元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が4月1日に自身のアメブロを更新。抗がん剤治療を受けていて辛かった当時を回想した。この日、笠井アナは同日に自身の冠ラジオ番組『笠井信輔のBUSINESS FRONTIERS』(文化放送)がスタートすることを報告し「毎回ゲストを迎えて、その方の仕事との向き合い方や、切り開き方をお聞きしていきます」と番組の内容を説明。「本日、第一回は自己紹介ということで30分間、私自身の話をさせていただきます」と明かした。続けて「初回は特別に音楽をかけようと言うことになりました」と述べ、シンガーソングライター・宮崎奈穂子の『がんばらない日 Part2』をリクエストしたことを報告。「私が人生最大の困難に直面したときに、私を支え、励ましてくれた曲」だといい「ステージ4で大量の抗がん剤治療を受けている最中は本当に夜眠れない、辛い そんなに時に、この曲を聴いていました」と明かした。また「真夜中にYouTube スマートフォンで宮崎さんに歌で呼びかけていただいて、気持ちがすっと楽になるのです」と述べ「そして、涙枕を濡らしていました」(原文ママ)と回想。宮崎との出会いについては「7年前、夏の雨の日、JR有楽町駅のガード下でした」と明かし「路上シンガーとして歌っていた彼女の脇をたまたま通り掛かった」と振り返った。さらに「あまりにも美しく優しい歌声に、思わず足を止めてしまい」「その時売っていた『マイルストーン』と言う彼女のアルバムをおもわず買ってしまった」と説明。「路上シンガーのアルバムを買わせていただくなんて事、なかなかない体験」だったそうで「その時、撮った写真です」と宮崎との2ショットを公開し「元気がない時に聞くと、ちょうど良いアルバムでした」とつづった。最後に「先日、ついに私は、彼女のミニライブを尋ねることができました」(原文ママ)と報告し「素晴らしかった 7年ぶりに、お会いすることができました」とミニライブでの宮崎との2ショットも公開。「本日のラジオ番組では」「『がんばらない日PART2』も聴いていただくことができます」と明かし「ぜひお楽しみ下さい」と呼びかけ、ブログを締めくくった。
2024年04月02日元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が6日に自身のアメブロを更新。がん治療で病院の個室の料金に約400万円かかったことを告白した。この日、笠井アナは「新宿で生命保険業界のセミナーがありました」と報告。「がんになると、確かに医療費がかかります」と述べ「保険証を出せば、3割以下の負担になる 日本の皆保険制度は素晴らしいなと、患者になるとつくづく感じます」とコメント。一方で「薬も高いですし、なんだかんだ言ってお金かかる」といい「特に厳しかったのは、個室代金」と明かした。続けて、自身について「当初、大部屋に入ろうとしていた」と述べつつ「『ステージ4、アグレッシブな予後の悪いがんタイプ』と言う私の病気の進行具合と、その他様々な事情でナースセンターに1番近い個室に入ることになりました」と説明。「保険証きかないんですよね個室は…」と明かし「都内の大きな病院ですと、一般個室で2万5000円以上するところがほとんどです」とつづった。また「私の一般個室は、1日3万円ほど」だったといい「4ヶ月で360万円さらに、2週間と消費税でざっと400万円ほど個室料金だけでかかった」と告白。「一般サラリーマンですと4~5ヶ月入院で」「休業補償や健康保険組合の傷病手当で、基本給の6割から7割はいただけるはずなんです」と説明し、自身については「がんと診断される2ヶ月前にフジテレビを辞めたばかりでした」と明かした。さらに「役所など様々なところに電話をして支援を求めましたが『退職したばかりだとダメです』」と言われたといい「家計は苦しくなりました」とコメント。一方で「実は個室に入ったことで、精神的に本当に楽になりました」と述べ「クリスマスや節分もちょっと派手」にできたそうで「苦しい入院生活を乗り越えられた1つの要因として『個室だった』と言うのは私にとっても家族にとっても大きな事実でした」とつづった。また「いろいろな方からお見舞い金もいただいて本当に助かりました」と振り返りつつ「治療費以外に400万円近い個室代が必要と言うのは厳しいものがありました」とコメント。「結局、我が家の家計を救ってくれたのは医療保険のがん特約、がん保険だったのです」と明かし「体験者としては、それをお伝えすることも重要かなと思って、皆さんの前に立たせていただいております」とつづった。最後に、個室を選択した理由について病院から「治療が厳しくなるので、個室の方が乗り越えやすいでしょう」「仕事を考えると個室の方が良いのではないか」と提案があったといい「大部屋希望だったのですが、こちらの判断で個室に変えさせていただきました」と説明。一方で「入院している病院を伏せた方が良いと言う判断もあり4ヶ月半の間、他の患者さんとの交流は一切ありませんでした」と述べ「これは厳しかったです」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月08日元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が25日に自身のアメブロを更新。本当に驚いた突然の訃報に心境をつづった。この日、笠井アナは「劇場からもらってきたチラシを整理していた」と述べ「山本陽子さんの出演予定のチラシが出てきました」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんが出演予定だった舞台のチラシを発見したことを報告。「4月5日から7日にかけて、上演する舞台」と説明し「既に台本を覚える段階に入っていて、稽古も近かったということです」と明かした。続けて「本当に驚いたのですが」と述べ「やはり突然の訃報だったということが、このチラシからもよくわかります」とコメント。「山本さんとは、以前お仕事でご一緒したりバーで一緒に飲ませていただいたこともありました」と交流があったことを明かし「本当に、素敵な方で」「かっこいいんですよ」とその人柄についてつづった。また「話しぶりも、話す内容も声のトーンも低くて、しっかりしてますしね」と述べ「いつまでも美しくてこんなふうに、歳を重ねるのは素敵だなと思いながらご一緒させていただきました」と回想。「2008年ごろ 今から15年ほど前の、『放浪記』のパーティーの時のものです」と山本さんや女優の森光子さん、芸能リポーターの武藤まき子さんとの集合ショットを公開した。最後に「皆さんに天に召されてゆきました」と明かし「『陽子さん、待ってたのよ』そんな会話を、今頃されているかもしれません」とコメント。「『そして誰もいなくなった』写真を見ながら、本当にそうだとな、と感じています」と述べ「お世話になった方々が次々と亡くなられて、寂しい思いをしているのは私だけはありません」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「寂しいですね」「本当に残念です」「ご冥福をお祈り致します」などのコメントが寄せられている。
2024年02月26日元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が17日に自身のアメブロを更新。訃報を受け複雑な胸中を吐露した。笠井アナは、2019年12月に悪性リンパ腫と診断されたことを公表。入院生活を送りながら抗がん剤治療を受けてきたが、2020年4月30日に退院、5月には仕事復帰を報告していた。この日は「『あきらめるな』と言えなかった自分」というタイトルでブログを更新し「ベテランの映画宣伝担当者なら知らない人はいない伝説の映画宣伝マンと言える叶井俊太郎さんが、天に召されて逝きました」と16日に亡くなった映画プロデューサーの叶井俊太郎さんの訃報に言及。「56歳、若すぎます」とつづった。続けて、叶井さんについて「膵臓がんの末期がんでした」と述べ「1ヵ月ほど前にお会いして覚悟はしていた」と説明。「深い悲しみの一方で、ある種の安堵感とでも言うのでしょうか 叶井さん、やっと逝けたねと言う複雑な思いが交差しています」と複雑な胸中を吐露した。また「最近は連絡をとっていなかったのですが、二人ともがんのステージ4になった 気にならないわけがありません 久しぶりに会って話がしたい」と思っていたことを明かし、叶井さんが手がけた映画の試写会の会場に訪れた日に撮った叶井さんとの2ショットを公開。叶井さんから「もう治療はやってない」と言われたそうで「末期なので抗がん剤治療をすれば、最後まで入院は確実という状況から、自らどう生き抜くかを考えたのだと思いました」と推察した。さらに「もう、早く死にたいんだよね」とも言われたそうで「どう、答えていいかわかりませんでした」「叶井さんの『それ』は、あきらめからくる『それ』ではないとわかったから」と説明。「叶井さんは、自分の人生を十分生き抜いた」「自分の人生の着地をしっかりと見据えていると感じました」と振り返り「人生を自分自身の決断で全うすることを尊重して」「あげなければと、その時、私は強く感じた」といい「だから…『あきらめないで』と言えなかった」とつづった。最後に「叶井さん、山あり谷ありでしたが素晴らしい映画人生でした」とコメント。「天国からいつものように豪快に笑って、僕ら映画人のことを長く見守っていてください これからは、安らかに」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「最期までやりたいことをやり切る選択をしたのでしょう」「お辛い心情お察しします」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年02月18日元フジテレビアナウンサーの笠井信輔が12月31日に自身のアメブロを更新。かなり辛かったステージ4と診断されたがんの治療を振り返った。この日、笠井アナは「年末年始は、どうしても4年前の自らの体験のことを思い出してしまいます」と切り出し「悪性リンパ腫のステージ4と診断され死ぬのかなと思いながら」「入院生活が2019年12月19日に始まりました」と回想。「1回目の抗がん剤治療の最中にクリスマスを迎えました」と明かし「まさに、その副作用と闘っているときに、年末年始を迎えたのでした」と振り返った。続けて「抗がん剤の副作用の中で辛かったのが真夜中です眠れないのです」と自身の写真とともに述べ「厳しい倦怠感や体の痛み果たしてこの病気は治るのだろうかと言う不安」と心境を吐露。「まさに、奇跡を望んでいました」といい「たまたま見ていた『ミュージックフェア』でJUJUさんが『奇跡を望むなら』を歌ったのです」と明かした。また「歌を聞いて、あんなに泣いたのは記憶にありませんでしたあの歌の通りでした」と述べ「かなり辛かった治療本当に奇跡を望んでいました」と回想。「レコード大賞の歌を聴きながらあの頃の日々を思い出して改めて目に涙を浮かべてしまいました」と明かし「すべての歌詞が歌詞の全てが当時の自分に当ては待ってしまっていたから…」(原文ママ)としみじみつづった。さらに「今の医学では、がんを乗り越える事は、奇跡ではなく、医療の進歩としての結果なんだとそのことを知ったのは、4ヶ月半後の完全寛解の診断を得たときでした」と説明。「JUJUさん、ありがとうございます」と感謝を述べ「入院中、真夜中に何度もあなたの歌を聴きました」「私が入院中に支えられた歌の1つですおかげさまでとても元気になりました」とつづった。最後に「今は3ヶ月に1度病院に行って経過観察をしています」と報告し「乗り越えられたのにこうやって書いていても、なぜか涙が溢れてしまいます」とコメント。「JUJUさん最優秀歌唱賞本当におめでとうございました」と祝福し「そして…心より、ありがとう」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月01日最愛の奥さまと毎晩宅飲み(※画像はイメージです/Photo)芸歴41年になる石原さんは良純さんタレントや気象予報士として多方面で活躍しています。私生活では2002年に結婚し、1男1女の父でもあります。仕事前でも「1秒も無駄にしない」精神でエネルギッシュに過ごす良純さんの姿を目にした番組ディレクターから「この仕事してて、なかなか子どもと会えなくて……」という悩みを相談されると、「大丈夫だよ。お父さんいなくたって子どもは育つ」と、亡き父である作家、元東京都知事の石原慎太郎さんから受け継いだ子育て観を切り出しました。慎太郎さんは良純さんの幼少期、運動会や学芸会、入学式にも1回も来たことがなかったそうですが、それについて良純さんは「ほっとかれたとは思ってない。当たり前だと思っていた」といいます。もちろん、「お父さんいなくたって子どもは育つ」のは、お父さんが不在の間、お母さんが一生懸命子育てを頑張っているからこそであり、「できればもっと子育てにコミットしてほしい」「一緒に子育てしてほしい」と耐えているお母さんもたくさんいるはずですが……。良純さんは自分が仕事で日本中回っているからこそ、「見せてあげたい」と思った名所へお子さんと一緒に旅行したり、いまでは毎晩家族で麻雀をしたりと一緒に過ごす時間を持つことで、家族との関わりを大切にしているようです。子どもの頃に慎太郎さんのボートに1~2回乗せてもらい、そのときの風の揺れや暑かったことなどがいまだに忘れられない思い出になっているという良純さん。慎太郎さんからボートを受け継いだ今、「父の想いを受け継ぎ、子どもたちと乗りたい」と心の内を明かす場面もありました。また、普段はあまり語らないという奥様とのエピソードを告白する場面も。この日の仕事終わりは21時半頃だったのですが、「この時間でも家に帰って、奥さんとワイン1本か日本酒4合を毎日飲む」と明かしました。「昨年父親が亡くなった。厄介な人だったからそういうのも(妻と)一緒に戦ってきた。信頼してるし一番話も合うし、いろんな話もウダウダしながら酒を飲んでいる」と、奥さまとの強い絆があるようです。いつも強気でエネルギッシュな良純さんも、奥さんの前では素顔でいられるよう。番組では「奥さんといると強火おじさんが弱火おじさんになる」とも表現されましたが、人となりを的確に表していますよね。番組の密着中に、良純さんがお酒を飲んでベロベロな状態になっても、奥さまへの手土産を片手に「これ大事!」と強調するシーンも。趣味、仕事、家族への愛に常に全力で向き合う良純さん。エネルギッシュな生活の支えには「家族」の存在が不可欠であると伺えた密着でした。
2023年06月25日2023年1月3日、フリーアナウンサーの笠井信輔さんがInstagramを更新。生後7か月の愛猫エリザベスちゃんが元日の朝に行方不明になってしまったそうです。家中どこを探しても見当たらなかったという、笠井さん。リビングのドアを開けっぱなしにしていたことに気が付き、「家族が出入りしたすきに脱走してしまったのでは…」と、気が気ではなかったようです。行方が分からなくなってしまったのです。家中どこを探してもみつからない。こんなことは今までありませんでした。もう心配で心配で…。shinsuke.kasaiーより引用家族で、家の外や中を捜索しますが、エリザベスちゃんは見当たりません。その後、8時間が経過した頃、家族から「いましたーッ!」という声が上がったそうです!なんと、エリザベスちゃんがいたのは、押し入れの奥の奥でした。エリザベスちゃんは、笠井さんたちがオロオロする姿を見て「何か、ただごとではないことが起こっている!」と思い、隠れていたのでしょうか。なんにせよ、見つかってほっとしたのでしょう。笠井さんは涙がこみ上げそうになったといいます。※写真は複数あります。左右にスライドしてご覧ください。 この投稿をInstagramで見る 笠井信輔official(@shinsuke.kasai)がシェアした投稿 泣いているように見えますが、笠井さんの表情をよく見ると、涙はこぼれていません!そんな笠井さんの姿を見た息子さんや妻からは、「泣いてないじゃん」「演技?」などとからかわれたそうです。家族全員が心から安堵したからこそ、こんな風に冗談をいい合えたのでしょう。【ネットの声】・本当に、脱走じゃなくてよかった!うちの猫ちゃんも、家の中で呼んでも出てきてくれないので見当たらない時の不安にとても共感します。・「外に出られないはずなのに、もしかして…」と悪い想像が次々と止まらなくなる気持ち、分かります。無事でよかった!・エリザベスちゃん、お返事をしてあげて~!8時間も隠れていたのは、すごい!・私も泣きながら愛猫を探していたら、しれっと押し入れの奥から出てきたことがありますよ。めちゃくちゃ焦りますよね。家族の安堵した顔を見て、エリザベスちゃんは「私を探していたのかな?」と気が付いたかもしれません。愛猫には、かくれんぼをしても、数時間おきには、かわいい姿を見せてほしいものですね。[文・構成/grape編集部]
2023年01月05日出演に笠井叡のほか大植慎太郎、島地保武、辻本知彦、森山未来、柳本雅寛が集結一般社団法人天使館主催、笠井叡新作ダンス公演『櫻の樹の下には』〜カルミナ・ブラーナを踊る〜が2022年11月23日 (水・祝) ~2022年11月27日 (日)に吉祥寺シアター(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目33番22号)にて上演されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 公式ホームページ 櫻の樹の下には死体が埋まっている残酷な惨劇の中に美と生命復活人の屍を岩盤大地のうえに接ぎ木して春を待つ青空がささくれだっているから太陽はあの地平線上には昇るな運命の女神フォルトゥーナ去れ!本作品は大植慎太郎、島地保武、辻本知彦、森山未来、柳本雅寛という日本のコンテンポラリーダンサーとして実力を兼ね備えたダンサーをそろえ、笠井叡のカルミナ・ブラーナへの想いを通して、彼らの中に沈潜している日本的霊性とカルミナ・ブラーナの原初の意味をかさなり合わせることで、ポスト舞踏(舞踏以降、日本から生まれる新しい表現)が現れる可能性をこの作品で示したい。笠井叡の身体性を真似することではなく、同じ空間を共有し、笠井叡とコミュニケーションをとり、稽古を重ねて公演に挑むことで、笠井が考える、次世代への可能性をダンサー、観客に感じてもらえる作品とする。構成としては、笠井叡振付で5人のダンサーが踊る群舞、トリオ、デュオ、ソロがあり、笠井叡との共演シーンもある。笠井がカルミナ・プラーナからインスパイヤされた上記したイメージからシーンが構築されていく。抽象的な概念から生まれるシーンの連続であるが、この舞台で生まれるムーブメントがポスト舞踏作品を次世代が紡ぎ出すきっかけとなっていく。初演の「櫻の樹の下には」は2022年度江口隆哉賞舞踊批評家協会賞ダブル受賞作品イメージ全世界の支配者である運命の女神フォルテゥーナは、まず鉱物の中に、人間の死体の中に、全動物の死体の中に入り込んで、死体を復活に変える力を発揮する。酒の神は人間のすべての苦悩を浄化する。豊饒な生殖力の中に、最高のアートを生み出す創造力が潜んでいる。真に歴史を牽引するのは政治的な力、戦争以上に、アートの創造力。春夏秋冬の四季の変化の中に働いている自然力。冬は鉱物的結晶力による根源的生命。春は植物的に花々や樹木が成長する力。夏は太陽の光と生命力。秋はすべての死者によみがえりの力。死体の中には宇宙が滅びた後に、新たな宇宙を生み出す創造力が潜んでいる。公演概要笠井叡新作ダンス公演『櫻の樹の下には』〜カルミナ・ブラーナを踊る〜公演期間:2022年11月23日 (水・祝) ~2022年11月27日 (日)会場:吉祥寺シアター(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目33番22号)■出演者ユリアヌス大植、カリオストロ島地、ジニウス辻本、ド・モレー未來、ジャンヌ柳本、ヘリオガバルス笠井(※辻本氏の「つじ」のシンニョウは点1つです)■スタッフ照明:森下泰音響:山田恭子舞台監督:河内崇映像技術:岸本智也衣裳:萩野緑音楽:角田寛生映像:角田寛生宣伝美術:NU映像記録:中瀬俊介制作:高樹光一郎、瀧本麻璃英プロデューサー:笠井久子(一般社団法人天使館)■公演スケジュール11月23日(水・祝) 19:3011月24日(木) 19:3011月25日(金) 19:3011月26日(土) 15:0011月27日(日) 15:00※開場は開演の30分前■チケット料金一般前売り6,000円一般当日6,500円U24(24歳以下)4,000円(全席指定・税込)*24歳以下のチケットをお求めの方は、当日、証明書をご提示ください。主催:一般社団法人天使館助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)、独立行政法人日本芸術文化振興会協力:公益財団法人武蔵野文化事業団 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年11月08日一般社団法人天使館主催、『笠井叡 DUOの會』が2022年11月16日 (水) ~2022年11月19日 (土)に吉祥寺シアター(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目33番22号)にて上演されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 公式ホームページ ダンスの事件が蘇る!笠井叡とその師:大野一雄が踊ったデュオ3作品「犠儀」(1963年)、「丘の麓」(1972年)、「病める舞姫」(2002年)のリメイク作品と、新作「笠井叡の大野一雄」を発表する。【上演作品】笠井叡新作「笠井叡の大野一雄」(初演)笠井叡・大野一雄 デュオ リ・クリエイト作品「犠儀」(1963年)「丘の麓」(1972年)「病める舞姫」(2002年)笠井叡・大野一雄デュオ作品について「犠儀」(1963年)朝日講堂「生と死の間に花が咲く」という言葉に大野一雄が共感し、デュオが実現した。19歳の笠井の死体を隠坊となった大野が焼くという内容で、抽象ダンスでも具象ダンスでもない、その中間の「新具象ダンス」を摸索した作品。「丘の麓」(1972年)青年座舞踊評論家の市川雅氏が「現代舞踊の異形」展を企画し、「丘の麓」はその第1回の企画展において上演された。松山俊太郎が所持していたビアズリーの原典を、澁澤龍彦が翻訳して話題になった小説をダンス作品として創作。大野一雄が客演し、ヴィーナスとしてデュオを踊った。「病める舞姫」(2002年)スパイラルホール2002年に都内で開催された「JADEインターナショナルダンスフェスティバル」にて舞踏の創始者:土方巽を顕彰し、舞踏の現在を紹介する企画「土方メモリアル」にて原作:土方巽、振付・出演:笠井叡、特別出演:大野一雄にて発表されたデュオ作品。プロフィール笠井 叡Akira Kasai舞踏家/振付家1943年生まれ。60年代に大野一雄、土方巽に出会い、舞踏家として活動を始める。71年天使館を設立。79年〜85年ドイツに留学し、オイリュトミーを研究。帰国後、94年に『セラフィータ』で舞台に復帰。これまでに、「牢獄天使城でカリオストロが見た夢」「桜の樹の下には -笠井叡を踊る-」「高丘親王航海記」「今晩は荒れ模様」など多くの作品を輩出し続け、2001年初演『花粉革命』は代表作として世界各都市での上演を果たす。2014年芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2022年江口隆哉賞受賞。 川口隆夫Takao Kawaguchi振付家/ダンサー1990 年よりコンテンポラリーダンスカンパニーATA DANCEを主宰。96 年よりダムタイプに参加。2000年以降はソロ活動を中心に、「パフォーマンスとしか言いようのない」(朝日新聞・石井達朗) 作品を数多く発表。08年〈自分について語る〉をテーマに『a perfect life』シリーズを開始、13年そのVol. 06「沖縄から東京へ」で第5回恵比寿映像祭に参加。近年は土方巽著『病める舞姫』を元にした『ザ・シック・ダンサー』(12年初演、共演・田辺知美)、ビデオ映像を元に完全コピーを試みる『大野一雄について』(13年初演)を発表。笠井瑞丈Mitsutake Kasaiダンサー笠井叡に舞踏を、山崎広太にダンスを師事。1998年より自作のソロダンスを開始。様々なスタイルのダンスのエッセンスを取り入れながら、独自の世界観を持つ作品を発表している。09 年平成20年度文化庁新進芸術家海外留学研修員として、1年間ニューヨークで研修。10年横浜ソロ×デュオ・コンペティション・プラス審査員特別賞受賞。16年テロ・サーリネン・カンパニーの作品にゲスト出演。17年笠井叡振付作品『花粉革命』を踊る。第12回(17年度)日本ダンスフォーラム賞受賞。近年はソロだけでなく作品振付や客演でも注目を集めている。大野一雄Kazuo Ohno(1906-2010)1930年代から日本モダンダンスの先駆者等に師事し、舞踊家として活動を始めた。1960年代に土方巽等とともに世界的にも全く新しい舞踊表現である「舞踏」と呼ばれる新たな舞踊形式を創出し、二十世紀の舞踊史に刻まれる優れた作品群を生み出した。公演概要『笠井叡 DUOの會』公演期間:2022年11月16日 (水) ~2022年11月19日 (土)会場:吉祥寺シアター(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目33番22号)構成・演出・振付:笠井叡■出演者川口隆夫 / 笠井瑞丈 / 笠井叡 (語り)■スタッフ照明:森下泰音響:山田恭子舞台監督:河内 崇映像技術:岸本智也衣裳:富永美夏音楽:角田寛生映像編集:角田寛生映像記録:中瀬俊介映像協力:NPO法人魁文舎宣伝写真:行竹亮太宣伝美術:AD=榎本了壱D=坂口真理子制作:高樹光一郎、瀧本麻璃英プロデューサー:笠井久子(一般社団法人天使館)■公演スケジュール11月16日(水) 19:3011月17日(木) 19:3011月18日(金) 19:3011月19日(土) 15:00※開場は開演の30分前■チケット料金一般5,000円U243,000円(24歳以下)当日一般5,500円(全席指定・税込)*24歳以下のチケットをお求めの方は、当日、証明書をご提示ください。主催:一般社団法人天使館助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)、独立行政法人日本芸術文化振興会協力:公益財団法人武蔵野文化事業団 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年11月08日毎年恒例となっているひこね市民大学特別講座の第二弾、笠井信輔講演会「引き算の縁と足し算の縁~がんステージ4からの生還~」を2023年1月9日(月・祝)にひこね市文化プラザ エコーホールにて開催します。笠井信輔講演会朝の情報番組「とくダネ!」を20年間担当後、2019年9月に33年間勤めたフジテレビを退社し、フリーアナウンサーとなったわずか2か月後に血液のがんである悪性リンパ種と判明。4か月半の入院、治療の結果「完全寛解」となった笠井信輔氏が一時は死を覚悟しながらも、生きる希望を求めて奮闘した闘病の記録や、猛烈に働いていたときには見えなかった発見など、激動の日々と気づきをありのままに語ります。宣材写真【概要】名称 : 笠井信輔講演会「引き算の縁と足し算の縁~がんステージ4からの生還~」日時 : 2023年1月9日(月・祝) 13:30開場 14:00開講場所 : ひこね市文化プラザ エコーホール料金 : 全席指定・税込 一般 1,000円購入方法: ・Webサイト ひこね市文化プラザオンラインチケットサービス ・窓口購入 滋賀県彦根市野瀬町187-4ひこね市文化プラザ内 チケットセンター・電話予約 ひこね市文化プラザチケットセンター0749-27-5200(受付時間:9:00~19:00 月曜休館・月曜祝日の場合翌日休館)主催 : ひこね市文化プラザ(指定管理者:株式会社ケイミックスパブリックビジネス)詳細 : ※未就学児は入場いただけません。※託児サービスがあります。(未就学児お1人1,000円/2022年12月25日(日)までにお申し込みください。)【お問い合わせ】ひこね市文化プラザチケットセンターTEL:0749-27-5200 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年10月21日7月18日~25日まで紀伊國屋ホールにて開催されたラッパ屋「コメンテーターズ」東京公演。この度、本作を観劇したフリーアナウンサーの笠井信輔と、劇団ラッパ屋主催の鈴木聡による対談映像が公開された。本作は、面白半分にYouTubeを始めた親父が人気となり、ワイドショーのコメンテーターに抜擢される珍騒動を描いた作品。笠井は日頃からラッパ屋を応援しており、今回の対談が実現した。映像では笠井が本作の魅力と、ワイドショーの裏側を語る。「コメンテーターズ」を観劇した人も、まだ観ていない人も楽しめる内容となっているので、ぜひチェックしてほしい。なお、ラッパ屋「コメンテーターズ」は 7月31日(土)まで配信で観劇可能。 視聴券の購入は7月31日10:00まで、視聴は7月31日12:00までとなる。 詳しくはラッパ屋HPまで。★フリーアナウンサー・笠井信輔&ラッパ屋主宰・鈴木聡 対談映像【公演概要】ラッパ屋 第46回公演「コメンテーターズ」7月18日(日)~25日(日) @紀伊國屋ホール脚本・演出:鈴木聡音楽・演奏:佐山こうた出演:おかやまはじめ俵木藤汰木村靖司 / 弘中麻紀岩橋道子ともさと衣大草理乙子谷川清美(演劇集団円)瓜生和成(小松台東)北村岳子中野順一朗浦川拓海青野竜平(新宿公社)黒須洋嗣佐山こうた / 宇納佑熊川隆一武藤直樹公式HP:
2021年07月29日フリーアナウンサーの笠井信輔が28日、都内で行われたハリウッド映画『ゴジラvsコング』(7月2日公開)ジャパンプレミアイベントに出席。俳優の小栗旬を「小倉さん」と呼び間違える場面があった。イベントには、本作でハリウッドデビューを飾った小栗旬、日本語吹替版で声優を務めた芦田愛菜、爆笑問題・田中裕二、尾上松也、笠井信輔が出席。笠井アナが進行を務めた。フジテレビ系『とくダネ!』で小倉智昭氏と長年共演していた笠井アナは、小栗に話を聞くときに「演出家は、小倉さんに…小栗さんに対して」と呼び間違え。田中がすかさず、「小倉さんは、何十年も言い過ぎたしょ。小倉さんじゃないから!」とツッコミを入れ、笠井アナが「普通、流していいところなんですよ」と言うと、田中は「あまりにも面白かったから」と笑った。本作は、『GODZILLA ゴジラ』(2014)より展開してきた、ハリウッド版『ゴジラ』と『キングコング:髑髏島の巨神』(2017)の世界観がクロスオーバーする「モンスター・ヴァース」シリーズの第4弾。2大モンスターの“破壊神”ゴジラと“守護神”コングが激突する。
2021年06月28日フリーアナウンサーの笠井信輔が24日、オフィシャルブログを更新し、念願の「病室にWi-Fi開設」に向けた前進を報告した。悪性リンパ腫で4カ月半の入院生活を経験した笠井アナ。コロナ禍で見舞いに来てもらうことができなかったが、それを救ったのがインターネット環境で、SNSやYouTubeなどでコミュニケーションを取ることで、孤独感が解消された。しかし、入院患者が病室でフリーWi-Fiを利用できる病院はまだまだ限られていることから、「#病室WiFi協議会」で仲間たちとともに「病室にWi-Fiを」と訴えてきた笠井アナ。その声が届き、国(厚生労働省)の補正予算で病室にWi-Fiを設置するための補助金が付くことになった。ブログでは23日に、賛同した議員(三原じゅん子厚労副大臣、坂本哲志孤独・孤立化担当大臣、大西健介議員、今枝宗一郎議員)に挨拶に行った様子や、記者会見を行ったことを報告。「今回の会見は、病室のWi-Fi予算がついたと言う“目標達成会見”ではありません。この補助金は、病院が申請しないとお金が下りないのです。病院側の申請には色々と高いハードルがあることもわかりました。そうした中で、『ぜひとも患者用Wi-Fi開設のための補助金の申請をしてください』と病院の皆さんにお願いする記者会見でした」と説明し、質疑応答を含めて1時間という充実の会見になったことを明かした。笠井アナは「この一歩で、コロナ禍の病室で孤独になっている患者さんが一人でも多くそこから抜け出せますようにと思っています。もちろん、ここがゴールではありません。私たち#病室WiFi協議会がやるべき事はまだまだあります」と、決意を新たにしている。
2021年04月24日●体は絶好調「『逃走中』に出て証明したい(笑)」血液のがん・悪性リンパ腫から復帰を果たしたフリーアナウンサーの笠井信輔。6日、警視庁神田警察署の一日署長に就任し、交通安全を呼びかけるパレードを行うと、商店街の人たちから次々に「元気になってよかったね!」と声をかけられ、「幸せな気持ちにしていただきました」と語る。がん細胞がなくなる「完全寛解」から10カ月が経過し、体調は極めて良好だというが、今も心配をかけられることに、本人は歯がゆい気持ちもある様子。そんな現在の心境や、憧れだったという警察官への思い、そして同じ悪性リンパ腫からの「寛解」を発表した私立恵比寿中学・安本彩花との交流秘話などを、健康を裏付けるマシンガントークで語ってくれた――。○■がんになって「悪いことばかりじゃない」「小学生のときに作文で『おまわりさんになりたい』と書いたのを明確に覚えているんです」という笠井アナ。その後アナウンサーになったものの、警官への憧れは消えておらず、宇津井健の主演ドラマ『長生き競争!』(08年)で交番の警官役を演じた際は「本当にうれしくて!」と振り返る。そして、今回は一日警察署長ということで、ドラマと違い本物の制服を着ることに感慨無量の様子。「私が局アナ時代に、軽部(真一)さんが一日署長やってるんですよ。それがうらやましくてねぇ(笑)。俺には来ないかなぁと思ってたんですけど、フリーになったタイミングでお話を頂いて。また聞くところによると、神田警察署が去年移転してリニューアルしたばかりで、私もがんを乗り越えて新しくスタートを切ったという兼ね合いもあったようでして。だから、がんになって『うれしい』ということはないんですけど、『悪いことばかりじゃないな』という思いに今回も達しています」と捉えた。一日警察署長の仕事として、神田すずらん通りをパレードして交通安全を呼びかけたが、その際に入院中、千羽鶴を贈って応援してくれた母娘が駆けつけてくれたそう。ほかにも、多くの人から「復帰してよかったですね」「おめでとうございます」と次々に声をかけられ、「私が交通安全を訴えるほうなのに、皆さんに幸せな気持ちにしていただいて。こうやって“お練り”ができたことで街の皆さんと触れ合うことができて、自分としては感動が増すうれしい体験でした」と充実の表情を見せた。○■基礎疾患によるコロナ重症化の心配なし昨年6月に「完全寛解」し、現在は2カ月に1回のペースで経過観察をしているそうだが、「がんが消えてる状況が続いていて、治療も薬の服用も一切してない状況なんです」といい、体調も「非常に良いです」とアピール。コロナ対策も、「普通の人と同じように暮らしていいし、現状では感染しても基礎疾患によって重症化することはないと言われています」とのことだ。それほど健康なだけに、「本当に大丈夫なんで、それは強く言いたいんです。心配してくださるのはとてもありがたいんですけど…。どうすれば“大丈夫”って証明できるのかなと思うくらい。だから、本当は『逃走中』とか出て、ガンガン走りたいんですよ(笑)。そしたら、『この人もう大丈夫だな』と思ってもらえるのかなっていう気持ちがあって、この前も『逃走中』をやってたので『出たいな』と思いながら見てました(笑)」と、体がうずいたことを明かす。●本当に失望されてるだろうなと思って…奇しくも前日の5日に、アイドルグループ・私立恵比寿中学の安本彩花が悪性リンパ腫からの寛解を発表し、4日には白血病から復活した競泳の池江璃花子選手が東京オリンピックの切符をつかんだばかり。特に安本とは、彼女の悪性リンパ腫公表後からLINEでやり取りをしていたこともあり、喜びもひとしおの様子だ。「僕の後に悪性リンパ腫を公表されたので、これはもう大変だろうと思ってたんです。私なんて50歳を超えてましたから、ある種の覚悟みたいなものはありましたけど、彼女はこれからの人ですから。そんなときに悪性リンパ腫になられて、本当に失望されてるだろうなと思って、事務所を通じて手紙を出したらお返事が来て、交流が始まったんです」これをきっかけにLINEで連絡をするようになったが、「彼女に伝えたのは、ショックを受けているということだったので、『自分もステージ4まで行って寛解してるから、希望を捨てないで』ということ。あとは、彼女がSNSで発信することをとても悩んでいたんです。(悪性リンパ腫を)発表した後、全く(SNSで)声を上げてなかったので、ファンの方もとても心配してるから、自分が頑張ってると思って、調子がいいと思ってるんだったら、それを1回は発信したほうがいいんじゃないか、というアドバイスを差し上げたんです」という。それを受けて安本は今年1月15日、「悪性リンパ腫仲間の笠井アナからも励ましのご連絡頂き久しぶりにインスタアップしてみることにしました!」と、約2カ月半ぶりに投稿。笠井アナは「それでファンの方々がすごい喜んでらして、良かったなと思いましたね。そのたくさんの声を受けて、安本さんも励みになったんじゃないかな」と目を細めた。一方で、橋田壽賀子さんが「急性リンパ腫」で亡くなったニュースもあり、「やっぱりがんっていうのは、困難な現実もあるんだと思いました」と実感。それでも、安本や池江選手の復活に、「希望を捨てずに頑張っているといいことがあるんだなと改めて思いました。自分もこうやって戻ってこれて、ご褒美のように一日警察署長をさせていただいているので」と、改めて喜びを噛み締めていた。
2021年04月07日フリーアナウンサーの笠井信輔が6日、警視庁神田警察署の一日警察署長に就任し、神田すずらん通り商店街で交通安全を訴えた。小学生の頃、“将来は警察官になりたい”と作文に書いていたという笠井アナは「本当に感慨無量でございます」と第一声。「私は、血液のがんである悪性リンパ腫から完全寛解となりまして、新たな生命を頂いたということになります」と報告しながら、一日署長を務める神田警察署が昨年12月に庁舎を移転したことにかけ、「私も同じように生まれ変わりましたので、同じ生まれ変わった者同士、交通安全を皆さんに訴えていきたいと思っております」と意気込んだ。その後、ともに一日警察署長を務める「2020ミス・ユニバ-ス・プレリミナリー東京」の飯田桃子さんらとともに、すずらん通りを練り歩いてパレード。2016年に当時小学1年生で交通事故により亡くなった高田謙真くんが育てていたことから、母親の香さんが交通安全のシンボルにと願う「朝顔」の種を商店街の人々に配りながら歩くと、笠井アナが「元気になってよかったね!」と声をかられける様子がたびたび見られた。さらに笠井アナは、大学時代のゼミの先生にも遭遇。先生は偶然通りかかったそうで、予想外すぎる形での約20年ぶりという再会に、笠井アナも「うれしかったです!」と興奮していた。
2021年04月06日小栗旬がハリウッドデビューを飾ることでも話題の映画『ゴジラvsコング』に笠井信輔アナウンサーが日本語吹き替え版のゲスト声優として出演することが明らかになった。3月24日を皮切りに中国、メキシコ、オーストラリア、インドなどでいち早く公開となった38の国と地域の全てで週末興行収入ランキング第1位を獲得し、合計興行収入1.2億ドル(約132億円)のヒットを記録。IMAXの興行収入は891スクリーンで1250万ドル(約13.8億円)となり、海外興行収入全体の約10%を占め、2019年12月以降のハリウッド映画のIMAX週末興行収入としては最高の成績となっている本作。日本での公開も近づいてくる中、今回新たに、笠井アナウンサーが特務機関モナーク指揮官のギラーミン(ランス・レディック)の日本語吹き替えを務めることが決定。笠井アナウンサーは、『ゴジラ2000 ミレニアム』(‘99)、『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(’00)、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(’01)、『ゴジラ×メカゴジラ』(’02)と、ゴジラシリーズ4作(ゴジラから逃げ惑う役で本人以外は分からない役や、会社に無断で出演して、アナウンサー生命を賭け逃げているだけの役も含む)に出演してきた熱狂的な「ゴジラ」ファン。実写吹き替え声優は今回が初めてとなる笠井アナウンサーは「演じるにあたって、本当に悩みました。事前に、コピー禁止の警告表記の入った粗い本編映像を頂いていて、全編を見てギラーミンの役作りをするべきと思ったのですが、長年のゴジラファンとしては、この粗い映像で全編見てよいのか?台本を読んで文字だけで内容を知って良いのか?と悩みました。結果、ギラーミンの登場シーンだけに絞りました!他は何も知りません!だから役作りはございません!(笑)アダム・ウィンガード監督には謝らなければなりませんね。でも、大きなスクリーンでゴジラを観たいんです!(笑)」と熱い思いを語っている。『ゴジラvsコング』は5月14日(金)より全国にて公開。(cinemacafe.net)■関連作品:ゴジラvsコング 2021年5月14日より全国にて公開© 2021WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. & LEGENDARY PICTURES PRODUCTIONS LLC.
2021年04月01日5月14日(金)に公開となる映画『ゴジラvsコング』の日本語吹き替え版に、自他ともに認める熱狂的なゴジラファンであるフリーアナウンサー・笠井信輔がゲスト声優として出演することが分かった。ワーナー・ブラザース、レジェンダリー・ピクチャーズ、東宝が提携し、2014年公開の『GODZILLA ゴジラ』から展開してきた、ハリウッド版『ゴジラ』シリーズと『キングコング:髑髏島の巨神』がクロスオーバーする「モンスター・ヴァース」シリーズ。その第3弾となる『ゴジラキング・オブ・モンスターズ』は、2019年5月31日に全世界同時公開され、これぞゴジラ!という迫力の怪獣バトルで全世界を熱狂させた。そして、待望のシリーズ最新作となる『ゴジラvsコング』では映画史上で最も象徴的な怪獣たち、威厳あるゴジラと強大なコングが激突。かつて日本で制作された1962年公開『キングコング対ゴジラ』以来となる夢のマッチメイクが再び実現した。既に公開されている中国、メキシコ、オーストラリア、インドなど38の国と地域の全てで週末興行収入ランキング第1位を獲得。合計興行収入は1.2億ドル(約132億円)と大ヒットを記録し、2019年12月以降のハリウッド映画のIMAX週末興行収入としては最高の成績を収め、日本公開が待望されている。ゲスト参加が決定した笠井は過去『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)、『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)、『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)と、ゴジラシリーズに4作(ゴジラから逃げ惑う役で本人以外は分からない役や、会社に無断で出演しアナウンサー生命を賭け、ただ逃げているだけの役も含む)に出演した経歴を持つ。これが認められたのかは定かではないが、今回が自身初の実写の吹き替え声優チャレンジとなる。彼が演じるのは本作のアダム・ウィンガード監督が『キングコング』(1976年)の監督ジョン・ギラーミンから名前を取ったという特務機関モナークの指揮官・ギラーミン(ランス・レディック)。演技についてはかなり悩んだ様子で、役作りをするため事前に台本を全て読み、資料用の画質が粗い映像も全て観るべきとは分かっているものの「ゴジラファンとしては大きなスクリーンでゴジラを観たい」という気持ちを優先し、監督への謝罪の気持ちを抱きながらも必要最小限の情報で収録に臨んだという。台本にない設定を教えてもらいつつテイクを重ね、役を作り上げた笠井のハリウッドデビュー(?)と熱演をぜひ劇場で見届けてほしい。<笠井信輔(ギラーミン役)コメント>これまでに、ゴジラ映画に4本出演していて、渡辺謙さんに「先輩!」と言って頂いたこともあるのですが(笑)、まさか自分にハリウッド版のゴジラから声がかかるとは、最高です!こうして、ハリウッド版にも出演して日米両方の作品に参加したとなると、一流になった気分です(笑)。こういう事を言うと、先輩の軽部真一アナウンサーから、「お前は勘違いをしている。吹き替えとしての出演だろう!」と怒られるんでしょうね(笑)。いつも「端っこの役で出ていただけなのに、謙さんにゴジラ作品に4本も出演したと言うな!』と言われていますから(笑)。でも、それでも今作の出演は素晴らしいことで家族もとても喜んでくれました。こんなに幸せなことはありません。実写の吹き替えは初めてで、特務機関モナークの指揮官ギラーミン役を演じるにあたって、本当に悩みました。事前に、コピー禁止の警告表記の入った粗い本編映像を頂いていて、全編を見てギラーミンの役作りをするべきと思ったのですが、長年のゴジラファンとしては、この粗い映像で全編見てよいのか?台本を読んで文字だけで内容を知って良いのか?と悩みました。結果、ギラーミンの登場シーンだけに絞りました!他は何も知りません!だから役作りはございません!(笑)アダム・ウ ィンガード 監督には 謝らなければなりませんね。でも、大きなスクリーンでゴジラを観たいんです(笑)。実際にアフレコ時には、吹き替え演出の方に台本には載っていない元政治家という設定を教えてもらい、単なる軍人ではなくもっと政治家らしい側面も盛り込んでいきましょう!とこだわって演出して頂き、一緒にキャラクターを作り上げていきました。どこまで演出に応えられたかは心配ですが、頑張りましたねと言って頂けたので良かったと思っています。このご時世で、あまり外に出かけられない、人と交流できないとストレスを抱えている方が多いと思いますが、『ゴジラvsコング』は、映画館で二大怪獣のバトルを通して、大迫力の体験が出来ますので、日頃のストレスを発散出来ると思います。公開するその日を楽しみに待って、皆さんも一緒に楽しみましょう!『ゴジラvsコング』5月14日(金)公開
2021年04月01日2021年3月24日、柔道選手として活躍した古賀稔彦さんが亡くなり、悲しむ声が相次ぎました。柔道金メダリスト・古賀稔彦さんが逝去『平成の三四郎』の旅立ちに惜しむ声サンケイスポーツによると、古賀さんの死因はがん。しかし、古賀さんは母親に対しても自分の病名を明かさず、周囲に「まあまあ元気」と笑顔を見せていたといいます。母親へ病気を明かさなかった古賀さん笠井アナの考えに反響同月25日、悪性リンパ腫を患った経験のある、フリーアナウンサーの笠井信輔さんがブログを更新。古賀さんが病名を母親へ隠していたことについて、「古賀さんの気持ちが、私にはよく分かります」とし、自身の思いをつづりました。古賀さんのこのお気持ちが、私にはよくわかります私も両親に「がん」と言う病名を伝えることには勇気がいりましたし、「ステージ4」という診断については、退院するまで隠していました笠井信輔オフィシャルブログーより引用でも、思うのですいろいろながんがあって、いろいろなタイプがあって、いろいろな患者さんがいるそれぞれが、それぞれにあきらめない耐えるべきところは耐え、笑うとこは笑って、それぞれの難局を乗り越えていく…古賀さんもきっと、強く、凛々しく、自分らしく全力で生きられたのだと思います自分らしく、生き抜いていらしたのだと…笠井信輔オフィシャルブログーより引用笠井さんは自身の経験も踏まえて、母親へ病気を明かさなかった古賀さんの気持ちを、「さまざまな考え方がある。古賀さんは最後まで自分らしく生きられたのだと思う」と推測したのです。命にかかわる病気を伝えることは、自分を想ってくれる大切な人にこそ、難しいことです。笠井さんの投稿には、さまざまな声が寄せられました。・突然の訃報に、お母さまの気持ちを思うと涙が止まりません。でも「親に悲しい思いをさせたくない」という気持ちも痛いほど分かります。・実際にがんを経験した笠井さんの言葉は、スッと心に刺さります。最後まで古賀さんは自分を貫き通したのかもしれませんね。・私も、母へ病気を伝えられていません。でも後悔はしていないです。最後まで強く、自分らしく生きようと思います。日本中に勇気や感動を与え、さまざまな人の背中を押してきた古賀さん。心の中には、笠井さんの推測した思いがあったのかもしれません。心よりご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年03月25日身内を装って電話をかけ、さまざまな口実で金銭をだまし取ろうとする『オレオレ詐欺』。警察庁によると、2020年1月~6月のオレオレ詐欺を含む特殊詐欺の認知件数は約6900件、合計被害額は約129億円にのぼるといいます。知り合いを装い「携帯をなくした」という電話をかけ、電話番号が変わったと思い込ませた後に、再度電話をかけ「お金が必要になった」といって金銭をだましとる手口もあるようです。笠井信輔「ばーか、俺がシンスケだよ!」元フジテレビアナウンサー、笠井信輔さんは2021年1月18日、Instagramでオレオレ詐欺らしき怪しい電話がかかってきたことを明かしました。自宅に突然かかってきた1本の電話。相手の男性は「あのさあ、電話かかってこなかった?」と話し始めたそうです。「あのさあ、電話かかってこなかった?」やや低い長男のような声しかし、自信が持てずに聞き返しました「かかってこないけど、どなた?」「……シンスケだけど」(信輔!! オレじゃんか!)「シンスケなの?」「そうだよ」「どうしたの?」「携帯電話なくしちゃってさあ、多分、交番から連絡があると思うけど、よろしくね」shinsuke.kasaiーより引用男性は笠井さんの名前と同じ『シンスケ』と名乗っていたそうです。オレオレ詐欺を疑い始めた笠井さんは「ばーか、俺が信輔だよ!」といって切ろうかと思いますが…。そこで私は、「わかったけど、何番の携帯電話をなくしたの?」セオリー通りに相手に個人情報を確認するために詰め寄ってみるとオ「いつものやつだよ」私「え?でも2台持ってるじゃん」(ホントは1台しか持ってないけど…)(中略)オ「わからない。なくしたから」私「いつも教えてくれるじゃない」そう優しく言った瞬間、ーーーツーツーツー…突然電話は切れたのでしたshinsuke.kasaiーより引用笠井さんは、携帯を2台持っていることにして「あなたが失くしたのは、どっちの携帯か」と問いつめます。すると男性は嘘がバレたと思い焦ったのか、突然電話を切ったのでした。詐欺の電話や自分の知らないところで個人情報が流出しているのは、本当に怖いもの。投稿の最後に笠井さんは「みなさん、詐欺には本当に気を付けてください!」と注意を呼びかけました。【ネットの声】・怖かったことでしょう…。高齢の両親がいるので、こんな危ない電話があることを伝えたいと思います。・笠井さんの返し方が冷静で、とても勉強になります。身近な話なので気を付けようと思いました!・まさか本人へのオレオレ詐欺とは…。笠井さんの対応力、さすがですね!オレオレ詐欺などの被害を防ぐため「迷惑電話防止機器を利用する、事前に家族の合い言葉を決めておく」「個人情報や暗証番号を安易に教えない」などの対策を徹底したいものですね。[文・構成/grape編集部]
2021年01月20日ごめんね、病気になっちゃった。切ない顔で妻にそう告げた笠井信輔さん(57)。フリーアナウンサーになり、一層仕事へやる気が満ちていた時期だった。そんな夫を励まし続けた妻の茅原ますみさん(56)は元テレビ東京のアナウンサー。二人は、いわば同期のアナウンサーなのだ。「じゃ、セカンドオピニオンを受けて」笠井さんからがんを告げられたとき、泣きだすんじゃないかという夫の予想を裏切り、ますみさんが最初に発したのが、このひと言だった。彼女は、夫の憔悴ぶりを鮮明に記憶している。「私は病気より、夫の様子が本当にかわいそうで。あれだけフリーになって張り切って、まあ、息巻いてた人が、なんだか灰になったような、うなだれた姿でした」正式な病名は、「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」。予後の悪いタイプで、通常より一段高い抗がん剤治療を行うことも告げられていた。当初から「夫は治る」と信じていたますみさんだったが、PET検査(画像診断)の結果に愕然とする。「思わず、お医者さんに『どこががんですか』と尋ねていました。もう全身が光っていたんです。大丈夫と思っていたけれど、このときばかりは死が頭を過りました。ただ、先生が『悪性リンパ腫は数じゃない。抗がん剤がどれだけ効くかが大事』と話すのを聞いて、じゃ、やっぱり、きちんと治療をすれば大丈夫なんだと思い直すことができたんです」19日、『とくダネ!』(フジテレビ系)で病気を公表した笠井さんは、その日のうちに都内の病院に入院。いったんは死を考えたことを否定しなかった。「子供のころからしゃべる仕事がしたくて、運よくやりたい仕事もできて、まあ、『これでよし』と、自分を納得させようとした時期もありました。でも、すぐに『それじゃいけない』と思うんです。2つだけ、大きな心残りがありました」1つは、やっぱり仕事。そして、もう1つ。「その冬、三男をスキーに連れていく約束を果たせていなかった。末っ子の三男は、自分からどこかへ行きたいとか言ってくるタイプじゃなかったので、これ、やらないで死ねない、家族を置いて僕は逝けないんだと、思い直すことができたんです」〈髪の毛が抜け始める〉(6日)〈29年間、はずしたことのない結婚指輪をはずす。指のむくみがひどくて〉(15日)〈シャワー中に倒れる〉(16日)年が明け20年1月になると、笠井さんのブログには抗がん剤治療による副作用の様子が連日、報告されるようになる。5日間連続投与を6回という過酷な治療で、その後も副作用は続き、眉毛まで抜け落ち、体重も3日で5kg急減するなどした。「笠井さぁーん!」そんななか、病状が比較的落ち着いている日の夜間の面会時間になると、病室にますみさんの元気な声が響いた。「花柄の服を着て、わざとガラガラと大きな音をさせて戸を開け、声かけも『だいじょうぶ?』じゃなく、『だいじょうぶよね!』。医学的な治療に関しては、夫婦ともにお医者さまやスタッフを信頼していましたから、私の役目は彼の大変な入院生活を明るくかき回すといいますか、元気を照射して、免疫力を高めることだと」しかし病状は一進一退で、息子たちが家族のグループラインで笑える動画などを父に送っても、既読にすらならない日もあった。そんなとき、ますみさんが自分と家族にかける言葉があった。「必ず来週は元気になってるんだから」突然、出てきた言葉ではない。「働きながらの子育てで、呪文のように自分に言い聞かせてきた言葉でした。笠井にも、このことを話しました。本当につらいときは返事も来ません。でも、わかって闘ってくれていると信じてました。だって、いちばんつらいのは彼なんですから」6月4日、笠井さんのがんは完全寛解。ますみさんは、今後の夫婦の生活プランをこう語った。「これから、夫には、家族でも誰に対しても、また仕事や食べることだって、ただクリアしていくのではなく、一つ一つ愛でながら接していってほしいと思っています。私自身、夫の病気を通じて気付いたことがあります。自分一人で抱え込まないこと。『お母さん、もうムリ』で、ときには弱さを見せていいんですね。わが家も、それでかえって子供たちの自立がありました。今後は、こうして学んだことを、次の世代に還元していきたいです」「女性自身」2020年12月1日・8日合併号 掲載
2020年11月30日アイドルグループ・嵐の櫻井翔が出演する、アフラック「櫻井翔の取材ノート」CM シリーズ最新作「櫻井さんの取材ノート 笠井さんがんになった時の不安」編、「櫻井さんの取材ノート 笠井さんがん治療の選択肢」編が10月5日より全国でオンエアされる。同CMは、がん経験者のリアルな声を聞き、がん保険について語り合う「櫻井翔の取材ノート」CMシリーズ最新作で、公式YouTubeチャンネル上では28日より配信される。ゲストとして登場したフリーアナウンサーの笠井信輔は、昨年、独立してフリーになった直後にがん(悪性リンパ腫)が発覚し、4カ月の闘病生活の後、無事に回復し今年4月に退院した。今回は櫻井がタブレット画面越しのリモートインタビューを行う形で進行する。笠井が「『絶対に帰ってきます』って宣言したんです」と力強い言葉で語るシーンから始まる、新CM「櫻井さんの取材ノート 笠井さんがんになった時の不安」編。「がんの診断は、フリーになった直後でしたよね...」と問い掛ける櫻井に対し、笠井はフリーになった当時のことに思いをはせながら、「家族もいるのに、ちょっとやめてよっていう感じでしたね」と答える。「仕事も全部キャンセルですか?」と訊ねる櫻井に、笠井が「はい。でも保険に入ってましてね」と返すと、櫻井は「備えてたんですね」と感じ入り、笠井は「たまたま、なんですけれども」と謙遜しつつ「でも父親としての責任も果たせました」と語る。「櫻井さんの取材ノート 笠井さんがん治療の選択肢」編では、櫻井がタブレット画面越しの笠井に、「抗がん剤の治療で、4カ月入院されたそうですね」と問い掛け、笠井は「えぇ。入院中に、世界が一変していました」と入院当時のことを振り返る。新型コロナウイルス対策として、マスクを二重にして着けている退院当時の笠井の様子もインサートされ、「なんとしても生き抜いてやるって。治療を選ぶときもしっかりと妻と先生の話を聞きました」と心境を表す。自身も報道番組でキャスターを務める櫻井は、先輩である笠井へのインタビューをとても楽しみにしていたらしく、「番組のスタッフの方々も、僕たちが共演することをすごく喜んでいました!」と笑顔で明かす。一方の笠井は、撮影前に監督から「櫻井さんとのやり取りのちょっとした間、自然な会話を撮りたいので、カメラはずっと回しながら撮影します」という指示を受け、「あ、そうなんですね。CMって全部、ワンカットずつ撮影するのかと思っていました」と驚く。実は今回が人生初のCM撮影で「全てが初めての経験なので、分からないことだらけです」と、画面越しの櫻井さんやスタッフにはにかみながら打ち明けていた。また、ファーストカットで櫻井のインタビューに答えている最中、緊張のせいか、セリフが飛んでしまい、思わず笑いがこみ上げてきてしまった笠井。「すみません、もう一回お願いします」と周囲に申し出ると、すかさず櫻井が「大丈夫です!」と応じる。さらに、笠井の「父親としての責任は果たせました」というコメントのシーンでは、笠井が「ちょっと白々しくなっちゃったかな(笑)」と演技を止めると、画面越しの櫻井がほほえみ「そんなことないと思いますけど(笑)」と和やかな雰囲気に。そんな櫻井とのやり取りで、自然と肩の力が抜けた笠井は、わずかな休憩やセッティングの合間も、熱心にセリフの練習に没頭。テイクを重ねるごとに、口調や表情、仕草もさまになってきて、櫻井とスムーズな掛け合いを展開した。フリーになった直後のタイミングでがんを経験し、入院生活を余儀なくされた笠井。櫻井が「今回CM出演することになって、ご家族の反応はどうでしたか?」と尋ねると、笠井は「実はCMのお話をいただく前から三男が『お父さんアフラックからCMの話が来たりして』なんて言っていたんですが、本当になったと喜んでいました」と明かした。
2020年09月28日フリーアナウンサーの笠井信輔が30日、オンラインで開催されている『血液がんフォーラム2020』に登壇し、自身の悪性リンパ腫の体験を語った。昨年9月末にフジテレビを退社し、フリーアナウンサーとして活動を開始したわずか2カ月後に、血液のがんである「悪性リンパ腫」が判明した笠井アナ。告知の瞬間は「なんで俺が? なんで今?」と絶望したと振り返る。しかし、その後の入院生活は「絶対に負けるもんか」という気持ちだったそう。その理由の1つは「主治医の先生が私の病気を完全に掌握しているという自信に満ちていたこと」、もう1つは「妻です」と明かす。「妻は、僕ががんと報告した瞬間から、とにかく『大丈夫よ、治るわよ』と言ってくれました。結婚して30年、ハツラツとした人なんですが、実は精神的にもろい人で、泣き虫なんです。でも、私ががんになってから、泣き言や弱音、泣き顔、涙、一切見せずに、私の前では『大丈夫、治るから』と言ってくれるので、それに助けられました」この講演中には、自身に寄せられた通院患者の体験談を思い出して涙する場面があるなど、自身も「泣き虫」だという笠井アナは「妻は自分が泣いてしまうと、私が一緒に巻き込まれて泣いてしまうパターンになるというのを、よく分かっていたんだと思います」と推測。その妻の前で1回だけ泣いたことがあったが、「そこで泣いてもしょうがない」と言われ、それから涙を見せることはなかったそうだ。4カ月半の入院で感じたのは「今の医学、血液がんの治療法は、本当に進んでるなと思いました」。抗がん剤治療で、倦怠感、手のしびれ、味覚障害、食欲不振、不眠、口内炎といった症状があり、特に食欲不振は「1日何も食べなくても平気」というほどだったが、「最も一般的な副作用である吐き気が、ほとんどなかったんです。抗がん剤の前に飲む吐き気止め、点滴が見事に効きました」という。ここから、「食べることが闘いだ」とスローガンを掲げ、食欲不振の中でも、とにかく食べる努力をしたそう。その理由は、がんを患って痩せてしまい、「悲壮感が漂う顔貌(かおかたち)になってしまうと、タレントとして難しくなってしまうかもしれない」という危機感からで、「そのためには、絶対に痩せないようにしよう」と決意したそうだ。一時は7kg減まで痩せてしまったこともあったそうだが、退院時には目標である5kg減にまで戻し、「そこは自分で自分を褒めてあげたいと思ったところです」と胸を張った。今年4月30日に退院し、6月に「完全寛解」、8月にはレギュラー番組『男おばさん!!』(CS・フジテレビTWO)でスタジオ収録の復帰を果たした笠井アナ。「40代後半からは仕事一辺倒だったんですけど、がんになって『少し歩みを止めてみなさい』と神からの啓示を受けた気がしました。家族との会話とか、一緒に過ごす“何でもない時間”が増えて、『こういうのが普通の幸せなんだな』と感じることが増えたんです。がんになって良かったとは決して思いませんが、がんで家族の再構築ができたり、得たものはとても多いので、悲観ばかりはしておりません」と前向きに語った。この『血液がんフォーラム2020』では、笠井アナは16時15分からの「クロージングセッション」にも登壇する。
2020年08月30日●「もう死んでしまうのかな…」と思った時期もCS・フジテレビTWOの番組『男おばさん!!』(22日10:30~10:50放送分)の収録で、約8カ月ぶりのスタジオ収録復帰を果たしたフリーアナウンサーの笠井信輔。血液のがんである悪性リンパ腫のステージ4という宣告に「死んでしまうのかな…」と絶望を感じたこともあったというが、今回の収録では、盟友の軽部真一アナウンサーとブランクを感じさせないトークを繰り広げた。こうして完全復活を遂げた笠井アナが、今後の活動の柱の1つと考えて取り組んでいくのが、がんについて伝えていく仕事だ。その決意の背景には、どんな思いがあるのか。闘病生活を通して感じたことなどを含め、話を聞いた――。○■1回目の抗がん剤治療で見えた希望――約8カ月ぶりのスタジオ収録復帰となりましたが、感想はいかがですか?みんなは「早かったね」と言ってくれるんですけど、私にとってはとても長い8カ月でした。たしかに当初、「復帰まで1年かかるかもしれない」という話もありましたので、それからすると早かったんですけど、実際に治療して療養生活を送ってきたこの期間というは、自分にとって山あり谷ありだったものですから、非常に長く感じて、ようやくここまで来ることができたなという感じです。一方で、こういった形で戻れたことに非常に感謝しています。当初は「ステージ4で全身にがんが散らばっている」と言われて、「もう死んでしまうのかな…」と、ちょっと絶望的な時期もあったんですけれども、先生や家族の支えもありまして、前向きになることができました。とは言っても、「テレビにはもう復帰できないかも…」という思いも、どこかにあったんです。――それはなぜでしょうか?「がん」というイメージの中で、ものすごく痩せてしまう方もいらっしゃいますから、見てるだけで痛々しい状況にもなってしまう可能性もあるので、生きていても画面での仕事復帰は無理かなと思ったりもしました。その場合は、もう執筆活動に専念するしかないなと。でも、非常に薬が合い、先生や看護師のみなさんのおかげもあってここまで戻れたので、本当に幸せに思っています。――テレビ復帰できるかもしれないと手応えを感じたのは、なにがきっかけだったのですか?最初の抗がん剤の治療が終わったのが1月上旬だったんですけど、そこで非常に効果的な治療の結果が出たんですよ。私は排尿障害がひどくて、入院時には普通にトイレに行けず、おむつもしていました。腰痛もひどい中で生活していたんですけど、5日間24時間連続投与という抗がん剤治療の1回目が終わったところで、その排尿障害がほとんどなくなったんです。まだ、がんはたくさん残っていたんですが、尿管に影響していたがんが極めて効果的に消えていったということで、排尿に関する痛みや苦しみがかなり軽減されたので、そこで「もしかしたらいけるかもしれない」と思いました。――前向きになっていけたんですね。とにかく常に前向きでいようというのは、自分の中で決めていました。何があってもこんなところで負けていられないという気持ちがありましたので。東日本大震災を取材したときに、「引き算の縁と足し算の縁」という経験を得たんです。人間は悪いことが起きると、人との縁が切れて、仕事も減って、どうしても「引き算」のことばかり考えてしまうんですけど、その結果生まれてくる縁というのが絶対あるんですね。今回の私の場合で言うと、それは病院の先生や看護師さん、もっと言うと、インスタグラムや、がんになって始めたブログによってつながったフォロワーの皆さんもそうです。そういった新たな縁を取り込んで、自分の拠り所として前向きに進んでいこうという思いが、とても強く出ました。○■闘病で起こった家族と自分の意識変化それから、私ががんになったことで、子供たちが随分変わったんです。男三人兄弟で家の手伝いなんてほとんどしない連中だったんですけど(笑)、ある日、三男が卵焼きを作って病室に持って来てくれたんですよ。私の母のところに行って、作り方を教わってきて。――笠井さんの“おふくろの味”を再現してくれたんですね。そうなんです。ちょっと甘い味なんですけどね。それから家でもご飯を作ってくれるようになったんですよ。人間、危機が訪れると変わるんですよね。そういうことを1つ1つ貯金して、自分のエネルギーにしていくという考え方で過ごしていました。抗がん剤治療は非常につらいんですけど、そればかり言ってるんじゃなくて、新しい環境における新しい出会いというのをどんどん自分のエネルギーにしていかなきゃいけないというつもりでいましたね。――息子さんの変化のお話がありましたが、笠井さん自身の変化は何かありましたか?一番大きかったのは、最初は長期入院に絶望して「入院しなきゃダメですか? 何カ月で退院できますか?」なんてことばかり言ってたんですけど、がん治療においては、通院のほうが大変なんだなと気づいたことです。特に悪性リンパ腫の場合は、通院しながら抗がん剤を打って、家庭生活や仕事に戻る人がとても多いんです。私は程度が悪かったものですから、抗がん剤の中身も量もきつくて多いものだったので入院となりましたけど、通院しながら抗がん剤を打って、副作用のきつい身体で家庭生活に入ったり社会生活に戻っていくというのはとても大変だと想像できます。でも私は、寝ていれば看護師さんが面倒を見てくれるし、問題があれば先生が診てくれる。こんなに恵まれた環境はないなと、気持ちが切り替わりましたね。●「危ういもの」だったSNSに感じた“光”――通院治療の大変さは、どのように知ったのですか?ブログに多いときは1,500~2,000くらいにコメントを頂いて、1日時間があるので全部目を通すんですけど、その中にいかに通院で苦労しているかということを書いてくれる方がいるんです。コメントを見て一番は驚いたのは、こんなにがん関係者が多いんだということ。「自分はがんでした」「今がん治療してます」「家族ががんです」「知り合いががんです」…と、がんにまつわるコメントが山のように来るんです。こんなにみんながんで苦しんでいたり、あるいはがんと共に生きているんだと分かったことで、どんどん自分の気持ちが安らいでいくような気持ちになりました。自分は、がんになる人は特別だと思ってたので、特別なところに来てしまったのかと思っていたんですけど、今や2人に1人ががんになると言われていますから、実は五分五分なんですよね。こうして、ブログとかインスタグラムなどでいろんながん経験者の方を知って思ったのは、自分が体験しているがん患者のほうが一般的で、がんになっていない人のほうが「良かったね」って思うようになるくらい、がんが身近になっているということ。がんを毛嫌いしても始まらないし、絶望したり、悲しむのではなく、どうやって共に生きていくか、闘っていくかということに気持ちを切り替えることができたのは、一番良かったことです。――SNSでのコメントに、勇気づけられたんですね。本当にそうでした。私を励まそうというものと同じくらい、自分の経験を真剣に書いてくれるんですよ。抗がん剤の副作用って人によって出方が全然違うので、普通にネットとか調べていると悪い情報ばっかり入ってくるんです、そのほうがアクセス数も増えますからね。そういうところだけを見ていると不安にしかならないんですけど、なんの損得もない人たちから「自分はこうでした」「笠井さんこうだといいですね」「もし私と同じような症状だったらこれが効果的ですよ」とか、そういうアドバイスを頂けるんです。ネット上でのつながりというものを、我々マスコミでは「危ういもの」として取り上げることが多いのですが、私は今回、SNSの光と影の“光”の方を強く感じました。相手の方の名前はハンドルネームしか分かりませんけど、こういう支え、絆、つながりが、とても自分の中で大きな財産になりました。あと、私はどなたにもコメントを返さないと決めていたんです。この人に返して、あの人に返さないというのは申し訳ないし、体調によって全部に返せないということがあるので。それで驚いたのは、コメントで悩みを打ち明けてくれる人がいるのですが、別の人が励ましているんですよ。そうすると、悩んでいた人がお礼を言うんです。――笠井さんのブログやSNSのコメント欄で、コミュニティができているんですね。もう感動しちゃって! そこに私の存在はもうないんですけど、それでいいんですよ。とても素敵なことだなと思うし、「自分にはこんな良いコメントが返せたかな?」とも思ったりして(笑)。でも、SNSにはどうしたって落とし穴があるから、なかなかテレビではこういった良さというのを取り上げてきていないので、今、自分のがんとSNSの経験を本に書いているんです。秋から冬にかけて出せればと思って鋭意執筆中なんですが、この自宅療養中はほとんどこれを書く時間に充てていました。○■二度聞きした「完全寛解」――6月4日に、主治医の先生から「完全寛解」(かんぜんかんかい)と言われたそうですが、この言葉は初めて聞きました。私もそうでした。血液のがんの場合、相当長い期間をかけないと「完治」にはならないので、がん細胞がなくなる「寛解」という状況からそれを維持していくというのが典型なんです。だから、先生から「寛解です」と言われると思ったら「完全寛解です」という言葉だったので、私も妻も聞き返しましたよ、「完全寛解ってなんですか!?」って。普段から、そんなに人を喜ばせようとする先生じゃないんですから。――クールな感じの先生なんですか?そうそう、シビアにがん細胞と向き合う先生で、あんまり調子のいいことや、なだめるようなことを、根拠もなく言う方じゃないんです。その先生が「完全寛解」と言うので、改めて聞いてみたら、「データ上で見て、がん細胞が少しあっても問題ないという場合は『部分寛解』と言うんだけど、笠井さんの身体には全くないので、『完全寛解』なんです」とおっしゃるので、もうそれはうれしかったですよ。今は1カ月に1回、白血球の数値を見るために通院しています。●リモートワークは弱者を救う――スタジオ収録の前は、自宅からリモート出演されていましたよね。これは時代に救われたなと思いましたね。コロナという状況の中でリモートワークが一般化して、ネット回線でテレビ出演やラジオ出演ができるようになったのは、私にとってはとても大きな出来事でした。自宅療養の2カ月間は、基本的に家から出ないということになっていたので、仕事なんて一切できないと思っていました。そしたら、リモートワークという仕事の形が出てきて、世の中に浸透して、必ずしも職場に行かなくても仕事ができるという新しい社会のシステムに助けられました。リモートワークは、感染を防ぐとか、仕事の効率を上げるとか、そういった目的で普及が進んでると思うのですが、我々がんサバイバーと言われる人間から見ると、これは“弱者のツール”だと思いました。家から出られない人、抗がん剤治療受けている人、病弱であったり精神的に外に出ることができない人たちが、リモートによって仕事しやすい環境がどんどん生まれている。今まではリモートで仕事をしていれば「なんでリモートなんだよ」って見られていましたけど、今は「進んでる」と一段上に見られますからね。つまり弱者が対等に、それ以上の立場で社会に出ていくことができるツールとして、リモートワークは非常に良いシステムだなと思いました。そういう意味で、コロナというのは我々の仕事にとって良いことは1つもないんですけど、副産物として、我々弱者を救ってくれるシステムが構築されつつあるのです。――今回のスタジオ収録の様子を拝見しましたが、絶好調でしたね(笑)リモートによって、テレビの本格復帰へのリハビリができたんですが、むしろリモートのほうがトークは難しいですからね。ハードルの高いことをやってから今回、『男おばさん!!』で軽部さんと一緒にやらせていただいたことで、生のトークがどれだけ楽しく、どれだけ心躍るものであるかということを再認識しました。――フジテレビにも久々に来られて、アナウンス室には寄られたのですか?はい、みんな「おかえりなさい」と喜んでくれて、やっぱり後輩たちはかわいいですね。古巣はいいなと思いました。それから来た時間がちょうど『とくダネ!』が終わる頃だったので、小倉(智昭)さんにあいさつに行ったんですけど、なんだかわけもなく会った瞬間に泣いちゃって。小倉さんには最初にがんのことを相談しましたし、膀胱がんを全摘したがんの先輩ですしね。――20年のお付き合いですもんね。でも、『とくダネ!』の他の担当アナウンサーより、私と小倉さんの距離は離れているんですよ。みんなは一緒にコンサート行ったりとかしてるんですけど、私はあんまりそういうことは一緒にしない(笑)。だけど、一大事が起きると、小倉さんをまず頼る。そういう20年間だったので、ちょっと親子関係に近いかもしれないですね。近すぎるとちょっと鬱陶(うっとう)しいけど、どうしてもそばにいてくれないと困る人(笑)それが小倉さんだから、会った瞬間に泣き崩れてしまったのかもしれないです。そんなことになるとは思わなかったんですけど、小倉さんを喜ばせなきゃと行って、気づいたら泣いていました(笑)○■神様から「今度はがんのこともやりなさい」――スタジオ復帰でフリーアナウンサーとして再スタートということになるかと思いますが、今後の展望をお聞かせください。去年フリーになって最初の2カ月間、本当に様々な仕事をやらせていただいたので、その状況に戻していきたいというのが1つです。もう1つは、これからはがんというものを自分の活動の1つの柱にしたいと思ってるんです。本の執筆のほかに、まずは「オンコロ」というがん情報サイトで、自分がインタビューアーとしてがん患者が気になることを専門家の先生にお聞きする動画を始めました。それから、8月29・30日にキャンサーネットジャパンというNPO法人が主催する「血液がんフォーラム」というオンラインのシンポジウムに参加します。自分の経験をがんで悩んでる人や、これからがんと闘っていく人たちの何か助けになるような活動がしたいと思っているので、そういったところにはできる限り参加していきたいと思います。自分ががんになった意味はそこにあるんじゃないかと思ってるんです。これまで10年、東日本大震災の各地域と取材を通じていまだに交流して、毎年いろんなことをやってきましたけど、これからは何をするかというときに、神様から「今度はがんのこともやりなさい」と思し召しがあったと思って。がんサバイバーは、人の経験にも興味があるんですよ。なので、がん経験者の仲間の皆さんに関心を持っていただける部分もあるのではないかと思っています。――活動の幅が広がっていきますね。専門家になろうとしているわけではなくて、これまで伝える仕事をしてきたという経験から、がんにまつわるいろんなことを伝えていく活動というのは、自分にとってこれから重要にしていかなきゃならないなと。単に「がんが治ってよかったね」で済ませちゃいけないなと、自分では思っています。●笠井信輔1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、87年フジテレビジョンに入社し、『おはよう!ナイスデイ』『タイム3』『今夜は好奇心!』『THE WEEK』『FNNニュース555ザ・ヒューマン』『とくダネ!』『男おばさん!!』『バイキング』など、報道・情報番組を中心に担当。19年9月で同局を退社し、フリーアナウンサーとして活動するが、同年12月に悪性リンパ腫が判明し、療養へ。今年4月に退院し、自宅療養を経て、8月22日放送のCS・フジテレビTWO『男おばさん!!』でスタジオ収録に復帰した。がん情報サイト「オンコロ」でインタビュー動画『笠井信輔のこんなの聞いてもいいですか』や、NPO法人キャンサーネットジャパンが主催する『血液がんフォーラム』(8月30日)に参加し、秋~冬には書籍を出版予定で、自身の闘病経験を伝える活動も行っていく。
2020年08月21日新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)に感染した東京都在住の20代女性が、ゴールデンウィーク中に山梨県に帰省し、その後陽性が判明したにも関わらず、高速バスで再び帰京したことが明らかになりました。女性は味覚障害などの自覚症状がありながら東京都の会社に出勤し、帰省先の山梨県でも友人の集まるバーベキューに参加。2020年5月1日に検査を受け、2日の朝に陽性が判明した後、保健所のいいつけを破り、東京都に戻ったのだそうです。石原良純「想像力が大切」同月4日に放送された、情報番組『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)では、一連の報道について特集。番組でコメンテーターを務めるタレントの石原良純さんは、女性の行動に対し、次のような意見を述べました。恐らく、そんなに強い症状が出ていなかったと思うんですけど、ただやっぱり、感染してしまうこと自体はしょうがないというか…気を付けていても、そういうことはあるんですね。そして感染した人に対して妨害だったり差別してしまう人もいるわけじゃないですか。それは、感染したこと自体は悪いことじゃないし、感染した人を社会も守ってあげる、いろんな方策をしています。それと同時に、逆に自分がなった時は、やっぱり人に移さないことに何ができるか、自分が自由に動き回った時に何が起こるか…想像力ですよね。羽鳥慎一モーニングショーーより引用石原さんは、コロナウイルスとの闘いが長期化することを前提に、「一人ひとりが想像力を働かせて、責任感を持って行動することが大切だと思う」と続けました。【ネットの声】・石原さんのいう通り!・想像力を働かせて行動する…って、まさしく正論。・ニュースにショックを受けた。帰省をしたいのを我慢している人もいるのに。多くの人が、大切な人と会うことを控え、制限された環境の中で、日々を過ごしています。「自分さえよければいい」「1人ぐらいの移動なら問題ない」という考えは、即刻捨て去るべきでしょう。自分がした行動が、周囲にどんな影響を及ぼすか…想像力を働かせることの大切さを痛感させられますね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月04日昨年12月から血液がんの「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」で入院していたフリーアナウンサーの笠井信輔(57)。4月30日に「本日退院です!皆さんに感謝」と題したブログで、退院したことを報告した。笠井アナは《おはようございます。特別な朝を迎えました》と切り出し、《カーテンを開けると、素敵な青空が広がっていました。ついに今日退院できるのです。家に帰ることができるのです。本当にうれしい》と喜びを綴った。入院が1年にわたる可能性もあったという笠井アナだが、約4カ月での退院となった。来月中旬には最終検査が残っており、《最終チェックで全身のがんが消えていることがわかれば、「寛解」と言えるのかもしれません》と明かしている。今回の入院で抗がん剤治療を6回も受け、強い倦怠感や抜け毛といった副作用とも向き合ってきた笠井アナ。病状や感じたことを詳細に綴ったブログが反響を呼び、現在のフォロワーは17万人を超えている。いっぽうで、入院中には新型コロナウイルスが世界中で蔓延するという事態も発生。笠井アナは病床から可能な限り情報を収集し、アナウンサーならではの指摘や問題提起を発信してきた。また「#うちで過ごそう」とし、外出自粛や医療従事者への感謝を伝える活動も呼びかけてきた。「笠井アナは病状や入院中の思いを綴るため、ブログを開設しました。当初は病気に罹ったことで仕事がキャンセルになることを心配していたそうです。ですが、“新たな出会いや繋がりが生まれる”と発想を転換。また『世の中に対して自分の意見を言う場ではない』とも決めていたそうですが、感染による影響が深刻化していく状況にもどかしさを感じたそうです。東日本大震災を取材した経験となぞらえた発言は、ネットニュースで取り上げられるほど注目を集めました」(テレビ局関係者)闘病中も使命感を持って発信を続けた笠井アナ。彼のブログには、退院を祝福する声が1,000件以上も寄せられている。《退院おめでとうございます笠井さんのブログは、ご自身の闘病生活を隠さず公表なさっていて、報道に携わって来られた方の誇りを感じました》《おめでとうございます。素晴らしいお天気が後押し!ずっとブログフォローしながら応援させて頂いてました。抗ガン剤治療時のお辛い時にも「辛いです」とありのままのお姿、コロナ問題の時は我を忘れてのジャーナリスト魂。これからもずっと応援してます》《笠井さん、退院おめでとうございます。入院中のブログを拝見させていただき、笠井さんの明るさと前向きな人柄を知ることができました。発信する力がすごい!!素敵だなー、といつも力をもらっています》
2020年04月30日悪性リンパ腫で闘病中の元フジテレビの笠井信輔アナウンサーが23日、自身のインスタグラムを更新。同日、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった女優の岡江久美子さんを追悼した。笠井アナは「岡江久美子さんが…コロナウイルスで亡くなられたなんて。信じられません」と書き出し、「お会いする時はいつも笑顔でとても明るく、気さくに話しかけてくださいました」と岡江さんとの思い出をつづった。そして、「12月末に乳がんの手術を受けられて、年明けから放射線治療。免疫力の低下が重症化の要因と事務所が発表したようです。がんの種類は違えど、治療時期がほとんど一緒です私も強い抗がん剤治療を受けていますので、免疫力が低いんです。他人事ではありませんとても不安です」と吐露し、「ご冥福をお祈りします」と悼んだ。さらに、「いろんなことがあって明日『とくだね!』に生出演することになりました。よろしくお願い致します」と、あす24日にフジテレビ系情報番組『とくダネ!』(毎週月~金曜8:00~)に出演することを発表した。
2020年04月23日悪性リンパ腫で闘病中の元フジテレビ笠井信輔アナウンサー(56)が1月16日、自身のブログを更新。入浴中に倒れ、初めてナースコールを押したことを報告した。笠井アナは『風呂場で、倒れました。』と題した記事をエントリー。現在、2回目の抗がん剤治療中で、倦怠感などに苦しんでいるといい、「抗がん剤投与3日目の昨日は大変でした」と振り返った。夕方になり、「とっても迷ったのですが、1日寝ているのも良くないだろうと思って」と入浴を決心したというが、「念入りにシャワーを浴びていたら、最後心臓がドキドキしてきて椅子に崩れ落ちてしまいました。貧血です」と倒れ込んでしまったという。「そこからどうにも立ち上がれなくなってしまった。5分ぐらいして、なんとか脱衣場に移動してナースコールを押そうと思ったのですが、こちらは全裸!!若い女性の看護師さんが救出に来たらあまりにも恥ずかしいので、『とにかくパンツ履かなきゃ』。パンツ!パンツ!パンツ!ただだだ、その事が次の行動のエネルギーとなっていました。『羞恥心』というものは何事にも勝るものなのか!今考えると、笑っちゃいますけどね」と笑いを交えて、明るくつづった。入院後、初めてのナースコールを“パンツ一丁”で押した笠井アナ。「やって来たのは若い男の看護師さん。まぁ考えてみれば風呂場なんだから、同性の人が来ますよね(笑)」とオチをつけた。ユーモアたっぷりのブログだが、最後にはベッドで横になっている自撮りとともに「構図も、めちゃくちゃ。『こんな写真撮って、どういう精神してるのか?』と思う方、もちろんいると思います。でも、どうしても『伝えなきゃ、あとで後悔する』と、体が自然と動いてしまうんです」と闘病生活を発信する理由を強くつづった。読者からは「頭を打つなどなくよかった!」「笠井さんの時々、ウフッと笑えるエピソードが好きです」「笠井さんの職業魂が助けになっている人も多いのではないでしょうか」と応援するコメントが寄せられている。
2020年01月17日悪性リンパ腫を公表したフリーの笠井信輔アナウンサーが22日、ブログを開設し、病状について新たに分かったことなどを報告した。『笠井TIMES 人生プラマイゼロがちょうどいい』と題したブログで、今回悪性リンパ腫を公表したことで、インスタグラムのフォロワー数が300人から3万人に急増したという笠井アナ。「足し算の縁と引き算の縁」という考えに基づき、「この3万人もの方たちは、私が『悪性リンパ腫』になったから繋がれた人たちです。皆さんの応援メッセージにとても励まされています。中でも『がん』の方、『悪性リンパ腫』の方、さらには私と同じ『びまん性大細胞型B細胞リンパ腫』の方から『治りました!』『私も闘っています』という声が続々と届いているんです」という。その上で、「『病気になったとたんにフォロワーが増えるとは…』じゃないんです。病気になって山のような仕事が失われましたが、その代わりに、新たな人たちとの絆が生まれる。やっぱり、これって素敵なことだと思うんです。腐ってる場合ではありません」と奮起したようだ。そしておととい、主治医の先生から家族に対して、細かな治療方針の説明があったことを報告。「新たに分かったことは、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の中でも、私は『予後の悪いタイプ』だということ。そのため、『通常より一段階強い抗がん剤治療を行う』ことが明かされました。右胸にCVポートを手術で埋め込んだのも、強い抗がん剤治療をスムーズに行うためだということもわかりました」とし、「明日、月曜日、ついに抗がん剤治療が始まります。が・ん・ば・る!」と決意を新たにした。
2019年12月22日フリーアナウンサーの笠井信輔(56)が、12月19日放送の『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)に生出演。血液のがんの一種である、「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」に罹ったと公表した。病名を公表するにあたり、「これまで有名人のプライバシーを紹介することを仕事にしてきた。自分だけ伏せておくのは違う」と義務を感じたという。笠井アナは9月末にフジテレビを退社し、フリーに転身。11月中旬に「前立腺肥大症」が判明。12月上旬にMRIを受けたところ、腰と肩に悪性リンパ腫が発覚した。笠井アナは今後4カ月入院し、抗がん剤治療を受ける。その後さらに、2カ月の自宅療養をする予定だ。そんななか、小倉智昭アナウンサー(72)は「休んでも仕事をしたがる」と笠井アナを心配。しかし、笠井アナは「発信していかなければ」と使命感を告白。入院後はブログ『笠井TIMES人生プラマイゼロがちょうどいい』を開設し、闘病生活をつづっていくと明かした。そんな笠井アナは、コーナー後半に「最後にいいですか?」と発言。東日本大震災の取材時に学んだ、「“足し算の縁と引き算の縁”の考え方」を披露した。「震災当初は、人が亡くなった・行方不明になったと“引き算”で考えて話していた」と明かした笠井アナ。しかし、「途中からあの人に会えた・この人と知り合ったなど“足し算の縁”を話す人が増えた」と振り返った。続けて、病気に罹ったことで「山のような仕事のキャンセルばかり考えていた」とも告白。しかし、「ここから新たな出会いがあるはず。病気のおかげでこうなれた、と気持ちを切り替えて闘っていく」と決意を語った。ポジティブに病気と向き合う笠井アナ。ネットではエールが溢れている。《笠井さんの言葉のひとつひとつに生きることへの決意を感じました。多くの縁を味方に、現実に向き合う姿を陰ながら応援しています》《#とくダネ後半部分だけ見られた。 印象に残ったのは 「引き算の縁と足し算の縁」 東日本大震災の時の取材で、最初は無くした物を数えるけど、時間が経ってくると、再会出来た、ボランティアに出会えたなど新しい縁を数える。素敵な言葉だと思います。笠井さん、応援してます》
2019年12月19日9月末でフジテレビを退社したフリーアナウンサーの笠井信輔が3日、都内で行われた是枝裕和監督初の国際共同製作映画『真実』(10月11日公開)のジャパンプレミアで進行役を務めた。笠井アナは冒頭のあいさつで「『万引き家族』にもちょこっと出ておりましたフジテレビアナウンサーの…」と言いかけ、「すいません、ちょっと癖で。もうフジではないので、普通の映画好きのアナウンサーの笠井信輔です。どうぞよろしくお願いします」と訂正し、会場から笑いが起こった。そして、「国民的大女優の母と娘の2人が繰り広げる、感動あり、毒舌ありの一筋縄ではいかないドラマです」と本作を紹介。その後、監督とキャストを呼び込み、本作への思いなどを聞き出した。本作は、昨年のカンヌ国際映画祭で日本映画21年ぶりの快挙となる最高賞“パルムドール”を受賞し、 『万引き家族』が興行収入46億を超える大ヒットとなった是枝監督の長編14作目となる最新作にして初の国際共同製作映画。母と娘の間に隠されたある「真実」を巡る物語で、全編フランスにて撮影された。イベントには、是枝監督、来日したカトリーヌ・ドヌーブ、ジュリエット・ビノシュ、さらに、日本語吹替版で声優を務めた 宮本信子(カトリーヌ・ドヌーブ)、宮﨑あおい(ジュリエット・ビノシュ)、佐々木みゆ(クレモンティーヌ・グルニエ)が登壇した。
2019年10月03日