結婚する眞子さんから役職を引き継がれ、特にこの秋は全国各地でご公務に励まれている佳子さま。これまでの皇室にないカラフル&オシャレな装いからは前向きなお気持ちも感じられる。そんな、佳子さまのご公務ファッションを振り返ります。【9月10日】手話でのご公務も積極的に非常勤の嘱託職員としてお勤めの全日本ろうあ連盟などが開催している「高校生の手話によるスピーチコンテスト」に。【9月14日】眞子さんから役目を引き継がれて日本工芸会の総裁として、「日本伝統工芸展」をご視察。淡いピンクの装いで、自ら選んだ総裁賞の竹製の花籠をご覧に。【9月25日】口の見える透明マスクで手話を鳥取県倉吉市で開催された「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」へ。口の見える透明なマスクで高校生と手話でご交流。【10月9日】日本テニス協会名誉総裁として初観戦楽天ジャパン・オープンテニス男子シングルス決勝を日本テニス協会名誉総裁として初観戦。好プレーに拍手を送られた。【10月11日】いちごコーデが話題に「いちご一会とちぎ国体」の閉会式にご出席。栃木県の名産品、いちごを連想させる優しい印象の赤いワンピースが注目された。【10月16日】ジェンダー平等を訴えられて国際ガールズ・デーを記念したイベント「ガールズメッセ2022」にご出席。お言葉ではジェンダー平等の達成を願うと述べられ、課題解決に取り組む高校生と交流された。眞子さんをハグで送り出されてから1年。佳子さまはお姉さまのぶんまで大忙しです!
2022年10月29日10月21日、ニューヨーク州司法試験に合格した眞子さんの夫・小室圭さん。昨年10月26日に眞子さんと結婚し、11月からニューヨークでの移住生活を送りながら、現地の法律事務所で法務助手として勤務していた。弁護士資格取得のため、昨年7月と今年2月に同州司法試験に挑戦するもともに不合格。そして今年7月の試験で“3度目の正直”を果たしたのだ。今後は弁護士として活動していくとみられ、法務助手では600万円とされていた年収も2000万円ほどに大幅アップするといわれている。2度の不合格を乗り越えて見事、弁護士への切符を手にした小室さん。そのことが報じられると、支えてきた眞子さんも含めて祝福する声で溢れた。いっぽうで、ネットニュースのコメント欄やSNS上ではこんな声が……。《試験に合格したことで、二人がニューヨークに滞在することは確定となったわけで、この先の年間警備費8億円はずっと税金で支払うことになるのか… 圭氏の年収が2千万から3千万に上がったとしても、警備費8億円は…》《それでもこの2人の超高額の警備費は我々の税金で賄っているのでしょ?ヘンリーとメーガンみたいに自腹でやるべき》《試験に合格したことで、二人がニューヨークに滞在することは確定となったわけで、この先の年間警備費8億円はずっと税金で支払うことになるのか》現在、マンハッタンのヘルズ・キッチン地区にある家賃50万円ほどのマンションで暮らしている小室夫妻。結婚に伴い眞子さんは皇籍から離脱したが、ネット上の声を見ると、NYでの生活にも皇室にいた時と同じように警備がつけられているということのようだ。こうした声の“根拠”について、皇室ジャーナリストは言う。「皇籍離脱後は、参政権が与えられて年金にも健康保険にも加入できるいっぽう、基本的にプライベートで送迎や警備はつきません。例えば眞子さんと同じく内親王だった黒田清子さんの場合、新婚当初はSPがついていましたが、現在は一般国民として生活しています。しかし、眞子さん夫妻は日本の警察の手が届きにくいアメリカで生活していることに加え、最近、ヘルズキッチン地区の犯罪件数増加も指摘されています。NYの日本総領事館が常に夫妻のケアをしているそうですが、お抱えの警備員がいるわけでもありません。そうした背景があるなか、今年3月に、外務省と警察庁がNYの民間警備会社に眞子さん夫妻の警備を依頼する計画を立てているという報道がありました。その警備費の原資として、使途を公開する必要がない“外交機密費”を充て、場合によってはその額が年間で8億円にものぼるという内容でした。こうしたことから、皇籍を離脱した今も、税金で眞子さん夫妻の警備が行われているという声があとを絶たないのでしょう」NY移住後も囁かれ続ける眞子さん夫妻の警備問題。しかし、NY在住の日本人ジャーナリストはいう。「夫妻が住むマンションの前もよく通りますが、警備員の姿は見たことはありません。ときおり警察車両が地域を巡回している程度です。また仕事に向かう小室さんや買い物する眞子さんの姿が現地メディアに撮影されていますが、周囲に警備員がいたという情報は聞いたことがありません」
2022年10月27日10月23日、31回目の誕生日を迎えた秋篠宮家の長女・眞子さん。10月21日には夫の小室圭さんが、3度目の挑戦となったニューヨーク州の司法試験に合格。26日の結婚記念日が目前に迫っていることも相まって、眞子さんにとって喜ばしい“プレゼント”となったことだろう。小室さんは18年8月に渡米し、ニューヨーク州の弁護士資格を取得するためフォーダム大学に留学。21年5月にロースクールを卒業し、以降は現地の法律事務所で法務助手として働きながら受験勉強に励んできた。昨年10月26日に行われた結婚会見のなかで、眞子さんは小室さんの留学についてこう述べていた。「圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作って欲しいと私がお願いしました。留学に際して私は一切の援助をできませんでしたが、圭さんが厳しい状況のなか努力してくれたことを有り難く思っています」そして、会見の最後には、「私たちは二人で新しい生活を始めることになります。 これから生きていくなかで、また違った形での困難があると思います。しかし、これまでもそうであったように、二人で力を合わせて共に歩いていきたいと思っています」と誓っていた。だが、結婚会見から4日後、小室さんが1度目の試験に失敗したことが明らかに。当時のNHKの報道によると、小室さんが日本で勤務していた法律事務所の所長・奧野善彦弁護士は電話で報告を受けたという。また、眞子さんが奥野氏とも話したといい、「小室さんの話をそのとおりに受け止めています」と夫の勉強を支える意思を示していたと報じられた。それから2週間後、小室夫妻はニューヨークへ渡り新生活を始めたが、そこでも試練が待ち受けていた。「小室さんは今年2月の試験も、“あと5点”というところで不合格となりました。法務助手として働く小室さんの年収は約600万円だといわれています。夫妻が暮らす地区のマンションの家賃相場は月40万円ほどで、収入のほとんどが家賃に消えてしまいます。さらに小室さんが3度目の試験に落ちた場合、勤務先から解雇されてしまう可能性も指摘されていました。眞子さんもファッションこそ、アイテムをうまく着まわして、あまりお金をかけないようにしているようです」(NY在住の日本人ジャーナリスト)しかし、そうした苦境においても、眞子さんは小室さんとのニューヨーク生活に幸せを見出していたという。「眞子さんはメトロポリタン美術館での仕事を本格的に始動しています。眞子さんは研修、圭さんは試験勉強と、やるべきことが明確になったことで夫妻の結束力はより強くなったといいます。最近でも眞子さんは、『NYに来て本当によかったです。私たちは、いまがいちばん幸せです』と周囲に話していたと聞きました。これから小室さんが弁護士として働き始めることで、より充実した生活が送れることでしょう」(NY在住の日系人)夫婦二人三脚で夢を叶えたことに、眞子さんの喜びもひとしおだろう。
2022年10月23日ニューヨークの四大美術館の1つであるニューヨーク近代美術館(以下MoMA)。この世界的に有名な近現代美術の殿堂で、小室眞子さんが目撃されたのは9月下旬のこと。MoMAは、ピカソの『アヴィニョンの娘たち』やゴッホの『星月夜』など美術史に残る多くの作品を所蔵しており、現在は著名な写真家であるヴォルフガング・ティルマンスの回顧展も開催中で、日々、多くの観客が足を運んでいる。しかし眞子さんの、この日の目的は、そうした超有名作品群の鑑賞ではなかったようだ。彼女は個々の作品よりも、むしろ展示スペースのレイアウトなどに目を配っていたという。何か思いついたことや、疑問に感じたことがあるたびに、同行者らと声を潜めながらも活発に意見を交わしていたのだ。実は眞子さんと一緒にいたのは、彼女がつながりを持っているメトロポリタン美術館(以下MET)のスタッフたちだった。眞子さんが夫・小室圭さんと渡米してから11カ月。ついに学芸員としての仕事を本格的に始動したようだーー。このMoMAでの目撃情報をキャッチする以前から、NYの美術関係者への取材を進めてきたが、眞子さんがほぼ同時期に複数の美術館を“視察”していることが判明した。NY在住の日本人ジャーナリストはこう語る。「ホイットニー美術館やブルックリン美術館にも、眞子さんは訪れていました。いずれもNYでも有数の美術館です。この2カ所にも1人ではなく、METのスタッフたちが同行していたのです。両美術館の職員たちも、眞子さんの顔で気づいたというより、METのスタッフがチームで動いていたので印象に残っていたそうです。同行スタッフたちは、“年下に見える”眞子さんにかなり気を使っている様子だったとか」また眞子さんが現れたのは有名美術館だけではなかった。NYの有名ギャラリーや、美術関係者の会合、または食事会などにも顔を出すようになっているという。■美術館スタッフたちは“プリンセス・マコ”と呼んでいて実際に眞子さんと会ったNYの美術関係者は、彼女の印象について次のように語った。「小柄で、若々しく、礼儀正しく、笑顔が美しいチャーミングな女性という印象を受けました。日本では皇族として、どのように人々と接していらしたのか……、そんなことも考えさせられました。ただ失礼ながら、眞子さんがNYで道を歩いていたとしても、ほとんどの人が“日本のプリンセス”とは気がつかないと思います。世界的大富豪、超人気スポーツ選手に映画スター……、それだけNYには著名人があふれているからです」だが、そんな“一見ふつうの”眞子さんに、世界三大美術館の1つであるMETが、常に複数のスタッフをつけ、“大名視察”をサポートしているのも事実なのだ。その破格の待遇と理由についてMETの関係者はこう明かす。「METスタッフの間では、彼女は“プリンセス・マコ”と呼ばれることもあります。彼女は半年以上前にMETが所蔵する日本画の解説文を書いていますが、当時はいかにも“見習い”といった存在でした。METが彼女に、いわゆる英才教育を施すため、“チーム・マコ”を結成したのはこの夏のことです。チームのメンバーのなかには日本美術部門のトップで、解説文の“翻案”を務めたキュレーターのジョン・T・カーペンター氏もいます。現在、眞子さんはNY中の美術館の視察を行っています。それはどんな展覧会にどのような人々が訪れているのか?などを肌感覚で知ってもらうためです。またスタッフたちも人脈を駆使して、自分が知る美術関係者に眞子さんを紹介しています。それだけ彼女の“将来性”にMETは期待しているのです」眞子さんは日本では博物館に勤務していたが美術館職員の経験はない。だがこの関係者によれば、「将来的に、眞子さんには日本の美術品の買い付けや、企画展の開催を担当してもらいたいというMETの思惑があるのです。眞子さんは、元内親王であり、日本の人間国宝たちを中心に組織されている日本工芸会の元総裁です。その肩書は、日本での買い付けや美術品の借り出しの際にも威力を発揮すると、METは考えているのです」また、この全面支援の陰には眞子さん自身の変化もあるようだ。「“名門美術館の顔”となり、展覧会を開催するためには、パーティや食事会などに出席することも必要です。渡米当初、眞子さんはそうした生活を送ることに躊躇していたようですが、最近は“美術館職員としてNYで生きていく”ことの覚悟を決めたようなのです」夫・小室さんの司法試験の合格発表は10月下旬だが、その結果を待たずに仕事を本格的にスタートしていた眞子さん。“もう夫はアテにしない”という意思表示にも思えるが、彼女の決断は今後の小室夫妻のNY生活をどう変えていくのだろうか。
2022年10月07日「9月30日、宮内庁が秋篠宮邸の改修工事が終了したことを発表しました。もともとは今年3月末までに完了する予定でしたから、ちょうど6カ月間の遅延ということになります」そう語るのは皇室担当記者。秋篠宮邸改修は’20年3月にスタート。同じ赤坂御用地内にある赤坂東邸も改修し、渡り廊下で連結するという大規模な工事であり、工事が公表された当初、総工費は33億円と報じられていた。皇室担当記者が続ける。「改修工事中、秋篠宮ご一家は御仮寓所にお住まいでしたが、この建物は9億8千万円かけて新築されたものです。宮邸の改修費とあわせて40億円以上ということになります。いっぽう天皇ご一家のお住まいの御所の改修費は約8億7千万円でした。そのため“皇嗣家の新生活にまつわる費用とはいえ高すぎるのではないか”という声は宮内庁内でも上がっていたのです」今回、改修工事が遅れた理由について宮内庁は3つの理由を挙げている。1.新型コロナの影響で2カ月ほど工事が中断されたこと、2.密を避けるために作業員の数を減らし、作業が遅れたこと、3.世界的な物流の混乱により、建築資材などが調達できなかったこと、だ。「工期延長が決定したころ、工事関係者たちは“より人件費がかさみ、予算をオーバーしてしまうのではないか”という危惧を抱いていました。しかし、それから半年、関係者たちは“予算オーバーはもう決定的。超過してしまった分をどう処理すればよいのか”と、不安を吐露するようになっていたのです」(前出・皇室担当記者)工期延長にはコロナ禍以外の理由もあった。それは秋篠宮ご夫妻の度重なる“追加注文”だという。宮内庁関係者が次のように明かす。「秋篠宮ご夫妻は今回の改修工事に、強い意気込みをお持ちでした。お二人で工事現場に何度もいらっしゃり、進捗状況も逐次確認されていたのです。悠仁さまの16歳のお誕生日には、秋篠宮ご一家が2種類の稲を栽培されていることが公表されましたが、その水田には改修工事で出た赤土を利用しているそうです。ご夫妻が工事現場で思いつかれたのでしょう」■標準の建物よりもトイレが多数設けられた改修工事関係者たちを戦々恐々とさせていたのは、秋篠宮ご夫妻の、ときには“予算無視”ともいえる思いつきだったという。「“もっと金(きん)を使用してほしい”という注文があり、関係者たちを驚かせていました。さらに彼らに不満を抱かせたのが、国産の資材で間に合うものでも、海外からの資材調達を求める指示があったことでした。具体的な例でいえば大理石については、“イタリア産が好ましい”という要望があったそうです」(前出・宮内庁関係者)イタリアは大理石の名産地として世界的に有名だ。大型施設の建設工事にも詳しい建築士によれば、「連日、食品の値上がりが報じられていますが、資材の高騰は建築業者たちを苦しめています。現場の業者たちは、施工主たちに、納期や価格がある程度予想できる“国産資材”を提案するわけですが、施工主たちがあくまでもブランド感のある海外産を希望するケースも多いのです」秋篠宮家に近い人物はこう語る。「これまでも秋篠宮ご夫妻の“アイデア”に、皇嗣職の職員たちが振り回されることは多く、それが改修工事にも影響した面はあるかもしれません。ただ、紀子さまは裏紙をメモ用紙として利用されたりなど、ご倹約家です。今回の改修工事でも、建築材料の新規調達をやめて既存のものを再利用したり、新規調達する場合も特注をやめて既製品に変更したりなどの工夫を凝らしたとも宮内庁は説明しています。しかし、秋篠宮邸は海外要人の接遇にも使用される“公室部分”があります。ご夫妻は“賓客に不快な思いを与えたくない”という使命感から、そうしたスペースの内装には費用をかけられたのでしょう。一般的な基準よりトイレがかなり多く設置されたそうですが、それもお気遣いの一環なのだと思います」■“高額すぎる改修工事”という批判にナーバスに9月30日に明らかにされた工費は全体で約34億6千600万円。建物で約26億円、庭園工事や赤坂東邸との連結工事などを含めると、その額になるという。ちなみに、建物のみの費用約26億円については、2年半前には約25億円で大手ゼネコンが落札したことが公示されている。前出の宮内庁関係者は、「宮内庁管理部は“秋篠宮さまは必要最小限の予算で改修するべきとお考えだった”と、あえて説明しています。秋篠宮ご夫妻が“改修費が高額すぎる”という批判に対してナーバスになられていたことが伝わってきます。結果的には当初の報道より約1.7億円オーバーしたということになりました。しかし改修工事関係者たちは『かなりの額を、自分たちが負担するしかない』とも漏らしていたのです。34億6千600万円という数字は、工事会社との折衝を経て公表されることになったものなのでしょう。宮内庁管理部は今回の発表で、3カ年で計上した予算を35億円としています。“工費は、あくまでも予算内におさまった”という点を強調したかったのでしょう。しかし、『いつのまに33億円から35億円に予算が増えていたのか?』と、首をかしげる職員もいました」秋篠宮ご一家のお引っ越しは来年3月までに完了するという。こだわりの新宮邸での、国際親善のご成果は――。
2022年10月04日薬局兼コンビニエンスストアから出てきたのは小室眞子さんだった。右肩にかけたエコバッグは商品で膨らんでおり、左手には最近お気に入りだというベーカリーの紙袋を提げていた。彼女のそんな姿を映した動画がYouTubeにアップされたのは9月上旬のこと。眞子さんの表情がどこか物憂げだったのは、NYにも秋の気配が近づいてきたためばかりではないようだ。昨年以来、小室夫妻を取材し続けているNY在住の日本人ジャーナリストは語る。「小室圭さんの3度目の司法試験の結果が10月下旬に判明します。私が取材した日本総領事館関係者によれば、眞子さんは試験結果が出ることが、憂鬱なのだとか。3度目も落ちてしまったらと想像すると心配なのでしょうが、実は合格したら合格したで、悩みごとが増えるのだそうです」なんと小室さんの成功を手放しで喜ぶことができない事情があるというのだ。ジャーナリストはこう続ける。「小室さんが合格すれば、今後の収入も増え、ビザについても当分は心配がなくなります。しかし義母・佳代さんの渡米計画が再浮上することになり、それが眞子さんの頭痛のタネになっていると聞きました。もともとアメリカでの生活を切望していたのは佳代さんだったからです。“実母の紀子さまよりも佳代さんを慕っている”とも報じられていましたが、現在の嫁姑関係は完全に冷え切っているというのです」小室夫妻がアメリカに移住してから11月で1年となる。皇室担当記者によれば、「佳代さんは、経済的に余裕はなかったにもかかわらず、圭さんをインターナショナルスクールに進学させており、昔から“海外志向”が強かったのです」実際、小室さんは新居探しを日系の現地不動産業者に依頼するいっぽうで、母親の家探しもしていたようだ。「私が昨年秋に取材した不動産関係者は、“(小室氏の)母親はNYの郊外に住むことになりそうだ”と、証言していました。マンハッタンからほど近いニュージャージー州にある物件を想定していたそうです。のちに聞いたことですが、小室さんは佳代さんと同居することを考えていたようです。しかし眞子さんが猛反対していたのだとか」(前出・NY在住のジャーナリスト)結局、小室さんの司法試験不合格により、佳代さんの“後追い渡米計画”は一時頓挫することに。■眞子さんは結婚後も佳代さんと会おうとせずに渡米それにしても、なぜ眞子さんと佳代さんの間に亀裂が生じたのだろうか?秋篠宮家に近い人物はこう語る。「秋篠宮家を小室圭さんと佳代さんが訪問し、“両家会談”が行われたのは、’18年6月のことでした。明らかになった金銭トラブルについて対応策を話し合うためでしたが、実はこれ以降は、佳代さんと眞子さんが直接対面したという情報はありません。そして私が“不穏な情報”を耳にしたのは’20年12月ごろのことです」’20年11月20日の記者会見で、秋篠宮さまは「(結婚について)決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています」とご発言、破談の可能性も取りざたされた。「佳代さんとしては、アメリカ留学中の息子のために、自分が何か行動しなければと考えたのでしょうか。宮内庁を通じて秋篠宮家に強く働きかけたと聞いています。内容は“婚約内定会見までしたのだから、結婚を認めてほしい。もしそれができないのであれば、それなりの対応をしてほしい”というものだったそうです。破談にするのであれば補償を、ともとれますが、佳代さんのそうした言動に眞子さんも困惑したそうです」(前出・秋篠宮家に近い人物)また宮内庁関係者も、「そのころ、私も佳代さんが、秋篠宮家に金銭的な協力を依頼したという話は聞いていました」さらに眞子さんが佳代さんへの不信感を強めた出来事があった。「’21年6月、『週刊文春WOMAN2021夏号』に佳代さんの肉声が掲載されたことです。《お相手の方が息子のことを信じて、愛してくださっていることに》など、まるで眞子さんの気持ちを代弁しているような内容でした。それだけでも前代未聞ですが、自分の置かれている苦境について、《いつ死んでもいいと思うこともありました。明日死のう、と。今だってそう思うことはあります》などと語っています。この言葉は、結婚に消極的な秋篠宮ご夫妻への脅迫ともとられかねないものでした。眞子さんも、雑誌記者への告白を背信行為だと感じたのでしょう。結婚後も、眞子さんは佳代さんに会おうとしないまま、渡米してしまいました」(前出・秋篠宮家に近い人物)会わなかっただけではなく、この1年半ほどは眞子さんから佳代さんへ連絡することもなくなっているという。「取り残された佳代さんは小室さんに、さかんに日本での生活についての不安を訴えているそうですが、眞子さんは佳代さんの米国移住には、拒絶反応を強めていると聞いています」(前出・NY在住ジャーナリスト)太平洋を隔てた嫁姑問題。“弁護士の卵”小室さんは、見事解決することができるのか。
2022年09月13日関東大震災から99年を迎えた9月1日、秋篠宮ご夫妻は墨田区の東京都慰霊堂で営まれた「秋季慰霊大法要」にご出席。秋篠宮さま、紀子さまが続いて焼香し、震災と東京大空襲の犠牲者を静かに悼まれた。コロナ禍のため3年ぶりに皇族の列席となったが、’19 年には佳子さまがおひとりで出席されているため、秋篠宮ご夫妻のお出ましは4年ぶりとなった。この日のご様子からも感じられたことだが、紀子さまは最近、優しい表情をお見せだ。9月11日には56歳の誕生日をお迎えになる。眞子さんの結婚騒動で、紀子さまのご感想が注目されていた1年前と比べると、ご心中もかなり落ち着かれていることだろう。今年の秋篠宮家の秋は、穏やかなものとなりそうだ。
2022年09月10日8月7日、長野市・戸隠高原で開かれたガールスカウトのキャンプに出席された秋篠宮家の次女・佳子さま。夜には参加者らとキャンプファイアを囲まれるなど、交流を深められた。精力的にご公務に励まれる佳子さまだが、プライベートでも変化があったようだ。本誌は7月6日、佳子さまが“厳戒外出”される姿をキャッチした。東京都の北西部にある静かな住宅街で、皇宮警察の女性側衛官が警戒を続ける姿があった。そして、住宅街にあるデンタルクリニックの駐車場に、佳子さまがおもにプライベートで使用されている白いワンボックスカーが止まっていた。佳子さまがクリニックに到着したのは18時30分ごろ。3階建てで、1階部分は診療スペース、2階、3階は院長一家の居住スペースとなっている。佳子さまは21時まで滞在され、クリニック用の玄関ではなく、居住用の玄関から出てこられた。そして、院長夫妻に見送られながら、佳子さまは満面の笑みでワンボックスカーに乗り込まれたのだった。佳子さまがお忍びで会いに行かれたお相手とはーー。本誌が取材を続けると、院長は地域でも評判の高いデンタルクリニックの3代目で、2人の息子もクリニックの歯科医として名を連ねていることがわかった。この一家は秋篠宮家ともゆかりがあり、一家4人全員が学習院出身者。院長夫妻は紀子さまの同級生にあたり、長男と次男も初等科から高等科まで学習院で学んだという。子供が初等科時代に、佳子さまと同級生だった女性はこう語る。「長男のAさんは、初等科時代から高等科まで成績優秀なお子さんでした。初等科6年のうち、佳子さまとAさんは4年間同じクラスだったと思います。お母さま同士のご縁もあり、人柄のいいAさんは同窓会の幹事を務めることになりました。そのため、Aさんが佳子さまと連絡を取り合う機会も多かったようです」Aさんは学習院高等科を卒業後、有名私立大学の歯学部を卒業。現在は別の大学の歯学部に入局し、治療技術を磨きながら、家業を手伝っているという。■眞子さんの公務を次々と引き継がれ……新型コロナの猛威によって皇族方の私的外出も減っているなか、お忍びでAさんの実家を訪問された佳子さま。多忙なご公務の合間に、束の間のやすらぎの時間を過ごされていたのだろうか。昨年10月に姉の眞子さんが小室圭さんと結婚して以降、佳子さまはご公務に積極的に取り組まれている。眞子さんがニューヨークへ飛び立った直後の昨年11年22日、佳子さまは「みどりの『わ』交流のつどい」にオンラインで参加された。前回までは眞子さんが出席しており、佳子さまは眞子さんが着用していた緑色のスーツで臨まれた。「眞子さんの結婚に伴い、佳子さまは昨年10月に日本テニス協会の名誉総裁を引き継がれました。今年6月にも公益社団法人『日本工芸会』の総裁に就任されるなど、眞子さんが務めた公務を次々と継承されています」(皇室担当記者)そんな佳子さまは、眞子さんとは仲良しの姉妹だった。’14年12月の成人を迎えるにあたっての記者会見では、「姉は、何でも話すことのできる頼りになる存在です。姉と過ごす時間は非常に楽しいので、よく姉の部屋で過ごしております」と述べられていた。それから3年後の’17年9月、眞子さんと小室さんの婚約内定が発表された。だが同年12月、一部週刊誌によって小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルが報じられた。「宮内庁は’18年2月に結婚関連行事の延期を発表し、同年8月には小室さんが留学のためニューヨークへ渡米しました。佳代さんとその元婚約者との間に生じた金銭トラブルは、解決しないまま月日が流れ、小室さんも帰国することはありませんでした。そのため、眞子さんと小室さんの結婚に対して、世間から強い反発が生じたのです」(前出・皇室担当記者)■「姉は、これまでもこれからも、自分にとってとても大切な存在です」それでも、佳子さまは眞子さんの“よき理解者”であり続けた。’19年3月、大学を卒業される際に公表した文書では、眞子さんの結婚延期についてこう回答された。「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」そして、眞子さんと小室さんの結婚会見が行われた昨年10月26日。当日の午前10時過ぎ、秋篠宮邸を出発する際に眞子さんは秋篠宮さまと紀子さまに挨拶。それから姉妹で一礼し合うと、佳子さまは両手を広げて眞子さまを力強くハグされたのだ。佳子さまは同日、眞子さんへの祝福コメントを発表され、《姉は、これまでもこれからも、自分にとってとても大切な存在です。一緒に楽しい時間を過ごせましたし、姉がいてくれたおかげで救われた気持ちになったことが多くありました》と綴られていた。現在は皇室を離れ、ニューヨークで小室さんとの新婚生活を送る眞子さん。その“自由”を誰よりも応援してこられた佳子さまがこれから進まれる道はーー。
2022年08月09日6月23日、5本の指を絡ませた恋人つなぎで、ニューヨークのミッドタウンを歩く小室眞子さんと圭さん夫妻を本誌はキャッチした。この日の眞子さんは愛用のモスグリーンのロングスカートに黒いトップス&カーディガンの定番スタイル。小室さんはサックスブルーのシャツに黒いスーツ姿だった。共に髪を後ろで結んだ2人は地元で有名なベーカリーで好みのパンを選んだ後、眞子さんは御用達の高級スーパーでお買い物、圭さんは職場に向かったようだ。7月下旬には圭さんの3度目の司法試験があるのだが、この日のラブラブな姿からは、緊張感よりも、あるがままで過ごす余裕が感じられた。
2022年07月09日6月14日、秋篠宮家の次女・佳子さまが公益社団法人日本工芸会の総裁に就任された。日本工芸会の総裁は、姉の眞子さんが’16年から務めていた。眞子さんは小室圭さんと結婚会見を開いた昨年10月26日をもって、日本工芸会の総裁及び日本テニス協会の名誉総裁を退任した。小室さんとの結婚を機に眞子さんが皇籍を離脱したことに伴い、佳子さまは日本テニス協会の名誉総裁を引き継がれたが、日本工芸会の総裁は眞子さんの退任後は空席となっていた。今回、佳子さまが就任された経緯について、皇室担当記者が言う。「’17年に眞子さんが日本工芸会から作品や技術の説明を受けた際、佳子さまも同席されていました。そのような縁もあり、同会は宮内庁を通じて佳子さまに総裁就任のお願いをしたようです。佳子さまが団体の総裁となられるのは、今回が初めてです。就任に伴って、毎年9月に行われる日本伝統工芸展での総裁賞の選定や、授賞式に出席されることとなります。佳子さまも伝統工芸に関心がおありのようで、今後の活動に期待が寄せられています」佳子さまが眞子さんから引き継がれた公務はこれだけではない。佳子さまは昨年11月、前回まで眞子さんが出席してきた「第4回 みどりの『わ』交流のつどい」にオンラインで参加され、こうビデオメッセージを寄せられた。「みどりは多様な生き物のすみかであるとともに、地球温暖化や自然災害の防止に寄与しています。また、日々の暮らしに潤いを与えてくれる大事な存在です」佳子さまはこの日、眞子さんが前回の表彰式で着用していた洋服をお召しになられていた。「第1回目から出席してきた眞子さんの話を参考に、佳子さまはお言葉を考えられたそうです。ご公務での活躍が目立つ佳子さまですが、昨年5月からは『全日本ろうあ連盟』の非常勤嘱託職員として働かれています。社会人となられた佳子さまが眞子さんの公務を次々と引き継がれるお姿には、“姉の思いを受け継ぐ”という思いものあるのではないでしょうか。眞子さんは大学卒業に際して、公務について《声をかけて下さる方々に少しでも良かったと思って頂けるよう、可能な限り力を尽くすことが出来ればと思っております》と述べていました。その言葉の通り、卒業後は博物館に週3日勤務しながら公務にも励んでいました。そのような真摯な眞子さんの姿勢に、佳子さまは影響を受けられたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)小室夫妻の結婚当日の朝、宮廷の玄関先で眞子さんを笑顔でハグされた佳子さま。さらに、《姉は、これまでもこれからも、自分にとってとても大切な存在です。一緒に楽しい時間を過ごせましたし、姉がいてくれたおかげで救われた気持ちになったことが多くありました》とのコメントも発表されていた。愛する姉の意志を受け継ぎ、佳子さまは皇族としての責務を全うされようとしている。
2022年06月15日5月11日、皇嗣である秋篠宮さまの肉声が収められた書籍『秋篠宮』(小学館)が刊行された。著者は元毎日新聞記者の江森敬治氏。秋篠宮ご夫妻とは31年以上も交流があるという。江森氏は’17年6月から’22年1月まで、37回も秋篠宮さまのもとに通い、インタビューを敢行していた。眞子さんと小室圭さんの結婚問題の経緯も、秋篠宮さまのお言葉を交えて詳しく語られている。一方、本を読んだ宮内庁関係者は、気になることがあったと語る。「結婚問題について、小室さんへの厳しい言葉が掲載された一方、眞子さんに対しては苦言めいた言葉はいっさいないのです。秋篠宮さまと眞子さんの関係は、いまだに冷え込んだままのようですから、親子を引き離した小室さんへの“恨み節”のようにも感じられました」当初、小室さんの収入面の不安などが報じられても、秋篠宮さまは「反対する理由はありません」ときっぱりお答えになっていたという。しかし、およそ半年後に事態は急転。小室さんの母・佳代さんと元婚約者との間に、約400万円の金銭トラブルがあると報じられたのだ。報道から2カ月後の’18年2月、結婚の延期が決まった。秋篠宮さまは小室さんに何度も、金銭トラブルについて国民への説明を求められたというが、無視されたという。そして、小室さんは3年間の米国留学を決めてしまう。このころ秋篠宮さまは江森氏に「どうするのだろうと思って……」とつぶやき、困惑を隠さなかったという。いまや“娘の夫”となった小室さんへの怒りを隠さずに伝えた『秋篠宮』だが、前出の宮内庁関係者は、こう指摘する。「小室さんは独断で、説明拒否や突然の留学といった行動をとったわけではなかったのです。眞子さんの指示があったはずなのに、その点には触れられていません」眞子さんは’21年10月の結婚会見で次のように述べていた。「圭さんのお母様の元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました。圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作ってほしいと私がお願いしました」つまり、小室さんが金銭トラブルについて説明しないまま渡米したことも、眞子さんのお願いに沿った行動だったのだ。「秋篠宮さまの要望、そして国民感情を無視した小室さんの行動には、眞子さんが少なからず関わっていたのです。しかし、眞子さんに疑問を投げかけ、批判するような言葉は『秋篠宮』には掲載されていません。秋篠宮さまは、眞子さんの気持ちが冷め、小室さんから離れることをいまだに期待されているのではないでしょうか。アメリカの眞子さんに“目を覚ましなさい”と呼びかけられているかのようです」(前出・宮内庁関係者)離れ離れになった愛娘への未練がにじむ、異例の“肉声本”。眞子さんがそのページをめくることはあるのだろうか。
2022年05月19日5月11日、関係者の注目を集める1冊の本が出版された。タイトルはずばり『秋篠宮』。皇嗣である秋篠宮さまの肉声が収められた書籍だ。著者は元毎日新聞記者の江森敬治氏。秋篠宮ご夫妻とは31年以上も交流があるという。宮内庁関係者は、今回の出版は異例なことだと語る。「秋篠宮さまは、皇太子と同等の皇嗣という重い立場にある方です。これほどの立場の方の肉声が本になるのは極めて異例のことです。出版は江森氏の独断ということはなく、秋篠宮さまのご意向をくんだものとみていいでしょう」江森氏は’17年6月から’22年1月まで、37回も秋篠宮さまのもとに通い、インタビューを敢行していた。眞子さんと小室圭さんの結婚問題の経緯も、秋篠宮さまのお言葉を交えて詳しく語られている。皇室とメディアに詳しい名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは、出版の意図をこう推察する。「おそらく、世間にあふれているイメージに対して、自分自身はどういう思いを抱いているのか伝えたかったのではないかと思います。この本を読むと、秋篠宮は一貫して結婚を認めつつも、小室さんに対して説明を求めています。しかし、思うようには展開していかず、秋篠宮の苦悩が見て取れます。自分の考え、そして結婚問題の背景にある象徴天皇制自体が抱えるさまざまな問題を、国民に考えてほしいという思いがあったのではないでしょうか」掲載された江森氏によるインタビューは、眞子さんの婚約内定報道の翌月から始まる。当初から、お相手の小室圭さんに対する世間の反応は好意的なものばかりではなかった。弁護士事務所でパラリーガルとして働いていた小室さんの年収は、300万円程度ではないかと推測されていた。しかし秋篠宮さまは「いまのお仕事が定職ですよ」「パラリーガルのままでもいいですよ」とお答えになり、まったく問題にされなかったという。江森氏が、今回の結婚に反対されたことはないかと尋ねても、秋篠宮さまは「反対する理由はありません」と、きっぱりお答えになったそうだ。’17年11月の誕生日会見でも、秋篠宮さまは小室さんについて「非常に真面目な人だというのが第一印象でした。そして、その後も何度も会っておりますけれども、その印象は、変わっておりません。また、娘のこと、娘の立場もよく理解してくれていると思います」と、べた褒めされている。小室さん本人の人柄を信頼しきっていらっしゃったのだ。しかし、事態は急転。小室さんの母・佳代さんと元婚約者との間に、約400万円の金銭トラブルがあると報じられたのだ。報道から2カ月後の’18年2月、結婚の延期が決まった。秋篠宮さまは小室さんに何度も、金銭トラブルについて国民への説明を求められたというが、無視されたという。そして、小室さんは3年間の米国留学を決めてしまう。このころ秋篠宮さまは江森氏に「どうするのだろうと思って……」と、つぶやかれたという。また、秋篠宮さまは結婚延期が長引くことで、小室親子への厳重な警護が続くことも懸念された。警備費用の原資は国民の税金であり、小室さんに警備のありようについて検討するように伝えたというが、反応は鈍かったという。「この本で経緯を振り返ると、当初は結婚に賛成していた秋篠宮さまが、金銭トラブル報道を機に、小室さんに対して非常に厳しい姿勢に転じたことがわかります。とくに強調されているのは、小室さんが秋篠宮さまのご要望を拒否し続けていたことです。秋篠宮さまは、自分はできる限りのことをしたのだと訴えたいのかもしれません」(皇室担当記者)
2022年05月19日「私は眞子さんを愛しております。一度きりの人生を、愛する人と共に過ごしたいと思っています」昨年10月26日に、秋篠宮家の長女・眞子さんと結婚会見に臨んだ小室圭さん。眞子さんの発言の後、小室さんは開口一番に眞子さんへの気持ちをストレートに語った。眞子さんも、「私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」と強い意思を述べていた。そんな小室夫妻が新しい門出を迎えてから、半年が経った。NYでの新婚生活は波乱の幕開けだった。小室さんは米・ニューヨークの法律事務所で法務助手として働きながら、昨年7月に同州の司法試験を受験。その結果が結婚会見から3日後の10月29日に発表され、合格者一覧には小室さんの名前がなかったのだ。合否発表の直前には、ニューヨークの弁護士会が学生を対象に募集した論文コンペで優勝したことも報じられた小室さん。当時、NHKによると、小室さんはかつて勤務していた弁護士事務所の所長である奥野善彦弁護士に、電話で不合格だったことを報告。4カ月後の試験に再挑戦する意向を伝えたと報じられた。奥野氏は眞子さんとも話したといい、小室さんの勉学を支える意思を示していたという。本誌は小室さんが渡米する直前、小室さんの代理人・上芝直史弁護士を取材。小室さんの再受験について、上芝氏は次のように話していた。「渡米後は来年2月に行われるニューヨーク州の司法試験での合格を目指し頑張るしかありません。仕事をしながらの勉強で大変だとは思いますが、前回合格しなかったのは学力の問題ではないので、体調を万全に整えて臨むことになると思います」■「学力の問題ではない」も合格点まで5点足りずそれからほどなくして、昨年11月14日に羽田空港からニューヨークへと旅立った小室夫妻。仲睦まじくニューヨークの街並みを歩く2人の姿は、海外メディアにもキャッチされた。一方で、小室さんは法律事務所で勤務する傍ら、2度目の司法試験に向けて準備を進めてきた。仕事と勉強の両立はハードだったのだろうか、今年2月下旬に司法試験会場で目撃された小室さんは、髪はボサボサ、肌は不健康そうで、体もふっくらしていた。ところが、4月14日に発表された司法試験の合格者一覧には、またもや小室さんの名前はなかった――。小室さんは1度目の受験時と同じように、奥野氏に電話で不合格を報告したとNHKは報じている。合格点まであと5点足りなかったといい、今年7月に3度目の受験に挑む意思を伝えたという。一方で、現在務めている法律事務所での勤務状況について、小室さんは「夜遅くまで働いています」とも明かしていたという。合否発表から5日後の4月19日には、出勤のため法律事務所に向かう姿が目撃された小室さん。試験から2カ月が経ち、髪の毛はきちんとセットされ、体もスリムに。そんな小室さんは撮影で身構えるカメラマンを横目で捉えると、笑みを浮かべる姿もキャッチされている。小室さんは結婚会見で、「これからも出来る限りのことをして、眞子さんをお支えしていきたい」とも語っていた。愛妻のために、“3度目の正直”を目指す。
2022年05月07日「秋篠宮殿下のご参拝がずっと延び延びになっていて、心苦しく思っていました。ようやくご参拝が実現して安心しました」そう安堵した様子で話したのは、伊勢神宮関係者。4月21日、秋篠宮ご夫妻は伊勢神宮の外宮と内宮を参拝された。今回のご訪問は、’20年11月に秋篠宮さまが立皇嗣の礼を終えられ、皇嗣となられたことを奉告されるためだった。当初は’21年4月に参拝されるご予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で同年9月に延期、その後さらに延期されていた。秋篠宮ご夫妻の神宮への到着をお迎えに来ていた70代の女性は「秋篠宮さまの伊勢神宮ご参拝は大切なことと思っていましたが、コロナ禍でなかなか叶いませんでした。でもこのご参拝で、秋篠宮ご夫妻も心落ち着かれると思います」と話していた。今回の伊勢神宮ご参拝については、伊勢市の地元の人たちにも参拝の日時は知らされていなかった。偶然にも秋篠宮ご夫妻を沿道で迎えることができた60代の男性は、明るい表情でこう話した。「毎月一度、神宮にお参りに来るのですが、今日は秋篠宮ご夫妻をお迎えすることができてよかったです。両殿下のお姿が拝見できたのも、何かのご縁とありがたく思います。秋篠宮さまも、コロナ禍でなかなか参拝できなかったことはお心苦しかったのではないでしょうか。ようやく参拝ができたことで、いろいろと安心されると思います」参拝は、秋篠宮さまの妹で伊勢神宮祭主を務める黒田清子さんの奉仕により執り行われた。両殿下は、お祓い、お塩でのお清め、御手水をお受けになって、四重の垣根がある正宮の門の3つを通り最後の瑞垣南御門の前まで進まれ、両殿下が並んで拝礼、玉串をささげられた。その玉串を両殿下から大宮司を介して清子さんが受け取り、瑞垣南御門の内側の正殿の案上に納められた。その後、瑞垣南御門の外にいる両殿下に向かい、清子さんが無言で一礼され、無事にお供えされたことを伝えた。おかえりの際は、紀子さまが御手水を受けられ、その間、殿下は待っていらしたという。雨が止み、厳かな雰囲気の中でのご参拝。秋篠宮さま、紀子さまともに終始厳しいご表情をされていた。実は、秋篠宮ご夫妻のご参拝時、“奇跡”ともいうべき出来事があったという。「秋篠宮ご夫妻が外宮のご参拝を終えられたころから雨が降り始め、お車で内宮に入られたあとは、非常に激しい雨になっていました。それが内宮のご参拝が近づくと小雨になり、予定時間の直前に雨が止んだのです。ご夫妻が内宮の斎館から長い参道を歩かれて正宮に参拝される間だけちょうど雨が止み、傘をさされずに参拝されました。本当に不思議な天候でした」(皇室担当記者)ご参拝時、秋篠宮さまはモーニングコート、紀子さまはロングドレスのご参拝服をお召しだったが、紀子さまのドレスの裾が濡れた玉砂利に触れて濡れるくらいで済んだのだ。伊勢神宮の取材を長年続けていて、皇室の参拝にも詳しい文筆家、皇學館大学講師の千種清美さんはこう話した。「外宮、内宮と参拝された秋篠宮殿下はいつになく真剣な厳しいご表情をなさっていました。16回目ということですが、これまでのご参拝とは全く違う秋篠宮殿下の雰囲気だったと思います。皇嗣というお立場になられたことを意識されていたのだと思います。外宮のご参拝の後に雨が降り出し、激しく降っていた雨が殿下の内宮ご参拝の時だけ上がりました。取材陣からも『皇室マジックだ、すごい』という声が出ていましたが、それは秋篠宮殿下ご本人も強く感じられたと思います。さあ、お参りに来なさいというように神様から招かれているように感じられたのではないでしょうか」秋篠宮ご夫妻は伊勢の神宮のあと、4月22日に奈良の神武天皇陵、京都の孝明天皇、明治天皇陵を参拝され帰京。4月26日に東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れ昭和天皇、大正天皇など各陵を参拝された。これで天皇陛下のご即位の関連行事がすべて終了した。
2022年05月04日《本当のところは敬宮様の初会見から少しでも注目をそらすためにわざと同じ日にぶつけたのでしょう》《秋篠宮家のお子さんのイレギュラーな高校進学が批判を浴びているからそれが目立たないように愛子さまの会見をかぶせたのかな?》インターネット上でもさまざまな臆測が噴出した“日程かぶり”問題。愛子さまの初会見と悠仁さまの中学校の卒業式が3月17日に重なってしまったのだ。1週間後の3月24日の定例記者会見で、宮内庁の西村泰彦長官は次のように説明した。「3月に愛子さまの会見を調整しているのを聞いた段階で、悠仁さまの卒業式に思いを致すべきだったにもかかわらず、それが頭に思い浮かばす、調整できなかった。できれば別の日がよかった……」長官は「私のミス」と釈明したが、《単なるミスなんて、とても信じられない》という意見も多く、人々の疑問を解消するにはいたらなかった。宮内庁関係者も、この“スケジュール調整大失敗”には、深刻な問題が隠されていると指摘する。「天皇家にお仕えする侍従職と、秋篠宮家にお仕えする皇嗣職との間で連絡がきちんととれていなかったことが露呈したのです。まず悠仁さまの卒業式は、お茶の水女子大学附属中学校の年間スケジュールとして1年前から決まっていたことでした。愛子さまの会見は、学習院大学での学業に支障が出ないように、3月に開催する方針が昨年11月には発表されていましたが、その段階で皇嗣職が『悠仁さまの卒業式は3月17日です』と、連絡をしていれば、こんな事態にはならなかったのです。侍従職も、愛子さまの会見スケジュールを固めた時点で皇嗣職へ連絡していれば、日程がかぶっていることが判明したでしょう。それをしないまま発表したために、会見の日取りを変更することができなくなってしまったのです。平成の御代であればありえなかったことであり、単純に“宮内庁職員の劣化”として片づけられることではないと思います」■宮内庁長官“私のミス”発言の真意とはなぜ西村長官は、あえて“私のミス”という言葉を使ったのだろうか?皇室ジャーナリストは次のように語る。「“私のミス”と断言することで、“両陛下と秋篠宮ご夫妻の責任ではない”ということをアピールする意図があったのだと思われます。今回の騒動で明らかになったのは侍従職と皇嗣職の連携がまったくとれていないという事実ですが、同時に天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻の密接なコミュニケーションがないということも判明してしまいました。最近の天皇家と秋篠宮家の“丸かぶり”は日程問題ばかりではありません。2月23日は天皇陛下のお誕生日で、宮中で祝賀行事が行われました。その際、雅子さまは紺色のドレスをお召しだったのですが、紀子さまのドレスも紺色で、かぶってしまったのです」園遊会や一般参賀、宮中での行事など、女性皇族が一堂に会する場では、格上の皇族から着物やドレスの色合いや柄を決めていく。「もちろん最初に決めるのは皇后さまです。色や柄が同じにならないように、側に仕える人たちがお伺いをたてて、順番に決めていくのが宮中の慣習で、祝賀行事の“色かぶり”について一部週刊誌は“前代未聞”とも報じています」(前出・皇室ジャーナリスト)前出の宮内庁関係者は、度重なる異変の原因の1つに天皇陛下と秋篠宮さまの距離が広がっていることがあると考えているという。「’12年から’19年までの7年間、上皇さまと天皇陛下、そして秋篠宮さまが月に1回ほどのペースで、御所で会談をされていました。もともとは美智子さまのご発案で、宮内庁長官も立ち会って、重要な案件について意見交換を重ねていらしたのです。ただこの“頂上会談”も、御代替わり以降は行われていません。天皇陛下と秋篠宮さまがコミュニケーションをはかられるために大変貴重な場だったのですが……。さらにコロナ禍のために、お誕生日やご成婚記念日などのお祝いの食事会もなくなっています。ご挨拶程度ならともかく、お二人が顔を合わせて、話し合われる機会が、ほぼまったくない期間が続いているのです。天皇陛下と秋篠宮さまの深刻なコミュニケーション不足も、侍従職と皇嗣職の連携不足の一因となっていると思われます」最近はオンラインでのご公務も増えている。コロナ感染を防ぐためというのならば、オンラインでの頂上会談はできないのだろうか。だが前出の皇室ジャーナリストはこう語る。「宮中は慣例が重要視されており、天皇陛下と秋篠宮さまのどちらかが強く提案しない限り、オンライン会談のような新しい試みは実現しません。この4年ほど、秋篠宮家は長女・眞子さんの結婚問題で揺れ続けていました。しかし皇室全体を揺るがす大きな問題となっても、“秋篠宮家の問題だから”と、秋篠宮さまは陛下に頼られることはなかったのです。秋篠宮さまは、人に相談することを好まれないともいわれています。そんなご姿勢が、天皇陛下との距離を広げてしまったように思われるのですが……」5月1日で新しい御代になって丸3年となる。皇室の将来を担う愛子さまと悠仁さまのためにも、宮中の亀裂がこれ以上広がらないことを祈りたい。
2022年04月06日「たいへん光栄なこと。できる限りの方策を立てて安全・安心を確保したい」秋篠宮家の長男・悠仁さまが筑波大学附属高等学校(筑附高)に合格されたことについて、同大の永田恭介学長は2月24日の会見で歓迎の言葉を述べた。悠仁さまはお茶の水女子と筑波、両大学の附属校の間で’17年にスタートした「提携校進学制度」を利用されたという。悠仁さまのために作られた制度ではないかとの指摘に、永田学長は「その見方は当たらない」と否定した。だが、皇室担当記者は首をかしげる。「悠仁さまがお茶の水女子大学附属幼稚園に入園されたのも、女性研究者を支援する『特別入学制度』によるものでした。この制度の“適用第1号”で入園されたのが悠仁さまだったのです。悠仁さまの進学に伴って“特別な制度”の新設が2度も繰り返されたわけで、疑念が生じるのも致し方ありません。皇嗣職大夫の会見でも、記者から『特別扱いでは』との質問が相次いだのです」なぜ紀子さまは“皇室特権”との批判を顧みず筑附高への進学を推し進めたのか。「紀子さま自身の学歴コンプレックスがあるのでは」と語るのは皇室ジャーナリスト。「ハーバード大、東大で学ばれた雅子さまと比べると、見劣りするという思いがあったのでしょう。紀子さまは、’13年にはお茶の水女子大で博士号も取得されています。筑附高は’21年度は29人が東大に合格した、都内有数の進学校。悠仁さまにも東大を目指してほしいというお気持ちが紀子さまにはあるのでしょう」だが、こうした秋篠宮家の価値観は、皇室に亀裂を生じさせつつあるという。天皇陛下は2月23日の誕生日に際して開かれた会見で、眞子さんと小室圭さんの結婚について次のように語られた。「今後、幸せな人生を歩んでいってほしいと思いますが、同時に、この間、多くの方に心配をお掛けすることになったことを心苦しく思っています」■天皇陛下から“異例の苦言”がめいである眞子さんの慶事について“心苦しい”と語られた陛下。宮内庁関係者は「“苦言”ともとれる異例のご発言だった」と語る。「あえて『心苦しい』と語られたのは、眞子さんの国民に対する姿勢が決して好ましいものではなかったと、陛下もお考えになっているからでしょう」陛下は続けて「国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております」と、皇室のあり方について改めてお考えを述べられた。歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「秋篠宮家は、従来とは異なる、より自由な精神による皇族の生き方を模索してきました。眞子さんの結婚や悠仁さまの進学にも、その価値観が反映されています。陛下は会見で、歴代天皇の言葉を紹介し、『徳』『道義』『礼儀』を重んじ、国民に心を寄せることが皇室の役割だと語られましたが、秋篠宮家の現状はそこから逸脱しかけているようにもみえます」“道義”よりも学歴を追い求めるかのような教育方針は、美智子さまのお考えとも相いれないという。「美智子さまは、雅子さまが皇太子妃に決まった際に、喜ばれつつも親しい知人に、ある懸念を表明されていたのです。それは、雅子さまがあまりに優秀で、学歴も立派すぎるために、将来の“お妃選び”が難しくなるのではないかというご心配でした。雅子さまが皇太子妃にふさわしくないということではなく、国民がご結婚相手に求めるハードルが上がりすぎることを危惧されたのです。また同時に、皇族にとって大切なのは優秀さよりも祈る心だというお考えも示されていました。紀子さまは学歴や受賞歴で“優秀さ”を示そうとされているのかもしれませんが、皇族として大切にするべきことが悠仁さまに伝わっているのか、疑問も残ります」(前出・宮内庁関係者)止まらぬ“高学歴志向”への懸念は払拭されるのかーー。
2022年03月04日《一般論として、受験期を迎えている未成年者の進学のことを、臆測に基づいて毎週のように報道するのは、メディアの姿勢としていかがなものか》秋篠宮家の側近幹部である加地隆治・皇嗣職大夫は1月24日、悠仁さまの進学先を巡る報道について、文書で苦言を呈した。現在お茶の水女子大学附属中学校3年生で、この春に高校進学を控える悠仁さま。「最有力と報じられているのが、筑波大学附属高校です。実は、お茶の水女子大学と筑波大学は’17年に『提携校進学制度』を創設しています。両校の附属校の生徒が若干名ずつ、もう一方の附属校に進学できるという制度です。面接や書類審査はありますが、学力テストはなし。しかも5年間限定の制度のため、『悠仁さまのための特別ルートではないか?』という報道が相次いでいたのです」(皇室担当記者)加地大夫は、そうした報道にクギを刺したのだ。「今回の苦言は、21日にあった加地大夫の定例会見の“補足”として出されました。次回の会見を待たずに文書が出るのは異例です。会見でのやりとりについて報告を受けた秋篠宮さまと紀子さまが対応を指示されたのでしょう。秋篠宮ご夫妻が“悠仁さまの進学問題への口出しは許さない”とばかりに報道への反発を強めるのは理解できます。ただ、眞子さんの結婚問題に関してはマスコミを“利用”していたはずですが……」(宮内庁関係者)小室さんがニューヨーク留学に出発した’18年8月には、朝日新聞に「『納采の儀、現状では行えない』秋篠宮ご夫妻、小室さんに」との記事が掲載された。2人の結婚について《皇族として国民から広く祝福される状態にないと考えている》などと、秋篠宮さまが結婚に強く反対されていると印象づける記事だった。さらに同年12月、『AERA』に紀子さまと親交が深い女性記者の署名原稿が掲載される。そこには“親しい友人”が紀子さまから聞いたという言葉が記されている。「船の舵をいきなり90度、切りかえられるものではありません」「でも、どんな小さな船でも自分で進んでいく力を持っていることを信じています」遠回しだが、小室さんとの結婚に突き進む眞子さんに“方向転換”を願うメッセージにも見える。「当時、眞子さんはご両親との会話を拒否していたといいます。そんな“家庭内冷戦”の状況下で、秋篠宮ご夫妻は小室さんとの結婚をどうにか阻止しようと、マスコミを通じてメッセージを発したのでしょう」(前出・皇室担当記者)その秋篠宮ご夫妻が一転して、悠仁さまの進学問題報道には神経を尖らせている。“真逆の対応”といっても過言ではないがーー。
2022年02月04日’18年に延期が発表されて以降、なかなか進展しなかった眞子さんの結婚問題。しかし、国民の納得を得られぬままに儀式のない結婚へと突き進んだ。そんな、急展開の’21年を振り返るーー題して、小室眞子さん&圭さん「騒然の結婚劇」ハイライト10。【4月8日】論文級!4万字で金銭トラブル説明圭さんの母親と元婚約者の金銭トラブルについて、28枚の文書で経緯を説明。国民に受け入れられず、2日後に解決金の支払いを提案する事態に。【9月27日】帰国時のロン毛姿に賛否両論帰国した小室さんの浪人侍風ロン毛に多くの人が驚いた。ニューヨーカーらしいとの声も聞かれたが、入籍当日の髪形が注目された。【10月19日】洋装で“けじめ”の宮中ご参拝十二単で参拝する「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」も行われず、皇居・宮中三殿には洋装で庭上から私的に参拝。結婚を神前で奉告した。【10月23日】誕生日に意味深写真を公開30歳の誕生日写真には、歌会始で詠んだ烏瓜が写っていた。「よき便り」との花言葉から、結婚への気持ちを表していると言われた。【10月26日】まるでアナ雪!感動の姉妹ハグ結婚当日、秋篠宮ご夫妻と佳子さまが眞子さんをお見送り。佳子さまとのハグに「リアル・アナ雪」とネットで感動の声が上がった。【10月26日】質疑応答なし、結婚会見婚姻届の提出後に行った結婚会見。直前になり質疑応答をやめ、回答の一部を読み上げただけで残りは文書回答となった。国民全体が納得し祝福する状況には最後まで至らなかった。【11月6日】愛する祖父とのお別れ結婚直前、体調が急変した紀子さまの父・川嶋辰彦さんが11月4日に他界。家族葬が営まれた。【11月12日】金銭トラブルを解決!母・佳代さんに代わり、元婚約者男性と面会。金銭トラブルの解決金を支払う形で合意した。【11月14日】渡米時はダース・ベイダーTシャツ羽田空港から発つ際、小室圭さんのニットからダース・ベイダーがひょっこり。着ていたTシャツはネット上で高額転売された。【11月25日】誕生日会見で苦言を…圭さんを「娘の夫」「夫の方」と呼ばれた秋篠宮さま。結婚会見の形式についても苦言を呈された。膠着状態から一転、2021年は怒濤の展開だった。
2021年12月30日2021年10月、ご結婚される眞子さんを、佳子さまが抱きしめる姿が“まるでアナ雪”と感動を集めた。今回は、パーソナルカラーや骨格タイプの診断を行う株式会社カラークチュールの高橋利予先生(高ははしごだか)に、そんなお2人の骨格を分析してもらった。「眞子さんは一般的にはウェーブタイプと呼ばれる骨格。私はスイートソフトタイプと呼んでいますが、女性らしいフェミニンな服装がよくお似合いになります。小室圭さんとの結婚会見でお召しだったミントグリーンのワンピースは、眞子さんにとって大正解のファッションです」両肩のあたりからデザインされた、パイピングコードと呼ばれる縁取り。これがいちばんのポイントだとか。「丸みのあるポケットになだらかにつながるようにデザインされたパイピングコードが素敵です。スイートソフトタイプの眞子さまにぴったりの柔らかな雰囲気ですね。さらに、タックが入ったスカートは程よいふんわり感。“ソフトフィット”のラインが会見の場に相応しいきちんと感も演出された着こなしです」また、とくに意識するべきは“首元”だそう。「眞子さんの30歳のお誕生日に公開されたお写真ではボルドーのVネックを着てらっしゃいますが、スイートソフトタイプの方は深いVネックは苦手。首元の開きすぎには要注意です。鎖骨が見えるくらいのゆったりしたVネックやUネックのほうがお似合いになるので、結婚会見のときのワンピースの襟ぐりはベストです」妹の佳子さまも、眞子さんと同じスイートソフトタイプだという。「眞子さんも佳子さまも秋篠宮さまと同じ骨格タイプです。紀子さまはストレートタイプですが、それは悠仁さまに受け継がれているようですね」高橋先生は、2019年に公務で鳥取を訪れた際の佳子さまのファッションを絶賛!「スイートソフトタイプの方はロング丈のジャケットは苦手。その点、佳子さまのこのファッションは腰丈なのでお似合いですね。さらに、ノーカラージャケットもベストチョイス。眞子さん同様、襟ぐりは鎖骨が少し見えるぐらいのものがおすすめです」ただし、丈の長いスカートは要注意。「眞子さんは丈の長いスカートもお似合いですが、佳子さまは膝丈ぐらいまでのスカートがよいでしょう。パーソナルイメージによって同じスタイルでも少し変わってきます。眞子さん以上に“フェミニン系”がお似合いになるので、形もタイトよりフレア。素材でいえばレースなどもとてもお似合いだと思います。レースならタイトでもよろしいでしょう」お2人とも、ご自分に似合うファッションをしっかり分かっていらっしゃるようだ。【監修】
2021年12月29日小室圭さん(30)と結婚され、ニューヨークにて新生活を始めた小室眞子さん(30)と、ご結婚に伴い赤坂御用地をご出発される眞子さんとのハグが感動を集めた佳子さま(26)。《まるでアナ雪みたい!》とも称されたご姉妹の“顔相”を、日本で唯一、相貌心理学の教授資格を持つ佐藤ブゾン貴子先生が分析。11月29日には『あなたの顔には99%の理由がある』、12月23日には『ビジネスは顔が9割』と、2冊続けて新刊が発売された。相貌心理学とは、顔の輪郭やパーツ、肉付きなどからパーソナリティーを分析するものだ。「眞子さんは横顔が特徴的ですね。額は真っ直ぐですが、これは何事も熟考に熟考を重ねる“慎重さ”を表しています。たとえ失敗したとしても、その失敗さえも想定済み。すぐに次の方法をとるように事前にしっかり考えているということです。宇宙旅行で話題の前澤友作さんの横顔も同じタイプです」さらに眞子さんは、“外交欲求”が強いのだという。「眞子さんは輪郭がしっかりされているので、体力が豊富で活動的。自分の世界をどんどん広げていきたい、と願う方です」皇族として初めて国際基督教大学(ICU)にご入学された“パイオニア”的存在でもある眞子さん。“外交欲求”はそんなところにも表れているのかもしれない。続いて眞子さんの妹・佳子さまを分析。“慎重さ”が眞子さんとの共通点だとか。「行動を起こすまでにしっかり時間をかける方です。危険な橋を渡ることはありません」佳子さまといえばぱっちりとした大きな瞳が特徴的だが、相貌心理学においてもこの瞳がポイントだとブゾン先生は解説する。「大きな瞳は、目から入る情報にとても敏感ということを表しています。“どうしたら自分が綺麗に見えるか”をよくわかっていらっしゃいます」皇室のなかでも、とくに美意識が高い佳子さま。また、キュッと細い顎に比べて目から上の部分が印象的だという。「顔の上部は“思考ゾーン”といいますが、佳子さまはこの思考ゾーンが大きいため、しっかりとした理想を持っていらっしゃる。ご自身に対しても高い理想を求める方で、思い描く通りの自分でいたいと強く思う傾向をお持ちです」そして、今後気になるのは佳子さまのご結婚相手。佳子さまにはどんなお相手が合うのだろうか。「視覚からの影響を受けやすいというのは、言い換えれば目移りしやすいということ。常に新鮮な情報を求めます。ですから、佳子さまの強い知識欲、高い美意識を満たしてくれる方がいいのではないでしょうか」とても似てらっしゃるように見えるご姉妹だが、相貌心理学で分析すると、共通点はあるもののまったく違う結果となった。
2021年12月28日「12月1日に20歳の誕生日を迎えられた愛子さまですが、記者会見は来年の3月に行われることになりました。眞子さまや佳子さまは誕生日の数日前に記者会見を行っていたので、異例のことです」そう語るのは皇室担当記者。宮内庁は「質問への回答を落ち着いて考えていただくため」と説明しているが、秋篠宮家の事情も影響している可能性があるという。「愛子さまの誕生日の前日の11月30日は、秋篠宮さまの誕生日なのです。とくに眞子さんと小室さんの結婚が騒動になった直後ですから、愛子さまと秋篠宮さま、お二人の会見が重なることを避けたのではないでしょうか」その秋篠宮さまも、36年前の’85年11月、成年を迎えられるにあたって記者会見に臨まれている。その際にはどのような発言があったのだろうか。成年式を迎える感想については「あの、結局20年と申しましても大学在学中なので、それほど大きい区切りという感じは受けていません。成年として仕事をするのは卒業後と思っています」としつつも、「今後、大学の授業に差しさわりのない場合は、できるだけ成年皇族として公務もお受けしたいと思います」とご公務への意気込みを語られている。また、皇室のあり方については「陛下(昭和天皇)はよく国民とともにある皇室と言っておられます。私の両親も同じようなことを言っています。私もそれにならい、国民と皇室の関係が親密になるよう希望しています」と、国民に寄り添っていく姿勢を示されていた。自身の結婚については「結婚はあまり遅くならないほうがいいと考えています。30歳よりかは前にしたいですね」と語り、好きな女性のタイプについては「たとえばテレビに出ている新珠三千代さんとか」とお答えになっている。このとき、すでに紀子さまと出会われていたはずだが、当時55歳だった女優・新珠三千代さんの名前を挙げて煙に巻いていらしたのだ。ほかにも好きな音楽やタレントについて「ビートルズはずいぶん小さい頃から聞いていました」「最近では浅川マキ」「俳優ではチャップリンは見てて面白いですね」などとお話しになった秋篠宮さま。記者から「懐かしい名前が出ましたが、友人から『オジンくさい』といわれませんか」と突っ込まれ「しょっちゅういわれます」とお答えになるやり取りも。先日の56歳の誕生日会見では、眞子さんと小室さんの結婚について神妙な面持ちでお話しになっていた秋篠宮さまだが、成年を前にした記者会見ではフランクな受け答えをなさっていたのだ。来年3月の愛子さまの記者会見も、20歳の愛子さまのお人柄が垣間見えるやりとりが見られるだろうか。
2021年12月27日秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんの結婚から1カ月あまり……。ニューヨークで暮らす小室夫妻の動向は、イギリスのタブロイド紙『デイリー・メール』などで報じられている。近所の雑貨チェーン店で買い物をする様子が写真とともに取り上げられるなど、眞子さんもすっかり“一市民”になったようだ。渡米直前には、小室さんが母・佳代さんの元婚約者と面会し、金銭トラブルがついに終結。小室家から金銭トラブルの解決金として409万3千円を受け取ったX氏の近況も気になるところだ。X氏の知人はこう語る。「たしかに解決金は受け取りましたが、以前とまったく変わらない生活だと思います。年末になり仕事が忙しいと話していました。お母さんが住んでいる実家の水回りが心配なので、解決金はその修繕に使いたいと、以前話していたことがありました」いまも仕事を続けているX氏だが、すでに70代。高齢の母親の生活を心配する日々だという。一方、本誌は12月中旬、早朝から着飾ってタクシーに乗り込む佳代さんを目撃。春には洋菓子店での仕事中にケガを負ったそうで、店側と労災をめぐるトラブルにもなっていたが、もう松葉杖はついていなかった。「ようやく約400万円を取り戻したX氏ですが、金銭トラブルが報じられてから解決まで、4年弱の月日を費やしました。佳代さんだけでなくXさんにも、どうか自分自身の幸せを見つけてもらいたいですね」(前出・皇室担当記者)市井の中年男女のいざこざが国民的関心事にまで大きくなり、皇室をも揺るがした。喧騒が去り、当事者たちは静かに、それぞれの人生を再び歩み始めたようだ。
2021年12月24日「あ、あそこじゃない!?小室圭さんと眞子さんが住んでいるところって!」現地で生活する日本人カップルだろうか。30代とおぼしき女性がタワーマンションを指さした。さらにその後、SNSにでも掲載するつもりなのか、マンションの前で笑顔で記念撮影をする日本人女性たちの姿も……。小室圭さんと眞子さんがニューヨークでの新婚移住生活を始めてから1カ月ほどが経過した12月12日の昼ごろの情景だ。夫妻の住むマンションは、すっかり地元の観光名所になってしまっていた。現地在住の邦字新聞記者はこう語る。「小室夫妻が住む、マンハッタンのヘルズキッチン地区には、ハドソン・ヤード(ショッピングモールなどもある複合施設)があります。ハドソン・ヤードへ行くついでに夫妻のマンションに立ち寄る人々も増えているのです。イギリスの大衆紙『デイリー・メール』が夫妻の住居をかなり詳細に報じ、その後、日本人や日系人を中心に、ネットで住所情報が拡散しています。眞子さんは自由に外出や買い物ができる生活を求めて、海外移住を決断したそうですが、ここまで有名になってしまうと、外出しづらくなってしまいますね……」しかし、この邦字新聞記者の心配は杞憂だったのかもしれない。小室夫妻が2人そろって自宅から現れたのは、この日の夕方だった。「(2人を)目撃したのは、ヘルズキッチンの自宅マンションから出てきたところです。(現地時間)12日16時ごろで、肩を並べて歩いていきました」(現地のカメラマン)当日はかなり冷え込んでいたというが、眞子さんもNYの冬の寒さに早くも順応しているのか、コートも着ず、グレーのニットだけという軽装。本誌は眞子さんがモスグリーンのコートを着ている姿も目撃している。この色はかなりお気に入りのようだ。この日は、眞子さんのスカートがモスグリーン、小室さんはニットがモスグリーンと“ペアルック”だった。夫妻の現地生活について前出の邦字新聞記者が続ける。「NY新居の最有力候補だった物件は、同じマンハッタンでも家賃80万円でした。しかし、その家賃が報じられたことと、小室さんの司法試験不合格が重なり、家賃40万円のワンベッドルームの物件に急きょ変更することになったと聞いています。アメリカにやってきた王族夫妻といえばヘンリー王子とメーガン妃です。そのイメージが強かったためか、私たちも小室夫妻の質素な生活ぶりには驚いています。いつも徒歩で移動しているようですし、着ているものもカジュアルなものばかり。WEBサイトでは眞子さんが購入したハンガーが注目されたこともありました。スリムで、クローゼットスペースを有効活用しやすい品だったからだそうです。小室さんが弁護士資格を得て、収入が上がるまでは、“倹約生活”を送っていくということなのでしょうか」■目撃されたNYラーメン店を取材すると……12月15日には東京スポーツも夫妻の“NY倹約生活”を1面で報じている。11月中旬の渡米直後に、日本の有名チェーン「一風堂」のNY店でラーメンをすすっていたという目撃談だ。確かにヘルズキッチンにある「IPPUDO」は夫妻のマンションから歩いて数分ほどの場所にある。NY在住の日本人ジャーナリストに取材を依頼した――。店は昔ながらのアパートメントビルの半地下にあった。店内にはバーもあり、飲みながらラーメンを待っている人々で混雑していた。平日だというのに席はすべて埋まっていて38分待ち。かなりの人気店のようだ。さっそくフロアマネージャーに、小室夫妻の来店情報について取材してみると……。「私も毎日この店に来ているわけではありませんし、残念ですが、勤務していた時間帯には(小室夫妻は)いらしていないのではないかと思います。しかし、日本のロイヤルファミリーが来てくださるのであれば、事前にご連絡いただければ敬意を表しておもてなしいたします」有名人もよく訪れるというが、当人からの要請がないかぎりは“特別扱い”しないのがNY流だという。日本発祥のチェーン店だが、前菜もオーダーすることができ、ラーメン店というよりは“ラーメンレストラン”というイメージ。日本人観光客はほとんどおらず、小室夫妻が人目を気にする必要もなさそうだ。ラーメンの値段は20ドル前後。ベジタリアン向けなのか“トーフチャーシュー”というトッピングもあった。チップも入れれば1人30ドル、約3,400円は日本の感覚では決して安くはないかもしれないが、故国を遠く離れた眞子さんにとって、“息抜き”にはもってこいの店なのではないだろうか。■新居の周囲ではヘイトクライムが3.5倍に「小室夫妻は何年も前からNY移住を計画していたそうです。しかし自宅の住所が知れ渡ってしまって観光地化してしまったこと、また『デイリー・メール』や『ピープル』などの有名海外メディアまで、その動向を記事にしていることは夫妻にとって誤算だったのではないでしょうか。さらに言えば、地域の犯罪件数の急増も計算違いだったと思います。小室夫妻のマンションはセキュリティはしっかりしていますが、一歩外に出ると安全とは言い難い状況です。特にアジア系に対してのヘイトクライム(人種や民族などを理由とした暴行など)は増えています。12月8日付の新聞でも54歳日本人女性看護師が地下鉄で黒人に襲われて入院した事件が大きく取り上げられていました」(前出・邦字新聞記者)ニューヨーク市警の資料によれば、この1年間(’20年12月から’21年12月まで)で発生したヘイトクライムはニューヨーク市全体で479件。前年が248件だったのに対し、倍近くになっている。小室夫妻が住む地域を管轄している分署内でも4件から14件と、3.5倍になっているのだ。また、この地域では殺人などは横ばいだが、軽犯罪や軽窃盗罪も急上昇している。夫妻のマンションから道を挟んだ向かい側では、ホームレスが店の前で寝ていたり、日だまりに暇そうな男性らが集まって、通行人たちに剣呑な視線を送っていた。「ヘイトクライム急増の理由の1つは、コロナ禍による経済悪化や人心荒廃だと思われます。『デイリー・メール』が道に迷う眞子さんの姿を報じていますが、いつ犯罪に巻き込まれてもおかしくない状況で、とても心配しています」(前出・邦字新聞記者)小室夫妻が移住生活の誤算を修正するためにはどうすればよいのだろうか。「まだ新居に入って1カ月ですが、新しい部屋を見つけるしかないと思います。もっと治安のよい地域でセキュリティも万全な物件に転居するためには、小室さんが弁護士になるか、眞子さんも働くかという収入アップが必要となりますが……」(前出・邦字新聞記者)希望の移住先で遭遇した“安全をお金で買わなければならない現実”に、元内親王は何を思うのか。
2021年12月21日「11月30日の56歳の誕生日に先立ち、11月25日に秋篠宮さまが記者会見に臨まれました」(宮内庁関係者)すでに小室眞子さんはアメリカでの新生活を始めているものの、やはり会見では記者たちの質問も“長女・眞子さんの結婚”に関わるものが多く、秋篠宮さまも厳しい表情を見せられていた。前出の宮内庁関係者が続ける。「秋篠宮さまは、眞子さんのことで、上皇ご夫妻や天皇皇后両陛下にまでご迷惑をかけてしまったことに忸怩たる思いを抱かれていたそうです。また納采の儀など、結婚にあたっての行事を行わなかったことを“私の判断”としながらも、皇室の行事が軽いものだという印象を国民に与えてしまったことも後悔されているようでした」結婚問題を巡り、眞子さんとは深い溝ができてしまったとされる秋篠宮さまだが、そのことも後悔されているのか、会見では眞子さんをかばうような言葉も語られていたことが印象的だったという。「たとえば《皇族でいる間、公的なものと私的なものとの場合には、常に公的なものを優先してきている》などと、眞子さんは決して“私優先”ではなかったと強調されたのです。秋篠宮さまとしては、小室さんとの結婚への批判のために、眞子さんの皇族としての功績までもなかったものとされ、さらに眞子さんの人格への攻撃にまでエスカレートしていったことが耐え難かったのではないでしょうか」その一方で、“婿”である小室圭さんへの冷淡な態度は隠そうとなさらなかった。「質問のなかには3年ぶりに帰国した小室さんと対面したときの印象をお伺いするものもありました。しかし秋篠宮さまは、対面の時間が20分ぐらいだったことを理由に、《印象に残ることというのは特に私にはありませんでした》と、突き放すような言い方をされたのです。また10月26日の結婚会見では記者との質疑応答は前日、突然に中止になったわけですが、秋篠宮さまとしては、少なくとも小室さんは自分の口で経緯をきちんと説明すべきだった、というお考えを持たれているようです」小室さんを名前ではなく“夫”と呼ばれていたことからも、今回の騒動の元凶は小室圭さんであると考えていらっしゃることが強く伝わってきたという。「小室さんに関する言及はできるだけ避けていらっしゃった秋篠宮さまですが、今回は婿に対する“恨み節”を止めることができなかったという印象です。これまでにない、はっきりとした表現も多かったのは、眞子さんの結婚騒動に、ご自身の会見で終止符を打ちたいという強いお気持ちもあったのでしょう」最後まで自分をかばってくれた父・秋篠宮さまのお姿を、眞子さんはどのように受け止めたのだろうか。
2021年11月30日今年の10月26日。30歳となり、結婚会見に臨んだ眞子さんは、報道陣とカメラを前にして話し続けた。笑顔は少なく、終始硬い表情のままだった。「私たちは2人で新しい生活を始めることになります。これから生きていくなかで、また違った形での困難があると思います」祝福に包まれた婚約内定会見からわずか3カ月後の17年末、週刊誌報道で婚約者・小室圭さんの母親・佳代さんに関する金銭トラブルが明るみに。以降、結婚延期や小室さんの突然の渡米など、3年10カ月もの波乱の歳月を経た末に、眞子さんは悲願ともなっていたご結婚の日を迎えた。嫁ぐ日の朝、住み慣れた赤坂御用地の宮邸の玄関前。優しい色のバラのブーケを手にした眞子さんと、送り出すご家族が向き合う。「お健やかに」秋篠宮さまが声をかけ、「体に気をつけて」「お元気で」瞳を潤ませた紀子さまとの挨拶を済ませ、最後には佳子さまが姉に駆け寄りハグをして、眞子さまは家族との別れを終えた。こうして、ご誕生から長きにわたり、当時の「天皇家の初孫」として多くの国民から愛されてきた「眞子さま」は、皇室を離れ、民間人の「小室眞子さん」となった。■“お祖母さま”との別れは1時間以上にも。友人が漏らした言葉に上皇后さまは呟いた「長女との話し合いですね。それについては、結婚のことについては話をする機会はありません」19年11月、秋篠宮さまは誕生日会見で、こう述べられた。宮内庁による結婚延期の発表から、まもなく2年。同じ家に住みながら、こと結婚に関しては、父娘の関係がずっと平行線のままであることを認めるご発言だった。「このころ眞子さんは食卓を両親と共にすることすら嫌がり、紀子さまとも公務以外では口を利かず、日に日に亀裂が大きくなっていくような親子関係を前に、秋篠宮さまの酒量も増えたという報道もありました」(皇室担当記者)翌20年11月8日、秋篠宮さまの立皇嗣の礼が行われ、皇位継承順位1位の皇嗣となられた。その5日後には、眞子さんが文書を発表。《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》これが、ご両親の心を動かしたのだろうか。同じ月に行われた秋篠宮さまの55歳の誕生日会見では、「結婚することを認めるということです」これまでとは一転、初めての容認発言があった。ただし、「長女の結婚について反対する人もいますし、(略)特に結婚と婚約は違いますから」など、かえって以前にも増し、複雑な胸中が伝わる内容となった。「上皇陛下は、上皇后さまとのご結婚にあたって『どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの』とおっしゃったといいます。一方、秋篠宮家では、眞子さまのご発言をはじめ、“公”より“私”を優先されているように見えてしまうのです」(前出・宮内庁関係者)そして今年2月19日、天皇陛下の記者会見では、秋篠宮家の婚儀についての言及があった。「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」前出の皇室担当記者は、「この陛下のご発言は、眞子さまには、相当にショックな内容だったのではないでしょうか」しかし、その2カ月後、小室さんが28ページに及ぶいわゆる「小室文書」を発表するや、それを受ける形で、翌日には眞子さんが自身の気持ちを表明。「今回発表された文書を読まれて、いろいろな経緯があったことを理解してくださる方がいらっしゃればありがたい」前回の「生きていくために必要な選択」発言から、さらに小室さんとの結婚に突き進む意思を明確にしたのだった。「眞子さんが頑固というのは、秋篠宮さま譲り。これは上皇陛下も同じで、3代続いてのことなのです。そもそも、眞子さんがICUに行ったことがその表れ。頑固ということより、いったん決めたら貫くという意志の強さです。さかのぼれば、秋篠宮さまご自身が、昭和天皇の喪中にもかかわらず、ご婚約内定の発表を行い世間を騒がせたというご経験をお持ちなのです。そもそも秋篠宮さまの自主性を重んじる教育も、上皇陛下と上皇后さまのご成婚から始まった『開かれた皇室』の議論を、ご自分なりに解釈なさった結果なのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)家族問題カウンセラーの山脇由貴子さんは、「秋篠宮さまは、自由な教育のあまり、子供へのブレーキが利かなかったのかもしれません。常々、“自由”“自主性”を表明していらっしゃるからこそ、それを否定しづらかったでしょうし、“娘に嫌われてしまう”という思いもよぎったかもしれません。親としての弱さが、結果的に娘の意思を尊重しすぎてしまった可能性はあります」天皇陛下のご学友も、本誌にこうコメントを寄せた。「結婚の自由は皇族であっても認められるべきです。しかし、このような国民の納得を得られない結婚となった背景には、子育てについても自由を重んじてきた秋篠宮家の教育があったのではないかと思います。結果論でしかありませんが、大学もICUではなく学習院大学にいらしていたら、一時金の辞退や伝統の儀式を一切行わない結婚にもなっていなかったと思います。陛下も残念に思われていることと思います」秋篠宮ご夫妻は、眞子さんの結婚会見後に文書を発表。そこにはこうあった。《皇室への影響も少なからずありました。ご迷惑をおかけした方々にまことに申し訳ない気持ちでおります》秋篠宮家に近い人物は言う。「ご長女のご結婚に際して、『申し訳ない』というお言葉を述べなければならなかった秋篠宮ご夫妻のご心情を思うと胸が痛みます」父親の「ありのままに」という30年前からの教えと、娘の希求した「自由」は、本来なら一つになるべきものだが、皇室という世界のなかで、残念なことに、親子の思いは引き裂かれてしまった。10月の結婚会見前の数日間、眞子さんには、立て続けに親しい人たちとの別れがあり、そこでもいくつかのドラマがあった。18日の秋篠宮ご夫妻に続き、22日は天皇皇后両陛下を、25日には上皇ご夫妻を訪問。「秋篠宮邸でのご挨拶は、思いの外、短いものでした。結婚の儀式を行わない異例の決断なども含め、秋篠宮さまは、表向きは、眞子さんとの別れを最小限にとどめるという姿勢を示したのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんも、「秋篠宮さまは、かなり厳格な対応を取られていると思います。皇嗣として、これからの象徴天皇制の在り方を意識して、今回の問題で累が及ばないようにしているのではないでしょうか。本来は親として祝福したいところを、“公”の立場を意識されていると思います」そして25日の東京・高輪の仙洞仮御所での、眞子さんと上皇ご夫妻とのお別れの日。上皇后さまの友人で絵本編集者の末盛千枝子さんは、このときの滞在時間を知り、安堵したと語る。「眞子さんにとっては、ご結婚のまさに前日という慌ただしさの最中のことだけに、1時間以上とは、十分に長い時間に思えるのです。そのなかで、上皇后さまとしても、皇室を出ていかれる眞子さんに対して、祖母としてお伝えしたいことは、きちんとおできになったのではないかと思いました」面会を終えた眞子さんが退出するとき、上皇ご夫妻は車寄せまで見送られた。そして、眞子さんが車に乗り込む直前、上皇后さまは無言で抱きしめられたという。今回の眞子さんの結婚に関し、一切お言葉を発せず、見守るというご姿勢を貫かれた上皇后さま。別の友人は、以前交わした会話を本誌に明かしてくれた。「眞子さまは、初恋だから、仕方ないですね」友人がふと漏らした言葉に、上皇后さまは、「そうね……」と、静かに呟かれたという。その、重く響いたというひと言には、今回の結婚と、やがて遠い地へ旅立つ初孫“眞子ちゃん”への万感の思いが込められていたのではないだろうか。■眞子さんが幸せになることが、その選択が間違っていなかったという唯一の証しとなる「今後は、私たち国民も、皇族に“私”があることを意識すべきだと思います。一方で、天皇制がある限り、“公”の部分も残り続けます。私たちにとって、象徴天皇制はどうあるべきなのかを改めて議論する必要があります」前出の河西さんの言うとおり、今回の騒動がわが国の皇室の在り方に与えた影響は計り知れない。この先に控える佳子さま、そして悠仁さま(15)のご結婚。きたる12月1日には、天皇家の愛子さまも20歳となり、5日に成年式が行われると発表になったばかりだ。「佳子さまは、眞子さんと同じスタイルを貫くでしょうし、悠仁さまのご結婚にも大きな影響があると思います。そもそも皇室に嫁ぎたいと思う女性が現れるのかと心配されるところです」(河西さん)結婚会見後の賛否の議論もおさまりかけた10月末、小室さんの司法試験の不合格が判明。その後、11月4日に亡くなった母方の祖父である学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(享年81)との別れも夫妻で済ませ、眞子さんは真新しいパスポートを持って小室さんと渡米。2月の小室さんの司法試験再チャレンジを、新妻として支えることになる。今回、証言やコメントをくれた人たちは、立場こそ違え、皆見守る気持ちは同じのはずだ。遠く離れたニューヨークでは困難もあるだろう。けれども、眞子さんが長年にわたり幸せであることが、ご両親、多くの人々を納得させ、その選択が間違っていなかったという唯一の証しとなる。愛を貫いた眞子さんの行く末に、自らが信じた「新しい生活」が待っていることを願いたい。
2021年11月28日「眞子」という名前には「ありのままに人生を歩んでほしい」というご両親の思いが込められていた。だが、長女はそれ以上の自由を望み、選んで、家を出ていった。父と娘の思いが引き裂かれたのは、その舞台が皇室という「特別な場所」だったからだ。仲むつまじく暮らしているように見えても、実はそれぞれの思いはバラバラで、いったん事が起これば、硝子のようにひびが入り、割れてしまうのだーー。「こわい〜」93年8月のことだ。秋篠宮さまご一家が、軽井沢を訪れたとき、紀子さまに抱っこされた1歳の小室眞子さんに、散歩中の大型犬が、突然、飛びかかるというハプニングが起きた。驚いてしがみつく眞子さんに、「お友達になりたいのね」紀子さまの母親らしい機転が利いたひと言で、傍らの秋篠宮さまもほほ笑み、一気に場が和む。このシーンは、その後も眞子さんの成長が報じられるたびに繰り返し私たち国民も目にすることとなり、動物好きで、いつも笑顔に包まれた秋篠宮さまご一家を象徴する場面のひとつとなった。——それから30年近くたった今年の10月26日。30歳となり、結婚会見に臨んだ眞子さんは、報道陣とカメラを前にして話し続けた。あの、幼い日に見せてくれた笑顔は少なく、終始硬い表情のままだった。「私たちは2人で新しい生活を始めることになります。これから生きていくなかで、また違った形での困難があると思います」祝福に包まれた婚約内定会見からわずか3カ月後の17年末、週刊誌報道で婚約者・小室圭さんの母親・佳代さんに関する金銭トラブルが明るみに。以降、結婚延期や小室さんの突然の渡米など、3年10カ月もの波乱の歳月を経た末に、眞子さんは悲願ともなっていたご結婚の日を迎えた。嫁ぐ日の朝、住み慣れた赤坂御用地の宮邸の玄関前。優しい色のバラのブーケを手にした眞子さんと、送り出すご家族が向き合う。「お健やかに」秋篠宮さまが声をかけ、「体に気をつけて」「お元気で」瞳を潤ませた紀子さまとの挨拶を済ませ、最後には佳子さま(26)が姉に駆け寄りハグをして、眞子さまは家族との別れを終えた。こうして、ご誕生から長きにわたり、当時の「天皇家の初孫」として多くの国民から愛されてきた「眞子さま」は、皇室を離れ、民間人の「小室眞子さん」となった。■息苦しい皇室での暮らしから抜け出したい。そんなとき眞子さまは小室さんと出会った「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩んでほしい」眞子さんの名前に込められた、ご両親の思いのとおり、秋篠宮家では、お子さまたちへの教育もまた、自然体だった。皇室ジャーナリストは、こう証言する。「ふだんからの挨拶や感謝などのしつけに加え、秋篠宮さまが何より大切になさったのが、お子さまたちの個性を尊重し、自主性を伸ばすという教育方針です。それが形になって現れたのが、大学進学。過去の皇室の慣例に従う学習院大学ではなく、眞子さんは、皇族として初めてICU(国際基督教大学)へと進学しました。秋篠宮さまとしても、その後の国際的な活躍もお考えになって後押しなさったのだと思います」やがて海外留学が実現するのが、大学3年の秋。イギリス・エディンバラ大学にて、9カ月にわたり、日本では味わえなかった解放感のなか、眞子さんはさまざまな初めての体験をする。学生寮での生活、スーパーでの買い物、親友との旅行……。本誌が当時入手した留学体験レポートには、こんな記述も。 《生まれて初めて単位を落とすという経験もした》 《肩の力を抜きつつも、色んな人に話しかけるのが大切なのだということが心からわかる経験だったと思う》皇室担当記者は語る。「この短期留学で、眞子さんは、初めて真の自由を実感したのではないでしょうか」在学中には成年となり、その記者会見で、眞子さんは結婚についてこう語っていた。「両親、特に父は、私の年のころには結婚を考えていたようですけれども、私はまだあまり結婚については考えたことはありません」これに対し、父親の秋篠宮さまは、2年後の誕生日会見で、眞子さん、佳子さまの結婚についての質問に、こうお答えになっていた。「娘ですので、近くにいてくれたらいいとは思いますけれども……」ICU卒業後には積極的に外国訪問を行うなど、眞子さんは皇族としての務めを果たしていく。「もともと“パパっ子”の眞子さんは、秋篠宮さまの教えに従い行動しながらも、同時に“自由に生きたい”との思いを強くしていったのでは。公務は真面目に、プライベートは自由にというのは、秋篠宮さま譲りの生活スタンスです。ときには、より活動的な性格の佳子さまと、お忍びでの買い物にも出かけたとも聞いています。息苦しい皇室での暮らしから早く抜け出したい、との思いを抱えていたのでしょう。そんなとき小室さんとの出会いがありました」(前出・皇室担当記者)ICUの同級生である小室さんからのプロポーズは、英国留学から帰国してわずか半年弱でのこと、共に22歳の若さだった。17年9月の婚約内定会見。眞子さんの発言は実に明快だった。「私の心は決まっておりましたので、プロポーズはその場でお受けしました」■祝福も批判も招いた結婚会見は、一人の人間として生きるための、皇室との「決別宣言」「私のことを思い静かに心配してくださった方々や事実に基づかない情報に惑わされず、私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々に、感謝しております」10月26日の結婚会見で、眞子さんと小室さんが述べた言葉に「誠意を感じられなかった」と語るのは、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さん。「眞子さんであれば秋篠宮ご夫妻、圭さんであれば母子家庭で自分を育ててくれた母、それぞれへの感謝の言葉が出ないところに、本当の意味で喜べない雰囲気があったのだろうと感じました。また、結婚を許してくれた天皇陛下への感謝の言葉がなかったのは、いくら皇室を離れるにしても不自然でした。自分たちに好意的な人には感謝を述べ、そうでない人は誹謗中傷する人という構図を作って、皇室や国民を二分させてしまった面もあったのではないかと思います」これに先立ち、結婚の発表と同時に明かされたのが、眞子さんが“複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)”と診断されていた事実であった。皇嗣職大夫は病名公表に際して、こう説明した。 「中学生のころから、身近な方々やご自身に対する誹謗中傷と感じられる情報を日常的に目になさり、精神的な負担を感じておられた」眞子さんが中学生だった時期は、ちょうど当時皇太子妃だった雅子さまが適応障害での療養を始められたころと重なる。しかし、精神科医の和田秀樹さんの見立ては、また違う。「私は、眞子さんは発表された複雑性PTSDではなく、雅子皇后と同じ、適応障害ではないかとみています。この症状は一般にいう“うつ”とは違い、自分が適応できないものに対してだけ具合が悪くなります」さらに、そこに、あるメッセージを読み取ったというのだ。「えてして真面目な人が適応障害になりやすい。たまたま皇室という環境に生まれ育ち、これまではいわば仮面をかぶってきたけれど、ここにきて『一人の人間としてこうしたい』という意思表示をできた。つまりは一般家庭でいえば、健全な“自立”や“親離れ”の一環だと思うのです。子供が自分の好きな人を見つけて親離れしていくことを、親も理解しなければいけない。その意味では、秋篠宮ご夫妻のほうが、まだ子離れできていらっしゃらないのかもしれません」眞子さんの自由を求める思いに常に寄り添ってきたのが、同じ環境で育った佳子さまだ。ICU卒業時の文書でも、《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています》と回答され、眞子さんの結婚を後押ししているのだと、姉妹の絆の強さが改めて話題となった。作家の北原みのりさんも、結婚会見から、眞子さんのある覚悟を読み取ったと語る。「もう日本では暮らせない、という固い決意です。思春期に雅子妃の闘病を目撃したことよりも、私は、悠仁親王がお生まれになったことのほうが大きかったのではないかと思います。男児を産むことを求められ適応障害に苦しむ伯母ではなく、その求めに身を捧げようとする母の姿は、10代の娘にはどのように映ったのか。皇室に産まれた女性として、この国に関わって生きていくことに、早いうちから冷めていたのではないかと思えるのです。眞子さんにとって、自分らしく生きる唯一の選択肢が結婚だった。そこで結婚による皇室脱出計画を、小室さんに出会う前から練られていたように思えるのです」祝福と同時に批判も招いた結婚会見だったが、眞子さんにとっては、一人の女性、一人の人間として生きるための皇室との「決別宣言」だったのではないだろうかーー。
2021年11月28日秋篠宮家の長女・小室眞子さんと夫の圭さんは11月14日、ニューヨーク州に到着した。小室圭さんはすでにニューヨーク州の弁護士事務所に就職している。眞子さんも就職を考えており、共働きで夫婦生活を営む予定だというが、眞子さんが仕事を始めるまでは圭さんの収入で家計を支えていくことになる。だが圭さんは、7月に受験したニューヨーク州の司法試験で、まさかの不合格。弁護士になれば1年目から年収は2,000万円を見込めるが、法律事務員のままなら推定年収は600万円ほど。物価や家賃が高いニューヨークでの2人暮らしには心もとない収入だ。本誌記者は、11月12日の小室圭さんと元婚約者の面会直後、圭さんの代理人・上芝氏から話を聞いている。400万円を超えるとみられる解決金を支払ってもなお新婚生活は成り立つのか質問したところ、上芝氏は次のように答えた。「その点については留学するときから手当てはできているようです。若干の見込み違いはあったとしても、アメリカで暮らすにあたってお金が足りなくなるということはないと思います」司法試験に不合格となった圭さんにも、経済的に不安はないというのだ。さらに圭さんの“再受験”についても上芝氏は太鼓判を押す。「渡米後は来年2月に行われるニューヨーク州の司法試験での合格を目指し頑張るしかありません。仕事をしながらの勉強で大変だとは思いますが、前回合格しなかったのは学力の問題ではないので、体調を万全に整えて臨むことになると思います」不合格は「学力の問題ではない」とはどういうことなのか。批判が殺到しても結婚を諦めなかった圭さんは“鋼のメンタル”と称されることもあったが、実は眞子さんや佳代さん同様、体調を崩していたということなのか。「わたしは眞子さんと、あたたかい家庭を築いていきたいと思います」と結婚会見で語っていた小室圭さん。その夢を叶えるためにも、来年2月の試験は落とせないが――。
2021年11月16日秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんが結婚してから2週間あまり。ついに夫妻が新生活の地・ニューヨークへ渡ることがわかった。報道によると、眞子さんのパスポートやビザの取得など、渡米する準備が整ったものとみられる。出発日は11月14日午前で、羽田空港から直行便で飛び立つ見通しだ。10月26日の結婚会見を終えてからも、相次ぐアクシデントに見舞われた2人。その新婚生活の始まり方は、順風満帆とは言い難かった。「結婚から3日後には、圭さんがニューヨーク州の司法試験で不合格となったことが明らかになりました。さらに2人の結婚直前に緊急搬送された眞子さんの祖父・川嶋辰彦さんが、11月4日に亡くなったのです。6日に行われた家族葬では、夫妻で参列する姿がありました」(皇室ジャーナリスト)波乱に満ちた日本での滞在生活となったが、渡米後も更なる不安が小室夫妻を待ち受けているというのだ。小室さんは来年2月の司法試験を再受験する意向を示しているが、ニューヨーク生活での経済基盤は小室さんの合格にかかっていると言えるだろう。「もし圭さんが弁護士資格を取得していれば、2,000万円前後の年収になったと言われています。ですが現在のように法務助手のままだと、年収は600万程度だといいます。さらに次の試験までは働きながら勉強をしなければならないので、とてもハードな生活が予想されます」(前出・皇室ジャーナリスト)一方で眞子さんは、司法浪人となった夫を支えていく意思を示しているという。しかしながら渡米後、眞子さんがすぐに働けるというわけではないようだ。「眞子さんは皇室を離れてから、わずか2週間という短期間でビザを取得しました。おそらく配偶者ビザと見受けられますが、それでは現地ですぐに働くことはできません。今後、就職先が決まってから就労ビザに切り替える必要があるので、ある程度の期間を要することになるでしょう。眞子さんにはメトロポリタン美術館で働く可能性も報じられましたが、しばらくは無職ということになります。夫妻がどれくらいの資産を有しているかは未知数ですが、主に圭さんの収入でやりくりしていくことになるでしょう。2人はすでにニューヨークの高級住宅街に新居を確保していますが、家賃は日本円で80万円ほどだと聞きました。ニューヨークは物価が高いので、家賃はおろか元皇族である眞子さんの“品位を保つ生活”を維持していくことも厳しいのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)ニューヨークでの生活設計に生じた“ほころび”を、小室夫妻はどのように繕っていくのだろうかーー。
2021年11月13日10月26日、夫婦となった眞子さんと小室圭さんは結婚会見を行った。会見で、「私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」と語った小室眞子さん。婚約延期、一時金辞退、皇室の儀式は一切なし……。プリンセスの「異例」の結婚は、会見も「異例ずくめ」だった。皇室担当記者やファッションの専門家が気になった“異例”ポイントとは?【1】出発時のバラのブーケこの日、初めて報道陣の前に現れた際に注目を集めたのが手元のブーケ。「紀子さまと秋篠宮家の職員により用意されたものでした」(皇室担当記者)【2】感情あらわにしたハグ秋篠宮邸前でご家族とお別れ。「佳子さまとのご挨拶は感動的でした。皇族方が取材陣のいる前でハグをされるのは大変珍しいです」(同)【3】カジュアルなスーツ姿小室圭さんが会見時に選んだのはピンストライプのスーツ。「日本ではフォーマルな場は無地のスーツに無地のネクタイを締めるもの。また、ネクタイにディンプル(くぼみ)を作らないのは、お葬式の結び方。違和感を覚えました」(メンズスタイリスト)【4】壇上に花はなし会見は、皇居近くのホテル・グランドアーク半蔵門の「華の間」で行われた。「婚約内定会見時にはテーブルの上に花が飾られていましたが、今回は金屏風も花もありませんでした」(皇室担当記者)【5】結婚指輪は大きめ?会見中、ボリュームのある結婚指輪にも注目が。「地金が太めのカジュアルなものを選んでいました。ただ、圭さんの指輪はサイズが合っていないように見えたのが不思議でした」(ファッションライター)かつてのプリンセス、清子さんの会見では……。「’05年に行われた清子さんの結婚会見では、夫妻は結婚指輪はしていませんでした。典子さん、絢子さんも同様に指輪は外していました」(同)【6】最初と最後は声を合わせて会見冒頭と最後に声を合わせ、「どうぞよろしくお願い申し上げます」「ありがとうございました」と挨拶。「苦楽を2人で、という強い思いが感じられました」(皇室担当記者)前日に記者からの質問に対しての小室夫妻の質疑応答がなくなったと発表され、物議を醸していた今回の会見。当日は夫妻が自分たちの思いを綴った挨拶文を読み上げ、提出されていた質問には文書で回答する形になった。そのため当初約30分を予定していた会見は、約11分で終了することに。お祝いムードはなく、挨拶文にはご両親への感謝の言葉も、天皇皇后両陛下や上皇ご夫妻への直接的な言及もなし。結婚直後とは思えない会見となった。
2021年11月08日11月4日、眞子さんの祖父・川嶋辰彦さんが亡くなった。眞子さんと小室圭さんの結婚からわずか9日後のことだった。川嶋さんは先月19日に緊急搬送され、亡くなる前日まで眞子さんは足繁くお見舞いに通った。結婚から3日後には、小室さんと揃って病院を訪れることもあった。「川嶋さんが亡くなったのは昼前でした。紀子さまは眞子さんや佳子さまとともに、病院に駆けつけられました。眞子さんが病院を後にしたのは、14時50分ごろ。タクシーの後部座席に1人座っていましたが、目を伏せることもあり沈痛な面持ちでした。眞子さんも体調が万全ではないなか、最愛の祖父を失った心痛は計り知れません」(皇室ジャーナリスト)川嶋さんが学習院大学で経済学部教授を務めていた’90年6月、長女の紀子さまは秋篠宮さまと結婚。当時、川嶋さん一家は大学構内にある教職員用の共同住宅に住んでいたことから、紀子さまは「3LDKのプリンセス」とも呼ばれた。「川嶋さんは控えめな性格で、どんな人にでも優しく接する温厚な方。紀子さまの婚約内定の際も、記者からの祝福に『あたたかいお気持ち、大変ありがたく存じます』と答えていました」(前出・皇室ジャーナリスト)秋篠宮ご夫妻が結婚された翌’91年10月には、お2人の間に第一子となる眞子さんが誕生。上皇ご夫妻と同じように、川嶋さんご夫妻にとっても初孫だった。「眞子さんが生まれた際、川嶋さんご夫妻も宮内庁病院を訪れました。川嶋さんは取材陣の問いかけに応じなかったものの、柔らかな笑顔を見せていたといいます。また幼い頃から本が好きだった眞子さんに、川嶋さんは絵本や児童書を贈っていたそうです」(宮内庁関係者)そんな慎ましやかな川嶋さんは、眞子さんの結婚問題も最後まで静かに見守り続けてきた。「これまで川嶋さんが報道陣の取材などに応じることは、ほとんどありませんでした。おそらく、“皇室には迷惑をかけまい”といった気遣いがあったのではないでしょうか。眞子さんの結婚には反対の声も少なくなく、心配していたことでしょう。それでも、川嶋さんが公に意見を述べるといったことはありませんでした。生前、一部週刊誌からの取材についてもユーモアを交えつつ、丁寧に断っていました。最後まで眞子さんの気持ちを尊重していたのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)眞子さんにとって“理解者”でもあった川嶋さん。天国でも暖かく見守ってくれることだろうーー。
2021年11月05日