまの足元に段差があると、上皇さまが“気をつけて”と声をかけていらした。おふたりの日常が垣間見えたような気がして、心があたたまりましたね」犬の散歩をしている夫婦や、偶然居合わせた元宮内庁職員の女性、部活帰りの青年などに声をかけられた上皇ご夫妻。妊婦に対して美智子さまが、「大変でしょう」と心を寄せられる場面もあった。「1959年の秋、第1子を懐妊中だった美智子さまは、マタニティードレスをお召しになって、上皇さまと『小磯の鼻』を散策されたことがありました」そう振り返るのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。美智子さまが流産を経験された1963年には約2か月半にわたり葉山御用邸に1人で滞在された。「昭和天皇の時代から、御用邸のある那須、須崎、葉山は特別な場所です。特に葉山には、美智子さまのご実家である正田家のお墓やご友人のお住まいが近くにあるため、思い入れが強いと思います。コロナ禍の2年間は、国民との直接的なふれあいが叶いませんでしたが、葉山という思い出の地で“魂の交流”を再開されたことを喜ばしく感じられたとお見受けします。“皇室のあるべき姿”ともいえるでしょう」(渡邉さん)焦燥される紀子さまコロナ前の皇室像を取り戻しつつある上皇ご夫妻に対し、秋篠宮ご夫妻は“超異例”の行事に臨まれる。「『立皇嗣の礼』の関連行事として、4月20日から23日にかけて三重県、奈良県、京都府の3府県を訪問されます。驚くべきは移動手段。最終日の帰京時に飛行機を利用する以外、すべての道のりを車で移動されます」(前出・記者)総距離は約800キロメートル。警備や随行職員の負担や不測の事態を懸念する声も上がる。「駅や沿道に人が集まるリスクを避けるため、とのことですが、実際は国民との接触を回避したいお気持ちが強いのでは……。眞子さんの結婚騒動、悠仁さまのお受験問題、小室さんが2度目の司法試験に不合格。ごたごたが相次ぎ、秋篠宮家と国民との“溝”は深まる一方です」(同・前)国民から皇室への敬愛は、行事や地方訪問などでの交流の場で育まれるといわれるが、「今の秋篠宮家においては、国民との接触が“逆効果”になりかねません。四面楚歌の現状を誰より気を揉んでいるのは紀子さまだといいます」(皇室ジャーナリスト)その気苦労は計り知れない。「最近の紀子さまは、だいぶお疲れのご様子で、首を痛めてつらそうにしていらっしゃるところもしばしばお見受けします。思春期の悠仁さまや、眞子さんの結婚を応援されていた佳子さまとの心の距離もあり、ご家庭内で“孤立”していらっしゃるようで……」(秋篠宮家に近い人物)“孤軍奮闘”の紀子さまは、おつらい状況だろう。「紀子さまは皇室に入られた後、美智子さまの言葉遣いや立ち居振る舞いを手本に、公務や子育てに励んでこられました。“袋小路”から脱する方法が見いだせない今、率先して国民と心を通わせておられる上皇ご夫妻のお姿を見て、羨望と焦燥の念に駆られているのではないでしょうか」(前出・ジャーナリスト)美智子さまが過ごされる“あたたかい時間”が、はからずも皇嗣妃を悩ませる─。
2022年04月20日小室眞子さんと小室圭さん「大方の予想どおりでしたが、3年間にわたる海外留学はいったい何だったのか……。今回の不合格で就職先との雇用継続や、ビザの問題が再び少なからず取り沙汰されるでしょう。眞子さんとの結婚生活は、いったいどうなってしまうのか……」そう心配するのは、皇室担当記者。日本時間で4月15日、秋篠宮家の長女・眞子さんの夫である小室圭さんが受験した、アメリカNY州の司法試験に2度目の不合格になったことが判明した。眞子さんから「就職と試験は別」「NHKの取材によると、小室さんが日本で勤務していた法律事務所の奥野善彦所長は、圭さんから“残念ながら落ちました。合格点に5点足りず、とても無念です”“次は7月に挑戦します”などと報告を受けたそうです。合否が判明した日の夕方、秋篠宮家を支える職員の最側近である加地隆治(かちたかはる)皇嗣(こうし)職大夫が会見で“(不合格は)報道で知った”と明かしました。秋篠宮ご夫妻はどう受け止められているかについては“聞いていない”と答えましたが、当然眞子さんから報告はあったでしょうね」(宮内庁関係者)昨夏行われた試験を初めて受けた受験者の合格率は78%で、今回が2度目となる受験者の合格率は30%だった。「再受験の人たちは働きながら勉強することが多く、勉強不足で合格率が一気に下がります。圭さんもNY州の法律事務所で法務助手として夜遅くまで働いているそうですから、受験勉強との両立に四苦八苦していたのは想像に難くありません」(NY州弁護士)義理の息子の“再”不合格に秋篠宮さまもさぞ気落ちされているかと思いきや、実情は異なるようだ。「殿下は、圭さんの合否の行方を大して気にされていないと思いますよ。昨年11月ごろ、圭さんが1回目の司法試験に落ちてしまったことについて聞かれた殿下は“(試験に落ちることは)織り込み済みだった”とおっしゃったのです。というのも、事前に眞子さんから“就職と試験は別”、つまりは、法律事務所に就職できても試験に落ちることはあると伝えられていたそうです。殿下としても、試験結果よりも職を得られていることが肝要とのお考えでした。しっかりと自分たちの稼いだお金で、工夫を重ねながら身の丈にあった生活をしてほしいというのが、殿下のご希望です。なので、圭さんが試験に落ちたことに対して憤りや大きなショックはお見受けしておりません」(秋篠宮家関係者)とはいえ、秋篠宮さまは圭さんに“負の感情”が溜まっているのは間違いない。「昨年4月に圭さんが公表した、小室家が抱えていた金銭トラブルを詳細に説明する28ページにわたる文書について、殿下は“注釈はもっと簡潔にすべき”とか、長過ぎる内容に“誰に向けて書いたのかわからない”と近しい関係者に漏らされていたのです。昨年11月のお誕生日会見でも、圭さんを“娘の夫”といった表現で、決して名前で呼ぶことすらなく……。久しぶりに圭さんと再会した際のことを聞かれても“印象に残ることは特になかった”とご回答。なんでも、“小室文書”が出る前までは“小室家が結婚を辞退することもあり得る”と周囲に語っていたそうで、最後まで結婚を認めたくないお気持ちだったのでしょう」(同・前)眞子さんが家計を助ける日も一部では、今回の試験に不合格だった場合、圭さんが現在勤めている『ローウェンスタイン・サンドラー法律事務所』を解雇になる可能性が高いと報じられている。さらに、学生ビザを延長してアメリカに滞在しているとされる圭さんだが、有効期限が迫っており、就労ビザに切り替えなければならない。しかし、勤務先に解雇されてしまうと就労ビザの取得は困難になるが……。「“試験に落ちたら強制帰国”といった報道もありましたが、帰国どころか事務所に解雇されることも直近はないと思いますよ。その証拠に圭さんは、7月下旬に控える司法試験を再々受験すると周囲に公言していますから。つまり“ビザの問題は解決した”ということでしょう。おそらく圭さんは、就労ビザを取得できたのだと思います。アメリカの就労ビザは抽選ですが、今年の3月下旬に抽選結果が出ていますから、無事に当選したからこそ、7月の試験に臨むことができるということなのでは」(在米ジャーナリスト)万が一、圭さんが事務所を“クビ”になるときが来ても、眞子さんが小室家を支える準備は万端のようである。「眞子さんがNY州にある世界有数の規模を誇る『メトロポリタン美術館』で無給のボランティアとして勤務していると、イギリスのタブロイド紙などが報じたのです。眞子さんは日本で『インターメディアテク』という博物館で研究員として勤務していましたし、自身のキャリアを生かせる絶好の場所。日本画家の出展の仕事に取り組むキュレーターとして勤務しているそうですが、小室家の家計を助けるため、いずれは有給勤務に切り替えることも十分あり得ます」(同・在米ジャーナリスト)不甲斐ない夫と“別れる”という選択肢実は、小室さん夫妻の婚約が内定した‘17年の時点で、「おふたりはアメリカで暮らす意向のようだ」と報じられており、眞子さんはかねてからアメリカでの生活や、文化施設での勤務を視野に入れていたに違いない。すべては眞子さんの計算どおりーー。しかも、仮に圭さんとの結婚生活がうまくいかなかった場合のことすら周囲に言及していたというのだ。「あれは昨秋、結婚直前の時期だったと思います。圭さんとの結婚生活について話が及んだ際、眞子さんは“ダメだったら別れちゃえばいい”と冗談交じりで周囲に漏らしていたそうで……。あれだけ世間を騒がせて、秋篠宮家へのバッシングを呼び、ひいては皇室全体に多少なりとも迷惑をかけた結婚問題にまで発展したのに、そう簡単に“別れる”という言葉が出たと聞いて、あ然としました」(眞子さんの知人)眞子さんからすれば、民間の生活を送ることは初めてのことばかり。結婚生活に不安を抱えるのは当然だろう。「確かにふたりの交際期間は長いといえど、もちろん結婚前に一緒に暮らしたことはなく、3年間は日本とアメリカの遠距離恋愛でした。ましてや、眞子さんは留学以外で一般の人と同じような生活を経験したことがありません。初めて尽くしの中で、アメリカでの新婚暮らしに果たして順応できるのか、という不安はあったようです。しかも、小室さんはNY州弁護士になれるかどうかもわからない時期でしたから。あくまで眞子さんは“そういった可能性もある”というニュアンスでのご発言だったのかなと思いますが。でも、圭さんがこのまま試験に落ち続ければ“弁護士になる前提で採用した”今の勤務先は、いずれ彼を“切る”可能性は十分ある。一方の眞子さんはキュレーターとして手に職もあって仕事には困らないわけですから、不甲斐ない夫と“別れる”という選択肢も当然、浮上しますよね……」(同・眞子さんの知人)眞子さんの言葉が現実にならないことを祈りたい。
2022年04月16日3月17日、筑附の学校準備会に向かわれる紀子さまと悠仁さま「最近の紀子さまは、だいぶお疲れの様子。首を痛めてつらそうにしていらっしゃるところもしばしばお見受けします。お身体のことはもちろんですが、メンタル面も少し心配です。どうやら、ご家庭でも孤立していらっしゃるようで……」そう明かすのは秋篠宮家に近い人物のひとりだが、秋篠宮家といえば9日、長男・悠仁さまが『筑波大学附属高等学校』に入学された。反抗期のような振る舞いも入学式当日、報道陣からのお声がけに対して、「今日入学式を迎えることができて、とてもうれしく思っています」と応じられた。高校生活の抱負については、「学業に励みながら、興味を持っていることや関心を持っていることをさらに深めていきたいと思います。また諸行事などの学校生活も楽しんでいきたいと思います」と語り、10時から始まった入学式に秋篠宮ご夫妻とともに出席された。毎年、東京大学に数十人の合格者を輩出する都内屈指の名門校である通称“筑附”。『お茶の水女子大学附属中学校』の3年間で最優秀グループの成績を残されたことで、両校の間にある提携校制度への推薦条件をクリアして合格された。「塾には通わず、自主的にコツコツ学習を毎日継続されていたそうです。秋篠宮さまもそのお姿をたびたびご覧になって感心されていました。春休みの間は、高校から出された各教科の課題に取り組まれていましたよ。筑附は1学年の定員が240名で、うち3分の2が附属中学校からの内部進学で、残りの80名ほどが高校からの入学生です。悠仁さまが通われていたお茶の水の男子生徒は全体のおよそ10分の1で少数でしたが、筑附は男女比率がほぼ同数。まずは新たな環境に慣れることが大切だと思います」(皇嗣職関係者)新生活に期待で胸を膨らませていらっしゃるはずの悠仁さまだが、お母さまとの“距離感”に変化が生じているという。「悠仁さまは現在15歳で、思春期の真っ只中です。やはり年齢相応なのでしょうか、このごろは紀子さまに対して、まるで反抗期のような振る舞いも見られると聞いています」(宮内庁関係者)「自分でも大丈夫かなと思う」と漏らされて実際、3月17日に行われた筑附の学校準備会に紀子さまとご一緒に訪れた悠仁さまは終始うつむき、紀子さまとは会話されることも目を合わせることすらもほとんどなかったのだ。「悠仁さまの教育は主に紀子さまが主導されてきた印象があります。学校の長期休みを利用して、小笠原諸島や広島の平和記念公園に連れて行かれたり、北アルプスの槍ヶ岳を登頂されました。当主である秋篠宮さまは、日本全国を回ってその土地その土地の文化に触れたり、地元の人たちと交流することが大切だとお考えのようで、その方針に従って紀子さまは動かれているのだと思います。しかし、現在の悠仁さまはお父さまとお話しされる機会が多く、お母さまとは距離をとられているように思えます。生き物や自然体系などに関心が強い悠仁さまですから、ナマズやニワトリの研究者としての顔を持つ秋篠宮さまの方がお話が合うのかもしれません」(同・前)長女・小室眞子さんの結婚問題の件が尾を引いたことで、次女・佳子さまとの距離も離れたままだという紀子さま。「新型コロナに関する専門家や、コロナによる影響を受けた人たちからの話を聞く際はオンラインなのですが、ご両親で1部屋、眞子さんと佳子さまで1部屋と、なぜか必ず部屋が分けられていたのです。眞子さんと小室圭さんの結婚を応援されていた佳子さまと、小室家に不信感を募らせたことで『納采の儀』を行うことを許さなかった秋篠宮ご夫妻の間には“溝”が生まれていたからでしょう。それは、今でもなかなか埋まらない状況だと聞きます」(秋篠宮家関係者)アメリカで生活する眞子さんを除いた4人の秋篠宮家において、紀子さまだけが“孤立”してしまっている状況のようで、周囲からは妃殿下のことを心配する声が上がっている。「昨秋に眞子さんが結婚されて皇室を離れた直後の11月、今度は実の父親で学習院大学名誉教授だった川嶋辰彦さんが他界されました。同時期に大切な家族2人が遠く離れてしまうなんて……。当時、精神的なダメージはもちろんですが、“身体のあちこちが痛い”とか、“自分でも大丈夫かなと思う”と不安がられていたことも。秋篠宮さまとは以前から普段の会話が少ないとも言われておりますし、家庭内で孤立されているのだとしたら、体調面以外でも、今の紀子さまはかなりおつらい状況だと思います」(前出・秋篠宮家に近い人物)秋篠宮家を支える紀子さまの気苦労は、計り知れないーー。
2022年04月09日留学中だった眞子さんを除く秋篠宮ご一家が私的旅行で伊勢神宮を訪問された(’13年3月)新型コロナの感染拡大を受けて、1度目の緊急事態宣言が発令されてから丸2年。「’20年4月、秋篠宮さまが皇位継承順位1位であることを内外に示す『立皇嗣の礼』が執り行われる予定でした。しかし、感染動向を鑑みて同年11月に延期。本来であれば、それから間を置かずに三重県の『伊勢神宮』などを参拝されますが、延々と後ろ倒しになりました」(皇室担当記者、以下同)伊勢までの“超異例”措置これほど長引くコロナ禍を想像できなかったのは、皇室の方々も国民と同じだろう。「秋篠宮さまは、昨年夏の東京五輪前に参拝したいというご意向だったため、現地の下見もそれまでにすませていたそうです。しかし、県をまたぐ移動で国民感情を刺激したり、集団感染を起こしたりするリスクを考慮し、実現には至りませんでした」まん延防止等重点措置が全国すべての地域で解除されたこのタイミングで、ついにお出ましが決まった。「4月20日から23日にかけて、秋篠宮ご夫妻は三重県、奈良県、京都府の3府県を訪問されます。ご夫妻の地方訪問はコロナ禍以降初めてですが、予断を許さない状況であることから、徹底的な感染症対策が講じられます」秋篠宮ご夫妻や随行職員は事前にPCR検査を実施し、陽性者が出た場合に備えて予備要員を待機させるとも報じられている。「それだけではありません。約480㎞に及ぶ東京から伊勢までの道のりを、車で移動されます。従来、地方訪問の際は飛行機や新幹線を使いますが、駅や沿道に多くの人が集まるリスクを避けるため、“超異例”ともいえる措置が取られることになりました」初日は移動日に充てられ、東京から三重県伊勢市へ。「3泊4日のスケジュールでは、奈良県の『神武天皇陵』や京都府の『明治天皇陵』、『孝明天皇陵』を参拝されます。最終日の23日、帰京する際のみ伊丹空港から飛行機を利用されますが、それ以外の交通手段はすべて車です」皇室制度に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授は、こう危惧する。「飛行機や新幹線などは、よほどの異常事態が生じない限り予定された時間やルートが厳守されます。しかし、自動車では不測の事態を招きやすいでしょう。渋滞、車酔い、お手洗い……、あらゆる想定と対策が必要になります。都内の短距離移動でも、警備や随行職員のご苦労はありますが、これほどの長距離となれば、関係者の負担は計り知れません」国民にとって急ぐべき行事ではない道中の交通規制やサービスエリアの封鎖を案じる声も上がっているが、「殿下は日ごろから、市民生活へ迷惑をかけないように気を配られているため、今回のお出ましで大々的な規制を行うとは考えがたいです。例えば、天皇家は皇太子時代から、車移動の際にすべての信号が青になるように調整しますが、秋篠宮家は一般車両と同様に赤信号で停車します。皇太子と同等である皇嗣は本来、青信号にしてもよいはずですが、殿下は“皇室の特別扱い”を避けたいご意向なのです」(宮内庁関係者)何より重要なのは、移動時の安全確保。イギリスの故・ダイアナ妃のように、交通事故に巻き込まれる可能性がないとは言いきれない。実際に’16年11月には、お忍びで登山に向かっていた紀子さまと悠仁さまらを乗せたワゴン車が中央自動車道の相模湖東出口付近で、追突事故を起こしたことがあった。「殿下は、公務のスピーチや会見では必ず『Covid-19』という正式名称を用いますし、学術的にも新型コロナを深く理解しておられると聞きます。ただ、感染対策が先行するあまり、殿下の周辺にいる関係者たちにかかる負担を甘く捉えておられるのでは……」(同・宮内庁関係者)前出の小田部教授は、納得がいかない様子でこう話す。「いま“特別な形”で伊勢参りを強行する理由がわかりかねます。今回の目的は、秋篠宮さまが皇嗣となられたことの奉告であり、国民にとっては急ぐ問題ではありません。愛子さまへの皇位継承の期待が高まる中、秋篠宮家が皇嗣家であることを強く公にしたいというお気持ちなのではないかと誤解されるかもしれません」コロナ禍以降、皇室の方々はオンラインを活用して公務をこなされてきた。大学生の愛子さまは、コロナに苦しむ国民を案じてリモート授業を続けておられる。「この2年間に起こった豪雨災害などにおいて、両陛下が被災地へ足を運ばれることはかないませんでした。そんな中、天皇家に先立って、秋篠宮家が地方訪問を再開されることには違和感があります。ましてや、国民生活と直結しない今回のお出ましを、私たちはどのような思いで見届ければよいのでしょうか……」そう語る皇室ジャーナリストは、表面化している皇室内の序列の乱れを指摘する。「昨年10月、“類例を見ない”結婚をした小室眞子さんの結婚会見で、天皇陛下への感謝やお詫びの言葉がなかったことに驚きました。さらには、眞子さんの結婚後に出された秋篠宮ご一家のコメントでも、両陛下に向けたお気持ちは綴られていませんでした。“天皇家の活動を支える皇族家”という認識が薄れてしまっているようにお見受けします」重なってしまった小室圭さんの合否発表地方訪問の再開を機に眞子さんの結婚問題が掘り返されるのは、秋篠宮ご夫妻にとって“誤算”に違いない。「ふたりの結婚から半年近くたちますし、注目は次第に薄れると思ったのですが……。2月にNY州の司法試験を再受験した小室圭さんの変貌ぶりを見て、やはり話題に事欠かないなと」(前出・記者)英紙『デイリー・メール』が捉えた試験本番の小室さんの近影は衝撃的だった。「髪は以前よりも伸びて、再びポニーテール姿に。服装は2日間ともほぼ同じで、胸元まであけたデニムシャツからは胸毛がチラ見えしていました。ぽっこりお腹はストレスか幸せ太りか……」(同・前)そんな小室さんは4月下旬、運命の合否発表を控えている。「弁護士になれば1年目から年収2000万円超と見込まれていましたが、現在の法務助手では推定年収が約600万円。不合格の場合、物価の高いNYでの生活が破綻するのは目に見えており、合格は必須だといわれています」(法曹関係者)昨年の同試験の合否発表は4月21日だった。今年もその前後だとすれば、秋篠宮ご夫妻の伊勢参りと重なる可能性は高い。「国民の関心は必然的に小室さんに集まるでしょう。昨年10月、1度目の司法試験が不合格だと発覚したとき、メディアは小室さん一色でした」(前出・ジャーナリスト)伊勢参り中に合否が判明するとなれば、秋篠宮ご夫妻も気が気ではないだろう。「不合格であれば“お参りどころではない”と、国民から揶揄されるのは目に見えています。徹底した感染対策を講じる秋篠宮さまでも、小室さんによる“飛び火”は、さすがに手の打ちようがありません」(同・ジャーナリスト)伊勢参りの“副反応”は、想像以上に重たそうだ─。小田部雄次静岡福祉大学名誉教授。日本近現代皇室史を専門とし、『皇室と学問 昭和天皇の粘菌学から秋篠宮の鳥学まで』(星海社新書)など著書多数
2022年04月07日《本当のところは敬宮様の初会見から少しでも注目をそらすためにわざと同じ日にぶつけたのでしょう》《秋篠宮家のお子さんのイレギュラーな高校進学が批判を浴びているからそれが目立たないように愛子さまの会見をかぶせたのかな?》インターネット上でもさまざまな臆測が噴出した“日程かぶり”問題。愛子さまの初会見と悠仁さまの中学校の卒業式が3月17日に重なってしまったのだ。1週間後の3月24日の定例記者会見で、宮内庁の西村泰彦長官は次のように説明した。「3月に愛子さまの会見を調整しているのを聞いた段階で、悠仁さまの卒業式に思いを致すべきだったにもかかわらず、それが頭に思い浮かばす、調整できなかった。できれば別の日がよかった……」長官は「私のミス」と釈明したが、《単なるミスなんて、とても信じられない》という意見も多く、人々の疑問を解消するにはいたらなかった。宮内庁関係者も、この“スケジュール調整大失敗”には、深刻な問題が隠されていると指摘する。「天皇家にお仕えする侍従職と、秋篠宮家にお仕えする皇嗣職との間で連絡がきちんととれていなかったことが露呈したのです。まず悠仁さまの卒業式は、お茶の水女子大学附属中学校の年間スケジュールとして1年前から決まっていたことでした。愛子さまの会見は、学習院大学での学業に支障が出ないように、3月に開催する方針が昨年11月には発表されていましたが、その段階で皇嗣職が『悠仁さまの卒業式は3月17日です』と、連絡をしていれば、こんな事態にはならなかったのです。侍従職も、愛子さまの会見スケジュールを固めた時点で皇嗣職へ連絡していれば、日程がかぶっていることが判明したでしょう。それをしないまま発表したために、会見の日取りを変更することができなくなってしまったのです。平成の御代であればありえなかったことであり、単純に“宮内庁職員の劣化”として片づけられることではないと思います」■宮内庁長官“私のミス”発言の真意とはなぜ西村長官は、あえて“私のミス”という言葉を使ったのだろうか?皇室ジャーナリストは次のように語る。「“私のミス”と断言することで、“両陛下と秋篠宮ご夫妻の責任ではない”ということをアピールする意図があったのだと思われます。今回の騒動で明らかになったのは侍従職と皇嗣職の連携がまったくとれていないという事実ですが、同時に天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻の密接なコミュニケーションがないということも判明してしまいました。最近の天皇家と秋篠宮家の“丸かぶり”は日程問題ばかりではありません。2月23日は天皇陛下のお誕生日で、宮中で祝賀行事が行われました。その際、雅子さまは紺色のドレスをお召しだったのですが、紀子さまのドレスも紺色で、かぶってしまったのです」園遊会や一般参賀、宮中での行事など、女性皇族が一堂に会する場では、格上の皇族から着物やドレスの色合いや柄を決めていく。「もちろん最初に決めるのは皇后さまです。色や柄が同じにならないように、側に仕える人たちがお伺いをたてて、順番に決めていくのが宮中の慣習で、祝賀行事の“色かぶり”について一部週刊誌は“前代未聞”とも報じています」(前出・皇室ジャーナリスト)前出の宮内庁関係者は、度重なる異変の原因の1つに天皇陛下と秋篠宮さまの距離が広がっていることがあると考えているという。「’12年から’19年までの7年間、上皇さまと天皇陛下、そして秋篠宮さまが月に1回ほどのペースで、御所で会談をされていました。もともとは美智子さまのご発案で、宮内庁長官も立ち会って、重要な案件について意見交換を重ねていらしたのです。ただこの“頂上会談”も、御代替わり以降は行われていません。天皇陛下と秋篠宮さまがコミュニケーションをはかられるために大変貴重な場だったのですが……。さらにコロナ禍のために、お誕生日やご成婚記念日などのお祝いの食事会もなくなっています。ご挨拶程度ならともかく、お二人が顔を合わせて、話し合われる機会が、ほぼまったくない期間が続いているのです。天皇陛下と秋篠宮さまの深刻なコミュニケーション不足も、侍従職と皇嗣職の連携不足の一因となっていると思われます」最近はオンラインでのご公務も増えている。コロナ感染を防ぐためというのならば、オンラインでの頂上会談はできないのだろうか。だが前出の皇室ジャーナリストはこう語る。「宮中は慣例が重要視されており、天皇陛下と秋篠宮さまのどちらかが強く提案しない限り、オンライン会談のような新しい試みは実現しません。この4年ほど、秋篠宮家は長女・眞子さんの結婚問題で揺れ続けていました。しかし皇室全体を揺るがす大きな問題となっても、“秋篠宮家の問題だから”と、秋篠宮さまは陛下に頼られることはなかったのです。秋篠宮さまは、人に相談することを好まれないともいわれています。そんなご姿勢が、天皇陛下との距離を広げてしまったように思われるのですが……」5月1日で新しい御代になって丸3年となる。皇室の将来を担う愛子さまと悠仁さまのためにも、宮中の亀裂がこれ以上広がらないことを祈りたい。
2022年04月06日成年会見を行われた愛子さま(’22年3月17日)「3月24日、宮内庁の西村泰彦長官は定例会見で、愛子さまの成年にあたっての記者会見と悠仁さまの卒業式の日程が重なったことは“ミスだった”という説明をしました。愛子さまの会見の日取りを調整する過程で、悠仁さまの卒業式のことが思い浮かばなかったといい、“できれば別の日がよかった”とも吐露しました」(皇室担当記者)くしくも重なった、愛子さまと悠仁さまの“晴れ舞台”。「3月17日の午前8時過ぎ、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまがお茶の水女子大学附属中学校に到着されました。卒業式に臨む前、悠仁さまは“充実した3年間になった”と、コメントされました」(同・前)ユーモアあふれるご回答愛子さまの初会見は、同日の午後2時過ぎから行われた。「前日の深夜に福島県沖を震源とする大きな地震が起こり、東北を中心に死者やけが人が出ました。両陛下と愛子さまは、地震による国民の安否を案じられており、会見を中止するべきか悩まれていたそうです」(宮内庁関係者)開始直前まで関係者と相談したうえで決行した会見。冒頭で被災者へのお見舞いの言葉を述べられた。宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、こう振り返る。「ご立派な記者会見でした。緊張されていたようですが、お手元の紙に視線を落とすことなく、時折“え~っと、次は何だったっけな”という感じでお考えになっていたところなど、自然体でおおらかなお人柄が伝わってきました」宮内記者会が事前に提出した5問と、アドリブで出された3問の関連質問に回答された愛子さま。「両陛下のアドバイスを受けながら、ご自身のお気持ちに合う言葉を探し、推敲を重ねる過程で、自然と文章を覚えられたそうです。愛子さまは事前に両陛下とリハーサルを行われており、雅子さまは本番のとき、近くの別室で待機されていたそうです」(前出・宮内庁関係者)両陛下ゆずりのユーモアあふれるご回答が話題となった。「長所は“どこでも寝られるところ”、両陛下との思い出は“海にサーフボードを浮かべて、3人で座る挑戦をしたら全員見事に落下したこと”など、思わず微笑んでしまうようなエピソードが披露され、会見の雰囲気は非常に和やかでした」(前出・記者)象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、こう話す。「“まじめさ”も印象的でした。関連質問でウクライナ情勢について問われた際は、“メモを見させていただきます”と、断りを入れたうえで天皇陛下の記者会見の言葉を引用されました。その場で出される質問を予測し、準備されていたということですよね。綿密に考えられたのだと思います」前出の山下さんには意外だった点があるという。「短所として“小さいころから人見知り”とおっしゃったことです。分け隔てなく国民と接している天皇や皇族が、自ら“人見知り”とおっしゃることなどなかったと思います。同時に“克服できれば”とおっしゃっていましたが、公務に支障をきたすならまだしも、人見知りの一面も含めて愛子内親王殿下のお人柄です。ご無理なさらず、今までどおりマイペースでお過ごしになっていただきたいですね」「悠仁さま派」と「愛子さま派」会見は、約30分間にも及ぶ長丁場だった。「皇室の方々は、ご自身の考えを自由に発信することができません。特に女性皇族の場合は会見の機会が少なく、基本的には成年や結婚に際してのみ。国民にとっても、お人柄を知ることができる貴重な場なのです」(河西准教授)だからこそ、会見のご様子が比較されてしまうのだろう。「昨年秋に行われた眞子さんと小室圭さんの結婚会見は、事前に用意した文書を読み上げただけで質疑応答もありませんでした。10分程度の会見で、記者と目を合わせることもなかった……。会見に至る経緯が異なるとはいえ、愛子さまとの差は歴然です」(前出・記者)小室さん夫妻の結婚から5か月以上が経過した今もなお、秋篠宮家へ向けられる視線は厳しい。「愛子さまへの敬愛が膨らむのはうれしいことですが、ほかの皇族方と比較するきっかけになってしまうのは望ましくありません。皇族であろうと生身の人間。それぞれの個性やお立場がおありです。ただ、やむをえない部分があるのは理解できます。皇位をめぐっては“悠仁さま派”“愛子さま派”という見方をされることもありました。その中で、おふたりの立ち居振る舞いに耳目が集まるのは、仕方のないことなのかもしれません」(宮内庁OB)愛子さまの会見では、上皇さまや天皇陛下の言葉を引用される場面が多々あった。「皇室のあるべき姿を深く理解しておられる愛子さまに対し、ご即位を熱望する声が上がっています」(皇室ジャーナリスト、以下同)『毎日新聞』が昨年11月から今年1月にかけて実施した世論調査でも、7割超が女性天皇を容認。しかし、「愛子さまが天皇になられる可能性はゼロといっていいでしょう。皇位継承に関する有識者会議の報告書でも、悠仁さまの皇位継承は“ゆるがせにしてはならない”と明記されています。それにもかかわらず、折に触れて悠仁さまと愛子さまは比較されてしまうのです」愛子さまが「うれしかった」愛子さまの人生を大きく左右する議論は、現在進行形で進められている。「女性皇族が結婚後も皇室に残る案が検討されています。ただ、この法案が成立したとしても、対象となる女性皇族に“皇室に残ること”を強制するとは思えません。現行法下で皇族女子としてお生まれになった方々には“皇室に残るか、離れるか”の選択権が与えられて当然だと思います」とある秋篠宮家関係者はこう語る。「将来即位される悠仁さまを近くで支えるお立場として、もっともふさわしいのは姉の佳子さまでしょう。しかし、佳子さまは“自由がない”皇室から逃れることを願っていると報じられており、生涯皇室にとどまる選択をされるとは考えにくい。一方、愛子さまからは“これからも皇族として務めを果たしたい”というお気持ちが感じられます。両陛下、そして悠仁さまの“相談役”に名乗りを上げられることもあるのではないでしょうか」3月18日、悠仁さまは中学校を無事に卒業した報告のため、両陛下や愛子さまと面会された。「愛子さまは、新年行事ぶりに悠仁さまとお会いになったことに対し“うれしかった”と喜んでおられたといいます。悠仁さまも、皇居を後にされる際には車窓を開け、沿道に集まった人々が見えなくなるまで手を振り続けられた。その表情はとても晴れやかに見えました。皇室の中では、同世代のおふたりが心を通わせ合っているのかもしれません」(前出・記者)将来の皇室を支える、おふたりの“ポジション”が見えてきた─。山下晋司皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立河西秀哉名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、著書多数
2022年04月01日筑附の説明会に参加された悠仁さまと紀子さま「3月18日、悠仁さまは中学校を無事に卒業した報告のため、制服姿で各所を訪問されました。まず、午前中には皇室の先祖などを祀る宮中三殿を参拝。その後、天皇・皇后両陛下や愛子さまとご面会。約20分後に皇居を後にされた際は、沿道に集まった人の影が見えなくなるまで手を振られていました」(皇室担当記者、以下同)午後には、東京都八王子市にある武蔵陵墓地を参拝。夕方には上皇ご夫妻のお住まいである仙洞仮御所をご訪問。当日の気温は4度と低く、雨が降りしきる中、仙洞仮御所の前には近隣住民や報道陣が15人ほど集まっていた。英語の発表で「緊張した」「悠仁さまは過密なスケジュールをこなされたからか、少々お疲れのご様子。約50分間の滞在を終えてお帰りになる際は、終始うつむかれたまま。“上皇ご夫妻とのご面会中で何かあったのではないか”と、思わず心配してしまいました」その理由は、ご本人にしかわからない。ただ、この前日も悠仁さまは、沈痛なご表情をお見せになっていた――。◆◆◆都心では最高気温が20度を上回り、初夏を先取りしたような陽気となった3月17日。悠仁さまは『お茶の水女子大附属中学校』を卒業された。「卒業式には、秋篠宮ご夫妻もそろって出席されました。式に臨むにあたり、悠仁さまが“充実した3年間になった”と、報道陣に向けてコメントされる一幕も。変声期を経てワントーン低くなったお声、紀子さまをゆうに越すほど伸びた身長……。大きく成長された姿に感無量でした」(宮内庁OB)附属幼稚園に入園以来、12年間にわたって“お茶大生活”を送られた悠仁さま。卒業式の後、お茶の水女子大の佐々木泰子学長や附属中の池田全之校長らによる記者会見が開かれた。附属幼稚園から中学校まで、12年間にわたった“お茶大生活”を振り返りつつ、次のようなエピソードが披露された。「数学の学習において満点を取れずに悔しがり、英語の授業で初めて級友の前で英語による発表をされたときは、飾ることなく“緊張した”と漏らされたお姿が印象的でございました」(佐々木学長)「3年間、卓球部に所属されていました。一般の中学生にまざって、区の大会に出場されておりました」(池田校長、以下同)「歓送迎会の委員などをされて、“ひとりはみんなのために”というところもあり、下の子の面倒もみていました」皇室ジャーナリストは、こう話す。「同級生にとって悠仁さまは、“ごくふつうのクラスメイトの1人だった”との説明がありました。これは“ほかのお子さまと変わらないように”という秋篠宮ご夫妻の教育方針が大きく影響しています。一方で紀子さまは、校長からじきじきに学校行事の説明を受けられる機会も多かったとか。未来の天皇にとってふさわしい教育環境かどうか、紀子さまは水面下で気を巡らせておられたのだと思います」まるで何かから逃げるようにご両親の配慮もあり、つつがなく卒業された悠仁さま。お茶大と筑波大の間で結ばれた『提携校進学制度』を利用し、4月からは“筑附”こと筑波大学附属高校へ進学される。「中学の卒業式を終えた悠仁さまと紀子さまは、午後1時40分ごろにお茶大を後にされました。中学のご学友とその母親とおぼしき女性とともに、徒歩で向かった先は、1本の道路を挟んだ向かい側に位置する“筑附”でした」(前出・記者)同校ではこの日、午後2時から新入生と保護者を対象とした『入学準備会』が行われた。「お茶大から筑附の距離は約100メートル。悠仁さまは、紀子さまの数歩前を歩く格好でしたが、終始うつむいていました。沿道に集まった人たちから“おめでとうございます”と声をかけられても、見向きもされず。晴れの日とは思えない、沈んだご表情でした」(同・前)悠仁さまの姿をひと目見ようと駆けつけた、近所の男性は残念そうに語る。「ご学友が“盾”になるように歩かれていて、悠仁さまのお姿は見えませんでした……」筑附の正門に着き、悠仁さまが紀子さまに何かを話しかけると、紀子さまはハンドバッグから入校証を取り出して受付の列へ並ばれた。「入学準備会では、学校生活にまつわる説明や、教科書や柔道着などの販売がありました。会場の体育館には椅子が等間隔に並べられ、紀子さまと悠仁さまも、大勢の人々に混ざって着席されていました。保護者の中には、紀子さまのご様子が気になってチラチラ見ている人もいましたよ」(保護者のひとり)スポーツ用品店の袋を手にした悠仁さまが、紀子さまと再び正門に姿を見せられたのは、午後4時ごろ。「正門前には、悠仁さまの出待ちをする筑附中の男子生徒たちが集まっていました。その視線に気づかれた紀子さまは、マスク越しにも伝わるほどの笑顔で会釈。一方の悠仁さまは“見て見ぬふり”という感じで、終始うつむきながら歩いておられました。行きと同じご学友母子に続く形で、徒歩で高校を後にされましたが、悠仁さまは、何度も後ろを振り返られて……。まるで何かから逃げようとされているようにも感じられました」(前出・記者)“未来の天皇”という重責を背負う15歳の青年が逃れたいものとは、いったい――。
2022年03月23日美智子さまと秋篠宮さまと悠仁さま「この4月、上皇ご夫妻は現在のお住まいである仙洞仮御所から、赤坂御用地内にある旧赤坂御所へ引っ越されます。上皇ご夫妻にとって旧赤坂御所は、’63年から’90年まで住まわれた思い出の地。今後は上皇の住まいを表す『仙洞御所』に改称されます」(皇室担当記者)仮御所に移られたのは、’20年3月。当初、仮住まい期間は1年半以内を予定していたが、コロナ禍の影響もあり、引っ越しは後ろ倒しに。美智子さまにとって思い出の「西向きの窓」「この間、高齢のご夫妻のためにエレベーターが設置されるなどのバリアフリー化が施されました。居住空間は3月中に完成しますが、すべての工事が終わるのは5月から6月ごろになるとみられます」(同・前)約2年間、おこもり生活を継続されてきた上皇ご夫妻。起床や就寝、食事の時間は定時で、音読と散策を日課とされる規則正しい生活をされている。「ただ、住まいや庭が手狭な仮御所での生活は、多少なりとも窮屈に感じておられたかもしれません。広々とした赤坂御用地での生活を、心待ちにされていることでしょう」(宮内庁関係者)皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、こう話す。「旧赤坂御所には、西向きの窓があります。美智子さまは折にふれて、この窓の和歌を詠まれました。例えば紀子さまの『納采の儀』の振袖を選んだときにご覧になった夕茜雲や、過密スケジュールをこなされる中で現れた夕焼けの和歌。ふと何かを思うときに立たれた西向きの窓辺は、美智子さまにとっての“特別な場所”なのです」旧赤坂御所から皇居へ引っ越された’93年には、上皇さまや3人のお子さまとの日々を振り返って、こう詠まれた。《三十余年 君と過ごしし この御所に 夕焼の空 見ゆる窓あり》それから約30年─。再び住まわれる赤坂御用地の敷地内には、次男・秋篠宮さまと、その家族が暮らす宮邸がある。「赤坂御用地の外周は約3・3キロメートル。その中にあるお住まいを行き来するのは容易でしょう。右半身に痛みのある美智子さまですが、今後は秋篠宮家と行事の折にお会いしたり、互いにふらりとお住まいを訪問されたりも。4月から筑波大学附属高校に入学される悠仁さまを気にかけられることもあるでしょう」(渡邉さん)“筑附”の通称を持つ同校は、美智子さまの父・正田英三郎氏と弟・修氏の出身校としても知られる。紀子さまに「東大へのこだわりはない」「お茶の水女子大学附属中学校に通われた悠仁さまは、お茶大と筑波大の間で結ばれた『提携校進学制度』を利用されました。中学での成績と、筑附の一般入試と同日に行われた『学力検査』が考慮されて、入学が決まったといいます」(皇室ジャーナリスト)悠仁さまの受験問題が世間に波紋を広げたことは、記憶に新しい。「提携校進学制度は当初、5年間限定だったことなどから“悠仁さまのために作られたのでは”とも報じられてきました。筑波大の学長は否定していましたが、制度の詳細や経緯に関する説明が少ないことから、納得できない国民は少なからずいます」(同・前)同校が皇室を受け入れるのは初。皇位継承者が学習院以外の高校へ通うのも初。手探り状態でのご進学となる。「皇族に対する警備体制が整っており、同級生や保護者からの理解も得られやすい学習院ではなく、あえて筑附を選ばれたのは、“悠仁さまを東大へ進学させたい”という、紀子さまのご意向ともささやかれてきました。偏差値70を超える筑附では、今年も30人以上の東大合格者を出しています」(同・前)史上初となる“東大出身の天皇”誕生に向けての布石が打たれたという“噂”に対し、事情を知る秋篠宮家関係者は首を横に振る。「実は、紀子さまに“東大へのこだわり”はないのです。今回の筑附進学も、あくまでも悠仁さまのご意思です。この先、悠仁さまが東大を目指されるのであれ、別の大学への進学を希望されるのであれ、その選択を尊重されるでしょう」秋篠宮家の“自由教育”は広く知られている。「秋篠宮ご夫妻には“皇族は学習院”という固定観念はありません。眞子さんと佳子さまは『国際基督教大学』を卒業されました。悠仁さまにも、ふたりのお姉さまにならい“進学先選択の自由”が与えられています」(同・秋篠宮家関係者)将来の即位が決まっている悠仁さまと、内親王として生まれた眞子さんや佳子さまとでは、事情が違うのではないか。皇室に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授は、こう危惧する。「一般の家庭でも、そんな完全な自由はない」「秋篠宮ご夫妻に“親としての教育方針”があるのは当然です。ただ、悠仁さまへの教育を拝見すると、未来の天皇はおふたりだけの子ではないということをお忘れになっているのではないかと感じることがあります。美智子さまは、かつて現在の天皇陛下にあたる浩宮さまの養育にあたって“日本国民、神からお預かりした宝です。自分の子ではいけないのです”と述べられました。上皇ご夫妻、天皇・皇后両陛下など、歴代の天皇家の方々の心構えを学び、かつ多くの国民の声にも耳を傾けるべきでしょう」とある宮内庁OBは、当時の美智子さまの“帝王教育”をこう振り返る。「浩宮さまが誕生された’60年、美智子さまは“あづかれる 宝にも似て あるときは吾子ながらかひな 畏れつつ抱く”という和歌を詠まれました。ご自身が産んだ赤ちゃんは、将来の天皇だという重責に対する畏敬の念が伝わります。一方で、浩宮さまの養育にあたり、幼稚園や学校の先生に“特別扱いはなさらないでください”と伝えられたという話もあります」ひとりの人間として、立派に育てあげることを大切にされた美智子さま。浩宮さまが初めての海外旅行を経験された’74年にはこんなエピソードも。「美智子さまは、その年の誕生日に際し、“外を自由に出歩く”という理想と、皇族には制限が伴うという現実の乖離について“一般の家庭でも、そんな完全な自由はない”と語られました。不自由さを受け入れ、国民に心を寄せられるこの価値観は、自由を追求する秋篠宮家の教育方針とは一線を画しているようにも感じられます。赤坂御用地への引っ越しを機に、美智子さまが秋篠宮家の教育をご覧になる機会が増えれば、ご自身の子育てとの違いを歯痒く思われるのではないでしょうか……」(同・宮内庁OB)新生活に悩みと不安はつきもの。それは皇室の方々にとっても変わらない─。渡邉みどり皇室ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。60年以上にわたり皇室を取材小田部雄次静岡福祉大学名誉教授。皇族や華族にまつわる日本近現代皇室史を専門とする
2022年03月18日2012年11月、秋篠宮ご夫妻とご一緒に奈良県奈良市の『春日大社』で「鹿寄せ」をご見学。「奈良の鹿愛護会」の職員がホルンを吹くと、場内に散っていた約130頭の鹿が一斉に集まり、悠仁さまは「触りたい」と言って鹿の背中をなでられた。3月17日、秋篠宮家の長男・悠仁さまが『お茶の水女子大学附属中学校』を卒業された。2010年4月に入園した『お茶の水女子大学附属幼稚園』から12年間、通称“お茶女”に通われていたことになる。「お母さまである紀子さまが『お茶の水女子大学』を拠点に研究活動を行なっていることから、女性研究者を支援するために同大学が創設した特別入園制度を利用され、お茶女の附属幼稚園に入園されました。その後もエスカレーター式でお茶女の小学校と附属中学校に進学されましたが、学習院以外の小中学校に皇族が通うのは戦後の皇室で初めてのことでした」(皇室担当記者)中学1年生の終盤からは新型コロナウイルスの影響で学校が休校に。2年生の5月からはオンラインによる授業、6月からは少しずつ対面授業が再開されていったそう。3年間を通して、いろいろな教科の中で「防災や災害からの復興について学ばれた」と、お茶女の関係者が明かす。「悠仁さまは『総合的な学習の時間』という授業で、グループに分かれて生徒たちのための防災ウェブサイトを作り、自然災害がどのようにして起こるのか、どのように備えるのかなどについて工夫しながら取り組まれていました。また、“東日本大震災”と“ものづくり”をテーマとした家庭科の授業では、被災地を支援する団体の毛糸や布地を使った手芸品の製作も行われるなど、被災地の復興について真剣に考えられた3年間だったと思います」卒業に向けて、悠仁さまはクラスの中でも“大役”を任されたそうだ。「卒業アルバムを製作する歓送会委員になられた悠仁さまは、ご友人と一緒に中学3年間を振り返りながら、協力してアルバム作りに励まれたのです。歓送会ではクラスを代表して、仲間とともに在校生への返礼のプログラムを準備するなど、勉強や自主研究だけではなく、学校行事に関しても積極的に取り組まれていました」(同・前)この春からは新たに、都内屈指の名門『筑波大学附属高等学校』に進学される。将来、天皇陛下に即位される悠仁さまの15年間を、秘蔵写真とともに振り返ってみよう。秘蔵写真で振り返る悠仁さまの15年「ご誕生から現在まで」●2006年11月、秋篠宮ご夫妻とともに生後70日目の悠仁さまのお宮参りにあたる『賢所皇霊殿に謁するの儀』が行われた。天皇・皇后両陛下(当時)から贈られた『御初召(おうぶめし)』と呼ばれる白の産着姿で宮内庁御用係に抱かれて賢所仮殿に参拝された。満面の笑顔で三輪車をこがれて●2008年8月、悠仁さまが翌月に2歳のお誕生日を迎えられるにあたって公開されたお写真。秋篠宮邸で積み木遊びをされる悠仁さま。このころの日課は、宮邸で飼っている犬や魚にエサをあげたり、庭で育てている夏野菜にも小さなじょうろで水をやられることだった。●2008年9月、天皇・皇后両陛下(当時)が静養されていた神奈川県にある『葉山御用邸』に、秋篠宮ご夫妻とともに悠仁さまも合流された。御用邸近くの海岸を散策され、地元住民が連れていた犬に関心を持たれて、背中やしっぽにちょんちょんとタッチもされていた。●2009年8月、翌月に3歳となられる悠仁さまは楽しそうに三輪車をこがれた。自分で選んだ絵本を紀子さまと一緒に読んだり、歌を歌っておられていた。姉の眞子さまや佳子さまの学校が休みのときは、おふたりとパズルやお絵描きも。●2010年4月、東京都文京区の『お茶の水女子大学附属幼稚園』の入園式へ。幼稚園舎前で出迎えた副園長に「おはようございます」とご挨拶。「ご入園おめでとうございます」と声をかけられ、「ありがとうございます」と笑顔で返答された。音楽会では誰よりも大きな声で「ハーイ!」●2011年11月、東京・元赤坂の赤坂東邸で健やかな成長を願う『着袴の儀』を行われた悠仁さま。一般の七五三にあたる皇室行事で『落滝津(おちたぎつ)』の服で臨まれ、宮内庁職員らに白い袴を着けてもらった。●2012年4月、千葉県鴨川市にある『鴨川シーワールド』を訪問された悠仁さま。幼稚園の春休みを利用した私的旅行で、水槽内のウミガメを指さして「どのぐらいの大きさですか」と質問し、秋篠宮さまが「ゆうゆう(悠仁さまのあだ名)より大きいよ」とお答えに。●2012年8月、東京・赤坂のサントリー美術館で開かれた『おもしろびじゅつワンダーランド』展を観覧された。悠仁さまは、京都の街を描いた『洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)』のデジタル画像で天皇が住む内裏(だいり)を興味深くご覧になられた。●2013年11月、『お茶の水女子大学附属小学校』1年生の悠仁さまが音楽会にご参加。演目だった「だれにだっておたんじょうび」を歌われ、ほかの9月生まれのお友達と一緒に「ハーイ」と大きく手を挙げてお返事された。貴重すぎる悠仁さまの“薪割りショット”●2015年5月、学校の運動会に参加された小学3年生の悠仁さま。4人1組のリレー競技を終えて、お友達と一緒に並ばれているところを写真撮影された。秋篠宮ご夫妻や眞子さま(当時)もたびたび、悠仁さまの運動会の応援のため現地へ足を運ばれていた。●2015年9月、9歳になられた際に宮内庁から公表された悠仁さまのご近影。宮邸がある赤坂御用地内では、愛用する虫取り網でトンボやセミを捕まえられることも。放課後にはお友達と虫やカエルを捕って観察し、その後は元の場所に戻すことを心がけられていた。●2017年8月、小学5年生の悠仁さまが参加された2泊3日の林間学校で。長野県・白樺湖周辺で飯ごう炊飯の準備のため、薪割りをご体験。学校では栽培委員会に所属して花壇の水やりを担い、赤坂御用地では野菜作りや稲作にも取り組まれていた。●2018年5月、6年生の悠仁さまが小学校最後の運動会に臨まれた際の1枚。直径約1メートルの大玉を転がしてリレーする「大玉おくり」にご出場。同級生と力を合わせて大玉を転がし、勢い余ってコーンにぶつかる場面も。ご両親も保護者席から笑顔で見守られていた。初めての海外訪問はブータンへ●2018年7月、東京都千代田区にある戦傷病者史料館『しょうけい館』をご両親とともに私的に訪問された。戦傷病者や家族の労苦を後世に伝えるための施設で、小学6年生の悠仁さまは戦場で止血に使われた日章旗や兵士から取り出された摘出弾を熱心に見学された。●2018年8月、小学6年生の夏に福島県・裏磐梯(うらばんだい)高原の雄国沼周辺の林道をトレッキングされた悠仁さま。1〜6年生で構成する縦割り班のリーダーとして下級生のお世話をしたり、放課後にはお友達と手打ち野球を楽まれていた。●2019年8月、ご両親と一緒に夏休みを利用して初めての外国訪問となるブータンへ。王族と交流したり、日本とよく似た文化や植物景観を対比することで、日本のことをより一層理解されたという。山間で見かけたトンボやセミなどにも興味を示された。秋篠宮さまにカメラの使い方を習われながら●2019年12月、姉の佳子さまとともに都内で行われた『第41回少年の主張全国大会』に出席された。おふたりだけで公務に臨まれるのは初めてで、少し緊張された表情を見せる場面も。大会後には、出場した同世代の子どもたちにスピーチ内容について質問された。●2020年8月、翌月に14歳を迎えられるにあたって宮内庁が公表したお写真。新型コロナウイルスで学校が休校する期間が続いたが、出された課題に取り組んだり、自主的な研究を進められた。夏休み期間には、ご家族とともに感染症の専門家から話も聞かれていたそう。●2022年1月に公開された秋篠宮ご一家の新年写真。前年の10月末に姉の眞子さまが小室圭さんと結婚され、皇室を離脱されたため4人での撮影に。2月中旬には注目を集めていた悠仁さまのご進学先が『筑波大学附属高等学校』に決定したことが発表された。
2022年03月17日秋篠宮さまと小室眞子さん秋篠宮家の長女・眞子さんと結婚してから4か月、2月下旬に2度目のNY州司法試験を受験したとみられる小室圭さん。今回の試験が不合格になった場合は「勤務先の法律事務所を解雇される」「ビザの発行許可が降りずに強制帰国になる」といった報道が目立っている。小室圭さんの合否は気にされていないもし小室さん夫妻が日本への帰国が余儀なくされた場合、再び世間の注目を集めるのは間違いない。そうなれば再び、秋篠宮家に対する批判が巻き起こる可能性は十分ある。小室さんの試験を巡る騒動に秋篠宮さまもさぞ“ご立腹”かと思いきや、「殿下は特に気にされていませんよ」と明かすのは、秋篠宮家関係者のひとり。小室さんがNY州の司法試験に落ちたことが発覚した昨秋、秋篠宮さまは近しい関係者にこんなことをこぼされていた。「昨年11月ごろでしょうか、小室さんが司法試験に落ちたことについて聞かれた際、殿下は“(試験に落ちることは)織り込み済みだった”とおっしゃったのです。というのも、事前に眞子さんから“就職と試験は別”と伝えられていたそうで、小室さんが職業を得ていることが肝要だとお考えになっていました。昨夏の時点で小室さんがNY州の法律事務所で働くことは確定していたものの、試験に受かるかどうかはわからないと、当初から殿下は認識されていたのです。ですので、試験に落ちたことに対して殿下は憤りや大きなショックなどはほとんどないご様子でした」(同・秋篠宮家関係者)NY州の法律事務所に勤める法務助手は年収600万円ほどだと報じられており、小室さん夫妻が住むアパートメントの高い家賃や物価の高いNYでの生活を継続できるのか、といった声もあがる。一方、NY州弁護士は新人でも2000万円の年収が見込めるというのだから、ビザの問題も含めて、今回の司法試験には是が非でも合格したいのが、本人の強い希望だろう。秋篠宮家の食卓に残り続ける“眞子さんの席”しかし、秋篠宮さまは当初から「小室さんに求めていたことは高収入でもなく、弁護士になることでもなかった」(秋篠宮さまの知人)という。「小室さんには就いた職業をしっかりとまっとうして、得た収入の中で工夫を重ねながら身の丈に合った生活を送ってほしい、というのが殿下のご希望でした。アメリカ留学前の小室さんは、都内の法律事務所で弁護士の補助業務を行うパラリーガルとして働いていました。一般的に決して高収入とは言えない職業について、当時は“眞子さまと結婚するうえで、元皇族の品位を保つ生活ができるのか”といった周囲の懸念もあったことは事実。しかし、殿下はその点も寛容な姿勢で、家賃の高い都心ではなく都内近郊の住居を選んだり、華美な生活ではなく自炊をして家計をやりくり、眞子さんも共働きするなど、夫婦で協力して生活を送ってほしいと願われていたのです」(同・秋篠宮さまの知人)小室さん夫妻の幸せを願う一方で、殿下は眞子さんのいない秋篠宮家の食卓に寂しさをお感じになっているそうだ。「現在、眞子さんと積極的に連絡をとられているのは佳子さまと悠仁さまで、殿下本人が頻繁に連絡をとられているわけではありません。ただ、やはり眞子さんがいないことを寂しく思われているようで、食卓を囲むテーブルには眞子さんが以前使われている椅子は撤去されずに今も置かれており、動物のぬいぐるみを座らせているんですよ。殿下はこれまで数々の地方公務をこなされていますが、訪れたそれぞれの土地に売られている動物のぬいぐるみを購入されることが多々ありました。殿下は、それらの動物のぬいぐるみを一定期間で取り替えながら眞子さんの席に置いて、ご家族で食卓を囲まれているのです」(前出・秋篠宮家関係者)マダガスカルでの写真を今でも大切に昨年、秋篠宮さまのお誕生日会見で眞子さんとの印象深い思い出を問われた際、「やはり一番長期間一緒に旅行したマダガスカルが思い出としては残っていますね。ドライブしながら、その植物景観の移り変わりを見たりとかですね。行った先での音楽だったり踊りだったりに触れたり、また、バオバブの巨樹の所に行ったりですとか、それがやはり一番印象深く残っていますし、数か月前にもたまたまその話が出て楽しかったねという話をしました」と語られた。思い出を懐かしむ秋篠宮さまのご発言からは、いかに眞子さんとの絆が深かったことがうかがえる。「殿下と眞子さんはラオスやハンガリーにも2人きりで海外への私的旅行に行かれていますが、会見でもおっしゃったように、殿下はマダガスカルでの思い出をとても大切にされています。なんでも、現地で撮影したマダガスカルの美しい絶景写真を、普段使用しているスケジュール帳を入れる封筒に今でも大事にしまわれているそうです。写真をご覧になる度に眞子さんとのマダガスカルでの旅行を思い出され、現在は遠くで結婚生活を送る眞子さんに思いを馳せられているのでしょうね……」(前出・秋篠宮家関係者)眞子さんの幸せを願う秋篠宮さまの思いは、普通の父親と変わらないーー。
2022年03月12日天皇陛下の誕生日の祝賀行事のため皇居へ入られた紀子さま(2月23日)春は別れと出会いの季節。秋篠宮家の長男・悠仁さまも、新たな門出をお迎えになる。「幼稚園から中学校まで通われた『お茶の水女子大学附属』は高校から女子校になるため、4月からは“筑附”こと筑波大学附属高等学校へ進学されます。偏差値70を超える筑附は、東大合格者が毎年30名程度という国立進学校。悠仁さまは、お茶の水女子大と筑波大が結ぶ『提携校進学制度』を利用し、ご入学が決まりました」(皇室担当記者、以下同)悠仁さまの入学を「大変光栄」と語る学長両大学の附属校に通う若干名の生徒が“交換入学”できるのが提携校進学制度。「’17年から5年間限定で設けられたため“悠仁さまのために作られたのでは”と、取り沙汰されてきました。しかし、筑波大学の学長は、2月24日に行われた会見で“その見方は当たらない”と否定。’27年まで制度の延長が決まっているそうです」中学の成績が“最優秀グループ”に入っておられたという悠仁さまは、一般入試の日に行われた学力検査を加味して、合格が決まった。「悠仁さまの入学について、学長は“大変光栄”と評しましたが、ひとりの生徒の入学を大々的に歓迎するのは、国立大学の長としてどうかと思いました。ほかの生徒や保護者にとって、いい気持ちはしないでしょう」(教育評論家)皇室に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授もこう懸念を示す。「どんな学校でも、皇族のご入学は名誉と感じる面はあるでしょう。ただ、筑波大が国立であるという公共性から考えると、皇室への特別扱いが見受けられる会見は避けるべきでした」皇位継承者が学習院以外の高校に入学されるのは戦後初。このような問題が生じてしまうのも無理はない。しかし、悠仁さまの筑附進学は、約10年前から噂されていたというのだ。中学・高校と筑附に通い、’16年に卒業したOGが語る。「私が中学生のころから悠仁さまがいずれ筑附に入学されるのではないかとささやかれていました。でも、校舎が古いし、女子生徒があまりにもたくましいから“まさか、ないよね”って(笑)」当時、提携校進学制度はなく、悠仁さまはまだお茶の水女子大附属の幼稚園児だったはずだが……。林間学校では男女ペアで「肝試し」「“自主・自立・自由”というモットーが、秋篠宮家の教育方針とマッチするので、早いうちから進学先の候補に挙がっていたとしても納得できます。お茶の水女子大と道路1本を挟んだ向かいに位置する筑附は、警備の面でもアドバンテージがありますしね」(宮内庁関係者)では、筑附とはいったいどんな学校なのか。同校のHPでは校長がこう綴っている。《大切な高校生時代に、強制はふさわしくなく、その精神において自由であらねばなりません》制服がなく、校則もほとんどない学校生活について、前出のOGはこう回顧する。「受験には直接的な関係のないアクティブ・ラーニングの授業が中心で、例えば、数学は公式を覚えるのではなく、成り立ちを考えました。宿題は少なく、授業中にスマホゲームをしている人も。塾に通うなど、各自で受験勉強に取り組むか、浪人覚悟で高校生活を謳歌するかの2パターンが多かったです」充実した学校行事も、同校の大きな魅力だ。「1年生の夏には、長野県の蓼科高原で林間学校があります。クラスメート6人と卒業生1名がチームになって山登りをしたり、夜は男女ペアになって肝試しをしたり。山登りはかなりハードでした」(前出・OG、以下同)かつて標高3千メートルを超える槍ヶ岳にご登頂されたこともある悠仁さまにとっては、力の見せどころか。毎年6月には、筑附と学習院の定期戦も行われる。筑附は“院戦”、学習院は“附属戦”と呼ぶ部活対抗試合だ。「私の在学中は学習院のほうが強く、“今年こそ勝つ!”と、意気込んでいました。生徒はもちろん、卒業生も応援に駆けつけます」大学受験を控えた3年次でも、文化祭やスポーツ大会に本気で取り組む生徒が多いのが同校の特徴。「高校時代にしかできないことに全力を注ぎ、そのぶん、親睦は深まりました。放課後はカフェやファミレスでひたすらおしゃべりしたり。カップルは、クラスに2組ほどいました」花の高校生活に、悠仁さまは期待を膨らませておられることだろうが、同校では戸惑いの声も広がっている。愛子さまの成年会見と同日に“顔合わせ”「自由な校風が好きなので、悠仁さまのご入学で日常生活や行事が制限されるのは、ちょっと……。悠仁さまと普通に接することができるか不安だという人もいれば、“ひーくん”“ひぃめろ”など、早くも愛称で呼び始めている人も。距離感をつかめずに浮足立っている印象です」(女子生徒のひとり)別の男子生徒は、こう話す。「悠仁さまの合格報道を受け、学校からは“節度を持った対応を”とのお達しが。でも、何かを禁止するわけではなく、あくまでも生徒の自主性に委ねられています。筑附らしいと思う反面、皇族が過ごす環境としてふさわしいのかは疑問です」先を案じるのは、在校生だけではない。「悠仁さまが将来、即位されることを見越して“帝王教育”を積極的に行われていたのは、何を隠そう紀子さまです」(秋篠宮家関係者)今年4月から成年年齢が18歳に引き下げられ、悠仁さまは高校在学中に“大人”の仲間入りを果たされる。「高校生活が人間形成の場になることは言うまでもありません。気の合うご学友ができるか、将来につながる知見を得られるか、なにより楽しく充実した青春を送れるのか……。心配は尽きないでしょう」(同・前)入学まで約1か月。悠仁さまの同級生となる新入生も、期待と不安が入り交じっているに違いない。そんな中、早くも同級生が一堂に会する機会がある。「3月17日午後2時から、筑附の体育館で高校入学準備会が開かれます。授業料や寄附金といったお金がらみの説明や、教科書や柔道着などの販売があるため、保護者同伴での出席が義務づけられています」(筑附関係者)悠仁さまも、保護者とのご出席が求められる。「紀子さまは、母としての自負を強く持ち、これまでも率先して保護者説明会などに参加されてきました。今回の入学準備会にもお出ましになるのではないでしょうか。高校におけるママ友は、一般的にさして重要ではなくとも気になるもの。変わった保護者や生徒がいないか、悠仁さまに冷たい視線が注がれないか、ご自身の目でしかと確認なさると思います」(前出・秋篠宮家関係者)奇しくもこの日、天皇家の長女・愛子さまは初めての記者会見に臨まれるご予定だ。「昨年12月に20歳をお迎えになった愛子さまですが、学業への影響を考慮されて、会見は3月17日の午前中という日取りに。その数時間後、今度は紀子さまが“同級生の親”と初めて“会見”されるとは……。皇室にとっては緊張続きの1日になりそうです」(同・前)紀子さまにとっても“ハレの日”になるだろうか─。小田部雄次静岡福祉大学名誉教授。専門は、皇族や華族に関わる日本近現代皇室史
2022年03月08日「たいへん光栄なこと。できる限りの方策を立てて安全・安心を確保したい」秋篠宮家の長男・悠仁さまが筑波大学附属高等学校(筑附高)に合格されたことについて、同大の永田恭介学長は2月24日の会見で歓迎の言葉を述べた。悠仁さまはお茶の水女子と筑波、両大学の附属校の間で’17年にスタートした「提携校進学制度」を利用されたという。悠仁さまのために作られた制度ではないかとの指摘に、永田学長は「その見方は当たらない」と否定した。だが、皇室担当記者は首をかしげる。「悠仁さまがお茶の水女子大学附属幼稚園に入園されたのも、女性研究者を支援する『特別入学制度』によるものでした。この制度の“適用第1号”で入園されたのが悠仁さまだったのです。悠仁さまの進学に伴って“特別な制度”の新設が2度も繰り返されたわけで、疑念が生じるのも致し方ありません。皇嗣職大夫の会見でも、記者から『特別扱いでは』との質問が相次いだのです」なぜ紀子さまは“皇室特権”との批判を顧みず筑附高への進学を推し進めたのか。「紀子さま自身の学歴コンプレックスがあるのでは」と語るのは皇室ジャーナリスト。「ハーバード大、東大で学ばれた雅子さまと比べると、見劣りするという思いがあったのでしょう。紀子さまは、’13年にはお茶の水女子大で博士号も取得されています。筑附高は’21年度は29人が東大に合格した、都内有数の進学校。悠仁さまにも東大を目指してほしいというお気持ちが紀子さまにはあるのでしょう」だが、こうした秋篠宮家の価値観は、皇室に亀裂を生じさせつつあるという。天皇陛下は2月23日の誕生日に際して開かれた会見で、眞子さんと小室圭さんの結婚について次のように語られた。「今後、幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」■天皇陛下から“異例の苦言”がめいである眞子さんの慶事について“心苦しい”と語られた陛下。宮内庁関係者は「“苦言”ともとれる異例のご発言だった」と語る。「あえて『心苦しい』と語られたのは、眞子さんの国民に対する姿勢が決して好ましいものではなかったと、陛下もお考えになっているからでしょう」陛下は続けて「国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております」と、皇室のあり方について改めてお考えを述べられた。歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「秋篠宮家は、従来とは異なる、より自由な精神による皇族の生き方を模索してきました。眞子さんの結婚や悠仁さまの進学にも、その価値観が反映されています。陛下は会見で、歴代天皇の言葉を紹介し、『徳』『道義』『礼儀』を重んじ、国民に心を寄せることが皇室の役割だと語られましたが、秋篠宮家の現状はそこから逸脱しかけているようにもみえます」“道義”よりも学歴を追い求めるかのような教育方針は、美智子さまのお考えとも相いれないという。「美智子さまは、雅子さまが皇太子妃に決まった際に、喜ばれつつも親しい知人に、ある懸念を表明されていたのです。それは、雅子さまがあまりに優秀で、学歴も立派すぎるために、将来の“お妃選び”が難しくなるのではないかというご心配でした。雅子さまが皇太子妃にふさわしくないということではなく、国民がご結婚相手に求めるハードルが上がりすぎることを危惧されたのです。また同時に、皇族にとって大切なのは優秀さよりも祈る心だというお考えも示されていました。紀子さまは学歴や受賞歴で“優秀さ”を示そうとされているのかもしれませんが、皇族として大切にするべきことが悠仁さまに伝わっているのか、疑問も残ります」(前出・宮内庁関係者)止まらぬ“高学歴志向”への懸念は払拭されるのかーー。
2022年03月04日小室佳代さんと眞子さま「2月23日、天皇陛下は62歳の誕生日をお迎えになりました。先立って行われた記者会見では、新型コロナや東京オリパラといった時事的な話題のほか、ご家族の近況などについて述べられました」(皇室担当記者)名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、約45分間におよんだ会見をこう振り返る。天皇陛下の“踏み込んだ”ご発言「例年より長く、中でも天皇としての在り方や皇室の存在意義にまつわるご発言が多かったのが印象的でした。コロナ禍で国民と直接触れ合う機会が減ったことや、眞子さんの結婚を機に皇室への風当たりが強まったことを受けてのご判断でしょう。昨今は、眞子さんの結婚問題などから天皇制の廃止を唱える人もおり、国民からの敬愛も揺らいでいます。脈々と受け継がれる皇室の信念を、改めて国民に説く必要があるとお考えになったのでは」姪・眞子さんの結婚についても、こう言及された陛下。「結婚に至るまでの状況を踏まえ、『納采の儀』などは秋篠宮家の判断で、また、『朝見の儀』などについては、私の判断で執り行わないこととなりました。今後、幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」河西准教授は、驚きを隠せない様子で続ける。「“異例の結婚”となった責任がご自身にもあるとし、国民に対する謝意まで示されたのは、天皇としてはかなり踏み込んだご発言です。裏を返せば、皇室のトップがそう述べられる必要があるほど、皇室は危機的な状況にあるとも受け取れます」母と祖父が住む小室圭さん実家の近況さらに陛下は「皇室に関する情報をきちんと伝えていくことも大事」とも語られた。「眞子さんの結婚騒動は、皇室と国民のコミュニケーション不全が顕著に表れた例でしょう。今回の陛下の総括からは、国民との信頼関係を取り戻したいというお気持ちが感じられました」(河西准教授)眞子さんの夫である圭さんは、2月22日と23日にNY州の司法試験を再受験した。英紙『デイリー・メール』は試験本番の圭さんの姿を事細かに報じている。「結婚会見に臨むにあたり散髪した圭さんの髪はすっかり伸びて、再び“ちょんまげ頭”に。服装は2日間ともほぼ同じで、胸元まであけたデニムシャツにネイビーのパンツ、お気に入りの『スター・ウォーズ』スニーカーを合わせるカジュアルスタイルでした。同紙は圭さんの沈んだ表情に注目し、“ダメでも気にしないで!”“受験回数に制限はない”と、不合格を示唆するような表現も見受けられました」(前出・記者)昨年の同試験では、再受験の合格率が34%だった。「米国の試験は言葉の壁がある日本人にとってはハードルが高い。問題文を読み解くだけで時間がかかり、手ごたえがなかったとしても無理はありません。あとは4月下旬に予定されている合否発表を待つのみです」(法曹関係者)試験勉強から解放された圭さんは、法務助手の仕事をこなしつつも“つかの間の自由”を手に入れたことに。「渡米後の圭さんは、パブで友人たちと酒を飲んだり、NYの街を眞子さんと散策したり……。楽しげな生活ぶりが報じられるたびに“勉強ははかどっているのか”と、一部から揶揄されていましたが、これで心置きなく出かけられるでしょう」(同・前)一方、日本に残る母・佳代さんは、神奈川県にある自宅マンションで、実父とともに窮屈な日々を送り続けている。「圭さんが結婚した後、自宅付近に報道陣が集まることはなくなりました。眞子さんとの交際が報じられた’17年に設置されたポリスボックスは、昨年11月に撤去。ただ、所轄の警察が必要に応じてパトロールするなど、多少なりとも緊張した雰囲気が、今も続いています」(前出・記者)改めてマンションの住人に聞くと、「圭くんのことが取り沙汰されて、たしかに一時は厳重な警備体制を敷く必要があったかもしれませんが、もう普通の生活に戻していいはずです。ポリスボックスが撤去されたのは、とある住人が働きかけたから。ほかにも“爪痕”は残っているんです」そう言うと、佳代さんが住むフロアの外廊下を指さした。「人目を避けるために、佳代さんが設置した目隠し用の垂れ幕……そろそろ取っていいでしょう。エントランスに何枚も張られている“不審者注意”“部外者立ち入り禁止”の紙も、回収をお願いしようと思います」(同・住人)小室佳代さん、渡米のチャンスは別の住人は「佳代さん」の名を出すと、表情を曇らせた。「佳代さんや圭くんは、住人とすれ違っても挨拶をしなかったし、回覧板などの事務的なお付き合いもテキトーでした。それなのに、クレームは言いたい放題で……。マンション住人とのコミュニケーションはほぼないと思います。ここ数年は、見かけることすらありません。買い物やゴミ出しはいつも佳代さんのお父さんがやっています」四面楚歌状態の佳代さんだが、かつては何でも話せるご近所さんがいた。同じマンションに住み、佳代さんと元婚約者を引き合わせたと噂される男性だ。「婚約内定報道前に“圭が、天皇陛下の孫と結婚するの”って、佳代さんから電話があったよ。そのときに“身は潔白か?”って、冗談半分で言ったら、本当にこんなことになって……」(男性、以下同)小室家の頼みごとを引き受ける機会が多く、「いちばん仲がよかったのは自分」と話す。だが、佳代さんの近況を問うと、言葉を濁した。「今も住んでいるとは思うけれど、見聞きしないし、知る由もない」“第二の人生”を歩んでいる息子夫婦とは相反して、今も息をひそめて暮らす佳代さん。「当初は、息子夫婦とともに渡米して一緒に暮らすともささやかれていました」(皇室ジャーナリスト)佳代さんは以前、『週刊文春WOMAN』の取材に、眞子さんの印象をこう語っていた。《とても立派な方で。曲がったことや嘘はお嫌いで真実のみを信じて、ご自身の意見もしっかり持っていらっしゃる》「圭さんが結婚前の’18年に留学してからというもの、日本に残った佳代さんに寄り添い、誰よりも心配してきたのは眞子さんだったと聞きます。そんな眞子さんに、佳代さんは絶大な信頼を置いていました。強い絆で結ばれたふたりが、NYでの同居生活を心待ちにするのは、納得できる話です」(佳代さんの知人)陛下の誕生日会見を機に、一連の騒動が“鎮火”しつつある今は、渡米のチャンスのようにも思える。「そう簡単にはいきません。佳代さんが80歳を超えた実父を置いて渡米するとは到底思えず、かといって、皆保険制度がないアメリカに連れていき一緒に生活するとなれば、高額な医療費や介護費が生じる可能性もあります。コロナやビザの問題が解決したとしても、当分、渡米は困難でしょう」(同・前)義母をNYへ呼び出す。元プリンセスの新たな夢が叶う日は訪れるのだろうか。河西秀哉名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、『近代天皇制から象徴天皇制へ─「象徴」への道程』(吉田書店)など著書多数
2022年03月02日アメリカから横浜市内の実家に帰宅した小室圭さん(’21年9月)秋篠宮家の長女・小室眞子さんの夫で、現在はアメリカNY州の法律事務所に勤務している圭さんの近影に“衝撃”が走っている。素肌にデニムシャツ「2月23日(日本時間24日)、イギリスのタブロイド紙『デーリー・メール』が小室圭さんの近影を撮影してウェブ配信したのですが、再び“見た目”が変わっていて驚きました!髪は以前よりもかなり伸びており、昨秋に帰国した際のポニーテール姿に戻っていました。帰国後に行った結婚会見では“ポニテ”をカットして清潔な印象の髪型にしていましたが、このぼさぼさした長髪ぶりを見ると渡米後は一度も切ってないようですね」(皇室担当記者)さらに驚くべきは、彼のファッションだった。「デニム生地のシャツにネイビー色のパンツ、さらには彼が大好きだという『スター・ウォーズ』のスリッポン姿。驚いたのは、インナーなしで素肌でデニムシャツを羽織っており、ボタンを大きく開けていたため小室さんの胸毛が見えてしまっていて……。日本にいたころの柔らかな雰囲気から一転、ワイルドな雰囲気に様変わりしているんです」(同・前)NYでの生活が圭さんのファッション感覚に影響を与えてしまったのだろうか。ちなみに『デーリー・メール』が小室さんの姿をキャッチしたのはNY州の司法試験会場だった。「小室さんは昨年7月にもNY州の司法試験を受験するも秋に不合格が発覚したため、今回再受験する運びとなりました。2日とも6時間にわたって行われ、1日目の論文問題と2日目の知識問題が50%ずつ配点されて、合格するには400点中266点が必要です。前回の試験はオンラインで実施されましたが、今回は試験会場に多くの受験生が集まるので、平常心を保てるかどうかが命運をにぎるでしょう」(在米ジャーナリスト)圭さんは、今回の2回目の司法試験に“落ちるわけにはいかない”理由が2つある。“強制帰国”の可能性「現在の勤務先では法務助手という、いわばパラリーガルのような仕事で年収は600万円ほどだと言われています。小室さん夫妻は、NY州マンハッタン地区にある比較的富裕層が多く住む地域の24階建てのマンションに住みながら新婚生活を楽しんでいるところ。しかし眞子さんは働いておらず、夫妻の収入は圭さんのみであり、1年目の年収が2000万円を超えると言われるNY州弁護士にならないと、物価の高いマンハッタンでの生活は破綻するのは目に見えています」(同・前)もう1つの問題は“強制帰国”の可能性があること。「圭さんは学生ビザを更新したことでアメリカに滞在しているとみられますが、その期限は今年5月ごろに訪れます。それまでに司法試験を突破してNY州弁護士となり、就労ビザを取得できなければ、日本への“強制帰国”の可能性が十分あり得るのです。2回目の司法試験の合格率は30%ほどだと言われており、前回よりもハードルが高い。働きながらだと試験勉強をする時間が確保しづらいことが理由です。NYで念願の自由な生活を送っている2人にとって、早々の帰国はいちばん避けたいことだと思います」(前出・皇室担当記者)試験の合否は4月下旬ごろに発表される予定。NY生活を維持するために、圭さんは正念場を乗り越えられるのだろうか。
2022年02月26日小室圭さんと眞子さん(’17年9月・婚約内定会見)秋篠宮家の長女・小室眞子さんと圭さん夫妻は現在、アメリカNY州で幸せな新婚生活を送られている。圭さんはNY中心部にある法律事務所で法務助手として勤務しながら、同州の弁護士を目指して勉強に励んでいるところ。そしてついに、2月22日と23日に自身2度目の司法試験を迎えた圭さんは、リベンジを果たせるのだろうか。一方で、昨年は小室さん夫妻にとって大きな節目となった。圭さんがアメリカの『フォーダム大学ロースクール』を卒業し、秋に帰国。10月26日に悲願の入籍、同日には結婚会見でふたりが直接国民に結婚したことを報告した。その翌月におふたりはアメリカNY州に旅立たれ後、近況が聞こえてくることは少なくなったが、今は静かな環境で仕事、そして司法試験に臨んでいるであろう圭さん。しかし、「試験に不合格ならビザの発行許可が下りずに強制帰国の可能性がある」とも報じられている。圭さんが正念場を迎えたこのタイミングで改めて、皇室を大きく揺るがした結婚問題が一気に決着した、2020年から21年にかけてのいわゆる“怒涛の1年”を詳細に振り返ってみるーー。◆◆◆「結婚することを認めるということです」’20年11月、55歳を迎えられるにあたって行われた記者会見で、秋篠宮さまはそう述べられた。ただ、この発言はあくまで法的な観点から発言されたものだった。「会見で殿下は“憲法にも結婚は両性の合意に基づくものなので、親としては尊重すべき”と述べられ、さらには“結婚と婚約はちがう”とも。結婚は個人の自由意志で成り立ちますが、婚約は秋篠宮家と小室家との問題であり、一般の結納にあたる『納采の儀』は行えないとの意向を示されたことと同義でした」(皇室担当記者)■宮内庁長官の“意味深発言”これは記者会見より約2週間前に公表された、眞子さんの“お気持ち文書”を受けてのものだと言われる。《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》と、眞子さんが結婚に対する強いお気持ちを文書に綴られていた。秋篠宮さまの「結婚を認める」というご発言は、眞子さんのお気持ちを汲まれた結果だったのだろう。文書の序盤には《両親の理解を得たうえで》という文言も盛り込まれており、秋篠宮ご夫妻からも了承された内容だということが話題にもなった。ただ、秋篠宮さまの会見では、小室家が当時抱えていた金銭問題に対して、「いろいろな対応をしているとしても、見える形になることが必要」「結婚する段階になったら、経緯も含めてきちんと話すことは大事」などと述べられ、小室さん側に金銭問題の経緯をクリアにすることを求められた。さらに、その会見内容が公表された10日後、今度は宮内庁の西村泰彦長官が定例会見で、「説明責任を果たすべき方が、果たしていくことが極めて重要だと考えております」と、テレビ局や新聞社が所属する『宮内記者会』に対して語った。「説明責任を果たすべき方とはどなたにあたるのか」という記者からの質問に対しては、「小室さん側の弁護士、あるいは小室さんご本人、あるいはお母さんではないか」と回答している。実は、この定例会見の前日、西村長官は小室圭さん親子の代理人である上芝直史弁護士と、宮内庁で面会していた。『週刊女性』は定例会見の当日、自宅に帰宅したに西村長官を直撃。面会の真偽を問うと「会いましたよ」と、事実であることを認めた。──小室圭さんに会見で経緯を説明してほしいと伝えた?「そんなことは言っていませんよ。“小室さんの事情を弁護士さんがきちんと説明したほうがいいのでは”というお話をさせていただきました」──上芝弁護士に会見を開いてほしいということ?「いや、そうではなくて“ご自分から情報発信をしてください”ということです」──今日の会見では「圭さんとお母さまにも説明責任がある」と話されているが?「それはちょっと、言葉がすべったんです。弁護士さんが代理人だから、弁護士さんから発信するべきであり、今日の会見もそういった趣旨でお話ししました」このとき、’17年末に『週刊女性』が圭さんの母親と元婚約者の間にある金銭トラブルを報じてから、約3年が経過しようとしていた。■「解決金」を渡さなかった理由年が明けた2月、天皇陛下が61歳を迎えられるにあたっての記者会見でも、眞子さんの結婚問題に対する回答を求められた陛下は、次のように回答された。「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」皇室のトップである天皇陛下が、ほかの宮家の結婚問題に言及されるというのは前代未聞だった。この質問が出た背景として、この前年に眞子さんが綴られた“お気持ち文書”に《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっている》と記されていたため、宮内記者会としても、陛下の誕生日会見で質問せざるを得ない状況となっていたのだ。’20年秋から秋篠宮さま、西村長官、そして’21年に入り天皇陛下などからの言及を経た4月、圭さんがついに動いたーー。小室家が抱えていた金銭問題に関する詳細な経緯を、全28ページに及ぶ文書で公表した。その中で小室さんは《複数の弁護士に意見を求めたところ、たとえ解決金としてお金を渡したとしても、そのお金は借金の返済だったと誤解されてしまうだろう》と、お金を渡すことで世間から「やっぱり借金だった」と認定されることを恐れていたことがわかる。このとき、この文書に記載された金銭問題に対する小室家の対応方針は、眞子さんの意向も反映されていたことも明かされたのだ。眞子さんの関与が明かされた宮内庁皇嗣職大夫の定例会見では、「今回発表された文書を読まれて、いろいろな経緯があったことを理解してくださる方がいらっしゃればありがたい」という、眞子さんのコメントまで公表した。文書が世に出てから4日後の4月12日、都内で行われた宮内記者会向けのブリーフィングで上芝弁護士は「解決金をお渡しする形で、この問題を終了したい」という小室さん親子の意向を明かした。 “小室文書”で、元婚約者にお金を渡してしまえば《私や母は借金を踏み倒そうとしていた人間だったのだということになります。これは、将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続けるということを意味します》と圭さんは思いの丈を綴っていただけに、周囲は驚きを隠せなかった。おふたりが結婚するための最大の障壁となっていた、小室家の金銭問題が解決への動きを見せ始めた。■小室圭さんが帰国した当日の様子昨年5月、圭さんは留学していたロースクールを卒業し、7月末にNY州の司法試験を受験。「7月28日、NY州の司法試験を終えた小室さんが、アメリカ現地にある法律事務所への就職の見通しが立ったとNHKが報じました。さらに、今後の生活基盤もアメリカに置く意向も明かされ、眞子さんとはNY州で新婚生活を送ることに決まったと世間が知ることとなったのです」(前出・皇室担当記者)おふたりの結婚が現実味を帯びてきた9月1日、眞子さんと圭さんが「年内に結婚される見通し」だと、一部メディアが報じた。この報道を皮切りに、結婚問題はは怒涛のクライマックスを迎えることになるーー。《共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております》9月11日、55歳のお誕生日に公表された文書で、眞子さんの結婚問題に対する問いにそうお気持ちを綴られた紀子さま。前の年の殿下のお誕生日会見ほど踏み込んだ発言ではなかったものの《長女の気持ちをできるだけ尊重したい》と、眞子さんの結婚をお認めになるような内容だった。そうして舞台は整った。9月27日、3年間のアメリカ留学を終えた小室圭さんがついに帰国し、神奈川県横浜市内にある実家に帰宅。各テレビ局は当日、こぞって生中継で小室さんの動向を追った。実家前には100人以上のマスコミが集まり、近隣住民も集まって人でごったがえし。道路がふさがれて車も片側通行しかできなくなる事態に。道が詰まってしまい、なかなか通ることのできない車を運転する男性がしびれを切らして「どうにかしろよ!!」と警察に怒鳴り散らす場面もあった。帰国から4日後にあたる10月1日、宮内庁から「10月26日におふたりが入籍される」ことが明かされた。「入籍当日におふたりで記者会見に臨まれることも発表されました。秋篠宮さまが以前から求められていた“多くの人が納得し喜んでくれる状況ではない”と判断されたことから、結婚関連の行事はいっさい行われず、一時金も不支給となりました」(前出・皇室担当記者)世間に衝撃を与えたのは、初めて明かされた眞子さまの“病状”について。『NTT東日本関東病院品質保証室』の秋山剛室長が、眞子さんが『複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害』を患っていることを公表した。■秋篠宮さまからの“エール”「私は眞子さんを愛しております。一度きりの人生を、愛する人とともに過ごしたいと思っています」会見当日に圭さんは開口一番、そう声を張り上げた。冒頭、ふたりがご自分たちのお気持ちを話して会見場を後に。事前に提出されていた全5問の回答は、報道各社に文書で渡された。平成から令和にわたった結婚問題は、この日をもって完全決着。渡米前は仮住まいとして東京都渋谷区にある高級サービスアパートメントへ。家具や調理道具などが備えつけてある賃貸マンションで、渡米の準備を行う中、思いもよらぬ出来事が起こる。10月30日、圭さんがNY州の司法試験に不合格だったことが判明したのだ。圭さんは『フォーダム大学ロースクール』の入学時、若干名だけが選ばれる授業料免除の奨学金を受け取れるほどの実力の持ち主であり、初めての受験者の合格率が80%弱だった今回の試験も合格するだろうとの見立てが強かったからだ。不合格が判明した5日後、今度は秋篠宮家に訃報が舞い込んでしまう。11月4日に紀子さまの父親で『学習院大学』名誉教授・川嶋辰彦さんが81歳で他界。小室さん夫妻も家族葬に参列し、最後のお別れを告げた。秋篠宮家が哀しみに暮れる中、現地時間の11月14日に小室さん夫妻はアメリカに到着。新婚生活をスタートさせた。「おふたりが暮らしているのはNY州マンハッタン地区にある『ヘルズキッチン』という地域です。新築や築浅物件が多く、海外からの駐在員に人気の居住エリアです。現在は家賃50万円程度のワンベッドルームに住んでいると報じられています。建物内にはラウンジやフィットネスセンター、図書館なども備わっています」(在米ジャーナリスト)渡米してからは圭さんがパブで友人らとお酒を飲んで楽しむ姿や、眞子さんが1人で日用品を購入する買い物風景、2人が手を繋ぐデート風景なども現地にいるメディアに報じられるなど、日本では難しかった生活を謳歌しているようだ。「元気で暮らしてくれればいいなという気持ちでしょうかね」昨年11月30日に56歳のお誕生日をお迎えになった秋篠宮さまは、記者会見で結婚した眞子さんへの思いをそのように述べられた。小室さんは現在、NY州の一等地にオフィスを構える大手法律事務所に勤務しながら、2月22日と23日に2度目の司法試験を受験したとみられる。次こそは、眞子さんのためにもリベンジを果たしていただきたい。
2022年02月24日小室佳代さんの元婚約者との話し合いが終わって法律事務所から出た小室圭さん(’21年11月12日)悠仁さまの“サクラサク”便りは、NYにいる義兄の追い風となるだろうか─。2月22日と23日、小室圭さんは2度目となるNY州の司法試験を受ける。「各日6時間にわたって行われます。1日目の論文問題と2日目の知識問題が50%ずつ配点されて、合格するには400点中266点が必要。オンラインで実施された前回とは違い、今回は試験会場に多くの受験生が集います、平常心を保てるかどうかが命運をにぎるでしょう」(法曹関係者)試験不合格なら「雇用」「ビザ」問題が勃発小室さんが1度目の司法試験に挑んだのは昨年7月末。程なくして、NYの法律事務所に法務助手として勤務していることが明らかになった。「生活基盤が整ったことで、とんとん拍子に縁談がまとまり、10月末に眞子さんと結婚しました」(皇室担当記者)都心の高級サービスアパートメントを仮住まいとし、渡米の準備を進めていた幸せ絶頂のタイミングで、まさかの不合格が判明。「青天の霹靂でした。弁護士になれば1年目から年収2000万円超と言われていましたが、法務助手の推定年収は約600万円。物価の高いNYで2人が生活していけるのかと懸念する声も相次ぎました」(同・前)ともあれ、小室さん夫妻は渡米し、マンハッタンにある24階建てのマンションで新生活をスタートさせた。「NYでの再起を誓った小室さんは、法務助手の仕事をこなしながら、受験勉強に取り組んできたといいます」(皇室ジャーナリスト、以下同)今回こそは、是が非でも合格する必要がある。「再び不合格となれば、雇用やビザの問題が生じます。勤務先は、司法試験に合格する前提で彼を受け入れたはずですから“弁護士になれないなら必要ない”と解雇されるという見方が強いです」最悪の場合、強制帰国を余儀なくされる可能性もある。「小室さんは現在、学生ビザを1年間延長できる『OPT制度』を利用して米国に滞在しているとみられます。OPTのルールに基づけば、遅くとも今年7月にはビザの期限が切れてしまうのです」絶体絶命の小室さんに残された道は合格のみ。「小室さんはトップクラスとは言えない」「昨年2月の司法試験では、再受験生の合格率が34%と、3人に1人が受かっています。前回の試験結果とともに、合計点や各項目の得点も通知されていると思うので、なぜ不合格だったのかを分析して対策すれば、おのずと結果はついてくるでしょう」(前出・法曹関係者)合否発表は4月下旬の予定だが、試験に合格したからといって、すぐに弁護士になれるわけではない。「弁護士規範をテストする倫理試験に合格することや、無償の法律相談などの50時間以上にわたるボランティア活動も必要になります」(同・前)これらは学生時代にクリアしておくこともできるが、司法試験に合格した後にしかできない手続きもある。NY州弁護士資格を持つ現役の弁護士が語る。「弁護士登録のための申請書類は合格してから準備します。例えば、犯罪歴や過去の懲戒処分などを問う質問票や、かつての勤務先に“問題なし”と箔押しをしてもらうための証明書。場合によっては日本と郵送でやりとりする必要があるので、書類をそろえるまでにはある程度、日数を要します」正式な弁護士登録の前には面接もあるが、いわゆる就職活動のように個人の性格や適性を見極めるものではない。「5分ほどの簡単な問答を通して、人間的に問題がないことが最終確認されます。私の場合、終始フレンドリーな雰囲気で行われました」(同・現役弁護士)小室さんが試験に受かったとしたら、正式な弁護士登録は最速で6月になる見通しだ。では、NYの弁護士になれた暁には、どのような生活が待ち受けているのか。「一流の法律事務所に入った弁護士は、長時間労働が当たり前。それに準じて報酬も上がり、トップクラスでは年収30万ドルから100万ドルともなります。ただ、フォーダム大卒の小室さんはトップクラスとは言えず、20万ドル前後にとどまるでしょう」(NYのファイナンシャルプランナー・比嘉啓子さん)弁護士事情に詳しい在米ジャーナリストによれば、「駆け出しの弁護士は最初の数年間、自分の時間がほとんど確保できないほど忙しいといいます。当面は眞子さんが家事をこなしたり、買い物へ出かけたりすることになるのではないでしょうか。ただ、眞子さんが1人きりで過ごす時間が増えるのは心もとない気もします……」昨今のアメリカでは、新型コロナを機にアジア系へのヘイトクライムが急増。特にマンハッタンでは、アジア系女性を標的にした暴行事件や凶悪犯罪が多発している。“危険な街で生活する”という運命1月にはアジア系女性が地下鉄の線路に突き落とされ、2月中旬には、ホームレスの男性に尾行されたアジア系女性が自宅で殺害された。「特定個人が狙われるのではなく、アジア人であれば無差別で“対象者”となるのが、ヘイトクライムの特徴です」そう解説するのは、在留邦人向けの邦字紙『週刊NY生活』発行人兼CEOを務める三浦良一さん。「’20年の春、刑務所がコロナのパンデミックが起きる温床となったことをふまえ、当時のNY市長は軽犯罪や高齢の受刑者を中心とした1500人以上の服役囚を釈放しました」(三浦さん、以下同)その結果、NYの街にホームレスが増え、犯罪が横行するように。「治安の悪化に拍車がかかるNYの現状に対し、一部では“マフィアが隆盛を誇った’70年代の『フィアーシティ(恐怖の街)』のような、無法と絶望の状態に戻りつつある”と懸念する声も上がっています」恐怖の足音は、小室さん夫妻にも忍び寄っている。「2月10日、小室さん夫妻が住むビルのエントランスから10メートル足らずの路上で発砲事件が発生。現場には警察の黄色い規制テープが張りめぐらされ、一時はふたりの自宅も立ち入り禁止区域となりました」事件の2日後に現場を訪れた三浦さん。現場は閑散としていたものの、ホームレスがガラス瓶を地面に叩きつけて割る姿を目撃したという。「自分に投げられていたら……と思うと怖いですよね。男性の私でも、細心の注意を払った行動が必要な状況です」これこそが小室さん夫妻が新天地として選んだ街の実態だ。「日本の元プリンセスである眞子さんは、多くの人に顔や名前、自宅まで把握されています。ヘイトクライムの標的となる可能性は少なくないでしょう。小室さんがNYで弁護士として働き続ける以上、“危険な街で生活する”という運命から逃れることはできません。本人たちがいちばんよくわかっていると思いますが、何かあってからでは遅いのです」(秋篠宮家関係者)まずは小室さんがNY州の弁護士試験に合格することは必須。そして晴れて弁護士になった先にも“さらなる試練”が待ち構えているのだ。比嘉啓子NYを拠点に活動するファイナンシャルプランナー。外国為替トレーダーなど20年以上のキャリアを持つ三浦良一ロサンゼルスの経済新聞社、日本の大手新聞社米国現地版の記者を経て、’04年に『週刊NY生活』を創刊
2022年02月22日悠仁さま、14歳のお誕生日に際しての近影。秋篠宮さまと(2020年8月10日・宮内庁撮影)「2月16日、秋篠宮家の最側近である加地隆治(かちたかはる)・皇嗣職大夫(だいぶ)が、宮内庁で急遽会見を行いました。その場で“提携校進学制度を利用したご進学”とアナウンスされたことに驚きました。“悠仁さまのために作られた特別制度なのでは”との報道もありましたし、悠仁さまが一般入試の当日に試験会場にいらっしゃったので、どのような形で合格したかについての経緯は、いっさい明かさないと思っていましたから」(宮内庁関係者)歯切れの悪い最側近の回答秋篠宮家の長男・悠仁さまが、春から東京都文京区にある『筑波大学附属高等学校』、通称“筑附(つくふ)”に進学されることが明らかになった。皇位継承者が学習院以外の高校に入学されるのは戦後初のこと。偏差値70を超える都内屈指の国立進学校で、毎年30名ほどの生徒が『東京大学』に合格する名門である。悠仁さまは、在学中の『お茶の水女子大学附属中学校』と“筑附”の両校が中学と高校の進学時にそれぞれ、若干名の生徒が入れ替わる制度を利用された。「提携校制度に出願するためには学業成績が秀でていることが求められ、大夫は会見で“悠仁さまは学業において最優秀グループに入っておられた”と説明しました。日々の学習を大切にされた結果、成績などの条件をクリアしたことで制度に出願し、学校から推薦を受けられたとのこと。その後も勉学に勤しみ続け、最終的に2月13日の学力検査を受けて合格に至ったそうです。進学先を選ぶにあたって高校受験案内の冊子を読んだり、筑附の卒業生から話を聞いたり、ご家族での話し合いを経て、悠仁さまが筑附を第一志望に決められたと、大夫が経緯を明かしました」(前出・宮内庁関係者)しかし、この会見での加地大夫は、歯切れの悪い回答を連発していた。「記者から“提携校制度は何年から導入されたのか”との質問に大夫は“私からは控えたい”と回答。その後、学校側が制度の実績などの詳細を公表していないことで“国民から疑念を持たれる可能性がある”と記者が問うと“入学者選考の事柄になりますので”と言葉を濁す。ほかの質問に対しても “提携校制度の条件を満たして合格された”ことを強調し続けました」(秋篠宮家関係者)制度は’17年から5年間の限定で設けられ、その期間に悠仁さまが中学と高校に進学される予定だっただけに“皇室特権”や“裏口ルート”とも報じられ、国民から批判の声も少なくない。今回の進学報道に疑念を拭えない国民も一定数いる中で、宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは次のような見解を示す。秋篠宮さまが抱かれた学生時代の“持論”「皇室は公正であることを重んじていますので、宮内庁や秋篠宮殿下が、受験に関して誤魔化すようなことはあり得ません。ですから、悠仁親王殿下は、提携校制度の基準をクリアして合格されたのでしょう。もし学力が足りなければ、入学後にご本人が苦労するだけです。筑附としては、中学校での成績や今回の学力検査の結果を踏まえて、問題ないと判断したのだと思います」筑附のモットーは「自主・自立・自由」と掲げられており、「個人の自主性を重んじる」という秋篠宮家の教育方針とも重なることから、悠仁さまとご両親も筑附への進学を固められたのだろう。「秋篠宮さまは“学習院ありき”というわけではなく“子どもの可能性を伸ばすにはどうしたらいいか”を、いろいろな人に意見を聞きながら模索されます。というのも、秋篠宮家の教育方針は、上皇ご夫妻から殿下が受けたものを踏襲されています。殿下は“私の好きなことをずっとやらせてくれたことに感謝しています”と、おっしゃっていました」(宮内庁OB)悠仁さまのご意思を尊重されたのは“興味関心がある分野を究めるべき”という、秋篠宮さまが学生時代から抱かれている“持論”が根底にあるようだ。学生時代から交流のある知人が明かす。「当時、学習院の理系学部の学生が“勉強が大変”と弱音を吐き、宮さまに“単位の取りやすい学部に転部すべきか”と、相談したことがありました。すると宮さまは“楽な学部で簡単に単位を取るよりも、一生懸命に打ち込める興味関心のあるものを見つけたほうがいい。そうでなければ理系のままでいいのでは”とお答えになりました。その学生は殿下のお言葉に納得し、理系学部のままで勉強を続けたのです」一方で、学習院ではない学校選択にも賛否があるだろう。静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授に、皇族方が学習院に進学されてきた経緯について話を聞いた。日本最古の定期対抗戦「学習院はもともと、特権階級である華族が一般市民と異なった環境で学ぶ学校として設置され、そこに皇族も入学するようになりました。一般市民とは異なる優美なライフスタイルを持つ子弟ばかりでしたが、それだけに皇族への敬愛もあり、皇族の生き方を理解する学生がほとんどでした」小田部教授が続ける。「教員や学校設備も、ふさわしい対応を続けており、戦後に一般の学校になったものの、内部では伝統がまだ受け継がれています。悠仁さまを将来の天皇として教育されるのであれば、学校設備や同級生との関係などに、長年配慮してきた学習院のほうが適していると思われます。一般の教育機関に入っていくことは、いらぬ出費や精神的負担、制度改革などを当該学校や在職者、在校生に負わせるリスクがあります」未来の天皇陛下の進学先は学習院が適切であるーー。そんな意見も聞かれる中で、学習院OBのひとりも、今回の筑附進学に肩を落とす。「秋篠宮家の方々は、なぜ頑なに“学習院以外”の学校を選ばれるのでしょうか……。学習院OBの一部からは、怒りにも似た声が聞こえてきます。上皇陛下や天皇陛下、秋篠宮さまなどの皇位継承者の方々は学習院に進まれています。警備体制のノウハウはもちろんのこと、学校職員や保護者にも学習院のOBが多く、皇族の受け入れが理解されやすい学校のため、静かな環境で学ぶことができるはずなのですが……」そんな中、さらなる“波乱”が起こり得るのが、6月に控えているという。毎年恒例の“定期戦”だ。「これは学習院と筑附の両校が部活対抗で試合を行う恒例行事。この総合定期戦は1896年の野球と柔道の対抗戦が起源で、何度か中止になることはあれど70回も続く“伝統の一戦”なのです。6月の第一土曜日に各運動部が競い合うもので、学習院側は“附属戦”、筑附側は“院戦”と呼び合っています。日本最古の定期対抗戦でもあり、応援団やチアリーダーだけではなく、一般生徒たちもこぞって応援する両校の一大イベント。悠仁さまが運動部に入部されたら、学習院と対峙することになりますし、運動部でなくとも応援に参加されることでしょう。でも、未来の天皇がまさか学習院と戦うことになるなんて……」(同・学習院OB)国民の疑念が払拭されない中、学習院との“6月決戦”で新たな波紋は起きてしまうのか。山下晋司皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立小田部雄次静岡福祉大学名誉教授。専門は、皇族や華族に関わる日本近現代皇室史
2022年02月20日’19年8月、ブータンへ私的旅行に出発される際の悠仁さまと紀子さま2月16日、秋篠宮家の長男・悠仁さまが4月から東京都文京区にある『筑波大学附属高等学校』に進学されることが『週刊女性PRIME』の取材でわかった。「現在通われている『お茶の水女子大学附属中学校』と通称“筑附”との間に設けられている『提携校制度』を利用して合格し、春から筑附に進学されることになったと宮内庁から発表されました。悠仁さまは13日、試験会場である筑附の本校で一般入試するほかの受験生に混じって同校を訪れ、提携校制度を利用するにあたって必要とされる学力検査を受けられたとのこと。進学先を決めるにあたって受験案内の冊子を読まれたり、説明会のオンライン動画を視聴され、ご家族とも話し合われた結果“筑附”を第一志望にされたそうです。筑附からは毎年、東京大学に多くの生徒が進学されているだけに、歴史上初となる“東大出身の天皇陛下”への期待が高まっています。筑附は、現在通われている『お茶の水女子』と目と鼻の先にある距離で、警備体制もほとんど変わらないという安心感もあることから、秋篠宮ご夫妻も進学にGOサインを出されたのでしょう」(宮内庁関係者)紀子さまとご一緒に広島への私的旅行偏差値が70を超える都内屈指の名門校に合格されたのは、悠仁さまの努力の賜物だろう。その背景には当然、ご両親のこだわった教育方針が影響している。「秋篠宮さまは悠仁さまへの教育方針として、日本全国を訪れて直接地元の文化や自然の素晴らしさや、上皇さまから受け継がれてきた戦争の記憶の継承をご本人にも伝えていきたいとのお考えです。その方針を折りに触れて、しっかりと具現化されてきたのは何を隠そう、母親である紀子さまでいらっしゃるのです」(秋篠宮家関係者)悠仁さまは’13年に沖縄県、’16年に長崎県をご両親とそれぞれ訪問し、戦没者が眠る地に供花されているが、‘18年には当時小学6年生だった悠仁さまが夏休みを利用して、紀子さまとおふたりで私的に広島県へ。「広島市内にある『平和記念公園』の『原爆死没者慰霊碑』をご拝礼。『広島平和記念資料館』で遺品などを見て回り、近くのホテルで7歳の時に被爆した女性の体験談をお聞きになりました。この年には都内の戦傷病者資料館の『しょうけい館』も訪れるなど、悠仁さまは戦争の悲惨さを肌で感じられたそうです」(皇室担当記者)学生の悠仁さまは普段は学業優先のため、遠出をすることができるのは夏休みのみ。その期間を最大限に利用するため、奔走されているのが紀子さまだという。「悠仁さまの夏休みの計画は、紀子さまがすべて主導されているそうです。公務などの合間で殿下もお供されることもありますが、基本的に妃殿下が付き添われているのはそういった理由もあるのです。戦争関連の訪問が目立つのも、上皇ご夫妻のご意思を汲みとった紀子さまが、戦争への見識を深めるべきだというご意向が働いています。’17年の夏休みにも、紀子さまは悠仁さまを連れて小笠原諸島の父島や母島を訪れ、塹壕(ざんごう)や軍道など戦争の痕跡を巡られました。’18年の夏には宮邸に昭和史研究家を招き、戦争の歴史をお聞きになり、悠仁さまは“原子爆弾はなぜ広島に落とされたんですか”などと、強い関心を持ちながら質問されたそうです」(前出・秋篠宮家関係者)過酷過ぎる山に「登りたい」昨年、福岡県北九州市が主催した『第12回子どもノンフィクション文学賞』の中学生の部で、小笠原諸島を訪れた際の思い出を悠仁さまがまとめられた作文が、佳作に選ばれている。「ウミガメの赤ちゃんを見たことや小笠原に伝えられる『南洋踊り』を体験したこと、戦没者慰霊碑に花を供えたことなどが丁寧に描かれていました。5日間の滞在最終日には現地住民たちが海に飛び込んで見送ってくれたことにとても感動されたそうです」(前出・皇室担当記者)紀子さまは、戦争に関する教えや小笠原での体験などを通じて、工夫を重ねながら妃殿下なりの“帝王教育”を体現されてきた。その中でも、皇室関係者を驚かせたのは、’18年夏の槍ヶ岳登頂だった。「北アルプスにある標高3千メートルを超える『槍ヶ岳』の山頂は“槍の穂先”と呼ばれ、岩場をはしごや鎖を使ってよじ登らなければならないほど過酷な山。当時小学生だった悠仁さまにとっては難易度が非常に高く、危険も伴うので“未来の天皇でいらっしゃる悠仁さまに何かあったら……”と、心配の声が上がっていました。ただ、さすがに槍ヶ岳登頂前には『八ヶ岳』や『妙義山』などで練習を重ねており、悠仁さまご自身も“槍ヶ岳を登りたい”との希望がおありだったのです。結果的に登頂された悠仁さまは、達成感に溢れて喜ばれていたと聞きました。登山といえば天皇陛下のご趣味でもありますから、紀子さまとしても悠仁さまに登山を通じて得られるものがあるとお考えになったのだと思います」(前出・秋篠宮家関係者)春から高校生となられる悠仁さまは、着々と“天皇への道”を歩まれている。
2022年02月16日午前8時ごろ、一般受験されるため筑波大学附属高等学校に現れた悠仁さま2月13日の午前8時すぎ、秋篠宮家の長男・悠仁さまが東京都文京区にある『筑波大学附属高等学校』を受験されるため、本校を訪れたことが『週刊女性PRIME』の取材で分かった。気温3度ほどまで下がったこの時間、悠仁さまは通われている中学校の制服の上から紺のダッフルコートを羽織り、中身がパンパンにつまったグレーのリュックサック姿。手には受験票をしっかりと握っており、マスクを着けているものの、目元からは緊張されているような印象を受ける。正門から入られた悠仁さまは、係員から促されてほかの受験生と同じように受付の列に並んだが、その後はテント前でキョロキョロされるなど、戸惑われていたご様子も見受けられた。試験は午前9時から始まり、午後3時ごろまでの予定とのこと。■眞子さん、佳子さまに続いて悠仁さまが通われる『お茶の水女子大学附属中学校』は高校から女子校のため、どちらの高校に受験されるのかに注目が集まっていた。「本命だと言われていたのが、今回受験された、通称“筑附”でした。というのも、お茶の水と筑附の間で’17年から5年間限定で設けられた『提携校制度』を利用されるのではと、取り沙汰され続けていたからです。しかし、今回の一般入試に悠仁さまが姿を現したことで、正々堂々と筑附を受験したことが明らかになりました」(皇室担当記者)昨年のお誕生日会見で秋篠宮さまは、「1年前と比べると机に向かっている時間が格段に長くなっているんですね」と発言されたり、秋篠宮家の側近トップである皇嗣職大夫が、定例会見でたびたび「進学のための準備をされている」とも言及していることから、悠仁さまは日本一とも言われる名門校への合格を目指して、必死に勉強されてきたのだろう。「秋篠宮家は“個人の意思を尊重する”という家風です。これまでも、お子様方の意思を尊重しながら進学先を選ばれてきました。長女の小室眞子さんは大学から『国際基督教大学(ICU)』に進学。次女の佳子さまも学習院大学から姉と同じICUへと転学されています。秋篠宮さまはかねてから、悠仁さまには全国各地に連れて行き、地元の人々や文化に触れることで見聞を広げることを意識されていたそうです。その中での発見や、自然と溢れ出た興味や関心のあることを本人に追求してほしいと考えておられるのです。研究者でいらっしゃる秋篠宮さまらしいスタンスですよね。今回の筑附受験も、眞子さんや佳子さまと同じように、悠仁さま自身が選ばれた可能性が高く、本校で学びたい分野があるのではないのでしょうか」(秋篠宮家関係者)筑附の一般入試の合格発表は2月16日の予定。悠仁さまは果たして“サクラサク”のだろうか。
2022年02月13日美智子さまと秋篠宮さまNYの街中がピンク色に染まり、ショーウインドーが“LOVE”の文字で飾りつくされるバレンタインデー。くしくもこの日、秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんは渡米3か月を迎える。「自由気ままな生活を満喫できるのは、NYの日本領事館と日本のテレビ局の間で“小室さん夫妻の映像は撮らない”という協定が結ばれているから。ふたりには必要に応じて現地の警備がついていると聞きましたが、これも日本政府の意向が影響していると思われます」(外務省関係者)■相次ぐ報道で最側近から苦言が翻って日本でも、こんな“計らい”が物議を醸した。「1月27日、秋篠宮ご夫妻が新たにNYに赴任する総領事と接見されました。ただ、総領事が着任時に皇族方に接見するというのはきわめて異例。仮に形式的な挨拶だったとしても、眞子さんの今後のために“先手を打った”と勘繰らざるをえません」(皇室担当記者)親として、海の向こうで暮らす愛娘を案じる気持ちもおありだろう。しかし、「皇室を離れて民間人となった眞子さんが“特別待遇”を享受することは、秋篠宮家の問題でもあり、世間からは冷ややかな声が上がっています。眞子さんの結婚騒動以来、国民からの風当たりは強まる一方、秋篠宮さまは非常にナーバスになっておられるそうです」(宮内庁関係者)その証拠ともいうべきか、1月下旬には秋篠宮家の側近トップである加地隆治皇嗣職大夫から2度にわたって“苦言”が繰り出された。《一般論として、受験期を迎えている未成年者の進学のことを、憶測に基づいて毎週のように報道するのは、メディアの姿勢としていかがなものか》─。現在、お茶の水女子大学附属中学校に通われている悠仁さまが、『提携校進学制度』という“特別ルート”を利用して筑波大学附属高校へ進学されるとの報道が相次いでいることを受けての見解だ。「1月21日に行われた定例会見で、記者から進学報道についての見解を問われた加地大夫は、その場では回答せず、24日に文書を公表しました。加地大夫は口堅く、秋篠宮家の些細な近況は、いっさい話しません。会見である程度の近況を明かす、ほかの宮内庁幹部とは一線を画しています。今回の対応は、秋篠宮ご夫妻のご意向を反映したと考えるのが自然でしょう」(前出・宮内庁関係者)皇室に詳しい麗澤大学国際学部の八木秀次教授は“憶測”という表現に注目する。■皇族の“生の声”が晒されている「“憶測”という表現は今回だけでなく、眞子さんの結婚会見でも用いられた言葉で、国民やメディアへの嫌気が感じられます。仮に悠仁さまが既報の進学先候補に入学された場合、“憶測ではなかったでしょう”との反論が生じるおそれもあります」1月28日の定例会見では、今度は佳子さまの結婚報道について釘を刺した。「こちらから発表も何もない段階でそういった記事が出てくることについては、やはり遺憾である」(加地大夫)皇室制度史に詳しい慶應義塾大学法学部の笠原英彦教授は、こう解説する。「皇室と国民の間に入って情報を仲介するのは、宮内庁の大きな役割の1つです。眞子さんの結婚にまつわる報道が過熱したことを踏まえ、予防策を講じているのでしょう。眞子さんが皇室との縁を断ち切るように結婚し、渡米されたのは非常に残念でした。秋篠宮さまが“類例を見ない”というお言葉で結婚を振り返られたように、同じことを繰り返してはなりません」昨年10月、誹謗中傷による複雑性PTSDを公表した眞子さん。結婚会見では「誤った情報が事実のように広がりつらく悲しい思い」と訴えた。「秋篠宮さまも、昨年11月のお誕生日会見で“記事に反論する場合は、一定の基準が必要”との見解を示されました。今回の苦言は“基準越え”の証でもあるということでしょう」(前出・記者)前出の八木教授は、この“線引き”に疑問を抱く。「進学や結婚はプライベートなことですが、皇室の今後に関わるため、国民の大きな関心事でもあります。このタイミングでメディアに注意を促すことは責任から逃げておられる印象を受けました」八木教授によれば、宮内庁のこれまでの対応は“無為無策”とも捉えられるといい、「本来、宮内庁は皇室全体をマネージメントすべきですが、長年、広報戦略が練られていない。その結果、多くの国民が皇室への不信感を強めることになりました。今回の大夫の発言しかり、皇族方の“生の声”を晒すような対応が相次いでいるように感じます」皇室の情報発信がどうあるべきかという議論は、宮内庁の中でも30年近く続けられている。■美智子さまと秋篠宮さまのスタンスの違い「大きな変化があったのは’90年代です。紀子さまや雅子さまが皇室に入られ、メディアはこぞって皇室の話題を取り上げました。その過程で“宮内庁がプライバシーを守らなくては”という考え方が強まっていったのでしょう。批判に対し、皇室の方がご自身でアクションを起こされるようになったのも、このころです」(笠原教授)皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは当時をこう振り返る。「’93年10月、美智子さまは59歳のお誕生日に皇居で倒れられました。美智子さまにとってその1年は大変な激務でした。過密スケジュールで公務をこなされる疲労や緊張に加え、一部からの皇后バッシングがストレスとなり、失声症を患われたのです」そんな中で公表された誕生日文書には、美智子さまの前向きな“姿勢”が表れていた。《どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許して頂きたいと思います。(略)しかし事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます》「当時は、皇族が公の場でことの善しあしを言わないことが基本でした。それを踏まえつつ、美智子さまは国民の声に真摯に向き合われたのです。その後、わずか1週間でご復帰。公務でお言葉が戻ったのは、翌年2月のことでした」(渡邉さん)美智子さまのひたむきな言動により、バッシングは次第に緩和されていった。「当時の秋篠宮さまは、ご両親の生き方を学ばれ、皇族としてのお手本にされていました。’97年の誕生日会見では“皇室は、日本国民の支持があるからこそ続いている”とも述べられ、“平成流”らしいご発言だと感嘆したものです」(宮内庁OB)今回、秋篠宮さまが一石を投じた目的は29年前の美智子さまのご意向と同じようにも見えるが、しかし─。「ご自身に至らないところがあると前置きされた美智子さまに対し、今回の“苦言”は、はなから反論姿勢でした。これでは国民が身構えてしまうのも無理はない。歴史上、皇室と国民は敵対関係にはなく、むしろ弱い立場にある国民に寄り添う立場として皇室が存在してきました。そういった歴史や伝統を改めて勉強なさることが、皇室と国民の幸せな関係を取り戻すことにつながるのではないでしょうか」(八木教授)美智子さまの教えは、皇室危機を救う“特効薬”となるだろうか。渡邉みどり◎皇室ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。60年以上にわたり皇室を取材笠原英彦◎慶應義塾大学法学部教授。日本政治史、皇室制度史などを専攻とし、著書多数八木秀次◎麗澤大学国際学部教授。専攻は憲法学。皇位継承に関する有識者会議にも参加
2022年02月10日秋篠宮ご一家(’21年12月撮影)「1月29日、秋篠宮ご夫妻は都内で行われた『北京冬季五輪結団式』に出席されました。日本選手団の主将を務めるスピードスケートの高木美帆選手たちを直接激励されたのです」(皇室担当記者)2月4日から開催される北京五輪で、日本人選手の活躍に期待を寄せる秋篠宮ご夫妻だが、その一方で悠仁さまの“お受験問題”に直面している。■紀子さまの「強いご意向」とはその証拠に1月24日、秋篠宮家をお支えする宮内庁職員のトップである加地隆治皇嗣職大夫が、異例の苦言を呈したのだ。「悠仁さまの進学先に関する週刊誌などの記事をめぐり、加地大夫が“受験期を迎えている未成年者の進学のことを憶測に基づいて毎週のように報道するのは、メディアの姿勢としていかがなものか”という見解を公表しました。加地大夫はとにかく口が堅く、定例会見を行うほかの宮内庁幹部が皇室の方の近況をある程度明かすのに対して、秋篠宮家のちょっとした近況ですらいっさい話しません。皇族とはいえ、未成年である悠仁さまの進学先を巡った加熱報道に、大夫も“クギ”を刺したということでしょうとはいえ悠仁さまは、現行制度ではいずれ天皇陛下に即位されるお方です。未来の陛下がどの高校で学ばれることは世間の関心事であることは当然ですし、国民も知る権利があること。大夫の意見も理解はできますが、進学先が話題になることはある程度仕方のないことなのでは」(宮内庁関係者)今年に入ってから、悠仁さまが都内屈指の名門校である『筑波大学附属高等学校』に“進学が内定した”との報道が相次いでいることを受けての見解である。「現在通われている『お茶の水女子大学附属中学校』は高校から女子校となるため、悠仁さまがどちらの高校に進学するのかに注目が集まっているのです」(秋篠宮家関係者)なぜ悠仁さまのご進学先報道が加熱しているのか。それは、通称“筑附”と『お茶の水』の進学時に、少人数を交換入学させる『提携校制度』が存在しているからだ。「この制度に学力テストはなく、面接と書類審査だけで合否が決まります。制度が作られたのは、悠仁さまが中学への進学を控えておられた時期で、適用される期間は設けられてから5年間のみ。だからこそ、“悠仁さまを東大に進学させたい”との意向をお持ちだと言われる紀子さまの意向が働いた制度なのではないかと囁かれているのです。“皇室特権を利用したのではないか”と……」(前出・皇室担当記者)悠仁さまの進学先を巡って、秋篠宮ご夫妻の間で“紆余曲折の攻防”が繰り広げられていたという。「昨夏の時点で殿下は“学習院に進学させる”とのお考えだったそうです。学習院は元々、皇族と華族が学ぶための学校であり、過去に多くの皇族を受け入れてきたことから警備体制は万全です。さらに特徴的な点として、学習院大学の職員や学生の親には同大学のOBが多く、悠仁さまがどんなご学友や女性と出会い、どんな学生生活を送られているのかについて、ある意味“監視”することができるメリットがあります。学習院であれば国民からの批判も最小限に留まるでしょうし、少なくとも昨夏の段階では、殿下のお考えは“学習院”だったんですよ」(秋篠宮家関係者)■佳子さまが「学習院」に進学された理由それではなぜ、提携校制度の利用を疑われて国民からの批判を受ける恐れのある筑附への進学が取り沙汰されるようになったのか。「筑附進学に関する紀子さまの意向がかなり強く、秋篠宮さまが“押し負けた”形になったと聞きました。ずっと学習院が本命視されていましたが、昨年12月ごろになると宮内庁の上層部から“(悠仁さまの進学先に関して)学習院を選ぶとは思えない”という声が上がり始めたのです。紀子さまのご意向が強く反映されたということでしょう。以前から、悠仁さまを東大に進学させることが紀子さまの悲願だと報じられてきましたが、まさか殿下のご意向を変えてしまうほどお気持ちが強いとは……」(同・前)昨秋から筑附では、大規模な修繕工事が始まったそうだ。「昨年9月から屋外にあるテニスコートやバスケットコートが30年以上ぶりに新しく張り代えられ、ロッカーやトイレなどの設備もリニューアルされています。校舎の外壁全体も足場が組まれ、校舎全体の修繕も行われているようです。悠仁さまの進学先だからなのかは分かりませんが、そう捉えてしまう保護者や関係者は少なくないと思います」(筑附関係者)秋篠宮家の次女・佳子さまが学習院大学に進学される前にも、こんな不可解な出来事があった。「進学された学習院大学の文学部教育学科は、佳子さまのご入学のタイミングに新設された学科で、まさに“佳子さまのために作られたような学科”でした。佳子さまは、悠仁さまや愛子さまが幼い頃によく面倒を見られており、教育分野に興味を持たれていたのです。眞子さんは大学から、悠仁さまは幼稚園から“学習院以外”の学校を選ばれたことで、学習院側は危機感を持っていた。そこで、佳子さまの大学入学のタイミングで教育学科を創設し、“学習院離れを防ぎたいという思いがあったのでは”と当時、取り沙汰されていたのです。実際、入学する数年前から佳子さまは“教育学科があれば進学してもいいかな”という希望を口にされていたそうですから」(学習院関係者)しかし、大学2年時に「別の環境で学びたい」と、佳子さまは眞子さんと同じ国際基督教大学に転学された。悠仁さまも佳子さまのように、ご自分の意思を尊重された高校に進学していただきたい。
2022年02月07日《一般論として、受験期を迎えている未成年者の進学のことを、臆測に基づいて毎週のように報道するのは、メディアの姿勢としていかがなものか》秋篠宮家の側近幹部である加地隆治・皇嗣職大夫は1月24日、悠仁さまの進学先を巡る報道について、文書で苦言を呈した。現在お茶の水女子大学附属中学校3年生で、この春に高校進学を控える悠仁さま。「最有力と報じられているのが、筑波大学附属高校です。実は、お茶の水女子大学と筑波大学は’17年に『提携校進学制度』を創設しています。両校の附属校の生徒が若干名ずつ、もう一方の附属校に進学できるという制度です。面接や書類審査はありますが、学力テストはなし。しかも5年間限定の制度のため、『悠仁さまのための特別ルートではないか?』という報道が相次いでいたのです」(皇室担当記者)加地大夫は、そうした報道にクギを刺したのだ。「今回の苦言は、21日にあった加地大夫の定例会見の“補足”として出されました。次回の会見を待たずに文書が出るのは異例です。会見でのやりとりについて報告を受けた秋篠宮さまと紀子さまが対応を指示されたのでしょう。秋篠宮ご夫妻が“悠仁さまの進学問題への口出しは許さない”とばかりに報道への反発を強めるのは理解できます。ただ、眞子さんの結婚問題に関してはマスコミを“利用”していたはずですが……」(宮内庁関係者)小室さんがニューヨーク留学に出発した’18年8月には、朝日新聞に「『納采の儀、現状では行えない』秋篠宮ご夫妻、小室さんに」との記事が掲載された。2人の結婚について《皇族として国民から広く祝福される状態にないと考えている》などと、秋篠宮さまが結婚に強く反対されていると印象づける記事だった。さらに同年12月、『AERA』に紀子さまと親交が深い女性記者の署名原稿が掲載される。そこには“親しい友人”が紀子さまから聞いたという言葉が記されている。「船の舵をいきなり90度、切りかえられるものではありません」「でも、どんな小さな船でも自分で進んでいく力を持っていることを信じています」遠回しだが、小室さんとの結婚に突き進む眞子さんに“方向転換”を願うメッセージにも見える。「当時、眞子さんはご両親との会話を拒否していたといいます。そんな“家庭内冷戦”の状況下で、秋篠宮ご夫妻は小室さんとの結婚をどうにか阻止しようと、マスコミを通じてメッセージを発したのでしょう」(前出・皇室担当記者)その秋篠宮ご夫妻が一転して、悠仁さまの進学問題報道には神経を尖らせている。“真逆の対応”といっても過言ではないがーー。
2022年02月04日紀子さま。喪中にオンライン公務に臨まれたことも(’21年12月・御仮寓所)「1月29日、秋篠宮ご夫妻は都内のホテルで行われた『北京冬季五輪結団式』にご臨席。2月4日から行われる北京五輪で日本選手団の主将を務めるスピードスケートの高木美帆選手たちを、激励されました」(皇室担当記者)紀子さまは、昨年11月4日に父である川嶋辰彦さんが亡くなられてから、90日間の服喪期間に入られていたために、公の場に姿を見せられたのは、久しぶりのことだった。■皇族特権に対する不満「90日間の喪は、最初の20日間が第1期、後の70日間が第2期と分けられています。第1期は重い喪の期間であり、公的活動は控えられます。第2期になると宮中祭祀などの神事やお祝いごと、歌舞音曲の類は控えられますが、公務の種類によっては“除喪”してお出ましになることがあります」(皇室ジャーナリストの山下晋司さん)正式な喪明けとなる2月2日以降“通常運転”で数々の公務や行事をこなされていくことになる紀子さまだが、「もっぱら気を揉まれているのは、悠仁さまのご進学についてでしょう。現在、お茶の水女子大学附属中学校に通われている悠仁さまが『提携校進学制度』を利用し、筑波大学附属高等学校へ進学されるのではないかと取り沙汰されています」(前出・皇室担当記者)お茶の水女子大と筑波大の間で、’17年から5年間限定で設けられた『提携校進学制度』。学力テストを受けず、書類審査や面接などによって若干名が両大学の附属校に進学できる“特別ルート”だ。「一部では、悠仁さまのために作られた制度とも言われています。真偽が明確でないまま批判することはできませんが、受験生やその家族から皇族特権に対する不満が生まれやすいのは確かでしょう」そう話すのは、近現代の皇室制度に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授。「眞子さんの結婚問題は、国民との直接の利害関係というより“理念的な問題”が大きかったと思います」(小田部教授、以下同)要するに、コロナ禍で国民が苦しむ中、自らの結婚を強行した眞子さんに対し“公より私を優先するのか”と、皇族としての姿勢を問う声が多く上がっていたが、「悠仁さまが直面される“お受験問題”は、多くの国民が経験し、現にその苦悩を抱える人もいます。つまり、理念より利害が絡み、一層深刻な影響が生じる可能性がある」と指摘する。■小室圭さんも重要な局面へそれに布石を打つかのごとく、秋篠宮家の側近トップである皇嗣職大夫は1月24日、文書で苦言を呈したばかり。《受験期を迎えている未成年者の進学のことを、臆測に基づいて毎週のように報道するのは、メディアの姿勢としていかがなものか》「国民の疑念を払拭する説明がなされないどころか、火に油を注いでしまった印象です。あえて“受験”と“進学”という言葉を使い分けている印象で、煙に巻こうとしているようにも思えました」(皇室ジャーナリスト)筑波大学附属高校のホームページによると、一般受験の合否発表は2月16日。「ほかの受験生と足並みをそろえて、悠仁さまのご進学先が正式に発表されるのは、2月中旬以降になると思われます」(宮内庁関係者)悠仁さまのお受験結果に注目が集まる一方で、紀子さまのもう1人の“息子”─小室圭さんにも大事な局面が迫ってきている。「2月22日から23日にかけて、NY州司法試験が行われます。前回の試験に不合格だった小室さんは再挑戦に燃えているはず」(法曹関係者)すでにNYの法律事務所に法務助手として勤務していた小室さんがまさかの不合格と判明したのは、昨年10月。弁護士になれなかったことで、想定年収は弁護士の3分の1以下である600万円ほどになるとも報じられた。「NY生活を続けるためにも、小室さんは次の試験で絶対に合格する必要があります。ただ、2月の試験は例年、再受験者の合格率が35%前後にとどまるため、どうなることか……」(同・前)前回の試験では初受験者の78%が合格。2月は仕事と受験を両立する受験者が多く、勉強時間を確保できないために合格率が低下するという。NY州の弁護士資格を持つ清原博氏も憂色を浮かべる。「法務助手は定時勤務ですが、時には残業をしたり、仕事を自宅に持ち帰ったりすることもあります。不慣れなうちは日々の仕事をこなすだけで精いっぱいでしょう。試験直前だからといって、事務所側が“勉強のために仕事は休んでもよい”と言えば、ほかのスタッフへの公平性が保たれませんし、受験はあくまでも個人の問題なのです」試験の“アウェー感”も小室さんを追い詰めかねない。■新居の総工費は33億円「リモート形式で行われた前回の試験とは異なり、今回は大規模な会議場に大勢の受験生が集う形式。英語を母国語とする多くの受験生に囲まれると、ライバルがとても優秀に見えます。雰囲気にのまれたり、自信をなくしたりしてしまい、前回以上に実力が発揮しづらいおそれがあるでしょう」(清原氏)はたして、小室さんは、こうしたプレッシャーに打ち勝てるのか─。「合否発表が予定されている4月下旬は、再び日本中が小室さん夫妻の話題で持ち切りになるでしょう。ただ、同時期には秋篠宮家のお引っ越しが控えており、こちらも注目されるのでは」(前出・ジャーナリスト)’19年2月に大規模改修拡張工事が着手された秋篠宮邸が完成間近に。「今春にも引っ越される見通しです。改修前の秋篠宮邸は築50年ほどと老朽化が進んでいました。’06年と’11年に改修が検討されたものの、社会情勢などを理由とした秋篠宮さまのご意向で見送られていました」(同・前)お代替わりに伴い、改修に踏み切られた秋篠宮さま。「天皇陛下が皇太子時代にお住まいになっていた東宮御所には、行事などで使用される『檜の間』や『日月の間』といった大広間があります。一方、秋篠宮邸にはそのような大広間はありません。皇嗣は皇太子と同等ですから、東宮御所の規模を参考に増築されたのでしょう」(前出・山下さん)隣接する『赤坂東邸』が、渡り廊下でつながれた“新・秋篠宮邸”の延べ床面積は約5500平方メートルにも及び、「総工費は約33億円です。工事中の仮住まいとして新設された『御仮寓所』の約9億8千万円も含め、これらは国庫から支出されます」(前出・宮内庁関係者)秋篠宮さまはかつて、皇室行事『大嘗祭』に公的な予算が充てられることについて、宮内庁に疑義を呈された。「節約家で知られる秋篠宮さまが、新居にこれほどの国費をかけられる……。必要経費だとわかっていても、金額だけで違和感を覚えてしまうのも無理はありません。理解できない国民からは“高すぎる”といった声が上がるでしょう。悠仁さまのご進学と小室さんの再試験が相まって、引っ越しにも、国民から冷たい視線が注がれることになりそうです」(同・前)秋篠宮家に向けて吹き荒れる“春一番”。先案じされる皇嗣妃の胸奥や、いかに─。山下晋司皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立小田部雄次静岡福祉大学名誉教授。専門は、皇族や華族に関わる日本近現代皇室史清原博国際弁護士。アメリカの法律事務所で勤務後、帰国して法律事務所を開業
2022年02月02日81歳でお亡くなりになった紀子さまの父・川嶋辰彦さんの家族葬に参列された悠仁さま(’21年11月)1月中旬の晴れた日の朝、東京都文京区にある『お茶の水女子大学』の敷地内に、1台の車が入った。後部座席で前を見据えているのは秋篠宮家の長男・悠仁さまだ。「幼稚園から中学校まで通われたお茶の水女子大附属での学園生活も、あと少しだと思うと感慨深いものがあります。悠仁さまは、中学3年間で大人びた顔つきになられました。身長は紀子さまを追い越され、秋篠宮さまとほとんど変わりません。制服のズボンの丈が短く感じられるのも“成長された証”でしょう」(宮内庁関係者)■受験なしで日本トップの高校へ!?車から降り立った悠仁さまは、パンパンに荷物が詰め込まれた黒い通学リュックを背負われて、1人で附属中学校の校舎へ。1本の通りを挟んだその背後には、“未来の天皇”のご進学先として脚光を浴びる『筑波大学附属高校』がそびえ立っていた─。◆◆◆「悠仁さまが『お茶の水』の幼稚園に入られたのは、’10年4月のことでした。当時、お茶の水女子大で研究活動に取り組まれていた紀子さまのご縁で、ご入園。女性教員や研究者の子どもを附属校に受け入れる“特別入学制度”の適用第1号となられました」(皇室担当記者、以下同)その3年後、悠仁さまは附属小学校へ内部進学される。「戦後の皇室で、学習院初等科以外に通われるのは初めてのことでした。『お茶の水』は高校から女子校になるため、それまでに男子生徒は別の学校に進学する必要があります。つまり、悠仁さまも中学か高校でお受験されるというサインでもありました」しかし、悠仁さまが小学5年生になられた’17年4月、その見立ては覆された。「お茶の水女子大と筑波大の間で『提携校制度』が設けられました。制度の発足から5年間限定ですが、これを利用すれば学力テストを受けずに、書類審査や面接などによって若干名が両大学の附属校に“交換入学”できます。つまり、必ずしも受験を経験する必要はなくなりました」このとき初めて“筑附”こと『筑波大学附属』が、悠仁さまの進学先候補に名を連ねた。中学・高校受験に詳しい『三井塾』の三井慎太郎塾長は、同校の特徴についてこう語る。「中学受験では、早慶の附属校を受ける生徒が併願するレベルです。暗記の勉強だけでは乗り越えられない、地頭のよさが求められる試験で、突破するのは“日本のトップ”を目指すような志が高いお子さんという印象です」ハイレベルな学校に試験なしで入学できる制度が新設された背景については、“紀子さまが悠仁さまのために作られた”ともささやかれた。「紀子さまはかねて、悠仁さまを東京大学に進学させたいご意向だという話がありました。東大合格者を例年30人近く輩出する筑附は、もってこいの進学先だ、と。さらに、筑附は『お茶の水』と道路を挟んだ向かい側に位置しているため、所轄の警察も周辺警備に慣れている。立地の面でもアドバンテージがあるので、周囲も安心でした」(前出・宮内庁関係者)■1月中旬に合否発表か蓋を開けてみれば、悠仁さまは制度を利用せずに’19年4月にお茶の水附属中学校へご進学。背景には、当時膠着状態だった眞子さんと小室圭さんの結婚問題があったという。「’18年8月に渡米した小室さんは、留学先であるロースクールの高額な授業料が全額免除されました。その理由として“プリンセス眞子のフィアンセ”をアピールしたからではとの疑惑が浮上していました」(皇室ジャーナリスト)小室さんだけでなく秋篠宮家に対する風当たりも、次第に強まった時期だ。「特別な制度を利用して筑附進学へ踏み切られた場合、“皇室特権を利用した”と猛批判を浴びかねない。悠仁さまを守るためにも、内部進学を選ばれたのでしょう」(同・前)小室さん夫妻は昨年10月に結婚。今春、新たな門出を迎えられる悠仁さまのご進学先に再び注目が集まっている。「筑附のほか、多くの皇族が通われた学習院、秋篠宮さまが客員教授を務める東京農業大学の附属高校などがこれまで進学先として取り沙汰されてきました。しかし、すでに筑附へ進学される方向で話は進んでいるといいます」(秋篠宮家関係者)秋篠宮さまは昨年11月のお誕生日会見で、悠仁さまの近況についてこう述べられた。「1年前と比べると机に向かっている時間が格段に長くなっているんですね」その勉強が、筆記試験の結果が重視される一般入試に向けられたものか、内申点が重視される提携校制度に向けられたものかは定かではない。筑附の一般入試は2月13日。提携校制度の入試時期について同校のホームページに記載はないが、「これまでは例年1月中旬に、提携校制度の利用者は合否が判明していたと思います」(お茶の水女子中OG)ともすれば、悠仁さまのご進学先は、すでに決まっていても不思議ではない。■「なぜ?」「どうして?」を繰り返される「ご進学先が正式に発表されるのは、一般入試の合格発表後になるのではないでしょうか。入学されるまでの過程を、必ずしもつまびらかにする必要はありません」(前出・秋篠宮家関係者)一方、近現代の皇室制度に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授は、懸念を示す。「“李下に冠を正さず”という言葉があるように、流言や噂を生み出しかねない言動は、できるだけ避けるのが賢明でしょう。提携校制度を利用されたのであれば当然、明らかにすべきだと思います。提携校制度で進学できる生徒には、一定の推薦基準があるはずです。どうして悠仁さまが制度を利用できたのか、皇族であるという理由以外にあれば、それも公開すべきです。悠仁さまのご進学に対して、小室さんの留学時にささやかれた“皇室利用の疑惑”と同じように捉えてしまう国民がいるのも無理はありません」とある宮内庁OBも、複雑な思いを吐露する。「生まれつき特別な皇室の方々が“特権利用”と批判されることに多少の違和感はあります。ただ、小室さん夫妻の結婚問題によって、皇室が身近になりすぎてしまった。だからといって悠仁さまのご進学を巡っての経緯が、“皇室利用”の文脈で語られるのは残念なことです」本格的な受験シーズンよりひと足早く、秋篠宮家には緊迫感が立ち込めていることだろう。しかし、全国の受験生に泣いても笑っても春が訪れるように、悠仁さまも3か月後には高校生になられる。「筑附の授業は、昔から“アクティブ・ラーニング”が主体です。数学の場合でも“どうしてこの公式ができたのか”という段階まで掘り下げます」(前出・三井塾長)モットーとして、“自主・自律・自由”を掲げる同校は、秋篠宮家の雰囲気にも合っているように思える。「悠仁さまはお父さま譲りの研究者気質で、論理的な説明でないと納得されず“なぜ?”“どうして?”と、質問されるといいます。筑附の教育と調和できれば、いっそう優れた知見を身につけられるのではないでしょうか」(前出・秋篠宮家関係者)皇室の未来に漂う“特権批判”という暗雲。それを払拭できるのもまた、皇室の方々なのだろう─。
2022年01月20日佳子さま(’21年12月・半蔵門)《窓開くれば金木犀の風が入り甘き香りに心がはづむ》1月18日、皇居・宮殿で新年行事の『歌会始の儀』が開かれ、秋篠宮家の次女・佳子さまが詠まれた和歌も公になった。昨年は新型コロナの影響で3月まで開催延期となったが、今年は例年同様の時期に開かれることに。■和歌は皇族方の心情が表れる「昨年3月のときと同じように感染防止対策を徹底して行われ、全国と海外から寄せられた1万4000首の一般公募の中から入選した10人と、天皇陛下や皇族方の和歌が披露されました。今年のお題は『窓』。陛下は昨年に引き続き、新型コロナの感染拡大の収束を願うお気持ち、皇后さまは昨年9月に赤坂御所から吹上御所に引っ越された際に感じた、上皇ご夫妻への感謝のお気持ちを詠まれていました」(皇室担当記者)昨年12月に成年となられた天皇家の長女・愛子さまに関しては、初めての『歌会始』でどんな歌を詠まれるかに注目が集まっていた。《英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓》「愛子さまは『学習院女子高等科』の2年生だったときの夏休み、約3週間にわたってイギリスに短期留学を経験されました。初めて外国の学校をご訪問になり、歴史の重みを感じさせる立派な建物を目の前にされた際の心情や、イギリス滞在への期待に心弾ませるお気持ちを和歌に込められたそうです」(同・皇室担当記者)一方、佳子さまの和歌について、ある宮内庁関係者が次のように解説する。「秋のある日にお部屋の窓を開けた佳子さまは、金木犀(きんもくせい)の香りが風に乗って漂ってきた際、甘い香りにふれてうれしいお気持ちになったことを詠まれています。情景が綺麗に思い浮かぶ素晴らしい歌ですが、一方で『金木犀』という言葉に注目することもできます。何か意図が込められている可能性がある。というのも、基本的に皇室の方々のお気持ちが表されるのは、記者会見や節目ごとに出される文書、公務でのスピーチなどに限られます。しかも、私的な事柄や内面に触れられる機会は少ないため、新年の和歌は皇族方の心情を推し量る、とても貴重な機会なのです」姉・小室眞子さんは昨年3月の『歌会始』で、《烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に》という歌を披露されたが、この和歌は当時、延期されていた小室圭さんとの結婚への意思を強く表現していたのでは、と話題になった。■「金木犀」花言葉の由来「『烏瓜』は秋に鮮やかな朱色の果実をつけることが特徴で、花言葉は“よき便り”。眞子さんの結婚問題も昨秋の決着が見通されていたことから、烏瓜の実が熟す時期になぞらえて“秋によき便りがくる”という願いを込めた歌だったのでは、と憶測を呼んだのです。さらに、その前年には《望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな》という歌を詠まれています。’17年の婚約内定会見のとき、圭さんが眞子さんのことを“月のように静かに見守ってくださる存在”と話しており、『月』というワードを2回も盛り込んだ歌からは、彼への愛情を感じさせました」(同・宮内庁関係者)そして今回、佳子さまが詠まれた和歌の中にある『金木犀』の花言葉は「謙虚」や「気高さ」という意味がある。「ジンチョウゲ、クチナシと並ぶ“三香木”のひとつで、芳香剤としてもお馴染みの強い香りを持つことが特徴です。その香りとは対照的に、花自体は小さくて控えめである様子が“謙虚”の所以です。さらに、金木犀は雨が降ると一気に散ってしまいます。強い香りを持っているのに、惜しむことなく潔く散る様子が“気高さ”を感じさせるため、花言葉になったそうですよ。中国では幸福や吉兆の象徴とされており、地位の高い女性が香料などに使っていたとされ、これも“気高い人”の由来だとも聞きました」(前出・皇室担当記者)気高さを兼ね備えた女性皇族として、皇室の活動を支えられる佳子さまにはぴったりな花言葉といえよう。一方で、金木犀とはモクセイ科の植物で、元々は『銀木犀(ぎんもくせい)』の変種だと言われている。実は、真っ白で美しい花をつける銀木犀の花言葉には、佳子さまの“決意”がにじんでいるような意味合いがあるという。■「将来的には結婚したい」「銀木犀の主たる花言葉は“初恋”。ほかにも“高潔”や“唯一の恋”、“あなたの気を引く”といった意味があります。金木犀にも初恋という花言葉は含まれていますが、変種ということもあり、元々の種である銀木犀のほうが“恋”に関する花言葉が多いそうです。ただ、金木犀にしろ銀木犀にしろ、強い香りで人を惹きつけるというのが特徴で、中国では古くからデートの前に銀木犀のお酒を飲んで甘い香りを漂わせてデートに出かけるという習慣があったことから、恋愛に関する花言葉が多い植物なのです。眞子さんが昨年無事に結婚され、佳子さまは“今度は自分の番”と、ご自身の恋愛や結婚に関して真剣にお考えになっているお気持ちだということを、和歌に込められたのかもしれませんね」(同・前)昨年末に27歳となられた佳子さま。眞子さんは25歳のときに婚約が内定したことを考えれば、いつ結婚されてもおかしくない。実際、これまでも佳子さまの恋愛や結婚に関連する事柄はいくつか報じられている。「学生時代のグループ交際や都内にある理系大学出身の男性、大手企業の御曹司やイギリス留学時代に交流を深めた日本人などが報じられています。どなたが本命なのかは分かりませんが、佳子さまは以前から“眞子さんの結婚待ち”だと言われていました。成年会見でも“将来的にはしたい”と述べられていますしね。また、眞子さんが小室圭さんを選んだように、佳子さまもご自分で結婚相手をお決めになると思います。眞子さんが結婚問題で逆風にさらされていたとき、佳子さまは大学卒業に際して出された文書で“姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい”と、あえて応援するような文言を綴られました。ご自身も一個人として“自由意志で将来をお決めになりたい”というスタンスをお持ちなのだと思います」(秋篠宮家関係者)以前よりも格段に、国民からの注目が集まっている佳子さま。今回の和歌に、どのような将来や希望を込められたのだろうか。
2022年01月18日小室眞子さん秋篠宮さまがリラックスしたご様子で本のページをめくられると、紀子さま、佳子さま、そして悠仁さまも、微笑みながら覗き込まれる─。「新年を迎え、天皇ご一家と上皇ご夫妻、秋篠宮ご一家それぞれの近影が公開されました。’20年までは3家族そろっての撮影でしたが、感染症対策のため、昨年からは家族ごとに。秋篠宮ご一家は、長女の眞子さんが昨年10月に小室圭さんと結婚したことで、4人で撮影されました」(皇室担当記者)■眞子さんの作戦は大成功最新の家族写真として公開された冒頭の一幕には、こんな裏話も。「秋篠宮さまが手にされているのは、海外の植物に関する本です。撮影のときに、眞子さんとかつて訪れたマダガスカルの植物について秋篠宮さまは話題にされたそうです」(宮内庁関係者)秋篠宮さまは昨年11月のお誕生日会見でも、眞子さんとの印象深い思い出として「長期間、一緒に旅行したマダガスカル」と述べられた。「毎年恒例の家族写真に、今年から眞子さんがいないということで、改めて“お嫁に行った”ということを実感されているのではないでしょうか。1人の父親として、娘の新生活を案じる気持ちもおありでしょう」(同・前)NYで初めての新年を迎えた小室さん夫妻。渡米してから50日以上がたち、夫妻の話題を耳にする機会は日ごとに減っている。「眞子さんは結婚会見で“海外に拠点をつくってほしいと私が(圭さんに)お願いしました”と話していましたが、この作戦は大成功したということです」と話すのは、ある皇室ジャーナリスト。「渡米後は、海外メディアを中心に夫妻の姿が撮られていますが、それも月に2、3回程度。結婚してから一時的に都内のマンションに住んでいたころは、外出のたびに大勢の報道陣に囲まれていたので、それに比べると格段に穏やかで自由な生活を手に入れたといえます」(同・皇室ジャーナリスト)わずかに報じられる私生活は、実に気ままで庶民的だ。「カーキとグレーの上下で雰囲気を合わせた“おそろいコーデ”で街を散策している夫妻の姿が米紙にキャッチされました。日本の博多ラーメン専門店で、NYにも出店している『一風堂』で夫婦仲よくラーメンをすすっていたという目撃情報も報じられています」(前出・皇室担当記者)昨年12月25日には英紙が、クリスマスプレゼントらしき紙袋を持って、1人で外出する眞子さんの姿を報道。NY生活を満喫する夫妻だが、撮影された数枚の写真には“ある変化”も見受けられる。■リベンジ成功率は45%「昨年11月はノーマスクの写真が目立ちましたが、12月はマスクを着用。というのも、世界各地で急速に蔓延している新型コロナウイルスの変異株『オミクロン株』がNYで猛威を振るっているのです」(在米ジャーナリスト)1月1日時点では、NY州で8万5476人の新規感染者が確認され、1日当たりの最多を更新している。「夫妻が暮らすNY市は、感染率が突出して高い。NYといえば『タイムズスクエア』での年越しイベントが有名ですが、その入場者数も例年の3分の1以下に制限されました」(同・前)ブロードウェイのミュージカルは、スタッフやキャストの感染で次々に公演中止。バーやレストランも再び休業に追い込まれている。「いつ誰が感染してもおかしくない状況です。2月下旬にNY州司法試験のリベンジを控える圭さんも、気が気でないのでは……。受験生として、健康は第一ですから」(法曹関係者、以下同)昨年10月、司法試験の不合格が判明した圭さん。初受験者の合格率は78%だった。「圭さんは現在、自宅から徒歩圏内の法律事務所で法務助手として勤務していますが、帰宅時間が午後9時過ぎになることもあるとか。ただでさえ、ロースクールの卒業から時間がたてば、学んだ内容は記憶から薄れていきますので、仕事と勉強を両立させるとなると本当に大変です」圭さんのように働きながら受験する人の中には、十分な勉強時間を確保できないまま試験に臨む人も多い。その結果、例年2月の試験の合格率は全体の45%前後だという。「今回は、前回のようなオンライン形式ではなく、マスク着用のもと試験会場で行われる予定です。ピリピリとした雰囲気に、圧倒されてしまう人も少なくないと思います」厳しい環境となるが、圭さんはなんとしてでも合格する必要がある。なぜなら、「今のままでは、生活基盤が整っているとはいえません。小室さんの勤務先の場合、1年目の弁護士の年収は2000万円ほどだと報じられていますが、法務助手だと約600万円だといいます。圭さんが弁護士になることを見越して、事務所からは弁護士と同等の給料をもらっているのかもしれませんが、不合格が続いた場合、解雇の可能性もあるといわれています」(前出・皇室ジャーナリスト)■日本国民の税金が投入されて金銭事情はもちろんのこと、「圭さんには残念な気持ちです」と複雑な思いを明かすのは、NY在住のとある日系人。「圭さんは、外務省に引き合わせてもらった日系人弁護士に就職先を紹介してもらったと聞いています。その弁護士はかつて、圭さんのインターンシップの面倒を見ていたこともあるとか」圭さんは、“NYの法律事務所に就職が内定した”ことで、眞子さんとの結婚に近づいたという見方が強い。「弁護士資格を持たない彼を、マンハッタンの一等地にある法律事務所に就職させたその日系人弁護士は、結婚への道筋をつくってくれた恩人です。それなのに、フタを開けてみれば試験に不合格なんて……。その弁護士の顔に泥を塗ったようなものです」(同・NY在住の日系人)しかも、日本では難しかった自由な生活をNYで謳歌できている裏には、驚きのカラクリもあって─。「NYでは、ふたりだけで自由に外出しているように見えますが、必要に応じて現地の警備がついているそうです。これは日本政府からの意向も影響しているのでしょう。NY現地では、日本の警察が夫妻を警備する権限はありませんが、NYにある『日本国総領事館』に、小室夫妻のために警護兼相談相手といったポジションを設けることは可能です。この警備は日本の管轄になるので、人件費は日本国民の税金から捻出されます。おふたりは今もなお、日本国民に支えられながら、新婚生活を送っているという見方もできるのです」(外務省関係者)異国で暮らす元プリンセス。真の意味で地に足をつける日は、当分先になりそうだ─。
2022年01月07日佳子さまとAさん。自宅から自転車通勤することもあり、スタイルがよく目鼻立ちがくっきりとしたイケメンだ「本当に申し訳ないんですけど、お話しできることは何もないので……。すみません」’17年9月、イギリス『リーズ大学』への留学中に『週刊女性』から直撃取材を受けた佳子さまは、はにかみながらそう答えられた。記者が投げかけた質問は、当時報じられていた『富士急行』の御曹司との熱愛について。あれから4年以上の月日がたち、22歳だった佳子さまは12月29日に27歳の誕生日をお迎えになる─。◆◆◆「この1年間を振り返ると、佳子さまを取り巻く環境は大きく変化したように思います。2月から『全日本ろうあ連盟』でインターンシップを経験し、5月からは非常勤嘱託職員として、初めてのご就職。週3日の勤務で、コロナ禍の影響を受けて当面はテレワークですが、皇族としてではなく民間人と同様に働かれています。年が明けてからの新年行事や昭和天皇の命日である1月7日には、皇族代表として『昭和天皇祭』という祭祀に参列されました」(皇室担当記者)■「次は佳子さまが婚約」10月下旬には、慕われている姉・眞子さんが小室圭さんと悲願の結婚。「佳子さまは、大学卒業時に眞子さんの結婚問題について問われた際、“一個人としての希望がかなう形になってほしい”と文書で綴られていました。誰よりも近くで応援し続けた姉の結婚は、自分のことのようにうれしく感じられたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)11月中旬には、小室さん夫妻が渡米。NYで自由な暮らしを謳歌しているふたりの姿を、遠く離れた日本から微笑ましく見守っておられることだろう。前出の宮内庁関係者は「次は佳子さまの番です」と意気込む。「佳子さまは、’14年の成年会見の時点で“(結婚を)将来的にはしたい”と述べられていて、強い結婚願望がおありだということは周知の事実。3年9か月に及んだ眞子さんの結婚騒動が幕引きとなった今、そう期間をあけずに佳子さまも婚約されるという見方が強まっています」(同・宮内庁関係者)20代後半は、近しい同世代が結婚するといった情報を耳にする機会が増える時期。さらに、皇室を離れた姉夫妻の生活を聞けば聞くほど結婚への憧れが膨らむのは、ごく自然なことだろう。象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、佳子さまのご結婚についてこう見解を示す。「“異例中の異例”と位置づけられた眞子さんの結婚が、佳子さまに影響を及ぼすことも考えられます。仮に、佳子さまが眞子さんと同じように一時金を辞退されたり、一連の儀式を執り行わなかった場合、“眞子さまが異例”という国民の認識は、少なからずやわらぐでしょう。異例の前例にしないためにも、眞子さんのやり方を踏襲される可能性がないとは言いきれません」■相手の精神的負担が増える本来、結婚という慶事は多くの人から祝福されるべき事柄だが、佳子さまには高いハードルが待ち構えている。「眞子さんの結婚問題以前は、皇族方の自由恋愛に対して、よいイメージを抱く国民が多かったと思います。しかし、今後はお相手に対して、多くの資質を求めるのではないかと思います。小室さん夫妻の結婚に納得できなかった国民が、佳子さまのお相手に対して、最初から厳しい目を向けてしまうことも考えられます」(河西准教授)国民的関心事となった騒動を経験した以上、国民も無意識のうちに、佳子さまのお相手への目が厳しくなってしまうかもしれない。「相思相愛であることが大前提ですが、佳子さまの立場だけではなく、秋篠宮家、ひいては皇室全体の立場を理解し、支えていこうとされる包容力のある方が望ましいと考えます」とは、近現代の皇室制度に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授。「秋篠宮ご夫妻がまったくご存じない方ではなく、相応の情報が事前にある方になるでしょう。小室さんの場合は、事前の身辺調査が不足していたために想定外の騒動になってしまったといえます。この特殊な例を受けて、より慎重に佳子さまのお相手の調査がなされることになるでしょう。ただ、お相手候補の精神的負担が増え、せっかくの縁談が成立しなくなっては残念です」(小田部教授)その一方で、数多の障壁がある中でも、佳子さまは着実に結婚への道を歩まれているという。’21年10月に『デイリー新潮』は、意中のお相手について《家柄は申し分なく、すでに秋篠宮ご夫妻とも面会》《婚約が固まる前に漏れてしまうと男性やその家族にも迷惑がかかってしまうので秘中の秘》などと報じた。とある宮内庁OBは、過去に取り沙汰された男性について振り返る。「『富士急行』の4代目社長である堀内光一郎さんのご子息は、お相手にふさわしいという意見は多かった。中学まで学習院に通っていた彼は、眞子さんの同級生でもあり、家族ぐるみのお付き合いをしていたと聞きました。家柄的にも花婿候補に挙がるのは当然で、誰しもが納得できるお相手だと思ったのですが……」’17年に『週刊新潮』が堀内社長と夫人に、佳子さまとご子息の交際を直撃取材すると“まったくない。息子は1度もお会いしていない”と完全否定。ならばと、『週刊女性』が佳子さまご本人に取材を試みたのが冒頭の場面だ。■“噂のカレシ”に直撃!それから約3年が経過した’20年7月、『週刊女性』は「佳子さまに新たなお相手がいる」という情報をキャッチしていた。「佳子さまは、’17年9月から’18年6月まで、リーズ大学に留学されていましたが、同時期に留学していたAさんと交際しているとの話が浮上したのです。Aさんは、スタイルのよい爽やか系のイケメンで、留学中も頻繁に行動を共にする仲だったといいます。周囲もお似合いのカップルとして見ていたと聞きました」(秋篠宮家関係者)リーズ大学構内の食堂で、佳子さまとAさんが親しげに話す姿を『週刊女性』は目撃していた。「目鼻立ちがくっきりしていて、芸能人で例えるなら東出昌大さん似だと思います。Aさんは佳子さまより2学年下の24歳。大学卒業後は、就職せずにIT系の分野で起業の準備を進めていると聞いていました」(留学時代の同級生)’20年の夏、自身の会社を立ち上げたAさん。「システム開発系の企業の代表取締役に就任し、大手企業からも出資を受けているようです。都心に事務所を構え、少しずつ規模を拡大。開発したシステムの受注はすでにあり、業界内でも好評だとか」(同・前)野心があり、若いながらも会社を経営し、着実に夢をかなえていくAさんは、佳子さまのお相手としても、申し分なさそうに思える。12月中旬の朝、佳子さまとの交際について話を聞くべく、Aさんの自宅を訪問。記者がインターホンを押すと、Aさんは警戒することなく扉を開けてくれた。突然の訪問に対しても驚く気配はない。まずは佳子さまとの直近の交流について尋ねると、「こっち(日本)では交流がないので……」と、予想外の返答が。─留学中の交流のみ?「そ……うですね。申し訳ないですが、僕、これから仕事で。すみませんが、よろしくお願いします!」一瞬の戸惑いを見せるも、礼儀正しく挨拶し、家の中へ戻っていった。その1分後、家から出てきたAさんに再び話しかけると、「バス停まで歩くので、それまでなら……」嫌な顔ひとつしない“神対応”に記者は感謝しつつ、改めて佳子さまとの交際について聞いてみた。「(取材の意図は)そういうことだったんですね(笑)。まったくの嘘ですよ。ちなみに、それって誰が言っていたんですか?」と、余裕の表情を浮かべて笑う。「周りからそれ(佳子さまとの交際を噂されていること)を聞いたことはあります」─交際はないということ?「まぁ、そういうことですね。基本的に彼女は、マスメディアさんに対して、あまりよいイメージをお持ちでないと思うので……」■Aさんが行っていた佳子さまへの配慮佳子さまのことを“彼女”と呼んでフォローし、間髪を入れずにこう続ける。「なので、私の回答としては“そういった事実はございません。事実無根です”というだけですね」一般人とは思えないほど、パーフェクトな対応を見せたAさん。まるで、マスコミから取材を受けることを予期して準備していたかのような、淀みのない返答に、記者は若干の違和感すら覚えた。「ちなみになんですが、私は会社経営をしているので……。それはご理解いただけると」そう話し、記事の掲載について、記者にいくつかの逆質問を投げかけた。最後は「失礼します」と穏やかな口調で、その場をあとにした─。《メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています》ICU卒業時に綴られた文書で、そう発信された佳子さまのお気持ちを代弁するかのごとく、交際を否定しつつも、完璧に“彼女”を守ったAさん。その紳士的な姿には目を見張るものがあった。前出の留学時代の同級生も、Aさんのリスク管理と対応力に舌を巻く。「Aさんは、この1年の間にすべてのSNSから“リーズ大学に留学”という項目を削除しています。その意図はわかりませんが、いずれにしても“佳子さまに迷惑がかからないように”と、配慮しているのでしょう」前述した大学卒業時の文書で《結婚の時期については、遅過ぎずできれば良いと考えています。理想の男性像については、(中略)一緒にいて落ち着ける方が良いと考えております》と綴られた佳子さま。お姉さまに続き、佳子さまの慶事が聞ける日もそう遠くないのかもしれない─。
2022年01月07日